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人生が、最強になり… かめおか ゆみこさん

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ゆきえ@ Re:「戦争はなくせませんが減らすことは出来ます」(他者の視点を持つ)(01/08) 自分の勝手な思い込みの長文を、コメント…

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森の声

森の声

2024.10.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
思春期を過ぎて、価値観や判断の基準が「自分」ではなく「社会」になっていくとき、自分の中にしっかりとした羅針盤が育っていない子は、大人になってから迷子になってしまいます。

自己肯定感が低い人もそのような人です。そもそも「自分で自分を否定する」なんておかしなことなんです。否定しているのは誰なんですか?否定されているのは誰なんですか?

そのような状態の人は「私」が統一されていないのです。自分自身の価値観や視点がしっかりと育っていないので、他者の価値観や視点を基準にして自分の状態を評価してしまっているのです。

そのため、「二人の自分」に振り回されてしまい、「私は私」という生き方が出来なくなってしまっているのです。だから身動きがとれなくなってしまうのだし、自己肯定感も低くなってしまうのです。

でも、子どもの頃に「人間を超えた普遍的な世界」と出会っている人はそのような状態にならないような気がするのです。普遍的な世界と出会った人は、他者の価値観や視点に振り回されなくなるからです。(私にはそう思えるということです。)

宗教にもそのような働きがあります。でも今、宗教を信じる人はどんどん減ってきています。それに宗教もまた変化します。信じている人にとっては普遍的であっても信じていない人にとっては「他者の価値観や視点」の一つに過ぎません。

それに対して、昨日書いた「形の世界」や「数の世界」は人間を超えた世界とつながっている普遍的な世界です。そこには「自然の考え方」や「宇宙の考え方」が含まれています。

「形の世界」や「数の世界」だけではありません。「色の世界」や「音の世界」や「動きの世界」もまた宇宙の根源とつながった普遍的なものです。

そのため「色の世界」で遊ぶことが出来る人。「音の世界」で遊ぶことが出来る人。「動きの世界」で遊ぶことが出来る人は、それほど「自分の生き方」で迷うことはないのではないかと思うのです。ただしこれも私の思い込みであって根拠はありません。
皆さんの考えも聞いてみたいです。

シュタイナー教育では「濡らし絵」のような「色の世界と出会う活動」を取り入れています。その「濡らし絵」を普通のお絵描きで描く絵と同じようなものと考えている人がいますが、「お絵かきの絵」は自己表現ですが、濡らし絵の絵は、「色との対話」の結果であって自己表現ではありません。だから自由に描くのではなく、対話の作法にのっとって描く必要があるのです。
(そのため、対話が苦手な子は「自己表現としてのお絵かき」は好きでも、「濡らし絵」のような活動は苦手なのではないかと思います。)

音や動きに対しても同じだと思います。シュタイナー教育ではまず「聴く」というところから入っているのです。「色を聴く」「音を聴く」「動きを聴く」といったような感じです。そして自分の本源的な所(魂?)と対話して、そこで感じたことを形として現わしていくいくのです。(と私は理解しています。違っていたら誰か指摘してください。)

ただし、シュタイナー教育を受けなくても、お習字や茶道や武道などでも同じような学びをすることが出来ます。(指導者の考え方にもよりますけど・・・)

別に、シュタイナー教育だけが唯一の方法ではないのです。同じような効果を得る方法は世界中にあるのです。まただから、シュタイナー教育を受けていなくても素晴らしい人間は世界中にいるのです。そもそも、R.シュタイナー自身がシュタイナー教育を受けていないのですから。

自然の中に入ったら、「何をして遊ぼうか」と考える前に、「自然の声に耳を傾ける」、色とりどりの落ち葉があったらその色や形を味わってみる。草や木の匂いを嗅いでみる。自然の中で遊んだり、その草や木や落ち葉で何かを作ろうとするのはその次の段階です。


〇も同じです。丁寧に、満月のようなまん丸を描いてみてください。私が言っている所の「聴く」ということの意味がお分かりになるのではないかと思います。

太極拳の動きでも同じです。動きを聴くことが出来ない人はダンスのような太極拳は出来るかも知れませんが、気が巡るような動きは出来ないのです。





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Last updated  2024.10.17 05:59:02
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Re:「思春期以降の育ちを支えるもの」(普遍的な世界と出会う)(10/17)  
フィービー さん
ここ3日間の記事はとても興味深く読ませていただきました。
人間が築いてきた文明の中でいつの時代も幸せな大人になれない人となれる人の違いは何だろうと私も疑問に思います。そもそも何を幸せと定義するか自体が人それぞれだから、この資本主義社会においてはお金を稼ぎ美味しいものを食べ欲しいものが手に入れられたら幸せに感じる人もいるだろうし、逆にそれが満たされていてもシッダールタの様に別のところに幸せを探しに行くかもしれません。
ベートーヴェンやヘルマン・ヘッセやニーチェなどの人たちは彼らの創作物によって生計を立てて生きていたと思いますが、その時代の社会では孤独で不幸せだったのでは…と思います。
孤独🟰幸せではない、とはならないかも知れませんが、少なくとも
孤独🟰幸せ、にはならないと思います。

子供時代に自然と芸術と共に生きることは魂に秘められた可能性を最大限に引き出して素晴らしい偉業を成すことができると思いますが、その時代のあり様によっては幸せに結びつかないかもしれないな、と思います。 (2024.10.17 11:31:47)

Re[1]:「思春期以降の育ちを支えるもの」(普遍的な世界と出会う)(10/17)  
森の声 さん
フィービーさんへ

>孤独🟰幸せではない、とはならないかも知れませんが、少なくとも
>孤独🟰幸せ、にはならないと思います。

>子供時代に自然と芸術と共に生きることは魂に秘められた可能性を最大限に引>き出して素晴らしい偉業を成すことができると思いますが、その時代のあり様>によっては幸せに結びつかないかもしれないな、と思います。

おっしゃるとおりだと思います。

宮沢賢治は

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

と言いましたが、そういうこともあるでしょうね。

でも、ベストは得られなくても、ベターなら得られるのではないでしょうか。 (2024.10.17 17:51:58)

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