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私・にゃんこは「パクチョンヒ」が日本軍 軍人であった事は知っている。
だから日本が賠償金を用意した時 彼は賠償金の中から慰安婦に手渡す必要が
無い事を熟知していた。
なぜなら日本名「高木」という名前で軍人だった彼は慰安婦が「娼婦」で
売上から・かなり高給取りであった事を十分 知り尽くしていたから。
或いは彼も「慰安婦」のもとに通った一人だったと思う・
だから 「慰安婦」の実情を知りつくしていた。
賠償金の中から「娼婦」として莫大な預金を稼いでいた「慰安婦」等に
賠償金を手渡す必要など「無い」と知っていたから彼は莫大な日本からの
資金を自国のインフラ等につぎ込み「ハンガンの奇跡」と称えられ
手柄を「独り占めする快感におぼれた彼は・その「資金」が
日本からの賠償金だった事を国民には ひたすら「内密」にしていた。
是が今の韓国人の「大きな誤解」に発展したと私は思う。
私は3.1については不勉強だったので今日 一日かけて調べた。
答えは「中杉 弘氏」の解説によって良く理解できた。
韓国における三・一独立運動の真実
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12443207768.html
※洪 思翊(ホンサイク)は大日本帝国陸軍中将です。
植民地の人間ばらば大日本帝国軍人にはなれません。
朝鮮は断じて植民地ではありません。
朝鮮人の庶民の側から言うと文句などありません。
両班の権力がなくなり・奴隷から解放されて法律で守られるのです。
医療施設は完備されて・字も教えて貰い「素晴らしい世の中が来た」
と庶民は思っていたのです。
そこで多少・殺された人はいます。それを恨んでいるのです。
朝鮮人の民衆が日本を恨む根拠は全くありません。
ここのところをしっかりと勉強したほうがよいのです。
そして・再び言いますが・朝鮮は植民地ではありません。
正当な日韓併合です。
李王家の李 垠殿下は日本の皇族になったのです。
朝鮮の王族ではありません。日本の皇族になったのです。
立派な待遇をされたのです。
そこに梨本宮方子さまが嫁いだのです。
二人で仲睦まじく暮らしたのです。
当時・李 垠殿下には赤坂に広大な屋敷が用意されたのです。
客室が22部屋あるようなお屋敷です。
李 垠殿下は日本の皇族になったのです。
子供たちは学習院に入れたのです。完全な皇族扱いです。
100万人いた両班の中から72人が選ばれて・朝鮮貴族として日本の
公侯伯子男に準じたのです。素晴らしい事です。
身分が剥奪されたのではなく・日本の公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵
になったのです。
朝鮮は植民地ではありません。日韓併合です。
庶民は両班の奴隷から解放されたのです。
日本は「両班の権力ではなく・法に依って支配しなさい」と言ったのです。
文句なく庶民は大喜びです。
「良い世の中が来た。朝鮮人は日本人になって一等国民になった」と
喜んだのです。当時・朝鮮では提灯行列まで行われたのです。
「朝鮮と日本が併合して嬉しい」と人々は祝ったのです。
朝鮮人は何も搾取などされていません。
「日本が朝鮮から搾取した」というのは「両班から人民を解放した」
ということです。これは立派なことです。両班はこれに恨みをもって
「日本を倒そう」というのが・韓国における独立運動の真相です。
では「日本から離れてどのような社会ができるのか?」というと
上下水道の区別もない元のドブ川に戻ろうと言うのでしょうか?
両班はそれを望んでいるのです。
「白丁は字を書いてはいけない。名前をもってはいけない。
墓も持ってはいけない」と言うのです。
そのような白丁という奴隷がいると両班には都合がよいのです。
何でもご主人様の言う事を聞く白丁というロボットの様なものです。
それが独立運動の真相です。その様な事がよく判れば・李承晩の
はじめた上海独立運動は・如何にインチキであったのかという事が
よくわかります。
それだけでは無く・この他にも独立運動が沢山起きてきたのです。
全てインチキです。全て両班が企画したのです。
李承晩は死ぬまで日本を恨んでいたのです。
何を恨んでいるのでしょうか?
李承晩はGHQに「九州をくれ」と言ったのです。
北朝鮮に攻められて・奴らはソウルから逃げて釜山まで来たのです。
釜山まで追い込まれて九州に逃げようとしたのです。
それでGHQに交渉して「九州をくれ」と言ったのです。
するとGHQは「ダメだ」と言ったのです。
その腹いせで李承晩ラインを引いて「ここからは韓国領だ」と
勝手にやったのです。だから後ろめたいのです。
李承晩は有力な両班です。
両班でなければアメリカになど留学できません。 李承晩はアメリカに留学していたのでアメリカの事はよく知っているのです。
李承晩は李 垠殿下と方子さんが韓国に帰ってくるのは大反対だったのです。 「日本と一緒になった王様は韓国国内には入れない」と言ったのです。
次の朴 正煕大統領は帝国陸軍の軍人であるから「大事な李王家ですから
韓国に来てください」と言ったのです。
韓国人は李王家を大事に残しておけば韓国は王族がいる国になったのです。
馬鹿ですね。
そこで李 垠殿下は死んでしまったのです。
その息子の李 玖(り きゅう)も日本で死んだのです。
方子さんは日本人だから・李王家は途絶えてしまったのです。
「植民地にした」と言うならば何故・大日本帝国陸軍将校に朝鮮人が
大勢いるのでしょうか? 相当な数がいます。
特攻隊は5千名くらい死んでいます。
その内・千人は朝鮮人だと言われています。
高倉健主演の「ほたる」という映画は・朝鮮人の特攻隊の物語です。
当時・特攻は志願です。命令ではありません。
「特攻を志願する人」と言うと「俺も行きたい!・俺も行きたい!」
と志願した人が大勢いたのです。
兵隊を募集すると・40倍の倍率です。選ばれた人間だけが日本軍に
入れたのです。その中で・モンテンルパンの洪 思翊は中将です。
金 錫源(キンソゴン)は・大佐です。
その他・朝鮮人の将校が大勢いたのです。
そんな植民地があるのでしょうか?
イギリスはインドを300年間統治して植民地政策をとりました。
インド人は一人もイギリス軍には入れません。
軍とは武力をもって支配するものです。そこに支配されるインド人
を入れたら・おかしいでしょう。
軍が植民地を抑えて「言うことを聞け」と言っているのです。
植民地を支配する軍に現地人はいれられません。
300年間・インド人のイギリス軍人など一人もいません。
それが植民地です。
植民地の人間はどのように軍隊を組織するのか知りません。
どのようにしたら兵隊になれるかもしりません。
植民地の人間は黙って言うことを聞いていればよいのです。
それを見ても植民地というものはどのようなものかわかります。
洪 思翊中将は朝鮮名です。堂々と朝鮮名を名乗っていたのです。
それで大日本帝国陸軍中将をやっていたのです。
何処が植民地なのでしょうか?
「韓国は植民地だ」という連中は・大ウソつきです。
ウソを言うものではありません。
小学校を1万校造り・大学をつくり・医学大学校を造り・ 専門学校を造り・女学校を造り・そんな事をやる植民地等ありません。
しかも・日本の国家予算の15%を毎年朝鮮につぎ込んでいたのです。
日本は朝鮮に36年間・様々なものを造ってきたのです。
悪口を言われることは何一つありません。
反乱軍に対して日本軍が鎮圧するのは当たり前です。
両班にけしかけられた連中が・日本軍を攻撃してくるのです。
多少のことはあったのだと思います。それは正当な理由があります。
国家に対してテロを仕掛けてくるのですから・それは鎮圧するのが
当たり前です。
これが三・一独立運動の正体です。
こんなものを祝うのは全くおかしなことです。
断じて韓国は日本の植民地ではありません。「植民地だ」という人間 がいたら悉く反論して粉砕しなければいけません。あれは日韓併合です。
日韓併合して・朝鮮人の民衆は大いに喜んでいたのです。
創始改名もそうです。「名前を奪われた」というのはウソです。
朝鮮人が満州で商売すると・朝鮮名だと馬鹿にされたのです。
だから「日本名に返させてくれないか」と言ってきたのです。
日本政府は「ダメだ」と言っていたのですが・少しは認めてあげた
のです。すると「俺も・俺も・俺も、・・・」と朝鮮人が殺到して
いる写真が残っています。それが真実です。
朝鮮人のウソにだまされないようにしていきましょう。
By 中杉 弘
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