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内なる宇宙を感じて… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2014.01.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は、ブルームさんから頂いた以下のコメントにお答えさせて頂きます。


私の両親は真面目で小さい頃からいい子で育ってきましたが、自分の言いたい事などが言えないまま大人になり、パニックや不安障害などに悩み、カウンセリングを受けたり、薬を飲んだりしていました。

しかし、あまり効果的とは感じず、体へのアプローチが必要と思っています。

'からだという視点'というのは、ストレッチや運動をするという事でしょうか?

今年はヨガを始めようと思っています。
からだという視点について具体的に教えていただきたいです。


まず、「“からだ”とは何か」ということについて書いてみます。

「いい体をしているね」という場合は、その人の「体格の良さ」を示しています。
この場合の「体」は筋肉や骨格の外見的な状態を指しています。

「体が柔らかい」と言う言葉は、筋肉や関節部分の柔らかさを示しています。

「体力測定」で測るところの「体の力」とは、「体」の持つ様々な能力のことです。

これらの「体」の状態は客観的に検査したり、機械で調べることが出来ます。

でも、「今日は体の調子が悪くって」という場合の「体」は、客観的に検査することが出来ません。

内臓の状態などは客観的に検査することが出来ますが、その本人が感じている「体の調子」は、客観的に検査することが出来ません。

よく、聞かれるのが「体の調子がおかしいので病院に行って検査を受けたのだけど、異常がないと言われた」という言葉です。

西洋医学では「客観的な体」はその対象として扱うことが出来るのですが、「主観的な体」はその対象外なのです。

「体が目覚める」という場合の「体」も「主観的な体」です。

「耳で聞くのでも目で見るのでもなく、体全体で見て、体全体で聞きなさい」というような言葉が指している「体」も科学では扱うことが出来ない「主観的な体」です。

ヨガや瞑想などが働きかけるのもこの「主観的な体」です。

「頭で判断するのではなく体で感じなさい」という場合の「体」も「主観的な体」です。

青い空を見、風の音を聞き、野の花に見とれるのも、この「主観的な体」です。

さらに、不思議なことに、この「主観的な体」は肉体としての「客観的な体」を抜け出してしまうことすらあります。

夢の中の自分の体は「主観的な体」です。

この「主観的な体」を私はひらがな表記で「からだ」と書いています。

この「からだ」は物質的な存在ではありません。「肉体」に属するのではなく「心」に属しています。

というか、正確に言うと 「肉体と心をつなぐ働きをしているもの」 です。これは機械では調べることが出来ませんが、確かに存在しているものです。


この「からだ」があるから、「心の状態」が「体の状態」に表れ、「体の状態」が「心の状態」に表れるのです。

「プラシーボ」という偽薬が働くのも、プラシーボがこの「からだ」に働きかけるからです。

人が死んだ時、「肉体」は残りますが「からだ」は消えます。

そして、そのように「主観的なもの」であるが故に、「感じることが出来る人」と、「感じることが出来ない人」がいます。


肉体の機能としての五感や、骨格や筋肉の状態は客観的、物理的な存在ですから誰でもその存在を知っています。

そして、道具として使っています。

でも、「からだ」の方は「主観的な存在」ですから、その存在に気付いていない人もいっぱいいるのです。

ちなみに憂鬱質の人は、他の気質の人よりもこの「からだ」に対する感受性が高いようです。だから、いつも「からだ」に意識が向いていたり、心の状態がからだの状態に表れやすいのです。

精神世界に惹かれやすいのもそのためだと思います。

その一方で、「からだ」に対する感受性が一番鈍いのが胆汁質です。

また、日常的に緊張が強い人や、不安が強い人もこの「からだ」を感じる能力が低いです。

ですから、憂鬱質の人でも否定され続けて緊張と不安の固まりになっているような人は「からだ」を感じる事が出来ません。

そのような人は「支配的」になります。

そのような状態の人の「心の苦しみ」を緩和するためには「からだ」に働きかける必要があります。

その「からだ」が緩まないことには、心が緩まないからです。

また、そのような人の「心」は閉ざされていますが、生きている限り「からだ」が閉ざされることはないので、「からだ」から「心」に働きかけるのが一番効率的なのです。

でも、難しいのは「からだ」は主観的な存在なので、感じる事が出来ない人にそれを理解してもらい、更に感じることが出来るように指導するのがなかなか困難だということです。


ヨガなどの身体的な活動は直接的に肉体に働きかけます。でも、その状態を「からだ」で感じていなければ、いくらヨガをやってもそれは「心」には働きかけません。

それは、夏休みに毎朝やったラジオ体操と同じような効果しかありません。

ブルームさんは
'からだという視点'というのは、ストレッチや運動をするという事でしょうか?

今年はヨガを始めようと思っています。


と書いていらっしゃいますが、 実際には「何をするか」が問題なのではなく「どういう意識でやるのか」ということが問題なのです。

ヨガをやっても、それが単なる「肉体を動かすだけの行為」になってしまっては「心」に働きかけることが出来ません。

逆に、歩くだけ、呼吸をするだけ、家事をするだけでも、その行為を「心」で感じながら行えば「からだ」に働きかけることが出来ます。


ですから、指導者の質が大きく問われます。

「自分のからだ」と対話しながら、常に心を込めて、丁寧に行うのなら、どんなことをしても「からだ」を変えることが出来ます。その結果「心」も変わります。

ですから、そのように意識しながら生活することで、 自分で自分を変えることは出来ますが、他の人を変えることは出来ません。





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Last updated  2014.01.03 08:52:21
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