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幼い頃から実家には動物が絶える事無く一緒だった。
鳩・文鳥・犬・猫・リス・猿・金魚・亀に蛙まで居た。
末っ子の私は動物好きで学校へ行く途中で捨て猫を拾うと其の儘
タクシーで自宅へ連れ帰ってしまう「問題児」?だった。
結婚後 動物は飼えないマンションだったので諦めて金魚を
飼い オランダ獅子頭は夫の実家の池に放したら30cm以上の
デカイ金魚に育ったっけ。
池には夫の趣味の鯉が一杯泳いでいて金色の鯉は中々大きくならず
ヤット何とか20cmを超えた頃 野良猫に襲われ・・と言う経験が
ある夫は大の「猫嫌い」飼う事は諦めていた。
台風が近づいてきた或る秋の午後 息子が子猫を拾ってきた。
「飼わんぞ!」
と言う夫 (内心 飼いたい私と息子)
夫は鯉を襲う野良猫しか知らない。人懐っこい仔猫だったので
息子と相談。夫と子猫だけの時間を多くしよう!
表面的には「台風が過ぎるまで家に置いてあげようよ」計画
は実行され・3日後 「猫ってコンナに甘えん坊なのか?」
と。
夫にべったり甘えて我が家の一員になったミーは茶虎の女の子・・
と思ったら暫くして雄だと判明。ミータンとなる。
すっかり猫大好きになった夫は半年後 自ら捨て猫を拾ってきた。
まぁ!吃驚!やぶ睨みで黒目の一つが何処かに飛んでるほど斜視の
女の子。獣医に見せたら手術しなくても自然に治ります・と。
目だからオペは辞めた。やぶ睨みの「ヤン」はスーパーのビニール袋
に入れられ何処かの枝にひっかけられ?て居たらしく酷い栄養失調。
3か月位?かと思った時 歯を調べたら既に6か月。尻尾は瓶ブラシの
様に細くガリガリ。人間を信じずミータンに何時もくっついて居た。
尻尾の先が鍵の様にピコっと曲がっていた。ビニール袋には凄く反応した。
多分 ビニール袋に堪った雨水で生き延びたのだと思うと涙が溢れた。
ヤンはミータンが移動すれば常に行動を共にし ご飯もトイレも一緒。
そのミータンが急病で獣医が往診し其の都度毎日6千円支払った。
獣医曰く「糖尿病」だと言う。当時は私に猫の病気に関する知識
が無くミータンの尿が渇いた場所にキラキラ光る結晶が糖だと言う説明を
信じ込んでいた。後にアレはスツルバイトで糖尿とは無関係と
判ったし
往診してくれた獣医の専門は「野鳥」だった事も判明。
よくよく考えたらアノ獣医はミータンの血液検査もしなかったのだ!
ミータンは3歳半で虹の橋を渡って行った。私は猫の知識不足を
思い知ったし ヤンは只一つの心の拠り所を亡くし哀れだった。
ペットショップに連絡しアメリカンSHの子猫を予約。
ブリーダーから店には入れず直接受け取る事を約束して貰い
ショップの店先でキャリーケースに入れて帰宅。
キャシーと名付けたアメショーは2か月の仔猫。ヤンは名前も
マダムヤンと替えてキャシーの育ての親になった。
最初は戸惑っていたが時の流れと共にキャシーとマダムヤンは
親子の様に寄り添って暮らし人間に対して心を開いてくれた。
キャシーが年頃になり某キャッテリーのアメショーと交配して
貰おうと訪れた先で夫が目にしたのがエジプシャン
マウの仔猫。
「あの種類の猫が欲しい!」
夫は一旦 欲しいものを見つけると
何でも手に入れたい種族。私を拉致?した時もそうだった・・
仕方なくファラオと名付け我が家に。
此処からエジプシャンマウとの長い付き合いが始まったのです。
何か変だ?と思ったのはファラオの血統書を見た時から・・
おまけにファラオは皮膚病の 「真菌炎」
患者だった。
毎日シャンプーとリンスの後に酢を希釈して患部に。
真菌はリングワームとも言い人間にも伝染する。見事?私の右側
の腰辺りにリングワームが発生。皮膚科に通う羽目に。
身体検査・で 不整脈 喘息持ち ヘルニアと判明。長く持って3年と言われた。
ソンナ頃 近所でキャットショーが開催され初めて見に行った。
おかしいよ?あの猫より隣の猫の方が素敵なのに何故審査員は
アッチにロゼットを付けるのかな?素朴な疑問だった。
カタログを一冊購入して良く見たら原因が判明。
何だ~ キャットショーって出来レースじゃないの!
其れが☆ICAの第一印象だった。今はマトモだと思いますが・・
それで私は☆FAのShowだけに
参加する事になった。
驚いた事に猫界と言うのはハチャメチャの世界。
キャシーはアレキサンダー 雄 とエンジェル 雌を産みアッ君の
お嫁さんブロンデイは大阪まで迎えに行って譲って頂いた。
その時点ではヤン キャシー親子 ファラオ ブロンデイの
6匹だった。それ以上増えるとは思っても居なかった。
ファラオはCHだけは取ったけどGC迄 走れるクオリティ
では無い事は勉強して理解していたし体調も不安が在った。
ある日東京から
「あのエジプシャンマウのペアを輸入したので
買って欲しい」
突然の電話。え~!訳をきけば米国人と2年越し
でヤット輸入したペアなのに飼い主に決まっていた人が離婚
して買えないと言う。
お幾らなの?と聞けば80万と言う。
げ!猫2匹で80万? 「血統の良い猫だから!」
と先方は必死。
その人は結局我が家に猫2匹押し付け現金受け取って帰って行った。
今 東京で猫関係の本なんぞ威張って書いている男。
彼の身体は筋彫りがあるから絶対に半袖姿は人に見せない。
若気の至りなのだろうけれど・・まぁ 猫界で正業を持たずに
猫だけで生活している人間ってろくなのが居ない。
確かに其の2匹はファラオに比べて気品が違った猫だった・と同時に
健康面では矢張り問題点の多い2匹でもあった。
雄はトトメス・雌はネフェルティティと名付けた。
トトメスの息子がSnow Leopard(未だ耳が少し立っています)
初めてのキャットショーは東京・猫を届けに来た男の予想に反し
雌のネフェルティティの方が先にチャンピオンになった。
そこで 「猫界の常識」
なるものを経験した。馬鹿じゃないの?
猫界の常識以前に社会人としての常識があって当たり前でしょ?
つまり若手や新人が質の良い猫を出陳すると婆連中が虐めるのだ。
誰もOとかYに言い返す人はいなかったが私は反論した。
「新人ですがアナタの話は筋が通って居ません!」
当時の猫界のボスとも対等にお話をさせて頂いた。
納得できぬものは納得できない。当たり前の筈。
出来レースは☆FAのShowでも一杯 目にした。
まぁ いいっか・・所詮 趣味の世界。
其れなのに目を血走らせて点数ばかりカウントしている人が
如何に多かったか?いま改めて「馬鹿の集まり」だったと思う。
ファラオが喘息の発作を起こす度に私は彼に処方薬を与え
酸素テントも用意した。持って3年の命と言われたファラオは
12歳半まで生き抜きました。利発で薬だけで酸素テント拒否の
時は本当に薬だけで乗り切り 駄目な時はサッサと自分から
酸素テントに入り込み3時間後にはケロリとした顔で ニャ~!
前線や気圧の谷が移動すると発作が起きるファラオは何時しか
我が家の「天気予報官」とあだ名がついた。
この近親交配で生まれた病気一杯のファラオの存在が後に改良
に繋がって大変な事になって行くとは・・思いもしなかった。
画像が前の楽天ブログの猫アルバムに入っていたのが今 何処?
状態で 此処に貼れなくて 御免なさいね。
明日あたり5000枚以上のアルバムの中から探してみます。
メールを頂いた☆さんが目にされた「てんてんキツンの頃」は
5か月の頃のてんてん
ブルドッグのロンちゃんと大の仲良しでした。
最期のボッチ君 闘病記は下に・・・
また 会える日まで・・ http://plaza.rakuten.co.jp/nyankoroom/diary/201304110000/
その2年前にボッチ君を助けた時は July 5, 2011 http://plaza.rakuten.co.jp/nyankoroom/diary/201107050000/
つづく・・
日本の進む道は・・・・・猫のホームシッ… August 22, 2022
エジプシャンマウのブリーダーとして・・ September 24, 2014
我が家の猫の歴史・・ September 23, 2014
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