森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

やすらぐ感覚 New! かめおか ゆみこさん

Comments

森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

Profile

森の声

森の声

2024.10.16
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
思春期前の子どもの世界は自由です。子ども自身の工夫や努力で何とでもなる世界です。だから子どもたちは遊びを通して、工夫すること、努力することを学ぶことが出来るのです。

でも、大人の世界は自由ではありません。様々なルールによって束縛されています。だから不自由なんですが、でもだから大きな社会を維持することが出来るのです。

思春期前の子ども達は「直接知っている仲間によって作られる小さな社会」には属していますが、「会ったこともない人も含まれる大きな社会」には属していません。(そういう自覚がないと言うことです)
だから「仲間のルール」は理解できても「社会のルール」は理解できないのです。その結果、大人が大切にしている「社会のルール」よりも「仲間のルール」の方切にします。

その「社会のルール」の中には、お金の価値、法律、時間の感覚、空間の感覚、社会構造に対する感覚などがあります。これらは大人にとっては大切なものですが、思春期前の子どもにとっては理解できないものばかりです。いくら丁寧に説明しても理解できません。これは「知識の問題」ではなく「発達段階の問題」だからです。

子ども達が属している社会は「よく知っている仲間達」だけで構成されています。だから「固定されたルール」など必要がないのです。その場その場の状況に合わせてみんなで考えて工夫すれば上手く行くのです。

でも、大人の世界を構成しているのは「知っている人」だけではありません。見も知らない「地球の裏側の人」まで含まれています。知らない人までも含めたみんなが幸せに共存するためには、みんなが守るべき「形」が必要になるのです。SDGsと呼ばれるものもその「形」の一つです。

また、大人たちは「過去から受け継いだ形」を守ろうとしています。「国」や「文化」といったものもその「形」の一部です。「言葉」や「精神性」や「生活スタイル」も「守り伝えるべき大切な形」です。でも、子ども達にはそんなこと関係ないことです。むしろその形を壊すことを楽しもうとします。

「言葉」も子ども達にとっては「守るべきもの」ではなく「遊び道具の一つ」に過ぎません。だから勝手に言葉を作り変えて遊んだりします。替え歌を作って遊ぶのも大好きです。
そうやって言葉に対する感性を育てているのでしょうが、でも、大人たちがそれをやりだしたら文化や文明は崩壊します。バベルの塔の再来になってしまいます。

実は、人間社会だけでなく、私たちが生きている世界は「形」によって支えられているのです。自然も宇宙も「形」によって支えられているのです。物理法則は、「物質世界を支配している形」を数字を使って表しているのです。

思春期前の子どもの心はその「形」から自由ですが、大人になるに従って、社会を安定させるための「形」を大切にするようになるのです。校則もその一つです。子どもはそれを「束縛」と考えますが、大人は「学校を混乱させないために必要なもの」として考えています。

このような点において、思春期前の子どもが生きている世界と、思春期以降の子どもが生きている世界は大きく異なっているのです。それなのに、思春期が来ると子ども自身が望んでいなくても、自動的に「生きている世界」が切り替わってしまうのです。

そのため、子ども時代に「自分だけで決めることが出来る子どもの論理」しか学べなかった子は、思春期ごろから混乱し始めるのです。「みんなで決める、もしくは最初から与えられている形によって支えられている世界」での生き方が分からないからです。
だからといって、思春期前の子どもに大人の論理を伝えても理解することが出来ません。

そこで大人達は「しつけ」という形で「大人の論理」を伝えようとしてきました。「しつけ」とは、生活の場の中で「言葉の使い方」や「立ち居振る舞い」などにおける「形」を伝えることです。大人の言うことを聞くように訓練することではありません。
でも、現代社会ではその「形を伝える仕付け」はほぼ崩壊しています。お母さん自身も「形」を受け継いでいないからです。

また、「子どもを自由にさせることが子どものためになる」と思い込んでいるお母さんもいっぱいいます。でも、「自分勝手が許される子育て」を受けた子は、思春期以降に訪れる世界を生きていくのが困難になってしまうでしょう。

じゃあどうしたらいいのかと言うことですが、ここで「形を学ぶ」ということの意味が発生するのです。本来の「しつけ」では、「社会を支えている形」を伝えようとしています。
その「形」には様々なものがありますが、なかでも普遍的なものとして「数学が表している形の世界」があります。それを扱っているのが「数学」という学問です。
実は、数学は「世界の形」を表現するための世界共通の方法なんです。もっといえば宇宙共通の方法なんです。

宇宙人がやってきてコミュニケーションを取ろうと思ったら、日本語も英語も通用しませんが、数学なら通用するのです。すごいでしょ。数学とはそういう学問なんです。ですから、数学を学ぶということは、「自分の論理、人間の論理を超えた世界」のことを学ぶということでもあるのです。

また、数字の世界は人間の都合に合わせて変化しないため、変化に対して混乱しやすい自閉症スペクトル傾向の子の中には数学にはまる子がいるのです。

また、幾何学などで扱っている「形の世界」も数字で表すことが出来ます。でも、思春期前の抽象的な思考が苦手な時期の子ども達は、「実体が存在しない数字の世界」よりも、幾何学のような「目で見える形」で表された方が理解しやすいです。

ですから、子ども達にとっては、幾何学的な法則や形を学ぶということも、思春期以降に「これから自分が生きていく大人の世界」を理解する手助けになるのです。「数字の世界」を理解する時にも手助けになります。
それが、「物事を客観的に考える時の物差し(羅針盤)を手に入れることが出来る」ということでもあるのです。

とは言っても子ども達に幾何学を教えなさいという事ではありません。幾何学を教えなくても、子ども達が大好きな「手仕事」や「折り紙」や「工作」のような活動の中にはもうすでには幾何学的な要素が充分に含まれているからです。基地作りでも同じです。

ですから、子ども達も楽しめるようなそのような活動を通して、人間世界を超えた普遍的な世界の表れである「形や数字の世界」と出会わせてあげればいいのです。

以下の写真の上二つは「糸かけ曼荼羅」と呼ばれているものですが、このような活動もまた形や数字の世界への入り口になるのです。そしてそれがまた思春期以降に自分の生き方を見つける時の羅針盤になって行くのです。

精神を育てるためには精神論は全く無意味なんです。むしろこのような活動の方が子どもの精神を育ててくれるのです。













お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.10.16 12:04:05
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: