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今年の「輝く!日本レコード大賞」の大賞がエグザイルなんてなあ。普通に考えると『そばにいるね』の青山テルマでしょ。オレですらipodに入れてたくらいだもん。ダウンロード数とCDの売り上げを合計すると500万くらいになるんでしょ。今年、ぐんをぬいて流行った曲だ。それがレコード大賞ではないなんてなあ。湯川れい子も加藤和彦も何を考えているんだ。エグザイルとやらを観て思ったのは、彼らはテレビのホストってことだ。「ドンペリ、いきま~す!」っていいそうなかんじするでしょ。ジャニーズのマーケティングとベースは同じだと思う。リードボーカルをとっていたふたりの歌唱力が低かったのはなんでだ?曲によってボーカルちがうの?なにしろじっくり見たのは今日が初めてテレビだ。テルマはうまいと思うんだよな。ささやきかける歌唱というジャンルがあってもいいと思う。言葉の一つ一つが丁寧なテルマは好感がもてました。
2008年12月30日
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木曜日に点滴しに外出してから、ずっとひきこもったままです。一度も受診にいくことができませんでした。明日はオフクロが老人ホームから戻ってくるし、あさってにはN病院に入院中のWさんと会う予定だし、大丈夫でしょうか。寝逃げの人生は最低ですね。2008年を振り返って、最後が最初とおんなじって、効果がぜんぜんないじゃないか。半年も入院したオレはなんだったんだ。もう一回入院するべきかという問いが生まれるが、結局、うつ病は入院では全快しないことがわかりました。
2008年12月29日
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本日は晴天なり。飯島愛はあっけなく死んでしまったが、世の中は今日もつづく。よろず屋君は朝早く野菜を市場で買い付けてはお得意さんへ下ろし、I君は建設現場で職人さんへ厳しい目を光らせる。私は8時にTV『とくダネ』を見て、昨日の飯島さんの変死について復習し、その後、身支度を整えた。9時前に外出することができた。秋葉原へアナフラニールの点滴を打ちにいく。今週は木曜日してようやく外出ができた。そのくらい、状態が悪かったってこと。クラス会の出席で、ガス欠になった。ほんと、レモンサワーを飲んでいただけなのだが。11時半に点滴を終える。診察はなし。予約してないから受診できない。先生の声だけを遠くから聞いた。それでいいや。点滴は金、土、月といって最後の月曜日に診察してもらうことにしよう。具合が悪くなると、担当医にもすまない気がするのだな。だって、これだけ、悪化を繰り返すと医者だっていやになるよ。さすがに私ももう「入院したい」とはいわない。入院しても根本的な問題解決にならないのがわかったから。月8万円も費用がかかるなら、その分遊んだほうがいいぞ、と思った。そう思ってゲームを買いにいったが、結局、何も買えず。wiiの「どうぶつの森」だっけ、あれがおもしろいかなとは思ったんだが、やはり、絵てきに幼稚な気がした。おもしろいと思った人がいたらコメントください。飯島愛に話を戻すが、やはり数日前に亡くなっていたのね。孤独死か。死因については不明というのもちょっと気になる。薬剤による説もあるのだが、どう考えても薬では死ねないと思う。だってハルシオンなんて薬じゃ、3000万円分飲まなければ致死量にならないって。こう鬱剤だって処方されたものを飲まずに溜め込んで一度に飲んでも、まず無理。気持ち悪くなるだけだろう。薬物のオーバードーズは考えにくいな。麻薬の乱用ならありうるが。昨日のログにあとでリンクをひっぱったが、彼女は3年前に台湾の占い師に死を予言されていた。(昨日の日記のYOUTUBEみてください)予知があたったのか、それとも占いにより彼女の脳裏に刷り込まれてしまったのか。フィリピン女のマリエルに電話をした。「メリークリスマス!(中略)アイチャンシンジャッタネ、ナンデ?」マリエルは死なないな、このおばちゃんは。土曜日に会おうかということになったのだが、何してみようぞ。どこか公園を散歩するか。下肢筋力を使わないとな。↓追記)曲まちがえた。「Fourth Of July」でした※Galaxie500がなかないによい音だ。先週、セカンドアルバムを購入したが、今日、無性に聞きたくなって三枚目の「This is our music」をアップルストアでダウンロードしてしまった。1500円、10曲。音楽はCDによる購入を基本としているが、ネット配信って便利だよな。↑気づいたら、ポチッとな。
2008年12月25日
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自殺だろうな。クリスマスイブにねえ。気持ちはわかる。わかるが私は寝て逃げて、今日も生きていた。クラス会の帰り際に、路上でよろず屋君が私のからだをひしとつかんでくれた。言葉はなくとも伝わるなあ。オレサマはひとりじゃない。なんとかこの病気を乗り越えないとな。飯島愛だって、決して一人じゃなかったんだよな。誰かに頼るという考えは浮かばなかったのかな。飯島さんもこう鬱剤を飲んでいたようだ。うつ病だったのかな。瀬戸内寂聴あたりに相談すれば、きっと、新たな展開があったと思うよ。オレはこのくらいのことしかいえない。いまはじっと嵐が過ぎ去るのを待つだけ。↑ちょっと気になったらポチッとな、飯島愛の死が予知されていた:YOUTUBE
2008年12月24日
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食欲だけが増進されて困っている。この3週間でおそらく4~5キロ体重が増加したみたいだ。体重計に乗る気がしないので正確にはわからんが。マスメディアは連日、製造業の赤字や従業員の解雇について報道している。100年に一度の経済不安か。ほんと、オレも申し訳ないなあと思う。解雇されたわけじゃないのに、自分で仕事を辞めてしまって寝込んでいるというじっさいが、申し訳ない。トヨタやキヤノンの派遣社員、下請け会社の人にも申し訳ない。関係ないような気もするが国の一大事にパジャマ姿で過ごすのは申し訳ない。もちろんオヤジにも悪いと思っている。お袋にもね。年収が300万円あれば上等だ。いまはそんな気分。つうか、月給15万円でいいから、その仕事が勤まらないのか自分!という気がする。つうか、週5日で8時間労働ができない自分が歯がゆくて仕方ない。うつ病に付き合っていると、次第に相手もジリジリしてくるしなあ。存在そのものが申し訳ない気持ちになるが、私は自分から命を経つ根性すらない。自殺はできない。福祉の世話になるべきだろうか。障害年金2級が支給されるだろうか。それとも生活保護がベターか。極貧フィリピン人のマリエルに電話をすることもできない。電話しても明るい話題がないからな。あいつは住んでいたアパートを追い出されて友人の部屋に居候しているそうだ。その友人にはご主人がいるようだ。子供もいるのかも。そんなお宅に子供2人もつれて居候しちゃうフィリピン人ってすごいな。受けるほうもすごい。子供たちはちゃんと学校に行っているらしいが大丈夫だろうか。ぐれないだろうか。もしも私にある程度の経済力があったらマリエルと所帯を持つこともありえたな。そうすればオヤジの看取りもできるだろう。今は元気だがいつどうなるかわからんしな。家族4人の飯が食べれて、1年に一度フィリピンにいけるくらいの経済力があればなあ。
2008年12月23日
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みなさん、こんばんは、ジョージ・クルーニーです。2008年もあとわずか、今年のオレっていったいなんだったのだろうな。半分近く精神病院に入院して、結局、うつ病は治らずに、いまも最悪の状態。仕事の社会復帰も失敗。1ヶ月ももたずに辞職。クラス会にはなんとか出席できました。そこで友人のI君とちょっと話をしたのだが、私の辞職って回避できたんじゃないかという件がある。世の中、奇麗事ばかりいってられない。少々、グレイなことに手を出すのは、生活をまっとうするためにはしかたないんじゃないかってこと。I君はいった。「それをして誰かが損をするのか」と。誰の腹も痛まないのならいいじゃないかって件だ。これはA社の考え方でもある。じっさい直接に被害をこうむる人はいないだろう。だが、ケアマネジャーは介護保険制度を適切に遂行する義務がある。給付を抑制させる働きをケママネが持っているのだ。だって、歩ける人に車椅子のレンタルはできないよ、いくら本人が乗りたいといっても。それをやっちゃあいけないの。これまでできていたことができなくなるケアプランを立てるのは犯罪的な行為だ。あと、つくづく思ったのは、悪徳な人たちって、けっして自分を悪徳だと思っていないし、自分の行為を合法だと思っている。住宅改修の悪徳業者も実際に会うとアタリがやわらかくていい人そうに見えるのだ。私なんか丸め込まれそうになって、苦情を申したてたケアマネに怒られそうになりました。違法でないからなんでもやっていいってことじゃないんだな。でも生活を守るためにみんな必死なんだ。おぎーのにはその必死さがない。I君がそう考えたとしても仕方ない。私はこれでも必死なんだが、行動として必死さに欠けるように見えても仕様がない。うつ病で心身ともにチカラがないと悪事を働くこともできないのだな。いや。I君は私に悪事をしろといっていたわけではない。誰だって働く上でグレイなことに手を突っ込みなんとか社会生活を行っている。I 君の気持ちはわかる。わかるが私にはできなかった。ケアマネジメントの理念から逸脱することはできなかった。もう終わったことでどうすることもできない。次のことを考えたほうが得策だ。己の倫理観を逸脱しない会社に入るしかないのだな。でも倫理観ってなんだろな。正義ってなんだろう。人によりその線引きはまちまちではないか。だから法律があり、法を運営する司法の世界がある。公序良俗という考えもある。公共の福祉っていう考えがあって、たとえば人を殺してはいけないのは公共の福祉に反するからだ。正義感が強すぎるらしいオレサマだが、一般の人よりも、線引きが甘いこともある。不法滞在の外国人については目が甘いな。もしも私が法務局に勤めていたら、強制送還させるべきホステスを何人も見てきた。オーバーステイはいけないことだ。それはわかっている。だが、通報しようとは思わない。つかまってしまった人は強制送還されてもしかたないが、ローラー作戦をしてあぶりだせとは思わない自分がいる。だから己の正義感というものも曖昧なものなんだな。会社を1ヶ月で辞めてしまったのは、早い話がうつ病が治っていなかったということなんだと思う。うつ病でなければ、生活のためにスルーできたかもしれない。この潔癖な気持ちもうつ病患者特有のメンタリティなんでしょうね。
2008年12月22日
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楽天のブログでは『足跡』がアクセス記録でわかり、同じ楽天のアカウントを持っている人の足跡をたどることができる。それで、どんな人がアクセスしてくれたのだろうと思って私も訪ねるとエログということが多い。今日なんか4つも踏んじゃったよ、エロサイトを。みなさん、どうされていますか、そんなとき。(ああ、やっぱり)って思いながらもけっこう中身を覗いているオレがいるんだな。虚しいな。で、本日いったエログの管理人の買い物履歴にこんな本があったのだ。洋書だ。The Idea of Nationalism: A Study in Its Origins and Background学生さんなのだろうか。こんな難しい書物を購入した人が一方で、エロサイトをつくり自動巡回ソフトでみなさんのブログに足跡をつけて回っているという事実があるのだ。まあ、いいか。エログの取り締まりはいたちごっこだもんな。無料のブログだからしょうがないか。誰かエログでいい思いやひどい目に遭った方がいらしたら体験を教えてくれませんか。ホントのところが知りたくてね。
2008年12月20日
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朝、起床してシャワーを浴びていると、テレビの音は『赤いスイートピー』を歌う一般人の声がした。♪出会った日からなんたらかんたら、あなたって手も握らない。突然、20年以上前の記憶がよみがえってきた。場所は渋谷のサントリーカラオケバー。まだカラオケボックスはなかった時代で、人々はみなカラオケをしたいときにはカラオケパブへ出向いていた。乾き物だけで2時間5000円とか払っていたのだな。それでもけっこう店は繁盛していた。店の前で待ったりしてね。1曲、出るごとにMCの声が入るのだ、「2番テーブル、おぎーのさんのおんなの慕情です」みたいなのが。あったよね、そういうの。昔の話だ。その1987年の冬のある日に渋谷のカラオケバーに私はいた。当時流行っていたアイスクリーム屋のバイト仲間と一緒だった。私は21歳。店長が27歳の男で、20歳の青学の遊び人の男と18歳の音大のコと女子大のコというメンバーだった。音大のコとポン女のコが仲良し。ポン女のコは彼氏がいるんだけど、うまいことに、21歳当時の私のハートもキャッチしていた。今思えば、特にかわいいわけでもなかったんだが。音大のコは見た目が派手なサーファー風で、内面はおしとやかな女の子だった。私はこのコのことも気になり、いまだったらメールアドレスを聞いていたところだ。ああ、当時、ケータイやメールがあれば!音大のコはまあ、かわいかった。で、オレサマに気があったようなのだな。オレもいいコだと思っていた。それなら相思相愛というところだが、ポン女のコとのカンケイがあってなぜか、進展しない。「M子(ポン女)に電話してあげて。。」なんてことを音大のコはいう。女の友情が複雑に絡んでくる、よくある三角関係だ。オレサマに女の子ふたりを裁けるような度量はありませんよ。オレサマは煮え切らない態度を続けていた。カラオケパブで。いつもはフルートでお客様を楽しませている音大のコが『赤いスイートピー』を歌った。♪あなたって手も握らないと歌い、こちらをチラリ。ギクリとするオレ。動きが止まりましたよ。あの瞬間を私は今朝、思い出したのだ。もう21年も前の出来事なのに。どうしているだろうか。風のうわさでポン女のコは『CamCan』という雑誌でライターをしているという話を聞いた。もう5年も前か。彼女は当時は東大と慶応の同好会に入っていたな。男にブランドを求める彼女が無印の私のほうを見るってのは、ちょいとした好奇心か。今でも、どこかのカラオケボックスであてつけの赤いスイートピーは歌われているのかな。
2008年12月20日
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毎日、つらい日々が続いている。昨日は寝っぱなしだったが、今日は何とかお昼ごろに秋葉原のクリニックまでクルマでいくことができた。ただ離床するだけのことなのに難しい。よろよろ起きて、歯を磨けば歯茎は出血している。磨かないから歯槽膿漏の菌が繁殖しているのだ。口腔衛生がめちゃくちゃだ。45歳にしてほとんど歯のないN病院の患者、Tさんを思い出した。彼は入れ歯すら入れず、おかゆと刻み食を食べていた。(経済上)入れ歯よりタバコを優先していたな。Nさんは夕方、病室で、おもいきりチューブを歯ブラシに出して、口の中にいれてしばらくこすると、歯磨き粉をそのままごくんと飲み込んでしまう。理由はわからない。彼の狂気の一端がこんな行為からうかがい知れる。オレもTさんみたいに歯ナシになっちまうぞ。点滴をしたからその後ぐっとよくなるというほどのことはない。帰りの運転が楽になった程度だ。うつ病は悪くなると、アナフラニールを1回点滴したくらいでは大きな好転はない。私は楽しみにしていたラーメン屋でラーメンを食べた。850円なり。いまの自分には大きな金額だ。でも、神様、お許しください。あのラーメンを食べることくらいしか楽しみを見つけられなかったのですから。『天神屋/特製ラーメン』今週の土曜日に例の高1時代のクラス会がある。私は出席をすることを断念し、さとちゃんにメールを入れた。本当は出席したい。気持ちはあるのだが体がついていかん。残念だ。I君にも一応メールを入れといた。なんか各方面にごめんなさい!とわびて逃げたいな。そういえばA社からも離職票が届いていた。私は28日に退職したので30日までの不足分を請求されるものと覚悟していたが、それはなかった。A社の退職とうつ病の悪化。どちらが先かわからぬが、これが今回の大うつ病のきっかけにはちがいない。おととい買ったCD、『Galaxie500/IN FIRE』はなかなかいいアルバムであった。うつ病にいい音だ。
2008年12月18日
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今日は激鬱の中、なんとか9時過ぎに離床することができた。シャワーは浴びない。下着は替えた。なんとなく尿臭がしたもので。秋葉原まで電車でいくかクルマを使うか、考えた結果クルマにした。電車はおっくう。10時半頃にクリニックに着いて、診察より先にアナフラニールの点滴をやってもらった。診察は2分程度。現在の自分がとっても悪いこととだけ述べて、年内はしばらくおとなしくすることとした。そして、とうめんの間、点滴を毎日することとなった。診察を終えると、腹が減った。とにかく食欲だけは異常にあるのだ。ヨドバシカメラの8階に行き、ペッパーランチでランチを食べる。なんか量が足りなかった。もっと食べたい。大盛りにするべきであったと反省しつつ、また、油っぽい口の中をさっぱりさせたかった。それでサーティーワンへ入店。りんごソルベの大玉を注文した。これが450円もした。ペッパーランチでちゃんと食べるべきだったのだな。結局お昼に1000円以上使ってしまった。アイスを食べた私はヨドバシカメラのゲーム機器のフロアへと行く。wiiを昨年の今頃購入したが、いまだ未開封。wiiフィットがそのまんま。せっかく買ったwiiなので、おもしろそうなソフトを見つけてゲームにはまってみたいと思った。しかし、フロアに5分いるだけでたいへん疲労を感じ、購入はやめた。DSだったら買ったかもしれない。とにかくゲームはいまの自分には無理だった。7階のタワーレコードへ行く。そこでギャラクシー500の『オン ファイアー』を購入した。ギャラクシー500って、今まで、まったく聴いたことがなかった。ノイジーなハードロックだと勝手に思って、クルマの中で聴いてみると、なんだ、このトロンとしたサウンドは!ものすごいローテク!ニューオーダーですらこれと比べると上手だ。ギターはギブソンの335だろうか、リバーブだけが甘くかかったノンエフェクトな音。すごーくもったりしたタイム感。ドラムはもたついていつでも置いてきぼりのかんじ。都内の渋滞した道をギャラクシーを聴きながら走れば、イラついてくるのだ。ボーナストラックでニューオーダーのセレモニーがついていた。なかなかいいかんじだ、このもったり感。私は次第にこのもったりサウンドに惹かれるようになった。2600円出したかいがあったかな、ミスったかな。今日のところは保留。【Aポイント+メール便送料無料】ギャラクシー500 GALAXIE 500 / THIS IS OUR MUSIC (輸入盤CD)タグボート:ライブ
2008年12月16日
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今年の紅白歌合戦はパフュームとJEROが目玉と勝手に決めさせてもらった。いや、見ませんよ、紅白なんて。ただ、今度TSUTAYAにいったら、パフュームをレンタルしたいと思うわけですよ、おじさんは。クルマで流して聴くのにちょうどいい。頭の中はからっぽです。暇な方はYOUTUBEで見てください。なかなかおつですよ。おっさんがパフュームの曲に合わせて踊っているビデオがYOUTUBEにあるんだけど、たいしたもんだな。何曲もあるの。この情熱を別の方向に向けられないものかとも思うが、まあいいか。おっさんが踊るポリリズムお口なおしに女の子で女の子がいっぱいで踊る
2008年12月14日
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本日もほぼ1日、寝たきりなり。夢を見てすごす。アナフラニールを1回75ミリ飲んでみたら、ひどい立ちくらみが起こった。やはり1日150ミリくらいにしておくほうがよいようだ。今日で寝たきりになってから10日ほどたった。通院できるくらいに早く回復したいものだ。点滴を10日くらい行いたいな。そうすれば、退職したときくらいには戻るであろう。ふと、N病院のことを思い出す。みんなどうしているかな。2008年の私はその半分を精神病院で過ごした。親父と別居してみるのが目的だったが、2度も入院して結局、うつ病は治っていない。入院したからってうつ病は治らないんだな。三度目の入院はない。ないが、気になるところはある。病院の喫煙室。暇をもてあました輩が検温を終えてやってくる9:30.もしも私が顔をだせば(仕事はどうしているか?)という話になって1ヶ月で辞めてしまったことが明らかになる。(やっぱりな)という反応が少なからずあって、もしも入院すればその日から彼らの社会に溶け込んでしまうことだろう。2ちゃんねるのメンタルヘルス板に『一生を精神病院で過ごす』というスレがあるが、本気で考えている人がけっこういらっしゃる。生活保護になって、お金を管理されながら一生を病院で過ごす。ちょっぴり甘い誘惑がある。でも、まだ、それを考えてはいけないだろう。生活保護の人を助けていた自分が生活保護を受ける身になるかもしれぬとは。N病院で一生を終えられるならば、多くの苦悩より逃れられることができるだろう、金の心配がなくなるし、カロリーも管理されて適正体重に近づくだろう。血液検査の結果もよくなるだろう。食欲については時々、1.3キロ先のローソンで済まし(主に菓子パンとおにぎりだろう)、月に一回ほど駅までいってマックやラーメン屋に入ることもできるであろう。タバコは吸わない私だが、他の患者とのコミュニケーションのために真似事を始めるかもしれない。10年単位の入院って社会的に死を意味するな。
2008年12月12日
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辞表を出したのが11月28日。あの行為は正しかったのか、いけなかったのか、いまだに堂々巡りの思考から離れられない。そりゃ、いきなり会社をやめるってことは社会の常識から離れている。副施設長にも責められた。でも、ぎりぎりだった。県にケアマネジャーの登録をする予定が11月10日。その日にに私はじぶんをケママネとして登録しないでくれといって保留させた。主な理由は足浴というサービスが介護保険上適切でないと思ったからだ。生活への課題にならんもんね。足浴を介護保険で提供するのは正しくないと主張する私。だが、味方は一人としていなかった。足浴そのものを否定するつもりはない。そりゃ気持ちいいと思う、だが、それはたとえばはりやお灸で気持ちいいと思うのと同じ。自費で請求する分にはなんの反対もない。そのあたりの見解について、私の考えを肯定するものが一人としていなかった。本社の介護課長と私の上司となる管理者は、私の言い分について十分にわかっていたが、声を出さずに終わった。私の上司となっていた女性は50歳のケママネだったが、頼りなかったな。なんというかスキルが自分のほうがずっと上だということがわかる。10日の日に私が「明日、辞表を出す。」といえば、それで上の人にも少しは伝わるかもしれないといった。でも副施設長と二人で私と対峙するときにはまったくそんなそぶりは見せなかったな。11月11日。私は会社を休んだ。職場放棄だ。辞表を出す気持ちでいたが、なんとなく自宅でずっとこの件について考えていた。で誰かに意見を聞きたいと思って、私はT田に連絡した。T田はもと私の相棒で美人の社会福祉士である。美人かどうかはどうでもいいか。T田は「世間はせまいですよ。会社を休むというのはよくありません。」とまっとうなことをいって私を諭した。彼女の意見はいつでも正しいのだ。私は考えを軌道修正して、本日は(11日)会社を休んだが、「翌日からは心を入れ替えてがんばります」と副施設長へ連絡した。今思えば、これに無理があった。己の考えを引っ込めたのだが、結局、足浴や他の身体介護についての見解の相違は解消されたわけではないのだ。私は1ヶ月間、現場の仕事を経験することになった。これがやはり私にとってよくなかった。体力や気力がついていけなかったのだ。表面上はがんばったが、顔から妙な汗が噴出し続くし、ほとんど実習生という立場は、プライドが傷ついたかもしれない。朝、会社に出勤して己の椅子がなく、2台のPCにも『だれだれ用』とわざわざ紙が張られていたのを見て、副施設長の本気度がわかった。私はじぶんの席のそばにいってはいけないことになった。ケアスタッフの机にしかいってはいけないのだ。でも不思議と屈辱は感じなかった。2台のPCはプレッシャーの元だった。そんなわけで私は実習を受けたのだが、その日にどんなことをするのかわからないことはストレスの元だった。また、勝手にケアプランを操作するヘルパーステーションの人間の下で指示を受けるという図式は、ケアプランを私のハンドルにおくことができないことを表していた。私は2週間ほどで気力がつきた。けっこう頑張ってはみたのだが。
2008年12月10日
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じつはうつ病が大きくぶりかえして寝たきりでいる。ここ1ヶ月ちょっとブログの更新が途絶えたが、それは日々変化する精神状態を逐一記録することに疲れ、また病気にもよくないと思ったからだ。それにしてもいろいろあった。11月1日から社会復帰したA社。そのグループは名の知れた大企業だ。介護ビジネスには後発の企業だが、資本力と中途採用者の使い方がうまく、アントレブレナーの気風もある会社だった。私はA社にケアマネジメントの魂を売ったつもりでした。A社は住宅型有料老人ホームを展開しているのである。ここから先はちょっと専門的になるが説明が必要だ。私が勤めた老人ホームは有料老人ホームで、それは特別養護老人ホームとはちがって桁が違う料金がかかるお高い施設だ。入居するのに850万から1500万円くらいかかり、そのほかに毎月の料金が25万円から35万円くらいかかってしまう。人生の勝利者のみが受け取れるサービスである。通常の有料老人ホームは「介護付き」と呼ばれて介護保険上もその人の介護度にあわせて丸めで費用を請求できる。部屋の格が同じならサービス利用料は同じだ。まあ、どなたも一様のサービスを受けることができる。増加する有料老人ホームなのだが、厚生労働省が総量を規制しだしたのである。「介護付き」のお墨付きをなかなか与えないようにした。そこで「住宅型」と呼ばれる有料老人ホームができ始めた。住宅型有料老人ホームに介護というサービスはついてこない、位置づけとしては集合住宅と同じなのだ。介護保険制度上も在宅介護という形になり、要介護者となればケアマネージャーと居宅介護支援事業所の契約をしてケアプランを立ててもらうことになる。私が所属したのは住宅型老人ホームに併設された居宅介護支援事業所だ。在宅なので利用者はどこの居宅介護支援事業所と契約してもいいのだが、現実は100パーセント併設された事業所と契約させられる。そして併設されたヘルパーステーションのサービスを受けることになるのだ。ここまで書いて、門外漢にはすでにわかりにくいと思った。そうだ、入居する利用者だって、よくわからずにその居宅介護支援事業所と契約しているのだ。それはいい。そんなもんだと思った。私は住宅型の利用者のケアプランを請け負う。そして主にサービスは併設されたヘルパーステーションにサービスを頼む。そこまでは入社する前から心得ていた。しかし、ヘルパーステーションが実質上ケアプランを作っているという現実に適応することができなかった。介護度がついた方は、介護度に応じて区分限度のある点数分のサービスを利用できる。あくまでも区分限度額といって、ケアマネジャーがケアプランを作るにあたっての上限である。住宅型というやつは、誰でも区分限度いっぱいにサービスを組み入れようとするのだ。必要のないサービスが組み入れられることになる。私が引き継いだ3件のケースや新規のケアプランについて、ヘルパーステーションは週三回の入浴日以外の4日間において足浴という名目で身体介護を入れてきた。じっさい足浴は行われる。だが、ケアマネジメントを少しでも理解する人ならば、そのサービスについてエビデンスはなく、よって適切なケアプランとはいえない。ただ法令違反とまではいえないところがずるくてグレーなのだ。A社はそこをついてくる。入浴のない日に、どんどん足浴サービスを組織ぐるみであげてきた。私はそれに待ったをかけた。水虫でもないのに足浴とは、これは介護保険上適切ではない。私はこの点についてまげることができなかった。本人は1割の負担とはいっても残りの9割は公的なお金を使うことになるのだ。ケアマネジャーは高い職業上の倫理観を必要とされる。私はどこをどうがんばっても不適切なケアプランをOKするわけにはいかなかったのである。今日の日記はここまで。
2008年12月09日
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