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(ウツボ)江田中尉は、ショートランドで酒保から買ってきたサントリーウイスキーの封を切って、左の手に受け取ると、それで小倉艦長のやや薄くなった頭を濡らしてあげた。小倉艦長は酒が好きだった。(カモメ)江田中尉が三番砲塔に来て見ると、手や足の不自由な砲員たちが取り付いている。弾の込めてある左砲の旋回と仰角を、それでもなんとかしようと、あくまでも試みていたのです。(ウツボ)傍らに立っていた江間砲術長が「弾火薬庫の注水も終わっているので、もうやめろというのに、きかないのです」と目をこすっている。江田中尉は、彼らは砲身が焼けるまで撃ちたかったにちがいないと思った。(カモメ)田中少将は駆逐艦「親潮」と「黒潮」に、大破している「高波」の救援命令を出しました。命令を受けて、2隻は救援に向かいました。(ウツボ)だが「高波」に接近し、横付け状態にして、いざ救援活動に入ろうとしたとき、敵艦隊が接近してきたので、2隻は、やむなく救援を中止して「高波」を離れて去って行った。(カモメ)そうですね。そこで「高波」は乗組員によって、海水弁が開かれ、自沈の処置がとられました。(ウツボ)だが、総員退艦中に、敵の魚雷が命中した。清水第三十一駆逐隊司令、小倉艦長ともに戦死。「高波」は戦死71名、行方不明139名。生存者准士官以上4名、下士官兵29名だった。(カモメ)昭和17年11月30日午後11時50分、30分間の海戦、「ルンガ沖夜戦」は終わりました。「高波」を除く7隻の駆逐艦は9時間後、ショートランドに帰還しました。(ウツボ)アメリカ海軍のハルゼー提督は、この海戦の結果を聞いて開いた口が塞がらなかったと言われている。また、この海戦に参加した米軍の駆逐艦の乗組員は「癪に障るほど、うまくやりやがった」と口を揃えて日本艦隊を賞賛したという。(カモメ)夜戦に勝利した第二水雷戦隊でしたが、日本海軍では、必ずしも彼らに対して賞賛の声ばかりではなかったのですね。結果的にガダルカナル島への補給任務は失敗した訳ですから。(ウツボ)つまり、敵艦の一隻や二隻沈めるより、飢えている陸軍のいるガダルカナル島に食糧の入っているドラム缶を届けるべきであったという厳しい批判が出た。(カモメ)だけど、「ルンガ沖夜戦」の勝利は12月3日に国民に発表され、山本五十六連合艦隊司令長官は、第二水雷戦隊に対して感状を授与しました。(ウツボ)実は、11月30日の「ルンガ沖夜戦」後も、第二水雷戦隊は休む間もなく、ガダルカナル島への輸送を続けた。第二次ドラム缶輸送が12月3日、第三次ドラム缶輸送が12月7日、第四次ドラム缶輸送が12月11日と行われた。(カモメ)どの艦もどの乗組員も歴戦難戦で疲れきっていました。田中司令官も艦橋で沈痛に考え込むことが多くなり、やがてポツリと独り言をもらしました。「これ以上この無謀な作戦を続けるのは許されない」。(ウツボ)結果的に、12月下旬、田中少将は第二水雷戦隊司令官の職を解かれ、軍令部出仕となった。当時は左遷と噂された。(カモメ)上司にガダルカナル島輸送に反対の直言をしたのが原因とされました。後任は小柳富次少将が着任しました。(ウツボ)田中少将に対して、その功績を讃える者もいたが、戦闘中、旗艦を真ん中に位置して指揮をとる中途半端な司令官として批判する者もいた。(カモメ)だけど、大本営は、田中少将の解任と時を同じくして、会議と図上演習を重ねた結果、ガダルカナル島放棄を決定しましたね。(ウツボ)そうだね。大本営では一部にガダルカナル島放棄反対があって、喧々諤々の議論をしたが、最終的に東條首相が決断した。次に山本五十六連合艦隊司令長官の決済で、昭和18年2月1日、2月4日、2月7日の3回、駆逐艦によりガダルカナル島の兵士を撤退輸送させた。(カモメ)「秘史・太平洋戦争の指揮官たち」(新人物往来社)によると、田中少将はその後、昭和18年2月、舞鶴海兵団長、同年10月にラングーンの第十三根拠地隊司令官に補任され、再び水雷戦隊を指揮することはありませんでしたね。(ウツボ)そうだね。田中少将は昭和19年10月に海軍中将に昇任したが、艦隊司令官には任命されなかった。(カモメ)第一回目の対談で、戦史家の香取史郎氏が「完勝・ルンガ沖夜戦」と題して寄稿している文中で、田中中将が「ルンガ沖夜戦以後、僕にはすることがなかったといっていい」と話していますが、このことでしょうか。(ウツボ)そうだね。「なにもすることがなかった」とは、ルンガ沖夜戦以後、彼は水雷屋としての職を閉ざされたことを言っているのだね。(カモメ)彼は水雷屋のたたき上げで、水雷一筋の道を歩んできた軍人でしたから、悔しかったのでしょうね。(ウツボ)そう思いますね。
2009.01.30
(カモメ)この酸素魚雷が命中したアメリカ海軍の重巡洋艦の「ミネアポリス」は、10000トンですが、その艦首から一番砲塔の根元までがポッキリ折れて、飛び散りました。また、機関室も壊滅しました。ガクンと速力が落ち、ゆっくりと左に4度傾いたのです。(ウツボ)重巡でも壊滅的な損害を受ける。日本の酸素魚雷の威力は大きい。続く二番艦の「ニューオリンズ」(10000トン)は衝突を避け、狼狽して、右に一杯舵を切ったんだ。その直後に左艦首部に魚雷が命中した。艦首がきれいに吹き飛び、弾薬庫が爆発した。大混乱がアメリカ艦隊の隊列に起こった。(カモメ)それは、アメリカ艦隊は迫り来る魚雷を避け、同時に味方の艦との衝突も避けねばならなかったのですね。だから大混乱に陥り、四番艦の軽巡「ホノルル」や残りの駆逐艦は狂ったように舵を切り逃げ回ったといわれています。(ウツボ)それでも三番艦の「ペンサコラ」(9100トン)は、被雷した2隻をやり過ごして舵を左に切り、前進しながらレーダー射撃を続行した。だが、それにもかかわらず第三砲塔前部の燃料庫左舷に魚雷が命中した。アメリカの誇る重巡洋艦は瞬時に鉄くずの山となった。発生した火災は4時間も炎上し続けた。(カモメ)後衛の駆逐艦「ラムソン」と「ラードトン」は、逃げ回り、戦場を離脱しました。その理由は、損傷した味方の重巡洋艦から敵と間違われ、猛烈な砲撃を受けたからです。(ウツボ)全てが混乱に陥っていた。確かに、味方から砲撃されたら逃げるしかないね。一方、その頃、アメリカ艦隊の前衛に位置していた駆逐艦4隻は攻撃後、そのまま突っ走り、サボ島をぐるりと回ろうとしていたんだね。つまり、アメリカ艦隊は一瞬にしてバラバラになり、艦隊としてのシステムは崩壊していた。(カモメ)主力艦隊の後部にいた無傷の重巡「ノーザンプトン」は、それでも、引き続き攻撃をかけようと、サボ島近くまで砲撃しながら軽巡「ホノルル」を伴い前進していたのです。ですが、結局目標を見失い、進路280度で航行していました。(ウツボ)だが、日本艦隊は見逃さなかった。やがて「ノーザンプトン」に速度50ノット、炸薬量500キロという海中のミサイル、日本の酸素魚雷が命中した。それも二本命中した。上甲板は火の海になり、艦は徐々に左に傾き、やがて転覆し沈没した。(カモメ)酸素魚雷の、その威力のすごさですね。2本の魚雷で重巡が海の藻屑となりました。それに、注目すべきは、その的確な命中率ですね。重巡を狙った日本海軍の第二水雷戦隊の魚雷は、ほぼ予測通りに命中したのですから。(ウツボ)この海戦で、日本の駆逐艦乗組員は日頃の訓練通りに魚雷発射を行ったそうだ。その熟練した技術と日本の誇る酸素魚雷の性能と威力により、アメリカ艦隊の重巡洋艦3隻が大破し、1隻が撃沈された。主要艦はすべて壊滅した。(カモメ)一方、日本艦隊の損害ですけど、「高波」はなんと50発の命中弾を受け、大破しました。だけど不思議に火災は起きていなかったのですね。それに旗艦の「長波」が軽微な損傷を受けました。(ウツボ)駆逐艦が50発受けたら大抵沈没するよ。火災も起きなかったとは「高波」は運が良かった。「ルンガ沖夜戦」(PHP文庫)には、生還した「高波」の航海長・江田高市予備中尉の手記が掲載されている。それによると「高波」は、沈没しなかったとはいえ、想像以上の悲惨な状況だった。(カモメ)そうですね。江田中尉の手記によると、「高波」の艦橋はメチャメチャに破壊され、肩の周りからちぎれた小倉正身艦長の右腕が残っていました。周りには爆風と断片でバラバラにされた死者の肉と骨と血が絨毯のように広がっており、そこには、虚無感ただよう静寂があったそうです。(ウツボ)その時、艦橋で生き残っていたのは、第三十一駆逐隊司令・清水利夫大佐(海兵46)、右足先が吹き飛んで羅針盤に身体をしばりつけている水雷長・押兼大尉、なんとかして立ち上がろうとしている池田兵曹、眼鏡にとりついて味方艦を捜し求めている藤野兵曹、そして航海長・江田中尉の5人のみだった。(カモメ)あとは、艦橋は血まみれの死者、ひん曲がった鉄骨と弾痕と血の堆積、それに静寂。まさに非情の海であったと記されています。(ウツボ)江田中尉は戦時治療所となっている士官室に降りて驚愕した。ろうそくの火がゆれる通路にも室内にも、約六十名の重傷者が、足の踏み場もないほど寝かせてあって、血のにおいが充満していた。(カモメ)軍医長の城戸少尉が、中央のろうそくを明るくした場所で包帯を巻いていましたが、江田中尉が入っていくと「航海長、私が忙しいと、やっぱりいけんでしょう」と手を動かしながら言いました。(ウツボ)右舷の航海長私室の前の通路には、小倉艦長が寝かせてあった。福村二等衛生兵曹が服を切って傷口を調べていた。右胸部が弾片でえぐられている。右腕はない。(カモメ)「艦長」と江田中尉が呼ぶと、「ウム」と答えるが意識はすでにない。「味方は勝ったのですよ」と耳に口を寄せて言うと、また、「ウム」と答えるが、もう駄目なことは明らかでした。
2009.01.23
(ウツボ)敵巡洋艦の砲火は、奇妙なことに1隻だけ離れて任務についていた「高波」に集中した。(カモメ)そうですね。記述によると、アメリカ艦隊の先頭集団の駆逐艦が発射した夜戦用の照明弾によって、その艦影が浮き彫りにされたからですね。それで、集中攻撃を受けたのですね。(ウツボ)命中弾は50発といわれている。普通だったらとっくに沈没しているよ。駆逐艦だからね。(カモメ)本当にそうですね。それは、とても駆逐艦の堪えられるものではありませんね。だが、不思議に火災は少しだけで、ほとんど起こらなかったそうです。廃墟のようになって、血が海のように漂っていたが、沈みもしなかったのです。(ウツボ)結果的にだが、「高波」は囮の役目を果たした。暗闇の海で燃える「高波」が目立ち、アメリカ艦隊はそれに砲撃を集中した。(カモメ)そうですね。日本の駆逐艦隊が大きく舵をとって反航している間に、燃える「高波」にアメリカ艦隊はなおも砲弾を撃ち込んでいました。(ウツボ)その間に日本艦隊は反撃に出た。日本の駆逐艦「黒潮」は「ペンサコラ」に向けて魚雷2本を発射した。「親潮」も敵の大型艦に向けて20分の間に魚雷8本を発射した。「江風」も8本発射した。他の駆逐艦も8本発射した。(カモメ)アメリカ艦隊の旗艦「ミネアポリス」の艦橋ではライト少将と幕僚が満足していました。主砲の一斉射撃の威力で、敵艦隊の多数の駆逐艦に損害を与えたと信じていたのです。(ウツボ)実際は敵(日本艦隊)の状況は、閃光、煙、水柱にさえぎられ、明確な状況を目視で把握することは不可能だった。(カモメ)ただ、日本艦隊が反転して反撃に来るかもしれないと、ちらっと思った程度でした。そのとき、「ミネアポリス」に砲弾が飛んできたからです。だが、ライト提督と幕僚は、それすらあまり問題にしていなかったのです。(ウツボ)レーダー管制射撃は絶対に効果があったと、彼らには楽観的な考えが生まれていた。(カモメ)この時点で日本の駆逐艦隊は、魚雷34本を、発射し終えていました。そして32ノットの全速で、敵艦隊と並航しつつ、探照灯を照射し、砲撃で応戦していました。(ウツボ)突然、アメリカ艦隊の旗艦「ミネアポリス」に凄まじい水柱が突き立った。1発、2発、巨大な日本の六十一サンチ酸素魚雷(直径六十一センチ、長さ八メートル五十センチ)が命中したのだ。アメリカ海軍はこの魚雷を「蒼い殺人者」と呼んで非常に恐れていた。(カモメ)そうですね。この「蒼い殺人者」と呼ばれた日本海軍の魚雷は九三式魚雷ですね。世界一の無気泡酸素魚雷で、全長8メートル、重量2.6トン、爆薬500キロでした。(ウツボ)射程は速度50ノットで20000メートル、36ノットで40000メートルの長射程だ。(カモメ)一方アメリカ軍の誇るMK14型魚雷は爆薬300キロに過ぎない。射程も48ノットで4000メートル、32ノットで8000メートルでしたね。(ウツボ)日本のこの九三式魚雷の破壊力は、アメリカ軍のMK14型の4倍と言われている。空気で走るアメリカの魚雷と比べて、日本のこの酸素魚雷は威力と性能が格段に優れていた。(カモメ)ふつう魚雷は圧縮空気と燃料と清水でエンジンを動かし、推進器を回し自動操舵(ジャイロによる)で水中を一定の速度と深度で走る。これが空気魚雷です。(ウツボ)酸素魚雷は空気の代わりに酸素、清水の代わりに海水を使用した。この酸素魚雷は大正時代から世界各国の海軍は国を挙げて研究していたんだ。(カモメ)だが、酸素は良く燃えるので、爆発し、危険だから、それを応用することは容易ではなかったのです。研究の結果、どの国も「殺人的危険物」として開発を断念していた訳です。(ウツボ)その酸素魚雷を、日本だけが、開戦前に完成させていた。だから開戦後、アメリカ海軍はこの日本の酸素魚雷の威力に驚愕したと言われている。
2009.01.16
(ウツボ)「もうちょっとだったな。あと5分か、10分遅けりゃ、両方うまくいったのだが」と司令官である田中少将は言った。(カモメ)「そううまいこと、いきゃあしませんよ、司令官」と服部艦長は答えました。(ウツボ)すると田中少将は「そうかなあ」とつぶやいた。(カモメ)発射方位盤についているベテランの下士官は、この司令官と艦長の話し声を聞いて、「この戦いはわれわれが勝つ」と思ったということです。(ウツボ)艦橋は落ち着いていたのだ。むしろ艦長たちがカーとなって、わめきちらしていたら、おしまいだった。(カモメ)日本側の警戒艦2隻を除く、残りの輸送用の駆逐艦6隻は、ドラム缶を積んでいるので魚雷は8本しか搭載していなかったのです。(ウツボ)通常は8個の魚雷発射管に8本の魚雷を装填し、次発装填装置に8本入れているので合計16本装備している。(カモメ)警戒艦の駆逐艦「高波」は魚雷8本を発射しました。(ウツボ)その頃「巻波」が艦首方向に敵の魚雷1本が通過するのを認めた。アメリカの魚雷は空気で走り、排気がブクブク上がり、スクリューで夜光虫を驚かせ、一条の気味悪い燐光が暗い海の中を横切っていったと記されている。(カモメ)さらに、旗艦で警戒艦の「長波」が右舷を魚雷2本が通過するのを認めました。それ以外、アメリカ駆逐艦隊の放った魚雷について、日本側の記録はありません。(ウツボ)つまり、アメリカ艦隊の放った魚雷は1発も命中しなかった。20本の魚雷は暗い海をむなしく疾走しただけだった。ライト少将の雷撃作戦は失敗に終わった。(カモメ)「悲劇の軍艦」(光人社NF文庫)によると、敵の魚雷攻撃後、駆逐艦「長波」は速度30ノットで敵艦に向けて針路をとりました。(ウツボ)すると、今度は敵巡洋艦が発砲を開始した。「長波」の測距員は、敵巡洋艦の弾丸を発射する砲口の閃光のその瞬間を測り、敵艦との距離を測定する離れ業をやってのけた。(カモメ)「長波」は12.7センチ主砲6門で反撃に出ました。主砲は三年式50口径の連装砲塔式で、仰角75度で対空砲としても使用できました。(ウツボ)ガーン、ガーンと二つ三つ、進む「長波」の周囲に至近弾が落ちる。「くそっ」艦橋の誰かが声を上げた。魚雷を発射するまで、敵弾に命中されては困るのだ。(カモメ)「長波」艦橋では田中少将と参謀が指揮をとっていました。参謀が「敵もなかなかやりますね」と言うと、田中司令官は「うまい。照準はいい。だが、修正がまずい」と答えたそうです。(ウツボ)隈部艦長は7500メートルくらいに近づくと、「発射はじめ!」とすごい声で怒鳴った。水雷長が「用意」と号令を発すると、「用意」「用意」「用意」と水雷長の号令が口伝えに魚雷発射管に伝えられた。(カモメ)発射方位盤の下士官が目盛りを読む。「3度前」「2度前」「1度前」。敵艦と発射管の向いている方向との開きが、段々と狭くなるのです。全員が息を詰める瞬間です。(ウツボ)「テーッ!」水雷長の張り上げた号令と発射係の下士官が発射ボタンを押したのと、下の方で、魚雷のジャイロがシューと発動した音と、一本目の魚雷がザーと音を立てて海面に踊り出したのがほとんど同時だったそうだ。(カモメ)艦長と水雷長は艦橋から上半身を乗り出して、五秒間隔で次々に酸素魚雷が踊り出して行くのを見守っていました。(ウツボ)4連装2基の発射管から8本の魚雷が飛び出した。(カモメ)魚雷は一度海の中に潜り込むと、やがて50ノットの高速で突進していきました。(ウツボ)「長波」は魚雷を発射した後に、雨あられと降り注ぐ敵弾を浴び、損傷した。だが、煙幕を展張して逃げ切ったのだね。(カモメ)うまく回避しましたね。敵弾による損害は軽微でしたね。
2009.01.09
(カモメ)ライト少将の作戦は、敵艦隊と遭遇したら、駆逐艦四隻が魚雷を放ち、思い切り横に開く。そこで重巡洋艦五隻が第一線に躍り出て、二十サンチ砲をつるべ打ちに射ち込む。この間、一切無灯で風のごとく敵を襲い、風のごとく戦場を脱するというものでした。(ウツボ)その第一段階は、作戦通りに、最初にレーダーで日本艦隊を発見した。日本艦隊はまだ気づいていなかった。アメリカ艦隊の勝利は確実であると思われた。(カモメ)レーダーは日本艦隊を確実に捕捉しました。日本艦隊の隊列と並行線上を、反航して、アメリカ艦隊は突き進みました。(ウツボ)アメリカの駆逐艦隊は魚雷の発射準備を終了した。上空には飛行機が吊光弾を日本艦隊の直上に落とすべく、ライト少将の命令を待っていた。(カモメ)兵力は圧倒的に、アメリカ艦隊が優勢で、レーダーにより先制攻撃の位置を確保しつつあったのです。ライト少将と幕僚は会心の笑みを浮かべました。(ウツボ)一方、日本艦隊の田中少将は、「長波」の艦上で、赤青の標識灯をつけて艦首方向に旋回する飛行機を双眼鏡で見つめていた。田中少将は、もし日本艦隊を発見していれば、当然吊光弾を落としてくるはずだと思った。(カモメ)だがそれをしないで漠然と旋回している。「まだ発見されていない」と田中少将は判断し、「予定通りドラム缶揚陸を実施せよ」と命令しました。(ウツボ)午後11時20分、ライト少将は前衛駆逐艦に対し雷撃開始を命令した。(カモメ)先頭の駆逐艦「フレッチャー」艦長、コール中佐は、この命令を後続駆逐艦に伝達し、1分後にSGレーダー管制により、10本の魚雷を発射しました。(ウツボ)二番駆逐艦「パーキング」は8本、三番艦「モーリー」はレーダーの性能が悪く、発射を断念。四番艦「ドレイトン」も同様だったが、それでも2本発射した。(カモメ)アメリカの駆逐隊群は、作戦通り、横に大きく開こうとした。20本の魚雷は、田中少将の指揮する日本の駆逐艦隊に燐光の尾を引いて伸びていきました。(ウツボ)田中艦隊は、このとき二手に分かれてドラム缶の揚陸準備を完了しつつあった。「高波」は1隻だけ艦隊から離れて、哨戒任務についていた。(カモメ)「長波」艦橋の田中少将の耳に電信室から伝声管を伝わり「高波より発信。敵らしきもの見ゆ。方位百度」の声が届きました。(ウツボ)「長波」艦橋は妙に静かだった。続いて報告が入った。「高波より。敵駆逐艦7隻見ゆ」(カモメ)この報告を受ける前に、アメリカ巡洋艦隊の20センチ主砲が火を噴きました。ものすごい炸裂音とともに数十メートルの水柱が「高波」の近くに突き立ったのです。(ウツボ)アメリカ巡洋艦は発砲すると、砲弾の砲焔を消していないので、何百ワットもの電灯をつけたような火がグワッと砲口を飛び出すんだ。だから「高波」は敵艦隊の状況を把握できた。(カモメ)これに対し、日本の駆逐艦の12.7センチ砲は消焔火薬を使っていましたが、それでも、発射と同時に目をつぶらないと、あとはまるで物が見えなくなるのです。(ウツボ)「お出迎え、ご苦労さん」。「長波」の艦橋では、参謀が軽口をたたいた。それほど艦橋では余裕のある雰囲気だった。(カモメ)司令官、田中少将の命令が各艦に飛びまし。「揚陸止め、戦闘用意!」。各艦は、甲板上のドラム缶を海中に叩き込み、魚雷発射管を敵に向けました。同時に各艦は、ぐんぐんと増速しました。(ウツボ)このとき輸送部隊の先頭の艦は、すでに速力を原則速に落として、ドラム缶の固縛を解き始めている状況だった。日本艦隊は、もっとも不利な状況で敵と遭遇した。(カモメ)遂に田中少将は次の命令を発信しました。「全軍突撃せよ」。(ウツボ)そのあと田中少将は、気になっていることを口にした。「ドラム缶はもったいないことをしたな」。(カモメ)「案外届くかもしれません。場所はあまり違っていないんですから」と隅部伝艦長は答えたということです。
2009.01.02
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