王様シャドフ(チャールズ・チャップリン)はヨーロッパの小国エストロヴィアからアメリカへ亡命した。革命のため国を追われたのだ。ニューヨーク空港に着くと、王様は指紋をとられた。自由の国のはずなのに。ホテルに落着き、散歩に出たが、街の騒音、ロックンロール、性転換映画、西部劇の射ち合いなど、散々な目にあった。
翌朝、目覚めたら、王様は一文なしになっていた。総理大臣が王様の財産をそっくり持ち逃げしたのだ。王様は生活問題に直面した。隣の部屋から歌声が流れてき、王様が鍵穴からのぞくと、美女が風呂に入っていた。テレビ・アナウンサーのアン・ケイ(ドーン・アダムス)が、王様を自分のショウ“パーティめぐり”に出演させるために近づこうとしたのだ。
王様は彼女が気に入り、クロムウェル夫人のパーティに出席し、ごきげんになって大はしゃぎした。放送されていたと知って、王様は怒ったが、もう全米の人気者になってい、いろんなスポンサーが出演を申しこんできた。みんな断ったが、財政が底をついてき、ついにウィスキー会社の申し出を受けた。本番のとき、王様は生れて始めてのウィスキーにむせかえったりして大騒ぎになる。みごとに酔っぱらった。失敗と思ったら、最高の宣伝とスポンサーは大喜びした。--
王様は学校を訪問した。乱暴者ぞろいの生徒の中で、学校雑誌の編集をしているルパート少年だけは変っていた。この十歳の少年がマルクスの本を読んでいたのだ。王様はいろいろ論じあい、二人は仲よしになった。
数日後、雪の中を少年が通りかかったので、ホテルにあげて話をきくと、両親が共産主義者として非米活動委員会に調査され、少年も追われているといった。少年は捕り、王様も彼をかくまったかどで委員会に呼びだされた。
エレベーターの中で消火ホースにいたずらしたら、指が抜けなくなり、王様はそのまま証言台に立った。委員会を侮辱するもの、--立場は不利になった。消防夫が火事と思って消火栓につなぎ、水がふき出、王様はやっと指が抜けた。委員たちは頭から水を浴びた。しかし王様の嫌疑は晴れた。--
王様は自由の国アメリカを去り、ヨーロッパへ帰ることにした。王様はアンと少年に見送られ、飛行機に乗った。見る見るニューヨークが遠去かった。
(KINENOTE)
『
ニューヨークの王様
A King in New York
)は、 1957
年
の
イギリス
の喜劇映画。
チャールズ・チャップリン
監督、主演。チャップリン最後の主演作で、
アメリカ合衆国
の政治や社会を皮肉っている。
1952
年
にチャップリンがアメリカを追放された後に製作が始まり、アメリカでは
1970
年代
初めまで公開されなかった。
(ウィキ)
チャップリンの私怨がベースになっている映画で、あまり楽しい映画ではありません。
息子のマイケルを出演させて、密告者の役をやらせるのも少し残酷な気がします。
お風呂のシーンやハムレットのシーン、CM撮影のシーンなどは楽しかったです。
いっしょに観ていた愛方がホテルは本物?、ロケではなくて、ロンドンの
シェパートン撮影所で撮られたものです。
リッツの大きなロゴがおかしかったです。
Charlie Chaplin | Hamlet's Soliloquy | To be, or not to be - YouTube