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今日、クリスティンの家に行ったら窓辺にこれが飾って有った。 ウィローツリーのエンゼル達 実はウサギのコレクションの趣味と同じ。 我が家に彼女が来た時、私のを見て、「私も同じようなもの持ってる」と言っていた。 私のコレクションと全く同じのは一番奥のひとつだけ。 このシリーズの人形はいっぱいあって、世界中で売られている。私はスイスのマイリンゲン、ドイツのゲンゲンヴァッハという日本人の観光客が少ない田舎で2体買ったのできっと世界のどこででも売っているのだろう。残りはインターネットとアメリカで買った。私が集めているのを知ってアメリカ人のカイルくんがお土産に持ってきてくれたのも有る。アメリカはスーパーのウォルマートに売っている。 クリスティンがひとつずつ指差して、これはインターネットで、これはウォルマートで買ったという。そして、「この3つは私が母に贈ったものが返って来た」と言った。 そう、親にものを送って大事にしてもらうと、その親がいなくなった時、自分の手元に帰って来るのである。贈った思い出と親の思い出と二重になって。
September 24, 2018
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モンゴル留学生のお土産もさることながら、私は彼らの彼女と過ごした夏休みの話がとても興味深かった。 2人とも写真を見せながら一生懸命訪れた所の話をするのである。 彼女と過ごした?はい、2人とも彼女が居て帰国を手ぐすね引いて待っていた。夏休み中片時も離れない生活だったようで。ごちそうさま。 バアスカの話。 ドライブ中大草原(首都を出るともう大草原らしい)を走っていると、モンゴルには普通の橋のない浅い川に来た。川の中を車で通ってまた道路を走っていたら交通警察官に止められた。 「もしもし、前のナンバープレートが無いよ」 車から降りて見ると確かに無い。 ああ、きっとさっき渡った川で落としたんだ。 そこでもう一度戻って石がゴロゴロの川の中を捜索した。有った。それも違うナンバーのナンバープレートが2枚。 して結局自分のナンバープレートは見つからず、陸運局で2,000円で買ったそうだ。 モンゴルに来たら田舎に連れて行くというが、どうしたものか思案中。 テムジンに貰ったこのノート、何の動物の皮かな〜。 マーモットも食べちゃうというモンゴル。何の動物の皮かな〜。狼かな、鹿の種類かな、ラクダかな、羊かな。 何の皮かな〜。
August 23, 2018
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昨日まで「ゆっくり流れる時間」というタイトルにしようと思っていたけど昨日、私の時間も変わった。 早めに日本に帰国して我が家に泊まっていたバアスカ。モンゴルに帰って少ししたら日本に帰りたくなったと話した。モンゴルの時間はゆっくり流れていてもどかしいのだそうだ。「今何時」と度々聞くと彼女にもお母さんにも嫌がられてしまったのだそうだ。 そんな バアスカが2日前、我が家から学生寮に帰った。昨日帰って来たテムジンや先輩達と一緒に着校式前日の夜は、学外で家族と暮らしている大学院の大先輩のアパートでパーティーがあると言った。大学に送って行く前に大先輩の家にテムジンの靴を預けてから学舎に送って行った。明日の着校テムジンは大先輩の家から直接行くものと思っていたから。制服でしか学校に入れないので我が家に預かっていた制靴を届けておいたのだ。 バアスカから遅れること3日目の一昨日、テムジンがモンゴルから帰って来て成田に着いたと連絡をくれた。そのまま大先輩の家に行くのね。 しかし彼が我が家の最寄り駅近くにまで来た頃、「今日泊まっても良いですか」と突然言ってきた。「え、良いけど、どうしたの先輩の家のパーティーは」 「なくなりました。誰も行きません」 ということで、駅まで迎えに行き我が家に連れてきた。 「明日大学に履いて行く靴は大先輩の家に行っちゃった。」 バアスカに連絡出来ない。 バアスカ、携帯電話をモンゴルで盗られたから! そこで、靴を取りにまた車を出す。 「車の中から大先輩に連絡できる?」 テムジン、「出来ません、simカードモンゴルで割っちゃったから」! 色々有るねえ。 この大学、規律が厳しく日本人学生でも夏休みの後学校に戻らない学生も出るそうだ何年か前のモンゴル留学生も戻らなかったと言う。 「日本に早く帰りたかった」と言うバアスカ。 「学舎の生活は嫌だけど、日本に帰ってきて嬉しい」と言うテムジン。 まずはお帰り。 戻ってきてくれて嬉しいよ。 ああ、冒頭の文に戻ると、モンゴルで「ゆっくり流れていた時間」は日本では「目まぐるしく流れ過ぎる時間」になるのかな。 バアスカは日本時間に適応した。テムジンはもう少し掛かるようだ。 少ないお小遣いからいつもお土産を買って来てくれる。2人だ。
August 22, 2018
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友達4人招いてホームパーティをした。 5人しか車に乗れないので駅までは夫が迎えに行った。 クリスティンはクランベリーのボトルを1人1本ずつプレゼントに持って来てくれた。我が家にはパーティーの途中で飲む分としてもう1本。 ご隠居曰く。 「家に着いて車を降りる時、クリスティンは荷物が引き出せなくて困っていたので助けたよ」だって。 これが6本だものどうやって電車に乗ったのだろう。 横の小さい2本はモンゴル学生が好きなジュースで私が買って置いたもの。 食事の始まる前に暑いところ来てくれた友人達にクリームソーダを出して30分ほど語らい。 さてストローをと思ったら、そうだ、最近ストローは環境に悪いというので全部断捨離しちゃって3本しか在庫が無い。 ごめんねと後の2人は長スプーン。 メロン色のソーダの上にアイスクリームが乗ったグラスを眺めながらクリスティンが言った。 「このソーダアメリカにいる息子が好きだけど飛行機の預け入れ荷物に入れられるかしら?」 一瞬、皆スーツケースの炭酸が飛行機の中で破裂した風景を想像した。 「じゃあ、コーラは持って来たことある?」 「ビール入れて来たことあるから大丈夫よ」 「シャンパンは大丈夫でしょう。同じじゃない?」 「缶と瓶とペットボトルは違うでしょ」 どうなんでしょうね。
August 5, 2018
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今朝、 テムジンとバアスカは大きなスーツケースを持って成田行きの電車に乗った。 2人とも彼女が国で待っているから、是が非でも帰るのである。 バアスカは昼の便。 テムジンは夜ウランバートルに着く便。 遠泳訓練で顔が黒光りしている2人。テムジンがプール遠泳した理由がわかった。左腕を脱臼していたのだ。それでも10km泳いだ。 海で遠泳参加のバアスカも足首捻挫で簡易ギブスをしていた。 なんかすごい大学。しかし、こう災害が多いと彼らの卒業生には感謝しかない。 夕べ、20:30分。「明日眼鏡屋何時に開きますか」とテムジン。メガネが壊れたらしい。 なんで早く言わないのよ。 急いでまだやっていた眼鏡屋に連れて行って直してもらう。 アルコールの話をしていたらバアスカ、「あ、しまった。お土産のお酒買ってない」 早く言ってよ。もうスーパー閉まった。 明日空港で買いなさい。 先輩の分持たされて重量オーバーのスーツケースの荷物をあっちにやったりこっちにしたりして応接間いっぱいに荷物を広げて体重計で測定していた。 テムジンが「一昨夜は寮で帰国が嬉しくて眠れなかったですよという。 まだまだ子供だ。 朝、トイレに起きた夫。 「テムジンリビングの絨毯の上で寝てる」と言うじゃないか。シャワーして精根尽きて2階に上がれなかったのか? 家を出る10分前にテムジン頭を洗いに行った。 「出発時間早めに伝えていて良かった」と夫。おかしいなあ時間に厳しい大学なのに。 駅に向かう車の中で、「お金下ろさなきゃ。」 もはや大陸的呑気性格とでも思わなきゃ。 2人とも途中のATMでお金を下ろした。 さて、電車に乗せてやれやれと家に戻って椅子に腰を下ろしたらテムジンからline. 「ジャケット忘れた戻ります」 2つ先の駅から1人だけ折り返してきた。駅のホームでジャケット手渡し。 実はバアスカは成田直行。 テムジンはこの後に及んで原宿でお土産買ってから成田へ。品川のロッカーに荷物置いてから原宿行くように指示。 刻々と台風が近づく。 成田発着情報。どんどん欠航になる。ついにバアスカの飛行機が欠航。電車に乗っているバアスカに伝える。 そうこうしているとテムジンの飛行機も欠航。 空港に着いたバアスカは明日の早朝代替え切符ゲット。 おーい、テムジン。原宿でのんびりしてないで早く電車に乗りなさい。 品川に帰ったテムジン、ロッカーの前から「お母さん、何番線だっけ?」とラインしてきた。「13番線。後5分で出るから急げ。」 「乗れた〜」と。 空港で2人合流出来たら、寄り添って台風の夜を過ごすんだろうな。 台風のない国から来た2人。 どうか明日無事にモンゴルに帰っておくれ。
July 28, 2018
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朝早起きして東京湾に突き出た小さな公園に行った。 朝8:10分。 もう丘の上の大学から歩いて来た400人程の1学年の学生たちが5色の組み分け帽子をかぶって集まっていた。 50人ほどのグループに分かれて浜辺に移動。遠くから来た学生の父兄や見物客が集まって見学して居る中を、班長の号令のもとに次々に海に入っていく。 少し沖にそれぞれのグループの色の旗を掲げた先導の船や救助船が何艘もプカプカ待機していて学生が泳ぎ始めると順次一緒に進む。 みんなは1人のために、1人はみんなのために。 横一列が連帯責任なのだろう。海のない国から来た我がモンゴル留学生のバアスカは真ん中に挟まれていた。それでも立派に1番長い8キロコース。赤帽子。 青帽子集団の次に出発した。 出発前に見かけて声かけたら嬉しそうに、頑張りますと言った。ちょっと緊張しているね。 普段のようにきちんと隊列組んだまま沖に出て行った。 赤い頭だけぷかぷか。それも小さくなり見えなくなった。 もう1人のうちの子テムジンが見当たらない。同じ大隊なのに。ちょっと心配。 留学生担当の日本語教授のキノシタ先生が、海で泳げない学生は同じ時間にプールで10km泳いでいるのだとか。そっちに居るのかな。レベルが合格しなかったのかな。 生徒たちが沖に消えた後、帰って来るまで4時間余り。近くのホテルのロビーカフェで涼みながらご隠居と時間つぶし。 コーヒーを2杯、ご隠居はケーキも。 そして頃を見計らって公園へ。 チリチリにどこかに出かけていた父兄や見学者、学校長などが戻って来た。 遠くの方に1番最初に赤い旗の船、そして続いてきれいに隊列を保ったままぷかぷかと赤い帽子。途中で青、緑グループを抜いたらしい。 みんなで落伍者が出ないように励ましながら4時間半泳いだのだろう。浜辺に近づいてもきちんと並んでいた。 真っ黒な顔が嬉しそうに浜に上がって、校長先生とハイタッチ。 バアスカも隊列の真ん中で嬉しそうにこっちに手を振った。 家に帰って来ると「今日は来てくれてありがとう」とラインが来た。 テムジンはどうやら腰でも痛めたのか、大学のプールできちっと10km泳いだそうだ。「テムジンの方が真水で浮かないから大変だったんですよ」と気遣うバアスカ。良いコンビだ。
July 25, 2018
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韓国人のジョンさんの奥さんチョさんと友人のキムさんが家に泊まりに来たのにはちょっと訳が有った。 私がチョさんの日本語教授法研修の来日時に合わせて、韓国で本を買ってもらった。それを届けに来てくれたのである。 「パン屋再襲撃」村上春樹の短編集である。 実はちょっと前に韓国語クラスの友人が韓国に行った時買って来てくれた同じ村上春樹の「ノルウェーの森」が、読み始めたらあまりにも長く、私の実力では手に負えなさそうだったので短編集ならと再度買ってもらったのだった。 早速、中の短編、「像の消滅」を読み始めた。 これは何度も読んでいるし、英語でも何度か読んでいるので読みやすい。暑いから楽な勉強が良い。 ニューグランドのパウンドケーキを食べながら読む。
July 23, 2018
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ご隠居が呟いた。 「数えてみたら、次女の家に泊まったヨハナを除いて今年はもう延べ10人外国人ゲストが泊まりに来たね。」 昨夜から韓国のチョさんと友人が泊まっている。2人とも高校で日本語を教えている先生。日本に1ヶ月語学研鑽に来ているので、我が家に週末訪問。 「あそういえば、モンゴル留学生がちょろちょろやって来るのは計算に入れてなかった。」 だって。 泊まりに来ていなくても遊びに来たクリスティンやローラ家族を入れれば増える。 会いたいと言われ会いに行ったカイルも足す? 以前のように5ヶ月とか3ヶ月のホームステイ受け入れてないけど、結構来客が多い。 今日はこの暑いのに韓国人に付き合って江ノ島。 シーキャンドルからの眺め この頃ウサギがはまっているもの。テラス席のあるカフェ。 え!クーラー効かないのに?ここは風が通って涼しかった。
July 21, 2018
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昨日次女と一緒に羽田にヨハナを送って行った。 前日夕食は最後の日本食。リクエストのすき焼き。その後あんこたっぷりの大判焼きペロリと食べた。 次女が言うには毎朝しっかり納豆ご飯を食べていたそう。 さてスーツケースと預け入れの大きなリュックの中身は、私があげた草間弥生の本、友人達に貰ったもの、日本で買った服、築地で買った家族4人分のご飯茶碗とお箸。餡子の素、利尻昆布、鰹出汁の素、色々出汁、味噌、醤油、乾麺、行きたかったが行かれなかった「蔦」のカップラーメン4個などなどだそうだ。 出来ることなら日本を丸ごと持って帰りたかったのだろう。 羽田で、七夕飾の短冊に「また日本に帰ってこられますように」と日本語で書いて吊るしていた。 彼女が娘の家に滞在中、私は、時々出張して手伝っただけだが、娘に「お疲れ様、ありがとう」と羽田から帰る電車で言われた。 ウサギ、この娘たちから「〜してくれてありがとう」「来てくれてありがとう」と言われるのが1番大好きだ。 短冊を吊るすヨハナの後ろ姿 荷物検査ゲートでの別れの挨拶は「アオフビーダーゼーエン」ではなく、「チュス」ヨハナの挨拶は最後まで日本語で「さよなら」 ひとつ不思議なのは長女と話すときは、見ているとどちらもドイツ語で会話しているのだ。その時は我らは蚊帳の外。
July 7, 2018
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先日ヨハナの頭からいちご大福が離れない話をした。 その理由が解明出来たような気がした。 今、(今もといったほうがいいかもしれない)継続して断捨離中。大山鳴動してネズミ1匹の時もあれば、満足できる成果が出る時もある。まあどれだけ溜め込んでいたかということではあるが。 築地観光の次の日、手紙ボックスの整理をした。外国の友人たちからのクリスマスカードや手紙類がプラスチックスの衣装ケースいっぱいになっている。こればかりはまだ断捨離出来ず。最悪の場合娘に捨ててもらうことになる。 過去にヨハナから貰った5、6通の手紙も有った。英語のものも日本語で書いたものもある。 その中の一通に9年前の2度目の来日時、我が家に来る前に日本のファームに滞在していた時、ホストと作ったといういちご大福のことが書いてあった。 おお、ヨハナのいちご大福好きはそのころからだったのだ。 中華街で家族みんなで食事をした時その手紙を見せたら、大ウケ。 「私、昔の方が漢字で書いてあるじゃない。」「でも文法は今の方がしっかりしているね」 ヨハナは9年前の手紙をスマホに撮っていた。 なんでもメールやもっと残らないline で済ませるこの頃、ある意味貴重な思い出だ。 富士登山、軽装なツアー客が多い中、きちっとヘルメットもヘッドライトも持って行った彼女。3人落伍者がいた中、無事ご来光見て帰って来た。 昨夜は、富士登山ともう一つ、ラーメンを食べるという目標をクリアーしたのであった。
July 4, 2018
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私はおそらく80人を超えるホームステイの受け入れをしている。多くの人が再来日するので延べにしたら数えきれない。それなのに納豆を食べられる外国人はただの1人しか知らない。前にも書いたが次女のロンドン時代の友人であり、その後の2回の来日などで家族ぐるみの友人になったドイツ人のヨハナだけだ。それも大好きと来ている。毎日でもいいんだとか。今回彼女は一冊のドイツの日本紹介雑誌を持って来た。そして1週間の娘のマンション滞在中にその中からできる限りの挑戦をするらしい。それを聞いて娘は恐れをなした。彼女の卒論時に私にヨハナ観光のヘルプを出して来た様に今回も娘のマンションに何日か泊まってお付き合いする事に。昨日は早朝4時起きで築地の魚河岸横丁での朝食を皮切りに、場外市場の見学、出汁の買い物。ドイツの家族のお土産のご飯茶碗買い物。早朝にも関わらず、ご隠居も電車に乗ってやって来て合流。ドバイ弾丸出張再びの帰国2日後の長女も出社前に築地朝食だけ合流。我が家族どうなってるの?9時半、星乃珈琲店でアイスコーヒーで休憩。東京フォーラムでの相田みつお展で字ばかりの書に大感激。ちなみで彼女は独学で日本語学んでほとんど日本語で会話できる。そしてひらがなでの読み書きもできる。昼、Kitte で日本食をという希望で親子丼。東京駅正面。ここで高崎に行くご隠居離脱。明治神宮参拝。電車で御朱印ブームの話をしたら最初の鳥居から御朱印御朱印騒ぐ。御朱印帳ゲット。原宿、表参道ヒルズで氷を食べる。その後、青山で雑誌に有ったというビールを注ぐと雪を頂いた富士山になるというグラスゲット。その日最期の希望は渋谷クロッシング。到着前に既に興奮、いよいよ渡るとなると、わあわあ言いながら私にしがみついた。ハチ公の写真を撮って終了。のはずが!築地で見かけ、ずっと食べたいと思っていたらしいいちご大福が頭から離れず、ヒカリエでも売っていず、東急ストアで仕方なく大福ゲットして夕食後に2個ペロリと食べた。帰宅後、シャワーをして枝豆と冷奴を食べながら、日本のビールを飲む。日本のおっさん化していた。私はというと前日、時々私の使っているベットルームを彼女に提供して娘の書斎にマットを敷いて泊まったけれど、彼女のバイタリティに恐れをなして夕食を作って、後は娘に放り投げて帰宅したのだった。ふう、長い1日だった。富士山登山は一人でツアーに参加するらしい。草間彌生展はチケットゲットできずに却下。その本の中に紹介されていて、行きたいところやりたいところは、まだまだあるらしい。表参道ヒルズでしばし休憩。
June 30, 2018
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日曜日、バアスカとテムジンがご飯を食べにやって来た。 昼ごはんにビーフシチューを作った。ちょっと濃い味付けに。我が家はかなり薄味なので世間一般の水準にするだけでもモンゴル人には薄味らしい。スパイスもちょっと多めに、ブランデーとワインもいつもよりちょっと多めで圧力釜でとろとろ肉にした。 「濃い味好き」と必死に食べていた。 イベントが有って昼食を外で食べて来た夫が帰宅して、学校で先輩との会食が有るから夕食は食べていけないと言う2人に「あと2時間しか無いね」と言うと、「まだ2時間もある」とうれしそうに言う。 いつも先輩の目がある生活から逃れた、ほっと気の緩む時間なのだろうか。 バアスカはソファでうたた寝。テムジンは絨毯に寝転んでスマホで音楽を聴いていた。 1年生は、今夏の遠泳に向けて水泳訓練の真っ最中。海のない国から来たカナヅチだった2人、第1段階は合格して100m泳げるようになったそうだ。並大抵の苦労ではなかっただろうと思われる。 留学生の中でトップクラスだったバアスカ、流石に難関突破して来た日本人との授業ではついて行くのがやっとかもしれない。英語以外は自信ないと珍しく弱音を吐いている。 出来てもできなくても天真爛漫なテムジンとすごく対照的だ。 夏休みまであと少し頑張れ! 我が家の庭の半夏生。
June 28, 2018
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ホームステイは終わって日曜日夜、集合のホテルに送り届けた。世界各国から来た100人ちょっとの招聘研究者の卵たち。ウサギはこのプログラムからは20年ほど前から15人ほど受け入れているが、日本の力が弱くなったのかなと感じる。 アメリカ人は日本の大学に魅力は感じなくなったのか以前は半分ぐらいいたのに今年は100人中たった9人だった。 彼が帰る前、日課のランニングをするというので、「迷子にならないでね、以前バス停降りて碁盤の目の住宅地を本来5分の帰路を1時間彷徨って帰って来た学生がいたから」と伝えたら、家の前の道を行ったり来たりして走っていた。そこまで慎重にならなくても。 驚き。 今日は4人の友達と明治神宮御苑に菖蒲を見に行った。 朝、駅でクリスティンと落ち合うと、急いでやってきた彼女「間に合わなかったのよ」と両手を見せたら、右手の指だけマニュキアをしていた。 「ちょっと待ってて」と、トイレで続きをやって戻って来た。 驚き。 レセプションやセレモニー続きで彼女も忙しい。 原宿で食事しようとスマホ見たら、台湾のエンジェルからLain。「お母さん地震大丈夫?」え、地震? グアテマラのマルビンさんからも「大阪の地震大丈夫?大阪の3分後にグアテマラでも地震があった」とメッセンジャー。 地球に乗ってる以上まな板の鯉。 復旧がスムーズに進みますように。
June 19, 2018
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昨日から日曜日までホームステイ受け入れ。 テキサスから来た博士課程の学生。 23歳。まだ少年のような顔をした礼儀正しい若者だ。 応用数学とやら難しそうなことを勉強しているのに話すことが文学的だ。「住んでいるダラスはパンケーキみたいに真っ平らな所」だとかデザートのさくらんぼを食べて「アメリカンチェリーは壁みたいな感じで日本のは赤ちゃんのほっぺみたいにソフトな感じでおいしい」とか表現する。 若いからすごく早い英語で、その上ものすごく知りたがりやだ。 「それは何という名前?」「どんな意味?」「なぜそうなった?」ひっきりなしに質問してくる。 誠心誠意無い頭で答えるが、「それは私には聞かないでくれ」とか「私も聞きたいよ」なんて答えるような質問もくる。 なんでなんでと聞く3歳児のようだ。 「ひょっとしてあなた飛び級している」と聞くとそうだと答えた。成る程ね、頭いいわけだ。 おかげでこっちの英語も鍛えられる。 今日は横浜を案内した。 彼は夜9時になると眠くなる。昼間は頭使いすぎて疲れるんじゃないかと勘ぐる。
June 16, 2018
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グアテマラのヒロミさんは会ったことのない友人である。グアテマラ関係の知人たちが、この私たちの関係を面白がる。 ホームステイの依頼をヒロミさんから受けているうちに、すっかり友人のような関係になった。 そのヒロミさんが、もう直ぐ飛鳥IIが世界一周航海途中グアテマラに寄港するから、その観光を手伝うとFacebookで言っていた。 そして何時間もたたないうちにフエゴ山の噴火のニュースが流れた。 ヒロミさん、フエゴ山から20km、グアテマラの京都のような古都アンティグアで日本のテレビ番組などもコーディネートする観光業を営んでいる。 アンティグアには日本に行きたい人応援団に出演したオットーさんもいる。 メッセンジャーで安否確認をしたら2人とも無事だった。降灰がすごいんだとか、飛鳥が停泊する海岸までの道は溶岩で寸断されたとか言っているが、とりあえず無事でよかった。 首都グアテマラシティにはココさん、フネスさん、マルビンさんがいる。そちらにも安否確認をする。 今朝になって返事が来た。 首都でも降灰が有ったけれど大丈夫だと。良かった。 オットーさんが次々とFacebookに揚げる画像は目を覆いたくなるような惨事の絵図だ。日本のようにモザイクなどかかっていない。 クリスチャンの国だから皆が神に祈る。 飛鳥はグアテマラに寄港するだろうか。 犠牲者がこれ以上増えないように祈るばかりだ。 いつもテレビやマルビンさんの写真で見るフエゴ山は富士山と間違えるような形の美しいシルエットの山だった。標高も富士山とほぼ同じ。 それが宇宙からもその噴火が見えるほど雲を突き破って噴火しているのだ。 とても人ごととは思えない恐怖。 どうかどうか地球よ鎮まれ。
June 5, 2018
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朋あり遠方より来る。 どうやらこのカテゴリーを作った方がいいような近頃。3月から韓国、韓国、イギリス、グアテマラ、と古くからの友人達がやって来た。 また、楽しからずや。 今、ミネソタからかつてのホームステイヤーのカイル君が奥さんと2歳の娘を連れて日本に来ている。 彼のメールはいつも独特だ。先先月受け取ったメールには「日本に行くから会わなきゃ」と言うものだ。 「会いたい」でも無く「会う時間が取れるか」でも無い。 いつもこんな感じ。 普段のメールはshould be とかwould beとかcould beとか優柔不断的に多様するのに会う時だけだけ断定。 我が家に毎日いたホームステイヤーとしては5ヶ月で一番長い。その後も日本で英語を教えている時や日本旅行中(といっても我が家にいるだけの2週間)の時と何度も何度もやってきた。 日本語交換留学生なのに未だに日本語を話さない。「話せない」じゃなくて話さない。日本大好きなくせに話さない。 木曜日新宿で食事していても彼が英語で私たちは日本語で会話した。奥さんのミホコさんが横で会話が立派に成立していることに感心していた。 互いに相手の言語が理解できると言うことは相手の言語で返事してもいいと言うことなのだが、しない。どこかこれを楽しんでいる。 うちに来た時は彼は20歳の大学生。そして今一児のパパで33歳だ。 月日の流れは速い。
May 26, 2018
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連休の1日、モンゴル留学生のバアスカからLine が入った。 「明日後輩2人連れて行っていいですか?」 うん?突然。連休後半は山の家に行こうと冷蔵庫は空に近い。 冷凍庫をゴソゴソして、得意の簡単料理豚のスペアリブブランディーで柔らかくする圧力釜煮。 モンゴルのおふくろの味タクトリタンを作ることにした。 夜は焼肉。 いつも困るのは我が家の電気釜は3合しか炊けない。テムジンとバアスカが来ただけでも足りないのに、4人も来たら2度炊かなければ。 一年生のバアスカとテムジンはどこに行くにも制服着なければならないから、当然制服で来たが後輩の2人も制服で来た。 手の洗い方、制服を私服に着替える2階の部屋、さっさと教えている。一番厳しい訓練の一年生でどうしているかなと心配していたが、しっかり後輩の面倒を見て、すっかり先輩になっていた。 慣れない学校の生活ですっかりお疲れの後輩が2階でお昼寝している間に、さっさとスマホやインターネットを繋いで使っていたり、「いっぱい話したいことがある」と学校の水泳訓練の話をしてくれたり。 後輩が出来るってこんなにも成長するものなのかと、自分の家のようにリラックスしている2人を見て思った。 ピッカピカに磨かれた玄関の靴を見て新婚当初に夫の靴磨きした遥か昔の日のことを思い出したウサギであった。
May 2, 2018
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ローラの生まれ故郷はルイジアナだという。アメリカがかつてフランスの植民地だったところ。ケイジャン料理が地元の味というのは知っていたが、どんなものかは良くわからなかった。 彼女のステップママ(継母)の味のケイジャン料理をご馳走してくれるというのでご隠居と2人で彼女の家に出かけた。 ここの家、ホームティーチング。アメリカには親が政府の教育方針に沿って教えればちゃんと卒業資格が得られるというこの制度がある。 ちょうど休み時間の高校生の娘のマデリンと一緒に食べる。 台所に並べられた野菜サラダ、電気釜の中のご飯、ガンボ(ちょっとシチューっぽい)、フルーツサラダ、シュリンプキッシュ。 アメリカ式ビッフェ。 大皿に自分の好きなだけ取る。 ここでウサギ、お皿を間違えて大皿にガンボを付けてしまった。アメリカ料理でご飯が出ることは少ないから。なので写真はマデリンのものを。 帰る時、余ったデザートのカスタードケーキを持たせてくれた。 だけどね。駅まで車で送ってくれたのは良いけど、その後電車の中も、バスの中もこの紙皿持ったまま好奇の目で見られながら帰って来たウサギであった。 やっぱり車社会の人間なんだねえ。日本人なら持ち易く包んでくれるんだけどねえ。
April 23, 2018
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1年に2度楽しみにしていることがある。 着物のリサイクル展示会。 これもグアテマラ人が来ていたある日、彼らを通訳さんに引き渡す役目は夫に譲って(押し付けてともいう)朝早くから出かけた。 本当は開場10時からなのだけど、人気なので9時に整理券を配る。しかし9時には100人ぐらい並んでしまうので100番越えると第1団で入場できない。したがって9時より前に並ぶことになる。 今回のメンバーはクリスティン、リズ、ケイコ、リサと私。 電車に乗っていてもちょっと興奮気味。 無事に整理券を貰って一旦解散。近くのコンビニでお菓子を買って待合室で食べる。クリスティンが持ち帰り用にパクチーのチップスを5袋も買い込んだ。これから着物、帯の争奪戦有るのに粉々になるチップス買ってどうするのよと思ったが黙っていた。一袋開いて食べさせてくれたから。 10時ちょっと前に再集結。待っている間にもハンガーにかけられた着物や帯が目に入る。 ワクワクが止まらない。 開場。さっきまで一緒に話していたのにみんなおもいおもいに散ってしまって、自己の世界に突入。途中皆を探すがわずかにリサの金髪が探せるばかり。 渡されたビニール袋に気に入った帯を詰めた。 何に使う?テーブルランナー。丈夫だから良いのよね。 さて、会計して集合して、いくら使ったか競い合う。私はリュックに入れて背負った。誰もお茶飲んで帰るとは言わない。今日ばかりは重くて一刻も早く帰りたいのだ。きっと頭の中は買ったもののリメイクや使い道でいっぱいなのだろう。 因みに出品された着物は全部無料提供されたもの、その日の売上金も寄付される。 家に帰って戦利品を広げてにやにやしていたら、ご隠居が「断捨離しているのに買ってくるなよ」と呟いた。 ごもっとも。
April 21, 2018
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先週の火曜日に来たグアテマラの友人たち3人、金曜日に河口湖、広島、京都、大阪と回って月曜日にまた我が家に帰って来た。 それから怒涛の4日間。来年のコンサート打ち合わせのために(マルビンがマエストロで弁護士でコントラバス奏者なのは知っていたが、フネスさんは元映画俳優でマリンバ奏者で楽団長。息子のココさんは歌手だった。)東京に行くので送り迎をしたり、ご飯を作ったり、自分も出かけたり。 離日前日は横浜観光とお土産買いに付き合った。 どうしても日本にいたら外国人に「何かをしてあげる」という気持ちで接するが、「違うんだなあこれが」といつも思う。外国人を家庭に受け入れるという利点は、外国の情報をいながらにして掴める事。 例えばグアテマラ、日本の青年協力隊も行っているが、彼らに言わせると今は「台湾人はすごく親切で道路を作ってくれる」という。「puuka というアニメキャラクターが子供の間ですごい人気で、日本のどこかでぬいぐるみを買いたい」という。実はこれ韓国のキャラクター。日本人だけ知らない。世界の人は知っている。 よくテレビで「世界が驚く日本」なんて良く思われてるような持ち上げた番組ばかりあるけれど、気がついたら井の中の蛙ってならないか心配になる。 そして今回覚悟していたGoogle 翻訳スペイン語。マルビンと7年ぶりに会う3回目の今回、彼がすごく英語上達してほとんど不自由なくコミニュケーションが取れたのにはびっくりした。 私も頑張らねばと翻訳のために使うiPhone のキーボード開けば、英語、インドネシア語、モンゴル語、韓国語、にスペイン語まで加わっていた。ローマ字入力出すまで時間がかかってしょうがない。さあさ、スペイン語はもう消そう。来年まで。 成田エクスプレスの入り口で「アスタプロント」(またすぐにね)と言ってた別れた。今度は直前に教えられたから間違わない。 みなとみらい、クイーンズAの花のハート
April 19, 2018
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グアテマラからの来客、成田で手間取り、挙句に成田エクスプレスが乗り入れ路線の人身事故で遅れ、駅に懐かしい友とその友人2人を出迎えたウサギも駅のホームで右往左往。 それは一昨夜の話。 昨日の朝、東京観光の後グアテマラ大使館に大使訪問とその後の大使と一緒の食事会に行くという彼らを新宿まで送り、インタープリターに引き渡した。 実はマルビンとの過去2回の出会いは身振りでの会話。彼、スペイン語しか話せない。ウサギ、スペイン語は話せない。それなのに私たちはずっと友達。 今回もGoogle翻訳片手に臨んだが、若いココさんが英語が少し話せた。ラッキー。マルビンも少しだけど英語で話すようになった。良かった。 新宿で通訳さんに彼らを送り届けてまた夜に迎えにくるよと、別れる時、「アスタマニャーナ」と言ったら、通訳さんも含めて4人一斉に「違う!」という。「アスタマニャーナ」は「明日また」だってさ。 付け焼き刃のスペイン語はやはり無理だった。 スティームクリーム。ついでに小田急デパートで買った。ダヤン好きだ。この目がなんとも言えない。
April 12, 2018
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今月に入ってここまで韓国語で話す日が2日、アメリカ英語で話す日が2日、ブリティッシュインフリッシュの人と話す日が1日。多言語生活。 昨日はインドネシア語だ!と勇んで出かけた花見(花はもう終わっちゃって、シャクナゲと八重桜しか咲いてなかったけど)。 みんなに会って、サラマッパギ(おはよう)、アパカバル(元気?)と言ったまでは良かったが、その後なかなかインドネシア語会話が続かない。 完全にみんなの日本語の方が上なので完敗。このところ勉強してないからなあ。 24人のインドネシア語実習生達とご隠居と桜の花の無い花見を楽しんだ。 石楠花は花盛り。 でも若い実習生達は花より団子。 私とカティさんが作った料理はきれいに無くなった。
April 9, 2018
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今朝、彼女の泊まっているホテルを訪ねた。 「久しぶり」 何年振りだろうか。 私がスーザンに会うのはこれで4回目だ。学生が多い我が家のホームステイで一番高齢のステイヤーだった。 最初に我が家に泊まって、2回目は私が彼女がかって市長をしていたメドウェイのジリンガムを訪ねた。ディケンズを語りながらジリンガムの街を足が棒になるまで歩いた。 いつも市と市の繋がりでくる彼女は来日しても忙しい。3回目は我が家にはホームビジットだった。どこにもいかず一日中根が生えるまで座って話をした。 今度もイベントへの招待で来ているのでその合間を縫っての再会だった。 ホテル近くのスターバックスで私たちは向き合って、以前の様に2時間半びっちり喋った。懐かしいブリティッシュイングリッッシュ。 彼女のパートナーのこと、旅行のこと、お互いに年取って大変よねとか、そうそうイギリスに行った時作りかけだった石の庭は完成したかかとか。まだスチュアート朝風ドレスを作って歴史パーティに出ているとか。マークスアンドスペンサーの伸びる服の話で笑い転げ、シンガポールのラッフルズの値段で意気投合した。 あっという間の2時間半だったけど、きっと彼女にはまた会える。 そしてまた、Long time no see.と言うんだ。 ウィリアムモリスの模様
April 7, 2018
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協力家庭になっているモンゴル留学生が0年生(日本語科)から晴れて1年生になったので、招待されて入校式に行って来た。 大学生の親なんて皆私達より若い。我が娘達の入学式も遥か昔のご隠居と私、お婆ちゃんお爺ちゃんの参加みたいと言いながら出かけた。 車が案内された駐車場の我が車の横のナンバープレートは外交官ナンバーと運転手。 めちゃめちゃ沢山の誘導員がいる。指し示された先は家族入り口ではなく正面玄関。 ちょっと緊張し始める。 渡されたリボンと控室はVIPの方ではないが来賓控え室。 2階席で見物しようと物見遊山で出かけて来たが、なんかまずい雰囲気。 心細くて同じ協力家庭の人に声をかけて寄り添う。 「私が今日の移動は全てご案内します」と係りの人が寄って来た。 なんか想定と違って来た。 緊張で喉がカラカラ。用意されたコーヒーを飲む。 そして、新入生と親が着席している広い式典会場に案内されて、指定された席はなんと壇上。 これは怖い。そんなはずじゃなかった! 3列目ではあるが、前列に最後に入場するVIPの人たちが座るまで一番前も同じだ。 会場中に見られている気持ちになる。まな板の上の鯉。 もう視線をどこに持って行って良いかわからない。 ピチッと制服着て並んだ新入生席か、2階の家族席か。 あっちに座りたいよ〜。 式典が済んでまた控室に戻った時、真っ先にコーヒー飲みに飛んで行く。はあ〜、喉がカラカラ。 用意されたサンドイッチをつまみ始めると直ぐに今度は外の観覧席に案内される。 寒い、今日は寒い。経験者はコートを持っているのに車で来た我らスーツのまま。 昨日は暖かかったのに、今日はなんでこんなに寒いんだろう。1時間。遅れないで時間通りにぴったり進むのが救いというか、早く終わっちゃうってこと絶対ないのよねと密かに期待する。 次は午餐会。立食パーティーだと思っていたら、新入生、その家族、留学生、協力家庭、来賓全員の名前が書かれ、お祝い弁当がセットされた椅子席がずらーっと並んでいた。 バアスカとテムジンが向かい側に嬉しそうに座った。 1年生おめでとう。 2人を見たらほっとした。 まさかね。壇上から写真は撮れないのでまた長谷寺の写真。
April 5, 2018
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韓国友人の観光に付き合っている時、水分不足を避けるため自動販売機で水を買った。 そうだ、この前韓国事情の本を読んでいて、自分が買ったらみんなにも同じもの買って奢ると有った。でもここは日本、日本式で。自分の分だけシビアに買う。彼女達、1本買って3人で飲んでいた。 ウサギ、自分のペットボトルをさっと袋に仕舞う。 みんなが空港に行く前、最後にカフェでパフェを食べた。私は抹茶パフェ。3人で2つ注文している。「いいの?」と聞いたら、「良いの分けるから。」 案の定、テレビでよく見る韓国ドラマと同じで3人で2つのパフェをつついている。 ウサギ、自分の抹茶パフェをそっと自分の方に引き寄せ抱え込んだ。 韓国に友達訪ねて行く時はパフェは絶対注文しないと心で呟く…
April 4, 2018
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今年は来客予定が多く、桜の追っかけは計画していなかったが、成り行きで、千鳥ヶ淵に2度、新宿御苑に2度、そして鎌倉で花見をした。 昨日、韓国から来た友人3人を長谷寺と大仏見学の後鎌倉駅で見送った。友人チョさんのご主人がいつものようにきっちりスケジュールを組んで送ってきたのに、彼女達、鎌倉へ行く予定の日は東京へ、家から羽田に帰る予定の日はそれ前に鎌倉見学をと、全く無視の行動をとる。 やっぱりね、男と女の行動は違うのよと一緒に回るウサギ。見学、買い物、お昼にお茶に、花見して買い物。歩行者天国もジグザグに店から店へと渡る。 新宿御苑でみんなが座って花見弁当を食べていたらピクニックしたくなるのが普通、座ってお菓子食べようとなる。 そうだと思ったから、シート持参して途中でスイートポテトを買って来た。 新宿御苑の桜 新宿御苑去年よりもずっと人が増えている。 3日間韓国語の日。 仏陀の足跡、長谷寺
April 3, 2018
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モンゴルにも韓流の風が吹いているようだ。ウランバートルのレストランも日本料理店より韓国料理店の方が多いんだとか。味の濃いものを好むモンゴル人にはそっちの方が合うのだろう。 日本に有る餃子や八宝菜みたいに、モンゴル風韓国料理が流行りだそうだ。 ウサギ、旅行先で覚えたり、友人に教えてもらったりして外国料理を習得するのも趣味のひとつだ。 モンゴル学生がいる時、モンゴルで好きだったという料理を聞き出して作ってみた韓国料理。 タクトリタン。 タクは鶏、タンはスープというのはわかる。間の「トリ」は何? インターネットで検索して早速作って食べさせた。 「美味しい美味しい」と食べる。ご隠居と私は「辛い辛い」と食べていた。 必死で食べていたテムジンの箸がふと止まった。 「お母さん、お父さん、私が今何考えてるか分かりますか?」 食後にお茶碗を洗ってくれながらまたご隠居に尋ねる。「さっき何考えていたと思いますか?」 「私は実は緊張していたんです。」という。 どういう事? 留学生のトップ成績のバアスカと違って、まだちょっと日本語が完璧でないテムジン。「お父さんたちが辛いの苦手なのに自分たちのために、辛い料理を作ってくれて申し訳なくて、胸が詰まった。」と言いたいところ、自分の気持ちを表現する日本語が出てこなくて、「緊張する」になったらしい。 とにかく優しいのである。日本一厳しい規律の学校で後4年やっていけるか心配する。 いや、逆に「みんなは1人のために、1人はみんなのために」という学校だからそれで良いのかもしれない。 ほほほ、テムジンごめんね。お父さんもお母さんも「辛い辛い」と言いながら、実は辛いの意外と好きよ。
March 30, 2018
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春休み、誰もいない寮では絶対過ごしたくないと思っているモンゴル留学生の2人。ずっと家にいる。 先週1泊だけ外に泊まりに行って来た。大江戸温泉。 帰って来てからのその2日間の話が抱腹絶倒だった。 以下彼らの話。 起きて、我が家でお昼の天ぷらそばを食べて出かけた。起きてお昼か?とは突っ込まない。 まずはインターネットで調べた泡で顔の模様を作ってくれる六本木のカフェを探すも見つからず、方向転換してデズニーランドへ。 夕方6時を過ぎていたのでアフター6パスで入った。 並んでいたら、前に並んだ女子学生が3人でチキンを食べながら並んでいた。3人で食べ回している。 良い匂い。だけど彼女たちのチキンのかじり方がイライラする。小さい口でちょこっとずつ食べては次に回している。 バアスカ達お腹が空いて匂いが苦しい。早く食べちゃってと思っているのに、少しずつ食べ回す。食べるの手伝ってあげようか? アトラクション優先して何も食べなかったので、お腹を空かせたままデズニーランドを出たのが10時ちょっと前。チキンに頭の中を占領されてしまった。 何としてもチキンを食べたい2人、今度はケンタッキーフライドチキンを探して六本木へ戻るも人影も少なく店も閉まっている。六本木なら夜もやってると思ったのね。 ハッと気がつくと12時越え。 大江戸温泉に行かなくちゃ。 乗った電車は最終で、新木場で終わりになっちゃった。 雨の中を歩いてお台場へ向かうも寒くて疲れてついにタクシーに乗る。 大江戸温泉に着いたのは1時45分。 中に入って寝ていると、朝8時に「閉店です。出てください」と起こされた。 料金は2日分取られた。2時に入れば1日分で良かったのに知らなかった。15分の差が悔しい。 スカイツリーに行くも雨で見えないから登らなかった。 秋葉原へ行く。欲しかったゲームソフトを買ってインターネット喫茶で試してみたけど使えない。ウィンドーズ10以前のバージョンしか使えないソフトだった。 買った店にクレームしに行く。 「確認しないあなたの責任」と言われたが納得できない。1年間勉強したあらん限りの日本語を駆使して食い下がる。なんとか返金に成功。3時間の粘り。 いろんな経験をして2人は夕方帰ってきた。 ホッとしたのだろう。2日間の経験を機関銃のように報告し続けた。 翌日2人はまた昼過ぎまで死んだように眠っていた。 2人は毎日夕ご飯が終わるとさっとお茶碗洗いをしてくれる。 この日の夕食の餃子はテムジンが私の教えた通り皮に包んで、バアスカがお父さんに教えてもらいながら焼いた。
March 25, 2018
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協力家庭になっているモンゴルの留学生2人と連絡を取る時、いつも2人のLine かメッセンジャーに個別に同じメールをしていた。 それだと2回同じ文面を打たなければならない。2人は学生寮の部屋が違うので、お互いの部屋を行き来できるとして、話し合うのも時間がかかる。 そこでLineのグループチャットを作った。 グループ名は何にしよう。 考えて「蒼い狼」にした。井上靖のモンゴルを扱った小説「蒼き狼」から借りたのである。 昔昔蒼い狼が湖を渡ってモンゴルの地にやって来て白い雌鹿と結婚した。それがモンゴル人の始祖だと言う。 2人の学生の1人の名はテムジン。チンギス・ハーンの実名である。 またまたお花見
March 4, 2018
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韓国のジョンさん、ご自分の男子学生5人を連れてまた2泊3日のホームステイにやって来た。他の日は東京のホテルに2泊して観光するという。 前回の時のように私の所属する交流協会との間を取り持った。 先生のジョンさんは我が家に一泊。 生徒達が各家庭でホームステイしていた日がちょうど土曜日だったので、暇なジョンさんを私の韓国語教室に連れて行った。韓国の高校教師をリタイアしたら、韓国語教師の資格を取って韓国のJICAのような機関から派遣され外国でボランティアしたいと言うから見学は勉強になっただろう。 授業の後、私たちの先生がお茶に誘った。一緒にお茶を飲んで話していると、友人達が、韓国に行くと見知らぬ人が自分の韓国語の発音を直してくれるんだという話題になった。 私も韓国旅行中、そういう経験は何度もした。電車の中で隣に座った若い女性に何度も発音を直された。駅では駅員が私の発音で行き先がわかったのに、正しい発音するまで手に用意した切符を渡してくれなかった。 韓国人は発音は旅行客でも直すんだとみんなで言っていたら、ジョンさん、「ウサギさんは私の日本語全然直してくれない」と言うじゃないか。いやあ、自分の日本語の生徒の日本語は直すけれど、ゲストで尚且つ日本語の先生のを直しちゃいけないような気がしたのだ。 阿吽のなんちゃらは日本人だけの特徴らしい。これからはちゃんと直してあげなければと思ったホームステイだった。 授業に行く前、河津桜の満開を電車に乗って見に行った。韓国の白っぽい桜と違って濃いピンクの桜を楽しんでいた。
February 28, 2018
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またいつもの馬鹿やった話。 いつものようにローラの車に待ち合わせ場所でピックアップしてもらった。入門証が無ければ入れない門の前で、入門証を入れた財布を忘れたことに気がついた。 入れないじゃん。 「ワンデイパス作って貰う?それともどこかカフェでお茶する?」とローラ。 「うーん、パス作るの面倒だから、カフェで。今日は私がコーヒーご馳走するね」 と言ってはみたものの、彼女が駐車場に車置きに行っている間に、財布が無ければお金も無いことに気が付いた。 ごそごそハンドバックを探すと、若い時からの癖でとっさのチップの為にポチ袋に1,000円入れていたのが出て来た。 タリーズのカウンターで袋から1,000札一枚出している私を見て、ローラは一番安いコーヒーを頼んだ。 昨日、韓国語の授業の前にその日の教室の場所の連絡が来た。「今日は○○会議室、5時半から食事会」 え、あ、今日食事会だった。授業だけだと思ってモンゴル学生をホームステイに招待しちゃった。 ダブルブッキング。 授業の前に夕食の用意を整え、後はご隠居に任せて急いで韓国語教室に飛んで行った。 1時、あたふた急いで教室に着いてドアを開ける。違うクラスの人が授業中。受付で聞いたら3時からだって。あ、そうだった。その日は食事会が夕食だから授業も遅く始まるんだった。 突如、忙しいのに家から遠く離れた所で何にもできない時間が2時間できた。 7時、食事会を済ませて、二次会を断って急いで家に帰った。家にはモンゴル研修生のザヤさんだけご隠居と手巻き寿司を食べていた。 留学生の2人は? 「まだなんだよ。どうしたんだろう」 直後に連絡が来た。「テムジンが熱が出たから行かれません」 忙しくする必要のない時間が再び訪れた。 無駄に忙しかった一日。
February 11, 2018
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この頃英語でメールを書く時最初にはたと困るのだ。 Hello,Grace とかDear Jennifer とかいつもの通り書き出す。 ところがクリスティンなど日本語の家庭教師を付け日本語を習い始めた。 そうすると急に、私に送ってくるメールが Hello,ウサギさん で始まる。え、え!日本人は相手に呼びかける時「さん」を付けると教えられたらしい。 「ウサギさん」と呼ばれても別に構わないのだが、今度は私がクリスティンに Hello,クリスティン と送っていいのだろうかと迷ってしまうのだ。 私も「クリスティンさん」と付けなければ片手落ち? 会話の中でもそう呼ばなきゃいけない?1人に付けたらみんなで話すときも全員に「さん」を付ける? 悩ましい!
February 9, 2018
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ご隠居と2人ちょっといい服を着てモンゴル留学生の協力家庭の委嘱状をもらいにその大学に行って来た。 他の協力家庭はスタートが4月だったので7月から参加した我が家だけ特別に今回受け取り式をしてもらった。 本館に車を付けるとエスコートの方がさっと階段を降りて来て応接室に案内してくれた。 大学副校長とか色々の肩書きの付いた席が並んで、ご隠居と私の座る席も指定される。さすが規律と時間に厳しい大学。最後に校長先生が入室されて時間通りに委嘱式。その後の歓談、写真撮影。 めちゃめちゃ緊張した。 その後他の協力家庭の方たちと合流ミーティング参加。待機していたバスで棟を移動してパーティー会場へ。 バスを降りると制服を着た留学生たちがずらっと並んで自分の協力家庭のお父さんお母さんをエスコートして会場へ連れて行く。こんな若い子たちにエスコートされるのも悪くない。腕こそ組まないけれど。 私達のモンゴル留学生の2人もさっと寄ってきて4階に案内してくれた。 大きな会場にはステージと6つに分けた料理の並んだテーブルと100人程の0年生から5年生と研究生、その協力家庭の両親たちと先生方が集まった。 20年も前、2日間のホームステイにシンガポールのテオさんを受け入れるためにこの大学のセレモニーに参加したことを思い出した。6カ国ほどだろうか物凄く地位の高い人ばかりのパーティで英語の出来る大学生の娘だけが頼りで私は小さく萎縮していたことを思い出した。 しかし今日は違う。 2人の留学生は嬉しそうにお皿に料理をとってくれ、ジュースを注いでくれる。先生やモンゴルの留学生の先輩も次々に寄ってきて挨拶をしていく。協力家庭の期間は普通5年間だから家庭同士も顔見知りになるのだろう。和気あいあい。遠く故郷を離れ5年も過ごすのだから、日本にも家庭が有るというのはそれほど嬉しいものなのか。 さっきの応接室の緊張がなんだろうと思うほど私もリラックスして楽しんだ。 終了後、2人に学生会館の入り口まで送られてまたバスに乗って駐車場まで帰ってきた。 こんなにも寒い季節なのに心がほっこりな夜。 しかーし、2時間の立食はすっかり年取った腰にはずんと来たのだった。5年後のパーティに参加する自分の姿が思いやられる。普通どこのパーティーでも端には椅子があるのだが、流石にこの大学には無かった。 誰が用意したんでしょうね。こんなモンゴルのお酒が会場に。もちろん学生は飲みません。
February 7, 2018
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モンゴルからテムジンさんとバースカさんが帰って来た。空港での面白い話も聞いたが、2人の名誉のために伏せよう。 ヤクのマフラーやカシミヤのセーターなどお土産に買って来てくれた。 我が家で一泊して、今日のお昼を食べて我が家に置いていった制服に着替えてピッカピカに磨かれた靴を履いて大学に戻って行った。 制服に着替えると流石にカッコいい。この辺ではこれを着てると女の子が振り返る。そしてこれを着ているが故に電車で着席出来ない。 モンゴルでは零下何十度という極寒のウランバートルで彼女に再会したり、家族と過ごしたりしたようだ。 バースカさん、お祖母さんのお墓まいりに行ったという写真を見せてくれた。見渡す限りなーんにも無い雪原のちょっとこんもりした丘の上に1個だけ棒の先に裂の巻かれた土盛りが有って、それがそうだと言う。家から車で3時間。 周りに何にも目印になるようなものがないのである。墓の位置を見つけられない事もあるんじゃないかと想像しちゃう。 そこは誰の土地でも無いんだとか。好きなところに作っていいんだとか。そもそも墓を作るなんていう人は少ないんだそうだ。 やっぱり、輪廻転生の考えからだろうか。ブータンみたいに。肉体は死ねばただの抜け殻だと、衣のようなものだと。 「寒くて言葉も凍った?」と帰国前に聞いたジョークを言ってみた。 「はい、凍りましたよ。友達に喋ったのに途中で凍っちゃって届かなかった」だって。 日本語で冗談も言えるほど語学も上達しているんだ。 負けてはいられない。 そして今年もウサギの「New Year’s resolutions」は韓国語を頑張る。 先週は地震が多かった。 臆病ウサギだから我が家の唯一揺れるものはこの地震計。少しでも揺れるとこれを見る。 これ前にも書いたけど。
January 8, 2018
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いつから書いてないのだろう。歳をとって師走の諸々が2倍もかかるようになったのでブログも書けない。いや時間はあるのだが、掃除に疲れると韓国語の勉強に逃げる。安易な方に。 クリスマス娘達もそれぞれ過ごしているので夫と2人だけ。ならばと、モンゴルの留学生を呼んでディナーをと思ったら、25日は大きな試験が有ると言うので、28日に変更した。そうしたら、今度は29日にモンゴルに冬休み中帰ると言うので、27日に変更。 解団式の後日本語の授業が有ると言うのでそれに合わせて夕食を設定。 ところが、昼過ぎバアスカが電話で泣きついて来た。どうやら教員室で電話を借りているらしい。 また、連帯責任とやらでスマホを取り上げられたか? 「お母さん、Amazonで注文したものが大学に届かなくてヤマト運輸の集配所に有ると言うんですが、電話が繋がらないんです。どうしよう」 しょうがないから注文ナンバーで問い合わせ、下校後本人を連れて集配所に受け取りに行くことにして、大学の校門で待つ。6時。 授業が終わった制服姿の学生達が校門からぞろぞろ出てくる。打ち上げや帰郷のため駅まで出る生徒のためにタクシーがひっきりなしに列を作って走ってくる。凄い。タクシーの方もこの日のこの時間は稼ぎどきだと知っているのだろうか。 校門の外はバスやらタクシーやら制服姿の生徒やらでごちゃごちゃ。入門証をもらっているので、校門の中で受け入れ生徒の2人と研究科のザヤさんを待った。 2人、帰国用の大きなスーツケースを持っている。 うん? 「今日はどこに泊まるの、ザーヤさんのアパート?」 「わかりませんよ。29日の帰国日まで泊めてもらうこと出来ますか?」 いやいや、最初からもうそのつもりであろう。この様子じゃ。 ザーヤさんが集配所に向かう車の中でぼやく。 「この2人と1年生の2人と5人でスキーにい行こうと計画していたら返事がおかしい。帰国したいのを隠していたらしい。注意しましたよ」 よっぽどモンゴルの彼女に会いたかったんでしょうね。 2人は今彼女へのお土産を買うために出かけている。朝、テムジンの大きな貯金缶が開かないと言うのでご隠居が缶切りで開けると、中から丸めた一万円札がゴロゴロ。 凄い! わたしの500円玉の旅行貯金缶よりずっと凄い! 海辺コース、散歩に出たら桜が咲いていたよ。
December 28, 2017
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このところ急に寒くなった。 昨日はモンゴルの留学生2人を昼食と夕食とに招待した。協力家庭になったのは日本語過程の2人なのだが何故かいつも大先輩の大学院博士課程の先輩も呼ぶことになる。彼も最初の5年間は協力家庭が付いたらしいが、5年は長い。お世話する方も年を取っちゃうのね。2度目の来日の今回ではあまり触れ合いはないらしい。 その先輩は家庭を持って学外で生活しているので奥さんのオエンガさんも、子供のエンちゃんも付いてきた。 我が家は3合炊きの御釜しか持ってないので、昼2回、夜2回ご飯を炊いた。経験から学ぶ。前回ご飯が足りなくなったから。 食事をしながら、「寒くなったね」という話をしていたら、「モンゴルはもっと寒いですよ。マイナス40度の時も」というのだ。 「ヒエー」と驚くと、「モンゴルにはこんなジョークが有りますよ」と モンゴルの冬は寒い。洗濯物も物も外に出すと全て凍りつく。発した言葉さえ凍りつく! そうやって冬の間、みんなが話した言葉や叫び声が空気の中で皆凍り付いて溜まっていく。 やがて春になると、雪が溶け、氷が溶け、凍てついた湖や川が溶け、そして凍って固まっていた「話し声達」が溶け出す。花が咲くように一斉に溶け出す。 わんわんと。 そこら中で溶け出した言葉達で町中が、村中がうるさいうるさい。 春になるとうるさいんだそうだ。 エンちゃん何してるかって?パパが置いたスマホでトーマス動画を見ている。
November 19, 2017
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カテゴリーとタイトルが合ってないが。 日曜日国際交流のボランティアに行ってきた。私の担当は総合案内。受付に座って質問に答えて、時にはお客様をご案内。年に一度のイベントなので受付ボランティア同士七夕みたいねと挨拶して始まる。 外国人、日本人合わせて1,300人ほど参加する。着物の着付けが大人気で開始時刻より1時間も早く100人ぐらい並んで整理券をもらう。 外国人といってもアジア系の人は国際交流協会内で毎日やっているどこかのボランティアグループに行って日本語を勉強している人が多いので、片言でも日本語で話しかけて来る。 アメリカ人だけ英語での応対になるけど、だいたい「どこで食べ物売ってるか」とか「着物着たいんだけど」とか「控室はどこか」とか想定内の質問がほとんどなので楽な仕事ではある。 同じ日、ご隠居はモンゴルの留学生の協力過程になっているご縁でその大学からご招待が有って開校祭に出かけた。式典とか親睦食事会とか文化祭とか有って、最後に有名な棒倒し競技がある。 棒倒しは勇壮で特に人気があるのだ。見たかったなあ。 でも、ボランティアの参加返事の方が先だったのでしょうがない。仕事中に夫からLineで送られてきた動画をこっそり見て我慢した。 模擬店で買ったというモンゴル料理の羊の肉入り包子を夕ご飯に食べたのだった。
November 14, 2017
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娘の友人のエンジェルが台湾からお月見饅頭を送ってくれた。毎年娘のところと我が家と両方に送ってくれる。 そうか、十五夜なんだね。 でも私たちは今山の家にいる。お饅頭は持って来たがあいにく曇り。 韓国のジョンさん夫婦が秋夕(韓国のお盆みたいなもの)の長期休暇を利用して我が山の家訪問と日本の登山をしたいというので招待した。 韓国から中部国際空港、名古屋に泊まって翌朝早朝出発して木曽駒ケ岳登山。その後山の家にやって来た。 韓国を出る前に奥さんが作った秋夕の伝統的なお菓子をお土産に持って。
October 4, 2017
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日曜日、モンゴルの留学生をホームビジットに呼んだ。実は土、日のホームスティに呼んだのだが、2人とも自主勉強が有って日曜日だけになった。 さてさて、どのくらい日本語上手になったかなと楽しみに会った。 「え!」と思うぐらい上手になっていた。 長野の山の家から2人に別々に出した手紙、ちょっと難しいかなと思ったが、漢字も入れあえてルビも振らなかった。読めたかどうか聞いたらちゃんと理解していた。 外国人が日本語を勉強する文法の「て形」も「な形容詞、い形容詞」も「受け身」も「使役も」理解して、使いこなしているのだ。 日本語勉強し始めて5ヶ月で「すんごい!」としか言いようがない。 今は日本の地理を勉強するのが楽しんだそうだ。 「日本の国土は南北に長く、北海道、本州、四国、九州の四つの島を中心に成り立っています。・・・」多分2、3ページはあるだろうと思われる日本列島などを説明した文章そのものを暗記しちゃっているのである。 「お母さん、漢字の意味が分かる辞書有りますか」と言う。「漢和辞典は要らないから捨てちゃったかな」と本棚を覗くと、有った。 「要らないんですよね。もらってもいいですか?」だって。 要らないと言っちゃったからね。断れないじゃない。 早速開いて「へんやかんむり」勉強していた。 あまりにも良く出来るので「敬語」の間違いなども遠慮なく訂正する事にした。2分後には正しい敬語を使ってくる。 スポンジみたいな吸収力の若い頭には到底かなわない。 たった50行の韓国語文章をシャドウイングできなくて、電車の中で聴きながら途中でうつらうつら、リピート設定のテープが勝手に回っているというウサギなのである。 共食い 勉強頑張ろっと!
September 28, 2017
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近頃はインターネット辞書が便利なのでそればかり使っている。 頻度で言うとGoogle翻訳、辞書くん、ネイバー、Voicetra、の順。 Googleは流石に英語には強い。全く意味不明な翻訳はしてこない。しかし、韓国語はおかしな訳もある。インドネシア語に至ってはわからないところはカタカナでそのまま放り返して来る。 ネイバーは韓国語の単語や例文に使う。 Voicetraはとりあえず全く知らない言語の時のお助け。しかし必要なモンゴル語はない。 今日はジョグジャカルタ観光プロモーションの歌の歌詞をインドネシア語から日本語にノビさんと訳した。 彼女は歌の意味はわかるけれど、日本語に上手に訳せない。 私は意味は調べなければわからないけれど、わかった後は上手に日本語の詩に作り直せる。 共同作業。 今日の私の使う辞書はこれ。 ジャヌディンさんが日本を去ってもう5、6年は経つのだろうか。最後に彼にねだって貰った使い古しのインドネシア語の辞書。 すごく役に立っている。 どうしているかなあ。元気でやっているだろうかインターネットできないと言っていたから繋がれない。 手紙でも書こうかな。
September 24, 2017
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テキサスには3人友人がいる。 ハリケーンのニュースを見て心配になった。 大学院で勉強している若い友人にメッセンジャーで安否確認した。テキサスは広い。海岸から離れた内陸部なので大丈夫らしい。 テレビで見るヒューストンの浸水も酷いものだ。小さい子のいる日本人の女友達にも連絡した。彼女の住んでいる地域は停電も浸水も大丈夫らしい。でも連絡取ったのが初期の頃なので食料品の在庫とか日常の生活とか段々影響が出てくるのだろうか。心配。 1番大変そうなのがむかしむかし、ホームステェイ受け入れた男の子(今はもう可愛い男の子のいるおじさんになっちゃったけど)。 ハリケーンの直撃受けたコーパスクリスティに住んでいる。 彼と連絡取ったらまだおじさんのうちに避難継続中だった。車で避難途中で大きな木から枝が飛んで来たりして怖かったそうだ。自宅は被害が少なかったようだがまだ停電中なので帰宅を見合わせているという。家族が無事でよかった。早く帰れるといいな。 この地球だんだん住みにくくなっていく。 北朝鮮のミサイル発射で起こされた今日。 逃げろと言ったって逃げようがないじゃない。自慢じゃないが小さい時から駆けっこびり。ミサイル到着までの10分じゃスーパー迄だって走れない。 ご隠居が昨夜焼いたクーヘンでお茶タイム。シュトロイゼルクーヘンはプルーンに限る。
August 29, 2017
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今日の話題はベットメーキング 以前も書いたがホームステイが終わってゲストが帰った後、彼らの使ったシーツを洗う。 その時部屋に入る時の印象は彼らに初めて会った時の第一印象と同じような感じを受ける。 使ったベットをきちんと直し、枕の上にお土産の真新しい帽子を置いて行く少年達、手紙を置いて行く少女達。彼らの多くは使ったベットをきちんとして去って行く。中にはフランスのピエールくんのように絵葉書を並べサンキューカードを置き、パリの地図を置き、今度は君の来る番だよとばかりのアーチストばりの小憎い演出をして去る者もいる。かと思えば寝たままの姿を残して急いで去る大人もいる。彼らの姿勢は、そのまま自分がホームステイした時の有難い参考になる。 7月、ある大学のモンゴルからの留学生2人の日本での家族になった。これから日本語研修期間を含めて5年間、時々の週末や長い休みのホームステェイを含めて彼らを支援して行く。 手始めに早く日本語を覚えるようにと7月の最終週末、先々週、先週の週末とホームステェイして行った。これから5年も夏休みとか週末とか時々付き合うんだから自分の家みたいにしていいよと(実はその方が私も動く距離が少なくて済むからとの魂胆も有って)伝えてあるから、コップやお箸も自分達で並べる程打ち解けた。 食べ終わった食器もちゃんと洗ってくれる(我が家は食洗機を使わない主義なので)し、調味料もしまうべきところにきちんと戻してくれる。 そして、今日の話題のゲストルームのベッド。 帰った後シーツを洗おうと部屋に入ってひっくり返った。客用ベットには普段、アメリカ製のホテル仕様の大きめシーツを2段重ねのマットの上の段に被せて使っている。 彼らが去った後にはきちんと肌がけが畳まれ、シーツが皺一本なく敷かれ、ボックスマットの角を包装紙で包むようにきちんとマットの下にシーツを折り込んであった。まるでビッタリのマットカバーを誂えたように。 彼らが使う前にベットメーキングをした私のいい加減なやり方なんて恥ずかしくなるほど完璧にして去って行った。 これから寝るんじゃないんだよ。今日は去るんだよ、もう剥いで洗っちゃうんだよ、と心の中で呟きながらシーツを洗濯する為に剥ぐウサギだった。 規律の厳しい大学の学生寮の生活を垣間見た気がした。 ホショール posted by (C)灰色ウサギ 彼らが2時間掛けて粉から作ってくれたモンゴル料理、ホショール。 銅鍋を何に使うのかと思ったら揚げたホショールが冷めないよう考えたらしい。言ってくれれば保温鍋とかストーブとか有ったのに。 あくまでも彼らの料理が主役なので私は煮物だけ。 夏休みが明けてまた厳しい寮生活が始まった彼ら、どうしているかな。
August 25, 2017
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昨日「にっぽんに行きたい人応援団」にグアテマラのオットーさん出ましたね。 あのすぐ感激して泣いちゃう愛すべき人柄は皆を引きつけるようで、テレビに映った折り紙講習会でも以前の来日の時のテレビ見て是非会いたくなったという人が何人も来ていた。 折り紙会館での1回目と3回目の講習会に参加して彼に再会。ハグしてお土産渡して、グアテマラのコーヒーやバックのお土産もらって、彼の折った折り紙まで貰って帰って来た。今回は我が家にホームステイしてないのに。離日前日、バイバイして折り紙会館を出る時、まだテレビクルーと打ち合わせしていたけど、その夜、ものすごい雨の中隅田川の花火見に行ったんだね。テレビ見て知った。 前回、グアテマラから持って来た彼のバックにたくさん買い込んだ折り紙の本が入らなくて私のスーツケースあげたけど、今回ちゃんと使ってくれていたので嬉しかった。テレビではまたまたたくさんの教本買ったみたいだけど、スーツケースにちゃんと入ったかな。 8月6日、3年の実習を終えてインドネシアに帰る6人の送別会を兼ねて我が家でBBQ。夫も入れるとインドネシア人25人、我ら夫婦2人。総勢27人。いつもながらよく狭い我が家に入るとなあと思うのだ。 去り際、道路で全員写真を撮っていたら、近所の人が、「いったい何人庭から出てくるか」と思ったそうだ。 あまりに暑いのでBBQの後、家の中でエアコンで皆で涼んでいた時にオットーさんに教えて貰った折り紙の魚をみんなに教えた。「インドネシアでもやるよ」とみんな楽しそうに折っていた。 折り紙魚 posted by (C)灰色ウサギ あれ、魚を教えたのになんだか違うのを折ってる人がいる。
August 18, 2017
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以前、日本語ボランティアは子供クラスでも教えていた。日本語を習うのは何も外国人ばかりではなかった。 日本語を習う理由もさまざまざ。日本で生きていくために日本語を急いで習わなければならない切羽詰まった子供達には教室での他に自宅で補習授業、受験のための日本語を、受験英語、理科、国語、社会まで教えた。 昔、日本人の男性がフィリピンで結婚しておいてきた子供で日本語を話せない子供達が日本の父の元にやって来た。 その子たちの国籍は日本。 あっちの学校でどんなに優秀でも、日本の高校、大学に入るのには日本人と同じ試験を受けなくてはならない。日本語による設問に日本語で回答する。 彼らは留学生枠は使えない。日本国籍だから。親の転勤などで外国にいたわけではないので一度日本の中学、高校に席を置いてしまうと当時、帰国子女枠はなかなか使えなかった。 日本人になってしまったから。 ほとんどの彼らは親の資金不足で英語で受けられる私立のわずかな帰国子女枠も受けられない。 頭が良くてどんどん日本語は上手になっても、理科や数学の設問の日本語は難しい。日本の歴史なんてさらさら難しい。古典も覚えるの? 教えていて、日本の政府に腹が立ったものである。 日本での進学を諦め、再び日本にいる家族と別れ単身あちらの大学に入るために戻って行った子がいた。10年も前の話。5年ほどfacebookや手紙で交流しながら彼女の生活を見届けていたが、突然音信不通になった。 その彼女から母の日の前日、メッセンジャーでメッセージをもらった。「先生お元気ですか。いま日本に帰っています。明日母の日です。ランチをご馳走したいので会えますか?」英語でそう書いて有った。 10年ぶりに会ったルミちゃんは懐かしそうにはにかむ姿も変わらなかった。「先生に送ってもらった教科書でずっと勉強していた」という日本語で会話した。聞けば、フィリピンの大学を卒業してカナダで働き、2週間前に来日してこれからは日本にある会社で人事の仕事をするんだそうだ。 母の日のケーキとカーネーションのアレンジしたのを貰った。そっちも嬉しかったけれど、10年もずっと覚えていてくれて連絡くれたことの方が嬉しかった。 写真はカーネーションでは無くオダマキ。 西洋オダマキ posted by (C)灰色ウサギ
May 18, 2017
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ナタリーの家に着いたら「この間カーパー見たんだっけ」と言われた。「うん見たよ」 「それがね、カーパーもうすぐ出産するの。」と飼い犬を呼ぶと。カーパー2階からトコトコと降りて来た。ジャックラッセルのカーパー、ボンレスハムのようにお腹がパンパン。前回はこんなじゃなかった。 それから、お茶を飲みながらちょうど来ていたナタリーの友人ジェイクも加わってもっぱらカーパーの出産の話になった。 「出産用のケージと赤ちゃんを入れる箱の下に敷くホットカーペットは準備した。 インターネットで出産時にどうしたら良いか勉強してるの」ナタリーがいう。 「カーパーがパピーのへその緒を噛み切るだろうけど、彼女がしないと切ってあげなきゃ。その後へその緒を結ぶのよね。」ナタリーが続ける。 「だけどカーパーが自分でへその緒切った場合は自分では結ばないよね。」ジェイク。 「え!」 「え!」私とナタリーが同時に答えた。 「噛み切った後カーパーは傷口を口で固めるのかしら?」 不思議なことの前で我ら3人、思考が停止したのであった。 写真は長野旅行で食べた小布施の栗の木テラスのモンブラン。
December 6, 2016
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国際交流のイベントボランティアに駆り出されて行ってきた。このイベント、外国人に日本文化を紹介し交流するというものなので、1,000人以上の参加者の3分の2以上が外国人。日本の文化的出し物の紹介とか、外国のバンドとか、活け花、着物着付けとか、書道とか、折り紙とか、お茶とか、日本の伝統的遊びの体験とか。うさぎの仕事は総合案内という受け付けや会場案内や、アンケートお願いなど。仕事のほとんどは英語なので、こんないい加減な英語でいいのかなあと思いつつお手伝いしてきた。アメリカ人のお母さんと一緒の5歳ぐらいの男の子が聞いてきた。「ぐるぐる回る階段みたいなスライドにはこの建物のどこから行けばいいの?」着付け受け付けはどこ?とか何から体験したらいいかしらなんて言う質問が多いので、意表をついた質問に戸惑う。「へ?」それなんだ?そんなのこの建物にある?仲間に聞いてみるがみんな「階段かな?」「滑り台?そんなの無いよね」そこで気がついた。ひょっとしてこの建物のどこかに滑り台式の非常階段でもあるのか?「たぶんそれエマージェンシーだけ」しかし、どこからその階段を見つけたのか気になってしまい仕方がないうさぎ、2時間後、ピカチュウの折り紙や書道体験の色紙を持ったその親子に再び出会って聞いて見た。「そのスライドはどこから見つけたの?」「外から」お役が終わって帰り道、建物を外から眺めて見た。「おお、ぐるぐると回る階段と滑り台がセットになったのが7階建ての建物の3階部分から降りて建物ににくっついていたではないか。下はステージの出し物に参加の「ちんどんさん」の写真。ブログに出していいかと聞いたら、「是非是非」だって。読者少ないから宣伝にはならないけどね。ちんどんさん posted by (C)灰色ウサギ
November 6, 2016
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そう、彼らが好きな日本の歌は乾杯。 今日、3年の契約を終えて今月で国に帰るインドネシア実習生3人のお別れ会を開いた。 遠い国に3年も家族や恋人と離れて働く彼らのために年に何度か家に呼んでインドネシア料理をご馳走したり、料理を作って花見に行ったりしている。 最初はたった3人の招待だった。 いつしか同じように故郷を離れて働く同郷の仲間を連れて来たりして、だんだん人数が膨らんできた。 今回帰るのは3人だけれど、入れ替わりに来日したり、去年来たりして、今日はなんと我が家に36人来た。ご隠居と私も含めると38人。よくもまあ、狭い我が家に入れたもんだ。 イスラム教のため、食べ物に制限がある彼らが3年の間にした外食も、日本食体験も少ないので、今日は私が日本食だけでもてなした。 すき焼き、しゃぶしゃぶ、揚げ物が好きな彼らのために鯖をおろして竜田揚げ、鶏の唐揚げ、炊き込み御飯、チラシ寿司、鶏肉のあんかけ、夫の手作りケーキ、サラダ、果物。 天ぷらなど、揚げても揚げても、すぐお皿が空っぽになった。 お礼に、リビングルームより一段高くなっている和室を舞台にして、インドネシアダンスとインドネシアの歌を歌ってくれた。 そして最後に、日本語の勉強のために覚えた彼らの大好きな長渕剛の「乾杯」を歌ってくれた。 何年もの間、こうやって何人も迎えて、何人も見送った。 去り際に握手した手の温かさと、 夕暮れの薄明かりの中、我が家の先の角を何度も振り返り、振り返り手を振りながら帰っていく彼らを見ていると、何年も前に見送った昔の友をも思い出すのであった。 私の口には自分の作った料理は何も入らなかったので、今日は写真もなし。
October 23, 2016
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2ヶ月ほど前、突然以前グアテマラ交響楽団のマエストロのマルビンさん繋がりでグアテマラからホームステイの依頼があった。 日本のテレビ局の招待で一週間来日するグアテマラ人のロケ後の日本観光自由時間のうちの何日かを受け入れてくれないかということだった。 京都や広島地方や東京に住むJICA経験者などなにがしかグアテマラと関係がある人達がみんなで彼の移動を手伝ったり、観光案内をしたり。 私は鎌倉観光や帰国前日の準備などのお手伝いをさせてもらった。 受け入れ決定後、皆さんのリストが回って気がついた。皆さんスペイン語ができる。いつもの我が家ホームステイは英語でなので、良いのかなと思いつつお迎えしてみると、やはり言葉が通じない。 そういえばマルビンさん受け入れの時はマルコさんという英語の出来るビオラ奏者とのセット受け入れだった。彼がマルビンさんとの間を通訳していたのだった。その後マルビンさん単独で来日し会いたいというのでお会いしたがあまりにも楽しく過ごしたので言葉の壁の印象を忘れていたのだ。 オットーさんとはスマホのGoogle 音声翻訳を頼りに会話したが、翻訳が待てなくてスペイン語でお構いなく喋るオットーさんとわからないなりに楽しく過ごした。 オットーさん posted by (C)灰色ウサギ テレビ東京の「日本に来たい人応援団」という番組がある。明日22日、木曜日、オンエアされる。もちろん私のホームステイは撮影外なのででないけれど、陽気で親切なオットーさんの人柄が表れる番組になっているだろうと思われる。 お時間のある方見てやってください。 折り紙特訓 posted by (C)灰色ウサギ 日本の折り紙を外国人から教えられるウサギ
September 21, 2016
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久しぶりにDVDを借りて映画を見た。「杉原千畝」。彼がビザを発給して救った人たちの子孫は今世界に4万人いるのだそうだ。本でも読んで、ドラマでも見てよく知っている話だが、ある理由が有って見てみたかったのだ。 4年前の夏、イスラエルとフランスの国籍を持った建築家をホームステイで受け入れた。その彼が、何ヶ月か前Facebook に記事を揚げたのである。 「私たち家族が今あるのは、私のおばあさんが昔この人に助けられたから。もう直ぐ彼の映画が公開される。公開されたら見にいこう」 彼のおばあさんは杉原千畝に助けられたのか。じゃあきっと日本を通過している可能性が有るんだ。 桂離宮や日本建築大好きで隈研吾を崇拝している彼は、なんと日本に来る前から運命の中に日本との繋がりを持っていたのだ。 彼からは日本人の私が知らない日本の建築やアートのことを教わった。ホームステイでゲストを受け入れていると、この頃は外の世界の人から日本のことを教えられることが多くなって来た。 先日もひょうんなことからグアテマラ人のゲストを受け入れた。そしてまた彼から逆輸入じゃ無いけど、日本のことを教えてもらった。そのときの記事はまたそのうち書こうと思う。 お土産にもらった。マヤの国のコーヒー。 グアテマラコーヒー posted by (C)灰色ウサギ
September 8, 2016
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もうずっと前のホームステイのカイル君。 最初にうちに来た時は学生だった。その後大好きな日本に舞い戻って日本で働いて、日本人のミホコさんと結婚して。でもやっぱり自分のやりたい夢を追いかけて、アメリカに帰って専門学校通って夢を実現させて、妻を呼び寄せた。 ウサギが熊野古道歩いていた時に突然、Lineで電話して来て、ミホコさんが妊娠したと嬉しそうに報告して来た。その後、メールや、メッセンジャーで逐一報告。 そしてついに、先週、「産まれた」と出産直後の病院からラインで親子3人の写真を送って来た。 舞い上がっている。 まあ良いか。新米パパ頑張れ。 天使 posted by (C)灰色ウサギ 天使の置物、アメリカで買って飾ってあるのを見て以前2回お土産に彼が買ってきてくれたものが2つ。 さりげなく私の好きなものを観察しているのが彼らしい。 後の2つはなぜかドイツのゲンゲンバッハで買ったものとオレゴンで貰ったもの。
July 4, 2016
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