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何か 気分が落ち込んだりする時・私は音楽か
フィギュアスケート(録画)を観る。
一口に「フィギュアスケート」と言うが
スピードスケートと違って フィギュアスケーターは
リンクの中に「劇場」を作る。
そして独りだけで演じ切らなければならない。
フィギュアスケーターの選ぶ楽曲は多種であり今迄
クラシックに無縁だった人にも自然体でクラシック音楽が
沁み込んでゆく「功績」は大きいと思う。
素晴しい音楽と それに合わせて演じ切るスケーター(役者)が
素晴しい感動を私に与えてくれる時・・・
不思議と気持ちが落ち着く。
フィギュアスケートは私にとって「安定剤」的要素。
2月・3月・又 戦いの熱戦が氷上で繰り返される。
どうか怪我だけはしないで・と祈る。
SEIMEI は昔のトービル&ディーンのボレロの様に
永遠に語り継がれる演技になってゆくでしょう。
しかしこの「ロミオとジュリエット」の演技は私の
最も好きなパフォーマンスであり羽生結弦17歳で
演じたロミオは未だ喘息の症状も常にあり その中で
阿部ななみ先生が原石をダイアモンドに磨き上げた。
にゃんこは注文完了
若手も育って居る・鍵山優真 見事に金メダル!
宇野昌磨が生まれ変わろうとしている。
1月6日、宇野は四大陸選手権の辞退を発表した。
「年明けより・本格的にシーズン中の拠点を海外へ
移した為・地に足をつける意味でもまずは新たな
環境に身を慣らし・世界選手権に向けてジャンプ精度
の向上と合わせて・ランビエル氏と共にプログラムの
完成度を高めていきたいと考えており・今回はこの様な
選択をさせていただきました」
これは異例の事態だ。
試合数を多くこなすのがモットーである宇野にとっては
闘い方を180度シフトさせる“挑戦的な辞退”。
宇野の覚醒は・いかにして起きようとしているのか。
宇野を変えた、2つの試練。
宇野は昨季・そして今季前半と2つの試練を味わった。
1つ目は昨季の闘い方だった。元々は順位や点数に こだわるタイプではなかった。
「子供の頃から『順位を気にすると悪い演技になるよ』
とコーチに言われて来ましたし点数や順位は気にしない
ようにしてきました。
練習は勿論・1位になりたい気持ちでやりますが
本番になったら勝ちたくても『気にしてない』と言う
ようにする。それが自分の心と戦う方法でした」
しかし平昌五輪で銀メダルの快挙を遂げ周りからの期待
が変わると・宇野の意識も影響された。
「五輪の時は『試合は自分の為にやってる』と思って
いました。でも五輪シーズンが終わって・いつのまにか
自分なりの責任感を持ったんです。
期待に応えなきゃいけない使命感というか・お客さん
が来てくれているのに申し訳ないなという反省があり
期待に応えようという気持ちが出てきました」
「ゆづ君の凄さを本当に実感しました」
期待に応えるとは・つまり結果を残すこと。
しかし結果を意識し始めると練習も・そして試合も楽しく
なくなった。
2019年の世界選手権は柄にも無く「勝利宣言」をすると
力を発揮できずに4位。
3年振りの表彰台落ちとなってしまった。
「『ゆづ君(羽生結弦)みたいに強くなりたい』という想い で試合に臨む様になり改めてゆづ君の凄さを本当に実感しました。
『これだけ自分にプレッシャーをかけながら・どうやって 試合に良い演技をもってくるんだろう』と。
僕は結果を出せなくなってしまい・ゆづ君ほど自分に厳しく なる事が出来ませんでした」
結果にこだわると様々な心理的なストレスがかかり・練習の
成果を発揮できない。
そこで宇野が考えたのは練習のレベルを上げる事だった。
無茶ともいえる逆転の発想。
「練習が10だとしたら試合では6〜7割しか出せなかった。
だったら・もっと練習の基準を上げるしかありません。
僕は練習があってこそ本番がある。今後それを目指します」
練習での完成レベルを高くすれば本番で6割しか力を出せなく ても闘える。そんな無茶ともいえる逆転の発想だった。
では・練習を格段にレベルアップさせるには何をすればいいか――。
その結論が・自分に厳しくする為・メインコーチ不在で 孤高に戦うという道。これが、2つ目の試練となった。
シーズンオフの間は各国の有名コーチの夏合宿に参加して いろいろな指導法を体験した。
6月にはロシアのエテリ・トゥトベリーゼのチームの合宿に
参加。8月にはカナダ・トロントで初めて海外の振付師の
もとでプログラムを制作した。
そして9月にはスイスのステファン・ランビエルの夏合宿に 参加。これが新たな運命への伏線になった。
ステファンの「楽しむスケート」。
「ステファンコーチのもとで練習するようになって スケートの楽しさを改めて知ることになりました」
それが宇野の第一印象だった。
元々・アーティスト気質のランビエルは練習指導でも 美しさや個性を求め・スケートを愛する事が根底にある。
4回転を1本降りれば拍手喝采。
コーチの元に戻ってハイタッチ。
お褒めの言葉をもらって・それから次のジャンプへ行く。
日本やロシアの様に次々とジャンプを跳び続ける練習とは違い スパルタの真逆に位置するような練習スタイルだった。
また徹底的に話し合いをしメンタル面や演技面でのサポート に力を入れる。ランビエルは言う。
「選手の生き方やキャラクターを引き出して・それを演技
に落とし込んでいくのが僕の役目です。
選手を観察して・それぞれの良い所を見つけ・どんな方向性
にすればいいのか想像する。そして・そのイメージを僕が
表現して見せる。
僕は振付師としてもコーチとしてもまだ成長途中なので
選手と一緒に成長していきたいという考えです」
日々の練習で自分と対話することが大切。
又・練習量についての考え方も宇野とは対極だった。
宇野はとにかく練習量が多く・曲かけも何度もこなし
ノーミスで出来るまでやり続ける。
試合も出来る限り多くの試合に出て何度も本番を体験しよう
とする。
ところがランビエルのもとでは曲かけを1回しかしない日もある。 ランビエルはこう説明する。
「試合で演技できるのは1度しかありません。自分に自信が
ないと・何度も練習して練習量で不安を消そうとしてしまいます。
本番で最高の演技をする為に日々の練習で落ち着いて自分と
対話することが大切なのです」
現在の4回転ジャンプ時代の中では一寸 優雅すぎる位のチーム である。
やっと弱音を口に出来た。
魅力的な環境ではあったが既にシーズンイン直前だった事も あり・宇野はメインコーチ不在のまま初戦を迎えた。
10月のジャパンオープン・フィンランディア杯ともに
ジャンプミスがあり点数が伸びない。
そしてグランプリシリーズ(GP)初戦のフランス杯は
ショートとフリーで計5度も転倒し
シニア転向後で自己最低の8位に。
1人で戦う事の限界を感じた宇野は・3戦終えた時点で やっと弱音を口に出来た。
「全ての思考がマイナスに向いていました。試合前 演技したくないという気持ちが出てしまいました。
こうやって数試合を経験してみると最初は全く分からなかった
けれど・やはりコーチはいた方が良い・僕の弱さを少し
でも一緒になってくれるコーチをつけた方が良いのかなと
思っています」
「自分が勝手に背負っていたものが下りました」
そんな言葉を口にした時点で・もう心の中では確信めいた
ものがあった。それはランビエルの・心の底からスケート
を愛する環境に身を投じてみる事だった。
「フランス杯が終わった時点で・フリーのボロボロの時点で 自分が勝手に背負っていたものが下りました」
フランス杯の後・宇野は帰国せずにそのままスイスへ。
ランビエルのチームに臨時加入するとGP2戦目のロシア杯は
ランビエルに同行して貰い・リンクサイドで指導を受け
ながら大会に臨んだ。
結果は4位。いくつかのミスはあったが笑顔で試合を楽しめた。 それが一番の収穫だった。
全日本選手権の直前に・来季のための練習。
そして・ランビエルの妙技ともいえたのが 12月の全日本選手権に向けての日々だった。
絶不調の宇野に対して今季の内に結果を出させようと しなかったのだ。
「ステファンのもとでは1人では出来ない練習をしました。 来季に向けて一旦・止めていた4回転ループも毎日練習しました。
4回転サルコウも今季は調子が上がらずに抜いていましたが
練習ではやりました。来季に向けて4回転4種類の構成で
出来る様に・今のうちから練習してきました」
全日本選手権の直前だというのに
・来季の為の練習をする。
そんな大きな視点で見守ってくれる環境の中・ただひたすら
スケートの楽しさを取り戻そうとした。
それが宇野の心を柔らかく解きほぐし師弟の絆が生まれた。
あどけない笑顔を取り戻していた。
12月18日・全日本選手権の事前練習に現れた宇野は あどけない笑顔を取り戻していた。
インタビューでは1月から正式にランビエルに師事する事を うっかり漏らしてしまった程・気持ちは一体となっていた。
「凄く温かい処・スイスは島田高志郎君やデニス・
バシリエフス君もいて一生懸命スケートに向き合っています。
厳しい練習というよりも・やる事はやるけど優しさがある。
僕が求めていた環境です」
そして迎えた全日本選手権のショート。
4回転フリップ・トウループともに降りる快心の演技で
2位発進を決める。フリーも今季の自己ベストとなる演技で
総合290点台に乗せた。
演技後、満面の笑みでランビエルと抱き合った。
「ステファンは日頃の練習で・やっと自分にスケートを
楽しむ練習に戻してくれたかけがえのない存在です。
このコーチ為に一緒に戦って行きたいという気持ちになりました」
「僕は僕らしくあればいい」
結果は全日本選手権4連覇。
しかも2つの試練を乗り越えての優勝は大きな意味があった。
「今季いろいろあって元のコーチから離れ・自分が思って
いた以上にその影響がありました。
試合も練習も辛い時期が続きました。
ステファンコーチのもとで練習するようになってスケート
の楽しさを改めて知ることになりました。
そして僕はゆづ君のように強くある事はできないけど
僕は僕らしくあればいい。
アスリートとしての自覚がないと言われるかも知れないけれど
やっぱり僕はスケートを楽しむ気持ちで試合に臨みたいです」
1月6日・正式なコーチの発表と共に四大陸選手権の辞退を発表した。
今迄のように・むやみに多くの試合に出ることはしない。 試合数が少ない不安はコーチが受け止めてくれる。
白いアルプスに囲まれながら初めて欧州での冬を過ごしている。
さなぎが冬を越えて羽化する様に・3月の世界選手権にむけて
ゆっくりとスケートを楽しむ心を温めている。
文=野口美惠
photograph by Asami Enomoto
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宇野昌磨が「さなぎ」になって4大陸選手権を辞退した。
世界選手権大会・又はその後の試合迄に羽化して
昌磨がドンナ演技を見せてくれるかが
楽しみです。
昌磨にはちょっと照れた「笑顔」が一番似合うから・・・
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