おじん0523のヒロ散歩

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2023.08.18
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カテゴリ: 寒川町歴史散策


寒川地区にある浜降祭参加の神社を訪れたが、併せて寒川町の寺社史蹟を巡った。
菅谷神社から次の目的地はGoogleマップに載っていた近くの「十三塚(おこり塚)」にセット。

8月12日(土) 15:45
スマホの案内で進みこの辺りに「十三塚」が存在する。
通称「中原街道」・主要地方道丸子・中山・茅ヶ崎線に沿って点在する塚で、現在は5基ほど
が残っている。中でも最大の規模をほこるのが、小谷交差点南側にある「おこり塚」とよばれ
るもので、塚を盗掘した者が瘧(おこり)、という病にかかったという言い伝えがある。
十三塚は、日本各地に分布する民間信仰による土木構造物。
起源は定かではないが、13人の落武者を葬ったとか埋蔵金を埋めたとかいう伝承が多いと。
一般には13基の高塚で構成されているが、必ず13というわけではないようだ。
当地の十三塚も元々は15基の塚で構成されていたとの事。


フェンスに囲まれた十三塚 (おこり塚) の中に説明板を発見。


十三塚 (おこり塚)
十三塚は、北は岩手県、南は鹿児島まで分布しており、神奈川県ではニ七か所が知られています。
配列はほぼ一直線に並ぶのが基本と考えられ、村境や街道筋に沿ったものが多く、当地の十三塚
もその一例といえます。
おこり塚は、かつて15基存在したと伝えられる塚の中で最も大きな規模となっています。
昭和62年(1987)に実施した発掘調査の結果、中世後半(室町~戦国時代ごろ)に築造されたと考え
られています。
                        寒川町教育委員会


この辺りの十三塚の配置図
<凡 例>
  ■ 現存する塚   ● 消滅した塚
① 亀の子塚  ② 小僧塚  ③ おこり塚  ④ ~ ⑮
十三塚は中原街道の小谷(こやと)交差点から南側に点在している。


中原街道沿いにある「十三塚(おこり塚)」。
おこり塚は最大規模の塚で塚を盗掘した者が瘧(おこり)という病にかかったという言い伝えが
名称の起源のということ。
昭和62年に発掘調査が行われていて、中世から戦国時代頃に造られたらしいと。


北側にある中原街道の小谷(こやと)交差点。
この先に、「オートバックス」「日本一たい焼き」がありよく来るところであるが。


十三塚(おこり塚)の南側にも塚があったが説明板がなく不明。


中原街道を南下、東側にある県営住宅入口に立つ 「寒川もくせいハイツ」 の石柱。
ここから折り返し北上。


旧道?を北上すると塚の上に木。
左側が中原街道で旧道に挟まれて塚が存在している。


十三塚 (小僧塚)
おこり塚と道路を挟んだ向かい側の駐車場の隅に隣の家の裏に隠れるようにして「小僧塚」が
あり、木が聳えるのがおこり塚。小僧塚は説明板がなく詳細は不明。
この後、十三塚の北側にある次の目的地「弥陀堂跡」をスマホにセットし北上。


16:05
弥陀堂跡
所在地:神奈川県高座郡寒川町大蔵
スマホに従い中原街道から路地を東側に入ると道路沿いに小さな社が見えた。


社の前にはお供えの花瓶等があったが・・・。


石像の下には、
「第六十四番 南無大師遍照金剛
 四国八十八ヶ所之内、相模八十八ヶ所」の札。


頭巾をかぶった石像。


社の横には風化した「○○文化十四○○○○○○」の石柱。


弥陀堂はこの辺りにあったようだが現在は墓地だけになっているようだ。


木の下には古い墓石が並んでいた。


弥陀堂跡から中原街道へ戻り「セブン イレブン 寒川小谷1丁目店」の向いに旧家の立派な門。
次の目的地を「寒川調圧水槽」にセットし中原街道を南下。


小谷交差点の手前にある「日本一たい焼き」。
甘党の私は度々購入に訪れる。十三塚(亀の子塚)はこの辺りにあるのだが?。


中原街道の小谷交差点を右折し日産工機の塀沿いを走る。
道路脇に大きなタンクを見つけ振り返る。


寒川調圧水槽 (さむかわ ちょうあつすいそう)
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山1050-9


寒川調圧水槽
構 造  ● 鋼板製 (直径14m、高さ16.84m)
完 成  ● 昭和39年3月
この調圧水槽は、寒川取水ぜきから取り入れた水を小雀浄水場まで運ぶための導水路の一部で、
水を送る圧力を調整する役割があります。約12kmの距離を3時間かけて水が流れています。
この調圧水槽は、横浜市や横須賀市へ水道水を送るための重要な施設です。
   横浜市水道局   小雀浄水場


寒川取水ぜき ~ 小雀浄水場
小雀浄水場 (こすずめじょうすいじょう)
所在地:神奈川県横浜市戸塚区小雀町2470
小雀浄水場は、神奈川県の中央を流れる相模川を水源としています。昭和40年(1965)に、
横浜市(上水道、工業用水道)と横須賀市の共同施設として竣工し、その後2回の拡張工事を
経て、現在の浄水処理能力は1日当たり1,009,200m3(横浜スタジアム約3杯分)になってい
ます。浄水処理された水は,横浜市の港南区、旭区、金沢区、港北区、戸塚区、栄区、泉区
など南部方面を中心に給水しているほか、横須賀市にも給水しています。
横浜市全体の約3分の1、横須賀市全体の約2分の1を受け持っています。


水槽の大きさは、鋼板製で直径14m、高さ16.84m。


寒川調圧水槽前を通り抜け、寒川小学校裏交差点。
ここを直進すると寒川神社へ。


かつては寒川小学校裏交差点角には公園があったのか?
切倒されたイチョウの木の残骸。


宮山遺跡
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山
寒川小学校裏交差点から寒川神社方向へ進み振り返る。右側は寒川小学校のフェンス。
左側のフェンスに説明板。


宮山遺跡  (みややまいせき)
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山
時  代 : 弥生時代後期 ~ 古墳時代前期、中世
発掘調査 : 平成9年(1997年)マンションの建設工事に伴う発掘調査
     : 平成14年(2002年)宅地造成にともなう発掘調査
主な遺構 : 方形周濠墓 19基、住居跡 8軒、V字溝 1条
主な遺物 : 弥生土器、石器、銅銭、かわらけ
 ※ 出土土器の一部や遺跡の写真パネルは、一之宮小学校内にある文化財学習センターで見る
     ことができます。
方形周溝墓 :弥生時代から古墳時代初期にかけて造られた墓の一つの形です。中心に遺体を
      理葬する主体部を設け、その周囲に方形の溝をめぐらせて造られました。
      写真のものは大型のもので、古墳時代になって築かれたものと考えられます。
V 字 溝 : 断面の形がアルファベットのVの字に見えることからこの名が付けられました。
      弥生時代には集落を囲う「環濠」として盛んに造られました。
弥 生 土器 :出土した土器は、東海地方で用いられたものとよく似た特徴が認められ、当時、 
       この地に住んだ人々が東海地方と深い関わりをもっていたことがうかがわれます。
  平成15年3月  寒川町教育委員会

宮山遺跡もマンションの建設、宅地造成で現在は狭い公園に変化。
その公園も管理が行き届かず草が伸び放題に!。


遊具施設も設置されているが、暑いので草刈りも大変であろうが。


宮山緑地
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山1303-1
宮山遺跡から寒川神社方向へ50mほど坂を下るとある宮山緑地。


入口に立っていた自然石に「宮山緑地」と。


宮山緑地は寒川町にある周辺の自然環境と景観を守るためにつくられた都市緑地で、昭和後期
につくられた公園である。


根岸弁天池に架かる太鼓橋を渡ると中央に「根岸弁財天」。


根岸弁財天由来
根岸弁天池は、寒川町のほぼ中央にあって、その発祥の年代は定かではないが土地の古老より
伝え聞くところによれば、天正年間というから今から約五百年前と推察される。
当時の湧き水の豊富なこの池は、これより下流新橋地区(現在の役場庁舎附近)までの水田の用
水として永年利用されていた。
徳川の代に入り元和六年(1616)よりこのあたり宮山村千百七拾七石を知行していた旗本杉浦正
次氏により池の整備と弁財天を造ったのが始まりと云うことで、以来明治年代杉浦大八郎氏ま
で杉浦氏の下に在った。明治二十二年に石造りの社が建立された。昭和六十年に寒川町より公園
緑地として整備される機会に有志合寄り根岸町内住民を中心に昭和六十一年三月弁財天石像を建
立して古き良き時代を忍びつつ、地域住民の連帯と協調の輪を広げるべくここに由来を記すもの
である。
  昭和六十二年 六月吉日
                 根岸弁財天保存会
 祭 神 弁財天
 例祭日 4月初巳日
 功 徳 商売繁盛・学問・技芸・音楽の発達
     又、女人には愛嬌を授け美人となり 良縁を得 子宝を授かる


根岸弁財天の前に朱色の鳥居。


石碑には「根岸弁才天」。


鉄製の鳥居には「弁財天」。


太鼓橋を渡ると「奉納 根岸弁財天 根岸弁財天保存会」の幟旗。


根岸辨才天建立記念碑
石碑には「発起人御芳名
      昭和六十一年三月吉日」が刻まれていた。


正面に、弁財天と蛇の像、右側には古い石祠。


弁財天は商売繁盛、学問、諸芸能の発達の神様としても有名だが、女性には愛嬌を授け、美人と
なり、良縁を得て子宝にも恵まれるとも言われている。
また、蛇は弁財天の使いとして、富をもたらす存在として知られる


根岸弁財天前から太鼓橋。


根岸弁天池にはコイも泳いでいた。


宮山緑地にはトイレ施設もあり憩いの場となっている。


木々の間から木漏れ陽。


16:30
宮山緑地の南側を寒川神社への道が横切る。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2023.08.18 03:00:08
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