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カテゴリ:
…すごいタイトル(汗)


人は、どんな時に生きている喜びを感じるのか。
いや、逆に言った方がいいでしょう。自分が生きている意味がわからなくならない
状態はどんな状態の時なのか。

つまり、人は、いちいち生きる喜びを感じて毎日を生きてるわけではありません。
「毎日に感謝して生きる」ってのは、なかなか素敵な事ではありますが、仕事に追われ、
生活を考え、眠りについて朝がきます。
これが、問題なく回ってる間は、生きる意義だの自分さがしだの考えずに、「とりあえず今日は終わった、明日もがんばろー」になるんです。

恋だのなんだので「生きててしあわせ!」なんて思うのは、そっちの方が特別な状態なんで
あってね(笑)毎日それだったら、それはそれでハイテンション続きすぎて大変になってしまいます。


逆に、自分が何のために生きているのかわからない。
自分がすることなど、何の意味もないんじゃないか?
こういった事を思う時、人は気力がなくなります。

自分が生きている意味、証。つまり「存在意義証明」を自分自身に対して出すこと。


人が充実した毎日を送る事ができるのは、この「存在意義証明」を出せるかどうかに
かかっている、と私は思うのです。
この時、自分で自分に出せるのが一番いい。勘違いだろうがなんだろうが、自分で自分に
その証明を出せる人は、とりあえず大丈夫です。(とりあえず、というのは、根拠が思い込み
だったりした場合、一気に崩れる可能性があるからです)
もし、自分で自分に出せないとしたなら、身近な人に出してもらえればいい。



自分で自分に出せない、っていうのはどういう時か。



そんなにむずかしく考える必要はありません。子どもの時です。幼児の時です。
自分が今、ここにいてもいいんだ、って思えること。安心できる事。

ほら、ハイハイできるようになった幼児が、ちょっと歩けるようになった幼児が、
母親の後をおいかけるでしょ。
あるいは、一人で遊ぶようになっても、定期的に親のところへ戻ってくるでしょ。

自分のいる場所を確認するわけです。


この時に、確認できること。幼児のうちに、自分の居場所がある事が確認できること。
幼児のうちに、しっかり確認できたなら、つまりそれは「愛情」というものを受け入れる
事を問題なくできるようになります。


つまり、ここで愛情を受け入れる事を経験しておかないとどうなるか。

後からでもできるんですよ。成長してからでもできるんです。
でもね。


愛情いっぱいの「いっぱい」の量が違ってしまう。
幼児の頃なら、親に抱っこされれば、抱きしめられれば、それで受け入れ量満タンの
愛情です。愛情を満タンにされることに対して、満足もできるし疑いもいだかない。

でも、成長していくにしたがって、打算やその場しのぎに気がつくようになっていく。
必要な愛情の量も質も、求められるレベルが上がってしまう。
子どもにはお菓子をあげれば満足するけれど、ある程度の年齢を重ねれば、お菓子を
あげてもよろこばない。
そして、自分に注がれる愛情を受け入れる事を経験できてない状態になるのです。
ま、いわゆる「ひねた」あるいは「すねた」ような状態ですね。


親が子に対しては、ある程度年齢が進んでからでも、「抱きしめる」という行為で
ベースとなる愛情をいっぱいにしていく事はできます。


でも、それが不可能な場合があります。
その時、どうするか。


自分を受け入れてくれる人や場所を探すんです。
どうすれば、自分を受け入れてくれるか考えるんです。
つまり、自分が注がれたいと思う愛情の量・・・注がれた愛情の入れ物があるとしたら、
その容れ物は空き容量が大きいからそれに見合う量・・・を手に入れようとするんです。

こどもでなくなればなくなるほど、その量は増えます。
でも、こどもの部分を空白のままで大人になっても、基礎がどこか抜けた
高層ビルなのかもしれないのです。


君はそこにいていいんだよ。
君は愛されているんだよ。

私はここにいていいんだ。
私は愛されているんだ。


先に書いた「存在証明」は、この「注がれた愛情」の上に出されます。
「注がれた愛情」は生まれてきて、最初に出される存在証明であり、
十分であれば、これから先に出される存在証明を、自信を持って受け取れます。
愛情を注がれる事で、存在証明を出す事に疑義がなくなるわけですね。

だから、その証明書の内容は、ちょっとした事でもまったく問題がない。

それこそ、たまたま言われた「ありがとう」の一言だけでも、存在証明を
出せる。


でも、その存在証明を出す・出される事に対して自信がない場合。
その存在証明は、貴重なものでなければならないのです。高価なもので
なければならない。
だって、自分にはなかなか手に入れられなかったものなのだから。
そんなに簡単に手に入るはずがない。


みんなが私と仲良くしてもらうためには、みんなの言う事を私が
きかなきゃいけない。
ケンカに強い事で、周囲が自分を認めてくれる。
飲み会は、最後まで参加しないと嫌われるんじゃないか。
抱きしめられたい。質はともかく、「注がれる愛情」の袋をいっぱいにしたい。
セックスで愛情が手に入るならそれでいい。
ギャンブルで勝った時に、生きてて良かったって思える。
自分の主張が通らなければ、私はここにいる意味がない。

愛してくれる人の愛情を壊れるまで試して、壊れない事を確かめようとする。
近くにいてくれる人を責め立てて、それでも自分の近くからいなくなったり
しない事を確かめようとする。




そして、もしかするとそうやって出してきた存在証明を、虚しいものだと
感じてしまうかもしれない。
自分で出したけれど、自分に対して証明ができないんですね。


これを取り返すのは大変なんです。


もう一度、自分を確かめるために。自分がここにいてもいい事を確かめるために。
それはものすごくパワーがいる。

恋人やパートナーが、手伝ってくれるかもしれません。
それは、あなたを本当に大事に思ってくれるからなのですよ。



余談。


ちなみに、ひきこもりを私流に解説するならば「社会との関係を希薄にすることに
よって、存在しなくていいよ、と言われないための防御態勢」ではないでしょうか。
存在証明を、出しに行くのではなくて、その逆の「おまえはいなくていい」と
言われないために。





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最終更新日  2009.12.04 23:31:07
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