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半夏生の季節である。 その白粉を半分だけ塗った様な姿から半化粧ともいう。 半夏生 posted by (C)灰色ウサギ ホームステイのミッシェルさんと鎌倉の報国寺、竹の寺に出かけた。驚いた事に門のところからチケット売り場まで100m余りの行列だった。こんなことは初めてだ。 長谷寺も紫陽花見物で紫陽花園は2時間待ち。お寺の庭だけ見て紫陽花は下から眺めていたけれど。 ミッシェルさん、若干24歳なのにちょっとシャイで礼儀正しく、奥ゆかしい。 どこか行きたいか聞いても、「鎌倉興味があるけど、あなたたちが家にいた方が良ければそれで良い」と言い。 ビールの缶が最後の一本になったら夫が手を出すかじっと待ち、飲まないとわかると「飲んでも良い?」とそれから飲む。 「今日本では、youは何しに日本へというテレビ番組人気があるんだよ」と言うと、「うん、空港で一緒に来た同じプログラムのメンバーがインタビューされていたけど、恥ずかしいから、僕は後ろをこそっとすり抜けた」だって。 いつも手にはスマホを持ち、言葉や、気になったことを瞬時にリサーチしていた。日本観光のトレンディーな情報もバッチリ収集済み。ラーメン、鮨、熊野古道、伊勢神宮、赤い鳥居いっぱいの伏見稲荷、ナイチンゲール床(鶯張り)の二条城。 次なる挑戦は納豆。 我が家では出さないので。 礼儀正しいロッククライミング好きな好青年だった。 京都大学招聘という観光にはラッキーなロケーション(本来の目的は共同研究だろうけど)。 2ヶ月間、京都観光や富士登山、ロッククライミングと存分に楽しむんだろうな。 写真家ブロ友、石井陽子さんの鹿の写真集見せて、奈良も良いよとたきつけておいた。行く気満々。 若いって良いなあ〜。
June 20, 2016
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韓国のジョンさんからメッセージが来る時はだいたい私がインターネット検索出来ない旅行中の電車の中だ。 1ヶ月前、飯田線の旅をしていたらメッセージが入って、6月に友人たちと九州の黒川温泉に行きたいが、ホテルがいっぱいだ。どっか泊まれないかというものだった。 コネなんて無いよ。 それでも一軒の宿を予約して連絡した。 なんでも韓国人の間で黒川温泉はすごい人気なんだそうだ。ちょっと前に奥さんが友達と行って、良かったよと言ったんだそうだ。 名古屋に旅行していたら、「由布院から黒川温泉迄のバスがわからない」と聞いてきた。 時刻表を送った。 そして、地震。 14日の地震で持ちこたえた黒川温泉だったが、その後の本震で被害が有ったらしい。熊本、阿蘇、由布院のほぼ線の上だもの。 収まらない余震。 心が折れそうな現地の人を思って毎日涙する。 我慢して頑張っている現地の人に申し訳ないけど、ブログを書く力もなくて、義援金を握って郵便局に行くしか出来ない私。 話を戻してジョンさん。 さっき友人たちが九州旅行は怖いというから黒川温泉はどうしようと聞いてきた。 その宿は今日はまだ営業中止している。 キャンセル相次いで観光に打撃を受けている旅館を思って「来い」とも言えない。 怖いと言っている友人たちを思って「キャンセルしろ」とも言えない。 どうか早く地震がおさまって、現地の人がいつもの生活に戻れますように。 image posted by (C)灰色ウサギ みんながんばれ。 夢之丞もがんばれ!
April 20, 2016
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タイトルのmonyetはインドネシア語で猿。 遠く国を離れ日本に研修生、実習生として働きに来ているインドネシア人の若い人達を時々激励の意味で我が家に食事に誘う。 最初の頃は日本語教室の生徒4、5人だったのがだんだん増え、日本に嫁いだ女性達も集って今では25人を超える。 先日久しぶりに夫がお菓子を作り、焼肉や彼らの故郷の味ナシゴレン、ソトアヤムなど作って、もてなす。 時々日本料理もさりげなく混ぜている。生の魚を食べる習慣が無いインドネシアであるが、今回は体験度を上げて初めてマグロとサーモンの2種類だけの握り寿司を少しだけ作る事にした。食べるかどうか分からないから。 実はもう国に帰ってしまった実習生の中にお寿司が好きだった人もいたのである。 さて、パーティーの途中でお寿司を握り始めた私を見つけて、1人2人とキッチンに集まってくる。全員がカウンター越しに覗き込んできた。 そのうち、ベニさんが「やりたい。やらせて」とキッチンに入って来た。握り方を教え、一緒に握る。 もう1人「僕もやりたい」また1人「やりたい」 どうせそんなに食べないだろうと2合しか用意してない。結局、私の握り仕事は取られた。 さて、食べる段になって、全員がお寿司を囲んで座る。 それからが大変。 誰が最初に食べる?次は誰?「怖い怖い」「いや美味しい」「わさびをたくさん付けて鼻をつまんで」「次誰だ」「サンバル付けて」 まあまあ、まあまあ、うるさいことうるさいこと。1人食べるごとに写真を撮る。Lineで写真をグループ送信するから、全員のスマホがピコピコ鳴る。 お寿司20貫ほど食べるのに1時間も掛かって食べた。 お寿司食べるのがそんなに楽しいかなあ。 みんなの顔見てる方が面白いよ。 パーティーが終わって、道路で見送ると、後ろ振り返り振り返り、みんな手を振って帰って行った。 ところで、ゲームしたり、トランプしたり移動するので、飲み物の紙コップには間違わないように名前を書かせる。 皆が帰って、後片付け終わってテレビを見ようとソファーに座ったら、テレビの前に名前を書いた紙コップ1つ。 Monyet posted by (C)灰色ウサギ
March 15, 2016
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新幹線の席に座って本を読みながらふと通路越しに斜め前のドイツ人を見ていた。なぜドイツ人とわかったかというと直前までドイツ語の新聞を読んでいたから。網棚に乗せてある旅行カバンには航空会社のタグが付いていたので関空あたりから入国したのかもしれない。 車内販売でお弁当を買うと彼はまず、丁寧に包み紙を剥がし、じっと中身を観察。次にデジカメでお弁当の写真を撮る。何回も角度を変えて撮る。 それが終わるともう一度じっと中身を観察しておもむろにおかずを1つ1つ観察しながら器用に箸を使って食べ始めた。 最後に白いご飯が残った。そこで夫が小声で言う。「やっぱりご飯が残った」 一皿ずつ食べる食生活の差。 その後、彼は写真をスマホに取り込んで、Facebookか何かSNSに書き込んだのだった。その一連の作業、わが身を省みるようでちょっと面白かった。万国共通。いや、食べ物の写真を揚げるのは圧倒的に日本人が多いかな。彼は日本通? 昨日はミネソタから義兄の結婚式に出席するため日本に来ているカイルくんが会いたいというので横浜で食事をした。その後、赤レンガのオクトーバーフェスタに行ってみた。ビールを飲みながら、カイルくんが、「うちの家族も近所の人たちもオクトーバーフェスタとビール大好きだよ」という。 そういえば、彼のファミリーネームはドイツ系。ずっと昔の先祖がドイツからアメリカに渡り、ミネソタのその辺りはドイツ系が多いんだそうだ。 なぜかフローズンカシスビールの泡がカイルくんの栗みたいな髪型に似ていて面白かった。 オクトーバーフェスタ posted by (C)灰色ウサギ
October 16, 2015
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このところ英語の勉強をしていない。にもかかわらず英文メールを頻繁にしている。辞書無しいい加減。間違っても相手がちゃんと理解してくれるからいいやと。チャットをする事も増えた今月。辞書を使わないでインドネシア語を打って間違えていると「せんせい違いますよ」と直してくれる。もう日本語教えるボランティアやめたから、我が家のパーティーに来る新しい人は生徒でもないのに、私の事を先生という。昨夜はアメリカのカイルくんとチャットした。半分日本語半分英語。「いいチャット」だと彼は言う。iPad で打つようになって、彼のスピードについていけるようになった。もらった手紙の返信が何度送っても返って来てしまう韓国のゼリンさんへのメールが気がかりだった。カカオトークメンバーに登録されたので、そこを使ってメッセージを送った。「本当に先生」と、飛び上がらんばかりに喜ばれた。引越しばかりする彼ら、メールがあるさと油断していると、郵便で手紙が送れなくなる時代。一昨日はクリスティンとその夫のグレッグさんに招かれて食事をした。アメリカに帰る彼女に会うのは一昨日が最後。寂しい。これからはインターネット上のチャットでおしゃべり。昨日はビッキーに会う。彼女ももうすぐアメリカに帰る。皆いなくなるとさびしい。チャットが有っても。日本とはちょっとずれての旅立ちの季節。以前使っていたMicrosoftのメッセンジャーからFacebook のメッセンジャーに変わったのも知らずに使っていたウサギ。後何年かしたら、きっとITに頭が付いて行かれなくなるだろう。写真は80代でガラ携使っているお隣さんを昼食に招いた時使った箸置き。これ、箸を置くと、活けた花は向かい側の人にしか見えないよね桃色月見草 posted by (C)灰色ウサギ
June 2, 2015
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先日娘達がホームステイ受け入れたトムは10日ほど前、羽田でドイツから来た両親と妹と合流して父親のインゴの学会出張を利用した家族旅行のために沖縄へ行った。そして3日前、また羽田からベルリンへ帰って行ったようだ。その時、その羽田の到着ロビーで夫と私はトムと別れた彼の両親と妹のハンナをホームステイ受け入れのために待っていたのである。 ウイーンでホームステイして以来12年ぶりの再開である。 ただし、今回は都会から遠い我が家でなく、トムを泊めた次女のマンションでの受け入れだ。長女にとっては彼らはウィーンでのホストファミリーであるし、今一番仕事が忙しい時期の長女も仕事の合間に会えるように、私たちは次女の家に出向いての出張ホームステイ受け入れ。 自分の台所でない行き当たりばったりの夕食作り、夜は自宅に帰るつもりが、夫も私もインゴやカーチャやハンナとお喋りが弾み、ビールを飲んでしまったらもう疲れて電車に乗って我が家に帰る気持ちが失せ、2泊も娘の家に泊まってしまった。 ハンナは一人ゲストルームのベットで、インゴとカーチャは次女の書斎に空気マットを敷いて、そして私たちはなんと泊まりに来ている長女を含めて次女のベットルームでダブルベットのダブルマットの一枚を引き下ろして合宿状態で寝たのだった。 一部屋に4人も寝れば暑い暑い。背中が痛い。足の踏み場もない。リビングのソファーで寝ればよかったと後悔するのだったが、これはこれで楽しかった。 で、ホームステイ受け入れ? いやあ最高。ドイツ人なのにウイーンやポツダムや今はチューッリッヒにと居を移動している彼らと我が家の子供達も互いに行ったり来たり、もうすっかりビッグ家族のようだ。 ビールとワインを飲んで饒舌に冗談を言うインゴ。グラフィックデザイナーのカーチャは果物を買ってこんなに綺麗に盛り付けてご馳走してくれた。 image posted by (C)灰色ウサギ さて、明日からは山のようにもらったスイスチョコレートを消費する毎日。ググー、また太るではないか。
April 27, 2015
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トムがドイツからやって来た。私はまだ会ってない。 トムは私が十何年も前にホームステイに受け入れたインゴの息子だ。そして、長女がウイーンに1ヶ月語学研修に行った時のホームステイ先。長女がドイツ留学中もポツダムに移った彼の家に遊びに行っているから家族同士の付き合いをしている。 小学生だったトムが20歳になってやって来た。長女のマンションは都心で便利だが、部屋数が少ないので、部屋数が多いが、忙しい次女のマンションに長女が泊まり込んでホームステイ受け入れる。 仕事半休して東京駅で彼と会った長女からのlineでの報告が面白い。 仕事場で長女は知らない人の携帯から電話を受け取った。「もしもし⚪️⚪️さんですか、変わります」そしてトムに変わった。自分の携帯電話が通じなかったので道行く見知らぬ日本人の携帯を借りたらしい。 第一印象、日本人は親切だ!と思っただろう。相手も思ったらだろう。ドイツ人はユニークだ! 無事再会。 「大きい!」インゴも190cmは超えていたからね。 私が会った子供の頃は普通サイズだった。 リュックひとつの彼に「大きい荷物は?」と聞いたら「ロストバッゲッジ」だって。 荷物は明日着く。ユニクロで着替えのTシャツ一枚買ったそうだ。 さてさて、娘達の仕事をしながらのホームステイ受け入れ、お手並み拝見。 お花見 posted by (C)灰色ウサギ そうそう、父親のインゴと母親のカーチャ、妹のハンナもインゴの沖縄での学会に合わせて、トムと入れ違いにやってくる。そちらは私がホストだ。
April 8, 2015
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久しぶりでビッキーに会った。タリーズで。 彼女はアメリカ育ちのアメリカ人で英語ネイティブだけど、100パーセント日本人の血が流れている。 日本語がとても上手だけれど、大学生の時、留学したICUで初めて習った日本語なので、日本人の様には話せない。日本語が上手な外国人の話す日本語だ。 だけど、私の英語よりずっと上手だから、私たちはタリーズでの2時間、コーヒーを飲みながらずっと日本語で話した。 楽しいひと時だった。 ところで、私が話の途中で「リピーター」と言う言葉を使ったところ、通じない。彼女が日本語をわからないのではない。英語にリピーターという言葉がないのだ。厳密には有るらしいが、日本人が使う「何回も再訪する人」という意味では使わないらしい。 またまた和製英語だ。 韓国語を習っていると、日本語とはまた違った韓流英語に出会うことがある。そんな時、一体どちらがより英語に近い発音かななんて思うのである。そして、英語造語はどっちが多いのだろうとも思うのだった。 今年もまた15人のお雛様は押入れの中。 飾らない雛に謝りあられ食べ なんてね。
March 3, 2015
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とうりゃんせ とうりゃんせここはどこのほそみちじゃてんじんさまのほそみちじゃぴよ、ぴよ、ぴよ・・・「先週確かここ来たばかりだなあ」とか思いながら、中華街の朝陽門からホテルニューグランドの横を、先週と違って少し寂しいくらいのヨコハマの港に向かって歩いていた。一緒に歩くのは夫とフランスから来たジルダ、そして日本人の彼女のチカちゃん。ニューグランドの前から山下公園に渡る横断歩道で突然ジルダが歌い出したのだ。とうりゃんせ、とうりゃんせ・・・・・・ぴよ、ぴよ・・・彼の知っている日本語はあいさつ程度とずっとフランスのブレストで習っている柔道の「まて」とか「うちまた」とかいう技の日本語だけだ。だから、「とうりゃんせ」の部分もハミングで歌った。「10年前はこの音楽だった。でも今は違う曲だね。それにピヨピヨばかり」フランス、イギリス間のクルーズ船で働いたり、ニュージーランドで働いたりして、すっかり上達した英語でそう言った。なるほど気が付かなかったなあ。どうやら、歩行者信号の横断音楽はいつの間にか童謡から、鳥の鳴き声に変化したらしい。こうやって何気なく静かに気が付かないように、徐々に世の中を変えられて行くと恐ろしいものだ。外国人に教えられた。10年前に再来日して2か月我が家にステイして、市役所に毎日インターシップに通っていた頃、市役所の前の信号は「とうりゃんせ」だったんだそうだ。14歳の時に最初に2週間我が家にステイした時は柔道の交流練習に近くの市立中学の柔道場で参加して、日本人の小さな女の子に簡単に投げ飛ばされていたよね。ずっと背が高くなってたくましい大人の男になった背中を追いながら、信号を小走りに渡った。ぴよぴよぴよ、急げ急げ信号変わるぞ、ぴよぴよ。
January 20, 2015
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我が家はホームステイ受け入れを長くやっているので、前にも書いたが70人以上のゲストや当時の子供たちがわたし達の事をお父さん、お母さんと呼んでくれたりする。その他に、2人の娘たちが海外で作った友人たちの何人かは娘たちに会いに何度も来日している。半年ぐらいの留学のための来日だったり、仕事だったり。彼らが来日している時、娘たちが留学して日本にいなかったり、大学の卒業論文に必死になっていたりしている時等は娘の代わりに私たちが我が家に招いたり、観光に連れて行ったりした。そうすると、彼らは私たちをお父さん、お母さんと呼び、娘たちの友達でありながら、我が家の家族にもなっていったのだった。先週そういった家族ぐるみで付き合っている台湾人のツインズのエミリーとイボンヌが娘に会いにやって来た。短い旅行とて私たちは会えないものと思っていたら、突然私のLineにメッセージで、「お父さんとお母さんにも会いたい」と言ってきた。その日は先約が有ったけれど何とかなろうと、みなとみらいで2人に会った。エミリーは上海で働いている。イボンヌはイギリスで働いている。別れ別れに働いている。さて、待ち合わせの場所で遠くから手を振る2人を見つけた。facebookで髪をちりちりくるくるヘアーにしてるエミリーの写真を見ていたから、髪の毛がちりちりくるくるの方に「久しぶりエミリー」と言ったら、「私はイボンヌ」と。ならばとエミリーの方を見たら、そっちもちりちりくるくるヘアー。ロンドンで3年暮らした娘に言わせると、イギリスで美容院には行く気に成れないから、時々帰国した時に自国の美容院に行くんだということになるらしい。でもなんでこのツインズいまだに同じタイミングで同じ髪の毛にするんだろう。ロンドンで2人に会った時も私は間違えた。その日に神戸に行くという2人と日本料理の大志満でお昼を食べた。つかの間の再会。そして、2人と別れた後、中華街の友人のお茶屋さんで油を売っていたら、32人の中学生を引率して修学旅行している韓国のジョンさん夫婦から電話がかかってきた。「今箱根から山下公園に着きました。生徒はガイドさんが見ているから、お茶でも飲みましょう」だって。それがその日の先約。ホテルニューグランドのカフェでお茶を飲んだのであった。40分のお茶タイムの後、ニューグランドに横付けされた観光バスに乗って夜景を見るべく東京に帰っていた。あしたはフランスから来日して彼女と観光して歩いているフランス人のジルダに合う。彼は2度我が家にホームステイしている。ホームステイしたことがもうとんでもなく昔の事のような気がする。娘たちは娘たちで、今、ハワイで英語を教えながら勉強もしている長女の友人に会いに行っている。地球がどんどん小さくなっていく感じ。
January 18, 2015
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メールボックスにクリスティンから一通のメール。「休暇で日本に来ている大学生の息子達とインドカレー食べるけど一緒に来ない」「うん行く」と返送する。即座に、家から近いところでおいしいインド料理のレストラン知らない?」折り返しメールが来た。おいしいところねえ、「ここはどう?」インターネットで検索して、店名を教えるメールを出した。そうしたら、「息子たちは Deliciousへ行きたいと言っているの、場所知っている?」おんやおや、またいつものうさぎの早とちり。良く見りゃ、メールの中のDeliciousは大文字で始まっている。おいしいレストランの名前は「おいしい」だったのだ。わたしの注文、マイルドキーマカレーとプレーンのナン、ラッシーが付いてなんと860円。鎌倉のあっぷーがるも大好きだけど値段の差は3倍はある。それでもすごくおいしい。長居は出来そうにない店だけど、今度からここに来ようかしら。カレーが来る前、ハワイのサンディー(日曜日じゃないよ)からクリスティン経由で来た大きな緑のリボンが付いた送り物とカードを受け取った。2冊の薄い子供の本。一緒に食べていたボーイズの中の1人が、「その本、映画に成った時、見たよ」と言って、内容を話し始めたら、クリスティンがストップ掛けた。私が読む前に知ってしまったら勉強にならないからね。実は今年はもう松の内も過ぎたのに、まだまだグリーティングカードを書き途中だから、それを終わらせなければいけないのだが、面白そうなのでカードは後回しにして読み始めてしまった。去年からクリスマスに間に合わないので、クリスマスメッセージ抜きのカードにしたのに、三が日も終わってしまい、この際、旧正月のメッセージにしちゃおうかしら。どこまでも怠け者の灰色ウサギである。
January 8, 2015
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久しぶりに、中山道の旅に復帰した。山の家を朝早く出発して、権兵衛峠を越えて木曽路の前回ギブアップした上松駅に車を置いた。今日の目標は17km歩いて、大桑駅から電車に乗ってまた上松に戻るというもの。午後から雨という天気予報が心配だが出来るところまで、行かれるところまで頑張りたい。寝覚ノ床、小野の滝、立町の吊り橋、須原宿の水舟、岩出観音となんといっても木曽川沿いののどかな山間の風景が美しい旅だった。途中で木曽の名物五平餅を食べ、季節限定の若葉の香りがすがすがしい朴葉団子6個を買った。6個を結えてあるのではない。6枚の朴の葉が同じところから出ている房で作ってあるのである。大桑駅についたのは1時半、JR中央線の普通は2時間に1本。まだ電車が来るまで1時間半ある。そこで3キロ先の野尻駅まで歩いて行程を伸ばすことにした。野尻駅に着く間に小雨がパラパラ。それでも何とか濡れる前2時半ごろ駅に着いた。無人駅舎の中には15,6歳の少年とがっしりした体格のお父さんらしき外国人が時間を持て余すように座っていた。しばらくしてから声をかけて見た。「Where are you from?」それからは、夫と私と4人でそれぞれが今日歩いた道のりと明日の予定、私たちがすでに歩いて来て、彼らが明日行く鳥居峠と奈良井宿の情報、彼らが今日歩いた馬籠、妻籠の様子などなどの情報、これからの日本旅行の予定とか、互いの地図を見ながら話が弾んだのであった。この頃の外国人は日本旅行といっても、京都や奈良の観光名所だけでなく、中山道を歩いて見たり、高野山の宿坊で宿泊し、朝行に参加したりと、私たち日本人も体験しないようなことを体験旅行するのがガイドブックに載っている流行らしい。まあまあ、一献どうですか。なんてお酒じゃないけれど、夫がさっき買った朴葉団子の束をおもむろに取り出し、1つずつ彼らに手渡した。面白そうに見ていた2人であったが、その、アニメに出てきたトトロが雨の日傘の下からそっと取り出し皐月に手渡したお土産を思わせる包みを開け、朴の葉から出てきた餡子入りのお団子を面白そうに頬張った。「うん、おいしい、なかなかいける」私たちは同じ松本行の電車に乗って、私と夫は車の置いてあるは上松で、彼らは今日の宿のある木曽福島で降りた(はず)。先に降りた私たち、「いい旅をね」と挨拶すると「楽しく話せてよかった、面白い経験をありがとう」と、ちゃんと席から立って握手して、電車の中からもホームの私たちに手を振ってくれた。オーストラリアから来たYou達であった。この日記は今、雨の音を聞きながら、山の家で新しい慣れないノートパソコンでスマホからデザリングしながら書いている。はたしてちゃんとUPできるのだろうか。
July 3, 2014
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昨日からイスラム教のラマダンに入ったらしい。ラマダンは毎年1か月ぐらいずれる。だからラマダンが冬の時も有る。しかし、もともと赤道に近い国で興った宗教だから、その歴が月の廻り方で、1月は毎年寒い冬とか、ちゃんと暑い時に決まって8月なんて決まっている必要が無かったのかもしれない。だから今年は一番昼の長い6月の終わりからラマダンが始まった。昼と夜がそんなに違わない赤道直下のインドネシアでなら耐えられる断食(プアサ)も、夏至近い今の日本では耐えられないだろうなあ。朝3時半から、夜の7時まで本来は水もご飯もおやつも食べてはいけない、飲んではいけない。私の周りにいるインドネシア人の友人たちは昨日から1か月、陽が出ている昼間は何も口にできない。一昨日インドネシアに帰るススカさんとイワンさんの送別会をした時、聞いてみた。「今日みたいな曇りで太陽が見えない日は食べられるの?」まあね、質問の答えは見えていたけど・・・。「だめですよインドネシアの方から指令が来るんだから、あっちは晴れているし、そんなことは関係ない」だってさ。断食が始まった昨夜、近くに住むアリさんが6時にやって来て、インドネシア料理のソトダギンを作ってくれた。それが出来上がった7時。携帯電話で断食の終わりを確認した彼。むさぼるように私が作っておいた麦茶のポットに飛びついてがぶがぶと麦茶を立て続けに3杯飲んだ。それから、お風呂で足を洗って、お祈りをして、おもむろに食事に入ったのだった。私は、朝も昼もおやつまでちゃんと食べたけど、アリさんの作ってくれたソトダギンはとってもおいしかった。そして、今夜、長いこと音信不通だった4年ほど前にホームステイした中国寧夏のヤンヤンからメールが来た。「mother、私のこと覚えている?やっと大きな大学に入れたよ。今は大学生」もちろん覚えているよ。彼女もまたイスラム。中国の中に有って、イスラムの人ばかりが暮らす自治区で育った。彼女も今はラマダンかな。
June 30, 2014
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焼き物紀行途中だが脱線娘が3年間のロンドン駐在を終えて先週帰って来た。まだ会っていない。空港には彼女の夫が迎えに行ったし、帰国の翌翌日から会社に出勤したので、忙しいらしいしまだ会っていない。無事帰国したのならそれで良し。状差し(ひゃあ、古い言葉。もう死語だろうか)に溜まった彼女が送ってくれた3年間のポストカードをまとめて手紙がわんさか詰まった思い出ボックスに仕舞った。オペラを見に行ったウイーン、イタリアからの絵葉書。留学していた懐かしくて大好きなドイツを再訪した時の葉書。小塚君を追っかけてフィギアスケートを見に行ったニースから送った絵葉書。出張で出かけたスペインやヨーロッパの絵葉書。ロンドンに訪ねて行った彼女の夫と旅行したイギリス各地やポルトガルから出された絵葉書。下の娘と一緒に出したオーロラを見に行ったアイスランドやアイルランドからの葉書。小さい頃読んだ大すきな本の舞台を見つけに行った、スエーデンやフィンランドからの便り。オランダやベルギーやフランスやなぜかブラジル。今時はインターネットのスカイプやfacebookが有るけれど、どこに行っても娘は葉書で便りをよこした。お母さんや、お父さんが知らないけれど、知りたいと思っている世界を、自分の訪れた素晴らしい世界を、そうやって自分が元気に暮らしている姿を、娘は絵葉書の裏に書いて送ってくれた。この20枚の絵葉書は私の宝物。小さい時からいつもどこからでも手紙を書いてくれた娘たちの便りがいっぱい詰まった箱に一緒に入れて置こう。お帰り。
March 19, 2014
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私のマイセン崇拝は昔からの話。家族ぐるみで付き合っているドイツ人がデュセツドルフにいる。奥さんは童話作家、その夫は大学の学部長。ともに言語学者である。家の長女がドイツ留学中私の為にマイセンを買おうと考え、彼らに頼んでアウトレットでマイセンのカップ2個を買った。それを彼らの家に預けておいて、私がドイツに行った時持ち帰って来た。もう10年ぐらい前。それを知っている彼ら、夫のセバスチャンが8年前来日した時、マイセンのアンティークの水差しをお土産に持参して来た。私のマイセン協奏曲に付き合ってくれているのである。2年ほど前にはそのセバスチアンが卒中になったと妻のルースから知らせが届いたから、ずっと心配していたら、ななんと先月、彼女からセバスチャンが学会で日本に行くよと連絡が有った。その彼が今日の午後我が家にやって来た。ルースの10冊目になる重たい重たい本を私へのプレゼントに抱えてやって来た。内容は365日毎日の2人の男女の出会うまでの物語である。聞けばドイツにはこういう毎日毎日を紡ぐ話が結構あるんだそうだ。ドイツ語の読めない私に、20年も前、日本の東大で教鞭をとっていた時覚えた上手な日本語で、最初の15日ぐらいまでを辞書を片手に翻訳してくれた。英語と日本語を交えて。ところで卒中はどうなったん?「ああ、あれ、卒中だと思って死ぬほど心配したけど違っていた。他の病気だった」セバスチャン、ケロッとして言い放ったのである。
March 8, 2014
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ただいまホームステイ受け入れ中事前に受け取ったステイヤー家族からのフォームを壁に貼ってある。最初はいつもの他のステイヤーと同じように超緊張で始まった。それでも2日もたてばリラックスしてソファーに座っている私のそばに自然に座るようになった。でも夫にはまだかなり緊張。一緒に散歩に行くのに、夫の準備したご飯を食べるのに・・・。かなり頭のいい子で、ちゃんとコミュニケーションはとれるけど、時々、私の話す英語に首をかしげる。理解していない行動をとることも有る。「発音が悪いですか?私の英語が通じないですか?」今も窓のそばで雨の戸外を見つめながら、哀愁に浸っているベイリー。アメリカから転勤でやってきた飼い主が犬の飼える家を見つけるまで我が家でホームステイ中。久しぶりにスコーンを焼いた。輸入品を扱うお店の粉より、安い品物を置くスーパーの粉の方がもっちりふっくら焼けるのはなぜ?
February 4, 2014
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昨年の秋ごろの事である。韓国人の友人からメールが来た。「今度生徒6人を連れて日本に観光に行きます。日本語クラスの生徒ですから日本を理解するために何か良いアイディアありませんか?」「うーん教育熱の厳しい韓国だから、わずかでも受験勉強から離れたくないとたった4泊の日本旅行。何が良いかな」「ホームステイ体験なんて言うのはどう?日本語にも触れられるし」そして決まった6人の生徒の2泊3日のホームステイ。私がボランティアで所属している国際交流協会に頼んで受け入れ家庭を探してもらい、国際交流兼、異文化体験をしてもらうことにした。我が家には引率の高校の先生である友人と別の高校の先生である友人の奥さんが泊まった。友人達とは何度も互いに行き来し家族ぐるみの付き合いであるから、生徒たちがそれぞれの家庭に散った後、のんびりと再会の宴をし、温泉に入ってまったり過ごした。別れの日、駅に集まったホストファミリーと高校生達、仲良くなって交流の継続を互いに約束し合っていた。私のボランティア活動で係った沢山の若者達の現在の活躍やホームスティ受け入れ体験から、この子供たちが間違いなく将来の国際交流に貢献していく予感がした。いつものホームステイ受け入れじゃなく、「ウサギ、ホームステイアレンジする」の巻。写真はアメリカから飛行機に乗ってやってきたベイリー。彼もお客。ホームステイじゃないけどね。
January 23, 2014
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昨夜、ベットに潜り込んでからふと数えてみた。その日のお餅パーティのゲストは何人だったのだろう。1人、2人、3人…14人のインドネシア人。1人2人・・・5人の日本人と1人のアメリカ人。総勢20人。庭でやるバーベキューならいざ知らず、寒いからと戸を閉め切った狭い我が家によくこれだけの人数が入ったとびっくり。恒例の新年のお餅パーティ。別に餅つきするわけじゃない。お餅を焼いて海苔巻やお汁粉や安倍川を作って食べるだけ。インドネシア料理のサテ風鶏肉や天ぷら、イカリング、夫の作ったスイートポテト、ヨーグルトサラダも並べる。最初に安倍川の作り方や海苔餅の作り方を教えて、自分で焼くようにトースターの説明をしたのに、「トースターの中でお餅が燃えてるよ」だとか「安倍川餅に辛いサンバルソース付けた」とか、はては日本人まで「安倍川餅のきな粉とサラダ用のガドガドソースを混ぜるとおいしい」 とか、めちゃめちゃになった。もうなんとでも好きにやってくれ。おいしければそれでいい。お腹いっぱい食べた後、皆で順番にジェンカをやった。笑う振動で倒れてしまうんじゃないかと心配になるほど笑いながら参加するアグスさん、おっかなびっくりで腰が引けているドゥイさん、獲物を狙うタカの目のようにじっと次に引くジェンカに狙いを定めるジェームス君、他人の番なのにお餅を食べている箸の先でアドバイスしながらパイをつつくカティさん。みんな自分の番の時は真剣で他人が倒すと大爆笑する。20人が変わりばんこにパイを抜く。こんな小さなおもちゃでまるで子供のように笑い転げたパーティだった。途中でイスラム信者たちはお風呂で足を洗って使って入ない応接間でお祈りの時間。寒いからとエアコンで部屋を暖めてあげたら、最後に寄せたテーブルを戻して、エアコンを切ってきちんと元通りにしてくれた。いつもつけっぱなしの空気清浄機のコードまで抜いてあった。
January 13, 2014
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ウサギが中学校の頃、国語の時間の事。それまで教科書を手に開いて、古典の解説をしていた先生が、突然本を閉じ、休憩するように深く息をついてから、教科と全く違う話を始めた。「3、4年前。授業に向かおうと廊下を歩いていたら、廊下で友達と話していた女の子の言葉が耳に入った。その子は話の中であたくしと自分のことを呼んでいたんだ。その響きがまるでそよ風がぼくの髪を揺すって通り過ぎたみたいだった。」その時の授業内容は覚えていない。先生のその言葉だけ覚えている。ウサギの子供が小学校に上がると、暇な昼間の時間を使ってボランティアに出た。特別養護老人ホームでお手伝い。きちんと訓練を受けたプロではないから、出来ることは限られている。マイクロバスで社会参加のために時々街に買い物に出たり、お花見に行く介助をした。目の見えない人の手を引き、車いすの人の介助をした。月1.2回の生け花練習の手助け。(まあ、講師の免除は持っているけど、そんなものは関係ない)目の見えないお年寄りに、花の名前を教え、そっと手を取り花の長さを確認させ、剣山の位置と教える。もちろん最後に出来上がった生け花の姿も伝える。目の見えない人が多かったから、バスの窓から見える海の色、空の色、風の色を伝えるのは形容詞の語彙数が少ない私には意外と難しかった。枝についた花の数を伝えるのは簡単だったが、その花がどんな表情をしているかを伝えるのはかなり難しかった。今だってこんな短い文章を綴るのさえうまく表現できないのに。銀行の出張手続きの介助なんていうのも有った。或る時、それぞれ分かれてベットのそばで話し相手をするというのを頼まれたことが有る。私が話したのは70を少し過ぎた頃だろうか、白髪の品のよさそうなお婆さんだ。物静かに目が見えないけれど本が好きだった時の話をしている時ふと言った。「あたくしはね、編み物が得意なの」じっと見えない眼を見つめて話を聞いていた私の耳元を、開け放たれた窓の外の海から一陣のそよ風がつーっと吹き抜けて行った。どうかして、満員の電車の中などで「あたくしは」という声が聞こえると、ふいっと周りを見回して、年の頃15歳ぐらいのセーラー服の少女かあるいは白い髪の優しい顔をした目の見えないご婦人を探してしまうことが有る。ちょっと前、駅で見つけた虫たち。
May 14, 2013
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朝の通勤時間帯、その丘に向かうバスはほぼ数珠つなぎ状態。3分に1本ぐらいで駅からやってくる。そして満員の通勤客を丘の上で落としていくのだ。丘の楽しみ方はローズカフェだけじゃない。以前は流星群がやってくるとのニュースが有ると、人々は少しでも夜の明かりが少ないところを求めて、この丘にやって来た。研究施設や会社ばかりだから、夜になると、朝通勤して来た人々が、また何台ものバスに吸い込まれて駅に帰って行き、そして丘には人がいなくなる。ある夜、流星群を求めて丘に登り、広場で寝転んであっちの方向、こっちの方向に流れて落ちる流星を眺めていると、突然大きな流星が落ちて思わず歓声を上げた。その時、真っ暗闇の丘のあちこちで同じような歓声やら、感動のため息がいっぱい聞こえてきたのだった。あの時暗闇の中にいったい何人の人がいたのだろう。暗闇に、自分の他に思いのほかたくさんの人たちが潜んでいることに驚いて、居合わせた人々は2度目の歓声を飲み込んだのだった。あ、ここまで書いて、この話以前にも書いたことを思い出した。ボケの始まり。怖い。先日大雨の日、ボランティア仲間に誘われて、子供クラスのお母さんたちと9人で、丘のどん詰まりにあるレストラン「水辺のレストラン」に行って来た。大雨だったからさすがに車で・・・。9人の席の一番端っこに座ったら、前にはジュンユがその隣にはイボンヌが、そして横にはマヌエルのお母さんが座ってしまった。囲まれた。案の定、会話が早すぎて、3人の会話に付いていけない。ジュンユのゆっくり冗談を聞き取るのがやっとだ。マヌエルのお母さんなんて、いつ息継ぎをするんだろうと、思わず顔を見つめたほどの猛スピードトーキング。仕方ないので、故郷のワシントン州の話を聞き流しながら、黙々と料理を食べた。料理が終わってしまうと、ひたすら水を飲んだ。は!、また今日からリスニングの練習だ!イボンヌが撮ってくれた写真↑コース料理の前菜は取り放題。
April 5, 2013
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法話が始まる前に、ダライ・ラマは聴衆に問うた。「英語で私の話を理解できる人は?}その巨大な会場内で優に千人を超える聴衆の中で手を挙げた人はわずか。法王はおっしゃった、日本が世界に貢献し、世界の人を助けて行くには英語は不可欠です。若い人たちは是非もっと英語を勉強して、英語でコミュニケーションを取れるようにしてください。そこを追われたチベットの言語とチベットの伝統や文化守るために戦っている法王様でさえそう言う。英語よりまず日本語だよなんて生ぬるいのかも。両方いっぺんに覚えて行ったっていいじゃない。世界に立ち向かうためにも。Me?もちろん、手を揚げられなかった。法話、般若心経はチベット語から日本語への通訳。午後の講演は法皇様は英語で話され、日本語通訳が付いた。私の位置から演壇はすごく遠い。大きなスクリーンで見ていると、「私の英語はブロークンイングリッシュ」とおっしゃる法皇様、時々、話の途中で分からない単語が出て来ると、後ろにぴったり寄り添った若い僧侶に聞いている。わたしはドキッとした。法皇様は完璧な英語を話されているわけではない。完璧な英語の原稿が用意されているわけでもない。わからない単語、英語に詰まった時はその若い僧侶に何度も単語を聞いている。恐れずに、知らないことを恥ずかしがらずに、誰かに聞けばいい。知らないことは恥ずかしいことではない。言葉では言わないが、法皇様は身体全体がそうおっしゃっていた。大切なことは自分の気持ちをいちばん相手に寄り添った形で伝えることなのだと。その行為は伝えていた。その会場に置いてはチベット語より英語の方が少しでも多くの人たちに生の形で理解してもらえる。たとえ英語を完璧に理解する人が少なくても。少なくとも私はそう受け取った。言葉無き形から。さて、講演を終えて質問になった時、大勢の人たちがマイクの前に質問すべく並んだ。そのすべてに答える時間が無く、そのうちの10人ほどが質問出来た。最初はよどみない英語でアメリカ人。次はこれもよどみない英語で韓国人。英語で話し始めた次の人に法様は問うた。「あなたは髪が黒いですが日本人?」彼はイタリア系アメリカ人。法王様のこの言葉が何を期待しているか?次の女性は韓国語で質問した。檀上が韓国語通訳のためにざわつくと彼女が言った。「I can speak English. I can change・・・」やっと日本女性の日本語での質問が来た。アメリカ人、チベット語の男性が続く。最後は日本語の男性。チベット語も英語も即座に訳す通訳がその日は対応した。日本語で質問しても何の問題もなかった。でも、人数制限で質問で出来なかったが、最初に並んだ多くの質問者達はたぶん多くが外国人で英語での質問だっただろう。質問出来た10人のなかに日本人は3人だったのだから容易に想像出来ることだ。Me?残念ながら私もまた、質問の列には並ばなかった。講演が終わって薄暗くなり始めた会場からタクシーを飛ばして、ちょうど大桟橋、クジラのお腹でやっていたチベット写真展を見た。ダライ・ラマの故郷チベット、ラサとインドのダラム・サラ。過酷な自然と現状。ホームステイの外国人が来るとよく連れて行くこの場所で、彼らは日本の何を感じるのだろうか。
November 5, 2012
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ホームステイのアリエルさんにユダヤの歴史を教わっている時、ユダヤ教の始祖と言われている「アブラハム」の話になった。「アブラハムには12人の子がいてそれがユダヤの12の民になったんだよ」とアリエルさん。その時、私の頭にもくもくもくと浮かんで来たのは、例の「アブラハムには7人の子、1人が・・・」で始まるメロディー。以前は子供クラスの時、「手」とか「足」とか覚えさせるのにちょうどいいからこの歌を使ったボランティアがいた。でも私はちょっとその歌の歌詞の中に蔑視の言葉が有るんじゃないかと、それを子供たちに訳せと言われた時に言えないから抵抗を感じて、歌わない。しかし、いかんせん、昔覚えてしまったメロディーは頭からそうたやすく出ては行かない。アリエルさんが「アブラハムの12・・・」という度、思わず「アブラハムには7人の・・・」と口ずさみそうになる。頭の中で、歌をどこかに追いやろうと頭を振るが出て行かない。というわけで、ここに書きました。たぶん、今日読んでくださった方は読みながら頭の中に「アブラハムには・・・」と音符付きで歌詞が駆け巡ったことでしょう。転送したからね。私は今日からすっきり。夫が昨日から焼いてくれたケーキは全部で7本。娘が2本およばれに持って行って、明日私がインドネシア人の友人の家の誕生日会に2本持って行く。2本は来週アメリカ人の友人に届けて、残りの粉を使わないですべてアーモンドで焼き上げたのは、私のおやつ。
June 23, 2012
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最初に昨日の訂正 水禽屈じゃなくて水琴窟です。前のじゃちょっと怖い。3日目のホームステイスケジュールホームステイ2日目が鎌倉観光だったので3日目はゆっくり家で彼のリクエストの日本文化体験して過ごす。そのあと「温泉行きたい?」と聞いたら「聞いてくれてありがとう。ぜひ行きたい」と返ってきたので近所の温泉に行った。以前は箱根とか連れて行ったが、もうそんな遠くに連れて行く元気がないわたし達。朝ごはんだっていっぱいいっぱい喋る彼の事だからたっぷり時間がかかる。1時間。彼にもカップやお皿片付けを手伝ってもらい、夫と2人お皿洗いしてから、簡単に見つかるところに有ったお道具を使ってインスタントの茶道の体験。先ずは私が点てて正客の席に座った夫の飲み方を見て次客をやってもらう。夫もすっかり飲み方忘れていた。まあいいかおっと、長い間やってなかったので茶筅通しを忘れた。まあいいか「すっかり忘れていると思う」と言った私に、「ぼくは知らないから言わなきゃ分からないよ」と彼が言ってたから知らん顔しよう。飲み方を教えながらお茶を点てて出す。「なんだか熱いよ」あ、話していたら、電気の風呂でお湯が沸き過ぎた。足し水忘れたまずい!次は亭主の練習。やりたいやりたいと言っていた割には正座が出来なくて苦戦していた。「の」の字を書いて茶筅を出すと言ったので「I know hiragana」と何回も「の」を書く彼。「のの字は一度でいいんです。」彼の点てた全然泡の立ってないお茶は私が頂いた。そして今度は生け花。長さと位置を教えただけでほとんど自分で活けた彼。いいんじゃない。大満足で日本文化体験した後はゆっくりドライブしながらお昼を食べたりして、温泉。地域に2つある温泉のうち、値段が高いので比較的すいている海辺のホテルのスパの方へ行った。彼の宿舎の山の上のホテルに夕方までに送る時間が有るので、男湯と女湯の入り口で、1時間ぐらい後で休憩所で集合と言っていたのに、1時間半以上経っても出てこない。彼をお風呂に置いてさっさと出て来た夫も「どうしたのかなあ?露天風呂の寝椅子で裸で寝ちゃってるんじゃない?」2時間近くたって真っ赤な顔で出てきた彼「すごくいい気持、すっかりリラックスしちゃった。海の見える露天風呂はいいねえ」
June 18, 2012
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先週清里あたりをうろうろしていたら電話が掛かって来た。日本語の生徒のインドネシア人のテテプさんから。「先生、土曜日ご飯一緒に食べましょう。食べ放題のお店知っているから」そういうことで、昨日、休日出勤で来られない人以外のインドネシアの生徒さん達5人ばかりと焼き肉食べ放題レストランに行って来た。自分で好みの肉や野菜を運んで来て、テーブルのコンロで焼くのだ。なんと、1時間の制限付きのレストランだった。案内されたテーブルに座ると同時に、若い彼らは山盛りのご飯の上に焼き肉を載せてモリモリ食べる。年寄の私と夫はまずは野菜から、ご飯は抜き。人間ドックの結果が来た私と2、3か月先に人間ドックが有る夫。食欲旺盛な彼らを横目で見ながら、慎重に食べる。いろんな種類の肉が有るけれど、豚肉を取らないように気を付けながら肉を運ぶ。うっかりイスラムの人と同じ鉄板で焼いちゃあまずいから。お代わりの食材を取りに立って帰って来たら、私の席に優しいテテプさんが持って来てくれたプリンが有った。ありがとう。夫が言った。「カレーが食べたいけど、ご飯が付いてるからねえ」「カレーだけよそってくれば?」そうそう、健康に気を付けなければいけない年頃のわたし達。山盛り3種類のアイスクリームを食べているアリさんを横目で見ながら、果物を取りに行って帰って来たら、私の席に優しいテテプさんが持って来てくれた、シュークリームが置いて有った。1時間の制限付きだから写真を撮っている時間は無かったけど、この日は彼らが奢ってくれた。ああ、ずっと前からそのつもりで電話をかけて来たのね。ちょっとほろっと来て、遠慮なくご馳走になった。トゥリマカシ。(ありがとう)
June 10, 2012
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花の国のポピーがきれいな季節、日本語の生徒さん達とお弁当と夫が焼いたパウンドケーキを持ってピクニックに行って来た。総勢11人。日本人、ベトナム人、フィリピン人、インドネシア人。ポピーの花畑の中を歩いて、ゴジラのいるアスレチック広場でいい大人が子供達に交じって遊んで、芝生広場で大きなシートを敷いて持って行ったチラシやナシゴレンのお弁当を食べた。お弁当の後はみんなで「だるまさんが転んだ」。東京湾を行き交う船が見える丘の上の芝生でだるまさんが転んだ。日本に来て2週間もたたない生徒も知っている日本のじゃんけんポンだけど、いつもの自国の癖で、チョキなのに指が一本だったり、パーなのに手のひらが下向いていたり面白い。鬼になってもなかなか「だるまさんがころんだ」が早く言えなくて苦戦する。おかしくておかしくて、皆笑い転げてお腹が痛くなった。普段運動不足の私、小さな穴につまずいて転んだ、すかさず鬼が「先生動いた!」だるまのような私が転んだ。
May 26, 2012
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寒い。昨日よりは少しは暖かいけれどまだ寒い。昨日、買い物の帰りに道を歩いていると空からふわふわと白い薄紙のようなものが降って来た。ふわふわふわと青い空をタンポポの綿毛のように空中を漂い、ちっとも地面に落ちない。そのうちに一瞬、わあーと、蜻蛉の発生のようにそれが増えて、景色一面に白い斑点模様を描き出した。それは、ものの10分であった。優しい風景を瞬間見せて消えて行った。今年初めての雪。豪雪地帯の方には悪いけれど、雪景色というにはあまりにも儚い風景。昨日は節分。水曜日の日本語子供クラスは、勉強の後、手作りのお面にみんなで色を塗って、思い思いの鬼を作った。豆まきはしないでパック入りの豆をそれぞれに渡す、かって豆まきをしたら、皆で踏んで粉々になり、掃除が大変だったから。昨夜の夕食に、インドネシア人のノビさんが買って来てくれた恵方巻きを食べて、それをすると喜んでくれた子供も犬もいないから、2人で赤鬼を食べておしまい。うーん、小さな写真をUPするのにはどうしたらいいの?
February 4, 2012
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日本語大人クラス。今週も私の受け持ちは1番上級。「結果はどうなったか」という時使う文法。例えば、「~あげく」「~ところ」を使った文章とその使い方である。まあ、それは自然に使える日本人にはどうでもいことなどで、授業の後のちょっとした頭の体操の話を。その日は、「とと合わせ」のカードを持って行って、生徒3人と私でやった。この「とと合わせ」シリーズ、いろいろな種類が有る。私が持っているのは「Sushi Bar」。左上にその魚が寿司になったらどうなるか絵で示されている。寿司は欧米人が大好きな日本食なのである。カードの遊び方はいたって簡単。左はほとんどが魚偏、絵の通り右と合わせると魚の名前が完成。そう、お魚の神経衰弱である。結果、3人の生徒の中で1番日本語が出来ないイルファンさんが1番たくさん獲得、1番日本語の出来る私が3番目という始末だ。歳は取りたくないなあ。そのイルファンさんがうれしそうに言った。「先生、メジナは漢字でどう書くのですか?ボラは?」ははあ、週末みんなで海釣り公園に行って彼らはそれらの魚を釣り上げているらしい。その時近くの日本人のおじちゃんにでも魚の名前を聞いているのだろう。そんな、寿司にもならない魚の漢字なんて、知るかい!
January 20, 2012
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「先生こんばんは」と部屋に入って来たインドネシア人のテテプさんの手には灰色のランチジャーが。隣のイルファンさんを見ると同じものを持っている。「毎日お弁当持って行くんだ。えらいね」「そうです。先生。研修生は工場でお弁当出ますが、実習生は出ないから」彼らは今年、日本滞在3年目の実習生。「このジャー、ジャヌディンさんにもらったんです」とテテプさん。「私もバソリさんが帰国するときにくれました」とイルファンさん。同じ部屋で2年間寝起きを共にし、10月に帰国した先輩が日本語の辞書と共に後輩に譲って行ったものらしい。正月早々ほろりとしてしまった。昨夜は今年初めての日本語クラス。その日の私の受け持ちは上級クラス3人。まずは「今年の抱負」を題材に日本語での短いスピーチとそれをするため、スピーチ文の組み立てから。テテプさん、イルファンさんとフィリピン人のルーウィさん。スピーチはそれぞれ内容が違っていたが、皆、お金を大事に使って仕送りをしてと言う所は一緒だった。物の溢れる日本で生活しながらも、買いたいものを我慢して家族に仕送りしているんだなあ。またほろり。さあさ、笑う門には福が来る。今年も日本の生活楽しく行きましょう。笑ってくだされ。
January 12, 2012
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「先生、日曜日は料理専門学校の卒業盛り付け作品展示会があります。見に来てください」韓国人のイさんからのメールをもらったので、夫と二人で出かけて行った。駅から電話を掛けると、イさんとご主人が途中の橋まで迎えに出ていてくれた。さて会場に入るとこんな具合。普段は調理実習室であろう部屋には200人の生徒の卒業作品が所せましと並んでいた。3階は和食、4階は中華とお菓子、5階は西洋料理。それぞれ自分たちで食器を準備し、案を練って、実際に作った料理だ。イさんと教室の生徒であるジヘさんとかっぱ橋に行ったのは何か月か前。イさんはその時展示会のための食器をいくつかそこで買った。それからずっと彼女は自分のアイデアを温め続けてきたのだろう。生徒の作品のところどころに入賞者の札が立っている。スポンサー賞とか市長賞とか。イさんが恥ずかしそうに言った。「私も賞をもらいました。うれしい」展示会の料理は自宅で作って持ち込むのだそうだ。イさんは前夜は一睡もしないで料理を作り続けたんだそうだ。そしてご主人はそんなイさんを助けるべく、野菜を運んだりお湯を沸かしたり、料理を会場まで車で運んだりしたようだ。「今、家の中はめちゃめちゃです。今日帰ったら片付けが待っています。寝られない」いやいや、頑張っただけのことはある。一年前料理教室のつもりで入った学校が、実は調理専門学校であって、その厳しさに時々弱音を吐いて、ご主人に「やめてしまえ」と言われたり。日本語がよくわからない、若い子ばかりでなかなかなじめないと私にこぼしていたイさん。優秀な韓国人のことだから、ご主人の日本滞在や留学中に日本語の資格を取って帰る人たちは多いが、調理師の免許を取ってしまうイさんはすごいと思う。何事にも粘り強く勉強する彼女だから最後までやり遂げられたのかもしれない。短い日本滞在、たとえご主人の仕事でついて来た滞在であっても、チャンスをしっかりものにして帰る韓国人たちのしたたかさと勤勉さに負けてはいられないなと思った一日でもあった。帰りに生徒たちが運営する一日カフェでブリュレとコーヒーをイさんの旦那さんにごちそうになった。おまけ!中華の部屋に入った瞬間わが夫が、「冬瓜がいっぱいだ!」と叫んだ。あなたの着眼点はそこか?この頃料理に興味を持ってきた夫であるが、まだまだ盛り付けには興味がないようだ。確かに飾りも料理の見栄えに入るから、冬瓜のカッティングも大変だ。イさんが中華を選んでいなくてよかったと、密かにほっとした私であった。
February 7, 2011
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待望の本がドイツから届いた。ドイツの子供の本の新進作家のものだ。発送国から遅れて届いたと、成田空港郵便局の断りの紙が張られた黄色い小包の箱の中には、我が家族全員にそれぞれ名前の書かれたプレゼントの包みといつも入っている必ず同じ一袋の飴・娘がドイツでいつも舐めていたのだろう飴。そしてドイツ語で書かれた子供の本が一冊。インターネットで見るとその本はドイツの子供の本の協会の一つで賞を取ったと書いてある。でも私はドイツ語が読めない。本が届く前は、字の少ない絵本の類かと思っていた。開いてみてかなりの文章に驚いた。我が家で唯一ドイツ語が読める長女は今、仕事の移動の準備に余念が無い。読んでくれと頼める状況ではなさそうだ。しかし、なんとしても読みたい。小包に入っていた英語の手紙にはそれは韓国語にも訳されていると書いてあった。韓国語なら、辞書を引けば読めるかもしれない。そうなると今度は韓国語版のその本がほしくなってきた。その本の韓国語タイトルさえ分かれば何とか手に入れられるかもしれない。韓国の友達に頼めば・・。やっぱり無理だよね。以前買った「ナルニア国物語」の韓国版だってまだ読んで無いんだから。入っていた飴で釣って、長女にドイツ語を読んでもらったほうが早い。本を開くと、一番最初のページの彼女のサインの横に、作者の字で我が長女に読んでもらえと書いてある。やっぱり!その「ミナミ」と言う日本語のニックネームを持ったドイツ人作家は何年か前の我が家のホームステェイヤーなのである。
February 3, 2011
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日本で働いている外国人の日本観光には色々なケースがある。日本語クラスに通って来るヨーロッパ人やアメリカ人は夏休みやお正月休みなど休みが取れると必ずと言っていいほど、日本各地を観光して回る。京都、大阪、九州、広島、富士登山、北海道。もちろん時間を有効利用するために、新幹線や飛行機を利用して。東南アジアの人達のケースはちょっと違うことがある。アメリカ人達が日本で働いたお金を自分のために使うのとは違って、彼らはその給料の一部を国の家族に送金するケースが多いからだ。彼らは日本にいてもあまり遠出をしない。日本の交通費は高いのである。先日、来日3年目のインドネシア人の生徒達に聞いた。日本のどこに行った?答えは友達を訪ねて普通電車で埼玉、友達を訪ねて普通電車を乗り継いで沼津、日本語の模擬試験のために東京。会社の世話役の人が連れて行ってくれた新潟。それだけである。わが町から鎌倉がこんなに近いのに、鎌倉観光もまだしてないのである。じゃあ、鎌倉行こう!そんなわけで先日秋の1日、インドネシア人5人に鎌倉を案内したのであった。鎌倉駅を降りる。出来るだけ交通機関には頼らない。歩いて銭洗弁天、そこから山道を歩いて佐助稲荷、もっと歩いて歩いて鎌倉の大仏。インドネシアにたとえ仏教寺院があっても入らないだろう。日本にいるからこそ入れる仏教施設。私は彼らのイスラム信仰を尊重し、彼らは仏教という宗教がどんなものかを体験する。大仏から長谷観音の間にある日本風レストランでお昼にした。外のショーウインドーで食べられるものを確認して、店員に豚肉やアルコールを使って無いか確認して、慎重に食べ物を選ぶ。それぞれ親子どんぶりとそばを選んだ。 パブリカの粉末のような赤い色は自分達で降り掛けた唐辛子。親子どんぶりに唐辛子たっぷり!そばにも唐辛子たっぷり!うへー、いくら辛いものが好きだからって。私達のテーブルの唐辛子の容器は瞬く間に空っぽになった。まだまだ紅葉が残っていた長谷寺の庭はとても綺麗だった。ふと見るとやあやあやあ、と知らないインドネシア人グループと話しているじゃないか。「どうしてお互いにインドネシア人って分かったの?」「顔を見たらすぐ分かったよ」遠い国で懐かしい香りがする仲間に会うのはうれしいことに違いない。私も含めてみんなで写真を撮った。12月31日、仕事が終わったら、彼らは仙台の友達の家に泊めて貰い、雪を見に行く。新幹線を利用すると往復1人23,260円。彼らは私が教えた青春十八切符を使って行く。1人往復2,200円。朝8時、我が町を出発すると夕方4時半に仙台に着く。1月2日、雪を見た彼らはまた普通電車を乗り継いで帰ってくることだろう。彼らの習得した日本語は駅での電車乗り換えも、アルコールや豚肉の入っていない食べ物を探すことにも充分通用することだろう。行ってらっしゃい。
December 26, 2010
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日曜日は 国際交流のイベントにボランティア参加した。昨年と同じ総合案内係りを束ねる役目だ。イベントにはたくさんの外国人が招待されていたり参加するから、案内係りのほとんどは英語が話せるボランティアなのだけど、どうしてか私がそこにいる。仕事としては、お客様にパンフレットを渡したり、分からないことを説明したり、ときには会場のご案内をする。案内係りの若い子は朝、振袖を着付けてもらった。やはり着物を着ると外国人には人気だ。仕事中に一緒に記念撮影を求められることもしばしば。それも楽しく過ごしてもらうための案内係の仕事に一役買っていた。イベントの一番人気はなんと言っても参加者が着物を着せてもらうこと。朝から並んで申し込んで、順番が来るのが昼過ぎになる盛況だ。美容師さんや着付けの先生がボランティアで何人も参加している。もちろん、髪の毛もちゃんと結い上げて簪まで付けてもらえる。さて、着付けてもらうと皆うれしそうに会場内を歩く。日本語生徒のインドネシアのテテプさんは白い袴を着せてもらって「先生似合いますか?かっこいい?」と聞いてきた。子供クラスの双子のルークとウィルは普段のやんちゃはどこへやら、写真を撮ってあげると扇子を広げてポーズを取る余裕すら見せた。ジニーは七五三さんの着物、お兄ちゃんのオーウェンは羽織袴姿ではにかんで着物姿のお母さんとお父さんの後ろに隠れてしまった。イベント終了真近、人々の間を巡ってアンケートを書いてもらう事も総合案内の仕事だ。かなりの重量級のアメリカ人のご夫婦にアンケートを書いてもらいながら話している時。「今日は楽しんだ?そばは食べて来た?なにが面白かった?」そしてうっかりその次に「着物は着てみた?」答えは「着たいけれど、この身体で着れるの?」「う・・・。大丈夫きっと着れるからトライしてみて」言いながら自身が揺らぐ。でも大丈夫、そこは着付けのプロ。そしてボランティア達は大きい外国人慣れしている。実際すごく大きなご婦人もしっかり着物を着付けてもらっているのであった。何でも大きい着物があるそうな、それでも足りなければ、着物の内側に風呂敷を見えないように差し込むんだそうだ・・・。そういう状況慣れしているボランティアは街中の美容院とは違って、いつも事前に想定しているから大丈夫。決して着られないとは言わない。たとえマツコデラックスが来ても大丈夫なんだろう。多分。いつも案内をしていると、そばもカレーも食べられない。ステージの太鼓もバンドも見られない。ちょっとそれが残念。甲冑隊は皆、手づくりの鎧を着て参加しているが、写真の彼のは本物だそうだ。途中で「重たい。肩が凝った」と着替えに行った。「顔が見えないから、ブログに使っていいですか?」と聞いたら、「顔が見えないのは残念」と元俳優の彼は言った。
November 26, 2010
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今日の副題は「月のうさぎと思い込み」大変な事になった。昨日の私の記事に対してのコメントを見て思った。「大変だ、大変だ」みんな大変な思い違いをしている。私は英語がぺらぺらではない。それどころか学生時代を通じて一番苦手な科目が英語だった。私の話す英語は中学英語まで。それだけの知識で話しているのである。そして、大抵、私の話している内容といえば、それで事足りるのである。ホームスティ受け入れ然り→政治論争するわけじゃないから、大概は日常会話だ。時にはイギリスから来た市長経験のあるスーザンさんのようにぺらぺら難しいことをしゃべる人もいるけれど、分からないところは聞き流す。そうやって相手の言うことをうんうんと聞いていて、「今の分かった?」と聞く5ヶ国語を話すドイツ人、エンドレのように教育熱心タイプもいるけれど、その時は、すかさず「え!良くわかんなかった」とごまかす。私の話す英語が相手に通じない時→Rかな?Lかな?口の開け方を色々試してみる。イントネーションの位置をずらしてみる。それでも駄目なら、クイズ形式だ。「ほら、話をおしゃれに面白く話す人いるでしょ?」「頭のいい人は話方が上手だし」「それが話に入っていると話が面白くなる」 頭の良い彼ら、クイズはお手の物。簡単に正解に辿り着く。 ユーモア=ヒューマキャロルなんか、話の途中で時制の一致に悩んでいる私が全部を言い終わらない内に、答えを返してくれる。昨日のアンさんの話だって、日本語にして文章にするからいかにも長い、難しい英語で話したように聞こえるけれど、相手はわかりやすいゆっくり英語を話しているんだし・・・。そして何よりも、相手の顔を見て方向性のある話をしている時は、想像力を働かせれば相手の言いたいことは分かっちゃうのである。英語が分からなくても。分からないのは子供クラスの子達の英語。それは突然で、容赦なくて、早口で、言いたいことが読めない。「おしっこに行きたい」「今日は学校で〇〇〇・・・だった」脈路無くしゃべらないでくれ。そういうわけで、私の英語はぺらぺらでもなく、すらすらでも無く、中学英語なのである。そしてもう一つ、私の容姿。ブログ友のrikizukiさんがどうやら、ほっそりしてスマートな人間を想像しているらしい。それは思い込み。rikizukiさんから頂いたキーホルダーの中のうさぎは可愛いけれど、 ↑ 毎日持ち歩いているから、手垢で黒くなってきたウサギ実は私のハンドルネーム「灰色ウサギ」のイメージはこれ ↓私に会った事があるブログ友のとらのこどもさんやringoさんは知っている。台湾のエンジェルから今年もお月見用に送って来たmoon cakeを食べながら月のウサギの姿を思うこの頃。
September 28, 2010
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旅立つ君へ今昔のMixi見てきたよ。君がアメリカの大学卒業して帰って来てまだ2年ぐらいしか経ってないんだね長い長い年月だったような気がするのにあまりにいろんなことが有り過ぎて思い出せないあれは君がアメリカの田舎の大学在学中の話だったのか、2年前に帰って来た後の話だったかもうごちゃごちゃでわからない大学院に行こうか日本で就職しようか悩んで帰って来て、銀行に勤めて、やっぱり勉強したくて銀行辞めて、アルバイトしながら勉強続けて。 私はいつも君は白樺の木みたいだと思って見ていたよ。風が吹けば折れまいとしてがんばって結局がんばりすぎて小枝をポキリと折ってしまう。心配で、なぜそんなにがんばるんだろう、「葦のようにたまには風に流されてごらん」 と思うときもあった。「見ていられないよ」と思うこともあった。何を悩んだ?いくつ悩んだ?ふふふ、それらは人生の肥やしになったかい?ずーっと前に私が言った言葉を覚えている?「若い時の悩みは成長の証しだよ」って。いつもいつも悩んでいた君にもう一度その言葉を伝えよう。しかし、まあ、風で白樺の小枝が折れたって、うちの山小屋の白樺の幹はびくともしないけれどね。 私はいつも言っていたね。「アメリカには何時帰るんだい」って。今夜、お別れの夕食会の後で黒い犬を連れて夜道に消えていく君を見送る時、私はこう言ったのが聞こえたかい。「ニューヨークに行ってらっしゃい」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー若い友人が3日後にニューヨークに旅立つ。とりあえずは5年間の大学院生活で。でもきっと帰って来ないんだろうな。若い白樺がアメリカという地に根を降ろし、しっかりと根を張って、暑い夏にはふさふさと緑の葉を生い茂らせた堂々たる大木になっている様子が目に浮かぶ。
August 28, 2010
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毎週のキムさんの授業の中で、3月まで一緒に勉強していたイーさんの話題が出た。4月から横浜の調理士専門学校に通い始めたイーさんだが、日本語の専門用語が難しい上に、周りは18歳前後の若者ばかりだから話題は「だれだれが格好いい」とか「アイドルが」という話題ばかりで話が合わない。ちょっと学校に入ったことを後悔し始めているという。じゃあ、3人でご飯でも食べて、ちょっと気晴らしさせてあげようとなった。観音崎のイタリアンレストラン、マテリアでご飯を食べておしゃべり。お料理の用語とか道具の名前とかたくさん日本語覚えたなあ。几帳面なイーさんだから完璧にやろうとして疲れるのかもしれない。お料理を食べながら、合間に、愚痴をこぼす。そうそう、どんどん吐き出して。すっきりするよ。一生懸命日本語で話す。3月までの授業の時は間違うのを怖がって遠慮がちに話していたのが、今は授業じゃないからか、話したいことがいっぱいあるのか一生懸命話す。写真はメインだけ。レストランを出て帰ろうとすると、「先生、まだ時間ありますか?まだおしゃべりしたい気持ちがあります」今度は浦賀のヨットハーバー、コーチヤへ移動してケーキとお茶とおしゃべり。実はそこはヨットハーバーでは無くてクルーザーハーバーなんだけれど。帰りの車で2人が言う。「調理学校で、(趣味の)トールペイントで、なかなか私達の日本語、日本人に通じないです。だから、すぐ、いいです。忘れてと言いますよ。」そして、「先生、お料理で孫を使った料理作りました」・・・・「それは多分ゴマ」「あ、ここの渡し舟はミチカタどのくらい?」・・・・・・・片道150円ですね。「先生は私達の日本語良くわかります。うれしい」そうですか。私はいつもの頭の体操になります。私もボケ防止になってうれしい。もっとボケ防止をしようと金曜日のTVでやっていた韓国の歌手グループのCDをイーさんに借りた。sg wanna be.
June 8, 2010
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PCいじっていたら、MSN messengerでフランスのジルダから呼び掛けられた。「Hi, How are you?」「元気だよ、そちらは」「元気!何かニュースある」「うん、ブータンに行って来た」「ブータンはどこにあるか知っている?」「インドの近く」「なんだ知っているの?」「うん、webで調べた」なるほどね。若い人はほんとPCを上手に使う。英語でタイプしながら私と会話して、その間に分からないことは調べるんだ。「ジルダのニュースはある?」「うん、カナダに行くよ。Couch surfingするんだ」うん?何それ?カナダの海でサーフィンする? webで調べなきゃ。そうこうもたもたしている隙に、「ホームステェイみたいなもんだよ、同じくらいの年代の人の所に泊めてもらうシステムだよ」とジルダが打ってきた。インターネット社会の世界中の知らないもの同士、旅行者に宿を提供するシステムみたいだ。へえ、インターネットってどんどん新しい生活を生み出していくんだね。でも、そのホームステェは宿だけ提供するんで、家庭の中に入って文化や習慣を共有するわけじゃないんだね。そしてそこにはもしかしたらホストマザーは必要ない?初めての知らない人の家庭でちょっと窮屈だけど、ちょっとどきどきだけど、暖かいもてなしと異文化家庭のなかで交流を目的にするのと、宿だけ便利に提供してもらい、お金の節約にするのと今の若者はどっちがいいいのだろうか。でもそのカウチサーフィンとやらもこれからのホームステェのあり方かもしれないなと少しは納得し、「カナダから絵葉書頂戴ね」と、打ち込んでいる日本のホストマザーであった。 今日のおまけ。 4月25日にブータンから送った絵葉書が今頃届いた。EMSで送った荷物はとっくに届いたのに、葉書1枚に一ヶ月もかかっている。夫が「船便だったんじゃないの?」という。「AIR MAIL と書きましたからね。それにブータンに海はない!」おおらかなのはいいけれど、ここまで来るとブータンしっかりしてくれと言いたくなってしまう。私が葉書を入れた首都ティンプーの郵便局のPOSTは、ひょっとしたらゴミ箱だったんじゃないかとあきらめかけていたさ中の到着だった。
June 6, 2010
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今日のタイトル、別に大好きなオースチンの小説や映画のタイトルではない。日本語教室は今春休み。だけど、7月にみんな能力試験を受けたいというので補習授業をしている。インドネシア人のジャヌディンさん、アンガさん、バソリさんの3人は今度N2と言う名で新方式になった2級を受けると言う。12月に3級受けたばかりだが、私が出すかなりの量の宿題は紙が手垢で真っ黒になるほど辞書を引いて、インドネシア語に訳して赤鉛筆でびっしり解説書いてくるので何とか合格させてあげたいと思っている。(添削は赤ペンでするから、赤は使うなと言ってあるのだが、赤を使いたがるのよね)ジャヌディンさんに宿題を返す時、「この頃日本語上手になったね」と言うと「まだまだです」と謙遜する。3週間前、そのジャヌディンさんが同じ職場の後輩を連れて来た。「同じ級を受けたいの?」と新しい生徒に聞くと、横からジャヌディンさんが、「彼はまだまだです。3級受けたほうが良い」と言う。おっとっと、そこは3級高得点で受かったプライドか・・・。ジャヌディンさん、バソリさん、アンガさんは同じ職場、そして同じアパートの同じ部屋に一緒に住んでいる。彼らイスラム教なので、朝のお祈りの時間は忙しいから会社に遅れないように、交代で朝食当番をし、あとの2人はお祈り、当番がお祈りしている時にあとの2人が食べる、と工夫しているのだと言う。どうやら、宿題は会社で昼休みのお祈りの合間にもやっているようだ。翌週提出の時にアンガ「職場の風で宿題の紙が飛んじゃったので出せません」バソリ「難しかった、何でこんなに難しいですか?」そしてジャヌディンさん、例によって3年間も持ち歩いたほど問題用紙が手垢と油で汚れている。いったいどこで勉強しているんだろう。そして時々3人が同じところを同じように間違えている。「誰が誰の答えを見ているの?」と冗談を言ってみるけれど、きっと、職場でもアパートの部屋でも、3人が寄り添って勉強しているんだろうな。 ↓タイ料理レストラン「サワディー」のフローズンライチジュース。これが大好き。サワディーはインドネシア料理のナシゴレンやサテェなども出す。
March 25, 2010
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1月に韓国に帰ったゼリンさんとジュンちゃん元気にしているかな?最初は赤ちゃんだったジュンちゃんをおんぶしてあやしながらゼリンさんのアパートで日本語を教えたっけ。時々、「先生、今日お昼作ったから食べて」と言われ、ご馳走になった。ゼリン「先生、この料理初めて作ります。美味しい?」私 「ご主人より私が先?」うーん、私は実験台かいと、思いながらご馳走になったけれど、4年半日本で暮らして、国に帰る頃には新米主婦だった彼女のプルコギは、留学生の奥さん達の間で評判の、他では味わえない絶品料理になっていた。 そして、先週のプライベートレッスン。韓国人のイさんが「先生昼ご飯、家でご馳走します」と言うので、リさんの部屋にお邪魔した。 参鶏粥 根っこのキムチ(何の根っこか分からない、タンポポかな牛肉の煮物韓国バージョン 牛肉、トッポギ、にんじん、栗、大根、かぼちゃ、にんにく入り。イ「先生、私、日本に来て始めては料理作れなかったですが、今はちょっと出来ます」私「はいはい、初めはですね」イ「にんにくも多いじゃないですが入っています」私「い形容詞は多くないと使いましょうね」イ「この料理は美味しいですか。実は初めて作りました」やっぱり!、またしても私は実験台か?一緒にご馳走になっていたキムさんは今、妊娠中。お腹が空くらしく、お代わりを注文した。どっさり盛られて返ってきたお粥を見て、キムさんは言った。キム「えー、こんなに食べられない。先生食べてください」私「お腹がいっぱいだけど、少しなら」そして、ちょっとよそ見をしていた隙に、私のどんぶりには山のようにキムさんからのお粥が移動していたのであった。イさんの名誉のために言おう、お粥は初めて作ったのにすごく美味しかった。
March 16, 2010
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ちょっと前の休日、いつも日本語授業に部屋を借りている会館でボランティアンイベントが有った。教室を借りているお礼も有って、われわれも小さい会議室で2時間弱の出し物をした。ひとつはアメリカ人の小さい子達が、覚えた日本語でお客さん達と紙で作ったお金と果物を使って、お店屋さんごっこをするもの。もう1つは中国語で世界の国名を書いたカードをお客さんに示しての国当てクイズ。中国語のカードを書いて来た出題者は中国人のミンシン(来日6ヶ月ぐらい)とユエちゃん(来日4年8ヶ月)。ミンシンはほとんど日本語は話せない。ユエちゃんは来日8ヶ月目で、一般の高校受験をしてパスして、去年日本の一流大学の理工学部に現役合格した私達の教え子なので、今は日本語ぺらぺら。ユエちゃんが通訳しながら、世界地図を敷いた机の前に座ってもらって、1人5題ずつ参加者に出題してゲームを進めた。そのうちに私は何故かその答えを見つけるのに、時間がかかりすぎるお客さんがいることに気がついた。「しまった。ここは福祉の会館、来場者に知的障がいのある人もたくさんいる」そこで、そのことを2人に告げ、そのような来場者には、出来るだけ簡単に答えが分かる国カードを出すように薦めた。2人はその後、どの来場者にも態度を変えることなく、そっとカードをすり替えながら楽しくコミニュケーションを取り、どの来場者にも笑顔で楽しんでもらっていた。 イラン、ベトナム、イラク、フィリピン、ベルギーゲームの最初にミンシンは言う「私はミンシンです。中国から来ました。」そのうち、我が選挙区の若い代議士さんが例によってイベント視察にやって来た。そして世界地図の前に座ってミンシンとゲーム。彼女は前回と同じように自己紹介をして一問出題。彼は簡単に当てた。ミンシンの手許を見ていると、さっと、カードの1番下から抜き出した中国語で書かれた難しい国名を1番上に乗せて、出題した。とかく「人を見る」と言うと、悪いイメージだが、見ることは大事だと思う。もっと大事なのは、見た後での相手に対する態度と思いやりだと思う。「全部当たった!」と喜んでくれる人を見るミンシンはきっと幸せなんだろう。 そのミンシン、先週の日本語授業に来なかった。理由は、「病気じゃない、心がちょっとかなしい」んだそうだ。彼女は日本の中学に通う中学1年生。学校では日本語の特別授業以外は日本人と同じ授業を受けている。それが日本の教育システムだから。理科も、社会も、英語も。さっぱり分からない日本語を聞き続けている。数学以外はちんぷんかんぷん。数学は日本語が分からなくてもだいじょうぶだ。なぜなら彼女のレベルはとっくに中学を卒業しているだろうから。来日前の中学生数学オリンピックで彼女は並み居る世界の子を相手に3位を獲得している秀才なのである。日本語がまったく分からないまま授業を受け続ける時、彼女は自分の才能を否定されているような気分になるんだろうか。せっかく培った数学の才能を伸ばせる場所が無くてがっかりしているのだろうか。なぜ、親が日本に連れて来たのか事情はわから無い。それでも少しでも彼女の日本における生活が楽しくなるならいいなと思う毎日だ。先週授業の後、一緒に勉強しているブラジル人のケイト君が「シンちゃん、来なかったね。今度は来るかな?」気遣っていた。日本の小学校似通う5年生の彼もまた同じ状況。でも、彼はまだ小学生だから、遊びの中で友達も出来る。受験もまだまだ遠い。前途はそれほど暗くは無い。文章に何の関係も無く、KIHACHIの日向夏ロールケーキ。
March 12, 2010
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僕はマーク、まだ3ヶ月。いやいや、今、オーストラリアに居るオーウェンンの間違いではない。オーウェン第2弾でもない。ドイツ、アーレンから、「My name is Mark」で始まるメッセージカードと写真が届いた。新しい地球の仲間であり、私の新しい仲間の一員である。私がホームスティ受け入れてを始めてからもう何年になるだろう。日本に来た時はまだ学生であった学人達からは、やがて結婚の便りが届き、そして子供が出来た知らせが届く。受け入れた時点では、たった一人と新しく知り合ったのに、家族が増えるたび、私には世界の彼らの住むその都市に何人もの知り合いが出来ていくのである。ホームスティ受け入れは楽しい。後が楽しい。マークのパパは我が家のホームステェイヤー、ハンガリーにルーツを持つ彼はハンガリーのお嫁さんをエジプト旅行で見つけた。ハイデルベルクの哲学の道を私と一緒に散歩した頃まだ学生だった彼女は、おっとりとした素敵な女性だ。マーク、パパとママとお姉ちゃんに良く似ているね。自宅で私達にハンガリー料理を作ってくれたおばあちゃんにも少しにているかも。ハイデルベルクやオックスフォードで彼らに会ったことを懐かしく思いだしながら、新しい仲間の写真を見つめた。 これはドイツ、ギーセンの友人から送られて来たチョコ。中にはもちろんマジパンが入っている。このマジパンたっぷりのチョコ、以前はマジパンに自分の舌がなじまなかったので、ドイツ人が「これは高級だとか、ドイツで人気がある」と言っても、「へえ?」と思っていたものだが、今はちょっと病みつき。もーすぐイースター、マジパンの卵にチョコでコーティングしてあるのを誰か送ってくれないかなと思うこの頃である。
March 7, 2010
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日本語プライベートレッスンのパクさんが韓国に帰る。鎌倉には1回しか行ったことが無いので行きたいと言うので、韓国から両親が来て忙しいキムさんを置いて、イさんと3人で鎌倉に行った。大仏や長谷観音は有名所、こんなに寒くても人がいっぱい。お決まりのコースでは無く、ちょっと違った鎌倉体験をと竹のお寺、報国寺と向かいの浄明寺へ。やはり、寒いことと中心から少し離れていることで、観光客が少ない。報国寺を入るや否やから、「すごい、綺麗。静でいいですね」と感動している。紅白梅が咲いて、千両、万両、十両が実をつけている。蝋梅も、まだ蕾の三椏も美しい。「先生、こんな綺麗なところ知っていてすごい」と感激。まあね。これだけホームスティ経験していると誰をどこに連れて行けば喜ぶか大体わかってくるのです、とちょっと鼻を高くする。 浄明寺の紅白梅は見事だった。ゆっくり歩いていると昼食時間になったので浄明寺境内にあるイタリアンレストランに行く。「先生お寺でイタリアンですか?」と2人は言った。良いんです。美味しければ・・・。鎌倉野菜を使って、店内の石釜でパンも焼いているこだわりのレストランだ。私はお魚の料理をメインにレストランは山の中腹にある。本堂に向かって降りて行くと、さっきレストランの暖炉の前に居た猫が通り道の階段でじっとしていた。上の木には何匹かのリスががさがさ木を揺らしている。「狙っているんだね」ネコの脇を通り過ぎながら見ると、なんとネコはそこで目をつぶって眠っていた。浄明寺茶室は私のお気に入りの場所。開け放たれた障子から冬の寒さが容赦なく流れ込み、赤い毛氈が敷かれた畳が茶室の静けさを際立たせる。水禽窟がある縁側の向こうに蹲と石庭。そこだけ静かな時間が流れて行く。しかし、昨日は寒かった。わが街では降らなかった雪が、電車で30分しか違わない鎌倉では、そこかしこに残っていた。玄関の広い土間から上がり、畳の真ん中に置かれている火鉢に直行。 浄明寺特製の落雁は食べてしまってから写真を撮らなかったことに気が付いた。外は寒いのに、淡いピンクの萩茶碗に点られた抹茶はすがすがしい春の色。お茶を飲みながら見ていると椿の木の下を悠々と、さっきの猫が歩いていくのが見えた。茶室を出たところで木々をわたるリス(これは台湾リス、増えすぎて鎌倉では困っている)を写真に撮ったつもりが、目の前をジャンプしたリスの後ろ足と尻尾しか写っていなかった。 ↑ ここにジャンプしているリスのお腹が山門に歩いて行くとさっきの猫がまたしても方丈の縁側で寝ている。どうしてもその寝姿をカメラに収めさせたいらしかった。
February 5, 2010
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昨日千葉で英語を教えているカイル君(5年前のホームスティの子)とその彼女に会って、一緒に中華街の大世界に行った。お魚が飛び出てきたよ、カイル君、えさをやったら駄目。どのおじさんが1番大きいか? 「あ、一万円」カイルが見つけた。だけど拾えないよ。私達が英語で会話していたので、中国人旅行者が英語で話しかけ途中から仲間に加わった。彼、すごい!体操選手になれそう。世界も日本も経済、政治めまぐるしく変わって行く。自分の目で見て、自分の頭で考えたことを信じよう。騙されちゃ駄目だよ!頭が疲れた後は中華街のちょっと変わったカフェ、「薬蜜本舗」にて紅茶でも・・・。薬膳蜂蜜専門のカフェ。お茶にもケーキにも違った種類の蜂蜜が付いて来る。 今年も一年間いろいろなブログにお邪魔していろんな世界を知る事が出来ました。私のブログにいつもコメントしてくださってありがとうございます。また、来年もよろしくお願いします。後一日ありますが、皆さん良いお年を! 感謝
December 30, 2009
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イベントボランティアのマイオ君からメールが来た。「イベント当日は何時に行けばいいですか。もう、変装衣装も買ってやる気満々です」うーん。やる気満々はいいけれど「変装」はちょっと危険じゃない?それを言うなら「仮装」。子供達のイベント参加条件はたった一つ。仮装をして参加する事。だからもちろんボランティアも全員仮装する。Halloweenにこだわらないから、どんな仮装でもいい。出来れば子供達と一緒に遊ぶのだから怖くない仮装が良い。あまり怖いと子供が泣き出してしまうから。手づくりでも買った物でも何でもOK。参加する子供達の仮装も流行が有って面白い。何年か前、私はハリーポッターのマクゴナガル先生に扮した。その時はたくさんのハリーポッターやハーマイオニ達が「一緒に写真を撮らせてください」と寄って来た。初めてハリーポッターの映画が公開された年だったのだ。ボランティアだって最初は恥ずかしいとか言っているが、結構それぞれ楽しんで仮装してくる。これだけ多くの人が仮装すると、中に1人だけ仮装して無いほうが恥ずかしいのである。私はというと、ある時はシンデレラのフェアリーゴッドマザー、そしてある時は不思議な国のアリスのスペードの女王に変身。本人は変身しているつもり。ジャックスパローに変身した時は、鉢巻後ろ手に結べなくて友人に頼んで結んでもらい、パレードの後で鏡見たら、なんと蝶ちょ結びにされていたというお笑いもあった。そうこうしているうちにまたメールが飛び込む。エミルさんからだ「sensei nichiyobi wa nanji? ore mada kaso no fuku kattenai」「じゃあ、100円ショップで買っておこうか?」「iidesu jibunde kau]あれこれ選ぶ楽しみは他人には渡せないんだ。私の変装?いや、仮装?それは秘密。体型的にはこれだろうか?そして今日の散歩の時の夕ボケ富士
October 19, 2009
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今年お月見はいつだったのだろうか。子供が小さい時はお団子を作って、台に乗せ、ススキを取ってきて月見をしたものだった。子供達は覚えているだろうか。今ではススキを取りに行く空き地も住宅地の中には無くなってずっと遠くまで行かなければならないし、何よりお月見がいつかも忘れて過ぎてから思い出す。そういえばきちんとした花屋で花を買うことも少なくなってしまった。スーパーや駅の近くの安売りの花屋で花を買うことが多い。以前は花屋に行けば季節の花が売っていた。節分のヒイラギ、桃の節句の桃、端午の節句の菖蒲、七夕の笹、お花見のススキ、お彼岸の花々たち。そこに行けばたとえ忘れていても季節の節目節目も思い出させてくれたものだ。忙しい忙しいといいながらちょっとずつ日本の心を忘れていく。いけないいけない。でも私が日本のお月見を忘れていても、必ずお月見だけはやってくる。お月見まんじゅうと一緒にやってくる。台湾から。昨日台湾のエンジェルからお月見のおまんじゅうが届いた。彼女は必ず毎年台湾の中秋の名月に合わせておまんじゅうを送ってきてくれるのだ。今年の台湾の中秋は10月3日(土)だそうだ。その日は台湾の祝日。残念ながら土曜日だけど・・・。おまんじゅうの箱の中にいつもながらきちっとした小さい字でメッセージが入っていた。お願い、小さいカードになおいっそう小さい字で書くのは止めて。日本のお母さんはもう老眼鏡が必要になって来ている。はははどんなに小さいカードか比べるために下には十円玉エンジェルはDearお母さんと書いてくれるけれど実は私のホームスティの子供ではない。長女の友達だ。私達や彼女が日本と台湾を行ったり来たりしているうちにいつしかうちの子になった。エミリーやヨハンナと同じで。おまんじゅう謝謝
October 1, 2009
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日曜日、国際交流協会のイベント人数が足りないと言われて、数あわせで、協会が扱っているフェアトレードネパールコーヒーの仕入れ元である、ネパリ・バザーロを知る一日に参加した。ネパールカレーの昼食から始まって、ネパリ・バザーロのネパールでの自立支援の活動報告、その歴史、過酷な自然条件の中、有機栽培でコーヒーを作っているシリング村の映像。そして、来日15年というネパール人の音楽家による演奏で終わった。私達はネパールと聞くとどんな印象を持つのか。どこからでもエベレストの見えるヒマラヤの国。寒い国?でもインドと国境を接する国。だから食べ物はほとんどインドと同じようなターメリックやマサラなどの香辛料を使う。衣服もまたインドと良く似ている。標高の高い国?でも国の中に標高70mのところもあるという。亜熱帯ジャングル。ちょっと前までは内戦の真っ只中にあった国。会場にあるフェアトレードのお店でネパールカレーのスパイスセットを買ってみっちりネパールを勉強した一日を終えた。この日から遡ること3週間前。実は同じ協会の行事で、私はネパール人のモンジュさんから習うネパール料理教室に参加したのだった。 モンジュさんのカーストでお祝いのときに食べる卵その時、モンジュさんは上手な日本語で、ネパールにはたくさんの民族が有り、カーストによって身分も分かれて来たと教えてくれた。食べるものも踊りもそれぞれの民族によって違っているんだそうだ。世界にはいったいいくつくらいの民族があるんだろうか。今年ホームスティ受け入れたインドネシアのアグスランたちの国にもたくさんの民族が有ると分った、夏に再会したグアテマラのマルビンさんの国にもたくさんの民族が有るという。ネパールもインドネシアもグアテマラもそんなに大きくない国にたくさんの民族。世界にたくさんの国があり、そのまた国の中にたくさんの民族がいる。日本だって決して単一民族ではないと以前ブログ友に指摘された。みんながお互いを尊重しあって仲良く暮らせる戦争のない日はいつ来るんだろうか。日本で生まれ、オーストラリアと中国の国籍を持ちサウジアラビアで育つただいま8ヶ月のオーエンのような子がいっぱい生まれて世界をかき回し、最後は一つにしてくれるんだろうか。オーウェンはもうすぐ母の国に旅立ち父の国を渡ってサウジアラビアに行く。楽しみ楽しみ。クイズこの丸い筒は何?私達はこの筒に入ってボタンを押してまた出てきた。
September 29, 2009
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土曜日の我が家のお客様はフィリピン人のエミルさん一家。我が家に到着するなり、「あ、部屋が変わった!」そうだった、彼が我が家に来るのは4年ぶりかもしれない。昨年のキッズ・フェスティバルの時はボランティアで来てくれて、私が会うのは1年ぶりだったから、建て替えた新しい家には来ているものと思っていた。日時の発つのは早いもの。4年前彼に日本語を教えた。エミルさんはかって、2年ほど日本の会社でプログラミングの仕事をして、フィリピンに帰って結婚して子供をもうけ、その後中国での仕事を経てまた来日し1年前から日本で働いている。今度は家族を連れて来た。以前にも書いたことがあるが、日本語の教科書には「私は 料理が 好きです」の文型のように、自分のことは「わたし」と教える。みんなそれで習うから日常でもそれを使う。日本語を話す外国人は日本人から見れば皆、品のいい紳士に見えるのだ。だってそうでしょ。日本人の若い男で普通の生活の中の会話で、「わたしが・・」と使う人がどれくらいいるだろう。「僕が」「俺が」の方が若い人には多いんじゃないだろうか。エミルさんはどこで覚えてきたか、男の子のボランティアが教えたのか「俺が・・」と使うのだった。それはそれで意外と新鮮で面白いけど日本語を習っている外国人の中にあっては目立つ。サウジアラビアで秘書の仕事をしていた奥さんのアンさんは物静かな人。2歳のフランセスカちゃんはよく笑う可愛い子だった。2人ともフランセスカちゃんに時々英語、時々タガログ語で話しかける。英語で話しかけられたフランセスちゃんは英語で返事をし、タガログ語で話しかけられた彼女はタガログ語で答える。スペイン語も少し使えるよと親達は言う。日本語も「ご」までなら数えられるという。ははは親ばかだなあ、とは思いながらも友達の少ない日本でがんばって生きている家族にエールを送った。写真も撮れるんだという親ばかに「はいはい」と付き合ってわたしのカメラを貸した。フランセスカちゃんの撮った写真。
September 7, 2009
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「ヨハンナはハンブルグに無事着いたって」と次女が言った。三重での研修を終えて帰ったようだ。10月からは大学。私のPC で大学入学のための申請書を何通も作成して提出していたけれど、希望の大学から良い返事をもらったかな。心理学の勉強がんばれ!ステベンからもE-メールが届いた。ーーーーーーーーーーー土曜日にフランスえかえります。でも日本にノこりたい、ふらんすえかえりたくない。日本にいるうちにとてもうれしいです。○○たちにあえてとてもよかたです。まだ日本にきて○○たちにあいたい。いろいろおせわになりました。とてもたのしくて、うれしくてありがとございます。 またね。 ステヴぇンーーーーーーーーーーーーーー独学で学んだ日本語で書いてきた。フランス、ブルターニュで犬の「月」とウサギの「ジヴィエ」との生活がんばってね!いつかブレストに行くからね。そして一番うれしかったE-mail。---------------- ○○-san,Gobusatashite gomen nasai.hanabi wa kireidatta, minna ureshikatta. kono meru wa osokunatta kedo, nagano wa dou deshita ka?saikin no yaru koto ga jikan wo kakatta.kazoku wa mou hikkoushishimashita.aibi-chan no gakkou no soba ni sundeimasu.kuugatsu no tsuitachi ni watashi wa firipin ni kaerimasu.kotoshi chansu ga arimashita kara, daigaku tsutsukemasu.sannen desu ga, mata aimasu. ano toki itsuka kuru, watashi mo matteimasu.ルミーーーーーーーーーーーーーーーーフリピンで育ったルミちゃん、1年半前お母さんと妹と一緒に日本のお父さんの下にやって来た。大学編入を目指したが年齢で、拒否された。しょうがないからフリピンで高校教育はとっくに終了しているのにグレードを落として高校編入を目指したが日本語の壁と日本国籍がそれを阻む。それではとアルバイトすれば会社の送り迎えのバスが交通事故を起こし鞭打ちに。申し込んだ大学の日本語学校にはフィリピンの大学の先生が書類を間違えて期日が間に合わず入れなかった。数々の障害にもめげず他の日本語学校に通ってたくましく勉強したが、それは自分の夢とは違った。これからは家族と離れて一人育った地フィリピンの大学に戻り、2年生からやり直す。メールにもそれは現れている。彼女は書いて来た「firipin ni kaereimasu」。「iku」では無く、「kaeru」のである。日本国籍を持ちながら。外国人として。フィリピンはそれを暖かく受け入れてくれたのだろう。以前彼女の高校での成績票を見せてもらったことがある。すばらしい成績だった。大丈夫だよ。友達も居る。生きる力もある。お金は無くても日本で応援している家族もいる。何よりもまた温かく迎えてくれた社会がある。日本語を教えることぐらいしか出来くて、何も力になれなくてごめんね。3年たったら成長した姿を見せに会いに来てね。その時は「nihon ni karimasu」と言うメールをください。日本はあなたの国だから。みんなの夏がもうすぐ終わる。
August 29, 2009
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山小屋での夜のこと。「山の天気は変わりやすい。」特に夏の夕方はあっという間に黒い雲が来て雷が鳴る。この頃の都会でもそんな珍現象が当たり前になりつつあるから、この言葉は特別山だけに当てはまらなくなって来たが・・・。今回の山の生活6日間のうちほとんど雨が降らなかった。それでも夜に雲がなく星が見えた日は3夜。山小屋のベランダに寝椅子を出して空を見てひっくり返る。目が暗闇に慣れるのにしたがって初めは少ししか見えなかった星の点々がだんだん多くなりすぐに満天の星空になる。天の川が見える。屋根の出っ張りで北側の空が見難いので「北斗七星」「カシオペア」のように分りやすい星は見えない。夏の大三角形、ベガ、デネブ、アルタイルを探すが星がたくさん有りすぎてかえってどれがどれか分らない。本当は星座を探すのはもう少し明るい空の都会がいいのだ。知っている星だけ見えるから。「あ、流れ星!」夫と同時に流れ星を見つける。流れ星は線を引いて白樺の葉の影に消えていった。そのうち小さな点が少しずつ動いているのを発見する。人工衛星だ。星は皆北極星を中心にして一定方向に回るのに、それを無視して天球を登ってきたり、降りていったり、斜めに走ったりする。人工衛星は真っ暗になる深夜には月と太陽の光の関係で光らなくなって、見えなくなるんだそうだ。自称小さい頃は天文少年だった夫の言葉。「こんなにたくさんの星が有ると、どれかがだるまさんが転んだをやっていて、少しずれても気がつかないね」と人工衛星を見ていて思いついたんだろう夫が言う。突然、星々がいっせいにだるまさんが転んだを初め、少しずつ少しずつ鬼になった星に近づく様が浮かんで来た。「まったく」ロマンチックな欠片もない。山の夜はすぐ冷える。「そろそろ部屋に入ろう」明日も晴れかな。朝になれば自称小さい頃は昆虫少年だったという夫はギンヤンマやオニヤンマに目を輝かせるんだろうな。山で出会った友達(相手はそう思っていないだろうが) このお伽噺に出てくるような白馬、近寄って来たからなでようとしたらわざわざ近くまで来て糞をした。「まったく」ロマンチックな欠片もない!
August 24, 2009
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今日はまた例のあれをやろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー僕はオーエン。6ヶ月。今日はママとママを助けるために中国から来ているママの従姉妹のカイエンさんと日本人のおばさん、おじさんの家に泊まりに来ているよ。お泊りは生まれて初めてだからちょっと緊張。ワンルームマンションの狭い部屋で毎日毎日ママとカイエンさんと3人で暮らしているから広い世界はビックリ。ご飯を食べる時、大人4人がみんなで僕が早く眠るように一生懸命に成るのが面白いよ。絶対寝てなんてやるもんか。でも、これが魔法にかかっちゃうんだよね。寝ちゃった。もうすぐカイエンさんも中国に帰っちゃうんだ。みんな小さな部屋で生活しママにも友達もいなく、パパはサウジアラビアでお仕事、僕がかわいそうだなと思うらしいけれど、僕はうれしいよ。小さな部屋だからママは掃除や洗濯やご飯に時間がかからない。いつもいつも僕と遊んでくれるからね。10月までもうしばらく日本でママを支えながら生活するよ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今日のお菓子娘の夫が大分で買って来たざびえる本舗の「瑠異沙」。ステェベンのお土産ガレット。ケビンのお土産ミシガンのチョコレート。中央は多分あるところでしか買えない普通の味がする特別なクッキー。
August 15, 2009
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一昨日は日本語を教えている韓国人のグループとレストランで食事。昨日はアメリカから遊びに来ているキャロルのお兄さんの家族と友人の家でパーティ。両方とも子供を連れてきた。夏休みだから子供達もいろいろなところに行きたい。しかしこの2組の親子から考えさせられることがあった。韓国人の生徒達と食事をしたのはファミリーレストランに毛が生えたようなところ。子供2人は幼稚園児。まず席に着くなり、いや、席に着く前に、ここはいやだそっちがいい。降りたり座ったり、カトラリー入れからナイフを出したり入れたり、あれはいやだ、これはいやだ。最後は韓国から来ていた妹さんが外に連れて行ったり来たり。小さい子供だから仕方が無いけれど、ここで問題に成るのは親の態度。「ちゃんとして」とは言うけれど、泣かれるのは困るから子供をきちんと怒らない。子供もそれは知っている。うーんテレビで見たなあ。「お父さん、怖がらずに子供をちゃんと怒りましょう。子供もそれを待っている」とか何とか。日本と似ているなあ。もう一方のキャロルのお兄さん家族には小学生のネイサンとライアンという男の子が2人。夫婦は白人だけれど子供2人は黒い肌をしている。2人とも赤ちゃんの頃に養子に成ったんだそうだ。友人の家のパーティは日本式で大きな座卓に座っての食事。3時間ほとんど座りっぱなしで食事をしたり話をしたり。次男は途中から日本式に座ることと、大人の会話に飽きてきて少し移動していたが、長男は積極的に会話に参加し、日本食に挑戦し、子供らしく笑ったり、はにかんだりすごく好感が持てた。自分でダウンロードして勉強したという日本語を時々披露するのだった。私達は次男が静に移動してもそんなにはうるさくないし、気にならないのに母親のクリスティーナは「静に座りなさい、落ち着きなさいと」毅然と注意していた。反対に褒められるべきことをした時はすぐに「いい子なんだ」と私達に本人の前で褒めているのだった。小学生と幼稚園、その年齢差は歴然で有るのは分ってはいる。けれど、思った。親のとる態度で子供の育ち方もまた違ってくるのだということを。子育ては世界共通。翻って、自分は子供を育てるとき人前でその目を気にせず毅然と子供をしかって来れたかというとあまり自信が無い。でも、手許を離れたとは言っても今だってまだ親だ。がんばろう。ついでに、「命名」2弾。韓国人キムさんはまだ子供がいない。先日カインズホームでトイプードルを買ったそうだ。そこで付けた犬の名前「ジュマン」。その犬、日本円で十万円したそうだ。今日のおやつ。
August 14, 2009
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