全12件 (12件中 1-12件目)
1
朝8時からと昼の再放送と今日は二度泣いた
2020年10月30日
コメント(2)
メソジストの祖ジョン・ウェスレーの書いた説教は約150ほど残っているそうだがその中の標準説教53を、藤本満先生が3巻に分けて訳され、イムマヌエル綜合伝道団が出版している。53を含めそれ以外の説教も、イムマヌエル綜合伝道団が、分冊にして出版し続けて15巻ほどになっている。イムマヌエル伝道団はすべての説教の翻訳を完了すると表明しているが、近年は訳業は滞っているように見受けられる。あとわずかなのだが。分冊本は出版からすでに年月が経過していて、古いものは版元品切れ状態であり、アマゾンなどではビックリするような値段で売られている。どうしても欲しくて泣く泣く買った。標準説教53は野呂芳男先生の訳もある。新教出版社の「ウェスレー著作集」の中に上中下三冊。これも古い。ほかに邦訳のまとまったものは見られない。ウェスレーにはまとまった神学大系はなく、「説教」によって教え続けた。説教集の扉に「序文」があるが、ウェスレーがどうして説教を書き出版するようになったか、心の動機が書かれている。これは心打たれる文章だ。説教は読まなくてもこの「序文」だけは読んで欲しい。説教も魅力的なもので、書き出しは冷静のようでも、後の方ではぐいぐいと心情にたたみかけてくるものが多い。その点、有名な「キリスト者の完全」は、論文や説教などの寄せ集めて、そういう魅力に乏しい。邦訳されているウェスレーの説教の全部に目を通すのが、ボクの当面の目標である。もう少し、年内には目標達成出来るかな? あとは、聖書の脇に置いて毎日少しずつ読み返しながら、天国の門にたどり着くのがボクの夢だ。
2020年10月29日
コメント(0)
用事のために、昨日千葉から調布まで首都高を走った。車は苦手でバイクの方が性に合っているが小さな軽自動車に2人の70代の親族を乗せて。都心を避け「湾岸道」ならすいているかなと、思ったが往く道は湾岸道もぎゅうぎゅうだった。普段、長距離運転をしない身にはつらい、賛美歌を聴きながら祈りながらハンドルを握る。みんなのスピードに付いていくのが大変時速80キロが愛車の限界かな。左側の車線を80キロから下げないように走るが後ろの車はどんどん前に行く。明るいうちに帰りたかったが無理だった。夕方のきれいな秋空を見ながらの帰り道はうれしかったのだが。
2020年10月28日
コメント(3)
「国家はもしその法をしばしば必要に対処してまげることをしないならば亡びるであろう。」 パスカル『パンセ』614上の言葉は、旧約律法の永続性を述べるために、その枕として語られた言葉。国の法律は可変でなければならないと読める。そうなんだ、国の法律というものは、その時代の実情に合わせなければ立ちゆかないのだ。日本国憲法は1947年5月3日施行だから、半世紀を優に越えている。ずっとずっと変わることなく、国の法律作りの基となって来た。これはスゴいことではないか?額に入れて飾っておきたい。どうしても変えたい、変えねばならぬ、と使命を持っている政治家たちがおられるが多数を以てしてもなかなか思い通りに行かないのは、どうしてか。天の神様が押さえておられるのかな?
2020年10月20日
コメント(0)
一日曇りで、夜から雨の予報だったが昼前から陽が射しはじめ、昼過ぎから青々した空が広がった。泊まりの出勤の前に、2千歩の散歩に出た。頬を撫でる風がちょうど良い、曇っていれば冷たい風になっただろうに。明日は雨と言うが、うまく行けば降られないで済むかも。あと1時間ほどでバイクで出発。
2020年10月16日
コメント(1)
電車に乗ると、100%の乗客がマスクをしている。すごいこと!以前、一人だけマスクを忘れたと思われる女性がおられた。終始ハンカチで口元を覆っていた。皆さん、鼻から下は隠されている。眼だけがキラキラ眼がキラキラ隠すことで表れるものがある。
2020年10月15日
コメント(1)
根拠のないことではあったが、70代にもなれば円熟した人格が身に着くだろうと、若い頃は考えていたがいつの間にか遙かな70代となり若い頃の逡巡を、堂々巡りのように繰り返している。これが人生なのだと、自分に言い聞かせるべきか?
2020年10月14日
コメント(2)
この夏、息子が梅をつけたと、梅干しを送ってくれた。大きな昔ながらの梅干し。ちょっとスーパーでは買えない。大事に大事に食べて来たがついに最後の一個がなくなった。
2020年10月13日
コメント(0)
先日所用があって船橋駅から東に向かう総武本線に乗った。千葉駅を過ぎると、山林と、田畑の中を交互に走る。千葉は広いな。ボクの住む東葛と雰囲気を異にする。車窓から見る景色は元は田畑、今は荒れ地が多い。耕作する人が高齢となり働けなくなったのだろうか。総武線沿線だけでなく、車で走っていても耕作放棄地は多い。さびしいねぇ。どうしたら良いのかねぇ。線路ぎわ、荒れ地、ありとあらゆる場所にセイタカアワダチソウが林立している。セイタカアワダチソウとススキが競い合っている。これが今の日本の景色かぁ、ふ~とため息
2020年10月11日
コメント(2)
40年以上、妻と一緒に暮らした。ずっと牧師と伝道師だったから、朝昼晩ずっと一緒。今に至るまで、外食もなくほとんど妻が三食作ってくれたから40年として、4万3千800回、食事を作ってくれた。実際は40年を越えているのだ。たった今も当たり前のように作っている。(食器音が聞こえる)おそらく食事作りも終わる時が来ること彼女も意識しているのだ。きっとその日を楽しみにしているのだろう。40年があっという間に過ぎていったように共に生きる日々も指折り少なくなる。夕日がやがて沈むようにどちらかから順に天に召されていく。最近そういうことをよく考える。一つ屋根の下で一緒に暮らすこと当たり前のようで当たり前ではないのだということ。
2020年10月07日
コメント(5)
「シューベルト・交響曲第1番ニ長調」を聴いた。「ベートーヴェン・交響曲第7番イ長調」と曲の感じが似ている。作曲年を調べると、ベートーヴェン第7交響曲の初演年と、シューベルト第1交響曲の作曲年が同じ1813年。やっぱり!シューベルトは、ベートーヴェンの第7番を聴いて感動し、第1番の作曲にとりかかった。ぜったいにそうだ!ボクの日記にこう書き記す、シューベルトの第1交響曲は、ベートーヴェンの第10交響曲である!
2020年10月05日
コメント(3)
新約聖書通読・ルカによる福音書を読んでいる。ルカ伝は福音書の中でもっとも心に深く入り込む。弱者へのいたわりの心があふれる。キリスト様の遠慮のない自由さが強くあらわれる。「山上の説教」とは、マタイによる福音書の5~7章をさすがルカ伝では、同じ内容でも「平地の説教」となる。山の上からの説教は、神的権威が強められている気がする。平地からの教えは、ルカらしいと思う。目線が同じなのだから。山上の説教は、3章に渡り延々と続くが平地の説教は1章足らず。短い。それだけに強い。激しい。この強さ、激しさはキリストのもの。十字架の愛につながるものだ。
2020年10月02日
コメント(1)
全12件 (12件中 1-12件目)
1
![]()

