おじん0523のヒロ散歩

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2024.01.25
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カテゴリ: ヒロ散歩


"松田町寄(やどりき)ロウバイまつり" 会場の駐車場(無理)に車を置き散策。

1月18日(木) 11:00
寄自然休養村管理センター
所在地:神奈川県足柄上郡松田町寄3415
電車・バスでのアクセスは小田急線「新松田駅」またはJR御殿場線「松田駅」下車、小田急線
「新松田駅」前より富士急行湘南バス「寄(やどりき)」行きで終点「寄」下車、徒歩1分。
パンフレットを頂きに管理センターへ立ち寄ることに。


寄自然休養村管理センター前にあるオブジェ。

寄自然休養村管理センター受付
管理センターは寄地区の観光に関するパンフレットを扱うほか、「寄テニスコート」「みやま
運動公園」などのスポーツ施設の予約、手続き、受付を行っている。また、宿泊施設と食堂が
併設されており、地元のとれたて野菜や手作り品などの販売も行っている。
2階が宿泊施設になっている。

壁面に飾られていた 「寄五大しだれ桜」 の写真。
今年はこれらの撮影に訪れたい。


土佐原のしだれ桜

ショーケースの中には「松田町特産品」「農とアート」。

”松田町特産品” のショーケースの中には、パネルで紹介。
① 丹沢大山茶
② 松みどり
  創業約200年の老舗の酒蔵である中沢酒造では、昔ながらの麹造りから始まり、・・・。
③ やどりき 森のおにく
  関東最大級のドッグラン「寄七つ星ドッグラン」に併設したカフェで人気のワンちゃん
  メニューです。
④ とん漬
  昭和2年創業、3代続く伝統の味、厳選されたこだわりの国産豚ロース肉。
⑤ さくら鱒の燻製
  寄清流マス釣り場において養殖された身がピンク色のさくら鱒を燻製にした。
⑥ おひるねみかんジュース
  松田山の耕作放棄地を”おひるね”していると見立て、その農地で育てた農薬不使用のみかん
  を利用して作る果汁100%ジュースです。
⑦ 乾燥きくらげ
  丹沢山地の南麓、松田町。その中でも自然豊かな寄地域で丁寧に栽培しています。

寄自然休養村管理センターの前庭では ”みつまた” が咲いていた。


みつまた

みつまた(三椏・三又)
ジンチョウゲ科の落葉低木。中国原産。繊維植物として日本の暖地に栽培。高さ約2メートル、
枝は三つに分かれる。
葉は長楕円形。晩秋、落葉して枝ごとに一団の蕾をつけ、春、葉に先だって匂いのある黄色の
筒型小花を総状につける。
樹の靭皮繊維をとって和紙の原料とする。漢名、黄端香。
  令和2年1月吉日
          総状(そうじょう)・・・ふさのかたち。ふさの状態。
          靭皮(じんぴ)  ・・・茎の周辺からとれる繊維。
                        松田町観光経済課観光推進係
                        虫沢古道を守る会        


春、葉に先だって匂いのある ​​ ​​ 黄色 ​​ ​​ の筒型小花を総状につけるとあったがまだ白い。

匂いがしていたか?

11:20
寄自然休養村管理センター前駐車場
約3時間の寄ロウバイ周辺の散策を終え、Googleマップで調べていた下流側の寺社史蹟巡りへ。
カーナビを近くにある「寄神社」に。

県道710号線(神縄神山線)を南下、駐車場がわからず行きすぎて折り返す。
正面にひときわ目立つ「かながわの名木100選 ”寄神社の大スギ”」が聳えている。


寄神社 (弥勒神社)
所在地:神奈川県足柄上郡松田町寄2537
寄神社(やどりきじんじゃ)は、神仏混交の寺社で、かつては弥勒寺と呼ばれた禅刹。
1192年(建久3年)8月9日、源頼朝は相模国の神社仏閣27ヶ所に妻北条政子の安産祈願のため、
弥勒寺に神馬を奉納している。
江戸時代には弥勒堂と呼ばれ、総鎮守の格式を誇っていた。
明治の神仏分離により弥勒神社と改称。その後、寄村内各社の祭神を合祀し、文字通りの総鎮
守となった。3月の例祭に行われる「祭囃子」は、松田町の無形文化財に指定されている。
県道710号線沿いには「 弥勒寺(みろくじ) 」と書かれた道路標識が立っていた。
地名の弥勒寺は明治時代に近隣7村が合併して寄村になった。


道路沿いの銅製の鳥居を潜り境内へ。


鳥居の扁額「寄神社」。


境内に車を停め振り返る。​
神社前から南下する県道710号線(神縄神山線)。


大スギの下には石碑、説明板が立っていた。

神奈川県
かながわの名木100選    昭和59年12月選定 
寄神社の大スギ
    和名:スギ(スギ科)
いくつかの太い枝が四方に大きく広がり、典型的な スギの樹形とはやや異なった姿をしてい
る古木である。
  松田町の天然記念物に指定されている
  樹高  30メートル   胸高周囲  6.4メートル
  樹齢  約500年(推定)
スギは、本州から九州に広く分布する常緑高木で、神社などに植えられるほか、造林樹林とし
て多く用いられる。樹高60メートル、胸高周囲15メートル、樹齢約3000年するものもあると
言われている。

こちらの傾いた石碑には「 堅牢地神 (けんろうじしん) 」と。

大 杉

  昭和四十六年四月一日 松田町文化財指定
寄神社社頭にあり目通り周囲5.87m、樹高約33.0m、推定樹令550年、地上12mのところでい
くつかの太枝に分岐し四方に大きく広がっている姿は、堂々として迫力があり、昭和六十二年
に神奈川の名木100選に選ばれた。
昔は現診療所際のカヤの木と神社石段、左側の欅と、この大杉とを宮下三大木と称せられた。
残存の一本とは言え、千年のみどりをたたえ、樹勢ますます旺盛なところにあやかって寄小学
校、中学校校歌及び応援歌の一節に歌われる名木である。
                      松田町教育委員会

神社入口はバス停で「 富士急 支所前 新松田駅方面 」。
バス停前にふたつの石碑。

右側の石碑には「招忠魂」と。
足柄上郡寄村中津川〇由五郎○○氏明治廿八年征清之役應召集入・・・・・
以下苔むして判読できず。
  明治三十四年四月


左側の石碑には「忠魂碑」と。


鳥居を潜り山門下へ。
右奥に石碑。


右奥に石碑。右側は寄小学校裏。
こちらの石碑も風化等で判読できなかった。


山門に納められていた「わら」。

ロープが張られ「 令和六年 (2024) しめ縄用 寄神社 」と。

山門から鳥居を見下ろす。

山門から境内を望む。


境内の社殿前左側には頂部が新芽のイチョウの木。

社殿は前身が弥勒寺であるためか、窓が花頭窓(かとうまど)である。

拝殿の扁額には「奉納 寄神社 昭和十年三月五日 和田治三郎」と。

拝殿内の壁面にはいろんな彫刻が彫られ飾られていた。また、小さなお神輿も置かれていた。

拝殿内の扁額は「弥勒神社」。
扁額の下の彫刻は波に亀であった。

拝殿の奥内陣を望む。そこにも「弥勒神社」と書かれた扁額。
祭りの時の写真も飾られていた。


拝殿前から境内を見下ろす。
提灯には「平成三十年度 寄贈 寄自治会長会」と。

境内の右側から社殿を見る。

拝殿前右側にあった石碑には、
寄神社
由緒等が刻まれているようだが判読が困難。多くの御祭神が刻まれているようだ。
弥勒大神(みろくのおおかみ)        保食神(うけもちのかみ)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)      大山祇命(おおやまつみのみこと)
子大神(ねのおおかみ)           御嶽大神(おんたけおおかみ)
猿田彦神(さだひこのかみ)         大物主神(おおものぬしのかみ)
天照大日・命(あまてらすおおひるめのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)
素盞嗚命(すさのおのみこと)        日本武命(やまとたけるのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)       天児屋根命(あめのこやねのみこと)
菅原道真(すがわらみちざね)    木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
天之常立命(あめのとこたちのみこと)    大山咋命(おおやまくいのみこと)
以下は判読不可能でスルー。

頂部が枯れた大銀杏。

大銀杏の根本には「安産祈願」と。

枯れた木の祠の中には双体道祖神。
安産祈願で缶ビールが供えられていたが。

大銀杏
  目通り周囲 6.25m、樹高 5m、推定樹齢約 七百年。
建久三年(1192年)八月九日、時の鎌倉幕府将軍源頼朝の正室政子御台所安産祈願の為、相模の
二十数社寺に特使を参拝させた(歴史書吾妻鏡に記載)とあるが、当寄神社(当時は弥勒寺という
寺院であった)もその中に含まれる。その折、記念の為本銀杏を植樹されたもの(樹齢からして
疑問もあるが)と古来伝えられる。
江戸時代後期の文政六年(1823年)、旅人の焚火による堂宇焼失の際、本銀杏も一部類焼失した
が、再び樹勢を取り戻し、神木としての威容を保っていた。
しかしながら、惜しくも平成二十五年(2013年)十月、台風二十六号の強風、強雨により根元よ
り倒木した。
倒木前は、樹高30m、枝張12mほどもあり、古き歴史を物語る地域のシンボルであった。この
由緒ある巨木を失うことは忍びがたく、地域の多くの人々の大銀杏再生の願いにより、直ちに
幹の上部を大幅に切りつめ、根本に適正な処置を施し、元の場所に植え直された。
その後は何とか枝葉の緑も保たれ、現在に至っている。
                          松田町教育委員会

後方から御神木の大銀杏。
二度の災難にもめげず旺盛に成長している。

境内から坂を下り車を停めている鳥居前へ。

この先左上に ”松田町立寄小学校” があるので立ち寄ることに。

紙垂がぶら下がる大スギの先を左折して坂を上り ”松田町立寄小学校” の正門へ。

フェンスの横断幕には、
「輝く歴史と伝統のある寄小学校! 未来に はばたく寄っこ!
    祝  創立150周年 寄小学校
  明治6(1873) 年7月15日開校  寄贈 寄地○○○」。

我もまた住まはやとしもおもふかな
   みやまのおくのやとりきのさと
  昭和五十四年八月十八日 文部大臣内藤誉三郎書 
明治二十六年五月初旬、時の文部大臣井上毅氏は交通極めて不便であった寄村を巡視され、
  寄木村は戸数二百八十 一村挙りて親族のごとく村長をば 親父と呼び 吉凶相訪ひ 忠難
  相齋ひ訴訟なく盗賊なく はた租に不納なくさながら太古の民のごとし。村長安東氏は、
  また村民を視ること我が子のごとく 村の利益を視ること我が家の利益よりも篤く。名主
  と呼びし時より今日に至るまで四十余年一日のごとく上下相忘るゝありさまは 真に自治
  の村とぞいうべき    (梧陰存稿より)

といたく感嘆されてこのように詠じられた。
爾来幾星霜昭和四十八年寄地区が国より自然休養村の指定を受け豊かな大自然の景観を活かし
た発展を期して進むべき時往時を偲び人間性豊かな地区づくりを念じてこの碑を建立するもの
である。
      昭和五十五年三月吉日
          寄地区振興協議会 建之

松田町立寄小学校
所在地:神奈川県足柄上郡松田町寄2540
寄神社前から坂を上ると左側の門柱に「松田町立寄小学校」、右側に「松田町立寄中学校」と。
校庭には小学生が動き回っていた。


校庭の南側の校舎には「松田町立寄中学校」と。
ネットで見ると閉校とあったが。


11:45
校庭の北側の校舎は「松田町立寄小学校」。



                                     ー 続く ー​

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最終更新日  2024.01.25 03:00:09
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