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日テレ「リバーサルオーケストラ」を第1話、第2話はTverで、第3話はオンエアーを見ましたがとてもがっかりしました。”オーケストラ”という言葉を使ったタイトルについても、プロという割にアマチュアっぽい設定が目につきます。のだめカンタービレのようなタイトルバックがあり、チャイコフスキーの交響曲第5番のパロディを繰り広げます。のだめとは主役がピアノからヴァイオリンに変わっただけで、内容的には明らかにのだめのほうがリアリティがありました。このドラマの原作はなく脚本家の清水友佳子氏によるもので、フェリス女学院短大卒ですがオケのことを知らずのことか、リアリティのない展開や時代錯誤の台詞で埋め尽くされ、荒唐無稽な登場人物がリスペクトされている架空の物語です。30年程前から国内でオーケストラや吹奏楽団が増え、経験者はこのドラマに違和感を感じた人も少なくないでしょう。何かを一度断念した人が立ち直るようなテーマであれば、何もオーケストラを題材にしなくてもよかった気がします。個人的によく知っている人がオケ奏者として何人も出演し、SNS上では出演していることを明かしていますが、ツッコミどころ満載のこのドラマをどう感じているのか?プロのオケ奏者としてエキストラ出演のプライドは?よくある警察や医療を題材にした他のドラマも、本職の人が見ればツッコミどころだらけなのかもしれません。でも、そこにプロの警察官や医師は出演しないわけですから、今まで見た演奏レベルならばプロでなくても大丈夫です。このドラマでクラシックファンがたとえ増えたとしても、クラシック音楽やオーケストラが間違って伝わるかもしれず、脚本家が想像でつくったとしても現実とはかけ離れていて、音楽を続けるうえで直面する問題解決にはならず悲しいです。クラシック音楽を題材にしたテレビ番組は、どうしてこうも子供向きで幼稚な方向に誘導するのでしょうか?裾野のファンを増やして観客動員を増やしたい意図だけが見え、音楽芸術を深める考察があまりにも見られなくなりました。
2023.01.29
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テレビ朝日「モーニングショー」で玉川徹氏が、コメンテーターとして24日にしれっと復帰しました。時折レポーターとしては出演していたので、この日が来ても不思議ではありませんが率直に言って早いです。コメンテーターは他者をとても強固で語気を荒げて批判する割に、想定が外れていたり誤ったことを言っても訂正やお詫びもなく、テレビ界の時代にそぐわない忖度や縦社会だけはよく感じられます。年輩のコメンテーターほど発言とは裏腹に”昔の人”な気がします。批判であっても普通の語調で話せばいいところ、誰もできないような理想を振り翳して正義を語る人が多いです。例えば原発反対、脱炭素とか言ってもここまで電気代が上がり、暖房が欠かせない寒波襲来、理想と現実がかけ離れ過ぎています。23日の国会で岸田総理の施政方針演説を見ましたが、今言われている諸問題すべてに理想的な解決を話していました。”絵に描いた餅”とはまさにこのことに聞こえたことは、就任時に話した”新しい資本主義”と同様にできそうにないことです。国家に対する批判を言論封鎖している他国が非難されていますが、犯罪の共犯者を公然とSNSで募集している日本も酷いです。強盗殺人や特殊詐欺が多いのはSNSが活用されているわけですから、未成年にSNSやインターネットを制限する考えはあって当然です。(こどものSNS利用で実際に起こっているトラブル:誘拐・略取、ストーカー、犯罪勧誘、ネットいじめ、リベンジポルノ)メディアは”言論の自由”については頑なに守るのだろうと思います。しかし、関わっていいかどうか怪しい書き込みが増えてしまっては、見る側に制限をかけるのではなく発信する側にかけなければ収まらず、それはSNSに限ったことではなく偽情報すべてに言えます。無人販売店の窃盗事件がよく取り沙汰されます。自分の持ち物ですら肌身離さず持つことが普通の諸外国から見れば、無人で販売すれば丸ごと持って行かれても仕方ないと見るでしょう。今の日本人はそんなに裕福でも安全でもないのではないでしょうか。店を無人にしても支払いが現金を箱に入れるアナログでは、日常的に売上金が合わなくなるのは想像できます。監視カメラで後から確認するのでは却って手間やストレスがかかり、録画を公開するくらいなら有人販売にするほうがいい気がします。人は身近にあるような犯罪をリアルに見るのが好きなのでしょう。その様子を動画サイトにあげて荒稼ぎをしようとする輩もいます。それを見て拡散する人が多いためにテレビが取り上げますが、テレビは執拗に取り上げたうえでさらに動画サイトにもあげています。動画サイトで二次利用するのがドラマもニュースも同じであれば、ニュースアカウントの再生回数はとても多く結局大儲けかもしれません。若者が再生回数を稼ぐために「はま寿司」で起こった「わさび乗せ」「他人の注文を食べる」こともより拡散させているのはテレビで、意味こそ違っても視聴率を稼いでいることは同じです。動画を紹介せずに事実と意味を伝えて一蹴に伏せばいいのではないか?このような問題は警察に任せてもっと重要な案件があるのではないか?犯罪は世の中の矛盾や理不尽なことに嫌気がさして起こると思います。今のやり方で同様の犯罪が減るとはとても思えません。
2023.01.25
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これまで1年以上血圧、体重、歩数を1日2回記録してきました。自分で管理する習慣はじゅうぶん過ぎるくらい身につきました。ただ、宿題を出されても細かい答え合わせはない印象で、要は劇的に体重を下げれば血圧も下がるだろうということです。つい最近とうとう記入欄がなくなったので自主的にやめました。開放感が結構あって一気に肩の荷が降りた感じです。ストレスの理由は良い結果を出したいところなかなか出ないことで、いつも負けているような虚しさと挫折感がつきまとうことです。特に血圧は測る度に大きく変わることがあり、暑いか寒いか、寝不足かどうか、自分の場合は気分や何を考えるかでも変わります。結局通院したところでまた血圧測定があるのでそれが本番です。管理手帳は日頃から低い値を出すための日々の練習みたいなものです。通院と音楽のレッスンはよく似ているところがあります。先生が変われば同じ症状でも接し方や方法が異なります。接し方で言えば音楽の世界よりもかなり遅れている気がします。治療費(保険点数)もクリニックによって微妙に違います。今回以前から気になっていた新しいクリニックに行きました。すべてにおいて今までにないほどいい出会いだったと思います。初診は予約を入れられないので開院と同時の朝一に行きました。外は寒かったのですが問題なく暖かく患者ファーストでした。管理手帳をつけるのは辞めたのですが、問診をする方がきめ細かくよかったのでやる気が再燃しました。特に何か新しいことがあったわけでもなくいつもと同じなのですが、受付、助手の方、先生、待合の気配りなど気遣いを感じました。ただそれだけなのですが、通院するやる気は全然変わります。自分がポジティヴになれるかどうかで病気は防げる気がします。どうせ行くなら楽しく通いそれを励みにしたほうがいいです。たぶんその積み重ねが5-10年後の自分の身体を変える気がします。
2023.01.23
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昭和と令和ではまったく変わったことがよく取り沙汰されます。それは文化の面では昭和のほうが風情があり深いとも思います。今では世代間ギャップに繋がり、令和世代が昭和世代をどう見ているかに関わると思います。学生の頃、作曲をした作品にタイトルを付ける時に、フランスへの憧れが強過ぎて実際はよくわかっていないのに、フランス語をカタカナに変えてタイトルにしていました。勉強したフランスの作曲家の教えや影響を表明するためです。矢代秋雄や三善晃のタイトルや楽譜にもフランス語が見られ、それらを見様見真似で使うものの自分のは間違いだらけした。フランス語には男性形と女性形があり使い分けが難しいこと、表現やニュアンスが日本語とは異なり意味を取り違えやすいです。もっとも良くないのは正確な発音はカタカナに置き換え辛いのに、固有名詞以外までカタカナで書くことです。今でもフランスワインを買う時にカタカナ表記されている日本名が、3本に1本くらいがフランス語の発音と違っています。例えば、フランスの作曲家 Edgard Varèseはアメリカに帰化しました。エドガー・ヴァレーズが一般的な日本語読みですが、時々フランス語読みを大袈裟にして「エドガール」と書いたりします。しかし、末尾の「ル」の発音は微弱で入れないほうがいいと思います。彼の作品に1931年に作曲されたIonizationという作品があります。フランス語読みではイオニザシオン、英語読みではイオニゼーション、いずれで表記しても間違いではありませんが日本での表記は訳した、「Ionization 電離」と書くのがよく意味がよく伝わります。音楽、こと作曲家の名前についてはこれまで読みが変わってきました。作曲家 Paul Dukasはフランス読みでは末尾の「s」を発音しないために、「デュカ」と呼ばれることが一般的でしたが日本では「デュカス」で、これが間違いかと言えば一概にそうでもない可能性があります。フランスにはIbisと言う大手ホテルチェーンがあります。タクシーでHôtel Ibisを「オテル・イビ」と伝えたところ、「あ〜? イビス?」と指摘されこの末尾の「s」は読むと知りました。英語発音であればIbisは「アイビス」ですからそれとも異なります。作曲家のDarius Milhaudは日本ではミヨーで通っていますが、読みから言ってもミローが正しく日本では修正されていません。Henri Dutilleuxは以前はデュティーユでしたが後にデュティユー、ワインの産地、ボジョレーとボージョレ。どっちでもいいと思います。表記でもSaint-Saënsをサン=サーンスと書くのが今もなお伝統ですが、地名のSaint-Michelはサン・ミッシェル、Saint-Germain-des-Présはサン・ジェルマン・デ・プレ、サン=ジェルマン=デ=プレと書くとウザいわけで変えていいのです。Violinはヴァイオリンが正しく「v」は「ヴ」に徹底すべきです。Maurice Ravel はほぼ「ラヴェル」に統一され「ラベル」は少ないです。しかし、NHKは習慣からか楽器名において「バイオリン」と表記します。外国人からすれば論理的でない不統一に日本への違和感を感じるでしょう。最初に名付けた人、訳した人があまりに昔なので、ちょっとおかしい発音や訳がフランス語にはたくさんあります。そんなカタカナで覚えてフランスで命懸け?で話しているのに通じず、コミュニケーションが取れないのは日本人の問題でもあります。耳がよければ話すことはできるようになりますが、文章をつくることはより難しくいつもどこか間違えます。曲名を正式に伝える際に原語と日本語の両方で記すのは、記載ミスや適切な訳が難しかったり訳がいくつかあるからです。前世紀は世界の共通言語が英語でしたが、今は要人でも母国語を話しそれを的確に通訳する人がいます。難しいことを話しても同時に正確に訳せるようになりました。昔のように気取って話す外国語はもう必要ありません。日本で演奏するのにあえて外国語のタイトルしかつけない人、またそれをカタカナにした日本語はもっとわかりにくいです。意味不明の難しい言語のタイトルをわざとつけたりするのも日本的で、言葉はコミュニケーションを補足するという原則から逸脱しています。音楽的にはごく普通の表現なのにタイトルだけは仰々しいものや、なぜかフランス語などの外国語をつけるのは時代遅れでしょう。よく見るようになった「世界初演」も昔のように「初演」でいいし、印象操作するような表現に同じ日本人としてはうんざりしています
2023.01.21
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食事の際に写真を撮ろうとするのですが、いつも最初の1〜2枚であとはつい忘れてしまいます。今回もカルパッチョとあと少し。いつもながら彩りが足りません。盛り付けでもっと美味しく食べられる筈の美味しい鯛でした。気が向いて買ってみたのはブッツ(Bütz)のピスタチオとドライトマトの鶏パテです。予想とは全然違ってちょっとなぁって感じでした。デザートに持ってきてくれたカヌレです。久々に食べましたが味、食感共に独特でクセになります。この日のワインはボルドー2本です。1本目は美味しいと見込んだものです。最近増えてきた金賞メダルの印刷がたくさん並ぶ誰もが推しのワイン?よくあるコンクール応募者の半数近くが金賞みたいな感じでしょうか?商業主義的ですが、ハズレではないよという主張とも言えます。まあつい買ってしまっている自分がいるわけで…もう惑わされないぞ。
2023.01.17
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昨年招かれたお家の宴です。20-30年の知り合いで昔に比べると身体に優しいお料理が出されました。お肉に見えますが、これは鯖のリエットのようなものです。洋風な味付けは上品で鯖っぽさはあまり感じませんが美味しいです。取り皿はジノリです。鯖缶の鯖が解され香辛料と上品に交わっているとは思えません。油分も少なくヘルシーです。チーズとマリネです。お酢の尖った感じはまったくなくカロリーも少なそうです。メインはルーや香辛料がほとんど入っていない野菜のスープでできたシチュウです。盛られた後からパルミジャーノレジャーノの塊を自分で削ってかけます。ナチュラル志向の肴は自分からあまり考えないませんが、こういうのもいいなあというのが率直な感想です。この日のお酒はスパークリングワインと白ワインでした。持って行ったのは白ワインでしたが、この日のお料理によく合っていました。ほどほどなのがいちばんいいということを改めて感じた日でした。
2023.01.16
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外食での写真を送ってもらったものがそのままになっていました。とても美味しそうなので載せます。前菜の鯵はいつも食べてるのとはちょっと違うし、この盛り付けがとてもそそられます。何だったか忘れてしまったメインを2品。こんな美味そうな料理を提供してくれるのは近所のビストロ キムラです。毎日行ってもいいのですが、一人で行ってもしようがないです。お店の人にもそう伝えました笑デザートは場所を変えて駅前のカフェで美味そうなケーキをいただきました。カフェと言うと時間潰しや仕事スペースみたいになりました。二人以上で行ってメニューを楽しみ喋り倒す昔のイメージが懐かしいです。フランスみたいにカフェを楽しむ雰囲気がもっとあっていいと思います。ここはカフェ・ラ・ミルの跡にできたドトールです。とてもいい!カフェは安いにもいいけど小洒落た雰囲気が必要!疲れが隠せない年老いた人にはとても良い空間でしたよ。満足した1日でした!
2023.01.15
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現代音楽の作曲家・松平頼暁氏が逝去されました。学生時代には門下として対局にある氏の理工系の作風に、伝統的な西欧クラシックを学ぶうえで対極に感じていました。しかし、継続的に作品を発表する姿勢は異才を放っていました。30歳の頃に自分の語法を模索したところで批判を受け、反動的に前衛的な作品を発表したことがあり、その時に氏から、「音楽が整い過ぎていて前衛に向かないね。綺麗すぎる。」と。その時に自分自身が所謂前衛的な作曲に向かないと悟りました。松平氏の音楽は作曲するプロセスや方法論に注力を集中し、どんな音がするかは演奏してみてのお楽しみ的な感じで、思い描いている音を実現させるために構成する作り方は逆であって、美しい音を紡ぐことを学んできた自分には合っていないのだと。そんなことを考えながら自分が作るべき音楽に悩みました。昨年の9月に逝去した野田暉行氏は知人がたくさん師事した、藝大作曲科の一時代を担ったアカデミック路線の作曲家でした。直接話したことはありませんが近い存在と意識して尊敬していました。さまざまな現代作曲家の録音物や演奏会に足繁く通いましたが、共通しているのはお二人の音楽に一度も傾倒しなかったことです。どのような音楽か識ることや聴いたことは何度もありました。また当時の日本の現代音楽界の確固な位置をお持ちの二人でした。大学教員をしているような音楽理論に長けたアカデミックな作曲家は、よく「こどものためのピアノ曲集」を単独や共著で出版しました。ただ作曲する方法や作風が顕著なこども用の曲であるにも関わらず、大学で教鞭をとった作曲家の曲はあまり人気がありません。それは、以前にも書きましたがフリーマーケットでわかりました。40年前に作曲家のさまざまな作風を勉強するためと所見視奏の練習で、楽譜屋さんでめぼしい楽譜を買い漁ったことがありました。今、どのようなトレンドがあるかフリーマーケットで売ってみました。大学教員であればピアノレスナーの知り合いもたくさんいるはずで、そんな内輪の仲間も今は振り向かず使わないようですが、同じ条件で出品して数分で売れる他の曲集が結構あるにも関わらず、売れる売れないの違いはどこにあるのか考えてみました。こどものための曲ですごい名曲とかうっとりするような曲は、残念ながらあまりなく、個性だけが明確なことがよくあります。反面、アカデミックな作曲家の出版する曲集は作風が平凡で、メトードとして合理的にするために音楽がかなり論理的です。野田暉行氏のピアノ曲集も拘りが見られ作風はよくあるのものですが、音の扱いは驚くような理論を持っているのではないかと思われます。次の譜例は曲集の第1曲の冒頭ですが、嘗ての理論(和声学)では見られないような音の不協和が見られます。画像クリックで音が聴けるYouTubeにリンクします。do-mi-sol-siの和音で構成されている中で作られている旋律だと解釈でき、このような音の扱いはこれ以降の曲にも見られ敢えて書かれた音です。このスタイルでこの音(不協和)を好むかと言われれば難しいわけですが、他の部分の端正な書法とのギャップが大きく却って斬新に思えます。このシュールな音の扱いを主張できた当時は、日々新しく作られている音楽がヴィヴィッドで楽しかったわけですが、画一的で新しくない音楽が主流の今では、演奏ミスと判断され兼ねません。また、こどもでは如実に「綺麗ではない」と拒絶することもあるでしょう。今は、創作することの個性を重じているようで実際はそうではなく、単に全てが「こどもファースト」なのでしょう。そこで音楽の芸術性が保持されるのかどうかはとても気になります。いろいろな表現に対する感じ方はより柔軟であっていいと思います。この曲集は半年かかって儲けの出ない最安値でしか売れませんでした。今の時代ではこの曲集を選択できる余地はないかもしれません。予想ですが購入された人はピアノレスナーではなく作曲家のようです。現代の作曲家は何を残し語ったのか、どう引き継がれるのか懸念します。
2023.01.13
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昔に比べてW杯を始めスポーツ中継がとても増えました。試合時間が長くても全体を中継することが本来ですが、話題に上る事柄や人は勝敗に関係なく決まっています。そこに視聴率を取れるスター育成のようなプロセスがあります。興味を持たれるには多くの人が知っている必要があり、CMなどでは商品名を連呼、奇妙な演出、変な替え歌などで、政治家は批判の対象として悪い印象で有名にされることが多く、事件や事故も個人より大きな公的組織にフォーカスされます。中国でのゼロコロナ政策が終わり感染が広がっているニュースが、日本のコロナ事情よりも遥かに多く伝えられています。メディアが伝える世界の中で「遅れている」「見習うべき」国として、中国が挙げられることはなく心配することもなく批判のみです。コロナは怖いものとキャラクター設定されていますから、中国のコロナ感染悪化の話題は一石二鳥のニュースでしょう。コロナは世界中の人が知っていて世の中への影響力が絶大で、言い方次第では国が動く大物ですから報道冥利に尽きることでしょう。中国から発せられるニュースの信憑性がどの程度かはともかく、日本でも全国民検査やゼロコロナを主張する人が少し前までいました。メディアに出るおなじみの医師も不安要素しか言いませんから、政府が少しずつもとの日常に戻せるようリードしていると言えます。日本では今年に入ってコロナ死者数が過去最高になっています。ワクチン接種率が世界でいちばん高く、オミクロン株は弱毒の筈で、マスクも外さないし消毒を1日に何度もしている国民性にも関わらず、現状のありさまは今までのことが全て覆されてしまう話です。陽性者数も死者数も増えているのですから、1〜2年前までの緊急事態宣言や自粛をするのは今の筈です。極端な自粛を受け人生を狂わせたしまったあの時期は何だったのか?ミスリードをけしかけられていたことにはならないでしょうか?昔、亡くなった時の死因に「ウイルス性感冒」と聞いたことはなく、歴史を遡って作曲家の死因を調べても「感冒」はありません。今のようにコロナウイルスが死因としてカウントされず死因は別でした。今回のコロナをとても怖いと印象操作する大きな要因のひとつです。日本で超過死亡が増え始めたのが昨年あたりからで、ワクチン接種が影響していると指摘する人をよく目にします。本来は体調や抵抗力、予防管理が感染するかどうかに関わり、ワクチン接種したから感染しない、していないから感染するのではなく、皆がワクチン接種を受け入れることのほうが不自然に思います。これまで皆が多くの我慢をして言われたとおりにやったのに、終息するどころか数のうえではますます酷く受け取れる現状は、なし崩し的に一部の情報を切り取りいたずらに不安を煽ったからです。この繰り返しからコロナ脳批判の正当性を悟った世界の人々は、もとの日常を慌てて取り戻そうとしているのです。日本は平和ボケがあって自由に対する意識が弱いと思います。最近では言論の自由、宗教の自由などが当てはまります。自由は自由なのであって、何でもしていいというわけではありませんが、その線引きが曖昧で、長いものに巻かれるように洗脳されやすいようです。価値判断を特定の外国に求め、絶えず劣等感を持っているように見えます。それでも恣意的に意見を誘導し影響力を持とうとする人がいるために、よく理論的に筋の通らない結末を感じます。日本人の分かりにくさであり、今とても大切に扱われているこども達は反面教師とするのか見倣うのか?生き方やものの見方を決める大きな気付きになるのかもしれません。
2023.01.11
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