おじん0523のヒロ散歩

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2019.02.24
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カテゴリ: 東海道53次
JR片浜駅辺りで左の腰が痛くなり、原宿の白隠の里松蔭寺からJR東海道線の原駅へ。
「原」の地名は、この地の山側にあった浮島沼を中心とした広大な湿地帯だった浮島ヶ
原に由来する。その浮島ヶ原と海岸に挟まれた一本道にある宿で、日本橋から13番目
の宿場である。

1/16(水)15:13
大本山松蔭寺


白隠(ハクイン)の里案内図
白隠生誕地として、白隠に由来する寺が建ち並び街中が整備されている


臨済宗白隠派  大本山松蔭寺                                                                                                                                                                                                                           
所在地:静岡県沼津市原128
弘安2年(1279)鎌倉円覚寺無学祖元の流れを汲む天祥西堂が開山したと言われている。
享保2年(1717)白隠禅師(ハクインゼンジ)が住職となり、臨済宗を中興したことで全国に知
れ渡った。15歳で剃髪し「慧鶴(エカク)」となったのち、各地で修業して32歳で松蔭寺
に戻った。大正期以降、門弟中島元奘の代に松蔭寺は妙心寺派から独立し、単立(タンリツ)
として白隠宗と称した。現在の住職は宮本圓明。
単立とは、包括宗教団体に属さない独立した宗教団体(寺院・神社など)のことである


松蔭寺本堂
白隠の名声が高まるにつれ松蔭寺に門弟が集い、数百人に及ぶ大集団がを形成した。
明和5年(1768)白隠が当寺で病没すると、門弟の遂翁元盧がこれを継いだ


鐘 楼


白隠禅師塔所
白隠禅師の遺体は死後分骨され、原の松蔭寺、三島の龍澤寺、富士比奈の無量寺に
埋葬され塔所が建てられた


境内にあるこの墓は県指定史跡である、一番左が、白隠の墓所


白隠禅師墓
明和5年(1768)12月11日、84歳で示寂。翌、明和6年に後桜町天皇より神機獨妙禅師
の諡号を、明治17年(1884)に明治天皇より正宗国師の諡号を贈られている。後に五百
年に一人の名僧といわれ、臨済禅中興の祖と仰がれている


松蔭寺の南側を走るJR東海道線


松蔭寺を後にする。
山門左に、二代目すり鉢の松がある


15:27
松蔭寺の隣に位置する、原の天神さん「西念寺」
宗派:時宗、宗祖:証誠大師(一遍上人)、本尊:阿弥陀仏


西念寺本堂
このお寺は弘安年中(鎌倉時代)に宗祖一遍上人のお弟子の素現和尚により開祖された。
以前は山門、観音堂等があり、望海景勝のお寺であった。また、浮島原に常休庵や休
心坊などの末寺もあったが、延宝年中火災により堂宇等が焼失し、明治26年鉄道火災
によって本堂等類焼した。現在の本堂は大正15年に建立された


西念寺天満宮
山門を入って左手に学問の神様菅原道真公がお祀りされている天満宮のお堂がある。
西念寺門前に生家のあった白隠禅師は幼少の頃、母から自宅に隣接するこの天満天神
が一切の苦を救うと教えられ、日々参拝した。後年にも「南無天満自在天神」の文字
絵や、お多福などの人物の衣に梅鉢紋を描いていることなどから、天神に対する特別
な思いがあったようですと


15:28
旧街道沿いに「白隠禅師誕生地」の石碑


”駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠”と歌われ、臨済宗中興の
祖と仰がれる白隠禅師は、1685年12月25日長澤宗彝(ソウイ)を父、妙隼(ミョウジュン)を母
として三男二女の末子として生まれた。15才の時松蔭寺の単嶺祖伝和尚を師として自
ら望んで出家し仏門に入る。19才から32才まで修行行脚で全国を巡り33才で松蔭寺
住職となり84才で亡くなるまで松蔭寺を中心に全国各地で真の禅宗の教えを広めた。
毛筆の書画に秀でて達磨図や観音菩薩絵は特に有名である


新築整備された広場にある白隠禅師の石碑


禅師が生まれた時使用した「産湯の井戸」がいまなお清水を湛えている


15:30
興国寺城(コウコクジジョウ)通り
旧東海道から北方向に約1.5kmの所にある「興国寺城跡」。
北條早雲の旗揚げの城。層雲は長享2年(1488)頃、今川氏親より富士郡下方12郷を与
えられ、興国寺城主となった。その後、戦国大名の争いの中で、、今川氏、北条氏、
武田氏、豊臣氏、徳川氏の属城となる。慶長6年(1601)徳川家家臣の天野三郎兵衛康
景が一万石を領し城主となるが、罪を犯した家臣の引き渡しを拒み小田原西念寺に蟄
居したため、慶長12年(1607)廃城になった。
今回は、旧街道から離れすぎているため行かなかったので後日訪れたいものです


旧東海道(県道163号線)の「原交番東交差点」


15:31
原浅間神社
所在地:静岡県沼津市原899


御由来
甲斐武田氏に仕えし植松平次右衛門出雲守源季重なる者天正10年(1582)3月武田勝頼
陣没するや去って原町に至り住居す


季重敬神の念篤く、慶長14年(1609)8月当浅間神社を創建氏神として崇敬し季重の弟
宗吾掃部初代の神職となる。季重の子孫は、連綿として当宮の前に居住する、植松本
家なり。明治8年村社に列せらる


高札場跡
原宿の高札場は、この浅間神社前にあった。江戸時代、幕府・大名が法令や禁令を、
板札に墨書した高札を掲示した所を、高札場という。規模は、高さ一丈、巾一間、
長さ二間五尺あったと言われている


原宿と浮島マップ


15:33
原浅間神社前に建つ「沼津市原宿」
静岡ではお馴染みの夢舞台東海道道標
吉原宿:宿境まで二里三十二町、沼津宿:宿境まで一里十二町


15:34
工事中の帯笑園(タイショウエン)


帯笑園 沼津市原字御殿場
帯笑園は、原の素封家植松家が江戸時代後期から昭和初期まで代々伝えた庭園である。
帯笑園という名前は、寛政3年(1791)海保青陵(儒学者 1755~1817)によってつけら
れ、高島秋帆(高島流砲術の創始者 1798~1866)筆の木額が残っている


15:35
日蓮宗 龍守山昌原寺
所在地:静岡県沼津市原216


昌原寺本堂
大成弁阿闍梨昭(本山玉沢妙法華寺開山)の法孫日達の弟子、大仙院日耀の開山である。
開基は、徳川家康の側室、お万の方(養珠院日心大姉)である。元和元年(1615)春、東
海道原宿の渡辺本陣にお万の方が宿泊されたとき、南無妙法蓮華経のお題目が、聞こ
えてきた。ただちに本陣渡辺八郎左衛門ともない庵に入り、読経を聴聞されたのち、
庵主、地主庄司七左衛門を呼び、この地に一山を構えるように要請した・・・・・。
そして元和8年(1623)に念願が成就し、寺院を建立して現在に至っている


七面大明神の由来


15:39
旧街道、原浅間神社、昌原寺


15:41
東海道原宿「問屋場跡」
各宿場には問屋があり、宿役人がいて宿駅の業務を行った。宿役人には問屋、年寄、
問屋代、帳付、馬指などの役人がいた。そして、道中奉行の監督の下で人馬輸送の
業務に携った。原宿には問屋のあった場所が西町東町に各一箇所づつあって、交代で
勤めたと思われる


15:41
前方に原浅間神社、原交番


15:46
旧街道沿いの道標
右へ、JR原駅まで0.6km、後方に国道一号線0.3km、興国寺城跡2.0km


15:50
渡辺本陣跡を探すがわからず、弥次さんのiPhoneではこの場所に石碑があるのだが


渡辺本陣跡の碑がここにあったようだが、何故かない!


15:55
臨済宗妙心寺派 安泰山徳源禅寺
所在地:静岡県沼津市原297


旧街道から参道を入り山門へ


徳源寺本堂
建久4年(1193)源頼朝が行った富士の巻狩りの際、陣屋が置かれた、その後「今津寺」
という律宗の寺院を経て、鎌倉円覚寺開祖仏光国師(無学祖元禅師)の弟子帰化僧賢宗
が、北条時宗の帰依を受けて弘安元年(1278)に徳源寺として創建。賢宗は、円覚寺
建立に尽くした


徳源寺の境内地は、源頼朝が巻狩りで当地を訪れた際に陣屋を置いたとされ、御殿場
という地名を残している


境内にマニ車


摩尼車「一転一誦」


16:01
明徳稲荷
時は戦国時代の安土桃山時代、本能寺の変の翌年天正11年(1583)この地に柳池神の
社(稲荷大明神)を建立する


その後、江戸時代の寛政10年(1798)1月15日京都伏見稲荷より「明徳」の名を授かり
柳池神の社が御遷宮されて明徳稲荷となり鎮守された。当時の原宿は旅籠数が僅か25
軒と東海道でも規模の小さな宿場であった


16:02
駅前公園
此の地(原町原321-1)は明治20年7月7日、原尋常小学校として明治24年4月26日に新
校舎、明治26年4月30日に駿東郡原町立原尋常高等小学校となり、以後増改築を経、
昭和7年11月14日の大暴風雨校舎倒壊の為、昭和9年12月28日に現在地に新校舎が落
成移転するまで47年間、原地区の教育の場であっ


原尋常高等小学校跡 碑
その石積となっていた間知石を名称サインに使用し、駅前公園の完成を記念し碑を
設ける


16:03
JR東海道線原駅へ到着
JR三島駅からの歩行数は8時間、37,500歩でした


茅ヶ崎駅は、まだ近距離きっぷ運賃表(1,320円)に載っている範囲


沼津、熱海方面


16:12発の熱海行きに乗車


熱海駅で東京行きに乗り換え帰宅。
約30,000歩歩いたJR片浜駅辺りで左腰が痛くなり、原駅の階段では辛かったが
明日の朝はどうなるか心配。

                                               三島→原宿(8/9)へ ​​

                              三島→原宿END




                            三島宿から原宿END





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最終更新日  2019.02.24 06:00:14
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