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そりゃ、旅行にも行きたい。だけど、今じゃなくても良いかな。 使わないかもしれないと思いながらも今年もJRの大人の休日倶楽部に払い込んだ。 去年のそのスタンプ帳を見ると、案の定、会費を払い込んだまま一回も利用してない。 さて今年は元がとれるぐらい利用できるかどうか。 もうクリスマスになっちゃう。 冷凍庫に肉や魚詰め込んだら、ずっと前にクリスマス指定で頼んでおいたインターネットスーパーのテール肉が届いた。 忘れていた。どこ入れるのよ。 シュトーレン、Himmel 大岡山 実はもうほとんど終わり
December 23, 2020
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桜見物のために訪れた高山村は今日本ワインで有名になりつつある。そのワイナリー、山梨のサントリーのように工場見学、試飲もできるところがあるには有るが小さい。その分製造者と直接会って意気込みとか夢とか聞けて面白い。今回買ったワインは小布施で買ったワインを含めて7本。我ら夫婦はほとんど飲まないので誰の口に入るのかなあ。 高山村の隣は小布施町、休日ともなれば観光客でごった返すが、月曜日とあって中国人観光客しかいない。 小布施堂カフェ「えんとつ」の「朱雀」モンブランを食べるチャンスに恵まれた。栗の季節など朝7時に整理券をとって9時開店とか、7過ぎにはすでに整理券売り切れという人気だから、今まで何度も訪れても食べたことがなかった。 その日は11時整理券受け付け、ネームボードに名前を書いて12時開店の待ち時間の間オープンガーデンを彷徨う。街全体に60箇所ぐらい有る個人の庭が解放されていて自由に鑑賞、通り抜け出来る。 枝垂れザクラが美しい庭を通り抜けて歩いた。
April 25, 2019
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前回の記事で発見したのは偶然の桜並木。 そして昨日は毎年恒例の一本桜を探す旅。 山の家から目的地の長野県北部の高山村まで車を走らせた。日本の美しい村連合に入っている谷あいの温泉地のある村。村には桃、梨、林檎、ワイン用のぶどうの果樹園が広がっていた。山ひとつ向こうは栗で有名な小布施町。 朝、その村に着いて村のあちこちに散らばる10本程の樹齢200年とか300年とか言われる桜を訪ねて行った。 お花見ピクニックの出来る染井吉野の群生も好きだけれど、ウサギはどちらかというと、田んぼや畑や村外れに桜が開花するまで目立たなくひっそりと佇む一本桜が好きだ。桜守りが守り、受け継ぎ、村人に愛されて来た古木は、そこに物語があるようで大好きだ。 そういった古木には一本一本名前が付けられていることが多い。大体はそこに立っている地名が付けられているのだけれど。 樹齢500年の黒部のエドヒガンサクラ、樹齢250年の水中のしだれ桜、樹齢200年の赤和観音の枝垂れ桜、樹齢150年の中塩のしだれ桜、樹齢600年の坪井のしだれ桜、推定樹齢150年の和美のしだれ桜など。車で、あるいは車を駐車場に置いて探し歩いた。 高山村は地域によって標高差が有るので、桜は満開だったり、まだまだの2分咲きだったり。 その日は、谷の奥の山田温泉に泊まった。
April 22, 2019
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以前にも書いたが、今日本ワインに凝っている。そうは言ってもウサギは飲めない。ほんの一口か二口飲むだけ。ご隠居もあまり飲まない。だからワインは時々帰ってくる娘たちの口に入る。 それならなぜ買うのか?ワインというお土産が旅行した土地の思い出にぴったりなのかもしれない。外国人と付き合っていて日本のお酒を楽しんでいることに気が付いて、外国礼拝から回帰しているのかもしれない。 今回善光寺灯明まつりの旅行で、前日訪れた高山村のワインと小布施ワインを買った。どちらも最近ではちょっと名前が知られて来たワイナリー。 旅行2日目はタクシーでホテルから善光寺雲上殿、雪のちらつく山を歩いて降りて、パゴダと本堂の戒壇めぐり。唐辛子屋の礒五郎で唐辛子マカロンを買って、藤屋御本陣がやっているパティスリーHeigoroでまったりケーキを食べ、太平道で栗饅頭を買った。 そこまで来てまだ昼。寒い。時間を潰せない。タクシーを拾って日帰り温泉に行くことにした。温泉に入って温まってゆっくり休んで駅前に帰って来ても、まだ新幹線の時間まである。 今度はメトロポリタンホテルのロビーでお茶しながら時間を潰した。車じゃない冬の旅は年寄りには意外と辛いことが分かった。今頃になって。
February 12, 2019
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昨夜は善光寺の灯明祭り。 夜、6時に善光寺大門前でバスを降りるとちょうど灯明祭りの始まり。 綺麗に切り抜かれた様々な切り絵のランタンが歩行者天国になった山道をずらっと埋め尽くしていた。 善光寺門前に並ぶ塔頭や宿坊もランタンをそれぞれに工夫して飾ってある。御朱印も特別仕様だ。 様々なお寺を巡り、御朱印を貰って、7時ごろ善光寺山門をくぐり、ライトアップした本堂に到着。ライトアップは赤から緑、青と変わっていく。 特別に寒い夜。体が冷えて来る頃、参道に有る藤屋御本陣でディナー。寒くなる頃と灯明終了時間9時ちょっと前に写真を撮る事考えて、前もって予約していた。 ここのサービスと雰囲気は抜群だと思う。 この頃たくさん食べられないので、コースで無く、スターターとメインだけメニューから選ぶと「それでは、メインを少し少なめに作るので、もう一品お選びになられてはいかがでしょう」と提案してくれた。 半分ずつなら色々食べられて嬉しい。 そんな気遣いもここが好きな理由。 ゆっくり食べ過ぎて灯明終了時が迫る。 スタッフに断って、ちょっと席を外し、クロークでコートを受け取り、終了ま近かで人の少なくなった灯明を撮った。会場目の前のレストランだから出来る事。
February 9, 2019
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箱根2日目 宿を11時過ぎに出てバスで箱根町に向かった。目的地は関所の横の「龍ちゃんの箱根細工の店」。昔、龍ちゃんと言う名の看板犬コリーがいたから私達はそう呼んでいる。9月にクリスティン達と来た時買ったここでしか売っていない箱根細工を買おうと思ったのだ。 ところが着いてみるとお店は閉まっていた。はるばる来たのに。 がっかりしながら次の目的地「山のホテル」でご飯でも食べようと元箱根まで歩いて行くことにした。 しかし、途中の恩賜公園横の杉並木に旧東海道を行くには是非にも関所を抜けなければならない。 入場料500円。ご隠居と2人で1000円。 留学生や外国人のゲストを連れて十何回も来た関所と資料館。ご隠居も私も知り尽くしてしまった。ただ通り抜けるだけで1000円は高いよとケチる事に。 そこで、くるりと関所の門を背にして踵を返す。「関所破り」を決行。見つかれば張り付け獄門? え!掟破りのお触れ? 関所の門の前でUターンしている車がいた。道が広いので行き止まりに入ってしまう車が多いと見える。これも関所破り。お籠は降りて通るが決まり。 ご隠居と2人、ぐるっとまわって、車のびゅんびゅん通る道を歩いて杉並木入り口で旧東海道に合流。 元箱根まで15分歩いた。 バス停に着いたら雨が降り出した。天気予報は晴れだったから傘は箱根湯本のロッカーに荷物とともに預けて来たのだった。 すると目の前に「山のホテルの」シャトルバスがいた。丁度良い。それに乗ってホテルへ。 朝食をいっぱい食べて来たので重いものは入らない。ホテルのゆったりしたラウンジカフェで湖を見ながらのんびりとアフタヌーンティーをすることにした。 しょっちゅう来ている箱根、船もロープウェイも乗らない。 ただぼんやり芦ノ湖を行き交う海賊船や遊覧船を眺めていた。ラウンジは玄関から離れているのですごく静かだ。 帰りも箱根湯本行きのバス停までシャトルバスに乗せてもらった。 バスを乗り換える時、急に寒くなったと思ったら雪が降り出した。
December 16, 2018
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山の家に行くと宿泊料こそかからないが、高速代、ガソリン代、近くが観光地なので遊び歩いて観光代、外食代、隣のおばあさんにお土産代、ワインを買ってパンを買って、結構かかるのよねえ、と夫に話した。 本当は今週山の家に行く予定だったのだけど、天気予報は雪。スタットレスタイヤに履き替えてはあるが、雪じゃあね、やることもないしと言ったら、家計簿や財産にとんと興味がないご隠居。 「じゃあ、そのお金で伊豆の温泉にでも行こうよ」と来た。 来た来た。 山の家は同じ金額でも1週間。温泉に泊まりに行けばその金額で1泊2日しか泊まれない。 「1泊で伊豆は遠いなあ」と私。 「箱根に広くてセミダブルのツインデラックスルームで2食付いて直前予約だからお得なのあるよ。最上階でお風呂付きの部屋だって」 すっかり行く気になっちゃってる。 「温泉だったら大浴場有るんだから部屋風呂要らないじゃん」 山の家に行かないからってお金の余裕があるわけじゃないんだがなあ。 そんなわけで、箱根に行ってきた。 こじんまりとした女性に人気だと言う温泉だったので、3時にチェックインしてゆっくり温泉三昧して来た。 このホテル、ちょっと繊細な仕掛けが所々にあって女性の心をくすぐる。 朝のバイキング取りに席を外す時見たらこんなものがテーブルに。 部屋の冷蔵庫を開けると厨房のパティシエが作ったゼリーが冷えていて、ソファーの前のテーブルの上のお菓子箱には手作りマドレーヌ。 翌日はゆっくりチェックアウトして芦ノ湖の箱根町港に箱根細工を買いに。
December 14, 2018
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大山崎の観光名所はコンパクトにまとまっていた。 聴竹邸も行きたかったが、その日は市の行事があるとかで予約出来なかったのでサントリーの次はアサヒビール。 と言っても工場見学では無い。 アサヒビールの山荘美術館である。天王山を背にした急斜面に広大な美しい庭園が造られていて、築100年の重厚な本館の他安藤忠雄さんの設計の建物、ジャコメッッテイ、モネの睡蓮などがある。 庭園アプローチの雰囲気がどこか鎌倉近代文学館を思わせて親近感。 天王山。言わずと知れた信長亡き後の羽柴秀吉と明智光秀の戦いの有った所。 京都を何度も訪れていてもその歴史を知っていても、そこがその場所だとは気が付かずに素通りすることが結構ある。勿体無いことだ。 例えば西陣。西陣織しか知らなかったが、元はと言えば応仁の乱の山名宗全の陣地、西が有れば当然東も有った筈で今は無くなったが東陣地は細川勝元。堀川通りを挟んでその距離僅か5分だそうだ。 偽京都人、新撰組とか鳥羽伏見の戦いとか自らアドレナリンの出る場所巡りが好きだというだけ有って、金閣寺と清水とか目に見えるものの観光だけでなく、今は消えてしまった地図の上の観光情報も教えてくれるので嬉しい。 さて、そろそろ新幹線に遅れないように京都の街に戻ろうかという帰路、京都人が買うというスーパーマツモトで絶対美味しいと言われた国産の鯖使った鯖寿司(竹の皮包み)を買った。以前新幹線の駅構内で買った鯖寿司は時間が経っても良いように作ってあるのかやったら値段が高かったのに美味しくなかった。たん熊支店で目の前で作ってくれて食べたのは美味しかった。 日本一コーヒーを飲む京都人の行く小川コーヒー本店でコーヒーを飲んで、京都駅まで送られて、駅でこれまた日本一パンを食べるという京都人のソウルフードだという「志津屋」のパンを買うのだよと言われ、急いで買って新幹線に飛び乗ったのだった。 新幹線に乗って鯖寿司食べながらふと思った。偽京都人が京都にすっかり慣れて京都人になったら、「いけず」が使えるようになるのだろうか?使うのか? 鯖寿司家庭用だから切ってないじゃない。
November 13, 2018
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なぜ偽京都人が焦っているかと言うと、ウサギと奥さんが高麗博物館で鑑賞に時間を食ってしまった事とウサギが蒸留所を予約した時間が迫っていたので、桂から大山崎までの時間が測れなかったのだろう。 サントリー蒸留所。白州の蒸留所よりずっと小さかった。それでも外国人観光客がひっきりなしに訪れていた。後から後から。日本ウイスキーが海外でも人気なことを見せつけられた。 外国人さん達嬉しそうに「山崎」のテイスティングしていたが、我らは誰も飲まない、飲めない。飲めないのに見学に行くウサギ達。 サントリー山崎蒸留所 posted by (C)灰色ウサギ ここを作った時は水が綺麗だからという事で作ったそうだが、今じゃ水質が悪いのでサントリーは南アルプスとか鳥取に蒸留所を保険として作っているそうだ。偽京都人によると。
November 11, 2018
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3日目の朝もホテルに迎えに来てくれた。ホテルの貸し出しスマホは前日英語設定で使っていたので日本語に直して貰った。多分google map しか使わないかもしれなかったが。 その日の計画を偽京都人は前夜お酒の席で伝えて来ていた。 高麗博物館→出町ふたば→中村軒→大山崎サントリー蒸留所→大山崎山荘美術館→スーパー松本でサバ寿司を買う→新幹線駅 サントリー蒸留所は行きたかったので自分で予約しておいた。山荘美術館もモネの睡蓮が見たくて偽京都人に要望を伝えておいた。後は彼が我らを連れて行きたいと思う所。 出町ふたばが有る!豆餅が買える。ウサギは行きたいと言ってないのに予定に入ってると、心の中でにんまりした。 高麗美術館はすごく見つけにくい住宅街の中に有った。鑑賞時間リミットを偽京都人に告げられて開館と同時に高麗博物館に入る。 鄭さんという日本で育った韓国人が集めた青磁、白磁を朝鮮半島が唯一統一されていた時代高麗の名を付けて祖国統一と日本を繋ぐ架け橋になればと作った美術館だ。青磁の椀は象嵌技術が繊細で素晴らしかった。 さあて次は豆大福(豆餅)だ!と思ったら、運転手「急がなきゃ、次は中村軒だよ。」 「え、大福は?」と思ったが黙って車に乗った。 中村軒はテレビで知ったと言うので、観光客と思しき人が多かった。和菓子屋さんだけど、イートインでお汁粉や栗おこわが食べられる。 偽京都人が「一番早く出来るもの」と言うので隣の人が食べてるぜんざい美味しそうだったが却下されお汁粉。皆は栗おこわ。 滞在時間15分弱。 お汁粉熱くて急いで飲むのに必死だった。 中村軒は桂離宮に前にあった。 さあさ次は念願の大山崎。
November 10, 2018
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さて、その日は一旦ホテルに送って貰って、夜、お酒が飲めるようにそれぞれ電車で私が予約しておいたお寿司屋さんに再集合。 予約したと言ってもSNS 情報で観光客向けの店しか知らないので、偽京都人に気取らない京都人の人気の店を教えて貰ったのだが。 ホテルに戻ってからお店に行くまでの小一時間、出町柳の「豆餅」はもう無いだろうけど、この分だと明日もお土産買う時間は貰えないだろうと、急いで大丸のデパ地下で甘いものなど買ってホテルに戻り、急いで電車の駅まで歩く。 北山ケーキ、丹波栗モンブラン 翌朝用のノースショアのサンドイッチ 四条通り、ホテル付近の道路は外国人でいっぱい、西に歩いて行くとだんだん観光客が減って行き、電車で降りた西院辺りは地元客(多分)で賑わっていた。 個室でお鮨や串カツ刺身など摘みながら飲んだ。もちろん偽京都人の「驚きの京都生活」が最大のつまみ。個室だから京都人には聞こえない。 話題は「京都人のいけず」 ある日、奥さんの和裁の先生からの電話に偽京都人が出た。次の教室で先生が「旦那さん元気やね」と言われたんで「ありがとうございます」と言ったら、ふんという顔されたという。 京都で「元気」と言われたら「騒がしい」と暗に言われる事だとか。 オブラートに包まれても直球勝負の大阪育ちには通じないんだ。 京都人はお金の話は絶対しないとか。見栄はって高い牛肉お土産に持って来るとか。大阪の友人たちはすぐ「なんぼだった?」財産「なんぼ有る?」と聞くんだとか。 あ、ブロ友さんに京都人いた。「いけず」でした。すみません。でも、面白おかしく話していても偽京都人物凄く京都の人が好きみたい。京都に溶け込んでいると感じた。 偽京都人から聞く京都文化は本より面白い。 あまりに話が面白く引き込まれていたので、その日の料理の写真はひとっつもない。
November 9, 2018
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奈良時代の古刹 光仁天皇の勅願寺 秋篠寺 奈良に来た以上はウサギここを訪れないと落ち着かない。東洋のミューズ(ビーナス)技芸天に会いたいのである。人生の中で何度も何度も会いに来た。ちょっと薄暗く長い年月が経った埃の匂いのする国宝のお堂の中で首を優しく傾けて見下ろす仏様にはその時心にあった少しの迷いも雑念も、一時、消え去って仏の世界や悠久の彼方に飛ぶのである。 東大寺三月堂で日光月光を拝する時もそうだけど、お堂の壁に据え付けられた古い木のベンチに腰掛けてゆっくり時間を掛けて眺める。内陣は土間で柱はむき出しの礎石の上に立っている。決して急いではいけない。 ここに、このお堂の中に有って良かった。遥々時間を掛けて来てここでしか会いたく無い。ここにいてこその仏様である。 去りがたい気持ちでお堂を出て苔の美しい庭を出る。 あきしの の みてらを いでて かえりみる いこまがたけ に ひ は おちむ と す 会津八一の句をここに来ると必ず思い出す。とここまで書いて以前にブログに書いたことがあったなあと思い出した。 技芸天のことは何遍でも書きそうだ。 因みにこの寺御朱印を出さない。どこもかも御朱印ブームの中この潔さ。
November 8, 2018
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聖林寺を出て飛鳥を後にし神宿る三輪山の麓へ。 早、昼食の時間。偽京都人は前回も今回も昼はおにぎりかお弁当でと言う。最初は費用を抑えているのかと思ったが、実は出来る限り私達をいろいろなところに連れて行きたいと、運転しながら、お寺を訪問しながら次の訪問地の時間捻出を常に考えているのであった。注文して料理が出るのを待っている時間がもったいないと言うことらしい。 偽京都人、凄く博識だ、新しい歴史も研究している。 「三輪山本」という創業300年の素麺の有名製造場内にあるレストランでお昼を食べた。その目の前には前方後円墳の箸墓古墳。 「ヤマトトトヒモモソヒメ」の墓と言われて来た。 舌噛みそうな名だ。私が訪れた頃は確かにそうだった。 しかし今邪馬台国論争に決着が着きそうで、近年の遺跡の新発見で、邪馬台国は九州ではなく畿内だと言う意見が優勢になって来たそうだ。 そうするとどうやら箸墓古墳は卑弥呼の墓かもしれないとなったんだそうだ。決め手は桃の種。 「桃の種で邪馬台国論争終止符か」下の記事 https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20180618-00086648/ 私が大和に足が遠のいていた十何年かの間に歴史が変わっちゃった。昔のようにもう一度リュックを背負って新しい歴史の中を歩きたい気持ち。 にゅうめんを食べながらのお昼休み時間
November 7, 2018
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朝食をとってホテルに帰るとほぼ同時に赤いクラウンが迎えに来た。 ホテルの部屋備え付けのコンシェルジェスマホを携帯していざ奈良へ。 昔々、学生の頃良くリュックを背負って飛鳥を巡った。ある時、岡倉天心とフェノロサが見出した美しい仏像を見たくて、田舎道を歩いてその山寺を訪ねた。 暑い夏の日、ひとりの男性が戸の開いた狭いお堂で昼寝をしていた。私が十一面観音を見に来たと伝えると、彼は私を線香とカビの匂いのするお堂に招き入れてくれた。 お堂に座って見上げた仏様はそれはそれは美しかった。 我に返り拝観料はいくらかと聞いたウサギに「志で」と彼は答えた。 また再びの再会である。何十年の時を経て山寺は昔のままの田舎に有ったが、建物は古いお堂ではなく、古いけれど結構大きな建物で、本堂には子安延命菩薩が、国宝十一面観音は渡り階段を登った小さな観音堂の中に安置されていた。 男の人がお堂で昼寝をしていた記憶は夢だったのだろうか。 小高い丘の中腹の本堂から眺めると飛鳥の里の向こうに箸墓古墳や三輪山が見えた。 因みに裏山は小倉山。百人一首に読まれた京都の小倉山と違いこちらは万葉集に歌われている。
November 6, 2018
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偽京都人は言った。 京都人はコーヒーは「イノダコーヒー」か「小川珈琲」に行く。 ウサギ観光客に人気の抹茶パフェとかお茶の洒落たお店に行きたかったのだが、ここは偽京都人に従うことにして翌朝、イノダコーヒーでモーニングコー ヒーを飲んでトーストを食べた。(宿泊に朝食つけるのを忘れていたし京都人経験もいいかと) その前に「京都人は錦市場なんて高いところじゃ買わないよ」と言う偽京都人の忠告は無視してまだ準備中の錦市場を散歩。 せっかくだから行きたいじゃない。いつも何も買わないけど。 もう一つのコーヒー店、小川コーヒー本店。 3日目の帰りの新幹線に送ってもらう途中に寄った。 ご隠居のコーヒー。 あらいいじゃない。 偽京都人の奥さんのコーヒー。 うんうんいい。 そしてウサギの注文したコーヒー。 え、絵!ウサギが来た!
November 5, 2018
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仕出し弁当が来る間、偽京都人は飼い犬の柴犬大五郎を連れて渡月橋方面に散歩に行った。 彼曰く、いつも嵐山や近所を散歩していると、外国人観光客が声をかけて来るそうだ。 「触ってもいい。シバかわいいね」 今外国では日本ウィスキー、日本ワイン、だけでなく柴犬秋田犬の人気が凄くて、すぐわかるんだそうだ。 さて、夕食をご馳走になって偽京都人お酒を飲んでしまったので、我らバスで四条に有るホテルに着いた。いつもは蹴上のホテルか二条城前のホテルを利用するのだが、友人の家から夜帰るのには便利だと急遽予約ホテルを変更した。 それにしても外国人率半端ない。
November 5, 2018
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偽京都人、京都に住んで3年のうちに色々学んだようで車の中でずっと京都の歴史、京都市民の生活、文化についてカルチャーショックを受けたことを喋る喋る。運転がおろそかになるんじゃないかと心配になるほど。 自分で組み立てる旅が好きなウサギ。 だから全部連れて行かれる今回の旅を心配していたが、観光客視点ではない探求途中の成り立て地元民から見る京都を教えて貰えるので、この赤いクラウンに乗ってラッキーと思うようになった。 偽京都人は言う、京都人はお客が来ると仕出し料理を取るんだと。そういえば祇園のお茶屋だって仕出しだ。大河ドラマ「西郷どん」で公家の岩倉具視が「今日の仕出しはなんだろうな」と言っていた。 偽京都人、3年前は勉強不足で名の知れた高級料理屋で招待したけど、ああいうところは観光客用。安くても京都伝統のもてなしをしたいと大覚寺境内にある精進料理「泉仙」の鐵鉢(てっぱつ)料理をご馳走してくれた。 ピンポーンと玄関のチャイムが鳴るとやって来た仕出し。座敷では無く奥さんの作った独特の玄関横の空間に置かれた木のテーブルに料理人が手際よく並べて行く。 今月のスペシャルは松茸の土瓶蒸し。 これにご飯とお澄ましが付く。 托鉢僧の鐵鉢から出た料理だそう。だから最後はこうなる。
November 4, 2018
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学生の頃から結婚する前まで月1ぐらいで京都奈良訪問。その後も外国人を案内したり家族で行ったりで秋の特別拝観ライトアップとか秘仏開扉とか正倉院展とか通ったので、京都奈良はかなり知っている。 夫の嵐山に移住した友人、移住してから自転車で京都奈良を毎日のように巡っているので、私の知らない所を案内したくてしょうがない。 「そこ行った事ある」と言うと悔しがる。 美山は知らなかったと言うと「やった!」と言う顔をした。 美山から彼の家に帰る途中まだ時間があるからともう1箇所連れて行ってくれた。山の奥の紅葉に囲まれた「常照皇寺」。 帰りのバスが無くなった事もあるような場所にも行ったことはあるが、ここはまあまあなんと山深い地かと感じる所にあった。途中の道は車もすれ違えないほど。 勿論着いたら夕方ということもあって、誰も観光客はいなかった。 紅葉の頃こそは参拝客が押し寄せるのだろうと思われる程門からの長いアプローチは紅葉で埋め尽くされていた。 御朱印帳を預けて方丈に上がる。障子を開け放した座敷からは日本庭園。紅葉が赤くなったらこの景色は真っ赤になるんだろうなと思いながら見る。 渡り廊下を渡った開山堂の仏様達の配置も頭上で珍しい。三千院に似た観音、勢至菩薩。 光厳上皇が余生を静かに過ごした地は外国人の声も聞こえない静寂の地だった。 京都に行ったら買おうと思った出町ふたばの豆大福。今日は買いに行く時間を与えられなかったと思いながら、偽京都人の自宅に連れていかれたのだった。
November 3, 2018
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ご隠居「どこかに旅に行こう」と言う。考えるのが面倒なので急遽京都の宿を予約して「秋の特別拝観」でも行こうと思った。 行くからには3年前京都に移住したご隠居の友人に黙って行ったら悪いと連絡した。その彼、普通の観光客の行かない所に連れて行こうと俄かガイドに変身して手ぐすね引いて待っていた。 こちらの行きたい所を何箇所か伝えておいたが、組み込んでもらえるかどうか不安な程、京都のほとんどの観光地を訪れたことのある私の絶対行ったことない所をあっちに連れて行きたいこっちにも連れて行きたいと伝えてくる。 京都駅でお弁当(これは後で何故お弁当か理由がわかった)を買って降りると同時に赤のクラウンに拉致された。 挨拶もそこそこに向かった先は高雄を通り越して北山杉の産地を通り越して美山。 川端康成「古都」の映画撮影地にもなった倉庫群とバックに北山杉の産地で。 美山に着いたら下のこの風景を見ながらベンチで4人でお弁当を食べた。 京都だからばら寿司をと私が選んだもの。男性陣は近江牛肉弁当。偽京都人赤いこんにゃく(近江八幡の名物)が入っていると喜んでいた。3年前会った時より京都化して来ていた。 食後は美山の村の中、茅葺屋根の家々の間を歩いた。小さな小さな村だけど消火栓を設置して年に何回か消火訓練をして景観を保っていた。 彼の家で京都の文化である仕出し料理を5時に頼んであると言うので村の赤いポストに絵葉書を投函するのもせかせかと京都嵐山の彼の家に向かって帰路に着く。
November 2, 2018
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大好きな山甲斐駒ケ岳の麓にサントリーの白州蒸溜所がある。 「南アルプスの水」とウイスキー「白州」の工場が広大な森の中に有る。 工場見学。 そうは言ってもご隠居は運転手だし、私はアルコールはダメなので、テイスティングコースも工程見学もなしで自由見学をして来た。 帰りにショップに寄ったが工場直営なのにウイスキーの「白州」が売り切れ。昨今の日本ウイスキーの人気は半端無い。 どうりでどこに行っても酒屋を覗いてはクリスティンが「山崎」が売って無いと騒ぐわけだ。 白州の近くを甲州街道が通っていて台ヶ原宿という宿場町が有る。 宿場町には大抵有る作り酒屋。この宿場には「七賢」。 ここでもテイスティング出来ない我ら。誰にともなく一本買って帰って来た。 飲めないのにブームに踊らされて今日もまたワイナリーや酒蔵を訪ね歩く我らであった。
October 10, 2018
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日帰りで久しぶりに箱根にドライブ。 箱根湯本あたりから雲行きが怪しくなり、強風が吹いて来た。そして雨。 早雲台、大涌谷、桃源台、箱根町、関所。 寄木細工のお店を見て、日帰り温泉を探す。 どこにしようかな。 そして選んだのはよく行く「天山」。しかしその日は別棟の「一休」。 シンプルにシンプルに檜の温泉と露天風呂があるのみの温泉。 洗い場は有るけどシャワーもシャンプーも無い。石鹸のみ。 そしてガラスもない半露天。開放感が半端じゃない。 吹き抜けなのでまだ湯船に浸かって無くて冷えた身体で洗っていると外の冷気で心臓麻痺起こしそうだ。せっせせっせとお湯をかけて急いで洗う。 そして檜のお風呂に。 「ただただお風呂を楽しんでもらうためのお風呂」とうたってるだけあって、シンプル。 しかし、シンプル イズ ベスト。 風の音を聞き、滝の音を聞き、静かにお風呂に入っていると幸せ。 サウナも、打たせ湯も、泡風呂も何にも無くても良い。天山に入ってもうちょっとプラスしたい人は100円プラスで入れる。 逆に天山にも入りたい人はプラス300円。 しかし、私たちはシンプルお風呂のみで。1,100円。 また一つステキなお風呂を見つけた。
March 20, 2018
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側溝蓋は木製 この街、いたるところに小径やオープンガーデンがあり、勝手にお庭の素通り、お店の中やカフェの素通り、食事中をレストランの窓から覗きながらお庭通過は、普通にできる。 町中が一つに繋がっている。 店に入って庭に出て人の家に入って庭を通って。 蔵を利用したゲストハウス。 さてこの街はどこでしょう。 あ、タイトルとは違います。善光寺にお墓参りに行った帰り立ち寄った街。 栗 北斎 この街には有名な栗のお菓子やさんが3軒あって、ほとんどそのお菓子屋さんとそれぞれのレストランとカフェで成り立っているような。 栗の木テラス 朱雀パルフェ
October 14, 2017
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田沢湖の湖畔を走っていると突然夫が「水芭蕉だって」と標識を発見。ちょっと山の方に道路を外れて見に行く。 山道の途中に小さな湿原が有って、真っ白な水芭蕉が咲いていた。 その後、田沢湖を半周して反対側に出たらまた角館方面に戻る。 途中刺巻というところに水芭蕉の湿原があるというのでそこを目指した。そこは夫が見たいと言っていた元々の予定地だ。 道路を駐車場に入れるとさっきの田沢湖水芭蕉湿原と違って観光客もいっぱい。 「なんだかさっきの可愛らしい水芭蕉と違って大きいし、ぎっしり咲いていて奥ゆかしさがないなあ」 夫が言った。 林の中の木道を歩く。ずっと広い湿原にぎっしりと咲いていた。葉っぱも大きくてなんだかロメインレタスみたい。 木道を進むと毛色の違うのがいくつか咲いていた。 座禅草らしい。
May 2, 2017
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男鹿半島、入道崎を車で走っている時、雨が降り霧の出ている日本海の海岸沖を一隻の船が浮かんでいるのが見えた。ちょっと大きめの漁船かな。 「朝鮮半島から来たりして」なんて冗談を言っていた。 帰って来て3日後の昨日、ニュースで入道崎にハングル文字が書かれた木造船が流れ着いて中に死体がと言っていた。 うーん、我らの会話あながち間違ってはいない。 旅程3日目、前日借りたレンタカーで今度はもう一度角館方面に出かけた。 朝からごった返している角館を通り抜け、田沢湖方面に。八津というところにカタクリを見に。 片栗 posted by (C)灰色ウサギ 片栗 posted by (C)灰色ウサギ 満開は2日前だったという。2日前には角館にいたんだよね。うまく行かないものだ。 その後、田沢湖を半周して田沢湖の反対側に回った。 田沢湖 posted by (C)灰色ウサギ
April 29, 2017
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角館の桜を見て、ホテルは秋田に取った。 翌日、レンタカーを借りて男鹿半島に向かう。ナマハゲを見に。 旅行の下準備など一切しない夫が、ガイドブックを見てナマハゲ館に行くんだと楽しみにしていた。 良いんじゃない。風光明媚ばかりが旅じゃ無しと。しかし、男鹿半島を走れば走る程行き交う車も少なくなり、最後のナマハゲ館に曲がる分かれ道まで、ひっそりと寂しい山の中。誰もこないんじゃない? ところが着いてみると、夫のような物好きが何人か来ていた。 伝承館でナマハゲ実演をしてくれたのでそれを見る。大満足の夫。ナマハゲ仮装までしている。 半島の先にある入道崎をぐるっと回り、日本海も薄くしか見えない深い霧の中を走った。 小高い丘の上にある綺麗なホテルに車を付けると、傘を持ってフロントの人が迎えに出て来た。 「あの、泊まりじゃないんですけど、お風呂に入れてもらえますか」 全面ガラス張りのお風呂からは霧が晴れた日本海が望める。入浴しているのは私ともうひと家族だけ。贅沢 もう少し先の海岸には日帰り温泉があるが、そんなに大きくない湯船でも、宿泊客ぐらいしかいないホテルの温泉の方が値段は高くてもウサギは好きだ。サービスもいいし、バスタオルも貸してくれる。お風呂の後のラウンジでくつろげるのも良い。 夫は大きな湯船も露天風呂も日本海の眺めも独り占めだったそうだ。 男鹿半島ぐるっと回って、八郎潟の干拓地のどこまでもまっすぐな菜の花の道を走って、秋田のホテルに帰った。
April 27, 2017
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まだ終わらない花見 新幹線に乗ってやってきたのは角館。 実はホテルも新幹線も予約したのは遥か前。過去5年間の角館の開花情報を見て予定を定める。 今年は寒かった。桜に対しては寒かった。やきもきしたが花見としてはドンピシャに近かったのではと思う。 角館 posted by (C)灰色ウサギ 武家屋敷を歩き、城址公園に登って街の桜を見下ろし、桧内川の堤防に出て堤を歩く。桜の下、曲がって流れ行く川の縁を彩る桜を眺めながら歩く。 大福を買って河原の水仙の際に腰掛け桜を見ながら食べた。 桧内川 posted by (C)灰色ウサギ
April 26, 2017
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長野旅行2日目、夕方の新幹線までドライブをすることにした。 目的地はウサギの独断で姨捨伝説の地へ。 車を止めて、姨捨駅まで歩く。この駅無人なので誰でも自由にホームに入れる。 駅は長野平を見渡せる高台にある。雨模様ではあるが霞んで見える眼下の風景も絶景。ホームはさながら展望デッキ。 以前、廃線篠ノ井線のタイトルで書いたことがあるが、松本から山を登って来た電車はこの駅から一気に長野盆地を見下ろしながら長野に向かって降りていくのである。その急勾配に電車は一回では下りられない、登れない。 そう、この駅でスイッチバックするのである。駅のホームに立つとすぐ下にもう一本線路が見える。 今は、その線路を急勾配対応特急電車だけがまっすぐ通過できる。 登って来た普通電車が、バックして駅に入り、勾配をかわしてまた出ていく様子は鉄道ファンでなくても面白い。 この駅のホームからの眺めはもう1つ絶景なのである。長野盆地と反対のもう少し近くに目をやると、小さな棚田が何枚も何枚も重なっている。田植えの季節になるとその一枚一枚に月が映る「田毎の月」と呼ばれている。 昔、田んぼで働いてちょっと休んだおじいさんが、自分の田を数えてみたが、一枚足りない。休んだ時に置いた箕を退けてみると、その下に小さな1枚の田が有ったという、姨捨伝説とともに語られる昔話だ。 もちろん、姨捨伝説のお婆さんが捨てられた所と言われる大きな石などもある。能や俳句や古えの書物にもあるようにここ更級の地に姨捨伝説がある。
December 4, 2016
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奥社の駐車場の道路を渡るとすぐに鳥居が有った。一礼して見渡すと、寒々と落葉して裸になった雑木がびっしりと立つ平坦な森の中をまっすぐに道が続いている。説明板によるとそこから奥社までは2キロ。 どんどんどんどんまっすぐ歩く。寒いのに結構な人が行き来していた。平らだから楽勝。 600mぐらい進んだ頃、赤い山門のようなものがあって、そこを通り抜けると樹齢何百年もあるような杉の並木がずっと続く。まっすぐ。少し緩やかに登っているのかな。 木の間から覗くと戸隠山がかなり近づいて来ている。まさか神社はあの山の下? 今までまっすぐ続いていた道が山の麓に向かって少し曲がり出した。これで先が見えない分、いつ山道が終わって奥社につくかわからなくなった。だんだん坂が急勾配になって来た。 今まで元気に歩いていた周りの人の息遣いが激しくなり出し、時々休みながら進む。 石畳の上に残雪が残るぬかるみの道になった。見上げればいつしか山のすぐ下まで迫って来ている。 息切れと腰痛。 まだまだ続く階段に諦めてリタイアする年配者もいる。 昔、戸隠の杉並木に来たことは覚えているが、奥社は覚えていない。してみると、その時はあまりの厳しさに途中でリタイアして奥社にたどり着いてはいないのだろうか。 フラフラになった頃、やっと奥社にたどり着いた。辺りは暗くなり始めていた。 そこで、奥社と九頭龍社の御朱印をもらった。うーん遠かった。 また2キロ歩いて帰るのだ。足が痛い。 5枚のうち3枚に戸隠神社と書いてある。5社ひっくるめて戸隠神社なのであった。
December 1, 2016
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車で5分ほど走って中社門前。 有るある。あっちにもこっちにもお蕎麦屋さん。中には長く列を作って待っている人のいる人気店も。 戸隠まで来てお蕎麦食べないわけないですよバームクーヘンさん。ちゃんと予定に入っています。 と言うわけで中社参拝の前にまずは戸隠蕎麦。この盛り方(ぼっち盛り)が戸隠の特徴だそうだ。5このぼっちが戸隠五社? 戸隠そば posted by (C)灰色ウサギ 中社参拝。むむむ、ここもすごい階段。既にここまで来るまでに足にきているので辛い。神社の参拝の仕方が以前と変わって来ているのに気がつく。皆、ちゃんと鳥居で深々と一礼。柏手もきちんと打つ。そして、御朱印を求める人等で列ができる。以前は御朱印すぐもらえたのになあ。 戸隠神社 中社 posted by (C)灰色ウサギ 中社とさっき行った火之御子社の御朱印を「ちゃんとお参りしてから来ました」の自己申告で貰う。 戻りの階段は下りだって辛い。 そしてまた車で10分と程走って奥社の駐車場に車を入れた。
November 30, 2016
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だいたいタイトルからして神罰ものだ。 御朱印をいただいた袋にちゃんと書いて有った。スタンプラリーではありませんから大事にするようにと。 善光寺に父母のお墓詣りした後、戸隠神社まで行って来た。行って来たと軽く言ったがこれがなかなかの体育会系参拝であった。 飯綱高原周りでドライブしながら行くと遠くに断崖絶壁のギザギザの山並みが見えてくる。そこが神話で天の岩戸を放り投げて出来た戸隠連峰。その麓の広大な地域に戸隠神社は散らばっているのである。 もう一度言う。散らばっているのだ。 伊勢神宮は広大と言うが、参道は平坦だ。外宮から内宮への移動ははなから徒歩を諦めてみなバス移動をする。熊野古道の那智神社や熊野大社は山登りとその距離で大変と言うが、あれは皆別の神社だ。その上仏教的要素の強い修験者の霊場だ。 それに比べて戸隠神社は同じ神社が5つに分社して山の中に散らばっている。 戸隠マップ posted by (C)灰色ウサギ まずは標高の1番低い宝光社へ。 車を駐車して鳥居で一礼して見上げた社殿には苔むした長い長い階段が。 写真は途中まで階段を登ったところから撮ったもの。 戸隠神社 宝光社 posted by (C)灰色ウサギ 最初から気持ちが萎える。 ひいこらいって階段を登りお参りして御朱印をもらった。社務所の五社御朱印拝受の所に火之御子社には誰もいないので御朱印はこちらか中社で、ただし参拝してからと書いて有る。 駐車場もなさそう、えー、じゃ歩いて火之御子社まで行くしかないか。そこには火之御子社まで10分と書いて有った。車の通る道を歩いて山道を登る。歩けど歩けど着かない。標高差が半端じゃない。ここは日光いろは坂か?と思った頃やっと辿り着いた。20分ほど歩いただろうか。 戸隠神社 火之御子社 posted by (C)灰色ウサギ 参拝してさっきの車の置いて有る宝光社まで御朱印をもらうために戻る。今度は森の中の「神の道」(かんの道)を戻る。社殿から参道を下るのは一筆書きならず2回目。 「言って来ましたって自己申告はダメなの?」「他ならぬ神様はお見通しだからね」「この下り坂既視感バッチリ」「いや、実際に通ってる2回目」「宝光社の御朱印若い人が書いてるから字が汚い、ここじゃなくて中社で貰おう」 罰当たりな一行はこの後、山を車で登り中社に移動したので有った。
November 28, 2016
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日曜日、急遽伊豆にドライブ&温泉旅行。 直前予約でも台風の来るこの雨なので運良く空室のあるお宿があった。 プリンスホテル系三養荘 3時に車寄せに到着するとお迎えのために表玄関に傘を持って待機していた着物姿のスタッフさん達がわらわらと寄ってきて案内してくれた。 予約は離れだったので小雨の中、金木犀の香る広大な庭園内に散らばる独立した建物を1つ1つ説明してもらいながら本館離れに進む。 和風旅館だということは分かっていたが、大きな本館があってその横にちょこんとくっついた離れだと思っていた。けれど、この旅館の客室棟全部が離れ以外は渡り廊下で繋がっているものの全てが独立していてそれぞれ庭に通じる玄関があって、それぞれ他の建物が植木などに囲まれていて見えない。3,000坪以上の大きな日本庭園に民家が点々と散らばるような感じだ。 三養荘 posted by (C)灰色ウサギ 私達の離れのお隣(と言っても間に池があったりしてかなり離れている)少し高くなった位置に天皇をお迎えするために作られた「御幸」という1棟も有った。ホテルの敷地の外800mぐらい向こうに3階建ての別なホテルが建ってしまいわずかに見えるので、狙撃されるといけないのでその後は奥まったところに建てた新館の棟にお泊まりになったとか。 三養荘 posted by (C)灰色ウサギ 写真の池の奥は私が泊まった本館離れ。 三養荘 パンフレット posted by (C)灰色ウサギ 右端が泊まった家。まっすぐ行った松の陰が御幸。 私達の離れに着くとどこか懐かしい玄関があって、広い廊下の左奥の階段を上がると石造りの広い内風呂。右手の内扉の中に入ると大きな2つの和室をぐるりと取り囲むガラス張りの広縁。そこから見えるのは日本庭園。他の建物は木々に囲まれてちらとしか見えない。 三養荘 posted by (C)灰色ウサギ 三養荘 posted by (C)灰色ウサギ 食事は特別オーダーしなかったので、取り立てて高級食材を使っているわけでなく、普通の和風旅館とあまり変わらないが、スタッフは皆、廊下で行き合うと立ち止まって挨拶をするし、教育が行き届いている感じだ。 何よりもこの日本庭園のど真ん中に今ではなかなか見られない昔風の日本家屋に泊まれる付加価値は得した気になる。 ここはかって三菱創業の岩崎弥太郎の長男の別邸だったところ。 ほとんどの棟に温泉が付いているので、本館の大浴場も空いていた。 岩崎家から買い取った西武の凋落があって今、ウサギなんかも泊まれるのだろう。かっては一泊20万もしたのだそうだ。
September 20, 2016
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申し込んだ時期が遅く、インターネット予約は10:00の回が2名分だけ空いていた修学院離宮。 京都2日目の朝朝、赤いクラウンで迎えに来てくれた友人は修学院離宮まで送ってくれて、1時間半の見学時間、詩仙堂で時間を潰してまた大原に行くために迎えに来てくれた。 さて、その修学院離宮では30名ほどの参加者が開けてもらった門の中の待合に集合すると、2名のガイド付き添いで庭園をめぐる。宮内庁だからなかなか厳しい。 門の中には山を背にした広大な田畑が広がりその中の3カ所にそれぞれ茶室や池が散らばっていた。3カ所を結ぶ松が植えられたあぜ道は結構長く、山手に登って行くからなかなかのハイキングコースなのである。1つの見学コースを通る度に門を開けて、通過すると直ぐに後ろのガイド(職員)が鍵を閉める。 1人の年配のご婦人など第一の庭園を出たところで歩けないと早々リタイヤしてしまったのであった。 紅葉の落ち葉が苔の上に振り落ちる第1の庭園、かって皇女が住んだという寺を含んだ高い木に囲まれた第2の庭園、急な坂を登り目隠しの垣根を抜けた途端眼下に広がる大きな池と絶景を持った第3の回遊式庭園。説明などしようも無い素晴らしい風景が広がっていたのである。 修学院離宮 posted by (C)灰色ウサギ
December 22, 2015
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今回の京都はリタイヤ後の居住地を京都に選んだ夫の友人と会うための旅行だったので一泊二日の日程だった。 しかし、その友人がクラウンを運転して洛外のなかなか行かれない所に連れて行ってくれたので内容の濃い旅行になった。 京都駅で拾ってもらって先ずは、みやこメッセで京の伝統工芸を見学。→赤い門と紅葉との赤の写真が撮りたくて真如堂に連れて行ってもらう。 真如堂 posted by (C)灰色ウサギ →洛北に向かい、御土居(みやこの囲い跡)の外の「迷いの窓」と「悟りの窓」で有名な源光庵。 門の脇の黄色い紅葉が迎えてくれた。 源光庵 posted by (C)灰色ウサギ →借景に比叡山を借りた石庭のある正伝院。 我らの他に一組しか訪れていない静かな石庭で暫し無になる。 →大覚寺。門跡寺院の格式高い御殿のような作りにため息。右近の橘に左近の梅だった。 その後一旦嵐山の友人宅に立ち寄り、夕暮れの嵯峨野散策に繰り出した。 →野の宮脇の竹の道を抜けて常寂光寺へ。 落柿舎につく頃辺りは暗くなり、道路脇の花灯篭が点灯して幻想的な風景になった。 落柿舎 posted by (C)灰色ウサギ →もう一度常寂光寺から元来た竹の道の花灯りの中を帰ろうとするも、その時から一方通行になってしまった。 →途中の野の宮から戻ることにした。 竹の道 posted by (C)灰色ウサギ もう竹の道には人が溢れとてもとても逆走などできない。人のいない早い時間に遠り抜けて良かった。 花火の日の道のように行列は嵯峨野を通り越してライトアップされた渡月橋までも続いていた。
December 17, 2015
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苔の庭を散策しているとおほ!こんなお方に出会った。写真を大きくして頭の毛をご覧あれ。三千院 posted by (C)灰色ウサギ大原 三千院にて
December 16, 2015
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早起きした朝、まだ観光客の動き出さない時間ウサギ夫婦はウイーン王宮礼拝堂に向かって歩いていた。 横を母親に連れられたセーラー服の少年が急ぎ足で同じ方向に向かっていた。 言わずと知れたウイーン少年合唱団である。 その日は日曜日、旅の計画段階で娘が計画表にそっと書き込んでくれ、私がメールで座席予約した日曜礼拝。ザルツブルグに移動する前に少年たちの歌声を。 少年たちは可愛らしく、その声は美しかった。指揮者も独唱する少年も見える位置だった。 その後、西駅からザルツブルグへ。 ウサギが写真を撮るのが一番好きな景色は、看板。もちろん日本のような店名を書いた看板では無い。道路にちょっと張り出したなんの店かを道行く人が想像して楽しめるアートな看板。 ザルツブルク アルトシュタット posted by (C)灰色ウサギ アルトシュタット(旧市街)が好きな理由。 夕食はアルトシュタットのホテルから歩いて1分のレストランK@Kのテラス席。 ウィーナーシュニッツェル。 サービスも若いスタッフ達もフレンドリーだ。 ザルツブルグではザルツブルグシュニッツェルと言うんだって。 K und k posted by (C)灰色ウサギ スープのスターターから食べ始める若い人を横目で見ながら、たくさん食べられない我らはいきなりサラダとメインから。
July 13, 2015
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ウィーンは観光客で一杯なので午後になるとどこも行列が出来る。 そこで朝早起きしてシュテファン寺院に向かうつもりが、前日のオペラの生首のせいで寝過ごした。 それでも入場無料の教会だから並ばずに見学し、10時15分のカタコンベ英語見学のチケットを買った。ハプスブルグ家の人々の内臓が収められている地下納骨堂である。 確か2人で11ユーロだったかな。 ウサギ夫婦、旅は分業と決めている。ホテルのチェックインなどの会話はウサギの名前で予約したのでウサギがする。インフォメーション、電車の指定席予約などの交渉もウサギ、各種支払いもウサギのカードで(どうせ支払先は夫の通帳)する。 夫の役割は即計算出来ないウサギの代わりにレストランなどでレシートチェックしてチップ代を計算する事、その他、チップ支払い。 シュテファンカタコンベでの支払いは見学後夫が見学料を出口で支払った。 後から出ようとした私、ふと貼り紙を見る。 「チップは喜んで頂きます」と書いてあるのを見てしまった。気が付かない夫が支払う時、案内人が言った。「ジャスト11ユーロね。」 ふーむ、確かに質問していたアメリカ人はチップを出していたが、我ら英語完璧理解できたわけじゃないのでまあ良いか。 その後、昨日ユリウス•マインルで買ったコーヒーを土曜で閉店前の郵便局まで行って日本に送った。 カタコンベの後にお茶というのもどうかと思うが、とにかく観光は疲れる。 カフェモーツアルトでお茶とケーキ。 あれれ、メニューが昨日のカフェラントマンと同じじゃない。経営者が同じのようです。 ハプスブルグ家の身体が埋葬されているカプチーナ教会まで歩いてまたまたカタコンベ見学。 因みにはハプスブルグ家の心臓は王宮近くのアウグスチーナ教会の中の銀の壺に。予約が必要なのでここはパス。 ハプスブルグ家の人々は分業ならず、分骨です。骨?心臓とか内臓とか身体とか別れちゃったらどうやって天国に行くんだろう。 -----------ちょっと話題のバリアー その日の夕食は以前ウイーンに住んでいたことのあるドイツ人のインゴ推薦のレストラン、ヴィドヴェ・ボルテ。 古くて素敵な建物が並ぶ風致地区にある皇帝も通ったと言う老舗だ。 席に着くと、ウェイターが「あ、日本人でしょ。こんにちは」と言った。思わず周りを見回しても日本人は居ない。観光客のいっぱいいるリンク内では無いし、ここを探し出すのに苦労した程なのでちょっとびっくり。 木が生い茂ったテラス席でウイーン料理とアスパラガス料理を楽しんだ。 写真はヴィドべ・ボルテのある風致地区。 ヴィドヴェボルテ posted by (C)灰色ウサギ
July 12, 2015
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ウィーン2日目、郊外のシェーンブルグ城に出かけた。おきまりの観光コースなので説明は省略。 朝にもかかわらず、チケット売り場は長ーい列。前日にコンビチケットのシシーチケットを買って有るので並ばずに入れた。城内見学後、 庭園を隔てたグロリエッテまで20分坂を登ってそこでケーキを食べた。 何かと言うとおやつの時間。 その時のウイーンは真夏の暑さ。とにかく暑い。体感30度ぐらい。暑いのでグロリエッテから下りは庭園の横の森の中を下った。 そして電車で市内中心部へ帰る。 お昼はナッシュマーケット。いかにもウイーンに詳しいようだが実は13年前娘に案内してもらったコースをなぞっているだけ。 何も変わっていない。 マーケットも。 しかし、13年前の事は鮮明に覚えているのにその日の観光コース記憶が吹っ飛んでいるのである。多分その後ベルベデーレ宮殿にクリムトを見に行ったような。写真はiPad とデジカメデジカメ交互に撮るので時系列も不確かだ。 そしてまたリンク内に戻り、お土産のコーヒーをどっさり買って一旦ホテルに戻った。 ホテルはウィーンという街に合わせてつい五つ星のメゾネットタイプのジュニアスイーツを予約してしまったが、これは余計だった。元来ものぐさなウサギ、下のソファーの部屋で休んで2階のベットに寝に行くなんて、自分の家でもしていないから面倒だった。 ベットだけの部屋でいい。外から帰って来たらゴロンとベットにひっくり返りたい。 休んだ後、夫は背広に着替え、私はドレスに着替えオペラ座に向かった。 その日のやっていたオペラはサロメ。 2階のボックス席の一番前を娘が取ってくれた。だから舞台がよく見えたのだけれど..... 生首を前に歌う変化のないオペラ、眠い。時差ぼけでも無いだろうにとにかく眠い。 ボックス席には後ろに3人いた。それが熱狂的な女性たちで、後ろからでは舞台がよく見えないのか、ウサギの首筋に息がかかるぐらいに近寄って来る。昨日の演目のジークフリートの方を見たかったなあと思いつつ必死に眠気をこらえた。 オペラを見なければ持ってこなかっただろう半正装と靴の為にも目を開けていなければ.... 今度来る時があれば大好きな指輪のオペラか、ミュージカルにしよっと。 アールヌーボー posted by (C)灰色ウサギ 巨大な抹茶じゃわん。 そんなわけないか。 ウイーンの街にはアールヌーボー芸術がいっぱい。カールスプラッツ旧駅舎、郵便貯金局の建物、ナッシュマーケットの先のメダイヨンマンションなど。 それらを見たいウサギは何気なく歩きながら自然にそこに来た風を装い、美術は少なくて良いとのたまう夫をわからないように誘導するのだった。
July 12, 2015
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翌日朝から駅のホームを走っていたウサギ夫婦。 座席予約して有るのに。 ドイツの長距離列車は長い車両の端2両とか1両だけファーストクラスなのである。ひどい時は5席しかない電車も有った。電光掲示板にその車両位置が出るのを知らなかった我ら、2等車から入って来た電車を端にある1等車に向かって走ったのだった。 ホームのどこででも乗れる2等のが良かったんじゃないか? ザルツブルグで乗り換え、ウイーンへ。 ホテルにチェックインしてから歩いてカフェツエントラルに向かう。 13年前の記憶を覚えていたつもりが、初めてのホテルから出発したので高い石作りのビルの谷間で迷った。言い訳。 15分後、見覚えのあるホテル近くに戻ったのである。なんという不覚。 仕切り直しで路面電車でカフェツエントラルの近くに向かう。2つ目の停車場でカフェラントマンを見つける。あーれー、ツエントラルはどこだっけ? まあいいや、どっちみちここも制覇する予定だったから、ラントマンに入ろう。 ケーキと甘いコーヒー。 ウイーンはどこを歩いても絵になる。フォルク庭園の薔薇が満開だった。しばしベンチで休憩。 シシーチケットを買って宮殿へ。シシー博物館を出たら目の前を観光馬車が通った。 夫が乗りたそうにしている。以前ブルージュで乗ったからウィーンではもういいって言ったじゃない。 仕方ないので馬車に乗った。嬉しそうな夫。55ユーロが飛んだ。 夕食はホテルに向かう道にあるカフェツエントラルでウイナーシュニッツエルを食べた。 カフェで?良いのだ。ここは雰囲気と伝統を楽しむ。 昔、お勘定をしようとウェイターを呼んだら、「ダメあの人はこの席の担当じゃない。チップが絡むから」と娘に言われたことがある。このツエントラルで。 その日もツエントラルは満席。 清算して次観光行きたいよ。担当ウェイター来ないよ。今、目が合ったとお思ったのに。手をあげてるの見てないのか? その先、旅行中この悩みがずっと付いて回った。どんなにかレジに飛んで行きたかった事か。 ある時、来ない担当を待ちくたびれ、清算すべきレジに行った事がある。そうしたら、「今行くから席で待て」だって。あえなく撃沈。 あそこもここも観光したいせっかち日本人には合わないシステム。 郷に入れば郷に従い、その後はあちらに合わせ、観光は4分目、腹9分に変えたのである。 食べて休んでばかりともいう。 王立図書館 posted by (C)灰色ウサギ 王宮内図書館。ここは意外と穴場。観光客が少ない。
July 11, 2015
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電車の切符はヨーロッパいくつもの国の電車が利用出来るグローバルパスの一等を選んだ。 1ヶ月間乗り降り自由である。 旅の始めはミュンヘン空港からシャトルバスで中央駅へ。以前書いた通りホテルが駅の中なのであるからこれが一番便利。 第一の基地を作る。 駅の中といっても部屋はとっても綺麗。別に電車の音がするわけでもなくシティホテルなので豊富な食べ物が朝には選べないほど並ぶ綺麗なレストランも付いている。もちろんミュンヘン名物朝食べる白いボイルドウィンナーも保温器の中で待っていた。 実は直前になって予約のホテルの環境が心配になってグレードをひとつ上げた。結果、費用はウィーンでの五つ星ホテルと変わらなく高くなったけれど、便利さと安全さが増した。 スタッフもとても親切で旅のはじめとしては申し分無い。 夕方着いたのでその日やったことはただ一つ。 駅に行って翌日ウイーンに行く列車の席予約である。 DB(ドイツ鉄道)infoに行く。infoで、予約オフィスは5分歩いて左だよと言われ歩き始めると、1分歩いて左に有った。???? 番号札取って順番待って無事予約完了。 直後に窓口のおばさんクローズの表示を出す。??? 予約券無くさ無いように椅子に座ってバックに入れていると、「オフィス閉めるから出てくださいね」と言われた。 なるほど!! infoで言われたのは「5分歩く」ではなく、「5分で閉まるから早く歩け」だったのね。 テンパっているから5とか歩くとかそんな単語しか耳が拾わ無いのだ。 い いきなり2人とも英語が不安になった。 これから大丈夫だろうか。 ミュンヘン posted by (C)灰色ウサギ 旅の前半はどこに行っても市場や朝市に皮をむいても細くならないだろう太い白アスパラガスが売っていて、いつもいつも買いたい衝動に駆られるのだった。
July 9, 2015
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1ヶ月と4日の旅から帰って来た。 長かったのか短かったのか。シニア2人の計画から全ての自由旅である。電車の乗り間違え、言葉の壁、自分で予約したホテルの手違い、いろいろあるだろうと思っていたが、予定通り予約したホテルに泊まれ、毎日出発の電車を決定するわけだから電車にも遅れず、私より年齢の低い人たちはほぼ90%英語が話せるのでドイツ語が出来なくても不自由無く旅を続けた。 寒いと言ってはカフェに入り、暑いと言ってはケーキを食べ、夜9時でも明るいのに「もう寝る時間だ」と街に繰り出す人々を尻目にホテルに帰って寝てしまうので、風邪も引かず、旅を続けた。 人で溢れる有名な観光地にも、アジア人の顔を見無い小さな街にも行った。ひたすら観光名所を見た時も、1日を費やして12kmの山登りハイキングをした日も有った。 たくさんの親切に出会い、懐かしい友と再会し、日本人である事を誇りに思った事も、いろいろ教えられ、勉強した事もたくさんあった。 シニア2人の旅だから2連泊、3連泊し、そんなに多くのところを見たわけではないが、忘れ無いうちに旅の思い出を記録していこうと思う。 何せ、予約し覚えた電車の席さえ、15分前に覚えた番号をいざという時には忘れてしまうのだから。 「何時だっけ?」「何号車だっけ」「何番だっけ」 今はトーマスクックなどという時刻表は要らず、インターネットのDBページもガイドブックもGoogle mapも i padの中。後はインフォメーションに飛び込んでその日の計画をフォローしてもらうだけだった。 写真はザルツブルグお城の上から覗いたアルトシュタット(古い街) image posted by (C)灰色ウサギ
July 9, 2015
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今日ホームに帰って来た。まだ家では無い。でも、最後の空港ホテルの宿泊だ。マンモスホテルである。 常時3人はいる受付のスタッフもチェックインする時間や日にちによって変わるけれど、なぜかその女性スタッフによく当たる。 6回目ともなると今日は「お帰りなさい。ウサギさん。旅はどうでした?ここはあなたの家みたいでしょう?」と言われた。 名前まで覚えられた。 11階の部屋、今日はさっき美術館へ行ってきたばかりのフランクフルト•アム・マインの高層ビルが空港の森の向こうに見える部屋。 窓から眺めているといきなり目の前少し上を着陸する飛行機がかすめて飛んだ。ほぼ3分おきに通過する。 夜、このホテルのレストランで最後の夕食をとった。 実はこのホテルのタイカレーを最初に食べて病みつきになったのである。3回目のタイカレー。 ルートのところとミュンヘンでちょこっとお寿司を食べただけでこの1ヶ月日本食が恋しいと思った事はない。でもここのタイカレーだけはドイツ料理ではないけれど、大好き。 空港ホテル posted by (C)灰色ウサギ
July 6, 2015
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暑い、何しろ暑い。6月3日からの旅のはじめ、ウイーンは暑かった。その後6月8日ザルツブルグの突然の雷を境にプラハ、ドレスデンと、どんどん寒くなり、ドレスデンで夫は遂にジャンバーを買った。店には防寒着がたくさん売られ、道行く人も冬支度。 ベルリンでの観光。一緒にいたトムはマフラーをとったり巻いたり、前日のトーマスさんは街中でセーターを脱いだり着たり、変な天気。 その後からだ、徐々に熱くなった。フランクフルトもデュッセルドルフもフライブルクも、そして昨日のフランスアルザス、コルマールも今日のストラスブールも。 暑い。びっくりするほどたくさん教会や駅の前にいる物乞いに人々はお金でなく水ボトルを恵む。 犬を連れている若い放浪者がダラダラと歩く犬の前足を取り、顔を近付けて犬を励ます。微笑ましいのやら気の毒やら。 フライブルクは街中を黒い森から流れる水路に子供達も若い女性も道路に座り脚を浸す。 若い旅人3人が街の噴水台の水の中ではしゃぎながら水を浴びていた。 出来るだけ歩きたく無い私達は朝はおもちゃのような観光トレイン、午後は運河を巡る観光ボートで時間を潰し、冷房の効いたホテルに逃げ込んだ。 伝統を重んじる街、レストランだってカフェだって冷房なんて無い。 泊まったのが冷房の有る四つ星ホテルで良かったと思った。 Naegel posted by (C)灰色ウサギ フランスに入った途端人々はオシャレになり、ケーキが小さく繊細になった。
July 3, 2015
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デュッセルドルフの郊外のRheydtという小さい街に住んでいるルートの家に泊まりに行った。 デュッセルドルフでレジオナルバーンという地方線に乗って降りた駅のホームにはぺんぺん草が生えていた。今ドイツの大きい駅は日本のようにプラットホームが線路より高くなって昔の線路との段差がない懐かしい駅は少なくなってきた。 ルートの街の駅にはまだそんなホームが有った。 ホームには彼女の夫の大学教授のセバスチャンが迎えに来てくれた。 子供の本の作家であるルートを私達は南さんと呼ぶ。昔、学生時代の日本人留学生が名付けてくれたんだそうだ。 古い町並みに一軒青いペンキを塗った裏庭のある家では13歳と10歳の2人の娘と南さんがお寿司を作って待っていてくれた。上の娘のルカは南さんが日本に来た時は彼女のお腹の中にいた。そのお腹の子に再会したのは1歳の時、まだ南さんの家がデュッセルドルフの街中のアパートだった頃。 1歳の頃の面影なんて全然無くなったアン・ハサウェイ似のルカが私に逢った事を覚えている気がすると言った。 私達がするようにきっと両親が写真を見ながら思い出話をするのだろう。 言語学者だから村上春樹も日本語の本も天井まである本棚に並んでいる。 「言葉遊び」という本を何気なく手に取ると、開いたページに さよなら またね 月出たね なたね 植えたら 芽が出たよ と書いてあった。 14年前ルートのホームステイ受け入れて、タネを蒔いたのは私。 我が家の長女がドイツ留学中はいろいろ世話をしてくれた。互いに行ったり来たり。 みんなで種に水をやり、大きく育てた友情の花。 2日泊まってまた空港のホテルに帰って来た。 さよなら またね 日暮れが遅いから9時半なのに 月出ない 南さんの寿司 posted by (C)灰色ウサギ
June 30, 2015
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ラインを離れてモーゼル川河岸を電車で走る。あんなにいた中国人旅行者も韓国人旅行者も一気にいなくなった。 コッヘムという小さな街で降りた。 駅員さんも雲隠れ。駅舎の中のバーの扉にドイツ語で小さく荷物預かり2ユーロと書いてあったので私の小さいスーツケースと夫のリュックを預けた。 英語表記が見られなくなってから、俄然ドイツ語に強くなった。単に想像力が増しただけだと思うが。食べ物の注文もドイツ語を交えられるようになった。 コッヘムの可愛らしい旧市街を見物しながら通り抜け、infoで教えてもらった通り、30分程山登りをしてモーゼル川を見下ろす丘に立つお伽の国のお城のような中世のライチェス城を見学した。 時間制のドイツ語ガイドツアーしかない。日本語の説明が書いた1枚の紙をもらって、ガイドにくっついて40分城内を回った。有難いことに時々おまけで英語を入れてくれる。 そして歩いてまた丘を下ったのだった。 良い見学だった。お伽の国が本当に有ったと言う感じが持てた。 麓のお伽の街ではブラックフォレストケーキを食べたのだった。 コッヘム城 posted by (C)灰色ウサギ 黒い森のケーキ posted by (C)灰色ウサギ
June 26, 2015
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船でラインをちょこっと移動、 リフトに乗ってワイン用ブドウ畑の真上に水ボトルをお落としてしまった。 ライン川を見下ろすハイキングコースを歩いて、ゴンドラでブドウ畑の上を渡る。ゴンドラがすれ違うたび高校生達が「グーテンターク、ハロー、ビダゼン」と言う。答えていたら、どうやら次の組に聞こえるらしい。次から次から挨拶。笑が止まらない。 今日はラインの右岸川の電車でゴブレンツへ、ローレライの真下はトンネルの中。 沢山持って来た現金が少なくなって来て心配なのでカードの効かないタクシーになるべく乗りたくないけれど、駅から遠いライン河岸の眺めの良いレストランに惹かれて取ったから仕方なくタクシー。 荷物を置いて、ホテルのそばから行かれる要塞に裏口入場。 ドイツ語表記しか無い。ケーブルカー?エレベーター?全自動式。 ケーブルカー自分で運転したのは初めて。 誰も行かない裏から入ったから、要塞の中どこ巡って良いか分からない。 うーん、屋上に出た。うーん今度は真っ暗で不気味な地下室展示場。牢屋の跡。リアルな再現音まで聞こえる。 頼むから英語表記しておくれよ。 ドイツはどこでもおじいちゃん以外には大体英語で通じる。ただし、相手はこちらが英語で聞いたこと以外はドイツ語。 想像力ゲーム。 要塞からロープウェイでラインを渡る。ガラス張りだからペットボトルは今度は落ちない。 旧市街観光して小さな渡し船でホテルに帰る。 いっぱいある船着き場、渡し船のはどれ? ここに来て全く英語表記が消えた。 渡し船のおじさんも全部ドイツ語しか話さない。 想像力テスト。 リューデスハイム posted by (C)灰色ウサギ
June 25, 2015
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朝から雨が降って寒い。 ツークスピッツに登る時用に持って来た防寒着はもう毎日手放せない。冬の天気である。 今日はライン川を見下ろしながらケルンに向かって右側の丘に設定されているハイキングコースを一区間6キロ程歩いてみるつもりだったが、雨じゃつまらない。 急遽変更して、屋根が付いているという単純な理由でマインツからボッパルトまで約4時間のライン下り。本当は明日リューデスハイムからゴブレンツ迄乗船するつもりだったけど、ハイキングとチェンジした。 今日の宿はリューデスハイム。名物ワインレストランばかりのつぐみ横丁を通って、また大好きなアスパラガス料理を食べる。 夫はもちろん、リューデスハイムの赤ワイン。 つぐみ横丁 posted by (C)灰色ウサギ
June 24, 2015
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本日の戦利品。 image posted by (C)灰色ウサギ マインツの街は今日はお祭りらしい。ドム(教会)の前のマルクト(広場)や町中のありとあらゆるスペースに屋台や移動商店が出て、メリーゴーランドや臨時遊園地まで出来ている。お陰で黄色い郵便ポストは全部テープで使用できなくなっていた。物を放り込む輩がいるのだろう。殆ど毎日行く先々で書いている娘たちへのポストカードを出せないで持ち歩いている。 今は夜の10時半。多分ライン川で花火が揚がっているのだろう。すごい音がホテルまで聞こえる。日没は9時半なので今頃の花火。 昼間ドムとシャガールのステンドグラスの有る教会とを見学した後、街の本屋で買ってしまった本。ドイツ語は読めないけれど、英語の同じ本を持っているのでストーリーは分かる。「キラーキャット」
June 23, 2015
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以前トムハンクスの自国の政変の為空港から出られず、そこで暮らす話の映画を見た事がある。 今夜、ホームに帰って来た。スイートホームとまでいかないが、自分の家に帰ってきた気分。 フランクフルトの空港内にあるホテルである。このホテルから飛び立ってプラハ、ドレスデン、ベルリンを6泊7日で巡って来た。 ベルリンは2回目、20年近く歩いた道をしっかり覚えていた。ホテルアドロン、アレキサンダープラッツ、クーダム。懐かしい。 ベルリンで、トムにも会った、トーマスさんのお父さんがシェフをしているレストランで彼のお母さん、お兄さんと食事をした。その話はまた後で書こう。 こちらの日の入りは9時半過ぎ、ついつい夜更かしして眠い。 写真はブランデンブルグ門。 image posted by (C)灰色ウサギ
June 22, 2015
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ドレスデン駅で朝8時20分のSバーン(近郊電車)に乗った。 それに乗って、ドレスデンから30分程のクアオルト・ラーテンという小さな駅で降りた。2日前にいたプラハを流れるモルダウは国境を越えて合流しエルベ川と名を変える。そのエルベ川を渡し船でちょいと渡って向う岸へ。小さなホテルの横を曲がると直ぐに奇岩群を持つ山の中のハイキングコースになる。いや、山登りだ。 ヒイコラ言って登る事45分。そそり立つ岩山と岩山を繋ぐ石のバスタイ橋に出る。 筈であった。 途中でポーランドの団体さんに会った。そのユダヤ人ガイドさんに話しかけられたのが良かったのか悪かったのか。話始めたら止まらない。自分のお客を放って置いて、いろいろ尋ねるは話すは、どこかの国のガイドさんとは大違い。それでも10人ぐらいのお客さんたち嫌な顔もせず、挙句に「日本の友達だ」と一緒に写真を撮ったのだった。我も我もと差し出すカメラに収まって、充分なロス時間。 バイバイしても、登坂道は1本だから、途中で又会う。またお喋り。ガイドさんは私たちと話した事をみんなにポーランド語で通訳する。 途中でチェコからの観光客を捕まえて私たちのわからない言葉で話し。今度は私たちに英語で引き合わせるのだった。次はオーストリア人と。 陽気なガイドさんのお陰で頂上にはたっぷり1時間かかって登り着いた。 目もくらむ奇岩の上からは、真下に弧を描くエルベ川、ずっと遠く国境を越えチェコの方までギアナ高地のテーブルマウンテン群のような風景が見渡せた。 ここは友達のインゴのお勧めの場所。 ザクセン・スイス posted by (C)灰色ウサギ 麓に降りて小さな川岸のホテルで食事をした。20年ぐらい前初めてドイツに来た時、結構高いパック旅行だったけど料理は美味しくなかった。今回は自分で選ぶどのレストランも美味しくて太ってしまうので、途中から料理はスターターもメインも一人分を夫と半分こする事にした。そう告げるとホテルのウェーター。最初のサラダは取り皿を。次から「取り分けるの面倒でしょ」と、ちゃんと一人分を2つに分けて、綺麗に盛り付けて持ってきてくれた。 ちょっと感動。 写真は1人分の半分こ分。 クアオルトラーテンで posted by (C)灰色ウサギ 田舎の風景にゆったり浸り、ドレスデンの街に帰ったらもう王宮や教会の見学はどうでもよくなってしまった。 宮殿の前のクロイツカムでコーヒーと夫はクロイツカムケーキ。 私はバームクーヘンを薄く、薄く切って貰った。 クロイツカム posted by (C)灰色ウサギ
June 19, 2015
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タイトルはチェコ語で「こんにちは」。30年以上前、まだプラハの春の後、チェコとスロバキアが一緒の時代にこの地を仕事で訪れた夫が覚えていた言葉。プラハの春でソ連が入って来て、仕事場には必ず何も仕事をしない見張りの共産党員がいたという。暗い時代。 「ソコロフに駐在してたからプラハは少ししか覚えていない。」 夫はそう言うだけあって、その頃から今も変わらず走っているレトロな市電だけ懐かしく覚えていた。 街の地図もプラハ城も覚えていなかった。 結婚したての頃、夫から聞いて旧東側の暗いイメージを持っていたこの街だが、建物は皆童話の絵のように美しく、2人で9時半の日没をヴォルダ川(モルダウ)の河畔で待ち、旧市街から眺めるライトアップされたプラハ城はそれはそれは美しかった。 美しさにため息を付く私に、どうしても再訪したかった夫が「ほら、来て良かったじゃない」と言う。 多くの人々が犬を連れて電車に乗り、レストランに入る。それにしてもなんと物乞いの多いことか。若い物乞いがきらびやかなアールヌーボーの建物の前で、伏せた姿勢でコップを置いて物乞いをする。彼らもまた犬を連れている。 スラブ系だろう赤い髪の若い女性がやって来たら、物乞いは犬を連れて颯爽と歩き出した。 どこかに、カレル橋には40人のスリがいると書いてあったような。 落ち着かない気持ちで橋を渡る。 ふと見るとさっきの犬連れの物乞いが今度は橋の上で物乞いをしていた。 少し離れたところにさっきの彼女。 image posted by (C)灰色ウサギ ミュシャの美術館を出て、ミュシャのデザインした市民会館の美しい装飾のレストランでチェコビールを飲む。 余りの美しさと格調高さに多くの観光客が入り口で写真だけ撮って入らずに帰って行った。 ネクタイのない夫も昼だから拒否されない。 image posted by (C)灰色ウサギ レストランの中の壁画は聞いたらミュシャでは無いけれど、有名な画家だとか。物覚えが悪いから画家の名は聞いても覚えられないウサギである。 写真を撮らせてもらっていると、夫がアクアマリン色の目をした愛想の良いウェイターと話していた。帰り際に「世界で最も美しいレストラン」なんて書いて有る店の絵葉書をくれた。自分で言うところが凄い。「機会が有ったらまた来てね」だって。 うん、また来たい。
June 17, 2015
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