おじん0523のヒロ散歩

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2023.08.17
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カテゴリ: 寒川町歴史散策


​浜降祭参加の寒川地区の神社を巡るため寒川町へ。

8月12日(土) 15:05
諏訪神社から更に県道47号線(小出中央通り)を西へ進み茅ヶ崎市から寒川町へ。
左側には「湘南公園墓地 茅ヶ崎第二霊園 正面入口」の看板。


小出川に架かる一ツ橋。


一ツ橋上から上流を望む。


川面のシラサギをズームアップ。


小出川の下流側を望む。
左上には「湘南公園墓地茅ヶ崎霊園」が広がる。
川沿いにはサクラ並木が続く。


一ツ橋の親柱には「ひとつばし」と。


県道47号線(小出中央通り)から北側に入り新興住宅地へ。
湘南東送水管 小出川水管橋
所在地:神奈川県高座郡寒川町岡田8丁目 辺り
看板には、
「ご協力をお願いします「護岸の整備を行っています」。
 令和5年8月31日まで
 時間帯 8:00 ~ 17:00
 一級河川小出川河川改修(護岸工)工事(その1)」。
小出川もこの辺りの川幅は十数メートルあるが、左側の上流方向は数百メートルで川幅が
5メートル程になり秋の彼岸花の散策路になる。


水管橋を見上げる。


銘板には、
湘南東送水管 小出川水管橋
しゅん功  昭和43年4月21日
口  径  鋼管 1,500mm
圣  間  全長 28.4m
企 業 者   神奈川県企業庁水道局
施 行 者   司建設 ㈱ 東京支店


口径が1,500mmの水管橋。どこの浄水場へ送水されるのか?


この後、スマホの目的地を「菅谷神社」にセット。


県道47号線(小出中央通り)を西へ進み、スマホの案内で途中右折して坂を登る。
坂の上にGoogleマップに載っていた「 塔の塚 」。

緩い坂を登りきると説明板が立っていた。


塔の塚 (とうのつか)
所在地:神奈川県高座郡寒川町岡田4丁目4
塔の塚はフェンスに囲まれ立入禁止に、この場所は寒川町の最高地点であると。


塔の塚 (とうのつか)
  寒川町指定重要文化財第十号
  昭和五十五年十一月一日指定
平成十三年・十九年に行われた発掘調査で、中世に造営された塚であることが明らかになりまし
たが、築造の目的などはわかっていません。
地域では、江戸時代に観護寺(安楽寺末、明治三十七年一九〇四年廃寺)の僧が入定した塚と伝え
られ、入定塚の別名があります。
また、塚の頂に建っていた塔が日光に反射して、相模湾の魚が捕れなくなるので南湖(茅ヶ崎市)
の魚売りが倒しに来たとの伝承もあります。
                        寒川町教育委員会 

寒川町のマンホール。
町の花水仙をデザイン。下部に「さむかわ」「おすい」の文字が入った汚水管マンホール蓋


寒川町で一番高いところだけあって、かつてここからは南湖が見えたのであろう。


スマホの案内で進み途中に、
中原街道の東側にある県営住宅 「寒川もくせいハイツ」 の石柱。


岡田遺跡
所在地:神奈川県高座郡寒川町岡田7丁目1
岡田遺跡は寒川もくせいハイツの敷地内にあり現在は「越公園」で埋め戻されているようだ。


寒川もくせいハイツの敷地内にある「越公園」。


日本て最大級 ! ?  縄文時杙の巨大集落 ー 岡田遣跡 ー
この岡田もくせいハイツの足下に、縄文時代に多くの人々が暮らしていた村がありました。
それも、日本でも最大級の縄文時代の村と知ったら、みなさんどう思いますか?
昭和57年、県営岡田団地の立て替えと共に、発掘調査がはじまり平成元年まで延べ8年にわた
り行われました。その結果、縄文時代中期(今から約4000年~5000年前ごろ)の巨大な集落址
が発見されました。確認された住居の数は、実に500軒を上回るものでした。
しかし確認された500軒をこす住居址も、遺跡全体からすれば、1/2から1/3ほどで、全体の
住居の数は、1000軒~1500軒を推定することができ、全国的にみても、縄文時代の住居址と
しては最大級の遺跡だと言うことができるでしょう。
住居の他にも、お墓であると思われる、墓壙(ぼこう)(円形、又は楕円形に掘られた穴)や埋甕
(うめがめ)(甕を土中に埋めたもの)等も発見されました。遺跡からは、土器や石器といったも
のもたくさん発見され、矢じりなどの狩りに使う道具や、魚を取るときに使った網のおもりと
思われる、石錘(せきすい)や土錘(どすい)といったものなども多く出土しました。
また、弥生時代後期(3~4世紀ごろ)の住居址や方形周溝墓なども同遺跡からは確認がされてい
ます。
現在、これらの土器や石器、住居のレプリカ等は寒川町文化財学習センター(一之宮小学校内)で
見ることができます。
  平成12年3月
                            寒川町教育委員会


上段:第7次調査区全景
中段:調査風景
下段:出土土器


県営寒川もくせいハイツは、28号棟はあるようで3階建の建物。
こちら側は古いようで2階建、庭先の草も生い茂る。


折しも寒川町長立候補者の選挙カー、
「町長を1年務めると退職金は1,500万円で私は町の税状況を考えると受領しない」と。
「4年務めると×4」だと。
投票日は8月27日


スマホの案内で廻り込み正面に鳥居。


菅谷神社
所在地:神奈川県高座郡寒川町岡田4丁目20-39
浜降祭に参加する寒川地区6社のひとつで6番目の神社である。


鳥居の左側には、
「初宮詣・交通安全・厄除・家内安全・商売繁昌 他の祈祷
 地鎮祭・上棟祭・竣工祭・住居清祓
         御奉仕致します       菅谷神社」。      


社号標石「菅谷神社」。


鳥居を潜ると左側に手水舎。


右側に、社務所。


楠の下に「天の宮合祀百周年紀念碑」。


社殿の前の境内中央に「縁結びの木・梛(なぎ)」が2本。


境内の右側には「神楽殿」とその奥に「神輿殿」。


天保神輿 (てんぽうみこし)
  寒川町指定重要文化財第七号
  昭和五十四年十ニ月十五日指定​

天保九年(一八三八)国府祭(こうのまち)の帰路、馬入で馬入の若衆と喧嘩となり川に流され、

      平成三十年三月   寒川町教育委員会  

今年7月17日の浜降祭に参加した菅谷神社の神輿。

縁結びの木・梛が社殿前中央に2本。
梛の葉のカタチをみると広葉樹のような幅の広い葉を持っているが、実は針葉樹。
その葉脈は独特で、主脈が無く、縦方向にのみ平行に伸びている。
この葉脈の方向に引っ張っても葉がなかなか切れないことから、縁結びの願掛け・お守りに
するようになったと。その昔、女性が鏡の裏側にナギの葉を入れ、夫婦の縁が切れないよう
に願ったとのこと。


紙垂でつながれた梛(なぎ)。


梛(なぎ)は御神木であろうか。

右側の狛犬。新型コロナも第5類になり狛犬もマスクを外す。


左側の狛犬。


記念碑
當神社はもと神明宮(通称天宮)と称し岡田小谷大蔵の鎮守として往昔よりこの地に
鎮座せらる明治四十ニ年七月二十三日各部落内の五社を合祀して社号を菅谷神社と
改む 今年偶々合祀並に社号改称 五十年記念大祭を執行するに当りこれが由緒の
堙滅せんことを虞れ茲に往時に於ける各社の鎮座地等を刻み以てこれを後昆に伝う
鎮座地      社 号      御祭神     例祭日
 岡 田    神明宮           天照大神    七月二十三日
 小 谷    稲荷社           倉稲魂命    十月十一日
 大 蔵    諏訪神社        建御名方神   八月二十七日
 西岡田    八坂神社        素盞嗚命    七月十五日
 東岡田    東守権現社     天忍穂耳命   九月九日
 岡 田    日枝神社    大山咋命    九月二十九日
 大 蔵    第六天神社     大蔵総鎮守大蔵山王社


裏面には、
「昭和三十三年七月二十三日建之
   菅谷神社氏子中
     宮司竹内武雄撰並書」と。


内陣を見る。


内陣に掲げられている扁額「菅谷神社」。


拝殿前から東方向を望む。


神輿殿の右奥には「石碑・石像群」。
庚申塔は5基?あったが、風化、損傷が大きいものが多く残念な状態に。
一体だけ衣装を着ていた。


菅谷神社境内から「越公園」を見る。
岡田遺跡の発掘跡は埋め戻され公園になっている。


木立の中に本殿が建つ。


15:40
社殿横から南方向の鳥居を望む。



                                                                ー 続く ー





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最終更新日  2023.08.17 09:14:04
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