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明日から仕事なり。にもかかわらず、わが体調は十分にあらず。朝食後に1時間ほど眠ってしまった。みょうな夢で目を覚ます。こんなことじゃいけない。明日はフルで仕事なのだ。なにかしなきゃいけないぞ、入社関連の書類に目を通して書き出す。年月日は西暦を使用するのだが、たとえば親父の生年月日の西暦がわからない。後で電話をして訊いた。親父をきき、オフクロの年月日もあてはめた。その他、書類チェックシートを参照しながらチェックしていく。保証人の書類やら誓約書やら源泉徴収やら顔写真入りのシートやら。データが多いぞ。こんなに書類があると、これでよいのか不備があるのかもよくわかんないので、一回、見直しをして、もうやめることにした。総務のF子さんに見てもらえばいいや。とにかく、今日、1日を離床して生活しなければ。それでネットカフェにいくことにした。11時から16:30までネットカフェにて過ごす。よって昼食もネットカフェにてちゃちなピザを食べて済ました。これではお腹がすくのだ。夕方、ほか弁を買って自宅に帰った。結局、私はほぼ、『特上カバチタレ!!』を読んで過ごしたことになる。漫画でどうにか過ごせたな。いよいよ明日から社会復帰なんだが、ちゃんとできるかな。土曜日というのはちょっぴり余裕があるな。じつは一件、はらはらすることがあった。私はケアマネジャーの資格者証を紛失したために再発行の手続きをすることになり県まで問い合わせた。その際、私はケアマネの現任研修1のみを昨年終えていたのだが、2の申し込みをしていなかった。それはずいぶん先の話だと思っていたが、県の担当者と話をするのにつれて、私のケアマネの資格が来年の1月21日で失効するかもしれないことがわかった。その2の講習についてだが11月3日に始まるのだな。これを受けないと私の免許は失効する。で、県の介護支援専門員協議会に電話をかけて。3日12日15日の研修に参加できるように頼んだ。いやあ、綱渡りだった。もしも資格者証の再交付の電話を昨日していなかったら、更新のための講習に参加することもなく、免許が失効していた。とにかくケアマネジャーはどこかの会社に所属していないと仕事をすることができなくなるのだ。これって、面倒だ。それに講習料金18000円の徴収はないんでないかい。オレも県のために公的な仕事をするんだし、本来なら県がやるべき仕事なよな。小泉改革の功罪だな。
2008年10月31日
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昨日は勤めることになった会社に出向いて事務的な手続きをした。働くことになったA社はグループでみれば大企業だ。会社の就業規則等の文面がことこまかく、けっこうな分量なのである。私はスタバでオープンエアの開放的雰囲気の空間でそれらを読んだ。しちめんどうくさい内容の文面を自宅で読む気はしないのだ。とにかくコンプライアンスについての決め事が多い。情報の取り扱いにも細心の注意が図られている。たとえばFD、USBメモリといった媒体を事務所に持ち込むことも不可だ。ようするに仕事は事務所でしかできないのだな。会社の社内に入るにも磁気カードを機械に照会させることが必要。めんどうなのだろうが、なんかインテリジェントなオフィスってかんじで、かっこよくもある。職場を選ぶにあたって、じつは先に確認したいことがいくつかあった。たとえば昼食である。利用者とおなじ食事ができるものかどうかが気になった。確認すると、職員用の休憩所のスペースがあってそこで昼食をとるという。肉と魚の2種類より選択できるとのことだった。料金も良心的で安い。あと、確認したかったのは、仕事をする際の服装だ。ケアマネージャーは専用の制服が貸与される。黒のジャケットでネクタイも着用だ。シャツは指定のシャツもあるがなぜか半そでとのこと。パンツも貸与される。私の体は以前よりはやせてきたところで現在のサイズがよくわからない。今着ているスーツはぶかぶかなのだ。それで、せっかくブレザーをあつらえてくれるのならば体に合うものを選択したいと思い、紳士服屋まで寸法を測りに行くことにした。結果、私のサイズはBB7というサイズで標準のAB体ではなかった。それがわかっただけでもよかったと思う。その店で靴を買うことにした。じつは施設内において上履きが必要であり、それも革靴でないといけないのだ。佇まいがお高いところがあるのである。革靴なんて1つしか持ってないので安いのを購入した。安いと入っても7000円以上したのだが。職場そのものも気になった。要するに私の机の場所だ。ホームヘルプと同じ空間にケアプランセンターもあって、いくつか机があいているようだった。私はその場にいる人に「よろしくお願いします。」と挨拶したが、まだ「?}という反応であった。机の場所はまだよくわからないが、よいポジションであってほしい。ケアマネとしての威厳は保ちたいもの。ヘルパーの事務処理をやってます的な小僧ケアマネは嫌だな。自宅に戻ると本社からメール便が届いていた。保証人関係の書類がいくつもあった。保証人には印鑑証明も必要なのだ。やはり大企業はいろいろと手続きが大変だ。そんな書類にざっと目を通しながら、じぶんがA社の看板で仕事をするのだという自覚が嫌でも芽生えてきた。現在の自分に足りないことを考えるに、それは体力とか気力である。いきなりのフルタイムでの仕事がうまくできるかどうか、ちょっと心配だ。ウォーキングをする気にもなかなかなれないしなあ。自宅にいると横になってしまいそうなので、ネットカフェにいき、『特上カバチタレ!!』を読んだ。2冊読み終えて、この文章を書いているところである。少しでもアクティブにならんとな。これからららぽーとにでも出向くかな。
2008年10月29日
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東証の株価が今日も値を下げました。一時は8000円割れ寸前までいって最後は8600円くらいで終わった。毎日、株価を眺めながらため息をついています。(世界の市場よ、なんとか静まれ)と願う今日この頃です。え?株は持っていませんよ、まったく。まったく一度も手にしたことはありません。でも株価は私の生活とリンクしていますよ。まず、雇用の問題がある。企業は業績が悪ければ人件費をおとすもんです。求人倍率は0.86ですか、これは非常に低い。私が現在進行している会社は親会社が不動産会社。業績が悪くて身売りするなんてこともないこともない。ワタミの介護がそれを買ったりして。嫌だなあワタミで働くの。面接で私は落とされましたが。いや渡邊社長のワンマンについてはいけないですよ、縁がなくて正解。オレとワタミはまったく合わん。おじぎが90度ですよ。「365日24時間働け!」ですよ。むりむり。話がそれた。現在の金融不安はこの先2~3年は続くのでしょうか。いや、もっとかな。日本のバブルがはじけた93年頃だって結局その後10年以上不景気だった。日本の金融機関が不良債権の処理が終わったのはつい最近の話でしょう。それで、今度はアメリカ発のバブルって、きっついよな。株価は15000円くらいほしいところだ。そのくらいの価値はあるんではないか。実質。だからお金があれば、今は買いの時期だ。安く買えるもの。鉄鋼とか地味だが安定した株を買いたいものだ。お金がないが。◎A社から電話連絡があって、私は11月1日より働くことになった。あとは給料についての話し合いだけである。どうにか社会復帰できそうだな。よかった。
2008年10月23日
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今日はA社より健康診断の指令がでて、ちょいと町まで出て行った。現在、A社とB社を同時進行中。B社とも面接は終わっている。A社とは面接の後にクレペリン検査をし、そして本日の健康診断へと進んだ。おそらく健康上に問題がないと判定されたら、採用されるであろう。「いま、あなたは健康ですか?」という問いは面接時にもあった。私は当然、「はい。ふつうです。」と答えた。うそも方便である。うつ病で静養中なんてこと、白状していたら、どんな会社にも採用されないだろう。有料老人ホームのA社を選択するべきか、それとも老人保健施設のBにするかで逡巡した私だが、己の思考を分析するに、じぶんはA社を優先して考えているようだということがわかってきた。Bは同族経営だ。院長夫婦がやっている。それにケアマネ以外昇進や配置転換する可能性がない。事務長等に出世する見込みがぜんぜんないことは、わかりきっている。そんな夢のない職を選ぶべきなのだろうか。そんなことを思いあぐねながら面接に向かい、面接時にも野心を燃やす一面をかくさずにみせた。それで相手が嫌ならそれでよし、という強気の姿勢でB社の面接に向かった。A社の健康診断の内容だが、尿検査、血液検査、身長、体重、ウェストまわり、視力、聴力、心電図、胸部X線、と一通りあり、問診や胃の触診もあった。問診では「体調はふつうか?」と聞かれる。当然、なんでもないと答えた。医師は仕事をやった。それでなんでもなければ、誰が困るということもない。いってみれば、問題は明日以降の私の生活の中身なのである。「健康」といったからには、少なくとも1年は休まずに働かねばならぬ。うつ病での欠勤はゆるされない。健康診断は私にとって退路を断ったかんじだった。先週のクレペリン検査のときにも感じたが、面倒な手続きを踏むほどに、その行為に価値を見出し、ようするにその会社にたいして愛着が沸いて来る。私も本日の健康診断で進路はA社へと前進した。ただ、B社から電話が来ない。二股をかけた状況となったのだが、B社を断るのはAの採用をみてからでいいやと思った。健康診断を終えて、10:30頃にやっと食事をし、それがまた、欠食児童のようにがっついてパンとスパゲッティを食べた。食欲がやたら増進された私なのである。これはうつ病の回復期にしばしばなることなのだ。さあ、まだ11時だ。どうやって1日を過ごすかを考えあぐねて後輩Sに電話をした。Sは子供と近所の公園に遊びに出ていた。14時以降なら来てもいいとのことだった。14時までどうやって暇をつぶすか考えたあげくに近所のコミュニティセンターへと行き、図書室で『月刊福祉』を読むことにした。13時半頃に図書室を出て、途中、サーティーワンでアイスを6個買って持っていった。まずじぶんが食べたいのである。Sのマンションで私はじぶんの近況を報告した。私はSに状況を説明しながら、己の本心を確認していた。A社で行こうという意思を確認した。帰宅するとB社より封書がきていた。『誠に残念ながら、今回は採用を見合わせいただくことになり…』不採用通知だった。やっぱり先方もよくわかっていた。ということで私の進路はA社へと一本化された。もう後には戻れない。とにかく採用通知を寝て待つばかりである。
2008年10月22日
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◎今日は特にすることがなくて困った。実は昨日も同様で、ほぼ1日寝てしまった。こんなことならば精神科病棟にいるほうがいいくらいである。病棟にいるときには日中寝ることはないのだな。タバコをすったり、他の患者を捕まえて話をしたりできる。ちょっと懐かしく思ったりして。あれはあれで楽しいこともあった。11時頃にこれではいかんと思って(エイ!と)シャワーを浴びて母のいる老人ホームへと出かけた。おふくろは特に変わったこともなくたんたんとテレビを観てすごしている。ふたりで菓子パンや焼きおにぎりを分けて食べた。老人ホームの食事に飽き飽きしている母には新鮮な様子で満足していた。とはいっても2時間もいられないんだよな。することがなくて。私は午後に上映される『アキレスと亀』を観ようかどうしようかと考えあぐね、トロトロと運転し、結局ネットカフェについた。北野映画に1800円を出すのにはちょっと勇気がいる。1000円で3時間、『特上カバチタレ!』を読むほうがお得だと思った。で、こうして日記も書いているのである。◎精神科の病棟にはいろんな患者がいた。中には(これは珍しいや、あとで日記に書こう)と思う人もいる。彼は年は27歳。いつもむっつりした表情で4人部屋にいてもカーテンをしめて関係を絶ち、PSPで遊んでいる。タバコをすうので喫煙所で顔をあわせることがあった。すごく暗い青年なのでそれがかえって目立つ。いつぞや彼に話しかけてみた、「なんで入院しているの?」と聞いてみた。『ハンギングしました。』と青年はいった。ハンギングの意味が突然にはわからなくて再度、何?と聞いてしまった。要するに首をつったということだ。首吊り自殺をしたが失敗し、首筋についたひもの跡から家族に気づかれて、精神科に入院することになったという。自殺の中でも首吊りは成功率が高く、また痛みのない死に方であると彼はいった。確実な首吊りで失敗した自分の運のなさにしょげていた。自殺念慮については、私もとりつかれたことがあったが、彼とは精神状態がだいぶ異なる気がした。彼の場合、鬱的な様子はないのだな。「もしも末期がんであることがわかったら、生きたいと思わないか?」と尋ねてみたが、『まったくかまわない。よかったと思う。』と彼はいった。まったく生きることに意味とか価値を見出せない青年の心は、やはり病んでいると思った。私が「じぶんも自殺念慮になることがある。そんなときはそういう症状だと思うことにしている。」というと、彼はじぶんも自殺念慮そのものが病理であると担当医に言われたといっていた。生きることにまったく価値を見出せない彼であったが、私の目には不可解に思えることにあった。彼の歯磨きは非常に念入りなのである。食後に必ず磨いて、それも5分以上磨く。死んでもいいと思うのに口腔ケアに熱心な行動が面白いと思った。人間の心とは不可解なものである。
2008年10月21日
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どうも、みなさん、世の中は格差社会です。就職活動をしていると、感じるのですよ、負け組みの空気を。じぶんの値段がいくらなのか、就職活動は自己プレゼンといってよいな、その、プレゼンをしていくと、じぶんの値段の実態がよくわかるのです。今思えば、じぶんの値段が一番高かったのは学生のとき、ある製薬会社の最終面接の手前までいった、あの時でした。でも、当日、どうしても、行く気になれなくて重役面接をすっぽかしました。MRになりそこねたと後悔していますが、その時にはじぶんの大学の先輩がみな本州にいなかったんで、それがネックでした。なぜか本州にいたかったんだな。で、岐阜のアパレルメーカーへ就職しました。その会社になぜ決めたのかといえば、就職活動に飽きてしまって、そろそろ決着したいというときに、「おいで」といわれたからで、その会社のことをろくに調べもしませんでした。若かったというか、ネット社会の現在になっては、あんなに世間を知らない学生は存在しないことでありましょう。じぶんの価格をよく知らずに安売りしたような気がします。で、私の値段なのですが、24歳のときが一番高くて、不惑をすぎた現在でも24歳のじぶんを超えられません。これがけっこうボディブロウのように人生に響いてきます。27歳のときに母が脳梗塞で倒れて、その介護をした。この経験が私を福祉業界へといざなったわけですが、それが私の人生にとってよかったのか、悪かったのか、いまだにわかりません。バブルはじけて、不景気にあっては広告業界にいてもすぐに居づらくなっていたかもしれないし。28歳から現在までの私の値段はあまり変わらずに低値で安定しております。それにしても介護業種のサラリーの低いことよ。大学に行ったものが介護業にいくべきではないなと思います。でもしょうがないんだよな。28歳から今でいうケアワーカーになり6年半、高齢者の介護をしました。夜勤だの早番だのがある仕事です。あの仕事をずっとやっていれば、人生はある意味、平穏でした。しかし、私はその状況に満足できないわけです。介護だけをやる自分に満足できない。それで、自ら、転職という形をもって、仕事内容をチェンジしました。いわゆる相談員としての仕事です。この8年、相談員としての自分があってよかったと思っています。じつはケアワーカーをずっとやっていれば、それは平和だし、安全でした。でも10年以上、介護職をするっていう人生に満足することはできなかったでしょう。会社から相談員の辞令をもらえないとすると、自分で辞令をもらえる会社を探さなければなりません。介護保険制度の始まりとともに私の仕事のチェンジも始めましたが、その道のりは当初、思っていたようにはいきませんでした。ケアマネージャーの地位が低いのです。05年の介護保険の改定でケアプランの35ケースの縛りができてから、また、さらにケアマネの地位は低くなってしまったようです。いま、進行中の会社も結局、ケアマネジャー職で応募しています。でも、私の人生すごろくは、「ケアマネージャーをやめる」というところでひとつあがりになるんじゃないかと思います。日本という国には、もっと社会保障に目をむけてもらいたい。そして、高齢者介護にはコストがかかることをもっと実感してほしいです。高齢化はまずます高まるばかりですから。
2008年10月19日
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秋葉原のクリニックまで通院。今日はクルマを使わず電車で行くことができた。下肢がなえているのだ。なるべく歩行するようにしたい。薬局で慶應大学出身のハセガワさんと遭遇。彼女とは精神科病棟で出会った。慶應とどうしても書かざるをえないほどにハセガワさんは慶應大学がお好きである。ラピッドサイクルの躁鬱質の方で、毎度、出会うと彼女が今、鬱なのか躁なのかを脳内アセスメントを駆使して分析する私なのである。躁のときは注意が必要である。いきなり『やっぱり起業だよ!経営者になったら24時間、365日仕事をしないと!』などといわれかねないのだ。そのどこまでも自己を肯定し、多幸感すら感じていそうな塩梅のさいは彼女の言動にはさからわず追従する。ひたすらに、だ。逆に鬱のさいにはすがるような目で私に対峙するハセガワさんは小動物のように壊れやすい。こちらから近づいて優しい言葉を投げかけるのがよいのだ。その躁鬱がどんな塩梅かを瞬時に見極める洞察力はソーシャルワークで培ったものなのである。本日のハセガワさんは鬱でも躁でもないフラットな状態であった。めずらしいこともあるものだ。私とハセガワさんはお互いに就職活動について近況を語った。彼女もうまく進行しているようだ。社会復帰することが大切、そう話をした。私も彼女もいってもれば生活保護のがけっぷちまで行き着いている。公的基金注入のIMF管理状態だ。だが、なんとか自立をしていかなければならない。私は精神科病棟でタバコを吸いながら自立した生活がいかにその人にとって大事であるかを身を持って感じた。長年入院している患者はほとんどがIMF管理状態だもんね。入院費用がどのように賄われているのか本人がわかっていないのである。聞けば「オレは福祉で払っている。」とまことに大雑把であったりする。タバコを「配給」という形でもらいながら、残りの本数を確認する毎日だ。そんな毎日が何年もつづくと考えただけで怖い。20年とかね。還暦を精神病院で迎えるなんて、嫌だ。でも病棟での生活に慣れてくると男ども同士なじみの関係になって仲良くなってくる。寮生活みたいになる。するとその生活が心地よくなって下界に出るのが面倒くさくなってくる。これには要注意だ。診察の際に先生に話をしたが、私はもしも病院の食事があれほどまずくなかったら、病院から抜け出られなくなっていたかもしれぬ、と。「いけませんよ!」と担当医に言われた。そうだ。そのとおりだ。◎診察のあと、ヤマザキデイリーストアでおにぎりと菓子パンを買って個室ビデオ屋に入店した。おにぎりにするかパンにするかで迷い、結局、両方を選択した俺。ほしいものをほしいときに食することができるって幸せだなあ。病棟じゃ無理だもんな。個室ビデオ店に入るときには、非常口を確認した。食欲が盛んだが性欲がもどらぬオレ。エロDVDを見る気になかなかなれなかった。まず手にしたのは松本一志?の映画『大日本人』。つぎにバイブレーターを挿入して街中を歩く企画のものと、ソフトオンデマンドの介護モノを手にした。介護モノのエロがついに登場した昨今である。たんたんとサービスを紹介していく模様(企業の紹介ビデオ風の演出)は趣がある。が、現実の介護とは違った使用法は気になってしまった。たとえば訪問入浴サービスなのだが、入浴車のなかにバスタブを設置して入浴させていた。これはない。居室にバスタブを設置するのが正しい。おじいさんが介護士に入浴されながら手コキをされるという図も、じっさいのサービスと同じであるからこそリアリティーができるものだ。業界の人間の目にはツメの甘さが気になった。映画『大日本人』だが、この映画を無条件におもしろいと思う人は100人に1人もいないだろう。そのくらい松本の個人的な笑いの方向でなりたっている。いろいろな人物が大日本人の佐藤さんについて証言をしている演出は、松本のネタの進行や、アドリブに近い。微妙な不条理さにみごとにハマることができればこの映画をおもしろく楽しめるが、まあ、ほとんどいないだろう。バイブ挿入モノはつまんなかった。やっぱりカラミがないとつまらんな。
2008年10月16日
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なんというか、その、マリエルと会ってしまった。別れたはずの女である。その女が何事もなかったように電話をかけてきた。オレもふつうに出てみる。あいつはいつでもワン切し、私が折り返しかけるしくみ。朝の9時に会おうなんていってきた。お弁当の工場勤務はどうするんだよ、と。オレはあいつの工場勤務が気になったが、やつは「体調ガワルイノデデキナイ」といいはった。まったくフィリピン人はやすやすと仕事を休むやからなのである。私はクルマをだした。めずらしく待ち合わせの場所に時間とおりに着ている。(このへんで私はアタマを働かせて気づくべきであった)やつはなんと私にミネラルウォーターを渡した。幕張メッセにいくことになった。私はなんとなく映画を観ようと思っていたのだ。『アキレスと亀』なんかいいなと思いながらもとくに時間を確認することもなく、てきとうにその時間に始まる映画を観ることにした。ついたのが10:40ほどで朝の第一回目の映画はいくつか始まっていてタイミングが悪かった。かろうじて『最後の初恋』がぎりぎり間に合ったので観ることにした。映画は凡庸な内容だった。ベタベタなメロドラマ。私は退屈して寝ようかとおもったくらいだ。横にいるマリエルの様子を伺うと、これがかなり楽しんでいる模様。映画の内容をなぞると、ダイアン・レインはバツ1の二人子持ちの女で友人のペンションの手伝いを友人の所用のためにした。そのペンションにアストンマーチンに乗ったリチャード・ギアがやってくる。ギアはあることでとらぶっていて、悩みを抱えていた。レインは夫との復縁を考え中。ペンションにハリケーンがやってくる。そしてペンションを守りきったレインとギアが結ばれるのである。ここまでかけば、あらすじはまあまあではないかと思った。作りようによってはおもしろい映画になりえたはずだ。だが、台本が凡庸であった。レインとギアが結ばれる必然が私にはまったく感じられなかったのだ。とつぜんキスしてねえ。ギアとレインの恋の行方がどうなるかということだが、それが突然、終了する。その終了のしかたが、また、唐突。なんだかなあと。マリエルは泣いたそうだ。二人の子持ちである彼女は、ダイアン・レインと境遇が似ていたのだな。それにしてもあいつ字幕スーパーもろくに読めないのに英語だけを聞いて世界に入っている。たいしたもんだ。わかるんだよね、アメリカ人の話す英語が。この点だけは私はかなわない。いつも悔しい気持ちになる。それはともかく、ベタ映画をみた俺たちはそのあとでサーティーワンでアイスを食べて、そのあとでハンバーグを食べた。病棟あけの私にはおいしいひと時であったが、一人アタマ千円ですんだ。そのあとマリエルがどうしてもロト6がやりたいというので800円ほどやった。「アタッタナスグニアナタニアゲル」とやつはいうが、どういうもんだか。今回のデートはいつもと勝手が違っていた。あいつは腕をからませてくるのだな。ベタベタするのが嫌いなくせに。オレは最初、用心したが、いつになくフレンドリーなので次第に警戒心もとれていい気分になってきた。やはり女がいる状態というものは男をいい気持ちにさせるものなのである。精神科病棟とは大違いだからだ。あいつにメールが着信。みるとプリペイドカードを購入しないとケータイがちゃらになるという内容。その3900円ほどのお金があいつにない。それで私は泣きつかれた。本日のいい流れによって私の警戒心もほどけて、あいつに金を渡してしまったんだな、5千円ほど。もとはキャッシングした金なのに。というわけで毎度の私の馬鹿さぶりにみなさんもうんざりしたことでしょう。
2008年10月10日
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じつは9日に精神科病棟を退院をしていました。病状がよく、就職活動もややいい塩梅になりめどがたってきたので退院していいやとじぶんで思ってそうしました。病院生活に飽きてしまったんですね。精神科の入院というものは内科や外科とちがって、退院を見極めるのがけっこう難しいです。私の場合は、病棟での生活に退屈し、「たいくつだ、たいくつだ」と日々、口走っておりました。やることといえば喫煙するだけでね。私はタバコは吸わないのですが、あまりに退屈で間が持たないので、他の患者の、まねをしてタバコを吸っていました。それでもどうにも退屈で、病棟にいられなくなっていると、Wさんが「こんなところに長くいるもんじゃないよ」と私にいいまして、そのとおりだなと悟ったのです。Wさんは医療保護入院のため、病状はまったくなくなっているのに家族がOKしないので退院できないのです。彼にしてみたら、私の入院はWさんの目からすると妙だったのでしょう。私の場合は、じぶんで「入れてくれ」といって入院し、じぶんで好きに外泊をして好きなように退院できたわけなので、そういう点では自由な患者でした。◎8日の夜、退院を明日に控えた私は最後の病院の食事にうんざりして我慢できなくなった。豆腐がメインディッシュ。糖尿病の食事みたいで、食べても腹がまったく満足していない。私は伯爵というニックネームのおじさんに「ありますか?」と聞いた。「あるよ。」とやや秘密めいた言葉をぼそりという。「私の部屋にきなさい」というのでいってみた。ベッドの衣類をしまう戸棚に菓子パンとカップ麺がいくつかおいてあった。私はカップヌードルをくれといった。「160円だよ」金は伯爵がコンビニで買ってきた料金で、とくにこれで商売をしているわけではなくてただの善意によるものだった。ただ割り箸をもってなくてたのむと箸だってタダじゃないといわれて10円を払うことにした。まあいい。私はそのカップヌードルが1000円であっても買うつもりでいたのだ。そのくらい病院の食事にあきていた。じっさい、病室でのこいつはうまかったな。カップヌードルを文字通りむさぼるように食べた。もう、病室の生活はこりごりだと思った。
2008年10月10日
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