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昨夜4時頃に不整脈で起こされました。目が覚めたらバクバク言っていて、手足の先がかなり冷たくなりました。1年に1回あるかないかのことが、1月にあるかないかになりました。血管を広げる薬のワソラン錠を飲んでしばらく様子を見ていました。20分くらい経ってもよくならないので、半ば救急車の覚悟を決めることに。フラフラしながら歯を磨いたらいきなり治りました。この治った時の安堵感はなかなかのもので、薬が効いた時の回復していくさまはいつも劇的です。手足が急激に温かくなり血行だけでポカポカしてきます。今日、手術の相談をするための外来受診の予約を入れに、またまた東京医療センターに行きました。目当ての先生の受診は来年になるのですが、循環器科の看護師さんが丁寧に相談に乗ってくれました。こういう時に親身になってもらえると涙が出そうになります。年末年始も救急では対応してくれますが、発作では行きたくないです。ワソランは米粒2個分くらいの大きさしかないのに効きます。この薬があと3回分あるので何とかもってほしいです。東京医療センターのある駒澤通り沿いに成城石井があります。せっかくなので食料品を見て帰ります。主にチーズやワインや、サラダです。食べ物に注意しないといけないとわかりつつ。
2018.12.26
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高輪ゲートウェイという駅名の撤回について、4万を超える署名が集まった件です。毎日新聞のコラムで採り上げられたこともよくわかります。世の中の風潮を下記のように示しています。とてもわかりやすい提示だと思います。(1)誰が決めたかわからない(責任者不明) (2)一応、公募している(見かけだけの民主主義) (3)もう、決まったんだから仕方がない(あきらめ) (4)今は炎上しているけど、すぐに忘れるさ(忘却) (5)その駅名に慣れるよ(慣れ)日本が「高輪ゲートウェイ化」しつつあるという指摘ですが、これらは今始まったことではないと思います。世の中で騒がれていることは殆どがこれらに類することが多く、誰が決めるのか、責任がどこにあるのかによって結果が異なります。高輪ゲートウェイについては公募したのに関係なく決まった価値観の所在、それとゲートウェイという文言の親近感のなさが問題になると思いますが、実際にはJRの決めた経緯を聞かないと真意はわかりません。それよりも、上記(1)から(5)のような憶測を生む社会であること、世の中はそのようなものだと洗脳される風潮がもっとも怖いし、本音と建て前を使い分けて人を傷つけることが問題です。https://www.j-cast.com/2018/12/21346575.html
2018.12.21
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いろいろと世の中、社会について感じることが多いのは、歳をとってしまったからでしょうか。今日も国会での法案通過の仕方がこれでいいのかということを報じたと思えば、一度ニュースにあがるとその法律を持ち出して正義の権化のように報道する、マスコミ、ワイドショー。岐阜で豚コレラが流行り県営公園のブタが殺処分された件。マスコミは動物愛護法に抵触するかもしれないって言っています。ブタは大好きで可愛いと思いますが、食用か観賞用かは人が見た目で決めていることでミニブタはそんなに別物でしょうか。主に食用だから感染病が広まると殺処分する法律を決めたわけですよね。感染が広がっても誰かが助けてくれるわけではないのですから、その損害から考えると現場は苦渋の決断なのではないかと想像します。事情はわかりませんが、ともかくこんなに公に取りざたせる話でしょうか。山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の駅名の件。JRが決めるのですから何でもいいと言えば何でもいいです。ただ公募をしたのに数と関係なく決めていることがどうかと。応募したのは、少なくとも何か現地に愛着のある人が多いはずです。その人たちの思いや馴染みのある駅名ではなく、話題性、外国人ウケなどを想わせる宣伝重視の駅名に感じます。130位の駅名が選ばれるのは、すでに公募とは別の思惑が働いているわけで、さまざまな思いのある応募者のことを考えるといたたまれません。また、昔のことをカタカナで表しているこの駅名を考えるのは稀なセンスで、36票もあったということがちょっと信じられません。真面目に思いを伝えた人が実は裏切られる現実を見た、本当に良いと思われているものではなく一部の人の思惑で物事が決まる、世の中を象徴しているような出来事でした。上っ面の正義や、良い人ぶる建前と本音を使い分ける社会が、現実に生きる人々にいい影響を与えるとは考えづらいのです。さまざまな問題が多いのは、社会そのものが問題だからだと思います。
2018.12.07
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今、思えば四半世紀前に経験した出来事がどのようなことであったか、かなりはっきり検証することができます。大学4年の頃に書いた弦楽四重奏曲が日本現代音楽協会作曲新人賞に入選した時、N響メンバーで初演されました。その時の審査員長は別宮貞雄氏でしたが、講評を聞いて自分の曲はいいと思われていないということがわかりました。その時に自分の曲を推してくれているのは間宮芳生氏でした。次の年に木管三重奏曲で名古屋文化振興賞をとりました。池辺晋一郎、外山雄三、三善晃という錚々たる顔ぶれの審査員の方々で、まさか通るとは思いませんでした。授賞式や受賞コンサートは名古屋の関係者で行われ、今思えばその豪華さと裏腹にかなり形式的なセレモニーでした。池辺氏からは講評の書かれた立派な冊子に、私の曲はレパートリーとして成り立つというお言葉をいただきました。しかし、自分の力でそれをレパートリーとして、木管楽器の人が演奏するようにする力はありませんでした。その翌年は日本交響楽振興財団のオーケストラのコンクールに入選しました。お歴々の作曲家が10名以上で評価する恐ろしいコンクールでした。チェロ協奏曲という敢えて自滅するような編成を選んだのは未熟でした。その時の指揮者は外山雄三氏で東京交響楽団でしたが、経験してみないとわからないようなことをたくさん学びました。ここまでは、既知の作曲家、師であった池内友次郎、宍戸睦郎、矢代秋雄、ジョリヴェ、ルトスワフスキ、ペンデレツキ、リゲティ、デュティユー、メシアンなどの研究でそれらを織り交ぜたアカデミックな作風でした。しかし、これでは自分のスタイルと言えず作風を固めたのがその翌年、サクソフォーン協会のコンクールで優秀賞を受賞した「オブセッション」でした。常にポルタメントを奏するサクソフォーンパートは雲井雅人氏の名演で、審査委員長の広瀬量平氏にはスタイルの完成度を高く評価していただきました。最優秀が出なかったのですが、その理由として協会の会長は講評で、「曲が暗すぎる」とのことを話されました。自分の日頃の環境で言われることはあっても、公開でこの理由を聞いた時は、もはや今の自分のスタイルをこれ以上追求しても、難解としか受け取られないと結論づけました。そこで、再度何を書けば自分の環境と共に続けられるだろうと考えさせられました。幸いなことは作編曲の仕事や新作初演の場には困らなかったことでした。実は、人生の節々でときどき不思議な体験をするようです。詳細は書けませんが、ある日早朝に目が覚め多摩川に呼び寄せられたことがありました。その時に、作風を戻してさらにさまざまな作風を結びつける多様式主義が、自分の作風であると確信した、というより告げられたようなことがあったのです。それから4年間は、できる時にはその作風を実験的に行いました。たいへん目立つと共に、問題定義をしているようで勇気のいることでした。そして、4年目の1994年にオーケストラ曲「新多様式空間」を発表しました。音楽雑誌4誌中3誌からは全否定されましたが、1誌のみ絶賛されました。調性をあからさまに出したタブーを冒しているような新たな主義なので、当時はなかなか公の場ではできないと、それ以降、現代音楽のみのコンサートでは、この作風の作品の発表を自重しました。(続く)〈最近動画に編集した「新多様式空間」の初演〉
2018.12.03
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