(多事奏論)今夏の東京五輪 避けたい令和版「失敗の本質」 稲垣康介
5月29日朝日新聞
朝日新聞は「社説」で今夏の 東京五輪
の中止を決断するよう 菅義偉首相
に求めた。1面コラム「天声人語」も中止を促す。
世論調査
では国民の大半が今夏の開催を望んでいない。「 ワクチン
接種後進国
」だから 新型コロナウイルス
の感染が広がるリスクを踏まえたら、自然な思いだろう。
東京では美術館、 映画
館は休館を強いられ、飲食店は お酒
を出せずに時短営業を求められている。そんな我慢を強いる一方、 感染対策
費で国と 東京都
から 960億円
も出る祭典に、共感は広がらない。
スポーツ記者の私は、日増しに悩みと葛藤が強まっている。中止の「Xデー」に備えた頭の体操をしつつ、同時並行で本番に備えた取材を進めている。ニュース番組のキャスターがコロナ禍を深刻そうに伝えた後、別のキャスターが「続いてスポーツです!」と一転、明るいトーンで声を張る。あの違和感を一人で演じる気分だ。
今週、 フェンシング
の 佐藤希望
選手にオンラインで取材し、「7歳と3歳の息子に、母の戦う姿を見せたい」という胸の内を聞いた。画面越しに相づちを打つときの私は、コロナ禍の深刻さを過小評価したい「 正常性バイアス
」が働いている。
準備に奔走する大会組織委員会の知人から漏れる本音は悲痛だ。「常識で考えたら中止ですよ。でも、世界最大のスポーツイベントを今、私が放り出すのは無責任でしょう」。猛烈に正常性バイアスを働かさなければ、心が折れそうな毎日だろう。
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今、「 開催する意義は何か 」と問われると苦しい。「復興五輪」は色あせ、アスリートファーストや「希望の光」「絆を取り戻す」などの美辞麗句も響かない。往生際が悪いと言われそうだが、むしろ「中止にするデメリット」に思考が向かう。
中止なら大会組織委がチケット収入で見込む900億円分が消え、 国際オリンピック委員会 (IOC)の負担金850億円も入らない。それだけでは済まない。1995年の 都知事選 で世界都市博覧会の中止を掲げた 青島幸男 氏が当選し、補償金はパビリオンの製作費などだけで300億円を超えた。担当した都庁の元幹部に聞くと「民間業者に言い値で払いました。 東京五輪 が中止なら、巨額の補償が発生するはず」。政府が先に返上を言い出せば、「では、国も応分の負担を」と 小池百合子 都知事は言える。ただし、支持率が右肩下がりの菅首相にはオリパラ成功が政権維持の後押しになる。返上は言い出さないだろう。
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政府の前のめりぶりを、勝機が少ないのに突き進んだ 太平洋戦争 のインパール作戦に重ねる向きもある。惨敗を検証した「 失敗の本質 」( 中公文庫 )を読んだ。裏表紙に「各界のリーダーが絶賛!」とあり、一番上の名前は「 東京都知事 小池百合子 」。 インパール作戦は予期せぬ状況に緊急対応策がなく、「作戦の柔軟性と堅実性を欠いていた」とある。組織に論理的な議論ができる制度と風土がなかった、とも。
東京五輪 は「失敗の本質」の令和版になりかねない。大会参加者、日本国民の健康を最優先に据え、さらに大会を開くことのデメリットとメリット、中止したときの経済的損失、日本に対する世界からの信頼度の変化など、幅広い論点で検討すべきだ。
私は開催の道を探るには、無観客への「撤退」をいち早く決断し、現場の負担を軽くするべきだと思う。ウイルスが存在する以上、リスクはゼロにはならない。それでも、協力を仰ぐ医療スタッフと地域でコロナ治療にあたる人々が重ならず、 ワクチン 接種にも遅れが生じないことを示せれば、国民の不安は和らぐ。その上で感染爆発が起きたら、中止を決める。その線引きを日本として明確にしておく。
コロナ禍で開催の可否をIOCだけに委ねてはならない。 主権国家 のリーダーにふさわしい 統率力 が、菅首相に問われる。
(編集委員)
スポーツ記者らしい 正常性バイアス の記事です。