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「先生をどれくらい必要としているか」1986年1月2日韓国・漢南洞 先生の必要性の確立 本当に日本に先生が必要ですか? (「はい。」)日本のメンバーに、日本の統一教会に、あなたたちに必要ですか? (「はい。」)どのくらい必要かというのです。先生がどのくらい必要か、それを少し考えてみましょう。 あなたたちだけに必要か、それとも自分の家庭を合わせた大きさに比例するくらい必要か、それから一つの国家の県に匹敵するぐらいの必要性か? それとも日本の国を中心として比較できるような必要性か、それともアジア全体、世界全体、天宙全体か。必要とするその限界はどこか、一つ聞いてみましょう。これはもう、ごく簡単な質問に思ったら大間違いです。 一体先生がどのくらい自分に必要か? 重要な問題です。自分にどのくらい必要であり、日本でどのくらい必要であり、アジアにどのくらい必要であり、世界にどれくらい必要であり、後世に、霊界に行ってどれくらい必要か? それをみんな指図(さしず)して、こうこうこう、同じ条件になるから、個人的立場、あるいはどういう立場に立ったとしても家庭はこういうような利点があるから、こういうふうに家庭自体がその歩調を合わせて行く。 日本の国にはこういう必要性があるから、日本の国にまとめて、これはこういう教え、アジアはこう、世界にはこうこうと、理論的でなければならない。他の事は考えてはいけません。「自分は何かの技術を持っている」と、技術を専門的に考える人は、それ以上は先生を必要としない。問題はどこか、限界はどこか? それを各自、各限界において、その基準をちゃんとあらかじめ理論的に処理しておかなければ、あなたたちの行く道はムラが多い。下か時界たり上がったり、ジグザグに行ったり来たりするのです。 「統一教会の者は、皆今から自分の為に働け!」と言えばみんな喜ぶでしょう。「統一教会はいいけれども、自分を犠牲にして、他の事をやっているから嫌だ」とみんな言うのですね。なぜそれが嫌いかと言うと、それが分からないのです。自分の利益の基準は一体何を中心として言うか。自分という利益の基準は一体何か? 自分の衣・食・住ですか? 生活問題ですか? 生活問題を中心として見た場合、自分の生活問題、各家庭の生活問題、これはいつも人間を中心としては環境を持っているところです。いつも持つべきところです。 しかし、先生という人に会う事は、いつもできません。先生と会って、こういうような因縁で自分たちが関係を結んで働くようになったこと自体は、いつもはできません。これは歴史以前にもなかったし、今後以降の歴史にもない。人類歴史にたった一回しかない。先生が百歳生きれば、一世紀期間しかないという結論です。永遠の人類歴史過程に、百年未満のその期間だけが、そういうような期間であるということを考えてみなさい。 そういうような先生に向けて、自分の生活という関係、条件で比較すること自体が恥ずかしいどころではありません。自分の生活問題、自分の一家庭を中心として比較して、先生が必要だという観念を持つ事自体が恥ずかしいのです。 考えてみなさい。それは先生が、本当に歴史以来、人類を救う為の神創造以後の堕落世界に向けて、救いの御手を伸ばして以後、堕落限界圏で何回もしくじりを繰り返しながら、一心に神様に願い求めて、数千万年の歴史以来、一点がまとめられて表示された自分だと考えて見た場合に、そういうような事が事実だとあなたたちが信仰基準を立てたとするならば、自分を中心としてどれくらい必要か比較する事自体、家庭生活とか、子供とか、一家はどうだとか考える事自体が話にならない恥ずかしいことです。新しい八十六年を迎えて、我々の観点からもう一回、これを訂正しなくてはなりません。 「日本が救われるために先生が要る」それも恥ずかしい。天宙を救うための目的観念を持っているその主体者を中心として、日本ばかりを救うという思いは恥ずかしいことです。これは宇宙を侮辱する恥ずかしいことであります。 なぜこういうことを言うかというと、今まで先生は生涯を賭けて侮辱されて来ました。地獄の生涯を残しています。乞食のような立場で、救いのために苦労したその背後のことを考えてみた場合には、天的全般的な歴史を通して、摂理観の完成という一点を求めるために先生を送ったという基準から見た場合には恥ずかしい事です。今からそういう原則を早く立たせて、新しい方向に進んで行かなければいけない時代に入っているのです。 それで先生がどれくらい必要ですか? 日本全体をもってしても先生と代える事ができません。世界全体を捨てても、神様と代える事ができないというのです。そういう観念が徹底しないと、あなたたち日本人とか、韓国人とかが、いつも往来しながら、「韓国の地に観光しに来たねえ」と、こう言うというのです。先生がなしているその目標に一致する基準は、こういうような堕落圏の因縁で結ばれた関係に立って支配すべきではなく、その何十倍、何百倍です。堕落した宇宙の歴史の頂点に、それを担うような頂点を考えるべきであって、今まで我々が考えてきた、その起点自体が恥ずかしい事です。もう一度これを整理しておかなければなりません。 もしも、神様の方から見た場合に、「ああ、日本を救う為に先生が必要です」というような決意で努力すれば、一生懸命働くようになるね。天宙より以上の必要性です。同じ日本に要して一生懸命に働くとするならば、神様は誰を助けるんでしょう。答えてみなさい。誰を助けてやるでしょう? 日本の為に一生懸命働く者たちを助けるか? 天宙の為にという思想のもとに立って働く者たちを助けるか? あなたたちが神様だったら。(「はい。天宙。」) それだからと言って、日本を捨てるというのではありません。日本の地において効果的な、天が焦点をいつも合わせて向ける事のできる立場をとるにはいかにすべきかということは重大な問題です。自分自体がそういう自覚をして、先生の必要圏を確立させて立たなければ、天宙の核に立って神を動かす事ができません。これをはっきり我々は分からなければなりません。 家庭基盤造成のための十四年間 先生をどれくらい必要とするか? きょうあなたたちにはっきり言っておきます。日本の国をエバ国家に、先生が神に推薦して決定しました。キリスト教文化圏が果たすべきですから、イギリスがそういう立場に立った場合には、先生は苦労しませんよ。もう既にアメリカはイギリスの話を聞くようになっているというんです。キリスト教文化圏が反対したから、仕方なしに日本を立てました。それはサタン圏に立った枢軸国家圏です。雑多神は神側ではなくサタン圏です。 こういう事を考えて見た場合に、キリスト教が使命を果たせなかったために、先生が追われて、行く所を足止めされ、東から西に移動して橋を結びつけるべきだったが、東洋を通してしか道がないから日本を推薦しました。 それ故、ドイツを捨てる事ができません。イタリアも捨てる事ができません。先生は七カ国を祈祷しています。もしもキリスト教文化圏が立ったならば、その時もう既に、アメリカとイギリスとフランス、その三国は中心としてすべてが治まったはずです。 だから、そのようにして歴史は一周して、先生はアメリカを中心として、ずうっと今までキリスト教文化圏二つをまとめなければなりませんでした。これはカイン圏だから、統一教会を中心として、カイン・アベルが一つとならなければならない。二つが一つにならなければ、母を引き付ける事はできません。 今復帰路程においては、アメリカとキリスト教会とが、カイン・アベル蕩減基準の上に一つになって、父母様が立った場合にそれでおしまいです。それができなかったために、ずうっと荒野に追われて、先生自体一個人の立つ所を得るために、家庭を揃えるためには四十五年から六十年まで満十四年間かかりました。そうでしょう?蕩減復帰の家庭的、イエス様の第二番目の七年と同じです。四月を中心としてね。十四年間の、自分一人の勝利圏をもって、イエス様が追われて来た国内基 から迫害を受けながらも、家庭基盤を造れなかった事を蕩減しなければなりません。 それから、その家庭基盤は、国家基盤の影響のもので、統一教会みたいな精神でなければ韓国の国が成り立たないという伝統を敷くために、ずうっと統一教会が苦難の道を歩んで来ました。統一教会を苦労させて全国的に愛国運動を行いました。「絶対統一教会は必要だ。イスラエル民族のためにユダヤ教が絶対必要であったと同じように、韓国においては宗教たりものはいろいろあるとしても、統一教会以外にない」と言うような、内外共に認めるような活動をしなくてはなりません。それは、みんな蕩減復帰です。そのまま、ただできるのではありません。 だから、日本を引きつけたのは、七十年代からです。先生が七十年から七十一年、七十二年まで全祝福家庭を総動員しました。それは韓国において、家庭のためのアベル圏を立たせて家庭カイン圏を救出する作戦でした。その時に、祝福家庭の子供たちが犠牲になりました。それまで、何とかして基盤を作って、生活を盛り上げたものをみんな崩壊させて祝福されて生まれた子供たちを孤児院に入れたり、自分の親戚の家庭の向こう側に捨てて行ったり、いろいろな事をしました。 その時は韓国の政界、財界、指導者たちは、「そんな無慈悲な文先生、統一教会の指導者がああいう事をやるから駄目なんだ」と言うふうに陰口をたたかれるほどでした。しかし、三年後には国民全体が頭を下げました。家庭を犠牲にしながらも、国を救う愛国心の運動に全部が頭を下げました。 そういう基盤を作りながら、七十一年からアメリカ開拓の運動を始めました。七十二年を終えて七十三年まで、ずうっと家庭的国家的基準を連結させたのです。だから、七十年代から日本を連結させました。あなたたちは、ただもうすべてが成されると思ったら大間違いです。先生一人として、韓国の国民として立つには、イエス様と同じように、ユダヤ教とイスラエル民族が一致して一つにならなかったその基準を復帰するために、全国民が反対すると同じように、キリスト教が反対しました。当時キリスト教政権でしたが、政府と一つになって統一教会に反対する者たち全部の方向を正さなければなりませんでした。 迫害のまっ只中での聖婚式 そういう運動をずうっとやって来ながら、七十年代に入って初めて家庭的基盤を蕩減したのです。それから国家的家庭基盤蕩減条件を立てて、世界的家庭基盤を連結させる時が来たので、日本の影響圏を立たせました。だからみんな摂理的です。ただで上がって来たのではありません。十四年間の、六十年までの先生の迫害というものは、言うに言えないほどの悲惨なものでした。山に行っても、野原い行っても留まる所がない。イエス様が、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言われた、それ以上の立場でした。 考えてみなさい。先生が大邱に行った場合には、警察を総動員して先生を探しに来る。一カ月に十三回も引っ越しています。そういう戦いをしながら個人的基盤を復帰しました。イエス様もそういう環境内で反対されたでしょう。ユダヤ教と国が反対しました。反対される内でもって、それを蕩減復帰しなければなりません。その時ちょうど、摂理的には国家全部が反対しました。 その時、余りにも迫害がひどく、統一教会を出た者たちがたまり切れなくて、自分の身を保護する環境作りを迫られたのです。それで、いろいろな者たちが、それもちょうだ十二人が会して、「統一教会はああだこうだ」と噂して、自分は統一教会に反対するとして告訴したのです。 そのため、先生はずうっと尋問を受けながら、六十年の聖婚式を行いました。聖婚式の前日は、十二人の連名をして反対する陳情書の内容の尋問、調査を終わって帰って来た日でした。イエス様自体も十二弟子が反対しました。みんな蕩減の道を通過しなくてはなりません。あなたたち、そういう話を初めて聞くでしょう? (「はい。」)それは韓国の人も分からない。 そういうふうにして、聖婚式をする時も問題でした。全部誰も分からない。それから、三十六家庭の聖婚式が段々問題になって来ました。夜明け方、昼、夕方、三回結婚式をやる。みんな外ではもう喧嘩でした。蕩減復帰において、家庭編成をする時、いろいろな複雑な内容を持っているのです。それを蕩減し得る内容の者たちも、みんな門を開いてあげないと、そういうような家庭が将来救われる道がありません。蕩減の道を開いていかなければならない。だから、いろいろな問題の家庭の背後を抱えながらそれを解決するのです。それでも社会はいろいろ反対して来るし、悪辣な悪宣伝をしたのです。 そして、七十年を中心として、七十二年までの三年間に統一教会の祝福家庭すべてを動員して越えて、全国家、全家庭が統一教会のような家庭にならなければならないと、また統一教会の家庭の伝統的精神をもって、国を救うためには自分の家庭を滅ぼしても国を守らなければならないというような、家庭的アベル圏を持たなければ、カイン圏の基準を引っ張ってくる事ができません。 先生の指揮の下で その基盤を作って、先生がいよいよ日本と接続させると共に、アメリカとの連結運動を始めたのです。七十一年を中心として、本格的に七十四年までずうっとアメリカ巡回講演をしながら、キリスト教会を連結させなければなりませんでした。韓国でキリスト教会が反対したのに、アメリカ自体は反対したことがなかったのです。だから、アメリカ自体で歓迎を受けて帰って来て、受け継いで来ないというと、アメリカに通じる道が生まれてきません。 そして、韓国の国をずうっと蕩減基準を立たせて、アメリカに連結させる時に、エバ国家日本を通じて行くのです。アダム国家基準を蕩減する時は、日本を蕩減したらまずいというのです。原理的ではありません。分かりました? (「ええ。」) だから、七十二年、家庭を動員すると共に、そういうような連結関係を組んで、先生がアメリカ向けの作戦をするとき、日本人を連れて行ってアメリカの国を救うのです。アメリカに行くにはエバがなければならなかったのです。本当はイギリスがエバです。イギリスが立った場合には、アメリカは自動的に立つべきなのに、イギリスの代わりに日本を選択したために、先生がアメリカへ行く時に、日本人を連れて行かなければならなかったのです。分かりました? (「はい。」) そういうふうにして、日本と韓国、アダムとエバが組んだ場合には、アベルは自動的に一つにならなければなりません。これは原理的です。父母様を抱えた、父母様に侍ったその弟の権限は、カインに向けて堂々たる態度をとることができる、摂理的に優位になる立場に立っているというのです。分かったね、何の話か? 今までは父母がいなかったのです。 韓半島と東西ドイツ そういう伝統的精神のもとで一つになって、アメリカへ行ってキリスト教会に影響を及ぼす。そうしながら、ヨーロッパを教化するのです。ヨーロッパから見て、神の前に日本がエバの方に選ばれた場合には、ドイツはアダムの方に選ばれた立場に立たなければなりません。だから、ドイツとイギリスとフランスを組まなければなりません。そういうふうになっているのです。 摂理的に日本をエバの国として立たせたことによって、最後にはドイツの問題が残ります。今アダムである韓国が南北に分かれました。本当はキリスト教文化圏が一つとなって、こうして分かれるべきではありません。 このように分かれて二つになったために、その代わり、神の方のエバ国家とアベル国家が、それは元の位置に立つ事はできない。日本をエバの代わりに立たせて、アメリカをアベルの立場に立たせる。カインの立場に立つのはこれはドイツなのです。 だから、韓国が南北に割れて、反対にドイツは共産主義を中心として東西に分かれている。それはなぜか?キリスト教のためです。第二次大戦後、アメリカとキリスト教が一つにならなかったために問題になって、このように分かれるようになったのです。韓国自体が世界的に問題になりました。アダム国家が半分に分かれ、サタン圏であるアダム国が東西二つに分かれたのです。 だから、今西ドイツは韓国と違う。東と西とが通じるのです。それはサタンに近い。韓国がそんな事をしたら駄目です。縦的南北が中心だね。サタンが今上になっている。これを自由にしては駄目です。自由にしたら再びサタンを引き入れる事になるから、これは絶対に自由にできません。でたらめに行ったり来たりできないように板門店で神はそれを制限しています。 しかし、今の北韓は南韓を飲みこもうと、自分の経済や国家の目的やその他を抱えています。それを中心として政治工作ばかりしています。それで、間諜(かんちょう)たちももう浸透しているのです。なぜかというと、南の方にもサタン圏があり、南の方にもカイン・アベルがあります。サタンに尻尾を振って付いて行くような者がいるから、そういうような基盤を中心としてやって行きながら、サタンの工作は、南のキリスト教の信仰をいかにして薄らげて行くかということを狙っています。だから今、韓国だけは、神がキリスト教の信仰運動を世界的に最高の位置に立たせて守っています。だから、今問題は、共産主義解決は韓半島と東西ドイツ、この二つを解決すれば世界はもう問題ありません。 家庭的カイン・アベル圏の蕩減 それで今先生は韓国を中心として、失った第二次世界大戦後のキリスト教と、キリスト教文化圏の民主主義を再び探し求めなければなりません。その国二つがエバを迎えて再臨主を迎えるべきことが原理なのに、反対されたためにそれができなかったんだから、韓国内でカイン・アベルを整理するのです。韓国内でカイン・アベルが生まれるべきではないけれど、反対したので、カイン・アベルと分けて、二つが一つになったという基盤を造らなければ、先生が足を下ろす事ができません。カイン・アベルが双子のように生まれたんだから、エバは何とかして、神の立場で双子が生まれたと同じような蕩減条件を復帰しなければならない立場にいます。 それで、韓国内において先生を中心として見れば、先生は親ではなくアベルの立場です。韓国の統一教会がカインの立場で一つになる。一つになって教育して、「あなたたちはこういうようなお母様を準備しなくてはならない」と教えてやって結婚しました。そうして祝福した後に、結局、祝福家庭と祝福しない家庭が、カイン・アベル家庭に分かれてしまう。カイン・アベル関係は、いつでも創造原理がそうなっています。人間構造は二重になっている。いつも内外的な位置は守られるというのです。 こういうふうにして、先生を中心として、韓国内で家庭的カイン・アベル圏を蕩減した条件を三年間立たせることによって、家庭基盤が作られた基準の上に、アメリカへ行く時には、それは世界に通ずるのです。イエス様の場合には、家庭的にローマへ大移動しなければなりませんでした。しかし、歓迎されるべき環境において移動すべきなのに、反対されて来たというのです。 エバの行くべき道 だから、それを開拓して行くには、韓国からエバ国家日本の国と、ヨーロッパの国と全部を一つにしなければなりません。ヨーロッパの国は、アベル圏であるアメリカに対して結局カイン圏です。だから、主なる国がイギリスとフランスとドイツ、イタリア、こういう国からまとめて、ずうっとアメリカへ投入して一つにさせる運動をするのです。 運動をするのに、先生の精神の伝統を誰が立てるか?アダムが結婚をした後に、子供を教育するのは母親の統命です。先生がアメリカに行った場合、日本人がお母様の立場であるから、アメリカ人はアベルです。ヨーロッパ全体から見た場合にはドイツはカインです。エバはその双子を一つにさせて、旦那さんの方に向けて、天に向けて返さなければ天に帰る道は生まれて来ません。それが復帰の道です。 だから、エバは死を迎えても、カイン・アベルを一つにさせなければ、エバが神に帰って行く道は生まれてきません。長男と次男は喧嘩をする立場ですが、エバがカイン・アベルを一つに結んで、この二人の子供たちを自分のおなかの中に再び入れて、怨讐同士のカイン・アベルが喧嘩をするべきところを、アベルが先に生まれたというように、アベルが長男として生まれなければなりません。 結局エバがなすべき事は、アメリカにおいてアベルの立場にあるアメリカ国民を中心として、ヨーロッパのドイツ人を連れて来て、完全に頭を下げるように教えてやらなければならないのです。それが日本国民が摂理的に任された使命です。 だから、アメリカに来て今苦労するヨーロッパ人を、アメリカ人が侍るようにするのは摂理にあった話です。しかし、アメリカのために苦労するために来たドイツ人は言葉も通じません。何も通じないヨーロッパ人たちをして、アメリカに絶対服従する方法をいかに教えるか? 日本人が先に立って、文句なしに奉仕しなさい。それが今まで先生がアメリカに来てやっている仕事です。その期間、日本は世界的経済国家になるのです。八十年代に向けて、日本は最高の経済国家圏として神は祝福をするというのです。 それで、母の立場だから、乳は誰が飲ますかというと、母が飲ませるのです。だから、アメリカの教会すべて、ヨーロッパの教会すべてまでも、母が血を売ってでも育ててやる新しい伝統が造られるのです。新しい天的伝統を造らなければならないのが日本の使命です。これは原理観です。間違いありません。それで日本人自体は、一身はさておいても子供に乳を持って来て飲ませるように働きかけなければなりません。 一銭でも節約して、乞食になってでも、アメリカとかヨーロッパを援助しなさいというのです。それはいつまでか? 子供が成長して一人前になって、「お母さん、どうぞ私が身代わりをしますから、そういう苦労はしなくてもよろしゅうございます」と言うまでです。 神の愛の国の伝統 本当は、先生は三年間延長させるようにしました。日本人は外国でも言葉が通じないから、二人が会うと隅の方で、「こそこそこそこそ」。三人いれば固まって、「こそこそ」。今までそういう事をしてきました。そんな事するからアメリカ人に嫌われるというのです。 それから集まれば、「おお、日本人でなければならない! 先生がエバ国家として立たせた。これはもう、子供国家には絶対服従しなさい」と反対の事を言っています。伝統を教えてやって、彼らが願って侍るべきなのに、来る途端に分かりもしないのに「えい、やれ!」と言う。これはもう反発されざるを得ません。これはみんな怨讐です。 日本と韓国、これはもう怨讐になっています。堕落したアダム・エバは怨讐になりました。それから父数々子供、アダム・エバとカイン・アベル自体も全部怨讐です。怨讐同士が集まって、神の愛の国の伝統を作り上げなくては、天国実現という本来の創造理想にあった、神中心とした愛の国の家庭の出発をなす事ができないから理論的です。これは原理であって、先生の作り話ではありません。蕩減復帰路程がはっきりしています。 先生がダンベリーに入ったのも何のためだったか?「ああ、白人種が使命を果たせなかったから、アメリカが悪かったから」、そうではありません。日本が使命を果たさなかったからです。先生はそこまで考えています。日本人がアメリカへ来て、使命を果たせなかったから。 たとえ蹴っとばされても、涙を汲みながら、「お母様、お母様!」と言って走って付いて来るような、心情圏を巻き込まなかったから、サタンは侵入するのです。分かりました? 子供は親に殴られても、泣きずりながらでも付いて来るのです。それから、殴られてもすぐ忘れてしまう。ところが皆心情圏どころではない。アメリカに一年ぐらいいた場合には、隅の方へこそこそこそ、皆逃げて回るんだからね。 エバという立場は、これは幅を広げて、抱き合って、涙を汲み上げながら愛でもって溶かす、そういう事をなすべきなのに溶かすどころではない。先生がいるからできるのであって、エバの使命を果たす事は絶対できません。先生がみんなカバーしているのです。たとえば、問題があった場合には、母が誤ったとしても、本来子供が孝行を尽くさなければならないという立場です。 アメリカ人のメンバーが誤っても、それに対して復讐とか、反発とかいうどころではない。子供の立場に立った場合には、それを認めて、親の痛いところを、怪我のところをカバーして自分が打たれなくてはなりません。不平を言うことはできません。そんな事を中心として基盤を造る。分かりました? (「はい。」)名前だけ威張っては駄目だと言うのです。 ぼろの着物を着ながら、腹が減って乳が出なくて、割れて血が流れるようになってでも、自分の乳を作って育てながら、親に対しては涙の孝行を尽くすような子供を作りあげるまでは、日本は逃げる事はできません。はっきり分かりました? (「はい。」)きょう先生がはっきり教えているのです。伝統を立たせて行かなければなりません。 すべてを捨てて全体動員 それで、先生が今までアメリカに渡ったのは、堕落のために蒔かれた種子が、怨讐国家を中心として、国家基準において実った、それを一つに全部まとめることによって、神の心情圏をして、アメリカ人がアメリカを愛する以上の御旨、ドイツ人を中心として、アメリカにおいてドイツを愛したより以上の心情圏をなすためです。日本人もそうです。そういう基準を敷いて、以上の新しい統一心情圏をなし得て、これが完全に一つになったところにおいて初めて、天国個人、天国家庭、天国氏族、天国民族、天国国家が生まれてきます。国家を代表して集めて、その伝統を立たせた場合には世界的になります。 それをなすまでの使命を先生は果たさなければなりません。それができなかったから、先生がアメリカに行ってダンベリーに入る事によって自分の国以上に、先生は誠を尽くして、涙を流して一つになり得る蕩減を成し得たということは偉大です。先生が蕩減しました。 それで今度は、出た直後から百二十日間、四カ月間に、すべてを蕩減した基準の心情圏てもって再び全国に焼き付けていくのが今の運動なのです。すべてを捨てて全体動員。今度動員しなかったら大変な事になります。 それで、アメリカでどういう運動をするかというと、既成教会とアメリカの民主主義の政権自体が、我々と一つの動きになってこなければならない。そうしないと、第二次世界大戦後に世界を動かすだけのキリスト教文化圏と民主主義圏が反対した基準を復帰できません。それを対外的に成した結果において先生は、今度帰ったのは勝利です。 堕落以降、アダム・エバ、カイン・アベルが全部怨讐圏です。そこから怨讐国家が生まれた。だから代表的な一つの国で統一心情圏を、心情的に一つに結合しなければならない。それから、キリスト教と統一教会がカイン・アベルの一体化した基盤の上に立ったので、韓国で第二次世界大戦直後にキリスト教が反対した基準を復帰したのだから、反対したキリスト教圏は救われるんだね。統一教会とキリスト教がカイン・アベルとして一つになって、それがアベル圏となり、国家の中心と一つになる場合にはそれでおしまいです。 そうした場合には、第二次世界大戦後、世界的なキリスト教文化圏と民主主義がカイン・アベル圏として、父母が立つべき基準を失ったのを、再び四十年後に求めて立つような、その基準が内的に立つのです。 だから、四大国家圏の怨讐を蒔いたその基準が、このアメリカの地を中心として、アダム・エバ、カイン・アベル圏が心情一致した世界的基準結束基盤において、サタンがキリスト教を通して讒訴した、反対したものが後退するのです。アメリカを中心として反対して後退した場合には、アメリカの指揮下にあるすべての西洋が包まれてしまうのです。アメリカが問題だね。 そういうような内外の蕩減条件を地に結束させる基盤を抱えて、新たにこれを韓国と結びつけなければなりません。韓国で一九七五年を中心として、国際機動隊を中心として、こういうふうに基盤を造って来たのも、世界に向けての国家的基準、霊肉共の国家的基準のためでした。世界基準においては、次々世界的勝利圏をつないだ場合には、今度先生が来た場合はこれはもう時が違います。「統一教会の先生、文総裁でなければ何もできない」。そうなってしまうのです。 中間圏がなくなってしまった だから八十五年と八十四年。四十年の峠を越えれば、これはもう既にカナンの地に入っています。入ったから国も反対しないし、アメリカも反対しないね。三十一の怨讐国家(ヨシュア記十二章九~二十四節参照)がないところに入ったと同じ基準です。だから旗を上げて、今はもう四方八方、我々が動く事に比例して、統一教会圏はどんどん拡大します。 今から三年間でアメリカとか、韓国とか、日本とか、勝敗をきれいにつけなければなりません。分かりました? (「はい。」)重要な期間です。ああ、先生一人でこういうふうにして、ここまで来たんだと考えてみなさい。それを誰かと相談しながら、誰かに任せてやることはできません。アダムの権限、アダムの主管圏を蹂躙された、それはアダムが蕩減復帰しなければなりません。だから、今はこういうような勝利圏の心情圏を作ったんだから、今から我々が結束させるものは我々のものです。世界的蕩減基準をもう終えているからサタン讒訴圏と関係ありません。 それでその間において、結果主管圏と直接主管圏の心情圏を復帰するために八十四年、八十五年、三年間、この期間を中心として、興進様の昇華式とか、先生がダンベリーへ行くこととかですべての蕩減を終えました。今までは、平面圏を中心としてサタン自体が結果主管圏に入って来たために、讒訴圏があったのです。しかし、今や結果主管圏も直接主管圏内に上がり、もうサタンが侵害する事ができません。この民主主義圏外はサタン圏です。共産主義は反対します。しかし、民主主義は、もう既に結果主管圏のラインが平面的に直接主管ラインに通ずるようになっているから、サタンの侵入圏がありません。だからサタン自体が讒訴する事ができません。讒訴した場合は即時にやられてしまいます。 直接主管圏に通じるようになったので、霊界の善霊たちが直接降りてきます。分かりました? この一線を中心として、直接行ったり来たりします。真の父母を中心として心情圏を造るのです。 きのう祈祷した通り、きのうからそういう運動が生まれてきます。興進様とイエス様はなぜ分身になったか?地上で生まれて来た者で、真の父母の心情と関係を持って生まれて来た者は一人もいません。イエス様自体にもないというのです。だから、地上に来るには、もともと真の心情圏を通過した者が地上に来る権限があるけれど、真の父母の心情圏を通して生まれた者でない者が地上に来られる道はありません。 それは何かというと、イエス様自体も真の父母の心情圏に通じていませんでした。だからこれを連結するために、真の父母から生まれた興進様を霊界に送るのです。それとカイン・アベル原理があるから、イエス様はカインであり、興進様はアベルであり一つです。横的に一つになる事によって、それが降臨するには、興進様の相対が地上になければなりません。相対圏を通過しないと天国運動ができません。イエス様は相対圏を通過していないから、楽園にしか行っていないというのです。天国に入る事ができません。原理がそうなっています。興進様も相対圏を造る事によって、天国に入り得る通路ができるのですね。 それで、結果主管圏が完全に蕩減されて、直接主管圏に一致された場合には、サタンの讒訴圏がなくなってしまいます。そうなって、心情基準を中心として興進様とイエス様を中心として、百二十国家の王権復帰目的でもって、今、その国の主権、大統領になっていたり、王様になっている人に霊界でみんな援助します。イエス様と一体化運動をするのです。 イエス様と興進様が一体化した、その基盤にあるキリスト教文化圏で死んでいった善なる忠臣とか、孝行なる者は、みんな地上の王権を中心として、貢献した霊人たちを連れて来て、現実の地上の国の王権を中心として援助します。演じよしてどこへ行くかというと、真の世界的王権の樹立のために、四方八方から援助させようとするのです。 今度先生が韓国に来て、国と世界をつなげる事によって平面的に真の父母と国と世界に通じるから、中間圏がなくなってしまいました。サタンが活動する道がありません。全面的霊界活動が公開されました。完全に道が開かれたのです。そるすると、善なる比例によって、中心圏を中心としてこういうような点でもって、人類はずうっと上がって行く事ができます。そういう運動が出来るようになります。 神の主権復帰のための前進 だから、今から統一教会のメンバーたちは新しい時代を迎えているというのです。故に、恐れるべきものはありません。サタン世界を恐れるな! 恐れないで押しつけた場合には、押すことができま野。堂々と押すのです。重要な事は、誰か外部の人と相談してやるのではありません。真の父母の命令一発、それでいいのです。分かりました? (「はい。」)だから、今からそういうような時代になります。霊界と近い、完全に平面的につながるようになったから、間接圏が統一教会を中心として霊界と完全に一つになって、神の主権復帰のために前進を命令しなければなりません。総進軍を命令しなくてはなりません こういう時代になるから、今からどういう現象が起こってくるかというと、統一教会に対して反対しようとすれば身が縮まるようになります。恐ろしく感じる。恐怖心にかられる。統一教会を考えてやると気持ちが良いし、反対しようとすれば、これはもう恐ろしくなってしまいます。それにも拘らず反対した場合には、他の人が来て第三者が打つのです。 韓国は今から、既成教会が反対した場合には、団体的に攻撃されます。攻撃される事が、自分たちが罪を犯した蕩減条件になるのです。善の主権のために悪の者たちを処理した結果において、これは誉められるのです。そういう時代に完全に入りました。 昔は、「統一教会は悪い! レバレンド・ムーンは悪い!」と言って、自分たちはみんなそれに歩調を合わせて反対する気持ちを持っていたんだけれど、今からは反対できません。だから、あなたたち強く出よ! あなたたち、強く打って行って場合には、何でも消化する事ができます。そういう自信を持ちなさい。分かりました?(「はい。」) それで、先生をどれくらい必要とするか? こういう蕩減の道を、あなたたちが国を立たせてやることができるの? 日本の国を立たせて、蕩減復帰の道を開拓する事ができますか? あなたたち家庭を立たせて蕩減復帰の道を解決する事ができるの? 世界をかけてできる?アジアをかけてできますか? この地球全体をかけてできる? 宇宙すべてをかかてできる? あなたたち、これをはっきり知らなければなりません。 こういうようなくどくどしい伝統的蕩減の道をなぜ先生が話したかというと、先生がどのくらい必要かというその必要性を言わないと分からないから言っているのです。「ああといに自分がいなければ!」馬鹿な事言ってはいけません。あなたたちが再臨の主をやってみなさい。やりたい者はみんなやってみなさい。私は見物しますから。世の中がどういうふうに展開して、その解決をいかにするのですか。 世界基準でつなぐ 先生がきのう、興進様の第二周年記念日に祈祷したのは、興進様を中心としてイエス様の心情に一致すると共に、今まで統一教会の幹部たちが霊界に行って、それをつなげてやれなかったからです。なぜつなげられなかったか? 国家基準においてはつなぐ事ができません。世界基準でつなげなければつなぐ事ができないのです。国家基準は、イスラエル圏は長成完成基準です。イエス様の立場は長成完成基準であったというのですね。それは国が完全に一つになる関係を経て、完成基準に上がる事であって、それで、今までいくら劉協会長が霊界に行っても、喜進様が霊界に行っても、先生の子供だにつなげることができませんでした。今は世界的蕩減を得た基準が立ったから、興進様を中心としてすべてをつなぐ事ができるのです。 それで、統一教会のメンバーたち、祝福三十六家庭が初めて霊界に行って、自分の席に着いて、正し組織体制を完全に始める事ができるのです。原理はそういうように厳格です。でたらめになっていません。先生がそれをしなかった場合には、劉協会長が霊界に行ったんだから、「あなたがみんな責任を持ってやりなさい!」、それはできません。世界蕩減基準を果たした後につなげなければ、サタン圏で讒訴圏を越えた条件を満たしていないから迫害を受けるのです。 そういう面から見た場合に、興進様も二年間苦労していますね。先生は援助祈祷する事はできません。それは原理に違反するのです。真の父母が堕落圏を蕩減し、永遠に委ね、神に祈るという原理がエデンの園になったの? ない! 自分の子供をかわいそうに思っても、先生として、子供のために「神様、援助してください」、そういう祈りはできません。 原理観に一致した使命を 先生がどれくらい必要? この宇宙、被造物を固めて火をつけて、それを捧げものとしても、先生のやっている蕩減復帰の道と代える事はできません。今まであなたたち、「蕩減復帰だ、蕩減復帰だ」と言いながら、蕩減復帰をして来なかった。分かりました? (「はい。」)日本のメンバーを最初に集めて、訓辞を政えなければなりません。はっきりと教えます。日本に帰ったら、過去のような乱れた思いでもって行ったり来たり、あるいは横を向いてはいけません。はっきり心に刻み込まなければなりません。分かりましたね。(「はい。」) 先生の名前を呼べる自分自体が、生涯をかけた以上の感謝の念を持たなければなりません。直接命令を受けて、自分が仕事を担当してやるということは、これはもう言うまでもなく、比べものにならないほどの感謝の一心であるというんです。身に余る感謝の念に満たされて走らなければなりません。今まで勝手な事をした者に対しても、「こういうことをしなければならない」と言って、先生は中間的に命令しませんでした。サタン的愛にお生が命令するのではありません。 しかし、今は命令する。命令が下りた場合には、成せなかった場合、命に代えても成Ⅲ泣ければなりません。真剣な問題です。過去みたいにでたらめに、「先生がこうやったらいいだろう」とか、「仕方なしに自分たちは付いて行かざるを得ない」、そいうう思いだったらいけません。世界は、そういう時代はもう過ぎています。大統領たちが列をなして並ぶ日がもう遠くありません。三年ですべての勝負を決めなければなりません。 こういう原理観に一致した、その使命を果たし得るような日本にしなければなりません。だから、アメリカ国民を教育するのも、日本人を通してやります。日本人はそういうのが徹底していますね。旦那さんの命令に絶対服従するのが日本の女性でしょう? 襖の横にちゃんとひざまずいて、「はい、ありがとうございます」と。みんなよく訓練されています。そういう伝統的精神をアメリカに吹き込まなければなりません。 アメリカに来ている韓国人たちで、南米に移民した者たちは、国境を七つも越えてみんなアメリカに入ってきます。日本人にそういう事を、たとえやれと教えても、そういう事はできません。韓国人を教えてやらなくてもみんなやるのです。(笑い)そんなに違います。だから、ああいう者たちにエバを中心にやれというそれ自体ができません。(笑い)島国だから、旦那さんに追われたら逃げる所がありません。そういうような日本が今繁栄しているのは、日本のためではありません。世界のためだ。これを日本人が知らないんだから、何とか方法を使って日本の滅亡を防衛したいのが先生の願いです。 今はアメリカが日本の経済の首を締めようと考えているでしょう? 貿易問題ね。「貿易戦争!」とね。首を締めるには何で締めるか? アメリカはもう戦争はしません。外的には紳士のように見えるけれども、内的にはこれはもう一匹狼のようです。それで、日本をやっつけるには、政治的力を利用して南アメリカの原料資源を防備すればいいのです。それから、アフリカから入って行く台湾海峡を防備すればいいのです。それは可能です。今日の国で造るものは、日本で自家用で解決できるものは一つもありません。全部が外国資源に依存しています。大変な事です。 大変な問題を解決するために、既に先生は八十一年に第十回科学者大会で国際ハイウェイ敷設計画をもう発表しています。その時ハイウェイを造るという発表をしなかった場合には、今頃発表してもどれくらい効果があるでしょうか? 宇宙圏において自分の位置を知らない者は滅んでしまいます。いくらでしゃばっても、分の位置を知らない者は、台風が吹き荒れて功労を失って滅んでしまうのです。 先生はちゃんと、それを知っているから、韓国はこれしか道がないと決定したその通りに行けば、解かれていくのです。アメリカをずうっと蕩減復帰した場合には、先生の思う通りになります。それは原理でしょう? その基盤を完全に造りました。 神様を解放する道 今からラッパを吹いて、先生が総進軍命令を下したと言う場合には、誰が反対しますか? レバレンド・ムーンはレバレンド・ムーンでない。神の子供だというんですね。あなたたちのできない事を可能にするのがレバレンド・ムーンの特徴ですね。 今、先生の成し得た基準というものは、世界的基準から見ても、こう眺めて見て、見下ろすことができません。今まで神の摂理路程で何万遍も反対したこの世のサタン自体が、「おお、大変なお方だ」と言うようになったのであって、サタン自体が見下げるような基準ではないというのです。神自体も誇るべき嶺を作っているということ、これを覚えなければなりません。分かりました?(「はい。」)こういう、神よりも必要な内容を解決した親主(おやぬし)であるというのです。だから、神の解放は神自体ではできません。先生以外には、神の解放される道はありません。神ができない事をやっているのです。だから、神がやっても解決できない事をやっているということは、それはどれくらい必要か? 絶対初めであり、絶対終わりであるというのです。分かりました? (「はい。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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「天国創建の意義」1986年1月1日「神の日」午前十時ソウル本部教会にて 今、一九八六年が始まりました。きょうは神の日であると同時に、私たちにおいては新しい記念の日となります。そこで、今年の年頭標語は「天国創建」という内容て、神の日を記念すると同時に、皆様の前でしばらくお話ししようと思います。 先週(十二月二十九日)には、み言の題目が「神の摂理的総決算」という内容の話をしました。 この地上に、神の摂理が始まったのは、堕落したので摂理が始まったのです。その摂理は何の摂理かというと、救援摂理なのです。言い換えれば、失ったものを取り戻すことであり、これを統一教会の用語でいうならば、復帰摂理であり、再び探す、再び帰る摂理なのです。神のこれまでの摂理は、神の創造理想が実現されなかったために、神を中心とした生活的な舞台を備えることができず、その環境が展開されませんでした。それが今までの神の恨であり、人類の恨であり、万物の恨になっているのです。 ローマ人への手紙第八章を見ると「万物が嘆息している」と書かれています。この全宇宙被造世界は、被造世界ばかりでなく被造世界を創造した創造主までが、嘆息するようになったのです。それはなぜかというと、神の創造理想が実現されなかったからです。もし神の創造理想が実現されたならば、天国実現は自動的な道でありました。だれかが、天国をつくってくださいと言わなくとも、自動的に天国が実現され、その実現された天国の内容は、愛を中心として「為に生きる」、そのような世界でありました。それで天国が形成されるためには、必ず神が中心となって、堕落していない本然の真の父母がいなければなりません。真の父母というのは何かといえば、神の前に長子、長女となります。この長子、長女は原理においていっているように、造られるや否やすぐに、完成されるのではありません。幼い時から成長して完成時代まで、個体が完成するまで、成熟期まで待たなければならないのです。 最初は神の子女として創造されたアダム、エバは、神の保護圏内において幼い時から育って、成長するにつれて知能が発展してくるので、なぜ神がこの被造世界を創造されたかを知り、被造世界を通して教育されていくのです。被造世界が動いているのは、本来私たち人間の先祖となるべきアダムが、生活でき得るすべてを教えてくれる教材であったのです。一人の完成されたアダム、エバが、理想生活をするために通っていく標本であり、一つの博物館であったという事実を私たちは知らなければなりません。 被造世界の鉱物世界、植物世界、動物世界はカップルを成しており、鉱物世界のすべての原子運動を見るとそこには必ず相対関係を中心として授け受けしています。その関係から離れることのできない道理はここから始まるのです。このようなすべての運動は、植物世界も、動物世界もみんなそのように(カップルに)なっているのです。カップルを成して授け受ける環境から、発展的現象が展開されるようになっていたのです。それを見ながら成長するアダムとエバは知能が発展するにしたがって、神を中心として、神が父母であり、地上にいる子女が子息の立場になって一つの軸を成すのです。一つの軸となって円形、球形を形成するための理想を出発したのです。 それでアダムとエバは幼い時からだんだん自我をもつようになるにしたがって、男子は男子としてだんだん成長し、知能的基準が高まって、この世の真理を知るようになります。上下関係の垂直の前に、完全に九〇度、半分になれるその位置、中央線を中心としてアダム、エバの知能が発達して地上の事実を知るとともに、天上世界は天使長世界が常に(アダム、エバと)連絡しながら、霊界の事実をも知り、天の父母との関係まで全部、知能の発達とともに知るようになっていたのです。これが垂直を中心とした中央線に至るまでのその期間があったので、この期間においては神が直接このようにしなさい、あのようにしなさいとは言わないのです。万物をそのように創造したので、天使長の保護を受けながら成熟期までを待つ期間があったので、この時はこのような期間を通らなければならない、原理的にいえば結果主管圏ぜあります。すなわち自然の道理とともに、成熟するその法に従って、原理原則に従って自然的に保護するようになるのです。 だれが保護するかといえば、天使世界が保護して教育するようになっているのです。それで天使を僕として、アダム、エバが成長する過程で堕落したのです。このような過程、中央線にまで及ぶことのできる、この時までを、二十歳という距離をおいて成長しなければならないこの期間があるので、神は人間に警告せざるを得ないのです。「失敗するな! 失敗したらいけない」と。 今日、よく信じているキリスト教信者たちが、失敗とは何であるかといえば善悪の実を取って食べたことであると言います。それでは善悪の実とは何か? 果実であると言うのです。ところで、本然の人間においては、失敗することはできないのです。そのまま成長すれば自然に愛の関係を結べるように、既に教育を万物を通してやっているのです。昆虫の世界を見てもカップルをつくっているし、動物世界はもちろんであります。彼らが和動するにおいては、お互いが授け受け、お互いが相対のために生き、相対を呼び、相対を愛しながら生きていくその環境を見ているので、幼いアダムとエバは知能が発達するにしたがって、この世の道理を悟るようになります。そうすることによって成熟すればするほど、彼らの自覚は愛の知覚に接近していくのです。愛の知覚に接近していき、そして愛ということを知るようになればすべてが通じるのです。 地上世界の平面的な事実ばかりでなく、霊的な目までも開かれ、霊眼が開かれて、霊界の事実、立体的な世界までも知るようになるので、神とじかに接することのできる境地に至るのです。それゆえ、愛の知覚が発展すれば……。しかし、これを成す以前に堕落したのです。では堕落とは何かというと、不倫の血縁関係を結んだこと、これがこの宇宙を狂わせた根本原因となったのです。 もし堕落していなかったならどのようになるでしょうか。神は無形の神です。皆さんは霊界に行っても神は見えません。神の音声を聞くことができ、神がいることを知っていますが、私たちには見ることはできません。感じることはできますけれども、見ることはできません。このように無形の実体をもってしてはそれほど刺激的ではあり得ません。 それで人を造ったのは、より刺激を感じるためです。神様自身は何も不足なものがありませんが、ただ一つ必要なものが何かというと、愛のみが必要なのです。その愛をどのように探すか、神様一人ではその愛を成じることができないのです。愛を感じる素性を備えているにしても、一人では感じるようになっていないのです。愛はどこを通して感じることができますか? 相対を通して感じることができます。愛はどこを通してくるかといえば、相対を通してくるのです。これが原則であるから、神もその愛を必要とする立場に立って、そのために相対を必要とするので、相対的存在を造らざるを得なかったのです。その相対的存在として造ったのが、宇宙の中において何かというと人間なのです。 それで人間は二つの世界の媒介体です。縦的な立場に立って、実体世界と無形世界を連結させて一つに結合させるのです。そして、その結合させる力が何でしょうか。これが問題です。縦的世界は神が上になっているし、人間が下になっています。これが発展して中央線まで男性と女性が、男性と女性は中央線に向かう時に一番遠い距離を行くのです。四位基台から見れば、距離が同じです。この上の両辺と下の両辺の距離が同じです。その所が何かというと、男性と女性が成熟した所です。そこから平行に連結された直線を引くようになります。その直線を引くのにおいて、何をもって直線を書くかといえば父子の関係の愛の線を中心として垂直線を書き、平行線は主体と対象の関係、アダムとエバの愛の力を通して引くのです。このようにして、これらが結合することのできる焦点がどこかといえば、神と垂直線を中心として九〇度の角度でぴったり合わなければなりません。 その所に入ってもし二人が合ったならどのようなことか起きるかといえば、今日皆さんが天気が崩れる時に稲光と雷を見るのと同じです。この雷の音は何かといえば、陰電気、陽電気がぶつかるのです。合うのです。合う時において、その周辺の空気を押しのけて合うので、雷の音が聞こえるのです。そして光が出ます。天地のすべてをのみこんでも余りある光が出ます。それらのすべての自然の法則とは何でしょうか? 雨が降り、稲光が走り、雷が鳴るそれらは愛の象徴なのです。自然の愛です。陰電気と陽電気が合わさる愛なのです。見えないプラス(+)電気とマイナス(-)電気がぶつかることによって見える事実として現れて、この世のすべてを主管することのできる光の能力を発揮するようになります。愛が見えるでしょうか? 愛を見た人がいたでしょうか? 愛を感じることはあっても愛を見た人はいないのです。それは電気と同じです。電気と同じであるというのは、電気と同じような力の作用をするのです。 それで、男性と女性は、南北を軸とした父子の愛の前にこの軸は一つしかありません。軸が成長し始める時には、神が降りて来て、ここで一つになってはいけないのです。神は北極にいて、南極にいる人は全部探して上っていくのです。上っていくのにおいて、ここの成長にしたがってこの道に従って平行に上っていくのです。上っていけば神はそれに従って降りて来るのです。愛の心を中心として、いつも降りて来ることができるのです。それゆえ、アダムとエバの本来の愛の基は何かといえば、神を愛する愛なのです。神は父母であり、アダムとエバは子女であるために、子女の深い心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの愛ではありません。父母に対する愛です。神の心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの夫婦の愛ではなく、父母の子女に対する愛なのです。幼い子女のその本性の心に、愛が動くことのできる道ができたのは父母を愛する心からです。そうでないでしょうか。これが縦的な愛の心の基台の上に横的に東西に分けて、縦的な愛の標準の上に横的な愛の道を引かなければなりません。そうすることによって、縦的な神の愛が地上と連結すると同時に、このぶつかる中央線を中心として神の愛も東西南北三百〇度どこにでも通ずることができ、ここに子女たちの愛もこの場に来てどこにでも通ずることができ、男性の愛もここに来てどこにでも通ずることができ、女性の愛もここに来てどこにでも通ずることができるのです。 何の話か分かりますか? 中央との結合点というのは、すべての作用を総合して平均的に全体に連絡することのできる焦点なのです。それゆえ真なる愛は必ず一つの固定されたこのような中央佐を中心として拡散しなければならないのが原則です。これがもしこのようになっていたならば、神は垂直の愛を中心として人間とぴったり、一つの軸に固着されてしまうし、その次に東西に連結されれば、この相対的平行線が完全に九〇度の角度で中央線が決定されるのです。この中央線を神と人間始祖が始めたこの基準を、だれも、神自身もはずすことができないし、人間自身も離れようとしても離れることができないし、アダムとエバは新郎であり新婦であるこの平行線の基準を自分勝手に動かすことは絶対にできない、絶対的基盤となるのです。それでこの焦点を中心として神も人間に会おうとし、子女も神に会おうとする父子の相い合うその焦点、これが共通分母です。それから男性と女性が会うことのできる共通焦点が、この場に入って愛とぶつかるようになれば完全に球形を中心としてどこにでも通ずる道になるのです。それから、球形を中心として、ある一つの遠い所から与えたいと願う、授け受けることのできる所は、どの作用の力であっても、この中央線を通るようになっているのです。 皆さんは一番大きいものを願うでしょう。南北間の一番遠い所に通じることのできるのは垂直線です。東西間においてこの垂直線を中心として、一番遠い所に通じることができるのは九〇度の延長線です。そうですか、どうですか? これが一つの球形となった時には、球形上の動くすべての力の作用は全部この中心に通じることができるのです。何千、何万に分ける線を引くとしても、この中央点を通るようになります。この中央点は神の理想的な愛を出発することのできる相い合う点です。また、子女が理想的父母の愛に接触することのできる接触点であります。男性としての愛を中心として理想的に相い合う点です。そこに行くと神の愛、そこに行くと神の子女、そこに至ると神が立てようと願う夫、そこに至ると神が願う妻、すべてを理想的に描くことのできる一つの宮殿、愛の一つの帰着点、愛の一つの宮が設定されるのです。それを中心として、宇宙はすべて動くのです。 神が願っているので、このような話をしたら、他の話はできなくなりますね。きょうはっきり話をすることによつて、概念をつかむことができるのでこのような話をするのです。初めて来た人も知っておいたほうが良いでしょう。 今日までの人類歴史の中で、このような帰着点、一つの核となる愛の点が生じたかといえば、堕落したので生じませんでした。もしそのような帰着点が生じていたならば、私たち人間がどこに行ったとしても自然にそこを通ろうとするのです。直線であり、まっすぐで一番遠い道はその道なのです。ではまっすぐで遠い道を探していこうとするならその中央線を通過しなければなりません。それで人は大きなことを願うのです。高いのを願います。深いのを願います。最も深いもの、最も高いもの、それらの線は必ずこの一つの線、中央線を通過します。垂直線です。最も広く、高く、長いものは必ずこの一つの線を通過します。それで皆さんの心が、このような愛の力の作用を本性としているので、皆さんが願うものは最も高く、大きく、深く、最も良いものです。その最も良いものは何でしょうか。神が最も喜ぶものが愛なのです。分かりますか。 神は愛の一つの宮を造ってその中に安息されたいのです。今日までこの人間の世界において、だれもこれを知らなかったのです。今日のキリスト教思想は消極的な思想です。絶対的な神、創造主は尊い方、被造物は見にくいものと言っていますが、それは神の愛を知らなかったからです。 レバレンド・ムーンは一人でいるとしても、その心に愛と通じることのできる素性をもっています。一人でいていくら好きだと言って騒いだとしても、「あの人は気が狂った」と言われるでしょう。しかし、小さなハンカチ一枚を見ながら、これは本当に素晴らしいと喜んで舞ったりしたら、それを見てはだれも「気が狂った人」とは言いません。それは何を意味するかというと、相対的価値の絶対的な基準を認めなければならないということです。愛が染み込んだ穴のあいたハンカチ一枚でも、離れる時与えたとすれば、愛する相対はそれを一生かけて、目標として生きるのです。そういうことがあるでしょう。 愛で鍍金(めっき)したすべてのものは、永遠であることを願うのです。そうですか、そうでないでしょうか? (そうです)。それで神が絶対的であると同時に、その絶対者に相対が必要であります。いくら神であるとしても、相対がいなければ愛を探すことができません。愛をもっているとしても愛の刺激を受けることはできません。では愛はどこから来るかといえば、神自身から来るのではありません。すべて循環の法則によって、相対的極から愛を感じるようになります。それで地球においては、その表象として磁力線があります。南北に通じる力かあるのです。全宇宙は象徴的に、表象的にすべて見せてくれているのです。 大きいものを願う人に、本来の大きなものを願う心は何を根拠としているのかと問う時、「それは知りません、ただそうなのです」と言うでしょう。何を中心として高いものを願うのかという時、そのように言う人もいなければ、そういうことを考えてもいないのです。最も良いもの、それは何を中心としてか、最も良いものの中で、最も大きく良いものそれは何を中心としているのでしょうか? これは愛を基点としているのです。愛を基点とすることのできるこの共通の分母だけが通じれば延びていくのです。神がここにぴったり入るようになれば、自分がどこかに行きたかったなら、神の腰にしっかりしがみついて行くようになります。そうする時、神は“私の腰に何が付いているのか”というより、“なでてあげたい愛のこぶが付いている”と考えるのです。愛のこぶは一〇〇個、一〇〇〇個ついたとしても嫌な気はしません。それを知っていますか? それで、もしそうなったならどうなるかといえば、人間は脱線しようとしてもできなくなるのです。アダムとエバが他の所に行こうとしても行けないのです。この線に入って爆発されて、アダムとエバが神と愛でぶつかる稲光が発したならば、天地には堕落というものはあり得なかったのです。既に明るい光を感じ、霊と肉がそこにおいて既に一つになるのです。 人間は二重構造でできているのです。内的な人と、外的な人と。それは宇宙も同じです。内的な宇宙、外的な宇宙、それがいつ一つになるのか、一つになれる力は何でしょうか。他の力ではできません。いくら圧力で、コンプレッサーで押す力で一つになったとしても、また分かれてしまうのです。しかし、愛の力を中心として接触しておけば、これが離れようとすると、さらに強く付きます。もっと深く入って、反対側の極まで貫いて出ようとするのです。中央で接触したなら、お互いが向こうの極に貫いていきながら刺激し、ここに来てはあの極へ、このように行ったり来たりするのです。 完全なもの、良いもの、大きく貴いもの、そのすべては何を基点として連関されているかといえば、愛です。なぜその愛が貴いのでしょうか。愛を探し出せば、そこには神もかかっているのです。神も愛においては、いくら逃げようとしても逃げ逃げられません。「もしもし神様よ!」と愛がいくら神の悪口を言っても離れられません。このような観点で見るとき、人間はいかに永生するか? 神の絶対的な主体の前にあって、人間は絶対的な相対の立場に立てられました。その立てられたということを理論的にどう証明しますか。愛という概念は一人では見いだすことができません。相対圏で形成されるので、その愛を中心として見るとき、自分という相対的人間は神のように永生しなければならないのです。これは理論的です。何の理由もなしに永生しますか? 知らなければなりません。無知からは完成がありません。 今日、科学世界において、数学をコンピューターで計算すると誤差が生じるのです。皆さんは信仰生活において、コンピューターで計算したそれ以上の立場にいますか? それで終末に近づくとキリスト教はいくら努力しても滅びるのです。滅びるようになっています。先生が滅びよと言うより、神がそれをためらわず壊してしまうのです。 羅(ナ)長老、朴(パク)長老、福音教会、大言壮語するな! これから見てみなさい。門に入るとき、パスポートをもらわなければなりません。パスポートを受け取るだけではいけません。ビザも受け取らなければなりません。ビザをもらうには霊界の神がサインしなければなりません。 皆さん、長老教会といって総会長がパスポート……どこかの僑胞と同じです。大韓民国の国と同じです。アフリカの国と同じです。それをもってアメリカで通用しますか。ビザをもらわなければなりません。ビザを受け取ることのできる教団が必要です。そのビザをだれが与えるか。ペテロに天国の鍵を授けたことが何を意味するかといえば、ビザ券発行を許諾したことです。分かりますか。ペテロを批判したり、サインを逆さに書いたとかは問題でありません。ビザをもらわなければなりません。そのビザを発行する人が文先生であるとしたらどうしますか。ビザの発行はレバレンド・ムーンがやると言えば、既成教会は異端とか、そういうことはあり得ないとか言っておられるでしょうか。(拍手) ですから、先生に反対するすべての人は打たれるのです。悪が善を打ったときには壊れるものがなく、最後に善か打つときには存在すらなくなってしまうのです。壊れていません。それをだれが壊せますか。神が残すことができますか。神の愛を中心として相対圏を中心として打てば丸いのでどうなるか。丸いボールをけってみなさい。真ん中をければあちらのほうに行ってしまうのであり、壁の所に当たれば自分の額に当たってしまうのです。(笑い) 横をいくらけってもぐるぐる回って循環運動が始まるのです。ですから神を正面から打つことができますか。レバレンド・ムーンを正面から打つことができますか? 促進作用はできますが、破壊作用はできません。 このように言うと、自己宣伝することになるので、教授とか牧師とかやっていた人たちは気持ちが良くないでしょうが仕方がないことです。がつがつ食べていてはおなかを壊してしまいます。統一教会の文先生のように一つ一つ食べていかなければなりません。文先生は今までおなかを壊したといって大騒ぎしたことはありません。 天国は、愛を完成していない人は行けない所です。分かりますか? 神様もまだ天国にいません。理想としていた愛の天国を実現することができないでいるのです。なぜですか? 愛の対象者となれるはずのアダム、エバが堕落したので、その理想としていた本然の基準を再び探し立てることになります。そうすることによって愛を人間と共に結び、あなたは永遠なる私の相対であるから、永遠無窮まであなたと共に愛を中心として幸福であれ! 神がアーメンと言って天国の門を開く前には入れません。このような意味で統一教会においては、天国は空っぽであるといっています。これは理論的な結論です。しかし、それが間違っているとだれが言うことができますか。 それで神はアダムの愛を一〇〇パーセント感じ、エバの愛も一〇〇パーセント感じ、子女の愛も一〇〇パーセント感じ、また子女は父母の愛を一〇〇パーセント感じ、妻は夫の愛を神の愛のように一〇〇パーセント感じ、また夫も妻の愛を一〇〇パーセント感ずるのです。このようにして父母の愛一〇〇パーセント、子女の愛一〇〇パーセント、夫の愛一〇〇パーセント、兄弟の愛一〇〇パーセント、すべてを完全にパスした間完成者が地上にいると思いますか? どう思いますか? 問題は大きいのです。もし皆さんがそのような愛の合格者となって、それが種となって蒔かれたならば、その子女たちもそのような種とならなければならないのに、皆さんの子女たちが全部そのような子女を生み、そのような子女が数千万代になるはずなのに、今日この世に住んでいる人たちがみんなそういう人になっていますか。これはどうしてでしょうか。 取って食べるなというその期間、この中央線に至るまで、アダムは完全に成熟する時まで、エデンの園でエバはいつもアダムにいしめられたでしょう。エデンの園では喧嘩もしていけない、ということはなく、好きで喧嘩をし、嫌いで喧嘩をしていたでしょう。男性が力強い人であれば、(手を)少し付けるだけでも、「あ! あ! 痛い」と言うのです。(笑い) なぜ笑いますか。このように話をしていては時間が何時間あっても足りません。忙しい人は帰ってもいいです。「きょう一日(ついたち)だといって行ったら何時間も、説教は三十分でOKというこの時勢に、全世界の常識的な見解であるのに、何時間もやって、トイレにも行きたいし、お尻が痛くて大変だ」と言わないで、お帰りください。入ってきたい人がたくさんいますから、統一教会の群れで。 天国はどのような人が行くといいましたか。真なる神の愛を完全に受けて、「あっははは、私は幸福です」と、目も耳も話を陶酔の中で見聞きし、話をし、喜びの中で舞い得る、そのような愛に酔った、そのような人たちが死んでから行く所です。人間が生きるにはどのように生きるかといえば、愛のために生きるのです。神も愛のために生きておられるのに、人間が自分のために生きることができますか? 妖邪(注:よこしまであやしいこと)な者、霊界に行ってみなさい。先生の話が合っているかどうか。先生は霊界を一々ひっくり返して、見て、知って、分析、鑑定してから言う話です。「そうであるだろう」という話ではなく、「そうである」と言うのです。独断的な結論であると言ってもかまいません。最高の真理は独断性があります。原理原則に立脚して、原理原則は譲歩がないのです。決定的です。 皆さんの体と心が一つになったことがありますか。一体になっていますか、どうですか? それがいつ一体となるか、成熟して神の愛と核において爆発される時、その力によって、皆さんの体の細胞まで一つになるようになるのです。そこから生まれた子女たちは何の種になりますか。神とのすべての愛を中心として、その要素を完全にもった線上から生まれるのです。しかし、(堕落によって)愛を中心とした種を収穫することができなかったのです。収穫しようとしたのに、収穫する中において、生命がないのです。 皆さんの生命はどのように生じましたか。皆さん、自分を見るとき、自分という存在は父母の愛が同参(注:僧侶と信徒が法会に参列して、一緒に浄業を修めること)してできた者です。それが権威です。私はだれなのかというとき、私はどこから来たかというとき、人はどこから来たのかというとき、それは父と母の腹から生まれたのです。その腹からどのようにして生まれたのか? 父の愛と母の愛が同参する中で生まれたのです。同参してできた者なのです。父母の愛が同参してできた者です。父と母の愛が交わるその核の所から生じたのです。そうでないでしょうか? 自分を中心として父と母の愛が実を結んだのです。ですから自分というのは父の愛、母の愛が同参してできた者です。生命はここから注入されるのです。他の所から注入されるのではありません。どこから注入されますか? 愛からです。 では神の愛の核は、どこから人間との関係を結ぶのでしょうか。この中央線においてです。そこに至ることができず、愛の爆発ができていないので、神の核の愛が出発することができなかったのです。それで私たちの生命が永遠なる生命となれないのです。それで再注入されなければなりません。それでキリスト教においては新生をうんぬんするのです。門下生たちは何も知らないで新生を言っていますが、世界の有名な神学者たちを集めて、そして気合いを入れたのです。「自分たちが立派だと高ぶるな! 立派だと腹を突き出すな!」と。猛烈な闘いをして、仕方なく壊れるようになると、先生につかまっていれば壊れないので、あとをついて歩いています。あなた方よりももっとつきまとうのです。あなた方は何を知っていますか? 神の愛の実を、霊と肉が完全に愛の総合的結実として爆発できる核の種を、実を結ぶようにして収穫して、愛の種を収穫して、それが永遠に存在するために天の国の倉庫に入れるのです。天の国が何かというと、それを保管する倉庫なのです。統一教会のレバレンド・ムーンがいうには、天国は空っぽである。天国が空っぽであるというので、異端と言われます。異端と言うそういう者たち、行ってみなさい。険談(注:人のことを険しく語ること)を言うにもほどがあるでしょう。私文某(なにがし)という人は科学を勉強した人です。電気工学を勉強した人です。数学に天才的な頭脳をもった人です。盲目的なものは信じられない人です。だれも説得することのできない人です。漠然と皆さんをだまそうとしている詐欺師ではありません。実験をし、間違いないものとなっているので、どこにでも出すのです。世界が反対してみなさい。だれが壊れてしまうのか。真の打てば逆に壊れてしまうのです。真になる以前には、それほど壊れません。 見てみなさい、統一教会の文先生に反対していてすべて滅びました。二〇〇〇年間死の中においても発展してきたキリスト教が、なぜ解放後三十年にもならないうちに滅びるのか。四十年になれば手をつけることのできないほどに腐ってしまうのです。先生の力を借りなければ生きる道がありません。これを怨讐視するなら、一度に全部切ってしまえばいいのですが、父母が苦労された功を見るとき、十二人の息子の中で十一人の息子がヨセフを殺そうとしたのですが、父母が愛していたので怨讐を打つことができなかったのです。そのヨセフの歴史を知っているでしょう。ちょうどそれと同じです。 統一教会の文先生を殺そうとあらゆることをしましたけれども、先生は神がどんなに既成教会を育成し、人を犠牲にしてきたかという歴史的功を知っています。そして孝道の道を行かなければならない立場に立っているので、父母が亡くなったのちに処断するようなことはできないのです。亡くなるとき彼らを生かしてあげて、同じ父母の前に侍って還暦の祝いをしてあげようとするのです。神の誕生祝いをしたことがないですね。堕落した人間が神を中心として誕生祝いをしてさしあげられなかったのです。その誕生祝いはサタン中心にやったのです。堕落圏内ですから、その圏内に神は入ってくることができません。結婚したり、祝賀したりすることはすべて妖邪なことです。神を中心として結婚の祝いをしたことがありますか? 誕生祝いをしたことがありますか? できませんでした。 それは完成して愛の因縁が結集され、そこから新しい二世を中心として平面世界へと繁殖することができたならば、縦的、横的な愛の種を広めるのです。神の愛の軸から離れないように軸にひもを付けているので、故郷を懐かしく思うのです。故郷を懐かしく思うのは軸の関係を永遠に離れることができないからで、本性のゆえです。 このように考えるとき、天国はだれもが行ける所ではありません。イエス様も漠然と話したのでしょう。「天国はどこにありますか」と言った時、「あなたの心の中にある」と言いました。そのような話がとこにありますか。「心のどこですか、あなたの心のどこですか」。それは何の話かといえば、「あなたの心の中央地を占める愛の場にある」というのです。分かりますか? 愛の場です。人間は神が住むことのできる宮殿なのです。その家はどのような家かといえば、神の家です。人が造った家ではありません。神自身が造った宮です。なぜ造ったのか。愛の家であるからです。愛の家となるように造ったのです。それでは夫は妻をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。妻は夫をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。子女たちは父母をなぜ恋い慕うのか。なぜですか? そこに愛の家があるからです。父母はなぜ子女を愛らしく思いますか。そこには愛の家があるからです。完全なる愛の家があるからです。 このような中において、統一教会の原理は、この家庭を中心として四位基台に中央の線を立てたことは偉大な発見であり、偉大なる宣布なのです。イエスは子女としての愛は受けましたけれども、相対である新婦の愛をイエスは体験できましたか、できませんでしたか? イエスが花嫁を迎えたでしょうか、どうですか、神父の皆さん。今ローマ法王庁では大騒ぎになっています。約二十万が妻帯していない神父でなく、妻帯神父、結婚しているシスターなのです。世界的にそうですよ。それが今日の脅威なのです。これを解決するためには妻帯神父、結婚しているシスター教派をつくろう。そうするためには、統一教会の原理を受け入れてもいいというのです。それは秘密ではないのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンの尾にかかっているのです。神父の方々がみえていますね。それが偽りか調べてみなさい。それで、アメリカにおいて十万近い結婚した神父やシスターの脅威を受けても、贖罪の道がないのです。罪悪である。自分たちが法を守らないで結婚して、地獄に行くということから解かれないのです。しかし統一教会の原理を一度聞けば解放されるのです。ああ、これは素晴らしい。なるほどそうなのだ。(拍手) それで妻帯の神父、結婚したシスターたちが地獄の生活をしたのを解放してあげることは悪いことですか? 神に聞いてみると、文某という人は悪口を言われながらよくやったのだ、と。 また、先生が結婚をさせてあげたのですが、合同結婚式をやりましたが、それは良かったことですか。良くないことですか? (良いことです)。合同結婚式を受けた人は手を挙げてみなさい。この者たち。自分たちがあのような女の人はどうだとか、このような人がどうだとか言っていた泥棒のような、この男子の者たち。この狼のような男たち。それで生活してみるとどうですか? まあまあですか? いいですか? (いいです)。まあまあという者たちはネクタイを引っつかんでやらなければならないよ。いいですか、まあまあですか? (いいです)。先生の目から見るとまあまあだけれど、あなたたちの目で見ればいいでしょう。(笑い) 正月の一日から笑って過ごしましょう。もう一時になりましたね。きょうは天国建設についての話ですが、天国をどこから創建すべきか。そこには真なる神、愛を体験した神がいなければなりません。創造理想をモデルとして、対象的人間完成者を中心として、神も愛さざるを得ないように永遠の理想の愛に燃えなければなりません。このような話をするといって、何と下品な話かと思うかもしれません。しかし、これが下品な話ですか? あなたたちを生んだ父母がそのようにして生んだのです。堕落していない基準からいうとき、これは下品な話でなく、高く神聖なる話です。 愛の中央線において、「幸福である」と言える神となっていないのです。愛を中心として見るとき、神も未完成の立場にいるのです。神様までも未完成の立場にいるのです。ただ愛を中心とした場合に。この“ただ”という言葉がついているのを忘れて、神が未完成であるとは統一教会は異端である、神までが未完成であるとはとんでもない、と言うのです。愛を中心として完成の体験をした神の立場になっていないからです。神は目が酔うし、酒を飲んだようでしょう。先生は飲んだことがないのでどのように酔うのか知らないので、これから飲んでみようと思います。(笑い) この世において反対する群れがなくなれば飲んでみてもかまわないでしょう。(笑い) 目が酔い鼻がむずむずし、耳には鳥の声が聞けえるように甘く聞こえるでしょう。神も陶酔することのできる刺激的な愛が必要です。それで、愛は極と極であるので中央線上を行き来するし、爆発する所に入っていくのです。それで愛が爆発する力がどれほど大きいか分からないのです。ぶつかる力より、爆発する力がもっと強いので直ちに原点に戻ってくるのです。 皆さんも、真正なる愛の心をもって自分を助けてくれたことを知るとき、その良心的な人にものを再び返すとき、また、一〇〇ぐらいの価値のものを自分がもらったとき、その愛の心を知って、自分を愛してくれたことを知ったとき、一〇〇以上助けてあげたいですか? 九十だけ、十ぐらいを削って助けてあげたいですか? 一〇〇より何百倍助けてあげたいのです。そのような力というのは愛からです。愛は与えれば与えるほど大きくなるのです。愛は投入すればするほど大きくなります。力学関係においては、入力は出力より大きいのです。ただ愛の力は入力より出力が何倍も大きいのです。愛において、人間に衝撃さえ与えれば何倍にもなってくるのです。ですから、夫婦喧嘩の中で一番恐ろしい争いは愛を中心とする争いです。そうですか、そうではないですか。悪口の中でも一番激しいのは愛の争いを通して展開されるのです。それは正しいですか、間違いですか。正しいですよ。先生はこのようなことを考えていましたが、他の人に妖邪に文先生は監獄に入って、と言っていますが、先生は監獄に入って、一人でそのようなことを考えながら笑って過ごしていたのです。一生の間、追われながらも鼻歌を歌いながら過ごしたのです。鼻歌は得意ですよ。一度やってみましょうか。(はい)。 この愛を中心として、幸福であるといえる神となっていないのです。そうなるためには愛を中心として神までも自分のものであると主張することのできる人が来なければなりません。今やそのような男が来ました。イエスはゲッセマネで、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころままになさって下さい」(マタイ福音書二六章三九節)と言いました。愛を中心として、愛と一体化した立場においてはそのような論理が成生しますか。曲折した、積もり積もった使命が成し得ないからであります。愛と一体化した立場において、「私の思いのままと、みこころのまま」というのはあり得ません。聖書を見て一ページをも読み得ない理由をもって今日の政会では、聖書をただ読みなさい、祈祷しなさいというのです。祈祷するといってひざまずいて自分だけが恵みを受けようとする者たちは、ただ穴だけを掘っているのと同じです。一匹でいるトラがいくら千年、万年生きたとしてもトラの子は生まれてきません。雌がいる所に行かなければなりません。神もそうであり、人もそうです。相対的な立場に立っていないのに神をいくら叫んだとしても、神は現れることができないのです。祈祷はそのようなところにおいてするのです。私が祈祷しなくても神は知っています。私が願いさえすればすべて成してくださいます。 ある人が五年前から、その人のいる騎士協会の勲章を与えたいと言っていました。先生はそういうものを好む人ではありません。「この勲章は最高のものである。ヨーロッパ世界においては、資格をもつために互いが夜昼なしに私と交渉するほどのものである」と言うのです。神がそのような資格を受けていらっしゃらないのに、先生どうして受けることができますか? 先生がもしノーと言って彼の首が切られたらいけないと思って、また韓国人であれほどになっているのに首を切られたらかわいそうなので、仕方なく受けたのです。それできょう一日あいさつする、襲撃的にあいさつをすると言うのです。襲撃あいさつがどこにありますか。(笑い)そのようなことが起こるので先生は逃げるのです。 韓国に来て、このごろ「先生に会わせてほしい」と言う人がいます。いつから「先生」になったのですか? この人たちはいつ「先生」として知ったのですか? 先生は四十年前に、裸になって舞っている怪首とうわさで言われていたのに、そう言ったのはいつのことで、今は「先生」なのですか。同じ先生ですよ。その時はもっと元気があり、もっと美男子でありました。すべての面において百勝することができたその時は知らないでいて、今、年を取ってきたので、問題を複雑にして休むこともできないようにするのですか。これは率直な話です。率直な話でなくて、率直な交渉をいつやれますか。心の内をすべて表して、こぶしで一回やるのです。どうですか、悔しいですか、悔しくないですか? 人から殴られて悔しいですか、悔しくないですか。あ! これから始まりである。これから新しい時代である。それをしないで包み込んでおいては、それはできないというのです。それで老いた人でも間違っていたら責められるのです。(先生は)おじいさんや父母にまで訓戒した男なのに、だれを恐れましょうか。先生は神様までも教育しようとしているのに。(笑いと拍手) 先生がこういう話をすれば、神は、「私が創造する時、それは知らなかった。あなたの話を聞くと、なるほどあなたの言うとおりだ」と言うのです。神は年を取った数億万年間いろいろと経験を積んだ大蛇のようであり、その神がすぐに「そうだ」と応ずると思いますか? 先生がこれを知らないと死ぬ、と食いついていくので、「事実がそうであるから」「そうらしい」と答えるのです。「そうだ」と言わないで、「そうらしい」と言うのです。そのような大蛇のような神の機嫌を一つ一つ取って、秘密の袋を全部出させるのです。どこにはどのような秘密があるということをすべて調べ出したのです。それを愛の心で調べれば、壊さないで開いてくれるのです。他のものではできません。おじいさんの好きな孫が、おじいさんのちょんまげまでほどくのです。先生も、両親が亡くなって初めてほどくちょんまげを孫がほどいたとしても喜ぶのです。愛とはこのようなものです。何の話か分かりますか。夜疲れていても愛というものが来て触ったら、神経はそこに引っ張られていくのです。(笑い) なぜ笑いますか、事実がそうでしょう。なぜかといえば愛は実感的だからです。 創造主として神が被造世界を創造したのは、愛の博物館をつくっておくためです。それを教材として人間が完成し、雷が鳴る以上にこの天地をひっくり返すことができるほどの愛の騒乱の音を通して、この宇宙全天地が雷と稲光によって渾然一体化して踊りだすようにつくるはずでありましたが、そうはならなかったことが恨です。表現することは難しいのですが、成じだけは素晴らしいでしょう。そのような場において、私は天国に行くのです。天国に行った人がいますか。そこにサタンがいますか? 神の愛の所にサタンがいますか? あなたたちは結婚して、夫婦が楽しく生活している所に、もう一人の男やもう一人の女を願いますか? (願いません)。絶対的に願いますか、絶対的に願いませんか? (絶対的に願いません)。いかなる美人であっても、いくら信頼する人であっても同じです。疑夫症(注:夫を病的に疑う)の何百倍の力があってもびくともしないのです。 この世界は相対的なもの同士が運動するようになっています。そうしなから保護するのです。天国はそのように完成した愛を中心として、喜々楽々とする神が臨在される本然の園であり、本然の場であります。また、(天国は)人間の始祖が神の愛と同和して、衝撃的な愛を中心として光と音が共鳴できる音叉体です。ある周波が来たとき、これを鳴らせば鳴るのです。愛を中心として共鳴する音叉体となって心と体が完全に和し、男性と女性が完全に愛を通して和すれば回るようになります。転がろうとするのです。これは東西南北すべてに通じたということになるのです。東西に通じ、上下に通じ、前後に通じると幸福になるのです。なぜ踊りますか?「お! お! 我が愛よ!」と言って踊る時、腰が宙に浮きます。神の愛を中心として、アダムとエバの心も共鳴音叉であり、アダムとエバの中心として子女の心も共鳴音叉であります。そして子女を中心として考えるとき、すべてに通じているのです。それで家庭は天国の基地なのです。家庭において愛にパスすれば、神が神の立場に立ちます。神の愛にパスして、人間がこの宇宙を自分のものであるといえる特権をもつのです。このような皆さんの本心の世界を占領しようとする心はどこから来たのかといえば、ここから来たのです。天国は光です。堕落とはこの世界(しぐさで示される)。人間が九〇度の十字を中心とした距離が同じである九〇度圏を中心とした縦横の交差点を作れなかったのが堕落なのです。そこに上っていく途中で落ちたので、この道を再び永遠に探して復帰しなければなりません。救援というのは、病気の人が病気になる前の立場に返ることです。それでイエスはこの地上に宣布されました。「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と。あなたの父母や子女、価値のないものを私より愛していては私の弟子になることはできないし、子女になることをさておいては弟子にもなれないと言ったのです。なぜ弟子と言ったのでしょうか。そしてまた、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(同一四章二七節)と言いました。なぜ十字架を背負わなければならないのでしょうか。あきれた話です。神は自分だけを一番愛せよと言うのですか? ヨハネ福音書三章一六節に「神はひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」と書かれています。既成教会、監理教、天主教(カトリック)を愛すると言っていますか? はっきり知らなければなりません。最も重要な部分を取り除いておいて「神がこの世をこれほどに愛されて」と言っていますが、どこかの国のことではありません。「ひとり子を下さった」その独り子を犠牲にしても替えることのできないほど貴いものがこの世です。神の愛がそこを通らなければなりません。だれでも彼を信じなければ滅亡するのです。終末においては、その道を通らなければ天国へ行く道がないのです。 世界を愛さなければなりません。神を愛し、世界を愛さなければなりません。神が創造されたすべてのものは、父が人間のためによく生活できるように準備した家具なのです。生活必需品です。また情緒的な必須品です。蝶が飛び回り、色とりどりに双をなして飛び回っている彼らを考えてみなさい。蜂が飛び、香が漂い、鳥がさえずるということを考えてみなさい。愛を中心として連結されているのです。彼らなりに級は低いけれども、愛を中心としてすべて動いているのです。 皆さんが天国へ行くようになれば、自分の父母が必要ですか、どうですか? 堕落していなかったなら、天国へ行く時、自分の両親が先に行っているのがいいでしょうか、自分が先に行っているのがいいでしょうか? (両親です)。どのような父母ですか。神の愛の対象の立場に立って、神と同じように愛していった父母がいなければなりません。そういう父母をもっていますか。もっている人は手を挙げてみてください。博士たちも来ていますね。尹(ユン)博士も来ていますね。きょう、先生は特別に韓服を着ようとしたのですが、サタンが先にまねするのと同じように先に着たので、先生は着るのをやめましょう。 皆さんは、皆さんの父母が神の愛を受けて、対象的な立場において真なる愛の核をもった種として生んだ子女ですか? 不十分な立場において堕落したあとに生まれた子女ですか? 堕落したあとに生まれたのです。種がないのです。お盆になると栗は熟して、自然に聞いて落ちるのに、八月のお盆の前の栗は、外から見ると同じですが、熟して自然に開く栗ではなく、しおれて縮こんで落ちる栗なのです。形は同じですが、中味のない栗なのです。 神が地獄をつくったのではありません。地獄は堕落のゆえに生じたのです。中間霊界が堕落のゆえに生じたのです。ではここにおいて問題は天国創建(黒板に書かれる)ですが、天国をどのようにつくっていくのですか? 今日までの人類歴史を通して見るとき、神はこのような本然の原則的な愛の理想を成し、勝利的覇権者として合格した人々が、言い換えれば、神の愛のビザ、愛に合格したビザをもった人々がカーンと鳴らして入っていくのが天国です。しかし、そのようにして天国に入った男子がいましたか? イエス様はどこに行っておられるかといえば楽園です。楽園は天国の待合室です。なぜそうですか? 牧師や神父に聞いてみなさい。なぜそのようになったのですか? 楽園というのはどこですか? 全く分からないのです。それ以上聞くのは冒涜であり、信仰というのは知って信ずるというよりはただ信じることです。しかし、知ることができれば、知ってから信じなければならないでしょう。今日、二十一世紀の科学の先端知識を通じて、急変する社会的環境の中でそのような方式に従っていけますか? どのような方式ですか? だから信者を失って乞食になっていくのです。食べるものがなくなって、労働をしなければなりません。そうでないか見てみなさい。韓国も近いうちにそうなります。 ここで問題になるのは、天国創建をいかにするかということです。アダム、エバは家庭を中心として生まれましたが、真なる父母となっていなかったのです。アダムとエバは真なる父母になれなかったでしょう? 善悪の実を取って食べて堕落したのです。故障したのです。真の父母はどこにいますか? それは、神の心の中に、これから成熟することを期待されていた本然の堕落しないで成就すべきアダムとエバなのです。真の父母はどこに行ったのですか? 真の父母が現れていないのです。真の父母が現れていないので、真の子女はあり得ないし、真なる子女がいないのに天国に行こうとする者は泥棒です。その人は行ってから追い出されるのです。追放されてしまうのです。 それで人間がサタン世界で野生のオリーブの木となったので、神がサタン世界の畑に行って野生のオリーブ畑を管理していては、直ちに首を切られてしまうのです。追放されるのです。それでサタン世界において、これを分立するのです。分立するためのカイン、アベルの論理を皆さんは知っているでしょう。悪なる人の中でより善なる人、より善に近づくことのできる二人がいるとして、二人が闘うことになったら、どちらの人が神の側になりますか。より悪でない人が神側に立つのです。神側、善の側、悪の側という言葉を統一教会で言っています。いくら悪なる所、地獄の底に行ったとしても、より善なる、より悪でない人が神側です。その距離は遠いのですが、この闘いをするのです。伝統、文化の背景、習慣すべての風習が異なりますが、それらを中心としてより悪なる人、より善なる人となるのです。そうなるとき、自分自身においても、より善なるもの、より悪なるものと分かれるのです。 では、より善なるものは何かといえば良心であり、より悪なるものは体です。このように見ると個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るまでの、より善なる側とは、とにかく宗教圏に属した人が、宗教圏に属していない人々より神側に近いのです。このような結論が出ます。そのように連結されるのです。ですから世界は二つに分かれてしまうのです。それで善の側は、個人の立場から見るとき、より善なるものは何ですか? それは良心であり、より悪なるものが体です。これらが分かれてしまったのです。そこで皆さんはどこに立っているかといえば、地獄と天国の三十八度線にいるのです。 この間、板門店で条件つきで旗を一つずつ立てて、星をつけた将軍たちが体面かまわず、互いに少しでも高く掲げようとしていました。そのようにあなたたちの心と体は闘っています。心は神と神側の善なる霊が綱引きをし、体の側はサタンが綱引きをするのです。ところが習慣性は何を根拠として出発したかといえばサタンを中心として出発したのです。皆さんは神の血統を受け継がなければならなかったのですが、サタンの血統を受け継いだのです。サタンとは神の姦夫であります。ここに座っておられる幹部ではありません。(注:韓国語の姦夫(カンプ)は幹部と同じ発音)(笑い)妖邪な女三人が集えば、一番悪い姦というようになります。女たちは注意しなければなりません。女とは三人集まれば、一体化させる言葉ではなく、すべて分裂したもの代表なのです。 なぜそうなったかといえば、サタンの最もチャンピオンの立場に立っているのが女だからです。すみません、女の人たち。女の人たちは口を開けば、最初はいい話をしますが、最後には悪い話をするのです。最後には自分の夫がどのように浮気をしたとかの話までするのです。男は口が重くてベールで隠します。姦夫、サタンの血統を受け継いだのです。 神がもし完成した愛を必要とすれば、神は二性性相です。統一教会の原理の言葉である二性性相は理由もなく出てきたのではありませんよ。神が御覧になるとき、アダムとエバが九〇度の角度で二つに分かれているので、これを一つに合わせるとき、神は公平な神であるからアダムとエバの中央線において、不平を言うことができないように、これを一つにぴったりと合わせれば、お互いは自分のものであるというのです。 それで皆さんがもっている愛の器官は、皆さんのものではないのです。相対のものなのです。女性の愛はだれのためのものですか? 主人はだれですか? (男性です)。男性の愛の主人は受けてから使えば罪になりません。それだからといってサインをしなさいということではありませんよ。(笑い) 女性に強制してはなりません。 笑うこともだれのために笑うのですか? すべての五官は自分のためにあるのではありません。触るときでも、気持ちが良い悪いというのは、だれのために感じるのですか? あ! 美しいとかいうのは何のために感じるのですか? 相対がいなければ、すべての芸術的感情を感ずることはできません。それを一〇〇パーセント衝撃的に感じるのは、頂上の危なっかしいところについているもので、少し間違えば散り散りばらはらになってしまうのです。完全で絶対的な立場にぴったり連結するのです。愛のみがここまで支えることができます。愛で溶接さえすれば、根がなくなっても落ちないのです。風よ、吹きたかったら吹きなさい。あ! あ! 良い良い、天地が自分の目に入り、すべてが自分の視野の下で動くのです。スリルの連続です。映画を見たらスリルが少しなければなりませんね。人は人の首を切ったり、血を見ることによって喜ぶでしょう。それ以上のスリルは愛によるスリルしかないのです。次には、堕落したこの世界において、六〇パーセントにもならない創造の結果的な愛の作用の力だけでも、ああ! 死ぬほどである! とか言うほどに妖邪なものです。それを何の病気といいますか? 男性が女性に会いたくて仕方がない病気を何といいますか? 相思病(注:恋心にとらわれて生ずる病気)、漢字ではどう書くのですか? (相思病です)。その思はではないのですか。(注:韓国語では思(サ)と死(サ)の発音が同じ)相死病です。思うことによって死ぬ病気なのです。 この天地には、男性、女性にかかわらず、全部が三十八度線上に立っているのです。地獄の先端と天国の先端がここに連結されている両哨(りょうしょう)所なのです。両哨所に立っているのです。本当にそうであれば、三十八度線の南にいる人は、そこに地雷があろうと何があろうと目をつぶって走るでしょう。そうですか? そうではないでしょうか? それを知らないから、ここはとってもいい所だ、自然、天地であってだれもいないのだというのです。私しかいないのだ。そうしているうちに雷が落ちてしまうのです。そのような境界線、個人的境界線、家庭的境界線、家庭的地獄・天国、氏族的境界線、個人から家庭へ一段階上っていくでしょう。氏族は、それよりもう一段階上がっていくし、上へ上がっていくそれらの道が、すべてふさがれたのです。 堕落しないで成熟したならば、ずっとまっすぐに上がっていくはずでした。しかし、堕落によって個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に分かれてしまったのです。その家庭自体内において二つに分かれるのです。主流、非主流、今日国家においても野党、与党と分かれ闘っているのです。では、これからの平和の基地をどこで築かなければならないでしょうか。その根本原因をいかに解決すべきでしょうか。 社会が悪いのでのようになったのですか? 皆さん自体において悪い人間像が植えられたのです。その結果が今日のこの世界となったので、皆さん自体の、心の中の闘いをもっている二人が会えば、いくつの闘いとなりますか。四つの闘いとなります。これがいつ一つになりますか。お金でもって? 四つになってお互いが妻の殺し合いをしたりします。また権力をもってですか? 自分の子女までも殺してですか? この世では権力を内種として子女を殺します。何でもって一つにするか、これが根本問題です。人々を拡大したのが人間世界であるので、この世界に四十億人類が住んでいるということは八十億がそれぞれついて回って闘いを挑む、堕落した世界となっているのです。ここに平和がありますか? いくらやってもできません。戻って根本問題を考えなければなりません。 では、完成した者は本来どのようにならなければならないのでしょうか。これは哲学において、宗教においても問題です。自分という人は完全に完成されているので天下に誇るとき、その誇るすべてにこだまのように反応するかといえば、どうですか? 大学の教授の皆さん、できますか? 既成教会の牧師、神父たち、できますか? 仕方なしに教壇に立っている人々、給料のために首をかけている人たち。天国がどこにありますか。 それで皆さんの闘いを平和的に収拾しなければなりません。皆さんの心と体が、神とサタンとの、善と悪の対決場となって熾烈な闘いが繰り広げられているのです。レバレンド・ムーンも「宇宙主管を願う前に自我主管せよ」というこの標語を前に身もだえしたのです。この習慣性をいかにするか。韓国人はコチジャンとかみそを食べなければなりません。これを克服することができますか? 昼働いて、夜眠らないでおられますか? 眠りと、飢えと、男性は女性を、女性は男性を克服しなければなりません。宇宙主管を願う前に自我主管しなければなりません。これを克服しないでは神を迎え入れることができません。離れるようになってしまうのです。 それで、このようにすべての霧に包まれた、障壁に囲まれた人間像をいかに解放することができますか? この霧を払いのける風を起こし、そして分けている壁を爆破しなければなりません。爆破をだれがしますか? 先生がやってあげれば自動的になりますが、サタンが築いたならサタンが崩さなければなりません。先生はそれができません。もし神が築いたなら悪らつな神、そういう神は人間に平和の理想を標的として立てることのできない神なのです。許すことができません。ではだれが築いたのですか? サタンが築いたのです。「サタンよ! お前の手で崩しなさい!」と言える人がいなければなりません。また、病気の人を医者の思いのままにはできません。その人に薬を与えることはできますが、治るには自分が治れるように根本土台に合わせていかなければなりません。そうでないでしょうか。 それで善圏、悪圏にいる人たちが天国へ行くか地獄へ行くかは、神が決めるのではありません。神が引っ張ってきてもサタンが直ちに讒訴するのです。サタンは、「あなたが主管することのできる人は、あなたが引っ張っていける人は愛の圏内で一つになれる人で、本来の基準において合格者としてみなすことができるが、不合格圏、堕落圏内にいる人は連れていくことはできません。それは私のものです。血統的にそうなっているのです」と言うのです。 パウロも苦悶しているのです。「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んているが、わたしの肢体には別の法律があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ七章二二~二四節)。そうでないでしょうか。それは神が植えたのですか、サタンが植えたのですか? サタンです。サタンの血をもっているからです。姦夫のその血統を受けているので、 善と悪はいつでも自動的に分かれるのです。これを克服しなければなりません。 そのような歴史過程が残されているので、これを統一教会の歴史観で見ると、個人が完成していく歴史の面を全面的に展開しておいたのが人類歴史なのです。個人がこのような闘いの場から放たれるための歴史を、神は救援摂理を通してやっておられるのです。数多くの宗教を与え、「すべてにおいて現実を否定しなさい」と言うのです。なぜ否定させるのでしょうか。サタン側を否定すれば神側が近づくからです。宗教は否定をさせるのです。 犠牲、奉仕が好きな人がいますか? 先生は統一教会の責任者になっていますが、私は犠牲奉仕を願いません。しかし、仕方がなくするのです。学校に行って勉強が好きな人はいますか? ではなぜするのですか? 仕方なしにやっているのです。やらなければならないからです。死に目に遭いながらでもやらなければなりません。そうでなければ落伍者になるのです。上っていくのにサタンが先に上っていってしまうのです。 心と体のような闘いの形態が家庭においてもあります。家庭においてだれが相続を受けるかといえばより愛する人、全体をより愛する人が後継者となれるのです。これを知らなければなりません。 今日、キリスト教を信じている人々が犠牲と奉仕を行っています。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ福音書二二章三七節)と言われたことが、第一の戒めです。神をだれよりも愛さなければならないのです。「だれよりも愛せよ」という言葉は、自分の体を除外してでしょうか、自分の体を含めてでしょうか。それは(自分の体を含めてであり)自分が一番の根本となるのです。このことを皆さんは知らないでいるのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われますが、皆さんはそのように神を愛しましたか? なぜこのような話をされたのでしょうか。なぜ神は最初から、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くす人を創造しなかったのでしょうか。そのように創造しておかないで、そうしなさいと言っても、なれると思いますか? それは理論的に合わない話です。 本来は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くすようになっていたのに、堕落したため、病気になって、故障してしまったのです。これを再び合格品とするためには、糊をつけて再び組み合わせなければなりません。そのためにも「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、主なるあなたの神を愛せよ」と、第一の戒めを言われたのです。 二番目の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ福音書二二章三九節)ということです。神は全体を愛すので、皆さんが人類を自分の体のように愛すれば、神の子女となれるのです。そのように愛してきたでしょうか。そのようになっていなければ不合格品です。今、深刻なのです。信じて天国へ行くと言いますが、天国は遠い所にありますし、他の所に行ってしまうのです。そうなってはいけないのです。正門を通って直行しなければなりません。天国に入っていくことを教えてあげている所は、統一教会です。邪なる多くの教団があります。妖邪なジグザグな道を教えているのです。 皆さんは、全体を見なければなりません。(先生は)飛行機に乗って、山頂に上り、一番良い道を選んで、道を整えておくのです。ハイウェイを整えておくのです。そして降りてきて導こうとするのです。出発する道は険しいのです。ある人は、「あの道に行けば一番険しい道なのだ」と言うでしょうが、ついていってみなさい。一番近い道を行くでしょう。 神側とサタン側の境界線にだれがいますか。人間の終末時に、三十八度線を中心とした板門店では終末時代の金門店と同じように、天国に入っていく時、パスポートをもっている人がビザさえもらえば、どこにでも通ずることができます。天の天使たちは、大韓民国にも来ることができ、北韓に行くことができるでしょうか? サタンは来てはいけないと言うでしょうか。しかし、行っても追い出すことはできません。行くことができるのです。なぜかといえば、あなた方よりも北韓をより愛するからです。北韓の人々をあなた方が愛するより以上に愛するからです。南韓の人々はもちろん神側にいるので問題ではありません。両側に立って、より愛する人が国境を克服することができるという論理が成立するのです。分かりますか? このような基準を中心として、いかに越えていくかということが問題です。堕落によって、アダム、エバ、次にカイン、アベルの子女を失ったのです。子女級の救援摂理をしなければならないのです。カインがアベルを殺したのです。兄が弟を猜疑(さいぎ)したのが堕落の本性です。兄が弟を、自分より以上に愛したなら(兄は)神の人です。堕落して、ここに事故が起きたのです。 今日、統一教会の原理路程において、カイン、アベルの闘いをいかに克服するかという問題が介在されます。サタン側はカイン圏です。人間世界への適用がそうであります。男性も女性も同じように適用されます。二人が闘う時、より善なる人は神側に立つのであり、より悪なる人はサタン側に立つのです。じっとしているのに被害を与える人は、悪なる人です。ですから善なる側とサタン側の闘いの戦略を中心とした戦術は、打つことを通してサタンは滅びるのです。サタンは先に攻撃するのです。兄弟の中で、兄がじっとしている弟を先に打って泣かしておけば、父母が来て、だれの味方になるでしょうか。弟の味方になるでしょう。先に被害を与えた者は悪の側に立ちます。被害を受けた者は、味方ができて保護され、補償を受けるようになります。分かりますか? それで神の戦法とサタンの戦法はどのようになっているかといえば、サタンは打って失い、打って奪われてしまうのです。神側は打たれて取り戻すのです。これを知らなかったのです。 今日、人類歴史の中で宗教の歴史を見ると、宗教は迫害を受けた時には発展したのです。それはなぜでしょうか。サタン側が打つので、神側においては打たれて、損害賠償をもらうのです。十の価値の立場で打ったならば、数百倍の損害賠償を請求して、サタン世界を後退させるのです。このような闘いをするのです。統一教会はこれまで四十年間迫害を受けてきました。しかしこの作戦をしたのです。レバレンド・ムーンが行く所、至る所で打たれ、韓国全体が反対の運動をし、世界全体が反対する中において、監獄に入って打たれ、死の十字架の道を訪ねていくのです。そのように打たれ出てくる時には、三代の霊界の先祖から、父母、子女まで、三代圏を屈服できるのです。何の話か分かりますか。サタンは三度までも打つのです。打つことはできますが、殺すことはできません。一度打ったなら、三倍以上損害を被るのです。ですから、統一教会が迫害を受けながら発展したのは、このような神の戦略による戦術を直接遂行したからです。打たれて奪ってくる戦術を取ってきたのです。それゆえ、統一教会は発展してきたのです。 既成教会は、統一教会に反対して滅ぶのです。これは、二者が闘うのに、より外的なサタン側に立つからです。分かりますか? アメリカとキリスト教が先生に反対しました。ローマの四〇〇年の受難圏の中でも、カタコンベの墓をつくり神に保護され、世界的に発展したそのキリスト教が、なぜこの数十年のうちに滅びの寸前にいるのでしょうか。それは統一教会の文先生に反対したからです。この話をしたら、本当にそうかと言うのです。しかし、今日になってはこの話が本当だと分かってくるのです。疑わしければ、神に祈ってみなさい。偽りであるかどうかを。 今度、教授を集めますが、大韓民国は先生の話を聞かなければ滅びます。世界が先生の話を聞かなければ、滅びると言うのです。(今では教授たちは)「あの方は、今はあのような話をする資格をもっておられるのだ」と。レーガン大統領に対しても、一言言えるのです。レーガンよりも覇気ある男だからです。そういう意味では、李(イー)さんは騎士道の勲章をよく与えたといえるのです。 ここで一つの公式を発見するのです。天国創建をする公式が何であるか、これを知らなければなりません。カイン、アベルの兄弟が一つにならなければなりません。一つになれる基盤をつくらないうちには、天国に入ることはできません。天国はどこから来るのでしょうか。真なる父母の愛から来るのです。それゆえ、歴史を解くには、ぶちの種と真っ黒い種を蒔くのです。二つを蒔くのです。それゆえ終末において、蒔いたのと同じように収穫するのです。一つは、神がいないという、神を否定する種を蒔き、もう一つは、神を肯定する種を蒔いて、世界的に二つの実があるのです。その時が終末です。それが共産主義世界であり、民主主義世界なのです。分かりますか? では民主世界とは何でしょうか。キリスト教文化圏の世界であり、共産世界は何かといえば、無神論文化圏世界です。宗教がなく神に反対する世界です。これが闘っているのです。では統一教会とは何でしょうか。この闘いの中で民主世界をアベルとし、共産世界は外的であるのでカインとして、この二つを愛でもってつなぎ合わせて一つにするのです。兄弟が完全に一つにさえなれば、次に何が来るかといえば、母が来るのです。キリスト教において、イエス様が復活されて四十日後に、失った弟子たちと七十人の門徒と一二〇人の門徒が一つになることによって、カインとアベル圏が霊的ではあるが一つになることによって、母神である聖霊が臨まれるのです。新郎であるイエス様を夫として思慕する母神が臨まれ、縦的に一つとなって、父母の愛の力により、二人の子女が父母の腹中において、骨髄において、一つになったという衝撃を受けなければ、再び生き返る道がないのです。もっと詳しく、だれも反対することができないように話をすればいいのですが、時間がありません。原理を知っている人は分かるでしょう。 キリスト教では新生をいいますが、その新生とは何でしょうか。再び父母の腹中に入ることができないので、精神的な基準において、愛を中心として、間違って接ぎ木されていたものを真のオリーブの木と接ぎ木されるのです。それにより、真のオリーブの木の、体と心になったという行動を取り、その行動が出発から終わりまで神の愛の法度に和合することができる、そのような一生を歩んだ人以外には、天国に入ることはできません。それほど難しいことです。あなたたちのようにただ食べるための牧師であれば、先生は悪口を言われないでしょう。先生は賢い人です。頭も良い人です。他の人が十年間でやることを三年以内にやり遂げるのです。他の人が三年間なら、先生は三カ月以内にやるのです。手も器用ですし、敏感です。目で測定するのも早いです。厳徳文(オムドクムン)、来ていますか? (彼は)建築設計者として韓国でうわさになっていますが、先生が一目見て、「あれは何ミリメートル違っているよ」と言えば、「そういうことはありません」と答えるのです。では測ってみなさいと言って、測ると、違っているのです。測定するのも早いですよ。芸術的感覚も鋭いのです。ワシントン・タイムズのレイアウトを先生かこれまでコーチしたので、毎年の世界展示会において、三年間チャンピオンになりました。ですから、あなたたちが適当にしようとすることに先生は応じられません。いくら年老いた老人であっても通じません。では公式とは何でしょうか。個人的天国はどのようにつくるのですか。心と体が絶対的に一つにならなければなりません。一つになる前には、世界の金の塊をすべて与えられたとしても体の願うままにはできません。世界の大統領という地位をもってきても、「私は嫌だ、神様以外はすべて嫌だ、神の愛しか知らない」と言えるようにならなければなりません。分かりますか? 「統一教会の信者は苦労しているので、お金が必要でしょう? 約一〇〇〇億ぐらいもってきて、神様の愛とか何とか……」。それはできません。レバレンド・ムーンに、もしその気さえあれば、既に話にのっていたことでしょう。先生の父母が、「あなたの願うものなら何でもやってあげる」と言って止めなかったでしょうか。兄弟が止めなかったでしょうか。友達が止めなかったでしょうか。大韓民国も止めたでしょう。止めようとするので、けとばして出てきたのです。アメリカに来ても、止めるのにああてやるから、悪口を言われ、監獄にまで行ったのです。止める(内容の)ことこそ、やらなければならないことです。止めることよりも、やらなければならない価値を先生は知っているのです。それで闘ってきたのです。彼らが間違っているのです。先生が監獄から十三カ月を経て出る時、アメリカの司法省の長官と裁判長を打つのです。数百万ドルをかけても正面攻撃をするのです。それほどの位置にいても、罪を犯した者だから、仕方がないのです。天下の公判廷の前に事実が現れるのです。神の天倫の道理の前に、悪がどうであったかということが明らかにされるのです。そういう所に自分の看板をもって出てくるのですか。うるさかった者、におわせた者は地獄に行き、先生は元の場に上っていくのです。ですから皆さんもこの道を行かなければなりません。十字架の道を行かなければなりません。分かりますか? (はい)。自分自身が十字架を背負って、勝たなければなりません。ですから、体が好む道に行ってはいけません。 お昼、おなかがすいている時、友人と一緒にパンを買い、自分の手が他の人が食べる前に良いものを取ろうとすれば、心が「この三人の友が食べた一番あとの、残りを食べなければならない」と言うのです。いつもそういう立場です。愚か者の立場です。分かりますか? 愚か者の扱いを受けてもいいのです。統一教会の信者たちは会社にも多くいますが、ある社長は給料をいくらもらっているのに、私たち局長はどうだとかああだとか言っているのです。それで先生に一発やられて、口をつぐむようになりました。先生に、ああだこうだと言えるものではないのです。教域者たちは給料も三分の一ですと言いますが、給料をもらって教域長をやれば、それは偽り者です。砂をかじりながら世話をしてあげなければならないのが教域長です。先生が監獄に行ってくると、統一教会の者たちが教会を全部売り飛ばしていたので、仕方なく先生が全部買ったのです。このような基盤をつくったのです。この基盤を統一教会の信者がつくったのですか? だれがつくったのですか? (先生です)。皆さんよりも良い物を食べ、良い暮らしをしていたならこういうものをつくることができたでしょうか。 けさ着ていた洋服も、世界の有名な人々が来た折、お母様が洋服を作るように指示をした時に、一緒に作ったものです。その洋服屋の主人は私たちをよく知っているのです。先生も一着作るようにとのことで仮り縫いまでして持ってきたのです。お母様の作戦がいいですよ。子供たちのサイズを測らなければいけないと言うのです。それは、先生のも測らなければならないからで、なぜなら、先生がその服に入らないと思っているからです。しかしいけません。ネクタイも嫌がる人です。ネクタイも絞めればいいでしょう。毎日のように替えながら。しかし先生のゆえに死の道を行っている人々がいるのです。ソ連や、その衛星国家の監獄に入っている人たちがいます。統一教会の信者です。死刑宣告を受けて、死刑場に行く時間の報告を先生は受けているのです。お母様は知りません。だれも知らず、先生だけが知っているのです。十二時に先生の部屋に戻れば、彼らのために涙しながら祈祷してあげなければ、先生は偽りの指導者です。それを知らなければなりません。それで統一教会の信者は、宣教師として行き、死の場に処しても、今でも苦労しながら、帰ってきなさいと言っても、帰ってこないのです。なぜかといえば、神が役事してくださるからです。受けるべきことをすべて教えてくれるからです。自分の故郷に帰れば、そういうことはありません。なぜそのように教えるのでしょうか。先生のゆえです。あなたたちのためではありませんよ。主体が動機となっているからです。神が動機となって、人間に自らを投入されたのです。創造は自分の一〇〇パーセントを投入するのです。 今日、神のみ旨を中心として、このような死の谷を埋めるにおいて、自分のすべてを投入するのです。借金してでも投入するのです。借金をして、倒れるようになったのです。破れるようになったので、神が台風を呼び寄せて、借金を取りにきた人をみな去らすのです。そうでなければ素早く他の所から持ってきてくれる、そのような役事がいくらでも統一教会においてはあります。あなたたちは知らないでしょう。先生においてはそのような生々しい役事がいくらでもあります。それを語らないだけです。それを、あなたたちが信じないからです。イエス様が言ったように、地上のことを話しても信じなかった、そのような道を行ったのです。 四十余年を、世界の台風圏から追われ、死ねと迫害する怨讐たちが矢を向けてきたのですが、その矢が先生を避けて通ったのです。だれが避けるようにしたのでしょうか。先生ではなく、神が避けるようにしてくださったのです。「死ね」と言われている者が死なないで、むしろ殺そうとした者が倒れていくのです。金活蘭(キムフアルラン)とか朴(パク)マリヤの群れ、梨花大学を舞台として、非常に騒ぎ立てたのでした。これから梨花大学、延禧大学よりももっと大きい大学をつくります、と神に祈ったのです。それでアメリカにつくって、梨花大学、延禧大学を出た頭の良い人を、再び教育するのです。先生がやると言えばやりますよ。(はい)。 ハイウェイを八一年度に既に宣布しましたが、中共は絶対的にそれを必要とするのです。アメリカ、日本、中国に対応できなければ大韓民国の統一はあり得ません。先生は世界を占うことができる人です。個人の相を占いますが、国の相を占い、世界の相を占うことができるのです。 この者たち、自分たちは座っていて悪口を言ったり、非難をしてきたでしょう。非難され悪口を言われていた文某は、この国が摂理史の五〇〇〇年において、神が初めて着陸する地であることを知っているので、滅びたらいけないので、先生は骨が溶け、肉が砕けたとしてもこのことをやってきたのです。昼夜徹してやってきたのです。先生が統一産業を育てるのに三十年間、今に至るまで赤字になっています。ドイツをつかまなければなりません。中共を開いてあげなければ、日本も韓国も生きる道がありません。ですから日本の教授たちを、日本語を教える人、そして英語を教えられる人を派遣するようになっているのです。先生は中共を生かそうとするからであって、害を与えようとしてではありません。 公式を知らなければなりません。カイン・アベルの公式。カイン、アベルが一つにならなければ神が地上に兄弟の圏を立てることができないし、天国の門を開くことができません。父と母の愛を中心としてつくられる家庭を中心として、完成基盤を通じなければなりません。そのような家庭が天国に行ける本然の基準であるため、この本然の基準に当てはめる歴史が今までの人類歴史一五〇万年でした。聖書には六〇〇〇年となっていますが、それは聖書の歴史です。神が生きておられ、このような全宇宙の秘密と聖書に隠されたすべての道理を明らかにして、現実において、この否定することのできない歴史的事件が当てはまり、測定してみるとすべてが当てはまり、その公式がどこにおいても適応したので、今日の知識層において、変遷する世界において変わらない真理として受け入れられる時代へと越えていくのです。今日がそのような時なのです。ですから統一教会に反対してはいけないのです。そうしたなら失敗するのです。自然と、恐ろしくなってくるのです。これまではサタンが支配していたので、我知らずに反対したのです。これからは逆です。統一教会が朝になってきて、サタン世界が逆になっていきます。統一教会は午前に向いて、白昼の世界を迎えることでしょう。ここに来て、目を開けてみると、神がいらっしゃることを知りました。世界の万民が神の子女であり、万民が一つになることを知ったのです。ですから超氏族、超民族運動、超教派運動、統一運動が始まるのです。何によってそのようにできますか。力ではありません。本然の神の愛を中心として、私たちの心と体がそこに接ぎ木さえすれば、一気に一つになれるのです。ですから外れることはありません。生きて神の愛を体恤しなければならないのです。分かりますか? (はい)。 そうするための道が何でしょうか。皆さんの心が体を絶対的に支配しなければならないのです。これが第一の関門です。これが一つになれば、だれが訪れるかといえば、皆さん個人の立場においては父母が訪ねてくるのです。カイン、アベルのうちで兄が弟となり、弟が兄にならなければなりません。このような逆説的な基準を堕落した世界において探し出し、否定の道を通じて、逆説的な長子の基準を次子から復帰しなければなりません。そうしなくては、神の愛の発動ができないのです。サタンが人間の下であって、人間の上になることはできません。堕落したので、人間の上で神の代わりの役割をしたのをひっくり返すためには、人間が次子の立場で、サタンを長子の立場に立っているのを屈服しなければなりません。屈服させるには、こぶしを握って闘ってはなりません。より高い愛をもって、サタン世界の愛より高次元の愛があれば、自分も知らずに屈服するのです。ですからイエス様が聖書で、「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と言ったのです。統一教会を信じている人々は自分の家族が怨讐です。先生がその道を行ったのです。その道を行くためには、自分の家族、自分の国が怨讐です。一つの宗教圏を中心として、キリスト教と統一教会を見れば、統一教会はアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。先に生まれたからです。天使長は、アダム、エバより先に造られたのてす。そしてサタンを中心としたエバの愛が先でした。ですから聖書の歴史は長子を憎むのです。なぜそうなのでしょうか? 堕落したからです。宇宙を主管するようになった動機が、堕落の愛を中心として、最初の愛によって成されたので、最初の愛の実である長子は神側に立つことができません。悪がより少ない次子を神の側に立てて、取り戻す運動をするのです。ですから歴史において、ヘブライズムとエレニズムを中心として神側とサタン側と闘って、歴史を大変動させたのです。それは、第一次世界大戦においてもそうであり、第二次大戦においてもそうでした。第三次戦争を中心として思想的時代にそのような闘いを今やっているのです。 では公式は何でしょうか? アベルが愛の心をもってカインを自然屈服するのです。強制的にするのではありません。既成教会が反対するからといって、手段、方法を使って、統一教会がお金でやったなら、み旨が成就されません。自然屈服です。自然屈服ですよ。何の力でやりますか? 愛の力をもってやります。愛を中心として長く行う人は主人になれるのです。愛はどのような能力をもっているのでしょうか。中央を占領する力をもっているのです。分かりますか? 真の愛は中央において定着します。それを知らなければなりません。それで神側の愛を中心として、サタン側の長子の愛を自然屈服させる次子の立場において、兄がその弟を行った罪があまり大きいので、父母の前に帰るためには、あなた(弟)が、私(兄)の前に立って帰ってくださいということが起こるのです。弟を通して父母の前に出ていけるのです。そうするために私(兄)のすべてをあなた(弟)に与えているのです。このようにして長子の権限をを奪うことをやるのです。 ヤコブとエサウの逸話がここから始まるのです。聖書の中で、次子が祝福を受けた理由はここにあるのです。ヤコブとエサウが腹中で闘っている時、リベカが祈ると、神が現れて、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五章二三節)と言われたのです。なぜそうしなければならないのでしょうか? タマルがペレヅとゼラが産む時、同じようなことが起きたのです。なぜでしょうか? これは、カイン、アベルの公式が適応されたのです。天国を成すためには、完全なる神側の長子、次子を探す以前には父母を訪ねていく道がないのです。これが結論です。分かりますか? ですから、今日の終末においては、一つの世界に向かうので、長子圏である外的な共産世界と次子圏であるキリスト教文化圏が対峙して闘うのです。これらを一つにしなくては、来られる主は、父母の立場に立って、世界を天国化することができないのです。天国は兄弟同士ではつくれません。そのような原理がありますか? 天国はどこから始まるのですか? 神の愛を中心として、対象である完成した真なる父母の愛を中心として天国が始まり、その愛から枝となったものが子女であります。 今、復帰路程は逆になっているので、僕の僕から僕、養子、庶子、息子、エバ復帰、母の復帰時代を経て、父を復帰するのです。ですからキリスト教の総結実は何でしょうか? 新婦の立場において、母親の基準に合わせて、世界の兄弟を抱いていかなければなりません。 これが第二次大戦直後に起きたのです。戦勝国家がなぜ敗戦国家を独立させなければならないのですか? その時は既に兄弟国家時代になってくるのです。キリスト教文化圏が一つになり、この世界が一つに統一されたので、キリスト教がアベルの立場であり、キリスト教文化圏、この民主主義がカインの立場で一つになりさえすれば、その一つになった基準において父母を迎えて一つになったなら、父母から神と一つとなって、父母の愛の圏を中心として、子女が一つとなって、愛に連結され、神が願っておられた本然の理想的天国顕現が可能な基準を探せるのです。ですから天国は子女だけでは現れません。分かりますか? (はい)。アメリカとアメリカの民主主義と共産主義をもってしては、父母が顕現することはできません。これが一つになるときに父母が現れるのです。皆さんの心と体が、カイン、アベルの立場において完全に一つになれば、天の父母が皆さんに臨まれるのです。霊的に臨まれるのです。 このようにして、そのような男、そのような女が、カイン、アベルのような立場で初めて一つになるとき、家庭的天国が形成されるのです。これは公式ですよ。分かりますか? 公式を知らなければなりません。ですから、天上天国を言う前に、個人天国はどのようになっているのですか? 皆さんの心と体が完全に一つとなって、聖霊に満たされなければ天国に行けないという話は正しいのです。 聖霊は母神ですから、(聖霊を)受けて父を慕い、この地上において恋愛する以上に慕わなければ、聖霊を通した神の愛の因縁につながる自分とはならないのです。これをできない者たちが食事をしたり、家がどうだとか、勉強がどうだとか、それらは問題になりません。これを知らなければなりません。分かりますか? 長子権復帰基準を皆さん自体において、心がアベル的立場において、完全にアベルが体を自由に支配できる善圏を、完全に永遠に確保する基準がなければ天の父母と連結されません。これが個人天国の公式です。その公式を拡大し、そのように主体となった男性と、そのような相対とを、横的に平面的に見ると、先に生まれたのがアダムですか、エバですか? アダムはカイン的長子の立場です。あとから生まれたのがエバです。 エバがアダムを主管したのです。そうでしょう? 復帰しようとすれば、アダムを主管した基準を蕩減復帰しなければなりません。これをどのようにするかといえば、祝福を受けた家庭は、三年間、女性の言うことに絶対服従したでしょう? 先生がそのように教えたのでしょう? それはなぜかといえば、男性権を与えたら長子になり、先に生まれた長子権を行使すれば、サタン側になるからです。しかし、これは堕落圏を逃れる時までです。 しかし、きょうから時代が変わってくるのです。先生が何をしたかといえば、長子権復帰、個人的長子権復帰をし、世界舞台に出たのです。全世界の個人的反対、全世界の家庭的反対、全世界民族、国家、世界、全体がレバレンド・ムーンを攻撃するのです。しかし、先生が行ったことは、この原則を適応することです。長子圏全体を、次子圏の神側において何で克服するかといえば、闘いでするのではありません。愛で行います。怨讐を愛する愛です。ですからイエス様が十字架上において臨終するそのような過程で、ローマ兵は怨讐ではありますが、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ福音書二三章三四節)と言ったでしょう? 怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛さなくては、天国に入ることはできません。なぜでしょうか? 「完成したアダムは、堕落しなかったなら、私(サタン)を愛したはずです。私は堕落しましたが、神は原理的主人であり、原理的主人としての本然の基準を守るべきではないでしょうか? そうするためには、あなた(神)の子女が天国に行くためには、あなたと同じように私を愛したという条件を立てなければ、天国に入る資格をもてないのでしょう?」。 エデンの園に怨讐がいましたか? 「怨讐という感情は私(サタン)によるのですから、私の側でないでしょうか」、というように食いついてくるのです。それでこのような怨讐が、共産国家、世界国家、国家圏となっているのです。世界圏、国家圏、民族圏、氏族圏、家庭圏すべてにおいて障壁となっているのです。ですから、そのような舞台の前に、先生は一人で立って、全体国家、共産主義、民主主義のすべて、ユダヤ教、キリスト教のすべての前に立っています。それでダンベリーの刑務所に入られたのです。刑務所で成したことが何かといえば、アメリカを生かす基盤をつくったのです。六つの団体をつくったのです。その時、「ワシントン・タイムズ」もやったし法廷の期間にお金の支払を承認したのです。週間誌(インサイト)、月刊誌(ワールド・アンド・アイ)もアメリカを生かすために、自由世界やキリスト教を生かすためです。七〇〇〇人教育から、今は七万人のキリスト教を指導する牧師たちを教育しているのです。それで二十万、三十万人を教育しているのです。そして三十万セットのテープ、統一教会の統一原理のビデオを送ってあげたのです。これが問題となっているのです。彼らは頭がいいので、骨子を知ってみると、自分たちがでたらめであったことが暴露されるのです。だれに聞いても、みんなテープをもらったと言うし、友人に聞いても、みんなもらったと言います。「今あなたは何章を見たか?」「私は何章を見た、その感想はこうだ」と言うので、今問題が起きているのです。 今日、韓国にいる既成教会の牧師たちは、世界を知らないでいるのです。長老派教会の総会長が、ここに来る日は遠くないのです。このようにして、キリスト教文化圏が解放直後にレバレンド・ムーンを迎え入れて、世界に統一理念の神のみ旨を成就できなかったので、初めて四十年間荒野に追い出され、そこから地上に着陸して、再度キリスト教文化圏、キリスト教を生かす運動をやずているのです。このようにして統一教会がアベルで、既成教会がカインの立場で、既成教会自体が目覚めるのです。あ! あ! 私たちが知らなかったのだ! 知ってみると自分たちの弟なのです。自分たちが戻っていくには、弟を兄として侍らなければならないという教理的に知るようになるのです。ですから統一教会が先に行くようになります。あなたたちが長子権を復帰する代表者であることを知ったので、すべてにおいて、自分たちの教会もあなたたちが責任をもち、すべてにおいて自分たちの代身になってください、ということが起こるのです。これは、アメリカ一帯における所願なのです。このようにして統一教会とキリスト教が一つになって、アベル的な立場でアメリカ政府と一つになれば、自由世界圏に天の父母が登場するようになります。神の愛と父母の愛を連結して、父母が絶対愛するといって公認される一つのビザを受ければ、天国に入ることができる自由人となれるのです。 これらすべての蕩減条件を立てて、今日ここ韓国に来て、世界基準に接ぎ木するのです。先生が今度揺り動かすことによって、韓国で先生はだんだん上がってくるのです。「文総裁が最高だ」と。既成教会の牧師たち、監理教(カトリック)の牧師たちが反対したりしますが、彼ら(の教会)はみんな空っぽなのです。これから、反対すればするほど信者がみんな離れていくのです。今までは離れたり、出ることはできなかったのです。今までは統一教会に行くと、しかったり、騒いだりしていましたが、これからは、しかったり騒いだりしなくなります。騒ぎ立てると、サタン世界は、地上で騒ぎ立てた十倍、一〇〇倍の蕩減を、(神の)願うままに払わなければなりません。代価を払わなければなりません。ですから、サタン世界が早く崩れ、滅びることを知っているので、心が恐怖にかられ、反対することが恐ろしくなるのです。 昔、統一教会の信者は、「既成教会の反対する人をどのようにすれば救えるか」と、憎いけれども祈って、愛で抱いて消化しなければならないので、耐えました。しかし、これからはどのようになるのかといえば、神様がそれとは反対の作用をするのです。統一教会を憎む人たちがいれば、良心的な人士たちが、「君たち、なぜ反対するのか」と私たちの代わりに闘ってくれるのです。 ですから先生は恐ろしいものがありません。アメリカに行っても、共産党を恐れません。世界は、共産党を一番恐れています。モスクワのクレムリン宮殿、またKGB本部には、統一教会の調査局ができているという報告を、先生は受けて知っています。三大怨讐は、レーガン、ローマ法王庁の法王、レバレンド・ムーンで、レバレンド・ムーンが一番憎いのです。れ―願は、三年後には離れていくし、ローマ法王は、年を取って亡くなるだろうし、統一教会のレバレンド・ムーンは、年齢が七十歳に近いのですが、青年と相撲をしても勝つのです。(拍手)まだ死にそうもないし、に供ち(共産党)は真っ赤な赤をつくろうとしますが、(先生は)真っ白いものをつくるのです。異なるのです。これは骨だけが真っ白なのてはなく、血までが真っ白なのです。それで統一教会は白十字架を立てるのです。それで共産世界では暗殺の対象となっているのです。危険千万です。 命を懸けてこのようなことを成しているのです。これからCIAは、レバレンド・ムーンを保護しなければならないというのです。昔は憎くて殺そうとしたのに……。しかし、白人の中にはいまだ狡猾な群れがいます。実用主義者たちです。「自分たちは平等があるので、救世主とか宗教は必要ないのだ。イエスのような者がなぜ必要なのか?」と言う、このような群れが共む党と手を結んで、CIAの中にもいることを先生は知っています。彼らが共同作戦で先生を除去しようとすることを知っています。そのようなひやっとする際どい線、難しい道を走っているのです。しかし、神が守ってくださるのです。これから先生が亡くなることがあっても、先生の死を嘆いてはならないのです。すべてを成したのです。 先生のダンベリー以後に、アメリカ国民は、歴史が数千万年たっても、自分たちが行った罪ゆえに、白人社会はひざまずかなければなりません。アジア文明と西欧文明の交差点が、ダンベリーの出発と同時に始まったのです。 先生はどのような権限をもって帰ってきたのでしょうか。サタン世界を撃滅するためであります。このような立場にいるので、キリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つとなって真の父母を迎え入れたならば、天下の統一が始まるはずでした。これを第二次大戦以後に、キリスト教文化圏を中心として、たった一度、歴史上に宗教文化圏が世界を支配することのできる神の最後のチャンスを、アメリカとキリスト教の過ちによって失ったのです。統一教会のレバレンド・ムーン一人を打とうとして、これほどまでに滅びてしまったのです。信じられないようでしたら、祈ってごらんなさい。 統一教会の若者たち、はっきり知らなければなりません。このように悔しい歴史的な恨みがあります。先生一人の恨が問題ではなく、神が神としての役割をすることができず、数多い事情を残した歴史過程であります。神の骨が溶けるほどの悲痛な涙と血を流した足跡が、この世界の地で喊声を上げているのです。解恨成就の使命が残っているのです。ですから、先生が今、このようにしているのです。 旧約時代に万物を犠牲にしたのは、神の子を取り戻すためであり、新約時代に子女を犠牲にしたのは、来られる主、父母を迎えるためであります。今日、統一教会で真の父母という名で呼ばれるレバレンド・ムーンが、この世界に来て、あらゆる艱難を受け、悪党の頭として取り扱われたのも、神の解放のためです。神を解放できなかった三つの条件があります。全人類が怨讐を愛したという印のあるパスポートを持つ日が、神の解放の日となるのです。怨讐を愛さなければなりません。それで、先生がアメリカに行ってやったことは何ですか。レバレンド・ムーンだけは、ダンベリーに入れられながらも、怨讐を生かすために苦心して闘うのです。自分の死を恐れることなく、再び死亡線か交差されるのです。先生は霊的に敏感で、人を見る目があります。それで陰謀を知っているので、その前にみんな会って、もみ消す手腕があったのです。六カ月間、眠りませんでした。それで神山が四カ月間、先生が眠っている時間、見守ったのです。それが終わるや否や、神は先生を保護すべき責任があるのです。予期しなかったアメリカ人を動員し、イタリア人を動員して、先生を見守るために夜眠らないようにすることが起こるのです。それはだれがそうしたのでしょうか。神が役事するのてす。そういう闘いをするのです。そうしながら恨みを晴らし、このアメリカが滅びることを呪うのではないのです。 ニカラグア問題を中心として、アメリカが滅びるか、レーガン行政が窮地に追い込められた時だったのです。朝食をとろうとすると、食べられないように騒ぐのです。分かってみれば、神がそうさせたのです。「あなたが手を使わなければ滅びるのです」と。それで、普煕朴(ポーヒパク)とアンバサダー韓(ハン)がお母様を通して、日曜日だったのですが(お金を)払ったのです。レーガンがヨーロッパへ行った時です。土曜日に、ここで緊急措置をして、「ワシントン・タイムズ」が扱ったので、七週のうちに一四〇〇万ドル、国会が大統領の威信を失ってしまったのを、先生がひっくり返して、二七〇〇万ドルを通過できるようにしたのです。「もしあなたたちが払わなければ、私が支払います。あなたたち国会上院議員が支払わなければ、私が現金で支払います」。泥を塗るようになったのです。このような闘いをしているのです。これは天地によく知られているにもかかわらず、新聞記事の一つさえ(紙面に)載っていなかったのです。レバレンド・ムーンのおかげでニカラグア問題が通過したということを、言論界の日刊紙では、一七〇〇もあるのに一言も書けなかったのです。ある田舎の新聞だけが、このことがあまりに重大なことなので、「アメリカの国会議員が三五六名いるのに、たった一人レバレンド・ムーンだけが五三〇億を使ってアメリカを救った」と評価しました。その一つしかありませんでした。 正義だと知りながら、正しいことに対して冷遇するのですか? 今になって、選挙においてレーガン大統領に八〇〇万以上投票させることができるのはレバレンド・ムーンの団体しかないと、それが分かって、共産党も知って、レーガンの顔が変わってくるのです。「世話になった恩人に対して目をそらしていたあなたの姿が、今やくそ犬ぐらいになってしまったのだ」。先生はレーガンに会えば、正面切ってそのことを言います。 先生はそういうことをやっていました。今も、ここに来る前日まで、昼夜徹して組織を強化しているのです。 組織の力、統一教会の組織の力。先生がここに来る前に、十二月二十八日にヒューストンで、ここに来ることを宣布し、これから先生が帰るので、ついてくるように通知して、連れてきたのです。蚕室体育館で十六日に大会を行うのですが、十二日に許可を得たのです。四日間にその準備をして広場を超満員にすることのできる組織力をもっているのです。(だれも)それほどまどては思っていなかったでしょうこれども。あなたたちもそれを知らないでしょう。韓国が生きるために、アメリカを動かさなければなりません。第八軍司令官が身じろぎもできない韓国ですが、その頂上をだれが抑えるでしようか? 牧師たちが抑えると思いますか? あなた方が抑えと思いますか? 神様がされるのです。神以外にはいません。 先生は、雨が降り、雪が降ることを知らず、夜を昼のように感じ、食事をすることも忘れてこのことを行ってきた人なのです。楽な生活ができたと思いますか? 神を知った罪のために、だれよりも悲痛な神を知ったがゆえに、私の一身が散り散りに引き裂かれることがあっても、この飛び散る細胞は、神の恨によって飛んでいく細胞であると叫べるなら、男として生まれた甲斐のある人生であると、死の道を探し回って行っているのです。行けば滅びる、この世から消えると思っていた。しかし、このようにやってきたのです。それで、皮肉を言われたり、呪われたり、あらゆることをされてきたのです。 私が数字的で打算的な考えをもっていたなら、この国には帰ってきません。呪ったりするでしょう。そして、滅びるのを私の目で見るのです。しかし、(この国は)神が探し求めておられる、歴史的な祭壇、祭物の国として育ててこられたことを知っています。苦労されてこられた神は父母様の立場です。父母の血と肉が染み込んだこの地であることを、先生は知っているので、孝子の道を行かなければならないのです。自分のみすぼらしい姿-春香伝の李道令が印篭(いんろう)をつけてこじきの姿になりました。未来において、正義を立てて天下を正しめるその心の前には、こじきの姿が問題ではありませんでした。ひと日を中心として、正義の天下を立てなければならず、それが希望であり所願でした。 この国に勝共連合をつくる時、呪い、嘲笑した人たちは、「レバレンド・ムーンは大統領になろうとして、ああいうことをやる」とか言ったのです。大統領は、それほど偉大なのでしょうか? アメリカの指導者を、自分の手でつくらなければならないという責任感をもってやっているのです。また、何のために中国なのでしょうか? 既に十年前から、獄中にいる時には三月から言い続けてきたのです。三月から今まで何カ月ですか? 三月から十二月まての八カ月目に夢のようなことが起きているのです。それが三十、四十年間の、ここにいる男の所願でありました。神は、先生が祈祷すれば、そのすべてを成就してくださるのです。南北統一をいかにするかという問題のみが残っていますが、神の願うとおりにやれば、短時間でできます。ですからここに来ている教区長たちは、一心に団結しなければなりません。 一番の問題は何かといえば、天国創建するためにはここにいる人たちが問題なのです。カイン・アベル個別的天国を完成しなければなりません。公式は同じです。家庭天国を完成しなければなりません。夫をカインとし、神側の長子とし、妻は神側の次子のように、(なぜなら)アダムを先に造ったでしょう? それが一つにならなければなりません。昔のアベルはカインを探すために犠牲になったけれども、私たち統一教会の女性たちは、男性を神側に立てるために犠牲にならなければなりません。祈祷をしながら。そして、カインとアベルが一つになるのです。家庭で夫婦が一つにならなければ、父母を迎える圏が生まれません。家庭天国が生じません。私たちの統一教会には、ホーム・チャーチというものがあります。このホーム・チャーチというのは、カインの氏族を一つにすることです。分かりますか? そのカインの氏族圏を一つにして、アベル氏族圏をつくらなければ、その基盤の上に、父母を迎える基盤が生じません。氏族的天国が現れません。父母を迎える基盤がつくれません。それがつくられれば、その時から民族に連結されるのです。氏族圏を中心として民族に連結されれば、民族を中心として国家は縦的になります。相対的です。国を中心として、主従関係にあります。 イエスがこれを成そうとしたのです。イスラエルのユダヤ教とユダヤの国を一つにして、ローマと直結しようとしたのです。ローマが主体国となって、ローマが中心として立って、イスラエルの国が中心の軸とならなければなりません。ローマは肉とならなければなりません。そうなれば、イエスを中心とした新郎、新婦となり、ローマのシーザーは万王の王であるイエスと、万王の王の妻、新婦、万王の皇后となれるのです。そのイエス家庭が生じて、血統的に神の愛を中心とした父母がいて、イエスの血統が生まれたなら、キリスト教はこのように四百余派にもたくさん生まれてこなかったのです。イエスの血族が全部ローマ法王庁を中心としていたなら、世界は既にそのまま統一されていたのです。神を中心として、すべては主体が対象のためという状況になったならば、世界は統一されるのです。しかし、それができなかったので、ローマ法王庁が腐敗することで、天下を一つにできる版図をすべて失ったのです。 それが新たに第二世、すなわちアベル圏、カトリックをカイン圏として、カトリックが反対するので二番目に出てきたプロテスタントを中心としてアベルの立場に立てて、太平洋を渡った所にアベルが集って結合され、プロテスタントの統一国家、アメリカをつくったのです。独立宣言でプロテスタント統一国家をつくったのです。アベルの独立国家です。これに対し、ヨーロッパは逆になっているのです。アメリカに従っているのです。アメリカが長子圏に立っているのです。それで、アメリカをして、全世界を統合し得る時代になってくるのです。 キリスト教がアベルの立場に立って、アメリカ自体がカインの立場で一つになったなら、来られる主を父母として迎え入れて、神の愛と父母の愛とカイン、アベルの愛を束ねて、和することができるのです。それが和すれば、国家を越え、文化を越え、血統を越えて、血族を越えて一つになれる神の愛の圏が形成されるのです。そうなれば、この世界を、既に統一世界に成し得たのです。このようにすることのできるみ旨を抱いているレバレンド・ムーンが韓国に生まれたのは、イエスがイスラエルの国に生まれたのとちょうど同じなのです。ローマの前にいる植民地と同じ立場です。これは神側のローマです。イエスが死んだので、神は終末に、イエスが来られる時にこのような内容を蕩減復帰しなければなりません。サタン圏内に入って神を打ったのを、すべて世界的に除去しなければなりません。除去し清算しなければ越えることはできません。 そのような立場に立った韓国が、アメリカの保護圏内で神の従属国、神のアベル圏であるアメリカを通して独立させ、保護圏内に立たせて、ここからキリスト教とレバレンド・ムーン、カイン、アベルが一つになって、直ちに大韓民国自体の国家的基準を立てることができ、先生と大韓民国が一つとなって、アメリカと連結されていたならば、七年以内に世界を収拾することは神のみ旨でありました。これがそれてしまうことによって、この短い四十年間に、それほどまでにも変動が激しく、それほど多くの国家と、数多くのキリスト教信者が惨状を被り、今は方向すら失って、位置までも喪失し、「神は死んだ」といえるほどの時代圏へ転落したのです。その悲惨な状況をだれが同情するでしょうか? 一人もいないのです。アメリカの牧師や指導者たちが、もっと憂慮するのではなく、ここから逃げ出すために、忙しく騒いでいるのです。たった一人レバレンド・ムーンだけが天の命令によって、アメリカの地で彼らと共に、昼夜もなく闘い、先生はのどが裂けんばかりに叫び、死を覚悟して闘ってきたので、彼らが目を覚し、今は分かるようになったのです。通り去る客であると思っていたが、実は神が送った全権大使であることを知るようになったのです。 それでこれから定着することのできる基地が、国家を越えて世界的に芽生えることのできるすべてを頂上にして、イエスが失ったことをダンベリーにおいて、すべて結束して蕩減して、勝利の盾をもってここに来て、きのうの式と、きょうの式をやることによって、いかなることが起こるかといえば、これからは霊界と肉界の統一圏が始まるのです。言い換えれば、四十年前にキリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つになれる、その基準を失ったのを、四十年の受難の道を経て、再び贖罪され、アメリカのキリスト教会と統一教会が一つになれる世界史的な基盤を整えてきました。キリスト教とアメリカを中心として、キリスト教と統一教が一つになる立場を立てて、アメリカをカイン的立場において、すべての政治、経済分野において先頭圏を取り、越えていける条件を完全に掌握できる時代に入ってくるのです。分かりますか? (はい)。カイン、アベルの公式は同じです。天国は父母を迎えなければ行くことができません。統一教会はキリスト教と完全に一つになれば、父母を迎えることができます。 キリスト教の指導者たち、エルサレムの聖地に行こうとした人々がみんな、先生の故郷を訪ねていこうとするのです。分かりますか? 韓国の聖地、釜山の聖地よりも、北韓の故郷の地を訪ねていくのです。どんどん集まってくるのです。聖地が本来の聖地ではありません。北韓の地、先生の生まれた所が聖地なのです。北韓の地に行こうという世界からの喊声が東西南北に響き渡る時、金日成は後退です。後退しなかったなら、中共、アメリカ、日本を通して押し出すでしょう。あなた方は夢や妄想のように思うかもしれませんが、既に基盤を整えているのです。中共の政府がいくら嫌がっても、先生を受け入れなければ二十年、三十年の先進の科学技術を失うようになるのです。それらの基盤をすべて整えているのです。 先生は自分だけの利益を求めているのではありません。技術を提携していかなければなりません。先生を収監するような、そんなつまらないことをする時ではありません。世界最高の科学技術を平均化しなければならないと主張しているのです。先端技術であっても何であっても、すべての電子世界の秘密をもっているのです。 日本の電子世界において十大会社の頭になっている人たちも、私たちの指導を受けていることを知らないでしょう。二十五日の特別報告によると、世界にない特別な金属を発見したのです。コンピューターの歴史になかったものを作り出しました。そのような技術をもっています。 韓国の大手企業が先生の所に来て交渉するのですが、(民間)個人の団体には使いません。中共に使うでしょう。中共に注いで、万民に平均化して分け与える道を造ります。莫大な国土をもっている中共、人類の四分の一の人口をもっているその国で、今、アメリカで使っているほどのお金を三分の一だけでも中共に使えば、中共を完全に甦生させることができます。中共が先生を歓迎すれば、先生はアメリカに帰らなくてもいいのです。アメリカが先生の言うことに従わなければ、逆に足でけってしまいます。アジア人が先生の言うことに従います。イスラエルと中東は闘っていますが、先生が今、アカデミーを通して和解させているのです。 各国の大使館が成せないことを、嘲弄(ちょうろう)されながらやっているのです。今になってそのことが明らかになると、統一教会の文先生は偉い人だと言います。先生はそのような人々の称賛を受けたくありません。 このような莫大なことを一人で狂人のようになりながら、悪口を言われながらやってきたのです。これを成すことは易しいと思いますか。易しいですか、難しいですか? (難しいです)。そうです。どれほど難しいことでしょうか。 先生の目が睡眠不足で、開いていられないくらいの痛さを感じる時、「この目よ! 見なければならないのだ!」と、目と闘ってきたのです。おなかと背中が引っ付くほどになって、四肢が動かなくて倒れるほどの境地においても、「このおなかよ! 行くべき道を行かなければならない」と、言ってきたのです。 先生は神に保護され、一人で歴史にない激闘をしてきた男です。霊通する人はどんな人でも、文先生が本物か偽物かを祈祷してみると痛哭させられるのです。我知らず痛哭するのです。一日、二日痛哭させられるのです。文先生を知ろうとするなら、痛哭する心情をもたなければ知ることができません。だれかが先生に対して一言言うだけで、先生は血みどろな恨を解き、痛哭する事情をもっていることをだれが知っているのでしょうか。お母様も知らないのです。だれも知りません。ここに従っているこの偽物たち。だれが知ることができますか。だれも知りません。神様のことを知らなかったなら、先生はそれほどまで悪口は言われません。神様をだれよりもよく知っていたからです。先生だけを頼りにしている神様がどれほどかわいそうでしょうか。二〇〇〇年間の歴史を二十年間で蕩減復帰したのです。それは易しいことですか。言うこは易しいことです。 アメリカに来て先生は祈りました。アメリカ滅びるしかないでしょう。そうでなければ、別個に歩んでいたその歩みを変え、先生が救世主であるという喊声によって、泣きながら従ってくるようになることを知っています。 天国創建をするという今年の標語を立てましたが、これは不可能のようで、可能なことなのです。今、霊界におけるイエス様も、真の父母からの血統的立場で生まれていません。神様の愛を中心として父と母が神の愛を受けて復活された、そのような復活圏、その愛の実体をもった父母の愛から生まれていません。父親がだれなのか分からないのです。先生は詳細に知っています。いかにしてかといえば、イエス様、神様を通して知っています。神の恨みはだれが解きますか。神は解けません。神の恨みが積み重なるようにしたのは、だれですか。子女のゆえです。父親の胸に火をつけたのは子女です。その子女が死に向かっていますが、その子女が蘇生できるまでは、その恨みを解くことはできません。 今日、宗教指導者たちはひざまずいて恵みを得ようと祈祷しますが、先生は恵みを得ようとして祈祷したことはありません。先生は自分を祭物にするのです。 旧約時代には万物を犠牲にして神の人々を探し求めたのであり、新約時代には息子、娘を犠牲にして父母を探し求めたのであり、成約時代には父母の家庭を犠牲にして神を解放しようとするのです。 本然の父母をこの地に迎えて、その方と共に千年、万年侍って生きるようにするのです。韓国の民謡に「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこの、あそこの、あの月の中に桂の木が入っているので、金のおので取り出し、銀のおので整えて、わらぶきの山間の家を建てて、両親も迎えて、千年万年生きていこう」という内容の歌があります。それはすべて韓民族の啓示的内容です。天の父母を迎えて千年万年生きたい。先生が韓民族を思い出すたびに、心に染みる、忘れることのできない歌なのです。韓民族においてはそうなのです。 同様に公式があります。皆さんだけでは天国をつくることができません。父母が臨まなければなりません。霊的な聖霊と共に一つになって、イエスの愛と共に和合できる胸に抱かれなければなりません。そうすることによって、神側の真のオリーブの木と野性のオリーブの木が接ぎ木できる可能性が生まれるのです。だからといって接ぎ木することはできません。霊的であるからです。再臨時代に真の父母が来て接ぎ木してくださるのです。 この時代に、皆さんが統一教会に入ってくる時、カイン、アベルの統一圏を備えなければ、ここに参席できません。分かりますか?(はい)。 それは天国建設の基本です。公式は同じです。妻を中心として見るとカイン、アベルの立場と同じであり、主従関係における神と息子の関係は絶対的です。父子の関係をだれが切ることができますか。夫婦の愛が一つになれば、その愛をだれが分けることができますか。だれも切ることはできません。神様も切ることはできません。永遠なるものです。カイン、アベルの関係と同じようにあなた方夫婦が一つになって、真の父母を父母として侍ることのできるような夫婦とならなければなりません。 神の愛と父母の愛が我々の家庭に臨まれ、その愛の圏内において子女が生まれるように愛していますか? 深刻な問題です。そうでなければ家庭天国が開門されないというのです。 家庭が復帰されるには、蘇生、長成、完成と通過するでしょう①。長成期の完成級で堕落したから②、ここからすべてペアを成して子女を繁殖してきたので、復帰基準もここに上がってこなければなりません。自分自身を引き上げて、残りの一段階の七年路程を歩まなければなりません。それゆえ終末になると大患難が起こるのです。七年間の大患難という話はそこから出てくるのです。だれもが行かなければなりません。ここにサタンが総結集するのです。ですから、賢明で立派なレバレンド・ムーンが世界的な迫害を受けているのです。 原理的に見る時、本来はこの位置において相対をもつのではありません。これを解かなければなりません。ここ③で相対をもてば、永遠に上がるようになるだけであって、下がることはないのです。ここから堕落してしまったからです。ここ④から落ちたのです。成熟期に落ちてしまったのです。今日の祝福の位置がここ④の所です。 皆さんがこの七年路程を世界的に越えていこうとすれば、世界的カイン家庭、個人の迫害、世界的な家庭の迫害、世界的氏族の迫害、世界的な民族、世界的な国家、世界的な世界迫害、そして霊界にいる地獄の悪霊すべてが結集して攻撃するのてす。霊界と肉界が一つとなって攻撃してくるのです。ここで闘ってここまで越えてこそ本来の人間がサタンの侵入を受けていない立場に立つのです。神の直接的愛の圏内で天国に入れる本然の基準が家庭基盤です。このように莫大なことが残されているのです。ですから、先生は六〇年代に家庭を祝福しておいて、復帰歴史を進めてきたのです。蕩減復帰の歴史を歩んでくるのです。 神の日を設定し、父母がこの地に現れなければならないし、真の父母の愛を中心とした父母は、神の真の愛を中心として本然の立場に立って、サタンが讒訴できない立場におられる父母の血族の身代わりの立場に立たなければなりません。そして次に、子女の日を設定するのです。真の父母と一つになれる子女の日です。完全に一つとなって、この過程においてサタン以上の愛の心を持っていれば、サタンがこの位置に上がってくることができません(図で説明)。八三年、八四年、八五年を中心として、四十年期間中に三年先んじて統一教会はあらかじめ犠牲となるのです。この期間に法廷闘争を行い、興進君が亡くなったのです。二年目に当たる八四年に興進君が亡くなったのです。興進君は二番目の息子です。統一教会でも、教会長三人のうち、二番目の教会長が客死したのです。喜進(ヒジン)君も二番目の息子でしょう。喜進君も客死したのです。お母さんは違いますが……。お母様の生んだ二番目の息子が客死したのです。分かりますか? なぜそうでなければならないのか? 二番目の娘が八日目に亡くなったのです。イエスが二番目として失敗したので、カインとアベルを中心として見る時、アベルが打たれてきたのです。いつもそうです。アブラハム、イサクにあって、イサクが祭物となったのです。二番目が問題です。アダム家庭、ノア家庭で二番目のノア家庭が洪水の審判を受けたのです。 あなたはアベルとして生まれてきましたが、真の父母の血統的因縁から、腹中から生まれたのですか? 霊界にはそういう人は一人もいません。霊界に行っている人の中で真の父母の血統を通して生まれた人は一人もいません。イエス自身もそうではないのです。ですから地上に橋を架けようとしても架ける術がないのです。地上で真の父母の愛によって生まれた興進君が行かれることによって、イエスと連結されるのです。 イギリスの聖公会の神父一団が霊界を通して啓示を受けました。イエス様が一人の東洋の青年を連れてきて、「この間までは私一人で教えていましたが、この興進君はまだ青年ですが、新しいキリスト、He is a new Christ, I am an old Christ」と言われるのです。なぜそうなのですか? 心情圏を中心として見る時、誰が兄であるかといえば、興進君が兄なのです。分かりますか? 霊界に先に行っているイエスが長子の立場ですが、その権限を次子に引き渡し、自ら次子の立場に立ったのです。真の父母の愛を中心とした本然の基準を通じなければ、天国に入っていける門に連結できないのです。そうしなければ楽園の門が、天国に通じる門が開かれないのです。それで四十日後に薫淑(フンスク)さんと結婚させ、地上で結婚式を行って、地上に往来できる立場に立って連結するのです。そうすることによって、地上の再臨がいつでもできるようになるのです。イエスが聖霊を中心として役事したのと同じです。地上で新婦のような立場を中心として、実体圏のキリスト教文化圏世界を成し得るのです。霊界において、イエス様、興進君を中心としてキリスト教と連結できる基盤ができているので、地上世界で、キリスト教と統一教との連合運動が起こるのです。分かりますか? 地上において解かれなければ霊界においても解かれないのです。だれが解くのでしょうか。先生がこのように話すからそのようになると思いますか? 霊界と肉界に橋を架けるために刑務所に入ったのです。それによって完全にキリスト教の門が開かれなければなりません。今までのすべての反対、国の反対が、獄中を中心として、レバレンド・ムーンを救う運動となって、全国的に展開し始めるのです。キリスト教が団結して、先生の味方となってくるのです。 イエスが直接来られて、自分の十二使徒をはじめ、北米においては聖人であると言われている群れを全部引き連れてきて、キリスト教の責任者たちを煽動し始めるのです。今では燎原の火のごとくに、教界をはじめ、地方の教会にまて全部カウサ運動が起きているのです。統一教会が展開しているのです。分かりますか? この基盤を、アメリカの共和党、民主党は防げることはできません。共和党、民主党は、神が保護する組織をもっていません。先生の組織は、この七一〇〇の日刊紙が選挙の時いくら破ろうとしても破れない、先生をアメリカの大統領にしても余りある支持力をもっています。レバレンド・ムーンが打たれてそのまま立ち去ると思いますか。朴普煕、何の話か分かりますか? (はい)。大胆でなければなりません。できなければ代理を立ててでもしなければならないのです。先生の言うことを聞かなければ滅びます。個人一人が滅びるのは問題ではありません。ですからすべてを解いてあげなければなりません。 今日、興進君。二周忌記念日ですが、これからキリスト教と一つになると祈ったのです。キリスト教文化圏にいた善王たち、善君たちを中心としてキリスト教信者は、ローマ法王時代に忠誠を尽くしましたが、それらを結束するのです。霊界に行っているすべての善君の王権を中心として、忠臣、烈女たちを地に引き連れてきて、真の父母王圏を中心とした理想圏上に全部入って、大統領であれ王であれ、レバレンド・ムーンのニュースを聞くのです。これからは良いニュースを聞くようになります。有名になります。悪い、という言葉すら出ません。良い、と言われるのです。霊界の先祖たちが来て教えてくれるのです。霊界にいる善なる先祖が地獄にまで入り込んで教育するのです。その門をダンベリーで先生が開いておいたのです。二月一日午前三時に、お母様はイースト・ガーデンで、先生は監獄の中で橋を架けたのです。談判して、地獄と天上のハイウェイを造ったのです。しかし、ハイウェイは開きましたが、入っていくには連がなければならないし、運転を学ばなければなりませんし、オイルを必要とします。それらを私たちはもっていません。先祖たちがもってくるのです。私たちの先祖が、車とオイルを集めて、道を教えて、霊界に引き上げるのです。こういう話をだれが信じられますか。信じられなかったら信じなくてもいいのです。事実ですよ。 先日霊通者が、「神の国の旗が一カ所に集まって方向を決定して動き出す。今年の二月からは地獄の門が開かれ、天国の門も開かれる」と発表しましたが、だれがそのように発表できるようにしたのか、その動機の起源者が分からないのです。古い時代、すなわち統一教会の迫害時代は過ぎ去り、解放のラッパの音が響き渡る時が来たと、今日先生が宣布することによって、天下がそのとおりになっていくのです。統一教会から霊界に行った劉(ユー)教会長、李起錫(イーキソク)、韓仁洙(ハンインスー)、朴鐘九(パクチョング)の三十六家庭の人たちが、今日祈ってあげることによって飛び回るでしょう。喜進君は三十八度線の金日成の悪の道を止めるようにするでしょうし、興進君がゴルバチョルや共産圏の二世を結集するのです。世界の二世たちは先生の側です。共産圏も民主世界に戻ってくるし、二世は統一教会へ来るようになるのです。原理がそうなっています。み旨がそうなのです。カナン復帰は二世が成したのと同じように、今日キリスト教文化圏を中心として二世たちが天国に入城しなければならないのです。成し得なかったことを蕩減復帰して、世界舞台を先生がすべて取り戻して、その権限を代行する位置において二世の祝福基盤をつくったので、アメリカの保守世界の若者たちは、先生が指導した旗の下に集ってくるのです。分かりますか? そこにはこぶしのきく者もいるし、天才的な才能があり、科学世界においての頂点の人たちを糾合しているのです。これからしようと思って話すのではなく、すべて終えてから話をしているのです。分かりますか? 終えてから話すのです。 思想的な基準における王子の立場と、科学技術においての王子の立場を占めるのです。経済と金融関係の立場において王子の立場です。言論機関における王子の立場を占めなければ、天下を収拾することができません。消化することができません。それらをすべてやっているのです。アメリカにおいて先生を無視することはできません。 アメリカの駐韓大使は今だれですか? (ウォーカーです)。長く勤めていますね。先生が秘密に人を送ったのに……。レバレンド・ムーンがかかしであるとでも思っているのですか。普煕分かりますか? (はい)。このような話、CIAが来て聞きなさい。これは事実であるから報告しなさい。偽りを言うレバレンド・ムーンと言ったが、アメリカをポケットに入れたり、出したりしたのです。これから見てみなさい。これからやることができるかどうか見てみなさい。 先生の手で天国創建を成すのです。開門を八六年から三年間て決定づけようとするのです。分かりますか? 韓国の大統領選挙、日本の首相、アメリカの大統領、ドイツの大統領も八八年に選挙があります。摂理的な四大国家がすべて、一九八八年に首がかかっているのです。共産圏に入る日には天下が両断されるのです。先生はそれが分かる人です。先生年体を砲弾として使い、あなた方の体を砲弾として使って防御しなければならない責任を感じています。分かりますか? (はい)。砲弾は一度撃つと戻ってくることができないものです。撃破するのです。砲弾になるという人は手を挙げてみなさい。 このような原則において民主世界とキリスト教が父母を迎え入れたならば、サタンはなくなるし、共産党は出てくることができないはずでありました。このように張り合っているこの世界において、キリスト教文化圏、アメリカ、キリスト教、統一教会が一つになれるこのような時代に、基盤がしっかりと整えば、共産世界は下がるべきでしょうか、上がるべきでしょうか? 地上に現れることはできません。責任を果たすことができなくて生じたのだから、責任を果たし、蕩減復帰をした日には下がらなければなりません。 韓国において共産党の手先となってやれるようにはなっていないのです。現政権を助けるためではなく、天倫を助け韓国に万年の時代をつくるためにこのようなことを成しているのです。四〇〇〇万の国民は先生の話を聞き、先生が成すことを後援すべきです。そうすれば生きるでしょう。キリスト教が反対すればどうなるか見てみましょう。反対しなさい。どのようになるか見てみましょう。 自分たちの威信をくそ犬のようににおわし、宮殿の王座に上ろうとするのですか。自分の恥を知らず、自分が神の代わりに審判するといってひざまずいているのですか。世界について知らない者たちに、先生が気合を入れなければなりません。力が足りなかったなら、それ以上の力をもって現れ、知識が足りなかったなら、それ以上の知識をもって現れるでしょう。手腕が必要であればそれ以上の手腕をもって現れるでしょう。滅ぼすためではなく救うためです。救ってあげようとするのです。サタンは鉄格子に入れられて死にそうになっているので、それを破って生かそうとするのです。そういうことをしているのです。気持ち悪くないでしょう。 民主世界と共産世界が倒れていく立場において、統一教会を中心として、カイン、アベル圏を中心として、これからは世界の指導的な主体の代表者がレバレンド・ムーンであるということは学界に知られていることです。韓国にいる田舎の人々は目が覚めますか? 天国創建をしようとするこの時において何をもって立ち向かいますか。何をもって盾にしますか。心を生かそうとすれば体を祭物としてささげなさい。父母のみ旨のためには子女を祭物としてささげなさい。父母が来られる道のために、子女を犠牲にして築いてきた新約の時代を忘れてはいけません。あなた方の物質をすべて犠牲にして国と世界を救わなければなりません。旧約時代には子女を生かすために、あなた方の子女を生かすためにあなた方の物を自分の物を絶対に考えないで、神の前に祭物としてささげなさい。逆なのです。私、統一教会のレバレンド・ムーンは父母の立場において私の子女と私の財産のすべてをささげているということを忘れてはなりません。何のためでしょうか。神の解放のためです。神を解放するためです。父母様を解放するためです。同じです。あなたのもっているすべての物、あなたの妻や子を、父母よりももっと愛する立場にあっては祭物になれません。愛の祭物をささげなければ父母に侍ることができないことは、厳然とした事実です。はっきり分かりましたか。どうですか? (分かりました)。そういう先生に対して「私の子供の学費を助けてください。貧しいから助けてください」と言えますか。あなた方よりもアフリカのことを考えている先生です。第三国において飢えで倒れている人々、その墓すら掘ることができず、積まれて腐敗していく事実を先生は感じているのです。 羊は祭物を意味します。自分を犠牲にするのです。イエスは小羊に比喩されたのです。統一教会もこの道を行かなければなりません。血を流しながらでも、物質を犠牲にしながら、子女をに犠牲にしながらも、体と心が公的な仕事のために眠ることができず、涙ぐみ、身もだえすれば滅びません。神の前にささげようとするこれらすべてを強盗が取ってしまうなら、千代万代サタン世界が崩れてしまうのです。 日本の統一教会も同様です。このような責任を果たさなければならないにもかかわらず、恐れて、この世と妥協してはならないのです。日本の統一教会も同じ公式に通じます。いかに環境が難しくとも恐れるな! 方針の目標に対して屈折するような、そういう者は天が援助しません。体が蕩減しなければなりません。恐ろしいことです。これで十分であるという思いをもってはいけません! やってもやっても足りないという心情をもっていれば、神の同情により発展の余地は存在するのです。分かりましたか? (はい)。はっきり分かりましたか。天国をいかにつくるか。このように旧約時代、新約時代、成約時代の蕩減は私の一身ですべて果たすという心をもてば、家庭天国は訪れてくるのです。国も同じです。国の主権者は真の父母の立場に立ち、民は子女の立場に立ち、私のすべての財産は万物の位置を中心として犠牲となって、自分のすべてをささげて、この国をあなた様のみ前におささげしますと、自分の民族のために祈るなら、その民族は滅びません。そこには天国が訪れるのです。分かりますか? アメリカの国民を中心としてアメリカの大統領を四年ごとに変えてはいけないのです。メシヤも選挙によって選ぶことができますか? (できません)。メシヤも選挙によって選べばどんなに良いでしょうか。そうであれば先生は選挙で落選すればいいと思います。統一教会の先生にならないで、しかし、霊界に行ってもこれを解かなければならないことを先生は知っているために、生きている間にいかなる犠牲、いかなることをやっても、(すべて)これを解く(目的の)ためにやっているのです。では文先生の位置を選挙によって、推薦して決まりますか? 神様を選挙によって選ぶことがてきますか? 民主主義は過程的な主義です。父母を迎え入れる時まで、善なる人がアベルになれないこの世であるので、元来は善なる人はアベルの立場であるのに、長子の位置に上がれないのです。神が民主主義によりアベル的な犠牲者を立てて、国であれば国の、地方であれば地方の、その団体の長を、カインの位置を、占領することのできる方便的政治体制が民主主義であります。分かりますか? (はい)。アベルが長子権を復帰したのにまだ民主主義ですか? その時は父母主義です。神主義です。 ですから、これからの統一教会の運動は、一つの主権が問題です。私の誓いの第一番がそうでしょう。私の誓いの(第五番の)一番目は何ですか? 「神を中心とした一つの主権」、一つの主権です。この世界に二人の主人はあり得ません。その主人はいかなる主人でなければならないでしょうか。お金をたくさん持っている主人ですか? 恐喝、脅迫なる独裁者の主人? それとも遊び人のような主人? いかなるチャンピオンですか? 愛のチャンピオンです。そのチャンピオンに一度でもなれれば、億千万代いかなる万物も替えることを願わないのです。太陽を取り替えることができますか? 太陽の代わりに偽りの太陽を造ることができますか? 生命の起源となり、宇宙の起源が神の愛にかかっているのです。「我々は神を中心とした一つの主権を誇り」、その主権はどれくらいのものですか? そこにおいて韓国は肯定されますか? 否定されますか? 答えてみなさい。(否定されます)。きれいに否定されますよ。 アメリカの大統領の位置が肯定されますか? (できません)。きれいに否定されます。ソ連のゴルバチョフ書記長が肯定されますか? できません。法王が全権をもって身代わることがてきますか? できません。法王庁も崩れます。それを知らなければなりません。ただ残れるのは、絶対的な愛の理想をもった、万国兄弟の心情圏をもった神主義のみが世界を統治するのであります。アーメン。(拍手) では第二番目は何ですか? 「我々は神を中心とした一つの民を誇り」になっていますが、民とは何ですか? 世界の万民が神の民なのです。白人のみが神の民ではありません。今日のムーニーだけが神の民ではありません。ムーニーを犠牲にして、黒人、白人を神の民にするための祭物にしようとするのです。それが有り難いことですか? 悪いことですか? (有り難いことです)。有り難いと言うのはいいが、自分たちがその立場になるのは嫌でしょう。 次に一つの何ですか? 「一つの国土を誇り」ですね。国家形成の三大要素の主権、民、国土がなければなりません。 次に何ですか? 「言語と文化を誇り」ですね。不倫の愛を中心として話し始めた言葉が何の話だったかといえば、堕落した言葉となったのです。神の愛を中心としてささやくべき言葉が祖国語とならなければならないのに、堕落することによって、サタンの国の言葉をもってささやいたのです。それを蕩減復帰するために私たちは、一つの言語と文化を創建しなければなりません。初愛を神を中心としてささやくことができなかったのです。真の父母のささやきを、この天地万物は聞きたがっているし、その音声圏内に住みたがっているのです。言語の混乱は、堕落することによって、サタンが障壁を造り上げて、人類を滅亡させるための方便的な歴史路程であったことを知っているので、統一教会では必ず言語の統一をしなければならない責任があるのです。それでリトルエンジェルス学校では、祝福家庭の子供たち、日本の子供、アメリカの子供、ヨーロッパの子供たちを勉強させているのです。リトルエンジェルス学校に留学するのです。大学も建てて勉強させるのです。 一九九〇年まで統一教会の若者たちはすべて韓国語を学びなさい。これからは、先生は世界大会の時には通訳を立てないで会議を執行する予定です。その会議(の話)を聞いて、韓国語で報告書を作成させてから出ていくようにするのです。それができない時には国家的威信が問題となります。 先生が公席に上がるたびに、原理的に解いて話をしたので、習わなかったら大変なことになりますよ。アメリカでは今勉強するのに大騒ぎです。 第四番目の私の誓いは何ですか? 「一つの言語」となっていますね。一つの言語とは愛の言葉を歴史上において、この宇宙の中で使うことができず、堕落した言葉を使うようになったこの悲しい事実。神の愛を中心として、アダムとエバがささやきながら千年万年住もうとしたのです。私たちの幸福の天国へと、本来の天国へと、直行いたしましょう。天地宇宙を抱いて愛の鼻歌を歌いながらささやかなければならない愛の天理が、堕落によってささやかれている悲痛なる事実を、神が聞きたいと願うでしょうか? これは宗教でなければ統一することはできません。アメリカ自体がいかに軍事力をもっていたとしてもできないことであり、ソ連自体がいくらソ連の言葉を習わそうとしてもできません。これはレバレンド・ムーンだけができることです。そうでしょう? (はい)。(拍手) それでなぜ四番目にこのことを入れたかということが重要です。言語を統一することが何よりも重要だからです。これまで、どれほど多くの犠牲があったことでしょう。韓国語一つで統一しておいたなら、どこに行っても韓国の群れはいいでしょう。韓国語を世界中で学ぶようになれば、次には第二の母国語を先生が選定します。韓国語を学んだのちには、スペイン語を第二の母国語にしたとするなら、学ばなければなりません。中国語を必要とすることもあります。東洋の三国を統一しようとすれば、世界の四分の一の人口をもつ中国を統一することが、また世界統一するにおいても最も便利です。なぜ便利かといえば、大国であり、インドから中東地域、イラン、イラク、莫大な国家の国境に接しているのです。その統一ができればどんなに素晴らしいことでしょうか? 何時になりましたか? 何時から始まりましたか? まだ三時三十分にしかなっていないですね。先生は十時三十分ぐらいから話し始めたのですよ。打って、ターゲットからそれてしまったので、十発打とうとしたのに七発しか当たっていなかったなら、十発にするために五発を打つことも、十発を余分に打つこともあり得るでしょう? (はい)。余裕がなければなりません。だからといって、割り引きは好まない人ですよ。復帰摂理路程、原理の路程に割り引きはありません。はっきり知らなければなりません。 次に第五番は何ですか? 「父母を中心とした子女」にならなければ天国に行けないのです。父母を中心とした子女になれなかったならば天国に入れません。今日人類において、統一教会の真の父母の言葉がどれほど貴いものであるのか知りません。堕落を認める時、これは公式化する、力のある言葉です。堕落した父母をもっているが、堕落していない善なる父母はどこに行ってもいません。神は死んだのでしょうか? 神は堕落した父母をもってこの天地万物の創造されたのでしょうか? どのように答えますか? 失われたので再び捜し、戻さなければなりません。ですから「父母を中心とした」何といいますか? 子女となったことを誇るのです。いくらカイン、アベルを捜し出して一つになったとしても、父母の子女であることの公認を受けなければ天国に入ることはできません。はっきりするでしょう。気をつけていなければなりません。父母がいなければなりません。その父母は神がなければなりません。それがサタン世界から讒訴されてはなりません。 今日の世界は、一九八六年から、少なくとも三分の二の圏がレバレンド・ムーンを支持するようになります。アメリカにおいてのアジア人は先生の側です。スペイン系も先生の側です。黒人は一〇〇パーセント先生の側です。この前、黒人の代表者が来ましたけれども、その人はいつ先生が呼んでも来るようになっていて、来なければ先生が気合いを入れてもいい立場なのです。白人を手中に入れれば余りあるほどです。三分の二以上になるのです。今度先生が世界的に旋風を巻き起こしたので、ローマ法王が、南米の自分のカトリックの政策方向を、八五年度に設定しなければならない時に、内容がなかったので、今回のAULA(ラテンアメリカ統一連合)組織活動を自分の政策方針の代わりに発表したのです。今回、彼らの幹部が集ったことを先生は知っています。この世界がどのように回っているかを知らなければなりません。 いくら法王だとしても、父母を迎え入れないなら天国へ行けますか? (いけません)。いかなる枢機卿であるとしても、真の父母の血肉と因縁を結ばなければ天国へ行けません。イエスの血統的因縁を換えておかなければ天国に行けません。それはだれを通してそのようなことをしますか? それは天地の歴史を通してもだれもいません。これからもいないし、あとにもいません。レバレンド・ムーン以外には絶対にいません。(拍手) それが可能的でなく、絶対的であり、決定的です。絶対に確定的です。それでどれほど神がやるせなく感じたか、三〇〇万のモスラムをレバレンド・ムーンの啓示を通して二年間訓練させ、そして今回(彼らは)宗教者会議に来て敬拝するのです。「あなた、先生が死ねと言えば死ねるか?」「それはもちろんのことです」。三〇〇万が問題ではありません。これから世界がいかに統一されるか、すべての原理を中心として見る時、宗教統一をいかにするか、それは霊界においてやるのであって、先生は静かにしているのです。座っていても、やらせてすべて統一するのです。 見てみなさい。アフリカにはどのような教会があるかといえば、Unification Church(統一教会)があります。なぜかといえば、(霊界から)「Unification Churchにせよ」と言われ、看板をそのようにして掛けたのです。そしてその牧師の名は別にあるのに、「これからあなたの名をレバレンド・ムーンと言いなさい、文鮮明と言いなさい」と言われ、「Rev. Sun Myung Moon」と看板に書かれているのです。(笑い)我知らずにそのようにするのです。この世に統一教会がないと思っていたし、レバレンド・ムーンがいないと思っていたが、レバレンド・ムーンがいて統一教会の魁首になっているとは、これは何事ですか? ここは母親なるレバレンド・ムーン、統一教会であり、彼らは子供のレバレンド・ムーン、統一教会です。(笑い)このように解釈できるのでしょう。東西南北、八方にすべて生まれてくるのです。これを見て、神様が先生を愛していると思いますか、思いませんか? (思います)。既成教会で考えれば、神は自分たちの神で、その神は賢い神なのに、レバレンド・ムーンに出会って(神は)気が狂ってきたのです。この者たちは頭があまりにもよく回って、それが何の意味かも分からないで、話を合わせることすら知らないのですね。何の話か分かりますか? (はい)。自分たちの神が最も賢いと思っていたが、その賢いという神が狂って先生が好きになったというのです。(笑い) 黄金の袋が先生の後ろに積まれてあって、「先生はいいから既成教会に持っていきなさい」と言います。既成教会の人々は、「あ! あ! 私もいりません。泥棒になりたくないから嫌です」「いやいや、それでもいいよ」という騒ぎが起きます。このような会話は、神が止めはしないのです。愛の冠をかぶって、神にこぶしを振り回しながら話しても、「ハッ! ハッ!」と笑うのです。先生はそういうことをよく知っており、このように話をしても讒訴条件に引っかからない自信があるから、このような話をするのです。牧師の身分でどうして神に対し、こぶしを振り回すことができますか。(笑い)あなたの思いのままになさい。愛の糸に結ばれている時は(たとえ)手紙一通であっても、国の姫であっても飛んで出てくるのです。そうでしょう。王子様も飛んで出てくるのです。そうでしょう? その国の女王様も飛んで出てきます。愛の糸には王様も飛んで出てきます。いかに法が厳しくとも、それを踏みきって飛んで出てくるのです。それで法を自由に飛び越える力をもっているものが愛の力です。分かりますか? (はい)。そのような愛においてのみ自由があります。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ福音書八章三二節)という聖句の中でのその真理は、愛の真理をいうのです。科学の原理、ピタゴラスの原理ではないのです。愛の原理からいう言葉です。分かりますか? はっきり分かりましたね。 天国を成そうとして、もし先生がアメリカを救おうとすれば、アメリカの大統領を一つの父母の位置に立てて、アメリカの民を子女の立場に立てて、アメリカのすべての物を万物の位置に立てて、旧約、新約、成約時代の三時代を経て万民救援の解放をし、神の解放のためささげてきたその歴史的なことを、再び繰り返すことのできるアメリカにつくり変えるなら、アメリカは世界を得るでしょう。神を得るでしょう。神は永遠性があると同時に、世界のすべての心を占領することができるという事実を知らないでいるのです。先生はそれを知っているので、それを成そうとするのです。分かりますか? (はい)。 天国をつくって、生活しない人は天国に行くことができません。先生が監獄に入って鉄の鎖につながれて生きるそのような立場に置かれても、私には拘束することのできない愛があるのです。先生が腰を曲げて眠れない立場にいる時に、夜起きれば手に輝きがあったのです。なぜでしょうか。神様が抱いておられることを知ったからです。闇の夜に光が輝くのでした。先生の呻吟する音、その泣き声を聞いて、監房において最も大切に思うはったい粉を、翌朝、みんなが先生の所にもってきてくれるのです。距離を越えてどこの監房の何号に、「あなたがこれ(はったい粉)をもっていかなければこの監房全体が平安でなく、あなたの家族が平安でないので持っていってさしあげなさい」。神は愛の神であります。そういう神を冷遇する背恩忘徳な統一教会の群れとなってはいけないのです。 あなたたちはこれまで自分勝手に生きてきたでしょう。先生はこの道のために罪人の中の罪人の姿で、負債をもった者の中で最も負債をもった者となったのは、悔しく冤痛(注:悔しくてたまらないこと)な神の事情を知っていたからです。万民が死の境地において呻吟し、メシヤが現れ救いを求めるその声を聞いているので、このような道を歩んでいることを忘れてはなりません。雨が降り、雪が降り、疲れきって倒れる場においても楽なベッドを求めることができず、歳月をつかまえて、床の上に座って痛哭したことがいくらでもあるのです。いくらでもあるのです。一生を通して孝行することのできることがあれば、先生はその道を選べばどれほど楽であったか。万世代に恨を抱いている、神のその恨を慰めることのできる道を先生が知ってからは、楽な日々を考えることができませんでした。我が統一教会や、先生の直系の子女たちも知らないのです。そういう話をしようとするのではありません。悲しみを残したくないのです。涙を残したくありません。解放のために、大胆な青年男女をつくりたいのです。希望に満ちあふれるあすが、目前にあることを見せてあげたいからです。それで自分の苦労の峠を越えては忘れ、こういうことを繰り返してこのような基盤をつくるために気が狂い、あちらこちらで悪口を言われ、追われながら回りに回って、今日ここ韓国に来て、滅びることなく、死ぬことなく、天下が見上げることのできるこの位置にまで来たことも、神の愛の功績によってであるので、神の前に感謝するのであって、レバレンド・ムーンに感謝する何物もありません。先生も今、歩まなければならないのです。分かりますか? (はい)。 子女を見るとかわいそうです。先生もそういう時がいくらでもありました。先生の手で両親に、ハンカチ一枚買ってさしあげることができなかったのです。先生は統一教会の人に家を買ってあげたり、服を買ってあげたり、あらゆることをしながらも、先生の兄や姉は、北韓で虐殺されたと思います。彼らのために先生は祈ることができませんでした。祈って霊界に尋ねれば分かるのですが、祈ったことはありません。先生は、任された責任を果たす以前においては、自分の一族を省みることのできない天理を抱き行く、忠孝の道理がそれであることを知ったからです。 今日、皆さんはこれを知りました。天国は皆さんの家庭から始まるのです。分かりますか? (はい)。国を天国にし、世界を天国にすることは、だれができますか? 距離があるのです。皆さんの家庭とこの世界とは遠いのです。それで先生が知っているので橋を架けたのです。その祝福を受けるためには、皆さんの氏族を中心として、一家を中心として先生が成したそれと同じように旧約時代、新約時代、成約時代の復活圏をつくって、一度に生きた祭物となって、神を愛したという公認を受け、人類を愛したという公認を受けてこそ神と真の父母は、天国に入るビザの発行が可能となるのです。そのビザのサインをだれが先にやるかといえば、神が先にやるのでなく、真の父母が先にやるのでなく、サタンが最初にしなければならないのです。サタンがですよ。サタンは検事です。サタンがサインをし、次に真の父母がサインをし、神がサインをしてこそ天国へ入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう。イエスは弁護士の立場です。それでこのような蕩減条件を中心として、サタンの世界の愛以上に怨讐を愛さなければなりません。 それで先生は、アメリカのダンベリーにおいて、アメリカを愛したという世界史的な勝利の覇権を取ったのであります。そして怨讐国家、韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐、アメリカとドイツが怨讐、このような怨讐国家を中心として結束して、怨讐国家を統一教会で集めるのです。自由世界の中でアメリカが怨讐の元凶なのに、この怨讐国家を救うためには、アメリカの国民が愛する以上にアメリカを愛し、ドイツにおいてはドイツの国民がドイツを愛する以上に愛し、日本国民が日本を愛する以上に怨讐の国に行って、その国民全体が国を愛する以上に愛したという条件を立てて、四大国が一つにならなければ地上に天国を(建設する)出帆はできません。それでその基盤をすべて築いて帰ってきたのですよ。分かりますか? (はい)。すべてつくって、すべて整えてです。ですから世界のすべてを受け継ぐために皆さんは、個人天国、家庭天国をいかにすればいいか分かったでしょう? (はい)。氏族の天国は分かったでしょう? カイン、アベルが一つにならなければなりません。そうするためには旧約時代、新約時代、成約時代に皆さんの物質を投入しながら、神が肥料として生きた祭物として血を流すようにしたのと同様に、受難を通して成そうとしたのと同じように、皆さんもそのような思想で一つにされなければなりません。個人もそうであり、家庭、氏族、民族、国家、世界が一つにされなければなりません。そうしなくては大韓民国においてそのような国家をつくるためには、皆さんが氏族に対してそうすることのできる確固たる運動をした実績を残さなければ、大韓民国の国家基盤、天国基盤が顕現することができないのです。そういう国家が韓国の国家を中心として怨讐世界の国家にこれを設定しなければ、世界の天国国家へと連結できる基盤が顕現しないのです。これは理論的です。ですから皆さんはこれから個人天国、氏族天国、民族天国、国家天国へと各国を中心として、各個人を中心として、このような目標に向かって前進するようになれば世界的天国理念は自動的に連結され、地上に天国が完成されるという論理的結論を出すことを知っていますので、きょうからそのことを急がなければなりません。三年以内には峠を越えなければならないと先生は考えていますよ。この期間にはいかなる犠牲をも省みることなく、前進一路を誓わなければなりません。分かりますか? (はい)。歓迎する人は手を挙げ、歓迎しない人は頭を下げなさい。ありがとうございます。 一九八六年を中心として、天国創建のための総進軍を、この時間、神の名と父母の名と皆さんの名と世界統一教会の名で宣布いたしますので、そのとおりになるように。アーメン。(アーメン)。お祈りしましょう。 流れる歴史路程に数多くの悲しみ、数多くの曲折の事情もありました。その中で流れ去っていったすべての先知先烈たちが血みどろな闘争の歴史、地上に血の深い溝を残した事実を知っておりますので、その恨に満ちた深い溝を埋めることができなかった歴史的な恨みに対して、今日真の父母を中心として連結されている子女たちがこのように決意を誓う中において、前進的な発展を中心として総進軍を誓うこの姿を見て、喜んで、期待していることを知りました。どうか霊界にいる数多くの霊たち、善なる先祖たちを動員され、後代にいる後孫たちと一致化させ、天上地上が一致化された中で、天国創建の一路の勝利のみが残されることをお父様の前にお願い申し上げます。 これから全世界に広まっている統一の群れ、特にイースト・ガーデンに残されている幼き子女たちと、アメリカと連結されているすべての統一の群れ、全世界に広まっている統一の群れ、今父母様がおられる所に向かって心を集めて、十年を祝賀記念しながら、神の願いの成就の一時が来ることを待ち焦がれているので、どうかここで伝えたみ言が伝わることができるように、早急に待っている彼らの心の前に、待ち焦がれるその心を越えて、愛の心に酣酔(かんすい)できる神の働きが共にあらんことを懇切にお願い申し上げます。 残りの闘いにおいて、砂漠、荒野を通り過ぎるにおいて、強く、大胆な神の正義部隊となって、カナン福地路程において、勝利的旗印のもとで、一方通行が可能である誇らしき天の正軍となれるように許諾してくださるように懇切にお願い申し上げます。 これかは始まる三六五日をあなたが見守り、保護してくださいまして、愛する中において脱落することなく、全部がお父様の誇り得る、褒められる息子、娘となれるように祝福してくださり、導いてください。許諾してくださった日の前に、責任を果たすことをより一層誓い、あなたの栄光の一日(の到来する期間)が短縮されることを祈りながら、このすべてを真の父母の名で宿願いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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「天国創建」1986年1月1日「神の日」午前零時 祈祷 愛するお父様。たった今、悲喜の双曲線を描いてきた一九八五年は過ぎ去りました。新しく迎える一九八六年、元旦のこの時間を迎えました。この時間を祝福してください。 お父様、きのうまでの神の復帰摂理の総決算のために、み言をこの本部教壇において宣布いたしました。旧約時代には万物を犠牲にして、子女たちが行くべき道を整えたのであり、新約時代には子女たちを犠牲にして父母様の行くべき道を整えたのであり、父母様と父母様の家庭を通して神様の解放のため、復帰の摂理を推進させてきた事実を通告いたしました。お父様、今や最後に越えなければならない責任分担完成を中心として、アダムが果たせなかった。相対的な立場においてはカイン、アベルの基準を清算し、血統的起源を転覆すると同時に、真の父母に侍り、天倫の愛の道理を受け継ぐべき縦的な基準を、世界史的な基盤において蕩減いたしました。そののちにおいて、神の愛と地上の愛、神が想像された間接主管圏と直接主管圏の愛の一体化圏を全世界的な基準において蕩減復帰したその基盤の上に、神の所願していたすべてを清算いたしました。新しい次元の一つの転換時点を迎えるようになった一九八五年代を過ごし、一九八六年から新しい歴史的な摂理にページが始まるこの瞬間を迎えました。 長かった第二次世界大戦以後の四十年間、キリスト教の使命を完結させ、世界の平和基準を探求してきたお父様の摂理の責任を、キリスト教を中心としたアメリカが果たすことができませんでした。それにらなり、その代表国である韓国を中心としてキリスト教と統一教が一つになることができず、それゆえに一つの国、この国を立てることができなかったのです。ゆえに神は孤独な立場に立って荒野路程に追い出され、彷徨する四十年路程を経てきました。個人的土台と家庭、氏族、民族、国家、世界すべての分野の反駁を受けながら、闘いの一路を開拓されたお父様の歴史的な苦労の行路の前に私たちは、この時間頭を下げてもう一度回想しなければなりません。そして人類がこれまで犯したすべての罪状を容納(注:人の言葉や行動を寛大に受け入れること)してくださることを心を一つにして、私たちがこの八六年元旦のこの朝にお父様の前に通告いたしますので、真の父母の名をもった息子、娘を中心として矜恤(きょうじゅつ)にみてくださり、容納してくださることを懇切にお願いいたします。そのようにしてこれらをアメリカの地において十三年という歳月を中心として、十三数の蕩減起源を解決するための多くの受難の道を経ながら、世界史的な、二十世紀史的な十字架の頂上に登ってイエス時代に恨として積っていたすべてを再蕩減する歴史を展開させて、世界史的な蕩減の勝利の起源を一つの画期的な線を書くようにしてくださったお父様の驚くべき摂理のみ旨の前に、私たちは心を尽くして、お父様の前に敬拝と感謝をささげるばかりです。 お父様、アメリカにおいて整えられた土台をこの韓国に連結させ、韓国の中心とした世界の国々が、今や平衡基準において統一圏を形成しなければならず、そのための新しい出発を予告するこの時間となりましたので、これから韓国にいる食口と共に心と心を合わせ、手に手を取り合ってこの時間、新たにお父様の前で決意いたします。私たちは、これから果たさなければならない天国創建という膨大な歴史的使命を堪當(たんとう)(注:仕事を十分になし得ること)しなければならないことを知っています。 過去の長かった受難の道を回想するごとに、訪れた自由な環境世界でありますが、私たちが走っていかなければならない責任が重大なゆえに、個人を始め、家庭、氏族、教会を治めながら、世界の限界線を越えるための最大の努力を傾注しなければなりません。真正なる意味における孝誠の道理と忠臣の道理を果たさなければならない膨大な時期が、私たちの前に到来していることを知っていますので、ここに集った群れは各自の心を一つにしなければなりません。個人においては神と連結するために、次子の立場にある良心を中心として長子の立場に立っている体と、これらが堕落によってカイン、アベルの歴史を経ながら蕩減復帰の恨をここに、この間隔の中心として闘争の歴史として展開されたことを思う時、今や良心の体を自然屈服させるための闘いの路程を、私たち個人において完結しなければなりません。 心が命ずるごとくに体が一つとなり、今までサタン側の長子的主管的立場にいた体が心に屈服しないゆえに、カインを屈服させるためにアベルの犠牲の代価があったのと同じように、カインがアベルの前に屈服しなければならない困難な道がこの心と体の間にまだ残されていることを思う時、これからは新しい歴史時代として展開されてきます。心を中心として体を強制的にも屈服させなければならない天的使命の時代が来つつありますので、これが一つにならなくては母親を中心として帰る道を見いだすことがてきない怨恨の歴史を知っています。 カイン、アベルが逆になっていたのを長子権復帰をして、双胎の立場で母親の胸中から再び生まれなければならない運命の道が復帰の道であることを知っているので、息子、娘が一つの母親の胸の中で愛されるその場において、初めてお父様を呼び復帰することができるというこの膨大な事実を私たちは知りました。これが、個人から家庭、社会、世界全体あるいは天宙歴史路程の上に、公式的な反復の歴史として展開される事実を私たちは知っているのです。これから個体において、心の長子を呼び起こして体の次子権を屈服することのできる自然なる本然の人間の形態を整えることによって、父母との愛と夫婦の愛が新たに出発することを知ったので、このような基準を立てるところにおいて天国が出発する事実を知りました。 このような個人と個人が再び相対圏を備えた相対的立場において、平面基準においては、これが主体、対象の関係がカイン、アベル圏と同じ立場でありました。それで長子権復帰の基準を実践しなければならない立場に立っているのが、アベル的立場の身代わりであるエバの立場であり、相対者、女性の立場であることを思う時、男性を中心として絶対屈服することによって平衡基準を一致化できることを今や、私たちの統一家の家庭の基準として宣布するこの時間となったことをはっきり知りました。 家庭の行くべき本然の基準――これからは男性を中心として女性たちが絶対に屈服して一つにならなければなりません。これによって、お父様のみ旨の前に本然の堕落したアダム、エバの恨を解き、主管性転倒のすべての内容に対して再び権威を立てて、神に侍ることのできる起源を私の家庭に探し立てなければなりません。その膨大な基準が残っていますので、それを立てずしては家庭の天国を形成することができないということを知っています。このような夫婦が一つになることによって、父母様を迎えることができ、四位基台完成圏を形成し得て、天国に入っていく創造的理想圏を私たちは知りました。 このような実践路程において、今まで祝福家庭が果たし得なかったことを、今まで八五年度までにすべて流してしまって、八六年度においては家庭の伝統とともに、家庭天国の形成のためには、絶対的基準において、夫婦が愛で一致され、その愛の一致は父母様を迎え入れなければならないというこの絶対の基準であることを知っています。父母様との愛の関係を結ばずには、その家庭が家庭天国を中心として本然の世界に入っていくことができない事実を知ったのです。このような公式的な路程の上に通告することのできる家庭的天国基盤を、神がこの時間命令するままに各自の家庭に形成することができるように許諾してください。 この勝利した家庭を中心として、四位基台を中心とした家庭が、これから家庭教会へと出発します。カイン圏家庭を形成した、その長子復帰カイン圏を成して、次子復帰基準において、神のみ旨の前に一つになる時に、長子と次子圏の氏族が一つになります。その基準の上に立てられた四位基台の私たち祝福を受けた者が、伝統を残して、四位基台の兄弟的心情圏を形成することによって、本然の氏族的な父母を迎え入れることのできる基準が連結されるのです。ここから、国家形成の基盤が横的に展開されることによって、このようにして国家天国が形成されることを知っています。国家天国が形成されれば、国家と世界を中心とした時から、横的な立場でなく縦的な立場で、国の中心とその民が一つになる立場に、父子の関係の因縁を結べば、それは天国と通ずることのできる因縁となります。 氏族復帰基準を中心として蕩減解怨が平面途上に、今日統一家に残っています。これを清算すべき家庭教会運動に私たちがこれから本格的な出発をしなければならない、新年のプログラムの前に恥ずかしくない個人と家庭となれるように許諾してくださることを懇切に願います。 そのようにして国家基準を成すとき、世界天国へと、世界天国を通して天宙天国へと神の解放と全体解放圏をこの地上に、天上世界に成し得ることによって、これから出発するすべての歴史が、一つの目的圏に連結されていることを知って、八六年度から本格的な新しい出発を決意し誓うこの時間となれるように、お父様、懇切にお願い申し上げます。 これから私たちの心を一つにし、歴史的摂理のすべてを洗い流し、新しく解放された姿となって、神と真の父母に侍界て、私たちにおいて整備しなければならない個人的、家庭的、氏族的な天国基盤を、いかなる困難があろうとも、これを清算しなくては、サタンの讒訴圏を逃れることができないことをはっきり知りました。この責任完遂のための路程の上に各自の五パーセントの世界史的な摂理が残されています。この責任を完遂するために、決意できる新しい八六年となれるよう許諾してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 今、この真の父母の名をもって、ここに集まっている真なる子女たちと共に、ここに集まっている祝福家庭とその二世たちと共に、お父様の前に新たに宣誓いたしますので、新しく出発する八六年の前に恥ずかしくない責任完遂を成すことを宣誓しながら誓ますので、これを受けてくださることを懇切にお願い申し上げます。そのようにしてこの本部と共に、連結される韓国にある統一教会と韓国の国と、この国と連結されている日本とアメリカとドイツを中心とした一二〇国家ばかりでなく、興進君とイエス様と連結されている霊界のすべての、これまでに行っているすべての霊人たちを中心として、数多くの前後左右に連結される道主を中心とする多くの宗主、君主を中心とした忠臣烈女たちを連結させ、一つの所に束ねて、新しい方向へと一致化することのてきる天圏の伝統が始まる八六年となりますので、神よ、守ってくださいまして、このすべてをみ旨のまま経綸どおりに立ててくださることをお願い申し上げます。 許諾された使命の前に恥ずかしくない姿となれますよう心と体を一つにして、あるいは個人から夫婦から家庭から、あるいは氏族から全体を合わせて宣誓いたしますので、このすべてを喜んでお受けになって、今後において行くべき天国創建の使命を堪當し得ますよう祝福してください。すべてを真の父母の名を通して祝願し宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。---------- ---------- ---------- 今年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でしたが、天国を創建するには公式があります。その公式は何かといえば、カイン、アベル問題です。歴史路程において、カイン、アベルの問題です。もし堕落になかったならば、アダム、エバが長子、長女となって本然の神の直系の子女となったはずでした。しかし、堕落することによって、長子の立場を奪われてしまったのです。アダムは長子の立場を奪われてしまったのです。これを復帰するためには、サタンが上にあり、神が下になり、次子を神が取って、長子の立場を復帰する歴史を展開してくるのです。これが個人から家庭、氏族、民庭、国家、世界に至るまで、長子権を復帰しようとすれば、そのままではできません。長子は兄でありますが、兄を次子にし、次子が兄にならなければなりません。そういう道理はありません。 堕落しないで長子が長子として生まれたならば、その父母の系統を受け継いで父母の代わりに次子を指導することができるのです。そのために長子の権限は、次子を支配することのできる立場です。それで今まで、堕落した後にサタンが長子を取ったので、次子を支配できる立場に立ってきたのです。それで、これを復帰するためには、強制的に復帰することはできないのです。愛をもって、その長子権を復帰するためには、サタンの愛以上の愛がなくては帰ってくる道がないのです。このことを知らなければなりません。サタン側の愛、堕落した愛、堕落した父母あるいは堕落した兄、彼らがもっている、堕落した世界がもっているすべての愛は、サタン圏に属した愛です。このサタンの愛というのは何かといえば、長子圏に属する愛なのです。 では、これまでこの世のすべての人々が属しているその愛、あるいは夫婦の愛、父母の愛、子女の愛とか、愛というすべての愛は長子圏、堕落圏に属した愛なのです。それでこの長子圏を越えるためには、次子の立場において、逆にこれを蕩減復帰しなければなりません。蕩減という言葉は、そのままに越えることはできません。サタンが必ず代価を払わなければなりません。代価を払わなければ越えることができません。蕩減するのに、何をもって蕩減するのでしょうか? 愛の犠牲、愛の心をもって血を流すところにまでいかなければなりません。それでこの前、話をしたように、旧約時代にはすべての万物が血を流し、神側の人々、神の愛する神の子と神の僕と神の養子とが行くこのとできる道を開いておくのです。これが旧約時代です。それで旧約時代はすべてが万物を犠牲にして神の人々を蕩減復帰するために血を流さないわけにはゆきません。血を流すにも、強制の血をもってではいけません。自ら進んで犠牲の血を流す、そのようなものでなければサタン世界の愛よりも優れたという愛の道を見いだすことができないのです。祭物というのは、そのような意味においてサタン側の所有物を神の側にもとがえす、一つの条件となるのです。 このような内容をなっていることを歴史路程においてはっきり分かりませんでした。しかし、そのような歴史を経てきたことを知ったので、人間世界では祭祀(さいし)をささげてきたのです。祭物の中には万物の祭物とか、ここには牛とかぶたとか、女性を殺して祭祀を行ったのであります。その祭祀を行うには、どのようにすれば良いかといえば、自分の生命の代わりにささげるのですが、それをささげることによって、自分自身を見いだし、本来の長子の立場を探し出すために、自分自身を犠牲にすることのできる愛の心をもたなければ帰っていく道がないのです。それで旧約時代は、神の人々を探し求めるために犠牲となってきたのです。愛の祭物として犠牲となるのです。自ら進んで犠牲になるこの立場に立てなければ、神へ帰っていく道がないのです。 新約時代はどのような時代かといえば、イエス様が神の息子として来られ、次にキリスト教信者が養子圏の立場で、キリスト教圏を中心として犠牲となってきたのです。キリスト教圏とは何でしょうか。新約時代は、神の子女、神の人々を犠牲にして何を復帰するための時代であったかといえば、父母様を復帰するのです。そのためにキリスト教は、兄弟であるカイン、アベルのうち長子がサタン側になったので、次子が長子の位置に世界的基準にまで上がっていくのです。そのような世界的使命をキリスト教が今まで歴史を代表してやってきました。それゆえ世界的な迫害を受けながら、キリスト教は今まで血を流しながら、愛をもって奉仕し犠牲になることによって、兄が愛する弟を打ったり、けったり虐待したりあらゆることをやってこれ以上やることができないという限界線に到達したとしても、弟は死ぬまで愛をもって兄に対するのです。ここから回っていくのです。 イエス様は十字架上で怨讐のために祈りました。今まで先に生まれた人々は長子です。長子権です。あとから生まれた次子の立場から長子権を蕩減復帰しようとするから、全世界の人々を愛したという条件を立てなければならないのです。そして血を流さなければ越えていく道がありません。このような意味から、祭物の代わりに十字架の道理が成立したということをキリスト教信者は知りません。なぜ十字架で亡くなったかという問題を知りません。 なぜ神の息子が来て祭物にならなければならないかという問題を皆さんは知りました。長子権におけるこのような膨大な誤謬を犯したこの基準を正さなければ、元の根が正されないのです。根が正されなければ過程も正されることができないし、結果も正される道理がないのです。根本を正しておかなければならないため、旧約時代には万物を犠牲にして神の人々を探してきたのであり、新約時代には人々を犠牲にして父母様を迎えるのです。 再臨主がだれかといえば、新郎が新婦を探してくるのですが、その新郎はだれでしょうか。本来堕落しないで私たち人類が神の愛と神の完全なる人、長子となって、長女であるエバと一つとなって初めて、愛を中心として子女を生んでいたならば、長子と次子の蕩減復帰はあり得なかったのであります。初めに生まれたのが神の長子であり、次に生まれた子もすべて神の子女となるのです。堕落したために、誤った血統を受け入れたのです。それで新約の時代は何かといえば、神の人々を犠牲にして父母が来られる時代なのです。 再臨時代というのは何ですか。新郎、新婦というのは何ですか。新郎、新婦は本然の父母を探すためのものです。父母を探すことによってカイン、アベルの兄弟が一つになるのです。また一つになるにはどこで一つになるのでしょうか。母の胎内で一つにならなければなりません。どこで逆転しなければならないのでしょうか。外で逆転すれば、それは根本的な逆転ではありません。胎内に入って胎内からこれを正さなければなりません。それで旧約の歴史の中でそのような役事を通してきたのです。カイン、アベルは兄弟各々成長して逆転したのであり、これをだんだん縮小してエサウとヤコブ時代においては双子です。双子をもって逆転するのであり、次にユダの時代になると、タマルを中心として腹中においてペレヅとゼラが闘うのです。このように闘うという逆転歴史がありました。このような歴史の起源を整えてきたその血統を通してイエスが生まれたのです。逆転させた勝利の土台の上にイエスが直系の血統を受け継いだのです。それを逆転させた起源は二〇〇〇年前であります。サタン世界は個人の基台ばかりではなく、国家基準となっていたので、個人基盤から国家が形成される時まで二〇〇〇年待ち、マリヤの時代になってイエスをみごもったのです。 イエスをみごもったという事実は初めて人間の世界に神の愛を腹中にはらんだということであり、その時サタンが讒訴することのできない長子権が初めて始まるのです。皆さん、イエスが救世主となり、救い主になる原因はここにあるのです。仏教の釈迦やその他の孔子やマホメットと違う点は何でしょうか。何が違うかというと、イエスはサタンが残していたこの土台を清算して、血統を初めから清めて長子権、讒訴圏を腹中において全部転換して生まれたのです。そのような伝統的立場に立ったので、人間の血肉をもって生まれましたが、初めて人類の歴史路程において腹中から神の長子の位置を取得したのです。それで聖書の中で独り子というのです。独り子という言葉がどのような意味であるかを知らなければなりません。数多くの人々が生まれましたが、人類歴史の中でたった一度イエス様のみがこのような血統を母の腹中から転換して、次子でありながら長子として生まれたのです。 皆さんはペレヅとタマルの歴史を知っているでしょう。創世記三八章を見ると、舅(ユダ)とタマルが関係をもって生まれるのです。なぜでしょうか。原理を知らなければ旧約時代はすべて妖邪(注:よこしまであやしいこと)になってしまいます。なぜそうであったかということを知らなかったのです。タマルの出産の時に兄が手を先に出したので産婆が緋の糸で結び、手を引っ込めると弟が追い抜いて出てきたので、これをペレヅという名にしたのです。兄があとに出て、弟が兄となったのです。 腹中から闘うということは、エサウとヤコブの時と全く同じなのです。腹中で二人の子が闘っているのでリベカが神様に、「こんなことでは、わたしはどうなるのでしょうか」(創世記二五章二二節)と尋ねてみると、神様は「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹か別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(同二三節)と言われるのです。なぜ大きな者が小さな者に侍らなければならないのでしょうか。なぜそうしなければならなかったかということを知らなかったのです。ですからこの根本を解かなければ帰っていく道を探し出すことができないのです。それで私たちの原理を知らなくてはならないのです。歴史路程の上において長子権復帰を果たさなければなりません。エサウとヤコブがリベカの胎中において、ペレヅとゼラがタマルの胎中において血統が清められ、長子権復帰が初めて果たされたのです。それから二〇〇〇年後のマリアの時代にイエスがユダヤ教の伝統に従い、サタンが既に国家基盤を中心としていたので、国家基盤を整えて生まれなければならなかったのです。 イスラエル教会とイスラエル国家は、アベルとカインと同じなのです。イスラエル国家は外的で教会は内的です。カイン、アベルと同じです。ではどちらが先かといえばイスラエル国家がカイン的で教会はアベル的ですから、アベル的教会の前にイスラエル国家が屈服しなければならないのです。そうすることによって長子権復帰が果たされるのです。イエスがいくら長子権をもってきたとしても個人的であり、あるいは家庭的な長子権をもっていたとしても教会と国家的長子権へと打って出ることができないのです。それでイスラエル教会を代表してイエスの前に連結するために洗礼ヨハネを立てたのです。洗礼ヨハネとの関係を見ると、イエスがアベルの立場で洗礼ヨハネはカインの立場です。洗礼ヨハネが自然にメシヤに侍り、絶対服従してイエスがアベルの立場でその教団的なイスラエルから長子権を取ったなら、この二つが一つになった基盤の上にだれが連結されるかといえば母親が連結されるのです。聖霊が役事するのです。神の力が役事するのです。聖霊の役事を通じずしては父親に出会う道がないのです。新郎に出会う道がないのです。 そして皆さんの心と体が一つとなるのです。体は何かというと先に造られましたので、サタン側です。神が造られる時に霊を先に造られたのではなく、体を先に造られたのです。先に造られたのが体であるから、すべてにおいて先に生まれるのは神の原則によって長子権であります。エジプトにおいてなぜ長子を打ったのでしょうか。聖書を見ると長子はみんな罰せられたのです。なぜ次子が恵みを受けるのでしょうか。今まではこの原則を知らなかったのです。この原則が公式となっているのです。それで体は長子権で先に生まれ、鼻に息を吹き入れたあと、生命となったと言われたのです。霊はあとなのです。それで神側はあとを取ったのです。サタンが愛によって堕落することによって長子権はサタンが取り、次子権は神が取って、だれが上に上がろうとするのかといえば、サタンの立場の長子が上にいるし、神がその下にいるのです。これを転換させなければなりません。全世界的に、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天と地においてまで転換させなければなりません。 そのような関係が全世界歴史を通してつづられてきたのに、これを正すことができなかったのです。しかしキリスト教は、その歴史においてローマ帝国からあらゆる迫害を受けながら、犠牲の血を流しながらも今日、世界の主流の宗教の立場に立っています。世界の父母さまが来られ、自由に長子権復帰を果たし、次子を自由に主管できる世界を形成するために、キリスト教文化圏は発展してきたのです。その時がいつかといえば、第二次世界大戦の時です。キリスト教とキリスト教文化圏を中心として長子権を結束し、次子たちであるキリスト教以外の宗教人や非宗教人たちを全部キリスト教文化圏に吸収することのできる時が、二第次世界大戦直後だったのです。その時、長子権と次子権が一つになればだれが来るかといえば、主様が来られるのです。父母が現れる時なのです。長子権と次子権が一つになれば母親を迎えることがてきるのです。言い換えれば、地上に最高の新婦が現れ、子女を治める立場に立てば主様が来るようになるのです。新郎であられる主が来られるのです。 それでは、堕落したアダムが復帰されるためにはどうしなければならないか。アダムはエバによって堕落したのです。エバが堕落させたのです。エバが動機となったのです。母が動機となったのです。今まで歴史時代において、なぜ女性たちがこれまで虐待を受けたかといえば、堕落のゆえです。これまで人類歴史、救援摂理歴史において、あらゆる犠牲を払ってきたのは女性たちです。男性によって犠牲となり、子女たちによって犠牲にされてきました。犠牲にされたとしてもその価値を認めてもらえないのです。流されてしまうのです。では女性は、どのような時に初めて解放されるかといえば、本然の新郎に出会って、本然の子女を抱いて、その本然の子女がサタン側と神側に分かれていない、神側の長子と神側の次子として抱く時です。神と夫の前に支配を受けるべきエバが逆に支配してしまったので、これを蕩減復帰しなければならないのです。絶対服従をする立場においてアダムを迎え入れなければなりません。夫を迎え入れないでは神の前に出られないのです。 キリスト教には、よく信じている人とあまり信じていない人、カイン、アベルがいるのです。これが完全に一つになって、そこに聖霊なる新婦を中心として全部が一つとなり、主が来られた時、絶対服従することのできる体制を準備してきたのです。それがキリスト教文化圏です。キリスト教を中心として見るとき、世界を一つにすることのできる時がいつかといえば、第二次世界大戦直後しかなかったのです。宗教文化圏を中心として一つに束ねて治癒することのできる時が歴史時代にたった一度あったのですが、それがいつであったかといえば第二次大戦直後だったのです。 キリスト教を中心として、アメリカの民松主義を中心として、その時に教会とアメリカが一つとなって父母として来られる再臨主を迎え入れたならば、アメリカと自由世界はこれほどまでに悲惨にはならなかったでしょう。しかしその責任を果たすことができなかったがゆえに、今日統一教会でいう、真の父母の因縁を結ぶことができなかったのです。カインとアベルを一つにしなければ父母の帰ってゆく道がないのです。それで第二次大戦直後に戦勝国家群がいやが応でも敗戦国を独立させなければならなかったのです。兄弟国家時代に入っていくのです。それらが一つになってこそ、父母様を迎え入れることができるのです。それで先進国が兄の立場で、敗戦国を思いのままに主管する立場ですが、拘束するのではなく解放してあげるのです。同じ立場に引き上げてあげるのです。これが歴史時代にない一つの顕著な事実として浮き彫りにされたのです。父母が来られる、天運の時が来るのでそのようになるのです。 第二次世界大戦後に、キリスト教とキリスト教の文明を中心としたアメリカが世界を一つにするには、カイン、アベルだけでは一つにすることはできません。父母を迎え入れて父母の家庭を作らなければなりません。父母の家庭から、父母と子女が願う国が生ずるのです。兄弟たちが願ったからといって家庭がつくられるのではありません。父母がいなくては家庭がつくられません。父母と子女が一つになったそのようなところから天国がつくられるのであって、兄弟が一つになっただけでは天国はつくられ得ないのです。 それでこのような摂理を御存じの神は、第二次大戦直後に世界を一つの文化圏、キリスト教文化圏にしたのです。キリスト教はアベルの立場であり、アメリカはカインの立場ですが、だれが支配しているかといえばキリスト教が支配しているのです。ですからアベル的立場がカインを支配する立場になったのです。それでだれを願うかといえば、主を願うのです。主を願うのですが、主はだれを訪ねてくるでしょうか。新婦を探してくるのです。それで新婦を準備して待たなければなりません。その新婦は母親です。それで長子権のアメリカと次子権のキリスト教が完全に一つとなって母親を迎え入れ、私の国に来てくださいというのです。自分たちが絶対に一つとなって、父母様を中心とした神の願う家庭さえできれば、氏族の編成は問題ないのです。そうではないでしょうか。神の願う氏族編成から、神が願う国家、数多くの国家、神の願う世界は自動的に、七年以内に編成されるのです。これを失ったのです。 韓国とアメリカは、イスラエルとローマと同じ立場です。ローマは当時太陽神に侍っていましたが、今のアメリカは神側に立っていて、サタン側ではありません。そして韓国がアメリカの保護を受ける立場において、自主独立するのです。立場がそうなのです。ローマはイスラエルのすべてを滅ぼそうとしましたが、アメリカは滅ぼすのではなく、神側の国としてイスラエルのような国を生かすのです。そのように、反対の時代を準備していたのです。そうすることによって、当時イエスができなかったことを蕩減復帰することのできる環境がつくられ、韓国が連結されるのです。 韓国において延禧大学と梨花大学事件がありました。それは二世を中心として連結していくのです。これを連結すれば、二世を中心として一世のキリスト教と二世が、主従の関係から見れば父子の関係となります。梨花大学と延禧大学を相対的に見るとき、横的関係です。この浜的関係がアダム、エバのようで、これが一つになれば、主従関係は父母たちを中心として一世と二世が自然に一つとなるのです。それは原理原則によってです。一世と二世たちが完全に一つになれば、カインは当然屈服するようになるのです。カインは屈服するようになります。神の保護圏内に入ってきているので、二世アベル圏が一つになる日には一世たちは自然に一つになるようになっていました。イスラエル民族においては第一世たちは荒野において死んでしまったのですが、韓国は神側の保護圏内にあるので、一世が死ぬのではなく二世と共にカナンの地に入っていくことができるのです。これは当然なことです。 しかし、そのような環境を中心として韓国で連結しようとしたすべてに対し、梨花大学と延禧大学の事件を中心としてキリスト教が完全に一つとなって統一教会に反対したのです。もし朴マリヤを中心とした李承晩(イスンマン)政権、金活蘭が一つになったなら、もちろん朴マリヤは一つとなり李博士とも親しい立場であったので自然に一つとなれるはずでした。そうであれば、アダム、エバ圏を中心として見ると、梨花大学と延禧大学が堕落しない若き男女のような立場になり、(統一教会と)キリスト教とは父子の因縁で一つとなり、家庭的な面において四位基台圏をつくるのと同じようになるのです。その中には個人の家庭もあり、氏族の家庭もあり、民族の編成が始まるのです。そのようにして李政権と完全に一つとなっていけばキリスト教を中心として国が一つとなるので、国家的基準において父母が立つことのできる場が設定されたはずなのです。分かりますか。 そうなれば韓国を中心として真の父母の理想は、確固たるものとして出発していたでしょう。国とキリスト教の背後にアメリカの国と宣教師がいるのです。国を代表してホッジ中将がいたり、教会を中心として宣教師たちがいたのです。この宣教師たちが反対することによってすべてが狂ったのです。これはイエス時代にユダヤ教が反対したのと同じです。こうなるとレバレンド・ムーンはとんでもない異端となって追放されるのです。荒野に追い出されるのです。それで四〇〇〇年間神が準備したものを、一日にしてすべて失ったのです。これを再び収拾していかなければなりません。 先生の責任はどうなったかといえば、キリスト教の責任とアメリカができなかった責任および韓国とキリスト教が果たし得なかった連帯的な責任が全部先生に背負わされたのです。韓国においては、国とキリスト教が国家的責任を担っているのです。仕方がなく世界的時代を迎えて、世界的基準においてキリスト教と、その国を収拾しなければならないのです。これが今まで先生がアメリカに行って十三年間闘ったことなのです。それで何をしたかといえば、それほどまでに反対していたキリスト教とアメリカを、ダンベリーの十字架を中心として一つにしたのです。蕩減しなければならなかったのです。二十世紀の十字架がダンベリーです。イエス様は十字架にかかることによって、全部を失ってしまったのですが、このアメリカとキリスト教は神側に立ったのです。サタン側の共産党と対比させてみると、それでもアメリカはアベル側です。神側です。キリスト教文化圏なのです。それが有利なのです。 それで私がアメリカに行ってやったことは何かというと、統一教会をアベルの立場に立て、キリスト教をカインの立場に立てて、統一教会がキリスト教の失敗したことを全部蕩減しなければならなかったのです。統一教会は定着してはいけないのです。ジプシーの群れなのです。四十年間定着して生きてきた人たちは、カナン福地に入ることができないのです。統一教会の食口の立場に立てないのです。何の話か分かりますか。定着して生きるようにはなっていないのです。定着して生きれば、みんなねじれてしまうようになっているのです。自分のために教会を信じ、統一教会は苦労が多いので出ていく人がいます。自分が豊かになってから教会を助ければいいと思って出ていくのですが、そうはいかないのです。思いどおりにならないのです。それは何を意味するかといえば、統一教会は荒野時代において四十年間にわたってカナン福地を再び探していかなければならず、エジプトに入って苦労する立場に入っていくのです。ですから行く所々がすべてエジプトです。私たちが異邦人としてその国に入り、私たちは次子であるので、その国の人たちはいくら私たちが神側であるとしても虐待し、殺そうとし、血を見ようとするのです。それを怨讐視しては帰ってくる道がないのです。かりますか。怨讐視しては帰ってくる道がないのですよ。 それで先生の、今までやったことは何かといえば、先生と先生の家庭を中心として犠牲となり、一〇〇の十字架を背負ってきたのです。何を解放するためでしょうか。先生の家庭と統一教会を中心として、神様まで解放しようとするのです。その解放圏が神を解放するためにはサタンがこの世界の端に残っていては神様が解放され得ないのです。サタンが今や完全に後退したといえる世界的版図を構築しなければ、神の解放圏を地上に発表できないのであります。分かりますか、これが原理ですよ。 では真の父母かこの地上に来て、真の父母と真の父母に従ってくるすべての統一教会の人々は何をするのでしょうか。地上にサタンが讒訴する権限を解消しなければならない歴史的使命があるのです。そのために先生はアメリカに渡りました。すると全世界ば反対するのです。反対されるのです。以前に話しましたが、先生が全世界を否定する以前に世界が先生を拒否するのです。迫害が悪いのではありません。しかし、拒否されるというのは先生が自然に拒否したという立場に立つのです。拒否されるのが嫌だといって、逃げてはならないのです。拒否する人を正面切って、訪ねていかなければならないのです。 訪ねていって、大胆でなければならないのです。訪ねていけば反対しますが、正面切っていけば行く道を開いてくれるのです。そういう闘いです。そうしながら統一教会は発展してきたのです。言うならば、神の戦法は打たれて奪ってくるし、サタンの戦法は打って失うのです。この世もそうでしょう。一家庭に兄弟と父母が一緒に住んでいて、父母がじっと見ているとき、いくら兄であっても、先に被害を与えた場合は、その弁償をしなければならないのです。サタンは先に込ったので悪なのです。先に込った者が悪者です。それで第一次大戦においても、先に打ったものが負け、第二次大戦においても先に打った者が負けたのです。第三次時代においても、思想戦において、共産党が無条件に打ってくるのです。偽りでもって、構わずに打ってくるのです。それゆえ、共産党は滅びるのです。統一教会の文先生は、無条件に打たれるのです。統一教会は、無条件に打たれるのです。国家も政府も打ってくるのです。それでも静かにしているのです。他の人なら闘いを挑むでしょう。だれが勝つかといえば、耐える者です。サタン世界では、だれが勝つかといえば耐える者です。だれが主人になれるかといえば、より忍耐する者が主人になれるのです。これが原則です。今まで皆さんはこれを知らなかったのです。 どのようにして耐えますか? 悔しくて悔しくて仕方がなくても耐えるのです。そうすればその悔しさ以上の恵みがあとから、そろりそろりとついてくるのです。このような闘いのために、アメリカに渡って、統一教会がキリスト教文化圏で反対され、キリスト教とアメリカが第二次大戦時代に失ったすべての世界を蕩減復帰して、キリスト教とアメリカ文化圏を再び探し立てなければ、世界を救う道がないのです。それで、先生はアメリカに渡る運命にあったのです。 韓国において、韓国とキリスト教が受け入れていたとしたならば、その時、キリスト教文化圏は七年以内に一つになれたはずです。統一教会の真理がどれほど素晴らしく、文先生がこのように素晴らしい方であるということがうわさになっていたならば、七年もかからないうちに完全に世界を一つにすることができたのです。それができなかったので、韓国が独立するまで三年半が過ぎました。一九四八年のことでした。そして、三年以内に十分にやられたのです。しかしそれができず、南北に分かれ、カイン、アベルに分かれたのです。それでアメリカと全世界か真っ二つに分かれてしまったのです。 世界的個人カイン、アベル、世界的家庭カイン、アベル、世界的氏族カイン、アベル、世界的民族カイン、アベル、世界的国家カイン、アベル、世界的カイン圏、アベル圏として分かれ、民主世界と共産世界になっのです。そして共産世界自体は一つになってきますが、民主世界は十二支派、十二弟子が闘ったのと同じように、キリスト教教派に分かれて、今日数百数千に分かれているのです。これを再び一つにしなければならないのです。先生はこれを今、一つにしているのです。ヨセフを他の十一名の兄弟が反対し、殺そうとしたのです。それを一つにすることができなければ、エジプトの父母を生かす道がなかったのです。それでいろいろな役事視Nこるのです。ちょうど先生はヨセフと同じです。エジプトに入ってすべての基盤を整えたヨセフのように、滅びようとする十一のキリスト教を生かしてあげるという責任を果たしているのです。それで十一人の兄弟が刃を懐に入れて闘うほどの怨讐であるにもかかわらず、父母を思って、父母を救うために涙をこらえて、神を解放するために、悲痛な場面を耐えて、血を見るような場面を愛で越えていくのです。そこに神の解放圏が展開され民主世界に、初めて神の降臨圏が展開されるのです。そして、その基盤をもって、韓国とキリスト教とが反対したことを蕩減復帰して、同じ水準に上げて接ぎ木するために先生は来たのです。分かりますか? (はい)。 今やアメリカやアメリカのキリスト教が先生に反対しようとしてもできません。反対すればするほど、どんどん失っていくのです。反対してみなさい。昔は反対すれば自分たちの側が一つになっていきました。これからは理由もなく反対すれば、今まで先生を憎んでいたのと同じように、先生に反対する人を憎むようになるのです。昔は先生を憎むために一つとなりました。今や先生を憎む人たちを憎むために一つになるのです。蕩減復帰ですよ。(拍手) これをはっきり知らなければなりませんよ。分かりましたか? イエス様は十字架ですべてを失いました。兄弟を失い、ザカリヤ家庭、自分の氏族を失いました。兄弟を失い、家庭、親戚を失い、氏族、教会、国を失い、世界、天と地、すべてを失いました。それとは全く反対に、ダンベリーの先生はすべてを取り戻さなければなりませんでした。全部を取り戻さなければなりませんでした。 問題のある家庭であるなら、その家庭から子女たちが分かれ、離れ離れになるのではなく、全部集まらなければなりません。統一教会の皆さんも、先生がダンベリーに入ってから悔い改めたでしょう。三十六家庭も目を赤くしながら祈祷したりしたのです。全部自分たちのせいで先生が入られたのだといって、事実そうでしょう。(はい)。 統一教会自体から見れば、先生一人の問題のよう見えますが、アベル圏が完全に一つになると同時に、カイン圏までもが先生の主管圏に入って、一つになるのです。そしてカインとアベルが一つになることによって、聖霊、母親が立つことができるのです。イエス様が復活したのちに、弟子たちが完全に一つになりました。一二〇名の門徒は世界の代表であり、七十人の門徒は国家の代表であります。そしてこれらが一つとなつたので、カイン、アベル圏、世界圏を一つにすることによってだれが来たかといえば、母親なる聖霊が来て連結することができたのです。さらに、カイン、アベルが一つになるためには、腹中に入れて、同じ愛の血と肉を同じ方法によって供給しなければならないのです。そうしなくては、そのお母さんの前に本来の長子、次子となれないのです。今までは長子がサタン側で次子が神側になっていましたが、血筋が異なるのです。血筋が同じでなければなりません。しかし同じ息子なのです。系譜は同じです。これをいかにして神の愛を中心として、神の愛と一つになった母の血と肉とを連結するか。これができなくては、真の子女となり得ないのです。ですからカイン、アベル圏が初めて七十人門徒、一二〇人門徒、これは後日一二〇国家の代表として立ち、これが一つになることによって、初めて女性神、聖霊が来て、新郎であるイエスと愛の因縁を結んで、世界は母親である聖霊を受けて、父親の愛の心を受けた子女たちを通して、再び出発するのです。再出発の歴史です。 それでアベル、カインは双子のような立場に立つのですが、昔は、長子がサタン側であったが、今度は次子が長子となって神側になり、以前のサタン側のカインが次子の立場に立って、長子となったアベルを兄のようにして、絶対に侍らなくてはなりません。この伝統は、だれが立てなければならないでしょうか? 母であるエバが立てなければなりません。分かりますか? そうしなくては帰ることができないのです。神の愛の因縁を、母親の腹中から、父と母が神の愛の因縁を結んで、それを通して血肉の因縁を連結したという条件が成立しなければ、神の国へ帰る道がないのです。このように複雑なのです。 今日のキリスト教信徒たちは、信ずれば天国に行くというのですが、それほど気が狂った、それほどの泥棒はいないのです。これらのすべての事実を知ってみると、地獄中の地獄に行かなければなりません。死んでごらんなさい。みな天国に行くのだと思っていたのですが、行ってみるとそうではないのです。 それでキリスト教の歴史において、聖霊が降臨してきたのです。母は地であり父は天であります。イエスは霊的救援しかできなかったので、新郎であるイエスは神の国に行き、母の神が来て、地上人は母のような地において、初めて霊界(イエス様)と一つにならなければなりません。 聖霊の感動を受けて、イエスが恋しくてならなくなります。新郎であるイエス様を聖霊を通すことによって、私たちの心は恋い焦がれるようになるのです。恋愛する以上に恋しくなるのです。霊的に目覚めて神の国を見ることができるように、霊界の目が開かれることによって、新生が始まるのです。救援というのは、それほど簡単にできると思いますか? 天国に行くすべての道理を経て成されるのです。極めて難しいのが復帰摂理なのです。 あなたたちははっきり知らなくてはなりません。統一教会の者たちよ、新年から先生が悪口を言うのは、あなた方が何も知らないでいるからなのです。自分を中心として、東西南北三六〇度圏内どこに行っても落第者であるからです。何の内容ももたない者たちが、自分は統一教会員であるとにおわせて騒いでいるのです。 先生が行く道に皆さんは従っていかなければなりません。天国に入っていく時、あなたはだれかと問われたら、ほかでもない統一教会の信者ですと答えます。では、統一教会の信者とは何ですか? 統一教会とは、真の父母を中心としたグループです。真の父母とは何でしょうか? (アダムとエバは)堕落して偽りの父母となりましたが、真の父母は正に真の父母です。では、どのように真の父母と因縁を結んでいるのでしょうか? 真の父母の血肉を受け継いでいますか? どのように答えますか? そこまでは知らないので、真の父母に聞いてみます? 先生よりあなたたちは先に死ぬような立場なのに、先生と共に死んで、一緒について入るのですか? とんでもないことです。それをはっきりと知らなければなりません。 アメリカに来て十三年。アメリカでは十三数が問題です。十三年間、十三カ月間でイエスの時失ったすべてを取り戻すのです。先生が韓国で失った、キリスト教とアメリカができなかったすべてをダンベリーに入って取り戻し、さらに、イエスが国家とすべてを失ったものを、すべて取り戻したのです。アメリカが反対しキリスト教が反対していましたが、結局はレバレンド・ムーンの背後につながってくるようになるのです。分かりますか? 世界、すべてが、共産党も反対していました。共産党と先生は闘って、先生は後ろ向きになりましたが、サタンは背を向ければ永久に離別となります。そこで先生が後ろ向きになればサタンは背を向けることはできません。先生が背を向けると、サタンはただ見ているだけしかありません。レバレンド・ムーンが後ろ向きになって、あなた方も後ろ向きに回れば、永久に離別です。ついてこれなくなるのです。しかし、反対していた立場が回れば、同じ方向になるのです。そうなればかえって反対することは押し出してあげることになります。やがてそのような時代が来ます。分かりますか? このような世界史的な時代が訪れるのです。 統一教会に反対できる時は越えていったのです。統一教会に殉教の歴史はあり得ないのです。それは先生一代で清算するのです。イエスが責任を果たすことができず、元老たちが責任を果たすことができなかったことを、生きている間に、世界宣教国で迫害とか血を流すべき歴史を先生一代ですべて清算するのです。キリスト教が血を流して世界を一つに束ねることができたのと同じく、統一教会自体が先生の生きているうちに、世界が反対しないで従ってくる基盤を整えました。それをダンベリーを中心としてやったのです。先生を一番悪い者、悪いと皆が言っていたのです。しかし分かってみるとそうではないのです。悪いのはアメリカの政府、先生に反対した共産主義者や実用主義者なのです。今やすべて正当化されるのです。 そのような中においてすべてが一つになる運動が始まるのです。キリスト教を中心とする世界的基盤において、世界的統一教会アベルと世界的キリスト教カインが一つになったので、すべて一つになれるのです。既成教会の牧師たちもみんなどこへ行くのですが? 既成教会の牧師たちは聖エルサレムに行くのではありません。既成教会の牧師たちは父母様の聖地に行きましょうとエルサレムに行こうとする足(の方向)を変えられ、韓国を訪ねてくるようになっているのです。今回ここに来る前にも、数百名が韓国に行くと言いましたが、やめなさいと先生が言ったので、第一次、第二次だけが自分たちで行ってきたのです。キリスト教は二番目です。常にサタンは二番目に入るのです。この二番目だけが一つになれば、三番目は闘わずしてそのまま越えていくことができるのです。それからは易しく解かれるのです。統一教会とキリスト教が一つとなって、アメリカが一つとなる日にはすべてが終わるのです。ですから、アメリカが一つにならざるを得ない基盤を急いで築かなければなりません。 アメリカの大統領は先生に学ばなければなりません。アメリカの大統領は、先生が支援する人にならなければ滅びます。(アーメン)。(拍手)ですから、そのような基盤をみんな作っておいたのです。どのように自分が逃れようとしても、先生が追う所に追われるようになっています。神が「東に行きなさい」と言えば、嫌であっても東へ行くのです(しぐさで示される)。そしてキリスト教文化圏を中心として、アメリカが一つになった時には、共産党はなくなるのです。そのようになれば、世界中の共産党は私の目の前からなくなっていくでしょう。分かりますか? キリスト教を中心として一つになったのちには、共産主義もレバレンド・ムーンによって滅びると思うのです。民主主義もレバレンド・ムーンでなければ救うことができません。既にうわさになっているし、世界はそのように思っているのです。韓国に住んでいるあなたたちだけが分からないことであって、田舎っぺは知らないが、都会の人はみんな知っていますよ。(笑い) 分かりましたか? 原理的観点において、このようなすべてを蕩減して、十二カ国以上の人々が先生をしっかりつかんでついてこなければならないのです。少なくとも二〇〇名以上の人がついてこなければならないのです。何百名来たのですか? このたび壇上にも七十二名のヘッド・テーブルを作り、十二人の代表に証をさせたのですよ。蕩減復帰したのです。世界的に宣布するのです。韓国は眠っているので、全国にいる勝共連合の幹部たちを呼んで、中央を揺ぶるのです。風が吹いたら眠っていた者たちは出てくるのですが、台風が吹いたらどうなるでしょう。 そういうことをやってきたので、総決算という言葉は、八五年の聖日の「神の摂理史的総決算」という話の中でしましたが、そうするためには、責任分担を中心とした血統の転換をしなければなりません。カイン、アベルは腹中に入って、血統転換をしなければなりません。そのためには、真の父母がいなくてはできません。真の父母がいなくて、兄弟同士だけで天国になりますか? 長子、次子を復帰したからといって、神の創造理想天国ができますか。父母がいなければできません。私一人、個人においても体と心が長子、次子でありましたが、今までは、悪なるサタン側の体が心を支配してきました。今までの人間において、なぜ心と体が闘ってきたのですか。堕落したからです。堕落していなかったなら、心の前に体は絶対服従するようになっていたのです。なぜかといえば、電気でいえば神は発電所であり、それに直結されているのが総電線で、電話機はみなその下にある電線につながっているのです。送電線の下にある電線は糸線のようなものです。堕落したので電線が闘いをしているようなものです。解決方法がないのです。それで父と母の闘い、どこにおいても闘いがあるのです。分かりましたか? 皆さん、心と体が一つにならなければ父母を迎え入れられません。それは天倫の前の詐欺師のようなものです。統一教会に来たのに、だれかを憎んで来るのは詐欺師です。妖邪な者です。統一教会に入って、父母の前に姿を現すことはできないのです。心が体を屈服できる堂々たる権威を備えてこそ、父母様に対して父母といえるのです。そうでなければ父母といえる資格がないのです。分かりますか。このような立場が完外した男性、女性であり、それを平面的に見ると主体と対象となるのです。男性を長子として見るなら、女性は次子です。二番目に生まれたでしょう。堕落することによってどのようになったかというと、二番目に造ったエバが先に造られたアダムを支配したのです。これはカイン、アベルとして見ても逆になっているのです。この時代に入ってからは、長子の立場にいる兄が次に造られたエバを、強制的にでも天倫の前に従っていけるようにしなければなりません。ですから、妻がみ旨の前に行かないといったら、無理にでも押し出しなさい。分かりましたか? その反対に女性が男性を打つというのはよくありません。統一教会の祝福を受けた家庭において、女性の前に三年間僕の立場をとったのは過去の時代であります。危険千万な過去の時代がありましたが、それはカイン、アベルを蕩減して、弟が兄を復帰する時であったのです。それを乗り越えた今からの時代には、絶対に男性は権限をもって女性を指導しなければならないのです。 先生はお母様の話を一〇〇パーセント聞いていてはすべてを奪われてしまいます。(笑い)お母様が先生の話を一〇〇パーセント聞けばいいのです。ある時は、年取った夫であっても、荷物を持ったりすることでお母様が十回ぐらい頼めば、一回ぐらいは聞いてあげなければなりません。聞いてあげなければならないとき、「ノー」と言えば問題が生ずるのです。仕方がなく先生の力に余ることでも、休むまいとするのです。それは疲れますが仕方がないことです。 最近風邪を一緒にひいたのですが、お母様はゴホン、ゴホンとせきをしていましたが、先生は風邪に負けないのです。この風邪よ! このようにして屈服しているのです。男性の権威があるのです。分かりましたか? 蕩減復帰、皆さんこれをはっきり知らなければなりません。先生が何をしているかをはっきり知らなければなりませんよ。第二次世界大戦直後の韓国において、世界版図の上で、真の父母の権限下において、真の父母に侍ることのできる兄弟を伴って、すなわち世界的兄であるアメリカと、世界的弟の立場であるアメリカのキリスト教が一つになれば、母の懐に抱かれていたでしょう。そのようになっていたならイギリスが母親になったのです。先生がイギリスの母親を連れてきたかもしれませんでした。なぜ笑うのですか? イギリスのお母さんはどんなにいいでしょう。(笑い) このように見るとアメリカはイギリスが生んだ国であり、息子の立場に立つことができれば、言うことを聞くようになっていたのです。自然に一つになるのです。しかし、そうならなかったので、そのすべてのことに対して先生の家庭に破綻が起きてきたのです。様々な問題が起こってくるのです。サタンがすべて奪っていったので、サタン側から国を立てなければ行く道がないのです。それでサタン側の代表エバ国は島国です。天照大神は女性神です。それで日本をエバ国家として立てたのです。アベルはアメリカ、カインはドイツです。日本とドイツは怨讐であり、アメリカとも怨讐です。日本とドイツはアメリカを救うために、一つとなって訓練を受けたのです。蕩減復帰原則にのっとって、容赦がないのです。そのようなことをすべてやって、今回帰ってきたのです。 一九八六年はどのような年でしょうか。祖国といえばどのような概念であるかといえば、この世的な概念があります。分かりますか? 祖国といえば自分の国という概念であって、そこには天国の概念がないのです。地上世界においてのアベル圏設定を急がなければなりません。それが祖国創建です。これからは何かというと、天国創建です。天国を造ろうとすればカインとアベルが一つにならなければなりません。地上の国と霊界の国とカイン、アベルが一つになった立場に立たなければ天国創建とならないのでこの話をしているのです。分かりますか? 皆さんは、これをはっきり知らなければなりませんよ。それで今年の標語は、「天国創建」です。カイン、アベル圏であるソ連とアメリカがなつになり、次には地獄と天国が一つになるのです。では地獄と天国がいつ一つになりますか? 昨年二月一日に、その門を開ける、開門する式を宣布したのです。お母様はイースト・ガーデンにいました。先生はダンベリーで、早朝三時に祈祷しながら、愛の道理を立てて橋を架けたのです。 八五年が終わり八六年が始まりましたが、先ほどの祈りによってどのようなことが始まるかといえば、世界が逆に回るようになっているのです。この世が逆に回るようになるのです。時計の針がこのように回って(しぐさで示される)一回りしたなら、これからは逆に回り始めるのです。これまで統一教会はこの世で踏みにじられてきましたが、今年からは、統一教会がこの世界に顕現する時となるのです。(拍手) それで今回のバンケットや蚕室体育館の大会等は、世界がそのように動いているという宣布式なのです。何の話か分かりますか? 日本、アメリカ、ヨーロッパ、全部が一つの方向に向かっていくのです。だれが英雄ですか? レバレンド・ムーンが英雄なのです。(拍手) 以前に、ソニー(会社)で、激動する二十世紀における人物を世界的に宣伝するため、投票を求めました。そして、レーニン、スターリン、ヒットラー、ムッソリーニ等、数十名を一部、二部の画報として冊子を作りましたが、第一部ナンバーワンはレバレンド・ムーンでした。(拍手) 共産主義よりも優れ、レーニン、スターリンよりも優れ、ヒットラー、ムッソリーニより、どこのだれよりも優れている文鮮明、勝共連合・共産主義に勝つ、と書いてありました。共産主義に勝てば、すべてが成就し得るのです。これで共産主義は終わりですね。そうではないでしょうか? そうしているのですよ。先生がそれを宣言しなさいと言いましたが、時が満ちたので、彼らがやっているのです。そして、アメリカにおいて有名な新聞社の記者たちが、八五年度における重大ニュースの中で、宗教界を代表した人はだれでしょうかという問いに対して、全員がレバレンド・ムーンと答えたのです。(拍手) 宗教界や、その他においても組織編成をなし、短時日内において世界のすべての大物で偉大な人たちを負かすことのできる人はだれでしょうか? レバレンド・ムーンです。(拍手) 見てみなさい。昨年の十二月には、天の願う方向に中共も動きつつあるということです。(拍手)それが何の話か分かりますか? 「現代」グループとか「大宇」グループとかが大きなことを言っていますが、彼らが中共に行ってやることができますか? ぴったり的を射なければなりません。そうする才能が必要です。三十年間精誠を尽くして宇宙船を造り、月に向けて発射し、月に着陸して戻ってきましたが、それよりももっと難しいのです。分かりますか?(韓国)統一産業を造る時、ここに座っている人の多くが反対しました。宗教指導者がなぜ工場を造ろうとするのですか。私たちは食べられない者に御飯を食べさせてくださればいいのに……。どれほど多く文句を言ったでしょうか。今まで赤字できたのです。そのまま放っておいたなら工場はつぶれていたでしょう。それを造らなかったなら、大韓民国の威信が地に落ちていたでしょう。 ドイツは滅びていくのにドイツの工場を買うとかいっていましたが、それは先生はすべてを知っていたからです。先生が言ったように八五年までに全部買っておいたので、ドイツの工場界においては仕方がなく、生きる道はレバレンド・ムーンについていくしかないので、そこへ行く門を知るようになるのです。その門を見ると、レバレンド・ムーンは門の外にいるのです。良い時代を迎えているのです。夢のような話ですよ。ここにいる者の中で、まともな精神をもって先生の話を信じていたものは手を迎げてみなさい。 四十年前に先生が一人で監獄に追われ、どこに行っても隠れる所もないほどに悲惨な立場に直面している時に、あなた方は大きなことを言っていましたが、今はどうですか。今になってみると、先生が話した何倍も成就しているのです。話したことが指の先ほどのことであるとすれば、成し得たことはこぶしより大きいのです。それが本来に成されたので、今や目を皿のようにして、欲心が現れ、欲心の魂となって騒いでいるのです。この者たち! 刃を取り出して打たなければなりません。分かりますか? 天国に行こうとすれば、何をしなければならないと言いましたか? 父母様を迎え入れるにはどうすると言いましたか? 本然の創造された心と体が一つとなって、心が長子となり、体が次子とならなければなりません。堕落というのは何かというと、体が長子となり、心が次子となったのです。心の中で神がいないと否定しますが、これを打ってでもやらなければなりません。統一教会に入教して、父母様と呼べるようになるには、心が兄となって体を支配することのできる権限を持って、本然の父母に対して呼べる本然の人とならなければなりません。分かりますか? (はい)。 その公式歴史を今、アメリカが歩んでいるのです。アメリカではレバレンド・ムーンは、現代史の中から抜くことはできないのです。他の人を抜いたとしても、レバレンド・ムーンは抜くことはできません。蕩減復帰の道を厳守したいのです。分かりますか? (はい)。間違いなく四十年失ったものを探してくるのです。四十年間前には、キリスト教とアメリカが一つになっていたのです。それが韓国を抱き、統一教会を抱いていたならば、世界は七年で終わるはずでした。このような問題を四十年かかって、ヤコブから再臨までの四〇〇〇年の再蕩減歴史を四十年で全部家庭圏から蕩減復帰して、千辛万苦して牢獄に入って一つにしてこなければならなかったのです。そのような使命、召命を受けたので、先生は命を懸けてその闘いをしてきたのです。 そのような歴史の前にあなた方が自分勝手に行動したので、あらゆることが起きたのです。これから先生は、そのような人たちは見ません。法で治めます。分かりますか? (はい)。そのような時代、そのような時となったので、八五年度に摂理史的総清算、総蕩減をして、神が地上に訪ねてこられることができるのです。レバレンド・ムーンを訪ねてこれるのです。レバレンド・ムーンという名が世界中に知れ渡ったり、レバレンド・ムーンに反対しない所には神が共に同行することができるのです。(拍手) まだ完全にできていないと思わないでください。世界人類が四十億いるとすれば、三分の二以上が先生を支持することのできる圏は既に越えているのです。それはどうしてかといえば、アジア人、黒人、スペイン系の人たちは全部先生の側です。分かりますか? アメリカが白人の代表として反対することによって、アメリカ側にいたインディアン系、スペイン系、黄色人は全部先生の後ろに集まるようになったのです。何の話か分かりますか。アジア人だけでも二十三億です。それでアメリカさえ立ちふさがらなければ、終わりです。今整備状態として進行していることを知らなければなりません。 そのような時期であるのでそのような人たちが方向を見いだして韓国に訪ね、全世界が韓国を訪ねてこようとします。だれが先に韓国に来ましたか。アジア人たちは近いので、アジア人たちが先に来ます。アジア人たちの間に道が開かれるので高速道路を造り中共と北韓を開いて日本との道を造ろうとするのです。ですからハイウェイを造りなさいと宣布したのです。先生はアジア人たちの来る道を造ろうと宣布して、今まで準備したのです。アジア人たちが先生を訪ねてくるためには道を整えてから来なさい。あなた方が先生に会うためには道を造ってから訪ねて来なさいというのです。分かりますか? (拍手) そのようになっているのです。今回も日本人が多く来たでしょう。まず日本人と次に中国人です。アメリカで使っていたお金を中国で使えば中国人たちは、朝夕に「シェー、シェー」と言うでしょう。アメリカ人たちは黄色人を、レバレンド・ムーンを横目でちらっと見るのです。 では先生はアメリカに行けばいいでしょうか。アジアにいればいいでしょうか。(アジアです)。一番高い頂上に上って天の国の橋を架けなければならないので、アメリカより高いならアメリカを捨てて中共に乗って上がっていくのです。そうではないでしょうか。なぜこのような話をするかといえば、歴史を蕩減するために、先生は天から選ばれた優れた人であるから四十年間一人で、このことを成し遂げたのです。優れていなかったらこういうことを成せたでしょうか。先生は選ばれた人であるからこのようなことができるのです。(拍手) 人々がどれほど反対したとしてもレバレンド・ムーンには勝てないのです。なぜかといえば神様が保護するからです。(拍手) 神様が先生を保護しているかどうかは、彼らは知らないのです。しかし先生は骨から肉から細胞からすべて知っているのです。だれがより知っているでしょうか。お母様がより知っているでしょうか。先生がより知っているでしょうか。先生がよりよく知っているのです。後退する立場においてでも後退しては大変なのです。そういうことを知っているので、滅びる所においても滅びません。サタンが銃の引き金を引こうとする時、その瞬間に先生は通り過ぎるのです。(拍手) どれほどあきれ、たまげるでしょうか。サタンの子女たちは行ったり来たりしますが、先生は一度にさっと通り過ぎるのです。再び現れないのです。それで才致(注:才知のすばわい働き、気転)をもって、今回も行事をする時、二週間のうちに稲光が走るように急にやってしまったのです。さっと過ぎてしまったのです。サタンがうろうろしているうちに、すべて終わったのです。稲光のように早くやってしまうことにおいてはチャンピオンです。よく訓練されているのです。生き残るためであるから、どれほどよく訓練されていることでしょう。(笑い) 生き残ることは易しいことですか。この世が総射撃をするのに、その中から生き残ろうとすれば、逃げる道は四方みなふさがれてないので、飛び上がるしかないのです。サタンは飛び上がるとは思っていなかったのです。飛び上がれば降りてくると思っていましたが、降りてきて自分の立っている真後ろに来るとは思っていなかったのです。(笑い) 先生がアメリカに行って闘うとき、彼らにやられて倒れ監獄に行っても敗者になるとしたなら、初めから行きもしません。だれを信じて行ったのでしょうか。(神様です)。いいえ、レバレンド・ムーン自身を信じていたのです。(拍手) レバレンド・ムーンは昼と夜をはっきり知っている人ですよ。皆さん、いつ真夜中になったか知っていますか。時計が鳴ることによって知るのであって、十二時一分前、二分前などはいつから新年であるかどうか、その境界線は分からないのです。鳴ったというので、みんながそのように思うのです。 先生は間違いないのです。それは生理的に知っているのです。眠っていながらでも知っているのです。どのようなことがこの世に起きているかを知っているのです。それで大きなことができるのです。分かりますか。事件の問題に対処していく時に、「それではいけない。そうしてはいけない。大変です。絶対駄目です」と幹部たちが先生に報告します。しかし、先生は、先生の行くままに行くのです。 堕落した世界に、真の父母が神と神の解放圏を築き上げる以前に、その時に真の父母の前に子女がいるでしょうか。神様が解放された、サタンに侵犯されていない解放圏のない所に子女が生まれたでしょうか。子女がいましたか、いなかったでしょうか? (いませんでした)。その時、先生がいましたか、いなかったでしょうか? (いませんでした)。もし先生がいたなら神であり、子女は絶対にいないのです。父がいるとしたら神様です。ですからここにいる。まだ生まれていない子女のような者に何を聞くというのですか。尹博士に相談しますか。李博士に相談しますか。ここにいる朴普煕(パクポーヒ)に、郭錠煥(カクチヨンフアン)に相談して神の国を造ろうと考えること自体どれほど気持ちの悪いことでしょうか。先生はそれほど愚かではありません。あなた方の世話になって、難しい問題を対処するのではありません。あなた方は生まれていない者のようであります。これからは天国を建設するまで、先生がだれかの話を聞いたら滅んでしまいます。 天国家庭の出発は真の父母から次に子女を立てて、これが連結されて始まるのです。すなわち真の父母に絶対服従するという原則において国家、世界へ出るようになっているのであって、子女たちが先に出るようになっていますか。 生まれた子女たち(真の子女)はよく知っておきなさい。これからあなたたちはお父さんが亡くなるようなことがあっても、お父さんがこれまで教えてあげたすべて、成したことを絶対視する伝統を守護する子女とならなければ、地上天国を造ったとしても自分たちの思いどおりにやったら滅びます。はっきり知らなければなりません。 み旨においては先生に進言するな! 事業においては先生は聞いたりしますが、事業もそうですよ。ほとんどを先生が決定します。先生は、滅びるようなものであるか、栄えるものであるか、話を聞いただけで分かるのです。時間の長短の差異はあるけれども、うまくいけば早く成功し、うまくいかなくとも滅びません。ですから先生がやったもので失敗したものはありません。 みんなが「統一産業はどうだ、文先生のやることはよくない、統一産業失敗」とか言っていましたが、何が失敗ですか。あなた方は一年、二年を見ていますが、先生は十年、二十年を見るのです。宇宙船が月に至るためには、月がまだ東にある内に北から西に向かって発射しなければなりません。月を見て発射するのではありません。 球形の一八〇度基準を越えるためには、半分戻らなければなりません。そこに行けるまであなた方のやる版図があるので勝手にやってみなさい。しかしこれを越えるこちらの方(しぐさで示される)にきてから、あなた方が手をつけたら、散り散りばらばらになるのです。同じ歴史です。今まで統一教会を勝手に打ったり、勝手にやってきましたが、これからの時代においては、先生が命令する時にはどのようなことでもやらなければなりません。先生は暴君ではありませんが、善なる目的を中心として、愛を中心として、論議するようになれば、死ぬ者が多いでしょう。 なぜ先生はこのような話をするのでしょうか。今までどれほど陰口を言われたかしれません。それはどれほど切なく、どれほど苦しかったでしょうか。イエス様も言われたようにあなた方が地上のことを信じないのにどうして神の国のことを信じられるかと言ったのと同じ心情でした。何の話か分かりますか? (はい)。それで一人でやってきたのです。従ってきながらも、後ろから足をけったり首をつかんだり、統一教会を信じて落ちていった者たちは、あらゆることをしたのです。やりたかったらやりなさいというのです。サタンが東西南北、四方八方からやったのに対し、先生が共産党のように復讐心をもってやったなら、死のなだれが起きてくるでしょう。先生の目を見なさい。きつい人です。先生がもし神様を知らなかったなら、暴君になれる素質が濃厚な人です。心が不義に対して耐えられないのです。そういう面で先生を寂しくさせてほしくないのです。今までやるせない思いにさせ、苦しい思いにさせた習慣が、これからの世界に残ってはいけません。今までと違わなければなりません。新しい決意をしなければなりません。それで一九八六年は天国建設をしなければなりません。今までの過ちすべてを整理しなければなりません。 そのように思って、一九八六年は新しい時代に入っていきます。分かりましたか? (はい)。年頭標語は「天国創建」です。天国を造らなければなりません。皆さんの個人天国、家庭天国……。お祈りしましょう。 愛するお父様。許諾された摂理のみ旨の前に恥ずかしい歴史を残し、自分自身の姿勢を立てることができない不忠、不幸の姿を今見つけ出して、すべてを蕩減させるために、良く、美しく、祭物化させる運動を自分の心と体を中心として展開し、自分の家庭の一員として展開することのできるようなことをこれからやらなければならないことを勧告いたしました。このようなことをこの尊師は歴史において範囲を世界の舞台にまで拡張するために、四十余年生涯をどれほど投入したかという事実を忘却してはならないので、このようなすべての冤痛(カンツウ)(注:悔しくてたまらないこと)なる事実が一つの価値ある基準として、価値ある人格者として、価値ある家庭として、価値ある氏族圏として、天の前にお返しすることのできる反作用的原因を獲得することができるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。八五年を忘れて新しく八六年を迎えましたので、これから新しい摂理史的出発を前にして勧告するすべてを銘心して恥ずかしくない過去の生涯を残して、お父様の前に褒められる祖国を造ることができるように引導してくださることをお願い申し上げます。 許諾されたその日とその時の前に恥ずかしくないように自ら誓いながら、自ら勧告しながら、前進、前進する統一の群れとなることを願い、この時間ここに座っている者はもちろんですが、連結されている全世界の同役者たちと、全世界を中心として地上世界と天上世界に因縁されるすべての霊人たちと、良心的な人士たちが一つの方向を備えて新しい天地運勢の方向に歩調を合わせるように、上下、霊界と肉界が協助してこのことを助けるようにお願いします。すべてがみ意のままに亨通(こうつう)(注:順調にいくこと)されますように、真の父母の名を通して宿願いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.27
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「神の摂理的総決算」1985年12月29日韓国ソウル・本部教会にて 先生が行くべき終着点は神を解放することです アメリカの人々の誇りは、いかに偉いといわれる西洋人やアジア人でもアメリカに来た場合、五年間以内でアメリカナイズされるということです。すべてが日だまりの中に溶けて水となっていくのと同じです。しかしたった一人、レバレンド・ムーンは十年以上過ぎたとしても、アメリカナイズされないのです。反対を受けながらもアメリカナイズされず、ムーンナイズしていくので問題なのです。西洋の若者たちがアメリカに従っていくのではなく、統一教会のレバレンド・ムーンを中心として熱心に活躍しているという事実が、命令一つで東西南北に青年男女がどこにでも走ることのできる基盤をつくって、国境を超越しているという事実が恐ろしいというのです。 先生がアメリカにおいてこのような大きなことを広げておいたので、黒人が先生の側になり、スパニッシュが先生の側になり、ヨーロッパの偉いといわれる人たちが先生の側になるのです。先生は神の解放のためにこのことをしているのです。どんなに受難の道、迫害の道があるとしても、先生が行くべき終着点は神を解放することです。心情圏を形成するのです。怨讐を愛せずしては、怨讐を愛したという基準を、世界的基準を越えることができないというのです。それでは神の解放がなされないのです。なぜでしょうか。 神の娘・息子であった人間先祖が堕落しないで、神の愛の圏内において一つとなって愛の心情圏を成したならば、そこに宇宙と霊界が全部包囲されたのです。そのようにして愛を成さなければなりません。愛を受けて生きていくべきその原理があるのです。神がそのみ旨のままにできないことは、サタンに引っ掛かっているためです。天使長は神にこのように言うでしょう。「あなたはいかに原理基準がありますか? 愛というものを中心として、愛の因縁を通して宇宙を統率するようになっています。私は堕落の失敗を犯したのですが、愛の原理を通してこの基準の前に、血縁的因縁を結ぶすべての者を中心に宇宙の存在が動くようになっているではありませんか。神の血統を中心として完成しなければならなかったのですが、それが成されていません。愛を中心として完成できなくて私は堕落しましたけれども、原理型的立場は否定できません。これが問題です。今や、神の国に行ける人というのは公式に出ているではありませんか。それは神の息子・娘が、天使長を愛したという条件が完成せずしては行けないのです」。このようにサタンが神にかかってくるのです。これが神とサタン世界との間に絡み合ってきた人類歴史です。誰も知ることのできなかった秘密なのです。 また、サタンはこのようにも主張するのです。「天使長まで愛して行かなければならない所が天国だが、堕落することによって私を愛することのできる人が出てきませんでした。あなたは私を愛する立場で対してくれていますが、これからあなたの息子が天国に行くことのできるためには、あなたと同じような立場で私を愛したという条件を立てなければなりません。でなければ天国に行く人はいません」。何の話か分かりましたか。このようなサタンの恨みが神に懸かっているのです。ですから第二の父母として来られたイエス様は、十字架上においても、怨讐のローマ兵士に対して愛を施していったのです。ここにおいて分立が始まるようになっています。 怨讐を愛せずしては神の国に入れない 人類歴史路程で、愛を中心として怨讐を愛する群れがイエス様と一つとなったために、サタンが支配することのできる群れではなく、神の国へ行ける群れとなりました。また愛において、イエス様が霊肉を中心とした父母の立場で愛したのではありませんでした。十字架上で霊的基準だけを立てて行ったために、再び実体的な立場において怨讐国家を愛し、怨讐国家も救ってあげることのできる責任を担ってこの地上に来なければならないというのです。その責任を準備するために、世界の怨讐国家をして一つの世界圏をつくって来られる主を中心に、霊肉共に一つとなって怨讐国家までも消化させなければなりません。それでドイツ、日本、イタリアなどの三つの枢軸国家も全部救うための神のみ旨があったというのです。 その時、すべてその圏内に入ってきたなら問題がないのです。それを成し得なかったことによって、彼らがもっていたすべての領域を奪われてしまったのです。ドイツが侵略したすべての領域、イタリアが侵略したすべての領域、日本が侵略したすべての領域を共産党が占領してしまいました。責任を果たせなかったのです。また今日、反対に自由世界にまで侵略してきているのです。自由世界は力がなくて今や倒れるような立場です。それで先生がブレーキをかけるのです。レバレンド・ムーンは神のみ旨を知ったがために、怨讐国家を愛するのです。日本人を中心として大韓民国の国民以上の愛国者をつくろうとしたのです。 金日成は偽者であります。偽者は本物が出る前までは本物のふりをするのですが、本物が登場した世界においては本物のふりをすることはできません。天理が許しません。私が今度、帰ってきて整備しようとするのです。一掃しなければなりません。先生が撃つ銃弾とならなければなりません。銃弾は帰ってくることを知りません。そのような銃弾になるという人は手を挙げてみてください。 きょう、皆さんが覚悟をしてそのようになれなかったならば、新年を迎えることはできません。総決算をしなければなりません。金日成は意識革命、意識化運動を広げています。日本の朝総連、共産党のすべての長たちを動かすでしょう。共産党をして最後の発悪をするチャンスを与えてはなりません。もっと強い決心をしなければなりません。きょう皆さんはそれを考えなければならないのです。一〇〇年後に韓国が行くべき天倫を支えなければならない歴史的な使記があるのです。この責任を果たさない時は大韓民国が被害を受け、世界史的な汚点を残し、世界人類の行くべき方向が崩れてしまうのです。このような観点から旗を立てて立ったのであります。教授アカデミーを通して教授たちを総動員するようになっています。各大学をしてアカデミーを編成し、大学総長、理事長たちに方向を提示してあげなければなりません。 怨讐を愛せずしては神の国に入れません。神は常に解放できる立場にいますが、人間がその立場についてこれないため、神が個人的世界的な怨讐を愛したという同じような愛の心情をもつ者がいないので、個人的世界基盤をつくることができなかったのです。それをしなくては天国の門を開くことができません。解放されないのです。天国の門がなぜ空いアダムとエバが、サタンを父母と同じような立場で愛したという基盤を立てることができなかっだ堕落のゆえです。それでイエス様が来られ、新婦を選択して、その国の怨讐であるローマを愛し、打たれながらも教化させる運動をみてすべて復帰しなければなりませんでした。 統一教会が偉大なことは、統一思想をもって四十日もあれば世界を教化できます。言論界を通すのです。それが偉大なのです。方向が変わってきます。そうすることのできる世界観をもっている驚くべき事実を皆さんは知らなければなりません。その当時において、イエス様は世界観を話すことができませんでした。真の父母の伝統的思想に対しても、一言も話すことができず殺されました。私は話すことが多いのですが、あなた方にはそれを担当し切れないというのです。この世に来てこの世の話をしても信じることができないのに、どうしてあなた方が神の国のことを信じることができますか。 イエス様の基盤を整えることの難しさ 私はそのような内容をすべて知って、迫害の正面において挑戦しました。レバレンド・ムーンは戦略的手腕の次元が高いというのです。すべてを成してから発表するのです。その基盤を整えるために、どれほどの苦労があったのか知っていますか。イエス様の基盤を整えることがどれほど難しいことか知っていますか。死よりも難しい環境であったというのです。だから仕方なく死にました。先生が、今まで死ぬ以外に道のない運命に追われながら、死なずにそれを打開して、今日このような解放圏を迎えて、心情を中心とした統一的、歴史的な伝統行路を分別して話できる立場に立ったということは、どれほど驚くべきことであるかを知らなくてはなりません。 旧約時代にエリヤを中心として、南朝ユダと北朝イスラエルが、カイン・アベルのような立場で、一つになることができませんでした。それでエリヤが天から火を下し、八百余のバアル神を一時に燃やしてしまいました。それにもかかわらず北朝イスラエルの十支派が一つになることができず、エリヤを反対しました。神の生きて成される能力を見ながらも信じなかったのです。その後、逃げのびてひょうたんのつるの下で昼寝をしていたので、虫が食ってつるも枯れるようになったのです。「神も同情もしないでひょうたんのつるまでも切ってしまうとは」と言って、そこで嘆きながら、「自分の命をもっていってください」と抗議するのです。その時、「バアルに屈しない七〇〇〇の群れが残っている」と言って慰労しました。この世がすべて滅びたようですが、その中においても神が選んだ七〇〇〇の群れが残っているというのです。それを通告したのです。 新約時代は、まずイエス様が来られる前にエリヤが来るようになります。ところがユダヤ教会とユダヤの国が一つになることができませんでした。エリヤの代わりに洗礼ヨハネが来てカイン・アベル圏が一つになってこそ、神のみ旨が成されるのです。エリヤの代わりに来た洗礼ヨハネが、イエス様と一つにならなければなりませんでした。洗礼ヨハネは、カイン・アベル圏、ユダヤ教とユダヤの国を一つにする代表であったのにもかかわらず、洗礼ヨハネとイエス様が一つになれなかったのです。ユダヤの国は小さな国です。四時間もあれば一周することができます。復帰しやすい国です。それで小さな国を立てて摂理されたのです。教会を中心として洗礼ヨハネがイエス様と一つにならなければなりませんでした。 エリヤの時も、バアル神やアシラの木像を立てて思想的に動揺時代でした。ローマの末期において、ギリシャ思想、哲学、その思想的背景を中心としてイエス様が来るようになるのですが、すべてのものが複雑な時代です。バビロンにまで行ったり、雑神までも侍るなど複雑でした。これを再び収拾して教会と一つにし、イエス様を中心に一つになって、その上に父母を迎えることができたなら、国家的父母となることができ、次にイエス様の王権を立てることができたのです。そして国を建てたならば、その国を中心としてローマを包摂し、その時、中東の十二支派アラブ圏が完全に一つの国になったのです。今日このように怨讐となっている国々は、その時一つになれなかったことを再蕩減復帰するカイン・アベルの戦いをしているのです。これを今、レバレンド・ムーンが一つにすることをしているのです。国際会議、政治会談のようなものも先生が指示しなければならない段階に入ってきているのです。そのような複雑な内容、歴史的過去を清算しなくては現代のすべての問題は解かれないのです。 洗礼ヨハネを中心として、かつてバアルに屈しなかったのと同じような七〇〇〇の群れがあったなら、イエス様がなぜ死にますか? 七〇〇〇の群れをもったならば氏族編成が自由に成されたでありましょう。十二支派、七十門徒、一二〇門徒が問題ではありません。一つのイエス一族をつくって、新しい王権基盤まで連結することができるように、洗礼か一族を吸収したならば、また七〇〇〇の群れがあったなら、イエス様がなぜ死にますか? 誰もこの恨みを解くことができませんでした。 それで、終末のアメリカのダンベリーにいる時、旧約時代の解怨、新約時代の解怨をしなければならない立場であったがため、先生はアメリカの朝野の名士を中心としてこの七〇〇〇の群れを全部一つにしておかなければなりませんでした。それで、三十万人の教域者たちに五ポンドに該当するビデオテープと本を送ったのです。アメリカの牧師たちが統一教会の内容を知ってびっくりしたのです。「このような神学があるのだ」と。アメリカの神学校を先生がコントロールするのです。先生が方向を設定してあげるようになっています。夢のような話です。それは普通ではできることではありません。先生がどれほど苦労したか考えてみなさいというのです。昼も夜もなく苦労しました。皆さんは食事の時間になれば食べるのですが、先生はどれほど苦労したでしょうか。学界を収拾し、神学界を収拾しなければなりません。 一九七九年既にアメリカの各教派神学者たちが集まり、戦いは既に終わりました。統一神学でなければキリスト教の希望はないと宣布しました。そしてその神学者、教授たちが統一原理修練会に参加している状況です。初級派、中級派を中心として勉強しています。哲学者はもちろん、思想界も完全に主管しなければなりません。でなければ世界を救うことはできません。ただ座っていてはできません。先生は十余年間アメリカでそのような仕事をしてきました。雨が降っても雨が降っていることを忘れ、雪が降っても雪が降っていることを忘れ、朝も夕も忘れて生きてきました。皆さんはそれを知らなければなりません。でなければそれ以上の罪人はいません。天倫の恨みを背負って神の前に威信を立てることのできない自分を恥ずかしく思わなくてはなりません。それにもかかわらず平安に眠り、平安に休み、平安に遊ぶことができますか。皆さんの今日このような立場は、み旨のために生きてきた人たちの血の塔のような上に立っているという事実を知らなければなりません。 教会のすべての神学者たちをして、教界の指導者たちを包摂するそのような基盤を整えずしては、鼻の高いアメリカの牧師たちを自由に動かすことはできません。六十日以内に六カ月以内に七〇〇〇名の牧師たちを教育できなければ、先生は監獄から出ることができ厳粛な課題をもって身もだえする戦いをしてきたのです。これを先生が指導したとおり十二月末まで成し得たならば、八月までも待たずして私はダンベリーから出るようになっていたのです。 監獄にいながら七〇〇〇名を教育し、牧師たちが二次にわたって韓国を訪問しました。それはアメリカでできたことを韓国と連結させるためでした。私がお金を払ったのではなく、彼らが自ら旅費を出して韓国を訪ねてきたのです。すべての摂理的な蕩減論理によるのです。アメリカ教界において「韓国の地がエルサレムの聖地よりも、もっと尊い地である」と讃美することができなければなりません。聖地地域が変わっていくのです。変わらなければなりません。キリスト教文化圏が変わっていかなくてはなりません。 これからアメリカの牧師たちを連れてきて、統一教会の責任者にさせるのです。どうですか。そしてアメリカの教会は、韓国の食口を牧師にするようになります。そのようにすれば二つの国は滅びますか、栄えますか? (栄えます)。そのような時が来るでしょう。このたび、大統領をやったことのある人たちが韓国に来て、泣いて帰りながら再び韓国に来させてくださいと頼んだということを聞きました。 心情伝統文化の起源 今、アメリカにおける政界、財界、学界、言論界すべては、レバレンド・ムーンを無視してはなりません。基盤をすべて整えました。私は韓国に出入りする時に、空港において冷遇を受けたことを考えます。今も同じです。今後は先生の世話になることが明らかなのです。先生に従ってくることによってのみ生きる道があり、そうでなければ死の道は明らかです。そのようなことをしては恵みを受けることができますが、今やすべてが私に懸かっています。先生がその国に帆を下ろせば、その国が世界の中心国家となるのであります。日本のメンバーもみな韓国語を学んでいます。なぜかといえば、単一文化、アダム文化世界、真の父母文化世界をつくるためです。 人間始祖の堕落がなければその文化は二つになることはなく、その言語は二つになることはありません。最初の愛の言葉が、神と真の父母から始まった愛の伝統的言語です。その愛の言葉を最初に使える者は、真の父母を通した神様との心情的(紐帯感)に浸っていそれが心情伝統文化こ起源です。その他は堕落の産物であり、堕落によって因縁を結んだ言葉だから妖邪な言葉です。統一教会の信者はそれを知らなければなりません。これはサタン世界によって作られたためです。正に今このような運動が始まっているのです。 あるアメリカの食口が故郷に帰って、韓国の単語を使いながら韓国語で討論をしました。仏教を信じていた継母は、その人が韓国語を語るのを見てびっくりしたというのです。そのアメリカの食口は、誰の思想が入っていますか? (真の父母の思想です)。真の父母の思想ではなく、神様の思想です。神様が人間に初めて囁(ささや)いた愛の言葉が母国語です。愛の天国の母国語です。しかし妖邪な堕落の起源をもつ言葉はそのようになることはできません。真の父母が生まれたその国の言語が世界的言語とならなければならないということは、原理的基準において愛然なのです。異議はありません。 あなた方は韓国語を学びませんか? (学びます)。今までの韓国語は偽の韓国語です。心情が入っていない韓国語であるので、これからは心情の入っている言葉を使わなければなりません。もはや悪口を言うことはできません。「この野郎!」というような悪口はあり得ないのです。また勝手に手を出すこともできません。息子、娘は第二の神様です。また息子、娘は父母に対して反対することもできません。父母は第一の神様です。おじいさん、おばあさんはその上の神様です。その上の上の上が誰かといえば神様です。神は祖先でしょう。先生は皆さんに悪口を言いますが、それは神の愛を中心として言うのであります。先生はカイン・アベルもすべて包摂しました。分かりましたか。アメリカが韓国を中心としたならば、統一天国は成されていたでありましょう。 今や、世界を指導するためアメリカに行って、獄中を経て四十年後にカイン・アベル圏の七〇〇〇群をつくりました。先生はどこの州に行っても歓迎され、数百名が先生のために代わりに戦ってくれる垣根を作ったという驚くべき事実を知らなければなりません。 これをイエス様に比べるならば、イエス様が各地方に行く時には、地方のすべての地方の長たちが集まって、イエス様を反対する者から擁護することができるのです。今やアメリカには五十の州がありますが、州の法と中央政府の法が異なるのです。中央政府の法をもって、州法を勝手にはできません。州が決定すれば政府もそれを決定しなければなりません。ところがこれからアメリカのすべての州上議員議員たちは、統一教会の原理を中心としたレバレンド・ムーン思想でなければならないという一方通行圏が始まったことを、カナン復帰の方向が決まったモーセの六十大衆と同じように今日統一教会のレバレンド・を中心として、大衆の方向性を整える運動が始まっているという事実を知らなければなりません。(拍手) 韓国の鍾路(ジョンロ)の交差点より複雑です。暴走する者もいるし、交通整理もしなければならないし、その上に社長の役割までしなければならないのです。やる人がいないから仕方がなく先生はやるのです。このようにして教会を組織し、これからは牧師たちを全部統一思想を中心として組織編成をするでしょう。共産党の組織よりも、民主党の組織よりも、キリスト教四五〇〇万を組織しておけば大統領も先生が指示しないで、下の者が指令してなるのです。(拍手) それではなぜでしょうか。それは兄だからです。知ってみると一つの家族なのです。知人に悪口を言われ、知人に打たれ、そうすることによって価値があり、そうすることによりサタンが離れていくのです。 大韓民国は先生に対してどれほどツバを吐きかけ、多くの罪を犯し、そして今までにどんなにか指を差してきたことか。ところが、このごろになって「壇君以後五〇〇〇年の歴史以来の偉人が現れた」と言うのですが、それは既に四十年前からその準備万端は整っていました。その時に分かっていたならば、どんなだったでしょうか。それを思うと悔しいと言うのであります。四十年の歳月を過ごしてしまいました。この間に、どれほど民主世界が崩れ、キリスト教が崩れて、もはや誰の力でも救うことのできないこのような立場を、先生が救援しなければならない悲惨なる立場に立ったのです。それはどんなに悲惨なことでしょうか。 先生が神の愛を知らなかったならば復讐することもいいでしょう。先生はあらゆることをすべてやってきました。考えれば、非運の歴史でした。考えてみてください。どれほど凄まじかったかを。一人の友もいませんでした。私の父母を苦労させました。私の兄弟八人が私のために犠牲になりました。先生が出発当時反対されず、既成教会と韓国が歓迎していたならば、彼らは苦労したでしょうか。今は全部が共産党の前で虐殺されたと思っています。自分の父母、親族を犠牲にしながらも怨讐の子を救ってあげるために、全部犠牲にしながら今までこのようにやってきたのです。なぜですか。神の愛を考えたからです。このような伝統思想を今日の宗教人たちは知らなければなりません。天国に行こうとして、欲心を先に立てて、自分が良く生きようとするのではありません。そういう人はレバレに反対した世界を見なさいというのです。キリスト教が滅び、アメリカが滅び、世界が滅びるようになります。そのようになってはいけません。 アブラハムが祈祷したと同じような祈祷をしなければなりません。五十人からたった五人まで。このような戦いをしなくては世界を回ることができないという、歴史的なすべての事実を考えてみる時それはたやすいことでしょうか。一度に三万名を集めようとするために、七〇〇〇名が一人ずつ五人を連れてきても、三万五〇〇〇名です。それは簡単です。それは可能なことです。今や三十万名に全部本を配ってあげて、勉強させるのに二十四時間の戦いをしているのです。本を受けた人たちはお互いに確認しながら騒いでいるのです。神学者、同窓性たち、先輩、後輩など、みな統一教会の原理の本を勉強して大変なことです。「あなたはどこを読んだのか。どうだったの?」「どこを読んだ?」このように電話で話し合って、神学者たちの騒ぎが起きています。このようにして背景は全部統一教 統一教会のレバレンド・ムーンが問題を起こし、教界、政界、経済界全体に問題が始まっています。問題になって死んだと思っていた人が、また生き返り、さらに問題が問題となったのです。政府は目を丸くして今や、「追い出してはいけない」と言うのです。レバレンド・ムーンを追い出してもアメリカには何の関係もないと思っていたのに、生死を超越してアメリカと関係するのだということを知るようになりました。私が行くにも問題であり、帰ってくるにも問題なのです。しかし問題の起こるたびに落ちていくのではなく、大韓民国は上がっていくのです。先生はそれを知っているのです。 このようにして、アメリカにおいて今や滅びることのできない道を、イエス様は七〇〇〇の群れを迎えることができなかったのですが、統一教会のレバレンド・ムーンはアメリカで七〇〇〇の群れを得なければ大変なことになります。八月二十日の晩餐会の時、二十四名余が来て先生と握手しようと目を丸くして騒いでいました。それは何の運動ですか。死ぬ運動ですか、生きる運動ですか。それは生きるための運動です。爆発運動です。それでアメリカには先生のために死ぬ牧師たちが多いのです。 それを信じれますか。信じることができなければそのままにしておきなさい。それでも大丈夫です。アメリカで先生に会いたいという人たちが多いのですが、先生は会わないの統一教会の皆さんが先生に会うのはやさしいでしょう。世界の言論人が先生に会おうとして門前に来ても会わないのです。「これまで悪口を言ってきたのに今になって何を会いたいと言うのか」。 私がこういうことを言うことは誇りではありません。あなた方の調子に先生が合わせるのでなく、あなた方が先生の調子に合わせなければなりません。アメリカの政客の調子とも先生は合わせません。先生の調子に合わせなければなりません。このような局面を訪ねていっている先生についてくるために、皆さんの度胸と雅量の準備を急がなければならないのです。そのために、一九八五年度の最後の清算をするための話をするのです。八六年以後には「先生に対してああでもない、こうでもない」と言う話をしてはいけないというのです。 先生が仕事をするのは誰のためですか。それは皆さんのため、皆さんの子供のため、皆さんの氏族と民族と国のためにするのです。先発隊の姿勢が正しくなければ、後発隊は全部包囲され、滅びて死ぬのです。先発隊を正しい道へと、正しく育てなければならない責任があるためにこのような話をしていることを知らなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。 私はその年に使うそのお金を一度も触ってみることもできませんでした。それは銀行から銀行へ行ったり来たりするだけであって、先生は一度も見ることができなかったのです。アメリカに行って十数年間、妖邪なうわさの中で、多くのお金を用いましたが、それは先生のためではなく、自由世界と神様のためです。先生は今でもケチです。 新しい天地の第一歩 あと三日過ぎれば、一九八五年が過ぎていきます。先生が四十年蕩減を越えるためにどれほどまでに待ち焦がれていたかしれぬこの年は過ぎていくのです。先生が今考えることは、八・一五を過ぎても、果たすべき責任をすべて果たし得たといえる立場に先生が立てなかったならばどうなっただろうかということです。八・一五が過ぎて先生は出たのです。そして八月二十日に、すべての摂理的な総決算をつけて、解放圏の騎手となって、新し地の第一歩を踏み出すこの歩みには今や誰も妨げれる者はありません。 また統一教会の真の創始者として、歴史時代を経てくる統一教会の宣教事業においては、犠牲を願いませんでした。殉教者を願いませんでした。先生の一代において、このたびアメリカのダンベリーにいて勝利の旗を掲げることによって、統一教会宣教歴史に殉教の終着点がつけられたという事実は、宗主としての天に対する責任感からしても成さなければならなかったことであります。イエス様がローマの元老院で、勝利者として宣布することのできる基盤をもっていたならば、キリスト教は血を流す宗教にはならなかったでしょう。それを蕩減復帰しなければなりません。イエス様の恨みを解いてあげなければならないのです。 二十世紀のローマのような国、このアメリカの天地に行って、ローマの元老院ともいうような上院を通して、反対する環境の中でこれらを消化して勝利の旗を立てることにより、アメリカ全国民と世界のすべての宗主たちが讃美することのできる基盤を整えて、祖国に帰ってこなければならなかったのです。そのような歴史的な蕩減行事を、このたび韓国訪問によって始めたために、数多くの有名な人たちがついてくるのです。アメリカを代表し、世界各国を代表したすべての人々がついてきて世界的宣布する式は全部終結しました。(拍手) それは、私が監獄から出てきて、一二〇日目の十二月二十日以前に、全部清算しておかなければならないのです。 一二〇日期間にすべてを清算して、今や、のども嗄(か)れてしまいました。しかし、これが最後の週なので全部総決算しなければなりません。怨讐を愛することにおいても、四大怨讐国家が集まって、その怨讐国家主権に対して愛で犠牲する忠孝の道理を尽くしていた愛国精神以上の精神を、韓国と日本と、アメリカとドイツを中心とした全ヨーロッパが合わさった、このアメリカ解放運動の主動的役割は既に終えたのです。アメリカを中心としてみると、日本も怨讐であり、ドイツも怨讐です。第二次大戦の時、打った怨讐国家が滅びるのです。しかし、大義によって再び解放するための基台をつくらなければなりません。そのためレバレンド・ムーンを中心として、韓国、日本、アメリカだ一つとなって基盤を整えたのです。 神の前に、サタンが「神の息子、娘が天国へ行くためには自分を愛さずには行けない」と讒訴していましたが、今日この伝統的原理基準を、初めて歴史の終末時代に四大国家怨讐たちが愛したという条件の立場に立って、神の国家を地上に成就することのできる国家形成基盤を整えることができたという驚くべきこの事実によって、サタンは既にここから永遠の離別をしなければならないという天道の秘密があったことを確証しなければなりま(はい)。サタンが神の前に讒訴していた、その讒訴の条件は清算されたのです。あなたの息子と娘が自分を愛したので天国に行けるというのです。 すなわち堕落によって、これまでサタンは「人間を殺す」と言い神の前に反対してきたのですが、このサタン世界に初めてレバレンド・ムーンが現れて、神と同じ立場において怨讐を愛したという条件を残し、世界の頂上までも通過できる基盤をつくったという驚くべき事実によって、永遠に人間を讒訴していたサタンは既にここから後退せざるを得ない運命になっているというのです。 それによってどのようなことが起こるかといえば、善なる霊人たちが、霊界から地上に自由に降りてきて、後孫たちを教育します。地上にいる人はいかなる立場かというと、アダム、エバのような何も知らない立場に立っているために、霊界のすべての善なる霊たちは天使長の立場です。先に生まれた天使長世界はアダム、エバを育てて完成させなければならなかったのですが、堕落によってそれができませんでした。しかし、今や堕落させた元凶のサタンを分別させることによって、天上世界の天使世界が復帰され、地上世界に降りてきて、この地上にある人々を指導することのできる統一圏時代が形成されるのです。(拍手)夢のような話です。 それで先生は、このような愛を中心とした基準のもとで、すべての霊界の数多くの障壁、宗派の障壁、国家の障壁、怨讐の障壁をみな崩してしまうのです。このようにして、怨讐を愛する条件によって地上世界と連結させて、世界舞台への塞がれていた障壁がすべて崩れていくのです。 今日までの歴史の基台は、復讐と自己を中心とした論理の世界でした。しかし今やそれが反対になりました。全体を中心として、怨讐を愛する起源の地上世界に定着できる世界史的基盤が確定されたという驚くべき事実によって、摂理史的総決算の実を結ぶようになるのです。(拍手)それで今は、神の摂理史的総決算なのです。神の人間への摂理史を総決算するのです。神の摂理史を総決算することによって、神の解放が始まるのです。 人類と共に手を携さえて、神が皆さんの家系に君臨され、家庭を中心とした愛の歌を声高く歌える時代が来たのです。このような春の歌声が人類の希望であります。しかし堕落によってそのような本然の世界、本郷の世界、愛の理想の世界を失ったのです。本郷の父母はみな死んでしまったのだろうかと思っていたが、今や神が復活され、皆さんの先祖が全部復活し、天地のすべての人類が公義勝利の讃美を神に返すことのできる、そのような時代が訪れてきたのです。そのようにして、神が解放されるのです。神が解放されてこそ、真の父母が解放されるのです。真の父母が解放された後にのみ、初めてその後孫たちが解放されるのです。そのことをはっきりと知らなければなりません。歴史を見ると、旧約時代は神の人を探すための時代であり、新約時代は新約時代の父母に侍るための犠牲の時代であり、今の成約時代は真の父母を中心とした神に侍るための解放の時代なのです。そのために、今日統一教会は白の十字架を見せてくれるのです。これは父母が十字架を背負っていくというのです。長成期完成級で堕落したために、完成級に向かって上がっていかなければなりません。 三段階の一段階を残したこの圏内において、先生は二十年間でもって、蕩減の道を再び上がっていかなければなりませんでした。このために、我々の家庭においてこの間すべて二番目が被害を受けました。先生の家庭の喜人様も二番目の息子であり、また統一教会から見る時、劉協会長も三十六家庭の二番目であり、お母様により生まれた興進様も二番目の息子、恵進様も二番目の娘でした。全部二番目が蕩減したのです。これらのことを考えた時、今日二世を蕩減させなければならない時が来たのです。それで先生が帰ってきて話すことは、「学校が重要ではなく、学校を休んだとしても国と世界のために、二世たちが十字架を担って立たなければならない」と言うのです。それができなければ、皆さんが犠牲にならなければなりません。あなた方が祭物にならなければなりません。祭物として、今や天国建設においての先頭に立たなければならない時代が来たということを知らなければなりません。分かりますか二世たち?(はい)。 八六年からは本格的ホームチャーチの時代 祝福を受けた二世をもつ父母たちは気をつけなければなりません。皆さんが力が足りないといって先頭に立たなければ、二世を先頭に立てて荒野路程を行かなければなりません。カナンの地に二世たちが入っていった時、ヨルダン川から十二個の石を集めて、三日をて、それで塔を築いて入っていったのです。それと同じです。 これから皆さんも自体内においての支派編成をしなければなりません。支派編成に責任をもつことのできる指導者とならなければなりません。分かりますか? (はい)。そのために皆さんは氏族的メシヤとならなければなりません。皆さんはイエス様の恨みを解怨せずしては神の国へ入ることができません。イエス様はなぜ死んだのですか。それは氏族編成をすることができなかったためです。十二弟子と七十二名を探し立てることができなかったためです。それで私たちは七年の間に、月に一名ずつを伝道しなさいというのです。八十四数を満たすことができなければ、皆さんは氏族圏を越えて民族、国家、世界へと行ける摂理圏に接触することができません。 みんなこの条件に引っ掛かっているのです。それで、きょうは皆さんがそれを成すための総決算です。先生が全世界的なすべての蕩減基準を家庭的に立てたために、皆さんは先生が歩んだ長成、完成時代に行くその家庭的基準を総蕩減できる条件、それがホームチャーチなのです。三六〇民族。一二〇カ国家が三時代。旧約、新約、成約。それから三六〇度天地度数のすべての総括的なもの。陰暦でいえば三六〇日を示すのです。地球が太陽界の原力を中心としてこれを一周する三六〇です。これは全体を代表するものです。皆さんがホームチャーチの基盤のもとで、何をするかというと、氏族的に八十四名を中心とする基盤をこの全体の中に連結させなければなりません。そしてさらには、今の時代は一二四名まで連結させなければなりません。これらのあなた方の蕩減条件を整えてこそ、先生が代わりに条件を立てて世界的橋を架けたという、その橋となることができるのです。そのために八六年からは、本格的ホームチャーチ時代に入っているのです。今や既成教会が入ってくれば、ホームチャーチは約二万名だけを配置すれば終わるのです。これからサタンは、この世界に足を下ろす所もないのです。 原理を中心として、全部生活圏に入っていくのです。皆さんは東西南北どこに行っても、三六〇軒が夜でも昼でも、反対をせず自由に門を開くことができる基盤をつくらなければなりません。完全に一つにしなくてはなりません。夫婦がお互い愛し合うその場までも通過することができなければなりません。皆さん方夫婦が愛し合うその場に先生が行けば「先生少しお待ちください」。それではいけません。「門を開いて早く入ってきてください」。先生はそれぐらい身近なのです。本当ですか? (はい)。では先生があなた方夫婦が愛し合っている所に行ってもいいですか、霊的には目の前で見ているのです。神様は目の前で見ておられるのです。神様は御覧になっているのに、先生が見たらいけないのですか。神様の前ではそうしていながら、先生の前で何が恥ずかしいですか。何の話か分かりますか。 先生が一度行きます。祝福家庭が三六〇軒を勝利したならば、何日の何時に先生が行くと通告し、その時間に、先生が行き皆さんが恥ずかしくないなら、それを神様が御覧になり、「この者たちは立派だ」と言うのであって、「この者たち!」とは言いません。統一教会の私たちはそのようなる因縁を結んでいるのです。先生とは別れようとしても別れることができないでしょう。(はい)。死んでも神の愛の尾のパイプは付けて死ななければなりません。 愛の哲学は、統一教会の文先生を通して学ばなければなりません。それでは愛をどのようにしなければならないか。どれぐらい愛すればよいか。結婚した人は手を挙げてみなさい。しない者は耳を塞いでください。鳩がクークークーと言にながら喜び愛し合います。それよりも、百倍、千倍愛し合ってもいいと許可します。夫婦が野良仕事に出て、キスしてもいいです。それほど自由です。働いていて、キスして力が出ればキスしなさい。父母がいてもです。アメリカの人たちは祖父母の前でも姑の前でもします。それは外的には神の国の姿ですが、内容は俗なのです。しかし統一教会は内容も神の国、外的にも神の国です。 では尊い至聖所はどこにありますか? エルサレムの聖殿が至聖所ではありません。人間が立った、そこが至聖所です。神がつくられた愛が居することのできる所が最高の至聖所です。これを失ったことが、至聖所を失ったという人間の罪です。エバは何ですか、神様の夫人としてです。アダムは何ですか、神の実体です。神が造ったこの相対世界の主人となろうとすれば、体を成さなければなりません。なぜ人間を造ったのか。それは神が体を成すためにです。その体が誰ですか。アダムのかたちが神のかたちであり、エバのかたちが神の夫人のかたちです。そのようにして体を成さなければなりません。神の夫人となることができたのがエバでしたが、これまで女性はどれほど可哀そうだったことでしょうか。 女性の皆さんが生まれた本然の起源は、神の夫人です。神の息子の夫人であります。そらなければなりません。その愛は勝手にするのではありません。神を発見して、真の父母の愛の伝統を受け継いで、その愛の伝統を連結させるための夫婦です。それがなくしては愛の伝統が連結されません。そのために女性は、男性においての愛の最高の至聖所なのであります。至聖所は門の鍵をもつ大祭司長のほかには入っていくことができないのです。主人は一人です。誰も入って行くことはできないのです。 契約の箱はアダムとエバを象徴したものです。そこには二枚の石板が入っており、アロンの杖が入っています。この石板はアダム、エバを象徴したものです。火の柱、雲の柱。オリーブの木、生命の木。すべてがアダム、エバを象徴したものです。聖書はこのようになっています。 女性は神が訪ねてくることのできる至聖所の所有者です。実体の神が訪ねてくることのできる至聖所の所有者です。結婚も一度すれば永遠でなければなりません。愛の法を犯した人は神の怨讐、姦夫として扱われ、許すことができないのです。愛の法度を守らなかった人を許す法はないというのです。恐ろしいことです。今日のアメリカの若者たちがそうです。 サタンが天の尊いものを全部破壊させていきました。真の父母が生まれてこれを開ければその至聖所が開くはずであったが、サタンがその時を迎える以前に全部崩してしまったのです。先生はそれをぬい合わせ、修理すれば使えることを知ったために直してあげるのです。 まず神の国と神の義を求めなければなりません 全体復帰摂理の結果はどこに帰結するのか。摂理の総決算はどこかで世界的な蕩減復帰を完成することが必要です。そしてそれらはすべて皆さんの家庭に帰結します。皆さんの愛する夫や妻が神を呼ぶように、神が堕落した息子を探し求めたのと同じような切なる心情をもって神を探していた心のある、その場所なのです。イエス様が夫として新婦を尋ねながら二〇〇〇年間、また数多くの人類が犠牲の血の祭壇を越えて会えるその喜びの日を待ち焦がれたように、考えなければなりません。皆さんの家庭にはそのような道を経て縦的には旧約、新約、成約時代。万物の犠牲、息子・娘の犠牲、父母の犠牲を通して神の愛の解放圏を成し、横的には地上の家庭と私を解放させるために摂理をしてきたことは、すのためではなく皆さん自体に帰着するという事実を忘れてはなりません。皆さんがそのような愛の理想的家庭を中心として動く時、その家庭は神が擁護し、天地がついてくるのです。サタンが共にいるのではありません。その人々が食べていくことは問題になりません。聖書は言っています。「空の鳥を見るがよい。またくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる」と。皆さんは鳥よりも劣りますか、野に咲く草よりも劣りますか。あなた方は神の子女ではないのか。まず神の国と神の義を求めなければなりません。義というのは、羊の下に我と書くのです。羊は犠牲を象徴するのです。義を立てるためには自分を犠牲にしなければなりません。そうでなくては、義なる父母となることはできません。 羊を象徴としたのは、羊は主人が首をはねたとしても、噛み付くこともせず、死ぬとしても主人を足げにすることはしません。それでイエス様を子羊だというのです。地上にいる人間がその国を求める以前に、義を立てなければその国と関係を結ぶことはできません。これらのすべてがどこに帰結点を置くのかというと、皆さんの家庭です。その家庭は世界を代表した家庭であり、国家を代表した家庭であり、民族を代表した家庭であり、氏族を代表した家庭です。 その後、その家庭は食口を代表した家庭となり、その食口を代表した父母は、全体の中心の責任者になるのです。このようにして皆さんは家庭天国を成さなければならないことを確実に知らなければなりません。先生はそのように総決算し、すべての世界のカイン・アベル兄弟の怨讐関係を、血統的転換を通して復帰をしましたが、その総決算点は、自分が完成できる道に帰着するということを知らなければなりません。 神の救援摂理、摂理傑総決算はどこで始まるのかというと、世界を中心として全部自分にあるのです。自分がその終着点を立てなければなりません。旧約、新約時代を経て、イエス様が犠牲になり、キリスト教の殉教歴史が形成され、次には父母が来られて四十年間苦労して、これらのすべてを貫く国家解放、世界解放、すべての解放圏をつくったのです。そしてそれをどこに連結するかというと、皆さんの家庭につなぐのです。したがって皆さんの家庭はまず、旧約時代を代表した勝利的家庭にならなければなりません。皆さん自身が万物全体を犠牲にさせた旧約時代の祭物の前に恥ずかしくない生きた祭物の復活的実体とならなければなりません。 そして僕、養子、息子を犠牲にさせて父母を受け入れることのできる基盤を整えてきた新約時代のすべての先知、先烈たちが霊界に行っていますが、その霊人たちが見る時にも恥ずかしくないようにしなければなりません。彼らはイエス様のために死んでいった人が多いのです。 皆さんは死んでみましたか? 真の父母は世界解放のために、皆さんの生きる道を開いてあげるためにその一生を投げ出したのです。真の父母は皆さんよりも優れています。この世的に出世しようとすれば、誰にも負けない世界的な学者となったでありましょう。そのような頭と能力をもっている先生がその一生を一介の放浪者のように、ジプシーの先駆者のようにして働きながらこのようなことをしているのです。そのようなすべての犠牲は誰のためでしょうか。それは神の解放のためです。神を解放して何をするのですか。どこへ行くのですか。私たちが神に乗って神の国へ上がっいくのではなく、神に侍って家庭天国を成すためです。私たち祝福を受けた家庭というのは、神と真の父母、また旧約と新約の基盤上のすべての宗教人たちが犠牲となった祭物の上に立った結実であることを忘れてはなりません。 神の解放圏のため常に犠牲になる伝統 皆さんが植えたその木の芽は、このような伝統的、歴史的な実の内容を再現することができなければなりません。それで皆さん自身の万物を常に神に捧げることができ、皆さんの子女を常に神の国の犠牲の祭物として送ることができ、父母となった皆さん自身が神の解放圏のために常に犠牲になることができる伝統を、皆さんの日課の中に深く根を下ろさない限り、天国基地ができないという事実を確実に知らなくてはなりません。 これを忘れてはなりません。先生も今や、この蕩減歴史を回って家庭に帰らなければなりません。今まで先生は、家庭の父の役割を果たせませんでした。お父様も平安にしてあげられませんでしたし、子供たちに対してその責任も果たしていないのです。今や、統一教会の祝福家庭や皆さんに、先生が全部教えてあげたので、そのような課題の責任遂行をすることは重要です。相続したので、そのようにしなさいと言うのです。 ホームチャーチを中心として、皆さん自体の家庭と和合することのできる伝統をいかに残すかということです。今や地上天国を実現していく第二次摂理です。今は神の救援摂理ではなく神の創造理想実現です。救援摂理時代は過ぎ、創造理想時代へと越えていくので初めて摂理史的総決算を成し、怨讐を除去させ、神のみ言を中心として我々は幸福を歌うことのできる自由世界へと越えていくようになります。 八六年を期して、そのような世界へ進出しなければなりません。今や共産党も霊的に除去する時代に入ったので切り換えるのです。妖邪にデモをする者たちもそのままにしてはおきません。今や共産主義者たちは追いやってしまうのです。 皆さんの家庭が、皆さんの村が、また皆さんの国が全部責任をもたなければなりません。連帯責任を負わされたのです。分かりましたか。これからはやさしいことです。それはなぜかというと、(先生が)怨讐を愛し、責任分担も終わり、カイン・アベルも蕩減復帰したからです。これらは歴史の三大恨みでした。それを解くのは怨讐を愛するということと、責任分担をすることであります。皆さんが遂行するその責任分担はアダムとエバの責任分担です。祖先の責任分担です。もしアダムとエバが責任分担を成したならば、後孫たち皆さんは責任分担圏にいないのです。その次には統治、法的、家庭倫理時代へ入っていくのです。それは地上に真の父母がいるので即座に平面的にも教えてあげることができるのです。なぜならば、三六〇度をもっているからです。神が教えてあげることができなかったのは、中心が来る時まで待つためです。その間に問題が生じるためです。そのためホームチャーチをしなければなりません。ホームチャーチを経ずしては、皆さんは先生の世界史的なすべてのものを蕩減できる道の相続を受けたという条件を立てれる基盤がないのです。 ホームチャーチをしなさいと言うことは、三六〇軒が皆さんを歓迎するようになる時には、皆さんの同じ姓の人たちが復帰されるからです。カイン的氏族圏が復帰されたために、アベル的氏族圏は自然に復帰されます。今に統一教会の文先生が立てた国家基盤を中心として、大韓民国の文氏の宗中(一族)たち四〇〇名が、全部集まって「一度語ってください」と頼むそういう時が来ます。その時「先生の話が正しい」と言うでしょうか、どうですか。その時、「正しい」と答えればすべてが終わるのです。条件となるのです。そのような時代へ越えてひくのです。四十万から五十万になんなんとする文氏の氏族を、いちいち探し訪ねながらいつ話をしますか。 頂上を集めて「先生の言うとおりにしますか、どうしますか」と言って、ハンコだけを押せば成るのです。(拍手)今やこのように、民族を中心として、文氏族は自然に復帰されるのです。 皆さんがホームチャーチをするようになれば、彼らはカインの氏族ですから、彼らが立てば彼らが行って説明すればアベルの氏族たちは、ただそのまま「OK」になります。そのようにして復帰するのです。そのようになれば皆さんはイエス様の氏族復帰基盤を成し得なかったことを蕩減することによって、皆さんはイエス様以上の立場で国家と世界に連結できる恵沢圏が、父母様から伝授されるのです。 それで、皆さんが成さなければならないことは、イエス様を解怨をしてあげることです。イエス様の解怨成就をしてあげなければ天国に入れないのです。 先生はアダムの解怨成就、イエス様の解怨成就、神様の解怨成就をしなければなりません。 皆さんはイエス様の解怨成就です。イエス様は結婚することができなかったのですが、皆さんは結婚したのですからイエス様の立場に立とうとすれば、イエス様ができなかった氏族復帰基盤を完成しなければなりません。今は迫害の時代が過ぎ、歓迎される時代になったために、カイン圏、家庭復帰圏は一瞬にしてできます。三年もいりません。皆さんが数カ月だけ犠牲的に行えば、全部復帰することのできる時代に入っているのです。皆さんはすべての歴史的な解怨をしなければなりません。歴史的に見る時、皆さんはイエス様を殺した罪があります。それでイエス様の解怨成就を成さなければなりません。 その後においては、父母の解怨成就をしなければなりません。イエス様の解怨成就、父母の解怨成就をしようと思えば家庭復帰すなわち、ホームチャーチをしなければなりません。この二つは二重になっています。ホームチャーチをすることによって、イエス様の所願と父母の所願を果たすことができ、相続することができる世界へ入っていくのです。 先生が世界的基盤を整えたので、皆さんは家庭教会基盤さえ整えれば直ちに上がっていって、先生と同じような祝福圏内に同参できる権利をもつようになるのです。分かりましたか?(はい)。天国はホームチャーチを通して成されるのです。それは何を中心としてかというと、家庭を中心としてです。今日このような結果は回りに回ってどこまて来たのでしょうか? 皆さんの家庭を中心とした愛の圏内に帰着したのです。統一教会の夫婦同士がけんかをしてはいけません。どのような生活であっても家庭的模範とならなければなりません。子女たちが父母と神を愛して、自然に感動されついていかざるを得ないような、良心が楽しくてついていくことのできるような伝統を植え付けていかなければなりません。それで、二世たちが父母を連れて越えていく道が残っています。二世たちはホームチに協助したとしても蕩減をしないのです。父母が整えた基盤をそのまま経ていくのです。 神の新しい出発の種を蒔く運動 きょうの話の題目は何ですか? (神の摂理史的総決算です)。それは何を中心としてするのですか? 愛を中心そちた方向性を求めて、旧約、新約、成約時代。次には神を解放する解放時代へ越えていくのです。そうするためには、カイン、アベルを収拾せずしては父母が立つ立場はありません。 エバがカイン、アベルを分けてしまったのです。歴史的にエバが一つにしなければなりません。それで日本を立てているのです。日本が全部負わなければならないのです。 四大国家、アダム・エバが怨讐となり、父母と子女の間が怨讐となりました。家庭がバラバラに分かれてしまいました。今日アメリカのキリスト教文化圏がなぜこのようになったのか、神の罰であります。今日アメリカでは父母に追い出される子女、子女に追い出される父母、兄弟同士が分かれてバラバラになりました。 我々はそのような世界とは反対です。我々は別れていた父母、子女が一つになり、別れていた父母たちが一つになる運動が始まるのです。子女が全部統一教会に入って、分かれていた父母を連れ戻して再び一緒に住むことができるのです。不思議でしょう。子供たちが統一教会に入って、兄弟同士が入って、父母が別れたために入ってきた継母を追い出して、自分たちの父母を一緒にするのです。 その父は継母の所に行くことよりも、息子や娘の所に行くことがもっといいのです。それで息子娘の話を聞かざるを得なくなるのです。それが統一教会の新しい歴史です。悪なる世界の蒔いたごとくにすべてバラバラになったものを清算し、神の新しい出発の種を蒔く運動です。統一教会の、父母と子女が完全に一つとなって種となるのです。今やこれが現実的に表れて蒔かれ、現実的に具現されている驚くべき事実を私たちは知っております。 アメリカを中心とした戦いは終わったのです。共産世界と民主世界の戦いも終わったのです。さらにキリスト教と統一教会の怨讐関係もすべて終わったのです。アメリカのキリスト教と政府は今まで分かれていました。政府のすべての人本主義者たち、実用主義者たちは「メシヤは必要ない」と言ったのです。「人間は平等なのになぜメシヤが必要なのか、メシヤ自体も我々と同等であり、我々には必要ない」と言うのです。(彼らは)人本主義がすべてです。黄金万能主義なのです。それで神を追放し、メシヤ思想を追放しました。さらには人倫、道徳まで追放しながらサタン・悪魔が世界を全部染めてしまっているのです。 韓国の若者たちにも全部その色に染まっています。「アメリカのとおりにするな!」。アメリカは亡国になっているのです。アメリカはサタンの結実した舞台となりました。その風に乗って、愛の秩序を全部破綻させています。 しかし、今や統一教会のレバレンド・ムーンによって、きれいに整理されているのです。新しい倫理道徳、新しい秩序編成、新しい家庭編成がなされ、新しい世界観が、今芽生えているのです。そこで、腐ってしまった局面に種を蒔かなければなりません。アメリカが腐ったためにその腐った物を肥料として、そこに種を蒔くために、レバレンド・ムーンはアメリカに行って、今種蒔きをしているのです。そして今や腐ったものを生命の要素として、活力要素として変転させる生命の復活がなされているのです。真の光が、地上天国が実現されているのです。 そこに、神の解放が始まるのです。アダム・エバの解放、カイン・アベルの解放が始まらずしては、神が解放されません。神の解放圏が始まって国家基準に至り、世界的基準に韓国を接ぎ木するために今回帰国したのです。そして皆さんに今、何を教えてあげているのでしょうか。摂理上の総決算、勝利的基準を迎えることのできるように上がっていけと言うのです。 ですから皆さんは、過去の旧約時代から見ても恥ずかしくなく、先生が見ても恥ずかしくなく、さらには神が見ても恥ずかしくないというような皆さんにならなければなりません。そのようにして旧約時代が、新約時代が、成約時代の我々家庭を讃美し、神までも拍手を贈ることのできるような家庭にならなければなりません。 家庭、エデンの園において神が願い夢に見ていた家庭。その家庭を成すためには、皆さんのすべてがイエス様の解怨成就を成さなければなりません。イエス様の解怨成就を成さずしては、父母の解怨をすることはできません。そのために先生が行く道はイエス様の解怨でした。皆さんも同じように、イエス様の解怨成就をなさなければなりません。皆さんは氏族的基盤さえ整えればいいのです。父母が民族、国家、世界基盤を全部整えたために皆さんが解かなければならないことは一つです。氏族的基盤を中心とした八十四名を一つ得ることのできなかったイエス様の立場を復帰できるのです。(イエス様が)このような氏族的基盤をつくることができなかったために、これを蕩減復帰しようとして世界史的全体を代身する圧縮した祭物のような現実舞台がホームチャーチです。 皆さんの家庭はアベル家庭であり、ホームチャーチは神の国のカイン圏家庭です。それで皆さんの家庭を通してホームチャーチ圏を消化する時には、カイン、アベルが一つになるために、皆さんが父母の立場に立って、天国基盤を氏族的局面へとつなぐことができるのです。このことによって、摂理史のすべての総決算が始まるのです。その後は神と共に生きるのです。 宗教の目的は、神を愛しながら生きることです。先生も今まで一人で生きてきていても神と愛を中心として生きてきたために寂しくなかったのです。迫害がいかに荒々しくとも、その道を崩すことは何でもないと見たために、押し進めて押し進めてみると、事実どおりになってきたのです。十字架が大きければ大きいほど、愛も大きいというのです。それを知らなければなりません。八五年を過ぎて、八六年を新しく迎えるのですが、真の家庭を中心として、皆さんが至聖所のような家庭を整えることができるようにこの三日間を特別祈祷して新年を迎えることをお願い申し上げます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.27
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「神様のみ旨と韓国」 (国際勝共安保決意大会)1985年12月16日ソウル・蚕室体育館 満場の国内外来賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で一番お忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださったことに対して深く感謝を申し上げます。 今日、私がこの席を借りて皆様にお伝えしたいメッセージの題目について考えるとき、神がいないという共産主義に勝利するには、神に対する確信と体験上において勝利し得るのでありますから、そのような観点において題目を定めたのであります。それで「神様のみ旨と韓国」にしたのであります。韓国が神様の摂理の焦点になっているということと、今日の世界問題の解決の鍵が韓半島にあるということを明らかにしようとするのであります。 今日の世界情勢を眺める時、だれもが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。世界の指導者の絶えざる努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義も共産主義も宗教も哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが露呈されてしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史でありますから、これからは神様の摂理のみ旨が分からなくては世界問題の解決は不可能な段階に至ったのです。 神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理しております。それゆえに、神様の摂理のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなくてはなりません。 韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、悪側の左翼と善側の右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線であります。今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることを我々は見るのです。ゆえに韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型であります。ここに神様の深い経綸(けいりん)の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理であります。 韓半島の休戦ラインのいま一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明と、ヘレニズムの流れを継承した共産主義文明がこの休戦ラインで対峙している事実であります。ヘブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマにおいてイエス様によって統一される予定でしたが、イエス様の十字架刑によって統一の支点がなくなり、そのために平行線を描きつつ、時には一方が優勢に、時には他方が優勢になりながら、今日に至りました。そして、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に継がれて、今日休戦ラインを間において対峙しております。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されるのが神のみ旨であることを思えば、そういう点でも休戦ラインは摂理的な意義が大きいといわざるを得ません。 韓国は、地政学的に四大強国の中にあって不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国であるために、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の摂理的中心を立てて、彼を通じて神の愛を実践せしめるように摂理するのであります。その愛は、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではありません。国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛であります。敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までもささげる愛が神様の愛であります。二〇〇〇年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公であったのです。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。 ここでしばらく、イエス様の十字架について触れてみます。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことを御存じのことと思います。ところで、ここにも神様のみ旨があったのであります。右側の強盗はイエス様を証して善の側となったのであり、左側の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になったのであります。特に右側の強盗は左側の強盗に対してイエス様を擁護し、左側の強盗を終わりまでいさめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点になりました。道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪を各々携えたのは、非常に深い摂理の意義があるのです。そこには神の愛を中心にして、和解の原理、統一の原則が含まれているのであります。それは善の側と悪の側の対立をはじめ、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを見せているのであり、いかなる困難な状況下においても神の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを見せているのであります。 そしてまた十字架を中心とした左右の強盗は、遠い歴史的終未的において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場であることを理解しなければなりません。善の側の右翼と悪の側の左翼という名称が現世に現れたのも、イエス様の十字架に起因するのであります。今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二〇〇〇年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型となったのであります。今日の左翼と右翼という名前の歴史的起源は実に十字架の左右の側の強盗にあったのであります。そして特に右側の強盗は、命を懸けて左側の強盗に対抗しながらイエス様を証し、そのために死んで復活し、楽園に行きました。同じく今日、右側の強盗と同じ立場の右翼の代表であるアメリカが、左側の強盗に該当するソ連に対して、終わりまで強力な対決を堅持していったならば、ついに神の公認を受けて地上天国に入ることができることを見せているのです。 ところで十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の現在の休戦ラインがそのまま集約的に表現しております。ゆえに南北が分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架であります。ここで韓国は十字架のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。神様は何故にこのような摂理をなさるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたのは、この民族を召命するためであります。長い間、天を崇拝し道義精神と平和精神をもって長い試練にち勝った受難の民族であり、善の民族であるために、召命されるに至ったのであります。そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのであります。 数千年間、苦難の歴史を通過してきた韓国は、最後に人類救済の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負って、あらゆる試練に打ち勝っております。祭物として召命された民族であるために、摂理の焦点が韓国に置かれているのであります。これは韓民族として栄光の恩赦であると同時に、最も恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすとき、最も光栄ある祝福を受け、責任分担を果たせないとき、最も過酷な不幸に襲われるからであります。二〇〇〇年前のユダヤ民族は責任分担を果たせなくて、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを我々は知っております。 民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践と同時に神の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体としての自身を、道であり真理であり命であると言いました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。これは善の側と悪の側を和解させ怨讐を悔い改めさせるのに、愛とともに真理が必要であることを意味しているのであります。真理とは、世俗的な真理でなく神の愛のみ言をいいます。 神の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として、地上に伝達されるのです。神の真理は絶対的真理であります。絶対的真理は万能な鍵と同じであって、この真理を適用するとき、いかなる難問題も解けるようになります。私は以前からの長い間の祈りと瞑想の生活を通じて、ついに実存する神様に出会い、この絶対的真理を受けて来ました。それは全宇宙と人生と歴史の背後に隠されたすべての秘密を明らかにした、驚くべき内容でありました。この内容を社会に適用すれば社会的問題が解かれ、これを世界に適用すれば世界的問題が解かれたのであります。のみならず、宗教の未解決の問題も解かれたのであります。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日の下にさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられたのであります。これはいまだかつてなかった新しい人生観であり、新しい世界観であり、新しい宇宙観、新しい摂理観でしい歴史観であります。これはまたすべての宗教教理や哲学の特性を生かしながら全体を一つに包容する統合原理でもあります。私はこの思想を統一思想または神主義と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開していますが、この運動は現在、燎原(りょうげん)の火のごとく広がっています。 以上、すべての対立の和解と統一のためには神の愛の実践と神の真理が必要だということを明らかにしました。休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理でもって悪の側の思想の誤りを諭しながら、愛でもって抱いていくならば、統一は必ず遂げられるでありましょう。 ここで私は愛についてさらに説明することにいたします。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来ますが、為になすところに真の愛が成立します。相対のない愛は存続することができません。自己の為にするのでなく、相対の為になすのが愛であります。すべての被造物は為にするよう想像され、為に存在します。人間のみならず、動物、植物、鉱物も為に存在します。原子の世界も為に存在し、日月星辰(せいしん)の運動もすべての為の運動であります。 人間の男性は肉身の構造から見て女性の為に存在し、女性もまた身体構造から見て男性の為に存在します。同様に、父母は子女の為に存在し、子女は父母の為に存在します。為の原則は学校、職場、国家においても同じであります。しかしその為の愛は国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。 全宇宙のすべての個体は為に存在し運動しております。ゆえに為に生きる愛の道理は、天道であり天理であります。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて彼は決して滅びることがなく、いくら快適な中で生活しても、この為の道理を守らなければ早晩、衰退するのです。逆天者は滅び順天者は存するという言葉は、この天理のことをいうのです。 民族的十字架を背負った韓民族は、統一の達成がいくら難しいとしても、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、為に生きる生活を、個人で家庭で社会で国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救済の道も速められるでありましょう。それは韓国に摂理の焦点を置いた摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が速められるばかりでなく、この方式が一つの公式になって、全世界も同じ公式に従ってこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、初めて人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、ここに永遠の幸福と平和が訪れてくるでありましょう。 歴史を通じてだまされてきた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。それで私と統一教会と勝共の同志たちは、その間、成国の地にて世界的勝利基台の造成に全力をささげてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させて、韓国をして世界に跳躍させ得る契機となることを望んで、このたび訪韓いたしました。特に韓国の勝共の皆様、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となることを願ってやみません。 終わりに皆様の家庭と我らの祖国と世界に神様の祝福が共にありますように。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2021.12.26
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「世界のための祖国の行く道」 (文鮮明先生勝利帰国晩餐会)1985年12月11日ソウル・ヒルトンホテル 各界からお集まりの来賓の皆様、紳士、淑女の皆様。今夕、私をこのように盛大に歓迎し、真心から祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、世界各地から万難を排して、私の帰国の道を輝かしいものとするために来席された、各国最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。 昨日の朝帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と天を眺め、また今夕、皆様方の前に立つことになりました。今、私の心はいかなる時よりも感慨深いものがあります。 皆様方が、このように私を歓迎されるのは私個人に対してではなく、神のみ旨と公議のために徹して生きてきた私を歓迎されておられるのだと思います。思えば、今日この集まりは重映な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれ、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に来られ、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことであり得ましょうか。すべてが神のみ旨を中心に、一生涯を「為に生きてきた私の理想と実践を見守り、感動されたためではないかと思います。 宇宙の存在秩序の根本は「為に生きる」ことです。真の理想、真の愛、真の平和の世界は、神の創造理想であると同時に人間の願いです。それゆえに、理想の源、幸福と愛の源は、相手のために生きるところにあります。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。鉱物は動物界、植物界のために、鉱物界、植物界は動物界のために、またこれらすべての万物は人間のために存在しています。 では、人間はだれのために存在するのでしょうか。人間は神のために存在するのです。神はまた万物のために、すなわち、万物を存在たらしめ、発展・成長するようにされるのです。このように「為に生きる」ことが存在世界の基本秩序であるため、いかなるものも「為に生きる存在」として生まれたのであって、「自分だけのために」生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためにでなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。 夫婦の場合も、結婚して「私は生まれた時から、あなたのために。生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのために……」と言うようになれば、これを理想の夫婦、幸福な夫婦というのは、存在世界の基本秩序から見て、極めて当然のことだといえましょう。そこから真の愛が始まるのです。 このように真なるものは「為に生きる」ことに源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の親孝行も、真の夫婦の愛も、相手のために生きようとすることが基本です。この公式を適用すれば、真の父母は子供のために、真の孝行息子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のためにあるのであり、このすべてに真があり幸福が宿るようになります。宇宙の秩序はこのようになっており、神のいまし給う本然の世界、すなわち、天国や楽園は「為に生き、為に死んだ」真の人々が入っていく所です。すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、「為に生きる」愛の実践を強調する理由はここにあります。為に生きようとすれば、そこが自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で年端のいかない弟だとしても、家族のために生活すれば、その家では自然に愛の中心となり、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになります。 「為に生きる」生活は、個人的な基準で終わるのではありません。家族の一人一人が為に生きるとき初めて、家族の真の和合と幸福の理想が実現し、家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民が為に生きるとこに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類が為に生きるとき、人類的な真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。その目的が成就した世界とは「為に生きる」理想世界であり、結局、永遠、不変、絶対なる神を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として為に生き、睦まじく生活する人類大家族の世界なのです。このような世界を築くために、神の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路がふさがったこの世で、「為に生きる」生活を通して手本となられるこの方は、人類理想の動機であり、目標です。 メシヤとして来られたイエス・キリストは、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救済するため、彼らが世界のために生きるよう目覚めさせようとされたのです。にもかかわらず、イエス・キリストは不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨が「世界のためのユダヤ教」であり、「世界のためのイスラエル」であったにもかかわらず、彼らは「自分たちのための神」あるいは、「自分たちだけの救い」を求めたからです。 復活後のイエス・キリストは、キリスト教圏を世界的に拡大しながら、霊的に指導してこられました。アメリカは神のみ旨を中心に世界救済の旗手になるべく、世界的キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカの使命はキリスト教精神を通じて、神のみ旨を世界的に完結することです。アメリカに下された神の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神の内情と、摂理の原則を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりだったのです。 アメリカは第二次世界大戦以後、戦後処理にあたって、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神の期待に背き、アメリカだけのことを心配したとき、アメリカは多くの自由世界を失いました。アメリカがキリスト教精神に立つことができなかったとき、国内的にも多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはつまるところ、アメリカの霊的、精神的枯渇によってもたらされたものです。 神はアメリカから世界を代表する「為に生きる個人」が現れることを期待され、世界を代表する「為に生きる家庭」が現れることを期待されます。また世界を代表する「為に生きる国家」になることを期待されるのです。ところがアメリカの現実はどうでしょうか。神は期待どおりの個人と家庭を探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。神は私に、その使命を全うするよう激励されました。 東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、何が起こったでしょうか。信仰的な基盤は既に崩壊し、人々は悔い改めて私についてくる代わりに、私を批判しました。アメリカでの反発と抵抗はどれほど激しかったことでしょうか。 私に対する神の召命は、準備された基盤を求めて、人々の覚醒を促すための教育をすることでした。それは失敗しても、放棄できるような性質のものではありません。過去十三年間、激しい迫害と冷遇の中で、私自身が、神が理想とされ、世界を代表する、為に生きる個人、家庭、氏族に代わらなければなりませんでした。そしてアメリカの若者の前に、私が手本となることにより、神のみ旨に沿った「為に生きる個人」として教育し、さらに世界を代表する「為に生きる家庭と氏族」を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きることのできる新しい天民を育成する作業でした。 私は神のみ意に従って、寂しい道を為に生きながら開拓してきました。神の願いは、人々が神を漠然として信じることだけではありません。私は神のみ旨を自己の責任分担として実践し、成就することであると明確に認識し、そのために生涯をささげてきたのです。 過去十三年間、私は第一に、神を中心として思想の普遍化と教育のために、全世界の学者たちを動員して、たゆまず努力してきました。その結果、既に百余カ国に確固たる思想的に基盤を築きました。 第二に、地上天国の理想は霊的な要素だけでなく、技術と真の先端科学分野の発展が不可欠です。そのための投資と努力を続け、脅威的成果を収めることができました。 第三に、神のみ旨のための世界的経済基盤を確立し、各種の経済活動と未来の金融秩序のために、国際協力を模索し、研究を行っています。 第四に、正しい言論を通じて社会を善導するため、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創造的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあることです。 周知のように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月出獄しました。彼らは私を罪人に仕立て上げ、投獄しました。しかし、獄中での十三カ月間、私は徹底した祈りをささげながら、アメリカと世界の運命を一日たりとも心配しなかった日はありまアメリカの罪を許し、私の使命を全うさせてください、と祈りました。 そして、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるため、数多くの行事を指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するため、大型トラックを二五〇台ほど購入して支援しました。また、ソ連帝国の崩壊を宣言する国際学術会議、宗教統合運動、週刊誌『インサイト』、月刊誌『ワールド・アンド・アイ』の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中で指示し、着手しました。 私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄されるような中においても、神のみ旨を中心に、アメリカといかなる個人や団体、教団より以上に、アメリカを愛しました。 それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人よりももっと驚くほどの血と涙を流し、祭物の道を個人的に、教団的に歩みました。それが骨身を刻む痛みであってもアメリカを生かし、世界のための道、と感謝しつつ克服しました。 天の召命を受けて立った私の道は、いばらの道でした。日帝時代、学生だった私は、独立運動のかどで投獄されましたし、北韓(北朝鮮)で宣教した時には思想犯として、ひそかに興南(フンナム)の監獄で死の峠を越えました。草創期の韓国では、異端としてひそかに西大門(シーデムン)刑務所で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種偏見と宗教迫害のために獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、皆様の前に立っています。反対の嵐が巻き起ころうと、迫害の波がいかに強くとも、敗者にならず、「為に生きる」天道に従って勝利の条件を立たせて、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神と義の勝利なのです。 人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を打ち立てることは、果たして容易なことであったでしょうか。皆様方の前で、自分のことをこのように話すのは、私を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事された、生ける神を証し、栄光を帰すためです。 人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様方すべてが奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勇気を祝う世界的な式典に参席したこと自体が、永遠において誇りとなるでしょう。願わくば、今日この場が奇跡に驚嘆する場にとどまることなく、神の摂理的な意義を確認するとともに、奇跡の実体と確固なる因縁を結ぶことによって、皆様方の生涯の飛躍の契機となるようお願いします。これは個人のためにも、民族と国家のためにも、申し上げざるを得ません。韓民族と韓国が、私の歴史的な勝利の期待に背かなければ、韓国は正に世界に飛躍するようになるでしょう。 尊敬する皆様。神のみ旨を中心に見るとき、韓民族は神が選ばれた民族であり、それゆえに韓国は神の願われる「偉大な生活」の模範を示すべき摂理の中心です。歴史上の多くの事件と曲折が辛味合っている韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と、歴史の功罪を清算しなければならない、摂理的使命があります。優れた天禀と文化をもった民族でありながらも、世界で比類なく苦難の道を歩んできたことも、このような点から理解されなければなりません。 我が民族の試練は自国だけのものではなく、摂理的なものであり、神は民族がこれを克服することを待ち焦がれています。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出合い、精神と物質、有神と無神の対決と混沌が集約された韓国で、渦が巻き起こるのは、ちょうど新しい時代をはらんだ母の産みの苦しみと同じです。韓民族の民族的・国家的な苦難は、神のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国独自ではなく、世界との関連のもとでのみ解決が可能なのです。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。 私と統一教会の基盤は、徹底して神のみ旨のままに「為に生きながら」備えてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を越えて勝利した基盤です。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が「世界のために」生活するようになれば、神がアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さることでしょう。このようになれば、韓国は苦難を克服するだけでなく、世界の前に真の愛と平和の中心となるでしょう。神が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき初めて、神の韓国に対する祝福が結実されるでしょう。 尊敬する内外の来賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援してくださった各界の指導者の皆様方に、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。神の祝福が皆様の家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを願いながら、私の挨拶と致します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.26
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「なぜ原理というのか」1985年12月8日アメリカ・ベルベディア 原理原則の道は踏んでいく道 皆さん、なぜ「原理」というのか、考えたことがありますか。この原理はいったいどういう原理なのでしょうか。これがはっきりしないと堕落人間の帰るべき復帰路程が分からないのです。内容がはっきりしなければ、復帰路程、摂理程路に対しての概念が不完全なのです。 「原理原則」の道は、踏んでいく道であって、飛び越えていく道ではありません。間違いなく、原則どおりに踏んでいく道なのです。その原理原則の道をおじいさんが踏んでいった場合には、自分も、孫も、何千万代の後孫までも、同じように踏んでいかなければなりません。そこには、プラスするとか、いい加減とかいうことはあり得ないのです。このように、原理の道は踏んでいく道です。それは神様も、先生も同じなのです。融通はありません。妥協がないのです。「絶対」に対して、それは絶対に相応する基準なのです。これがはっきりしないので、教会から離れたりすることになるのです。 では、神の摂理は何によってなされるかというと、原理によってなされるのです。原理過程を完成するために、摂理があるのです。これをはっきりさせなければなりません。先生は遠からずして韓国に帰るので、その前に、このことだけははっきり教えなければならないのです。 皆さんは、既に間接主管圏とはどういうものか知っていますね。原理結果主管圏とも言いますが、人間はこの過程を通過しなければならないのです。これは、神様が人間を創造した時の原則なのです。原理結果主管圏を通過して、直接主管圏に到達する過程は三段階になっており、人間でいえば二〇数になっています。神様はなぜこういう期間を許したのでしょうか。直接主管すればよいのに、なぜ間接主管にしたのかというと、それは人間の責任分担のためなのです。神様はなぜ人間の責任分担をつくったのかというと、人間が絶対なる神の創造物として存在するだけではなく、自分なりに創造主に該当すべき、比例すべき条件を立てるためです。本来、人間完成は、神の創造と自らの責任分担を合わせて完成するようになっているのです。それはなぜかというと、いかなる被造物にもない、人間としての特権であるといわれる権限を与えられているからです。この権限を確立しなければ、神様の前に立つ資格がないのです。ですから人間は、責任分担を果たして完成しなければなりません。 では、完成するためにはどうしたらよいのでしょうか。これが問題なのです。今日まで数多くの宗教人たちも、人間の完成を願ってきました。仏教では解脱という言葉を使っているのです。このように、人間はみんな完成を願っているのです。そうでしょう。皆さんがもし個人完成をいかにするかと聞かれた場合、何と答えますか。人間の個人完成は何かというと、直接主管に到達する以前に間接主管圏内においての責任分担を果たさなければ、その道は生まれてきません。いかに個人完成するか、これが問題なのです。神様は人間の個人完成のために、いかなる被造物にも与えられなかった特権を与えられているのです。それが「責任分担」なのです。ですから責任分担はとても重要なのです。 それでは「堕落」とは何でしょうか。堕落によって、個人完成が破壊されました。なぜ破壊されたのかというと、それは全部責任分担の問題にかかっているのです。人間が個人完成されなかったのは、責任分担を果たさなかったからです。責任分担を果たさずに行動して、堕落してしまったのです。その結果は、サタンに占領されてしまいました。ですから人間は責任分担を果たさない以上、サタン分立ができないのです。サタン分立は責任分担を果たすことから始まるのです。サタンは、人間が責任分担を果たせないようにしてしまいました。これが問題なのです。人類始祖は責任分担を果たさなかったために、個人完成を成せなかったのです。したがって、個人完成した男女となれず、理想相対完成ができなかったのです。 人間はなぜ個人完成を願うのかというと、それは相対理想を願うためなのです。個人完成した男女が一つになるのはなぜかというと、神様と一つになるためです。責任分担を果たして完成した男女が、真の愛を中心としての夫婦関係を結べば、神様と接続されるのです。ですから人間は、生まれながらにして個人完成を通して相対完成を目標とし、相対完成を通して理想家庭の完成を目標としているのです。これが原理の観なのです。 なぜ夫婦は愛を中心として、神様の愛と一つにならなければならないかというと、そこにおいて相続権が与えられるからです。それが宇宙相続です。そこにおいては、すべてのものが神様のものであり、私のものとなるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つとなり、愛を中心として、神様と人間が上になったり下になったりして、どこに行っても喜びが生じるのです。宇宙すべてのものが神様のものであると同時に、私のものとなるからです。そのような相続権決定の基準が立つと、所有権が成立するのです。しかし今日、この世の所有権は皆サタン世界に属しています。神の愛を基盤とした相続権がないのです。ですから、そういう観点から見た場合に、この宇宙、被造世界を、神様から相続し得た者は一人もいないのです。では、誰がこれを受け持っているかといえば、すべてサタンが握っているのです。原理的に人間の基準が立っていないので、とんでもない者が管理し主管する世界になってしまったのです。 神様は人間世界の代表として、アダムとエバを造られました。そして現在、アダムとエバの後孫として四十億の人々が世界に広がっています。しかし、それらの人々に、神様は自分の子女として相続させることができないのです。なぜならば、人間が責任分担を果たさず、個人完成基準も、真の愛の夫婦の基準も確立していないからです。真の夫婦の愛を中心として、神の愛と一体化したあとに初めて、すべてが相続されるのです。その時こそすべてのものは、神のものであると同時に人間のものであり、絶対的な真の愛によって神様にも相続され、人間にも相続されるのです。このように愛は偉大なのです。 間接主管圏と直接主管圏 神様に属さない限り、いかなる次元のものであっても、その所有権は決定されません。それは間接主管圏と直接主管圏が分かれてしまったからです。そこで、いつかそれを一つにできる基準を願ってきたのですが、その基準を願ってきたのですが、その基準がなくなってしまったために、神の所有権はもちろん、人間の所有権も決定されないのです。このようなとてつもない問題を、人間は起こしてしまったのです。 神様が創造されたすべてのものは、愛の相対圏を結んで、絶対なる神様のものとしての所有権を決定するとともに、人間の所有権決定もなされるべきだったのです。このような真なる縦的愛、横的愛の結束によってなされるべき基準が果たされなかったので、この宇宙に対して、神様も人間も所有権を持つことができなかったのです。これが神様の恨みでもあり、また人間の恨みなのです。神様はそのことを知っているのですが、人間には分からないのです。しかし、人間の本心はその方向を知っているので、平面的に三六〇度の方向性をもって行き来しながら、回転しているのです。 この世の中で、いったい誰がいかなる横的愛の相対基準を築き、直接に神の愛と結んで、神の相続権を決定し、人間の相続権の決定を成し得るかということが、神様の願いであるとともに、宇宙の願いなのです。創造主と全被造物の願いなのです。このように、誰がいかにして一つになれるか、というのです。そのような相続圏を共にする基盤こそが真の愛なのです。 では、神様は間接主管圏と直接主管圏をなぜ造られたのでしょうか。それは造らざるを得なかったからです。なぜかというと、人間は生まれると同時に自分の相対を知ることができないからです。十五、十六歳になるまで成長して、完成圏に近づくと、男性は今まで女性を妹だと思っていたのに、自分と相対関係を結ぶ人間なのだということが分かってくるのです。それはまた、女性も同様なのです。それは誰から習ったのかというと、神様は教えません。この世界の万物、自然界を見て知るようになったのです。ですから、万物すべてはペアになっています。昆虫、動物などが成長して、子供を生むその様子を見て、人間も男女の関係が分かるようになるのです。しかし、それは青春期にならなければ理解できません。ですから間接主管圏が必要なのです。成長して、愛が実るように相対的な関係を結べば、もはや離れることはできません。そうなると、神様がその中に入られるのです。 昔、先生はプラス電極とマイナス電極を近付けたことがあります。その時どこでスパークしたかというと、端のほうでしょうか、それとも真ん中でしょうか。愛の爆発点は真ん中です。そこからスパークするのです。このような愛の爆発点、神の愛の中心点はどこかといえば、二つのものが一つになった所です。神の性相は、プラスとマイナスの二性性相になっていますが、それが円形を描くようにして、プラスとマイナスでスパークするのです。これが天宙の法則であります。そして神のプラス、マイナスの二性性相すべてを抱えた所が中心点なのです。そこで初めて接触するのです。接触する中心基準が真の愛なのです。真の愛を中心として、宇宙が初めてスパークするのです。これが直接主管圏なのです。 神様の愛を中心として関係をもった場合は、誰も主管することができません。堕落した人間であっても、一度愛の関係を結んだ場合には永遠に忘れられない作用があるように、神様と直接接続した場合には、もはや離れることもできなければ、離れようとしてもしなくなるのです。そして、そこに定着し、愛の力で授受作用しながら回るようになるのです。すると、神様も自分のものであり、自分も神様のものとなるのです。上下、左右すべてが自分のものとなり、宇宙の所有権が決定されるのです。それが相続権です。分かりましたか。 皆さんは何の群れですか? (統一の群れです)。統一の群れという前に、堕落した群れの後孫なのです。そして、その群れはどこへ行くかというと、必ず地獄に行かなければならないのです。これは悲惨なことです。神様の王宮に住むべき人間が地獄に行くのですから、それは原理でなく、無原理圏であり、めちゃくちゃです。正に今のアメリカの学校など、規律もなければ伝統もありません。何でも自由だと、自分の勝手気ままに考え行動しているのです。そういう世界に皆さんは住んでいるのです。それを忘れてはなりません。自分の故郷も、祖父も、父も、親戚も、学校の先生も、友達も、皆そういう堕落の因縁の背後につながれているのです。そのような中で考え、生きているのです。恐ろしいことです。自分は良い家庭の中で育ったからと思っていい気になっていても、神様から見ればとんでもない存在です。そのような話しにもならない立場に立っている皆さんであるにもかかわらず、なぜそのように平気でいるのですか。 皆さんは何の群れかというと、サタン世界の群れなのです。これは切り捨てなければなりません。全部切り捨てるのです。ですから先生は、統一教会で聖塩を使っているのです。サタン世界とのすべての因縁を切って聖別しなければ、神様のもとへ帰る道がないのです。では、なぜ聖塩を使うと聖別できるのでしょうか。それが問題です。先生は原則を通し、愛の因縁を中心として、聖婚式の時に聖塩をつくったのです。真の愛の基盤を通して、真の夫婦の手を通して、サタン世界の因縁を断ち切る聖塩をつくったのです。それをしないと統一教会のすべてを火をつけて焼いてしまい、無にした結果の立場から再び造り上げなければ、何一つ食べることも、着ることも、住むこともできないのです。サタンの因縁圏、心情圏に生きることはできないのです。皆さんは聖塩をいい加減に考えているかもしれませんが、そのような深刻な意味があるのです。分かりましたか。 神様は間接主管圏をなぜ造られたのか、分かりましたね。なぜ造られたかというと、人間が思春期になるのを待つための期間なのです。間接主管圏、直接主管圏を分離して待たざるを得ないので、間接主管圏が生まれてきたのです。しかし、神様は無駄なことはされません。責任分担という期間を通過することは、人間特有の絶対なる神の相対権限を得るために重要なことなのです。だから人間は縦的基準を結んでからでなければ、決して横的基準を結んではなりません。 中心者はいつでも第一に垂直観念を持て 責任者や中心者と、普通の人間はどこが違うのかというと、中心者は物事をいつも垂直に考えなければなりません。いつでも第一に垂直観念を持たなければなりません。中心者という者は、常に九十度の軸受けのような立場に立つ者です。だから、そのような中心的な垂直観念を絶対視しなければなりません。そして中心者以外の者は、垂直観念を持たなくても平面的に中心者と横的関係を結んでいれば、それで生きられるのです。分かりましたか。 では統一教会の中心者はいったい誰でしょうか? (先生です)。中心者が二人いたら大変なことです。先生は、いつも神様との生活において垂直観念をもってします。どこに行っても先生は垂直観念を中心として生活しているのです。ですから、中心者は自分勝手に指導してはなりません。中心者と普通の人間の違いはそこにあるのです。中心者は垂直観念の軸を支える立場に立ち、それは絶対に一つであるがゆえ、神様が縦的に運行できるのです。ですから神様も、男女が垂直軸になるその支点に至るまで待たなければならないのです。そして男女が成長し青年期になって、それぞれに自分の相対者が誰か分かるようになると、神様は軸と同じ距離で下がってくるのです。そして、男女が一体となり、愛のすべての象徴、すべての神経が一体化し、すべての霊肉とも一体化するのです。では、肉体と霊人体がいつ一〇〇パーセントの共鳴体になるのかというと、成熟した愛のぶつかり合う時です。霊の細胞と肉体の細胞が完全に一つの共鳴体となった時に完成するのです。このように一体化するための力は、真の愛以外にはありません。愛が満ちる所から離れたくない、いつもそこにいたいと思うようにです。 このように、人間は愛によって生まれているのです。そして父母の愛の同参者が自分なのです。そういう因縁のゆえに、たとえ父母がけんかをしても子供のところで和解できるのです。このような法を中心として、その延長線上にすべての愛は円形の中心線を通り、すべての作用は愛のセンターを通りたいのです。宇宙の核心が神の愛ですから、そのセンターをみんな通るようになっているのです。ですから、宇宙的な愛は端と端をつなぐようになっているのです。男女は性格も皆極と極なのです。男性は動的であり女性は静的です。そのような極と極が回れば、愛の包括作用を起こし、神の愛と接続するのです。それで人間は最高を願うのです。男性としても、女性としても、世界一を願うのです。そして、授受作用はこういうふうに(先生がしぐさされる)八の字を描き、八の字は出発の文字なのです。ですから皆さんは、地球の果てまで行きたいと思うのです。動物は、そんなことを考えるものなど一匹もいません。なぜ人間だけがそうかといえば、地球の果てまで包むラインに通じているからです。この統一教会も、また世界に通じているのです。そこに、神の相続権という膨大なものがあるということを本心が知っているからです。 神の相続権をつなぐ本心の作用は偉大であり、永遠不朽です。しかし、堕落したために絶縁体がかぶせられて作用できないでいるのです。ですから、絶縁体を取り除けばいつでも二十四時間、三六五日活動しても、あまりあるものを有しているのです。ですから統一教会は世界的であり、男性も女性も二十四時間活動し、地球の果てから果てまで心情圏を築いていくのです。すべてが神の創造力を受けて、宇宙が回り、垂直線に通じる愛情圏を結んでいくのです。そうなればすべての宇宙を相続できるのです。それを知っている心は偉大なものです。ですから責任者は、いつも垂直観念を持っていなければなりません。 神様は愛の中心軸として創造したアダム、エバの成長をどれほど待っていたことか、考えてみてください。皆さんが中心者に絶対服従した場合には、その相対圏の一人として、中心者が大きくなるにしたがって皆さんも大きくなるなっているのです。ですから、統一教会の皆さんは絶対的に先生に従ってくればよいというのです。それなのに、自分なりの観測でもって勝手に動く人がいます。「神様、私だけを愛して!」という、そのような者を愛する神様ではありません。神様はサタン園内にいる者を愛することはできません。 このように見た場合、神様の愛を中心としての垂直の軸が確立されていないのです。この宇宙はまだ未完成なのです。それではどうすればよいかというと、堕落した人間を復帰しなければなりません。復帰するには再創造しなければなりません。それには原理を通さなければなりません。それが原理なのです。このように統一教会は理論的になっているのです。その中には、まだ皆さんに分からないこともたくさんあります。ですから、堕落した人間は悲惨です しかし神様は、そのような群れをも再び造り変えなければならないのです。そのためには、本来はサタンの干渉できるものは何もなかったのですから、そのようなサタンの干渉できないものを得なければなりません。それが統一教会の万物復帰なのです。サタン圏から聖別された自分の基準をつくり、それに接ぎ木して、再び造り変えられるための道を行くのです。 個人完成は愛からです。ですから、サタンのすべてを聖別しなければなりません。責任分担を果たせずしてサタンが侵入したのですから、再び造り変えられるためにはサタンを分立しなければなりません。サタンを分立するためには、サタンが一番嫌がる道を行かなければなりません。それには犠牲の道を行くことです。サタンは傲慢であり、犠牲になることをしません。もともと犠牲になるべきサタンが高慢な立場に立ち、神様に反発したことが堕落の動機だったのです。ですから、サタン分立をするには、私たちの先祖が行ってきたすべてのことに対して、全く反対の道を行かねばならないのです。 メシヤを迎えて接ぎ木されなければならない サタンは偽りを言って愛を蹂躙してきました。ですから世の中の男女も、偽りを言って愛を蹂躙しているのです。それがフリーセックスに現れています。フリーセックスは、神の摂理を完全に滅亡させようとするサタンの最後の作戦なのです。しかし、統一教会は滅亡する者たちを復活させる、再創造の道を行くのです。この世の中とはすべてに反対の道なのです。ですからサタンは、私たちが大きくなると自分の基台が崩されてしまうので、殺してしまおうとして迫害してくるのです。 最初の人間が責任分担を果たす過程において、サタンは存在しませんでした。ですから、サタンがいくら騒ぎ、何をやっても無視しなければなりません。サタンを分別して、責任分担圏をもと返した立場に立つには、サタンが讒訴できない道を行かなければなりません。アダム、エバは堕落することなく真の父母となるべきだったのです。アダム、エバは十六歳までこの道を行ったのですが、ここは(先生が黒板を使われる)行っていないのです。未踏になっているのです。行くべき路程が残っているにもかかわらず堕落してしまったがゆえに、それが分からなくなったのです。ですから来臨されるメシヤは、堕落前のアダム、エバが残した未解決の問題を解決しなければなりません。そして、サタンを分別し、この世界を神様に返すために、堕落した群れを自分の子供として接ぎ木するのです。そして堕落しなかった立場に立てて、結実した果物のように収穫して倉庫に入れるのです。それが天国です。 皆さんは堕落した者の後孫ですから、接ぎ木されなければ天国に入れません。これはキリスト教のみの特定な路程なのです。キリスト教以外の宗教にはそのような路程はありません。責任的立場や縦的観念を持たず、ただ横的観念で平和や慈善を追求すればいいと思っているのが普通の宗教なのです。キリスト教は中心宗教なので、責任があるのです。今までの横的、縦的観念を徹底し、神様を中心として、神様の子供、神様の家庭としての真の関係を獲得しなければならないのです。また、愛の問題を世界的に解決しなければなりません。でなければ、この世界は救われないのです。その主流の垂直軸の立場にあるのがこの統一教会なのです。理論的に見ても、この統一教会以外には道がないのです。 皆さんは、責任分担を果たさなければ個人完成の道がありません。これが原理です。もしも責任分担を果たそうとする時に、サタンに讒訴されるようでは責任完成圏に立ったアダム、エバの立場ではありません。責任観念の上に立つ者は堕落前のアダム、エバの立場と同様にサタンが讒訴できない者とならなければ、責任完成圏に立ったとはいえないのです。皆さんはそうなっていますか。ここには祝福を受けた者も数多くいるようですが、祝福はそんなめちゃくちゃなものではありません。責任分担が分からないで、蕩減復帰が分からないので皆さんはやみくもなのです。神様が人間を造られた時の原理は、原理結果主管圏と直接主管圏です。それから責任分担、個人完成、相対完成。これらはすべて創造原理に基づいているのです。神様と垂直の愛を結び、横的に愛を結ぶのも原理観なのです。それらが結ばれた場合には、宇宙を抱擁し、宇宙相続権が確立するのです。そこにはサタンもいなく、天使界すべてがひれ伏すという絶対的権限の場です。 皆さんの最後の目標は何かというと、真の相対を求めていくことです。これが原理から見た皆さんの最終的目標なのです。そして宇宙を相続することです。そのためには、真の相対を得なければ、神様に通じる道はありません。絶対的愛を持って、絶対的な男女にならなければなりません。それが原理なのです。いいかげんな者であってはなりません。すべてに真剣なのです。私たちの願いは宇宙を相続することです。そのために、横的な相対圏を結び、その中央で神様を迎えるのです。神の愛、縦横の愛の一体化を成し、宇宙すべてが関係をもつような中心、核、骨格として存在する所に行った場合、すべてを相続できるのです。男にとって女が必要であり、女にとって男が必要なのは、神様の愛を結んで宇宙を相続するためです。そして、そこにおいては、もはや霊界も地上も遮るものは何もありません。国境もなければ何もありません。すべてが自由な世界なのです。神の愛に結ばれた力は、宇宙を所有することができるのです。そして、常に創造力がそこにあって、すべてに万能となるのです。不可能はありません。直観と結果が一致する世界なのです。このような理想的永遠なる世界を築くことのできる基準を、私たちは地上で結んでいかなければならないのです。それが原理なのです。 間接主管、責任分担、個人完成、相対完成の原理なのです。愛を中心として完成するのが原理なのです。それを通して神様も懐に入って眠るというのです。皆さんの心がいったいどのくらい広いのか、知っていますか。神様が入っても、心の袋にはまだ欲望があるというのです。それほど大きいものなのです。何千万の願いがあったとしても、一番の希望は愛を自分のものにしてしまうことです。神様と私が一体になることです。もし、神様の愛に結ばれていなければ、皆さんは霊界に行っても神様を知ることはできません。 それで、第一は間接主管圏、第二は責任分担、第三は個性完成、第四は相対完成、第五は水平結合の愛です。それから宇宙相続。そして天国完成です。これが原理なのです。分かりましたか? (はい)。 「復帰原理」とは 「復帰原理」は何かというと、再び原理に合うように帰ることです。「堕落論」とは、原理に合うように、堕落しなかった立場に帰るための教えです。それで統一教会は、「原理」という言葉を使用するのです。 復帰原理は、ただ行くのではありません。このような条件に合うように行かなければならないのです。だらくによって破壊された愛情の世界をもと返すには、病気を治すように、まずその原因を知らなければなりません。ですから「堕落論」が必要なのです。堕落論を知らなければ、サタンの侵入が分からず、サタンが侵入してすべてを破壊していることが分からないのです。 本来人間は、個人完成したならば創造主と同じような価値に同参する権限に立つ、資格を与えられているのです。ですから、直接主管、間接主管を無駄にしてはなりません。個人完成の五パーセントを果たすのです。しかし人間は、その責任分担を果たせなかったのです。責任分担を果たして個人完成することが原理の道であり、すべては責任分担にかかっているのです。サタンもそこに引っ掛かってくるのです。 では、サタン圏はどうなっているかというと、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙と、八段階までになっているのです。その責任分担圏が完全に侵害されているので、それを切ってしまわなければなりません。そうしなければ宇宙完成、世界完成、国家、民族、氏族、家庭、個人完成が成されないのです。ですから、サタンを分別するためには蕩減しなければなりません。そのために、今までとは反対の道を行かなければなりません。完全にこの世界を否定しなければならないのです。 統一教会は今日まで迫害され、国に反対され罪人のように転々としながらも、万物復帰や伝道をしてきたのです。そういう体験の中で蕩減指摘田野です。そのようにして、サタン分別してどうするかというと、責任分担を全うして、この宇宙を、堕落前のアダム圏に復帰しなければなりません。そうでなければ、いくら個人完成してもサタンは家庭圏で待っているのです。さた、家庭完成したとしても氏族圏でサタンが待っているのです。同様に氏族、民族、国家、世界で勝利したとしても、サタンは宇宙圏で待っているというのです。ですから、いかに宇宙圏の責任分担圏をサタンから奪還して神様に返すかということが問題なのです。これは大変な問題なのです。 では、それを誰がするのでしょうか。真の父母となるべきアダムとエバが堕落して問題を引き起こしたのですから、真の父母として来られるメシヤが再び責任を持ってそれを成さなければならないのです。三番目に来られるメシヤは、人間の真の親であり、その方の周辺には、サタン圏は存在しません。ですから堕落圏に入って、アダムが失敗し、二番目のイエス様が失敗した、すべての失敗条件を解決しなければならないのです。それは決して簡単なものではありません。個人的、家庭的、氏族、民族、国家、世界、宇宙まで続くのです。そのために、死を覚悟して行かなければ解決の道がないのです。皆さんは真の父母を絶対視して責任分担を果たしていかなければ、サタン侵入圏をなくすことはできません。 この宇宙圏も、民主主義圏も、サタン圏の中にあるのです。すべてはサタンが握っているのです。今日まで地獄と天国はふさがっていたのですが、それを先生がダンベリーを通して解決して、天国と地獄の間にハイウェイを造ったのです。それが(一九八五年)二月一日午前三時だったのです。霊能者は、「おお! 天国と地獄のハイウェキができた」と、知っているのです。先生の家庭を通して皆さんが知らないうちに、直接主管圏と間接主管圏をつなぐ作戦をしてきたのです。霊界の興進(様)にその時の話を聞いてみてください。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、宇宙、すべて神様の宝座の前まで、サタン圏の下にあったのです。何千年間、いつでもサタンが讒訴してきたのです。本来の原理基準を通過し、堕落前のアダムの立場において天使長を愛した条件を立てなければ、完成した神様の子供となり得ないのです。アダムの立場において、サタンを堕落しなかった圏における天使長とするために、イエス様は十字架にかかりながらも、「怨讐を愛する」という条件を立てられたのです。 イエス様は十字架で亡くなられたことによってすべてを失いましたが、先生はそれらを皆捜し出して、またダンベリーに入ることによってすべてを蕩減復帰したのです。先生がダンベリーを出る前の八月十三日まで、孝進(様)が祝福家庭の二世を中心とした四十日修練会を開き、蕩減条件を立てました。カナンには二世圏入るようになっているので、祝福家庭の二世に運勢圏を結ばなければサタン圏の二世復帰ができないのです。ですから、先生を梯子にして、蕩減条件を成し得た基準を立てなければなりません。いかなる世界的苦労の道でも、そのような心情圏を体得するために行くのです。これから、アフリカでもどこへでも行かなければなりません。アフリカは環境が悪いので行かないなどと言い人は、サタンよりも悪い人です。完成基準に立った場合は、サタンも先生の話を聞くようになるのです。 すべてを越えて先生に従って行く道 さあ、蕩減は何のためにあるのかというと、サタンを分別して責任分担圏をもと返すためです。そのためには、まずサタンを分別しなければ、責任分担を果たす権限を取り戻せません。それができなかった場合には、完成基準に通じる道がなくなります。ですから地獄に行くことになってしまうのです。原理によって、知らないうちに皆さんの価値、人格、霊界のレベルが決まるのです。個人的にも、宇宙的にも、責任分担圏に侵入したサタンを分別する基準を立てるためには、統一教会の先頭に立つこの先生の教えどおりに行かなければなりません。何かを習おうとする者はまず最初に、先生のまねから始めます。それと同じです。 サタンは六〇〇〇年間も神様を讒訴してきました。皆さんは既に蕩減条件というものを知ったのですから、不平を言ってはなりません。蕩減心情圏においてどうなっているか分からないからです。このようなサタン分別するために、サタンに一線を引かなければなりません。蕩減しなければサタン分別はできないし、サタン分別をしなければ復帰する道はありません。ですから「蕩減復帰」とは、サタンを分別したあとでいうみ言なのです。サタンを分別して復帰する道が蕩減復帰なのです。これが分からなければ、先生の話は何も理解できません。 アダムは個性完成圏で堕落したのではありません。未完成圏なのです。宇宙的に侵入したサタン圏を整理しなければ、神様が間接的にも主管し得る圏に入ることはできません。これが原理なのです。まずもってサタンを分別しなければなりません。先生は皆さんが知らないうちに、みんな責任を果たしてきたのです。ですから、すべてを越えて先生に従ってくればいいのです。そうなれば、サタンも恥じて皆さんに付いてくることができないでしょう。そこはアダム、エバよりも偉い本然の世界なのです。蕩減復帰できる量が何百、何千倍にもなるのです。先生一人を打って、サタンは何千倍もの損害賠償を払ったのです。ですからアメリカの歴史を通して、自動的に実体復活圏がやってきたのです。分かりましたか。これが原理なのです。 復帰の道は再創造の道なのですが、何でもって再創造するかというと、それは創造原理によってです。間接主管圏、責任分担、個人完成、相対完成、水平結合愛、これを果たさなければ、相続権は与えられないのです。それを相続せずしては、地上天国も天上天国も所有することはできません。このことをはっきりと断言します。 この原理に照らして見た時に、皆さんは今どの位置にいますか? 間接主管圏のどこですか。アダム、エバが堕落した基準の上にいますか、下にいますか。よく観察してみてください。アダムは神様しか知りませんでした。皆さんはどうですか。日本の祖父母、父母、兄弟、親戚、まるでめちゃくちゃです。アダムは神様のみを慕っていけばよかったのです。そのあとに、直接主管圏で結婚して家庭ができ、やがて国ができる予定でした。しかし、直接主管圏に到達しないでできた国は何の国かというと、天国ではなく、サタン圏内の国なのです。そこでいくら人間が偉くても、みんなサタン圏内にあるのですから、その価値などもあってもないようなものです。 すべてをそのようなサタン世界で、サタンの血統、サタンの因縁を持って生まれたので、すべてを否認しなければなりません。それは実に悲惨な立場です。仏教であれば、出家という問題になるのです。すべてを否認して反対の道を行くのです。例えば、男が女になり女が男になるような道です。そういう道はたやすく行けると思いますか。決して簡単ではありません。そのような先生の歩んできた深い内容を知ってみれば、皆さんは立つこともできないような負債を負っている存在なのです。先生が今日までいかに苦労してきたことか、とても話することはできません。 先生が全部責任を持って、蕩減条件を立てて、万民を救うためにハイウェイを造ったのです。そして車を作る工場も造りました。あとは、皆さんが努力して、車を買って運転すればいいのです。ハイウェイを造るために谷底を埋めた時の苦労などは考えずに、皆さんはただ気持ち良く走ればいいのです。しかし、責任者たる者は、そういう神様の垂直圏の苦労を知らなければなりません。また、横的な社会の苦労を知らなければなりません。それが中心者の重い十字架なのです。分かりましたか! なぜ「原理」というのか、その意味が分かりましたか。 これからは創造原理に戻らなければならない 復帰は何によって成されるかというと、再創造であり、それは創造原理によって成されるのです。創造原理は原理原則になっており、それを中心として一致しなければなりません。これが原理です。これは、物理の原理ではありません。人間完成の原理であり、宇宙完成の原理なのです。いかなる原理よりも、一番偉大な原理なのです。神的原理なのです。 もし、誰かに「統一教会では、なぜ原理というのですか」と聞かれた場合には、はっきりと答えを示してあげなければなりません。サタンによって責任分担が侵され、血統的因縁を汚しました。歴史を通して、神様は直接主管することができず、この世界は散り散りになってきたのです。ですから、メシヤを迎えて接ぎ木をされて、この基準を取り戻さなければなりません。人間は努力し、宗教を信じていけば長成期完成級までは上がれます。しかしその上は未踏になっているのです。ですからメシヤによって接ぎ木されなければならないのです。 メシヤは、神様に直結する心情圏を持って来られなければなりません。そしてメシヤとして立つまでには、数多くのサタンの歴史的試験を経なければならないのです。 今後、先生は世界の話題になることでしょう。先生は有名になるでしょう。今回帰国するのは、キリスト教と世界全体の運勢を一つにまとめて韓国につなぐためです。韓国は錨なのです。これは重要な話なのです。皆さんは今、歴史に残る重要な話を聞いているのです。 なぜ原理というのか分かりましたね。復帰の道は再創造の路程なのです。ですから皆さんは、自分を再創造するために心と体を真の父母と一体化して歩まなければなりません。それを通して環境的世界が与えられるのです。今や統一教会は世界的に大きくなりました。先生はニューヨークでも、小さな部屋もないところから出発しました。しかし、皆さんは、どこへ行っても基盤があるのです。先祖が築いた基盤は後孫のためのものですから、その伝統を受け継ぐ者は先祖たちの遺産を相続する人です。それが原理観です。 なぜ原理というのか分かりましたか。神様は間接主管圏をなぜ造られたか分かりましたね。サタンはどこで引っ掛かっているのかというと、責任分担なのです。ですから、責任分担圏を中心としてサタン分立し、蕩減復帰していくのです。そこで、迫害を受けるのです。なぜ皆さんは迫害されるのかというと、否定しなければならないのに否定する方法が分からないからです。迫害されて、サタンに責められ否定されることで、自動的にサタンを切ったことになるのです。迫害を受けることは、こういう素晴らしい内容があるのです。打たれる代償として相続権を受けるのです。それは何十倍、何百倍にもなって返ってくるからです。それを知って先生が活動するので、サタンは困るのです。 レバレンド・ムーンは、生涯かけて世界が早く摂理に入るよう働いてきました。世界が先生を大きく迫害しないと四十年前の摂理の時代が訪れないからです。一九七五年に先生は宣教師を一二七カ国へ送りましたが、みんな世界的に迫害を受けました。しかし、反対した国は全部、先生に引っ掛かってしまったのです。そして、レバレンド・ムーンが解放された時、全世界が解放圏に入るのです。これで統一教会の殉教の歴史は終わるというのです。何千年も続いてきた迫害の道は終わるのです。 ダンベリー後、三年が過ぎれば、四十三年が過ぎれば迫害の道は完全に終わります。カナン復帰は自動的になされるのです。ですからそこに向かって先生は、あらゆる準備を整えて進軍していくのです。先生が造った基準は一国民だけのものではなく、世界万民のためのものです。この思想を仰いで来る者すべてが相続できるのです。このような神様の相続権を受けるためには、皆さんは絶対に一つにならなければなりません。真の父母の真の子女である子供たちに相続される原理だからです。そこにはもはやサタンが侵入するような余地はありません。これは空論ではありません。歴史の摂理観の骨髄なのです。分かりましたか。日本のメンバーたち! 原理の道は手軽く行ける道ではありません。同じように踏んでいく道です。これをはっきり知らなければなりません。いかに三十六家庭であっても天国には入れません。祝福家庭が自分勝手に離婚すれば大変なことになります。アダムとエバの愛は水平結合愛なのです。これは新しいみ言です。このように統一教会は、理論的にもはっきりしているのです。だから原理なのです。原理はどこに当てはめても一つです。それは千万もの比較対象主体なのです。万年の歴史を経ても変わりません。絶対的なのです。これにパスしたものは天国、パスしないものは地獄です。分かりましたか。 どこでサタンを分別するかということが分かりましたね。それは責任分担においてです。個人完成で分別するのではありません。個人完成前の責任分担でサタンを分別するのです。この責任分担を果たせなかったので問題になったのです。神様に絶対服従しなければならなかったのに、自分の考えで行動したところに問題が生じたのです。ですから、蕩減復帰は絶対に自分中心の考えでは成せません。神様のため、世界のため、人類のためにという公的な考え方をすることです。そしてサタンが嫌がる道を行くのです。サタンが嫌がる道とは、犠牲と奉仕の道、迫害の道なのです。先生が今日まで迫害の道をたどってきたのもそのためです。その間に、個人基準でのサタン分立、家庭基準でのサタン分立、氏族、民族、国家、世界基準でのサタン分立を終えました。ですから、これらを韓国に結んで、世界に連結するのです。今後、世界中の人々が先生の話を聴くために韓国に来るようになるでしょう。そうしなければ世界が滅びてしまうからです。今やそのような基準に立っているのです。 これから創造原理に戻らなければ、皆さんの帰る道はありません。この原則を中心としてサタン分別しなければならないのです。分かりましたね! サタンを分別しなければなりません。自分が天国に行けるかどうか、家庭が天国に行けるかどうか決定するのです。そのために、先生は生涯かけて苦労してきたのです。もしキリスト教が先生に従っていたならば、七年間ですべてを蕩減し統一できました。イスラエル、ヤコブから四〇〇〇年の基盤を七年間で蕩減すべきだったのに、今日四十年間かけて、二十年、二十年と再蕩減して、第二次大戦後のキリスト教文化圏と同じ基準に上がってきたのです。そしてアメリカでの迫害を受けながら、アメリカとキリスト教会が一つになって先生に侍るべきことの失敗を、蕩減して転換したのです。先生が果たすべき蕩減条件はこれで終わりました。これからアメリカは、牧師とキリスト教が結束すれば滅びません。 今日、韓国は南北に分断され、ドイツは東西に分断されています。この問題を解決しなければなりません。そういう時代になりました。ですから、皆さんに真の愛の香りがあれば、「ついて来るな」と言っても多くの人が皆さんに従ってくるのです。真の愛で愛すれば、本心が引かれるようになっているからです。先生はそういう思いでこのアメリカへ来たのです。そして十数年後の今日、今やアメリカが先生の話を聴きたいというようになりました。「もはやレバレンド・ムーンでなければ、このアメリカは救えない」といううわさが広まっています。 これから一二四日間は、先生が世界を駆け回る運動をしなければならない期間です。その期間に「ソ連滅亡宣言」「宗教議会宣言」など、すべてをまとめて神様につないでいくのです。分かりましたね。きょう先生が語ったこのみ言を、全国の食口に書物として伝えて残しなさい。皆さんも原理の道をはっきりと知って、サタンに讒訴されることのないような歩みをしてくださるよう願います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.25
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「絶対的価値と新文化革命」 (第十四回「科学の統一に関する国際会議」)1985年11月29日米国・ヒューストン、テキサス 尊敬する議長、著名な教授、科学者諸兄、紳士、淑女の皆様。 ここヒューストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を始めるにあたり、この会議ならびに「絶対的価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに、深い関心と支持を寄せていただきましたことを感謝申し上げます。昨年ワシントンで開かれたICUSには、皆様と同席できませんでした。それだけに、けさこうして皆様方の前に立つことには、格別感慨深いものがあります。 周知のように、私は米国の刑務所で十三カ月間服役し、今年八月二十日に釈放されました。皆様が不当な待遇を受けた私の立場を気遣い、刑務所に私を訪れ、私にねぎらいの手紙を書かれたこと、そして、私のために当局に嘆願するにあたってひとかたならぬ御尽力を頂きましたことに、重ねて感謝申し上げる次第です。 私を犯罪人に仕立て上げ、収監することに熱心だった人々は、神が私を召命して成就しようとしたみ旨を阻止しようと、多額の資金と時間と労力を費やしたのです。しかし、このような反対にもかかわらず、統一運動は全世界に広がっています。私が収監されれば、統一教会の機能は麻痺するだろうとの予想に反して、牧師をはじめ、あらゆる人々から私たちは、前例のない理解と支援の表明を受けました。こうした経験を通して、私が再び学んだことは、勝利は、神を中心とした正義に対する迫害を通じてもたらされるということでした。このことは、私が常々主張していたことです。 牢獄での体験を通じて私は、世界が極めて危機的状況にあることを一層明確に認識しました。そして、全世界的に大いなる覚醒と新たな飛躍をなすことが、焦眉(しょうび)の急だと痛感したのです。かくして私は、新たな切迫感を抱き、私自身および統一運動を、いかなる犠牲を払おうとも、世界の平和と繁栄のためにささげていく決意を固めて出獄したのです。 今日の世界は、各所で目をみはるような科学の進歩、優れた技術、そして豊かな経済を享受しています。にもかかわらず、世界は様々な悲惨な状況を呈しています。国家間には絶えず緊張が存在し、戦争はやむことがありません。しかも、世界の大半の地域で貧困、文盲、病気、暴力と犯罪、麻薬と精神異常、社会的差別と不平等、家庭の崩壊、未成年の非行が蔓延し、地球の未来を希望なきものにしています。多くの指導者たち、とりわけ良心的で著名な学者の方々が、幸福な理想世界の実現を目指して献身してきたにもかかわらず、なぜ不安と苦悩は日ごとに増大しているのでしょうか。その原因は、心の渇きと、道徳的、精神的危機に求められるに違いありません。かつてないほどのめまぐるしく移り変わる現代社会には、伝統的な価値体系はもはやふさわしくありません。道徳や倫理は、十分な役割を果たさなくなっています。善の基準も失われています。 今やこれらの諸問題は、個人生活、社会レベルの双方で、自家撞着、闘争、そして不統一を引き起こしています。こうした中で私たちは、道徳的基準や永遠について語ることが果たしてできるでしょうか。このような現実の中で、もし神がいないとするなら私たちは、完全な理想や幸福の実現に期待をかけることは、全くできません。私たちは、世界は滅びていかざるを得ないと、結論づけるに至るでしょう。しかし、もし絶対者なる神がおられるなら、神はこの否定的な現状を、一つの基準に向けて飛躍させることにより、絶対的に肯定的なものに変える摂理をされる、と結論づけることができます。一つの基準とは、すなわち絶対的価値の基準であります。神は私たちの親であり、人類に対して、全き真の愛で接しておられます。これまでの神の摂理で、一見否定的な結果が出たとしても、その摂理の目的は、決して人類を滅ぼすことではありませんでした。それらは、劇的な飛躍のためのプロセスの一環にすぎなかったのです。すなわち、望ましくない結果は、新しく希望的なものへと引き継がれるためにあったのです。 歴史上、飛躍の瞬間は数限りなくありました。超越者なる神と霊交していた人々が、現実を完全に否定したあと、より良き未来に飛躍した例は、数多くあります。ありきたりの瞬間が飛躍のきっかけとなる可能性はありません。一見不合理に見える瞬間を前向きに消化することによって、開拓者たちは飛躍し、見事なものをつくり出すことができるのです。 十字架上でイエス・キリストが実践した、自分の敵を愛するということは、理解し難いことかもしれません。しかし、イエス・キリストは、世界から完全に否定された瞬間を、完全に前進的な飛躍の瞬間へと素早く変えようとされる神の摂理を、私たちに見せてくださったのです。その飛躍の結果、復活摂理の新たな一ページが開かれました。 統一教会は、迫害史の中で、世界的な記録保持者であると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。もし統一教会が、艱難(かんなん)にめげず、むしろ勢いをつけて飛躍してこれを克服し、神のみ意と一つになるなら、苦難それ自体は、絶対者を中心として永遠に生活するための準備となるでしょう。こうした観点に立てば、今日の世界の現状は、私たちを絶望に陥れるものではなく、むしろ、神が私たちに新たな世界へと飛躍するはずみを与えるものであることを知るべきです。 人類が科学を発展させようとしたもともとの動機は、世界の平和と繁栄を実現しようとする願望です。しかし、科学の専門分野で採られている方法は、当初の期待に沿ったものではありません。私たちが科学にもっぱら期待したのは、人類の幸福の実現でした。ところが科学は、主体たる人間の対象である物質的環境の発展にもっぱらかかわってきたのです。したがって、生活水準の向上を目指した科学的追求も、政治、経済の平等理論の適用も、人類の真の幸福を実現しなかったのです。それゆえに私たちは、科学者たちが目覚めて新たな使命を担うべきだと結論できるのです。 今日、人類が人間存在の深遠さんを顧み、絶対的理法を中心とした倫理基準を、新たに確立することが急務です。新しい倫理が私たちに求めているのは、自然を愛し、人間の尊厳性を再考し、すべての人類が愛し合い、そして愛の源泉としての神を探すことです。学者たちは、文化的、精神的革命を達成する使命を担うべきです。この革命は、外的、技術的革命にとどまらず、人間の完成や世界平和といった理想の実現を目指す革命なのです。 私は第一回ICUSが開催されるずっと以前に、科学者は善と希望に満ちた未来社会をくにあたって、決定的役割を果たすべきだと確信するに至りました。私が過去十四年間、ICUSを支援し、熱心に推進してきたのは、世界の諸問題を解決する資質を持ち合わせておられる学者の方々を、尊敬し、期待してきたからです。このような資質が、ICUSを通じて花開き、高められ、そして責任を担う学者たちが積極的に新文化革命の実現に貢献されるよう望むものです。 このICUSは、十四回目です。十四という数は、七の二倍です。統一神学によると、七数は三数と同様、完成を表す重要な数です。今日までICUSは、「科学的研究」と「絶対的価値の発見ならびに実現」を結びつけると明言してきました。さらにICUSは、知識の統合、すなわち、現実の理解に対する学際的、統合的アプローチに関心を寄せてきました。絶対的価値の基準は、絶対的愛の源である神から生まれます。絶対的価値の確立なくして、統合されたアプローチは不可能です。 今や多くの人々は、絶対的価値の必要性を認めるようになりました。ICUS計画委員会の議長ならびに委員の方々が、誤解を克服し、開拓者として、この新しい道を歩んでこられたことを感謝します。今後、ICUSは何を目指すべきでしょうか。私たちは、以前のように年次会議を開くだけで果たして満足できるでしょうか。この質問に対する私の回答の中心は、私が最近強調している「新文化革命」の推進です。人類は今や、悪によって、最も深刻かつ重大な挑戦を受けています。そのために、本来の理想と幸福を実現する基礎と可能性は、大変な危機にさらされています。 私たちはICUSファミリー(家族)として、新文化世界の創造という偉大な使命を積極的に担い、立ち上がるべきです。新文化世界の創造は、いかなる犠牲を払ってもなさなければなりません。絶対的価値の探求は、そのこと自体有意義ではあり得ません。といいますのは、真理は限りない方向をもっており、絶対的価値を中心とした理想世界は具体的に実現されなければならないからです。実現に至るためには、私たちは断固として行動し、現実に横たわる困難を克服することが肝要です。 今日、世界は変わらなければなりません。今や、学者たちは責任をもって最前線に立ち、神の真理と愛を中心とした新文化革命に向かって前進する時です。新文化革命とは、人間の全被造物に対する神の理想を追求するものです。この理想を実現するため、私たちは絶対的価値として、知識のみではなく、真の愛の実現に責任を果たすべきです。 人類は今や前進する時です。私たちは、現実に横たわる限界を完全に克服するような新次元の文化を創造することを要求されています。人間の本性にかけられた神の期待や、人類歴史の激動の背景にある神の摂理を無関係なものとみなし、人間の理性の力だけが個人や世界完成をもたらすことができるといった傲慢な確信が、いかに不正確であり、幻想であるかに私たちは目覚めなければなりません。人間の限界を謙虚に認め、神の摂理によりもたらされた歴史的勢いを見失うことなく、飛躍を通じて神と一つになる――こうした理想を成就すべきです。神の創造理想のすべては、人間にかけられていました。したがって神のあらゆる関心に人間がこたえることによって、創造理想が成就します。これは当然の結論です。 尊敬する学者の皆様。私は神のみ旨を成就するため、すなわち人間の責任分担を全うすることに、全生涯をかけてまいりました。開拓者として、最も危険な道も避けようとしたことはありません。例えば、既成のニュース・メディアに代わるものを提供しようと決心しました。私は、ニュース・メディアが正しい情報や間違った情報を大衆にどのように提供しているかを注意深く観察してきました。この経験から学んだことは、皆様方の多くも御存じのように、メディアの力は、もしそれが誤用されるなら、真実を破壊し、善の基盤を覆すこともできるというものです。そのため、私たちは数年間多大の犠牲を払って「ワシントン・タイムズ」を支援してきたのです。最近、ニュース週刊誌『インサイト』を発刊しました。さらに、十二月には、月刊誌『ワールド・アンド・アイ』を発刊する予定です。これらの計画は、真理や共通善といた価値に資する教育やマスコミュニケーションのために、既成のものに代わり得るメディアを提供することを目的としています。 私は皆様方が、あくなき真理探求に参加するとともに、『ワールド・アンド・アイ』誌への活発な寄稿を通じて、新文化革命の開拓者となるよう希望します。さらに、様々な特殊な科学分野のための辞書の発行を計画しています。これには、「世界平和教授アカデミー」(PWPA)の世界中の会員や「パラゴンハウス出版社」の協力を仰ごうと考えています。これらのすべては、百科事典の発行準備の一環になるでしょう。この百科事典は、絶対価値を指針として、人間の本来の姿を正しく洞察することに貢献し、同時に適切な教育資料になることでしょう。 尊敬する学者の皆様。矛盾する現在の世界に無関心を決め込み、代替案を提供することもなくして、どうして私たちは社会の責任と指導力を果たしたといえるでしょうか。私たちはこの貴重な時を逃すことなく基準を示さなければなりません。今の時は単なる偶然ではなく、神が歴史的に、全世界的に私たちに与えたものなのです。私たちは前進することによって自らが手本となり、不正と闘うようすべての人々を、しっかりと覚醒させなければなりません。飛躍には、危険な冒険が伴います。間違った基礎の上に冒険をすれば、より大きな困難を招くでしょう。しかし、真理あるところには、常に実践が伴うはずです。私たちは絶対的価値を実践するチャンピオンとなり、積極的に世界をリードしなければなりません。 この会議が、有益な結論に到達する自由な公開討論の場になるだけでなく、私たちが決意を固め、この病める世界から新文化世界を生み出すことのできる歴史的出来事となるよう希望します。この会議開催にあたり、準備委員会のメンバーの皆様の多大な努力に感謝します。 皆様と皆様方の御家族に、神の恵みがありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.23
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『対話と同盟「世界宗教議会」』1985年11月28日米国・マッカフィー、ニュージャージー 名誉ある議長、学者、世界中の宗教指導者、ならびに紳士、淑女の皆様。 私は、皆様が世界宗教議会に御出席くださいましたことを、心より歓迎いたします。私たちのこの集会は、普通のイベントではありません。宗教、文化、伝統そして国籍の異なる八十五カ国の人々が、心を開き、互いに調和し、人類の末来についての関心をもってここに集まったこと自体が、既に偉大な業績といえます。神もこの歴史的出来事を喜んでおられると確信いたします。 私たちは、異なった宗教的背景をもって、ここに集まってきております。人間存在という根本的問題に対する解答は、同一ではありません。人類の苦しみの原因に対する理解においては、同じ準拠体系の枠内では考えておりません。私たちの世界平和を求める方法は多様です。しかし、それでも私たちは、共通の立場をもっています。それは、私たちがみな、絶対者と私たちとの関係において、問題を解決しようとしているということです。 洋の東西、南北を問わず、罪と不信と混乱の中に生きている人々は、真実かつ永遠なる愛と、幸福と、平和を切望してきました。人々は悪なる欲望の誘惑に打ち勝ち、善なる欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと、あらゆる努力をしてきました。歴史を通して人間の経験は、そのような理想の追求はほとんど成功しないと警告しておりますが、人々の本心は、容易にあきらめようとはしませんでした。すべての人間は、民族や伝統の相違にかかわりなく、この際極的目標を追求しています。 もし、私たち人間が、自らの努力ではその目的を達成することができないとしたならば、私たちは、人間を越えて存在する、永遠、真実、絶対なる存在に頼らざるを得ません。私たち人間は、自らが有限なる存在であるということを知っております。私たちは自分自身の運命を決定せることができないのですから、私たちが究極の力とみなす絶対者に、必ずや頼るようになるのです。真実の愛と平和と幸福を意図しておられる絶対者がいらっしゃるのですから、これらのことはすべて神と共にあってのみ、必ずや実現されるものと信じます。 私たちは、人類が探し求めている理想の根源であるこの絶対者について、もっと知るべきです。 私は、自分自身の霊的体験と絶対者との深い交わりを通して、霊界に精通し、神の意志と愛と心情を知りました。宗教は、単に真理や倫理的教えであるだけでなく、人々の、絶対的に信頼でき、また関係をもてるものを見いだそうとする、本心の衝動に中心をおくものです。真の宗教的直観は、絶対者、無限なる者に出会います。この直観によって、私たち一人一人への神の召命を聞くことができるのです。そのような、絶対者との本然的な交わりの状態は、どんな個々の宗教組織や形式さえも超越します。そのような状態においてのみ、人間は完成と幸福に到達するのです。この神と人間との関係は、唯一で普遍的です。超越者は唯一であり、神と関係を結ぶ人間の能力は普遍的なのですから、人間の究極の目的が二つ以上あるということはあり得ません。個人の目的は一つです。そのような理想的個人が形成する家庭の目的も一つです。理想国家や理想世界の目的も一つです。すべての道は、愛と幸福と平和に満ちた神の理想世界へ向かっています。 愛と幸福と平和の理想は、孤立した個人においては不可能です。それは他者との関係においてのみ得られるものです。絶対者でさえも、他との関係をもたずに理想を達成することはできません。神がお一人であれば、神はだれを愛されるのでしょう。神は御自身の理想をどこに見いだすことができるでしょうか。 こう考えてみると、私たちは神の創造の動機を理解することができます。神は御自身の理想を実現し、神の愛を成就するために、人間を創造されたのです。神は愛と幸福と平和の理想を、地上の人間生活においてのみ実現することができるのです。 この意味において、本然の人間はどんなに貴重でしょうか。人間は、神と同じレベルに立つものではありません。しかしながら、神と人間は、関係をもつこようになっており、究極的には、一つになるようになっています。すなわち、神と人間の関係は、親子の関係なのです。ちょうど神が永遠で絶対であられるように、人間もまた、神の子女として、絶対的かつ永遠なる価値をもった存在となるのです。 さらに、人間は、神の理想実現のための対象です。永遠かつ絶対なる神のみ旨は、神と人間が完全に一つになったところにおいて、完成するのです。ですから、人生の目的も、絶対かつ永遠であります。 神は、永遠、不変、絶対です。神の創造目的も、永遠、不変、絶対であり、それは、一つの目的で統一された、一つの理想世界を創造することでした。今日の罪と闘争と不信の世界は、人間が本然の道から堕落したために存在するようになりました。神は世界の宗教を通して、堕落した人間を本然の状態に復帰するために働いてこられたのです。堕落人間の救いは、メシヤによる、神の摂理によって完了するでしょう。 神の創造目的が絶対なのですから、神の復帰摂理の目的もまた、いかなる価を払ってでも達成されなければなりません。したがって、理想世界のメシヤ的希望は、単なる漠然とした夢ではなく、私たちの人生において確固とした現実となるべきです。同様に、すべての宗教の目的は、地上での日常生活において、神のみ旨を実現することにあります。全体摂理の目的のために神は、各時代と民族、環境に適した多くの宗教を通して、善の基台を広げてこられました。しかし、これらの諸宗教の究極的目的は、一途に、神のみ旨である、平和と幸福の理想世界を実現することであります。宗教は、個人の救いやそれぞれの宗派の繁栄に関心をもつ以上に、世界を救うための神のみ旨にもっと関心をもつべきです。私は今こそ、すべての宗教団体が、神の真なるみ旨を、もう一度一緒に探し求めるべき時であると思います。 私が知る限りにおいて、神は宗派心の強いお方ではありません。神は教義のささいな点にこだわっておられません。私たちは、教義や儀式に盲目的に固執することによって生じる神学的論争から、自らを即座に解放すべきです。そしてその代わりに、神との生きた交わりに焦点を当てるべきです。私は、早急に、宗教の雰囲気を浄化し、一つになる必要があると思います。そこでは、信者は生きた信仰をもち、すべての人が神と交わることができるのです。神の親なる心情と偉大な愛の中では、皮膚の色や国籍の相違による差別などは考えられないことです。国家間や文化的伝統の間には、洋の東西、南北間においても、障壁はあり得ないのです。今日、神は全人類を神の子女として抱き抱えようとされていま教間の対話と調和によって、私たちは神の創造目的であり、かつ人類の共通の理想である、平和な一つの理想世界を実現しなければなりません。 尊敬すべき世界宗教の代表者の皆様。今日の現実を正直に見てみますと、今や信じるだけではなく、行動する時代であるということが分かるようになります。価値体系の混乱、道徳的腐敗、麻薬の常用、テロリズム、人種差別、大量殺戮、戦争、富の不公平分配、人権無視、そして全体主義的共産主義などを含む深刻な問題が、なぜ私たちの社会に満ちているのでしょうか。これらの悪は、神との関係を否定する快楽主義、無神論的唯物主義そして世俗的ヒューマニズムから生じた当然の結果です。これらはすべて、現代の衰微する信仰と霊的枯渇の結果であります。 今日の世界の責任を、だれがとることができるでしょうか。軍人や政治家でしょうか。実業家、あるいは新技術をもった人々でしょうか。決してそうではありません。神は宗教指導者に、現代の予言者に、聖職者に、これらの問題を解決してほしいと願われているのです。 すべての宗教者たちは、現代の不安定な霊的基盤に対して責任を感じ、悔い改めるべきです。長い宗教の歴史において私たちは、生きた神を、説得力をもって証しておりません。私たちは愛の実践をなすにおいて、誠実ではありませんでした。私たちの過去の偽善ゆえに、無神論が横行するようになったのです。私たちは、これらのことすべてに対して、罪を深く感じるべきです。 今日、神は私たちを召命しておられます。深い自己反省の内的基盤に立って、すべての宗教者は、あらゆる悪の横行に対して挑戦し、神のみ旨が地上に実現されるように、創造的に働かなければなりません。生ける神は、単に経典の文脈や儀式の中においてのみ私たちと関係をもつことを願われているのではなく、神のみ旨を心に抱き、毎日の生活においてそれを実践している人々の心の中に住みたいと希望しておられます。 世界と人類の未来のために長く祈祷し熟考したのちに、私は神の熱烈な希望と聖霊の強い力が、全世界を覆い尽くしているのを感じるようになりました。今日、世界は一新されなければなりません。全世界の宗教指導者は共に集い、あらゆる宗教の清浄化運動を推進していくべきです。悔い改めと、もう一度新たな真の献身があるべきです。世界は、変わらなければなりません。新しい宗教改革があるべきです。「生きた信仰」、「実践的信仰」の旗が、世界の各地で振られなければなりません。すべての宗教は、世界を貧困と病気から解放するために、自己の利害を超えて働くべきです。愛の実践と、燃え上がる信仰の確信による私たちの証によって、無神論さえも、生きた神の真実を確信するでしょう。偉大なる調和と愛と同情をもたらす、宗教的かつ霊的革命を通してのみ私たちは、最終的に平和な理想世界を実現することでしょう。 尊敬すべき代表者の皆様。神の崇高な召命にこたえて、世界の宗教団体は、適意と誤解と無知の泥沼からはい上がるべきです。相互に尊敬と友情を抱いて、大規模な宗教共同体を創設すべきです。そして、共に私たちの宗教的意志を行動に現し、この地球上のあらゆる所で実践すべきです。 宗政は、来世のみを目指すものではありません。地上は神の創造物であり、神のみ旨が実現されるのは、この地上においてなのです。もし天上天国、または極楽(Sukhavati:サンスクリット語)が神の理想の場所であるならば、私たちはただ望んでいるだけではそこへ行くことができません。それよりも、私たちは、兄弟姉妹や万物のために生き、それらを愛し、大切にしなければなりません。理想を実現することができるのは、他者との関係においてのみなのです。 宗教は、一般的な社会倫理や社会の方針を超越したものですが、私たちは社会における宗教の機能を無視すべきではありません。宗教者は、現実の問題に関心をもち、神の意志を具体的解決に適用すべきです。さらに宗教は、霊的刷新を鼓舞し、政治、経済、社会政策、教育に責任をもっている人々に、高潔な価値観を与えるべきです。聖霊によって啓発された心によって、こうした人々は、各自の分野における問題を解決することができます。神は、宗教の真実を掲げ、それをそれぞれの社会状況に関連づけることのできるような、生きた霊性をもった宗教者を呼び求めておられます。真実や、神との生きた交わりを基台とした人々は、必ず他者に影響を与え、どこにおいても霊性の復興をもたらすことでしょう。真の宗教は、世俗世界の趨勢に従うことはなく、ただ、神のみ旨を中心として、たとえ反対や迫害を受けたとしてもそれに屈せず、世界を啓発し、世界の人々を指導しなければなりません。 宗教間の調和と統一および生きた信仰のための運動は、時には孤独な道を行くかもしれません。しかし、すぐにそれは、物事を歴史的かつ世界的見地から見ることのできる新鮮な心をもった多くの人々から、圧倒的支持を得るようになるでしょう。 私は、神の摂理の方向に従って、世界を改革し、地上に神の理想を実現するために、全精力を傾けてきました。まず第一に、統一教会の全勢力を動員して、宗教間の調和による世界平和のために働いてきました。私は、心より、皆様方の宗教もこの道において積極的に協力し参加してくださることを希望しておりますが、それは、私の努力を軽減したいからではなく、また統一教会の財源を惜しんでいるのでもありません。それは、すべての宗教的伝統から生じる霊的資源と創造性が、神の摂理の方向に一挙に動員されるのを、一日も早く見たいと希望するからです。この道は、世界平和の実現に通じているのです。 御存じかもしれませんが、世界宗教議会は歴史的意義のある企画です。世俗世界さえも国連等を通して調和を求めているのですから、宗教団体がお互いに争うべきでしょうか。私は長い期間、先輩宗教の指導者の方々が世界宗教議会を始められることを期待しておりました。長い期間待ったのちに、私はこの企画を起こしました。それは、どうしても始められるべきであると信じるからです。この議会それ自体が意味のある業績ですが、回を重ねることによって、議会がますます意義深いものとなることを希望します。 私は、この議会に三つの希望を抱いています世 まず第一に、世界の宗教伝統は、互いに尊敬し、少なくとも宗教間の対立や戦争を阻止するように機能すべきです。第二に、この議会が、できることなら宗教共同体となって、世界に奉仕するように望みます。また、宗教者が具体的行動をとるように呼びかけ、すべての人々が神を中心とした価値観によって生きるように奨励し、人々の心と魂の成長をはぐくむことに同意し、かつ決意してほしいと願うものです。第三に、この議会が、全宗教の主要な指導者が参加するような組織へと発展すべきであると信じます。この議会は、最高の価値と人生の目的を掲げ、すべての宗教者、すべての団体、すべての国家にそれを提議しなければなりません。絶対者との交わりとお互いへの愛によってのみ、個人、集団、国家は、地上天国を準備し、その一員となることができるのです。 私は、各宗教の代表者として皆様方一人一人が、輝かしい未来と新しい宗教改革の基台となり、世界を指導することのできる霊的統一を見いだされるよう希望します。論文提出や討論、総会、委員会、芸術公演、瞑想、祈祷において、どうぞ、お互いの信仰を尊重し精いっぱい全体の調和のために貢献してください。宗教の世界的、歴史的使命である地上における神のみ旨実現を達成するために、私たちは前進いたしましょう。 私は、企画と準備をしてくださった企画委員会の皆様の御努力と、議会の具体的諸事のために尽力してくださったスタッフの皆様の熱心な働きに対して感謝いたします。 神が、この歴史的議会と代表者の皆様一人一人を祝福してくださいますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2021.12.21
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「子女たちの行く道」(子女の日)1985年11月12日ワールド・ミッション・センターにて 世界で生きている人たちは、同じ人ですか、異なる人ですか? 答えてみなさい。なぜ答えませんか。(同じです。異なります。と様々な答え) 異なる人ですか? これは簡単な問いですが、答えるのは難しいです。 世界にいるすずめは、同じでしょうか、異なりますか? それでは、そのすずめの泣き声が、国によって、位置によって、環境によって違いますか、それとも同じでしょうか? (同じです)。牛……雄牛など、世界的に見ると色は違いますが、泣き声は同じでしょうか、異なるでしょうか? (同じです)。この人はここで、何をする人ですか? (朴先生を指して言われる) では、考える時や話をする時に通訳を立てて話すことを、本来、人は好みますか? 通訳を使わずに話すことを、本来、人は願うでしょうか? (通訳を立てないほうです)。では、先生がこの人を好きだからここに立てたのでしょうか、仕方なく立てたのでしょうか? (仕方がないからです)。ですから問題が多いのです。世界中の人々が、同じ言葉が使えれば、世界の戦争も、随分なくなったでしょうし、今、この社会の、複雑な面が、どれほど簡単担っていたでしょうか、ということを考えてみなさい。そうであるかどうかを。 人類の先祖が恐らく東西南北、四方にいたでしょうか? (ノー)。では一人でしょうか、二人でしょうか、三人でしょうか? (一組からです)。ではなぜ一組ですか? 見てみなさい。“一番良い”というのは絶対的です。“これしかない”というのは二人になり得ないのです。一人しかいないのです。人間がそうであるならば、もし宇宙を創造された神がいるとしたら、その絶対的な神が願う最も良いものは二つでしょうか、一つでしょうか? 同じです。それで、絶対的なお方がおられて、その方が一番に良いというものは一つしかあり得ないという結論になります。その絶対的な方が所有したいものがあるとしたら、それは何でしょうか。その方に必要なものは何でしょうか? 神様が一番に得たい、これしかない、私が願っていたものだと言えるものは、二つあり得ません。一つです。それが何ですか? それが何なの? (一人がトゥルー・ラブと答える)そうです。トゥルー・ラブなのです。トゥルー・ラブです。いつもの小さい人が答えましたか? トゥルー・ラブというのは、一人ではもつことができません。一人でいくら、ラブ、ラブ、ラブ、ラブと億万年言っても、一人ではラブをもつことはできません。では、神様が真なる愛を探そうとしたら、神様が考えられるその相対者は、どのようなものでしょうか。アメリカで一番有名な山は何という山ですか? (マッキンリー山です)。その山ですか。(ノー)。きれいな鳥、空を飛び回る、空気もきれいな。(ノー)。では? (トゥルー・マン、トゥルー・ウーマンです)。トゥルー・マンというのは、トルーマン、アメリカの大統領ですか? (笑い) ではトゥルー・マンというのは、どのような人がトゥルー・マンですか? トゥルー・ウーマンという人が、鼻の上に目がもう一つあったらどうでしょうか?(ノー)。肩が前後にあって、手が四つあるとしたらどれほど便利でしょうか。(先生笑われる)では、トゥルー・マンはだれに似ていますか? トゥルー・マンがだれに似ているかといえば、神が喜ばれるものであるので、神の喜ばれるようなものに似ているはずです。結論をそのように出します。神様が喜ばれるように似ているでしょう。 では、人に似ているはずですが、どの人に似ているでしょうか? マンといえば人間をいうので、男も女も入りますが、男に似ているでしょうか、女に似ているでしょうか? (様々な答え) それは人間の男にも似ているし、女にも似ているのです。ではこの二つの相対、男と女は同じですか、違いますか? (違います)。ではこの違う形の人たちが、方向をこのようにして(背と背を合わされる)、一人は東の端に、一人は西の端に行くようになっていますか?それとも端に立って、真ん中に向かって、お互いが進んで、会うようになっていますか?(二人が一つになるようになっています)。では、いつですか? それが一歳の時、子供たちが好き合って、男の子と女の子が一つになったといって、それができますか? いつ心と体が一つになって一体となることができますか、これが問題です。 男性と女性が神様に似ています。彼らはなぜお互いに愛そうとするのですか? なぜ一体になろうとするのですか? なぜ、男性と女性が一つになろうとするのですか? なぜ一つにならなければなりませんか? それが問題です。男性と女性が一つになろうとするのは、男性も神様の半分に似ているし、女性も神様の半分に似ているからです。神様の形状を完全に見いだすことができ、神様に会うことのできる場というのは、男性、女性が離れている所においては、絶対に見いだすことができません。男性と女性が一つとなるような場において愛を中心として一つになった姿を発見することができるのです。その時、神様が、右の目と左の目で見ると、フォーカスが合うのです。目も二つありますが、フォーカスが合って一つとして見えるのです。フォーカスが合わなければ見えないのです(しぐさで示される)。これは歴史上初めてのことであって、男性と女性のフォーカスがぴったり合うようになると、愛の目のフォーカスが開かれ、神様がここに来られて、真ん中に降りてこられるのです。神様が臨在されて、神が初めて、「これこそ最高のものだ」と言われるのです。 神様が抱かれる時、どのように抱かれるかといえば、男性はマイナス性相の側に抱かれなければならないし、女性はプラス性相の側に抱かれて、完全に一つになるのです。なぜ皆さんの心臓は左側にあるのでしょうか。医学博士、心臓学博士に問うてみる時、答える人がいないと思います。うん? 神が立っているとしたら、男性は左側に立ち、女性は右側に立つので、心臓と連結することは男性がやらなければならないので、それで左側にあると、原理的結論を下すことができます。 それで神が抱くなら、男性を左手で抱き、女性を右の手で抱きます。そうすることによって回っていくのです。プラス、マイナスがあって運動が始まるのです。それでこの宇宙が回るのです。それで回る時はどこからかというと、男性側から先に回るのであるから、女性はこのように回るのが(しぐさで示される)、自然にこのように回るのが原則です。 では、愛はだれのものでしょうか。神様のものであり、男性のものであり、女性のもの性と女性はなぜ愛さなければならないのでしょうか。平面的結合を絶対視するためであり、縦的結合を絶対視するためだからです。男性と女性は一つであるのに、神様の愛が、どきらに先に来るのでしょうか、これが問題です。男性に先に来れば「エン、エン、エン」と女性が不平を言い、女性に先に来ると「エン、エン、エン」と男性が不平を言います。神は公平にしようとするので、二人がぴったり一つになった時、臨まれるのです。そうすることによって、平和の、本来の、愛の理想がスタートできるという、理論的根拠を立てることができるのです。人間は永遠なる愛を必要としています。永遠なる愛の根源が神であるから、永遠なる愛の根源である神をどこに置くべきかというと、男性、女性の愛の間に置こうということは理論的です。男性側でもなく女性側でもなく、真ん中に置くのです。これはいいですね。これが最も公平です。理想的な公平な場です。それで永遠なる愛を核にし、男性と女性の愛が結合することのできるのが、創造理想の本来の先祖であります。そう言えばピンとくるでしょう。(イエス)。 最近、アメリカの有閑マダムたち、愛を求めて今晩は別の男、あすは他の男、どれほどいいでしょうか、喜び楽しんで。これこそが天国であると、快楽主義的なこの群れは、いかなる群れでしょうか。それが人間ですか? (ノー)。このように、原則を中心とした愛の倫理体制が形成されていないので、統一教会が新しい神の愛を中心とした倫理体制を立てたという事実は、驚くべきことなのです。これを知らなければなりません。分かりますか。(イエス)。これが偽りであるにしても、仮設的定義であるとしても、これはだれもが受け入れなければならない結論である。本当でない仮設的論理であるとしても、これを事実のものとして立てて生きるとしたら、この世が滅びてゆくことを防ぐ一つの道を見いだすことができると思うのです。これが事実であるとすればどれほどいいことでしょうか。愛は、真の愛はだれのものですか? 絶対的な神の愛が絶対的な男性、絶対的な女性を探し出して、絶対的な男性が絶対的な一つの愛を追求する時に、絶対的な神の愛を所有したという結論は、極めて理論的です。神様の絶対的愛をどこで探し出せるかという問題と、人間が絶対的な愛を探し出せるかという問題は、正にこの核を中心として結論が設定されるのです。 きょうは子女の日だといってみんなが集まりましたが、あなたはどこで生まれましたか?遊び半分の愛によって生まれましたか、深刻で宇宙を動員した真の愛によって生まれましたか? アメリカの女性たちは毎日のように別の男と取り換えたり、父も母も自分勝手に遊び回るその血統を受け継いで生まれた自分自身であると思う時、どれほど悲痛で、どれほど悔しいことであるかを考えてみたことがありますか。深刻な問題です。深刻な根本問題です。 言葉の中で、どの言葉が最も貴い言葉なのでしょうか。ある経済学博士であれば、新しい経済理論を中心として世界的な学者として行こうとすれば、そのような論文の内容の言葉が最も貴いと言うでしょう。この言葉を学ぶことによって、自分が経済的に豊かな者となり、良い生活ができると言えば、その言葉は耳にすぐ入るでしょう。 ムーニーたちは、「あなたはどこの大学の何の学科に入るか」と聞かれたなら、どのように答えますか? 「あ! あ! 私は愛の大学、愛の学科に行きたい」と、言える科学があるとしたらどれほどいいでしょうか。(イエス)。世界中にそのような学校、そのような学科がありますか? では統一教会の群れは何をする群れですか。この群れはこの世において疲れ果てて、愛が懐かしくて、懐かしくて仕方がなかった人たちが、統一教会には愛の大学の看板が、愛の学科の看板が掛かっているというので入ってみたというのです。これがムーニーなのです。ムーニーという言葉はいい言葉ですか、悪い言葉ですか? (いい言葉です)。皆さんは、愛の大学に入っていますか? (イエス)。愛の大学に入学することがやさしいと思うのは、とんでもないことです。とても難しいのでありますが、素晴らしい学科なのです。(イエス)。片足を切ったとしても、この学科を通過しなければなりません。片腕を切っても、この学科を通過しなければならないし、四肢を切って胴体だけの人になっても、真の愛の学科を卒業して喜ぶのです。(イエス)。今、愛の大学の総長様が出てきて、訓示する時間なのです。気持ちがいいですか、悪いですか? (いいです)。だからこの道は、絶対に妥協することができないのです。絶対的です。妥協することができません。 では、ドクター・ダーストがいくら優れているとしても先生は相談できません。アメリカの、いくら優れた人であっても妥協することができません。そのままです。原理の道を、一つ一つたどっていくしかありません。では妥協を願う者は手を挙げてみなさい。(先生の笑い) 先生は何度も何度もアメリカのリーダーたちが、「どうしてレバレンド・ムはアメリカ式が嫌いなのか、私たちは他の方法を望んでいるのに」と言うのを聞いています。どうしてそのように先生に対して不平不満を言うのですか。あなた方は今まで不平不満を言ってきました。それはいいことですか、悪いことですか? (悪いことです)。絶対的な愛を追求する私たちにおいては、異議がないのです。 真なる愛をもたない夫と妻が、「これは真なる愛ではないのだ、私たちの友達と相談しよう」と、夫の友に相談したりして(真の愛が)もてますか。二人だけで解決できますか、そこに第三者の介在を願いますか、願いませんか? アメリカの人たちは、「私たちは民主主義世界に住んでいるので、たくさん相談することはいいことだ」と言います。あなたたちは、そのような人たちですか。そのような状態ですか? (ノー)。絶対的です。絶対的ですよ。絶対的というのは、スタートも、過程も、結果も絶対的であるということを意味します。 レバレンド・ムーンが教えるのは、真の愛の、男性、女性の道なのです。真の家庭、国、世界が行く道は絶対的で、一つしかありません。二つではありません。それらを教本として、すべての人々が対することのできる所が、家庭なのです。家庭です。家庭の愛が完全であれば、国の愛の道、忠臣の愛の道、孝子の愛の道、忠男、忠女たちの愛の道、すべての聖人たちの愛の道へ行くし、どこにでも通ずる内容が含まれているのです。 絶対的な愛の木があります。その枝も絶対的であり、根も絶対的であり、新芽も絶対的です。ここにある栄養素は、間違いなくその根にまで通ずるのです。(黒板に書きながら説明)この根は、どこにも通じない所がないのです。あなたたちは一つの葉のように生まれているが、その愛がどのような愛の根から始まったか、神の絶対的な核を通じた愛の起源から生まれたか、そうでないかを考える時、これが大きな問題です。そうでないでしょうか。 ここから(図1を示されながら)西側に伸びたものは西洋人、白人で、東に伸びたものは黄色人種、南に伸びたのは黒人種であり、北に伸びたのはエスキモーなのです。 それらの人たちの頭とすべてのものが、どこに付いて生きているかといえば、家庭という所に頭を突っ込んで、心を突っ込んで、逆さに付いて生きているのです。エスキモー家庭においての夫婦が愛する方法、西側に行って白人たちの夫婦の愛し方、南のアフリカに行って夫婦が愛する方法、それぞれ異なるというのですか、同じなのですか、どちらですか? (同じです)。同じであることは結局のところ、すべての分母となるれ母体、共通分母が何でしょうか。(愛です)。愛ですが、男性と女性が愛を中心として共に生きていること、これが共通分母です。共通分母ですよ。同じなのです。それがうまくいっているかどうか、うまく生活をしているかどうかは千状万態です。うまくいっているという時には、その男性と女性の間に、他の男性、女性の関係が絶対的に関係ない時には、うまくいっているというし、男性と女性の関係が深くないほど、うまくいっていないといえるのです。これは絶対的に同じです。黒人であっても、白人であっても、黄色人種であっても、どのようなものでも、絶対的に同じなのです。 アメリカの娘たちはどうですか? (イエス)。どれほど難しいことですか、どれだけ不都合なのでしょう、絶対的に一人でいることは。毎夜「ハロー」と言って、「今晩君が欲しい」と言えば「OK」と言います。どれほど安易でしょう。どれほど都合がいいでしょうか。 では、統一教会の家庭生活がどれほど難しいか、一度、祝福を受ければ、絶対視するのです。どちらがいいですか。難しくとも、「私はレバレンド・ムーンが教えてくれる、統一教会が主張するその愛の道を行く」のですか、それとも適当に便利なアメリカ式の愛の道を行くか、どちらですか? (先生式です)。なぜ先生式ですか? なぜなら、神の愛を私が占領することができるからです。神を所有することができるからです。先生の方法が必要なのです。神を所有すれば、宇宙を自動的に所有することができるからです。真の愛を中心として、私たちは神をコントロールすることができます。これがどれほど幸福な道かを考えてごらんなさい。それで賢いレバレンド・ムーンも、一生をかけて、悪口を言われながらも、四十年間台風にぶつかりながら、このように進んできているのです。 では、お母様は、幸福な女性ですか、不幸な女性ですか? (幸福です)。では先生は? (幸福です)。なぜですか。神の愛を中心として、私たちが生きているから偉大であるというのです。トゥルー・ペアレンツというのが何であるかの、答えも出せます。このような神の愛を核として、アダムとエバが完全に一つとなったとき、神の愛を中心に、絶独一つになって出発できる最初の人間先祖となったのです。これがトゥルー・ペアレンツであったということは、確実な結論です。分かりますか? トゥルー・ペアレンツというものを知らなければ、トゥルー・チルドレンが出てくることができません。今やトゥルー・ペアレンツがはっきり分かりましたので、トゥルー・チャイルドがだれであるかが分かります。では、統一教会に集まったあなたたちはどのような子女ですか? あなたたちはだれですか。どのような子女ですか。「私は今、真の子女になりつつあります。真の子女になるために訪ねてきた者たちです」と答えなければなりません。では私たちは、堕落したので、他の父母から生まれたので、どのようにしたら真の父母の子午となれるでしょうか。いくら努力したとしても、いくら何かをやったとしても、ここで切って接ぎ木をしなければ、一つになれないという結論が出ます。接ぎ木しようとすれば、どうすればいいですか。枝を切ればいいですか、根を切ればいいでしょうか? (ルートです)。そうです。ルートを切らなければなりません。ルートがみんな野性のオリーブの木であるのに、真のオリーブの芽をどこから得てきますか? どこから探してくるのですか? それでトゥルー・ペアレンツが出てこなくては、真のオリーブの木がなくては、野生のオリーブの木には接ぎ木する道がないのです。メシヤというのは、真のオリーブの木、男性、女性理想を成し得るために来る人なのです。 神がいるとしたら、終わりの日にはどのようなことが起こるでしょうか。終わりの日が近づけば近づくほど、世界のすべてのものの根が、ぶつり、ぶつりと切られていくのです。その時が終末です。このような結論が出ます。神がいるとしたら、そのような歴史の終末に向かって(すべては)動いていると思うのです。切る時には、既に、その木を切ったあとに(接ぐ)真のオリーブの木の準備をしておいて、神様は切り始めるでしょう。世界的な基準で、世界を切り得る真のオリーブの木があるとしたら、世界を切って一斉に接ぎ木しようとするでしょう。このような結論か小水田事 では統一教会とは何か。真のオリーブの木です。統一教会が神の国をつくり、世界を動かすことのできる時には、また、私たちの言葉で言うならば、神の祖国創建という名をもって出てくる時には、民主世界も、共産世界も根が切れる時代、すべての教育、思想、全体の根が、揺れて倒れる時が来るという結論を出すことができます。それで民主世界も滅び、共産主義も滅び、アメリカの倫理もなくなり、キリスト教も滅び、“すべてが滅びる”という声が、“すべてが死ぬ”という声が、叫びが、天下に満ちたなら、“生きられる”という声が準備できているということを知らなければなりません。それで統一教会は、世界の滅びゆこうとするものを接ぎ木できるように相対的な準備をしなければならない、という結論が出ます。分かりましたか? (イエス)。 きょうは子女の日ですが、統一教会が祝賀する子女の日、子女たちが行く道はどのようなものですか。自分の枝から新芽をどんどん配ってあげて、四方、八方から切られて死にそうになっている所にいかに早く接ぎ木できるか、どれほどたくさんやるかという問題が、私たちに与えられた、世界史的な当面の課業なのです。枝の半分以上を切れば死にます。三分の一切れば生きるし、いくら真のオリーブの木でも、半分以上切ったなら死にます。葉が残ってこそ全部生きられるのです。ですから統一教会の群れよ、自分自身をアフリカに接ぎ木しなければならないし、南米に接ぎ木しなければならないし、北極に接ぎ木しなければならないし、世界どこに行っても接ぎ木しなければなりません。このようなことをしなければなりません。あなたたちは、“お! お! それは先生が後援してくれてこそできることだ”と思いますが、そうではありません。枝が自分の根を探し出して、接ぎ木することによって、自分も生きることができるのです。見てみなさい、世界至る所に、植えることのできる地、接ぎ木できる木はいくらでもあります。これが、統一教会において子女の日を記念(祝賀)する人たちの、行くべき道です。 それで、夫を愛する以上の愛をもって、新しい子を生むために、分かれてでも行くことができるのです。夫を愛する以上の愛をもって、南極に行き、アフリカの奥地に行って、自分の夫以上に愛する子女たちを育てるために、夫を離れ、妻を離れ、どこにでも行って、このことを幸福と希望として行けるそのような家庭が、統一家の家庭です。 真の父母であるとすれば、自分よりも子女をもっと愛し、世界へ伸びていくそのすべての後孫たちを、もっと愛するようにならなければなりません。老いた祖父が孫をとても愛することも、すべてそのような意味において一致するのです。それで、あなたたちから枝がどれくらい伸びたか、接ぎ木は三つ以上しなければ死にます。接ぎ木された枝が三つ以上なければ育つことができません。そして無数の枝として伸びていかなければなりません。分かりますか? 皆さんの家庭を中心として、世界の五色人種に、接ぎ木しなければならない責任が残っています。これが統一の子女たちを中心とした統一家の行く道なのです。 では、幹から流れる栄養素が、白人社会から白人社会にのみ行くとしたら大変なことになります。共通なのです。自分を引き寄せる枝がどんどん伸びたら、栄養素はそちらに行くようになります。それこそ公平です。神は枝が多い所へ栄養素を補給するので、愛の道はそちらに行くのです。けさもアジアの人たちと、日本人、韓国人、ヨーロッパ人、アメリカ人たちと行事を行いましたが、神様が御覧になる時、公平なる神はどこに行こうとするでしょうか。もっと伸びようとし、より伸びようとし、より枝を伸ばす所にエネルギーを与えていき、そちらへ方向が決定されていくでしょう。そこには異議がないのです。 では枝となって根をより伸ばそうとすれば、においのする所を探していかなければなりません。根が好むものは肥料です。これを知らなければなりません。反対です。枝と芽は良い所を求めていくが、根はきたない所を探していって、これらは共存するのです。これは事実です。 それで、この根を探してきて植えれば、枝が伸びてくるのです。そしてまた、枝を挿木(さしき)しても、根が生えてくるのです。不思議でしょう。それは何かというと、枝と根は極と極であるが、良い所に行く枝も、その枝の中にはあの伝と接することのできる要素をもっているし、悪い所に付いている根も、あの良い所に接することのできる枝の要素をもっているのです。 これから世界を支配できる民族はいかなる民族なのでしょうか。理想郷を追求することのできる、華麗で香りのする所を探すし、また、あのにおいがし、だれもが嫌がる所を訪ねていって、そこに自分の勢力圏を広めていける、このような民族は世界を支配するでしょう。今までの東西の文化の背景から見ると、西洋は枝に付いて花咲くそのような方向を取ってきました。東洋はにおいのする、だれにも知られずにうずもれて何千年間も根を差し込んだまま、死なずに生き残った根を保ちつつ、成長しているのと同じである、という例を挙げることができます。しかしこの二つの文化背景を考えてみるとき、どちらのほう希望的でしょうか。西洋人たちが中国とかアジア人のことを言うとき、何の表象になっているかといえば、きたないもの、旧態依然なものと言います。中国人は一番だと言っていますが、西洋人からすればこの中国人はそれほどきたなく、それほど旧態依然なものと映るのです。彼らは最高の枝の要素をいつも欽慕しているこの思想をもっているので、世界に残れる民族は、たとえ西洋人たちは通り過ぎていっても、世界に残れる東洋思想を基盤としたこのような国民たちが、世界の希望として伸びていくであろうという論理を探し出すことができます。 西洋人は何たというと華麗な枝のようです。これを差し込んでも根が出ないのです。根が出る要素をもっていないのです。東洋の人は、きたないが枝が出てくる要素を潜在しているので、生き残れるのです。見てみなさい。終末となって西洋人たちは滅びるようになったので東洋へ帰ろう、においのする所へ戻ろうとしています。ヒッピー、イッピーがどれほどにおいますか。今日西欧の人々は、日本に対して関心が高いのです。日本に対して関心が多いです。なぜでしょうか。なぜそうなのでしょうか。東洋に帰って一つになり、二つの性品を経て和合することのできる、授け受けることのできる、上ったり下ったりすることのできる要素をもてば、天地流動する大運勢圏に配置され得ます。全宇宙は滅びるしかないので、生き残れる本性の作用として東洋追求潮流が終末において西欧世界に訪れてきたことは、極めて幸いなことであると思わなければなりません。 先生が、日本人、東洋人の統一教会の群れに、「あなたたち、アメリカナイズされるな、アメリカがオリエンタルナイズされなければならない」と言うのです。(拍手)天地の運勢と生存の原則を中心として、流動するこの世界において残り得るためには、このような歴史観の背景を中心として、東洋、西洋の文化圏を見つめているのが、統一教会を指導しているレバレンド・ムーンなのです。レバレンド・ムーンがアメリカに来て、アメリカの社会において、教会の集会で、大衆が集まるとき椅子を一つも置かないで、「このように床の上に座るように訓練をさせたのが罪である、文化の逆賊である、ノーです」。文化の逆賊でなく天理の逆賊になることを恐れ、このようなことをしているのです。どこに従っていくのかといえば、天理についていくのです。(イエス)。先生は先を見通して、普遍的な道を、先に立って案内しているのです。では、どちらのほうが最後まで生き残れる? レバレンド・ムーンの教えと指導によって、最後まで生き残れるのです。 今日、先生は監獄から出てきて、初めてこのような話を公席(祝日)で話します。皆さんはこれから新しい時代に入ってくるので、昔のような態度を急変させ、きょう話した内容をはっきり知らなければなりません。自分たちが行く方向性において混乱を起こさせないためにこのような訓示をしていることを、はっきり、この教会長からすべての末端の食口たちまで、理論的に、肝に銘じさせるために話しているのです。(拍手) 神の愛を中心として、真の父母を動機として生まれた人たちは、また、生まれることを願っている人たちは、接ぎ木して愛の津液(樹液)を連結させ、愛の種を蒔くこの使命が、今日の統一教会の使命なのです。また、皆さんが行くべき使命なのです。(イエス)。それですべてが成し得るのです。ここで、絶対的な愛を中心として絶対的な男女が会って、文化創建をするのです。絶対的な文化創建は言語と、文字を通して行く道ですから、絶対的な一つの言葉と一つの文字を設定しなければならないという結論は、自動的な結論なのです。それで韓国語を学ばなければならないし、韓国の文字を学ばなければならないのです。その文化の創造は言葉と文字によって成されるのです。なぜかといえば、トゥルー・ペアレンツがコリアの地で生まれたので、トゥルー・ペアレンツの言葉と愛を中心として、神がトゥルー・ペアレンツとの愛を、有史以来初めて接ぎ木したのであります。神が愛を中心として言葉を始められた、最初の出発が、真の父母を中心とした愛の基盤の上でした。それは韓国語で通ずるしかなかったのです。その最初の起源が絶対的であるので、韓国語を学びなさいという原因がここにあるのです。また、韓国の言葉の代身である、文字を学ばなければなりません。神様が愛の言葉を、最初に語られたのが韓国の地であり、レバレンド・ムーン、トゥルー・ペアレンツから真の神の愛が生まれたので、その言葉が言葉の起源となるのです。英語でもなく、中国語でもないのです。それで統一教会の人たちは、これが愛の母国の言葉であり、愛の祖国の言葉であるために、愛の祖国を、母国を訪ねていかなければならない私たちは、この言葉と、この文字を学ばなければならないということは当然の道理です。 それで皆さん、西欧の男たちと女たちが、韓国人の妻、夫になろうとしますが、どうしてですか。神様が最初の愛の言葉を語られた起源が韓国語であったために、その本郷の地に近づくためにも、そのような思いをもつようになるのです。愛ゆえにそういう思いもあるのです。分かりますか? (イエス)。根です。最も中心の茎の根までその愛の津液(樹液)は通ずるのです。本性はそのように動くのです。私たちの本心は、常にすべてを知っています。分かりましたか?(イエス)。 私たちは先生を探し出し、出会ったので、統一教会ではでたらめに、適当に生きてはいけません。絶対的な決意と、絶対的な行動と、絶対的な覚悟をもって行かなければなりません。この運動に加担した権威を誇りにしなければなりません。神様は、愛のアメリカの密室に向かって探していくのです。どのいかなる恐ろしいものよりも、いかに興奮するものより、もっと深刻な道が愛のアメリカを探していく道なのです。たとえ一〇〇〇年で一歩を踏み出したとしても、行こうと願う愛の道が残っていることを知らなければなりません。私たちはその道を尋ねつつあるのです。行っているのです。それを探し求めているのです。先生も行っているし、あなたたちもみんな従ってきているのです。では自分勝手に行きますか、厳粛に行きますか?深刻に行かなければなりません。声を出して騒がしく行くのですか、それとも静かに行きますか? (静かにです)。だれにも知られないように、一人で行かなければなりません。だれの後援もなく、一人で行かなければなりません。本当にこのようにして愛を探すのに、いくら孤独であっても、いくら悲しくとも、いくら恥辱的であっても、それは問題であります。問題ではありません。分かりますか? (イエス)。アメリカ人はあまりに言葉が多すぎます。東洋人は言葉が少ないのです。深いのです。ですからあなたたちは先生に出会って、この両面の世界を知って、内容を理解して、新しく西欧社会に革命の旗を掲げたということの誇りを忘れないで、大胆に走っていかなければなりません。 祝福(結婚)生活が夫婦の出発です。彼らが地上において果たせなかったことを、霊界に行ってでも、二人で発展させなければならないのです。それを知らなければなりません。何の話か分かりますか? (イエス)。それで二人は愛の化身となり、神化できる道を願うのであります。すなわち愛の神化を、愛の化身体を願うのです。造作された物の形体の化身体を願うのではありません。これこそが絶対的です。これのみが絶対的です。これ絶対的ですよ。男性でも女性でもこの絶対的というのは異なりません。一本となって、これのみが絶対的です。神様もそこにかかわってくるのです。そのような絶対的主体、絶対的相対が絶対的に作用すれば、三つの宇宙が、世界が、なぜ動かないでしょうか。宇宙がすべてそれによって動かされるのです。それで、絶対的要素はトゥルー・ラブです。だからこの愛のみが、宇宙を動かすことができるのです。論理的な方法です。分かりますか? (イエス、ファーザー)。 先生は他のことを願いません。それ(トゥルー・ラブ)のみを見つめてアメリカを尾につけて、世界を尾につけて、生かしてあげる道、すなわちハイウェイを築いているのです。ラブ・ハイウェイを築いてみようとするのです。ラブ・ハイウェイを、ここから、小さな支流のような道をつくるのです。ちきなハイウェイに向かって、地上世界、天上世界への直行路をつくろうとするのです。それでこの路は、真の愛でなければできません。真の愛のハイウェイは、終着と出発が、地上と天上が同じ道幅で、築こうとするのです。地上天国達成したのちにその目的を成就することが可能なのです。ラブ・ハイウェイを標準として、すべての国々に、中間のハイウェイ、また中間のハイウェイ、枝のハイウェイ、枝のウェイ、その次は葉のウェイ。葉のハイウェイ、スモール葉のハイウェイ、(黒板で説明)このように上がっていくのです。だから言葉だけではなく、霊界と肉界とをつなぐことのできる基盤が、今度ダンベリーを通して、築き上げられたという結論が出ます。あなたたちはそのことを知らないでしょう。 それで、あなたたちはどこで乗らなければならないか。どこへ行けばいいか。皆さんはまず、糸状のハイウェイから始まって、しだいに大きな枝状ハイウェイに入り、最終的には神のハイウェイで合流し、神の心情圏へと全路程を進んでいくのです。 ドクター・ダーストといったら、アメリカのハイウェイ・ブランチの頭となっているが、ここに愛がなければ滅びます。次に、アメリカの州の責任者は中間のハイウェイなのに、これは愛を中心とした責任者であって、自分のビジネス、職権を中心とした責任ではいけないのです。このようにして、末端まで愛の道が通らなければなりません。愛の道が。 USAハイウェイのこのドクター・ダーストが、“アメリカの統一教会を自分の思うようにしたい”、これはとんでもないことです。メイン・ウェイに行ける方向に導いていかなければなりません。そうしなければ、これからアメリカのハイウェイの終わりまで来て、ここから天国に行けるハイウェイに入れないのです。入れないのです。 最高の根のハイウェイと、最高の天国の、神の王子の花(のようなもの)は、直線上に立たなければなりません。 (以下図で示されながら)①スタートすることのできる小さなものが、(図2で示される)ここでだんだん大きくなるのです。だんだん大きくなってくると、②いろいろと複雑な問題が多いのです。ここで合わさって入ってくるし、④そしてすべて消化し、ここでも合って入ってきて、消化し、ここでも合って、ここは③アメリカであり、これは③台湾だとしたら、台湾も消化しなければならないし、これが③日本であれば、日本も消化し、すべて消化しなければなりません。何で消化するか。愛のみでもって消化しなくては、この⑤ハイウェイ圏の中に入れません。目的が何かといえば、(図2で示される)ここでこれがこのようになって、これがすべて、ここに接続されなければなりません。全部がここに接続しなければなりません。アメリカというのはあり得ません。ここに(図2で示す)接ぎ木しなければなりません。ではアメリカがこれで(図2で示される)あるとしたら、これ⑥を主張する愛は、根が曲がってしまいます。直線ではありません。どこまでも神様は、⑦先生を中心としてスタートし、神の王子の所までいかなければなりません。 今先生はどうでしょうか。神の摂理が、アダム、エバ①まで上がっていくようになったが、ここで②堕落することによって(図3で示される)、③すべてがこのようにして世界に広まったのです。世界的に非常なる混乱が起きて、④全部が広まってしまったのです。数多くの、一二〇国家以上が全部、自分たちの根はどのようになったか知らずに、全部が国家をつくって、一二〇カ国家として世界に現れるのです。これ⑤を復帰摂理を通して、先生が来て、全部(図3で示される)ここからこれを逆につなげるのです。全部逆に、ここで(図3で示される)接ぎ木するのです。心情の根を、国とか、すべてをここ⑤に接ぎ木しなくては、ここ⑥でつないで(図3で示される)これを貫いていって、王宮にまで行けるハイウェイのメイン・ストリートでなければ、行く道がないのです。 ⑦個人時代から上って家庭へ発展するし、だんだんと世界時代を経て、茎⑧のほうへ上っていくのです。それでいくらアメリカであっても、世界であっても、このラインが、(図2で示される)ここから上っていくラインが、ここの⑨スタート点と一直線に立たなければ、サタン世界へと落ちてしまうのです。愛の道というのは、絶対的に一つであって、二つではありません。この道に合わせなければならないのです。世界が来て、ここで(図3で示される)⑩全部合わせるのです。 もし先生が神のみこころを知らずに、だれかの話を聞いたなら、地上天国、天上天国すべてがひっくり返ってしまうのです。動いたとしたら滅びてしまうのです。ここが連結された宇宙となった時には、サタンは自動的になくなってしまうのです。悪というのがあり得ないのです。それで、⑪ダンベリー監獄から出てきたのは、これを蕩減復帰して、これ⑤を連結させてここまできて、ここから⑩(図3で示される)天の玉座⑫へ行く直行の道からスタートできるのです。エデンの園で、本来の心、神の心情の道と、ここで連結することができて、玉座の道と連結できなければなりません。これが連結されなければなりません。 監獄が立ちふさがっているなら、それを貫いて越えていかなければなりません。レバレンド・ムーンが起訴されたといって避けて逃げてしまっていては、その道が崩れてしまうのです。サタンという怨讐が、そこに立ちふさがっているのです。それでイエス様も、十字架を御自分の思いのままではなく、「みこころのままになさしめ給え」と言ったのです。先生も、「韓国人のみ心ではなく、韓国の民のみ心でもなく、統一教会のみ心でもなく、あなたのみ旨の道、愛のみ旨の道を行なってください」と言ったのは同じです。神の愛がダンベリーの向こう側に行って、流れが変わるなら、その道を貫いていかなければなりません。 サタンを離そうとすれば、サタンは高められ、傲慢になり、良いものを願い、自慢を願うのであるから、悲惨で、困難な死の場は、サタンが嫌がるので離れていくのです。サタンは、不平、不満、猜疑(さいぎ)、しっとを好みます。それで先生がダンベリーに入って注意したことは、そこはアメリカと世界に不平を言うサタンのやからたちが集まっているので、先生は別人にならなければならないという心をもって、私の怨讐がアメリカでありますが、アメリカに不平を言ったり、だれかに対しても絶対に不平を言うのではなく、平を言うなら統一教会の信者たちに対して責任を果たせないことになるので、統一教会の祝福家庭に不平を言い、それは(内部だから)大丈夫です。常に先生はここにおいて、この愛の道(図3で示される)、いくら難しくともこの愛の道、より高まることのできるこの愛の道を願っているのです。 過去において、私たちの信仰の先祖たちの道がそうであったように、イエス様も生命の道を、死を覚悟して行ったのです。同じように、レバレンド・ムーンも命を懸けて行っているのです。なぜなら、愛の道を探すことは命以上の道であるからです。命の出発が愛からです。出発が愛であるから、その愛を探すためには、愛を命以上のものとしなければ、真なる愛の道を探していくことができないのです。尹博士、分かりますか? 死を選ぶか、愛の道を選ぶか、死を捨てて愛の道を選ぶのです。絶対的です。分かりますか? そういう人は、有史以来、先生しかいないのです。先生一人しかいないのです。イエス様もそういうことを語らなかったし、行動もできませんでした。先生がこのような内容をもって実践し、歴史時代を四十年間で、あらゆる恥辱と受難を受けながら、死の峠を越えながらでもこの道を捨てなかったのは、真の愛という絶対的な宝を知っていたからです。このようにやってくると、今や世界的に有名になり、世界の栄光を得てきました。サタン世界は先生の成功を願わないので、今まで「滅びる、滅びる」と言われながらきました。しかし今まできてみると、我知らずこのような、成功したという結論を、世界的につけることのできる版図が起きたのです。これは何がそのようにさせたかといえば、絶対的な愛の保護の力がレバレンド・ムーンを引っ張り、押したので、世界を動かすことのできる圏が、目前に訪れるようになったのです。これは理論的な結論です。そのように生涯を生きてきたし、青春時代をそのように生き、その目的のもとで生まれたのです。そのように生きた代表的な人が、そのような代表的な夫婦が、真の愛の、歴史上に初めて現れた夫婦ではないかということを、私たちは知ることができるのです。それでそのような方を、私たちは、真の父母であると言うのです。初めてだから。(拍手) では、その方を真の父母として侍り、このような活動を通して世界を、消化しようとする世界は、永遠なる真の愛を中心とした、ユートピア以上の理想の世界でありましょう。それが一時でなく、永遠なのです。 皆さんが愛の小川から、愛の大河へ、愛の海、愛の太平洋を経て、あの平安な世界へ行くことが、私たちが一生涯の路程なのです。それが人生です。それで愛から生まれ、愛の中で育ち、愛の中で生きながら、愛の目的地を求めていくことが人生でありました。どれほど幸福なことでしょう。分かりましたか? 「真理を知ると、真理があなたを自由にする」という聖書の話もありますが、私たちは真理として愛の本然がどうであったかということを知ったので、どのように行けばいいかを今は知ったのです。 私たち人間は、絶対に自由を求めています。愛の基準にパスする日には、神の国においても、どこにおいても絶対自由です。どこに行っても、永遠に絶対自由です。永遠に絶対自由の立場に立ったその人は、永遠なる幸福、どこでも絶対歓迎であり、絶対応報です。 ではきょう、この子女の日に、「自分も間違いなく、先生が行く所に、間違いなくついていきます」、そのように約束する人、手を挙げて誓いましょう。立ってください。間違いなく行くという人は両手を挙げて。「絶対に不平を言わないし、絶対に躊躇しないで行きます」。(イエス、ファーザー、イエス、ファーザー、イエス、ファーザー)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.20
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天一国摂理史--「天勝日」(1976.10.4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)「ベルベディア宣言(天勝日)」1985年10月4日ベルベディアにて ここに集った人たちは、全世界の中で統一教会の教会人です。統一という意味が何であるかといえば、英語ではそうでないが、アジアの漢字の意味からすると、教えてあげて、一つにして、導いていくという意味があります。では統一教会というとき、教とは何でしょうか? 教会というのは教える集いです。その教える集いが何を教えるかといえば、宗教を、教える集いです。では宗教という意味は何かというと、家でいえば居間になる教え。最も重要な、それがなかったら家が倒れてしまいます。そのような最も重要な教えなのです。根本になる教えなのです。では宗教の中で、統一教会といえばすべてが入ります。統一教会は最高の真理、最後の教えであり、これを中心として教育し、一つにする。一つにするのはなぜかといえば、正しく行くためであります。統一教会の意味がそうなっています。分かりますか? 何の話か? その内容だけ分かればすべてが分かるのです。では統一教会はそのような教えをもっているか。そうであれば、宗教の中で代表的なものであるといえるのですか? (イエス)。そのような責任を、使命をもって、人間ばかりでなく、神様と人間が一つとなって集まる所であることを知らなければなりません。では何がセンターなのか? 統一教会の教会人たちがセンターなのか? 神様がセンターなのか、これが問題です。(神様です)。それで、どこにおいても統一教会の人々のセンターは、神様です。 今日既成教会でいえば、イエス様がセンターであるか神様がセンターであるかというとき、既成教会においてそれははっきりしていません。神様もセンターであり、イエス様もセンターである。イエス様も、自分で来たのではなく、神様が送ったので来たのです。相対的です。相対的というのは、被造世界に、神様が絶対的であるとすれば相対的存在はあり得ないのです。これは造られた結果によって相対圏が生じたのであるから、相対的存在は被造世界の代表者であるということを私たちは知らなければなりません。 では、統一教会の信者たちはなぜ生きるか? どうして生きるか? このように問われたらどのように答えますか? 簡単ですよ。統一教会の使命を完遂するためです。その使命を完遂するためには神様を中心として、統一教会の使命を完遂するためです。そこには教育もあり、一つにしなければならないし、導かなければなりません。すべてが入るのです。そのような結論を出して、統一教会の眼鏡をかけて見ると、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界、天的に完成した人がいるかということです。(ノー)。問題は大きい。個人で完成した人がいるかというとき、世界の人類中には数多くの英雄も、聖人たちもいたが、その聖人たちも完成したでしょうか、というとき、このような全般的な問題が再検討されなければなりません。 そのように見る時、神様が今まで数千年数多くの宗教をつくって働いてきたのに、一人も完成した人を見つけない神様であり、完成した家庭を、完成した氏族、民族、国家を見つけることができない、何も成就できない神になってしまったというのでしょうか? どのように答えますか? ある宗教指導者が言うのに、「私は完成した。レバレンド・ムーンと同じ段階だ」というとき、神様とレバレンド・ムーンは「ノー」と言うのです。そして直ちに「神が人間を造ったが、男だけ造りましたか女だけ造りましたか」と聞くと、彼も仕方なく、「男も女も造りました」と答えます。 では、神様がエデンの園に男を造り女を造ったが、「寂しいから友達になれ」と言って造ったのですか? 「なぜ造りましたか」と聞くと、困るのです。食べて、遊んで、眠って、踊ったり、そうするためでしょうか? (ノー)。男と女をなぜ造ったか、そういうことを問う必要がどこにありますか? 「結婚して一つとなって生きるように造ったのでしょう」と、間違いなく答えなければなりません。 ここで男はなぜ生まれ、女はなぜ生まれ、なぜ生まれたかは教育で、次に男と女が一つにならなければいけない、これは一体であり、その次に生きていくこと、これが導きです。このようなことが完成であれば、あなたは完成しましたかというとき困るのです。だからいくら立派な宗教家でも、自分の個人の完成をなしたと誇ることができないことを知るのです。この宇宙万物を見ても認めることができないのです。 もし宮殿に住んでいるのに、王だけ住んでいるのがいいですか? 王妃と家族と共に住んでいることがいいですか? (家族と共にです)。いくら王だけいるとしてもそれは悲惨なことです。寂しい王です。王妃がいないとしたら家族も成立しないのです。 では神様を中心として教育して、一つにして、導いて、何をしようとするのですか? 何をしようとするのですか? 神様が喜び、霊界が喜び、地上のすべての万物が喜び、すべての人間が喜ぶ世界をつくるためです。喜びの時、一人で歌ったり舞ったりしてそれが喜びですか?その喜びの時には、男と女が調和して喜びが出てくるのであって、一人では絶対に喜びという言葉は使えないのです。その喜びは永遠なものですか? 瞬間のものですか? (永遠なものです)。 では終末の時、神様とサタンがいるとしたら、神様は何をしようとする方であってサタンはどうしようとするものでしょうか? 神様は喜び合える世界をつくろうとすることであり、サタンは惨めな世界をつくろとするのです。では何が恥ずかしく、惨めなのでしょうか? では考えてごらんなさい。男と女が生きている世界に行って一人で生きること、男は男一人で、女は女一人で生きなければそれは恥ずかしいでしょうか、恥ずかしくないでしょうか? 朝食よ自分が作らなければならないし、すべて縫い物も自分がしなければならないし……。そこに喜びという言葉がありますか? 私は男だから朝昼晩の食事を作って生きることが喜びである。これは本当の喜びですか? (ノー)。このように見るとき、神様は終末が来る時、全世界の人々がお互いが和動し、男と女が和動し、家庭同士が和動し、民族同士、国家同士、すべてが和動することのできる喜びの世界をつくることを神様は願うでしょう。そうであるかどうか考えてみなさい。 ドクター・ダースト、なぜきょうはそこに行って座っているのですか? 時計が見えません。時間がたくさん過ぎたらいけないので時計を見ているんです。(笑い) このように話をしたら、本論に入れず、時間が過ぎてしまいそうです。 その間一年間旅をしてきたので、お父様がいない間に皆さんの中では、食べて、眠ってぼろの荷をいっぱい負って、自分勝手な生活をした者がいます。それでこれを整理しておかなければならないので、このような話をしているのです。 喜ぶ時、一人でやって喜びがありますか? 天下が共に和動するのが喜びですか? 「人の動作の中で一番美しい動作が何ですか」と聞いたら答えられないでしょう。答えてみなさい。(真の愛をする時です。ノー。ノー。ノー)。トゥルー・ラブは一人でやってトゥルー・ラブですか? トゥルー・ラブは関係を結んでから出てくるのであって、生きていく中においてトゥルー・ラブが何の関係がありますか? (男と女がいることです)。男と女がいれば生きていく中においての行動として、何が美しい行動ですか? そういうことも知らないのですね。そういうことも考えていないから、みな地獄に行かなければなりませんね。(笑い) 簡単なものですよ。教えてあげましょうか? 笑うことです。(笑い)。そうでないでしょうか? 答えが合っていると思いますか? (イエス)。それほど簡単なことを、このように大勢の人がいる中で答えられないのですか? それで先生はあなたたちに教えてあげるのです。教えてあげて一つにするのです。統一してそのように行かなければならない。それは知ったからです。笑うことが美しいから笑って生きよう。 だから統一教会において、なぜ神様が万物を造ったのか? 喜びのためです。これはぴったり当てはまるのです。笑うために、喜ぶために造ったということを、原理講義する時は、そういう話はしないのです。なぜ喜びということを使ったのかが問題です。それで統一教会では、なぜ万物を創造したか? 喜んだその基準が成されずには、理想が実現されないので、喜びという言葉を使ったのであります。ではスマイルは一人ではできないでしょう? ではサタンは何かといえばこれを破壊するためであり、神はこれをつくるためであるのに、あ! あ! 終末になれば分かった。終末になれば世界的に全体が一つとなって喜び合う時が来るのであり、もう一方では全体が男と女に分かれ全部を破壊する時が来る、それが終わりである。サタンの目的が成され、神様の目的が成されるその時が終末である。これを知らなければなりません。 では喜びがどこから始まるのか? 男から女から始まって、次には男と女だけではいけなく、子女たちを中心として氏族、民族、国家へと展開しなければなりません。今日では、男と女だけが必要であって、子女が、孫がなぜ必要であるかという人もいます。それは過去、現在、未来へと継続的に喜び合える、伝統の主流をつくっておくためです。過去、現在、未来がどこで一緒に連結されていますか? それは家庭です。家庭には祖父母、両親、自分の兄弟、過去、現在、未来がすべて連結されているのです。それがファミリーを標準として喜び得る伝統的基盤となるのです。それが公式です。その公式は過去において異なり、現在、未来において異なることはできません。永遠に同じ公式の中で喜び得る、伝統の基盤をもつのであります。それはどうして変わらないかといえば、全部センターを中心として見ると、上下、左右、前後がなくては理想的な世界であるといえるでしょうか? 理想というのは丸いのをいうのであって、平面的で線をいうのではありません。私は平面的な理想を愛します。そういう言葉がありますか? 私は円形な、宇宙的な理想が好きです。これが正しいでしょう。このように見る時、統一教会は過去、現在、未来を代表した喜び得る、前後において喜び、上下、左右が喜び得る伝統をどこに立てるかといえば、ファミリーに立てるのです。ファミリーしかいないので、そこに立てたということは驚くべき事実です。 神様が、アダム、エバあなたたち人間に、「あなたたちが私に誇れるものが何であるか」と聞かれたら誇れるものが何ですか? 神の前に誇れるものが何であるかと言われたらどう答えますか? (家庭の喜びです)。家庭の喜び、それがすべてです。ではどうしてですか? 上から下から喜べる人をもっています。左右から喜べる人がいます。前後においても喜べる人をもっています。そうして見ると、この宇宙が全部そこに連結されます。男の世界においても喜びがあり、女の世界にも喜びがあります。それを見るとき、終末というのは、このようなものが単位となっている事実を神様もサタンも知っているので、サタンは喜び得る公式を破壊させて世界を闇にしようとするのであり、神様はこの喜び得る公式をつくって世界を喜びに満ちるようにしようというのです。歴史の総結論が出されるのです。 どのような人たちがここに集っていますか? (ムーニーです)。ムーニーではありません。(笑い) アメリカの人たちが集まっています。(笑い) ムーニーの中でもアメリカのムーニーです。あなたはアメリカのムーニーで、私は韓国のムーニーです。(笑い)(ノー)。なぜ五色人種が早朝から集ってきて騒いでいますか? 眠ることもできないる時、アメリカの人たちは、「私たちは誇らしいアメリカの人である。権威もある」。(笑い)ではそのアメリカが、本物であるか偽物であるか調べてみましょう。 アメリカ人たちを家庭的公式に照し合わせてみるとき、アメリカ人たちは祖父母、両親が好きですか。好きでないですか? いわゆる老齢者といわれる人たちです。アメリカの人たちは老齢者をだれよりも好きです。これは事実です。(いいえ違います)。いや事実です。(違います)。そのようなアメリカ人です。(違います)。最初からアメリカは失格です。先生は真実を語っているから、アメリカから拒絶されるのです。アメリカが先生に耳を傾けようが、傾けまいが法則がそうなっているのです。 あなたたち答えてみなさい。特別なアメリカの女性たち。先ほど先生が言った喜びの目的に合格ですか、どうですか、答えてみなさい。(失格です)。そうです。アメリカの若い女性たちは、「私たちは年を取った両親はいらない。年を取った祖父母などいらない」と言います。失格です。サタンがそれを喜びます。サタンの目的です。終末において。なぜかといえばサタンはその基礎を破壊しようとするのです。それがサタンの目的です。だれがアメリカの家庭を打ったのですか? (サタンが打ちました)。それを知らなければなりません。「私たちは夫がいらない。私たちは妻がいらない」。それが喜びのシステムですか? (違います)。ではだれがそのシステムを作ったのですか。(サタンです)。ホモとかレスビアンとか、サタンの基です。それから、私たちは子供がいらないとか。いわゆる、世界をリードするというアメリカが罪を犯しているのです。この罪を改めさせるために、神が準備して、武器をもって出てきたのが統一教会です。神様もこのムーニーたちが、ホモとかレスビアンとか先祖を否定するとか精神を否定する者とか、これらすべてをサタンが装置したのであるが、そこにムーニーを入れて色が染まるか、食われるか、食うかを見ようとするのです。神は御覧になるのです。ムーニーが消化するか消化されるか、食うか、食われるかを見るのです。 アメリカが世界を滅びの道に導いたので、レバレンド・ムーンがアメリカ政府に対して闘うのです。神様を代表して闘うのです。監獄に入れてしまえばみんな散ってしまってなくなってしまうと思っていたのです。それは誤ったのです。このように見るとき、神の思いをもって全人類のためにやるのです。はっきり分かりましたか? (イエス)。 アメリカの家庭に入ると(先生しぐさで示される)双――たちは惨めです。惨めです。このようなことを知ると動物に対して恥ずかしいのです。鳥のオス、メスを見るのに恥ずかしく、小鳥に対しても恥ずかしく、昆虫でさえもオス、メスが一緒になっ喜び歌っているのに。そえろ見て人が、これらのものは全く私に似ているのだ。昆虫もそうでありすべての万物がそうである。花もそうであり、だから人間は万物の霊長である。何を中心としてかといえば、和動し喜ぶことにおいて、神の愛を中心としてです。 あなたたち、ムーニーたち、アメリカ式でアメリカのシステムで、アメリカの概念で語ったり、行動したりして、「私たちに従っていかなければ」と言えば、サタンがその群れなのです。それで統一教会のいい言葉である「蕩減復帰」するために、アメリカの若い家庭の前において、アメリカの人たちが一番憎いと思う人がだれでしょうか? 黒人のおじいさん、おばあさんと共に住むようにしなければなりません。そして黒人の夫、黒人の子女を見て喜ぶようにならなければなりません。そうなれば天下が早く天国になります。結論は簡単です。神様の天国を早くつくる秘訣は何かといえば、そういうものです。(拍手) あなたは黒人の青年なのに拍手していいのですか? (笑い) 「レバレンド・ムーンがアメリカに来て、アメリカのシステムを破壊する」と言うが、それでもいいのです。このようにするためです。神様がこれを願うのでそれをやるのです。それを宣言するのです。あなたたちはアメリカ人ですか? どこの人ですか? アメリカ人になりたいですか、神の国の人になりたいですか? (神の国の人です)。欲張りたちですね。私がこのように熱を込めて話をしても、パンの一切れでも持ってくる者がいないのに、私がここで何をしましょうか? 私のものをもって食べさせたりしているのに。(笑い) 私のポケットからみんな奪っていこうとばかり思っているのです。ここに教区長たちも来ていますが、来てからは先生の他の話には何の関心もないが、助けてあげるという話をすると、眠っていた者でも目を開けるのです。この泥棒者。(笑い) それは先生が教育を良くしたことでしょうか? 悪くしたことでしょうか? それは先生が教育を悪くしたことになります。だから再教育をしなければならないし、頭を逆さにして、手を足にし、足を手にすればいいのです(先生しぐさで示される)。だからドクター・ダーストをはじめとするアメリカの指導者たちは、「先生は私たちが嫌がることばかり語って命令するのでやりきれない」「あ! あ! オリエンタル・ファーザー」「私たちはそのようなオリエンタル・ファーザーは嫌いです」。(ノー、先生はユニバーサル・ファーザーです)。 先生が悪口を言われても言われなくともこのことをやればいいのでしょうか? どうでしょうか? 先生が来る日から悪口を言われたのに、また継続しなければならないでしょうか? それは教育が成されていないのにどうしましょうか? あなたたちが霊界に来る時には間違いなく、「お父様はどこですか? 地上界で真の父母と呼ばれたお方はどこですか」と探すでしょう。知っているといっても通じませんよ。 私の学校は、いい先生が大勢います。なぜいい先生であるかといえば、「授業中に笑ったり喜んだりして勉強をしなくともいいです。四十五分中十五分だけ勉強をし、あなたたちの自由にしなさい」と言う先生はどれほどいい先生でしょうか? 「だからその先生はいい先生である」と言ってもそれが通じますか? (ノー)。では、授業時間前に先に来て待っていて、先生にあいさつをするかどうかを見たり、朝の時一人でも間違った人がいれば一〇〇名でも何人でも全部を叱り、それで涙が出るほど叱り、勉強しなかったら気合いを入れたりします。どちらの先生がいい先生ですか? 先生はあとのような人をいい先生と思います。(正しいです)。それは過去においても現在においても未来においても正しいのです。永遠に正しいのです。 では、あなたたち考えてみなさい。神様はレバレンド・ムーンをどれほど訓練させたか知っていますか? レバレンド・ムーンをどれほど……。約束はいいようにしておいてすべて約束を果たすといわれ、反対に行くことによって約束が果たせるというのです。反対に打つのです。では今が分かったでしょう。あなたたちもアメリカを見るとき、一つとなった眼鏡で見なければなりません。既に、一時間はたちました。 では男はなぜ生まれ、女はなぜ生まれましたか? 喜ぶためです。祖父母はなぜ喜びますか? この宇宙の祖、祖、最も祖父母が神様なのです。この世界、未来の世界を一つにして全天地を一つにする最終的子孫が一番の願いです。最も古い先祖であり、最も新しい後孫です。それが未来の後孫です。これを連結しなければなりません。何で連結するかといえば、国ではない家庭システムです。アメリカの民であるといって、天国に行くのに加減してくれません。韓国人であるとして、後進国であるといって加減してくれません。この家庭システムを中心として神様のみ旨と共に、過去、現在、未来を連結することのできるモデル型だけを認めるのです。これが公式です。そのようにして結んだ実を貯蔵しておく倉庫が天国であります。そうすることによって一等品となります。 このようなメジャーで印をつけようとして、今まで人間の世界に生まれた人々を神が選ぼうとしても一人もいないので、すべて地獄行きなのです。地獄の底から、それでも虫がついたり、虫に食われてしまったりしていても、どこかに使う道があると思って集めておいたのが地獄です。それから楽園です。このような観点から統一教会では、「天国は空っぽである」と言うのである。それが本来の神様が喜ぶことのできる基盤の原則であり、伝統なのです。 夫を見て片目でにらんだら、片目のまま天国に行きます。両目でにらんだら、めしいとして天国に行き、耳で悪くしたならつんぼで天国に行き、口で悪を行ったらおしとして天国に行くのです。足で蹴ったなら足なえとして天国に行くのです。事実そうなのです。だますことのできない、事実として展開されるのです。このように見て、あの世に行って一番良い天国に行ける人がアメリカの女性であり、アメリカ人であると思っていたのに、一番低い天国に行くという結論が出たので、だから私たちはレバレンド・ムーンを憎むのであります。しかし仕方がないことです。 ムーニーが反対されても退くようにはなっていません。反対して退くようにやってみなさい。どのようになるか。だれが背後にいるでしょうか? 神がバックグランドにいます。このアメリカをつかまえて離さないのです。だれが勝つか見てみましょう。最初は「レバレンド・ムーン滅びろ! 滅びろ!」と言っていましたが今になっては、監獄に行って分以上の人々が、「レバレンド・ムーン勝て! 勝て!」と言っているのです。 アメリカ人はグレイ(gray)という言葉は英語ではありません。これはムーニーの言葉です。グレイというのはどちらでもいいのです。選挙する通りに、多くの人々が好む方輸に行こう。この世は速く変化するのでみんな乞食です。中心のないすべてが流されてしまうのです。これがグレイでないでしょうか? グレイはこちらも信ずることができないしあちらも信ずることができないのです。ムーニーは常に絶対的に一つの道に従います。どちらが好きですか。グレイですかグレイトですか? (グレイトです)。先生はグレイが好きです。(ノー)。先生はそれを知りませんでした。先生はグレイについて学びたいと思います。どれほど素晴らしいことでしょうか。(ノー)。 では、これからアメリカに対する整理を成す責任があります。このようなことをやっていて監獄に入ってきたが、死なずにまた出てきたのです。今は帰って来て、公式的な天勝日の記念のために、アメリカに対して言うべき言葉を、きれいに整理しておきました。きれいに整理しましたよ。きょうが満四十四になる日ですね。サタンがナンバー4を支配していたが、これを家庭基盤から整理しておかなければならないのです。そういう意味で朝、喜びの家庭のシステムについて話したのです。 あなたたちは思うのに、自分の祖父母、夫妻、子女は天国に案内する三天使の代表者なのです。それで両親は祖父母に学び、子女たちに学ぶのです。分かりますか? 夫に学び妻から学ぶのです。これが真の家庭システムです。結婚というのが何かというと、自分は男性について知らなかったのであるが男性について学ぶためであり、女性について学ぶためのものが結婚なのです。結婚というのは反対の側。反対の性に対して学ぶためのプログラムであって、その学校に入学することが、これが結婚なのです。それでグレードで一〇〇点を取ることによって、夫も好きになり妻も好きになるのです。一〇〇点を受けなければなりません。話をもって細密にしてあげればいいが時間がありません。どうすることもできないように話をしておけばいいのに時間がありません。 それで、子女を生むのは両親が子女のために世界を愛することを学ぶためです。世界と連結され、未来と連結された子女がいなければ未来と連結されません。未来の子女、世界に連結することのできる教育の資料として子女を与えたということを知らなければなりまそれから何かといえば、先祖を知らなければなりません。祖父母は霊界について学んだので、祖父母に孝行すれば霊界がそのシステムになっているのです。霊界に対する教育を受けるためです。それが何を中心としてかというと愛というタイトルのもとで、愛を中心として全部が連結されているのです。祖父母、夫妻、子女が愛を中心として全部が連結されているのです。この愛をもっては霊界の先祖、千万代の先祖の所まで行ってくることができるし、後孫も、愛のみが通ずる血管と同じような組織が、あの霊界の組織であり、宇宙の組織なのです。どれほど素晴らしいことでしょう愛の権威は? 愛の権威はどれほど素晴らしいことでしょう。素晴らしいことはライトでしょう。(ライト)。ライトの意味はマイトです。力です。すべてのものはこのような愛に服従したいのです。このような愛に従いたいのです。あなたたちはどうですか? 愛の僕となり愛の奴隷となるのが、最大の幸福であるという結論が出ました。祖父というのは何かというと、愛をもって、夫婦が喧嘩をしたら愛の心で、「もうやめなさい!」と言うし、子女たちや孫たちが喧嘩をしたら、「やめなさい!」と言うのです。愛でもって僕となるのです。そうそうあなたが偉い、あなたが高い、愛の僕を最大になした方がだれかといえば祖父です。夫も妻がガミガミ言うと、「まあ! まあ! やめなさい。私があなたの願うことは何でもやってあげましょう」と言うのです。 それで結論が何かといえば、宇宙において驚きであり、偉大で、最も権勢をもったものというのは何かといえば、愛の最も僕の道を行った人であるという結論が出ます。それが神の哲学なのです。それがレバレンド・ムーンの哲学であり、ムーニーの哲学です。 それゆえ、アメリカが先生を反対するけれど、監獄から出てきてこのアメリカをひっくり返して復讐、燃やしてしまいましたが、とにかくアメリカのあなたたちがよくやれるように、僕となってあげているのです。先生は法廷闘争をしながらワシントン・タイムズを始める時、その休憩室で、この朴普煕に、ワシントン・タイムズを創設する費用をサインした人であります。それが偉大なのです。それがグレイトなのです。アメリカにおいての雑誌『インサイト』というのも監獄で作ったのです。そして『ユー・アンド・アイ』も監獄で始めたのです。(拍手)この本をなぜ作ったかといえば、全世界が、この世は急変する世界であるが、ニュース報道というのも急変するのであるのに方向性がないのです。行ったり来たり、行けば行くほど混乱が生じてくるのです。なぜかといえば急変するからです。すべてが早いシステムで流れていくので、急変するので世界が行く方向性を失ってしまっているのです。これはアカデミー世界の学者たちを中心として、アカデミーを中心として行ける方向、いくら波が打ち寄せても崩れない堤防や、いくら風が吹いても揺れない泰山を作って置く物がないために、そのような教育雑誌でもリードしなければならないので、そのまましてしまうとサタン世界に渡ってしまうからです。それでPWPAという世界的組織をレバレンド・ムーンだけがもっているのです。 では、神様はどのようなお方なのか? 愛を中心として僕となりながら、人類を抱きこられる方なのです。神様が、人類が知らないので教えてあげるのです。人間が堕落したのでサタンがどんどん滅びるようにするので、新しい教育システムを作ってだれが教えるかといえば、神様御自身が教えるのであり、そこには神の愛を中心として教えてこなければならなかったという結論が出たのです。それがなぜ復帰摂理をしなければならなかったかという問題、なぜ神様が苦労しなければならなかったかという問題についてこれから語らざるを得ません。サタン世界を見ると、僕から庶子から養子から息子から夫から妻から父母から、全部がこのシステムが連結されていないのです。このシステムが連結していないのは何故かといえば、サタンの愛ゆえにシステムが連結されていないので、神様の愛を中心としてシステムを連結しなければならないという結論がはっきりします。これが神様がやらなければならないことです。 天勝日という言葉の、神が勝つという言葉が、どれほど難しい過程であるかを知らなければなりません。神が、霊界が、勝利するということは、その要素が、本源が何でなければならないかといえば、トゥルー・ラヴ、神の愛でなければならないのです。神様の愛がある所にはサタンの愛の世界は退かなければなりません。神様の愛を中心として成していないものはサタンが主管するようになっているし、神様の愛が基盤となる所は神様の主管となるのです。サタンが愛している所は既にサタンの主管していることなので、いかにして奪ってくるか、どのように復帰してくるかが問題です。 では、神を中心として連結する基準が全部分かれているので、神様は神様自身がこれをいかに教えるか、いかにするかという問題が宿題であった事実を知らなければなりません。分かりますか? では滅びの教材を私たちは歴史以来もっていますが、滅びないで栄える教材はなかったのです。それをだれが作ればいいでしょうか? この世を見てみると僕と僕、僕、養子、庶子、エバ、アダム、神、真の愛、八段階になエバも養女のエバ、養子のアダムというようになります。すべてが分かれているのです。すべてが怨讐となっているのです。これを教材として、歴史以来このようなシステムが、サタンが滅びるようにしたので、神様のみ旨があるとしたら、このシステムを連結するために、世界的な壁にぶつかるとしても貫いて出てこなければならないのです。この八段階の闘いをしなければなりません。(図1)。 では神様が復帰摂理をなぜされるかという問題、救援しなければならないので、詳しいことは皆さんは原理を通してよく知っています。皆さんにこの八段階の思想が入っていないのです。何を中心として復帰しているかといえば、神の愛を中心としてです。他のものではできません。お金でも、力も機能でも知識でもありません。ただ神様の愛、真実の愛しかないのです。それで信仰というのは何か?宗教は信仰であるが、信仰とは何ですか? (図2)。お金を中心とした信仰もあります。知識を中心としたり、力を中心としたものもあります。今日には国家、社会、世界とか文化あらゆる力があります。しかし神様が願う信仰とは、信者が多いのが目的ではありません。何を中心としているかといえば神様を中心として、すべてが何を中心として立っているかといえば、真の愛です。それがはっきりしていない宗教は流れてしまうのです。 では、この愛はどこに帰着すべきかというと、家庭という母体を中心として、先ほど原理原則を知ったので、家庭という母体を中心として教える宗教が、世界を指導する宗教となることを皆さんは知らなければなりません。それで、数多くの宗教があって、その宗教の経典の中で聖書が偉大なのは、神様は人類の父、人類の父母であると唱えて出てきたのが偉大なる事実なのです。これが原則です。それからイエスをひとり子として、最初の男、神様の、父の愛を、最初に受けれる息子であるということが偉大なことです。次に、キリスト教の思想が新婦なのです。イエス様は神の子として来たが、新郎として来たのであります。それで新婦が必要なのです。神の息子がいるので、神の娘が必要なのです。小羊の婚姻とは何ですか。それは神の新郎であり、新婦の結婚式です。新郎、新婦というのは結婚式の日、初めて神の愛の旗を掲げて出てくる日が小羊の婚姻であるのに、その婚姻の式がエデンの園においてなされるはずでありました。しかしそれが他の所にそれてしまったので、人類の終末において婚姻の席上を再び備えなければならないということは、すべ法にかなった話なのです。 それでキリスト教を中心として世界をリードすることのできる今日、アメリカという世界の主導国家、歴史上に初めてキリスト教文化圏を中心として、アメリカというこのアベル民族キリスト教選民圏を中心として、世界を統なして、神の前に一つのキリスト教文化圏として結び合えた時が、たった一度あったのであるが、それが第二次大戦直後のことでありました。第二次大戦直後だったのです。ではアメリカの使命は何かといえば、世界を救わなければならない責任があり、世界のキリスト教を中心としたアメリカは、歴史的に詰まって壁をつくっていたすべてを解かして、一つの世界的家庭を形成しなければならないということです。これをキリスト教を中心として、先生が、統一教会が、この基盤を通してレバレンド・ムーンが出発したならば、四十年前に既に共産主義はなくなり、退廃的な家庭システムと、今日の世界の淪落した堕落に満ちた、この世界像というのは現れなかったでしょう。ということははっきりしています。それを失ったので破綻が起こり、反対したのでサタン側になってしまったので、これを再び探して、四十年間あらゆる恥辱と苦難を受けながら、歴史時代に詰まっているすべてを、キリスト教で開いておいたのを、再び詰まったので、統一教会が歴史的な使命を担って、蕩減開拓の道を再び成して、アメリカを中心とした世界版図圏まで上がってこなければならない運命に処しているのが、レバレンド・ムーンの四十年間生涯路程であったことを知らなければなりません。 六〇〇〇年間を四十年間で成すのです(図3)。これを成し得ない日には、統一教会は問題が大きいのです。世界は行く道がなく、サタンが第二堕落圏を結んで、神と人間世界が連結できる道は永遠になくなってしまうのです。神がいないと判明が下され、そちらに引っ張られていってしまうのです。それから神は死に、共産主義の唯物主義が残って、ヒューマニズム、「私たちはメシヤが必要ない、人間は平等である。メシヤがなぜ必要か。それは階級的な概念からである」。すべてを完全に破壊した世界として暗黒天地が始まるのです。ヒューマニズムは、「私たちはメシヤが必要でない。すべての人間は平等である」と言うのです。それから非宗教的人道主義とは、「宗教とかシステムとか伝統など必要でない」。旧時代と新時代とを分立してすべてがフリーセックスだとか、ホモ、レスビアンとかが始まって、「それが良い、動物的である」と言うのです。サタンが自分の思いど界となったので、神様が立つ場所がないために、神様は永遠に、いつ神様が取り戻せるのでしょうか?そのため宗教崩れ、民主世界が滅びるようになり、家庭が腐敗し、二世たちがめちゃめちゃになってしまうのです。それで四〇〇〇年間を蕩減し、キリスト教文明圏を失ったので、再蕩減するために、統一教会は四十年間に八段階を越えなければなりません。民主主義基台の上に、世界的基盤を整えて上がってくるのです(黒板に書きながら)。それで神様が、聖書に現れた六〇〇〇年の歴史は何をしたかといえば、神様が何を教えてきたかといえば、僕の僕としての教材と、僕の道を行くことをして世界版図にまで導いてくる歴史が総合した、宗教の歴史なのです。 皆さんも原理を通して学びましたでしょう。旧約時代は僕の僕の時代として、僕の時代、養子の時代、キリスト教の神学時代を中心として、庶子のような立場を通して、統一教会の庶子の因縁を結んであげるのです。父母のどちらかが異なっているのです。統一教会が行くのが、ここから(黒板を指されながら)庶子からです。庶子が何であるかといえば、父親は同じであるが、母親が違うのです。片方が違うのです。堕落したのでそうなったのです。それで、今まで庶子と自分の直系の子女と、これが問題です。宗教におけるカイン、アベルのようなものです。細密にしようとしても原理を知っているので早く進みましょう。 旧約、新約を通して、神様のすべての愛を中心としてこのように、このような段階の事実をはっきり知らせてあげたのにもかかわらず、人間たちが長い六〇〇〇年を、連結してみることができ、測り得る概念をもつことができなかったのです。それでメシヤという代表を中心として、これを縮小させて、この概念をすべて闘って、勝って、勝利の盾をもっ(???)それでイエス様を中心として見ると、ゲッセマネの園で祈ったとき、「わたしの思いのままでなく、みこころのままになさってください」と祈ったのは、父を絶対的に愛する代表的でありました。それで六家庭とザカリヤの家庭が一つとなって結婚式さえ行ったならば、初めてカイン、アベルの問題をすべて解決して、国家的次元に行けるはずだったのにすべてが切れてしまったのです。崩れてしまったのです。それが再臨時代において世界的に見るとき、世界的に二つの家庭が何かというと、西欧社会とアジア社会、東洋社会、これが二人の兄弟なのです。双子なのです。地球上においての双子だったのです。それで逆に、東から西へ行くはずだったのに、西から逆に東へ、イエスが死んだので、霊的世界基準を中心として実体世界をつないで、アジアの文化圏と西欧の文化圏が結合したその基盤の上に、新しい西欧文明からアジアの本来出発すべきであった文明圏が始まるようになるのです。それで歴史はここにおいて転換するという事実を知らなければなりません。イエスが死ななかったなら、その時にイエスを中心として十二支派が一つになったなら、今のアラブ圏がその時に統一され、アラブ圏が統一されれば自然にローマ強国を対するようになるので、必ずアラブ圏自体は、インド文明圏と中国文明圏が連結されたそのような基準の上で、アラブ圏を中心として、中国の宗教、あるいはインド宗教の新しいもの、それをカイン、アベルを中心として世界的な文化圏を形成して、ローマを吸収することが本来のみ旨であったのに、これが逆にローマに入って、迫害の道を、逆の道を歩んで、蕩減の道を経て、今アメリカの文化まで来て、アジアに転ずるようになったのであるが、終末となったので、今西欧文明の若者たちはアジア文明にあこがれるのもそれはなぜかというと、摂理的意義から、このような転換において相合わなければならない時点を見つめる歴史的方向があるために、必須としてこのようにならなければならないのです。それで日本という国はどうしてあのようになっているかといえば、アジアの文明圏をもって連結されている島であるから、これがセンターとなっているので、ここに一つとなって、アジアへ連結されるこのような時代となっていくのです。日本が問題です。日本が問題です。 サタン世界は何かというと、サタンはアメリカと日本が一つになることに反対し、アジアへ連結されることも反対することもするので、サタンは経済問題これは外的でありますが、この経済問題を中心として、アメリカの法を中心として、日本とアメリカの経済政策を、アメリカが日本に対する経済政策、入ってこれないようにする経済政策を使っているのです。それで太平洋にあるすべての国々、日本と韓国、マレーシア、インド、台湾に全部アメリカがブレーキをかけようとしているのです。これが危機一髪なこの終末時代に、アメリカが大きな誤点を残す時点に入ってきているのです。 このように、誤ってアメリカを動かしているのは何かというと、共産主義的な思想をもった人たち、神がいないと言い、イエスが必要でないと言う人道主義者たち、非宗教的人道主義者たち、すべての倫理、道徳を否定する群れが、このアジアに対する経済をなしているのです。そのような意味において、そのような危機があるので、神様は既にこのアメリカの地にレバレンド・ムーンを送って、この危機な事態が神の(摂理の)前に現れているので、このようにレバレンド・ムーンを送って、旧約、新約聖書がすべて崩れてしまったのを再び再建しなければならないし、アメリカの家庭が破綻されているのを再建しなければならないし、アメリカの主権が神を中心とした愛を失ったので、これを回復するための使命に、影響を与えるために、神が送ってくださったことを先生はよく知っています。 それで私たちは、神の愛を植えてあげなければならないし、教会を再復興しなければならないし、家庭を再復興しなければならないという三大タイトルをもって現れたのであります。神はアジアと西欧文明を一つに結ぼうとするのに、サタンが立ちふさがって破綻しようとするので、レバレンド・ムーンがこれを中心として、アジアの文明の核をアメリカに持って来て、分立されたここで、基盤をつくって、再び接木しなければなりません。それで韓国と日本とアメリカを、今は、韓国と日本のみが共産圏内になっていないのです。ほとんどが共産圏の脅威を受けています。ただ韓国と日本だけが影響を受けていないので、韓国と日本と、アメリカを連結するための闘いをしている事実を知らなければなりません。それで、先生がいかにして中共を引き入れるか、中共が神の前に帰ることができるか? そのために、ハイウェイ・システムを宣布して祈祷してきたことが、今は帰りつつあるという事実は、希望の歴史の時代の門が開かれている事実を、皆さんは知らなければなりません。 アメリカは今何かというと、日本を牽制するというのは、何を通してかといえば、中共を通して、日本にブレーキをかけようとするのです。日本を妨害しようとします。日本によって中共が、産業とか経済問題が復興されるので、(アメリカは)はそれらのすべての設備を防ぐために、外交政策に反日政策を、決定的に持ち出してきているのです。 そして、ニカラグア問題を中心として問題がこうなるのは、ラテン文化圏とアングロサ化圏が完全に分立されて、キリスト文化圏と怨讐になれるような事態が起こるのです。南米において、アメリカのレーガン行政権と、それでニカラグア問題を中心として、監獄で、議会でサタンを全部切りました。レバレンド・ムーンが、命を懸けて闘ったという事実を知らなければなりません。それで一四〇〇万ドルをボイコットしたのを、七週以内に、レバレンド・ムーンをセンターとして、アメリカの世論とあらゆるところに打ち込みました。私が責任をもつと。(拍手) それはレバレンド・ムーンに一発やられたことになります。国会とか、統一教会と文先生がそれを助けたとしたら、アメリカの国会とか大統領、アメリカの国民の顔に泥を塗るようになります。それで仕方なしに、レバレンド・ムーンが憎くてやったというのです。レバレンド・ムーンが憎くてやったというのですよ。それはサタンも憎むし、非宗教的人導主義も嫌がるし、人道主義も憎むし、共産主義も憎む、すべてが憎むのがレバレンド・ムーンであります。間違いなく一四〇〇万ドルを、一週間以内に、自分の小切手で出すほどの力があることを知っているのです。 それが何日でしたか? 六月六日でした。ダンベリーの獄中で、特別の宣言のため先生は一晩中祈り、そしてお母様に、「ハン大使、郭先生、朴氏に九時に会いにくるように、会合をします」と電話をしました。先生はそこで強固たる決定をしました。そして宣言が発表されました。ですから決定日は六月五日で、発表は六月六日、世界に向けて発せられたのです。(拍手) アメリカの言論界が、どれほど悪らつであるか見なさい。このような歴史的な事件を、一つも報道しないで済ませてしまおうとしているのです。済まして過ぎることはできません。これは、私たちの統一教会の歴史に残るということを知らなければなりません。アメリカがここに失敗していたなら、投げ出され、共産党のえじきとなって、レーガンが追われる立場に立ったでしょう。このように、アメリカを神側に引き入れながら、キリスト教を引き上げて結ばなければなりません。これが何かというと、先生が出てくる日の八月二十日のバンケットだったのです。それで、背後の、政治の背後の人たちを、全部結んで、外的基盤と内的基盤を四十年前に、アメリカが世界を支配することのできる版図圏を、四十年後に、レバレンド・ムーン一人が千辛万苦して初めて地上の顕現基盤をつくって、これを連合させるのにおいて、名実共にこれが連合されたという事実を知らなければなりま(拍手) 霊的キリスト教の文化圏と、実体的文化圏の出発であるこの統一教会が、初めて出合って相合い、そのセンターに先生を中心として、真の父母を中心として、イエスを中心として失ったすべてを復帰することのできる、世界史的な基準が始まっているので、その時には、すべてを取り戻すのです。家庭から、すべての社会から、すべてがレバレンド・ムーンに集中する時代に入ってくるのです。それで、霊的世界キリスト教文化圏と、実体世界のキリスト教の代身としての、アベル的キリスト教文化圏である統一教会文化圏が合って、一つになるのです。これが一つになることによってのみ、霊肉が一つになるのです。それの基盤の上に、先生が立たなければなりません。アメリカと統一教会の基盤の上に、先生が立たなければなりません。 では、アメリカの大統領レーガンがいますが、彼が世界をいかに指導したらいいか分からないのです。どのようにすればいいか分からないのです。たった一人レバレンド・ムーンしかいないのです。(拍手) 先生に相談しないと滅びます。世界を滅ぼすようになるのです。このような時となっているので、歴史は既に、世界と、アジアの文明圏と西欧文明圏の思潮が、交差する時に入っているのです。西欧文明の主導圏時代は過ぎて、アジアの新しい神を中心とした、統一圏文化時代へと移っているのを、この世のだれも知らないのです。 それで、サタンが今までサタン世界として支配していたのを、神の世界として支配し始めるのです。アダムを失ったので、アダム国家型が世界に現れなければならないし、エバの世界型、カインの世界型、アベルの世界型国家を立てて、彼らはみんな怨讐であるが、怨讐たちは初めて先生を中心として、統一教会を中心として、キリスト教と一つとなって、伝統的文化基盤をねたにつくらなければ、統一文化圏の出発が不可能であり、神のみ旨である、地上天国出発が不可能である事実を、このムーニーたちははっきり知らなければなりません。アダム国家型が韓国であり、本来は来られる主の前において、英国がエバ国家となり、アダムは再臨主であり、アメリカが息子となってアベルとして、滅びたすべての自由世界、今まで怨讐であった日本、ドイツ、イタリア主(枢)軸国を中心と、これらがカイン圏を吸収して神の圏となり得たのであります。それを失って、再蕩減しなければそれが、キリスト教文化圏が反対することによってすべて失ってしまったので、再び来られる再臨主が設定して、アダム国家、エバ国家、天使長国家、カイン的天使長国家を立てて蕩減するのです。これが分かれてしまったので一つにならなければなりません。 フランスとイギリスを見ると、怨讐同士です。アメリカとフランスを見ると、昔はアングロサクソンと怨讐同士です。キリスト文化圏がそれらを一つにして導いてきたのです。キリスト教文化圏が反対したので、仕方がなく、これをサタン側から取り戻そうとするので、サタン側にいた代表の日本国家とドイツを立てて、アメリカがアベルの立場で、キリスト教文化圏を受け継いでいるのでアベルの立場に立てて、アダム、エバ、第二次大戦の後、各々の国々がみんな怨讐なのです。日本と韓国が怨讐であり、日本とアメリカ、アメリカとドイツ、これらの怨讐国家が一つになることによって、アダム時代に、堕落により、四つが怨讐として分立していたすべてを一つにすることによって、サタンがこの世界的基盤の上に立つことができないので、サタンは退くのです。どこでその基盤をつくるかといえば、世界の舞台である、アメリカでそれをしているのです。 それで韓国の責任者、日本の責任者、ヨーロッパの責任者、ドイツを中心としてヨーロッパの責任者をみんな連れてくるのです。そして一つにするのです。これらの四国が一つとなって一国とならなければなりません。それが、アメリカでの私たちの活動の基礎となります。だから韓国のリーダーがこのアメリカに来ます。アメリカ人たちは「私たちは韓国のリーダーは必要ありません」、これは正しいですか? 間違っていますか? (間違っています)。「私たちは日本のリーダーなんか必要でありません」、これは正しいですか? 間違いですか? (間違いです)。「私たちはヨーロッパ、ドイツのリーダーはいりません」、これは正しいですか? 間違っていますか? (間違っています)。私たちがいかなる困難にあっても、このアメリカに基台をつくらなければならないのです。もしこの基台がつくれなければ、私たちは進むことができません。どこへ進むことができないのですか? 地上天国です。これをはっきり知らなければなりません。 では、どこから天国は始まるのでしょうか? それは怨讐同士の四国が基台をつくるために、アメリカにやって来てから始まるのです。なぜかというと、堕落後アダム、エバ、カイン、アベルが分立して怨讐となりました。それが堕落の経路ですから、今回の復帰の道としては、その反対の経路をたどればいいのです。これらの怨讐の四国とは、アダム国家、エバ国家、神側の天使長国家、サタン側の天使長国家です。世界は分裂しています。韓国は縦的に二分されています。民主国家とそれに対抗する共産国家です。ドイツは横的に、東が共産主義国家、西が民主主義国家に分裂されました。これは大問題です。これらの二種類の国境。これらをどのように取り除くのか? どのようにこの問題を解決するか? 統一をしたあとに……。それが人類の課題です。神の使命でもあります。 今や統一教会は二つの異なった世界の状況、そしてイデオロギーを一つにしようとしています。一つは共産主義、もう一つは民主主義です。これら二つはイエスの十字架の時の左と右の強盗を代表しています。どうしてでしょうか? 左側と右側というのはここから始まったのです。この言葉の歴史的背景がありますが、だれもそれを知りません。イエスが十字架につけられた時の。その時、人類は右側の強盗側の人々と、悪い強盗側の人々に分かれました。そして右側はアベル側となり、左の強盗の側は神に背むきました。「我々は神を必要としない」、左の強盗は右の強盗に、イエスに、神に論争をしました。「我々は神を必要としない」、そのような世界ができました。しかしこの収穫の時、このような難しい状況をいかに解決していくか? それは唯一メシヤの出現によるのです。メシヤの使命はこのような難しい状況を解決していくでしょう。そしてそれこそが人類が生き残っていくための唯一の道なのです。失敗すれば全人類は破滅です。希望がありません。皆さんはこの点をはっきり知らなければなりません。分かりますか? (イエス)。 先生は英語が好きでありません。この集会で、先生は皆さんに命令します。韓国語を勉強しなさいと。(イエス)。それは人類の母国語です。本来神の創造した世界では言語は一つでした。ではだれがこのように分裂させたのでしょうか? サタンです。分かれていきましたが、今私たちはこれを統一しなければなりません。言葉を一つにすることが私たちの使命です。先生にとって英語を勉強するのはとても難しいことです。先生はもう六十五歳なのですよ。六十五歳にもなると毎日、毎日、すべてを忘れていくのです。(笑い) 一つずつ、頭の中から概念が消え去っていきます。例えば、先生が英語を勉強するためを読むと新しい単語が出てきます。すると辞書を使って意味を探します。そして、一度に十個単語を覚えるとして、単語に韓国語で訳をつけます。これが夕方だとすると、次の日の朝にはすべてを忘れてしまっています。(笑い)どれだけ一生懸命、新しい単語を勉強しようとしても、この頭の中には、それらの単語は二度と浮かんでこないのです。何度ぐらい繰り返さなければいけないでしょう? 二十回、三十回と繰り返さないと覚えられません。それほど先生にとっては難しくなっています。それでも先生は勉強を続けます。それは、堕落世界の人々を救うための、人類のためだからです。 皆さんは若者です。若い顔をしています。顔を見てごらんなさい。若すぎるくらい若いでしょう? (笑い) 一度読んだらすべて記憶してしまうでしょう。先生が皆さんのように若かったころは、一度読んだらそれでOKでした。先生は頭はさほど悪くはありませんでした。(笑い)先生は知っています。とても良い頭脳でした。とてもスマートなものでした。一度読んだら、テープレコーダーのようにすべて記憶できたのです。英語の本を読くと、新しい単語が十、百と出てきますが、韓国語で意味を書き覚えると、次の日でもはっきり覚えていました。すべて書き込んだことは、ノートの片隅に至るまで覚えているといったほど、良い頭脳をもっていました。しかし、年を取ってくると、それは簡単ではありません。ですから、一九九〇年までに皆さんは、韓国語を勉強しなければなりません。そうしなければ、私たちの世界会議に参加できなくなります。韓国に来ることもできなくなります。先生が許可しません。これは言語の問題です。人類が別々の言葉を使っていてどのようにして一つになれるでしょう。違った言葉を使うのを止めなければなりません。神がそのような分裂を望んでいないからです。理想を求める多くの人々もそれを望んでいません。もちろん先生も望んでいません。先生がそうなら、ムーニーたちも父の歩んだ路程に従いますね。皆さんは、先生に言い訳はできません。将来、韓国語を話せないムーニーは、リーダーの話すことが理解できなくなります。このことを知っておきましょう。先生がこの年になっても、英語を学ぶという伝統を築いたからには、皆さんは言い訳はできません。韓国語を学びなさい。やりますか、やりませんか? (はい、学びます)。ムーニーはよく知っています。ムーニーは全員スマートですから、皆さかっているでしょう? 先生の代に言語を統一しなければなりません。今、その伝統を築かなければ、他に時はありません。どれだけ今皆さんが惨めな状態かということを考えてごらんなさい。これはレバレンド・ムーンの見解ではありません。原理なのです。原理的見解です。はっきり分かりましたか? (イエス)。英語の説教の章が終わりました。英語は食事をする時の風味づけのような言葉です。先生がこの十から二十分の間英語で語ったのは、先生が作る霊的食事の味つけをしたのです。つまりホイップクリームとチェリーを上に載せたようなものです。 では今は何をやらなければならないか? これからは全体が一つとなって、このアメリカにおいて怨讐国家が一つになったので、私たち国を探さなければならないし、私たちの世界をつくらなければなりません。そのような最後の戦略が今度の活動であることを知らなければなりません。統一教会の意味は教育です。そして統一、そこから世界的基台へとリードするのです。そのために、このアメリカに全世界の人々が住んでいます。このアメリカを一つにしたら自動的に世界は一つになります。とっても簡単です。それで神様が愛する大統領を私たちはつくらなければなりませんし、神様が教育して、神が愛する上院、下院議員、州の責任者と州の上院、下院議員、すべての機関長を、神が愛する人が国を治めることによって、アメリカを選び立てたアメリカの独立精神、アメリカを探し立てた神のみ旨が立つことのできる可能性があるのです。あくまでも可能性です。 どのようにしたらいいか? キリスト教と統一教会が一つになればいいのです。そうすればすべては終わりです。韓国はそのような面において、七〇〇万勝共の組織を完了し、日本と、そのような意味においては、先生が、政府が誤ったことをやる時に攻撃すれば、これからブレーキをかけることができます。日本においてもブレーキをかけることができ、アメリカにおいても今ブレーキをかけているのです。ワシントンを通して大統領が誤ったことをすれば攻撃します。長官が誤ち、共産党の誤ち、非宗教的人道主義者たち、人道主義者たちを攻撃して、闘っているのです。それでランボー大統領でなく「ガンボー大統領」と言ったのです。国務省に行って取り消し中であり、人道主義的な立場で攻撃しているのです。 レバレンド・ムーンが賢いので、バランスを取るために、このように気が狂ったかのようなことをやっているのです。これは気が狂ったことです。統一教会でのやることは、気が狂ったことです。アメリカはバランスを失っつつあります。バランス・パワーだから、そのバランス・パワーを作っているのです。ブレーキの役割をしています。動かすことができないのです。動かす力が強いですか? ブレーキの力が強いですか? ブレーキの力がもっと強いです。アメリカの政府がいくらやっても駄目です。ムーニーたちを無くすことはできません。だからアメリカの政府が先生を除去しようとしましたが、できませんでした。今やアメリカの国民が先生の側です。(拍手) 有り難いことに、イエスの時は右の強盗と闘ったのであるが、キリスト教を中心としてサタン側と神側が一つになっていく様子が、レバレンド・ムーンを中心として、ワシントン・バンケットで起こったのであります。ジェリー・ファルウェルとドクター・ジョセフ・ラウリーです。歴史的なことが始まったのです。彼らは二人の強盗の立場です。統一教会とキリスト教会が一つになりました。これから統一教会とキリスト教会が一つになって、大統領とアメリカが一つになればすべてが終わりです。復帰がすべて終わるのです。もしそれが起こりそうもないなら私たちがそれを起こさせるでしょう。アーメン。(拍手) 獄中においても、キリスト教を連合させると同時に、既成政会を中心として、全国の牧師たちを中心として、六十万以上指導者をつくろうとしているのです。なぜなら、二十一万を中心として三位基台をつくれば六十三万になります。この教育をしているのです。これを中心とし、世界を指導する基盤が決定されるのです。 世界荒野時代においての今、カナン福地に、天国に入ることのできる、新しい国の創建のための旗手として登場するムーニーであることを知らなければなりません。モーセが四十年後にカナンに入っていったのと同じ状況です。私たちは世界的なカナンに入っていくのです。今は全イスラエル人たちを一体化されようとしているのと同じ状況です。初めてこのことを今回のリーダーたちに教えました。今は彼らは一つの方向に向かおうとしていますが、以前は彼らは方向性をもっていませんでした。先生が教えたのでリーダーたちはその方向を理解したのです。それで全員がついてこれるのです。そのような状況をこの国でつくろうとしています。このような活動が今や前進しようとしています。先生の言うことが分かりますか? (イエス)。ですからムーニーは全員動員です。家に残っていてはいけません。残っていては滅びます。家に残っている者は生き残れません。もし仕事をしないのなら全員がその人を讒訴します。「あなたは何もしない」「働いたらどうなの」「あなたが働かなかったので理想世界を守ることができなかった」。全員が、家に残っているムーニーにこのように讒訴します。もし彼らが讒訴しなかったら、先生がその人を迫害し讒訴します。今は恐ろしい時なのです。先生はどれほど恐ろしい時なのか知っています。あなたたちは知らないけれど。ですから先生が命令します。「すべてのムーニーたち、動員に参加しなさい」。全摂理的復帰歴史は、この時を待っていたのです。歴史は、先生の四十年間が終わる時を待っていたのです。先生の生涯を通して、この一瞬を待っていたのです。そして今やその最終段階に入っているのです。先生は動かないで、じっとしている者を見たくありません。先生はがっかりします。先生の言うことが分かりますか? (イエス)。家に残っている者は自動的に滅びます。これが神の摂理的見解です。分かりますか?(イエス)。「先生はっき分かりました」と言う者は手を挙げてごらんなさい。 それで今の時が最後の時なのです。本来は七年前にやるべきだったのが、今日のアメリカが反対したので、七年間蕩減して今になってきたのです。元来は一九七六年十月四日が天勝日になるはずであったが、満八年たって、復帰して、探したのです。再出発したのです。それげ統一教会が四十年前に、レバレンド・ムーンとキリスト教と民主世界が一つになるはずだったのに、統一教会が再蕩減して、統一教会がキリスト教の失敗を蕩減復帰して、レバレンド・ムーンと一つとなって世界的頂上である自由世界に来てキリスト教を連結させ、アメリカを連結させて、責任を成し得なかったことを蕩減復帰する基準で、新しいカナン出発を命令をする、これが獄中から、出獄から出発したという事実を知らなければなりません。ヨシュアとカレブを中心として、カナン福地するイスラエル二世たちを中心として、神が「強く雄々しくあれ」と言われたように、第二次的な再出発をするこの時代において強く雄々しくなければなりません。今有り難いことには、長子たちが死んでいくことがなく、長子と次子たちを中心として束ねて、次子を先に立て長子と共にカナン福地に、死なないで、闘わないで、歓迎される立場で出発できるという、驚くべき事実は、歴史的なすべてを蕩減したので、そのような結果がもたらされるのです。 今は、アメリカでの民主党と共産党についていっては、滅びるようになっているのです。滅びることを知っているのです。だから私たちは教育しなければなりません。今のこの運動が、教育するためのことです。神様の愛で教育するのです。既に教会の指導者たちを教育し、次に政界の指導者です。それで州の責任者たち、上院議員、下院議員を教育しようと計画しているのです。するなと言ってもやるのです。そして中央の連邦議会にいって、上院議員、下院議員の間に広がるでしょう。この話を聞いてレーガンが気がついて、FBI、CIAが悟って早く米国連邦議会でカウサ教育をすれば救われるでしょう。あなたたちがいくら何と言おうとも、これから彼らは、レバレンド・ムーンの話を聞くでしょう。(拍手) アメリカの人たちが他の国の言う話に耳を向けないで、アメリカの人たちが他の国の民、血族が異なり色が異なる民に関心をもたなければ滅びます。レバレンド・ムーンのみが、これらに関心をもつので四方八方の美人となっているのです。だから、アメリカ人は黒人の話を聞き、アジア人の話を聞き、スペイン人の話を聞き入れ、一つになれる場においてのみ、アメリカが立っておれるのです。最後には彼らが一つとなって追い出すでしょう。先生は明確に指示を与えています。皆さんが先生のやり方が好きでないなら、皆さんは滅びるでしょう。これから数年後を見てみなさい。レバレンド・ムーンは政治的発言をしてもいいのです。旧約聖書に、予言者は王に進言することができます。それが予言者の使命、旧約の予言者の使命でなかったでしょうか。人々が好もうが好むまいが、公然と宣言するのです。ですからあなたたちは、レバレンド・ムーンの話に耳を傾けなければなりません。そして統一教会の教育を受けなければなりません。もしそれを望まないなら、引き裂かれてしまいます。だれによって?神によってです。レバレンド・ムーンによってではありません。これをはっきり知らなければなりません。ムーニーたちはこのように、深刻な時代に生きています。先生が監獄から出て来てあなたたちにはっきり教えてあげて、確かなものにしなければならない責任があるので、歴史内容を中心として、はっき宣布するのであります。これが「ベルベディア宣言」となるでしょう。 それで、西洋、東洋の双子の文明を一つにすることをここでやっているのですが、それで、アジアは先生についてくるようになっているのです。日本とか、韓国とかアジアの人たちは、ここにおいて西洋の人たちを一つにしていけば、全部ついてくるようになっています。胎中にいる時(しぐさで示される)このように座って闘うか、このように闘っているか、このように向き合っているか? どのようにしているでしょうか? そういうことをよく考えてみたことがありますか? 母の子宮の中で、双子が、兄と弟が闘ってはいけません。だれが兄かということは歴史から見ても、五〇〇〇年の歴史をもっている韓国、東洋が兄であって、イスラエルまでも全部東洋でしょう? なぜかといえば、歴史においてすべての宗教は東洋から出てきたのです。仏教もヒンズー教もキリスト教も東洋ですよ。それを知らなければなりません。宗教はすべて東洋から出たのです。イエスはどちらですか? 西洋ですか? 東洋ですか? 小アジアでしょう。小アジアもアジアでしょう。(笑い) ギリシャまでアジア圏に入るのです。統一教会はどこから出ましたか? 東洋です。宗教を統一する運動ができる人も、アジアから出てこなければ偽物なのです。統一教会の概念は、真なるオリジナル概念です。ですから始まりは東洋からです。それが正しい結論です。西洋の人たちは先生に反対してごらんなさい。先生は一つ質問をしてみます。西洋の皆さんはそれを聞いて幸せですか? (ノー)。幸せですか?(ノー)。 神様は何かというと、木を植え育てた主人であるのに、猿の子たちがその木の上に登って、芸をしながら自分を誇っているのです。神様は笑っておられるのです。私が木を植えておいて、それが育ったので、その上に登って誇っているのであって、木がなかったら何もできないだろうに……というのと同じ状態です。自分たちがみんな成し得たと思うのです。 同じことが西洋人にもいえます。「これはすべて私たちの世界だから、私たちがすべて支配します」。しかし神は笑っています。「アッハッハッハー」。(テープ切り換え) 猿は、「我々は何と素晴らしいことか」「あなたにはそんなことができない」と言うのです。その時神は笑っています。「アッハッハッハー」。(笑い) 同じことがいえます。西洋人に対して。「私たちは偉大な人たちである」「私たちは猿のようである」「これたちの世界だ。私はこれらすべてをコントロールすることができる」。神はそれを見て、笑っておられるのです。「アッハッハッハッハー」。これが正に今、世界に起こっていることです。 世界には、一人ずつ人を撃っている者たちがいます。バン、バン、バン。それは良いことですか? それは共産主義者です。バン、バン、バン、バン、バン。彼らのあとから、ある者たちが来て、「そんなことをしてはいけません」と言います。これが統一教会です。同じ状況です。それと同じです。 あなたたちは死にたいですか? 死にたいの? 現在アメリカは、共産主義者たちによって撃たれています。彼らは武器を隠したハンターです。そして、いつもハンターたちは微笑を浮かべています。「戦争は良くありません」「争いはやめましょう」。戦争反対を装うのが共産主義者です。アメリカは共産主義者たちを歓迎して、「ようこそ私の家へ、どうぞ」「皆さんは何と素晴らしいことでしょう」「どうぞ、うちのベッドへ」といった具合いです。これがアメリカ式です。 では、今は分かりましたね。そういう時であるから、今までは天勝日が大切にされていませんでした。このアメリカにおいて、天勝日が今まで大切にされていなかったけれども、八年目を迎えて、この日となったのです。全部が集ったら支障をきたすので、代表の人たちが来るようにしました。九月三十日から、(十月)一日、二日、三日、四日になると腰が痛くなって大騒ぎです。初めは先生の話を聞いて喜んでいましたが、二日、三日たつと嫌気がして逃げようとするので、きのうお金を与えて、「外に行ってきなさい」と言ったら、大変喜んでいました。それを見て、先生は思い直したのです。“先生が、この人たちの教育を間違ったのだ”と。(笑い)だから再び教育が必要なのです。きょうは、新しい天勝日なので、新しい心をもって、新鮮な心をもたなければならないのに、あまり遊んで、寝不足のまま来た者は居眠りをするでしょう。それで汗をかきながら、強烈な説教をしなくてはならないのです。(はい、ありがとうございます)。(拍手) 六〇〇〇年間神様が見せてあげたことを、すべて忘れたので、仕方がなく、このような事態になってしまいました。四十年前にすべて成そうとしましたが、事態がこのようにな再び収拾しようと、一人の標本をもって、個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成の標本まで、ピラミッドのように標本をつくって、世界に見せてあげなければならないのです。そのようなプログラムを、四十年間に成してきたことを皆さんは知らなければなりません。旧約、新約のすべてのもの、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、洗礼ヨハネからイエスまでのすべての、歴史的な代表的なものを見せてあげたのですが、今は何も知らないのです。ですから、それを開拓したのは、彼らではなく、神様が直接なさったのです。神様が僕の僕として開拓し、僕、養子、庶子、エバの責任、アダム責任、これらの責任をすべて成してきたのです。これまでは六段階です(図4を示しながら)。今までは、世界的アベルの代わりに、責任を果たしてきているのです。キリスト教が息子の責任を果たせなかったので、アベル的世界代表の道を、(先生は)一人で開拓してきたのです。これをキリスト教が成し得ず、統一教が知らないので、先生が直接責任をもって、世界的に、歴史的に、アベルが失敗したことを全部集めて、アベルに対して、歴史的に、そのたびごとに闘ったサタンは生きているので、そのサタンが歴史を蕩減しようとするので、その時代時代に、歴史に勝ったその経歴をもって、サタンがこのように私の攻撃を受けなければならないのです。その攻撃は全部世界的です。個人的立場においても世界的であり、家庭、氏族、国家、このような闘いを今までやってきているのです。キリスト教が歓迎することができず、民主世界が反対するゆえに、統一教会は、世界史的に反対を受けざるを得ない、運命の道をたどってきているのです。 個人レベル、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙レベルにおいては、アベルの責任とは何か、このダンベリーに行って重要なことが何であるかといえば、地獄の門を開き、天上のハイウェイを造ることであります。それは何の話かというと、サタン世界が退くということです。 それで、私たちは(サタンに奪われた世界を)自分の手で取り戻さなければならないので、総動員して、収穫期においては、病気の人は除いても、父母、兄弟、子女まで出て、収穫しなければなりません。その運動をしているのです。この歴史的背景を、原理的観点において結論づけるとき、これは歴史上の最後の戦争をしているのです。最後の収穫をしているのです。 レバレンド・ムーンがなぜ必要かといえば、蕩減の道を越えていくからです。言い換えれば、伝統を立てるのです。この(図4を示しながら)すべてが分かれています。サタンが分けたのですが、先生が統一することのできる伝統を立ててきていることを、皆さんは知らなければなりません。先生についてきて、個人的に展開されれば、これが家庭的に展開され、家庭的に展開されれば氏族へ、という道が生じます。今はどこまで来ているかといえば、ここまで来ているのです(図で世界レベルを示される)。これがカイン、アベルを中心として、右のほうもこのキリスト教を中心としてアベルといえば、国がカインであり、サタン側も同じです。サタン側も二重になっています。それで統一教会は、アメリカにおいても、サタン世界においても、勢力をもたなければなりません。統一教会は、どこにもあります。共産諸国にも行っています。それを、いつそのようにつくったか、あなたたちは知りません。これから、言論界が知らない秘密的ニュースは、レバレンド・ムーンを通して、いくらでも入手することができます。ですから、言論界を強力にリードすることができます。分かりますか?(イエス)。 では、先生は何かというと、生きた歴史時代において、僕の僕、僕、養子……これらの道の手本となっているのです。どのようにして、一つになれるかを示すために、今までやってきたのです。先生に従ってきて、これをすべて行うことによって、最後には、神の愛の所まで行くのであって、ほかにありません。なぜかといえば、偽りの父母がこれ(障壁)をつくったので、真の父母が、これ(各段階)をすべて統一しなければなりません。あなたたちはこれまで、統一教会がやることに対して、ミスター・パクも知らなかったし、ミスター・カクも知らない中において、(統一教会は)このように展開してきているのです。ミスター・カクとか、彼らが統一教会を動かしているのではありません。あなたたちと同じ立場です。先生がミスター・パクとか、ミスター・カクとか、ドクター・ダーストの話を聞いて、相談しながらやっていれば、エデンの園において、アダム、エバが堕落する以前に、相談の相手がいたということになるのです。アダム、エバしかいないのです。二人しかいなかったのです。子女がいたでしょうか? ただ天使しかいなかったのです。ですから、真の父母は、だれとも相談することができません。分かりますか? アメリカのリーダーたちは、“先生が韓国や日本のリーダーたちといつも話をし、彼らの影響を受けている”と思っているかもしれません。そんなことは決してありません。先生が命令するのです。時々、ドクター・ダーストが先生の所に来て、「先生、アメリカ人たちはこのように考えています」と言いますが、「ここは、そのようなことを言う所ではありません。先生にはアメリカなど眼中にありません。神と摂理以外は眼中にないのです」と言うのです。考えてごらんなさい。アメリカがエデンの園ですか? (違います)。アメリカにありますか?(ノー)。ただ二人だけにあります。アダムとエバ、ほかにはだれもいません。たった一つのカップル、そこには他の人はいません。 もしレバレンド・ムーンの意に添わないことを言っているのなら、それは良くないことです。神はそれを望みません。縦的につながらなくなります。最初に縦の道をつくって、それから横の道をつくる。これが原理の道です。分かりますか? だから、西洋では(文字を)横に書きます。しかし東洋では縦に書きます。だから本を逆に読まなければなりません。反対です。おもしろいことに、ここでは腹ばいで眠る人が多いのですが、これは東洋においては反対です。そして呼ぶときも、韓国の人はこのようにするのに(しぐさで示される)、ここではこのようにします(しぐさで示される)。(笑い)言葉も、英語では、主語+動詞+目的語の順ですが、韓国語は、主語+目的語+動詞というように逆になっています。(笑い) それでまた、文字を書くのにおいて、こちらでは左手で書く人がたくさんいますけれど、韓国では病身(異常)です。結婚のとき、(男性が)左利きなら、(女性は)「嫁に行かない」と言うのです。また、東洋においては、食事をする時も、音も出しておいしそうに食べますが、ここでは音を立てないで食べるのです。それは、気持ちか悪いことです。盗んで食べるみたいで。(笑い) 人の物を陰で食べるみたいです。主人であれば音を出すでしょう。すべてが反対です。それは、だれがつくったのでしょうか? 西洋の人たちがつくったのではありません。 先ほど話したことに対して結論づけましょう。神様が願っておられた個人完成の人、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に完成する人となって、喜び得る一つの世界的家庭基盤をつくらなければなりません。そのような基盤をつくる運動と、最終においてサタンを滅亡させる運動が、この世界の中から起こりました。それが統一教会なのです。それ神様の愛を中心としてです。この一番端にある愛を、レバレンド・ムーンが現れて、八段階に全部分かれてしまったものを、この愛を中心として、壁を崩してきたのです。(サタンは)偽りによる愛をもって、分裂しようとしますが、レバレンド・ムーンは、真の愛をもって、これらすべてのレベルを開拓して、最上級まで行って、地上界と霊界を含め、真の愛のレベルまで征服して、それから僕の僕、神様自身が僕の道を開拓するのです。僕の僕、僕、養子の道、養子がいかにすれば生きられるかという道、庶子がどのようにすれば生きれるかという道、女性がどのようにすれば、アダムがどのようにすれば、神様がどのようにすればいいか。神様は絶対的でありますから、神がもし人間を嫌いだと言ったら駄目なのです。ですから神を教育するのです。神様であっても、人間を愛さなければなりませんと、教育するのです。そこまでするのです。このようにして、レバレンド・ムーンがここまで来て、神の代わりに、実体でこれを成し得たのです(図4)。それが今までの四十年歴史なのです。 キリスト教と民主世界を代表する国、韓国のキリスト教と韓国が、今まで反対するのです。最後まで、四十年間反対するのです。サタンは先生と離れたらいけないのです。先生についてきながら、反対することによって、サタンも世界的レベルまで、レバレンド・ムーンに反対した条件となります。韓国で反対を受けた材料をもって、世界がレバレンド・ムーンを総攻撃したのが、一九七六年です。絶頂で、最高峰でありました。サタンが、韓国で個人的に反対していたすべての材料をもって、世界に使ったのであります。それで、アメリカがレバレンド・ムーンを打ち砕こうとしたのですが、それはすべて失敗に終わっています。今はどこまできたかといえば、最終的な、共産世界をいかに収拾するかという問題までです。それで、この日が来るまでに、共産党の滅亡の宣言までしました。学界において宣布し、会議を通して、共産党、ソ連の滅亡宣布をしたのです。(八五年)八月に、四十年目にやったのです。 今回、ベイルートで、ソ連(の大使館員)が歴史上(初めて)拉致され、二人が殺されたのです。また、西ドイツでソ連のスパイが暴露されました。これらは、先生が獄中から出て四十日間において起きたのですが、それは、民主世界が復活することのできる復活圏に入っていく兆候なのです。また、KGB暴露。英国の(KGBの)責任者が、ドイツ、ヨーロッパ、全世界で問題となったのです。アメリカのCIAによって、ここ(アメリカ)のKGBの組織までも、全部問題となっているのです。 レバレンド・ムーンは今、言論界が先生を攻撃したので、言論機関を通してすべての、共産党やアメリカの非宗教的人道主義、人道主義者たちを攻撃するのです。(拍手) 怨讐たちが一番憎んでいるのはレバレンド・ムーンです。先生を抹殺しなければならないので、監獄にまで行かせたが、国民までが従うようになったので、「大変だ」と言っています。いくらでもやってみなさい。彼らはきょうも、“レバレンド・ムーンが何の話をするのか?”と関心をもっているのです。 私たちの本部はどこにあるか? 彼らのはサタン世界にありますが、私たちの本部は天にあります。(イエス)。(拍手) いくらやっても、人類はレバレンド・ムーンに従っていきます。既に弱小民族たちは、レバレンド・ムーンの言うことは、すべて行うようになっています。(拍手) 見てごらんなさい。先生が南米に行くと、南米のすべての国家が連合して、「歓迎のデモをする」と言ったら、レバレンド・ムーンは、「それはいい気持ちだ」と言わないのです。先生はそれを願いません。ヨーロッパでも、フランスであればフランスを中心として、「レバレンド・ムーンのヨーロッパ歓迎デモをするから、レバレンド・ムーン参席してください。世界が驚くほどのデモをするから参加してください」と言っても、行きません。また、アメリカの国民が“Welcome Rev.Moon to our country”と言うとき、どうすればいいでしょうか? ほかの国には、“No, thank you”と言ったのに、「ノー」と言ったらいいか、「イエス」と言ったらいいでしょうか? そこには条件があります。韓国と日本を先頭にして、歓迎しなければならないのです。その時には、「イエス」と言うのです。歴史的に先生はこのことをやってきたのです。韓国と日本とアメリカを連結させようとして、今まで教えてきたのです。韓国は南韓だけではなく、北韓までも含む韓国です。アメリカが、それ(韓国と日本を先頭にして歓迎すること)に賛同すれば、先生は登場するでしょう。そこでも反対することもあるので、このムーニーたちを訓練するのです。アメリカ全体が嫌がっても、ムーニーたちだけが先生を歓迎しさえすれば、アメリカが滅びない基盤を残すことができるのです。先生はこのようなことをやっているのです。既に伝統が立てられたので、ムーニーたちはこの道を行っているのです。アメリカの国民がムーニーに従ってくることができ、アメリカが歓迎する時には、先生が「OK」と言うのです。それからドイツに行きます。そして、アメリカと日本とドイツの経済王国が一つになれば、地上天国をつくることがどれほどやさしいでしょうか? レバレンド・ムーンの頭はスマートです。(拍手) アメリカの大統領がいくらやった(反対した)としても、先生は近いうちに歓迎されるようになります。先生がそのようにさせるでしょう。見てごらんなさい。今既にやっているのです。だれかこの活動を否定できますか? (だれもいません)。だれもいません。知識人たちはそのことを、既に知っています。唯一の希望がレバレンド・ムーンであることを知っています。最高の人たちを統合することによってのみ、実現可能なのです。先生はもうその準備をしていますが、あなたたちはそれを知りません。先生が何をしているか、あなたたちは知りません。朴普煕もはっきり知りません。統一教会のどのリーダーも、先生の言っていることをはっきり知りません。しかし、先生は今、地上天国を築いているのです。政治状態、経済状況、科学世界、メディア世界、文化の世界の世界的基台など、先生は内的にも外的にも、基台を既に得ているのです。これだけの基台を短期間でつくり上げるのですから、先生がやかましく指導するのは当然の現象です。今は先生は、世界中でとても有名になりました。 今回の修練会では、このようなことをはっきり知ったのです。このようになっているので、原理的世界がどのようになるかを教育して、今回たくさん教えてあげたのです。彼らは初めて、先生が何をやっているかはっきり分かったのです。だから多くのアメリカのメディアはレバレンド・ムーンに対し、「彼は韓国の伝道師で、産業家で、ビジネスマンだ」と言っているのです。先生はメディアがそのように言うのを知っています。非難していることを先生は知っています。第二次大戦後、四十年間に地上で縦的に現れてきたのはだれでしょうか? だれがいったい縦的に従ってきているでしょうか。だれが縦的に従ってきていますか。それはムーニーだけです。今、統一教会が縦的に、南と北をつなぎます(図5)。そのあとで、この運動は大きな円となっていきます。そして横的に結ばれるのです。。今からは、地球全体に円ができ上がります。 この一点から始まって、自動的に神の愛を中心とした個人、神の愛を中心とした家庭、神の愛を中心とした民族、神の愛を中心とした国家、神の愛を中心とした世界、神の愛を中心とした天宙へと支える力が働くのです。この(中心)点を通過しない力は存在しません。(図6を示しながら)この点を通過しない力は存在しません。分かりますか? (イエス)。この点を通過してのみ、どの方向へも発展していくのです。(図で書きながら)この方向で進んでいけば、反対側に必ず到達することができるのです。これが原理的人間 真なる主体は、何をつくることができますか? (対象です)。主体と対象の統一が、中心点をつくることができます。中心点です。ですから三点が生まれます。(黒板を示しながら)左右、上下、前後です。そうすれば、愛を中心に永存するのです。これが原理的見解です。分かりますか? (イエス、ファーザー)。 皆さんは明確に分かりますか? この愛の三点を理解したのなら、自分に聞いてみなさい。自分が真の愛を中心として立っているかどうかを、自問してください。“私は真の愛を中心にして立っているのか?”。あなたの答えはどうですか? あなたの心は、それをよく知っています。皆さんの心が、皆さん自身が、真の愛を中心としているかを尋ねます。皆さんの答えはどうですか? (イエス)。違うでしょうか? 先生が今説教するまて武千一三日界たでしょう?先生が今話したから、分かったでしょう。あなた自身に聞いてみなさい。自分は、個人のレベルで真の愛、中心であるかどうかを。次の家庭のレベルはどうですか? 家庭レベルはどうですか、イエスですか、ノーですか。イエスですか、ノーですか? (ノーです)。これは父親の場合も母親の場合も同じ立場です。では、レバレンド・ムーンはどうでしょうか? もちろんイエスです。神が知っているし、宇宙全体が知っています。家庭レベルの上の、民族レベルはどうですか? 民族とは統一食口を意味します。イースト・ガーデンには、韓国人だけではなく、日本人や西洋人が家族のように共に住んでいます。そこにいる人々は、真の父母を中心として住んでいます。 先生はアメリカのために働いているのではありません。先生は今や、神の愛を中心として世界のために働いているのです。先生は今、そのように働いているのです。皆さんは蕩減を払いながら、分断されたレベルを連結していく必要があります。いつ連結したのです蕩減をいつ連結しましたか。(テープ切れる)いつですか。皆さんは個人的蕩減を払う時を知らないのです。皆さんはその位置を知らないのです。それなのに皆さんは連結できるのですか? いいえ、皆さんは神と連結できません。皆さんはそのような基台をもっていないからです。皆さんは、家庭、民族、国家、世界、天宙の基台をもっていないのです。皆さんは、いつこれらの基台を蕩減するのですか。そしていつこれらの基台を一つにするのですか。皆さんにはその基台がありません。先生だけがその基台をもっています。先生は全歴史段階の状況の蕩減復帰の教科書です。分かりますか? (イエス)。先生は何を蕩減復帰してきたのですか?(教科書です)。先生は、皆さんが世界的レベルに上がることを願っています。先生は、皆さんが外に出ていって活動するよう命令します。皆さんが活動することを通して、先生の目的が連結されるのです。先生の蕩減したすべての勝利を受け継いでほしいのです。分かりますか?(イエス)。皆さんに相談するのです。統一教会のメンバーが従う最後の時です。先生は全世界の統一食口に勝利者となってほしいし、すべての恵みを受け継いでほしいのです。活動しなければ、このような恵みを受けることができません。いくら讒訴されても、先生は知りません。先生はいつも指示を出しているのですから。これが最後のチャンスです。分かりますか?(イエス)。最後のチャンスです。ですから、先生は記録を作っているのです。八段階を蕩減した立場を勝利したのです。皆さんは、従わなければなりません。統一教会のメンバーの多くは、先生が絶対に必要であると考えます。どうしてですか。それは、先生がそのような宝と資産をもっているからです。(聞きとり不能)王国を統一するのです。明確な答えです。 それで、天勝日というのが何であるかをはっきり知らなければなりません。天勝日は、元来七七年度にやるべきであったのに、八年目である今日、アメリカを中心として四代、ニクソンを中心として、ニクソンが先生の話を聞いていたならこのようにはなっていなかったし、滅びることも追い出されることもなかったでしょう。 外的に先生は何一つもっていません。ただ一つの肉体をもっているにすぎません。しかし、内的にはすべてをもっています。先生がすべてをもっているので、アメリカや共産主義世界にとって問題なのです。では、分かったでしょう。(イエス)。今日このような勝利の結果を通して迎えたのが天勝日なので、皆さんがこの日を祝賀するためには、このような概念の教科書であるレバレンド・ムーンを、絶対に信じ、絶対に一つになる原則に立たなければ、この天勝日を祝賀できないことを、はっきり知らなければなりません。皆さんは天勝日が何であるかを知らないで参席しました。しかし、話を聞いてみると天勝日の意義が大きいことが分かりますね。分かりますね。ですから、その意義を本当に知ったので、分かったので、奮い立って、この摂理に望むという意識を皆さんはもたなければなりません。(イエス)。 今回先生がダンベリーから出てくることによって、全世界の統一教会の、迫害の峠を越えていくのです。イエス様が迫害の峠を、ローマの元老院に行って越えていたならば、キリスト教の四〇〇年間の迫害はなく、少なくとも二〇〇〇年の歴史はなくとも乗り越えていけるはずでした。しかしこれを成し得なかったので、血を流しながら、殉教の歴史をつづってきたことを知っているので、先生は、生きている間に清算すべき責任を担っているので、このような闘いをしているということを、皆さんは知らなければなりません。各宣教国で、血を流し、迫害を受ける峠を、すべて越えていったのです。これからは、統一教会の春が訪れてくるのです。統一教会の春が訪れるのですよ。 それで、これからは新しい種を蒔かなければなりません。何の種を蒔くかといえば、神の愛を中心とした種を、世界に蒔かなければなりません。それから、神の愛の種と、真の父母様の愛の種を蒔き、次には、神の血統と、真の父母の血統を連結しなければなりません。あなたたちはそれを知らないのです。どのようにして、そのような血統をつくっていくかが問題です。それは、真の父母によって与えられる“祝福システム”によるしかありません。分かりましたか? (イエス)。そうすれば私たちの血統は、この世界の他の人々の血統と違ったものになります。神の血統です。被造物は、神の愛を中心とした神の血統を受け継いでいます。堕落人間は、サタンの愛を中心としたサタンの血統を受け継いでいます。それゆえ堕落人間は、サタンの伝統的方式を受け継いでいるのです。正に正反対です。私たちは真の愛を中心とした神の血統を受け継がなければなりません。分かります? (イエス)。皆さんがこのような立場に立つならば、サタンは讒訴できません。サタンは侵入できません。明確でしょう? (イエス)。 真の愛を中心として、神と真の父母の血統を受け継ぐのです。血統、血統が問題です。皆さんの血液には、神と真の父母につながった真の愛が流れているのです。本当ですか? (イエス)。それは概念ではありません。現実なのです。そうですか? (イエス)。皆さんはいつも、神の愛を中心にして、真の愛の血統につながることを考えなさい。そして個人、家庭、民族、国家……とつないでいくことを考えなさい。 私たちが、今どのような立場にあるかをはっきりと知りましたね。今は世界的活動を通して、まず私たちが神の血統を相続するのです。その次に、世界を神の血統につなげることができるのです。これが原理的見解です。分かりますか? (イエス)。皆さんは、神の愛を中心として生活しているのですか? 皆さんは、天の血統なのですか? 抽象的なことではありません。皆さんが神の血統とつながっているかどうかは、サタンが証言するのです。だれが証言するのですか。神でも真の父母でもありません。サタンが証言するのです。全人類は、神の血統を相続しなければなりません。これが、世界の最終的目的です。現在、皆さんは、サタンの血統を受け継いでいます。どうやって、それを切り離すことができるのでしょうか。それには、まず皆さんは否定された立場に立たなければなりません。すべての財産を否定しなければなりません。すなわち、サタンの立場を否定しなければなりません。個人、家庭、民族、国家、世界、思想、概念、知識などすべてを否定しなければなりません。本然のエデンの園では、アダムとエバは、サタンの概念をもっていませんでした。ただ、神のみ知っていただけです。堕落したアダムとエバだけがいたのです。何ももっていませんでした。家庭の概念、愛の概念、力、知識、財産など、何一つもっていませんでした。ただ、神と神の愛だけを所有していたのです。しかし彼らは、完成期に到達する直前で、神の愛を失ってしまいました。ですから、皆さんは、堕落したアダムとエバの堕落性を受け継いでいるのです。皆さんは、利己主義です。「私はアメリカ人です。教会のメンバーです。特別な教会のメンバーです。宗教指導者です。学者の家系です」と言いますが、本然の世界において、神はそのような考えをもっていませんでした。どうやって、そのようなサタン的考えを切り離すことができるのでしょうか。まず最初に、私たちはすべてを否定しなければなりません。ですから、本当の宗教の道は否定の道です。仕える道であり、犠牲の道なのです。だれがそのような道を好むでしょうか。仕え、犠牲となることは、だれも好みません。先生も同じです。どうして、先生はこのように厳しく教えるのでしょうか。そうしなければ、皆さんが神の立場に到達できないからです。先生は、この世界と逆の方法を教えているのです。分かりますか? (イエス)。皆さんは、完全否定しなければなりません。先生は、完全否定しました、だれも否定の道を好みません。ですから、神が“否定のシステム”が皆さんに働くようにするのです。親、子供、国、全世界が皆さんに反対するのです。神が“反対の道”の状況を設けるのです。先生は、そのような立場に立つだけで、自動的に常に否定されました。それは恵みです。恵みであることを先生は知っています。迫害はそれほど悪いものではありません。堕落人間に、全人類に必要なのは、自己否定です。どうして、人類は自己否定を好まないのでしょうか。ですから、神が最終的に否定の基台をつくるのです。神が自動的に否定の立場に立たせるのです。分かりますか? (イエス)。世界的基台が、統一教会に反対するのです。統一教会のメンバーはみな、完全否定を望みません。韓国、日本、アメリカのリーダーも完全否定を好みません。しかし、神はそれを願いません。自動的に三角形の隅に押しやられ、そこで否定の立場に立たされます。そして、先生は闘って倒されて、隅の外のサタン世界に放り出されるのです。神がそのような摂理をされるのです。先生は迫害を歓迎します。世界的基台、アメリカ、自由世界の基台が先生に反対します。一九七六年には、全世界が、つまり共産世界が、ユダヤ人世界、非宗教的人道主義者、プラグマティズム、キリスト教世界、アメリカ政府、クレムリン、KGB、アメリカのCIA、FBIがすべて一つとなって統一教会に反対し、レバレンド・ムーンをコーナーに追い詰めました。ねずみの穴より小さい穴にレバレンド・ムーンを押し込めます。そしてその穴を通り抜けると永遠なる神の広場が開けるのです。それが地上天国です。そこから始まるのです。ですから、否定の立場に立つことは大きな恵みです。そうは思いませんか? (イエス)。ですから迫害も悪くないのです。ムーニーは迫害を歓迎するのです。これがムーニーらしいというのです。ムーニーはそのような現象が好きなたちムーニーは、何と素晴らしいことでしょう! 本当ですよ。何と私たちは素晴らしいことでしょう! どうしてでしょうか? ムーニーは迫害を受けたのち、この世のすべてを受け継ぐからです。何と素晴らしい恵みでしょうか! 全世界がこのような環境、状態になったあとは私たちはどうしたらよいでしょうか? 皆さんは、真の父母を中心として生きてきませんでした。世界的基台が必要なのです。限定された基台ではないのです。先生は世界を導いているのです。それが私たちの運動です。そして、いわゆる地上天国と呼ばれるものがそこに生まれ、世界を一大家族にしていくのです。アーメン。(アーメン)。神の愛を中心としてできるか、できないかが問題です。統一教会のメンバーは、それを成す力がありますか、ありませんか? (はい、あります)。ありますか、ありませんか? (はい、あります)。先生はそうは思いません。(いいえ、あります)。いいえ、ありません。(あります)。いいえ! 先生は何の力ももっていません。(そんなことありません、もっておられます)。皆さんやれますか? (イエス、ファーザー)。先生なし(except)でやれるでしょうか? (いいえ、駄目です)。先生をaccept(受け入れる)ですか、except(先生なしで)ですか? (acceptのほうです)。acceptですか? 英語が混乱してますね。(笑い)(accetpです)。acceptというのは素晴らしい言葉でしょう! 先生はexceptは嫌いです。(笑い) 神の愛と、真の父母の愛を中心として行くのが、唯一の方法です。そこから私たちの文化が始まり、召命と復活と新生が起こり、私たちの理想世界が築かれていくのです。皆さんはこの点をはっきり知らなければなりません。さあ今や、皆さんはよくりかりましたね。先生の説教を聞いたので、要点がよく分かったでしょう? (イエス)。皆さんがそのような立場に立って、初めて天勝日の会合に参加することができるのです。皆さんは既に知っています。考えてごらんなさい。皆さんは世界(的基台)につながっていますか? (イエス、フガーザー)。(サタン)世界につなか時界ているのですか、それとも、統一教会につながっているのですか? (世界です)。違います。統一教会のほうです。(笑い) 皆さんは、この点をよく知らなければなりません。私たちは統一教会につながっているのです。では統一教会の目的は何でしょうか? 世界的な基台と結合することです。これが私たちの使命です。今後は、世界中でムーニーを歓迎します。今までは全世界が反対してきました。というのは、神が、世界的な基台をつくるために、否定の立場を設けたのです。しかし今から時代歯まわったのです。世界は皆さんを迎え、ムーニーの名を中心として、すべてをつなぐことができるのです。今までは、皆さんの両親が反対してきました。しかし今後は、皆さんは、ムーニーの考えを中心として、再び両親、民族、国家へとつながっていくのです。神がそのような道を開いたのです。迫害はありません。容易な道です。神がこのような状況を作ったのです。神は歴史を通して、これほどまでに困難な道を歩んできました。どうやって、明確に知ることができるでしょうか。どうして私たちがこの活動を否定することができるでしょうか。今や皆さんは外に出ていき、世界的基台をつなぐのです。問題はありません。分かりますか? (イエス、ファーザー) このようにすることによって、行くべき道をはっきり知らなければなりません。もう十二時三十分になりますね。先生は既に四時間三十分話しました。天勝日のきょうを中心として、全アメリカと、全世界が新しい次元に突入することを願って、このような話をするのです。ですから、あなた方の父母、家庭、故郷は反対しませんよ。皆さんは故郷に帰って伝道することができます。あなた方の父母の反対しない基盤、故郷や、国の反対しない基盤を、先生がつくっておいたのです。それが、先生の使命と思うのです。これからあなた方は、歓迎を受けられる道を進んでいくのです。どれほどの栄光に浴するかを知って、力強く出かけていって、闘わなければなりません。 私たちは天の前に、きょう先生の話を聞いたとおりに実践しますと新たに誓い、出発しなければなりません。(間違いなく、先生がおっしゃったとおりに、私たちは出かけていって、闘って勝利いたします)。ありがとう、天勝日に神の恵みがありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.19
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「全体動員」1985年8月29日アメリカ・マンハッタンセンターにて 私たちはここに、統一教会の食口として集まっています。では統一教会とは何でしょうか?統一教会は、宗教を中心とした新しい運動をする一つの集まりであることを私たちは知らなければなりません。では、すべての宗教を一つにするということを考えるとき、それは簡単なことかというと、極めて難しいことであることを私たちは知っています。しかし、これが神が願うみ旨、神のみ旨なのです。まず宗教を一つにしてから、この世に広がっている民主主義や共産主義を一つにしなければなりません。 このように見るとき、皆さんはアメリカ人で、ここはアメリカという国です。栄光なるアメリカという国です。このアメリカ一国を見ても、多様で内的に複雑性を帯びています。一つにするために、現在の位置から降りて一つにすることはやさしいのですが、現在の位置からより次元の高い立場に上がって一つにすることは大変困難なことです。 皆さんも御存じのように、ヨーロッパであるなら、ヨーロッパにもいろいろな国がありますが、その多くの国々は歴史的敵対国家として対立しており、それら対立国家を中心として見るとき、その国が現在の立場より高い次元で一つにするということは大変難しいことです。現在なお一つになることは難しいことなのです。このように見るとき、神様はいかなる次元におられるでしょうか。現在皆さんが考えているような次元でしょうか。その次元よりはるかに高いことを考えるとき、その差があまりにあるために問題が大きいのです。 では、現在の数多くの国々を背景にして、周囲思想に対峙されているこのような環境をそのままにしておき、そこから連結していくならばどれほどいいでしょうか。 アメリカはアメリカの国が第一であると誇り、民主主義は民主主義が第一であると言い、共産主義は自分たちが第一であると言い、ドイツならドイツが第一であると言って誇っています。どの国も、自分たちが低い立場だと言って、これから上がっていこうとすべてを開いているのでなく、堅く殻を閉じて自分たちを第一であると主張するとしたなら、これらの環境を一つにするということは極めて難しい問題です。不可能な課題であることを皆さんは認識することでしょう。 それを、人間だけでやるとしたならどうにかなるかもしれませんが、そこには目に見えない、皆さんの知らないサタンが作用しているのです。宗教を信じる人はこのサタンのことを知っています。個人が善い方向に行こうとすれば、サタンは全面的に反対するのです。このような観点に立つとき、神にはすべてを一つにしようとするみ旨があり、人間には自分たちなりの願いがあるのです。またサタンはサタンなりの意図があります。ですから、三者が自分なりの主張が出来ない一つのもの、自分なりの主張ができない道、そのようなものを模索しなければなりません。もともとこの三つは、神は神、人間は人間、サタンはサタンとして分立されて主張する存在であったのでしょうか。もしそうなら問題は大きいのです。ここにおいて善悪という言葉がどう使われるかというと、三つが共に一つの方向に行けば善で、この三つの中の人間が反対の方向に行けば悪となるのです。すなわち、神とサタンの中間に人間がいるので、右に行けば善になり、左に行けば悪となるのです。 では、皆さんが知っているように、サタンとは何かといえば天使長なのです。これも元来は神の創造物であり、人間も創造物です。そして、神のみ旨は神お一人で成せるものではなく、人間と共に成すのであり、サタンが願いを成すのも、人間と共に成すようになっています。今日の世界の状態は、エデンの園においてアダムとエバを造られた神と天使長の状態と同様な立場に立っているのです。神が「取って食べるな」と言われた意味は、「するな!」ということです。「するな!」と言われることをやれば亡びるのです。死ぬのです。ここから善悪の分立が始まったのです。(神が)「するな!」と言われることをすることは、サタンのすることであって、「しなさい」と言われることをすると神が喜びます。 統一教会の皆さんは知っていますが、人間が堕落したので、その堕落の血統的関係を中心として問題となってきたのです。それで、私たち人間もサタンも、本来の神側に戻りたいのです。 では、善悪に中心、一つの基準とは何でしょうか。それがいわゆる神のみ旨なのです。その神のみ旨を完成するのが人間です。ですから、神のみ旨を完成するものは誰でも完成人間となります。神のみ旨と完全に一体化した人は誰でも完成人間になれるのです。 それでは、今日の統一教会は何をする団体なのでしょうか。どのようにして宗教そして世界を統一することができるでしょうか。結局のところ、神のみ旨を中心として一つになるのです。統一教会の創始者がレバレンド・ムーンであっても、統一教会はレバレンド・ムーンの意図を中心として世界を一つにしようとするのではありません。あくまでもレバレンド・ムーンも、神のみ旨に従って一つにしようとしているということを、皆さんは知らなければなりません。ですから、レバレンド・ムーンもまた神のみ旨に従っているのです。 では、神のみ旨とは何でしょうか。何が神のみ旨ですかと、一般のキリスト教徒または宗教家たちに尋ねてみると、彼らは明確な考えをもっていません。けれども統一教会は、はっきりした結論をもっています。神のみ旨とは何か、それは創造理想を完成することです。では、創造理想とは何でしょうか。それは宇宙完成であると同時に、人間完成なのです。ということは根本的に、人間が完成する日には全宇宙も共に完成するようになります。そして創造理想を完成することに対し、統一教会で結論を出したのは、四位基台完成です。四位基台完成であると、はっきり結論づけます。神のみ旨、創造理想、四位基台。では四位基台とは何でしょうか。四位基台完成とは、神の愛を中心として心と体が血統的に一つとなって、夫婦となり、神の血統を受け継いで子女を生む、家庭的出発、家庭完成をいうのです。 このように見るとき、この宇宙を創造し、人間に対して創造理想を立て、四位基台完成という型を考えておられる神のみ前に、今日、アメリカのような国、ドイツのような国、ソ連のような主義やあらゆる混乱を生み出す概念があり得たでしょうか。また日本人、アメリカ人、韓国人、東陽や西洋等々があり得ますか。四位基台の型の中に入っていき、神に至ろうとする場合、神が宇宙全体をかけて考えておられる思いは、早くアダムが完成し、エバが完成してほしいということです。そして成長した二人に願うことは、早く責任分担過程を完成して、原理結果主管圏内から神の直接主管圏に入り、神と一つになることを願っているのです。 最近、統一教会の人でも、今日私たちがこのように自由主義の考え、自分の思い通りにできる社会のアメリカにおいて、なぜ責任分担が必要なのだろう、また四位基台がどうして必要なのだろうかと考える人がいます。 堕落していないエデンの園で神が願っていたことは、早く責任分担を果たしてほしいということで、早く責任分担を完成せよということは、この世を造って、アダム、エバを創造されて願った、最高の所望であったことを皆さんは知らなければなりません。ここにいる人たちの中にも、「責任分担はすべてやったではないか、まだやれと言うのですか」と言う人がいます。こういう姿を見るとき、これらの人たちがどうして神のみ旨を成就することができるでしょうか? 神のみ旨を成就しようとすればどれほど神の前に誓っても、あり得ない立場にいるという事実を自覚しなければなりません。先生の話は正しいですか、間違いですか。「レバレンド・ムーンの話は、私たちアメリカ人には合わない、私たち若者には合わない話だ」と言うのですか。 皆さんはどれほど責任分担に対して考えてみたことがありますか。ドクター・ダーストはどうですか。考えるべき問題です。それではレバレンド・ムーンは何をする人でしょうか。だれよりもこの責任分担を深刻に考えている人なのです。そしてこの責任分担に生死を懸けているのです。 では、神とサタンはどこから分かれたのでしょうか。人間が分かれるときは、神と分かれ、サタンと一つになることですが、どこから分かれたかを考えてみなさい。責任分担という課題を前にして、これを越えることもできず、立つこともできず。ここで落ちて分かれてしまったのです。責任分担を完成したならサタンが生じたでしょうか。サタンは人類の首のどこをつかんでいるのでしょうか。それは人間の責任分担という課題をかけて首をつかんでいるのです。皆さんが責任分担を果たせなければサタンは、「神のものではない私のものだ」と言うのです。そのとき神は、「そうではない」と言います。それは神もそうだ、サタンもそうだ、人間もそうだと言うのですが、人間のみがその契約の確かさを知らなかったのです。レバレンド・ムーンが出てきて初めて、人間のこれを明らかにしたのです。人間の責任分担を成就した人をサタンが主管できるかといったとき、サタンはノート言うのです。神が捨てることができるかといえば、これもノーです。それでは問題はどこにあるかといえば、すべては人間の責任分担にかかっているのです。人間の責任分担によるのです。これは、神のみ旨に期待がかけられるかどうかという決定的な問題なのです。サタンと隔離するか否かという決定的な関門です。 いくらドクター・ダーストがアメリカの責任者であるとしても、「ああ私はアメリカの責任者であるから、レバレンド・ムーンの指揮のもとで今までアメリカの教会長をし、アメリカの全域を回ってラジオ放送し、統一教会の宣伝をしてきた。私だけはレバレンド・ムーンに従ってきたし、レバレンド・ムーンが従っていく神のみ旨に沿った世界に行かなければならないし、神のそばまでいかねばなりません」と言う時、答えはノーです。どうしてノーですか。それを一〇〇〇年主張し、いくらアメリカの国が主張しても通りません。 皆さんが原理の勉強をするため修練もしましたが、責任分担がこのようにすべてにおいて鼻を針金で通すように貫かれているのです(先生がしぐさをされる)。レバレンド・ムーンは賢明は男です。レバレンド・ムーンは苦労してきました。なぜこのように一生の間、四十年間を、悪口を言われ、反対を受けたのでしょう。有史以来、それはレバレンド・ムーンしかいません。どれほど優れていて、哲学博士でどれほど有名であってもその人たちが考えたぐらいのことを、先生が考えなかったのでしょうか。その人たちは仕事達成のためより良い方法を探しています。しかし先生はそれ以上のことを模索できなかったのでしょうか。ではレバレンド・ムーンは苦労の道を行き、迫害を受け、生われることを好む人なのでしょうか?(ノー)。ではなぜこのように悪口を言われたりするのでしょうか。なぜこうしなければならないのでしょうか。それは、たった一つの道、それしかないためです。天と地において探しても一つしかないのです。父母が反対したとしても行かなければなりません。妻が反対したとしても行かなければなりません。子供が反対したとしても行かなければなりません。自分の氏族、民族、国家が反対したとしても行かなければなりません。世界が反対し、宇宙が反対したとしても行かなければなりません。生存するための運命の道なのです。これが間違いなくサタンと神との公約となっているために、この門を通過しなくては一つになれる道は絶対にありません。絶対にありません。 皆さん、頭を使ってみなさい。ここにいるいわゆる講師と言われる人たちは、今日一日の生活をいかにしていますか。皆さんは蕩減復帰を中心として命を懸けて闘争していると考えてみたことがあるでしょうか。アメリカにある原子爆弾、ソ連の原子爆弾が一度に地球に落ちて地球がなくなることがあるとしても、この責任分担法則は残っていることを知らなければなりません。最も恐ろしいことが何であるか、原子爆弾よりももっと恐ろしいことが何であるかといえば、責任分担を完遂できないということです。皆さんのアメリカが滅びるといって、親や妻子が一度に滅びるとして、それが恐ろしいのではないのです。 ではどうすればよいのでしょうか。責任分担を完成する前にアダムとエバに子供がいたでしょうか。家庭があったでしょうか。「ああ私はあなたが好きなのでキスをしましょう」と言ったでしょうか。そうすることができるでしょうか。そのことを知っておられるイエス様はどのようなことを言ったかといえば、「私に従ってくる者はあなたの十字架を背負って、妻子を捨ててついてきなさい」と言わざるを得ませんでした。あなたの家族、あなたの兄弟が問題です。実感できますか。皆さんはいつ、そういう立場に立ってみたことがあるでしょうか。いつ立ったことがありますか。人間が責任分担を見つめながら、責任分担を果たせなかった動機は何だったのでしょうか。何ができないようにしたのですか。何ですか。サタン的人。サタンの血統を受け継いで、サタンを中心として愛し、サタンの血筋を受け継ぎ、サタンの血統が植えられたのです。血統が堕落と連結されていなかったなら復帰は直ちになされます。堕落することによってどのようになったのでしょうか。堕落しても、神はそのみ旨を捨てることができず、み旨を成就しなければならなかったので、堕落したこの人間を救援、復帰しなければならないのです。そこに救援と復帰という言葉が生じたのです。 原則的に見るとき、堕落した人間は神の前に立つことができないのです。責任分担を果たしてから神の直接主管を受けるはずでしたが、これを果たせなかったので、堕落した人間は神が主管することができないのです。それが原理です。これが問題です。それではここにおいて救援摂理のみ旨に従っていく人間はどうしたらいいか。喜び幸福のまま行けばどれほどいいでしょうか。アメリカの若者の思考方法、特に女性たちの考え方を受け入れることができますか。けとばしてしまわなければなりません。ほうきで掃いてしまわなければなりません。本来の人間は神の血統を受けたアダム、エバに神が入って行って、神が直接一つとなって人類の子孫を育て、神の直系の血統をつくろうとしたのが創造原理です。そして、責任分担完遂に来るべきものが神の直系の血統の伝統であり、神との血統的一体、神の愛を中心として血統的一体圏が始まるのです。 それでは何によって一つになるのでしょうか。アダムとエバが何によって一つになり、四位基台が何によって一つになれるのでしょうか。何をもって一つになれるのでしょうか。それは神の愛を中心として、血統的に一つになるのです。そこに異議がありますか。あなたたち、賢明な人たち? 不平を言う者たち? 今日、悪魔の旗手となった統一教会の人が多いのです。では皆さんは責任分担を越えたという意識、そのような刺激を感じてみたことがありますか。責任分担を完遂しようと決意したことがありますか。もしないとすれば間接主管圏内にいるのですか、それとも直接主管圏内ですか。(間接主管圏です)。それは地獄ですよ。サタンが入っていく地獄です。はっきり分かりますか。ドクター・ダースト、分かりましたか。ただ回るだけではいけません。手続きをしておかなければなりません。医学博士になろうとするなら、また卒業しようとするなら、卒業できるすべてのことをなし、担当教授から証書にサインを受けなければなりません。 では、レバレンド・ムーンと統一教会が主張する、世界を一つにし、数多くの各宗教を一つにするという、その公式は何ですか。そう問われたならどのように答えますか。 今話した責任分担を完遂したのちに、神の愛を中心として血統を受け継いでいる人は「天国行」です。そうでなければ「地獄行」です。億千万年において、数億、数十億、永遠をかけて人間は責任を完遂していかなければなりません。地上において完遂できなければ霊界に行ってでも完遂しなければなりません。完遂しなければならないのです。 それで問題は何かといえば、本来の神の創造理想から見るとき、霊界に行って責任分担を完遂するのではなく、地上で完遂しなければならないのです。このように見るとき、キリストの牧師、司教、法王等はこのような原則を経てから牧師になり、法王、司教となったのでしょうか。答えはノーです。宗教指導者が、「神様! 私は宗教指導者として今まで神に侍り、イエス様を死ぬほど愛し、一生を独身で生きてきたのになぜ天国に行けないのですか」と言うとき、神は「レバレンド・ムーンにもう一度学びなさい」と言うのです。(拍手) それは歴史以来、天上天下が考えなかったし、人類歴史においてもだれも考えなかったし、地獄と天国が分かれてからこのような問題を持ち出して解いた人は、たった一人レバレンド・ムーンしかいないのです。 もし、自分の一生を通して責任分担を果たせなかったなら、死んでからどうすればいいのでしょうか。霊界に行って私たちの統一教会を頼って行きようと思うかもしれません。しかし、そうではありません。この世に再び帰ってこなければなりません。これが公式です。統一教会の親として、祝福を受けた子女を生み、責任分担の峠を越えることができずに霊界に行き、地獄に行くようになるときには、その子女たちが親に、「なぜ責任を果たせなかったのですか」と尋ねることでしょう。その時の悲惨さを何に比べることができるでしょう。妻もまた、「なんですか! 私の足をつかんででもその峠を越えればよかったのに! どうしてしなかったのですか」と言ってサタンとなるのです。分かりますか。その時の悲惨さを考えてみなさい。レバレンド・ムーンはそれをはっきり知ったので、地上において百回、千回死ぬようなことがあっても問題視しないで、行かざるを得ない道であることを知ったので、今まで世界を騒がせながら、法廷闘争を続けながらここまで来たのです。この巨大なアメリカをつかまえて、どんなことがあろうとも、レバレンド・ムーンは責任分担完遂という課題に固執しているのです。離すことができません。いくらやってもこれから離れさせることができません。いくら家庭を分けておいても、いくらやってもこれを離れさせることはできません。絶対的なのです。 皆さんはどうですか。統一教会やレバレンド・ムーンに従っていこうとする人たち、皆さんはどうですか。「責任分担は先生のものであって私たちとは何ら関係がありません。先生は苦労しても私たちと何の関係がありますか」と言えるでしょうか。「韓国人とか日本人とかが関係するのであって、このように豊かに生活して自由に住んでいる私たちアメリカには必要ありません」と言うのですか。「私たちは自由です」と言ったりします。では人間の責任分担も自由でしょうか。(いいえ)。神は、このためにどれほど深刻であったでしょうか。神が愛した先知(預言者)、先烈たちがどれほど多く死んでいったか、歴史上にどれほど多くの宗教を信じた人が犠牲となったか考えてみてください。それほどに深刻ですが、神はこれを教えてあげることができませんでした。教えたあげることができるでしょうか。もし教えてあげることができるなら、世界をこのようにはしなかったでしょう。そうすれば、サタンが讒訴するのです。「神様! あなたが立てた原理の責任分担圏内において、その圏内の人を中心として血統を連結しなければあなたが所有することができないのが原則であるのに、今日この地球上において私によって堕落して私の血統を受け継いだすべての人はその世界とは相反しているので、あなたが取れる人はいないではありませんか。すべては私の世界である」とサタンが言うとき、神は何も言うことがありません。 皆さん霊界に行って責任分担を果たせなかったことを知れば、どれほど茫然とすることでしょうか。また、地上で知って行わずに、果たしていかなかったその立場は、どれほど悲惨でしょうか。どうしますか。皆でたらめです。統一教会の信者たち、このようないい加減な者がどこにいますか。そういう内容を知っている先生が、そういう現状を知って、そういう者のために闘い、そういう者のために闘争して生涯をささげたレバレンド・ムーンが、何も知らないこれらの者に、相対すればいいでしょうか、相対しなくてもいいでしょうか? これを完成することができず、四十年間他の人たちは伝道に出ているのに、二人で喜び先生の命令にもかかわらず手に手を取り合って楽しく生きようと、二人でバスや電車や車に乗って出歩く夫婦を神が御覧になるとき、どれほど憎いことでしょう。先生はこの責任分担の眼鏡をかけて、神の愛を中心として、神の血統がその体に生きているかどうかを見ているのです。それを見つけようとしているのです。神の愛を中心とした神の血統が流れているかそれを探しているのです。神の血統になっているかを。皆さんは祝福がどれほど価値のあるものであるかを知らないのです。先生が知っている祝福がどれほど勝ちあるものであるかを考えてみなさい。皆さんが思っている祝福はそれほど価値がありません。 皆さんの中で祝福を受けた人は手を挙げてみなさい。これを一つのゲームと思いますか。統一教会のショーと思いますか。生きるか死ぬかです。生死が決定されることなのです。祝福ということは、神がレバレンド・ムーンの一生を売り(代価を払い)、皆さんが神の愛を根拠として血統が連結されるという宣誓のもとでやっているのです。皆さんの血に神の血が流れていることを実感しますか。それは責任分担を越えた立場です。簡単で、はっきりしていますね。 この責任分担がどのようになっているかといえば、アダム、エバが堕落することによって、個人、家庭の責任分担が残っていますし、そして氏族、民族、国家、世界、天宙、神の愛の圏へと、八段階の責任分担へと連結されるのです。これを果たすために、有史以来、数多くの宗教を立て、旧約時代、新約時代、成約時代の三段階を経て、六〇〇〇年の聖書の歴史を経て展開してきたのです。ここで先生が来て、バンケットの時に語ったように、サタンが野生のオリーブの畑を造り、野生のオリーブの木を植えたのを、メシヤが来られて、メシヤの血統を中心とした、それは責任分担を完成したメシヤ、完成したアダムの身代わりとして来られ、神の血統を連結するために、それら野生のオリーブの木を全部切って接ぎ木しなければならないという論理が成立するのです。 すなわち、メシヤという方はどのような方でしょうか。責任分担を完成した人であり、神を中心として、初めて愛の関係を中心として連結され、その神の血統圏をもってこられる方がメシヤなのです。血統圏です。それで、神を中心とした真の父母を中心として、神の愛を中心とした真の父母の伝統が歴史始まって以来初めて立ち、神の愛による血統圏を立てることによってできるのが、統一教会の文化圏であることを知らなければなりません。これから成される地上天国なのです。 ですからこれをはっきり知らないこの世でも、これから統一教会の原理を知るようになれば、この道を行かざるを得ないので、これ(間接主管圏)を越えて初めて一つの血族、一つの血族を中心として一つの国、地上天国が形成されるのです。分かりますか何の話か。それで、今日これらのすべてを先生は知っているので、個人蕩減圏、家庭蕩減圏、氏族蕩減圏において、カイン、アベルが責任を果たせなかったので、カイン、アベルが問題なのです。全部が四位基台を完成しなければなりません。サタン世界の四位基台をつくっているので、新しく探し出した四位基台をつくらなければなりません。ですからここでサタンと人間と神との最大の激戦が始まるでしょうし、最大の悲惨な対決が起こります。 統一教会の皆さんは、イエス様と統一教会は関係がないと思っていけません。イエスが十字架上で死ななかったなら、今回のレバレンド・ムーンの統一教会は出てくる必要がなかったのです。なぜならその時代に、統一教会の目的がそのまま形成されていただろうからです。今日キリスト教がそのようであったなら、共産圏を出したり、ローマと闘うのではなくローマを支配し、世界をずっと前に一つにできたことでしょう。 そして、皆さん全員が既に先生の話を聞いたように、第二次世界大戦直後において、キリスト教文化圏を中心としたアメリカが世界を統一し地球村を完全につくることができる時がありました。それで、六〇〇〇年歴史を通して成し得なかったことを、統一教会のレバレンド・ムーンは蕩減復帰の歴史路程を知っており、どのように行けばいいかを知っているので、それを二十年路程に当てはめたのです。どれほどか長い長い歴史を二十年という短い期間に当てはめたのです。それは原理を知ったからです。 先生の時代には、イエス様の蕩減をしなくては出発することができなかったのです。韓国において一九六〇年代までイエスが真の父母の立場に出ることができず、国家とすべての教会の反対によって死んだそのような立場から、再び死なずに復活して家庭をもって出発したのが一九六〇年から二十一年までの八一年でした。そこで国家が反対し教会が反対する中において先生は、統一教会を中心として新しい地上天国、世界の終着点を見つめながら理想をかけて、統一教会を中心としてキリスト教と韓国との対峙という形で闘ったのです。これは個人的対峙ではなく家庭的対峙です。それが六〇年代に入って、神の日、子女の日、万物の日、父母の日の四代名節をつくり、次には国家が反対する環境の中で、この国が生きるためにはレバレンド・ムーンと統一教会と共に動かなければならない、国を愛することにおいてはだれよりも統一教会であるという運動を、全家庭を中心に、四位基台家庭を各地方に送ったのです。家庭でなければ世界が形成されません。個人でもってはできません。それが一九六〇年から七二年までの十二年間です。このことを全部が動員して国家を探し、神側の蕩減条件を立てて引き入れてくるのです。七二年からアメリカに入国して十二年間に国家的蕩減復帰基準を立てたので、世界的次元において五色人種を動員して世界的家庭へと世界が生きることのできる新しい伝統を立てなければならない時が、正に今なのです。民主世界が生きることのできる伝統を立てなければならないし、民主世界の家庭が行く道をここで教えてあげるのです。 先生は、韓国においても先生を殺そうとしたので、あらゆる獄中生活をしましたが、アメリカでも同じです。生きるか死ぬかの分け目戦です。イエスは監獄に行くことによってすべてを失いましたが、先生がダンベリーに行くことによってすべてを取り戻したのです。そしてキリスト教文化圏が四十年前韓国解放直後に一つとなって立つはずであったのが、反対して立つことができなかったため、四十年後に蕩減復帰して、四十年を消耗して、第二次世界大戦直後にキリスト教文化圏が歓迎していたそのような基盤を、先生が監獄から出ることによって、整わなければなりません。 先生は個人を探し、家庭を探し、氏族を探し、民族を探し、国家を探し、世界的なすべての家庭に方向性を与えて、これを連れて帰らなければなりません。カイン、アベルの問題、統一教会がアベルであるとしたならキリスト教がカインであり、韓国がアベル国家であるとしたなら世界を代表したアメリカがカイン世界の代表国家となります。しかし今日までアメリカは摂理が分からず勝手にやってきたのです。しかしアメリカの国民は、先生が監獄に入ることによって完全に変わったのです。 有史以来世界的版図を中心として見るとき、アメリカが神側のアベルであるとすれば、ソ連はカイン側です。今やカインも力尽きてしまっているし、アベルも力尽きているのです。方向が定まらないのです。方向がありません。アメリカ自体を見るとアメリカ国家がカインとすると、教会がアベルです。ところが政府外ままで境界を自由にしようとしたのです。何の話か分かりますか。では今までどれほど難しい時かといえば、四十年後の今日においては全部が平面に立つのです。ソ連が悪魔の一番代表的カインだとしたなら、世界的代表のアベルはアメリカであり、またアメリカを中心として見ると、この民主世界がカイン圏に立つなら、教会、キリスト教がアベルであり、そして宗教的な面においては統一教会の前ではキリスト教がカインに立つなら、統一教会はアベルの立場なのです。また、統一教会自体で見ると、皆さんにもカイン、アベルがあるのです。人間の心と体が一つになることができず分かれてしまったので、これを横的に展開すれば、より大きな段階へと全部が連絡されなければなりません。カイン、アベルのようなものが全部連結されて、これを一つにしなければなりません。カインとアベルが一つにならなければ父母が復帰できません。原理がそうです。カインとアベルが一つにならなければ父母が救援を受ける道がないのです。 では第二次世界大戦直後はどうであったかといえば、すべてがキリスト教文化圏であり、キリスト教主体国家であるアメリカが立てられました。アメリカが世界一でした。それがその時の風潮でした。神がそのようにしたのです。そしてアメリカ国家とキリスト教を中心として見るとき、国家はカイン側であり、キリスト教はアベル側でした。その解放直後には、すべての人々が“私たちの勝利は神がもたらしてくれた”と思い、すべての教会が主体となっていったのです。「神よ! この世界を指導する神の人を送ってください」と、国家と教会が一つになって叫ばなければならなかったのです。その時にこそメシヤが来て、この世界を主導しなければならなかったのです。メシヤは父母なのです。真の父母です。このようになったなら世界は、その時に横的にすべて一つになるはずでした。 先生はその時まだ若かったのですが、原理を完璧に解明していたのです。今になって分かったのではありません。世界を一つにしても余りあるような原理をもっていたのです。父母と教会と国家と世界、キリスト教とアメリカを中心として完全に一つの世界へと向かえば、七年ですべてを成し得たのです。そのようになれば、共産党が出てこれたでしょうか。しかしアメリカが責任を果たすことができなかったので、今までアメリカがもっていたものをすべて共産党が出てきてすべてを奪っていったのです。サタンが出てきてすべてを奪っていくのです。 先生には真の父母としての使命があるので、第二次世界大戦直後に韓国を中心としてキリスト教と国家が一つになれなかったため、全世界が反対するようになったので自由世界が反対したし、キリスト教が反対することになって基盤を失って、サタン側が入ってきてすべてを奪われてしまったのです。韓国政府とキリスト教が一つとなれず、それで共産党が出てきて反対するので、神側のカイン、アベルが一つになれないで、四位基台をつくる基盤がないのですべてが崩れ、今やアメリカやキリスト教まで全部サタンの進入を受けて、サタンの蹴られるままになっているのです。世界の舞台は荒野のようになっています。それで一世は滅び、二世が天国に入るようになるのです。キリスト教がこれまで四十年過ぎたので、その一世たちはみな統一教会に反対した人たちです。二世を収拾して新しい天国へと、本来四十年前に神が約束した所に行かなければならないのです。そこでこの二世を連結しようとする場合どのようにすればいいか。それは先生が蕩減復帰しなければならないのです。二世のために個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、世界的なキリスト教と民主世界にドアを開けてあげなければならないのです。そのため先生がダンベリーに生きながら孝進君を中心として一次祝福家庭(子女)修練会をするようにし、二次修練会は八・一五の解放前までに終わるようにして、先生がダンベリーから出てくると同時に、一世と二世を連結するのです。 統一教会の皆さんと先生を見るとカイン、アベルと同じです。一つとなるのです。皆さんが先生を中心として兄さんのようにするのです。また統一教会の二世を中心として見れば皆さんがカインで、皆さんの子女がアベルとなるのです。では先生の家庭を中心として見るなら子女たちがアベルの立場であって、先生もカインの立場に立つのです。このようにしてアベルを立てなければならない時が来るのです。 先生がダンベリーから出てくることによってイエス様が復活したのと同じように二世を教育して、一世を引き連れていかなければなりません。孝進君がすべて責任をもてというのではありません。孝進君が、行く道を教えてあげて、再教育して連結して越えていくのです。先生は再臨したのと同じです。イエス再臨と同じようなことがこれから始まるのです。言い換えれば、モーセが失敗しないで二世を導く立場に先生が立ったのです。 先生が監獄に入る前には統一教会や全アメリカにおいては偶像崇拝とか、淫乱に陥ったり、混乱が起こってくるのです。それで統一教会も新しい次元に建って世界的な次元で先生を迎え、二世たちも新しい次元で先生を迎え、キリスト教もアメリカも新しい次元において先生を迎える運動が始まるのです。それで、アメリカのキリスト教が動き出したのも、すべて先生が監獄でやったことです。先生がそのようにつくったのです。蕩減条件を立てながら成したのです。そして三十万部の本とビデオを作ってアメリカのすべての牧師に送り、その中で七五〇〇名を教育しておいたのです。この基盤があるので、皆さんはこれから出かけていって七万の基地をつくればすべて終了するのです。それでどこに行けばいいのか。モーセの二世たちがモーセに従っていけば生きることができるのと同じく、全世界のキリスト教がレバレンド・ムーンに従っていけば生きることができるという方向性が決定されたのです。 これから統一教会の全祝福家庭は、一九七〇年から七二年までの三年間、国家的基準を蕩減復帰するとき家庭的伝統を世界へ連絡するために出動させたと同じく、これからの三年間は皆さんが世界的伝統を立てて神の国へ連絡するための、世界的家庭が大出動して蕩減復帰する期間です。 では先生の使命は何かといえば、個人の責任分担を家庭、氏族、民族、国家、世界的責任分担にまで拡大し、また蕩減復帰して、サタンの血統を否定して神の血統に連結することです。世界的すべての超民族基盤が、既に備えられている基台の上に立っていることを知らなければなりません。今までは長生期完成級までの期間があるので今まで来ましたが、これからは完成級へ越えていける準備をしなければならないのですが、皆さんはまだ蕩減条件を立てていないのです。そのためにまず個人の責任分担を中心としてサタンを完全に分立しなければなりません。サタンが完全に分立されていないのです。サタンを完全に分立しなくては個人責任分担圏も出てこないし、神側の愛を中心とした愛の圏も出てこないし、愛を中心とした神の血統圏、単一血統圏も出てこないのです。ですからこれを分立するのです。清算しておかなければなりません。サタン世界と。 今から三年間は何かといえば、先生の世界的なすべての責任分担と世界的な神の愛を中心とした血統圏をサタン世界と分立して、蕩減することによって分立してできたものを、皆さんが先生と共に行動することによって一気に越えていくのです。この世界も今まで行く方向がなく、ソ連にもその時になる前に先生が、「ソ連の滅亡と共産主義の滅亡」を四十年になる前に宣布するのです。解放後四十年が終わる前に、ソ連の滅亡と世界共産主義の滅亡を宣布したのです。そしてアメリカが滅びるということは先生が十二年前にここに来て言ったのです。では滅亡する中で滅亡しない群は何ですか。すなわち、神のみ旨に従っていく、その所、その人たち、その団体、その国は滅びません。また、神のみ旨の中に立っている人は責任分担完成のため、神の愛を中心として自分の血統が神の血統に連絡できている人でなくては地上天国で生きることができません。 皆さんはこれから責任分担をするため、サタン世界に行って全部屈服させるのです。皆さんの家庭、先生に属している世界家庭を中心として先生が世界的勝利の条件を立てたのですが、それを引き受けて三年間、このアメリカ全域において新しい家庭的伝統と新しい世界へ行く道を完全に示してあげ、教えてあげる責任があるのです。これから働く責任は皆さんの責任ですか、先生の責任ですか?(私たちの責任です)。皆さんであるというよりあなたたちの家庭です。祝福を受けた人は全体動員しなければなりません。動員しない人は先生と関係ありません。今二世がカナンの地に入るか否かという冒険があります。強く雄々しく前進すべき時です。 この国を動かそうとすればこの国の大統領をキリスト教代表として立てなければなりません。上院、下院議員たち、キリスト教の信者、神を愛し、神のためにやるこのような人たちとしてつくらなければなりません。それで世界的に影響を及ぼさなければなりません。今どうですか。リベラルという人たち、非宗教的人道主義者は宗教を抹殺しようとしています。キリスト教をなくそうとしています。神がいない共産主義、イエスがいないリベラリズム、倫理のない非宗教的人道主義者すべてが神の恩讐であり、レバレンド・ムーンの恩讐であります。神と真の父母と統一教会とキリスト教の恩讐なのです。それで宗教界を連合するための運動をしているのです。先生はダンベリーに入っている間、このような基盤をつくるのに全力を尽くしたのです。その基盤が出発していることを知らなければなりません。 皆さんが見て、キリスト教界、既成教界にそのような準備が成されていますか? (はい)。四十年前、先生が韓国で摂理を出発するときに梨花大学とか韓国キリスト教を中心として駆けめぐっていた恩賜が、そこで反対を受けて止まってしまったものが、四十年後に巡り巡って、今日まで再蕩減条件が成立されることにより、初めて訪れてくる神の歴史的恩賜の時代であることを皆さんは知らなければなりません。再蕩減の上に、先生の一生の間に四十年間を苦労してこれを再び回復した権限を打ち立てたので訪れる恩賜なのです。その時、アメリカと全世界のキリスト教を吹きまくる運勢が、これから皆さんの動きによってこれが再現されて、キリスト教と自由世界を吹きまくる恩賜として前進するのです。アーメンであります。このようにするために旗手とならなければなりません。実際にそのような時のように感じられますか?(はい)。 これからの三年間は妻子のことを考えたり、家を考えたりする時ではありません。神のみ旨、神のみ旨しかありません。私には子供がいません。自分の国がありません。皆さんは神のみ旨のため、世界のため、神の創造理想のため神が願う四位基台をこの地上につくり、反対のないこの世につくるための最後の戦いであることを思って前進しなければなりません。神のみ旨を中心とした四位基台を、サタンとこの世で一人でも反対する人がいないようなエデンの園での本然の四位基台のような場をつくらなければなりません。反対する人がいてはなりません。反対できないように全部吹きまくり入れるのです。何の話か分かりますか。この三年以内に八八年までに反対のない基盤をつくっておくのです。四大国家は摂理的四大国家です。その国家というのは、アダム、エバ、カイン、アベルの四位基台国家を代表したものです。今というこの時に、摂理的運命圏がかかっているのです。韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル天使長国家、ドイツはサタン側の天使長国家で、この四つが一つになるのです。それで皆さんも知っているように、ドイツが二つに分かれています。東西に分かれて半分は神側、半分はサタン側です。韓国も南北に分かれるのです。南北は縦的に分かれたのです。北には金日成を中心としてサタンの父母のような偽りの父母が、世界的版図を前に闘っているのです。ですから北韓を料理し、西ドイツは東ドイツを料理すれば世界の共産主義は滅びます。それほど遠くありません。共産主義、民主世界が問題ではないのです。それはだれが解決するのでしょうか。今の大統領が解決するのでしょうか。そうではなく神のみ旨を知っている人が、神が解決するのです。そういうことが目前にきています。目の前で見ます。では歴史的に私たち統一教会はこの神の祝福を世界のために受け入れますか、家庭的に全世界の家庭を代表し、蕩減がない立場で受け入れるようにしますか。しませんか?(受け入れます)。 それで責任分担完遂が、サタンのいないこの世界の讒訴圏のない統一教会の群が、神の血統が地上に定着して、今まではジプシーだったのですが、これから定着する地を探して出るのです。今まではどこへ行っても「ムーニー」と言って追い出しましたが、これからは「ムーニーようこそ」と歓迎されます。この三年間に変わっていくのです。そうなれば皆さんの子供たちは迫害のない立場、神のみ旨を成した父母の胸の中で、その父母に従っていけば自然にカナン復帰完成した地上天国で生きて、天国に行くことができるのです。 七〇〇〇名を動員すると言いましたが、韓国に七〇〇〇名動員するという話を既に聞いたことでしょう。アメリカの牧師たちをこの期間に、八月十五日までに七〇〇〇名以上を教育するのです。カウサという名でもって教育したので方向性がみな定まっています。このことを中心として、牧師が約七〇〇〇名韓国に行くとすれば、韓国はひっくり返るでしょう。 では私たちの作戦は七〇〇〇名から七万名を一つにする道をつくろうとするので、韓国に七万名の外国人が連絡されれば、世界的なすべての道が個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと連結されるのです。しかしいまだこのアメリカが国家基準と連結されていないのです。連結しなければなりません。結局アメリカにおいて先生が韓国と日本とドイツを筆とにするのです。ヨーロッパ全体を合わせてこの三年間で連合戦線を組めば、この世界がどのように変わるか見てみなさい。それではどこに行くのでしょうか。アジアに行くのです。西欧文明圏がアジアに行くのです。太陽が東から西に行くようにです。一回りするのです。それでこの西欧文明とアジアの文明との潮流が今までと逆になり、西欧文明が上にあったのが反対に下になるのです。キリスト教文明圏が今までアベルを支配してきましたが、これからはアベルがキリスト教文明を支配するので、アジアにある統一教会を中心として日本と一つとなってアジア文明圏が上に立つことのできる段階に越えていくため、アメリカが今経済的に日本に追い抜かれそうになっているのです。そうしているのは神の摂理なのです。 エバが堕落することによってサタンの天使長に与えたものを神側の天使長であるアメリカがエバ復帰のため取り戻してあげているのです。正に蕩減復帰です。 これから統一教会の信者は、日本人、韓国人、ドイツ人、アメリカ人が一つのアパートで、このごろいうマンション形式のコンドミニアムを建てているのを見る時、私たちもあのように四位基台基盤をつくっていけばいいわけですが、サタン世界が先行しているのだと思うのです。これからは結婚後生活する人たちはそのように住むでしょう。子供たちもそうです。一つの屋根の下に生活するので、御飯も一緒に作ったりするのです。それをしなければなりません。新しい伝統をつくっておくのです。 皆さんが今まで生活してきたアメリカ式を全部崩さなければなりません。皆さんがそれによって一つの氏族と共に生きるのです。一つの国家と共に一つの世界と共に生活していかなければ天国に入ることができません。何の話か分かりますか。皆さんにはまだ伝統がないのです。そのため各国の外国食口と祝福を受けた国際結婚した人を、教会が尊敬しなければなりません。アメリカで白人崇拝主義がありますが、そういう主義は過ぎていくのです。統一教会でそのような考えをもっている人はサタンです。 このようなみ旨的な見地から見て、世界が目前に来ているので最後の立場において、アメリカにいる全祝福家庭、全世界の祝福家庭は総動員してこの闘いを展開せざるを得ません。これは神のみ旨に対する私たちの使命なのです。それで総進軍することを決意しなければなりません。 これからは皆さんがどれほど先生に動員を志願したとしても動員をさせない時が来るのです。今の統一教会の皆さんよりももっと統一教会の原理を研究して、レポートで発表して教えている人たちがいることを知らなければなりません。しかし、いくら彼らがそれほど一生懸命にやるとしても、蕩減条件を立てなければ天国へは行かれません。世界的サタンと闘い、自分自身が勝利しなければなりません。父母が勝ってあげてはできません。自分が勝たなければなりません。父母が勝てる道を教えてあげてそのようにすれば勝つようになっています。そうすることによってのみサタンが離れるのであって、そうでなければサタンは離れません。もし統一教会を全部が支持すればどうなるか。労働をしてでも蕩減条件を払わなければなりません。先生が命令をするのです。あなたこのようにしなさいと。それが蕩減条件です。これから統一教会が世界から歓迎されればいい気持ちになっているのではなく私たちはもっと頑張らなくてはなりません。皆さんの二世たちには責任分担が残っていますか?(イエス)。それは永遠にイエスです。その法度を外れれば、サタンの讒訴条件に引っかかるのです。その時には地獄に入っていくだけではなく、法度に処罰されるのです。そういう時が来ます。いつも蕩減法は残っているのです。しなければ責任分担が残されるのです。 だから私たちはこのような時代において、全体蕩減を、家庭を中心としなければならないのです。祝福家庭は先頭に立って、モーセの前で抗議し、ヨシュアとカレブに抗議するのではなく、常に支持、絶対歓迎する群となって、カナン福地がいくら死ぬほどの死境だとしても、かまわず前進する決意をするためにここに集まったのであり、また、それをしなければならない責任があるので新たに決意して、出戦しなければなりません。 先生が四十年苦労したことを皆さんに三年間で受け継がせるのです。神が六〇〇〇年間苦労したことを、四十年間レバレンド・ムーンが蕩減復帰して受け継がせるのです。 神を中心として見れば、真の父母の家庭、真の父母の子女たちと皆さんの家庭の子女たちが家庭的四位基台を編成すれば、すべてが成就されるのです。そこにサタンが入ることがで来ますか。原理的に、そこにサタンが入ることがで来ますか?(いいえ)。絶対的信仰と絶対的アダム、エバと絶対的家庭を中心として、絶対的神を中心として、絶対的血統が連結されているのです。それをサタンが讒訴することができますか。 これからは国境がなくならなければなりません。エデンの園に国境がありましたか。これからは国境を撤廃するでしょう。これからは一日生活圏に入ってくるのです。だれのために。天の子女のために、このように神が理想としたすべてを主管し、すべてを一つに束ねるように努力しなければならないのが私たちの責任です。家庭、家庭が先頭に立って、統一教会の家庭でない人たちに行く道を見せてあげるのです。それでこのような世界的時代を迎えて総動員するという人、立ってください。手を挙げてください。熱心にやらなければなりません。九月一日より全体動員しなければなりません。(イエス、イエス、イエス)。神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.18
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「祝福子女に語られたみ言葉」1985年8月23日イ―スト・ガ―デン(金曜日 午前八時)―朝の食卓で祝福家庭の子女たちに― 難しい仕事を避ける人になってはいけません。それを成してのみ大きくなれるのであります。良いことには必ず難しいことがあり。百を越えてこそ初めて百以上を受けることができるのであります。 現在の立場において発展しようとすれば現在のもの以上を投入して、以上の立場にいかなければなりません。困難さを正面で挑戦して、かき分けていかなければなりません。信仰生活も同じであり、世界の困難さを一人で引き受けて越えていくという信念でいかなければなりません。 我々教会は、他の教会と異なってこの全ての世界の問題、価値観の没落、共産主義、人文主義思想などを解決しながら進んできたのであります。当然あることを私が越えるというように考えなければなりません。入れる力と投入程度によって消化度も異なってくるし、達成率も異なってきます。努力しないで成功することは、本当ではありません。自分が血みどろの努力をして越えた時、それが喜びであります。人は常に闘争、挑戦をして越えていくのであります。 私が歴史を学ぶことも、それを学んで、それ以上の努力をして、元返しておくためであります。お父様も私たちのような年に、数多くの悲惨なる背景と闘争、挑戦の歴史がありました。表面に見える実績と功績は良いのでありますが、その背後の困難さと努力は甚だしかったのです。人は経験が多ければ、常に比較して選定することができます。思いだけあるといって結果となるのではなく、行動が結果を生み出します。勉強して、その勉強した以上実践を通して現さなければなりません。考えよりも行動(実践)が、行動より成功が重要であります。成功というのは、全ての面に於いて優れたことを言います。一つだけ特別に優れることではなく、どのような学科でも全般的に優秀なのであります。 全ての人々が全部、成功したがっていますが、成功する人は少ないのです。我々の考えが普通の人たちの考えと似通っているならば、普通の人以上にはなりません。普通の人しかなれません。目的が高ければ高いほど力も要ります。目的に比例する全ての逆境をかき分けて、その道に山があればトンネルを掘り、川があれば橋を架けなければならないので、簡単ではありません。平地だけ願ったとしても、平坦のみではありえないし、そのようであれば大きくはなれません。友だちであろうが、多くの人々を導いてこなければなりません。 経済力と全ての力を投入して大学を卒業した後には何をすべきか。家庭を持ったならば国を得る、国を立派にする家庭とならなければなりません。出世の舞台は家ではありません。社会に出ていってどのような影響を与えるかが問題であります。導いていくということは、下っていくことではなく、上っていくことなのであります。一段高く行くのであり、平地を行くのではなく、会社であれば会社という、所属している団体で困難を引き受ける人にならなければならないし、ただ回りの気配だけを伺いながら生きようとする人はそこに留まってしまいます。 立派な人になるためには、一生の間押し寄せてくる全ての骨のおれることに、勝たなければなりません。最も尊いことは、少しやって止めてしまうことではなく、最後までやることであります。十人が始めて一人しか残らないとしても、それを成し遂げるのであります。十人の友を皆捜し出すというような人にならなければなりません。十年をいく人ではなく、私は一生行くと言わなければなりません。有名な人は頭が良い人でもなく運が良い人でもなく、最後まで継続する人であります。先生はアメリカを回す最も早く良い道が監獄であること知ったので、環境自体は私を歓迎しなかったが、そのままに進んで行き、もっと進めば道が変わってきました。環境自体が悪い時は、その悪い環境が反対することは当然である故、原則である故、悪く思わないで下さい。反対を受けながらも、その誰も成すことのできない実績を持って進んでいく時、最高に反対していた人が返ることができます。 真言をすることができる人にならなければ成りません。一日二日良いといって、喜ばないで下さい。一日よりも一年が、一年よりも十年が、良い人にならなければなりません。言葉では容易ですが普通の生活では難しいのです。誰でも一日二日、一年程度は良くすることができますが、十年、二十年良くなるというのは難しいことであります。 決心をすれば、それに誰が早く着手したかが問題です。全てのことが入力よりも出力が小さいです。投入した分位出てくるのではなく、そこには必ず抵抗要素があるために、百を入れれば七十及至八十だけが出てきます。故に私が投入した分より、もっと出てくることを願えば矛盾出あります。継続的な力が必要であり、長期的な比率の長期的な投入が絶対必要であります。短期的であれば比率も低くなり、自然に消えてしまいます。 歴史は秤と同じように動きます。 先生は一生の間休まず、自らが成すことがあまりにも膨大であるために、時間が必要であり、それで寝る時間、食べる時間を犠牲にしながら、深刻に投入しました。困難さがあってこそ価値が賦与され輝かしくなります。白金は量よりも質において内面において、完全に一つとなって不変を見せます。何でも、変わらない人が尊いのであります。人においても言葉と行動が変われば使えません。自分がやったことに責任を持たなければならないでしょう。神様もそういう人が好きです。御自身が永遠絶対であられるために、自分を犠牲にさせながらまで、不変なのであります。先生も幼い時、人の前に出ることを嫌がりました。成すことが多いのにいちいち世話をやいてついて歩くかと思ったためであります。一生安楽な日がなかったのであります。いつもお金も思いのままに使わず、良い事、人のためになる立場においては大きく沢山使われ、御自分のためには人が理解できない程にお金を使われなかったのであります。 人と違った立場において、人と違った行動をするから、全てが注視する。全ての事に精誠を込めなければなりません。平安な環境を訪ねていってはいけません。いまやキリスト教文明であるカインが、東洋文明を代表したお父様の統一教を認識して従ってくる。これが偶然ではなくて、精誠を込めた中において天運がついて来るのであります。丁度うってみるとそれがアメンオサをうったことなのであります。(アメンオサというのは、国が秘密のうちに遣わして良き治めをしているかどうかを調べて歩く人のこと。密者)。無責任な中において得ようとする人、良くなろうとする人は泥棒ないし強盗であります。常に責任があります。孝進様もお父様が行かれた道以上の努力で行こうとする時、全ての天運と恵みがくるのであり、その場においてただ楽で良いことのみを願えば、統一教会を売る泥棒や強盗となります。私の父母が苦労した以上やってみようと思わなければなりません。 苦労しなければ他の立場において、多くの努力と苦労、精誠を込めた人が恵みを奪っていきます。私が停止しても天運は続けていくのであり、たゆまず継続してついて行って責任を果たさなければなりません。エジプトに来なさいということは、エジプトの理想が、その苦労以上あるという意味であるために、それを否定せず進んでいってこそ滅びないのであります。お父様が私達をもっと苦労させて下さろうとする。それを担当していこうとする決意のない人は見向きもしません。奨学金を与えながら、これからどれ程責任を果たすかどうか、果たして残るかを御覧になります。 始まった苦労が、皆三六〇度回っていく時まで他の次元に越えていく時まで継続されなければなりません。そうでなければ苦労したということをいうことができず、いままでの苦労が泡になります。孝進様もお父様が行かれた以上の道を自証して行く孝進になる時にのみ従いなさい。価値決定というのは成功した後において決定されるのではなく周囲において認められてこそ初めて、侍られる立場に入る時に現れるのであります。最後まで峠を越えてこそ価値認定を受けることができます。一生を通して、走らなければなりません。大学を卒業したとして、良い成績で卒業したとしても、それに比例する実績がなければなりません。(万人が認めることができる)。良いことを教えてあげたならば、試験をしてみなければなりません。まず、正しく決心をなす時までは開拓をしなければなりません。先生を人々が尊敬するのは、人々ができなかったことをやったためであります。お父様も三十八度線を越えながら、私が必ず共産主義を動かしてみようと、決心をしてこられました。変わらない人は歴史的な人物に成ります。簡単であります。今日をおいて喜ばず、明日のための所望をもつことのできる人になりなさい。我々は宇宙をおいているために、後孫に歴史に功績を残す人になってこそ、歴史が後孫がそれに従うのであります。 過程にある私(我)は、動機と結果が一つになった私とならなければなりません。 先生は運動も出来ないことはないし、何でも全力投入されます。一旦成したとすれば、それのために生まれた人のようです。そういう時、全ての考えを集中しながら、時間を短縮させます。(例え・ツナ釣り)。ただ魚を釣るという考えではなく、魚を相手に無限なる研究と全般的な考えをされます。何が好きか。エサも一番良いものをあげるなどなど……。 お父様と一つとなって、枝と幹とになろうとする統一教会の役軍をみつめておられます。ただ自分の他の考えを持って、ああでもない、こうでもないとついて行く人はただ流される人であります。言葉なくても、全体を主管する人になりなさい。誰かが知ってくれないといって寂しがらず、後孫と天の前に同々たる人にならなければなりません。神様と地が知ってくれます。平凡にいきるな! 子供を可愛いという母親は多いのでありますが、子供のためになろうという母親はおりません。可愛がることは動物もなします。しかし、精誠を捧げる父母とならなければなりません。無条件に愛することが、いいことではありません。子供は愛したことは全て忘れますが、精誠を込めたことだけが残るために忘れないのであります。我々(子供)は無関心であるが、父母は常に関心をおいてみつめます。統一教会も、統一教会が好きである人のみならず、為になる人になりなさい。 共産主義を収拾しなければならない責任が我々二世たちにあります。(お父様が霊界に行かれれば)人知れぬ涙を沢山流さなければなりません。いまは西洋文明と東洋文明の順位が交叉する時であるために、総動員であります。東洋文明が上に立つ時期であるために、統一教会の人々は、みな一線に追放させます。幹部からあの一番底に入れてみると、真実の如何が明らかになります。何故ならば、ただぼんやりとついて来て気配だけを伺って来る群れは皆落ちてしまうためです。もっと勉強しなければならないし、もっと苦労しなければなりません。 何故父母よりもっと苦労しなければならないか分りましたか。金持ちの家の子供たちが滅びる理由は、皆父母たちの恵みを享けて何にもしようとしないためであります。お父様はいまや世界の平均化のため、もっと良いものをつくるため後進国家に行かれます。万民が歓迎するとしても、お父様が良い暮しをすれば滅びるために、アメリカを離れようとします。もっと発展し、高くなるために自体内において、追い込むのであります。何故、宴会の家で最後は常に賞賛が行き交うことよりも、喧嘩が容易いかということは、これからもっとやってみようとするためであります。絶対に留まろうとなさらないでしょう。家に何か良いものができても保管して人に与えます。自分は常に着ていたもの、使っていたものを、着たり使ったりします。何故かと言えば、それが楽です。新しいものであれば、私は常にそこに合わせなければいけないから、服のために僕になるようであるから、嫌です。環境を追放させて、もっと良く、善なるように作らなければいけません。周囲を気にするような人になってはいけません。堂々と、いまから良くしなければいけません。修練会の時よりもっと深刻に臨みなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.17
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「蕩減による勝利的基台」1985年8月21日ベルベディアにて 先生は一生をいかに歩んできたかというと、復帰摂理を蕩減しながら勝利的基台をつくってきたということが、総結論なのです。アメリカに来た時、数人の随行員とだけで来ました。それから闘いを始めて、言論界や各界各層に働きかけ、そこで民族、国家、背後の全世界が合わさって問題が複雑になった一番のピークの時が一九七六年でありました。その闘いは、神(天)を代表し、サタン世界とぶつかって勝利の決着をつけなければなりません。終わりを告げなければなりません。司法省で起訴する前に、先生は国外に出ていました。司法省自体は、起訴したならレバレンド・ムーンはアメリカへ帰ってこないと思っていたのです。しかし、もしその時先生が帰ってこなかったなら先生に敗者の烙印が押され、良くない汚名を歴史に残して消えていかなければなりません。 先生の一生は蕩減ゆえにこれを決死的に解消してきたのですが、歴史的なすべての宗教指導者たちの事件はすべて法廷闘争なのです。常に監獄で、その国に命を懸けて闘ってはみんな死んでしまい、恨みを残したのが宗教の歴史路程でありました。レバレンド・ムーンが歴史的決着をつけるこのような闘いをする代表者であるとしたら、全世界、地球上に住んでいるあらゆる主義や民族や宗教とか全体が統合してレバレンド・ムーンを攻撃する、そのまっただ中に立って闘わなければなりません。 そこでは、先生は、キリスト教とその歴史を中心として聖人の名をもっている人々、それから他の宗教、義の道を中心として今まで血を流したすべての霊界の人々の恨みを解いていける旗手なのです。彼らの前で義のために堂々と勝利したといえる基盤をもたなければなりません。過去においては死んだ神の代行者たちや、犠牲となった人たちは、いつもカインによって、その時代の体制によって犠牲となったのです。そうした立場から見たとき、歴史的に世界の全人類から総動員でこのように反対された人がいるとしたら、それはレバレンド・ムーンであるということは子供でも知っています。先生は、そのような立場できたのです。米国といえば自由世界の先頭に立っているし、共産主義・ソ連までも意識するそういう国を中心として、一人で闘うのです。 皆さんはイエス様の十字架の路程をよく知っていると思いますが、サタンはありったけの力を合わせて打って、監獄に押し込んで殺して、知らないふりをすればすべてが終わると思ったのです。レバレンド・ムーンが監獄に入った時そう思ったのです。しかしイエス様を死の中から復活させた神様の能力を先生は知っており、このダンベリーを中心として神は統一教会を復活させたのです。(拍手) ハーフウェイ・ハウスの四十三日間においてこの復活圏をつくっておいたのです。これがみ旨です。 先生が出てくる日とともに、結局はイエス様が亡くなって四〇〇年間キリスト教がローマを支配していったその基準を、四十三日間で蕩減するのです。全体蕩減するのです。イエス様が亡くなってから四十日後に地上基盤が霊的に再び出発しましたが、先生は地上の実体基盤をもって出発したのです。それが違うのです。イエス時代は霊的出発と同時に迫害が加わってきましたが、先生が出発する時は迫害を整理して出るのです。迫害が終わるのです。(拍手) 摂理を蕩減法という復帰摂理観的な立場から見るとき、先生がなすべき責任は先生自身が果たさなければならないということです。ダンベリーに行ってなしたことがそれです。先生が条件を残して、摂理が成就できなかった場合、困るので、全部先生自身が清算し、その結果このようなことが生じたのです。そして既成教会、キリスト教を引き連れてきました。そのようになったのは皆さんが活動したからではないのです。それは時がそういう時だからです。ですからこれから皆さんがこういうことを知って先生が勝利した基盤を押し進めていけば、どんなに大きな世界であっても問題ではありません。 例を挙げるとワシントン・ポスト紙は先生を憎みましたが、大々的に今回新聞に出したのは自分たちの意志ではありません。そうした運勢があるからです。西欧社会のアメリカという風土の中においても、無視できない基盤を掌握した男として現れたためにそうせざるを得なかったのです。すべてには契機がなければなりません。このようになる前に先生が西欧社会でなしたことは、アメリカが滅びることを予告し、ソ連が滅びることを学界を通して宣言したということでした。これが八月十五日以前、十三日から(「ソ連共産主義は終わった」のジュネーブ会議)始まって共産世界に問題となったのです。(拍手) このように見る時、今アメリカを見渡してみても滅びゆくアメリカを生かすことのできる人がいないのです。学者たちも手を挙げ、宗教家も手を挙げ、全部が手を挙げているのに、アメリカを生かすと主張しているのは統一教会とレバレンド・ムーンだけです。そのことは、はっきりと表面化しているのです。教会の指導者たちはこれで終わりだと思っていましたが、今やアメリカの若者たちが希望に満ち統一教会とレバレンド・ムーンを知って生き返る道が生じたといって燃えているという事実は、全国的にそういうムードになってきたということは驚くべきことなのです。 最近では政治、経済、宗教の指導者や学者が統一教会のみが希望である、あの団体は今後可能性があると、既に内心ではそのように思っている事実があります。皆さんはよく知らないと思いますが先生はよく知っています。そして特異なことは、今までデモをしていた大学街の若者たちやリベラルだとか言って騒いでいた人たちの間に、このようなことをしているとアメリカが滅びると言って、自分たちが一つとなって新しく生きる道を模索しなければならないというブームが起きています。これからは統一教会について調べてみようというブームが起きてきます。二世たちがそうです。 なぜなら統一教会の若者たちを見ると希望に満ちているし、大胆で、女性だとしても一人で男性以上やるのを見ると希望をもつのです。賢明な人が街に出て迫害を受け、悪口を言われながらもそれでも絶えず働いて何をするかといえば、自分たちが良い暮らしをするためではなく、アメリカの知性人たちを目覚めさせるためであることを、知性人たちは分かり始めたのです。国の指導者たちも分かってきたし、また若者たちも分かり始めてきたのです。それは、国を生かし、知性人を教育するために、牧師たちをカウサ運動で教育してきたことがよく知られるようになったのです。 学界や宗教界の指導者から政界の未来を見つめるすべての人々が、西欧社会にレバレンド・ムーンしかいないと言われるような段階にまできているという事実を見る時、私たちのみが希望であると結論づける時となったのです。西欧社会ではレバレンド・ムーンの思想でなければならないということを知るようになったのです。それは先生が言う言葉ですか? 事実がそうなのですか? そういうことをだれがなしましたか? (先生です)。 金持ちの家の主人が祝宴を開き結婚式をする時、それはだれのためにやりますか。それは主人がいくら立派であるとしても、結婚式は新婦や新郎のためにあるのです。それはいかなる話かといえば西欧社会に神の祝宴が開かれるとき、レバレンド・ムーンが悪口を言われたりしてもその祝宴は結局だれのためにやったのでしょうか。だれがやらせたのですか? その時レバレンド・ムーンがいなかったら祝宴もめちゃめちゃになってしまいます。それではだれがやったかといえば神様がなし皆さんがなしましたが、しかし実際は祝宴の主人であるレバレンド・ムーンがなしたという結論がつけられなければなりません。ですから、だれがやったことになりますか。それを知らなければなりません。どのようにやったかといえば蕩減条件を立てなければすべて失敗します。蕩減条件は神が立てるのではありません。レバレンド・ムーンが立てたためにできたことを知らなければなりません。このように見る時、自由世界が頼るのは私たちしかないということが表に出てきたという結論なのです。 共産世界が既に統一教会に脅威を感じていることは共産世界の学者から為政者たちに及び、彼らは共産主義が滅びる段階に入ってきたので希望がないのです。そして、共産世界の二世たちは自由世界のアメリカを夢見、アメリカが良いと思って来ても失望するのです。それでも彼らがまだ生きているのはレバレンド・ムーンがいるためであると結論づけることができるでしょう。彼らにとって一番恐ろしいのがレバレンド・ムーンです。ところで、共産世界において共産党を一番嫌がっているのはその共産党幹部の息子、娘です。全部が偽りであると嫌っている群れですが、その幹部たちが私を一番嫌がるので、私に最も関心をもっているのは共産党幹部の息子、娘なのです。そうなっています。彼らにはたとえ旗手がいて指導しなくとも、自動的に西欧社会に来るようになれば、統一教会しか来る所がないのです。それを知らなければなりません。 このように見る時、今は統一教会が神主義を中心として共産主義に終わりを造げ、民主世界の混乱に神主義を主張しながら、これから始まるのではなく、すべての体制を整えて世界的基盤をもって出発できる時代が既に私たちの目前に近づいている事実を知らなければなりません。 このように考える時アメリカも先生に救ってほしいとすがってくるし、共産世界も私にすがってくるのです。それで先生 は逃げ出そうと思っています。(笑い) 今まで苦労してきたのにまた苦労しなければならなくなりますからね。右は右の強盗、左は左の強盗のようで、これらがすべて私にすがってきて助けてくださいというのですが、これらをどのように連れていくべきでしょうか。アメリカ一つを連れていこうとするのに二つが共に寄りすがってきた場合どうしたらいいでしょうか。さらにアフリカ地域も、中南米も私の国を生かしてください、ヨーロッパの貧しい国も自分の国を生かしてくださいというので、先生はどうしたらよいでしょうか。餅が一つしかないのに食べる人は数千名なのです。もう逃げるしかないのです。 神は“私の願う時が来た。私の息子は必ず喜んでやり遂げてくれるだろう”と考えられます。先生は喜んでというよりも、心配でいっぱいです。逃げ道はないだろうか。神に「逃げます」と告げても逃げることはできません。逃げないとするならば、その重荷でつぶれそうになります。どうしたらよいのでしょうか。実に問題が大きいのです。先生の立場は難しいのです。そこで先生は神に一つの要求をします。「私はキリスト教の反対の中にあっても第二次大戦後四十年かかってここまでやってきました」。幼い者たちを教育し、彼らを用いるようになるまで何十年もかかってきました。そういう説明をしながら「神様、どれくらいの時間を下さいますか」と聞くのです。そうすると神は「できるだけ短時間で、稲光のようになせ」と言われるでしょう。間違いなくそう言われるでしょう。先生は神の性格を知っていますから。しかしレバレンド・ムーンはいまだにそうすることのできる基台がないのです。どうしたらいいでしょうか。 そうした期間を四十年間で収拾してしまってはすべてが滅びます。四十年後にはどのようなことが起こるかといえば、ここに喜んで来ている人たちはみな死んでしまいます。今、乳を飲んでいる若い群れを待たなければなりません。しかしそれでは困るのです。問題は大きくなります。どうしたらよいのでしょうか。現に口を開いて話をすることができ、自分の主張が言えて闘える群れ、すなわち準備された群れが必要となっているのです。 世界の四十億人類を動かし、それを食べさせるには統一教会で間に合うでしょうか。一口ずつ一日三スプーンずつ口に入れるとしても、どれほど人が動員されなければならないでしょうか。 先生はこれから統一教会の上にいる人たちを全部下に降ろしてしまわなければならないと思います。上をそのようにすると皆さんはどうするでしょうか。先生が今まで蕩減復帰時代が終われば良い時代が来ると言われ迫害もなく良い時代が来るのは来るが、私たちの時代が来るのには来るが、寒くて行くことのできない道が出てきたのです。これをどうしますか。皆さんは今まで迫害がないことを願ってきました。迫害がないということは最終段階です。これからはムーニーと言って誇れる時が来るのです。(拍手) 誇ることはいいのですが、乞食のような群れを食べさせなければならないし、彼らを生かしてあげなければならないのにどうしますか。先ほど先生が言ったように逃げ出したいと言いましたが、ムーニーとか何とか言う前に皆さんは間違いなく逃げていたに違いないでしょう。そうなると神は「あなたは蕩減をすべて果たしたので休みなさい」と言うでしょう。神が先生に特別な景品券を発行するでしょう。これからレバレンド・ムーンはこの特別景品券をもってどこに行ってもいいし、自由に生きなさいと。そしてたとえ自由にしても罪にならないのです。すべてはOKです。何をしてもよろしいと言うのです。 一つ困ることは皆さんが一緒に出ようとすることです。ムーニーたちが共に出ようとするから大変です。ミルクを飲むような赤ちゃんはさておいても、成長した者たちまでがついていこうとすれば神は大きな棒でたたかなければなりません。そういう結論が出ます。これまで先生を苦労させたのに、まだ苦労させようとするのですか。私たちが自分なりに楽をしようとすれば、統一教会はここで滅びるのです。滅びます。間違いなく滅びます。 アメリカで一番高い山は何ですか。マッキンリー山です。西洋人はこれは高いと誇っていますが、高くなるためにはこのぐらいの根となる反対の山がこの中に入っているのです(図1で示す)。ですから高い所にあるものは、この深いところにあるものと垂直に運動をするのです。この運動は線でなされ、円運動になっていきます。(図2で示す)この下にアメリカが生きるし、世界のヒマラヤのような山でこのようにすれば世界がすべてその中に入ってきて生きるような道が生じます。 どうですか? ここまで聞いて力がみんな抜けましたか? (いいえ)。きのうバンケットに参加した人は気持ち良かったでしょう。(良かったです)。そこにいた牧師たちはレバレンド・ムーンに飽くし湯を求めてやって来たのです。(しぐさで示す)。統一教会の人たちが先生に握手を求めてきたことを見たことがありません。みんな固くなってしまいます。 統一教会の万物復帰をする伝統を立てていなかったら今日このように多くのアメリカの知性人を連れて来て教育することができたでしょうか。牧師たちがその教会員の働きぶりを見て、レバレンド・ムーンはどうしてあのように人々を指導できるのかと驚いています。これからは牧師たちを連れてきてやらせます。そうするつもりですよ。統一教会の人たちはだれでも万物復帰はよくできると聞いているので教えてくださいと言われた時、皆さんはどうするつもりですか。皆さんは牧師たちに教えてあげる権威をもたなければなりません。(はい)。先生は信じられませんよ。(いいえ)。ではこれから何カ月間かテストをやってみなければなりません。(はい)。その時、「私は子供がいるので万物復帰に出られません」、と言うのではないでしょうね。(いいえ)。先生はこれまで皆さんにどれほどだまされてきたことでしょうか。今回、一度テストしてパスさせます。 今までは出てきてから悔しかったことを全部蕩減したりしました。私が悔しく思っていることは、皆さんも悔しく思ったことと思います。それを蕩減するのです。先生が監獄に一年いる間どれほど苦労していたか知っていますか。皆さんは楽に眠り、楽に生活したかもしれませんが。その時でも先生は働き続けていました。それはアメリカを生かすことのできる伝統的基盤をつくっておかなければ、神のみ旨が滅びてしまうからです。そのことがどれほど申告なのか分かりません。共産世界においてもレバレンド・ムーンを知っています。自分たちの希望はレバレンド・ムーンに会うことである。共産世界もそのようなことを知っているのです。民主世界の指導者層も知っています。このように見ると世界の版図は私たちの目前に来ています。これを消化することのできる主体勢力が確立されていないとしたら、これ以上の嘆かわしいことはありません。 先生はそういう時が来るのでアメリカとか先進国家が全部先生を後援するとしても、先進国家がもっている力を先生一人の力ですべて準備するのです。これから科学技術世界においてもレバレンド・ムーンが問題の人物であることを皆さんは知らなければなりません。先生が命令さえすれば何でもつくることができます。皆さんは先生が何をしているか知らないと思います。 きのうのバンケットの主賓テーブルには著名な人々が席を並べました。彼らか先生に直接会うのは初めてです。しかしこのように身近かな所で会えるそういう基盤が一日二日でできるでしょうか。ですからこのような時になったので荷が重くなってきたし逃げ出したくなるのです。どうしたらよいのでしょうか。それには方法が一つあります。この蕩減の荷を一人一人に分け与えるのです。(はい)。では皆さんはその分けた塊の中で一番大きいものを持ちたいですか。それとも一番小さいものを持ちたいですか? (大きいものです)。 このようになるとどういう問題が起こるかといえば賢い日本は、「日本人は体が小さいので小さい荷を下さい」。(笑い) アメリカはどうでしょう。「アメリカ人は巨人のようであるから私たちは大きなものをもっていきましょう」と言います。イエスですか、それともノーですか? (イエス)。日本人は賢いのでこれを運んで他の人の倉庫に入れるのを嫌います。ですからこれを自分の倉庫に入れなければと思う時は、ありの群れのようにつかんで持っていくでしょう。どうなるでしょうか? (笑い) そうするはずです。どうしますか? 「私たちアメリカ人は高尚な人々であり、尊厳のある民族だからそんなことはしません。さあどうぞ持っていってください」と言いますか。皆さんの妻や家を取っていってしまいそうなのにどうしますか。今までは日本人が先頭に立ってやってきました。しかし今後は皆さんが先頭に立ってできますか? (はい)。そうするという人は立ってみてください。私が見ておきましょう。では座ってください。(笑い) 立っていなかった人はどのような人ですか? 皆さんはスパイなのですか。ひょっとしたらスパイかもしれませんね。(笑い) 先生が逃げたとしたらどうですか。逃げてもいいですか、逃げないほうがいいですか? いたほうがいいですか、それとも逃げたほうがいいでしょうか。どうでしょうか? では皆さんが責任を果たすというなら、私は背後でやるかやらないかを見ることにしましょう。 きょうから先生は服も簡単に着ているのです。(笑い) もし靴下を脱ぐことで世界の人々を救えるならそうします。ディスコ大会もします。(拍手) 日本ではあまりにも苦労させたので、ディスコをやる時は互いに触れ合ったりしないならやってみなさいと言ったのです。ただ単にいつのまにかディスコをやる国になってしまったらいけないのです。それはもちろん聖なるディスコです。アメリカではまだ行いません。日本ではあまりにも苦労したので、一度体を伸ばしたり、運動をやってみたのです。高くなったら低くなるのが原則でしょう。日本人と競争するようになる時、皆さんは勝ちたいですか、負けたいですか。日本人と闘いますか。それでは何をもってですか。それはみ旨の業績をどれだけ上げたかというコンテストですよ。 では先生が逃げなくてもいいと皆さんが言ったので先生がどこに行っても干渉してはなりません。(はい)。この闘いは何かといえば、今日まで先生が四十年間闘って勝利したものを三年半で皆さんに相続しようとするのです。しかし実際は三年半も残っていません。その間に皆さんに相続しようとするのです。この期間はカナン福地期間と同じように定着する期間です。私たちが定めている所期の目的を一九八八年までに達成したいとするならば、きのうも話したようにエジプトでの観念はすべて忘れて先生のみ言、モーセの話を絶対視して、命令に従っていく道を絶対視して、行動を絶対視することのみが残された唯一の道です。 このようになる時アメリカに新しいブームが起きて統一教会に人々が押し寄せてくるようになるでしょう。その押し寄せる人々の力に対し、例えばロープにしても二本では強くなく、三本四本と束ねれば、千、数千の力のものを引っ張ることができるのです。ですから三位基台の組織があるのです。このように今の摂理は二つではできません。三か四位基台を中心として押し込めれば全部入るので、家庭を中心とした四位基台出動時代が来るという話をしたのです。 回っていくのに、そこには千の枝、万の枝を入れられます。国も入れられるし世界も入れられるのです。それを引っ張っていきさえすれば神が直接引っ張っていくのです。これまでは統一教会は一人のジプシーでしたが、統一教会の家庭ジプシー団出動命令を出すのです。「レバレンド・ムーンが牢獄を出てきたから、これからは家庭までが出動するのだ、ほらみなさい」、と言いますが何年間だけを見てみなさい。そのようにして定着するようになれば世界を占領することのできる家庭として定着することのできる時になったことを知って、そこに準備しなければなりません。 これからの伝道は素晴らしいのです。昔は朝決心し祈祷して出かけ、きょうだけは失望しないで帰ってこようとしたのですが、ぼろぼろになって帰ってきました。しかしこれからはそうではありません。(拍手) このことを皆さんが相続するようになる時、蕩減歴史はこの地球上において解消されてしまうのです。その地域を私の手でかせいで、アメリカを私の手でかせいでこの国の行くべき道を示してあげるのです。先生はアメリカを発ちましょうか、見物するために残っていましょうか。地方の責任者が多いですが、今までのように先生助けてくださいと言うのは誤った話です。皆さんが先生を助けてくれなければなりません。何の話か分かりますか? (はい)。では先生を助けてくれますか? (はい)。では一カ月どれくらい助けたいですか? (完全にです)。深刻なのです。少なくとも皆さんは三六〇軒を回って彼らを伝道しなければなりません。そのために新たに全部が出動する時が来ます。総出動を決心しますか?(はい)。それをするという人は立ってください。神に感謝します。(拍手)間違いなくやらなければなりません。これで先生のお話は終わります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.17
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1985年8月20日、文鮮明総裁がダンベリー監獄から完全出監された日です。「神のみ旨」1985年8月20日ワシントンD・C「神と自由」晩餐会にてショアハム・ホテル・リージェンシー広間 神と自由委員会の名誉議長と委員の皆様、国中からお集まりいただきました牧師の皆様、紳士淑女の皆様。 牢獄から出てまいりました私を、アメリカ合衆国の各地を代表し、また多くの宗派を代表してこのように盛大に歓迎していただきましたことを心から感謝するとともに、恐縮する次第です。私はまた、法廷闘争中、最高裁への法廷助言書の提出の際に、宗教の自由を守る会議と大会、祈祷会、同苦会、カウサ牧師同盟において、私を支援してくださった皆様に心からの感謝を申し上げたいと思います。また、私がダンベリーにいる間に、私のために祈ってくださり、多くの手紙を下さいましたことに感謝申し上げます。私は決してこのことを忘れないでしょう。 私は、人生において六回の投獄を経験しました。過去もそうでありましたが、今回の牢獄においても、神との感動的な体験がありました。私がそこにいたのは、私の個人的行為や過失によるものではありませんでしたが、私を迫害した人々を恨んだり憎んだりする思いをもったり、また私の無罪を申し立てることに牢獄での時間を費やしたのでもありません。私は、世界に対する神のみ旨を成就するためには、アメリカが何をなさなければならないかということを理解するため、祈りと瞑想に時間を捧げてきたのです。 私の全宣教生活と生涯の根底にある決意は、神の大きく長く続いた苦しみを取り去ることです。世の中が神の苦しみの心情に対して無知なるがゆえに、私の仕事と統一教会の仕事は長い間誤解され迫害されてきました。しかし、神のみ前に私の使命は切迫していることを知っていたので、一般大衆、キリスト教会、国家、あるいは全世界は言うに及ばず、私の家庭から理解されなくとも、これらの迫害は、私にとって大したものではありませんでした。 生涯を通して、私は深く神と交ってきました。数えきれない霊的体験を通じて、神の心情と神の愛を知るようになったのです。私は、いつもこのことを証してきました。私にとって神は、想像の圏内に存在するぼんやりとした神ではありません。神は生きておられ、私は、心情において神と直接に関係してきました。私は、身体の細胞一つ一つにおいて神を体験してきたのです。 私は、私と同様に神のみ旨の成就に携わってこられた牧師の皆様にあいさつ申し上げていることを承知しております。今日、ここに私を歓迎してくださることは、レバレンド・ムーンという人間に対する個人的歓迎ではなくして、私が人生を懸けてきた神のみ旨に対する誓約であるということを、私も皆様も知っております。神のみ旨を行うことは、私たちの共通かつ最大の関心であります。したがって、私は、神のみ旨に関してこれまで知り得たいくつかのことを、皆様と共に分かち合いたいと思います。 私たちの生ける人格的な神は、永遠、絶対そして不変です。したがって、神のみ旨も永遠、絶対そして不変です。神が人間を創造された時、神は目的と理想をもっておられたに違いありません。神の目的と理想は、神を全人類の親とする真の愛で結ばれた世界であります。神の真の愛のもとに、全人類は一つの調和した家族世界に住む兄弟姉妹となるでしょう。神の理想とは、神のもとにある一つの世界の創造ということになります。 愛の実体である神は、愛の目的のために森羅万象を創造されました。人は、自分一人で愛することはできません。愛するためには主体と対象が必要です。したがって、神が絶対的に必要なものは、神が愛することのできる対象です。神は愛を動機として、宇宙を創造されました。特に、神の似姿にかたどって創造された人間は、創世記一章二七節にあるように、目に見える実体的な神の愛の対象として創造されました。 全類にとって、神は永遠なる、目に見えない内的な親であり先祖です。完成したアダムとエバは、全人類にとって、永遠なる、目に見える外的な親であり先祖になるはずでした。 最高かつ最も神聖な愛は、永遠に神を中心として、主体と対象が愛を授受して一つになった時に生まれます。この真の愛において、おのずと完全な統一が生じ、全生命が相互に結ばれ、神の理想が実現されるのです。神の本然のみ旨は、神の愛する子女であるアダムとエバが、見えない創造主の目に見える生きた反映となり、永遠なる愛を所有して愛と生命の理想を完成させることでした。 創造主と被造物は、決して同等にはなれないと一般に思われています。もしそうであれば、愛の理想は神にとって決して可能なものとなり得ません。神の愛の理想は、神の子女であるアダムとエバを神の目に見える実体の対象とし、神と一つになることでした。正に、コリント人への第一の手紙三章一六節にあるように、神は人間の内に住みたいのです。 目に見えない神の愛の理想は、男性と女性(アダムとエバ)が本質において完成した時に実現されます。神を中心として、心と体の完全なる一体化を達成した時に、人間は人格を完成して、神の真の対象になるのです。これは、神の愛、神の理想、神の生命の永遠なる対象になることを意味します。 アダムとエバが、神の真の実体の子女としてこの理想を達成したなら、当然、彼らは子供を生み、理想家庭をつくり、ついにはその家庭が理想社会、国家、世界へと発展していったことでしょう。神の絶対的な愛に人間が完全にこたえた結果として、すべてのものが、生命の最高の喜びと幸福の極致を獲得し、最終的には天国を達成したことでしょう。 神は、まず地上に天国が実現されるようにとアダムとエバを地上に創造されました。理想的な人生を過ごした人々の魂は、地上生活ののちい、霊界の天国に行き、そこで永遠に住むようになったことでしょう。万物は、それぞれペアで創造されており、人間のために創造されています。このために、万物は愛の原則のもとに調和して住めるようになっています。人間から流れ出る神の愛によって、万物は神の生命と理想の実現に参加するのです。 アダムとエバが成長している時に、万物は彼らにとって愛の教科書以外の何物でもなく、無限なる種類の愛の現れを見せていました。神の男性と女性を象徴するアダムとエバは、神の愛の教科書、つまり自然界の生活を通して、だんだんと愛に目覚めていくようになっていました。彼らは完全に成熟して、結婚の理想を実現するはずでした。 それが、神の創造の究極の目的でした。神の愛は、神と人間の縦的愛の関係にだけ向けられたのではなく、縦的愛の完成後は、アダムとエバの横的愛の関係にも向けられていました。最初から見えない主体として存在している神は、神の愛に反応してくれる誰かを切望し、目に見える完成した神の対象である男性と女性に会うことを待っておられました。そのような愛があったなら、どんなに刺激的で満たされることでしょうか。そのような瞬間に、内的な親である神が、外的な親であるアダムとエバの内に住まわれ、彼らと完全に一つになるはずであったし、正にその瞬間に愛の理想が達成されたはずでした。アダムとエバは、目に見える世界の永遠なる親となったことでしょう。これによってアダムとエバは真の父母、全人類の最初の真の先祖になるはずだったのです。 この真の愛はあまりにも貴重なので、そのような愛を犯すことは、最大の犯罪であり宇宙的規模の犯罪であります。不道徳、若者の堕落、家庭の崩壊、近親相 姦、同性愛そして言語に絶する犯罪の数々、これが今日の世界の現状であり、それゆえに神は苦悶しておられます。創造理想は、気高く永遠なる愛を基台として完成した家庭を達成することですが、どうして今日の悲劇的現実が起きたのでしょうか。終末が近づくにつれて、人間堕落の罪が社会にはっきりと現れてきます。私たちは、蒔いたものを収穫しているのです。 私は、人間堕落の詳細を論ずる時間はありませんが、堕落の事実を発見するために何年間も苦悶したということを申し上げたいと思います。そして、堕落の原因は、人類始祖と天使長を巻き込んだ不道徳であったことを証言します。 統一原理によれば、サタンは概念的存在でもなけば仮想的実体でもありません。サタンは現実の存在であり、愛の理想を破壊して、人間の血統を神の主権から自分の主権に移した極悪人であります。イエス様御自身が、ヨハネによる福音書第八章で、悪魔が人類の先祖であるとはっきりおっしゃっています。悪魔、すなわちサタンは、神がアダムとエバによって実現しようとされていた愛の理想と、アダムとエバを神御自身の外的自己の位置にまで引き上げるはずであった愛とを破壊した、正に姦夫であります。このことは、皆様方には耳新しいことかもしれませんが、これが真実です。私が人生の根本問題に対する解答を探し求めていた時に、霊界において血みどろの闘いを通して発見したものであります。もし真剣に深く祈ってくださるならば、これらの解答を肯定なさるようになるでしょう。 それでは神は、サタンの罪を罰するのになぜそんなに長くかかったのでしょうか。サタンは神から愛の理想を盗み、偽りの親として、偽りの愛によって人類を所有し、神の位置を奪っています。ですから、神は人間の血統をサタンの主権から移行して、人間を再び自分のものであると主張することから始めなければならなかったのです。 堕落のために、神と人間との関係は切断され、真の愛を中心とした本然の授受作用による正しい人間関係も失われました。真の愛を土台にした人間同士の調和に満ちた統一も、生命の喜びも共に破壊され、個人は敵同士になりました。世界は、不信に満ちた地獄になったのです。 神の創造の御計画は、男性と女性を真のオリーブの木として創造し、地球を豊かな国にすることでした。堕落は、その代わりに人類始祖の血統をサタンが支配し、野生のオリーブの木からなる荒野を造ってしまいました。神は野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木であるキリストに接ぎ木したいと思っておられます。しかし、神は何らかの基台がなくては、サタンが所有している野生のオリーブの木を切って接ぎ木することができないのです。神が宗教を立てられた理由は、正に神が野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木に接ぎ木することのできる御自分の庭を造ることでした。宗教の基台の上で神はメシヤを送り、真の木であるメシヤを通じて人類を神に接ぎ木しようとされます。これがメシヤ思想の本質です。 この観点からだけでも、私たちは聖書の新生の教理を正しく理解することができます。神は、サタンの偽りの主権から人々を引っ張り出して、サタンの愛よりももっと強い愛によって人々に新生を与えます。すべての人々は偽りの愛の両親や先祖から生まれ、偽りの愛の血統に陥るのですから、すべての人々はもう一度生まれなければなりません。そして今度は、真の愛の両親や先祖から生まれ、真の愛の血統に入り、神の真の子女や民となるのです。イエス様の血と聖餐式は、両方とも人間をサタンの血統から神の血統に移行する過程を示しています。 すべての人々が再び生まれなければなりません。これはすべての堕落人間の運命です。これがたとえどんなに難しくとも、私たちはこの道を行かなければなりません。サタンの血統から神の血統に接ぎ木されて、新生することなしに救いはありません。私たちはサタンの血統に生まれていますので、新生の過程においては、完全な自己否定が要求されます。それは、進んで自分の財産、自分の伝統と文化、自分の世界観までも否定するということです。私たちがサタン圏内で既に所有しているものは、絶対に神に認められません。私たちは、再び生まれるために、それらを放棄しなければなりません。自分自身を真の木に接ぎ木するために、私たちはすべてを切断しなければならないのです。 真のオリーブの木として来られたイエス様は、御自身が真の親です。私たちに新生を与えてくださる真の親としてイエス様は来られるので、神のもとに帰るには、古い関係と愛着を切るようにと教えられました。マタイによる福音書一〇章三六節には、人の敵はその人の家族におり、自分の両親や家族がイエス様に従うのを邪魔すれば、彼らを切り捨てなければならないと、イエス様は戒められました。 親愛なる牧師の皆様、私たちの仕事は、神のみ旨を学び、それを実行することです。私たちは、神のみ手の中にある男性と女性にならなければなりません。私たちは、喜んで神の召命に応じられる者にならなければなりません。私たちは、決して、神に個人的な救いと自分の天国だけを求めてはなりません。メシヤの召命に応じ、メシヤとメシヤの大義のために生きかつ死ぬことは、真のクリスチャンとしての私たちの特権ではないでしょうか。 私たちの宗教、宗派は、全能なる神のみ旨のために存在しなければならないのであり、狭い考えを伝播するために存在しているのではありません。神は狭い考えの中には住むことができません。神は宗派心の強くない方なのです。神は宗派主義を越えて遠くを見られます。神は排他的教義の中に閉じ込められてもいません。というよりは、神は私たちすべての親であり、神の無限の愛は民族や皮膚の色を区別しません。神は民族主義や文化的伝統の壁を認めません。神は、今日全人類を抱き抱えるために精いっぱい尽くしておられるのです。 親愛なる牧師の皆様、宗教の自由の天国であるアメリカにおいて、レバレンド・ムーンの入獄の結果として、全国的な宗教の自由運動が燃え上がったのは単なる巡り合わせとお考えでしょうか。実は、これは偶然ではなく、舞台裏で神の摂理が働いているのです。自由世界の旗手として、共産主義の現実的脅威をあざ笑ってきたアメリカが、今、カウサ牧師連盟を通じて現在の脅威の深刻さに気づき始めているのも偶然の一致とお考えでしょうか。カウサ牧師連盟は、壁のない、本当の超教派の運動であり、この国で燎原の火のように広がっています。私たちは、これを単なる偶然と呼べるでしょうか。 アメリカは、神の霊と愛に基づいて建国された国家です。特に第二次世界大戦後は、世界の救いと自由を愛する人々の団結のために、神は、アメリカを国家群のリーダーとして育成されました。内的には、神はこの国を再臨のメシヤのために準備され、世界に責任をもつ国として準備されていました。 残念なことに、この国の歴史的な神のみ旨を無視し続けています。アメリカは、自国だけが世界であるかのように、偽るの慰めを楽しむことを好んで、世界的責任からはどんどんと退いています。この態度は、もちろん、アメリカ内外の問題を増大させるのみです。深刻な人種問題、社会的、倫理的そして道徳的価値の低下、宗教生活とキリスト教信仰の衰微、そして唯物主義と共産主義の台頭は、無視したからといって愛えるものではないでしょう。 神は、これらの問題のゆえにアメリカに来るようにと私を呼ばれました。キリスト教は苦悶して悔い改め、そして団結しなければなりません。私たち牧師も自分を振り返って悔い改めなければなりません。私たちは、イエス様が地上に来られて、世人(よびと)に悔い改めるように言われた時代を再び生きているのです。その呼び声が今、繰り返されています。神が私たちに授けてくださった世界的使命を私たちは成就しなければなりません。言うまでもなく、アメリカは変わらなければなりません。新しい宗教改革が起こらなければならないのです。キリスト教は宗派主義を越えて、より高い次元に上がらなければなりません。私たちはキリスト教の使命を悟り、深刻に考えて世界的スケールの超教派的文化的革命をリードしなければならないのです。 今晩のこの再会を記念して、私たちはキリスト教本来の道をたどる決意をしなければならないと思います。私たちは、再臨のメシヤを迎え、神のみ旨を成就する手伝いができるように、その道を前進しなければなりません。 神のあふれんばかりの祝福が、皆様と皆様方の家庭と、アメリカの全教会にありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 以下は、『ファミリー』(1985.10月号)P.35・36からです。※ 聖水伝授式は「二十日」ではなく「八月十六日」でした。ミスプリです。
2021.12.16
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「一勝日におけるみ言葉」1985年8月16日イースト・ガーデン過去記事(以下)に掲載済みです。お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その1) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その5) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.15
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「真の父母の日」1985年4月7日ワールド・ミッション・センターにて 皆さんの若い姿を見ていると、とてもいい気分です。(拍手) きょうは、皆さんが知っているとおり、二十六回を迎える『父母の日』であります。周期からいえば、二十五周年になります。元来、『父母の日』は四月二十日なのですが、約二週間前のきょうを祝賀することになりました。 数多くの宗教団体がありますが、統一教会のような団体は一つしかないということを皆さんは知っていますね。それはなぜかといえば、宗教の理念、理想、その内容を見ても、統一教会はいかなる宗教よりも大きな内容をもっているし、その内容を実践していく歴史的過程や、すべてにおいても特殊なのです。またたどる歴史過程が複雑なのです。一般の人たちには理解することはできないのです。統一運動に参加せずしては、統一教会を理解することはできないのです。 この世界の人類を見ると、宗教を信じない人たちと宗教を信じる人たちの二種類があり、その中から統一教会を分立すると、三種類になります。宗教を信じている人の中でも統一教会は特殊なのです。それゆえ、統一教会における記念行事も異なるのであります。内容においても、他の人には分からない内容をもって動いています。一般のこの世にも、他の宗教にもない記念日を祝賀しているのです。 おおよそ一般の人々は、どのような特徴をもっているかといえば、自分一人が生きるのみであり、救援だとか霊界の問題は考えられず、人間として生まれても、この世を誰を中心として生きるのかといえば、自己を中心としてか、せいぜい自分の家庭、少し進んでも自分の国を中心としてのみ生きています。特別な人を除いては、すべて自分を中心として処理するのです。そのような生活をしているのです。 また、キリスト教とかその他の宗教を見ると、その宗教を中心とし、その宗教の地地域に属する、自己の教団、宗団の人々を中心とした救援を願うのです。これが一般宗教の立場です。その中には、キリスト教があり、仏教があり、イスラム教があり、ヒンズー教があり、いろんな宗教があります。 キリスト教の側を見ると、この宇宙を支配する神がおられるとしたら唯一神であるキリスト教側の神のみであり、イスラム教においてはイスラム教側の神のみであり、各宗派においても神を認める時には、それぞれの側における神としてのみ信じるのです。 では、統一教会というのはどのような宗教なのかというと、これらのすべての宗教が四方から(神を)探し求めて頂上に向かって登っていくので、これらのすべての中心となって、全世界の宗教を一つにするための神様を信じているのです。そこが異なるのです。それゆえ、すべての宗教の中心となるその神とは、一人のお方なのです。 この世の堕落した人間たちは、高い山があるとすればそれを中心として東西四方で連絡されているのです。しかし東西四方から登っていくのに、その方向が分からないのです。だんだん登って九合目あたりまで来れば、ここから(黒板を使用される)(図1で説明)すべてが見えるのです。そしてこの頂上のこのセンターを中心として全部が集まるのです。神様を中心として集まるのです。 それでは、そういう時が来る前にどんなことをしなければならないのかといえば、一つになる運動をしなければなりません。この場(図2で説明)に行ってからでは、混乱が生じて大変な事態になるのです。そこでは、宗教の歴史において私たちキリスト教が、私たちユダヤ教が一番上であるとそれぞれに思っているのです。神様か東西南北の顔をもっている一人の人間のようなお方であるとすれば、神様が上であれば自分がその下に立つのであり、神様がこのように平面に立つとすれば自分が一番前に立つのだと、お互いそうなりがちなのです。そういう時が来なければならないのです。早く来なければならないのです。なぜかというと、人間始祖が堕落して落ちたため、本然の峰に向かって登り、落ちる以前の神様の本然の理想郷を探し求めて、本然の形態に合った一体的現象に帰結しなければならないというのが理論的な結論となるのです。 それでこのような終末時代になる時、神様の救援摂理のみ旨は二つでしょうか、一つでしょうか? このような質問をした時に、二つだと答える人は偽りです。なぜかといえば、神様は絶対的なお方なのに、その絶対的なお方のみ旨や思想が二つであるはずがないからです。一つしかないのです。一つでなければならないのです。これは正しいですか?(はい)。今日の宗教人たちに対し、「神様のみ旨は幾つですか?」と尋ねると、“ハー?”とするだけです。そういうことを考えてもいないのです。 神様の目的は一つであるから一つのみ旨なのです。このように見る時、神様が人格的な神であるとすると、一つのみ旨を通じた理想があるのです。皆さんにも何か成そうとする効があれば、そこには必ず理想的な目的であるのです。目的というのは、現実を超越した境地と連絡されるのです。より高い所と連絡されるのです。これは一般の常識的な話です。 み旨と理想、み旨を通した理想の実現において、目的は一つですが、その目的が個人の目的、家庭、氏族、国家、世界の目的、宗教においてもイスラム教の目的、キリスト教の目的、仏教の目的、カトリックの目的など、すべてが異なるのです。そうでしょう? 神様が人格神であるとしたら、神様のみ旨を中心として、理想を実現するその道というのは、個人として歩む道も、家庭の行く道も、氏族の行く道も、民族の行く道も、国家の行く道も、世界の行く道も、神様のみ旨は一つであるにもかかわらず、(図3で説明)個人はこのように行き、家庭はこのように行き、国家はこのように行き、世界はこのように行き、天忠はこのように行き、それぞれがそのように行くのですか、それともこれらが直線で行くようになっているのですか? これが問題です。(一つの方向です)。 ですから、神様のみ旨に相対することのできる終末時代にあっては、個人が行くべき道だとか、家庭が行くべき道だとか、氏族が行くべき道だとか、民族が行くべき道だとか、国家が行くべき道だとか、世界が行くべき道などは一つのセンターを中心とするのであり、二つのセンターになることはできないのです。一つのセンターを中心として個人は小さくこのように、家庭はこのように、国家、世界、天宙、(図4を書かれながらの説明)このようにです。センターを中心として全部が連結されるのです。 神様を中心とする客体があるとすれば、その客体は神様を上に立たせて、その垂直下の線上に立つのです。そしてまた、人が平面上に立っているとすれば、必引本上に相対はいなければならないのです。では、この線上に神様と人間が立っていて、これが神様であるとすれば、人間はここに立たなければならないし、神様がここに立つとすれば人間はここに立つようになるのです。九〇度を描く三六〇度圏内において、このようなセンターを中心として立たなければならないのです。(図5をもって説明) 個人的相対として、四方が始まれば、個人的相対基準を中心として東西南北にこのような形が展開されます。これが個人でありますが、家庭であればこのように展開されます。(図6で説明)より大きくなります。神様が縦的、横的になれば主体圏は大きくなります。このようになる時には、この家庭基準も中心的に一つにならなければならないのです。 それで神様と一つになった家庭、氏族、民族、国家があるとすれば、次にそこに相対できる世界はこのように大きくならなければなりません。これは縦的にも横的にも同じ形態で大きくなります。では、これが平面でなく球形となる時、すべてがいっぱいになるので、センターが飛び上がって、どこに行けばいいのでしょうか?(図6で説明)これらが球形になり三六〇度このようになる時には、このセンターはどこへ行けばいいのでしょうか? それらは自分勝手に丸くなることを願うでしょうか、平べったくなることを願うでしょうか、長くなることを願うでしょうか? それが問題です。 皆さん、考えてみなさい。これらの型が三六〇度の球形となったとすれば、これをいっぱいに三六〇度を描いてみたら、このくねくねとした表面を通して、平面的に円形になるのです。では、ここから行った力がここに来て、次にどこにも行く所がなくて、仕方なくてあちらに回って戻ってくる道がなければならないのです。(図6で説明)行く時は平面で行っても、戻ってくる時には平面で戻ってくることはできません。直線上において戻ってこようとすれば、自然と反対に円形を描いてあちら側から回ってくるのが易しいのです。線の平面を行ったなら、平面上からそのまま戻ってくることはできないのです。戻ってこようとすれば自然と前進する力が円形を描いて運動するために、球形の形態が形成されるという結論がでます。ですからそれが一つだけで行くとか、二つが共に行くとか、(先生が両手でもって表現される)二つが分かれて行くとかして、このように(円を描いて)戻ってくる運動をするのです。地球も、磁力線がそのような動きをしているのです。それで最終的にすべてを一つにするのです。一つの円形運動として、これらが全部戻ることのできる道を訪ねていくという論理を立てることができるのです。それゆえ、すべて運動するものは円形に似なければならないというのが結論であり、この宇宙は運動しているので、円形の形態が形成されているという科学的な結論を出すことができるのです。 力の中でも直線の力は、一点に三六〇度全部が集まってくるのです。直線の力の運動はすべて同じですが、一番強い力は直線の力に通じるのです。このように見ると、神様も力をもっておられるとすれば、どのような力をもっていらっしゃるのでしょうか? み旨に対する力もあるし、理想に対する力もあるし、活動に対する力もありますが、すべての力の作用をなしておられるその中でも、最も強い力は何でしょうか?(愛の力です)。これが問題なのです。では、愛の力の次はどのような力があるでしょうか? 生命の力があります。生存の力をもって生きているのです。その次にはどのような力がありますか? 理想に対する力があります。豊かな生活を願い、より良いものを願うのです。では最高の理想は何でしょうか? 絶対の理想は何でしょうか? それは良くて、また良くて、最高に良いものです。最高に良くて、次に落ちて行くのではなく、永遠に良いものに向かって行くものです。このように見ると、神様は存在する力をもっていて、次に理想に対する力をもっていて、更には愛に対する力をもっておられるのです。この三つの力は、自分勝手に回転するのでしょうか? 力の中ですべての中心となり得る力は何でしょうか? (真の愛の力です)。真の愛の力とは何ですか? 先生は知りませんよ。(笑い) では、真の愛と偽りの愛とは何が異なりますか? 答えてみなさい。ドクター、あなたは博士の学位を四つももっている偉大な学者なのに……。では真の愛と普通の愛と何が違いますか? (笑い) 真の愛と普通の愛はどう違うのかと聞いているのに、「愛です」と答えてどうなりますか。どのように違うのか、違う内容を話しなさいと言うのに、「愛です」という答えは零点です。(笑い) ある男と女が熱烈な恋愛をして、「あなたなしでは生きていられない」と言って、結婚しようとする時、その愛が真の愛なのか、何の愛なのかということも分からないのです。これが重要です。では神様はどうなのでしょうか。神様は真の愛の定義について知っておられるのでしょうか、それとも知らないのでしょうか? (はい、知っておられます)。真の愛というのは、一人で喜び、一人で笑ったり、一人で何かすることでしょうか。それとも相対がいて、お互いが喜び合うのでしょうか? (相対がいる方です)。神様がどんなに絶対的であられるとしても、自分の絶対的愛の力を誇ったとしても一人でいてはその愛の力は成立しないのです。一人でいて、「私は絶対的力の中心にいることを楽しんでいる」と言って絶対的愛の力が成就しますか? 一人で、「ハッハッハー」と笑って踊り喜ぶとするならば、それはノーマルゴッドでしょうか、アブノーマルゴッドでしょうか、クレージーゴッドでしょうか? (アブノーマルゴッドです)。ノーマルとアブノーマルは相対する基準がいますが、これは相対がいないのでクレージーゴッドです。(笑い) では、あなたたちはクレージーゴッドの愛を願いますか? (いいえ)。ノーマルゴッドの絶対的な真の愛を願いますね。(はい)。ではあなたたちは絶対的な神様であり、真の愛の神様であり、ノーマルゴッドのもっておられる絶対的な愛、真の愛の前の何になればいいのですか?(相対です)。そうです。神様を主体とすれば、あなたたちは相対の立場が必要なのです。そこで問題があります。 先ほど話しましたように、真の愛の力、生存の力、理想の力という三つの力がありますが、これらは全部が合わさって、「ワッ」と一つに調和するのでしょうか? それとも別々に、愛の力がそちらに行くので理想の力はこちらにきて、存在の力はあちらに行くというように異なるのでしょうか? (一つです)。その一本は何を中心としてですか? (神様です)。神様も存在する力をもっているとすればそれは理想的なそんさ小 となり、アイディアにおいても、理想的なアイディアとなったそういう時は愛が中心となって連結されていなければなりません。それによってすべての力はそのような価値基準に達し得るということを知らなければなりません。 存在の力をもっている神様は、より理想的存在の力を願っておられるのです。理想の力においてもそうです。より理想的力を探して連結しなければならないのに、その理想的な力がどこから連結されるかということなのです。だから愛を中心としていれば、一人でいても喜びなのです。「私は愛を中心として存在し、幸せである」と言うのです。そのことが直ちに理解できなかったら、お互いに愛し合っている理想的な夫と妻が、一人は東、一人は西に分かれていても、二人が一つになる日を思う時、どこに行って、どんな仕事をしたとしても喜びであり、自分は幸せだと思う、そのようなものです。 ですから、どんな存在の力があったとしても、その力も共に永遠に存在したいといえる力が必要なのです。また、理想があるとしても、理想世界が実現されたそこに入って、理想はこうであると言って、そこで止まることなく永遠に理想的な幸せを追求することのできる永遠と結びつくそのような内容がなければなりません。では何が永遠と連結され、永遠なる幸福をもたらすことのできる内容となつているかというと、真なる愛のみが可能なのです。 人間に対して、「人間たちよ! あなたたちが願う最高の目的が何であり、永遠なる理想が何であり、永遠に住みたい所はどのような所なのか?」と尋ねられた時、永遠なる絶対的な真の愛の主体者の相対的な立場として、真なる愛と一つになって連結された存在と理想圏の世界が、私が訪ねていく最高に幸福な所であるという結論を私たちは下すことができます。 神様に対し「神様! あなたは永遠なる存在でありますが、その永遠なる存在としてどこで永遠に住まわれたいですか?」と言う時、それは言うまでもなく、「真なる愛の中である」という答えが出るのです。そのように神様がこの宇宙におられても、その神様お一人では成就することができないので、その相対を買ってくるか、造るかという結論に到達します。買ってくることができますか?(いいえ)。では、神様が二人いればいいではないですか。神様が二人いれば、どれほどいいでしょうか? しかし二人の神様がいるとすれば、それぞれプラスの中心であるので、一つとなることはできないのです。プラスの神様、自己主張される神様が二人いれば、そこには反発が起きます。しかし一方がプラスの神様、他方がマイナスの神様であれば可能です。そこで神様はマイナスゴッドを買ってこようとしても、買ってくる所がないのでやむを得ず、全知全能の神様はマイナスゴッドを造るのです。その能力があるでしょうか、ないでしょうか? どちらですか?(あります)。そこで神様はやむを得ず、マイナスゴッドに出会うために事を成したのがこの宇宙なのです。買ってくる所がないので、宇宙創造の役事となったのです。それでプラスゴッドとマイナスゴッドがどこで一つになるのか、それが問題です。どこで一つにならなければならないのですか? 「絶対的な神様の前に、あなたはプラスであり、私はマイナスなので一度闘ってみましょう。私はマイナスの中心であるあなたが好きになれないので、私が一度主体になりましょう」と、争い勝敗を決して、主体や中心を決めることができるでしょうか、それとも幼い時から自然に一つになる力の作用を人間世界に与えたのでしょうか? アメリカの女性たち、女性はプラスですか、マイナスですか? (マイナスです)。いやいや、アメリカの女性はプラスです。マイナスが男性です。(笑い) 絶対にマイナスが男性です。(ノー)。(笑い)アメリカの女性はこれから男性の前でプラスであると宣言するのです。アーメン。(笑い)なぜ笑いますか?なぜそう笑いますか? 間違いだからですか、正しいからですか、どうですか? 間違ったから笑ったのですか、正しいから笑ったのですか? 女性側に聞きます。間違いだから笑いましたか、正しいから笑いましたか? (間違っているからです)。では、男性側はどうですか?(間違っているからです)。アメリカにおける男性の権限を立ててあげようとするのです。アメリカにおいても男性がプラスです。私たちは力を回復しなければなりません。(拍手) 男性がマイナスですか、女性がマイナスですか? どちらですか? 男性ですね? (いいえ)。女性がマイナスですね。(はい)。(笑いと拍手) そうでなければいけません。どうしてかといえば、例えば平地に対して高い山はプラスですか、マイナスですか? 高い山がプラスで、平地がマイナスです。それはどうしてかといえば、それによってバランスが取れるのてす。バランスを取るのです。そうすることによって調和ができます。皆さん、シーソーを知っているでしょう。そこに調和があるのです。踊りを踊る時、両手が一度に上がり下がりするその調和はどれほど素晴らしいことでしょう。片方の手が上がる時、他の手は相対となるのです。これがこのようになれば、(先生がしぐさで示す)もう一方の手は相対を求めていきます。そのようになるのです。平面的律動、四五度の律動、垂直の律動、これらが相対的均衡になって調和が起こるのです。 女性はなぜ生まれたかというと、それは調和して一つになるためです。それを知らなければなりません。肉は柔らかく、骨は硬くなければなりません。 自然の理法から見る時に、調和の理想は何かというと、絶対的に柔かいものと絶対的に硬いものが調和して一つとなることです。そういう結論が出るのです。ですから男は骨のように硬くなければならないし、女は柔かくなければなりません。では、硬いものと柔らかいものが、ぶつかり合ってどうなりますか? ぶつかり合ったら、柔らかいものがすべてを包んであげるのです。では骨と肉でどちらが表に出ますか? 柔かいものですか、硬いものですか? どちらが外の皮になっていますか? 女性です。そのように外皮をかぶせたのですが、男性は喜ぶでしょうか、嫌がるでしょうか? そして動く時は硬いもの(男性)が動くのです。白頭山の頂上から太平洋まで、男性の活動舞台となるのです。その時にじっと男性にくっついて旅行するのがマイナスの女性なのです。 だから女性は、良い夫に出会うことによって出世するという公式が当てはまります。それは普遍的公式です。どのような人でもこの普遍的公式を変えることはできません。すべての人々はこの公式に従うようになっています。 では、先ほど話したように、神様は自分がプラスの神様としてマイナスの神様を買ってくることができなかったので、造ってみたマイナスの神様が人間だったのです。しかし何と欲の深い人間でしょう。神様までも治めようとするのですから。あなたたちもそのような欲心をもっているのですか? 女性にはそのような欲心はないでしょう? 男性にしかありませんね。どうですか? 違いますか、同じですか? (同じです)。 私たち人間は、神様の前において愛の理想を完成することのできるマイナスゴッド的な相対的な基準にいるので、ソフトラブフィールドをつくらなければなりません。ところで、神様の問題は何かというと、ソフトラブの主体と対象の神になろうとすれば、主体のプラスゴッドはどんな性格をもっているのかということです。それは、男性と女性が内と外になっている(図7で説明)そのような性格をもっているのです。だから、いつもソフトラブの主体と対象の神となるためには、どうなればいいかといえば、プラス、マイナスが一つになった立場で(図7で説明)これを合わせた性格でプラスとなって、次にこれを二つ合わせた形態で一つとならなければなりません。 それで、いくら男性が立派であっても女性を訪ねていき、女性がいくら美人であっても男性を訪ねていくその理由がどこにあるかというと、このことを知らなかったからなのです。それは神様の前に、絶対的、中心的ハードラブのプラスの前に、絶対的マイナスのソフトラブの対象となるための必然的既存として、男性と女性が一つとなりソフトラブフィールドをつくらなければ、神様と関係を結ぶことができないのです。男性と女性は異なるのですが、一つとならなければならないというこのような根本的結論が出るのです。 ある女性は、上から見ても、下から見ても、横から見ても、正面から見ても、昼見ても、夜見ても美人なのに、そのような美人が誰を訪ねていくのかというと、こちらから見てもあちらから見ても醜いし、殴ってけとばしたいけれども、男を訪ねていかなければならない運命におかれているのです。これを知らなければなりません。それは本当ですか? (本当です)。ノー、ノー、ノー。アメリカのある男性と女性は「ノー、ノー、ノー」と言っています。(笑い) ある男性と女性とはレズとゲイの人たちです。神様の理想的すべての原理的モデル型に不合格な者は地獄の底に落ちてしまうのです。これをはっきり知らなくてはなりません。 では、真なる愛をどこに行って探すのかといえば、男性や女性から探せるものではありません。それは横的な平面的な愛なのです。(図8で説明)男性と女性は東と西のようになり、垂直的な本然の骨的愛と連結しなければならないのです。そして私たちは神様の愛、プラスの愛を探して行くために男性を中心に一つにならなければならないのです。これがセンターであり、これが男性であり、これが女性であり、そして「ああ懐かしい」と、どこで出会うのですか?幼い時はその人が男性であることも知らず育つ中で、時には強い力で殴ったり、引っ張ったりするようなわがま放題な人であったのに、成長してみるとその人が私に絶対に必要な人なのです。誰も教えてくれないのに……。神様は天地創造において、愛の平面の線を書いておいて、垂直の線をもっていたのです。 ここで(図8で説明)男性が東だとすれば、女性は西であります。東西のどこに行って合わなければならないかというと、男性は「おい、おい、女よ、こちらに来なさい」。また女性は、「あなたこそこちらに来なさい。私は行きませんよ」と言い合って、それで不平となり喧嘩するのです。不平なく公平に出会うことのできる一つの所を設定しなければなりません。会ってからでは、「どうして今ごろ来たのか」などと、話が多くなるのです。このように離れていては、真の愛はどこで探し出すことができますか? お互いに真の愛を求めて少しずつ近づいてくるのです。「私は真の愛が欲しい、真の愛が欲しい」と言って、一つになって近づいてくるのです。 神様は、男性と女性をうまく引っ張って近づけて一体化させる、そういう作戦をしているのです。「もう一歩近づきなさい。もう少し近づきなさい。もう少し、もう少し」と言って、“ワーッ”と神様も一つになってしまうのです。そして二人がぶつかったら大変なことになるので、手を取ってあげなければならないのです。何でもってかといえば、真の愛で、「オー! オー!オー!」と言いながら手を取ってあげなければなりません。壊れたらいけないので、誰が来て手を取ってくれるのかというと、真の愛の中心的プラスゴッドが来て、手を取ってくれなければなりません。そしてそのソフトラブがぶつかってしまったら行く所がないので、神様を包んでしまうのです。その時、神様の真の愛の衝撃的な力が“ガン! ガン!”と発動するのです。それで神様も驚いて、倒れ、活動し始めるのです。その時、神様は、「ああ! 死にそうだ」「ああ! ハッハッハッ」と笑って、踊り出すのでしょうか、それとも逃げてしまうのでしょうか?(ノー)。では何をしたのでしょうか? 目は目なりに喜び、鼻は鼻なりに喜び、口は口なりに喜び、体全体で喜んで踊ったり、歌ったりするのです。それは自然的な結論です。 人間が神様に対して、「あなたがいくら絶対的能力があったとしても、愛の力を切り離すことのできる力が発動できますか。あなたにも不可能な限界があるということを知らねばなりません」と、人間が神様を教育することができるのです。何と素晴らしい人間でしょう!(笑い) そういう時、人間の言うことが正しいからといって、神様は寂しいなどと思いません。神様は愛があればそれでいいのです。(拍手) 私たちはここで結論づけることができます。神様が、「真なる愛においてのみ永遠に能力が発揮できることを私は知った。真なる愛のみがすべてである。私は初めて完成した神になった。アーメン」と答えるのです。 では、話を戻して、神様はそのような一日を体験したことがあるのでしょうか? 結論は、はっきりしています。人類の始祖として生まれたアダム、エバが堕落したので、神様の愛の理想は考えることすらできなくなったのです。成就はもとより、小学校、中学校、東等学校、大学の過程も通過していません。幼稚園以下で、ゼロなのです。そこでこの世はサタンの世界となってしまったのです。不条理な愛を通して、神様の願わざる破壊の道に結果づけてしまう現状となってしまったのです。しかし人間には、神様の愛に抱かれることの本然の理想が残っており、絶対的な神様も計画されたことを完成しなければ、神様の権威を回復することができないので、歴史を通して人間を本来の目的に向かわしめ、備えながら再創造のための神を収拾してこられたのです。あたかもそれは、ボロとなったものを洗って、縫い、それでも駄目なので、お粥のように溶かして、機械にかけて糸を織り直して、再び作る他なかったのです。そのような再生の工場が必要なのです。そこで、それぞれの宗教が、一人の人間の右足のように責任、左腕のような責任、額のような責任、目、鼻、耳のような責任を負い、歴史を通して永遠に向かって世界的に広めてきたのです。数多くの政治、風潮、思想は変わりましたが、宗教の歴史はすべての歴史を越えて変わらず今日まで続いてきました。そして更に永遠に再生工場を中心として、その部品を全部統合する一つの完成圏に向かって進展しているこの事実を知らなければなりません。 終わりの日には、それぞれ自体を強化するため、部品の工場はお互いが通じ合ってはならないので、全部を分立させたのであります。民族は民族で分かれ、宗教は宗教で分かれて、すべてが自分たちを第一主義として今まできたのですが、これから完成のためにすべての部品が一つの工場に集まってくるのです。そして足は足の部分にはめ込みます。そのために、足の右、左について知らなければなりません。それは誰が知っているのかといえば、神様のみが知っているのです。すべての人間構成の完成体はこうでなければならないし、また内的、外的に完成した人間はこうでなければならないとして、そして男性完成者、女性完成者として、神の愛を中心に完成することのできる結合体を造るその組立工場の全責任者として来られる方がメシヤなのです。これがメシヤ思想です。 アメリカにおいて、どうして今まで白人と黒人が一つになることができなかったかというと、それは白人が頂上に登り、黒人は一番底を行かなければならないというように考えられてきました。これが一つになると直線になるのですが、仕方なく白人と黒人を怨讐のように完全に分けておいたのです。彼らには一つになろうとしても、一つになる力がありませんでした。では、このように分かれていて、どこを中心として回るのでしょうか? これが問題です。それは平面線上です。水平線上です。高くなろうとしないで、低いと言って嘆かないで、この歴史時代に水平レベルがどこにあるのかを探さなければならない時となったのです。そこで、白人はどこに行かなければならないかといえば、この谷間を経て、第二の山、理想世界に行かなければなりません。堕落したために、ここを探して行かなければなりません。(図9で説明)黒人と白人はこのようになっているし、西洋と東洋はこのようになって、全部がこのようにぴったり合うのです。それでは、黒人たちがどこに行けばいいかというと、こちらに上がっていく第二の準備をしなければなりません。 白人たちは第二に向かって下っていく準備をすることによって、理想世界へと移っていけるという理論的根拠を知らなければなりません。上がっていく時、勝手な所から上がっていくのではなく、水平線から上がっていかなければなりません。ここから上がっていってはいけません。もしここから上がったなら、このようになります。(図9で説明)この線がこうなってはいけないのです。この水平線に対等することのできるところを中心として一つになって行かなければなりません。それを誰が定めるかといえば、神様なのです。水平線が連結されれば、垂直線の基準は自然に連結されるのです。この場に行かなければならないのです。 この場は、幼な子のようでなけれ到着することができないという聖書の言葉を知らなければなりません。聖書の、「幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」(マタイによる福音書第十八章三節)という言葉は何のことかといえば、水平線となり、黒人の子供と白人の子供が互いに遊び、両親が訪ねて来て分かれる時には、白人の子供は黒人の子供を見て泣き、黒人の子供は白人の子供を見て泣くそのような境地に入らなければなりません。これは子供の世界以外では見いだすことのできない世界であります。彼ら(白人と黒人)が好きになるには、どのようなところから好きになればいいかというと、母親の乳を右では白人の子供が、左では黒人の子供が喧嘩をしないでお互いが喜んで飲み合うというところから始まるのです。そのようなお腹から新生した子供のようにならなければ不可能なのです。そして次に何が必要かといえば、その本然の子供を生むことのできる本然の父母が必要だとすればその父母がどこにいるのか探さなければなりません。このことがメシヤは再臨する時に、父母として再臨するということなのです。父母として来られることにより、白人、黒人がこのような愛の乳を喧嘩しないで飲む中で一つとなって、本然の兄弟の愛を中心として出発し、展開していくことによりこの世界に、統一的理想の愛の天国が始まるという事実を知らなければなりません。 そして皆さんが大きくなって、統一教会の再生産工場でどのような乳を飲まなければならないかといえば、最終的には父母の愛の乳を飲むことによって、犬のような者が、熊のような者が、虎のような者が皆愛の王子、王女となるのです。そのためすべてが再生産工場に入るのです。 統一教会とはどのような所かといえば、ここにもあらゆる人々が集っていますが更にどんどん入れてあげて、あの工場から底の谷間に転げ落ちるほどに入れて、その結果が全部白いものとなって出てくるようになり、真の父母の愛の乳を飲むことによって、新しい神の息子、娘として生まれることができるのです。王子、王女として生まれることがてきるのです。(拍手) 神様が、「アダム、エバ、あなたたちは善悪の果を取って食べてはいけない! 待ちなさい。自由にしてはいけない。成熟した男性と女性が万物世界の主体であり、全宇宙の主体なのです。彼ら(万物)が愛する以上の愛の資格を備えなければ神様に対することはできないのです。成就する時まで、十七歳から十八歳の思春期になるまで待ちなさい。それを取って食べてはいけない」と命令したのは、愛の問題について言われたということを知らなければなりません。キリスト教でいう善悪の果を取って食べたため堕落したということは話にもなりません。皆さん考えてみなさい。本然のエデンの園には地獄はなく、すべてが神様の王子、王女であり、神様の血統を受け継いだ直系の子女であったのです。それが堕落したことによってサタンの血統を受け継いだので、イエス様も、まむしの子らよ!「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」(ヨハネによる福音書第八章四十四節)と、このことを指摘したのです。サタンの血が流れているのです。ですから、宗教の道を行こうとすれば自分を否定しなければならないし、受難の道を行かなければならないし、犠牲となり奉仕しなければならないし、血を流さなければ再び回復する道がないのです。そのため宗教は多くの血を流して、神様の伝統的な歴史を受け継いできているのです。キリスト教は殉教の鮮烈たちの血の伝統によって受け継がれてきたのです。ですから、この宗教でもって世界を収拾するより他はないという結論が出ます。 しかし今日、キリスト教が世界を救う神様のみ旨を完成できず、愛の主体である神様を解放することができないので、統一教会の信者たちが自ら十字架を背負い、人類の解放と神様の愛を中心とした解放運動を提示しているというのが、レバレンド・ムーンを中心とした統一教会の活動だということを知らなければなりません。私たちは人類を解放し、神様を解放しなければなりません。統一教会はこのような理論的思想をもっている驚くべき群れなのです。そしてこの驚くべき群れを指導しているレバレンド・ムーンであり、今日、アメリカの地にて十字架を自ら願って、ダンベリーの道を経ているのです。世界の監獄の代表であるダンベリーに入って、人類の解放と神様の解放のために決闘戦をしているのです。レバレンド・ムーンは極まで行ったのです。そして次にどこから戻ってくるのかというと、あちらを回って戻ってくるのです。戻ってくる時は一人で戻ってくることはできません。アベルとカインが怨讐となってしまったので、弟であるアベルは兄を救わなくては父母のいる所に行くことができないのです。今日の統一教会の運動は、この戦場における先生の闘いによって既成教会をカインとして、統一教会をアベルとし兄弟が一つになった基盤の上に、再び父母を探して行ける道であり、それに至るための運動が外的に繰り広げられた今の瞬間であるということを知らなければなりません。そしてどこに行かなければならないかというと、(図10で説明)アベルと共にこれが一つにならなければなりません。神様と天使長、カインとアベル、アダムとエバ、父と母、これが本来一つとならなければなりませんでした。しかし、神様と天使長が分かれてしまい、カインとアベルが分かれてしまい、アダムとエバが分かれて散り散りになってしまったのです。今このような歴史的終末となり、一つの世界が門の前まで訪れてきたので、家庭も壊われ、夫と妻の間も壊れて、男と女の威信も、また身の処し方も分からなくなり、すべてが怨讐となり、自分にとってこの世が怨讐であり、父母もなく、子供もなく、誰もなく、すべてが散り散りになるそのような時が来たのです。その時というのが、ちょうど今なのです。アメリカの実情がそうなのです。 それでアベルの実が民主世界となり、カインの実が共産世界となり、(図10で説明)二つが闘うのです。そして民主世界においてのアベルはキリスト教であり、カインは国家です。キリスト教と国家が、アベル、カインとして闘っているのです。政府はキリスト教をなくそうとするのです。そういう時が来たのです。それは最後の日、終わりの日なのです。 発展するためには、カイン、アベルが一つにならなければなりません。父母を探して行くことのできない個人的レベル、家庭的レベル、氏族、民族、国家、世界的レベルになっているために、すべてが二つに分かれているのです。終わりの日になると、この二つに分かれたすべてが一挙に平面上に撒かれるのです。民主主義も、共産主義も、キリスト教もすべてが堕落したその実として、色が染まってサタンの祭壇となり、地獄に行く段階となります。終わりの日には愛の秩序を完全に破壊してしまうのです。ですから、散り散りになってしまっているのです。このように愛の秩序が世界的に破壊されてしまう時が、終わりの日であることを知らなければなりません。そこで、このような状態をこのままにしておけないので、再び来られる主が個人のレベル、家庭レベル、氏族、民族、国家、世界レベルの段階的な闘いをなして、今や世界レベルへと越えて行ける基準を結ぶ時が来たのだという事実を知らなければなりません。 統一教会の男性として思うことは、神様はエデンの園においてアダム、プラスを造ったのですが、もし女性がいなかったとしたらどうでしょうか? それは天地の禍いとなり、天地は破綻をきたします。ですから男性の前に女性がいるということは、宇宙史的な奇蹟なのです。そのように思わなければいけません。 統一教会のメンバーが祝福を受ける時は、一人の男性として生まれたことを、この宇宙の男性を代表したプラスとして、宇宙の女性を代表したマイナスを神様の愛を極から極において探し得た奇蹟的歓喜を迎える瞬間を讃美すると同時に、神様の愛を歓喜して迎え入れることのできる基台を準備して前進するのが、統一教会の合同結婚式であることをはっきり知らなければなりません。 男性と女性が一つになる場面は、平面的な極において愛を探していくために衝撃的なスパークライトが必要なのです。スパークライトが白色であれば、色彩を加え、五色の輝かしい色を造らなければならないのです。そのライトは縦的な神様の愛が混ざることにより、虹のような理想的輝かしい世界に転換されるのです。(拍手) 人間は今まで愛の味が分からなかったのです。この宇宙全部を与えたとしても買うことができない、神様と換えることもできないそのような愛が、人間の理想的な夫婦の愛を土台として宇宙の根本の出動命令として出るべきだったのに、断絶されてしまったという悔しい事情を分からなかったのです。 今日反対され、迫害を受けているレバレンド・ムーンによって、この事実が理論的に明らかになりました。(先生は)実践力を通じた根処的基準を備えているのです。ですから統一教会の信者は強く大胆なのです。統一教会の真の愛を感じた人は、アメリカでも、西洋のどこに行っても、また東洋のどこに行ったとしても、どんなに貧しい所であっても神の愛に燃える光線を放射しながら運動するので、そこには必ず相対的世界としての再創造の歴史が始まる運動が展開されるのです。もしそこで人類を愛し、神様を愛し、創造された被造物を愛せなかった人は、真の愛を中心として、真に愛することのできない人は天国にも入ることができないのです。 本来は、堕落することなく成就していくのが、天国であるために、堕落後は天国の門は閉ざされたままなのです。イエス様は天国に入ることができず、楽園に入っているのですが、再び天国の門の前に来て天国に入って行かなければならないために、ペテロに天国の鍵を授けながら、「わたしは、あなたにかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイによる福音書第十六章十九節)ということを結論づけて行かねばならなかったという悲しい事情を誰が知り得たでしょう? では真の愛はどこから始まらなければならないでしょうか? これが問題です。どこからですか? それは真の父母から始まるのです。聖書を見てください、聖書は何を教えていますか? 神様のみ旨を成就することのできるキーポイントを聖書六十六巻を通して、教えているということを明らかに結論づけることができます。神様の願われるキーポイントであり人間の願いのキーポイントである、愛の理想世界、天国への直行の道を教えているのです。そのキーポイントとは、神様がいても真の父母がいないので、真の父母を探し、平面的愛に、円形的な基準を結合することのできる新郎、新婦、プラス、マイナスが、本然の基準において一つになることにより、自然的な縦的愛に入って五色に輝く愛の色を宇宙に充満させて通過できる強力なる真の愛の基準を立てることが、神様のみ旨であります。キリスト教の伝統、宗教すべての伝統はこれであるということを、はっきりと教えてあげられる内容をもたなければなりません。 神様のみ旨を解決できないのが宗教の事実であり、このような内容がキリスト教にあるという事実は、全世界の宗教を中心とした神様の摂理の決定権がキリスト教にあるということであり、イエス様は新郎として新婦を訪ねて来られたというのが、ターミナルポイントとしての結論であるという事実を知らなければなりません。だから新郎、新婦として、聖書は結論づけられているのです。それはどういうことかといえば、復帰して本然の愛の園を訪ねていかなければならないということなのです。 聖書の創世記において、エデンの園にあった二本の木の生命の木と善悪知るの木は何かというと、神様が探さなければならない真なる男性と女性であります。真なる父と母を失ったので、真なる父と母を象徴した言葉なのです。すべてそのように教えたのです。また、イスラエル民族を荒野において導く時、昼は雲の柱で導き、夜は火の柱で導いてきたそのことは何を意味するかというと、終わりの日には男性を代表し女性を代表する父母が来て、イスラエル民族に侍られることを象徴的に見せてくれたものです。 火の柱と雲の柱の導きに従わなかった者はすべて滅亡しました。イスラエル民族が四十年間の荒野路程において方向をつかめずにいたので、滅亡することを心配された神様はモーセをシナイ山に呼んで、四十日断食の後に二つの石板が何であるかというと、アダムとエバ、真の父母を象徴していたということを知らなければなりません。そしてなぜ二つの石板を契約の箱の中に入れたのかといえば、契約の箱というのは神様のみ旨を終結することのできる中心本部であり、アダム、エバを象徴していたので、契約の箱の中に入れたのです。また、つえとマナは何かといえば、相対である万物の象徴です。それで人間と万物が一つにならなければならないのです。相対性を備えた相対として、もう一つの相対圏を形成して、人間と万物を一つにして神様の前に一致させるための相対的存在であるので、神様がそこに臨まれ、直接運行なされたという事実を知らなければなりません。すべてが新郎、新婦、真の父母の理想を中心として、物と統一された理念を中心として、契約の箱を中心として一致できなかったので全部が滅びでしまったのです。 四十年間かけたイスラエル民族のカナン復帰はメシヤに侍るためであり、地上天国の理念と神様の理想世界を実現するために来られたメシヤが真の父母であり、その真の父母に侍る道を見せてあげるのがカナン復帰の路程なのに、荒野において全部倒れてしまったのです。そしてまた、象徴的にメシヤの代わりに見せてあげたものが、契約の箱の中に入っている二つの石板であり、マナとうずらだったのです。これを絶対に信じることよって、来られるメシヤに絶対に侍って神の国の建国、創建を始めることのできる訓練をし、象徴的なメシヤとして立たせて訓練をしてきたのが幕屋理念だったのです。メシヤが来られて一つとなり、天国に入って愛の理想が一致でき、神様に侍って、真の父母を迎えて、このような伝統を後孫に接ぎ木する歴史となすために、オリーブの木に接ぎ木させて神の国の天国創建を計画していたことすべてが壊されてしまったのです。そこで二〇〇〇年のキリスト教の歴史を通して再び収拾してきたのですが、これは霊的圏でしかありません。国がないのです。かつてのイスラエル(民族)のように国がないのです。これは悲痛なことです。 もしここに、自分は偉いと誇る男性がいれば、神様の前に出て聞いてみなさい。「高ぶるな、あなたは罪悪の血縁から生れてきた滅亡する者の後継者てあることを忘れるな!」と宣言します。サタンとは何かといえば、神様の妻を奪っていった愛の怨讐なのです。許すことはできません。ですからこの堕落した世は、愛を奪われたため愛を奪い返すことから始まるのです。(サタンは)このごろはフリーセックスにより愛を破壊してしまったのです。このようにしておいて、「神よ! あなたの愛の理想を取り戻す、理想を成すことができますか?できないでしょう!」と言うのです。それでレバレンド・ムーンが出て来て、「このサタンめ!」と、愛を破壊したすべての悪党の後継者たち、サタンの直系者たちをここの再創造工場に入れるのです。入る時は黒い小麦として入り、そこで粉々になって白くなるのです。これが重要です。奇蹟なのです。高麗人参はこれと反対なのです。白い根から真っ黒いエキスとなるのです。そしてなぜ高麗人参が万病を治すことができるのかというと、反対の色をもって出てくるという絶対的な神秘性があるからです。 この世には多くの祝賀の日があり、記念日が多いのですが、堕落した人間として、私たちが記念しなければならない日は、私たちが探さなければならない日とは、理想的なその基点に出会わなければならない日であるという結論が出るのです。国を探すことよりも、世界を探すことよりも、何よりもその基点を探し出さなければ、すべてを探したとしても無駄だということを知らなければなりません。 すべての人は朝起きると外へ出かけていって、仕事をします。そして、“祝福に会いたいな、何か嬉しいことに会いたいな”と思っているのです。“きょうは何か良いことがあって幸せになりたいとか、きょうは良い思い出となってほしいものだとか、きょうはこの国の記念すべき日であり、毎日がそのようであってほしい”と思っているのです。しかし地上にはそういう日が、神様の本当に喜ぶべき記憶すべき日がありませんでした。神様には、神様御自身が喜ぶべき思い出となる日はなかったのです。だから真の人間に喜ぶべき日はありません。ですから、(神は)歴史を通してこのような問題を解決してくれる人に会いたいと思います。そういう人こそメシヤに違いありません。神様はもともとそういう人を望んで創造したのですが、堕落以後真の人間を得ることができませんでした。そこで神様は復帰の歴史を通して人間を再創造しようとしてこられたのです。分かりますか? (はい)。 先生はそのような本当の人間に会いたいと思います。神様もそのような本当の人間、本当の男、女に出会いたいと思っています。真の神の愛を中心として、神の愛と人間の愛を結びつける、それを達成してくれるそういう人を必要としています。そこから氏族、民族、国家、世界、霊界までも一体化させれるそういう人が必要です。神様はそういう人に出会いたいと願っておられます。神様は歴史を通してそのような人を求めてこられました。歴史の中で、どれほど神様がそのことを願ってこられたか、分かりますか? これまでに多くの宗教、科学がありましたが、誰もこのような神様の目的、願いを果たすことができませんでした。神様はこのような惨めな状態を通過してこられたのです。そして、このような惨めな所から神様はレバレンド・ムーンを呼び、立てられたのです。皆さんはそれを知らなければなりません。ですから、神様のこの復帰の道は、レバレンド・ムーンの復帰の道なのであります。だからレバレンド・ムーンはこの地上においてサタンと闘い、サタンを主管し、屈服させていかなければなりませんでした。それは何をもってなすのかというと、人間の力をもってなすのではありません。武器などによる力ではありません。真の愛の力によってです。そこでレバレンド・ムーンは真の愛を見つけようとしてきました。神様を解放するためにはこの愛の力がなければなりません。そのために霊界において、数多くの闘いをなし、様々の困難な峠を越えてきました。皆さんはそのようなことを理解しなければなりません。人間の個人的目的、家庭の目的を達成するため闘って、ここまでやってきました。次に私たちの求めるものは神の国なのです。分かりますか? (はい)。 この統一教会の背後で、いかに多くの汗と涙が流されたことか、それを知らなければなりません。いかに多くの涙があり、苦しみがあったのかを知らなければなりません。このように先生は血を流してまで、必死な闘いをサタンとなしてきました。個人のレベルにおいても、サタンは数多くの妨害をしてきましたが、先生はたった一人で闘ってきました。そして家庭、氏族、民族と闘ってきました。ひたすら神様の復帰を考えてやってきました。絶対にサタンに勝利し、サタンを分別させなければなりませんでした。そして闘いののちに統一原理を発見したのです。分かりますか? このように、いかに背後において多くの苦痛と悩みと闘いがあったかということを知らなければなりません。先生ですらも、今更にこの原理を発見するまでどれほど難しかったことか、と思うほどです。いかにこの世界を愛し、この目的のために努力してきたかということを、皆さんは知らなければなりません。先生の目的は、人間を真の男と女に引き上げることでした。このような中から前後左右を見極めるそのような人間を造ることのできる論理的原理である、統一原理を説いてきたのです。分かりますか?(はい)。 皆さんはこのような先生を誇りに思わなければなりません。皆さんは誰から学んだのですか、誰からですか? (先生からです)。いいえ、そうではありません。神様からです。神様から先生に伝えられました。多くの迫害がありましたが、それを通過してこのような神学的な教義を作り出してきたのです。皆さんはどれほど多くの夫妻を負っているか、またどれほど誇りに思うべきか知らねばなりません。このような貴重なものを皆さんは自主的に実際用いることができるのですから。 この先生がいかに貴重な存在であるか、それは宇宙であっても換えることはできません。なぜかというと、この現実の世に従っていただけでは神様の真の愛をもつことができないからです。分かりますか? 皆さん、あそこにいる女性たちはすべて祝福を受けているのです。このように私たちは大変貴重な賜物を、原理という形を通して与えられているのです。先生のこの教えを通して、このことがいかに貴重であるか教えられているのです。 皆さんはこの教理を重要視しなければなりません。その教理は実体であるレバレンド・ムーンがどれほど血と汗を流して、神様の協助を得てこのような頂上の場にまで来たかという事実を、もし私があなたたちの立場であれば歓喜どころか声を出し過ぎて倒れて気を失うまで喜んだことでしょう。み言を通して実体に出会い、実体に出会って次に何をするのかというと、神様の愛を訪ねていくのです。では女性たち、誰を通さなければならないのですか? (男性です。真の男です)。真の男を通して、真の父母にも出会えるのです。では、真の男が出会う真の父母のその価値は、個人的な真の父母、家庭的な真の父母に出会いたいですか? それとも氏族的、民族的、国家的、世界的真の父母に出会いたいですか? これが問題です。(宇宙的です)。それはどのようにしてですか? 何をもってですか? では、あなたたちは世界を愛し、宇宙を愛しましたか? 個人の真なる愛は、家庭の真の愛に包含されます。家庭の真の愛が生じれば、父母がいて子供たちを抱いて、子供たちそれぞれがみんなその圏内に入っていくのです。そのような道理を知らなければなりません。そして家庭の真の愛の圏は、氏族の真の愛の圏に含まれるのです。氏族の真の愛の圏というのは家庭の真の愛の圏を合わせて成すのですから、多くの家庭が合わさって氏族が形成されるのです。ですから氏族の愛の圏には多くの家庭が包含されるのです。また国の愛の圏内には氏族の愛の圏が包含され、国の愛の圏は世界の愛の圏内に包含されるのであり、世界の愛の圏はこの宇宙の愛に包含されるのです。 そこであなたたちが天国に入っていく時、「サタンよ! お前がいくら世の中で誇っていたとしても、私が得た日、私が喜ぶ勝利の日に追いつくことはできないだろう」と言えば、サタンは、「ヒーヒーヒー」と笑うのです。そしてサタンは、「堕落した世界の人々は祝うことのできる日々をもっているのに、今日神を愛すると言うあなたたちにとってのそういう日は何日かと聞いても、答えられないだろう」と言うのです。 サタンが、「あなたの誕生日はいつですか?」と問う時、「私の誕生日は何月何日です」と答えても、それは父母が私を生んでくれた日なのですが、それはサタンの圏内のものであり、「私の日である」とサタンは言うのです。そして更にサタンが言うには、「あなたは神の子であると言ったり、キリスト教の長老牧師であると言うが、あなたは真の父母をもっているのか? もし教会の信者たちが『ノー!』と言えば、お前は私のものである。私の所属からは離れられないのだ。いくら騒いでも末は地獄の倉庫の中に入る者たちだ」。更にサタンに、「お前はこの天地が自分のものであると言い、万物を自由に使うそういう日をもっているのか?」と聞かれても“ボヤー”としているのです。そしてサタンが、「私はそのような日を中心として、この世のすべての万物は私のものであり、捕らえて殺すこともでき、好き勝手にしたとしても何も言われないが、お前たちはそういう日をもっていないので、自由にできないのだ。万物に対しても、自由にできる日はないだろう?」と言ってきても、口をつぐんだまま、「ウーウーウー」としか言えないのです。 皆さんはそういう日をもっていますか? 今日のキリスト教会はそういう日をもっていますか? サタン世界に対し、「このサタン! 歴史を代表してサタンがもっていた路程をすべて破ってしまい、驕るサタンを否定することのできる以上の日を私はもっている」と宣布できるような日がないのです。更にサタンは、「私たちの国の建国の日を見てみなさい。この世界に数多くの国家が建国の日を誇っているのに、あなたたちには建国の日がないでしょう!」「神よどうですか、あなたの子女たちに建国の日がありますか?」と尋ねる時、神様は…(先生がしぐさで示す)……。 更にサタンは、「私は地獄を統治し、神のみ旨と理想を破綻させることのできる、私の喜びの日をもっているが、あなたは地獄を解放し『神の日』といって、神が喜んで讃美できるような宇宙的な日をもっているか、ないだろう!」と言うのです。それで「ヤー、ヤー、神を信じるという者たちよ! この世において神のみ旨を中心として成功したこととは何や、この社会で出世することぐらいなのだ! いくらやったとしても私の袋の範囲を出ることはできないのだ。ハハハハー!」と言うのです。更にまた、「いかによく信じる人といえども、もし首を切ると言われればみな逃げ出してしまうのだ。しかし、私のために命を捧げた忠臣、烈女たちが歴史上にどれほど多くいたことか知れない。それを神は知っているのか? 誰々が立派であるといっても、みな私の弟子であり、忠臣、烈女もすべて私の胸の中で死んでいったのだ。神は歴史に記録することのできる忠臣、烈女を迎え、表彰する日をもっているのか?」と問われても、答えは「ノー」なのです。 「アメリカの建国の理念は、キリスト教の新教の思想から始まったのだが、その建国理念は絶対的な神様の国を保証するもとで作られるものではない。これもやはり、私(サタン)の胸に抱かれ、今はフリーセックス、レズ、ホモセックス者たちは完全に、それから麻薬により精神病者、死亡の骸骨と化してしまったのだ。これでも神様のみ旨が成就したと言えるのか? このキリスト教!(ペッペッとつばを吐く音)」。 「歴史路程に数多くの闘争があり、数多くの戦争もあり、悪なる人と善なる人の闘争は、善なる人が勝ったようでも結局はみんな私に負けたのだ。キリスト教文化圏が、神がいないと言う共産圏内に完全に屑箱の中の屑のように捨てられる時代圏内に入ってしまっても何の変動もない、悲惨なる状態を見つめながら神よいいざまだ! あなたの天国とはこんなものか! ヒッヒッヒッヒ」「あなたは宇宙を統一し、すべてがあなたの愛の圏内にあり、地獄に行った人も、歴史上のすべての人も愛で一つにする統一圏理想天宙を形成することが目的なのに、それをどのように蕩減復帰するというのか? 何が復帰できるのか? フッフッフッ」とサタンは笑うのです。 審判の日とはいったい何でしょうか? それは神様とサタンが正面から出会って、「これが良く、あれは悪い、個人ではこういうのが良いし、家庭ではこういうのが良いし、国ではこういうのが良くて、ああいうのが悪く、世界ではこういうのが良くて、ああいうのが悪い天と地はこういうのが良くて、ああいうのが悪い」ということを判決するのが終わりの日であることを知らなければなりません。サタンが個人に対するブラックジャック・カードを出してきた時、神様が神側の真なる男のブラックジャック・カードを出せば、サタンはおびえて退くのです。 サタンは、「私の家には、このように私が立てた悪党の伝統的家庭がこんなに立派で、善を行おうとする家庭をみんな食い殺している一等家庭が数多くあるのです。あなたの家庭の中で、私の一等家庭を食い殺すことのできるような家庭はどこにありますか? 私には負けただろう神よ! ヒッヒッヒッヒ」「終りの日には、五色の人種がすべて怨讐となって喧嘩し、家庭内も喧嘩し、ばらばらになって壊れてしまうようにしてしまったこの天地において、神よ、あなたの統一理想世界創建という言葉はどこにありますか? ヒッヒッヒッヒ」と言うのです。そういう時にはどうすることもできないのです。 では、サタンは何かというと、自分が主張するブラックジャック・カードを出すことができるのです。神様はそのようなものを他の地上に押し出してしまうことのできる神側の代わりのものがあったほうがいいですか? ないほうがいいですか? (あるほうがいいです)。それは何かといえば、サタン世界のものではありません。サタンが、「私のものとは違う、このブラックジャックは違う、違う」と言うものです。神様が出すカードは世界を生かそうとするカードであり、サタンが出すカードは自分自身が生きようとするカードなのです。他の人を犠牲にするカードなのです。そこでサタンは気づいて、「ああ、私は堕落した怨讐なのだ。オー!」と膝を叩いて、頭を下げるのです。 ですから自分個人のためにやったことはサタンのブラックジャック・カードであり、自分の家庭だけのためにやったこともサタンのブラックジャック・カードであり、自分の民族だけのためにやることもサタンのブラックジャック・カードであり、自分の国だけのためにやることもサタンのブラックジャック・カードであり、神様とは何ら関係がないということを知らなければなりません。宗教も同じです。神様のブラックジャック・カードが、サタンのブラックジャック・カードを粉々に砕いてしまうのでしょうか、それともそのままなのでしょうか? このようにして神様とサタンは判断するのです。人類をかけて、天国、地獄全部をかけてブラックジャック・カードを出す戦争をするのです。神様がブラックジャック・カードを出してみると、サタンは個人において負けてしまい後退するので、家庭は神側についてくるようになります。家庭的に神のみ旨に従ってくるのです。そして更に次のブラックジャックをかけるのです。またサタンは負け、神様が氏族圏内にこれくらい進むのです(しぐさで示す)。そして神はまた出すのです。サタンはまた負けて、更に後退するのです。神は民族圏内、国家圏内、世界圏内に進すカードを取って、サタンを完全に負かすのです。 誰が先にカードを出すのか? それはサタンです。サタンが先にブラックジャック・カードを出すのです。神様はそれを見て、「そのカードは自分の家庭ばかりを思い、他の家庭を犠牲にしたカードであるので堕落したカードだ。私のカードは真なるカードであり、神のカードである。どちらが真なるカードなのか?」とサタンに尋ねるのです。サタンの答えは、「あなたが正しい」です。 皆さん、アメリカは神の国ですか、サタンの国ですか? (様々な答え)先生が皆さんに聞いているのです。どうですか? 皆さんは本当にアメリカ人ですか? 神様はすべての人類を創造されました。堕落した人間はそれを知りませんでした。この世界は堕落しているのです。では、この世界は神様の世界ですか、サタンの世界ですか? 今日、レバレンド・ムーンの恨みが何であり、人類の恨みが何であり、神様の恨みが何であり、すべての知性をもった、志をもった聖人、哲人たちの恨みが何であるのかといえば、神様と共に喜び得るすべての日々を失ってしまったことなのです。最初に何を失ったかといえば、『神の日』を失ったのです。神様に、「神の日はいつですか、神様自身の記念すべき日はいつなのですか?」と尋ねると、「ない」と答えられるのです。皆さんは神様に会っていないので分からないでしょう。「人類の祖先として誇り得る日がありましたか?」と尋ねても、(神様は)「ない」と答えられるのです。記念すべきその日は、サタンの侵入によって破滅の運命となり、悲痛なる歩みで失楽園を訪ねていかなければならない堕落の日となったのですが、(アダムとエバは)本然の父母の日を失った悲しみを知りませんでした。 では、真なる女はいるでしょうか? 真なる子女の誕生はなく、神様は真なる男、真なる女、真なる夫婦、真なる家庭、真なる氏族、真なる民族、真なる国家、真なる世界、真なる宇宙、真なる天宙をもつことができなかったのです。神様は真なる神様となることができず、悲哀の神様であり、堕落したことを復帰しなければならない悲しみの神様であることを知らなかったのです。 では、神様の愛の日をもてたぜしょうか? もつことはできませんでした。これは話にもならないことです。既成政会の人たちはそういう面から見ると、とんでもないことです。神様の愛の日はどこにありますか? 神様の愛する息子を十字架につけてしまったことが神の日なのですか? 本当に情けない話です。上も下もなくずんぐりむっくり(呆然と)になって信じれば良いと言うのですか? とんでもないことです。科学の世界では、知識の理論的結果を実験機関で実験を重ねて、百回行っても一度成功するかどうか分からないというのに、ずんぐりむっくり知らないで信じることで完成できますか。そのようなでたらめがどこにありますか! そういう人たちによって、先生は迫害を受けているのです。大学教授や博士たちを指導する責任者の先生に対し、幼稚園生にも該当しないような何も知らない者たちが迫害しているのです。先生は多くの神学博士に会いましたが、先生が三つくらい質問をしても誰一人答えられないのです。みんな先生に打ち負かされたのです。ですから先生を尊敬する哲学の博士たちが多いのです。世界のすべての学者たちが先生の指導のもとで動く時になったのです。白人であれ、何であれ先生の指導のもとで動くようになります。 では、統一教会とは何でしょうか? 神様の再創造工場から新しく造り出されたカードでは、神様の『個人の日』を出せばサタンは退くのです。『家庭の日』を出せばまた退き、『父母の日』を出せばまた退き、次に『子女の日』『万物の日』『神の日』『宇宙の日』を出せばサタンは退き全面後退となるのです。全面降伏するのです。 あなたたちは何のカードですか? 新しいカードですけれど、そこには番号がついていますね。万物復帰のカードが移動するときには、中心者が色を変え、文字を書き換えなければ、移動できないカードなのです。自分勝手に移動すればサタンのカードになってしまいます。ミスター・パクはどんなカードですか? (エース・カードです)。エース・カードは必要ないのです。エース・カードは、十という数字があってのちに必要となるカードです。先生が十の数字カードであり、いつもエース・カードをつかんでいるブラックジャック・カードだとすれば、どれほど気持ちの良いことでしょう。しかしその裏面を見ると、表面は同じように見えても裏面に愛の色が塗ってあるのです。それが違っているのです。サタンはそれを見て退くのです。 そこで、統一教会とは何かというと、『神の日』があるということを誇ります。そして、「このサタンめ! これを否定する日があったら出しなさい。お前の誇りとする日を決めなさい」と言っても、サタンはどうすることもできないのです。背後に真なる愛をかけて造られたブラックジャック・カードがあるので、サタンは相手にもなれず後退する他ないのです。ですから統一教会は、神様が誇れる日をもっているということを讃美すべきなのです。アーメン。「ア」とは「ナンバー・ワン」を意味し、「メン」とは「男」を意味するのです。(笑い) ナンバー・ワンの男です。 『神の日』というのは、神様お一人ではつくることはできません。真の父母という愛の基盤を通して出てくるのです。真の父母の日とカップルになって出てくるので、私たちは神の日とともに真の父母の日をもっていることを誇れるのです。統一教会のメンバーであるあなたたちは、そのような日をもっていますか? (イエス)。イエス? ノー?(イエス)。ノー! (イエス!)。ノー! (イエス、ファーザー!)。 皆さんはサタンがどんなに反対したとしても、決して後退しないという自信がありますか? そういうカードをもっていれば見せなさい。表面はサタンの人と変わりないようでも裏を見ると、全部ではないけれど愛のカラーが端についているのです。ですから、サタンは持っていくことができません。もしサタンが持っていけば、お腹が痛くなるか、頭が痛くなるか、手足が痛くなるとか、どこかに故障が生じるので、持っていくことができず投げ出してしまうのです。投げ出してしまえば、サタンは再び占領することができず、投げ出したその場から後退しなければなりません。 統一教会は、誇るべき『万物の日』『子女の日』『父母の日』『神の日』を立てたのですが、その中でも何が中心になっているかというと、真の父母の日と神様の愛の日を成すためにできているのです。統一教会において誇るべきものと、神様が誇るべきものと、人類が誇るべきものは今日集った真の父母の日であるということを忘れてはなりません。(拍手) それで神様の真の愛を中心とする真の父母の日をもったということは、神の日と直結される真の父母の日を中心にして、そこに子女の日が生まれ、万物の日が生まれ、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙、真の天が連結されるのです。ですから、真の父母の日、真の神の日、真の子女の日、真の家庭の日、真の氏族の日、真の民族の日、真の国家の日、真の世界の日、それらの中であなたたちはどのレベルに属していますか。 サタンは、「私は悪い父母の日、悪いサタンの日、悪い万物の日、悪いすべての日をもっている」と言って誇るのです。そこで神様は、「ちょっとうるさいよ!」。(笑い)「出ていきなさい! 私の後ろに退け! レバレンド・ムーンのカードを見なさい」。それはどんなに素晴らしいことでしょう! どんなに素晴らしいことでしょう! アーメン。アーメンとはどんな意味ですか? (ナンバー・ワンの男性です)。 私たちの統一教会は、なぜ苦労させるかといえば、サタンが讒訴する審判の日に、サタンが学者のカードを取り出せば神側における学者の代表者カードを出し、サタンを退けなければなりません。サタンが事業家のカードを出してくれば、神側の事業家のカードを出して打ち砕かなければなりません。政治家のカードを出してくれば神側の政治家のカード、白軍のカードを出してくれば、神側の白軍のカード、どろぼうのカードを出してくれば、それには相対するものはありません。それは必要ありません。このように統一教会のすべては、神側のカードを造るためあらゆる仕事をするのです。レバレンド・ムーンがやらない仕事はありません。開拓をさせて、どこに行っても悪口を言われたり、喧嘩の仲裁をしたりして、サタン側で良いと言われるものが嫌いになるように苦労をさせる群が統一教会に集ってきたのです。それは何かというと、サタンと対決するカードの一枚一枚なのです。 もう何時間たちましたか? お母様に三十分間だけ話すようにという特命を受けました。もし四十分間話したら離婚するというのです。どうしましょうか? (笑い) そういう話はしなかったのですが、疲れているのでそういう心情です。通訳はいりません。「あ! あ!あ!」。これは秘密の話です。「あ! あ! あ!」。先生は声がかれました。先生に会うと楽しいですか? (はい!)。興奮しますか? (はい!)。では興奮したあと、何をしますか? 何をもって喜んでいるのですか? 本当にエキサイティングで、本当に楽しく、本当に素晴らしい、そうならなければなりません。 あなたたちは真の愛をもっていますか? (はい)。では見せてください。(笑い) 神様に、「あなたたちはレバレンド・ムーンによって教育されましたか?」と聞かれたら、あなたたちは何と答えますか? 「イエス」ですか「ノー」ですか? (イエス)。ではどうぞ真の愛を取り出してください。神様は、「あなたたちは真の愛をもっていますか?」と言われるのです。(はい、もっています)。では、真の愛とは何ですか? 真の愛というのは何ですか?神を中心とした、真の父母を中心とした、真の家庭を中心とした愛だと言いますけど、真の愛の内容は何ですか? 一般的な愛と、真の愛との違いは何ですか? (様々な答え) そういう答えでは三十点しかあげられません。先生が教えてあげますので、忘れてはいけません。兄弟同士が会う時、一時間だけでも良いし、十年間でも良いし、更にまた会いたいし、千年、万年間でも会いたいというのが真の愛の場であり、そのような愛の夫婦は百年間一緒に住んだとしても、万年も生きて一緒にいたいし、会ってもまた会いたいし、話してもまた話したいし、行くのもいつも一緒に行きたいし、来るのも一緒に、永遠に来たいというのです。そういう愛が真の愛なのです。簡単です。その愛の前には、地獄も退き、夜も昼になり、二十四時間、時間、空間を超越することのできる能力が生じるのです。それは非常に素晴らしいですね。 では、ミスター・パクあなたは真の愛をもっていますか? (先生が小さな声で語る。「イエス、ファーザー」とパク先生が小さな声で答える)ミスター・パク、ミセス・パクをそのように愛しますか? 五十歳になるまで、このように苦労しながら生きてきて、幸せな夫婦として生きてきましたが、更に千年も、万年も、もっと一緒に生きたいし、離れることもできないし、どこかに行って何か食べなさいと言われる時も共に食べたいし、殴られる時も共に殴られ、丸くなって転がり、一つの体のように住み、額も合わせる時も割れるほどに合わせたいという、そういうようにして生きていますか? 真なる父母は子供が病気になれば便の味をもみるのです。どんな汚いものでも乗り越える世界です。 では神様はどうでしょうか? 神様が人間を愛する時には、どのくらい愛するのでしょうか? 便の中でも愛するでしょうか? どうですか?(イエス)。これは深刻な話です。神様の至聖所はどこか、それが問題です。キリスト教の信者たちには大変なことです。神様の至聖所とは愛が留まる所です。地上世界において神様の愛の留まる所はどこかというと、男性と女性が一つになったところなのです。堕落以前の本然の世界においてはこれが至聖所であったのです。堕落したことによって、最も貴重な神の国の王子の系統を受け継ぐべきこの王宮の泉が、神の怨讐のサタンの血統を受け継ぐという驚くべき事実となったことを知らなければなりません。レバレンド・ムーンはこれをひっくり返して、神の国の至聖所を保って生きる男女の家庭をつくり、どこにおいても神様が共に住むことのできるその家庭、その国、その世界を夢みながら一生の間、四十年間を迫害を受けてきたのです。 雨の日には、罪人のように頭を下げて黙々と歩きながら嘆息し、真っ暗い夜になるとその中を、主人を失って死の道を求めて行く愛する妻の立場で歩き、夫の立場で歩き、息子の立場、父母の立場で歩むごとに、神様に、「私がいるので、あなたは心配するな! 私は生きていてあなたのような人を探し、あなたのような人に出会うことを願っていた。だから数年だけ耐え、数年だけ待ちなさい」と言われて、また歩み、更に歩んでいる内に青春のすべてを失ってしまったのです。花のような青春時代がみんな過ぎ去り、誇りと気魄の峠を越え六十歳の今となりましたが、今日世界の版図をこのように造ったのはレバレンド・ムーンの他に誰一人いないのです。失った愛の園を懐しく思い、気の狂った人のように事を成しながら、四方八方の道を歩き回った結果このようになったのです。 今日このように、監獄から出てきてこのような日を迎える時、私の怨讐はアメリカであり、自由世界であり、共産世界でありますが、これを愛し、更に愛さなくては取り戻すことができないのです。そのように愛さなくては行くことのできない道であることを知っているので、今日この時間、私はアメリカを愛し、アメリカ政府を許し、サタン世界の門を開いていく道をまた探して行かなければならないという運命が残っているのです。これが統一教会を指導しているレバレンド・ムーンであり、これが統一教会で教理として教える讃美すべき真の父母の行く道であることを、皆さんは知らなければなりません。 イエス様が十字架上で死んでしまったことによって、失った霊的救いを設定し、イエス様が体を失っていたという悲痛なる事実を、いったい誰が知り得たでしょう? また同時に、理想的な愛の巣である愛の家庭を求めて新婦を訪ねてきた夢は崩れてしまったのです。イスラエル民族が四〇〇〇年間というもの大変な受難の道を歩いてくる中で、神様はこのイスラエル民族を歴史的迫害の中で分別させ、四〇〇年前からメシヤを送ることを約束して預言者マラキを送って、民族編成から国家編成のできるユダヤ教と成し、そのユダヤの国をしてローマへと総進軍すべきそういうメシヤの夢を見ていたのです。そのメシヤが来たのに、彼を十字架で殺してしまったのです。悔しい神様のその事情は誰にも分からなかったのです。 その後キリスト教はローマに入り、霊的なイスラエルを造って、二〇〇〇年間死の道を、イエス様の十字架の血統的殉教の血を受け継いで、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと進んで、血の代価としてサタン世界との戦いに勝利することのできる基盤を第二次世界大戦まで備えてきたのです。そして、そのキリスト教文化圏を中心として、世界を復帰することのできる一時を神は許し、韓国においてレバレンド・ムーンを中心にキリスト教による国の建国と同時に世界に出発することを夢見たのですが、キリスト教が反対したことにより、国が反対したことによってそれらのすべてが崩れ、レバレンド・ムーンは荒野に追い出されてしまったのです。四十年間流浪しながら、新しい統一教会を既成のキリスト教よりも優秀な立場に、新しい版図をこの民主世界よりも優秀な立場に、また背後から見ている共産主義者よりも優秀なその立場に立てなければ本郷の道を行くことができないのです。三十八度線を越えて、故郷を失って離れていかなければならなかった私は個人として出発したのですが、再び取り戻す時には、宇宙、世界、国家、民族、氏族を取り戻すことのできる世界的運勢とともに三十八度線を越える日には我々の祖国の解放がなされることを夢にも忘れることなく、今まで闘ってきたこの事実を知らなければなりません。ですから、白人であれ、黒人であれこの祖国創建の標語のもとに、三年路程を中心とする決死の闘争の天地分け目の戦いが始まっている切羽詰まった時代であることを忘れてはいけません。 皆さんが知らなければならないことは、私がダンベリーに入ってから四十日目には獄中の門を開き、一般に公開し見学させる日となりました。その時に来た人たちの多くは先生を見たくて来ました。そして七十日目には、南、北韓の対話があり、北韓が南韓に対して万物を貢献するということが起こりました。更にこの間に中国が変わってしまったのです。全部が変わってしまったのです。一斉に宇宙的革命が起こっているという事実を知らなければなりません。(拍手) このようなことをアメリカの政府は恐れてはなりません。歓迎しなければなりません。しかしソ連は恐れなければなりません。ソ連はレバレンド・ムーンのために大変なのですね。ダンベリーに入る時には統一教会の指導者として、アメリカの歴史における逆賊のような立場で行きましたが、出る時には世界的英雄として出監するということを知らなければなりません。何の話か分かりますか? 先生は内的に闘っているのですから、あなたたちは外的戦いに負けてはなりません。先生は内的闘いの決判戦を展開しているのです。あなたちも外的戦いの決判戦を経て、内外の戦いの勝利の基準が一致する日には解放の旗を掲げ、万民のカナン福地に向かう入城の歓声が天地に鳴り響く日の来ることが、神様と先生の歴史観摂理であることをはっきり知らなければなりません。監獄というのは地獄と同じであり、先生がそこで内的な闘いの責任をもったのです。あなたたちは地上地獄のような外的世界で闘い、内外共に闘い、決判戦を勝利しなければならないのです。ミスター・パク、責任を果たさなければなりません!(はい!)。 先生が祖国創建の名のもとに真に迎えるその日を、天の前に祈りながら闘っていることを忘れてはなりません。先生はこの監獄にいる期間にも中国の摂理を進めていることを知らなければなりません。また、ソ連とその衛星国家の中で、監獄生活をしている多くの兄弟がいることを知らなければなりません。ですから私たちは不平を言うことができません。死ねば生きるのです。死ぬことこそ生きることであるという決意をしなければなりません。それは、真理の言葉に、“世界全体のため、神の国のために死なんとする時、神の国が誕生する”という原則のその道を私たちは行っているのです。『父母の日』に集った私たちは、ここにおいて五色人種を超越して、残された歴史の最後の激戦地に向かって直進することを決意すべきであります。アーメン。 民主世界のアメリカを正しめ、共産世界の共産主義者をつかんで押し出していくのです。これから、世界、宇宙の日を誇れる最後のブラックジャック・ゲームが残っているのです。神様が先生とあなたたちを用いてカードのゲームをしていることを忘れてはいけません。先生のカードが十であれば、あなたたちは、一、二、三、四、五、六、七、八、九なのです。先生と共にやるのです。だから兄弟が一つとなり、全体の五十二枚が愛で連結し、一つの目的に向かって動いていかなければなりません。(一番前にいる人に対して)あなたのカードは神様の手にありますか? (はい)。それでは神様がやるとおりに従っていけますか? 先生のカードに合わせるために従っていけますか? (はい)。一番強いカードにならなければ、七、八、九以上にならなければなりません。二、三、四、五、六は大嫌いです。ここに集っている人たち、何番目のカードですか? 二、三、四、五、六は嫌いです。少なくとも六数を越えなければなりません。六数はサタン数ですから、サタン側です。サタン世界と比較して、ムーニーは根本的に異なるものでなければなりません。ムーニーは異なっていなければなりません。あなたたちの目も、見る角度が異なります。だんだん上を見るのです。あなたたちが歩いている姿を見ると、走っても走っても忙しいし、仕事をしても忙しいですね。時間がもっと必要です。遊ぶ時間がないのです。それがサタン世界の人と異なるのです。 先生は何歳ですか? (六十五歳です)。いや、二十五歳です。それはなぜかというと、忙しいからです。年を取っていくことも考えることができないのです。足が痛くなっても、「この足よ! まだやるべきことがたくさんあるのだ。山を越え、海を渡らなければならないのだ。この足よ!」この体、この体は夜になると眠ろうとするのですが、「この体! 忙しいのです」。それでサタンが一番好むことは、みんながレバレンド・ムーンのようにすることであり、レバレンド・ムーンに従っていくことが一番の好みなのです。そうですね。(いいえ)。では正しい答えは何ですか? (サタンが一番嫌うことです)。 レバレンド・ムーンが監獄を訪ねて行きましたか? 監獄がレバレンド・ムーンを訪ねて来ましたか? レバレンド・ムーンが監獄を訪ねて行ったのです。アメリカのため先生は監獄に入っていったのです。アメリカに神の誇り得る愛国の伝統がないために、愛国の伝統を植えてあげるために先生はアメリカの監獄を訪ねていった歴史上にもない唯一の男であることを誇りに思っています。今のアメリカには愛国精神がないのです。神を愛する精神がないのです。この伝統を新しく植えてあげるために先生は行ったのです。ですから神様が共にあるレバレンド・ムーンの背後から、アメリカの愛国運動と神様の愛の運動が燃え始めるのです。 皆さんは真のアメリカ人ですか? 偽りのアメリカ人ですか? 何ですか? では、偽りのアメリカ人が多いでしょうか? 真のアメリカ人が多いでしょうか? 偽りのアメリカ人ですね。見てみなさい! アメリカの若者のほとんどが麻薬で毒された精神病者です。三分の二以上がすべて精神病者です。父母もなく、国もなく、世界もなく、自分の体の価値もなく、すべてが腐って死亡の地獄に入っているのです。誰もそれを救う人がいないのです。すべてが偽りのアメリカ人であり、真のアメリカ人がいないのです。みんな解毒の薬が必要なのです。解毒剤が必要です。解毒の注射をしなければならないのです。そこであなたたちムーニーは何をするのかといえば、そういう病者になるのです。 地獄に入っている、サタン世界に入っているそういう人たちに対し、「レバレンド・ムーンはいくら良く導く人だとしても、監獄に入っているあのような人たちにはどんな注射をしても治すことはできません」と讒訴するのです。そこで、「レバレンド・ムーンが行ってやってみなさい」との許可により、先生が監獄に入ったのです。そこで監獄の人たちを言葉なき中で教育したのてす。ですからレバレンド・ムーンは今、大変有名になっています。あなたたちは自由に行動することができるので、自由舞台においてアメリカを感動させなければならない責任が残っているのです。この両面の戦いに基盤と伝統を残さなければ戻ってくる道がないのです。先生がそのような道を行ったのです。これから皆さんがそういう戦いの決意をすべきこの日であります。意義深い父母の日の決意となると思うので、このように話をしました。(拍手) 皆、立ってください。この戦いに、内外共のこの戦いに敗者となることなく、勝者となるための参戦勇士となる意決する人は、この日、この意義ある父母の日に、両手を挙げて誓って総進軍いたしましょう。アーメン。 (私はヨシュアとカレブである。カナンの福地に向かう、自由世界を導いていく、ヨシュアとカレブの群れであることを決意し、前進いたします。アーメン、アーメン、アーメン)。-合唱三回- 皆さんの上に神様の祝福がありますように……。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.13
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「世界を動かす人格」1985年2月25日イーストガーデンにて 本を送ることはいいですね。本は死にません。分かりますか? 人間は死ぬけれども、本は死にません。本はどこへでも行きます。だから皆さんは、約三十万の本とビデオテープをアメリカ中に配ったんだね。 それを見て、「何だこの不思議な君らの本は!」と言うのですが、それらはレバレンド・ムーンの本なのですね。また、「この奇妙なビデオテープは何か?」と言えば、それもレバレンド・ムーンのビデオテープだというんだね。牧師たちに聞いてごらんなさい、(本とビデオテープについて)知っているかどうか。答えは、みんな知っていると言うのです。結局、教会の指導者はすべて知ることになるでしょう。そういう状況なのですね。 そして彼らは、毎晩電話します。古い牧師たちが次々に電話し合って、十人、二十人と、牧師たち同士で、それ(本とビデオテープの内容)について話すことになります。また、一人の牧師が統一教会に来ると、“どんな牧師なのか”とチェックして、互いに連絡し合います。考えてみなさい。そういった牧師たちの中から一人でも原理を理解すれば、その牧師の教会の集会のすべてがついてくるようになるのです。ですからこの三十万の本とビデオテープを配ったのです。これから一〇〇万、一二〇万の人々が原理を知ることになるのです。それは恐ろしいような状況ですね。 どうですか? だから実際、先生は苦労をし、皆さんは楽しんでいるでしょう。このように見て、贈り物を受け取った牧師たちには、ショッキングなことなのです。特にこの贈り主が、ダンベリーに入っているレバレンド・ムーンだということに衝撃を受けるのです。統一教会の本部のニューヨークの四十三番街から、先生の名で送ったものとは次元が異なるのです。また、ムーニーの指導者である先生が監獄に入っていても、希望を失ってすべて崩れるのではなく、牧師たちの心をつかむために屈することなく、日夜前進している事実を見る時、強い衝撃を受けるのです。 牧師たちは、若い時代から今まで、既成教会の若者たちや自分たちが導いている人たちと比較してみて、ムーニーのような人を一人も見出すことができない時、問題は大きいのです。それにしても、共産主義が六〇年から七〇年の間に、全世界にこのような版図をもつようになったということも、本をもってなのです。マルクスの『資本論』というその一冊の本をもって成したのです。 先生がアメリカに来て今まで成してきたことの目的は、キリスト教を救うためでした。キリスト教の牧師を覚めさせ、アメリカを神の願う方向に行けるようにし、世界のキリスト教を連合して、世界の国々を神様のみ旨の中に導いていけるようにすることが神様のみ旨であるので、まずアメリカが神様の願われる方向に進むようにするため、アメリカの教会の牧師たちに神様のみ旨の方向をいかに示してあげるかということが、先生のアメリカに来た目的なのです。 荒野四十年路程を過ぎてからは、イスラエル民族の新しい地域への大移動とともに、定着しなければならない時が来ます。定着する時が来ます。では、私たちムーニーはどこへ言って定着すべきでしょうか? 神様の望みはそれはアメリカに定着して、新しいアメリカをつくり、理想的なアメリカにつくり変えることです。そのような神様の願いを知っていたので、先生はアメリカに来たのです。そのようなアメリカをつくるためには、共産主義に勝利しなければならないし、家庭の破壊を防ぐため青少年の倫理を確立しなければならないし、キリスト教の新しい再復興をしなければならないという、そのような論理があるのです。それを成さなくてはアメリカを生かす道がないと思うのです。それが成されれば、ここに新しいアメリカが定着するのです。そのような日が来れば、アメリカ全国民の歓迎を受け、すべて進行するというのが神様の考えであり、先生がここ(アメリカ)に来た目的でした。 ではアメリカとアジア、あるいはアメリカと先生、白人とレバレンド・ムーンとの関係はどのようになっているのでしょうか? レバレンド・ムーンは寒帯地方で育った松の木のようであり、アメリカの国民は熱帯地方で育った松の木のようなのです。よく見ると、南のほうでできた種は大したこともないのです。ですから種にはならないのです。アメリカを種に取ってはならないということです。それではどうすればいいのかといえば、接ぎ木をしなければなりません。首を切るのです。人々は、「オー、オー、松の木のなのになぜ切るのですか?」と騒ぐのですが、ムーニーたちは知っているのですね、それで(神様の願う)実が結ばれるのです。先生はそのように思って出発したのです。皆さんはキリギリスのように、踊るのが好きで、自分が食べたいものを食べようとし、楽しく生きようとするのですが、それはいけません。 皆さんはもう接ぎ木されましたか? 先生が今度監獄に入って有り難く思ったことは、アメリカのチーズやハンバーガーを本当にたくさん食べて、韓国のご飯はいくら食べたくとも食べずにいたので、今はご飯など全く全て忘れて、これ(ハンバーガーやチーズ)を食べて生きることができるようになりました。約七ヵ月間で先生がこのようになったので、今度は反対に皆さんを約七ヵ月間でハンバーガーやチーズを食べなくても生きていくことができ、キムチやコチジャンを食べて生きていけれるようにしなければなりません。先生はダンベリーでそういう哲学を知ったのです。 皆さんは先生を愛し、先生が好きですか? (はい)。では一つの家に住むようになった時、皆さんがハンバーガーを食べ、先生がコチジャンを食べてたら喧嘩をするようになります。そして食堂が二つなければならなくなるでしょう。しかし、私たちの食堂は一つだけです。今度先生が出た時、必ずそういう訓練をします。そう思っています。 ですから先生は、皆さんがこれから東洋式の御飯を中心として三食とも弁当で生きられるように、研究しています。「このようにしなさい」と言って、弁当だけを配ってあげればいいのです。食堂がいらないのです。これからは食堂がいらないのです。先生はダンベリーに行ってからは少食にしようと思っていました。そしてできるだけ少なく食べようとしました。しかし、東洋人は先生だけなので、“ああ、東洋の人は食事をあのぐらいしか食べないのか”という印象を与えたくなかったので、それでたくさん食べることにしたのです。一番たくさん食べることにしたのです。たとえ三分の一くらい残るとしても、たくさんもらってくるのです。そういうことをやっているのです。たくさん食べる西洋の人に負けたくありません。 それで残って捨てなければならない時、どう捨てれば良いのかも考えました。私たちの宣教師たちとか、外国に行っている私たちの兄弟たちが飢えていることを考えました。そして残って捨てる物はすべて、「世界の統一教会のかわいそうな食べられない人に分けて上げられるように運んでください」と言いながら捨てるのです。 食生活も六カ月ぐらいすると変わるのです。西洋食を食べると腰回りも細くなってきたようです。七カ月間に食事を取らなかったのは一度だけです。それは、本を読んでいて忘れてしまったためです。それからは、いつも食事時間に間に合うように食堂に来る人は誰かというと、それはレバレンド・ムーンだというのです。しかし先生と一緒にいるラリーは、今も朝の食事には行かないで眠っています。彼はパンを買っておいていつも食べています。先生はそうではありません。食事の時間に食べるのです。その他の時間に誰が物を持ってきてくれても、先生は食べません。あなたたちはどうですか? 先生は果実などがあっても食べません。それはなぜでしょうか? これから、アメリカ国民は、朝、昼、晩と食べるだけで十分です。その残りをもって世界を救うとすれば、数カ国が救えるのです。 先生が一番嫌いなことは、歩きながら食べることです。先生は健康面でも、自分の体を中心としてたくさんのテストをやってみました。その結果、食事は決められた時間に食べたほうがいいのです。できるだけ決められた時間に食べることです。 神山! 今でも運動をやっているの? 先生に教えられた運動を今でもやっているの? もう足の調子は良くなったの? (はい、治りました)。神山も、何もしなくとも足が痛くて大変でした。それで先生の運動を教えてあげたのです。皆さんにも教えてあげましょうか? (はい!)。どこにおいても、今このように座っていてもその運動はできるのです。 先ほども監獄での生活を話しましたが、先生は今回で五年近い監獄生活をしたことになります。監獄生活でほとんどが死んだ状態からでも、生き返ることができたのもこの運動法を研究したからです。それは呼吸運動と授受作用運動です。神経系統が動かないで詰まってしまうと病気になるので、これを開いてあげればいいのです。それで風邪をひいて鼻が詰まったりすると、瞬間の内に開けてあげるのです。トイレに行っても、どこに行ってもその運動をするのです。壁などに寄りかかって立っている時にも必ずその運動をするのです。こういう所でもすべて運動の道具とするのです。ダンベリーに一つの岩がありますが、そのでこぼこの岩の所に行って運動するのです。先生は年を取っていますが、歩く時はよく歩きます。早く歩きます。皆さんより早く歩くでしょう。そういうことからして、今後は革命しなければならないことが多いですね。 一日に小便は何回すればいいかということなど、考えたことがありますか? そういうことをすべて研究しなければなりません。三十代では何回だったのに、五十代では何回だとか、先生はそれを考えるのです。“今、何回なので、これからはどうなるのだろう”と。そして体が変化するのを見る時、“ああ! 何歳まで生きられる”と考えるのです。そして小便を我慢していたらどんな支障が起こるか? 回数が多くなったり、少なくなったりすることによって病気も異なってくるのです。皆さんはそれを知らなければなりません。少なくなったら補充するため水を少し多く飲むようにし、多くなったら水を少なく飲むようにし、回数のバランスをよく取るのです。このようなことは絶対に必要です。それらのことを中心として自分の体を考えなければなりません。アメリカの人たちはそういうことをあまり考えていません。 なぜこういう話をするのかといえば、食べ物も勝手に食べさえしなかったら、公式的に動くということです。すべてが公式的に動くのです。アメリカの人たちは、外から帰ってくると、勝手に冷蔵庫を開けて何でも食べたり飲んだりします。そのためにうまく新陳代謝ができないで、お腹を痛めたり、下痢をしたりします。このように、間食は健康上しないほうがいいということが分かります。 (ダンベリーでは)毎週火曜日はいくらでも買物をしてもいいという日で、オレンジ等、とても良い品を持ってきて売られます。みんなはそれを買って食べて先生にも持ってきてくれるのですが、先生は一つも食べません。歯を磨いたのでと言って食べません。今では慣例になって“先生は食べないのだ”と思って、彼らは「食べてください」とも言わず、自分たちだけで食べています。先生のオレンジを取り出して食べながらも、先生に与えようともしないのです。(笑い)こういう彼らも、これからムーニーとしての教育を受けて、ムーニーの指導者レバレンド・ムーンを見習うようになり、レバレンド・ムーンの生活方式を教えてあげる時が来るのです。レバレンド・ムーンが、体を管理する方法も教えてあげる時が来るのです。何の話か理解できますか? どこに行っても人は学べるし、それがこれから大きな仕事をするための材料を収集することになるのです。 また、監獄に行って過ごしてみると、アメリカの生活のすべてを知ることができます。詳細に知ることができます。なぜかといえば、食事を終えたあとは何もすることができないので不平しか言いません。自分たちの従兄弟(いとこ)や再従兄弟(はとこ)がどうであるとか、何々を食べるとか、全部話しているのです。だからアメリカの生活がどういうものか知ることができます。彼らは口を閉じて生活することができないのです。自由を望む人たちはじーっと口を閉じていられないのです。何とかして(思いを)解消しなければならないので、不平不満を言います。食事をしながらも、不平を言うので病気にもなりやすいのです。 たとえステーキを食べさせても、「何だこのステーキは! 私がかつて食べたものは、こうであった」と言って、一番良かった時のことを思うのです。全部が不平だらけです。だから事故が起きたりしやすいし、病気になりやすいのです。また、社会で飛び回って喧嘩ばかりしていた人は、体力があり余まってここでも喧嘩をするのです。それも周期があるだろうと思って統計を出すと、間違いなくその時になると喧嘩を始めるのです。(笑い) 本当に興味深いことばかりです。そういうのを見る時、先生がまだその世界の勉強は終わっていないため、神様がまだそこ(監獄)においておくのだと思うのです。そう思うことはとても良いことです。東洋では、ソ連の監獄まで先生はすべて知っているのに対して、アメリカの監獄は初めてでしたが、今では隅々まで知っています。USの監獄というのは、YOUR監獄です。このことを通してどれほど民族性が異なり、どれほど人が変わっていくか、またアメリカ人はこのように扱わなければならないということも隅々まで分かります。それを勉強しているのです。プールや、競技場でも負けると大変です。 ピンポンをする時でも、彼らは何とか勝とうとします。負けると悔しがって大変です。だから先生は、よく負けてあげるのです。そして、どんなに喜ぶかを見るのです。“きのう、先生が勝った時にはああだったのに、きょう先生が負けてやればどのように変わるだろうか”とその人を計ってみるのです。このように、学ぶことが多いのです。だから先生は監獄に行って、勉強をしているのです。今も、神様が御覧になって、アメリカ人を最も良い方向で指導するために、まだ先生を訓練していると思うのです。ですから先生が監獄から出てくる時には、いかにアメリカ人を指導すればよいかはっきり知っています。もっともっと皆さんをより良く指導することができるようになります。だから皆さんにとっては、先生はもっとも手強(てごわ)い相手になります。 今は、先生も有名人になりました。先生を好きな人が多くなりました。先生は監獄生活における専門家です。しかしそこにいる人たちは、監獄生活が初めてなので大騒ぎをするのです。ある意味で先生は、そこの人たちのカウンセリングや相談相手をします。だから先生のいる部屋もだんだん忙しくなってくるので大変です。先生は有名な人で恐ろしい人だと思っていたのに、先生と過ごしてみると味があるし、面白いのです。先生の味が分かってきたので、自分たちが困った時には先生の所に来てこそこそと報告をするのです。 また先生は一度約束すれば必ず実行する人間なので、どんなに近い人であっても、「私はあなたと何かする」という約束はせず、「多分何々」とか、「恐らく何々」とか言うのです。なぜなら、その人たちは統計的に見ても、社会に出ても三分の一は再び監獄に入ってくる人たちなのです。ラリーと一緒にいながらも、どんなによく話を聞いあげて約束をしそうであっても、先生は約束をしません。彼らは先生を好きなのですが、勝手にはできないのてす。先生は彼らから人生の哲学を学ばなければならないのです。 先生は昔、アメリカ人とはそれほど接することがなく、東洋の人たちに多く接してきたので、神様が先生に(アメリカ人を)学びなさいと言われているようです。だから今はアメリカ人を観る専門家になっているのです。すぐ、あの人はどんな人か分かるのです。だから皆さんが先生に出会ったことは幸せなことです。 これからは、世界を指導することのできる人が必要です。これからは宗教人が、国や世界を治めることのできる人格者をどのようにつくり出すかということが問題であります。今までのように、世界を動かしてきた人たちとは違うのです。千年、万年の歴史をかけて世界を動かすことのできる人格をどのようにしてつくるかということは、今までになかったことです。そのような、かつて歴史上にもなかった宗教人として、世界を指導することのできる指導者像とはどうあるべきか、というプログラムを編んでいるのです。今晩先生が少し遅れたのは、韓国で重要な仕事をしていた人が来たからです。先生はその人に、「あなたはこのようにしなければならない」と言って、印を押して帰しました。(先生は)ワシントンの有名な人であったとしてもそのようにします。世界中の傲慢な人たちのもとどりをつかんで、自由に動かし引っ張ったとしても、「ありがとうございます」と言われるようにならなければ、世界は動きません。 アメリカの指導者たちに、アメリカを正しく指導することのできる能力があったならば、アメリカはこのように滅びるような国にならなかったでしょう。統一教会は今まで、何度も滅びると言われてきましたが、滅びてはいません。それはレバレンド・ムーンに能力があったからであると思っています。 生きている物は大きくなるのが原則です。停止から後退が始まり、滅びに至るのです。だからレバレンド・ムーンは監獄においても前進するのです。先生にすべてを任せれば、全部半年でムーニーにすることができるでしょう。先生が皆さんくらい流暢に英語が話せれば全部ムーニーにすることができます。そのように思って、皆さんは皆さんたちの国を愛さなければなりません。国を愛するのです。何かをもって、国を愛していることを見せてあげなければなりません。そして国のために実績を上げることであります。言葉だけでは駄目です。実績が必要です。皆さんが人に誇ることのできる実績とは、この国が将来必要とする人を育成する中で誰よりも国を愛したという人になる、重要な責任をもっていることを知らなければなりません。 それではムーニーたちは誰を教育するのですか? それは牧師です。ではどのように教育するのですか? 牧師たちは話は上手にできます。しかし彼らにはできないことがあります。それは何かというと、喧嘩するのを止めることができないのです。また、牧師というのは一方通行なのです。しかしムーニーが行く道は四方通行です。なぜなら酒場にも、また娼婦のいる所にも、どんな所でも復帰のために行くのですね。そしていろいろ研究するのです。彼らの良くないところもみんな研究するのです。 ある国の大統領の夫人がもし娼婦出身であったとしても、大統領は夫人の話には絶対服従するものです。だからもし娼婦を指導することができれば、娼婦について研究した人は大統領夫人も指導することができるのです。「その世界の内容をよく知っています。あなたの苦労をよく知っています」と話をすることができるのです。また、「善なる心があってそれに神様が協助されたからこそ、多くの苦労が報われて大統領夫人になれたのですね」と褒めてあげるのです。 また、白人たちが結託して先生を罠に掛けようとした時もあります。先生はそれを知っていましたが、わざと愚か者のようにして乗り越えるのです。彼らは先生を罠に掛けたと思っているのですが、かえって先生の罠に掛かっているのです。先生は面白い人間です。味のある人間です。頭の働きも早いのです。「シャー」と言えば、「イランの王様です」と即座に答えてみせるのです。回転が早いのです。連想するのが早いのです。一言聞けば、次から次へと回転します。それは誰も競える者はいません。だからポスターの文章などは私に追いつくことができません。標語などにおいてもそうです。誰も先生に追いつけません。だから冗談を言ったりすると、みんなが転げ回るようになります。また、先生が人に会うのを見ると、単調でありながらも稲妻のようであります。(笑い) 皆さんはそういう教育を受けたくありませんか? (はい、受けたいです)。皆さんにそういうことをすべて教えると、逃げ出して詐欺師にでもなってしまうと困るので、これ以上話しません。(笑い) 先生は人を見れば、すぐにその人が分かるのです。話す方法が違うのですね。他の話をしているのですが、引き付けられるのですね。結局は、身動きもできないように、三角地帯に押し込んでしまうのです。 皆さんがもし先生のようであれば、アメリカを生かしても余りあるのです。そう思って、先生に出会ったことを感謝に思ってください。先生が監獄に行く時は、難しい場に行くのではなく監獄よりは良いでしょう? そういう話をすると深刻になるでしょう。深刻になります。今、深刻な立場に立っているアメリカを救うためには、それ以上深刻にならなければ、救うことはできないのが原理原則なのです。これは理論的なことです。それを知らなければなりません。それが天理です。先生がアメリカに来る時、アメリカを救おうとする時、“アメリカのあらゆる難しさ以上に深刻であるか、そのために自分以上に深刻な者はいないという自信があるか”と自問自答したのです。 だから統一教会のメンバーは、これから何か問題があったとしても、心理学者の意見を聞いたり、教育を受けたり、治療を受けに行くのは歓迎しません。神様を信じて祈祷しなさい。神様はすべてを解決してくださいます。先生が学んだことは、ある心理学者から学んだものではありません。霊界の体験を通して、霊的世界を知ってみると、すべてに通じるようになるのです。何の話か分かりますか? (はい)。 ですから皆さんは、どのような訓練が必要かといえば、極から極までの訓練です。ある人が腹を立てて襟をつかんだとしても、ゼロになって、「ワッハハハ」と笑えるなら、その人は恥ずかしくなりその場から退いていくのです。それで翌日に会っても、昨日のことはまるでなかったかのように、自然な態度で接してあげるのです。そうすれば、その人はどうしてよいか分からなくなります。そこで、「あなたがどんなに困難な道を行っているか私はよく知っています。あなたの心を私はよく知っています」という一言ですべてが終わります。そうすることのできない社会の中でそれができる人に出会ったなら、「この人こそ、この社会の最高の人である」とその人は言うのです。これは理論的です。 最近の話ですが、イーストガーデンのミーティングの時、ある人が突然に自分の感情を抑えることができずに、非常に野蛮な言葉遣いで先生に対して抗議してきました。しかし先生は、静かに悠然と落ち着いて、自然に笑いながらそれを受けてあげました。その時、先生は何事もなかったかのように彼に対し、少しも憤ったような対し方はしませんでした。それで彼は、そのことゆえに先生が一度も気を悪くしなかったのだと思いました。だからそのことを思うと、彼は二度とそういうことはできなくなったのです。それで先生は彼を神学校に行くようにして、将来弁護士になれる道も開いてあげているのです。何の話か分かりますか? そういう先生をアメリカの人たちは知りません。ドクター・ダーストもそういうことを学ばなければなりません。そういう面においても先生は優れた人です。 (かつて)先生にとって、どんな怨讐であっても、その人の子供たちが学費に困っている時、先生は人に知られないようにしながら学費を納めてあげました。しかしその人は何も知らないので、誰か自分の友人が払ってくれたものと思っていたのです。その時は誰がやったのか、誰にも分かりませんでした。十年後、その人が事実を知って、それまで家族全体で統一教会に反対してきたことを恥じ、悔い改めの祈祷をしたという話を聞きました。 だから先生は、皆さんをどのような人に教育しようかと考えています。こうして話をしながら、(皆さんを)全部見ておくのです。先生が一言語ったら、皆さんがどのように考えるのかを見ているのです。人を正しく導くことほど神様の前に貴いことはないのです。(先生が)愛国と言えば、それ以上の愛国はないのです。では、皆さんに一つ尋ねてみましょう。「先生に出会ってから、自分は変わったと思う人は手を挙げてみなさい」。(みんな手を挙げる)有り難いことです。しかし皆さん、そこで留まることなく、より高い所に進まなければなりません。 皆さんがこの世的に考える時、“先生はイーストガーデンの良い家にいて、良い車に乗って、この世を思うままにして、どれほど幸せな生活をしているだろう”と思うかもしれませんが、ダンベリーの一・五坪ほどの部屋の中でも、そこで生活している人以上の生活をしています。イーストガーデンで生活している以上のことをしているのです。皆さんはそれを知らないでしょう。 神様は、イーストガーデンで先生が祈祷し涙を流すことよりも、ダンベリーで涙を流すことのほうを何倍も何百倍も貴く思っておられることを私は知っているのです。神山が先生と一緒にダンベリーにいた時のことで今も忘れられないのは、先生が説教集を読みながら咽を詰まらせて泣いた時のことだそうです。神山にとってはそれは一生の宝であることでしょう。その時のことは今でも生々しく残っています。先生はそういうことが好きです。そのような神秘なる深い谷間に入って、渾然一体化して、自分も知らない感謝の境地をいつも懐かしく思う人間なのです。だから先生はソウルに行けばいつも清平(チョンピョン)に行くのです。昔、ジープに乗って行った時と、今リンカーンの車で行く時とでは心が違うのです。だからそのような体験をいつも懐かしく思うのです。監獄にいると自然がとても懐かしく思えます。だから自然が好きなのです。今ごろの夜の空を見ると、三日月とか銀河が見えます。そういうものから真に神秘なる境地に入るのです。そういう境地です。何の話か分かりますか? 人は良い物を食べ、良い所に住むことで幸福であるかのように思いがちですが、良い物を食べなくても、良い所に住まなくても幸福はありません。お母様に電話をする時も、ここから電話をするのと違って、監獄から電話をするその一瞬というのは神秘的なものです。それはそういう立場に立たなければ分かりません。いくら説明しても分かるものではありません。 また、“地下活動をしている食口たちと、ダンベリーのこの電話で、このような話ができればどうだろう”といろいろ考えるのです。更に、“この電話で神様と話をして、お母様と話す以上の深い心情を神様と通じ、神様の寂しい心情と連絡することのできる瞬間であったらどうだろう”と、いくらでも連想することができるのです。間違いなく、先生も痛哭すれば神様も痛哭するでしょう。 では、先生はどのように(神様を)慰めるのでしょうか? どのように慰めますか? 一言で何と言って慰めるのでしょうか? 深刻な問題です。だから皆さん、楽しい時にできた友達はみな散ってしまいますが、困難な時につくった友達は残るのです。これを知らなければなりません。先生が統一教会で一番最初に出会った人は困難な立場の中で育ててきた人です。一番困難な立場で育ててきたこと、それが貴いのです。そういう人は、パン一枚を得てもそれを自分で食べられず、「先生に差し上げたい」と言って、持ってきて、待ちに待っているのです。このような環境にまでこなければなりません。涙ぐみながら慰め合う、そういう立場での因縁がなければなりません。そういう友がなければなりません。 皆さんは牧師たちを中心として、そのような心情的関係を結ぶようにしなさい。ある牧師に一〇〇〇名の信者がいるとすれば、その一〇〇〇名の信者の中で最も牧師に忠誠を尽くして最も侍る人の三倍だけやってみなさい。そういうことを研究しなさい。先生はどの監獄においてもそのような友をもっていました。その人たちは、監獄から出ると自分の妻や、母親や、親戚などの所に留まらず、ただ挨拶だけして、先生に従って来たのです。皆さんの背後にそのような食口が何人いるのかが問題です。 先生はいつも五色の人種の皆さんの前で、このような話をするのですが、白人の目から涙を流すのも見たし、黄色人も、黒人も、すべての人種が涙を流すのを見てきました。しかし、その涙はどれほどもつのでしょうか? これが問題なのです。永遠を見つめて流した涙なら、永遠に保ちなさい。真に永遠に保ちなさい。先生はいつでも声を出して祈祷をする時には、涙なくしては祈祷のできない人間です。そのような境地を一生の間、いつも人に知られずに巡っているのです。 私たちの統一教会においては、信仰の道として三十歳前後まではできる限り皆さんを苦労させなければならないということが先生の神学、哲学です。なぜかというと、そうすることにより豊富な心情的基盤ができるし、そういう思春期を乗り越えることによって、豊かな情的な広い世界と深い理論をもつことができれば、一生の間に偉大な仕事を成すことができるのです。そうでなければ流されてしまいます。井戸を掘り、ダムを造り、山を崩す。そういうことをしなさい。どのような立場に立っても決して後退することなく、前進するのです。神様はそういう人が好きだということを先生はよく知っています。そのような立場で、その人を世界的に育て上げることを希望として導いておられることを先生はよく知っています。 先生が皆さんになぜこのような話をしているのかというと、皆さんがこれからの多くの試練の中でも、国を中心として成すべき多くのことを先生の代わりに成してほしいのです。“私も早く先生が経験されたその場に行かねばならない”という希望を与えるために、このような話をしたのです。そうすることにより先生が行く霊界に一緒に行けるのであって、そうでなければ(先生に)ついてこれません。分かりましたか? 皆さんはまだ自分を中心として訓練を受けて、行く道が遠いことを知って、一生懸命に頑張りなさい。(はい!)。 先生を見習って、このようなことを参考にしながら行けば、それ以上の先生の監獄の生活が偉大な生活であると思えるのです。 (ありがとうございます。先生!)-(三回合唱)-(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【ふるさと納税】不室屋・加賀麩詰合せ | 麩 お麩 お吸い物 吸い物 即席 加賀麩不室屋 石川県 金沢市 金沢 ご当地 お取り寄せ お取り寄せグルメ ご当地グルメ 取り寄せ グルメ 土産 お土産 ご当地おみやげ 食べ物 たべもの 食品 ふるさと 納税 支援 おすすめ【加賀麩不室屋】おもてなし20ヶ入 ギフト 北陸 石川 金沢銘店 麩 詰合せ
2021.12.12
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「父母様の誕生日」1985年2月25日ベルベディアにて -祈祷- きょう一九八五年陰暦一月六日、陽暦二月二十五日は、父母様の六十五歳、四十二歳を迎える誕生日です。この式典を、お父様が、私を霊界と地上た代表した立場においてくださいますことを、全世界を代表して集まった統一の群れを矜恤に思ってこの式典を受け入れてくださいますことを、今一度お願い申し上げます。 地上の万民に対して、望みは何かと尋ねたら、今までの歴史上の人々は、自分の志を成すことであり、自分の父母の意志を代身して成すことであり、歴史性をもった家庭においては家庭の意志を成し、民族であればその民族の伝統を立てることが願いでした。また国をもっていた皇族たちすへてに尋ねたら、その国をよく治めることであり、その国の民に尋ねたら、善王を擁して千年万年の平和な世界が自分の国を中心として成されることを願っているのが、すべてにおける答えであることを知っています。 しかしこれは、今まで堕落した人間世界の人々の答えであって、宗教人を通して神様が、あなたたちの望みは何かと尋ねられるとき、真に神を知り宗教を信ずる人であれば、個人の望みや、自分の家庭、一族、一国の望みが問題ではなく、天上地上を通しての大主帝であられる神様の所願成就の日であり、自分の希望の完成の日であると答えられることを、宗教を立ててこられた神様は願ってきたことをもう一度知るようになります。 このような観点から、神様が統一教会に対して、ここに集っている数多くの氏族を超越し、民族を超越したすべての人々に尋ね、あなたは今この所願を成すのにどれほど努力したのか。所願成就のために多くの人々が、知る中において知らない中において所望しながら死んでいきましたし、数多くの歴史的な苦役を受けながらも、神のみ旨が成就できることを、メシヤのみ旨が成されることを、自分たちの宗主のみ旨が成就できることを期待しましたが、それが成就できないまま、終わりのたまで、現世は民主と共産が戦い疲れ、もはや方向すら失って自暴するしかない立場の人間たちとなってしまいました。このような群れを眺める神様は、再び所望をもって尋ねることもできない実状をいかに御覧になっていることでしょう。キリスト教がそうであり、世界四大宗教もそうであろうし、それ以下のすべての宗教形態をもっていた群れ、更には良心的な群れも同じ実状圏におかれています。 神様が私たち人間に尋ねる時、神様の前で答えるべき人間自体の所願とは、神様のみ旨が中心となる真の父母の愛を懐かしく思い、あなたと共に侍ることである、と言う他ありません。真の父母を失ってしまった人間の恨みがどれほど大きかったかを神様は知っておられましたが、人間は知りませんでした。数多くの歴史を支配してきた人間の先祖たちに、歴史過程において真の父母を探さなければならないことを伝えた人はいませんでした。メシヤ、救世主、宗主の名で神のみ旨を見つめながら、漠然たるみ旨を見つめながら、個人完成の追求に汲々としていた宗教を見つめてこられたお父様の心がどれほど悲しく、どれほど苦しかったかを今一度回想いたします。 お父様、今日、第二次世界大戦以後、韓国国家解放後の四十年目を迎える年となりました。それとともに、神様が主人として全体的に責任をもちつつ全世界が一つの所に集って、所願を成そうとするそのような環境の韓国に、真の父母の名をもって神様が送ってくださる役事が始まったことは誰も知りませんでした。 お父様、統一教会が真の父母の歴史を受け継ぐことのできる群れとして構成されたものであるなら、今一度厳粛にお父様の前にひざまずいて、私の目が、私の顔が、私の姿が真の父母の前に出た時に、愛することのできる者となり、そればかりでなく愛を受けることのできる者となっているのかと考える時、躊躇する姿の自分であることを発見するとしたら、それはどれほど悲惨な自分であるかということを悟らなければならない時となりました。 お父様、ここに立っているこの息子は、天を見つめながら今まで探してまいりました。人に知られないあなたのみ旨を心配しながら今まで探してまいりました。私自らがお父様の前に責任を果たせなかったことを感じるごとに、真の父母に従ってくる統一教会の群れが自らの足りなさを感じるごとに、涙を禁ずることのできない悲しみの中に浸されたことを今一度回想いたします。今や、人間世界の所望と祈願が何であるか、あなたの所望と人間の所願の一致点が何であるのか私たちは知りました。真の父母を中心とした神の愛と一つになること、これが縦的に横的に一つになり、内外共に一つとなり、前後に一つとなり、四方に一つとなるこのような歴史的な全体の中心が、愛を中心として成されたという事実を知る時、この愛をもって東西四方を見つめ、愛をもって縦横に動くことのできることが私自身の志であり、和することのできる一身となっていないときには自らの不足を、今日再び清算することができるよう祝福してくださることを懇切にお願いいたします。 お父様、あなたと真の父母の使命を担ってきたイエス・キリスト、聖賢、賢哲たちが今までみ旨に従ってきて霊界に行ってみると、自分たちの歩んでいた道がどれほど誤っていたかを発見し、神の前に顔を上げることのできない恥ずかしい群像となっていることを私は知っております。このことを連想しながら、今統一教会を信じて統一教会に従っている群れの中で生きている間、自分たちが成したと言えるすべてをもっているとしても、成したことが真なる意味において、神様の愛と真の父母の愛に連結することのできる内的な因縁結成した立場において行動したかを、自ら誓わなければならない時となってきます。 お父様、これから統一教会の群れの前に、あなたが尋ねる時、統一教会の数多くの群れはあなたが探しておられる四位基台の中心となる真の父母をもったと、声高らかに誇り得るそういう姿にならなければならないことを、きょうもう一度闡明(せんめい)にしなければなりません。地上においてそのような闡明がない限り、天上世界に闡明することのできる道が生じ得ないということを知っています。その間ダンベリーにいながら、往来するあなたの息子、娘たちを通して、今の時がいかなる時であるか私たちは闡明しなければならないことを宣布してまいりました。既に始まっています。真の父母の愛が漂う家庭を中心として神が共に臨在される時には、天下は粛然と頭を下げて一つにならなければならないことが、本然の理想園においての創造を受けた者たちの処する立場であることを明らかに知っています。 これから全世界、天と地の前に、神が願う真の父母の名で宣布する日、そのみ旨に従って真の父母の血族の名で、家庭から氏族、民族、国家、世界に連結することのできる最後の判決をしなければならない厳粛な時点に近づいてきていることを私は知っています。今までダンベリーを訪問してきた多くの人たちにそれを宣布し、この時を中心として、父母様と一つになるための闘いを展開するように命令いたしました。 今や、私たちの心の中には他のものがあってはなりません。名前が違い、性が違い、国家が違い、人種が違うとしても私たちの目標は一つであります。父母様を愛すること、父母様の愛を受けること、その他には何もあり得ないという絶対的基準の上に、上下、縦横に連結しなければならない天意の要求に応ずるべき解決点が残っていることを知っているので、きょうこの祝賀の日を期して、神よ! あなたが解決する内的心情圏を、ここに立っている息子、娘を見て、真の父母の名を崇高にして、決定され、天上世界と地上世界に宣布する日としてくださいますよう、懇切にお願いいたします。 真の父母に侍る群れが、その顕現する姿は象徴的であれ、形象的であれ、その名のために讃揚し、その名を尊敬するすべての人々の上に、天上世界にいる祖先たちすべてを動員して、一つとなることができ、実体的世界史的な祖国創建の世界へと前進することを、この日この時間を通して宣布してください。 四十年前にあなたが願っていた韓国の立場が、再び統一教会を世界的キリスト教の基盤を代身して整えた土台の上に、キリスト教を引き入れてきた立場において復帰することのできる門前に到達いたしました。アメリカもそうであり、十二年前計画したすべてが再び露出されて、世界的な次元において結束し超国家的な人員を中心として、一つの世界の同胞として宣布しなければならない時が近づいてきていることを知っています。お父様、祝福してください。私たちの基盤がアメリカ全地に現れる時となりました。私がダンベリーに入って、出てくるその時には、新しい世界史的な霊界と肉界の解放の歓声が響きわたるように許諾してください。韓国の解放が成った時、私は万歳を叫ぶことができませんでした。お父様、これから神様の解放と、父母の解放と、人類の解放がなされ万歳を叫べる日が訪れるようになりましたので、あなたの栄光を讃揚する万民が結束し、万教が一つとなって、千年万年お父様を愛しながら讃揚し侍ることのできる群れの日として、早く展開できるように許諾してください。 私は真の父母の名がどれほど恐ろしいかよく知っております。平安な立場を求める人生の道を選ぶことなく、このみ旨の使命を完結するために今まで闘ってきました。過ぎ去った日を回想し、天上世界と地上世界の門を開き、父母が可哀想にも真の父母になり得なかったゆえに、人類の恨みと悲しみと、死の道の地獄に行って留まっているすべての霊人を真の父母の受難の道を通して、地獄の門を開き、天上の門を開き、人間の姿を整え、神の前に出ていくことのできる道を開いてくださいますように、お父様、祝福してください。背負うべき荷があれば私に背負わせ、万民の解放とあなた様の荷を解放して差し上げる、人間始祖の成すことのできなかった怨恨であることを知っているので、四十峠を越えるこの場においてすべての事情を通告いたします。 お父様、今まで踏みにじられた心を解き、それと同時にあなた様の解放の心をもって、今や愛する息子、娘を探し出したと言える誇りとともに、あの地獄にいる可哀想な霊人たちを救うことのできる道を祝福し、きょうを宣布の日として決めてくださることをお願いいたします。 お父様、カナン福地に向かわなければならない闘いの場が、熾烈なる闘いが私たちの目前に近づきました。強く大胆でなければならない統一教会の群れとなるようにしてください。牧師を訪ねていき、国を指導する指導者を訪ねていくのに躊躇することなく、私たちの視野に天下が懸かっていることを知り、前進に前進を誓うこの時間となりますように、真の父母の名で以上のことを申し上げ、天と地に宣布いたしますので、お父様を受けください。 きょうを一つの条件の記念の日として立ててくださることをお願いいたしながら、すべてを受け入れてくださったことを感謝しながら、真の父母の名で宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 みことば 皆さん、きょうは何をするために集まってきたのですか? (笑い) 先生はダンベリーで休んでいたのに、このように呼び出されたので仕方なく出てきました。(笑い)“きょうは天気が良かったらいいな”と思ったでしょう。“朝、風が強かったりしたらどうしよう”と心配した人もたくさんいると思いますが、きょうは本当に良い天気になったのでよかったです。天気が良いので、気持ちのいい話をしなければなりませんね。 先生のダンベリーの生活は、神山君を通してよく知っていると思います。聞かなかった人は手を挙げてみなさい。それほど多くありませんね。その人たちは関心がなくて参席しなかったのですか、それとも忙しすぎてでしょうか? (ボストンはまだです)。ボストンは一番最後にするようにしましたから。 私は本来自由な人です。自然が好きな人です。しかし自由にできない生活をたくさんしています。一生の間、自分の思いどおりに生きてきたかどうかと聞かれたならば、答えることが難しい困難な立場にいます。皆さんはどう思いますか? 先生はどのように生きてきたと思いますか? (神様のみ旨どおりです)。それでは、神のみ旨とはどのようなみ旨ですか? み旨とは神様の理想的なみ旨と、堕落したための救援の蕩減復帰のみ旨の二種であります。先生はどの道ですか? (二番目です)。そうです。あなた方はよく知っていますね。二番目です。では、その二番目の神のみ旨というのは、神に従って信仰生活をする人たちが自由にできる内容がこれっぽっちでもありますか? (ありません)。知っていますね。よく答えられました。 では、自由のない蕩減の道というのはいかなる道なのか。若い青年として、男子として、美男として生まれて、勝手に愛することのできる環境をもつことができますか、できませんか?(できません)。答えるのは易しいけれど、深刻な問題です。では愛する妻がいるとしたら、その妻を自由に連れてきて、生活することのできる道が蕩減復帰の道において可能なことですか、不可能ですか? それは私には分かりません。(笑い) また、夫が呼び、妻が呼んでいるからといって、今日のアメリカ式にすべてを投げ出して、「最高の妻だ」「最高の夫だ」と言って走っていくことができますか? (ノー!)。なぜ「ノー」ですか。問題は深刻ですよ。この地上の神様のみ旨を、これまで歴史上においての神様のみ旨を、堕落以前のみ旨と堕落以後の復帰のみ旨をはっきり知っている者が果たしているでしょうか? (誰もいません)。もうそういうみ旨を知った人が出てこないとしたら、神のみ旨を成すことができないという結論が出ます。これは理論的ですね。 では、昔アダムという人は堕落した後に、神様の蕩減のみ旨を完全に知っていたでしょうか? 歴史を一度、通して考えてみましょう。堕落してからのアダムはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。では、ノアはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。では、アブラハムはどうだったでしょうか? (分かりませんでした)。ヤコブはどうでしょうか? (分かりませんでした)。モーセはどうでしょうか? (分かりませんでした)。次は誰ですか? 洗礼ヨハネはどうでしょう? (分かりませんでした)。では誰が知っていたのでしょう。イエス様はどうだったのですか? (知っていました)。イエス様は知っていたのでしょうか、知らなかったのでしょうか? (知っていました)。ではなぜ話せなかったのでしょうか?(誰も聞こうとしませんでした)。誰も聞かなかったとしても、後代の人々はイエス様を信じるということを知っていたでしょう。その時にすべてを話しておいたなら、キリスト教が分かれたり、世界もこのようにはなっていなかったでしょう。キリスト教を信じるアメリカも今日のこのような国にはならなかったでしょう。ここで、知っていたのか、知らなかったのか、それをはっきりしておかなければなりません。知っていたのでしょうか、知らなかったのでしょうか? (様々な答え) それが問題です。知らなかったとしたら大きな問題です。知らなければ神様のみ旨を成すことができないでしょう。それでどうしてメシヤとなれますか。神様のみ旨を成就するために来られる方がメシヤなのに、神様のみ旨を知らなかったらどうしてみ旨を成就することができますか。すべてを設計し、すべてを計って、すべてがぴったり合うようにしても、度々失敗しやすいのに、知らずしてどうやってみ旨を成就しますか。 それで、歴史上に堕落前と堕落後の神様のみ旨を知る人が出てこなければ、今日の宗教の目的は成就することはできません。ここで一つの問題が生じます。それはイエス様が知っていたならば、話さなければならなかったのに、どうして後代のためキリスト教のために話すことができなかったのでしょうか? これが問題です。そうであれば、今日この滅びゆくアメリカの現況を見つめる時、私たちキリスト教信者はイエス様に、「あなたはいったい何ですか。メシヤだったのになぜ話をしなかったのですか」と論争し、責めてみたいような憤慨心が起こるでしょう。イエス様は何ですか? それが問題です。なぜ語ることができなかったのですか?(ある人が「イエス様には基台がなかったのです」と答える) それはどのような基台ですか?そういう基台も必要ですが、神様のみ旨を誰が先に成就するかということです。神様のみ旨を誰が先に成就しなければならないかといえば、神様が先に成さなければならないし、神様の一番愛を受けることのできる子女が成就しなければならないのです。 それでは、神様の何のためにエデンの園にアダムとエバを造ったのでしょうか? これが問題です。何のために造ったのでしょうか? それは神様のみ旨を成そうとして造ったのですが、そのみ旨をいつ成そうとしたのか、これが問題です。いつ成就しようとしたのか。昼、彼らが成長するためでしょうか。神様のみ旨というのはいったい何でしょうか? それは神様が喜ばれ、「ワッハッハッー、これで出来た」とおっしゃられるものです。それは何ですか? (夫と妻です)。夫と妻と言っても、それはどのような夫と妻ですか? (真の男、真の女です)。では真の男、真の女とはどういう人ですか? (完成された男女です)。そういう答えをいくら言っても、真の男、真の女とはどのような人なのか、それをはっきり知らなければなりません。 完成した人たちとはどのような人たちですか? (真の愛の人です)。真の愛は何のためですか? (様々な答えの中で「完全な子供のためです」という人がいる) ノー、ノー。完全なる子供というのは何ですか? (笑い) それを知らなければなりません。これが問題です。神様のみ旨を成すということはどういうことなのか。内外共に、縦的に、横的に、前後、左右、四方に完全に一つになることが神様のみ旨を成すことなのです。何でもってですか? (真の愛です)。真の愛は方法です。真の愛を通して一つにするのです。 では、どのように一つとなりますか? アダム、エバと一つになること。これも(朴先生と背中を合わせる)一つになることですよ。(笑い) どのように一つになるのですか? そこには一つになる伝統的内容すべてがなければなりません。神様が願われる一つになるということにおいては、下にも行くものが上に行ってもいけないし、上に行くものが下に行ってもいけないし、左に行くべきものが右に行ってもいけないし、右に行くべきものが左に行ってもいけないし、丸くなるべきものが平たくなってもいけないのです。そういうみ旨を願っておられる神様が、アダム、エバを造ってそのままにしておくわけにはいかないのです。法を定め、「早く大きくなりなさい」と、そうしたでしょうか、しなかったでしょうか? (そうしました)。それで、エデンの園にアダムとエバを置いて、取って食べてはならないという戒めを与えられたのです。だからアダムは生まれて地上でたくさんのことを学ばなければならなかったのです。アダムとエバが万物を主管しようとすれば、万物の性格をすべり知り、特性を知り、好きなこと嫌なことのすべてを知ってからでなければならないのです。 では、エデンの園には鳥がいたと思いますか、いなかったと思いますか? (はい、いたと思います)。ノー、ノー、ノー。先生はいなかったと思います。(いいえ、いたと思います)。絶対にですか?(はい)。(笑い) あなたたちは自信がありますね。先生がいくら「ノー」と言っても、先生の負けです。なぜですか? それは事実がそうなっているからです。みんな自信満々ですね。(笑い) ですから、真実は力です。そのとおりです。当たりましたね。 では、蝶はいたでしょうか、いなかったでしょうか? (いました)。蛇はいたでしょうか、いなかったでしょうか? (いました)。蟻はどうでしょうか? (いました)。では、あなたたちは何になりたいですか、何になりたいですか? 蟻ですか? (いいえ)。蝶ですか? (いいえ)。鳥ですか? (いいえ)。では何ですか? (神の真の息子です)。神の真の息子とは何ですか? それは人間なのです。人間になりたいのです。それはどんな人間かというと、真の人間ですね。(はい)。トルーマンです。トルーマンというアメリカの大統領ではありませんよ。(笑い) ハリー・トルーマンはいくらアメリカの大統領をやっていたとしても、真の人間ではありませんよ。彼は未完成の人間なのです。真の人下というのは、どういう人ですか? それが問題です。神様を中心として、愛を通して永遠に一つとなっている人が真の人間です。こういう結論が出ます。分かりましたか? (はい)。真の人間の定義が分かりましたか? (はい)。何と言いますか、言ってみてください。まず、神を中心として、次に真の愛を通して絶対的に一つとなったそのような人が真の人間です。簡単ですよ。(笑い) これが分からないという人は手を挙げてみなさい。小学校一年生でも分かりますね。分かった人は手を挙げてみなさい。(全員が手を挙げる) これからが問題です。あなたたちは真の人間になっていますか? (様々な答え) ここは、真の人間の集まりですか、それとも偽りの人間の集まりですか? (様々な答えの中に、「真の人間としてのトレーニングのためです」と答える人がいる) トレーニングだったら落第生です。百パーセント真の人間にならなければなりません。だから、きょう先生の話を聞かなければなりません。どれほど苦しくなるまで押し出したとしても、私を真の人間にしてくださいと願う者は手を挙げてみなさい。(はい!)。本当に欲張りですね。(笑い) 笑いごとではなく、深刻な問題です。皆さんが朝起きて、み旨のために家を出発する時、「きょう一日中神様の愛を中心として一つとなって帰ってこられるか」と問われて、皆さんはどのように考え、どのように答えられるかといえば、大変なことなのです。自信がありますか? (はい)。 自分自身という存在は、深刻な問題です。では、誰が真の人間にならなければならないか。誰がなるのかというと、私がならなければなりません。これが今日この人間世界において、私たちが堕落した人間として最も要求すべき一番重要なことです。これは歴史を通じて、自分の先祖から千年万年の後孫をして、伝統として残していかなければならないことです。こういう結論が出ます。あなたたちの先祖たちもそれを願ったでしょうか、願わなかったでしょうか?(はい、願いました)。では、あなたたちの後孫たちはどうでしょうか? (はい、願っています)。あなたたちの後孫はそうでないかもしれません。(願います)。それは深刻な問題ですよ。 では真の人間には死んでからなればいいのですか、生きてこの地上でならなければならないのですか? 霊界に行ってなるのですか、この地上でなるのですか?(この地上です)。そのとおりです。では、イエスは真の人間でしょうか、どんな人間でしょうか? (はい、真の人間です)。何を見てそういうことが分かりますか? (様々な答え) 真の人間であれば神の愛がなければなりません。その愛を中心として神様と一つになり、億千万人と一つになろうとする心がなければなりません。 イエス様がアダムの立場だとしたら、エバはいましたか? (いいえ)。神は真の人間を用意しましたが、それは彼自身のためでしたか、真のエバのためでしたか? (真のエバのためです)。だから男というのは女のために必要なのです。女に、「神の愛を中心として永遠に一つになることができる男です」と言われるのが真の人間です。簡単です。「あなたこそ私の理想の完全な男性です。あなたは決して変わらないでしょう」と言う時のその小さな女をよく見ると、その中に神の愛が潜んでいます。「あなたも私に負けないほどの愛があり、永遠に共に行くことができる」と男に言われる時、真の女となれるのです。神様を中心として男に、「真の女だ」と言われてこそ、地上での真の女の歴史が始まり、真の男の歴史が始まり、次に真の神のみ旨が成されるのです。簡単でしょう。 ではこれから、あなたたち自身を考えてみてください。あなたたちはここに何しに来ましたか。何をしに来たか? 先生はあなたたちとは関係がありません。あなたたちと関係がありませんよ。イエス様が自分の母親に対し、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネによる福音書第二章四節)と言われたように、あなたたちの父でもありません。何の関係がありますか? (ノー、ノー、ノー)。そういう先生は間違いでしょうか? (はい)。(笑い) では、イエス様は知っていたはずなのに、なぜ語ることができなかったのですか? なぜ語って、後代の人々に教えてあげなかったのですか? それは教えてあげたくとも、教えてあげる資料がなかったのでできなかったのです。資料がなくて、見せてあげるものがなかったのです。この答えはどうですか? 正解ですか? (はい)。そうです。真の愛で立てるべき伝統を、この地上に立てることができなかったのです。伝統を立てることができなかったのです。ですから、再び来なければなりません。再び来なければなりません。「しかり、わたしはすぐ来る」(ヨハネの黙示録第二十二章二〇節)と言われた事実から見て、イエス様は知っていたといえるのです。それで、再び来られる時には、誰を訪ねて来るかといえば、新婦を訪ねて来るというのです。子羊の婚姻の時、新郎として新婦を訪ねて来るということは、どれほどたくさん聞かされた話でしょうか。このような内容からも、イエス様はメシヤという資格を得られたとしても余りあります。それでイエス様が再び来られて何をしなければならないかというと、同様に神様のみ旨を成さなければなりません。真の人間となり、真の女を見いだし、神様の前において、「真の男、私の愛であります。真なる夫、私の愛です」と言える女を、また神様が御覧になり、「真の子女、私の愛の子女よ!」と言われれば終わりです。女が神様に、「真の男というのは、これがモデルであります」「私の愛を中心として一つとなっている真の男であり、モデルです」と言うようでなければなりません。男も同様です。 それでは、男と女がそのように愛していて、どのように一つになりますか、どのようにして一つになりますか? どのように一つになりますか? 神様の愛を真ん中に立てて、一つとなった完全なる女として、男を自分の理想相対であると思って燃える愛をもって神様の愛を抱いて、神様の愛を抱いて、男も神様の愛を抱いて、自分の愛を抱いて、二人で抱いているだけではどうすることもできないので、二人が一つになるのです。それで二人が一つとなってどうなりますか? 一体化する男と女の間で神様が、「私はつぶされる。助けて!」と言われる時にはこの地上がすべて浮き上がるのです。(笑い) それは偉大です。 なせ男と女が一つになるのか、それが問題です。白い柔らかい肌の美女二人が額を合わせて、「私はあなたが好きです」と言う場面を想像してみなさい。見られたものではありません。それを見る人がいたら、みんな向きを変えてしまうようになります。(笑い) 小さな手と体をもつ女が、同じように小さな女と愛し合うということは本当に気持ちが悪いものです。それはなぜかといえば、あたかも神様が人間の骨を皮膚のように柔らかく造った、骨のない人間同士が一つとなるようなもので、それは異常なことです。そういう男を願う女がいたら手を挙げてみなさい。(ノー、ノー、ノー)。(笑い) 女たちはそういう男が好きですか?(ノー、ノー)。ではどのような男が好きですか? アメリカの女性たちは、「ノー、ノー、女は骨のようで、男は肉のようでなければなりません」と主張します。(ノー)。(笑い)アメリカでは何が主体で何が対象か、何が中心であり、どこを経て行くべきなのか目茶目茶になっているので滅びます。 アメリカの統一教会の女の人、あなたたちはどうですか? 異なる女の人ですか? (はい)。男が主体ですか、女が主体ですか? (男です)。それなのに欲心の多いアメリカの女たちは男を連れて歩き、「こちらに来なさい」と自分の自由にし、自分が主体になろうとします。(笑い) この骨のない男たち! 女たちは気持ちがいいですか、悪いですか? 女たちが気持ちがいいとしたら、あなたの国は滅びます。サタンの祭物になってしまいます。男女の秩序を正さなければなりません。はっきりしなければなりません。アメリカの女たち、それを歓迎しますか? 誰の話も聞かず、自分勝手にしているアメリカの女たちを教育できる人はいくら探してみてもレバレンド・ムーンしかいません。それは認めるでしょう? (はい)。そのとおりです。だから先生の言うことを聞かざるを得ません。先生の言うことを聞かざるを得ないでしょう? この中で、祝福を受けた人は手を挙げてみなさい。誰が皆さんを祝福してくれましたか?(先生です)。それでは、天国は安い価ですか、高い価ですか? (高い印です)。どれくらい高いですか? それはこの全世界を得ても代えることができないほどです。先生は祝福をしてあげてから、憤慨する時があります。この者たち! なぜ祝福してあげたのでしょうか? 「善男善女となって、真の夫、真の妻となって一つとなり、神様と一つとなることのできる、不変なる永遠の神様の子女となりなさい」と言って、先生が祝福してあげることを知らなければなりません。なたたちは、「私はあのようなタイプの夫は嫌だ。あのようなタイプの女は嫌だ。私はこのような祝福を受けて嬉しくない」とか言います。しかし誰が決めるのですか? 神様ですか、先生ですか、誰が決めるのですか? 自分自身で決める群れが多いのです。 祝福するためにイエス様が、二〇〇〇年間殉教の血をつないできたという事実を知らなければなりません。どれほどの人々が犠牲になったことでしょう。どれほどの人が犠牲になって、このような場が探し出されたことでしょう。神様は有史以来そのような場を通して訪ねてくるのです。人類の歴史は一五〇万年とも言われますが、堕落の人間が生じてから今まで、神様が真なる男と真なる女の祝福の場を探し求めてこられたことを知らなければなりません。イエス様は弟子たちを祝福してあげたかったでしょうか、祝福してあげたくなかったでしょうか?(祝福してあげたかったです)。世界の宗教の歴史は、仏教、カトリック等においては結婚を奨励してきた例がありますか? 統一教会が有史以来、真の父母という看板をもち出して、世界中を騒がしつつも各種の人種を超越して結び、祝福をしてあげているということはどのようなことかというと、天地開闢(てんちかいびゃく)以来の歴史上に初めて行われることなのです。 なぜ『ユニフィケーション』ということを言ったのでしょうか? これは何を中心として言った言葉ですか? 神様の不変の愛を中心として、私たち人類の始祖アダム・エバが完全に真の夫、真の妻として一つになって、神様の愛を中心として永遠に縦的に一つとなり、横的にも一つとなったその基盤の上で出てきたのが『ユニフィケーション』という単語であります。では、ユニフィケーション・チャーチにおいては、レバレンド・ムーンとその妻を何といいますか?(トゥルーペアレントといいます)。トゥルーペアレントとは何ですか? それは先ほど話した内容です。み旨を成すのです。堕落世界において、神様の願いを解いてあげて、堕落以前の本然のみ旨に合わせるための事をする。これを完成してこそ真の父母の統命が終わるのです。堕落した意味を知らなければなりません。あなたたちはその意味を知りません。先生は今まであなたたちが信じられないようなことを成してきました。想像することもできないことを私たちの現実の舞台に適応させてきたのです。 このような天的な背後の因縁が確かなので、愛を中心とする力によってすべてが成就され、すべてが解かれていくのです。これを知らなければなりません。神様が共にいてくださるので出来るのです。先生が監獄に入っている七カ月間に、世界がどれほど変わったか知れません。先生は遊ぶために入ったのではありません。決判場で決判をつけるためです。神様が下にいたなら上に上がらなければならないし、サタンが上にいたなら下に下がらなければならないし、下にあった東洋文明が上になり、西洋文明が下がっていくのです。アメリカの国民がレバレンド・ムーンを監獄に入れて、もし出監してからレバレンド・ムーンの無罪が全天地に明らかになった時は、西欧社会は私にひざまずくようになります。入監時には、アメリカの邪魔者として、怨讐として、無用の者としての扱いを受け、統一教会の指導者として入りましたが、出監する時には、変わることでしょう。先生はそのことを知っています。その時になれば、先生がアメリカを打っても、アメリカはどうすることもできなく、なすがままになります。(拍手)今はそのような材料が必要です。そのような材料をつくらなければなりません。私はその材料を見せたいのです。そして、これをもって打つのです。直ちに決着がつきます。それはどれほど素晴らしいことなのでしょうか。皆さんもそう思いますか? (はい)。 一年前、六カ月前まで反対していのに、そのリーダーたちが来て頭を下げ、「私はあなたの命令どおりにいたします」と言う人にたくさん会いました。そこで、「あなたはこれをやるべきか、否か」と問い詰めました。皆さんには一〇〇〇年かかっても、そういう人たちを屈服させることはできません。偉大なことです。それでダンベリーに入って、牧師三十万人に本(※『御旨と世界』)とビデオテープのセットを作って配りました。この前それがほとんど終わったというので、私は嬉しく思います。これからは二十四時間の戦争が始まるのです。(拍手) 聖書を見ると、使徒パウロ等による聖書の歴史は監獄の中で書かれました。私はきょう帰ってきてお祈りをしました。真の父母の成すべきことは何かというと地上世界と天上世界の塞がれていた道を開き、ハイウェイを作っておかなければなりません。地獄から、ダンベリーから、霊界の地獄から天上世界にまでです。(※1985.02.01、「開天門の日」宣布) そこで皆さん考えてみなさい。イスラエル民族が荒野から出てきて、カナン七族を前にしてヨルダン河を渡る時、ヨシュアとカレブ等に四十日の偵察をさせました。その報告は十人が反対しましたが、彼等二人は追われる立場においてでも神様が生きておられることを知って、それを信じました。そこで主張した人はカナン福地に入り、反対した十人と第一世代の祖先は全部荒野で禿鷹の餌食(えじき)になってしまったのです。それを知らなければなりません。あなたたちも同じです。世界的カナン復帰は四十年荒野路程となり、最後に三年路程を定めました。この三年路程で決着をつけなければなりません。それで第二年目が危険で、一番難しかったのです。ですから一番難しいその時、興進様が行かれ、先生も監獄に入っていくのです。天と地の責任をもっている先生は深刻ですよ。興進様のことははサタンが来てやったことを知り、『統一式』を行い、『昇和式』を行ったのです。それで勝利した息子として、勝利の息子として昇和したので先生は涙を流しませんでした。夢のような話ですが、先生の祈ったことが事実として世界に展開されているのです。信じられないようなことが起こるのです。このごろでは世界中の統一教会のメンバーが知っています。それが一二〇カ国家を中心に狭まってきているのです。洪水が死亡の沼に四方から集まってきて、溢れ出る日には問題となります。それでアメリカの世論が大きく変わったでしょう。このように(先生が両手を挙げる)誇り高ぶっていた人々が、レバレンド・ムーンが新聞に出れば出るほど、どんどん手を下げて下がってきます。自分たちの先祖たちが下りてきて苦しくするのです。だからレバレンド・ムーンは恐しい存在なのです。罪を犯したならば震えるのは当然です。罪を犯した者はそうなのです。罪があるからそうなのです。私が監獄にいても、霊界が罰するのです。だからこういう時には、私たちムーニーはヨシュアとカレブのように、地上のいかなる所に向かっても大胆に出ていけるようにならなければなりません。“Be Bold and strong!”「大胆で強くあれ!」。(全員大声で三回繰り返す) 今までのアメリカの思考方法をもっていてはいけません。電話しなければならない、訪ねていかなければならないとか、あなたたちの両親が死んでいったり、妻子が死んでいくのにできますか? 三十万名の牧師たちに原理の本とビデオテープを送ったので、読まずにはいられなくなるでしょう。反対している人も良心が読まずにはいられなくなるのです。だんだんそうなってくるのです。牧師たちになぜそうしたのかといえば、イスラエル民族がカナン福地に入る時に、イスラエルの族長たちに通告するのです。カナン福地に出発する時、「イエス」と言って従えばいいのです。分かりますか? (はい)。細かく話すには時間がありません。なぜイエス様が知っていながらも、話すことができなかったかが分かったでしょう。 ではイエス様が、今まで摂理のみ旨を中心として語ってきた内容を、成したことなどを見て先生と比較した時、どちらが内容をもち、事を成してきましたか? (先生です)。イエス様は時に出会わなかったのです。レバレンド・ムーンは自分自身で時をつくって、その時に出会ったのでこれらのことを成すことができたのです。世界的な時なのです。その時というのは、神様のみ旨から見れば世界を救うことであり、世界を悪なるサタン世界から奪って、善主権の世界につくっていくことです。今日のキリスト教を立てて神様のみ旨を成就するために、世界を救わなければならない、神様が主導することのできる国家をして、世界を指導することができるようにならなければならないその境界線は、第二次世界大戦の直後のすべての環境を収拾された時であったのです。このことを皆さんは知らなければなりません。宗教史上においてキリスト教文化圏をに心として世界を指導することのできる最初の歴史的一時、それが第二次世界大戦直後だったのです。その時、韓国の教会にはアベル教会、カイン教会があったのです。地下に入った教会と神社参拝をした教会です。先生は地下に入った教会の指導者の一人でありました。もしその時に、数人が先生の言うことを聞き入れていたならば、世界は今日このようにはならなかったのです。 神様のみ旨というのは、カイン、アベルが一つとなることです。カイン、アベルが一つとなるためには、既成教会と統一教会が一つにならなければなりません。それはどこから始まったのかというと、アダム家庭から始まって分かれてきたのです。誰の過ちですか? それは父母の過ちです。ここで(黒板を使用される)(図を参考にしてください)アダムを中心として、カイン、アベルが一つとなってだんだん大きくなってくるのです。サタン世界は大きくなっています。それで第二次世界大戦の時、このように分かれて戦ったのです。それが聖書の黙示録に表れるハルマゲドンの戦いなのです。それで自由世界がその時に一つとなれば、そこには共産圏も全部入っていくのです。全部が神様の圏内にキリスト教文化圏に完全に一つになるのです。その時先生は二十代で仕事を始め、三十代を中心として世界的な仕事を果たさなければならないのです。 ここから(黒板を使用される)このアベルは、このカインを合わせて、そしてこれがアベルとなって、このアベルの前にカインとなって、それで大きくなってアベルとなりカインを合させて、ここでまたアベルとなって出てこなければならないのです。そこで全キリスト教が、世界的なキリスト教が、アメリカのキリスト教が統一教会を受け入れることによりすべてが終わったのです。一挙に七年路程でみな終わったのです。そうなれば共産党も出てくることができなかったのです。しかし、神霊なるカイン、アベルが合わなかったので、既成教会が反対したために今日このようなことが起きているのです。それで四十年荒野に出て再度出発して、荒野に散らは時界た人たちを集めると同じなのが統一教会のメンバーです。だからどこへ行っても、歓迎を受けるべきだった環境が変わってしまったので、追われるようになったのです。そこで仕方なく、荒野に出て一人、二人と選び出して、家庭、氏族、民族の蕩減条件を立ててきたのです。 それで三つの世界になります。民主世界と共産世界と統一世界です。それで全部が反対するのです。ちょうど世界的に、共産圏もレバレンド・ムーンが怨讐であるといい、アメリカもレバレンド・ムーンを怨讐であるというのです。そこで私たちは神主義という思想をもって出てくるのです。それはどういうものかといえば、理論的な思想ではなく、神様を中心とした愛の思想なのです。それで二つの世界が力でウンウンと押し寄せているのです。神様も愛の力でウンウンと押すのです。だからあなたたちは、神様が押し出すのに対して、それを受けとめる桟(骨組み)にならなければならないのです。押し寄せてきたらそれを押し返す桟になれますか。レバレンド・ムーンとムーニーたちがここに(図で説明)入ってきて、こちらが押し出しても、「あれ、あれ、あれ」と言う時代です。しかし中心は絶対に動かしてはなりません。中心を移したりしたら大変です。逃げ回ったり、避難しながらではいけないのです。中心は定着させなければなりません。 このような時なので、サタンはレバレンド・ムーンを獄に入れておけばすべてが終わると思っていたのです。根絶すると思っていたのです。本当にそのようになったのですか? (いいえ)。本当に取り除くことができましたか? (いいえ)。それでは押し出して、ここに空間地帯をつくったらいいですか、それとも私たち同士で押し合ったらいいでしょうか? (空間地帯をつくりながらです)。では、あなたたちが力を入れるべきですか、入れなくともいいですか? (入れるべきです)。汗を流しながら走ればいいでしょうか、寒いと言ってぶるぶると震えながら走ったらいいでしょうか? (汗を流しながらです)。私は足が痛いので、明日の朝は行きますが今夜は行きたくありませんと言って休むべきでしょうか、行くべきでしょうか?(行くべきです)。では、「ヨイショ」と言う時、手はどうすればいいでしょうか? (先生とです)。先生は一人でこの巨大なアメリカと闘ってきたのです。十年間迫害を受けながら、歴史にもない嘲弄を受けながら闘ってきたのです。そうでしょう? 監獄に入る時まで闘ったのです。そしてなお、監獄に入っても闘うのです。 四十年を経て、きょうは先生の誕生日を迎えたので、少し休まなければならないと思っています。開放以後今まで四十年間闘ってきたのです。これから休む時となるので、私の代身者を早く立てなければならないのです。モーセは荒野四十年路程を経て、カナンの福地を見つめながら、嘆息の中で死んでいきましたが、先生は四十年後の今日、共産世界と民主世界に警告しつつ、私に従ってきなさいと叫んでいるのです。(拍手) 先生がダンベリーにいる時、青年指導者が、先生の所に来て、「先生、五年くらい前からアメリカに不思議な兆候が起きています。アメリカの若い青少年、十八歳から二十五歳までの若い層が保守主義を好むようになりました。今までは共産主義の宣伝をし、ヒッピーやイッピーに走った者たちが、保守主義の先鋒に変わる不思議な傾向になったのです」と言うのです。このことは先生が既に話したことです。 そしてこれからは保守派の中で神側とサタン側、アベル側とカイン側に分けることを、先生はやっているのです。それを知らなければなりません。保守派の中でアベル側は何かといえば、キリスト教です。そこで、牧師たちを入れるのです。これから六ヵ月でクリスチャンのリーダーとなる牧師たち七〇〇〇名を育てておかなければなりません。それを中心として十名ずづを短時間で一つにするのです。直ちに七万名はできます。先生の言うとおりにすれば問題はないのです。三十五万名の五分の一を立てて、全部を引っ張っていくのです。指導者が全部立ったので、ラッパを吹けば全部がついてくるようになります。何の話かわかりますか? (はい)。だから私たちはやらねばなりません。先生がこの前出てきた時、「一人が一二〇名の牧師に接するように」と言いましたね。それで今回パリでカウサ大会を行い、署名をして宣布するのです。これは本来私のする仕事ではないのです。アメリカの政府がやるべき仕事なのです。しかしアメリカの政府ができないので私がするのです。自由世界ができないので仕方なく私がするのです。(拍手) これからアメリカの生きる道は、アベル圏キリスト教が一つになることであり、その次には軍隊においての国内を守る在郷軍人が一つにならなければなりません。共産主義と闘うには、キリスト教信者と在郷軍人しかありません。キリスト教信者はこのようにして、アベル、カインを一つにしなければなりません。アベルは、アメリカ内の牧師たちであり、カインはアメリカ内の在郷軍人であると思います。これが一つになればアメリカを自由にリードすることができるのです。 それでこれから義のために闘うことのできる志願兵を、天のための志願兵を募集しなければなりません。それはレバレンド・ムーンがやるのではなく、アメリカがやらなければならないのです。アメリカに引き渡すのです。アメリカが生き延びることによって自由世界が生きるのです。アメリカが神の前に責任を果たし、自由世界の主導国としての責任ある立場に立って、地上天国世界をつくらなければなりません。これを成すべきですか、どうですか? (成すべきです)。それは誰がやりますか? (私たちです)。あなたたちムーニーです。ムーニーは誰もが嫌っていますよ。どのようにしてそれをやりますか? それは簡単です。命を懸けるのです。先生はアメリカに来る時、そういう決意で来ました。先生は命を懸けて来ました。先生は法廷闘争もしなくてもよかったのですが、自ら進んで受けたのです。そして自ら進んで監獄に入ったのです。ですから先生を監獄に入れておけばおくほど、世界は益々先生の味方になります。私たちの側になります。尾につく人々がだんだん多くなっていきます。 先生はきょうの誕生日を、監獄から出てきて皆さんに話をしています。先生は人類と神様のために良いことをしていて監獄に入れられたということに誇りをもっています。あなたたちはどうですか? あなたたち、スモール・ムーニーはどうですか?(はい)。先生のようになることを歓迎しますか、それとも反対しますか? (歓迎します)。先生はすべて聞きましたよ。先生はそれを聞きました。(問題ありません)。先生はどれほど悪口を言われたことか知れません。アメリカを救ってあげようと義人の立場で訪ねてきたのに、罪人の姿にされてしまい、監獄に入らなければならない囚人となっている事実を知らなければなりません。しかし神様がダンベリーの彼方に四方の天国の門を開いて歓迎していることを知らなければなりません。神様は新しい作戦を計画しているのです。あなたたちは命を懸ける決意がありますか? (はい)。宣言文に「命を懸ける」という言葉を入れておきましょう。 あなたたち統一教会のメンバーは何度命を懸けましたか? 何度命を懸けて誓いましたか?誓う以上は、あなたたちは、「イエス」と言うだけではなく、成さなければなりません。 今年は全世界に対して宣言すべき年です。ですから先生はカウサ運動に対し、神主義に関するカウサ宣言をつくることを命令しました。ではここでカウサのテキストの結論部分の一部を読んでみましょう。 「カウサはその目標を隠しはしない。我々は共産主義の終焉を求める。我々は道徳的革命によって、自由世界の搾取をも終わらせることを求めるものである。我々はモスクワを解放するという目標を誇りをもって宣言する。神主義の行進の前に共産主義者を戦慄せしめよう。彼らには鎖のほか何も失うものはない。神と共に我々は勝ち得るべき世界がある。全世界の信仰者よ団結せよ」。(拍手) このカウサ宣言に、今回パリの会議に出席した人々が皆署名しました。そしてこの宣言文の最後に先生がつけ加えるようにとまとめた言葉があります。それは、「神の名において我々は命を懸けて、また我々の名誉に懸けてこの崇高なる目標を達成することを誓う」という文章です。そしてそれに署名をしたわけです。彼らは既に、彼らの命と名誉をこの目的のために誓約したのです。どうですか? 皆さんは命を懸けますか? (はい)。それはあなたたちが決定するのです。先生がやれと言ったからやるのではないのです。あなたたちが決定するのです。先生は自分の決定をしました。あなたたちは自分たちで決定するのです。(はい)。では、そうするという人は手を挙げてみなさい。だから、ここ(センター)(図で説明)から押し上げていかなければなりません。これからは、先生はアメリカに長くいられません。出監すれば帰っていくだろうということを皆さんは考えなければなりません。 このように決意したムーニー、数千、数万名がアメリカにいるということを考える時、先生はこれから帰って、韓国を救わなければなりません。韓国が難しい立場になってきます。先生は自分の国を捨て、自分の民を捨て、自分の故郷を捨ててカイン世界を掴んでいく道を教えるべき責任を果たしたので、これからは先生がいなくてもいいでしょう。先生は帰らなければならない責任を感じています。 モーセを失う時、寂しく思ったとしても、モーセはモーセの行くべき道があり、同じように先生は先生の道を行かなければなりません。この国がサタンに奪われないための基礎作業を終えて、先生は離れていく人なのです。六カ月間に七〇〇〇名を教育しなければなりません。それが先生の出獄する時であります。その時に世界的なインタビューをするでしょう。私たちなくしてはもはや世界が生きる道がないことを知ったでしょう? (はい)。 三年間機動隊(IOWC)を準備して、既成教会と出会うための訓練をなし、既成教会の牧師たちと一つとなることなど夢にも思っていなかったでしょう。更に裁判中にNCCSAをつくり、モービルホームをつくったりしたのもなぜか分からなかったでしょう。今でさえもあなたたちはそうです。あなたたちの知恵で計っては神様のみ旨は分かりません。 それでは、世界的にいかに結束していくか。アメリカがこのような方向に進んで、どのように結束したらいいかといえば、教授界と言論界を結束させるのです。これが世界を救う道だと思います。パラゴンハウスをやっているのもすべてその準備です。それで、ワシントン・タイムズそれ自体が教授を代弁する言論機関であり、青少年、大学生が支持する言論誌としてリードしていくことが教授の定められた方向なのです。これからそのような準備をしていくのです。それで文化革命を、新しいルネッサンスのような神様を中心とした文化革命を、世界的に展開しようと準備しているのです。あなたたちはそういうことを知らないでしょう。あなたたちは先生の言うとおり、牧師たちを訪ねて歩けばいいのですよ。牧師を訪ねて歩き、悪口を言われ、泣いたりしても、反対していた牧師が屈服する時は、つまらない牧師を立てた時より数倍痛快であることを知らなければなりません。それが面白いのです。 反対するアメリカを悔い改めさせよう! それが男の行く道であります。それを見て拍手するのが女の道です。勝利する時が拍手であって、負けた時は痛哭です。分かりましたか。では結論づけましょう。きょうは先生の誕生日です。いつまで語らせるつもりですか? 休んで遊ばなければならないのに…。(笑い)(拍手) 皆さんは命を懸けていくと誓いましたね。それは誰のためにですか? (神様です)。神と人類のためです。先生も同様です。ではどうしてそうなのですか? それはサタンが世界を支配しているからです。ノアもそのような覚悟をしていたのです。アブラハムも、息子イサクに刃を向けた時、既に死を覚悟していました。イサクもそのような立場において、“神のみ旨の前に祭物になってもいい”と思い反抗しなかったので、そのイサクはエサウとヤコブを通した民族的土台をつくるのに貢献し、父となった事実を知らなければなりません。その時イサクが反抗したとしたらどうなったのですか? アブラハムに、「羊を殺して祭物にすればいいのに、どうして私を殺そうとするのですか」と言ったならどうなったでしょう? そうなればアブラハム家庭は現れなかったのです。イスラエル選民の信仰の先祖とはなることができなかったのです。 皆さん、命を懸けますか? (はい)。ヤコブがハランに行って、十回もラバンに騙されても耐えて、愚か者のようにしながらも、命を懸けて祝福を受けようとしたのです。命懸けの道なのです。モーセも四十年間、エジプトを離れて命を懸けて闘ったのです。神様は命を懸けていく人たちを相手に役事なされるのです。洗礼ヨハネはどうですか? 洗礼ヨハネも正義のために命を懸けて闘ったでしょう。イエス様はどうでしたか? 命を懸けて闘ったのですか。どうですか? (はい、命を懸けて闘いました)。レバレンド・ムーンも同様です。それで神様が私と同居しながら助けてくださるのです。あらゆる死の境地にありながら、先生が死を覚悟しながらも死なずにいるので、感謝しながら行かなければならないのです。 監獄も今回が六回目です。五年近い歳月になります。行けば行くほどにどんどん大きな監獄になって、アメリカの監獄にまで来ました。先生は一九七六年にモスクワ宣言をした時、“死んだとしてもモスクワに行かなければならない”と思って宣言したのです。その時、みんな鼻で笑ったものです。あなたたちの同志であり、あなたちの愛する兄弟が、この地下活動をしていることを知らなければなりません。監獄に入っている人たちがいることを知らなければなりません。先生は涙を流しなかがら、“解放する時まで待ちなさい。強く大胆に行きなさい。あなたの墓を造って、先生が移葬して、先生が埋葬される所に埋葬してあげる”と祈りました。先生はそうします。そうします。 統一教会に遊びに来るのではありません。先生は悔しさからいえば誰よりも悔しい人であり、悪なる人になれば誰よりも悪なる人になれるのです。しかし神様の名でもってすべてを忘れて、すべてを消化するのです。中国の摂理は既に八年になります。八年目です。あなたたちがよい物を食べ、よく眠り、楽をしていた時に先生はそういうことをしたのです。このベルベディアの庭を歩きながら、先生が涙したことをこの自然は知っているはずです。何も知らないアメリカの若者たち、このアメリカの若者たちが直ちに行ける方向を掴んであげるために先生はこの国を離れず、監獄にまで入りながらこのようなことを成していることをあなたたちは知らなければなりません。 きょう、先生の誕生日を祝賀するために集った統一教会の群れの中に、このような心をもって世界の弱小民族国家を先生の代身として救ってあげるため、あらゆる風雪をも甘受していきたいという人が百名あるいは数百名出てくるとしたら、それ以上のよいことはありません。それによって自由世界が生きるのです。全世界が救われるのです。アメリカの若者たちがそうしなければ世界が生きることができません。神様はそういう方向性を求めているのです。だから先生はあなたたちが手を挙げて、「イエス、ファーザー」と誓うのを見たいのです。(イエス、ファーザー! イエス、ファーザー! イエス、ファーザー!)。 先生はすべてを教えました。すべて教えました。もし先生が死んだとしても地上に言い残すことばがあってはいけないので、神山君に四カ月間教育しました。すべて教えてあげました。 きょう、どのような祈祷をしたのかといえば、「天と地が一つとなり、地獄の門が開き、世界が交流することができ、神様がそれほど愛していたその愛を地上において愛する父母が間違ったので、このようになったので父母がすべてを蕩減して清算できるその道を備えさせてください」と通告の祈りをしました。 先生が正月に、「一二〇名の牧師を訪ねていって連絡しなさい」と言いましたが、これからは実質的に走らなければなりません。走らなければなりません。それをしなければなりません。分かりましたね? (はい)。皆さんがきょう先生の誕生日に、そのような決意をもってくれればそれ以上願うことはありません。もう先生は時間がありません。皆さんも知っていると思いますが、これから会議をしなければならないので、また会う日まで皆さんが先生がいる時以上の努力をしてくださることを願いながら、先生の話を終えようと思います。 神様は生きておられます。そして神様は私たちと共に生きようとなされています。みんなで三回唱和しましょう。(God is alive, He is dwelling with me.)(三回繰り返す) だから私たちはどんなことでもできます。(イエス、ファーザー! イエス、ファーザー! イエス、ファーザー!)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.12
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「内的統一教会史」1985年1月4日ベルベディア 目標に向かう道 皆さんは統一教会の信者であるために、統一教会の歴史を知らなければならないのです。では、「統一教会」という教会の歴史をなぜ知らなければならないのでしょうか? 統一教会の目的を尋ねて行こうとすれば、つまり、目的を射ようとすれば、現在から射るのではなく、出発当初から直線に射てきたその道があるために、歴史を知らなければならないということです。それは何の話か分かりますか?(黒板に図Ⅰを書かれる。)ここ(A)からスタートして、直線として行かなければなりません。そして、この目的(B)に到達しなければならないのです。統一教会がこのように出発したとすれば、ここ(B)を標準としたのであって、こちら(C)を標準としたのではありません。 それで、皆さんが、「私が今正常な立場に立っているかどうか。」ということを確かめるためには、その出発点を知り、出発点と目標を繋ぐ直線上を中心として比較してみることによって可能となります。もし、あなたがこちらの方に来て、目的に向かって銃で撃つならば、ここ(E)から見れば、この直線(C)が延長線となるのです。ですから、この点(E)においていくら撃ったとしても、それは的外れになってしまうのです。それで、原点に戻って再び撃つしかないというのです。 ですから、神様がおられ、ある永遠な絶対的主人があって出発し、ある目標を定めたとすれば、その目標に向かう道というのは、ジグザグな道ではなく、まっすぐな道なのです。それは立派な結論なのであります。ここで神様も、「歴史をはっきりと知り、出発点をはっきり知って、目標を明確に見定めて行くその道は、永遠なる伝統として伝授させなさい。」というように結論づけたのです。その伝統というのは、どこにおいても通ずるのであります。 今日、地球上において長い伝統をもって歴史時代に残っている残体、あるいは国家は何かという問題を考えてみるとき、それはすなわち、宗教の歴史であり、ユダヤ教の歴史なのです。つまり、ユダヤのイスラエル民族なのです。それでは、それぞれの宗教団体の目的がすべて一致していたのでしょうか? 仏教、儒教、回教、そしてキリスト教も皆異なった道を辿ってきました。「自分たちの撃つ方向が正しい。」と言って大騒ぎをしてきたというのです。皆、それぞれ撃つ所が正常な立場において撃っていないということを、私たちは概括的に知ることができます。 では、この伝統に従ってこのような銃を撃つ場合、この目的に向かって撃つ人は誰だったのでしょうか? 神様ですか、人間ですか、それとも他の被造物でしょうか? もし神様だとしたら、神が撃つその道と、人間が撃つその道が異なるでしょうか、それとも同じでしょうか?(「同じです。」)神様は時空を超越して、距離感というものがありません。それならば、誰が問題かといえば、人間が問題なのです。今日の宗教はすべて、目的を探してさ迷ってきましたが、どの宗教も見いだすことができなかったのです。それで、中間から目的点を発見しようとする道と、もう一つは原点に戻ることによって、出発点を発見しようとする道と、どちらかにおいて見いだす道しか、人類が行く道がないという結論が出ます。 たとえば、一人の人間が鉄砲で弾を撃つとしたら、その弾は弾道に沿ってまっすぐに標的に届いて穴を開け、貫通しなければならないのに、ゴールの手前で落ちて留まってしまったとすれば、それは撃っても撃たなくても同じようなものです。ですから、その人は目的を達成していないわけです。そして、ずれた立場からいくら弾を撃って前へ進んで行っても、ゴールには到達しません。歴史を顧みるとき、個々人はそれぞれのゴールに到達しようと成功を求めて歩んできました。しかし、本当の意味で人生の目的を成功裏に達成した例を私たちは見ないのです。 原点からの再出発 私たちが目的を達成する道へと導かれる可能性がどこにあるかといえば、“前進”を主張するところにではなく、後退して原点を尋ねていくところにあるのです。歴史時代において今まで出世をしたという人々はすべてが「前進前進、上がっていこう上がっていこう。」と言ってきたのですが、「後ろに戻っていこう!下って行こう!」と叫んでいる団体があるとすれば、それこそが歴史問題全体を解決し、摂理の御旨を解決していく可能性のある団体であると言うことができます。 では、「統一教会とは何か?」と言うとき、もちろん、神様の御旨を達成しようとする教会ですが、何よりも、「原点に戻って再出発しなければならない!」と呼びかけている教会なのです。つまり、復帰のための教会が、統一教会なのです。本来は、神と人間が一体化していました。しかし、堕落によって、神と人間が分かれてしまいました。それはすべてが破壊されたことを意味するのです。ですから、堕落した立場においては、撃つこともできなくなりました。人間は今、狙いを定めることさえできないような位置に立っているのです。撃つことのできないその目標をいくら探したとしても無駄です。ですから、人間が神をここに捕まえて来て、再び人が立って、スタート点をもう一度測って撃つしか道がありません。そこで、統一教会というのは、この復帰の原点をはっきりと告知させる教会であり、目的を明確に定めて、撃つことのできるようにするところなのです。分かりますか? (先ほど先生は“直線”と言いましたが)では、この直線は何を通じて直線として描かれるのか、何をもって直線の道であると言えるのでしょうか? これが問題なのです。ここから(行けば)間違いなく、百パーセント正しいと言って連結され、正しい結論へと入っていくことのできる道というのは何であり、その道の質は何でできているのでしょうか? 歴史を指向する指向線、その本来の直線というのは、何でできているのでしょうか?(歴史において)様々な力を行使して撃っても、またお金をもって撃っても、知識をもって撃っても(正しい目標に)当てることができませんでした。それで、統一教会が人間に対して、「原点である出発点に戻りなさい。」と言っているということは、実に歴史的な宣言であり、世界史的な宣言であるということを知らなければなりません。 では、原点に立ち返って、そこで撃って来てようとするには、何をもって当てるのですか?原点から、弾が正しい道に沿ったものであれば、そして、その道が直線であれば、途中が見えなくても的に命中します。そして、最終的なゴール(的)に命中して突き抜けた弾は、何も替えることのできない、天宙的な価値をもつようになります。ここにおいて世界的なターゲットを狙って命中したときは、宇宙全体を含むようになります。目的を成就したということは、宇宙すべてを成就したということになります。こうすることのできる何かがあるから、神様と人間との間で総力を注いでピョンと撃つのです。(黒板に図Ⅱを書かれる。) 伝統の基準 神様に銃が必要なのですが、それがアダムとエバなのです。半分に割ってみると、右側がアダムで、左半分はエバで、これらを合わせて銃を作ってあるのです。それで、愛という銃弾をそこに入れて撃たなければなりません。神の弾丸とは、真の愛なのです。それを撃つのは誰でしょうか? アダムとエバでしょうか? (「いいえ。」)では、当てるその目的は、誰の目的ですか? (「神様の目的です。」)それは、神様のゴールにもなるし、アダム・エバのゴールにもなるし、また銃弾のゴールにもなるのです。それで、アダム・エバも不平を言うことができません。この三つが完全に一致しているのです。 正しい銃であるためには、左半分と右半分とが全く同じ条件を揃(そろ)えていなければなりません。つまり、同じ重さでなければ、操縦する点が傾いてしまいます。これと同じように、アダムとエバが、男と女が同じ比重になるためには、愛の気運が発することのできるように、測っておかなければなりません。そして、この銃でもって、原点からゴールの様々な部分に――個人的基準から始めて、家庭的段階、氏族、民族、国家、宇宙の段階へと――拡大しながら撃つことができるのです。ですから、このように正しい銃を使えば、正しい標的の中心を撃たざるを得ないので、どこに立とうとも、すべての弾は中心に命中するのです。 では、伝統というものは何でしょうか? それは誰かが過去においてそれが実際に役に立つ、あるいはうまくいくということを立証し、そのポイントを保存し、反復し、複写したものが伝統です。そして、ここでそれがうまくいくということが分かれば、それは永遠の基台として保存されるのです。例えば、弾を撃つ人が特定の位置に立つとします。そして左足を固定させます。この角度から右足を全く同じ位置に据えて撃つことが、中心に命中する鍵となります。しかし、我々人間が犯す頻繁な間違いは、不注意と、伝統に従わないということです。このような伝統が必要でないと言う人たちは、一般的に正しいと思われる道、個人の判断でもって、自分勝手にするようになるので、方向も何も分からず、中心に命中することができません。 ここにおいて、自由思想を持っているのと、伝統思想を持っているのと、私たちはどちらを選ばなければならないでしょうか?(「伝統です。」)それで、統一教会の思想は、「個人を犠牲にして、家庭の為に生きなさい。」ということです。つまり、「現在の段階で満足することなく、常に次の段階へ、より高い次元へと進みなさい。」と教えるのです。「どんな困難があったとしても、小さなものを犠牲にして、より大きなものに向かって、その伝統の基準を尋ねて行きなさい。」と。そういう道が、統一教会の文先生が教えてくれる道なのです。統一教会は「世界を抱いて行きなさい。神様とアダムの立場を中心とした愛を中心として、世界に向かって行きなさい。」と言うのです。世界に向かって行けば、その愛は直線上においてもどこにおいても力が入るようになるのであります。 サニー・シューティング ところで、統一教会における祝福とは何でしょうか? それは、目的に向かって撃つことのできる機関銃を作ることなのです。そして、統一教会における愛というのは、その銃弾を作ることなのです。その銃を持っていって、愛を中心として、神様が「準備できたので引きなさい。」と言えば、伝統の基準と神様の基準があるので、直ちに引くようになるのです。 このような点において、あらゆる批判的な立場、あるいは分析的な立場からみて、統一教会がうちたてた観というものは素晴らしいし、統一教会の復帰という主張は、あまりにも価値が大きく、生きるのにおいても、撃つにおいても「毎日どんな所に撃ったとしても、愛の銃弾を撃ちなさい。」と言うのです。では、どこで、どういう状態で撃つのでしょうか? それは様々な摩擦のおこる高気圧の圏内で撃つのではなく、真空状態で撃ちなさいと教えているのです。そうすれば、この愛の銃弾はまっすぐに、直線に進んでいきます。撃つや否や、時間と距離を超越して、ピタッと的に当たるのです。それが私たちの統一教会において、皆さんが一番嫌っている犠牲という道です。 ではなぜ、私がダンベリーを訪ねて行ったのでしょうか? 私が撃ちさえすれば、倒れない存在がないほどの銃弾を撃つためでした。それで、私がじーっと見ていると、私が撃つ目標は既に皆当たったので、他の目標がないかと捜しています。私がダンベリーに行く前に、そこが小高い丘にあればいいと願いました。それは、私が行って、愛の射撃をすることのできる基地としたかったからです。私が着いてみると、案の定、ダンベリーは小高い所で景色もいいところでした。 今まで私たちはムーニーでしたから、ムーンを撃ってきましたが、これからは、太陽を標的にして撃たなければならないので、サニー・ベイス(太陽の基地)を訪ねて行って撃たなければなりません。そうすると、最初の方向とは異なった方向になりますがこのような方向に狙いを定めるべきでしょうか。皆さんはまだ、月にめがけて撃っていますが、先生の目標は太陽になってしまいました。ムーニーが撃つ場所と、先生が撃つ場所が異なるのです。分かりましたか?(「はい。」)では、このサニー・シューティングをするために行くべきでしょうか、それとも行かないほうがいいでしょうか?(「行くべきです。」)皆さんもついて行くことができますか、できませんか?(「ついて行きます。」)しかし、先生のサインなしにそこに行けば、めちゃくちゃになってしまうのです。だから、先生はその道を一人で行かなければならないのです。 夫婦が完全に一つに さて、統一教会において主張するもう一つのターゲットが何かといえば、霊界なのです。月と太陽は、肉界と霊界に例えられます。皆さんは今まで肉界だけの目標を狙って撃ってきましたが、これからは霊界にターゲットを当てるようになります。それで、先生が出て来るようになる時には、統一教会は世界的な統一教会となることでしょう。歴史上において、見ることも考えることもできなかった、驚くべき変化がみられるでしょう。 皆さんは、自分自身が原点に戻って来ていますか? それとも後退しつつありますか? 自分と相対の二人が一つの銃ですが、その半分が壊れてしまっているのか、それとも、完全な銃となっていますか? もし、これが完全な銃となっていなければ、神様がいくら引き金を引いたとしても弾を発射することができません。ですから、自体の批判をしてみなければならないのです。 では男一人で撃つことができますか? それとも女一人で撃つことができますか? 神様が一人で撃つことがてきますか? それぞれが一人で撃つことができますか? ここで単純で基本的な質問を女性にしたとします。「あなたは主人を持っていますか?」これは第一の資格です。女性は喜んで「はい、私には夫がいます。」と答えるでしょう。更に、「それでは、申し分のない夫婦ですか?」と尋ねてみましょう。その時、「はい、そうです。」と答えることができなければなりません。それで二つの愛が完全に一つにならなければなりません。生産工場から出てくる、そのままの姿をした良い弾薬のような、そういう愛を二人が持っているかどうか、これが問題なのです。神様がごらんになった時、引き金を引くとすれば、「ババーン」と鳴って、天地が振動して、愛の銃弾がすっと飛び出すことができるかどうか。この時に嵐が来ることを望みますか?(「いいえ。」)嵐の中で狙いを定めて撃つことは困難です。ですから、風圧の殆どない真空に近い状態を望んでいます。 そういう環境はどういう所かといえば、完全に愛の銃弾が飛び出すとき、「バン」という音が出るように、サッと飛び出して砕かれてもいいというところにおいては、必ず間違いなく二人をくっつけてしまうのです。つまり、あなたとあなたの相対が完全に一体化していれば、たとえ縦断が壊れようとも構わない、的に命中しさえすれば構わないというような、献身的な態度をもっていればそれで十分です。一体、この世にそんな話はどこにありますか? これは、とても理論的な話です。皆、よく分かりました? いくら男性が自分のことを完全であると言っても、それは銃の半分にしかすぎないのです。半分の銃が完全な銃といえますか? 自分が半分ですから、たとえ個人には力がないとしても二人が一つとなって、真空状態を作っておいて引き金さえ引けば、ちょっと押し出しさえすれば、弾は目的に命中するのです。ただ動かしさえすれば、ピタッと当たるのです。それは、レバレンド・ムーンの知識でも、統一教会の知識でもなく、神様の知識なのです。こういうターゲットに当てたい人は手を挙げて下さい。(皆「はい。」と言って手を挙げる。) 愛の銃弾 では、その銃はいつ撃てばいいでしょうか? 若い時撃つべきでしょうか? 年老いてから撃てばいいでしょうか? それとも一番最初の夜に「パーン」と撃てばいいでしょうか? 年を取ってから撃った方がいいでしょうか?(「若い時です。」)では、何日間か練習してから撃つのと、二人が会うや否や撃つのと、どちらがいいでしょうか? 後者の方がずっといいでしょう。 では、神様はどうだったでしょうか? 二回ぐらい撃ってから的に当てたい神様ですか? それとも、数十回撃ってようやく当てたい神様ですか?(「一回目です。」)本当の愛の銃弾というのは、誘導弾のようであって、標的をどこまでも追い求め、そしてその弾が撃った本人に返ってくるような銃弾だったらどうでしょうか? それが神様の理想だったのです。もし、人間が堕落していなかったならば、アダムとエバはその婚姻の時に、即刻標的に命中したのです。そうすれば、伝統とか何とかを心配することもなかったのです。 しかし、堕落したので複雑な問題がからんできて、伝統というものが必要になりました。既成教会では「愛がすべてだ。」と言っています。しかし、愛ばかり唱えても何もなりません。銃を捜さなければならないのです。地球上では皆、愛の銃弾を願っていますが、愛の銃がありません。それで、歴史上において、メシヤを迎えて、メシヤを中心として新郎・新婦が出会って、新しく婚姻の祭をする、そういうアダム・エバの完成した核が現れれば、それが即ち、銃が現れてくることなのです。そして、メシヤ思想とは、真の父母の思想なのです。分かりましたか?「真の父母」というのは、つまり完全なショットガン(散弾銃)なのです。それで、男であろうが、女であろうが、仕方なく、それに見習って作らなければなりません。ですから統一教会では、神様の命令には絶対に服従して、死んでも生きるという覚悟をもって、御旨に向かわなければならないという結論が出るのです。 真実の愛 それで、統一教会の信者が愛でもって撃つには撃ちかすが、ある者は、家庭看板というターゲットに向かって撃ちましたが、そこには当たらないで、全部の弾がその周辺に当たっているのです。自分の複雑なすべてを乗り越えて撃ってみると、家庭看板に当たらないのです。先生がよく見てみると、そのターゲットのこちら側に当たっている、角度がどれくらい外れているかということを調べて、そこで、「もう一度、家庭を中心として、そして氏族のターゲットに向かって撃ちましょう。」と教えてあげるのです。「また角度が違った。」と言って、何度でも角度を合わせるのです。ここに当てどれくらい間違ったか、その調整を再びして、理想実現という目的に向かって撃つのです。すべての複雑な装置を止めて、銃の頭に当たるや否や、神様の胸の愛とピタッと接触することのできるところで、そこに合わせていけばどうなるでしょうか? 皆さんはミスをすることができますか?(「できません。」) それで、世界という、宇宙というターゲットを中心として、それを標準として、そこに皆立ち並んで合わせておけば、そこには何の基準もなく、ただ入っていくのです。ただ教えてあげさえすれば、合うようになっています。つまり、世界を越えて霊界は自然に行幸(ぎょうこう)することができるのです。これを越えてゆく時、何か杖をついたり、撃ったりするのではなく、ただ越えてゆける境界線の所まで行こうとするのが世界を射る目的なのです。 霊界は愛の空気でできているので、このように腹這(はらば)いになったとしても、全部神様の心に通ずることができます。どのように撃ったとしても、寝ていて投げさえすればそのまま狙いに当たるようになっているのです。 ところが、人間が堕落して今まで行く道がなかったので、真の父母が来られて、家庭的ターゲットに合わせることができ、氏族・民族・国家・世界・天宙にターゲットを合わせることのできるそのようなモデルを作りました。誰もが撃つことができるよう教えるために、これまで統一教会を前に立てて、銃の展示販売をするのです。それは、誰もが買うことはできないのです。事実がそうだとすれば、気分がどうですか? では、それを製作して売ってあげればいいでしょうか? 売らない方がいいでしょうか?(「売ってあげた方がいいです。」)その商売をなすことが、私たちが伝道することなのです。それは、神様が願っておられるからです。 そうしたら、そのパターンはどこで撃つかというと、皆自分たちの家で撃てばいいのです。世界が全部基盤を整えておけば、国家基盤も整えられ、民族基盤、氏族基盤、家庭基盤、個人基盤すべてが整えられていきます。家庭のターゲット、氏族のターゲット等、皆が合うようになっています。このセンターに立って一つ一つの的を撃ちさえすれば、みんなピタピタと当たるのです。それはどれほど嬉しいことでしょうか。撃ってみると天下のすべてのターゲットの看板が一度に当たるのです。本然の、そのような場を作るために、神様はこれまで御苦労してこられました。そして先生は、そのような場を作るために、このような仕事を続けてきているのです。それで、皆さんが先生に付いていかなければならないし、先生に見習わなければならないのです。 これは男で、これは女です。この男と女が寝台(ベッド)です。天と地を舞台にし、世界を舞台にして、そして国の頂上において、民族の上に、自分の家の一番頂上に横たわっているのです。宇宙が二つ合って、男性と女性の愛を通して一つになるための儀式をしているのです。何の話か分かりますか? この愛だけを取り出して、他の一切を皆投げ捨てて、ポケットの中に入れて歩けば、宇宙がそのポケットの後に付いて歩きます。ここにおいて、「真実の愛」のシグナルだけ送れば、宇宙がついて歩くようになるというのです。そのようにして生きている男性と女性は不幸でしょう? どのように不幸でしょうか。(「いいえ。」)では、「How wonderful true love is!」ですか?(先生笑われる。) 天宙的カナン復帰 この峠さえ越えれば、つまり、アメリカさえ越えれば、共産圏も倒れていくのです。もう、共産党も崩れ始めているのです。中国が今、どのようになっていますか? 中国がそのようになったということは、それ以下の世界のすべての中進国家は、完全に中国の後を付いていくということなのです。そうすると、ソビエトのすべての衛星国家は、全部崩れてしまうでしょう。 これから統一教会の時代が来ると思わなければなりません。私は、旧世界は嫌いです。私は新世界が好きです。(皆歓声と拍手)この「ダンベリー」というのは、韓国語で、“☆☆(塀の壁)”と言うことと通じます。ですから、この門だけを開く日には、この場が自由の出発点となるのです。まっしぐらに太陽に向かって、人工衛星に乗って、――そこにおいては、ショットガンではなく人工ミサイルなのです。そこで撃ちさえすれば無限なのです。これを越えさえすれば、無重力で飛んでいくでしょう。そのように思って先生も準備しますから、皆さんも、皆さんなりにこの世で早く準備してこの境界線まで早くなして、勝利しましょう。 かつて、イスラエル民族は国家的カナン復帰を願っていました。一方、私たち統一教会の群れは、イスラエル民族と同様、天宙のカナン福地を目指して行くのです。エジプトのような天地において、誰に通告しなければならないのでしょうか。イスラエルを相続することのできる群れ、それはキリスト教です。第二イスラエル圏のこのキリスト教全部に通告しなければならないのに、それができないので、牧師たちに通告するのです。牧師たちの前には、一万名でも、千名でも通告することができるので、私たちはかまわず越えていくことができるのです。牧師が約三十万位知るようになれば、エジプトにいる第二イスラエル民族は皆知るようになります。皆知るようになって、付いて行くようにならなければ、私たちは出て行くことができないのです。各教会の牧師一人に五百名ないし、六百名の人たちが繋がっているので、統一教会のメンバーが平均的に百二十名ずつ牧師に話しておけば、アメリカ全体に、エジプトにいるイスラエル民族全体に通告する使命が完了するようになります。そうしたら、皆さんと先生が出会って、間違いなく宇宙のカナン福地に入っていくのです。分かりますか?(「はい。」) だから、このたび通告を間違いなくやらなければなりません。そして、天と地を愛する心、国を愛し、民族を愛する心、氏族を愛する心、神を愛する心でもってすべてに通告しなさい。それでここにおいて真空状態、最高の犠牲、最高の精誠を通じた涙を流しながら、私たちはこの使命のために、アメリカ全域で活動しましょう。 今あまりにも重要な時ですから、ダンベリーにいる先生が来ることのできない立場から出て来て、皆様に通告することを知らなければならないのです。悪口を言われてもかまいません。カナン福地に入るかどうかが問題なのです。この民族を救うことが重要な課題なのです。 今度は私のために法を定めたのです。それは神様が私のためになさる役事です。このような期間にいるすべての人たちが恵沢を受けられるような法を作って出てきました。どれほど重要な時なのか分かりますか? 皆さんは自由の出発点において撃つことができるという驚くべき事実を知らなければなりません。 この原点に立って撃つことができるという驚くべき立場において、目的に向かって愛のトーチ(松明・たいまつ)を持って、カナンの福地に行ける立場にあることだけは間違いないことです。これまで時間を費やしてきたのは、皆さんがこれを持って出るためです。では煙が出るトーチを持って行きますか? それとも何も匂いがしないトーチを持って行きますか? それは、どれほど犠牲を払うかという問題によって決まるのです。純然たる愛においては、雑なる物は燃えることができませんが、雑なる物、ボロのような物が燃える時は、煙がたくさん出るのです。煙が出て、それが見えなくても、また匂いがしたとしても、それを持って行かなくてはなりません。(皆笑う)そして、そのトーチを牧師に手渡しておくのです。そこから火を燃やすと、これがカナンの福地です。エデン復帰なのであります。 神が統一教会を愛するとしたならば、「このアメリカ国民すべてに通告しなさい。」と言った方がいいでしょうか?「牧師だけに通告しなさい。」という使命を与えた方がいいでしょうか?一言だけ、更につけ加えておきます。「だから、牧師たちはこの話を皆に伝えておかなければなりません。」という結論をつけておきます。そういう観点から理解してくれる牧師を百二十名作っておかなければなりません。全アメリカに通告致します。 これさえ終われば、先生がダンベリーから戻って来る時、イエス様が十字架で亡くなられる時、「すべてが成就した。」と言われたごとくに、先生も、「すべてを成就した。」と言ってカナンの地へと入っていくでしょう。アーメン。アーメン。(皆笑う。) それが早く終われば終わるほど、私は早く出てくるでしょう。それが終わるまでは、神様も、レバレンド・ムーンもいくら忙しくても待つでしょう。ですから、私は監獄から出て行くことを願うよりも、それがいつ成るかを待っているのです。先生がダンベリーに行った唯一の目的は、このことのためでした。 イエス様当時においては、国と民族と氏族、自分の家族、そして自分の体、自分の弟子たちすべてを失ってしまいましたが、先生は、それに対して、すべてを取り戻したというのです。教会も取り戻したし、統一教会も取り戻したし、民主世界も取り戻したし、自分の家庭も取り戻したし、弟子たちすべてを取り戻して、その本然の国へと行幸するのです。だから、これをやるべきか、やらなくても良いか?(「やります。」)はっきりと分かりましたね。 私たちはこのことのために、今一度決意しなければなりません。立ってください。私はしばらくお祈りをします。皆さん、このことを約束する人は両手を挙げてください。 どのような内容で祈祷するかといえば、天と地と、この時間においてすべて指示する全霊界と、全肉界と、存在するすべての世界がこの言葉に共に賛同して、この両手を挙げたことを誓いとして受け入れて、全体が協力し、協助して一つの目的を達成していくために総動員されることを願うお祈りを致します。それで、全体を代身した愛のトーチを持って前進いたしましょう。アーメン。 祈祷 「愛するお父様。神様を中心とした全霊界はこの場を注目していることを知っております。地上におるすべての万象も、この場を注目していることを知っております。しかし、人間だけは、この地上に生きている人間だけは、混乱の中に浸されてさ迷っているのです。今やカナン福地に向けて、宇宙史的な勝利の一点へ向かって、越えなければならない時点が訪ねて来たことを知って、きょう再び戻って行かなければならないこの場所において、モーセがシナイ山に登って行くのと同じような立場において、イスラエル民族が団結して、神の喜ばしい便りの時を迎えることができるよう準備するようにすることを通告する厳粛な通告の時間となりました。既成教会全体に通告する時間的余裕がない関係で、キリスト教界を指導する、カイン的な立場に立っている第二イスラエル・牧者たちの前に通告すべき使命を受けて一二〇名にこれを通告して、彼らの口を通して、『自分の責任を果たします。』と言うことのできる、その言葉を聞くことのできる活動に向かって、各自が方向を求め、前進致しますので、これらすべての動きの上にお父様の勝利と、愛が久しくともにあらんことを。真の父母様が立てられたすべての伝統の基盤を相続するこの時間となって、必ずや勝利する群れとなることができるように、力と能力と熱意を更に増し加えてくださることを懇切にお願い申し上げます。これからまた行って、再び会えるその日が遠からず訪れることを願うことが、彼らの心であることを知っておりますから、あなたが霊界のすべての先祖たちを動員して、緻密に一人一人もれることなく活動を展開する出発の日として、策定してくださることをお願い申し上げます。すべてを受け入れてくださることを考えながら、真の父母の名で以って通告致しました。アーメン。アーメン。アーメン。」 解放前の状況 私がこれからしばらくの間話すことを通して、皆さんは統一教会の歴史をよく知らなければなりません。統一教会の歴史というのは、韓国の解放以後から始まったのではなく、既に解放以前から始まっていたのです。第二次大戦以前から始まっていました。その当時、日本統治時代の末期におけるキリスト教の事情がどうであり、どのような現象が起きていたかを知らなければなりません。熱心な教会の責任者たちは皆監獄に投獄されていた時で、彼らの多くは神社参拝を強要されて、獄中に入れられたり、殺されたりしていたのです。 そのような状況下において、一九四五年までには、韓国のすべての教域者:教職者、牧師)たちが、日本の国策によって、全部犠牲になるようになっていたのです。そういう環境の中で先生はどんな仕事をしていたのでしょう。韓国のキリスト教会において、終わりの日にはそのような状況が近づくと同時に、最後には解放が訪れるということを、霊界を通して全部知らされていました。そのため、山野に散らばって、隠れてお祈りをする群れがたくさんありました。 ところで、監獄に入っていた牧師たちは、解放後の使命や、キリスト教の将来の展望については知らなかったのです。しかし、先生はそれに対する展望をもっていました。キリスト教を一つにしなければならないということを、原理の内容により全部知っていたのです。 その当時は、キリスト教を熱心に信じている者たちにとって、死の道を行くか、それとも解放されて、世界的な歓喜を迎えることのできる新しい時代へと越えて行くか、その岐路の時代でありました。そのことを皆さんは知らなければなりません。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」の聖句通り、最後まで自らの命を覚悟して耐える者は、その時を迎えれば救われるのです。その時というのは、新しい時代が展開する時を意味します。つまり、韓国は絶対に亡びないで、数カ月後には解放されるということを、霊界に通ずる人々は皆知らされていました。ゲリラのように山や谷を越えて、村々を訪ねて何里も歩きながら、多くの神霊的な集団の人たちが交流していたのです。その神霊的なグループを連結させて、これからの新しい教会としての基盤を造り、解放直後には(その土台の上に)キリスト教を連合して新しい世界へと前進することのできるその夢をもった唯一人の者がいるとすれば、それがレバレンド・ムーンだったのです。 それで、そういう神霊的な集団には、メシヤを迎えるための準備をさせられていたグループが多かったのです。その中には、旧約時代を代表する男性集団があり、新約時代を代表する男性集団があり、また、旧約時代を代表する女性の集団があり、新約時代を代表する女性の集団がありました。そのように、(蕩減を果たしていくための)代表がなければならないというのです。先生は霊界をすべて見ることを通して、(今後韓国において)どのように摂理が展開されるかということをすべて知っていました。そして、驚くべきことが起こるのであります。 イエスの十字架の摂理において、十字架を良く越えた場合は光明の世界があり、良く担えないことによって越えられなければ闇の世界があるように、キリスト教が今回の十字架を背負って、信仰をもって神の為に死ぬことができれば、救いの道が開け、反対にこの峠を越えられなければ、失敗の道が待っていた訳です。そのような環境線上にあったのが、国家と世界を連結させるキリスト教を中心としてみた場合の、韓国の実情だったのです。それがどういうことかというと、イエス様が十字架で亡くなったと同じような状況が、世界的な舞台を中心として、縮小された表示体として存在していたのでありました。 ここにおいて、先生を中心としてみると、獄中に入っていたクリスチャンたちはアベルであり、投獄されていないクリスチャンたちはカインなのであります。この人たちは、内的には屈伏してはならないと思っているけれども、外的には頭を下げて権力と妥協しているカイン型クリスチャンでした。そして、特別の霊的啓示を受けている、天使長のような騒がしい神霊集団の群れがありました。彼らは何の原理ももっていませんでしたが、ただ霊界にだけ従っていました。これらすべては霊的現象なのです。 復帰の出発点 では、堕落は誰が先にしたかといえば、霊的天使長が先になしたのであって、これらカイン・アベルは知りませんでした。したがって、獄中・獄外のクリスチャンたちはいずれも再臨主が来たらどう対応するかということを知らなかったのです。神霊集団においては、再臨主を迎えるためにどのように準備すればいいかということを示して、(神は)全部準備させたのです。この形態からみれば、これが神様の管理圏に入った立場からこのようなことが起こるのです。キリスト教文化圏と神側でなければならないのです。ところが、サタンは、これまで(図Ⅲ)侵犯するのです。監獄までも全部侵入するのです。このように見て、ここが堕落した世界であるとすれば、これは堕落しなかった天使世界と同じです。つまり(堕落しなかった天使世界が)実体をもったキリスト教と一つになったのと同じです。 更に、ここにおいてもカインとアベルの型があります。(黒板を使いながら説明)これが堕落した圏内ですから、それで旧約時代の復帰団体と新約時代の復帰団体に分かれます。では、どちらがアベルかといえば、新約時代がアベルで、旧約時代がカインなのです。先生は復帰の使命をもって、これらをすべて収拾して行かなければなりませんでした。ではどこから出発しなければならないのでしょうか。監獄の中ではできなかったのです。先生がアベルとなり、これをカインとして出発したのです。(黒板を使いながら説明)これが解放される直前の状況でした。 復帰において明白なことは、男性のみでも成し得ず、女性のみでも成らないということです。主体と対象が必要です。だから、旧約時代のエデン復帰を担当する男性のグループがあると同時に、女性のグループが相対的に存在していました。また同様に、新約時代のエデン復帰を担当するグループも男性のグループと女性のグループとに分かれます。この四つの要素が一体化することによって回って行くのです。 では、先生はこのような環境の中において、どこからスタートをしなければならないのでしょうか? 原理を知っているあなたたち、どこからスタートしたらよいと思いますか? 男性・女性、そしてカイン・アベル、これをどのように組み合わせて行くべきでしょうか? 男性型のカイン・女性型のアベルでしょうか? 主は男性として来られますか? 女性として来られますか?(「男です。」)その「男」という方はイエスの立場であり、では洗礼ヨハネの集団はどのグループに相当しますか? 先生は男の立場です。では先生はこの神霊集団の中のカイン(旧約のエデン復帰グループ)から始めなければならないのか? それともアベル(新約のエデン復帰グループ)から連結して行かなければならないのでしょうか? どちらからですか? 先生自身がアベルの位置に立つのであれば、原理観からして、アベルはカインと一つにならなければ行く道がないということを明確に知らなければなりません。それで、このような集団を訪ねて行って、洗礼ヨハネから祝福を受けたと同じように、そのような祝福を受けなければ出発することができないのです。摂理的にこのようなグループを訪ねて行って、出会って、祝福を受けなければなりませんでした。 祝福というのは何の祝福かといえば、ソロモンの王権です。世界の基盤を相続することのできる祝福の基盤がなくては、地上天国、愛の理想世界を訪ねて行くことはできないのです。 ソロモンは何の王ですか?(「知恵の王です。」)では、イエスは何の王ですか?(「愛の王です。」)知恵はこの世界、つまり、外的なものを象徴し、愛は内的なものを象徴します。これらは相対的な関係であるから、ソロモンの王としての地上における祝福を、この世界へと連結することのできる、そのような基盤の上にしか愛は行くことができないのです。その基盤がなければ、愛の王権を立てることができません。 先生は原理を知っている立場において、洗礼ヨハネの立場の人が祝福を与えてから後に、ややもすると反対し、離れていくことがあり得るという事実をよく知っていたのです。それで、(事実、)その祝福を受けるために、そのグループを訪ねて行って、祝福を受けるや否や、神様は、「このカインに付いて行かないで、ここにいる先生に付いて行け。」と命令されたのです。そうすると、愛する弟子たちは皆先生に付いて行こうとするから、洗礼ヨハネの立場の人物はそれを防止しようとする現象が起こったのです。分かりますか? もし、ここにおいて、これが一つになるようになれば、このカイン・アベルは自然に一つになります。(そうすれば)自分たちが内的に成そうとすることが皆同じになってくるのです。そして、その頃みんな自然に通じ合っていたのです。そして全部がメシヤが人間として来られることを知っており、皆が迎えることができると思っていたので、皆が「解放、解放!」と唱えられたのです。 カイン・アベルの基台 それで、メシヤが来られて、ここで侍りさえすればカインとアベルが一つになることができたのです。十字架上のイエス様を例にとってみても、イエス様が親の立場であり、右側の強盗がアベルの立場、左側の強盗がカインの立場で双方が子供の立場です。この双方が戦うことによって、世界に右翼と左翼ができたのですから、双方が戦わないことを通して、互いに通じ合うことができるようになるのです。ここから、カイン・アベルの一体化が始まるのです。カイン・アベルを一つにしなければならなかったのです。 このように(カイン・アベルが一つに)なれば、先生はここに行っていながら、ここにすべての人々を送って通告をするのです。(図を指しながら説明)では、誰がリーダーかと言えば、洗礼ヨハネがリーダーです。 先生と洗礼ヨハネの立場の人物が一つになれば、男性側が全部統一されて、旧約時代・新約時代・成約時代の道がすべて連結されるのです。そうしたならば、今までの縦的な歴史を横的に立てて、完全に蕩減復帰勝利の基盤が立ったと見るのです。分かりますか? 原理的に分かるでしょう。縦的な宗教の歴史を横的に蕩減復帰した勝利の基盤の上に、覇権と王権をたてることのできる基準が生ずるのです。 この世界はサタン世界であります。日本が支配していました。またここは内的な神側の世界であります。(黒板を使いながら説明)それで、これを蕩減しなければならないのです。その時、これが一つになっていたならば、すべてが一つとなるのです。そうすれば、神様が歴史を通して捜し求めていたアダムの完成となるのです。次に宗教圏がアベルで、国家圏がカインです。しかし、アダム・エバが一体化してアダム完成したところにはカインはないでしょう。だから、こちらが内的でこれが外的になるのです。それを全部準備していたのです。 だから彼らも、メシヤが解放の後に来られるということを知っていましたし、女性たちはメシヤが解放後に来られれば共に生活しようと思って、準備をしていたのです。地上生活ができる準備をすべてしていたのです。一歳から死ぬ時までのものを、着物から靴から必要なすべてを準備したのです。それで、地上世界において、サタン側であるカイン圏と、神側の天使長圏のアベルが、アダムを中心として全部一つになる基盤が形成されておれば、アダムとエバの復帰の条件がすべて整うのであり、神側はこれを取ることができたのです。そして、摂理の第一段階が成就され、更に具体的な摂理が後に続くことが可能だったのです。 第二次世界大戦が終る前、神側の米・英・仏とサタン側の日・独・伊が国家圏として対立していました。このような中において、解放以前に先生は、このような御旨をいだいて、これを連絡・結成する運動をしていたのです。これは先生が初めて証することなのです。 それで先生は神霊的女性グループも訪ねて行ったのです。そこで、私に対して「文先生は神学校も出ていないし、宗教の研究もしていないのに、急に現われて、霊界の秘密を明らかにしているし、自分たちがどのようになっているかということを、啓示を受けて全部解明してくれる。すごい。」と言うのです。 このような立場において、これが円満に連絡されて、これが一つとなって、この集団を通して、先生が祝福を完成すれば、御旨が全部成就されるのです。(図を指しながら説明)先生がもし、このような立場に立ってこれを連結させなかったという時は、相対を見つけることができないのです。何の話か分かりますか? では、どうするのか? あのように基盤を作っておいたのをすべて崩してしまうか、全部放棄するか? これを放棄するようになれば、これも放棄しなければなりません。(図を使いながら説明)ここにおいて、問題が起きてくるのであります。それでは、ここで条件をかけようとすれば、行く道は世界と連結しなければなりません。キリスト教世界と連結しようと思えば、キリスト教世界と連結できなかったのです。条件的な霊的基準において、これを受け継ぐことのできる出発的な基準はここでしたが、世界的な基盤はここにおいてめちゃくちゃに分かれてしまったのです。世界的な境界線となっていて、こちらは別の世界なのであります。地下に入っていて、公開的ではありませんでした。 神様はどのように考えているかといえば、二つが一つになる道だけに連絡されれば、これをなすことができたのです。そうなれば、世界のキリスト教文化圏が、一度に世界に入って来るので、監獄に行った人々は全部解放されて出て来ることができたのでした。獄中にいた人たちが出て来て、戸が開くならば、こちらがアベルであるために、これがアベル圏を作って、これは自動的に連結できる準備が出来ていたのであります。そして、自動的に一つになるようになっていたのでした。そうすればこの圏内にはカインはなくなってしまうのです。そうすれば、即刻に世界のキリスト教文化圏に連結されるのです。何が連結されるかといえば、氏族が連結され、民族が連結され、国家が連結され、世界が連結されるのです。 そういう場においてキリスト教文化圏が解放されれば、アダム国家を捜し、エバ国家を捜し、天使長国家を捜してこれらを中心として収拾しなければなりません。アダムを代表した国家がアメリカとなり、エバ国家が英国となり、フランスが天使長国家となるのです。これらの国家が韓国を包含したアメリカと一つになることにより、世界の舞台の上において天使長圏のすべてを蕩減して行くのです。一度に世界的に成すのです。そうすればサタンの勢力が存在することはありませんでした。その時が、キリスト教がアメリカを中心として、歴史上において初めて、完全に世界的基台をつくる、そういう時だったのです。それが解放直後なのです。 解放直後の状況 一九四五年、解放のその日には、アメリカを中心として全世界を収拾することができるようになるのです。世界が連結することができるのです。そうであったならば、韓国が南北に分かれたでしょうか。民主主義世界と共産主義世界に分かれることもなかったはずです。そして、今日、自由世界は共産主義によって分裂させられることもなかったのです。分かりますか? 世界を神の圏内に治めることのできる期限がこの三年、一九四八年までの間だったのです。 もし、解放前にこのような基盤ができていたならば、獄中に入っていたすべての再建派は、先生と一体化したその基盤の上でそのままスタートすることができたのです。そのようになれば、既成教会全体に知られるようになって、連合軍(米・英・仏)を迎え入れることのできる基盤となったのでした。それは間違いのないことです。韓国の既成教会はこれしか道がありません。第二次大戦が終り、連合軍が入って来る時、誰が迎えることができるかと言えば、投獄された牧師・聖職者たちが連合軍を迎えるようになるのです。国連軍もここに歓迎されたでしょう。そうなれば、韓国は南北に分かれることなく、神霊的なこれらの人たちは連合軍を中心として、サタンが侵入することのできる余地がなかったはずです。 しかし、こうした状況がすべて壊れてしまったので、仕方なく、先生は残された基盤のなかから、わずかな条件を探し出して、それを立てて取り戻していこうとしたのです。このままでは、これらの集団が全部なくなってしまうので、先生は一人孤独な立場において、そこに多くの人々を送って、三回以上通告しました。「受け入れない場合は、あなたたちの国家と世界は破壊されて、今まであなたたちの立てた功績は天が収めてしまうだろう。」と通告したのです。そうしてすべてのことを成して、それを全部収めることができる基盤をすべて整えておいた上で、“解放”を願って待ったのです。 しかしもし、ここで成就できなかった場合には、ここでできる基盤を連結させようと考え、ある神霊集団を中心として成そうとしました。ここにおいて、アダムの立場にある先生は、旧約完成、新約完成を成して成約の出発を成し、次には旧約のエバ、新約のエバ、成約のエバが出発することのできる基盤の条件を立てるために、結婚が行なわれたのです。だから、ここにどれほど危険な負担をもって出発しなければならなかったか、ということを知らなければなりません。もし、この花嫁が先生を裏切れば、どうすればよいのでしょうか? では、その女性はどこを代表した人かといえば、この神霊集団の女性を代表した人なのです。その集団の責任者が最も愛した人を取り出したのです。その女性は獄中生活もし、あらゆる面で女性の代表者として蕩減を受けた方なのです。しかし、エバが知らないうちに堕落したのと同じように、自分の夫を通して復帰されていく事実を全然知らなかったのです。神の御旨を知らないのです。霊界との神霊的な接触はたびたびするのですが、これからメシヤがどのようになり、神様の天国がどのようになるかといったことに対して、その女性は知らなかったのです。分かりますか? だから、これからは女性はアダムの前に、夫の前に絶対服従しなければならないというのです。 このようにして、(韓国は)アメリカと連結することによって解放されたのです。では、このグループの人たちはどこに行ったのでしょう。(図をもって説明)彼らは、神霊集団の背景を中心として、自分たちのグループ、グループにみんな分立していき、連結すべき責任を果たすことができませんでした。これを合わせて連合軍が韓国に来た時、アベルの立場の集団がすべて散り散りばらばらになることによって、カインの立場の集団が登場して、連合軍を迎え入れたのです。ですから、カインの圏内は非常に大きくなり、アベルの圏はほんの一部となりました。そして、連合軍と一つになって統一教会に反対する群れはサタン側になったのです。 ここから、統一教会への迫害が始まり、反対が始まるのです。そこにサタンが付いて歩きながら反対するようになっていったのです。一九四八年までの三年間にその基盤を造ることができず、その女性自身も、先生と百パーセント一つになって、信じ、従って来ればよかったのですが、先生に反対する側に付いて行ったのでした。牢獄から解放されて出てきた牧師たちも、そちらの方に付いて行きました。そして、彼らは「再び来られる再臨主は、雲に乗って来るのであって、人の子として来るのではない。」と主張したのです。 一体、なぜそのようになったのでしょうか?監獄に入っていた牧師たちはすべて、再臨主が人として、肉体をもって来られるということは知らなかったのです。神霊集団の、責任を持っている数人しか、そのことを知らなかったので、これらの獄中のクリスチャンたちが監獄から出て来た時、みんな、「主は雲に乗って来られる。」と言ったため、神霊集団の人々も、みんなそこに引き込まれてしまったのです。彼らも、「解放後に主が来られる。」という啓示を受けていたのは事実でしたが、皆そのような過去に持っていた信仰観念を維持していくことができなかったのです。 だからといって、先生はその女性には復帰歴史のすべてを教えてあげることができなかったのです。すべてを教えてあげればそれを信じたでしょう。しかし、そうすることがまだ許されていない時代だったのです。ですから、彼女はただ先生の言うことを聞き、一体化しさえすれば、後々にはその真理を教えることができたはずでした。 しかしながら、(彼女は)彼女の母親や、獄中から出てきた牧師たちと共に、先生を異端視するようになったのです。それ以降、霊界から啓示を受けていた神霊集団の人たちは、全部先生の行く道を塞ぐ運動をするようになりました。それで、統一教会の先生の家庭はキリスト教によってめちゃくちゃになり、神霊的な路程の出発が破壊されてしまいました。ここから十四年間すべてが反対したので、レバレンド・ムーンは一人で、基盤を整えることができず、待ったのです。 監獄からの再出発 それで、解放後神霊集団をつくって、その霊的活動をするなかで、「エホバの夫人である。」と宣布する群れがいなければならず、また、そのような便りが北の方になければならないと思っていました。内的にはともかくとして、外的にでもそうしたアベル的集団がいなければならなかったのです。それで、「北韓にそのような信仰者の集団がある。」と言うので、先生は一九四六年に北韓に入りました。 そこで先生は、かつて「主がこのように来られる。」という啓示を受けていた神霊的な人々を集める運動を始めたのです。そのために、霊界ではとても忙しくなり、人々を送って先生のもとに集めようとする運動が始まったのです。それに対しどれほどの反対が起こったことでしょう。 その間、一九四八年九月九日に、北韓では共産党を中心とするサタンの主権が立てられたのです。そして、その年の八月十五日に韓国が樹立されました。このようにして、二つの政権が分立したので、それ以来世界は完全に二分するようになりました。それで、先生はサタン世界に行って再び条件を立てるのです。イエスは十字架で死んだ後に、失われたすべてを回復したのですが、先生は死ぬ前に監獄に行って、十二弟子を始め、すべてを取り戻して来なければなりません。だから、サタン世界に行って、そこから復帰歴史を成して行くのです。 このようにして、韓国の三十八度線を中心として北と南とに分かれることによって、共産世界と民主世界が分立されました。北韓においては、金日成がサタン側の再臨主の立場で“サタン側の父”として立ち、南においては、“神側の父”の形として来られるのです。そして、今までの基盤を再蕩減して、世界的な対立の中において収拾し、四十年期間を中心として、そのような環境を世界的に越えてゆく蕩減条件を立てなければ世界に行く道がないために、それを成してきたのが今までの統一教会の道であったのです。 それで、ここにおいて教会(創立)の条件として神の役事によって、復帰世界においても、外的な世界において、北韓の国の代表の中から神霊的、アベル的立場の人物を天が捜し出して、蕩減条件をなす人物として立て、各教派に連結させることによって、南の国家と連結することのできる出発が始まるのです。それが統一教会の歴史です。北韓においては、監獄に入れられて、南韓から再出発することのできる蕩減基準を満たすことによって、韓国における統一教会の新しい出発がなされたのです。 神の日を迎えるまで それで、解放後十四年になれば一九六〇年です。この十四年というのは先生において長成期完成級の基準でした。なぜ十四年後だったのでしょう。七年路程においての最初の七年は旧約時代に相当し、次の七年は新約時代に相当します。イエス様の新約時代に該当する長成期完成級を中心として、全国家と全体が反対する中で、失われたものを再蕩減して奪って来るのです。このようにしながら、各教派の神霊集団において蕩減条件を成す立場の人物を全部収拾して、条件だけ立てるのです。そして、統一教会において再度育てながら、新しい世界運勢圏へと基盤を形成して世界にまで行かなければなりません。こうして統一教会の世界的版図が成されるのです。 次に、二次にわたる七年路程において、韓国国家を代表して、イエス様が失った霊的・肉的基準を連結しなければならなかったのです。たたえ、その前日まで先生が監獄にいたとしてもいいのです。先生は、イエスの十二弟子の背信を蕩減復帰しなければなりませんでした。十二弟子が皆反対したそういう中において乗り越え、捜し出していくのです。そこにおいて、十二弟子を中心として、三十六家庭が編成されました。それによって、旧約時代、新約時代、成約時代の横的な条件が立ち、イエスが死なずして働くことのできる段階に入って行くのです。 それで、お母様を迎えて、初めて着陸の基盤が構築され、霊肉を中心とした国家に向かって前進が始まるのです。そうしながら、父母の日、子女の日、万物の日を形成し、神の日に向かって前進しつつ、祝福と連結させながら条件を成して来て、一九六八年に神の日を制定したのであります。ここから、(統一教会は)世界時代へと前進して行ったのです。 国家基盤から世界基盤へ そして一九七四年からは、一九六〇年プラス十四年ということで、国家基盤を中心として、霊肉実体を連結させて、世界的な時代へと越えていく、蘇生、長成の重要な時となるのです。当時、韓国におけるキリスト教は、霊的基盤しかなく、実体的な基盤はなかったのです。しかし、先生は韓国において蕩減条件を立てて、実体基盤を中心とした国家基準まで来るようにしたのです。そこで、ここに霊的世界基盤を連結しておかなければならないのです。キリスト教が反対したことによって、世界が反対したことになります。それで実体として、実際に実体基盤を韓国において造っておいたので、霊的基盤の世界基盤の中心地、アメリカにこれを連結させなければなりません。そのため、一九七四年を起点として、アメリカを中心に大復興会を催して、各キリスト教会において歓迎されるようになったのです。 霊的キリスト教が歓迎することによって、一九七一年十二月から一年間において全体の歓迎を受けたのです。レバレンド・ムーンが話す時は、千名以上集って来て、全体の歓迎を受けました。イエスがイスラエル民族の前に、国家的次元において失った肉的基盤を蕩減復帰するためには、このようにキリスト教の霊的世界的な基盤を、この韓国において形成された肉的国家基盤に接ぎ木することによって、世界的肉的基盤の形成に向かって出発しなければならなかったのです。これが原理なのです。 そうすることによって、韓国が国家的に、またキリスト教が反対することによって、世界的に引っかかっていたすべての内容を、アメリカにおいてことごとく歓迎されることによって解くと同時に、このアメリカの霊的世界基盤を韓国の実体基盤に接ぎ木することができるのです。 韓国は、七〇年代までに霊肉を中心とした国家基準まで蕩減復帰しました。その段階へと越えていったのです。そのために七〇年代を中心として、祝福家庭を全体動員して、国家全体へ向かって動員して、国家が反対するのにもかかわらず成したのです。これが三年路程の蕩減なのです。 このような基盤を整えたために、霊的基盤を中心として韓国は連結されたのですが、まだ、世界的な霊的基盤が整っていなかったのです。そこで、アメリカに来て歓迎を受けて、霊的基盤を連結させると同時に、国家基盤の上に実体的世界基盤を出発しなければならないのです。それはどういうことかといえば、国家的基盤における反対を世界的に蕩減復帰することなのです。そこで、一九七四年にアメリカで歓迎を受けることによって、ここから西欧社会の機動隊を中心として連結させて行くのです。 それで西欧社会に行って、ここで肉的蕩減条件を立てることのできる国家的次元に立って、世界に出ていくことのできる蕩減条件を立てなければなりません。一九七四年九月十八日、この時を中心として、先生がアメリカに来て、実体キリスト教文化圏である外的な政府を相手にして闘っていくようになるのです。 二千年前には、ユダヤ教とローマが一つとなって、イエス様を迫害して追い出してしまったのですが、現代においては、アメリカとイエス当時のユダヤ教の立場であるキリスト教が一つとなって、イエスの立場に立っている統一教会に反対したので、これを蕩減復帰しなければなりません。そこで、アメリカ政府とすべて連結されている韓国の政府と闘うようになったのです。 しかし、機動隊が行った時、韓国政府は私たちと一つとなって既成政会と闘いました。一九七五年六月七日、ヨイド広場における、世界的勝利の版図である六十二カ国と二百万の歓迎の群れを勝利の基盤として、アメリカに来て、実体世界基盤を蕩減復帰する路程を歩み始めたのであります。当時、キリスト教が反対したのですが、政府の後援の下で、完全に勝利の基盤を整えることができました。 そのようにして世界路程を出発して、ヤンキー大会とか、ワシントン大会を世界全体が反対する中で開いたのです。全体の反対をものともせずに、ワシントン大会による大勝利の段階へ入っていきました。その時が七六年です。 カナン福地に行く準備のための闘い 一九四五年から三年間摂理が延長されて、一九四八年に韓国政府が樹立されたので、一九八八年まで、この四十年間に三年を加えた四十三年間の期間において、すべてを蕩減しなければなりません。一九八八年までに、すべて決定づけなければならない闘いをしているのです。それで、解放後の四十三年間において神の国を捜し、国民を捜し、神の主権を捜さなければなりません。それに命を懸けて成していくのです。一九八五年は、国民に、カナン福地を目指して前進して行かなければならないことを通告する運動を始める年なのです。カナンの地に出ていかなければなりません。 一九八三年から三年間を中心として、カナン福地に行くための準備のためのこの闘いが、統一教会におけるすべての中心となるのです。アベルのすべての中心となるのです。イスラエル民族がカナン福地に向かう時に、エジプトにおいて出動命令を聞いて、皆が出て行きましたが、私たちの力では全体に通告することはできないので、既成教会の責任者たちと私たちとを連結していかなければなりません。 これを連結させるために、興進様が蕩減路程として昇和され、先生が蕩減を払いながら監獄の中で歩んでいるのです。既成教会と統一教会というカイン・アベルが、一つにならなければならないのに一体化できなかったので、これを蕩減復帰し、カイン・アベルを一つにしていくためには蕩減条件を立てなければなりません。そのために興進様の犠牲と、先生の投獄の路程が始まるのです。そうすることによって、キリスト教と一つになるのです。そうなれば宗教迫害ということはあり得ません。ばらばらになっているので、最後の日に、反対するものを解いてあげて、統一教会と一つになった群れとなって越えていくのです。数多くの宗派を立てて、復帰歴史をなしてきましたが、そのすべてが失敗したのを、先生一代において、統一教会を中心として蕩減復帰して、世界的に、名実共に蕩減歴史がこのように成されていったという事実を皆さんは聞いているでしょう。それらの結着をつけることのできる時を迎えたということは、どれほど摂理史的に意義があるかを皆さんは知らなければなりません。 今、先生が監獄の中において、行なっていることは何かといえば、宗教の連合をなしながら、これからのアメリカが一つの理想の道へと行くことのできる準備をしているのです。それにはカインとアベルが一つにならなければなりません。統一教会とキリスト教が一つになることによって、アメリカから世界の行く道が決まるのです。カインとアベルが一つにならなければ、次の次元へ越えていくことができません。だからこの期間がどういう期間かといえば、統一教会と既成教会のカイン・アベルを一つにするための条件を立てて越えていく期間なのです。これさえ越えていけば、神の国を捜すことのできる段階へと入っていくのです。 一九八八年になれば、キリスト教が一つとなって指名する国家的指導者が誕生し、その時にはカイン・アベルが一つとなって、世界の民主主義の問題を処理する時代へと越えていくのです。終りは告げられるのです。つまり、キリスト教がアベルとなり、政府全体がカインとなりますが、これが一つになるから、共産世界は存在できなくなります。共産世界は崩れてしまうのです。だから摂理史的に見るとき、今が最後の時である、ということを知らなければなりません。分かりますか。(「はい。」) それで先生は、この道を、愛を中心として犠牲になりながら行くのです。犠牲と愛、怨讐を愛し、怨讐のために犠牲になる精神で行くのです。日本人と韓国人が怨讐であり、日本人とアメリカ人が怨讐であり、アメリカ人とドイツ人、これらの怨讐が一つとなって、ここにおいて神の国の伝統の基盤を、愛の伝統を築かなければ、神の国は出発することができないということを知らなければなりません。そのために出発するこの国に対して、サタン世界が讒訴することも闘うこともできないのです。それはなぜかといえば、怨讐同士が一つになったからです。サタンというのは怨讐を作るのですが、ここにおいて怨讐をなくしていくのです。これが異なるのです。分かりますか(「はい。」)ここにおいて神の国の伝統を作っておけば、それで終わりなのです。これからは世界的レベルで、そのような基盤を整えなければ、理想天国理念が出動できないという事実を知らなければなりません。 これらの怨讐同士が集まって、アメリカを救ってあげるというのです。アメリカを救おうとしている私を牢屋に入れてしまったので、私が出獄する時、世界が歓迎する日には、神の国の出動が始まるのです。私が出獄しない間は、世界はまだそのままです。 統一教会は跳び上がっていくのです。キリスト教と一つになるその日が来れば、自動的に先生は出獄するでしょう。キリスト教のすべての牧師たちに通告することが延長すればするほど、先生は出て来ることができません。そのように思って、歴史的にこのように重要な時期に来ているので、皆さんの前に通告する重要な時間であることを知って、はっきり理解していただきたいのです。私たちはそれを成していきましょう。(「はい。」)では元気で。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.09
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「祖国創建と神の日」1985年1月1日神の日(第十八回) 午前九時ワールド ミッションセンターにて 今朝のメッセージのテーマは『祖国創建と神の日』です。皆さんが知っているように、きょうは正月でもあり、第十八回目の神の日でもあります。 皆さんは原理で学んだことと思いますが、人間の始祖が堕落しなかったならば、その時から『神の日』が始まって、『父母の日』『子女の日』『万物の日』という順番になっていたはずであります。しかし人間始祖が堕落したことによって、反対の復帰路程を経てきたのです。もしその時に、神の日や父母の日が始まっていたならば、アダムとエバの家庭自体が神の日の中心となり、その家庭が一つの氏族の中心であり、国の中心であり、世界の中心であり、天と地の中心であったということを皆さんは知らなければなりません。アダム家庭は天と地の上に立てられた家庭であり、一つの世界の上に立てられた家庭であり、理想的な家庭なので、アダムとエバが二人して歩くということは、全世界が従って歩くことであります。ではアダムとエバが歩く時、神様はどうでしょう。神様は、アダムとエバに「散歩に行くのか」と言うのでしょうか、どうでしょうか? 神様もアダムとエバと共に歩かれるのです。 皆さん、空気は見ることができませんが、すき間があればどこにでも入り込めるのです。空気は見えないからないのではありません。空気は有るのです。分析すると、あらゆる元素が入っているのです。しかし神は空気よりも、もっと見えないのです。そうでありながら空気以上に通じることができるのです。すき間があれば、すべてを満たすのです。このような力をもっていると思うのです。あなたたちが顕微鏡で見れば、細胞には穴がいっぱい空いています。たくさんの空間があるのです。細胞を何千万倍に拡大すれば宇宙のようになるでしょう。だから皆さんが歩く時には、全宇宙が歩いていると思わなければなりません。アダムとエバが歩く時、彼らが本当に一つとなって歩いているといえるのはいつでしょうか? それは、二人で歩きながら、「宇宙よ! 私を見なさい。一つとなって動いている。一つとなって歩いている」と言う時です。その時、宇宙の全部が注目するのであります。そして全宇宙は、「見てもよく、感じもよいので私について行きたい」と言うのです。被造物は彼らが一つとなって歩いているので何か幸せと喜びを感じます。彼らと共にあることが、宇宙の被造物にとってもうれしいのです。 ではいかなる時に二人が一つになることができるのでしょうか? (愛の力です)。そうです。しかし一つ抜けました。それは真の愛の力です。愛といったら、今日のアメリカの愛もあり、韓国の愛、日本の愛といろいろの種類があります。それは真ではありません。真の愛というのは、神様も“うんうん”と頷き、そして地獄にいる人たちも“うんうん”と頷き、すべての人々が頷くものです。何の力が二人を一つにすることができるかといえば、真の愛の力が一つにすることができるのです。「先生! それは間違っています」と言う人がいますか? (いいえ!)。目に、「あなたは何が一番好きですか」と聞いたら何と答えるでしょうか? 女性の目だったら、答えはダイヤモンドでしょう。しかしダイヤモンドがいくら素晴らしいといっても、真の愛より劣るのですね。直ちに百パーセント、右の目と左の目が一つになることができるのは真の愛しかないのです。また手がこのように離れていても、「手よ! 何が好きか」と問えば、「私はそれほど好きなものはありません」と答えるかもしれません。「では真の愛も嫌いか」と言えば、手は直ちに一つになります。(笑い) 目の焦点、手の焦点、鼻の焦点、耳の焦点、すべての思考の焦点、全宇宙の焦点がここにあるのです。全細胞が百パーセント動くことのできるのは、真の愛を中心とする時です。その時、全細胞の神経が百パーセント一つになるようになっているのです。 それで人間を見ると、心と体の二重になっています。考えも、高いもの低いものと二重になっています。しかし、どこかで一つとならなければなりません。神様はなぜアダムとエバが歩く時に、ついて歩かれるのでしょうか? 「神様いわく、私はお金が好きだ」。聖書にそのような話が書いてありますか? (いいえ)。(笑い) また、「知識が心要だ」「権力が必要だ」と書いてありますか? (いいえ)。神様にはすべてがあります。もしなければ、また作り出すし、いくら与えても永遠にあるのです。 皆さん、知識は何をするためにあるのですか? それは愛を誇るためです。では、力は何のためにあるのですか? それは愛を現すためです。お金があるのは、愛を分けるためです。そのため必要なのです。そして人の心と体は、愛の茅が出て一つとなれば、神がそこに臨在されます。では真の愛に聞いてみます。「真の愛様、あなたが神様を支配されますか。それとも神様の支配を受けますか」と。真の愛様が言うには、「神様も私の支配を受けるでしょう。ワッハハハ――」。(拍手と笑い) 既成教会の牧師が聞いたら、「何と神様を冒涜する言葉だろう、これはとても許されないことだ。異端だ!」と言うことでしょう。(笑い) しかし神様の観点から見たら、そのような牧師たちこそが愛の異端者です。ではレバレンド・ムーンは何でしょうか? 異端の反対は何ですか? 何と言いますか? 皆さん考えてみましょう。真実、本物です。だから先生は中心的な存在なのです。神様の観点から見れば、先生が主流です。(拍手と歓声) 真の愛に心が一つとなり体が一つとなって、真の愛の相対を訪ねて行く、その立場がどういうものであるか考えてみなさい。 あなたたちはパートナーが必要ですか? (はい)。事業をするにしてもパートナーが、話をするにしてもパートナーが、喧嘩をするにしてもパートナーが、すべてにパートナーが必要なのです。ところでその中でも最もよいパートナーは何かというと、真の愛のパートナーです。愛は段々段々と高く上っていきます。そしてまた、愛は低い段階にもあります。しかし最も理想的なパートナーとは、最も高い段階の愛と最も低い段階の愛です。これを一つにすることが最も理想です。一つとなって、愛をもって回ることが理想であります。(拍手と歓声) そうだとすれば、皆さん気持ちが良いですか、どうですか? 味が良いですか、悪いですか? (はい、良いです)。すべてが良いですか? (はい)。だから男は背が低く、女は背が高くなければなりませんね? (笑い) これはアメリカの女たちの考えです。(ノー)。(笑い) アメリカの女たちがレバレンド・ムーンを一番嫌うのは、女たちを対象の位置に置くからです。(笑い) だからアメリカの女たちが言うには、「神様が人間を創造した時に、神様は愛を中心として創ったので、先に女を創ることを考えて、女を創ったのである」と。(ノー)。先生は知りませんよ。(笑い) 背の高いアメリカの女たちが、更にハイヒールを履いて、そして身をかがめて小さな男にキスしている姿はあまりいいものではありませんね。理想的には小さな女が高いハイヒールを履いて、そして背伸びしながら背の高い男と抱き合う。これが理想的ですね。(はい)。(拍手) だから女性の皆さんが男性よりも背が高すぎる時は、愛の行動を示そうとするとちょっとおかしいわけです。女性は小さい方が可愛いのです。(笑い) アーメン。そうでしょう? (アーメン)。お正月にたくさん笑えば、一年十二カ月が良いという東洋の格言があるので、先生はこのような話をしているのです。 創造において、アダムとエバは宇宙を代表する小宇宙です。それに対して、宇宙を包み込む大宇宙があります。大宇宙の中には小宇宙も入っているのです。大宇宙の中心は神様です。だから小宇宙と大宇宙は同じような性質、神様と人間は同じような性質をもつべきです。そして一つになることができるのです。大宇宙と小宇宙は一重になっているのです。そこには神様と人間が一体となることができる中心があるはずです。それは何の柱でしょうか? (真の愛の柱です)。そうです。真の愛の柱しかありません。 こういう話をすれば、神様は「レバレンド・ムーン、どうしてそんな話をするのか。私の人格の冒涜だ」と、言われるでしょうか? (いいえ)。神様は不愉快な顔をしているでしょうか、それとも右の耳から左の耳まで口が張り裂けるように微笑んでおられるでしょうか? (はい、微笑んでいらっしゃいます)。口がどんどん横に広がっていけば、目は細くなってきます。(笑い) それで目をつむるようになります。(先生がしぐさで現す)(笑い) では、アダムがお出掛けになる時、後からついて来たエバは小さいので、アダムが歩くその影に入ります。それは何を意味するかというと、考える必要はないということです。従っていけばよいのです。男は考えながらゆっくり歩きますが、女は考えることをせずついて行かなければなりません。(笑い) きょうの話は聞いてみると、女を一番無視する話ですね。(問題ありません)。それは皆さんがムーニーの女だから問題がないのですよ。だから女は一つのことを知るべきです。つまり、二つを追うべきでなく、一つの目標に向かってただひた向きであるべきです。一つの方向とは何ですか? それは真の愛です。それが一番です。一番好きでなければなりません。それで万事がオーケーです。 だからアダムを追い求めるのは、義務であり喜びであり、使命なのです。どんなにひた向きになって求めてもいいのです。何のためですか? それは真の愛を成就するためです。では真の愛はどこから来ますか? それは相対から来るのです。自分から出てくるのではありません。愛は自分のものではありません。男も真の愛が必要なので、小さいながらも一生懸命についてくるエバを持ち上げて自分と同じ立場に置くのです。為に生きなければならないのです。相対から愛を見いだすのです。このような論理は神と人間との関係から見る時、神が創造主で人間は被造物ですが、神の愛は相対を通さなければ見いだすことができないのです。神様自身も相対を求めなければならないというこのような論理があるから、上下、左右、東西南北至る所においても、良いものとして結論づけられているのです。だからこれが理想の核心となることができるというのが理論的なのです。 神様はアダムとエバを愛のために創造されました。そして片方にアダムを、もう一方にエバを最も愛らしい存在として創られました。アダムが可愛らしいので抱き上げて歩き、エバも可愛いので抱き上げてどこへ行くのかといえば、地獄に連れて行くのですか? 神の国の宝座に連れて行くのですか? (天国です)。天国の宝座です。宝座に座っていたら、「アダム、エバよ、あちらのもっと下の方へ行け!」と追い出すでしょうか? (いいえ)。アダムは神様の右に、エバは左に座り、神様の周りを回るようになるでしょう。だからこのように立った時はアダムが後で、エバが前です。天地の調和がそうなっているのです。それでアダム・エバが成熟すれば、神様が臨まれます。神様を中心として二性性相を受けているので、一つとなり得る力は神様御自身の愛の力であり、アダムとエバを中心として神の男性性相が臨在して、一つとなるために女性性相をだんだん引っ張ってくることができるのです。 アダムが完全に成熟したら誰の手を握りたいと思うでしょうか。エバも成熟してみると、昔は兄さんだと思っていたアダムが、ちょっと違うのであります。アダムもエバも幼い時は、おもちゃを探しました。皆さんのこのごろのおもちゃはタンクとか、飛行機などですね。子供はそのようなおもちゃが好きだから、神様はおもちゃを創っておく必要があるんです。昆虫も神様が創っておいたおもちゃなのです。雄と雌がいて、(先生がしぐさされながら)雌を踏み付けようとすると、雌は雄の後ろに行って隠れるんです。(笑い) そこで、“ああ、困った時にはお互いで隠れたり、保護したりするようになっているのか”と学ぶのです。動物も同じです。鹿も猛獣に襲われた時に、相対同士拍車を合わせて飛ぶように走るのです。雄は前を、雌は後から、「どうか早く走ってください。私はついて行きますから……」と。それはどれほど素晴らしいことでしょう。また春になると、背を合わせて二匹が一緒に寝ようとしたり、角を合わせたりもします。じっと見るとき、それらのすべてから学ぶことができるのです。あら! 不思議だ、子を生んだ。(先生しぐさで……)乳を飲ませる。(笑い) 子供がお乳をホースに入れて奪っていっても喜んでいます。それはなぜでしょうか? 愛するからです。 このように、すべての自然に雷が鳴ったり、稲妻が走ったりするのも愛のためです。天地が愛をしている現象です。雷の音がどれほど大きくとも、神様と人間が愛する音というのは、その雷の音よりも大きいでしょう。宇宙のすべてが暗くなるのは、その後に明るくなることのできる動機となるためです。それはどれほど素晴らしいことでしょう。神様が愛する音は喜びに溢れています。鳩が愛し合う時、「グッグッグッ」と鳴きますが、もし神様の愛の音が聞こえたならば、一番大きな音でしょう。全神経細胞が一度に爆発して出る音は、どれほど大きいことでしょう。 皆さん、愛を教育するための宇宙の博物館があると考えてみましょう。そこにある、一つ一つの被造物はどれほど素晴らしいでしょうか? そのような愛の中に家庭が入って、永遠に生きたいと言うでしょうか? (はい)。その愛の中に、国も入って生きたいでしょうか? どうですか? (はい)。「この世界もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「天と地もそのような愛の中に入って永遠に生きたいです」。(はい)。「神様御自身もそのような愛の中に入って生きたいです」。(はい)。それは何ですか? それが真の愛の博士です。真の父母です。(拍手と歓声) 愛の哲学を中心として、博士の論文をパスしたのです。今まで先生が話したことは、神様の愛を中心とした博士論文であります。神様の前に提出して、パスした論文であります。(拍手と歓声) これはどれほど素晴らしいことでしょうか。これに対して「ノー」と言う人は手を挙げてみなさい。この世で一番低い所はトイレでありますが、その一番汚い所でも、「あなたは真の愛が好きですか?」と言うと、「はい、そのとおりです」と答えるのです。そのようにすべてが昔から好きであり、嫌いだというものがないのです。しかし、一つだけ好きではないというものがいます。それがサタンなのです。皆さんは真の愛をよく知っていますか? 真の愛を思う人は宇宙側であり、神側であります。また、真の愛を訪ねていく人も宇宙側であり、神側であります。真の愛を中心として喧嘩をし、殴ったりしたとしても、それも神側です。 真夏に男の人たちが、一日中外で仕事をして、家に帰ってきて靴下を脱ぐと大変いい臭いがするでしょう。その足を妻に見せて、「お前! 臭いはするが、真の愛は好きだろう?」と聞けば、「そうです。言うまでもありません」と答え、「ハハハ」と笑います。真の愛の匂いの前には、他の匂いがどんなものであっても構いません。(笑い) この中で結婚している人は手を挙げてみなさい。妻は愛する夫の足の臭いが近づけば、“まあ!”と嫌がらないでしょうか? (笑い) 真の愛というのは不思議な力があります。それで好きなのです。神様もその不思議な味を味わっているのです。皆さんは不思議な味が好きですか? どうですか? (はい、好きです)。女の中には目をつぶって喜ぶ人もいますね。先生の話が正しいと認められますか? ここに座っているアメリカの女の人たちどうですか? (はい)。手を挙げてみなさい。男はどうですか? (はい)。(拍手と歓声) この天地が、そのようになっているということが分かりましたね。創造主である神様がこういうお方であるということが分かるようになりましたね。愛の風呂敷がどれほど大きいのかというと、神様、この宇宙を入れても余るほどに大きいのです。神様は電気や、光を創りました。非常に早い速度で創ったのですが、それは、神様よりも早いでしょうか? 神様の方がもっと早いでしょう。しかし、愛の圏は、どれほど速いスピードであったとしても事故にならないほど大きいのです。分かりますか? 何の話か。そのようになっているのです。それで神様も愛のロープのように回っています。いくら愛する人であっても回るようになっていて、直線にはなっていないのです。 真の愛をもった人は、宇宙を所有します。宇宙をもっている人は宇宙を主管していることになります。どうですか? 神様がどれほど大きいか分かりますか? 私がここに座って静かに考えれば、神様はそれを知って“すっ”と私の所に来るのです。それはどれほど幸福なことでしょうか。不幸なことでしょうか?(幸福です)。今日の地上生活は、このような愛を訓練させる広場に生きている人生なのです。そこで、統一教会においては、「世界のためになりたい」と言います。「世界のために犠牲になり、世界のためにすべてを捧げなさい」と言います。なぜですか? なぜそうしますか? それは、世界の人々、世界を復帰するため、世界的な愛を探すためです。 昨日もお話しいたしましたが、なぜレバレンド・ムーンはこの反対するアメリカに来て、資本を投じて、悪口を言われながら、このようにアメリカのために尽くしているのですか? それはすべてアメリカのためであり、世界のためなのです。先生は怨讐を愛するために完全に百パーセント丸くなっているのです。引っ込んだ所がないのです。陰の部分も、平たい部分も丸いのです。だからイエス様も怨讐を愛したと言うことができたのです。私が立っている所は、垂直に昇ることのできる道にも通じています。このように生きて、訓練がよくなされていれば、霊界に行っても永遠な丸となって、昼夜休みなく二十四時間、自由にこの全宇宙を管理しながら、旅行しながら、愛を中心として友達となって生きられるのです。それが本然の理想郷なのです。このような理想世界が堕落によって壊れて、神様の血統となるべきであったのがサタンの血統になってしまったので、この目はサタンの目となってしまい、この耳もサタンの耳となってしまいました。すべてのこの四肢は、サタンが好むものについて行くようになったのです。この全宇宙を捨てて、無限に縮小された自分個人を中心として硬く固まっているのが堕落なのです。自分自身のために生きるその目は、それは宇宙が嫌うのです。だからこの目、この四肢をみんな切り離してしまうのです。これが地獄の柱となったのです。愛の宇宙を立てる柱の代わりに、憎しみの柱、地獄を成す柱となっている事実を知らなければなりません。このように誤っているすべてを改めることはどれほど困難なことでしょうか。細胞を全部漂白剤で百パーセント漂白しておいたとしても、その根源が残っているので、また色が染まってしまうことと同じです。 ムーニーは、ここ(爪)に赤くマニキュアを塗ってはいませんね。それはサタンの血が通っているということです。私自身が美しくなければ偽りです。愛を復帰すれば美しく見えないものはありません。愛する母親の胸には汗の匂いがしても、たとえボロをまとっていたとしても、その懐に入って眠りたいのです。そのボロの服を見て、「お母さん、十年だけ待てば絹の服に代えてあげるから。全部香水で塗ってあげ、金で飾ってあげるから」と言うのです。そうして、愛が懐かしくて人類と共に宇宙と共に愛を謳い、愛を探し求めて狂っている方がいるとしたら、それは神様一人しかいないであろうという結論が出ます。 このような理想の一時に、喜びの拍車を合わせる理想的な愛をなくし、すべてが破壊と矛盾の環境を作ってしまったこのことを見る時、神様はどれほど悲痛でありましょうか。あなたたちがこの話を聞いた時、「それは事実ですか。私は今初めて知りました。私はそのお方の前に開拓をし、それを取り戻す橋となり、足台となって百回千回死んだとしても己を犠牲にしてこの復帰の道が進むなら私のすべてを捧げることを願い、いかなる犠牲をも感謝いたします」と言えるとすれば、神様はどうでしょうか。そして、「神様、あなたは全知全能のお方であられるのに、すべてが壊れてしまいました。私はあなたの側の天使の仕事を代身し、アダム、エバが完成するその立場を代身して、あなたが創造の能力を発揮することのできる第二の愛の道を作ったらどうでしょうか」と提案してはいかがでしょうか。何が心配なのですか? 天使が堕落したことで、「私は天使の百倍以上やります」と言う人がいたらどうなるでしょうか。天使より以上の愛の世界を成す対象となってあげようとして、「神様できますか? できませんか?」と尋ねたら、神様はどんな返事をなさるでしょうか。愛を成せなかったら「ノー」でありますが、愛を成し得たならば「ノー」ではありません。「自分の利益よりも次元の高い愛の理想世界を成してあげましょう」と言えば、神様は「ああ、それはいい!」とおっしゃるでしょう。「では、この世を全部壊してしまったらどうでしょうか?」と言えば、「それはいけません」と答えるでしょう。「私がこれまで以上に愛して、サタン世界をみんな引き込んでいきます」と言えば、神様は間違いなく「やりなさい」と言うはずであります。決して「やるな」とは言いません。神様はそういう道を通して、創造時の困難さ、それ以上の力で援助してくださるのです。神様がそれ(創造)以上にもっと大きな仕事をなされるという時、それ以上に大きな仕事とは何でしょうか? 神様が言うに、「私は喜びの中で天地万物を創造したが、あなたは悲痛な中で天地万物を再創造し、その中で創造したものがアダムとエバ以上になるならば私よりも偉大である」。そういう立場がレバレンド・ムーンです。先生はそういう考えをもっています。(拍手と歓声) 歓喜と栄光の立場で創造の喜びを見つけるのではなく、悲痛と絶望の中において喜びの世界を創造していくのです。これが統一教会の行く路程であります。(拍手) それで、レバレンド・ムーンは長い歴史を人類世界において堕落していない一人のアダムを探し出すために今まで役事してきたのであります。レバレンド・ムーンは今日どれほど失ったアダム、エバを取り戻したことでしょうか。何千、何万双とつくっています。(拍手) 神様はアダムとエバを祝福しようとしてこられましたが、レバレンド・ムーンは数万双を祝福いたしました。(拍手) 皆さんは、絶望の中で新しく創造した統一教会の群れなのです。正にモーセの時のようであります。これは堕落世界では考えることすらできないことです。分かりましたか?(はい)。 あなたたちは、この真の愛を復帰する運動に入籍しましたか。まだ入籍しようとする人ですか。どちらですか?(入籍した者です)。入籍しようとする人ですか?(入籍しました)。では入籍した人は手を挙げてみなさい。はい、下ろしていいです。では一つ聞いてみましょう。一九八五年になって、先生が監獄から出てきたので、“間違いなく「頑張りなさい!」と押し出すだろう”と思うことは当然です。(拍手) もし、先生が皆さんをあまりにもやさしく取り扱い、容易なことを言っているだけだとしたら、先生が監獄に押し込んだすべてのサタンたちがみなここについて来ます。しかし先生が今まで以上に強くプッシュすることによって、サタンが出てこなくなり、ここにいるサタンが楽な所を求めて、地獄の監獄の先生のそばに集ってくるでしょう。みんなここから出て、監獄に行きます。(拍手) 私たちはサタンと追っ掛けっこをしているのです。そして、サタンを監獄まで追い払っていこうとしているのです。どうですか、気持ちがいいですか?(いいです)。悪いでしょう?(いいえ、いいです)。どれくらいいいですか?(非常にいいです)。それならば、これで先生は今朝の仕事を終えたことになります。皆さん方が本当に一生懸命にプッシュして、ひた向きな心をもって献身するならば、もはやサタンは皆さんについて来ることはありません。サタンは行く所がありません。行く所がないので先生がいる刑務所に来るでしょう。そうなれば、先生は刑務所の中にいる囚人たちすべてを神の道に行くようにプッシュします。そして彼らが、今度は刑務所からサタンを追い払うようになるでしょう。そしたらサタンは宙に浮いてしまいます。(拍手) 先生は、きょうの説教は十一時までに終えなさいという特命を受けています。(ノー)。私もこれはどうすることもできません。嵐が来るという警報が出たのに、あなたたちは大の字になって眠っていれますか? 安易な生活、楽なことをしているわけにはいきません。きょうの話はみんな分かりましたね。神様のみ旨は再創造ということです。堕落した人間は、再創造して完成されなければなりません。これからは個人をそのような立場において創造しなければならないので、新たな家庭を創造しなければならないし、氏族を創造しなければならないし、民族を創造し、世界の人類を新しい種子として創らなければならないのです。今、世界で一番の問題は何かというと、五色人種を一つにすることができないということです。統一教会の文先生は五色の人種を一つに束ねなければなりません。何をもってですか? それは愛をもってです。真の愛という命題をもって、五色の人種を一つに束ねたというこの事実は、歴史上においてサタンも成すことができなかったし、神様も成すことができませんでした。ただレバレンド・ムーン一人なのです。(拍手と歓声) レバレンド・ムーンによって、「感謝です!」と言って結婚した人は手を挙げてみなさい。サタンがこれを見たらどうでしょう。驚くでしょうか、驚かないでしょうか? (驚きます)。大変なことになっています。サタンが言うには、「私が今まで、この世の壁という壁を、夫婦の間においても、国家間においても、白人、黒人、黄色人、五色人種すべてを、また動物にまでも壁を作っておいたのに、ムーニーというもぐらたちが来て、すべての壁に穴を開けたので全部開かれてしまった」と。天と地においても同様です。それは何をもってかというと、真の愛という鋸をもってです。そしてそっと抜け出したのです。それからその穴を全部愛の唾を付けて塞いでおいたのです。そこへサタンが入ったら、「ウワッ!」と言って逃げ出すようになっているのです。そしてサタンは行く所がなくなってしまいますが、ムーニーたちはイギリスであろうが、ドイツであろうが、どこにも行けるのです。もう境界線はありません。限界はありません。サタンは最終的に息切れをするのです。 レバレンド・ムーンは、アメリカの地獄に行ってもすべてに唾をつけて穴を開けるのです。その穴は一つだけではなく、二つ、三つとだんだん多くなっていくのです。一度に二人が出て行くことができないので、もっと速く大きく開けなさいと言って益々その真の愛の穴を大きく大きく掘ろうとしています。そしてその穴から出る時、男と女でとか、白人と白人でとか言いますか? 白人も黒人もありません。どんな風呂敷をかぶってでもその穴を抜け出さなければなりません。分かりますか? 目をつぶってついて行かなければなりません。その門は二人で出るようになっていて、それ以上は出られません。そうですか? アーメンですか?(アーメン)。アーメンということは、あ! オンマヤ(あ! お母さん)ということです。あ! オンマヤということは、私は愛が必要であるということです。 それで、いかなる国であっても、家庭が行く門は全部開いています。世界中いかなる国であろうとも、統一教会が通ることのできない壁はなく、家庭が通ることのできる穴をすべてに開きました。その穴はどこの誰が開けてくれたのかというと、本郷の親戚の氏族たちが来て開けてくれたのです。そして、どこへ行くのかといえば、本郷の地に行くのです。それで早く穴を抜け出さなければなりません。アメリカもその国の一つです。世界を支配するような国であってもプロセスは同じです。そこで私たちは、この国の中に大きな穴を掘って、人々を通過させるようにしなければなりません。統一教会のメンバーが一億あるいは、三から四億になったとしたらできないことはありません。そうなれば、各国の大統領は私がいるイースト・ガーデンにいるとしたら、そこに列をつくって並ぶことでしょう。私に会うためにです。そしてお金をどうするかといえば、世界のために使うのです。私のためには使いません。ムーニーのためには使いません。だから世界の人たちが我れ先に集ってくるのです。 祖国というのは、どんな国ですか? それは本然の愛を中心とした国なのです。これからは、韓国もレバレンド・ムーンの力を借りなければ難しくなります。日本もそうです。アメリカはこのような話は聞きたくないでしょう。私がまだ監獄から出ていないので、アメリカがそうであるように自由世界もそうでありましょう。歴史的に見て、過去の人も現在の人も未来の人も、みんなそうでありましょう。神様もそうでありましょう。しかし勝利は私たちのものです。愛でもって祖国を創建すれば、勝利は私たちのものです。愛を中心とした勝利です。その時に、神の日を中心とした目的が成就するのです。縦的にも勝利するのです。 皆さんたちムーニーは先生を愛していますね。(はい)。先生が監獄に行ったとしても変わりませんね! 真の家庭はムーニーへミルクを与える存在です。分かりますか?(拍手) だから誇りをもちなさい。皆さん方は新しい人種なのです。アメリカを天国にもたらそうとしている人たちなのです。なぜ祖国が必要かといえば、統一教会の信者は世界中を旅行することができますが、先生はどの国も自由に行ったり来たりすることができないのです。多くの人たちが先生の行く道を妨げようとしています。先生が来ることを望まない人たちがいるのです。しかし私たちが祖国をもつようになれば、レバレンド・ムーンは国家としての門を開くようになり、世界復帰をしなければなりません。だから祖国が必要なのです。しかしその国は愛が問題なのです。戦いでもって一つにするのではありません。それは、真の愛によって成すのです。霊的父母と肉的父母が一つになって、これが故郷となり、これが祖国となるのです。霊的父母と肉的父母が一つとなって世界に愛の柱を立てて、国を超えて世界を一つにしたのが私たちの理想世界なのです。分かりますか? 何の話か。(はい)。 では皆さんたちムーニーは先生が行く所について来ますか? (はい)。先生はそれほど長く生きないかもしれないのに……。だからあなたたちに国が必要なのです。何の話か分かりますか?(はい)。もし堕落がなかったならば、それは自然に成されたはずであったのですが、今日私たちは一つ一つの逆の道を通って取り戻してこなければなりません。中心として立てたキリスト教を四〇〇年間ローマが迫害して、行く道を妨げました。しかし今日の統一教会の行く道を世界のいかなる国も行く道を妨げることはできないでしょう。今日のアメリカは強力な国で世界中に影響を与えています。しかし『ヤンキー・ゴーホーム』という反米スローガンが各地で見られます。アメリカ人は嫌われるようになってきていますが、ムーニーはこれからいかなる時代でも『ムーニー・ゴーホーム』というスローガンはないでしょう。その代わり『ムーニー歓迎』と言われる時が来るのです。分かりますか?(はい)。どうぞ来てくださいと言われても、ムーニーはそんなに数多くいません。だから彼らの方が訪ねてくる時が来ます。皆さんに反対していた父母たちが、あなたたちの後にみんなついて来るようになりますよ。見てみなさい。ついて来るかどうか見てみなさい。「来てください。来てください」と言っても、皆さんが行かないので、自分たちが来るようになるのです。 先生がダンベリーに入った時は、統一教会の一指導者として入ったのですが、出る時には世界的人物として出ることになるでしょう。これは問違いありません。(拍手と歓声) その峠を越える途中で帰ってきて語っているのが、きょうのこの時間なのです。だからそれを分かって、これからあなたたちも先生以上に自分のダンベリーの峠を作って越えようとする心をもって進まなければなりません。今アメリカのダンベリーは私が作りました。愛の帆を付けて行くのです。私が行くすべての世界は、愛の領域となるでしょう。祖国愛の領域のために行くのです。先生はここにいても、思いはダンベリーのことでいっぱいです。既に穴を開けておいたのでアメリカの国民、アメリカの人々の良心が揺り動かされることになるでしょう。国ごとに伝道することになり、国ごとに次々と復帰されていくことになるでしょう。(拍手) だから先生は今朝の説教を『祖国創建と神の日』というテーマで話しました。最も意味のある内容です。私たちはこの神の日に、神の祖国創建を真の愛をもって成すというそのことを神の前に誓わなければなりません。どうですか?(はい)。私たちには二つの大きな壁があります。肉的な壁と霊的な壁があります。あなたたちは肉的な壁に穴を開けて越えなければならないし、先生は霊的な壁に穴を開けて越えなければならないのです。ダンベリーの内と外から穴を開けて、ダンベリーの峠を祖国創建のために越えましょう、というのが標語になります。この壁を崩して峠を越えれば、すべてが見えます。神の祖国という名が生まれます。 エデンの園で、心と体に分けられた壁が歴史を通して今日、この私たちの統一教会の前に来ています。この時、一度に内の壁と外の壁を突き崩すことをしなければならないのが現代の私たちの責任なのです。これをはっきり知らなければなりません。これを神の光の中で成さなければならないのです。肉的世界と霊的世界の二つを合わせて成していくのです。これをするのは力や、武力や、知識や、お金や、権力でもってやるのではなく、真の愛で成すのです。このような目標に向かって全世界の統一教会の群れは前進いたしましょう。アーメン、アーメン、アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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「祖国創建1」1985年1月1日神の日 午前零時 祈祷 愛するお父様、ただ今一九八四年を送り、新しい一九八五年の元旦を迎えました。 このように流れる歴史の過程にあって、あなたの摂理の新しい一時として、必ずや私たちと共に勝敗を決しなければならない重大な歴史を織っていった昨年でもあり、今新しい年も訪れました。 お父様! ここには全世界と霊界が注目し、特に統一教会の群れが、新しい年の元旦を迎えるきょうこの時間に、心を一つにして、昨年の足りなさと、過去のすべての足りなかったことをまとめて清算し、新しく訪れる一年を中心として、新しい明日を準備することのできる深重な一時として束ね、お父様の前にお捧げする時となりましたので、ここに御臨在賜わって、あなたが所願なされる一切のみ旨の一つ一つを開いて、「責任をもて! 行け! 成せ!」と命令することのできる、新しい年となることができるように許諾してくださることを、お父様、懇切にお願いいたします。 数多くの歴史路程を通して誰もが成すことのできない中において、統一教会を準備され、すべての悲しみの歴史の事実を蕩減するために、数多くの歴史的先知、先烈たちの殉教の土台の上に、お父様は久しく忍耐されながら歴史を綴ってこられたその背後には、誰にも言えない悲しみの事情、悲痛なる事情、その内的秘められた事情を一人で抱いて、時代が早く過ぎ去ることを願い、訪れる歳月にあなたのみ旨が成されることを、どれほど焦る心でもって期待してきたかという事情をこの息子は知っております。 そのような摂理の途上において、選ばれた一つの群れがイスラエル民族でありました。そして世界の歴史的すべてを収拾するために、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的基盤を形成するために、四千年という期間、どれほど血と涙の流れる歴史を辿ってこられたかという事実を、私たちは知っております。その土台の上に、堕落の恨みをすべてぬぐい去るあなたの所願の一念は、一つの再創造理念を夢見ながら過ごしたメシヤの身であるイエス・キリストの生涯に、どれほど祈祷されたことかという事実を私たちはよく知っております。 イエス・キリストが来られて、イスラエル民族の前に、ユダヤ教の前に、誇らしき歴史的所望のメシヤとして現れることを願ったことにより、イエス・キリストはその教会の前にその民族の前に排斥を受け、再び歴史に恨みを残すことになった事実を私たちは知りました。キリスト教の歴史はそれゆえに、新しい歴史を受け継ぎ受難の道を行くと同時に、霊肉を分立して霊的地上天国に向かって前進しながら、数多くの殉教、先烈たちの血の痕跡を残してきたという莫大な事実を私たちは知っています。 このようにして二千年という長き歴史を経ながら、世界的な蕩減の内容を編みつつ世界的な基盤が拡大されるにつれ、第二次世界大戦の勝利の基盤をもって、キリスト教の主体国であるこのアメリカを中心として、一つの神のみ旨を完結するために、世界的全体的なる責任をすべて委ねたにもかかわらず、アメリカの教界とアメリカの国家が、神の摂理とみ旨を知らず、最後の日に開拓すべき使命がどれほど重大なことかも知らず、神のみ旨と一つになることができなかったがゆえに、今日統一教会がキリスト教と一つにならなければならないという、宿命的運命的な路程に立つようになりましたけれども、統一教会は統一教会、キリスト教会はキリスト教会に分立するようになった、悲しい歴史を私たちは知っております。 更に神様が願っておられた一時の解放とともに、七年路程を中心として、歴史を収拾し教界を収拾して、一つのみ旨の願う基盤を整えなければならない莫大な目標を成就することができないままに、歴史は再び逸れ始めました。それゆえ、今日まで統一教会は、受難の教会であり、追われる教会であり、迫害を受ける教会であり、人間として相対することのできない教会として、果てしない悲しみの道を四十年間辿ってきました。 個人の路程を経て、家庭的蕩減路程、氏族、民族、国家、世界的蕩減路程にまで、復帰してくるのにどれほど苦しかったことか、どれほど悲惨であったことか、そういう事実をあなたはよく御存じでいらっしゃいます。 そしてここに立っているこの息子をして、世界を収拾し、キリスト教を収拾し、再び宗教を収拾しなければならないという、天意と責任をよく知りながら、千辛萬苦の受難の道を、我が生涯の道として受け入れながら辿ってきた悲しみの日々もすべて過ぎ去りました。そのような過程において世界も変わり、歳月も過ぎ去る中、今日まで韓国において教会が迫害してきたすべてを蕩減するため、世界史的なキリスト教を連合できる一九七四年、七五年を中心として、神の摂理の土台を中心として、お父様のみ旨を中心とする新しい一九八五年を連結させ、実体的な世界の復帰路程にまで連結させるためには、どれほど苦労が多く、どれほどの苦痛があったことか再び回想いたします。 このアメリカの地を中心として、政府を中心として、世界を中心として、統一教会は教界を収拾しなければならない責任が残っているので、今日先頭に立って、すべての迫害を甘受し消化しながら、全世界的実体路程の蕩減を払うようにしたお父様。統一の群れの労苦とみすぼらしい小さな姿を見守り、希望を託されていたあなたがどれほど可哀そうであったかを、今一度考えながら、今までの千辛萬苦の受難の道を守ってくださったお父様の御苦労に、今一度感謝いたします。 お父様、一九八四年を中心として、一九八五年までには第二次大戦以後の四十年を中心としての残された三年路程で、新しい世界的カナン福地を宣布しなければならない歴史的な使命を前にして、全世界の統一教会の群れは、アメリカというこの地を中心として東奔西走し、独り寂しい道を走ってきたという事実をよく知っています。八四年は三次路程の二年路程であるために、いかなる犠牲の代価を払ってでも神のみ旨を終結させ、神が願う一つの拠点を作らなければならないことを知っていたので、韓国を中心とした歴史的蕩減と、世界が責任を果たし得なかったすべての蕩減と、キリスト教が責任を果たせなかったすべての蕩減を中心とした全体動員時代を備えるためのすべての歴史であったことを私たちは忘れることができません。 その間、お父様の前に愛する興進君を送り、今このダンベリーの受難の一つの道をあなたが私に任せることによって、このアメリカの教界が新しいみ旨に向かうことのできる場へと戻した事実を考える時、二千年の恨みを残しているイエス・キリストの恨みを解くと同時に、今日この地上に数多くの人類が行くべき道を失い、彷徨していた群れがキリスト教を中心として新しい光明の光を受けて、カインとアベルが世界的路程で一体となることのできる因縁を結べるようになった事実を思う時、蕩減を払うことによって探し出してくださったその代価としてのこの栄光を、私たちが感謝して八五年を迎えることができるよう容納してくださることを懇切にお願いいたします。 このように八四年を結んで、八五年を迎えましたので、この年においては総力を挙げて、未来のための最後の勝利の土台を広く開かなければならない使命が私にあることを思う時、厳粛にお父様の前に頭を下げて、この年をあなたの年として立ててくださいまして、この日から連結される摂理の日々が誇り得る日々としてなることを懇切に願う心であります。 韓国の幼い子息たち、日本の幼い子息たち、アメリカの幼い子息たち、また世界の至る所でこの日に祈祷している統一の群れを顧みてください。彼らの祈祷は、あなたのみ旨のための祈祷であり、恩師が勝利する一時を迎えるための祈祷であることを思う時、この年にあなたの所願するみ旨の成就が始まり、最初に幕を下ろすことでありましょうし、またあなたの勝利の旗が天地に向かって、ここを通して翻ることを確実に知っておりますので、一九八五年は勝利と誇りと栄光を讃えることができる年となることができますよう、お父様、懇切にお願いいたします。 この度、この時間を通して、新年を迎えることのできる特定の期間を私に許諾してくださったことを感謝します。このような時間は、今日の統一教会において、悲しいといえば悲しい時間でありますが、誇りと思えば誇らしい時間であります。父母様がすべてを蕩減して十字架を背負うことによって、イエス様が失ったすべてをもとがえすことのできる勝利の時となりました。イエス様は、十字架の道に行く時、ユダヤ教を失い、そればかりでなくキリスト教の理想の実体を失い、国も失い、弟子も失い、父母、親戚すべてを失ったまま、霊的世界を抱いてカルバリ山頂に向かって行ったイエス様の悲痛なる事情を、たった一人で十字架に行かれたイエス様のすべての恨みを、今日真の父母の名をもった統一教会のこの息子をして、ダンベリーというこのような現代的な十字架を背負う場所に出て行くことによって、失った息子を探すことができ、失われた弟子たちを探すことができ、失われた家庭を探し出すことができ、失われた教会を再建させることができ、散って行ったすべての群れを再び結びつけることができる驚くべき事実を目前に見つめる時、私たちは行く手に立ち塞がる困難が問題でなく、その結果がいかに神様の前に納められるかを心配するその心が、願っていたみ旨と一致する驚くべき事実を目撃する時、私たちはどんなにお父様の前に感謝したとしても、感謝しきれないものです。 私たち、何の功労のない者たちでありますが、神様のみが功を立て、神様のみが驚くべき偉大な方であると、讃美の標準となり得ることを考え、今日一九八四年のすべての恨みを清算し、八五年が新しく訪ねる喜びと栄光と勝利と讃美が全天地に満ち溢れる勝利の一年として、お父様の前に奉献いたします。悲しみの歴史を吹き飛ばして、勝利と栄光を讃美することのできる、お父様の驚くべき歓喜の年となりますように、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 今、このような最後における決断をしなければならない私たちの戦いが残されており、まだ仕事が残っておりますので、生死を構わずこの仕事を成就しなければならないこの息子の責任があると同時に、直接関係されている責任者たちが、仕事を分担して誠実に責任を遂行するかという問題において、歴史が左右される分かれ道となる重大な事実を目前に直視しながら、今日この時間に到達しましたので、お父様記憶してください。 新年の冒頭に私たちがお願いするすべての一切の心を御存じであるお父様、霊界において興進君と、イエス様と、数多くの聖徒たち、一二〇カ国の国王たちと、義人、忠臣たちを連合させて、実体地上世界の祖国創建の一つの目標に向かって働いているすべての霊も一致して、現代的世界的なこの舞台の上で、アメリカを中心として、最後の画期点を決定して越えていく新年となりますよう、許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 すべての万物と、すべての歴史的な摂理のみ旨が一致し、神様の心情と、地上の父母様の心情が一致し、統一街のすべての群れの心が一致し、完全に勝利の基台としてお父様が受け入れ、その基台の上に勝利の旗を立てることのできる新しい年の元旦となることができるように許諾してくださることを懇切にお願いいたします。 残された日々が、お父様の誇りと讃美と喜びで綴られて、一九八五年が栄光の年として全世界に開かれるように、再三お願いいたしながら、すべての祈りを真の父母の御名でもって、あなたの前に奉献いたします。アーメン。アーメン。アーメン。----------- ----------- この間、皆さんが祈祷をたくさんされ、こうして帰ってきて、生き生きしている変わらないムーニーたちを見て、先生は嬉しいです。(拍手と歓声) 新しい何かをするとか、新しい道を開拓していくということは、たやすいことではありません。そこには茨の道もあり、石ころだらけの道もあり、あるいはダイナマイトを爆発させながら、破壊していかなければならないそのような道があることを考える時、誰も知らない復帰摂理の道を先生は出発して、きょうまでにこれほどの基盤を整えてきたという事実は驚くべきことであります。 皆さんは復帰歴史を学んだので知っていますが、今まで歴史上において、この世には多くの偉大な人々が出てきて、開拓を行いました。しかし、霊界の開拓というのは全く新しい開拓です。統一教会が行ってきた開拓は新しい開拓なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。それは一つの地域ではなく、地域を超越して世界的であると同時に、天宙史的な内容が伴っているのです。神様が貴い賞を与えようとなさるとき、その賞を与えるにおいては代価なしには与えてはくださらないということを皆さんは知らなければなりません。世界的な福、歴史的な福を得ようとすれば、この世界の最も難しい環境を開拓しなければならない、そういう面をもたなければなりません。この世界においても、霊界においてもそうであります。彼が賞を受ける代表者であるためには、この世界において最も難しい誰も行ったことのない道を行かなければならないし、霊界においても誰も行くことのできなかった道を行かなければならないというのが結論です。 ではこの世界において、最も難しいことは何かというと、それが監獄なのです。先生は日本の監獄についてもよく知っています。日本時代の監獄がいかなるものであったかを……。そして北韓、共産世界の監獄がいかなるものかもよく知っています。また韓国の監獄もよく知っています。そればかりでなく、ソ連の監獄がどうであるかも知っています。先生は監獄生活を卒業するために、もう一つ行かなければならない所がありました。それがアメリカの監獄です。このように経ていくのです。これまで多くの人々が絶望と落胆の中で監獄を経ていきましたけれども、ここに立っている先生は、監獄以後に訪れることに対して大きな関心をもっているのです。皆さんも蕩減復帰について習っているので、必ずこの峠を越えれば何が起こるか知っていますね。受けるその苦痛が問題ではなく、苦痛のあとに来る神の新しい歴史的賜物が何であるかということを常に考えるのです。先生はそのようにして今まで生きてきたのです。 一般の人たちは監獄に入ると、すべてに対して不平を言います。国に対して不平を言うし、御飯を食べても不平を言うし、すべてに不平を言っています。そしてその検事に対しても不平を言い、「滅びよ!」と悪口を言います。しかし蕩減復帰を知っている先生の生活は違います。これは蕩減の道なので、その後に訪れてくる神様の福を誰が守るかが重要なことなのです。 先生はこれまで、今回を含めて六回監獄に入りました。これからもソ連の監獄や中共の監獄が残っているのではないかと思っています。先生はそのような考えをすることがあります。そこで皆さんが必ずこのような過程で知っておかなければならないことは、その後に訪れてくる神様の福を受けることのできる、そしてそれを人類に手渡せる自らの準備をしなければならないのです。受けることのできる器をつくらなければならないのです。その福を受けるためにはどうすればよいですか? それにはすべてのサタン世界、地獄世界にいる人たちが頭を下げなければなりません。これが復帰の道であり、蕩減条件を払うことです。先生がダンベリーに行ったことは、統一教会の先生として行ったのではありません。世界を代表して行ったのです。地上世界と天上世界を代表してです。そこで神様はサタンに対して言うのです。「誰が正しいか。誰が最も勝利したか」と。 新しい舞台を回すには、高い所からでは回すことができないのです。下から押して回すのです。もし皆さんが高い場所にいれば、その場を転換することができません。皆さんは底にいて下の方にいて、その場を引き上げることができなければなりません。いつも下から上の方へ変えていく、それを通して完成されていくのです。では上がって行こうとするとき、いくら自分一人で頑張っても難しいのです。全体で押してあげなければなりません。すべてが私を押してくれるという環境をいかにつくるか、これが問題です。弁護士が問題でなく、判事が問題でなく、検事が問題でなく、アメリカ政府が問題でなく、これらの最低の所にいる人たちを引き上げることができるかということ、これが問題なのです。いかにして、このような最低の人たちから賛成され、支持されるような、そういう者となることができるか、それが問題です。それが蕩減を支払って復帰することのできる唯一の道です。それによって私たちは一八〇度の転換を成すことができるのです。 今度、レバレンド・ムーンがアメリカで監獄に入ったことによって、全世界で問題となったのです。アメリカ自体においても問題です。今まで先生が監獄に入った時には、誰も真実を知らずに、「あの人は悪い人である」とみんなが悪口を言ったのです。しかし今回は先生が監獄に入ってどうなりましたか。状況が一八〇度回転しました。彼らは本当の事実、真実というものを見るようになりました。彼らは先生に対して本当に目が開けたのです。そして今や、アメリカにおいて正しい物事を考える人たちは、レバレンド・ムーンを支持する側に立たなければならないようになっています。レバレンド・ムーンによって脱皮が始まるのです。私が脱皮させるのではなく、全部自分たちで脱皮するのです。外的世界がそうなり、また内的世界がそうなればレバレンド・ムーンは「自由天地」と言えるのです。そして、統一教会はもはや迫害を受けるようなことはなくなるのです。イエス様がローマに入ってこのようなことを成したならば、キリスト教は苦労の道を行かなくともよかったのです。これからはアメリカの大使館が私を歓迎する中において、私が巡回する時が来るかもしれません。不思議な話でしょう? この話が理解できますか? これと同じように、皆さんはこれからアメリカを救い世界を救わなければなりません。ではアメリカのどこを救うのですか? それは豊かで良い所を救うのではなく、貧しく悪い所を救わなければなりません。訪ねて行って蕩減してあげ、その後に訪れてくる福を私たちはどのようにして迎えるか、これを考えなければなりません。皆さんムーニーたちの中には、不平を言う人がいます。「私は何年度に入教してきたのに、また苦労をしなければならない、これはどうしたことだろう。もう嫌気がしてきた」等々と。またある人は結婚したが、このごろ子供が生まれないと言って心配したり、生活を心配したり、子供のことで心配したりで動けなくなっています。しかし先生は違います。誰かが先生を地獄へ入れたとすれば、地獄そのものが困ったことになります。なぜならばもう地獄は地獄であり得なくなるからです。(拍手) 先生はそういう具合に考えていますよ。なぜこのような話をするかといえば、皆さんの目を見ると、先生はダンベリーに行かれて何をなされたのだろうか。ダンベリーはどうだったのだろうかと、新年の『神の日』のみ言よりも気掛かりになっているので、先生は話すのです。(笑い) 皆さんは自分を自ら「ムーニー」と呼んでいます。というのは、皆さんの原型は先生であるからです。しかし先生は自分から来たわけでなくて、神様から来ているのです。ですから先生はいわば「ゴッドニー」と呼ぶことができますね。(拍手、歓声) なぜレバレンド・ムーンをそのように呼ぶかというと、神様のようであり、神様に似た人であるということです。分かりますか? 皆さんの中には統一教会の歴史を知らない人がとても多くいます。先生を知らない人が多くいます。特にアメリカの個人主義的な若者たちがそうです。先生は韓国でダンベリーに行ったのですか、アメリカでダンベリーに行ったのですか? (アメリカです)。それは行かないこともできたのでしょうか、行くしかなかったのでしょうか? この世の人々は不思議に思っています。"なぜレバレンド・ムーンはわざわざ監獄に行くようにしたのだろう、避けようと思えば避けられたのに”と不思議に思っています。 先生が監獄に行ったのはアメリカにいたためです。先生はアメリカを救うためにダンベリーに行ったのです。アメリカを救おうとするあなたたちのために行ったのです。アメリカの若者の中で、このアメリカを救おうとする人は、ムーニーの中に多いのです。先生はあなたたちの前に誰も占領することのできない思想を残すのです。私が必要であるからではなく、あなたたちが必要とするために、これを残さなければなりません。皆さんがこの精神でアメリカに責任をもち、アメリカの困難な中でも、追われても、正義の立場に立って堂々と、「私はアメリカのために監獄までも行くのである」と言う、そのような若者がアメリカにたくさんいるとしたら、このアメリカは滅びません。分かりましたね? (はい!)。 一九八四年までは困難な道を歩まなければなりませんでした。あなたたちの花のような青春、美しいお嬢さんも一度しかない青春を流してしまっていることを知っています。この歴史的な世界は、そのように青春を犠牲にしても世界を救おうとする若者を願っているのです。歴史を摂理される神様は、このような人たちを願っているのです。私も、私の青春をすべて捧げました。先生は若いころ、非常にハンサムでした。(笑い) 先生は多くの人たちのために、乞食すらも天国に入ることができる、飛躍することができるそのための基台となりたいと思ったのです。すべての人たちの足台となって、「飛べ。飛べ」と言うのです。それで私は今まで人前に出ることを好みませんでした。それなのに有名になってしまったのです。 一九八四年は、統一教会にとっては本当に難しい年であり、困難な年であり、苦しみ多い悲しい年でした。先生においては極めて忘れることのできない摂理史的に重要な年でした。もうじき興進君の行かれた日もやってきますね。先生は韓国を生かすためには、家庭をも犠牲にする覚悟をして出発した道でした。韓国の七百万の勝共会員、日本の勝共会員、アメリカの四千五百万と、世界に七千万会員ができるとなれば、サタンも黙っていられません。それで決着がつくのですから。また私が監獄に行けば、これで統一教会も終わりだと思ったかもしれません。しかし監獄に行ってから、先生は歴史上になかったたくさんの事を行いました。先生が監獄に行ったその日から、有名な牧師たちや教授たちが先を争って会いに来ました。それで先生は、「これをせよ!」と言います。このような人たちは、先生が外にいるときには誰も会いに行きたいと思わなかった人たちでしたが、今や監獄にいる先生に会いたいと思うようになってやって来たのです。これはみんな有名な人たちです。有名な教授や学者や、牧師や外交官です。それらの人々がやって来て、先生と一緒に座っている時に、先生はエネルギーを絞って強力にこれらの人々に注ぎ込みました。だからこれらの人たちは完全に否定することができず、完全に先生に圧倒されました。このような圧力が先生から出るために、彼らはもう何も先生に言うことがでませんでした。皆さん、そうでしょう。オリンピックのマラソン大会のようなものです。競技に優勝するまでは誰も振り向きもしません。しかし一度試合に勝てば、人々がすべて認めてくれるのです。この世の万事がみなそうなのです。 身近な例を一つお話しいたしましょう。ドクター・トライブという人を知っていますか? ハーバード大学の有名な法律学者です。彼は、自分はアメリカで一番偉いと思っていました。どこに行っても自分が頭であり、自分が語らなければならない、自分が中心だと思っていましたが、どうしてか先生の前に出れば、身動きができなくなるのだそうです。先生が「やりなさい」と言ったら、「はい」と言わざるを得ないというのです。彼は、「不思議なことだ」と言っています。先生は監獄のような所に行っても、そのようなことが可能なのです。分かりますか? あなたたちも同じですよ。あなたたちもアメリカを救わなければならない責任があります。一九八五年はすべてに挑戦しなければなりません。 高くジャンプするためには、高く飛躍するためにはまず小さく縮まなければなりません。跳躍するための準備をするために、ぐっと身をかがめなければなりません。それで先生は大きな歯車を回してジャンプする準備をしているのです。時が来れば、先生はジャンプします。高く舞い上がります。永遠なる勝利に向かう私となるのです。その時、皆さんは「もう私はジャンプしたくありません。私を助けてください」と言っても駄目です。皆さん自身もそこからジャンプする準備をしなければなりません。私がダンベリーに行くことによって、統一教会は歴史的な飛躍をすることでしょう。既に、反対していたキリスト教が完全に私たちの側となり、反対していたアメリカも黙して考えなければならない時が来たのです。先生は興南の監獄において、全然話しをしなかったのですが、私が監獄から出る時には、多くの人がついてきたのです。きょう、ここにも私についてきた人が数人いると思います。(拍手と歓声) では結論づけましょう! あなたたちはどこに行って開拓したいですか? 監獄に行って開拓しますか、それともこの自由のあるアメリカの地で開拓しますか? (監獄です)。監獄は私が行ってすべての責任をもちます。では、あなたたちはどこへ行きますか? (モスクワです)。そう、よくできました。モスクワです。マスト・ゴーがモスクワですね。私がアフリカの一カ所に行って、世界的名声を揚げるようになれば、そこは世界的に有名になります。これはどれほど素晴らしいことでしょうか。先生は韓国の谷間で苦労していた時にも、「私がアメリカで有名になれば、統一教会は希望がある」と叫び、希望をもっていました。そしてアメリカに来て有名になりました。アメリカに来て、今ダンベリーに行きながら「霊界に希望がある」「世界に希望がある」と言うので、ここで霊界が開かれるのです。だから先生に対して、あなたたちは不平を言うことができないのです。(はい)。数えてみましょう。み旨のためにもう何年生きたいですか? もう一年、もう二年、もう三年ですか。「これからは我が道を行こう!」、それではいけません。 きょう『祖国創建』ということをスローガンとして書きました。私たちには国がありません。私たちは今まで、国がない者であったから迫害を受けたのです。神様がサタンに迫害されてきたことは、このように国がなかったからです。神様が自らの祖国をこの地上にもたなかったということを理解してほしいのです。そのためにサタン側はいつも神様を讒訴しているのです。それはサタンがすべてのこの世の力をもっているからであります。神様が今なお苦しんでおられるのは、神様に祖国がないからです。だから、神様の祖国をいかに復帰してさし上げるか、それしかありません。そこで五色の人種を一つにして、合同結婚式を行い、一つの心情で一つの氏族、民族を編成するのです。合同結婚式はいつも多くの論議を呼んできましたけれども、それは神様の一つの人種をつくるためにそうしているのだ、ということを理解してほしいのです。それは簡単なことではありません。難しいことです。それは先生も知っています。特に神様は霊のお方ですから肉体をもっていません。そういう神様がこの地上の世界を動かすということは難しいことです。そういう意味において、先生に肉体があるということは神様よりも有利なのです。このために先生は、この使命を引き受けることを決意したのです。 今年の一九八五年は、先生がこの摂理の道を歩み始めてから四十年目です。今年は決定的年です。(拍手) だから本当の伝統を示すために私は監獄、サタン世界に入って闘っているのです。あなたたちはどうですか? アメリカのサタン世界を、アメリカの地獄をつかまえて闘わなければなりません。後退してはいけません。(はい、後退しません)。それが何の話か分かりますか? (はい)。 この時間、ダンベリーに行ってきた先生を迎えて、そのような決意をし、“いかなる事があるとしても私は先生に負けない”という決心で、この腐敗していくアメリカに責任をもつ皆さんとなってほしいのです。そうすればアメリカは復活するのです。(先生が黒板に「〇」を書かれる。そしてその横に「×」を書かれる)アメリカにはこのような穴があるが、これを塞げば滅びません。これを塞ぐことができないときには滅びます。そういうとき、これを塞ぐにはどのようなことをしなければならないのかというと、人を逆さにしてもぴったり塞ぐことができるならばそうしなければならないのです。そうしてでも塞がなければならないのです。そういう人になることはみんな嫌でしょう。「私は奇麗で豊かなアメリカに住みたいです」。(ノー)。ムーニーは全部がそういう人にならなければなりません。どうですか? やれますか? (はい)。私はそのようなムーニーになってみたいという人は手を挙げてみなさい。(はい!)。ありがとうございます。先生は監獄に十回行ったとしても感謝です。 今まで先生が監獄に入って、先生がいない時に自分勝手にしませんでしたか? 先生は監獄に行ってきました。先生の前で偽りはしませんね。(はい)。今回だけは信じてあげましょうか? (はい) 信じてくださいと言う人は手を挙げてください。ありがとう。ダンベリーはあなたたちが受け継ぐべき伝統です。このように生きれば絶対に滅びません。逃げていては滅びます。監獄に行くことによって、一番難しいことを成そうとするのです。一番難しいことは天国をつくることです。 私が最初に監獄に入っていく時、みんなが色眼鏡で見ていましたが、しかし今度先生が出てきた後、非常に寂しくなったことを知っています。だからダンベリーの人々は、先生を必要としています。行ってもいいでしょう? (いいえ)。 先生は明日の朝の午前九時から『神の日』のメッセージをします。 今晩は素晴らしいメッセージでしたね。(はい)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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「興進様昇和一周年記念式に際して」1985年1月1日(正午)ワールド・ミッションセンターにて きょうこの時間は、興進君が昇和されてから一周年を迎えます。その祝賀のために私たちはこの場に集いました。まず皆さんは、この世的にみれば理解し難い内容がここに介在しているということを理解しなければなりません。霊界がどのように動き、どのように発展し、どのようにしてこの地上との関係を結んでいるかという、全般的な内容を知らなければこれ(昇和式)をはっきり理解することはできません。 霊界は、善なる霊界と悪なる霊界の二つに分けることができます。それは地上界の人々には分かりませんが、確かに実在する世界なのです。そして霊界では、善なる霊と悪なる霊が闘争しています。霊界においても闘争があるのです。善なる霊界は、悪なる霊を善導して善なる所に連れて行こうとするし、それに対してどんなことをしてでも悪なる霊が善なる所に行かないように妨ぐのが悪なる霊界なのです。また悪なる霊界はサタンを中心として連結され、今日の地球上の人間はその悪なる霊界の統治圏内に属していることを皆さんは知らなければなりません。そして先祖たちは、善なる霊としてあるいは悪なる霊として、全部霊界に行っているのですが、そこでは、善なる霊は堕落したこの地上世界において聖別されたという条件を立てたので善なる側に立っているのであって、神様から見ると完全なる善の立場に立ってはいないのであります。しかし善なる霊たちは、神様の本然の理想的善圏に向かって前進しようとしています。そして悪なる霊たちはそれを妨げているのです。悪なる霊界と悪なる地上の世界とは随時連絡し合っています。善なる霊とは、この悪なる世界において対立され、反対を受けながら生きていった霊であり、宗教を信じていった霊たちなのです。 では、イエス様はこの地上に来られて何を成されたかといえば、サタンを屈服させて、悪なる霊の代表を屈服することのできる道理と道を整えようとされました。ところがその道理を百パーセント整えなければならないのに、五十パーセントしか整えることができなかったので、「再び来なければならない」という言葉を残されたのです。 神様はこの堕落した世界を救援されるために、宗教を立ててこられましたが、この世はサタン世界の畑になってしまっています。聖書ではこれを野生のオリーブの木と呼んでいます。サタンが主管する野生のオリーブの畑なのです。神様が自由に主管することのできるオリーブ畑を作るのが宗教なのです。皆さんはこれを知らなければなりません。サタンが自分の意のままに管理し、神様は何一つ管理するものがないのです。だから宗教を通して神様が管理するオリーブの畑を作って、世界のサタン圏の悪なる野生のオリーブ畑を陵駕することのできる基盤を拡大するためのものが宗教文化圏なのです。 神様は今までサタンに創造世界を奪われた立場にいても、負けることはできないので、この世に真なるオーリブの木となる標本として送られたのがメシヤ思想なのです。メシヤは一人ではいけません。サタン世界が夫婦を中心として社会を成し、国家をつくったので、メシヤ一人では真のオリーブの木とはなり得ないのです。メシヤである真のオリーブの木と、メシヤの相対となる真のオリーブの木を中心としてこそ、真のオリーブの木となり得るのであり、実を結ぶことができるのです。それでイエス様はこの地上に来られて、新郎の立場で新婦を探し出し、真のオリーブ畑を作り、サタン世界の野生のオリーブを吸収し、消化することのできるようにみんな切り捨てて、真のオリーブに接ぎ木する運動を準備しなければならないので、神様が管理することのできる宗教圏を中心として、一斉に切って接ぎ木できる環境としてつくったのが選民イスラエル圏であり、ユダヤ教であったのです。 では、接ぎ木するためにはどこを切ればいいでしょうか? 首を切ればいいでしょうか? 足を切ればいいでしょうか? (それぞれに答える。中に、「根です」と答える人がいる)根を切れば枯れてしまうでしょう。人は首と根が逆になっています。精神が根となっているので逆になっているのです。だから首を切らなければなりません。イエス様の真のオリーブの木の芽を一本接ぎ木すれば、そこから真のオリーブの木となっていくのです。 本来人間は、堕落しなければ真のオリーブの木として生まれたはずなのに、野生のオリーブになってしまったのです。ですからこの野生のオリーブの木を接ぎ木して、真なるオリーブの木として実を結ぶようにするためのもとがえしの歴史が、救援の歴史であります。だから救援の歴史は復帰の歴史なのです。それで神様は、僕たちをして野生のオリーブの木をみんな切るのです。そしてその畑は、神様が管理する畑でなければなりません。サタンが管理する畑であったらとんでもないことです。それは何のためかといえば、接ぎ木されるためには必ず蕩減条件を立てなければならないし、その条件は個々人を通して立てられますが、個々人の蕩減条件は世界史的なのです。世界史的なのですよ! 一つ一つを切るのに、それほどまでの条件が必要なのです。ですから神様は、選民という畑を作って、イスラエルという大きな畑を作って、一度に切っても讒訴することのできない環境にして、メシヤを送って接ぎ木させて、メシヤの種子をつくろうとなされたのです。ですから、非宗教界から宗教界へと越えていく時には、血を流す戦いをするのであります。そこで、旧約時代は物を通した祭物時代であり、新約時代は息子を通した祭物時代であり、成約時代は愛を犠牲にする祭物時代であります。ですから成約時代は、父母が愛の十字架を背負って行くのです。そこには愛の問題を中心として、世界のすべてを整理して屈服させることのできる観がなければなりません。個人観から家庭観、民族観、国家観、世界観と、このように世界を指導して余りある観をもたなければならないのが、統一原理を通した愛の理想なのです。なぜそうしなければならないのですか。なぜですか? それはサタン世界の愛による種が蒔かれたので、それを神の世界の愛をもって蕩減しなければならないからです。 そこで今日、真の父母の愛の理想を中心とした蕩減基盤に新しく接ぎ木され、エデンの園において完成したアダムとエバのような結実をもたらす真のオリーブの木の立場に立っていくのが、統一教会の祝福の行事なのです。皆さんはこのことを知っていなければなりません。堕落したことによって、真の父母ではなく悪なる父母に、真の兄弟ではなく悪なる兄弟に、真の社会、真の民族、真の国家、真の世界ではなく、悪なる社会、悪なる民族、悪なる国家、悪なる世界になってしまったのです。ですから、メシヤが来られて成すべきことは、これと反対に真の父母となり、真の子女をつくり、真の民族、真の国家、真の世界をつくって、サタン世界を完全に消化するのです。その時、理想世界へと越えていけるのです。民主世界と共産世界は、イエス様を中心とした右の強盗と左の強盗のような立場であり、世界史的な実を結ぶため戦うのであります。これが最終戦であります。 統一教会では、真なる愛の関係といいますが、真なる関係を結ぶためには、サタン的な人と完全に因縁を切り、天的な人と結んだ因縁の内容から出発することが本来のみ旨であります。そのような関係が立たずしては、いつでもサタンが引っ張っていくのです。それでは、アダムの伝統的内容とは何でしょうか? それは神の愛を中心として、真の父母の文化を連結させることです。神様と真の父母を中心とした愛の文化圏であります。分かりますか? 神様の愛と真の父母の愛を中心とした文化なのです。その文化が理想的地上天国の文化であります。歴史を通して永遠不変に受け継ぐことのできる一つの文化圏とならなければならなかったのに、堕落によってすべてを失ってしまったので、これを再び復帰して取り戻していくのが救援歴史であります。 神様の愛を中心としては、全部が兄弟であるので、そこには黒人も白人もなく、過去の人も現代の人もないのです。だから霊界と意思が通じるのです。統一教会の信者たちを中心として、白人黒人をみんな愛で消化する立場になれなかったら、サタン圏内をまだ離れることができないということです。それはまだ真のオリーブの実ではなく、野生のオリーブのエキスを受けているので、その実は野生のオリーブの実です。このように見るとき、アメリカの文化は何ですか? それはサタンの文化ですか。それとも神様の文化ですか?(ノー)。そういう種を受けてはなりません。このような話は、アメリカ人の耳には聞きづらくとも仕方がないのです。耳が痛く、腹が痛く、胸が痛くなければなりません。こういう話をしていて監獄に入り、途中で出てきてもまた、このような話をします。先生の言うことはいつも同じです。(拍手、歓声) それでは、霊界の仕事というのは何でしょうか? それは地上を正す協助機構なのです。地獄の悪霊は、麻薬を飲めとか、フリーセックスや女同士のスワップなどをやれやれと言います。そして、それはとても興奮的でいいからと一度にみんな押し込んでしまうのです。また、愛というものはとてもいいものだ。愛の中にみんな入りなさいと言って、その中にみんなを入れるのです。この頃ではそれにも飽きてしまって、ホモセクシュアルとか、レスビアンとかいって騒いでいます。それらは滅びるのです。一世紀もせずに滅びてしまうのです。そういうことをやっていては滅びてしまうのです。今のアメリカの文化は何を根拠にしているかといえば、破壊的であり、滅亡するサタンの愛の文化圏に立っているのです。分かりましたか?(はい)。 私たち統一教会は、神の愛を中心として立っているために、サタンの文化とは反対です。神様の愛を中心とした文化なのです。そこではフリーセックス絶対反対、ホモセックス絶対反対、麻薬も絶対反対です。父母が父母としての役割をすることができないし、祖父母が祖父母としての役割を果たしていないし、兄も弟も各々の役割を果たすことができず、みんなが愛を中心としてめちゃめちゃになって滅亡するしかないソドム、ゴモラが今のアメリカなのです。また、親族間の愛がどれほど多いことでしょう。そういう者たちが、統一教会に対して異端だとか、社会を滅ぼすなどと言えるでしょうか。レバレンド・ムーンは、宗教の一番先端です。(拍手) サタンがどうすることもできないように一度に切ってしまうのです。そのように世界的サタンも讒訴できない秘法をもって現れたのがレバレンド・ムーンです。そしてどうしたのかといえば、霊界がサタン世界と神の世界の二つの群れになっているので、サタン世界の霊界から善なる霊界に早く行ける道があれば、地上は自然に早くなります。分かりますか? そこで霊界のサタン世界に行って、個人的に引き継ぐ方法、サタン家庭を引き継ぐ方法、サタン氏族を引き継ぐ方法、サタン国を引き継ぐ方法、サタン世界のすべてを、サタン霊界のすべてを引き継ぐ秘法をもっていればすべてが可能になるのです。何の話か分かりますか? 霊界にそういう時が訪れます。霊界にそういう時が訪れたならば地上にも反映されるので、すべての変化が速まり、究極的に世界に広がっていくのです。 昔は、ストリーキングとかいって裸になって走り、大騒ぎしましたが、それも過ぎて今はフリーセックスだとかいってますが、しかしこれも過ぎ去ってしまいます。ワイフスワップということも速く過ぎ去って、そしてこの頃ではどうなってきたかというと、年を取った人たちがフリーセックスだとか言っている間に、若者たち二世が、「私たちはそういうことは嫌だ。あなたたちがこのアメリカを滅ぼし、国を滅ぼすのだ。それはいけないことだ!」と立ち上がって、反旗を翻す運動が起きています。 サタン世界の愛は、愛すれば愛するほどに嫌気がしますが、神の愛は、愛すれば愛するほどに神秘的で陶酔するのです。これが異なる点です。サタン世界の若者たちは、死ぬほど愛しているといいながら結婚しても、一週間もたたないうちに離婚してしまうのです。ところが、ムーニーヤングのアメリカの人たちはどうかといえば、「私たちは違います。結婚も自分たちの勝手ではなく、レバレンド・ムーンがやってほしい。決めて頂きさえすれば感謝です」と言う群れになりました。これが希望なのです。(拍手)そして統一教会では、結婚した後も数年間を南北分かれて、会っても手を握ることもせず生活しているのです。しかし、この方がゆっくりと燃え、いったん燃え始めると永遠に消えません。これはどういうことかといえば、電気コンロはコイルがあって電気が(コイルの)原素に入って熱くなるのですが、私たちはこのようなコンロになるのであって、コンロの上に載せてある鍋ではありません。鍋のような愛とコンロのような愛は異なるのです。 私たちはだんだんと刺激的な、神秘的な愛の世界に向かっていきます。しかしサタン世界の愛は、刺激や神秘がだんだん狭まっていくのです。白人の統一教会の男性は、白人の美人の女性と結婚すると思っていたのに、白人の美男美女たちはアジアの人たちと結婚するというのだから、どれほど刺激的で、どれほど神秘的なことでしょうか。地の端から地の端まで、東から西の方へ、南から北の方へ行こうとするのが理想です。そこには神秘があります。だから面白いのです。サタン世界の愛は、大騒ぎをして消えてしまう愛ですが、神の愛は悪口を言われながら、殴られながら、異端視されながら発展するのです。(先生が、「ホッホッ。ハッハッ。ヒッヒッ」と笑い声をだんだん大きく表現なされる)そういう愛が神の愛です。 アメリカの教会の中で、椅子を使わない教会があるでしょうか? ここは愛の教会です。皆さんは自分を中心に東西南北に接したいのですね。(笑い)前を見ると黒人で、横を見ると黄色人で、後ろを見ると白人で、東西南北に五色の人たちが接し合っています。(笑い)だから愛の人種の教会なのです。そういう意味からすると、レバレンド・ムーンがこのように教育したことは良かったの、良くなかったの? どちらですか? (良かったです)。良くありません。(ノー、ノー、ノー)。私は知りませんよ。結論は分かりましたね。ではこれから、どのようにして霊界に橋を置いて、そのまま飛び越えるようにするかということのお話をしましょう。面白いでしょう? ここにいる文という人は韓国の人ですか、アメリカの人ですか? 西洋人ですか、東洋人ですか? (様々な答) 東洋人であり、韓国人です。しかし一つの特許権があります。すべての文明の発展の要素は特許権で連結しているのですが、その特許権はみんな異なっています。例えば服を作るにおいても各々異なるようにです。特許権さえもっていれば、そのような特許権が一つあれば、どこへ行っても仕事ができるというのがこの世の理法です。霊界にもそのような法があるということを知らなければなりません。その特許権は、白人にのみ通用し、黒人には通用しないとか、アジア人には通用しないなどというものであってはなりません。どこにおいても万事に通じるのです。分かりますか? 霊界における特許権をもらうため、苦労した宗教人は歴史上に数多くいましたが、先生はそのような宗教人たちの中でチャンピオンの特許権をもっている人かもしれませんよ。それを見せてほしいですか?(はい)。もしそれが偽りであったとしたらどうしますか? 先生のようにユダヤ人に似ている鼻の人は詐欺をする人が多いというのです。先生には詐欺性があるかもしれませんよ。先生が良いか悪いか、何を見れば分かるのかといえば、ここに集ってきている五色の人たちが離れ離れではなく一つとなってどんな所にでも上がっていこうとするので、これは良いことだといえるのです。そこで神様は、「レバレンド・ムーンよ、駄目だ駄目だ」と言われるでしょうか? 神様は、「良し」と言われるのです。だから先生のサインがなければなりません。レバレンド・ムーンには特別なものが神様から与えられているのです。何かがあるのです。 アメリカの多くの立派な大統領も、霊界に行っては今後サインが必要なのです。いかなる君主、いかなる聖者、いかなる宗主であろうと、サインの必要な時は、頭を下げてでも来ざるを得ません。博士号を得るためには、主任教授の小間使いもしたり、足で蹴られても、はい、ありがとうございますというほどでなければ、博士号は得ることができません。もし、ある人が私はあなたと比べて顔もよく、相撲も強く、走っても一番であるので、百点には一つだけ条件がないが博士号のサインをしてくださいと言ったとしても、それは通じません。どうですか? (はい、そうです)。 今日、このように激しく社会で噂されれば、みんな滅びてなくなってしまいますが、先生は堂々とダンベリーの監獄に入り、今またここに来て大言壮語しているのです。全部傍受され報告されることを知っていながらもです。分かりますか? 神様もレバレンド・ムーンのサインがしてあるかどうかによって決裁するでしょう。レバレンド・ムーンのサインがあれば「良し」、なければ「駄目」と言います。先生は言葉の上で特別の特許権をもっているのかもしれません。言葉で言うことは易しいですが、実際にそれを手に入れることがどれほど難しいか考えてみなさい。だから先生がこのような特許権をもっている限り、これから霊界は先生の手の中に入るだろうし、この霊界に入る肉界はどうせ一つの谷間に入らざるを得ないという結論が出ます。これは正しいでしょうか、間違いでしょうか。そこで共産主義者をコントロールするのです。世界が一番恐れるアメリカの政府と一人で闘うのです。この前の裁判の時、先生は、「私は有罪ではありません」と判事の前でも、誰の前でも言いました。神様の前でも「有罪ではありません」と。(拍手) きょうは興進君の昇和式一周年記念日なのです。先生はこのように莫大な霊界の内容を知っているために、何が良いか何が悪いかを分け、そして切るものを切り、結ぶものは結び、蕩減すべきことは蕩減させることのできる、このようなすべての専門家なのです。霊界のサタン圏にそれを成し、すべての霊界が一つ所に来るようになれば、地上の世界は自動的に回るのです。そこで、個人から家庭に移っていくとき、霊界と肉界の壁を整理してあげる責任があります。家庭と氏族、氏族と民族、民族と国家、国家と世界、世界と霊界が通じることのできるためにこの壁を整理してあげなければならないのが、レバレンド・ムーンの地上四十年の統一教会の運動だったのです。 先生の時代に至って、聖書のすべての内容がはっきりしてきます。聖書のどの部分が成就していくか、次に何章のどの部分が成就していくか、今がどういう時なのか知っています。少しだけではなく、全部成就するのです。何の話か分かりますか? 先生はそのような碁を打っているのです。碁の分からない人にはこれが分かりません。碁を打つのに、既に霊界は終わったのですが、地上の世界の国々へ移っていくとき、それが塞がれているので、祭物が必要なのです。興進様がその代わりの使命を果たしたのです。このように言えば何の話か分かるでしょう? イエス様が三十三歳で亡くなった時、イエス様の死によって、その以後の人たちは恵沢を受けたのですが、それ以前の人たちは恵沢を受けられないのです。イエス様は一人で亡くなったのです。そして楽園に入りましたが、天国には入っていないのです。これをどのようにして解放すればいいのか。このような複雑な内容は、昼の祈祷の内容を知れば大体分かりますね。もし知りたければ、先生の祈祷の内容を録音したテープを聞けば、どのような摂理でこのようになったのか分かります。大まかにいえば、国が入り全部が入るのです。そこには歴史のすべてが出てきます。復帰歴史が出てきます。国がどのように連結されているのか、みんな出てきます。イエス様が国とユダヤ教を一つにして、ローマと連結すべきだった責任が果たせなかったことを、今日地上で蕩減してあげなければなりません。解怨をしてあげなければなりません。それは先生の息子以外に成せる人がいないのです。興進様は、イエス様の霊的救援と実体救援歴史を受け継ぐと同時に、地上における未完成な部分を完成し、世界舞台へと連結する霊的基盤の門を開き、共に地上の開門が連結する中間の責任を成したのであります。 イエス様が、イギリスの教会の食口に何度も現れて、御自身は旧いメシヤであり、興進様は新しいメシヤであると言いましたね。不思議ですね。どうしてそうなのでしょうか。霊界の内容を知らない人は「気が狂ってしまった」と言うでしょうね。興進様の犠牲によって、霊界と肉界が連結され、キリスト教と統一教会との間に塞がっていた壁が崩れ、アメリカと共産世界の恨みとなっていたすべてを解く段階へと越えていくのです。あれほど反対していたアメリカのキリスト教が、この数カ月の内に統一教会を協助し、レバレンド・ムーンが監獄に入ったことに反対して、自分たちも監獄に共に入ると言うのです。そういう運動はなぜ起こると思いますか。これは人間の力では想像もできないことです。今まで、ムーニーを追い出すために足で蹴ったり、唾を吐いていた人たちが、今はそうではありませんね。(拍手) 一九八四年を中心として、興進様をこのように送り、最後に私がダンベリーに入ることによって、三十万のキリスト教の牧師に統一原理のビデオテープを渡してあげるのです。今までの莫大な原理のみ言の内容を圧縮させてあるのです。それで大騒ぎになっているでしょう。いくら反対していても、これからはレバレンド・ムーンの後についてくるのです。足で蹴とばしたとしてもついてくるのです。時代がそうなってきているのです。だから“レバレンド・ムーンという人は不思議な人間だ”という好奇心が非常に大きくなっています。レバレンド・ムーンとは誰ですか? どのような人ですか? 私は私です。(笑い) 私は私ということは真です。私は不思議な人ですね。(いいえ)。人々はレバレンド・ムーンの秘密が分からないのです。ですから不思議なんです。他の人々は、監獄に入るとなったら、泣いて大騒ぎするのに、先生は希望を抱いて監獄に入り、監獄の地獄の後には何が訪れるかという期待で、「ハッハッハー」と笑っています。だから不思議なのです。(拍手) 先生は監獄の門を開かなければならないのです。私が因縁を結んで、どの門も開けてあげるのです。私がこの場に来ている今も、ダンベリーの人々が、「先生、電話をしたいのですが、いいですか」と言ってきているのですが、勝手な電話はできません。私が、「電話してもいい」と言ったとき、電話できるのです。先生がダンベリーにいる時には電話をかける必要も感じなかったのですが、今はいくら電話して声が聞きたくても、それができないので、「どうか一日が早く過ぎ去るように……。早く日々よ過ぎ去れ!」と言っているのです。あなたたちは、「一日がもっとゆっくり過ぎるように」と言いますね。そして“一日がどうしてこんなに短いのか”と思うでしょうが、あそこの人たちは“どうして一日がこんなにも長いのだろう”と思っているのです。反対ですね。今まで一方は神側であり、もう一方はサタン側だったのですが、両方とも神側になったのですね。(拍手) アメリカは白人の社会であり、白人の教会が最も良く、白人の牧師が一番良いのであって、どうして韓国から来たレバレンド・ムーンに大騒ぎするのでしょうか? しかし、ムーニーたちは韓国のレバレンド・ムーンが好きなのですね。それが神様の力なのですよ。 今は、霊界が一つずつ越えていくので、地上も黙ってはいられないのです。私がダンベリーに入ったことによって、北韓と南韓との交流が始まり、共産世界の中から中国が飛び出してきたり、統一教会に反対していたキリスト教会が、統一教会の話が本当で自分たちが異端であったというような、今までと反対のことがいくらでも起きているのです。あのように中国が変わってきたということは、低開発国家の半分以上に色が染まりつつあるということです。そしてグアテマラでは、解放神学が良いといって大騒ぎしていましたが、今ではローマ法王も解放神学は異端であると言って解放神学を信奉する神父を首にする運動が起こってきているのです。ローマ教皇庁において、レバレンド・ムーンは異端であるというのに、その教皇庁を代表した学長が、レバレンド・ムーンに名誉博士号を授与したのです。これは何という変化でしょう。(拍手、歓声) これまで統一教会は、騒がしく悪口を言われ続けてきましたが、これからはレバレンド・ムーンの何が悪いかと攻撃していってもいい時代が来るのです。先生はラテン・アメリカ連合を提唱しました。私たちはアメリカを相対に立て、ラテン・アメリカ連合を成そうというのです。(拍手)これは世界的な出来事です。また先生は、世界の代表の六大宗教の責任者に対して、宗教のための共通する全世界的な聖書を作りましょうと提案しました。これは本当に素晴らしい構想です。(拍手、歓声) こんな話をどんどん続けていたら、皆さんが興奮して心臓が爆発するかもしれませんので止めておきます。(ノー!)。とにかく細かいことは分からなくても、先生は偉大ですね。それは間違いではありませんね? (はい、そうです)。(拍手) ドイツもレバレンド・ムーンに反対していましたが、今ではレバレンド・ムーンでなければどうにもならないと言っています。言論界も今や、レバレンド・ムーンでなければ……。というように変化してきました。アメリカの責任者たちは耳があれば聞き、思いがあれば考えてみなさい。もっと話しますか? (はい)。 このように聴衆の前で、これほど大胆に話をするレバレンド・ムーンを囚人たちは全く知りません。今の時代、私が監獄に入ることによって全体がよくなる場合は、私は監獄の道を行くのです。なぜかといえば、蕩減復帰原則によってです。サタンも先生の家庭からそれを願い、神様もそれを願われるので仕方がなかったのです。だから私の興進が行き、私も昨年監獄に入ったという条件を立てたのです。そして七月二十日、自らダンベリーに入りました。それほど蕩減が多かったのです。いくら周りを見ても、それを果たせる人がいなかったのです。サタンもそれを願い、神様もそれを願っていました。そういうことを知っている先生には、監獄はもはや監獄ではありません。成功の決判をする所なのです。こういう先生の話を聞くと、これから一九八五年は、希望に溢れる伝道の時代であるというのです。 昔はゴミのような、廃物のような、麻薬を飲み、人間の屑のような人たちを伝道してきましたが、これからは国を代表する一国の大統領になれるくらいの人たちを、神様が最も喜ばれる牧師たちを、牧師といっても値打ちのないような牧師ではなく、リーダークラスの牧師を伝道するのです。また、私たちはカイン・アベルの原則を知っているので、統一教会がアベルとしたら既成教会の牧師たちはカインの立場になるので、早く引き継がせなければならないのです。彼らは先生の前に付くのですか? あなたたちの後に付くのですか? 考えてみなさい。カインはアベルに従わなければなりません。(はい)。 では、アベルの中心は誰でしょう? それはレバレンド・ムーンです。カインは誰の後に従えばいいのですか? それはアベル的カインの後です。それは誰ですか。だから、あなたたちは牧師のリーダーを連れてこなければなりません。ミスター・パクは国の指導者を連れてくるのです。これは理論的なことです。 これからは国の指導者たちを接ぎ木するのです。そうなればその国は生きます。もし接ぎ木しなかったならば滅びます。この手を見てください。右の手はアベルで、左の手がカイン世界です。二つは合わされなければ生きられません。これから、このような意味で先生の号令を歓迎する人は手を挙げてみなさい。(はい!!)。(みんな手を挙げる)皆さんは間違いなく、手を挙げましたね。(はい)。 今年は少なくとも、一人が一二〇名の牧師をいかに連結するかということです。分かりますか? そうすれば、あなたたちはイエス様が一二〇名を一つにすることができなかったゆえに亡くなったその恨みの世界を越えて、地上天国と天上天国へすいすいと飛んで行くようになるでしょう。アーメン。 第二次世界大戦後の四十年目である今年だから、この年に四十年路程において決定したことを成さなければ、統一教会と今後の摂理歴史に莫大な支障をきたらすのです。イスラエルが一九四八年に独立して、韓国も一九四八年に独立したので、第一イスラエル圏と第三イスラエル圏が独立しました。それから四十年間に、世界復帰蕩減基盤を整えなければ、神の国のみ旨に影響するという事実をはっきりと知らなくてはなりません。そこで、アメリカの第二イスラエル圏において、キリスト教文化圏と一つとなり、神の国の新しいカナン福地に向かって越えていく時代に入ってきていることを皆さんは知らなければなりません。ですから三兄弟が一つとならなければなりません。第二番目のアメリカが中心となって直線上に立たなければ、世界は滅亡に向かって進む時が、遠からず訪れます。アジアにおいては、韓国がよく知恵を使って処理すれば、アジアは飛躍する時代圏に入っていくのです。それは誰も知らないことです。 自由世界を指導するこのアメリカの大統領も今後、ソ連と共産圏から落伍した国々をいかに収拾するかということには、何の方策ももち得ないのです。その時、レバレンド・ムーンに相談すれば、知恵を得るでしょう。これからはそのような危険な時代に入っていくので、今これを防ぐ万全の準備をレバレンド・ムーン一人でやっているのです。 既に皆さんにお話ししたように、一九八八年までに一二〇名以上の牧師たちを結束することができれば、私たちは世界に影響を与えて指導的立場になれるのです。その具体的な内容は、ここにいるリーダーたちにみんな話しました。分かりましたね。二五〇の基盤が五〇〇になり、五〇〇の基盤が一〇〇〇になり、一〇〇〇が二〇〇〇、二〇〇〇が四〇〇〇となる時、その時から攻勢的な戦略をもって、三万から三十万の基盤をつくって世界へ雄飛しなければならないというのが、今後の統一教会の道なのです。そのような契機をつくるために、私がダンベリーに行くことになったのです。それで、三十万本のビデオテープをアメリカ中の牧師に配ろうとしているのです。アメリカの教会の実情を私はよく知っています。いくら新約、旧約の聖書を読んでいても、この急変する世界情勢の前に現代のキリスト教を導く何の能力もないのです。ですから、この統一原理を知らなければなりません。私は出監すれば全国の牧師たちに会いに行きます。(拍手) 今、あなたたちは虐待され苦しいこともあるでしょうが、その時になれば分かります。それで先生は、これまで言論界の人たちに対して一度もインタビューに応じませんでした。その時になって、「レバレンド・ムーンがあなたとは知らなかった」と目を丸くすることでしょう。(拍手)その希望をもって、その日を迎えるために私たちは一二〇名の牧師を中心として、接ぎ木することを二十四時間、夜も昼もこの一路へ総尽力しなければなりません。妻であれ、夫であれ、祖父であれ年齢を越えて、すべてを越えて、環境を越えて生死の事を解決する原理をもって世界的問題を越えるのです。これからは蕩減路程は越えて行けるのです。あなたたちはこれからは苦労しません。一九八八年を過ぎれば、先生は荷物を持って故郷の北韓の地を訪ねて行こうと思います。いかにして北韓の地に行くか? それは易しいことだと思いますか? これまで私は難しいことを成し遂げてきました。夢のようなことを成してきました。そういう経歴をもっているのです。 皆、立ってください。きょう一日中お話をし、汗を流しましたので、ダンベリーに行く前に倒れるかもしれません。だから先生が気持ちよくなるように、「一二〇名は問題ありません。蕩減世界を越えて、艱難と試練のすべてを越えて自由の天国に向かっていくために一二〇名の牧師は問題ない!」と言う人は手を挙げてください。(イエス! イエス! イエス!)。 神様の祝福が皆様にありますように……。 (拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.08
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「一つになりましょう」1984年7月20日 -お祈り- 愛するお父様、きょう一九八四年七月二十日、午後六時四十四分、この時間を期してイーストガーデンを出発いたします。これから子女たちと共に全体を代身して、お父様の前に一つの十字架を背負って行きますので、お受け取りください。 長い摂理路程は、善なる人々が蕩減の道を歩んで、いつも打たれて奪ってくる作戦でありました。個人から始まって今日の世界に上ってくるまでに、アベルの役事を受け継いだ宗教界が数多くのカイン世界の主権者の前に打たれる毎に、悲惨なる立場で傷ついてきたのですが、その基盤を通して、蕩減の道を急がれて来られたことを知っています。 時代的分野においては、善なる一個人を立てて、個人的な一時が満つるまで待ちながら、多くの人々を代価として探し、家庭的な一つの限界線を中心として、長い歴史路程に善なる人々を犠牲にして、世界的舞台を一つの中心から四方に向かって広めてこられたことを知っています。氏族的な立場、民族的な立場を四方に向かって世界的に広めつつ、世界的な路線を神側が右の方向へ編成するにしたがって、サタン世界は左の方に立って、世界的に対決する時点にまできました。 人類創造以後、堕落したその日から数多くの事情を残して、犠牲の代価を払い、今日民主世界と共産世界が対峙するところまできましたので、民主世界のキリスト教を中心とした文化圏として、全世界が一つとなることのできるこの場をもって、真の父母様に侍ることによってアベル的なキリスト教文化圏が完全に一つとなり、カイン的長子権を支配して余りある基盤とならなければいけなかったのに、第二次世界大戦以後、これを成すことができなかったゆえに、世界をサタンの側に引き渡し、今日統一教会は受難の道を行き、一人で個人を探し求め、家庭を求め、氏族、民族、国家、世界的な舞台にまでいくのに四十年という道を歩んで、最後の絶頂に臨み、今やアメリカ全体の前にキリスト教を代身して立つことによって、神の時と時を合わせて長子権と、次子的な立場の今日の既成教会を吸収することのできる時代圏を整え、今こそ一つとなることによって、今まで反対していたアメリカが神側に抱かれることのできる、緊迫した転換式に向かって、真の父母の名をもったこの一人の息子はこれから受難の道を覚悟して行きますので、アメリカを守り、キリスト教を守り、自由世界を守り、さらには韓国と韓国の民族を統一教会を中心として守ってくださることをお願いいたします。 行く道が険しくともあなた様が生きておられることを知って、あなた様が導かれるこの道に従い、有終の美を修めるための最後の峠に向かって前進しますので、神様が悲しみをこらえつつこの道を耐えなければならない立場を容納(寛大に受け入れて)くださることを切にお願いいたします。 このような次第で、すべての責任をお母様を中心として、幼い十二子女と、孫たちをここに共に集わしめまして、お父様の前にお願い申し上げます。祝福を受けた四家庭を中心に聖進君もここに参加していることとして、内的、外的に一つとなるこのような因縁を立ててお父様が守ってくださることを切にお願い申し上げます。 これからはお母様を中心として、特に孝進君と誉進さんが一つとなり、父母様の苦労の道を代身する立場において十字架を背負って、お父様がすべてを勝利して出てこられる時まで、お父様の代役として受難の責任と重要な責任を負いますので、彼らを協助してくださいませ。また祝福を受けた三十六家庭を代表した朴普煕、郭錠煥、韓相吉、韓相国の四人を中心として、四子女の祝福家庭と十二子女の困難な時には、相談し、お祈りし、協助し合いますよう。ここにお父様の代わりに全体のみ旨を委ねてまいりますので、お父様守ってください。幼い者たちの力の足りない分はお父様の前にひざまずいて祈るしかないし、お母様が難しい立場になればやはりお父様の前にひざまずいて祈るしかありません。たった一つのこの道を残してまいりますので慰労してくださることを切にお願いいたします。 父親がいる時にはお母様も子女たちも無理を言うことができたのですが、父親がいない立場においてはお母様が悲しみの立場に立つことは当然ながら、子女たちの悲しみは推測しても余りありますので、お父様が代わりに慰労してくださり、抱いて守ってくださることを切にお願いいたします。 私がこの地を離れたとしても、私の家庭を中心として祝福家庭が完全に一つとなり、祝福家庭の子女たちが完全に一つとなり、これらがすべて一つとなることによって、期待されるキリスト教が一つとなることのできる運動を展開する動機となりますように。私の家庭によって、私の子女たちによって、祝福を受けた子女たちと統一教会によって、完全に神の恵みが臨むことができますように許諾してください。 特に興進君が悲しみながらも残された家庭を保護してくれることを思い、イエス様と全霊界もこの恨みを解くために総力的進軍をして全面的に協助しますので、全世界の七十億に近い人々と国家が啓蒙されることと思います。これから行うすべての行事がお父様の栄光のために成すことを、お父様知ってください。それは私、息子のためにやるのではなく、このキリスト教とアメリカと自由世界全体のために、天にいる霊人たちのためにやっていることとしてお受けくださって、彼らを祝福圏に加えることのできる恵沢的な時間がこのたびの監獄での生活となることができますよう、許諾してくださいますように切に願ってやみません。 私はいかなる場に行っても、お父様に侍って私に与えられた召命に恥じないような責任を果たしますので、天よ御心配なさらずに、より家庭を守り、教会を守り、キリスト教を守り、アメリカと自由世界を守って、共産世界にまで救いの道を開くことができますように。真の父母と真なるアベルが一つとなることによって、長子であるカイン圏が自然に屈服することのできるその日まで、歯を食いしばってでも耐えていかなければならない私の道ですので、その時までは、受難の道を感謝でもって消化しなければならない私たちの行く道でありますので、すべてをお父様の前に感謝し、きょう出発します。この身を受け、主管してくださいますことを切にお願いいたします。 これからは、ダンベリーという収容所に入っている百五十人の人々の心を感化してください。私が行くことによって、悪なる人たちが善人になるように許諾してください。名もなく服役している私の姿を見て、その心に感動を受けることができる、神の因縁が共にあらんことを。 興南の監獄で共におられたお父様が、この場においても共にいてくださることを信じています。興南の監獄は敵の国にありましたが、ここの監獄は神側の国にある監獄ですので、安心して行けることを感謝し、そこにおいてもあなた様の予定した人がいるとしたら伝道して、この国の、この世界の助けになることのできる一つの門を開くことのできる道となるように許諾してください。神様が残した領土でありますので、私はそれを管理し視察しようとして行きますので、行く道を祝福してくださることを切にお願いいたします。そして所長と職員全体が心を合わせて新しい霊的な雰囲気がそこに表れるように許諾してください。 過去の歴史において、看守の生活をしていたすべての善なる人々がここに再臨して、彼らの心を善にし、毎日の生活圏内に神様の香りが漂い、恵みの雰囲気がすべての環境を消化することができるように許諾してください。夢や啓示で示して、言葉なき中において神の心情の土台を広めることのできる美しい地域を心から成すことのできるように許諾してくださいますよう切に願ってやみません。 天全体の宝座を中心として、興進様とイエス様を中心とするすべての霊界が、すべての先祖たちが、この時間に頭を垂れて真の父母の行く道に向かって涙し、敬礼することを考えながら、地上においては私たちの統一群が心を合わせて、父母様の行く道を祝賀するこの場を父よ、祝福してください。心情的絆を強くし、今日の恵沢を、お父様が祝福したい心の場を、恵みとして与えてあげてくださることを切にお願いいたします。 今、すべてをお父様の前に感謝で受け入れ、これからのすべての環境が難しくとも消化し、吸収し、克服して行くことをお父様の前に宣誓し、盟誓しますので、お父様は御心配なさらず、むしろ私の代わりにお母様を保護し、子女たちを保護し、教会を保護し、キリスト教と自由世界を保護し、さらに大韓民国を記憶してくださることを切にお願いいたします。 いまだに残っている共産国家までの救道の十字架の道を見つめつつ、私の年齢が七十歳に近づくこの時代の早い時期に、あなたに有終の美を修めることのできる一つの契機であり、蕩減期間として受けて立つ私の心であります。これを矜恤{きようじゅ}(憐れみ恵むこと)に思ってくださいまして、万福をこの地球星に許諾してくださることを切にお願い申し上げます。 きょう流す涙は、悲しみと失望をもたらす涙ではなく、希望と決意を新たにし、全天下に忠孝の道理を誓い、忠臣と聖神と聖子の立場を果たすことのできる涙となすことができるように許諾してくださることをお願いいたします。そのようにして、生涯において恥ずかしい涙を流すことのない誇らしい子女となることを宣誓いたしますので、矜恤にお受けくださることを切にお願い申し上げます。 この背後において、オリン・ハッチ上院議員が政府を代表して憲法小委員会委員長という重大な責任をもって、宗教自由の権限の門を開く闘いの旗を翻さなければならない責任がありますので、オリン議員をお父様が守って励まし、告訴の文書を取り質すことによって、この事件が今日の悪魔、共産主義の魔の手の理論によってなされたことを明らかにすることにより、今日のキリスト教文化圏が結集することのできる一つの契機となり、宗教人団結の総進軍の信号弾を全天宙に鳴り響かせることができますように、お父様お導きください。 統一教会のメンバーによる大きな声が聞こえる時、それはお父様の解放の歌を讃美する歌として万人の耳に響き、お父様の心に歓喜と歓声として聞こえ、すべての事が成就されますよう祝福してくださることを切にお願いいたします。 さらに幼い情進を始めとして、妍進、享進、栄進、善進、権進、国進、顕進、恩進、仁進、孝進、誉進、聖進を、また幼い孫たちの信貞、信君、信福、信淑、信美、信一を共々に保護してくださることを切にお願いいたします。再び会うことのできる時まで、彼らをあなたの愛で夜明け前の冷たい風を経て神の恵みを受けて朝の日ざしに光る露のように、お父様の誇りと栄光が芽生えることができるように祝福してくださることを願いながら、再び会う時までこの場で祈祷することもできない私に代わり、このみ旨が成就できるようにそのような祈祷をし、毎週の敬礼式に祝福を施し、祈願してくださることを再三お願い申し上げます。 私がいなくとも、ここに父母様と子女たちと祝福家庭が一つとなり、統一教会が一つとなり、既成教会が一つとなり、自由世界が一つとなるようにして、あなたのみ旨を成すことのできる父母の立場を探し求め、栄光で成就することのできるように心から深く誓いながら、力強く行路の歩みを踏み出してまいりますので、お父様が許諾してください。万万歳の恵みがあるよう。これらのすべてを真の父母の名をもってお祈りいたします。アーメン。---------- 先生の信仰はどこに行っても常に変わりません。(拍手と歓声) 信仰が変わらなかったということは心が変わっていないということです。(拍手) したがって先生が追求する世界、先生が考える世界も変わらないでしょう。私たちの生活は高い所に行っても低い所に行ってもどこに行っても同じ生活であるということを皆さんは知らなければなりません。 八時が過ぎましたね。時間が余りないので簡単に一言だけお話ししましょう。 神様のみ旨は一つにすることです。堕落ということがなかったなら、私たちの心と体が一つとなり、男性の心と体が一つとなり、女性の心と体が一つとなって、二人の心と体が一つになり家庭となっていたならば、そこに統一の世界が始まったことでしょう。 しかしながら今日の世界は一つとなってはいません。では世界とは何でしょうか? 世界は男性と女性を拡大したものです。では皆さんの心と体が今日までに一つとなったことがありますか? 男性に対して問うてみる時、誰も自信のある答えはできないでしょう。だからこの世界は神様の願わない世界であるということを、私たちは普遍的結論として出すことができるのです。この世界は堕落した世界なのです。ですから、一人たりともそのように一つとなった人がいないために、家庭はもちろん氏族、民族、国家、世界、天と地も完全なものとなってはいません。 もし一人の人間の心と体が完全に一つになれば、神様はその人に対する神様として現れたいと願うでしょう。私たちはこのように考えるのです。そのような男女が一つになる時、神様は主体としてその二人に対そうとされるでしょう。またある氏族が一つとなったならば、神様はその氏族の主体として立ちたいと願われることでしょう。全知全能なる神様なら、この地上に数億数千万の人間がいるとしても、その数億数千万の人々の前に、その主体として現れたいと願うでしょう。 そこには天と地の統一の国があるのであり、小さな国もあり、小さな州もあり、すべてがあるのです。そこで神様は、一つにした世界を旅行したいと思っているのでしょうか。それとも世界を一つにすることができず、一人だけで、あるいは家庭、氏族を伴って旅行をしたい神様なのでしょうか。これが問題です。一番目ですか? 二番目ですか? (一番目です)。よく分かりましたね。きっと今、神様はレバレンド・ムーンに対して、「あなたは私の心をよく知っているね」と言われることと思われます。 では、これから先生が行く道と、先生がやらなければならない仕事は何でしょうか? これが問題なのです。神様の最終目的である世界の人類を一つにする道を探していくことが、神様の愛する息子、娘の行くべき道であり、先生の使命なのです。もし堕落ということがなかったなら、人間が一つとなって神様に侍るようになっていたのです。このことをはっきり知らなければなりません。そうしたらそこから千万、億千万であったとしても一つになるようになっていたのです。 神様が家庭を造らなければならないし、国を成さなければらないし、世界を成さなければならないし、神の天と地を成さなければならないのと同じように、アダムとエバも堕落していなかったら、個人を完成しなければならないし、家庭を造らなければならないし、世界を成し、神の天と地を成さなければならないことを知っていたはずです。後孫たちもその道に向かって一つの世界を織りながら行くならば、その段階、段階において神様が最高の立場でありますし、アダムの氏族であれば、そのアダムの氏族は世界を代表した立場に立つのです。そのようにして全世界を旅行しながら、発展することができたのです。 しかし堕落によってすべてが分裂するようになってしまったので、歴史は再創造の歴史であり、復帰の歴史であるので、これを誰かが■って一つの世界圏をつくってくれることを願わなければならない神様の立場になってしまったということが悲痛なる事実なのです。この分裂した世界の中心は誰かと言えば、神様ではなくサタンなのです。ですから個人においても、心と体が反発し合っているのです。そしてこれまでの歴史において、このような罪の根を断ち切ることのできた人は一人もいませんでした。ですから、個人のみならず夫婦同士が分裂し、家庭、氏族、社会、国家間においても分裂し、黒人と白人も分裂し、東洋と西洋との対立といったような分裂が起こるようになってしまったわけです。 サタンの勢力は何かと言えば、分裂せる世界版図圏という勢力であり、その勢力権をもっている世界的チャンピオンがサタンなのです。これとは反対に神様の愛はどのようになっているかと言えば、サタンを追放することによって分裂を防ぎ、いくら分裂させようとしても一つになることのできる群を作らなければなりません。したがってこのように分裂した世界の中で、天と地全体が分裂しようとしても、それを統一する力をもった人がいるとしたら神様はどれほど喜ばれるでしょうか。 歴史的な偉人、聖賢たちとはいかなる人なのかと言えば、その社会において、あるいは国家とか、世界の環境が分裂しようとしても、絶対に分裂させず、堂々と生命を懸けてでも一つになる道を求めていった人たちのことなのであります。その人類の聖賢たちの中でも聖者として来られた方が、神のひとり子として来られたイエス様であったのです。イエス様はサタン世界において、彼を破滅させようとする敵も含めてサタン世界までも導いて一つにしようとしたのです。十字架を背負いながらもイエス様は、怨讐のローマとユダヤの国の分裂を防ぐために一つになることを願う心で祈っていたという事実を知らなければなりません。そのようにイエス様が十字架上において敵のために祈ったのも、統一的な理念をもっていたからそうすることができたのです。理解できますか? イエス様は十字架にかかる時は一人でした。その時はユダヤ教も失い、新しい理想的なキリスト教も失い、ローマも失い、世界も失ったのですが、今日のレバレンド・ムーンはどのような立場に立っているのでしょうか。レバレンド・ムーンがやることは何でしょうか。神様が願っておられることを知った今日の統一教会がやる仕事は何か。このことをはっきり知らなければなりません。 「ムーニー」と言って、あなたたちの父母がまず分裂させようとしたし、四方八方で騒動を起こし、ユダヤ教が分裂させようとし、キリスト教が分裂させようとし、共産党が分裂させようとし、アメリカ政府が分裂させようとしていましたが、今はどんなに打ったり、殴ったりあらゆることをしてきても、私たちを分裂させられないと見始めているのです。 統一者、unifierということはunited fireという意味です。(拍手、歓声) 他の人々はこの戦いを見ながら、レバレンド・ムーンはどうするか。レバレンド・ムーンの妻はどうするのか。ムーニーはどうするのか。私たちの一挙手一投足を見つめているのです。もはや統一教会はバラバラになってしまって、完全にやられてしまうだろう。もう万事休すだろうと彼らは考えているかもしれません。しかし統一教会は涙を流しながらも前進する気根をもっているので素晴らしいのです。ですからお母様も、もし涙を流したとしても、夫が行くからと言って失望する涙ではなく、決意する涙でなければなりません。失望でなく、希望と決意と未来の闘争のための奮起の涙として変えることができるのは、打たれて奪ってくる法則を守っていく道であり、そうしなければ次には打たれて恵みを受ける基台がなくなってしまうことを知らなければなりません。今は泣いたとしても、より大きなものを受けることのできる器となって雄々しく強くなりなさい。希望と所望をもちなさい。そうでなければこれから打たれて天が探してくださる恵みを受けることができず、こぼして失ってしまうことになります。 だから、たとえ全アメリカから反対されるとしてもレバレンド・ムーンは負けないでしょう。絶対に負けるはずがありません。レバレンド・ムーンはアメリカ以上の所望をもって、これから探してくださるアメリカまでも受けることのできる準備をしなければならないのです。 そして我々は昨日よりもきょう、きょうよりも明日が大きくなり、明日よりも一年後がより大きくなるでしょう。それで神様の願いである四十五億人類が一つとなることのできる道をつくることができるならば、その道を選ぼうとするのが先生の思想なのです。 大法院の決定が出た時、「神様!次は何を与えようとするのですか?」と先生は尋ねたのですが、大法院の決定の後にはキリスト教が統一教会に戻ってきたのです。今回のこの法廷闘争において、先生が監獄に行く道を通して、これから受け継ぐであろう大きな祝福とは何でしょうか? それは世界の人類が先生の胸に抱かれるようになることです。(歓声、拍手) 先生が行く道には、統一された家庭がついて来るし、民族がついて来るし、統一された国が従って来るし、統一された世界がついてくることを知っています。そしてこの峠を越えて会う時には、その場に統一された世界の群れが先生を待っているのです。先生の行くこの道というのは希望の道であります。そしてそこには、何十億という人がいるでしょう。また、神様と一つに連結できる道があるでしょう。私はそのために十字架の道を所望と歓喜の道として行こうとするのです。そのためにも、ここに集まった五色の人種の皆さんは一つとなって従わなければならないし、家庭をもった祝福家庭は、家庭的に一つとなって従って来なければならないし、あるいは、民族と国に責任をもった人であれば、その民族と国を一つと成して従って来なければならないし、世界の全統一教会の信者たちが一つとなって従って来なければなりません。 きょうこの日を通じて、統一教会は統一を成就する伝統が父母様より子女様へ、祝福家庭へ、既成教会へ、アメリカへ、世界へと連なる橋が連結されたことを知らなければなりません。この橋はだんだんと大きくなっていくでしょう。このように壮大な道を出発するこの日に、皆さんは涙で先生を送ってはいけません。涙を流したかったら十倍、百倍、先生以上にこの国と世界のために闘うための涙を流しなさい。 心が痛み悲しければ、先生が出てくる時、千人を一つにし、一万人を一つにして会うことのできる統一の役軍となることを、この時に神様が皆さんに期待している事実を忘れてはなりません。先生は統一教会とキリスト教会と世界が一つになることを信じて監獄に行きますが、先生は監獄の中で一つになることのできない群れたちを一つにするための運動のゆえに行くのだということを知らなければなりません。 だから皆さんは本当に一つにならなければなりません。皆さんが一つになれば地獄の門を開くことができるのです。イエス様が十字架にかかった後に、地獄に行って門を開いたのと同じように、先生は死なずに生きて門を開こうとする最後の峠を越えるのです。この門を開く時、そこには復活がありますし、五旬節がついてくるようになります。先生はこのように思っているのです。 先生が入監する時、神は死ぬのではありません。皆さんの働きいかんによって、復活の国と復活の世界が成立するのであり、個人でなく一二〇カ国が復活することのできる世界史的なペンテコステとなるでしょう。 先生は世界人類を統一する勇士として、先駆者として行きます。また天と地を代表して行きます。ですから皆さんは先生と歩調を合わせることのできる一人一人にならなければなりません。真の父母様の息子、娘であるならば、父母様が行かれる伝統の思想を受け継いで一つとならなければなりません。 これまでに先生が行った六千双の合同結婚式も、世界を一つとするという象徴なのです。すべてのいろいろな異なった文化、背景、人種、すべてを一つにする、それが先生の目的です。こうなると統一教会のメンバーは今、皆一つの心です。一つの心です。そしてその目的は、神様のみ旨を成就することであり、神様のみ旨は人類を統一して解放することです。簡単なことですね。私たちはそのために前進いたしましょう。受難の道はもちろんのこと、十字架を背負う道であるとしても、死が妨げる道であっても。もし、ぶつかって壊れる時には、神様が私たちを凱旋将軍として覚えてくださるのです。死の道であるとしても復帰のために行くのです。神様が『統一の勇士』としての碑を建ててくださるのです。分かりますか? その時は、直接神の国へ直行するのです。垂直なのです。どうですか? (はい)。ですから心配しないでください。イエス様も十字架にかかりながら、「私のために泣かないで、あなた方の子孫のために泣きなさい。イスラエルが一つとなることができなかったので未来の悲惨なるイスラエルとローマのために泣きなさい」と言われました。 きょう、イースト・ガーデンに集って先生の話を聞いている人は少ない数ですが、きょうこの日のために、世界中で涙をもって祈ってくれている多くの人たちがいることを知らなければなりません。先生がなぜ世界的な誰もできないことを成そうとして懸命に闘っているのかと言えば、全世界が先生の背後で団結し、世界の祝福を迎えることのできるその日が来ることを知っているからです。 これからは皆さんが外に出て世界に向かって叫べば必ず良心のある人たちの、その良心が呼び覚まされて、そしてすべての眠っていた人々が起き上がって、世界に向かって同じように叫び一つとなるでしょう。このようにして、より大きな統一の道を求めていく時に、必ず成功と繁栄と、勝利の道となるでしょう。ですから皆さんは絶対なる決意をもって、外において四方八方に手を広め、世界的な統一運勢圏の前に橋を架け、そこでセメントの役割をしようと努力しなさい。 世界を見てごらんなさい。私たちは決して一人ではありません。今では私たちを支持してくれる多くの友人や味方の団体がいます。偉大なるムーニーの主人を知ったので、ムーニーであることに自信をもたなければなりません。誇りをもたなければなりません。そして全世界の人たちを一つにするために、新たに立ち上がらなければならない時です。統一の時のために立ち上がって前進し、目標を達成しなければなりません。今や夜明けが来たのです。東の空に朝の太陽が昇ってくるのと同じように、統一の太陽が山を越え、個人、家庭、氏族、民族、世界を越えて、私たちを迎えてくれることを知って、前進、前進、前進いたしましょう。アーメン。 まず私たちは個人の太陽を昇らせ、次に家庭の太陽を昇らせ、氏族の太陽、国家の太陽、世界の太陽へと、更に大きな太陽を昇らせる朝を迎え入れなければなりません。休む間がありません。悲しむ間がありません。涙を流し絶望している間がありません。ただ所望のために前進するのみです。きょうを期して私たちは前進するのみです。それはなぜですか? 神様を解放するためにです。(はい!)。そこから全被造物を自由に主管することのできる時が来るために私たちはやっているのです。神様が自由であれば、そこから地上天国が成就できることを私は知っているために、その道を探し求めていくのです。 その間に私たちが精誠を尽くすことは無駄ではなく、すべてが実のある器となるのです。今まではただ器を準備するだけが、これからはその器に実質的なものを入れなければなりません。先生は前線に立つ兵士として、皆さんの先頭で、この器に実のあるものを入れるために闘っていく決意です。だから先生は皆さんの先頭に立っています。皆さんのためにも行かなければなりません。皆さんと先生の間には世界統一という課題が残っています。 地獄の世界の門を開くために私は行きます。後は皆さんにお任せします。(はい、先生!)。統一いたしましょう。統一いたしましょう。これが私たちの課題なのです。そのために私たちは前進しましょう。それを願う人は立ってください。そこに向かって前進いたしましょう。アーメン、アーメン、アーメン。(拍手) 皆さん、特に祝福を受けた家庭の責任は重要です。分かりますか。家庭をよくしなさいよ。皆さん方はこれから私の家庭と完全に一つとなってやらなければなりません。他の思いをもってはいけません。時間が近づいてきましたね。 皆さんが先生のいる所へ来て、面会したいという気持ちはよく分かりますが、先生の近くに誰もが来るということは支障が多いのです。それでミスター・キムを近くに置きますので、その指導を受けながらやってください。分かりましたか?(はい)。 先生は個人時代に監獄にも行きましたが、それは世界的家庭を探すためでした。また家庭時代にも監獄に行きましたが、それも世界のためでした。そして国家時代にも監獄に行きましたが、やはり世界のためでした。今は世界時代の監獄にも行くのですが、これは天と地のためです。ですから皆さんも個人的資格で訪ねて来ることはできません。イエス様も自分について来る者は十字架を背負ってきなさい、と言われました。今は世界的な十字架を背負って従ってこなければなりません。十字架を背負って、勝利して、その十字架を下ろしてから訪ねてこなければなりません。先生と一緒に十字架を背負いますか? 皆さんがその十字架を背負って勝利するならば、先生はそう長くなく自然に出てこれるようになります。このことをよく知らなければなりません。 先生に会いたければこのイースト・ガーデンに来て祈りなさい。それでもどうしても来たければ、近くに聖地を一カ所選びますので、そこへ来て先生のいる所を遠くから眺めて祈っていきなさい。分かりましたね。(はい、先生)。 先生に面会したい人は手を挙げてみなさい。では今、先生のことを思って一回目をつむって、開けて、それを千回やってみなさい。(笑い) これで千回の面会をしたことになります。先生はそれを面会に来てくれた以上のものとして受けます。(笑い) それでいいでしょう。先生は忙しいのですよ。 私たちは一つにならなければなりません。統一のために前進しなければなりません。三万カ所を中心として、一人が十人ずつの牧師とコンタクトし、三十万人の牧師を一つにする運動をするのです。皆さんは一年間で何人できますか? 多くはさておいて、まず五十名を一つにしてみなさい。既に先生は三万のビデオをつくって、それを牧師に配ってビデオで勉強するように指示しました。一組ずつ一週間のビデオ修練をするのです。その間皆さんは何人の牧師を一つにしますか? 外部の牧師ですらも一人が十名の牧師をつなごうとしているのですから皆さんは少なくとも百名、千名をつながなければなりませんから忙しくなります。そのような責任が残っているのです。責任を果たさなければなりません。(はい!)。 では万歳をしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.05
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「未来の摂理のために備えよう」1984年7月19日ベルベディア 以下のみ言葉は、ダンベリー刑務所に行かれる前日、在米祝福家庭の二世たちをベルベディア修練所に呼び集めて語られた内容の要約です。 歴史発展の原則 人間は現在にのみ生きているのではありません。過去の先祖から生きて来たし、未来へも継続していかなければなりません。このような連なる人生にはいつも競争がついて来ます。次元の高い歴史発展のために不可欠な現象です。いつも挑戦を受けなければならないし、挑戦を克服できる過程を通過しなければ、歴史の発展は期待できないのが天理原則です。オリンピック大会を見ても、優勝し金メダルを取るためには、競技に参加し、実力を競う競争で勝たなければなりません。 このような観点から、先生は大きな志を抱いて、今まで実践して来る中で、すべての挑戦を克服し、発展させて来ました。今は世界的基盤がある程度整って来たと見ています。 人が生きて行く中で、自分の生活の場とか、基盤がない人ほど悲惨なことはありません。軍隊を例にあげれば、戦闘準備とか各種訓練など、すべての条件が整っていなければ、事ある時に悲惨な状況に置かれるようになります。非常時に備えた準備がないために、敵と戦って勝てる基盤がないのです。基盤を造るためには、長い期間の準備過程を通らなければなりません。同じように、人は一生を通じて目的とするところの世界のために準備しなければなりません。 統一教会がこれほどの基盤を築いた背後には、神様も準備された摂理的過程がなければなりません。神様は旧約時代を通じて、メシヤを送るために準備をして来られました。新約時代がなしたことは何でしょうか? 再臨主を迎えるための準備でした。旧約時代にあって、新約時代にあって“準備”と言うのは、旧時代の基盤の上から新しい次元に行ける基台を形成することです。 旧時代の基盤より、新しい基盤の次元が高くない時は、旧時代の歴史は新時代に移りません。これが歴史の順理です。このことは個人生活とか社会生活、そして国家が行く道のみならず、すべての歴史発展にも同じく適用されるのです。人生は準備しなければなりません。 人々は少年時代から青少年時代まで勉強をします。なぜ勉強しますか? 準備するためのものです。現代社会の基盤の上に、新しい基盤を形成することができる準備をするという事を知らなければなりません。 万一、その準備の内容が、歴史的な伝統を相続した現代社会の基盤より劣るときは、既成圏内に消化されてしまうのです。それは即ち、新しい歴史の発展を呼ぶことができないと言うのが理論的結論です。 未来のための準備 そのように見るとき、青少年時代は夢を持って、国家の全体的基盤を見ることができる目を持たなければなりません。経済、政治、教育、宗教、文化など全般的な分野にあって、理想的基準を持って、全力を出して努力しなければなりません。全般的な既成世代の基盤を凌駕するために、その基盤を越えることができる準備態勢が必要です。 そこで、統一教会はこれから世界に向かって行きますが、現時代、旧時代、これは民主時代と共産時代があり、あるいは大韓民国自体を見るとき、民主と共産の中で辛吟している旧時代の環境の中に、そのような基盤にあるのです。これが、どのように飛躍するか? 飛躍しなければならない問題は誰でも知っていますが、それを解決しようとすれば、とても難しいものです。もし、そのようにすれば、いかなる国民個人だけでもこのことを成し得ません。国家全体がこれを解決するためには精神的統一が必要です。そのためには国家、国策を立てて強調することは、国策、あるいは経済問題、政治の問題を選挙に際して政見発表するその内容も、政治の分野にあって新しい次元に行くことのできる、新しい基盤を造成することができる準備ができた内容なのです。これは、どの社会にもあてはまることです。 人々はよく、「成功したい。成功する。」と言います。成功するためにはどのようにしなければなりませんか? 旧時代の基盤の上に新しい基盤を造るためには、準備された内容を中心に、旧時代の基盤を消化できなければなりません。旧時代の基盤を越えることがてきなければならないということです。そうでなければ、歴史的な新しい基盤が設定されません。宿命的結論です。我々の人生とか、すべての国家が行く道も同じです。 軍隊であれば、軍隊としても徹底して訓練します。その訓練は、敵がいれば当然として、その敵を吸収し、越えることができる軍隊を作らなければなりません。そのために、情報とか、彼らが構成している環境基盤を吸収し、克服できる自制力を持たなければなりません。力の投入が必要でありますが、その自制力を持たなければならないという事実、つまり大半の社会における、そのような内容を知らなければなりません。 先生は、皆さんのような若い時代から壮大な摂理を準備して来ました。青少年時代に、神様と宇宙の根本に対する問題にぶつかったためです。神様の絶対的摂理によって生まれた創造的基盤が、なぜこのようになったのだろうか? 神様のためだろうか? 神様でもなく、人間でもなければ誰のためだろうか、サタンのためだろうか? それならば人間はなぜサタンを克服できないのだろうか? なぜ神様は、人間がサタンに備える準備をさせられなかったのだろうか? すべての環境条件を集め消化できる神様が、なぜサタンを防げなかったのだろうか? などの問題にぶつかるようになったのです。 これから統一世界に責任持たなければならない皆さんは、責任持てるだけの力を備えるよう準備しなければなりません。御旨を中心に準備すると言うことは、多方面で隙間なく準備しなければならないと言うことです。先生が宗教指導者として信仰分野だけ指導して来ていたならば、一教派の責任者となったかもしれませんが、今のように世界に影響を与えることができる立場に立てなかったと思います。私は多方面にかけて準備して来ました。統一教会は今、迫害を受ける難しい立場にありますが、未来のために準備しているのです。 先生は、世界の友邦国家群が戦うことを恐れる、二億四千万の人口を持つ、力の大国であるアメリカを相手に一人戦って来ました。アメリカの中で先生の友人として力になった人はいませんでした。このような事情をアメリカの食口たちは知らないでいます。 戦いに勝とうとするならば、盲目的ではなしえません。思想的準備をして、精神力で上回らなければなりません。努力することにおいては、アメリカ歴史上に功績をたてて来た伝統を越えなければなりません。従来の基盤を越えることができる主体性を確立するためには、多くの努力を必要とします。 闘争過程でどんな人が滅びますか? 吸収されるとか、消化される弱者が亡びるのです。ここには異議がありません。亡びないようにするならば、消化するとか吸収しなければなりません。そうしなければ残れません。敗者の辛い瞬間を迎えるしかありません。 既成基盤の消化・吸収 このような問題にぶつかってみるならば、現在受けている先生の問題が、これから世界的な波動を起こします。レバレンド・ムーン一人を中心に、四十億の人類はもちろん、全アメリカを中心にした自由世界が総動員……。では皆さんが準備したものは何ですか? 準備したものはありませんが、思想的な面で千年万年受難の道を克服できる自制力を育てなければなりません。自信を持って、難しくても貫き通す自分を作らなければなりません。どんな犠牲の代価を払っても消化しなければならないし、実践しなければならないのです。実践面では、宗教指導者は闘ってこなかったと言うことがてきます。二十四時間実践力を発揮しなければならないのです。 アメリカ人たちが(近世)四百年歴史において、一日に八時間努力し、現在の文明を作ったとしましょう。それを三倍努力する時には、百三十年あればできるのであり、この努力に倍、また努力すれば七十余年目に成し遂げることもできます。 準備できない人は流れる人生にすぎません。それで、私が皆さんを呼んで、「人生を準備しなさい。」と訓示するのです。皆さんが残りの基盤を吸収するためには、まずは、徹頭徹尾統一思想を武装しなければなりません。「後になれば、お前が後退するだろう。お前が敗れるだろう。」という信念を持たなければなりません。第二に、最善の努力をしなければなりません。第三に果敢に行動に移せる実践力がなければなりません。先生自身、このような人生観を持って来ました。統一教会はここが違うのです。 宗教界にあって、宗教基盤を中心に、キリスト教文化圏を吸収するためには、対社会の全般的分野を知って、キリスト教文化圏を包囲しなければなりません。 韓国も反対し、同じくアメリカも反対しましたが、アメリカはアメリカ自身のためのアメリカではありません。我々に対しては、今国家的に相対をしていますが、我々は世界的に相対し、包囲作戦を行っているのです。我々は、政治、経済、文化、特に言論界を中心に基盤を作りました。無いお金を捧げて、自分の生命に支障があっても準備しました。なさなければ、自体内で弱まって来ます。この法廷闘争は、七年調査して十年かかりました。統一教会自らが、すべてのものを消化できる基盤を作っていかなければなりません。 マジソン・スクェアーガーデンで、「希望の日」大講演会を開催した一九七四年と、アメリカ独立二百周年記念大会をヤンキー・スタジアムとワシントン・モニュメント広場で開催した一九七六年が摂理的な激戦期でした。成功的な集会にしようとすれば、多くの活動要員が必要でした。しかしその時、千八百双国際合同結婚式を行ってから、九十五カ国に宣教師を派遣しました。また、統一神学大学院を設立し、神学生を養成するようにしました。なぜだと思いますか? これは、世界的な統一の囲いを作らなければならなかったためであり、神学生を中心に、神学教授たちと対応するための準備作業でありました。 世界的な摂理を準備しながら、アメリカ自体内の基盤を作らなければならないのです。その間、宣教活動を始めとして、マスコミとか、産業界に至るまですべての分野で基盤を作って来ました。アメリカ内でどれほど統一教会を反対しても、今ではどうにもなりません。アメリカを消化して行ける基盤を作ったためです。今、現在、神学大学院卒業生を中心に、二百五十余都市で活動を展開できるのも、準備基盤があって初めて可能なことです。 皆さんも、学校の勉強でクラスメートを消化し、越えることができなければなりません。学校の先生まで消化できなければなりません。先生の教え以上まで探求し、質問して実力を備えることで、先生が一番愛する弟子とならなければなりません。 摂理的な世界問題を考えて見るとき、多方面で基盤を造らなければなりません。思想問題、宗教問題、経済問題、文化問題などにあって、国内の団体を越える基盤を作るためには、多方面で備わっている既成基盤を消化し、吸収しなければなりません。 自然系の構成要素である原子の運動は、より大きな次元に発展できれば、継続的な運動をしようとします。後退するとか、退化するような運動は止まってしまうのです。人間も同じであります。 既成の基盤の上に、新しい基盤を築き越える時は、もろもろの難しさがついて来ます。しかし、大きな発展をもたらす時は、この難しさは自然に消化されます。このような内容を知るために、韓国とか日本、欧州から若者たちが集まり、難しさを敢えて受けながら、すべての活動が展開しているのです。 人は、指導者となるには経済問題も処理できなければなりません。次は説得力がなければなりません。説得力を備えるには知らなければなりません。共産主義者を説得しようとすれば、共産主義を知らなければなりません。神学者を説得しようとすれば神学を知らなければなりません。皆さんが世界的指導者となるには、世界を、アメリカを、韓国を、すべて知らなければなりません。 小さな事が問題となるのではありません。哲学の根本は神が実在するかどうかという問題であり、神学生にとっても神が実在するかどうかという問題です。だから、神様と人間との関係、生命と永生に関する根本問題に対する確実な信念を持って、彼らとぶつからなければなりません。 自己確立のための準備を 先生は、青少年時代に韓国の八道江山(パルトガンサン:全国を意味する)をすべて回ってみました。韓国全土、どこも行かなかった所はありません。貧民村とか、乞食窟まで見て回りました。かわいそうなおじいさんとかおばあさんと事情を交わしあったり、自殺しようとする女性を捕まえて泣いても見ました。人々は春になれば、さえずる鳥と共に歌いますが、先生には歌う余裕がありませんでした。先生が抱いた悲壮な思いの前には、父母兄弟、誰も助けとなりませんでした。寂しさの日々でした。一生の間、そんな過程を過ごして来ました。 先生が監獄に行かなければ良いと思ってはいけません。私はアメリカの監獄を消化するのです。アメリカが消化できないと嫌っていた人たちを消化するのです。私が吸収するのです。 皆さんは、三十余年間に造って来た基盤の上で前進しなければなりません。痛哭しながらも、前進しなければなりません。神様の勝利の日が来る時まで、血の出るような努力を注がなければなりません。 あなたの前に、手足を釘打ち、胸に槍を突いたあの怨讐は、槍を持ってしては屈服させられないことを知っているために、精誠を尽くし、努力しながら、恥ずかしさを耐え忍び、若い青春を捨て、新しい基盤を持って準備しなければなりません。 私一人が一粒の種となって、土に蒔かれて五十余倍を収穫すると考える時、統一教会は明日を希望として迎えることができるのです。御飯を食べるとき、「御飯粒よ、摂理の主役となるため準備する私の力となってくれ。体内のすべての細胞に力を送ってくれ。」と言いながら食べなければなりません。 先生は皆さんのように良い服を着てみることができませんでした。ある面で、皆さんたちは、あまりにも無秩序に勝手に生きて来ました。だからと言って、私が生きて来たように生きなさいというのではありません。たやすくできることは、たやすく行くことが賢明なことです。しかし、先生の伝統だけは確実に知っておかなければなりません。 私はあらゆる闘争の歴史を経験して来る中で、どんな社会に行っても、そこで吸収されるかもしれないと思ったことはありません。後退するとか、消化されるとか、考えたことは一度もありません。学生時代は準備、先生は三十代まで準備、四十代まで実践。今まで時間を忙しく過ごして来ました。多方面に準備しなさい。 弱小民族がアメリカに移住して来れば、一年以内にアメリカ化すると言います。しかし、レバレンド・ムーンは正反対です。それで憎くて仕方ないのです。それでも、既に勝負は決定しています。全世界の知性人と良識ある人々は知っています。レバレンド・ムーンの思想がなければ共産主義を消化できないし、民主主義の道徳的混乱や、頽廃した倫理問題を清算できないという事実を知り始めました。 皆さんは、「私はお前を消化しなければならない。」と言わなければなりません。今できなくても、十年後でも再び戻って消化しなければなりません。外部から吹きつけて来る風が強ければ強いほど、自己確立のための準備に急がなければなりません。「十年後にお前は後退し、私は前進する。お前は吸収され、私は消化するのだ。」という信念を持って前進しなければならないのです。準備と基盤が必要であります。 今日、興進の死を見ても、先生はこの事件を消化しなければならないと強く決心しました。残っている十二人の子供が興進のように死の道を行ったとしても、死の勢力の前に、消化されないと言うのです。後退する者は亡びるのです。作戦上後退は可能かも知れませんが、それ以上問題を発展させてはいけません。女に消化される男は、そこから人生の坂道を下って行くのです。どんな権力を持った男も同じです。 私は、どこへ行っても法廷闘争が起きたし、監獄を相手にして来ました。男の行く道は、か弱い女の道とは違います。統一街の妻たちは、そんな夫を誇りに思える準備ができていなければなりません。お母様は、そんな面で準備ができています。 皆さんは統一世界にあって未来の主人です。過ぎ行く乞食とか流れ者は、基盤は必要ありません。皆さんは基盤を造らなければなりません。現在、各自の基盤を持ちましたか? 皆さんはまだ基盤がありません。私が作っておいた基盤しかありません。今からは、皆さんが自ら自身の基盤を作らなければなりません。実践時代を迎える準備をしなければなりません。軍事訓練をしないで戦争をすることができないことと同じことです。準備がない人は実践場で敗者となることが決まっているのと同じだからです。先生はどこに行くと言っても心配することはありません。皆さんの行く道は忙しいのです。先生が行く道を皆さんが早く継いで、新しい世界の基盤を作ることを願います。 実力がいくらあると言っても努力しなければなりません。努力をしても、基盤となるような努力をして建てなければ流れてしまいます。先生が努力することは、国家と世界が必要とする基盤に拡大するためのものです。 準備と基盤、実力と実績を持たなければなりません。どれほど実力があったとしても、実績がなければだめです。歴史上に残るのは、準備とか実力が残るのではありません。実践した実績だけが残るということを知らなければなりません。準備と基盤、実力と実績が必要であります。 先生が監獄を選ぶことも、一つの実績として残るでしょう。監獄で誰と会うか知れません。世界を生かす道がそこから開けるかも知れません。夢を持って行く道です。受ける試練を恐れないで、消化できる知恵と度胸を持った人は、絶対失敗者となりません。死んでも失敗者ではありません。皆さんも準備して基盤を持ち、実力を育て、実績を積まなければならないのです。 孝進、準備しなければならないだろう。お父さんの基盤はあっても、お前の基盤がなければならないんだよ。実力が必要だ。お父さんの実力ではだめなんだよ。そして、お前の実力基盤の上に実績が必要だ。ここに集まった人たちは、先生の実績の前に頭を下げるのであって、実力だけの前に頭を下げるのではないんだよ。これを確実に知って、孝進君がより次元高く、先生の願う以上になったら、私が監獄に行くことが、却って文氏門中にあって栄光として残って行くことと思うよ。 皆さんは、孝進君と一つになって、統一街の新しい基盤を拡大するための準備と、その基盤を作るための実力を育て、実績を積むことに総進撃することを誓いますか! 手を上げて約束しましょう。皆一つとなって、私が帰って来る時まで、誉められる皆さんとなることを願っています。 学生時代の思い出 学生時代の話を一つしましょう。先生は、学生時代に故郷を出て、ソウルで自炊をしました。ホーム・シックにかかり、初めての休みがとても待ちどおしくなりました。鳥のように飛んで行きたい気持ちが湧いても来ました。しかし、家には行きませんでした。私の行く道を作るためでした。自炊生活をしてみると、服を縫うことも覚え、家事もできないものがなくなりました。 当時、冬はとても寒かったです。井戸から水を汲む時は、桶に手がピタッとついてしまいます。かまどに火を燃さない小さなオンドル部屋で一冬を越えました。勉強し休もうとすると、あまりにも寒くて、電球を布団の中に入れてみたりもしました。神様のみ前に決意したことを、必ずや成し遂げるための準備過程であったために耐え忍んだのです。 皆さんのお父さんやお母さんは、御旨に従って来ながら、言うに言えないほどの多くの難しい生死を賭けた道を歩み、生き残ったのです。皆さんのおじいさん、おばあさんが反対する中で、お父さんとお母さんたちは先生が中心となって結婚式を挙げましたが、その背後の事情がどれほど悲惨であったか皆さんは分からないでしょう。 神様の復帰摂理は、カインとアベルを一つにする歴史です。今まで、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとアベルの基盤が広がって、今日のカイン型の共産主義をアベル型の民主主義の世界に二分されています。今、父母の立場にいる先生を中心に、民主主義世界が共産世界を克服し、一つとなることが復帰の道です。このような創造理想の実現のため、統一教会を建て、キリスト教文化圏を中心に闘って来たのです。 イエス様は、カイン圏とアベル圏を一つに作ることができなかったために、神様のもとに帰れませんでした。楽園に止まって、この地上に、再び来なければならないのです。しかし今の時は、必ず御旨を成就しなければならない第三次摂理時代であるために、再臨役事をまた再び繰り返す事ができないのです。どのようにしても、一つにできるような基盤を作って、御旨を成就しなければなりません。 収穫の時機 このような面で、今回の不当な脱税の容疑事件は、キリスト教と一つになれる貴重な事件となりました。イエス様はピラト法廷に立つことですべての基盤を失ってしまいました。ユダヤ教とユダヤ国家はもちろんのこと、弟子たちさえも、ちりぢりになって逃げてしまいました。しかし、先生の立場はそうではありません。先生と生死を共にする十二弟子も、統一教徒たちもいます。大韓民国や大韓民国のキリスト教が先生に同情しています。アメリカ国民やキリスト教が先生を積極的に支持しています。日本の朝野が、アメリカの不当な処置に憤慨しています。自由世界が今、私の側になっています。 今、皆さんは、父母様の息子を中心に一つに集わなければなりません。 今の期間はモーセがシナイ山に登った時と同じ期間です。皆さんはどのようにしますか? ユダヤ民族は頽廃し、淫乱に陥って、偶像を作って祭りました。しかし先生はその間、愛天日を宣布し、愛天燭と興進燭を伝授し、一情会を作っておきました。これから、私がいなくても、神様の御旨を立てるため、世界各地で膝を曲げて折れるような指針を提示したのです。 五月十九日、世界の指導者たちを集めて、「第二のレバレンド・ムーンとなれ。」と言いましたし、アメリカ二百五十都市に要員たちを配置し、指示しました。私が死んだとしても、御旨は成し遂げられるのです。イエス様の蕩減復帰としての十二弟子はいないか? キリスト教の代わりとなる統一教会はいないか? 統一教会を中心にした世界理想圏がないか? ユダヤ教は反対したけれども、先生を支持するキリスト教がないか? 皆ここにあります。 今や、キリスト教の牧師たちが先生を支持して大騒ぎしています。これらのことを誰がしましたか? アベルがするのです。アベルがその責任を果たさなければなりません。私が今帰らなければならない立場です。私が勝利でもって帰るべき立場ですが、監獄に帰るということは一体何事ですか? これは、何十倍、何千倍もの賠償を払わなければならなくなります。 皆さんが知らなければならないことは、カイン・アベルの復帰を中心として考えてみるとき、統一教会とキリスト教会が、――統一教会自体がこれまでアベル的立場において、カイン復帰のために先頭に立ってきました。血みどろの闘いをするのです。もう今は牧師たちの収穫の時機となりました。躊躇しないで行かなければなりません。紅海が立ち塞がっていても、イスラエル民族は行かなければなりませんが、今一つの雲の柱が立っているのです。これからはキリスト教が行く道がありません。雲の柱が立っているので、その雲の柱を先生と共に登って行くようになっているのです。 これから皆さんは行くのです。そのような立場から見る時、今の時は何かと言えば、父母様を中心にして、カイン・アベルになるのです。統一教会がアベルで、既成教会がカインとなり(その上に)父母様がいますね。それで、既成教会からカイン・アベルは別れたのですが、キリスト教というものは、いいものも悪いものもあるために分けざるを得ないのです。 だから、父母様を中心にカイン・アベルとなっているのですよ。分かりましたか? 父母がいなくなるときには、カインがアベルを勝手にしてしまうのです。しかし、父母がいればそのようにはできません。時が来ました。それで、再臨主、主と言うのは、父母としてカイン・アベルの戦いを防ぎ、カイン種族を置いて、アベルを代りに立て、父母様の代を相続させるのです。分かりましたか? 何を言っているのか、救世主がなぜ来るのかを。カイン・アベルの立場では、父母がいなければ、カインの立場は、すべてを奪って弟を殺すこともでき、とんでもないことでもすべてすることができます。どうしようもないのです。 しかし、父母が現れるようになれば、父母の前では、アベルが訴えることができます。即座に訴えることができます。そこから、不服従といった形態が現れてくるのです。だから、先生を中心に、父母を中心にして、今はカイン・アベルが一つとなりますから、国家的カインたちは嫌がるのです。だから、先生を代りに打つのです。先生を打つのです。しかし亡びません。 最後の時 今まで、摂理的に長子権の戦いをしてきました。今は先生の息子・娘が長子となるのです。皆さんが孝進を孝進兄さんと呼ぶでしょう。なぜか分かりますか? 世界を代表する、家庭的長子権を持って来たためです。堕落した世界では、長子権がサタン側にありましたが、今は神側に長子権が立てられたのです。そのために統一教会が蘇生とすれば、祝福家庭が長成であり、父母様の家庭は完成の立場にあるのです。誰が中心であるかと言えば、父母様の家庭です。 人を中心にして見た場合、旧約時代は物質蕩減時代、新約時代は自己蕩減時代、今統一教会にあっては、物質蕩減時代を越え、興進蕩減も越えて、私は実体蕩減だけ残ったのです。私は実体蕩減を迎えたわけです。だから、法廷闘争の峠を乗り越えなければなりません。分かりましたか?(「はい。」) だから、我々は何をしなければならないか。これからの神様の御旨は何かと言えば、全部宗教統一ではなく、宗教一体であります。心情一体世界へ、一つの世界に入って行かなければなりません。 堕落が何かと言えば、サタンに長子権を奪われてしまったことです。今、父母様が現れて基盤を造ってくださったため、父母様を奉り、長子と次子が一つとなって生きていける生活基盤が準備されれば、原理的に見れば天国に入っていけるようになるのです。この時が、最後の時なのです。久保木会長も昨日来て、み言葉を聞くだけで、みんな宙に浮いてしまうというのです。なぜか分かりますか? 時が来たと言うのです。分かりましたか? そうであるため、皆さんは、このような時を知って、必要のない考えはしないで準備して行かなければならないのです。 そう。(二人を指しながら)どうかな? お嫁に行きたいですか? 御旨を選びますか? (「御旨を選びます。」)不平を選びますか? 敗者を選びますか?(「……。」) 「不平を言うと敗者になります。」と言わなければならないのですよ!「何も選びません。」と、そのように答えなければならないんですね。はっきりと分からなければなりませんよ。 先生の家庭、十二。ヤコブも十二人の息子、モーセも十二支派、お母様も十二人を産まなければ大変なことになるのです。それで、韓国の宮中には妾制度(大奥制度のようなもの)が生まれたのです。王宮法が出てきても、宮女が三千宮女とか、それは天が作ったのです。そうでなければ、終わりの世に合わせることができないために、そんな悲惨史が……。 孝子・聖子の道理 しかし、我々の時代は違うのです。これから兄さんであれば、基盤が出来上がって来て、自分の責任的王権を渡すことにおいて、天国に行っては、兄弟によって渡し受けるのです。だめな兄さんより、できた弟にさせることで世界が生きれば、できた弟を立てるのです。兄さんが反対してはならないのですよ。支持しなければなりません。サタン世界では吠え噛みつきました。カイン・アベル闘争史ではね。我々の時代はそれではいけません。今日我々の幹部たちの間で、「誰は誰々の組に」と言うが、そんなことではいけません。あの世に行けば、即刻引っ掛かってしまいます。その組と言う人は誰のためなのですか? 父母のためのものであり、世界のためのものなのに、それがなにが、組か! 分かりましたか? 皆さんは忠臣にならなければなりません。忠臣になるには、どのようにしなければなりませんか? 王様のために精誠を尽くす人が忠臣ではありません。王様のように国民に尽くすことを知っている人を忠臣と言うことを知らなければなりません。 孝子・孝女がどのような人ですか? 父母のみのため精誠を尽くす人ではなく、父母に尽くすごとく、兄弟のために精誠を尽くす人が孝者であると言うことを知らなければなりません。普通、知られている内容とは違います。 聖人は、世界人類のために犠牲となりながら一生を生きた人です。聖子はどんな人ですか?世界人類を神様のように尽くしながら生きた人を言います。聖子と聖人は違うのです。 孝進、仁進、真の孝子・孝女とは何ですか? 自分の母とか父に尽くすごとく、兄弟に尽くすことが、孝子や孝女です。分かりますか? また、真の忠臣はどんな人ですか? 国王に尽くすごとく、国民に尽くす人が真の忠臣であります。真の神様の息子・娘とは誰ですか? 神様が尽くされるように、万物と人間、神様に属したすべてのものに尽くそうとする人であり、それが聖子です。分かりますか? だから、私は聖子の道を行くのです。怨讐であるアメリカまでも愛します。そのために神様が見る時、「私の息子であるなあ。」と言えるのです。 私は韓国で生まれたが、韓国の息子でありません。どうしてか? 神様に尽くすように、人類のために尽くすからです。神様とは何でしょうか? 自分を忘れ、人類のために尽くされる方です。私は神様を忘れるほど、その息子・娘である人類のために尽くすから、孝子と言うのです。分かりますか? そのような定義をはっきりと知らなければなりません。そのような孝子の道で、孝子、忠臣から、聖人の道、聖子の道を求めなければなりません。はっきり分かりましたか? そうであるために、君たち、家庭食口たちの中には国の忠臣の立場に立って、国王の忠臣を志望する人もいるでしょう。そのような人は、元来、どんな人かと言えば、その人たちは国王にも尽くしましたが、自分全体にも尽くし、国民にも尽くした人です。ところが、奸臣のような者たちは、これまで全部すべて斬首刑を受けて来ました。全然伝統が違います。逆賊です。はっきりと知らなければなりません。 孝子の道理の道を通じて、忠臣の道理の道を通じて、聖子の道理の道を成し遂げれば、その国が地上天国です。このように生きたその国は、そのまま天国へ行くのです。そのように移して行くのが神様の創造理想です。 三時代の完成者 ところで、これまで父母がいなくて、アベルがいないために、カインをつかまえることができないために、メシヤが来ることができませんでした。それでこのすべてのもつれたものを先生一代ですべて解きましたよ。作られてきた六千年、キリスト教歴史、大韓民国の目茶目茶に、アメリカをすべてこのように、糞のように作ってしまったのです。サタンがみんなこのように作ってしまったのです。私一人追われながらも、しかし、これを再編成して、これほどまでに仕上げたのです。それで霊界でも泣くのです。神様も「私よりも偉大だ。」とおっしゃるのです。「私ができなかったことを短い一代で、これをみんな解き合わせてこの場まで来た。」と。祈ってみれば分かりますが、慟哭せずには紹介できない息子として生きて来た息子だと言うことを、神様は紹介されるのです。そのようなお父様が、私が監獄に行くことを知らないでしょうか? 検事の精神が狂ってなしたことが、どんなことになるか分からないのです。これから何が起こって来るか分からないのです。 君たち、統一街にあっての長子は誰でしょうか? 先生の息子・娘たちです。十二支派が長子です。君たちもみんな、十二支派に属するようになるのです。そうでなくてはならないでしょう? これが天理の、復帰の原則です。それで、誕生日にはみんな、統一教会では、年取った博士たちも子女様に敬礼を捧げない人はいないのです。 世界が、天が求める十二族長を迎えることができる道が必要です。お母様が立派なことは、二十数年の間に一人の身体で十四人を産んだことです。摂理歴史的にとても貴重で、立派なことです。子女たちの中で、男子である興進と、女子である恵進を供え物として送ることで、現在十二名の子女がいます。はっきりと分かりましたか? 先生はどういう方か? 旧約時代と新約時代、そして成約時代のすべての摂理的完成の道を行かなければなりません。一代に三時代を歩むのです。アダム、イエス、私自身の完成。旧約、新約、成約の完成をしなければなりません。だから、この世で、すべての波瀾曲折をみんな経験しながら生きて来たのです。 私はすべてを奪われました。奪われても、私はすべてを分け与えました。今私にお金があれば、全部すべて買ってあげようと大変です。サタンに奪われることはないのですが、分け与えるのです。これをはっきりと知らなければなりません。 本然の長子を中心に 皆さんは自分の子女を愛することはできません。先生を愛する時は、認められなければなりません。さらに、先生の息子・娘を愛して、認められることなくして、カインを愛する時、皆さんはカインです。天国を迎えれば、アベルが長子であるため、世のカインを愛した以上に愛さなければなりません。先生自身そうですから、聖進を愛せなかったのです。聖進はなぜそんなに苦労するのか? 私がサタン世界に出て来て、全部アベルの代りになって、カインを探し求める道であったために苦労するのですよ。私が監獄に行くと言いました。行くのです。原理の道はどうしようもないのです。私が原理を知らなければすでに亡んでいました。天が今までなぜ私について来ましたか? それで、これからは伝統があるために後代はついて来るのです。 君たちは、復帰の過程から見ればカインの立場であるが、天側の長子となりました。これから、先生が築いて来た福を誰が分けてくれるのですか? 先生が分けてあげるのではありません。先生の息子・娘が分け与えるのです。十二支派を通じて。私はセンターです。東側へも行けません。センターは中心であるために、十二支派を通じて天国の福を分け与えるのです。 これから君たち幹部たちは分からなければなりません。この統一教会の財産全部、誰が主管しますか? 絶対に勝手に主管できません! この原則があるために、先生が建てたものは君たちが処理するようになっていません。みんな良く分かりましたか? はっきりと!(「はい。」)なぜできない? 自分たちが処理するようになっていないのです。センターは先生なのだから、十二支派を中心に十二息子を中心に横的世界に連結されるのです。分かりましたか?(「はい。」) 横的に見れば、蘇生は統一教会、長成は祝福家庭、完成は父母様の家庭。子女を見た場合、統一教会の子女、祝福の子女、先生の子女。今、先生の時代は二世を探し求めることです。一世は荒野で鷹の餌になっても関係ないのですよ。私に一つも関係ありません。私が祝福というものを作って生かしてあげたのです。この法が原則です。 君たちは天国へ行きたいですか? (「はい。」)それならば、何にならないとだめですか? 神様の息子・娘とならないとだめです。それでは、神様の息子・娘にどうすればなれますか?今、我々がここで考える時、アベルとしてカインに勝ち、父母様の功績を受けなければなりません。父母様の功績を受けようとすれば、父母様の息子・娘と一つにならなければなりません。 カイン・アベルは、今まで正常ではありませんでした。それは息子の立場なのに、子女の立場なのに、父母様と一つとなるということは、何をすることなのか? 息子カインの立場から探し求めて来た統一教会は、息子長子と一つとならなければなりません。分かりましたか? 直接父母様と一つとなれません。分かりましたか? カインの立場からアベル、アベルから長子、先生の息子は長子です。先生の息子は堕落した息子ではありません。本然の天のみ前に完成されたカインの立場です。皆さんの息子・娘は、このように一つとなることで、アベルの立場の恵みを受け、天国に入って行くのです。堕落したものを蕩減して、堕落しなかったという条件を持つということです。分かりますか? はっきりと分かりますか? ですから、祝福家庭は自分の息子・娘を愛したことを悔い改めなければなりません。分かりますか? 見なさい! 自分の妻を、息子・娘を愛せないことが原理の道です。カインを探して、アベルを探した後に父母が出て来るのに、カインを愛さず、息子を愛せなかった立場において父母が愛することはできません。カインを愛する前には、夫婦生活もできないのですよ。みんな通過した後に話になるのです。悔い改めをして、秩序を正さなければなりません。だから、皆さんは今、長子を愛さなければなりません。息子よりも長子を愛さなければなりません。 堕落の復帰過程において、堕落した世界で、アベルが長子を復帰したと同じく、精誠を尽くした敬拝をしなければなりません。いくら長子を復帰したとしても、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、益々復帰するものが多くなるのに、一度に世界舞台にまで復帰された長子を持った私の栄光と私の誇りを何と比較しましょうか! おお! 神様、ありがとうございます。長子は誰に侍らなければなりませんか? 父母様に侍らなければなりません! だから、三十六家庭の子女たちは多いのです。 しかし、私が子女を愛せなくて、孝進、譽進にすまないと思っています。優しく抱いてあげられなかったのです。それは、皆さんが愛さなければならないのですよ。私はサタン世界を救い求め、皆さんは天使長の立場で、すべてを教えなければなりません。元来アダムは神様が教育するものではありません。三天使長が教育するのです。三十六家庭はそんな意味で、三時代の十二族長を代表とした立場で責任を持たなければなりません。復帰されたアベルの立場で、先生の息子を中心に、復帰圏-本然の長子を中心に、千年万年感謝の心で一つとなり、父母様に侍る伝統を立てなければならなかったのです。分かりましたか? 地上天国実現の公式 もう、はっきりと悟り、これからは長子と一つにならなければなりません。十二息子と一つとならなければなりません。皆さんは今から十二支派に属さなければなりません。先生の息子は、神様のみ前に完成された本然のカインの立場にあるため、祝福家庭の子女たちが先生の息子と一つとなることを通して、本然のアベルの立場に立つ恩恵圏に入って行きます。だから、祝福家庭は自分の子女より、長子である父母様の息子・娘を愛さなければなりません。 堕落した世界で、アベルがカインを復帰する精誠より何倍も尽くさなければなりません。統一街はこんな原則があるのです。父母に尽くすごとく兄弟に尽くし、国王に尽くすごとく国民に尽くし、聖子となるためには、神様に尽くすごとく世界に尽くさなければなりません。そうすれば、世界は私のものです。そんな息子・娘が、神様の息子・娘になるのです。聖子と聖君が別にあるのではありません。 譽進も分かるだろう? お前もこれからは、お父さんが愛する統一教会を愛して、世界を愛さなくてはならないんだよ。そして、お父さんがいなくても、弟たちを良く従えてお父さんに尽くすごとく弟たちに尽くし、兄弟たちのために祈る娘が孝女の道を行くことなのだよ。分かりますか? 皆、すべて、はっきりと定義を出さなければなりません。真の娘とか真の妻はどんな人ですか? 真の娘は簡単です。父母と兄弟を愛せば良いのです。しかし、嫁に行けば夫ができます。それで、夫が尽くす父母に、より一層尽くし、夫が愛する兄弟を、自分の夫以上に愛するという人が真の妻となるのです。そのような女性を烈女だというのです。そのように考えてみましたか! そうすれば、家庭倫理は自然に立ってくるのです。家庭倫理の拡大が、即ち世界の倫理でもあります。 年とったおじいさんやおばあさんを見た時は、自分の父母以上に愛さなければなりません。なぜ自分の父母以上に愛さなければなりませんか? 家庭を犠牲にしてでも国を探さなければならないためです。白人または黒人のおじいさんやおばあさんがいれば、自分の国のおじいさんやおばあさんより、もっと尽くさなければならないのです。それでこそ、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的にと基盤を広げて行けるのです。家庭が氏族圏内に行こうとすれば、吸収されなければなりません。氏族が家庭に吸収されて入って来ることはできないから、家庭が犠牲とならなければならないのです。すなわち吸収されようとするから、尽くさなければならないのです。 このような公式を皆さんは知らなければなりません。このような家庭公法が世界へ通じ、宇宙に通じるのです。このような夫婦観、子女観、兄弟観が、天上世界と地上世界を一致させる一番重要な鍵となるのです。皆さんがこのような倫理観をはっきりと悟って、人間の道理を自信を持って行えるように願っています。孝子の道理とか、忠臣の道理、そして、聖子の道理をすべて行えば、地上天国は自然に実現されるのです。 では皆さん、休みになれば、手綱がゆるんだ小馬となって、東西へ飛び出して行きますか?どこかに穴を掘って入って行ったとしても、人生を準備しますか? 基盤を造る機会を失ってはいけません。 神様は皆さんに大きな期待をかけていらっしゃいます。それできょう、皆さんを集めて訓示をするのです。とにかく、先生の代身者として生きて行ける準備をすることを願います。 皆さんが、この世の人に消化されるのではありません。だから、「友達がいない。」と言って、疎外感を持つことができません。自然が皆さんの友達です。太陽と月と星たちが友達です。飛び交う渡り鳥と話するのです。「お前は一年間準備して、大洋を越えて、国境を越えて、季節を探して来たんだなあ、やあ、立派だなあ! 私も人生を準備するぞ!」 全員が未来の摂理のため準備することを信じ、別れの挨拶をしましょう。孝進よ、お願いするぞ!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.04
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「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」(後篇)1984年7月10日ベルベディア 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。 豊富な人生体験 父母様は、アベルの地へ訪ねて来られるのです。アベルの地には、父母様が食べることができる準備をしておかなければなりません。国家の為の道、世界の為の道を修めなさいと言うのです。自分たちが持て成されされる道を修めなさいというのです。父母は自分の息子・娘を助けてやったと大騒ぎしますか? その社会と国は、その後孫の前に、父母より以上によく尽くせばいいというのです。すべて連帯責任を負うというのです。 反対を受けた人の中では私が一番多いでしょう。今も反対を受けています。そうしながら復帰するというのです。人は反対されながら有名にならなければなりません。誉められて有名になった人は、そこで終わるというのです。今は悪の世界ですから、義者は反対を受けるようになっています。君たちもそのように理解して、そんな気概を持たなければなりません。学校に行って成績が落ちることは気にせずに、指導するという考えを持たなければなりません。 先生が君たちのような年齢の時は、帽子を被って学校に通いました。公園のような所へ行って大衆ともよく接したのです。将来、多くの人々を指導する訓練です。たくさんの人に会って、たくさんの質問もしてみなければなりません。数多くの答えが返ってくれば、それが全部経験となりま野。大衆を指導できる能力というのは、すぐには生まれないというのです。たくさん経験しなければなりません。商売もよくできなければなりません。私には経験しなかったものは、ないのです。鉱山に入り、トンネルも掘りました。炭焼きもやったり、人間のする仕事はすべてと言っていいくらいやりました。だから寝る時間もなかったのです。遊びもよくやりました。山といっても、数十里内外のことは大抵明かるいというのです。春になると鳥の巣を観察しました。どの花園に鳥の巣が幾つあり、雛(ひな)はどのようにして孵(かえ)るかよく分かっています。また水があれば、そこにどんな魚が棲んでいるか、よく見分けることができます。性質上、そのまま通り過ぎるということはなかったのです。素裸で水浴びをし、隅々まで探って、魚を素手で取って焼いて食べたり、朝飯は食べないことがあっても、川では蟹を取って焼いて食べたり、そんな遊びをしたというのです。 自分の為に祈らない 今から君たちを訓練しようと思います。今日終わってから、十日間くらいは、ここで聖地祈祷をしなさい。七月二十日までに先生は監獄へ入らなければなりません。終着点へ来たというのです。君たちはここにいて精誠を尽くさなければなりません。先生は自分の為にはお祈りしないと言ったでしょう。私は既に天に任せたのです。しかし、君たちはお祈りをしなければなりません。分かりますか? 先生は何とお祈りするのか? 「神様、監獄へ入ることになっていますが、私は死んでもできません。」と祈るでしょうか? 監獄に行っても、そのように自分の為に祈るのではなく、世界の為に祈り、食口たちの為に祈らなくてはならないのです。 今日の責任分担、よく分かりましたね。社会に出ると、社会の法を守らなければならないというのです。交通秩序、交通運行の責任分担をよく全うしなければなりまん。学校の決まりは、学校生活での責任分担を全うさせるものだというのです。皆さんには、熱心に勉強を教えてくれる先生が良い先生なの? ごまかして教えてくれる先生が良い先生のなの? (「熱心に教えてくれる先生。」)熱心に教えてくれる先生を好きな学生は一人もいないというのです。熱心にする先生がいい先生なのに、好きな学生はいないと言うのです。このように逆作用することによって、発展することができるというのです。 若い人たちには必ず制裁が必要だというのです。由自は要(い)らないということが分かりますか? 大学も卒業せず、社会経験もない若い人たちは、そのままいけば国を憂えるようになるというのです。家へ帰っても、学校へ行っても、まだ世の中が分からないのですから、三十歳までに自己主張しないようにというのです。 三十歳まで、私はお腹が空かない日がなかった。わざわざ、そのような生活をしたのです。服を全部、古物屋で買って、わざと匂いがする服を着ました。女性たちが追ってくるので、無関心に徹したのです。先生はだれとも話さないで生きて来ました。私が話したら、天下が回って行くと考えたので、話をやたらにしないというのです。自分の行く道が忙しい。準備するのが忙しいというのです。 祝福を受けてここに住んでいる人たちは先生の庇護のもとに暮らしているが、文先生にお世話になるというのではなく、天地の前に、神様の前に、人類の前に負債を負って生きていることを知らなければなりません。その負債は、必ず死ぬ前には返さなければなりません。私の子供たちに、私の親類に返して行くというのです。そのように決意しなければなりません。分かりますか? 私はそのような考えをもって助けているというのです。それゆえに、世界が生きることができるし、世界がここから生まれ出ることができる鍵になるのです。先生は全部一人ずつ連れて来て教育しました。飛行機代を払ってあげ、食べさせながら君たち一人ずつを先生がこのようにしたのだから、君たちも助けを必要とする人たちを助けてあげなさいというのです。それができなければ、君たちの息子・娘たちを呼んでもそのようにさせなければなりません。君たちもそれを伝承しなければなりません。それができなかったら、その民族は滅びるというのです。 夫婦は高きを目指して 祝福家庭の息子・娘として生まれた人たちは責任分担がありますか、ありませんか?(「あります。」)責任分担はこのように重要だというのです。責任分担を成し終えてから、遊びをしなければなりません。そうでなかったら、全部が嫌になるのです。責任分担を持つ夫として、その夫人が、「うちの主人は、本当に私がどんなにみても立派だ!」と言って自分の夫を一番先に宣伝するような夫にならなければなりません。 人の父親になることは、易しいことではありません。息子は、実は他人でしょう。父子の関係になっているが、何回みても他人は他人でしょう? 父の役は容易でない。また、妻の役目、夫の役目もたやすくないというのです。 だから、君たちは大所帯を好まなければなりません。大家族のお金持の長男の嫁になってみると、安定するものだというのです。それほど経験を必要とする君たちは、舅・姑がいる所へお嫁に行くの? 舅・姑がいない所へお嫁に行くの? (「いる所へ行きます。」) 舅から殴られることもあります。だが舅が死ぬ時、遺産を残すものだというのです。姑がそんなにこわくて殴られても、そこで文句もなく侍って、その姑が嫁を誉めるようになれば、その姑のすべての貴重な物、装身具などを引き継ぐというのです。それは、みんなそうなるものです。 夫においても、性格が意地悪な夫は女を殴るというのです。女がたまに夫から殴られて、涙が溢れ出て、その涙がぽろぽろこぼれて胸に流れてきても、それでも、すぐに笑うことができる女は幸福な女だというのです。殴られても、我知らずに涙をぽろぽろこぼした後で、すぐ再び笑いながら生きる事ができるというのは、喜劇、悲劇が交叉する素晴らしい妻です。そうでしょう? そう考えるのです。殴られるにも理由があります。間違って口が曲がってしまうこともあれば、ある時はこづかれることもある。だけど、それが苦しくてどうして一生涯を生きてゆくことができますか? 直すのは、女性一人では直せないのです。男性が怖くて、直さざるをえなくなるのです。鬼や雷が落ちるように一度殴られれば、目から火が飛び出るような涙がこぼれても、再びそのような目に会うことはなくなるのです。親戚から見れば、毎日のように殴られても平気で暮らしている人を見るにつけ、「実に不思議だ。その味を知りあいので、一度殴って下さい。」と言うのです。それが必要です。一度殴って、夫が妻に済まなく思いつつ、女を愛する味というものは、殴られたことのない女には分からない。夫が涙をぽろぽろこぼしなから、「ああ、済まなかった。これからはそうしない。」と言いながら、お互いに開拓しなければなりません。それはどんなに見事なものでしょう。 高きを目指して行くのです。希望のある限り、我々は何かを積み上げてゆくのです。希望の道を早く行こうとすれば、互いに励ましあい、もまれながら行かなければなりません。 女性は嫁に行く時、夫を愛そうとして嫁ぐの? 愛されようとして嫁ぐの? (「愛そうと思って行くのです。」)この世の女性たちは「愛されるために嫁に行く。」と言うでしょう?でも、愛するといっても、愛を受けられなかったらどうしますか? 愛を受けないというのに愛そうとすれば殴られるということもあるでしょう。そんな時は、泣きながらでも愛そうとしなければなりません。泣きながら、死にながらもそうしなければなりません。死んでも愛そうとすれば、その次には夫が屈服することになるというのです。 しかし、統一教会の女性たちはあまりにもいい御身分ですね。世間ならば、名の高い夫の下だと、女性は昼寝もできないというのに。この上もない精誠で仕え、お化粧を凝らして、ただ主人を待って夜更かしをするという、そのような侍り方も知らなくてはいけません。 きょうは、蕩減、責任分担の話を始めて、ここまでやってきました。もうそろそろ結論を出しましょう。 蕩減復帰歴史は、そのすべてが、子供の時から年老いて死ぬまで、霊界までが永遠に付いて回るのです。責任分担というものも永遠に付きまといます。霊界に行っても責任分担が残されています。霊界に行って、高い世界に昇れば昇るほど、次元が上がればそこに法があり、全部責任分担が付きまとっているのです。それを知らなければなりません。 アダムとエバはその完成させるべき愛が、間違った責任分担に引っ掛かってしまったのです。責任分担は、すべての分野で目的が完成する時、経なければならない過程であるのです。いかなる時限的な過程を渡るときも、必ず責任分担はあります。それが存在しなくなれば、すべてが破壊されてしまうことを知らなければなりません。 真理に立脚した立場から この救援摂理がどんなに大変なものか、皆さんには分かりません。そこで友達も助けることができない。助けてもらってもいけない。妻も助けることができず、父母も助けることができません。そこは父母の位置、アダムの位置です。分かりますか? その時は誰一人の師もなく、あるのはただ霊界の天使のみです。しかし、天使たちから助けを受けるようになっていても、それは堕落した天使圏なので、その天使圏からも救援を受けられません。逆に利用しようとするからです。誰も信じられない立場です。神様も正常に対応してくれません。試験を通過しなくては、神様も相対することができないようになっているのです。 人間が神様を忘れてしまったのです。エデンの園の、自由に信じられる容易な環境でも神様を忘れてしまいました。神様にとつて、不信のサタン世界の中で、信じ得る息子を求めることは、考えることもできないことです。そうではないですか? ですから、神様が信じられる位置に出るまでは、いかなる試験もすべて通過しなければならないのです。先生が、今日のこの位置にまで出るためのその試験の話はしませんでした。皆、知らないでしょう。そのような話は後々に残したくもありません。 エデンの園ではそのような話があってはいけないのです。本来の世界にでもあつてはいけない。それは自分の内で消化させ、後の世代の人たちには、良いことだけを話してあげたいというのが、先生というものなのです。悪いことは皆自分で処理し、先生の生涯でできる限り良いことのみを君たち後世代に残していこうと。なるべく監獄の話はしないでね、そのような話をすると、慟哭(どうこく)する人が本当に多いからです。そのような話をすれば、情緒的な面から感激して決心する人も多い。しかし、それは良くないのです。順理的(註・道理にかなった)な原則によってすべてを決心しなければなりません。衝動的な立場から決心するよりも、真理に立脚した立場からの決心でなくてはならないのです。自分がやりたくてやるのです。そうでしょう?真理に会えば心が動くようになっています。 心は永遠の主人 だから、自分に一番近い先生は誰かと言えば、実は自分の心なのですね。一番の友達よりも貴いものは自分の心です。その心に尋ねてごらんなさい。その心には神様がいらっしゃる。その心の声を聞くことができなければなりません。その位置に達しなければならないというのです。 仏教では自省(じせい)という話があるでしょう。そしてまた、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と釈尊は言ったけれども、それは何かと言えば、自分に聞けば、それは神様に戻って行くということです。そうなれば、不可能なことはないということなのです。だから、心を明かるくしなければなりません。心が先生よりも優れたものだというのです。心は永遠に私の主人なのですね。だから、私心を持たないで、公的立場に立たなければなりません。 私を中心として愛されたいと思ってはいけません。愛する立場に立つのが天の心なのだから、愛されるより愛しなさい。心はいつも「犠牲になりなさい。譲りなさい。」と言っています。与えても、また与えようとします。もし先生が今百億持っていれば、道に出て、すべての人たちに分けてあげるというのです。しかし、それでも世界人類すべての人に分け与えなければ、心は楽になりません。お金がもっとあれば、もっと分けてあげたいという気持ちになるのです。果てがありません。 そこで神様の心を知ることができます。神様の心も同じなのです。だから、神様の心はどんなに大きいか。どんなに深いことか。ですから、自分を自慢することができないというのです。いかに大きいことをしたとしても、心に聞いてみれば、「もっとしなければならない。」と言うのです。そう答えてくると言うんですね。この世ではいくらか仕事をすれば、認められることを願い、讃えられることを願うでしょう。だが、そうではありません。認められる日には、そこで終わってしまうというのです。そのような名誉栄達に愛着を持ては、第二段階への高い次元に上がるとき、障害になるというのです。なぜでしょうか? いつも讃えられていれば、そこは住み心地もいいでしょう。しかし、尊敬される第二段階の世界的道を行こうとしたら、そこは十字架の道だからです。困難な道であり、体が願う道ではないために、なかなか行かれないのです。 先生は三十歳になっても飢えた生活をしました。おなかが空かない日はありませんでした。そのような暮らしをしたのです。それで、腹を空かした人には同情するのです。先生はむしろ空腹を求めました。そこは神霊的だというのです。腹が空いている時間は、神霊的な時間です。先生が空腹を求めたのは、自分の食事がないからというのではありませんよ。わざわざその道を行くというのです。自分の責任が果たせなかったら、匙(さじ)を取っても、ご飯を腹一杯食べられないということです。準備しなければなりません。すべての課題を成し遂げるためには、眠ることもできないというのです。他のことを考える余裕もありません。いくら疲れていても、我々は今昼寝もできません。 昨日は二時間半ぐらい寝たでしょうか。お母様も疲れています。「少しお休みなさい。」と言われても、心はそうできません。年をとっても、仕事は若者よりももっと大きな舞台に拡がっており、仕事の量も多いのです。しかし、誰にも任せるということができません。先生が指示します。私が指示するのは、ただ指示するだけのことではありません。霊的な何かがあって、指示するのです。何の話か分かりますか? 仕事をする過程では、心が私を通じて教えてくれます。一目で心が分かります。だから、一番近い先生が実は自分の心なのです。心を痛めたり、悲しませてはいけません。それは、先生を悲しくさせるのと同じことです。天地の主人を悲しませるのと同じことなのです。私の一生の主人である心を悲しくさせるのですから。 良心と一つになった人格 心が楽しくなるようにしなさい。先生の中学校時代には、掃除は皆私がしました。学校全部を私が愛したいと思って、全学生を代表して先生が掃除をしたものです。そのような時は、人に助けられるのが嫌なのです。一人でしたいと思うのです。そして、もっときれいにしようと思えば、人がした跡をまたやり直すことになります。そんなにしていると、友達が、「我々はこんなふうにしたのに、お前一人でやるものだから……。」と言って、結局、自然に一人でやることになってしまったのです。けれども、その時間が実に楽しい時間でした。この世的に見ればすべて淋しい、悲しいようだけれど、心と友達になれる時なのです。それをすべて終えてから、瞑想でもしてごらんなさい。深い祈りの所まで引っ張られて行き、人が知らない深い世界に入って行きます。そのような体験が必要です。 君たち、劇場へ行っても、いい幕だけを見て、いい劇場だと言ってはいけません。幕が良くて何になりますか? 劇そのものが良くなくてはならないでしょう。その劇がいいかどうかの問題は、その劇を中心として、その人たちがいかに一つになっているかにかかっています。人間の深さがそこから現れて来るのです。 だから、心が同化して、その版図を広げる生活をするか否かが問題です。女性たち、娘たちの心は浅いでしょう? 根がありません。心は天道を先祖から引いてきています。その心を中心として、私の心が「こうではないか。」と言えば、体はそのように直されて行きます。女性として夫に出会えば、女性の守る道理や、女性の顔・姿がこうでなくてはならない、態度はこうでなくてはならないといったことなども直されていくのです。良い夫に対してはこんなによくするのだけれど、悪い夫に対しては、父母の身になって諭(さと)し教えるような、そんな準備もしなければならないのです。 良い夫をもらえると思っているのですか? 女性は嫁に行ってから、絶対、夫を嫌だと言ってはなりません。嫁に行くこと自体が、人の家に行くことなのです。人の家に行く限りは、その家で歓迎を受ける責任があるのですね。その家が私の心に合うかどうかと考えるのは間違っています。人の家がどうして合うのですか? だから、嫁(とつ)ぐ限りはその家に合わせていかなければなりません。舅の心に合わせなければならないし、姑の心に合わせなければならないのです。主人の兄弟に合わせて、その家に必要な者となって初めて、自分の居場所が定まるのです。 舅・姑がいる居間にまで同席するためには、「お嫁さん、いらっしゃい。冷たい部屋にいないで、こちらにおいで。」と言われるように努力しなければならないのです。心と体が一つになった立場において、舅・姑の心と体に通ずるところまで経て行くようにすることは、容易なことではありません。彼らは七十、八十歳の生涯の中で、紆余曲折(うよきょくせつ)が多かったそのすべてを中心として、姑は自分の嫁時代を思い出しては、いつも比較することになっています。しかし、このようにしながら、舅・姑の苦労したもののすべてが自分を経て行くのです。何カ月間の期間にそのすべてを、いや、それ以上まで通過させようとしても、それをありがたいという環境を作りあげて、その位置を奪うのです。 水がどんなに速い、と言っても自分より高い所へは流れません。それも、満たしてこそ流れ出れるのです。我々もそうです。心は原則に従って行こうとするのです。高い所から、低い所を見渡しては、四方に導き、我々の行く道を指導する。そうではありませんか? (そこには)偽りや不実がありません。 しかし、体は食べたいものを食べようとするし、好きなままに動くでしょう? これをすべてコントロールしなければなりません。だから、良心と一つになった人格を構成しなければならないのです。神様が別にあるのではありません。自分の心に、神様に侍るごとくに仕えて行けば、神様も自然にそこにやって来るというのです。分かりますか? 貴い話ですね。先生以上に心に仕えれば、その心が先生を教えてくれます。だから、私の生涯の主人は誰かと言えば、それは心です。心が合った夫、心が好む夫に仕えるようになっています。 良心作用の源 しかし、そうだとしても、みんなの心は合わないでしょう? 極と極、これは合いません。とすれば、水平線の一本橋を渡るように、おしとやかに、つつましく出会わなければならないと言うのです。会う所はその中央で会わなければなりません。前後を振り返って、「私が中心だ、好きな位置で会えばいい。」と言えますか? こうして会うことは、どんなに難しいことか知れませんが、それは神様が喜ばれることです。 それで、心の声を聞くことができるようになるのです。精誠を尽くして心で聞けば、全部答えが返ってきます。それでこそ大きい仕事が出来、偉大な指導者になれるのです。女性であっても、大きい仕事をすることができます。天と地を測る心をもって、無限に成長することができるというのです。 しかし、体に乗ってしまい、そこで座り込んでしまったら、心は大きくならないのですね。そのため、宗教生活、修業生活が必要となります。しかし、時には体が心を慰めてあげるのもいいのですね。「心よ、侘(わび)しいでしょう?」と体が心にそう言ってあげなければならないのです。 そうすれば啓示的になってきます。本当に不思議なことですが、先生もそのようなことがたくさんありました。どこかの道を通る時、一目で、「あっ、あのおばさんを助けてあげなければ。」と思いました。そんな時は、財布からお金を出して助けてあげるのです。また、道端で品物を売っているおばさんをなぜか助けてあげたくて、「いま家に何か不幸がありますか?」と聞いてみます。すると、やはり家で何かあったのだと言うのです。「自分の愛する一人息子が死にそうだ。」と言う。「その子は何歳ですか?」と聞けば、「七歳です。この品物を売らなければ、死んでしまう。」と言うので、それを買ってあげたのです。このおばさんが家に帰ってみると、風邪をひいていた自分の子供が、その時間に直ってしまったというのです。不思議なことが起こるのです。良い結果は必ず相対的な結果を引き起こすのです。そのようなことは、信仰生活の中では本当に多いのですね。 心があるか、ないか。そのようなことを考えたことがありますか? 心が主人だと思わなければなりません。今からでもそのように考えなければなりません。問題があっても、他の人に聞いてみる必要もありません。瞑想すれば、どこへ行けばいいといった直感までが働きます。啓示的です。それは天が教えてくれるものです。心は天と連結されることになつています。だから、心は何ですか? 人間の一番尊い、天註の大主宰であられる方が臨まれる哨所(しょうしょ:註・歩哨が立って見張りする場所)ですね。電話機が電信電話局の哨所であるのと同じことです。番号さえ合わせれば全部が出てくるのと同様です。ですから、心を良く使わなければなりません。それが一番早く成功する道なのです。啓示も音声として聞けば、心が教えてくれます。 ある時は、既に心が知っていて、心が命令し、自分の足がもう回っているというのです。そのような位置まで高めていくのです。会ってはいけない人に会おうとしたら、足が言うことを聞かなくなるといった、そのような事実も多いのですね。 だから、心はいつも私を保護しようとしているけれど、みんなそれをあまりありがたからないのです。君たち、心があるでしょう? 心が作用すれば、良心作用が生じるのです。良心作用というのは、主体と対象により授受作用する、その真ん中にあります。良心作用が起こるのは神様がおられるからです。主体と対象が一つになる、そして、見えない電波の交流が広がるのです。これが磁場が広がる原則です。だから、心を尊重しなければなりません。 皆はどんな人になるの? 「私がどんな偉い人になるか」などと考えるのではありません。心の嬉しい人になりなさい。その心があってこそ、悔い改めが可能なのです。それでこそ、決心ができるのです。心が偉大でなければ、決心することもできません。何か難しい問題が起これば、瞑想しながら深い心の谷を探して行く。そうすれば、すべて答えが与えられるというのです。 心は誰もが侍ることができる玉座です。分かりましたか? 心をこのように決定すれば、誰もが侍ることができるのです。そうでしょう? 心にはそのような特権があります。偉人に侍って、尋ねてみると、その偉人はこのように答えるのです。答えはいっぺんに出て来ます。神様とイエス様に対してでも答えを求めることができるのです。だから、それらの方を通して答えを探し出すことができるというのです。 心自体で答えを求めることができない時は、父母様が答えてくださるのです。そうではありませんか? もし君たちがお兄さんを尊敬しているなら、お兄さんは答えてくださるでしょう。誰かを通して答えを下さるのです。そこにおいて回答を求められない場合には、三人に尋ねて三人に答えを出させてみれば、その中から回答を自分が見出すことができるというのです。 神様が臨在する心の位置 それ故に、祈祷するときは、心が喜ぶ祈祷をしなさい。そうすれば酔うのです。ある時は、心が声を出して祈祷することを欲するような時があります。歌の祈祷をしたいと心が欲すれば、歌の祈祷をしてみましょう。詩韻は、「神様、ハーナーニーム」。歌も曲調に合わせて、そのように心に芽生えるがままの祈祷をするのです。そのように、心が感動してこそ、私が感動するのです。心を整えなければなりません。それ故に、心がしゃくりあげて泣くとき、心が悲しみを感じるときは、体は自然にむせび泣くと言うのです。これが重要な言葉です。心はいつも私に感激を与えてくれる。そのような考えをしてみなかったでしょう? 心だけを高めてあげるのです。心は偉大なものだと、そのように高めてみると、その偉大な心が私に命令することに喜んで従って行くというのです。信仰生活はそのようにする道が一番近道です。眠っている時は起こして、起きる時はいっぺんに指示するというのです。「きょうは何かある。」と。「きょうは駄目なんです。」と思わずに、「おお! 何と偉大なことか!」と思わなければなりません。そのように心が澄んでいてこそ、神様が臨在するというのです。 苦しい心を持てば駄目です。苦しい心に自己の利益をあてはめて考えれば、苦しくなるのです。心がどんなに苦しいか? 心は公的なのに、体の血が苦しく流れるから、苦しくなるでしょう? 自分のことだけ考えるから、苦しくなるのでしょう? 腹立たしさが残って……。 しかし、心が嬉しいとき、体も喜んで音楽を奏でてくれるのです。ですから、例えば、復興会講演のような時が絶対必要なのです。心がそうしたくて、心が楽しむようなものが必要です。このような環境に入れば、すぐにその環境に完全に入り込んでしまうのです。説教や話をする場合もそうだというのです。それで説教のようなものは、題目を何カ月も前から決めることができないのです。「きょうは何の話をするのか?」と考えて、心が嬉しくなるような話をすれば、その日は必ず誰かがその話を必要としていたという、そのような恵みを受ける人がいるのです。 だから、その心は父母に侍り、自分の兄弟の中で十人の兄弟に侍ったその場において、その人たちが喜ぶことのできる道をとらねばならないのが心なのです。分かりました? それは、家庭のすべての責任を私が背負って、難しい十字架を私が負って、父母の代わりの位置に立たなければならないということです。心はどこにあるのか? 本来の私の心はそこにあるというのです。 例えば、その国民が三千万であれば、三千万の国民たちが全部喜ぶ、その国の中にいたいという心があるために、三千万のための心を持つことができる。そのような心を持って国に向かうとき、それが国王の心だというのです。分かりました? そうすれば、国王の権限が、国王の世界が私を訪ねて来るというのです。神様はどうされますか? 神様は、この天地を全部主宰する、そのような神様であるために、私の心もその神様の位置にいたがるというのでしょう? ですから、天地のためにこのような心を持って、万民のためにすることが神様の心であるから、その心の位置に私がいれば、神様の心の位置に私がいるようになるのです。そうすれば、そこには神様が必ず臨在されるようになっています。何の話か分かりましたか? 心はそのように偉大だということなのです。 (一人の修練生を指して、)あなた、爪がとっても伸びているけれど、何歳? (「韓国の年で十九歳半です。」)先生は十五歳位にしか見なかったが、二十歳なの。それで爪を伸ばしたんだね。どうしても伸ばしたいんでしょう? そのような時は、心が「伸ばせ。」と言うのですね。しかし、すくすく伸びたものを一日、二日置いてから、「他の所を伸ばしなさい。」と言って、すっぱりと切ってしまうのですよ。心を伸ばしなさいということなのです。先生はそのような訓練もして来ました。 だから(先生は)さっと座っても、人が知らないことを感じるのです。他の人たちは自然を見たとしても、何もそれほど感じることができません。しかし、先生は創造した神様の心の世界、それを考えるのです。そうすれば、心がそこに行くと言うのです。 「神様はあれを造っておいて、どれほど喜ばれるだろうか?」それで、先生は万物を見てどのように嬉しいか? 酔ってしまうのです。一人で呟(つぶや)いているのです。神様をこのように愛する方法を知っているのです。分かりました? そのような感情的で、触感的な感じ方が敏感であるので、今日、善悪の世界を見分けて、原理の世界をわきまえるようになったのです。だからこそ、心というものは、これはいつも霊的世界だったのです。心が霊的に決然と判定を下すときは間違いがありません。天下が何と言おうと間違いありません。その経験を通して間違いないというのです。だから大胆なのです。 心と体の責任分担 さあ、心は何でしたか? (全員、「玉座の位置。」) 玉座の位置です。父母様よりも神様に近い所にいるのです。それで、父母様は心の代わりをするのでしょう? 御覧、私の心を。私の心に対して父母様は難しいことを知っているのです。父母の位置に立てば、いっぺんに分かります。「ああー、うちの兄弟たちは、私の心に対してこれを願っているだろう?……」と色々な願いを知るのですね。私のすべてのことも、「このように行かなければならないだろう?こう、このようにしなければならない。」と全部分かるのです。誰か、分からない? (皆、「いいえ、分かります。」)皆分かる。皆分かるというのです。このように、(心というものは)厳格なのです。 「家庭が幸福になるためにはどうすれば良いだろう?」という心を定めれば、これこれこのようにと、どんなことでも全部分かるのです。できないこの体を打って、できるように調整して、革命をしなければなりません。心は堕落性と連結されているのです。下の方に人を引っ張って下げて行きますが、それはいつでもそれ以上の位置に上がって行こうと……。心はそういうものなのです。男子たち、分かりました? (「はい。」)だから、心を訓練しなければなりません。 春夏秋冬をずっと考えてみて、今年は心が嬉しいことを見るとき、「私がそのように行けば事故がない。」そういうことを心が分かるというのです。難破する船にいる鼠(ねずみ)たちも、その船の難破を事前に感じて、船が港に入ると綱を伝って陸地に下ることを知っているのに、心が分からないはずがあるの? 心は分かるのです。だから、既に心が嬉しくなければ行かないでしょう? これは誰もが必要なことです。馬鹿正直に固執しては駄目なのです。心と体は一つになるものですから、心が主体であるように、主体に対応する体を一つにできるようにしなさい。 では、夫が妻に対してこのようにして欲しいと願う心も、聞いてみれば、妻は皆知っているというのです。知らなければ嘘です! 皆分かるというのです。心は教育する必要がありません。皆、分かるでしょう! (「はい!」) 先生は、(祝福した)二人に、「お互いに言いたいことがあるか」と思って、初めて尋ねましたが、心はもう皆分かっているのです。それを教えてあげなければならない。知らないふりをせずに教えてあげなさいというのです。そうすると、心が大きくなるのです。自分一人で窮屈な思いをしても、それは通じません。窮屈な思いをしてはいけないというのです。心は全幅的です。 このように、心と体には責任分担が負わされているのです。途中で放棄すれば駄目なのです。忘れたら駄目なのです。責任分担がどんなに貴重なものか考えてごらんなさい。生きている間の時間全てに責任分担があるというのです。それで、良い所へ、良い所へと向かおうとするのです。分かりました? (「はい。」) “責任分担”という言葉が、どれほど貴重なものか! だから、そのままではいけません。必ず蕩減の道を行かなければなりません。私一人を犠牲にして、私一人が“為に生きる”しかないのです。そこに万事が思うようになっていくのです。どんなに複雑にもつれた金日成たちも解かれてくるのです。曲がりくねった道を誰が行こうとするの? 心は大道を行こうとして、格好良く行こうとするのです。その道のままについて行くのは難しいけれども、その道を行く足を、仕事を持続できる努力をしなければならないのですね。分かりました? 心と体の責任分担まで今話したのですから、忘れないようにしなさい。(「はい。」) 晩餐前の韓鶴子夫人の祈祷 「父の恨み多い曲折の路程の上に、この地上に真の父母を立てられ、その方を通して多くの祝福子女を許諾してくださいましたことに、真心から感謝申し上げます。又、きょうは、その人たちを通して生まれました二世たちの、初の第一回二十一日修練会を終えまして、きょう、この夕べは真の父母様をお迎えする中で、晩餐をするようになりました。この食卓の上に父よ! 親しく御一緒してくださいまして、その間、この人たちを教育するために、陰に陽に苦労したすべての人たちの心が父の御旨と一致いたしまして、美しい実を結ぶことができますように。そうして、将来の美しく、丈夫な統一家の柱となることができる、誇らしい息子・娘として抱いてくださいますことを合わせてお願い申し上げます。すべてのこと一切を、父が親しく主管してくださりながら、お導きくださいませ。父へ心より感謝申し上げながら、この夕べに真の御父母様の御名を通してお祈り致します。 アーメン」 天国建設における重要な責任 先生が霊界に行けば、大きな世界的な博物館に入るのですが、その時、君たちの名前が全部そこにあるようになれば、それが誇りです。その代わり、君たちには責任があるのです。君たちが父になり、将来後世の人たちが、特に君たちの後孫が見るとき、「私の父は第一回卒業生であったけれども、一体何になったのか?」と問うでしょう。これが一番問題です。父母がどのような父母になり、何を成した父母になったかということが問題なのです。君たちは二十代前後の若い少年少女たちなのですから、今から十年、三十五歳まで、それを標準として今、努力しなければなりません。 御旨の中で誇れる道がどんな道かというと、神の国を建設することにおいて、重要な責任を果たすということなのです。天国建設において重要な責任とは何か? それは、経済問題でも、科学問題でもなくて、人を導いて、神の民に正しく育て、神の忠臣・烈女とする、そのような責任を全うすることです。それが何かというと、将来統一教会の指導者になるということです。それで、今後君たちのような多くの若者が専門分野を勉強するにしても、一生懸命しなければなりません。大学は勿論出なければならず、更に修士コースへ行かなければなりません。色々な専門分野を、自分の特技、素質に合うように選びなさい。そうした後、共通に神学を卒業しなければなりません。 だから、専門修士学位を取得した後、神学大学で二年ないし三年学んで、卒業しなければなりません。そのようにしようとすれば、たとえば医学へ進んだ人は、八年間勉強してやっと医学者になりますが、そのような人も皆来て、神学を勉強しなければなりません。特に、三十六家庭を中心とした子女たちは、そのような過程を通らずには、第一回祝福子女修練会の参席者としての威信を立てることができないのです。 それならば、将来統一教会がどのようになるかというと、世界を代表した一つの思想とか、あるいは、理想的な一つの内容を持って来たために、世界はどっちみち我々が行くこの道を行くようになります。共産主義もついて来る、民主主義もついてくるのです。そのような時代が遠くない将来に来るというのです。 ここに参席した人は、将来どこへ行ったとしても、自己を紹介する場合に、先生が生きておられる時に、孝進君を中心として行なわれた第一次祝福家庭子女修練会の卒業生だというのです。参席者はいつもそれがついて回るのです。そのくらい、君たちは伝統を立てることにおいても模範にならなければなりません。それゆえに、家庭を持って生活するにしても、君たちのお母さん、お父さん以上に信仰生活の模範になって、すべての子女たちを育てるにおいても、徹頭徹尾このような思想を持って子女を育てなければなりません。先生が中心となって、この世的にみれば、つまりこの世の兄弟のようにみれば、君たちの父が二代で、君たちが三代です。一方、君たちの家庭を中心として見れば、君たちの父を中心として一代であり、その父とその次の息子と孫までが一つにならなければなりません。 それで、先生と四代圏であるために、四代になって初めて三段階になるのです。三代階を作ろうとすれば、線を四本引かなければならないでしょう? この三段階を完成させるのです。そのために、四代まで完成させなければなりません。だから、私は今まで君たちのお父さんたちである三十六家庭に精誠を尽くして来たのです。これは、君たちのお母さん、お父さんたちがよく知っていることで、異議がないのです。先生を中心として神のために御旨をなすときも異議がないように、君たちの父母は、君たちに対しても同様の責任を果たさなければなりません。 未来の世界の基盤作り 今はどんなことをしなければならないかというと、君たちの父母、三十六家庭とか七十二家庭は、これは一つの歴史を代表した先祖と同じく、サタン世界を代表した、その世界から復帰された先祖たちにならなければなりません。復帰された先祖の中の先祖たちなのです。それで、この先祖が歩んで行った内容が伝統になるのです。 そうして、今や父母様を中心として、どのくらい精誠を尽くして、忠誠を行なったかが問題になります。直接先生のためにすることよりも、外に出てどのくらい活動したかが問題なのです。社会へ影響を及ぼすような実績をどれくらいあげたかということが問題であるのです。そのため、あるいは君たちに対してはなおざりにしてきましたが、それはなおざりにしたのではなく、君たちのために今訓練をしているということなのです。そうして、世界を教育して、その世界教育を受けた人が君たちの囲いとなって保護をしてくれるのです。 国家と国家が安息しようとすれば、世界的保護圏を持たなければなりません。世界的保護圏を持ってのみ、その一国家が安息できるのです。また、一つの民族が安息しようとすれば、その民族より大きい保護圏がなければなりません。大きあ保護圏を、民族以上の国家という保護圏を作っておいてのみ、一つの民族が安息できるのです。民族が安息しようとすれば、国家圏がなければならず、氏族が安息しようとすれば、民族的保護圏がなければなりません。このようになっているのです。 それゆえに、一段階先立って、未来の世界の基盤を作るようにすることが、家庭のための基盤よりももっと重要なのです。そこに、カイン・アベルの問題を置いてみるときに、より大きい保護を受けるために、アベルを保護するためには、カインの保護圏が必要なのです。 ところが、この保護圏がいつも怨讐になっているため、これをカインに教えてあげて、もとのようにして、そのすべてのものを、風土を造成することにおいて、これをまず選ばれた父母たちがしなければならないのです。先生は父母を中心としてこれを行ない、先生を保護できる三十六家庭保護圏を作ったために、先生の息子・娘がここから出ても、喧嘩せずに保護を受けるのです。分かりましたか? そのように、漸進的に次元を高めて、世界圏を作るようになれば、天と地が保護圏となって初めて世界が安息できるのです。 では、先生は今何をしなければならないのでしょうか? 世界的保護圏を作らなければならないというのです。それゆえに、霊界と地上世界を連結させて、この霊界のすべての霊人体たちが地上の国々を保護できる基盤を作らずしては、地上に安息圏が生まれないというのです。 それゆえに、このたび興進君が霊界に行くことによって、そのように連結させるのです。霊界と連結させて愛天日を作り、また愛勝日を作るという、これらすべてのことが、そのような意味の中で連結されるため、一段階大きい保護圏を作って、世界が安息できる霊界圏を作って行かなければなりません。 霊界の保護圏というのは、地獄、すなわちこれは完全に讒訴圏であるために、地獄と地上世界がカイン・アベル圏になっているというのです。そうすると、地上世界がアベルであるならば、地獄を破壊してしまうのではなく、地獄を救ってあげる責任があるのですね。ところが、今まで救おうとしても救うことがてきなかったのです。 しかし、世界的なこの摂理時代、世界的安息圏を立てるこのような時代において、天宙圏を中心として、これを保護できる基盤を作ることにおいて、このたび地上から興進君が行くことによって、天上世界は勿論のこと、本当に地獄世界まで道を開くのです。結婚できる道を開くのです。自分の主人が地獄に行ったら、妻は昔の地上心情圏を中心としてそれが連結されるのです。そのために、興進君が行かなければならないというのです。 それで、天上世界では地獄と善なる世界が連結されて、保護する一つの統一圏が生まれてくるのです。それが地上と連結されると、地上のサタン世界も崩れ始めるというのですね。そのような地上世界が安息して、天宙的保護圏を成就しなければならないというのです。 それと同じように、君たちが今まで過ごしてきた中で、よその家の子供たちのようにお母さん、お父さんの愛を受けることができなかったということが、なるほどと認められるのです。原理を知ってみるときに、カイン・アベル問題を中心として、君たちが安息できる一つの保護圏を父母が作ってあげることが、息子・娘を抱いて愛することよりも素晴らしいというのです。たとえどんなに父母の愛を受けたとしても、その息子・娘たちが保護圏を開拓することはできないというのです。開拓しても駄目なのです。父がカインの立場に立てば、息子・娘はアベルの立場に立ちますが、外的なサタン世界が侵犯してくることに対して、アベルのために、天の側のカイン的立場で防いであげるための努力をすることが、父母たちが外へ出て闘う役割なのです。 共同の運命の下に では、君たちは寂しいけれど、誰と一つにならなければならないのですか? 兄弟同士が一つにならなければなりません。では、その兄弟というのは三十六家庭が皆同じ運命だというのです。全員が今まで苦労しても、苦しく難しいことを皆経てきました。それは困難なようになっているのです。そのようになればなるほど、君たちがここでお互いに門族を批評するのではなく、一つにならなければなりません。三十六家庭と七十二家庭、一二四家庭と四三〇家庭、これらは国家まで解放できる家庭的代表たちであるために、ここで一つにならなければなりません。それは共同の運命にあります。 それで、檀紀四三〇〇年になれば、その年が四三〇家庭が祝福を受ける時なのです。四三〇家庭は大韓民国のすべての氏族を代表して入ってきたものです。親戚関係の母の里とか、父方の伯父・伯母とか、全部が連結されていくのです。分かりますか? 各系各姓が全部四三〇家庭に連結されるというのです。そこにはどんな人たちが入っているかといえば、全部が入っているのです。前科者も入っていて、入らない人がいないのです。芸者の息子も入って、ありとあらゆる種類の人が皆入ったのです。歴史的に見れば、本当に許すことができない罪を犯した、そんな人も入っているというのです。それは何かと言えば、大韓民国全国民が四三〇〇年の間生きてきながら、罪を犯して、天の前に立つことができないような人にもすべて道を開いて、全部に紐を付けて、かけ橋となるのです。 そのようになることによって、大韓民国が少しでも天と連結され、生きる道が開かれるのです。そのような基盤が成就されたので、その次に七七七家庭が生まれるのです。これは国家的次元で越えて行くのですね。それで世界的な版図を経て、その次には一八〇〇双を祝福しました。十八数は六数の三倍、六数はサタン数ですが、サタン数を三倍した一八〇〇双ということです。これが何かと言うと、サタンのすべての家庭たちが反対した最後の公約なのです。 一八〇〇双以降から今まで、アメリカにおける二〇七五家庭、韓国における六〇〇〇家庭、全部合わせて八〇〇〇家庭。これらの数は再出発を意味するのです。七数を越えて八数を越えたこのような数を中心として、世界すべての国、一二〇国家全部の因縁が結ばれ、数は全部満たされなくとも、血統がすべて連結されているというのです。こうして、世界的なすべての家庭を天の前に導いていくので、家庭が全部入ってきました。それで反対が始まったのです。 アメリカが歓迎しますか? できなかったというのです。分かりますか? しかし、アメリカ自体でみれば、他人の話を聞いて、結婚した若い青年男女たちがいつどこにいますか? 全部フリーセックスを口にし、デートを学校で教え、父母が奨励する時局ですから、結婚は自分たちがするようになっているとしても、ある教会責任者か結婚させてくれるというようなことは夢にも思わないのです。夢には思えない社会において、このようなことを成したということが、アメリカ社会に混乱状態を起こすようになり、家庭破綻をもたらすような神学を見てきた家庭の父母たちにとっては希望を与えたのです。 ですから、「うちの息子・娘もムーニーになるように祝福してください。」と言う風潮が遠からず起こるようになるというのです。そのようになれば、二十一日修練、四十日修練、一二〇日修練が何カ月間に一度に全部できるのです。六カ月コースだけするようになれば、完全に思想武装した人を作れるのです。そのようになれば、六カ月だけで結婚できる資格がすべてできるのです。その代わり、外へ出て闘わなければなりません。六カ月たけで結婚できる資格がすべてできるのです。その代わり、外へ出て闘わなければなりません。結婚して、外へ出て闘いなさい。結婚して、荷物を風呂敷に包んで出て行くことができるのです。そのようなことが可能なのですね。そうなれば、これは世界的です。それで、男たちはその時になって希望に胸を弾ませなければならないというのですね。 神の人としての資格 そうなる時には、すべてを備えて、知的な面やすべての信仰的経歴や、社会活動の経歴から見て最上となれる立場に立つようになるならば、その影響はいかに大きいでしょうか。それだから、君たちが専門分野の修士学位を持てば、自分一人で、どんな社会に行っても食べていくことができます。自分が自立して、生活対策を立てながら、将来において天の民を育てることができるようになろうとするならば、それは、自分の専門分野の教育を受けて、自己の生計を図るために努力する人よりも、二倍の努力をしなければなりません。 では、価値的に見るとき、どちらが重要かといえば、二倍の努力をする方が良いでしょう?食口たちの世話にならずに、食口たちが生きることのできる基盤を、将来助けてあげられる基盤を磨くのです。私が今訓練されたその基盤を中心とすれば、将来の教会を中心とするその組織の活動に責任持った牧師たちが教会の世話になってはいけないのです。既に政治がどうであり、その国の経済問題がどうであり、その国の社会問題がどうであり、文化問題がどうだという評価ができるそのような水準に高まっているゆえに、その国の指導者が全部我々と一緒に議論をしなければなりません。そのような人にならなくては、神に代わりうる地上のすべての指導者になることができません。政治・経済・文化面を指導できてこそ、これが神の人としての資格者となるのです。分かりますか? だから、勉強を一生懸命しなければなりません。君たち全部がそのように考えなければなりません。頭にねじり鉢巻(はちまき)をして、博士コースであっても、理想があれば勉強しなさい! このような信仰の道を歩むのです。こうしておいて、各自自立をしなければなりません。医者をしたり、自分の専門分野をしながら全部、我々が出て行って教会を肩代わりできる責任者を作っておかなければなりません。分かりますか? それで、この同窓生たちは、全部我々の神学校出身者にしようと思います。 だから、将来の指導者は、経済問題だけを取り扱う指導者が重要な人なのではありません。政治問題や社会科学問題でもありません。必ず、将来統一思想を完全に解決して、神の人として、新しい思想を中心として教えてあげて、教育できる指導者が中心となるということを知らなければなりません。将来このような人たちは、上院・下院制度が出来る時、上院要員になるのであり、それ以外のすべての人たちは下院の要員になるのです。下院で通過しても、上院でいくらでも否決できる権限があります。上院で通過した基準は、下院で否決できません。そのような時代を心情政治時代に入ったというのです。 ですから、哲学を勉強できなければ、あるいは神学を勉強できないと駄目なのです。将来の哲学や神学を正確に見るのが統一思想であり、統一教会の神学なのです。膨大な内容です。これには、生活、家庭、社会、制度化等の根本問題がすべて入っています。それで、霊界の組織と同じような組織を、代わりに地上に編成して訓練して、その国に行って活動力を即時に発揮して、次元の高い指導者になるのです。千年先祖たち、万年先祖たちを全部我々がコーチして、神の懐(ふところ)で指導しなければなりません。その責任を持つには、ここで訓練を受けていかなければなりません。 後代の歴史の旗手として ですから、時間がありません! 今、好きなように出て歩き廻ってはいけないというのです。先生もそうでした。先生も一日中歩き廻りながら、最後まで、家に帰って来るまで座りませんでした。そのような性格です。早朝に出て行って、座りもせず、昼御飯も持って歩きながら食べたりもしました。座って食べなかったというのです。そのように歩き廻ったのです。それは、知らないこと、学ぶことが多く、見ることが多かったからです。 けれども、御旨を知ったり、御旨を伝えたりするときは、二十四時間座ってしなければならない。二十四時間、十九時間、十七時間以上もするのです。普通、七時間以上祈祷して、精誠を尽くしたのです。そのような努力をしました。先生は、原理内容をそのようにして捜したのです。しかし、君たちはそういう祈祷をする必要がありません。今や君たちはこのような膨大な内容賜りましたから、今からは実際活動として、先生が指示する以上努力すれば、先生が努力した代価として、創造における創造物としての祝福を受けるのです。神が創造理想を持って創造物を作られたその創造理想構想は易しいものではありません。大まかな計算でできたものではありません。具体的な内容を提示して、実際に顕現できる時までは、神のすべての構想的内容を投入して、力と精誠を投入したのです。そのように、君たちは先生が練習しておきました。すべての構想的内容が全部分かったのですから、実体は、実体的内容を現わせるよう活動すれば良いのです。 だから、将来他人の世話を受けないためには、生活していくことにおいて全部が自立できなければなりません。昔と違うのです。イスラエル民族の十二支派のレビ族は、全部が十一条(註・十分の一献金)をもらって生活しましたが、それは今まで神が選んだ民族を聖別するための歴史だったからです。しかし、今や選ばれた民族が生活できる歴史とするためには、経済問題を解決できなければなりません。分かりました? ですから、ここに参席した君たちは特別責任が重いのです。 だから、君たちのお父さん、お母さんが訓練を受けた以上に、色々な訓練を受けなけれはなりません。サタンはそうしなければ退かないからです。敵に勝つことは情報戦争です。情報に負けては駄目です。言論戦や思想戦において、三大戦争をしているのです。思想戦に負けてはいけないので、思想武装をしなければなりません。そのために君たちを前面に立てなければなりません。その道を行くのは仕方がないのです。君たちの父母が御旨のために命懸けの歩みを願ったように、君たちもその子孫もそのような伝統を立てねばなりません。そのために、君たちのお母さん、お父さんの父母たちの中には信じられなかった人がいたし、反対する親戚もいました。しかし、君たちはそうではありません。お母さん、お父さんを中心として三十六家庭が親戚です。三十六家庭が親戚でしょう? 他の人が親戚ではないのです。一つの枝と同じ立場で一つになって、協同して、ここで完全に一つにならなければなりません。 特に三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭が完全に一つにならなければなりません。四三〇家庭は横的で、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭は縦的です。縦的三段階です。このようにして三段階を立てておくのです。特に四三〇家庭は、四方を代表するのです。四方を代表した横的な代表、国家全体を総合して国家全体の中心として祖先を代表して、先祖が再臨して、その後孫が一つに束ねて立てたのと同じ立場が四三〇家庭です。そうであるために、三十六家庭が伝統を立てねばなりません。それで伝統を立てるために、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭のお父さん、お母さんたちは皆忙しく、自分の子供たちを面倒見ることができなかったのです。国を救って、世界の蕩減路程を開拓するために、そのような時間がありませんでした。子供たちを放ってまで歩き廻らなければならないのに、どうして横的関係を結ぶことができたでしょうか。できなかったのです。 今に至るまで、皆さんの父母、三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭はお互いに忙しく、今も一部過重な責任を負っています。それで、君たちを一つにしてあげることができません。そしてまた、君たちの父母ではどんなにしてもできないことがあります。だから、それは私が責任を持ちます。私が二世まで教育するのです。それで今回、(このようにして)教育したということを知らなければなりません。ですから、ここに名前がある人は、後代の歴史の旗手のような立場に立ちますから、批判を受ける皆さんになってはいけません。分かるでしょう。 勉強も一生懸命しなさい! 今すぐに必要なものだけでなく、十年、二十年後を見なさい。世の中がどのようになるかを。また、今できるならば、九〇年度までに韓国語を勉強しなさい! その時になれば、間違いなく通訳を使いません。「私は分かりません。」と言っては駄目です。それで、一つの文化圏としてこれをつかまえるためには、一つの言語を探さなければ、一つの文化圏の本質的な文化編成が不可能です。だから、君たちが韓国語を知らなかったら、それは恥ずかしいことです。何のことか分かりましたか? (「はい。」) 完全な一体化 君たちは今まで一つになることができませんでした。しかし、君たちも分別のつく年頃になったから、ここで君たちが一つにならなければならないのです。私が血と汗を流して祝福し、私のもとで生まれた君たちです。それは、一つの決意した先祖のもとで生まれただけに、君たちの時代は順序が違います。完全に一つになることができるのです。また、そのような世界的な基盤をすべて築いてきたのです。これからどこへ行ったとしても、統一教会以上の基盤はないと見ています。 それならば、人間が願うのは何ですか? 最大の成功を願い、最大の出世を願います。そこで、最大の出世というのは何かというと、神様の息子・娘になって、天国のお姫様・王女になることです。王子になることができるところを探して行くことです。その次には、王子の嫁となり、婿となることです。それ以上の恵みの道がどこにありましょうか? そのようなことがなければならないでしょう。 太陽を見ても、過去の父母や、君たちの祖先たちが見たのとは違って、神様が創造して眺められていた心情で太陽を感じるようにしなければなりません。きょうの話のように、万物にもそのように感じなければならないし、自然に対するときも、そのように愛さなければなりません。種族が違うのです。種が違うから理想を持つのです。違うからサタン世界が迫害するのです。 しかし、君たちが迫害を千年、万年受けるのではありません。どんなに受けても、千年までは行かないのです。私の主張は、迫害を経て千年、万年打たれることです。先生は、そのような思想がなかったならば、いつ流れて行ったか分からないでしょう。暴風波を独(ひと)りで責任を持って、戦ってきました。君たちは恐らく流されて行ったでしょう。私は天の人として、君たちの後孫たちが、祖先たちが間違っていたことを悔い改めるようになっているのであって、私が間違っていたと悔い改めるようになっているでしょうか? そうなったならば、そのような世界の前に君たちは総収拾して、統一の役軍として旗手にならなければなりません。二世たち、分かりましたか? そのために十字架を背負わなければならないのです。君たちは今二つの世界に住んているのですよ。世の中を見てみると、ムーニーよりももっと良い世界がアメリカにあるように思うでしょうが、来てみたら、それは流れて過ぎ去って行く世界です。それは、俳優と同じように、舞台に出て踊りの役を踊り終わって、帰る時は悲惨な所に行くのです。 我々は今まで見学していたけれども、君たちをコントロールして、君たちの生死禍福を主管できる立場にいるのです。だから、違うのです。それゆえに、自負心を持ちなさい。迫害よ、来い! 困難よ、来い! 我々は一つにならなければなりません。 こんな意味で、第一次修練会をする人たちは恵みがあります。第二次修練会がどんなに劇的だと言っても、一次の人たちには何も言えないのです。ですから、先生からこのような牌(はい)をそらったことは、将来宝物になるだけにありがたいけれども、先生から聞いたきょうのこの言葉を肝に銘じて、この次に博物館に行って見た時には、「先生がこのようなみ言葉を語ってくださったのだ!」と思い出すことでしょう。 これを分かった我々としては、どのような苦難があろうとも、一つになれる決心を固めたごとく、先生の言葉を肝に命じなさい。君たちが牌の言葉を見るときに、それを訓示にして、君たちは献身することのできる真の夫婦にならなければなりません。 これから、先生を中心とした伝統を立てるというのです。皆さんの父母たちは伝統を立てられなかったのです。先程も話しましたが、カイン・アベル問題から見るとき、君たちはカインの立場になり、先生の息子・娘たちはアベルの立場にあるから、完全に一つにならなければなりません。これが闘争的カイン・アベルではなく、順理的カイン・アベルの立場に立って、天が長子になり、君たちは次子の立場で順理基準に立つのです。(先生は今までは)外的なことを収拾できなかったので、収捨できないままに、子女を愛したらひっかかるのです。しかし、今時が来ました。先生は天の世界を、愛天日までみんな作っておいたのです。結果主管圏内と直接主管圏内において、真の父母様の愛を中心として連結された興進様まで霊界に送って、薫淑との地上の関係を結ぶことのできる基盤があるために、霊界と通じることのできる世界になりました。だから、神様との掛け橋が置かれるようになったというのです。 そのような重要な期間において、今国家次元で、世界代表国家アメリカを中心として越えようとしているこの時代に、十日間、君たちの父母がいない中、君たちだけここにあって、完全に一つにならなければなりません。伝統を胸に秘めて、新しいこのような伝統を受け継いで行かなければならないということを知って、個人的行動をする時ではありません。 君たちもここに同席して、父母たちの心情の流れを受け継いで、骨の髄に染み通った、そういう立場に立って、天地に自負心を持って決意しなさい! すべて、イースト・ガーデン、あるいはベルベディアで、一緒に過ごしながら、祈祷しながら……。今回は、このように過ごさなければならないのです。 父母様の前に、昔のペテロと弟子たちのように、逃げて行った姿になるのではなく、「死の道を進んで、私が代わりに行きます!」と言う決意をする時間です。そのような決意を中心として、一つになる決意をしましょう!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.01
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「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」(中編)1984年7月10日ベルベディア 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。 イエス様の本来の位置 そのように二つの宗教が一つになって、招請しなければなりません。招請をするのですが、イエス様は妻がいましたか? 我々の王宮で祭司長から新婦を選ぶのです。互いが新婦を迎えるように、国家行事として迎え入れることができるようにしなければならなかったのです。 イエス様がその時、夫人を僕から迎えるようになっていましたか? イスラエルが上手にやって、ユダヤ教が上手にやったならば、ローマ皇帝の娘を侍らせるようになっていました。 その時、ローマ皇帝であるシーザーが岳父(がくふ)として侍るならば、岳父が心を奪われるでしょう? どのように考えますか? イエス様がシーザーを岳父としてローマ皇帝と同じその位置に立ったとすれば、右の頬を打たれれば、左の頬をも打たれようと、そんな承諾をしたでしょうか? それはどれだけ悲惨なことでしょうか? 天国の王権を持って来たにもかかわらず、凄惨(せいさん)なるその身の上がどれだけ言うことに事欠いて、そんな言葉を言わなければならなかったかというのです。カイン・アベルを再び探して、アベルの位置を引き受けざるを得ない悲惨な事情をかかえながら、歴史を戻って、さかのぼって行かずしては、生き残ることができません。生き残ろうとするから、そのような悲惨な路程を行ったのです。 このような罪を君たちは知らなければなりません。そのようなイエスを今まで分かってあげられず、信じもせず、自分の父母以上に侍ることのできなかった罪を許してもらわなければなりません。君たちの父母は、全部皆偽りの父母です。天理を探して来る本然の父母を失った悲しみを知らなかったというのです。 今は、来(きた)る本然の父母の前に精誠を尽くし、侍ることのできるそのような準備のために、君たちが生れた家庭からイエス様を信じ、イエス様を我々の父母よりもっと愛さなければならないというこの原理が、このみ言葉を聞いて分かったでしょう。イエスが何か分かりましたか?原理が出て来たから、理論的にはっきりと分かるでしょう。千年、万年座っていて、祭物として捧げれば、神様がこれらのことを教えてくれそうですか? 神様が一番悩むのがこの問題なのです。霊界を見れば、なぜこのように悲惨で、皆が謀略をなし、中傷するのか? 神様がいるのになぜこのように放っておくのか? それは人間の責任分担です。人間の責任分担に属することだということを知っているので、それを解明することによって、歴史のすべての秘密が解かれたのです。 当時、イエスを中心として七年以内にローマ帝国とアラブ圏が完全に一つになるようになっていたのです。七年以内には、アジア政教圏を中心として、外交基盤を中心として完全に一つになるはずでした。また、霊通者たちは、仏教圏、儒教圏で皆分かっていたのです。高次元の位置で門が開かれるようになっていたのです。 それでローマを吸収して、ローマ圏とアジア圏を一つに造って、カインとアベルを一つに造って、そこで公認された位置に立って、万王の座で、天上の王権を地上に移して、永遠不変の王権の基盤を中心として、その直系の子々孫々を中心として、この伝統文化は天国に直結されたのです。その時は、いかなるサタンの反対もなく、法をよく守って、父母を愛し、家庭にあって父母の愛を受け、兄弟の愛を受け、死ぬ時にお母さん、お父さんが自分の息子のために、また、その兄弟が「立派な兄弟だった。息子だった。」と自慢することができなければなりません。そうすれば、「天国に行くな。」と言っても行くようになります。 天国に行くと信じていた人間がどうなったのかという事実も、堕落の報いのやるせなさだということを知らなければならないというのです。 「解放」後の摂理 先生が個人の蕩減路程をどのようにしたか分かりますか? 先生が僕の僕の役をして、キリスト教を中心として、「解放」(注・第二次大戦終了)直後に国と一つになって、イスラエルの国でできなかった国家基準を中心として蕩減復帰した基準で、完全に国家とキリスト教が一つになったならば、世界は七年以内に復帰することができる、そんな能力のある先生でした。そんな先生が複雑な家庭の背後を残して、歴史のやるせないすべてのものを経て来たというのです。そのように再蕩減しようとするから、いかほど複雑なことでしょうか? 旧約時代は、祖父母の時代。新約時代は壮年の時代。今の成約時代は若者の時代です。若者の時代に、全部キリスト教文化圏を中心として、韓国の解放以後に五千年歴史の悲運を過ごした歴史的な惨事の犠牲の功を集めて、韓国の民に初めて神様が祝福して、先生を送って、世界史的な福を与えようとされたのです。キリスト教国家と李承晩大統領が一つになって、その時先生の側は青少年です。十代、二十代の若者に私が介入するようになったのです。おばあさんが何の関係があり、おじいさんたちが何の関係がありますか? その時、二十代の青少年たちを伝道して教育したならば、どれだけ世界を指導できる要員を作り出したか分かりません。 それで先生は、梨花女子大学と延世大学の学生を伝道して、国家を代表した李承晩を中心として、ホッジ大将と争って南韓に分立された政府を立てようとしましたが、だめになったのです。李承晩もホッジと争って、韓民族が願う南韓政府を立てて、共産世界に行かないように防御しながら態勢をとったのと同じく、西洋の宣教師を増やして、金活蘭(キムフアルラン)と白楽俊(パクラクチユン)が一つになって完全にキリスト教界が統一教会を迎えたならば、この世は、皆終わるんです。その時、李承晩を通して先生がアメリカに行けば、国を中心として世界をいくらでもリードすることができたのです。 四十年蕩減の路程 そのようなすべてのことがだめになったので、四十年間峠に戻って行って、個人としてやるせない蕩減の路程を行くのです。家庭的なカイン、氏族的なカイン、民族的なカイン、国家的なカイン、世界的なカインを屈服させる闘いの路程を、一生涯にわたって主権と闘い、日本の国と闘い、北韓の金日成と闘い、大韓民国と闘い、今はアメリカと闘いながら、迫害を受けながらそれを乗り越えて出て来るのです。今は、韓国も日本もその次元を過ぎました。アメリカも戻って行かざるを得ないのです。 法務省でレバレンド・ムーンを陰謀したという者が現われ出るのです。国民自体が政府を信じなくなるというのです。既成教会と完全に一つになり、民主主義が民と一つになったでしょう? 分かりますか? これがふただけ開ける日には、つまり、今やアメリカのキリスト教界だけ完全に一つになる日には、建国思想で見るようになる時、将来キリスト教が統合された背景をもって選出されない人は、アメリカを指導する大統領になれません。 アベルの位置で教えながら、国家的次元において宗教はアベルであり、国家をカインの位置に立て、絶対的に一つになして越えて行くのです。だから、そのような闘いをしようとするから、いかに迫害をたくさん受けたことでしょう。なぜそうなのかと言えば、蕩減復帰が必要であり、蕩減復帰というのは、責任分担だからです。イエスが責任分担を果たせなかった。父母として責任分担を果たせず行ったというのです。それでイスラエルの国の背景を中心として、それを蕩減しなければなりません。 そのために、昨年韓国で大会を行なって民と先生が一つになったのです。それは、イスラエルの国において、イエスを打つことによって国を失い、宗教を失ってしまったけれども、反対に私が打つことによって国を捜し、統一教会を立て、七百万勝共会員を確保したのです。その代わり、その期間に興進が死ぬようになったのです。二番目の息子であるイエス様が死んだのと同じく、実体のキリスト教のすべての過ちを蕩減復帰するために、興進が死ぬようになったというのです。そのようなすべての複雑な蕩減路程を経て来たのです。 なぜ、このようなことをしなければならないのでしょうか? 責任分担ゆえです。責任分担を完成した人が一人もいないから、知っている私がしなければなりません。だから本来我々の父母が私に否定されるのではなく、我々の一族が私に否定されるのではありません。キリスト教が大韓民国を中心として、建国と時を合わせて受け入れたならば、兄弟たちがなぜ迫害を受けるのですか? 文氏氏族がだれよりも歓迎されたのです。分かりますか? キリスト教が反対することによって、国とキリスト教が合わさるから、三次七年路程を中心として、再び捜す役を先生がしなければならないでしょう? 個人的な闘い、家庭的な闘いをして、家庭を全部呼び出して、それで君たちの親も家庭から飛び出して来たのでしょう? 先生に熱中したんだね。恋愛して死のう生きようと言うより、もっと熱中したというのです。それゆえに従って来たのです。天の愛がそうなんだよ。つむじ風が吹いて、父母が皆、浮わついたんです。 だから、冬にたたかれて、追い出されて行く所がなく、先生を捜し回ったりしたのです。服を脱いで逃げ回り、頭を刈って、行く所がなくて夜に塀を飛び越えてくるから、何のうわさもたたなかったでしょうか? 君たち、祝福を受けた子供たちは何も知らないよ。 今日、なぜこのような話をするのかと言えば、責任分担ゆえに皆解け出るのです。分かりますか? 責任分担。これは蕩減しなければなりません。それは、個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、八段階の蕩減路程、これをするために必ず家を出なければなりません。自分の家ではできないのです。アベルがカインを屈服させて、そのカインは、サタン世界でサタンの傀首(かいしゆ)を捜して行かなければなりません。 御旨のための結婚 私は八歳の時から、もう人々の写真を見て結婚させ始めたのです。その時、先生はとても英明だったから、「あの乞食が今来て行ったのだが、彼はだれよりも良心的でかわいそうな人だから、(追いかけて)行って問うてみなさい。」と人に勧めてみると、実際に合っているというような役事がたくさんありました。それで、先生の両親もどうすることもできませんでした。先生が十歳の時のことです。遠に親戚のお姉さんがお嫁に行くようになったので、先生が「私が悪いと感じたら、実際悪いよ、この二人が結婚すれば死ぬだろう。」と言うと、(本当に)死んでしまいました。先生が二人を見て「悪いだろう。」と言えば、本当に悪くなるのです。「私が組み合わせてあげれば、間違いなくその二人は良くなり、別の方法で自分なりにやると良くない」と先生が言うと、実際にその通りになるのです。そのような経歴があるので、先生は世界的な仲人(なこうど)になったのでしょう。これを「職業的仲人」(☆☆)と言うの? 何のことか分かりますか? 君たちの目は、先生の目よりも小さい。君たちは平たいものしか見えないんだね。しかし先生は、そのような目があるので、原理の世界を求めたのです。先生が悪いと考えたことは(事実)悪の実を結びます。自分たちがどれだけ「良い。」と言ったとしても見ていてごらん。三十六家庭の中で、私が「良くない。」と言えば、その家庭にどれほど多くの禍(わざわい)がもたらされたことでしょう。君たち、自分なりに結婚してみようと思うなら、ひとつやってごらん。きっと良くないというのです。みんな良くないだろう? その時になって後悔したとしてもどうにもなりません。 このように白く、か弱いお母様を先生は良く選んだと思う? それとも選び損ねたと思う?(「良く選びました。」)四十過ぎた男が、十七歳の乙女を連れて妻に定めたというのは、泥棒のようだろう? 狂った奴だよね。なぜそうなのか? それは御旨のためです。 王権復帰のためには、天法からみれば、その女の何歳かが問題ではありません。この世がそれを許すでしょうか? 神様が保護され、愛されたゆえに、お母様一人でそのすべての御苦労を越えて十分になし得たのです。あなたがしなければなりません。私の家庭は悲惨であったとしても、歴史が分かれて後代に血を流し得る道であるゆえに、子供を産まなければならないのです。摂理のために、人類歴史をかけて闘って来たのです。 先生は結婚してから三年後になって初めて一緒に住んだのです。なぜかといえば、カインの女性たちを全部整地して、これが八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで、「お母様が良い。」と言うことのできる環境を作ってこそ、そこに初めて位置を確保することができるからです。それが原理が行く道だからです。 氏族を信仰の子女に 君たちも将来祝福を受けようとするならば、イエス様を中心とした三弟子と同様に、信仰の三人の息子・娘が必要です。先生が必要としたから、君たちもそうではないかというのです。 今、国家基準ができなければ、救いができないでしょう。先生が今、このようにして国家基準を皆越えているので、君たちも家庭基準を皆越えたでしょう? 大韓民国が国家的次元で統一教会を受け入れることのできる段階に入って来たので、君たちはもっぱらそのまま、そのとおりに、大韓民国の誰々、(というように、自分の)親戚を選んで立てるというのです。分かりますか? 我々の親戚、兄弟たちを選んで立てれば、信仰の息子・娘の代わりにすることのできる段階に入ってきたのです。 ところで、その信仰の息子・娘は、君たちのために生命を捧げることができ、君たちの息子・娘のために生命を捧げることができなければなりません。そのような愛を、どのようにして入れることができますか? 君たちが入れることができますか? それは、原理を通して入れることができるのです。分かりますか? 将来、それが伝統として立つのです。だから、一族が族長を中心として全部、そのようにして連結されるのです。統一教会は宗教の立場でも、一族の者はカインの立場で、国家と同様に外的世界と連結されて一つにならなければなりません。 今は、氏族問題であれば問題ないのです。君たちは、そのような基盤があるからといって、一族で条件物を捜して立てることのできる環境が必要ないのではありません。この世の国が全部復帰されて、サタンが反対しうる痕跡がなくなる時まで続けるのです。そう、君たちは、今、「私」を中心として生きてはいけないというのです。責任分担をよく分からなければなりません。今まで、キリスト教が大韓民国の建国と共に先生と一つになっていたならば、私が四十代にさえなれば、世界をリードすることができたというのです。 四十年を完全に失ってしまって、戻って来て、今まで私が冷遇につぐ冷遇を受けて、この世に「文先生が良い。」と言った人が、どこに一人でもいましたか? 全部皆「はなはだしい悪人。」と言っていたのです。ごみ箱のように悪口を全部私が受けてきたでしょう? カインが全部そのようにつくったのです。「あの弟は、詐欺師で。何で……」と。だから、カインの言葉を聞くようになったのでしょう? カインは主人であるから、私は静かにしているのでしょう?だから、四十年間カインの悪口を全部ひっかぶって出て来たのです。 カイン・アベルの主流思想 先生は越権行為をしないのです。原理原則を中心として怒るのでしょう? それを知らなければなりません。地で打たれれば天で打たれ、地で解けば天で解くことを。 それで君たちの父母たちは、先生が一番恐ろしい人だと分かっているでしょう? この世で先生のように恐ろしい人がどこにいますか? 知れば知るほどもっと恐ろしい。君たち、原理を見ると、先生が苦労した? 苦労しなかった? (「しました。」)じっと座って責任分担は何々と皆分かったみたいだろう? (「いいえ。」)君たちは先生がどれだけ身もだえしたかを知らなければならないのです。うつぶせになって祈祷すれば、十七時間、十二時間、七時間は、普通でした。それで、君たちは幸運にありつけるんでしょう? 本を作っておくから、公式は知らなくても落第はしないでしょう? 恵みを受けたのですね。その代わり、そのような苦労したすべての人たちを尊敬することを知らなければなりません。 さあ、今日の話は何でしたか? 責任分担。責任分担は蕩減して何を覆(おお)っておくためのものですか? 主流思想。カイン・アベルの主流思想を立てるためのものです。それで、カイン・アベルを育てて、お母さん、お父さんまで立てるためのものです。父母を失ってしまい、息子を失ってしまった神様はエデンの園を失ってしまったというんです。父母を失ってしまい、息子を失ってしまったので、息子を捜してこそ父母を捜せるのです。分かりますか? これが復帰歴史です。そう、息子をつくるために宗教をつくってきたというんです。 天側の人と息子側の人は、十名息子がいたとしても、主流になることができる息子は長子の位置のみです。長子になろうとするならば、一番の息子、そのサタンと闘って勝たなければなりません。分かりますか? 天側の人が主流になろうとするならば、サタンが長子ですから、長子と闘って、勝って引き継いで来てこそ、長子の主流圏が立つので、秩序が立つというのです。 それでアベルは、長子であるカインを屈服させてこなければならないというのです。力で?(「愛で。」)愛で。体と心で痛みを感じなければならず、私の体と私の心が死の峠に行かなければなりません。自分が愛する妻を奪って行き、母を慕って行き、娘を奪って行き、祖母を奪って行った怨讐です。天国の王宮では、王孫がアダムなのに、アダムのおばあさんを強奪し、アダムの娘を強奪し、アダムの妻を強奪したのと同じ役を歴史的になして来たというのです。善なる人をそのように強奪して、そのように血をたくさん流してきたのです。 そのような伝統的な意味では、カインは怨讐だというのです。そうであるので、私の体で防ぎ、痛みを耐え、心で怨讐を愛さなければなりません。そうでなくては、サタンは屈服しないというのです。そのような心を持った本人がいるのだから何も言うことはできないでしょう。それは正しい話です。私はそのような人です。彼を愛したから、その法に反駁(はんぱく)するどんな言葉もないのです。また、天道から見るときに神様がいるので、神様の愛には、そのような人がいません。そう、「私はあなたの前には弁明する言葉がありません。」そう言って、サタンが屈服すると言うんです。体でそれを感じなければなりません。(カインは)私のお母さんを殺した怨讐たち、私のおばあさんを殺した怨讐です。私の娘を強奪して、自分の嫁を強奪して殺した奴で、彼の後継者です。 罪人中の罪人 本然の父母を捜すために、本然の新郎と本然の家庭を捜すために、この道を耐えて行かねばなりません。本然の家庭があり得ず、本然の父母があり得ず、本然の理想の国があり得ないから、その理想を眺めながら耐えて出て行くというのです。それで、黙って屈服させなければなりません。 最初は泣いたり叫んだりするのを「こいつ、なぜ泣くんだ。」と言うけれども、一度やって二度やって、十度やってみると、泣く弟をたたきながらも一緒に泣くようになるというのです。反対になるのです。それでも恨みは残るが、その次には恨ますに、「あー、私は悪い人なのだ。」と率直に告白すると言うのです。告白した時から振り返るんだよ。何の話か分かりますか?蕩減路程では、告白を受けなければなりません。カインが「私は、お前にすべてを相続する。私のすべてのものを皆お前にやる。」と告白しなければ回復する道がないのです。 先生はそのような道を歩いてきました。僕の僕の役。天を思い通りに眺めて生きた人に見えますか? いつでも罪人中の罪人です。この世の罪を皆背負って行く身の上です。そうでなくては、カインを屈服させる道がありません。しかし、この世の罪を犯して行く囚人中の最高の囚人の役割を、皆さんはしなければならないのです。 ところで、彼らのお兄さんになる人がいないのです。お兄さんがいないとするならば、どうしますか? 今は親不孝な子供を見て、刀を振り上げることのできないのが父母の心であることを知らなければなりません。その父母を愛する子供として、刀を振り上げることができないというのです。 この神様が父母の側に立たなければならないのです。それを知らなければなりません。個人的にそのようであったし、家庭的にそのような怨讐です。氏族、民族、国家、世界的にそのような怨讐です。 愛のパイプの連結 祈りは心で祈るのです。神様から始めて、父母様から始めて、神様の愛が今から祝福家庭へ降りてゆく原理を知ったので、そのような祈祷をするのです。君たちは修練期間、何の祈祷をするのかと言えば、神様の本然の愛を中心として天宙が和動し、連結されることを祈祷しなさい。神様と真の父母様を中心とした真なる子女の伝統が連結されて、祝福家庭が連結の中心になる時は、愛の貯水池のパイプに連結されるのです。そして統一教会から今、全世界のキリスト教から、全世界の宗教へと愛のパイプが連結されたのです。それだけ私が宗教のために働いたのです。そうだから、彼らが皆、私を尊敬するようになったのです。自分の宗団より立派に考えるのです。心が良いというのです。「我々の義の中心はあの方なんだなあ!」心がしきりにそうだと言うのです。時が過ぎれば過ぎるほどそのようになるのです。それで、愛の道がずうっと伸びて行くことを祈祷するような時になったのです。 私に反対し、統一教会に反対していた者たちの息子・娘の学費を私が送ってあげたのです。自分の友達が送ってくれたと思っているんですね。飢えた時は米を送ってあげました。それを知るようになる時は皆屈服するのです。怨讐が飢えているのを見て、福を送ってあげ、考えてあげ、歓待する人はいないのですね。むしろ誤ったのだから、その罰を受けなければならないだろうと言うのです。「うまくやったもんだ。当たり前だろう。何だい!」しかし、彼らは皆兄弟たちなのだから、そう言ってはならないと言うのです。 神様が父母なので、今、死刑囚になって刑場に出て行く息子を思う時、許すことのできる法があるならば、何の役割をしてでも許してあげようとするのです。国法をなくしてしまうことができるならば、国法をなくしてしまってでも許してあげたいのが父母の心だというのです。そのような天の心を皆さんは知らなければなりません。 全世界の為に働く そのように見ると結論は、私に「死ね」と言って追い出したけれど、追い出した側の人が出てきてみると皆死ぬのです。私が生きることができないように彼らは振る舞ったが、私は生き残り、彼らは皆亡びてしまいました。そうしながら、打たれて奪ってきたのです。分かりますか? そのような観点からみると、第一次世界大戦も初めに打った側が最終的には負けたのです。打たれた側が勝ったのです。 第二次世界大戦も初めに打った方が負けたのです。そうでしょう? 第三次世界大戦も今この時はソ連が打っています。民主世界である我々が全体の前に最後の場で、世界的に打たれているのです。 歴史以来、私以上に打たれた人はいないのです。悪口を私以上に言われた人がどこにいるでしょうか。世界中の国家を合わせてみても、レバレンド・ムーンを知らない人がどこにいますか? あのアフリカに行っても、レバレンド・ムーンを皆知っています。「悪い国はアメリカだ。白人たちだ。」とね。「罪のないレバレンド・ムーンを陰謀と謀略で中傷して、善なる人をつかまえて殺そうとする。」と言うのです。インディアンのときと同じく、それがこの世に完全に皆現れたのです。仕方なしに、福を皆渡してあげざるを得ないんです。環境的に追い詰められるから、こんな責任分担を置いてこんな闘いをして来たのです。 先生がそのような福を先生の息子・娘に与えることはできません。そんな福を誰に与えますか? 世界に与えるようにして、その次に祝福家庭が受けて、その次に息子・娘が受けるのです。これが復帰歴史なのです。何の話か分かりますか? 統一教会は何の為に働かなければならないのかと言えば、統一教会の為ではなく、世界の為に働かなければなりません。世界の前に福を分けてあげねばなりません。今まで仕事をしてきたのを見なさい。しかし、彼らが受け入れないから、今、福は誰が持って行ったのかと言えば、祝福を受けた統一教会の食口たちが、祝福家庭が持って行ったのです。それを皆渡してあげて、その与えた祝福を感謝しながら世界の人たちが受けて、その福を統一教会の食口たちに譲るようになる時に、統一教会の食口たちは、それを先生の息子・娘たちに譲らなければなりません。このようになっています。家庭も世界的でなければならないというのです。 一昨年を中心として、八千双の祝福を世界的基準においてなしました。エデンの園の理想的家庭祝福圏を世界的に迎えたのです。多くの民族すべてに分けてあげるためです。全部皆、分けてあげて、彼らが全部受けて、それから、我々祝福家庭の前に回してあげるのです。為にしてあげるのだよ。ああ、アベルはあの昔の上流階級の人たちのようなものだね。分かりますか?それで一つになるのです。一つになるところには先生の息子・娘が立つのです。こうして統一教会とサタン世界と、カイン・アベルが一つになったその基盤の上に先生の息子・娘が立つことによって、息子・娘を中心として、カイン・アベルの基準がなくなるのです。カイン・アベルの基準がない本然の世界を目指す闘いが、その基準を越えて立った位置で初めて、世界的な位置を確保するようになるのです。 祝福家庭の生きる道 それで、この基準を越えて行く時が今の時です。分かりますか? だから、先生の息子・娘を私が愛してはいけないというのです。その代わりに、自分の子供たちを犠牲にさせながら、あなたたちを自分の息子よりも愛して、先生が持っているすべての貴い福を自分の家庭に連結するのではなく、万民に分けてあげ、祝福家庭に分けてあげました。その伝統を受け継いで、今はその何倍をも、先生の息子・娘に回してあげる責任があると感じなければならないのが、祝福家庭がもつべき先生の息子・娘を中心とした思想観念です。君たちも異議はないでしょう?君たちにとっても、今は主張があり得ないのです。無条件に先生の息子・娘を中心として一つにならなければなりません。そうしてこそ、カイン・アベルが一つになるのです。 これが祝福家庭の生きるべき道です。祝福家庭は、今まで世界の為に開拓路程の先頭に立って苦労をしてきたでしょう? その代わり、息子・娘たちはそのような苦労はしなかったでしょう?蕩減路程をさせませんでした。してはいけないというのです。ここには、カイン・アベルがありません。本然の息子・娘を立てなければならないので、カイン・アベルの蕩減路程は、祝福家庭と祝福家庭の息子・娘を中心として、世界の家庭と世界の息子・娘を中心として一つになることにより成立するのです。一つになったその基盤の上に、私の息子・娘と一つになることによって、先生がその上に立つのですが、先生としては、蕩減路程がありません。カイン・アベルに分別する必要がないので、長子孝進を今度の修練生の代表に立てたのです。それを分からなければなりません。 先生が監獄へ行くようになったのは、世界が過ち、国が過ち、キリスト教が過ち、三十六家庭が過ち、統一教会も全部が誤ったからだというのです。そのため、統一教会が全部苦労して、全部の災いを受けながら、試練が延長されてきました。 しかし、今世界的途上で越えていく時になったというのです。先生の裁判を中心として、法廷闘争で私を引っかけて引っ張って行こうとするこの時になったので、孝進を責任者に立てて、さっと位置を確保するんです。今がそのような重要な歴史的修練会であるということを知らなければなりません。それゆえに、今、アメリカに住みながら参席できなかった者は、千年、万年かかっても後悔するというのです。今回が第一次です。 先生の家庭では、正常な位置でカイン・アベルの闘争がありません。それで、今までこのような準備をならしておいて、世界史的な民主世界を中心として越えて行くのです。そうして、先生を中心に、カイン圏であるアメリカさえ開ければ、長子圏は父母をもった息子である長子を打てません。父母をもった長子を打っては、雷が落ちるというのです。今まで父母がいなかったので、長子圏が思いのままに取り扱っても、どうすることもできませんでした。しかし、今は父母をもったアベル圏が立つことを通して、長子を打っては、父母がそれを条件にして長子圏を打つことができ、長子圏がめちゃくちゃに雷に打たれるというのです。だから、長子圏が打つことができず、屈服するようになるというのです。 それゆえに、共産世界も今は、そのような世界を越えて行くようになっています。世界が皆、原理的になっているのです。君たちもこれをわかったら世界情勢がはっきりとし、今後、世界がどのようになるのか、はっきり見えるのです。学校の勉強がどれだけ易しくなるか分かりません。はっきりと分かりますか?(「はい。」) 驚くべき祝福の恩恵 さあ、それだから責任分担を誰が皆、蕩減役事をしたのですか?(「先生です。」)お金で返すことができますか? 君、家を売って、国を売って返すことができますか? 何を売って?言葉がないんです。君たち二十代は絶対服従です。エデンの園でアダム・エバがお尻を振って堕落したのです。自分を主張したというのです。だから、二十代は絶対服従なんです。父母の言葉を聞かなければ亡ぶのです。 これをサタンが知っているので、アメリカが知っているので、今日、サタンが若者たちに自分たちの父母を、第一世の旧時代・前時代の人々であると思わせて、父母の言葉を聞かせないようにして、全部追い出す役をするのです。アメリカが皆、反対しているというのです。サタンは賢いよ。サタンはこの世の物情をよく知っています。しかし、サタンが打つ前に先生が皆、取り除いたから、ヒッピー、ヒッピーと皆やってみたって、どういうこともないのです。 その次には独身生活をしようという運動がおこりました。つまり、同性愛です。「人権は法で制定せよ。」と言って、アメリカにその風が吹くようになったから亡びるようになったのです。共産党が全部浸透して、人本主義思想が全部ひきずって越えて行くようになったから、私がブレーキをかけて、闘いのるつぼの中で、乞食たちの親分になって、問題を提示する男になったのです。宗教者を中心として、今、大きな闘いが起こりつつあります。だから、君たちがこのようなことを知るようになる時、祝福家庭というものが、どれだけ驚くべき内容かという事実を知らなければなりません。 祝福家庭がどれだけ重要なのか。イエス様も成し得なかったその位置。二千年間、死でもってキリスト教が世界版図にまで拡大していくために、いかほど犠牲の代価を支払ったことか。ローマ帝国の四百年迫害時代を経て、今までキリスト教が発展するために、血を撒(ま)かなかった所がどこにあるのか。どの国に行っても血を撒きながら、これほど犠牲になっても祝福の場をもてなかったのでしょう? 先生を通して、君たちの父母が祝福を受けたということが、どれだけ途方もない位置であるのか。お金でもって替えることができますか? 君たちが千年感謝して、一万年踊りを踊っても及ばない恩恵を受けているということを知らなければなりません。 家庭的愛の拡大 蕩減は先生がして、福はだれが受けたの? 父母は子供の為にするのです。父母が苦労して、子供たちが恵みを受けるのです。その代わり、君たちもそのような恵みを与えることのできる父母にならなければなりません。そうしようとするならば、その伝統、その思想を受け継がなければならないのです。おばあさん・おじいさんが我々にこんな伝統を見せてくれたのにもかかわらず、父母がそのような伝統を残してやることができなければだめです。 今後、君たちは後孫の前に讒訴されるような父母になってはいけません。君たちも結婚するでしょう。それはなぜですか? 神様の愛を知るためにです。父母に侍ってみて、父母の愛を知ることができるように、夫の愛を知ろうとするならば、夫に侍ってみなければならないし、子供の愛を知ろうとするならば、子供に侍ってみなければならないのです。為にすることができなければなりません。そうしてこそ神様の愛の為にすることができるのです。教材として必要なのです。子供がなくては未完成のままであり、神様の愛を知ることができません。神様がどれだけ子供を愛したか分からないというのです。夫になってみなければ妻が分かりませんし、妻になってみなければ夫が分からないのです。父母になってみなければ、父母の愛が分からないというのです。皆、それを年代、年代で知る整種にするための教材としてくださったのです。 君たちは、息子・娘がなければ、真なる父母になれません。そのように、本然の原則規範に合格し得る一等品になるためには、父母が必要であり、妻が必要であり、子供が必要であり、そうしてこそ、神様の愛を体恤することができる一等品になれるのです。この宇宙が印を押してくれてこそ、天国に自然に入るのです。それを受けられなければ天国に入れません。この世のおばあさん・おじいさんを自分のおばあさん・おじいさん以上に愛するんだよ。このような伝統を知らなければなりません。自分の父母と同じ年齢の父母がいるならば、自分の父母よりももっと愛さなければなりません。カインの父母だけれども、歴史の伝統の中にあってのカインの父母として愛するのです。その次に同じ年齢の息子・娘には、自分の息子・娘以上に愛する心を持つようになれば、それは世界と連結されるのです。 氏族の為に成し、さらに氏族よりも民族の為に犠牲になりなさいという原則です。国家を犠牲にして世界の為にしなさいという原則がそこから出てきます。その苦労することが全部出てくるというのです。個人は家庭の為に、家庭は氏族の為に、氏族は民族の為に、民族は国家の為に、国家は世界の為にすることができてこそ、世界は天地の為にすることができ、天地は神様の為にすることができるという愛的因縁が、そのような関係からすべて実を結ぶのです。家庭を中心とした愛の体験を、そこからそれ以上に拡大しようというのです。 そのためには、自分の家庭を氏族の為に犠牲にしなければなりません。もっと大きな愛は、国家の為に犠牲にすることです。一層大きな愛の条件だけ立てるようになれば、どの段階にあっても、その段階的犠牲の上になされた愛の理想圏と連結されうるので、全部を実際にはできなかったとしても、それと同じ愛を全環境においてなした合格者として天上世界に行けるのです。あの世に入る時、囲いの中で愛し、郡(あるいは州) の中で愛したけれども、その郡を愛した人が、世界と国家を愛し、天と地を愛したそのような人たちと一緒に同じ恵みの座に同席できるのです。また、そのような位置に立つようになれば、もちろん愛するでしょう? それをはっきり知らなければなりません。 自分の夫と同じ年齢の男を見れば、自分の夫以上に尊敬し、以後、国家的基準で協力して、皆御旨を成すことのできる忠臣たちになるのです。家庭ではできなかったけれども、社会に出てゆけば、もっと立派な人になって帰ってくるのです。これが父母の願うことなのです。そのような思想を連結させなければなりません。なぜかと言えば、我々統一教会の思想が、個人は家庭の為に犠牲にならなければならず、為に生き、愛でもって生きなければならないからです。家庭は氏族の為に、更に大きいものの為に尽くす、このような御旨があるので、カイン的全体代表、世界を代表する心をもって、為にする心があれば、その一つの心を家庭に連結することによって、そこから父母がそのようになり、祖父母・息子・娘がそのようになる時には、いかなる天上世界にも、どのような忠臣たちの座にも、ためらわずに行くことができるというのです。そのように生きるのが天上天国であります。カイン・アベルの原理主管圏はその時もあったでしょう? 原理主管圏は永遠に残っています。責任分担でこれを越えなければならないのです。 世話になってはいけない 我々が天国に入ってからも責任分担圏があるので、もっと愛するという基準を中心として、カインである兄をもっと愛するのです。もっと目上の人の為にするというのです。自分の家庭を離れて、大きい国のアメリカの民をもっと愛さなければなりません。家庭を犠牲にしてアメリカの為にしなければなりません。このように生きることのできる普遍化された世界が、地上天国という所なのです。そのように生きている人たちは、例えば、小学校を卒業した人が中学校に入れば、そのまま引き継いで勉強するのに支障なく、皆順調に通ずるのと同じく、霊界に入れば、霊界の法がそのようになっているのです。そのような思想的訓練を地上でしない時は全部追い出されるのです。拍子が合わないのです。呼吸が合わないのです。君がキムチを食べて、味噌煮を食べて、辛子味噌を食べてこそおいしいのと同じく、そのように習慣になってこそ、霊界に行って拍子が合うのです。そのような習慣の生活を地上でしなければなりません。 それゆえ、生きている間に絶対世話になってはいけません。世話になっては天国に行けないのです。生まれた目的が何かと言えば、この宇宙の前に自分以上の優れた種をまいて、実を取り入れなければならないというのです。だから、正常な種は、自分よりも小さく作るという法はありません。つまり、世話になってはいけないということです。自分の父母からも世話になってはいけません。それでも世話になった場合は、それを息子・娘の前に更に多く返したらよいのです。父母の前に返せなかったものを、息子・娘の前に何倍にもして返さなければならないというのです。息子・娘がいないならば、それを町内の、息子・娘と同じような人たちに返さなければなりません。実地生活で世話になっていった人たちは天国に入れないのです。自分の為になし、世話になって行った人は、天国に行けないのです。それは僕にしかなれないんですね。主人になれません。主人の息子・娘にはなれません。 世話にならないためには、私の食べる物があれば道端で御飯を炊いて、篭(かご)に入れて行って、通り過ぎる人に「どうか召し上がって行ってください。」と言うのです。今にそのような風潮の時代が来ます。分かりますか? 家を建てておいて息子・娘を愛することのできない人は、その代わりに他の人を愛して住むようになる時がくるというのです。そのようにできる環境が展開するから、どれだけか良い世の中になることでしょう。自分のためにあるものを他に与えよう、為にしよう、残して行こうとね。だから、昼に果たせなかったら夜にでもなさなければならないと言うのです。眠ることができません。その国はどれだけ素敵でしょうか? これがどこに連結されるかと言えば、責任分担です。我々が皆復帰された世界にも責任分担はあります。だから父母様のみ言葉には絶対服従です。神様のみ言葉に服従できなかったのだから、全部服従しなければならないでしょう? 君たちも、お父さん・お母さんの言葉をよく聞かなければならない。今から、地上でよく両親の情を受け継いでおいてこそ、次に霊界に行っても知った立場に立てるのでしょう? 先生のみ言葉を聞いてそのようにしてこそ、知って振る舞えるというのです。 徹底した原則の適用 先生は自分の子供の為に今まで教育できませんでした。カインを愛さずしては教育できないのです。三十六家庭を私は偶像のように崇拝しました。食物がなければ食べさせてあげて、服がなければ着せてあげたのです。私は無理して生きながらでも、このように為にしてあげたのです。なぜ? 世界の人たちの為にすることができないから、三十六家庭を代表に立てたというのです。それを当たり前にしてもらっていると考えられると困ります。 そこで、何をしなければならないのかと言えば、先生の息子・娘に対して、先生が君たちの為にした以上に為にしなければならないということを知らなければならないと言うのです。分かりましたか? 私一人、孝進の為にすることよりも、全世界の人たちが孝進の為にできる時を願うのです。その時になれば、孝進はお父様が分かって痛哭するだろう? 痛哭するんだよ。このようなお父様だったのかと、今や目から涙がぽろぽろと落ちるのです。お父様も神様の心情を思って泣いたことがありますが、それでこそ正常な人です。それでこそ、今従って来る人たちは黙って静かに窺(うかが)い見て、全部従って来るのです。何のことか分かるでしょう? きょう語った責任分担が重要なのです。 今まで孝進にもこのような話をできなかったのです。先生の息子たちが、「ああ、我々に対してできない話を今、修練会でするんだ。」と、修練会を通じてその話を聞いてから後に、先生に問うてくれば、先生が息子たちに話してやるのが原理なのです。原理がそうなっているのでサタンは、「あなたはカイン側を愛さないじゃないか。」と言えないというのです。 カイン・アベルの原則で、一歩も失敗せずに世界まで出て来ながら、そのように自分の息子・娘に対しても、自分の妻にまでも徹底するのです。それはサタンにとっては死ぬような思いだというのです。少しいい加減にして、ちょっとした隙でもあれば、サタンは穴でも開けるのです。サタンは、「あなたとあなたの息子が私を愛さなければ、天国に入れません。神様の息子として、真の父母が私を愛し、神様、あなたが私を愛してくれたという条件を立てられなくては天国に入れません。」と神様に対して言うのです。 (先生の行く道には)許しがないでしょう? だから、サタンが去っていくというのです。先生は既にそれらを皆なしているのです。個人的になしたし、家庭、氏族とやってきました。それを主流思想として、今までずっと統一教会を立ててきたことを知らなければなりません。 だから、君たちは何も考えずに、どこからスタートしなければならないのですか? 今から僕の僕、僕、養子、庶子、直系の子女、その次に父母を通じて復帰して行くのです。万物復帰をなぜするのか? それは、僕の生活もしてみるためです。私がそのようにしてきたのです。どれだけ自分が「再臨主、再臨主」と言ってもだめです。 再臨主の資格 再臨主になるためには、このような過程を経なければならないのです。世界的な宗教代表者から、「あなたはアベルです。世界的なアベルです。」と、そんな祝福を受けなければなりません。分かりますか? それによって世界的なアベルの位置、メシヤの後継者の位置に入るのです。 そうしようとするならば、そのような団体に会って、あるだけの精誠を尽くして、夜でも昼でもその方の前に覚えられて、その方がすべての福を渡してあげて惜しくないという心をもったその心の基盤の上に、天が同じく祝福を与えなければなりません。それで、世界的な祝福を受けなければならないというのです。 その次には、メシヤとして祝福を受けなければなりません。そのメシヤをだれが祝福しなければならないかと言えば、息子がメシヤを祝福できません。だれがするのか? 母しかいないのです。メシヤを生むのはお母さんしかいないし、神様しかないのです。メシヤは女を通して生まれなければならないのだから、お母さんと神様しかいないというのです。祝福してくれる人は天使でもないし、その他のだれでもありません。 それで、「私は神様の夫人だ。」という者が現れてこなければなりません。そんなお母さんが出て来て、「この人こそ自分が侍ることができるメシヤだ。」と宣布、証言しなければなりません。そのような証言を得るためには、絶対服従しなければなりません。福を受けるためには、僕の僕の役をしなければならないのです。それでお母さんだと言っているその人に骨の髄から情が入って、その女性が自分の息子・娘を皆捨てて、自分の夫も全部捨てて、私に従うことができなければならないのです。そうすれば、ただ一人しかいない息子のように思って育てながら、「大きくなれば一国の大統領になる。」と祝福してくれるのです。その次に、世界祝福してくれて、「世界の大統領になり、その次に世界の王になる。」と言うのです。「あなたは再臨主になる。」と祝福してくれるその時までは、その女性に絶対に服従しなければなりません。 しかし、その位置になってからは、そのお母さんがその息子の前に絶対服従しなければならない時が来ます。主管性転倒です。その方をすべての息子・娘のだれよりも愛して、完全にひっくり返るのです。そうして、そのおばあさんは四十日以内に、「あの方が、ああだったとは……。」と言って、その息子の前に絶対服従するのです。この世の王より恐ろしくなるのです。そのような闘いを経て、基盤を磨(みが)くのです。 先生は、そのおばあさんの頭巾(ずきん)まで皆洗ってあげ、お風呂に入りたいと言えば、湯を沸かしてあげました。息子のまね、僕のまねをしなければならないのです。十里(注・韓国の十里は日本の一里に相当する)の道、百里の道も「行って来い。」と言われれば、行って来る。「今日は他の所に出て行って寝よ。」と言われれば、そのように眠る。異議がないのです。 それで、良いところ悪いところすべてのものを合格させなければなりません。分かりましたか? まず、悪いところで合格すると、良いところは合格し易いのです。「一番嫌いなこと、人にさせられない役を私一人にさせてください!」と言って、それで祝福を復帰しなければなりません。神様がアダム・エバに与えた「生育し、繁殖し、地に満ちよ。」という祝福を復帰しなければなりません。「あなただけが世界的なアベルです。」と言われるような祝福を受けなければなりません。それで、ソロモン王(としての)祝福を受けなければならないのです。 そこで合格した後には、「あなたこそ、絶対にこの団体の長、全体の代表者に立ててもあまりある。」と言われることのできる、当代で何よりも愛されることのできる位置に立てられなければならないのです。そのように、神様が「エホバの夫人である。」と言う、そのような人を捜して立てなければなりません。捜して立ててからは、そこに行って赤ん坊の中でも一番愛される、この世にも一人しかいない玉のような男の子、後日は、王様以上に愛することのできる玉のような男の子だと思って、彼が私を愛さならなければならないのです。そのようにするためには精誠を尽くすのです。何の話か分かりますか? たとえ体が十個のかけらになつてもできないようなことをしなければならないのです。 それゆえ、「自分の息子を捨て、自分の妻や夫を捨てて、家庭を去れ。」と言えば、去ることのできるような位置まで出て行かなければなりません。そのような位置でお母さんに侍るのですから、そのお母さんの前に別の人はありえないのです。 こうして、歴史上に初めて男性として、天と地、サタンと神様との二つの闘いの分かれ道で、この闘いをひっくり返して、天の権限、男性の権限を堂々と回復し、ここで基盤を磨いていくのです。しかし、世界全体のカイン・アベルを捜していく道を知らないからその女は自分の息子・娘が一番であると考えるでしょう? しかし、神様はそのように見ないのです。この道を知るためには、あなたが私に問うてみなければなりません。 その次には、そのお母さんの息子・娘たちが、そのお母さんに従った信仰者たちが、私を同じように信じ侍ることができなければならないのです。そうして、十二弟子、七十人門徒、百二十人門徒の基準を、すべて一族を中心として、彼らが異議なく、反対なく、「そうだ!」と言うことができるようにつくらなければなりません。そのお母さんがそうすることによって、統一教会をそのような位置で育て、教会を中心として行かなければならないのです。 祝福のための基盤 先生は食口たちを育てるためには、昼よ夜も眠らないのです。七年間その役をしてきました。そのお母さんが愛する以上に、眠ること、食べること、すべてのものを犠牲にして彼らの為になして来たのです。そうしてみると、全部が、「我々が百回死に千回死んでも、あなたはその位置に昇って行かなければなりません。」と言うようになるのです。そのようにして築いた基台の上に、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭…と、祝福が展開されるようになるのです。 統一教会に対して、父母が反対し、子供が反対し、国が反対し、サタン世界にいるすべてのものが、一途に血の泡を吹いて反対するのです。死をかけて反対してくるのです。イエスが死の場に出て行くとき、イエスの弟子は皆逃げていってしまったけれども、統一教会の人たちはそれを蕩減復帰して、一緒に死の場に出て行かなければなりません。逃げて行ってはいけないというのです。だから、その道はどれほど悲惨だったかということを知らなければなりません。死の境地を踏み越えて立ったという条件を立てながら、統一教会は基盤を作ってきました。それで、先生の資格と合わせて、皆さんの基盤ができて来たのです。分かりますか? 君たちの父母たちは、皆蕩減復帰という理論的な過程を経て来たのです。祝福を受けるためには、国家的基準のイエス様が、責任分担を果たせなかったすべてのことを蕩減しなければなりません。 そういう理由から、世界的な活動を展開していくために、一九五七年から国家的次元で全部動員するようになるのです。麦飯が何だ! ユダヤの国に来られたイエス様を、ユダヤ教が受け入れられなかった立場を、我々統一教会は、たとえ飢えて、犬の飯を食べながらでも、越えて行かなければならなかったので、君たちの父母は君たちを、まるで捨てるようにしてでも出かけたのです。 貴い息子・娘は、国の為に祭物として捧げなければならないでしょう? 君たちの父母は、国の為に、子供まで合わせて祭物として捧げなければならない立場です。しかし、祭物に捧げるのではなくて、孤児院に預けてでも生きておれば、戻って来た時には捜すこともできるから、まだ幸福だと考えて、君たちの父母たちは歩んで来たということを知らなければなりません。分かりますか? 捨てたのではありません。憎くてそうしたのではなく、そうしなければ、天国に行く道が生じ得ないから、そのような血のにじむ闘争の過程を経ざるを得なかったのです。 そして、既成教会の基盤がないから、その代わりに国家・民族の前に、国家が反対しても闘って押し出して行くことのできる基盤を造るために、三千万国民の前に、全部公開祝福したのです。もし国が、祝福に万一反対したならば、大変なことになっていたのてす。今は、祝福が世界的に公認されました。日本であれ、世界であれ、皆公認したのです。 今では、統一教会の魅力が何かと言えば、若い男性が、「統一教会の家庭は、全部永遠を基準にしている。今の世の中は、家庭が皆壊れていくのに、統一教会に入れば全部そうではない。」と言って、皆集まって来ていることです。 中心が方向を決定 背の低い人が背の高い女性を娶ってみれば、恨みがほぐされるでしょう。痩せっぽちが太った男に嫁いだら、その恨みはほぐれるでしょう。また、東と西とは反対で、中心があるから東西が合うのでしょう! 中心がなければ、永遠に合うことができません。中心は先生なの?(「はい。」)先生を中心にして東と西が合うし、東西南北も合うのです。中心がなくなると、すべて永遠に合うことができません。「私は合いません。」と言うのはだめです。分かりますか? 東西が中心を決定するの? 中心が東西を決定するの? 原理的に見たらどうなの?(「中心」)中心ゆえに東西南北が決定され、三百六十度が生ずるのです。中心を保護するために正義をはっきり悟らなければなりません。中心は一つしかありません。それを知らなければなりません。私が決定するのです。 エデンの園において中心はだれですか? それは神様です。その時、エバが誤って片目になったら、一体どうなったでしょう。もし、刺されて目が潰(つぶ)れたら、不具になったでしょうか、それとも、ならなかったでしょうか? 神様の保護のお陰でそうはならないと考えたら間違いです。自分自身の手で刺しても目は不具になるのです。その時、「本来の創造理想からすれば、二つの目がなければならないのに、片目になってしまったので、再び創造してください。」と、神様に言えますか? その片目が妹です。そうではありませんか? いやが応でも姉が一緒に暮らしながら、妹の道案内をしてあげるのが姉の責任分担でしょう? それはまた、夫の責任分担でしょう? そうではありませんか? 君たち! 浮わついていないと思う女性たち、手を上げてごらんなさい。アメリカの女性たちは浮わついていないのですか? 女性崇拝の風潮。車に乗ったら男性がドアを開けてやらなければならない。しかし、それは七十年代までの歴史です。真の母に侍るための訓練です。一時的であって、それは一方通行で通り過ぎるものです。第一次大戦以後、七十年を経っていなくて、歴史が分からなくてそうしているのでしょう? 神様がすべて知っていらっしゃるのに。女性は夫の為になし、その次には、子供の為、父母の為、国の為、世界の為、人類の為にするのです。 人類の為ならば、世界の為なのです。国の為ならば、人類の為になるのと同じなのです。だから、先生もその原則を知っているので、その道を今まで歩いて来たのです。自分の一族をすべて捨てて、家庭をすべて犠牲にして来たのです。 すべてに責任分担が 皆さんは、自分の責任分担が重要だということを知らなければなりません。神は「取って食べるな」と言われました。それを守るべき人間の責任分担があったのです。昼であろうと夜であろうと、人に会う時ごとに、責任分担だけを覚えていたら堕落しなかったのです。 学生は学生として、責任分担を果たさなければならいでしょう。その学校から指定されたことはすべて学生の責任分担です。学生は試験勉強をよくしなければなりません。それが責任分担です。 統一教会では、伝道や渉外をよくすることが責任分担です。すべてその責任分担を果たすために、一つの目的観念に徹して行動して、それに合格してこそ、その資格者として決定されるのが、この世のすべての制度というものです。分かりますか? それは万法に通じるものです。あらゆる制度に通じるものです。 小学校の生徒にも責任分担があるの、ないの?(「あります。」)中学校、高等学校は?(「あります。」)では、大学は?(「あります。」)では、博士コースは?(「あります。」)夫婦同士は?(「あります。」)子供と父母の関係では?(「あります。」)家庭における祖父母、父母との関係では?(「あります。」)責任分担はすべてにあるのです。自分勝手にしたら自分の立場がありません。宇宙が追い出すというのです。 責任分担はどこへ行っても付いて回ります。御飯を食べて、片付けるのも責任です。責任分担を多く作れる人が偉大だというのです。統一教会の先生が、責任分担の分量をたくさん作ったでしょう? すべて全体に役立てる原則法をたてて、守らなければなりません。そこには異議がありません。なんだかんだと自分勝手に行動したら、絶対追い出されてしまいます。アダム・エバが責任分担を守らずに行動して追い出されたの? 追い出されなかったの? (「追い出されました。」)今後、先生の時代において法を定めることは、責任分担の延長、拡大であり、その法に絶対、順応しなければならないことを知らなければなりません。 責任分担。教会の規則等も全部そうです。礼拝もきちんとその時間の前に来なければなりません。私が立てば、大衆全体に影響が及ぶというのです。それが責任分担と言うものです。代表者になろうとすれば、先生もそうなのです。 先生は昔、御飯を食べずに働いていても、学校が始まるちょうど五分前には着いていたのです。小学校へ通る時、二十里の道を学校まで歩いて通いました。小学校の時の二十里がどの位になるか分かるの? 八キロメートルを毎日歩いて通ったというのです。友達を待って峠で私が休んでいる時、友達はまだ道の半分位しか来ていないのです。私は本当に道を速く歩くのです。八キロメートルを四十五分くらいで行くのです。だから、後から付いて来るのが忙しい。それで、逸話が多く有名だったのです。親から「学校へ行きなさい。」と言われなくても、全部自分で準備したのです。学校の校長先生の所へ行って、いろいろな話をまとめてくることも私がすべて交渉するし、結婚の仲人もしました。全部開拓です。創造するというのです。 だから君たちも、すべての制度が、全部責任分担の管下に所属されていることを知らなければなりません。統一教会は法を守らなければならないというのです。君たちも朝、敬礼式には皆起きるの?(「はい。」)家でしない人は手を上げて。すべて責任分担です。それを一つもできなかったら、君たちの一生の問題が左右されてしまうというのです。 毎日の責任分担、一年の責任分担、永遠の責任分担がありますが、一時間責任分担もあるというのです。それは、友達同士の約束においても、すべてそのような生活をするのです。それで、先生が話して約束を守れなければ、それ以上の恥ずかしさを感ずることはないというのです。時間を守らない人は本当に嫌な人だというのですね。法というのは、責任分担の関連性を中心にして作られるものです。そうしなければ、破壊が起こり、制度に混乱が生じます。それゆえ、それは絶対守らなければなりません。 学生はそのように時間をよく守り、学校に出るのが責任分担です。責任分担。これができなくなったら学校に不合格になるのです。いくら種が良いと言っても、主人が最適な時期に、しっかり責任分担を持って播かなければ芽は出ないでしょう? 時が過ぎたら、どんなによく芽が出ても使えません。同じことなのです。時に対する責任がどこにでもあるというのです。 万物復帰はなぜするのか? 統一教会の食口たちには、蕩減の責任分担があることを知っているでしょう? 蕩減路程。万物復帰はなぜするの? 罪悪の世界にいる人間も復帰しなければならないけれど、万物も天の前へ返さなければなりません。私を再創造するという人間の責任分担があるために、神様の所有物が必要であり、そのために万物を復帰しなければならないのです。堕落した人間を再創造するためには、神様は、神様の所管内にある万物が必要だと言うのです。つまり、私を再創造することができる、神様だけが所有することのできる万物がなければなりません。ところが堕落したために、すべてサタンの万物になってしまいました。だから、万物を神様の前に返してから、その万物を通じて、初めて私を再創造することができるというのです。そういう物質を神様の前に捧げることにより、私を再創造した条件を立ててくれるというのです。そのための万物はどこからくるか? すべての家、すべての人々の所へ訪ねて行って、一つ一つ精誠を尽くして、すべてを分配してもらうのです。それが何で表示されるかと言うと、お金で表示されるというのです。それを絶対に自分が所有してはいけない。それは、完全に天へ返さなければいけません。一文も自分が手をつけてはいけないというのです。先生はそのような蕩減条件を立てておいたというのです。 世の中の万物条件を全部捜して立てておいてから、神様の前に三年半の間、心と体で精誠を尽くさなければなりません。そこではあらゆる冷遇を受け、涙も流し、あらゆることをするのです。逃げ出したいときも我慢し、あらゆることを全部受け入れなければなりません。唾を吐きかけられ、足を蹴られても、そこに精誠を尽くし、その場で天の心情を中心にして、君たちが受け入れれば、その家が祝福されるというのです。その家が、万物を感謝する心で提供するとしたら、祝福されるというのです。神様が干渉することができる圏内に入るというのです。何人かが神様の干渉することができる圏内に入ってくると、地上が清くなるというのです。君たちを再創造することができる物質的な起源が何もないので、このようにして神様の前に捧げて、私を再創造することができるアダム・エバの地を造らなければなりません。そのような物質的な条件を立てるために、万物復帰をするというのです。 伝道はなぜするのか? その次には三年半位、何をするか? サタン世界においては、すべてがサタンから冷遇を受け、サタンが勝手に振る舞うようになっています。サタンの一線へ行って反対を受けても、誰にも負けず後退しないで、そこに踏み止まってすべてのサタンと正面衝突しながらもすべてを押し出すのです。その間脅迫、恐喝があるし、統一食口たちが反対を受けるというのです。国が反対し、一日に何回か通る人々が唾を吐き、行く時石を投げ、何か持って行ってしまうし、そのような過程を経なければなりません。分かりますか? 蕩減復帰です。先生に反対しても、後退しないで進むのです。あなたたちは精誠の何十倍を尽くさなければなりません。サタンが主張することができる以上の心情を持って精誠を尽くしなさい。血涙を絞っても、精誠を尽くすその精誠が天にしみ通って、すべての霊界が感動し、地上にいる人間がその精誠の前に膝を曲げることができたなら、そのとき天の所有権になります。そのために精誠を尽くすというのです。分かりますか? 私は清平に行けるのであれば毎日行くつもりです。なぜそうするの?世界の聖地のためにそうするのです。だから、天が祝福せざるをえません。サタンは讒訴することができないというのです。今、アメリカで私を追い出そうとあらゆることを試みたが、私を追い出すときには、アメリカ自体に穴があくというのです。先生がこんな基盤を全部立てておいたのだから追い出されることはないのです。 伝道はなぜするのでしょうか? サタンの侵犯を受けたから、物質で再創造された私は、サタンの権限を奪って神様を愛し、神様の法を守って、世界の人類を私が主人として訪ねようとする心を持ち、天下が反対しても前進するというような信念を抱いて押し通さなければならないというのです。そのような抱負を養わなければなりません。それで信仰の息子・娘たちを捜して立てなければなりません。天使長を捜すというのです。アダムには、三人の天使長がいたけれども、すべて失ったでしょう。これらを復帰しなければなりません。サタンの息子・娘、天使長の息子・娘の代わりに、信仰の息子・娘たちを立てるということは、エデンの園の三天使たちを立てることと同じだというのです。カイン復帰三時代(旧約・新約・成約)の全部を復帰することなのです。男が来て自分の娘を誘ったりしたら、いろいろ村から気ぜわしい噂が立つ。そうでしょう? 先生は一人を伝道するために、反対されている婦人の家で一年六カ月ぐらい暮らしたことがあります。そうしたらすっかり良くなりました。そこに、何の問題があるの? 冷遇が何の問題になるでしょうか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.30
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「祝福家庭子女修練会でのみ言葉」1984年7月10日ベルベディア 一九八四年六月二十日から七月十日まで、ベルベディアにおいて、先生の子女様たちと在米祝福家庭の二世たちの第一次二十一日修練会が行なわれ、その最終日七月十日に語られたものです。 人間の責任分担 イエス様以後キリスト教全体を見ても、先生が来る時まで、霊界では家庭がありませんでした。家庭がないから、もちろん氏族もなく、その国もありません。その国というのは、神様が理想とされるその国しかないでしょう? その国は、真なる理想として残されなければならないのに、神様が悲しまれる国として、悲惨なる実情が霊界自体に展開されるしかなく、地上にそのような結果世界が広がるしかないこの事実が悲惨だというのです。霊界と肉界の、このような悲惨なる状況をだれが造り出したのか? サタンとなった天使長がこのような問題を起こしたのです。 それでは、なぜ天使長を除けないのか? この問題は、今まで神学者たちと数多くの霊界に通ずる人たちにとって謎でした。サタンがいることは分かるが、全知全能なる神様の前で、すべて知っているというサタンをなぜ除けないのか? いつの時でも神側に行こうとするならば必ずサタンが妨害するのに、それをなぜ天が干渉できず、神様が制裁できないのか? 霊界に通じても、そのような問題が分からなかったのです。それで、サタンによってそのようになった悲惨なる事実を全部、霊界がなぜこのようになり、地上がなぜこのようになったのかを解(と)かなければなりません。神様が知っているからといって、それを神様が教えてやることができない。なぜならば、(人間には)責任分担というものがあるからです。 では、責任分担を責任負うことのできる方はだれか? それが、本来堕落せずに成さねばならなかったアダム・エバ、真の父母にならなければならないアダム・エバだったというのです。それは、父母だけが責任を負うことのできる責任分担であるのです。父母が責任分担を果たせなかったそのような結果の世界において、だれに責任分担を教えることができるでしょうか? 父母にも教えることができない、神様が教えることができないというのです。それがひっかかっているというのです。今日、我々の原理で言う責任分担という言葉が出て来なかったならば、歴史を解く道がありません。 世間を見ても、悪い人がより良い生活をしており、善なる人が滅びて行く場合が多いというのです。そのようなすべての歴史をだれがこのように造ったのか? それは、責任分担を果たせなかったからで、責任分担を成して行くとき、サタンが反対することによってこれを蕩減して解決しなければなりません。 蕩減というのは、個人の蕩減だけではなく、歴史性を帯びています。氏族、民族、国家、世界史的なこのような蕩減内容が、全部責任分担を中心として連なっているというのです。個人蕩減の責任分担、家庭蕩減の責任分担、全部そのようになっているのです。 ところで、今まで国家から見ても、すべての宗教から見てもこれらが一つになっていません。国家は国家なりに怨讐になっており、宗教は宗教なりに怨讐になっています。それで、世界史的な蕩減問題を、条件にひっかかっている責任分担を全うすることによって、蕩減復帰し、連結させなければ世界性がありません。どの民族を中心としても世界を連結させることができず、どんな国を中心としても世界を連結させることができず、どんな宗教を中心としても、キリスト教ならばキリスト教を中心として世界を連結させることができないというのです。宗派であるならば宗派を中心として連結させることができないのです。 選民イスラエルの使命 このように見るとき、神様が何を考えるようになるでしょうか? 責任分担を完遂しなければなりません。一人の個人を立てて、氏族編成と合わせて、その氏族編成が一つの世界的宗教を背景として、その氏族編成を基本として世界国家というものを統合して、同じ位置で連結させることのできる背景をならしておかなければなりません。それが、ユダヤ教の歴史です。イスラエルというのです。イスラエルを選民に立てて蕩減復帰するのですが、蕩減復帰というのは、カインにイスラエルが勝つことであり、これが何かといえば、ヤボクの渡しでヤコブが天使を屈服させたことです。そのことが聖書に出ていますが、それがなぜイスラエルになったのか今まで分からなかったというのです。相撲を取ったことがなぜイスラエルになったのか、分からなかったというのです。それは蕩減復帰を知らなかったからです。 それゆえに、イスラエル民族を中心として、一つの宗教、つまり、神様を信奉することのできる氏族とユダヤ教を立てておいて、またその次には、一つの国を代表することのできるイスラエを立てておいたのです。 それゆえに、歴史過程で責任分担を果たせないときには、蕩減で異邦の国に引きずられて行って、十二支派が南北に分かれて、全部蕩減して出てくるというのです。その蕩減の内容を、今まで知らなかったでしょう。それによってイスラエルは、イエス様が来る時まで、より一層国家的宗教を置いて、世界を代表する国家と世界を代表する宗教の統一背景を持たなければならなかったというのです。 そのような蕩減の内容を支払って、国家とか、国家的宗教の基準の前にサタンが反対できない基準を作って、そこでメシヤを迎えなければなりません。世界的宗教と世界的国家を代表する国家同士が完全に一つになったならば、そこにメシヤが来て、世界的宗教圏を中心として、世界的国家形態を収拾していくというのです。それゆえに、ローマという大帝国を中心として、宗教をローマ帝国以上の宗教に発展させなければならなかったのです。 ところで、その時、自然神を崇めてそうしたというのです。そのような環境よりも唯一神を崇めなければならなかったし、徹底した世界的宗教観を中心として、世界国家観をあのローマのように拡大して行きながら、アラブ圏を中心として、中東からアジアを連結させて、一つの文化圏を形成しようとしたのです。そうしながら、メシヤを中心とした世界的宗教と世界的国家の背景を一致化させて、そこでサタンが反対することのできる道を完全に塞いでしまわなければならなかったのです。 蕩減条件が個人の責任分担を中心として引っ掛かっており、家庭の責任分担、氏族、民族、国家の責任分担を完遂した後に、そのような国家基準を中心として、ユダヤ教を中心として、ユダヤの宗教国家を中心として完全に蕩減過程を経て、サタンを分別させた上に、完全なメシヤを迎えなければならなかったのです。 ところが、メシヤが来るのにユダヤの国は、信じていなかったのです。それで分かれた、一つになれなかったというのですね。その時、蕩減路程というものは、知らなかったけれども、歴史的なすべての過程を一時に通過する立場がユダヤ教とユダヤの国に残っており、必ず蕩減の道においては、カインはアベルに反対するようになっているため、ユダヤの国の立場がユダヤ教に反対するようになったのです。 しかし、ユダヤ教自体を見るとき、ユダヤの国の王になるためには、ユダヤ教の祝福を受けるようになっていたのです。今、アメリカの大統領になるためには、牧師が主礼となって任命式をするのと同じですね。それゆえに、下では反対しても、頂上に上がって行けば、もてなしを受けるようになっています。王もそれによって、下ではどれだけ反対されても、頂上に上がって行けば行くほど反対するのは弱くなるというのです。 それで何が問題になるかと言えば、個人の信仰を徹底しなければならないのです。個人の信仰と国家観を徹底して、その宗教を絶対に信じてその国家を絶対に信じたならば、蕩減があってもそれは無難に越えて行けます。蕩減が成立しないというのです。 世界を代表する民族が自分の民族を中心としたがゆえに、いつも蕩減を得たのです。なぜそうなのかと言えば、サタンは自分を中心として、自分の欲心を中心として出発したので、欲心を中心とした道には、責任分担を全うする道がないというのです。それだから、自分を主とする個人や宗団には、これは、サタンが蕩減も適用しないというのです。自分を越えて、自分を犠牲にして宗団を信じて、国のために出て行く人に限っては、サタンが反対するというのです。だからと言って、そうでない道を行って死ぬならば、全部サタン側となり、天側になることができないというのですね。そのような道を行かなければなりません。 父母が立つ基盤 それで、神様が選民イスラエルを選んで、メシヤであるイエス様を送ってくださったが、メシヤとはどんなお方なのか? ユダヤの国を中心として、ユダヤの宗教が一つになった基盤の上でカイン・アベルが一つにならなければならない。カイン・アベルが一つにならなくては、父母の立つ場がないというのです。父母はどこに立つのか? 父母が来たとしても、カイン・アベルが一つにならなくては父母が立つ場がありません。 それでは、カイン・アベルが一つになれなかった責任を、父母が来てからどのようにするのか? 父母がそれを代わって造ってやらなければならないというのです。なぜそうなのかと言えば、カイン・アベルの問題は、父母が責任を果たせなかったために生じたのだから、カイン・アベルが父母であるメシヤが来るのを願って、カイン・アベルを国家的次元、国家的宗教の次元で準備してメシヤが来たにもかかわらず、天のものとして奉ることができないときは、そのメシヤが責任を負わなければなりません。 カイン・アベルはなぜ生じたのかと言えば、堕落ゆえに生じたので、メシヤ、すなわち父母ゆえに生じたので、父母が選び出してこれを一つに作ることのできる基盤、国家的基盤、国と宗教が一つになることのできる基盤を父母が作ってやって、その勝利基盤の上にこれを手本に見せてやって、カイン・アベルが今や「分かりました。」と言うとき、越えて行くことができるというのです。そうでなければ、父母までも立つ位置がありません。 それで、イエス様すらも死んで行かざるを得なかったのです。イエス様は神様の息子として来られたので、死ぬ必要がありませんでした。それなのになぜ死んだのか? カイン・アベルが一つにならなかったので、その問題で死んだというのです。 我々の原理では、堕落したアダム・エバをだれを通して救うかと言えば、アベルを通して救うのです。そして、アベルが御旨を完成するために、カインを通さなければならないようになっています。それが原理の骨子なのです。 それだから、イスラエルの国とユダヤ宗教の基準がどれだけ国家的基準になったとしても、その宗教と国が一つにならなくては、来られる父母に侍ることができません。国家的次元でこのように見るとき、その宗教を中心とした政治体制は心情政治です。民主主義的な政治ではないということを知らなければなりません。 アダム・エバの位置 アダム・エバを中心として、すべての世界が一つに連結されるようになっているので、その体制は、死んであの世に行くようになれば、アダム・エバが神様の形状として残っているというのです。神様が別にいるのではありません。神様がアダム・エバを造った目的がどこにあるのでしょうか? 我々人間は、形状を持っており、体を持っていますが、無形の神様は、体がなく、体を着なくては地上でも霊界でも留まることができないのですね。それで、どれだけ神様がおられたとしても、人間の父母として現れるためには、体を着なければならないが、それがだれだったかと言えば、堕落しなかったアダム・エバで、その体を着て現れるというのです。 アダム・エバはだれなのか? 人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様になります。実体を持った神様として、永遠なる無形世界に、神様に代わって形状を着て現れ、神様の位置で、父母の位置で世界を統治することのできる責任がアダム・エバにあったのです。何の話か分かりますか? それでは、アダム・エバをなぜ造ったのか? 実体世界を造った以上、実体世界の中心がアダム・エバだったので、アダム・エバの形状を通して霊界と肉界を連結させるための御旨でアダム・エバが造られたのです。 では、霊界と肉界の連結は何を中心としているのか? 霊界の代表は神様であり、地上の代表はアダム・エバです。それで、アダムは地上で生きなければなりません。生きるとき、その持っている形態は、地上の国の王です。永遠なる王。永遠なる王権を持って現れたのです。 エバはだれかと言えば、王妃でしょう? 永遠なる王妃権を代表した王妃として登場したのでしょう? その永遠なる王権を代表したその夫婦が、そのまま霊界に行って神様の代身者になります。 それでは、天では、無形の神様一人おられて何をするのでしょうか? 見えない神様であっては、何もならないのです。我々人間の父母になろうとするならば、体をもって感ずることのできる体を着なければならないので、やむを得ずアダム・エバを二重的存在に造らざるを得なかったということを知らなければなりません。 なぜ、二重構造に造らざるを得なかったか? 無形の神様がアダムと全く同じになろうとするから、アダムの心と体が一生を通して成長して、あの世に行く時までに神様と一つになったという基準にならなくては、あの世に現れる神様の形状が一つになることができません。二重構造に造った理由も、神様の実体であるアダム・エバ、すなわち、実体である王権を持った父母と無形の父母である神様が一体になって、永遠なる天上世界に体を着た王権を宣言することにあったのです。 それでは、アダムをなぜ造ったのでしょうか? 神様が体を着るために造ったのです。だから、神様もアダム・エバと連結されなくては、この世と関係を結ぶ道がないというのです。アダム・エバと関係を結んでこそ、アダム・エバも当然関係を結ぶことができるのでしょう?そうでしょう? 神様がなぜ人を造ったのか? 同じ父母の位置に立つためです。体を着るためです。同じ父母として内外です。外的な神様は、アダム・エバであり、内的な神様は、心と同じだというのです。体(からだ)的な神様がアダム・エバであり、心(こころ)的な神様が神様です。父母様なのです。 本来、父母というのは、一人の御方です。御一人だから、その御一人が入ってきて、おられることのできるアダム・エバ、男性・女性の二性性相を持った分性的聖殿と同じくしておいて、神様がそこに入って行くのです。神様が入って行って作用してこそ、この二人が、アダム・エバが理想的作用をすることができます。神様が作用できなくては、神様の御旨であろうと何であろうと何も分かりません。そうでなくては、神様が人間と関係を結ぶことができる基盤がありません。 ところで、その本来の基盤が壊れたために、神様が人間との関係を結ぶということはあり得ないという結論が出て来ました。だから、人間がどれだけ地に多くとも、神様と関係ない人になったというのです。本来、神様と関係を結ぶよう、創造理想として立てたのにもかかわらず、それが実践されなかったので、再び再創造の歴史を成さなければなりません。復帰という再創造過程を経て、これを引きちぎって出て来るのです。アダムの小型、アダム個人型、アダム個人の少年時代…。アダムを捜して出て来なければならないのですが、しかしその基盤がもう既に世界的舞台なので、アダム一人を捜して立てたと言って出ることができるでしょうか? 本来、アダムの堕落がなかったならば、「この世の人」は、全部アダムの統治圏内になければならなかったのです。世界は全部アダムの下(もと)になければならないのですが、アダムという小さい赤ん坊のアダムを捜して立てたとしても、世界は既に堕落した人間たちが、家庭から氏族、民族、国家を全部造ってしまっていました。 その造られた国家自体は、原理の中で見るとどのようになっていますか? アダムの息子になるのです。堕落したばかりに、これが問題なのです。だから、個人の少年と同じアダムを造って立てたとしても、その少年を世界の頂点に持って行って置くことができるかというのです。 これは何かと言えば、先ほど言った蕩減路程に個人の責任分担が残っているということなのですね。アダム・エバであるならば、二十一年間神様だけ絶対に信じて、事故さえ起こさなかったならば、個人の責任分担、家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担が一度に連結されるのです。分かりますか? 一度に連結されるのに、堕落ゆえにこれが少年アダム・エバを捜して立てたとしても、既にカイン世界が生じていたので、世界に責任を負うことができる位置に立てることができません。カイン世界は、サタンと完全に一つになっているので、神側に反対するようになっているというのです。 アベル的主流の確立 それで、アダムの小型のように育てて出て来たのがアベルです。カイン・アベルの天側の人。神様の人ではありません。天側の人と神様の人は違うのです。天側と言うようになれば、東西南北、各方向になるのです。天側の人と言うようになれば、高い位置の人もいるし、低い位置の人もいるし、中間の人もいるし、東の方の人もいるし、西の方の人もいるし、南の方の人もいるし、北の方の人もいます。すべては神側です。それだから、世界の舞台を中心として天側のアベルを育ててくるというのです。分かりますか?(「はい。」) そうして、天側のアベルを育てて出て来るのですが、アベル側の中心主流を決定せずしては、収拾する道がないというのです。だから、アベルのような少年が、天側に東西南北を中心として四人がいるとしましょう。四人がいたとしても、それぞれが人ごとにばらばらではだめです。そこで主流は、こうでなければならないというような主流がなければなりません。アベル側を中心とした主流は、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させなければなりません。カインを屈服させるならば、主流は確立されるでしょう。 それで、カイン・アベルの問題を中心として、ヤコブとエサウを中心として、ぴったりそのような立場になるのです。そうして、ヤコブが二十一年間、異邦の国に行って住むというのです。サタン側に行って闘わなければなりません。サタン側に行って訓練を受け、サタン側を詳しく知らなければなりません。サタン世界を知らなくては、絶対復帰できません。カインがどうなのか、よく知らなければなりません。 それで、ヤコブは自分の伯父であるラバンの家に行って何回も騙された。それは完全に詐欺でしょう? 伯父をして詐欺をさせる、嘘を言わせるのです。妹のラケルを嫁にやると言って七年間仕事をさせて、姉をやってしまった。レアをやったのです。あとの七年間で、こちら側は、公的利益を取って出て行くのですが、あちら側は、私的利益を取るのですね。いつも、私的利益を取る者の前には公的利益を取る者はやられてしまうというのです。 それで、主流になるためには、どのようにしなければならないのか? カインを屈服させて勝利したという覇権を持たなくては、主流になることができないというのです。それでは、カインをどのように屈服させますか? 握りこぶしで屈服させるのですか? 愛? 何の愛?天の本質的愛! サタンは天に対する反対的愛を通じて後に出て行ったので、今日、天を中心とする本質的愛を持った弟の位置から復帰しなければなりません。天的愛の本質を持った弟と、サタン側の愛の本質を持ったカインとは完全に違うのです。しかし、本物はどれか分からないほど光らないのです。金を見ると、本物と偽物があれば、偽物がピカピカしてもっとよく見えるでしょう? しかし、それを熔鉱炉に入れ、打って内のものが外に出てくるようにして、外のものを中に入れてみれば、偽物は光が違ってきます。本物は、打てば打つほど、叩けば叩くほど、内のものがもっと良いというのです。分かりますか? 同じように、神様の本質的愛を中心とするアベルと、サタンの本質的愛をもった堕落体のカインとは、本質的に違うというのです。反対側、サタン側の愛の本質は、全部宇宙を嫌い、環境を嫌い、空気やこのすべてのものを嫌います。しかし、本質的愛を中心として歓迎するときは、本質的愛が迫害を受ければ受けるほど、その周囲のすべての力は合わさるのです。 この宇宙の力が合わさればどんな位置に行くのかと言えば、我々の周囲の良心的な人が付くのです。そのまま一つになりません。カインは、十二回以上殺そうとします。それでも、それを忍んで越えて行かねばなりません。それで、ヤボク川で天使と相撲を取ったのが、霊界のサタンをなくすことだったのです。天使長をなくすことだったのです。 「アダムはお前に負けたけれど、私、アベルは、お前に負けない。天使であろうと何であろうと、一回戦ってみよう。」このような戦いです。もものつがいがはずれても離さない。サタンは、自分が戻って行かねばならない時があるので、祝福をせざるを得なかったのです。天の祝福を全部与えて行くのです。そのように、ぞっとするほどに恐ろしい蕩減路程を経るのです。 カイン屈服の道 しかし、一個人や個人の兄弟を中心とした蕩減路程がそれだけで終わるのではありません。個人の責任分担を完遂したならば、その次には、家庭の責任分担が残っているというのです。アダムの時は、個人の責任分担です。家庭の責任分担、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担を一度に皆、戻って行ってなすのです。これは、世界、東西南北全部反対して来るので、これを一日の内にすることができますか? だから、個人が闘って勝利して、家庭的基盤を固め、そして氏族的基盤を固めて行かなければなりません。このようなわけで、イスラエル民族はいつも追われるのです。一つの場所に定着していては、祝福を受けることができません。それで、ユダヤ人は遊牧民になったのです。一地方に入って基盤を造って住むと、必ずそこで人の気嫌を伺って生きなければなりませんでした。今まで、人の気嫌を伺う役をして来たというのです。それゆえに、イエス様もこの地上に来られて「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と言われたでしょう? 自分も同じように叩いてはアベルの位置を占めることができないというのです。カインを屈服させる道がないというのです。これが今まで宗教が行く道で一番理解できない道でした。 宗教人たちは、なぜ家を出なければならず、なぜ犠牲にならなければならないのか? なぜ苦行をしなければならないのか? この問題を、今まで宗教を信ずる人自体も解決できずにいました。責任分担という言葉が出て来なかったならば、解決する道がありません。アダム・エバが堕落せずに神様の懐の内にだけ生きたならば、二十一年間に天宙の勝利的覇権者として登場するようになるのに、堕落することによって逆になってしまった。だから怨讐たちが全部四方に現れて、覇権者が現れようとすると、切ってしまおうとする。なぜか? サタンの部下になったからです。 アベルが出て来てカインを屈服させた日には、天国がまわってくることのできる世界が生ずるので、サタンとしてはこれが生命線です。神様のすべての所有権を完全に奪われて、この責任分担という基盤を完成するようになればだめだと考えて、サタンは食い下がるというのです。神側の人の中で何が必要なのか? 互いに中心にならなければならないのです。主流になるためには、カイン・アベルの代表的な立場で、霊界と肉界を代表して、霊界のサタンを屈服させなければなりません。地上のサタンである長子を屈服させずには、主流の道を行くことができません。このような責任分担を担って宗教界を代表したのが、イスラエルのユダヤ民族、選民だったのです。選民が何かといえば、主流的なアベルの位置を選択した民族のことです。 神様の作戦 ところで、イエス様が来る時までイスラエル民族は、自分も知らずに犠牲になってきました。ひたすら打たれながらも対抗せずに、無条件に犠牲になりました。こうなると、何が起こるかと言えば、サタンが先頭に立って迫害するのを、その後(うしろ)にいて良心的な人たちがぶらぶらしながら見ているので、その人たちが全部押し寄せて来るのです。群れを成して集まるようになっているのです。善なる人を犠牲にさせて、周辺の良心的な人たちを動員させて、ここに囲いをつくる役をするのです。 それで、個人的にアベル圏を成し遂げさせるために、個人的カインの前に犠牲になることによって、個人を中心とするアベル形態の良心的な人たちを糾合していく。良心的な人は、歴史時代の宗教人として落伍者であり、無能力な人たちです。こぶしを振り回せず、詐欺をできず、他人の物をゆすることもできないから無能力者でしょう? どこに行っても、ひたすら他人の僕の生活をして、全部奪われても何も言えず、そのまま追い払われて出て来るから、無能力者でしょう? そのような人たちが宗教を信ずるということがなぜ生じて来るのか? サタン世界の悪党たち、非良心的な人たちが全部嫌っても、仕方なく、その国の民として逃げることもできず、その環境を離れることができないから、くっついて生きなからでも忍ぶのです。その時は、中間でふらふらしているけれども、しかし、昼にはアベルが迫害されるのを見たので、夜には集まって来て慰めてあげる。分かりますか? そのようなことが起こります。一人を犠牲にし、十二人以上を糾合させる運動をするのです。 それで神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦です。宗教人は知恵があるので、打たれながらも、無くなり去ってしまうようであるが、自然的勝利圏を獲得して出て来るのです。なぜか? 良心・本然の世界があるので、いったん決めて死の場に行けば、皆一緒に死のうとします。皆一緒に死のうとすることによってアベル圏を勝利すれば、神様がいつでもその基準で、アベルを探して立てることができ、それでアベル個人型を拡大させていきます。しかし、これに最も反対する人が自分の兄弟や自分に最も近い人です。そのように役事するのです。兄に反対させて、父母にさせて、夫にさせて、妻にさせて役事するのです。分かりますか? カインのタイプを知らなくてはなりません。カインは、遠い所にいるのではなく、最も近い所の父母がカインにならなければ、お兄さんがなり、お兄さんがならなければ、弟、妹がなります。夫がなるか妻がなるか。そうでなければ息子がなるかです。それで、イエス様がこのように言ったでしょう。「私よりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない。私よりも、息子・娘を愛する者は私にふさわしくない」と。 アベルの行く道 アベルの道を行こうとするならば、このようにすべてが反対する道を行かねばなりません。彼らが反対するとしても、忍んで耐えなければならず、彼らを愛してはなりません。愛はすでにカイン側に染まったので、愛してはいけません。イエスは世界的な息子なのだからイエスを愛さなければならないでしょう? イエスのために自分の愛する妻を捨てることができ、愛する夫を捨てることかでき、愛する息子・娘・父母を捨てることができなければなりません。自分の最も大切だと思うものを否定することができなければなりません。 そのために、アベルになろうとする人は、自分を完全に否定する位置から出発しなければなりません。堕落した世界に自分がいるということは、その父母がサタン側にいるのですから、サタン側の息子・娘の立場にあるということになるのです。それで、自分を認めるようになればサタン側になります。それだから、原理で責任分担ということを知らなかったとするならば大変なことなのです。責任分担を中心として、これがひっくり返って、代わらなければならない蕩減路程を行っている事実を知らなければ、宗教世界が解けません。地上で解かなければ、霊界に行っても解く道がない。全部結ばれているというのですね。君たちが知っている責任分担の道を行くということが、どれだけ歴史的な福音であるかを知らなければなりません。 また蕩減復帰がなければアベル圏を探すことができないし、アベル圏を探すことができなければ、父母が出て来る道がなく、父母を探すことができなければ、神様の理想世界を探す道がありません。そうであるから、すべての人間は、個人的責任分担、家庭的責任分担、氏族の責任分担、民族の責任分担、国家の責任分担、世界の責任分担がひっかかっており、これを解決できなければ、霊界、永遠なる世界までも天国と地獄が分かれるようになり、そこでも責任分担を果たさなければなりません。地上の天国、天上の天国下で神様が統治すべきであった本然の人間自体が堕落することによって、神はそれを成すことができなくなりました。しかし、堕落した人間といえども、アダム・エバの息子・娘に違いないのですから、これをそのまま、抹殺することができません。それで、復帰ということをしなければならないのです。 今、考古学では、人間の歴史を八十五万年から百五十万年だと言っていますが、この内容を知らなければ、百万年の歴史も知ることができません。これを解くために自然神を崇めるようにし、太陽神を崇めるようにし、人を崇めるようにしたのです。太陽神、自然神崇拝時代、人間神崇拝時代があり、人間神崇拝時代は、ローマ文化圏を形成したのです。ギリシャ文化圏は全部人間神を崇拝しました。何々の神というのは、力を象徴する人だとか全部人の関係だというのです。これが全部、訓練なのです。それで宗教界に入って来て、特定のタイプを中心として、神様の代身崇拝時代に入って行くのが世界的宗教時代です。 サタンの罠 責任分担と蕩減復帰は絶対必要だということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)個人の責任分担圏が世界的にまだ覆われなかったし、ユダヤ教とキリスト教があっても覆われなかった。だれかがこれを覆うとするならば、メシヤを中心として、父母様を中心として、カインとアベルが一つになることによって、サタンを分別したという世界的な人物が出て来ない限り、難しいというのです。まだ、個人の責任分担、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の責任分担圏を整えることが一つも解決されていなかったというのです。分かりますか? これを解決するためにメシヤが来なければなりません。それはアダム・エバが分からないため、責任分担を教えてやることができないのです。いかにアベルに知恵があると言っても、神様は教えてあげることができないのです。それは、アベルの責任分担ではありません。本来の責任分担というものは父母にあります。 だから、責任分担を完遂し、これを解く方がだれかと言えば、父母の位置に立つ方だというのです。父母が来なければならないというのです。父母の資格で世界史を代表して、責任分担の問題に責任を負って解決なさろうとして来られる方がメシヤ、救世主だというのです。救世主は何で救うのか? 責任分担で救うのです。サタンは、責任分担で首に食い下がって来ますが、責任分担を完遂しようとするならば、私の怨讐までも愛さなければなりません。サタンも愛さなければなりません。さもないとサタンはなぜそうなのかと食い下がるというのです。 「神様! 私は堕落したものの、本然の位置は天使長ではありませんか? 天使長である私を、アダムを造る以前には愛さなかったですか? 神様は、正当な神様ですし、本来の永遠なる神様なのだから、変わることがあってはならないではありませんか? 私は堕落して変わったものの、あなたは変わることができますか? だから、あなたが変わらない愛を私にくださったという条件を立てることができなければ、アダムを探して行く道がありません。またそうでなければ、あなたが私に勝つ道はありません。」というのです。これは、蕩減、責任分担を意味するものです。 だから、責任分担を確実に知らなければなりません。責任分担にかかっています。「あなたがアダム・エバを中心として責任を果たす時までは、私が彼を愛するのと同じく、あなたは私を愛することができますか? 責任分担を完遂したメシヤを探すためには、私を愛したという条件を立てなくては、探す道がありません」。その愛はいかほどか? 本然の天使長の位置にいたからこの世の人よりも、堕落した世界の人よりもっと強い愛だというのです。 「すべての万物を創造した時、あなたは、私と共に相談して造ったではありませんか? アダム・エバを創造することによって御旨をなそうとするならば、私もアダム・エバと同じ位置で、愛に同席すべきです。その階級においては、私が彼等に侍り奉る僕の位置にいましたが、それは単なる主従関係に止まるのではないですか? だから、あなたが私を彼等と平等の愛の圏内で愛されるということは、間違っていなかったのではないですか?」とサタンが食い下がります。「神様が個人的アベル圏を越えて行こうとするならば、それは、アベル圏を立て、カイン圏を立てて、メシヤを育(はぐく)み出す道だから、その道にあっては、私を愛したという条件を立てることがなくしては、出て行く道がありません!」これが問題だというのです。何のゆえか? 責任分担のゆえに…。これが、今までサタンの罠だったのです。数多くの宗教人を殺したのです。どれほど血を流させ、犠牲になったか測り知れないというのです。 無私の立場 責任分担の路程で自分だけを考える時は、皆、失敗するのです。だから、反復しながら限りなく亡びの歴史として延長されて来たこの世において、神様が立ち塞がって選民圏を立てたというこの驚くべき事実を知らなければなりません。責任分担を完遂できるアベル主流圏を造らなければなりません。アベルを立てて何をするって? 責任分担を完遂するのです。 そのためには、死ぬような場所であっても、「私」を意識してはいけないというのです。死ぬとしても、自分を意識してはいけません。エデンの園でサタンが自分を殺すということを考えてごらんなさい。君たちがエデンの園で責任分担を完遂する位置で、サタンが私を殺そうとする。神様が知っている。然るに意識しないことがてきますか? 死の前でイエス様も恐れたというのです。十字架を前に置いて、「父よ、できることでしたらこの杯(さかずき)を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の思いのままにではなく、父の御心のままになさってください!」これがひっかかったというのです。それは何か? 私の思い、父の御心、二つの思いではないか。これが間違ったというのです。今度の裁判問題で先生を御覧なさい。御旨が願うなら死の道も行きます。異議がない。イエス様のような言葉を言いません。見ている人たちが「先生は、蕩減条件も皆立てたのに、何がどうして?」と話が多いんです。サタンが首を打つとしても、「ああ、お父様、私を通じてお父様の仇を打ってくださいませ」。そうすればこそ、これを越えて行けるでしょう。理論的にそのようになっている。こうしてその主流が確定される時は、その主流の命令に絶対服従しなければならないと言うのです。分かりますか? (「はい。」) 復帰摂理の複雑な背景 個人的責任分担を完成してカインを屈服させた人たちは、殺されながらも、血を流しながらも行くのを見たので、自分たちも異議がないというのです。どんな悪口を言っても、異議がないという話なのです。私が個人で蕩減を受けることのできる恵みを一つだけ持ったとしても、それは私のような人が千万人死んでも、成し遂げることができない恵みだということを知らなければなりません。 それで、イスラエル民族は、イスラエルのその個人を中心として、カイン・アベルを中心として、闘いをしました。エサウが殺そうとしたでしょう? それで自分が二十一年間に得たすべての財物を、僕であろうと羊であろうと財産全部を捧げたでしょう? 「殺してもいいし、殴ってもいいが、あなたの前に長子権を受けた祝福だけは奪わないでくれ。」と言ったでしょう? 長子権を受けなければならないというのです。カインが長子権をもってこの世を蹂躙しているというのです。父母の代わりに、長子は弟を支配できる権限が原理的には付与されているのです。だから次子の位置にいてはだめです。長子権を復帰しなければなりません。それで、彼のお母さんが手伝って蕩減復帰するために、彼のお父さんに嘘を言ったのでしょう? 天使長が嘘で騙されたのですね。聖書を見る時、なぜそうなったのかを理解できないのです。蕩減復帰を知らなくては聖書を理解できません。 「ヨブ記のように、自分の娘が酒を飲んで、それで一体何が聖書なのか。」と言うかも知れませんが、蕩減復帰というのは、サタン側で行なうすべてのことを反対にしてて引っ張ってくるためのものです。このような道でも神様の為に行くときは、そのまま信仰で越えて行くことができる道が、いくらでもあると言うのです。たとえ殺人強盗であるとしても、愛国の為に敵陣に入って行って功を立てるとき、殺人強盗たちも恵みを受けて、福地圏内の祝福を受けて生きることができる民になり得るのと同じ位置に立つというのです。 この地には妾の子が多く、ありとあらゆる立場の子がいますが、蕩減復帰の背後はいかばかり複雑でしょうか? それだから、事実、祝福を受けて生まれた君たちを私が売ってしまうこともできるというのです。一人売って、ソ連の国を救うことができるなら売るでしょう? 不満はないですか? (「はい。」)この世には、そのようなことが数えきれないくらいあります。タマルが祝福を受けたのは何でしたか? 自分の舅(しゅうと)の懐に入って行くのです。それも騙して娼婦の服を着て、血統を残すためにそんなことをしました。その血統を通じてイエス様が誕生できたのです。それを誰が分かりますか? その当時は、すぐに石に打たれて死ぬようになっていました。君たちには、それが分かりません。タマルは死を覚悟していたのです。 自分中心の思いで、よこしまで怪しい行動をしたとしたら、全部ひっかかります。そのように厳格なのです。百ならば百、千ならば千、全部法にひっかかるようになっています。このような内容を原理で解明しない限り、全部亡びるようになっているというのです。だから、歴史時代に、いかほど多くの宗教人たちが犠牲になったことでしょう。犠牲になったその歩みは、全部皆、異端として烙印を押され、歴史はすべて流れてしまいました。そうして神様の復帰摂理は、少しずつ、もっと難しくなったという事実を知らなければなりません。 ここで、鄭壽源(ジヨンスウウオン)のおばあさんの証を聞いたことがあるでしょうが、金聖道(キムスンドウ)おばあさんは、先生が出て来たから、今、孫娘が立って証することも可能となったのでしょう? 先生が出て来なかったならば、よこしまで怪しい宗教詐欺師でしかなかったのです。それが主様のためにすることなのかどうか、どうして分かりますか! 全部、先生が出て来たから、そういうおばあさんたちも歴史的な人物になったのです。今も霊界には、怪しげなことが多くあります。永遠の巻き物を解かなくては、霊界のすべての難しい問題を、地上の難しい問題を地上で解く道がありません。 愛の成熟期 この責任分担を徹底して分かっていなければならないのに、それをくだらないことだと思っていたでしょう? これを知らなければ歴史を解くことができません。責任分担をなぜ与えてくださったのですか。神様! 取って食べるなと言うのです。責任分担を与えられなければ思春期がなくなり、原理主管圏というものがなくなってしまうのです。思春期という愛の成熟期間があって、互いに相対性を知って、引力関係と同じように活動することのできる資格が出て来なければならないでしょう? 責任分担をなぜ与えられたのですか? これは成熟期間である思春期を与えるためです。生まれながらに、赤ん坊の時から結婚が何か分かりますか? それで仕方なく成熟期間を置いて待たなければならないのです。女の人が四肢五体が皆成熟して、男の人も皆成熟するようになれば、自分が相対を取ることができます。 アダム・エバが同じ園で、二人だけ住んでいるのにどこに行くでしょう! その時は、アダムがエバの手に触ってみれば、ふっくらとしているでしょう。エバは、アダムの手に触れてみると、とても硬くて気持がよい。よくできているのだね。その時は「愛するな」と言っても愛するようになっています。愛を教えるといって何を教えるのですか? その時まで待てば良かったのです。その時まで行けずに、成熟できない時に壊れたから問題なのでしょう。その実が熟していない栗のいがのように、形は同じようだけど、むいてみると実がない。種を構える所がないというのです。本質的な愛との因縁! 本質的な木全体との因縁を結ぶことができなかったので讒訴されたというのです。 なぜ、責任分担期間を与えたのでしょうか? それは成熟するようにするためです。愛の力というのは、男女が一つに合わさるようになれば、もっと大きくなると言ったでしょう。成熟した愛の力をもって、夫婦が合わされば、女も男も大きくなっていきます。二人が合わさるようになれば、二人共皆大きくなっていきます。大きくなることによって、もっと大きい主体と対象の道を探して、最高の本然の種の実の位置に到達するために、全部探して行くようになっています。花の香りのよいその時がよいのではなくて、実を結ばなければなりません。 責任分担を完成したか? 今日、アメリカの若い子供たちを見ると、思春期に浮わついたまま生きて、実もなく死んでしまう。これは天道の背道者です。この宇宙の原則に反する悪人たちであり、大破壊主義者です。統一教会の食口はどうか? 世界を治めるために天の祝福を受けて、神様が双手(そうしゅ)をあげて祝福した貴童子が生まれるのに、産児制限をして首を切ったとするならば、これは人類に貢献することのできる天道の道を破壊してしまうのだから、そのお母さんはあの世に行って代が途切れてしまうというのです。分かりますか? (「はい。」) お母様がもし産児制限をしたらどうなったでしょうか? 天上、地上に統一理念を立てるための、神様の祝福の恩恵圏を破壊させた罪を負わなければなりません。それで仕方なくお母様も病弱でしたが、多くの息子・娘を産んだのでしょう? お母様は弱いけれども息子・娘は丈夫です。父母はそのように行くのです。父母は子供たちに食べさせ、子供たちを生かさなければなりませんが、どれほどか疲れることでしょう。しかし、疲れを耐えて、あるだけの精誠を尽くすときは、天の息子・娘が疲れを避けることができるように、天運が助けてくれて、我々にすべてを集めて来る。食べることを心配する必要がないと言うのです。だからと言って君たち、ひっきりなしに産みなさいという話ではありません。 責任分担! 御飯を食べたいのなら責任分担を完成した口でもって食べなさい。完成した位置で、手が御飯を持っていってやらなければならないでしょう? また、目は美男子のようだったら、さっと見ても思い出に残り、気になってまた見たくなります。「その目! 君、責任分担を完成したのか? この目よ、サタンの目」と自分に言い聞かせるのです。それを考えてみましたか? 原理的に見る時に、ああ、私が首飾りをする場合、責任分担を完成した首に掛けたのかどうか、と考えてみなければなりません。それだから、掛けるときは仕方なく、責任分担を完成できなかったけれども、許しを請いながら掛けるのです。私が活動するのに支障があるが、上の人が変に見るから、仕方なく首に掛けるときは、神様もどうすることもできなくて、「そうしなさい。」と言います。 私は今まで指輪を一度もはめなかったし、時計はそこにあるものをつけて、先生はこのようにして生きるのです。先生は、世界、天宙の責任分担を完成したのかと問うてみます。統一教会の食口たちは、個人の責任分担から成さなければならないし、ある人は、三十六家庭ならば、家庭を中心とした責任分担があるし、先生は天宙を中心とした責任分担を完成しなければなりません。 無情な蕩減の道 大韓民国が問題ではありません。世界が問題でありません。私が行かなければならない責任分担を完成しなければならないということは、だれも分からないのです。しかし、先生が「だめだ!」と、思いきって一言(ひとこと)言うならば異議がない。恐ろしいよ。 だから、私的なことがあってはならないというのです。責任分担を完成した後に、その時になって、国家に対する自由を得るようになるのです。その時になって監獄に行くことは眼中にありません。どのように天運の道を立てるのか? どのようにアメリカとこの自由世界を回すのか? これが問題なのです。自分が監獄に行くことが問題ではありません。この十字架の道を良く過ぎ行かなければなりません。そうでなくては、主流の位置に行くことができないからです。 自分の息子を従えて、自分の妻を従えて一番良いという座に座れば、御旨はずっと後の方へ行く。だから、先生の生活は悲惨な生活なのです。私の家庭を愛することを知らないのではないし、私の子供たちを可愛がることを知らないのではありませんが、今まで過ごして来たその姿を見るならば三十六家庭の人たちを連れて、五十が過ぎ、六十に近くなっているのに、あの人たちのゆえに時間を皆奪われるんでしょう? それで先生の子供たちは不平を言わないでしょうか? 御飯を食べる時も同じ席で食べることもできないし、「お父さん、私ここで一緒に御飯食べるよ。」と、今までそうしてみることができなかったのです。しかし、その子供たちは、お父さんの保護圏にいるのです。静かに従順でさえあれば、天倫の位置で、自然に原理のみ言葉を知って、分別がつくようになれば、自分が皆分かるようになるのです。 しかし、世界は先生の側にありません。カイン側を中心としているこれらを、私の側に造らなければ、自分の息子・娘に十字架が行きます。蕩減復帰路程を経なければ、息子・娘たちが責任分担を負わなければならないというのです。だから、千年を一日のごとくに「歳月よ、行け。」と言いながら、無法に膝まづいて世界の尖端を行って、世界を懸けて闘って行かなければならないと言うのです。 それで個人の蕩減路程、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程まで越えなければならない。監獄を前にして闘うのです。 人間復帰歴史に生命をかけて、死ななければ生きようと、マラソンをして来たイエスも、チャンピオンのメシヤとして来ましたが失敗しました。神様の息子・救世主として来ましたが、失敗したチャンピオンの道でした。何万年ぐらい走ったのか? 百万年以上人間たちは走ったけれども、ゴールインした人は一人もいません。すべてサタンの罠に陥ってきました。神様にどれだけ能力があったとしても、蕩減復帰、責任分担を解明できないときは、サタンが億千万年、「私の世だ。」と言って勝手にもて遊びました。しかし、先生の時代に来て責任分担を明らかにしたから解け出るのです。分かりますか? (「はい。」)責任分担を成すという、サタンと逆の蕩減復帰を成して行くのです。 父母に会うために では、蕩減復帰をどのようにするのでしょうか? アベルを探すためには、カインを探さなければなりません。兄弟がお母さんの懐で二つの乳を飲みながら、「私のは、乳がよく出るが、弟のは乳が出ない。」とからかったり、足げにするようなことではいけません。弟が代わって兄のを飲んでも、双子の赤ん坊のように静かにいなければなりません。ペレヅとゼラは、互いに「自分が先に出てくるんだ。」と言って争ったでしょう? それではいけないというのです。兄が弟に、「お前、兄の位置に出て行きなさい。」と言わなければなりません。父母を迎えるために、父母を探すために、それを教えて知ることができるというのです。 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? 我々は、今まで父母のいない孤児として育ったので、自分を中心として生きてきました。しかし、今や父母に会うことのできる道があるならば、私が何であろうとも、その位置を捨てて、弟の位置に千回座るとしても、父母に会うことのできる道がここから出て来るので、長子の位置だけでなく、アベルの位置まで全部譲ることができるのです。私の福をすべて捨ててでも、私の生命よりも父母を探すことが貴いので、長子の位置も放棄することができるというのです。この貴い父母に会うことのできる道がここにあるゆえに、私のできないことがありません。これこそ、父母ゆえになしうることなのです。 世界統一圏の実現 それと同じ関係を、国家を代表する宗教と国家の間でつくるのです。互いが互いのためにする位置で、大祭司長の言葉を中心として一つになるためには、すなわち来られるメシヤのために、また父母に侍るためには、「我が国には準備が不足だから、あなた方教会が国のために準備して下さい。」と言わなければなりません。 こうしたならば、イエスは来て、個人の蕩減路程、家庭の蕩減路程、氏族、民族、国家基準を完全に七年路程で果たさなければなりません。それで、神様を中心としてカイン・アベルが一つとなり、個人、家庭が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになるならば、一体サタンが侵犯するでしょうか? 原理的に侵犯できなくなっているのです。ローマ帝国から押し出されるとしても、イエスは亡びません。その当時、ローマは政治的には疲弊した状態でした。それで仏教圏をつくって、中国では儒教文化圏を中心として、昔の中東の中間に通ずるようになっていたのです。 こうして、大ローマ帝国が太陽神を崇拝することに反対するようになれば、自然にイエスを中心として、アラブ圏統一を中心として統一されるようになっていました。そうならなかったために、「十二支派が祝福を受けた土地だ。」と言って争いになるのです。世界が分かれて、アラブ圏紛争、南北紛争、南米紛争、中米紛争、皆紛争ばかりです。共産世界と民主世界の紛争、サタン世界と神様の世界の紛争。これは、なぜかと言えば、アベル圏が設定されていないゆえに、アベルとカイン圏が一つになった基盤ができていないために、そうなるというのです。 それで先生が今何をするのかと言えば、民主世界と共産世界の二つを一つにつくらなければなりません。それで、世界頂上会談を早く設け、そこに加わらざるを得ない基盤をつくって、ゴールインに追い込もうと、今準備して出て行くのです。これが一つになれば、世界統一圏が自然に現れます。 民主世界でカイン・アベル圏が完全に一つになった位置に立つようになれば、そこに世界を代表することのできる分立が起こって、一つの本然の理想体制であり、創造理想である天国の本宮(ほんぐう)を引き継ぐことができ、地上世界の億千万年の主権を引き継ぐことのできる基盤が立つ。その上で、それが逆に世界に合わせることのできる形として越えて行くというのです。 それで祝福を受けた君たち、この位置は易しいですか? 四千年間イスラエル民族を立てて、メシヤを送る約束をして、メシヤが来てなしたことは何でしょうか? 新婦を探して新婦祝福を受けなければならなかったのです。そうすれば、だれが祝福してやらなければならないのか? 神様は祝福してあげることができません。カイン・アベルが蕩減の責任分担圏を成して、基準ができる時まで、父母は国家的基台ができずにいたというのです。だから、国家的生活圏を成すことができず、愛することができなかったというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.29
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「本然のみ旨の道」1984年7月8日ベルベディアにて きょうの題目は本然のみ旨の道です。“本然のみ旨の道”、人間誰しも本性をもっていることは、御存じのとおりです。その本性は自分自身を越えて、世界と連結され、宇宙と連結されていなければなりません。そして過去、現在、未来へと連結されます。その本性は、歴史性を超越し、宇宙を超越しなければなりません。皆さんの心も歴史を通して自分が一番になろうと欲しています。また、この宇宙より大きいことを願っています。これは過去、現在、未来に、人間が存在する限り、本性がそのように作用するためです。 ではこの本性の根源はどこにあるのでしょうか? 本性の根源を考えるとき、今日の自然科学者たちは自然に生じたといいます。本性を中心として考えてみた場合、人間の価値とは何であり、また真なる人とはどのような人かといえば、それは真なる本性と一つになった人のことをいうのです。では、誤った人とはどのような人かといえば、真なる本性に違反する人のことです。 ゆえに善悪に対する問題は、真なる本性を中心として本性の道を歩むときに、真なる善となり、それに違反するときに悪となるのです。このような観点から見るとき、本性はどこから来たのでしょう? 誰のものなのでしょう? どこから来て、誰のものなのか? これが問題なのです。「それは父母を通して来た」と皆さんは言うでしょう。しかし、具体的に考えてみるとき、父母を通し、祖父母を通して、もっとさかのぼって行けば、人間の最初の先祖にまで行きます。そしてまたこの本性は、永遠に自分の後孫にまで引き継がれていくのです。私たちはこの世においては百年ぐらいしか生き続けないでしょう。しかし本性は自分が死んで霊界に行ってからでも、この地上の子孫の中に受け継がれていくであろうと思います。 自分が死んで霊界に行けば、この本性は地上に残されるでしょうか、それとも消滅してしまうでしょうか。それ(本性)はどこに行こうとも残るものです。決して消えてしまうものではありません。本性は自分が生まれる前からあったわけですし、また自分が生存しなくなってから以後も人間の本性は存在し続けるということになります。 ではその本性はどこから来たのでしょうか? これは存在が先か意識(概念)が先かという哲学上の問題となります。これによって、世界観が異なってくるのです。今日の唯物論者は物質が意識を規定するといっていますが、物質がすべての莫大な意識観念世界を包括しているのかといえば、決してそうではありません。この莫大な意識は、物質に先立つと考えればそれは事実です。何の話か分かりますか? 例えば種を例にしますと、種には二つの部分があり、その二つの部分は一つの皮をかぶっています。よく考えてみなさい。すべての種はこのようになっています。種の中に小さな胚珠があって、これが主体的な立場です。受精した最初の段階においては、父親と母親の愛の結合の中から生命というものが生まれるわけです。そしてそこにはプラスとマイナスが表されています。宇宙の自然の特質がすべて種の中に、木は木なりに入っています。松の木であれば、松の木のすべての本質的な要素が入っています。愛であれば愛のすべてが入っています。(黒板を使いながら説明) 単細胞一つの中にも、精子とか卵子とか生命のすべてが入っています。それは物質で言えば極めて小さなものですが、その小さな中には、(黒板を使いながら)このような莫大なる自分という根源が入っているのです。 ではなぜ、物質という一つの単細胞の中に、このような莫大なるものが内在することができるでしょうか。自分という生命体を包括することのできる、そのような余裕ある質量をもっているというのでしょうか。だからそこには必ず物質の中心に何らかの無形のものがあるというのです。自分自身が生まれることのできるある本質の要素が集約的に入っていて、物質としての一つの単細胞が両親の愛によって結ばれるのです。 では私という存在は、自分が生まれる前から存在していたのでしょうか、既にそこに存在していたものが自分の中に現れてきたのでしょうか? 物質が先か、概念が先か、。これが問題なのです。単細胞としての私自体が生まれるのに、その単細胞内に私という本性の写真、はっきりはしないがすべての計画が入っていなければならないのです。それで、私という一つの本性の意識の核というものがあって、そこにすべてが含まれている力の源泉があるために、物質を相対としてプラスとマイナスを引き入れて大きくなっていく、これが私たち人間の成長であるとみるのです。食事をして物質的栄養を吸収し、大きくなっていくのです。コンピューターのすべての計画が組まれてこそ機能するように、私たち人間自体の写真が映されて入っているのです。 そのような人間の本性自体がこの宇宙と歴史を超越しているとしたら、そのような私というものが生まれてくるためには、物質自体の観念ではあり得ません。これはあくまでも父母という特性の核が合わさって、物質的単位を吸収して、それ自体を形成していくとみなければなりません。それゆえ、意識が先であって、物質が先でないという結論が出るのです。 (黒板に書かれる)これは東洋人の目ですね。西洋人の目は大きいのです。(笑い) 皆さんにとって、意識が先か物質が先か、これが問題です。目の先祖がいるとしましょう。 (黒板に書かれる) 目にも動物の目とか、いろいろな目があるでしょう。そして、目の先祖がいるはずです。では、この目が生まれてくるときに、“私はこのように生まれたい”という思いがあるでしょうか、ないでしょうか。目にそのような考えをもつことができるでしょうか、できないでしょうか。目は“私は回らなければならないし、目は白と黒と真黒というように三段階になっていなければならないし、まつげがなければならないし、ぬれてパチパチしていなければならない”などと、思うでしょうか、思わないでしょうか。そう思ったでしょうか、思わなかったでしょうか。○○さん答えてみなさい。(思わなかったです)。目自体に、物質自体に思いというのはあり得ません。 ではなぜこのようになるのでしょうか? 「目はこのようでなければならない、という計画があったのでこうなった」と言えば、それは理論的です。目というのはこうなければならないという意識があって、それに従って物質的構成形態があると見なければなりません。目とは意識と物質を兼ねているものを言うのであって、意識と物資を別にして目と言うことはできません。ですから精神があるところに物質は従っていくのです。これを知らなければなりません。ここで精神というのは、意識という意味です。今日これを分けて考えるところに問題が起こるのです。唯心史観とか唯物史観とかになってくるのです。二つが合わさり一つとなって、人間の理想世界をつくらなければならないということを考えなかったのです。これを分けて論議する世界は、いくら理想的だとしても真なる理想世界ではありません。一つの世界となることはできません。 目自体は考えもなく、何も知りませんでした。物質自体は何も知りません、しかし意識は知っていたのです。ではどのように知っていたのでしょうか? この目自体が回らなければならないということです。では誰が回るようにしたのでしょうか? 次に目は、太陽の光を見るために生まれてきたので、太陽があるということを知っていたのです。目自体、物質自体は知ることができるでしょうか。物質世界は太陽があるかないか分かるのでしょうか。目は太陽があることを知っていましたか、知りませんでしたか。霊的な意識を兼ねた目は、既に知っていたのです。太陽があることを知っていたのです。では物質より先に知ったのですか、物質より後ですか? (先です)。物質がか先ではありません。すべての存在が動くのは、物質が先ではなく意識が先であることをはっきり、理論的に完全に解決しなければなりません。 このように、共産主義の唯物論者たちはでたらめなのです。根本を完全に破壊しなければなりません。意識と物質を分けてはなりません。一つにならなければなりません。自分自身というのも、そのような二つが結合して調和をもって出来ています。目は太陽があることを知っていたでしょう。だからそのように考えるのです。それは意識が先に知ったのであって、物質が先に知ったのではありません。何か異議がありますか? (ありません)。 次に目は、ほこりがあることを知っていました。物質である目自体が知ることができますか。意識がそれを知っていたのです。どれほど苦労したでしょう。この物質はどこから出てきたのですか? この皮膚のどこから出てきたのですか? なぜ真っ黒なのですか? 考えてみなさい。それはどこから来たのでしょうか。物質がそのように出てきたという、でたらめな話がどこにありますか。(目は意識によって)太陽があることを知ったし、この地上にある空間があって、空気が流動することによりほこりがあることを知ったのです。 次は何かといえば、ここに水を注いでくれるものがあります。(黒板に書かれる)この涙腺が出来上がるまで、どれほど難しいことだったか考えてみなさい。これは既に輻射熱によって蒸発するということを知っていたので、蒸発したら大変だからと、いつも湿らすようにしてあるのです。目はなぜパチパチするかというと、水に湿すためです。じっと何もしないで動かなかったらどうでしょう。考えてみなさい。なぜパチパチするのか。(笑い) このようなことを共産主義者に聞いてみなさい。意識が先か、物質が先か? 皆さんはどう思いますか? (意識が先です)。この目一つも、すべての宇宙的な知識を背景として生まれてきたのです。それではどのようにして太陽を知り、いかに空気があるのかを知り、いかにして水が熱によって蒸発することを知ったのでしょうか。この宇宙的な莫大な知識を基盤として出発したという事実を否定することはできません。今日の科学者たちは、このようなことを知る術がないので、漠然と「宇宙は力によって生じたのである」と言っていますが、その力は盲目的な力ですか、(目的をもつ)具体的な力ですか? 存在しているもののすべての構成は科学的に出来ています。公式で測定できるようになっています。具体的になっているのです。物理学は公理だとか公式が多いでしょう。公式を通して測定していくのです。では力はどこから来るのでしょうか? ここで力が先か作用が先かという問題が生じます。作用して力が生じ、力が作用をするようになっているとしたら、作用が先ですか、力が先ですか? どちらが先ですか? (力です)。 私は、レバレンド・ムーンという力の母体となっていますが、すべての器官、四肢はどのように作用しているでしょうか。では、電気においては力が先でしょうか、作用が先でしょうか。電気の作用によって電気の力が生じてくるのでしょうか。電気の力によって作用が生じてくるのでしょうか。電気が生じる時はプラスとマイナスが結合しなければなりません。プラスとマイナスが結合するのに作用が必要でしょうか? もしこれがなかったらプラスとマイナスが結合できず、力が出てこないのです。では作用が先ですか、力が先ですか? 力がある以前に作用がなければならないのです。作用するところに力が生ずるのです。これは深刻な問題です。この問題は根本的問題です。 それでは、作用はどのようにするのでしょうか。作用がある以前に何があるのでしょうか。ここで言えることは主体と対象との関係、プラスとマイナスとの関係でなければ、作用もなく力もないということです。分かりますか? この宇宙をどのように見れば良いかといえば、力はただ漠然とあるのではなく、宇宙が作用することによって力が生じ、宇宙が作用するためには相対的概念がなければなりません。 だから力より先に作用、作用より先に主体と対象の概念があるのです。今日、これを中心として物質と精神、プラスとマイナス、主体と対象の概念から作用が始まるのです。これを知らなければなりません。宇宙は精神と物質の相対的関係において授受作用し、万物が展開していくのです。何の話か分かりますか? 宇宙が生まれる時には、そのような概念から大きな精神と物質が和合した時、主体と対象の作用によって生まれたのです。創造というのはこれを具体化して展開したものです。意識と物質が相対的関係を成し、一つとなって宇宙の出発となったのです。出発がそうであるから結果的な人間もそうなのです。分かりますか? 精密なコンピューターになるためには、意識が精密でなければならないし、最も精密でさらに最も大きくなければなりません。世界貿易センターがどれほど巨大か、あのようなものを一つつくっておけばすべてを知ることができます。天や地のすべてを測ることができるのです。人間の意識はどれほど大きいか考えてみなさい。 小さな物質にそれほど莫大な意識が入っているということは神秘なのです。神秘的な主体、対象の関係をもっている頭脳です。先ほど種の例で説明したように、その小さな種の中に巨大な多くの情報が含まれているのです。人間についても同じことがいえます。父親の精子と母親の卵子とが一体化して新しい生命が生まれます。ではそれがどのようにして、何によって結ばれるのでしょうか? 力によって結ばれるのですか? 知識によって結ばれるのですか? 権力によってですか? 何によって結ばれ何によって作用するのですか? うん? 何によって? (愛によってです)。 では最初に神様が精神的なものを占め、この世の物質が連結するために、神様は何をもってなしたでしょうか。どのような力をもって調和しようとしたでしょうか。これが問題です。力でもってですか。知識でもってですか。愛という概念をもってですか。神様は愛という概念をもって宇宙形成の軌道を置いたのです。礎石を置いたのです。分かりますか? 有史以来、人間はなぜ宇宙を越えても愛を必要とするのでしょうか? 人間は、昼であれ夜であれ、いかなる所に行っても、若い時も老いた時も、死んだ後も常に愛の観念を離れることはできないような存在物なのですが、なぜそうなのでしょうか? それは根本がそうだから仕方がないのです。今でも愛のみが創造の能力を行使することができるのであって、愛がなければこれを行使することはできないのです。何の話か分かりますか? そのような愛の原動力を中心として全部が出来ているのです。 では、神様は人間をなぜ創造したのでしょうか? 今日の宗教人たちも神様が人間をなぜ創造したのか、それについてはっきり知りません。神様はいたずら半分に創ったのでしょうか? そうではありません。自分の実体完成のため、愛の理想実現のために創ったのです。愛という意識を中心として、愛の相対を展開しておいたのです。その対象が男と女になったのです。電気にも、ここにプラスの電気があればマイナスの電気が接するようになり、マイナスの電気があればプラスの電気が接するようになるのです。 ここに大きなプラスがあります。それはもちろん主体であり、マイナスの対象を求めます。ここに磁石があるとします。プラスはマイナスにすぐにくっつきます。プラスにはそれなりの特質、つまりマイナスの特質があります。もしプラスとマイナスが全く別物であるとするならば決してくっつくことはないのです。けれどもプラスの中にも何らかのマイナス的要素があるために、プラスとマイナスはいつでも容易にくっつくようになります。マイナスもその中にプラスの要素があるので、プラスと結合することができるのです。この二つの性質が相互作用します。そして、相互作用からプラスとマイナスが一体化します。巨大なプラスがあって巨大なマイナスがあり、それが一体化すれば更に大きなものに一体化しようとします。その巨大なものは更に同じような大きさのものと相互作用し、連鎖反応のように更に大きなものと一体化していこうとするようになるのです。進化は、このような過程を経てするのであって、ただ進化することはできません。作用をいかにするかが問題なのです。これが分からないのです。作用を知らないのです。ただ単に進化したというのではなく、必ず主体と対象との関係が連結しなければなりません。そうしなければ作用という基盤の上に力が生じないのです。すべての作用は愛という概念に従うようになるのです。何の話か分かりますか? この世界には元素があります。今は百十以上の元素があるでしょう。そしてそれ自体はどうなっているのかといえば、プラス、マイナスを中心として作用しているのです。その元素はある特定のものでなければ反応しません。プラスとマイナスにどんな力を加えても反応しません。特定の元素が来れば、直ちに反応します。研究室の化学者が一つの元素と他の元素とを合併しようとして、力や圧力をかけても一体化しません。その元素を宇宙の法則に従って、正しい主体と対象の関係に組み合わせたとき、その元素同士が一体化するのです。この話は何かといえば、いくら進化しようとしても、主体と対象の相対基準が合わなければ大きなものは出てこないというのが鉄則であるというのです。分かりますか? 宇宙は愛という概念、主体と対象が通ずることのできる概念を中心として連結されているのです。では愛を中心としてなぜ連結しなければならないのでしょうか。なぜ愛を中心として一つになろうとするのでしょうか? それは愛と一つとなって、主体と対象関係の因縁を経ずには、より大きなものと相関関係を結ぶことができないためであり、愛は大きなものに向かっていくようになっているからです。 愛自体も作用して、プラス、マイナスが作用すれば消粍するようになっているのです。すべて入力よりも出力が小さいのです。なぜ愛を必要とするのでしょうか? それは愛のみが大きくなることができるからです。そのようになっているのです。二人が愛すれば小さくなるのではなく、二人が合わさって大きくなるのです。分かりますか? きょう、商売をして、一円でも損害があるとしたら私は絶対に出掛けないでしょう。商売は一円でも利益を得るために行くのです。毎日行けば行くほど一円ずつたまるので、毎日続けることのできる力が出るのです。分かりますか? 何の話か。愛のみが宇宙を動かし、愛のみが発展することのできる力として余裕に満ちて、超宇宙的作用として射つことができるのです。このように考えてみるとき、大宇宙の中に巨大なプラスがあります。このプラスがこのようになっています。(黒板を使用)ここに巨大な宇宙があり、そこに巨大なプラスがあるとすると、どんなに小さな存在であったとしても、我々はこの大きなプラスと一体化したいと願います。どんなに小さなものであったとしてもより大きなプラスにつながりたいと願います。それによって段々に大きなプラスとなっていきます。この巨大なプラスは非常に複雑なものであったとしても、我々はこの主体なるプラスの対象となりたいと願います。それによってその存在自身がより大きなものへと発展していくことができるからです。人間が自分の能力を越えて、更に大きな巨大な理想に達しようとするのは、その法則のゆえです。自分がどのように小さくても、宇宙は巨大なのです。それは宇宙のプラスなる主体が巨大であるからです。それゆえにその巨大な理想に達しようとして人間が努力するのです。そのように人間は創られているのです。 このように考えると、この宇宙は神様とか被造世界とかいうのでなく、全部が一つのボールの中に入ったようなものです。そうでしょう。ではこのボールは何で織ってあるのかといえば、これが愛というものです。分かりますか。そのような人は永遠に生きます。宗教的観念を離れて、外的理論的体制であっても、完全に理解することができるのです。 家庭が愛でもって一つになるときには、家庭は大きくなるのです。氏族が愛を中心として本然の愛と一つになるときには、国のために大きくなるのです。国の愛を中心として一つとなるときは、世界に向かって大きくなるのです。世界を中心として本然の愛をもつときにも宇宙に向かって大きくなるのであり、宇宙の愛を中心として一つとなるときには神様と一つになるのです。このような結論が出るのです。愛のみが可能なのです。 きょうの題目は『本然のみ旨の道』ですが、本性の愛が個人に現れるときには、本性の家庭が歓迎し、本性の氏族が歓迎し、本性の民族、国家、世界、宇宙、神様が歓迎するのです。これを知らなければなりません。いくらアメリカがレバレンド・ムーンに反対するとしても、オリジナル・マンであればアメリカは歓迎するのです。分かりますか? 本性というのは共通のものです。連合的で統一的です。これからこのような概念を中心として、統一教会は愛の道を行くように強調するのです。個人を中心とした愛ばかりでなく、家庭のためになろうとし、氏族のためになろうとするのです。より大きなものに連結される愛の道を行こうとするのが今日の統一の道なのです。それが世界統一です。宇宙が統一されるそのような道を教えるのが統一教会の道、統一の道なのです。分かりましたか? この世界が、堕落していない本然の世界であれば、統一教会を全面的に反対しないで歓迎するはずですが、サタン世界に落ちてしまったので再創造しようとするのです。だから全部が反対します。再創造というのは、反対の力を凌駕して、それ自体を構成することのできる力の余裕を配置することができなければ、再創造はなされません。今まで否定される反対の力を除去するために蕩減の道が必要であると統一教会はいうのです。堕落したからです。皆さん何の話か分かりますか? 再創造というのは、徳文氏が「修理しようとしたら、新しく作るよりももっと費用がかかる」と言った言葉と同じです。だから新しく作るよりもっとかかるので、それ以上必要とするものを蕩減という条件で払わなければなりません。蕩減という概念が分かりましたか? 蕩減がなぜ必要なのか分かりましたか。蕩減というのは再創造のために必要なものです。私たちは再創造のために蕩減が必要です。分かりますか? その概念を 皆さんも蕩減しようとしますか?(はい)。なぜ? それは再創造されて、本然の人となるためです。復帰です。本然の人になってこそ本然のみ旨の道を行くことができるのです。では皆さんは本然の人間ですか? 堕落した人間ですね。だから蕩減を通じて再創造するのです。祝福の子女たちもなぜ蕩減の道を行くのか分かりましたか?(はい)。皆さんがいくら祝福の子女だとしても、この世がそうでなく、この世を救うためには、イエス様であっても十字架にかかり、いくら神のひとり子として本然の息子として生まれたとしても、世界を救うためには蕩減の道を行かなければなりませんでした。この世がそうでないので、人も使命を反対するから、イエス様自身も行かざるを得なかったのです。責任があるのです。 先生はあなたちになぜ苦労させるのか。蕩減の路程を行かせるためです。先生自身も一生、蕩減のコースを積み重ねていくのです。嫌々行くのではなく、志願して行くのです。志願して行かなければなりません。これを知らなければなりません。嫌々行くのではありません。監獄にも願って行くのです。蕩減のためにはそうしなければならないのです。無理に行けば蕩減になりません。はっきり分かりますか。あなたたちも万物復帰をしましたね。これからが始まりです。これからは逆を向いて歩きなさいと言うかもしれません。この世が悪だからです。この世が逆になっているからです。(笑い) 悪なる人々と同じことをしてはいけないのです。私たちは反対に行かなければ善に行くことができないのです。これも理論的ですね。 きょう、良い話を聞きましたね。春になると木々が花を咲かせます。花を咲かせて何をするかといえば、飛び交うチョウやハチを迎え入れます。それが愛です。そしてすべてが愛を謳うのです。木の葉はなぜ出てきますか。枝はなぜ大きくなりますか。私たちの間で愛をささやくためにです。木がただ大きくなりますか。愛さなくとも大きくなりますか。同じですよ。私たち人間同士も植物の世界もそのような作用をするのです。なぜ木は大きくなるのかというと、長い間生きて、更に長く生きる要素をもった実がなるためです。植物の世界においても愛の関係が成立するのです。それは私たちの教材となるためです。人間にとっては小学校の教材となります。花はすぐに咲くのではありません。三年、四年、七年、みんな異なります。草は一年草のものもありますが、その他のものはみんな長くかかります。これらの現実的な自然界を見るときに、先生のこの理論的な話の意味が分かるでしょう。 力は主体、対象の愛の関係を中心として動く連結的な関係をもっているので、植物世界でもそのような作用をするのです。鉱物の世界も同様です。鉱物世界もこのように金脈が出来、銀脈が出来、銅脈が出来るのです。なぜ出来るかといえばそのような作用をするからです。すべてそのような作用を行っているのです。では動物世界はどうでしょう? 動物世界は雄、雌ですか、それとも両性の区別なく混ざっていますか。小さな昆虫を見てみると、雄、雌の区別があります。その器官に卵を産み繁殖するすべてがあって、卵をたくさん産むのです。かげろうのようなものは八年間待って空中で交尾して、一日で死んでしまいます。 サーモン(鮭)は、一度愛して死んでしまうのです。人間だけが愛を続けることのできる特権的存在なのです。そして一人一人の人間は宇宙の愛を連結するための展示品なのです。博物館なのです。人間は王です。このように人間が宇宙的な本然の人となって、天と地が一つとなるそのような代表的な立場で愛するとき、この全宇宙は「ハッハッハッ」とみんな喜ぶのです。宇宙における神様の概念を知らなくても、これらを見ればすべてが相対的関係においてこうなっているので、(本然の人間の中に)宇宙が入ってくるのです。 では、幸福な人とはどんな人なのでしょうか? 幸福とは何か。幸福とは何ですか? 今や幸福の定義を下す段階に来ています。幸福とは無限なる愛を与えることができ、いかなるところにおいても無限なる愛を受けることができる立場をいうのです。そして幸福な宇宙をつくることができるのです。分かりますか、幸福な人とはどんな人か分かりますか? それは宇宙を代表した父母をもった人であり、宇宙を代表した夫や妻をもった人であり、宇宙を代表した息子や娘をもった人です。統一教会でいう四位基台を成した人です。何と素晴らしいことでしょう。一言で四位基台ということは簡単なことのようですが、それはこのような根本問題を解いて出した結論なのです。では、皆さんは幸福な人ですか?(はい)。先生が皆さんをなぜ祝福したのかといえば、このような幸福な父母をつくり、みんなこのような幸福なカップルにし、これから皆さんを中心として幸福な息子、娘をもつためです。先生は反対を受けながら、世界に問題を起こしながらも、この基盤をつくるために、このような仕事をしてきたのです。先生は良いことをしたと思いますか? それとも悪いことをやったのですか?(良いことをなさいました)。 自分だけのためであってはならないのです。お互いがためになろうとするところに価値があるのです。自分を保護し、自分のみがより大きくなろうとすれば価値はありません。そういうものを個人主義思想というのです。自分が全くなくなってしまえば、宇宙はより大きなものを保つようになります。(黒板を使って説明) 自分がなくなってみると、このように大きなものとなります。空気でいえば、低気圧があるときには高気圧が入ってきます。だから私たちが自らを犠牲にすれば、より高いものより大きなものが空白を満たしてくれるようになります。 このような時にはプラスとマイナスが一つとなって、より大きなプラスとマイナスとなります。(祝福家庭の三人の子女の名前を呼ばれながら)犠牲にならなければなりません。先生の子女たちも同じです。犠牲がなければ大きくなる道がないのです。これが宇宙が立てた天理です。法度です。いくら偉くともこれを守らなければなりません。人の心の問題、愛の問題、相対の問題を勝手にはできません。先生が原理講義をすれば創造原理は何カ月やっても足りません。 皆さんは共産主義者になりたいですか?(なりたくありません)。皆さんは唯心論者になりたいですか、それとも統一主義者になりたいですか?(統一主義者です)。私たちは統一主義者であることを誇りにしなければなりません。私たちはいかに生きるべきであるか分かりましたか? これが原則です。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天地のために、天地は神様のために生きるのです。(黒板を使用される)これを見て何を感じますか? 何かの周りがあれば、そこには必ず中心があります。これは間違いないことです。中心が必要です。堕落した世界とは何ですか? 個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の(中心が)すべて落ちてしまったのです。世界もヒットラーの世界、ムッソリーニの世界、スターリンの世界、共産主義世界、アメリカ式民主主義世界、これらはみんな自分が一番偉いと言って騒いでいます。中心がみな異なっているのです。 この宇宙、天宙の中にこの世界は入るのです。このようにして一つに固めたら球形になるでしょうか。皆さんはどのように思いますか。皆さんは宇宙の中心と関係を結ぶべきでしょうか、どうでしょうか。皆さんの中心に宇宙の中心が入ることを願いますか、入らないことを願いますか。個人の中心の長さはこれくらいしかありません。ここに天宙が入ることができますか、このように小さな所に。それに対して天宙の中心は、こんなに大きいのです。皆さんたちの中にこの世界が入るべきですか、あなたがこの世界の中に入るべきですか。それは世界が私の中に入らなければならないでしょう。(笑い) そう思えば大変なことになります。それ自体が爆発します。ではどうすればいいでしょうか?(他の中心に属するようになります)。 この大宇宙、神の愛の圏内に、大世界の愛、大国家の愛、民族、氏族、家庭、個人全部の愛が一つの中心に合わさるようになるとき、これは完全に球形になります。ではそのような九段階の大きなものをどのようにするのが理想かというと、それは一つの世界にすることです。一つから分かれてしまったのでこれを再び縫い合わせて、再創造しようとするのです。この大きな九つの宇宙を本然の形に再創造しようとしているのです。(黒板を使いながら説明)これを見える世界と見えない世界とに分けておけば、この見えない世界の円形がこのようになっているし、(黒板を使って説明)見える世界はこのようになっています。私たちはどこにいるのでしょうか? 私たちはどこまで行かなければならないかといえば、完成までです。人間の完成までです。それまで「もっとやりなさい」と言います。良心的にいくらやったとしても、「もっと、もっと」と言います。 このように個人の中心は出発したのですが、「あなたはもっと上がりなさい。上がって、中心を高くしなさい。家庭の中心に上がりなさい」と言って、家庭の中心に相応しい大きさになるのです。しかしそこで満足しないで「もっと上がりなさい」と言って、どんどん大きくなるのです。このようにして、ここまで来て(黒板に示しながら)どうなるかといえばすべてが入るのです。これが入らなければなりません(黒板に次々と示す)。 霊界では、神様は個人的に下りてきてこのようになり、家庭はこのようになり、中心はこのようになり、半形が始まるのです。(黒板の図で示す)そしてこのようになって二つが一つの円形を成すのです。相対的になっているのです。分かりますか? 言い換えれば、意識と実体が、主体と相対がプラスされたので、これが完全に一つとなれば一つの球形が成されるのです。 皆さんはなぜ世界的なのかといえば、ここまで上がっていかなければならない運命があり、そうすることによって、この全体の完成を成すために「上がりなさい。大きくなりなさい。世界的になりなさい」「私が最高だ。私が最高だ」と心が叫ぶからです。 もしアダムとエバが堕落しなかったなら、プラスとマイナスが自然に合わさって、ここに宇宙が入り、アダムとエバの愛に、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が一度に入っていくのです。そして神様はそこに下りてくるようになります。神様はこの理想世界の主人となるのです。 しかしアダムとエバが堕落したので、今日、このように積み上げる蕩減の段階を経て、次々と上がっていくのです。今がなぜ終末かといえば、プラスの民主世界とマイナスの共産世界が一つとならなければならないのですが、一つにならないで闘っているからです。これを一つにするために、統一教会が世界的な基準でもって、アメリカを中心として、キリスト教と一つになる運動を今行っているのです。分かりますか? 皆さんには世界も天地も関係がなかったのです。ただアメリカや、自分たちだけしかなかったのです。黒人もアジアも必要なかったのです。白人だけで大宇宙を求めて行こうとするから、一番遅くなるのです。 本然のみ旨とは霊界と肉界が完全に一つとなることです。何を通してかというと、愛を通してです。み旨を通して理想を達成するためには、私たちは愛の道をもって蕩減の路程を行かなければなりません。再創造の過程を経なければなりません。愛を中心として、中心と一つとなる道を行くのが本然のみ旨の道なのです。愛でなければなりません。民主主義でもできないし、共産主義でもできません。今や世界的に統一教会が現れる時になったのです。学者たちも(統一教会を)研究して発表する段階に入ったし、国家的次元で公開され、発表される段階に入ったのです。共産世界と民主世界が対峙しているこの時代は統一教会のみが世界を一つにすることができ、理想を実現する内容をもっているのです。これが愛を中心とするみ旨です。 地上において成すことが天においても成されるように、地上において解かなければ天においても解かれないというのです。ですからこの地上において完成しなければなりません。ここを愛で(黒板を示しながら)連結させなければなりません。自分を中心とするのでなく、相手を中心として他のために行く道が必要なのです。このようになれば神の国が成るのです。神の国と神の世界が一つとなるのです。横的にもこの愛がなければなりません。個人は家庭を、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、これらを横的に実践していかなければなりません。このようにすることにより自動的に上に行くようになります。 横的に努力してこのように行けば、縦的な愛は原則的になるのです。完全なマイナスが生まれれば自動的に完全なプラスが生じるのです。分かりますか? 完全なプラスが愛を中心として生じれば、それに対するマイナスは自然に生まれるのです。一生を愛を中心として生きれば、マイナスを備えた相対として生きることができるのです。そこに神様が臨在されるのです。神の愛が完全にある時には、すべてがそこに着くようになります。だから愛を中心としての再創造がなされるのです。そこで、愛が縦的であるとしたら、為にすることは横的なのです。これを知らなければなりません。為に生きる所には必ず愛が伴うのです。愛を立てようとすれば、必ず為に生きることが必要です。為に生きる道を行けば必ず愛が伴うのです。プラスの中にはマイナスがあり、マイナスの中には必ずプラスがあります。そのことを知らなければなりません。皆さんが自分のために生きるとき、大きく広くなれますか? 他の人のために生きるときに大きく広くなることができるでしょう。分かりますか? 為に生きる生活と愛する生活とは、相対的関係があります。 きょうの題目は本然のみ旨の道ですが、そのみ旨の道を行くためには、愛を中心とした為に生きる道を行かなければならないということです。これを観念的でなく、理論的な面において私たちは知ったのです。愛を中心として、為に生きる道、この原則に従って生きなければ私たちは神の願いに到達することができません。分かりますか、何の話か?(はい)。 共産主義に従って行くことはできないし、この世について行くこともできません。この世は逆になっているのですから、私たちは蕩減を払っていかなければなりません。蕩減を払うということは、自分が昔、新しい家を建てようとした時よりもっと苦労しなければならないのです。一生を掛けても、永遠を掛けても、これを成さなければ、本来の世界に行くことができないのです。今日私たちは地上の世界において、この蕩減の路程を短縮させなければなりません。 神様はそのために再臨主をこの地上に送られ、その公式を教えてくださいました。私たちは、この地上において短時間に蕩減することができるその公式を習うことによって、統一教会を信ずるようになるのであり、この道を行くようになるのです。分かりますか? そして私たちは死の前においても、それを克服し、サタン世界の死の反対があるとしても行くのです。避けてはなりません。再創造するためです。正面から挑戦していかなければなりません。アメリカでの法廷闘争に対しても、人々がいろいろと言っていますが、私は恐れません。あなたが勝つか私が勝つかという闘いは終わったのです。死の道においても私たちは泰然としています。分かりますか、何の話か。これは偉大なる思想です。 このような思想をムーニーたちがもっているので、サタンが困っているのです。 祝福の子女の二十一日修練会は明日、明後日で終わりですね。もう先生のみ言は分かりましたね。統一教会がどのようになっているのか分かったので、これからいかに生きるかも分かりましたね。愛することのできる父母、本性の愛で愛することのできる父母をもったことは、それは宇宙と代えることのできないことです。天と地も代えることができません。神の国と地上世界のいかなるものをもってでも代えることができません。また、本性の夫婦となって、本性の子女を愛することができるとしたら、これは何をもってでも代えることができません。これが中心です。核です。神と本性の夫婦と子女、これを何と代えることができますか? これを何と代えることができますか? 代えることはできません。 このように代えることのできない父母をもち、夫婦をもち、子女をもって本来愛することのできる人が最高に人間として成功した人であり、最高に幸福な人なのです。その家庭は幸福なる家庭であります。世界はその家庭を中心として度数を合わせ、天と地がその家庭を中心として度数を合わせるのです。先ほどの中心と同じです。一つの中心となり、天と地の統一の理想世界が完結されるのです。はっきり分かりましたね。分かりましたか?(はい!)。 もし皆さんを共産党が引っ張っていったらどうしますか。ムーニーの思想を捨てますか、どうしますか? 先生は今までそのような闘いをしてきているのです。日本の政権の時はそれと闘い、北韓に行ってからは、金日成の国家と闘ったのです。大韓民国とも闘ったのです。そして今は、アメリカの国と闘っているのです。今まではアメリカのキリスト教は統一教会を怨讐のように思ってきましたが、国が反対することによって今は一つとなってきたのです。そうでなければ二つとも滅びてしまいます。全部が先生を中心として一つになろうとしています。これは再創造の歴史の中でも驚くべきことなのです。宗教を中心としてイエス様がイスラエル国と一つとなることのできなかった蕩減復帰をするのです。 再創造の蕩減復帰をするのです。このような時代に入ってきているのです。このようにしてキリスト教と一つとなれば、アメリカは自然に従っていかざるを得ません。私が監獄に入っていればいるほどもっと早く一つになれるのです。監獄が問題ではありません。受難の道が問題ではありません。死の道が問題ではありません。分かりますか? 皆さんは大胆でなければなりません。父母のためにはいつでも犠牲になることができ、夫のため、妻のため、子女のために犠牲になることのできる人が偉大な人です。皆さんは神の愛をもった本然の家庭の一人として、行かなければなりません。はっきり分かりましたか。朝起きる時は、両親よりも早く起きなければならないでしょうか、遅く起きなければならないでしょうか? (早く起きなければなりません)。これでお母さんたちは、あなたたちに二十一日修練会をよく頑張ったと言うでしょう。そして女の子たち。あなたたちは自分のために生きるべきでしょうか、夫のために生きるべきでしょうか? 夫のために生きなければなりませんよ。また夫は妻に対して同様です。お互いが為に生きなければなりません。 このみ言を知ったので、今後もし一人になってもこのような信念をもって生きれば統一教会は滅びません。この世は既に滅びるようになっています。思想的にそうなっているのです。皆さんは先生のすべてのみ旨を受け継いでそのまま残さなければならないのです。先生が父母であるとすれば、皆さんはみんなアダムとエバの立場にいるのです。あなたたち息子、娘は父母がもっている伝統をよく守らなければ大変なことになります。分かりますか、何の話か? (はい)。先生を通して神様が守ろうとすることを、歴史以来初めて皆さんが神の相続を受け継いで、横的出発をするのです。先生を中心としてあなたたちとあなたたちの子女の代の三代を越えれば、国家形成をするのです。 先生はあちらに行ってもこちらに行っても迫害を受けているので、少し間違っても許される時があります。この世を救おうとすれば、一歩足を踏み入れなければなりません。だから許されるという融通性があるのですが、あなたたちにはそうではありません。何の話か分かりますか? あなたたち祝福を受けた家庭は許しを得ることができません。その場で首が飛んでしまうのですよ。分かりますか?(はい)。それであなたたちは両親たちより恐ろしい立場なのです。あなたたちには許しの道がありません。原則的な道を行くのです。父母の前で反対して、「私のために何をやってくれたのですか?」などと言えば天法に引っかかります。歴史的な遺物としての自体を感謝しなければなりません。分かりますか? 家庭は世界を縮小したのです。父は男を代表したのであり、母は女を代表して縮小したものです。その父母に反対したら、世界中どこへ行っても歓迎されることはありません。 先生の話を(通訳者を通すのでなく)知りたければ韓国語を勉強しなさい。それが蕩減です。(通訳者に通訳しないようにと指示される) 分かりましたか? 他に道がないのです。言葉は簡単です。しかし、どれほど複雑な内容で、哲学的で、今まで数多くの学者たちが犠牲になっても探し出すことのできない道であったのです。先生は苦労をし、先生は試みに試みて結論づけたのです。先生が実験してみたのです。 そこの娘、名前は何といいますか?(○○です)。それは道を示す名前です。どのような道かといえば、二とおりの道です。そしてこの娘は一番悪い道を行っています。父母が批判的であるからです。先生の話が何のことか分かったの?(はい)。他に行く道があると思うの。どのような男と祝福されてもよく従って行きますか? 答えてみなさい。(はい、従って行きます)。男たち、悪い思いをもったら絶対に良い相対を得られません。神は自分とよく似た相対を与えます。愛というのは宇宙を歓迎する道なのです。自分を中心として宇宙が歓迎されますか? 答えてみなさい。愛の道というのは宇宙を歓迎する道です。自分を中心として宇宙が歓迎されるの? そういう思いをもってはいけません。為に生きる道において、一人の男性が一人の女性と出会うことは、姿、形が問題ではないのです。 ○○、君は父親から祝福を受けるつもりか、先生から祝福を受けるつもりか?(先生です)。このような思想をもつ男子はどのようにすべきかといえば、寝ても覚めても努力しなければなりません。横になっても、立っていてもみ旨を考えなければなりません。(先生が通訳者の通訳をやめさせる)二世には通訳をしません。分かりますか? 韓国語が分からないといけません。 皆さんは頭の中で、共産主義も良いのでないかなどという考えをもってはいけません。それらは全部先生が研究しました。民主世界も今後どうなっていくか先生はみんな知っています。なぜ宇宙がこのようになっているのかも、なぜ人間が一生涯愛の道を求めていくのかも知っています。文学をみれば愛は永遠なるものといいますが、なぜそうなのかは分かりません。ただ漠然とそういっているのです。では、愛とは一体何でしょうか。それは宇宙の発展要素として作用しているものです。すべてはそれを求めていくのです。あなたたちは今度の修練会が終われば祝福が受けられると思っているかもしれませんが、そういう考えをもってはいけません。分かりますか? アメリカの人の世話にも日本人の世話になるのもいけません。あなたたちの力でやるのです。努力するあなたたちを見ながら、先生は苦労した甲斐を感じるでしょう。そうしますか?(はい)。ではそうすると誓う人は手を挙げてみなさい。はい、手を下ろしなさい。先生はきょうはよく話しました。第二世の大きい子たち、いろいろとサタン世界を見たり味わったりした者の後継者たち、先生の話を聞いてそのとおりに生きますか? どうしますか? 誓う人は手を挙げてください。 神の祝福が皆様と共にありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.27
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「真なる人生」1984年7月1日ベルベディアにて 皆さん、『真』という言葉は何ですか?それは丸いものですか。三角ですか。四角ですか。その定義は何ですか。真に対する定義は何を中心として決めるべきですか。これが問題です。 真なる人間というとき、真なる人間にも目が二つあり、鼻が一つあり、耳、口、体があるのです。真というのはある一定した場所に制限されるものですか、一定した場所を超越するものですか? (超越するものです。)どのようにして、何をもって、どうして超越しなければならないのですか。それは何かというと、すべてを代表して計ることのできる内容を備えなければならないことを、私たちは知ることができます。 数字であれば数字の公式をいい、物理であるならば公理と定義をいいます。定義も公理も同じであり、公式とは小さなものです。公式は単位をいいます。単位は簡単なものですが、公式的というのはすべての物を比較することのできる主体性をもつことによって、公式として単位として決定さ九ゝのです。それが間違うと、小さな机の上での計算は、莫大な宇宙には合わないのです。その計算尺などは十二段階とか十段階のものを使うのです。それは小さいけれども形態は合っていくのです。そうでなければかみ合わないのです。そうでなければかみ合やいのです。全体が合わなければ成立しないのです。全体の存在の成立が衰失してしまうのです。それは人間の世界でも同じです。 真なる人がなぜ生まれるのでしょうか?人間が生きていくためには、スケールのように力を連結させて世界へと拡大させていくのです。すべてが規格に合うようになって拡大していくのです。 そこで人間が生きていく上にも、そのような公式的な道がなければならないという結論が出ます。人間が腹中のなかから生まれるのも公式による、すべての自然の法度、理法によって生まれ、成長していくのも理法と共に成長し、生きていくのも理法と共に生きていくのです。この真なる理法を真理と言うのです。 腹中生活においてもそうであり、地上生活においてそうであり、霊界生活も法度に合うように生きていかなければなりません。そうでなければ問題が生じます。 ですから東洋人であって、西洋人であっても、黒人であっても、白人であったも腹中から生まれてくる公式的過程は同じでなければならないし、生きていく過程も同じでなければならないし、永遠の世界で生きる方法も同じでなければなりません。 ではここで、私たちに共通なるものを探してみるときに、西洋人の生き方と東洋人の生き方は異なっていることに気付きます。それが問題です。まず、御飯を食べることが異なりますね。西洋人はフォークとか道具を沢山使って食べるし、音を立てないで食べているが、東洋人、日本人は箸一つで食べてしまいます。(笑い) では、ここにおいて何が共通するでしょうか?それは食べて栄養を補充するということが共通します。 手で掴んで口の中に入れて噛んだとしても、噛むことにおいては同じです。では何が真理かというと、手で持って口の中に入れて噛むことであり食べることです。箸で食べようが、フォークで刺して食べようか、手で食べようか、口の中に入れて噛んで消化することが真理なのです。 子供は母親に食べさせてもらうのですが、誰が食べさせようともそれは関係ありません。口の中に入れること、噛んで消化させることには違いないからです。いくら口のところまで持ってきたとしても、口が開かないでじっとしていたらどうしますか。そこで真理は、正に歓迎を受けるわけです。手がいけば、口は自然に開きます。次に、口は物が入ると動き出します。 真理の前ではすべてが歩調を合わせて、互いが協力し合うのです。服を着る時は皆違うのを着るでしょう。何が真で公式なのでしょうか? 体を保護し、防禦するのです。体温を保護します。良い服を着ようか、悪い服を着ようか、それが問題ではありません。例え紙の服を着たとしても体を保護すれば服なのです このようにみる時、今日の人々はどんなに価値のないことでしょう。ただ良い服を着て、自慢したりするのです。服を着る目的は体温を保護することが真であれば、それ自体が良いとか、悪いとかよりも、保護することが重要なのであります。これが共通性です。 私たちの真なる目とは何か? 一点にフォカスを合わせて、はっきり見えるようにしなければならないのです。その一点は高すぎてもいけないし、常に均衡がとれていなければならないのです。それが一つの真理なのです。共通なる真理なのです。それで目には目医者、耳には耳の医者と、それぞれの医者がいるのです。その医者たちは、治療をするのに何を標準としてするかといえば、この原則線を中心としてするのです。それですべては、原則的な真理の基盤の上に立って、それらの連合されたものが、更により大きな原則に従って、だんだん拡大するようになっているのです。このようにして、宇宙構成の形態を考えることができないのです。 皆さんはどこも悪い所がなく、健康でここに来て座っています。そして先生の体の中で四百兆以上の活発な細胞を中心として、四肢百体の各分野は選択と除去、収拾と除去、このような闘いをしているのです。そしてそこに相克が起きると、“ああ! どこが悪いのだ。異常だ”ということになるのです。 そのようにすべてが自体で均衡をもって、完全な健康体を保っていくには、宇宙的な選択と、高底を調整する運動法則によって、定着された場においてなされるのです。この細胞の間を十キロメートル、百キロメートルと延長すれば、人間一人ではどのくらいに大きくなるでしょうか? そういうものが歩きながらバランスを取っているということは、どれほど神秘的なことでしょう。それらのすべては自分勝手な思いで動くことはあり得ないのです。 細胞において目があり、鼻があり、耳があり、各々あるのです。その細胞が人のようであるとしたらどうでしょうか? 細胞は探し易い所を求めて行くでしょうか。まず、三角地細胞は帯があるとしたら細胞はそれを登って行こうとするでしょうか。平地があるとしたらそちらに行くでしょうか? それは同じです。なぜかといえば、私たちに似ているからです。人に似たので同じなのです。。もし障害物があるとすれば、それを越えようとしますか、障害物のない楽な所に行こうとしますか。一つの細胞が一カ所に付いているとすれば、「私はこの場がとてもいい。これから動かなければいい」と言うだろうか。ここから始まって、全体を一回りして戻ってきてみたり、こちらから回ってみたり、あのように回ってみたりしたいと思いますか。それとも動かないでいたいでしょうか。一つのセンターを中心として、関係を結び通じ合いたいでしょうか。どちらですか? 最初ですか、あとの方ですか? (二番目です)。どうしてそうですか? それは、それぞれの細胞がちょうど皆さん一人一人のようだからです。そのようにすべての共通な理法もどのような道を行こうとするかと言えば、良い道を行こうとするのです。妨害されたり、制裁される道でなく、自分が行ける良い道を選ぶようになるということになります。では、いかにすればそのような自然で、より理想的な環境と関係を結ぶことができるかということが重要な問題です。 そこで何をしようとするのですか? 大きくなろうとするのですか、小さくなろうとするのですか? (大きくなろうとします)。皆さんのすべての活動は、大きくなるために運動するという結論が出ます。では、ゆっくりと大きくなるのがいいですか、速く大きくなるのがいいですか。ゆっくりですか、早くですか? (早くです)。 ではなぜ早く目的を達成したいと思うのですか、なぜですか? それは一回りするためです。こういうものが(黒板を使って説明)センターを中心として回るのです。一回りする時、これはどれほど骨の折れることでしょうか。速くなると加速度が加わって、周辺の妨害を除去することができるのです。それを知らなければなりません。 これが、速く回ることによって、自己操縦が可能で、自分の意のままにすべての環境を超越して越えていくことができるのです。それで私たちは速いのを願うのです。速ければ同じ道路を行くにしても、遠くまで行くことができるのです。なぜ、ゆっくり行くのが嫌ですか? それは自分が大きくなればなれないからであり、成長しないからです。速い方は早く障害のない境地に入るのです。そして一度入れば永遠に続くのです。 では一つの細胞が「ヨーイ、ドン!」で、“スーッ”と回り出す時を考えてみなさい。どれほど多くぶつかるかを。ある細胞がそうなのではなく、全細胞がそうなるとしたらどうなるでしょうか。大変なことになるでしょう。爆発してしまうでしょう。皆さんがじっとしていても、「ワーン」と耳にサイレンの音よりももっと大きく聞こえるでしょう。ですから公的理法は必ず必要であり、公的、秩序維持のための道がなければならないし、共通的な道がなければならないという言葉が成立するのです。分かりますか? ではあらゆるすべての細胞が、ある会議を行い「これはこのようにしなければならないし、あれはあのようにしなければならない」としても、会議の結果に従った公式過程の道を歩むためには、ここを通過して(黒板を指す)行っていいけれど、こちらに行ってはいけないというように、全部を構成しなければならないという結論が出ます。それで真なる真理、統一教会でいう『個性真理体』という論理が出るこです。これは特殊な用語です。個性真理体という言葉は、不思議に聞こえるけれど仕方がないのです。西洋の人たちには、このような説明をしなければ分からないでしょう。神学校を卒業して『P・H』という博士号をもっているロイド・イビーという兄弟がいますが、彼は哲学を勉強していますから、宇宙のことは何でも分かっているように思っているかもしれませんが、この個性真理体ということを本当に分かっているとは思えません。 ここで言おうとしていることは、どんな細胞でもも一定の個性をもっているということです。自分自身の目的とか、個性をもっているということです。西の方であれば西の方を中心として“私は西の細胞です”と主張するのです。東西南北があり、上下があるので、東にいるべき細胞が南に行ってはならないのです。それぞれの立場にいる細胞が南に行ってはならないのです。それぞれの立場にいる細胞にとっては、それぞれに方角が違い、違った目的をもっています。それはそれぞれの立?によって異なります。それぞれの細胞が、それぞれ従うべき法律、法則をもっています。もしそれに従わないなかったならば、破壊的な結果が生じます。そうでしょう?(はい)。 皆さんも、(前にいる郭先生の娘さんに)あなたの名前は何ですか? (全淑です)。郭錠換先生の三番目の娘ですが、それは間違いなく個性真理体です。母親の愛、父親の愛、皆同じです。私は兄弟たちとは関係ないとか、関係あるとか勝手にすることはできないのです。全淑はおとなしそうな顔形ですが、姉の立場、自分の立場、父、母の立場に立ちたいと言っても自由になれません。しかし心はそうではありませんね。そうでしょう? 関係を結びたいのです。 ここで問題が生じます。自分の思う通りにできないのです。これが問題です。どうですか? 修練生たちのためにこのような話をするのです。先生であっても、自分の思うがままにすれば、それは悪魔の典型であり、破壊の典型です。父も母も兄弟もそのように思って動けば、家庭が完全に破壊状態になってしまうのです。自卅を中心として来れば、すべてが「来るな」と防御します。皆さん方はこの四十億人類の中の一人ですか? それを否定した中での一人ですか? 四十億人類の上の一人ですか? では人類が全部自分を中心として生きていけますか、どうですか? だからお互いのための四十億人類の中の個人の立場であるという結論が出ます。 個人が合わさって家庭、家庭が数多くの家庭と合わさって氏族、氏族が合わさって民族、国家となり、世界に数多くの国々があるのです。そこです。そこで制限された環境の中に生きているのです。文化の背景が異なる環境に住んでいるのです。ですからここに共通なる真理の道を中心とし、一つに連結することのできる基準を通さなければ、関係を結ぶことのできる基準を通さなければ、関係を結ぶことができない世界である、という結論ができます。 人間は個人から出発して、どこへ行っても事故も衝突もなく、二十四時間、昼も夜も、あらゆるいろんな所で生活していますが、その目的や動機は何でしょうか。いったいどのような考えをもってそれぞれに生活をしているのか、それが問題なのです。個人個人の密集したところでも、ジャングルの中でも生き残ることができる、その秘密は何でしょうか? それは、個人個人の生活の様式が上がるか下がるか、あるいは謙孫になるか傲慢になるかに掛かっています。個人個人がお互いに争って、相手を打ち負かして進んでいくのか。前の者を押しのけて、あ互いに争って生きるそのような人間は周りの人から歓迎されるでしょうか? (いいえ)。では周りから受け入れられて歓迎される生き方とは何でしょうか。もし皆さんがいても自分自身の生き方でもって争っていたならば、それは大変なエネルギーを消耗しますから、疲れてしまい決して長続きはしません。しかし皆さんが環境と調和して、周りから受け入れられるような生き方をするならば繁栄し、更には勢力をもって継続していくことができます。 そこで、一つの必須の基本的な公式、あるいは原則的とは、自己中心的に生きることは常に抵抗に合うけれど、他のために生きる運動であれば歓迎されるということです。彼の為にいくという時には、すべてが門を開くのです。個人も門を開くし、家庭も門を開くし氏族も門を開き、民族も門を開き、世界も門を開き、歓迎するのです。 そういう道は何であるか、そのような道は何であるか、それを私たちは探さなければなりません。統一教会はこのような観点から“為に行く”のが原則であり、“為に生きるために生まれた”という天倫をもっているのです。為に生きる人であればあるほど、主体になるのです。中心になるのです。これを知らなければなりません。責任者となるのです。(黒板に書かれる) 静かに考えてみなさい。為に生きる人は、全淑の父母がいくら強くとも、父母の為に生き、尽くすのです。全淑がノックをしたら門を開き、「入って来なさい」と言います。そうですか、どうですか? また、皆さんが学校に行った場合に先生の為になることは、一生懸命に勉強をすることです。そうすればどんなに怖い先生であったとしても、ノックをした時に「どうぞ入ってください」と応えます。皆さんの兄弟、姉妹の誰もが、為に生きるという犠牲の道を行けば、愛でもって歓迎されるのです。そうですか?(はい)。友達同士であっても、為に生きる人は真夜中に訪ねて行ったとしても「どうぞ入ってください」と言われますか、自分だけのため訪ねて行って、盗みをしたりする人は門を防がれてしまうのです。 先生がアメリカに来て、「先生の為に行う」を言っていたならば、今ごろは法廷闘争に遭って、至る所で「来るな!」と門を固く閉められてしまうでしょう。しかし、今まで何も知らなかったので反対した人々も、今はすべてを開いているのです。皆さんが開いたのですか、自分たちで開いたのですが? (自分たちです)。なぜですか? それは、宇宙が発展し、和合することのできる宇宙の原則によってです。為に生きる原則において、アメリカの法務省、国務省、国家自体が迎え入れるのです。先生がこのまま進んでいく時、アメリカの政府も先生の側になり、この宇宙も先生を支援してくれるでしょう。 ではここで『真なる人生』を生きると言うことはどういうことを言うのか、一つの公理を立てようと思います。いかなる所にも通じる原則ですから、これは万苦不変であり、過去、現在、未来ですから、これは万苦不変であり、過去、現在、未来に共通したもので、“為に生きなさい”ということです。もしここに、孔子が現れ、イエス・キリストが現れ、釈迦、マホメット、聖者といわれる人々が現れ、神様が現れ、「あなたたちはどのように思いますか」と言った時、「はい、そのとおりです」と言うでしょうか、「いいえ」と言うでしょうか? (はいと言います)。人生を生きていくには、真なる姿で生きていくだた一つの法であるということを知らなければなりません。そこに真のルールがあるのです。そこである家庭において、“為に生きる”息子がいるとしたら、その息子が長く生きれば生きるほど、主体となるであろうし、長ければ長いほど中心に入っていくのであり、長ければ長いほど責任者となっていくのです。 皆さんの父や母が、どのようにして主体となり、中心となり、責任者になっているかということは、皆さんの父母が息子や娘の為、家庭の為よりも、全体の為に生きたのでそういう立場に立つことができたのです。これを知らなければなりません。愛国者も同様です。その国の民、国の主権者の為に生きた人なのです。一生の間、国の為に生命を尽くしてきた人は、歴史に残ることのできる愛国者として追慕されるのです。これはこの宇宙のすべて、世界のすべて、人生のすべての法に従って、不可避な結論であるので、そのようになるのです。 ですから聖人とはいかなる人であるかと言えば、全世界万人の為に生きる人であり、永遠に昼も夜も、為に生きようとする人であり、人間ばかりではなく自然と全宇宙の為にも生きる人が聖人なのです。そのことに異議がありますか? そのように定義を下したとしても誰も否定する人はいません。 ではこのような宇宙を創られた神様、このような法度を立てられた神様は、いかなるお方でありましょうか?この全宇宙のために“きょうも為に生きる”ということにおいて代表的立場に立っておられるお方が神様なのです。それゆえにそのお方に会うには、知識の王様であるからと言っても知識でもって会えないし、能力の王様であっても能力でもって会えないし、権力の王様、金の王様、物質すべてに対して王様であるからと言っても、それらをもっては会うことはできません。 では神様と会える人は誰でしょうか? お金持ちですか。権力者ですか。知識人ですか。神様にとって、それらの人々は必要ないのです。分かりますか? 統一教会の皆さんの中では、神学校を卒業したとしても、“為に生きる”と言うことは知らないで、「私は神学校を卒業したので、私は責任者になり、統一教会で上にならなければならない」と言うような主張をしてはなりません。まずは為に生きなければなりません。 真なる友達は為に生きる人であり、真なる先生も同様であり、真なる父母も同様であり、真なる主権者、王も同様であり、真なる兄弟も同様です。真なる社会も、国も、真なる地上天国、真なる天宙も同様です。それは間違っていますか? どうなの? (はい、正しいです)。それはしばらく考えてからの「はい」ですか、自然に「はい」と言えたのですか? (自然にです)。 皆さん! 食べ物が口に入れば自然に口は動き出し、食べ物が胃袋に入れば自動的に消化します。アメリカはいくら力があるとしても、アメリカの為に生きる人が来たら門を開けるし、アメリカの損になる人が来たら門を閉じます。自分の為にのみ生きる人は原則的に除去されます。家庭において自分の為に生きる女たちは、これからは悪党の鳩首の妻となるでしょう。そして踏みつけられて死ぬでしょう。 全部に真なるという言葉が付いているので、そのようなことを真なる道であると言うのです。(黒板に書かれる) 分かりますか。真なる人の道は為に生きる道です。先生もそのように生きていかなければなりませんし、お母様もその道を行かなければなりません。息子、娘たちもそのように生きていかなければなりません。ここでパスしなければ天国ではなく、地獄に行くのです。水平線以下に行くのです。 自分がお腹が空いて食べたとしても、商店に入って勝手に取って食べられるでしょうか。なぜそれがいけないのでしょうか。他の人たちはお腹が一杯で残りは捨ててしまったりするのに、一つぐらいは自分の思うままに食べてもいいのではないでしょうか。共産党はそれを主張するのです。なぜいけないのですか? それは私を中心として、自分だけを中心としているからです。 お腹が空いて食べたい時には、その店の人を通じて貰わなければなりません。私が主体で、その人がくれることによって食べられます。“あの人は私の為になる人であるから、私が上げることは良いことである”とそのように考えればそれは良いこととして成立するのです。 このような原則において法律であり、そのような原則と公式基盤のもとで法が制定されたのだということを知ったので、私たちは社会の公法と公理を遵守しなければなりません。その主人に対して、国というその主人に対して違法となれば、それは除去しなければなりません。 神の国に入ろうとする欲の多い人は、昼夜祈ってばかりいます。自分だけを中心として神様に福を与えて下さい。夜でも福、昼でも福を下さいと言います。福を与えたとしても自分の子供のことしか考えないし、自分の家庭だけが良くなることを祈ります。そういう人は祈祷すればするほど滅びなければなりません。罰を受けなければなりません。この宇宙全部から除去しなければなりません。そのような祈りをしてはいけません。すべてはっきりした基点を中心として区別しなければなりません。 皆さんは全体のために、可哀そうな国が袋くなるために、もしお金が必要であれば自分の力を尽くし、それでも足りない時に“神様助けてください”と祈ります。それは当然のことです。しかしそのような祈りを神様が聞き入れるでしょうか、どうでしょうか? 欲しいと言うので友達に上げた後に、「また下さい」「また下さい」と言うのと同じです。はっきり分かりましたか? 皆さんの中で“私は祝福を受けた家庭の子供である。統一教会は私を貴重に思わなければならない”と思う癖があれば滅びます。三十六家庭は、天と地を代表して立っていることを知らなければなりません。天と地を大事にしていかなければなりません。より大事にしていかなければなりません。先生の家庭は、先生自らが大事にするより以上に大切にしていかなければなりません。 三十六家庭は、先生が自分の子女までも投げ出してカインの子女を愛したのと同じように、自分たちの子供を愛する前に外に出かけていって、カイン世界の子供たちをまず愛さなければなりません。自分自身の子供たち以上に、カイン世界の子供たちを愛さなければならないというのが原則です。この原則に反するならば、三十六家庭であろうとも失敗します。どうですか。それは間違っていますか? (正しいです)。 だから祝福の子女である皆さん方が、本当に神様を中心としているならばやそのような生活をしなければよい祝福は訪れません。先生はそのような人たちをギャングと祝福するかもしれませんよ。(笑い) だからいつも自分に奉仕されたいと思う人たちには一番良い教訓がギャングと結婚させることです。そうすればギャングたちは銃を突きつけて「自分に従え」と言うことでしょう。(笑い) 先生が「為に生きなさい」と言うことは間違っていますか? それは統一教会の原理であって、一生と世界と関係のないものですか。先生が間違っていますか、皆さんが間違っていますか? (先生が正しいです)。いいえあなたたちが正しいです。あなたたちです。(先生が正しいです。先生です。先生です)。(笑い) そのような原則が成立します。皆さんは“為に生きなさい”というこの道を行かなければならないので、苦労しなければなりません。今回、孝進様が修練会を指導するという責任が与えられました。だから先生は非常に注目しています。孝進様が成功するためには、本当に自分を犠牲にして修練会のために尽くさねばなりません。そうすれば皆から尊敬されるでしょう。もしそうしなかったならば、彼は皆の信頼を勝ち得ることはできないでしょう。なぜならばこれが原則だからです。皆のために奉仕するときにその中心人物となり、尊敬されるというのが原理原則だからです。どうですか。正しいですか。間違っていますか? (正しいです)。 もし本当に他の人の為に生きたいと言う人がいるならば、そういう人たちにあらゆる責任分担を与えることができます。先生はそのような顕微鏡で朴晋煕や、他の人々がどんな人間であるかじっと見ています。彼は自己中心的な人間であるか、また他の人はどうかじっと観察しているのです。この人はどれくらい行ってからストップするか、あの人はどうかよく分かります。統一教会にはミスター・カクもいます。ある時先生はミスターパクとかミスターカクに気合いを入れてみました。皆さんは分からなくても、先生はすぐに分かりました。 先生の後継者としてとして誰に委かせるかという問題を中心としてみる時、どの相対を選ぶか、責任を誰に委かせるかということは原則通りにやるのです。 例えば先生の銀行口座には何もありません。朴晋煕氏や郭錠煥氏の銀行口座にはたくさんのお金があります。そこで先生は「朴晋煕、郭錠煥、お前の銀行口座を持って来るように」と言います。すると「はい」と言うのです。今回も朴晋煕氏に対して、「あなたの家を韓氏に明け渡しなさい」と言って、じっとその表情を見ます。(笑い) 自分の同志を自分の家以上に思わないものは落第生です。 先生は昔、韓国である弟子に家を交換してあげなさいと言った時、それに対しその人は嫌だと答えました。その答えを先生は忘れていません。アメリカ的な考え方からしたらそれは当然でしょうか。どちらかの方が人を助けることになりますか? 兄弟を自分の家以上に愛せない人と、家のようなものはどうなっても構わない人とどちらが神側に近い人ですか。もし神様が、「イーストガーデンを食口たちに分けてあげなさい」と言ったら、先生は直ちにそのようにします。それをもっていて何をするのですか。この非常時にそれで何をしますか。先生はこのような思考方式をもっています。ですから何も未練がありません。イースト・ガーデンを出ていったとしても未練はないのです。そのイーストガーデンを明け渡せば、これから大統領にもなれる人を育てる場所となるかも知れません。分かりますか? レバレント・ムーンは大統領になれる人を育てる気になっていません。そうでないからそうすることができません。この原則は万古不変の天理のなのです。 裁判においても、私はアメリカの法廷に出る必要もないのです。出なくてもいいのです。アメリカの将来のために。国民のためにこれからの使命を見つめたとき、すべての人々を覚醒しなければならない私の責任があるので、法廷を通して覚醒することを願って法廷に出たのです。それゆえにキリスト教が、レバレンド・ムーンと一つとなり、アメリカの国民と一つとなったのです。 レバレンド・ムーンに対してあまりひどい処置をしたことを皆は知っています。このたびの聴聞会の事件を皆知っています。先生がどれほどアメリカの為にやったかということが、具体的な数字としてお金で計算されて出ています。アメリカの為に、外国人としてどれほど迫害を受けながらやってきたことでしょうか。そういう事実は必ず歴史をおいて追慕されるでしょう。 最近先生は、この国会の聴問会の場を利用して、司法省がレバレンドムーンを起訴する際の起訴のメモというものが存在していたということを発表し、聴問会の議長に対してその文書を公表するように、そして世界の人々、アメリカの人々、また宗教界の人々が真実を知る権利があるのだから、その文書を公開するように求めました。 このような過程においても先生は、統一教会の人々や特に古い人たち、例えばドクター・キム等の世話になっていません。先生が彼らに世話になれば滅びるのです。それゆえに先生は主体となり、センターとなり、責任者となるのです。 この前修練を受けていた先生の息子たちは、「カインを愛しなさい。世界的カインを愛さなくては、自分たちを先生が愛することができないということがこの頃分かってきて、先生を理解するようになりました。本然の愛の基準で、息子娘の愛の基準を探し、本然の妻と本然の家庭と本然の国を愛するために、可哀そうであるけれども、先生は不可避的にいかなければ天国は実現されないのです。このような過程から見れば、先生が自分たちをどれほど愛そうとしたかという、その本心を知ることができます。 それはカインが「先生御自身の子女たちを愛してください。私を愛してくださらなくてもよいです」と言うまで続きます。先生が“為に生きなさい”と言うことを分からなかったら、今日レバレンド・ムーンはこの場にはなく、ずっと以前に消えてしまっていたでしょう。統一教会と言うものも消えていたでしょう。自分を監獄に入れた人たちのために祈り、拷問をした人たちのために涙を流して祈り、為に生きようとする道を行ったので、宇宙が協助して発展してきたのです。 先生を打つ者はみんな崩れ、そのような国はみんな滅びていくのです。どうしてそうなるかと言えば、宇宙がそうなっているからです。先生が監獄に行くようになれば、皆さんは先生以上に世界の為に生きなさい。そうすれば統一教会は私がいなくても滅びないでしょう。そうですか? どうですか? (そうです)。それはレバレンド・ムーンのためではありません。絶対に「はい」です。分かりますか、何の話か? (はい)。 この宇宙は原理原則のもとで運行しています。はっきり分かったでしょう。皆さんは主体になりたいですか、どうですか? 中心になりたいでしょう。中心に。珍文、あなたも中心になりたいでしょう。 この前修練会の時、よりも化粧をしたりして大騒ぎをしました。そのような女たちはつまみ出さなければなりません。本当に思慮深い男であれば、地味で化粧もしないで全体を一つにしようとして化粧する時間にも掃事をし、化粧する人のために、早くできるよう手助けしてあげたりする人が分かるのです。だから大きな人間は大木のようなものです。蟻とか蝉とかあらゆるものがそこに住み付いているのです。それをみんな抱擁できるような大きな人間にならなければなりません。時には小さな些細な小競り合いやいさかいがあるかもしれませんけれども、それを大きな木はみんな構わずに受け入れます。だから化粧にばかり興味をもっている子女たちは、恐らくマッティングがあるからと思っているのかもしれませんけれど、その場合に、私の相対者となる候補者は誰だろうと思って、統一原理の講議も聞かずにただそんなことばかり考えているのではありませんか? (笑い)先生には不思議にもすべてが聞こえてきますよ。また世界的に宣教に出ていますか、祈祷をしてみれば先生にはすべて分かります。それが先生の特別な認識能力なのです。それゆえに先生は皆さんの最も重要な祝福、結婚ということも正しく正確に行うことができるのです。皆さんはマッティングの時にも相手の顔しか見ません。奇麗かハンサムかしか見ません。けれども先生は全体を見ます。手を見ます。足を見ます。男性がハンサムなのは耳の形がいいのです。それから歩く姿を見ます。先生は着物の上からその人間をすべて見ることができます。そういう面ではレバレンド・ムーンが世界的チャンピオンでしょう。(はい)。世界的なチャンピオンから有名な人のサインを貰うことは易しいですか? これから皆がレバレンド・ムーンによって結婚した方がいいということになって、一人当り一万ドルでなく五万ドルを払ってもレバレンド・ムーンの所に行くというでしょう。だから私が食べていくだけのお金はどのようなことをしてでも得ることができます。本当にお金をつくろうと思えばいくらでも先生はやり方を知っています。だから先生はお金のことは心配しません。 先生は、皆さんを負債があるようなそういう人間ではなくて、人々に何かを与えることのできる人間に創り上げていきたいと願っています。それは何かと言えば為に生きることです。これが為に生きる人です。 では為に生きる目的は何でしょうか? 主体になってもそれだけでは満足しないのです。一つになる時は生命力が出てくるのです。そこには生命があり愛があります。分かりますか? では、夫が妻に「為に生きなさい」と言うときに、真なる愛が生まれるでしょうか。お互いに為に生きようとするとき真なる愛が生まれるでしょうか、どうでしょうか? これが基本原則です。父母が子供の為に生きるとき愛が生まれ、子供が父母の為に生きるとき愛が生まれます。このような関係においてのみ生命の永生があります。皆さんはどんどん大きくなっていくことでしょう。生命力が強いとどんどん成長します。それゆえに神様は宗教を通して“為に生きなさい”とか“犠牲になりなさいと言わわれるのです。 では天国はどのようになっていますか?天国とは地上で他人の為に生きた人たちが行くところです。統一教会は強力で力があります。生命が強いので力があります。一つ間違いのないことは統一教会の食口同士がお互いの為に生きていないことです。統一教会の先生と食口とはそうではないのです。先生は食口の為に生き食口は先生の為に生きています。 皆さんは先生がイースト・ガーデンで良い生活をしていると思うかもしれませんけれども、世俗的な観点からみれば惨みな生活をしています。心の字架を背負ってるのです。だからきょうのように雨の日はNFTの活動をしている食口たちが雨の中で苦しい思いをしているだろう。あるいは、共産圏の国で働いて牢屋に入っていたり、処刑されたりしている食口がいることを思うと、いつも心が苦しくなります。だから昼寝はできません。 先生は肉体をもってしてはすべての食口一人一人を取り扱うことができませんので、先生のところに来る食口をすべての食口の代表として、先生とお母様は色々と尽くして、服を買ってあげたり、もてなしたりするのです。そして為になろうとし、何かを与えようとするのです。先生とお母様はいつもすべての食口の為に、自分たちの子供たち以上に良いものを買ってあげようとしています。 それゆえ、宣教に行って殉教するようなことがあっても、イースト・ガーデンに向かって祈りながら死んでいくのであり、恨みながら死んでいく人はいないのです。先生に“為に生きる”という天理の原則があるので、それは継続されるのです。 彼らは統一教会の誇りであり、自分の先祖たちの誇りでり、霊界に行っているすべての人々の誇りであり、一族ばかりでなく一国の誇りなのであります。何の話か分かりますか? ですから、為に生きる道のみに生命力が伴うのです。生まれることにおいても、女は女の為に生まれたのではなく、男のために生まれたのです。そうではないでしょうか。だから私というのではなく、我というのです。結婚は誰がやりますか? 夫婦が(我々)がやるのであって、私がやるのではありません。 皆さんの思春期というのは、宇宙の原則の特定な期間での設定であって、皆さんが設定できるものではありません。結婚するということは、男も女もその相手に自分のすべてを捧げるのです。自分の体をきれいに保って、女は男のために捧げるのです。清く保ってよく管理して出合うのです。今日のように自分勝利にデートをしたり、フリーセックスをしたりすることは、滅びゆく悪魔の考えです。 父母の愛を受けようとしたら、父母が愛するすべてを愛してから愛を受けることができます。それを知らなければなりません。自分の家や家庭であれば、自分たちの父母が愛しているすべてを愛し、主人である父母の愛を受けようとしている全部を愛してから、父母の愛を受けなければなりません。そうしないでそのまま受けようとすればどうなるのでしょうか。父母が大事に思っているものを愛する気持ちがあったら、それを自分勝手に扱かったりするでしょうか。ある品物が元はここにあったのに、あちらに置いてあったとすれば、それを元の所に父母の代わりに移しておかなければなりません。父母が愛するすべてを愛してから、父母の愛を受けることができるのです。 それではなぜ十七歳から十八歳という思春期があるのでしょうか? それは父母が愛するすべてのものを愛するための訓練の期間であることを知らなければなりません。自分の両親が祖父母を愛するので、私も祖父母を愛さなければなりません。分かりますか? 次に親戚を愛するので、私も親戚を愛さなければなりません。次に父母は、子供たちを愛するので兄弟姉妹を愛するのです。そのようにして愛をもたなければなりません。では神様の愛を受けようとするには、どうすれば良いでしょうか。それは同じことです。同じ原則です。ただ広さが異なるだけです。 ある国に行って、その国の王様が愛する土地と民を愛すれば、その王様の友となることができるのです。分かりますか? 皇后となったならば、王様が愛するごとくにその国の民を愛すれば、王様が喜ぶことによって、その愛を受けることができます。それは夫婦の生活でも同じです。 妻が喜ぶ者を愛してから妻を愛することによって、その妻は自分を愛していることを知るのであって、その妻の喜ぶ者は何一つ愛さないで妻だけを愛するというのは話になりません。統一教会のお嬢さんたちを見ると、前線にいる人たちはだめです。「事業をやっているビジネスマンと結婚すれば、良いものを着て平安に生活できる」という考え方は、この原則に合いません。(黒板をたたく) 何の話が分かりますか? では、“本当に為に生きる”という価値の観点から見た場合、最も価値ある生き方をしている人は誰でしょうか? 統一教会のお嬢さんたちは伝道師の婦人にしなければなりません。この頃祝福家庭で生まれた男の子をじっと見ていると、お金をもうけることを考えていますね。お金をもうけようとする人は皆、伝道師にしなければなりません。 先生は皆さんの世話にはなりません。皆さんの世話にはなりたくありません。皆さんが良く勉強をして、専問家になったとしてもそれを頼りにするレバレンド・ムーンではありません。先生はすべてを作っておきます。すべてを作っておきます。ですから先生の世話のなる人の方が多いです。皆さんの世話になろうとは思いません。むしろ先生が願うことに対して実践する人を訓練しようと思います。より楽に暮そうとする人は地獄の近くまで下りて行こうとする人であり、より難しく暮そうとする人は天国の近くまで昇って行く人です。皆さんはどちらを選びますか、女性たちはどちらですか? 金元弼先生の娘ヨンスク、どうですか? 先生が一見したらすぐに分かります。先生はある意味で不思議な人です。どんなに先生の近くにいても、神様から遠い者の名前は先生は忘れてしまいます。毎日のように呼んでいたとしても忘れてしまいます。そして顔を見ても知らない人のようで、はっきりと焦点が合いません。先生は昔怖い人でした。怖かったのです。そのような何か不思議なものであったからこそ、今日まで来れたのです。一生の間、迫害を受け、このように続けてくることがどれほど難かしいことだったでしょうか。それは米国の大統領よりも、この世の誰よりも困難な道です。何の話か分かりますか? アメリカの責任者たちは先生に、「そうしてはなりません」と言います。「ここはアメリカですから、今までのアメリカのやり方があります。ですから東洋的なやり方はうまくいきません」と言います。しかし不思議なことに、神様がこのような方法でアメリカにおいてうまくやっているのです。そのお蔭で私たちはここにいます。したがってどれほど苦しかったでしょうか。ドクター・ダーストはどう思いますか? なぜ顔を赤くしますか? 互いに北極と南極が出会うことは難しいことです。皆さんを一つにすることはどれほど難かしいことでしょうか。先生はそのような立場において仕事をしているのです。しかしこの原理原則があるから可能なのです。二人、三人が一体化して道を整えておいた所は神様が行っても引っ掛かりませんが、自分たちを立てて自分たちの法道を作くればすべてに引っ掛かります。皆さんは神様がおられることを知っているでしょう? (はい)。神様に属するものは何ですか? この万物であり自然です。その次に人間です。では神様はこの自然の中でどれを残して、どれを除くのでしょうか? すべてが必要なのです。人の中でも誰を除き誰を残すかといえば、すべての人が神様は必要なのです。 神様も自然を見るとき、私は春だけが好きで夏や秋や冬は嫌だと言うことはできません。神様は「私は四季が始きです」と答えます。ですから夏が嫌いでも、夏が好きになれるように学ばなければならないし、冬と秋が好きになれるように学ばなければなりません。雪が降れば、世界的に積った雪を見て、神様が喜ぶ時、私も喜ばなければなりません。そうならなければなりません。自然を見る時、そのような心をもたなければなりません。また雪や嵐の時、早くそれが終われば良いなと思うのですが、神様は何かを表わそうとしているのです。 自然を愛なければなりませんが、人間の中でも五色の人種がいます。神様は白人だけを好みますか? 神様が白人だけを好むなら、白人は白い服だけ着なければなりません。どうして青とか黒の服を身に付けるのですか? すべてが矛盾しています。部屋に入れば赤、黄、青で飾ってあるし、なぜ黒いピアノがあるのですか。なぜ黒板があるのですか。白人は白色だけを使えと言ったらどうなるでしょうか? 死んでしまうでしょう。私は白人が嫌です! (笑い) 白人は夜もなくさなければなりません。夜は暗いからです。それが白人の優越主義ですか。その主義は滅びる主義です。それはどのくらい続くと思いますか? 冬がいくら長いとしても三カ月しか続きません。 先生はアメリカに来て、「神様は色盲である。白人の優越性などというものはなくさなければならない。すべては平等であるべきである」と宣言致しました。そのために白人たちは先生を好みませんでした。実際に、何も先生は白人以外の少数民族のために応援しているのではありませんけれど、今や黒人や黄色人の少数者たちの方が先生を支持しています。だから白人の皆さん、青い目をし全髪の人たちも注意しなければなりません。なぜならば、神様の目には何らえこひいきすべき人種はいないのです。 人種戦争が起きたら、有色人が総動員して白人を攻撃するということを皆さんは知っていますか? そうなれば白人は滅されて、取り除かれてしまう時が来ます。常に白人が支配すると思ったら間違いです。神様はそう思いません。自由世界において世界を愛する者、人類を愛するものに対して、神様の哲学を考えるのであって、白人を中心として、この世を白人が勝手に支配していけるとは考えていません。 神様の愛は、自分より人類を愛さなければならないし、過去と現在と未来の人類を愛さなければならないので、先生は地獄に行っている霊界までも解放しようとするのです。人はまず、真理の道を行かなければなりません。(黒板に書かれる)生命の道を行かなければなりません。愛の道を行かなければなりません。この三つがいかに偉大であるとしても、為に生きる基盤なしでは、すべては従ってきません。このように生活する人が自然に主体になります。主体というのは生命の力が強くなければなりません。そうでなければ主体になることができません。また主体とは何かと言えば、愛を代表する主体でなければ相対を引っぱっていくことができません。中心となるためには真理が真でなければなりません。中心となるためには力がなければなりません。中心となるためには愛がなければなりません。 そして責任者というのは、発展させた永遠へと導いていかなければなりません。真なる者でなければならないし、真なる生命と真なる愛の関係を結ばなければ責任者になれません。皆さんもそう思いませんか? このようなことを教えるためにはまず一度、他人の為に生きるということを教えるのが良いのです。皆さん方がこのような生き方をする時に、皆さんはプラスとマイナスと連結することができます。すなわち皆さんは調和のある人間、円満な人間となることができます。そして皆さん方が巨大なプラスとなり、他のマイナスと一体化することができます。そしてより大きマイナスとも一体化するようになります。だから為に生きることなくしては、絶対に球形になることができないのです。球状になることができません。分かりますか? どこに行っても、どこに行ってもそうです。父母も為に生き、子供も為に生き、祖父母も為に生きるのです。そうすることなくしては連結することはできません。このようになれば自然に大きくなります。吸収し、吸収され、このようになります。先生は話も良くでき、いつも話すことが好きですか、子供たちの話も良く聞きます。十回聞いても、またそれ以上聞いても、「もっと話しなさい」と言います。その語る時が異なるのです。環境が違うからです。 だから今まで、「私たちの先生は母親よりも良いし、祖母よりも良い」と言うのです。先生を他の人と比較することができないのです。そのようにして成長していくのです。呼吸することによって、語ることによって成長するのです。何万回もやるこので生命が維持されるのです。一日一回だけ深呼吸をすればいいのではないか、と言っても何回もやります。食事も一回だけではなく毎回続けて食べています。だから皆さんは本当に真に共感する耳をもって人の話を聞かなければなりません。 先生が韓国の影島という所で一番最初の教会を創って、ソウルにいたら「教会の落成式も全部終わったから先生来てください。来てください」と言うので行きました。行ってみると食口たちが大勢来ていましたが、そこに八十歳を越えるおばあさんが一人混じっていました。そして他の者たちが待ってきたにもかかわらず、その年取った婦人に一晩中話をしてあげました。どうなったでしょうか? 他の人々はなぜと思ったのです。その時、先生は全体を代表してその一人の老婦人と話をしたのです。 普通の教会の牧師なら、大学の教師とかそのような人と話をするのですが、先生はそれとは異なります。昨日来たドクター・チャーベスは、何年も前から先生に「公式的に自分を招待してください」と言ってきていました。しかし先生は知らぬふりをしていたのです。それで昨日、夜中の十二時になっていたのですか、一度来たかったら来なさいと電話をしたら、「どうか連れて行ってください」と言ったので連れて来たのです。そのような人もいるために、統一教会の群は自分勝手に来れるのです。なぜそうなのですか。ドクター・チャー・チャーベスは自分勝手に王様にも会えるし、大統領にも会っていた人で、この世、天地を自分のもののように思っている人ですが、統一教会においては一番低い所にいるのです。 また財務長官をしていたアンダーソン氏も三、四年前から会ってほしいと言っていたのですが、まだ会っていません。知らぬふりをしているのです。ドクター・ダーストに頼んでも会えないから、ドクター・郭とか、ドクター・朴の所に行って頼んでもきても今だ成功しません。このようにすることは良いことですか、悪いことです? しかし、統一教会の海外の宣教師たちが来たら、昼食を食べさせ、洋服を買ってあげたりします。神様が御覧になる時、レバレンド・ムーンは良くやっていると言うか? (良くやっていると言います)。これは正に聖書が言っていることです。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイによる福音書第二三章十二節)ということです。これが聖書の教えです。だから真なる人が行くべき道はどうあるべきか分かりましたね。(はい)。すべての人は真理を願いますね。(はい)。生命というのは発展するものです。しかし愛がなければ統一できません。統一教会というのは愛に基いています。これを得なければ主体となることができないし、中心となることができません。真のある所は力が強いのです。強い力で愛は必ず一つとならなければなりません。 なぜ人々は主体になろうとするのでしょう。これを知らなければなりません。そこには真があり、生命力があり、愛の統一力があるからです。中心もそうなのです。このような原則を基盤として内在しているので、私たちは責任者になろうとし、主体になろうとするのです。これを全体に束ねることができ、これを全体に交流させる一つの道があるとしたら、それが為に生きる道であります。これを知らなければなりません。 小さな真理から大きな真理を求めていくのも為に生きる道であり、小さな生命から大きな愛から大きな愛にいくのも為に生きる道しかありません。小さな責任、小さな中心からより大きな中心、小さな主体から大きな主体へいくのも為に生きる道がなければ絶対にできません。皆さんがそれを実践してみれば分かることです。先生は人生を通してこのことを分析し、ずっと以前にこの結論に達しました。これは驚くべき真理です。 山登りに行くにも誰よりも先に行って、他の人か皆先に座っても、先生は周りを一まわりしてから座るのです。他の人よりも一つを余分にします。お腹が空いた時、美味しい食べ物を他の人はより沢山食べようとするけれど、先生は十分食べたいと思っても他の人よりも先に箸を置きます。刑務所においても先先生はそれを実践しました。統一教会の責神者として、先生は夜も誰よりも遅く眠ります。皆さんの方が先に眠りたがっているでしょう。先生は二階に上がって何かやっています。お母様が可哀そうですね。先に眠らなければならないし、先生がいない時に起きなければならないからです。しかし不平を言うことはできません。それを誇りにしなければなりません。自分の為に妻の為に不平を言ったら罰を受けます。だから先生は雨が降る日でも仕事をし、台風の日でも山に登ったりします。だから「台風の時なのに、山に登ってくるなんて気違いである」と人に言われたこともあります。それでも万物を祝福します。木や、森や、山や、鳥や、虫を祝福してあげます。何の話か分かりますか? 他の人は皆、渡れ切ってしまっても、私たちは行かなければならない。為に生きることとはどのようなことでしょうか? それはどれほど人生において余裕が必要なことでしょうか。疲れたとしてもその場においてもう一歩一歩踏み出すのです。 では皆さん、為に生きますか? そのようにしますか? そのように生きますか? (生きます)。するには一日でもしますか、生きるのは永遠です。やりますか? 生きますか? と尋ねられた時の答えは「生きます」です。 一つ話をしましょう。美しい女に醜い男を得ることが、この女にとってはより為になる道ではないでしょうか、どうですか? それが最も為になる道です。そのような醜い男性を宇宙の男性の代表として愛し尽くすなら、神はその夫婦を祝福し、その子孫から世界を指導する人が現れます。先生一人が生まれてくるまでに、先生の先祖たちの中で、最も醜い女性を誰よりも愛した人がいたかも知れないし、醜い男性を愛したという最も美人の先祖があったに違いありません。だからその家系の中の先祖たちの功績の報いとして先生が生まれたのです。先生は地上に現れた人間の中で最もユニークな、最も尋常でない人間であると思っています。 一つの例として、祝福の時、珍輝男の母親は教会に入って何カ月だったでしょうか、新しく入教したばかりだったのです。三年以上にならなければ祝福は受けられないのです。ところが、かつては原理は毎日教えていた講師の洪氏を突然呼んできて、あなたたちは私の話を聞いて結婚すれば良いことがあるだろう。どうしますか?」と言ったのです。彼は私の妻となる女性は三年以上の経歴のある立派な人をと思っていたのですが、先生の言葉に従ったのです。その結果、子供の一人は先生の娘の夫に、もう一人は先生の息子の妻となりました。先生の先生の予言は当たったでしょうか? (当りました)。これは想像することもできなかったことです。 先生は何家庭かの男性を見て、「あなたの子供はこのような子供を生むだろうから信じてやりなさい」と言いましたが、間違いなく先生の言う通りになりました。今や二人はどうなったかといえば、先生に感謝しています。自分たちの基準で、自分の良い妻とか夫はこうであるべきだというが、それはあなたたちの基準なのであって、どこに保証がありますか? もし先生の言う通りにやったらその子供たちがアメリカの大統領となり、世界の生かす大統領が出てくるようになるはずなのに、それを破壊してしまった時には、霊界が何と言うでしょうか、どれほど後悔するでしょうか、何の話か分かりますか。誰の為に結婚しますか? 女性たちは誰の為にしますか? 夫の為にします。女性が夫のためにすることは自分のためにすることです。そのためにするのです。夫はなぜ結婚するのですか? 妻のためにするのです。私が結婚しなかったら、その妻が滅びるので結婚するのです。私が結婚しなかったら夫が滅びるからです。だから今までは間違っていたのです。反対に考えていたのです。これから夫のために結婚し、妻のために結婚するのです。なぜ愛するのですか? 夫と後孫のために愛するのです。そのように愛することによってこそ、良い後孫が生まれます。夫のため、後孫のために愛するのが妻の愛であり、妻を愛し、後孫のために愛するのが夫の愛でなければなりません。 私が愛されるために結婚をすると言うのは間違いです。愛は授け受ける為にあるのです。女性たちはいつも愛そうとしないで、愛を受けようとするのです。分かりますか、何の話か。 女性の胸、乳房は自分の為ではなく、男性の為です。自分の為大きなお尻をしているのですか? 女性は容れ物のようなものです。受け皿のようなものです。自分の為にできたものは何一つとしてないのです。自分の物ではないのです。自分は両親のものでしょう。なぜ両親が生んでくれたかと言えば、愛で連結されているからです。愛を授け受けることによって、子女が生まれてくるのです。はっきり分かりましたね? 愛を受けようとして結婚するのではなく、愛そうとして結婚するのです。それを訓練するために父母を愛し、いたずらな弟や、意地悪な兄がいて、意地悪やいたずらをされながら、教育を受け学んでいくのです。男性というのは女性がもっていない性がもっていない性格をもっています。だからそれが魅惑的であるということになります。それで自分の家庭で訓練をするのです。両親から叱りを受け、兄弟たちに意地悪をされ、殴られながらでも愛そうとするのは、後で夫に侍るための訓練なのです。 朝早く起きて、何でもやらなければならないのです掃除もしなければなりません。意地悪な弟がいれば、“ああ! 私が意地悪な夫に出会っても捨てられないために神様が意地悪な弟を与えてくださったのである”と思って消化しなさい。そう思えばどれほど楽でしょうか。自分の部屋に入ってきて、引き出しの物をみんな取り出して混ぜられることも、これからそのような夫に出会った時に乗り起えるための訓練なのです。 女性はよく物を包んでおきます。先生もそうでしたよ姉が何人かいましたけれどその包みを全部ほどいてみなければ気がすまなかったのです。(笑) それはみんな訓練ですよ。夫が妻のヘソクリなど隠していたものを開けてしまっても、文句を言ってはいけません。それは夫の権利です。(笑い) アメリカでは夫が妻に乞い願うことがあります。「私はこれぐらいお金が必要だからどうかください」と。男性がそうあってはなりません。百ドルでも必要な時は一度に使ってしまいます。しかしいつでもそうであってはなりません。全部を妻に与えることもあります。それが男性の世界と備性の世界と異なる所です。 家庭は結婚をして立派な妻と夫を作り出すための訓練場であるので、両親は厳格でなければなりません。為に生きる女、為に生きる男でなければ結婚をするな! 何の話か分かりますか? (はい)。 孝進! これからは為に生きる女、為に生きる男を作らなければなりません。あなたも祝福を受ける前まで、どれほど飛び出したかったことか、知っていますよ。もし化粧する道具が障害になるなら、夜中に全部トイレに流しなさい。(笑い) そうすれば心が安らかになります。なぜ笑いますか? 今は修練途中だからそうしなければなりません。だから男性がするような運動もやらせたりしています。そのようにして男性らしい男性をつくるのです。そのような国民を沢山もっている国家は興え、その家庭は興えます。もしそのようにならないとしたら、先生は嘘つきで詐欺師です。万物復帰をしなさい。人類を愛する為に伝道をしなさい。このようなことを犠牲的にやりなさい。そのようにして十年二十年過ぎると、座っていて相手の欠点と長所を見ぬき、どうすれば良いかがすっかり分かります。 先生は自分で行います。外国に来て反対を受けながらも……。みなさん先生の思想に染まりましたか、どうですか? 男性たち答えてみてください。(はい)。 皆さんが外に出て歩いたとしても、統一教会の原理と学んだものを抜き去ることはできません。なぜかと言うと、統一教会の原理と学んだ基準と生活方式に染まっているのです。統一教会がそのように厳しかったので、単時間のうちに世界的に発展したのです。六カ月の内にすべての世論をひっくり返しました。どうですか、そうしましたか? (ひっくり返しました)。これまでは機関銃のような非難や迫害の嵐がありましたが、完全に変わりました。そこで早く成長し発展していくためには、徹底的に素早く行動しなければなりません。先生が黒板に書いたことは間違いないでしょう? (真理です)。 皆さんは主体となり中心となりたいでしょう。そのためにはどのようにしたらいいですか? (為に生きることです)。百人いて百点ですかここで更に為に生きる人がいて、百点をとなるとその人が全体となり中心となります。そのために他より一つだけ余分にするのです。すなわち普通の人が十やるところを十一やるのです。統一教会に千名いるとして、その千名が皆同じようにやっているのに一つだけ余分にやる人は千名の中心となり主体となるのです。簡単ですよ。先生もその原則の道を今歩んでいるのです。お母様はただ従っていればいいのです。先生はお母様の指導者です。 アメリカの大統領はアメリカの為にやっていますが、先生はそれ以上に一つ多くします。今のすべての指導者たちは、反共においてレバレンド・ムーンに劣っています。先生は共産主義問題において、理論おにおいていかなる指導者よりも優れているのです。宗教、真理、哲学、すべてにおいて。二千年の伝統あるキリスト教よりもレバレンド・ムーンが優れているのです。再臨主はこのようにして来られるのです。なぜかと言えば、それは今まで語ったような理由からです。 皆さんになぜかと言えば私は知りませんと言いますね。一番最後に必ず決定が下ります。アメリカの全宗教界が今度レバレンド・ムーンのことで完全に一つになりました。私は栄光を望みません。一つとなることを願っています。 ムーニーは彼らから好かれますね。なぜですか? 十年為に生き、十一年、十二年、十三年、一生の間為に生きる時主体となるのです。これは原理、理論から見てそうなのです。盲目的ではないのです。先生はどのように発展するか、どのように全盛していくかを知っています。この道においてのみ繁栄し、発展し、すべてが盛んになるのです。東西南北四方へ自由に行くことができ、この周辺を自由に上がったりできるそのような公式を求めるならば、それは“為に生きる”という公式の他にないのです。分かりますか? (はい)。 人間は何の為に生まれたのか? 答えは簡単なことです。生きている宇宙の原則に歩調を合わせる為に、男は女の為に、女は男の為に家庭家庭において父母は子女のために、家庭は氏族の為に、氏族は家庭の為に、国は国民のために、国民は国のために、神様は宇宙の為に、宇宙は神様の為に存在するのです。それがすべてです。そこには何の不平もありません。それが完全な円となります。では中心をつくるのに(黒板の図を差す) この中心にすべての力が交叉する時、中心が「私を大事にしなさい」と言う時、交流できますか? 「私を大事にしなさい」と言う中心についていくことができますか? 大変なことになります。中心は為にやらなければなりません。為にやることは何んであるかといえば、どんどん分けて与えるので、分け与える環境が低気圧のようになって、どんどん水が入ってくるし、空気がどんどん水が入ってくるし、空気がどんどん補給されるのです。決して真空にはなりません。与えれば与えるほど、また更に補って、自分の方にも与えられるというのが原理原則です。ちょうど高気圧が低気圧に、風が流れれば流れてしまった後、そこが真空になってしまうのではなくて、必ずまた低い方から空気がやってきます。そのようなものです。決して真空になるのではありません。ですから与えれば与えるほど、自分の方にも与えられるというような原理原則になっているのです。それが自然の原理原則なのです。分かりますか? だからそのことを知ったレバレンド・ムーンは世界の統一ということを旗印としてこと運動を始めたのです。分かりますか? これをはっきり知らなければなりません。(はい) 皆さんはなぜ生きているのでしょうか? それは他人のために生きているのです。何のために生き伸びれたか。それは他人のために生きたからです。そのような運命の中にいるということを知らなければなません。若い人たち、先生の言うことが完全に分かりましたか? (はい)皆さん方は親に対して感謝し、そしてまたその感謝に基づいた生活をしなければなりません。親に感謝し、夫に感謝し、妻に感謝し、子供に感謝しなければなりません。なぜならば、そのような生活をすることのできる道を与えられたのですから、不平を言ってはなりません。 先生が監獄に行く日も近づいてきました。先生がいる時よりもっと熱心に活動するならば、統一教会は滅びません。分かりましたか? 父と母が亡くなったと言って心配するな! 父と母が愛していたすべての遺物を私が両親以上に愛し努力すれば、その家は滅びないで発展します。だからあなたたちが先生がいる時以上に統一教会の責任を背負い、統一教会がこれまで以上に為に生きようとして努力すれば、絶対に滅びないでより発展するのです。 統一教会の信者の中で誰が責任者でしょうか? 為に生きる人が責任者です。三人、十人の中でお互に誰が優れているかと言うことよりも、お互いがより犠牲になろうとする人が責任者です。カイン、アベルにおいて、最も為に生きる人がアベルです。よく分かりましたか。若い人たち分かりますか? (はい)。その他の人たちはどうですか? (はい)。今まではそのように生きてきたけれど、これからは一心で先生に教わったこの道にいかなければならないと決心すべきですか、どうですか? (はい、決心すべきです)。どうして「はい」ですか? それは真なる生活こそ繁栄をもたらすからです。 祝福家庭の子女たちでそうすると言う人は手を挙げて誓ってみてください。ヨンスク、あなたは学校をやめなさいと言えば止められますか? (はい、やめます)。では他の人たちも先生の話を聞きましたので、これからも決して失望を与えることなく完全な段階に至るまで生の指示に従い、生き方に従いますと誓う人は「はい」と誓ってください。(はい先生、はい先生)。 神様の祝福がありますように……。ありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.27
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【関連記事】「米国における文師裁判とダンベリー収監--過去記事整理 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」上院司法委員会憲法小委員会主催 「宗教の自由が世界存続の鍵」 文鮮明師の声明1984年6月26日アメリカ合衆国議会上院公聴会室にて アメリカ議会上院での宗教の自由をめぐる公聴会に招待を受け、心からの感謝の意を表明します。また同時にハッチ委員長に対し、私の最高裁上告を支持していただいたことにつきましても、心からの感謝を表明したいと思います。アメリカ憲法に定められた個人の権利を守るという委員長の高貴な行為は、数知れないアメリカ国民から、今後も永く称賛を受けることになると思います。 私の裁判について最高裁が上告を棄却して以来、宗教界の中から極めて強い抗議が示されています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など千人を超す聖職者たちが、宗教の自由の名のもとで私と共に一週間入獄するとの決意を表明しています。それは私を深く感動させました。私はそうした宗教の自由のチャンピオンたちに改めて感謝するとともに、このような証言の機会を極めて歴史的なことと感じています。私は単にアメリカ議会に向けて話しているのではなく、神の前で、歴史に向けて話しているのです。 アメリカと宗教の自由 神はアメリカを愛しています。アメリカの偉大さは、その豊かな資源によるものではなく、非常な繁栄によるものでもありません。その偉大さは、アメリカの建国精神によるものです。それは「すべての人に自由と正義を保証した神のもとにある国家」の精神なのです。しかし、神の意思は単に神のもとにある一国家ではなく、神のもとにある一つの世界です。白人、黒人、黄色人種も、すべて兄弟姉妹であり、一つの家族であり、我々はすべて神の子供なのです。我々が神を父と見るとき、この理想が現実となります。 しかし、神は宗教の自由がなければ、その理想を成就することができません。ピルグリム・ファーザーズ(清教徒たち)は、宗教の自由がなければ全く自由がないことと同じと考えていました。彼らは礼拝の自由を確保するために命懸けで闘ったのです。 今日、礼拝の自由は危機に瀕しています。今日のアメリカでは無神論と宗教的不寛容という闇の霊が見受けられるようになりました。そして今、我々を難民として受け入れる別の“新世界”はないのです。我々はアメリカに宗教の自由を回復する以外に、行くべき道がありません。もしそうしなければ、アメリカは滅び世界も滅ぶことになるでしょう。 アメリカでの私の使命 一九七一年、神は私をアメリカに呼ばれ、キリスト教の復興と建国精神の回復のために、運動を起こすよう求められました。神は私を医者や消防士の役割を果たすためアメリカに呼ばれました。劇的な精神的覚醒を求められたのです。全世界が生き残れるかどうかは、アメリカがその責任を全うするかどうかにかけられています。アメリカは自由の最後の砦です。 この十二年間、私は身も心もすべて捧げてアメリカのために尽くしてきました。こうした使命を完遂する過程で、私は各方面で論議の対象となり、一部の人々から快く思われない人物となりました。そして、迫害されるようになったのです。しかし、私は決して迫害を受けた最初の宗教指導者ではありません。多くのユダヤ教、キリスト教会の指導者たちも、迫害の道を通ってきています。今日、私も同じ伝統に従うことを名誉と感じています。 私は、神の希望は世界の自由であると信じています。そして今日、その自由の最大の脅威は独裁主義であり、中でも共産主義です。これは組織的に宗教の自由に反対します。共産主義は、これまで一億五千万以上の人々を殺害しています。その多くは宗教人でした。私も共産主義者の収容所で、ほとんど死の寸前までいきました。今日の世界で、共産主義は非人間性の最たるものです。 この十年間、自由が後退しています。一九七五年、自由は東南アジアから後退しました。数百万の人々が消されてしまったのです。アフリカやラテンアメリカの各国が、次々に共産化されています。これまでに十五億人が、共産主義の暴虐の虜となっています。そして現在では、アメリカの裏庭である中央アメリカが戦闘の前線になっているのです。私は、自由の敵はその最終目標であるアメリカを征服しない限り、進軍をやめないと思います。 私はレーガン氏を支持しましたが、それは彼が大統領として共産主義の拡張を停止させ、アメリカを神と建国精神に立ち戻らせることを期待したからでした。しかし、宗教界から強い支持を受けて当選したレーガン氏のもとで、アメリカがこれまでにないほど教会活動への介入を行っているのは残念です。実際、宗教の自由は壊滅的な打撃を受けています。 アメリカでの十二年間 この十二年間、私はアメリカのために、なし得るすべてのことを果たしてきました。私が抱き続けてきたただ一つの目的は、アメリカの道徳心を強化し、神の意思を果たす能力を拡大することでした。 国際宗教財団(IRF)や新超教派研究協会(New ERA)、あるいは神観会議(GC)などを通して、私は宗教各派の神学者たちを招き、神と各宗教のより良い理解を果たそうとしてきました。また、私は神の意思を学術界にもたらすために働いてきました。国際文化財団(ICF)は科学と絶対的価値について年次会議を主催し、学者たちは世界平和教授アカデミー(PWPA)、パラゴン・ハウス出版、ワシントン研究所などに集まっています。 文化表現の分野では、神への崇敬のテーマを強化しようと努力しました。例えば、映画「仁川」の中で、神と人間性に献身した偉大なアメリカ人、マッカーサー元帥の歴史的重要性を描こうとしたのです。アメリカの青少年にとって、彼のような英雄はかけがえのない人物です。また宗教的理想は、人間性への奉仕として表現されなければなりません。ですから、私は教会と社会活動のための全国協議会(NCCSA)を推進し、さらに国際救援友好財団(IRFF)やボランティア事業を進めてきました。 世界の人々を独裁主義から解放するため、私は国際勝共連合(IFVOC)を設立し、さらに大学に原理研究会(CARP)をつくりました。またカウサ・インターナショナルを設立したのです。そして、マスメディアの責任基準を設定するため、私は世界メディア協会(WMA)を設立し、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社をつくりました。同社はいくつかの日刊紙を発行しており、その一つがワシントン・タイムズ紙です。同紙は首都におけるもう一つの見解を表現するため発刊されているもので、同紙だけで一億ドル(約二百三十億円)以上の出費となっています。 このようなプロジェクトは莫大な財源が必要とされ、同時に教会員の心からの犠牲と重労働によって支えられるものです。これまで数億ドルの資産がアメリカに注ぎ込まれてきましたが、それはひとえに、アメリカが世界の運命を決定するという理由からです。こうした献金は主として海外から送られています。統一運動においては、アメリカは資金源ではなくその受領者です。私は、もしアメリカが失われればすべてが失われるとの固い確信を抱いて行動してきました。神が信頼できる国は、アメリカをおいて他にありません。もし以上のような私の仕事の全体像を理解されれば、私が二万五千ドルの税金をアメリカ政府から逃れようとするためアメリカにやって来たなどといったことが、いったい信じられるでしょうか。 政府権力の乱用 今回の裁判は、最初から税金問題ではなかったのです。これは政府による宗教への内政干渉です。政府が統一教会を選んだのは、統一教会ならだれも助けにやって来ないだろうと考えたからです。しかし、それは誤算でした。アメリカ宗教界は、一人が脅迫されれば全員が脅迫されたと受け取り、全員が安全でなければだれ一人も安全ではないと見るのです。政府がその権力を乱用すれば、その影響は極めて重大です。イエス・キリストを十字架につけたのはローマ帝国であり、“魔女”を焼き殺し、カトリック教徒を迫害し、ユダヤ人を嫌い、黒人を長く奴隷にしていたのはアメリカです。モルモン教創始者のジョセフ・スミスを投獄し、暴徒に殺させたのもそうです。アメリカは、私を見つけ出し、その過程で国民の宗教の自由を侵害しています。我々はこうした動きを、ここで停止させなければなりません。もしそうしなければ、次はだれの番になるでしょうか。 神の摂理から見ると、この法廷闘争はアメリカの宗教の自由の立て直しの機会となっています。私が有罪となったのは、宗教上の信念と活動による以外の何ものでもありません。私は、(文鮮明という)私であるがゆえに罰せられるのです。これはアメリカの良心にショックを与え、覚醒させることになりました。多くの宗教指導者および信者たちが怒りで立ち上がっています。彼らは抗議の意を表明しています。最も重要なことは、彼らが団結していることです。団結は、アメリカの生存を保証するものです。 最大の対決 今日の世界で最大の対決は、アメリカ対ソ連ではなく、また資本主義対社会主義、あるいは民主主義対共産主義でもありません。最大の対決は、神への信仰対神の否定です。無神論を基礎にする共産世界は、人類の夢の実現に失敗しています。一方、自由世界は物質的になって神を忘れ、世界の深刻な危機に直面し無力です。世界は混乱によって混沌としています。ここに神を中心とした新しい世界観が現れなければなりません。私はその世界観を、神の愛の心情を基盤にして教えています。それを「Goddism」(神主義)と呼んでいます。これが世界の新しい解決方法となることを、私は宣言します。 神主義は、すべての宗教家および良心家を一つにします。この世界観は、敵国同士にも統一をもたらすでしょう。これは人間精神の真の自由をもたらすものであり、この理想は地上天国実現に向けて我々を導くものです。また、この世界観は高次元の思想体系であり、多くの人々を個人的神体験に導いています。こうした効果は絶大なものがあり、一部から“洗脳”などと非難されるほどです。これがメディアなどから誤解されてきた理由です。私を敵の頭目と見る共産主義者たちは、こうした誤解を利用し、私を破壊しようと試みています。 こうした困難にもかかわらず、私は今日、こうしてアメリカの宗教の自由の保護のために働けることを名誉に思います。もし、私がアメリカ国民に対し、迫りくる危機を警告するビーコン(信号)の役目を果たせるなら、私の犠牲は大きな目的にかなったものとなるでしょう。 今日の問題は、アメリカと自由世界が生き残れるかどうかという問題です。そのために私は喜んで侮辱を受け、どこへでも出かけ、いかなる労働もいとわず、いかなる十字架をも耐え忍んでいるのです。そしてもしアメリカと世界が生き残り、神の意思を行える保証があるならば、私は喜んで私の生命を捧げる意志があります。 アメリカに祝福あれ 今日、私はいかなる人にも憎悪を抱いてはいません。イエス・キリストは十字架につける人々を許し、十字架上で祈った伝統を示しています。私もその伝統を支持し、ずっと以前に私を非難する人々を許しています。私はアメリカ政府に対し、何の敵意も抱いていません。私はアメリカのために祈っています。そして人類史上最も深刻なこの時代に、神が私を使い、宗教の自由の闘いとアメリカの精神的覚醒を促していることを神に感謝しています。 ハッチ委員長、再びこのような機会を感謝し、次の言葉で締めくくりたいと思います。 アメリカに神の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.25
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「万物の日」1984年5月31日ワールド・ミッションセンターにて 小宇宙としての人間 統一教会では、父母の日、子女の日、万物の日、神の日など四大名節を記念して祝っています。その他にどのような日がありますか? 御聖誕記念日、天勝日、愛勝日、愛天日などが統一教会においては忘れてはならない記念日なのです。 きょうは何の日ですか?(「万物の日です。」)そういう言葉は少しおかしいと思いませんか? 本来、堕落がなかったなら、父母の日だけですべてが終わるはずでした。皆さんが原理で学んで知っている通り、アダム・エバが結婚式を行う日、原理結果主管圏と直接主管圏が完全に連結され、完成を見るようになっていました。そのような日が完成されていたとしたら、愛天日とか、愛勝日とか、天勝日とか、万物の日とか、子女の日とかは、一度に完成するようになっていたのです。 堕落した歴史世界にも父母はいました。しかし、その父母はいかなる父母であったか? 神と切り離された堕落した父母でした。子女の日もありますね。皆さんの子供たちの誕生日がそうです。万物自体も私たちが生まれる前からあったのです。万物が万物自体として権利をもったそのような万物の日がありました。そのすべての存在が、本来の主人である創造主、神様との関係を結んで、その愛による主管を受けていたとしたら、このような加重された蕩減復帰という現状世界、悪の世界は存在しえなかったのです。 ところで、なぜ神様が天と地を創造されたのでしょうか? これが問題です。これは哲学においても問題視され、多くの宗教においても、数多くの人々が考えてきました。 この宇宙とか人間をじっと見ていると、それらの主人は一体誰なのかを考えるのです。皆さんが天文界を見るとき、たとえば銀河系のように一千億もの星が入っている膨大な宇宙がひとりでに生まれてきたというならば、それほど気違いじみた話はないのです。地球のような星が一千億箇入っているというのは想像することすらできません。しかも、それは静止してはいないで運動していますから、お互いにぶつかり合って、すべてが目茶苦茶になってしまうはずなのに、それがひとりでに生まれてきたというなら、なぜ交通事故が起らないのでしょう。 人間の体は細胞だけでも数百兆の細胞からなっていると言われています。今、その細胞の一つを太陽系の大きさに拡大させて、その原子、分子間の距離を太陽系と比例的な距離にして、人間一人を数百兆の細胞に分ければどうなるかを考えてみなさい。一人が動くということは、どれほど荘厳なことでしょうか。(笑い)人間を構成する細胞の原子、分子の間の距離関係は太陽と地球ほども離れているので、ぎっしり詰っているように見える人体も実は空っぽのようになります。 男女が一体化する中心点 そう考えてみると、私の中心はどこになりますか? 一体中心があるのかどうか、そして私の主人は誰で、どこにいるのか、これが問題です。皆さん一人一人がこのように膨大な存在なのです。男と女を二人合わせるとそれは更に大変なものです。 男一人で二人の役割をすればいいのに、女がなぜ創造されたのですか? 一人の人間の右手は男子で左手は女子というように、一つの体に共存していたならば、どれほど平和で、喧嘩もなく、良かったことでしょう。いくら嫌がったとしても、喧嘩をして二度と見たくなくても自然に和合するのです。何かを食べる時でも、西洋においては右手はナイフ、左手はフォークを持たなければなりませんね。(笑い) このように思うとき、主人は誰で、私の中心はどこかというのが一番の問題なのです。それを一度考えてみましょう。人間の中心はどこですか?(「神様です。」)神様を除いては? 話はまだ神様にまで至っていません。男子の中心がどこで、女子の中心はどこですか? 頭、胴体、体の中でどこでしょうか?(様々な答え)「頭」と言う人もいますが、頭だけあれば人間になりますか? 肉身を中心として見れば頭が中心と言えますが、人間は肉身の他に霊があります。その霊の中心はどこなのですか?(「マインド、ハート…」)そのハートはどこにありますか? 東洋の人たちは「精神は胸にある」と言います。良心と言えば頭にあるのではなく、胸にあると考えるのです。なぜかと言えば、心臓は生命活動の源泉ですから、すべての生命の源である心臓に近い胸にあると考えるのです。 では、心と体、つまり精神と肉身がどこを中心として一つになるのでしょう。頭のてっぺんから足の先まで何百兆もの細胞がありますが、それらをつなぎ合わせ、調和させるものがあるはずです。完全に一つになることのできるその中心は何ですか? これが一番の問題です。それは男子において重要な所であり、女子において重要な所です。それがどこですか? では、男子と女子が異なるものは何ですか?(先生が黒板に凸凹の図を書かれる。ざわめきと笑い)自然にお話をするのに、それをおかしく思う人は堕落した人なのです。私たちの霊と肉が百パーセント通ずることのできるその中心が男子の重要な部分であり、女子の重要な所なのです。これは俗ぽい話ではありません。そのために人間は思春期という一時期があって、肉的にも成熟し、霊的にも成熟して、愛という道を求めていく時、この体と霊と良心、すべてが百パーセント満たされるのです。 男性と女性は、陽性と陰性が完全に一体化できるように神は男女をこのように造られたのです。男女の愛はすべての事情を乗り越えてその一致点を求めます。愛はすべてを貫き通し、愛が貫き通せないものは何もありません。東洋では男性は実であり、女性は器で、男性は神(天)を象徴し、女性は地を象徴し、男女の合一によって天と地が一体化すると言われています。また男女は、前後、左右、上下関係を表わします。 低いものは高い所を願い、高いものは低い所を願います。それぞれが高くなることも、また低くなることも難しいことです。それで、この二つが合一して水平線を願うのです。それには中心が必要です。人もそうなっています。男も女もそのように二つの相対部分をつけているようになっているのです。あなたたちは高い所ばかり好きですか? 低い所は嫌いですか? 水平が必要ではないですか? 人間は高いピークと低い点の調和点を求めるのです。海に行くと、水平線が二つの世界を分けています。水平線を中心にして下に魚が住んでおり、上に動物が棲息しているのです。動物は空気を呼吸し、魚は水中で生活しています。潮の満ち干も、月の満ち欠けに従って、満ち潮の時と引き潮の時があり、月も一月一回満月になり、女性の生理もそのようになっています。これは自然の理です。遊園地でも上がったり、下ったり回転したりするジェットコースターのようなものを好みます。それは宇宙がそのように動いているのに、自分だけがじっとしていてはつまらないので、宇宙に歩調を合わせるからです。 男性が男性と踊り回っているより、男性と女性との方が自然です。なぜそうなのですか? それは簡単です。神により宇宙がそう造られているからです。それが宇宙の法則であり、すべてが宇宙の動きに動じ静ずることを願うようになっているのです。二人の男性が横になって、二人で話しているのを見ると、人はささやいていると言うよりは喧嘩していると思うでしょう。しかし、男性と女性が話し合っているのは美しく見えます。 現代における同性愛は非常に不自然です。それがなぜ悪いのですか? 宇宙や自然がそうなっていないからです。宇宙にはプラスとマイナスの調和によって成り立つという一定の法則があります。プラスとプラスが引き合うということは決してありません。プラスはマイナスとのみ引き合うようにできているのです。神が陽子に他の陽子と一体化せよと言ったとしてもそれはできない相談です。プラスとプラスが引き合っても相互の利益にはなりません。 力では一つになれない 皆さんはきょうなぜ、ワールド・ミッション・センターに来ましたか? こんなに忙しいのに、あなたたちは損をするために来たのですか、利益を得るために来たのですか?(「利益を得るためです。」)きょうここに来て、もし先生の叱りを受けて帰るならば、「損をしたな、来なくてもよかったのに」と思うでしょう。あなたたち一面においては商売人の心情をもって来ているのでしょう?(「いいえ」。) あなたがたはなぜ食物を食べますか?(「うれしいから!」と一人が答え、皆笑い)ではあなたたちが「うれしい」と言う時、食べられる側のお米とか、魚とか、野菜が共に「うれしい」と言いますか? あなたたちがうれしくても、その食物はうれしいでしょうか? ここに歴史的な問題があります。これを知らなかったら上下関係の調和とか、強者と弱者の調和を見い出す道がないのです。言わば弁証法的根拠がここにあります。ヘーゲルのような人はここに歴史的な上下闘争概念があると見ているのです。 これが解決できなければ、上下関係の構造をもったいかなる組織体も、そこに平和とか理想を見い出すことはできません。強者は弱者を無視し食いつぶそうとするのです。虐待し、勝手に扱ってしまいます。力ですべて治めようとするのです。 では、力にはどのような力がありますか? これが問題です。力について話してみましょう。今の社会では何が力になりますか? 真実の力、知識の力、財力、権威の力。権力をもって治めるのですか? それがどれほど続きますか? または知識をもってですか? ここにおられる博士の皆様、自分が専門分野の単語を一つ余分に知っているからと言って、「自分が他の人より優れている」というのはとんでもないことです。その単語一つがどれほど貴いものでしょうか? 人は自分の方がお金を持っているし、良い服を着ていると言って、あるいはダイヤモンドがどうだとか、イヤリングがどうだ、ネクタイがどうだとか言って誇りとしているのです。 現代の人々の中で権力に売られていく人がどれほど多いことでしょうか。あなた方は大統領になりたいでしょう?(「もちろんです。」、様々な答え)世界的な大学者になりたいでしょう? ヒットラーのように力による世界の独裁支配ができたらどれほど素晴らしいことでしょう。(「いいえ、素晴らしくありません。」)アメリカ社会は、今は資本主義体制下なのでお金があれば、それがすべてだというような考え方なのです。 それで、男性も女性もこの問題に引っかかっているのです。男は権力を好むし、女はお金を好むとしたら、その二人は一つになることができますか?(「いいえ。」)また、女には知識があり、男にはお金があると言った場合、一つになることができますか?(「いいえ。」) ですから、権力がある人と、お金がある人とは本当に一つになることができません。お金がある人と、知識のある人とは、お互いに利用しようとしても一つになることができません。そのように考えてみるとき、お金を誇り、権力を誇り、知識を誇りとする特権的な権威意識を主張する世界では、家庭的平和の基地はないのです。そうしたもので一つになったとしても、それはあくまでも外的な一致にすぎず、根本的基地に到達することはできないのです。対外的な、私が必要とする力の条件が問題ではなく、対内的な、男性・女性が本質的に一つとなりうる内容が何であるかということの方がもっと重要なのです。 主体・対象の法則 では、心と体がどこで一つにならなければならないのでしょうか? 秩序に従って精神的な霊的基準が主体になり、体が相対となって二つが一つとなった基盤の上に、男性と女性が一つとなることのできる道を探さなければなりません。二人が一つになることによって、対象も主体になり、主体も対象になることができ、相互に益をもたらすようになります。 それで、一つとなった男性と女性は素晴らしいのです。二人が目を上げてみると、目から雷が出るのです。耳も、女性の声だけでなく男性の声が一緒になって、素晴らしい和音として聞こえるのです。動物を見ても雄はどれほど美しいでしょう。だから雌が付いていくのです。(笑い)比較してみると、自分ひとりでいるよりは、その方がもっと似合うし、すべては良く見えます。相手に色々触れてみれば違っているけれども、それがいいのです。(笑い)男性は筋肉質ですが、女性はとても柔らかいです。皆さん、シャフトが回る場合にも、鉛のような物が心棒を包んでいるのです。うまく和合されていて調和があります。 男性でも女性でも、心が主体で体が対象となっています。心は常に主張し、心が決心するのであって、体が決心するのではありません。霊が主体で体が対象であるという秩序を正さなければなりません。決心は心でなされるのであって、心が勝つことによって、心と体が一つとなって和合することができるのです。 では、女性と男性とではどちらが主体ですか?(「男性です。」)なぜ男性が主体ですか? アメリカの女性たちは、そういう考え方は嫌いでしょう? 道を歩く時も、女性の後を男性が従って行くのがいいか、男性の後を女性が付いて行く方がいいか、どちらが理想的ですか?(「男の後を女が。」)男が一歩を踏み出せば、女は自然に付いて来るようになっています。男が止まったらいけないのです。男の方が歩幅が大きいから、自然に男が先になって女が付いて行くようになっているのです。(男たち歓声) 男が女に寄りかかっている姿がいいですか? 男は中心であり柱であるから、女が男に寄りかかった方がいいのです。男はいくら小さくとも、女に寄りかかって「愛しています」と言うのではなく、自分に女が寄りかかって「愛しています」と言った時、「ハッハッハッ」と言えるのです。それが自然の法則です。女性はあくまでも女性で、男性になることはできません。このようなことをアメリカの人々は知らないでいるのです。私たちムーニーのアメリカ女性たちはどうですか?(「違います。」)心の中では嫌で仕方がないけれど、レバレンド・ムーンが言うので口では仕方がなく「違う」と言っていますね。(笑い) 先ほども言いましたけれども、自分自体の中心は良心が主体で、体が相対なのです。ですから、人間は心が命ずるままに行動し、従わなければなりません。主体となろうとすれば、四方を治めなければならないので、寛容で、より関係する範囲が広くなければなりません。このように考えて体と心を比較するとき、どちらがより公的で幅広く、環境的範囲が広いでしょうか? 体と心とどちらが広いか? それは言うまでもなく心です。だから主体なのです。心が主体で体は対象ですから、体が従っていかなければなりません。わかりましたか? このようになっている心と体が一つとなって、成熟して、愛を中心として探し求めていかなければならないのが結婚なのです。 愛が留まる所 このような原理から見るとき、原理結果主管圏というものを造らざるをえません。人間には成長期間が必要であるから、このような言葉が成立するのです。それで成熟するまで待つのです。男性と女性が、それぞれ心と体が百パーセント作用することのできる種を植え、種を残すためには、全細胞がすべての根に連結することのできる時がなければなりません。それが愛というものです。 皆さん、文学というのはどこから始まりますか? 思春期を除いて文学が成り立ちますか? 児童文学というのは、男性だけでも女性だけでもできません。子供を中心として男性、女性を包含して書くようになっているのです。愛を中心として書くのです。そうでなかったら、文学は成立しないのです。 また、そこには詩も生まれます。女性が詩を作るとき、「自分の唇は朝顔のようであり、自分の目は鳩の目のようであり、私の鼻は美しい山の峰のようである」などと自分の顔について書いたりしますか? そうではなく、相手に対して“あなたは何々のようである”というように書くのです。 愛というのはどれほど素晴らしいものでしょうか? 真の愛をもった男女なら、砂漠にいたとしても、そこに黄金の宮殿に勝るものが出現するのです。黄金の宮殿の中で愛をささやくよりも、砂漠の中で二人が愛をささやく方が素晴らしいのです。たとえ、砂の嵐が吹いていたとしても、そこには花が咲き、素晴らしい香りがするのです。歌を歌い、そこにあるすべてを友として、歩調を合わせることのできる力が愛だけにあるのです。それは真理であり、実に素晴らしいことです。 女性たちは男性を絶対に必要としますか?(「はい。」)男性たちはどうですか? 男性たちは絶対に女性を必要としますか?(「はい。」)それは何のためですか?(「愛のためです。」) では男の愛の象徴が何で、女の愛の象徴は何ですか? それは愛を中心として、完全に心と体が一つになることのできる所です。男性は女性に必要なものを持っているし、女性は男性に必要なものをもっています。それは男性が持っていても、男性のためのものではないのです。女性がもっていても、女性のためのものではありません。それはお互いに異なる性のために存在しており、男女が愛を表現するために用いられるのです。 生まれるのも自分のために生まれたのではなく、相対のために生まれたのです。これをはっきり知らなければなりません。なぜ、レバレンド・ムーンはこうしたことを強調するのでしょうか? 人間は真実を忘却したため、真実を明らかにしなければ、真実の結果が出ないので、止むを得ずこのことを強調するのです。 では、女性を分析してみましょう。女性が顔を美しくするのは、自分が見て喜ぶためでしょうか? いいえ、それは夫のためです。女性たちは、なぜ、美しい色の服を好むのですか? 女性がそのようにきれいに着飾るのは、自分のためですか? 胸が豊かにふくらんでいるのもお尻が大きいのも、自分自身のためですか?(「いいえ。」)それは女性自身のためでなく、子供のためにあるのです。自分自身のためにできているものは何一つありません。目は人を見るためのものですし、耳は人の言葉を聞くためにあります。すべてがそうなのです。自分のためのものはなにもありません。生まれることからして、自分のために生まれたのではありません。 男性も同じです。肩幅が広いのは、自分の肩を素晴らしくみせるためと思うかもしれませんが、男性は働き、重い物を持ち上げるというように主に男性が仕事をするため、それで肩の力が強くなければならないからなのです。(拍手)面白い男よりも、素晴らしい男にならなければなりません。面白い男は女みたいで、ひそひそ行動します。素晴らしい男性は、大胆に行動します。あなたたちは面白い男性が好きですか、素晴らしい男性が好きですか? 時には打ち、時には涙をふいてあげることのできる男、それは素晴らしいことです。これがいやだという女性は、その深い愛の味を知りません。あの底の底の愛を知らないのです。 一つ聞いてみましょう。多様な愛が好きですか、単純な愛が好きですか? 女性たちどうですか? 多様であるから「好き、好き、好き」と言うのです。三六五日いつも晴れた日ばかりあればいいですか? 時には嵐が吹いたり、雷も鳴ったりする方が素晴らしいのです。そのように考える時、生活を共にしていく中には、戦争もあり喧嘩もありますが、それを愛で消化することができれば、すべてが素晴らしい要素となります。 宇宙力は何を求めているか 統一教会の女性たちは、男性が主体で女性は対象であることを知らなければなりません。そして、男性と女性が二人合わさって、新たなプラス、あるいは新たなマイナスとならなければなりません。男性と女性がこのようにして一つとなれば、さらに大きなプラスとなるのです。そうなれば、宇宙の神に対して、愛の関係を結ぶことのできる相対となることができます。それを知らなければなりません。主体と対象の関係が成立しないところには、愛は訪れてこないのです。 では、先ほども言った宇宙の中心、人間の中心は何かということです。人間の中心は何でなければならないでしょうか?(「愛です。」)愛の中でも、真実の愛でなければなりません。 それでは、この宇宙のすべての作用における中心は何でしょうか? もし、この宇宙が話をするとしたら、何を願うでしょうか?「ああ! 私は権力が欲しい、お金が必要である」とか、「知識が必要だ」などと言うでしょうか? 宇宙は何を求めているかと言えば、それは美しく調和した力なのです。その調和の力というのは、主体と対象の概念なのです。主体と対象が授受し、一体となり調和することによって、さらに大きな主体に連結され、一層大きな宇宙へと連結されていくのです。「宇宙よ! あなたを調和させる力は何の力ですか?」と聞けば、宇宙は「愛の力しかない」と答えるのです。愛です。他の何物でもありません。だから、調和の力それ自体も愛の力を願うという結論を出すことができるでしょう。 見える宇宙(有形世界)にとって何が必要かというと、それは見えない宇宙(無形世界)なのです。そうでなくては、宇宙が正常な活動をなし、軌道に従う、一つの統率された計画的な存在圏をもつことはできません。人は見えない精神が肉体を全部コントロールして、その管理体制のもとに存在性を継続しているように、宇宙もそのような見えない内的主体と一体となっているのです。これは自分を見てもわかることです。 それで、目に見えない宇宙的力の背後の内的精神的存在を指して、私たちは、“神”というのであります。そこから人間が出発したのです。私たちは目に見えない精神を受け、目に見える宇宙を受けて、その結実的存在として生まれたのです。それが人間です。神は人間を天と地のように、内外的存在として造り、これを愛でもって抱き、一つにしようと願われました。一つにするには、お金でも権力でもなく、知識でもありません。だから、この宇宙を愛のために造ったのであるという結論が出るのです。 真の愛が出発する基準 サタンはこれを知っていました。男性と女性の愛だけを奪えば、天と地のすべてがここに付いて来て、それが自分のものになると考えたのです。本来、私たちはその愛と一体となった立場において、神様の所有とならなければなりません。また、人間の所有となるにも、それは愛を中心とした基盤の上で決定されなければならないのに、それが成されていないのです。では本来の主人は誰でしょう? 主体なる神様と、相対なる人間なのです。 今日、世界の人々は世界を自分のものにしようとしています。自分のものとしてから何をするのかを解っていないのに、とにかく自分の世界にしようとするのです。神様に帰ることを知らないのです。自分自身が、宇宙的、世界的な愛を所有して、神様と愛を中心として結ばれる時、この宇宙と人間に対する神様の所有権が一度に決定されるようになっているのです。創造主なる神様は、今まで自分が造られた世界に対して、愛の理想を成就して、御自身の愛を中心として所有権を決定しようとされました。しかし、サタンにすべてを奪われてしまったので、これを再びもと返す道を探して来られたのが人類歴史の道であり、宗教の道だったのです。人類歴史の中で、メシヤが神の愛を中心とした、真の所有権をもってこの地上に来るという思想がメシヤ思想であり、真の父母の思想なのです。そこで問題となるのは、この世において真の愛をいかにして発見することができるかということです。何が真の愛ですか?(「神の愛です。」)では神の愛とは何ですか?(「不変なる愛です。」)言葉で言うことはできたとしても、それをどこで見い出すことができますか? 真の父母の愛とは何ですか?(「神の愛です。」)その基点はどこですか? 真の愛を見い出すことのできる一つの基点がなければそれを見つけ出す道がないのです。真の愛が出発する基準は何でしょうか? 神様は父で、アダム・エバは子女で、父子の関係になっています。それを知らなければなりません。つまり父母の愛と子女の愛が宇宙の根本なのです。 本然の理想的主体思想 では、堕落した世界において、子供が父母をより愛しますか? それとも、父母が子供をより愛しますか?(「父母です。」)父母の愛は永遠を中心としたものであり、不変で唯一のものであることを知らなければなりません。そうでなければ、子供たちが父母を好きであるはずがないのです。このことをしっかりと学んで、子供たちも父母に似なければならないのです。毎日のように変わる父母は、子供から蔑視されます。アメリカの家庭は毎日のように変わりますね。そうすると、神の愛、本然の愛とは一体何なのでしょう? 父母は子供のために死ぬことができ、生命を捧げることができます。自分の生命を越えて愛するのです。宇宙の根源は、まさに子供のために生命をも捧げようとする親の愛なのです。 本来、この宇宙は生命のために造られたのではなく、愛のために造られたのです。愛が先ですから、愛に符合することのできる生命であって、生命に符合する愛ではないのです。 真の愛は生命を犠牲にして愛することのできる愛であり、宇宙と通ずることのできる愛なのです。家庭において、子供のためにその生命を捧げることのできる父母であるときには、その父母は、この宇宙において二人とない真の父母であることがわかります。真の父母とは、子供のために自分の生命を犠牲にしてでも、愛の道を行こうとする人であることを知らなければなりません。私は若い時も、年をとっても、死ぬ時でもこの心は変わりません。永遠なのです。 では真の愛をもった真の神様とはどのような方でしょうか? 人類の先祖が神様であるならば、私たち子供のために自分の生命までも犠牲にしようとする方が真の神様なのです。 サタンとは何か? 自分のために愛の道をすべて破綻させる存在です。自分のために他を犠牲にするのです。ここにおいて二つの世界は完全に分かれます。愛を本質として宇宙が創造され、すべての生成物は愛の理想を中心として存在するようになっているのですから、その愛がどのようなものであるかということを、はっきり知らなければなりません。自分の存在を犠牲にしてでも愛の道を立てようとする、それが宇宙の本然の理想的主体思想なのです。 真なる家庭 では、真なる子供というのは何でしょうか? 変わることなく、父母のために自分の生命を捧げて、犠牲の道を自ら進んで行き、愛を自ら進んで行う、それが真なる子供なのです。 真なる夫婦も同様です。夫は妻のために、妻は夫のために生命を捧げることのできる夫婦は、永遠に神様の愛の圏内に留まることができます。またそれは、神様の所有物として抱かれ、保護される夫婦なのです。そこには堕落ということはありえないのです。言葉や説明の必要もありません。宇宙が何であるかを説明したり、神様が何かを言葉で教えたりするといった必要もないのです。夫と妻の間で、「私はあなたをもっと愛します」などという言葉は必要ありません。本心でわかるのが自然の理法なのです。説明がなくても、目を見てわかるし、鼻を見て、口を見てわかるし、触ってみて、皮膚で感じてわかるのです。眠っているときの寝息を聞くだけでもわかります。 皆さんの中で、鼾(いびき)をかく人をいやがる人がいるでしょう? それはいけません。夫を愛し、妻を愛するあまり、泥棒から私を守るために、寝ながらも声を出してくれているのだと、愛の心で聞けば、それがどれほど有難く、懐かしいことでしょうか? サイレンの音よりも立派なものです。(笑い)鼾をかく夫によって、妻たちが保護を受けた歴史的事実が多くあるだろうと、万事をそのように思うのです。 愛する妻の持ってきてくれた食事が、パンと安っぽいチーズ、バター一片しかなくても、それを持ってきてくれる妻の愛の心はどれほど尊いことでしょう。心のパンを食べると思わなくてはなりません。精誠と愛の心がこもっている、愛のエッセンスが入っている、それを食べるのです。そのように思って生活する男は生涯、健康で病気になることはないでしょう。愛にはすべてが屈服します。だから、病原菌からも保護されるようになっているのです。また貧しいと思って悲しんだり、みすぼらしい姿であると思って悲しまないで下さい。夫は自分のみすぼらしい姿を知らないわけではないのに、やむなくそのような姿をしていると知って、妻が心の中ですまないと思えば、そこにはさらに深い愛が美しい珠玉のように連なっているのです。ダイヤよりも、腕輪よりももっと貴重なものが連なっているのです。そこにはどれほど深く、素晴らしく装飾された、理想的な世界が造られているかを考えてごらんなさい。そういう真の愛の関係に満ちた真の家庭は、間違いなく、神様の愛の懐に深く直進していくことができるのです。 愛国者とは、自国の人々を自分の家族より一層愛した人のことです。私の一族が国のために犠牲になることができれば、それは愛国家庭であると言えます。このような家庭は、神の国の宮殿に入って、万民の前に栄光の冠を受けられる家庭となるのです。 家庭から国家へ、国家から世界へ、世界から宇宙へとより大きな世界と相対を成して、より大きなもののために犠牲になることによって、最後に神様に到達するまでいくのが、愛の哲学を中心とした人生行路なのです。先生はこのような愛を教え、実践しています。真の父母と一体化して、真の親の愛を実践することが、あなた方に今願われることです。それぞれが所属している国や世界に対して、真の親の愛を示すことが我々の使命なのです。これはどれほど素晴らしいことでしょう。 愛の伝統 今日のアメリカにおける法廷闘争の問題を中心としてみる時、レバレンド・ムーンはいかなる道を選ぶべきでしょうか? レバレンド・ムーンに属するすべての統一教会の信者たちは一つとなって、真なる愛の道をいかなければならないのです。この悪なる怨讐世界に対して、変わらない父母の心情をもち、彼らのために生命を捧げて、犠牲となる道を自ら進んでいくというのが、このような愛観から出る結論なのです。アメリカ政府が誤り、自由世界が誤ったとしても、その責任はすべて父母が負うという思想、これが神様の思想です。完全なる主体が立てば、そこに完全な相対が現れるようになるのが原理です。ゆえにキリスト教会という相対圏は自然に統合されるような現象が起きてくるのです。そうした事実を皆さんは昨日(五月三十日)のニュースを聞いて知っていると思います。 それで統一教会とキリスト教が完全に一つとなり、完全に主体となった時には、自由世界は自ずから対象として生み出されて来るようになるというのが、神様の宇宙原則に基づいた見方なのです。 二千年前、イエス様は十字架上で、敵のためにとりなしの祈りを捧げられました。今になって、あなた方はイエス様がなぜあのように祈られたかわかるでしょう。イエス様は真なる愛の父母の伝統を立てるべき立場にいたからです。 第二次大戦直後、キリスト教文化圏を中心として、全世界が統一されるチャンスがありました。その時に、神様の愛と一つとなって、真の父母の愛の伝統をもって世界を収拾していたら、今日、世界は統一できていたでしょう。しかし、当時そのような愛の伝統はなかったので、愛の伝統を引き継がせるために、先生は解放後に出発したのです。クリスチャンたちが真の愛の伝統を受け入れて実践していれば、天国はずっと以前に造られていたに違いありません。しかし、彼らが反対して失敗したので、先生は統一教会を創立し、すべての基台を蕩減復帰してきたのです。 統一教会のムーニーは、このような真の父母の思想をもたなければなりません。世界のために、五色の人種が一つとなるのです。今日、世界的な頂上に立って、レバレンド・ムーンは次のような考えをもっています。「怨讐がいかに悪なるものであるとしても、私は伝統的な愛をもって、世界を愛して越えて行く。個人の幸福よりも全体のために、犠牲の道を自ら進んで行く」と。そこには天下のすべてが頭を下げるでしょう。そうして、統一教会とキリスト教会が一つとなり、自由世界が神の方へ立ち返ってゆくのです。今こそ真の愛の力を示さなければなりません。さらに多くの困難に直面するほど、さらに多くの迫害を受けるほど、先生は親の愛を実証するでしょう。サタンは悪を実行した後、初めて悔い改めるのです。悔い改めなかったら退かなければなりません。このようにみると、愛が一番の中心なのです。わかりますか? 被造世界は愛の博物館 万物はまだ、真の所有者、主管者を知りません。所有者がいないのです。万物は愛を中心とした所有観念でつながれたことがないということを知らなければなりません。すべての元素から、鉱物、植物、動物、人間に到るまで、「君は誰に所有されたいか? 力と知恵と能力のある人に主管されたいか、それとも愛をもった人に主管されたいか?」と尋ねたら、何と答えるでしょうか? すべてが愛の主人を求めるのです。 その愛の伝統とはいかなるものでしょうか? 愛の相対圏に対して、自分を完全に犠牲にして投入し、再創造の力を補給してあげ、育てて成長させてあげる立場にいるのが父母なのです。育てて成長させ、保護してあげなければなりません。万物は、神様と真の父母の愛が現れるその時のために完全に準備が整っています。 環境を整えてくれるすべての音とか、美的な感覚に訴えるものなどもみな、万物の愛のための象徴的標示として現れているのです。小さな昆虫も花も皆、愛を伝達するために存在しています。愛をもってそれらに臨むなら、すべての花は、あなたの愛に答えてくれるでしょう。被造世界は愛の博物館なのです。皆さんは神様に、「あなたは、これらすべてのものを私のために造ってくださいました。愛の博物館の中に私を造ってくださったことを、心から感謝します」と祈ってみたことがありますか? 夏、暑い日に、セミがペアで歩調を合わせて鳴くとき、それは人間のために愛の歌を歌っているのです。その声を聞いて、雄、雌が互いに探し求めていけるのです。夏の明るい月夜に、昆虫たちのそのオーケストラがどれほど素晴らしいかをよく聞いてみなさい。あるものはソプラノ、あるものはアルト、メゾソプラノなど、皆調和されています。それは、すべて愛の歌なのです。昆虫たちは、じっとしてではなく、触れ合ったりしながら歌います。砂の上のアリたちもすべてペアで働くのです。人間にとって、宇宙全体が生きた教科書です。 あなたたちはサーモン(鮭)という魚を知っているでしょう? それは、自分の故郷を目指して復帰の路程を行くのです。サーモンは、一度産まれた自分の本然の家を覚えていて、一万数千マイル海洋を回って、四年ぶりに夫婦でもとの川に帰って来て、そこで卵を産みます。そして自分たちを産んでくれた父母の伝統を再現して、夫婦が一緒に死にます。雄は雌が卵を産むのを待って、一緒に死ぬのです。だから先生はサーモンをSalvation Moonie fish(救いのムーニー魚)あるいは restoration fish(復帰魚)と名付けました。 愛のための犠牲 「神様の本質的愛をもって、分子世界や鉱物世界から、この宇宙全体に到るまでを、私は愛して生きている」と言う、そのような幸福なる男性、幸福なる女性はどれほど偉大であるかを考えてみなさい。微小な分子世界から、大宇宙の世界まで愛する男性、女性となったなら、そのような主人となったなら、どれほど素晴らしいことでしょうか? そのような人が山の頂上に行くとしたら、すべての万物が付いてくるようになるでしょう。「おお! 動物たち! 万物たち! あなたはどこへ行きたいのか?」と聞いたら、「私を食べて下さい。あなたの愛する口に入りたい」と言うのです。さらに高い愛の所へ行きたい。それが愛の持っている特権なのです。その時、すべての万物は、「私のような低級な生命の細胞であったものが、高次元的な神様の子女の生命細胞となって、神様の愛を受けることのできる先端に立つことができる」といってその驚くべき価値を讃えるのです。 愛は百パーセントその元素、要素に作用することのできる能力があるので、万物の生命、細胞が人の生命細胞に接するとき、万物は神の愛を実践する細胞になることができるという驚くべきことのために万物はそのことを願うのです。そのために、人間もさらに高い愛、神様の愛のために犠牲となっていかなければなりません。また神様も愛のために、犠牲の道を訪ねていくことを原則としているのです。これが宇宙の天理です。「あなたは私を取って食べようとあなたの自由にして下さい。あなたの手となり、あなたの足となり、あなたの体の一部となることができるのなら、愛の理論が可能であるので、愛のために私の生命を捧げます」それは当然な理論です。そのような愛観をもって、「私は全体のために生まれた」と言える時には、世界すべての難問題を解決し、超越した立場に立つ自分となれるのです。 それで、レバレンド・ムーンは統一教会の責任者でありますが、皆さんを世界のために犠牲にしようとしているのです。普通の人はそうすることができますか?(拍手)私たちが主張するこの理想的主流思想が、どれほど素晴らしいものかを知らなければなりません。 このような愛の理念を中心として、現在の状態の中で、皆様がいかなる道をいかなければならないかということを、今回の万物の日を通して、はっきり知らなければなりません。今日の記念の日がどれほど意義深い日であるかを知らなければなりません。 恥ずかしくない愛の主人に レバレンド・ムーンはアメリカの歴史において恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはならないのです。アメリカの国民の前に、過去の人類の前に、恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはならないし、これからの未来の後孫たちの前に恥ずかしいレバレンド・ムーンとなってはなりません。過去の地球上に生きていたすべての先祖たちの前に、恥ずかしい者となってはならないし、神様の前に恥ずかしい者となってはならないのです。そのためには、たった一つ、この道しかないので、このような道を自ら進んでいくのです。それで今日、このようなお話をするのです。これをはっきり知らなければなりません。 宇宙は伝統的愛に付いて、自然に回るようになっています。自然に従っていくのです。だから孤独ではありません。私はこの宇宙と共にいるし、人類と共にいるし、統一教会と共にいるし、キリスト教と共にいると思っています。このことをよく知って、これからは天と地が見つめる中において、あらゆる環境の諸条件を愛で包摂することのできる姿勢、伝統を受け継いでいかなければなりません。アメリカの国民が先生を思い、自由世界が先生を思い、神様が思うように、愛の版図を拡めていくことにあらゆる精誠を尽くさなければなりません,これを宣言できますか? 先生は間違いのない道を行きますから、あなたたちも間違いのない道を歩んでくれることをお願いします。(「はい。」) 今日、この日を迎え、そのような男とそのような女になると決心した意味から、立って宣誓いたしましょう。「神様が私たちの愛の主人となられたと同じように、私たちはこれから万宇宙を所有するのに恥ずかしくない愛の主人となる」という決心をしなければなりません。(「Yes Father」と三回叫ぶ)神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.23
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今日のみ言葉から: 私が興南にいた時、神と霊界と先生が合わさって、監獄の教会と監獄の食口をつくったのと同じように、今回も同じことであると思います。監獄(霊界)の食口とすべての世界が統一教会の先生の後につくと思うのです。地上の地獄が従うと見るのです。このような条件を立てたので、監獄(霊界)生活をする必要がない時代が来るのです。なぜかといえば、サタンが蕩減条件を提示する何もないからです。すべての境界線を越えた基準をつくったのです。先生がもし監獄(霊界)に入るならば、アメリカが騒ぐでしょうし、全世界が騒ぐでしょう。命令すれば何でもできるのです。何の話か分かりますか。 皆さんは自信がありますか?(はい!)。これから先生(お母様)の旗の下で世界的に動くようになるのです。アメリカも収拾することができないし、共産主義も収拾することができません。ただレバレンド・ムーン(お母様)のみが収拾することができるのです。では皆さん、先生が監獄(霊界)に行けば皆さんも監獄(霊界)に行きたいですか?(はい)。その心があれば何でもできます。だからこれからこのような決心をもって前進しなければなりません。そして神の、天の権威を失わず、天の子女の信義をもって前進すべきです。そういうことができますか?(はい!)。「真の愛を中心とした本然のエデン」1984年5月27日 皆さんがエデンの園と言ったとき、聖書に出てくる善悪の実の問題を中心として、そこに神様と人間と天使たちがいるという場面を私たちは思い起こします。 “善悪の実を取って食べるな”という神様の啓示は、今日の一般のキリスト教において言われている善悪の実ではなく、愛の問題を中心として言われたみ言であるということを私たちは知っています。皆さんも御存じのように、神様のみ旨は創造理想を実現することでありました。ではその創造理想は何かといえば、それは四位基台の完成です。四位基台とはもちろん、神、父母、子女をいうのであります。では四位基台の中心は何でしょうか。その中心は神様でもなく、アダム、エバでもなく、子女でもないのです。真の愛のみが中心となることができるのです。 では愛の出発はどこでしょうか。誰がその愛を考えたのでしょうか。それが問題です。愛の出発は誰なのか。これは神様が愛の理想を中心として出発したということに異議はありません。アダムでもなくエバでもなかったのです。すべての被造世界をつくられた主体なる神様がおられるとしたら、神様がその中心の愛を考えたのでしょう。 皆さんの目にも、右の目、左の目にフォーカスがあります。三点を連結できるものがあります。そのポイントに合わせれば見ることができるのであって、このポイントが少しでも違ったら狂ってくるのです。では、スタートしてから、動く主体としての神様の愛はどこへ行くでしょうか? 神様が中心となって、来なさいと言うのであります。それは神様がじっとしているのでなく、神様も動くのです。神様は万能ですが、それでも何か願いごとがあるのでしょうか。願っている何かがあるのでしょうか。もし願うことがなかったなら、ストップしてしまうのです。そうではないでしょうか? 願うことがなかったなら無の状態で停止してしまうのです。すべての存在は停止してはなりません。停止していればそれは退化していくのです。このように見る時、神様においては全知全能であるからお金が必要でもなく、知識が必要でもなく、権力が必要でもないのです。しかし何も望まないとすれば、それはストップしたことになってしまいます。そこで神様が必要とするものは何かといえば、愛なのです。神様も愛が必要なのです。神様が希望するものがあるとしたら、その希望を中心としてすべてを活用したいと思うでしょう。お金も活用したいし、知識を活用するとしたらそれはいいですが……。それで神様にお聞きします。あなたが必要なものは何ですか。知識ですか? 「さあ」。権力ですか? 「さあ」。ではお金が必要ですか? 「さあ」。では何が必要ですか? それは最も貴重なもので一つしかないのです。その一つしかないものは何かといえば、真の愛なのです。では神様、真の愛が必要ですか? 「そうだ」。(笑い) それしかないのです。 お金とか知識はすぐに作ることができます。しかし愛は直ちに作ることができません。愛は探し求めていかなければなりません。愛には行くべき道があります。分かりますか? 愛は他とは異なります。それは未来や希望を表します。そうですか? (はい)。 したがって神様はじっとしていることができずに、そこに向かって行かなければなりません。動かなければならないのです。愛を創造するためには、未来の過程を残しておいて、自分の全体を統合した内容を整えて作用することのできる時間的、距離的内容が必要です。分かりますか、何の話か。更に愛を探し求めたならば、そこで終わってしまってはなりません。より大きく、更に大きいものを神様は必要とされるのです。愛は神様が探し求めていく永遠なるものです。皆さんはどちらが好きですか。最初は小さくても、だんだん大きくなって永遠に発展していくものが好きですか、それとも最初は大きくてだんだん小さくなっていくものが好きですか? (笑い) それで神様も真の愛がこれぐらいのボールだとしたら、(先生が手で表現される)このボールがだんだん大きくなっていくのを好むのであります。そういう話ですよ。このようにして(黒板を使用)、この中に必要なものは全部あるというように、限界にまで大きくなって、作用することを神様も願っておられるでしょう。そしてここにいる者たちが(黒板を使う)そのような愛の理想に向かっていくときに、すべてがこれに調子を合わせながら、呼吸を共にするのがいいでしょうか。それとも反対したらいいでしょうか。それは真なる愛にすべてをゆだね呼吸するようになるのです。何の話か分かりますか。それですべては、真の愛に歩調を合わせ存在しなければならないということになります。 アダムは男子であり、英語からの内容を見るととても面白いんだね。(黒板を使う) (笑いと拍手) 女には woman のwo(ウ)というのが付いています。それで英語の言葉において男と女とどちらが先でしょうか。言葉から見ても明らかなように、男が先であり女が後からで、男が上であり女が下で、男がプラスであり女がマイナスで、男が主体であり女が対象であります。 しかし位置を反対にし、自然を反対にするということは、「オー! 私は太陽も必要ないし、空気も必要ないし、水も必要ない」という言葉と同じなのです。男と女を運動させるものは何か。女の力ですか、男の力ですか。女の知識ですか、男の知識ですか。女の持っているお金ですか、男の持っているお金ですか。どうですか? (真の愛です)。 では、このようなことから見て、愛とお金とは交換できますか? (いいえ)。今日、米国の女性たちはお金のためによく結婚しているでしょう。そういう女性は本当の女性ですか。偽りの女性ですか。また、知識を中心としている人もいますね。州知事であるから結婚するとか、何々大学を卒業したので結婚するとか……。どうですか? (事実です)。 女性は何のために生まれてきたのかといえば、お金のために生まれてきたのでもなく、知識や権力のために生まれてきたのでもありません。男性一人を探し求めるために生まれたのです。では男性は何のために生まれてきたのですか? 愛のためです。それは正しい話ですか? (はい)。 先ほど言ったように、愛の伝統を中心としてすべては作用するのです。鉱物世界においてもプラスとマイナスになって、すべてが相対的になっています。それは動物界においても、また昆虫においてすらも同じことです。すべてが作用するので、歌わないで舞わないものはないのです。すべてが芸術的です。昆虫も歌を歌うでしょう。鳥や動物すべてが歌います。人間も同様です。このようにすべてが和合するのです。それは主体、対象の関係を中心としてです。同じです。そうしながら大きくなっていくのです。だからすべてはこのような主体、対象から出来ていて、それが各段階を通って発展しています。ある意味ではダーウィンの言う進化論が当てはまっているような、そういう具合に進化し発展しています。しかし進化論というのは、そのままが真実なのではありません。より小さな段階からより価値のある段階へ発展しているのが、進化の本当の意味なのです。そして小さなものはより大きなものに対して自らを与えます。それによって小さなものがより大きなものと同じ段階へと発展し、同じ価値をもったことになるのです。このような内容をもっているのが、宇宙の発展であり、法則なのです。だから小さなものは将来に希望をもっており、より大きなもののために、自らが対象となって、より大きな主体のために役に立つという、そういう希望をもっています。それは小さなものがより大きなものに対して、自らを対象となして価値を与え、そしてより大きなものと価値を同じくするという、宇宙の方向なのです。だからそれは愛の表れであり、小さなものが更に大きなものへと愛を示すことになるのです。このようにすべての中に愛の動きがあるということが言えます。 世界に一人しかいないというくらい、誰からも羨しがられるような高い所にいる女性に対しても、愛を中心として私の下に来なさいと言ったら、「はい」と言うのです。そうでしょう。愛のみが極大になることも極小になることもできるのです。どんなに傲慢な女性も、(愛を中心として)下がれと言ったら下がらざるを得ないのです。主体が下に下がって行こうとすれば、対象である女性も下がって行こうとします。そのようなことができるのは愛の力しかありません。どうですか? (はい、そのとおりです)。 このように愛は非常に巨大なものであり、大きなものでありますから、神御自身も一つの場所に留まることはできません。神様が堂々と一番頂上に構えているとしたらどうしますか? 小さな谷間には行くことができないのです。しかし愛をもっていれば行くことができます。 このように主体が何をしようとも、対象である女性はありのままにそれに応じていくというのが本来の女性の在り方です。愛があれば子供を抱きしめて、どのような汚いものをも飲み込むことができます。(笑い) このように見ると、愛は何と巨大で素晴らしい不思議な力をもっているのでしょう。どうですか? それで愛が好きなのです。どうですか? 間違ってるの? 合ってるの? (合っています)。 愛の中に神様が入るでしょうか? 神様の中に愛が入るでしょうか? どうなの? (神様が愛の中に入ります)。神様はどちらが好きでしょうか? (神様が愛の中に入る方です)。どうして、どうしてなの? 神様の希望は大きくならなければならないので、神様はもっと愛を希望しておられるのです。そのために、神様は愛の中に入らなければならないのです。それで理論にも合うのです。何の話か分かるの? 神様も希望として願う愛なので、神様よりも愛の方が大きいのです。私が愛を懐かしく思う時には愛を引き寄せ、愛が成就すれば私の方が引っ張られて行き、このようにして求心運動で回るのです。 それでは自然はどうなっているでしょうか。夏になれば虫とか昆虫が集い会い、小鳥たちが鳴く時、すべてが愛を歌っているのだということを知らなければなりません。このような時、「ハハアー、宇宙はこのようになっているのか」このような宇宙的神様に、人間は歩調を合わせなければなりません。(どんどんどんと叩く音) そしたら神様は何と言われるでしょうか。「うるさい!」と言うでしょうか。座っておられた神様も、立って一緒にリズムを合わせるのです。(拍手) 分かりますか? 神様はそのように思って万物を創造されたので、私もそのように考えるのです。 本来、アダムとエバが手を取り合って通り過ぎると、宇宙はそれに歩調を合わせ、喜び反応し、神様もそれに対してすべての主体的作用を起こします。どんなに素晴らしいことでしょう。それは何か、昔話とか伝説のような話ではなく、今日、私たちの生活圏内における、感情の世界と連結する本然の世界であるというのです。直接的に今日の私たちの生活環境と接することができるのです。愛は退化しません。千年万年も続いている父母の愛、先祖たちの愛の原則は変わってはならないのです。そして万物間の境界線も非常に厳格な(愛の原則がある)のです。このように厳格なので、決してダーウィンの言うような進化論は当てはまりません。ダーウィンは、宇宙の本質を見抜くことができなかった無知で異常なる人間であったと言わざるを得ません。主体と対象の出会いということは、本当に厳格なものなのです。 ダーウィンのような人は狂人なのです。彼によるなら、人間は昆虫とでも相対になることができるということになるのです。人間は人間とのみ相対を結ぶべきであって、人間と猿とでは結べません。もしそうなったならば、どのような子供が生まれるのでしょう。(笑い) このように厳格なものがいかにして関連しているというのか、ダーウィンの論理で説明されていません。 では人間が愛し合うことについて、今日の米国式の愛が本来の人間のもつべき理想的な愛でしょうか? 自分勝手に一夜の外出をして、自分勝手に愛するそのような愛なのですか。自分たちが勝手にすることのできる愛なのですか?(いいえ)。なぜいいえですか? 私たちの先祖を見ても、アダムとエバは何人もいたのですか? それとも一人でしたか? (一人ずつです)。絶対的に一人ずつです。今日のアメリカの男女のような愛ではなかったのです。 そこで私たち統一教会は、絶対なる基準に合わせていくのです。なぜそうしなければならないのでしょうか。なぜですか? 神様が一つの方向をもって創造されたので、アダムとエバも一つの方向をもって生まれたのであり、神様の願う方向に生きるべきであります。人間は生まれた時は小さく、成長するにつれてだんだんと大きくなっていきますが、人間の方向性は全然変わりません。例えば鼻は、小さい時も、大きくなってからも常に下を向いています。(笑い) 一つの方向しかないのです。二つの方向はありません。それはいいことですか? 悪いことですか? いくつもあったらいいのに、なぜ一つしかないのですか? それは真の愛をつくるためです。真の愛というのは三つの存在、神様とアダムとエバのいる所に存在します。だからその方向に向かって行かなければ、真の愛に出会うことはできないのです。 また、神様は二性性相の存在であり、その二性性相は立体的になっています。それに対して人間の二性性相(アダム・エバ)は横的になっています。(黒板を使いながら説明) それで、人間の男性と女性が出会う時に、そこに愛の火花が飛び交うのです。火花が飛び交う地点は真の愛の地点です。愛がスパークするのです。スパークすればアダム、エバばかりでなく神様も接触するようになるのです。そうするためにはどこに行かなければならないかといえば、この三点です。 電気のマイナスが生ずれば、プラスが必要であるということは考える必要もないのです。完全にマイナスになれば、プラスが訪ねてくるようになっているのです。宇宙はそのようになっています。それが自然です。なぜ女は男を探し求め、男は女を探し求めるかといえば、二人が合わされば(神の前に)プラスとして現れるようになっているからです。それで神様と火花を散らすのです。全宇宙が轟きをもって火花を散らすのです。(笑い) そのような時にすべてのものが完遂します。 皆さんが愛する時においてのみ、男性と女性の細胞は一〇〇パーセント作用するということを知らなければなりません。そのように愛し合う時に作用の力が働いて、愛を通じてその男性(父親)の細胞、女性(母親)の細胞を超越したあなたたちが生まれるのです。分かりますか。愛を通してすべてを得るのです。その細胞が眠っているとしたら選ぶことができますか。愛の力は闇も克服するし、死をも克服することができるのです。分かりましたね。 それでは、皆さんは夫を必要とし妻を必要としますか? どうですか? 結婚式を宇宙に発表するのはなぜかといえば、神様が臨在し、愛が訪れてくるようになるからです。何の話か分かりますか? それは(黒板を使いながら)プラスの要素とマイナスの要素との間に授受関係が結ばれるからです。天と地に通ずる男性の愛の心、女性の愛の心がこのような場において一つとなることによって、天と地が一つとなった愛の巣、夫婦生活の場となるのです。そこに神様が臨むようになります。このような愛を中心としてみるときに、女性は、宇宙とも、神様とも交換することのできない価値のある夫が横にいることを知らなければなりません。これだけは永遠に残るものなのです。それはなぜかというと、(男性は)神様の代身であるからです。何の話か分かるの? 男性も同じです。女性は神様の相対的な性相を受けたお母様の代身であり、換えることのできない価値があるのです。それが一つとなって(黒板を使用)本来はここから生命が生まれてくるのです。これが真の愛を中心とした本然のエデンの園の人であります。このようになった時、その子女は自分の子女ではなく、神様の子女となるのです。それが本来の子女なのです。これが原則です。 堕落とは何かというと、真の愛と反対の方向に行って、男性と女性がサタンを中心として出会ったのです。これまで地上には何十億という人間が生まれてきましたけれども、そのような創造本然の本質をもった子供はこれまで生まれて来たでしようか。誰もいません。誰も、そのような子供を生んだと言う者もいませんし、またそれを探そうともしませんでした。なぜこのことをはっきり知っておかなければならないかといえば、堕落した私たちの生命は神様と関係がないからです。ですから私たちは、本然の姿と反対の立場に来ている自分自身を発見しなければなりません。そして本然の世界に戻って行くためには、いかなる冒険をしてでもという決意をしなければならないのです。これをはっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。これは間違いのない事実です。この事実を正さなければ、永遠に神様との関係を結ぶことができないのです。これがはっきりしなければ、堕落人間にとって宗教が絶対に必要であるということと、今日メシヤが絶対に必要であることと、真の父母が絶対に必要であることが分からないのです。 今日、統一教会では真の父母という言葉を使っていますが、この真の父母という観念はどれほど偉大なことでしょうか。偽りの父母から生まれたので、真の父母が現れて再び新生しなければ、創造本然の世界に戻って行くことができないというのが結論です。そこで、メシヤの使命とは何かといえば、メシヤは新郎であるからプラスであり、マイナスとしての新婦を探さなければなりません。このような内容があるために宗教の中においても新郎を探し新婦の基盤を整えてきた宗教が、理想世界へと連結することができるという結論になります。 有史以来、人間として完全な真の新郎の立場で来られるのがメシヤであります。メシヤは真の愛を示すために来られるのですから、真の新郎という概念が宗教にあれば、その宗教がこれから神様のみ旨を成就することができ、世界を一つにすることができるということは理論的です。 それでは、メシヤが新郎でメシヤの相対は新婦ですが、メシヤが来られる時、相対的立場であるイスラエルの国だとか、数多くの宗教者たちはどのようになるかといえば、地上の国家的次元においてマイナスの立場が完成されれば、主体(プラス)となる新郎が現れるのです。 ユダヤ教を立てて、イスラエルの国を導き、国家的次元において新郎のための基盤をつくることがユダヤ教の歴史であったのです。ですから、旧約世界においては神のみ言のみを信じなさいと言うのです。新郎のためには生命までもすべて捧げなさい、あなたたちは零となりなさいと教えてきたのです。そしてイスラエル民族とユダヤ教は一つとなって新郎を迎えるべきでした。しかし、イエス様は来られた時に「あなたが探していた新郎として私が現れました。私を新郎として迎え入れなければなりません」と言えますか。それは言えません。なぜかというと、愛の起源は堕落した世界の新婦につながっているのではなく、ただ新郎のみに真の愛の線でつながれているので、真の愛のつながりをもとうとすれば、新郎は新婦の復帰のために最低の所に行って、公認されなければなりません。 それでは、新婦はメシヤが現れた時、どのようにすべきでしょうか。新婦はメシヤに対して、自分の生命、その他すべてのものよりも貴く思い、犠牲になっても不平を言うことなく、イエス様が自由にみ旨ができるような立場に立たせなければならないのです。サタン側に立ってはいけないのです。新婦に対して「私に従って来なさい」と言ったらそれに従い、ある人の家に行って、「あれをしなさい、これをしなさい」と試練しても、不平を言わずに従うことによって個人路程を通過することができるのです。そして個人から家庭、氏族、民族、国家路程を通過して、すべての試験をパスしてこそ初めて世のすべての伝統と神の国の伝統を受け継いだことになり、国家基準にまで上がって、相対となることのできる特権を与えられ、相対的な特権の時代に入っていくのです。そして次に、世界的な基準にまで引き上がっていくためには、すべてのイスラエル民族がメシヤに順応し、学ばなければなりません。「私は私なりにやりますから、あなたはあなたなりにやってください」と言ったらいけないのです。そうすることはできません。どうですか。その話は正しいですか、間違っていますか?(正しいです)。 イスラエルという国とユダヤ教が新婦の代表として立ったならば、彼を中心にすべてのイスラエルは七年であろうが何年であろうが、その道に従い学ばなければならないのです。自分を主張して「私は知りません」と言う時には、誰であろうとサタン圏内に入ってしまうのです。サタンは、これは私のものであると言うのです。それは正しい話ですか、間違った話ですか? 誰か国境を好きな人がいますか? (いません)。大きな国であっても、小さな国であっても、国境を好きな人はいません。しかし現実は仕方がないのですね。 では、新郎の国と新婦の国とが異なっているとしましょう。新郎の国の法律と新婦の国の法律とが違うときは、新郎の国の法律を学ばなければなりません。それと同じように、新郎たるメシヤが来られる天の世界においては、その法律は極めて厳格に守られなければならないのです。今、黒板に書きましたが、これが新郎の国であり、こちらが新婦の国であり、そこに国境線があります。そしてこの国境線を通してお互いが出会うのです。これはちょうどワシントン・D・Cのようなものです。はっきりとした国境線がまっすぐに出来ています。(笑い) その国境線を越えて来る人に対して、「あなた方は自分の国でやっていたように、自分の好きなように振る舞ってもいいのです」と言うでしょうか。そうは言えません。またこちらから境界線を越えて向こう側に行く場合にも、自分の国でやっていたとおりにして、相手の国の法律を守らないで勝手にすることはできません。ワシントン・D・Cという場所についても、そこにはそれなりの法律があるわけで、その法律を守っていかなければなりません。 それと同じように、イエス様も天の国から来られたお方ですから、新婦としてのイスラエル民族を天の国に入るに相応しいように教育しようとなされたのです。しかしイスラエル民族はサタンに支配されていたため、“我々はもうここまで来たのだから、これ以上厳格な法律を守らなくても、ここらで妥協すればいいじゃないか”と思ったかもしれません。しかし神様は「神の法律は厳格に守らなければならない」と言って、決して妥協はしませんでした。「もうここまで来たのだから、もう一歩、もうしばらく我慢してでも天の国に入って法律を守れるように、そういう訓練と準備をしなさい」と神様は言ったことでしょう。 それで真の愛を経た真の父母の愛の圏を通過しなかった新婦であるイスラエル民族とイスラエルの国は、新婦自体としては生むことができないので、新郎を探し求めて一つとならなければなりませんでした。探し求めていって、真の愛を基にして一つとなったという決定を受けなければなりません。そして新郎と一つになり、再びサタンの支配しているイスラエルに戻っていき、サタン世界を完全に復帰してから、また新郎であるメシヤのところへ帰って来なければならないのです。自分の国へ行って復帰するということは、民族の宗教や教会を完全に一体化させて、一つにして、そして再び新郎であるメシヤにつなげるようにするということなのです。なぜそうしなければならないかというと、神様を中心とした真の愛はアダムとしてのメシヤを通してのみ表れるからです。 したがって、真の愛が新郎を通して新婦に完全に接ぎ木されたならば、今度は国家と宗教と教会をすべてメシヤに接ぎ木しなければならないのです。(黒板で説明) メシヤが来たならば、新婦がここに来て接ぎ木され、一つとなったという公認を受けてから、教会と国を一つにして、初めて真なる愛が連結された一つの国の圏をつくることができるのです。 これがなぜそれほど重要であるかといえば、本来の愛というものは生まれる時、父親の方が種であって、母親を通して生まれてくるのです。父親は種で、母親が畑です。真なる愛を中心として、そのような過程を経て生まれるのが本然の状態なのです。しかし、そのような状態で生まれることができなかったので、接ぎ木されなければならないのです。愛する条件を中心として接ぎ木されるためには、新婦となって、愛に絶対服従しなければなりません。この世で愛する以上の愛をもってメシヤに対さなければ、父との因縁を結ぶことができません。これが原則です。父親との因縁を結ぶことができないのです。それでイエス様は、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイによる福音書第一〇章三七節)と言われたのです。 またイエス様は、あなたたちの家族は怨讐であるとも言われました。妻が夫よりもイエス様を愛するので夫は反対し、夫が妻よりもイエス様を愛するので妻が反対し、自分の両親よりもイエス様を愛するので父母が反対したのです。そしてまた、イエス様がメシヤであるかどうか、どうしても分かりませんでした。同じ男でもぼさぼさ頭の独り者なのです。そして大工の息子が何でメシヤなのかと思ったのです。妻が、人が変わったように早朝に出掛けたり、夜遅く帰って来たりすることに対して、なぜそのようなことをしなければならないかと思ったのです。 イスラエルの教会も、イスラエルの宗教も、ユダヤ教もすべてが父としてのメシヤの中に入っている種子のような立場に入らなければならないのです。愛をもって入らなければならないのです。サタン世界で愛することのできた条件よりも、もっと愛することのできる条件をもって入らなければならないのです。堕落によるサタン世界の愛の(黒板を使う)それ以上に昇ることによって、神の直接主管圏内に入って行くのです。より愛することのできる愛のみが、メシヤと一つとなることのできる道であり、これ以外にはないのです。訪ね求めて一体化したという条件は、愛でのみ果たすことができるので、メシヤを愛することによって、父の中にある、堕落しないで生まれることのできる種子の立場を経たという条件を立てることができるのです。 そのようにしてメシヤの相対の立場に立って、お互いが人類を代表して愛しながら生きる基盤をつくることによって生まれてくることができるのです。もちろん、生まれ変わるためには母親がいなくてはなりません。新婦を通して母親に……。 それは七年かかります。七年で果たせなければ二十一年かかります。イエス様を中心とした摂理は失敗してしまったので、イエス様が成せなかったことを統一教会が世界的な次元で果たすのです。統一教会において、先生を中心としてそのようなことが始まるのです。統一教会に入会したすべての男性も女性も、妻や家や子供を全部捨てて先生に侍ってきたのです。これは女だけでなく男もそうでした。 父の中の種のようになって、母親を通して、七年過程を経なければなりません。皆さんは知らないでしょうが、先生の子女たちを中心に統一教会を一つにして『再生式』を行いました。先生の子女が一人生まれ、二人生まれ、三人生まれるそのたびに、世界的な舞台へと拡大させて、再び生まれた(新生)という条件を立てるのです。すべてを拡大し、環境的に拡大させていくのです。分かりますか。私の家庭から三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭と世界的な家庭と連結させなければならないのです。先生と先生の子女たちと韓国の統一教会を中心として、これらのことを果たしてきたのです。先生はこのような役事をしてからアメリカに来たのです。 世界的な運勢をすべて率いて、キリスト教を探すためにアメリカに来ました。また、韓国において樹立したすべての霊的基盤をもって、アメリカにキリスト教を中心として、実体的国家基準に連結しようとしてきました。そして実体的な国家基準に連結したのが、昨年の韓国での大会であります。興進様がすべての蕩減条件を背負って行かれたので、歴史的な蕩減が始まるのです。それで霊界をすべて統一し、天使長の息子、娘の立場にある地上のサタン世界に対しても霊界から統一圏をなして、今日連結されているのです。そうするために、父母がそのように抱き愛したという条件を立てたのです。先生が『愛勝日』を定めたわけは、興進様が霊界を中心として霊界の地獄撤廃運動に勝利したからです。そこで先生は地上界の地獄を撤廃するのです。私が監獄に行くとしても、監獄を監獄とは思いません。分かりますか? 興進様が霊界に行かれることによって地獄の門が開放されたのです。サタンは法廷闘争を通じて統一教会を引っ張り出そうとしたのですが、先生は地獄を解放するために監獄に入っていくのです。それ自体も天国の延長として見ています。そのような条件の下で、父母の愛を中心として神様とサタンの前に“間違いありません”という轄を打ったのが『愛天日』です。愛天日とは、神様の愛を中心として主管することのできる時代へと越えていくということです。地上の地獄を撤廃したので、監獄までも撤廃することができるのです。(拍手) このような意味において、皆さんの『一情会』祈祷会をつくりました。一情会とはどういう意味かといえば、今話したとおり、心情圏を連結することのできる世界的時代へと入ったので、いかなるものよりも父母を中心に、愛する心情をもって一つとなるための運動であり、宣誓する時間が一情祈祷会であり、それが一情会運動の意味であり内容なのです。そのようにして、すべての人々が精誠を尽くし、神様と父母様と一つになるための運動なのです。分かりましたか。このような舞台が(黒板を使う)世界的に天と地に延長されるのです。それは愛のみが可能です。イエス様が十字架を越えていくのと同じように越えていくのです。分かりますか。先生には死とか三日路程とかはないのです。(拍手) 先生は誰よりも愛する心をもって、お母様のお腹を通して三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を経て、個人から世界の頂上にまで来たので、一情会という精神を通してこのような条件を立てることによって、ここに神様が主管することのできる『愛天日』を設定することができたのです。分かりましたか。 先生を通して、三十六家庭とか七十二家庭が生まれました。皆さんもその過程を通して今は先生と共に世界的な家庭に生まれたのです。サタンと闘って、サタンを全部分別して勝利してきたので、皆さんも同じなのです。先生を中心として、先生が歩んできたその歩みを通して世界的頂上にまで来たのです。皆さんが八〇〇〇双であれば、一八〇〇双、七七七双、四三〇双すべてが皆さんの先祖であります。家庭の木に生まれた一つの新しい枝として、世界的な形態をもった統一教会の一本の木のようになるのです。分かりますか。 我々はこの家庭の木のそれぞれの枝です。この枝が全部集まって一つの大きな家庭をつくっていくのです。我々は自分を個人として見るのではありません。個人は天国においては存在しません。天国における単位は家庭です。だからその家庭という幹から出発し、そして大きな木となっていくのです。我々はどの枝に属しているのかを知らなければなりません。我々は今完全になろうとする途中であります。過程であります。今が最も良い時です。今は皆さんが一つになって、それぞれが使命を果たすために共に働くことができます。今まで、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭のすべての家庭が先生と一つとなっていなければならなかったのに、一つとなることができず多くの問題が起こったのです。皆さんは“祝福家庭も大したことはないな”と思っているでしょう。皆さんは今回の六〇〇〇双とか、二〇〇〇双とか、八〇〇〇双はその上に一八〇〇双、七七七双、四三〇双があるということを考えていないからです。皆が離れているのです。一つの木のように考えていないのです。そのため一つになることができなかったのですが、先生の今度の事件を中心として、これが一つの契機となったのです。この事件を通じて、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭が責任を果たし、一つになることができる良いチャンスです。分かりますか。私たちは多くの過ちを犯しました。多くを誤ったのです。一つになっていなかったのです。ですから一つになることができるのが今なのです。先生が監獄に行くということを条件として、皆さんが蕩減条件を立てることによって、一つとなることのできる良いチャンスなのです。分かりますか。そのために全員で祈るのです。 もし皆さん一人一人が、これから刑務所に行って先生の三倍も長く服役しなければならないとしても、“私は行きます”と言える心情になっていますか。神様の愛が逆に皆さんの家庭を通して、八〇〇〇家庭、一八〇〇家庭、七七七家庭、四三〇家庭と、このように逆に父母のところに通じる道が全部開かれているのです。それは父母からこのように出て行く道に通じ、一情会を通して統一的心情圏が始まったのです。 このような基盤が立った今、神様が主管されるのです。そして愛が主管するという轄を打ったのです。それが『愛天日』です。神様を中心として、神様の愛と父母様の愛を中心として完全に一つとなった後には、サタンも支配することはできないのです。神様のみが主管することのできる時代へと越えていくのです。それで愛天日を定めたのです。分かりましたか。 アダムとエバは長成期完成級で堕落しました。(黒板を使って説明)それゆえ、完成期に達するまで七年過程で行けるようになっていたのに、キリスト教が反対したので四十年過程を経て復帰してこなければならなかったのです。七年過程はサタン主管圏内となってしまいました。堕落によって、原理結果主管圏が全部サタン圏内に入っていったのです。そこで誰がこの過程を復帰するかといえば、もしキリスト教が受け入れたとしたら一挙にできたはずでした。しかし、三次七年路程を中心として四十年かかって復帰しなければなりませんでした。 今は国家を代表し、世界を代表し、父母様の家庭を中心として、世界的蕩減条件が果たされ、世界的な版図が作られました。今や、統一教会の信者たちは全世界に広がっていても、心情圏はこの基準で全部一つとなっているのです。今まで神様の直接主管圏と、地上の間接主管圏が分かれていたのですが、このようにして完全に神様の愛の圏内において統治される時代へと越えてきました。世界的な基盤の上で、直接主管圏と間接主管圏が真の父母によって完全に連結されたのです。 今度のこの事件によって、先生が十字架を背負うのですが、これを機として、一つとなることができなかった皆さんが全部連合され、統一教会とキリスト教が連合されるのです。キリスト教が連合されれば、アメリカも連合するという条件が立つのです。このようにして世界へ行く道を開くための驚くべき時代が、今度の法廷闘争として現れたのです。これからは私たちが団結して、団結して進む時、国も回るし、アメリカの国民(自由世界の国民)も、回るようになります。私たちが一つとなって進んでいく時、世界が完全に回り、回転するのです。何の話か分かりますか?(はい)。 したがって今度の期間は、統一教会が新たに復興することのできる期間であり、新生することのできる期間であります。お互いが悔い改めて、心情的に連合して再出発する時期であるために、先生をはじめとしてすべての家庭と統一教会全体が一つに固く結ばれて、すべてこのことにおいて私たちの前には敵対する者はいないという『愛天日』を定めたのであります。これから神様の愛が支配するという信念をもって行くのです。 それが一つのエデンの園の原理なのです。一つの愛がそうなるのです。真の父母の愛の圏を世界的舞台へ連結したので、サタンが支配することはできないのです。もし支配した時には自分たちが何十倍、何百倍の損害を支払わなければなりません。完全に一つとなって、先生が指し示すことを完全に信じていく時、すべてが解かれていくのです。何の話か分かりますか。強く雄々しくあれ! その日時も不思議です。六月はサタンの六数であり、十八日というのは三掛ける六で六数の三倍です。数字もちょうどそのとおりになっています。サタンのすべての要求を清算するのです。すべて清算するのです。しかし先生はそのために自分が監獄に行くとは思いません。地獄解放に行くのだと思います。その世界に父母の愛を分け与えるためにい行くのです。分かりますか。 今や潮の流れが変わりつつあります。これまでアベルの位置にいるものが犠牲となりましたが、これから変わっていくのです。蕩減させるのです。そのような自信をもたなければなりません。分かりましたか。 本然のエデンは真の愛の原則を中心とした世界でしたが、今日、現実世界においてはすべてが欺かれている事実を知らなければなりません。統一教会が誤り、アメリカが誤り、共産主義者たちが誤ったことのすべてを、この期間に本然の世界における真の愛の状態と形態を立てて越えていくのだということを知らなければなりません。 一年六カ月の三倍は何カ月になりますか? 五十四カ月ですね。三年半です。私たちがこれから四年半だけ推し進めていけば、世界は完全に変わります。一九八八年までです。これは韓国の解放後の四十三年目に当たります。 イスラエル民族も四三〇年かかってエジプトを出てきたのです。今や世界的なエジプトを出発する新しい時代が訪れました。三年後です。それでこの闘いを糾合しようとするのです。我々統一教会においてはアメリカ人も、ドイツ人も、黒人も、白人も皆一つであります。完全に一つなのです。真なる愛を中心として世界人が一つになるのです。一九八八年、アメリカの次の大統領の時代になると、統一教会は世界的になります。間違いなく世界的になります。そのころになると、多くの国々に先生を迎え入れようとする運動が始まります。多くの国々で先生を連れて行こうとする競争が始まるでしょう。分かりますか。一九八八年を越えれば私たちの願う国が成されるのです。(拍手、歓声) このことを理解して、皆さんも熱心に頑張ってください。なぜこのような話をするかといえば、真の愛、真なる愛がなければならないからです。先生には敵がありません。先生は敵を抱きかかえて、敵が先生を愛するようになるまで放しません。(笑い) 何の話か分かりますか?(はい)。サタンは人間を支配する権利がないことを知っています。それで私とは何かというと、父母様から生まれ、三十六家庭を通して生まれ、七十二家庭を通して生まれ、一二四家庭を通して生まれ、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を通して私が生まれたのだということを知らなければなりません。今や、世界的な頂上において生まれたのですから、私たちには敵がありません。サタンは私たちに屈服し、後退するしかありません。 先日、愛天のローソクを受けた家庭は手を挙げなさい。これは、夫と妻が完全に一つとなった基準で受けるのです。相対者と真の父母と神様と一つとなった基準であります。この夫が永遠なる夫であり、この妻が永遠なる妻であると思う人でなければローソクを受けることはできません。それを知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。このローソクを持っている家庭は一つの道しか行くことができません。愛の道一つしかないのです。 先生は真の愛をもって神様について行くようになっているし、皆さんは真の愛をもって真の父母と神様に従って行くようになっているのです。それが先生と皆さんの異なる点です。だから先生の話を絶対視して歩まなければなりません。異議はありませんね。だから過去のすべてをきれいに整理するのです。 今、この世のために先生と皆さんが十字架を背負う時代に入ったのです。イエス様が十字架を負って引かれいく時、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカによる福音書第二三章二八節)と言いましたが、今はそれと同じです。私はあなたたちの代わりに蕩減条件を払うから私のために心配するのではなく、あなたたちは完全に一つにならなければなりません。完全に一つとなることが重要です。そうなればすべてが解決すると思います。 そのような統一的雰囲気は、すべてのものを溶かします。原理の見解は本然の見解であり、真の愛、神と父母の愛がすべてを支配します。その世界にはサタンはいません。先生について来ますか?(はい!)。サタンはそこにはいません。すなわち、反する者はそこに存在しないのです。すべてのものは真の愛の中心に敬礼します。たとえサタンの力がどんなに強くとも、そこでは活動できないということです。したがって愛天日を中心とした愛天のローソクを中心として、統一心情圏と完全に一つとなりなさい。そうすればすべてが整理されるのです。それゆえ、先日三年をかけて、ありったけの力を尽くして先生の監獄生活以上に決意して行こうとみんなで決意しましたが、きょうまた「決意しなさい」と言ったら、再び決意しますか。そこに連合し、一つになるように、神様までもこの場に臨まれるように誓ってください。そしてこれからは神様の世であることを宣誓してくれることを願います。分かりましたか?(はい)。皆さん、宣誓しますか。(はい)。誓う人は手を挙げてください。神様もやはりここに同参されるのです。では祈りましょう。そのような内容のお祈りを致しましょう。 祈祷 愛するお父様! 歴史的に息詰まるほどの最後の峠を越えるこの時代の上に、お父様が祝福してください。今、愛勝日を定めた後に愛天日を定め、一情会を定め、心情的統一圏を立てて統一教会と、韓国と、アメリカと、全世界が誤ったことを今度のこの期間を通して悔い改め、このような悲報を聞くこの瞬間から、すべての統一教会の信者は身悶えしながら、父母様のためならいかなることでも成すことを決意し、深い底から完全に心情を一つにすることのできる良い時を迎えたことを、この期間にすべてをお父様の前に全宇宙の前に重ねて発表いたします。愛天日が生まれ、一情会が生まれたので、先日の集まりの中で、すべてをお父様とお母様と子女たちを中心として、祝福家庭と統一教会全体が宣誓いたしました。もし失敗があるとしても、その失敗は神様と父母様には及ばないと宣誓いたしました。きょうは、統一教会全体と世界全体をかけて宣誓すると同時に、神様までも宣誓する瞬間ですので、手を挙げてこれから愛天日を中心とした天上世界と地上世界に、神様の名で私が主管する世界であることを宣布しますのでお受けくださることを切にお願い申し上げます。こうすることによって、統一家族が行き、統一教会が行くすべての世界に万事が一致するように……。直接指導することのできる時代となってきますので、悪の版図を退け、善の版図が朝の太陽のように高く輝くことのできる時代へと越えて行くように……。万万歳の恵みと愛のみ手が共にあらんことを願いながら、真の父母のみ名を通してお祈り致します。アーメン、アーメン、アーメン。---------- ---------- 皆さんは信じて行かなければなりません。すべてが解決されることを信じるのです。皆さんは本然の愛の世界の人であるというのです。皆さん方すべての家庭が本然のアダムであり、エバです。神様と共に生きています。すべての世界は私の足の下にあるのです。だから堕落以前のアダムとエバが創造本然の世界を見たように、皆さん方もこの世界を見なければなりません。そのために先生は今朝このような話をしたのです。皆さんはこれから不平を言ってはなりません。先生は興進様が亡くなる時、涙を流さなかったのです。死ぬ直前に天と地を統一させる統一式を行ったのです。そのような問題を中心として、一歩前進したのであって後退していません。 今度の事件をこの世的に見れば、葬式を出す家のように悲しみに満ちた事件でしょうが、先生の場合は一つも悲しまないのです。一歩前進し、一情会を設定し、愛天日を設定したという驚くべき事実があります。これは困難なことを前進的な基盤に消化させ、それを活用するのです。それが先生の思想なのです。そしてまた、今までそのように歩んでまいりました。分かりますか。 私が興南にいた時、神と霊界と先生が合わさって、監獄の教会と監獄の食口をつくったのと同じように、今回も同じことであると思います。監獄の食口とすべての世界が統一教会の先生の後につくと思うのです。地上の地獄が従うと見るのです。このような条件を立てたので、監獄生活をする必要がない時代が来るのです。なぜかといえば、サタンが蕩減条件を提示する何もないからです。すべての境界線を越えた基準をつくったのです。先生がもし監獄に入るならば、アメリカが騒ぐでしょうし、全世界が騒ぐでしょう。命令すれば何でもできるのです。何の話か分かりますか。 皆さんは自信がありますか?(はい!)。これから先生の旗の下で世界的に動くようになるのです。アメリカも収拾することができないし、共産主義も収拾することができません。ただレバレンド・ムーンのみが収拾することができるのです。では皆さん、先生が監獄に行けば皆さんも監獄に行きたいですか?(はい)。その心があれば何でもできます。だからこれからこのような決心をもって前進しなければなりません。そして神の、天の権威を失わず、天の子女の信義をもって前進すべきです。そういうことができますか?(はい!)。 神が共にあらんことを。アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.21
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「Re[16]:シムソン氏の「お笑い芸人」-- 偽バトン引き継ぐサンク | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)」から:1984年5月はといえば、お父様のダンベリー収監が決定されたときでもあり「愛天日」宣布の時に「愛天燭」を父母様が作られ伝授された。また、一情祈祷会と一情基金もこの時からだった。以下は「愛天燭」伝授のときのお父様の祈祷: 「愛天燭」は祝福家庭のみが灯すことができる特別なろうそくであった。「愛天日」1984年5月20日ベルベディアにて 『愛天日』とは愛を中心として神がすべてを主管する日です。今まで神様は、愛を中心としてこの世を主管することができなかったのです。私たちは愛によって堕落したということを原理を通して学びました。だから愛というのが宇宙の中心であり、また宇宙の中心である神様が相対となるように創った被造世界も、愛の理想を母体としたものです。もし堕落ということがなかったならば、神様が愛を中心としてすべてを主管するようになっていたのです。したがって愛の因縁の中で、神様が愛を中心として、愛のために創った被造世界ですから、その愛が完成する日には、すべてが完成されたのです。 皆さんが創造の段階を見ても分かるように、鉱物世界、植物世界、動物世界へとすべての万物世界が創られているのです。自然と言えば、それは鉱物、植物、動物世界、または天と地、宇宙全体のことです。ではこの宇宙、自然とは何かと言うと、愛で連結されている一つの博物館であり、一つの教科書なのです。そこには昆虫のような生命の短いものだとか、一年間あるいは、数年間生きて死ぬものなどがあります。このような動物世界、昆虫世界、生物世界にも言葉があり歌があります。私たちには分からないが、彼らには言葉があるのです。(笑い) 男子はワンワンと言い、女子はエンエンと言うのですが、そこには調和がありますね。つまり、男子は全体に影響を及ぼし主管する立場であり、女子は一つの目標を指向するそういう面があります。また、肉体においても男子が大きいのは、影響を及ぼすことができるためです。そのために男子は肩幅が広いのです。女子は地を表します。だから地に向かって定着することができるために女子は大きなお尻をしているのです。こういったことから考えてみるとき、どちらが主体でどちらが対象かと言えば、大きいものが主体となっており、小さいものが相対となる論理を否定することはできません。また皮膚を見ても男子はでこぼこで筋肉的ですが、女子の皮膚はすべすべしています。女子はでこぼこではいけませんし、男子が顔を滑らかにするためにいくらクリームを塗っても、ひげが生えてきますからとても滑らかにはなりません。 このようにすべてが相対的なのです。一方が上がったら一方は下がり、一方がでこぼこであれば一方は丸味を帯びているのです。すべてが相対的です。男子と女子の主体対象の観念を中心としてそうなっているのです。また鉱物世界においても、私たち人間には見ることができないが、鉱物自体は自分の相対をみな知るようになっているのです。では鉱物世界においても歌があるでしょうか? ないでしょうか? (はい、あります)。 今日の科学者は宇宙がエネルギーから出来ていると言いますけれど、エネルギーが最初ですか? アクションが最初ですか? (アクションです)。どうしてアクションですか? 鶏が先ですか? 卵が先ですか? (笑い) 今日このような問題に対して、哲学的見解において意識が先か存在が先かということで、民主世界と共産世界、唯心世界と唯物世界に分かれるのです。意識というその存在も必ず作用を通じた相対的関係なくしては成り立ちません。意識というその存在は必ずある作用を経て、意識という力の存在を構成することができるのです。このように見るとき、エネルギーからなっているこの世界は、ある力から出発しているのです。電気的なエネルギーはその一つの例ですけれども、その力は何らかの行動がなければ結果をもたらすことはできません。その主体と対象の間において授受する作用からなっているからです。 それではエネルギーが先か、アクションが先か我々は決めなければなりません。どうでしょうか? (アクションです)。先生はエネルギーが先に来ると思いますよ。(アクションです)。(先生、笑われる) ではそれをいかにして知ることができますか? 例えば電気の場合、プラスとマイナスの作用によって電気が発生しますか? その作用がなくても電気が発生しますか? 雷と稲光がする時に力が出来ますね。電気の作用が続けて維持されることによって、電気の力となるのです。それではどちらが先ですか? エネルギーが先ですか? アクションが先ですか? (アクションです)。これは多分ですか? ねばならないですか? べきであるですか? どうですか? (もちろんです)。アクションだけをやっているとすれば、それは狂人です。アクションはただやるのですか? (いいえ)。アクションがあるとしたら、アクションよりも先に何かがなければなりません。アクションが先か、それともアクションの前にある何かが先かということを考えてみるとき、アクションというのは独りでに成されるというのではありません。主体と対象の関係が成立しないときには、アクションというそのような作用、アクションという言葉は成立しないのです。 「レバレンド・ムーン、その主張は間違っています。アクションと言えばただアクションであって、アクションより先に何かがあるというよりも、アクションがある先にもアクションなのであって、アクションがある前に主体と対象というものはありません!」と、共産主義者はこの点を一番恐ろしく思っているのです。主体、対象の概念をもち出せば、唯物思想や進化論はみな壊れてしまうからです。彼らの弁証法的闘争によって作用が起こり、闘争によって発展がなされるという論理が根本的に崩れてしまうのです。堕落した結果、歴史過程においては適応するが、自然の世界には適応しないのです。ですからより発展するためには、主体と対象が作用しなくてはなりません。すべてがより価値あるものに向かって相対的関係をもとうとしています。ですから宇宙は連続的段階の因縁をもつようになっているのです。 では皆さん、すべての鉱物世界やすべての動物世界はこのような相対的関係の作用を行って、いったい何を成そうとしているのでしょうか? 答えはより大きなものに接するためです。それはその場だけで大きいのではなく、宇宙と連結されたものであり、全体と連結することのできるものです。これはこの宇宙を連結させる回路のようなものです。すべてがこの宇宙の至る所に共通して通ずることのできるものです。それは極めて小さくても、その回路と連結すれば極めて大きくなることができる、何かがなければならないのです。それが一度に動きだす時に、最小から最大のものまでが振動するようなもので、宇宙の一つの片隅から何らかの喜びが起こったときに、それが振動して宇宙全体にこだまとなって広がるようなものです。それはどれほど良いでしょうか。 このように見ていくと、宇宙の中には一つの核を中心として、すべてにプラスとマイナスがあって、小さなプラスとマイナスが一つとなって、より大きなプラスとマイナスと一つとなり、その大きなプラスとマイナスの形態で連結されたものが一つの宇宙なのです。例えばここに中心のプラスの大きなものがあれば(黒板を使いながら説明)、中間にはまた中間のプラスとマイナスがあり、これが一つとなって連結されるのです。そのすべては中心のプラスに到達しなければなりません。そのような作用が何かと言うと、一つのユニバーサルな電気的力、エレクトリックパワーと言ってもいいものです。それは知識の力ですか? (いいえ)。お金の力ですか? (いいえ)。権威ですか? (いいえ)。では、このように宇宙が喜んで笑えるようなエレクトリックパワーのようなものは何でしょうか? (愛です)。ロブスターですか。ラブですか。愛はまっすぐな愛ですか。それとも波のような愛ですか。リズムをもったサインカーブのようなウエーブがどうしてあるかと言えば、そうすることによって味があり、刺激があるからです。まっすぐな愛は一度過ぎてしまえば刺激を感じません。そこにリズムがあり、動きがあるときに全体が喜び興奮し、刺激を感じます。そのためにこのような愛の理想によって、すべての世界がリズムと動きのような概念からなっているのです。高低が和合し、長短が和合しなければならないし、すべてが相対的に連結し得るという概念を見いだすことができます。 例えば人の顔を見てみますと、鼻は高く、目は引っ込んでいます。どうしてこのようになっているのでしょうか。平面的であれば顔を洗うにも、ひげを剃るにも簡単でしょう。(笑い) 人間は相対を愛して喜ぶため、いろんな形を授受し得る万物像として創られたのです。ですから、宇宙には一人という概念はあり得ないのです。本来の宇宙、世界において、私という概念をなくしてしまいなさい。これ(私)が怨讐なのです。私という概念は堕落の贈り物なのです。つまり私たちという場合、神に属し本然に属するのですが、私というのは破壊であり、私一人というのはあり得ないのです。男子がいくら立派だとしても、一人でいれば滅びてしまうのです。相対がいなければ滅びてしまいます。また女性もいくら美人だとしても、一人では滅びてしまうのです。気持ちがいいですか。なぜ男子が生まれたかと言えば、自分のために生まれたのではなく相対のためです。女子は女子のために生まれたのでなく男子のためです。存在の起源は自分を中心として出発したのではなく、相対を中心として出発しているのです。 皆さんは、男であるとか、女であるということがどうして分かりますか? 男も女も目は二つだし、鼻は一つだし、口は一つです。そういう意味では、同じようなものです。同じものをもっています。しかし肉体において、一つだけ男性と女性が違うものがあります。その器官、その特別の部分が女性を女性とし、男性を男性とする最も貴重なものです。それゆえに女は女であり、男は男であり得るのです。それは女にとって最も大切な所です。その場所の特別の機能というものは何でしょうか。その機能の目的は何ですか? それは愛を連結させてくれる、主要な愛のパイプラインのようなものです。 愛を中心として神様が目を大きく開けて、訪ねて行くことのできる愛の至聖所はどこでしょうか。 至聖所はどこですか? それが分からないとしたら小学校にも入れないですよ。(笑い) さあどこですか? 愛の主人である神様が見る至聖所はどこですか? あなたたちの目ですか? 口ですか? 手ですか? どこですか? 探してみなさい。どこですか? (ある人が「パイプライン」と答える)(皆笑い) そうです。そうですよ。笑いごとではありません。笑い話ではありません。女性であっても、男性であっても一生離れては生きられないのです。(笑い) では神様は愛の主人としていつ訪ねて来るのでしょうか? 女性だけいる時だけでしょうか? 男性だけいる時だけでしょうか? (二人でいる時です)。この原則において、プラスとマイナスが更に大きくなることのできる最高の場所が、この世の被造世界と神様と関係をもつことができるのです。神様がその場所に訪ねて来るということは間違いありません。抽象的に見てもそのような結論が出ます。 では、被造世界において誰が一番多くプラスとマイナスの場を占めているのでしょうか? 猿ですか? 鶏ですか? 犬ですか? 鳥ですか? それともキリギリスですか? (人間です)。被造世界においてアンテナが高ければ高いほど、プラスに近づくことができるのです。では被造世界の中で最も高いアンテナは何でしょうか。それは木ですか? そうではありません。最も敏感で、最も高いアンテナは人間です。天と地を通じ、最も高く、またそれ自体が四方へと動くことのできる代表者は人間以外にはおりません。皆さんはどちらが高いと思いますか。人間ですか? 木ですか? (人間です)。人の心はどれほど高いですか。神様も心の果てまで訪ねて行こうとされるのです。しかし神様は、女性だけを訪ねて来ることはできません。女性と男性が一つとなって、それが一つの形態を成したその所に神様は訪ねて来られるのです。 男と女はこのようについて歩くでしょう。だから風が吹いても離れることはできません。風が吹けば吹くほどに良いと言うのです。理論的に適っていますか? それとも想像しているようですか? (理論的です)。理論的ですね。先生の原理講義は面白いでしょう。(はい)。人間は男であっても女であっても各々聖所をもっていますか? (はい)。その聖所をお金で買うことができますか? (いいえ)。堕落したこの世の人たちであっても、「愛は何よりも貴く、天と地を与えたとしても換えることができない」と言うのです。なぜですか? それは聖所であるからです。聖所とは何かと言えば、天とこの宇宙の中心と完全に統一され、一つとなり、理想とすべてを所有することのできる持権があるのです。 では生命と愛とどちらが貴いですか? それは人類歴史において今日まで整理されていないので、分かりませんでした。(愛です)。どうしてですか? 男性の生命であっても、女性の生命であっても、聖所に代わることはできません。生命は聖所と連結されていないのです。愛のみが聖所と連結するために、愛が生命よりも貴いのです。愛の前にはすべてが屈服します。なぜか? それは永遠なる中心であるからです。聖所にすべてが連結されるのであり、すべてを所有することのできる特権が聖所にあり、聖所のみが全体を代表し、全体を所有することができ、すべてを決定することのできる権限があるのです。 人間は何のために生きるのでしょうか? 御飯を食べるために生きるのですか? 生きるために生きるのですか? このような問題を考えてみるとき、御飯を食べるために生きるのでもなく、生きるために生きるのでもなく、愛のために生きるのです。そうですか? (はい)。この結論こそが最も良い結論です。これがナンバー・ワンの結論です。神様はそのように創造されましたし、そのように言われます。皆さん、異議がありますか? (ありません)。 私たちは今朝、最も基本的な多くの問題に対して答えを与えているのです。愛のためにこそ、私たちは生命をも投げ出すのです。夫は妻を守り、妻は夫を守り、生命を懸けてお互いを守ります。愛のために生命をも犠牲にするのです。だから聖なるという言葉は愛に結び付いています。愛のみが聖なるものを作り出すのです。例えば、純粋に自己犠牲的に自分の妻を愛することができる夫こそは聖なる夫であり、自分の親のために生命を犠牲にするようなそういう子供は、聖子であり、孝子と言います。また自分の国を愛するゆえに、自分の生命を犠牲にする人は、聖なる愛国者であると言われます。そしてまた、全人類のために生命を捧げる人を私たちは聖人と呼ぶのです。そして自分のすべての生涯を神のために捧げる覚悟のある人を聖なる神の子と言うのです。 このような結論はすべての動物の世界においても、鉱物の世界でもそのとおりです。霊界もそのとおりです。神様もすべての森羅万象を見て、“そうだ、そうだ”とうなずくのです。このような原則から創られたのであるから、全体は愛のためにあり、愛のゆえに動き、愛のゆえに歌い、愛のゆえに語り、愛のために食べ、愛のために踊り、すべてが芸術世界となるのです。人間がこの宇宙における神の愛の主要なパイプラインなのです。しかし、その主要なパイプラインが夜昼なくフリー・セックスをして回るとしたらどうなるでしょうか? 天と地が真っ暗になるでしょう。それで、「私はあの夫が嫌いだ」と言ったら一度に宇宙が壊れてしまうのです。女性がそう言うとき、その女性はこの世界を破壊させる魔物であり、男性がそうであれば世界を破壊させた悪魔です。離婚することができますか? (いいえ)。今のアメリカはどうですか? フリー・セックス、ホモ、レズ、これはとんでもないことなのです。サタンはこの宇宙を破壊させるため、このような危険なことをこのアメリカの天地に拡大させ、またこれを法的に保障しようとしているのです。 あらゆる愛は電気と電線のようなものです。電気は発電所から出発し、それが遠くまで電線を通って伝えられてきます。それと同じように、愛もその中心的な発電所から生じて、それが伝って来るのです。愛の電線は、中心的な存在である神様から人間の所に来るだけではなく、人間を通して更に動物界、植物界、鉱物界へと伝わっていきます。人間は全宇宙のための愛の媒介体なのです。ところが人間が、神様と万物世界との間の愛の媒介体の役割を破壊してしまっているのです。寒流魚は暖流に接する所で卵を産み、また、暖流魚は寒流に接した所で卵を産むようになっているのです。これが陰陽一致の和合なのです。それでみな移動するのです。それで渡り鳥は行ったり来たりするのです。分かりますか? (はい)。 ですから今日まで、白人と黒人がお互いに信頼をもてない堕落世界であったし、西洋と東洋もリズムをもたない堕落の世界でした。それは真なる愛を知らなかったので不可能なことでしたが、今や真の愛の内容を知って、すべてがリズム化され理想の世界へと展開されるのです。それでは理想世界とは何かと言えば、東洋人は西洋人の境界線を乗り越えて、西洋人は東洋人の境界線を乗り越えて子供を生むことであります。黒人と白人が結婚して子供を生む、これが理想世界なのです。そこで生まれた子供が、世界的な人物となるのです。そのような民族、そのような血族、そのような群が世界を主管することができるのであり、これが自然が願う理想世界なのです。そこで神様が御覧になって、真っ黒い目と青い目の二人が愛しているのと、真っ黒い目同士と、青い目同士が愛しているのと、どちらに関心をもつでしょうか? 私は知りません。皆さんがよく知っているはずです。(笑い) 先生に対する批判の一つは、レバレンド・ムーンは白色人種を破壊するのではないかということです。そしてムーニーたちはみな洗脳されたので気がおかしくなって、白人の男性たちは東洋の女性たちと結ばれても、それでいいと言って国中で愛に陥って喜んでいるというのです。しかし彼らが洗脳というのは本来の状態に戻ることです。どうですか? 今まで真っ黒い目と青い目は争ってきたのに、愛のためすべてが平和になることはどれほど偉大なことでしょうか。白人同士、黒人同士、黄色人同士が結婚するよりどれほどドラマチックで、どれほど神秘的でしょうか、皆さんどうですか? (面白いです)。なぜこのようにするかと言えば、根本的な世界革命を起こすためであります。 聖なる場所は威厳ある権威のある場所なのです。皆さんはもっと威厳をもって愛のことを語り、威厳をもった人生を送るべきです。皆さんは威厳をもって歩き、この聖なる場所からすべての醜いものをなくしていくのです。そういう誇りと威厳をもって生きなければなりません。いずれは、必ず聖なる男と聖なる女が聖なる場所を真に聖なるものとして、腕と腕、手と手をとって歩くそういう時が来ます。悪なる者は退け! 雑霊は退け! 夫婦が手と手を合わせ神を中心として愛する時、通り過ぎる多くの男女はあいさつをしなければなりません。万物もすべて頭を下げるのです。このような時代となるのです。天国というのはこのような愛を讃美する世界的環境をもった所なのです。皆さん! そのような価値をもった者全部が、神を嫌い堕落によって自らの価値を喪失したこの冤痛さ(悔しさ)を知らなければならないのです。それで女性も男性もその所を隠すのであり、その周囲を隠すのです。 鳩は何を象徴するかと言うと、愛を象徴します。その鳩が一つとなる時、「グッグッグッ」と呼び合います。鳩は愛の歌を歌うのです。それを知らなければなりません。そこに平和があります。それを区別しなければなりません。愛があって平和があるのです。愛を呼ぶ猫の鳴き声は気持ちが悪いのです。猫はどのように鳴きますか? (皆猫の鳴き声を出す) それ以上出すのですよ。(笑い) これが原則です。皆さんが笑うということは、そういう話が下品な話であると思うからでしょう。韓国語で言うと『□□□』(SSang So Ri)、それは堕落したゆえです。神様の愛とぴったり一致するものが、本然の理想家庭であったのです。神様は知らないはずがないのです。愛を知っているのにどうしてそれを知らないはずがありますか? 神様は愛を求めておられるのに知らないはずがないのです。こういう話をしているうちにもう一時間過ぎてしまいましたね。こういう話はもうやめてしまいましょうか? (いいえ)。一日中話してもいいですか? (はい)。 先生がこのように汗を流して熱心に話をして、何のためになりますか? しかしきょうはとても重要な日なのです。それでは話を整理してみましょうか。神様がなぜ万物を創造されたかと言うと、愛を探すためです。神様にお聞きするとき、この世の哲学者、神学者などが『神様はなぜ創造したか?』ということにおいては今までにあらゆる説を出しましたし、創造主が聖なる方であり、被造物はうんぬんと様々に言ってきました。しかし神様は、そういった解答については喜びませんでした。レバレンド・ムーンが現れて、「神様はこのようにして創造されたのでしょう」と言った時、神様は“そうだ、そうだ”と喜び、ほほえみました。(拍手) 皆さんの中で今朝鳥の声をまだ聞いていない人は手を挙げなさい。では、じっとして耳を澄ませて聞いてみなさい。鳥の声が聞こえるでしょう? (皆、静かにする) 聞こえるでしょう? それは愛のささやきを交しているのです。これらすべては教材なのです。それはまた、「私は父を愛し、母を愛します」という父母を讃美する歌でもあるのです。ですから、すべての万物は犬でも、猫でも、すべてがみなペアになっているように、私たちもあのような生活をしなければならないという教材なのです。カアカアカアと鳴く真っ黒でサタンの象徴のような醜いカラスも、このような愛をもっていることを思うと、カラスでさえも私たちに何かを教えてくれているということを感じるのです。鳥は飛ぶ時でも、雄は雌に自分の頭を向けて飛び立つのです。それらすべての研究を通して、万物は自分たち以上に人間が愛し合ってくれることを願う被造世界の理想であることを知ります。これら全宇宙は、すべてが愛を中心とした至聖所なのです。そのような結論になります。またそのような植物を食べるときには、愛の心をもって食べなければなりません。愛の心をもたないで食べるときには「私は死にます」「私は嫌です」と、拒むのです。それは人間にも同様です。愛のために生き、愛のために死ぬのです。これが道理なのです。分かりますか? このように見るとき、理想世界と関係のない全くでたらめな論理が世界を支配し、今日の科学者たち、知性人たちが受け入れている哲学(進化論)をなくさなければなりません。弱肉強食というのは話になりません。愛が中心なのです。分かりますか? 愛する妻のために死ぬ時が栄光であり、愛する子女のために、愛する国のために、愛する世界のために、より大きな愛のために死ぬのが生まれてきた誇りであり、価値ある生活であるということを皆さんは知らなければなりません。そして皆さんがそのような世界をもてば、自然はどれほど素晴らしいものか知れません。朝、目を覚ましてすぐに鳥の歌声を聞いて、自然を眺めると花が咲き、すべてが天宙に和動している事実を見る時、朝早く出掛けて行って、自然を通して遊びたい歌いたい本性の心が現れるのです。そのような愛をもつ人は蟻一匹までも愛することができるので、その庭の王子なのです。それゆえに愛をもっている人の家があるとしたら、その庭にはすべての昆虫、動物たちが集まることのできる道理がここにあります。 今日の米国の女性は、お金を儲けるために金持ちの所に嫁に行ってすぐ離婚する人が多いのです。これは滅びる女性です。お金をもらうために離婚する人は天罰を受けます。これらの人々を私たちの手で整備しなければならないのです。このような責任があるのです。愛を絶対視する人間のみを宇宙は歓迎するのです。分かりますか? レバレンド・ムーンは間違っていると言う人は手を挙げてみなさい。(……) 詩においても、愛は永遠なるもの、愛は強いもの、愛は驚くべきもの、愛は生命よりも高く、大きいもの、愛はすべてを失ったとしても大事なものとされています。愛についてはどんな形容詞を用いても十分ではありません。だから愛のみが絶対的な単位であり、また絶対的不変で、絶対的永遠であると言ってもおかしくありません。生命は素晴らしいとか、人生は永遠で不変なるものと言った場合には、それはふさわしくありません。歴史上の文学や詩の中で、最も重要な言葉は人生という言葉ですか。愛という言葉ですか。どちらですか? (愛です)。彼らは詩や文学において、お金を讃えたり権力を讃えたでしょうか? (いいえ)。それはどうしてですか? 簡単なことですが、なぜ愛をこのように讃えたかということを人々は知りませんでした。だから神様は人間の体の中でも聖なる場所を最も安全な深い所に置いたのです。傷を受けずによく保管するためです。だから女性は座るときにこのように座ったらいけないのです。(先生がしぐさで表す) すべての礼儀作法もそのような原則を中心として生じなければなりません。そうすることによって、それは千年も万年も続くのです。それに反したなら長く続くことはできません。ですから倫理を変えようとすれば、愛そのものを変えなければなりませんから、それは永遠ではないのです。愛を改めることができないので、それは永遠に続くのです。 私たち統一教会のメンバーは、一人でいても退屈することはありません。水が流れ、波が岸を打つのを見てもすべてが愛の前奏曲であり、一つの愛の芸術作品として感じるのですね。魚が泳ぐのを見ても、“魚も愛を求めているのだなあ”という具合に、愛に結び付けて考えるならば疲れを感じないのです。サーモン(鮭)などは驚くべき人間の教材です。一度愛して卵を産んで死ぬのです。愛のために死ぬのです。それは何と美しいことでしょう。神様はこのような世界を創ろうとしたのですが、堕落によって壊れてしまったのです。分かりましたか。道を歩く途中でも、鳥が「チュン」と鳴けばそれに合わせて歩くとしたら、何と素晴らしいでしょう。自然のリズムに合わせて生きることが大切です。インコという鳥も愛のシンボルです。そのインコがお互いにくちばしを付け合ったり、鳴いたりするのは、なぜかと言えば愛を表すためです。インコも愛を教えてくれる偉大な教師なのです。本当に夫と妻が愛し合っているならば、たまには喧嘩をしても構いません。なぜなら喧嘩をすることによって、更に次の愛を深めることになるからです。皆さんはそのような生活をしていますか? (はい)。これで男と女のそれぞれの価値が分かりましたね。何のために男と女がいるのか、分かりましたね。女性の皆さんの聖なる場所は自分のものですか? 男性のものですか? (男性のものです)。生まれた時から既に自分のものではないのです。自己中心というのはサタン的観念です。私を主張すればサタン世界であり、私たちを主張するのは、統一教会の世界です。そして神側なのです。一人で生活している人があれば自分を先に考える前に、自分の父母を考え、自分が良ければ良いほど父母を考えなければなりません。結婚したなら夫婦同士が共に考えなければなりません。 アメリカの家庭はどうでしょうか? アメリカは滅びの道にあります。では統一教会はどうですか? (栄える方向です)。皆さんはこのことをはっきり理解しなければなりません。このように神様を中心として、また人間を中心として、神様が愛を主管するそのような日が今までなかったのです。皆さんはどのような本を読みたいですか。理論的哲学の本を読みたいですか? それとも愛を讃美するような歌や詩を読みたいですか? (愛の歌を読みたいです)。なぜですか? それは愛は甘美なるものであるからです。分かりますか? きょうのこの説教は、必ずしもきょうの聖日のためだけのテーマではなくて、これは天宙のすべてが知るべきテーマであり、はっきりと知っておかなければならない重要なことなのです。 堕落とは何かと言うと、愛が侵犯されたことです。堕落ゆえに、神の国もこの世の万事も、愛のために準備したすべてが悲痛なる世界に化してしまって、真っ暗い夜になってしまったという結論です。天国に行けるチケットをもらわなければならなかったのに、地獄に行くチケットをもらってしまったのです。分かりますか? このことをはっきり知らなければなりません。愛をもって天国に行けるチケットが地獄行きに変化してしまったのが堕落です。すべての人々は悔い改めなければなりません。今になって知ったのですから、万物に対して恥ずかしいし、動物に対して恥ずかしいし、鉱物に対して恥ずかしい罪を犯したという過去を悔い改めなければなりません。このような恥を知らずに、今日のアメリカは自分たちはすべて繁栄していると考えていますけれども、それは誤りです。神様が御覧になるとき、アメリカは怒りを受ける立場なのです。アメリカの結果は、アメリカ一国のみに留まるものではなく、世界中に広がっています。アメリカの若い男と女が世界中の若い男と女を滅ぼしつつあるのです。皆さんは罪を悔い改めなければなりません。世界の前にひざまずいて悔い改め、恥じなければなりません。商人たちは世界中を回りながら浮気をしているのです。そのことで世界の女と男をどれほど蹂躙しているかという事実を知らなければなりません。ですからそれを知っているレバレンド・ムーンは、道徳革命を興す責任があります。ですから、この堕落しつつあるアメリカの流れを変えて引き上げようとして、アメリカにやって来たのです。それにもかかわらず、法廷問題で、高等法院がどうだとか、大法院がどうだとか言っているのです。アメリカを生かしているレバレンド・ムーンに対して、神様が送ってくださった特使に対して、このようにするアメリカは天罰を受けるでしょう。しかし、レバレンド・ムーンは神様に対して、「どうかアメリカを罰しないでください。神様どうかその怒りを抑えてください。そして裁きを与えるのをもう少し待ってください。このレバレンド・ムーンが今一度悔い改めて、アメリカを引き戻しますから」とアメリカのために祈っているのです。 今朝、『ニューヨーク・タイムズ』が先生の裁判問題に対して“アメリカが勝ったようであるが、実はレバレンド・ムーンに負けた”と、今まで私たちと怨讐であったニューヨーク・タイムズが発表したのです。朴先生、それを読んであげなさい。(以下、朴先生の説明)「このタイトルは“文氏の大勝利”というテーマで書かれています。これは何を意味するかと言えば、この裁判によってアメリカ政府はレバレンド・ムーンに勝利したと思っているかもしれないが、しかし実際には彼らは戦いに敗れてしまったのだということです」。(拍手) アメリカ政府がレバレンド・ムーンに敵対したとしても、アメリカの人々はレバレンド・ムーンを失いたくないという気持ちで、今後、レバレンド・ムーンを支持する動きとなって表れるでしょう。今朝の新聞の記事がこのことを象徴しているのです。したがって先生は、今なおアメリカに対して希望を抱いています。レバレンド・ムーンを迫害するアメリカ政府は変わっていきます。しかしレバレンド・ムーンがもたらしたアメリカの理想は引き続き残っていくでしょう。(拍手) これまでの話を通して、神の愛は本来アダムとエバを通して完成するように願われていたのが、アダムとエバの堕落が起こった時、すべての創造理想が挫折してしまい、すべての被造物がサタンの手中に陥ってしまったのです。神はすべてを失ったのです。皆さんは親の心が分かりますか? 愛する子供のために親が博物館を造って、子供が喜ぶ姿を見て共に喜びたかったのに、その子供が死んでしまった時には、その博物館を眺めて親は悲しむのです。かえって博物館がなかったならいいと思うほどになるのです。そればかりでなく、神様の愛の対象であったアダムが結婚しようとした対象が、愛そうとした対象が、すべてを捨てて去って行った時、相対のために造ったすべての世界がどれほど怨みの対象となったことでしょうか。神様は一挙にすべてを壊してしまうこともできるのです。神様自体絶望期だったのです。したがってこれを再び取り戻し、復帰して、再創造しなければならないのです。 では堕落がどこで起こったかと言えば、(黒板に書かれる)長成期完成級で起こりました。それゆえ長成期完成級がサタンに奪われてしまいました。人間は神の直接主管圏に入ることができず、すべてサタンの勢力のもとに置かれるようになってしまったのです。誰の所有になったのですか? (サタンです)。(黒板の図を示しながら説明) 私たちはこちらに行かなければならないのに、ここに来てしまったのです。人間は本来、神の直接主管圏内に入ることを目指していたのが、堕落によってサタンの主管圏に入ってしまいました。それでサタンの奴隷のような状態から出て来るためには、人間は何らかの証明書が必要です。堕落圏を越えることのできるパスポートが必要です。これが問題なのです。そのチケットをいかにしてもらうことができますか? 私たちは自分自身の力でもっては、このサタン圏内を脱出することはできません。神様が再び苦労されて私を選び出してくださる道しかないのです。自分ではできません。自分ではできないのです。 これはサタンを中心とした堕落した愛ですが、本性としての愛を中心として堕落したので、愛以上の力がないのです。サタンは九〇パーセントの力で人間をしっかり掴み込んでいるため、これを凌駕する力というのはないのです。では、サタン的愛に勝る百パーセント以上の力がどこにあるか? それはただ一つ、この宇宙全体の中で神様の愛しかありません。神様を中心とした本然の愛しかないのです。そしてサタンも堕落した天使長ですから、本然の愛の前では自然に支配を受けるのです。これが創造原理です。分かりましたか? このことをはっきり知らなければなりません。人間にとって唯一の希望は本然の愛です。それゆえ本然の愛を追求してきたのが宗教の道でした。ですから、本然の愛を求め、本然の理想世界を求め、それを再び取り戻そうとするのが宗教運動なのです。堕落した世界に宗教運動があったという事実は、神様が本然の愛の世界へと導くための方策でした。もし宗教運動が現れなかったら、神様がいないということになりますが、この事実を見て、正に神様がおられるという結論を下すことができます。 では堕落世界に住むすべての男子、女子たちは何を探しているのかと言えば、本然の愛を探し求めているのです。すべての家庭も本然の愛を求め、すべての国々も本然の国家を求め、また世界も本然の愛を中心とした、本然の愛の世界を探し求めているのです。そのような世界が理想世界であるということは間違いのないことです。理想世界がどんな世界であるか分かりましたか? この世の人々はまだ理想世界を知らないでいるのです。皆さんが理想世界は何かと問われたとき、理想世界は理想であると言うことだけでは十分ではありません。理想世界は本然の愛を中心とした世界であります。それが本然の世界であり、理想世界なのです。そして世界的に拡大されたのが地上天国なのです。神様はそこに臨在されるのです。皆さん、はっきり分かりましたね? (はい)。 皆さんは本然の人間ですか? 皆さんは天の本然の愛をもっていますか? (いいえ)。すべて違いますね。これが堕落なのです。それゆえすべての人間は探し求めていかなければなりません。百パーセントの力をもったその世界を通過しなければ生きる道がないのです。神様を探し求めなければならないし、宗教を中心とした愛の道を探し求めなければならないという結論が出るのです。本然の愛があればサタンに近づいて行くことができます。そこでサタンは屈服するか、それとも後退するか二つの道しかないのです。原理がそうなっているからです。宇宙の公約なのです。所有主は所有することのできる特権があります。これが原理原則の条約です。本然の愛は神様も主管することができ、サタンも主管することができるのです。それで神様は再び創造することができず、救わなければならないのです。堕落した世界はすべてが神様を探し求めるため、宗教を信じなければならないという結論ですが、今日のこの終末時代には宗教がなくなりサタン的全権時代へと化していくことを知っているので、神様がこのサタン的なものを壊して追い出して、この世界に神様の使命を中心として送った方がメシヤであることを知らなければなりません。 そこで、宗教の中でも中心宗教は、このような愛の原理を完全に備えて現れなければなりません。神を私たちの父であると言い、自分たちを子女と言い、信者たちを妻と言う家庭的理論をもった宗教でなければならないという結論が出ます。メシヤは本然の愛の家を作るために来られるのであり、その家庭が出来れば、国が出来るし世界が出来るのです。そのような基盤となる宗教が中心宗教であると見るのです。そのような観点から見るとき、キリスト教は神様を父とし、イエス様も「神は父であり、私はそのひとり子である」と言いました。これは驚くべき言葉なのです。このような原則において見るイエス様は、神様が送ってくださった原理を中心とした本然の愛をもった代表的男性であったと言うことができます。これは間違いないことです。そのためにキリスト教を中心として、神様を中心として世界化していくということは自然の理法なのです。神様が世界を救おうとするその版図を占領するのはこの道しかないのです。サタン世界の愛以上の愛で連結できる版図をもつためにも、キリスト教が世界的な宗教にならざるを得ないという理論的結論も出るのです。 このようなキリスト教であるのに、間違った神学によって大きな誤りを犯しています。ただ単に信仰をもっただけでは天国に入ることはできないのです。愛を実践しなければ天国に入れないのです。イエス様は死ぬために、十字架にかかるために来られたのではありません。その責任は使徒パウロにあり、使徒パウロの罪は大きいのです。ただ信じれば天国に行けるの? いいえ。愛の理論をもたなければ天国に行けません。堕落圏内を逃れることはできません。終末において神様は再臨主を送ってこの死亡圏を撤廃して、すべて奪ってくることを願っておられるのです。世界的な主管圏をもったキリスト教文化圏時代が訪れた時、福音が全世界の隅々まで伝えられ、イエス様が来られるのを待ちなさいというのが終末なのです。では、この世の人々は再臨主をどうやって知ることができるでしょうか? 神様と愛の関係、本然の愛と関係を結ぶ、このような内容をもって、教えてあげるのが再臨主です。そのような内容を教えることのできる人は歴史以来、全人類が反対し、世界のすべての宗教、主義思想が反対するたった一人の人であります。イエス様もそれを教えることができなかったのです。それを最後の日にはっきり教えてあげるのです。 それは、レバレンド・ムーンを通して本然の愛をもった神様を発見することができ、レバレンド・ムーンを通して本然の愛をもったアダム・エバを探し出すことができ、またレバレンド・ムーンを通して本然の神様の愛と本然のアダム、エバがもつべき家庭を探すならば、これで全部なのです。そうすることのできるレバレンド・ムーンならば、それは本物であり、そうでない時は価値がないのです。メシヤとは何であるかと言うと、真の父母のことです。真の父母は何をするかと言えば、神様が願っている神様を中心とする愛の家庭を創らなければなりません。それが真の父母のすべてです。そして九〇パーセントを百パーセントで愛することによって、サタンは自動的に後退し屈服するのです。(黒板を使用) それは理論的でしょう。(はい)。本来一九四五年にキリスト教文化圏世界が先生を支えたならば、先生の今日のような法廷問題ということはあり得なかったのです。その時は、アメリカを中心としてキリスト教が世界を支配し、歴史始まって以来キリスト教文化圏が世界を代表することのできる第二次世界大戦の直後だったのです。これは歴史上の千載一遇の好機でした。キリスト教が世界を支配することのできる時だったのです。 では、キリスト教思想から考えてみるとき、再臨のメシヤはいかなる時に来られるのかと言えば、キリスト教が世界を支配することができるそういう基盤をもった時です。分かりますか? (はい)。歴史上、そのような時が今まであったでしょうか。その時こそ、正に神が最終的な摂理のために働くことができる二千年のキリスト教の歴史において前にも後にもないチャンスだったのです。神様はその絶好のチャンスを知っておられ、この二十世紀のローマとしてアメリカをキリスト教国とし、世界にキリスト教の基盤を広めてこられたのです。そのためにアメリカがキリスト教文化圏を代表する中心国家として繁栄していったのです。この時、レバレンド・ムーンはイエス・キリストの使命にあり、キリスト教は二千年前のユダヤ教の立場にありました。そしてアメリカはローマの立場にあり、韓国はイスラエルの立場にありました。これらはすべて神側になっていたのです。一つの側に立っていたのです。神側にいたのです。イスラエルがローマの統治下にあったのと同じように韓国が直ちにアメリカの統治下に置かれるようになり、法的に軍政に入ったのです。李承晩大統領はキリスト教信者だったので、キリスト教を中心とした大統領の国家形態が始まったのです。そして蕩減の法則によって、個人から家庭、家庭から氏族、民族、国家、世界へと歩まねばならない路程が始まります。もしメシヤを認め一体化するならば、これらが一度に七年間ですべての路程が達成される、そういう状況にありました。先生が四十歳になる前に世界の復帰は終わっていたかもしれないのです。そうすれば、そのようなキリスト教を背景としてお母様が来られたでしょう。ある意味ではイギリスの女性の中から選ばれていたかもしれません。一度に成されるのです。 先生はどうすれば世界を早く復帰することができるかということだけを真剣に考えています。しかし、実際に先生および、その運動が韓国から受け入れられなかったために、再蕩減しなければならず、多くの問題が生じるようになりました。もし受け入れていたら、韓国における運動は世界的、宇宙的、天宙的な運動となっていたことでしょう。もし、英国の代表がお母様になっていたとしたら、アメリカはイギリスの言うことをよく聞くようになっています。アメリカはイギリスが生んだ息子のような立場です。自然にお母様に頭を下げ従ったことでしょう。どれほど早かったかしれません。 先生が今、多くの反対を受けているにもかかわらず、世界にこれほど基台をつくることができたのですから、もし先生が反対を受けないで、全面的に歓迎する世界の中では、七年間で基台をつくることができないでしょうか? 先生はそれを成す能力があると思いますか? もしその時、そのようになったならば共産主義は先生の手の中でなくなってしまうのです。先生によってなくなってしまうはずだったのに、このキリスト教が反対してサタンと一つになることによって、共産世界が拡大し、今や世界の三分の一を支配するようになってしまったのです。その時に先生がみ旨を成就していたならば、アメリカがローマの立場でしたから誰が反対したでしょう。誰も反対することはできません。ローマの頂上に立っているシーザーを誰が反対することができますか? 誰も反対する者はいなかったでしょう。そして彼らは国連を作りましたが、指導理念を与えることができませんでした。世界を指導すべきアメリカは責任を失ったことによって、共産主義者が支配する国連になった事実を知らなければなりません。すべてが、再びサタンに完全に奪われてしまったのです。アメリカ自体が奪われ、自由世界自体が奪われ、キリスト教会にまでも共産主義者が入ってきて支配することのできる、このような実情になってしまったのです。たった一つだけ統一教会だけには入ってこれないのです。 きょうは先生の公判から一週間目に当たる最初の聖日です。きょうのこの言葉はみな、CIAに報告されるでしょうが、よく聞いておきなさい。アメリカをいかに指導すべきであるか、それは神様の命令によるしかないのです。レーガン大統領、共和党だけではできません。レバレンド・ムーンに聞いてみなさい。アメリカを七年間だけゆだねてみなさい。世界をきれいに整理するでしょう。(拍手) 先生は監獄に行っていかなる苦痛を受けたとしても、この仕事を実践していくために組織編成をしました。私たちは神様が願われるアメリカと自由主義をリードすることのできる版図と組織を作らなければなりません。 第二次世界大戦直後にキリスト教を中心としての摂理が失敗したので、四十年の蕩減路程を経て、再び探し求めて今日を迎えたのです。この時こそ、キリスト教と一つにならなければ世界を救うことができないために、アメリカで法延闘争が起きた時に先生は韓国にいたのですが、わざわざアメリカに帰って来たのです。アメリカのキリスト教を救い出さなければならず、世界的キリスト教の中心であるこの国が世界を支配していた時の大きな基盤(本然の基盤)を立たせるために、先生がアメリカに戻って来たという事実を知らなければなりません。統一教会とキリスト教が一つにならなければなりません。もしキリスト教と一つになれなかったらアメリカを救う道がないし、自由世界を救うことができないし、神のみ旨を立てることができないのです。そうなればアメリカも失うし、自由世界も失うし、世界をみな失ってサタンに侵犯されてしまいます。 法廷闘争を中心として、先生は二千年前の失敗を蕩減復帰しなければなりませんでした。今回は弟子たちは誰も去る者はなく、キリスト教が先生と一体化し、そしていずれはローマ帝国なるアメリカ国民も先生と一体化するでしょう。このようにして先生は二千年前のイエス様当時の失敗を復帰することができるのです。韓国で生まれたレバレンド・ムーンが、アメリカにおいて統一教会を中心として自由世界のキリスト教を一つにするならば、韓国は自然に一つになるのです。一つになるようになっているのです。先ほどお話ししたとおり『ニューヨーク・タイムズ』の記事は歴史的な宣言であり、摂理史的な宣言に価する言葉なのです。(はい)。(拍手) そうすることによって韓国が一つとなるのです。韓国さえ一つになれば、アメリカも一つになる道ができるのです。分かりますか。それは今回の法廷事件のゆえです。先生が十字架を背負うのです。イエス様は十字架を背負うその瞬間に十二弟子を失い、ユダヤ教を失いイスラエルの国とローマを失ったのですが、先生が十字架に掛かるその瞬間に、統一教会は団結するのです。統一教会が世界的基盤を立てて、失ったキリスト教を探し出して立たせ、反対する韓国を立たせる基盤となり、日本と全アジアが連結されることによって、アメリカがついて来る基盤となるのです。これこそ歴史的な一つの転換期です。正に歴史的な蕩減を宣言することのできる深刻で深長な時間であることを皆さんは知らなければなりません。 したがって、四月末までに韓国では七百万会員を募るように宣言したのです。(拍手) これに相対して日本においても七五〇万会員、アメリカにおいてもこれから四千万会員を連結することができれば、三カ国は完全に一体化できるのです。韓国と日本とアメリカが一つとなれば、原理的には、アダム国家、エバ国家、天使長国家が一つになることであり、そこで世界は回転するようになっているのです。これは私たちの政治運動ではありません。既に宣布した七百万の会員は勝共要員なのです。統一教会はこの国アメリカを救うための救道の組織編成をするのです。昨日みな決意しましたか? (はい)。すべて組織編成は済みましたね。(はい)。皆さんそれではやりますか? どうしますか? (はいやります!)。では手を挙げてください。神様に感謝いたします。皆さんに神の祝福がありますように。(拍手) 先生は、蕩減復帰の原則において、二千年前に起こったことの蕩減復帰をしています。イエス様が国家的基準において十字架上で亡くなっていったのを、先生は世界的な基盤で世界を神側に引っ張って来ようとしているのです。今は正に愛を中心として世界を一つにすることのできる世界的基盤が展開する歴史的瞬間です。そこで神様を中心とした何かの日を定めざるを得ないという論理が成立するのです。 最後の段階は七年間で達成されることになっていましたが、(黒板を使いながら)キリスト教の反対によって、二十一年間に延長されました。そしてこの間に先生は世界的な基盤を築きました。今日、アメリカの裁判所が何と言おうと、最高裁が何と言おうと、歴史と国民が擁護するようになります。これが正に究極的な裁判所です。その究極的な裁判所である世界と世論の前で、先生の名前と無実が証明され、先生が正義であることが明らかにされるでしょう。そう思いませんか?(はい、思います)。歴史上において、多くの宗教者や聖人たちが生きて越えられなかった道を、先生は生きて歩み、走っているのです。今が気の詰まるほどの峠を越える瞬間であることを知らなければなりません。人間の堕落ゆえ、真の父母はこの完成基準の上に自らを打ち立てることができませんでした。それゆえに、真の父母はこの蘇生期の完成級において現れ、この完成級に至る期間を戦って切り開いてこなければならなかったのです。そこで個人蕩減、家庭蕩減、氏族蕩減、民族蕩減、国家蕩減、世界蕩減まで経なければなりませんでした。そして今はいかなる時かと言えば、真の父母様がこれらすべての世界蕩減路程を完全に越えて、直接的愛の圏を中心として、原理主管圏に世界全体と霊界全体を統合することができる時なのです。キリスト教が先生を信ずれば七年間でできたのに、不信したことによって、キリスト教二千年の歴史を二十年で蕩減復帰し、二百年のアメリカの歴史を二十年に短縮させて蕩減してくるのです。 一九七六年を中心として、最高にサタン勢力と対決しました。そういう意味でも一九七六年はレバレンド・ムーンが最も祝福を受けた年なのです。それでその時の勝利的基盤によって『天勝日』を宣布しました。それゆえカーター政権は、先生の勢力の拡大を恐れ取り調べを始めたのです。このような非法的な告訴は神様は聞き入れません。もし聞き入れた日には一挙に福を奪ってくることができるのです。一挙に先生が福を受けるのです。過去の歴史を思い出すときに、もしニクソン大統領が先生の話を聞いていればベトナムは失うことはありませんでした。また引退するときに先生に一言相談したならば、あのように追い出されずに済んだのです。 もはや、アメリカの体面は地に落ちました。アメリカの国民がニクソン大統領に反対し、レバレンド・ムーンに反対したことによって、ベトナムにおいて敗者としての歴史的汚点を残したのです。ニクソン大統領と共和党が一つとなって先生の話を聞いていたならば、あのようにはならなかったはずです。次にフォード大統領を経て、カーター政権を中心として闘いが始まるのです。しかし神を中心としたレバレンド・ムーンの絶対的な反対のゆえに、カーター大統領は落選し政治生命を失ったのです。またフレーザー下院議員に対する戦いにおいても先生は勝利しました。これまで左翼的なアメリカのリベラリズムの勢力がアメリカ政界に拡大していましたが、先生と皆さんの力によってチェックしたのです。そこで、リベラリズム的勢力は法廷闘争へと切り換えたのです。 しかし、先生はアメリカを愛しています。なぜかと言えば、カインを愛さなくては神の国に入ることができないからです。アメリカの過ちは先生が責任をもちます。このような式です。“神様! アメリカの過ちは私が責任をもちます。これからは私が生命を懸けて監獄から帰ってきて責任をもちます”、判決が下った瞬間先生はそのような祈祷をしました。今は強く雄々しくなければなりません。皆さんは泣いてはいけません。お母様と一つとなり、若い孝進様と一つとなり、若い息子娘たちと一つとなり、私の家庭と一つとならなければならないのです。家庭が一つとなることができないがゆえに、このような不祥事が起きたことを思う時、今こそ一つとならなければなりません。祝福家庭の十二家庭を中心として、全体が一つとなる宣言式をなし、統一的な宣言式をなし、昨夜この聖地において徹夜祈祷を行い、『一情会』を設立しました。世界的な地上天国になるまで、心の中で悔い改めなければならない歴史的過誤が残っているので、一情会を中心とした心情世界を祈祷を通じてこの世界に連結させていかないと、アメリカが滅びます。ですから心情世界の中に、一情会を作ったのです。アメリカの誤りは自由世界の誤りであり、そのことを誰もが責任をもって悔い改めるのです。それが一情会です。神様は第二次大戦直後のみ旨を今、アメリカを中心として摂理されています。世界すべての国家を救うまでこの一情の精神をもって、私たちはすべてを捧げてやっていくのです。 蕩減を払わなければならないという時代はもはや終わりました。これからは私たちが求めればすべてを主管することができるのです。新しい時代が訪れたのです。だから何の日を宣布しなければならないかと言えば、愛でもって神様が主管することのできる時代を宣布しなくてはなりません。サタンが主管していた世界を神の愛で主管するという、轄を打ち込まなければなりません。それは誰によってかと言えば、中心となる真の御父母様によってです。アダム、エバが堕落したため、堕落の愛によってすべてが反対の道へ行っていたのを、真の父母の愛を中心としてサタン主管圏から神様の主管圏へと引っ張って来るのです。その日を法廷宣言と共に決定することにしました。ちょうど良いチャンスなのです。イエス様は十字架上で死んで三日間どこに行ったかと言えば、地獄に行って来たのです。それはこのサタンの地獄世界に起こるすべての復活圏を立てなければならない責任を果たすためなのです。それと同じように先生もこの地上の地獄たる所に行き、そこで天の愛を打ち立て、それを復帰し復活するのです。イエス様は霊界の父母となるのですが、先生はこの地上の父母の権限をもって、神様の愛を中心として統治時代へと前進していくのです。 愛の宣布式をしなければなりません。皆さんは知らなかったでしょうが、既に天において一九八四年五月十六日零時五十四分に『愛天日』が宣布されたのです。それは最高裁の決定が下されて三日目に当たります。その三日間の苦しみの時を通過した後に、このように天の愛によって世界を主管するという日を宣言したのです。分かりましたか? これから私たちが苦難を受ければ受けるほど、神様が訪ねてくださるのです。そしてサタン世界が蕩減しなければならないのです。今まではサタンの愛の主管圏内に入っていたために、すべてのキリスト教と宗教者たちが、アベルとして蕩減してきましたが、これからはカインが蕩減する時代に入っていくのです。昔は苦労してもみな涙と共に流れていきましたが、これからの皆さんの苦労はすればするほど喜びとともに、歓喜とともに満ちあふれるのです。このことをはっきり知らなければなりません。これからは一生懸命に働けば働くほどプラスとなって蓄えられていくことになります。それゆえ、すべては皆さんにかかっています。今までの神側はそのような位置になかったのです。なぜかと言えば、サタンがすべてを奪ってしまっていたからです。しかし今からは、サタン世界から神側に転換してくるのです。 昨日も話したように、先生がキリスト教と統一教会との一体化をなさなければ、先生はみ旨を達成したとは思いません。そこでこの法廷闘争を通してキリスト教と統一教会が一つとなり、アメリカの国民と統一教会のメンバーが一つとなることができるのです。先生はアメリカをどのように思っているかと言えば、堕落以前の本然の人として取り扱い接しようと思っています。アメリカは敵ではなく本然の世界であると見るのであって、怨讐とは思わないのです。このように思う先生に反対すればするほど、逆に善なる人たちがどんどん祝福を受けるようになるのです。政府とは国民が国民のために選んだものであるので二番目です。政府自体が主体ではありません。国民が選んだのであるから政府も国民について来るようになっているのです。そのような観点から見て、アメリカはこれから神様の領土となるでしょう。決してサタンの領土にはなりません。(拍手) 先生はアメリカをこのように本然の愛をもって見ているのです。レバレンド・ムーンに反対したすべての人々も、“レバレンド・ムーンは罪なくて行かれた方であり、生きた聖人であり、人類歴史において讃美を受けるべき愛の聖者である”と讃える時が遠からず訪れるでしょう。そうなればすべては終わるのです。そうなれば四十日以内に四十億人類を教育できる時代が来るのです。宇宙時代が来るのです。分かりますか。驚くべき時代が訪れたのです。 このような世界を目の前にしている私たちは、忍耐心を強くもつことです。明日の勝利は神様が役事します。私たちは早く前進しなければなりません。一瞬とも遅れることはできません。遅れることはサタンが私たちの中に侵入することになります。私たちは四千万キリスト教信者を糾合しなければなりません。夜も昼もありません。かつて、ローマの四百年の迫害の時には、早朝に捕えられて殺される人がいましたし、眠る前に捕われていって死刑になる人がいました。しかし、自分の死も顧みないで神のために祈り、見事に殉教しました。そのような哀魂たちを思いながら、また歴史上のすべての曲折を考えながら、この国のために神様の解放のために走らなければなりません。 それではここで幾つかの質問をします。それはきょう宣布した『愛天日』にサタンが讒訴する条件をなくすためにです。まずお母様に対して、「お母様はみ旨に対して、完全にお父様と一つとなって生死を越えてでもやっていける自信がありますか?」(はい)。このことをお母様が完全に約束をしたので、もしお母様が失敗するようなことがあったとしても、サタンはもう讒訴することはできないのです。 次は、孝進様と上の姉と四家庭です。「あなた方は完全に父母様と一つとならなければなりません。もしあなた方が誤ってサタンの条件に引っ掛かるようなことになって、サタンがあなたを侵犯して悪い役事をしたとしても、父母様とみ旨の前には絶対に支障をきたさないことを誓いますか?」(はい)。今までにこのような宣誓をすることができなかったので、弟が責任もち、私が責任をもっていることを知らなければなりません。分かりますか。 次は、祝福家庭たちです。「三十六家庭を中心としたすべての祝福家庭は完全に父母様と一つとなり、子女様と一つとなることを宣誓しますか?」(はい)。今まで皆さんが問違った時には、父母が責任をもってきましたが、これからは父母は責任をもちません。分かりましたか? そういう意味で、きょうは真の父母の解放日です。父母が責任をもつ時代は終わったということです。今後皆さんがいかに間違ったとしても、神の国に、真の父母様の前に全世界の摂理の前に支障をきたしてはなりません。 今まで愛の中心である『愛天日』を定めることができなかったので、すべてを父母が、先祖のアダム、エバの立場において追求されてきましたが、きょうの『愛天日』を期してはそれを越えていくのです。今までアメリカの統一教会が過ちを犯したらすべてレバレンド・ムーンが悪いと言われましたが、これからは違います。これからは皆さんが責任をもたなければなりません。もし間違ったら皆さんが責任をもたなければなりません。これからは神様と真の父母の解放圏が始まるのです。 ここに全世界を代表して、一二〇カ国の宣教国の代表が集っているので質問します。「先生のみ言を中心として完全に一つとなって、愛の主管圏を越えていくことを誓いますか?」(イエス、ファーザー。イエス、ファーザー。イエス、ファーザー。アーメン)。皆さんは真の父母に自由を与えました。解放を与えました。(拍手) 先生はこれからは解放の場に行きます。歴史の転換の時代です。(拍手) それで一九八四年のきょう、先生は既に祈りの中で宣言しました。死の恐怖も愛でもって消化し、監獄の恐怖も愛でもって消化する、そのような宣言をしたのです。人類を中心として死を愛で消化し、今日の法廷闘争と地上の地獄を愛で消化するこのような式を先生は挙げました。『愛勝日』と『愛天日』を定めたという事実は真の父母がいなくては不可能なことです。真の父母が現れて、歴史上にこのようなことをすべてなして、後代の人々が行く道を高速道路のごとく作ってあげたという事実を、歴史をおいて永久に『愛天日』を誇りとし、『愛天日』を讃えつつ、記憶すべき日であることをこの時間宣言するのです。 親は息子を亡くした時ほど悲しいことはありません。しかし愛で越えたのです。すべてを愛でもって消化していく特権的な日を定めて、勝利の轄を打ったのです。愛のみがすべてを主管することができるのです。皆さん、これから転換が始まります。統一教会の喜びとなり、キリスト教の喜びとなり、自由世界に蘇生の光が差してくるのです。このような運動がこれから始まります。この誇り高き戦いと活動を展開していかなければなりません。既にイースト・ガーデンでは先生を中心として、また家庭を中心として『愛天日』を宣布しましたが、きょうこの時間に世界的に宣布します。今後私たちは百戦百勝するでしょう。蕩減時代は終わりました。これは世界の縮小であり、霊界縮小であり、神様の代わりにレバレンド・ムーンと一つになった場において、このような日を全宇宙の前に永遠なる歴史世界に宣布するという日であることを知らなければなりません。今や私たちは『祖国創建』という合言葉を中心として、前進することのできる時代に入ったのです。愛の地上天国を建設する時代へ進軍するのです。この時に進軍すれば愛国者の名を得て、神様の指示によって成すことができます。分かりますか? (はい)。皆さん立ってください。 互いに二人で手を重ね合って、お父様とお母様の代わりとして、父母様の愛の相続を受けるのと同じです。分かりますか? この世の中にはすべてのペアがいます。そのペアの中で愛が成立されるのです。それが正常です。相続権を中心として相続されるのです。愛の主管圏を宣布するのです。神様を中心としたペアにならなかったので、悪の主管圏に入ってしまったのでありますが、これからは神様を中心としてペアの世界化時代に入っていくのです。神様の愛の主管圏へ越えていくのです。分かりますか? ではお祈りしましょう。 愛するお父様。きょうは一九八四年五月二十日でありますが、この時間は一九八四年五月十六日の零時五十四分にイースト・ガーデンにて家庭的基準で宣布した『愛天日』を世界史的宣布の日に連結する日ですので、お父様がこの場に御臨在してください。 地上に真の父母がおられ、天の父母がここに臨み、霊界の興進様とイエス様を中心とした一二〇カ国家の統合的な環境的霊的世界すべてがここに臨み、地上の一二〇カ国の復活圏内の象徴的な実体がすべてここに臨んでおられるので、この場を期して、今まで悪なる愛によって神の主管権と所有権が奪われていたので、今、この世界史的な蕩減の頂上において、真の父母の愛と神の愛を中心として失われていた相続権を再び復帰すると同時に、愛の主管圏を立てることのできる『愛天日』を宣布するというこの莫大なる歴史的頂上に立っていますので、天、地、万宇宙が願っていた希願の日でありますので、一つの心、一つの志、一体の心情圏において、父母様の宣布されることを大いに歓迎しながら、お受けくださることをお願い申し上げます。 神様が共にいてくださり、父母様が共にいてくださり、父母様を中心として真の子女たち、祝福家庭が一体となり、神の国の愛の圏を中心としてこれから相続時代に向かって、前進することを宣布しますので、全天宙がこの時間を厳粛に受け止められることをお願いいたします。神の名と真の父母の名をもってここに『愛天日』を宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン。お父様、お母様、真の父母様、万歳。万歳。万歳。(拍手) 皆さん、これからは良い日が来るでしょう。だから今は汗を流さなければなりません。神様がすべて見ておられます。収穫期になったのです。『一情会』を知っているでしょう? 一情というのは全世界の間違ったことを私たちが代わりに贖罪して、すべての責任をもってあげ、そして『愛天日』を教えてあげるのです。興進様が行くことによって霊界の地獄の門が開かれたように、これから地上においては、地上の地獄の門が開かれるのです。すべての人々が神に直接通ずるようになるのです。霊的地獄世界と地上の地獄世界の監獄にまで通ずることができるようになったのです。 イエスが三日間地獄に行って門を開けたのと同じように、先生は三日間で地上地獄の門を開けたのです。分かりましたか? では朴普煕先生お祈りしてください。 (朴先生の祈祷) イエス様は十字架に掛かることによってすべてを失いましたが、きょうの『愛天日』の宣布によって、すべてが連結されます。これをはっきり知らなければなりません。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「創立三十周年記念日に際して」1984年5月1日 お祈り 愛する天のお父様。一九八四年五月一日、きょうは教会を創立してから三十周年の記念として、祝賀の日をもつようになったことを真実に感謝いたします。思えば今から三十余年前、複雑多難な復帰の摂理のみ旨を前に、世界史的な使命を促求された摂理の途上において『世界基督教統一神霊協会』という看板を掲げて、いつの間にか三十年という歳月が過ぎ去りました。 今こそ、歴史的な最後の頂上を越えて行かなければならない分水嶺の一つの頂上を目の前に直視しながら、最後の決断をなして天と地に勝利を宣布することのできる時代的な一時点に匹敵するこの時に、三十周年という日が、歴史的な観点からみてどれほど膨大であり、天の摂理的な記念日であるかを今一度心から思い、その期間、天がどれほど御苦労されたかという事実に対して、過去において私たちの先祖たちが犯した罪を回想しながら、また歴史的時代に生まれ合わせたすべての民たちが天の前に犯した過ちと、これからの後代、未来の後孫たちを見つめながら、今後もお父様の愛を通して許しを再び求めなければならないこの息子の姿をかわいそうに思って御覧ください。 この場に集っている子女たちは、世界各国から集ってきた後孫です。さらにこの国は、ヨーロッパのカトリック(旧教)が新教を迫害することによって、理想的国家の実現を求めて、大西洋を渡り、神の保護圏内で聖別されたアベル圏民族として新教を中心とする国家的理念を唱えるアメリカ合衆国であることを私たちは知っております。 このようにアベル的民族として立てられ、お父様の聖なるみ旨を世界史的な意味で一時に、国家と国家を蕩減し、勝利の天国にするために、カイン圏の国家を屈服することのできる一つのモデルケースとしてあなたが準備してきたのが摂理的アメリカの歴史でありましたが、アメリカ国民はこれを知らず、またアメリカ自体がそのみ旨の使命において担当すべき責任分担が何であるかを知らなかったため、アメリカが犯した歴史的な過誤がいかに大きかったことかを知っています。 キリスト教文化圏を中心として、全世界を神のみ旨の中において一つの胸に抱くことができた勝利の版図は、第二次大戦以後にアメリカが対処していた立場を考えてみると、その時天は拍車を合わせ、外的な世界の版図圏を整えた基盤のもとで、内的世界版図圏の基として出発させて、個人的な結束、家庭的な結束、氏族、民族、国家、世界的な結束を七年間に成すことでした。 キリスト教と自由世界が責任を果たせずして、お父様が準備しておられた完成期間を失ったその日から、神の祝福圏内に立つことのできる道を離脱して、神と背反し、あなたの版図の内的な中心である統一教会に反対することによって民主世界は悲惨なる歴史的罪を犯すことになり、サタンが支配する圏内に入ってしまったのです。これらのすべてを蕩減するためには、韓国における『六・二五動乱』という一つの祭物的な犠牲を通して、自由世界を代表した十六カ国のすべての若者たちが血を流し、共産世界の侵犯を防ぐための一つの橋頭堡的戦争があったことを摂理的な観点から再び思い起こします。 その時に血を流したすべての哀魂たちは、キリスト教を代表し、自由世界を代表して神の祭物的な立場に立っていたことを、霊界に行ってみて知り、地上の摂理の統一教会の発展を心から祈っております。また、霊界に行った数多くの歴代の聖賢、聖哲、すべての霊たちが地上に来て、すべての宗教を中心としたすべての信者たちに、今までの徹底したキリスト教を中心とした信仰者たちに協助し、心を一つにして摂理的な最終着的な目的のために邁進する統一教会の発展を精誠を込めて祈り、最後の頂上のその一時がこの世界に成されることを祈ってきたという事実を再び回想する時、先祖たちが霊的に祈願していたみ旨と、蕩減の歴史を知らない地上のすべてのキリスト教とこの自由世界の最後の運命を迎える現時点において、統一教会が初めて一つの正常的な立場において世界と人類が行くべき方向を提示し、暗夜の灯台のような一つの宗教的使命を担っていることを思う時、そればかりでなく自由世界の国々と世界のすべての民たちが行くべき最後の理想的ユートピアの世界である地上天国と実践要綱を提示することのできることは、人類の誇りであり、神様の摂理史的勝利の一つの表象であることを知っています。 このような歴史を残し、このような事実を収拾するため、長い三十余年の期間に残された悲しい事情も多く、天の悲しみと人間世界の曲折のその中において、真の父母の名をもってこの蕩減という悲しみの道を行かなければならなかった行路がどれほど険しかったかを今一度回想しながら、涙と感激の心をもたずにはいられないのが、現在の私の心情であります。 ここに参席したあなたの子女たちが、そのような心情とならなければならないこのような場であることをもう一度思いながら、きょうより三十年を越えた以後に、最後の頂上を中心としたイエス様の三年公生涯の闘いの歴史の路程が、統一教会の目の前に迫っていることを知っています。これを解放することのできる最後の前線の舞台に向かって勇進する統一の雄々しい群れとなることを許諾してくださることを、父よ懇切に願います。 統一教会においては、このようにして興進様を霊界に送りました。父母様の代わりに興進様が行くことによって、また彼の祝福によって、今日、五旬節という世界史的国家基準を中心とした一二〇カ国が初めて地上と霊界をつなぐことのできる新しい連結点をもって、国家的一つの父母を中心として、全世界の兄弟国家形態が今やこの中心に向かって糾合してくる歴史的版図と霊界の活動舞台が急進的に展開されてくるこの時であります。 今や統一教会と統一教会に属しているすべての食口たちは、一心一念一つとなって、内的外的に一つとなって、個人と家庭が一つとなり、家庭と氏族が一つとなり、氏族と民族が一つとなり、民族と国家が一つとなり、国家と世界が一つとなった心情的土台の上に、完全に真の父母と外的なすべての霊界を代表した興進様の一二〇カ国の復活的な五旬節国家形態に連結すべき最後の使命が残っているゆえ、統一教会の祝福を受け、民族を超越したすべての家庭は、国家と国家を代表したアベル的基準で国家的中心である真の父母様と一つとなることによって、外的な自分たちの国家基準に連結することのできる一つの祭壇的、アベル的使命を完結する最後の一戦が残っていることを私たちは知っております。 このような時点において、真の父母の名を通してすべての霊界に処している善なる主権者興進様を中心としてイエス様が一体となった基盤の上に、天の国の王権を成立させ、そうすることによって、国境とすべての民族を超越した善なる民族を糾合し、この王権基盤に連結させた霊的統一圏世界を整え、地上の統一圏、真の父母の主権圏を形成することのできる時代的使命が残っているゆえに、私たちは今年の標語の『祖国創建』という莫大な課題を中心として前進しているのであります。 三十周年のこの時間を期して、真の父母の名でもって、霊界と地上が神の権限を中心として霊界国の権限と地上国の権限が内的に結束して、天上世界と地上世界に内的な中心基盤を強固にし、外的に混乱した環境を整えて一つの方向に結束することのできる霊界と肉界の総動員命令を指示いたしますので、父母様の名と神様の意でこの日から実践挙行することができるように神様が祝福してください。 真の父母の名でこれを宣布しますので、この宣布するすべてが地上におけるだけでなく、天上宣布と同じように、悪なる霊が地上世界の地域ごとに独占しているすべてを撤収させ、神の善なる霊たちが、神の霊的王命に従って配置され、その悪なる支配圏を除去して善なる支配圏に戻すことによって、その圏内に住んでいるすべての良心的な人たちが、太陽が照らしてくるその所に向かって自分の方向を定め、また万物が方向を合わせるのと同じように、良心が太陽の本拠地に向かって自分も知らずに方向を合わせて、一つに結束する新しい歴史的時代に転換することのできるこの転換の日がきょうであることを知っておりますので、真の父母と神様の名でこのことを提示して勝利の天国へと進展、前進することができるように命令しますのでお受けください。また指示してくださることをお願い申し上げます。 きょうこの記念日を通じて、私たちが一心一体となって神の前にすべての忠誠を尽くすことを誓うこの場となり、霊界の働きにおいて常に主体的統一圏を備えなければならない統一教会と、今日すべての善なる後孫として生まれた良心的な人の心と体が懐かしくて一体となることのできる基盤を形成することができるように、先祖たちが協助支援することができるように、あらゆる方法で後援することのできる自由の雰囲気を許諾してくださることを懇切に乞い願います。きょう全体のすべてがなされ、天と地が喜びの日として記念することができるこの日とならしめ給え。すべての全体の指示においてお父様がお受けくださったことを感謝しながら、すべてを真の父母の名で祝願宣布いたします。アーメン。---------- ---------- ---------- きょうは三十周年記念日ですので、歴史的な摂理の過程をお話ししましょう。 皆さんが住んでいる外的世界を見るとき、世界的責任を担っている国、あるいは世界的使命を成す国はどのような国かというと、それは自由世界を代表したアメリカか、それともソ連であると私たちは考えます。そこで、人類歴史の終結のためにはアメリカとソ連が何らかの方法で一つにならなければなりません。一つの国、一つの世界にならなければなりません。それが私たちのターミナル・ポイントであると同時にターミナル・ホープなのです。 それでは、誰がこのような一つの世界をつくらなければならないのでしょうか? これが問題なのです。それは世界中の人々がつくらなければならないのです。しかし世界の人々はすべてが善い人と言えるでしょうか? そうではありません。善なる人と悪なる人の二つに分かれているのです。では善なる人と悪なる人の定義は何でしょうか? これが問題です。今日、私たちは最も基本的な現実について認識しなければなりません。歴史を通して常に真実であったことは、私たちが二つの世界に住んでいるということです。すなわち、一つは地上世界であり、一つは霊界です。私たちは宗教を信じないとしても、夢を通して、あるいは神秘的な事実を通して、霊界の存在を知っているのです。それゆえにこの地上の肉体をもった人々は、全霊界の善なる霊人、もしくは悪なる霊人によって影響を受けざるを得ないようになっています。ですから善なる人と悪なる人という概念の中には、善なる霊人の協助を受ける人と悪なる霊人の協助を受ける人との二種類の内容をもった人に分けられるという結論が出ます。 それでは、善なる霊人と悪なる霊人をどうして区別することができますか? 善なる人と悪なる人とはいったい何ですか? 皆さんが善い人と言う場合は、変化しない人のことです。一度約束したら必ず約束を守るし、原理原則的、順理法度に従って、変化しない道を行く人が善なる人です。そして悪なる人とは何かと言えば、順理法度がなく、朝、昼、夜、と一日に何度も変化する人です。このように大まかにみても、悪なる圏内と善なる圏内に分かれているのです。しかし私たちは本来、善であり得る土台があります。たとえ悪なる方向へ行く傾向があるとしても、本来は善なる人間であろうとする心をもっています。そのような変化しない土台があるのです。その性稟を良心というのです。ですから、良心に従って生きる人たちは善人であるということになります。 古代の東洋の哲学においては、“自分の良心に従って生きる人たちは善人である”と言われてきました。人生には横的な直線と立体的な直線の二つがあり、良心に従う人たちは、実際には立体的な直線に従って生きている人たちです。縦的な線に従って生きる人は、横にもまっすぐに生きることになります。縦と横に調和的に生きることによって、人間を完成させることになるのです。 それに人間のみが神の被造物の中で二本足でまっすぐに立って生きる唯一の存在となっているのです。なぜなら人間はそのような立体的な縦の直線に従って生きる、つまり良心に従って生きるようになっているからです。それゆえに人間はまっすぐに歩くようになっています。まっすぐに一つの道を歩むのが人間の本来の姿です。ですから、すべての人間は黒人であろうと、白人であろうと、黄色人種であろうと歩むべき道は一つしかないのです。それは縦的にも完全に一致し、横的にも完全に一致する道なのです。皆さんは一つとなることが理想なのですね。心と体が一つとなるためには(先生がしぐさで説明)このようにだんだん一つになるように育ててから、一つになれるのです。九十度、一八〇度、三六〇度を通じることなくしては、物も立つことができません。この『ニューヨーカー』も完全に水平的で垂直的です。そのような男子がいて理想的男性ビルディングを建てることができ、そのような女性が基盤になることによって理想的女性ビルディングを建てることができるということです。皆さん分かりますか? (はい)。高いビルディングとは何ですか? それは理想世界を意味するのです。アメリカは世界的な理想のビルディングを建てましたが、その地下室を見るとすべてがこうなって、こうなっているのです。(先生が手で示される) だから廃墟となってしまうのです。私たちは理想世界を論ずる前に、理想的な人の種をどこからもらってくるかという、人間の歴史において残された課題があることが今日まで分からなかったのです。私たちはどこからそのような男と女を得ることができますか? アメリカは種を必要としませんか? アメリカはそのような種をもっていますか? アメリカはそのような素晴らしい種をもっていますか? (いいえ)。なぜいいえですか? では、共産主義の世界はそのような種をもっていますか? これが世界の問題なのです。 人類始祖が堕落したので、地上にはこのような種がすべてなくなってしまったのです。それゆえ神はこの種を時になれば送ってあげると啓示しました。善なる霊人はそのような種を望んでいるのに、悪なる霊人が反対し、「ノー、ノー、私たちはそのような種は欲しくない」と言うのです。それで先ほど言ったように、善なる霊人と善なる人とは変わらない歴史性をもったものです。今日宝物が貴重であるというのは、ダイヤモンドが硬さにおいて変化しないことにあり、黄金時代の金は、その黄金の色において変化しないためです。真珠もまたその調和した色において変化しない特徴をもっているので宝として扱われるのです。その宝物を人間がなぜ好きかと言えば、変化しないことにおいて善なる側に立った物であるから好むという理論に通ずるのです。 このように人類の歴史においていかなる国が、いかなる思想が変わらなかったかという問題を中心としてみるとき、哲学も変わり、国家も滅亡したが、しかし宗教の歴史だけは変わらずにきたのです。これを知らなければなりません。それで歴史上に現れた聖人たちは、そのすべてが宗教的指導者であったというのが事実です。ですから人類は善なる側に行こうとする本心に従って彼らを追慕し、聖人として侍るのです。その侍られる人たちは、ますます宗教的指導者であらざるを得ないという結論です。皆さんもそう思いますか?(はい)。 サタンは国を占領し、悪なる国をつくっては滅ぼすのです。急に栄えては急に滅びるのです。サタンはこのようにするのです。そこで神様はこれをどのようにするかと言えば、善なる側が責任を果たすことができないことの蕩減条件として活用するのです。善なる国が堕落して、悪なる側に行こうとすれば、打って悔い改めさせて、また善なる側に戻るように、正しい道を行くように、今までの悪なる国々の興亡盛衰があったのです。 それではこれからの理想世界、ユートピアは毎日のように変わり、年ごとにも変わる世界でしょうか? それとも、永遠に変わらない平和の世界ですか? どちらですか? (永遠です!)。ではその永遠というのは白人中心としたものなのですか? (いいえ)。では先進国を中心としたものですか? (いいえ)。低開発国家にはこのようなものは必要ないでしょうか? (いいえ必要です)。誰もがみんな喜ぶのがこのような世界です。今までこの世界に生きている人たちが良いと言うことは何かというと、自分が良い服を着て、良い家に住み、自動車の良い物に乗って、人に羨ましく思われながら、飛行機を乗り回して便利な生活をすることが良いことだと思う悪い慣習性があるということを知らなければなりません。 では、そのユートピアは人間だけを中心としたユートピアですか、それとも神様を中心としたユートピアですか、また神様と人間が合わさって共同的目標が達成された立場におけるユートピアですか、どちらですか? 神様と人間のユートピアですか? 人間だけのユートピアですか? それとも神様のみのユートピアですか? (神様と人間です)。では、ユートピアは人間だけが宝として思う世界なのか、神様も宝として思う世界なのかと問われて、神様が宝として思わない世界であるならば、ユートピアは神様には永遠に必要ないのであります。神様に必要ないならばその場にサタンがいつでも入ってきて支配することができるのです。人類歴史の過程において善なる霊人、悪なる霊人がいて、お互いが人間を中心として戦っているのをみると、神様も人間が必要であり、サタンも人間が必要だということです。なぜ人が必要かと言えば、サタンは破壊的な世界をつくるため、神様は建設的なユートピア世界を再建していくための歴史的発展過程であるという結論が出るのです。 ではここに一つの例を出しましょう。善なる霊人というのはどういうことをするかと言えば、「この野郎め!」「何だ!」というようなことはしません。善なる霊人はどんなに反対する中においても耐え、どんどん入り込んでいくのです。(先生が笑いながら様子を示す) 耐えて、耐えて、誰が対抗してきても耐えて、更に本格的に熱心に活動するということによって、勝敗を決するという作戦がここから始まるのです。そうなると悪なる人はますます挑戦するのですが、善なる側は常に「静かにしなさい」「静かにしなさい」と言って耐えるのです。うるさくするのは悪です。悪なる側です。自分の夫に対して、妻が猫のように引っ裂いたり、かみついたとしても耐える人は良い夫です。犬のようにかみついたりしても、それに対して耐える夫は良い夫です。ブルドッグのようにかみついたりしても(笑い)、その時「マイ・ダーリン」と言えるそのような夫は良い夫ですね。(笑い) そうですか?(笑い) 歴史的にみても、引っ掻いたり、かみつかれたとしても、それに対し“耐えなさい、耐えなさい”という運動をしてくれるのが善なる神の側であり、善なる人たちでした。ですから宗教はいつも迫害を受けたのです。そして迫害を受けるたびごとに発展するのです。それは本当ですか、うそですか? (本当です)。歴史は人々の生活の延長であり、個人の性格を延長しているのです。 それでは善なる神はどこにいますか? エンパイア・ステート・ビルディングのこの狭い所にいますか? それとも大統領の官邸にいますか? 宗教の土台の上にあるかどうか、これが問題なのです。 きょうはレーガン大統領とローマ法王とがアンカレッジで会うそうですね。韓国に行く途上で会うということで、大騒ぎをしています。宗教の中においても一番の宗教は何かというと、迫害を受けながら、耐え忍んでいく宗教であるという結論が出るのです。それは正しいですか?(はい)。キリスト教を信ずる人の中でも、善い人と悪い人とに分かれるのです。どちらがより善い人であるかと言えば、厳しい迫害を受けながらも善を保護するために耐え忍ぶ人がより善なるクリスチャンであるというのです。これは正しいですか?(はい)。 私たちムーニーは一般的には善い人だと言われて、ムーニーであることを誇りにしていますが、その中においても善いムーニーと悪いムーニーに分かれます。皆さんは善いムーニーになりたいですか? それとも悪いムーニーになりたいですか? (善いムーニーです)。では金博士と、一二〇日修練生たちと、どちらが善いムーニーかと言った場合に、金博士ですか? それともアフリカから一二〇日修練会を受けに来た黒人のムーニーですか? それはより苦労し自ら進んでやっている方が善いムーニーなのです。同じようにそれはレバレンド・ムーンにも当てはまります。レバレンド・ムーンがより善い先生であるかどうかということは何で決まるかと言えば、統一教会のメンバーを働かせて、自分一人だけが楽に生きようとしたらそれは悪魔の使いです。しかし統一教会のメンバーよりももっと苦労しようとして先頭に立つ人ならば、神様の使いであり、神様が送ってくださった方であると思いなさい。 ですから統一教会の指導者は、レバレンド・ムーンの利他的な性質に従って、“為に生き、そして自ら苦労する”という伝統に生きる限り善であり、悪が侵入してくる余地がなくなります。だから先生はこれまでいつも忍耐してきました。先生にはユートピアたる天国を建設するという目標があるからです。このユートピアこそが先生の理想であり、終局目標です。それは変わらないものです。分かりましたか。世界的な峠を越えるためには自ら進んで冒険をするのです。 先生は昨日でこのアメリカの永住権を得て十一年目になります。アメリカに来てから十一年間先生はいろんな問題を起こしてきました。ある意味で戦ってきたということが言えます。その結果多くの反対を受けました。それはただ単にマスコミからだけではなく、アメリカ政府や、フレーザー委員会などの反対を受けました。そして今や裁判問題として反対されています。しかし先生は「アメリカよ、あなたは神に属する国となりなさい。さもなければアメリカのこれまで受けた祝福は取り上げられて国は破壊され、運勢が悪くなるでしょう。そのような破壊的、破滅とか悲惨なことを防ぐために私はアメリカに来たのです」ということをアメリカに言い続けてきました。 真実を語ることは常に辛いことです。耳に痛いことです。それゆえアメリカは、常にこれまで先生に対して辛く当たってきました。そしてアメリカの人たちはこのような先生の率直な警告や忠告を聞くときに、「レバレンド・ムーンよ、お前は何者か。我々は白人であり、お前は東洋から来た黄色人ではないか。我々はこの国の主人である。お前の言うことを聞く必要はない」などと言って反発します。しかし先生の警告は決して自分のためではなく、このアメリカのためなのです。これなくして、この国は衰退し滅ぶ虞があるからです。アメリカとしての責任を果たさなかったならば、この祝福は取り上げられてしまうでしょう。 この世で行うボクシングは十五回戦までありますが、先生はこれまでに三十回戦を戦ったのです。(先生の笑いと拍手) 今度のこの戦いが終わって先生が勝利者となるならば、世界のいかなる所へ行っても、もはや先生に挑戦する者はいなくなるでしょう。それはどういうことかといえば、神様が愛する息子が永遠に変わらない世界のチャンピオンとなることを望んでいるということです。それが神のチャンピオン・シップです。そうなるためには、先生は文字どおりこれまでにあらゆる人々から反対されました。ユダヤ教も反対し、キリスト教も反対し、アメリカも反対し、宣教師を送った一二〇から一三〇カ国のすべての国が反対したのです。それは人々だけではなく、サタンまでもが合わさって反対し、挑戦してきたのです。ですからこれから人類だけが手を上げるのではなく、サタンも手を上げるようになります。サタンの霊的な力とサタンの肉体的な力の両方が降参するのです。その時が今なのです。 もう一時間が過ぎましたね。きょうは話すことが多いのに時間がなくて困ります。これでやめましょうか? (いいえ)。 これまで先生が皆さんに話してきたことは、善と悪との明確な定義を知らなくてはならないということです。なぜこれが必要なのかと言うと、歴史の善悪に対する概念だとか、歴史発展においての善悪に対する概念が今までぼんやりしていたからです。これを明確にしなければ何の話をしても混乱が生じるのです。ですからまず、このことを話さなければなりませんでした。 かつて、先生が個人的基盤を整えるために出発した時でも、韓国家庭基盤のために蕩減復帰をするのではなく、既に目標は全世界を救うことでしたが、その世界という舞台をおいて、世界の中の韓国、韓国の中の家庭、その家庭の中心に立っている私という自主性をもって出発したのです。だから先生の闘いは常に世界的でありました。神のチャンピオンとして常に世界的なサタン勢力によって、反対も受けてきました。ただ単に家庭とか、国家とか、韓国とかいう、そういうレベルで反対を受けたのではなくて、宇宙的、普遍的、世界的レベルでの反対や迫害を受けてきたのです。先生の個人的な基盤における闘いであっても、それは天宙的な世界的な意味をもっていました。そして先生は個人の基盤における闘いを勝利して、次には家庭的基盤の摂理に入りましたけれども、決して単に家庭だけの闘いではありませんでした。サタンも世界的な天宙的な勢力を動員して、その家庭を粉砕しようとしてきました。このように先生は一歩一歩闘ってきたのです。 先ほど述べたように、人類は本来の理想世界のひな型となる公式、すなわちメシヤを求めてきました。つまりメシヤというのは、真の父母のことです。真の父母とは完全な人間であるということです。そのような内容をもったチャンピオンが現れたので、サタンはあらゆる方法で粉砕しようとするのです。分かりましたか? それで全世界から若い男女を集めて接ぎ木するのです。過去のものを切り捨てて、父の芽、母の芽の新芽を植えておくというのが祝福なのです。新しい木に接ぎ木されるためには、古い木はカットされなければなりません。そのために切り捨てられる時においては、“私の身が切られるのだ、私はもはや首を切られ死んだ”と言うことによって、初めて接ぎ木がなされるのです。それで約三年間接ぎ木しておけば、レバレンド・ムーンは私たちのカップルをよく結んでくださいましたと感謝するようになります。このようにして、世界のすべての国家を代表した若い青年たちを選んで接ぎ木して、その国に植えておくのです。 それでは、ムーニーの故郷はどこでしょうか? 故郷というのは、両親の住んでいる場所です。それは正しいですか? 間違いですか? 子女とは父母が食べる物を食べ、父母が着る物を着、父母が話す言葉を話さなければなりません。(拍手) 父母の言葉を話すことができない人は、「私はあなたの子です」と言うことはできません。このような話を聞くと、「オー!オー! これを見ろ! レバレンド・ムーンは独裁である。言葉までもなくし、文化も国も人種もなくし、大変だ!」とアメリカの人々が大騒ぎするのです。皆さんの両親は、皆さんがこのように座っているのを見ると「あれはレバレンド・ムーンが教えたものであって、アメリカの風習ではない。どこに椅子があるか。それはアメリカの習慣ではない」と言うのです。(笑い)我々は両方を使っています。時にはこのように座り、またこのように椅子にも座ります。昼も夜も働くことができるように両面性があるのです。それが本来の人間なのです。皆さんはそのように座っていることを好みますか?(はい)。 私は信じません。皆さんは英語を話しています。(笑い) 私は皆さんを信じません。先生は韓国語で話しています。それなのに皆さんの使う言葉は英語です。だから愛が分からないというのです。西洋人は父母の愛を知らないのです。野原で好き勝手に生きてきたようなものです。 皆さんは家庭の次に何がなければなりませんか? 皆さんには故国がありますか? (いいえ)。皆さんが霊界に行くと、まず「どこから来たのか?」と尋ねられるのです。宇宙を代表した地球星でありますから、アメリカとか韓国とか日本から来たということではなく、あなたの故国のことなのです。そうです、父母が生きておられた国が故国となります。人類は堕落したことによってすべてを失ったので、家庭を捜し、故郷を捜し、故国を捜して行くべきこの道を覚悟して、死んでからでも行かなければならないのです。そのような運命なのです。だから全世界の統一教会のメンバーにとって、どこが家庭であるかと言えば、イースト・ガーデンがホーム・ベースであります。全世界の統一教会はすべて、「イースト・ガーデン、イースト・ガーデン」と言うのです。アメリカの人たちはアメリカ的色眼鏡を掛けて、イースト・ガーデンを見てはいけません。 ですから本来の人類の原型ともいうべき男性と女性が地上に現れなければなりません。絶対的な垂直的線と水平的線が九十度に交わったそのような原型がこの地上に現れなければならないのです。その原型が真の父母なのです。神様は真の父母、真の男と女が現れたことを知っています。同時にサタンもまた、そのことを知っています。それゆえサタンは可能な限りのあらゆる勢力を動員して、真の父母が成功するのを妨害しようとしています。しかしそうなってはならないので、神様は保護するために宗教をつくってきました。そして本来はこのように、上の線と下の線の二つの線が(黒板を使って説明)平行に並んでいました。そして人間は下から上に向かって成長し完成するようになっていたのです。それが堕落前の状態です。しかし堕落によってこの上と下が引っ繰り返ってしまいました。その結果、下にあるべき悪の存在が上に来てしまい、上にあるべき善が下に来てしまいました。ですから復帰歴史においては、善の勢力がだんだんに下から上へ上昇し、悪は上から下へとさがってきました。善なるものが、上に昇っていく歴史過程における闘争路程に立っているのです。何の話か分かりますか? 個人交叉点、家庭交叉点、氏族交叉点、世界交叉点、これを合わせて取り返さなければならないということです。堕落による歴史的な怨恨の宿命が残っているということを知らなければなりません。これまでサタンが原理型に立ってきたので、いくら神様がいるとしてもこれに反抗することができないで、上の命令を受ける下の立場で圧力を受けてきたのです。 歴史上において、個人的交叉点に勝利した個人時代の勝利者として天と地を代表して現れたのが、イスラエルと呼ばれるようになったヤコブです。ヤコブがヤボク河で天使に勝利して故郷に帰り、十二人の子供の勝利した条件をもって十二氏族が生まれ、イスラエル民族が生まれたのです。暗のサタン世界において、この道についていけば神の勝利圏の保護を受ける(黒板の図を示す)神の国の主管圏です。これを順理的に、原理的にこのように回って(図を示しながら)発展することができるのです。 それで旧約時代においては、すべてが『やってはいけない』という教えなのです。それはサタンと反対側に立つために、サタンがたばこを吸えば、「たばこを吸うな」、酒を飲めば「酒を飲むな」と、すべてに「するな」と言ったのです。サタンが好むものは個人的圏が(図を示しながら説明)延長されるからです。既に皆さんも知っているとおり、ヤコブがラバンの大家族圏内に入って二十一年間僕として生活し、氏族の迫害を受け、それに耐え忍んで氏族の祝福を受けて、帰ってくる時、エサウが一つとなったことによってイスラエル氏族圏が形成されたのです。そうでなければエサウ民族圏の前にアベルが現れることができないのです。何の話か分かりますか? 対等なる神の民族圏をもって、対等なるサタン圏エサウの前に出て、どちらがより耐え忍んで勝利し、相手を愛するかという観点から、サタンと神様の所有権交叉が起きたという事実を知らなければなりません。 なぜそうしなければならないかと言うと、神様の世界では本来は長子が祝福を受けるようになっているのであって、次子が祝福を受けるようにはなっていないからです。次子の立場にいる長子を取り戻してこなければ、神の国の息子の立場に立つことができないのです。祝福を受けられる原理基準がないヤコブが、兄が狩りから帰ってきたときレンズ豆とあつものを与えて、長子権を買ったという事実は驚くべきことです。このようにしてヤコブは長子権と祝福を相続するという条件が出来たのです。 このことについては原理を通して既に皆さんは学んでいますから、詳しくは言いません。今日の重要な点は、神の祝福を受けるためには、長子権を相続しなければならないということです。 ヤコブの基台は家庭的な基盤でしたから、次にアベルの氏族が家庭圏を中心としてサタン世界に入っていかなければなりません。長子権がサタン世界にあるので、サタンの代表国であるエジプトに入って闘うのです。数多くのエジプト人の迫害を受けるのです。イスラエルは四百年間迫害を受けながら耐え忍んで、神のために出エジプトして、エジプトの国を屈服させてイスラエル民族が神の国を探すことのできる権限をもつために、荒野を経て行かなければなりませんでした。ここでは国を求めることが最高の希望であります。そこには息子、娘、夫、妻、の飢えや死が問題でなく、すべての六十万の人々が倒れたとしても、六十名だけでも残って国を求めるように、皆が死に直面しながらも激励しなければならなかったのです。それなのに混乱が起きて、すべてが倒れてしまったのです。 モーセが知恵深く、血気に走らなかったなら、一線で働いているエジプト人を殺しはしなかったでしょう。モーセが主権を相続されて王となったら、その後カインの国を復帰した基盤の上で、イスラエルの復帰も自動的になされたのです。モーセが血気に走って、エジプト人を殺すことによって、み旨が途絶されてしまった事実を知らなければなりません。 当時エジプトは中東地域全体に影響を及ぼすことのできる強国だったので、カナンの七族というのは問題ではなかったのです。すべてエジプトの王モーセの名で平定することができたのです。そのようにしてカナン福地にイスラエルの国家をつくって、祭司長が国家を中心としてモーセに侍ることができたなら、これが一つの統一された国家形態となって、カイン、アベル国家基準を中心とした基盤にメシヤが来られて父母の立場に立てば、ローマ帝国がすべてそこに入ることができたのです。 このように直行できたのに(図で説明)そうならずして、六十万のイスラエル民族は民族基盤を中心として、すべて国の圏内で迫害を受けることになるのです。本来ならば(モーセの失敗がなかったならば)これが一気にここに上がるのです。それでこの直線を中心として(図で説明)このように民族的に広まって、拡大されていくのです。これが善となり、これが悪となって、ここですべてがメシヤを中心として、真の父母を中心として、カナンの地から永遠に出発すべきであったのが神様の摂理観でした。 神様はユダヤの国に内的な宗教、ユダヤ教を与えてアベルの民とし、カイン的な立場においては国をつくりました。なぜかと言えば、異邦民族をアベル、カインとするには文化圏が異なり大変難しいのです。ですから一つの文化圏内にアベルとカインの形態をつくったのが、ユダヤ教とイスラエル民族であったということを知らなければなりません。 皆さんがここで知らなければならないことは、兄弟同士が戦う所にはいつもサタンが留まるので、真の父母や神様が臨むことができず、善なる霊も協助することができないということです。なぜなら、真の父母はカインとアベルが一つとなった基盤の上に復帰されるようになっているからです。この原則を中心として、個人的にその原則が適用されて勝利するようになるとき、カインはアベルに屈服しなければなりません。カインがアベルに屈服し、アベルが兄となり、カインが弟の立場に立って、アベルを兄として立てて、堕落しなかった本然の兄以上に従順にならなければ復帰することができないのです。これが原理です。 なぜそうしなければならないかと言うと、堕落していない本来の世界では、長子が祝福を受けるようになっているからです。次子としては祝福を受けることができないのです。ですからサタン世界に行って、サタンが長子としてこの世を支配してきたのでサタン世界と闘って勝利のチャンピオンの贈り物を持ってこなければ、兄の立場、アベルが兄の長子の立場に帰る道がないのです。このようにして不可避的に個人的なカイン、アベルの闘い、氏族、民族、国家、世界型カイン、アベルの闘いを展開しながら、行ったり来たりして、蕩減復帰の歴史を繰り返しているというこの過程を知る人がいなかったために、今まで数多くの宗教人や数多くの信仰者たちが犠牲となったのです。 それでは、長子屈服の秘法は何かというと、サタンが言うには、「神様も完全なる神様であるし、あなたが捜しておられるアダムとエバも完全なるアダムとエバであり、そのアダム、エバは、堕落していなかったら本然の天使長である私自身を愛するのが原理の基準である。私は堕落して悪くなってはいるが、あなたたちが善で正しい立場にいるならば、悪い私であっても愛したという条件を立てることなくしては、あなたがたは神様の役をすることはできない」。また「私が、神様の前で降参することがあるとしたら、それはあなたが送った人が私を愛し、神様と一緒になって私を愛する立場に立つことです。もし、そのように愛したという条件を立てなくては、長子の権利を次子がもっていく道はない」と。 だからイエス様は「敵を愛しなさい」と言ったのです。その敵というのは敵個人ではないのです。敵の家庭、敵の民族、敵の国家、敵の世界を愛することなくしては、敵の世界の長子権を取り戻すことができないのです。神様の復帰摂理の歴史的な路程をよく知っているサタンが主張していることを正しく理解しなければなりません。皆さんは個人基準の長子復帰をした後、家庭基準の長子復帰をするために、必ずサタンが家庭的に迫害し、殺そうとする一線に出て行って闘い、愛でもって屈服させて私たちの伝統のすべてを教えてあげて、自然なる心の感動と涙で悔い改め、「あなたのために生命を捧げて祭物となります」という宣誓をさせなくては、そのカイン世界の祝福圏を取り戻してくることができない事実を明確に知らなければなりません。 このような闘争的過程をよく知っておられる神様は、歴史上に宗教を立て、旧約時代にはイスラエル民族をして外的闘争国家基盤をなくするために、イスラエルの国がユダヤ教を中心として一つとなった立場においてメシヤを迎えるための基盤を、四千年間準備してきたことを知らなければなりません。ですからユダヤ教とイスラエル民族がメシヤと完全に一つとなって「私たちはあなたを愛する息子、娘です。どうかあなたは父母の道を自由に命じてください。あなたの教えは生命よりも大事で、国よりももっと貴いものです」というように、イスラエル民族がイエス様に従っていたならば、これは理想的な形となっていたでしょう。それが当時のイスラエル民族のなすべき道だったのです。それが原理です。 しかし実際にどうなったかといえば、イスラエル民族はイエス様に従順になることなく、イエス様に対して「あなたは何者だ。我々はモーセに従ってきた。あなたは悪鬼の頭にすぎない」と、イエス様を退け、拒否しました。つまりこのことはメシヤの子となるべきイスラエル民族が、親に従わなかったということです。そのような状況において、どうしてイスラエル民族を復帰することができましょうか。このようにして完全に選民イスラエルがサタンに奪われてしまったのです。それによる不可避的な結果として、イエス様が十字架にかかることになってしまったのです。 神様の本来の願いは、真の父母の(名)権威を通して、天上天国と地上天国が成立するはずでした。メシヤの名前だけでは地上天国と天上天国は生まれません。今日のキリスト教においてはその点がはっきりしていません。イエス様が神様の子であるということは知っています。しかしそれでいて、なぜイエス様は「自分はパラダイスに入るであろう」と言われ、「天国に入る」と言われなかったのでしょうか。パラダイスは天国に入るための待合室なのです。天国というのは真の父母としての完成と愛の基盤を通してのみなされるのです。霊界の王国を創建するのは真の父母の使命なのです。イエス様は真の父母になることができなかったのです。 今までの堕落した世界では、真の父母の愛を受けた者もなく、真の父母を見た人もなく、真の父母が現れた行跡もないのです。だから霊界にもそのような基盤がなかったのです。真の父母というのは縦的、横的に九十度に交叉する人類の原型です。原理基準にぴったり合うのです。それが公式なのです。右へ九十度の男性と左に九十度の女性が一体化して一八〇度となり、上下に一体化すれば三六〇度になるこのような存在です。また結婚した男女がプラスとマイナスの立場において一体化するときに、そこに子女が生まれて家庭基盤が出来ます。これが家族の原形です。この家庭の核を中心にすべてが集約されます。男の愛、女の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべてこの核の中に入ってるのです。 この核の中で、神の愛と真の父母の愛を中心として、父母を愛し、夫を愛し、子女を愛せば誰もが天国なのです。男も女も地獄に行くことができないのです。子女を愛するようになっているし、夫を愛し、父母を愛するようになっているのです。教育も必要ないのです。自動的に天国の市民となることができます。このような核の家庭においては、兄弟同士の意見の違いとか対立があったとしても、けんかをした後にはもっと団結するのです。決して家庭は崩壊することはありません。 しかしこの世界は、真の父母がいないからお互いが争った後には分裂し崩壊してしまうのです。妻と夫と、父母と子女が縦的に横的に分かれてしまうのです。世界的にそのいい例がアメリカの家庭です。夫と妻の間にも親と子の間にも、一貫性がなくたやすく崩壊してしまいます。両親がすぐに離婚してしまったり、家庭が崩壊してしまいます。 皆さんは真の愛の定義を知らなければなりません。真の愛とは神の愛と真の父母が一つとなったものです。これが永遠に変わらないものです。なぜならば神が中心であり、真の父母が実体としているからです。それゆえに神なくしては真の愛はありません。ですから、神なくして真の愛を語ることはできません。真の父母がいなければ真の愛はありません。たとえ神がいたとしても、真の父母がいなければ真の愛となることはできません。真の愛というときには、神と真の父母の両方が一体化して両方の愛が一つとなったものでなければならないのです。それが真の愛です。そうですね。(アーメン)。アーメンというのはno a manという意味です。(笑い) では、地上天国を成そうとする人たちは何をしなければならないかというと、真の愛をもって祖父母と一つとなり、父母と一つとなり、夫と妻が一つとなり、三世代がいつも一つの圏内にいなければ、真の愛の圏はあり得ないのです。これが天の四位基台の公式です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、それから子供たち。それぞれに男性と女性が神を中心として一つとなって基本的な公式をつくるのです。 皆さんは真の愛が必要ですか? (はい)。真の愛は誰のために必要ですか? (あなたのため)。いいえ違います。答えは、まず最初に真の男と真の女がいなければなりません。その次には真の父と真の母です。もし先生が甘いと言ったら、神様は苦いと答えるでしょうか? (いいえ)。真の男と真の女が愛する時に、その愛は甘いものです。その甘さは神様も味わいたいと願っておられます。神様が理想的に味わおうとする愛であることを知らなければなりません。 先生はもっと話をしたいのですが、時間がたつのが早くてもう二時間もたってしまいました。これで終わりにしますか? もっとやりますか? (はい!)。先生は汗をかいてしまいました。統一教会の三十周年記念日に先生が服を脱いだとしたら、これが伝統として残るためにどんなに汗をかいても服を着ているのです。皆さんがこういう日に服を脱ぐようなことがないようにする伝統を立てるためです。 皆さんは理想的な世界、ユートピアへ向かって進んでいます。しかし、その目標は、真の家庭のルートを通してのみ実現することができるということをはっきりと知らなければなりません。先生が、原理結果主管圏(間接主管圏)内と直接主管圏内を、また神様の愛と父母の愛を連結した基準があるので、今日その愛の橋を通してのみ霊界と肉界が行き来することができるのです。これを知らなければなりません。皆さんは既に原理的な観点を学んでいますが、神の直接主管圏と間接主管圏というのがあり、この離れている二つの部分をどのようにして一つにするか、これが問題なのです。 それは真の愛を通してのみなすことができます。アダムとエバが一体化する時に、横的に真の愛が表れます。「ああ、あなたは私のパートナーだ」とお互いが認め一体化するその時に、真の愛がそのアダム、エバのカップルを通して地上に表れます。そこでプラスの愛が、マイナスの立場の人間の愛の上に表れた後は、すべてが自動的に達成されます。なぜならば、真の愛によってすべてが復帰されるからです。すべてが解決され、世界的なユートピアが建設されるのです。そうですね?(はい、先生)。 人類にとって最大の喜びは、真の父母という言葉です。真の父母がいなければ真の愛を受けることもできず、したがって真の愛を味わうこともできません。それゆえ真の父母がこの堕落した人類に現れたということは、人類にとって最大の福音なのです。(拍手) それゆえに人類の歴史は善悪の交叉点を待ち望んできました。それを通過すれば悪が低下し、善が上昇してそして歴史が終結する、その時を人類は待ち望んできたのです。それでは、いかにすれば暗い世界が追い出されるかというと、アベル圏を拡大する以外には道がないのです。皆さんはこれを明確に知らなければなりません。歴史は常に長子の権限を奪うために、個人のレベル、家庭のレベル、氏族、民族、国家、世界のレベルで戦ってきましたが、準備された国家基盤を中心としてメシヤが来られて、カイン、アベル形態のすべての次元を一度に交叉する時がすなわち終わりの日です。 メシヤがユダヤの国に来たとき、ユダヤ教とユダヤの国が子女のように完全に絶対服従して、たとえ死の道であってもメシヤが東へ行けば東へ行き、西へ行けば西へ従って行くことができたなら、メシヤは死ぬ必要がなかったのです。イスラエル国とユダヤ教が一つとなり、アラブ圏である現在の中東圏が完全に一つとなることによって、インドの仏教文化圏と、アジアの儒教文化圏の連合運動が自動的に起こるようになっていたのです。宗教的カイン圏を吸収することによって、アジア圏全体が統一されて、ローマは自動的に崩壊するようになるのです。サタン世界のローマ圏よりも神側がより強く優秀であり、ローマを消化することは問題ではなかったのです。それがメシヤを送ってなそうとした神様のみ旨であり、世界の基盤を整えようとした神様の摂理であったのです。 これがどうなったかと言えば、反対されたためにローマに行ったのです。なぜローマに行ったのですか? すべてがサタン側に立って反対するので、神がイスラエル圏からアジア圏にまでも立てようとされた祝福権を全部サタンが讒訴し、そのすべてをローマに引っ張って行ったのです。それを取り戻すためにキリスト教信者たちは西へ西へと、死の蕩減の道を経て四百年間、あらゆる歴史的失敗を蕩減して、世界統一版図圏をつくっていったのです。それでローマを経て、英国を経て、アメリカを経てどこへ求めて行くのでしょうか? 本来はイエス様が来られ、アジア文化圏を一つにし、世界を一つにし、本然の世界をつくらなければならないので、西欧の文明はキリスト教文明によって二千年回りに回って、この太平洋とアメリカを中心としてアベル圏のメシヤ基盤を築くために、自由世界の名でもって、サタン世界のすべての条件をもったそのような立場の国家群と戦って勝利した戦争が第二次大戦であったのです。 それで第二次大戦以後には、キリスト教文化圏を中心に、その命令の前には全世界が従わなければならない統一的文化圏が初めて形成されたのです。そこで政治体制においては国連が生まれたのです。しかしまだ宗教の国連が出来ていません。宗教世界の国連がなければならないのです。その宗教の国連を中心として現在の国連が一つとならなければならないのに、宗教の国連が生まれてこなかったゆえに、現在の国連が共産党の基地となってしまったのです。それは使命を成すことができなかったからです。 そこで先生はアイゼンハワーに会って「あなたがこのような国連をつくって、この世界を指導する基盤としなければならない」と提案したのです。宗教の国連をつくらなければ共産党を防ぐ道はありません。 では話を第二次大戦直後に戻しましょう。第二次大戦直後に先生が現れたのですが、先生は結婚した人たちではなくて、堕落していないアダム、エバのような十代の立場を訪ねていく使命がありました。統一教会に若い人たちが入ってくるのはそういう原理原則によるのです。これが復帰の重要な概念です。 エジプトにおいて、神は、長子を全部殺しました。長子権を主張する者を全部奪ってしまいました。このようにして長子権がなくとも、長子権をもってくるのです。また四三〇年苦労し蕩減条件を立てて、すべての万物をエジプトから持ち出しました。しかし、もし神様がエジプトで長子を打つことをしなかったなら、イスラエル民族が荒野で死ぬことはなかったでしょう。サタンが「あなたが長子を打ったでしょう」と言って打ってきたので、長子の立場、第一先祖たちは荒野の途上でみな死んだのです。ですからカナン復帰ができたのは二世たちだったのです。そうですか?(はい)。このような原則によって歴史は動いているのです。人間は原則を知らないとしても、このような公式的条約によって動いているのです。 レバレンド・ムーンが現れることによって、このようなすべての秘密が世界に公開され、かつ実践し蕩減して、勝利の基盤の驚くべき立場に立っている統一教会であり、そしてこの驚くべき世界の転換点の頂上を越えることのできる日が三十周年のきょう、五月一日なのです。 ユダヤ教とイスラエル民族が一つになることができなかったゆえに、アジアを消化してローマを消化することができなかったのです。ですからそれを延長して霊的基盤を代置して、四千年蕩減期間をキリスト教史二千年を通して世界版図圏を拡大しつつ、ローマ圏を経てアジア圏形成に向かって進んでいるのです。西欧を通してアジアに帰ってくる歴史の過程が、二千年キリスト教文化圏であることを知らなければなりません。 では再臨の時代はいかなる時かと言うと、西欧文明とアジア文明が一つに連結する時なのです。イエス様はアジア文化圏を結成して、西欧文化圏を消化しようとしたのであって、西洋と東洋が再び出合う時が終末となるのです。そして今、このアメリカという国が世界的終末のローマを代表した立場に立っています。しかしそれはサタン側のローマではなく、神の側に立った天使長的ローマです。それが二千年前と異なる点です。それはイエス様と今まで犠牲となったキリスト教の蕩減条件の上に形成されたものです。 再臨のキリストという言葉の意味は何かと言いますと、それは真の父母が現れるということです。本来真の父母はどこから出発したのかと言うと、エデンの園のアダム、エバから始まったのです。それをイエス様を通して再現しようとしたのが失敗し、イエス様の代わりにこれをなすために来るのです。そのために今日の統一教会とキリスト教とは離れることができないのです。 イエス様が来られた時には、国家的次元において、ユダヤ教とイスラエル民族が一つになる基準が必要でした。それが失敗して死んでいったイエス様以後の二千年蕩減復帰の基盤の上に立っているこのキリスト教文化圏は今、世界的にカインとアベルが完全に一つとなった立場に立ったのです。世界が神様の統治圏内に完全に統一された時なのです。それですべての外的な国はアメリカと一つとなり、アメリカの文化圏がキリスト教文明圏と一つとなったということですから、アメリカとアメリカのキリスト教が、また、韓国と韓国のキリスト教とが一つとなってメシヤを迎えることができたならば、宗教はもちろん、大韓民国と世界的国家が完全に連結されて、世界の基盤の中心となって、(図で示す)すべてが一時に直線上で一挙になされるのです。 その時の李承晩大統領は、アメリカの教育を受けて、英語をよく話す人でした。その夫人もアメリカの女性でした。これは不思議なことです。正にキリスト教文化圏を中心とした主権の代表が現れる時なのです。またその時のアメリカの軍事政府の中心がハッチ将軍だったのです。この時、李博士がハッチ将軍の言うことを聞いていたなら大変なことになったのですが、李博士は自分の主張を通しました。これは素晴らしいことなのです。李博士がアジア文化圏の代表となって、西洋文化圏の代表であるアメリカのハッチ将軍に対して民族的自主性をもったのです。皆さんは西洋の歴史は知っていても、韓国の歴史は知らないでしょうから教えてあげましょう。 韓国動乱の時、北朝鮮の捕虜たちを釈放するということに対し、アメリカ政府の方針はすべて北へ送還するようにということでしたけれども、彼らは北へ帰ることを望まなかったので、アメリカが彼らを北へ送り返すとしたら、それは非人道的なこととして反対されていました。それで李承晩大統領はある晩、ひそかに捕虜収容所のドアを開けて、何万人もの北朝鮮の捕虜を釈放して自由を与えました。これはメシヤ的な考えに従った善い処置でした。 先生は当時、十代のクリスチャンたちを復帰しなければなりませんでした。そこで十代の若者の復帰のため、先生が訪ねていったのが梨花女子大学です。梨花大学は女性の学校で長女格であり、延世大学は男性の学校です。この梨花大学と延世大学の若い男と女が国家代表として復帰されたら、李承晩大統領を支えるのです。その次は、李承晩大統領が信念をもって神様のみ旨に立って世界の統一を主張し、そこで完全にアメリカと一つとなって世界へ延びていくことができたのです。それを知って、金博士はみ旨に反対したのです。金永雲ほか五人の課長たちが追放され、多くの学生たちが退学処分を受けたりしたのはみな、宣教師たちの名によってなされたのです。分かりますか? これが怨讐です。アメリカが怨讐になったのです。そのため神様の版図として立つべきキリスト教文化圏と、世界の版図圏をもったアメリカが、メシヤのために準備しなければならないにもかかわらず、反対したことによって先生は北韓へ行くしかなかったのです。共産世界を訪ねていって再び捜す条件を立てずしては、南韓に来ることができなくなったのです。 一九五四年南韓の地に来て、そこから統一教会の縦的版図基盤を整えて、初めて統一教会を中心として、キリスト教が失ったキリスト教国家、世界の自由国家統一圏を再び先生が二十代から六十代までの四十年間をかけて捜し求め、イエス様がなさなければならなかった新郎、新婦の聖礼式を中心として、世界に向かった家庭基盤を世界国家版図として拡大して、アメリカを代表としたキリスト教文化圏と対等になれる時代がきたのです。 アメリカの大統領、アメリカの国、アメリカの文化圏は、統一教会の基盤、統一教会の一員としての皆さんにかないません。このアメリカとキリスト教文化圏がすべて、アジアに帰らなければならないのに、帰ることができない立場にある以上、アメリカは腐敗するようになるのです。仕方のないことです。そこで先生がアメリカにやって来て、アジアに帰ることのできる道をつくってあげているのです。 二千年前にクリスチャンがローマに行って、そしてついにはローマを屈服させ連結させたのと同じようにするのです。このキリスト教文化が反対することによって、アメリカがローマのような立場に立ってはならないので先生は、先生の弟子であるアジア人の十二使徒をアメリカに連れてきて、神の主要な摂理をアメリカに連結させて、再びアジアに戻っていくのです。イエス様の時の文化圏の蕩減すべき使命をなしているのです。このことによって、皆さんは神の摂理に参加する資格があるのです。分かりましたか?(はい)。 皆さんの中で不平不満のある人はいませんか? 統一教会に入ったら、自分には個人的見解もあるのに、何も認めてくれないとか何とか言って、不平を言っている人がいるかもしれません。我々は今、現代の荒野路程にいるのです。イスラエルの四百年間の苦役の路程を、第二次世界大戦後の四十年間で蕩減復帰するのです。この荒野路程の最後の二年路程を勝利しなければ共産主義に滅ぼされてしまいます。四十年間で蕩減復帰するのです。そしてキリスト教文化圏、統一された文化圏、統一された自由世界圏に向かって前進し、私たちの祖国を創建しなければならないのです。 歴史上において、現代の世界情勢がこのように複雑に変化していくのは、六千年の蕩減復帰路程に合わせるための過程に突入しているからだという事実を知らなければなりません。それは誰を中心としてかと言うと、真の父母を中心としてです。エジプトでも滅びなかったし、ローマでも滅びなかったキリスト教文化圏が、なぜ第二次世界大戦後のこの時代になって滅びていくのでしょうか? それは最終的理念を中心として、すべての宗教が一体化しなければならないからです。 年取った人たちは、その時代で統一教会に反対しましたが、今の若い人たちは、このたびの興進様の昇和によって世界ペンテコステ時代に入ってきました。四十年前の韓国において、延世大学と梨花大学にペンテコステと言われるような現象が起こり、その時のその火は政府とキリスト教の反対によって妨げられましたが、ここに再び興進様の昇和によって統一のペンテコステが起こりつつあります。 興進様がなぜ霊界に行かなければならなかったかと言うと、それはキリスト教文化圏と、統一教会の歴史的な家庭と、統一教会の信者たちが先生と一つとなることができなかったすべての内容が汚点となっていたからです。先生がこれを蕩減しなくては行く道がないので、代わりに祭物として興進様を立てざるを得ませんでした。真の父母は犠牲となることはできないのです。それは皆さんも御承知のことと思います。真の父母は世界の中心であり、神様も真の父母を犠牲とすることはできません。 蕩減はアベルがするのであって、真の父母がするという法はないのです。仕方がなくアベルを代表した世界的な先生の二番目の息子の興進様が犠牲となったのです。先生の家庭もこのような原則に従っていかなければなりません。つまりカインの立場が孝進様であり、アベルの立場が興進様です。神はそのアベルの立場の興進様を供え物として受け入れられたのです。神様はすべての重荷をアベルである興進様に担わせられたのです。先生は興進様が霊界に行かなければならないことを知っていました。しかし、先生は決して涙を流しませんでした。そして興進様に対して、あなたが霊界に行くからには、すべての重荷を持って行ってほしいということで、統一式を行いました。興進様の体を前にしてユダヤ教とキリスト教と統一教が一体化し、韓国と日本とアメリカとドイツが一つになるように、と統一式を行ったのです。そこで「興進よ! あなた一人でこれらをみな担って行きなさい。縦的にはユダヤ教とキリスト教と統一教会が一つになることができなかったこと。横的にはユダヤ国とアメリカと韓国が一つにならなかったこと。そして摂理的にみたとき、韓国、日本、アメリカ、ドイツが一つとなることができず反対したので、これを蕩減しなければならないこと。このすべての献物としてあなたを捧げたのです。孝進様と私の家庭の統一圏を中心として行きなさい。これですべてが終わりました」と、そのような祈りをしたのです。 神様に代わり、真の父母に代わって、サタンとの一線において勝敗の決定するこの瞬間に宣布したのです。真の父母の愛をもって、真の父母の愛の圏で神の国の大使として送ったのです。このように深刻なる時、先生は興進様が死んでいくことを考える余地がありませんでした。いかにして神のみ旨を立てるかということだけでした。そして『祖国創建』という標語を立てることができたし、そのために『愛勝日』という日を宣布することができたのです。これ以後は、先生と(興進様が)完全に一つとなったので世界的復活圏、ペンテコステがなされるのです。世界一二〇カ国が復活して先生の家庭を中心として訪ねてくるのです。 二千年前イエス様が十字架で殺される時、イエス様を殺せば神様のみ旨はなくなってしまうとサタンは思ったのです。しかし神様はイエス様を復活させて、今日の霊的世界の版図を立てました。このような版図の基盤の上に復活されたイエス様は、霊界で一二〇名の門徒と共に一二〇カ国家に霊的キリスト教文化創建の基盤を整え始めたのです。それが根となりキリスト教が全世界に拡大されていったのです。それと同じようなことが今日繰り返されています。 皆さんも知っているとおり、昨年の末に先生は共産主義の前線に立たねばならないと思ったのです。その時、先生だけでなく、シカゴにおける科学者会議に参加した科学者たちに対しても韓国に来るようにと招待しました。そして、七十二カ国のPWPAの議長たちが全員信仰をもって韓国にやって来ました。誰もが不可能な時に神様は命令するのです。そして全員、宣誓文に署名しました。それはサタンにとってみれば大変なことです。それから興進様の事件が起こったのです。先生がもし天理の内容が分からなかったら、興進様は悲惨な犬死にになったことでしょう。二千年前イエス様が復活して新しい霊的基盤の版図をつくったのと同様に、今また(サタンは)二番目の息子興進様を打ってしまえば終わると思ったのですが、興進様は勝利して実体版図をつくったのです。 では、なぜ先生がこの興進様の犠牲を勝利へと導くことができたかというと、興進様は特別の人であり、先生の家庭に生まれ、真の父母の愛を地上において十分に味わった人だからです。これは霊界の誰もが味わったことのないものです。ですから興進様が霊界に行ったときには、霊界において真の父母の愛を実感として体恤した唯一の存在となったのです。 イエス様すらも真の父母の家庭と真の父母の愛は経験することができませんでした。そこでイエス様がカインとなり、興進様がアベルとなって、霊界の長子権復帰は完全に決定されたのです。何の話か分かりますか? 霊界において立場が定まることによって秩序が整うのです。イエス様は新婦を求めるのに二千年掛かったのですが、興進様は四十日以内にこれをなすのです。五旬節以内に祝福をしてあげることによって二千年間のキリスト教の蕩減の犠牲を払うことなく、直ちに地上世界と霊界が真の父母の圏内に入っていくのです。これを知らなければなりません。 興進様が霊界に行き、霊界の王様となった時に、すべての霊界にいる過去の王や女王や元首たちがすべて一体化しました。興進様はこれらの霊界の力を総動員して、地上に降りてきて働くことができるのです。二千年前には霊的母として聖霊が降臨し、一二〇名のイエス様の弟子たちが聖霊を受けて、世界的にキリスト教が拡大するきっかけとなりましたが、その版図を再び復活させて、国家的収穫圏をなし、イエス様とキリスト教が、真の父母の前に捧げることのできなかったキリスト教文化圏と民主世界の勝利圏と、統一教会と統一教会の世界的版図と霊界の勝利圏を真の父母に結束することによって、一つの統一された心情世界圏へと越えていくことができるのです。分かりますか? イエス様がなせなかった蕩減を、収穫を通して再蕩減するのです。霊界においては、一二〇カ国の霊的王権を中心として統一されるのです。そして地上に再臨するのです。一二〇カ国家、これは何かと言うと、イエス様の時代に洗礼ヨハネとユダヤ国家が一つとなった洗礼ヨハネ一二〇カ国家の形態から始まるのです。王権再臨なのです。(黒板の図を示しながら) ではどこに再臨するかといえば、自分たちの国です。一二〇カ国家がすべて協力して、中心となる真の父母の所にどんどん引っ張るのです。イエス様時代においてのサタン世界の文化圏、キリスト教文化圏を越えていくのです。 それで第三世界圏が統一教会を支持するのは、アメリカの中心的な白人世界は反対しても、黒人とスペイン系の人々がどんどんレバレンド・ムーンを支持するからなのです。また共産主義者が出てきて、白人たちのもっている財産を全部奪い、植民地も奪い、ヨーロッパも奪って、もはや行く所がなくなり、白人たちは「アジアの人を通して、私たちを救ってください。レバレンド・ムーンよ助けてください」と言うようになっていくのです。しかしそうなってはいけないので、韓国と日本とアメリカとドイツをアダム、エバ、アベル、カインの立場として、また怨讐の国家的代表として一つにすることによって、アメリカを再蕩減させて復帰しようとする闘いがこの三年路程であることを知らなければなりません。 収穫の時に怨讐の国々を先に刈り入れて、一つの家庭にしなければなりません。そのような家庭の夫婦同士が天国の伝統をつくらなければなりません。これは歴史上にかつてなかったことです。怨讐国家を一つとして神の伝統的基地とする闘いを、今、三年路程としてアメリカで展開しているのです。これがIOWCなのです。現代の荒野としての五十州を回るのです。 この時からアメリカの世論が変化してきています。今後、「レバレンド・ムーンは正にイエス様の言葉である『敵を愛せよ』ということを、真に実行した人である」と記録されることでしょう。その例として先生は法廷闘争をしながらも、『オー、仁川』を作ったり、『ワシントン・タイムズ』を作ったりしています。これはお金をもうけるためですか? 統一教会のためだけですか? (いいえ)。それはアメリカを救ってあげ、自由世界を防御するためです。これは誰もが知っていることです。(拍手) アメリカはレバレンド・ムーンに感謝しなければならない立場なのに、法廷闘争で挑戦しているのです。イエス様が三十年の生涯においてユダヤ教とイスラエル国を中心として、ローマとアジア文化圏を統一しようとした基盤を世界至る所に備えているので、統一教会は残されている共産圏だけを救済すれば、世界統一圏を相続できる時に向かって、今や息詰まるほどの闘いの分岐点に立っているという事実を知らなければなりません。 先生は本来ならば三十歳の時に韓国のキリスト教会を一つにすべきでありました。そして国家的な基盤をつくるはずでしたが、韓国のキリスト教会の反対のため、それが成し遂げられませんでした。しかし今日、統一教会は三十周年記念日を祝っています。つまり統一教会が三十歳になったのです。これから我々は世界的な基盤を築くでしょう。イエス様が国家的次元で十字架上で亡くなるとき、ユダヤ教とイスラエルの国が全部分かれてしまいました。それをキリスト教とアメリカが一つとなる最後の高峰を中心として、蕩減復帰しなければなりません。今日先生の裁判問題は(イエス様の)十字架を復帰するために必要な摂理であります。 イエス様を中心として左翼と右翼の強盗の闘いの歴史を、真の父母が世界的収穫期に現れることによって蕩減復帰するので、現代は世界的版図で右翼左翼が分かれて闘うのです。そして右の強盗を左の強盗が讒訴するのです。 イエス様が十字架にかかって死ぬようになったのでこのような世界になったのです。そして統一教会は今、イエス様の十字架の迫害を受けていますが、しかし一つとなった時には、カイン圏の共産主義の復帰は問題ではありません。民主世界と統一教会が一つとなったら共産世界は自動的に滅亡するのです。 右の強盗の立場で今、全米のキリスト教会が先生を支持しているのです。それで、既に五年前からキリスト教文化圏が必ず支持する時が来ることを知っていたので超教派運動を準備してきました。今や、超教派運動においても統一教会がなければキリスト教の生きるべき道がないので、統一教会に従って来ざるを得ない段階に入ってきました。ペンテコステによって、一二〇カ国家が真の父母様を中心としたこのアメリカに全部入ってくるのです。一二〇カ国家のアベル的人々がこのアメリカに集って一つとなる日に、世界は自動的に一つとなるのです。 カインとアベルの最終的闘いが終わり、アベルが兄の立場に立ち、カインが弟の立場に立って、一体化がなされるでしょう。それは真の父母を中心とした、真の父母に侍る兄弟愛としての一体化です。これらのことがすべて、今後の三カ年のうちに起こるでしょう。今後七年のうちにすべてが行われるでしょう。 それで一九九〇年までに韓国語を学ばなければなりません。エデンの園には通訳はいないのです。それはレバレンド・ムーンの考えでしょうか? それとも原理的な摂理観によるのでしょうか? (原理的摂理観です)。皆さんは韓国語を学ばなければなりません。誰もあなたの通訳となることはできません。皆さんは口にテープを貼ったように唖になりますか? ポール・ワーナー、どうですか? あなたはドイツ出身だからドイツ語の方が優秀だと思っているかもしれません。それとも先生の言うとおり韓国語を勉強しますか、どうですか? ポール! あなたは韓国語を勉強していますか? (はい)。先生は信じません! (一同笑い) なぜこのような話をするかと言えば、今日が三十周年という歴史的な意義をもった転換の時であるので、先生はメッセージを述べる前に祈ったのです。祈りの中で先生は天に対して、また天と地に対して、先生の自らの息子である興進様を送ったことを通して地上界と霊界が一体化することを宣言しました。サタンが強力な讒訴条件をもっていたがゆえに興進様は霊界に行かなければなりませんでした。しかしその結果霊界を一つにまとめ、今や一二〇カ国が霊界と一体化して、真の父母に近づきつつあります。霊界が自動的に地上界に協助しています。なぜならば、霊界が興進様を通して真の父母の愛と一体化したからです。これがペンテコステです。分かりますか? 興進様は昼夜休むことなく、世界を救う運動の先頭に立っているのです。ですから孝進様と統一教会の食口たちは熱心に興進様を助ける祈祷をしなければならないのです。分かりますか? (はい)。完全に一つとなって祈祷しなければなりません。私が興進様を助けてあげるのであって、興進様の世話になりたくないという考えで活動すれば、世界は瞬時に変わるのです。 このようにして三年路程を歩むことのできる恵沢を受けたことは、有史以来のいかなる祝福よりも貴い事実であることを知らなければなりません。 神を愛し、真の父母を愛しなさい。金博士もぶつぶつと小言を言ってはいけません。たとえキリスト教の長老教会の有名な人であっても、悪口を言われて足でけとばされても、「有り難うございます」と言えるようにならなければなりません。そうすることによってキリスト教が生きるのです。一人を代表として、蕩減するために太平洋の中に逆さに入れたい思いがします。鮫に一口で飲み込まれたとしても、「感謝します」と言える覚悟を誰か一人がしなければなりません。分かりますか? 先生は深刻なのです。 有史以来、この世においてレバレンド・ムーンがやっていることを誰がやれるでしょうか? 先生しかいません。先生しか今日を統一することはできないのです。多くの人々は一人の息子が交通事故で悲劇的に死んだとしてそれがなぜ重要なのか、と言うかもしれません。しかし本当のことを知らないからです。霊界を知らないからです。二千年前にイエス様が死んだことが、なぜそれほど重要だったのですか? それと同じことです。昨日先生はヨーロッパのメンバーから連絡を受けましたが、そこにおいて信じられないような現象が起こっていることを知りました。例えば聖フランシスが霊界から現れて、彼はこれまでイタリアで生まれ、イタリアで過ごし、イタリアで死んだのですが、霊界からイタリアへ降りて協助することができなかったのです。しかしこのたび、興進様が霊界に行って聖フランシスに対して、イタリアのホーム・チャーチをするようにという仕事を与えられ、喜んで地上に降りて来ているということです。またもう一人のキリスト教の篤信者が、この人はドイツの南部の人で、重労働のため死んでしまってドイツへ帰ることができなかったのですが、興進様から「お前はミュンヘンへ行ってホーム・チャーチの責任者となるように」と言われて、喜んで地上に降りて協助しているという報告を受けました。 興進様が霊界に来た時、初め興進様について何も分かりませんでした。何か東洋の青年が来たとしか思えませんでした。しかし驚いたことに、その青年の後からイエス様が付いて来て、その青年に従っているのです。そしてイエス様が振り返って、「私は古いキリストだけれども彼は若いキリストである」と言いました。 それでいよいよ洪水のような恵みの時代がきたのです。洪水のように勇気を出して、洪水のように走り、洪水のように闘いましょう。これがきょうの皆さんへのプレゼントです。何事も恐れてはなりません。私たちが行く道には神様が共におられ、興進様が勝利のくさびを打っているのです。 きょうからは、イエス様が反対されることなく、イスラエルとユダヤの国で歓迎された世界の版図圏に向かって、教会の年齢三十歳時代を迎えた勝利の旗を翻しつつ、勝利の時代へと越えていきましょう。(アーメン)。総進軍いたしましょう。(アーメン)。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.20
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「真の父母に侍ることの意味」1984年4月1日(父母の日) 皆さんは、このような手紙の内容を聞いて参考になると思いますが、霊界から示されたその内容がどれほど具体的なものであるかがわかったでしょう。皆さんは先生が今までなして来たことについて、先生の話を聞くことによって「そうなのだろう」と思ってきたでしょうが、霊界においては、すでにそれを知って、決定的なページをめくったその後を地上がついて行っているということを知らなければなりません。 本来、堕落していなかったならば、地上で先になされてから、それが霊界に反映されるのが本然の公式なのです。しかし、これが逆になってしまっているのです。では、この場がどれほど重要な場であるか? 皆さんは、この世で生活していた習慣とか風俗とか、自分が知っている今までの伝統的知識とかそういった基準や、観念を持って今までみ旨に接して来たということ自体、どれほど申し訳ないことであったかということをこのような場において感じなければなりません。歴史始まって以来数千年間、神様のみ旨と、それに応える人間との間には距離があったのです。 霊界に霊人となって行ったとしても、直接神様の前に出ることができないのであります。再び地上人を通して行かなければならないため、それがどれほど困難で、恨みであるかを皆さんは知らなければなりません。そのような霊人体が神の前に行くには、地上において真の父母に侍ることなくしては、神に侍ることができないということを霊人たちは知っています。そのような道を経なければならないことを考えるとき、この地上にその霊人たちが復活して、皆さんのような肉身を持った人となったなら、どれほど努力することでしょう。どれほど父母様と一つとなるために苦労するか、それを知らなければなりません。 その霊人が復活するために、父母様と一つになることができる道があるとしたら、いかなることをしてでも、冒険、冒険、冒険を経てでも自ら進んでその道を行こうとするでしょう。その霊人たちは、地上世界で父母に侍っている統一教会の信者はそのようにならなければならないと見るのです。 数千万回死んだとしても、自分という意識があってはならないのです。天のみ旨、自分が行かなければならないその目的のためには、自分の意志、自分の観念、自分の主観を持つことはできないのです。それが何の話かわかりますか? キリスト教は今日の再臨時代を迎えるまでにどれほど犠牲の代価を払ってきたことでしょう。 み旨を中心として見る時、統一教会の信者たちには、自分を中心とした考えを持つ者と、み旨を中心とした考えを持つ者との二つのタイプがあります。それは本来ありえないことです。それで(今の手紙で)神は統一教会においてこのような二つの種類の人間がいることを警告しているのであります。 これらを考えるとき、我々の立場がどれほど重大な立場であるかを皆さんは知らなければなりません。 サタン世界と神の世界が交叉する時 きょうは二十四周目の父母の日ですから、しばらくこのことについて話をしてみようと思います。回数としては二十五回、満二十四周期です。また今年の五月一日になれば、統一教会は創立三十周年を迎えることになります。 東洋には十二カ月、二十四の節気(注)があります。一カ月に二つの節気があって、一年に二十四節気があるということを西洋は知らないでしょう。それをみると、霊界も十二支派を中心として二十四数が重要です。これは十二数、二代に該当するのです。三段階の二段階目に該当するのです。年を基準とするならば節気は二次的段階なのです。一年には十二カ月があり、二十四節気があり、三百六十日(韓国では三百六十日、陽暦では三百六十五日)があるとみるのです。このように見ると、三十六数は三段階の完成数です。このことを復帰原理を通してみると、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭の三十六数もこのような内容に該当するのです。これはサタン世界で言えば、サタン数が六数で、四をかけると二十四、サタン世界の数を清算する、全体を総合した全体の理想数にもなるのです。 このような摂理史の観点から見るとき、現在はすべてのサタン世界と神の世界が最後に交叉する時期になっているといえるのです。このような峠を越えていく今、サタン世界を代表した共産世界、自由世界を代表した民主世界、統一教会に代表される神の世界が現在登場しているのです。民主世界はアベル世界。これは神側の天使長世界であり、共産世界は堕落した天使長世界であり、統一教会は父母の世界を表わすのです。何の話かわかりますか? カイン、アベルに分立されたこの基準を作らなければ、全世界を一つにすることのできる基盤、動機が設定されないために、自由世界、共産世界に分立されたのであり、そうしなければ結果が一つとなることはできないのです。 では、これまでの宗教の歴史において、宗教史を代表するユダヤ教からキリスト教、さらに統一教会までの歴史が何をなして来たかといえば、アベル世界の完成のためになして来たということを皆さんは知らなければなりません。そのアベルの世界とは、堕落していない天使長の世界のことです。そして外的世界、共産世界とは何か。今までのサタンの歴史・世界、宗教を代表した世界に反対したそのようなサタン世界、これがカインの世界であると同時に、堕落した天使世界が結実して共産世界にまで至ったのです。これが反対の立場となっているのです。 復帰路程の最終責任は“私”にある では、いかにして一つになるか? 頂上で一つとなることはできません。これが一つとなることのできる歴史性を持たなければならないのです。カイン側の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界。この世界に対処するためにアベルが出て来て闘わなければなりません。アベルが出て、カイン世界に勝利して、長子権を復帰しなければ、前進する道がないのです。長子権を復帰しなければなりません。そうしなくては神の国の個人、家庭、氏族、民族、国家となることはできないのです。堕落したために、これを捜し求めて来なければならないのです。 では、いかにして捜し戻して来るかといえば、これはアダムが堕落する前の、神様が立てた原理原則を中心として捜し戻して来なければなりません。それには絶対的信仰と絶対的愛、絶対的責任を持たなければなりません。堕落が何であるかといえば、絶対的信仰がなかった、信ずることができなかったことです。責任分担を成せなかった、絶対的責任を果たせなかったのです。絶対的愛を持てなかったそれが堕落であります。堕落という結果になったのです。 それゆえ、復帰路程においては神が責任を持つのではありません。絶対に自分が責任を持たなければならないのです。そのような観点からは、祈りをもすることができないということを皆さんは知らなければなりません。祈りをするのは天使の協助を受けるためであって、神の協助を受けるための祈りはできないのです。今までの祈りのすべては、天使たちの協助を受けるための祈りをして来たという事実を知らなければなりません。 二重責任をもつイエス それで、イエスが霊界に行かれてどのようなことが起きたかといえば、神の息子の立場において天使長の仕事をしているということを知らなければなりません。イエスは神の息子の立場で来られたが、霊界に行って最高の天使長の仕事をしているので、地上のキリスト教徒たちは、イエスを中心として祈れば、祈りを通して、天使長格におられるイエスの協助を受けて、本然の息子の立場に出ることができるのです。そのような二重責任を持っている方がイエスであります。イエスは霊的基準において霊的救援をすることができますが、本来は息子の責任を持っていたため、天使長の立場にあっても息子の内容を持っているので、イエスと一つになることによって、祈ることによって、神に内的に通ずる道が開かれたのです。それ以前は、祈りは天使世界、各々善なる霊を中心としたもので、直接的に神と関係を結ぶことができなかったという事実を知らなければなりません。 それではキリスト教や宗教は何をなすべきでしょうか? 堕落した天使長であるサタンと、サタン世界の息子を消化して収拾するための運動が、宗教のなさなければならない責任であり、アベルが行くべき道であり、イエスがなさなければならない使命であるということを知らなければなりません。 それはどういうことかといえば、人間的観点から見るとき、蘇生的アダム時代、長成的アダム時代、完成的アダム時代に分けられるのです。蘇生的アダム時代とは何か? それは天使長(僕)であり、長成的アダム時代は養子であり、完成的アダム時代は実子であります。それでキリスト教の最後の日に誰が来るかといえば息子が来るのです。実子(メシヤ)が来るのです。神の息子が来ることによって何がなされるのでしょうか? 本然のアダム、エバを中心として、エデンの園でなさなければならない創造理想の実現がなされるのです。 では再臨主が来るとき、終末の世界はいかなる世界なのでしょうか? キリスト教を中心として再臨主が来るとしたら、キリスト教文化圏は世界を支配しなければなりません。サタン圏を完全に除去した立場に立つことのできる、特権的な時代にならなければならないということを、皆さんは原理観から知ることができます。 新しい統一文化圏世界 それがいつか? 歴史上、宗教文化圏を中心として世界を支配することのできるたった一回の統一圏時代がいつかといえば、第二次大戦直後であったのです。では統一教会はいつ現れたか? 一九四五年、解放直後にこのようなみ旨を中心として現れるようになったのです。 それで韓国で生まれた、今日レバレンド・ムーンを中心とした統一教会の運動が出発するときの基準は、世界を統合することのできるキリスト教文化圏を中心としなければならなかったのです。国家基準を越えていなければならないのです。その当時、韓国には主権がありませんでした。キリスト教文化圏を中心として米国が、アベル歴史であるキリスト教を中心とした霊的勝利圏の上に、養子基盤を受け継いだのです。この土台の上に世界的版図基盤を中心として、天使世界の完成と養子世界の完成がなされて、直系の子女を迎えることのできる世界文化圏時代に入って行くのです。縦的な歴史が横的に一つになることのできる時代です。これを統一しなければサタンの基点を除去することができません。 しかし、統一教会を中心としてキリスト教会が一つになることができなかった、そのことが世界のキリスト教文化圏、米国を初めとした第二次大戦の勝利国家全体が一つになることのできない動機となってしまったのです。キリスト教会が不信してサタン世界に行ってしまったので、これを再びサタン世界から取り戻して来なければなりませんが、誰がそれをやるのでしょうか? 取り戻して来る人がいないのです。 神が僕の世界を取り戻し、養子の世界を取り戻し、実子の世界を取り戻してきた縦的な歴史の上に、神の代身、真の父母の立場で来られる再臨主が天使世界の復帰、養子復帰、実子復帰の基盤を再びつくらなければならないというのです。今までの縦的な歴史を横的に、再び蕩減して立てなければならないのです。 このようにして、三次の七年路程は二千年のキリスト教歴史を蕩減するのであり、四十年期間は四千年を蕩減するのです。それはイスラエルという名前が生じた時からの全歴史であり、世界人類が含まれるのです。アラブ圏も入るし、世界全体が入るのです。反対するアラブ圏、全世界圏をここにおいて復活させなければならない運動として展開し、新しい統一文化圏の世界として発展させてこなければならないのです。 それで、四十年間において先生がやることは何かといえば、学者運動だとか、サミットクラブ、全宗教協議会、神様会議等々の運動をなしているのです。そうして今は何をしているかといえば、神主義という内容を中心として、世界の最高リーダーたちを結びつけようとしているのです。外的な面において世界的なトップ、宗教的な面において、今現在、原理を中心としてキリスト教なら、キリスト教を中心とした世界的な神学者糾合運動を内外共にやっているのです。 父母が干渉できる時代圏 今がどのような時かといえば、父母も復活できていないし、アベルも復活していない。アベルも勝利していないし、カインもアベルを殺すことができず勝利することができない。すべてが未勝利の段階で、世界的版図を三つのグループが眺めている、そのような時代であるということを知らなければなりません。 では神はどこにおられるのでしょうか。共産世界にはもちろんおられないし、民主世界にもいないし、どこにおられるか? これから現れる統一教会にしかおられないのです。自由世界(米国)に先生が来て、今十一年目になりますが、満十二年までにいかなることが起きるかといえば、キリスト教文化圏がこれまで失敗したことを、反対していたことを蕩減復帰することのできる時代に入って行くのです。 カインが打ち殺そうとしているさなかに、誰が仲裁に入ってくれるのか? エデンの園では仲裁に入ってくれる人がいなかった。アダム・エバも見ているだけで手をつける術がなかったのです。アダム・エバはどうしてそうだったのでしょうか? 責任分担を完成した立場に立っていなかったため干渉することができなかったのです。つまり人間が責任分担を果たしていない圏内に留まっていたから神も父母もどうすることもできないのです。どうしてこのようなお話をするかと言えば、今の時代がどういう時代であるかをはっきりと知らなければ、皆さんは復帰摂理がどのように進むかわからないからです。 しかし今は異なるのです。今の時はどうなっているか。父母様が蕩減復帰の路程を経てきておられるのです。サタン世界において、原理主管圏を中心とした、神の愛を中心とした心情の因縁を、蘇生、長成、完成圏まで連絡させて、世界的蕩減条件を立てられました。そのことによって、今やアベルを打つカインに対してアベルを保護してあげることもでき、これに対して干渉することのできる時代圏に入ってきたことを知らなければなりません。それは父母様によって蕩減が払われたからです。天使長圏、アベル圏、養子圏、実子圏のすべての蕩減内容を、世界的版図の家庭基盤を中心としてなしたのです。 サタン世界に家庭があるのと同様に、神の世界の天使長圏を中心として、養子圏、実子圏の家庭基盤が世界に設定されたのです。これはサタン世界にあるものを奪ってきて接木したのです。血統を転換して、この接木された世界の国家基準を代表することのできる群れが残るようになっているのです。 すべてが一つの運動圏へ このような統一教会に対し、共産党も反対し、ユダヤ教も反対し、キリスト教も反対し、全体が反対して完全にサタン側になってしまった中で、文先生は一人で七六年までこれらと闘ってきたのです。こうしながら共産党によって滅びると思っていたアベル圏のアメリカが、誰によって生き返るかといえば、統一教会の神主義、レバレンド・ムーンによって生き返る道しかありません。これがたった一つの道であるといえる世界的時点に至ったことを知らなければなりません。 法廷闘争というのは、イエスがユダヤにおいて十字架につけられたと同じように、民主世界において世界キリスト教文化圏が十字架につけられたのと同じです。イエスが十字架につけられた時は、ユダヤ教とローマが分裂し、弟子たちすべてを失ったのですが、この度の法廷闘争を中心としてすべてが一つに合わされるのです。反対をしていたすべてのキリスト教が一つとなり、全米国と民主世界が一つとなれる運動圏へと向かってくるのが、丁度この時点であることを知らなければなりません。 そして四十の団体が先生を支持する立場にあります。言論機関などすべてが、米国の政府も今や統一教会を必要とする段階に入ってきたのであります。一つになれる運勢に入ってきたのです。 では、私たち自体内でなさなければならないことは何であるかといえば、サタンは個人の根と国の根を持っているのです。個人と国が、サタンが相対する根拠地であることを知らなければなりません。今までサタン世界が神を攻撃することにおいて、反対することにおいて、いつも自分の利益、国家の利益を中心としてサタンはふるまってきたということを知らなければなりません。個人がサタン侵入の根拠地となっているし、国家が根拠となっているのです。その根拠をもって個人を怨讐視する運動、国を怨讐視する運動が、サタンの活用する方法なのであります。 四大怨讐が一つに それで、統一教会においてこの問題をいかに克服するかということが、これから世界へと向かって越えていかなければならない、この時代における最も重要な使命、責任なのであります。ここにおいて何を中心として収拾すべきでしょうか? 何を中心としてその一つの主体思想を立てるかということが問題なのです。 神を中心とした一つの国、神を中心とした一つの国に属する私、これを知らなければなりません。神を中心とした一つの国家に属する私という観念を持たなければなりません。それは何かといえば、私というのは神を代表した私であり、私というのは世界の国々を代表した私である、そのような私とならなければならないのです。そのような私の中には神が根底となっており、私の中には世界が根底となって、その上に立っている私なのです。これがはっきりわかりますか? このような伝統を立てるためにこの三年間を中心として、韓国人、日本人、アベル国家であるアメリカ人、カイン国家であるドイツ人を合わせて、すべてが一つにならなければなりません。ドイツ人とか、日本人とかいったものは何もないのです。神を中心として一つになりなさい。これらはそれぞれ怨讐同士であります。四大怨讐なのです。アダムとエバが怨讐で、アダムとアベルが怨讐で、アベルとカインが怨讐で、兄弟と父母が怨讐であったことのすべての根を根絶するための統合の起源をつくっておかずには、神の国へと越えて行くことができません。サタンが言うには、「地上において敵国がある限りそれはサタンのものである」と言うのです。「自分を中心とした人がいれば、これは私の人である」と言うのです。 では、このような国々は、誰によって一つとなれるのでしょうか。神と堕落していない真なる父母が設定されなければ一つにする道がないのです。何でもって? 神の愛と真の父母の愛でもって。皆さんは神の愛を誇り、真の父母の愛を、自分のもの、自分の国、世界の何よりも誇り讃えなければならないのです。この神の愛と父母の愛は一つのものです。直接主管圏というこの愛の名を中心として、家庭という土台の上に、一つとなりうる出発を地上で実現したのが統一教会であります。それは父母様が行かれる足台であり、橋であり、版図なのです。父母様の版図は神様の版図となります。天上の、神のすべてのみ旨が地上に再実現したのが今日の統一教会の運動です。地上天国理想を捜し求めて行くのです。これを支配することのできるサタンの力はありません。 今日この四大国家が米国を中心として皆一つとなっています。家庭という土台でもって日本人、ドイツ人、米国人がみな混ぜ合わさったのです。完全に一つとなりました。それで、今の時においては韓国人の幹部、日本人の幹部、ドイツ人の幹部、米国人の幹部は苦労をしなければなりません。自分を中心としたみ旨で一つとなるのではありません。このような運動を通して神主義を中心として、統一教会の運勢を中心として、世論と国家、民主世界の方向が統一教会の方向へだんだんと糾合されてくるのです。 実現化する天国理想 共産世界は世界的な版図をもって家庭的基盤を中心として、自分を中心として連結されたその基盤を誇っています。ところが、統一教会は世界的版図を持つ真の家庭を中心として、個人を中心とした世界的家庭の代表、世界的個人の代表の基準に連結された世界的版図を形成しています。そして、それが真であると主張できる原理的内容、真理的内容として提示することのできるものを整えているという事実は共産世界にとって驚くべきことなのです。 今や、統一教会を中心として個人的にも完成していくのです。この完成していく人格観というのは統一教会にしかありません。人々を見ても統一教会の人たちが一番です。社会が揺れ動いて家庭が多く破綻している中で、家庭的にみても世界第一なのです。また統一教会の氏族をみても、自分の氏族同士、民族同士のみでなく、他の氏族とも一つとなり、世界民族同士が一つとなっている。これも素晴らしいことです。彼らが主張するところの一つの理想的世界である統一世界もとても素晴らしい。あらゆるものと比較してみるとき、すべての点で優れています。こうしたことを提示できる版図をすでにもっているのが統一教会の立場です。 サタンがみても素晴らしい。世界的であります。黒人、白人の差別がなく、黄色人と白人が一つになっているのです。また国家的に見るとき、怨讐の国家同士が一つとなったそのような理想の立場に立ったのです。その理想がすばらしい。だから世界的理想をもっている共産主義や、民主世界が持っていない理想天国理念がぴったり合うのです。 今までは反対しても良いと思っていたが、これからは統一教会が一番であるというようになったらどうなるでしょうか。四月を中心としてこれが向かい合う時なのです。 先生のお話が正しいかどうか? それで共産主義が滅びるということは、共産主義を復活させなければならないということです。復活とは何かというと、父母が来られて父母が解放してあげることです。アベルを誰が解放してあげるか? アベルがカインに打ち殺されるその場を誰が守って解放してあげるか? 神と父母以外にはないのです。これを知らなければなりません。サタンと兄と天使が一つとなって殺そうとするのに、これを助けてあげられる人は、真の父母と神しか将来においてもいないということは、原理的観点から間違いのない結論なのです。神と真の父母だけをはっきりわかればすべて解放されるのです。生きることができるのです。あなた方が神と真の父母を見せてあげなければなりません。あなた方が神と真の父母を見せてあげる実体の証拠となれば、すべての解放がなされるのです。 それで、その人をつかまえさえすれば、真の父母をつかまえることができ、神をつかまえるようになり、本心は知っているのですべてが順調になっていきます。わかりますか、何の話か。これをはっきり知らなければなりません。どうしてこのような話をしているのかといえば、きょうがそのような転換の時期を考える一つの宣布の日であるからお話をするのであります。 霊界と肉界を連結した家庭基盤 それで、今回興進様が行くことによって、霊界がどうなったかといえば、地上と天上に分かれていたアベルとカインが双子のように一つに結ばれたのです。この一つとなった基盤の上に父母が現われるのです。これが原理観です。カイン・アベルが一つとなって接木する時代が来たことを知らなければなりません。 興進様は天使の立場ではなく、息子格アベルの立場なのです。その息子は真の父母の愛の土台のもとに、原理結果主管圏版図を越える蕩減条件を立てた基盤の上で行かれたのであります。この事実を知らなければなりません。 サタンが支配していた原理結果主管圏を、蕩減する条件を立て、勝利した基盤の上で直接主管圏と一つとなった立場において、霊界に行かれたのであります。そのために、堕落以後に天上世界に行った息子として、はじめて完成した資格を整えて行かれた条件を持っているのです。 本来、霊界に行ったすべての人々は、堕落していなかったなら、真の父母の心情圏を中心として、原理結果主管圏と直接主管圏が一つとなって、家庭的土台の上に、愛を中心とした主人とか実子の資格を持たなければ行くことができないようになっています。それが原理なのです。 イエス以後において、イエスや今までのキリスト教徒たちは、そのような立場を通過していないのでみな中間にいるのです。興進様が行くことによって、一つの接木できる中心が定まったのです。 そして、祝福をしてあげることによって、自分の相対が地上にいるため、生きていた時と同じ立場に立つことができるのです。わかりますか? 何の話か? それで、興進様の家庭を中心として、地上の家庭を訪問することのできる霊界の基盤が設定されるのであります。このことを知らなければなりません。霊界の基盤、これが重要なのです。興進様の家庭基盤を設定するということが最も重要なのです。 イエス当時において、たとえイエスが死んだとしても、このようなことをなすことができていたならば、今日キリスト教はこれほどまでに揺れなかったのです。しかし、それをなすことができませんでした。なぜかといえば、真の父母の心情圏によって、原理結果主管圏内におけるサタンを除去して、サタンに勝って、直接主管圏内に愛の土台をつくることができなかったからです。そのため、イエス自らがあの世にいって再臨しなければならないのです。興進様は再臨する必要がないのです。これを明らかにしなければなりません。どのように異なるかという問題です。 霊界の長子権をもつ興進様 興進様は霊界と肉界を中心として生きておられるのです。このことによって、いかなることが起こるかといえば、霊界と地上は双子のようですが、心情圏からみる時、父母が長子の立場であります。縦的にみれば、父母が初めであり、先がけているのです。興進様は二代目であります。下であります。反対なのです。 何が反対かといえば、神様が先生を中心として興進様を見る時は、先生が兄の立場におり興進様が弟であります。先生がカインの立場にいるし、興進様がアベルの立場にいるのです。これが霊界にいってどうなるかといえば、心情圏を中心として興進様が長子であり、兄の立場におり、その他のすべての霊人たちは弟の立場にいるのです。わかりますか? 心情圏を中心としてそうなるのです。これをはっきり知らなければなりません。 霊界からみれば、これが愛の圏を中心として、愛の最初の子であり、次は弟となるのです。霊界にいっている人たちが弟の立場になるのです。逆になります。それで長子権の心情圏が原則的立場になっていくのです。そういう結論が出るのです。わかりますか? これを原理講義する時よく話してあげなければなりません。 霊界にいっている霊人たちの前に、すべての善なる聖子たちの前に、イエス様の前でさえも、心情圏を中心として誰が長子となるかといえば、興進様が先に生まれた立場になるのです。心情圏を中心としては興進様が長子で、その次に生まれる人たちが次子であります。それで興進様の長子権を次子権に相続してあげることができるのです。サタンは相続させまいとしました。サタンは相続させないで、自分が奪おうとしたのですが、長子権を持つ興進様は、地上で受けた恵みをすべて相続してあげるのです。だから連結されるのです。 今までのサタン世界はすべてを相続させまいとしたが、興進様はどんどんと相続してあげるのです。それで、興進様が祝福を受けて夫婦をなしたこの基盤があるので、-あの世に行っている王たちや霊人たちは全部別々に分かれていたのですが-今や垣根が取れて、お互いが会って協力して、昔なしえなかった地上の願いをなすために、協助することのできる地上基盤を持つようになるのです。わかりますか? 何の話か? 心情を通してそうするのです。父母様の蕩減基盤があるので、父母様が蕩減した世界圏は、父母様の管理の下に入ってくるのです。だからその心情圏に連結された人たちは、父母様を中心とした興進様と一つになったその立場において、この地上に父母様が築いた主管圏内に同席することができるのであります。 地上界はすでに父母様の勝利したその主管圏内に入ってきています。なぜならば、父母の所有は子女が相続することができる天理があるためです。こうすることによって霊界と肉界が、内外共の双子が一つとなったのです。双子が一つとなりうる心情圏が設定されたのであります。 地上世界においては、先生を中心としてカイン・アベルが一つとなり、天上世界は興進様が長子(カイン)となって、あの世(の霊人たち)が次子となり、内外共に一つとなるのです。 今や父母様の名の下に興進様が行かれることによって、霊界において各々分かれていた善君、善王たちの王権相対圏が互いに連結されるのです。そうすることによって、善なる忠臣、個人ではなく家庭圏が連結され、氏族、民族、国家、全世界が統一圏へと連結されるのです。それが地上での摂理の拍車に合わせながら展開されていくのです。これを知らなければなりません。 統一圏時代の到来 霊界から見ると、神と興進様の家庭と自分たちであり、地上から見ると、神と父母様と直系子女、祝福家庭が連結されるのです。先生の子女たちの家庭で、今回の祝福があって四人の子女、四家庭が設定されました。東西南北を意味する四家庭を中心として、全世界の祝福家庭が完全に一つとならなければなりません。 興進様とイエス様が一つとなったのです。それはカイン・アベルの立場です。先生の子女の家庭とあなた方の家庭が完全に一つにならなければなりません。イエス様と興進様の家庭が完全に一つになるのと同じように、皆さんの家庭と先生の子女の家庭が完全に一つとならなければならないのです。 それで興進様は世界的基準であり、その興進様とイエス様が一つとなり、興進様の家庭とイエス様の家庭が一つとなるのと同じように、今日、先生の家庭と皆さんの家庭と一つとならなければなりません。イエス様がこのように一つとなることのできる日のために、キリスト教がどれほど犠牲を払い、その日を二千年間どれほど待ち望んできたかを先生はあまりにもよく知っているのです。 皆さんも統一教会を中心としてみる時に、先生の家庭を中心として、先生の子女の家庭、四方を中心として、皆さんの家庭が完全に一つとならなければなりません。この一つとなる基準が、今や一挙に世界的に展開される時が来たのです。こうなると霊界も一挙に連結されるのです。そうしたことが可能な、統一様式の統一圏時代が目の前に展開されてくるのを知らなければなりません。 ですから皆さんは、ドイツであるとか、どこの国であるとか、いかなる主義とか、そういうものはすべて捨てて、国という名はみな捨てて、考えることは神、真の父母、兄弟、一つの世界、それしかないのです。私たちの国、一つの国、一つの世界、天と地は一つの世界それだけです。 ではいかに生きるか? 個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天と地、天と地は神のために、神の愛のためにわたしたちは死んでいくのです。 なぜそうなのか。そうでなければあの世に行って入籍することができないのです。あの世はそのような組織となっているので、あの世に行って入籍することができません。位置がないのです。堕落していなかったなら、本来はこのような人として行くのですが、それを再現してそのような本来の人とならなければ入ることができないのです。これが原理です。 真の遺物を残そう これから皆さんが家庭に残す遺物があるとしたら、例えば、神学大学で学長を長く勤めた場合、その学校のための学長であったか、世界のために学長をやったかが問題になるのです。単に学校のための骨董品を残してはならないのです。歴史に遺物をいかに残すかを知らなければなりません。博物館に入ることができるのはそのような人物なのです。学校の博物館には、学校のためにその学長がなした遺物を残すべきでなく、その学長が世界のためになした功績をその学校の博物館に入れてあげなければならないのです。 あなた方の家庭において、これから遺物を残すにあたり、子供たちを学校に通わせることを夫婦が自慢したりするのではありません。その家庭が国と世界のために成した何かを家庭の遺物として残さなければなりません。従って、宝というのは、自分を中心とした生き方からは生じてこないのです。それ以上の次元において得たものだけが宝となるのです。 先生の場合についてみると、先生は今米国に来て、統一教会を中心として闘っていますが、統一教会のため法廷闘争するのではありません。天と地のために、神のために世界のために闘っていることは確実なことなのです。この時に、怨讐国家米国を愛する立場に立って、米国を越えて、世界を生かすために、ワシントン・タイムズをつくり、「おお、仁川」をつくったのです。これは歴史的に否定することができません。 では、モスクワ大会は何でしょうか。ワシントン大会を終えて、モスクワ大会をなぜやるのでしょうか? それは世界のためなのです。このように迫害を受け、騒動を起こしながら六千双の結婚式は何のためでしょうか? 二千百双の結婚式を、反対を受けながら行なったのはなぜでしょうか。世界のためであり、天と地のための道であることを知らなければなりません。 あなた方が今まで、米国に来て苦労したり、世界的摂理をするのは、すべてあなたの家庭とあなたの国の博物館に残すことのできる遺物を持つためであるという、有難い事実を知らなければなりません。 このような仕事をしているのに、「ああ苦しい、先生、私たちをどうしてこのように苦労させるのですか?」それは父母様の命令を受けてやるのではなく、私自らが進んでやるのであると思わなければなりません。 今NCC-SAとか超教派運動とか、ICUS運動だとか、NEW ERA運動とか、すべてこの一時を中心として、総決算して、統合するための運動を皆さんが知らないうちにやってきたのです。異邦の宗教と異邦の国を生かすための運動を今もやっているのです。 父母の日の宣布式 それで、今や民主世界が「レバレンド・ムーンよ! 協助して下さい」という、そのようなラッパの音が聞こえてきているのです。レバレンド・ムーンのみ言葉、レバレンド・ムーンの思想でなければならない。レバレンド・ムーンが侍る神に侍らなければならないといった時代に移っていく転換の時期に来ているのです。 それで、父母とアベルが一つとなればカインは自然屈服するようになります。いくらサタンだとしてもサタンは原理を知っています。弟と父母が一つになる時には、兄であるカインは屈服しなければならないのです。父母の胸に抱かれているアベルをカインが殺害することはありえないのです。 父母が「カインよ、あなたは私が愛しているアベルを憎んでいるが、愛さなければならない」と言ったとき、カインが「はい」と約束すれば、その時から神の国がなされるのです。 それが天理であるために、サタンも原理の前では一言も言うことができないのです。そうなれば世界の問題はすべて終わるのです。父母が今日の民主世界を抱くようになる時に、共産世界は自然に屈服するようになっています。共産主義は教育しやすくなるのです。 この時は皆さんが全力を尽して、統一教会の真なる姿を見せてあげる時なのです。わかりますか? 真なる姿を見せてあげなければなりません。 ところで、木は何の木かといえば、神の創造理想として願っていた四位基台を完成した愛の木なのです。愛の木です。その一番頂上についている木の葉は、その根のために全面的にやる。根は全面的にその頂上の葉のためにやる。これが循環するようになる時には、この木は健全な木として無限に成長することができます。それは自然の理法と通ずるのです。 それで、このような歴史のすべてを総合的に蕩減して、新しい世界へと進出すべきです。「アーメン」といえる宣布式をする日がきょうの「父母の日」であることを知らなければなりません。 神の国の組織が完全に編成されたので、地上に協助できる基盤が立ちました。そのことにより、神の国のアダムが未完成時代に、天使世界がアダムを保護・指導していたのと同じように、霊界は皆さんを保護し、協助することのできる立場になったのです。それで皆さんが協助を受けることができるためには、神の愛と父母の愛と、父母様の子女の愛の基盤の上に自分たちが立っているという信仰、これ以外にありません。それが神の国創建のための独立軍なのであります。このことだけ思えばあとは簡単です。 私は仕事をする上で、それが誰であろうと、またいずれの国の人間であろうと関係ありません。このような思想が重要なのです。 そのために、言語も父母の言葉を習わなければなりません。言葉も話せるようにならなければなりません。あなた方が父母の言葉を話していないのを見れば、サタンが「あなたはドイツ人であり、米国人である」といえるそのような条件があることになります。だから、「私はこれからでも、一日に一単語、半単語でも九十年度まで間違いなく習います」ということが必要です。なぜなら、七千年間回りに回っている間に色が染まったので、七年期間をおいて蕩減して、父母の言葉に戻っていくためです。それで七年前に話をするのです。昨年も話しました。なぜなら、七千年の歴史を蕩減する立場において、七千年間色に染まったものを洗うためにも七年間が必要なのです。これを続けるならサタンは引っ張っていくことができません。あなた方は家で、身近な言葉や、重要な言葉からすべて父母の言葉を用いなければなりません。それをしなかったらあなた方にサタンがついてまわるのです。 こうなると霊界の霊人たちがすべて、皆さんの先祖たちも、皆さんの国の先祖たちもあなた方の後について協助するようになるのです。近い将来には伝道が必要ないのです。私は一つの父母、一つの夫婦、一つの家庭、一つの息子・娘。二つはありえないのです。 一つの世界の創建 祝福を受けてから美人がいるといって、自分の妻よりいいのであの人と私は結婚をやり直したい、こういうことは許すことのできないことです。 真の父母を通して相対を与えられたというこの事実は、地球のような黄金をもってでも代えることのできない価値があります。これを知らなければなりません。相対がいなければどうなるのか? 地獄です、地獄なのです。皆さん、相対がいなかったら天国に行けません。子女がいなかったら天国に行けません。真の父母の家庭と連結できません。 今、重要な話をしていることを知らなければなりません。わからなければなりません。霊界に行って「私は知りません」と言ったら、先生に責任があります。きょうはっきり知らなければなりません。天と地の秘密、地上の秘密をすべて語っているのです。歴史がいかに解かれていき、いかに回っていくか、いかなる時であるかをはっきり知る必要があるのです。 これから一つの国だけ、祖国だけ創建すればできるのです。四カ国だけが責任を全うすれば、すべてが終わるのです。伝道も何もやる必要がありません。岩を掘り、洞窟を掘り、鉄の門を百個ぐらい締めて中に入っていても、ダイナマイトを爆破させても会いたいと言って訪ねてくる時代が来るのです。 これから先生に会うのは、米国の大統領に会うよりもさらに難しい手続きを経なければ会えないような時が来ることを知らなければなりません。たとえ先生の側近であってもそうです。自分かってに入ることはできません。そのような法が待っていることを知らなければなりません。いつでも会えるのではありません。いくら慕わしく、懐しいイースト・ガーデンであるとしても、行くことができない時が来るのです。 それできょう祈りの中で、「神の命において天上統一、地上統一を中心とした統一教会の運勢圏を中心として、主流思想として、一つの世界の創建に向かって前進させたまえ」と宣布したのです。 神の国のために前進すべきである。このような信念を持って皆さんは、これから家庭基盤を中心として国を捜し出さなければならないし、世界を捜し出さなければなりません。国の基盤を促進させて世界へと、そういうことが遠からぬ将来なされると思うのです。 サタン歴史の終結 これからは百二十カ国にペンテコステがあります。二千年前、百二十門徒が聖霊で火を受けて大騒ぎしましたが、百二十国家がそのような時代に入っていくのです。 それで先生は、イエスの墓中三日間に該当する三年間、つまり八十五年度までの三年間は墓中過程を経るということを知らなければなりません。そのため現われてはいけないのです。イエスの時の墓中三日間と同じように、法廷闘争を中心として地上の地獄に入ってきて、地上の地獄の門を開ける闘いを今しているのです。それでこの期間が過ぎれば、復活時代が来て、統一教会はぱっと開き、至る所から「文先生が私の故郷に来られたらいい、私の村に来られればいい」という時代が遠からぬ将来に来るだろうとみるのが原理観なのです。これからは共産世界においても、二世たちが私たちの側になります。これを知らなければなりません。それでは結論に入りましょう。 きょうは父母の日ですが、父母として責任を果たすためにどれほど苦しく、難しかったかを知らなければなりません。キリスト教が責任を果たすことができなかったゆえに、今まで宗教歴史を編成しながら、神様が御苦労されたすべてを二十年で蕩減しました。そして四十年期間に世界カナン福地路程を整えて、一つの新しい敵のないカナン福地―カナン福地に向かうイスラエル民族の前にはカナン七族が待っていたのですが―そのような七族のいないカナン福地へと、歓迎の群れを前において前進することのできる時のために準備しなくてはなりません。そうしなければ天上天国世界と地上天国世界を迎えることができないという事実を皆さんは知らなければならないのです。それは容易なことでしょうか。 堕落することによって偽りの父母ができて、サタンを父母として対していたこの世界の上に、これを再び捜し出して、神の国の真の父母をつくるための受難の道というのは、神が役事されるよりもさらに難しい過程を経たということを皆さんは知らなければならないのです。父母がすべての責任をもって蕩減したのであります。 これからはカインがアベルを立てる世界史的な結実の時代、サタンの歴史が終結しようとする時代を迎えようとしています。このような時代に父母として登場して、自由世界のアベル圏の世界を解放し、共産圏世界のカインに忠告することのできる時代像として越えていく希望の時が、私たちの目前に連結されている事実を知らなければなりません。 韓国も、初めはレバレンド・ムーンの運動を根こそぎにしようとしましたが、今や「万策尽きた。我々にはもうどうしようもない」と言うような状態になりました。日本も、米国、西独も、さらに共産圏もそのようになっていくでしょう。そのようなすべての企みが終るのです。 共産党が今誰を一番恐ろしがりますか? レーガン大統領を恐れますか? 法王を恐れますか? レバレンド・ムーンであります。そうでしょう。このことを民主世界が早く知らなければなりません。早く知りさえすれば自然に回っていくのです。 これからは放送時代です。人工衛星によるテレビ放送で四十日、百二十日修練会をやればすべてが終るのです。かつてアームストロングがアポロ十一号に乗って月に行く時、全世界が注目した。その時と同じように人工衛星を通して百二十日修練会を行い、この四十億人類を教育すればすべては終りです。百二十日あればすべては終るのです。どう思いますか? そのような日が遠からず来るのであります。それで新聞社をつくり、人工衛星を使ってテレビ、ラジオすべてに通ずる準備を先生はしているのです。 氏族的先祖となるために 皆さん、先生が突然に「集まりなさい」と言う時に眠っていて、「統一教会に私は行けません」そう言って参席できない人は、いつか困る時があるのです。「三十六家庭はいついつまでに登録しなさい」と言った時、登録できなかったらとんでもないことになります。七十二家庭の登録、そのような時が来るかもしれません。そのために先生がどこに行ってどのようなお話をされるかを電話線を引いて聞かなければならないのです。 きょう、わずか一時間ないし二時間の間に、霊界の内容と地上の内容がどのようになっているかをすべて話しました。 それで、父母の日にあたって、統一教会の信者たちは、父母様の御苦労がどれほど多かったか、父母の心がどれほどの苦痛を受けられたかをわからなければならない時が来たのです。そうしなくては伝統を知ることができないのです。伝統を持つことができません。 これからは不平を言うことなく、自分たちの子供とか何とかでなく……。先生はすべてを捨てた人であります。あなた方もそのような決意をもって、その伝統を受け継ぐことのできる第二の後継者とならなければなりません。そのためには、このような道を共に歩んでいるし、歩まなければならないと誓える皆さんにならなければなりません。 これからは父母として、真の父母としてやるべき歴史的な蕩減をすべて経てきたこの伝統をあなた方が相続するのです。先生は世界的な先祖の立場で努力したのでありますが、あなた方はあなた方なりの氏族的先祖となるためにこの伝統を相続し、それなりの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知らなければなりません。それはあなた方のためであり、あなた方の氏族のためなのです。 これからは十二支派が編成されていくでしょう。それでその伝統が必要なのです。自分のことを思う人たちは、ここから抜けていくのです。 悔い改めによる祈りを 統一教会において、なぜレバレンド・ムーンの子女は苦労をするのでしょうか。それは彼らが学校に行って、レバレンド・ムーンはこうだああだと言われ、指さされ、噂されることによって蕩減してくるのです。それを知らなければなりません。いくら統一教会のレバレンド・ムーンが反対されても、統一教会の先生が反対されている痛さと、父が反対されている痛さとは比較のしようがないのです。学校に行って、周囲にいる外国の子供たち、反対する子供たちからそのような父の噂を聞いて、隠れて涙を流さなければならない場面がいくらでもあったのです。 あなた方は先生の悪口を聞く時、どれほど痛さを感じ、涙を流した時が幾度あったか、反省しなければなりません。そのような意味からすると、子女たちの方が心情的な基準においては高い所にいたということを知って、もっと貴重に思わなければなりません。そのような苦難の中から、私はレバレンド・ムーンの子女でなかったらよかった、私は統一教会の家庭で生まれなかったら良かったと身悶えしながら失敗したとしても、その失敗は同情できる内容があると思うのです。 そのような先生の子女がいるとしたら、口でこうだああだと評するのでなく、皆さんが十字架を背負って、その受難、苦痛であった事実に同情の涙を流して、祈って、代わりに祭物となっても感謝する心を持たなければならないのです。あなた方が孝進であれば孝進のためにどれほどその痛さを感じて、身悶えしながら涙を流してきたかを反省し、悔い改めなければならないのです。皆さんがそれ以上の苦痛、それ以上の切実な立場にいない限り、皆さんは口をつむって、彼らが許される祈りを捧げるのが当然でありましょう。 それに先立って、真の父母として迫害を受けている先生の苦痛はどれほど耐え難いものであったか、それがわかりますか? なぜこのような話をするかといえば、父母様の心情圏がどれほど悲惨で、どれほど悲しい場面が多かったかということをあなた方が知らないだろうから、身近な例をあげるために孝進の話をしたのです。しかし、孝進の悲惨なるその悲惨さも、先生の生涯四十年にわたって受けてきた悲惨さと比較できるでしょうか。 公的な責任をもって身悶えする、そのような父母に侍る立場において、偽りを言ったり、利用をし、悪口を言う人たちが許される道がどこにあるでしょうか。では、先生が愚かな者だからこういうことをやっているのでしょうか。優秀であり、能力があり、全ての面において知恵があるために、そのような代表的な人であるために、世界で誇りうる内容を持っているレバレンド・ムーンであるにもかかわらず、全てを神が清算するために、世界に比較することのできないほどの悲哀に満ちた生活を送ってきたという事実を知らなければなりません。 あなた方はどうなのですか? 神が立てて誇ることのできないそのような人に対し、国や世界のために自分の一生を犠牲にし、祭物としてぼろぼろになって、蹴られ、踏みにじられ、あらゆる刑を受けながら今まで生きてきたし、これからもみ旨の道へ行こうとする先生の前に弁明する何もないのです。 先生がいなかったなら、この天と地に神の解怨成就、神の復帰完成、すべての世界のユートピア完成をいかに考えることができるでしょうか。不可能に等しいのです。サタン世界に占領された神の悲哀の事情を解放することのできる日を持つということは、夢にも想像することができません。これを実現してきたという事実をはっきり知ることによって、厳粛に尊敬し、厳粛に敬拝し、厳粛に順応するしかないということを知らなければなりません。 このような話をするのは、すべてを知って、祈りでもって悔い改めの条件を立てなさいという意味で、お話をしていることを知らなければなりません。そのような意味において、きょうのこの父母の日に、これから先生の話を聞いて、新しい次元において私全体の過去、現在を収拾し未来に祝福を受けることのできる可能性ある存在として出陣をなすと決意を固めれば、きょうこの日が意義ある祝賀式となることでしょう。 それでカレブとヨシュアがすべてにおいて、全権のモーゼの後継者となって責任を担ったように、あなた方も同じであります。神がカレブとヨシュアに対し勧告する言葉は「強く雄々しくあれ! 強く雄々しくあれ!」です。あなた方は恐れることはないのです。神が共になして下さいます。そのような人は神が共にいてくださるでしょう。アーメン。そうすれば勝利は皆様と共にあるでしょう。アーメン。そうすれば天の国と地上天国を相続することができるでしょう。アーメン。これで終わりです。そうするという人は手を上げて下さい。ありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.19
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「我々と善悪闘争史」1984年3月11日 宗教生活においての習わしは聖日礼拝、聖日の夕拝、水曜日の夕拝、金曜日の夜の集いです。一週間に一度集まるくらいは熱心でなければなりません。 私たちの統一教会は、継続的活動をしているので、アメリカでは水曜日に集まっていませんね?(朴先生、「はい」)。これからはそれを修正しなければなりません。いかなる宗教団体においても、集会を数多くする方がいいわけです。 きょうは、『我々と善悪闘争史』という題目でお話ししましょう。堕落した私たちの世界には二つの道がある、ということは原理を通してはっきり知っています。一つは善の道であり、今一つは悪の道です。では、もし堕落ということがなかったなら、この世界はいかなる世界になっていたのでしょうか。そのことを皆さんは明確に知らなければなりません。 善悪の定義は、『私』を中心としてなされます。皆さんが善悪を決定する中心になるということなのです。では善と悪はいかなることかと言うと、善は神と連結され、悪は神と反対存在であるサタンと連結されるのです。善の道は栄光の立場に連結され、悪の道は地獄に連結されるのです。 今日の社会においても同じようなことが言えます。善なる人は自然に高い所に上がって行き、悪なる人は自然に落ちて地獄に行くのです。善は上向きとなり、悪は下向きとなります。それは誰を中心としてなされるかと言うと、善悪はいつも『私』を中心として決定されるという事実を知らなければなりません。このようにみる時、皆さん一人一人は『私』を中心としているのです。性が異なり、性格が異なっていても決して自分を善と悪から切り離すことはできないのです。常にこの二つの言葉は皆さんの左右に付いているのです。善と悪が他にあるのではなく、『私』と直結されているのです。 最近の若者たちは、社会悪とか、ユートピアとか、善の世界が云々と言っていますが、それは他にあるのではなく自分の中にあるのです。自分から始まらなければならないのです。このような観点を忘れているのです。ですから、いくらPRで、「ユートピア、善の世界ができる」と言っても、今日の『私』がその世界と関係を結ぶことができなければ、それは私と何ら関係がないのです。 アメリカには、良い学校が多いけれども、その学校がいくら良いとしても、『私』がその学校と関係を結ぶことのできる学生とならなくては、私と何ら関係がないのです。したがって、すべてはあなたに結び付いています。皆さんが善悪のすべての決定の出発点であるわけです。一般の人が善悪について考える時、彼らは自分から離して考える傾向があります。しかし実際にはそれは正しくないのです。自分と関連のない善悪はないのです。 誰しも自我というものがあります。だからあなた自身の観点から考える場合に、自分の善はどこにあるのかということを考えなければなりません。それが問題です。善というのは自分と関係なく、そこらにころがっているのではありません。私と離れているのではなく、私と直結されているのです。悪についても同じです。私と連結されています。ですから私を中心として上がったり、下がったりします。 では自分自身の善をもつためにはいかにすればいいか、自分自身の悪を清算するにはどうすればいいかという問題が、今日皆さんの生活の当面の課題なのです。自分の中のどこに善悪の根拠があるのか、これが問題です。 堕落することによって人間は二つの面をもつようになりました。それは霊的な面と、肉的な面です。それは間違いありませんね?(はい)。 堕落しなかったら、人間は神を中心とした二つの性稟を表すはずだったのですが、堕落したことによって二種類の人間になってしまったのです。肉的なものは悪の基盤となり、霊的なものは善の基盤となってしまったことを知らなければなりません。したがって私の体はサタンの舞台となり、私の霊は神様の舞台となるのです。善悪の根拠地はどこにあるかと言うと、他にあるのではなく私自身にあるのです。地獄へ行くのも『私』にかかっているし、神の人になるのも『私』にかかっているのです。それゆえ神様もサタンも『私』を中心として闘っているのです。 パウロですら“わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう”と、嘆きつつ闘っているのです。 理想世界やユートピアを追求する人は必要ですが、その前に、私の体はそれに反対する要素で完全に占領されているので、自分自身に規律を与え、理想世界に至り得るような自分自身を備えることが、最も重要な問題なのです。これを解決しない限り、いくら「善なる世界だ」、「天国だ」と言っても、何ら皆さんとは関係がありません。 私の体は善なる舞台と悪なる舞台に引っ張られていますが、善なる舞台へ引っ張られた時は神様が役事し、悪なる舞台に引っ張られる時にはサタンが役事しています。何の話かわかりますか?(はい)。では善と悪は同居することができますか? それはできません! 私の体が悪の根拠地になっていて、心は神の根拠地になっているとしたら、どうすれば良いのでしょうか。それが問題なのです。善と悪とは共存することができないのです。もし共存すれば必ず闘争になります。そのような闘争の要素を私がもって天国に行ったら、闘争は決してなくなりません。もし天国に行けば直ちに「あなたには悪が介在している」と言われて、追放されるでしょう。それで今日、私たちは信仰生活を必要とするのです。 宗教の使命は、私の体の中で闘争するサタンの根拠地を清算することです。このことを知らなければなりません。今日、宗教を信じている人たちは、自分を覆い隠して、この世界の善を求め、悪を分別しようとしています。しかし、それは宗教の本来の目的から逸脱したことなのです。 今日、終末時代においては、民主世界は唯心世界、共産世界は唯物世界と、二つに分かれていますが、それらは闘争する大きなブロックとなっているのです。その原因は何かと言えば、人間個人によるものなのです。このことをよく知らなければなりません。『私』という種を植えておいて、それが実を結んだ結果なのです。今日の世界の人々は、共産世界と民主世界の問題は、アメリカとソ連がそれぞれに責任をもつべきだと考えていますが、それがいけないのです。それが問題ではありません。問題は私の個体にそのような要素をもっているという事実が、より恐ろしいことなのです。このことを明確に知らなければなりません。 では何が問題かと言えば、サタン世界において、私たちはいかにしたら悪を清算することができるかということなのです。これを大まかに言うならば、肉的なものにはサタンが相対するから、肉的な基準が要求するすべてを否定しなさい、という原則を立てざるを得ません。 きょうの題目は『善悪闘争史』ですが、善悪闘争はどこから始まったかと言うと、人間個人個人の中から始まったのです。これを清算していかなければなりません。それは、誰からやらなければならないかと言うと、自分自身からやるのです。家庭に勝たなければならないのではなく、『私』に勝たなければなりません。私が最初なのです。自分は国家的な基準で、世界的な基準で、あるいは霊界に行ってからの闘いに勝とうと思うのではなく、まずその闘いは、私自身から勝利しなければなりません。何の話かわかりますか?(はい)。皆さんもそう思いますか?(はい)。実感できますか?(はい)。 我々は本当に善と悪を明確に知っているでしょうか? 真理を知れば、真に解放されるので、善を追求する人は肉を打つのです。この闘いを続けるのです。 私たちの日常生活は、良いものがあれば先に良いものを食べようとします。それで、サタン側の悪い食べ物と神側の善なる食べ物と、どちらを先に食べるか、根本的にどちらに属するかを自分自身に聞くのです。食べるにおいても、私は善のために食べるのか、悪のために食べるのか、それが問題なのです。 食べ物というのは、この宇宙の共有物であり、共同価値をもったものなのです。その食べ物は“善い人々に食べられたい”と思っています。そして“善い人々の栄養素となり、善のために用いられたい”と願っています。しかし悪い人々が食べて、悪い人々の栄養素となるとしたら、その食べ物は喜ばないでしょう。着る服も同じです。「私は善なる人に着てもらいたい。悪なる人は嫌だ」と言うのです。問題は深刻です。日常のすべてがそうなのです。考えるのも、話をするのも、すべてが善と悪の二つに分かれているのです。だからすべては自分自身の中で決定されます。『私』がいかなる人間となるか、これが問題です。 ではサタンを防御しながら、善なる方へと行くことのできるのはいかなる道なのでしょうか? 宗教は善なる道へ行く方法を教えてくれます。宗教の教えは肉体が求めるものをすべて拒否するのです。すべてを否定するのです。自分を中心として高くなろうとすることを、みな拒否しなければなりません。そのために昔の修道士たちが苦行をしたのです。仏教においても同じように苦行をするのです。例えば、ある人が空腹となって、心を失い、“食べ物を得るためには何でもしよう。物を盗もうと構わない”と、そういう考えになるとします。その時、その人の中にある善なる心はその欲望に対して“否”と言います。食べ物を食べること自体は基本的に毎日必要なことです。しかし私たちはそれがいかに重要であるかということを知っていたとしても、根本的な基準に立ち戻って考えなければなりません。 その次は眠りです。眠りたい時は、自分の体面もなく眠りこけてしまうのです。イエス様がゲッセマネで祈る時、三弟子が眠ってしまったのと同じようなものです。自分たちの先生の体面も何も思わず、先生が死ぬようになっていても、それは自分とは全く関係なく、眠たくて仕方がなかったのです。しかしそのような場においても神の人であるならば、神の法律に従って生きなければなりません。 次は何かと言うと、情操的な愛の問題です。これをいかにコントロールするか? それが今日までの宗教界の重要な問題であり、肉体を制止する闘いでした。そのために自分自身を全面的に否定したのです。なぜそうしなければならなかったかと言えば、人間が堕落したという悲しい事実から出発したからです。皆さんは、『善悪闘争史』と言えば外部で起きていることと思いがちですが、皆さんの内部においてもこのような闘争史があるのです。どうですか? 皆さんも闘っていますか?(はい)。 それは、目や、耳や、鼻や、口や、自分自身の中における闘いなのです。ではこの闘争史において何を残していかなければならないかと言うと、善を残していかなければなりません。多くの人々がそんなことはどうでも良いと言っていますが、それは地獄へ至る道です。そのような人は粉々に破壊されてしまうのです。 戦争の中で最も恐ろしい戦争とは何であるかと言うと、『私』を中心として闘う戦争が歴史上最も恐ろしく、かつ永遠に続く戦争なのです。第二次世界大戦が問題ではありません。問題は永遠なる戦争の第一線の舞台に立っている『私』なのです。皆さんは善の世界と悪の世界を行ったり来たりしています。善の側から悪の世界へ行くのは簡単です。しかし、悪の側から善の世界へ行くことはどれほど難しいことか知れません。何倍も何十倍も難しいのです。堕落というのは落ちることです。落ちることは簡単です。しかし、上る時は何十倍も難しいのです。上る前に、落ちる力をすべて否定しなければ上ることはできません。そのためには落ちようとする力と闘って、それに勝利しなければなりません。 問題は何かと言えば、善なる所から下がっていくことのないように、善の側の力をいかに強くするかということです。それには自分自身が常に善を求める生活を習慣化しなければなりません。習慣というものは恐ろしいものです。皆さんはチーズとか、バターとか、ハンバーガーを食べる習慣があります。だから韓国に行った場合、御飯や、赤唐辛子味噌(コチジャン)、キムチなどを嫌がるのです。アメリカの海外宣教師は帰って来るや否や、マクドナルド・ハウスに行くのです。(笑い)外国に行って十年、二十年たってもその習慣は変わりません。理解できますか? ですから、私たちは善い生活を習慣化しなければなりません。ここで問題は、このようにすれば何の利益があるのかという損益関係の商売を実感するような生活環境をいかに探し求めるかが、重要なのです。 こちらに上がっていけば(黒板を使いながら)どうなるかと言えば、そこには愛の園、本質的な愛の世界が増えるようになります。こちら(黒板を示しながら)に下がれば嫉妬があり、どんどん分裂します。統一理想平和世界は、統一と融合なくしてはあり得ないのです。またユートピア的世界はすべて善なる世界であり、悪なる世界はあり得ないのです。これが結論です。 善なる世界、ユートピアは、神と人間が一体化したところから始まります。これが原則です。神様と善の人間はもちろん善の側です。では悪の世界とは何でしょうか? それはサタンと悪の人間です。サタンと悪の人間、神と善の人間との違いです。だから天国を造る上で、最も重要なことは、サタンと人間との協力関係を打破することです。サタンと人間はいつも皆さんを主管しようとします。それが皆さんの運命です。これが問題です。それは非常に重要な決定的な基準となります。 皆さんは神と善い『私』をもたなければなりません。皆さんはどちらに属していますか? 皆さんはどこに位置していますか? それは非常に深刻な問題です。そのような根本的なことを皆さん個人の基準において決めなければ、統一教会がどうだとか、神様がどうだとか、アメリカがどうだとか、世界がどうだとか何を話しても無駄です。まず神側に立ってから世界を語り、善なる人となってから、世界を論じなければなりません。 統一教会のメンバーは、一般の人々よりは善人だと言われていますが、一日の内で何時間善の側に生きているか、何時間悪の側に生きているか比較してみる時、善の側に立った生活は数時間しかなく、多くの時間を悪の側の生活をしている事実を知っています。自分自身に聞いてみなさい。何時間善の側に立っていますか? 皆さんはピストンのようなものです。善と悪を行ったり来たりしているのです。皆さんは善いピストンですか? 悪いピストンですか? これは深刻な問題です。笑いごとではありません。共産主義問題や、世界の問題よりも、『私』の問題がより大きな問題なのです。すべてこの世が悪く、自分は善くて、悪なることは自分と関係がないと思いがちですが、これはいけないことです。すべては『私』と直結されているのです。すべての悪の根拠地は『私』にあることを知らなければなりません。 私たちはこのような環境を総清算し、いかに収拾すれば良いでしょうか。結論として、私たちにわかりやすく、一言で内容を言うならば、いかに善なる側と連結し、悪なる側から逃避するかという問題が常に重要なのです。何の話かわかりますか? 私を主張する時にサタンが入って来るのであり、私を否定し全体を主張する時には神が入って来るのです。この観念を強くもたねばなりません。 皆さんは何かを人に貸す場合は公的であり、借りようとする場合は私的であるためにサタン的なのです。一生涯人に借りをつくらないという道を行かなければなりません。これが問題です。わかりますか? この一点で分かれてしまうのです。ある人が皆さんに十を与えたら、皆さんはその人に十一を与えなさい。もし百を与えられても、百一を返すならば(黒板を使う)、いつもこの線上にいるようになります。十を受けたのに九しか返さなかったら、借りを残したので(黒板を使う)既にこちらに下りているのです。ここで百を受けたのに、九十を返したら(黒板を使う)既にここに下っているのです。これは理論的ですか? 理論的ではないですか?(理論的です)。 それで統一教会は“為に生きなさい”と言うのです。ですから家に帰っても、親に借りをつくってはなりません。父と母の愛に対して、私はそれ以上返してあげるのです。アメリカの若者たちは自分は両親を愛そうと思わないで、“両親は自分を愛してくれない”とだけ考えています。両親が悪いということは、あなたたちも悪いということになります。両親は愛してくれなくとも、自分は両親を愛することが孝行の道です。悪い両親は皆、頭を下げるようになります。「私の息子が一番だ。あなたが一番だ」と言って、どんどん上ることができます。神がナンバー・ワンであるから神に近づいて行くのです。 この原則からみる時、イエス様の“汝の敵を愛せよ”という教えはどれほど素晴らしいことでしょうか。敵を完全に超えていくことができるのです。愛の前には、敵も頭を下げるのです。愛の負債を負った者は胸を張って歩けますか? お金において負債があってもそれに捉われるのですから、愛の負債を負ったら、どのようにして返せばよいでしょうか? 自分の生命を捧げてでも返さなければなりません。それは『私を主張する』ところに起こるでしょうか? 『為に生きる』ところに起こるでしょうか? どこに起こるでしょうか?(為に生きるところです)。これは間違いのないことです。このことを知らなければなりません。統一教会はこのような内容があるので一番恐ろしい戦争に勝利するために、決定的な原則を立てたのです。皆さんはこういうことを明確に知らなければなりません。何の話かわかりますか? もう、わかりましたね。 したがって、話をする時も、自分のためではなく全体のために話し、見るのも聞くのも全体のために見て聞くのです。なぜそうしなければならないかと言うと、サタンは『私』を中心として見ようとしているので、『私』が全体のために為す時、サタンは私を離れてしまうのです。 男女が結婚する時も、私は一番の美男子、一番の美女がいいと思うのです。そういう時は一番醜い相手になります。だから自分は美男美女よりも、最も醜い相手がいいと思えば、どれほど素晴らしい結果になることでしょうか。そこにはサタンは一歩も近づくことができないのです。そういう生活をする人は昼も夜も恐ろしいことはありません。夜はサタン(悪)が支配すると言いますが、悪なる世界も暗い所も怖くありません。そういう人は夜には灯台のように輝きます。生命の道を歩む人は、後ろに多くの人がついて来るのです。私たちは食事の時も、文を書いている時も、何をしていても、いつもすべてが善悪の闘争の中にいるのです。 アメリカは一時、レバレンド・ムーンのために大騒ぎしたことがありましたね。今も大騒ぎしていますが……。先生がアメリカに来たのは、金儲けをするためだったのでしょうか?(いいえ)。先生は歓迎されようとして来たのですか?(いいえ)。アメリカを讃美し、救うために来たのです。しかしアメリカは、私に激しく反対してます。先生はアメリカに対して借りはありません。奉仕することにおいても、愛することにおいても、先生は誰にも負債を負っていません。 先生はアメリカへ来て、滅びゆくこの国をいかにして救おうかと考え、『ワシントン・タイムズ』をつくりました。そして、いかにしてアメリカが共産主義によって支配されることを防ぐか、そのことを日夜考えました。共産主義との闘いを一人で背負ってきたのです。後になって、米国の人々はレバレンド・ムーンに負債を負っているということを知るようになってきました。そして少し謙遜になって、レバレンド・ムーンの話を聞こうとする姿勢を見せてきました。(拍手) 皆さんは一生の間で、どれほど負債を負ったか、貸しをしたか、それが霊界に行って評価されるのです。 統一教会は、アメリカ社会に対して善い影響を与えていますか? それとも悪い影響を与えていますか?(善い影響です)。今日、統一教会はどんどん発展しています。いくら悪口を言われ、いくら反対を受けたとしても、統一教会がどれほど素晴らしく発展してきているか皆さんは知っていますか? 皆さんは何年たっても変化がないので、いつも同じだと思っているかもしれませんが統一教会は発展しているのです。今では、アメリカの著名な人たちが先生を訪ねて来て、先生に指導を求めるようになってきたのです。(拍手)ですから自分自身との闘いは早く勝利して、国と世界のために闘うことのできる人を、神様は切に願っておられることを皆さんは知らなければなりません。 先生は居眠りをすることができません。先生は統一教会のメンバーに「眠りに勝利しなさい」と教えているのに、私が眠ってはいけないのです。その時間も私は仕事をするのです。負債を負わないためです。何の話かわかりますか? ですから統一教会のメンバーは死の立場においても先生を恨んだりすることができないのです。“先生、私は宣教の地において今死なんとしています”という、そのような場においても、先生には頭を下げて行こうとするのです。先生もそうです。“神様! どうして私にこのような苦労をさせるのですか”とは思いません。それは、神様の前に借りをつくろうとは思わないからです。かえって神様に負債を負わせようと思うのです。自分を最悪の環境に押し込んだとしても、“いかに神様に負債を負わせるか”考えるのです。そのために、神様と私の間に億千万ものサタンが介入しようとしても、そのような隙を与えることがなかったのです。 だから、「レバレンド・ムーンは悪い奴だ、悪い奴だ」と言って、引きずり下ろそうとしても、どんどん上がって行くのです。統一教会のレバレンド・ムーンは反対を受けながら、発展するのです。神様がいるとしたらどちらに味方するでしょうか? 悪口を言う人のためにもし奉仕しようとすれば、私たちは更に発展するのです。神様はそのような人の味方をするのです。 先生はこの世的感覚から言えば哀れな状態です。安楽に生活できないのです。先生はイーストガーデンの古いメンバーを連れて歩きましたが、誰も先生には屈服しています。なぜならば一生懸命努力するという競争において、誰も先生に勝ることはできないからです。だから、先生は誰にも負債を負っていません。先生はサタンが侵入できるような余地を少しでも残すことを望まないからです。先生は常に神の領域に生きるようにしています。 皆さんはベルベディアの聖日礼拝に来て、先生がいないと寂しいと思いますか?(はい)。皆さんはベルベディアに何かを受けるために来ますが、既に皆さんは先生にますます負債を負う何かを受けているのです。(笑い)自分たちが消化することのできる基準に応じて、受けるのです。それは他に分け与えなければなりません。枝に芽が出るのと同じように、先生が為したことを、皆さんもその分野に出て行ってそのとおりにするのです。皆さんが必要なので、皆さんに付いて歩き、皆さんが好きで、生命の要素が得られ、信仰の役事が普及されれば自然にそうなるのです。 皆さんは闘う時、敗者となりますか? 勝者となりますか?(勝者です)。“私は全生涯をこのように生きる”と明確に決意することです。そうしたら先生は皆さんを好きになるでしょう。 皆さんは悪い人でも善い人でも、若い人でも老いた人でも、すべて等しく愛さなければなりません。その人が好きか嫌いかを判断する前に、私がその人のために何を為したかを考えなさい。それは水のようなものです。水はいつも高い所から低い所に流れます。皆さんが自分を下の立場に置くならば、水は自動的に流れてきます。それが自然の法則です。また低気圧があれば自動的に気圧が流れてきます。だから皆さんは真空地帯、あるいは低い立場を作らなければなりません。先生はどこに行っても低気圧圏をつくるようになります。すると善なる霊が皆集まって来るのです。そこで善なる運動が始まるのです。 先生が行く所にはいつも何か重要なことが起こります。先生は何もしなくとも、人々が論争したり議論したり、善悪に分かれて大騒ぎするのです。このごろになって、ようやくレバレンド・ムーンが善人だということになってきたのです。(笑い)しかし前のレバレンド・ムーンと今のレバレンド・ムーンが異なっていますか?(いいえ)。アメリカがレバレンド・ムーンを支持するようになったということは、アメリカの生きる望みが濃くなってきたということなのです。これから多くの人が「レバレンド・ムーンは素晴らしい。レバレンド・ムーンの運動を一度知ってみたい」と言ってどんどん押し掛けて来るようになるでしょう。もしそのようになれば皆さんは二番目になってしまうでしょう。外部からは朝早く来て待っているので、皆さんはベルベディアに入る場所もなくなってしまうでしょう。 皆さんの中でベルベディアに来るのも、「きょうは先生が来られないので、私は行かない」と言ったら、それは誤ったことです。先生が来られればなお良く、先生が来られなくても「先生が来られた以上に神様に精誠を尽くし、神様にお会いしたい。(アーメン)(拍手)私は先生よりももっと早く来て、神様の前にいつでも準備する」というそのような心が必要です。神様はそのような人を必要とするのです。そうすることによって準備がなされるのです。皆さんがこのことが正しいと言うなら、これから発展して良い所に行く希望があるのです。 第二次世界大戦が問題ではなく、ソ連とアメリカの闘いが問題ではなく、『私』の中で永遠に続くであろうこの闘いを、いかに平和にしていくかが極めて重要なことです。これを成さなければ、平和な世界になるのでなく、みな地獄になってしまうのです。先生はこのことを知っているがゆえに、この道における第一の標語として『宇宙主管をする前に自己主管をしなさい』ということを掲げてきました。自分自身を主管できない人が、世界を主管することはできないということです。 先生は極端から極端まで主管することができます。普通の人だったらとても極まで達することはできないでしょう。先生は世界のためになることで、これよりも大切なものがあると思われる時は、直ちに方向を変えることができるのです。そのような生活をしてみると、統一教会が成立するようになり、神様が私と共におられ、歴史において私一人のために霊界にも問題が生じ、地上界にも問題が生ずるのです。今では南米の政治家はもちろん、アメリカのトップクラスの人たちが私を必要とするようなことが続いて起きています。どう思いますか?(素晴らしいことです)。(拍手) 自分が霊界に行く日が来た時、過去を振り返り、両親に負債があるかどうか考えます。先生は両親に借りをつくりました。しかしその負債を両親に返そうとはしませんでした。国と世界のために返そうとしたのです。それが両親の望むところでしたので、霊界において私を“誇ることのできる子供である”と讃美するのです。また先生は文家にも借りをつくりました。先生のために文家は多くの被害を受けました。蕩減条件を多く払いました。しかし先生はその負債を文家に返す代わりに、国と世界のために返そうと努力してきました。皆さんに代わって、先生の家族に代わって、人類と世界のために尽くしました。 先生が国家から、世界から、神様から『ムーン・ファミリー』として歓迎される時には、先生だけが受けるのではなく、ムーン・ファミリー全体が歓迎を受けるのです。 先生は韓国に対しても負債を負っています。韓国の人々は「なぜあなたは、アメリカばかりを大切にして韓国を大切にしないのですか」と、不平を言うかもしれません。しかし先生が韓国に代わって世界を愛し、この天と地のためにそうしていることを知らなければなりません。先生が世界と天と地から讃美を受ける時、韓国も讃美を受けるのです。その時になれば「レバレンド・ムーンよくやった」と感謝するようになるでしょう。わかりますか? 先生はまた統一教会のメンバーに負債があります。それは、皆さんが先生の前にすべてを捨てて献身しているからです。しかし先生は統一教会を代表して世界と天と地のために先頭に立って闘っています。したがって、統一教会のメンバーが過ちを犯せば、それは先生がすべて責任を負わなければなりません。アメリカにおいても、アフリカにおいても何か少しでも間違ったことをすれば、すべて先生に覆い被さってくるのです。皆さんを代表して先生が勝利し、世界が先生に順応するようになる時、統一教会全体が同時に勝利するのです。 先生がアメリカに来て、ある面では負債があるかもしれません。しかし、先生はアメリカを代表し、自由世界を代表して、共産主義と闘っています。先生がアメリカにおいて為したことに対して感謝する時に、全世界がアメリカを讃美するでしょう。こう思うのです。全世界と人類が先生に感謝する時に、その感謝は先生だけにではなく、アメリカにも向けられるのです。そのときにアメリカの人々はいかに先生の恩恵を受けていたかということを知るようになるでしょう。これは歴史の漸進的発展の道なのです。 また先生は霊界からも協助を受けています。霊界に対して負債を負っているのです。しかし先生は神様の心情を解放するために闘っています。神様が解放されるその日には、全霊界が先生に感謝するようになるでしょう。先生を通して霊界自体の勝利が輝くようになるのです。しかし先生が最初に、自分自身の中における善悪の闘いに勝利しなければ、あらゆる闘いにおいて前進することはできません。 先生が昨年の十二月に韓国へ行った時、韓国の人々が先生に対して「歴史的な英雄だ」とか「五千年史の偉人だ」とか言って先生を歓迎しましたが、自由世界においてもそう言われるようになるでしょう。(拍手) 「レバレンド・ムーンはどんなに迫害を受けても決して屈することなく、全人類のために全世界のために闘った。このような人は見たことがない」と言って先生を讃え感謝するようになる時が来るのです。 そして「彼こそ生きた聖人」であると言って讃える時が来るでしょう。 先生はどうしてこのような勝利ができたのでしょうか? それはいかなる思想によるものかと言うと、それは『為に生きる』この一言でしかありません。先生は誰に対しても負債を負わないようにしてきました。民族がわかってくれなかったら、涙を流しながらわかるまで福を祈ってあげるのです。そうすることによって、サタン圏を完全に主管することができるようになったのです。生命の道を行こうとする時は、不可避的にこのような道を行かざるを得ないのです。このことを明確に知らなければなりません。 先生は足を見ても、「足よ! 君はいつ国のために世界のために歩いたのか? 目よ、鼻よ、口よ、手よ、いつやったことがあるのか?」と問い質します。すると手は先生に対して「命令してください。何でもします」と答えます。私の口、私の精神すべてがそうなってこなければなりません。 最後は死です。もし死が戸口に来た時に皆さんはどうですか? 先生はその時も自分に何も負債はありません。先生にとって死は決して恐れるものではないのです。特に興進様が行かれた後、霊界は一層近くなりました。霊界と地上界の発展と跳躍は表現できないほどです。興進様も知らないで行ったのですが、行ってみて、先生の偉大さを知ったのです。先生はこのような内容を明らかに説いて、霊界と地上界を接近させ、統一的運勢を引っ張ってきているのです。(拍手) 神様御自身すら先生に感謝されるのです。「このように霊界も地上界も解放してくれる素晴らしい息子を自分はもっていたのだ」と感動しておられます。それらすべては『為に生きる』ということを原則にしてきたからです。どんなに困難で、希望もなく、突破できないように思われた時でも、この原則に従って対処した時にその困難を脱出することができ、希望をもつことができたのです。 先生は白人に対して大変厳しく言う時もあります。それはなぜかと言うと、そのままにしておけば、人類を滅ぼしてしまうことになるからです。アメリカが変われば全人類の希望となります。先生はアメリカを戒めたり、厳しいことを言ったりすることにおいて負債があります。しかし未来のアメリカを偉大にすることによって、その負債を返すことができます。 このごろの評判がそうです。裁判問題においても、言論界が、百人なら百人全員が同じ答えでレバレンド・ムーンを支持しているということは歴史的事件なのです。(拍手)それは決して先生が立派だからではなく、自分との闘いにおいて勝利しているからです。皆さんにもこれは重要な問題なのです。わかりますか?(はい)。皆さんはこれがぼやけています。明確になっていません。 これからはそのような自分とは縁を切らなければなりません。皆さんは事務をとっていても、話をしていても、いかなる所に行っても、常に善と悪を区別しなければなりません。どこに行ってもこの二つがあるのです。わかりますか? できるだけ汗を流してやりなさい。汗を流して、汗を流して……。 一番恐ろしい戦争は何ですか?(自分との闘いです)。この問題を解決しなければ、たとえ先生がいくら地上天国を建設しても皆さんとは関係がないのです。はっきりわかりましたね?(はい)。境界線をはっきりと引きました。先生はこのような観点からドクター・ダーストを見ています。(笑い)個人的レベルにおいて打って、また家庭的基準において打って、またアメリカ全体の代表として打ってテストします。だからと言って彼と争うのではありません。彼が我慢できなくなって“ワァー”と爆発したら先生はやめます。(笑い)そのようなことが東洋人にはできます。しかし西洋人にはできません。東洋にはそのような素晴らしさがあります。その次に先生の前に現れた時に、彼はどうしていいかわからなくなるのです。“先生はなぜ自分を怒らないのか”と不思議に思います。そこで先生は彼に微笑んで見せます。すると彼はますますどうしていいのかわからなくなってしまいます。このような原則で、どれほど余裕に溢れ、どれほど素晴らしい人間をつくるかということです。もうわかりましたね?(はい)。 闘争史の中心は『私』なのです。(黒板に書く)皆さんに一つ聞いてみましょう。敗者になりますか? 勝利者になりますか?(勝利者です)。誰のためですか? 誰のため? 私は全体の中心ですから、全体のために勝利するのです。その目標に向かって出発しなければなりません。(はい)。 皆さんはあらゆる面において善でなければなりません。本を読んでいても、文を書いていても、食べていてもみな善でなければなりません。たとえ美しい人と出会っても、問題を起こしてはなりません。わかりますか? 何の話かわかりますか? その時、彼女を讃美し、彼女のために思いやることこそ真の崇高さというものです。またアメリカでは女性たちが先生を見て泣いたりしますが、先生は何も考えません。 彼らの両親が愛した以上に彼らを愛し、姉、夫、妻よりももっと愛するそのような心をもてば、神様が共にいてくださるのです。そうだと思いませんか? 神様はそうですよ。皆さんはどんなに悔い改めなければならない人生であるかということを知って、力強く、逞しく、素晴らしく生きなければなりません。(はい)。そのように生きるという人は手を挙げてください。 皆様に神様の祝福がありますように……。(歓声、拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.18
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「霊界における王権の統一」 文興進様の御成婚の意義(御聖婚披露宴で)1984年2月20日アメリカ・マンハッタンセンターで 真の父母と王権 先ほど、朴氏が興進様の結婚式の意義について話をしましたが、簡略して二つだけをつけ加えておきます。 人類の歴史以来、このような結婚式は初めてであることを考えなければなりません。この世の観点から見ると、これは悲しみの一つの痕跡となりうることですが、摂理的観点から見れば天上世界と地上世界の総合のためには、このようなことがなくてはならないことを記憶に留めて下さることをお願いします。 すでに、みなさんはみ言葉を通して多くの内容を知っていますが、霊界は未だに神様を中心としてではなく、各々の善なる宗教団体を中心としたり、あるいは善なるグループ、特別な宗教などに分立されているという事実を知らなければなりません。それは何故かと言えば、地上の堕落圏、つまり原理主管圏(間接主管圏)がサタンの支配圏内にあるためです。創造原理から見た場合には、原理主管圏内でアダム・エバが成熟し、完成して神様の愛による祝福を受けるようになれば、原理圏による直接主管圏と連結されるはずでした。しかし、アダム・エバが未成年時代に原理主管圏は完全にサタン支配圏に入ってしまったということを知らなければなりません。 本来、堕落しないでアダム・エバが真の父母の立場に立ったならば、真の父母として、真なる夫と真なる妻の出発をすることができると同時に、真の家庭、真の氏族を形成し、そしてその氏族の長が真の父母であることを皆様は知らなければなりません。その次は真の民族、真の国家、真の世界、真の宇宙全体を、中心存在たる堕落しないアダム・エバを通して形成しなければならないし、それが創造理想である真の父母の立場であったということを知らなければなりません。 各段階において、真の父母に自動的に王権が認められるようになっておりました。それは、家庭の王であり、氏族の王であり、民族の王であり、世界の王であり、天宙の王であります。そして、それはひとつの統一された文化圏の下になされるのであります。二つの文化圏はありえないのです。 再臨主の使命 このようにみる時、堕落したこの悪なる世界が生じた以降に、メシヤという言葉が生まれたのです。メシヤという言葉は、真の父母の再現を言うのです。それで、今まで数多くの宗教集団が、それがいかなる宗教であるとしても再臨を言い、「再び来る」ことを言っているのはこのメシヤのみに焦点を合わせているからであるということを皆様は知らなければなりません。 イエス様はアダム堕落以後、聖書の歴史によれば四〇〇〇年ぶりに初めて神様の愛を受けることのできるメシヤとしてこの地に送られました。そして、彼によって、サタン世界において失ってしまったエバを取り戻さなければならなかったことを皆さんはすでに知っています。サタン世界からエバを取り戻すということは、安易なことでしょうか。それで、イエス様はエバを取り戻して父母の立場に立てば、家庭が成され、氏族の王となり、民族の王となり、世界の王となることができたのです。イエス様はそのような本来のアダムの理想を実現するために遣わされたのです。しかし、イエス様が殺されたという事実によって、このすべてが水泡に帰したことになるのです。 イエス様は地上に来られて、アダムの代りに地上に王権の基礎を築かなければならなかったのです。皆さんはこのことを信じますか?(「はい」)。イエス様がこの地上に来て、家庭的な王権から氏族的な王権、民族的な王権、国家的王権、それから世界的な王権を獲得しなければ、本来の神様の愛の直接圏内に連結されることができないのです。それが創造理想の基本的な観点なのです。キリスト教では、「再臨主がこられる、主様が再びこられなければならない」と言っていますが、それはこのような意味だったのです。 では、失われてしまったアダムの理想を再び回復するために来られたイエス様はこれを成し得ませんでした。その成し得なかったことを再び成すためには、このことを再び反復しなければならないのです。これが、来たるべき再臨主の使命であることをはっきりと知らなければなりません。 キリスト教文化圏とそれを主導していたアメリカが、第二次大戦以後、全世界をキリスト教文化圏にすることの可能な時がありました。その時に、もし統一教会が韓国の独立とともに、アメリカの保護と軍政のもとで、キリスト教文化圏に連結されるという御旨が成されていたとしたならば、統一教会の歴史のなかで、先生が六〇歳を超えてもなお、今日の先生の家庭におけるこのような悲惨な、蕩減の歴史をみるということはなかったのです。歴史的なメシヤ圏、メシヤ的伝統、王権的なメシヤの思想を完全に終結させ、今やひとつの世界が成される段階に入ったのではないかと先生はみるのです。 ちょうどイエス様がローマ統治下のユダヤにおいて、ユダヤ教の前に立っていたと同様に、米国統治下にある韓国において、キリスト教文化圏の前に立っていたのがレバレンド・ムーンであったのです。それは誰一人知らなかったことです。ローマと現在が異なるのは、現在はサタン側でなく、神側に立っているキリスト教文化圏であるという点です。イエス様の死によって、二〇〇〇年間苦労してきた功績の土台によってそのようになったのですが、それが先生とひとつになったならば、完全に一瀉千里で七年以内には収拾できるはずだったのです。(しかし、そうならなかったので)今まで四〇年の路程を回って、再びイスラエル民族がカナンの福地に入っていく、そのような運命圏を再び蕩減復帰してきているということを皆様は知らなければなりません。 先生の生活は、イエス様が霊的にしか果せず失敗したすべての内容を実体的に現実化すると同時に、それがアダムの創造当時に神様が立てた理想と一致することのできるものとして終結させなければならないという、二つの内容があることを皆様は知らなければなりません。 法廷闘争の意義 それで、統一教会を中心として、キリスト教と自由世界が反対したという事実によって、完全にサタン側に戻ってしまったのです。それで、統一教会を育てて、キリスト教に置きかえることのできる基準と、民主世界に置きかえることのできる基準と、共産世界を凌駕することのできる基準をつくって、今やちょうど統一された第二次大戦直後の現象と同じような世界的な情勢圏内に突入しているという事実を皆さんは知らなければなりません。 そして、アメリカと先生が対決しているのです。法廷闘争をしているのです。これが一審、二審における法廷闘争であり、今回の高裁を中心として、それはイエス様が霊的復活をしたのと同様に、主任判事は絶対的に私の方を支持し、反対する側に立った右の強盗、左の強盗は、サタン側において反対するようなことが起きてきたのです。しかし、大法院(最高裁)に上告される時は、キリスト教が右の強盗の立場に立って私を支持し始めてきました。そのことは、キリスト教が民主世界全体を代表して右の強盗を支持していることを意味するのです。そうすることによって、自由世界は先生の側に立ち、先生とひとつになり、共産世界は全面的に先生を否定するというような段階に今は入っているということを知らなければなりません。 しかし、イエス様の時のように私を十字架で殺すことはできないのです。私を監獄に入れれば、四十億の人類がひとつになってしまうのです。そのような結果となります。そのためにサタンはこれを躇し、アメリカもそうすることのできない法的基準に後退せざるを得ない段階に入っていくのです。それは何故でしょうか? 先生は世界的に信じられないような立派な基盤をつくったからです。 先生が監獄に入るようになれば、アカデミーの会長や団員を動員することができ、サミット・クラブとか、今までの多くの学者世界のグループを一日に十人、二十人動員して獄中を訪問させることのできる、このような基盤を整えたという事実は恐るべきことであります。有名な人々が一日に約二十名ずつ訪ねて来たとしても、合計すると一年に六〇〇〇人から七〇〇〇人になるでしょう。それはたやすいことなのです。彼らが先生に会いに来たとき、何故自分たちが訪れたか、その訳をアメリカの人々に告げるでしょう。また、毎日、マスコミの人々がインタビューをしに、牢獄にやってくることでしょう。先生は、この裁判を世界の人類がひとつになるための良いチャンスであるとみているために、「先生を獄中に送りなさい!」という考えをしているのです。 そして、この期間は、共産党が先生の生命を狙っている期間であることを知っているので、避難所としてこれ以上によい所がないと思っているのです。そこは、一層安全地帯なのです。 "統一式"の挙行 このようにみる時、今や世界的に峠を越えていく時を迎えているのです。そのために、今回の韓国での大会は、イエス様が国家と教会の基盤をイスラエル民族から失い、国の基盤を失った立場を蕩減する意味をもっていたのです。そして、七十二門徒がひとつになることができなかったので、イエス様が亡くなりました。それで、世界の七十二カ国のアカデミー議長団を中心として、韓国に連れていったので、韓国民族はどうすることもできず、反対することのできない状況に追いつめられてしまったのです。完全に協助するしかなかったのです。 この一連の大会(韓国での勝共大会)はメシヤを宣布することでした。つまり、民主世界であれ、共産世界であれ、全世界の人々にむかって「もし、あなたがたが希望をもち、生き残りたいなら、私の話す言葉に耳を傾けなければならない」というものでした。七十二カ国の議長団たちは、先生を証する人たちなのです。 アメリカは先生に反対しましたが、このように自由世界の指導者層と顧問の立場にいるすべての人々が一体となって、先生を支援しているという事実は、これは世界的な事件であります。その基盤の上に、サタンが今までこの原理主管圏内を支配していたすべての事実をくつがえしたのです。すなわち、今まで国と世界が行く道をサタンは国をもって阻止しようとし、世界でもって妨害しようとしたのを、開けてしまったのです。そこに何の侵害すべき余地もなかったのです。それでサタンは永遠にこの地球上において、真の父母と統一教会にこの御旨を引き渡さざるを得なくなってきたのです。 サタンは次のように言うのです。「自由世界を復帰し、キリスト教を復帰したいと思うなら、蕩減しなければなりません。過去において、韓国の民が、キリスト教が、また統一教会を信じていた人たちが外部に出ていって反対し、今現在、三十六家庭や、また統一教会の中心家庭たる父母様の家庭の子女たちに一体化がありません。これらすべての代価をどう支払うのですか?」と。 特に、韓国の大会に対しては、それを成しうるとはだれ一人として信じませんでした。全部が反対したのです。ただ一人、先生しかそれを信じていなかったのです。不信の代価は蕩減の提示であることを原理が教えてくれているではありませんか。 それで、この原理を知っている先生は、興進がすぐ霊界に行くことを知って“統一式”をしたのです。ユダヤ教とキリスト教と統一教会がひとつとなり、その次は日本とアメリカとドイツと韓国がひとつとなり、民主世界と共産世界がひとつとなり、父母がひとつとなり、家庭がひとつとなり、三十六家庭、七十二家庭、祝福家庭がひとつとなり、統一教会がひとつとなり、キリスト教がひとつとなり、民主世界がひとつとなり、天と地がひとつとなる“統一式”を挙行したことを皆さんは知らなければなりません。これをなさなかったならば、今日、このような聖婚式をおこなうことができないのであります。 サタンはこれを知らなかったのです。サタンは条件だけをかければ、すべての目的が成就できると思っていました。イエス様を殺しても、復活の能力で新しい道を開拓していった時と同じように、実はこのことを知らなかったのです。 (興進が)霊界に行く前日、“統一式”を終えてからすぐに、先生は次のような祈りを捧げました。 「あなたは地上から離れるとしても、地上にいるのと同じように、あなたの養子を選んであげて、息子としての班列にともに参加させてあげよう」と祈りで約束をしたのです。そのようにしようとしたら、地上において祝福をしてあげなければ、不可能であります。その時の約束なのです。 霊界における興進様の位置 神様は地上を救うためにメシヤを送ったけれども、真の父母は霊界を救うために、つまり霊的世界を救うために、父母の代身として全権大使、愛の王子を送ったことを知らなければなりません。全権大使、すなわち真の父母の愛の特別大使なのです。何故でしょうか。それは先生が地上に愛の世界的基盤をつくったからです。イエス様もその段階に到達していません。神様は我が子として愛することのできる十代の若者たちを、歴史以来初めてもったということを皆様は知らなければなりません。十代の若者たちの王権をもったのです。結局はそうすることによって、神様は初めて愛することができるのです。愛することができるのです。神様が愛することができるということを知らなければなりません。また、先生はこの地上の基盤を中心として愛している、このことによって二つの世界が連結されるのです。 堕落世界は、堕落した愛の主管圏、つまりサタンが主管する原理結果主管圏内に陥ってしまったので、真の父母の愛というものは今までありませんでした。しかし、それが初めて霊界に出現したという恐るべき事実を知らなければなりません。 では、あの世に行ってどのようになるのでしょうか。興進様は韓国の人として生まれたので、韓国の先王たち(歴代の高徳な王)を中心とした実として現われるのです。王権の結実がつまり興進の位置なのです。そのような立場において、韓国の先生たちを中心としてみるときに、興進は年令は若くてもアベルの王であります。霊界はすべてを知っています。完全にわかるのです。完全にひとつとなるのです。霊界は何故興進の位置を正確に知っていたのでしょう。そのことは、霊界ではただちにひとつになれることを意味しているのです。もし、カインとアベルが一体化すれば、その上に父母が臨まれるのです。それで、父母なる神がここに運行することができるのです。神の運行圏が生ずるのです。だから、興進の王権と韓国のアベル的王権がひとつとなることによって、韓国を中心としたアベル的王権の主管圏が形成されるのです。その結合がなされた後、先王たちはアベル的王権の位置に立つようになるのです。わかりますか? 次に、アベル的国家圏内のすべての国々の王たちがアベル圏に立つのです。あなたたちは地上ではわかりませんが、霊界ではただちにひとつになることができるのです。それで、王権を中心に韓国を中心とした全一二〇カ国家が完全にひとつになることができるのです。 だから、その王の前にアベル的であった人々、たとえば今日、ユダヤ教を信じて霊界に行った人々とか、キリスト教を信じて行った人々は、すべて王権をメシヤとして侍るために存在していたのであって、彼を崇拝するすべての宗教界のアベル的タイプの人々は順々にひとつになっていくのです。 女王権を中心として何がおこるか ところが、ここにひとつの問題があります。この王権を立てるのに興進ひとりだけではいけないのです。ひとりだけではいけないのです。女王権をいかに探すかが問題となるのです。このようなことを何故するのかはっきり知らなければなりません。このような王権を結合しようとしたら、地上世界の相対を決定してあげることによって、この女王権が霊界において連結されるのです。女王権を中心として何が起こるかというと、女王が地上にいるために、自由に一二〇カ国の女王権の民を連れて地上に連結できる基盤ができるのです。神様の愛を中心として、霊界と肉界は統一されるのです。これを知らなければなりません。それで、この結婚によって興進は自由に地上に降りてこれるのです。だから、興進ひとりだけが来るのではなく、王権を統一したすべての王たちが、この地上に従ってくることができるのです。ですから、女王が必要であるために、このような聖婚式をおこなわなければならなかったことをはっきり知らなければなりません。このことを世の人々が聞くと、「レバレンド・ムーンは気狂いだ、狂った指導者だ」と言って、あらゆる反対をすることでしょう。 それは、本来なら先生が霊界にいってやるべきことですが、代わりに興進様を愛の代表として送ったのです。今日、五十日目になり、五旬節と同じであります。百二十名が(マルコの部屋に集まって)聖霊の降臨と共に火を受けて、キリスト教が世界的な闘いを出発したのと同じように、今日この日は薫淑嬢が結婚することによって、百二十カ国の王たちと国民が、この地上に来て復活して、世界的な歴史を展開することのできる運動として広がっていくのです。これが五旬節に相当する今日なのです。このことを皆さんは知らなければなりません。それで、霊界にいる百二十カ国の王権が地上に臨むことができるのです。このように極めて大きな二つの意味があるのです。百二十カ国家の中から一番先に神のもとに復帰された国がどこであったとしても、その国は、昔からの理想の発祥地となるのです。神はその基地から世界の復帰を始めることができるのです。 また、レバレンド・ムーンと統一思想という名が共産主義と民主世界を凌駕しているということは、言論人と知識人と学者たちは皆知っている事実なのです。 それで残りのこの三年間、八十年代を中心として、私たちが一致団結して世界到る所で強く、大胆に前進する時には、世界はだんだん私たちの前に入ってくるのです。今この時が越える時なのです。今の時、この二月が転換の月です。二日後は、私が北韓で監獄に入って三十七年目に当る日なのです。一九四八年に入ったので、三十七年目になるのです。これは先生の生涯の四十年間の地獄の生活に匹敵するのです。四十年間の地獄生活。 そのようにして、蕩減復帰の条件を立ててきた事実を皆さんが知って、近い将来に前進を誓う意味から、皆さんが新しく決心することのできる祝賀の日となるようにお願い致します。 真の愛のかけ橋 私たち祝福を受けた家庭は、薫淑様、興進の新婦になられるこの方が、一人で生きながらも、神のために忠誠を尽し、真の父母のために夫のために精誠を尽す孝女、孝婦の立場になる時、統一教会の信者たちは三年路程、七年路程に不平を言う条件がなくなるという事実を、皆さんがサタンの讒訴条件を免れる一つの基本的伝統が地上に生じたという事実を知らなければなりません。これが皆さんにとって一番嬉しいニュースであります。 あなたたちは地上に相対をもって不平を言うことができますか。サタンが讒訴できない基準を皆さんに贈り物として与えるのです。もし、あなたたちが薫淑様の精神と一体となるならば、あなたたちの家庭にはサタンが取ることのできる何の条件もなくなるでしょう。何の話かわかりますか。そのために祈りの中に、薫淑に代って生きているし、興進の代りに生きているというこの思想をもつ時には、サタンを除去することのできる偉大なことが起るのです。サタンはこれを考えることができなかったのです。 ここに来ている祝福家庭たちで、先生から三年路程の厳命が下されたにも拘らず、躊躇する人たち、その家庭の夫と妻は今夜から手を合わせて悔い改めて、明日から新しい道を出発して行かなければなりません。 重要なことの一つは地上に新婦がいなかったら、王権、女王権が成立されないということです。第二に、霊界の国の全ては天使世界のような立場にいるために、アダムの世界である地上を天使世界は保護育成する責任があるので、王権と女王権およびその民が来て、地上のサタン組織を全て奪って、相続して越えるのです。何故かと言えば、それは天使世界に匹敵する天使たちが、アダム・エバが堕落しないように、保護育成しなければならなかったという原理原則によって、初めてこの地上世界を処理することができるからなのです。神に侍る天使たちが、神に反対した天使を天から追放したのです。私たちが占領し、私たちがコントロールすることのできる、真の父母の愛を中心とした原理主管圏であると主張することのできる時代となったので、このことが可能なのです。結果主管圏であります。結果主管圏です。統一原理によってはっきりとわかりますか。(「はい」) 第三に、あなたたちに恵みを持ってくることのできる、一つの燈台ができたことを知らなければなりません。それで真の愛の橋となるのです。薫淑を中心として、興進を中心としてその間に橋がかけられたのです。真の愛のかけ橋。だからサタンは干渉できないのです。これは原理的観点です。 ここにいるのは統一教会のメンバーですから、これをはっきり知って帰らなければサタンの讒訴を受けるのです。そのために、もう遅い時間ですが、必要なことであるので、これが摂理史全体の概略において、現在がどういう立場であるかを明示したのです。この言葉をよく記憶して下さるようお願い致します。先生が生きていてそのことをコントロールすることができるので、驚くべき発展があるでしょう。 信念を持って前進しよう イエスを打つことによって、霊的復活圏が生じたのと同じように、興進を打つことによって、地上に愛の圏が移されるのです。興進を打ったのですが、その死によって愛の圏が新しい世界に連結されるのです。 先生がこのようなことを知らなかったら、世界がどうなったでしょうか。天と地がどうなったかを考えると、このような意味において神様は先生を愛さざるを得ないだろうと先生は思うのです。 あの世では、皆様が想像することもできないほどの祝賀宴が開かれている事実を皆様は知らなければなりません。だからその人たちが来て、先生を擁護しようとするのです。あなたたちはそれを知らないでしょう。彼らは、この影響と意義を知っています。彼らは先生を守るために、そしてあなた方に教えるために地上に降りて来ているのです。皆さん、はっきりわかりましたか? ここに初めて来た人たちは、どのような話か夢のようでよくわからないでしょう。皆さんは、はっきりわかりましたね。真の父母の家庭に対して、信念をもって前進すべきでありますし、勝利が待っています。アーメン。 皆さん、直接主管圏を知っているでしょう。あなたたちは、もちのようにぴったりとくっ付いたのです。はずすことができないのです。サタンははずすことができないのです。あなたたちが速く行けば行くほど、個人に一つの国がついて来るのです。一国がついて来るのです。ここにいる誰もが異なった国籍を持っています。それぞれの国を救ってあげたくないですか。(「救いたいです」) 興進様のように、神のために死ぬ覚悟をし、祭物となる覚悟をして、今夜死んだとしたら、霊界にいってまちがいなく、この言葉がその通りであることを知るでしょう。信じられなかったら死んでみなさい。(笑い) 理論的です。それは恐ろしいことです。このような恐るべき事実が理論に合致するのです。神様が私を保護するように、皆様をも共に保護することでしょう。これを信じて前進いたしましょう。アーメン、アーメン。もっと大きな声で、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン。(拍手しばらく続く) 次は何ですか、歌? 先生は今、非常に力強く話したので歌を歌うことができません。しかし、きょうは記念すべき日ですから、歌ってみましょう。何の歌を歌いましょうか、お母様一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.17
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「指導者会議における説教の抜粋」1984年2月10日ベルベディアで 蕩減復帰の道 今年、あなた方は先生に対して不平を言うべきではありません。なぜなら、興進様が生前に御父母様に孝行できなかったことを申し訳なく思っており、統一教会の人たちが不平を言わず、自分の代わりに御父母様のために孝を尽してくれることを心の底から願っているからです。 興進様は今いったい何をしておられるか? 先生がこういう話をしている時、今霊界では全部それを聞いているのです。 私たち統一教会は、蕩減復帰の道を行く教会であるということを知っているでしょう。それはわかっていますか? (「はい」) 蕩減復帰と言いますが、蕩減ということを好む人がいますか? いると思いますか、いないと思いますか? どう思いますか? (「いないと思います。」)「いません」という言葉が正しいのです。それなのに、なぜやらなければならないのか? なぜ私たちは蕩減をしなければならないのか? それは堕落したためです。堕落したとしても、それはアダム・エバの時代のことであって私たちとは何の関係がありますか? では、なぜ蕩減するのでしょうか? それは人間の責任分担があるからです。この人間の責任分担という過程を越えなければ、人間の幸福と理想を完成することはできないのです。その責任分担、一つにはアダム・エバの未完成ということが、そこにひっかかっていると同時に、アダム・エバ家庭が未完成のままひっかかっています。そうしてアダム・エバ一族、一国家、後孫すべてが未完成圏内に留まっているのです。完成していない者は神様も主管することができません。原理で言う間接主管圏、この間接主管圏を人間が主管しなければならないのにもかかわらず、サタンが主管しているという事実を知らなければなりません。 個人はこの完成のためにサタンと闘わなければならないし、家庭がこの完成のために、サタンと闘わなければならないのです。本来、間接主管とは人が主管しなければならないにもかかわらず、サタンが主管したため、この間接主管圏回復運動をしなければならないのです。そうしなければ人間の責任分担圏を持つことはできません。何の話かわかりますか? サタンに奪われた間接主管圏 今まで宗教を立てて来た目的は、間接主管圏内にサタンが介入したそのすべてを除去させるためでした。本来人間は間接主管圏を自由に往来するようになっているにもかかわらず、サタンに占領されたので、これを再び取り戻そうとして、世界基盤を拡大してきたのが宗教なのです。すなわち間接主管圏を再び取り戻すための運動、それが今までの宗教の歴史でした。 宗教歴史の課題は、いかに再び間接主管圏を奪い返してくるかという問題なのです。この問題について考えてみるとき、サタンを後退させなければなりません。サタンを後退させることを今日、統一教会においては蕩減復帰というのであります。では、いかにしてサタンが間接主管圏を占領するようになったのか? それは愛をもってです。何の愛でありましょうか? 自分中心の思想に基づいて、偽りの愛を中心としてサタンが占領するようになったのです。このサタンを後退させるための方法としてはどのようにしたら良いのでしょうか? 自己否定し、神様を絶対的中心として神の愛を立てていくならば、サタンを屈服させ分立させていくことができる、それ以外に方法はないのです。これが個人の基盤から家庭基盤へと拡大し、民族基盤、国家基盤、世界基盤、全人類基盤にまで拡大していく以前においては、本然の間接主管圏を取り戻すことはできません。そういう結論が出るのです。何の話かわかりますか? 今日、堕落した世界において、あなた方は間接主管圏という原理基準を持っていないのです。だから自分勝手にするのです。いつ成長して上ってくることができますか? 間接主管圏を持っていないあなた方が、いかにして神様が直接主管することのできる直接主管の道へ入っていくことができますか? では、間接主管圏は誰が持っていますか? 神様が持っていらっしゃいますか? 誰が持っていますか? そうです、サタンです。それを私たちはどのようにして取り戻してくるのか? 言葉でできますか? 「サタンよ、原理を通してみると間接主管圏はあなたに奪われてしまったので、私に返して下さい。」 このように言葉で言ってできますか? 力でもってできますか? 蕩減復帰というのは、同じ内容を中心として、逆の路程を行くことによってなされます。では誰を中心としてですか? アダムは自分を中心として、エバも自分を中心として堕落したので、これからは神様を中心として行かなければなりません。そのような中心を持って自分を犠牲にするのです。神様の愛を中心として自分を犠牲にするしかないのです。百遍死んで生き返ったとしても、それを悔い改めて、訪ねて行かなければならないために、絶対に神様中心、絶対の犠牲をしながらでもその愛を求めて行かなければなりません。サタンもそれを知っています。神様もそれを知っています。しかし、人類は今までそのことを知らなかったのです。だから、人間はメシヤという方を通してはじめてこれを知り、サタンの秘密がわかるのです。メシヤは人間を子女のような立場において教えてあげ、その過程を通過させるために摂理されて来たのです。 アダム・イエス・再臨主 ところで、メシヤはどのような人でもいいというのではありません。人類の祖先たるアダム・エバが堕落したので、メシヤは人類の先祖の立場で来るのです。ですから、神様が愛することのできる第二のアダム格として現れなければなりません。つまり、メシヤは神様の側に立った第二アダムです。来て何をするかと言えば、この間接主管圏を自由にするのです。それは本来、アダムが持っていた権限なのです。 サタンを中心とした国家的基台の中で、個人を中心としてサタンと闘い、また家庭を中心として闘い、イスラエルの国家圏を中心として闘い、イスラエルの宗教とイスラエルの国を中心として、神側の国家的基準にまで導くために四千年かかったのです。それが聖書の歴史四千年であり、メシヤを送るための歴史だったのです。それでサタン主管圏内にあって、民族主管圏、間接主管圏の権限を再び取り戻すための国家基準を形成しようとして、イエスはユダヤ教のイスラエル国を訪ねて来たのです。 しかし、イエスが死んで霊界に行った後に出発したキリスト教をいくら熱心に信じたとしても、人間の世界は神の間接主管圏とはならないのです。だからイエスは再び地上に来なければなりません。再び来て、間接主管圏から世界的にサタンを完全に追放して、本来の堕落がなかったアダム圏間接主管圏、宇宙的代表基準を取り戻さなければならないのです。これが原理観です。 キリスト教の霊的基盤を中心として民族的な間接主管圏を実現して、世界的版図を備えてきたのがキリスト教文化圏でした。その基盤の上に第二次大戦直後、レバレンド・ムーンが現れて、アメリカを初めとして全世界を胸に抱いて、間接主管圏を相続して、サタン世界を追い出すのです。それによって、本来人間が堕落しないで求めるべき本性的間接主管圏が、世界の領域を占めることができるのです。 では、神様が再臨主を送るとしたらいつ送るでしょうか? この時しかないのです。この時がすなわち神様が再臨主を送ろうとする時なのです。ところで再臨主は何番目の息子だと言いましたか? (「三番目のアダムです。」) なぜ三番目のアダムなのですか? 神様を中心として真の父母の立場、つまり直接主管圏に連結させることのできる責任を果すべき当事者の立場であるから、再臨主は神様の側に立つことのできる先祖となるのです。しかし、間接主管圏を失ったために、これをサタン的主管圏から完全に取り戻して直接主管圏に連結させて、本然の神様が立てるべき真の父母の立場に立たねばなりません。それは本来アダムがなさなければならない責任分担でした。それをイエスがなそうとしてできなかったので、それを代わりに行うことによって第三のアダムという言葉が成立するのです。 真の父母の時代が到来することによって、堕落世界の間接主管圏を個人的立場においても、家庭的立場においても、氏族、民族、国家、世界の立場においても占領することのできる権限を備えたので、個人の前においても真の父母になり、家庭の前においても真の父母という言葉を使うことができ、氏族、民族、国家、世界の前に、民主世界の前に、共産世界の前に言うことができるのです。 では、真の父母という名前を持ったならば、どのようにならなければならないか? イエスが国と教会によって十字架にかけられたので、イエスが失敗したのを蕩減しなければなりません。イエスはアダムの立場を蕩減しなければならなかったのですが、それに失敗したので、イエスの立場を蕩減するということは、つまりアダムとイエスが失敗したことを蕩減しなければならないということになります。 国家的迫害 それで先生が第二次世界大戦直後に現れて、韓国を中心としてキリスト教と一つにならなければならなかったのです。当時は、韓国という国はさほど問題ではありませんでした。というのは、当時の韓国教会はアメリカの強力な影響下にあったからです。統一教会を迫害した一切の内容は、アメリカの宣教師が来ている学校から始まったということを知らなければなりません。つまり、アダムとエバのような立場にあった梨花女子大学とか延世大学によって迫害されたのです。これらはアメリカの宣教師の支配下にある学校だったのです。韓国の校長先生だけではなく、宣教師たちの煽動によって迫害されたという事実を知らなければなりません。何の話かわかりますか? それは全世界が統一教会に反対したということなのです。 そこで、国家的な段階まで受けて来た迫害に勝利することのできる基盤を整える闘いをしなければなりませんでした。それで、一九四五年から一九六〇年まで満十四年間を闘い続けてきたのです。八月十五日になると、満十五年になります。そのようにして越えて行かなければならないのです。そうして国家的な次元へと越えて行くのです。 イエスに反対していたユダヤ教、ユダヤ民族とローマ帝国のように、アメリカ全体が反対する中においても蕩減して行かなければなりませんでした。サタンは「あなたは間接主管圏を取り戻しに来たのか? あなたはキリスト教文化圏を信じて、キリスト教基盤を中心として韓国の独立を夢見て来たけれども、彼等が反対するのであなたには間接主管圏を取り戻していくことはできない」と言うのです。 だから、イエスの三年の公生涯の路程をそのまま蕩減して行かなければなりません。イエスの公生涯は正確に言えば二年八カ月です。「イエスは闘って私に負けたのであるが、あなたは闘って私に勝ってみなさい」とサタンは言うのです。それで牢屋の生活が始まるのです。もっと詳しく話すには時間がないし、限りがありません。 韓国動乱 韓国動乱というのは、共産主義という新しい怨讐が出て来て打ったことなのです。そして「これがどうして神が立てた国なのか? あなた方が願っていたメシヤと、中心となる宗教の群れは、すべて私の手中にある」とサタンは言うのです。それで、国の半分を切って分けてしまいました。韓国が残ってきたということは、神様がおられるが故にこのように守られてきたからです。 その時、アメリカはマッカーサーの勧告を聞くべきでした。-私は解放直後で牢屋から出てきたばかりの時でした。-アメリカがマッカーサーの忠告を受け入れていたならば、一九五一年の九月には戦争が終結するようになっていたのです。トルーマンというのは韓国語で「再び壊れてしまった」という意味になりますが、その時彼によって再び滅びたというのです。トルーマンによって韓国動乱は再び敗北に終ったのでした。マッカーサーの言うことを聞いていたならば、民主世界は芽生えたはずでした。トルーマンは自分の名誉などは問題にすべきではなかったのです。 金日成と中共は、ソビエトと結託して韓国を狙っていました。これは民主世界、神様とサタンの問題であったからです。わかりますか? その時、国連において大騒ぎをして、そして民主世界が協力して解放することによって、南を取り戻すことができたのです。 それで、霊的イエスが整えた世界的な基盤があり、勝利的な基盤があるために、半分残されたその地を中心として、再び四十年という、二十年という期間に、二千年の蕩減をなして、今まで八〇年度を中心として頂上にまで達してきたのです。 それで、サタンは「レバレンド・ムーン、あなたが韓国人であるならば、韓国を相手にして勝ってみなさい。間接主管圏を得るために闘って勝ってみなさい」と言うのです。「神様は六千年間、また、イエスが来て二千年間苦労して整えたけれども、なおあなたが間接主管圏を私から奪いたければ奪ってみなさい。それを二十年間でやってみなさい。六十数、六千年の蕩減をやってみなさい」とサタンは言うのです。キリスト教とアメリカ自体がサタン的に迫害して来ましたが、南韓の地を残して、国家的な次元を越えるための闘いをするのに十四年かかったのです。 間接主管圏回復のための闘い それで、六〇年代に初めて祝福家庭を中心として、真の父母の名の下に地上に着陸することができたのです。三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭……そして六〇〇〇双に至るまで、このような家庭を中心として、世界的に民族を編成しながら、国家、世界の蕩減路程を拡大させてきました。 そして、民主世界のアメリカにまで来て、四十年以内に再び戻らなければならないという復帰の役事を今まで行なってきたのです。そうしながら、父母の日を決定し、子女の日を決定し、万物の日を決定し、神の日を決定しました。その期間というのは、どのような期間でしょうか? それは直接主管圏内ですか? それとも、間接主管圏世界の基準を越えるための期間なのですか? サタン世界において、真の父母の名によって蕩減という路程を経て、間接主管圏を拡大させてきているのです。 一九八三年、八四年を中心として越えていくのです。これが、教会創立三十周年にあたっています。世界的な蕩減をして、三年間の一九八五年八月十五日までに、イエス様の七十二人の弟子と十二人の弟子が反対した立場を蕩減復帰しなければなりません。それをどこでなすかといえば、韓国の地において行うのです。 イエス様が十字架につけられたのは、七十二門徒が一つになることができなかったからです。それから、ユダヤ教が一つにならなかったからです。それで、先生はキリスト教会を代身した統一教会の基盤を中心として、今日まで自由世界のすべての国のカイン主権を中心とした人々と一つになることのできる基盤を整えてきました。その上で韓国に行って、歴史的イエスが国家基準において失敗したすべての蕩減をしなければならない。そのような膨大な期間なのです。 霊と肉を中心としてサタンは、個人的に打つのではなく、国家的に打つのです。それが、KAL機墜撃事件、ラングーン事件、北韓スパイ事件等でした。これによって、全大統領の現政権を倒そうとしていたのです。もし、全大統領が死ぬようなことになれば、国家と国民が混乱に陥り、国民がみんな完全に不信に陥るようになっていたでしょう。そして、自暴自棄となり、その機に乗じて北韓が侵入したことでしょう。だれかがアベルとなって国家を守らなければならないのです。 そのために、先生は年末を目前に控えて緊急に韓国に渡って、共産主義から防御する、“勝共”というタイトルのもとで、世界七十二カ国のアカデミー議長団を集めて、「国民勝共大会」を開催したのです。このとき、韓国の国民全体が一つとなって、レバレンド・ムーンを歓迎する歓声が韓半島に鳴り響いたという事実は、イエス時代において失敗したすべての内容を国家的な次元を越えて、世界的次元にまで連結させたことを意味します。再び解放して国家基準から世界へと間接主管圏を回復していく基盤を整えたのです。 それは、統一教会を中心としたアベル圏とカイン圏が一つになったということです。そのため、国家圏のサタンとすべてのカインは屈服せざるを得ないのです。国家的、世界的な蕩減を、カイン・アベルの蕩減をなす上において、そのカインが反対していては、目茶目茶になってしまうのです。ともかく、七十二カ国の議長団が来て座っているので、政府は反対することができませんでした。 愛勝日の原理的背景 サタンは常に、父親のレバレンド・ムーンを狙い、二代目である息子を狙ったのでした。そうでしょう。アベルを狙うでしょう。先生はこのことを知って、韓国におけるサタンとの決戦において、サタンに敗北という悲しみを味わわせました。条件が満ちているので、サタンは先生を打つことはできなかったのです。 韓国の民は息子と同じような立場です。カインの息子です。統一教会の息子は誰ですか? 世界の前に、先生の前においてはアベルは誰ですか? これは興進なのです。わかりますか? サタンはカインの息子を殺すことはできないのですが、アベルを打つことができる権限はあるのです。 このような意味で、興進様が行かれたということを先生は原理的な観点で説明することができるのです。それで、韓国の民七〇〇万を結束させることは問題ではありません。このような興進様の犠牲によって、韓国の国民は先生と一つとなることができるのです。 興進様が行かれたことによって、神の国の二世を動員することができる時代圏に入って来ました。先生は一世を動員することのできる基盤を整えたし、興進様をともに韓国の国民が国家基盤と世界へ連結することができる二世圏の祭物となったので、霊界の一世圏は先生を中心として、二世圏は興進様を通して解放運動と組織運動が起こって来るのです。 それで、霊界と肉界が一つとなってどこへ行けばよいか? それはカナンの福地です。霊界と肉界において間接主管圏、サタン世界に勝利の楔を打ち込んで、地上天国、直接主管圏内へ越えて行かなければならない、そのような時が来たので「愛勝日」という言葉が生まれたのです。“愛でもって勝利した”という意味です。間接主管圏内においてサタンに利用されたすべての讒訴圏を離れたので、間接主管圏は神様の愛と連結される時代に入ってきました。それで、「愛勝日」という言葉が生まれたのです。 直接主管圏というのは愛のことなのです。直接主管圏内にあるすべてが愛によって動くようになっています。それは神様の愛を中心とした圏を言うのです。今や、間接主管圏、地上世界と本来の愛の主管圏である直接主管圏が連結することができる時が訪れたので、「愛勝日」を宣布することができるのです。これは原理観に基づくものです。先生の作り話ではありません。 先生が韓国に帰って来たとき、サタンはレバレンド・ムーンに対して国家と世界を賭けて攻撃しようとしたのです。先生は、それに対して蕩減条件を立ててきました。それが、先程言った議長団のことです。それによって、サタンは大敗北を喫したのです。それで、韓国政府はどうすることもできませんでした。サタンはイエス様の死体とか、モーセの死体を巡って争ってきましたが、この興進様の死体を巡る争いにおいてもし、韓国政府が反対していたとすれば大変なことになったのです。 このことによって、原理数である二一〇の門戸が開かれました。この日は世界の昇和日です。イエス様が世界的舞台において昇天していく日であると見て、「昇和」というふうになったのです。ただ死んでいくのではなく、勝利の基盤の上で死んでいくのです。それで、神様が愛する息子として、真の父母様の息子として行かれました。神様が今まで味わってきたすべての悲しみと、イエス様が亡くなって行かれた過去のすべての恨みを清算し、世界のすべての人々がその息子を歓迎し、受け入れることによって、初めて愛することのできる因縁が、神様の前にできたのです。 今は最後の転換の時 それで興進様にこの四十日期間で相対を決定してあげなければならない天的な意義があるのです。何の話かわかりますか? きょうが、行ってから四十日目になるのです一月十二日から二月二十日までの四十日間です。それを誰が信ずるでしょうか? 気違いだと思うでしょう。あなたがたはこうやって聞いてみると、「アー」と思うでしょう。そのために「歴史が転換し、世界が回る」という言葉の意味が初めてわかってくるのです。 アンドロポフの死も、韓国の大統領が死なないで生命があるのも、皆摂理的な理由からです。 韓国のKAL事件、ラングーン事件の後、アメリカにおいて先生の名が急速に高まって来たのです。大きな波が寄せて来ました。そうでしょう。これは二月を中心としてすべて成されたのです。 また問題は起きて来るし、アメリカにおいても問題が生じてくるのです。共産党の指導者の中で、私のため最も頭を痛めたのはアンドロポフだったのです。私を殺すように指令を下したのは彼でした。 彼はKGB長官としてローマ法王、レーガン大統領、そしてレバレンド・ムーンの三人の暗殺を狙っていましたが、最大の問題はレバレンド・ムーンであったのです。 今日ローマ法王がレバレンド・ムーンを支持し、レーガン大統領が支持すれば、自由世界に解放が訪れ、自由時代へと転換していくのです。そうした時が来ています。今が転換の時期なのです。最後の時になっているのです。これからあなたがたが願っても、先生に自由に会えない日が来ます。各国の首相たちが先生を訪ねてくるようになるでしょう。 これからの世界がどうなり、どう変わるか? 先生はそのようなことがわかると思いますか、わからないと思いますか? 未来がどうなるかを考えるだろうか、考えないだろうか? こういう話は先生が勝手に作った話ですか、それとも原理的な観点に立った話ですか? (「原理観です」)。 先生はやむを得ずサタンに打たれることを通して、奪ってくるのです。あなたがたは蕩減の原理がわかっていません。個人的間接主管圏を拡大することによって家庭的間接主管圏に連結され、家庭的間接主管圏を拡大することによって氏族、民族、国家、世界、天宙の間接主管圏に連結されるのです。あなたがたも自らの五パーセントの責任において、蕩減という歴史的な苦しみを払って行かなければなりません。それには先生が言う通りにするほかないのです。 霊肉界自由往来の基盤 巨大なボーイング七四七の荷物室の中に一匹の蝿が入って、七四七が韓国に着陸するまでくっついて離れなかったら、その小さな蝿といえども韓国に到達することができます。あなたがたも先生と固くひとつになって結ばれているならば、先生のところへ行くことができるのです。 決して自分自身を愛するな。先生を絶対的に愛すれば同じことになります。先生においては神様を絶対的に愛するのです。いかなる立場になろうと、不平を言わないで感謝していくのです。あなたがたがそのようになれば、あなたがたの子供たちもそうなります。 あなたがたはアメリカ人であるから、アメリカの国民たちがついて来るようになります。間違いなくその時になれば、それがわかるのです。 それで皆さんがこの時代において、自分が蕩減できなかった分も興進様が蕩減したということを考えて、神様の前にお祈りすれば、恵みが近づきます。蕩減の恵沢を受けるのです。霊界はどのようになっているかといえば、本来の霊界に行こうと思えば、真の父母様の愛を通過して、初めて霊界に行って勝利することができるのです。真の父母様の愛を通過しない人は、霊界に行くことができないようになっています。 それは何かというと、直接主管圏内において神様の愛と真の父母様の愛を受けて合格することによって、初めて霊界に入ることができるのです。これが原理です。今まで霊界に行った人たちで、神様と真の父母様の直接主管、間接主管の愛を受けて、霊界に行った人は一人もいないのです。だから、真の父母は絶対必要です。これを通過しなければなりません。 真の父母の伝統というのは、神様の愛の圏を中心として、サタンの堕落の愛の圏をすべて吸収して、間接主管圏解放と共に直接主管圏、愛の世界の中心に接木することです。そういう仕事をするのが、真の父母なのです。 真の父母が世界的な掌握権を持つことのできるこの時代に、興進君が行くことによって、世界的基盤の上に立った真の父母の愛を受けた息子が、霊界に立ったことになります。わかりますか? 霊界はどうかといえば、興進様を中心にして、初めて地上において真の父母の愛を受けた代表的中心軸が立つので、霊界は興進様を愛することによって、父母様の愛と接触できる条件が整えられるのです。興進様を愛することによって、地上にいる真の父母の圏内に再臨することができるのです。真の父母の圏内に入ることができる、それが本来の堕落しなかった世界なのです。真の父母様の愛と関係を持ったならば、霊界と肉界を自由に往来できる因縁ができます。興進様が行くことによって、霊界に真の父母様の愛の基盤を接木してあげることになり、自由往来の基盤が成されるのです。これが原理の内容なのです。 最も身近なアベル ではどうなるかといえば、霊界にいる人も地上に来て生きることができるのです。だから私たちの興進は私たちの家に来て暮らすことができます。それで部屋をそのままにしておくのです。普通、人が死んだといえば、その所を嫌いますが、私たちの子供たちは、そこに争って泊まろうとするのです。それはより高い愛とより高い次元の保護を感じるからです。あなたがたのために祭物となった最も身近なアベルであり、そして弟なのです。 だから霊界から地上に来て何をするかといえば、善なる霊たちがいっぱいついてきて、キリスト教についていえば、イエス様が地上において、自由にキリスト教を動員して、直接的に霊界によって伝道されてくることになります。北韓がレバレンド・ムーンにどんどんついてくるようになり、共産世界が南の霊界に入ってきて、すべてが連結されるようになるのです。何故かというと、この地上はアダム圏であり、霊界は天使長圏です。天使長がアダムの理想圏を協助するようになっているのが原理だからです。降りてきて協助するようになっているのです。だからこれから霊的な現象が数多く起ります。統一教会において、熱心に働く人は興進様にたくさん会うようになるでしょう。 このようにして子女の時代において、興進様が世界的な基準において責任分担を果して、祭物的な使命を成就したのです。それは三十六家庭もできなかったし、七十二家庭もできなかったし、韓国、アメリカ、全世界がなしえなかったことです。何の話かわかりますか? こうすることによって、天と地がひとつになることができるという結論をえることができるのです。 天と地が一つになれば、サタンは追放されなければなりません。共産世界の退却はこれからのムーニーの動きいかんにかかっているのです。アメリカもこれを収拾する道がありません。だれもできないのです。だから米国は嫌であったとしてもレバレンド・ムーンの言うことを聞かなければならないのです。あなたがたはこれがはっきりわかるでしょう。 興進様を愛していますか? このような膨大な思想世界の混乱を、共産主義のこのように退廃した思想、この悪辣にまでなった唯物思想を、何により消化し、導くことができるかといえば、レバレンド・ムーンのこの思想を持たずしては不可能です。霊界を知らないこの人類の前に、霊界を明らかにしてあげるだけでなく、霊界を知らない共産主義にそれを明らかに知らせてあげる。これはレバレンド・ムーンしかいないのです。このことを世界がわかるようになれば、レバレンド・ムーンこそメシヤに違いないというようになるでしょう。 あなたがたはそれを目の前で見ながらこのように座っているのですか? 目の前に見て、事実だと知りながらこのように座っているのですか? (「外で何かします。」) ムーニーはあちらこちら回りながら、「ムーニーは偉大である」と、若い世代に早く伝えなければなりません。 皆様、興進様を愛していますか? (「はい。愛しています。」) 私よりもっと愛していますか? では、その愛する興進様がなしえなかったことを、私が生きている間に代わりに成して、その後に霊界に行って、興進様の前で報告する、そのような皆さんとなってほしいのです。 私があなたがたを愛する以上に、あなたたちは興進様を愛さなければなりません。彼は最も花盛りの青春時代に結婚することもなくこの世を去りました。私達が責任を成し得なかったためです。あなたがたがこの地上において、百遍、千遍死んだとしても、興進様に対して感謝する気持を持たなければなりません。 すべては永遠の愛のために 興進様は昇和されることによって、王の種のような立場で霊界に入って韓国の王たちの伝統を立て、それを世界の王たちと連結させ、それにより善なる王権の基盤を整えられるのです。それと同時に、霊界においては、その王に従って行った多くの忠臣たちが、王権に自動的に接木されて王権圏が形成されます。そして王権圏思想と愛権理想が一致することにより真の父母の理想があらわれ、すべての世界が一つになってゆくのです。 世界の王たちを連結して、一つになることによって、王様の前にいる万民の統一-霊界においてはバラバラになっていた-がなされるようになります。霊界においては、その王の忠臣たる者たちがいるので、その者たちが王と一つになることによって、この地上における王権の中心である父母様と統一教会の立場と同じになるのです。愛をもって一つとなるのです。自由世界においても愛をもって一つにします。だから一つの世界が間違いなく来るというのです。このようにみることが、原理に合う理論的な結論です。もし異った意見があったら話して下さい。とても明らかにされてきたでしょう?(「はい」) このように愛の橋が掛けられることになった、「愛勝日」というのはそれほど重要なのです。これからすべての祝賀の日を取り消してしまったとしても、愛勝日一つだけは残しておかなければなりません。子女の日も必要であり、万物の日も必要であり、父母の日も必要であり、神の日も必要ですが、「愛勝日」というのは、その中で最も重要な祝日になるのです。 この愛の橋がなければ、神の間接主管と神の直接主管をつなげることはできません。このようにみる時、あなたがたはどうですか? あなたがたはサタンの讒訴から離れていますか? (「いいえ」)だから全体が一つにならなければなりません。 それで、あなたがたが奥さんたちと別れているのは先生と一つになるためであり、子女たちと離れているのは、蕩減のためではなく愛のためであることを知らなければなりません。永遠の愛のためです。だから自分の子供よりも、妻よりも、自分よりも、国家よりも、世界よりも、もっと真の父母を愛したという条件を立てなければなりません。それがサタンを屈服させる道なのです。真の父母を愛したという条件を立てるのです。そうするとサタンはどうすることもできません。逃げてしまうでしょう。それができなかったならば間接主管圏を越えることはできないのです。脱け出すことはできないのです。 このようにみるとあなたたちのうちで、蕩減が必要ないと考えた人はどれぐらいの罪になるでしょうか? 最も深い罪なのです。今はっきりとわかりましたか? (「はい、わかりました。」) これをはっきり知らなければなりません。これが公式なのです。 正義のための最後の闘い 死ななければなりません。真の父母の主管の下で、国と世界のために死ぬ者となる、そうするとサタンはすべて退去してしまうのです。その村にそういう気持で入って行く時、サタンは攻撃しかけてきても、逃げてしまって、「私はあなたに負けた」というのです。間違いなく攻撃はしてきます。 だから韓国のリーダーたち、先生が「死になさい」というその言葉を有難く思うべきでしょうか、どう思ったら良いでしょうか? 自分の子供や妻を心配する必要はありません。先生はすべてそういう道を通ってきました。そのことによって、あなたがたは神様の愛の圏内、先生の保護の圏内にいるためそのような悲惨な立場を避けることができることを感謝しなければなりません。 日本人のメンバーも同じです。妻が恋しいとか、子供が恋しいとか、そういうのは駄目です。わかりましたか? (「はい」) アメリカの人達は「間接主管圏、蕩減なんか必要ない」と言っていますがそういう原理がありますか? どこにあるのか探してみなさい。ないのです。もしそういう原理があるなら、あなたがたが探す前に私が先に探したでしょう。しかし、ないのです。この道しかないのです。天国へ行くにはこの道を経ずして行けないのです。だからいくら既成教会を信じても、天国には行けません。天国に行く理論とは何でしょうか? サタンの反対する理論的な根拠が何かあるでしょうか? 間接主管圏は誰が考え出したのでしょうか? 神様が作ったのでしょうか? あなたがたの子供たちが祝福を受けて、世界が一つになる時までは間接主管圏の蕩減圏が残っています。それを知らなければなりません。何の話かわかりますか? 先生が心配する一つのことは、私が生きている間にモスクワ大会ができるかどうかということです。モスクワの国民にまでも、これを教えてあげて解放しなければならないのです。先生がいなくてこのようなことができると思いますか? その基盤はアメリカにしかありません。アメリカにしかないので、アメリカが必要なのです。あなたがたはアメリカにいるのですから、ありったけの力を出して、正義をなす最後の数歩であると思って、死を覚悟して走ってくれることを願っています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.16
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「愛の経典」1984年2月5日 イエス様は「天国はあなた方の心の中にある」と言われました。つまり、天国がどこから出発するかと言えば、自分の心の中から出発するということです。今日の信仰者はすべて、天国に入ること、あるいは天国を建設することを願っています。つまり“私は天国人である”というのが、信仰者の願いなのです。そして私の中に天国があり、その私のゆえに天国を実現することが可能なのだと信じています。 では天国は何が本質となっているのか、これが問題であります。天国の本質は何かと言うと、それは愛なのです。そして愛の本質は何かと言うと、それは自分を中心としたものではなく、全体を中心としたものであり、全体が喜ぶことのできるものです。全体と因縁をもつことができるものです。 ではその愛の本質の中心は誰かと言うとき、「私の心の中に天国がある」と言った場合の、『私』が本質の中心になることはできません。人間はどこまでも結果的存在なのです。第一の存在ではなく、第二の存在なのです。ゆえにその本質の中心は、この宇宙を創造し、愛を立てたその中心的存在であるということになります。 ではその第一の存在というのは誰でしょうか? そのお方が神様なのです。一般に『神様』と言った場合は、空中にいて、自分とは関係のない方と思われているのですが、私と関係のない方ではなく、私の心深くに既に関係をもっているという観念をもたなければなりません。なぜそうなのかと言うと、人は誰もがより高い愛を追求し、愛の本質に属そうとする本性があるからです。磁石にプラスとマイナスがあり、互いが一つになり得る本質をもっているのと同じです。そこで、この本質的な神様の愛にいかにして私自身が和するかが問題です。 そのために皆さんは、神様が私の主体であるという観念をもたなければなりません。そして私はいつも対象であるという考えをもたなければなりません。神様は何の主体なのかと言うと、勉強するときの先生と弟子のようなものではなく、愛を中心とした主体なのです。そして主体と対象という内容からして、「神様は私の父であり、私は神様の息子である」と言えます。 本当に神様はあなたたちの父なのですか?(はい)。言葉では「はい」と言うけれど本当にそうですか?(はい!)。父親であれば、子女が生まれたら子女を愛し、育て、かわいがるのです。皆さんはそういうことを感じていましたか? 神様の愛は宇宙的な中心の愛なので、誰よりも身近な父の愛なのです。皆さんが毎朝顔を洗った後鏡を見るとき、自分の体を見ると同時に自分の霊人体を見ていると考えたことがありますか?(はい)。「ノー」と言ったらどうしますか? 問題は自分の顔や体から見る自分と、霊人体から見る自分が調和しているかどうかなのです。 ここにいる顔の奇麗なお嬢さんたちは、「私の顔はとても奇麗だから、男性たちが見て、うっとりするだろう」と考えるとしたら、それとともに「私の心、霊人体がどれほど美しいか。神様が私の霊人体を見てうっとりするだろう」と、思わなければなりません。(先生、笑いながら)男性がプロポーズする時のように、神様が、美しいあなたにプロポーズするのです。そういう自分になりましたか?(笑い) この世では、結婚して男性と女性が生活をすれば、女性は夫が自分を愛してくれることを好みます。あなたをとても愛してくれる夫がいるとしたら幸福でしょう。しかしそれは私の体を愛してくれているのですか、それとも私の霊人体を愛してくれているのですか? 原則的にみたとき、どちらが動機なのですか? 心ですか、体ですか?(心です)。 愛は、原因から始まるのが良いと思いますか、結果から始まるのが良いと思いますか?(原因からです)。なぜ原因からですか? 神様が愛の主体であると同時に、その愛は全体の中心であるから、全体の中心としての愛から始まらなければならないのです。そしてその結果も愛なのですが、原因としての愛が先なのです。 神様がプラスで、私自身がマイナスであるとしますと、神様が主体であり私が対象です。それでここの間に原因と結果の授受の作用が起こります。原因から誘い掛けがあるとき、結果的な存在がそれにこたえます。だから実際に、愛の主体から出発した愛は対象に対して対応するという関係になっています。そして愛は心から出発しなければなりません。では誰の心からですか、誰の心ですか?(神様の心です)。神様の心から始まらなければなりませんか? あなたたちの心からですよ。あなたたちの心自体が神様の心と一つとなっていなければならないので、私の心から始まることが神様の心から始まることになるのです。 ではあなたたちの心はいかなる心ですか? いかなる種類の心かと言うと、全体のための心をもたずには、全体の中心からの愛を取ってくることはできないのです。これを知らなければなりません。 イエス様が、天国はどこにあるのかと問われた時、「天国はあなたの心の中にある」と言われたその心はどのような心なのでしょうか? その心は宇宙であり、私の心の中に入ってくることもできるのです。国が私の心の中に入ってきて、すべての人々も私の心の中に入ってきて、神様も私の心の中に入って、全体が私の心の中に入ってくる時、私の心は、国が中心になるでしょうか、世界が中心になるでしょうか、それとも神様が中心になるでしょうか? それは聞く必要もないことです。神様が中心となるのです。すべてをもってきて、神様を中心として侍るためです。神様を中心に誘致する心であることを、皆さんは知らなければなりません。 例えば、ここに何千億のお金があるとしましょう。すると心は「そんなにお金があれば慈善事業をやってみたら」と言うのです。その人が統一教会の信者であったら、すべての信徒にお金を分け与えたとしても、その時の心は「それで良い」とは絶対に言いません。今度は反対するアメリカの二億四千万の人たちにも分けてみましょう。そこで心は「よくやった」と言いますか? 世界中に四十億の人類がいるのにどうしますか? そのほかに霊界もあるのです。すべての霊界の霊人体に全部与えたとしても、心は寂しいのです。「もっとやらなくては」と思うのです。 では心はいつ「これで良し」と言うのでしょうか。それは宇宙の一番最初の中心から、最後の中心まですべてに与えて、宇宙の中心が「これ以上必要ありません」と満足する時、心も初めて満足するのです。 それでもお金が残っているとしますと、それも自分のものではなく、神様に、宇宙に預けて置きたいと言って、一銭もなくなった時、その人は悲惨になるでしょうか? どうなるのかと言えば、神様から宇宙的な愛が来るのです。すべてを全体のためにやって、更にやって、それ以上やることのできないところまで成したという時には、本質の愛が神様から宇宙からあなたを訪ねて来るのです。 心は、いくらたくさんのお金を持っても「もっともっとあればいい」と欲の心が起き、無限に必要とするのです。しかしお金とか黄金とか外的なもので心を満たすことはできません。あっても、あっても、更に願い、いつになっても満足する道がないのです。それほど大きな心はいつ満ちるのでしょうか? 何で満たすのでしょうか? その心は真の愛のみが満たすことができるのです。真の愛で心が満ちているときには、そこには宇宙も入っているし、神様も入ってきているし、すべてが入ってきて生きようとするのです。 あなたがたは真の愛の中で住みたいですか?(はい)。あなたの中には、目があり、鼻があり、細胞があり、すべてのものが入っているのです。ここに、顔も最高の世界一の美人で何一つ欲しいものもないほど魅力があり、ダイヤモンドも十二個ぐらい指にはめている人がいるとします。(笑い)そこに体中至る所にダイヤモンドをちりばめ、美しく着飾った女性が現れたとしたらどうでしょうか?(笑い) その時、彼女の心には何も着飾ってない時と同じぐらいの欲張りの心が起きます。女性が美しく着飾った時、他の女性に「あなたは美しい」と言われると、気持ちが良いですか、悪いですか? 女性がこのように着飾るのは、「あなたは美しい」と男性に言われたくて着飾ったでしょうか。それとも女性に言われたくて着飾ったでしょうか。どちらですか? 男性からですか、女性からですか?(男性です)。それではその男性はダイヤより貴重ですか、貴重ではないですか?(男性がもっと貴重です)。先生は男性ですので女性の皆さんが答えてみなさい。(笑い)男性の愛は真なる愛であるかどうかは知らないけれど、愛があると感じるので、女性はダイヤモンドよりも貴い愛をもった男性を否定することができないのです。 では愛はどのくらい貴いのでしょうか。「モースト」と言いますがこれぐらいのものに対してのこれぐらいは、これもモーストであります。どれぐらいですか? “オール・モースト”という言葉が必要です。(オ……ル・モースト)。(笑い) では男性のもっている愛は何の愛ですか? その愛はどこから来たのですか? 愛はどこから来ますか、愛の根源はどこですか?(神様の愛です)。神様の愛はいつ来ますか。 大きな心を満たすことのできる基盤ができれば、真の愛は訪ねてくるのです。一方男性の心に一杯に満ちる存在は何かと言うと、それは真の愛をもった女性であります。 真なる宇宙を抱くことのできるそのような心をもった、本質的な愛をもった女性がその心に入ってくる時に神様の心も満たされるのです。それでこそ理論的です。そのような原理原則がなかったら、どのようにして心が満ちるでしょうか? 神様の心がいつ満ちるのでしょう、それは昼ですか、夜ですか? あなたたちよりも心が大きいのにいつ満ちるのですか? 神様の心を満たすためには、宇宙を抱くことのできる心をもって、そのような男性と女性が一つとなった愛をもって、神様の心に飛び込んで行くのです。その時神様の心は満ちるのです。そうですか?(はい)。 そのような意味において、イエス様は「天国はあなたたちの心の中にある」と言ったのです。そのような心とそのような愛が一杯に満ちている内容を言われたのであり、またそうでなければならなかったということが、先生の話から結論づけられるのです。 また、イエス様は「わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう」と言われました。あなたがたの中に神様がおられ、神様の中にあなたがたがいるという、この言葉をどのように理解しますか? 先生が説明したように、神様の心を一杯に満たすことができ、私たちの心を一杯に満たすことができ、男性の心も一杯に満たすことのできる真なる愛があるところに、神様の心はあるのです。わかりますか? 人の心はそのように巨大で、神様の心もそのように巨大で、女性の心もそのように大きいのですが、愛が入って満ちれば神様も入ることができ、すべてが入るようになるのです。それではそのような心をもった男性と女性が一つとなった愛の中に神様はいると思いますか、いないと思いますか? どちらですか?(います)。 人間の世界において誰もがそのように神様を愛することができ、誰もが一杯に満たすことのできる愛の道を与えるための存在は誰かと言えば、男性と女性であるという事実を知らなければなりません。 では神様はどこまで抱いてくださいますか。自分の好きな人だけを抱いて「この世において私は昼だけが好きで夜は嫌いだ。私は春が好きなので春だけを抱き、ほかは嫌いだ」と言うでしょうか? 神様は春も夏も秋も冬までも抱いてくださいます。良いのも抱いてくださいますが、悪いのも抱いてくださいます。 イエス様は「ローマ兵士を愛せよ」「汝の敵を許せ」と言われましたが、許してどうするのでしょうか? 彼らは頭を殴ったり、蹴ったり、殺そうとするのですが、真なる愛を味わえば溶けてしまうのです。それが秘訣です。何と素晴らしいことでしょう。どうですか、女性の皆さん。女性の皆さんは心が狭いのです。どうですか。わかりますか? 怨讐を抱いて神の愛を味わわせれば、すべて溶けてしまうのです。それでサタンも神様の愛の前では「ハハーッ」と言うのです。 真の愛の手段をもった神様はどれほど素晴らしいでしょうか。すべてのものがみな溶けてしまうのです。小さな女性であっても、その心が神様のように広い時、いくら大きな男性が来ても、真の愛で溶かしてしまうことができるという自信で「ホッホッホッホ」と笑うことは何と素晴らしいことでしょうか。わかりますか? とても重要な話ですよ。先生もこのようなことを思って世界を抱いてみようと思います。この尹博士をも抱いてみましょう。(笑い) その人が一度真の愛を味わうならば、もはやその人はそれに陶酔して逃れることはできません。ちょうど、蜜を吸う蜂のようなものです。蜂は蜜に吸い付いたらしっぽを引き抜かれても、また吸い付いて離さないのです。真の愛の力は蜂がしっぽを抜かれても吸い付いて離さないほど、それ以上に強いでしょう。どうでしょうか?(強いです)。 真の愛の圏は死亡圏を乗り越えることができるので、そのような力をもった神様は死の世界以上の永遠を主管することができるのです。皆さん、真の愛の海、真の愛の空というものを考えてごらんなさい。そこで二人で泳いで、夫が愛する妻に「本当にいとしい私の妻よ」と言ったらどんなに良いでしょう。それ以上素晴らしいことはありません。すべてが完全に満ちるのです。 考えてみなさい。神様がこの心をいつ満たしてくれるのですか? 神様がいつ満たしてくれるのですか。人間の本心は歴史始まって以来今日に至るまで満足したことがあるでしょうか。人類が研究すべきものです。物質では人間の本心を満たすことはできません。共産主義者がやって来て、唯物論や弁証法でもって、人間を満足させようとしても、とても人間の本心の欲望を満たすことはできません。 もし、世界的に有名な学者が集まって、セミナーを開くとします。そこで『いかにすれば人間を満足させることができるか』、『人間にとっての究極的な満足とは何か』という問題を討議すれば、いろんな答えが出るのですが、最後に、今まで迫害を受けてきたレバレンド・ムーンが現れて、このような答えを出したとしたら、みんな誰の話を受け入れると思いますか。それは間違いなくナンバー・ワンの解答になるでしょう。(はい)。神様がおられれば神様も、「ああ! レバレンド・ムーンは素晴らしい!」と言って喜ばれることでしょう。神様が「私は歴史的にこのような問題を解決する人には賞を与えようと思っていました。宇宙に準備した倉庫は、良いもので一杯になっているので、表彰とともに賞を与えよう」と言われる時、多くの人々が「私じゃだめですか」と言っていたとしても、「いや、彼(レバレンド・ムーン)こそが値する。アーメン」と言うのです。どうですか?(アーメン)。 原理は単純なのです。単純であるけれども実行することが難しいのです。レバレンド・ムーンはいつもこのように考えて実行してきました。そしてムーニーたちもレバレンド・ムーンの伝統に従って生きています。何と我々は素晴らしい存在でしょうか。ここに統一教会の信徒であること、ムーニーであることの誇りがあるのです。これは叫び出したいような衝動に駆られる喜びなのです。 今日の話は『愛の経典』です。皆さんはそのような男性と女性になっていますか?(はい)。このような心をもって皆さんが伝道に行って、街頭でいろいろな人々に出会い、白人、黄色人、黒人、すべての人々が皆さんを指して、「あのムーニーたちを見てみろ」と悪口を言ったりする時に、皆さんはどう感じますか。もし皆さんがこの世的な方法で対応しようとしたならば、絶望したり挫折感をもってしまい、とてもやっていけないし、生き残ることもできないでしょう。 皆さんが訪問伝道に行って、「このムーニー、お前はあの黄色人のレバレンド・ムーンに従っているのか、出て行け!」と言われたら(先生しぐさで表す-笑い)それはどれほど悲惨なことでしょう。皆さんはどう感じますか? 先生は宇宙を抱き抱えて、これからまだ大勢の人たちが私を反対してきても、その人たちを抱き抱えるのです。(先生しぐさで表す-笑い) ここに二つのタイプの人がいるとします。自分が好きな三人を抱く人と、自分を嫌って反対している三人を抱いて、真の愛をもって溶かす心をもつ人です。神様はどのような人を喜ぶでしょうか?(二番目です)。いいえ最初の人でしょう。(いいえ、二番目です)。先生は知りませんよ。(笑い)なぜそうですか、なぜ神様は二番目が好きですか? それは神様に二番目が似ているからです。神様はそうなのです。これまでどれくらい多くの人々が神様を蔑み馬鹿にしてきたでしょうか。神様に対して、神は死んだとか、神は無力だとか、神はもう年を取りすぎているとか、あるいは共産主義者が現れて神は存在しないなどと言うようになりました。どれほど神様は人間によって馬鹿にされてきたことでしょうか。それでも神様は人間を抱こうとしておられます。サタンも含めて抱き抱えようとしているのです。サタンはいつも神様に対し讒訴します。「神様、誰々はこうではないですか」と。神様はそのような方であり、我々のお父様なのに、あなたたちはそのお父様に似ていますか? そういうことを自分に質問してみるとき、どうですか? このことは考えるべき問題ですか? 考えなくともよい問題ですか?(考えるべきです)。私たちが父として侍る神様がそうして(抱いて)おられることを知らなかったのです。先生はそれを知ったので、反対するユダヤ教を抱き、キリスト教を抱き、アメリカを抱き、共産主義を抱き、真の愛ですべてを消化しようとして気が狂ったように生きているのです。(拍手)希望も愛も知らない地上の人間たちに対して、このような内容をもっているためにレバレンド・ムーンは、『真の父母』という言葉を付けるのにふさわしい理論的な根拠となるのではないでしょうか? 神様もそう思われるのです。先生はこれに対して生命を懸けているのです。 このようにみる時、皆さんは先生に対して今までを反省しなければなりません。わかりましたか? 今までの皆さんはそうなっていないので、これからはそうなるように努めなければならないことは言うまでもありません。 先生は多くの国々の人々、指導者たちと共に生きているのですが、本当に世界を抱き抱えようとする人間は誰だろうか。本当に責任をもってこの世の悪の問題を解決していく人間は誰だろうかと、先生は考えています。あるいは、彼らは批判的になってお互いに讒訴し合ってはいないだろうかとも考えます。先生は、神様のようにすべてを抱き抱えてくれる人間は神様の側にあり、お互いに批判し合ったり讒訴し合ったりする人間はサタン側にいると考えますが、先生の観察することは正しいですか、間違っていますか、どうですか?(正しいです)。それはただニューヨークだけで正しいことですか、それとも世界的ですか、それとも普遍的ですか?(普遍的に正しいです)。神のみ言は全世界、宇宙を支配する普遍的なものです。だから二人の人間が言い争っているとすれば、先生はそれを見て直ちにどちらが正しいかわかります。これは絶対的基準です。それで、イエス様はピラトの前で沈黙を守ったのです。なぜならばイエス様は敵の裁判所においてもすべてを抱き抱える存在であったからです。そのような生き方をイエス様はしたということを歴史が知っています。 このようにみる時、今日、共産世界のあらゆる悪なる組織が、レバレンド・ムーンに対して様々な工作を企てているのですが、最後にどの思想が勝利するでしょうか。レバレンド・ムーンは死んだとしても、レバレンド・ムーンが教えた思想は世界を支配するのです。レバレンド・ムーンが教えたそのみ言を通して、世界は啓発されるでしょう。どう思いますか?(はい、そう思います)。先生と皆さん方はそのように偉大なる道を歩んでいる事実を知らなければなりません。 皆さんが宇宙を抱き抱える時に、皆さんは自分自身を抱き抱えることになります。皆さんはどのような存在かと言うと、本質的には真の人間です。ですから自分の心にこう言います。「お前は神のような心をもって抱き抱えなければならない」と。そして心から真の愛を発する時に、心と体が完全に一体化して調和します。自分の体がやろうとするとおりではなく、心が願うとおりにすべてを消化することができるのです。真の愛は本然の心に通ずるので、心に絶対に服従する体を造るときに完全に統一されるのです。 本来の心はどこにあるかと言えば、自分を中心とするのではなく、宇宙を抱くためのものです。それが本来の心なのです。そのような心の土台の上に愛が訪れて、心を中心として私の体がコントロールされて、心と体が一致するのです。そこで、本来の心が体を抱き、行動をし、闘うのです。ですから迫害に耐える試練を受けているこのような過程において、私の体がその試練に打ち勝つためには、そこに訓練が必要なのです。あなたたちは体を通して心が闘っているのです。体は楽なことを好むものです。 ここにいる統一教会の女性の皆さん! 心が美しくなければ、体をいかに美しく着飾っても、それはサタンへの祭物であることを感じなければなりません。だから体を主管し、耳を主管し、口を主管し、匂いを主管し性的欲望を主管することを知らなければなりません。 怨讐は他の所にはありません。あなた自身が怨讐なのです。それはサタンよりも恐ろしく、サタンの領域よりも恐ろしい舞台であります。皆さんは悪い自分自身を抱きたくはないでしょう。善い自分自身を抱きなさい。そういう話ですよ。そのような男性となって、そのような女性を抱きなさい。そうして夫婦が家庭を抱き、世界を抱き、天と地を抱かなければなりません。そのような基盤なくしていくら言葉で「抱く」と言ってもだめなのです。 祝福を受けた家庭は手を挙げてみなさい。先生があなたたち夫婦に対して、「別居していても、世界、国、家庭を抱きなさい」と言った時、「私にはできません」と言って、それが通じますか。どうですか? 今まで結婚してお互いに抱き合うことは考えたかも知れませんが、その男性と女性が一つとなって、国や世界や人類を抱き抱えるということを考えたことがないでしょう。皆さんはそのようにしていて天国を造ることができますか? 二人が離れ離れになったとしても、この道は世界を抱き、世界を愛し、天と公義をもって生き、あなたたちが永遠に幸福な、愛の夫婦であると認定され、再び帰って来ることのできる最高の理想の道です。今、愛し合っている二人が別れて、世界を抱き込んで帰って来るのと、世界を抱くことなど投げ捨てて今だけがよいと言って抱き合っている二人と、どちらが良いですか?(一番目です)。 先生はそういうわけで皆さんを世界へ出すのですが、どうですか? 先生は間違ってますか? それともスマートで頭がいいですか? 気違いですか? 先生を批判する人たちの方が間違ってますか? ムーニーたちは先生を気違いだと思っているかも知れませんが、頭の良い学者や有名な教授たちは、レバレンド・ムーンは頭がいい天才だと考えているのですよ。どちらが正しいですか? 皆さんが正しいですか、教授たちが正しいですか?(教授たちです)。先生は皆さんを愛しています。大切にし、良くしてあげたいのですが、そのようにした後には負債を感じます。神様に対して済まないし、世界に対して済まないし、四方に引っ掛かることが多いのです。心がそれを正しいと感じないのです。祝福してあげたい心がなくなってきます。 自分の子女を置いて出て行くということは、その何百倍、何千倍の人類を救うということになり、また将来子女たちのためになるのです。どう思いますか。あなたたちは私に出会ったのが運が悪かったのです。(いいえ)。先生に出会わなかったら悪口を言われることもなくてよかったでしょう。自分勝手に何でも自分の思いどおりになるのではないですか。 とてもかわいそうですね。(先生、笑い)先生はよく知っていますよ。皆さんがどういう気持ちなのかもよくわかっています。それでも原理原則を押し付けなければなりません。それは先生にとっても苦痛です。皆さんどう思いますか? 先生がもっと寛大になっても、「皆さん方は十分に苦労したからもうこれで良い。好きなことをしても良い」と言うことができるでしょうか?(いいえ)。どうですか? 先生が妥協することなく原理を実行して、プッシュしてくれることを皆さんは望みますか?(はい!)。仕方がないのです。運命なのです。皆さんはムーニーとして生まれたので、ムーニーとして生きなければなりません。答えは簡単です。(笑いと拍手) 先生も同じですよ。それで国中が全部反対するのです。それが先生の宿命なのです。常に法廷です。法廷闘争です。アメリカでも、先生はこのようなことが起こるだろうということは知っていました。北韓においても、韓国においてもそうでしたから、アメリカにおいてもそのような裁判の運命があると先生は知っていました。だから先生の態度は、「来るなら来い。私は運命から逃れるつもりはない」と、抱き抱えていくのです。先生は常に将来に希望を抱き、すべてを抱き抱えて、このように生きてきたのです。 多くの人々は、統一教会は滅びると思い、先生についてきた人たちもみな、「先生は、監獄に入る」と言っては逃げてしまいました。しかし、逃げて行った人たちは今は惨めです。逃げなかった私たちが今こうしているのです。 神様はレバレンド・ムーンの味方をしてくれると思いますか? 皆さんがレバレンド・ムーンを愛する人たちを愛すれば、神様もレバレンド・ムーンを愛する人たちを愛するので、皆さんは神側に立つのです。そのように考えるのです。その考えは間違っていますか、正しいですか? 皆さんは世界を全部消化していくのです。世界が愛によって消化されるのです。それは正しいと思いますか、間違っていると思いますか?(正しいです)。なぜ正しいのですか。それは、自身の体験を通して正しいのです。 私たちの父母、兄弟、親戚、そして韓国の人たち、アジアの人たち、アメリカの人たち、いろんな教派の人たちからも、迫害され、反対されてきたレバレンド・ムーンが、今や韓国やアジアの人たちと、アメリカや西欧社会の人々が『希望の象徴』と呼ぶ結果になったのです。これは間違ってそうなったのですか、正しいからそうなったのですか?(拍手) 先生の歩んだ道は間違っていないのです。正しい道を歩んでいる事実を知らなければなりません。『愛の経典』とは、まず関係あるひな型を中心として、それを組み合わせるのです。皆さんはまず皆さんの家庭を抱かなければなりません。これが最初の段階です。家庭には誰と誰がいますか?(里板を使い)父母がいます。その上には祖父母がいます。その次はあなたたちの夫婦がいます。その次は子女です。いかなる家庭でもこのような形態をもっています。 ではここで、祖父母が神様の人であるかどうかという問題、また父母たちが神様の人であるかどうかという問題、子女が神様の人であるかどうかという問題、これらが問題です。家庭は宇宙の中心であり、それを展開すれば世界となります。このモデルはすべて同様です。ところが今日、統一教会が教えなければならないことは、家庭が宇宙の中心であるということです。何の話かわかりますか? 宇宙の中には何がありますか? 神様がおられ、霊界があり、地上界があり、それからすべての被造物があります。それと同じように私たちの家庭においても、そのようなものがあります。そしてこの家庭に、(黒板を使いながら)祖父母の家庭に、宇宙の愛が入ってきているかという、これが問題なのです。 心はみな同じ大きさです。東洋人も、西洋人も、黒人も、白人も、過去、現在、未来のすべての人々においてもみな同じです。器は同じです。そこに何を入れるかが問題です。最も大切なものを入れるかどうかが問題です。 皆さん! 神様はその器に何を入れることを願いますか。(真の愛です!)。それは祖父母も、父母も、夫婦も、子女も、みなが同じなのです。 皆さんに「天国はどこにあるか」と聞けば、何と答えますか?(様々な答え)答えは「天国は我々の家庭の中にある」ということです。それが男性、女性、父母、祖父母であっても、また、夫婦、子女であってもすべての人が願っている天国です。わかりますか。 あなたたちの中で父母が離婚したり、別居している人は手を挙げてみなさい。その中で、私は幸せだったと思う人は手を挙げなさい。では不幸であったと思う人は手を挙げなさい。これはたとえ千名であっても、一万名であっても同じ結論が出ます。また東洋人でも、西洋人でも、民主世界でも、共産世界でも、人が住む世界においては同様です。この原則が千年後には、変わって、変わって、今のような分裂した姿が良いと言うでしょうか?(いいえ)。どうしてですか? なぜですか? それは自然界を見ても「いいえ」と言わざるを得ないことです。 水の上に浮かんでいる二羽のあひるが一対となってグワー、グワー、グワーと鳴きながら、子供のあひるを連れて歩くのと、一羽だけで歩いているあひるがいるとします。皆さんは両親の後をついて行くのと、どちらがいいですか?(両親と共に行く方です)。たとえ一緒であっても、お母さんあひるが前に立って、子供たちがその間に入り、最後はお父さんあひるが守って行くのは良いですか、悪いですか?(良いです)。このような本質が変わるのでしょうか、変わらないでしょうか? 多くの人々を集めて、「あなたたちも変わるだろう」と言った時、いいえと言うでしょうか、どうでしょうか。答えは永遠に不変です。 このぐらい小さな(先生しぐさで表現)鳥でも、自分の子供は連れて歩くのです。小さな鳥であればあるほど注意深いのです。それは敵が多いからです。鷲は子供をおいてのんびりすることのできる性稟をもっています。その時のその鷲の子供たちは幸福でしょうか、不幸でしょうか? お父さん鷲とお母さん鷲が蛇を子供の口の中に入れても、「蛇は嫌だ」とは言いません。(先生しぐさで表現-笑い) 今日の人間世界においてはどうですか? 母親が子供の口に何か入れようとしても、子供は口なんか開きません。口を開くより、母親の指を咬もうとするでしょう。父親と母親が遊びに出掛ける時は、子供たちを柱に紐で結んで出掛けて行きます。どうですか? アメリカにはそのような父母が多いですね。子供たちを小鳥や昆虫以下に扱っているという事実です。 この世界には祖父母のような人たち、父母のような人たち、自分たち夫妻のような人たち、子女のような人たちの四種類の人々が住んでいます。それらの数多くの人たちを代表して、天国人となることのできる教育の教材としての『経典』が、私たちの家庭であるということを知らなければなりません。ではここで(黒板を使う)秩序を立てるとしたら、誰が立てたら良いでしょうか。それは、その家庭において功労が多く、その家庭をよく知っていて、すべての面で見本となる責任者です。これは、民主世界全体の原則です。 では誰が中心になりますか? 誰が中心になればいいですか?(様々な答え)『祖父母』(黒板に英語で書かれる)、これは間違っていますか?(正しいです)。どうして正しいですか?(様々な答え)全体をよく知っている祖父がその家での王様であります。それでその王様が息子に、「私はもう年を取ったので、これからあなたがやりなさい」と言った時、父親が「本当にそう願うならそう致します」と言って、初めてその家庭の中心は祖父から父親になるのです。その父親が、私に相続してくださった時に、私がなることができます。そのように、祖父が親に、親が私たちに、私たちが子供にと、これが伝統として残されるのです。 これが、宇宙を代表した家庭システムの原則とならなければなりません。これまでの世の中は堕落してきたので、神様は認めることができないのです。(黒板を使う)それで神様はこれを再び復帰するために、複雑な過程を通し経典を作ってきたのです。そして今日、神様を中心として、家庭のシステムを神様の名前で作る運動をしてきたのが、歴史上初めて現れた統一教会であったのです。 皆さん、祝福を受けた目的はどこにありますか? それはこの伝統を守るためです。今日、人類史上、真の父母という言葉が初めて出たのです。真の父母が現れないで、真の祖父母が現れることができますか。真の父母がいなかったら真の夫や真の妻が現れますか。真の子女も出てきません。そこで絶対に必要なのが真の父母なのです。 初めて真の父母が出てきたのですが、真の父母の家庭圏内では誰が主人ですか?(お父さんです)。ではそのお父さんは次にどうなりますか? おじいさんになります。その場合の中心は誰ですか。真の父がおじいさんになったとしても、依然として中心的存在です。そうでしょう。(はい)。このような家庭が世界に広まって、各国において六千双、六百万双、六千万双が結婚します。(拍手と歓声)そのときも、真の父母がこの地上に生きている限りにおいては、真の父母がおじいさん、おばあさんになったとしても、更に曽おじいさん、曽おばあさんになったとしても、依然として中心なのです。霊界に昇って行っても、曽、曽、曽、曽おじいさんとなっても、真の父母が宇宙霊界すべての中心であります。(はい!)。(歓声) 天国では誰が中心になりますか?(真の父母です)。これからは、この伝統を相続して、あなたたちが家の主人となりなさい。そういう相続を受けなければなりません。もう皆さんは相続を受けましたか?(はい!)。「いいえ」でしょう。真の父母のように天と地を抱き、愛してからでなくては相続できません。 皆さんの家庭をばらばらにして、世界を愛する訓練をさせるのは、これを相続するためです。これを相続させてあげるためです。そうでなければ中心となることはできません。間違っていますか?(正しいです)。相続を受けて中心とならなければ、天国、神の国に行けません。その相続を受けるにおいて、アメリカ人として相続を受けますか、日本人として相続を受けますか、それとも統一教会の人として相続を受けますか? 堕落以前の世界には、日本人とかアメリカ人とかがいましたか?(いいえ)。ただ真の父母となるべき一つの人種がいただけです。またその時は、いろいろな言葉の違いがありましたか? それとも真の父母が使う言葉を使ったでしょうか?(一つの言葉だけです)。 それでは混ぜ合わせて、接木するより仕方がありません。婿入りしたり、嫁入りしたりして接木するしかないのです。接木されて、嫁入りした後は舅と姑の使う言葉を習わなければなりません。婿入りしたとしても、その家のすべてを習わなければなりません。言葉が異なり行動が違ったり、また言葉の聞き取れない人に相続してあげることができるでしょうか。どうですか? 言葉が通じない人は相続を受けることができないという事実を知らなければなりません。そういう原理はありません。 そのことは一九九〇年までにやらなければなりません。その後、相続権を譲与します。その次は系譜が作られます。真の父母の系譜が生まれるのです。そうすることによって神の国に登録され、歴史に登録されるのです。 霊界に行っても真の父母、真の祖父母、真の曽祖父母が使う言葉を使うのです。「私はそれを知りません」と言っても通じません。わかりますか? 相続を受けることができません。皆さん深刻ですか?(はい)。皆さんは、東洋の人が外国語(英語)を習うのにどれほど苦労しているか、その時初めてわかるようになります。先生は六十歳以上になっても、今も英語を勉強しています。弁解はできません。統一教会の人たちは先生より若いのです。勉強しなければなりません。わかりますか。街を歩く時でも口の中で□□□(お父さん)と言い、トイレに行ってもどこに行っても勉強しなければなりません。これは原則なのです。 ですから原則的な言葉が必要なのです。異議ありませんか?(はい)。真の父母がおられたら、それは偉大なる栄光です。世界の言語が一遍に統一されるとすれば、それは偉大なることです。いかなる表彰を与えたらいいでしょう。有り難いことに韓国語は世界のいかなる国の言葉よりも、最も宗教的なのです。また韓国語には様々な音が含まれています。だから発音が難しいのです。日本語はとても及びません。"MacDonald"をマクドナルドと発音します。(爆笑)これを知らなければなりません。新しい文化圏です。レバレンド・ムーンが韓国人だからといっても、原則であれば仕方がないのです。 この前、「韓国語を習いなさい」と話しましたが、習っている者は手を挙げなさい。習ってない人はなぜですか? 皆さんは先生が話した時、すぐ笑えばいいのに通訳の話を通して笑っています。韓国語がわかったら、今日先生の話したことと、あなたたちが通訳を通して聞いたことと、二つを比べてみてどれほど違っているのかがわかります。 世界中のすべての人間を愛するということは、とても不可能なことです。ですから神様は、ここに経典を作って、皆さんが家庭の祖父母を愛すれば、霊界と地上の祖父母の代表として、全世界のすべての祖父母を愛したものとみなします。次に父母を経典における愛をすべて込めて愛したとしたら、全体を愛したということになります。また、男性として女性としてお互いに愛したとしたら、世界の男性と女性を代表的に抱き、愛したということになります。また子女を愛したら、世界の子女を縮小して愛したことにしてあげましょう。 だから、この家庭で訓練を受けるのです。訓練所なのです。共同経典による世界の人を愛する訓練所です。この訓練を受けた人が世界に出て、自分の祖父母の代わりに、この世界の祖父母を同じように愛することができますか? その時「はい」と言えば、それは世界の祖父母を愛したことになるのです。白人であれば、私は白人の祖父母は愛することができるが、黒人の祖父母は嫌だ、アジアの祖父母は嫌だ、愛することができないと言ったり、自分の祖父母のようにすてきな祖父母は愛せるが、あの未開なアフリカの祖父母は愛することができません、ではいけません。その祖父母を自分の祖父母のように愛さなければなりません。自分の祖父母のように愛さなければなりません。自分の家で祖父母を愛したのと同じくらいに愛さなければなりません。それが公式です。人類すべてが、この地上に生きている中に受ける訓練の公式であることを知らなければなりません。同様です。(黒板を使いながら) 皆さん方が夫婦で世界に出て行って、地上のすべての夫婦たちの前に、全世界の夫婦を代身した立場で、奉仕すること、それが家庭の中で学んだことを実践する最も良い方法なのです。あの女性は私の妻よりも美しいとか、あの男性は自分の夫よりも素晴らしいとか、そのような女性、男性を自分の妻としたい、夫としたいと思ったならば、それは失敗です。子供に対しても、自分の子供のように他の子供も愛さなければなりません。 そうしながら、先程言った世界を抱く、真の愛を示すという思想と連結された時、この世界に神様が臨在するようになるという結論を出したとしても、理論的に間違いがありません。わかりますか? この家庭において訓練を受けたことよりももっと愛することが原則ですか? もっと愛さない方が原則でしょうか?(もっと愛することです)。世界を救うためには、自分の家庭を犠牲にしてもやらなければなりません。 その時、祖父は「おお孫よ! 世界より私たちをもっと愛しなさい」と言えば、地獄に行くのです。「おお! あなたは、我が家庭で教育を受けた以上に世界を愛さなければなりませんよ」と言う時、そのまま天国に行けるのです。それは父母も同様です。父母を愛する以上に地上の人たちを愛し、夫を愛する以上に地上の人たちを愛し、妻を愛する以上に人類を愛しなさいと言うことによって、その夫も立派な夫になります。世界がそうなって、神様が臨在するのです。そう思いますか?(はい)。 先生の生涯は、このような使命を担って地上における仕事をしている過程です。皆さんも生命を賭けてこの仕事を成就しなければならないのです。先生自身も、子女たちもこの道を行くのです。祝福を受けた家庭も今までは自分たちの子供を愛してきました。先生は、これからはあなたたちの子女を送り出して、「皆さんが受けてきた以上の愛で愛しなさい」と教えてあげなければなりません。「いいえ」と言ったら駄目です。わかりましたか?(はい!)。 皆さん、統一教会の食口は六大州を通過しなければなりません。先生も、アメリカの人たちが反対しても愛するのです。あなたたちは知らないでしょうが、アメリカに対しては誰よりも涙を流し祈祷したのです。この国のために誰よりも心配しているという事実を先生は自信をもって言えます。 だからといって、あなたたちは先生に借りを返すというのではなく、あなたたちの国と世界に対して借りを返しなさい。父母は子供を愛する時、それを返してもらうために愛するのではありません。子供たちがより幸せになることを願う思いから愛するのです。未来の愛です。私があなたたちを愛したように私がいなくとも、あなたたちがあなたたちの子女たちを大切にし、私があなたの国を大切にしたように、あなたの子女たちがあなたたちの世界を大切にしなさい。それが先生の願いです。それは神様も同じです。今まで人類を無限に愛してきましたが、それを返してもらうよりも、その愛をレバレンド・ムーンが受け継いで、世界に連結し、後代に相続することを願うのと同じです。何の話かわかりますか?(はい)。 この伝統は、一国の文化や国境を越えて、天的に、後代の子孫に受け継がれていくべきものです。この相続権は永遠に続くでしょう。アメリカは、一家庭において四代の祖父母、父母、夫婦、子女に侍って訓練を受ける家庭をもっていないことが、実に残念なことです。しかしこれからはレバレンド・ムーンを中心として新しい伝統が始まるのです。先生がおじいさんの立場であるとしたら、あなたたちの家に電話をしなくとも行くことができる特権があるのです。(どうぞいつでも来てください)。あなたたちは時にはトイレで眠ってでも、祖父母、父母の部屋を大切にしなければなりません。 これからはそのような伝統を立てるので、先生の写真を皆さんの家において、祖父母のように大切にしなければなりません。食べものがあったら、自分が食べる前に祖父母に与えたい心が生じなければなりません。その次は妻に与えたい心、子女に与えたいという心があれば、その人はその家庭において歓迎されるのです。これを知らなければなりません。自分の家が貧しかったとしても他に分けてあげて、自分は水を飲んでも孝の道を行くという人が、これから家庭の相続を受けることができる人です。 先生の家には家訓があります。それは韓国の道(日本の県に当たる)を通過する人々に御飯を腹一杯食べさせなさい、決してお腹の空いたまま帰してはいけない、という家訓です。だから有名な家でした。すべての乞食も先生の家で御飯を食べました。そのようなことを行ったので先生のような人間が生まれて、世界を食べさせる運動をすることができるようになったのです。今、イースト・ガーデンでは、万国の人々が集まって来て食事をして行きますね。(先生、笑い)数多くの民族に食べさせていますが、先生の運命は悪くなりません。お金がなくなれば、また生じてきます。泉を掘るのと同じです。そのような人たちが住んでいる環境を先生は願っているのです。世界にそういう人たちがいないので、そのような性格と人格の人となるように教育しておいたのがムーニーなのです。あなたたちがそのようにするかしないか、先生は今それを見ているのです。 皆さん、自信をもって成すことができますか?(はい!)。このような愛に従い、私は間違いなくそのような人になると言う人は手を挙げてください。 皆さまに神様の祝福がありますように。(拍手と歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.15
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「愛よ永遠に」1984年1月22日 皆さんは愛が好きですか? (はい)。御飯を食べることよりも好きですか? (はい)。成功し、出世することよりもですか? (はい)。 神様は存在しておられます。ではその神様は、私とどういう関係があるのでしょうか。神様との関係は遠いように見えます。そして神様は全知全能であり、至る所に存在し、何でもすることができるお方であると皆さんは考えるでしょう。しかしそれだけでは、自分とそんなに近い関係であるとは感じられないでしょう。神様は全能であって何でもすることができ、また全知であるから私について何でも知っておられ、私に対して何でもすることができ、私を完全にコントロールすることができるとすれば、“もう自分の中には何らの秘密の余地がない”とそう考えるかもしれませんね。ではそのような神様がなぜ私に必要なのでしょうか。そういう神様が私と近づくことのできる一つの内容があるとしたら、それは真の愛です。皆さんはどう思いますか? (偉大です)。偉大であるよりも親わしい関係です。 皆さんには両親がいますね。その父母は「何をしてはいけません」とか、「遊んでばかりいないで勉強をしなさい! 御飯を食べなさい! 眠りなさい! 起きなさい!」といつも言うのですね。その時、父母がいなかったらいいなと思うのですね。特にアメリカの子供たちはそう思う人が多いのです。やりなさいと言うことよりやるなと言うことの方が多いからです。(笑い) しかしそこに一つ含まれているものは、子供を愛しているという事実です。子供は愛されているという事実を知るようになるとき、叱られ打たれたとしても「ママ」と言い、泣きながらもついて行くのです。何のためですか? そこに愛があるからです。 皆さんの中で学校が好きな人は手を挙げてみなさい。勉強することが好きな人は手を挙げてみなさい。(ノー。イエス)。(さまざまな答え)「イエス」ではなく、みんな「ノー」でしょう。「ノー」と言うのがもっとノーマルですよ。先生が子供たちに勉強しなさい、勉強しなさいと厳しくするのは先生の愛、師弟の愛なのです。そういう愛が国と連結されるのです。学校は第二の世界、国家へと連結され、更に大きな世界、霊界へと連結できる出発となるのです。このように師弟間の愛があるために、いかに困難な環境でもすべて消化することができるのです。学校に行って勉強をするのは先生の愛を受けるという、そのような内容があるのです。それは国家と通じることができ、世界と通じることのできる橋のようなものです。先生の愛と自己の出世しようという動機が、成績と思想の因縁で連結された結果、国と世界へ通じることのできる道となるのです。学校の先生たちが推薦(サイン)する道を経なくては、国と通じる道はないのです。いかに父母が「私の息子、娘が素晴らしい」と言って推薦したとしてもそれは通じません。分かりますか。なぜそうしなければならないかといえば、社会の愛の公約の法度を通じなければ、国を愛する道がないのです。学校は社会に出ていく最初の過程なのです。学校を愛し、学校で愛されることが、この国とこの世界で愛され愛することのできる基礎となるのです。学校にはこのような世界に連結される愛を中心とした生徒同士の愛や、先生と生徒間の師弟の愛があると思うとき、家庭で味わうことのできない愛があるのです。そのように考えるとき、どれほど学校が身近になることでしょう。勉強するのも愛をその心に植えるためであり、勉強をさせるのも心に愛を与えるためです。それはどんなに美しいことでしょうか。そのような学校がアメリカにありますか? (はい! たった一つベルベディアにあります)。 では次に、どうなるべきかというと、国に忠誠を尽くす人にならなければなりません。そうでしょう。いくら子女を愛したとしても、父母を愛する孝子であるとしても、私には国は必要ありませんと言えますか。そして皆さんは、国家的であれば国の大統領と近づきになろうとするでしょう。そういう考えは起きませんか? そこで国の主権者の深い愛の世界に入り込むために、自分の職場で国のために忠誠を尽くすのです。それは並大抵の苦労ではありません。大きな国を抱き、愛することができなければならないのです。このような愛で国を愛することによって、大統領もサインをすることができる国民になれるのです。そうしなくては、その国を代表して世界に行く人となることができません。世界へ行くのに誰の推薦状が必要かといえば、学校の先生の推薦状だけでは駄目なのです。大統領の書いた推薦状がなければならないのです。分かりますか。そのうち世界は一つの世界になります。いずれ世界の大統領が出現するでしょう。それはもう誰しも考えていることであります。一つの世界の主権者が生まれてくるのです。そしてすべての人々は、世界の大統領に愛されることによって、またその愛で大統領の愛するすべてを愛する人となることによって、大統領から身元保証のサインを得ることができるのです。そういう人を聖人と呼ぶのです。皆さんは聖人が好きですか? (はい)。(皆さんが)上に上がっていくためには、そのようにして行くのです。 きょうは、『愛よ永遠に』という題目ですが、人間の世界を超越して神様がおられるかどうかは漠然としていて、誰もこれを知らなかったのです。世界がどのようになっているか分からなかったのです。ですから神様がおられるかどうかも分かりませんでした。しかし、これが最も人間世界において重要な課題なのです。哲学や宗教が人生の問題を解決する重要なキーポイントとなってきたのです。神様が間違いなくおられると確認した卒業証をもっていたとしたら、今日、この世にある数百、数千の大学の卒業証よりも貴いものです。百の博士学位よりも貴いものです。皆さんが御飯を食べること、服を着ること、妻子を愛すること、国を愛することが貴いと言っていますが、最も貴いものは神様がいるかどうか、これを知ることが一番貴いのです。そうだと思いますか、そうでないと思いますか? どうですか? (はい、そう思います)。 では、神様がいらっしゃることを知るための勉強をしようとしたら、月謝はどれぐらい支払ったらいいでしょうか。いくらぐらいですか。一億ドルでできますか? (いいえ)。では月謝を何で払ったらいいですか? (笑い) これは深刻な問題ですよ。笑いごとではありません。さあ、どれぐらい支払いますか。深刻な問題ですよ。いくらぐらい支払いますか? 例えばアメリカを売れば学ぶことができるとしたら、アメリカを売ってでも学ぶべきですか、どうですか? では世界を売ってならどうですか? 「天と地を売ってでも神様を知ることができるなら、探し求めていかなければならないと言っても異議なし」というのが結論ですね。これは正しいですか? (はい)。 では、統一教会のムーニーたちは神様がいらっしゃることを知っていますか。神様がいらっしゃることを学びましたか? (はい)。本当に神様を知っていますか? (はい)。どうして神様がいらっしゃることを知ることができますか? 「私は神様がいることを経験によって知ることができます」。そうですか? (はい)。自分の頭でも否定することができない、目も鼻も私の五官すべてが否定することのできない体験を通してですね。皆さんはそのようにして知ったのですか? (はい)。神様を知るための体験というのは、楽に眠り、楽に休み、楽に遊ぶことによって知ることができますか、それとも死ぬほどの苦難の中で体験によって知ることができるのですか? どちらですか。最初ですか、二番目ですか? (二番目です)。そうです。神に対する体験をするためには、一生涯、世界において、考えられる限界線以上の受難の道を克服することによってのみ可能です。この結論を受け入れられますか? (はい)。 では、皆さんは神体験をしたことがありますか? (はい)。あると言う人は手を挙げてみなさい。皆さんは神様を知って、次に何をしますか? (皆さんが)神様を知ることは、自分がお金がないときお金を下さいとか、自分に権力が必要だから権力を下さいとかを願うために必要なのでしょう。自分が出世するために神様が必要なのでしょう。(笑い) 権力をもって何をし、知識をもって何をしますか。その力をもって神様と対抗することができますか。その知識をもって神様と闘うことができますか。できません! 皆さんは従うことが好きですか? 誰しも従うことは好みませんね。神様はそれをよく知っていますよ。皆さんを見ると欲心で満ちています。どうですか? そうではないですか? いくら顔の醜い人でも欲心(望み)のない人はいないのです。神様以上に神様の頂点に行きたいのです。そうではないですか? 神様がそれを知らなかったでしょうか? 何をもって望みを主張しますか? お金ですか、力ですか、知識をもってですか? そうではなく、真の愛をもっていけば満足するのです。そういう頂点に到達するのです。これは事実ですか、偽りですか? 想像的でしょうか、推理的論理でしょうか、理論的結果でしょうか?(事実です)。そうですか? そうだろうと思いますか? 男子は答えないで女子が答えてみなさい。(はい)。「はい」と言う人は手を挙げてみなさい。では「いいえ」と言う人は手を挙げてみなさい。 神様が全知全能であるとしたら、人間を百パーセントコントロールすることを考えたでしょうか、考えなかったでしょうか? そしてそれをダイヤモンドや黄金をもってしようとしたでしょうか? (いいえ)。そうではなく、神様の愛が実際の黄金やダイヤモンドよりも良いというのが事実であり、価値があるのです。皆さんはその愛のために一度投身してみたいですか。投身してみたいの? 投身しようとするの? 投身したの? (既に投身しました)。ではどのような体験を得ましたか? 知識に対する体験や、金に対する体験よりも絶対的な愛に対する体験をしてこそ、万事に「オーケー」となるのです。このような観点から聖書を見るときに、神様の真の愛の真髄を中心として話されたイエス様の逆説的な話も完全に理論的な論理として展開されるのです。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。」(マタイによる福音書第十章三十七節) 「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネによる福音書第十五章十三節) 「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。」(ルカによる福音書第十七章三十三節)と言われたイエス様の話はこのような観点から出たのです。現実的な立場から見るときに、このような論理こそ、理論的論理となるのです。何の話か分かりますか? 皆さんは投資する自信がありますか? (はい)。投資する時は最も必要なものを投資しますか、それとも使い残りの必要ないものを投資しますか。最も必要なものを投資するという人は手を挙げてみなさい。何でもできますね。どんなこともできますね。そういう人は正常な人なのです。では何を投資しますか、何を投資しますか。私たちの教会を投資しますか。国を投資しますか。それは皆さんとは関係ありません。皆さんは皆さん自身を投資するのです。何を投資しますか? 片目取って目を投資するつもりですか。鉤でもって、目を取り出しても感謝できますか? (はい)。鼻も投資する自身がありますか? (はい)。これは言葉で簡単に言うべき問題ではありません。深刻な問題ですよ。痛いか、痛くないか。その耳を切ってみます。耳を切ろうとすれば皆痛いと言って引っ込めてしまいますね。このように整った顔の私が醜くなるのかと思えば、私は嫌だと思うでしょう。(笑い) それで醜くなっても「はい」と言えますか。では何を投資しますか? 神様があなたに投資してほしいと願うものは何ですか。神様は何を願っていらっしゃるでしょうか。神様は何を投資すれば、よくやったとおっしゃるでしょうか? (愛です)。誰の愛ですか? (私の愛です)。あなたの愛は真の愛なの、偽りのイミテーションの愛なの? (笑い) 神様は真なるお方なのに、偽りの愛を捧げますと言った時、神様の関心を得ることができるでしょうか。神様は「オー!」と言って、その投資を受け入れられるでしょうか? (いいえ)。 皆さんは真の愛を知らない立場で、今まで神様を愛し、投資したとしても神様におかれてはノーコメントです。皆さんは真なる愛に到達していますか、いませんか? (到達していません)。ではいつ到達しますか? (永遠にトライします)。それでは真の愛と何の関係がありますか。だから深刻ですよ。「愛よ永遠に」という言葉があるように、すべてを除去しても永遠に求めることのできるものは愛しかありません。 では、偽りの愛と真の愛とをどのようにして区別することができるでしょうか? これが問題です。公的であるか、私的であるかという問題を中心として、真なる愛であるか偽りの愛であるか区別されるのです。そこで神様は為に生きるという結論を出すのです。生命自体も、愛自体も為にするのです。愛は生命を越える力をもっています。生命と共に愛の力をもって来なければ宇宙は動きません。今日、理想世界を目指しても動かないのです。皆さん、結論づけておかなければなりません。定義を下しておかなければなりません。神様は歴史を通して数多い人類のために、御自身を犠牲にしながらもそのようなことをやっているので、真なる愛の主体であるという結論です。そこにのみ、そのような境地にのみ真なる愛があります。何の話か分かりますか。真なる愛は他のために生きることです。はっきり分かりましたか? 神様はそこにおいて活動するのです。他にいるのではありません。そこから個人的活動、家庭的活動、国家的活動があるのです。世界に向かう神の活動はそこにあるのです。二人がいれば、一人は神側でもう一人はサタン側というのがすぐに分かります。どちらが神側であるかといえば、より為に生きる方が神側で、そうでないのはサタン側です。分かりますか? それは絶対的な基準ではないけれど、そうしなければなりません。そこから次元の高い発展した歴史が始まるのです。二つの中の一つの側からです。 今まではこのはっきりした境界線を知らなかったのです。この世は境界線が分かりませんでした。知らなかったのです。神様とサタンが境界線を、限界線を中心として、あなたの側と私の側を分離しているのを知らなかったのです。もし、アメリカが独立戦争の時のように、また南北戦争の時のように二つの側に分かれて戦う時、神様はどちらの味方になるでしょうか? このアメリカは一つとなって世界のために闘わねばなりません。リンカーン大統領が主張したのはそのことです。白人が黒人を差別するような人種差別をしてはならないのです。それが真理なのです。 今まで民主主義が生かされてきたのは、全世界の人民を中心とする立場にいたためです。この公式を通して、もしアメリカとソ連が戦えばどちらが勝つでしょうか。ソ連は世界を目指して全体を動かそうとしているのに、アメリカはアメリカだけのためを思えば滅びるのです。ソ連にやられてしまうのです。だから、アメリカが滅びそうになったので、統一教会のような団体が生まれてアメリカを滅ぼさないために、世界のために生き、今後共産世界までも救わなければならないのです。そのためにこの運動を起こすのです。神様がおられるのでこの運動ができるのです。このような結論になります。このように見るとき、神様は統一教会の側に絶対にいなければならないという、公式的結論が出るのです。分かりますか? 何の話か。 我々は世界を導くために、神の名でもって一つの世界をつくることが必要であることを知っています。そのためには、私たちの統一教会をいつでも犠牲にすることができるのです。国があるとしたら国のために統一教会を犠牲にするという思想は、神様を永遠に迎え入れることのできる一つの理論的土台となっているのです。ここに立っているレバレンド・ムーンは、非常に孤独な人間であります。世界もみんな反対し、統一教会に入って立派だと言われる人も多くが落ちてしまったのです。たった一人でこの道を歩んできました。今になっては世界的な名声を得、世界的な基盤をもって、誰が見たとしても、国家の首相ですら“レバレンド・ムーンは成功した人である。あの人はこれから注目すべき人である。どれほど発展するだろうか”と思うようになったのです。このように皆が関心をもつことも神様が共にいてくださったので事実となったのです。アメリカの政府と闘い、法廷闘争をしながら、誰が神側にいるか、誰がもっと公的か、誰がもっと私的か。法廷闘争をしながらもそのように見ているのです。そして今でもアメリカという国を愛し、怨讐の国のために成しているのです。それは神様がレバレンド・ムーンの側であるという事実を知っているためです。レバレンド・ムーンのそのような理論は間違っていますか、正しいですか? (正しいです)。 皆さんはムーニーですね。レバレンド・ムーンは、皆さんを何をもって指導するかというと、無数の経験によってです。たくさんの経験をしたのです。神様が私と共におられることを体験したのです。この原則に従って行けば、世界は自動的に地上天国になるのです。自動的にですよ。誰かが「これをやりなさい、やりなさい」と言う必要もないのです。私たちムーニーは街角で指をさされながら活動をするのはなぜでしょうか? 真の愛の道を知るためにですか。真の愛をもった神様に出会うためにそのようなことをやるのだという、驚くべきことを先生は発見したのです。何の話か分かりますか? (はい)。それで先生は、一生の間迫害を受けながら、このような法廷闘争をしながら、今も前進しているのです。法廷闘争のことはそれほど考えていません。それよりも世界の問題を考えて進んでいくのです。神様はそのような人を好むことを私はよく知っています。これは最も重要なことです。私たちは何も持っていません。ある者は両親も、兄弟も、国も、すべてを失いました。なぜなら彼らは私たちに対抗してくるからです。その立場は最もみすぼらしいものです。誰もそのような立場を好みません。私を含めて神様も同じです。私はそれをよく知っています。しかし神様は先生の立場を取ってくださいました。それについて今話をしているのですよ。はっきり分かりましたね。私たちはこの点をはっきりしておかなければなりません。 私はいかに生きるべきや、いかなる基準に従って生きるべきや? これが問題です。自分が世界のためにいかになろうとも、いかなる犠牲を払っても、妻や家庭や最も価値あるものを犠牲にしたとしても、それでも自分のすべてのものを捧げて、神のために世界のために生きるということは何と素晴らしいことでしょうか。先生にとっても、神様にとっても、統一教会のメンバーは誰よりも愛する立場です。しかし世界のためにそれをも犠牲にしなければならないのが神様の立場であり、先生の立場です。そのような神様の本然の道、路程に従って歩んでいるのは先生だけです。皆さんはどうですか? 皆さんもそのような道を歩みますか? (はい)。なぜですか? それは誰しもが真の愛の中にありたいと願うからです。人のために生きた人は、永遠に忘れることはできません。永遠にこの愛は私から離れないでしょう。皆さん比較してごらんなさい。自分はいかなる人なのかを。自分は何パーセントの(為に生きる)人間であるかということをみんな知っていますか。皆さんは自分自身を知っていますか。何パーセントの者であるか知っていますか。先生が命令をする理由も正しく知っていますか。遊ぶようにし、休むようにし、楽にするようにすればいいのにと不平を言うこと自体が間違いです。どうしてそうなのですか、この時にどうして遊ぼうとするのですか。自分自身と闘わなければなりません。 皆さんは真の愛を必要とし、永遠であることを願います。先生は皆さんを愛するがゆえに、恐ろしい人間のようにもなるのです。先ほども言ったように、家庭の両親、学校の先生、国の大統領、世界の大統領のサインをもらうために、あらゆる困難なことに皆さんをすべてコントロールしているのです。そこには真なる愛が隠れているということを忘れてはなりません。その内容をもって先生は皆さんたちを必要としているのです。誰よりも先生が皆さんを愛しているのは、以上のような愛さなければならない内容があるから、そのように心配しているのです。皆さんの家で、両親が勉強をしなさいと言ったり、細かいことを言ったりする時は嫌でしょう。しかし会社には社長がいて、国には大統領がいます。そのような人のサインを受けなければならないのです。また先生のサインを受けなければならないのです。皆さんは死んでからも、この世でも真の父母のサインが必要です。どうですか皆さん? (必要です)。 今までに皆さんは、どれほど先生に対して不平を言いましたか? 十年間に、どれほど不平を言ったことか、ちょっと聞いてみましょう。先生がアメリカに来てから十年間、どれほど不平を言ったのですか? どれほど多く不平を言ったか率直に言ってください。どれほど不平を多く言いましたか? 不平を言わなかった人は手を挙げてみなさい。皆さんは首を切られ、足を逆にしたぐらいで不平を言うのですか。たくさん不平を言ってきたのです。どうせ傷ついた首であるから、いつ死んでもいいですと言えればすべては終わるのです。 だから興進様が行かれたのです。父母も同じです。私の首はまだ切られないので感謝であり、私の首がまだ切られず、いまだに生きているということに感謝しなければならないのです。自分の生命を捧げようとする人は息子の生命を捧げることも当然で、妻を捧げることも当然で、私の生命を捧げていないだけでも神に有り難く思わなければなりません。簡単ですよ。 死ということを考えてみたときに、大衆のため、全体のために死んだとしたら先生は泣いてあげられるけれど、私的に死んだら泣いてあげられません。人間は公的な涙を流して生きなければならないのです。特に先生は簡単ですよ。先生から全世界の統一教会をすべて切り捨ててしまっても、翌日から再出発できるのです。私が生きている限りに……。そうしたら神様が共に成してくださるのです。それが真のスタンダード(原則)ですよ。分かりますか? (はい)。「自分は統一教会のために一生懸命にやった」と言うことはやめなさい。先生が皆さんたちのために一生懸命にやったと言う時にどうすることもできません。生命までも捧げるのです。極めて簡単な原理です。皆さんもそのような概念をもっていますか? (はい)。ですから統一教会は偉大です。統一教会は偉大ですよ。 私たちの行く所は、どこへ行っても百点です。時間の差異や長短の差があるかもしれませんが、この原則は千年、万年、歴史上において常に勝利の黄金律であるということが先生が知っている真理のポイントであり、神様が知って立てている真理のポイントであることを皆さんも知らなければなりません。「愛よ永遠に」という言葉の意味が分かりましたか? (はい)。愛は誰のためですか? (神様のためです)。神様のためではありません。自分のためです。(人類のためです)。そうではありません。自分のためです。自分にとって、また神様と人類にとって、私自身の愛よ永遠であれということです。私たちがこの愛をマスターするならば、神様は私たちにとって最も近い存在となり、神様に背負われて生きることができるようになります。 神様は縦的な方で、私は横的です。この縦と横が通ずるとき、一つになります。そのような神様に対しての体験をもって生きる人は、どんな不幸な環境にあっても幸福な人です。どんな幸福な環境の中においてよりも立体的に幸福な人です。そのような人は、知識や力をもって世界を支配するというようなことはとてもできません。そんなことは自分にとって関心がなくなります。最も大切なものは愛の知識であり、愛の権能です。それが必要なのです。なぜかといえば、この世をコントロールしなければならないからです。何でコントロールするかといえば、愛でもってコントロールしなければならないのです。力も愛の力でもってコントロールするのです。真なる愛で支配すれば不平がありません。 皆さんの中で結婚している人たち。夫が自分を愛してくれる時、ただ弱く愛してくれる方がいいですか? それとも骨が折れるほどに強く愛された方がいいですか。特にアメリカの女性たちどうですか? (ノー)。強くですよ。あばら骨が飛び出るほどですか。(笑い) 愛でもってコントロールするほどいいのです。何の話か理解できますか? (はい)。 皆さんは真の愛に出会って、本当に強く抱き締められ、また強く打たれて惨めなくらいに愛されても、“それでも構わない。それくらい私は愛されたい”とそう思ったことはありますか。“もしそうなれば、どれほど幸せだろう”と考えたことがありますか。そういう女の人はどれほど幸せな人でしょう。もし皆さんが霊界に行くと、神様から「この小さなアメリカのムーニーよ、あなたは地上で何をしてきたのか」と聞かれます。それに対して、「私は大したことをやってきませんでした。ただ夫からとても愛されたので、とても幸せに感じ体が傷つくほどに愛されました」「ただ神様に感謝し万民に感謝します、と言いながら生きてきました」と答えれば、神様は「ほほう、そんなに愛されたのか」と言って喜ばれるのです。「あなたは小さいが素晴らしいアメリカの女だ」と神様はあなたに関心をもち始めることでしょう。そして「私は初めてそのように本当に愛された人間を見付けた」と言われるでしょう。 (笑い)。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。皆さんはどうですか。それは好きですか。嫌いですか? (好きです)。どうですか? 先生はそのような女性が好きですよ。皆さんはどうですか? (はい好きです)。(笑いと歓声) 先生もお母さんにそうしてあげたいのですが……。(笑い) 人は真の愛の主管を好みます。きょうは何カ月間も話をするほど話があるのに時間が過ぎてしまいました。皆さんもするべき仕事があります。もう二時間過ぎました。これからはマイクを装置して電話で説教する時が来ます。その時は英語で話をします。(笑い) そうすれば皆さんはわざわざこちらに来る必要がないでしょう。その方が効果的かもしれませんね。どうですか? (そのとおりです)。本当ですね。私たちはどうすれば神様を身近に感ずることができますか? 神様を私の家に迎え入れることができ、私の肉から、細胞から、心から離すことのできない愛の神様であるということを知る時、どれほど幸福でしょうか。神様はただ単にロゴス(全知全能)の神でなく、愛の神様なのです。だから人間は神様の完全なる対象であり、愛の対象なのです。主体が神様であるので私がいなければならないのです。神の愛の前には私が必要であるという特権、人間がもっているこの特権を誇らなければなりません。どれほど素晴らしいことでしょう。そのような人間はどれほど価値のある人か考えてみなさい。分かりますか? (はい)。皆さんは希望をもって更に神の真実なる愛の圏内で走り抜きましょう。どうですか。どれほど素晴らしい私たちでしょう! 正に「愛よ永遠に」です。そのような永遠の愛をもつことがいかに素晴らしいことでしょう! では真の愛の中で神様の真の対象となるように努力しますと決意する人は手を挙げてください。 神様の祝福が皆様と共にありますように。アーメン。(拍手、歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.14
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「愛勝日の必要性」1984年1月15日ニューヨーク ・ベルベディア 統一教会の活動は平面的な世界だけでなく、立体的な世界とも連結されていることは皆さんがよく知っているとおりです。 堕落ということは人間が本然の世界から落ちてしまったことであり、復帰ということは、この落ちた人間を再びたどっていって、落ちる以前の状態に連れ戻すことです。これが神様の摂理される歴史の主流です。ではなぜ人間は落ちたのでしょう? それはサタンの愛を通して、サタンの世界の血統的愛を通して落ちてしまったのです。では堕落の愛とは何でしょうか? これは行けば行くほどすべてが分裂してしまうことです。個人的愛に変化することです。世の終わりとはどのような時代かというと、堕落した血統の愛を中心として見るとき、全世界の人類が個人的な愛を絶対視する時代が世の終わりだという結論になるのです。国家に対する愛とか、民族への愛、家庭への愛等、すべてを否定して、自分を中心とした愛のみを中心として、人間の倫理や道徳観念はおろか、動物以下の愛の道を行く時代をいうのです。 このような傾向は、人間が十五、十六歳の時に堕落したので、十代にまでそのような濁った観念ができているのです。それが現世です。この青少年たちの乱れた愛を、父母も規制することができないし、社会も規制することができない段階に入ってきています。それが今の状態です。ではサタンがなぜ、人類をそのような破滅の状態に引っ張っていかなければならないのでしょうか? 問題はここにあります。 神様は愛を中心として復帰、救援摂理をしてこられました。サタンと反対の愛を糾合して、家庭の愛、氏族の愛、民族の愛と、すべてをたどっていくのです。だからサタンは自分の敗北を防ぐために、(仕方なしに)不可避的にこのような場に人間を連れていかざるを得ないのです。サタンが人類を堕落させた究極の怨恨目標は何かといえば、人類の愛を完全に壊すことです。では神様はどうかといえば、これを明るい本然の愛の世界へ引っ張って行かなければならない立場にあるのです。このように見る時に、サタンの堕落した病弊に染まっている代表的な国がアメリカなのです。どうして、キリスト教思想を中心としたアメリカが、このようになったのでしょうか? 「あなたの家の食口(家族)が怨讐である」と、キリスト教文化圏国家がこのようになることを免れない内容が聖書にあります。サタンが常にこのことを闘いの目標としているからです。 それでは、このような腐敗はいつ始まるのでしょうか? 腐敗のこのような現象はいかなるとき始まるかといえば、それは物質的な環境が楽で、奢侈に流れるとき、そのような傾向に陥りやすいのです。そのために第二次世界大戦以後の四十年間は、荒野時代として過ごし、完全な神の国を準備しなければならないのに、サタン世界では、荒野圏内において偶像を崇拝したのと同じように、愛の偶像、淫乱の偶像を完全に氾濫させてしまったのです。アメリカ自体に、世界を一つにするための世界カナン復帰の目的があり、なさなければならない第二次世界大戦以後の目標があったなら別ですが、それもなく、ただ「私たちの世である」と言って、思いっきり自分中心の生活をした結果、このような姿になったのです。 第二次世界大戦における勝利は世界的な勝利であるゆえ、この勝利を神に返すために「再臨主が来られる時が来た」と言って、栄光を天と共にたたえ、来たるべき再臨主のために国民が団結して、世界のキリスト教を統合するための運動をして、一つの理想世界へと展開する収拾策を講じなければならなかったのです。キリスト教がその勝利の栄光を天と共に、世界と共に延長させるための、メシヤのための準備をしなければならないのです。そして“神様の愛の加護があり、メシヤの愛が民主世界を代表したアメリカと自由世界の未来にあり、より偉大なる宇宙的な愛を受けるその日のために、苦労をしても前進すべきである”というような運動をしなければなりません。 アメリカの国民が、自分たち同士で愛するよりは、アメリカを愛し、世界を愛し、メシヤと神を愛すべきであるという運動をしなければなりません。終末こそ、再臨時代を強化しなければなりません。そうできたなら、今日のようなアメリカのこの悲惨な歴史は防げたことでしょう。しかし時既に遅く、アメリカの青少年の多くが、麻薬に冒され、すべてが堕落したサタンの愛によって完全に腐敗しているのです。そしてそれはアメリカだけではなく、アメリカを先頭にすべての自由世界に流行し、全世界を汚染しているのです。今日、アメリカの人々の中に世界を往来しながら、やることは何かといえば、各国の女性をみんな蹂躙し、このような腐敗を広めるものがいるのです。これを収拾できない限り、アメリカや世界は滅びざるを得ません。いや滅びるのです。 ソドムとゴモラが滅びたのも、その時の奢侈と不信と偽りの愛のためです。ローマが滅びたのも外部の勢力によってではなく、内的な勢力によって滅びたのです。ローマを支えていたのは愛でしたが、この愛が破れたのです。生命の力とは何かといえば愛の力です。民族と民族が互いに愛し合い、家庭が愛し合い、国と国とが愛する力なのです。 このように歴史的な観点から見るとき、米国も例外ではあり得ないのです。このような実状なのです。そこで神様はそのために何をなさるかというと、これらに対して新しい対策を立ててもとかえす運動をしなければなりません。このような人間の今までの未知であったすべての根本問題を中心として、サタンと神が怨讐となったのです。この根本問題を掘り起こさずには解決の方法がないのです。人間とサタンとの関係は、偽りの愛、サタン的な愛を中心として行われます。神様の愛はこれとは正反対です。それは真の愛、統一的な愛なのです。このように神様とサタンとは、愛を中心として戦ってきました。これまでは、この戦いにおいて神様のほうが負けてきたように見えます。負けたのと同じです。その結果サタンはますます傲慢になって神様に対して「私はこのような世界をつくってしまったのに、神様はいかにして復帰するというのですか。愛を中心としていかに復帰していくというのですか?」と言っています。 このように見るとき、人間が地上に生きている時にサタン的な自己中心の愛で生きるとしたら、霊界へ行ってから神様を愛することができるでしょうか。全体を愛することができるでしょうか。一方、国を愛し、民族を愛したすべての世界の歴史的人々は、一つの霊界に行ったのですが、すべての愛はあっても愛の歴史で連結できた道がないので、神様も全体も愛することができないのです。本来霊界は、本然の愛を中心として本然の家庭、本然の民族、本然の国家、本然の世界、本然の天宙を愛することのできる世界なのです。その愛に同和され、その本質に通ずることのできる、そのような雰囲気、環境になっているのであって、今日のように個人を中心とする、サタン世界の堕落した愛を中心として関係されているような雰囲気では絶対にありません。それで霊界は数多くの境界線ができてしまったのです。そして地上もまたすべてが分裂しているのです。民族と民族、男性と女性、すべてが好きなもの、愛するものから分かれているのです。 このような状況において、サタンは誇らしげに神様に言います。「神様、これらのものたちをみな統一することができますか。あなたが数千年間指導してきたユダヤ教とか、キリスト教とか、すべてがめちゃくちゃになっています。そこが共産党の温床になっています。どうしますか?」と主張するのです。また、「今日の教会は、社交的にならなければならないといってダンスをしたり、男性と女性が踊ったりしています。そんな所にいかにして神様が来られますか。あなたに関係はありますか? 関係ないですか? 世の中に、また全宇宙にあなたのみ旨を立てることのできる宗教者が誰であり、キリスト教信者が誰であり、何宗教、何宗教、本当の宗教といえるそのような本質的な道を歩む人はいったい誰ですか」と言い、「ハッハッハッハッ」と笑うのです。「あなたが送るといったメシヤはどの人であり、どのようにして来るのですか? 本質的な愛をもってこの世界を一つとし、国を一つとし、天と地を一つにすることのできるそのような人がメシヤですが、その人にそのようなことができますか。神様、あなたにさえできないのに、やることができるのですか?」と言うのです。 ではこのような観点から見るとき、これから来たるべきメシヤがもって来なければならない宗教と、神様が立てるべき宗教とは、何の宗教でなければならないかといえば、愛を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙を統一しようとする強力な力をもった宗教でなければならないという結論が出るのです。サタンも「それが、メシヤが来なければならない目的であり、神様がメシヤを送る目的ではありませんか」と言うのです。彼はメシヤがやらなければならないことをよく知っているのです。 皆さんは統一教会の何ですか、何をする群れですか? (それぞれの答え) 答えは確かです。皆さん、神とメシヤのために愛の伝統を立てることのできる一つの群れが統一教会なのです。どうですか? 自分は統一教会の信者であるという人は手を挙げてみましょう。では、統一教会で何をするかといえば、生死を顧みないで愛の伝統を立てなければなりません。すべてを犠牲にしてでも国のために、世界のために、自分のもっている生命を犠牲にしてまでも、本然の、神が願いメシヤが願う愛の伝統を立てなければならないのが統一教会のメンバーの重要な骨子であることを知らなければなりません。 ボクシングの訓練所に行けば、サンドバッグを打って練習するのと同じように、この天井ではなく、神の国の一番上から大きなサンドバッグをつるしておいて打つのです。その時、サンドバッグが言うことには、「この世のチャンピオンは私を打ったが、私がここにつながれて以来一番上まで打つ者はいない。どうか一度打ってみなさい。一度打ってみなさい」と、それを願うのです。(笑い) 力いっぱいに打ってみなさい。遠くに打ち飛ばしてしまうのです。その時、サンドバッグが「ああ降参!」と言います。神の国から地上までそのようなサンドバッグがつり下ろされているが、真のチャンピオンが出ることを神様は願っています。それは間違いなくメシヤです。 しかし、今までこの愛のサンドバッグを誰一人として打った者はいないのです。堕落した人類の中で、打った人も、触ってみた人もいないのです。それはそのはずです。サタン世界はサタンが血統を通じて人類を主管しているので、この圏内には神様のサンドバックがあり得ないのです。この圏外に、すなわちサタン圏を越えたところにあるのです。一度も触れられることもなく、サンドバッグはそのままにあるのです。では何で打つかといえば愛の棒で打たなければなりません。家庭を愛し、国家を愛し、世界を愛し、そのような男性と女性が一つとなって打たなければなりません。皆さんの夫婦同士はどうですか。どうですか? (笑い) どうですか? 皆さんは境界線も越えないで、サンドバッグが自分に訪ねてきてください、私がいる所へ訪ねてきてください、私を訪ねてきてくださいと言うのに、これを越えようという考えはもてないのですか。 ではそれを天からもってくるのに、誰が引っ張ってきてくれるのですか? 天使が引っ張ってくれるのでもなく、神様が引っ張ってきてくれるのでもないのです。それはできないことです。原則にないのだから……。ではどうするのですか。仕方がないので、サンドバッグのある所に行かなければなりません。そこで「あなたは私が好きです。私が好きです」と言っていいでしょうか。私を愛していますか。愛していませんか? サタンが父母を連れて歩き、兄弟を連れて歩き、昔の初恋の人を連れて歩いて、あなたのしっぽを捕まえようとしています。 私の背後にはサタンの紐が一つも付いていないという人は手を挙げてみなさい。(笑い) 一人もいませんね。(笑い) 大きなことは言えませんね。そのようなことでは自分に対して誇りをもって、人に話すことがどうしてできるでしょうか。何の話か分かりますか? 皆さんが禿頭であろうと何であろうと、それが問題ではありません。たとえ博士号をもっていたとしてもこのような意味においては何よりも大きな価値があることにはなりません。サタンの紐を切り捨てるために、皆さんは大変な努力をしなければなりません。そして、サタン主管圏の境界線を乗り越えて、新しい神の主管圏に入らなければならないのです。どう思いますか。そのようにすべきだと思いますか? (はい!)。 それまでは、男性と女性はコンクリートをしなければなりません。セメント・コンクリートをするのです。神の国ではいかに強いセメント・コンクリートでも溶けてしまうのです。(笑い) 分かりましたか。統一教会は何をする群れであるかということを知らなければなりません。 サタンの秘密、サタンの愛を個人的に打ち、家庭的に打ち、国家的に打ち、世界的に打つ鍵をもっている群れが統一教会の真のメンバーなのです。このようにサタンの世界で勝利し、神の愛に勝利するのです。私がこのように一度打ったら「なぜ先生は私を打つのですか?」と言うでしょう。なぜ打つのでしょうか? (笑い) そのように知らないから逸れるのです。理由を知ったあとで怒らなければならないのに、理由も分からずに怒ったら、すべてが終わってしまうのです。それはサタン世界の影響なのです。そのような意味からも皆さんに衝撃を与えなければなりません。サタン世界のこのような苦しさ、困難を克服することのできる衝撃を与えなければなりません。ではどのようにして衝撃を与えるかといえば、個人の愛を否定し、家庭の愛も否定し、国家すべての愛を否定することです。完全否定です。完全否定です。それでも否定しないのでサタン世界全体を打つのです。反対の否定式です。それで先生が皆さんを打つのです。「お父さん、お母さん、アメリカの皆さん私を助けてください。死にそうなのです」と言うのですか。それとも「神様私を助けてください。メシヤよ、私を助けてください」と、どちらを言うのですか。あなたたちはどちらですか。(あとのほうです)。本当にそうですか? (はい)。 今日、世界でこのようなみ旨をもって、宗教というタイトルをもって世界的に闘っている一人の人がいます。その人がレバレンド・ムーンです。これは認めなければなりません。(拍手) しかし個人、家庭、国家、全世界、最近は共産党までもがレバレンド・ムーンのすべてがめちゃくちゃになることを願っているのです。 そこでレバレンド・ムーンが一つ行ったことは、愛のサンドバッグを捕まえてあちらの側から境界線にまで引っ張ってくるのです。(笑い) それで、若者たちが統一教会の話だけ聞いて、これをつかめば全部くっ付いてくるのです。先生がサンドバッグを引っ張る力と自分の父母が引っ張る力とどちらが強いかといえば、こちらが強いのです。このサンドバックを引っ張れば、全部がいくらでも引っ張られてくるのです。あのサタン世界の真ん中から、すっと引っ張られてくるのです。そうしたら愛はどこにでも行くことができるのです。それで初めにレバレンド・ムーンがサンドバッグを抱いて、家庭的には反対にこれぐらい動かしたのです。その次には国をこのぐらい動かしたのです。そして世界から霊界まで全部動かしてここまで来たのです。反対されてここまで来たのです。家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に勝利して、ここまで来たのです。それで次に何をするのですか。皆さんの祝福は何ですか。白人なら白人同士が結婚することですか? (いいえ)。 南極は北極に向かっていかなければなりません。磁力線のような愛の力が授受するのです。それでこの磁力線はどこに入っていくかといえば、南極の中に入って回転するのです。二つになって回転するのです。ここに感応電極があって、電気がこのように通ずるのです。愛の自転圏内にすべてが含まれるのです。どこにでも通じるのです。どこにでも通じるのです。通じない所がないのです。 では神様の愛とは何かというと、北極の愛です。人間の社会の愛は南極の愛です。このようになればいいのです。それで磁場が両極を結ぶのです。(黒板に書かれる)このようになれば自然に回転するようになるのです。皆さんが地球を見る時、経度があるようなものです。本質的には神様の愛を中心として宇宙がすべて和合するようになっているのであって、サタンを中心として和合するようになっていません。サタンの愛は冬のようなものであるのに対して神の愛は春のようなものです。春が来ると、人々は気持ち良くなって重い服を脱ぐようになります。しかし、冬の間は寒さから身を守るために厚着をして「チャック」を閉めるのです。(笑い) だから神の愛を受けることはできないのです。今日、このように冷酷な、雪、寒風の吹きつける北氷洋のようなこの地球上に、初めて神の国の春が訪れてきたのが、統一教会運動なのです。皆さんのお母さんたちは、「ああ、家にいなさい」と言い、皆さんたちは「私は家は嫌です。私は教会に行きます」と言います。 神様から見るとき、皆さんは正常で健全で幸福な人ですが、サタンから見ると、気が狂っているように見えるのです。では、皆さんは神とサタンのどちら側にいるのですか? (神様の側です)。神様の側に立っていると言っていますが、まだ完全に神様の人とはなっていませんよ。(笑い) 国境に垣があるとするならば、片足が境界線に少しでも引っかかっていたら神側であります。(笑い) 皆さんは境界線から足が越えていますか。あちら側ですか。こちら側ですか? (境界線の内です)。(笑い) もし皆さんが今なおサタン的な愛や、入教前の恋人に対して未練をもっているとしたら、皆さんの片足はまだサタン側に立っているということになります。(先生が手で表現される)そうなのですか? (いいえ)。また「教会の活動は嫌いだ!」と不平を言っている人はこうなるのです。(先生がしぐさで示す) I don't like that kind of central figure.ハッハッハッ How can I say that Abel special man is central figure. こっちに動いたり、あっちに動いたりするのです。(先生が行動で示す) 率直に言いなさい。私は忙しいのです。「愛勝日」の必要性をいつ話しますか。もう一時間もたったのですよ。 きょうから、日記を書く時、自分がどちらの側にいたか記録しなさい。一〇〇パーセント神側に越えることを目標として日記を書きなさい。きょうは七〇パーセントだとか、八〇パーセントだとか、一〇〇パーセントになるようにするのです。自分が越えたのは何パーセントであるか、皆さんは自分でよく知っているはずです。既に説明を聞いたので、もう問うてみる必要はありません。皆さんはみんな良心をもっているのですからすべて知っているのです。すべて知っているのです。すべて知っているのです。まだ「私は分かりません」と言う人は手を挙げてみなさい。たとえ堕落世界に長く生きていたとしても、各自が自己の中に神の側に立ちたいという要素をもっています。それがあるからこそ各自が自分の中の指針に従って神のもとに帰ることができるのです。 皆さんは神とサタンのどちら側にいたいですか? (神側です)。ではどのようにして行くのですか。神側に行くためには、サタン世界に勝利して行かなくてはなりません。そのまま行くのではなく勝ってから行くのです。どんなに神の側に行きたいと思っても、サタン世界と戦って勝利しなければなりません。皆さんはもう勝利しましたか? 勝ったのですか、負けたのですか? (はい、勝ちました)。ではどのようにして勝利したのか私に話してください。どのようにして勝ったのですか。 ワシントン・レッドスキンズがスーパーボール(アメリカン・フットボールの最強チームを決める決勝戦)のチャンピオンになる時、彼らがどうやってその出場権を獲得したと思いますか。一つ一つの試合を勝ち抜いていかなければ、スーパーボールに出場する資格を得ることはできません。それは容易なことですか? (いいえ)。それは最も難しいことであり、苦しいことでもあります。多くの人々は、「この世は楽しく生きたら良いのに、この人生は短いのに、おいしいものを食べて、良い暮らしをして、美人でなくても、食べて眠って、生きていけば良いのではないですか」「時には盗みもしたりして」と言います。犠牲的な生き方をするという統一教会の教えは間違っているのでしょうか。統一教会の何が悪いのですか? (いいえ、正しいです)。ではそのために勝利して行かなければなりません。 先生は全世界に対して闘ってきました。個人的な代表が来て私を攻撃する時は、それと対決し、家庭を代表して来たらまたそれと対決し、氏族の代表、国家の代表、すべてと対決するのです。先生は今、「最後のサタン世界よ出て来い」と宣言しています。 それで、統一教会は今どこまで来たのですか。どこまで来ましたか。先生は民主世界のアメリカで闘い、共産世界のモスクワで闘うのです。同様に数多くの宗教団体、ユダヤ教信者、キリスト教徒、すべてが敵対しています。しかしいかなる者も先生から愛のサンドバッグを奪って行くことはできないのです。先生がこのサンドバッグを打てば、それは三六〇度回転します。愛は無制限圏であります。愛の感性を妨げる力はありません。モスクワまで一回転するのです。先生はどこまで来たのですか、今から始めるのですか、もう最後まで来たのですか? (最後です)。 先生はこれまで、五色の異なる人種を祝福しました。祝福は皆さんの一番重要な問題であり、国家にも両親にも任すことはできないのに、皆さんはその権利をレバレンド・ムーンに与えてしまいました。それはどうしてですか。皆さんはそうすることによって、自分を神の愛に結びつけることができるからです。皆さんは神の愛の圏内に飛躍して行くことができるのです。愛の紐につながることが、飛行機よりも何よりも速いのです。分かりましたか。皆さんが霊界に旅行するとしたら、速度は地上界と同じでしょうか。違うでしょうか? (違います)。それはどうしてですか。地上界における愛の実績、すなわち愛の記録によって非常に異なっているのです。 皆さんは霊界で先生と一緒に旅行したいですか? (はい)。ではどうしたらそのようになれると思いますか。そのためには、皆さんは神様の心情圏と一つになった先生の心情と一致する基準を相続しなければなりません。この無限なる宇宙が神様の愛に完全に一致した時、一瞬で到達できるのです。それは何の力でかといいますと愛の力です。神様が宇宙を創造する時にすべて愛の力でもってやったからです。この愛の力で人類を越え、天宙を越えることができるのです。この本質の愛の世界を追究して行くのが統一教会の道であり、神様がこの終末に全世界の人々に与えてくださった最も重要なる贈り物なのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。そのため先生は今まで法廷闘争をしてきたのです。北の金日成共産政権、また南の韓国は、李承晩政権をはじめ、先生に対決してきました。米国でも政府が問題になっています。サタン世界では、モスクワのクレムリンです。先生のことをよく知っているのは、自由世界と共産世界のどちらだと思いますか? (共産世界です)。 自由世界のアメリカでは、もう先生を否定する道がなくなりました。最近では、言論界においても先生を支持するようになり、反対していたキリスト教も今や、自分たちの自由も脅威を受けていることを認識して、レバレンド・ムーンの味方をすると声明しています。また著名な学者、哲学者、神学者等すべての学者は共通して、アメリカが将来へのビジョンを失ってしまっていることを嘆いています。アメリカは物質的には豊かですが、精神的には貧困です。今やこの国は草一本もない砂漠のようなものです。ところがこのような砂漠の真ん中に木陰や水や草を見つけることのできるオアシスがあるのです。それが統一教会であり、ムーニーたちなのです。(拍手) ある人々は、「それはレバレンド・ムーンだけの見解にすぎない」と言うかもしれませんが、皆さんは先生の意見に同意しますか? (はい)。霊的に飢え渇いた人々が来た時に、皆さんには与えるべき水や食物がありますか? (はい)。それとも皆さん自身が霊的に飢えていて何も与えることができない状態ですか? (いいえ)。泉の水は地中からわき出るだけの力があります。皆さんもそんな力強い泉の水となっていますか? (はい)。時には大きな岩をも押しのけて出て来なければなりません。泉の水は決して止まりません。いつも地下から表面に出て来ます。味も良く、いくら飲んでも飽きないような水だからこそ人々に生命を与えることができるのです。 皆さんは先生の話を聞きにベルベディアに来るのが好きですか? (はい)。なぜですか。もし先生がいない場合はどうですか? (様々な答え)(笑い) 皆さんが自分自身の泉をもっている限りは問題ではありません。皆さん一人一人が自分にも、また他の人々にも力を与えることのできるような十分な泉の水をもった人間とならなければなりません。先生はどこに行っても人々がついてきます。それは、先生の中の泉を、くみ取ろうとしているようなものです。(笑い) このように、地上で試練することによって、サタン世界から境界線を越えて神側に行くのです。これはどれほど難しいことか知れません。第二次大戦において、ドイツ、イタリア、日本の三国と戦って、連合国側では何百万名もの人々が死にました。ましてや、堕落した人間を救うことはどれほど難しいことか、皆さんはどうですか? 世界の堕落圏を越えることは第二次大戦よりも簡単だと思いますか? (いいえ)。このサタン圏に対する最終的な戦争での我々の最高司令官は神御自身であることを知らなければなりません。 このサタン圏を越えるためには、今日のキリスト教がその責任を果たさなければなりません。キリスト教が完全に一つになってメシヤを迎えて、生死を越え一つになれば一度に勝利できるのです。しかしながら既成のキリスト教は、神のみ旨に反対するようになってしまいました。今でも多くの人々が統一教会に反対しています。そのため先生はキリスト教の助けを借りずに、自分自身の基盤をつくったのです。個人的な勝利、家庭的な勝利、氏族的な勝利、民族、国家、世界的な勝利圏を準備してきたのです。今やアメリカは諸問題を解決するための自信もなければ方法ももっていません。同様に、共産世界のほうも行き詰まっています。「国を救い、世界を救おう」と言う自信のある団体はアメリカに一つもなく、共産世界にもありません。数多くの宗教団体があっても、指導的な役割を果たす自信をもった者は一人もありません。しかしたった一つ腐敗し滅びゆく米国に、「我々しか米国を救い、共産世界を救い、全世界を救い、神様のみ旨を成就することができない」と主張する群れがあります。皮肉なことに、それは非難され、迫害されているムーニーの団体です。 皆さんは、レバレンド・ムーンは能力があると思いますか。それとも無能だと思いますか。(能力があります)。何の能力ですか。マラソンの走者ですか、ボクシングのチャンピオンですか。先生には二つの特長があります。一つは先生が神と世界を代表して、この世界に現れたということであり、もう一つは、先生はサタンすらも愛し、彼を解放してやることができるということです。サタン圏内では、「怨讐を愛する」という言葉すらありません。そのようなことができるのは神の愛の主管圏においてだけです。韓国も先生の怨讐であり、日本も怨讐であり、アメリカも怨讐であり、ソ連も怨讐でした。しかし、先生は彼らに対しては愛の態度をもって報いました。アメリカを救い、日本を救うために膨大な仕事をしていることを皆さんは知っていますね。アメリカでは、先生は大きな投資をして「仁川」の映画を製作しました。これは映画史上にない記録です。アメリカの人々に、特に青年たちに、国を愛し、神を愛することを教育するためにこの映画を製作したのです。アメリカは世界に対して負債をもっています。先生はアメリカの若者が人間の屑になっていくのを防ぎたいと思ってこの映画を作ったのです。 また、先生はアメリカの首府であるワシントンが、「ワシントン・ポスト紙」だけに独占されているのは良くないので、ワシントンのためになるようにと、「ワシントン・タイムズ紙」を創設しました。これは、お金をもうけるためつくったのではありません。米国のために、さらに多くの投資をなさなければなりません。世界中の人々は米国でお金を得ようとしますが、逆に我々は必要な時はいつでも犠牲的になすべきことはします。先生はそのように考えて実行してきました。皆さんもそのような若者ですか? (はい)。それならば、世界に出て行ってどんな人間をも救い上げて、彼らを生命のもとに連れ戻さねばなりません。彼らを今のような死人同様の生活のままにしておいてはなりません。 米大統領一人が誤ったら、米国が滅びるという結論に到達しました。先生の目標は神の世界を確立することです。ですからこのような問題で、生死の境を彷徨している米国を心配しないわけにはいきません。レバレンド・ムーンほどこのことを心配している者はいないのです。皆さんは、ただじっと座って何か良いことが起こるのを待っているのですか? (いいえ)。仕事に取りかからねばなりません。皆さんは、エゼキエル書にいうような「死の谷間の骸骨」のような存在ですか、それとも、筋骨たくましく神の戦いを闘う存在ですか? (後者です)。ただ単に口で言うだけでなく、実行によって、何ができるかを先生に見せなさい。 皆さんも自分だけの力では誰もサタン圏を脱け出ることはできません。だから人類を導いてくれるチャンピオンが必要です。チャンピオンを立てて、応援し、(拍手をしながら話される)そして他の人々は一体化して従っていけば良いのです。祝福家庭の皆さんはどうですか。どちら側にいますか。堕落圏ですか、それとも神の主管圏ですか。皆さんはまだ完全に堕落圏から出てはいません。なぜなら、国をもっていないからです。我々には教会とその法律がありますが、国家の法律はありません。それゆえに、先生は今年の標語として、「祖国創建」を宣言したのです。 先生一人を中心として見るとき、キリスト教が本来先生を受け入れることが神様のみ旨でありました。ユダヤ教とキリスト教の六〇〇〇年の摂理の目的は、先生を受け入れるための基台の準備でした。第二次大戦後、アメリカは世界を指導することのできる立場にありました。韓国はアメリカと完全に一体化していました。このような状況で、先生の二十代、三十代の若い時にキリスト教が反対しないで受け入れていたらどうなったでしょう。どうなったでしょう。その時に、「祖国創建」は成就されていたであろうと思いませんか? (はい、思います)。しかし、いくつかの大学を中心とする既成キリスト教会が、神のみ旨に反対したのです。神様は先生にキリスト教界が完全な接ぎ木をされることを願っていたのです。一度に世界的に接ぎ木できる道を整え、国までも合わせて接ぎ木しようとされたのですが、彼らが拒否したために、彼らは一番最後になったのです。 それで先生はどこに行ったかといえば、先生は北韓の共産党の監獄に入ったのです。そこではみんなが死んでいきました。先生はイエス様の二年八カ月の路程を蕩減するために死なないで、獄中で霊界からの協助を得て、失った十二弟子を捜しておかなければなりませんでした。このようにして初めて、サタン世界から自由世界、神の世界へ到達することができたのです。出獄して初めて、サタンに奪われた自由世界の祖国を創建するための地を探すことができるのです。監獄に入って、失ったものをみなサタンから勝利して取り戻して来るのです。 十二月号の『TODAY'S WORLD』の本に朴正華氏の証が載っているでしょう。それを読みましたか? 先生は彼を背負って六〇〇マイルの道を歩きました。すべての人々が自分自身が生き延びることさえ難しかった時に、先生はそのように彼を背負って歩むことによって、神の愛は利他的なものであることを示したのです。一九四五年ころも、多くの人々が先生を非難し、捕まえて殺そうとさえもしました。しかしその怨讐が飢えていた時、先生は食べ物を買ってあげたり、子供たちの学費も出してあげたりしたのです。彼らは誰がそのようにしてくれたかも知りません。でも先生は自分は飢えながらも、そうすることによって民族を越えて、そのように世界的になったのです。このように、キリスト教が反対してしまったために、完全にサタン世界が変化してキリスト教が共産党の温床になってしまったのです。 その結果、失ったキリスト教文化圏を統一文化圏で対処して、本来ならば神様を中心としてのさらに高い次元の基準をもつことのできるこの統一教会が、今、キリスト教と民主世界のレベルを越える段階にきているのです。しかしサタンも、そうやすやすと自分の支配圏を譲歩しようとはしませんでした。そのため多くの犠牲者を出してしまいました。皆さんも知らないうちに多くの犠牲者を出したことは事実であります。既成キリスト教会に対し統一教会はアベルの立場なので、統一教会が打たれなければならないのです。世界的にも打たれなければなりません。それは、今まで宗教的次元で、国家的次元で反対を受けてきたのですが、今や世界的次元に上がってきたからです。 民主世界も共産世界も滅びていくのに対して、統一教会は新しい光を得て、勝共運動や、人類の名における全世界の統一運動を盛んにし、そして統一主義、あるいは神主義が世界的問題となってくるのです。すべてが再び入れ替わるのです。一三〇余カ国の国家と、統一教会が連結され、世界的潮流が変わったために昨年の一九八三年にこれらが韓国と連結されたのです。レバレンド・ムーンはアベルの立場であり、韓国の国民はカインの立場です。韓国のキリスト教と韓国政府は先生に反対しましたが、韓国という国が先生を歓迎するようになるならば、以前反対した人々も、先生を受け入れることになるのです。 アメリカでの法廷闘争も今年ですべて終わります。今年は大変重要な年で、韓国問題、アメリカ問題、ソ連問題が今年から来年までにはっきりしてきます。またアメリカにおいて、レバレンド・ムーンの正しさが認められるようになれば、世界的に雪崩のごとく、人々が賛成するようになるでしょう。特に若者たちは、レバレンド・ムーンと統一教会の良さに対して最も目覚める人々です。それは第一に、皆さんたちムーニーが非常に国を愛する群れであること、第二に、皆さんが共産主義に反対する群れであること、第三に、皆さんが将来に対して楽観的な希望を抱き、必ず理想世界が来ることを確信していること、これらのことを彼らが理解するようになるからです。若者たちが願うのはこの道しかありません。 このような愛国主義を広めるために、IOWC(国際機動隊)が各地を訪問していますが、市長や知事などに会見するのもそのためです。これらの指導者に影響されるのでなく、我々のほうが彼らに影響を与えなければなりません。学者たちもムーニーによって影響されつつあります。レバレンド・ムーンとその運動は過去十年間にわたって、常にマスコミその他から攻撃されてきたにもかかわらず、生き延びてきました。環境に対しての強い忍耐力があるからです。 思慮分別のあるアメリカ人は、いずれは我々のほうにやって来て指導を求めるようになるであろう、と先生は思っていました。今や多くの人々が先生の所に来つつあります。しかし有名な人に仕事をさせることはあっても、いくら会いたいといってきても先生と会うことは難しいのです。ワシントン・タイムズの編集長も、先生に会ったのは八カ月目でした。しかし、皆さんはこのように毎週日曜日に先生に会って先生の話を聞く機会をもてるのは、皆さんにそれだけ価値があるからではなく、毎週話をすることは先生の摂理的な務めだからです。何の話か分かりますか? (はい)。 我々はこのくらい上がってきました。(先生しぐさで示す) これからさらに越えて発展します。この時の運勢の先頭に立つのは韓国です。韓国は世界中で共産主義に対峙している第一の地です。「板門店」とは「板の門」という意味で「金門店」の代身です。(黒板に書かれる)板門店は民主世界と共産世界が合うということであり、金門店は天国世界と地上天国が合うということです。板門店では、偽りでだまそうとし合いますが、金門店はお互いが譲り合おうとするのです。何の話か分かりますか? このような「門」をもっている国は韓国しかないのです。東ドイツと西ドイツは自由に行き来しています。「金日成」という名前は、「金と太陽が成就する」という意味です。北韓の人々は彼を「お父さん」と呼んでいます。 これに対して先生の名前「文鮮明」を漢字で書けば、「文」は真理で、「鮮」は明確で、「明」は照らすです。(黒板に書かれる)「鮮」は魚と羊で、「明」は日と月です。すべてが象徴的なのです。日と月が合わさって明るい光を放つということで「父」というのです。このように一つの国が南北に分かれ、それぞれに「お父さん」と呼ばれる人物がいるような国はほかにありません。人間は二人の父親をもつことができると思いますか? (いいえ)。本当の父は一人しかいません。先生は金日成を恐れていると思いますか。それとも金日成のほうが先生を恐れていると思いますか? (金日成です)。どうしてですか。金日成が先生を恐れているのは本心において、自分の支配は偽りに基づいていることを知っているからです。それが明らかにされる日には、完全に負けてしまうからです。先生が偽りを暴露するので、先生を嫌い統一教会を恐れるのです。 民主世界においては、一番憎んでいたレバレンド・ムーンを一番好きになりますが、共産世界では一番憎むようになります。そのような転換期が来ていることを知らなければなりません。アメリカの人々が、「アメリカの政治家や他の権力者は信用できなくても、レバレンド・ムーンだけは信用できる」と言う日が来るでしょう。この国の大統領も任期は四年か八年ですが、レバレンド・ムーンと結ぶならば、永遠に保証される天国へ向かうことができると知っているのです。(拍手) そのためにアメリカのどんな人でも、レバレンド・ムーンに対して、いかなるアメリカ人よりも尊敬せざるを得ない、という結論になるのは当然であります。それは偉大なことであります。 人々はより高い価値を求めて、従来の考え方を変えつつあります。レバレンド・ムーンの教えは、この国の指導者、国会議員たちをより良い指導者にすることができるでしょうか? (はい)。いずれは、大統領に立候補する人がレバレンド・ムーンの支持を求めるようになる時が来るでしょう。 If time will not come, I'll make it.(歓声と拍手) 先生はこのような観点で見ています。 先生はこれまで何年にもわたって、学界の人々を通して、学者や指導者がこの国を将来のために正しい方向に導くように働きかけてきました。 このような先生の話を聞いた皆さんは、早く仕事に出かけたいという気になりましたか? (はい)。今日ここに座っている皆さんの中で、賢明な人は、“先生がアメリカを全部復帰したのちには、モスクワに行くだろうから、今のうちに私はモスクワに行って向こうで準備して待っていよう”と考えているかもしれません。しかしモスクワでは先生のことを、「お父様」と呼んではいけません。「ミスター・ムーン」です。(笑い) 皆さんは先ほど頭が良いと言ったのですから、どんなに頭が良いのか見せてください。(笑い) 誰かがスマートであると言ったでしょう、(笑い) どうですか? 皆さんスマートですか? (はい)。女性たちはどうですか、将来上院議員の夫人や副大統領の夫人になりたいですか。どうなるか分かりませんよ。今、皆さんの夫たちを育てていますから、どんなことでも可能性があります。先生は皆さんに最善の訓練を与えるために、アメリカについて正確に勉強しているのです。時間がたつのが速いですね。さあ、もう二時間ほどになるでしょう。時計よどうしてどんどん進むのか。(笑い) もうここらでやめましょうか? (いいえ)。 もし自由世界とキリスト教がレバレンド・ムーンに反対したら、どのような蕩減を払わなければならなくなるでしょうか。その蕩減条件はどこで誰が立てなければなりませんか。アメリカですか、キリスト教ですか。誰がそれを蕩減すれば良いのですか。レバレンド・ムーンを拒絶したことによって引き起こした負債に対して誰が責任をもたなければなりませんか。それは統一教会です。統一教会は彼らに対してアベルの立場にあるからです。ではアベルの立場は何番目ですか。三番目ですか、一番目ですか? (第二番目です)。 統一教会においては、第二番目の立場にいる者がいつも犠牲的な立場で蕩減しなければならないのです。統一教会と先生の家庭が合わさって蕩減しているのを知らなければなりません。二番目が問題なのです。十三年前に、統一教会の三十六家庭の中の二番目の劉孝元協会長が病院で死んだのです。国家的次元においての三年路程を三十六家庭が蕩減しなければならない一番難しい闘いの最中のことでした。また、先生の息子の中で二番目の喜進様が、一九七〇年に伝道に行く途中で事故に遭ったのです。また、お母様が生んだ子供の中で二番目の恵進様が一九六四年に亡くなりました。その次に、二男である興進様です。このような一連の出来事は二番目がすべて蕩減したという、原理的な事実です。このような蕩減を払うことなくしては、復帰していくことができないということを知らなければなりません。理屈ではなく事実がそうなっているのです。原理は作り上げたというものではなく、歴史を導いてきた真の原則なのです。 今回、韓国での勝共大会のために、先生は七十二カ国の学界の指導者を招待しました。世界平和教授協議会の七十二人の議長団はイエス様の七十二人の弟子を代表するものでした。彼らは最高の知識人たちであります。国家の首班までも指示することのできる、その国においては最高の立場にある彼らを、「韓国に来てください」と要請しました。何のためなのか理由は説明しませんでした。そこで彼らは何のためか分からないままに、とにかく行けば何だか分かるだろうと考えて、信仰をもってやって来たのです。 シカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」に参加した彼らは、十一月二十九日にシカゴを発って帰途に就きました。先生は十二月三日韓国に向けて出発したのですが、その時空港で指示したのです。それを聞いた時、それらの学者のうち三分の一はまだ自分の国へ到着してもいませんでしたが、先生が北韓の獄中で十二弟子を見つけたのと同じように、信仰をもって韓国まで先生を慕って来た忠実な学者たちでした。 韓国に来てから何をしたかといえば、共産主義を防御する世界的な宣言をしたのです。彼らがソウルの金浦空港へ着いた時、何のために自分はここに来たのか知らなかったのです。レバレンド・ムーンが、「来なさい」と言ったので来たのであって、何も知らなかったのです。そのような旅行がありますか? (笑い) 学者にとって十二月は一番忙しい時です。しかし彼らはやって来ました。それは特別の人から来るようにと言われたことがその動機となったのです。 十二月は誰にとっても忙しく、慌ただしい時です。韓国において、このような大会が十二月に開かれるというようなことは、これまで一度もなかったことです。韓国の政府も信じないし、ここにいる統一教会の幹部たちでさえ、「大会はいけません」とみな反対したのです。できると言ったのはたった一人、先生しかいなかったのです。統一信者が先生に対して信仰を保ち得なかったのです。韓国の幹部たちは、なぜ十二月に大会を開催すべきでないかを、あれこれと説明しましたが、先生はそれをすべて一蹴しました。先生は小さなノートを取り出して見せ、「この大会は神からの命令だとここに書いてある。だから必ず成功する」と言いました。 今回の韓国における勝共大会は、歴史的かつ世界的なものです。これによって共産主義に対する全く新しい方向性が与えられることになったからです。韓国の既成教会は、レバレンド・ムーンが勝共大会を開催するということを聞いた時、統一教会に反対していた彼らは困ってしまいました。もし反対すれば、人々から「共産主義に賛成するのか」と言われるので、今回ばかりは、レバレンド・ムーンのすることに反対できませんでした。韓国政府も、この十二月に大会をするなんて大きな誤りだ、大きな体育館を借りたところで、半分はガラ空きになるだろう、一万五〇〇〇名が集まる広場で、一五〇〇名か二〇〇〇名くらいしか集まらなくて、レバレンド・ムーンが面目を失うだろう、と考えていたのでした。しかし大会が予想外に成功したのでショックを受けてしまいました。北韓の金日成政権を倒して、南北を統一することができるのは、統一教会とレバレンド・ムーンだけだと国民は知っていましたが、それを示すことになりました。 光州は、勝共大会の開かれた最後の八番目の都市です。これがサタンにとっては、先生を攻撃する最後のチャンスです。サタンは何とかして先生が韓国で成功するのを阻止しようと必死でしたが、既に先生は、勝利を確保するすべての条件を立ててしまっていました。 先生が韓国にいる間、日本とアメリカは韓国の動静に注目していました。このように、サタンの勢力が先生を攻撃する余地は全くなかったのですが、先生の子女たちは、統一教会の基準にあります。サタンの攻撃に興進様が相手になったのです。それをはっきり知らなければなりません。すべての大会が成功裏に終えようとする時でした。先生がちょうど講演の壇上に立つ時間だったのです。光州は、共産主義の地下組織が多く潜伏して、彼らに有利でした。当日、大会は十一時開会なのに、十時に会場の体育館は完全に超満員になってしまいました。共産主義者たちが入って来て活動する時間もなく、活動することもできないほどにいっぱいになってしまったのです。身動きもできないほどでした。工作隊員はあまり早く会場に到着して、人目につくようなことはしません。そこで開会の間際に会場に来たところが、光州の大会会場はもう既に超満員でした。そのようなことが自然に、先生を防御できる良い環境となったのです。 そこで、サタンは仕方なく先生の一番愛する息子を選んだのです。先生の生涯を通して、犠牲になったのはいつも二番目の息子や娘でした。二〇〇〇年前、イエス様が十字架で亡くなりましたが、復活によって新しい霊界の城門が開きました。同様に、神は生命を捧げた興進様を復活させるでしょう。 皆さんは興進様が行くことによって、これからどのようなことが起こるかということを知っていなければなりません。 今大会で重要なことは、地上の真の父母を中心として国家的運勢、すなわちイエス様が国家基準において勝利できる基盤を韓国の地で、先生の時代になしたということです。国家的次元で大会をする時に、先生夫妻はいつもそろって壇上に上がりまりした。 さらにまた、この大会の準備を東洋と西洋のメンバーが一つとなってやったのです。大会参加者も、七十二カ国の代表を含め、国際的でありました。この大会は完全に大勝利を得たのです。 先生の時代において今はどういう時かというと、国家的基準を七十二カ国合わせることのできる、イエス様の時代に成し得なかったことを成したのです。それは何を意味するかといえば、世界的勝利に向けて進むことができるのです。一九八三年十二月十八日は意義ある歴史的な日となりました。先生は皆さんに、十二月十八日がどのような日であるか祈祷して、答えを先生に報告しなさいと指示したことがありますね。それはどういうことか分かりますか。 十二月十八日は、先生がこの地上において忘れることのできない日なのです。人間世界の先生に対する背信を中心としても忘れることのできない日です。先生が監獄から出てきて、第二の出発基地に向かった時、信じていたすべての人々から背信された忘れることのできない日です。しかし、今は、世界の代表たちが私を信じて、すべての国民が歓迎する中で、統一教会が一つとなって、また勝共連合やあらゆる環境のすべての人たちも完全に一つとなって、この大会を支援して、共産主義に対する闘いに献身することを先生夫妻の前に誓ったのです。これはちょうど、二〇〇〇年前にイエス様が弟子たちと共にローマへ行き、「世界のために神のみ旨に従いなさい」と宣布したことに匹敵するものです。 先生はこれまでアメリカで迫害を受けながらもこのような基盤をつくったので、「レバレンド・ムーンは言ったことは必ず実行する人だ」という評判になっています。法廷闘争をしながらもこれだけのことをやっているので、アメリカでは勝手に先生に対して手を出すことができないのです。先生が、「韓国に行って勝共大会を開催したい」と通知したところ、すぐに許可してくれました。このことは、ちょうどイエス様がローマの元老院に行って、元老院の支援を受けて全世界にキリスト教文化圏を宣布したことに匹敵する内容で、「私は地上天国を建設します」と宣言したのに対し、元老たちが「もちろん、どうぞそのお仕事を進めてください」と答えたようなものです。先生は十日間で完全に国民を覚醒させました。韓国政府のある人々は、先生の成功を認めるのに気が進まないようでしたが、下級の官僚たちはすべて先生の味方でした。「レバレンド・ムーンがどこへ行っても絶対に警察の車でエスコートするな」と通達を出したのですが、各地の警察署長は争って、最善の警備員を派遣してきました。(歓声―拍手) このような先生の成功を見て、サタンはどのように感じたか想像してみなさい。今や、はっきりと統一教会の時代に入ったのです。六〇〇〇年間サタンが今まで民主世界とすべての世界を食い荒して、九〇年代になれば全世界が思いのままにできると思っていたのに、これは何事かというのです。 レバレンド・ムーンはこの大会で、韓国の人々の中に信頼を獲得しました。それまで韓国国民はKAL機撃墜事件や、ラングーンでの閣僚爆殺事件によって、意気消沈してどうしていいか分からずにいたのが、レバレンド・ムーンによって希望と目標を与えられ、元気を回復したのです。ソ連と北韓は主体と対象の関係にあり、KAL機の撃墜事件は主体であるソ連によって引き起こされました。このようにして二つの国が打って来たのですが、レバレンド・ムーンが現れて十日間で国民の停滞したムードを変え、最高潮に引き上げてしまいました。また、グレナダもアメリカの救出作戦によって、共産陣営は西半球でも後退を余儀なくされました。一九八三年の十二月は、これまでの歴史上かつてなく白熱した重要な月となったのです。 一九八三年は、一九四五年から一九八五年までの四十年荒野路程の最後の三年間の最初の年ですので、それが終わる時に抵抗を受けるようになっているのです。昨年の私たちの標語は、「家庭教会は我々の定着地」と言いました。それで今年は、「祖国創建」というみ言が出たのです。これは歴史的な転換点だとは思いませんか? (はい、思います)。イエス様が十字架につけられた時、左右に二人の強盗がいました。それは何を意味するかというと、民主世界と共産世界です。(黒板に書かれる)そうでしょう。共産主義者は神様がいないと反対し、こちらは神様はいると言うのです。 興進様の事故が起こった時、その車にはほかに祝福の子女が二人乗っていましたが、二人は生き返ったのです。これはとても良いことであると思います。今回、その事故の現場に行ってみましたが、(黒板を使いながら説明)車道がこのようになっていて、相手の車がこのように、州道第九号線を走って来ました。その時、車は氷の固まりを避けようとして、ブレーキを踏んだところが、車は反転してセンターラインを越えてしまいました。そこへ興進様の車が突っ込んで行ったのです。普通このような場合には、運転手は無意識のうちに自分の身を守ろうとしてハンドルを切ります。しかし、興進様はあえてハンドルを右に切ったのです。どうして興進様は自分から突っ込んでしまったのか、これが問題なのです。道がこうなっているのです。(黒板を使いながら説明)こちらからトラックが道をこのようにふさいだのです。この辺りから来て……。それで興進様が乗った車はどうなったかといえば、運転台がここで、左側にあるのです。興進様はここに乗っていたのですが、こちらを打った場合、死ななかったのです。それなのに、どうしてかこちらをこのように打ったため、ここが壊れたのです。(先生、しぐさで示す)運転をすれば自然にこちらに行くのにどうして反対側に行ったのか、これが問題なのです。 興進様は、コーナーに突っ込んだのです。それで助かった二人は、「自分たちを意識して、車をそちらに回した」と言うのです。その話を聞いて、どれほど有り難かったか分かりません。このように興進様が他の二人を助けるために、自らを犠牲にしたということは、世界のために自らを捧げたことを象徴するものです。興進様はそのように犠牲になる可能性を決して恐れませんでした。むしろ自ら、それを志願したのです。イエス様の時は、十字架につけられた三人はみな、死んでしまいましたが、興進様の時は、興進様だけが他を助けるために犠牲となり、二人が生き残ることにより、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。 興進様は、珍福、珍吉の二人を父親のような思いで常に愛していました。父親がいないので、いつも彼らの家に行って過ごしていたのです。その二人を息子のごとく保護する思いでそのようにしたのだと思います。分かりますか? そのために自由世界と共産世界の蕩減条件を立てることのできる道が開かれたのです。興進様はこの両世界が将来一体化するようになるために、自らを国家的蕩減基盤に立てて犠牲としたのです。事故は自由世界であるアメリカで起こりましたが、身体は韓国に帰ったのであります。祖国に帰ったのです。このようにして興進様の身体は西洋世界と東洋世界に連結しているのです。彼は世界のために死に、国家的基盤である韓国へ帰りました。勝利的な国家基盤の上で生き、そして死んだがゆえに、興進様は今後、霊界と地上界を自由に往復することができます。 二〇〇〇年前、真の父母がいなかったために、イエス様は民族的基盤をつくることができませんでした。しかし、興進様には既に国家的基盤をつくった真の父母がいましたから、それを相続することができます。そしてイエス様御自身も興進様によって、地上の国を訪ねてくることのできる基盤が連結されたのです。このことの意味は、イエス様と二人の強盗が死から復活することができ地上に再臨できる基盤が連結されたということです。これまでに劉協会長ほか、古い幹部や、多くの食口たち、またその子供たちが死んだのは教会基準の犠牲であって、国家的基準で世界を蕩減するレベルにはならなかったのです。しかし、今回の興進様によって、初めて国家基準の犠牲となりました。ですから、興進様は霊界において最高司令官となり、地上世界との間を自由に行き来することができるのです。それで、先生は興進様の死ぬ前に、「養子を探してあげる」と約束したのです。したがって、祝福を受けることができるのです。 また、興進様は統一教会に対するすべての責めを負って犠牲になったのです。これによって、他の者がそれらの責めから解放されました。その恩恵は、我々統一教会の者ばかりでなく、自由世界と共産世界の人々にも及びます。ですからすべての人々は興進様を愛さなければなりません。自分の生命を犠牲にして愛というタイトルを全世界の人々に残したので、皆さんも世界を愛することができるのです。 興進様は先生の身代わりとなって行きましたので、皆さんが興進様を愛するその愛は、先生に対する愛となって表さなければなりません。分かりますか? 今まで霊界は、真の父母に連絡する道がありませんでしたが、興進様が霊界の代表となられたので、今や、興進様を愛するすべての霊界が直接に先生に連結することができます。また興進様は、統一教会のために行かれましたので、統一教会にも連結することができます。 興進様は命を懸けて、自分の仲間を愛するという模範を示しました。また、自分の父が世界のために生き続けることができるようにと願って行きました。霊界にいる人々は、興進様を愛することによって、地上にいる真の父母と連結することができます。ですから、彼が霊界へ行ったことは、霊界にとっては大きな喜びです。彼が霊界のメシヤとしてやって来たからです。興進様は、統一教会のための殉教の模範を示しました。それゆえ、統一教会のメンバーは、興進様をますます愛するでしょう。彼は霊界と地上界の両方から愛されるのです。 では真の父母はどうすれば良いのか、これが問題なのです。神の愛を歓迎し、地上の愛を歓迎する意味において、自分の息子を祭物として捧げたことを栄光と思い、誇りと思わなければなりません。 神様はアダムとエバが十代で堕落してしまったために、今まで、霊界においても一人の青少年も真に愛する機会をもつことができませんでした。しかし、今や、清い未婚の息子が霊界に行きましたので、復帰のために苦労してこられた神様が、純潔な子供を愛することができるようになったと、思うのです。それで先生が祈る時、「私が十代の少年だった時に、神様の前に基盤を整え得ず韓国を十分に愛せなかったことを申し訳なく思います。今、ようやく世界的な基盤を整え、国家基盤を蕩減した上でこのアベルを私の代身として、栄光を受けてください。私の時に栄光を受けられなかったのを蕩減してください」と祈ったのです。しかし、今や、自分の息子を犠牲として捧げたことによって、先生は韓国と世界に対して責任を果たしました。過去にできなかったことを今や興進様を通じて神様に受けてもらうことができたのです。 先生の二番目の息子としての興進様は死にましたが、先生は死なずに地上世界と霊界において愛の復活圏を成就します。死を通して興進様は霊界へ行きましたが、先生は死を通して霊界をつかみ、地上界もつかんで、愛の復活圏を設定します。もはや死は何の力ももたなくなりました。死亡圏と分かれるのです。ですから葬式も悲しみで行ってはなりません。それで興進様が地上から(黒板を使い説明)ここを通る時に、先生は特別な霊界と肉界とを中心とした式を行いました。その過程の話は複雑ですが、すべての蕩減条件を成して、「愛勝日」という日を宣布するために、死体を前にして、神様の愛のために闘いをしたのであります。これは何の話かというと、母や父が、死んだ我が子を思うよりは、神様の愛をもっと思って、死亡圏に勝つことのできる時であるというものです。 先生はあくまで神の摂理を中心として考え、行動します。それで病院で「統一式」を行いました。そして、この愛の勝利のゆえに、真の父母は本当に誇らしく思っていること、また、全霊界と地上界がそのために真の父母をたたえるであろうことを、神様に誓いました。この時、神様が見ても誇れる父母となり、霊界の先祖たちや、天使世界や聖徒、聖人すべてが誇ることができ、また地上世界の人々も、「なるほど、死亡圏を除去することのできる愛の権限をもっている方に間違いない」と、頭を下げることのできる勝利をしたのです。「愛勝日」とは、興進様の犠牲によって、真の父母が新しい基準に到達し、今後、その基準の上に前進して行くことを宣言した日です。分かりましたか? それゆえ、先生は、お母様に対して、「涙を見せてはいけない。今は涙を流す時ではない。神様と人類にとって栄光の時なのだから……。私的な場所では母親として涙を流しても構わないが、特に葬儀の時間は、公的場であるから涙を見せないように……」と言ったのです。そのような時間があったことを知っていなければなりません。それゆえ、民族的、世界的な新しい愛の方向を立てることができたので、「愛勝日」という日を宣布したのです。 一九八四年一月三日、午前四時に、先生は「愛勝日」を宣布しました。この時間の表す数は、一月三日の四時ですから、一プラス三プラス四で、再出発を表す八数になるからです。このことによって、地上において愛の連合戦線が始まるために、霊界においても愛の連合戦線が開始され、興進様には新しい使命が与えられました。それは、真の自由人として、霊界と地上界を自由に往復することができ、霊界と地上界の若者を導いて愛の力によって清めることです。 イースト・ガーデンの興進様の部屋は、そのままにしてありますが、おもしろいことに兄弟たちがみなそこに行って眠るというのです。あの部屋には何か引きつけられる力があります。このように興進様が若い人々を引きつける力をもっていることが、既に示されています。 先生は今回、新しい運動として民主世界の若者が先生の写真を携帯する運動を始めました。すべての青少年が先生の写真をもつ運動に参加すれば、霊界が完全に変わります。共産世界の青少年も、我知らず先輩や両親に反対して、新しい理想を探してさまようようになります。そのうち善なる霊が協助してくるようになるのです。このように先生の写真をもつことによって、その人の背後に善なる霊たちが再臨して協助することができるようになるのです。しかし、そのような恵みを受けるためには一つの条件があります。一定期間を、献身的に活動をしなければなりません。そうすれば何か良い恵みが与えられます。 この「愛勝日」の期間は、死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利せずしては越えることができないのです。それで先生は、興進様の葬儀の間は一滴の涙も流しませんでした。そして、朴先生が来て昇和式の報告をした時、初めて父親として泣きました。息子のために涙を流しました。公的な人は、自分に対しても厳格でなければなりません。先生は、お母様にこう話しました。「あの木の頂の芽は、一番高いところにあるので風が吹けば、一番多く、最も危険に揺れ動いています。しかしそんな中でも育っていかなければなりません。そのためには中心がなければなりません。台風がきても、根は深く張っていなければ芽は育ちません。私たちが神様の愛を必要とするのではなく、神様の愛により芽である子供たちが育たなければなりません」と。何の話か分かりますか? (はい)。 今回の出来事によって、飛躍するのです。そのようにして偉大な世界統一教会に成長するのです。我々がこれから行く世界は、真の父母の大勝利の橋頭堡を中心として、最高の最大の条件を立てる時代なのです。皆さんが自らの命よりも、もっと先生を愛する限り、もはやサタンはどこからも侵犯できないのです。それは興進様が皆さんの代身となって行かれたからです。ですから、何よりも真の父母を愛することによって、皆さんはサタンに打ち勝つことができるのです。今までの愛はサタンが支配するものでありましたが、これから神様が愛を主管するのです。「愛勝日」はそれほど偉大な日なのです。分かりますか。分かりますか? 先生の話は一度聞いただけではよく分からないでしょう。録音されていると思いますので、二度三度と聞くようにすれば良いのです。 先生がそのようにして神様と一つになって「愛勝日」を宣布したという事実を皆さんは知っていなければなりません。皆さんの活動に反比例して、今後サタン世界は急速に崩れるでしょう。皆さんは今の三年間をみ旨のために夜昼なく走らなければなりません。死にそうになったら、“私は三年後に復活する”と考えなさい。イエス様は一人で復活したのですが、私たちは“三年後には国家的に復活する”と考えなさい。イエス様は三日間で個体復活を成したのですが、私たちは三年間で国家復活をさせるのです。何の話か分かりますね。私たちはその日に向かって進み大勝利を獲得するのです。アーメン。(アーメン)。 誰しもいつかは肉体が死にます。しかし皆さんはサタン圏内で死ぬのではなく、神の圏内で死ぬことになるのです。ですからこれからの葬式などすべての式は根本的にサタン世界と異なるのです。先生は葬式と埋葬の新しい伝統を樹立しました。もう皆さんは、この「愛勝日」がどれほど必要であるかを知りましたね。分かりましたか? (はい)。 興進様は夜昼休みなく皆さんの側にいて、アメリカの若者たちと共産世界の若者たちと、すべての霊界の先祖と子孫たちと共に活動します。皆さんは興進様に負けないように決意しなければなりません。できますか? (はい!)。やるという者は手を挙げなさい。(全員、手を挙げる) 興進様が皆さんに礼を言うでしょう。霊界も皆さんと共にいるのです。これで「愛勝日」の必要性が完全に分かりましたね。 この「愛勝日」を宣布したことによって、イエス様もこの勝利の一時に同参する時代となりました。それで全キリスト教会の反対もなくなったのです。既にそのような基盤を整えたのです。それで、神学者と教授たちを組織し、次には牧師たちを中心として既成教会です。昔は、どこへ行っても嫌われたが、どういうわけか好きになるのです。彼らは先生につながっていれば気持ちが良いのを発見するのです。国際機動隊メンバーも既成教会に入って行くのが今まで嫌であったのが良くなるというのです。それでトレーラー・ハウスを出てどこに行って眠りますか? 路上ではなく既成教会に入って眠るのです。入って行くのです。「愛勝日」によって、カインがアベルを愛で歓迎する時になったのです。昔は愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は愛すれば福を受けるのです。 昔はカインがアベルを愛したら、サタンに殺されたり、苦労が多かったのですが、今や、そのような時は去ってしまったのです。神様が福を与える時が訪れたのです。もはやサタンは私たちの進む道に反対の旗を持って立つことができない時を迎えたのです。外的にもアメリカも全世界もそうなってきました。分かりますか? 春が来たのです。統一教会の春が来たのです。 欧米では春になると、ピクニックに行ったり、楽しみを求めますが、私たちは春は種を蒔かなければなりません。分かりますか。サタン世界は遊びに出歩きますが、私たちは種を蒔くのです。心の種、愛の種を蒔くのです。このように、この三年間は、夜も昼も休みなく努力しなければなりません。皆さんもそうすることを決意しますか? (はい)。 どうもありがとう。(拍手―歓声)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.13
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「四十年摂理路程と「愛勝日」の宣布」 --文興進様の昇和の意義--1984年1月3日ベルヴェディア カイン・アベルがひとつになれる文化圏 あなたたちは、ここアメリカに長い間いながらも、お母様の話を聞くのは初めてですね。(「はい」)。それは、歴史的な出来事です。皆様が知っているように、一九八三年を中心に先生は全世界に全体動員を命令しました。それで、三月に先生はIOWCを結成して今、全国的な活動を推進しています。 第二次大戦以後、韓国で先生がこの道を出発した四〇年摂理期間において、一九八三年から一九八五年までの最後の三年間の最初の年が一九八三年でありました。「この三年期間において世界は転換しなければならない」というのが摂理観であります。では、何を中心として転換するのか? イエス様はこの地上において、今から二〇〇〇年前にローマ帝国を中心とした世界的版図において、歴史的な転換点をつくらなければならなかったのです。国家的基盤を中心として、その次は世界と連結されて転換しなければならないということは、イエス時代も今の時代も同様であります。国家的基盤を中心として転換するのです。ユダヤ教とユダヤの国を中心としてローマを転換させるべきでした。しかし、それが失敗してしまったのです。 それで、韓国の摂理からみるとき、解放された第二次大戦直後に先生は公的路程を出発していました。その時、既成教会が受け入れて一体となっていたなら、既にその時から、アメリカと勝利した自由世界を中心として、信じられないような世界的規模の摂理が台頭し始めていたはずであり、キリスト教最高の文明圏を中心として、今日世界の頂上へと直ちに上がることができたのです。 そのようになったならば、アメリカのキリスト教が直ちに連結され、ローマ帝国が太陽神、自然神を信じていたそのような時代と異なり、これはキリスト教文化、即ち共同文化体制となるので、国家的統一にただちに連結されるはずでありました。 では、キリスト教は何かといえば、東洋の韓国に入ってきているが、キリスト教文化圏は東洋と西洋とアメリカと完全に連結されているのです。このように連結されているものはひとつしかないのです。しかし、キリスト教文化圏には東洋の思想を吸収する道がないのであり、東洋の思想ではキリスト教文化圏を吸収する道がないのです。統一思想を中心として、統一教会の原理を中心として、はじめてこれがただちに連結されるのです。 これをひとつのカイン・アベルとしてみるならば、その時、西欧社会においては、キリスト教文化圏はアベル的立場において東洋を救ってあげなければならなかったのです。ここにカイン・アベルがひとつになれる文化圏、東洋・西洋の文化圏をひとつに連結させなければならない天的意義があるのです。それがなされていたならば、今日統一教会は四〇年の受難の道、四〇年という期間が必要なく、その時から勝利的に七年間経過すれば、キリスト教文化圏を消化することができたのであります。今日のいわゆる統一教会の迫害とか“ムーニー”とかさまざまな歴史の曲折を残すこともなかったでしょう。 このようにみるとき、こうした立場から生まれた先生一人を中心として、神様はどんなことがあってもこれをなしてほしいと願われるし、サタンはどんなことがあってもこれを破ろうとするこの二つの岐路に立っているのです。では、先生の側に立つことのできる人たちはどのような人たちなのか? それはアベルと天使長です。天使長圏というのは霊界全体、アベル圏としてはキリスト教文化圏であります。 そこで、キリスト教はどうだったかと言えば、神の摂理的意味を知らずに右往左往していたのです。では、霊界から命令をしてやるべきか? キリスト教自体、アベル自体がカイン圏を収拾すべき責任があります。そのような立場からすると、韓国を中心としてみるときにはそれが可能であります。アベルが韓国、つまり東洋を代表したカイン圏をコントロールするのです。 一九四五年当時、アメリカを中心としたキリスト教文化圏が、韓民族に大きな影響力をもっていました。形状的蘇生段階において、カインとアベルが民族的レベルでひとつになっていました。外的意味では、米国キリスト教を代表していた米軍がアベルの立場で、カインの立場にあった韓国を治めようとしていたのです。だから、形態からみた国家的な基準においては、カインとアベルがひとつであります。しかし、内的、宗教的な面からみれば誰がカインであるかといえば、キリスト教がカインであり、統一教会がアベルの位置にあります。これがひとつにならなければなりませんでした。ですから、キリスト教が統一教会を受け入れさえすれば、すべてが動き出すはずだったのです。キリスト教が統一教会を支持するようになれば、これは完全にひとつになるのです。わかりました? 監獄からの出発 ところが、キリスト教が統一教会に反対したのです。先生に反対したのです。反対した立場から完全にサタンの立場に立ったのです。キリスト教が統一教会に反対した時、初めは韓国政府は統一教会の側に立っていたのであります。しかし、当時サタン的になってしまっていたキリスト教会の悪らつな先生への攻撃により、統一教会反対にまわってしまったのです。それは何故かといえば、韓国政府はキリスト教会の強い影響下にあったからです。このようになることによって、共産主義が完全に浸透し、完全に定着するようになって、世界的なサタンが奮起するようになったのです。 それは国内の内的キリスト教文化圏もそうであり、外的にもそうであるので、完全にサタン圏内に入ってしまいました。こうしてあらゆるものが、先生に反対するようになったのです。キリスト教が怨讐となり、キリスト教サタン圏と共産圏サタン圏がひとつになって、それにさらにユダヤ教、全宗教を動員して打とうとし、全人類を動員して打つし、全共産主義を動員して先生一人を亡き者にしようとするのであります。それで、先生は行くところがなかったのです。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるのに、しかし、人の子には枕するところがない」と聖書に言われたその道を行くのです。 先生は本来苦難を受けるために生まれてきたのではなく、高貴な立場で生まれた人なのです。本来、歴史的な基盤が先生のために整えられていたはずなのに、それが全部破られたので、それがくずれるようになったときには、その基盤を代わりにつくることなしには生きる道がないのです。キリスト教の目的は再臨主が立つ基盤をつくることにあるにもかかわらず、キリスト教が先生に反対したので、再臨主が立つ基盤がすべてくずれてしまったのです。そのため先生は一から建て直しを始めなければならなかったのです。先生はサタン世界の絶頂にまで追いやられました。誰も味方する者もなく、立つべき地もなく、自らの基台を最低の状態から再建しなければならなかったのです。それで、先生は国を捨てて、キリスト教と血みどろな闘いをし、解放後のすべてを捨てて北韓の共産世界に入っていったのであります。監獄に入って、イエスの公生涯と同じ二年八カ月を過ごしました。その獄中でイエスが失った弟子たちを探し求めてもどってこなければならなかったのです。逆の道をたどってくるのであります。 イエスが果たせなかったことを世界的な基準に連結させて、イエス様とまったく同じ立場に立つのです。その二年八カ月の苦役の後、国連軍により解放されました。これは意味のあることで、全世界が蕩減を払い先生を守護したということになるのです。 国家的迫害を越えて 解放後、先生は南に行き、二年八カ月の蕩減路程で造った基台の上に、新しい運動、統一教会を出発するのであります。キリスト教が出発するのではありません。先生が蕩減条件を立てた瞬間から、新しいキリスト教文化圏として、キリスト教が失敗した立場を更新するための基盤造成のために出発したのが統一教会であります。十二弟子を訪ねて行って蕩減することによって、初めて南の地に入ることができ、それで神の前に弟子たちを探し出すことができるのです。イエス当時においては、獄中に向かう途中、使徒たちは皆逃げてしまったのに、先生は獄中において弟子を探したのです。逃げ散っていくのではなく、逆に最も危険な状況下で先生の所に集ってきたのです。 その時、西側世界を代表する十六カ国の国連軍が協助したので、国連軍が払った犠牲ゆえに、今日アベルの位置を得、西欧文明がアベルの立場になったのです。それで、韓国と、北韓にいた先生のために血を流したという条件のゆえに、西欧文明と自由世界は真の父母の救いを受けることができるようになりました。国連の理想は何かといえば、世界をひとつにするという神の理想に通じます。こうして、生死の境ともいうべき最低の状況から出発した先生の苦難の路程が始まったのです。それで、この過程においては個人として、サタンと神との死ぬか生きるかの闘い、また家庭を中心として死ぬか生きるかの闘い、また種族を中心とした死ぬか生きるかの闘いにおいて、世界的にこのような生死をかけた闘いをしてきたのであります。 それで、いつもその国の主権者が我々の運動を妨害しようとして、先生は常にそれらと直面してきたのです。彼らはどんな小さな条件でもそれを利用して、先生を投獄しようとしました。そのため監獄にも入りました。機会さえあれば、獄殺までもしようとしたのです。それは北韓の続きのようでした。主権者のだれもが先生の運動に反対し、つぶそうとしました。 七〇年代に入ると神の摂理は民族的基準、国家的基準となっているので先生は絶対的愛国の位置にあって、政府に最後のメッセージを送りました。しかし、拒否しました。それを受け入れていれば完全にひとつになることができたのです。それで先生はアメリカに渡ったのです。 その当時、ニクソン大統領は地に落ちていました。先生の話を聞いてニクソン大統領が追放されなかったなら、統一教会を中心としてニクソン政府、アメリカ、韓国と一連の連結をすることができ、西欧文明と国家的基準において完全にひとつとなることができたのです。しかし、ニクソンは先生を利用するだけ利用して放り出してしまおうとしたのです。先生を個人的に見たため、韓国人で何でもない一人の宣教師と思って、天命をもってきたということを知らなかったのです。そのとき、先生の話を聞いていたならば、ウォーターゲートは勝利し、そこから先生を中心として新しい連帯による新しい時代が始まるはずでした。 その次にフォードが現れましたが、彼は力量不足でした。その次の政権はカーターで、彼は闘いを挑んできました。カーターは就任するや否や先生に宣戦布告をしたのです。ここから悲惨な四年間が始まり、先生は最初から彼の行政に反対しました。先生はカーターが共産世界の道具として選ばれていたことを知っていました。彼は共産主義という神を否定する力に仕えていました。彼の任期中、マスコミ全体が先生は市民の敵であると宣伝し続けたのです。そうなると、全世界の言論界、宗教界、アメリカ全体がひとつとなってレバレンド・ムーンを打ってくるのです。先生はカーターの目標が先生をアメリカから追放し、アメリカでの影響力を消去することであることを知っていました。あって無き者にしようとしたのであります。 彼の後にくる大統領がレーガンであるとは誰も夢にも思いませんでした。神のみ心を知って、彼の地すべり的な勝利を予言したのは先生だけだったのです。今、レーガン政権を中心としてアメリカをもと返す運動をしています。先生がそうしようとしたら、神様もそうするしかないのです。 統一主義の時代 このようにみるとき、レバレンド・ムーンには、キリスト教文化圏が失ったものを探し出すことと、サタン圏内で反対しているアメリカを再び探して立てなければならないという二つの使命があります。あなたたちもそれを協助しなければなりません。まず、何をなすべきかというと、米国国家、キリスト教国家を再び復活させることです。そうすることによって、キリスト教文化圏が滅びないのであります。それからアメリカが滅びない、この二つのことをやっているのです。しかし、裁判問題を通してすべて亡きものにしようとしています。 目標は、新しいキリスト教の復興と新しい国家的蘇生であり、生き残ることのできる道なのです。その基準が第二次大戦以後に行くべき道であり、世界へ行くことのできる神の道でした。 その内容を提示したのが、先生がアメリカで行くところの歴史的路程であり、今のこの闘いであります。 そして、統一主義と神主義のみがアメリカの行くべき唯一の方向であり、それなしにアメリカには何の方向性も展望もありません。先生がカウサ運動を始めた時、人々はそれがアメリカの蘇生にあまりにも有効であることを目の当たりにしました。全世界の既成キリスト教も、統一教会に代わることができないということを人々がはっきりと知るようになる時が近づいていることをみなさんは知らなければなりません。また、全世界の思想、共産思想、民主思想をはるかに上回るものが統一思想です。このような判決が出れば、すべてが新たになってくるのです。 今まで人々は、この統一主義が果たしてそんなに大きくなるものかどうか興味津々でみていました。彼らは先生の思想を笑い草にし、我々の運動が続かないと思っていました。ところがどうでしょうか。これらのことが広まって、アメリカにおいても国家や教会の死活問題に影響力をもつことのできるような人々がカウサ運動に命がけで取り組む段階に至っているのです。今はよく考えてみると、アメリカにおいては宗教を収拾する道がなく、民主世界をも収拾することができません。経済でもっても収拾できないし、軍隊をもっても収拾できず、アメリカを生かす道がないのです。 今はそのような立場にいるので、共産主義は解答をもっていると言いながら、アメリカを引っ掛けようとしています。それで、先進国に住んでいる西欧の人々には共産世界の思想と経済を消化する道は絶対にありません。そのことが完全に明らかになって判定が下される時代がくるのです。さらにソ連や中共自体の内部をみたら、どうすることもできない混乱状態にあります。深刻な経済問題をかかえており、自由世界を消化する力はありません。地下の情報からすると二年ももたないようです。そのなかにおいて、お互いが争っているとすればなおめちゃくちゃになります。 ところが、ムーニーたちはその後で腕を組んで見ているのです。先生は「よし、裁判問題ゴー、何がおこるか見ていなさい」と言っています。今、世論が変わりつつあります。ワシントン・ポスト紙までも、レバレンド・ムーンもそんなに悪い訳ではないなどと書き出しています。ムーニーは完全に地にたたきつけられてなくなってしまったと思っていました。ムーニーはここにいるのにあまりにも大きいので、よく見えないのです。その地から信じ難い成長を遂げて、葉や幹がこんどはすべてをとり囲み始め、今や先生の影響は至る所に及んでいます。それで、世界的に連合を造って連結させなければなりません。統一教会の時代が来たことを知らなければなりません。 一人で荒野に立つ先生 そうすると韓国も、全世界に連結させている勝共、統一主義、神主義を中心にする以外に国際的につながる道はありません。今や、最後の三年期間に、韓国の地で自由世界を再創造するのです。このために、今回の韓国での勝共大会があったのです。解放後に国連がありながら、キリスト教文化圏、全自由世界を連結させえなかったことを、再度四〇年目を迎えるこの時に、統一主義を中心に世界をひとつに結んでいこうとすることなのです。わかりますか? こうして第二次大戦直後に、再臨主がこの地上にきて、神様の御旨が正常な道を行くはずであったその時代が再び訪れるのです。ひとつにさせるのにおいて、何が一番必要であるかといえば、経済力をもってしてもできないし、科学力、技術力をもってしてもできません。国際共産主義の脅威のもと、自由世界の共通の利益である勝共という唯ひとつの道を通してのみ可能なのです。それで、米国を連結し、日本を連結し、世界を連結するために韓国において、「勝共決起大会」を行なったのです。国民も国家も行く方向を知らないでいます。今回、先生は行くべき道を完全に提示しました。国民と国家に希望と方向を提示しました。先生は方向と希望をもって、国民と国家が行くべき道を提示したのであります。 それで、国民全体が「レバレンド・ムーンが帰ってくる」と言ったら、政府は勝共大会をしないように反対したのですが、完全に満場となりました。韓国政府は半分だけ協助したのです。レバレンド・ムーンと統一教会に反対したら大変なことであり、また一方、キリスト教があるので、どうすることもできず、その間に立って右往左往していたのです。 政府はこのような時には、統一教会を受け入れるべきだったのです。そうであったなら、今回の蕩減条件は必要なかったのです。 韓国自体は四〇年前、即ち解放以後にキリスト教文化圏に組みこまれました。そして、今回は西欧社会、つまりキリスト教文化圏と統一文化圏がひとつになったのであります。そこから世界へ行くことができ、生きる道が生ずるのです。 それで一九八三年に、一九八三、一九八四、一九八五年の三年を残した一年目に勝共決起大会を行なったのです。これを一年目になさなければなりません。二年目はいつもサタンの攻撃を受けるのです。アベルもそうであり、ノアの息子ハムもそうであり、イサクも、イエスもそうであり、二番目がいつもサタンの侵入を受けるのです。それゆえ、八四年度、二年目になると困るのです。いかなる冒険をしたとしても、行なわなければならなかったのです。一年目に決定的に基盤を固めておかなければなりません。二年目では考えられないほどの統一教会への迫害が来るのです。それで、生命をかけて行なう以外に道はありませんでしたから、先生は神を信じて、誰もが「やってみろ、やってみろ、成功するはずがない」と関心さえもたずに嘲笑するなかで行なったのです。 このような意味で、二週間以内に全国的に行なおうとしたのです。我々に体育館等大きな会場の使用を許可したのは、その体育館を満たそうとしても、一年間かかっても満場にすることはできないと思って、失敗するのを見て笑おうとしたからです。今回の大会においては、私だけが勝利すると確信していたのであって、ほかには誰ひとりいませんでした。何度も間違いなく勝利すると言ったのです。疑い方があまりにもひどいので、私は出発する前から「大勝利をする」と手帳に書きました。それは条件付きでありました。信じなかったからです。 大韓民国が信じ、統一教会が信じ、幹部が信じて勝利したならば、これは一大勝利としてすべての道が一度に開かれるのです。先生をみれば、全員が先生を疑って、先生を守る盾とはなっていなかったので、一人だけで荒野に立っていました。だから危険なのです。そこで、先生が指示をし、このような危険を防御する対策を立てました。サタンはすべての不信仰の条件を取って攻撃しようとしたけれども、光州の場合は十一時に始まるはずだったのに、十時半には完全に満場になってしまいました。そのため、集まった人々が会場内に入ることができなくて外に溢れ、悪党たちも入る余地がなかったのです。そのような大会でありました。 サタンはレバレンド・ムーンを攻撃することができなかったので、仕方なしに二番目の息子を打ったのです。何の話かわかりますか? そのため今回の事件があったのです。私はこの大会を終えずには帰ることができなかったため、お母さんは帰ると言ったのですが、「帰ってはならない」と言って引き留めました。そして、リトル・エンジェルス学校での最後の大会が終わるや否や、空港へ向かったのです。 「七十二使徒国家が完全にひとつになる」 それで、その間何をしたかというと、世界の碩学たち、民主世界を代表した七十二カ国の教授たちを呼んだのです。シカゴの科学者大会が終わって、まだ自分たちの家に到着もしていないのに、その内容を説明もしないで、「韓国に行きなさい」と方向を変えたのです。教授にとってクリスマス、年末のその時期は一年間で時間をとるのが一番難しい時です。それらを完全にさておいて神の命令に順応したということは、これは歴史的な事実です。サタンが讒訴することのできない事実です。それは何を意味するかといえば、先生を中心として世界の碩学者たち、知性人たち、その国が、完全にひとつとなったということであります。 民主世界圏は、統一教会の国家基盤の拡張と共に、世界に民主世界の運勢圏ができて、韓国で完全に接ぎ木されたのです。七十二使徒国家が完全にひとつとなったのであります。だから結局は解放以後に韓国が新しく独立国として出発したように、新しく出発することのできる国家基準が立ったのです。キリスト教文化圏と自由世界のすべての運勢圏を合わせて、七十二カ国の人たちが先生を証すのであって、自分たちの自慢はひとつもなかったのです。そして十二月十八日付で、この学者たちが宣誓決意文を出したのです。宣誓決意文を中心として全部がひとつとなって、主にあって「世界をひとつにしよう」と私たちの誓いの五番を決意し宣誓したのであります。 興進様の死はすべてをひとつにした では、世界がひとつになったでしょうか? なってないでしょうか? (「なりました」)。失われたキリスト教文化圏が、統一教会によって実現されたでしょうか? どうでしょうか? (「実現されました」)四十年前に失ったものを完全に復帰しなければなりません。それが、このような基準においてなされたために、今年の標語を「祖国創建」としたのであります。 あなたたちは、今まで話を聞いてそれが蕩減復帰を中心として四十年前を蕩減したことに間違いないと思いますか? 間違っているでしょうか? (「間違いありません」) 今や、この民主世界も、キリスト教世界も、共産世界も、すべてが大転換期に入って来たのです。サタンが反対し、政府が反対し、既成教会が反対し、キリスト教が不信し、統一教会が不信し、幹部が不信し、すべてが不信したのを、どこにいって痛哭するのでしょうか。先生が生命をかけてやる以外にありませんでした。先生が亡くなれば大変なことです。しかし、先生だけは信仰をもって出て行き、勝利しました。 統一教会の息子、先生の二番目の息子は世界的であります。先生の家庭において生きておられるイエス様と同じ立場なのです。だから、二番目の興進を打ったのです。この興進が亡くなることによって、どうなったかといえば、父と母をひとつにし、父母と統一教会の幹部たちをひとつにし、兄弟たちをひとつにし、統一教会をひとつにし、キリスト教をひとつにし、西欧社会をひとつにすることの条件となったのです。 病院にいる時、カトリック教会の神父も来て慰めてくれたし、すべての宗教、教授たちが皆この期間を中心として、哀悼の涙を流し、すべてがひとつになったのです。今、「神様会議」に参加している哲学者、神学者らもすべて興進を哀悼したのです。しかし、その犠牲が必要であっただろうか? どうだろうか? 仕方がなく祭物としてこのようなことが起きたのです。 すべてのものがサタンの讒訴によって分裂してしまうしかなかったのが、祭物を中心として再びひとつの方向に、涙と共に連結されたという、このような事実があることを知らなければなりません。だから、先生はできる限り涙を流さなかったのです。私は涙を流さなかったのです。 今この時は興進がこの地上に来て、歴史的な深刻な峠を越える時間なのであります。 偉大なる勝利 一九八三年、私たちは信じられないほどの犠牲により、歴史的な蕩減を支払いました。そして、一九八四年は二年目ですが、これからは希望的な時代が訪れるのであります。一体となって越えることが、統一教会に希望をもたらすことになるのです。そのために、興進様の死は他のいかなる死よりも偉大なものであります。イエス様は、ユダヤ人の激しい迫害のために死んだが、興進様は、すべてをひとつにするために亡くなったからです。 今年は、統一教会が創立から三十年になる年です。一九五四年から一九八四年、ちょうど三十年になります。これから二年八カ月ほど残っているこの間に、勝敗を決めなければなりません。 先生は、あなたたちが知らない蕩減復帰の深刻な歴史を、あなたたちが知らないうちに耐え忍び、そして、曲折の峠を亡びないで生きている先生であることを、皆さんは知らなければなりません。私が、お母様の言う通りに、“行かないで下さい”ということばに従って、韓国に行かなかったらどうなったでしょうか? 興進様は生きたかも知れないが、世界は一切の希望を失っていたことでしょう。先生も死に、一般の統一教会の信者たちも、これから先、共産党にやられる危険性があったということを知らなければなりません。そのために、先生は自由世界を代表し、すべての家庭、国家を代表し、そして、死を覚悟して立ったのです。 皆さんはこの話を聞いて、興進様が亡くなられたことが、このように価値があると思いますか? 価値がないと思いますか? (「あります」)では、価値がはっきりわかった者は手を上げてみなさい。あなたたちは、興進様の死の価値を確実に知らなければなりません。私たちの興進様は、亡くなる時まで完全な信仰を持って、偉大なる勝利を残していかれたのです。それゆえ彼が成せなかったことを私たちが成さなければなりません。あなたたちは、それを宣誓するのです。あなたたちは、一九八四年の神の日に、神と真の父母の前に決意したのですが、今、このことをはっきりと知り、そして、神の前にもう一度誓わなければなりません。(「アーメン、アーメン、アーメン」)このような歴史的意味を、あなたたちは、先生の話を聞いてはじめて知ったでしょう。もし、このことを知らなかったら、歴史的な謎として、いつまでも批評することができます。“先生の息子はなぜ死んだの?”とか、“神様のお仕事をしているのに、神様は保護しなかったではないか”とか、さまざまな曲折が世界に広まり、「神様は先生の家庭を保護しない」と決めつけ、統一教会の歴史において悲惨な記録として、人々はさまざまにいうのであります。だから、はっきりわからなければなりません。(「はい」)。それで、この話を聞いたあなたたちは幸いですよ。 神の国の総司令官として 興進様は亡くなったが、霊界に行ったのです。イエス様はこの地上に来られて霊界に行かれたのですが、真の父母とか、真の家庭、そして氏族、民族、国家を得ることなしに行かれたのです。だから、イエス様は行かれてから再び地上に来なければならなかったのです。そして、行く時、彼に従っていた数多くの人々が縦的に血を流していかなければならなかったのであります。しかし、今回興進様が行かれるにおいては、世界的な基盤を連結させ、国家的な基盤を連結させ、真の父母を中心として、地上に確かな基盤を整えて行かれたので、霊界に行かれても自由に地上に来ることができるのです。わかりますか? 霊界と地上界を自由に行き来することができるのです。イエス様は行かれてからすぐには来られなかったのです。興進様は、歴史以来の若い二世の霊たちを皆引き連れて全世界の至る所におりてくることができるのであります。 カナン復帰は二世たちがやったでしょう。それゆえ興進様や二世の霊たちもカナン復帰をするのであります。二世の霊たちを引き連れてくるので、一世の霊たちも自然についてくるようになるのです。民主世界の若者たち、ティーン・エイジャーたちは皆サタンによって犯されています。フリーセックスとか、ドラッグで病身になっているのです。しかし、この霊たちが協助することにより、統一教会に入る刷新運動が本格的に始まるのです。 それで、興進様はカナン復帰の先頭に立ったヨシュアとカレブのような使命を成すのであります。サタンは奪っていって自分は勝利したと言うが、神様はこのような復活の役事でもって、興進様を神の国の総司令官とされるのであります。天使長がアダムとエバと完全に一体となっていればサタンの侵入を受けなかったように、統一教会の皆さんの実体が霊界とひとつになり、興進様と完全にひとつとなれば、ちょうど天使長がアダムとひとつになったのと同じ結果になるのです。そうなると霊界が協助するようになります。今や全霊界が開いて新しい道が開かれたのです。 皆様も世界中の統一教会のメンバーも懇切に祈り、どうか興進様を“生かしてほしい”と願ったのでありますが、興進様が生きるかわりに統一教会はどうなり、世界はどうなり、先生はどうなるか、はっきり意味を知らなければなりません。私たちは、興進様の霊の中に生まれ変わらなければなりません。何の話かわかりますか? (「はい」)一人がそのようにして霊界に行くことによって、何千万の人たちが復活することができるので、興進様は、霊界において栄光の立場に立たざるを得ないのであります。 今日出発する前に、私たちはそのような心を持たなければなりません。米国から次は、韓国に連結されなければなりません。西欧社会の心も完全に興進様が持っていかれて、韓国と連結させるのです。縦的に横的に一つに調和させるのであります。今までの歴史時代にない神の国へと道が開かれたのであります。それだから泣いてはいけません。喜びの心で未来の希望の日を待って下さい。「私たちが実践して、あなた様が生きておられる以上の何百倍も解放の日の到来を短縮いたします」。このような心のみが、興進様を見送る者としての心持ちでなければなりません。 だから、これは歴史的な転換式であるということをあなたたちは実感できますか? (「はい」)。 今年の神の日にこういうようにして、憂鬱な悲しい顔をして大変だと言っていた人々が先生のお話をわずか一時間ほど聞いたら、みんな復活したのです。あなたたち、復活しました? どうですか? (「復活しました」)\D006「ああ事実を知ってみると、そうだったのか」ということがわかるでしょう。では、アメリカもこれからIOWCをつくって世界をまわってみましょう。アーメンですか? (「はい」)「アーメン」というのは、腹の底からですか? (「はい」)これからは死んでも死にがいがあるでしょう。(「はい」)何も惜しいことがないのです。先生のお話が事実であるならば死んでも惜しいことはありません。 先生は首を差し出してから長いのです。(先生の)個人時代においても世界的に殺そうとしたり、家庭時代においても世界的に殺そうとしたり、種族時代においても殺そうとし、民族時代においても殺そうとし、世界時代においても殺そうとしたのであります。今我々は自由世界においてナショナルレベルからワールドレベルへ上がっていくのです。アメリカに対して私たちが主体であります。ローマに対してイスラエルの主体がイエスでした。そうですか? どうですか?(「そうです」) 私たちは、「ひとつの言語と、ひとつの文化と…」という私たちの誓いの第五番目の宣誓が絶対必要であることを知らなければなりません。アーメン。(拍手) 愛勝日の宣布 今日は歴史的な日であります。皆さんは「天勝日」を知っているでしょう。八年目に愛の道に立つのです。一九七六年十月四日に「天勝日」、それから八年目で「愛勝日」が定められたのです。今まで“神様の勝利した日”はもっていましたが、“神の愛を中心として勝利した日”はもっていませんでした。愛勝日をもってはじめて間接主管圏内に入っていくことができるのです。わかりますか?(「はい」) 間接主管圏を越えて神の直接主管圏内においてはすべての主管は愛の基盤の上になされるのです。 今までは何かといえば、サタンの死亡圏が愛の領域を支配してきたし、愛の領域を蹂躙してきたのであります。(黒板に書かれる) そのために、愛をかけて、皆地獄に行くのです。フリー・セックスなどは(黒板を指しながら)ここに引っかかるのです。 しかし、この日から、愛が死亡圏を主管するのです。世界の人々は天国へと入っていきます。どれほど大きな転換式なのかわかりますか? 歴史時代に一度しかない転換式なのです。皆さんがこの時間に参席して、このお話を聞くということは驚くべき事実であります。 興進様は天の人として死亡圏を勝利したという条件を立てなければなりませんでした。 父母様が一番悲しい立場、一番悲しむ立場であるのに、体をまともにしていられないほどの立場であるのに、条件を立ててその死を越えることにより神の愛、本性の愛というより強い力に到達することによってこの世が逆転するのです。父と母が生命圏を中心として死亡圏を突破しても残るという、そのような条件を立てるのであります。 サタン世界の数多くの愛をも顧みないで神の愛にひたることのできるそのような式がなければなりません。これが今朝午前四時、先生とお母様が特別に行った儀式なのです。わかりましたか? それで一九八四年一月三日を「愛勝日」として決めたのです。 興進様も今や愛の圏内で死んだ息子として送るのであります。わかりますか? 昔、イスラエルの人々は、みな麻で死体をくるみ、イエス様の死体もそうしたでしょう。それを越えるのです。サタンが死亡圏から生きたものとして認めざるを得ない条件をもった愛の圏内の死体として、解放された霊として送るのであります。 イエス様も死体をめぐって争いがあったでしょう。興進様の場合はそういうことはありません。完全に神の圏内にいるのです。死を征服した人となるのです。わかりますか? だから、イエス・キリストが願っていた以上の、霊界と肉界に対する充分な負債が払われたと感ずるときがきたので、すべての世界史的蕩減路程が終わったことを決めて、「愛勝日」を宣布することができるという驚くべき事実を知らなければなりません。だから、この日を思う時は、興進様の精神を忘れてはなりません。わかりました? では次のことを指示します。 「祖国創建」の方案祖国創建は次のような思想をもってやらなければなりません。第一に、家庭における孝子の思想。(家庭的段階)① 父母との一体化 孝子の思想は何であるかといえば、父母とひとつになるための思想です。誰を中心としてひとつになるか? それは父母を中心としてひとつになるのです。② 父母と子女の一体化 これが孝子思想です。③ 兄弟との一体化④ 全家族の一体化 全家族といえば、義理の親族や従兄弟も含みます。⑤ 愛と責任的中心者 見せてあげるのです。愛と責任はこのようにしなければならないし、父母を愛する愛はこのようにし、父母を敬うことはこうすることであると見せてあげるのです。⑥ 歴史的最高の実行者 これから私たちが祖国創建するのにいかなる思いをもってやるかといえば、今まで歴史時代の数多くの人々が国を独立させるためになくなっております。父母のために犠牲となり、家庭のために犠牲となった人々、歴史時代におけるそれらの人々以下であってはなりません。それ以上に上がって行かなければなりません。わかりますか? だから、父母に対しては異義がありません。このようにして孝子という名をもつことによって、忠臣の立場に行くことができるのです。孝子の名をもたずしては忠臣の立場にいくことができません。人は孝子という過程をパスしなくては神の国へ行く資格がないのです。アメリカはそうでないでしょう。この世では、父母に不孝しても、愛国者として生命をかければ愛国者になりますが、神の国はそうなっていないのです。家庭で孝道をしなかったらそのような国家的基準を満たすことはできません。それが、この世とは異なる点です。今や私たちは国を創建しなければなりません。神の国を創建するために、このような過程を経なければなりません。そのために今これらのことを話したのであります。第二に忠臣の思想(国家的段階)① 国の父母と一体化 国の主権者は国の父母であります。わかりますか? その国の王はその国の何ですか? 国の父母です。今日の民主世界の国の父母は四年ごとに変わりますが、それはいいことですか? それで神の国となれますか? (笑い)どうですか? 本来は、神様を中心としてひとつとなった真の父母が家庭を成し、大きくなって国の主人となり、世界の主人となり、天と地の主人とならなければならないのです。そのようにみれば父母はただひと方なのに、孝子とならずして神の国に行くことができますか? 国を経ずしては世界に行くことができますか? 世界的になれないのに神の国に行くことができますか? それは確かでしょう? これは、この世ではそうなっていないけれど、神の国においてはそうなっているのです。「祖国創建」という言葉はそのような国を中心として使うのであります。これは原理に合いますか? (「合います」)それで、忠臣思想が一致されたなら、国の父母との一体化がなされます。② 国の父母と子女の一体化③ 国の兄弟との一体化④ 全家庭の一体化(ここでの家庭は国の家家をいいます。)⑤ 愛国思想の確立化⑥ 歴史的最高の実践者 だから、中心がひとつに合っていれば、⑤、⑥番は同じなのです。第三に聖人の思想。(世界的段階)① 世界のために一身奉献 国のために自分個人を完全に捧げること② 世界のために一家奉献 父がやっていたことを自分がやる。それを今、私たちがしようとしています。聖なる子女たちがやるのです。これまでの聖人は神様の家庭をもてなかったのです。それで、統一教会は家庭全体が出動して伝道するのです。先生はあなたたちを聖人以上にしようとするからです。そうしなくてはおかしくなります。最後の立場はホーリー・サン(聖子)であります。③ 世界のために一国奉献 大統領になっても一国を一度に捧げなければなりません。自己の国、自己の民族を犠牲にしても、世界を救い、神様を救わなければなりません。家庭の主人、父は家庭を国のために捧げなければなりません。そうしなくては、国を相続することができません。その家庭が受けることができません。わかりますか? 霊界の組織がそうなっています。すべてがその思想で連結されており、それ以外は、行くことも通ずることもできません。④ 宇宙、天宙のために世界全体の奉献 宇宙献祭。再臨主が来られたとしても、再臨主が「私に世界を出しなさい」とは言えません。地獄の解放と霊界の解放のために世界を捧げることができなければなりません。⑤ 神のために全天宙の奉献 天と地を神のために、神様の愛のために捧げることです。それで、再臨主自体が天宙を捧げると一人になってしまうのではありません。再臨主がこられて、天宙までも奉献したとしても、再臨主一人だけが残るのではありません。再臨主自らも、神様の愛のために、自身までも祭物として捧げなければなりません。“愛の生けにえ”となるのです。私の愛までもそうするから神様の愛が返ってくるのです。⑥ 愛の献祭第四に聖子の思想 地上と霊界とに通ずることのできる人とならなければ聖子になれません。聖子というのは神様の愛をもって愛そうとするのであって、愛を受けようとはしないのです。天と地に通ずることのできる愛を捧げることができて、聖子になれるのです。その後は何も必要ありません。ひとつとなったときには、奉献等必要はありません。完全に和合するのであります。①神に対して一身奉献 (神様の愛のために)② 神の愛に対して一家庭奉献 再臨主も何もないのです。再臨主自体が、聖子自体が自分の家庭も惜しくないのです。その国があればその国は勿論、その世界も勿論、自分が主管するという観念(見方)がないのです。そして、その天宙も、その次は愛の化身となるのです。自分が神様の愛に対して、愛を中心として神様が喜ばれるといつでも犠牲となれるし、何千年も何万年も犠牲になることができます。一度だけではなく何度でも続けて犠牲になれるのです。愛の祭物として、化身となっているのです。何千年、何万年祭物、愛の化身祭物となっているのです。 神の愛の細胞が一つの体に四〇〇億兆あるとしたら、四〇〇億兆の愛の主体の前に、私は四〇〇億兆の犠牲的対象となっている。何の話かわかりますか? 愛の化身祭物。そうなれば、あの世に行って私たちは有形無形の体、神様のようになれるのです。そのような国に行けばいいでしょう。自分を考える国ではないのです。自分を愛するということは絶対ありません。そこには関係がありません。わかりますか? そのような思想をもって、そのような国をつくろう。そのような国をつくるために私たちは働くのです。今年初めて、そのホーム・ランド(神の祖国)を創建しに行くのです。それを知らなければなりません。 あなたたちは孝子になりたいですか? (「はい」)何のために? 何故? 愛国者になるために。何故、愛国者になりたいのですか? 聖人になるために。何故、聖人になりたいですか? 聖子になるために。何故、なりたいですか? 神と兄弟となるために。それ以上はありません。それは何か? 愛の化身です。 形がなくとも、すべてが神様と通ずることができるようにならなければなりません。自分が神様になるのです。そのようになると、皆さんにできないことがないのです。一〇万、一〇〇万、一億の人たちも一瞬にしてバンケット(饗宴)をすることができるのです。皆さんがそのような能力で大会をするとき、神様の弟となったと思い、それはどれほど栄光なことでしょうか。 神様は縦の枝であり、私たちは横の枝であります。それが兄弟なのであります。木で言うなら、神様が縦の幹で、私たちは横の枝です。(黒板を使いながら説明) 何の話かわかりますか。花がここで咲くでしょう。神様も花が咲きますから、神様は枝が必要です。花の香りがみな愛であります。愛は枝に咲くのであって、芽には咲きません。だから神様は私たちが必要であり、私たちは神様に侍ることができるのです。 あなたたち、何故宗教を信じますか? 神様になるために宗教を信ずることを知らなければなりません。家庭において神様になれるその修練場が孝子の道であり、国の次元での修練場が愛国者たちの道であり、世界の次元で神様になるための修練場が聖人の道であり、天と地における神の修練場がホーリー・サン(聖子)の道であります。だから、神様が主体となっておりてこられて愛して下さるのです。わかりますか? 同じ現象です。そのような国をどう思いますか。そういう国、そういう世界に行きたいですか? (「はい」) ですから、口を勝手に開いてはいけません。自分のために開いてはなりません。見るのも自分のためではなく、人のために見るようになっています。口が自分のためにできたのですか? 自分のためでなく、他のためです。目が自分のためにできたのですか? 他のためにできたのです。自分のものではありません。だから、自己中心と個人主義の観点から、自分自身を実現しようとするすべての考え方は神の主義に反します。 自分が生まれて孝子の道、忠臣の道、聖人の道、聖子の道を行くのは何かというと、愛の道を残しておくためです。だから、愛国者が別にいるのではなく、自分が愛国者になり、聖人が別にいるのではなく、自分が聖人となるのであり、その次にホーリー・サンがいるとしたら、それは自分がなり、神様が別にいるのではなく、自分が神様になるのです。 愛は父母の愛から、私たち人間は父母の愛から生まれてくるでしょう。それが家庭において、また父母の愛を中心として、国の愛を中心として大きくなっていくだけです。(黒板を使いながら)すべてこの愛の部分(黒板を示しながら)は同じなのです。 生まれるとき、あなたたちは父と母の愛の中から生まれたでしょう。そのために、国を愛さなければならないし、その地方の木々のひとつひとつを愛さなければなりません。それはすべて国の父母の相対であります。わかりますか? (「はい」)このような愛の思想をもっていかなければ、祖国創建はできないのです。祖国創建とは関係がなくなります。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.11
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「祖国創建」1984年1月1日 午前零時先生のお祈り 愛するお父様! 一九八三年をただいま送り、一九八四年の新しい年を迎えました。この年に、天の祝福がこの地に臨むことをお願い致します。 新しい年を受け継ぐこの歴史的、天宙的な因縁が、この瞬間に天から地を通って、すべての統一教会の群れを中心として、すべての宗教と人類に神の恵みとして連結できるように許諾してください。そして、あなた様が中心となった一つの心情を中心として、一つの家庭、一つの氏族、一つの民族、一つの国家、一つの世界へと延びていくようにしてください。 お父様! 今この時間、民主世界も共産世界も、最後の頂上に立って、自分の位置を取ることができず、お互いが混乱状態に陥っています。民主世界を代表したアメリカがそうであり、共産世界を代表したソ連がそうであります。民主世界内において、あなたが立てようとされるアダム国家、エバ国家、アベル国家、カイン国家を中心としてみる時、これらすべての国家の事情も、今日頂上に処しています。民主世界を代表したアメリカと、共産世界を代表したソ連が処している立場とつり合っている時点に立っております。この時代における世界のすべての成約聖徒を中心として、米国のみ旨と日本のみ旨と韓国のみ旨を連結させて、新しい反共という体制を強化させ(韓国の)世界的な新しい基点を整え、新しい世界へと飛躍することのできる、基台を作ってくださった神様の恵みの前に感謝致します。 これから統一教会が動くことによって、世界の運命が左右されるという事実を知っておりますゆえ、行く道を祝福され、万福がのぞみ、六千年間積もり積もった恨みを解き、歴史をくつがえしながら、勝利してきた今日までを讃美することのできる条件を立てて、讃美することができるように許諾してくださることを切にお願い致します。 ユダヤ教を通し、キリスト教を通し、統一教会にまで、堕落した摂理歴史に手を広げ、どれほどの受難の道を歩んできたことでしょうか。多くの蕩減をはらってきた数多くの人たちが、神のみ旨に従いながら、知らない中において生命まで捧げて、血みどろな歴史を残しておりますので、このすべての血の功労が今日結実して統一教会を中心としての世界的な解恨を成すことのできる時点と、転換点を迎えることのできる一九八四年を迎えましたので、お父様、今や天の全権を現してください。今まで踏まれた者たちが自らの姿勢をみて天を敬い、追われる者たちが自ら権威を整え天を讃美することのできる日が訪れてきたことを知っております。統一の群れは今まで歴史時代において追われる者たちでありました。数多くの国家の前に、数多くの民族の前に、数多くの家庭と個人の前に、今まで追われてきましたが、今や夕陽の道は過ぎ、朝の光明が統一教会を中心として昇るようになり、世界が今や統一教会の光を見つめる時が来ましたので、新しい世界の光明を迎える八四年になることができますように、許諾してくださることを切にお願い致します。 追われていた者たちが自ら襟を正し、時に対して自らお父様の前に感謝する時代が訪れて来ましたので、迎え入れることができるようにしてくださいますよう切にお願い致します。 このような時点において、一つの祭物の中心となった息子を通して、勝利の天国を成すことのできる一つの契機となさしめてくださることを切にお願い致します。そうすることによってすべての宗教が一つとなり、すべての国が一つとなり、神様を中心とした心情圏に一致することができるよう全体、全権、全能を通したお父様の役事が天から地へと臨むことを切にお願い致します。 これからは、統一教会を中心として、国を代表し、強く大担にならなければならない時になりました。決断をし、正義の一つの画期的な道を開かなければならない最後の時となってくるので、このような問題を中心として、自ら強い体制をもって、天に向かってカナン復帰をしなければならない真っ直ぐの道を前進することのできる統一の群れとなることができますよう、許諾してくださることを切にお願い致します。 今年のすべてのことを新たに祝福し、この年が勝利の年となることができますよう、許諾してくださいまして、法廷問題を中心としたサタンと神の闘いから、すべてが新しい帰結を成すことによって、お父様の前に祝賀を帰す一九八四年となることができますよう許諾してください。そしてまた、協会の創設から三十年を迎える年でもありますので、三十数を中心として勝利の国家の出発をイエス時代の三年公生涯のような期間に成すことができますように、祝福してくださいますことを、切にお願い致します。 ここに集まって祈っているすべての子女たちが一律にその心の決意を新たにすることができますようにしてください。また、新しい世界の創建のために、天の国の兵隊として出兵を誓うことのできる、各自の内的決意、外的決意を誓うことのできるこの時間となることができますように切にお願い致します。 昨年一年間のすべての悲しかった事実、未完成であったことが、今年一年においては勝利の結果として集め、お父様の前に納めることのできるこの一年となることができますように、許諾してください。 今年こそ、すべての決定的な一つの画期的な道を開いて、天の転換点であり、世界と宇宙の転換点となることができますように、今年を勝利の年として、勝利の年として、勝利の年として、導いてくださいますように切にお願い申し上げます。 すべての恵みと愛が、新しい元旦の光明と共に万国に拡大されていくことを切に切にお願い申し上げながら、すべての祈りを真の父母の名によって祝願致します。アーメン。アーメン。アーメン。---------- これから少しお話しましょうか? まず標語を書きましょう。(黒板に書かれる) 祖国創建。(拍手) 新年を迎えて、皆さんがより多くの恵みを受けることを再三お願い致します。 今年は皆さんが新しい角度の努力を多くしなければならない時であると思います。今のこの時は新しい転換の時機です。米国を中心として連結されているこの自由世界も、新しい面へと転換しなければならない時点を迎えております。勿論国家もそうですが、国家の内的、精神的な支柱となってきた宗教も新しい転換をしなければならない時代が来たのです。では宗教および自由世界、特に米国はどこに向かっているのでしょうか。 民主主義世界が理想であると思ってついて来たのですが、今やこれをもっては行き詰まって来ています。宗教も同じように絶対的な信仰を中心としてきたのですが、行こうとしても行くことができず、また戻ろうとしても戻ることもできないで、自ら混乱した立場に処するようになってきたのです。このようにみる時、宗教が民主世界に従っていかなければならないか、民主世界が宗教の世界に従っていくか、それとも一つとなっていくか、これが問題なのです。 宗教を中心として(考えてみると)、宗教が路地に入ってしまったので、(民主世界は)どちらに行けば良いかということになります。たとえ宗教が行き詰まっているとしても、民主世界が宗教を引っ張って行くことができれば別なのですが、そうも言えないのです。 米国の国民はキリスト教国民であり、米国は民主主義の代表国家なのです。しかし米国人一人一人をみる時、その一人一人がどこに立っているかということを聞かれると、わからないと答えるのです。民主主義にも立っていないし、キリスト教にも立っていないし、今後どこに行くべきかもわからないのです。これは青少年だけではなく、壮年もそうであり、老年も同様なのです。これが問題です。本来なら、老いた人たちがいて、伝統を残して、民主主義はこうであり、キリスト教はこうであり、宗教、思想とはこうであるのでと、今後の世界が行くべき未来像を紹介するのに、(その)余裕もなく、残されているもの(伝統)がないのです。基台を残しておく舞台がないのです。 このような実情の中において神様がいるとしたら、あるいは国を愛する人、真に国を愛し、神のみ旨とか、人類を思う人がいるとしたら、神様と人が別々になることはできない時、だという結論を下さなければならない段階に入ってきているのです。またもし何らかの解決の道があるとしたら、宗教もそれを願うでしょうし、今日の米国の国民全体が願うでしょうし、勿論志をもっている愛国者たちは特にそう願うことでしょう。 このような実情の中でも、共産主義は世界的な独裁体制の全体主義国家ではあるが、それでも世界に向かって進んでおり、提示しており、このようなことをみる時、思想的な主張においては、共産主義にも魅惑を感じざるを得ないのです。そして彼らが操縦することによって、米国や全世界が右往左往するのをみる時、若者たちがあの(共産主義)世界は素敵だと感じる時代なのです。共産主義は、民主主義を制御し、またキリスト教を制御して、ユートピアの世界に入って行くというのですが、米国や民主世界は、それができないのです。そのため民主世界は危機一発の直前にきてしまっているということを知らなければなりません。 次に、この共産世界をみると、共産世界は今まで、先頭に立って来たが、ソ連自体内においては、奇異なる現象が起きているのです。彼らが主張するユートピアは神のない中で、人間を中心として、物質を中心としたユートピアが実現できるというのですが。 神様が存在するとしたら、この共産世界をそのままにしておくことはできないのです。では神様が共産主義世界を滅ぼそうとしたらどうするでしょうか。自由世界が強くなって、すべての(世界)を指導する勢力基盤をもっていれば良いのですが、今はその勢力の基盤が奪われてしまっているのです。そこでもし神様が民主世界におられるとしたら、民主世界に新しい運動を準備せざるを得ないのです。では神様が滅びてゆく民主世界を防御するために、何を中心にして行うかということが問題なのです。どのような人を中心として、新しくこれを再建し、再度出発する準備をするでしょうか。 この民主世界で神の前に再度選ばれることのできる方はいかなる方であるかといえば、それはお金を持った人たちでしょうか。(いいえ)。お金を持った人ではありません。お金持ちは、お金をもって民主主義を興し、民主主義をこのように滅びるようにしてしまったのです。では権力をもった人でしょうか。そうでもありません。では現代の学者たちでしょうか。(いいえ)。彼らは皆神を見失い、宗教を滅ぼしたのです。その結果、米国はどのようになったかといえば、個人主義の国となってしまったのです。個人主義になったのです。神様が願っておられるのは何かといえば、この反対の立場において再び準備することのできる群れを動員せざるを得ないという結論に到達致します。 個人主義の米国ばかりではなく、世界のために、天と地のために、そのような人がいれば、神様は(その人を)選ぶでしょう。その次にはお金のために売られていく人ではなく、また権力も蹴飛ばして、すべてを否定して正義に立脚して新しい世界を作り、世界を新しく再建しようという思想に燃える若者を要求することでしょう。この米国の若者たちは、ヒッピーやイッピーやそのような種類の人になったので、彼らには神様がいないのです。それに反して、この反対の立場において“神様が絶対にいる。世界を一つにしなければならない。民主世界以上にならなければならない”という群れが出なければなりません。その群れは、ムーニー以外にはありません。(拍手) このムーニーは、ただそのまま座っているのではなく、民主世界の腐敗したものをすべて打ち砕いて清算し、すべてを革新するために、ひたすら全国を飛び回って、一つにしようとするのです。それを神様がご覧になる時、気持ちが良いでしょうか。どうでしょうか。(良いです)。サタン世界においては怨讐であった人たちがムーニーの若者となって一つになり、世界を救おうとして一つに団結しているのを見る時、神様は気持ちが良いでしょうか、悪い気持ちでしょうか。(良いです)。あなた方が神様になって考えてみなさい。気持ちが良いですか。悪いですか。麻薬を飲むことを神様は好むでしょうか。(いいえ)。ムーニーはどう思いますか。良いですか。悪いですか。またフリー・セックスはどうですか。(悪いです)。 この世の人たちは自分の悪口を言われると死ぬほど厭がるのに、私たちは自分の悪口を言われるのは普通で、他の人のために悪口を言われたとしても普通です。悪口を言われることよりも世界を救うことがなお忙しいのです。世界に向かって行こうとするのです。 ではムーニーは、種類が米国人種、韓国人種、日本人種、ドイツ人種、世界のそれぞれの人々の種類が、異なっていますか。(はい、いいえ)。皆さんは同じムーニーですね。(はい)。白人も黄色人も黒人も同じムーニーなのです。(はい)。ここに短い紐があってそれをつないでいく時、黄色いムーニーと白いムーニーを結び、白いムーニーと黒いムーニーをつなぐ時、白いムーニーが思うのに、黄色いムーニーは少しいいが、黒いムーニーは厭だ、私は白いムーニー同士でつながればいい、そう言いますか? 白いムーニーは白いもの同士をつなごうとするし、黄色いムーニーは黄色い同士で、黒いムーニーは黒い同士でつなごうとする習慣があり得るのですか。(はい、いいえ)。どちらですか。では神様が見た場合に、ムーニーが三つつながっている、それを見て気持ちが良いですか、悪いですか? (良いです)。 このような論理的結論によって、レバレンド・ムーンは仕方なく混ぜ合わせて、つながなくてはならない、と命令せざるを得ないのです。 ではこの紐をつなぐのに、神様はどのような紐を一番好むでしょうか。ロープを好むでしょうか。それとも鎖を好むでしょうか。お金の紐を好むでしょうか。権力の紐でしょうか。愛の紐を好むでしょう。これが問題なのです。(愛のロープです)。それは何かと言えば、そこには自分たちで勝手に結婚するのではなく、黄色人たち同志ではなく、白人たちも自分たち同志ではなく、色とりどりに結婚しなければなりません。これで愛のロープが素晴らしいということになります。 では、なぜそうしなければならないかと言えば一つの種子となるためです。色とりどりだとしても一種子にならなければなりません。米国はそうでしょう。白人の中からも黒人が出るし黄色人種も出るし、先祖にそのような人がいれば遺伝法則によって生ずることもあります。しかし自由世界、民主世界の人たちはこのようなロープが神様の愛のロープだと思えば、そのような道に行こうとするはずですが、民主世界の白人たちはどうですか? 先進国家の白人たち。ムーニー以外の白人たちはどうですか。(逆らっています)。逆らったらどうなるのですか。逆らう人たちは滅びなければなりません。そのため白人の世界は、それ自体今滅びつつある世界ですから、子供を生み殖やさないで、だんだんちぢんでしまっているのです。我々はどうですか。ムーニーが双子を生む時、一人は黒人で一人は黄色人を生めばいいですね。その白人の女性はどれほど素晴らしいことでしょう。三人種が一度に一つになったら、それはどれほど素晴らしいことでしょうか! 神様がみた時、「あの気違い女はやってはならないことをやった」と言いますか? 白人の女性が黒人と黄色人を生んで、ひざの上でお乳を飲ませるのを神様が見た時、「この女め、滅んでしまえ」と言いますか。「ああ立派だ。感謝する」と言うでしょうか。(笑い) 皆さん(たとえば)黄色い花に黄色い蝶だけが飛んで来たら面白くないでしょう。白い蝶も黒い蝶も飛んで来ることが素晴らしいことです。どうですか。それが自然の美というものです。先生はそう思いますよ。皆さんはどうですか。 では共産世界はどうでしょうか。共産世界はそういう面においては民主世界よりはいいのです。共産世界においては、労働者、農民が解放主権といって、悲惨な人たちを英雄視するのをみると、民主世界とは方向が異なるのです。そのため、もし神様がいるとしたら、民主世界が滅びるとしても共産世界を残すでしょう。それが問題なのです。そして(共産世界の方が)、民主世界よりも秀れているのです。それなのに「神がいない」と言うのが問題なのです。ですから神様が共産世界から何を奪ってくるかといえば、共産主義の理論を奪ってくるのではなくむしろその反対の理論を指示しなければならないし、共産党に対しては、二世たちを奪ってくればいいのです。二世です。それで、共産党の一番骨髄の者たちの子女が自分たちの父親がやっていることが間違っていて、自分が主張している共産主義が間違っているというような反対の運動と共に、新しい民主世界での新しい世界主義が起こりそれが世界共産主義よりも秀れた主義であれば、直ちに飛び込んでいくというそのような運動が自然に起こってくるのです。民主世界も、(青年たちが)家庭を飛び出してしまっているが、共産世界も(青年たちが)家庭を飛び出してしまうのです。しかし民主世界において家庭を飛び出しても、それは神様を求めてでありますが、共産世界では家庭を飛び出しても神様を求める道がないのです。(それゆえ)世界のそのような若者たちが集って、世界を一つにし、平和な世界をつくる運動があるとしたら、ガソリンに火がついたように広がることでしょう。たとえ自由世界の中で人々が反対したとしても、理想を求める青年たちはその運動に引きつけられてゆくでしょうし、共産世界においても、その体制を支える人々がたとえ反対しても、理想を追求する青年たちは引きつけられてゆくでしょう。このようにして、自由、共産のどちら側においても理想を求める青年たちは、その運動に加わるようになるのです。そのような運動こそ統一運動です。統一運動は共産主義の青年たちにも影響を与えつつあります。 このように民主主義のムーニーという群れが出て来て、共産党を打つのです。(彼らは)自分の父母が間違っていると言って打ちたいのですが、(ムーニーが)代わりに打ってくれるので、二世たちは、統一教会とムーニズムが何であるかを研究せざるを得なくなるのです。自分たちの主義よりも悪ければなげすててしまうのですが、知ってみて、さらに素晴らしいと思った時には飛びついてくるのです。現在のソ連においては、米国と同じように政治的路線において混乱が起きているのです。道徳的混乱ではなく、政治的混乱が起きているのです。ですから、このムーニーが世界的な運動として登場する時には、自由世界の若者たちが再度糾合するであろうし、共産世界の若者たちも糾合することのできる可能性が濃いのです。そしてその可能性は絶対的なのです。 では、ムーニーは何をすべきでしょうか。ムーニーはレバレンド・ムーンのみ旨を成そうとするのですか。神様のみ旨を成そうとするのですか。(神様のみ旨です)。では、レバレンド・ムーンは何をする人ですか。(レバレンド・ムーンも)神のみ旨を成就しようとしているのです。では皆さんはどうですか。(同じです)。ですから先生が機関車であればあなた方は車輛です。共同運命なのです。共同運命なのです。(機関車)がトンネルの中に入って行くのに、「ああ煙が入ってくるから、私は行きたくない」とか、橋を渡らなければならないのに、今にも崩れてしまうかも知れないような橋を渡っていくのが当然であるのに「嫌だ」と言ってストップすることができますか。 田舎の人たちもどうですか。シュッ、シュッ、ポッポ、と音が鳴ると、それを見て喜びますか。そうでないことを願うのです。小さいシュッ、ポッポ、を喜びます。ムーニーは音が大きいです。シュッシュッ、ポッポ。ここからここまで行こうと言った時には異議はないのですが、回ろうとしたら、「私はこの方向に行きます」ということはいけないのです。北極を回って行こうとしたら回って、回って、回って行くのです。そこでは機関車と車輛があるとしたら「私は行きたくない」と言う車輛になりますか。それとも惰力でもって押し出す車輛になりたいですか。(後者です)。それはどうもありがとう。(笑い) では我々はワシントンを出発してから、シュッシュッ、ポッポ、どこへ行きますか。(モスクワです)。そうです。(先生が黒板に“Must go”と書かれる)。(拍手) 我々がモスコーに行って、若者たちが今まで共産治下で呻吟し、苦痛を受けている人たちを解放してあげたらどれほど素晴らしいでしょうか。どうでしょうか? その考えは良い考えですか、悪い考えですか? (良い考えです)。先生は知りませんよ。(笑い) 皆さんが良く知っているはずです。 では、(皆さんは)何をしようというのでしょうか。米国の人だけを解放しようとするのですか。白人だけ解放しようとするのですか、黒人だけ解放しようとするのですか。それとも世界万民を解放しようとするのですか。(すべての人々です)。ではすべての人を解放して何をするのですか。民主世界の国民にするのですか。何をしますか? 神様の民をつくるのです。神様の民です。 神様の民とは、民主世界を勝利し、共産世界を勝利して、二つが一つとなって、神様のみを絶対視する立場に立ち、神様の愛と連結された神様の子女となった民のことです。神様はそうおっしゃるのです。(拍手) 私たちの行くべき終着点はどこでしょうか。その終着点はワシントンでもなく、モスクワでもなく、神の国なのです。では神の国とはどのような所でしょうか。(素敵な所です)。素敵な所であることは誰でも知っています。どのような意味で素敵な所なのでしょうか。(理想的な所だからです)。素敵な理想的な所ですか? (笑い) 答えは簡単です。神の国とは、神様の強力な愛が占めている地です。(拍手) そのような素晴らしい所であるために、我々がそこに行って着陸しようとすれば、靴も真の愛の靴にならなければならないし、衣服も真の愛の衣服にならなければならないし、体もそうでなければならないし、すべてが真でなければならないのです。 そこで生きる人を、神様は「目を見ても美しいし、口も鼻もみな美しいし、白髪一つ見ても美しい」と言うのです。(笑い) (拍手) このようにして、私たちが行くべき最後の目的地はどこであるかを知りました。真の愛が定着することのできる所です。わかりましたね。 米国の人たちの終着地は米国ですか。(いいえ)。ではきょう先生が話したそのような地が、堕落したこの地球上に一度たりともあったと思いますか。そのような地が一度でも歴史上において生じたと思いますか? (いいえ)。ですからこの現実は)、民主世界の人を克服し、共産世界の人を克服し、越えて行かなければならないのです。そのような主義、主張をもっている群れが、そのような運動をしている団体が、世界中においてムーニーを除いて他にありますか。(ありません)。ではムーニーが一番好きですか。(はい)。一番好きなのにどうして(みんなが)騒ぐのですか? ムーニーの鑑定者は地上にはいません。地上のどの人を見ても、鑑定する能力はありません。どれほど複雑で、どれほど細密か、鑑定できないのです。ただ一人だけ神様のみが鑑定できるのです。神様が眼鏡をかけてこの地上を見るとしたら、ムーニーしか見えないのであって、その他は何も見えないのです。偽のムーニーではなく、真のムーニーです。では皆さんは真のムーニーですか?どうですか? (はい)。ムーニーになろうとしているのでしょう。(笑い) なぜ笑うのですか。自信がないということですか。それではレバレント・ムーンは、偽のムーニーですか。真のムーニーですか。(真のムーニーです)。(拍手と笑い) 皆さん、真のムーニーというのは何かというと強力な磁石です。ですから真のムーニーが北極に行くと、偽のムーニーは南極に来るのです。それで先生が真の磁石であるとしたら、ムーニーたちは真の磁石になるために先生を好きでなければならないという結論が出るのです。(ご自分を指しながら)ここに引っ着きたいですか。ここですか。正面に目があって、ここに着きたいですか。どこに着きたいですか。 ムーニーは先生に対して、このように着いている者もいるし、(ご自分の体を指しながら)顔はあちらに行って、尾だけが着いたり、尾が足についたり、ある者はこちらに着いた者もいるし、さまざまに着いているのです。(笑い) 一番恐ろしいのは正面に着くことです。そういう人は多くはいません。どこに着いたら良いでしょうか。(正面です)。わかっていますね。それは容易なことではありません。今、大体左に着いているのか、右に着いているのか、それさえもわからないのです。それで尾だけを着けておいて、自分勝手にやっているのです。(しかし)自分勝手になるはずがないのです。樹に例えて言うならば、根であるとしたら幹に着いて、枝に着いて、葉に着いていかなければならないのに、それが反対に嫌だと言って、枝は枝を嫌って、幹は幹で嫌がってはどうにもなりません。(皆さんは)前に立つことができなければ、後ろから真っ直ぐに着いて来なさい。正面に着けば抱いてでも行けるのですが、これは難しいことです。(先生がその様子を示す)。逆に行ったとしても正しく行けるのです。(先生の笑い) そうなっているのです。 ですから、生きている間にそこへ行くパスポートを貰わなければなりません。神様の地に行くことのできる資格者のパスポートをいかに貰うか。これが重要な問題なのです。試験があるので勉強をしなければなりません。(私は)パスポートはいらないので、卒業証書をください。そういう法はありません。仕方がなく国境を越える時には、絶対に必要なものなので貰わずにはいられません。いかなる難しいことでもしなければなりません。 それで(皆さんは)何をしようとするのですか。神様に対する愛を中心として、神様を受け入れることのできる、神様を中心として一つとなることのできる子女をつくり、子女となることです。 いよいよ本当に最後の日が来ました。民主世界も最後の日であり、共産世界も最後の日ですが、統一教会ではこれからが出発なのです。(拍手) 裁判問題、その他多くの問題がありますが、今がその頂上です。一足踏み越えることができれば、すべてを越えて行くことができます。裁判問題にはユダヤ教も入るし、キリスト教も入るし、民主世界も入るし、共産党すべてが合同してこの問題にかかわるのです。それでムーニーを打つのですが、ムーニーは死なないで、益々大きくなるのです。今や米国の国民もよく見てみると、レバレンド・ムーンが良いし“レバレンド・ムーンのようになりたいな”と思い、私たちが悪かったと感ずるようになってきたのです。それで『ナショナル・レビュー』が先生を支持し、極左翼と言われる『ワシントン・ポスト』も支持しているのです。中間層は言うまでもありません。(拍手と歓声) その中間でじっと見てみると、こちらでもあちらでもレバレンド・ムーンが偉いと言うのです。その中間にいるのが米国の国民なのです。 昔は、ムーニーと言えば、(先生しぐさで表現される) (笑い) しかし、変化してきたのです。見上げてみなければならないのに、良いところは良いのですが。(先生しぐさで表現される) (笑い) そうだと思いますか。そうでないと思いますか。どうでしょうか?(はい)。(今は)世界的な転換が成されています。ムーニーが転換するということは、レバレンド・ムーンが米国でそのように変わるということは、世界的な転換点を言うのです。世界的です。米国的ではなく、一国家的ではなく世界的なのです。わかりますか。今がそのような時なのです。 民主世界のアダム国家・エバ国家・アベル国家・カイン国家は、韓国と日本と米国とドイツが同様なのです。(そこでは)現在全く同じような現象が起きています。韓国もムーニーを打とうとし、日本もムーニーを好まないし、米国も好まないし、ドイツも好まないのですが、今回、韓国においても、日本においても、米国においても、ドイツにおいてもムーニーが一度にワッ!と驚く時に入ってきているのです。 一九八四年、統一教会の創立三十周年が真にこの時なのです。イエス様は三十歳の時に家庭的出発をしましたが、私たちは家庭ではなく、民族的出発を中心として国家に向かうのです。そのようにして三十歳の年に団体基準を中心とするようになったのです。そのような民族的基準を中心として、国家に向かうことのできる世界的な時代に入ってきたということを知らなければなりません。 統一教会においては、五色の人種が(神を中心として)一つの民族となることができたのです。(拍手) 神を中心として皆さんの思いも異なるし、感じることがすべて異なるのに、これまでの歴史上、全く新しい時代を画するものです。皆さんはバターやチーズが好きでしたが、コチジャンやドエンジャンを好むようになるでしょう。そのように異なってきたのです。異なるのです。 米国教会は椅子ではなく、なぜ床の上に座っているのですか。皆さんの椅子はどこにありますか。これは明らかにアメリカ式のやり方ではありません。では何ですか? 東洋式でもありません。神の人種の様式です。神の人種は何をすべきですか。神の人種とは神の国のためにあります。神の国をもつことによって、神の世界をもつことができるのです。神の国がなければなりません。では神の国は二つですか。一つですか。(絶対に一つです)。皆さんはまだ自分の国に対する誇りを持っていますね。英国の者、ドイツの者、日本の者、そのような複雑な観念があるでしょう。あなたたちが皆統一教会の群れであれば、英国人であり、ドイツ人であり、日本人であり、私は一等国民として、先進国民としてといった考えをもってはなりません。(拍手) では皆さんはどうしますか? 統一人種を通して天国に行きますか、統一国家を通して天国に行きますか。それとも何を通して天国へ行こうとするのですか? (世界です)。欲張りですね。世界に行く前に国がなければならないし、国がある前に民族がなければならないのです。民族がなければならないのです。今は(一つの)人種になっていないので、国家をもっていません。では、この国とは世界万民共同の理想の国であるために、国境を超越し、民族を超越し、人種を超越して糾合された一つの国であり、神様が願う地上の天国なのです。 ですからこれからは、国を創建するのです。万民が一つの国を通して一つの世界、それから一つの天宙を創りましょう。それが私たちの行くべき道です。 私たちの行くべき道は遠いのです。国もないし、世界もないし、天宙もないのです。そこへ行かなければなりません。国がなければ悲惨です。ベトナムの難民の『ボート・ピープル』を知っているでしょう。定着(するところ)がないのです。ムーニーはどこに定着すべきですか? 昨年は定着でありました。(年頭標語)は『ホーム・チャーチは私たちの定着地』でした。それはどこですか。どこですか。モスクワに行って定着すれば、一番頂上になるので、モスクワを定着地にしようと思います。そのためには、世界的な問題をすべて克服しなければならないというのです。そのためにはまた世界の問題をすべて消化しなければなりません。 祖国創建の「創建」という言葉は、創って建てることです。それなのにじっとしていてできるでしょうか。そのために、これからは皆さんの横的基台を強化しなければなりません。横的基台が一つにならなければなりません。そうしながら天国へ出発するために、四大怨讐国家が一つにならなければなりません。アダム国家とエバ国家も怨讐国家であり、アベルとカインも怨讐であり、父と子も全部怨讐なのです。この怨讐たちが一つにならなければなりません。それでは何が一つにしますか。それは神様の愛以外にありません。それでは、如何にしてそのような怨讐が一つになれるのでしょうか。それぞれの怨讐が行くべき所は祖国であり、祖国が必要であります。 ではこの祖国はどこになれば良いでしょうか。米国人は米国になれば良いと思うし、イスラエル人はイスラエル、日本人は日本になれば良いと言います。世界の数百か国家が自分の国を中心としたら良いと思うでしょう。どうしたら良いでしょうか。それは誰が決定すれば良いのでしょうか。民主主義式で選定する方法と、指名式で選出する方法とあります。どうしたら良いでしょうか。誰が選出したら良いですか。(神様です)。神様が決定するとしたら、神様自体を選挙をして推薦することができますか。できませんか。(できません)。 では、来たるべき再臨主がおられたらどうでしょうか。自由世界が再臨主を選択したので、あなたの愛する息子として受け取ってくださいと言ったら受けるでしょうか。受けないでしょうか。神様は指名的であるでしょうか。どうでしょうか。このようにみる時、統一教会で言う真の父母という言葉は何ですか。それは神様の愛が初めて人間の中に定着した基点です。これを知らなければなりません。 それでは、真の父母がレバレント・ムーンであるとしたら、レバレント・ムーンが米国に来てから真の父母になったのですか。それともいつ真の父母となったのでしょうか。どこで? (韓国です)。何? 韓国を誰がわかってくれるのですか。わかってくれても、わかってくれなくとも、砂漠であろうとも樹の枝であろうとも岩であろうとも、神様の初めての愛が注がれて、定着した所が世界中において一番貴いのです。 米国において一番重要な都市はどこですか。米国という名をもったこの国が一番重要視しているのは、都市の中でどの都市なのですか。(さまざまな答え) どこですか? (プリマスです)。プリマスは(ピルグリム・ファーザーたちが)上陸した場所でありますが、アメリカの主権が初めて定着したところで、どこですか? (フィラデルフィアです)。そうフィラデルフィアです。フィラデルフィアのどこですか。(インデペンデント・ホールです)。インデペデント・ホールですか。そこには何がかかっていますか。(鐘です)。何の鐘ですか。(自由の鐘です)。その自由の鐘は壊れてみすぼらしかったのです。(笑い) しかしいくら壊れたとしても、その家がいくらみすぼらしくともそれがセンターです。それでこの地において、サタンと神様が激しく争奪戦をしているのです。 この世界で神とサタンとの闘いが最も劇的に示されているのは、分断国家です。韓国は南北に、ドイツは東西に分断されています。(先生が黒板に書かれる)共産主義問題は、南北の韓国が統一することと、東独西独が統一されればすべて解決されます。そうですかどうですか。(はい、そうです)。ところが(ここで)一番問題が難しいことは、共産国家の最も大きいソ連、中共が(黒板をさしながら)韓国を東独よりも西独よりも問題にしていることです。そして日本を中心として、太平洋を中心として米国を打とうとするのです。それで今回韓国に行って急遽南北を統一することのできる基地をつくりました。このようにして、米国と日本と全世界の運勢を引きよせて、韓国に結んでおいたのです。(拍手) そして今回本当に面白いことには、イスラエルの上層階級の人が先生の所に来て、国家を動かすことのできる仕事を頼みました。米国の今後将来の運命をかけた運動をやっているそのような人たちが先生と一つとなって世界の問題を解決しようとする、そのような基盤ができあがったのであり、その基盤の上に韓国があるのです。(それが)第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルです。(拍手) そうしながら全世界の知識人、全世界七十二カ国のアカデミーの碩学たちを集めて、世界の運勢を接ぎ木するのです。昔、『六・二五動乱』においては、十六国家と国連が韓国の独立のために戦いましたが、独立をさせることができませんでした。これからは、全世界の自由世界の人々が一つになって、独立成就に総結集して、これを協助せざるを得ない世界的な時代へと入ってくるのです。韓国に行って七十二カ国が反共という命題の前に宣誓決意文を成したことは、歴史的な事件なのです。(拍手) 今度韓国(政府)がびっくりしたことは、約二週間内に講演を全部終えたことです。そして国民が完全に一つの所へ流れるようになったことです。 今回、本当に不思議なことといえば、光州の最後の日、丁度その時間に、興進様の事故が起きたのです。韓国政府が一番嫌っている光州、その光州が先生の講演を一番歓迎したのです。約五千名が外で零下十度にもなるのに、講演を聞いていました。サタンの入る少しのすきまもなかったのです。サタンは光州で攻撃することのできる基盤を完全に失ったので、アベル的基準に立っている興進様を打つほかなかったのです。 地下活動の共産党たちが暴力事件を起こしてでも、どんなことがあっても、レバレンド・ムーンをやっつけてしまおうという計画があったのです。先生のために祈っていた霊能者たちは皆、「光州では気をつけなければなりません。光州へは行かない方がよいです」と警告をしていたのです。しかし先生はあえて光州へ行き、そこで大勝利を収めました。このためサタンは先生を打つことはできなかったのです。そこで、先生の身代わりとして興進様を打ったのです。興進様は先生の家庭において、次男としてのアベルの立場にありました。実際、興進様はとても従順で素直で親孝行で、いつも親を慰めてくれる模範的な子供で、「皆は光州のため集中祈祷をしなさい」と指示をしました。これからはこのように父母の前に一番孝行をし、このようにして父母を迎えなければなりません。 イスラエル民族は、祭物を中心として国家の危機や、受難において、神様と一つになるための象徴としての祭物を捧げたのです。今朝先生が、何の式を行ったかといえば、統一教会の父母が一つになり、兄弟が一つになり、統一教会が一つになり、第一、第二、第三イスラエルが一つになり、次にはアダム国家、エバ国家、アベル国家、カイン国家、世界全体が一つとなる宣誓式をしたのです。ですから今のこの時、(私たちは)そのような境地にいることを知らなければなりません。 現在、興進様は生死の境にあります。しかし先生の心は落ち着いています。生きるにしろ死ぬにしろ、どちらにしても神のみ旨が成るようにとのみを願います。神の前に最も貴重な供え物を献げることによって全人類の統一がもたらされるでしょう。私はお母さんにこういう話をしたのです。もし興進様が死んだとしても、祭物としての統一教会がその恵みは恵みとし、世界は新しい世代に転換することを宣布しました。(興進様は)神様を愛し、先生を非常に愛していたのです。そのような心をもって、これからは皆さんが生命を覚悟して、天の祭物的なこのような価値を残し、万民の前に恵みを残していこうとするこの祭物的な思想を受けつぐものになれば、興進様のこのような思想を通して天の前に行くことができます。 これから皆さんが興進様の成すことのできなかった生涯のみ旨を代わりにやり、(興進様が)見ることのできなかった世界の祖国創建を皆さんが代わりの世代に創建しようとする実力をもって一つとなればすべての統一教会の運勢は世界的に拡張されることでしょう。彼が願うことは『祖国創建』でした。この標語を心に秘めて、(興進様は)行ったのです。 今年の標語は興進様の身代わりに、興進様の生命の代わりに皆さんの前に伝受された使命的な標語であることを知らなければなりません。 イエス様が一人十字架上で死なれたことによって、全人類の救いの道が開かれました。同じように興進様の犠牲によって、その精神は皆さんの胸の中で生き、これから神の国を実現するために、世界を復帰するために、力強い脈搏となることができるなら、それ以上価値あることはないと思うのです。これを通して彼は感謝するでしょうし、これによって我々統一教会にはプラスになるのです。もし、興進様が死んだら祖国の地に葬られるでしょう。このようにしてすべてが転換点なのです。そう思って今年は全体がこのような思想的概念のもとで、総進軍することを決意すべきです。アーメン、と言わなければなりません。(アーメン)。 この祖国創建のために、歴史上、サタン世界において、愛国者たちの歴史のそれ以上の歴史を残して行かなければならないという事実を再び記憶してください。 これから、韓国においては七百万会員を集めています。祖国創建のために韓国の地に帰った皆さんは、世界基盤を拡大して勢力の切衛を取らなければならず、これを全世界的にやらなければなりません。今回、教授たちが、私たちの誓いの五番に宣誓してくださいました。皆さんもそれ以上の精神で、一つの国のために前進しなければなりません。(そして)これから七年間に、皆さんは韓国語を習わなければなりません。何の話かわかりますか?(はい)。韓国語がわからないと困ります。今まで先生がお話した『み言集』が三百巻ぐらい出版されるでしょう。先生はそれを圧縮して「百二十巻に縮小しなさい」と言いました。皆さんはそれをどの国の言語で読みたいですか。それとも読みたくないですか。私たちの統一教会で生きている間、これを数回読んでみなければならないでしょう。今までに三巻まで出ていますが、今年中に四巻、五巻と、できるだけ多く出します。全世界の統一教会の信者たちはすべて、この本が出たら買って読まなければなりません。 これから先生が霊界に行って、百年、何百年とたつとこの世にこれ以上貴重な本がないでしょう。今日から会議をする時には、そこですべて配当することのできる数をそろえて分けてあげます。また、今年は韓国語を教える先生を配置しなければなりません。(拍手) これが原語であります。原語が読めなければ、霊界に行って恥になるので、確実に先生が教えなければならない責任があるのです。韓国語というのは非常に優秀な言語です。韓国の人たちは英語を話してても発音が良いでしょう。発音できないものがないほどです。そして宗教的にもとても次元が高いのです。頭が良いのも言語のためです。ここに世界的に堂々と打ち立てることのできる内容があります。 では、先生が真の父母であれば、先生に会って英語で話した方が良いでしょうか。それとも韓国語で話すべきでしょうか。(韓国語です)。原理的にみると、人類はサタンによって父母から引き離されてしまったので、再び帰ってきたならば、これ(原語)から学ばなければなりません。一つの母国語を取り戻さなければならないし、一つの文化を創建しなければなりません。今日の世界は一つの文化ですか?(さまざまです)。それを一つにすることのできる思想体系をもち、内容をもって、それを完成させることを願っているのが神様のみ旨であることは間違いのないことです。わかりましたか。このようなすべてをこれからスタートするために、祖国創建と、祖国文化創建の先頭に立つ独立軍となろうとする者、独立軍になろうと宣誓する者は立ってください。私たちは“宣誓、決意”致します。(拍手)(万歳と拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.10
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天一国摂理史--「天勝日」(1976.10.4) | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)文鮮明先生御言選集 19831004「天勝日」1983年10月4日ベルベディア 天勝日の意味を考えたことがありますか。天勝日とは何の日でしょうか。そのような試験問題を出せば、統一教会の皆さんは落第するでしょう。それを知っているのはここにいる先生しかありません。(だから)話を聞いてみなさい。(笑い) 神様の創造理想というのは、神様の摂理であります。これは最初から、そのゴール(目標)はみ旨の完成であります。そのゴールの指向する目的は、神様から始まって神様にもどるものでしょうか。それとも、神様から始まって被造物を通して神様にもどって来るのでしょうか。どちらですか?(二番目です)。 天というのは元来、天一人だけをおいていう言葉ではありません。相対と共に一つになった概念が設定されているという事実を知らなければなりません。天というのは、漢字で二人の人という意味です。おもしろいでしょう(はい)。私たち東洋の先祖は、字を書くにおいてもすべて啓示によって書いたものが多いのですが、(米国の)皆さんはわかりませんね。目という字は一つではなく、二つを合わせてできています。鼻という字にも目が二つあります。口というのは一つであるが、唇は二つあります。手といえば、手は二本あるということです。足も同様です。 では天といえばすべてを含むことができます。そのように思いますか。人々は死ねばみな天に行きます。無限に大きいその世界には、男性だけが行くのではなく男性と女性で行くのです。このようにみるとき、その男性と女性はいかなる関係にあるのでしょうか。これは一つであります。二人でありますが、全宇宙を代表した二人であります。これは東洋思想です。レバレンド・ムーンが初めて、このような考えをもつようになったのです。それで結局天というのは、二人を入れておけばすべてが満ちてしまうことになります。しかし、それでは万物が讒訴することになります。「この宇宙はすべてがおのおの、個体となっているのに、なぜ二人の人間だけを重要視して、代表として立てたのですか」。これが宇宙の不平であります。「神様はおかしい。人間だけを良いように造って、我々はどうしてこのように造られたのですか」と万物が讒訴します。それに対して、「あなたたちは人間を造るために、みな一緒にして一つの形を造るための標本であった」と神は答えられるのです。このようなすべての部分を内的に外的に連結させて、偉大なる人間というものを造ったのです。 それでは、万物たちが「自分一人はどうでもいいのではないか」と言ったら、神様は何と言うでしょうか。「あなたたち(万物)はわからないかも知れないが、人間にはすべてが含まれているのです」と答えられるでしょう。すべての万物が、「私は信じることができませんから、その証拠を見せてください」と言ったら、どのように証拠を見せればよいでしょうか。その時には、このような機会にエンタテーメント(和動会)をして、「鳥の舞を踊ってみましょう。あなたたち(万物)がやるすべてを、人間がやることができるかどうか見てください」と。才能があったらやってみなさい。人間はすべての万物がもっている振舞をすべて真似ることができます。何でも(万物と)同じようにすることができるのです。 動作はできました。それは認めます。その次は歌を歌ってみなさい。鶯なら鶯の声を、雉子なら雉子の声を、牛であれば牛の声を、羊なら羊の声を「ウメー、ウメー……」。(笑い) あらゆる声を人間だけは真似ることができます。友達になることができるのです。手も(動物の)手でやることはすべてやり、足も(動物の)足でやることはすべてできます。それで万物に、「あなたたちの特性のそれぞれの形を取ってきて、ここに付けたのです」と言えば、その時になって万物たちは、「あ、その通りだ」と言います。(笑い) わかりましたか。それで統一教会の原理は、人間は宇宙の縮小体であると言っています。皆さんはその言葉が何であるかわからなかったでしょう。 それで二人を合わせたのを、天国と言うのです。天と地のすべての理想を完成した二人を合わせたのが天国であるという概念を見出すことができます。その二人というのは、男性同士の二人、女性同士の二人でしょうか。(男性と女性の二人です)。神様もそう思っておられます。そのために皆さんが答える時に、二人と言えばこれは男性と女性をいうのであって、男性だけ、女性だけをいうのではないことがわかります。そうですね。(はい)。 天国というのは何を言うのでしょうか。それはプラスの人間(”+MAN”)とマイナスの人間(”-MAN”)なのです。ではこのプラスの人間とは何でしょうか。それがわからなければ天を知ることができません。考えてみなさい。(さまざまな答え) これでは原理講義を新たにしなければなりませんね。これまでの問題が間違っていたのです。プラスの人間は誰かというと、それは根本である神なのであります。皆さんは神様という観念を誤ってもっていたのです。本来完成された立場に立っているのが神様です。わかりますか。こうなると神様が身近になりますね。皆さんは今までこれを知らなかったゆえに、神様は遠くに離れているという概念をもっていました。それゆえ、今まで歴史を誤ったのです。 (黒板で)統一教会においては、神はプラスの性禀があり、マイナスの性禀があります。このプラスの部分が男性であり、マイナスの部分が女性なのです。正しいですか、どうですか。それで統一教会の原理は偉大なのです。このように帰納的論理の追求によって、このすべての根本を解くことのできる内容が入っています。統一教会の二性性相というのは、驚くべき真理であることを知らなければなりません。 神様は本然のプラスの人間(”ORIGINAL”+”MAN”)です。人間は本然のプラスの人間の相対であるので、本然のマイナスの人間(”ORIGINAL”-”MAN”)です。このようになることが人間の理想です。本然のマイナスの人間というのは完全な人間のことであります。完全な人間には男性と女性がいます。完全なる男性と完全なる女性が会ってからどうするのですか。(真の父母になります)。真の父母となって何をするのですか、これが問題です。真の父母はマイナスを完成した人であるから、真のプラスの人間(神)と一つになります。ではどのようにして一つになるのですか。それは電気の力のようにです。電気というのは、プラスとマイナスが一つになれば力が通じるのです。直ちに稲光が起きます。 男性と女性が火花を散らすのは何ですか。(真の愛です)。男性と女性が思春期になれば、火花を散らす機会があります。それは電気が通じるようにです。この神様は欲張りです。愛を勝手にするようにはしておきませんでした。(笑い) 男性と女性が二人で会えば、いつでも互いに愛しても良いではないか。どうしてそれがいけないのか、これが問題です。神様は愛の重要な原因であり、愛は人から始まるのではなく、本然の人間から始まるということは理論的であります。そこで「取って食べるな」と言う警告は偉大な警告であり、感謝すべき警告であり、人間にとって永久に希望的な警告であったことを知らなければなりません。神様が「取って食べるな」と言ったので、私たちはそれを食べないでおきましょう。これが完全なマイナスとなったときには、神様は自動的にプラスの愛で訪ねて来られるようになっています。これは被造世界の作用現象です。 それで統一教会では、皆さんは勝手に結婚してはいけません。これを知っているがゆえに、若い男女は互いに触れてはいけません。なぜなら、本然の愛があなたがたを待っているからです。(拍手) 米国では青年男女が、フリー・セックスと言って犬畜生のように愛しますが、これはサタンがこの世において、(愛を)完全に破壊させるためのものであるということを、私たちは原理を通して確実に知っています。だから我々はそのようなことはしないのであります。本来、神という概念をもつことのできる最高の万物の中心体であるのが人間です。(ですからその愛は)この人間がもつことのできる愛ではないという事実を、はっきりと知ることができます。わかりましたか。(はい)。 神様は誰ですか。(本然のプラスの人間です)。そうです。本然のプラスの人間(神)は、すべての性稟を含んでいます。(-テープ聞き取り不能-)これをはっきり知らなければなりません。それで、この原理さえわかれば、世界のこの門を開くその人がレバレンド・ムーンであることがわかれば、世界の人類はレバレンド・ムーンが逃げないように、ずっとついて回るでしょう。では、米国の州の責任者たち、機動隊はレバレンド・ムーンについて行くべきですか。(はい)。 レバレンド・ムーンはいつも厳しいことばかりを言って、賞めることがありません。しかし、ついて来るなと言っても、どんどんついて来ます。皆さんがついて来るのを見ると、背後にサタンもついて来ます。(笑い) 皆さんはサタンを追い払うことができませんが、先生は「この野郎め!」と言って追い払うことができます。(笑い) この道は最も厳しい道です。それで皆さんは難しい道と易しい道があると、どちらに行くべきかと二つの心をもちます。それをそのままにしておいて良いのですか。(笑い) 約婚のカップルは二人でひそひそと「あなたは私の話を聞いてください。君は僕の話を聞いてください」と、先生の話を後にするようになると滅びるのです。二人とも滅びてしまいます。どうですか? 真の愛の世界に到達できますか、できませんか。(できません)。ではどちらが正しい道ですか。(先生の道です)。先生がいくら悪口を言っても、怖くとも先生の論理においてこの正しい本然の神の愛の道へ行かなければなりません。 ここの州の責任者たち、先生の話を聞いたにもかかわらず先生を除け者にして、自分たちで良いようにやるのは強盗であり、サタンの道に通じることを知らなければなりません。米国教会の隅々に、あるいは地域ごとに、神を悲しませる事実が残っています。(これを)一日も早く一掃しなければなりません。先生がプラスを代表した神の代身としてみ旨を発表したら、先生に問うてやれば良いのです。堕落した時、天使長がひそひそと言い寄って来ても従わないで「神様、あの天使長たちがこういうことを言っていますが、やりましょうか。どうしましょうか」と神様に問うたならば、堕落はなかったはずです。そのような事実は、直ちに先生に報告して是正しなければなりません。 統一教会において、中心人物と言いますが、最大の中心人物は誰でしょうか。(先生です)。いいや、ドクター・ダーストでしょう。(いいえ先生です)。もしも責任者たちが先生の指示に従わなかったならば、そのような責任者は追い出さなければなりません。原理的観点からそのようにするのです。サタンを分立し、サタンを追放することは先生の責任です。甘い中心者と厳しい中心者のどちらが偉大ですか。堕落する時において、神様は厳しい中心でしたが、サタンは甘い中心であったのです。最も最も易い易い道を取ってください。これは惨めなものです。これがはサタンの観であります。今日復帰路程において、統一教会の全国の責任者、あるいは風習や環境もみんな引っかかるので、これを激滅していかなければならないので、先生はやっているのです。 このような観においてみると、終結の世界において困難な道を行こうとする人は神側で、易しい道を行こうとする人はサタンの側になります。神様はこのような観をもって統一教会を導かれるのです、先生は困難な道を行くことに決定し、出発し、その道を続けて行く人であることを自らテストするのです。ドクター・ダースト、今の先生の話は正しいですか。(正しいです)。今までの考えの中で是正すべき点が多いですか、少ないですか。(あまり多くありません)。一つでもあったらいけないのです。一つでも先生が命令したら絶対に服従しようとするその心(が必要です)。神様がみ旨を立てられる時にレバレンド・ムーンが、「あまり多くありません」と言えば、サタンは間違いなくレバレンド・ムーンも引っぱって行くのです。わかりましたか。天国の道も一歩間違えれば地獄なのです。 責任者を信じるな! レバレンド・ムーンも信じるな! どういう時にどのようになるかわかりません。先生もお母様が、「ああ、今日は疲れてどうすることもできません」と言う時は、「行かなければなりません」と言うのです。自分を愛の世界へと導くためであります。これは重要なことなのです。そのために、この眼鏡をかけてみれば、この世の中がすっかり変わります。誰それが何をしているか。この人は点数をつければ『何点だ』と、点数が出ます。 米国の食口たちは、「今までは米国の天気はとても良かった。しかし、とんでもない韓国、日本、ドイツの群が来て雲がかかってしまった。ああ! 我々はこの空は嫌いだ」と言っていますね。今までのように米国式の晴れた日が続けば、この地は砂漠になってしまいます。滅びてしまいます。砂漠が良いですか。(いいえ)。これをはっきり知らなければなりません。これを知らずに天勝日の話を聞く資格はありません。先生が言うことは正しいですか。皆さんのために、枯れて死んでしまうこの地に雨を降らせるためです。米国の心霊世界に雨を降らせるためのものです。外の米国の人々はなぜムーニーは雲を呼んだのか。なぜ彼らは困難なことばかりするのかと不思議に思います。しかしそうすることによって、私たちは誇り高いムーニーとなることを知っています。ムーニーの道が唯一の勝利の道です。わかりましたか。困難な道を行きますか、易しい道を行きますか。(困難な道です)。ではこれからは私が心配しなくてもいいですか。(はい)。それでは、米国にいる必要はありません。早く終えてどこかに行かなければなりません。先生には時間がありません。 米国のリーダーとなって長くなった人たちの話を重要視してもいいけれど、先生の公的な話と異なるように思う時は注意しなければなりません。なぜそうですか。本然のプラスに入って行くためです。今のこの世において、真の父母の道を行かれるのは先生しかありません。私たちはどんどん登って行かなければなりません。じっとしていると先生はそのままにして置きません。先生の話を全部聞いて助けてあげたいと思えば、早く登って来なさいと言うのです。更に復活されたいという心がなければ、次々と登って行くことはできません。不平をもっては登って行くことはできないのです。きょうこの話を、耳があり目があって聞き、見た人たちがはっきり知ることができれば、米国の教会は正常な方向に向かって行くことでしょう。(これは)ドクター・ダーストや米国の責任者がいくら一つになっても、絶対にできないことです。やってみなさい。 (黒板で)ここに行く道は地上においては一つしかありません。個人としてついて行く道、家庭として、氏族として、民族、国家、世界としてついて行く道は全部真の父母が造ります。そのために先生は一生をかけて受難の道を歩んでいることを知らなければなりません。皆さんはそのような父母の前で、平安に生活しようと言うのですか。今日この話を聞いて行動を開始しても、ドクター・ダーストは文句を言わないでしょう。先生の命令に向かって、直ちに出かけ行ってもです。 その次に、韓国のメンバー、日本のメンバー、州の責任者、あるいは機動隊の責任者が先生の指示と異なる点があったら、その内容を指摘して、どこへでも移動しても構わないことをこの時間に指示します。「この機動隊の責任者が先生の命令を行わないので、この責任者の下にいたくありません。私は先生の命令を先行する人について行きます」と言って、荷物を持って、移動しても構いません。このことを全国の統一教会、全世界の統一教会に指令いたします。だからそのような部署を造っておきます。イーストガーデンの責任者に電話一本すればできます。ベルベディアにいるキムという女性に電話一本すれば良いのです。キム・田村、手を挙げなさい。あなたは電話を受けたら、「わかりました」と言って名前と所属を書いて本部に提出し、すぐ先生にそれを報告しなさい。そしてまた、「先生が教えてくださった原理がこうなっているのに、先生はどうしてそのようにしないのですか」と言われて、先生が間違っていたら、先生も荷物をまとめて出て行きます。そして神様に、「神様、私は出て行きます」と言います。(爆笑) ドクター・ダーストだけにそうするのではなく、韓国のリーダー、州の責任者、機動隊も同様です。先生までも手伝っているのですから何も寂しく思うことはありません。私たちの唯一の希望は真の愛に到達することです。それはどうですか。(素晴らしいです)。そこに到達すると、すべてが完成されます。その時、神様ばかりではなく、神様の愛が私のものになります。先生は、責任者を苦しめる人です。 先生の英語がわかりますか。年老いた人が言葉を学ぶのと、若い人が言葉を学ぶのとはどちらが早いですか。(若者です)。多くの異なった国はそれぞれに異なった言語をもっています。これはこの世界を救うにあたって最も(障害)となっています。誰がこの問題を解決するのでしょうか。この一つの歴史的問題を解決しただけでも、私たちは大変偉大な人となります。いかに困難があっても一つの世界を造る、それがムーニズムです。ムーニーは何と偉大でしょうか。先生が英語で話すので楽しいでしょう。(はい)。しかし先生にとって英語は最も困難な言葉です。 韓国語を学べば、地上界、霊界の明確な概念をもつことができます。韓国語は二十四文字からなっていて科学的です。三十分もあれば全部わかります。一つないのは「”th”」の発音ですが、その他はほとんどあります。皆さんからみても、韓国人は英語がとても上手でしょう。(はい)。日本に行けば日本語も上手です。中国に行けば中国語も上手に話します。神様もこの世界の言語の中で、自分と愛し合い、深い内容の心情を表すことのできる言語ということを考えれば、先生が思うには――私が韓国人であるからではなく――韓国語を除くことはできないと思うのです。それを習いたいですか。(はい)。これから米国においても、どんどん韓国人が問題となるでしょう。日本の人たちよりも、更によく指摘するでしょう。日本人は一筋に熱心に働きますが、韓国人は革命的な道を行きます。 (黒板で)私たちの目的はどこにあるでしょうか。『私の誓い』では何を誇ると言っていますか。神を中心とした、一つの主権、一つの民、一つの国土、一つの言語と文化を誇るのです。皆さんは一つの文化をもっていますか。(いいえ)。 アダムの文化の中心は何でしょうか。(真の愛です)。真の愛は一つです。二つではありません。その真の愛の文化から真の言語を使用します。それでは真のアダムは誰ですか。(真の父母です)。真の父母は誰ですか。大統領ですか。(いいえ、先生です)。 レバレンド・ムーンが真の父母であると、どうしてわかりますか。それは霊界を通じなければよくわかりません。霊界を通過すればよくわかります。真の父母は、レバレンド・ムーンから来たのではなく、天から来たのです。神様を知らない人は、真の父母を知りません。神を知らない人は、霊界がどうなっているかをわかりません。だから皆さんはわからないのであります。(それで)学んでいるのです。霊界を学んでから何をするのかといえば、真の父母を知り、神を知るようになります。(皆さんは)学習所の単位を取り始めたのです。その単位を取るために学んでいます。 統一教会は宇宙の大学です。そこで教えてくれる教授、先生の話に絶対に順応しなければなりません。反対しては、単位を取ることができません。わかりましたか。簡単です。このような宇宙的システムになっている統一教会には、幼稚園、小学校、高校、大学と、いろいろな段階があります。そのような訓練を受け、学ぶ過程を経る所が統一教会です。それで、学校の学科を忠実にして、単位を取らなければなりません。「夫のために、あるいは妻のために、もろもろの事情で単位が取れませんでした」と言っても、認められません。既成教会とは異なるのです。 レバレンド・ムーンを通して、天国に行くことのできるパスポートを受けることは容易なことではありません。天国の小学校コースに行きたいですか、博士コースに行きたいですか。(博士コースです)。(それは)この道しかありません。食べたいものも食べず、着たいものも着ず、見たいものも見ずに耐えて行くのです。先生は一生を懸けて、そのパスポートの内容を通過するために、今でもこうしているのです。この中に、(自分は)州の責任者になったので(と思っている人がいたら)、とんでもないことです。君はどれくらい先生を知っていますか。皆さん、学者たちが研究室に集まって、レバレンド・ムーンを研究するようになったらどうしますか。これをはっきり知らなければなりません。皆さんは霊界に行って、「先生、どうしてはっきり教えてくれなかったのですか」と言うことはできません。(先生は)全部教えました。わかりましたね。(はい)。 だから、男性と女性が完全に一つになる、夫婦が一つになるということは、本然のプラスの人間(神)に帰っていくための過程であり、それが祝福家庭の立場であることを知らなければなりません。(神の許可なしに)愛の関係を結んではなりません。兄弟のように思うのです。夫婦は、この地上の愛するどの兄弟以上の立場において、互いが尊敬し、為になることができる過程を経なければなりません。だから、ここにいれば自然に神様が訪ねて来られます。そして(それは)、本然のプラスの人間と本然のマイナスの人間がぶつかり合う愛、稲光のような愛、理想的な愛です。その時、宇宙のすべてが笑います。自分たちの主体が来たからです。今まではそのようなことがありませんでした。わかりましたか。 今日は何の話ですか。(天勝日です)。天勝日の話であるのに、すべての説明をしています。では米国全体が統一教会に全員荷担したということが、それが天勝日でしょうか。先生はそうは思いません。全世界が「統一教会、歓迎」と言う日が天勝日でしょうか。(いいえ)。では天勝日とは何の日ですか。本然のプラスの人間と本然のマイナスの人間が一つになる。その時が天勝日です。では、何人でやればいいですか。(二人です)。その二人とは男性と女性ですね。その二人が神と一つになるのです。愛の根源と一つになることです。ところが、肉体的な愛ではいけません。兄弟として、本然の子女の愛を受けずしては、本然の妻として愛することができません。これが原理です。わかりますか。そのように行く道なのです。 それで統一教会員は、婚約してからもばらばらに離れているのです。「ああ、会いたい」と言って電話するとしても、それは、夫、妻にするのではなくて、兄に、妹に電話するのです。約婚中においては、本然の女性は妹であり、本然の男性は兄です。私たちは真の兄妹の段階を通過しなければなりません。それで統一教会員は、兄妹期としての約婚段階を経るのです。結婚式をやったとしても、ある期間は真の男性、女性となって、真の夫、妻となる準備をします。そうせずしては、真の子女の前では、恥ずかしいのです。婚約段階のアダムとエバが堕落したので、皆さんは真の男性と女性として、一つになって真の父母の相続権を受けるために、真の本然のプラスの人間の前に一つにならなければならないということは極めて妥当な論理です。わかりますか。(はい)。 では、先生はどうなのでしょうか。先生が真っ先にこの道を行かなければなりません。それで全サタンは、先生がこの道を歩むならばすべて崩れてしまうので、霊界のサタンと地上にいるサタンの後孫が完全に一つとなって真の父母がこの道を行けないように妨げるのです。先生が真の父母の道を行かなければならないゆえに、天と地においてサタンと対決して行きます。この天勝日とは何かというと、すべての天と地が総動員して、先生とお母様をなくそうとした時、すべてを動員して反対した時なのです。 サタンはどこから反対したかといえば、家庭から反対したのです。皆さんの家庭が「怨讐」と言ったでしょう。家庭から反対するのです。この家庭が完全に一つにならなければ、一人でも反対したら土台になりません。それでここで闘って、次へ行かなければなりません。そしてこれを拡大させて発展して、これが行くべき道なのです。このようにして世界的な蕩減路程を経て行きます。それはサタンも知っているし、神様も御存じです。 それで、宗教を通して来られる主様は、これを一度に合わせるために、ユダヤ教、キリスト教を通して宗教を世界化させるための運動をするのです。イエス様の時、ユダヤ教が信じたならば、直ちに一つになったでしょう。その時にアラブ圏は統一されたはずです。歴史は因果関係によって、アラブ圏がイスラエルのために追求されるのです。これをすべて、先生が中間において教えています。それで先生は、神様会議、ユースセミナーのようなものをやっています。そのような世界的な問題、宗教界の連合問題、国家の連合問題、これを成すために、頑張っているのです。 キリスト教がカイン、アベルの意味を知ったなら、第二次大戦以後には、全世界は米国を中心とした統一圏が始まったでしょう。全世界的版図をもっている宗教が世界的版図を強化することができる一時が、第二次大戦直後の米国を中心としたキリスト教文化圏を全世界へ誇っていた時です。しかし、米国はそれを成さなかったのです。キリスト教もそれができませんでした。それゆえに、今日、共産党が打つのです。米国を打つのであります。神様もそのようにされます。その反面新しい統一教会は、共産主義を凌駕する思想をもって、ムーニーというレッテルを掲げて米国の地に上陸しました。それは滅びゆく米国から離れてゆく神様を保護するためです。その戦いをしているのが今日のムーニーの運動であることを、米国の国民に宣布致します。 共産主義が世界を一つにしようとしています。神様のみ旨は世界を一つにすることです。再臨主もキリスト教文化圏を中心として、世界を一つにしようとすることを(サタンは)知っているゆえに強制的にでも、いかなる脅威を与えても自分が先に一つにしようとする運動が共産主義運動です。(そこで)それを知らない人たちの中で、一人で戦っているのがレバレンド・ムーンです。 しかし米国が反対し、完全にサタン側に入ってしまいました。全世界がサタン側になってレバレンド・ムーンに反対するのです。六千年間基盤を整えていた米国が、解放後三十年もならない短期間において、これほどまでも崩れるとは誰が知り得たでしょうか。二千年の迫害のもとで発展してきたキリスト教が、何ゆえにこの二、三十年間において、これほどまでにその文化が堕ちるのかを考えてみなさい。その間、統一教会を反対した動機(があること)を知らなければならないし、蕩減復帰法則によってこのような道を経なければなりません。 (黒板で)ここで霊肉一体となって、キリスト教文化圏を一つにしなければなりません。レバレンド・ムーンが孤独単身でもって、このような理想を再現することをやっているのです。現在は霊的のみの、このような文化ですが、これは偽物のようです。全部が反対するので、レバレンド・ムーンはこのような霊肉の実体を造り、キリスト教文化圏が成したのを再び形成しなければなりません。それで、失敗していった米国とキリスト教文化圏以上の世界的兄弟主義と、一つの世界を成すための理念を中心として、国もなく彷徨しながら世界的民族糾合運動をしているのです。個人が反対し、家庭が反対し、氏族、民族、全世界が反対する中で、レバレンド・ムーンは一人でこのようなことをやってきました。 ここで失敗したことを、再び来られる主様がおられるとしたら、そのお方はこの歴史的なものをすべて蕩減せずしては帰る道がありません。蕩減復帰しなければなりません。蕩減しなければ本然の位置に帰ることができません。それが堕落世界の鉄則です。わかりましたか。統一教会では「蕩減」という言葉は生死を決定します。蕩減という概念は天の扉を開ける鍵のようなものです。先生もこの蕩減を避けることができません。「蕩減」ということを知ったがために、世界が歓迎しないときには、世界的な蕩減の峠を越えなければならない事実を知った人だからです。しかし、もしキリスト教が受け入れれば、先生は蕩減が必要なかったのです。それで先生は超教派運動をしたのです。怨讐を愛しなさいと言うのです。帰って行く道がないためです。 真の父母が全世界の暴風雨の中で、米国とサタン側になっているキリスト教と共産主義と、地上のあらゆる国々全体が反対するそのような一時を迎えて、滅びないで、追い出されないで上昇することのできる一時がなければなりません。それが、一九七六年を中心とした米国におけるマディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会だったのです。この時に百二十七カ国の全世界が、レバレンド・ムーンを追い出そうとしました。全世界がムーニーに反対でした。宗教指導者として歴史時代にこのような数多くの宗教、数多くの国々、数多くの人たちが合わさって、共同目標として攻撃した人は、レバレンド・ムーンただ一人です。サタンは個人が勝利しても構わないと思っています。家庭が勝利しても構わないと思っています。世界的な反対時代において、君(先生)が生き残るか見てみよう。その時を見てみましょうと待っているのです。その時に戦いが始まるのです。 お母様はわかりませんでしたが、夫に絶対に服従しなければなりません。エバは知ってから堕落したのではなく、知らずに堕落したので、困難であっても行かなければなりません。そのようになっています。この期間に反対したことがあったら、お母様でも悔い改めなければなりません。いかなる困難な中においても、夫が行く道は理想的愛の伝統を尋ねて行く道(こと)であり、神様の胸に帰って行く道であるから、夫に対して絶対の信仰が必要です。いくら間違っていると言う人があっても信じないで、私の夫は神が願う道を歩んでいると弁明し、サタン世界に誇れるくらいの胆っ玉をもって行かなければなりません。それがお母様の立場でした。今になって言うのですが、価値が認められる時までは、先生がお母様を立ててお母様と共に迫害を受けながら、人類の苦難の道において戦って勝利したという勝利の覇権を握る時までは行かなければなりません。それが米国におけるお母様が行くべき道であったのです。その時までは自分勝手にどこかへ行くことはできません。 (そして勝利して)この地に足を降ろして、その時から米国の社会において、レバレンド・ムーンはただの人ではないと知って、三年半のうちに如何にしてこのようにできたのかと、研究の対象になり始めました。今まで私がやってきたことに対して目を丸くして注視しながら、レバレンド・ムーンは偉大な人であると言って、レバレンド(敬称)とまでつけるようになりました。その時からベルベディアや、イースト・ガーデンに先生は足を降ろし始めたのです。それ以前には、先生は家を持ちませんでした。これから押し寄せる試練を前にして家を買ったとすれば、愚かな人であります。 (アメリカは)法廷時代において、どうしても先生を監獄に入れようとしています。しかし、監獄に入れられても、私はすでに勝利しています。もし入れられたら英雄になっていたことでしょう。摂理的にすべてが終わったのです。ニクソン大統領が先生の話を聞いていたら、米国における迫害はなかったでしょう。その時レバレンド・ムーンと相談していたなら、今日ベトナムにおいて惨敗した米国にならなかったし、共産主義が自由にふるまったとしても(どうすることもできない)弱い米国であると思われるほど悲惨にはならなかったでしょう。今度のKAL事件(大韓航空機撃墜事件)においてもレバレンド・ムーンと相談していたら、共産圏をギャフンといわせる基盤を(造ることができたのですが、それを)蹴飛ばしてしまったことを先生は痛嘆せざるを得ません。しかし、大韓航空機の大きな犠牲の供え物によって、韓、日、米の三国が連結されるようになったのです。 レバレンド・ムーンと如何に一つになるかに米国の運命がかかっています。そのために、ワシントン・タイムズを造り、血みどろの準備をしているという事実を、神様が御存じですが、この世の人たちは知りません。今になってレバレンド・ムーンをわかり始めました。先生が死ぬ前に、十字架にかかる前に、米国の国民が先生をわかり始めたのです。先生が黙っていても、レバレンド・ムーンが勝利できるようにすることが、最後に与えられた米国の任務であると思います。そうでなくて先生が監獄に入る日には一年半で出獄して、米国をさよならしなければなりません。その時はムーニーも米国を見捨てるかも知れません。そうなると米国は悲惨な国になるでしょう。そうならないように米国の責任者は全力を尽くしなさい。これは米国に対する恐喝でもなく、うっぷん晴らしでもありません。これは原理からみた、今後の米国が行くべき道であるから、そう言うのです。わかりましたね。 先生は(米国で)離れるという言葉をよく言います。それでその前に、八五年まで総動員して、米国がレバレンド・ムーンを誤って判決を下したらこれを否定させる新しい勢力が加増されれば、米国は生きる道があると思うのです。それで韓国から、日本から、ドイツから、この雰囲気をつくるのに、三年半という期間を中心として動員したという動機をはっきり知らなければなりません。イエス様の十字架の三日路程を終えるような過程が、三年路程として現れたのです。これを生きて越えるか、死んで越えるか(これが問題です)。米国の全域にいる統一教会のメンバーがすべて、イエス様が死んだ時と同じようにこの三年間監獄に行き受難の道を行こうと、地獄に行くという生活をすれば逃れることができます。復活して残ることができるのです。 そのような意味において、レバレンド・ムーンは共産主義を防御できる、たった一つの希望です。米国のドラグ問題、青少年問題、教会の没落の再復興、これからの難問題を防衛することのできるたった一人の人がレバレンド・ムーンであることを、米国の人はわかり始めたのであります。イエス様が死んだ後に、イエス様は神の人であり、神が送ってくださった方であることを知ったイスラエル民族は暗たんたるものでした。しかし、先生が死ぬ前に、米国の国民がこれを知ったということは、暗い心に一筋のローソクの光が注いでいるようなものです。米国の重要な人たちは知っていると思いますが、国民がこれを知って責任を遂行し、内外の基盤をもってこの難局を越えることのできる道をつくることは、米国における偉大な喜びであり、偉大な福音です。この事実を知らなければなりません。この時しかありません。この重要な時機が今であります。 そのようにして何をしようとするのでしょうか。米国を訪れた時、米国の文化圏が先生とお母様を追い出そうとしましたが、キリスト教国である米国で今や歓迎することのできる喊声が上がることによって、新しい時代に連結されることは原理的に明らかなことです。これは蕩減復帰なのです。そうすることによってキリスト教圏が恨みを解き、歴史の恨みを解き、この地からカナン福地の基盤を出発することができるために、三年(路程)のタイトルを掲げたということをはっきり知らなければなりません。歴史家はこの話を忘れないことでしょう。わかりますか。だからやりますか。やりたかったらやるし、やりたくなかったら止めなさい。南米の多くの指導者たちが、「米国で迫害を受けないで、私の国へ来てください」と言っています。三年路程というのは偉大なものであります。カナンの地を復帰し、イスラエル天国を復帰し、キリスト教理想を実現させる一つの天の運命的過程を行くべき厳粛な過程において、全体動員しなければカナン福地まで行けません。これを妨げる人は後代において、天国に行って自分たちの先祖たちまでも引っ掛かることを知らなければなりません。モーゼの言うことを聞かない父母や子女は滅びるのです。 一九四五年から一九八五年までの四十年過程における三年路程です。一九四五年、第二次世界大戦後の四十年間は世界のすべての人々は困難な状態にありました。ここですべてが終結される中において、世界を収拾することできる思想統一がなされてこそ、中心思想となるのです。カナンの世界を越えるのです。民主世界や共産世界を越えることのできる深刻な時期であります。 ここにいるオーストラリアのピータも、自分の国にいたいことを先生はよく知っています。ヨーロッパの責任者たちも自分の国にいたいことを先生はよく知っています。連れて来て出動させ(るのは)、その道が恵みを受ける道であることを知らなければなりません。ヨーロッパの責任者の中で、先生の命令を受けたのに帰ってしまった人がいるということは、恥ずかしいことであります。後代の歴史の批判を受けるでしょう。早く強制的にでも連れて来て仕事をするようにしなさい。先生は責任を持ちません。皆さんの責任です。このような状態において、本部が重要ですか、新聞社が、ニューズ・ワールドが重要ですか。それはすべて通り過ぎることです。今や父母様が自由世界において歓迎を受ける、米国の地においてキリスト教文化圏から歓迎を受けるかという場に参席(同参)して行くことが、どれほど重要であるかを考えてみなさい。もしこれを知って参席できない人は、後孫後代に怨恨となる人であります。地団太踏んで痛哭する日が来るでしょう。これは脅迫ではなく、原理観であります。わかりましたか。 それで今日、十月四日は、一九七六年を中心として初めて、押し寄せる迫害と戦って勝利のくさびを打った日なのです。くさびを打ち付ける日なのです。父母が反対する世界に着陸して、土台を築くことによって、従っていたあなたがた子女たちが足を降ろすことの時代が近づくことを知らなければなりません。家庭から世界へ足を降ろすために、今年の標語は『家庭教会は我々の定着地』でしたね。だから父母様が定着のために戦っておられるので、皆さんも世界的な戦いをしなければなりません。わかりましたか。(はい)昔は防御戦でしたが、(これからは)攻撃しなければなりません。これが三年をかけて、歴史的なすべての解決策をかけて一度戦ったなら可能なのです。一度にやってしまうのです。 それで、愛の基盤のエデンの園が世界の基準においてサタン圏に侵入されたのを、本然のプラスの人間といえば神様ですが、この本然のプラスの人間と本然の男女が一つとなって、サタンが反対する渦中において定着するその日が天勝日であります。神様は地上において昔は縦的に活動したのですが、(今は)横的な活動ができるのです。皆さんは先生の言う通りに実践すれば、霊界から先生の教えを啓示を通して受けることができます。昔は祈らなければならなかったが、生活することによって祈る以上の世界に入っていくのです。では天国はどこにあるのですか、地上にあるのです。天の人はこの世界の迫害を凌駕する基盤を造るようになります。皆さんも天国を好む(と思いますが)、数十ヵ国の民族が入っているここ(米国)において、すべての迫害に勝利した者として三年間なして行きましょう。 ドクター・ダーストも先生がこのようなみ旨をもってやっていることを考えていなかったでしょう。ノーアがいるでしょう。先生は君をボストンに任命したのに、いつここに来たのですか。誰が来なさいと言ったのですか。先生は日本人を連れて来て、あなたたちを食べさせなければならないのですか! 私はこの国を救うため連れて来たのです。はっきり知らなければなりません。モーゼが失敗したのは、族長たちのためでありました。皆さんは族長と同じであります。声が枯れるほどに警告し、力を尽くして引っぱって行かなければなりません。死が解除される所まで引っぱって行かなければなりません。今は深刻な時なのです。 本然のプラスである神と本然のマイナスであるカップルが完全に一つになって、神様がこの地上に愛することのできる愛の圏内に参席(同参)することのできる一時を、有史以来初めて立てることができた日が天勝日なのです。わかりましたか。(はい)。そのためにこの三年路程は先生が一生を懸けて戦ってきた勝利に、皆さんも参席(同参)させてあげるための特赦の三年路程であることを知らなければなりまそん。全世界に広げて戦っていましたが、一カ所に集中させて、勝利するのです。 米国国民と、米政府には言いましたが、CIAに報告して、聞きたかったら聞くし、聞きたくなかったらやめなさいと宣布します。今後の米国が行く道は、米国の指導者たちも知りません。神のみ旨を知りません。レバレント・ムーンの話を聞くことによって生きることができ、共産主義に勝つことができ、この国の疲幣と滅びゆくキリスト教を再復興させて世界を一つにすることができるのであって、他の道がないことを宣布するのであります。聞いても聞かなくても、宣布するのです。そうだと思いますか。皆さんの賢い頭で考えてみなさい。どのようにして(先生の話を聞くことによって、生きることが)わかりますか。どのようにして信じますか。今まで教えて来た中で、やると言ったことは、先生はすべて成してきたので(信じることができます)。米国の国民は、レバレント・ムーンは再臨主と言っても、可能性があると言っています。 では、三年路程において、皆さんは今までのようにぶらぶらと過ごしますか。力一杯に行きますか。(力一杯に行きます)。他に行く道はありません。行かないわけにはいきません。永遠をかけて行くのです。時を失えば、永遠に何千万代かかっても行けません。先生が行くカナン復帰の道に行かなければなりません。このような時に逸話を残さなければなりません。皆さんの家庭がもつことのできる逸話を残すのです。このことは先生との公約となることでしょう。このように自信満々に話す人もいないでしょう。これからどうなるかも知れないのに……。 一九七六年以上の迫害時代があるだろうか。考えてみなさい。米国が滅び、自由世界が滅ぶような時には、ムーニーたちにはそれ以上の迫害時代があります。共産党によって首を切られます。皆さんと先生が刑場に行って、首を切られるでしょう。米国を守り貫いた時には、共産党は先生の手によって単時間に打ち砕くことができます。戦うこともしないで打ち砕くことができるのです。青少年問題も、ドラッグ問題も問題ありません。だから先生の話を聞いてみなさい。このような時代に生まれたことを誇りと思いますか、悲惨と思いますか。(誇りです)。悲惨ですよ。(誇りです)。悲惨です。(誇りです)。ではやってみなさい。ライナー・ビンセント、先生が呼んだのは良かったですか、悪かったですか。(良かったです)。仕方なく来たんだろう。(大変幸せです)。(笑い、拍手) このような摂理的観をもって皆さんを呼んだのです。 皆さんは天勝日が何であるかということも知らないのです。ドクター・ダーストに聞いてみると、わからないことが幾つもあります。先生が原理を中心として質問すれば、三回ぐらい問うたならば、わからないとみな手を挙げるでしょう。原理講義を細密にやると複雑になります。蕩減路程を知らずに行く方がむしろ良い(かもしれません)。皆さんは先生のような頭をもっていません。(笑い) 先生の頭は大きいのです。(笑い) 皆さんは夫婦で蕩減路程を行こうとすれば、理想的夫婦となって定着地(を得るには)、天勝日を得て行かなければなりません。そうしなければ、サタンが先生を自由に連れて歩いたように、皆さんの夫婦を自由に連れて歩くことができることを知らなければなりません。それを願いますか。そのようにならないために、決定的な国家的基盤を整えるためにこのようにしなければならないことが、極めてありがたいことであることを知らなければなりません。(先生が定着するということは、絶えず米国に住むことではありません)。先生が、南米に行ったとしても、これからどこに行って住んだとしてもみ旨を成すことのできる基盤ができていることです。お母様と共に洞穴に行って住んだとしても。(笑い) 天国は私たち夫婦から始まります。皆さんがいなくとも始まるのです。わかりましたか。(拍手) 三年路程を勝利しなければなりません。(そうしなければ)私たちの後孫もありません。先生が死んだら大変です。(我々は)とんでもない時代に生きているのです。わかりましたか。今日の天勝日を皆さんの天勝日として、相続(伝受)することを約束します。(それが)結論であります。三年路程を通して私たちは私たちの天勝日を確立しなければなりません。米国の地においてこれを成せば、統一教会には迫害もありません。苦労もありません。悪口もないのです。米国一つで勝利すれば、共産党は問題ありません。米国が耳を傾けなければ、皆さんを訓練します。共産党に打ち勝つ訓練をしなければなりません。どうですか。(感謝です)。三年路程が終わって先生が(米国に)いれば修練します。ロッキー山脈に集めて修練をするでしょう。他の人に頼まないで、全部先生が教育しましょう。米国を理想の国にいかにするかの修練です。相続(伝受)したいですか。(はい)。 先生がマディソン大会、ヤンキー大会、ワシントン大会で模範を示してやったように、皆さんの州に行ってやりなさい。先生が許可します。そうしたら間違いなく成されます。それを皆さんができなければ機動隊を造って、そのような場に押し出します。それなのにこれは何ですか。これからはやりますか、どうですか。やる人は手を挙げてみなさい。ドクター・ダーストどうですか。(はい、やります)。先生がどれほど強烈な話をしたとしても中間で批判したり、分析したりしてはいけません。あなたは文学博士という味を出さないでください。文学の味というのは、鶯の声が好きで、花が咲く甘い世界を好むのです。そのような性格をもっては、天国に行くには難しいのです。州の責任者たち、それでは、ドクター・ダーストについて行きますか。レバレンド・ムーンについて行きますか。(先生です)。先生は米国人ではありませんよ。(真の人(トルーマン)です)。先生は米国の大統領のトルーマンは好きではありません。(笑い) わかりましたか。それで先生がここで指示する(以外)会議をできないようにします。先生が指示しないのはただの集まりです。中間会議だとか、ミスター・パク、州責任者たちを連れて会議をするな、という命令です。先生の本意にプラスさせる会議は許すが、これを弱化させる会議に参加させるなら、ドクター・ダーストは「あなたは、間違っている」と攻撃を受けなければなりません。わかりますか。そうする人は手を挙げてみなさい。(はい)。ドクター・ダースト、そのような会議をして、攻撃を受けたら感謝して、「ありがとう」と言わなければなりません。本部のメンバーたちとドクター・ダーストが会議をやってみなさい。集まって先生の話に減速させることをやってはいけません。わかりましたか。(はい)。(こうすることで)自分自身を保護できることをはっきり知ってください。これを間違えば、地獄に行きます。間違いなく地獄に行くのです。それはサタン側でありカイン側でありカインであります。アベルではありません。はっきり知らなければなりません。 皆さんが州において自信がなかったら、責任を負うことができなかったら、先生がすべてやります。先生の話がはっきりわかったので、みんながそのようにやることを信じてもいいでしょう。(はい)。中心人物が何であるかわかりましたね。中心人物の王様は神様で、その王子はレバレンド・ムーンであり、その下の者たちは地方の責任者です。僕です。その友達とか、僕の関係にあるものを、王様や王子よりもより信じたということは全く間の抜けたことであります。そのようなことで統一教会が栄えるでしょうか。今はもうはっきりとわかりましたね。今まで皆さんは手を挙げても偽りを言ってきました。きょうは間違いなく実践するという人だけ立ちなさい。そうでない人は座っていなさい。では座りなさい。 今までは、サタンがこうしていたので(ジェスチャーで)天勝日にも、天悪日にもなりました。これからは天勝日のみになると間違いなく決心して素晴らしく走ってみようと思う者は、それこそ気分よく万歳を叫べば、きょうの祝賀の日は堂々たる価値があると思います。天勝日を記念して、喜ばしい心、歓迎する心、勝利を誓う心で万歳を三唱しましょう。(万歳! 万歳! 万歳!) 今、先生が教えるべきことは全部教えました。これからは先生がどこに行っても探さないようにしなさい。皆さん自身でやりなさい。これからは聖日の日にも、先生が現れない日があるでしょう。どこに行く時も皆さんに連絡しません。三年間は皆さんも重要ですが、先生が一番危険な時です。怨讐たちが先生の生命を狙っています。神様は知っておられます。皆さんはわからないと思いますが、そのような報告を受けています。自由に公席にでることのできない時代に入りました。だからといっていつも現れないのではありません。祈ってみて、良ければ現れ、良くなければ現れません。先生がいるけれどいないと思って、(先生がいる時)以上教えられたことを実践するという心をもって、サタン世界の先鋒に立つことをお願い致します。先生が先鋒に立てない事情があるので、その時には自分が先鋒に立つのだと思ってください。(はい)。 最善を尽くすように、韓国と日本の責任者を先生の代わりに投入するのです。皆さんが三年間において行くべき道は、先生が教えた期間があるので、彼らが指導しても余りあると思います。日本食口たちが責任できなければ、難かしければ、韓国の責任者を先生のように思って、日本の責任者と一つになって三年路程を無事に越えることを願います。最善を尽くすよう願います。わかりましたか。(はい)。 神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.10
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「オーシャン・チャーチ」1983年8月28日ベルベディアにて きょう、本当はどこかに行く予定でしたが、こちらに来てしまいました。(拍手) 先生が行くところはどこでも問題になりますが、それは良いことですか、悪いことですか。(良いことです)。今年の夏、皆さんが御存じのグロスターとかプロビンスタウン地域でのオーシャン・チャーチを中心とする活動も、国家的な問題になっています。それについてお話してみましょう。 宗教といえば、山とは関係がありましたが、海とは関係がありませんでした。イエス様は山で祈り、モーセもシナイ山に登り、仏教の釈迦においても山に行って修業しました。このように山はいつも一つの修道の基盤となっていたのです。もちろん統一教会もそのような過程を経てきました。ところが(今日)統一教会は他の教会と異なって、オーシャン・チャーチ(海洋教会)というのを始めたのであります。 どうしてこのようなことを始めたのでしょうか。地球の三分の二は水であります。陸地に生きる生物と、海に生きる生物との量を比較してみると、人類は四十億ほどですが、海の魚は種類も多く数百億と生きています。そして海というのは、太平洋の水が大西洋に行き、そのように五大洋が互いに連結されているのです。陸地も連結されていますが、その連結の意味が違います。海は平面的な連結ではなく、円形的に連結されているのです。海洋の動きは生動しながら、一つの動きをもちつつ、すべて連結されているという結論になります。このようにみるとき、地球が生きていると言えるとしたら何をもって言えるかといえば、もちろん地球には陸地もありますが、海の水があるから生きているということができるのです。皆さんが海を見ると、海は単調にみえるかもしれません。青く水平線になっているだけです。しかし、その内容はどれほど複雑か知れません。そして資源的に言っても、陸地よりも豊富です。ですから、創造主がいるとしたら、海と陸地のどちらに関心をもつかと言えば、海に関心をもつことでしょう。そこには無尽蔵の宝物があり得るのです。ダイヤモンドや、人間が好むあらゆる宝物がそこに沈んでいるのです。 このように貴い海を主管しようとしたら何が必要でしょうか。アメリカ開拓時代をみても、西部の鉱山は冒険的であり、勇猛な人たちがそれを所有することができました。そのごとく、宝物を探し出すことは容易なことではなく、幾度となく冒険をしなくては所有することができません。 今まで、船が行き来きする航路のための戦いはありましたが、海の中のもので所有をめぐる闘いはありませんでした。ところが、今の時代になって二百海里を重要視するのは、魚が重要な問題となっているからです。魚が必要になって二百海里が設けられましたが、もし地下にある資源が必要であるとしたら、欲をもった人間たちは、何百海里、何千海里を設けようとするでしょう。 そこで海の主人という問題について考えてみましょう。地球に大変動が起きれば、海の中に陸地が生じ、陸地が海になることもあり得ます。太平洋の中にアメリカより大きな陸地が現れたら、その陸地は誰のものかと問題になるでしょう。そのようなことがないとは言えません。いつそのようなことが起こるかわかりません。海底に火山脈がないわけではありません。そうなると二百海里だけが私のものであると主張する人がいなくなります。間違いなくそのような時が来ます。海をめぐる戦いの時が来るでしょう。そこで、この海を所有することのできる人は勇猛で、開拓的精神をもった人でなければなりません。海のために戦うことのできる群でなければなりません。 皆さんは海は危険だと思うでしょう。特に女性たちは海が嫌いです。男性でも、真面目で一つしか見つめない男性は海が嫌いです。ここで、神様は、この海の主人はどういう人がなるべきだと思われるでしょうか。もちろん、個人的に勇猛な人が必要です。しかし、問題はそのような一人だけではなく、そのような人たちが一つの団体を成し、国家を越え、世界を越えて集まるとしたら、そのような人たちこそ海の主人として神は認めるでしょう。海を愛する人たちであると認められるでしょう。そういう人たちは間違いなく、未来の海の主人になり得る候補者であるとみるのです。海をめぐる戦いの時代が間違いなく来ます。だからアメリカの代表、日本の代表、いろいろと国民を代表したあらゆる勇猛な人たちの中で、オーシャン・チャーチを組織しなければならないと考える人がいなければならないと思うのです。国家を超越した世界的立場において(そうしなければなりません)。そうだと思いませんか。そこには、アメリカ人、日本人、ドイツ人、ソ連人とみな入るのです。このように海を愛する人たち、勇敢なる人たちが、海に対する規約を作り処理をするようにならなければなりません。 レバレンド・ムーンを中心とした統一教会は世界的です。西欧の人たちは、「レバレンド・ムーンは韓国人であるが、韓国だけのために働くのではなく、世界のために働くという観念を強くもっている」と言います。それで多くの迫害を陸地でも海でも受けながら、大胆に勇敢に世界的な一つの協会の構成をしています。そして、宗教を背景にしたこのような体制で、海洋教会(オーシャン・チャーチ)というタイトルを掲げたのは恐ろしい宣言です。オーシャン・チャーチは海でただ訓練をするだけではありません。創造主の本意に合致することのできるよう、海を管理し、海を愛し、海を中心として、世界を結束させることのできる一つの舞台にしようとするのです。 海と陸地の境界線は海岸線です。海は陸地を連結しなければならないし、陸地は海を連結しなければなりません。このような二つの目的が重なる境界線とは海岸線しかありません。陸地も必要であり、海も必要な事があるとき、どこが一番必要な所であるかというと、海岸線であります。これから海岸線がいかなる土地よりも高くなる時が来ます。このようにみるのです。これまで人は休養に行く時は、山に、あるいは平地を訪ねて行きました。しかし最近、海に休養に行く人たちがふえています。なぜ海に行くのでしょうか。日焼けするためですか。日焼けならここでもできます。(笑い) なぜ行くのか、と尋ねられても答えることができません。ただ(何となく)行くのです。水が好きで、砂が好きで行くというよりも、海は多様であるからです。 海が静まった時はとても神秘的です。魅惑的な神秘の女王のごとく、美女のごとく、すべての人々を引きつける力があります。土色に見えたかと思うと、他の色に変わります。実に千態万象です。そこに風がそよぐと、その波の美しさは何とも言えません。いくら舞妓がうまく舞うと言っても、それにはとても及ばないほどに、大洋全体が舞うのです。ダンサーが踊るステージはそれは狭いものです。しかし、海は無限なのです。海のステージは何と広いことでしょう! そこにかもめが飛んでいることを想像してください。舞い降りるもの、舞い上がるものがあります。そしてそのかもめの鳴く声も、すべて美しさで飾られます。また鯨のようなものが、高く跳び上がります。バチャンという音と共にその色が金色に光る。それを見ると変化無常です。 そのように美女のごとき舞妓のごとき面があるかと思えば、一度怒り出すと広野から突進するライオンよりも、トラよりも恐ろしい。何十メートルの波がどっと押し寄せることを考えてみてください。そのような時にはかもめが鳴くことなど問題にもなりません。いくら歌が上手で、喜劇の俳優だとしてもその雄壮なる気勢の前ではどうすることもできません。その威勢は堂々たるものです。静かな時にはハイスピードで突進してきた船も、ここでは力を発揮できません。波に乗って、波がやろうとする通りにやるしかありません。自然の力の偉大さを知ります。ですから、海を愛する人は傲慢になることができません。傲慢ではあり得ません。それほどに偉大なのです。 海の中にあらゆる色の魚族が、黄金色、金色、青色など、ない色がないほどいろいろな色の魚族が住んでいます。陸地も美しいですが、緑があり、花があり、蝶があると言った程度です。美しい鳥と言っても単調です。花には動きがありません。しかし海はとても美しいのです。そこでは豪華絢爛たる色とりどりの魚族たちが、舞いを踊りながら活動しています。神様も海では無限に楽しむことができ、退屈しません。神様は陸地より、海にもっと関心をもっておられるに違いありません。また神は未来の理想家であられます。今まで現れた歴史時代の地球に成されたことに関心をもつよりは、現れていない海の世界に関心をもたれるでしょう。未来の観をもっておられる神が、海に関心をもつであろうことは必然的なのです。未来を思う人も同様です。海を考える人は未来像を描く人、憧憬する人であるということになります。 海は歴史時代にどれほど多くの貢献をしたことでしょうか。昔の人は大きな河を渡るために船を考え出しました。小さな船とか、カヌーのようなものを、これは大変なことです。海を渡るために船を造るということは、次元の異なる文化の紀元を創ることであります。このようにして大きな河を渡る時はどうしたら良いかと考え、小さな船で渡って平安な世界を探求しました。エジプトとかローマは地中海をいかに渡ろうかと考えたのです。昔、河を渡ることができるということをプラスする人々は、この河を渡ることのできない人たちを支配してきました。イギリスが海洋国家として、十六世紀前後のビクトリア朝の時代に、海洋政策を中心として世界制覇した時代も、その意味において重要です。 地中海のみでなく大西洋を渡り、大西洋ばかりでなくそれ以上の海を渡る。ここにおいて世界を制覇することができるのです。アメリカも太平洋を渡ることによって、近代の世界を世話することのできる文化国として登場しました。それで、五大洋を舞台として夢をもって、平安の世界を望みとして行く、そのような基盤をもったとしたら、世界を世話することができます。文化発展の歴史を通して、そのような結論を出すことができます。 大西洋を渡ったピューリタンは、自分の個人の実力ではなく、神を信じる宗教の偉大な力をもって、アメリカを目ざしたという事実を我々は知っています。宗教がなかったら、大西洋を渡ることはできなかったでしょう。そのピューリタンの宗教はキリスト教でしたが、統一教会はキリスト教以上の強力な内容をもった宗教なのです。 さあ! 五大洋に行く船に乗りましょう。(先生の笑い) それでカヌーより少し大きなワン・ホープを造りました。これに乗って五大洋に向けて行きましょう。理想郷を求めて、神を愛し、信仰をもって前進しましょう。海へ行きますか。(はい)。皆さんはそれが良いですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) 本当ですか。(はい)。先生は嫌です。(笑い) それでは先生は行かなくても、皆さんは行くことができるということですね。(はい)。ワン・ホープカヌーが、ワン・ホープシップ(大きな船)に変わるでしょう。 しかし、それはとても危険の多いことです。皆さんの思いの及ぶことができないほど、危険が連続的に起こる事実を知ってください。それでもそれらを一切問題にしないで、大胆で勇敢に死を覚悟しなければならないという結論になります。結論は簡単です。死を覚悟すればいいのです。レバレンド・ムーンは統一教会の人たちが、生命をかけてこの海を理想に向かって前進することのできる、勇猛な群となってほしいという思いをもっています。皆さんはどうですか。 この世の人たちは皆さんを何と言いますか。ムーニーと言っていますね。ムーニーというのは、ムーン・ピープルという意味で、ムーン・ピープルというのはレバレンド・ムーンに属する人という意味ですね。(はい)。皆さんもそう思いますか。(はい!) 今朝の先生の話を聞いたから、はいと言うのですか、それとも以前からそう思っていたので、はいと言うのですか。(以前からです)。それでは先生が海に二カ月や三カ月も行っているのに、一度も(海に)現れないのはどういうことですか。それは関心があるということですか、ないということですか。「そうしたかったのですが、先生が承認してくれなかったからです」そうだったでしょう。それは事実でしょう。(先生の笑い) 勇猛な男性の背後には勇猛な女性がいます。これは正しい話ですか、間違った話ですか。(正しい話です)。それでは、ムーニーの男性が勇猛であれば、勇猛なムーニーの女性が背後にいるはずです。ムーニーの女性たちはどうですか。(はいそうです)。大洋を渡る途中、夫が病気になって寝込んでしまったとします。それでも船を止めようとしないで、その運転台でハンドルを握って、ブー、ブーと作動する女性はどれほど勇敢でしょうか。そうなれば、今まで固い男の手でさわられていた運転台は、今や柔らかい香水の匂いのする手で運転されるので幸福を感じるでしょう。(笑い) そんなものです。片方が悪いと、片方が良いのです。先生の話は面白いですか。(はい)。続けますか。(お願いします)。女性の皆さん、夫が倒れても、大きな波が押し寄せて来ても、勇敢に行くことができますか。(はい)。そうすると今まで台風が吹いていた海が、申し訳なくて、あなたのスカートの下で休まなければならないと、静まってしまうことでしょう。とても詩的でしょう。どうですか。真の文学というのは、このような所にあります。このように先生が、海に関するお話をすれば、とてもたくさんありますよ。 鳥よ! 君は飛んで行かないでそこに留りなさいと言えば、そこに留ります。また飛び立ちなさいと言えば、飛んで行くのです。鳥さん、あなたが私を嫌いで飛んで行くならば、私は(どこまでも)ついて行きましょう。泳いで行くことができなければ船を造って行く、船でだめなら飛行機でついて行くでしょう。そこには文化の発展的要素がいくらでもあります。あなたが飛んで行くならば、カヌーを造り、船を造り、飛行機を造ってついて行くでしょう。それは本当によく調和できる考えです。そのようにみると、海というのは本当に神秘で、無限なる宝庫の内容をもっていることを知ることができます。 皆さん、エンパイヤ・ステート・ビルディングの百二十階で、大きなロマンをもって(会う)約束の時間をもったら、どれほど素晴らしいでしょうか。大変ロマンチックです。誰も見ることも、考えることもしないそのような場所において、王様と女王様のように会うのです。 さあ! 私たちは大洋を経て、南極にも行ったとします。南極には可愛いペンギンがいます。夫は雄のペンギンを見て、妻は雌のペンギンを見て、ペンギンのごときキスをしたらどれほど幸せでしょうか。とても詩的です。(先生の笑い) それは海を渡ることを考える人のみが可能です。海を渡ることのできない人は、考えることさえできません。高次元的な夢の実現と想像の世界を描くことは、冒険的過程を経てこそ可能であると言えます。 先生はこの間二度ほどアラスカに行って来ました。氷山の中にあるアラスカが連想されます。そこには白鯨が連想され、無尽蔵な魚族が住んでいます。どれほど多くの夢があるか知れません。行ってみるとアシカ(シーライオン)に出会ったのです。孤島で、オン、オン、オンとそのほえる声で天地が震えるようでした。雄だけがいて、オンオンとほえたらバランスがとれません。雄も雌も共にいてほえるので調和が成されます。そうですね。鯨もおひょう(ハリバ)もいます。皆さんはおひょうというのを知っていますか。おひょうは三百パウンドぐらいあって、先生のような人が二、三人後ろに立っても隠れてしまうほど大きいのです。ちょうど巨大なひらめのようで、平らな魚です。 神様は思われることでしょう。「私がこのように貴く、大きなものを取って食べることを願って海に造ったのに、この愚かな者たちよ! それを見ることもせず、関心をさえもたないとは……」と。それを活用できる心をもった勇猛な人を神様は好むでしょう。その勇猛な人たちがこれらを所有することができるでしょう。それは当然な話です。 今度、アメリカの女性があのようであれば良いと感じたことがありました。その話を聞きたいですか? 聞いたならば皆さんは困惑するかもしれません。それでも構いませんか、それとも、レバレンド・ムーンは説教の時にいつもアメリカの女性を苦しませると言いますか。(いいえ)。 今度行った所は熊や、狼、狐等が住む所で、人が住む所ではありません。そこに八年間住んできたという夫婦に出会いました。先生はとても関心がありました。なぜここに住むのかと尋ねてみると、そこは自由天地だからだそうです。話をしてみると、とても自由天地です。ニューヨークだとしたら、目をつぶったまま一時間ぐらい歩いていたら、そこら中で非難を受けます。そこでは千年が過ぎても非難する人はいません。アラスカはアメリカに属する一つの州ですが、このような所には規制がありません。自分自身が法であります。ニューヨークのように多くの人が集まって住んでいる所では、あれはしてはいけない、魚もこれ以上は捕ってはいけない、鳥はどうで、うさぎは捕るな。何をしてはいけない、いけない、いけないずくめです。しかし、そこはとても自由です。 ところでその妻は、アメリカの女性だからとても大きいと思っていたのですが、そうではなかったのです。大変小さく、ほっそりしていました。しかし、根性はとても大きいのでした。彼女は海に出れば海を征服することができ、山に行けば狼、熊等も自分の手で思いのままにコントロールすることができるというのです。それは西部を開拓していたアメリカ女性の標本ではないでしょうか。 そこで彼女がどのようにして夫に出会ったのか聞いてみました。彼女は行かない所がないほど、世界を回って、立派だという人にたくさん会いました(が、それほど心を引かれませんでした)。ところがここアラスカに来てみると豊かな自然の魅惑と、自然を治め、海を治めるそのたくましい魚夫に魅力を感じたというのです。心のままに表現し思うことをそのまま行動する、それは社交性があって二重三重に変わる文化人より、どれほど素晴らしいか知れないというのです。彼女はレストランに勤めていましたが、その純朴な魚夫に魅力を感じ、彼とは年が三十も離れているのですが、結婚したということです。彼は、お茶とかコーヒーを作ってあげると心の純朴さと同時に、心で感じたそのままに、直線的に動くタイプだったのです。また、とても孤独だったのです。それで人に出会えば自分の親せき、父母、兄弟に会った以上に喜ぶ姿をみるときに、これこそ深い人間世界の貴い姿であるということを感じることができたと言うのです。 (彼は実際先生に)自分が知っている一番良い所、一番誇らしい所を案内してくれると言ったのです。そこにはありとあらゆる魚がいます。普通の人ならば、そんなに魚が多い所は教えてくれないのです。そして「もっと大きい魚を捕っていきなさい」と言いました。魚の腹を切ってとり出すのに本当に喜びでもってやってくれました。統一教会の皆さんでも、それほどにできる人が千人中一人もいないのではないかと思います。やることができないでしょう。魚はとても臭います。 そこに深い、次元の異なる人間の交流があります。このようにして(その日は)魚をたくさん捕りました。夕方帰って来て謝礼をしようとしました。ところが絶対に受け取らないのです。いやだというのに、三人を動員して納得して受け取ってもらいました。すまないという気持ちで受け取るのを見る時、それはとても美しいものでした。アメリカで本当の人間に会ったのです。(拍手) そのような深い世界が思い出されると、エスキモーのように本当に人がなつかしくて海をながめながら、誰かが来ることを願うそのような人がいるならば、もう一度訪ねてみたいと思ったのです。どれほど喜ぶか知れません。先生はアラスカにまた行かなければなりません。どのような魚が住んでいるか調べるのです。 皆さんは先生が好きですか。(はい)。皆さんもアラスカが好きですか。(はい)。台風が吹いて来る時も、船に乗って出かけることができますか。先生が出かけて行くのに、私は止めますと言いませんか。(笑い) その時「先生、私が行って来ますから、先生はここでお待ちください」と言うことができますか。(はい)。 こういうこともあり得ます。妻が待っていることを知りながらも、捕えてみると魚が小さくて夫としての面目がたちません。そこでもっと大きい魚を捕まえて、妻を喜ばそうとして、夕方になり夜遅くなるということはいくらでもあることです。それでも小さな魚しか捕れずに帰ったら、妻が怒って、「今何時だと思っているのですか」と不平を言い始めます。その時の夫の気持ちはどうでしょうか。大変惨めになります。ところが、小さな魚を取り出したとしても、「あら、今日は大きな魚を捕りましたね。うれしいでしょう」。そのように言ってくれれば、その妻に対して母親よりも、女王よりも良いと感じるのです。これは先生も体験した事実です。(笑い) そのように、普通の世界では結ぶことのできない、そのような因縁をこの世界では美しいものとして結ぶことのできる、詩的な内容がいくらでもあります。それで、海を知らない人たちは、幸福の分野が制限されているという結論になります。創造主がいれば、陸地を知り海をよく知って、陸地の美しさを考え海の神秘性を考えながら、賛美することを好む創造主であって、一面だけ創造したのではそれほど喜びがないであろうということは、極めて理論的な話です。 魚はぬるぬるしています。それは、魚が川を上る時は、常に水の流れにさからって泳がなければならないからです。魚はなぜなまぐさい臭いがするのでしょうか。(笑い) その臭いは魚の一番好きな臭いでしょう。それをそのように感じることができないのは、それほど嗅覚が発達していないということです。先ほどのおひょう(ハリバ)の雄と雌は互いに相手を臭いと言うでしょうか。その臭いによって同じ種類同士で愛することができるのです。魚たちは臭いをかいで、自分の群を探す習性があります。これが臭いの一つの(役目でしょう)。そのように群をなすことによって、保護を受けることのできる環境が自然に形成されます。そのように造られているのです。ここに創造主の無限なる調和が潜んでいます。 鮭は卵を生んでは死ぬのです。卵を生むために雄と雌とが一つとなって生きるのをみると、死ぬ日を知っているような人間の夫婦が愛する以上の愛ではありませんか。雌は卵を生もうと土を掘り、雄は敵から保護してあげます。それこそ理想カップルです。そこで卵を生んで雄と雌は死ぬのです。色が変色しながら死んでいく姿を見るとき、先生は大変ショックを受けました。このようにして子供のために死ぬのです。 では創造主は、どうしてそのように造られたのでしょうか。子供がいかに重要であるか、愛が重要であるかを(教えるためです)。愛が最高のものであり、子供が最高のものであるということを見せてあげる一つの標本として、サーモン(鮭)を造られたであろうという理論は極めて妥当なものです。生命を捨てても、その愛と子のためには行かなければなりません。このようにみるときに、アメリカで互いに愛し合っている若いカップルをそのサーモンと比べれば千万里の距離があるでしょう。ここでサーモン(鮭)はムーニーの魚にしなければならないと思ったのです。 私は今までマッチ・メーカー(結婚の世話人)をたくさんしてきましたが、その人たちがサーモンのようになって、自分の愛のために、自分の後孫のために死ぬサーモン以上の人を造って神の国に送ったとします。そうすれば神様は私に対して、「レバレンド・ムーンよ! なぜこのようにサーモン以上の人を造ってここに送ったのか」と言うでしょうか。それとも賞を与えるでしょうか。(賞を与えられます)。(黒板で)サーモン(SALMON)にOを加えれば、サーモンではなくサームーン(SALMOON)です。(笑い) ここでSALMOONのSALはSALVATION(救い)のSALで、SALMOONのMOONはMOONIE COUPLEのMOONです。ですからSALMOONはSALVATION MOONIE COUPLE(救いのムーニー・カップル)です。(拍手) 皆さんは鮭を食べる時、(自分は)サームーンであると思いなさい。それで鮭に「君はサーモンでいたいか、サームーンになりたいとか」と聞けば、サームーンになりたいと言うでしょう。 先生もたくさんのことを学び、たくさんのことを考え、深刻になりました。数多くの魚(鮭)が川一杯にずらっと行列をつくって上って行くのは、信じられないでしょうが、愛を中心として子供のために死ぬために行くのです。そこに不平なく、自然の道理に順応して、自分の死において厳かに行くのは、尊敬に値する事実であります。先生はいまだに、統一教会においてサーモン教育をやっていなかったのです。サーモン教育をしなければなりません。 人類がそうなったら、神様はこの地上に来ざるを得ません。人間たちが神様必要ないとしても、神様は人間の世界において、千年王国の理想をもって住まわれるでしょう。そこで、海においても、陸地においても、人間一人を教育するためにこのように造ってあると思うとき、創造主のありがたさを実感することができます。 結論づけましょう。なぜオーシャン・チャーチを造ったのか。オーシャン・チャーチの仕事をなぜするかと言うと、それは神様の創造の深いみ旨を知って、そのように創造するのにどれほど苦労するかを知って、神様の友達の立場に立つためです。それは驚くべきことです。創造主の創造されていた役事に参画(同参)し、友人のような立場にでることができるのです。 オーシャン・チャーチは統一教会にあったほうが良いですか。(はい)。本当ですか。(はい)。では皆さんも海に住みたいと思いますか。(はい)。女性は海に関心がない人が多いのですが、それでは統一教会の正当な信者になることができません。女性たちは全員オーシャン・チャーチの訓練を受けなければなりません。どうですか。皆さんが嫌だと言うならやめましょう。どうしますか?「はい」と言う人たちは手を挙げてみなさい。あ! 大変ありがとうございます。(先生が英語で)私も皆さんの意見に従います。ここでオーシャン修練を正式にしなければならないという結論が、皆さんの賛同で、出たのであります。正式な統一教会の人たちに対しては、一週間ないし二週間、訓練することをこの時間に宣布いたします。(拍手) (先生が)統一教会の女性に道端で会って、「君、魚釣りに行こう」と言ったら、「わかりました」と言ってさっと出かけるとします。私たちはどこの港にも船がありますから、(すぐに行けます)。先生と一緒に釣りに行けたらどれくらい素敵でしょうか。「よく訓練を受けたのですね。良い釣り場に案内しなさい」「はい」と言ってブンとエンジンをかけて操縦します。それはどうですか。ここで写真を撮ったら、霊界においても撮られます。そのような歴史をもって霊界に行って、「私は先生に侍って釣りに行ったことがあります」と言えば、これは歴史的な事件です。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのような意味において私たちは、多様な趣味をもたなくてはなりません。 先生は統一教会の女性の誰が、第一代のトローリング船のキャプテンになるかみています。私たちの船はとても良い船です。飛行機のように、ボタン一つを押せば舵を取ったりする必要のない船を造るのです。魚を捕るのもボタン一つ押せば、引き上げることのできる船です。それで今、私たちは電子工学研究所を造って、海にある多くの障害物を避けることを研究しています。これは女性のキャプテンを造るために必要です。だから、女性を憎むレバレンド・ムーンではなく、女性のためのレバレンド・ムーンであることを知ってください。では女性の中でキャプテンになってみたい人は手を挙げてください。(はい)。ありがとう。アメリカの女性はとても立派だと思います。 さあ! このようなトレーニング・コースをオーシャン・チャーチの責任者は、これから計画しなければなりません。大貫わかりましたか。先生は魚の臭いがします。今も魚の臭いがするので昼でも蚊に刺されるのです。アラスカに行って釣りをしてみたいですか。(はい)。南の海に行って釣りをしてみたいですか。(はい)。では先生について行きたいですか、先生を案内して行きたいですか。(案内したいです)。ありがとう。(笑い) 私は今まで人を指導してきましたが、人について行ったことがありません。今回、皆さんについて行くことができれば、どれほど幸福でしょうか。そう思って練習してください。男性は言うまでもありません。(笑い) では時間になりました。お祈りしましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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ニューヨークタイムズ「寿司アメリカに知らせたのは韓国人」… 文鮮明統一教総裁「照明」 - peace2のブログ (muragon.com)文鮮明先生御言選集 19830819 - 「父母の伝統基準の相続」1983年8月19日一九八三年八月十九日アメリカ・ボストン(プロビンスタウンの宿舎にて) 七月から九月にかけて、アメリ・ボストン沖で“ツナ修練会”(マグロ釣りを通じての訓練)が行われ、日本からも幹部たちが数組に分かれて参加しました。朝三時半起床、毎日の睡眠時間が約二時間というハードスケジュールの中で先生は連日深夜に亘り、参加者に対してみ言葉を語って下さいました。以下のみ言葉は八月十九日にプロビンスタウンの宿舎にて語られた内容の抜粋です。 習慣性を越えよ アメリカに来て九ケ月になる中国人のメンバーがいるが、今でも、東洋人としての心を持っていて、いかなることにおいても白人に負けるようなことがない。働くことにおいても、忍耐することにおいても、決して負けない。今統一教会で活動をしているが、話をしてみると、今でも、その本性が残っている。かつて自分が攻められ、苦労してきて、そこに反発したその心が習慣性になっているというんだね。統一教会の信仰生活は、その習慣性を越えて、より以上の習慣性を作るべきなのに、その基準を凌駕していくことができていない。それは非常に難しい。それには、故意に反対の方向をとっていくという方法を十年以上続けないと、そういう境地を凌駕することは難しいのではないかと思うんだね。 この道を行く場合、霊界に行って、日本人同志が集まるとまずいよ。(笑い)それでは、君たちはどうする。山に登るとき、皆それぞれ山の頂上に登ることが目的であって、日本人が先頭に立って、それを追いかけて行くというふうにはなっていない。 雲でいえば、水蒸気は一体どこから来たか?一ケ所から来た水蒸気ではない。世界の五大洋から蒸発して昇ってきた水蒸気である。それが低気圧とか、高気圧によっ流動して集まってくるんだね。その雲が「君は太平洋の水蒸気、君は大西洋の水蒸気」。そう言ったらどうなるか。そうではありません。どこから来たものであろうと、一つになって白い雲を作って、現実の目的のためにみんな同化されて、雨を降らせるようにならなければ自然現象の全てが狂ってしまうというんだね。 だから、そもそも国家観念というものを持ったことが、人類歴史にとって非常な仇となっている。国家観念は敵だという考え方がいままで分からなかった。国自身が、神の理想世界まで行くには非常に怨讐だ。韓国において、先生がいままで生涯を通して迫害を受けてきたのも、みんな国というカテゴリーを中心として、その法的基準に合うもの以外は総て排斥し、切ってしまうというような立場に立っていたからである。 ある部落に、とんでもない一人の男が大声をあげて、自由自在に行動して、裸で小便をしながら街を走り回っていたとしたら、放っておかれないよね。だから、それは環境的にいろいろ制約をうけざるを得ない。日本においての統一教会問題も同じである。家庭問題とかいろいろ人格を曝(さら)すような、そういう結果になって、日本は反対せざるを得ない。 統一教会はそういうことをして一体何をするのか?長い期間活動を見てくれば、ああ、彼らは自分たち一身のためにやっているのではない。国のためにああいうことをやっているし、世界のためにやっているということが分かって、「ああなるほど」というようになり、期間の経過によってそれは実績になる。自分の目的より以上の高い目的のためにやっているということを認めるようになれば、その認めた比率によって、頭が下がっていく。そういう意味では、統一教会はその活動の実体が分かり出したその時には、もう恐ろしいほどに、驚くべきほどに公的内容を徹底しておるんだね。だから、完全に屈服せざるを得ない。 君たちは統一教会に入って、神様とか信仰とか霊界というものを知り、それを現実の生活圏内でいろいろ体恤して、もはや否定できない立場に立っているということは偉大である。そのこと自体、生涯における重大な革命的変革であるということを君たちは知らない。実際に天地がひっくり返ったような基盤に立っているから、それがいかに価値あることかということを考えられないんだね。何年か、習慣的にこういうふうな生活をしてきているから、そのことがいかに価値ある内容であり、何か歴史的であり、革命的であり、奇跡的な大問題になり得る可能性があるというふうに考えない。この基準を立てるために、神が今まで摂理してきた。この基準を立てるために宗教活動を存続しながら、犠牲の道を払ってきた。それを考えようとしない。 そういう立場において、自分の柩をいかに構えるかということは重大な問題である。そう簡単な問題ではありません。いくら自分が理想を整えたとしても、目的、本質に適うようなところを持っていないということを考えれば、自分自身、歴史的な使命感でもっと謙遜な立場に立たなければいけない。ところが、そのように思わないでいつもすぐふり返る。自分を中心として一周するんだね。過去はどうだった。自分の環境はどうだつたと友達のことや、家族のことをいろいろ考えてみて、一周してくる。お嫁に行った女性が結婚した後に、昔、自分と付き合った因縁のことを考えてまた戻ってくるというような立場である。 これらは、すべて神に対して逆らうことになり、無礼になる。堕落しなければそういう観念はわれわれになかったはずだから、それを越えなければならない。 アメリカ個人主義の弊害 アメリカをみれば、個人主義の国である。この個人主義は総ての拒否につながるんだね。なぜ拒否するようになるかというと、自分の心のとおりやろうとすれば、環境を総て否定しなければならない。しかし否定した環境内容によって、肯定的な主体性の立場をとることはできない。だから、自分が中心的な立場をもって環境を否定したとすれば、それはいいのだけれど、否定した環境に対し、その中心の立場として、何ら肯定し得る主体性をもつことはできない。環境は否定したのだけれども、主体性を持つ自分の足場がない。だから、虚無主義に陥るというような結果になる。そのことは神とはまるっきり反対である。神の世界とは何の関係もない。 そういうことを考えてみた場合に、アメリカには是非とも統一教会が入って行かなければならない。しかし、統一教会が入っていっても、よほどの苦労をしなければ定着することはできないし、伝統的な主流の道を行くことはできません。 信仰生活において、個人生活に信仰が干渉するな、という話があるが、信仰においてプライベートとかパブリックとかいう話は成り立ちません。自分個人のことには関係するな、そうした話は絶対信仰生活には成り立ちません。信仰という主体性が、絶対主体によって成り立つと考えれば、それは絶対干渉するようになっている。自分の個人生活に干渉するなという話自体が存在しません。だから、自分の個人生活に関与するなといった考えを持っているこのアメリカの現実の生活環境は、信仰生活からみて逆の起点である。それは、神も自分の願いに合わなかった場合、すぐ、「神は神で、私は私だ」と考える。これでは“関係”という観念を継続することができない。その個人主義は、誰を中心としての個人主義かといえば、家庭を中心として、男を中心として、あるいは自分の妻を中心としての個人主義でもない。何を中心としての個人主義か。それを考えてみた場合に、自分自体を中心としての個人主義である。アメリカは金を中心としての個人主義だね。それから、生活を中心としての個人主義だね。それから、心情を中心とした情的基準においてもそうだ。それは動物の生活とそっくり同じである。 この上に(何かを示されながら)これ以上をカバーし得る利益をもってきてくれるものを公的とするならば、もしもあるものがその基準をもたなかったとしたら、その公的なものは、われわれとは関係がありません。だから、世界なり、国なり、家族なり、みんなこれがあって、自分にプラスになることができない。それが実用主義の弊害だ。そういう悪い結果を生みだした。そんな信仰生活はまるっきり反対だね。 だから、今から先生は自由主義と正面衝突しなければならない。自由主義は個人主義に通ずる。個人主義は、これは虚無主義に通ずる。そうなった場合には、何の希望もない。ヒッピー、イッピーである。自分にとって良ければ何でもいい。利益があれば、どこででも何でもやる。伝統的歴史とか、人類関係とか考えないんだね。目玉が目玉なりに自由主義の立場をとった場合、どうなる?左の目がそうしたら、どうなるんだ?それ自体が矛盾である。自由というものは、結局、存在原則を重要視する存在のための自由であって、存在基台を主管する自由ではない。そうしたら、宇宙の根本が狂ってくる。 それ故、アメリカに行って、そこで何も見習う必要がありません。普通、五年から十年アメリカに住んだ場合には、だれでもアメリカナイズされてしまう。しかし統一教会は、レバレンド・ムーンは、十年たってもアメリカナイズされることなくレバレンド・ムーン化されている。 そのようなアメリカに対し、その伝統的な個人主義は、もはやいかに将来性がないかということを今から見せてあけなければならない。こうした個人主義の結果、アメリカにおける分割的な学問方法、科学の分析方法というものは、自分なりの方法を尊重していくということがもう哲学的法則になっている。しかし統一教会はそうではない。一つを試みた場合にはそれを参考にして、二つ目にはさらに良くし、三つ目にはもって良くしていくことにつながっていかなければならない。だから、摂理からみても、西洋は消化される。真の父母によってアメリカは消化される。そのように考えれば、それは重大問題である。 八四年は、これ以上の非常時はない。全権与党、一本きりで進んできた共産党が全権ではなくなってきており、野党に攻撃されるような現実がある。もう、共産党の峠を越えれば、世界を貫く日は近い。共産党を消化してしまえば、その次は統一世界である。その時、どういうふうにして統一世界を建設するか?もし、日本人がやるとしたら、どのようにして建設するか? 「統一教会はどうでも、日本人だけでできる?」それはできません。アメリカ自体が、ピューリタンによってできた。世界のいかなる民族にも、いかなる教団にも通じる先人的な思想であるキリスト教団をアメリカの地に布設した。そのキリスト教の精神によって、アメリカはこういうふうに世界を指導し得るようになった。 それと同じように、アングロサクソン民族が世界をこのように指導するようになったのは、民族がやったのではなく、キリスト教を通してやった。それと同じく、日本人が最後の世界を動かすためにどうするか。日本人がやる?そうはいきません。統一教会を通してやるというんだね。統一教会を通してやる。それは日本人ばかりではいけない。世界万民が統一教会を通して世界を消化していく。そこにおいては、横的前後左右の関係において、すべて同じだというんだね。それで、差別状態を作った場合には、それをいかに解決するかということは、歴史的な重大問題である。その問題を解決する一番現実的な方法は、西洋人が東洋人を願って結婚する。上流社会の者が下流社会の者を願って結婚するようになることである。今までそれが問題だった。ところが今度、西洋の白人達が日本の女性と国際結婚した。アメリカの国民性からみた場合に、アメリカ人が日本の女性をもらったから、「あー、これは皆、将来は日本の統一教会になるんだ」とそう思ったら分間違いだ。アメリカ人が日本の女性と結婚したのは、日本女性がアジアを代表する立場で結婚した。だから、その日本人たる奥さんの態度は、「自分は日本人ではない。アジア人である」とこう考えなくてはいけない。 そう考えるならば、韓国の人も、中国の人もアジア人は、日本人と同じように考えなくてはならないような立場に立っている。それが難しい。しかし、今からそれをしないと大変だ。そうしないと先生は日本人を立たせて、歴史において失敗した、と結論づけるというような恐ろしい未来が待っていることになる。 実績を見せた後に命令 ここに韓国の幹部たちが来ているが、三十六家庭は自分達が偉いと思うか。そうではない。人類を代表して選抜された三十六家庭が偉いのであって、三十六家庭の者が偉いのではありません。三十六家庭の者は、三十六家庭を尊重しながら生きていかなければならない。統一教会をメンバーが侍っていくと同じように、三十六家庭はこういうものだとして、自分達が侍っていかなければならない。自分という観念を前に立たせる者は落第生である。先生は三十六家庭に、そういう大きいことを言う権限を与えていない。三十六家庭はそういう権限をふるうのではない。上の者になった場合には、下の者のために生き、模範を示した後にそのように言うのならいい。ところが、何も模範を示さないで、三十六家庭の看板を振り回すような、そんなバカなことはない。アメリカの食口にも皆にも、先生は自ら模範を示して、そのことが伝統であるということを皆が知った段階に入ってから命令する。そうでなければ、先生自体も行く道がない。メシヤは、全人類を救うために来られるのであって、救うために来た本然の使命は、救うことがてきるような実績を見せてあげることでなければならない。そういうふうにして、先生が天の伝統を立て、模範を示したにも拘らず、その命令を果たさない場合には、初めて攻撃することができる。しかし、実績を見せることもしないで、攻撃だけしたとすれば、それは先生の方が間違っていることになる。 三十六家庭の者たちが模範を示しても尚、メンバーが命令に従わない場合は、先生がいつもずーっと後ろに立っていて、統一教会全体を監視する。そうすれば、横を向く者はみんな、先生が後ろに立っているから、自分が“いいな”と思って勝手にやった場合には、みんなやられてしまう。それ、何の話か分かりましたか?(ハイ) 神の理想とする家庭基盤 世の中から共産主義がなくなって、統一世界が来る。そうした時代が目の前に迫っている。その場合、日本人を前面に立たせて活動する。統一教会は、伝統を重視する。伝統を正した上で教育する。教育をした上に実践をやる。だから、伝統基準を立てよ! 伝統は木の枝が集約する姿と似ている。中心の穂先に対しては皆歩調を合わせる。それに違反する枝はない。東西南北に広がっている数億数万でも、それは皆穂先の位置を含んでいるというんだね。中心に対して逆らうような、「こうやればいいなあ」ということはありません。 その、宇宙の穂先は何かというと、それは真実な、神からの直接の愛の心情、それが宇宙人間の穂先であるというんだね。それは歴史、人生、人間、総ての存在の穂先になっている。その穂先を中心として、自分はどういうような相対圏にあるか、それを相対位置に決めて授受作用をしながら、共存体制として発展させるんだね。 それで、人間は生まれる時、愛を中心として生まれたし、愛を受け、愛の生活をしながら愛の世界へ移動していく。だから、純情とか真実とかいうものは、神とともに通ずる内容を言っている。それは永遠性とか、絶対性という観念をもっているから、真実というものは、背後の因縁において必ず神と関係をもっているというんだね。そうしたなかでも、神は心情を中心として、霊界からみた場合には逆になっている。神様は根で、われわれはずーっと穂先になっている。君たちにおいては父母の愛が穂先になっており、それから夫婦の愛がそれに繋がり、子供の愛する愛がそれに繋がる。それが、神の理想の家庭基盤であって、それを中心として一つの穂先の関係がずーっと繋がって大きくなっていく。 だから、君たちには父母が必要であり、夫婦(相対)が必要であり、子供が絶対必要になってくる。皆、本質の家庭と比較しながら、それに歩調を合わせていくのである。 だから、メシヤを中心として、真の父母を中心としての家庭というものは、一つの人類歴史上新しい家庭を保証する穂先になっている。その穂先を中心にして祝福家庭は、東西南北の枝としてずーっと伸びていかなければならない。そのために、統一教会は皆、先生の家庭を中心にして連なるようになっている。その先生の家庭は、霊界から、見えない神様から見える世界の穂先になっているというんだね。根元になって、こんなに小さいのが、だんだん大きくなっていく。 霊界は神の愛を味わうところ 霊界に行ってもそうだよ。霊界に行って何をして生きるや?食べなくとも生き、何もしなくても何でもできるようになるのに、何を中心として生きるや?歌を歌ってばかりもいられないし、遊びばかりもできないし、何をしながら生きるや?それは、神の愛を吟味しながら生きる。夜は夜なりに神の愛を吟味する。それは愛自体が違うのではなく、愛のカラーが違う。 そういうことを考えた?霊界に行って何をして生きるや?日本人を訪問しながら生きる?歴史上の有名人を訪問する?霊界は空間や思考を超越した世界だから、千年、万年がちょうど今だよ。何千年の先祖が現在坐っている。見たかったら、一瞬で会うことができる。会った後に何をするや?「私は統一教会に来てこういうことをやった。祝福を受けてこういう奥さんをもらった。子供が〇〇人生まれた」。それはみんな他の人もやっていることだから何の意味もない。向こうへ行って、博士号をとるための勉強も必要ありません。 競争も必要ありません。何するや?そこは緻密な活動とともに、面白い理想の循環生活、循環世界になっている。それで何をするや? 霊界の全部が一つの機械と同じと考えればいい。人間の細胞も皆機械の付属品だね。人間の体も機械と同じだね。これらの神経系と血管系があらゆる作用と連関して皆、動いているだろう。それは生命という組織体で動いている。その生命は何に向って進んでいるか? 生命自体に向けて進むのではありません。神の愛の中核の根元を目指して、その愛の枝を生やすために、生命は努力するというんだね。そう考えてみた場合に、私の生命はどこへ行くや?神の愛を吟味しながら東西南北を回り、神の愛を讃美しながら語り合い、神の愛に抱かれつつ幸福を感じるというんだね。そうでなければ、永遠に生きても大変である。そうだろう?それは地獄である。神の愛に接しつつ、神の愛に触れながら感謝していく。細胞自体が、霊的生命自体が激動する喜びを感じながら生きていくところが、われわれの永遠の世界である。 そうなれば、君たちの愛する奥さんは必要だろうね。「あんた!」とひとことを言っても、そこでは「あんた」という単に言葉だけの「あんた」ではありません。それは、情的に誰も干渉できない絶対因縁の何か力を持っている。「あんた!」と呼びかけた場合、「あなた」という言葉のなかには深い愛の糸が結ばれているのである。 だから、一年も、二年も、三年も、十年も、そのような心情で生活していく、その愛の心情の夫婦の因縁でもって子供を産み、感謝するようになる。二人がともに、愛の世界のために働く。その効果も出てくれば、「あゝ、自分の家庭は幸いである。」と思うようになる。その生活がそのまま延長する。その時、一つの葉のような立場でもって愛の家庭を築くのであるけれど、自分は宇宙の大樹、何の樹の一つの葉であったかということが分かるようになる。 自分は今まで、一つの葉のために生きてきたんだけれど、枝のために生きることは分からなかった。茎のために生きることは分からなかった。根元のために生きることは分からなかった。しかし今、それが分かった。今は、葉のために生きるのではなく、枝と茎と根元のために生きるような、全体が喜ぶ方法と歩調を合わせるのが、今からの私の生活である。それが霊界なのである。分かりました? そういう訓練を、四方八方、相手を感化させる生活を今からしないと、あの世界の雰囲気に合わず、霊界に行って自由活動圏を相続することができません。だから、統一教会はあの世界に歩調と周波を合わせるために今、地上でこういうふうな生活をやっていこうとしているのである。 周波が同じでなかったら大変だろう? 霊界が六〇周波になっているのに、地上で二〇周波だったらそれは破格で、じゃまになるんだね。それは、みんなとり残される。それは地獄に行くというんだね。そのため、統一教会は、周波を合わせる地上の生活を今やっていこうとしており、そこに愛を中心にした統一世界が、地上はもちろん、霊界までも可能であるという結論がでる。分かりました? 日本人の周波ではいけない。統一教会の本来の周波の基準に合わせて、統一教会の理想とする人格を早く築かなければならない。その人格化が成された場合には、同僚同志はみんな一つになっていく。人類全体が同僚です。日本人だけが同僚ではありません。 日本人のところへ行けば、偏狭な民族性に陥る危険性がある。統一教会をみても、先生がここにいるのに、自分たちは隅っこでこそこそしている者もいる。それは落第である。子供というものは、お父さん、お母さんがいる時に、お父さんお母さんを中心として一つにならなければいけないのに、結婚もしていないような子供たちが「お父さん、お母さんはどうでもいい」と、後ろで自分たち同志でこそこそする。そうはいきません。これは、重要なことである。 日本式ではいけない 今、先生は日本の伝統をそのままアメリカへ引っ越していくことにした。それは、日本人の伝統ではありません。それは天来の伝統をアメリカに敷設するために引っ越して行くのである。分かりました?こういう問題を中心として、先生が怒鳴りつけなければならないことが、今から沢山おこるだろう。 統一教会を通して世界を消化するというよりは、父母様を通して世界を消化するという方がいいよね。父母様が消化しようとするその根本は、神様を通して世界を消化しようとするということである。日本人はみんな日本の風呂敷を持っている。世界へ出て行っても、ちゃーんと日本の風呂敷で包んで帰って来るんだね。日本式の風呂敷ではいけない。統一教会の風呂敷だ。それはもう五色人種が、これを一つの束に包んで、これを広げれば五色になるんだね。日本人が包んだ場合には、日本人一色。広げた場合には、日本人一色。それでは絶対、世界を消化できません。分かりました? だから君たちがアメリカに来た場合、日本語を語れる人を探して回るのではありません。それよりは、自分が日本人であることを横において、日本語を知らないふりをして、アメリカ人を探し、黒人を探して回る方が、正当な御旨に立ち易いのではないかと思う。先生もアメリカに来て、韓国僑胞を伝道して回るよりも、アメリカ人を伝道した。先生は韓国で、七〇年までは先生の親戚が来るのを拒否して、三十六家庭の者たちを集めた。そのため先生は名前を変えた。昔は“文龍明”という名だった。その名前は親戚がみんな知っているので、“文鮮明”という名前に変えた。その名前は友達も知らなければ親戚も知らなかった。そのようにしてまで親戚が訪ねて来ることを拒否して、先生は三十六家庭の者を、親戚より以上愛した。何のために!それは三十六家庭の者のためではない。三十六家庭と統一教会のためである。伝統はそこにある。 日本の国だったら、総理大臣の籍は永遠に残るよね。統一教会の三十六家庭は、今から国家基準に上がるそのときまでに天的条件にパスしなかった場合にはみんな隔離する。世界的に拡散するかも知れない。個人の名分で振る舞う者は、三十六家を汚す者である。先生はそう思う。 統一教会の文先生は今、一人で全面的に振る舞うことをしないで、力ない者のように、無力の男のように引っ込んでいる。しかし、教会の権限がハードになり、危うくなる場合には、生命を賭けて堂々と権限を持って弁解に立つ。それをはっきりと分からないといけないよ。君たちは、日本人とか日本という観念を超越して、神の観念に結合されなければなりません。 このようにみるとき、たとえば、日本人と韓国人と西洋人がいた場合には、日本人を先に立てるとよくない。それは、不平を言う者が生じて来る。かんこ地 人が不平を言うし、アメリカ人が不平を言うよ。日本人同志が不平を言う。不平を言われないように環境を治めることが教会の目的である。そのためには、日本人を先に、韓国人とかアメリカ人を尊重しながら、みんなが認めた基準において、最後に自分の“格”を正していかなければならない。そうすれば問題はありません。先生だにそういうふうにしてアメリカに来て築き上げて、ここまでまた上がってきた。韓国でもそうだった。 どうだ君たち、英語を使って、白人と交わりながら、自分の兄さんのように、自分の弟のようにいかにもっていくか。自分の兄さんのように、弟のようにして、家父の伝統とか、天の先祖の伝統を教えてやるのに、夜を通しながらやるんだ。言葉が通じなかったら、手真似、足真似しながら教えるところに、世界の新しい氏族伝統、民族伝統が築かれる。 夜も昼も使命に生きる 先生は不思議な人間だよ。眠い時に、先生はいつも重要な話をするんだよ。先生でも眠い。しかし、眠りたい時に教育しないと、教育する時間がない。君たちが眠いからと言って、十日間ずーっと眠ってしまったら、先生から話を聞くこともなく、顔を見ることもなくて、それでいいの? 君たちをよんだ主人として、その使命を果すために先生はこういうことをやっている。ためになることを話して、いいものを食べさせて、主人としてのやるべきことはみんなやった。そういうふうにしたのに、不平を言う者があれば、不平を言う者が打たれるんだよ。逆に先生がそれをしないと先生自体がやられます。だから先生が生き残る道を立てるためにも、こういうことをやっているんだね。 ここに来てあなたたちは、日本人の一人ではなく、日本を代表して来たと思いなさい。あなたたちの背後には数千名の食口たちがつながっている。彼らはいかに先生に会いたいか。そういうメンバーの思いの先端に君たち立っていることを考えると、いくら疲れていても眠ったら恥ずかしい。全体を代表した覚悟としては落第である。先生自体も使命を果たすためにやっている。疲れているのは先生も同じだ。君たちよりも、もっと疲れるよ。年齢からいえば君たちの二倍に近いだろうね。しかも君たちは一回来て帰れば終るんだね。 このようにして毎夜、先生と一緒に坐って、いろいろ話したり聞いたりすれば、それだけ自分の知らないうちに、霊的に近くなる。先生は気分が進まないときでもそれをしなければならない。それが先生の本職だから。それは、女王蜂がいやいやながらでも卵を産まなければならないのと同じである。毎日、何百個、何千個産まなければならない。大変なことだ。蜂の群れがいなくなっても、夜でも昼でも、一人ぽっちで産み続けなければならない。先生と同じである。いやでも一生涯こうしてきた。このような生活が霊的にもいいんだよ。君たちが先生の側にいれば、君たちは見えないけれども、君たちの先祖の霊界がここに並ぶ。「あー、えらいことだ。自分の何千代の後孫が先生の話を聞きに来ているのに、目をつぶって居眠りをしておる。」この瞬間、先祖が見えないのであれば、打ってでも聞かせたい。そういう立場である。先生はそのように敏感なんだ。この場がどういう場であるかを知っている。だから、君たちはいくら疲れがあるといっても抗議することができない。 韓国人は特殊な民族だね。だから、韓国という小さい国は、五千年の歴史を持って、こういうアジアの巨大国家圏にあって、今でも国を存続している。それで、アメリカにおいても、世界においても、家族をつれて国境を二つ、三つくらい越えるのは普通である。それから、情報分析においては韓国人は天才的な頭脳を持っている。また、韓国は特に気候がいい。世界一だ。そういうなかで、先生みたいな男も生まれて来た。日本の歌手のなかには、韓国人も多いだろう。 先生は韓国人でもない。先生は突飛な男である。先生が「やれ!」と言えば、霊界が援助するということを君たち知っているの?「やるな!」と言ったことをやった場合には逆のことが起こる。足場が抜けるというんだね。わかりました? 先生がこういう方向でやれと指示した場合には、その方向に従ってやらないで、自分の勝手なことをやれば霊界が援助しません。それをやる統一教会の文先生は、死んでもその権限を持って地上世界を感化する。 先生が生きている時語った総ての言葉が、今後の君たちの生活における生涯の提言になる。歴史の重要なポイントはいつか、その基準は?食口は誰も知らない。平々凡々と考えている時にすべてが過ぎて行くんだね。それを分かる者は偉大な者である。先生はそれをキャッチするのに天才的な頭を持っている。だから、今までこういうような戦いをして生き残っている。今がどういう時であるかということがすぐ分かる。だから、それなりの姿勢を正して、それなりの歩調を合わせながら、そこに相対基台をいかに造るか考える。これは原理原則だね。そうやっていけば、その仕事は失敗しない。 先生が法廷闘争で横に引き、前に引き、後に引きながら鰻(うなぎ)の尻尾みたいに隙間があれば、たとえ首は取れても、半分に切れても、体が抜けた場合にはそれでもいいというんだね。目玉が一つになってもいいというんだね。そういう思いでやらなければアメリカを消化できません。それだから、君たちが先生に付き合った場合には、先生の面(つら)はかんばしくないんだけど、気前のいい所もあるし、徳もあるし、いろいろ刺激するところも多いだろう。これでおしまいと思ったところが、まだやれるね。十年間位先生とともにずーっと不平を言わないで付いて回った場合には、それだけで発展するはずなのに、韓国の偉い先生方は、付いて来るのはもう卒業したと言って、先生が来いと言えば、みんないやがる。「自分は好きでない。関係ない。自分の運命と先生の運命とは違う。」というように考えれば滅びる。先生が行くという気配があった場合には、先に行って進んで準備をしておくという考えを持つ者は生き残ると思うんだよ。わかりました? 君たちはこういうことをやることによって、韓国人、日本人といった歴史的背景とか、文化的伝統がみんな破れてしまうよ。わかりました?先生は間違いなく韓国人だね。君たちは間違いなく日本人だね。アメリカにおる者は間違いなくアメリカ人である。しかし、先生にあってはみんなが破格された日本人、破格された韓国人、破格されたアメリカ人になってしまう。その破格が合格になるよ。破格しないと、絶対合格できません。だからこういう時間が必要である。日本人を叱ったり、韓国人を叱ったり、アメリカ人を叱ったりして、それでも黙っているのを見て、そこに先生によって皆一つになったという証拠ができる。 日本人、韓国人、アメリカ人を一袋、一篭の中に入れて、足が上にあがって頭が下にさがっても仕方がないじゃないの。ともにそうなった場合には、君も仕方がないし、我も仕方がない。しかし共に篭の中にあるから、それがいいというんだね。篭は海の上に行ったら、先生がちゃーんと神様とともに持っている。それがいいというんだよ。 それで、正式に坐ってみて、「あ、篭だから出なければならない。」と言うね?篭を潰して戦わなければならないのではなくして、「あー、篭の縁(ふち)から出なければならない。正常になって出なければならない。」と言う者は一人、二人と出してやる。神の救いの方法がそうである。 真の親孝行 君たちはツナ(マグロ)を捕らなければならない。捕れなかったら駄目だ。しかしツナを捕る時間よりも、先生が話される時間がもっと素晴らしい。夕方が来るのを待つように心がけなければならない。そうだろう? それなのに、夕方待つどころか眠っておる。それでどうするんだ?「また先生が来て話をするのだろうか、今晩はちょっと寝たいのにね」。(笑い)卵を抱える親鳥は、いつ孵化するか分からないから自分の寝る時になっても大変だよ。夜に孵(かえ)るか、昼に孵るか分からないから、昼も夜も眠られないというんだね。それは卵が偉いか、親鳥が偉いか、どちらなの? 寝られないのが偉いか、寝るのが偉いか。どっちが偉いの?寝られない方が偉いよ。そしてちゃーんと孵って雛(ひよこ)として生まれた場合には、また寝られない。それは偉いことだね。先生もそのタイプである。何でこんなこと一人で語って、一人で笑って…。蛇の殻抜きと同じように、異常タイプを行うことによって、殻が抜け出すのである。 統一教会も先生がいなかったらもうお終いよね。君たちも、韓国に先生がいなかったら、韓国に行っても行ったという思いが一つもしないだろう。親がいるところであれば、通りがかりの病院であっても、その病院を訪問して行くのが親孝行の息子である。初め、子供が訪ねて行ったが親がそこにいなくて淋しく帰って行ったとすれば、今度は逆に親が子供を尋ねて来る。それが親孝行だ。だから故郷を愛するということは、何の儲けもなくても故郷のために犠牲になりながら、苦労をすることである。そうすれば故郷の人たちが、その人の家、その人自身を訪問して慰める。その道は同じである。 どうだ。先生がアメリカに来てから、君たちはアメリカのことばかり考えていたね。韓国にちょっと行って、かつて先生が過ごした所を訪ねて、その場所を慰めてあげたらどうかと思うね。先生が住んでいた庭に行って、夜を明かしながら慰めたら、そこの木々が「有り難うございます」と言うよね。姿はどうでもいい。その心持ちが偉い。すると庭の総てのものが、その人を慕うような心を持つようになるのである。 国を越えて新しい決意を とにかく先生はここまでやってきた。十年間先生はよくも一人でやってきたよね。君たちもずっと苦労したんだけど、今からアメリカを巡ってくれば、「先生は偉いなあ」と考えるよ。ニューホープに坐って、淋しい格好をして、何を考えているか分からない先生の姿をみれば、そんなに偉いとは思わないよね。「ツナを待つ先生のみすぼらしさ、夕焼けに染まった風の中で、ツナを待つ淋しい姿…。」そうなんだけど、それはそれなりに偉いところがある。 「神様、ツナにニューホープの針をかませて下さい。」そういう祈りは絶対できません。死んでもできない。それは子供がするのであって、大人がそういう祈りをしたら無礼だというんだね。それよりも、「かわいそうな日本のメンバーの船に行って噛んでくれればいいな。」と先生は願う。 君たちが日本に帰って後も、先生はこの仕事が完成するまで、どこかで続けるであろう。それを忘れてはならない。君たちが帰れば、現場は君たちの目前には見えないけれど、先生は北の海か、南の海かどこかで続けるであろう。成功の基準まで引っ張って行こうとする先生の働きはやまない。 そういうふうにすることに対して、神はずーっとその後を見学して回るんだね。「やはり、どんなに考えてみても、レバレンド・ムーンのような男はいない。この男はまだやろうとするんだから、今からはこれまでの何倍もまとめて援助してやろう。」神がそう言っても、サタンは讒訴することができません。神はこれまで払われてきた犠牲の基盤を見て、その犠牲の何倍もの実績を与えようとされる。そういう考えだね。自分のためでなく、アメリカを救うためにやった本心は、着手したその一日から、それは絶対なくなりません。 先生にならって、真似なりでもするんだね。先生がずーっと韓国に閉じこもっていたら、君たちここでツナとか、ワンホープとか、大西洋の水の色を見たことがあったであろうか?なかったであろうか?(なかったです。)なかっただろうね。今回、なぜ先生は君たちをここに呼んだか?それは国を越えて新しい決意を固める必要があるからだ。日本的な思考方式を切り替えて、世界的な思考方式を充電させなければ、日本は今後世界に向けて発展するのに、神が援助することができない。わかりました?だから、日本の領土が世界の領土になったというんだね。新しい領土に行く主人は、そこの原住民に対して、日本人より愛する思いを持たなければ、その主人は殺されて帰される。本国人より以上愛すれば、その主人は永遠にその国において愛され、王宮を残すようになるであろう。それとそっくり同じである。 今から飛躍的発展のとき 先生は韓国人をイーストガーデンに正式に呼んで待遇したことはない。アメリカには多くの韓国人がいるけれども、彼らは不平を言っていた。「文先生は韓国人を度外視して、アメリカ人にばかり真心を尽くす」と。しかし、不平を言う者はなっていない!それはアメリカを愛するためであると言うんだね。何とか後世に、伝統として、共に生きられるような、神の願うような民族を考えるから先生はこういうことをやるのである。 先生はもう六十四歳だ。六十四歳といえばもう“停年”という名がつくようになって腰が曲がり、肩がこって大変だというようになるんだけれど、先生は反対のことを今から始めようとしている。今から、もっと無理をする。無理をしても倒れることができない。統一教会は、先生がいなかったら大変だろうね。君たちは先生がいなかったら自分がやると、そういうふうに思わなければならない。そういう教育を先生はやっているんだよ。先生は摂理だから、こういうふうに毎日やるんだけれどね。お母さんが、先生の健康を気使って心配していることを先生自体も知っている。しかし、先生は今までもう死ぬようなところを何度を通過してきた。そのたびに、いろいろそういうところで祝福を与えてくれた神様がいらっしゃるということを知っているから、先生は最後まで行くんだよ。倒れるまで行くという決心がかえって健康になる。先生は、もう体の調子が悪い場合は、かえって無理をする。今では先生は一生涯、世の中のあらゆる幸福を得て生きられるのに、何のために裸で荒野の先頭に立って、踏みにじられ、さらされながらこういうことをやるのか?今まで、先生は十年間、こういうふうにして、無の段階からこれだけの基盤を造った。今、有のところから始めて、今後十年間やった場合にはどうなるか。そういうふうに考えてみよ。今から先生の言う通りやった場合には、どんなに飛躍的な発展の足場が造られるかということは間違いない。そういうふうな希望を持って、前進に前進を重ねて落胆しないでゆくことをお願いする。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「使命と祈祷」1983年6月12日ワールド・ミッション・センターにて 「皆さんに使命がありますか」と聞かれたら、どのように答えますか。(はい、あります)。それはどのような使命ですか。一人を救う使命ですか、十人を救う使命ですか、百人を救う使命ですか、それとも、国を救う使命ですか、世界を救う使命ですか。(世界を救う使命です)。言葉で言うことは容易いのです。世界と言うことは容易いけれど、世界は一度に連結されるでしょうか。世界的使命をすることのできる基盤がありますか。(はい、真の父母です)。皆さんは真の父母を知っていますか、何をしているか知っていますか。そのような問題を考える時、皆さん自身が、自分はいかなる責任を、いかなる使命を成しているかを自分自身で確実に決定しなければなりません。 欲心が先行してはいけません。皆さんが山に行って野草を取るとき、私は良い草だけを取ろうと探しまわっても良い草に出合わなければ、空で帰って来るようになります。(しかし)良い草でもいいけれど、良くないものから着実に取ろうとする人は帰って来た時には、良い草をも取って来ることができます。(このように)欲心が先行すると何もなく空で帰って来るようになることがいくらでもあります。(欲心のない人は取ってきたものを)A、B、Cに分類するとしたら、悪いものはCに入れ、良いものはAに入れ着実に取ることができます。このような人が勝つのです。その話は正しいと思いますか、それを考えてみなさい。 では私はどのような使命をもっているのか、自分自身に問うてみなさい。これは深刻な問題です。公式の席上で語るのは、大体の平均的なことを語りますが、特定の自分個体を中心としては語れません。 例を一つ挙げてみます。産業部門の技術問題をみるとき、先生が機械工業に着手する際には世界の頂上に(最高水準に)上るという考えをもってやりましたが、(それは)思いだけではできません。そうなるためには三十五、六年という歳月を過ごしました。そして今になって、世界的な技術世界へと連結することのできる段階に上ってきました。そうするには一番底から、最高の思想をもって、一つ二つと橋を架けて上って行きます。その間において、見物人のように御飯を食べて、眠って、やりたいことをやって、他の人がやるようにやっては不可能です。それは思想的姿勢がなっていません。そうするためには精誠を尽くさなければなりません。夜が明けると、早朝に工場に行きたくて待っています。昼食の時間だからといって、昼食を取るというふうに時間に合わせてやるということはできません。どんどん大きくならなければなりません。大きくなるためには力を加えなければなりません。それを適当に仕方なくやるとしたら、やってもやらなくても同じことです。(それでは)絶対にできません。流されてしまいます。 更に、これが世界的に大きくなると同時に、人を育成しなければなりません。それにはお金を持って行って使えば良いと思うでしょうが、お金がどこにありますか。お金を儲けながら、成長させていかなければなりません。 今日においては、機械工場はなくてはならない、今後の世界において必要な一つの品目となっていますが、その渦中においては多くの人々は支援しないで、先生に不平を言いました。機械をやって何をするのですか、工場をやって何をするのですか、先生はああだ、こうだ! お金があれば全部投資してしまう、とどれほど不平を多く言ったことでしょうか。 ドイツが工業界では世界一であると言いますが、先生がゆすってみると何でもありませんでした。有名な工場は私がみんな細密に調べました。レバレンド・ムーンが浸透すると言って大騒ぎをしています。しかしドイツに住んでいるメンバーは知らないでいます。先生がなぜそのようにして、ドイツが騒ぐのか、ドイツの食口たちは知りません。先生が何をしているかわかりますか? (いいえ)。先ほど真の父母が何とか言いましたね。真の父母が何をしているか知っていますか。わからないではありませんか。そんなでたらめな答えはしないでください。 皆さんが知っているのは、自分自身でしかないのです。そうです。それでは、あなたは本当に自分を知っていますかと問われたら、自分もわかりません。自分は仕方のない人です。こうなったり、ああにもなったりするのです。ある時にはみ旨に対して一生懸命になりますが、時には一生懸命にやっても自分だけの損であると思うのです。そうではないですか? そうなると自分で自分がわからなくなります。自信がなくなります。どうですか。(はい)。そこで問題となるのが使命という言葉(です)。どのような使命か、私(の使命)はいかなる種類であるかと常に考えなければなりません。(たとえば、私の使命がスパイであれば、)私はスパイだ、スパイという使命がある、そのような考えが必要です。 皆さんみ旨のために生命を懸ける人は手を挙げなさいと言ったら、ワー! と言って手を挙げるでしょう。そうしようとするならば、あなたの一日ぐらい犠牲にしてみなさい。しかし一日ぐらいでは私は嫌いです。朝はそう思っても夕にはそれが変わっています。では皆さん、私はみ旨のために死ぬと言った場合、誰かが殺すので死にますか、自分自ら進んで死にますか、どちらですか。(自ら進んでです)。答えは正しいですね。では皆さん、み旨のために死ぬと言ったら、死んでみなさい。一日死んだと思ってみなさい。それは嫌ですか。そうだとしたらすべて偽りです。すべて不可能です。一カ月死ぬようなことをやってみなさい。どうですか。それも嫌ですか。(先生の笑い) 一年ぐらい死んだと思って、一年ぐらい死ぬようなことをやってみなさい。 み旨のために死ぬということはいかなる話でしょうか。一生を通して死ぬようなことをやっても死ななかった場合、更に死ぬようなことを一生やりながら死んでいく。み旨のために死ぬということは、その道しかありません。一年やって死ななかったら、一年の十倍ぐらいやりながら死ぬ。しかし十倍やっても死ななかったら、二十倍ぐらいやります。三十倍ぐらいやって死のう。何十倍もやりましょう。どうですか。いかにしてみ旨のために死にますか。なぜみ旨のために死ぬのでしょうか。み旨のために福を受けないで、なぜ犠牲の道を行かなければならないのでしょうか。なぜですか。それは使命のゆえです。使命のゆえなのです。 その使命とは何でしょうか。それは人類の解放と神を解放することです。それを知らなければなりません。だからこれは死を覚悟しても、十回死んだとしても不可能に近いことです。それで当然、死を覚悟しなければ成すことができないゆえに、私たちは生命を捨てることを覚悟するのです。こうなると、ああそうなのか(とわかります)。 み旨を成さずに死ぬのであれば、後継者に遺言として残さなければなりません。後継者の息子、娘を育ててでも成さなければなりません。結婚して後継者をつくり、このような後継者を多くもてばもつほど、この仕事は可能になります。自分以上に受難の道を甘受して、生命を懸けて(行く)。世界の人々がそのようにすることができれば、この人類は解放されます。世界の人類が解放されれば、神様が解放されるのです。 先生の立場で言えば、先生は六十歳を過ぎたので、少しは休まなければならないでしょうか。六十歳を越えても更に成さなければなりません。もっとやらなければならないのです。米国、自由世界を終えて、モスクワを解放しようということを発表することは、行けば行くほど安易になろうとするのですか。それとも、行けば行くほど難しい方を取ろうとするのでしょうか。どちらでしょうか。死ぬような立場になっても、私が一生の間準備したその日が、来るべき日が当然来たかと思うのであって、「私は生きたいのです。神様、どうか私を助けてください」という考えはもちません。 その後はどうなるのでしょうか。この使命が真に人類のためになり、神を解放することのできる道であったという(ことを知る)そういう良心的な人を私は後継者として必ず残し、その後継者を育てなければなりません。モスクワにおいても後継者を育てておいて行かなければなりません。そのような責任をもった、使命を担ったそのような人が必要ですか。それとも、適当に自分の利益を目標としていく責任者が必要ですか。さあ! 皆さんは二つの種類の中でどちらを取りますか。一番目ですか、二番目ですか。(一番目です)。どうしてですか。それはより価値のある道だからです。 ここに年齢の多い人たちもいますね。古い人たちは、若い時よりももっと苦労しようと先頭に立って走りますか。それとも、落ち着いて人を使っていたいのであって先頭で走るのは嫌ですか。どちらですか。ここに座っているムーニーたち、どうですか。ムーニーの生活をしながら、使命として思って(行けば)、人類を解放する時まで、これを成さなければならないと、昼も夜も行っても行ってもまた行っても(なお走りたいと思うでしょう)。また神様が苦労している時、こうしたらいけないと思うと疲れたという思いはありません。 このようにみる時に、皆さんはどの立場にいますか。皆さんは自分を召命を受けた人であると思いますか。(はい)。では、皆さんはレバレンド・ムーンという人を考えてみる時、永遠に裏切る(やぶる)ことができますか。(いいえ)。ではレバレンド・ムーンと皆さんは関係があると思いますか。(はい)。それでは皆さんは、先生にただついて行こうとしますか、協助しながら行こうとしますか。(二番目です)。二番目ですか。(はい)。では協助しながらついて来るという話ですか。(はい)。 どうしてですか。本来私が願っていた道を先生が行かれるので、私の心に合うので、と思わなければなりません。元来自分が願っていることを先生が成しておられるので、自分は何もしないで(すでに)このくらいできているので、これを手伝って自分のゴールを早く完成させるために行くと思わなければなりません。私が知ってみると「世界を解放し、神を解放するには、レバレンド・ムーン、あなたがやっておられることが一番早い道です。それは私が願っていたことでもあるので私は協助して、あなたが死んだとしても私はそれ以上走ります」と言わなければなりません。「先生が年老いて死ねば、私がその仕事を十倍以上努力して世界の前に継承(引受)するために、すべての責任を再びもつために、私は出かけます。そのことに責任をもつことができ、そのことを継承するために、先生の言うことをよく聞き、先生の仕事を協助するために、私は統一の群になったのであります」と言わなければなりません。 それは先生が早く亡くなればいいという話ではありません。これから働くことができるために、先生がもっているすべての秘訣を私は前もって学んでおかなければならないというのです。未来にやる計画などもみんな自分が知っておいて未来を継承するために働く、そうすると、先生はそれを気持ち悪いとは言いません。そのような人を願うのであります。そのために先生がどこに行っても、探さなければなりません。どのようなお話をされるのか、きょうはどのような命令をされるのかと探さなければなりません。「先生は(自分で)言われた通りの基盤を造られたので、私は(先生の)言われる通りに実践してみよう」、そうしたら成すことができます。 ではお聞きしますが、皆さんは使命をもっていますか。(はい)。それはどのような使命ですか。(神と人類を解放することです)。何と偉大な使命でしょうか。いかにしてそれを達成することができますか。それは容易ですか、困難なことですか。(大変困難です)。それでは首を懸けなければなりません。そのような価値があります。皆さんは生命を懸けますか。(はい)。ではレバレンド・ムーンはどうでしょうか、生命を懸けるでしょうか。(懸けます)。米国がこのように反対するのに、なぜこのように長くいるのでしょうか。なぜ早く逃げ出さないのでしょうか。法廷闘争をしながら監獄に入ることを思いながらも……。米国の人、その市民であっても逃げ出す人がいます。それなのになぜこの地を訪ねて来てやっているのでしょうか。なぜそうしなければならないのでしょうか。生命を懸けているのでしょうか。それは世界を解放するには、この米国の責任が大きいからです。(皆さんは)それを知っていますか。皆さん米国の青年は、先生は米国が住み良いから来ていると思うかもしれません。(しかし)それは世界を解放するために不可避なことだからです。なぜモスクワに行くと言うのですか、なぜ共産党と戦うのですか。世界を神側に解放するには不可避なことだからです。それゆえに世界を解放しようとしたら、世界で一番難しいことに責任をもとうとするのです。(それで)反共活動をしたりするのです。 それでは、レバレンド・ムーンの言われる言葉通りに成せば、人類が解放されると思いますか。皆さんがみたところでは、レバレンド・ムーンがしようとする通りにやれば真に人類が解放され、神が解放されるでしょうか。どうですか、その可能性はありますか。(はい)。私はそう思いませんよ。(そうです)。私はそう思いませんよ。(そうです)。 毎日の生活において、食事をする時も、トイレへ行く時も、何のためにそうするかと言えば、それは使命を果たすためにそうするのだと自問自答してみることが大切です。タバコを吸うことで人類を解放することはできません。酒を飲むことで人類を解放することはできません。若者たちはデートやフリー・セックスをしたり、ホモやレスビアン等をしていますが、(我々には)何の関係もありません。私たちにはやるべきことが多いのです。そのために眠る時間を切り詰めても、やらなければなりません。先生もきょう三回話をします。それはなぜそうするのでしょうか。使命だからです。先生の話を聞いて自分もそうなろうと決心する人が一人でもいれば、そこで人類を解放する運動が継続されるのです。疲れていて、この頃は先生は足が痛いのです。このようにすることは遊び半分ではなく決死的です。それを知らなければなりません。 神様はいかなる人を助けるでしょうか。眠っている人を助けますか、レバレンド・ムーンを助けるでしょうか。平安に眠っている人、この米国の人、西欧文明圏、この文明国家は全部奪われてしまうと考えなければなりません。(それでも)眠るのですか。フリー・セックスですか。デートですか。全部奪われてしまいます。 このようにみると、世界は間違いなくレバレンド・ムーンが主張する世界になるでしょう。いくら反対しても反対するものはすべて流れてしまい、間違いなく先生の願う世界になるでしょう。どうですか。(そうです)。それで、レバレンド・ムーンが死ぬ時に、「私の生涯を通して神様が私を助けてくださったのはこのような道を来たからであるので、私が死んだとしてもこの道に従って来る後代の人々を通してでも世界は私のみ旨通り、私の願い通りになるでしょう」と言うことができるのです。それで皆さんに対しても常に苦労をし、犠牲をして教えるのであって、休んで遊びながら教えているのではありません。先生がそのように来てみると神様が先生と共にしてくださることを知ったので、誰よりも貴い神様を紹介するため、不可避的にそのような教育をせざるを得ないのであり、そのような命令をせざるを得ないのです。これは正当な結論です。 どうですか。皆さんに夫がいればそのような夫に、子女がいればそのような子女に(その使命を)相続したいでしょう。それが良心の道というものです。皆さんはどう思いますか。それは正しいと思いますか。(はい)。確実に正しいのです。先生は間違ってはおりません。 皆さんは、これからいかなる使命を成していくのでしょうか。一人の人を中心として世界のように戦わなければなりません。あなた一人を救うことによって、私が世界を救うことのできる道が開かれるという思想が必要です。(今から十年ではなく)今この時間にやりなさい。時計が(正確に)進むように、使命と確実に連結され、前進的に連結を成していかなければなりません。 統一教会に入教して十年、あるいは二十年の歳月を過ごした人もいるでしょう。その人たちに「あなたの使命は何ですか」と再び尋ねてみなさい。十年、二十年とたつと、世界と人類が神様に帰るのではなく、自分の家庭の妻や子供に帰りやすいのです。そのために使命の前には、妻と子女をいかにすべきかをはっきり決めておかなければなりません。統一教会の夫になった人、妻になった人は、私はこのような使命を協助するために登場した妻であり、夫であるという観念をもたなければなりません。そのために、「あなたは死ぬとしても神様と人類の解放のために死ななければなりません」と言って忠告するその妻や夫は、天と地の前に忠臣であることを知らなければなりません。これから父や母になろうとする皆さん、妻や夫になろうとする皆さん、どうですか。 (皆さんは)どこに行って死ぬのですか。死ぬ時の遺言として、「妻よ! 私の歩んだこの道は間違いない道であり、子女よ! 私が歩んだこの道は間違いない、この道を歩まなければならない」と言った時、(子女が)涙を流しながら、「父と母が行く道は正義の道であり、万民が慕える道です。当然そのようにします」と言える基盤を残していかなければなりません。妻としてそのような夫をもち、そのような子女をもつとしたら、それは偉大な妻であり、母であることを知らなければなりません。 このようにみるとき、私たち家庭の使命は何とすべきかと言うと、レバレンド・ムーンが教えてくださったのが一番良いのであり、神様と人類が願う最高の使命ではないでしょうか。そこで聖日は、既成教会は安息日といって休むのですが、統一教会の信者は安息日であっても仕事をするのです。なぜかと言うと、神と人類の解放のためです。このようなとき神様は、「私は人類の解放を願わない。安息日を守りなさい」と言うでしょうか。それとも「あなたは正しい」と言うでしょうか。神様に尋ねてみても、神を解放し人類を解放すると言って、千回万回安息日を守れないとしても、それが一番であると言うのであって、「ああ、ともかく安息日を守らなければならない」と言うでしょうか。 この時間が終わったら先生は釣に出かけます。それは何の釣かと言うと、人類を釣るのです。このようにするのは人類に属する海の人たちを解放するために、先生はやらざるを得ません。(彼らに)会って話をするようなことがあれば、先生は彼らを教えなければなりません。米国でツナ(鮪)のチャンピオンはレバレンド・ムーンであると言われています。知っていますか。(拍手) 一生というのはどれほど短いことでしょうか。一生の短い期間に、工場に行って、工場長を中心として職工たちをみんな指導するのです。神様はそのようなレバレンド・ムーンを嫌いだと言うでしょうか。先生が道端で死んだとしても、そこはこれから聖地となるでしょう。(そのような)自信のある生活をしています。皆さんも先生のために生命を懸けて従って来たいと決意するのも、そのような良心の世界に基盤があるためです。 さあ! ではなぜ女性として生まれたのでしょうか。使命のためです。人類を救い、神様を救う使命のために女性として生まれたのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。私はどうしてこんなにも美しい女性として生まれたのでしょうか。それは神様と人類を救う使命のためです。それではこのような美人が世界を救うための早道として、人種差別が激しい時において、黒人の醜い男性と結婚することを使命とする、これはどれほど素晴らしいことでしょうか。(もしそうするなら)あなたがたは、何と素晴らしい、美しい女性であろうかと先生は思います。それが使命の道というものです。それはどうですか。成せないことがありません。 そのような意味において、今回も日本の女性と黒人とが多く結ばれました。日本女性たちはみな、「先生」と言って訪ねて来て、一生のうちに先生から祝福を受けたいと集って来ました。その純潔な心を知らないはずがありません。夫においては、誰よりも美男子をもらいたい気持ちをどうして知らないことがありましょうか。しかし、使命感からみたならば、こちらがより美男子と思う時、アフリカの男性と結婚させても先生は苛責を受けません。誇りと思っています。結婚は自分の思い通りにするのではなく、使命のゆえにするのです。幸福に生き、使命に従って生きる時、あなたはその国の歴史的な女王になると思うのです。結婚を中心としてみたら、歴史に残るでしょう。 それでは、レバレンド・ムーンのその思いが間違っていますか。改めなければなりませんか。人類より呪われる思想でしょうか、歓迎される思想でしょうか。どちらですか。伝統的な白人は言ってみなさい。伝統的な黒人はどうですか。(偉大な思想です)。偉大というのは白人よりも黒人の方が偉大ということですね。(笑い) これから後代の人々が後々までも記憶することのできる道、賛美することのできる道、その道を訪ねて行こうとするのが、悪口を言われ、追われるレバレンド・ムーンです。この時代には追われる身であるけれど、後代の時代にはそのような時代が来るであろうと、それを望みながら歩むその歩みはどれほど価値があるでしょうか。 今、先生が生きている間に(もかかわらず)、五色の人種で先生のために涙を流した人が、歴史以来一番多いのではないかと思います。ムーニーたちは世界各地において迫害を受ける時、悔しい時、涙が流れ、私たちの先生はどれほど涙を流したことでしょう(と思うのです)。その時の思いが、このようなことが、宗教においては、神と人類の解放という偉大なる使命のために永遠に勝利できるという自信をもって再び出発を誓える力が、そこに連結されるのです。統一教会に入って涙を流した人は手を挙げてみてください。その度毎に先生を思い出したことでしょう。(そして)私たちの先生はもっと苦労されたことでしょうと思うのです。そのように涙を流すとしても、更に行くというように、世界の五色の人種をこのように感動させたのは歴史以来レバレンド・ムーンが初めであり終わりでありましょう。イエス様や数多くの宗教者たちは、死んだ後にやったのでありますが、生きながらえてやったのはレバレンド・ムーンが初めてです。 先生が地上に住んでいなくなっても、皆さんの心の中に、人類解放と神の解放に対しては生き動くことでしょう。それはなぜでしょうか。人類が必要としているからです。神様が必要とするからです。神様は人類が、人類は神様が必要であるために、(互いに)必要な道(こと)を行くために生動しながら、この世界が神様が解放の場に至るまで、摂理は間違いなく続くのであります。どうですか、それは必要だと思いますか。死ぬ時に子女の手を握り、神様と人類の解放を願うその母の貴い姿に、神様は涙しながら訪ねられるでしょう。自分の夫の手を握り、子女の手を握り、「み旨を相続してください」と遺言を残す、(最後の)時間にそのような言葉を言う女性はいかに貴い存在でしょうか。どうかして、そのような場において遺言をすることのできる妻となり、母親としたいと思うのです。男性であれば、そのような夫、父親にしたいのです。私たちはそのような使命をもっています。 ある者は、自分は何とかして専門分野で成功したいと言います。成功して何をするのでしょうか。自分の御飯をよく食べて、飯の消化工場の役割をして死んでいくのです。そのように生きれば皆さんの墓には誰も訪ねないけれど、使命に生きれば皆さんの墓には花が咲くでしょう。先生が亡くなった後には、先生の墓には来るなと言っても訪ねて来るでしょう。どうですか。それが勝利の道です。 このように考える時、一般の人からはムーニーたちは悪口を言われ、悪者と思われていますが、素晴らしい使命をもっていることは間違いない事実です。それは間違いないですか。それとも、間違いですか。(間違いありません)。「(しかし)それは先生が行く道であって、私には必要ありません。話は正しいけれど、私は嫌です」(と言いますか)、どちらですか。実践しながら進みますか? 見物人になりますか? それとも、止めますか? (実践しながら進みます)。そうしますか。(はい)。そうやりたいと思う人は手を挙げてください。ある程度やったら、そのぐらいの使命と召命を受けることができるでしょうか。できません。すべてを清算してやって、一度やってみるに値しますか。(はい、値します)。 皆さん、レバレンド・ムーンは有名な人ですか、有名ではありませんか。(有名な人です)。どれほど有名かと言えば、有名な教授たちが会ってくださいと言っても会いません。この頃は、かって長官を務めた人たちが、世界的な仕事をしながら、レバレンド・ムーンに会いたいと言っても会いません。だんだん有名になるでしょう。あなたがたムーニーが(先生を)必要とする以上に、世界をいかに救い、助け、責任をもとうとする人たちは、間違いなくレバレンド・ムーンを訪ねて来るようになっています。そして霊界に行った昔の有名な聖人たちはレバレンド・ムーンが生きているうちに一度会ってみたいと思うでしょうか。どうですか。(会ってみたいと思います)。そのように有名なのです。それなのにムーニー自身は(先生を)どれくらい知っていますか。昨日も話をし、今朝も話をし眠ることもできないようにするレバレンド・ムーン(とだけ知っているのではありませんか)。 皆さんが知っているレバレンド・ムーンと、この世が知っているレバレンド・ムーンと(を比べると)、皆さんがもっと価値があるように思わなければならないのに、この世の方がもっと価値があると思っています。逆になっています。皮肉なことです。この世では自分の父が大統領だとしても(その息子は)無礼なのです。自分の父が大統領であっても、その国の長官よりも貴く思わないで、長官の方が父よりも貴いと思うのです。学校に行けば文教部の長官の方が。(笑い) それは知らないからです。皆さんは先生をどれほど貴く思いますか。いつでも先生に会えると思っているかもしれませんが、これからはいつでも会うことはできません。外に世界の大統領がずらっと集っているとしたら皆さんを追い出して、世界の大統領を入れて話をし、会ってあげるべきでしょうか。どうですか。人類を解放するために、大統領の方々を内に入れ、あなたがたを外に出すという待遇を受けたとしても当然なことと思い、神の国に行って僕になったとしても当然のことと思わなければなりません。先生は死んであの世に行っても、神の国の解放のため、ムーニーたちを僕にしようとします。どうですか。不平を言いませんか。(言いません)。 問題は大きいのです。このようにみるとき、レバレンド・ムーンがもっている思想は素晴らしいですか、どうですか。(偉大な思想です)。数多くの良心的な人々が先生の思想を喜びますか。どうでしょうか。(喜びます)。神様はどうでしょうか。(喜びます)。それならすべてです。では皆さんは今まで自分たちが考えていたものをすべて捨てて、このような考えのみで満ちたとしても後悔ありませんか。どうですか。(ありません)。ではこの時間にそうしますか。(はい)。とても簡単ですね。それをやっても寂しくありませんか。未練が残りませんか? それをやりますか。(はい、やります)。はいと言う人手を挙げてみなさい。おお! ありがとう。 それでは、昨日遠くから自分の相対者がそばに来て座っています。その人が自分の手をつかむ時、ピシャッとはねのければいいですか。それとも、そのままにしていたらいいですか。(一番目です)。そうすると泣くかもしれません。千里万里の道を来たのにこの米国の女よ! と言われたらその方がいいのです。先生はそのような道を取ってきました。先生は正しかったでしょうか、問違っていたでしょうか。(正しいです)。 皆さんは頭をきれいに掃除して人類解放と神の解放のために前進すると言いましたね。では皆さんはこれから眼鏡をつくってかけなさい。かけたくなくてもかけたと思いなさい。私の目は人類解放の眼鏡と、神様解放の眼鏡を通して見るのです。私の耳は、人類解放の言葉と神様解放の言葉を一番喜びます。それ以外のものは聞きたくありません。耳にもそのようなものを入れなさい。そして口に対しても、「口よ! あなたは食べることが好きですが、なぜ食べるのですか」と言うと、「人類の解放のため」(と答えます)。中国料理を食べる時には、十倍働くために食べるのです。どうですか。(先生の笑い) 鼻も神と人類解放のためのにおいをかぐためにあるのです。良い着物を着るのも、人類を神を、より解放するためです。それで手は柔らかいものを触るのを好みますが、それとは反対に岩を触ったりするのです。それは容易なことですか。難しいことですか。(難しいことです)。それで今晩、皆さんに『使命と祈祷』という話をするのです。 この目は劇場に行こうとばかりして、良いものばかりを見ようとするのでだめです。この目が怨讐です。この怨讐を防御することを知らなければなりません。自分のそばにいる夫と、通り過ぎていくハンサムな男性を比較して、あの男性と一緒ならいいと思うのです。この目が怨讐です。このサタンを取り除いてしまわなければなりません。また耳は、甘い話を(好みます)。「まあ、人類の解放、神の解放とか言わないで、(そうしている間に)一生に一度の青春は過ぎてしまうから、良いものを食べ、良い物を着て、一時生きたらどうですか。気持ちもいいではないですか。私があなたの願うことは何でもやってあげるから、どうですか」と言われるとその気になってしまいます。耳が怨讐です。怨讐が出入りすることのできる通路なのです。それからこの口は食べたいと言います。米国の女性は機関銃のように不平を言います。これが怨讐です。 それから鼻が怨讐です。次には手が怨讐です。それから男性と女性の異なるもの、それが怨讐です。そこにブレーキをかけなければなりません。それは容易ではありません。どんな偉大な男性だとしても、美人に誘惑されるのです。いくら美人だとしても、美男子に誘惑されるのです。それはどこからであるかと言えば、目、鼻、口、耳、接触、感覚(からであり)、これらがすべて影響を与えます。では怨讐がどれくらいいますか。それは、五感、七感です。(五感のほかに)心があり、男と女の異なった部分があります。七大怨讐です。これは恐ろしい怨讐です。サタンは耳を取って食べようと待ち構えており、目を狙っており、すべてを狙っているのです。(サタンは)それはあなたの一生のうちにおいて、永遠に征服することができない、と言っています。 では怨讐は自分の外部にあるのでしょうか、内部にあるのでしょうか。(内部です)。それはあなた自身です。自分自身の中にいます。自分自身を防御できない人は、いつ敵に引っ張られて行くかわかりません。いかなる所に現れるかわかりません。苦労し、ムーニーとして迫害を受け泣いている時に現れるかもしれません。自分で自信がなくて、人類と神様を解放するということは愚かなものです。 タバコやドラッグ、酒などを飲んだり、雑談をしたりしていると問題はいつも付いて回るでしょう。それを分別するのは難しいので、「神様、私を助けてください。人類を解放し、神様を解放する私を助けてください」と祈るのです。米国の若者たちは結婚前に経験しているので、男性が弱いのです。わかっていますか。女性はどうですか。東洋の女性は服を脱ぐことがどれほど難しいかわかりません。それで東洋はみんな覆い隠すのですが、米国ではすべてを露わすのです。(笑い) そしてよくウインクするし、よく笑います。(爆笑) 東洋の女性は米国に来てはよく騙されます。「あら! 私のことが好きではないのかしら」と。それほど違います。米国の女性は自分の体をよく取り締まらなければなりません。わかりますか、何の話か。自分を守らなければなりません。その中でも、やはりムーニーは少し良い方でしょう。怨讐は他にあるのではありません。 先生の場合にはそのような思いがなかったと思いますか。先生は生まれながら、すべてをコントロールできたのでしょうか。(いいえ)。更に積極的なのです。人類を愛するにおいても敏感です。しかし、自信がなかったら、天の公的責任を負えないと思います。自分の目よりも、口よりも、耳よりも、自分の感情よりも敗けるそのような人に、神様が人類を預けて、どうして神様が解放され得るでしょうか。 何の話かわかりますか。だから逆に考えるのです。反対であります。西洋に来たら西洋のロック音楽を好まないで東洋音楽を聞き、東洋に行ったら西洋の音楽を聞きます。 女性たち、男性が誘惑しても落ちないという自信がありますか。(はい)。自信をもつことはできません。心ではそうしようと思わなくても、足はそちらに動くのです。それで境界線まで来ると、「ああ! わからない」と言います。そのために自分を発見しなければなりません。 先生がこのみ旨を出発するにあたって、どれほど多く考えたことでしょう。西洋の女性、日本の女性、韓国の女性、世界中の邪な女性たちが私を誘惑しようとして来るに違いない。そのように思ったでしょうか。思わなかったでしょうか。それらをすべてコントロール(主管)できない人であるなら、神様を解放し、人類を解放するということは全くナンセンスになってしまいます。それで祈祷するのです。それを知っています。 先生の目を鏡に映して見る時、自分の目が罪を犯さないように、自分の目に対して厳しく言い聞かせました。自分の鼻に対しても、鼻が高い高慢な人間にならないように厳しく戒めました。また、口に対しても、「三十歳になるまで十分に食べることができなかったでしょう」と言うと、口は「ええ、あの頃は本当に耐え難かったです」と答えます。先生の耳もこれまで数多くの非難や迫害の声を聞いてきましたが、そのことについて慰めると、「それでもあなたの耳であることができて一番幸せです」と答えてくれます。先生の手もこれまで困難なことばかりしてきましたが、それでも「自分は一番幸せな手です」と答えてくれます。このように身体のすべての部分が、「今こそ私の主人に出会いました。私の本当の主人はあなたです」と言っています。皆さん、そのような主人になっていますか。(いいえ)。真の部分になっていますか。(いいえ)。 だから皆さんは祈らなければなりません。使命がすべてだからです。それ以上に重要なものはありません。そして、使命を遂行する上で真の障害となるものは、外からの迫害ではなく、自分の内部にあるのです。あなたが本当に自分自身に厳しくすれば、この世はあなたがたを迫害しなくなるでしょう。内的に自身を防御できれば、外的な迫害、中傷は問題ではありません。だから、重要なのは自分自身の内部です。難しくて苦痛な時は静かな密室に入って祈りなさい。それで答えが来なかったら、更に深く、より深刻に祈りなさい。より時間を投入してやるのです。先生はその道を行くために、十二時間以上祈ることは普通でした。米国の祈祷のやり方は五分です。大洋の深い、何千フィートの深い所を訪ねて行くと思わなければなりません。どれほど克服し、忍耐しなければならないかわかりません。祈る人は失敗がありません。自分でみんな知っているのです。祈りの味を知れば、食事する時より面白く、どのような趣味よりも面白いのです。そうなると環境のすべてが整頓されてくるのです。善いこと悪いこと、即座にわかってきます。 今日ムーニーたちは祈祷をしていません。食べ物、眠り、その他の誘惑を克服して、人類の解放と神の解放のために、どれほどたくさんの祈りをしなければならないかわかりません。人類歴史において誰よりも最高の深刻な立場において祈らなければなりません。このようにいかに困難であっても、私の祈りの力を通して、この道を貫き通すという決心をしなければなりません。二十四時間、常に祈らなければなりません。そうすると神が共にいてくださいます。皆さんも自分を思ってくれる人の所へ訪ねて行くでしょう。そうでしょう。神様もそうなのです。 召命と使命と祈祷を考えなければなりません。そうすると、正しいことと間違ったことがすぐにわかるようになります。神様が自分と共に生きておられることを直接感じることができるのです。そうすることによって、人類を解放することができ、神を解放することができるのです。(そうしなければ、)皆さんが荷物となります。神の荷物になっている、そういう人は解放体になれません。そういう者がやるのはナンセンスです。神の世話にならず、人類の世話にならない自分になってこそ、このことを成すことができます。それで使命と祈祷の話をしました。どこに行っても一人でいる時は、常に祈らなければなりません。思いを集中させて(祈るのです)。そしてその目を通して見れば、伝道する人であるかどうか、すぐわかります。神は共にいてくださるのです。それをはっきり知ならなければなりません。 人類と神様の荷物になる人が神を解放することはできず、人類を解放することができないことは真理です。統一教会の世話になっている人が、人類を解放することができますか。米国の荷物になっている人が、神様と人類を解放することができますか。人類と神様を協助することができ、協助しようとする立場に立たずしては、(人類と神を)解放することはできません。私は今統一教会を信じて生きているのではありません。人類と神様の解放を信じて生きています。私は統一教会を助け、米国を助け、世界を助けることはあっても、米国や世界の世話にはなりません。考えの根本が皆さんとは異なるのです。 この前幹部の食口が、「ああ! 先生は私をわかってくれないで」とか何とか言っていました。あなたが出発したのは人類と神様の解放のためであるのに、先生が機嫌を合わせたり(ということは)、とんでもないことです。先生は人類の解放、神様の解放ができない時は、みんな蹴飛ばしてでも行く心をもたなければならないのです。いくら投げ出されてもその道しかありません。それではレバレンド・ムーンが助けてあげると思いますか。無慈悲に助けてあげません。相手にしません。先生のやる責任を果たします。無慈悲にやります。それが問題ではなく、私が神様を解放するために行くのが問題です。神様は数十年前に成してほしいと願っておられるのに、このように待たせて、と言われることもあるでしょう。 重要な問題は祈祷をしなければなりません。神様が私に頼まなければならない。人類が私に頼まなければならない。そうすることのできる考えが必要です。だから、今までもっていた観念を整理していかなければなりません。このニューヨークに来る時、私が協助してもらうために来るのか、協助するために来るのでしょうか。ここに万物の日に来る時、世話になろうという思いで来てはいけません。私がここに来る時は、来る前よりも何倍も(ここが)良くなる努力をするために来るのです。いつかは必ずお返しします。間違いなく返すのです。責任をもって行動しなさい。そうすることによって、神様はその人をどんどん協助してくれるのです。 レバレンド・ムーンが行く所はどこでも騒ぎがあります。騒ぎがあるくらい実績がいいのです。騒ぎより実績が大きいので神様は喜びます。行く所どころにうわさになりますが、その問題となる結果が悪くなく、神様の前に利益となり、人類の前に利益となるので、神様は喜ぶのです。昨夜先生は、オーシャン・チャーチのメンバーに、「私はあなたがたが憎い」と言いましたが、そうすることによって人類の前に、神様の前に良いことであれば、「憎い」という言葉は良く使ったことになります。皆さんが喜ばなくても人類が喜び、神様が喜ぶからです。どうですか。わかっていますね。だから不平は言えません。 頭となって世話になるな! 先生は米国の世話になりましたか、皆さんが先生の世話になりましたか。(米国が先生の世話になっています)。そのために不平を言う素質を多くもっているあなたがたは黙っているのです。(先生の笑い) 言うことがなくてじっとしています。皆さんが考えているよりは先生のやり方が一番良いでしょう。(はい)。それでは使命と祈祷です。「人類の解放と神様の解放のために私は出動いたします」、すべてはこれを聞いたでしょう。では約束したので、これからはそのように行きますか、どうですか。(行きます)。 先生が監督し訪ねて行って慰めてあげなければ、あなたの夫がわかってくれなければやらない、中心者がわかってくれるのでやる、それではいけません。これからは決意して使命を中心として、無限なる祈祷と共に独立心を中心として、自分がどこに行ったとしても助けてあげることのできる人(資格者)のみが、人類を救い、神様を解放することができるのです。そうでなければ偽りです。その道を一生の間走った後には、ポケットには何もなく、ハンカチ一枚なくて、穴のあいた服を着て歩いたとしても、皆さんの背後には数多くの人たちがついて歩くでしょう。見物するものができたと言って神様もついて来ることができます。これは先生の哲学です。 モスクワ大会に行くべきですか、どうですか。(行くべきです)。その後は何ですか。地獄です。地獄の解放です。それなくしては神様の解放はありません。それは素晴らしいことですか。(はい)。それは素晴らしければ、素晴らしいほど難しいのです。どれほど忍耐し、どれほど耐えなければならないかわかりません。今朝、そのような決心をして出発します。これに対してアーメンですか。アーメンではありませんか。(アーメン)。 ヨーロッパから来た責任者どうですか。ピーター・コック、何がそんなに深刻ですか。そのような思いをしないでください。すべてを神様に預けなさい。自分だけがやらなければならないということはありません。すべて神様が責任をもって処理してくださるので、自分はやるだけのことで終わるのです。行く時においては、途中で一度まわる時も必要です。そのままにして良くないことがわかれば、それをきれいに止めてしまわなければなりません。 先生も米国をいつ発つかわかりません。今夜荷物を準備して明朝にも発ってしまいます。常に準備しています。ここにおいてのすべてを捨ててもいいのです。この場を捨てて行かなければなりません。自分のみ旨通りに行って死ぬのではなく、神様のみ旨についていって捨てていく方がいいのです。それまでは精誠を尽くすのみです。それで人類の前に、神様の前に、国の前に、このような解放のみ旨をもっている私としては、恥ずかしくありません。簡単なことです。複雑ではありません。複雑な考えはしないのです。私はこのために生まれた、これをやることが使命であり、私の運命であると思うのです。わかりましたか、簡単に考えなければなりません。複雑に思えば精誠が通じません。第一は人類を解放することであり、第二には神様を解放することです。皆さんはそれが可能です。そう決意する人は手を挙げてください。(はい!) 神の祝福がありますように。(拍手) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「私を中心とした父母と子女と万物世界」1983年6月5日ニューヨーク・ベルベディア この世の中には多くの人が住んでいますが、その中の一人が私です。今生きている地上の人たちは、いかなる関係にあるでしょうか。多くの国がありますが、各々の国は一つになることができません。そして、国の各々の民族、数多くの氏族、家庭も一つになることができません。また、皆さん自身を見たときに、家族を見ても、体を中心として見ても、一つになることができません。このような実情をもっているのが世界の現実です。私たちがいかなる所に行ったとしても、あまりによく見ることは、一つになることができないということです。不信の環境があまりに強いことを感じて生きています。そのような激動する中に、自分という存在が立っているのです。 しかし、私たちの本然の心は、このような社会、このような環境を願わないで平和で統一された何かを追求しているということは、否定できない事実です。このことが事実であれば、その事実の定着地、あるいは目的地はどこでしようか。自分自身を見ても心と体が闘っている、これを見るときにこの宇宙において、信じることのできる、あるいは頼ることのできるところがあるでしようか。今、私たちが頼りとしている世界、国家、社会、家庭、また父母、妻子とありますが、この自分自身において頼りとすることのできる何ものもないことを発見するのです。心と体が分立しているので、自分自身においても頼りとすることができません。 したがって、今自分が生きている世界が問題ではありません。国家も、社会も、家庭も、夫も妻も問題ではありません。結局のところ、自分自身がいかなる統一的基盤を整えるかということが、極めて重要な問題です。自分が平和なる統一世界を願うなら、自分自身から統一し、自分自身が一つになったところにおいて求めなければ、統一的な世界と関係を結ぶということは、理論的な矛盾なのです。 では世界の願うところは何でしようか。不信に満ちた嘆きの世界であり、統一されていないこの世界は、一つになることのできるところを、願うに違いありません。国も同様であり、また、私たちにおいても。一つになることができるところがどこかを求めています。このように、世界と国々が、統一された中心、その一点を探し求めていると見るときに、その全体が探し求めている中心ポイントは、結局私という人に帰着されるのです。真なる人に帰着されます。すべてが一つから出発して完全に統一された基盤なしでは、全体統一形成は不可能です。それが不可能であるとすれば、理想だとか、善だとか、すべてがおしまいになってしまいます。結局私というものを拡大させたのが宇宙なのです。 皆さんは距離を計る尺度を知っていますね。もし一センチメートルだとしたら、そのオリジナルモデル(原型)があって、それは絶対的です。それと比較して同じであれば、みな正しいのです。原型に合わせてみて、合わなければ不合格なのです。一センチメートルは十ミリメートルですが、一ミリメートルは絶対的な尺度と見ることができます。それを十倍すれば一センチメートル、一〇〇倍すれば十センチメートル、このようになります。そうすることによって互いが連結され、いかなる所においても共通であり、統一的内容をもつことができます。 人間の世界には、そのような尺度がないのでしょうか。人間世界が統一されようとすれば、そのような原則的基準において、心と体が闘わずに一つになったその型が、必ずこうでなければならないという型があるはずです。このように思ってみれば、自分自身を管理することは、たやすいことでしょうか? (いいえ)。心はこちらに、体はあちらに行くのです。東京に、「人心朝夕変あり、山川古今なり」という格言があります。皆さんはどうですか。朝夕変わるのにいつ統一されますか。歴史上に有名な聖人たちを考えてみてください。イエス様はどうであったでしょうか。釈迦や孔子はどうであったのでしょうか。私たちは、心と体が一時間に数百回も変わりますが、それらの聖人というのは、一つの場において変わることのない人たちです。 (しかし、聖人たちといえども)まっすぐ立っていることはなく、ゆらゆら揺れたことでしょう。イエス様はそんなことはなかったでしょうか。ちょっと聞いてみましょう。(笑い) イエス様は男性でしょうか、女性でしょうか? (男性です)。男性が女性を見たら、女性と考えないでしょうか。間違いなく女性と思うでしょう。すると、自然の理法からプラスとマイナスがあれば、自然に引力関係になります。そうなったでしょうか。イエス様はそれを感じたと思いますか、感じなかったと思いますか? (感じたと思います)。だからイエス様も立ってはいましたが、ゆらゆらと揺れたことになります。手も同じであったと思いますが、しかし足は離れませんでした。足が離れれば倒れてしまいます。普通の人ならば、手よりも足が先に動くのですが、イエス様は手は動いたとしても、足は動かなかったのです。私たちはいくら偉いといっても、イエス様以上にはなれません。イエス様がそうであるといって、いつまでもそうなのではありません。倒れそうになっても、これはいけないと言ってすべて切ってしまい、心と体が一つになることのできる位置を得なければなりません。 男性は男性として、どこで電気がスパークされなければならないかといえば、宇宙の宮殿においてスパークされなければなりません。そのような場においてこそ、男性と女性は出会うことができます。なぜかといえば、最も貴いことであるので、最も貴い場でなされなければなりません。だから今日のアメリカ式のように、男性と女性が会うことはできません。先生が話した方とアメリカ式と、どちらが良いでしょうか? (先生のほうです)。しかし、それは大変難しいことです。アメリカ式のほうが、どれほどたやすいことでしょうか。ちょっとかわいい女性がいれば、勝手にキスをします。(笑い) 何百万、何億とキスはありますが、本当のキスは何でしようか。先ほど一ミリメートルとか尺度の話をしましたが、ミリメートル的キス(標準化されたキス)はどのようなものでしょうか。(笑い) それは必要ですか? (必要です)。義人、聖人が願うのは、尺度化(標準化)された型における中でキスし、愛そうとすることであり、そうする人は正しいという結論になります。今日、堕落した人、この地上に生きる人たちは、そういうことを考えることすらしなかったのです。しかし、義なる人、新しい何かを願う人、理想を見つめて生きる人であるならば、こうなるしかないという結論になります。もしも自分自体が、これを地上においてなすことができるかといえば、これは不可能なことです。 神がいるとするならば、このような内容を解決してくれる希望的宣言だとか、または、そのような宣言をすることのできる人を送ってくれなければなりません。神がいるとすれば、私たち人間の前に予告するであろう内容が何かといえば、宗教でいうメシヤ精神です。そうだとしたら、これは正しいのです。そのような思想を歴史を通して今までもち続けてきたのであれば、神がいるということを、私たちはここにおいて、理論的結論として出すことができるのです。分かりましたか? メシヤが男性であれば、男性のモデル(原型)です。彼を中心として、女性はモデル的(原型的)な女性につくって、愛し合うのは、モデル的な愛をつくるためです。その責任者はメシヤです。だから遠い話ではありません。男性と女性が一つになって完全に愛するとき、それは神様のモデル(原型)と同じであるべきでしょうか、異なるべきでしょうか。(同じであるべきです)。同じであれば、それは愛を中心とした宇宙のモデル(原型)になる、このような結論になります。 神が私たちに対して、男性女性がそれぞれに対して何を願うかといえば、神様も私たち人間に対して愛を求めるであろうし、男性も女性の前に、女性も男性の前に愛を求めるのです。その愛が異なるものではなく一つであるならば、それは宇宙の中心にならざるを得ません。宇宙の原則的なミリメートルのような標準的型になります。それが真の愛です。真の愛は人間同士の愛ではなく、宇宙を代表することができるために、神も(その)愛に入れたくなくても、入れざるを得ないのです。 女性の中で結婚している人は手を挙げてください。結婚していない女性も手を挙げてください。「私は真の女性の愛をもっているので、すべての真の男性は私のもとへ来なさい」。(笑い) 女性の皆さん、(このように言える)自信がありますか。なぜないのですか? こんなに大勢いるのに一人もいないのですか。男性はどうですか。問題は簡単です。この世の中の男性で、数学、哲学、宗教などをやるのをすべて投げ捨てても、真の愛をもって生きることができる、神様と共に生きることができる人であればいいという、一つの結論的なことをいうことができます。真の愛をもって、神を中心として生きる夫婦であれば最高です。そうなると男性が生きる世界のどこにでも行くことができ、女性が生きる世界のどこにでも行くことができ、神様が住んでいる世界のどこにでも行くことができます。このように見るとき、聖人たちを考えながら行動するのもいいですが、一つの(真の愛をもって生きればいいという)結論がここにあります。簡単ですね。そう思いますか。 レバレンド・ムーンが、けさここにおいて結論を出したことに対して、神様に尋ねてみたとき、神様は「あなたの話は正しい」、男性に尋ねてみても、女性に尋ねてみても、「あなたの話は正しい」、三者がみな正しいと言うでしょうか? (はい)。(拍手) 高貴な人はなぜ必要ですか? 高貴な夫婦のためです。高貴な夫婦になってどうするかといえば、高貴な神の愛を成し遂げるためです。では高貴な神の愛を成して何をするかといえば、宇宙をすべて所有し、中心として公布するためです。(黒板で)ここではすべてがこれを通じます。すべてをコントロールするのです。これがなぜ中心となるか、それはすべてが私のものになるためです。ではこの中心は、お金であるべきでしょうか。権力であるべきでしょうか、愛であるべきでしょうか? (愛です)。この地上を見るときに、愛を売って知識を買う人がどれほど多いでしょうか。愛を売って金を求める人、愛を売って権力を買う人がどのくらい多くいることでしょうか? それらはみな偽りです。皆さんはどうですか? (違います)。 それでは、宗教を売って、宇宙を売って、神の愛を買うとしたらどうですか。そのようにすることは悪いことですか? 宗教がいくら利用し、世界がいくら利用し、利用されても、神の愛をなすことができるのであれば、それは善いという話です。何の話かといえば、そのような宗教があるとしたならば、その宗教は宗教よりも愛を強調し、世界よりも愛を強調する、そのような宗教であるという結論が出ます。このようなことを教えてくれる宗教がなぜ必要でしょうか。それは宗教は元来神を中心としたものであり、神の愛を論議します。したがって、宗教以外には、神の愛といったより大きな愛を教えてくれるものがありません。それで宗教がなくてはならないために、統一教会がつくられたのも、その意味における(神の愛をなすための)方便です。どうですか? (そうです)。 宗教における統一教会のその原則は、何でなければならないでしょうか。男性と女性を完全に愛で一つにし、神が定着することのできる内容があれば、ここで統一ということ(概念)が可能なのです。中心において主管することのできる理想的内容があるがために、可能となります。それで何を売っても、何を犠牲にしても。統一教会の人たちは行かなければなりません。それがどんなに困難な道であろうとも、たとえ死ぬようなことがあるとしても、私たちは行かなければなりません。イエス様も最初は、この世においてこのように歩むと定めておいたのです。宇宙がどうなるかと考えるとき、この結論が最高の理想郷に行ける道であります。なぜ、男性は女性を探し求めるかといえば、それは神の愛を求めるためです。目的は女性でもなく、男性でもありません。家庭でも、国家でも、世界でもありません。神の愛に到達するために、私はそうするという結論をしっかりと理論的に整理しなければなりません。 今まで皆さんは、そのように決定してやってきましたか、み旨がそうであるから(といって決意もなしに)そのままきたのですか。皆さんの心と体が、今まで一度も崩れずに、完全に一つになりましたか。心と体が完全に一つになれずに、そのような愛をすることができません。そうなりましたか? (いいえ)。心と体が一つにならなければなりません。この心と体を一つにすることのできるものは愛のみです。愛のみが可能なのです。いつそのようになるかといえば、愛することを知り始めた時です。愛の道を訪ね求めて行くときには、心と体は一つになることができます。その愛は本然の愛です。 それはいつかといえば、思春期においてです。愛を求めているときは、心と体、すなわち心の目と体の目が一つになるのです。それほど強いのです。父母の話も聞かず、勝手に回っていきます。目もそうであり、鼻もそうです。愛の鼻はもっと、普通ではかぐことのできない嫌いなものも、好きになります。また、心と体が一つになったなら、味も、何でも良く感じます。聞くことにおいても、夜明けまで聞いても良いのです。触覚も同様です。それは愛のみが永遠であるためです。その話は、正しいと思いますか? (はい)。思春期になると目がおかしくなります。(笑い) なぜか分かりませんが、みんな良く見えてくるのです。服も着飾るし、(ジェスチャーを交えて)とにかく好きでたまらないのです。愛というのは、消化することのできない骨までも消化し、また汚いものもおいしく食べられ、すべてを消化してしまいます。愛は神秘なのです。心と体が均衡になり、一つになって、二人が一つになって、ここで愛という銃を撃ちます。(笑い) もう一時間たちましたね。もうやめましょうか。これだけでも偉大な成果があります。やめましょう? (いいえ)。(笑い) そのような愛を願う人は手を挙げてみてください。本当の愛をもって、醜い男を見るときに、美男子に見えると思いますか? (はい)。そうです。愛は素晴らしい力をもっていると私は思います。 思春期において、初愛において結ばれた男女は、永遠に忘れることができません。美人とか、不美人とか、そういうことは見えません。初愛を捨てる人は神の前に行くことができません。この地上において天国に行ける人は、初愛を中心として生き、初愛によってすべてをあきらめ、初愛のゆえに生き死ぬという人です。そのために初愛を良くしなければなりません。レバレンド・ムーンが今まで善男善女ということで結んであげたのは、これを成すためです。統一教会の信者たちは、国境を越え、人種を超越して合同結婚式をし、世界から騒がれる狂った人々です。その気違いは何のためかといえば、本然の愛のためです。 このような観点において、皆さんは一度反省してみなさい。自分はどれほど不完全な人でしょうか。どれほどよこしまな心と体をもっているかを反省してみなければなりません。自分の体を偽り、心を偽り、全体を偽っているよこしまな自分自身ではありませんか。このような自分自身を発見して、「ああ! 神様、私を愛でもって救ってください」と言う前に、皆さんは自分自身を否定し、是正することが先決であることを知らなければなりません。心と体を一つにしなければなりません。 体が行く道を中心として、心が一つにされるべきですか、心が行く道を中心として体を一つにさせるべきでしょうか。(心を中心として)変わることがあっても、心のほうがよりましだからです。心を中心としてこの体――鼻、目、口などすべて――を一つにしていかなければなりません。理想的な男性に会うためです。理想的な男性に会って何をするのでしょうか。理想の神に会うのです。それから理想的愛を探し求めます。不可避的にそこに行かざるを得ません。すべてをみな捨てて、この道を決定し、決定的な判断を下さなければならないことを、はっきりと知らなければなりません。どうですか? (そうです)。レバレンド・ムーンがそのように言うから、そうやるべきなのですか。レバレンド・ムーンが言わなくても、本来の心がそうなのですか。どちらですか? (本来の心です)。 なぜ心と体が一つになれなかったのでしょうか、これが問題です。神がいるならば、なぜ心と体が一つになるように造られなかったのでしょうか。私という人間は愛が何であり、男性と女性が何であるかを、知らないで生まれてきました。男性として生まれ、女性として生まれたならば、(互いに探し求める)そのような可能性の道を行くのは事実であります。しかし、そのように行く道が愛の道であるならば、なぜ、元来一つになることのできる基盤をもたないままに生まれたのでしょうか。神がいるなら、なぜそれができなかったのでしょうか。これが問題です。絶対的な神がそのような愛を必要としているのであれば、女性を造った時に、その女性をして理想的に造ることができなかったのでしょうか。そこで、正常なる男性と女性の立場に至らなかった、正常なる神様の所へいまだ至っていなかった、という論理が成り立ちます。思春期まで行ける一時を願ってきたのに、その所まで行くことができずに、事故を起こしてしまったという話であれば、分かるというのです。 それではなぜ、その時まで待たなければならなかったのでしょうか。愛において成熟する思春期までの期間があるためです。それでこの期間までには、いかなる過重的要求があるとしても、私たちは理解できます。このために、成熟する前に愛によって故障となり、神も離れ、男性も女性も嫌だと言って離れる立場に立ったならば、大きな問題です。そのような一時があったとしたら、すべてが説明可能となります。もしそれがなかったならば、この宇宙は神もなく、永遠でもなくなります。愛の事故が起きた、これ以外にはありません。そのために神が問題となり、人間が、歴史が問題となりました。宇宙の大事件として、ショック(衝撃)を与えることができるのは、愛の事故しかありません。 それで神様は、「取って食べるな」と言われました。この言葉はある過程的な内容を中心とした愛の警告であるとするならば、それは愛の思春期という成長期間があるためであって、永遠にではありません。なぜ「善悪の果を取って食べるな」と言われたのでしょうか。それは何かといえば、人間と神との基を整えるための動機の内容があるために、問題視したのです。そうでなければ問題視する必要はありません。このように見たときに、今日何も知らない人たちにとって堕落という言葉は、偉大なる福音です。この世界を眺めるにおいて、このような苦痛の時代の中においては、(かえって)堕落という言葉は偉大な福音なのです。 善悪の木の実は(文字どおりの)実ではあり得ません。億千万人類が呻吟し、このような破綻の場で争うこととなるそのような木の実であるならば、神はなぜ、そのようなものを造ったのでしょうか。レバレンド・ムーンのみが、これは愛の内容を中心とした、そのような木の実であったという宣言をしました。結果として現れている事実が何よりもその理論に近いのです。そこで愛には善の愛と悪の愛が生じました。その結果次のように分かれます。成熟した人は真の愛を知る人であり、堕落した人は真の愛を知らない人です。神の愛に生きる人は真の愛を知る人であり、サタンの世界の地獄に生きる人は真の愛を知らない人です。 それでは、神が認める愛はどのようなものでしょうか。アダムとエバが十六歳から十八歳になり、目が勝手に動いて、お互いに見つめ合って、「私が求めていた人はあなただったのです」と言うことのできる段階にならなくてはなりません。その時は思春期で、心と体が一つになったのです。目を見つめると神秘的な目であり、鼻をつければ電気が通ずる、このようになって男性、女性が心と体が一つになったときに初めて、花が完全に咲き開いて香ります。その香りは宇宙の香りであるので、宇宙の万物がくんくんと香りをかぎ、良い気持ちになっています。そのとき神はどうでしょうか。神もこれは不思議だと我知らず、(愛の)銃に撃たれたようになります。神は、「ああ、彼らは引力で私を引っ張ろうとしている」と言い、また「私の創造は最後に愛によって活性化された、私は移動するとしよう」と言うでしょう。その時に神は降りて来て、アダムとエバの周辺に共にいるようになり、結婚の世話人になります。そして彼らが一緒になった時、愛の爆発が起こります。それは男性、女性、神と三者による爆発です。 純潔な男性と女性が神を中心として一つになり最初の愛を完成すると、それは宇宙の核になります。そしてすべてを愛で主管し本来の軌道に入るはずだったのに、脱線してしまったのです。脱線しなければ素晴らしく展開したはずです。この核はあまりにも強力に引き付ける力があるために、神様も首を縛られたようになって、これを離れることができません。体は離れても足は地面に付いています。男性も女性も離れることはできません。だからここから生まれる子供たちも、みな紐を持って、引っ付き引っ付きして世界となったのです。そして家庭、氏族、民族、世界となっていきます。この宇宙世界は何と素晴らしいことでしょう。そこは大変神秘的な所です。これが地上天国です、真実の世界です。皆さんはどう思いますか。(拍手) レバレンド・ムーンは空想家ですか? (いいえ)。 先生が初めて、恨みは愛からであったということを、このような歴史的背景を通して理論的体系において宣言しました。それは否定できない事実です。それが分かったならば、それを一つ一つ解くことは容易なことでしょうか。すべてが反対になり、分かれてしまっています。この理論が正しいならば、いくら世界の人が多くいたとしても、ばらばらに分かれ分立された人間像が発見されるはずです。そしてこの現世が(理論に)合っているという事実を否定することができません。したがって、堕落によってできた世界であるということは、正当な結論です。(黒板を使用して)ここからみな分かれたので、神もなく、父母もなく、男も女も世界もない混乱状態が起こるということは理論になかった現象です。ここでは自分自身でもっては、絶対に一つになることができません。希望がありません。人々は方向を探しますが、全くその方向が分からず、光も見えません。それで、これらのすべては今や神を求めるのです。 しかし、「神はいない、神は死んだ」と言っています。それはすべての終わりを意味し、人間の滅亡を意味します。希望とか、理想とか、ユートピアとか、何もありません。それは人間たちがつくり出したものです。いかにしても(真理は)分かりません。個人を見ても、家庭を通じてみても、世界を通じてみても分かりません。有名な学者、聖人君子たちもみなこの中で(図を示して)見つめているので分からないのです。神様(の立場)に来てみて、初めて分かります。聖賢たちもここに行ったり、来たりしてやめたので、世界がどのようになっているか知ることができませんでした。 このような実情を見るとき、(図で説明)このようになっているために、愛のため、真の愛を求めてこの世界圏を克服しなければなりません。そのような宣言が必要です。本然の愛はこの世の愛よりも次元が高いのです。そこで「誰よりも私を愛せよ、この世のすべてを捨てても私を愛せよ」と言える男性がいたとしたら、その人は偉大な聖人です。それは何の話かといえば、堕落した世の愛の圏を超越することのできる、愛の圏をつくるということなのです。 神様はどうでしょうか。このように堕落した世界にあっては、神様もこのような人を願うことでしょう。このような世界に生まれたとしても、真正なる心の要求から、「私はこのような愛を求めて行きます」と言う時、神様は黙っているでしょうか。それにこたえなかったならば、神様に責任があります。なぜならば神が人間を造ったからであり、神が造ったからこうなったのではないですかと言われれば、神はどうすることもできません。私はここで生きているけれど、「あなたが願う理想的愛の圏に行きたい」として、行こうとするのに歓迎してくれないならば、神はいないに等しく、否定されざるを得ません。神は必ず答えなければなりません。「あなたの答えは正しい、あなたを待っている」と。 数多くの聖人の中においてイエス・キリストのみが、人格的神として、神を父として宣布しました。イエスは万民の愛を中心とした先導者であり、救世主であらざるを得ません。もしそのような人が誕生したとしたら血統的に愛はどうなっているのでしょうか。イエス様でもサタンが離れてくれません。神とは一つになることができても、サタンは離れてくれません。なぜかというと、愛は本来の創造の原則において、主管することのできる権限があるからです。サタンは非合法的な愛ではあっても、アダムとエバを愛したに違いありません。「私はアダムとエバを愛したので主管することができる。だから、それ以上私を愛さずしては、連れて行くことはできません」と言うでしょう。だからサタンの血統を取り除いて生まれなければ、問題が残ります。 イエス様(の家系)においても、カインとアベルに分立し血統的な浄化運動をしたという歴史的内容が、聖書に記録されています。ヨセフの血統を見ると、ずっとめかけの血統です。そのような複雑な問題をみな解決して、これらをすべて脱ぎ捨てなければなりません。そして、「神様、私はこれらのすべてを脱ぎ捨ててきました。今や、あなたの前に立つことのできる息子であり、あなたが探し求めていらっしゃる本然の愛を立てることのできる男性です」と言えるようにならなければなりません。どれほど膨大(な内容)でしょうか。今日統一教会において一つ一つを知って、一つの完全な体系に基づいて勝利的に現実問題に理論立てたということは、驚異的であります。そして、ここに来て座ることは、天下においても最も価値があり、名誉あることとして、誇りと思わなければなりません。そのために今日堕落圏にある皆さんは、堕落した国と世界全体を否定して、それ以上愛する愛をもって愛さなければなりません。しかし、そうだと決意しても、そのとおりにやることはできません。なぜならば、サタンを中心としているからです。 アベルは神の息子であり、神の息子は本来アダムとエバが行かなければならなかった天国に(行くに)は、天使長を愛し、天使長の種族たち(カイン氏族)を愛して行かなければなりません。それが原則です。誰よりもサタンを愛したという条件を立てなければなりません。そこで必要なのがメシヤです。私たちにメシヤを送ってくださいということになります。メシヤは堕落圏とは関係ありません。本然の愛の主体型として来られる方です。エデンの園における神の息子、娘には堕落圏がなかったように、本然の子女として生まれたのです。 宗教の歴史の中でこのような歴史をもっているのは、ユダヤ教です。ユダヤ教を中心としたメシヤ思想があるということは、神がいらっしゃるということです。神を中心としたメシヤと一つになることのできる民族として、世界において準備されたのがユダヤ民族でありました。このような世界の上に一人の方を誕生させるために、ユダヤの国を選び、選民として立てたのです。そして一つになったならば、愛をもってローマを消化します。イエス様はメシヤとして来られて何をするかというと、愛でユダヤ教を消化しなければなりません。 メシヤは男性であります。それでアダムにかたどってエバを造ります。メシヤは堕落した世界に来てエバを探さなければなりません。サタンが奪っていったからです。そのために新郎を迎えるまで、女性たちは歴史時代においていつも苦痛を受け、蕩減の道を歩むようになります。そして真なるメシヤと一つになって、永遠に変わることのない男性に出会って、絶対的な本然の愛の中で、爆発的な愛をこの地上に再現させて、ここで夫婦の因縁を結ばなければなりません。その中心は神の愛です。このようなこと(道)が、どこでなされるのでしょうか。国を治めることのできる宮殿において、あるいはユダヤ教の大祭司の家庭でなされなければなりませんでした。ところが、祭司長たちがメシヤを追い出したのです。 (黒板を使用して)これがなくなったので、メシヤは死んでしまいました。そこでこのような歴史を経て再び来なければなりません。これは非常に論理的なことです。それで再びこのような歴史をつくるために、世界的なキリスト教をつくってメシヤは再び来られるのです。どこに来るかといえば、キリスト教にです。そのキリスト教を代表する世界的中心国家がアメリカです。第二次世界大戦直後において、そのアメリカの権限が歴史上に一度しかない最大の期でした。しかし、その期を失ってしまったのです。(もしそうでなければ)共産主義をみな除去することができたのです。 この時がメシヤが来られる時でした。終わりの日、サタン世界の終わりの日だったのです。そしてそれは、統一教会から始まりました。ローマは太陽神を信じ、怨讐の立場にあったときに、イエス様を殺しましたが、蕩減路程においてこのローマと同じ立場に立っているのが、キリスト教文明圏の中心国家であるアメリカです。そしてローマとイスラエルの関係を蕩減しなければならないのが、アメリカと韓国の関係です。統一教会はこのような使命を中心として出発しましたが、キリスト教において歓迎を受けることができませんでした。もし受け入れていたならば、私たちはずっと以前に共産世界を克服していたことでしょう。しかし、受け入れられなくて、メシヤはモーセの四十年荒野生活のように荒野に追い出されました。そして四十年間で再びキリスト教文化圏(に相当する基盤)をつくるのです。アメリカとキリスト教が反対したのを蕩減復帰しなければなりません。蕩減するということは、愛するということです。統一教会の信者はキリストを、これまでイエス様が愛された以上、数多くの人たちが愛する以上に愛さなければなりません。それが認められる日、この国は生きるのです。 これからの三年間、アメリカの言論界や自由世界の言論界は統一教会に反対する気力がなくなるでしよう。それよりもこの世界に希望がなく、この世界が滅びていき、手がつけられなくなります。統一教会よりも、さらに悪いものを見ることになります。ムーニーが一番悪いと思っていたのに、自分の子女のことを心配して、自分の子女たちの生きている社会、自分たちが生きている国家、世界を見ると、かえってムーニーの思想がはるかに優れており、この世はめちゃくちゃになっています。 私たちは世界主義が必要です。神様も世界主義であるに違いありません。統一教会は共産党よりも、キリスト教よりも世界主義であることを、一度に理解させなければなりません。それは共産主義も恐れるものであり、それを打破し、新しい世界をつくり出すことのできるものであることを。共産党よりはレバレンド・ムーンがましである。そうなれば、共産党を捨ててレバレンド・ムーンを取るでしょう。(拍手) アメリカの青年たちはどこか行く道がありますか。フリー・セックス、ヒッピー、ストリーキング、レズ、ホモ、やるだけやってみたのです。ところがムーニーはレズも知らず、ホモも、ドラッグも知りません。たった一つだけ知っています。東洋の女性とアメリカの青年が一つになっても互いに喜んで、苦労してもそれでも希望をもっています。どこに行っても苦労を喜ぶということです。背が高くすてきなアメリカの男性女性同士が、周りで見てもうらやましいほどの人たち同士が結ばれても、(すぐに)争い離婚したりします。ムーニーたちは完全に離婚しても余りあるほどの二人であるのにもかかわらず、喜んで生活します。これはいったいどうしたことでしょうか。不思議なことです。姑を愛し家族たちを訪ね回りながら、一つになろうと苦労しながらも、よく耐えて喜んでいます。だから彼らは現代の青年と比べ、統一教会のカップルを最も不思議だと思うでしょう。しかし、最も不思議なお方は神様です。(拍手) アメリカは行く道がありません。間違いなく統一教会のレバレンド・ムーンがよく、ムーニーが素晴らしいといううわさがこだまのように全国に広がるようになると、その時は私が逃げ回らなければなりません。我々の父母は良くなくて(先生に反対しましたが)、我々はそうではありません、と言うでしょう。(拍手) 「(モーセの)荒野時代の四十年間において、先祖たちは神を裏切ったが、その後孫を連れてカナンの地へ入ったではありませんか。このように草創期から四十年ぶりに会ったのですから、レバレンド・ムーンは私たち後孫を引き連れて行く責任があるではありませんか」そのように讒訴されれば、レバレンド・ムーンはどうすることもできません。そのような時代が来るのです。 だから、どうせやるのならば、皆さんは初めから歓迎し前もって自分たちの責任を果たし、これらの人たちを救えという宣布がされるのです。統一教会が黙っていれば、彼らの後孫が訪ねて来て、「あなたよりも私のほうが優れているし、国が私の味方であり、世界が私の味方です。皆さんは何をしてきたのですか」と言われます。「ムーニーは大変小さい。しかし私たちには国があり、世界があります。皆さんには何がありますか」と言われたら何と答えますか。神はどちらを準備しましたか。小さなムーニーですか、大きなアメリカの若者ですか? (ムーニーです)。クリスチャンは国をもち、世界をもっています。しかし、私たちは指導権を失ってはいけません。 三年間動員すべきですか? (はい)。皆さんは伝道が嫌いだと言うけれど、問題ありません。ハーバード大学出身、エール大学出身、博士、学士たちが押し寄せて来て、自分たちが先頭に立とうとする日が遠からず来るでしょう。ドクター・ダースト教会長も復興会で回り、言論人たちとミーティングをすると、彼らが非常に親切であるので、どうしてこのようになったのか、と驚いています。昔は黒い色メガネを掛けて見ていた人たちが、今はそれを外してしまっているのです。どちらが良いか、悪いかが分かるのです。 生きた魚は清い水の流れに沿って生きるのが原則です。腐った中においても良心があり、真を求める人は、清い流れを訪ねて来ます。そうだとしたら、アメリカの志のある若者たちは、ここに来ざるを得ません。ここに来て問題になれば、一度に巻き込まれます。その時が来ると思いますか? (はい)。その時、立派であるという彼らに、「未来の世界に対して自信がありますか、生きていくことに、妻を愛し、父母としての自信がありますか、兄弟を愛する自信がありますか、自信のある人は手を挙げてください」と言うと、彼らも自信のないことが分かるでしょう。ではムーニーはどうでしょうか。自分自身に対して、家族、民族、世界、未来、神に対して自信がありますか? (はい)。我々はすべてに対して自信をもっています。(拍手) 先生はそのような時を見計らって、時を合わせてやっています。私たちはライフルを撃っているのではなく、機関銃を撃っているのです。それはどうですか。何と興奮させる内容でしょうか。そう思いますか? (はい)。私もそう思います。(笑い) 世界がだんだん近づいてくるでしょう。 神がキリスト教文化圏をして世界が動かせるよう計らった三年間がありました。それは一九四五年から一九四八年までの三年間です。しかし、この三年期間を失ってしまいました。韓国は一九四八年に独立しました。その時に、韓国と共に統一教会も独立させてくださったのです。ユダヤ教も一九四八年に独立しました。その時から数多くの国々が独立し兄弟国となっています。真の父母が弱者となり、敗戦国が強者となりました。最近はどうですか。ドイツと日本が、イギリスとアメリカを屈服させることのできる段階に入ってきています。そう思いませんか。アメリカだけのために、ヨーロッパだけのためにと考えるときには、下がっていくようになります。ドイツは一九八〇年まで、日本は一九七八年まで、自分の国のみを中心としたら下がっていくのです。自分のためにという国はみな下がっていきました。しかし、ムーニーは世界のためであるから下がりません。(拍手) 私たちの目標は理想世界を求め、それは霊界にまで行くのです。それで霊界のためにやるので、早く早く地上を処理するために、霊界は私たちを助けその道を教えてくれます。 今までレバレンド・ムーンは、宇宙世界の代わりの立場に立ってキリスト教文化圏を凌駕し、共産世界を追い出すことをしてきました。自由世界は共産世界に浸透され倒れそうになっているので、仕方なくレバレンド・ムーンを前に立たせるのです。(拍手) 彼らは嫌であっても、生きるためには仕方ありません。最初はこちらから来ました。(ジェスチャーを交え)そして回り始めます。(笑い、拍手) 夢のような話ですが、これは理論的です。ここに座っていることを誇りとしなければなりません。レバレンド・ムーンにおいて共産世界が終われば、すべてが終わります。世界を見てみると、統一教会が一番優秀であることは、既に決定しています。統一教会はこの世で最も恐ろしい団体です。(拍手) そして、サタン世界が震え上がる時、神は喜ぶのです。(拍手) 一世は(反対、賛成)と二通りいますが、二世たちは、共産党の二世たちも私たちを好きになります。そのようになりますよ。最後の勝者は誰でしょうか。共産主義者ですか? (いいえ)。最も嫌われているムーニーが勝利を得るでしょう。そうですか? (そうです)。(拍手) そうなると私は考えています。そうならなければ、私がそのようにつくりましょう。いかにして? それは神の名のもとに。(拍手) このようにしてすべてを取り戻し、その次には天使を愛するのです。アダムとエバは万物を愛してから、天使を愛することができませんでした。本然の天使を愛することができなかったのです。 誰が先に愛さなければならないかといえば、天使長がアダムとエバを愛して堕落させましたが、(本来)アダムとエバが天使を愛さなければならない立場です。この天使長の息子が誰でしょうか。アダムとエバがその後孫です。堕落した天使長がサタンとなりました。だから後孫がアダムとエバです。そこから探し出して、天の国の天使長にしなければなりません。 (黒板使用)これが三年半、これが三年半、合わせて七年です。これが統一教会の七年路程です。ですから本来は七年以前に結婚することはできません。祝福を受けるには、三年間伝道して三人の信仰の子女が必要ですが、そのように祝福を受けてもさらに三年間待たなければなりません。婚約は許可するのです。そうしながら何をするのでしょうか。ここでは万物と天使世界、本然の世界を愛し、神を愛さなければなりません。これを整えずに、神の愛を受けることができません。これが公式です。このようにして初めて、神を愛することができます。万物を取り戻し、天使長を探し出して愛することのできたのちに初めて、神を愛することができるのです。今日統一教会はこの公式どおりに歩んでいます。 万物の条件がなければ、自分を再創造することができません。伝道し三人の信仰の子女がなければ、自分が天使長を愛したという条件を絶対立てることができません。これが堕落しなかった状態です。万物を愛し天使長を愛し自由自在に接して、神に接することができる、そのような場が必要です。だから男性も女性も三人の家族をつくるのです。アダムが八人の家族を通じて落ちてしまったので、八人の家族をつくらなければなりません。男性と女性が三名ずつ伝道すると、自分たちを含めて八人になります。このような条件を立て、三人という条件が成立することによって、初めてここで、神を中心として上がっていくことができます。 上がり始めたといっても、それはサタン圏内から外に出られません。そのままでは家庭から、氏族、民族、国家、世界まで出て行く道が分かりません。これは誰がやるかといえば、メシヤが来てやります。家庭を中心として接ぎ木しながら、この世界へと貫いていきます。これが三次七年路程になっています。 レバレンド・ムーンが世界的に一九七六年を中心として世界的な迫害を受けながら貫いていきます。共産党、キリスト教、ユダヤ教、すべての世界が反対します。それで何で勝利するかといえば、愛しかありません。反対する人たちを愛で救ってあげる、それしかありません。このアメリカは怨讐の立場に立っていますが、「オー! 仁川」を作ってアメリカに愛国精神を植え付けようとし、ワシントン・タイムズを作ってアメリカを救おうとしています。これを見れば、レバレンド・ムーンが怨讐を愛したという結論になります。怨讐の世界的代表国家から、一つになってこのようなことを成しています。そうしながらより世界的な怨讐を愛します。このように貫いてきました。それでレバレンド・ムーンに従ってきた者はみな、(黒板で)ここを出たのです。 ところで、ただ越えて行くのではありません。自分だけ行くことはできません。自分が神の国へ行く前に、このカインの世界、国家、家庭、これらのカインを連れて行かなければなりません。本来カインは兄です。双子の兄なのです。生まれる時には、兄が先に生まれてから、自分が生まれるようになっています。それでカインは先に生まれさせなければなりません。信仰の三子女が完全に一つになって愛してこそ、初めてアダム、エバが生まれることができます。堕落とは、この三人が一つになることができず、逆に支配したことなので、反対に三人が一つになって、アダムをアベルを崇拝しなければなりません。 ムーニーの世界(Moonie World)は男性と女性(Man, Woman)という意味です。人間の世界は男性と女性ですから、ムーニーの世界です。英語は便利ですね。人間から始まって人間で終わるのです。アダムとエバから始まったので、アダムとエバで終わります。このように言うと耳によく入るでしょう。TM, TW, TG(黒板に)TMはTrue Man(真の男性)、はTrue Woman(真の女性)、TGはTrue God(真の神)です。今まで神は(TM, TWを)探してこられました。真の神、真の男性、真の女性は何をするのですか? (真の愛です)。真の愛はどこにおいてするかといえば、「家庭において」、これが統一理念です。これについて話そうとすれば、十時間ほどかかるので、ここで結論づけようと思います。 皆さんが必要なのは何でしょうか。それは本来の状態です。そこには神がおり、アダムとエバがおり、すべてがありました。これらを連結させるものは愛でなければなりません。では私を中心として真の愛をしようとするとき、何が必要でしょうか。そこには三つが必要です。男性であれば、女性が必要であり、女性であれば男性が必要です。アメリカの皆さんは男性、女性を探すために、命懸けで探したのですか。それともただ、自分勝手に探しましたか。じっとしていたらやって来た人を、たまたま相手にしたというのではありませんか? 皆さんはアメリカという国をもっています。しかし問題なのはこちらの中心が、この神ではなく異なった神であるということです。そして、サタンの愛と連絡されています。それで蕩減していくということは、失った反対の道をたどっていくことなので、私たち統一教会は信仰の子女が必要です。少なくとも三人ですね。 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。 レバレンド・ムーンがこのような世界の人々を連れていく時、ただ連れていくことができないので、ここで蕩減条件を立てなければなりません。レバレンド・ムーンは堕落世界を出て、再びその世界に入らなければなりません。そしてここで中心にならなければなりません。何をもって中心になるかといえば、皆さんの三六〇軒ホーム・チャーチを基盤として、それが拡大されるその圏内に中心を求めなければなりません。皆さんが先生に従って、これから世界的に代わりに出て闘って、再び入ることのできるのがホーム・チャーチです。ホーム・チャーチで四方を経ていくときには、四方にそびゆる基盤になります。レバレンド・ムーンは迫害を通してやってきましたが、皆さんは歓迎を受けるでしょう。そのような時が来ます。三年路程だけ終われば、すべてが終わってしまいます。そう思いますか? (はい)。三年以前にホーム・チャーチ分配を受けて、出て行かなければなりません。 機動隊の活動をしても、ホーム・チャーチはなければなりません。それは根拠地であり、基地なのです。機動隊は出かけていって戦います。それは戦争する時、統一教会が勝ったという基準をつくろうとするのです。勝ったということは、すべてのうわさが良いということになることです。それによってホーム・チャーチを早くつくろうとするのです。何の話か分かりますか。だからホーム・チャーチがなければ、天国は成せません。先生が六十年間やったことを、皆さんは七年でやるのです。一九八八年まで行けば、アメリカはみな摂理圏内に、ホーム・チャーチ圏内に入ってくるでしょう。良いというイメージが必要です。 信仰の三子女が必要なのは、三大天使長と、アダムの三子女の基準と、サタン世界の兄のカインを探し求めるためです。また、旧約、新約、成約の時代(を完結することになります)。旧約時代は民族、新約時代は国家、成約時代は世界時代です。モーセは六十万大衆を連れてカナン復帰、イエス様は国家から天宙へカナン復帰、統一教会は世界から天宙へカナン復帰、最終的カナン復帰です。このような意味において、三段階に広がっていかなければなりません。そしてアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、三代の神で表示されます。(そして父母は)第一アダム、第二アダム、第三アダムです。これらの者は、三人の信仰の子女として復帰される三天使長によって表されます。それゆえに三人の子女がなくてはなりません。絶対に結婚することも、生活することもできません。それでイエス様も三人の弟子を必要としました。分かりましたか? 統一教会においても、三家庭があったでしょう。それを知らなければなりません。それから十二名です。この十二名でもって初めて四方が整い、私が中心に入ることができます。イエス様も十二弟子の家庭をつくっておいてから、イエス様の家庭が保護されるのです。十二家庭はイエス様も同様です。信仰の子女がどれほど重要であるか、分かりましたか? 三つのカインを求めなければ、自分が天国に行くことはできません。 旧約時代にアベルとして生まれてみると、既に旧約時代の(カインの)世界があり、新約時代にアベルとして生まれてみると、新約時代の(カイン)の世界があり、成約時代にアベルとして生まれてみると、成約時代の(カインの)世界があります。三段階カイン、アベルが旧約、新約、成約をみな連結させるためです。それぞれの代表者として立てて、それが一つになることによって、このカイン世界が初めて方向を変えて順応する道が始まります。 このような基準をなしていくのです。ここで復帰するにおいては、失った方向と反対の方向に、父母から、子女から、家庭から、氏族から、民族から、国家から、世界に、七段階になっています。このような全体が環境的に成された型が何かといえば、これがユダヤ教のイスラエル国家圏です。これは世界に対しての国家圏です。この中心からは自由に出入りできる圏、これがユダヤ教文化圏でした。メシヤはこの中心であるので、自由に出入りできます。そうだとすれば、七年以内にすべてできてしまいます。このようにして国家が形成されるとしたら、ローマは自然になくなっていきます。ローマは自然に腐敗して滅びていきます。これが成されなかったので、再臨時代にきてキリスト教文化圏が一つの世界的文化圏をつくります。そしてキリスト教はみんなメシヤを願っているので、メシヤは自由に出入りできます。同様に七年以内に世界が完全に一つになります。 一九四五年に七年をプラスすると一九五二年、この時には完全に成されたのです。キリスト教文化圏が反対することによって、メシヤはほかの所に出ていったのです。そして再び堕落したと同じように反対の方向に行ったので、再び解いていくのです。 これがレバレンド・ムーンを中心として見ると、ここには個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の形として今まで基盤を築いてきました。今やユダヤ教やキリスト教と比較して統一教会は劣ることがありません。それで私たちはユダヤ教に勝つことができる人にならなければなりません。ユダヤ教を消化する群れです。次には、キリスト教の実を結ばせることができます。私たちはアメリカに勝つことかできます。サタンにも勝つことができます。このような基盤をつくりました。キリスト教がアメリカを中心として反対したので、キリスト教の代わりにこれを再び救ってあげようとするのが、この三年路程です。結局、キリスト教は反対したけれど、再び迎え入れる立場において、反対していたカインを愛でもって救ってあげるのです。 これが一つになる日には、モスクワです。それでアメリカや、アメリカの教会や、自由世界が、レバレンド・ムーンに反対しては神の前に立つことができないと言って、レバレンド・ムーンと一つになる日には、自由世界と共産世界を救うことができるということが言えます。すべての世界がレバレンド・ムーンを中心として、自分の国を救おうという運動を展開させていくでしょう。南米がそういう結果になっています。アジアも共産世界から生き残るためには、レバレンド・ムーンが必要です。アメリカがレバレンド・ムーンが必要だというときには、世界が生きるのです。 このようなすべての歴史の背後に隠され入り乱れたことを解くことのできる人は、いくら研究しても考えても、私しかいないと思うのです。いくら研究し調べてみてもいないのです。(拍手) レバレンド・ムーンが「そうだ」と言い、皆さんが「そうだ」と言い、神様が「そうだ」と言えば、それですべてが終わるのです。(笑い) すべての人に真の父母が必要です。(黒板で)これは全く逆に上がっていきます。一番最初には兄弟が上り、次には男性と女性を中心として、次は神が上っていきます。歴史時代において父母に出会うという事実は大変なことです。父母を失った孤児たちであるから、一つになることができないのです。どこに行っても一つになることができません。本然の父母の愛からすべてが始まって、父母と一つになって、神と一つになって、そこから生まれることによって子女となります。祝福を受けた皆さんと私は、このような立場に立っているのです。皆さんは父母と子女と万物世界の中心の位置にあります。男性と女性は各自が中心にならなければなりません。いくら父母があるとしても、父母と一つになるにおいては、皆さんが中心です。息子がいくら理想的な息子であるとしても、み旨と一つになる自分が問題です。自分自身が自分の怨讐なのです。心と体が一つになれなかったことが怨讐なのです。この心と体が一つになるにおいて、真なる夫の愛、真なる妻の愛、真なる神の愛があります。真なる神に侍ってから、真なる息子を愛する父母とならなければなりません。そうすることによって家庭が成されるのです。 心と体が一つになるところに真なる愛が臨み真なる愛がなされ、夫婦の中で一つになって行くところに神の真なる愛が臨んで一つになってから、子女を生まなければなりません。自分の夫よりも、神様を重要視し、自分の妻よりも神様を重要視する、そのような人にならなけばなりません。皆さんの子供の時代にはそれは必要ではありません。それは父母たちがそうするからです。真の父母を自分の夫よりも、妻よりも愛する立場をとってから、夫を愛し子供を愛するのが原理です。 それで、この三天使に当たる信仰の子女が、皆さんの子供を愛することができ、教育することのできる立場に立たなければなりません。この三子女は養子であって血統が異なるので、神の国に入ることができません。皆さんの子女を命懸けで絶対的に信任し、命までも捧げるほどに愛したという立場に立たなければなりません。そして皆さんの子女が、「あの三天使をして私と共に生きるようにしてください」と言うことによって、この三天使が神の国に入ることができます。このようにして、この信仰の三子女は神の国を相続する権限が与えられます。 私たち統一教会の家庭からいえば、この三家庭全体が先生の子女たちをあまりに愛したので、先生の子女たちが、「三家庭も祝福を受けるように、神の国に共に連れていって住みます」と言うようになって、神の国に入るのです。そのように先生の子女たちが愛して、祝福してあげてくださいと言うことによって、特権を与えられるのです。このような伝統が立つために、このような原則があるために、ここから、ここで始まる伝統的、歴史的なことは変えることができません。いかなる強者が現れたとしても、奪っていくことはできません。何の話か分かりますか。 これから皆さんの祝福家庭も同様です。皆さんの子女が信仰の子女に対してそのようにしなければならないし、信仰の子女と一つになった皆さんの家庭が先生の子女たちとそうしなければなりません。そうすれば、世界の人がいくら多くとも、全部がこの家庭の中心、血統についていこうとするようになります。だから統一教会の信者は家庭をもって、自分勝手にあちこちと行ったりすることはできません。ある一カ所についていきながら生きるのです。そのためにこれからの世界は、四十億、何千億の人類が生きるとしても、その中心圏において子女が一つとなっていこうとする世界、互いが「為に生きる」そのような世界になるでしょう。 皆さんは今は教会の祝福を受けましたが、国の祝福、世界の祝福をすべて終えてから、その次にはそうすることができる(完全に自由にすることができる)時代に入ります。しかし、中心においては、先生の家庭においては神に対する伝統を受け継ぐ後孫、中心家庭――直系を受け継ぐ一中心があると思います。その中心一人だけいれば、その一人を中心として一つになることによって、すべてが上へと上っていくことができます。そうして先生はすべてのことを成したことになります。その時は中心を中心として先生の後孫たちも一つになります。(荒野)時代に皆さんが一つになるのと同じように、三代祝福圏を越えてそれが可能であって、それ以前においては絶対的に先生一代を中心としてそのような運動をしなければなりません。 このような問題を見るときに、すべての世界において、私自身はいかに重要であるか、私が問題なのです。皆さんが問題なのです。皆さんがよくしなければ後孫がどうなりますか。サタン世界に生きて祝福を受けた人、その人は自分自身が問題になります。皆さんの後孫はそれほど問題になりません。信仰の子女が極めて精誠を尽くして侍って一つになって、その中で育てば(後孫には)信仰の子女が必要ありません。はっきり分かりましたか。だから皆さんは絶対的に信仰の子女が必要です。分かりましたか? (はい)。信仰の子女のない人が生きようとするそれ自体どうでしょうか? すべてが明確でなければなりません。このように見るときに、信仰の三子女、先生においては三十六家庭を代表した三家庭が、家庭の責任を成すことにかかっています。 アダムとエバを天使長が教育すると同じように、先生の子女はこの三家庭と三十六家庭が教育するのが原則です。結婚する時までに、いかに神に侍るべきかをアダムとエバに誰が教育するかといえば、天使長がするのです。(では)父母はどこから要るか、神の愛の因縁はどこから要るといえば、成熟期において要るのが原則です。先生の子女も祝福を受けるためには、父母様を絶対的に信奉し、神を絶対的に信奉しながら、天使長に当たるこの三家庭三十六家庭の行動をよく引き受けて、成熟して結婚するまでには脱線してはならないのが原則です。先生の子供たちを見ても、原理的基準があります。 今は自分自身が問題です。サタン世界にいるゆえに、自分の夫以外、自分の妻以外、子女以外には天使長しかいません。他の考えをもってはいけません。祝福を受けた子女たちは、祝福を受けていない人とは絶対に結婚できません。それは地獄の中の地獄に行きます。祝福を受けた人が外に出て結婚した、そのような人は再蕩減しなければなりません。あの世に行ってもそれが分別されます。祝福を受けて不正をすれば、サタンよりも悪いのです。サタンが讒訴します。これは直接主管圏に入って堕落したことになります。皆さんは知らないだけで、天理の法度は定立されています。だからよく知らなけばなりません。皆さんは、いかなる伝統を立てるかが重要です。このように(伝統を)立てておくことによって、そのまま父母の伝統を引き継ぐことができます。それで先生を中心とした三つの国家、三子女の代わりの三つの国を収拾していきます。アダム国家、エバ国家、カイン国家、アベル国家、先生を中心として三支派になります。そうすることによってすべて治められます。では信仰の子女が必要であることが分かりましたね? (はい)。 皆さんの受けた祝福は国の祝福ですか、統一教会の祝福ですか? (統一教会です)。これから国の祝福を受けるとき、皆さんが良心的に妻と夫と子供の報告を書いて、条件に合格して、再び(国家的)祝福を受けることができます。それに合格できなければ参加できません。それで特別な期間を設定してそれを許す期間があります。それは荒野時代を乗り越えるものです。分かりますか? 何も食べるものもなく、難しい立場に(立つけれど)、外勢の侵入を受ける原因が残っているので、そうしたのです。その次は世界時代において祝福を受けるとすれば、皆さんは身内(族属)となるでしょう。そこに合格して初めて、天国に入ることの入籍が始まります。何の話か分かりますか。その時までは、先生の家庭と完全に一つとならなければなりません。 その時が過ぎれば、先生の後継者が一人立ちます。世界が一つになり、先生の家族が一族になり、全部が一族圏にならなければなりません。そして先生の家庭においても、すべてを集めて会議をし、この原則に誰が一致したかを公的な会議によって決定します。より犠牲になり、より家族全体のためとなる人でなければなりません。それは、私たち統一教会の全体が知っており、統一教会の祝福を受けた全体が知っており、統一教会の先生の一族がみんな知っており、先生もお母様もみな知っているのです。その人が決定されたのちには世界は法的時代に入ります。天法、神の憲法時代に入っていくので、いくら神に近い人でも法にかかれば、法的処理として処罰を受けなければなりません。その法にかからない後継者を探して永遠に続くのです。分かりましたか? (はい)。 そのような歴史過程において、現在祝福を受けた家庭がどれほど恐ろしい立場にいるか、知らなければなりません。皆さんが問題です。皆さんは先生がいないとしたら、先生の子女を訪ねていくでしょう。間違いなくそうなります。多くの兄弟がいますがみんな知っているでしょう。皆さんは遠くに離れていても、先生の子女たちの性稟を研究して(みて)、一つになるようにしなければなりません。これで統一教会信者が、これからどうなるかということを大概話しました。祝福を受けた家庭の子女たちも父母と一つにならなければ、国の祝福と世界の祝福の場に出ることができません。滅びゆくアメリカにおいて、(この世の)動物のような者を訪ねていって(交ざろうとする傾向がありますが)、祝福の子女におけるこのような行動は許されません。分かりましたか? (はい)。大体これからどうなっていくか、分かりましたね? (はい)。 このような立場において、自分がいかに重要(な立場に立っている)でしょうか。自分を中心として、子女と万物と世界が私に祝福を(という立場ではありません)、祝福は皆さんが与えるようにしなければなりません。心と体が一つにならなければなりません。今日このような基準が立てられなかったならば、天国に入ることはできません。誰が命令したからではなく、志願して行くのです。機動隊生活は強制的にやるのではなく、志願してやらなければなりません。自分の妻や夫がいれば、「あなたはどうしてそのままいるのですか、早く出なさい」と言わなければなりません。イスラエル民族が四十年荒野時代において、子供たちはみな子供の責任をもつ部署に預けて、移動する際には、子供の責任をもつ部署が子供を連れて行くことになっているのであって、自分たちが抱いていたらみんな落伍してしまいます。皆さんも落伍者になり、子供も落伍者になります。夫を愛し、神を愛し、国を愛さなければなりません。私たちは統一教会よりも統一教国を愛さなければなりません。分かりましたか? (はい)。このような分かれ目を決定する自分にならなければなりませ。心と体が一つにならなければなりません。先生もお母様に対して考えるとき、心と体が一つになって愛するか、と常に反問するのです。他のことは考えません。お母様もそうであるはずです。 それでどこに行くべきでしょうか。カナンの地に行くのは難しいけれども、ついて行かなければなりません。離れたならば、いつ見失ってしまうか分かりません。方向も分からなくなります。方向は先生が知っているのであって、お母様は知りません。お母様も先生のあとにぴったりと、ついて歩かなければなりません。「きょうは子女たちを思って子供たちを市場に連れて行くので、先生一人で行ってください。(あるいは)どこに行くにも一人で行って来ます」と思ったら大変なことです。荒野時代にあるゆえに子供たちもみな、「父はどこに行ったのか」と他のことは思わないで、どこへ行くにもついて行くという考えをもっていかなければ大変です。 考えてみなさい。父母は皆さんの指図で行動するようになってはいません。むしろ、皆さんが父母を見失いはしないか、聞いたお話が実現できなかったらどうしようと、心配して夜を明かしながら待たなければなりません。もし、先生が船でハワイに行くときには、ついて行かなければなりません。国がない時には仕方がありません。寝ても覚めても、先生は神の国が指標です。そこにおいて民とならなければ、神の国に入ることができません。その国に倒れて死ねば、その国(霊界)に行って待たなければなりません。 どこの国が先に、国民全体が一つとなって「レバレンド・ムーン、私たちの国を救ってください。早く来てください」と言い、神の国を引き受ける段階に入るでしょうか。そのような国が、一つ、二つ、三つ、四つとなれば、世界は一つになるでしょう。そのような時が来るでしょうか? (はい)。朴普煕氏が南米の大統領に会うと、「レバレンド・ムーンに私たちの国に来ていただけますか」と聞かれます。皆さんに対して説教する時代は過ぎていきます。先生はいつかアメリカを離れなければなりません。アメリカが先生を迎え入れない限り、他の国に行ってやらなければなりません。アメリカのほかにも国は多いのです。カインは準備しています。 それで、先生は三年間でアメリカを祝福を受ける国にしようと動員しました。そこに後悔しないで、自由世界に被害を与えないように、どうせ始めたのだから、最後までやって決定しようとするのです。(先生がアメリカにいる間)他の国はどれほど悩み苦しんでいるか知ってください。それは私の便利な国を探して行くのではありません。世界万民にとって便利な国を探そうとするので、このようにしているのです。国の中心として、皆さんの家庭はこのように行かなければなりません。先生の家庭のように行かなければなりません。先生の家庭は子女たちも犠牲になっています。皆さんの家庭もそのように行かなければなりません。 祝福を受けた家庭は手を挙げてみてください。皆さんそのように行きますか? (はい)。 神様の祝福がありますように。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.09
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「本源の自己」1983年5月21日ベルベディアにて(英語訳) 先生の留守中、皆さんどうでしたか。先生がいない間、どのような気持ちでしたか。皆さんはアメリカにとって先生が必要であると思いましたか。(はい!) 先生がいなくて寂しい、と皆さんが感じたとすれば、この宇宙の中で人間にとってなくてはならないより大きな存在は何でしょうか。その存在がはっきりとはわからないとしても、その存在が無いとすれば、人間は何か寂しさを感じるものです。歴史は長く、永遠ぜあるのに対して、人生は短く限りがあるがゆえに、人間は何か「お父さん!」と呼ぶことのできる永遠なる存在にあこがれるという事実を否定することはできません。そのような意味で根源的な存在という問題が我々にとっての問題となるのです。 皆さんが「自分は誰々ば好きだ」という場合に、その人が好きになったのは、一番最初からですか、それとも何かの過程で好きになったのでしょうか。それはもちろん後者の場合が多いですね。統一教会やレバレンド・ムーンに関しても、いろいろなうわさがあります。そうした他人が言っていることだけを聞いなのでは、統一教会やレバレンド・ムーンに対して、良いイメージをもつのは難しいものです。したがって、人々が我々を好きになることを可能にするような何らかの媒介体がなければなりません。そのような媒介体となるのが原理です。統一原理の内容を学ぶことを通して、人々は我々統一教会を通して、皆さんの心が次第にレバレンド・ムーンを愛するように作り変えられていくのです。 では、そのように作り変えるのは原理でしょうか、教会でしょうか、それともレバレンド・ムーン自身でしょうか。もしレバレンド・ムーンがどこかへ行って、いなくなってしまったら、もうそれで終わりとなってしまうのでしょうか。(いいえ!)たとえレバレンド・ムーンが霊界へ行ってしまったとしても、愛の絆は消えることなく残るはずです。もし皆さんがレバレンド・ムーンを非常に愛しているとしたら、皆さんはその愛の気持ちを、皆さんの家族や兄弟や社会や国家や世界の人々にも持って欲しいと願うことでしょう。そのような気持ちにさせるのはレバレンド・ムーンでしょうか、統一教会でしょうか、それとも原理でしょうか。それはむしろ、宇宙の本来の流れとも言うべきものによって、そのようにさせられるのです。そのような宇宙の本流によって、すべての人々が時と場所を問わず、また霊界においてさえも、お互いに愛の気持ちで連結されるようになります。では、そのような流れの源泉はどこにあるのでしょうか。(神様です)。それを神様と呼ぼうが、幸福の源と呼ぼうが、名前は何でも構いません。では神様はどのような方でしょうか。神様は泉のような存在です。神様は恐ろしい方でしょうか、それともやさしい方でしょうか。ご自分の気持ちを表す時に発する最初の言葉はどんな言葉でしょうか。もし皆さんが神様の立場にいたとしたらどうですか。もちろん最初から目は二つあったことでしょう。その当時、鏡はなかったとしても、目が二つあり、鼻が一つ、口の上にのっていることはわかったはずです。なぜそのような構造になっているのかな、などと考えたかもしれませんね。 女性を例にとってみましょう。まず小さい頃から、男と女の身体の構造が違っていることに気付いたはずです。また、空腹を感じたり、のどの渇きを感じたことでしょうし、周囲を見渡して山川草木や動物などを見て、不思議に思ったことでしょう。しかし、もしそのような自然もなく、全く一人だったとしたらどんなにか寂しく感じたことでしょう。実際に動物を見てみると、みんながそれぞれ二匹ずつペアになって生きているのを見て、自分だけがたった一人でいるのを寂しく思ったに違いありません。また、他の動物たちには親がいて、親子で住んでいるのに、自分だけはお父さんもお母さんもなくたった一人なので、その意味でも寂しく感じたに違いありません。また寂しい気持ちだけでなく、自分にはどうして家族がいないのだろう、家族がいたらいいのに、と思ったことでしょう。だから人間は孤独から出発した、と結論することができますね。我々のような人間であれば、そのように感じたと言えるかもしれませんが、しかし根源的な存在である神様におかれては、結果的な存在である人間とは異なっていることを知らねばなりません。 神様は人間に似た存在でしょうか。それとも動物に似た怪物のような存在でしょうか。神様は全能なのだから、非常に力が強いに違いありませんね。(笑い) 皆さんは、神様は人間により似ておられる存在であると思いますか。(はい!) 人間といっても、男と女の二種類がありますよ。神様はそのどちらの方により似ておられると思いますか。(男です!) 女たちはそれに同意していませんよ。(笑い) 神様は男と女の両方を兼ねた存在です。だから、男であると同時に女である、とも言えるわけです。(拍手) 男と女はそれぞれ互いに反対の方向を指向する性質があります。だからこそお互いに相手を求め、一体となりたいと思うのです。男と女をそれぞれプラスとマイナスとすれば、神様と人間の関係もプラスとマイナスの相対関係にあります。神様は人間を必要とし、人間は神様を必要とします。男と女が完成して完全な一体化を成すならば、その姿は神に似て、神の完全な対象となることができます。もし神様には口があるのに、人間には口がないとしたら、その人間は神様に対して、口をくださいと願ったことでしょう。同じように、男は神様が女与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神様が宇宙万物のすべてのものを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多く持っているものがあれば、人間は多くを必要とするし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことはよくわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか、永遠的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格与えたものを、また女は神様が男に与えたものを、それぞれ自分にはないがゆえに、所有したいと願ったに違いありません。また神法が宇宙万物のすべてを所有しているのを見たら、それを少しでも自分にください、と願ったことでしょう。目に見えるものだけでなく、目に見えない愛や理想や真理なども、神様が人間に分け与えてくださるようにと願ったことでしょう。人間がそうしたものを必要としていることを、神様は知らなかったと思いますか。 人間は欲張りです。神様が多くもっているものがあれば、人間は多くを要求するし、神様が少ししか持っていない場合でも、人間は多くを要求します。(笑い) 神様は頭が悪くないから、そんなことは良くわかります。(笑い) いずれにしても、神様だけでは満足できないし、人間だけでも満足することはできません。それで神様は人間を創造し、男と女が愛を通して一体になることによって神様と似るものとなるようにされたのです。この世の人々においても、男と女が愛し合うのは、部分的には原理に適っているわけです。神様には男性性相と女性性相の両方がありますが、それは一時的なものですか。(永遠です)。統一原理によれば「神は二性性相の主体格としておれらる」と言いますが、どうして神様は主体の立場におられるのでしょうか。なぜ、対象格位にはおられないのでしょうか。それは、神様が自らを主体格位においたのではなく、人間の方で、自らを神様の対象の位置にあるとし、神様を主体の位置において仰ぎ見るようになったからです。 ところで、男と女とがそれぞれプラスとマイナスの立場から、お互いに近づいて接触するとどうなりますか。愛の火花が出ますね。(笑い) その火花はとても明るいので、回りにい者もみんな引き寄せられて、そこに加わりたいと思うようになります。人間だけでなく、万物も集まってきます。このように愛によって一体化すれば、すべてを自分のものとすることができるがゆえに、男は女と、女は男と完全に一体化したいと願うのです。このような真理を知れば、誰も自分の配偶者別れようなどとは考えなくなりまることでしょう。 夫婦の絆を強めるものは、お金ですか、それとも社会的地位ですか。(愛です!) そうです。夫婦間には『愛のホック(留めかぎ)』があるからです。それを見つめる神様は寂しいですか、それとも幸せですか。(幸せです)。『愛のホック』で堅く結ばれた夫婦を自分の対象としてもつときに、神様は幸福感に浸ることができます。男と女が完全に一体化し、絶対者たる神様の絶対的な対象となるとき、人間も神様もともに幸福になります。これまでの人間は、すでにそのような立場を確立したと言えますか。(いいえ)。皆さんはどうですか。(いいえ)。だから、これまで神様は寂しい思いをしてこられたということを、はっきりと知らなければなりません。誰のためにか? 一人の男と一人の女のために神様は寂しい思いをしてこられたのです。祝福家庭はこのことを知らねばなりません。祝福の目的は何ですか。祝福を受けることによって、何を達成することが要求されているのですか。寂しい神様の心情を解放することです。それがなされる日には、宇宙のすべての問題が問題ではなくなります。 きょう、最初に先生は皆さんに、先生の留守中に寂しいかどうかと尋ねましたが、本当に寂しいと感じた人は手を挙げなさい。なぜそのように感じたのでしょうか。それは皆さんが人間として本来願うような状態ではない状態に置かれていたからです。男と女が完成して一つとなるときに、父母と連結することのできる特定の位置にありたいと願う心情をもつのが、人間本来の姿です。それが先に述べた『本流』というものです。だからそれに至る時までは、人間は原理でいう間接主管圏を各自が通過しなければなりません。その期間においては、男も女もその心を自己の完成の方向に向けて歩まなければなりません。目も鼻も口も腕も身体全体がその心に一至するように一体とならねばなりません。 愛はすべてを一つとする力を持っています。真の愛のあるところへは、いかなる犠牲を払ってもついて行こうとするが、人間の本性です。ひとたび真の愛と連結されるならば、人間はもはや再びそこから離れたいとは思わなくなります。その状態においては、恥ずかしいとか、体裁が悪いなどという思いはありません。一二〇修練生の中に、二人の韓国人のメンバーがいます。彼らは年もとっており、この世での社会的地位も高い立場にありながら、修練のプログラムの中で、若いメンバーと全く同じ活動を激しくしても不思議なことに恥ずかしいという気持ちにはならなかった、と言っていました。そのような状態こそ、真の愛の中にある幸福の状態だと我々は呼ぶのです。夫婦が永遠の真の愛で結ばれているならば、一方が死んだとしても悲しむことはありません。真の愛はすべてを主管し、超越することができます。なぜか? それは人間を永遠なる神様と共にある状態にしてくれるからです。 このような原理を知らないから、皆さんの中には、自分はこんなに美人であるのに、なぜこんなにみにくい人と祝福されたのだろう、と思って悩んだり、不満をもったりする人が出てくるのです。(笑い) そのような人は、祝福の価値の全体を理解せずに、ほんの一部だけを見て不平を言っている人です。祝福を受けたことを新たな出発点として、自己の完成に向かって生きるのが、その人の務めです。不平を言うならば、神様の対象たるマイナスではなくなってしまいます。不平を言わずに、自己の最善を尽くして努力する時に、神様が真の愛の状態へと導いてくださるのです。神様はすべてをご存じです。だから皆さんは知らなくても、神様は皆さんの足りないところを知って補ってくださろうとするのです。わかりますか。(はい!) 不平を言う者はすべて、統一教会から追い出さなければなりません。(笑い) それに同意する人は手を挙げなさい。どうもありがとう。(笑い) この宇宙において、人間は真の愛を中心として他人のために生きるのが、人間としての道です。夫婦においても、この原則に従って生きるならば、どこへ行こうともスムーズにやっていくことができます。真の愛を中心として奉仕生活をするならば、神様に出会うようになりますが、自己の欲望のために自己中心の生き方をするならば、サタンが挨拶に来ることになります。天国と地獄の違いはそこにあるのです。わかりますか。(はい)。だから統一教会においては、各自が真の愛を中心として生きるマラソン・レースをしているようなものです。これが蕩減復帰の路程であると同時に、天国への道なのです。それは単純ですが重要なことです。皆さんは毎日の生活において、自分が正しい道を歩んでいるかを常に反省しなければなりません。エデンの園においてアダムとエバは、神様を父母として愛し、侍る生活をして、それが永遠の習慣となるように確立しなければならなかったはずです。そのような習慣ができできてしまえば、今度はそのような習慣を守らなくては生きられないようになります。皆さんはチーズやバターが好きでしょう。チーズは変なにおいがしますね。(笑い) しかし皆さんの口は、そのようなチーズを好むように習慣づけられているので、チーズがないと寂しい思いがするのです。同じように、目も何か特定のものを見ることが習慣化し、耳も何か特定のものを聞くことに慣れるようになると、それらがない場合に何となく不足を感じるようになるのです。ある意味で人間はそのような習慣のとりことなってしまうわけです。そうすると、そのような習慣をなくすことは、非常に困難になります。しかし、自己中心的な習慣はなんとしてでも変えなければ、天国へ行くことはできません。 皆さんの中で、天国へ行きたい人は手を挙げなさい。先生が行くな、と言っても行きたいと思うでしょう。(はい)。どんなに困難であっても、本当に天国へ行きたいと思いますか。(はい!) 自己中心的な習慣をなくす最善の方法は、利他主義に徹した最も困難な道を歩むことです。困難な道であるほど、効果があります。だから、統一教会の信仰生活において強調することは、自己中心的なことをすべて否定して、本然の真の愛を中心としてために生きるということなのです。それが天国へ行くための唯一の方法です。アダム・エバが堕落せずに本然の位置を確立したならば、神様を中心として真の愛に満たされた家庭を完成し、それが拡大して、地上天国をつくり、更に霊界においても永遠の天国を実現することになったはずです。しかし現実には、堕落によってそれが実現せず、現在のような堕落世界をつくってしまったのですから、これを変えるためには、我々はこの世の習慣を否定して、蕩減復帰の道を歩まなければなりません。 最近、皆さんもようやく、先生の話す言語である韓国語を学ぶようになり、聖歌なども韓国語で歌うことも多くなっているようですが、何のためにそうしているのですか。神様がアダム・エバに対して話しかけた時は、何語で話したと思いますか。それが何であれが愛を中心とした言語であったことは間違いありません。そしてその言語に基づいた愛の伝統が、家庭から全世界へと拡大していったことでしょう。堕落世界を復帰する路程においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、真の父母が話す言葉が本然の言語として、真の愛と伝統を伝えることになります。霊界においては、人間が思うことがそのまま相手に伝わるという意味では、言語はあまり必要ではありませんが、しかしそれでも、天国の公用語としては、真の父母の話す言語が用いられるでしょう。もし、皆さんが先生の話す言葉を通訳をつけずに理解することができたら、その意味を明確に理解することができ、心情的にもより近く感ずることができるでしょう。将来、皆さんが先生の言葉を勉強するのに、英語のテキストを研究するつもりですか、それとも韓国語のテキストを研究するつもりですか。すべては本然の愛の言葉から出発します。 皆さんの多くは、アメリカ式のやり方が最善だと思っているかもしれません。ではレバレンド・ムーンのやり方は韓国式なのですか、もしそうなら、韓国人はもっと早くレバレンド・ムーンのやり方を受け入れたはずですが、今なお反対している人がいるのをみれば、先生のやり方は韓国式であるとは言えません。合同結婚式は韓国式のやり方ですか。(いいえ)。かつては敵国であった国のメンバーや、白人と黒人、日本人とアフリカ人などが互いに結婚するのは韓国式ですか。(いいえ)。これは天国式のやり方以外の何ものでもありません。先生はアメリカ式のやり方を知らないのではありません。その長所も欠点もよく知っています。アメリカ式とは一言で言えば、個人主義に基づいたやり方であると言えます。笑い方を例にとってみても、自己を主張することが中心となっています。このやり方は人間にとっては良いかもしれませんが、堕落人間を復帰して一つにしていくためには、最適とはいえません。 この目的を達成するために他によい方法があれば、先生はその道を採択せざるを得ません。先生は皆さんよりも頭は悪くありません。(笑い) その頭でいろいろと考え、いろいろな方様を研究した上でやっているのですから、皆さんも先生のやり方に従わざるを得ません。神様においても、人願を幸福にし、自分も幸せになるために、持てる最善のものを人間に与えようとされるはずです。同じように先生も皆さんにとって最も良い方向に事が運ぶように、指導してきたつもりです。皆さんも先生に従うことによって、本然の愛と生命につながると信じるからこそ、先生の教えを学ぼうとしているはずです。しかし勉強するだけでは十分ではありません。試験を受けてそれに合格しなければなりません。合格すれば自信をもって歩むことができます。だから先生は皆さんに、いろいろな試練を与えるのです。 我々は奇蹟によって目的を達成するのではありません。一歩一歩と努力しながら発展していくのです。なぜ我々はこのようなことをするのでしょうか。それは我々が根源なる神様と一つになるためです。もしこの地上で成功しなければ、霊界へ行ってからも継続しなければなりません。だから皆さんは、先生が近くにいようといまいと、この道を歩むことを決意しなければなりません。先生が皆さんに対していろいろと指示したり、励ましたり、あるいは叱ったりすることのできる時に生きている皆さんは、ありがたいと思わなければなりません。先生はいつまでも永遠にこの地上に生きているわけではありません。先生と同じ時と場所にいて、直接指示の受けることのできる皆さんは幸運です。先生が霊界へ行ってしまった後で、もし皆さんがなすべきことをしないで霊界に行ったならば、霊界の中のどこへ行くことになると思いますか。地上においては肉体をもっているおかげで、比較的容易に先生に相対することができますが、霊界ちおいては、先生からはるかにかけ離れたところに位置している場合には、それが極めて難しくなってしまいます。だから皆さんはこの地上にいる間に、試験に合格しなければなりません。さもないとまた、再び初めから試験を受け直さなければならなくなります。 きょう皆さんは久し振りに先生の言葉を聞きましたが、今一度、本然の人間として生きるために、過去のこの世的な習慣を断ち切って、先生から与えられる困難な任務をも果たしていくことを、決意しなければなりません。今ちょうど午前八時です。八数は再出発数です。この時に、今一度新たな決意をもって再出発をすることを誓う人は、手を挙げなさい。どうもありがとう。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.11.08
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