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7月1日のさいたまスーパーアリーナでの2万名大会を巡って批判的ブログ記事をいくつか見かける。kimuchi氏の「『7/1日・スーパーアリーナ・2万人大会に向かって!』」と「「7・1 埼玉スーパーアリーナ日本大会」は “女メシア宣言大会”の挙行」、コスモスさんの「猫も杓子も・・・大会」…。これらは憶測でしかない。その実際を見、あるいは聞いたのか。「霊界メッセージも、なにそれ? デマねつ造?!」である。家庭連合が分派で分裂して教会員が減少の一途を辿っているかのような「風評」だ。キリスト教が広まった歴史を眺めれば、一人が殉教すれば数名が復帰されて世界宗教へと拡大していったように、こんにち、分派へ一人行けばその五倍十倍と増えていることを考えていないようである。「独生女を信じられない」からといって家庭連合を去った後に、それを受け入れる方々が入ってきているということも事実である。ヨハネによる福音書/ 03章 11節~イエスは彼に答えて言われた、「……よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。……それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。 「よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。」は、こんにちの分派の方々の姿そのものでもある。原理講論にも書かれた「独生女」、お父様が語られた「独生女」を見ようともしない。である。ところで、文総裁(お父様)がこれまでされて来られたことを見れば、「大会」「大会」の連続ではなかっただろうか!!三男さんへ行った前能登教会長・郭炳憲氏もまた、そのようなことを礼拝で語っていたような記憶がある。お父様の戦略戦術は「宣布大会」を行って後にそれを実現していかれる(現実のものとなっていく)。その中の一つ1985年の「共産主義の終焉」は有名な話だ。お父様がダンベリー収監のなかでカプラン教授にそれを宣布するように指示されたものだ。さて、実体聖霊であるお母様の場合はどうか?お母様の大会はそれとはまったく性格が違っているように思う。今回の7月1日の大会は「女メシヤ宣布」だなどと書いていたブログもあったが、お父様が宣布され「原理講論」にも書かれた「独生女」を今さらに宣布して回る必要もないことだ。むしろ、「このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。」(原理講論P.265)。コリント第一手紙12章1節~……そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエス(また、「独生女」)はのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。 霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。……すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマ(祝福)を受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 ……さて、キリストにあって分派の方々は「手なのか? 足? 目、耳…」。コリント人への第一の手紙11章7節~からも見てみよう。男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。あなたがた自身で判断してみるがよい。…… ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいるというのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。現在もまた、以下のような人たちばかりか。ヨハネによる福音書/ 16章 12節わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。イエス様の「独生子」一つをとっても国教となるまでは400年の年月を要した。こんにちの「独生女」、お父様が語り、また、原理講論とも矛盾したところはない。分派子女様といえども、霊的にも真の父母様によって「重生」されなければならない方々である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.30
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kimuchi氏ブログ記事からの引用:「7・1 埼玉スーパーアリーナ日本大会」は “女メシア宣言大会”の挙行https://kimuchi.muragon.com/entry/502.html断わっておきますが、再臨の再臨は最早ありません。お父様も、既に真の長子家庭(顕進ニム→信元ニム→定男ニム)を得られて「다 일었다 全て成した (天暦2009.9.10)」宣言を成されました。メシアとは“父母” の別名称です。にも関わらず、それを殊更に “女メシア宣言大会”の挙行となると、再臨主(第3アダム)および後継者/참長子(第4.5.6次アダム)の否定に繋がることを知らないといけません。そして参加者の皆は、それに加担条件を立てることになります。真剣かつ深刻を極めた話です。為に、今回はここに敢えて “顕進ニム” と“お母様” と霊界に居られる “お父様” と “大母ニム” とに特別にビデオ動画や霊界通信を介してご登壇を頂いて、其々のお話/ご主張を伺ってみたくあります。あとは、各自の責任で "霊(心霊)と真(真実)" をもって礼拝してください。ここで、天暦(陽暦では?)2009.9.10の宣言とあったが、どこかにその出典ともいうべき一文はあるのか? 文鮮明先生み言葉選集の第615巻(P.283)からは、2009년 9월 10일(木), 천화궁.* 이 말씀은 아침 식탁에서 하신 것으로, 제목은 편집자가 붙였음.있다는 것입니다. 알겠어요?「예.」자기가 옛날에 결혼한 사람과 축복을 받더라도 그것을 에덴동산에서잃어버린 축복의 연장으로 인정할 수 있습니다. 그래서 평화의 조상과주인이 아니 될 수 없고, 혈통의 조상과 주인이 아니 될 수 없는 참가정입니다. ‘원 패밀리 언더 갓(One Family under God; 하나님 아래한 가족)’의 이상적인 기준에서 하나님의 조국과 고향 땅을 넘어서기위한 탕감적인 제물을 바칠 수 있는 그 날을 위해서 준비해 나가는 기간이 3년 3개월 20일입니다.……2009年9月10日の朝食のテーブルでのみ言があったが、三男さんの名は出ていなかったようだ。ほかのどこかで三男さんについて宣言されたみ言葉があるのか、ということだ。kimuchi氏は、それについて責任をもっての回答を願う。私からは別のみ言をつけ足しておこう。トゥデイズ・ワールド・ジャパン2010年1月号のP.10,11、お父様がその約1か月後の10月15日に郭錠煥氏に向かって語られたものだ。郭錠煥氏に二度も「行ってきなさい」とは何処へ行けといっていたのかはいうまでもなく「三男さん」のところだ。ここでは、文捧王(郭錠煥氏)は「ルーシェルの兄、ルーシェルの父」と語られていた。また、「娘・婿を思い通りにできないのか?」とも。ルーシェルとは誰か? 郭錠煥氏の娘婿とは誰か?同じくP.14も開いてみよう。ここでも郭錠煥氏だけでなく三男さんの名も出てくる。このお父様のみ言は2010年10月14日「天宙祝福式」の翌日に語られたもので、三男さんの子(孫さん)・「定男さん」の名前もあるが、果たして、その場で文字通りに祝福されたものであっただろうか?否!! 郭錠煥氏に二度も行かせてその祝福式への参加を促したものだが、それには三男さんは参加していなかった。故に、三男さんの子(孫さん)へも行くべき祝福は頓挫してしまった格好である。「郭錠煥氏!」、これに続く一文も三男さんの考えに対してお父様からの忠告ともいうべきものだ。三男さんは、父母様を飛び越えて直接に神様につながろうと考えていることへの警告である。血統ということを考えれば、父母無くして血統は連結されていかれない。お父様ひとりだけであってはその血統は生じないことだ。よって絶対「性」、絶対父の精子と絶対母の卵子がついに新しく出会うべきときがこの天宙祝福式、三代圏であった。その後に「異端者爆破者宣布文」が2010年6月、「真の父母様宣布文」が2011年と続く。kimuchi氏、2009年9月10日の三男さんに関する宣布は有りや? 無しや?お父様のみ言と、偽霊媒師による霊界通信、どちらを信じるか!!「再臨の再臨は最早ありません」。天の血統、真の父母様の血統に連結されることが出来るのもお母様が地上に居られるときです。分派子女様も例外はありません。もう一度「霊的」にも重生されなければならないでしょう。絶対「性」、絶対父の精子と絶対母の卵子がついに新しく出会うべきとき--こんにち、「独生女」の否定はその血統をも否定したものであることを今一度知るべきである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.30
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雲の合間から満月が
2018.06.29
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共産主義が言うように、社会は階級闘争によって発展してきたのでしょうか。近代ヨーロッパでは、不当な支配に苦しむ人々が自由を求めて立ち上がり、革命を起こしました。しかしその目的は、正しい統治体制や社会秩序を実現するためであって、支配者階級を倒し、資本家のいない社会を実現するために立ち上がったのではありません。彼らは、怨みや復讐心で立ち上がったのではなく、「人間らしく自由に生きたい」という本心の自由によって立ち上がったのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.29
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FFWPU International Headquaratersホームページから。詳細記事を英文で読む(こちら)詳細記事を英文で読む(こちら)詳細記事を英文で読む(こちら)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.27
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田舎教会からもさいたまアリーナ参加を親族・知人を頼って模索するも、教会長1人のみが代表しての参加。現場は参加出来ない人もいるとか。大会は大盛況‼️一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.27
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毎日宗教新聞(2018-06-26)「保守の象徴である大太極旗の周りを進歩の象徴であるキャンドルに明らかにした 」「南北統一祈願決意大会」を見て... ...「南北統一祈願決意大会」を見て... ... 6.25戦争が起きて68年になる前日の24日、「2018護国英霊解怨と南北統一祈願決意大会」が開かれ参加した。 戦争によって命を失った護国英霊を慰め解怨し、南北の平和と統一を祈願する大会だった。世界平和統一家庭連合(家庭連合)主催で、京畿道加平清心平和ワールドセンターの主要な8大の宗団代表と2万人余りの市民が集まった。これまで以上に、韓半島の平和が強調されているときは、戦争68周年を翌日に控えた日、各界の指導者と市民が集まって統一を祈願する大会が開かれ意味を加えた。 式典祝賀公演で、多文化が政府の10人で構成された、非常にプンムルダンの「座った半」風物公演をし、脱北者で構成され、統一合唱団が「あ!大韓民国」と「統一列車走る」を歌った。多文化家庭とその2世構成された清心重唱団声楽アンサンブルが「懐かしい金剛山」と「美しい国」を歌った。 続いてチェヨウンウン量の短いスピーチを介して顕忠院で墓石を磨くなどボランティア活動をした経験を伝えた。「多くの人が命をかけて国を守ってくれたことに感謝し、祈りの気持ちで参拝をした」とし、「南北が統一され、6・25のような戦争が繰り返されてはいけないだろう」と言って大きな拍手を受けた。大学生が広げ「無条件南北統一」のパフォーマンスは青年たちが韓国を平和国家に導いていくという気持ちを込めた。 家庭連合が主催した大会の主な8大の宗団代表として太古宗買っ実装震源僧侶、成均館儒林元老会議川デボン会長、天道教ドンミン回チェイングク共同議長、チェヨウンギル世界イスラム連盟最高会議委員、ワンヨンジンデジョン総全校、国際クリスチャンミッション連合アンジョンス会長、シンヒェウォン韓国女性の宗教協議会副会長、家庭連合イギソン会長が壇上に上がって宗教和合を通じた南北平和統一を念願するキャンドル点火儀式を行った。8大宗団代表として仏教震源僧侶の祈りと家庭連合イギソン会長のゴチョンムン朗読があった。 いつも政争だけ日常的に行うことヒスイた必要があり、政治家の多くと地域団体長が参加した。統一と直接関連している外交統一と国防分野の主要な人事が統一を祈願する祝辞をしたし、高位の政治家一人のメッセージと多くの必要があり、政治家の蓄電も紹介された。 実行委員長である家庭連合第1地区(ソウル、仁川)ジュジンテ地区長の司会で「8000万同胞が共生の原理で一つになって、南北統一を願って決意するこの大会は、歴史的な意味を持つ」とし「戦争はなく真の愛による真の南北統一を作ろう」とした。 テーマ講演で韓鶴子総裁は「私たちは、真の南北統一を念願し、この席に集まった。韓国戦争を通じて世界16カ国が参戦して危機の韓国を助けたが、今は韓国が中心となって心情文化革命の真の愛の旗を持って世界に向けて進むとき、人類一家族の夢が叶うのだ。以上の葛藤と紛争と戦争のない自由、平和、統一に向けてすべて立ち上がるう」と強調した。 講演後、「ろうそくと太極旗を明らかに南北統一に世界平和に」をテーマに統一念願のフィナーレを飾った。会場聴衆席の照明が消えた中で舞台の前に用意された大型の太極旗の周りをキャンドルで明らかにした。客席の全参加者は席から立って、スマートフォンのライトをオンに「私たちの願いは統一」合唱に切実な統一の願いを歌った。 この日の大会に参加した私は多くのことを考えるようになった。生きている者たちが6.25という戦争のために死んだ者たちの胸の中に結びヒョトドンウォントンハムを解放という宗教特有のイベントだったという点だ。また、auの(老少)が1つの場所であり、宗派を超えた8大の宗団代表とする必要がありを超えた政治家が一堂に集まった点、国籍が異なる多文化家庭の家族の風物遊び、脱北者と呼ばれる脱北者で構成され合唱団など異質人々が南北統一祈願という目的のために集まったのを見て希望を覗き見る。 特に2016年12月以来、「太極旗とろうそく」に象徴される「保守と進歩」の支離滅裂な議論は終わりが見えないとき、イベントステージの前に用意された大型の太極旗の周りをキャンドルで明らかにしたのに意味をおきたい。「キャンドルと太極旗が一つになって、統一の日を一緒に迎えることはないだろうか」という想いに浸ってみる。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.26
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CTN(2018-06-25)【特別取材]徳野英治日本家庭連合会長、「ため生きる」サラ徳野英治、日本、世界平和統一家庭連合会長[日本/ ctn]家禽県記者=第15回統一グループの役職員、日本研修期間である20日、徳野英治(写真)日本の世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)会長と懇談会を行った。 徳野英治会長は「家庭連合は、宗教が目的ではなく、平和思想で超宗教、超民族、超国家を目指し、理想的な人間、家庭、社会を完成することにある」とし「このために、最初に「ために生きる」生活を生きなければならない」と強調した。 彼は「『のために」は、自分を考えていない相手のために、人のために生きていれば、信頼が積もり、尊敬する心が生まれる」と主張した。徳野英治会長は「文鮮明・韓鶴子総裁の教えの中で、他の国を愛することは、最初に言語を学んで、その国の文化や芸術、歴史を理解することが基本的に、私も若くない年齢である47歳の韓国の鮮文大学で韓国語を学んたし、その過程で、日本と韓国の歴史的な事実を深く認識する契機になった」とした。続いて「韓国で勉強をしながら「韓国が最高だ」ということを感じた」とし「これは韓国の文化と言語を理解するのに大きな助けになった」と述べた。彼は特に「韓国は天の選択を受けた国」であることを強調し、「韓国の文化である「忠・孝・列」の理解の心が深くなった」とした。 徳野英治会長は「国を考えている忠、親と子の間の孝、夫と妻との間の列は、これまで、日本文化が最高という私の考えを変えた動機となった」とし「韓国文化の道徳と倫理的な深さを尊敬すると述べた。 彼はまた、「家庭連合で重要視するのは「純潔」」とし「「真の家庭実践運動」で、最も重要なことは、純度の動きで、これは真の家庭を守る唯一の方法だ」と強調した。徳野英治会長は家庭連合が韓日両国間の関係改善と友好増進のための政策にも話していた。彼は「日本は歴史的に韓国人に多くの傷を与えて申し訳ない」とし「今は加害者の立場である日本が被害者の立場を理解して謝罪し、将来の平和のためになるよう進まなければならない」と述べ、「そのために韓国と日本が互いに姻戚を結ぶ家庭をたくさん作って、平和に貢献できるようにしなければならない」と主張した。また、「文鮮明総裁が推進した『国際ハイウェイプロジェクト』は、全世界の交流を促進するため、各国間の接続を拡大する計画で、このうち韓日間海底トンネルも含まれた」としながら「今は両国政府が歴史的な海底トンネルを接続し高速鉄道を介して、ソウルから東京まで4時間で走破することができる時代を開くべきだ」と力を込めた。一方、徳野英治会長は懇談会にはもちろん、先に付いている「日本での統一運動」というタイトルの特別講義で通訳なしで韓国語で講演し参加者から拍手を受けた。(註:文はgoogle翻訳に少し手を加えて読みやすくしたものである。詳しくは原文(こちら)で確認を)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.26
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FFWPU(韓国)ホームページからこの日の大会では、「真の平和の道、南北統一」というテーマで、人類の救いと恒久的な平和世界建設、生きて働かれる天の父母様を証しして、天の摂理者真の孝情マイルストーンを立てられた真の父母様の生涯を感動的に紹介映像が上映された。この映像には、国際的な冷戦の構図を収拾し、地球上の最後の分断国家である南北関係に理解と許しと真の愛のビジョンと韓半島の恒久的な平和が定着することができる神の頭翼思想を中心とした統一案を提示し、これを実践して来た真の父母様の生涯の足跡、人類の明るい未来のための環境問題の解決と人材育成を導か摂理的慧眼、天の父母様を祀る神韓国・神日本・新神米国・神アフリカ・神欧州のビジョン天の父母様の国とその実体的平和世界完成に向けた摂理的足跡が感動的に含まれていた。テーマ講演後には、神統一韓国と平和世界実現のビジョンを提唱した真の父母様に侍り、「ろうそくと太極旗を明らかに南北統一に世界平和に」をテーマに統一念願フィナーレの時間があった。会場聴衆席の照明が消え、舞台上の照明が明るい中で真の父母様を中心に代表指導者が上昇した。続いて青年学生がキャンドルを持って舞台の前に用意された大型の太極旗の周りをキャンドルで明らかにした。1階、2階、3階客席の全参加者は席から立って、スマートフォンのライトをオンにした心とした声で「私たちの願いは統一」を合唱し、韓半島の統一に向けた切実な願いを歌った。この日の行事は、ジョンドンジュンソウル西部教区長ドックの億万歳三唱で仕上げました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.24
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PeaceTVホームページ>お知らせ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.24
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日韓トンネルプロジェクトを推進する国際ハイウェイ財団ホームページ>ニュース日韓トンネルがよくわかると好評の「平和の大道」発刊当財団で、平和の大道を発刊しました。国際ハイウェイや日韓トンネルのことがよくわかると好評の書籍です。書籍の内容は以下になります。[主な目次]・救国・救世ビジョンとして期待・日韓トンネル建設の課題とその克服・北東アジアの共同体形成・対馬開発の新提案・ベーリング海峡トンネルの地政学的考察お申し込みは当サイトまたはAmazon kindleから購入できます。購入等の詳細記事はホームページ(こちら)にてご確認ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.24
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「師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!」、第7回目である。エリコ城は7周りした後に陥落していったが、果たして。今回の師観氏記事。韓女史が人類の真の母として認識されるためには(韓国至上主義を超えるべき)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-378.htmlこれまで同様に、お父様の「独生女発言」も語らず、また、原理講論の内容についてのそれもない。「古参の食口」(777双)ということだが、聞いて呆れるばかりだ。カテ「家庭連合 批判告発」メンバーの記事を紹介したり、情報源もあやふやなものばかりだ。まして、師観氏のコメントなどはどうでもよいことだ。「古参の食口」というのであれば、後輩からの疑問に対して応えられたら如何なものか。私の挙げた「お父様の独生女発言」や「原理講論」のそれについてだ。師観氏のしていることを見れば、統一教会を異端宗教やカルト宗教といってはその信徒を拉致監禁して「改宗」しようとしていた反対牧師、脱会屋と内容はさほどに変わりはない。既存の神学や既成概念でもって家庭連合への信仰(信用)を失墜させようとするものであり、強いては家庭連合つぶしまで図ろうとしている。特には師観氏は「嫌韓主義者」であり、ブログ記事でもそれを拡散しては日韓の関係をきりさこうとしているのが随所に見受けられる。お父様は日韓米の一体化を推し進めてきたが、まさに、それに逆行するものだ。お父様(父母様)に対してもメシヤ・再臨主だなどとの思いは一切ない。したがって、祝福を受けたとしても祝福家庭には救いなどない、というのが結論だ。余談だが、「師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!(その6)」を書き終えた朝方に三男派へ行った郭グループ(郭血族)の前能登教会長・郭炳憲氏(FPAJapan)が霊的に私のところへ訪ねて質問をしてきた。「霊的な実感」を伴ったものであり夢ではなかった。さて、「彼の質問とは?」は、洗礼ヨハネが牢屋から弟子をイエス様に遣わして「あなたはメシヤですか?」と訊ねたくらいに何をいまさらといったようなものであったので、あまり記憶に残っていない。郭炳憲氏の教会長としての最後の日曜礼拝での私との関係については、ブログ記事で紹介していた。彼の能登教会在職時2年間にわたって「独生女理論」とか言ってのお母様の「独生女発言」を批判し続けていたものだが、その礼拝を前にして私のブログ記事で「独生女考(21)-- 独生子といえども「罪人」として歩まざるを得なかった理由」、「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!!」と断言記事を書いた。彼がそれを読んでのものと思うが、その最後の礼拝では私を見ながらも横に座るママさんに独生女に関する(「信じられるか?」といったような)質問を何度も投げかけていた。以下がその続きだ。「正しいこと」、「間違っていること」―― 「良心作用」について独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」『祝福と理想家庭 -韓日対訳No.1-』(1989.12.20発行)のP.268、P.269もあげていた。この後を読み続ければ、ここでもハッキリと第三のアダムの相対者について、「堕落前のエバ」「堕落していないエバを探し出さなければ」と書かれていた。今日、韓総裁の無原罪の「独生女」を裏付ける一文である。ところが、「お母様は原罪なし お父様は原罪あり これは本当ですか はっきり答えよ!」などと松濤本部前で騒ぎ立てている話も聞く。第三アダム--再臨主の相対はキリスト教圏から探し出さなけらばならなかった。無原罪の「独生子」「独生女」が出会って「子羊の婚宴」のはずであった。ところが、文総裁の第1番目、2番目が失敗し第3番目に韓総裁が来られた。統一原理の蕩減原則から、誰かがこの失敗を蕩減しなければならない。2000年前のイエス様と同じだ。イエス様自身、神のひとり子として来られながら洗礼ヨハネの失敗によって、サタンからも試練を受けイエス様自らが洗礼ヨハネの立場から出発しなければならなかった。原理講論にもそれが書かれている。「バカか?!」というには失礼に当たる方ーー能登家庭教会 郭 炳憲教会長へ2月26日、郭炳憲教会長離任式の説教からパシセラのブログ「石川の牧会者だった方の感想 」から師観氏に限らず、前・能登教会長もお父様の「独生女発言」を一言も語らず、原理講論のそれもなかった。ヨンギ氏、kimuchi氏なども私からの間違いの指摘に対しては何一つとして訂正しようとはしない。彼らにとって三男さん擁立が難しいと分かると「やれ、長子だ! 後継者だ!」の記事は消え、デマ記事の垂れ流しによって「家庭連合つぶし」だけが正義とみているのか?「侍さん」作成のものは以下。間違っていることに対して、もしもそれが認識不足からくるものであれば訂正していくことも可能であろ。ところが、それを知りつつもなおも頑なになって心を開かないとするならばエジプトのパロ王の兵士らが紅海を渡れなかったようになるだろう。天の父母様は誰一人として滅びることを望んではいない。出来得るならば、お父様の「独生女発言」、原理講論にも耳を傾け、神霊と真理に目覚めて正しい道を歩まれることを願う次第である。悲しい歴史を次世代に引き継ぐことはしたくないものである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.23
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マルクスの考えた唯物史観では、「人類歴史は原始共産制社会として出発した」と言っています。共産制の社会では、人々が財産を分け合って暮らしていた。個人の財産がなくて、みんなが平等だった。支配者がいないので、みんなが平和に暮らしていた、と言います。実際にそんな社会はあったのでしょうか。今回は、唯物史観の批判と代案について解説します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.22
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師観氏の意見を百や千並べたところで何の価値もない。いつまでそれを繰り返されるのか?自称「古参の食口」がお父様のみ言も語らずば、その香りも漂って来ない。以下に師観氏の記事引用ご父母様の原罪のことに関する考察http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-377.htmlある人が次のような意見を述べました:ご父母様の原罪のことについてですが、もう本当にざっくりと言ってしまえば、サタンが讒訴する条件が成立しない 状況が整えば、無原罪のメシヤが誕生するわけです。これに対する師観のコメント:・文教主がどうして無原罪で生まれることが出来たかについては、すでに7つぐらいの項目を以前の日記で挙げておきました。その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。これを採用すると、複数のメシア候補が可能になります。アボジが初めて日本に来た時に、語られたみ言葉の中に、自分も含めて7人のメシア候補がいたという。韓国の権威のある宗教雑誌ではメシアを名乗る人物が50名もいるという。同様に、メシアの妻になる方もこの説を採用すると無原罪になりうるハ-ドルが低くなるでしょう。そうすれば、目くじらを立てて、誰が原罪があるかないかで大げさに騒ぎたてる必要はなくなるでしょう。但し、TMのみが生まれながら無原罪の独生女で、TFは彼女に出会って無原罪になったというと韓国の教会責任者たちにも手に負えなくなり、物議が生じ、澤田氏みたいな人達が抗議に本部に押し寄せて来るでしょう。「その中で、イエスの時代にすでに複雑な血統転換の摂理が終了して、イエスが無原罪で誕生しているので、再臨の時代にはもうそのような過程を繰り返す必要がないというのがあります。」は「独生子」でなくとも「独生女」にも当てはめられ得る内容だ。ところが、それらは原理講論には書かれていないものであり、師観氏は新しい原理(非原理)を語っておられるのではないか。これに関しては、原理講論にはしっかりと書かれたものがある(P.440~)。(二)縦的な蕩減条件と横的な蕩減復帰 復帰摂理のみ旨を担当した中心人物は、自分が立たせられるまでの摂理路程において、自分と同じ使命を担当した人物たちが、立てようとしたすべての蕩減条件を、自分を中心として、一時に蕩減復帰しなければ、彼らの使命を継承し、完遂することができないのである。したがって、このような人物が、また、その使命を完遂できなかったときには、彼が立てようとした蕩減条件は、その次に彼の代理使命者として来る人物が立てなければならない蕩減条件として、その人物に引き渡されるのである。このように、復帰摂理路程において、その摂理を担当した人物たちがその責任を果たせなかったことから、歴史的に加重されてきた条件を、縦的な蕩減条件といい、このようなすべての条件を、ある特定の使命者を中心として一時に蕩減復帰することを、横的な蕩減復帰というのである。 例を挙げれば、アブラハムがその使命を完遂するためには、アダムの家庭と、ノアの家庭が立てようとしたすべての縦的な蕩減条件を、一時に横的に蕩減復帰しなければならなかった。ゆえに、アブラハムが、三つの供え物を一つの祭壇に置いて、一時に献祭したのは、アダムからノア、アブラハムと三段階にわたって延長されてきた縦的な蕩減条件を、アブラハムの献祭を中心として、一時に、横的に蕩減復帰するためであったのである。したがって、その三つの供え物は、既に、アダムとノアが立て損なったいろいろの条件と、またアブラハムが中心となって立てようとしたすべての条件を象徴するのである。 そうして、ヤコブは、ノアから彼自身に至るまでの十二代の縦的な蕩減条件を、一時に、横的に蕩減復帰する条件を立てなければならなかったので、十二人の子供を立て、十二部族に殖やしていったのである。同じく、イエスもやはり、四〇〇〇年摂理歴史路程において、復帰摂理を担当してきた数多くの預言者たちが残しておいた縦的蕩減条件を、彼自身を中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさらなければならなかったのである。 例を挙げれば、イエスが、十二弟子と七十人門徒を立てられたということは、十二子息と七十人家族を中心として摂理されたヤコブの路程と、十二部族と七十長老を中心として摂理されたモーセの路程などの、縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に横的に蕩減復帰なさるためであったのである。また、イエスが四十日断食祈祷をされたのは、復帰摂理路程において、何回も繰り返された「信仰基台」を立てるのに必要とされる「四十日サタン分立」のすべての縦的な蕩減条件を、イエスを中心として、一時に、横的に蕩減復帰なさるためであったのである。このような意味から見るとき、復帰摂理を担当した人物は、単に一個人としてだけではなく、彼に先立って、同一の使命を負ってきたすべての預言者、烈士たちの再現体であり、また、彼らの歴史的な結実体であるということを知ることができるのである。再臨主といえどもこの原理原則を逃れることは出来ない。イエス様の使命継承するためにはその蕩減条件は必須と書かれていた。故に、お父様はすんなりとその使命を引き受けたわけではなかった。また、師観氏は再臨主候補について7名いた。また、50名とも書いている。原理講論のP.220~からは、6) 終末に起こる霊的現象 …… 終末には、「あなたは主である」という啓示を受ける人たちが多く現れる。しばしば、このような人たちは、自分が再臨主であると考えて、正しい道を探していくことのできない場合が多いが、……アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に達すれば、神が彼らに被造世界の主になれと祝福なさった、その立場を復帰したという意味から、「あなたは主である」という啓示を下さるのである。 終末に入って、このように、「主」という啓示を受ける程度に、信仰が篤実な聖徒たちは、イエスの当時に、主の道をまっすぐにするための使命をもってきた洗礼ヨハネと、同一の立場に立つようになる(ヨハネ一・23)。……。 霊通者が、「あなたは主である」という啓示を受けたとき、このような原理的な事情を知らずに、自分が再臨主だと思って行動すれば、彼は必ず、偽キリストの立場に立つようになる。終末に、偽キリストが多く現れると預言された理由もここにある。……。 ……神は各自をして復帰摂理の目的を達成させるに当たって、彼らが各自最善を尽くすように激励なさるため、「あなたが一番である」という啓示を下さるので、横的な衝突を免れなくなる。また、彼が担当した部分的な使命分野においては、事実上、彼が一番であるために、このような啓示を下さることもある。また、「予定論」で復帰摂理の中心人物となり得る条件についても書かれていた(P.245~)。第三節 人間に対する予定 アダムとエバが、善悪を知る果を取って食べるなと言われた神のみ言を守り、自分たちの責任分担を果たしたならば、善の人間始祖となることができたのであった。したがって、神はアダムとエバが人間始祖となることを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。ゆえに、堕落した人間も、それ自身の責任分担を果たして、初めて神が予定された人物となることができるのであるから、神は彼らがいかなる人物になるかということを、絶対的なものとして予定なさることはできないのである。 では、神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の「み旨成就」においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための九五パーセントの神の責任分担に対して、五パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした「み旨」が一〇〇パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。 例を挙げれば、……。 つぎに、神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるかということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロⅡ三・9)。ところが、神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。 それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。『師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!』、原理でない非原理をも語っておられるようだ。その子供に悪いことを教える父母がいるであろうか。その子弟を不義に導く教師がいるであろうか。だれしも悪を憎み、善を立てようとするのは、万人共通の本心の発露なのである。「古参の食口」が、後輩食口たちや二世たち悪いことを教えてよい、いうのか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.21
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1年以上にわたって渋谷の家庭連合本部前でカメラを回し続ける澤田氏だが、彼が支持するサンクチュアリこそがどうなのか訊ねてみたいものだ。サンクチュアリは母親を挿げ替えたなか、姜先生に「原罪があるのか? ないのか?」それによっては七男さんがされる「祝福式」が本物かどうかも分かろうというものだ。私tomy4509からは何度も取り上げてきた原理講論P.264がある。原罪のある父母が、原罪のない善の子女を生むことことは出来ない。したがって、この善の父母(独生子・独生女)が、堕落人間たちの中にいるはずがない。姜先生は何所から来られた方かは、私たちのよく知るところだ。また、アウグスティヌスと霊肉祝福を受けられたりもしていたのだが……。サンクチュアリは母親が違う「異母兄姉」ということになるのだろうか(?)。アブラハム家庭では異母兄弟イシマエルがいたが、イサクとは袖を分けた。創世記/ 21章 08節~14節 さて、おさなごは育って乳離れした。イサクが乳離れした日にアブラハムは盛んなふるまいを設けた。 サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。 この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。 神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。 しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。 そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。アブラハム当時はそれでもよかったかもしれないが、こんにち、真の父母様が来られてのちは「重生」でもって三男さん・四男さん・七男さんといえども、イエス様がニコデモに語られたように、もう一度母の胎に入って肉からでなく「霊から生まれ」たものとならなければならないだろう。ヨハネによる福音書/ 03章 01節~ ……イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。 イエスは彼に答えて言われた、「……よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。 わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。……それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 「よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。」は、こんにちの分派の方々の姿そのものでもある。原理講論にも書かれた「独生女」、お父様が語られた「独生女」を見ようともしない。何故か。「信じない者は、すでにさばかれている。(こんにち)神の「ひとり娘」の名を信じることをしないからである。 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。 」サタンが恐れる「独生女」、分派の方々が「お母様の独生女」批判をされる理由はここにある。サンクチュアリの母親の挿げ替えは「(サタンの)血統」を再び継承したものであって、天の血統とは何ら関係しないものである。三男派FPAの主張するところの「お母様、元の位置にお帰り下さい」もまた、原理講論を逸脱したものである。私たち祝福家庭は創造理想を完成したアダム・エバ、「独生子・独生女」「真の父母様」から祝福を受けた。もしも、創造理想を完成したエバに「主管性転倒」ということがあるとするならば、これもまた、原理講論との矛盾を見い出すこととなる。三男派の主張は「再堕落を承認」しているようなもので、結局のところは祝福自体の価値も認められない、といった結論を導き出しているようなものだ。(六)堕落性本性 天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という。 このような堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった。それでは、善の目的のために創造された天使長から、いかにしてそのような愛に対する嫉妬心が生ずるようになったのであろうか。元来、天使長にも、創造本性として、欲望と知能とが賦与されていたはずであった。このようにして、天使長は知能をもっていたので、人間に対する神の愛が、自分に注がれるそれよりも大きいということを比較し、識別することができたのであり、またその上に欲望をもっていたから、神からそれ以上に大きい愛を受けたいという思いがあったということは当然なことである。そして、こういう思いは、自動的に嫉妬心を生ぜしめたのである。したがって、このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう。しかし、人間が完成すれば、このような付随的な欲望によっては決して堕落することはできなくなるのである。なぜなら、このような欲望を満たすときに覚える一時的な満足感よりも、その欲望を満たすことによって生ずる自己破滅に対する苦痛の方が、もっと大きいということを実感するようになるので、このような行いをすることができないのである。分派の方々は、もう一度「原理講論」に帰られることによって「真の父母様」の価値を再認識されることをお薦めする。「肉から生まれるものは肉であり、 霊から生まれるものは霊である。」お父様は聖和されてこの地上に居られないとしても、この言葉よくよく嚙みしめてくださることを願う次第である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.20
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『天一国経典天聖経 第二篇 三章 二節 5~8』から。5 イエス様は、なぜメシヤなのでしょうか。新しい生命の種、神様の愛を中心として、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ代表的な息子として、歴史始まっ て以来、初めて血続を転換した歴史的結実として生まれたからです。それがイエス様です。それで、ひとり子なのです。歴史において血統を清め、神様の愛と生命と血統を受け継いだ代表的な息子として生まれたので、ひとり子なのです。歴史時代に聖人たちが生まれては死んでいきましたが、イエス様が彼らと違うのは、血統を転換して、初めて神様の生命を中心として生まれたからです。そのように生まれた代表的立場に立っているので、メシヤです。メシヤは、新しい生命を中心とする中心存在になることができます。イエス様が今から二千年前に来られたので、人間が堕落して以降、聖書の歴史で四千年の歴史を通して、初めて血統転換の代表者が出てきたのです。その人がメシヤです。6 来られるメシヤとは何でしょうか。堕落した父母が生まれたので、堕落していない父母が生まれなければなりません。堕落していない父母になろうとすれば、 神様と同じ立場で、悪魔サタンも愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、天国に入ることができる道がありません。これが今まで、霊界の秘密であり、人間世界と天上世界に横たわる悲哀の落とし穴でした。これを誰も知りませんでした。先生がこれを明らかにしたので、サタン世界には、一大悲運の歴史が始まりました。7 父母を身代わりする立場でメシヤとして来られるイエス様は、天使長と闘うのです。「私は神様のひとり子だ」として闘うのです。ひとり子は、神様の愛を初めて受けた人です。ひとり子として、ひとり娘を迎え、本然の堕落していないアダムとエバと同じように完成しなければならないのです。ひとり子、イエス様 は、メシヤとして来ました。メシヤは、失ってしまった父母を身代わりできる父母の資格を立て、父母の血統に従って接ぎ木し、再び蘇生させる役事をする人です。ですから、キリスト教では、重生の論理を通じなければ天国に行けないというのです。8 イエス様は、どのような方でしょうか。神様は、六日間にわたって天地創造をしました。すべての万物を創造し、六日目にアダムを創逡しましたが、そのアダ ムと同じ方がイエス様です。このように、イエス様は第二のアダム、すなわち後のアダムです。堕落していない本然のアダムなのです。神様が太初にアダムを創造し、そのアダムを中心としてエバを創造したので、この後のアダムを中心として、後のエバを立てなければなりませんでしたが、立てることができませんでし た。エバは、誰が立てなければならないのでしょうか。アダムが立てなければなりません。エバが堕落するとき、アダムが責任を果たすことができなかったので、失ってしまったエバを、アダムが探し立てなければなりません。蕩減原則には、容赦がないのです。「イエス様は、なぜメシヤなのでしょうか。新しい生命の種、神様の愛を中心として、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ代表的な息子として、歴史始まっ て以来、初めて血続を転換した歴史的結実として生まれたからです。それがイエス様です。それで、ひとり子なのです。歴史において血統を清め、神様の愛と生 命と血統を受け継いだ代表的な息子として生まれたので、ひとり子なのです。」だとすれば、「神様の血統を受け継いだ代表的な娘として、歴史始まっ て以来、初めて血続を転換した歴史的結実として生まれた方」、「歴史において血統を清め、神様の愛と生命と血統を受け継いだ代表的な娘として生まれたので、ひとり娘なのです。」とも置き換えることが出来る。ひとり子は、神様の愛を初めて受けた人です。ひとり子として、ひとり娘を迎え、本然の堕落していないアダムとエバと同じように完成しなければならないのです。同様に、ひとり娘も本然の堕落していないアダムとエバと同じように完成しなければならない、ということだ。さて、イエス様は「独生子」として生まれたというが、神様は4000年かけてやっとのことで一人の女性マリヤ(の信仰)を探してのそれだった。「独生子」も女性がいなければ生まれることすらできなかったという話。また、イエス様といえども「独生女」を探し出して「子羊の婚宴」をしなければ、そこから神様の血統が出てこない。ために、イエス様は十字架を前に「もう一度来る」、来て「子羊の婚宴」をすると約束されたのであった。サタンはイエス様のような「独生子」だけが来られたとしても鼻歌混じりで笑っていた。ところが、サタンが最も恐れたものは「独生女」であったのではなかろうか!!ところが1960年、「子羊の婚宴」によって原罪のない子女(独生子・独生女のコピー)を一人だけでなく多く生み増やすことが出来るようになったことでサタンの領域が脅かされることとなったからだ。こんにちの分派の「独生女批判」はこれゆえだ(サタンに踊らされている分派の方々だ)。お父様の「独生女」のみ言も語らず、また、原理講論P.264にもある「原罪のある父母が、原罪のない善の子女を生むことことは出来ない。したがって、この善の父母(独生子・独生女)が、堕落人間たちの中にいるはずがない」の記述も見ようともしないでお母様の「独生女発言」を躍起になって打ち消そうとしている。しかも「古参食口」と自認される方々のそれには呆れるばかりである。お父様が「独生女」を語り始められたのは1959年10月が最初であり原理講論の発刊が1965年ですから、原理講論に「独生女」の記述があってもおかしくないのだが、当時、それを書くまでには至っていなかった。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ コスモスさん記事へのコメント(未承認のまま削除されたようです)https://ameblo.jp/cosmosnokokoro/entry-12382589576.htmlコスモスさんも女性でしょ現在なお、16万訪韓女性修練会のお父様のみ言を理解されておられないようですね。サンクチュアリが準備したサイトですが、以下URLからは八大教材教本ほかをwebで見ることが出来ます。https://unificationism.wordpress.com/そのひとつに「訪韓修練会御言集 十六万女性修練会」があります。そこには日本女性だけに語られた「血統転換に関する奥義」もありました。女性の信仰観が特に重要です。「神様」といっても、原罪のある人間が直接につながることは出来ません。キリスト教では聖霊を通してイエス様、そして、神様です。家庭連合もまた、同様です。真のお母様と女性(婦人)が細いナイロンの糸で結ばれ、お父様と連結されることでその「血統転換」が可能だということです。変な表現かもしれませんが、凧も同じです。糸でシッカリ結ばれた凧は、風(真の愛)を受けながら空高く舞い上がることが出来ます。ところが、糸の切れた凧は風に吹かれながらもどこかへ消え去ってしまうものです。コスモスさんはどちらの凧ですか?三男さんもまたそのお母様から生まれた方ですが、イエス様がニコデモに語られたようにもう一度生み変えられなければ天の血統へと入っていくことが出来ないと思うのですが。2008年4月6日、ハワイでお母様を中心として三男さんと四男さんを立てて「アベル・カイン」の特別儀式をされました。その時が天が与えた一つの転換点であったと思うのですが、上手くされたでしょうか。その直後に七男さんが世界会長として就任しました。さて?UCI、汝矣島問題もそれを前後してのものでした。父母様はこれに限らず、「異端者爆破者宣布」「真の父母様宣布文」など幾度も救いの手を差し伸べておられました。ところが、三男さんの側近らがそれを捻じ曲げていたのではないかと思います。三男さんの側近こそが、お父様は「ボケ老人」で家庭連合の側近が騙して宣布文を書かせたのだとかいっては「蛇の二枚舌」を使っていなかったでしょうか。当時のgildong氏のブログ記事(パイオニアカフェ情報)ほかのデマがそれを物語っていました。
2018.06.19
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「唯物史観」とはどのような歴史観なのでしょうか。唯物史観は何を主張しているのでしょうか。共産主義は「歴史には目的や法則性があるという理論だ」と言います。「歴史は人間の意志ではなく、物質的な法則に基づいている」と言っています。では、具体的にはどのような目的や法則性があるというのでしょうか。今回は、「唯物史観は正しい」という立場から唯物史観について説明してみましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.16
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ヨンギ氏(マキの夫)の記事で紹介された映像についてだが、以下が問題の字幕スーパーの部分である。金榮輝先生は真のお母様を原罪があると言っていたhttps://ameblo.jp/13579watashi/entry-12383455941.html金榮輝先生が語られた(?)それは、画像からも「2015年9月 天一国指導者特別教育」となっていたがわずか数十秒の字幕と音声のみであり、その真偽が問われるべきものと思う。私が疑問視した理由の一つは、重ねられた静止画像がいつのものかである。バックの英字からは「ニューヨーク、11月」と書かれているようでタイトルの「2015年9月」ではない。さて、自称ルポライターtomy4509による実際の調べによれば、2013年11月16日、ニューヨークでの講演の時のものであったことが判明した。この実際の映像はPeaceTVホームページ(こちら)からも視聴できるものであり、また、その講演内容も素晴らしいものであるので時間の許される方は見られることをお薦めする。また、文字起こししたものも下部にあるので少なくともそれに目を通されては如何がとも思う。これまでもヨンギ氏のデマ記事の指摘を幾度となくしてきたが、家庭連合を貶めようとすることのみに躍起になり過ぎては一向に反省の気配すらないようだ。以下tomy4509のヨンギ氏記事反論の記事群。ヨンギ氏、「真の父母様宣布文」の真偽は既にハッキリしている!! 何をいまさらだ。リブログ「宣布文発表までの過程 書類写真」ーーヨンギ氏、デマ記事です!!ヨンギ氏、「最大の罪は神への反逆である」-- ねつ造の氾濫(反乱)は?!【資料】異端者・爆破者宣布文事件の真実 (『gildongのブログ』から)リブログ「間違った野心の結果」ーー三男派は蚊帳の外?リブログ”怨讐を愛せよと教えられた我々”リブログ”諸君は矛盾に満ちている” -- 矛盾しておられるのは?リブログ「良心を監視しろ」-- 「ヨンギ氏の良心」を監視しようリブログ「ヨンギ氏の嘘を許すな!」今日は「サタンが怖れる「独生女」とは?」の第2弾を予定していたが、後日に回すことにする。「独生女批判理論」の矛盾点に照明を当てていくものである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.14
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お父様のみ言のなかには「真の父母」がところ狭しと語られていた。ところが、分派の方々のブログ記事を見れば、それが見当たらない。以下は八大教材教本「真の父母」からの訓読映像の一部である。では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり女(独生女)がいなければなりません。それで、ひとり女を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり女が互いに好む場で結婚しなければならないのです。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜びうる新郎新婦になり、地上で息子娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。「キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきた」のであった。独り子・イエス様お一人では決して「真の父母」となることは出来なかった。原理講論からは「イエスの十字架の死」とその限界について明記されており、この地上に再臨される目的についても書かれていた。「それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。」さて、「真の父母」とは1960年の文総裁と韓総裁が「子羊の婚宴」を成すことで初めてこの地上に出現した言葉であった。この子羊の婚宴以降は、私たち統一食口はこの「真の父母」の名の許で一つの兄妹としての信仰を捧げてきたのではなかったか!!さて、黒・天聖経『真の父母』から別のみ言も見てみよう。・ 真の父母という言葉は恐ろしい言葉P.45統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。真の父母の前には、真の子女がいなければなりません。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)ここで「真の父母」という言葉だが、「独生子」は言うに及ばず「独生女」もこの中に含まれることは言うまでもない。ところが、お父様聖和後は必死になってその「独生女」を打ち消そうとしてきたのが、まさに、サタンの業であった。サタンは自らの居場所である「霊界」を否定してまでも宗教を撲滅しようとしたのであり、こんにちの「独生女批判理論」と似たところがある。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.13
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【関連記事】お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その1)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その4)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その5)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(雑記1)以下は5月末に「下書き」で中途にしていたものに追記したものである。(雑記1)の続き。お父様は孝進様だけでなく、兄妹たちにも「(父母様が神様にしたように)父母様に仕えなさい」であり、兄妹間でも仕えあいなさいということだった。モーセの律法を連想させるようなものだ。孝進様はそれを上手くできただろうか、というとそうではなかったと孝進様聖和後にお父様も語っておられた。三男さんや七男さんのこんにちを見ても、やはり、同じようなことが言える。特には、お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2)ではほかにも多くの大切と思われるみ言が語られていた。 このような時は、統一家にとって精誠を尽くさなくてはならない、とても貴重な時です。しかも、四十年を越えて迎えるこの時に、先生を中心にした世界史的カインの長子圏を立てなければなりません。かつてのカインは、サタンが讒訴することのできるカインですが、今、ここで神と一つになることのできる長子圏を立てなくてはならないというのです。長子圏は先生の家庭で立てなくてはならないというのです。先生の家庭には聖進兄さんがおり、喜進君がおり、孝進君がいます。その中で三代目の息子にあたるのが孝進君です。孝進君にとって、聖進君は兄さんにあたりますが、聖進君が生まれた時は、摂理を成功させることができませんでした。 次に生まれた喜進さんは、伝道に行く途中で汽車によって客死したのです。これに関連して、韓国統一教会の劉協会長が亡くなりました。劉協会長の三位基台では金元弼が一の立場であり、二番目が劉協会長なのです。二番目がいつも問題だというのです。これらの因縁が外的に蕩減されなかったために、私の家庭に潜入して来ました。それが完全に蕩減されなかったために、直系の父母様から生まれた二番目の息子興進様が逝ったのです。そうすることによって、この位置にいる喜進も連結し、劉協会長も連結し、イエス様も連結して、天上世界と地上世界が連結することのできる橋を高めているのです。上記を要約すれば、サタンが讒訴することのできないカイン(長子権)を先生の家庭で立てなければならない、そして、「その中で三代目の息子が孝進様です。」ということだ。三数原則から神様はこれは一歩も譲ることが出来なかった。孝進様が聖和されたのは2008年3月17日だったが、以下のお父様のみ言(ファミリー2008年6・7月号)はその直後の4月6日のものだ。霊界ではお母様を中心として孝進様と興進様が一つとなったように、地上では三男さんと四男さんが一つとなることを願われての儀式がなされた。6月号30ページ下部から31ページではかつての孝進様について語られていたが、聖和して霊界へ行かれたことで二つの世界をつなぐ架け橋で連結されるようになった。さらには、2008年7月には真の父母様はじめとしたヘリコプター事故があったが、その退院の日にもお父様は孝進様について語られていた(以下。ファミリー 2008年10月号)。このように聖和された孝進様を見つめながらも「自慢の長子」としてお父様は語られていた。それに続く息子たちにも同様のことを願われたのが、2008年4月6日のその特別な儀式ではなかっただろうか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.11
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師観氏、kimuchi氏ともにお父様のみ言「独生女」については一言も出そうとはしない。以下のkimuchi氏のそれもまた同様であった。kimuchi氏は三男派と認識していたが、これに挙げたビデオはサンクの澤田治平氏のそれだ。今回もなりふり構わずの「独生女批判」ということか。小山田氏の見解ではお母様の祝福は正当なのか?https://kimuchi.muragon.com/entry/490.html小山田秀生氏の見解が明確に!https://youtu.be/XEneQCAtwdg■澤田:小山田先生!小山田先生!韓氏お母様は生まれながらに原罪はないんですか?先生!□小山田:そうでないとメシヤになれんぞ。■澤田:原罪、ないってことですか?□小山田:そうよ。■澤田:でもそういう教えを受けてませんよ、私達は。□小山田:嘘っぱちだ、あんた、何の勉強してない、原理、全然分かっとらんよ。■澤田:え?それが原理じゃないじゃないですか、お母様に原罪がないというのは。□小山田:違うよ。■澤田:え?違う?……では、澤田氏の澤田:韓氏お母様は生まれながらに原罪はないんですか? でもそういう教えを受けてませんよ、私達は。ということだが、本当にそのような教えを受けていなかったのだろうか?これについても、私tomy4509からは一つの回答をすでに提示していた。原理講論P.263~の『第四節 重生論と三位一体論』がそれであった。(一)重生論(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。 アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。 我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロ・一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリント・一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。 ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリント・一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。また原理講論は、「堕落エバ」というような因習的な信仰観念と旧態依然とした信仰態度に対しての警告をも発していた。(五)聖書に対する我々の態度 我々は、既に、聖書のみ言によって、イエスに対する洗礼ヨハネの無知と不信は、ユダヤ人たちの不信を招来し、ユダヤ人たちの不信は、ついにイエスを十字架につけるようになってしまったという事実を知った。 しかし、イエス以後今日に至るまで、このような天的な秘密を明らかにした人は一人もいなかった。これは、洗礼ヨハネを無条件に偉大な預言者であると断定した立場からのみ聖書を見てきたからである。我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。使命を果たして行った洗礼ヨハネを、使命を果たさなかったと信じることも不当であるが、事実上、使命を果たさなかった洗礼ヨハネを、よくも知らずに、全部果たしたと信じることも正しい信仰ではない。我々は神霊面においても、真理面においても、常に正しい信仰をもつために努力しなければならない。我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。このようにサンクの澤田氏がいうところの「教えを受けていない」などとは、果たしていえるだろうか?もしも、サンクや三男派の原理講論にこれらが書かれていないとすれば、それこそが「原理講論を改ざん」したものに他ならない。手元の原理講論をもう一度確認されては如何か。kimuchi氏、サンクの澤田氏よ:原理講論にも原罪のない「真の父(独生子)」と「真の母(独生女)」が書かれていた。私たちはこの「真の父母」を信奉してきたのではなかったか。お父様が聖和されていたとしても、特別宣布式(以下)で、これからは、二人の人が一つの血筋の母体である一人の人として……宣布された真の父母様が一体圏を成した基礎のもとで、お母様の祝福式も正統なものである。さらに付け加えれば、十六万の訪韓女性修練会(1993年12月~)でお父様が語られたみ言(こちら)から。さあ、最後の仕上げです。気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。こんなに欲張りの空き箱ですが、空き箱は入れるものの価値によって左右されるのです。入れるものと同じ価値を持ちます。宝がたくさん積んであった時、「宝を持って来い」と言うのですか、「籠を持って来い」と言うのですか? どちらですか? 「宝を持って来い」と言うのではなく、「あの籠を持って来い」と言うのです。入れるものと同等な価値を持つようになるのです。それで、聖書にはエバを象徴して、善悪を知る木というのです。善悪を知る木とは、女です。そして、木の実とは女のそれをいうのです。なぜ善悪を知る木というかというと、女は、善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなるのです。もし王子様と一つになった場合には、王宮を相続することも可能なのです。そして、王子を生むこともできます。反対に、悪辣なやくざの親父と結んだ場合には、悪魔世界の王子を生むようになるのです。善悪を知る木の実、それは善悪を知る女の体をいうのです。善にもなるし、悪にもなることを象徴しているのです。だから神様は堕落しないように、善につながるように、戒めているのです。「悪になったら大変だから、それを取って食べるな! 勝手にするな! 神様が命令するまで待て!」と。それは神様のものであって、自分たちのものではないのです。女は、それを自分のものだと思ったら大変なことです。それは男のものであり、男のうちでも王様の男、神様のものです! ですから、その女の実が何を願うかというと、最高の男まで、神様までも願うのです。だから女には、神様をすべて入れても休ませることのできる良心の袋があるのです。女の主人は男ですね? 女に聞いた場合は、主人のうちで一番の主人は誰かというと神様になるのです。女をつくった目的は、アダムのためにもつくったのだけど、一番の願いは神様のためにつくったというのです。なぜかというと、神様は相対が必要だからです。一人で住むのはかわいそうだというのです。先生でも、お母様がいなかった場合には「八十代のおじいさんは、かわいそうです」と言われるのです。相対がいなくなれば、すぐに除去されるのです。天運というものは、相対がいて保護するようになっているのであって、相対のないものは押し出すようになるのです。ここで、女性は「空き箱」「籠」だと表現されていたが、それに入るものによってその価値が決定されるとのことだ。「善悪知るの木」も同様で、「善になれば善の実になるし、悪になれば悪の実にもなる」とも。このように、お父様が語られたみ言、そして、原理講論にも「独生女」について書かれていた。こんにちのお母様も「空き箱」「籠」だということですが、そこには「お父様」だけでなく「神様」までもが入っておられる、と見るのが私たちの信仰観ではないでしょうか。三男派の方々、サンクの方々は、そのお父様や原理講論の「独生女」を否定されますか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.10
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師観氏のブログ記事から:TMの父親について(これは天からの秘儀として受けとるべきか)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-370.html家庭連合はアヘンか?(光を失った家庭連合の実態)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-date-20180608.html上記ブログ記事から師観氏自らを「古参の食口」と呼称していたが、現在をもってしてもお父様の「独生女」のみ言一つも語ろうとはされずに「家庭連合」への誹謗中傷を繰り返しておられる。もはや、そこには「真の父母様」もおられなければ「お父様」の影すら感じられない。心はそこにはなく、「元食口」と大差がないようだ。記事内容を見ても確証一つ無いものであり、過去に統一教会を貶めようとして流された「血分宗教」を重ねての批判としか言いようがない。当時、その統一教会のそれについては今となっては「風評」であったとされるのが一般的な見方である。文中からは『「血分け教の開祖」である李龍道』などと書かれていたが、これもまた、これといった確証を示していない。過去の既成教会が「異端」とすべく考えた「風評」、統一教会のそれと似たものであろう。他所のデマを師観氏が用いているに過ぎない。また、原理講論の総序からの引用は甚だしく遺憾である(著作権侵害に当たらないか?)。家庭連合を冒涜されるだけでなく、教義そのものを用いての批判は「古参の食口」であれば本部からクレーム物だろう。それが「元食口」ともなれば、暗黒の世界でその光も見ることが出来ないでいる「師観氏」の姿であろう。原理講論が提示されたので、お父様の「独生女」も語らずの師観氏に申し上げるが、キリスト論の「重生論」には、「無原罪の父母」(「独生子」「独生女」)についても書かれていた。「食口」当時の師観氏はこれをも信じておられたのでは?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.09
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今回から唯物史観に入ります。唯物史観とは、唯物論による歴史観という意味です。「歴史には目的や法則性がある」という理論です。この理論は、共産主義を信じる人たちにとってかなり重要な部分です。今から半世紀ほど前、日本の多くの若者たちが学生運動に身を投じていました。1960年の安保闘争、1960年代末の全共闘運動や大学紛争です。これらの学生運動にも、共産主義の唯物史観という考え方が多大な影響を与えていたのです。
2018.06.08
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【保存版】削除された『独生女に関するお父様のみ言葉』(反論あり)https://kimuchi.muragon.com/entry/484.html【投稿者:tomy4509さん】~【奇知外記】氏に対する反論過去に最初にお父様が語られた「独生女」のみ言が一つとして見当たりません。お父様のみ言では180回ほどそれがあるとのことです。それをご存知でしょうか?《韓国語のできる教授に連絡が取れ確認できましたので反論させていただきます》【奇知外記】氏ブログに張り付けられた韓国語のお父様の語られた『独生女』のみ言葉は初期のころのみ言葉であって、お母さまは絶対対象の位置においてお父様をおささえされておられるころのみ言葉だと受け止めています。『独生子』『独生女』としての本然のあるべき姿を描かれておられますから、なんの問題もありません。問題にしているのは2000年前後に「お母さまの独生女」「私は無原罪で生まれてきました」「お父様は原罪をもってお生まれになったのです~・・・」が可笑しいのですからその部分に対してのお父様のみ言葉(2000年前後)を掲載したのです。実際に180か所あるかどうかを数え始めたそうですが、そんなに沢山ない、問題視するような文面ではありませんから途中で中断されたようです。韓国語のわかる知り合いは食口で韓国に在住していれば簡単にわかりますが、念のため韓国で教授を5年間なされてきた方に確認をいたしました。わざわざ遠回しに意味不明の論理を振りかざし多くの信徒を惑わして聖職者の立場でありながらKimuchi 以外にも多くのブロガー相手になんの益があってなされるのかが理解できません。この問題は今後も引き続き私が万一倒れたとしても、お母さまが本然の位置に戻られるまで、誰かが相続していきます。今回は家庭事情があり長く書くことは出来ませんが、私が提示したみ言は初期のものであって問題にならないという話ですが、韓国語版の黒・天聖経P.177、(58-218、1972.6.11)のものです。初期とはいつまでのことでしょうか?子羊の婚宴が成されたのは1960年であり、それを前後してお父様は「独生女」を語り始めておられます。当時のその時からお母様を「独生女」として認識されておられたということでした。さらには、2000年を前にしてお母様に感謝碑を授与されていました。2012年4月には「天和宮での特別宣布式」(詳細はTWJ 2012年天暦4月号)もされるなどして、その一体圏宣布もされておられました。韓国語のできる教授さんに伝えてください。お父様のみ言とお母様のみ言の比較はされなかったのでしょうか。大切なことです。語られた「独生女」の数が重要でしょうか?はたまた、その内容を問題視していかなければならないでしょうか!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.03
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師観氏の最近の記事から。独生女問題に対する興味深い見解http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-367.htmlいくら祝福を受けても人格がクリスチャンよりも優れているとは思えないhttp://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-368.html上記記事からもお父様の語られた「独生女」の一つもなかった。もはや師観氏のそれはお母様の「独生女」発言を否定するための「独生女批判理論」以外の何物でもない。それどころか霊界からのメッセージを取り出しては、霊界では他宗教人たちと違い「統一食口たちは、最初から大部分が神様と呼吸することができる位置にいます」と書かれていながらも、家庭連合(旧・統一教会)の祝福を受けたとしても地獄へ行くしかないと断言していた。これでは家庭連合に限らずどの宗教を信じても「救い」はあり得ない、信仰自体が無意味だというのが師観氏の考えである。「宗教はアヘン」、共産主義思想がアリアリだ。それを宗教者は受け容れることができるだろうか?以前は tomy4509 は師観氏のブログは「羅針盤のない漂流船だ」と書いたが、どこにも救いを見出すことが出来ない「地獄行」へ直行している方向性が見えてきた。読者の方々は、その師観氏に付き従って行きたいと思われますか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.02
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前回は唯物弁証法の矛盾の法則について説明しました。卵の殻と中のひよこが戦って、ひよこが勝つことで新たにひよこが誕生する、という理論でした。マルクスはこの理論で暴力革命を正当化しようとしました。しかしこの説明はでたらめです。卵の殻が破られたくないと思っていて、中のひよこは早く出たいと思っていると共産主義は言いますが、いったい誰がそんな声を聞いたのでしょうか。今回は、唯物弁証法に対する批判とともに、その代案を示します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.01
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【保存版】削除された『独生女に関するお父様のみ言葉』https://kimuchi.muragon.com/entry/484.html【投稿者:tomy4509さん】コメント本文:「CARPで学んできた原理とかけ離れた、「独生女」問題に対する10の質問」では、お母様お一人の「独生女」発言にのみ言及しており、過去に最初にお父様が語られた「独生女」のみ言が一つとして見当たりません。お父様のみ言では180回ほどそれがあるとのことです。それをご存知でしょうか?A: お母様が無原罪で誕生したというだけで既に非原理的です。そしてお母様はお父様が原罪を持って誕生されたと本当にそう考えていらっしゃいます。(意味不明?)ですが、三男派の方々はお父様のみ言を隠しては騙しておられないでしょうか(?)https://plaza.rak... (意味不明?)【Kimuchi 回答】お父様の語られたられた「独生女」のみ言①「先生は堕落した血統に生まれ・・・という、そのような考えした人は狂ったものです。原理がわかっていません」(2009年5月17日 み言葉選集 611巻307頁)②「文総裁は堕落した世界の血統とは関係ありません」2005年4月15日み言葉選集492巻③「先生は歴史時代の堕落した血統の起源を超えて出発したというのです」(2005年7月6日み言葉選集500巻)④「皆さんはサタンからきて、先生は天から来たというのです」(1999年年10月19日み言葉選集220巻)⑤「お母さまも堕落した天使長の血統を受けた人です」(2003年10月1日み言葉選集419巻102頁) ⑥「皆さん、お母様は生まれた時からお姫様のように生まれ、お母様のように再臨主の婦人として生まれたと思っているのですか、言ってみてください。堕落した血統に生まれました」(み言葉選集461巻26頁)⑦お母様がどれほど大胆なのかわかりません。原理原則をちゅうしんとして天の国の天法生活に入ると、すぐにでも引っかかってしまう状況が沢山あることも知らずに勝手なことをしています。(中略)堕落した女として、どうして真の父母様の婦人の位置にも立ちますか。真なる僕の夫人の位置にも立てず、追い出されます。そのような人を連れてきて神様の夫人の位置に建てますか。(2009年7月12日み言葉選集614巻28ページ「カインとアベルの戦法」天正苑)---ただいま工事中---『【Kimuchi 回答】お父様の語られたられた「独生女」のみ言』となっていましたが、どれ一つとしてお父様が語られた「独生女」がありません。私tomy4509が申し上げているのは、お父様が語られた「独生女」です。お母様が初めて語られたものではありませんでした。2017年2月22日のブログ記事「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」は、声明文を出して三男派へ行かれた前能登教会長・郭炳憲(カクビョンホン)氏の最後の礼拝内容について書いたものですが、彼もまた、お父様のみ言からの「独生女」一つとして語らずして在籍期間の2年間にわたって「独生女批判理論」を繰り返していました。私はそれ聞きつつも黒・天聖経に書かれたお父様のみ言の中にある「独生女(一人娘)」を2016年8月から提示していたのですが。以下は、天聖経(黒表紙)韓国語版のP.177の記載文からの「独生女」です。kimuchi氏の引用例は「独生女批判理論」のために用いられたものであり、それらには「独生女」一つありませんでした。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.06.01
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