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本当のこたえ New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2019.11.19
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カテゴリ: カテゴリ未分類
全ての「知識」は、具象的(リアル)な何かを、抽象化(記号化)したものです。

「木」という存在は存在していませんが、ここに生えている「樫の木」や、あそこに生えている「楓の木」は存在しています。

その「具体的に存在している何か」を、その実物を見せることなく、言葉で言い表すために知識や言葉という記号が作られているのです。

知識や言葉の背景に具象的でリアルな世界があるから、言葉がその役割を果たすことが出来るのです。

ヘレンケラーが実際の水に触れながら「ウォーター」という言葉を覚えたように、言葉や知識が先にあるのではなく、体験が先にあるのです。

具体的な体験という中味があって、その中味を持ち運ぶために知識や言葉というものが創り出されたのです。
中味が存在しているから容器に価値があるのです。

海を見たことがない子にも「海」という言葉を覚えさせることは出来ます。でも、その子が使う「海」という言葉には中身がありません。

「命の体験」がない子が使う「命」という言葉には「命」は含まれていません。

でも大人は、その「命」という言葉を聞いて自分なりの解釈をしてしまうので、その言葉が空っぽであることに気付きません。

そして今の子どもたちは、試験の時にしか役に立たない空っぽの知識と、空っぽの言葉ばかりを頭に詰め込んで、心とからだの成長に必要な栄養を摂ることが出来なくなってしまっています。

当然、本を読んでも理解出来ません。

「目の前に広がる大きな海が・・・」という文章を読んでも、海を見たことがない子にはその状態をイメージできないのです。

主人公が苦労しながら崖を登っているシーンを読んでも、崖登りの体験がない子にはその時のハラハラ・ドキドキが分かりません。

でも大人達は、子どもたちがいっぱい知識と言葉を学んでいると安心します。知性も、心もチャントと育っていると思い込みます。

言葉に中身がないのですからコミュニケーションも困難になります。
自分の考えや、感じたことを言葉化することも出来ません。
論理的、客観的に考えることも困難になります。

なぜなら、客観的な論理は、現実の世界の中にしか存在していないからです。

それは「こうすればこうなる」という論理です。泥団子の作り方の中にも、ノコギリの使い方の中にも客観的な論理があります。

(ゲームの中には人為的に作られたゲームの論理がありますが、でも、その論理は現実世界の論理とは無関係です。)

その、「みんなによって共有されていれる、因果の論理によって支配されている現実の世界」を体験し、それを言葉で理解し、言葉で伝えようとすることで、論理的に考えたり、言葉を論理的に使うことが出来るようになるのです。

また、コミュニケーションも可能になるのです。

その体験がないまま知識や言葉を覚えた子は、その知識や言葉を論理的に使うことが出来ないのです。

そのため、今の子どもたちの多くが「my language(自分言語)」を使っています。それは「自分の体験とだけしかつながらない自分だけの言葉」です。

一見、普通の日本語なんですが、一人一人意味も使い方も全く違うのです。

そういう言葉を使う子どもと話をしていると、話が通じません。子どもの言葉を理解するのも困難です。

ゲームの中の「火」しか知らない子と、リアルな「火」しか知らない人では話が通じるわけがないのです。

さらには、ゲームごとに「火」の扱い方も違うでしょう。それを設定しているのは現実ではなく、ゲームを設計した人ですから。





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Last updated  2019.11.19 09:18:51
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