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最近は日夜作曲に没頭しブログから遠ざかりました。と言っても、自分の作風における作曲というのは、時間がかかると言うか、かけないといいものができないと思っています。目的がはっきりしている仕事上の作曲では、その引出しさえあれば時間勝負で作ることもできます。ただ自分の作風を考えることで速書きでは筆が荒れます。これは若い時からの経験で、作りながら考える時間が必要なのです。進めては流れの確認、寝かしながら少しずつ進めていくのがいいです。これは近現代の著名な作曲家もジョリヴェもそうでした。すると1年に1〜4作くらいしかつくれないのです。内臓の調子は今のところ大丈夫なのですが、別に歯医者通いと今日は意味不明な神経痛が右腕に出たりと、注射痕テープの代わりにロキソニンテープが活躍しています。と言うわけでポンコツな感じは変わりません(笑)今日の夕空がきれいだったの撮ってみました。これは多摩川付近から撮ったものですが、四半世紀前からイマジネーションをもらえる場所なのです。留学している時もそうでしたが、もっとも日常的なストレス発散は美味しいものを食べること、呑むこと。幸いなことにそこはまだ制限されていないので、よく眠れる程度に呑む。ただ昔と違うのは寝ている間も頭が働いて眠れないことが多いです。そんな呑みの相棒、ソムリエナイフが瀕死の状態に…。先の部分の接合部が片方切れています。ワインを開ける道具は皆立派な消耗品で、これで3本目です。これでもまだ使えるのでもう少し使おうかと…。しかも、ソムリエナイフは頂き物がまだあるので大丈夫。頂き物といえば、甲南漬という高級奈良漬の詰め合わせをよくいただきます。神戸の灘の近くで酒粕で漬けた漬物です。大根、きゅうり、瓜、すいかが漬けられているのですが、まず強力な酒粕の味が強く、もとが何であっても全て味は同じです。下の写真はメーカーのものですが、実際はこんなものではなく、膨大な量の酒粕がぎっしり入っていて、具は埋れていて見えません。見た目もすごいです。ただ、酒粕は飲む点滴「甘酒」のもとでもあって、これは身体にはとてもいいのではないかとゆき着いたのですね。そのために送ってくれたのかと思えば意味が変わります。そこで、具より大量の酒粕を活かせないかと考えました。具や出汁を足して煮込むとまろやかになるのですね。そして、かなり美味しくなることもわかったのですが、ご覧のとおり見た目はよくないです。写真はおじやです。当面、鍋物や味噌代わりに使いました(笑)
2018.10.31
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音楽を手段として何か音楽の仕事に就くこと、音楽を手段として人とか関わること、音楽を手段として生きていくことと、音楽そのものが素晴らしいこととは一線を画しています。クラシックの作曲家を始め、歴史の偉人が本当はどのような人物であったか、どんな性格であったかと考えた場合に、日本の場合はほぼ美化されているのではないでしょうか。一般的に曲を聴いていいと思った時にその作曲者や演奏者の性格までは考えません。あるいはその曲を課題として与えられた場合に、作曲者のことがわからないこともよくあります。元来本当に音楽における栄誉とはそのようなものでヒーローや英雄とは異なります。本当に音楽において革新的で新しいものを作り出した時、それは仕事に就くことでもなく、音楽を手段として人と関わることでもなく、それを手段として生きていくことでもありません。その音楽を真にサポートしてくれる人、広めてくれる人が必要なだけです。仕事に就くこと、人と関わり皆にリスペクトを求めること、音楽を手段として生きていくことは重要ではなく、その新しい音楽を真にサポートして広めてくれるマネージメントに出会うこと、それこそが最も難しいことであり必要なことなのです。これは21世紀に入ってまさしくそうなったことで、情報が掌握できていた1970年頃までは異なっていました。何が素晴らしい芸術音楽であるか、音楽史として成立していました。それ以降、情報が錯綜し世界すべての音楽を掌握できる学者はおらず、ジャンルのクロスオーバーにより価値観の是非も問われることになってきました。そこに台頭するものは一定の美学から認められる芸術よりも、プロデュースにより仕掛けられた音楽の台頭です。そのことは明確であろう記事もあります。クラシック音楽の流行はメディアが規定した
2018.10.17
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山口のお土産はさつま揚げならぬ長州揚げです。鶏ごぼう天と海鮮天です。初めて食べました。具の味がしっかりしていて、酒の肴としてはとても良いですね。ハンバーグみたいに焼いてみました。美味しそうですね。この和風な感じとは一転、最近ハマっているフランス冷凍食品です。これもワインの肴風なものでチーズがポイントなのですが…。今回は「カマンベールのパイ包み」とでも言うのかうまく訳せない食べ物です!パイの中にカマンベール、おそらくりんごだと思いますがジャムのようなものと、ナッツのスライスなどが入っているということで、とても美味しそうな予感。2個も入っているし期待が膨らむばかり。25分オーブンで焼きます。もとから小さいなあと思っていましたが、焼いたらもっと小さくなってしまいました。カマンベールと言われると、どうしても丸ごと1個を想像しますが、溶けたカマンベールは食べたと言うより味わう程度でした。人が来た時に出そうかとも思いましたが、小さすぎてこれでは1人1個必要ですね。似たものを作れそうなので試してみたいと思います。あと1個は自分で食べよう。
2018.10.13
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音楽の売れるか売れないかは大雑把に言ってしまえば食文化と同じ、ファストフードや大手外食チェーン店のような内容が売れて、そこにしかないような本当に新しい食べ物は売れにくいわけですが、優れているか優れていないかということに耳を向けてもらいたいのです。食の味わい方と音楽の聴き方は似ていると思います。ただそこにいわゆる「アート」という言葉が使われ、本当に「アート」が理解されているのであれば捨てたものではないです。因みに今日音楽で使われている「アーティスト」という表現は、元来の芸術家という意味ではなく以前使われていた、「ポップス歌手」「シンガー」だと思います。振りや照明、音響、スクリーンなどを含めて「アーティスティック」なのでしょう。今まで飲食される空間で幾度となくコンサートをしてきました。これが、もし自分が逆に飲食している立場だとすると音楽は必要ないです。音楽は趣向が強くてさらに今聴きたいものが聴きたいことや、生演奏などだと増して食べることに集中できないのです。本当に理不尽ですが、自分の場合はそうです。海外で音楽の鳴っているレストランは多いでしょうか。ビアホールのようなショーを見せる場では生演奏がありました。ディナーショーにお客で行ったことはありません。音楽がその店で演出的に使われることはあると思います。まったく自分の趣味ですが、アラブやアジアの国の料理を食べる店でその国の音楽がかかっていたり、また先日入った喫茶室「ルノアール」では明快に、モーツァルト、ブラームス、グリーグなどがかかっていました。あとは音色的なだけで明快には聴こえない演出などがあり、これらは演出として受け取れるので大丈夫です。趣向も大きいのですが、音量が大きい場合や、電子音による安っぽい音、安っぽいアレンジ、うまくない演奏だと次は行きたくなくなります。このように世の中にはいろいろな人がいます。音楽を本当に聴いてもらうには、できる限りの音楽的内容や情報を知らせ、聴く目的で集まっていただくのがいいと思います。学校、病院、介護施設、ホテル、カフェなど、そこにすでにいる人たちの前でコンサートをして、そこにいる人すべてが音楽そのものに共感することはないと思います。それができるとすれば、被災地でのコンサートなど、強いメッセージ性があり、言葉が通う時です。音楽のクオリティというよりもむしろ気持ちを伝えることが大事です。
2018.10.12
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ここで音楽が食べることといかに近く例えられるか、ということで書きたいと思います。音楽は聴かなくても死なないので食事よりも切実ではありません。ただ本当に美味しい料理をつくれる人は一流レストランではなく、隣の家のおばさんかもしれないということです。ここで言うことはいかにプロになるかと言うことではなく、いかに美味しい料理をつくれることを知ってもらえるかということです。今日9日にテレビ朝日で「芸能人格付けチェック MUSIC」という番組が放映されていますが、壮大な仕掛けとトラップを感じました。音楽ということになぜまとめたかと言えば、オーディエンスが実際に聴くことができ参加できるということだと思います。番組内ではプロとアマチュア、高い楽器か安い楽器の比較ですが、実際に本当に上手いか下手か、いい音かどうかということ、またもうひとつは実績を重ねた芸能人が実は何もわからないということ、その2点が顕著になるという意味でとても革新的です。3時間スペシャルということですが、そんなにやると本当にいろいろな意味であらわになります。中でも声楽の比較、和太鼓の比較ははっきりした意図があります。アメリカで活躍している声楽家には誰一人として上手いと言わず、桐朋学園大学院の学生を皆が大手を振って支持したのは、本当にその学生の方が上手かったのです。また、和太鼓についてはアンサンブルの緻密さしか判断材料がない中、上手いのがどちらかは明らかでしたが芸能人はそれをわからないわけです。ここでの結論は、アマチュアとか言っても練習や研究する時間が長ければ、たとえ高校生であっても名演は残せます。そのような人が、必ずしも宣伝したりプロになろうとはしていない、そういうことが音楽には普通にあるということです。
2018.10.08
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本当にいいものが残る文化とは何か?ヨーロッパと異なることは、芸術としていいかどうか、そのような尺度で考える習慣が日本人には少ないことです。高くてもそこでしか食べられないものをわざわざ食べに行くよりも、安くて美味しいものを良いとする価値観が主導権を握り、それを良いとして報道する文化なのだと思います。新しいもの、芸術としての音楽は作曲家の意図があり、言葉として説明がつくものなのですが、そのような理屈が音楽には必要がないということ、感覚的にいいかどうかのみで捉えるということが現実だと思います。もちろん感覚的にいいかどうかで聴くことがNGではないと思いますが、その曲が意図したこととは関係なく何かのBGMとして再利用されることは日本的で、無調音楽であるだけで不安や緊張、殺戮、犯罪などのBGMに使われるのです。少なくともクラシックの作曲家の音楽表現は、絵画と同じくそれぞれに意図があり何かのBGMとして使われるべきものではありません。詩がある歌曲や合唱曲ならば言葉として理解されるためBGMには使われませんよね。問題と感じるのは、音楽がそのような画一的な捉え方で蔓延しつつあり、美術のような芸術的視点が以前よりも少なくなってしまったことです。
2018.10.07
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サティがどうしてその業績を残せたかということです。「ジムノペディ」がいかに名作であっても、当時の時流としてはやはり後付けかと思うのです。サティは論理的にそれまでの芸術音楽を否定し、それを冒涜するまでの批判と風刺を表す音楽活動を行ったのです。忠実に集まったのがフランス6人組でした。急速に前衛化する1910年頃のフランス音楽界は、ストラヴィンスキーをはじめとする新しい音楽が席巻し、シェーンベルクは徐々に12音技法を確立するに至っていました。そんな中、サティは音楽を残すというよりも、反骨精神に満ちた音楽と言葉を残したわけです。そのひとつを最近動画にしました。サティの曲にどれほどの意味があるかはわかりません。しかし、当時フランスで潮流に乗りつつあったシュル・レアリスムの画家、ジョルジュ・デ・キリコが頭角を現したことを意識したのではないか、曲からは曲想と関係ありそうで微妙に外すわけです。その顕著な例がこのピアノ曲「干からびた胎児」です。その中の「無柄眼類の胎児」がこの動画ですが、楽譜には音符以外にコメントが書かれていて、中には実在しない「シューベルトのマズルカからの引用」ともあり、楽曲の内容よりもタイトルやこのコメントのギャップで曲が残っているのです。この「干からびた胎児」の前の年にやはりピアノ曲である、「犬のためのぶよぶよした前奏曲」を作曲し出版に際し出版社から断られ、「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」を続けて作曲しています。この執念こそがサティの真骨頂ではないかとも思います。サティはそれまでの音楽、また台頭した前衛をも否定し、新しさではないその独特の主義を主張していたと考えられます。決してパロディなどという単なるユーモアではないと確信します。エリック・サティ/「干からびた胎児」より第2曲「無柄眼類の胎児」
2018.10.05
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なぜか何かとよく行く所というのは、自分で行こうと思わなくても行くきっかけができます。そんな運命として行くようにできているような、もっと言えばそうなるように最初から仕組まれていたかのような気がしています。自分の場合、そのひとつが東京駅周辺、日本橋です。乗り換えというわけではなくいろいろな理由で行くことになるのが、渋谷でも横浜でもなく東京駅周辺や日本橋です。今日も身体の検査で行くことになりました。朝1番で行って何も食べずにともかく腹ペコで11:30頃終わったので、12:00までモーニングセットをやっている、いわゆる喫茶店・ルノアールに行きました。東京駅周辺のお昼は激混みなのでありがたい存在です。打ち合わせなどで昔行ったことがありますが、最近はなかなか行かなくなったあのルノアールです。でも繁盛していて東京八重洲口方面には何店舗もあり、待ち合わせをしたら店舗名をしっかり言わないと間違えると思います。今日は、その中でも八重洲一丁目店。ルノアールのブレンドコーヒーは630円で決して安くはありませんが、それはそれは美味でした。これぞブレンドコーヒーの味わいと香りです。夕方には歯医者さんの2回目の治療を受けました。親知らずの虫歯治療なのですが、初回ですっかりよくなっていました。そこで、もうこのまま残しておいてよかったのですが、歯医者さんからの抜いたほうがいいとの勧めが強く、今日抜くことにしました。楽に抜けるという話を前回と今回されていたのですが、それが30分以上かかり途中で先生が院長先生に変わっての抜歯になりました。麻酔を途中で何度も刺し、今日本当に抜けるのかと不安が過ぎりました。スッと抜けるというのではなくグラグラさせていきながら、最終的には麻酔が効いていたのか抜けた感覚がわかりませんでした。時間がかかったのは歯の根っこの方向がそれぞれ違っていたからとのことでした。今回、親知らずを抜くのは2回目でしたが、前回もそんな簡単ではありませんでした。医院や先生の雰囲気と実際に抜く時のギャップがあり心身ともに消耗しました…。現在、痛み止めの薬を連続投与です。そんなにたくさん食べていないお昼を兼ねた朝ごはんの後、大したものも食べられず、お腹が空くのと痛みの1日でした(愕)
2018.10.04
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