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先週末から咳が止まらない。熱は大してないものの、咳ばかりしているものだから喉が痛くなってきた。周囲の人に迷惑だろうからマスクをしていたが、なかなか収まらない。仕事でお会いする方々もお年寄りが多いので、感染でもさせてしまっては甚だ申し訳ないことになる。夕方1件あったアポをキャンセルしてもらって、会社を休むことにした。 とは言ってもなかなか寝ておれるものではない。朝こそいつもより1時間ばかり遅く起きたが、床に就いたものの、咳はでる目は冴える。仕方がないので、前日H氏から借りた日夏耿之介の『随筆山居人随筆』(姫城書房 昭和21年)を読み出した。あの時代としては、手漉き和紙の風合いのある再生紙を使うなど、かなり凝ったつくりの和本仕立ての本である。栗里亭や凝花舎亭など終戦後のこの地域にことが書かれているのと、あの高踏難解な詩人ではなく疎開し、そのまま終戦を迎えて衣食住に振り回される「先生」の姿が意外に身近に感じられて面白く、却って目が冴えてしまった。 昼はミルクとパン1枚。眠れないついでに、長谷川櫂『俳句的生活』(中公新書 2000年)を読み出したら、面白い。これまた止められず、気がつくと日が暮れかけている。急いで部屋の電気を点けたが、最近の電灯はなんだか薄暗く、灯を点けたら却って暗さを感じてしまった。それでも身体をあまり動かさなかったからか咳は収まった。代わりに、寝てばかり居たものだから腰が痛くなりそうなので起き上がって、居間の時計を見たらもう5時を廻っていた。
2012/12/12
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誰も彼も急に宗旨変えしたわけでもないのに、クリスマスを祝う。根っからの東南アジア人の顔つきもそのままに、キリストの誕生なのか甦りなのか、はたまた臨終なのかさえ知らずに、敬虔さも何もなく、周りに浮かれて馬鹿騒ぎする嫌な季節が来た。日本人の嫌なところ、見たくないところが白日のもとに曝されている気がする。 街路樹には、まるでキリストを苛んだ茨のごとく、これこそ省エネとおおいばりでLEDの電飾がまかれる。越冬に入ったばかりの樹木や虫たちに深夜まで光を照らして、樹木や生態系に影響がないのか。自然保護団体もこのときばかりは知らん顔。いっそのこと、それだけの電力や電飾の費用を3.11の被災地救援に贈ったらどうかとも思うが、そんなことをいったらヘソマガリと呼ばれるのだろう。 プー太郎とか、フリーター、ニートといった若者たちも、TVなんかの取材を見ていると、立派なマンションやアパートにすみ、取材を受けながら、TVゲームやPC、スマホでゲームなんかやっている。部屋はモノで溢れている。国は税金を使ってこうした若者を救済しねば国が潰れるという。けれどもどうも貧しているように見えないのは小生だけだろうか。食うや食わずの戦争中戦後を生き抜いてきた高齢者たちの目にはどう映っているのだろうか。 薄情だが、そうした人々は放っておいてもいいんじゃないだろうか。救済の手を差し伸べても差し伸べても、裏切り続けられるのが目に見えている。右肩上がりの時代ならばまだしも、衰退社会において、そうした衰退を早めている層に時間や税金をかけるのは、そうした行為に生きがいを感じている人々を別にすれば、溝に捨てているのとかわりがない。生物は、誕生して、成長して、衰退して、死滅していく。人類というか、地球というか、世界も、どうも成長期から衰退死滅期に向かっているのは間違いない。それが自然の摂理だとすれば、あえて棹さす行為はしないというものだ。 この馬鹿騒ぎの時期、脳天気な選挙まで重なって憂鬱になってしまった。 だから、この嫌な季節、ひたすら、ただ目と耳を閉じて過ぎ去るのを待つのみだ。
2012/12/06
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