全591件 (591件中 101-150件目)
真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放宣布式一九九九年一月八日、ウルグアイ、プンタ・デル・エステ 復帰路程では蕩減的な道を必ず経なければなりません。蕩減というのは、竹のように節目をつくって上がっていくのと同じです。 ですから七年路程を終えた後に、八年目に「神の日」を迎えるのです。一九六八年の一月一日を経た後に、「神の日」を迎えるのです。こうして七年の過程を経て「神の日」を迎えたがゆえに、我々摂理のみ旨は、家庭的なことを中心として、民族的なことを中心として、神様を中心として動いていきますから、サタンと闘争しうる道が分岐するのです。 神様を愛して誇りなさい ですから、七十年代に入ってからは世界的です。先生はそれゆえに全祝福家庭を大動員したのです。三千万民族の全家庭に方向を定めてあげるのです。その基盤の上に韓民族は、み旨の道において立つことができたのです。ですから、その時に先生は世界舞台において、イエス様が祝福を受けられなかった家庭的、国家的基準を超えた立場でアメリカへ行く準備をするのです。 一九七〇年度から三年準備して、一九七二年にアメリカに行って本格的な国家基準を越えていくのです。第一イスラエルの旧約時代と、第二イスラエルの新約時代が失敗したことを、韓国で収拾しなければなりません。そのため国家を中心として全体の基盤の上に立って、世界に行ける基盤を築いたのです。 今まで既成キリスト教会が韓国で反対してきたこと…、国家的反対の基準を蕩減しなければならないのです。それはアメリカを中心として蕩減復帰するのです。そういう復帰路程を歩んできたのです。 今年の標語は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。それはどういう意味かというと、サタン世界と関係がないということです。「真」ということを中心としては、偽りは相対の立場に立てません。去年は「真」という言葉…、「真」の神様を愛して自慢することは…。神様が「真」の立場に立つのです。 今までは神様が救いの摂理をしてこられたがゆえに、サタンが前にずらりと並んでいました。これに対して、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏できる環境を整えるために、「真」という言葉が出てきたのです。「真の神様を愛し誇ることは三億六千万組祝福とサタン世界血統断絶」なのです。 これは既に、去年の九月三十日を中心として乗り越える時代に入りましたから、今や天と地において、相対的関係で闘争するという時代が過ぎ去るのです。峠を越えたというのです。本然のアダムの立場において、この世界人類を大祝福して乗り越えたために、多くの本然のアダム家庭が祝福を受けた立場に立ちましたから、天と地の塀はふさがってはいけないのです。今年は「サタン血統根絶」です。根を取ってしまわなければなりません。そのためには、祝福の恩恵圏をこの天宙、つまり霊界と肉界に築き上げなければなりません。 復帰路程において歴史とは、再創造の歴史です。神様は創造するとき、天使世界をつくってアダムとエバをつくったのです。ではそのアダムとエバの目的は何かと言えば、理想的家庭です。それで神様を中心として理想的家庭の実践を、世界と宇宙において乗り越えることができ、根を引き抜いて乗り越えることのできる、そのような時が訪れたゆえに、今日このような日をここで宣布するのです。 今回の巡回講演は五月二七日まででしたね? 私がこの地を離れたら大転換期です。こうして先生と一緒に祝福家庭は、みんな会って新しい教育をするのです。教育の内容は何かというと、霊界と肉界があって、その関係がどうなっているかということです。それを知らなければなりません。生死の塀が残っています。死の塀を壊さなければならないのです。 人は死んでも死なないというのです。新しい天国を連結させるのです。今までサタンによって堕落したことによって、死の峠は永遠なる死の峠として塀で張り巡らされていましたが、その塀を崩して死の恐怖を歓喜の出発基地へと転換させてこそ、地上と天上世界の塀がすべてなくなるのです。死から解放されるのです。腹中教も同じでした。死から解放されて感謝するという教団でしたが、今や彼らの歌を歌う時代なのです。そのような時代に入ったのです。 ですから、そんな日をただじっとしたままで越えていけないというのです。それゆえ真の父母はここで決着をつけなければなりません。境界線を作って石垣を積み、個人的な境界線を作っておいてから、所有権決定のごとく境界線を越えていかなければならないのです。そうしてサタン世界はこの地上から消えていくのです。 現在、清平に行って見てみると、すべての人々に霊がたくさん入っていると言っています。本来、これは清平でするのではなくて、真の御父母様が全部みな引っぱり出して連結してしまわなければならないのです。ここから連結できる道が開けるのです。サーチライトの光のように発するのです。誰でもその光について行くことができますが、ついて行くには自分たちのいる基準から出発するのです。 霊界に戻って地獄のどん底から探しますが、基準を証すことによって善なる霊は善なる基準を通じて上がっていける道を開いてあげなければならないのです。それで塀を…塀がみな条件というのです。…完全になくしてあげるのです。それで解放の塀を壊してあげなければならないのです。それでこれを開いてあげることによって、自分の上がっていく道が分かって上がっていけるのです。 霊界の解放祝福時代 このように、近いうちに自分たちが天国に行ける道が分かるゆえに、今現在、定着している人が、この地の悪霊によって被害を受けて、絞り上げられて生きているのを断ち切ってあげなければなりません。そういう祈祷をしてあげて出発しようというのが、今日この集会を持たせて式を行おうとする意義です。 アダム家庭を中心として見るときに、天使世界を中心にアダム家庭を完成しなければなりませんでした。ところが堕落したゆえに、アダム家庭に対してこれを清算しておいて、アダム家庭の再創造の歴史をしなければならないのです。 そのため先祖を再創造して、天使長の位置の家庭につくっておかなければならないのです。それゆえ大量祝福、霊界の解放祝福時代に入ってきたのです。解放祝福時代です。それによって霊界にいるすべての霊人たちを、家庭を中心とした天使長自由環境圏に押し入れるのです。家庭を中心とした解放圏では、サタンの役事というのはないのです。 ではそのサタンはどのようになるのでしょうか? 自分がこれから永遠に底無し地獄に落ちてしまうわけですから、人間の一番後にくっついて協助してあげることによって、エデンでアダムが家庭完成できなかったことを条件的な基準で救ったという条件を立て…そんな蕩減をすることによって解放されるというのです。 それゆえ、今や霊界の人々にも祝福をすれば、自分たちが降りてきて自らの子孫の先祖の立場に立って、自分の子孫たちの行く道を祝福の道へと駆り立てるようになるのです。本来人間は、真の父母を中心としてこの地で生きてこそ天国に入っていけるようになってます。ですからこれは、霊たちがこの地上に来ることのできる道を切り開いてあげる式にもなるのです。 自分が愛する人を連れてエデンで夫婦になれなかったわけですが、今では祝福を受けることができるのです…。 そして地上で子孫たちの背後で、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」するように後援することによって、地上において真の父母とともに生き、天国に入れるという大道の道にすべて参加できるようになるのです…。こうして、全体の根本を根絶するみ業を先生が打ち立てておかなければならないのです。どういう話か分かりましたか? これで原理的にすべてが整理されるのです。こういうことは、何もせずに成されるのではありません。このような原理原則に基づいて、この天地の前に、万宇宙の前に、真の父母が完成理想の地上における全権的な「愛の主権的中心者」、「愛の王子」、「中心者」の立場で宣布することによって、神様と先生を中心として、本格的な横的拡大…、中央を中心として国境を越えてでも行くことのできる時代になるのです…。 祝福によって、今後、王という王が、大統領たちが相次いで百二十人まで降りてきて、それを追い出すことができるために、地上では自動的に主権者が日が沈んで暗闇に入っていき、私たちは朝日を浴ぴていきます。光明なる天地が交代する時となったのです。今は最後の時となったということを知らなければなりません。 このような宣布式をするにあたって皆さんが参加できるというのは、真に栄光の時間であるということを知って、先生と同じ思いを抱いて、皆さんは誰もがみな正しく立たなければなりません。東西南北が相対基準に立って祝福をしなければなりません。 一九九九年は、数字をみな足せば二十八数です。ところで八数を足せば三十六数です。三十六数ですが、ここに式の時間である八を足すと、四十三数を越えて四十四数が埋まるのです。七時半さえ越えれば四十三数を過ぎて、四十四数にすべてを整理するのです。だから四十四数なのです。 全体解放、サタン追放、サタン根絶とともに、人間の罪の根が反対に進んでいたのを正して、すべてがまっすぐに進んでいくことができるのです。地獄には悪魔たちと罪人たちが行けるため、完成できずに全部みな逆さまに立っていたのが、善良になってまっすぐ立って、自分の階層から天上世界へと入っていくことのできる…、そんな地上・天上の、まさに祝福化、「天宙祝福化」へと越えていくのです。 ご父母様にこのようにしてくださいと言ってから、「私」が祝福をしてあげなければならないのです。地上世界と天上世界が一体となり、先生と一つになったことを中心として、それを成してほしいと、祝福してくださいとお願いするのです。このことを考えておかなければなりません。 〈祈祷〉 愛するお父様…、歴史路程は東から西を中心として巡り巡って、身心の一体をもって家庭と、家庭を中心としては宗族と、宗族を中心としては民族と、民族を中心としては国家と、国家を中心としては世界と、世界を中心としては天宙と、天宙を中心としては神様と一体理想を成さなければならないというみ旨を、私たちは知っております。 このように復帰時代におきまして、蕩減路程をたどってきた全統一教会の過去の歴史と、現在と、未来の歴史は連結しております。過去に生まれきては去ったすべての先祖たちも…、今現在この地上に生きている人類も…、今後、生まれくる子孫も…、一つの家庭と一つの連結した血筋が、神様の愛を中心として連なっているということを私たちはよく知っております。 今まで創造理想の愛の主権を立てることができず、歴史的な恨の道を歩んでこられたお父様を私たちがお迎えするようになるとき…、先祖たちの誤ったすべてを、人間が蕩減して回復されうる宿命の道を行かなければ、天は関わることができません…。このことをご存じの神様は、宗族を立ててこの蕩減の歴史を高めながら、積み重ねて上がってきたということをよく知っております。 アダム家庭が堕落の根本から家庭をたどって、宗族・民族・国家・世界、天宙を収拾し…、全人類とともに、過去のすべての先祖とともに、子孫とともに、神様の愛を中心として、定着とともに、世界のこの頂上まで解放できる家庭圏…、全体世界…、天上世界を迎えるためのこの道は…、この地上に「真の父母」のみ名を持ったこの子女が現れ、ご父母様を中心として祝福の愛の基盤を広めて個人時代を過ぎ…、家庭・宗族・民族・国家・世界の天地まで乗り越えることのできる、そんな峠の頂上まで参りました。 お父様…、思えば恨めしく、歴史を振り返れば、神様に恨をもって侍ってはならないと知っておりますから…、悔しく恨めしい心を抑えてあなたの前に立て、解放の勝利の神様を誇れる心…、全天宙、天上天下に「愛の主人」であり「王」として誇れる心を持たなければなりません。 今や順調に大道をゆく天の王子と王女の心を持って、この世界を私たちの家庭と同時に、私たちの国、私たちの天宙として立てて、神様を家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙全体の愛の父母として侍れる勝利の版図を、私たちの心の基盤である個人から家庭、宗族圏において、備えなければならないということを絶対的にご存じであるがゆえに、神様は今まで耐えに耐えながら歩んでこられたということを知っております。天が責任を果たそうと努めるその過程で、悲しかった事情とあなたの心に連結した恨をたくさん残しました。 そのすべてをあなたが開放することによって、これを成し遂げられんことを切にお願い申し上げます。ご父母様自身も、本来出発したすべてを蕩減しなければならない道を知ったがゆえに…、韓民族がこのように塗炭の中にあり、韓民族がみ旨に従えないことによって、韓民族のアベル的な統一教会を中心としながら、この苦難の道を歩んで参りましたし、またご父母様の子女までも責任を果たせなかったこの道を、解放しないことには忘れられないことを知っております。今日この式をもちまして、ご父母様の心の谷間にある恨をすべて解いてくださらんこと切にお願い申し上げます。 お父様…、真の神様を「真の父」として仕え、「真の主人」として仕え、「真の師」として仕えて万世に自慢することのできる、天の王子王女のように解放された人格をもって神様に侍ってお仕えできる…、このような息子と娘になることを、どれほどまでにお父様は待ちこがれてこられたことでしょうか…。 この道を、この「真の父母」たる天の夫婦が、十字架の道を代わりに担って走って参りましたところ、この世界の頂上に立って今日を迎えるようになりました。真の祝福天宙化とともに、サタン世界血統根絶を根本的にできる宣言の時間を持たせてくださいましたことを、お父様…、切に感謝申し上げざるを得ません。 今日、この一九九九年一月八日朝七時半を越え、八時に向かう四十四数を迎えまして、四・四節とともに、家庭が主流でなく、国が、全天宙が天国に入れる解放的起源を迎えるこの時間を宣布して全天宙が安息し…、その道に沿って、地獄や、あの善なる霊たちがサタンに引っぱられていったのを、完全に方向を合わせて光明の天国を望みながら、自分たちの蕩減路程を早く解消して本然の基準に立ち…、真の父母がこの地上にいる間に地上に来て、侍って生きたという条件を立てることによって完全解放圏を備え、天国行の祝福を受ける家庭の群れとならしめてくださらんことを、切にお願い申し上げます。 このひととき、この式典を快くお納めくださいますよう切に請い願いながら、共に同行し成し遂げて宣布してくださらんことをお願い申し上げます…。アーメン! アーメン! アーメン! 〈祝祷〉 流れゆく歴史時代に我々人類歴史と宗教圏をたどりながら、過ぎし日の天の心の中に…、喜びの日々を望みつつ万物とともに苦労してこられた歴史を知っております。 この地上に「真の父母」という名前を中心として、第三次アダム完成理想、メシア思想をもって、カトリック、プロテスタント、旧約時代、新約時代、成約時代を越え…、解放の統一時代を念願できるこの時を迎えうるべく、内外に縦横に苦労されるお父様を、私たちは愛しております。 そのみ旨を私たちは相続いたしました。その実体である理想的家庭を築くために、あらゆる最善を尽くして参りました。足りないながらも、今や天上世界と地上世界が一つとなって、悪人と聖人が同じ場で、祝福の解放圏を持てるようになりました。塀という塀で分断されていた、我々人類始祖の血統的分別をもたらしたそのすべてが、真の父母の勝利圏をもって、「真の愛」と「真の生命」と「真の血統」の因縁を中心とし…、本然的父母の良心基準の相対的理想を中心とし…、個人から家庭から宗族、民族、国家全体の権限を、お父様の願いのままに成就なさいまして…、万国を代表した愛の王権が築けなかったことを築きうる深刻な時間ということを知る、この時間となりました。 お父様…、それによって堕落の痕跡をあなたの心の中から消し去り、真の父母の心の中から消し去り、怨讐としてきたサタンまでも最後まで解放させました。 このことによって、怨讐の子息を同じ祝福圏内に入れ、天上世界の怨讐の家庭の姿をこの地上に展開したすべてを、祝福で連結させて御父母様の血族に引き上げ、霊界に行ったすべての先祖たちにも引き続けて祝福の恵みを下賜いたしました。 それによって個人的立場でアダムが完成し、天の家庭になって神様に侍り、神様の息子・娘がみな神様に侍ることのできる…、そんな宗族基盤が持てなかったことを総蕩減、解怨成就できるこの時代を迎えましたから、サタンの根であるすべては既に根絶したものと認定してください。 この地上の人間も方向をサタンの側に向けておりますが、これを百八十度解放する立場に至って、サタン世界とともに同じ天上に向かうことのできる高速道路の行路を経て、段階的な発展基準を先祖から、あるいはこの地上で責任をすべて果たすことによって、天国に直行することのできる、同一の道を既に予備いたしました。 お父様…、この道を切り開きながら、サタン世界の地上に固着した歴史的な恨を解くために、定着する基盤も取り消しにし、人間個体個体の霊人を複数蕩減させるため、共に一体となって苦労してきたすべての根を抜き取って、この地上の悪なるすべての痕跡を取り消しにできるそのひとときを、どれほど待ち焦がれてこられたことか知っております。 今年の標語の「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という標語とともに、三億六千万双の祝福完成の日も、残すところ今や一か月となっております。この儀式を前にして、この地上の霊人たちとすべての地上人が、この祝福の日を希望の最高峰として迎え、天と天の父母と全人類の解放を宣布できる…、こういう基準を成し遂げると同時に、悪世界とサタンまでも解放しうる天国直行の道を開くことが、あなたの最後の目的であり、願いであることを知っております。 真の御父母様は自らの気にかかるすべての四方を整備するために、地上世界の悪霊と悪人が基盤を固めていたその根を抜き取り、反対の立場から一八○度転換して、天の父母を中心として、地上の真の父母の後に追従することによって、あなたの一族として抱いてくださらんことを知って、このひととき、とりすがりました。 今や、あなたの本然の愛の理想を完成した天国の大道を打ち立てましたから、お父様…、地上における家庭はあなたの家庭であり、血族はあなたの血族であり、これから復帰されるすべての国と世界、すべての地上・天上天国は、あなたの国でございます。 全体・全般・全権の能力を中心として、東西南北はもちろん縦横を中心として、自由に活動し愛の種を中心にまいてきたことを収穫し、あなたの懐に愛で抱いてくださることによりまして、天の一族としての民族、地上天国解放圏の民族としてくださいませ…。 霊界の霊人たちは、個人としてアダム家庭の完成をさせることができませんでしたが…、この天宙的な家庭復帰の理想圏内において霊界の代身である我々の先祖と天使長たちが協助し、地上に訪れて共に参加し、真の御父母様に仕えることによりまして、そのアダム家庭の完成を成就し、一方通行で天に直行しうる道を確定してくださらんことを、お父様…、お願い申し上げます。 それによって、サタンの悲しき対象であることを忘れ去り、喜びの対象として祝福を受けた群れに、あなたが対することのできる愛の和合の世界、統一の世界、平和の世界、地上・天上天国へと進行することを…、真の御父母様と神様と共に、すべての天上世界と地上世界の先祖たちを代表して、地上の解放また解放、統一また統一、平和また平和の世界へと移転しますことを、真の御父母様のみ名を通して宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 〈み言〉 きょう行ったのが何であるかというと「真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成」を宣布したのです。これから祝福を受けた一族が、先生の誕生日の二月二十日を中心に、献納と祭物をすることによって、地上における直系十二名でなく、七十二代から百二十代までイエス様が祝福したかったすべてを乗り越えることができるのです。そうすれば、自動的に真の父母の直接主管圏内に入っていって、サタンと関係のない時代へ移行していくというのです。 百二十代の先祖まで恩恵 そのような意味で、今日した宣布式が何かというと、真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成宣布です。 霊界にいるすべての先祖たちも解放です。サタンも解放してやらなければなりません。それゆえ、今後、氏族的メシアとして百六十家庭を祝福してあげた人々は、一つの一族を中心として今後他の人がいれば、それがカイン圏の一族であるためにそれを自分の一族と連結させて総蕩減献納式をし、その基盤の上で百二十代の先祖を祝福してあげることができるのです。 百二十代の先祖とともに百二十代の王、その国の大統領や王を祝福することによって、その国の民と主流の系列を祝福することによって、横的に…傍系が皇族圏です。…全体祝福することのできる解放圏をつくってあげなければなりません。イエス様のイスラエル圏の国を中心として、霊界まですべてみな解放しなければならないのです。キリスト教圏をすべて解放してあげなければなりません。 こうすることによって、百六十家庭は、これは先生の時代であるために百二十家庭さえすれば、自動的に統一天下圏になっていきます。分かりましたか。公文を出しなさい。すべてみな伝達してやりなさい。 十二代、七十二代、そして百二十代、このようになります。それゆえ、百二十代するようになれば、すべて入っていくのです。百二十代の王たちとその長孫、その王圏を祝福すると同時に、その王圏にいたすべての国民を解放させるのです。真の父母と神様が許すということです。 これからこのような体制の下で、国家、民族的なグループがすべて連合することのできる時代になります。そうして地上の国と氏族、家庭が連合して統一圏へ入っていきます。 このように越えていくことによって世界は急速に変わります。これと反対の、ここと反対になる人々は、サタンがきて放ってはおかないのです。今まではサタンが地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れていき、彼らのために協助して先祖までをも天国に連れていこうとするため、天国へ行く方向が完全にここで解放されることによって、急速に世界化時代へと入っていくのです。 これからデモを行わなければなりません。デモは何をするかといえば、「真の父母を誇り、その次には真の家庭を誇り、真の血統、真の純潔を誇る」。それが父母様がこの地上に来て目的を世界化させるように、個人でも家庭、氏族、民族、国家はすべてみな真の父母を中心としなければならないのです。個人で家庭的な真の父母、家庭的な基準で真の家庭、家庭基準で純潔、民族基準でもそれと同じく、国家基準で真の父母、真の家庭、真の純潔、このように世界化されます。 国家基準さえあれば、世界化することができるため、真の父母の基準が私たち個人から国家、世界、天宙まで連結し、真の家庭の基準が連結し、真の純潔の血統が連結されることによって、堕落がなかった解放の時代に入っていきます。それでこれを全体清算するためのデモをしなければならないのです。伝道よりもこれをしなければなりません。祝福することよりも、祝福を受けさせることよりも、これをしなければなりません。 今まで、私たちが既成家庭を祝福を受けられるようにしたのですが、その中には既成家庭があり、自分たちの間で結婚生活をせず法的な結婚、あるいは約束結婚することがあり、最後に娘と青年が残っているのです。 今や完全に旧約時代と新約時代が合わさって、成約時代の若者たちを生む運動をしなければなりません。それゆえ、自分の子女たちは父母が強制的にするなり、そのおじいさんたちが自分の孫を強制的にするなりして、自分の七代の孫を中心として強制的にでも原理のみ言を聞くようにして、一つの方向に大転換することのできる時代となるのです。 第四次アダム権解放祝福時代の到来 それゆえ、皆さんは家庭から十二人を動員しなければならず、氏族から七十二人を動員しなければならず、国から百二十人を連結させて解放させることができなければなりません。このようなことを郭錠煥会長を中心として公文を下すことができるようにしなさい。 それならば、前日のこのような式を行えばいいのに、なぜみな出発した後にするのかというのです。氏族圏で完成を宣布することによって、それに従って行けば、世界化されるので、世界の代表をみな送ってから…。これが家庭なのです…。先生のこの別荘の家庭にいる人々を中心として出発するという事実を知らなければなりません。それが基盤です。国と世界で統一圏ができるのではありません。宣布も家庭と氏族を中心として行われます。 ところが、劉会長が全体を代表して頼んだのです。地の人々が「切にお願い申し上げます。御父母様、お願いします。神様、お願いします」。このように祈祷したのを中間にいる真の御父母様が天に報告し平準化し、その志を果たすために宣布したのが今日の式です。分かりますか。(はい)。 今は皆さんの家庭が理想的家庭になれば、父母様と神様に直接侍り、父母様に代わる者とならなければなりません。皆さんが旧約時代、新約時代に来たメシア、新約時代を越えて成約時代に来たメシア、一次アダム、二次アダム、三次アダムに代わる家庭になることによって神様に侍るようになり、万民が天国へ直行できるようになるのです。そうなることにより、第四次アダム圏解放祝福時代に入るのです。 第四次アダム圏という話は聞いたでしょう? 今まで一次、二次、三次のアダムは蕩減が必要でした。サタンがついてまわりながら妨害の歴史をしてきたので、解放によって第四次アダム圏が――個人アダム圏、家庭アダム圏、氏族アダム圏、民族アダム圏、国家アダム圏、世界、天宙アダム圏――これが平面的になっているので皆さんの努力により、個人アダムになってアダム圏を勝利し、家庭アダム圏を越えて氏族アダム圏、世界まで越えることのできる自由解放圏ができるため、この地からあの天城まで行ってきて、帰ってきて天国へ入らなければならないのです。 蒔いたものを結実として取り入れて、新しい愛の種となり、天国の倉庫まで入るのが私たちの本郷の地である天国入籍でありました! アーメン。すべて終わりました。今後復帰完了時代がきます。 そうしてこそすべて理論的に摂理の思想が定立するのです。このように膨大でとてつもない歴史を、父母様を中心として管理してくることによって、神様がこれに参同したのです。これは神様の命令によってするのではありません。アダムが堕落するとき、知らずに堕落したために、神様が教えてくださる前に知って解放させてこそ、神様も解放され、サタンも解放されるのです。 そうすれば、真の父母に対して讒訴する者はないのです。サタンも讒訴できず、神様も讒訴できません。これから完全に解怨成就、所願成就したというこのような立場で、地上天上天国が着地するのです。 今後、教会がなくならなければなりません。しかし、家庭連合時代は去りません。終わりまで残ります。分かりましたか? そのようにみな整備してきましたね。(はい)。 そのようなすべてを今後千里遠征の蕩減路程を経て、先生の一代に八十歳まで、六十年代から父母様が四十年を歩んできたのです。韓国の年齢だと、私は今八十歳です。誕生日の前にこれをすべて宣布してしまいます。 このような宣布の記念の日は、神様も記憶しなければならず、サタンも記憶します。分かりますか? 背後の歴史がそうなのでそれを無視することはできないのです。それが重要なのです。 これからはイエス様の十二弟子を含めて百二十弟子、各宗派、教団、宗教界にも解放的な祝福をしてあげることができるのです。それゆえ、この聖人たちに祝福してあげたことを喜んで迎える人々を先にするので、宗派の順序が変わるのです。 サタン世界につくっておいた霊的な基盤が宗教ではありませんか? 宗教を信じた人々が祝福を受けて地上にきて真の父母に侍るということが起こるのです。元来は祝福を受ける前にすべきことです。それゆえに、祝福を受けて地上で父母様のために働いたという条件を立てながら、霊界が地上に総動員されます。サタンが今まで列をなしていたものを、すべて追い払うのです。今はもう強制的にすることもできるのです。 自分のお兄さんが復帰されたならば、弟を殴ってでも救わなければなりません。カインが、兄が弟を殴って地獄に連れていきましたね。祝福することによって、善主権をもってお兄さんの立場に立つことによって、地上にあるサタン世界、地上に隠れているサタンまでも祝福を受けさせ、その後、本来人間と因縁を持っていたすべてが仇をうつところを、怨讐を愛したという立場に立ち、サタンが捕まえていたその人も救うことができるので、サタンも解放されるようになるので、このような門を開けてあげなければならないのです。分かりましたか?(はい)。 このようにすれば清平で苦労する道がだいぶ短縮されます。霊を引き抜こうとせずに、命令し、天使を遣わして、一つの霊を中心として霊界全体が総攻撃することができます。 いかにして縦的基準を立てるか それと同様に、天の祝福を受けた家庭が地上に一つの家庭も残さずに、総攻撃、撃破していくのです。そうなれば、世の中がどれほど早く転換されることか考えてみてください。そして反対する者たちは霊界に連れて行くのです。そうすれば突然死ぬ人も出てくるでしょうし、あらゆる形態が現れます。そう考えて、そのような企図が先生の話したとおりになされるようになると祈祷しなさい。 世界で先生が問題であり、天国でも先生が問題であり、地上のすべての人、個人にとっても先生が問題です。先生にどのように侍るかということです。昨日も話したように、均衡を保つには、必ず会って主体と対象が水平にならなければなりません。水平になれば必ず運動を、回らなければなりません。中央で神様に侍らなければなりません。神様に侍って定着する家庭的に侍る場が愛です。愛を中心として大きくなっていくのです。 それゆえ、再臨時代に神様の復帰摂理で、メシア的基盤が国家的基準を上回ることができなければ、この幹が上がっても国家的基盤は崩れるのです。イスラエルがすべて滅びませんでしたか? そのために何千回、何万回も回ったのです。上がったり下がったり、上がったり下がったり。 それで家庭完成することのできる環境が今まで氏族圏、第二イスラエル圏を作り、中心家庭の個人代表、家庭代表、氏族代表、国家代表、世界代表として民族編成国家基準さえ越えたならば、世界は自動的に越えていきます。これが万一倒れるような日には、すべてが崩れます。 先生がもしみ旨を果たせずして行けばどうなるかというのです。もし地球にいる人類を完全に放棄して、神様が新たに再創造し、世界を造ったとしても、その造った世界とこの地上世界の間に必ず闘争が起こるのです。その救世主というのは、神様が進み出なければならないのですが、神様が前に立つことはできません。別動部隊でもって処理できるか知りませんが、サタン世界である地球星を消化する道がありません。 神様が本郷の世界で体をつけて万王の王の中心存在として立つことができなかった恨みがどれほど大きいかわかりません。神様の創造理想にこぶができたのです。それが何かといえば、がんのようなこぶです。とてつもない問題が生じたのです。先生と共に生きているからといって解放されるのではありません。いかに縦的な基準を立てていくかということです。歳月の流れとともにますますその思いは深まり、子どもだの、国だの考える暇がありません。どうやってこれを解決するかというのです。 今解放時代を迎えたということを考えるとき、この地球を中心とした宇宙がどれほど称賛しているか知りません。どれほど今日を喜んでいることでしょうか。それで今年に入って雨も降らず、今日まで祝いの雰囲気一色になっているのだと思います。 今後私たちが行おうとするすべては、天運がついてまわりながら支援するのです。分かりますか? 天運を捕らえようと苦労しますが、天運が私たちの後をついてまわっては手伝うのです。分かりますか? これが何を意味するかといえば、神様と霊界が数多くの先祖と数多くの善なる人々が氏族圏で動員されて、この地を支援することのできる時が来たということです。解放圏をつくることができ、変わることのできる時代が来たということです。 霊界を無視してはなりません。それが鉄則です。霊界が一生懸命に地上の基準においてアダムを完成させ、地上天上完成することにおいて先頭に立ち、アダムが天使世界と先祖たちを利用しなければなりません。アダム家庭の完成時代において、家庭的天使圏、天使長圏が生じたというのです。ですからこことは兄と弟なのです。 それゆえ、十二人を選んで七十二人をどこへ行っても祈祷し、すべて祝福できなければなりません。その上に百二十家庭が立つのです。 横的に十二家庭、七十二家庭をしてから、その上に百二十家庭をしなければなりません。百二十代の基準をイエス様時代に果たせなかったために、横的な百二十の国家に百二十人が世界宣教に行くのです。その百二十の国家が国連に加入したそのとき、百二十四双を祝福しました。 今後、個人の祝福時代は過ぎ去るのです。分かりましたか?(はい)。今は近所に集まって、むりやりおじいさんの還暦の日とか、お父さんの還暦の日とか、自分で祝宴を催す日、祝いの日に集まって「先祖解怨、宗氏解怨、子孫たちが天国へいくための先祖の責任を果たそう」というとき、反対する者がどこにいるでしょうか。 真の父母になりたくない人、手を挙げなさい。真の家庭を持ちたくない人、手をあげてみなさい。手をあげる家庭は一つもありません。また、真の純潔なる血統を持つのがいやな人は手をあげなさいといったとき、一人もいません。一人もいないので、むりやりにでも祝福してあげなければならないのです。分かりましたか? 今後はデモさえすればすべて終わります。 村に家が三つしかない所まで行ってデモをしなさい。そして先生の写真を分けてあげて、次は何ですか?(旗)。 その次は何ですか?(入会願書を書きます)。 入会願書を書いて祝福を受けたその時から、その家は天国の眷属になります。 それゆえ、していない家があるならば、行ってむりやりにでももらって、そうして旗を分けてあげ、父母様のお写真を分けてあげなければなりません。それは世の中で一番貴いものであるので、自分の家のすべてに代わるものなのです。 真の御父母様に従って それで所有権転換がなされるのです。その次は何ですか? 所有権転換。その次は心情圏転換、その次は実体圏転換です。実体圏というのは祝福家庭のことを意味します。実体圏というのは、個人的家庭、氏族的家庭、民族的家庭、国家的家庭、世界的家庭が実体圏、解放圏をつくるのです。したがって、実体圏の所有権が神様に戻らなければならないのです。 最後まで精誠を尽くす民族は、今後、世界を支配するのです。キリスト教がそうです。私たち統一教会員は最後まで蟻以上にしなければならないのではないでしょうか。 これから一つ一つ家庭を引き抜きます。そうすれば国がなくなるのです。私が始めたこれは千年万年続くので、その国がなくなることになるのです。それゆえ、先生の行く道にはサタン世界がなくなるしかないのです。このような鉄則をもってきたのです。昼も夜も。わかりますか、どういうことか。(はい)。自分の一族を消化できなければなりません。 先生がすべて教えてあげたので、できなかったとしても私は責任を負いません。自分たちが責任を負わなければなりません。私は私の行くべき道を行くのです。人がそこに責任を持ったならば、来て接ぎ木しなければなりません。先生の行く道に氏族復帰、民族復帰、国家復帰の輪を残していくのです。引っかかれば、越えるときにそれがぱっと引っかかるのです。 そうなればそこから先生に従って行けばよいのです。引っかけることのできるものがなければ、その民族は原野で生きてはいても死んだのと同様になります。天国に入ることができません。先生が再びこれをすべて収拾してやらなければならないのです。法で収拾するのです。 今日のこのような日を立て、私もここでするとき、すべて今後願うことを中心として「父母様、神様の祝福を請い願います」。そうしなければならないのです。「福を祈って下さい」。このようにしなければならないのですが、そのようには言いませんでした。その福を祈ってあげる祈祷は簡単にしなければなりませんでした。地上と霊界の家庭が地上に来て、真の父母の功労の立場に立って解放的な条件に引っかからないように、皆すべて努力するよう願います。 そうです、要求するままにすべてしてあげたのです。サタンやアダムが要求することは何でしょうか? 復帰時代においては、サタンも願うのがアダムの後に従っていくことではないでしょうか? ですから宇宙を代表した焦点でするのですから、切に切に何千年間苦労したその場を乗り越えていかなければなりません。 皆さんが頼んで、私がすべてあげたのですから、これから皆さんは税金を納めなければなりません。与えたのです。与えるのに、百パーセント与えました。分かりますか? 父母様の家庭がすべて分けてあげたのですから、皆さんは子女であるので七十パーセント、蘇生、長成圏にあり、父母様は完成圏にいるので、皆さんは三十パーセントを献納しなければならないということです。三十パーセントさえ出せば、税金はありません。ですから、どれほどの解放でしょうか。 すべての家庭がそのような鉄則さえ守れば、蘇生、長成、解放完成圏がここからできるのです。そのようにすれば、七十パーセントは走って越えていきます。そうではありませんか? 完成するのに蘇生、長成なしに完成はありえません。そうはいきません。ですから、祝福は七十パーセントです。七数はサタン側であり、三数は天の数ですね。このようにして三数は、縦的な面が連結すれば横的の面は自動的に連結するのです。 今後税金を納めなければなりません。その税金を略奪すれば大変なことになります。今日、サタンはそれを知りませんでした。天上世界の人と公金を悪用する人は大変なことになります。霊界にも家庭的地獄があります。本物の天国に行く家庭、楽園に行く家庭、中間霊界にいる家庭、地獄にいる家庭があるのです。 今現在の霊界はすべてなくなり、そのようになるのです。そうなれば、今後早く解消されます。楽園がなくなり、楽園がずんずん小さくなるのです。中間霊界もずんずん小さくなります。ですから宣伝教育をします。放送するのです。今までは放送できませんでした。放送時代になってどんな教育をするのかというと、原理教育をするのです。分かりましたか? 蕩減復帰をしてきたということを詳しく知っているがゆえ、過去を回想して悔い改め、許しを受けて、現在真の御父母様に侍ることができなかったので、今後地上で真の御父母様の息子と娘に侍り、その家庭の国にも侍ろうといってこなければなりません。来て均衡を保ち、水平となって天国に行くのです。 明確に知らなければならない霊界 それで、先生のすべきこととして何が残っていますか? 税金をもらって国の教育機関を作らなければなりません。そして国の官公署を新しく編成しなければならないのです。サタン世界の時代のことは見るのも嫌です。万国の国に聖酒をまかなければなりません。聖酒を飲んで生き返るのでしょう?(はい)。 堕落圏解放が加重されます。万物まで食べてあげなければなりません。そうするには、すべて神側に戻らなければならないのです。 それで、これから全世界の地球星に聖酒を飛行機でもってずーっとまいてあげながら、全部はしなくても主要都市だけでもまきながら祈祷します。父母様が祈祷するのがどれほど恐ろしいかということを知らなければなりません。あの国滅びなさいといえば滅びます。抜け出すことができません。 そのようなことを、解放をみな宣布したのです。だめになるときは「このやろう」といって制裁を加えるようになるのです。分かりましたか? 天国に入っていくようになるときに、この地上で合格者に入らなければなりません。今まで合格した者だけを送ったのではなく、ただ入ったがゆえにあの国の監獄や中間霊界に行っているのです。地上の中間霊界とか楽園家庭とか、あるいは地獄の家庭がなくなるほど、きれいに整備して天国へ直行することのできるこのような基盤を築かなければなりません。 それゆえに、霊界を明確に知らなければならないというのです。だらだらと生きることができません。分かりましたか、何の話か?(はい)。地で完全に合格した家庭として天国に直行でき、条件に引っかからないで解放、直行できるような家庭を皆さんが築かなければなりません。それは先生の責任ではありません。すべて行くことができるように祝福しました。ハイウェイを作っておいたでしょう? 自動車ができていて油さえやれば、どこにでも行くことができるのです。 地上でできない家庭を復帰しなければならないのです。お母さん、お父さんと息子と娘が自分勝手に生きてきたのです。制裁を受けてみなそのようになります。そうして地上において許されたとしても、今後はそうです。 罪を犯せば死刑宣告がありますか、ありませんか?(あります)。もし、その刑を中心として死刑を受けるようになれば、それを中心として死ぬようなところに、国境地帯、北極、南極に捨てて置きます。それで一年、二年、三年して五年ぐらいが過ぎ、飛行機で見て回って、生きていればその人を使います。死ぬものを、死んで当たり前の奴を、熊の餌食となって土に帰って当たり前のところを、それでも精誠を尽くして天が助けるならば生きるのです。 そうなれば、あの人間の世界を、世界を回りながらその人をいくらでもただで呼んで使うことができます。ある労働の場、国の公的な建設があるときはどこの誰でも呼んで使うことができるのです。 ある所、どこの何、ウルグアイに何人が入ってきたというようになれば、その人々を公共団体で、模範的な団体で使わなければなりません。その人々に対する工賃は、七十パーセント、三十パーセントの割合でもって、三十パーセントは国に捧げます。そうして「囚人」という服を着て何級、何級、このように書き、そのような事をするために、家ごとに近所に入っていくようになれば、自分が入っていく家を訪ねて「私がすることはないですか」といって尋ねます。絶対従順、絶対愛、服従することを自分の体に投入します。 その時になれば、監獄とか刑務所がなくなるのです。警察署もなくなるのです。自分の心が知っています。霊界の先祖が管理して天と通じ、良心的にその心を欺けません。解放することのできる自らの心がとてもとてもうれしくなるというのです。 そうして、帰ってきて間違ったことを清算してあの国に行かなければなりません。あの国に行っても犯罪者たちはただそのままでは入っていくことができません。霊界の蘇生圏、楽園、霊界の監獄を経て、そこから修練し再び呼んで体と心を検証し、水晶体のように透かして見ることができてきれいになったか、ならなかったか、鑑定しその程度の基準に持って行きます。 これから復帰路程において霊的な統一を成した後に、地上統一は協助をしてはいけないのです。神様は助けることができません。完成したアダムは助けることができないのです。これが人間の責任分担でしょう? 神様は助けることができません。 助けることができるならば、アダムとエバが堕落した直後にも干渉できる条件が成立しなければならないのです。七千年ならば七千年を越えては、神様が干渉することのできるこのような限界の基準を立てて介在することのできる摂理のみ旨が延びますが、愛を中心としてはこのようになりません。 それゆえに先生が直接神様の教示を受けて地上を処理し、愛の体をもって地上世界、サタンまで、すべての世界を収拾しているのです。そのように先生は偉大なのです。 お母様もお父様とまず霊的に一つにならなければなりませんか、体で一つにならなければなりませんか?(霊肉で一つにならなければなりません)。 造るときに何をまず造りましたか?(肉身を)。肉身をまず造りました。肉身で一つにならなければなりません。絶対に一つにならなければならないのです。 そうすれば、自動的に先生と一つとなって霊的に連結します。お母様だからといって特別に祈祷して解決するのではありません。話をせずに私がそのままにしておくのです。 さて、今はご飯を食べるの、行くの?(本当は召し上がらなければならないでしょう)。心配せずに激しく押し出せ!(はい)。真の家庭、真の父母、真の夫婦、真の息子と娘にならなければなりません。純潔を守って伝統的血筋を受け継いだ王子、王女にはサタンが相対する世界はないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.20
コメント(0)
訓読会以後に下さったみ言一九九九年一月五日、ウルグアイ・プンタデルエステ 皆さんが霊界の事実を知らないがために、精誠を込めていっても疲れ果て…そういうことを先生はよく知っています。ですが、皆さんはこのことを知らなければなりません。霊界の中心は神様です。その神様は私たちの父です。世の中の誰よりもいちばん身近で、切ることのできない宿命的な絆を持った方が、私たちの父なのです。 父の願い その父の願いは何でしょうか? 皆さんの家庭解放です。皆さん一家庭だけではありません。全世界人類の家庭をいかに解放するかということが、父の心の中において、ふさがれた壁だとすると壁、苦痛の傷だとすると傷となっているのです。 先生が皆さんに精誠を込めなさい、精誠を込めなさいというのは、どうしてでしょうか? 精誠を込めるときは、自分の事で精誠を込めてはいけないのです。自分の事で精誠を込めるようになれば、神様が世界の陽射しをすべて水平に照らそうとするところを、それを水平に照らさないで私だけを照らしてくれと言っているのと同じです。それではいけません。 ですから人類を代表し、神様の代わりとなって祈祷するという心を、いつも持たなければなりません。また、神様御自身が歴史を通してどれほど精誠をたくさん込めてきたことでしょうか…、このことを考えなければなりません。今日もそうであり、明日もそうです。私がこの地で生きてあの世に行って、神様が私をご覧になるとき、地で世界のために精誠を込めた神様が分からず、少しも同調できないという立場に立てば、息子の道理、あるいは祝福家庭の道理を果たしたということができません。あの世に行って苦痛が残るのです。 ですから、神様の心の中に堕落によって因縁づけられたすべての根本の根を引き抜くため…、そのために祈祷するという、神の役事を担う者、神を慰労する者とならなければなりません。皆さんがそのような難しい立場に立つようになれば、信仰の相対となってくれる者がどれほど貴く思えるか分かるでしょう。神様の愛の心情が反映されるために、人恋しく、我が町が恋しく、国が恋しいのです。 それゆえ、国を越えて最後の目的である地上と天上の解放の天国を望む思いが叶うまでは、神様の憂い、神様の苦痛の心情は解消されないということを、いつも記憶しなければなりません。そこに私が役事を担う者となるなら、それはどうなるか考えなければなりません。 神様が寝ることも休むこともせず、果てしない循環の道を解放するためにずっと精魂を込めておられるように、私たちも精魂を込めなければなりません。小さな韓国の一人として、天地を代身をしたそのお父様の胸中に入っていこうと精誠を込める、限りなく限りない精誠を込めても何千万分の一にしかならないということを考えれば、精誠をもっと込めて恩恵が来れば来るほど後退するのでなく、もっともっと精誠を込めたい心、その心が貴いのです。 それは何かというと、永遠なる世界を解放するための準備だというのです。準備できない人はできない基準に留まります。そこに行ってから、誰が嘆いても、誰がどのように苦痛にあっても解放の道がありません。自分が地上で準備できなかったことを蕩減するには、地上で準備した以上に霊界で準備しなければ解放されないのです。その解放圏を準備するには、地上が何千万倍も速いということを知らなければなりません。 それゆえ、自分の生命が尽きる前に、地上における神様の心情的願いの最高の標準の前に、私が小さき役事を担う者として精誠を込めて愛の因縁を結んだという事実は偉大なことなのです。 ですから、自分だけの一生ではありません。私が死んでも、永遠なる人類を解放するまで、神様の精誠の度合いは残るということを考えなければならないのです。そのことを心配して祈祷して、精誠を尽くして愛することによって、皆さんが霊界に行くようになれば、神様と因縁づけられたその世界において、昔愛して精誠を尽くしたがゆえに解放圏が広がるというのです。そのような事実を考えるとき、み旨を知った以後の道というものは楽な道ではありません。 ですから個人のために精誠を尽くし、家庭のために精誠を尽くすのです。それはすべての世界を代表して精誠を尽くす一つの祭物のようなものです。 祈祷と精誠と愛 生きた供え物のごとき家庭として、このような立場で進まなければならないのが、祝福を受けた人々が解放的完成圏に到達する道だということを、いつも考えなければなりません。ですから疲れ果てることのできない道です。 だんだん心が豊かになり、涙なしには行けない復帰の道に入ったのです。何か良いものがあれば、私がまず食べようと思うことができないのです。孝子の道であり、忠臣の道がそうなのです。天を考え、世界人類をまず考えるのです。私の食べるこのおいしいものは、私だけが食べずに神様を通して食べるがゆえに、その世界を心配して…。雨が降って、あの山の谷間に流れる水が一滴二滴ぐらいでは大したことはありませんが、流れ流れて水流となって大洋まで連結されるときには、山から流れてきたその水は海まで流れていき、水蒸気になって山に帰っていくことができる…、このようなことが展開されるのです。ここで解放圏が展開されるということを知らなければなりません。なんと簡単なことでしょうか。 たゆまない祈祷と限りない精誠を中心として、愛の線が引くのが、私がこの地で堕落した子孫として行くべき生涯路程であると、このように考えなさい。分かりましたか? 準備できなかった人は流れていくのです。準備できなかった人は相続者になれません。重要な話です。分かりましたか? 何においても天とともになし、天を同情して、神様の心に感動を与えることのできる、そんな小さな瞬間が、どのような立場であるかと考えると、精誠を尽くしてもまた尽くそうという、為に生きてもまた為に生きようという、愛してもまた愛そうという、父母の心のような立場です。 これが天国のお父様の心であることを知り、そのお父様の前に相対的な基準を立てなければなりません。相対基準を造成しなければ、授受作用が起こりません。運動が起こりません。運動が起こらなければ永生の路程が止まるのです。そのようなことを好むようであれば、それは永遠に神様とは関係のない脱落者になってしまいます。ですから、いつも準備しなければならないのです。分かりましたか? ここに来た皆さんも「ああ、そんなに遠い道のりをどうやって行けるだろうか?」 お金がなくて涙を流して「結婚したいのに…、結婚すべき時間は決めたのに…、お金は一銭もない…」それ、どうするつもりですか? このような所に来るのに、結婚が問題ではありません。歴史的大転換時代なのです。端から端へと転換しなければならない転換時代だというのです。転換しなければなりません。こちら側を経てきたならば、あちら側を経て転換しなければなりません。あちら側に転換できる最後の道がこの道です。この端を通じてのみ転換できるのです。 今まで暗い世界に生きていた人々や家庭が、先生を中心として明るい側について来る時がきたのです。暗い側というのは、先生の命令を中心として解放圏となっているために自動的に転換されるのです。 皆さんが転換するようになれば、それに連なってすべてよくなるのです。夜道を太陽のように転換できるのです。それゆえに天のために因縁の輪を広げ、自分の一族のために因縁を結んであげれば、その準備した因縁の天の基準を相続するために、知らず知らずその一族はすべてがうまくいくようになります。これはみな理論的です。これは妄想ではありません。それゆえに、精誠を尽くして祈祷して愛さなければなりません。祈祷と精誠と愛。分かりましたか? 神様がどれほど精誠を尽くして、神様がどれほど愛したのか…、それを知らなければなりません。顔を洗って鏡を見るとき、女性たちは自分の顔がきれいだとか何とか言うのではなく、この顔で精誠をどれほど慕い求めるかが問題です。この顔で自分が喜べることを中心として笑い、化粧をしながら笑うのでしょう? どれだけ神様を愛したのか考えてみなさい。それが皆さんの永遠の恵みであり、恵みの中の恵みとなる基礎だということを忘れずに、恨んではいけません。 「ああ、これは疲れる」、「先生が認めてくれる」、「認めてくれない」とか言っていますが、精誠を込めることを認めてあげればどのようになりますか? 愛してくることにおいて認めてあげればどのようになるのかというのです。認めてあげれば愛がつまってしまいます。認めてあげないということが、精誠が流れるように、愛が流れるようにしてあげるということなのです。流れなければなりません。水も流れ、空気も流れ、愛も隙間さえあれば埋めてあげなければならないのです。 神様の心の中のくぽみがどれほど深く、どれほど低気圧になっており、隙間があるとすれば、どれほどの隙間があるかというのです。その隙間すべてを埋めうる愛の心をもって、神様の心の世界を初めて埋められるその道こそ、子としてこの地に人生の命を担う生涯ではないかというのです。これ以上恵まれた道はありません。これ以上の幸福はありません。幸福だというのです。そうなれば、天がその価値を認めてくれます。その時、その時、その時…。 さらには転換期には十年の精誠を共に尽くしてから、私が頂上に行くようになれば、数多くの人々の十年の功がすべて飛ぶように私に移転されます。 それゆえに「孝子」よりも「忠臣」にならなければなりません。「忠臣」は全体のために生きて、大きく「国」を愛して精誠を込めるのです。「聖人」は世界を中心として精誠を込めて、「世界」の人を愛そうとします。「聖子」の道理は天地を中心として精誠を込めて、「天地」を愛そうとするのです。このように段階と差が生じるのです。 これを精誠と愛の道によって受け継いでいくということを知って、皆さんが貴いものがあるならば、世界のために整理しろという神様の命令があるとするならば、どれほどいいでしょうか? そのように考えてみましたか? そうすれば神様が恵みを与えてくださるのです。その時が訪れる前に天の恵みを受けて「ああ、恵みを受けたからには私の物だ」といえば泥棒野郎というのです。恵みを受けたけれども、それが災いとなるのです。地獄のどん底に落ちるのです。 時が訪れるように待っていたのに訪れないなら、橋を架けて道を切り開き、その時が訪れるようにと、自らの財産をすべて流して送ることのできるみ業、そんなみ業をする人々が、国家的運勢に沿って世界の恵みを蓄えておくことのできる基盤になるということを知らなければなりません。 先生はこのように考えるのです。悲惨で難しくても神様がついて来ることのできる道、分かりましたか? あんなにも受難の道で苦痛を受けてこられた神様、天のお父様が、私の後について来て慰めを受けるということは、これは驚くべきことです。神様の恵みをすべて抱えて歩むのです。それに対し感謝して、もっと大きなことを望み、神様の恵みをみな分けてあげるのです。 親心もそうではないでしょうか? 我が子が苦労しているならば、自分の財布の中にあるお金をみなはたいてでも、我が家の財産を売ってでも助けてあげたいのが親心です。分かりましたか? 疲れたと言えますか? 疲れ果てるわけにはいかないのです。 人類がこのようになっているのに、どうして疲れ果てたと言えるでしょうか? ですから、み旨を知るようになれば、一生を楽に生きられないと考えるのはどうしてでしょうか? これが神様を解放する道だからです。 永遠なる世界、億千万代の神様の解放圏に向かってそれを埋めるためには、投入して、投入して、忘れて、忘れて、忘れて、忘れて…、このようにして歩むことによって無限なる解放…、天の皇族圏の外に逃げていっても神様が見つけ出して立てるようになるのです。分かりましたか? それが何ですか。精誠と愛…。精誠というのは祈祷しなければなりません。何もせず、ただ流してしまってはいけません。祈祷は何かというと宣言なのです。「私はこのようにします。こうこうこうです」という報告と宣布です。神様に報告して宣布したことは、サタンが奪っていくことができません。先生が今まで多くの宣布をしましたね? 峠を越えて宣布するのです。 精誠と愛の心…。南米に来て「ああ、故郷が恋しい。お母さん、お父さんが恋しい。帰りたい」となってはいけません。ここを通して天が与えたい心があるのです。ウルグアイは小さな国ではありません。四か国を越え、三十三か国を越え、南米・北米を越え…、そういった解放圏を願う天に侍って歩むべき道が、精誠の道なのです。そのためには精誠は当然であり、自分を犠牲にすることは当然だというのです。 親の前にたくさんの子がいるとき、親は子に対しては、自分を愛する以上に兄弟をより愛することを願います。道端を歩いていて、かわいそうな人がいれば、その人の母親、父親以上の思いをもって愛そうというところには、神様が同調するというのです。その場は天国と関係する場になるということを知って、精誠と何ですか。(愛)。愛さなければならないのです。 神様に近い道 今年が最高の年です。真の祝福天宙化とサタン血統根絶。精誠が必要です。分かりましたか。精誠の心。愛の心。それでなくては絶対に根絶できません。 アダムとエバが堕落したときの、神様の悲痛なる歴史の苦痛を感じうる根を、私がどうすれば抜いてさしあげることができるでしょうか? 神様はおやすみになりますが、私は再び起きなければなりません。一番難しい事をする、そのような立場に立たなくては、神様の心情よりも何百倍も難しい立場に立つ、そのような立場に立たなくては、恵みが受けられないという考えを持たなければなりません。分かりましたか? ですからパンタナールだとか…。そのようなときには孤独な道を行くのです。孤独な道を。独りで、独りです。私の前には誰もいません。あるのは自然だけです。自然を見つめ、動物を見つめ…それらを本然の神様が見つめるとき、人間のためにつくりましたが…、人間のためにつくりませんでしたか? 人間のために精誠を尽くし、愛のために統一をしました。本然の愛によって、常に小さなものから大きなものまで、因縁的心情でつながっていますが…、 その心情の畑を啓発しなければなりません。その訓練です。そのために、その中でお父様に侍って、私はそのお父様の前に愛される、かわいがられる子となって、神様の心の友、心の世界の解放の友となる…、このような考えを持つのです。そのように考えると、時が深まれば深まるほどに上がっていきますから、自分が標準とした以上に越えるときには、ほとんど想像もつかないことで自動的に解放されていきます。 億千万世にわたる今までの創世以降の堕落世界が、どれほど大きいことでしょうか? これをすべて包容しなければなりません。何で包容しなければならないのですか? 力をもってしてはできないのです。知識をもってしてもできません。唯一、愛の心だけができます。涙を流すには何をもって…、精誠を込めるには何をもって精誠を込めるのか? これが絶対的に必要です。そのような心をもって「できる? できない?」を心配する必要はありません。「そのようにしたのか? しなかったのか?」が問題です。欲ばった思いだけではできないのです。 先生が自分のことを考えていたならば、今日もこのような場に出てこられなかったでしょう。人をどれほど恋い慕ったのかというのです。涙とともに愛する…、言葉ははっきりしていなくても涙を流しながら、愛の言葉…、唇を動かす表示をして愛しているという言葉を伝えたならば、それははっきりした言葉よりもっと貴いのです。分かりましたか? 懐かしい人に会ったときにうれしくて涙が先に出ますね? 涙なくして天国に行くことはできません。 ですから、その道は豊かに食べて豊かに暮らす道ではありません。食べ物に困り、暮らしに窮し、人から指さされ批判される道が、神様と一番近い道です。それゆえ、そこにそのような事情を持っている人がいたとすれば、神様は御自分の秘密とすべての内容を話してくださろうとするのです。そうかと言って、神様お一人では人間を解放することはできません。人間を通して解放しなければならないのですが、その代表者が真の父母です。メシアだというのです。 皆さんがメシアの子女となったならば、そのような心…、父母様の解放を思えば、神様の解放を思えば、そのような尊いみ旨、大きな愛の圏に入っていくことができなければなりません。ただ何もせずに入っていくことはできません。水平的にジャンプしなければなりません。 そのようになれば、霊界に愛の低気圧が生じるため、愛を求めるためにその切実さが生じます。高気圧があれば低気圧を埋めてくれますね? 来るなといっても後ろから押してくれます。押してくれるのです。そのような契機をつくるためには「精誠と愛」、分かりましたか? 精誠の途絶えることを望む個人もないし、家庭もないし、氏族・民族・国家・世界、宇宙もないのです。精誠を込める道について行きます。愛というものは誰でもその道について行きます。これが伝道です。 それゆえ皆さんは、自分のする事を報告して宣言をしなければなりません。「お父様、今日はこのようにいたします」といえば、「今日、成し遂げました」と報告しなければなりません。報告をしなければ水平になりません。水平になって縦的な関係を築くのが報告です。そうすればそれが残るのです。 以前にも話しましたが、バランスを通じて水平になれば、当然中心が必要なのです。天に報告するがゆえに、愛によってその縦的基準が永遠に変わらないのです。そのような生涯路程を持った人は、永遠の世界において、自分の立てた中心基準に相当する水平が定まるのです。そこでは自分が関係を築いたぶんだけの所有権が生じるようになるのです。そこに該当したぶんだけ、霊界で自由に活動するのです。解放が行われるというのです。これは重要な話です。分かりましたか? 先生がそのように生きてきました。それゆえに、先生は怨讐扱いすることができません。憎んではいけないというのです。「この野郎…」というのはやめようというのです。どうなって怨讐となりうるのでしょうか? 自らそのような欲を抱くようになった動機は何でしょうか? 母や父や息子や娘を食べさせて、まかなっていかなければ、という新たな欲望の出発から欲も出てくるのです。 悪人も、強盗もいっぺんには現れません。仕方のない困難な立場に立たされて、自分がそうせざるを得なくなり、過激に環境を踏み外して行動するようになるとき、犯罪を行うのです。動機は自分が愛する妻、愛する息子と娘、愛する父、母を中心とした動機だったのです。思い通りに仕事がうまくいかずに、環境的与件を破壊して犯罪が起こったとき、それは悪くない動機で出発したと考えることができます。 一心不乱にしなさい 皆さんは先生のことをそれほど優れていないと思っているかもしれませんが、先生はこのような場でみ言に通じるようになれば…、み言に通じれば通じるほど、その精誠の度合いが高まり、愛の心がそこに宿るようになるのです。 ですから、み言で「訓読会」を毎日のようにしなさいというのです。「訓読会」の味が、ご飯を食べるよりも、自分の大好物よりもおいしいという人は、無限な発展をするはずです。先生の生涯を見ると場面場面には、深刻な場で最高に集めて宣布してきた実績が残っています。その宣布の位置があるゆえに「私の位置を埋め合わせていくためには、どれほど埋めていかなければならないだろうか…」といって私たちの生活を振り返ってみるとき、休む間がありますか。 霊界に行けば先生の近くに行きたいのでしょう? そうですか、そうではありませんか?(そうです)。答えは簡単です。精誠をどれほど捧げたかです。天の心をどれほど解放してあげ、ご父母様の心をどれほど引きつけて消化してあげたのかというのです。その次には、それを愛をもってしたのか、あるいは自分の出世や、自分が祝福を受けようと、恵みを受けようと思いながらしたのかというのです。自分が恵みを受けるためにしたならば地獄に行くのです。 殉教した人々であっても「このようにイエス様を信じてこそ…、こうして信じて死んでこそ天国へ行けるのだ」と思っていたならば、天国へ行くことはできません。哀れなイエス様の心の世界に入って、慈しんであげなければならないのです。 神様が数多くの聖人烈士を覚醒させて立てたのは、神様の心を解くためです。子女たちを解放させるためです。解放を願うその思いが、しこりとなって残っていますから、私たちの解放的環境のために、どんなことがあっても行くべきであるのが、子女としての果たすべき道理であり、子女の生きうる生活舞台であるということを忘れてはならないのです。分かりますか? これを忘れずに歩んでいけば、皆さんの行く道は大いに発展することでしょう。…自分も知らないうちに、知っています。知っているのです。人は霊的存在なので、知っているのです。通りすぎる隣の人について行って、よく見てみると、初めて会ったはずなのに、「あの人どこかで会ったな…」と、こんな気がすれば、その人を絶対に逃すなというのです。そのような人がいるでしょう? よく見てみると、どこかで会ったことがあるような…、どこでも会ったことがないのに…、そういう人は逃してはいけません。その人は皆さんに必要な人です。 そのようなときは、真心を込めて、神様に対していたそれ以上の思いをもって見るようになれば、直ちに、くっつきます。離れられないのです。それが自らの同志たちを一まとめにしていき、心情の基盤を広めていく方法なのです。多くの恵みによって、天国に近い祝福の立場に立つことができるのです。 苦労して精誠を込めて愛するものは、私のものです。ところで、恵みは神様が持っています。恨を乗り越えて、恵みを与えたい思いが蓄積されていますから、「いつ恵みが受けられるのだろうか?」と考える必要はありません。恵みは自動的に訪れるようになっているのです。分かりましたか? 帰ったときに、この思いをもって生活に適用して、そのとおりに動いてみなさい。 先生は何か一つ手をつけようものなら、「このために生まれてきた」と、このように考えるのです。生まれたのも、このために生まれたと…、それから好きになってするのです。喜んでしながら、生きていかなければなりません。深い峠を乗り越えることができるのが愛なのです。自分が嫌々ながらすることには手をつけません。心がみな分かるのです。 好きでする事には、神様がいらっしゃって恵みを祈ってくださいます。私は今、釣りを経て水産事業に手をつけました。今や養殖の時が近づいてきたので、心は釣りから離れています。それゆえに、断ち切って突然に転換できるのです。未練もなく…。政策や方向が変わったゆえに、愛する方向が変わったゆえに、未練なく断ち切って、きれいに整理しなければならないのです。そうしてこそ、サタンがついてこれないのです。未練を残してはいけません。分かりましたか?(はい)。 こういったことを、みなちゃんと理解してと…、今年は一九九九年ですが、九数はサタン数です。蘇生、長成、完成…、十数ならばいいのです。「真の祝福」というのは完成されたということです。ただの祝福ではありません。真の祝福天宙化…。完全に、最後に、神様の胸にしこりとなっていた宇宙的解放の定着…、完全に定着しうる真の家庭を、祝福してあげようというのです。違いますか? ですから、最後の峠だというのです。 それから、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。最後…。絶対に最後です。機会を逃さず、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然についてくるようになるのです。私がプラスになっているために、マイナスは自ずからついてくるようになっているのです。 そのような思いをもって、来年に新たな国を持つようになるときには、皆さんの近所には祝福を受けたがらない人はいませんし、私が愛の因縁を結んでいない所がありませんし、神様を通して神様の愛する心の主体となって、それがすべて日光のように照らされ、解放が行われるというのです。それは理論的です。妄想的なことではありません。 それゆえに、恵みを受けようと思うなというのです。分かってほしいと言うなというのです。先生もそうしませんでした。気がついてみると、神様の関心を買おうとせずにその事をやっていたのです。報告もせずに、やっていたら、すべてが自然の理です。自然の理にすべてなっているのです。神様に報告しなくても、その前に出て報告した以上の価値として結実することが、天理の大道の原則というのです。 ですから、悲しがるなというのです。人と会って、気分を悪くするなというのです。動物を見ても気分を悪くするなというのです。絶対そのように考えないという条件をかけて、その怨讐に父母のように対してあげる心を持つとするならば、その怨讐はその立場において自ら頭が下がるようになるのです。天運が入っていって、別の行動ができません。皆さんは名のある人物や、大人の前に出ると行動が不自由になるでしょう。自然拘束が起こるのです。同様の役事が起きるのです。 準備しなさい 仕事に臨むにあたっては、絶対に悪い姿勢で臨むのではなく、良い姿勢で臨みなさい。仕事をするにあたって、自分の行く道は記録が残ります。いかなることをしたというのが…。絶対に喜びの心でしなさいというのです。 朝出ていって夕方帰るとき、仕事をやり終えて嬉しい心で…。家庭でもそのような生活を訓練してこそ、どこに行っても闇の世界から光の世界へ移れるようになるのです。光の世界にも境界線があります。十二時間まで昇っていってからは、沈んでいくのが原則であることを知らなければなりません。息というものは、息を吸い込むがゆえに、息を吐くときに容易になるのです。昇っていくがゆえに、沈んでいく闇も必ずなければならないのです。 ですから、自分のいちばん嫌なことも好きになるというのです。そうすれば、その人の暗いものは明るい地平へと向かうのです。「いやな表情で対さず、喜びの表情で一元化せよ」という生活哲学をもって生きることこそ、間違いなく神と共に生きることのできる、極めて素晴らしい道であるということを理解して、帰ってから一生懸命にがんばってください。 それが準備です。準備です。堕落した人間がしなければならない準備です。準備できない人は流れていくのです。自分がどんなに優秀であったとしても、水が流れ天運が流れるごとく流れていくのです。ですから、常に勝利的結果に対しては、木の根っこのようになり、レンガの家のようになって、天に仕えることのできる皆さんとなってくれることを、先生は切に願っています。分かりましたか?(はい)。 一生懸命に一年を喜びで消化しなければならないというのです。そうすれば神様もそこに同情して、臨在されるようになっているのです。 精誠と愛! 食べものがありますから、かわいそうな人がいれば「すまない」といって食べなければなりません。「お父様…、彼らを憐れんで私たちのように…」これが天国の息子、娘の行くべき道です。分かりましたか?(はい)。一度そのようにやってみますか?(はい)。 ですから女性は、むやみやたらに言ってはいけないというのです。精誠の道は険しい道です。また、むやみやたらに行動するなというのです。女性は行動が速いです。大慨、女性は口といっしょに行動しようとします。夫に対して、息子に対してそのようにするなというのです。愛で真心を込めて、母親が子に対するかのように話しなさいというのです。 聖人になるには、耳と口の王様にならなければなりません。分かりましたか? 女性が耳でひそひそ話をしていて堕落しました。口で話しているうちに堕落しました。分かりましたか? 耳と口ゆえに堕落したので、これをすべて制裁してこそ王妃になるのです。さらに女性はこのような面に注意しなければなりません。夫に対してひとこと言うにしても、ポンポン言い放ってこそスッキリするのですから…。そのようなときは夫のハンカチでもあれば、それをぎゅっと握りしめて…、そのように訓練しなさいというのです。夫を誰よりも愛するというならば、そのような条件が必要です。私たちはみ言を歌に変えて歌いますが、それはみな条件です。 このようにすべてを知って、今年は自らの生涯を天の前に残すことのできる、素晴らしきそのような年であることを分かってください。 精誠と愛の心をもって涙を流すようになれば、神様の胸中に記憶されて、絶対に流れていきません。分かりましたか?「私はそうしよう」という人、一度手を挙げてみなさい。(はい)。ありがとうございます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.14
コメント(0)
世界平和統一のための理想世界一九九九年一月四日、ウルグアイ・プンタデルエステ 一九九九年一月一日元旦、今年の年頭標語が何でしたか? 真の祝福天宙化とサタン血統根絶、「断絶」するというのは一つの幹をたくさんに切ることであり、根絶するといえば根元から引き抜いて捨てることです。初めからなくしてしまうのです。天地にそのようなサタンの因縁となる条件をどのようにきれいに根を引き抜いて捨てるかという内容です。 〈真の祝福天宙化とサタン血統根絶〉 一、世界平和統一のための理想世界 統合宗教のための超宗教国連 統合した宗教のための超宗教国連を作らなければなりません。統合宗教のための超宗教国連を形成しなければならないのです。宣伝大会から始まって、これから二月七日の大会のとき、これに対する具体的な会議をしようと計画しています。世界的な宗教の最高指導者たちと国家的な最高指導者たちを集めてこの会議を計画しています。 統合国家のための超国家国連 これは私たちがするのではなく、政治家がしなければならないことであり、国連がしなければならないことです。しかし、そのような私たち自体が内外の体と心が一つになるためには、宗教が心であるならば体が国家ですが、心の基準を考えると同時に体の基準を考えなければなりません。今回の大会が終われば、使命的な問題を負担させ、責任追及しようとするならば、私たちが知らなければなりません。また、それをコーチしようとするならば知っていなければなりません。そうかと言って、すべてが政治活動をしろという意味ではありません。政治活動するようになれば、直ちに問題が起きます。 「政教分立」が壊れれば、全世界のリベラルな輩、共産党の輩が反対するのです。政教分立は中世時代のローマ教皇たちが責任を果たせなかったために生じたものです。絶対神本主義を主張するその内容が、道義的な面や理想的基準に反するからといって、これに反対して人本主義思想が発達しながら反対が始まったのです。そのようにして共産主義と物本主義まで出てきたのです。歴史的観がそのようになっています。 それゆえに、本来の政教分立という言葉は摂理的にありえません。中間で誤ったのです。キリスト教が旧教と新教に分かれて戦ったのです。これを統合しなければならない時が来たために、霊的基準を次元の高い国連首脳基準まで引き上げると同時に、国家的基準で引き上げなければならないのですが、その準備過程が祝福家庭であるということを知らなければなりません。 今後、祝福家庭の世界化さえするようになれば、野党、与党をコントロールして、問題がみな解決されます。それゆえに、野党、与党が戦わず一つになれというのです。 アメリカが第二次大戦後に管理できなかったのです。共産圏のすべての問題、中東のすべての問題を譲り渡したのに、アメリカが責任を果たせなかったためにこのようになったのです。一つにならなければならないのです。そのような意味で、統合国家のための超国家国連を作るのです。統合国家は神様以外にはできないのです。これに反駁するとき、「神様以外には超国家国連を作ることができないではないか」と言えばいいのです。 今日、自由世界のすべての国家は、価値観が没落し、何もないではありませんか。世界観がどこにあり、国家観がどこにあり、氏族、民族、家庭観がどこにありますか。家庭に入ってもおじいさん、お母さん、お父さん、すべての子孫まで家庭破綻となり、みな分散し、実際にはないのです。それで超国家という言葉は神様を中心とする言葉だということを明確にしなければなりません。 政教分立、「レバレンド・ムーンが国連を丸め込むために政教統合運動をする」そのように反対しうる可能性を越えているということを知らなければなりません。なぜですか? 全世界の祝福家庭がどれくらいいますか。(二億五千八百三九万です)。 今まで一億八百万しかできなかったのですね。四千を超過して四億にしようとしたのに…。 この前、四千万したので四億を越えます。四億するようになれば、四億が夫婦だけなので分割して嫁の家、夫の家となれば八億軒です。八億軒ですが、四人ずつだとしても四位基台の中心として4×8=32、三〇億の人類を越えます。これが下層階級ではありません。知識的な基準にあって、今後一つの世界、平和な世界を作るためには、国際祝福しかないというそのような知識ある人が加担したので、上中下で見るようになれば中以上の人々です。それゆえに、これは人類を動かしていっても余りうる立場に立っている、このように考えます。 これを一か所に追いやり、いかにして統班撃破と訓読会に直結させるか? この問題は霊界を教えてあげなければなりません。霊界をはっきり教えてあげれば、行くなといっても行くのです。平和世界は家庭から始まるという徹頭徹尾の一つの思想を入れてあげなければなりません。国家での平和の出発はどこですか? 体と心が争うここから家庭が争い、親子関係が争い、すべて争いが起きるのです。分立された家庭基盤がみな仲たがいするので、平和がどこにあるかというのです。国ではすべて争いの場が生じるようになるのです。 それゆえに第一の根本の平和のスタートは、自分の個体、個体が一つであることです。体と心の戦争と武装を解消してしまわなければなりません。体と心の争いは今まで休戦もできず、停戦も一度もできませんでした。このような恐ろしい戦場の中で生きているという事実を知らなかったのです。体と心が一つとなった男性、女性が完全に平和のために一つになりうる夫婦を形成しなければなりません。永遠なる平和というものは、天国を知らなくてはできないのです。神様のみ旨を知らなければならないのです。 神様を中心として、神様のための国家を維持しなくては超国家になりません。国連に今そのような国はありません。神様を中心として宗教と合わせて未来にこのような国を形成することができます。未来のことをしっかりと進ませていきなさい。 統一宗教国家のための超銀行機構 統一宗教国家のための超銀行機構を作らなければなりません。まず、金融機関をどのように世界化させるかが問題です。去る五月に国際的な幹部会議をしました。その内容は、私たちはこれから家庭を中心としてはどのような国の力よりも超越的な機構を作ることができる時代に入っているというものです。これは間違いない事実です。分かりますか? 理解だけでいいですか、分かって実践できますか?(実践できます)。 間違いなくできます。今回、一八五か国の国家責任者の皆さんと宗教責任者たちが合わせて銀行を作ったと考えてみなさい。 世界銀行をピンセットでつまんで投げることができます。それで計画が何かといえば、全世界強大国以外の弱小国を結んで銀行を作ります。強大国は十二か国ではいけません。強大国といっても第二次大戦のときの英、米、仏、日、独、これら六か国です。これが第二次大戦のときに互いに戦った国家です。彼らは世界に負債を負って返せませんでした。先生はそれを取り返すことも考えています。 現在一九三か国の国家が国連に加入しています。一八五か国だけ考えてもどれほどですか? 四〇か国を除ければ一四五か国です。一四五か国を私たちが思いどおりにコントロールするのです。弱小国を連合させ、一八五の国家をすべて連合し、世界各国の国の中央銀行で評価したすべてを集めて銀行に保存しておきます。保存しておいて八〇%はいつも出して使えるようにすればいいのです。それは先生だけができます。可能だと思いますか、不可能だと思いますか?(可能だと思います)。そのために言論機関を動員するのです。 学者たちと行政府機関の長たちはすべて、教授など大学連盟の人脈を中心として銀行まで、通信社まで、言論までしておけばできないことはありません。国も動かすことができるのです。国を動かすことができる力があり、その次には新聞社があるので、道義的な教育をすることができます。方向をつかんでやることにブレーキをかける政府をお金と政治の力で調整し、世界的な銀行をもって押し進めるとすれば、いかなる個人や国家もかなわないのです。必ずこれをしなければなりません。それでここでウルグアイを中心としてウルグアイ銀行と…。私たちの銀行をすべて国家が管理します。これが一連の援助作戦です。今回、私たちと国家と半分半分にして銀行を作りましたが、国家が責任を負うのです。 ウルグアイは平均的に見るとき、ある国の国民水準以上の人が外国に出ているという事実が統計的基準から明らかになったのです。先生の本部がウルグアイにありますか、ありませんか? 本部がどこですか?(ウルグアイです)。 そこにホテルがあるでしょう、銀行もあるでしょう、新聞社もあるでしょう、印刷所もあります。印刷所も写真帖や住所録を作るためにアルゼンチン、ブラジルまでも来て撮らなければならないのです。一番良い新聞社を作りました。写真も同じようなものも印刷しようとするならば、私たちの会社に依頼して撮らなければなりません。 二十九個の銀行に四十三個の支部を早く作らなければなりません。銀行を作ってもウルグアイ、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジルの四か国を動かして銀行を作ることができるので、アルゼンチン、ブラジルに支店を作る計画をするのです。お金はあるのです。 完全に基盤が準備された後には、何をするでしょうか? 韓国僑胞だという人は、私たちの銀行に入れなければ全部問題が生じるのです。何の問題ですか? 一度、私たちの新聞社でかき出すのです。二、三度かき出しさえすれば助けてくれと言うのです。そうかと言って、新聞で脅迫するのではありません。世界のためにこれから初めて新聞社を使って刈り入れるべきだというのです。 銀行計画を作り、南米全体の国家財産、地下資源から家から何からすべて合わせて、世界のIMF銀行を中心として鑑定し、いくらだというようになれば、一四五か国の全体価格を中心として全世界四か国を分割し、その中で八〇パーセントはどこでも対処することができます。 ところが、これを自分勝手にすれば大変なことになります。それで、各国に三十三名ずつ国家の重鎮を作っておきました。一番初めに一〇パーセントの十万人をおいて貸すのです。もし、一億ドルあるならば、五千万ドルをいつでも貸すことのできる制度だけ作っておけば不渡りは永遠に起こらないのです。分かりますか? 可能性のある理論的な体制を作らなければならず、理論的な体制と同時に理論的な事実が合わなければなりません。 番がどんな内容か分かりましたか? 統一宗教国家のための超銀行機構編成。 超宗教国家のための言論機構編成 世界の言論界を握らなければなりません。一八五か国に新聞社を計画していることを知っていますか、知りませんか? お金は誰が出さないといけませんか? エバ国です。来られる再臨主は何もありません。体だけ持って来ます。体と天の愛と天の生命の種を持って来ます。エデン園で失ったエバを探さなければならず、息子・娘を探すためのものです。そうするには息子・娘を産んで育てなければなりません。お母様は世界のすべての国家国民を食べさせて生かさなければならない責任があるので、日本のお金で世界の人を食べさせなければならないのです。 楽に天国へ行くでしょうか、難しく天国へ行くでしょうか? 楽に行けばすべて地獄に下って行きます。堕落した子孫の仮面を脱ぐことができません。難しく行くようになれば、この堕落線を越えて天国へ行くのです。④番が何ですか?(超宗教国家のための言論機構編成)。 皆さんに新聞社を任せて各都市に配置する時がくるのです。全世界的な情報戦争です。そのような意味で先生がそのような準備をみなしたのです。 超宗教超国家のための大学連盟機構編成 宗教と国家を合わせて、国連は非国連と和合して、統一宗教国家のための銀行と合わせて、言論機関と合わせて、大学を合わせれば、世の中がみな溶け出すのです。行くところがありません。その準備を今し尽くしたのです。 不渡りになると八年前から噂になったとき、先生がブリッジ・ポート大学を作り、鮮文大学を作りました。この南米開発をみなしたのです。しましたか、しませんでしたか?(しました)。それを皆さんが助けてくれましたか? 手をつけていないものがどこにありますか? 銀行もそうであり、サッカーもそうであり、芸術もそうであり、手をつけていないものがどこにありますか? それで、成功しましたか、失敗しましたか?(成功なさいました)。 絶対主体の前に絶対対象の存在は自然発生するというのです。運動を続けさえすれば自然発生します。男性と女性が世界的に見るとき、比率がどれほど違いますか。神様が見る絶対的原理原則において、男性が生まれれば、女性は自然に生まれるようになっています。調べてみなさい。いくらも違いません。 ⑤番は超宗教、超国家のための大学連盟を結成しなければならないということです。これさえすれば、先生が何をしていているか大体察することができるのです。それが今後、最高の国連の国を動かすことのできる立場に出ていくとき、このようなことは必須条件として世界体制化基盤を成し遂げることなくしては、世界を料理することができません。ここの科学技術であるとか先端であるとかそのようなものはすべて抜いたのです。それで、飛行機を作る会社を作ったのです。二、祝福の世界化で神の国を形成しよう 祝福の世界化で、今やサタンの国はなくなって、神の国を作らなければなりません。世界の祝福化で神の国を建てなければなりません。まず、世界から始まるのです。天宙はその次です。天宙はその後に自動的についていきます。まるで心的基盤が肉体に実を結んで、すべて種となっていくかのようにです。自然に循環して自然に大きくなっていくのです。 ですから、これは地上で成す世界化です。「天宙化」と言わずに、なぜ「世界化」といったのかというと、世界化されれば天宙化は自動的になされるからです。それで、題目は「祝福の世界化で神様の国を作ろう」というのです。形成です。編成というのは、この形成されていることを意味するのです。国がないのです。国をつくらなければなりません。「大学連盟」編成、「言論界機構」編成など、たくさんまとめればいいのです。ないから形成しなければならず、形を作らなければならないというのです。 真の統一家庭形成 私がこの前に真なる統一家庭形成のことを話しました。「真なる」の中に「世界平和統一」の概念が入っています。「真なる」ものよりも小さいものは何かというと「世界平和」と「統一」です。そのような家庭を形成しようというのです。真の統一家庭形成、話しましたね? 真の家庭を作らなければなりません。真の家庭を築こうとするならば、体と心が一つにならなければなりませんね? それでは、夫と妻が一つにならなければなりませんが、一つになりましたか? 妻の気分に合わせてやることができますか? これから先生のみ言を中心として楽しく生きなければなりません。 今まで自分勝手に生きてきましたが、そのようなことを考えてみると、国家メシアが一体いるというのでしょうか? そのようなメシアがどこにいますか? 先生が責任を持っていますから半分は私が責任を持つのです。有り難いと思わなければなりません。 真の統一家庭形成、分かりますね? 体と心が一つにならなければなりません。ですから動くにあたっては、それらがバランスをまず取らなければなりません。バランスを取るために動かなければなりません。バランスを中心として水平にならなければなりません。水平にならないと中心が定まりません。中心が定まらなければ上がることができません。下がってもう一度やり直さなければならないのです。蕩減復帰できなければ、振り出しに戻らなければならないということを知らなければなりません。 真の氏族形成 氏族的メシアにならなければなりませんね? 真の民族編成 十二氏族で真の民族を編成するのです。 真の国家編成 真の国家編成も真の十二民族をもって編成するのです。 真の理想党編成 理想党とは何ですか? 野党、与党が一つにならずに争っているので、一つにせよというのです。頭翼思想で一つにせよという、そんな意味です。理想党は神様党です。これ以上のものはないのです。夜も統一され、昼も統一され、一年も統一され、春夏秋冬も統一され、老いても若くても、四季、老若男女を問わず、万世を通じて統一されるというのです。一度決定されたら変わらないのです。家庭が変わらないのと同じく、国が変わるということはありえないということを知らなければなりません。 今の党は理想党でないために、私たちが教育してあげるのです。野党、与党を教育しなければならないのに、できなかったがゆえに、この有様になりました。命懸けでやりませんでしたね? 昼も夜も毎日のように訪ねてみるのです。一日に三回ずつ訪ねて、会わないといっても会わざるを得ずにはいられないようにしてみるのです。先生はしがみついたら放しません。ですから、ちょっとやそっとでは手をつけてきません。性格を知っているからです。 ⑤番、真の理想党…、真という言葉の次に何が入っていますか? 世界平和統一の理想党です。分かりましたか? 真の人は平和を成し、統一を成さなければならないという、そのような概念がみな入っているのです。家庭もそうであり、国家もそうであって、すべてみな入っています。 真の天国議会 党を編成して議会をつくらなければなりません。私たちが宗教議会をつくってから何年になりますか?(宗教議会は八九年度に開催しました)。 番は何ですか? 真の天国議会をつくろうということです。心の統一、家庭統一、氏族統一、民族統一、国家統一をすることができる…、大統領になることができる資格者たちが集まって議会をつくろうというのです。韓国は与党、野党しかないでしょう? 上院、下院がありません。宗教人が結合して、上院議員に出馬させなければなりません、七五パーセントが宗教人です。心配することはありません。 今後、宗教界は世界各国で上院議員になり、その国の選挙を通して出てくる下院議員になります。勝手には処理できません。下院を通し上院を通過しても、全体会議のときに再び通過しなければならないのです。そのためには徹底して解説して教育し、はっきり分からなければ、すべてを取り消しにできる新しい計画を発展させていかなければならないと考えるわけです。宗教を中心として国連に上院議員をつくらなければなりません。その概念が分かりましたか? そうかと言って、宗教と政治家が一致しなければならないのではありません。 国連に上院議員をつくってあげなければなりません。私たちが何らかの政治をするというのではありません。私が国連の大統領のようなことをするというのでもありません。大統領ができるように導いてあげるというのです。大統領になる人を教えてあげるというのです。これが長子権です。長子権が先に成されてこそ、父母権が出てくるのです。 私たちの手で、国連の上院議員をつくらなければならないというのです。誰がこの腐りかけた世界を支えるのでしょうか。銃や刀ではだめなのです。父母の心情…、愛だけが可能なのです。先生にこの仕事を成せる実力があると思いますか? ないと思いますか?(あります!)どうしてあるのでしょうか? 皆さんがしなければならないのです。 私がどれぐらい生きられますか? 力は年齢にはかないません。これから三、四年以内に解決しなければなりません。その時までに上院議員をつくって、国家がしっかりと立ったならば、日本が復帰路程で先生の命令をよくぞ守ったと、世界国家から歓迎されると思いますか? つまはじきにあうと思いますか?しっかりと気を引きしめていきなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
コメント(0)
第32回「真の神の日」午前零時の御言真の祝福天宙化とサタンの血統根絶1999年1月1日ウルグアイ・プンタデルエステ 真のご父母様は、南米ウルグアイのプンタデルエステで第三十二回「真の神の日」を迎えられ午前零時を期して祈祷され、引き続いてみ言を語られました。 〈祈 祷〉 愛するお父様。この時間、一九九八年最後の時間を過ごし、一年における「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双祝福完成とサタン世界の血統断切」という、とてつもない課題を中心とした歴史的な出発をした日々、心に描き、夢にも描いたすべての困難の峠を越え、天が協助されたその勝利の栄光を備え、万民、万世の前に誇ることのできる栄光の一年を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 その年において、どれほどお父様はご苦労されたことでしょうか?。そのお父様の労苦の前に、本当に、本当に、本当に、この幼い子女たちは感謝を申し上げます。 そのような祝福の年を過ごし、一九九九年、新しい元旦のこの朝を迎えましたので、この市で新年を祝賀するこのすべての祝賀の声とともに、天が注視されるこの場、神様から千々万聖徒、私たちの祝福を受けた先祖たちと、天の許しの中で、この地上で解放の祝福を受けた万世の四億以上の祝福家庭たちが、ここを心で慕っております。 新年を迎えるにおいて、そのようにご父母様の万福を祈ることのできるこの場であることを思いながら、天と祝福を受けた家庭、人類全体が注視するこの焦点を合わせて、この時間をお父様の前に、新しく今年に計画するすべてのことを希望の中で申し上げることができ、計画するすべてのことをこの全世界に宣布することのできる元旦のこの日を、お父様、栄光の時間として、誇りの時間としてお受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 天が家庭を失われたエデンにおける恨みを抱かれたお父様の心、そのだれも知らなかった、そのような内情的な心情を、この地上に真の父母の姿を捜し、捜し、捜し立てられて、恨みの歴史をすべて解怨成就する日々を待ち焦がれたお父様。天が、復帰のために立てられる真の家庭を代表することのできる真の父母の家庭をこの地上に立てるためにどれほど、どれほど苦労なさったかという事実は、私たちは骨肉に感じながらも、そのようにご苦労された天がおられるということを知りませんでした。そのように無知であった、アダム以後の今までの過去の歴史の先祖たちをお赦しくださるようお願いいたします。 今日、この地上に真の父母があなたの心情の世界を慕い、この地上に表示し、万民解放の勝利の愛の法度を立てようとしたすべてのことを発表し、始めた日から久しくなります。五十年余りを過ごしても、このみ旨をこの地上に成就して、天の前にすべての国と世界を奉献することのできる勝利の宴を開くことのできなかったことは申し訳なく思いながら、今この年、一九九九年を中心としては、すべての長子権理想基準を越え、父母権理想基準を越え、王圏理想基準を越え、私たちが天の前にひざまずき、精誠を尽くす年となるように許諾してください。 天が個人から人類全体を超えて運行なさることによって、あなたの所願の解放の役事を成しても余りある祝福の恩賜を願っている、新しく全世界から集まってきた国家的メシヤたちとともに、この地上に訪ねてこられた世界的なメシヤとともに、天宙のメシヤとともに、祝福された家庭がジャルジンを中心として家庭的訓練会をして、天国入城に合格し得る家庭を標準として、修練したすべての家庭たちが、今、ジャルジン、この地域を中心として、ウルグアイ地域と連結させて、解放の地上天国、天上天国の開門の役事を宣布して出発いたしました。 このすべての歩みが、お父様が解怨成就なさることのできる喜びと栄光の日を迎え、創造理想以上に成したと誇ることのできるものとなるように許諾してください。そのような祝福家庭たちの姿を、お父様がどれほど待ち焦がれておられるかということを、私たちが本当に、この骨肉にしみて感じることができるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 今、新しくこの年を迎えましたので、持てる精誠の限りを尽くし、天の前において、神様を望み、各自、各家庭たちが統一的な心情一体となって、あなたを私たちの家庭に互いにお招きしたいと言い得る、輝ける栄光の家庭たちとなるように許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この地上に真の父母の家庭を中心として、真の父母の国を中心とした長子権解放を成すことのできる祝福を与え、国を立てましたので、この国をささげるために、この全世界の万民を一つの家庭を延長した国家体制を備え、天の前に王圏理想をあがめ奉る全人類となるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 このために天上世界で今まで、真のご父母様によって興進君と大母ニムを通じて霊的解放をもたらして、霊的世界で祝福を受けた先祖たちとともに、この地上の後孫と一体となって、地上におけるアダム家庭が成せなかったもの、家庭を成せなかった堕落の恨みの世界を元返すために、天使長たるアダムを完成し、すでに祝福を受け、真の父母の印を受けて先祖となったすべての天使世界までも相対的理想を得るように成してまいりました。 そのような祝福を受けた家庭理想を通して、カイン・アベル的統一的家庭によって、孝誠の家庭、忠誠の家庭、聖人の家庭、聖子の家庭を霊肉を共にしてカイン・アベル統一圏となして、神様を本当にこの地上に、真の父母を本当にこの地上にお迎えして、解放天国を宣言できるように祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 三家庭を中心として、三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭、三万家庭、三十六万家庭、四千万家庭、三億六千万家庭。四億家庭以上の祝福をしたこのすべてが一心一体となって、地上天国解放圏を完全に備えてさしあげることのできる栄光の勝利の地上天国開門と勝利の天国基盤が完成するよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。 この元旦に向けて、今年の標語をお父様のみ前にお立て申し上げます。「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」という、「断切」ではなく、「根絶」するための誓いの宣言を、天地に新しい一年の標語として宣言し、この宣言を中心として、一心一体となって、神様に侍り、真の父母に侍り、前進に前進を誓いますので、全般、全体、全権、全能の解放的地上天上、愛の主権世界に前進することを、新年に祝福してくださるよう懇切にお願い申し上げます。 この時間を迎えるために、全世界に散らばっている祝福家庭たちが、ご父母様のおられる所に心を向け、精誠をささげております。その所ごとに、天の無限なる祝福が霊界の先祖たちとともに、千々万聖徒たちとともに、天軍天使とともに、神様と直接、そして地上と連結された祝福を受けた真の父母とともにあり、手に手を中心として、一つの統一された世界に、霊肉の統一された世界に前進、前進、前進して、勝利の解放された天国に前進することができるように祝福してくださいますことを、真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 (このあと、年頭標語を揮毫される) 〈み 言〉 サタンに連結された世界 今、私たちが住んでいる世界は、神様の創造理想に連結された世界ではありません。今まで住んでいた世界の出発は、サタンに連結された世界だったのです。サタン世界と連結されているのですが、何を中心として連結されているのかといえば、それはサタン的愛、サタン的生命、サタン的血統を通してです。このことは神様にとって、この上なく悲しい事実でした。 なぜならば、人類全体が神様の愛を受け継ぐべき後孫になり、生命と血統を受け継ぎ、全宇宙の主人の資格を備えなければならないにもかかわらず、すべてのものが、愛という因縁を中心として血統的関係を受け継いで、怨讐であるサタン世界と連結されたことによって、この世界全体がサタン世界になってしまったからです。 そのサタンがだれなのかといえば、神様がつくられた息子、娘でもなく、これは僕である天使長なのです。天使長が人類の先祖を強奪し、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を通して、偽りの父母、悪なる父母を中心とした世界を出発させたのです。 それゆえに、サタンは何者なのかといえば、神様の愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐であり、理想としていた家庭、国家、世界、天宙の怨讐であるというのです。怨讐の中で、これほどの怨讐はありません。 その怨讐を中心として連結されたこの世界の息子、娘。その愛の血を中心として連結されたその息子、娘を、堕落しなかった神様の愛する直系の息子、娘以上の位置に、どのようにして復帰するかということは、神様ご自身におかれては、この上なく痛嘆な問題であり、困難の中の困難な問題とならざるを得なかったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 これを復帰することは、すべてを破壊して再び創造することよりも何百倍、何千倍も難しい事実であったのです。 創世以降、今日に至るまで神様が尋ねてこられた歴史は、失ってしまったアダム家庭ただ一つを復帰するためのものでしたが、アダム家庭を取り戻すためには、創造した出発の基準とは反対に行かなければなりません。 神様の本来の創造理想とは、アダムを創造した後にエバを創造し、この夫婦を中心として、人間の責任分担を完成するための愛の一体圏を備えることによって息子、娘をもうけ、直系の息子と傍系の息子を繁殖させて、家庭から氏族、民族、国家、全体に連結され、神様の直系の子女の文化圏が形成されなければならないというものでした。 ところが、これとは正反対の怨讐の極の愛の圏内にこれが全部包囲され、完全に神様がこの地上に足を踏み入れられることのできない環境的与件をつくってしまったのです。ですから、これは、ただそのままでは復帰することはできません。上から、アダムから復帰することはできないのです。これが落ちてしまうことによって、中心となる父母が下に落ち、その次は息子、娘、その次は万物、あらゆる微生物の世界まですべて逆さまになっているというのです。それゆえに、復帰するうえでは、これを復帰するには、ただそのままでは復帰することはできないのです。 神様の側に最も近い存在が何かといえば、それは万物です。それゆえに、万物を中心としてこれを分割して、祭物となった条件を中心としてこのような摂理に着手したのが、旧約時代の歴史だったのです。 旧約時代の歴史を中心として見てみると、この祭物を犠牲にさせて……。犠牲にさせるということは何かというと、息子、娘が行くべき道を捜し出すために犠牲の歴史を経ていくということであり、そのようにしながら、この地上に真の息子であるメシヤを送るために、地上の選民を中心として個人、家庭、氏族、民族、国家の形態を備えることのできる準備をしておいたのです。 そうして神様は、怨讐のサタン世界であるローマ帝国を吸収することができる、天の側の国家として立てようとされたイスラエル民族を中心としてメシヤを送られました。イスラエル民族は、家庭的基盤となるべきであったと同時に、氏族、民族、国家、世界まで行くことのできるすべてのみ旨の理想的な基台となるべきでした。しかし、そのイスラエル民族がイエス様を捕まえて殺すことによって、ここにおいて神様は、アダム家庭で失ってしまわれた以上の悲しい堕落の痛みを感じられたという事実を知らなければなりません。 キリスト教と再臨の摂理 このように、イエス様が地上に来られたにもかかわらず、み旨を成されることができず、再臨という、二千年後に延長された歴史を待たざるを得ませんでした。そうしてこの二千年間、イエス様と聖霊が新しい選民圏をつくるために霊的世界と肉的世界を分割して、霊的地上天国理想を成し遂げるために時代を継ぎながら始められたのが、失ってしまったイスラエル圏を霊的世界だけで連結させてきた今までのキリスト教文化圏世界なのです。 イエス様の体を失ってしまったために、肉的世界であるところの体を中心として持つことのできる家庭的基盤は、この地上に残すことができませんでした。そのことによって、霊的な第二イスラエル圏が形成されたという事実を知るべきです。 その霊的イスラエル圏を中心として世界的版図を成し遂げ、天が創造理想時代に願われた個人的完成圏を中心として家庭と氏族、民族、国家、そして全世界に行くことのできる、世界形態を連結させるための目的として「再臨」という標準を立てておき、二千年の間、キリスト教はたくさんの蕩減の路程、たくさんの殉教の路程を通して個人的な勝利圏から家庭、氏族、民族、国家、世界へと広がってきました。 そのようにしながら、天のために生きるすべての人間が、人間たちが住む至る所において血の痕跡を残してこざるを得ない悲惨な歴史過程を経てきながら、再臨に連結してきたのです。 第二次世界大戦後、一九四五年までに、神様を中心とした霊的選民圏世界を中心として、キリスト教文化圏はこの地上で初めて、天を代表することのできる霊的基盤となったのです。そうして、実体的中心存在であるメシヤが来られるのですが、洗礼ヨハネがイエス様の前に霊的基盤を相続させてあげなければならなかったことと同じように、イエス様が残しておかれたすべての霊的基盤を、霊界から地上に来られる再臨主の前にそっくりそのまま相続させて、霊的基盤一体圏と肉的基盤一体圏を備えなければなりませんでした。それが、世界的版図の上でカイン・アベル基準を代表することのできるキリスト教文化圏なのです。 そうして、旧教はカイン、新教はアベルとなり、それらが一つになった基盤の上に真のお母様をお迎えして、新しい世界に向かう家庭編成を成そうとしていたのが、第二次世界大戦以後の、この地球を中心とした神様の摂理でした。 そのときに、もしキリスト教文化圏が先生を受け入れていたならば、そのときから七年間ですべての問題を解決することのできる地上基盤が完結されていたのです。その問題の解決点は何かというと、すべての家庭が、「アダム家庭を完成した真の父母の資格」を持つことができるようになる、ということです。 そのようにして世界人類が一つの家庭を成し、その家庭がすべて祝福を受けることによって、今日、私たちが行っていることと同じようなことが成し遂げられていたはずでした。そうして今現在、四億以上の祝福を済ませたのです。 その当時のキリスト教文化圏の人口は約八億でしたが、その八億という人口が皆、祝福を受けて旧教と新教が一つになれば、その当時、七年以内にこの世界は、今日私たちが望んでいた、長子権世界化、父母権世界化、王圏世界化がなされた家庭とともに一体理想を成していたことでしょう。そのように、一時にすべてのことを引っ繰り返して地上天上天国を成そうとしていた神様の摂理が、このように延長されてきたのです。 このような復帰摂理のみ旨を成し遂げようとしたのですが、キリスト教が反対することによって、すべてのものが崩れてしまいました。それが崩れたということは、アダム家庭が堕落したことよりも、イエス様がイスラエル民族に反対されて十字架で亡くなられたことよりも、もっと無念で悔しく悲しいことでした。そのような歴史を経てこられた天のお父様であられるということを、皆さんは知らなければなりません。 先生は地上において、天は霊界において、縦的父母と横的父母が地上に一体圏を成し、イエス様の肉体と霊が分かれてしまったことを、この地上において宗教圏、イスラエル圏、第二イスラエル圏であるキリスト教文化圏を中心として、霊肉の統一を中心として家庭的出発を世界化させることのできる七年路程を整えようとしたのです。ところが、それができなかったことによって、再び四十年荒野路程を経ていかなければなりませんでした。 四千年歴史を蕩減するための生涯を中心として、一代において四十年期間という最短期間を中心として、蕩減すべき道を再び出発しなければならないその立場は、あまりにも悲しい立場であるということを、この地上のだれも知らないのです。 韓国は「解放された」と万歳を叫び、すべての民族は「第二次大戦に自由世界が勝利した」と褒めたたえることのできる環境でしたが、縦的な父母であられる神様と横的な父母である真のご父母様は、喜びではなく悲しみの行路を中心として、歓喜する環境から追放され、反対される道である家庭的荒野四十年路程を行ったのです。 天の祝福基準を失ってしまい、再びこれを復帰して帰っていくためには、歴史的な四千年間の摂理歴史の中でなされたすべての事件が、ご父母様を中心としてサタンによって再び試験されるという過程を経なければなりません。そうして、そこにおいて倒れることなく今まで来たという事実は、天が私を保護されるためにどれほど苦労されたかということなのです。そのような事実を、皆さんは知らなければなりません。 このことを考えるときに、苦労された神様の歴史を振り返って見詰めるとき、これは悲痛であり、無念であり、痛哭の歴史以外の何ものでもないという事実を皆さんは知らなければなりません。 それを踏み越えて、昨年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という中に表された「真の神様」という言葉。歴史上初めて、「真の神様」を解放することのできる時を懸けて昨年という年を闘ったという事実は、歴史的な事件であると言えるのです。 三億六千万双の祝福を一年以内に完成すると考えた人は一人もいませんでした。それを可能だと考えた人は、一人もいなかったというのです。神様とご父母様以外にはいなかったという事実です。このような問題を中心として見るときに、三億六千万双の祝福をどのように完成させるのかという問題は、この上なく深刻なものであったということを皆さんは知らなければなりません。 心と体の統一 ここでは、きょう強調したように、心と体が必ず一つにならなければならないのです。心と体が完全に一つになれば、そこにみだらな考えが生じたりしてはいけません。レバレンド・ムーンがここに一生を懸けて心と体が一体となった基盤の上に、そこに万が一疑われ得る一点でも生じるときには、このすべてが方向が違ってくるというのです。このような深刻な一年を過ごしたということを、皆さんはよく分からないことでしょう。 食事をしていても、寝ていても、どのような休む場であっても、一秒でもこのような考えを失ってしまってはいけないという生活の中で、想像することもできないような、このような勝利的歴史をもたらしたという事実は、永遠に歴史に褒めたたえられることなのです。 世界の悠久の人類歴史において、またこれからの歴史において、この祝福というものは、結婚問題を中心として考えるときに、この峠は自分たちでは越えることができないために、この問題を再び思い起こし、考えながら越えていかなければならないという問題なのです。 ですから、今後、祝福を受け、結婚するすべての人類は必ず、勝利的な道を整えておいた真の父母の役事の庇護の下において、再び継承するこの祝福を絶対的に継承しなければ、天国に入っていくことのできる道は完全にふさがれてしまうのです。 このような年を今や決定すべき時代が来たので、皆さんはそれこそ、きょう再三強調しているように、天地におけるモデル的な自分個人を成さなければなりません。 その最初の提案は何かというと、心と体が統一されなければならないということです。心と体は統一されなければなりません。皆さんは朝起きれば、喜びの心を持って起きるべきです。そして最初に顔を洗うとき、五官を目から統一しなければなりません。目と鼻と口と耳と手、五官を統一し、心と体を統一しなければなりません。 五官は、心と体を一つに統一させることのできない通路になってしまったのです。これを完全に一つにし、心と体の統一を成した「統一された自分」となり、その完成した基準に神様が入っていかれることによって、性相的な神様の性稟が、自分の心に永遠に安着することのできる自分というものを成すことができるのです。 性相的なアダムを中心として完全定着基盤が成し遂げられると同時に、形状的なエバの心と体の中心に安着し、このような二人の男女が、永遠な神様の息子、娘の称号を持ち、永遠な神様の王子、王女の名を持って祝福を受けて成婚することによって、永遠に分けることのできない完全統一することのできる夫婦の姿を現すことができるようになるのです。そのような神様が慕っておられたものを再び復帰し、蕩減しておかなければならないということは、絶対的な要件です。天国に入っていくためには、これは絶対的な要件なのです。 このような基盤が成し遂げられなければ、神様が歴史時代に心に被られた悲しみと苦痛と無念な事実、そして神様の心の中に深く打ち込まれた、歴史的なこのすべての恨の釘を抜くことはできないのです。これを取り消させることはできないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえに、いつも考えることは自分の「心の統一」です。縦的に各自が神様との統一、心の統一を成し、その次には横的に夫婦の統一を成して、一つの愛から三位一体にならなければなりません。三位一体です。 三位一体の愛の圏が連結され、一つになったそこで一体となった生活をすることによって、ここで子女を繁殖するのですが、その子女に関しては疑う必要も鑑定する必要もありません。父母を中心として神様と一つになっているので、その子女には天の愛が連結され、神様の生命と神様の血統が連結されているので、自動的に永生することのできる息子、娘となるのです。ですから、天の国に直行することのできる息子、娘を生むのです。 そして、この息子、娘が結婚し、父母とともに家庭的に縦的に立って上下関係の統一的な家庭を成すことによって、地上家庭完成、天上世界家庭完成を成していたならば、神様が初めてこの地上に上下、前後、左右を中心として安息されることのできる地上天国の基盤が確定されるはずであったのです。 これは、アダム家庭において成される事実ではなく、皆さんの個々人の家庭において、現実的舞台においてこれを終結させるべき厳粛な宿命的責任があるということを知って、このことを解決するためにすべての生活を集中し、その集中した統一的な基盤を持って、このすべての万物を抱いて、天の前に奉献しなければなりません。 そのような愛の家庭となり、そこに連結されたすべての万物を奉献するのです。七代までの一族の先祖が落ちて出ていってしまったので、家庭を中心として七代を合わせて、万物と統一させて天の前に奉献してさしあげなければなりません。 神様の前に奉献してさしあげるのは、真の父母がしなければならないのです。完全に奉献してさしあげた基盤の上に初めて、統一的な形象圏と象徴圏として創造した万物が、アダム・エバの家庭を中心として完全に一つになって、解放圏を備えるようになるのです。そのようにして、実体的永生的家庭の定着が始まらなければならないということが、皆さんの家庭が行くべき宿命的な課題として残っているということをはっきりと知らなければなりません。 それでは、皆さんはそのような家庭を成して、どのようにしなければならないのでしょうか?。自分の家庭が中心ではありません。その家庭というものはどこまでも、国を代表することのできる家庭です。そして、天宙を代表することのできる家庭とは、神様を中心とした直系の真の父母の家庭を中心として、横的な基準を拡大したものです。それらすべてが氏族を通して、これが長子権軌道を中心として王圏の継承に連結されるのです。 その千年万年変わらない公式的理想を完成したアダム家庭に、そのモデルの型が表されており、それが千年万年の間変わらない文化世界を成すことによって成し遂げられた世界が、いわゆる地上天国なのです。この地上天国で暮らした人が、天上世界に移動して入っていく所が、永遠なる天上天国であるということを知って、ここに一体となるかどうかということが問題なのです。今や、他のことを考える必要はありません。 実際の問題において、今日、自分を中心としてこのすべてのことを完成し、解決することのできる最後の終着点にいるということを知って、このことをどのように完成するのかということが問題なのです。それは、自分の体と自分自身の問題であり、「あなたと私」の心と体の問題なのであり、家庭においては夫と妻としての「あなたと私」の問題であり、夫婦を中心として子女がいれば「あなたと私」の相互関係の問題なのです。これは皆さんの家庭全体が、共同的に連結された完成の標題になったということなのです。そのことを知って、だれかが一方に偏れば全体が傾くのだという事実を、皆さんは知らなければなりません。 家庭完成、家庭統一 それでは、このような家庭理想をどのようにして成し遂げることができるのでしょうか?。皆さんにおいて、子女を中心とした考えを提唱すれば崩れ、妻であれば妻自体の主張をすれば、これが傾くというのです。夫ならば夫が中心となって、これを強力に主張すれば、これが傾くというのです。 全体が愛によってお互いのために生きる、お互いにために生き合う、そのような「ために生きる存在である」という刺激的な信念が強くなければなりません。どのようなものであれ、ある意識的な、あらゆる環境的与件を越えて、自体内におけるすべてのものが、「ために生きるために存在する」という考えを持つべきです。 そして、その家庭環境を越えて立つことができなければなりませんが、それ以上の犠牲になることのできる道をお互いが築かなければ、このような理想的家庭の定着は、完全な位置で継続することはできないのです。そのことを考えるとき、私たちが備えるべき家庭理想は、どれほど難しいものでしょうか?。そのことを知って、この基準の前に一致することのできる皆さんにならなければなりません。 そこで、これを成し遂げるためのものが私たちの教会であり、これを成し遂げるためのものが世界の兄弟であり、これを成し遂げるためのものが世界国家であるというのです。このことが狂えば、私たちの家庭や教会や民族というものは、すべて無くなってしまうのです。 ですから、神様が創造当時に宇宙を愛されていた心以上の心を持って、すべてのものを引き入れて集結させ、ここに一方的に投入しなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。 このような家庭の最後の終着点に、芸術的な家庭理想を持って神様に侍り、真のご父母様が自分の家庭に来られて「永遠に離れたくない」と思われ得る家庭、また神様も、やはりそのように思われることのできる家庭を築くべきです。そしてまた、万民、さらにすべての責任者や指導者、さらには天の国に真の父母の直系の息子、娘、皇族圏があるとするならば、そのどのような皇族でも、その家に行って暮らしたいと思うことのできるような、モデル的な家庭を成し遂げなければなりません。それが、私たちの責任であるということを、一九九九年における当面課題として一つ提示するということを知るべきです(「アーメン」)。宣誓すべきです(「アーメン」)。責任を持つ中心者になるべきです(「アーメン」) そのようになれば、神様が願われる地上天国、永遠なる家庭の出発が成し遂げられるであろうということを記憶してくれることを願います。(「はい」) 今から何をしようとするのでしょうか?。新年辞はそれです。「家庭完成」、「家庭統一」です。その次に「個人統一」です。(「個人統一」)。「夫婦統一」。(「夫婦統一」)。その次は「父子統一」。(「父子統一」)。その次は「兄弟統一」。(「兄弟統一」)。このように、兄弟の中には子女が入っているので、「子女統一」は「兄弟統一」なのです。 赤ん坊として生まれ、兄弟になり、やがて結婚して父親、母親になります。これを統一しなければなりません。そして、子供たちもけんかをしてはいけないのです。「兄弟統一」、その次は「夫婦統一」、その次は「父母統一」です。これを体現して完全に成し遂げてこそ、神様のみ前に、エデンの園における人間の責任分担が完結されるということを知って、この目標に力を注いでいくように願います。 今から皆さんの家庭でけんかをすれば、問題が起こるのです。今まで皆さんは、「心と体を統一しなければ」と、言葉で言うだけであり、このように力を注いで統一してみましたか?「夫婦統一しなければ」と、「統一」というのは言葉だけで、本当には統一していないというのです。 「父親と母親、父子の関係を統一する」と、原理のみ言は語っており、何千万回そのようなことを暗記し、主張したりしました。また答弁し、誓いましたが、統一できなかったというのです。これは深刻な問題です。このことを完結しなければならないということは、宿命的な課題です。運命的な課題ではありません。宿命的な課題なのです。どのようなことがあってもこのことを完成しなければ、天上世界において全体解放圏を手に入れることができないというのです。行く道がふさがれてしまうのです。 上下、前後、左右、すべてのものが球形を成している球形世界は、共に力の交流を平均化することのできる地上でそれを決定してこそ、天上世界のどこに行っても歓迎され、どこに行っても支持されるようになるのです。そうしなければ、欠如した環境が現れるということを知らなければなりません。どれほど深刻か分かりません。 もし地上で果たせなければ、これは永遠の世界に行って、千年万年、永遠の教育を受けてこれをするのです。ですから、その完成基盤というものは天上世界ではなく、地上なのです。霊界に行ったそのときになって、それをしようと再臨することはできません。分かりますか?。再臨して蕩減復帰することはできません。後孫たちが蕩減しなければならないのです。 再臨することができるならば、完成した基準を中心としていつでも地上や天上を思いのままに上がったり降りたりできるのですが、条件に引っかかるようになるならば、その軌道を解くためには必ず、地上にいる自分の一族たちと天上にいる一族を動員して後援を受けなければ、行く道がないということを知らなければなりません。 それゆえに、地上に残された家庭的環境を完備するということがどれほど重要なのかということを、はっきりとよく悟らなければなりません。そのことの完成に、総力を注いでくれることを願います。 「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」 きょうの題目は何ですか?「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。「天宙化」です。「天宙化」とは、祝福したすべてのものは、天と地のどこでも完成的基盤になり、どこにでも伸びていき、どこにでも連結することができるということを意味します。 その次は何ですか?(「サタンの血統根絶です」)。サタンの血統根絶です。心と体が一つにならなければ、根絶されません。それは「根絶」です。今までは「断切」したのです。「断切」とは枝を断切し、葉も断切して木片の三分の一を断切したのです。しかし、これは「根絶」です。根を抜いてしまわなければなりません。根を抜くのには、どこで抜くのですか?。「家庭で抜く」ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 心と体の統一、夫婦統一、子女統一です。ですから、絶対家庭が成し遂げられなければなりません。これはジャルジン宣言においては第二です。第三、第四まで成して、その次に「四・四節」です。アダム家庭で、四位基台完成を定着させることができませんでした。そして、息子、娘が定着することができませんでした。ですから「四・四節」を越えて、今からジャルジンにおいて家庭訓練をして天国に入っていくのです。分かりますか?(「はい」) そのようにすることのできるこの一年に向かって、前進に前進を誓うべきなのです。言ってみてください。(「前進に前進を誓うべきです」)。勝利完成すべきです(「勝利完成すべきです」) ですから、神様万歳、私たちの家庭の万歳をしなければなりません。本当の万歳をしなければなりません。宇宙を代身して、最後の万歳をして、神様とともに一緒に暮らせば全体、全般、全権、全能として、何でもすることができるのです。今から、私たちに怖いものはありません。 お金はたくさんあります。どこにあるのですか?。皆さんの家庭にあるようになっています。そのような家庭が飢えるようになったら大変なことになります。そのようにすることのできる家庭は、飢えることはないのです。そのようにすることのできる家庭が十家庭になれば問題ありません。 ソドム・ゴモラには、義人は何人しかいませんでしたか?。五人いただけでも神様は「すべての人を救ってあげる」と言われたのですから、そのような家庭が百家庭にもなれば、その家庭が暮らす所は、アメリカや世界の歴史時代において豊かに暮らしたどんな国も問題にならないほどの祝福の恩賜が、すべての天運に従ってそこに押し寄せてくるようになっているのです。そのことを知り、私たちの家庭が、そのような動機をどのようにつくるのかということが問題になるのです。その動機さえ解決されれば、お金は問題ではありません。宇宙の中心存在ということになるのですから……。分かりますか?(「はい」) どこに行っても自信満々に、自分が爆発的な中心となって、天の中心から降りてくる力を受けて横的に押し出していくのです。三尋の竿が問題ではありません。八尋の竿を振り回しても邪魔にならないという自信を持って、自信満々に祝福天宙化をなしていくのです。これは天と地がすべて注目する家庭であるので、ここから解放圏を伸ばしていってこそ天宙が回っていくのです。 ですから今から、皆さん祝福を受けた一族は一つになって、すべてジャルジンで教育しなければなりません。 旧約時代の祭物時代を完全に統一祭物としてささげなければならず、新約時代の息子祭物を完全に統一祭物としてささげなければならず、その次に成約時代は、父母祭物を完全に統一祭物としてささげなければならないのです。 神様と完成した父母が初めて一つになって、怨恨の世界の解放と統一を宣布することのできるこの位置は、宇宙ではなく皆さんの家庭であるということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) ですから、今年、神様がたっぷり祝福してくださるということを知っているので、だれか精誠を尽くす人が福をたくさん受けるであろうというのです。 太い水道パイプに水がたくさん配水されることと同じように、皆さんが精誠を尽くし、努力するその内容いかんによって、勝利的パイプがそれぞれ天上世界と連結されるということを知って、精誠、精誠、精誠を尽くし、敗者になることなく勝利者になることを祝願します。真の父母の祝福が共にあることをお祈りします。アーメン。(「アーメン」)。「新年に福をたくさん受けてください」ということです。(「アーメン」)。(拍手) (「全体的に真のご父母様のみ前に先に敬礼をささげ、万歳四唱をいたします。全体、気をつけ。天地父母様に敬礼」) 「総生畜献納解怨祭」と一族教育時代 皆さん、今から敬礼するときは、私たちだけで敬礼するのではありません。必ず、天上世界の天の国を中心として、神様を中心として、祝福家庭と天使世界が完全に一つになって地上とともに敬礼し、お互いに切実な心で引き合うのです。そのようなときは、皆さんの霊界に行っている父親や母親、あるいは友人たちが、自分との関係を中心として引かれて降りてくるのです。分かりますか?。 七十二代、さらに百二十代までも引き降ろしてくることができるのです。皆さんは国家基準をまだ成していないので、国家完成をするためには、百二十門徒が必要なのです。イエス様の時代に百二十門徒の家庭形態を全部皆、祝福することができず失敗したことを、この国家基準以上に越えて行かなければなりません。 今、私たちは国を捜し求めていくうえで、百二十代の先祖たちがここに臨在し、自分を中心として、イエス様が失敗した百二十門徒の祝福圏を中心として、氏族基盤がイエス様の解放圏を代身するようにすべて成すことのできるその位置において、天の国と地上が合わせて敬礼しなければならないというのです。分かりますか?(「はい」) それゆえに、皆さんは聖日であるとか公式的な敬礼をする日には、家庭においての敬礼式に必ず全員が参席しなければなりません。分かりますか?(「はい」)。絶対に参席しなければなりません。今までは自分の思いのままに生きてきましたが、家庭を中心として自分の一族が連合して敬礼しようとするのですから、どのようにしてでも教会に集まり、このように公的な集会をしなければなりません。今からは、一族が集まらなければなりません。一族です。族長たちが礼拝するようになっているのであって、他の人たちではありません。分かりますか?(「はい」) それで、皆さんは今や、先生の誕生日を中心としては、「献納祭」をしなければなりません。「総生畜(蓄)献納祭」なのですが、それは何かといえば、「怨恨の解放式」なのです。解放式をしなければなりません。神様の怨恨を解いてさしあげ、解放してさしあげなければなりません。神様を解放してさしあげなければならないというのです。そのようにしようとすれば、サタンによって全部裂かれてしまったものをすべて統一して、真心を込めて一緒に皆、そっくりささげなければなりません。 そして、成約時代は父母を中心として神様と一つになり、その次に息子、娘、これは新約時代です。息子を犠牲にしたものを、息子を割いてサタンの持ち分として分けて、地上世界と天上世界が分け合ったのです。それから旧約時代は万物を割きました。サタン世界に取り分を与えたという事実は、堕落の結実であるということです。 神様の所有権であるはずなのですが、神様がつくられた被造物を、神様のものをどうして割いて二人の主人に分けるのでしょうか?。これは堕落のためなのです。所有権決定というものは、堕落したゆえに、子女を取り戻すため、そして新しい家庭を復帰するために、このような歴史時代を経てきたのです。このことはだれも知りませんでした。これを完全に合わせて、ささげなければならないのです。 それゆえに、皆さん自体が祭物にならなければなりません。どこで一つにならなければならないのかといえば、祭壇に上がってです。夫婦が祭壇に上がらなければなりません。ですから、自分の所有観念を持ってはなりません。 ところで、今日のアメリカのような国は、完全にサタンの世界になりました。サタンの地獄になったのです。個人主義がどこにありますか?。プライバシーがどこにありますか?。平等がどこにありますか?。上下前後が「平等」であると言っています。その「平等」と主張しているものは、中心を抜かしてしまっているのです。それは、縦的理想を完全に否定したものです。 縦的理想には「上・中・下」があるのです。これを抜いて逆さまにしたので、「平等」というのです。思いのままに行ったり来たりするようなものは、縦的基準ではありません。それは建設されていくものではありません。思いのままにするので、ひたすら落ちて下っていき、地獄に行くのです。そのようにして、愛の理想やすべての愛の秩序を完全に壊してしまったのです。 アメリカにどんな家庭がありますか?。アメリカにどんな父母がいるというのですか?。アメリカにどんな国がありますか、世界がありますか?。すべて失ってしまいました。このサタン世界を完全に整理しなければなりません。分かりますね?(「はい」) このような理想のすべてを持てば、すべてのものは粛然と皆さんの後ろを千年万年侍りながらついてくるということを知って、そのような信念を持って生活環境を整備していくように願います。 七代の一族です。自分の七代の後孫たちをすべて集めて今回の……。修練所に教育を受けるために来るときに、一人で来てはいけません。全部皆、一族を中心として来なさいというのです。四位基台が終わった後に、一族教育時代を経ていかなければなりません。分かりますか?(「はい」) そのときには、自分の持てるものすべてをささげなければなりません。そのささげようとする行列は、歴史以来最も長い行列だというのです。それをささげることによって、先祖の第一代となり、二代、三代と代数が展開されるというのです。ここに座っているのは何人ですか? 五百人ならば、五百代が生じるのです。五百代の差が生じるというのです。 一つの場所に共に座ったこの場において、だれがこれを完成して、先にそれを真心を込めて献納して入籍するかという問題において、五百代の差が生じるのです。そのことによって、天上世界に行ってからは、皆さんが会おうとしても会うことのできない段階に分かれてしまうというのです。何のことか分かりますか?。そのようになるかならないか、見ていなさいというのです。 ですから、一族を早く整備しなさいというのです。競争が展開するのです。世の中で一番恐ろしいことが展開されるのです。競争の中で、それ以上恐ろしいことはありません。 先祖たちは地団駄を踏みながら、「この者たちめ、おまえの持っているものを早く早くささげなさい」と言い、それをせずに越えていけば、その者の所有を踏みつけ、始末するというのです。この者たち。ある時になって、宣布する日が来たのにそれができなければ、残した万物、息子、娘、妻、夫婦すべて崩れてしまうのです。逆さまに差し込んでしまうというのです。 天の悔しく無念であったことが、解怨成就の日を迎えるのにもかかわらず、腐りゆく、地獄に行きかねない自分のその家庭にしがみついて、その周りをぐるぐる回って防御し、保護して何になるというのですか?。とんでもないというのです。分かりますか?。 ですから、この教育を終えて、今から皆さんが教育を修了して別れるようになれば、一族の教育を指示することでしょう。ですから、家庭教育時代は過ぎていくのです。分かりますか?(「はい」)。はっきりと教えてあげてください。ジャルジン教育に行かなければなりません。ジャルジンに帰っていかなければなりません。 「神様の全能時代」の到来 先生は、いちばん頂上にいたのですが追い出され、いちばん下まで来て、ここで地上・天上天国をすべて成し遂げなければならないのですが、それができなかったので、右側のキリスト教文化圏を中心として、これをすべてを収拾するのです。 失ってしまったものを、荒野で個人、家庭、氏族を中心として、家庭的に接ぎ木するみ業を行い、これをサタン側の家庭を上げて……。神様と家庭が分かれているというのです。ですから上がっていき、家庭的代表であるご父母様を神様の代身として侍り、この地上に降りてくるのですが、どこに降りてくるのかというのです。まっすぐには行くことはできません。 還故郷しようとすれば、この地の果てに来て帰っていかなければなりません。ですからここに来て、ここに、このジャルジン理想家庭教育本部があるのです。その教育本部は、天地の救世主となる、天地のメシヤである神様なのです。 地上・天上天国のメシヤは神様であられ、そして世界的メシヤは再臨主なのです。分かりますか?。その次に国家的メシヤがいますね?。メシヤの中には国家的メシヤがおり、その次は氏族的メシヤがおり、家庭的メシヤがいるのです。 祝福を受けた家庭を中心として、家庭的、氏族的、国家的、世界的メシヤがすべていることによって、これらがすべて皆、新しくジャルジンの教育を受けるその基地に来て、そこで天国に行くことのできるチケットを上げるのです。皆さんの写真を皆、撮ってあげるのです。この人たちは、先生が間違いなく歴史的先祖の系列に参加させるのです。ですから、その写真が必要なのです。その写真がなければ問題になるのです。 そうしようとするならば、ここに「献納祭金」というものがあります。それは十六数です。それゆえに、魚も百六十匹捕まえなさい、というのです。 皆さん、すべてそうではないでしょうか?。韓国と北韓も、韓半島が南北に分かれ、いつまでも国連に加入できませんでした。これが国連に加入したのが、北朝鮮は百六十番目、韓国は百六十一番目だったのです。このように百六十で区切るのです。最後なのです。”一”は一つ残ったものなのです。 それゆえに、国も百六十国家なのです。皆さんが伝道する祝福家庭は何家庭ですか?。百六十家庭です。第一次大戦も十六か国が加担して闘い、第二次大戦を中心として、韓国動乱も十六か国が加担したのです。十六数を中心として、「四・四数」が問題なのです これは祭物です。蕩減しようとすれば、祭物が必要なのです。それゆえに、旧約時代の祭物、新約時代の祭物、父母祭物、神様の心情に打ち込まれた釘を取り除くためには、私たちが全体を合わせ、真の父母を中心として祭物をささげなければなりません。 このようにして統一的祭物を献納することによって、神様が全体の主人となられ、この地上に私たちの家庭から氏族、民族、国家に君臨されることによって、思いのままに行き来されるのです。思いのままに上下関係、左右関係、前後関係を回っていかれることができることによって、神様が主管される世界になるのです。全体が同じなのです。 サタン世界のすべての全権、権能がいくら強いとしても、その中で神様の全能時代が来るのです。神様が思いのままになさることのできる時代が来るのです。そのようにすることのできる時代になって初めて、地上天国になるというのです。分かりますか?(「アーメン」)。神様を解放してさしあげなければなりません。 旧約時代、新約時代、成約時代、そして何ですか?。解怨時代です。それも四数です。全体をささげなければなりません。このようにすることによって、神様が全体を受けられるのです。しかし、神様はこれを受けられても、そのまま持っておられるのではありません。神様は全体を受けられてから、初めてアダムに譲り渡されるのです。神様は、ご自身が受けられたものを真の父母の前に譲り渡され、そのことによって、ここから所有権の分配が始まるのです。 地上天国というのは、これを返してもらって、統一的王圏時代を迎えなければ、地上に天国が成し遂げられないということを知らなければなりません。分かりましたか、分かりませんか?(「分かりました」)。はっきりと知らなければなりません。いずれにせよ、帰っていかなければならないのです。 それで、「四・四節」を北方のコディアクに行って宣言したのです。二世たちを中心として立てて行うのです。ここに、南の方には国家的メシヤ、北の方には母の国のメシヤ、カイン的メシヤ。このように分かれるのです。これを連結して心情的なものを中心として……。その前には二世になるのです。 だれが先になるのでしょうか?。プラスがあれば、マイナスがあり、またほかのプラスは、このマイナスにくっつかなければなりません。北側に入っていき、長子、二世たちがプラス・マイナスとして連結され、そこで「四・四節」を宣布することによって、アダム家庭の四位基台が着地し、息子、娘の四位基台が着地するのです。初めてその二つの四位基台が着地できることによって、天上世界の門を開くのです。 ですから、このことを準備するために、六月十三日に「聖人」と「殺人魔」たちを祝福してあげたのです。それは兄弟だというのです。サタンを抜いてしまったので、今や神様が思いどおりにされるのです。そうして、解放的地上・天上天国になったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい」) 皆さんの一族がこれを皆、すべて献納すれば、七十家庭から百二十代の先祖をすべて解放することができるのです。何のことか分かりますか?(「はい」) そのようになれば、霊界で即刻、興進君が祝福してくれることでしょう。そのようにして霊界解放をするのです。そして地上解放です。それゆえに、真の父母に侍らなければなりません。霊界に行った人は、真の父母に侍ることができないのです。 彼らに対して皆さんは兄の立場であり、皆さんの家庭は兄の家庭であり、王の中の「兄さんの王」の立場なので、霊界に行った人は、地上に来て皆さんの後ろをついて回りながら、アダムの立場である、地上にいる皆さんの家庭を中心として、天使長の位置の体を受け継いだような弟の位置において初めて一体となるのです。 そうして絶対信仰、絶対愛、絶対服従して完全に一つになることによって、兄の後に従って天上世界にご父母様とともに入っていくことができるのです。解放的アーメンが展開するのです。分かりますね?(「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 それゆえに、皆さんの家庭の問題なのです。一族の核になることのできる家庭、統一的基準を成すことのできる家庭、これが問題なのです。今までどれほど自分なりに生きてきましたか?。分かりますね?(「はい」)。自分たちで分かるではないですか?。本当に心と体が一つになりましたか?。 水晶が四方からすべて見通せるように、自らをよく照らしてみてください。それは自分たちがよく知っているのです。夫婦同士、けんかしてはいけません。引っかかってはいけないというのです。先ほど話しましたね?。さあ、万歳三唱ですか、万歳四唱ですか? (「まず、勝利された真の神様に万歳をささげ、二番目に勝利された真のご父母様万歳、三番目に第三十二回『真の神の日』万歳、四番目に『真の祝福の天宙化とサタン血統根絶』の一九九九年の目標を勝利することを誓う万歳をおささげします」〈郭クァク錠チョン煥ファン先生〉) 家庭が抜けましたね。統一家庭。(「はい。今年の標語を中心として……」)。「家庭」という言葉を入れなければなりません。(「はい。個人と家庭の統一を通した今年の目標を勝利する万歳をおささげします」) (「勝利された神様万歳」「勝利された真のご父母様万歳」「第三十二回『真の神の日』万歳」「勝利する一九九九年万歳」) 統一家庭万歳(「万歳」)一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.13
コメント(0)
生と死に対する理解 この講演文は、1998年12月19日、アメリカのワシントン・タイムズ社で開催された「世界平和超宗教超国家連合」の大会で語られたみ言です。 尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様! きょうのこの場は、各宗教の指導者の方々が参席されていらっしゃることと思います。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださり、心より感謝申し上げます。 死は根源の世界への回帰 時間をお借りして、これまで各宗教が解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対しての、私の見解の一端を披瀝させていただこうと思います。私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあるということを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そしてこの地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されているのです。したがって、私たち人間は霊界から生まれたので、いずれにせよ再び霊界に帰らざるを得ないのです。 皆さん! 韓国語にはおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」という言葉を使って表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に共同墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源の世界へと帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな谷を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大きい海へと流れていくのです。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通してより高まることのできる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。 それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っているのです。ですから地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。 学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならないという単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校から認められる割合が決まるのです。しかし単位が足りない比率が高ければ高いほど、その学生は学校が立てたその価値基準から遠ざかるのです。 このようにすべてのものは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯すべてを懸けて単位を取る準備期間だということです。すなわち私たちの一生において責任を追及するある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。 ところがほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるかないか、神様が存在するかしないかも知らずに生きているのです。人類は一つの兄弟、一つの国民 皆さん! 私たちはいずれにせよ、みないつかは霊界に行くようになっています。気づいてみると、その霊界は一つの国です。地上世界でのように、いくつもの国に分かれているのではありません。それでは、霊界で生活する内容はどうなっているのでしょうか。 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件となります。だからといって、魚も一箇所だけで棲むのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって子供を産ませる場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心も、このように互いに通じなければなりません。 人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖のアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの国民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になることができていたという意味です。 そのようになっていたならば、アダムの生活の風俗、習慣はそのまま人類歴史を通じて継承されていたでしょうし、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたことでしょう。 人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬか分からないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド・ムーンの言うことが正しかったのだ!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいるということを知らなければなりません。私たちは永遠の世界へ行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。 一般的に霊界に行く人には、二種類があります。自分のもって生まれた運命のとおりに生きて行く人と、自分の運命のとおりに生きられずに行く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに行く人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに行く人がいます。 もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立てて、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳の前に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習ってその人のように生きようとするなら、結局人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。 死と闘って勝利することのできる希望 人間の中には、希望をもって生きる人もいるし、希望をもたないで生きる人もいます。ところで希望は、人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二種類に大別することができます。 私たちは生まれたその日から、お母さんの懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、お母さんの懐を離れます。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子供も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。 人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢が多くなるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。 事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固とした信念をもつことができないのです。 私たちは一生の間、希望を抱いて生きますが、結局死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちはきょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、絶望しつつ最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。 人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生の道理として死さえも笑って乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。 皆さん! この世のすべてのことは、みな過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利することのできる希望です。私たちにそのような希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。 この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望一切を拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。天は正にこのような人々を助けているのです。ですから信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。 私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど私たちは死についてだんだん深刻になります。ここに座っている皆さんも、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、宿命の関門です。誰も避けられない道だからです。 私たちはなぜ死を恐れるのか 私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という言葉を使った目的が何であるか知っていますか。生の意味を知らせるためです。生の価値は誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人は分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。 それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも一番初めに問う質問が、人生が何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。 皆さん! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを御覧になる神様は、げらげら笑うでしょうか。それとも「うう!」と言って驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしがるのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入することのできる喜びを迎える瞬間が肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間であるからです。 それなら神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆さんが死の恐怖から解脱せずしては、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。 神様は人間が赤ちゃんとして生まれたときから、おしっこやうんこをしながら成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にそのしぐさをします。神様が笑えば子供たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しつつ親たちの姿に似るのです。言葉も習い、生活規範も親たちから習うのです。もちろんこのすべてのことは、本来神様から由来したものです。それなら神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、向こうにさっと飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。 「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなってもう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「私たちも今は行けませんが、いつかは行く時が来るでしょう」と言いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間は、人間は神様にいつもついて回ることはできないのです。 さあ、それでは何が問題ですか。私たちが神様に似たがり、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。 それで、人は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に生まれることのできる日を待ち望むのです。そのように生まれることのできる人に生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。 それなら人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。だとしたら、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないでしょうか。神様の真の愛、すなわち「ため」に生きる愛のために死のうとしなければなりません。ですから肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。 皆さん! 皆さんは一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金持ちでしょうか。皆さん、一度考えてみたことがありますか。 あの無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能なるお方です。御自分の子供たちに、何でも与えようとされないでしょうか。いかがですか。 神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆さんも関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければなりません。そうしてこそ神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはできないのです。 皆さん、神様が「するな、しろ!」と言われることを守ることができる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければなりません。 水中、地上、天上の三時代を通過しなければ 人はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、お母さんの腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界をいいます。私たちは腹中時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代、このように三時代を通過するようになるという意味です。 私たちがお母さんの腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中にずっと残ろうとじたばたします。なぜなら私たちが腹中を飛び出るときは、家がみな破壊され、私たちが食べて生きていた栄養の価値とすべてのものが崩壊し、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないからです。それを誰が好むでしょうか。生まれるその瞬間までみな「ノー!」と言うのです。子供は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になるのです。 お母さんたちが赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを産んだことのあるお母さんたちは、みな知っています。力を入れる時は、顔がいくら美人でも、すごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず逃げていくほどです。いかつい、あばた顔になってしまうのです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに子供が産まれてくるのです。 ところで、この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか。それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまいますか」と抗議する人がいるかもしれません。 産まれてくる赤ちゃんも死にそうだと、あんあんと泣きじゃくります。しかしそれを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると産まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ! ふうっ!」と息をするようになるのです。 皆さん! 人は初めに生まれるとき、一番深い水の中で生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ちゃんがお母さんの胎の中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると、お母さんのおなかの中の時代では息が途切れて、生きるのが大変なように感じられます。 水の中で生きているので当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではありませんか。そのために腹中の赤ちゃんたちは、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の子は栄養分をどこを通じて供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の赤ちゃんには口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげるのです。おへそをよくなでてあげると健康になります。笑い話ではありません。 そのように運動をしなさいということです。へその運動を通じて健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢になりません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口であったということは間違いありません。 このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口です。しきりに上に上がっていくのです。同じ原理で、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように、肉身を使って食べ、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。 ところがその時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。 大変な苦痛を甘受し、お母さんの腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴をあとにして新たに生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。 地上世界でも子供が生まれたのちに大きくなれば、お母さん、お父さんの友達になり得るのです。お母さんとお父さんの愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。赤ちゃんが母胎の中で泳ぎ回るのと同じように、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。そのような過程を経ながら地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なないで生きている」と言えるのです。同じように私たちは、霊的無限の世界に通じることができる親の代わりに、神様と愛を分かち合うことのできる霊界へ再び生まれなければならないのです。 それでは霊界は、どんな所でしょうか。私たちが霊界に入れば、頭の上にある気孔と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は、地上の空気ではなく愛です。呼吸を通じて愛の要素を受けるのです。 私たちが地上ですべきことは何か 私たちが地上で生きるときも、御飯だけ食べてはいけません。御飯だけ食べて、水だけ飲んで生きるというのは、御飯袋と水袋を満たすだけのことです。結局、そうして死んでいくということです。地上で生きる間の私たちの姿は、第二の私たちの存在です。 私たちがこの期間にすべきことは、新しい愛の人格を形成することです。この地上で私たちが最も必要とするものは愛です。孤児とは何でしょうか。お母さん、お父さんの愛を受けられない子供たちをどうして孤児と呼びますか。霊界と永遠に連結させることのできる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で生きる人をかわいそうだというのです。 もう一度お話ししますが、私たちが死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体に連結されたこの器官を壊してしまって、愛の要素を受け継ぐのです。ですから私たちは、いずれにせよ肉身を破って出ていかなければなりません。 愛は見えないものです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、このすべての愛を中心として私たちの内的な構造が成長するのです。 それで私たちが神様の法則のとおりに生きるときにのみ、赤ちゃんがお母さんの腹中で正常に育つのと同じように、私たちがこの地でもよく成長できるのです。ですから、むやみに生きてはならないのです。 私たちが自然界を調べてみると、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥までも飛ぶことができるのに、ましてや万物の霊長たる人間が飛べなくてどうしますか。たんぽぽの種を見てください。風が吹くと自然に飛ぶようになっています。 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかに飛べるように創造されたに違いありません。ある者は性急に神様に「神様、ほかのものたちはみな飛んで回るのに、どうして私たちは飛べないように造りましたか」と抗議したがるでしょう。しかし神様は「お前たちは数十年待って完成すれば、飛べるようにしてやる」と答えられるでしょう。 地上で愛する訓練をしなければ それではその時まで私たちは何をしなければなりませんか。その時になって、その世界に適応できるように、私たち自身を訓練しなければなりません。父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子供を愛しながら、この地上世界で訓練をしなければなりません。そうして時が来れば、永遠の世界へ入り、永遠に神様に侍って生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。 私たちがせみの一生を調べてみれば、せみも飛ぶようになる前に、幼虫の段階を経ます。ところでそのせみが「ぼくは幼虫のまま暮らしたい。殻を脱ぐのは嫌だ。ああ、陸地も空気も何もかもみんな嫌いだ」と言って反抗したとしても、いざ殻を脱いでみると、びゅーんと飛ぶようになるのです。 とんぼも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで暮らし、地上に上がってきて、しばしはい回り、その次は殻を脱いでぱたぱた飛び回り、陸地では食べるようになるとは想像もしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように昆虫類の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。 それで昆虫には翼があります。水と陸地と空中の三時代を過ごしながら翼をもつようになります。万物の霊長という私たち人間に翼がありますか。地上でのみ生きていいでしょうか。人間には次元の高い翼があるのです。皆さんも肉身を脱いで死ぬのは嫌だと言うでしょうが、いざ死んで肉身を脱げば、私たちは霊人体として第二の出生の恵みの関門を通過するために、ひゅーっと飛んでいくのです。 前にもお話ししたように、人間はどうせ死にます。私たちは、善なる自己を永遠の世界に第二の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ちゃんとして生まれるのと同じように、私たちの地上世界での生活も、よく準備しなければなりません。神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習いつつ、大きくならなければなりません。大きくなってからは、また命を懸けて越えていかなければなりません。したがってどんなに恐ろしい暴風雨がやって来ても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。よくやっていても、境界線の前で倒れてはなりません。 私たちがこのような人生の境界線に立つとき、私たちは果たして何をしなければならないでしょうか。思いをしっかりして頑張っても最後まで行けるかどうか分からないのに、あたふたしていたら、途中で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になれないのです。 人として生まれ、一度やってみるだけの価値あることです。いくら後ろで反対し、横から迫害したとしても、自分の行く道を行けばいいのです。人が反対するのに関与する余地がありません。一歩ずつでも早く行って、この運命の道を通過していこうという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちはみな、そのように行かなければなりません。 私たちはよく「心がまっすぐだ」と言います。それはどんな意味ですか。まっすぐに垂直に立ったものを「まっすぐだ」と言います。木も横に傾いたのを「まっすぐだ」とは言いません。「心がまっすぐだ」というのも同じです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。 自分の心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で成されるとき、垂直から引っ張る力と水平から押す力がバランスを取り、求心力と遠心力が形成されるのです。 ですから私たちは、私自身を見つけなければなりません。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母にそうだと認定されなければなりません。その土台の上に私たちは親戚、一族、一国、このように発展させていき、私たちの生活環境を拡大していくのです。 この世で危険な伝染病の患者たちを隔離して収容するように、遠からず神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯した人々は、隔離して北極のような寒帯地方に収容する時が来るかもしれません。彼らは完全に悔い改めて改悛するその日まで、そのような所にほうり出して、食べ物も寝る所もなく、大変な苦痛の道を歩むかもしれません。 天の希望を抱いて生きる人とはどんな人か 皆さん! 私は恨めしいことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成就する責任を私に下さったので、私が生きている間に神様が満足される水準までみ旨を成就しなければならないということです。 そうするまでは、死ぬに死にきれないのです。それで私が死地に入っていっても、神様が導かれ引っ張ってくださるのです。私はこのみ旨を成すために、御飯を食べるときも、寝ても覚めても世界と人類のために祈り、努力しています。 ある特定の国や特定の民族のためには苦労しませんでした。私の目的は世界の救援です。私はその目的のために今まで死を覚悟し、犠牲的に命を捧げて、働いてきました。 皆さんも世界のために生き、死ななければなりません。世界を救うためなら、愛する妻を抱いて、家庭を抱いて、自分の宗族を抱いて、民族をまるごと抱いて、死ぬこともできなければなりません。 さて皆さんは将来、ある日死を迎えることになり、死を前にして過ぎし日を回顧するようになるでしょうが、その時どんな一言を残して逝くのかということを考えなければなりません。死の道は、友もいない道です。愛する父母のいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行かなければならない道です。 もう一度行くこともできないし、行って来ることのできない道、一度行けば永遠に帰ることのできない道ですが、この道を行くときに、人間はどんな心をもって行くかが重要です。人間が死に逢着する瞬間、その死を乗り越えることのできる希望がないとするならば、そこでおしまいです。 今日まで神様のみ旨を支え、神様のみ旨を立ててきた多くの人々は、どのような人々だったかと言えば、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を凛々しく乗り越えた人々でした。そのような人々が天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通じてよく知っているのです。 それでは天の願いを抱いて生きる人は、どんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えることのできる人です。そのような人が天の願いを抱いた者だということを知らなければなりません。ですから私たちは死を前にして、この世のすべてのことを恨み、嘆く人にならないで、喜び、天の前に立って、自分の死の価値を誇り得る人にならなければなりません。 人生の勝敗はいつ決まるのか それでは、死んだならどうなるのでしょうか。死ぬ直前までは私のものですが、死んだのちは神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。ですから死ぬまでは、私たちの生命すべてはサタン側の因縁を抜けきれないのです。しかし、死んだのちは神様と因縁が結ばれるのです。死なずしては復活できません。一つの時代を過ごさずしては、次の時代を迎えることができないのです。 「生きんとする者は死に、死なんとするものは生きん」という聖書で言う「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠で真の生命を殺せということではありません。 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きるということです。この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ、復帰ができないのです。これは復帰の正常的な論法です。 人生の勝敗は、数年の期間を通して決定されるのではありません。それは一瞬間に決まるのです。私たちの一生を通して見ても、皆さんが生まれるその瞬間は、長い期間ではありません。 もちろん生まれるまでの腹中の時期がありますが、その腹中の十カ月という期間は、出生する一瞬間のための期間なのです。ところがいくらよく準備したとしても、決定的な一瞬間をうまく越えられなければ、生まれるその赤ちゃんは悲運の運命を迎えることになるのです。 この地上に来て、運命の瞬間を迎える最期の場で、過去を悔い改める人がいるとすれば、その人の心には過去のすべての事実が映像として映し出されるでしょう。その中で「真があり、自分の生命よりも貴い何かを残した」人がいるとすれば、彼はたとえこの地に来て逝ったとしても、生き甲斐のある一時を楽しむ人になるでしょう。 しかし、過去のすべてのことを回想してみるとき、頭を振って回想したくない過去をもっているならば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜が満ち、自分のすべての問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一場面として飾られるでしょう。過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間ではなく、ほかの何かを残すなら、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。 そうすることのできる過去をもった人は、必ず民族がついていくことができる因縁をもった人であり、世界万民がついていかざるを得ない因縁を残した人であると見ることができます。 神様の前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、人に結果をもたらすことができてこそ、善になり得るのです。 過去の生活が人のために生きる生活だったならば、死の道でも恐怖がないはずです。人のためにすべてを与え、人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら、涙も人のために流し、自分の生命も人のために投入し、自分の願いも人のためのものならば、自分の脈拍から流れ出るすべての生命力を寄せ集めて人のために投入するならば、その過去は光輝く過去になるでしょう。 聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし凡人は自分によって生きようとし、世界も自分のためにあるようにした人です。 霊界は真の愛を中心として「ため」に生きるところ 霊界にも霊界としての世界があり、国があり、氏族があり、家庭があり、個人があります。個人を中心として見るとき、「私はそこで絶対的に必要な存在だ」と言える自主性なしには入れないところが天国です。家庭を中心として見るときも、氏族を中心として見るときも、「やはり私が絶対的に必要だ」と言えるそのような自主性があってこそ行けるところが天国です。 霊界では地球というものは、ごみつぶのようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情をもって地上に生まれ、生きて死んだ人がいれば、ここに直接現れよ!」と言えば、その人が瞬時に現れます。そのように直感的感覚が現実化される世界です。そこには食料を作る工場もないし、自動車を造る工場もないし、何もありません。 人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書をもって行かなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをやった」と言える生涯の証明書です。そのような証明書は自分自身が書くことはできません。初めはサタンが書きます。まずサタンに証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければなりません。その次に神様の証明書をもらわなければなりません。この三つの証明書が必要だということを知らなければなりません。 霊界に行けば霊界は膨大ですが、三段階になっています。誰が最高の位置に上がるかといえば、より人のために人生を生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は反対の位置に立つようになります。自分のために生きた人はみな反対し、人のために生きた人はみな歓迎します。霊界に行けば、自分の親、自分の妻も関係ありません。高いところに行く人はみな、人のために生きた人々です。 世界のすべての国を回りながら、自分のお母さんと家庭に対する愛を拡大したような心情をもって「ため」に生き、世界の人々をみな悪から救おうとする聖人の心をもった人々が、高いところに行くのです。自分のために生きた人は地獄に行くのであり、人のために生きた人は天国に行くのです。この二つの世界が死から分かれるのです。ですから全体のために生き、より大きいもののために生きよというのです。 世界のために生き、神様のために生き、人類解放のために生きよというのです。これから互いに「ため」に生きようとする競争が始まるでしょう。天の国では、「ため」に生きる人が高い位置に行くので、その高い人のために私が生きれば、その人に乗ってジャンプできるのです。その人のために生きるのは、神様が創造して相対を造ったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立つということです。 霊界は、真の愛を中心として、ほかの人のために生きるところです。人のために一〇〇パーセント生きる人に対しては「私を踏んで越えていってください!」と言うのです。どんなにアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもっとその国の国民のために生きる人がいれば、その人が大統領を踏んで超えていっても、みな歓迎するのです。 しかし自分の利益だけを得ようとするときは、みな怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きなことのために生きようとするときは、自然に通過するのです。より大きなことのために生きれば、自然に通じるのです。ですから世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれるのです。すべての国がみな含まれるのです。 みんなが歓迎することのできるその方向の内容とは、真の愛を中心として「ため」に行く愛の道以外にないという結論が出てくるのです。死ぬときにもっていくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的人間としての自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。 人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残り、あの世の所有権決定の基準となるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって皆さんの霊界の所有権が決められるということを知らなければなりません。霊界に行って誇るものとは何かといえば、どれほど人を慕って生きたかということです。 あの世で必要なものは、ほかのものではありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子、娘よりも、神様をもっと愛したことです。妻が話すとき「あなたは私より神様をもっと愛して私を愛してください」と言ってこそ、夫からより高い次元の神様的愛を受けられるのです。 心情圏の世界は愛が普遍化できる世界 今日レバレンド・ムーンは心情圏ということを説いていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きたとしても、天と地、天宙を中心とした夫婦の愛でなければなりません。ですから、その世界に合格することのできる愛の基盤をどこで築くのでしょうか。レバレンド・ムーンは、この世でそれを築いて行かなければならないと教えているのです。この世で貴いというそのいかなるものとも違って、心情圏世界の合格者になれるようにです。 ですから、霊界には家庭を連れて入らなければならない原則があるのです。どうして息子、娘がなければなりませんか。後孫とは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざって生まれたものです。したがって後孫をもてなかった人は、霊界に行って天地の調和を成すことができず、東西南北に拍子を合わせられないのです。後孫をもてなければ、あの世に行っても遊び、休むことのできる場所がないのです。 世界宗教国連創設を主唱する 皆さん、霊界では宗教や宗派は必要ありません。そこに行って長老派だカトリックだのというのは必要ありません。神様との生活圏内に入るのです。あの世に行けば、世界を愛した人もいるし、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちがみないるでしょう。しかしレバレンド・ムーンが知る限りでは、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないのです。 あることを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。霊界に行けばそのような原則にどれほど同化し、ここにどれほど一致するかということが、これから地獄から中間霊界、楽園、天国まで、みな連結されるのです。 何が一番貴い道かといえば、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世においてパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。 宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神を信じて行くので一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かといえば、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれるのです。 世界の各宗教を代表して、きょうこの場に参席された皆さんに、私がこれまでお話ししたとおり、人間の生死の問題を中心とした生の価値を集中して取り上げたのは、他意があってのことではありません。生と死に対する正しい教えを与えるのは、私たち宗教指導者たちの責任であることを強調するためです。 今日、この世界の政治指導者たちは、国連を通じた世界平和と人類の繁栄を追求しています。しかし私の判断では、政治、経済、軍事的側面を中心とした国連の機能だけでは、世界平和の道は不完全だというのです。政治、経済、軍事的手段は、外的、肉的、物質的側面にすぎません。ですからより内的、霊的、精神的な側面は、宗教的教えと世界すべての宗教の連合と一致した行動を通じてこそ可能なのです。 私は、きょうこの場を借りて、これまでの国連に世界の主要宗教とその指導者たちが参与する世界宗教国連機構が創設されなければならないことを主唱するものです。 世界と人類の未来のために、きょうこの時点で世界宗教国連創設とその役割の重要性について、これから皆さんと世界のすべての国々が、さらに深く論議してくださることをお願いするものです。ありがとうございました。一和 メッコール(250ml×30本×1ケース)【送料無料】一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.12
コメント(0)
第39回「真の子女の日」記念礼拝の御言1998年11月19日ニューヨーカーホテル 神様を中心とした愛 世界には数多くの宗教があります。その宗教が目指すものは天国であり、どのようにして天国に行くのかということが宿題になっているのです。堕落がなかったならば、そのような宿題はありませんでした。 神様はアダム・エバを創造されるときに、一人の男性と一人の女性としてつくられました。何のためにそのようにされたのでしょうか? 男性であるアダム、女性であるエバのふたりが喜ぶためにつくられたのでしょうか、それとも神様が喜ばれるためにつくられたのでしょうか? どちらが先に喜ぶべきなのかということが問題になるのです。どちらが先でしょうか? (「神様です」) どのようにしたら神様は喜ばれますか? アダムとエバの顔を見ることで喜ばれるのですか? (「いいえ」)。神様は、顔を見て喜ばれるでしょうか、それともキスしながら喜ばれるでしょうか? (「キスしながらです」)。それでは、アダム・エバが神様の所に上っていって、そのようにしたでしょうか、それともアダム・エバが住んでいる地上に神様が降りてこられて、そのようにされたでしょうか? どちらが先だと思いますか? (「地上に降りてきてされました」) それでは、神様が地上でキスされたとすれば、だれに先にキスをされたでしょうか? (「エバです」)。(「アダムです」)。(「エバです」)。(「アダムです」)。(笑い)はっきりと答えてください。どちらですか? (「エバです! )。皆さんがエバであると言うなら、アダムがそれを見てじっとしているでしょうか? 「私に先にキスをすべきなのに、なぜエバに先にキスをするのですか?」と言わないでしょうか? 息子のほうが貴いでしょうか、それとも娘がもっと貴いでしょうか?(「息子です」)。(「娘です」) このような問題が生じるのです。これはどれほど複雑な問題ですか。いくら複雑に考えても、事実を知らなければ意味がありません。真実を知らなければならないのです。 神様とエバがキスするときにアダムも喜び、アダムとエバがキスするときに神様も喜ばれることのできる位置はないでしょうか? そのようになれば神様も喜ばれ、アダム・エバも喜ぶはずです。アダムを先にしてもエバを先にしても問題になるので、それをどのようにして解決するのかを、私たちは考えざるを得ないという結論が出てこなければならないのです。 神様は、その問題を考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか? アダム・エバは、成長する過程において考えることはできませんが、神様はそれらのことをすべてご存じで考えておられたでしょう。アダム・エバが神様とともに喜ぶことのできるキスをしなければならないということは理想的結論なので、神様もよくご存じであったのです。 キスするときにも共に喜び、何かいいことがあっても共に喜ぶことのできるというのが理想的ではないでしょうか?神様が、「あなたたちふたりは、神様まで喜ばせることのできるキスができますか?」と言われるとき、アダムに尋ねてもエバに尋ねても「できません」と言い、このふたりが神様に、「それでは神様はできますか?」と尋ねれば、神様は「できる」と言われるでしょうか、「できない」と言われるでしょうか? どちらでしょうか? 神様の体が分かれて、その分かれたものが再び合わさって一つにならなければならない、という論理しかないのです。 なぜこのような話をするのかといえば、重要なことだからです。私たちが喜ぶとき、キスをするとき、何を中心とすれば一番いいのか、ということです。お金を分けてあげるためにキスをするのですか? 神様が力を誇るためですか? 愛を成就するためです。愛のためにキスをし、愛のために抱擁もするのです。 アメリカの人たちはカップルのことだけしか考えないでしょう? 第三者は必要ない、ということではないですか? アメリカの人には、祖父母も必要なく、父親、母親も必要なく、兄弟も必要ないのではないですか?男性には女性がどれくらい必要でしょうか? 絶対必要です。女性には男性がどれくらい必要でしょうか? 絶対に必要なのです。 それでは、どのようなパートナーを願いますか? 瞬間的な愛のパートナーですか、永遠に絶対的な愛のパートナーですか? (「永遠に絶対的な愛のパートナーです」)。本当ですか? (「はい」)夫にとって、妻のすべてのものは絶対的でなければなりません。妻にとって夫は絶対的でなければなりません。服や足の爪、髪の毛までも絶対的であるというのです。 それでは目はどうですか? もちろんです。鼻はどうですか? もちろんです。口はどうですか? もちろんです。手ももちろんであり、すべてのものが絶対的なのです。 それでは、アメリカにそのような家庭はありますか? 偽物ですか、本物ですか? (「偽物です」)。偽物なら、ゴミ箱に入れなければなりませんか、父母の机の上に宝物として置いておかなければなりませんか? (「ゴミ箱に入れなければなりません」) 神様がごらんになれば、ゴミ箱にほうり込まなければならないのです。そのような人が霊界に来て永遠な神様に出会うようになれば、地獄にほうり込まれるということを知らなければなりません。ゴミ箱の代わりに脱落者が行く所が地獄なのです。フリーセックス、ホモ、レズビアンが入り交ざったアメリカは、神様が愛される国ですか、呪われる国ですか? 今日、堕落した世の中の人間たちを、堕落していない本然の主人であられる神様がごらんになれば、何層にもなる地獄のいちばん真っ暗な、人も見ることができない所にほうり込まなければならないのです。それで底なし地獄というものがあるのです。 「アメリカの国民は優れている」と誇ってはいけません。偉そうに横柄な態度をとってはいけないのです。「チャンピオンである。お金がある。軍事力、知識がある」と誇ってはいけません。 「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド」といえば、世界のためのアメリカになるのですが、アメリカはアメリカ国民のための「ワン・ネイション・アンダー・ゴッド」です。そのような国は必要ありません。アメリカ政府や上下院を中心として世界のためのアメリカとなることを決定し、そのような思想を持つようにしなければ、神様を訪ねていく道がないのです。 そのような意味から、レバレンド・ムーンのみ言を聞かなければならないのです。赤ん坊から国会議員、大統領、すべてがひざを折って悔い改め、神様の前に引導者を探し求めたとき、神様が「レバレンド・ムーンのみ言を聞きなさい」と言われれば、どのようになるでしょうか? レバレンド・ムーンをどれほど必要とするのかといえば、絶対に必要なのです。(「はい」)。神様が愛されることができる道を教えてくれる代表者であるからです。 愛の道 それでは、アダムとエバはキスのしかたを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか? 考えてみてください。男性と女性が成長したらキスして抱擁して愛し合うことができる、ということがアダム・エバに分かるようになっていたでしょうか、分からないようになっていたでしょうか? 神様がいちばん喜ばれることが、男性と女性がキスして抱き合うことであるならば、アダム・エバが成長し大きくなったならば、そのようにできるはずです。ふたりがその年になったとき、神様が喜ばれる場所で愛し合ったでしょうか、神様が嫌われる場所でしたでしょうか? 嫌われる場所でしたのなら、それ以上神様の前に近づくことはできず、喜ばれる場所でしたのならば、それ以上神様と離れることができないのです。 アダム・エバはキスして抱擁したいと考えたでしょうか、考えていないでしょうか? (「考えました」)。どうしてですか? だれに教わったのですか? (「自然からです」)。自然です。自然を見れば、オウムが二羽くっついて、夫婦で大騒ぎして子を産み、キスしたりしているのです。そのようなものを見たでしょうか、見ていないでしょうか? そして、何をするのですか? 男女が愛し合って一つになり、子供を産むのです。子供がどれほどかわいいでしょうか。「アイゴー、赤ちゃんが欲しい。どうやってあのようなものを手に入れたのだろう? 私たちもあのようにできるのかな?」と思ったでしょうか、思わなかったでしょうか? 娘も大きくなれば淑女になり、ティーンエージャーになれば、「男性のあれはどうなっているのだろう?」と気になり、それを神秘的に考えます。そうですか、そうではないですか? ミステリーのように考えるのです。すべての神経、五官が集中することが、思春期に起こりますか、起こりませんか? 皆さんも、昔のサタン世界の堕落した人々も皆そうであったのですから、本然のアダム・エバがどれほど激烈であったかということを考えてみてください。それでは、アダム・エバが思春期に近づくほど、それに対して関心を持つようになり、すべての神経が集約されるでしょうか、されないでしょうか? 神様がおられれば、そのような人に「善悪の果を取って食べるな」と言われたでしょうか? 善悪の果とは何ですか? 思春期になると、自分でも知らずに自分の目と鼻と感覚の細胞が一つになって一つの火の玉のようになり、そのようになれば、自然にアダムとエバが抱いて愛し合うように神様がされたのです。目を見ても、鼻を見ても、口を見ても、耳を見ても、手足を見ても、すべてが笑っているのです。口も、耳も、手も、すべて開いているのです。愛に占領されようということです。すべてがそうなのです。死んでもよいというのです。 愛の道とはそのようなものです。その熱さが、百度どころか、千度、万度まで到達することを神様は望まれます。神様が抱いて愛されることができるということを教えてあげようとされたのですが、そのような境地まで行く前に問題が起これば大変なことになります。それゆえに「取って食べるな! と言われたのです。 そのようなレベルまで到達すれば、アダム・エバ以上に神様も興奮されるでしょうか、興奮されないでしょうか? 興奮されるのです。それでは、アダム・エバの熱と神様の熱を比較してみれば、どちらが熱いでしょうか? 神様のほうが熱いのです。レバレンド・ムーンがどうしてそのようなことを知っているのでしょうか? 見たのでしょうか? どうしてか知りたいですか? 教えてあげましょうか? (「はい」) このことは、私の宝であり、神様の宝であり、男性・女性の宝であり、人類歴史の宝であるのに、皆さんに教えてあげるのですか? (「はい」)。きょうは「真の子女の日」なので、良い贈り物として教えてあげましょう。 (「正分合作用は神様の愛の母体」と板書される) アダムの愛やエバの愛というのは、それ自体が原因ではありません。結果的なものです。原因的存在は神様です。神様の性相と形状に愛の根が存在するので、アダムとエバが上に上がっていき、そこで出会って火がついて二倍の熱が出るので、アダムの愛よりも神様の愛がもっと熱いのです。 (板書されたものを指されながらお話しされる)これが性相です。男性性相、性相と形状。そしてこれがプラス・マイナス、男性と女性は縦的・横的に四位基台をつくるためにいるのです。これは無形世界であり、これは有形世界です。このようになっているので、ここで回るのです。復帰ですから、このようにして回るのです。 皆さんは、神様よりも劣った存在になりたいですか、優れた存在になりたいですか? (「優れた存在になりたいです」)。そうです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願います。それゆえに、アダム家庭においては、アダムはエバが自分よりもりっぱであることを願い、エバはアダムが自分よりもりっぱであることを願うのです。神様よりも優れていることを願うのです。 なぜ、そうでなければならないのですか? なぜ、神様がそのようでなければならないのですか? 神様は霊界でも見えません。そのような神様が見えれば、それよりももっと優れようとするはずです。アダム・エバは、神様が愛を中心としてご自身よりも優れていることを願われる、見える存在なのです。 刺激的で衝撃的な地上で、そのようなことを願われるのです。愛する相対は、自分よりも優れていることを願うという原則があるために、神様よりも優れていなければならず、息子・娘は父母よりも優れていなければならず、夫と妻も相対が、より優れていることを願うのです。 ですから縦的横的な関係において、父母は子女がりっぱであることを願い、夫は妻が、妻は夫がりっぱであることを願うのです。真の愛の相対は、自分よりも優れていることを願うのです。 男性がそのようにりっぱな妻を迎えようとすれば、自分のすべてを投入し、そこからさらに投入しなければならず、妻が自分以上に優れた愛の相対を願うならば、妻が投入しなければなりません。この天理に背くことはできないので、犠牲にならなければならないという結論が出てくるのです。 このような概念の世界を成就するためには、投入して忘れ、犠牲になり、奉仕をするという精神がなければなりません。神様ご自身がそのような精神を持たれ、アダム・エバも、兄弟も、国と国王も、すべての主体と対象がそのような関係になっていてこそ、神様は喜ばれ、神様がさらに愛することのできる道に導いてくださるのです。それゆえに、天国も無限なのです。永遠に新しい天国をつくることができる後代、永遠な世界がなければなりません。 アダムの中に入られる神様 それでは、初めに戻りましょう。アダム・エバが喜び、神様まで合わせて三人が喜べば、どのような世界になっていたでしょうか?この世界の息子・娘たちは、霊的にも肉的にも形がありますが、神様は無形です。死んで天国へ行ったとき、神様が見えなくてもいいのでしょうか? 「私がいちばん好きなお父様だ」と言わなければならないはずなのですが……。 アダム・エバがキスして愛し合うのは有形世界でのことですが、どのようにしたら無形であり、見えない神様と見詰め合うことができ、触れ合うことができる位置に立てるのかということを考えなければならないのです。 神様が喜ばれ、アダム・エバも喜ぶように愛を中心として一つになることを願うならば、どのようにしなければならないのでしょうか? これが問題なのです。それが一つになれば、見えない父母が見える父母になり、霊界に行っても実体であり、地上でも実体であるので、笑うときにもいつも一緒に笑うようになるのです。見えないのにどのようにして一緒に笑い、その相対になるのでしょうか? このことが問題です。一つになれる道をどのようにして立てるのかということが、神様が創造されるときの最後の宿題の中の宿題であり、人間の希望の中の希望であり、宿題の中の宿題なのです。 問題は簡単です。見えない二性性相の神様がアダムの中に入っていかれるのです。そうすれば、霊界の神様はいなくならなければなりません。どこに来られていなくなるのですか? ここ(形状的なアダムとエバ)と合わさったというのです。(板書されたものを指しながらお話しされる)アダムの体、エバの体に入っておられるのです。分かりますか? (「はい」)。はっきりと知らなければなりません。 アダムの中に神様が入っていかれれば、神様とアダムとエバの三人が喜ぶようになるのです。アダムとエバのふたりが喜べば、内外すべてが完全に喜びます。霊界、肉界がすべて喜ぶのです。 未婚の男女は、なぜ結婚しようとするのですか? 男性の世界を完全に絶対的に占領するためであり、女性の世界を絶対的に占領するためです。それゆえに自分の夫に、宇宙全体、神様までがすべて入っているのです。 神様の愛と人間の愛をすべて占領して抱くようになれば、宇宙を抱くようになります。(板書されたものを指されながらお話しされる)これらがすべて一つになるためには、このセンターの位置に来なければならないのです。男性もここに来なければならず、女性もここに来なければなりません。 男性・女性の体の四分の三が水です。水が一つになり、愛が一つになって動物を育てることができる平原地帯のようになって、その愛の懐で水を飲み、草を食べて世の中のすべての動物が幸福にすくすくと育つようになるとき、このすべてのものを創造された神様が、それを見て笑われるのです。それを見て泣かれるでしょうか? 女性が泣くときにはどこに行きますか? 女性は隠れて泣きます。台所のような所に行くのです。男性は外に出て泣きます。男性は門をけ飛ばして、家から出ていって泣くのです。(笑い)相対的です。そうではないですか? 出ていって、木や海など自然に話しかけながら泣くのです。 また、女性が喜ぶと「へへへへ」とこのようにし(体を縮めて笑うまねをされる)、男性は「ホホホホ」とこうするのです(肩を広げておなかを突き出しながら笑うまねをされる)。(笑い)そうですか? どのようなことをしても女性は女性であり、男性は男性です。女性は男性になれず、男性は女性になれません。絶対的なのです。アメリカの女性たちは、よく聞いておきなさい。 「なぜ男性が主体なのか? 主体は女性だ」と言うならば、夫婦が愛し合うときに「男よ、横になりなさい。私が上にいく」と逆さまにならなければなりません。(「女性が主体になろうとすれば、そのようにしなければならないということですか?」)。そうです。女性が主体であると思うなら、そのようにしなければなりません。男性を横に寝かせて、自分がその上に乗って愛するのです。 そのようにしたらどうなりますか? 水が全部あふれてしまうではないですか? 皆がはっきりと分かるように露骨に話をしているのです。笑わないでください。(笑い)このような夫婦は破壊します。女性は「受ける存在です。 アメリカの女性たちは、主体を知りませんでした。主体と対象を誤って暮らしていれば滅びます。世の中を滅ぼすのです。どこにおいても女性が出しゃばれば滅びます。自分の位置を失えば滅びるのです。前後が逆さまになれば罪になります。 それでは、動機は神様ですが、その結果を合わせる所はどこでしょうか? 頭から脊髄すべてに神様が連結されなければなりません。神様の見えない骨が、男性の見える骨に移されるのです。見えない肉が女性に移されるのです。男性は骨、女性は肉になり、ふたりが一つの体になることによって第二の神様になります。神様の愛の相対になることができる存在になるのです。そのようになってこそ、男性と女性が愛し合うときに、愛を中心として神様は喜ばれ、キスして抱擁し、踊りを踊られるのです。 それでは、どこで一つになるのでしょうか? キスするところですか? 抱擁するところですか? どこですか? (「生殖器です」)。生殖器を今までいちばん悪いものとして扱ってきませんでしたか? 卑しいものとして扱ってきたのではないですか? それは堕落したためです。生殖器は生命の根源であり、血統の根源であり、愛の根源なのです。 アダムとエバの結婚式は神様の結婚式 個人主義王国時代に、個人主義王権を主張する者たちは孤独、単身です。皆、相対を失いました。天使長によってそのようになりました。すべての男性・女性は相対的になっていますが、愛のパートナーを失い、息子・娘までもすべて失ってしまったのです。 そうして、「人生の価値とは何だろうか? 真の愛の道とは何だろうか?」と言うのです。真の愛の道を捜し出すことができないので、人生の価値が分かりません。フリーセックスになれば、自分の父親を殺した怨讐と関係を持ち、その怨讐の息子をはらんだことを憂えて、産むやいなや子供をゴミ箱に投げ捨ててしまうようなことが多いのです。 フリーセックスとは一体何ですか? どうやって本然の立場に返っていくのですか? 返っていくことはできません。すべて失ってしまいました。 そしてヒッピーになり、雨や雪が降る日は行く所、休む所がないので、嘆息しながら薬を飲んで死んでしまうのです。自殺者がどんどん増えていきます。人生行路において真の愛を失ってしまったら、どのようにして真の人生を生きていくのですか? 未婚の女性たちは男性に目が行くでしょう? 男性の中を搜して真の愛がありますか? 男性たちは、女性に真の愛があると思いますか? 男性が信じられますか? 女性が信じられますか? 女性が生まれたのは男性のためであり、男性は女性のために生まれたということを知っている人はいません。自分のために生まれたと思っているのです。 それでは、男性は何をするのですか? 女性は何をするのですか? 相対を僕にしようとします。ために生きようとはしないのです。ために生きなければ愛はあり得ません。初愛は永遠なのです。エデンの園では、エバ以外に他の女性がいましたか? 男性一人、女性一人でした。 自分自身が絶対に信じられる人がいますか? 心と体が一つになっていますか? 毎日、心と体が闘っているのです。これを、どのように解決しますか? 休戦も停戦もない戦争を、どのようにして終わらせるのですか? (板書されながら語られる)九〇度です。すべて同じなのです。十二角が三つずつで三十六です。これはどこに持っていって合わせても、すべて合うのです。統一教会もこれを中心としているので一、二、三の三対象であり、これを中心としても一、二、三の三対象であり、神様を中心としても一、二、三の三対象なのです。 これは、一つの永遠な公式的カテゴリーなのです。男性は神様が絶対に必要であり、息子・娘が絶対に必要なのです。女性も神様が必要であり、夫が必要であり、息子・娘が必要なのです。息子・娘は父母が必要なのです。同じことです。どれか一つ欠けるだけでも、すべてが崩れていきます。 これが春ならば、これは秋です。そして東側は男性に当たるので主体です。これを中心として、これが一つになるのです。ですから、祝福家庭は神様の形状にならなければなりません。神様は父母なのですが、堕落以後、形状を持つことができませんでした。形状を持つはずが持てなかったのです。 これを再び復帰して、ここにおいて神様が初愛を中心としてアダムとエバに入られて、縦的な父母と横的な父母がここの一点で愛されることによって、始まりが縦的・横的になるのです。そうなることによって、霊界と肉界を一つにすることのできる息子・娘が出てくるのです。 神様はここにいて、アダム・エバはこのようになっているのですが、これが一つになってこちらに上がっていくのです。アダム・エバは上に上がっていきます。神様は上から降りてこられるのです。アダム・エバは見えない性相を備えるために、見えない神様は見える形状を備えるために訪ねてこられるのです。 それはどこで出会うのですか? 赤ん坊から兄弟時代を経て、男性は男性として大きくなり、女性は女性として大きくなってここまで来て、擦れ違うのではありません。エバは「アイゴー、私をほうっておいて泣かしたまま逃げ回り、一人で歩き回っていたアダムが必要だ」と思い、アダムは「アイゴー、わんわん泣いてじゃまだったエバが絶対に必要だ」と思って、ふたりは出会います。それで神様も同様に訪ねてこられるのです。 思春期になると、神様がアダムとエバの中心に入っていかれ、「さあ、行こう。祝福することができる場所で会おう」と言われるのです。そして霊的な父母と肉的な父母が一つの体になり、霊肉が一つになります。そして霊的世界、肉的世界を見ることのできる息子・娘が生まれるのです。それが堕落していない天の国の家庭の息子・娘であり、それを拡大させたものが天の国の民族なのです。アーメン。 横的な父母であるアダム・エバは神様の体であり、縦的な父母であられる神様が心なのです。神様は、アダム・エバの心なのです。ここで心と体が一つになって愛するとき、アダム・エバの結婚式は「体」的な父母の結婚式であると同時に、「心」的な神様の結婚式になるのです。 二つの世界の結婚式をすれば、息子・娘の結婚式になります。息子・娘の結婚式、横的な父母の結婚式、縦的な「心的神様の結婚式になるのです。この三つをすべて祝福することのできる日を迎えることによって、神様が喜ばれ、アダム・エバが喜び、全体が喜びます。アーメン。そこから幸福になるのです。 ですから、神様もアダム・エバの結婚式をどれほど待っておられたでしょうか? それはご自分の結婚式なのです。女性が男性を訪ねていって完全占領して、男性が女性を占領するとき、ふたりで神様が喜ばれる場所を訪ねていくのです。そしてアダム、エバが神様の体になり、神様はアダム・エバの心になって、結婚式が完成するという結果になっています。 ですから結婚とは、男性が女性を完全に占領し、女性が男性を占領するものなのです。ふたりが占領した真の愛を中心として、神様までも占領するのです。神様がすべての主体なる動機になられ、その神様と愛によって一つになることによって、そこに属したすべての宇宙の存在は私の所有になります。アーメン。 神様といつ出会うのでしょうか? 結婚式に神様と出会うのです。アダム・エバの結婚式は、エバの喜びの日であり、アダムの喜びの日であり、夫婦の喜びの日であり、神様の喜びの日であるということを知らなければなりません。 神様は縦的なお父様であり、アダム・エバは横的なお父様です。九〇度の角度です。永遠に九〇度なのです。皆さんの心と体が堕落することによって体を失ってしまったので、堕落した後に、角度が狂ってしまいました。これを立て直さなければなりません。 自分の心と体が何度狂っているのか、皆さんは知っているのです。心を中心として体が一つになっていないということを知っています。一年三百六十五日の半分、心と体が一つにならなかったとしても、五〇パーセント狂っています。それどころか毎日のように体の命令に心が従って、すべてマイナスになって地獄に落ちていくのです。 アダム・エバは神様の体である、ということを理論的に認定しなければなりません。分かりますか? アダム・エバの心に神様が臨在されるのです。神様と一つになり、心と体が一つになっていたらサタンが入ってくる所がありません。 それでは、なぜ男性が生まれたのでしょうか? 女性のためです。女性はなぜ生まれたのでしょうか? 男性、女性はなぜ生まれたのですか? 人類といえば男性、女性しかいませんが、男性、女性はなぜ生まれたのですか? 愛のためなのです。愛して何をするのですか? 男性の世界は半分でしかありません。半分が完全になり、さらに神様までも占領するために結婚するのです。 三代から地上天上天国が出発 神様も赤ん坊から成長されました。神様が赤ん坊のときから兄弟時代、結婚段階に至って子供を創造されたのと同様に、皆さんの妻にも、相対的実体として体と一つになって育ってきた時代があります。その成長時代においては感じられなかった愛が、結婚して一つになれば永遠に継続されるのです。 見えない神様が見える神様として現れ、見えない神様と見える神様の世界、地上世界と天上世界が三代において初めて結実として現れます。アダムは神様の一代の愛しか受けることができませんでした。それは四位基台にならないのです。 それゆえに、神様も三代の愛を経ていかれなければなりません。息子・娘の愛と孫の愛まで経てこそ、三対象目的の四角形を中心として一つの完成体になることができるのです。この角度を満たすことをグローバルと言います。三角形では運動するのが難しいのです。 見えない神様が成長されて、見える神様になられて衝撃を感じられるために、息子・娘を代身としてつくられました。見えない内的な神様を見える神様として感じることによって衝撃を受けるのです。 同様に、アダム・エバも息子・娘を産むことによって、自分が育ってきた赤ん坊時代から兄弟時代、そして結婚して父母になる道を経て、三大創造主権を成し遂げることによって一つの実を結ぶはずであったのです。ところが、神様は孫を持たれることができず、三代を成すことができませんでした。実が結ばれなかったのです。 神様は、幼いときから結婚するときまで過ごしてきたすべてのものを、実体でごらんになって刺激を感じられます。霊界と肉界を一つにするのです。霊的に一つになって現れてきます。 皆さんが成長するときに皆さんの親は、子供が育つのをどのように見ていたのでしょうか? 自分の息子・娘を通してもう一度、自分たちの成長過程を見るのです。神様もご自身が成長してこられたことをもう一度ごらんになるときに、衝撃を感じられます。そのようにして神様が横的に拡張する世界を持たれたように、皆さんも子供を産むことによって、縦的な世界ではなく、横的な世界に発展することのできる愛の版図が広がるようになるのです。 アダム・エバは二代であり、その息子・娘が三代です。三代から四位基台が広がっていきます。アダムは、神様の愛、すなわち一代の愛しか受けることができませんでした。しかし、アダムの息子・娘は、神様の見えない父母の愛と、アダム・エバの見える父母の愛の二つの愛を受けるのです。 アダム・エバの心を中心として、霊人体に神様の愛の血統が三代の息子・娘に連結されます。ですから、二つの父母、二つの国の王の血統を受け継いだ、アダム・エバの息子・娘から地上・天上天国が出発するのです。 堕落した皆さんは、神様の愛と真の父母の愛を受けられなければ地獄に行きます。天国ではありません。それを知らなければなりません。その三代の神様の愛を成すためにアダムが来たのであり、メシヤが来られたのです。そして三代を成して天国の種を拡大していくのです。 偽りの父母から、天国の種を破壊する偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎました。ですから、その反対にメシヤである真の父母が来られて再び三時代の基準をつくることによって、どこに種を植えても繁殖し、天国に直行する人々をつくります。それが、統一教会の家庭を立てて天国に行くことのできるチケットに印を押してあげていることです。(拍手) そのようにするためには、野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。新しい芽です。そのようにして血統が変わるのです。接ぎ木すれば、切ってしまったものは肥料になります。切ってしまって接ぎ木すれば、世界全体は肥料とともに養育することができる新しい家庭の体になるのです。腐ったものは肥料になります。 芸術的な夫婦の生活 それでは、人間で最も貴い所はどこですか? (「愛の器官です」)。愛の器官とは何ですか? 生殖器です。生殖器とは何ですか? 自分のものですか? (「いいえ、違います」)。だれのものですか? (「妻のものです」)。(笑い) それは、だれがそのように言ったのですか? だれがそのように決めたのですか? (「神様です」)。神様です。天地がすべてそのようになっています。存在するものはすべて愛のために生まれました。愛のための存在は、自分のための生殖器は持っていません。相対のためにあるのです。 女性はイヤリングをしますが、どうしてか分かりますか? 女性は、ぶら下がっているのを好むのです。神様を象徴する上部構造である頭にぶら下がっているものは何ですか? 耳は四方を象徴します。そこにぶら下がっているものが何だと思いますか? イヤリングは女性です。女性が男性にぶら下がっているのです。 そして女性は、ネックレスが好きです。これも、「男性にぶら下がって生きていこうということです。首にぶら下がってです。(笑い)首にくっついていなければなりません。そのようにすると、女性が傾きますか、男性が傾きますか? 男性は傾きません。その次は何ですか? 指輪です。女性は指輪をはめて生きていくのです。これは、愛を象徴します。指輪は、なぜ四番目の指にはめるのですか? それは「東西南北を経由するということです。 よく寝て、よく休むのは男性ですか、女性ですか? (「女性です」)。男性よりもよく食べてよく寝て、夫が帰ってくるのを化粧をしながら夕食の準備をして待ち、帰ってくれば「アイゴー、お帰りなさい。おふろに入ってください」と言います。(笑い)男性たちは、死ぬほど疲れて帰ってくるのです。(笑い)おふろに入って疲れてしまい、ご飯を食べながら、うとうととするのです。うとうととしているときに、妻はご飯を片づけてしまい、背を向けて夫に悪口を言います。「この人は夫の役割も果たせない」と不平を言うのです。 それは、女性が悪いのですか、男性が悪いのですか? 先におふろではなく食膳を出して、「早く家に入ってきてください。とても疲れたでしょう?」と言いながら、ご飯を食べさせてあげながら抱いてあげ、「ひざの上で一眠りしてからおふろに入ってください」と言えば、その夫はどれほど幸福でしょうか! そのようにお互いに抱き合って、夫にご飯を食べさせてあげたならば、その夫婦はどれほど幸せでしょうか? 先生は不幸な男性ですか、幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。私が幸福な男性ですか? (「幸福な男性です」)。なぜ幸福な男性なのですか?先生が、なぜ幸せなのですか? 髪の毛が長くなったときは、「オンマ、髪の毛が長くなった」と頭を差し出せば、お母様が髪の毛を切ってくれます。つめが伸びれば、「アイゴー、つめが伸びた。つめを切って」と言えば、切ってくれます。足のつめが長ければ、「アイゴー、靴下が切れるから足のつめをちょっと切って」と言えば、不平を言わずに切ってくれるお母様なのです。 何を頼んでもお母様がすべてしてくれるので、それが幸福なのです。おふろ場に入っていって、「アイゴー、背中がかゆい。背中に垢がたまっているからこすって」と言えば、こすってくれるのです。(笑い、拍手)お母様はどんな女性よりも、少しでも多く先生を愛すれば、それで幸せなのです。それが芸術的であり、幸福なのです。先生は、お母様の突き出ている所は全部触ってあげるのです。鼻も、耳たぶも触ってあげます。指も、お尻もです。(笑い) それが、芸術的夫婦が生きる愛の方法であり、暮らし方なのです。それは素晴らしいですか、素晴らしくないですか? (「素晴らしいです」)。私は、お母様の長男のようです。わたしたちには息子・娘が十三人いますが、皆、「お母様、髪の毛を切ってください」と言うので、お母様は、「子供たちはお父様に似ている」と言います。 ですからお母様は、一週間に何度も切ってあげなければなりません。そのために、お母様の鏡台の引き出しには、髪の毛を切る道具があります。そのように、外的に必要なものは母親が与えてあげ、内的な愛は父親が与えてあげるのです。それが理想的家庭です。外的なことは母親がして、内的な愛は父親が与えてあげるのです。 その日、よいことがあったか嫌なことがあったかは、女性の目を見れば分かります。その目をどのようにして笑わせるのかが問題なのです。向かい合えば目が笑い、鼻が笑い、口が笑い、走ってきて首にぶら下がって夫を抱き締めることができるようにしなければなりません。 女性たちは首にぶら下がって生き……。そして抱いてあげて、寝台に寝かせてキスすれば、どれほど幸福ですか? それが芸術的な夫婦の生活なのです。教主が、愛に対してこのように話さなければならないのは、どれほど大変なことでしょうか? かわいそうな教主です。(笑い)このような話をしたら、「アイゴー、文総裁は下品な男だ。聖なる壇上であのような話をする」と言う人がいるのです。この世の人は、そのように言うのです。「聖なる教皇のようだ。神様のようだ」と考える人は一人もいません。「淫らな話を良いことのように話す」と言うのです。 どのようなものが理想的なのですか? (「お父様です」)。正しく暮らさなければなりません。そうしてこそ天国に行くのです。神様を訪ねていかなければなりません。教えてあげることがどれほど多いでしょうか?ですから、皆さんは首にぶら下がって生き、夫婦が一つになって生き、芸術的に幸せに生きなければなりません。そのためには、「ために生きなければならないのです。 すべての存在は相対のために生まれた 女性という言葉は、女性が先にいて出てきた言葉ではありません。女性という言葉は男性を認めている言葉だということを知らなければなりません。「上という言葉は「下を先有条件としていう言葉です。「下という言葉は「上を先有条件としていう言葉なのです。 「右の目は「左目を認めている言葉であり、「左目は「右目を認めている言葉です。上の唇は下の唇のためにあります。上の唇だけあれば、どうなりますか? 人には五官がありますが、五官の中で自分のために存在するものがありますか? 目は目自体を見るために存在しているのですか? 鼻や、口はどうですか? すべての存在は、相対のために生まれたのです。そのことを知りませんでした。独身の牧師が「自分も男性である」と言っても、男性である自分のために生まれたのではありません。男性は女性のために生まれた、ということを知りませんでした。女性もそれを知りませんでした。自分の体は自分のものだから、思いどおりにしようと考えていますが、そうではありません。主人は夫(妻)なのです。 女性の胸は、だれのためにありますか? 自分のものですか? (笑い)子供のものです。胸の主人は子供です。そうですか? (「はい」)。女性のヒップがどうして大きいのですか? 子供のためです。自分のものはありません。女性はどうして美しいのですか? 女性は肉なのです。男性は骨です。女性が骨のようであれば、火が出ます。骨と骨をこすれば火が出るのです。 ここにいる美しい女性は荒っぽい男性を好みます。女性のような夫と結婚したら逃げていくのです。女性のように白くふわふわした手の男性を女性は嫌います。ふたりとも全く同じであれば、けんかするではないですか。ですから女性がソフトなのです。それでこそぴたっと合います。男性の空いた所を女性がぴたっと埋めてくれるのです。 発電所では、何十万ボルトの発電機のシャフトが回っていますが、それを支えているものは鉛です。ですから、引っかけば裂け目ができます。それはダイヤモンドのように固いものではなく、ソフトなのです。シャフトが回るのを支えているのは鉛なのです。そして、油がその間に入って、何千トンにもなるものを支えているのです。 ダイヤモンドは何で削るのか知っていますか? ダイヤモンドよりも硬いものだと思うでしょうが、そうではありません。それは何かといえば銅です。分かりますか?女性は口を隠して笑いますが、男性は口を開いて笑います。女性が笑えば、「あー」と言いながら手が上がるのです。男性が女性のようであれば、毎日のようにけんかになります。 そのようなときは、さっと妻をおんぶしてあげればいいのです。(ジェスチャーをされる)それができなければ、夫はトイレに十五分間だけ行ってくるのです。(笑い)分かりますか? なぜけんかをするのですか? 一度けんかをすれば、一時間で傷ついたことが十日間も続き、離婚にまで至り、息子・娘も傷つき、万物までも気分が悪くて泣くのです。それは夫婦同士ですることですか? 「夫婦げんかを永遠に見たいですか、見たくないですか?」と目に尋ねれば、「見たくありません」と言います。 鼻もそのような臭いは嫌であり、聞くのも、話すのも、そこにいるのも嫌になるのです。雲がかかって雨が降るのです。日の光を受けなければなりません。そのようなとき、先生が今、話したことを思い出さなければなりません。分かりますか? けんかをよくする女性、私がこの時間に賞を上げるので、手を挙げてみてください。(笑い)いないのですか? アメリカの女性は、男性とけんかをすればいつもチャンピオンです。東洋ならば男性が殴れば、それで終わります。アメリカでは、男性が一発殴れば、「離婚だ。離婚すれば息子・娘はすべて私が連れて行く」と女性が言います。アメリカは法律が悪いのです。 息子・娘は自分のものですか? 父親の骨の中から出てきた生命です。これは骨です。男性が骨を植えてくれるので、肉を付けて母親の体から生まれるのです。ですから、夫がたとえ博士になっても骨の役割が果たせなければ、女性がかわいそうです。女性が博士になっても、夫が半人前の男性ならそれで終わりなのです。男性は骨である、ということが分かりますか? (「はい」) 子供の種が骨の中にあります。骨の中から出てくるのです。女性は肉です。夫が骨を植えてあげ、母親のおなかの中で大きくなって、肉を付けて出てくるということを知らなければなりません。それゆえに母親と息子が一つになり、母子が父親と一つになってこそ完全な家庭なのです。 ですから父親は骨を、母親は肉を付けて私を産んでくれるのです。そこには自分という概念はありません。自分というものはないのです。愛だけがあります。愛には、すべてが入っているのです。愛と生命と血統だけがあるのです。 私にあるものは、父母の愛と父母の生命と父母の血統です。それゆえに父母が離そうとしても離せないと言うようになるとき、父母の永遠な所有となるのです。皆さんは、そのようにならなければ天国に行くことはできません。 祝福家庭の価値 祝福家庭は手を挙げてください。全員そうですね。なぜ「祝福家庭というのですか? それは天国の招請なのです。偽りの父母の偽りの愛、偽りの生命を受けることによって地獄まで行ったので、百八十度反対の真の父母、真の愛、真の夫婦、真の子女を中心として真の家庭を成してこそ、天国へ入ることができるのです。 天国には、真の家庭を中心として神様と共に暮らし、内的父母であられる神様と永遠に共に暮らすことができる夫婦生活をする人たちが入っていきます。神様の家庭に属するアダム完成家庭が入るのです。 天国には家庭で入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。個人救援を受けるというのは、それは天使長の世界です。このことを知らなければなりません。 家庭をしっかりとつかんで、家庭を復帰しなければなりません。家庭を正しく立てなければならないのです。サタンが、神様の家庭理想を完全に破壊することができる武器が、フリーセックスやホモです。それは、完全に人間をなくしてしまうものです。 彼らの家庭がどこにありますか? 「家庭が嫌だ」と言いながら、ホテルに行って男性と女性が暮らしているのに、家庭がどこにあるというのですか? 永遠に片方しかない立場ではないですか。 一日に何人も相手を変えて、ありとあらゆることをするのです。それが何の理想家庭ですか? 息子・娘は必要ないと言う人たち、独身生活がいいと言う人たちは地獄に行って、家庭世界の天国の前の隅の方に立って眺めながら、和合する所がありません。和合する相対がいないのです。 真の家庭の主人と所有を占有することのできるのが、天国なのです。真の家庭と真の主人と真の所有権を所有するのです。真の家庭が何かといえば、夫婦です。夫婦が何かといえば、神様の実体対象です。神様の体なのです。真の家庭を持てば、皆さんは神様を「お父様」と呼びます。親子関係です。父親と息子、母親と娘であり、一つの体なのです。縦横を合わせたものだからです。 み旨に従って一つになった夫婦が愛し合うときには、お互いが「神様をお迎えして愛の部屋に入っていく」と考えなければなりません。そして完全に心と体が一つになり、その妻が天下の女王の中の女王であり、美人の中の美人であり、一人しかいない絶対、唯一、不変、永遠なる、愛する私の体であると考えるのです。愛の体です。このようなことを知らなければなりません。 主体が主人であるならば、愛で一つになることによって主体である主人が自分の愛の所有になります。愛の所有として一つになるときには、主体を中心としてその愛も自分のものなので、主人も所有も自分のものになるのです。 主体と同じ価値を持つようになるので、宇宙のものは自分のものになります。「全世界の美人大会で、千回も万回も優勝した女性と、美男子大会で千回も万回も一位になった男性の夫婦より以上の位置に立って、一度しかない愛を結ぶというのが夫と妻である。神様まで関心を持たれて、共に暮らそうとされるような家庭をつくる。アーメン」と言わなければなりません。 神様に侍って暮らし、神様をお迎えして愛したという経験をしなければなりません。そうしてこそ天国の神様の血族になれるのです。妻は、王妃があいさつして、王の部屋に入っていって王に侍るとき、または、侍女が王と結婚して初夜を迎えるとき以上の謙遜な心を持って夫を愛し、夫もそのような謙遜な心を持たなければなりません。そして、雷のプラスとマイナスが何億万ボルトでパッと一度に爆発し、ごろごろと音を立てながら世の中を燃やしてしまうことができるくらいに愛そうという心を持たなければならないのです。 祝福家庭がどれほど……。天の国で神様がごらんになれば、家庭は星のように光り輝いているのです。神様も喜ばれます。太陽や月のように最高に光り輝くことができる愛し合うカップルになろうと思わなければなりません。 そして、どれほど掘っても、十年共に暮らしても、その愛の谷間を搜し出せず、一生の間掘り続けながら死んで、永遠の天の世界に行って初めて神様の前ですべてが公開され、一度でピタッと合わせるのです。 ですから、夫に対して研究してください。平面的に夫を見て「性格がこのようだと思っていても、後ろを見ると宇宙全体が入っています。「神様よりも素晴らしいと思うようになるのです。上から下に、東西南北の四方に違う面があります。 それゆえに、結婚するときに「私の夫はこうだと思っていた印象から抜け出すことができなければ、愛の理想を成就することはできません。上も見て、下も見て、寝ている姿も見て、すべて研究しなければなりません。 皆さんは、自分の夫に関して死んでも忘れることができない魅力的な部分を記憶していますか? (「はい」)。それはどこですか? 体全体です。「パチパチする目が私と似ている。息をするのが私と似ている。聞き方も私と似ている。唇も私と似ている。感じ方も私と似ている。好む愛も私と似ているので、それを手放すことはできないというように感じたことがありますか? 天国の一番の夫婦になる それでは、結論を出しましょう。心は年を取りません。そうですか? (「はい」)。心が年を取らないならば、愛はどうでしょうか? (「年を取りません」)。生命はどうでしょうか? (「年を取りません」)。血統はどうでしょうか? (「年を取りません」) 神様の真の愛を中心としては、すべて年を取らないのです。十年、二十年と愛が深まっていくほど、美人になっていきます。世の中で一番の美人、美男子になるのです。 地上においての醜い男、醜い女、黒人、白人であるということとは違います。愛の光ほど明るいものはないので、地上で醜い姿であったとしても、天の国ではその姿が最高の美しさになり、どんどん若くなっていくのです。 世の中の美人たちは、だんだん老けていきます。美人が天国に行けば、この世の美しさを中心として美女にならなければならないはずなのに、そうならないのです。愛の光が最高の光なので、そうならざるを得ないということを知らなければなりません。ですから、愛する妻は天宙の私の光であり、私の夢であり、私の幸福であり、私の平和はそこにあるのです。分かりますか? (「はい」). どこに行っても、いくら世の中の美人、有名な俳優を抱き抱えても、自分の夫や妻以外の相手には、腐った臭いを感じるようにならなければならないのです。天に通じる心を美しくする道以外にはありません。神様のように、太陽のように光り輝くことができ、神様もその光が慕わしくて訪ねてこられるような皆さんの家庭にならなければなりません。 先生が霊界について話したことを李相軒氏も信じなかったのですが、霊界に行ってみたら、先生のみ言がとても正確だったのです。皆さんも、李相軒氏の霊界からの証言を聞いてください。 四位基台理想というものは、神様と父母を中心として三対象目的が一つになるのです。神様は見えないのですが、三人が一つになってこそ見えるのです。夫婦の中に息子と娘が入っていき、神様がその中におられます。ですから、四位基台が一つの体にならなければならないのです。 きょうの総結論として題目を語るならば、「天国の一番として入っていくことのできる私たち夫婦となります」です。それがアダム家庭です。(拍手)アダムの神様がお父様でした。私たちの神様もお父様なのです。同じです。 私たちはサタン世界の家庭の前に立っているので、勝って突き抜けていかなければならないのですが、その仕事を先生がすべてしました。先生が祝福を世界化時代にすることによって、アダム家庭、天国のチャンピオンになることのできるチケットをもらったと考えて、皆さんが努力して先生のみ言と完全に一つになった世界、地上・天上の無限な解放世界で、王子・王女として主人の資格を持って登場しなければなりません。それが祝福を受けた家庭であったのです。アーメン。(「アーメン」) 真のご父母様は、地獄の門と天国の門のすべてを開いて聖子と殺人魔まで同じ位置で祝福しました。子女である皆さんも、堕落せずに祝福してあげられる愛を終わりの日にこの地上で成したという位置に立っています。ですから、その父母を絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置に入っていけば、真のご父母様が行く所に間違いなく入っていくことができるので、私たち統一教会では「ジャルジン宣言」が宣布されたということを知らなければなりません。(拍手)神様は、堕落がなかった世界の位置を必ず回復されるのです。神様は、堕落がなかったアダムの完成世界において、すべての怨讐をなくされます。 これから学ぶべき七つの内容 皆さんの家庭が天国に行くことのできる、りっぱな家庭になることを願いながら、第四十回「真の子女の日」を過ぎて、四十一回から四十三回までにすべてを整理しなければなりません。(「アーメン」) いつもこのような集まりに来るときは、一人で来るのではありません。先祖を連れて、一族を連れて、後孫の道をならすために来るのです。アダム家庭で孫を考えることができなかった基盤を、今日、皆さんの家庭において成し、その基盤を地上天上天国完結のために、霊界と現在の国と自分の後孫が合わせて喜びの祭物として天の前にささげる時間であるということを考えなければなりません。集まるときには、いつもそのように考えるのです。 (板書されながら話される) 一番目は予言者(『彼は誰なのか』)。 二番目は父母天国論(『地上生活と霊界』)。 三番目は李相軒氏の霊界の証言(『霊界の実相と地上生活』)。 四番目は『父の祈り(孝心編)』です。 五番目は「ジャルジン宣言」(第一宣言から第四宣言まで)。 六番目は「コディアク宣言」(『四・四節』宣布の内容)。 七番目は一九九八年十月五日、秋チュ夕ソク(陰暦の八月十五日、先祖に祭祀を行う韓国の名節)の「全体解放統一式」です。 先祖を崇拝しなければなりません 以上の内容を、しっかりと学んでください。 アダムの生まれた日、アダムの結婚した日、アダムが死んだ日がなければならないのですが、その日がありません。生活の記録がないのです。しかし、それは神様に必要ありません。 真の父母のときにおいて、真の父母が生まれた日と、真の父母が結婚した日と、真の父母が死んだ日と、真の父母の生活観を残すのです。皆さんは、それを守らなければなりません。(「アーメン」)。(拍手)新しい愛の世界をつくってこそ天国に行くのです。 先生が願う以上の息子・娘になりたいという人はいますか? 「なりたい」というのは希望なので、未来のことですから大丈夫です。「なりたい」という人は、手を挙げてみてください。(歓呼)ワー! 一所懸命に努力してください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
コメント(0)
「復帰完了」宣布一九九八年十一月六日、ブラジル・ジャルジンの二ューホープ・エデンの園にある世界平和理想家庭教育本部で、四十日修練生たちに、ジャルジンを中心としたパンタナール、サロブラホテル、ベルジド(聖殿の跡)など、四か地域の摂理的な基盤の上に、「復帰完了」が宣布された。真のご父母様は「完了とは完成の次の段階であり、完成して本来の主人に捧げるという意味がある」と説明された。 み言 題目は「復帰完了」です。そのような題目になると思います。(円を板書されながら)丸く見えますね? これはあごみたいですが、丸顔のようになりました。無形の観念と思ってください。神様とアダム・エバ、カイン・アベルがいるのです。それで何をしますか? 祝福です! サタンによって堕落したので、復帰するのです。それが一九四五年です。 ここにおいてアベル圏は新教です。カイン圏は旧教です。それらが一つになって、母を迎えなければならないのです。そのためには、キリスト教を中心として旧教と新教が、再臨主を中心とした王権摂理を準備しなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教を中心として見るとき、ユダヤ教はアベルであり、イスラエルの国はカインです。それらが一つになった上で何を準備すべきかというと、王権摂理を準備しなければならないのです。 そのためには、永遠なる王が地上に来るので、地上にあっては女王を中心に一族を形成し、民族形成の準備をしなければなりません。イスラエル民族とユダヤ教は、絶対的な母、女王を中心として一つになり、夫、王を迎える完璧な準備をしなければなりません。もしも夫となる王が来たときには、その国の絶対的な権限をもった王の力を中心として、神様の保護のもとに、絶対的な王の前に、絶対的な女王の一族、民族を形成しなければならないのです。さもなければ、イスラエル国家基準を中心としてローマを征服することができません。 ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様を歓迎するとともに、イエス様が家庭を中心として皇族を形成できるように準備を完了しなければなりません。イエス様の新婦はイエス様が来られて選抜されるのであって、イスラエル民族やイスラエル教会が選抜するのではありません。ですから、多くの家庭・氏族・民族から女性たちを集めて訓練しなければならないのです。 イスラエル国家も教会も完全に一つになって、女性、女王を中心として絶対服従できる訓練過程を経るべきでしたが、メシヤが来るまでの四千年間、そのように信頼してきたにもかかわらず、その準備を一つもしなかったのです。 サタンがアダムの妹を盗んで女性世界の堕落圏を形成し、サタン世界を形成したので、この世のサタン世界の王宮では、王が全能の権限をもって、国民の女性を好き勝手に扱うことができます。愛したければ愛し、僕にしたければ僕にするという、自由な権限をもっているのです。ですから、王宮には王妃をはじめとして多くの宮女がいます。そうなれば、王妃は姉、宮女たちは妹となるわけですが、堕落したので、カインとアベルを転覆させるように、女性も姉と妹を転覆させなければならないのです。 それはヤコブ家庭において転覆したのです。妹ラケルの夫となるヤコブを、姉のレアが完全に奪って十人の子女を生み、三人の女を通じて、優勢な家庭圏を奪って繁殖したので……カイン側が強い基準において、イスラエル民族は常に苦難の蕩減歴史によって、捕虜の国家になったり、何度も国が減びたりしたのです。サタン世界の宮中では女性たちが仕えていて、その仕える女性たちを王が好き勝手に扱うのです。何でもできるのです。 なぜ、そのようなサタン的な世界を残すようになったかというと、イエス様が王妃を迎えるその時になれば、王妃の妹たちが多く存在することで……。昔、韓国の百済には三千名以上の宮女たちがいました。中国には三万名の宮女たちがいたと伝えられています。 なぜ、そのようなことが許されたのでしょうか? イエス様が地上に来れば、イエス様の一族、新しい家族と新しい氏族を中心として、国家を形成しなければなりません。アダムの妹をサタンが奪って、このように繁殖したので、イエス様の妻となる方も、妹を中心として蕩減復帰しなければなりません。 ですから、イエス様が結婚した場合には、天国の中心者として立つようになる閣僚や各部署の人たち百二十名以上を、堕落していない王、イエス様の指揮の下で、お互いにカイン・アベルの立場を守ってきた女性たちを中心として、すべて一緒に祝福してあげるのです。そのようにすることによって、サタンの血統を分立して、堕落の内容を断ち切ったエバの基準を蕩減復帰するのです。 女性が問題なのです、女性が。王妃は宮中の女性たちを妹のように、未来の後継者として愛さなければならないのに、そのような王妃が一人もいませんでした。妹でありながら怨讐の立場にあったので、競争してきたのです。そのため、女性ゆえに引っくり返ったり、ぐるぐる回ったりしながら来たのです。女性が問題なのです。 イエス様を中心としてイスラエル民族とユダヤ教、カインとアベルが一つになった場合には、どうなっていたでしょうか? 世界的な主権を建設したとき、その閣僚たちまでも堕落の血統と因縁のない……、旧教と新教で一番の美人、宮中で学び、宮中での出発基準の体験をもった女性たちと結婚させてあげたのです。 そのようになった場合、それは天使長が女性を蹂躙した立場ではありません。主人、王が公認して結婚することによって、サタンの血統以上の基準に連結されるのです。相手の女性は堕落していない立場なので、イエス様の祝福によって、サタンの血統を断絶した立場に立ったという条件を立てることができるのです。それゆえに神様が、個人的な王宮、サタン的な世界の王宮を、残してきたということを知らなければなりません。一斉に蕩減するためなのです。 イエス様もそうです。百二十名以上の女性たちを中心として、そこに王妃を立て、その百二十名が一つになってイエス様に仕えたならば、それまでに結婚してサタン的な血統に染まった複雑な者たち、見たくも触りたくもないその者たちを、すべて切ってしまい、再祝福するのです。百二十名の新しい宮殿におけるイエス様の妹の立場にある女性たちを中心として、血統的に一つにまとめることによって、サタンの分別が完璧になされるのです。 そのとき、そのようなことがなされていたならば、統一教会で今、サタン血統の断切という宣言をしなくてもよかったのです。それを知らなければなりません。そのようにしていたならば、サタンの血統断切を二度とやらなくてもよかったのです。そのような話をする時間がありません。 そのとき、百二十名の女性たちがイエス様と一体となっていたならば、どうなっていたでしょうか? 祝福と同時に、百二十名の国の主要部署にいる責任者たちが結婚するようになるのです。そうなれば、それ以下の部署は、自動的に結婚するようになるのです。一挙に国家全体が総括して、結婚解放圏に立つのです。簡単なのです。 このような革命的なことを上からやるので、その下の者たちに「このようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「あのようにせよ」と言えば、「はい!」と答え、「上に行け」と言えば「はい!」と答え、「下に行け」と言えば、「はい!」と答え、「前後左右どこにでも行け」と言えば、「はい!」と答えるのです。 どんなに喧嘩をし、どんなに気分が悪く、どんなに夫と別れる運勢をもっていたとしても、絶対服従して一体圏を成し、国家基準における祝福完了圏を超越することができるのです。そうなれば全体が完了するのです。 イエス様を中心とし、神様を中心として、絶対愛の心情圏を築き、個人心身一体圏、夫婦一体圏を中心として、閣僚から全国民までが一体となるので、イスラエル民族も、ユダヤ教も、イエス様の宮殿の親族になるのです。絶対圏を中心として、左右が一つに合わさるのです。 女王を中心として百二十名がすべて連結されるようになれば……。男性たちをすべて連結するには、完全なるプラスとマイナスが一つになって、マイナスとなれば、男性プラスが自然に連結されるのです。イエス様の宮殿の宮女たちを結婚させてあげるという天命が下るときには、それまでの自分が連結された家庭を切って、祝福されたその家庭の方について来いというのです。姉が妹の尻尾にくっつくのです。 そのようにすることによって、完全一体圏の復帰がなされるのです。サタンの血統圏の分別が、国家基準以上でなされるので、聖別や断切が必要なくなるのです。 統一教会では、多くの者をいっぺんに結婚させてあげましたが、血統転換をしないわけにはいきません。復活式や新生式、永生式をしなければなりません。そのような複雑な内容が介在していることを知らなければなりません。 父母を中心として、アベル世界とカイン世界が完全に一つにならなければなりません。旧教と新教は、第二次大戦直後には八億にもなったのです。そのときに結婚式が行われた場合には、一挙に世界が祝福圏に入ったのです。イスラエル民族と第二イスラエルのキリスト教は、再臨主が来られる準備をしなければなりませんでしたが、再臨主が雲に乗ってやって来ると聞き、怪物か何かのように考えて、何もせずに泥棒根性で霊界だけを頼りにしてきたのです。それがキリスト教の失敗なのです。 世界的なキリスト教全体で美人が、数万人、数千名でもいいから、来られるメシヤのために準備し、女王を中心として団結、団結、団結したならば、一挙に世界の指導者や閣僚たちが、妹の立場にある宮女たちと祝福結婚を受けることができたのです。そうなれば、世界が一挙に復帰されたのです。既存の結婚生活をしている家庭は、後ろに立つのです。 サタン的なものを分別しなければなりません。入れ替わるのです。そのときは新しく祝福を受けたその家庭において、アダムを中心としてカインとアベルになるので、アベルの妻に自らのカインの妻を絶対服従させなければなりません。そうでなければ、本妻を立ててきた天国の系統として戻っていける道がないのです。 戻っていく道がないので、妹を中心として新しい家庭を編成することによって、そこに絶対に一つにならなければなりません。離れないように一体化することによって、妹が本妻の立場、本妻が妹の立場となり、一列に並んで再臨主の天国に入れるのであって、平行的であったならば絶対に入ることができません。 個人の転換の主流がそのようになっていますから、世界的に転換する時代には、世界的にそのような環境が現れるようになります。それゆえに、世界的に家庭解放の問題、フリーセックスの問題、ホモの問題などが発生するのです。 天使長には相対理想がないのです。女性が女性と結婚し、男性が男性と結婚するといったことは、動物世界にもありません。相対圏を無視しているのです。天使長には相対がありません。女性を献納する基準を中心として、再祝福のために彼らを使わなければならないのです。 自分の祖母、母、妻、長女や次女まで、すべて再臨主の側にくっついて、世界が一体圏を成さなければならないのです。再臨主が結婚すると同時に……。なぜ、再臨主が再び結婚しなければならないのでしょうか? それが問題なのです。本妻には行けないのです。回っていかなければならないのです。姉が妹に仕えなければなりません。反対なのです。宮女に女王が絶対服従しなければなりません。そうでなければ行く道がないのです。 姉を昼と考えれば妹は夜ですが、夜の世界を通じて戻っていかなければ、昼の世界に戻れる道がありません。妹を中心として姉が絶対服従するという家庭的基準を中心として、一体圏を築くことによって、神の国に戻っていくことができるのです。そのような末世圏になっていくので、家庭がすべて破綻するのです。 イエス様が来られたら、女王も結婚させてあげるべきでしょう? 自分の祖父や祖母も結婚させてあげなければなりません。しかし、祖母が嫌だと言えば、結婚できないのです。女性が主体なのです。天が推薦する方向に適った生活や思想を過去にもっていたとしても、祖母が嫌だと言えば、別れなければならないのです。 そのようにすれば、世界平和圏、統一圏が完了したでしょうか、しなかったでしょうか? そのようにしたならば、一九五二年に完全に地上天国が完了していたのです。これまで先生がやってきたことは、及びもつきません。『父の祈祷』の孝心編を読むと、四十年前の祈祷ですが、同じ内容なのです。そうでしょう? 今までの歩みを振り返ってみなさい。三万双から一億二千万双まで何年かかりましたか? 七年間です。一九九二年から一九九八年まで七年間なのです。一九四五年から一九五二年までと同じです。 一九九二年には女性解放を宣布したのです。そうして、祝福を世界化したのです。このように七年間に完了しなければ、蕩減復帰ができないのです。イエス様一代で完了すべきだったことを、先生一代でなすのです。四千年間に数千万人を犠牲にしながら築いてきた祭壇を、そこに合わせて先生の前できれいに聖別するのです。それを一代で聖別するというのは、夢のような話です。 それを知った先生が、生涯路程を前にどれほど苦心してきたか、皆さんは想像もつかないことでしょう。内外ともに完璧でなければならないのです。見えない霊界における完璧な勝利圏を築くと同時に、完璧な理論体制を携えて、知識人たちが批判しても完全に欠点がなく、頭を下げて跪かざるを得ない、現実と実体を獲得できる勝利圏を築かなければ、地上天国・天上天国は永遠に現れないのです。 そのような苦労をした先生について、皆さんは何も知らないのです。ごまんといる、女性としてのレベルに達していない、飲み込みの悪い女性たちに、永遠に純潔な母の世界の伝統を伝授するということは、夢にも考えられないことです。 日本は島国で、卑賤な女のような国です。いとこ同士で結婚したり、総理や大臣の妾に自分の娘、東大出の良家の娘を結婚させても自慢するという、そのようなサタン的な国なのです。そんな国が天の最高基準の、聖別された女王の価値として公認される立場に立てられたのに、天から伝授されたその価値を知らないのです。 予言書にも出ているのです。日本が使命を果たせなければ、三人の娘に当たる島国は補助をすることはあっても、母の使命を代身する資格はないのです。そうなれば蕩減復帰によって、米・英・仏を中心として第二次世界大戦で得られた勝利圏を再び抱き…、日本とドイツが弁償しないで済ませてきたすべてを再び弁償するようになり、後悔して悔い改める条件に引っかかって、引っ張られていく道しかなくなるのです。先生はこのような教育をして、最後の決断を下さなければならないのです。深刻なのです。 ……これを成し得ずに、キリスト教の旧教と新教が反対したので、世界的な立場でアダムとエバが二度堕落したという立場になりました。神様が認定する基準の相対基盤をもてなかったので、一人になるしかなかったのです。韓国の統一圏、文氏の統一圏、すべてが二つに分かれたのです。東西文化統一圏や地上・天上統一圏、神様の心情一体圏、すべてが二つに分かれたのです。そのような基盤の上に、共産主義という問題によって韓国を中心として、朝鮮半島の六・二五動乱から冷戦が始まったのです。 それが最後の時となって、韓国のオリンピック大会、百六十六か国の国連加入によって、分かれていたモスクワとロスアンゼルスのオリンピック大会の二つが一つになることによって、冷戦が終わりを告げるのです。韓国動乱の休戦状態とオリンピック大会が結束して、百六十か国が参加する世界的な大オリンピック大会に発展したのです。そこに貢献した国が韓国なのです。 そのとき統一教会の文先生は、百二十か国以上の世界の宣教師、百六十か国に派遣された世界的な二世の宣教師とその国の二世たち、肉体の健全なチャンピオンたちを組んで、オリンピック大会を支援したのです。全世界の宣教師が共同作戦を取って、大使館やその本国よりも強烈に、世界的なオリンピック大会に神様のみ旨の基盤を造成する条件的な活動を展開したのです。 考えてみなさい。ソ連が一位、東ドイツが二位、三位がアメリカで四位は韓国でした。これは夢のようなことです。サタン圏のカイン・アベル、天の側のカイン・アベルが先生を中心として引っくり返ったのです。そこから世界的な準備を整えたのです。一九八八年を中心として一九八九年に「八定式」を発表し、その次には「天父主義」を発表したのです。それを中心として一九九二年に「女性解放宣布」をしたのです。 その時までお母様は先生の横に立つこともできませんでした。神様の前に立たないで、一番後ろに立っていたのです。先生の後ろにお母様が立っていたのです。前ではサタンを中心として闘争しているのです。お母様はサタンの秘密や闘い方を知らないのです。絶対服従することによって、世界的な祝福圏までずっとつながってくるのです。 一九九二年の三万双の祝福を中心として世界的な祝福圏に入るのです。三十六万双、三百六十万双で祝福の世界化運動をして、三百六十万双の時に三千六百万双の基台を何とかして着陸させたのです。それで今回三千六百万双の基準を中心として三億六千万双の祝福をするのです。これは山から吹いてくる北風のように垂直に進むのです。神様が切に待ち望んでこられたこの時を失ってはなりません。昨年十一月二十九日にやったので、十か月の間に三億六千万双をやるのです。 このような威勢堂々たる権威をもってサタン世界を屈服させるにあたり、その能力が死んでいなければなりませんか、生きていなければなりませんか? 生きていなければなりません。そこにおいて花が咲き、実を結ばなければならないので、祝福の世界化と共にサタンの血統断切を宣布し、二世全体が神様の祝福圏に立つ時代、世界的な春の時代に入ったのです。そのような統一教会の自由解放圏内に入ったと考えるとき、全体・全般・全権・全能の時代、神様がなそうとされることに不可能のない時代に入っているのです。 サタン世界の婦人としては、周りを見なければそのような展開が分からないのです。そのような立場にあるのが、日本というエバ国の全国民なのです。そのまま一人にしておけば、地獄のどん底に落ちてしまうので、ブレーキをかけてきたのですが、止められないのです。あきらめざるを得ない限界に来ているので忠告しているのです。こんなにはっきりと話してあげたのに従わない者については、先生は責任をもちません。 これまでは神様と人間の家庭を連結することができなかったので、その分別基準を中心として、お母様は先生の後ろについて来ましたが、世界的な祝福圏を中心とした編成によって、一九九二年の「女性解放宣布」と共に始まった世界的な女性運動を中心として、横に立つようになったのです。世界家庭を吸収する解放圏に立ったのです。先生の横に立つ、お母様の位置に初めて立ったのです。 そうなることによって、後ろにいた神様、人類のすべてに逆について来られた神様が、先生の前に来られるのです。先生がお連れして、先生の宝座に座っていただいて礼をし、神様の家庭の世界化運動に連結するのです。それが三万双、三十六万双、三百六十万双、三億六千万双なのです。そのようにして、祝福の峠をすべて越えてしまったのです。 そこには怨讐も何もありません。エデンの家庭でカインがアベルを殺した、そのような思いや意識を、神様の心情と愛によって消化することによって、勝利したアダム家庭の資格で神様を解放し、悪魔や殺人者までも解放して、天国に参席・加人できる権限を与えるために、地獄の門と天国の門を開いたのです。 今まで祝福した家庭の中には、マフィアもあり、やくざもあり、悪人や殺人者、逃亡者など、さまざまな人がいました。そのような処置によって、その圏内にいるすべての罪人たちは、歴史的に解放圏に立つようになり、神様に帰るハイウェイに乗って、天国に至るまで飛ばしていけるのです。天国の至るところに行ける、世界的な天宙解放圏を宣布したのであります! アーメン! 女性解放を中心としたその七年間を経て、今日、先生一代で解放圏を築くようになったのです。エデンに帰るのですから、そこには日本や韓国といった国はありません。このようにして、失われた第二次大戦直後の基盤、一九五二年の世界的完成圏をやっと再び迎え、祝福の世界化運動を中心として解放を宣布し、サタンの血統断切までも宣布したのです。ですから、サタンの条件に全く引っかからず、神様が万歳でもって歓迎なさることのできる、全権をもった新しい理想世界が展開されるようになったのです。 それは統一教会の勝利した家庭、純潔を守って純粋なる家庭の前に、神様が相続してあげるようになるのです。雑多で無秩序な家庭は、そのようにできないのです。そのような類の精神を徹底化するために、祝福家庭の教育を始めざるを得ません。その三回目に日本の幹部たちが参席したのです。尻をひっぱたいて連れてきたのです。 このようにすることによって、サタン世界の個人から、家庭・氏族・国家・世界全体が祝福の恵沢圏内に入ってきたのです。祝福を受ければ、それは世界的な解放ですから……。天国に入る門には、サタン的な門がありません。サタンの門を通過して天国に入るという道はないのです。天国の門は、一つしかありません。真の父母が来られて、初めて天国の門を開放し、その後で地獄の門を開放するのです。ですから、サタンも仕方がないのです。霊界の先祖は、天使長の体ではありません。アダムが十六歳以降に、サタン的な体となったのです。堕落以降、天使長の体となって生んだのが人類です。これを解放することによって、先祖たちはどのようになるでしょうか? 彼らをどのように救うのでしょうか? 天使長個人がアダム家庭を保護して、勝利圏に立てなければならなかったのに、それができなかったのです。ですから、今回はアベル圏の天使長家庭がそれを成さなければなりません。それで、堕落した血統を受け継いだ霊界にいる先祖たちを祝福するのです。 彼らを祝福してあげれば、彼らは天使長の兄と同じです。天使長の長子圏家庭なので、天使長の次子圏の立場に立った家庭を、自由に治めることができるのです。地上にあるサタン的な家庭を完全に追放し、除去できるのです。そのような祝福をしていくのです。 そのすべてをここに(以下板書をされながら)投入するのです。霊界の先祖を投入して、天使長が個人的に未完成なもの、言い換えれば理想家庭、理想国家の編成のために、カイン圏の先祖たちが、アベル圏の家庭・国家・世界を保護する時代へと転換していくのです。サタン家庭を追放するとともに天の家庭を助けるのです。 サタン世界のすべてを超えていくのです。このように世界化しましたから、その天宙的メシヤは誰ですか? 神様なのです。世界的メシヤは、再臨主、真のお父様なのです。そして国家メシヤ、氏族的メシヤ、家庭的メシヤと、メシヤがすべて……。ここで勝利すべきことが成せなかったので、失ったものをここで蕩減復帰するのです。天地メシヤの再臨、世界メシヤの再臨、国家メシヤの再臨、氏族メシヤの再臨、家庭メシヤの再臨が、ここで成されるのです。 ここジャルジンにおいて、皆さん祝福家庭が氏族メシヤになり、家庭メシヤにもなるのです。全体のメシヤがここに集まってくるのです。失ったものをここで蕩減しなければならないのです。韓国を中心として地面を垂直に掘っていくと、ぴったりこのウルグアイとパラグアイの地になるのです。それは南米大陸を中心としてカインとアベルです。ブラジルがカインならば、パラグアイはアベルです。アベルは東洋人の混血国家です。パラグアイはアフリカとの混血国家なのです。 神側から見ると、超国民的、超人類愛をもった国なので、アベルの立場となるのです。ウルグアイはサタン的です。白人しかいません。黒人と有色人種をすべて撲滅したのです。それを今、この基準を中心として家庭教育をすると、パラグアイが自動的に吸収され、ウルグアイも自動的に吸収されるのです。そのようにして四か国の経済統一圏を築き、四か国が一つになってアメリカから防備するのです。これは欧州と一体になっており、それ以上は北米と関係しているのです。北米と南米の紛争の中間圏に文先生が立ち、旧教と新教を統一することによって、南米と北米が統一される大転換期に入っていくのです。何によってでしょうか? 祝福によってです。 祝福をするにあたっては、旧教の信者も新教の信者も、南米人も北米人も祝福するのです。統一圏で祝福することによって、一つの文化圏が生まれるのです。そのような条件によって、かつて一体圏とならなかった南米と北米、旧教と新教が一体圏の立場に立って、祝福を受ける勝利圏を形成するとともに、世界を超越した基準になるのです。 ここにすべてが集まっているのです。神様、万能の王、国家メシヤ、氏族メシヤ、家庭メシヤ、すべての祝福家庭をここで結束させるのです。これまで四十年以上……ここですべきであったのに、それを失ってしまったので、先生は一人で来たのです。何もなしにです。 文氏の氏族が分裂し、国が反対し、東西文化が決裂し、地上天国が分裂したすべてを、ここで統合するのです。全体・全般・全権・全能なのです。世界の組織体制は平面圏になるのです。既に左翼も右翼もなくなりました。全権とは何ですか? サタン的な主権や全権によって神様の法を破壊した者は、全能なる神様の全権を中心として引っくり返るのです。 そのような条件のもとに、パンタナールやジャルジン、ベルジドやサロブラがあるのです。これが蘇生的で、サロブラが長成的で、パンタナールが完成的なのです。これから観光レジャー産業を活性化するのです。先生が話したでしょう? レジャー産業を興さなければなりません。将来は戦争というものがありません。青少年のバイタリティーをいかに消化するかが問題です。今、アメリカで海洋挑戦(オーシャン・チャレンジ)というのをやっているのです。やくざ、マフィア、テロ団に加入していた悪い青年たちを、海洋訓練させていますが、それが面白くなれば酒場には行かないのです。みんなが指折り数えてオーシャン・チャレンジの記念日に、東西南北を問わずに参加するようになります。大きなブームとなっているのです。 ですから、ここで皆先生について来いと言っているのです。神様と共に、神様を一番前に立て、先生とお母様を中心とし、先生の子女を中心として、上がっていくことは問題ないのです。 一九四五年から一九五二年までの祝福解放圏を築いて、再び戻ってきました。その基準において必要なのは、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道です。神様が創世前に決意して成された、その基準に戻るのです。家庭的に完成したその基準を通過して、神の相対になる、それが「ジャルジン第一宣言」なのです。 「第二宣言」は何ですか? 神様の四大属性圏の相対は、その四大属性に一致しなければなりません。絶対・唯一・永遠・不変なる神様の「愛の相対」である私たちは、家庭において父母として絶対、子女として絶対、夫婦としても絶対、兄弟としても絶対、このような四大心情圏の実体にならなければならないのです。子女もそうであり、夫婦もそうであり、家庭時代のすべてが、そのような完成圏を築かなければならないのです。それが「ジャルジン第二宣言」です。それを忘れてはなりません。 父母として、絶対・唯一・不変・永遠なる父母にならなければなりません。そのうち一つでも成したならば、すべてが完了するのです。子女として、絶対・唯一・不変・永遠なる子女となり、夫として、絶対・唯一・不変・永遠なる夫となり、妻として、そのような四大心情圏をパスした妻となり、そのような父母を中心とした子女になることによって、そのような横的繁殖をする家庭として、徹底した完成圏に一致した解放圏に立つとき、サタン圏とは永遠に分立されるのです。 ジャルジンはどんな所ですか? 先生はここまで来るにあたって、神様を愛し、世界を愛し、万物を愛し、海を愛してきたのです。霊界を知ることによって神様を知り、霊界の事情を知ることによって国を知り、国を知った者として山河や草木をすべて愛してきたのです。 そして、先生は生涯にわたって水と陸地を愛してきました。陸地から海に帰るのです。陸地を連結して帰っていくのです。蕩減復帰なのです。後ろにはサタンがついてくることができません。解放圏を中心として歴史的なすべての罪……、神様とアダムが失ったものをすべて取り戻して、神側に入籍させることによって、天下の平和統一が必然的になされ、「神の解放完成」という表題が実現するのであります! アーメン! それ以上の解放圏はありません。何をもってその喜びを表わしたらいいのでしょうか? 天下を相続する厳粛なこの時間…、皆さんは心の中で誓い、誓った結果以上に踏み越えて、跳躍でなく飛躍する、天の王の前に現れる孝子、愛国者、聖人、聖子として、神様の皇族に属する祝福家庭になるために競争し、チャンピオンにならなければなりません。 そのようなことをわきまえ、このようにいったん団結した基準において、先頭に立とうが、後ろに立とうが、それは各自の自由、決意次第なのです。チャンピオンになりますか、びりになりますか? チャンピオンにならなければなりません。チャンピオンは一人ですか、二人ですか? 先生がチャンピオンならば、皆さんは十二弟子なのです。三十六弟子として勝利圏を得たチャンピオン圏に立つのです。 復帰完了の蕩減圏において神様を愛し、万民を愛し、山河や草木を愛し、海を愛する路程を行くことによって、サタンによって分裂したすべてをここで結集し、サタンを分別して直行することによって、家庭的な配置をし、氏族編成、国家編成と上がっていくようになっています。「四・四節」を宣布することによって、霊界解放と共に、地上の完全・完璧なる摂理復帰完了の時代を迎えるようになりました。ですから、万歳と共にアーメン! アーメン! アーメン! 宗教圏、政治圏を中心として完了したので、「復帰完了」という名詞が表題となりました。夢のような話がそのまま実現したのです。それで、先生はここにおいて十月五目、旧盆の日に、霊界で祝福した者たち、家庭的なカインの先祖たちを地上に配置したのです。サタン家庭は崩れるのです。万能なる全権をもって平面的に押していけば、全体が平地になるのです。小川が全体的に埋まって平地になるのです。木と空気は平面をつくるのです。 愛も自動的に平面化させるのです。水や空気よりもさらに接着力、通過力があるので、真の愛が浸透できない所は、この存在圏にありません。超越存在として、主体圏を成す権限によって…、すべての実体を愛で主管する権限をもっているのです。それは主人になっても余りある権限です。それが神様の子女としての資格なのです。(三〇七-九、九八年十一月六日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール (250ml×6本セット) 韓流 コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.11
コメント(0)
総霊界霊人解放式 (ジャルジン第六宣言)一九九八年十月五日(陰暦八月十五日)の旧盆を迎え、ブラジルのサンパウロで国家メシヤたちが参席する中、「総霊界霊人解放式」が宣布された。その場で、既に祝福を受けた四大聖人と歴史的な重要家庭に、任地が割り当てられ、地上を協助する時代が聞かれた。イエス様の家庭は北米大陸、マリアとヨセフの家庭は南米、釈迦牟尼の家庭は韓国、孔子の家庭は中国、マホメットの家庭は中東、そしてソクラテスの家庭は欧州、というようにそれぞれ割り当てられ、真のご父母様はこの宣布を「ジャルジン第六宣言」と命名された。 祈祷 愛するお父様……、今日は一九九八年十月五日、この日は韓国においては旧盆であり、先祖をまつる記念の日でございます。 今や韓国の清平とこのサンパウロの城中と天地を前にし、霊界にいるすべての霊人たち、先祖と千千万の聖徒、神様を威示した地上の愛によって創造された被造万物と、今日この地上に暮らす六十億人類が、一体圏を成した愛の血族をもてなかった神様の恨を…、歴史時代に旧約・新約・成約の解放完成圏に向かって歩んでこられた、お父様の悲しかった歴史を、すべて消し去ってくださいませ。 人間アダム、エバの堕落がこんなにもとてつもない歴史的な悲運をもたらし、願わざる神様の怨讐となったサタンが、この地上に侵人することによって、心と体が分かれ、天地が分かれると同時に夫婦が分かれ、父母が分かれ、親子関係が分かれて散り散りばらばらになって、この地上に家庭的な形態を整えることのできない、主人なき終末時代を迎えました。 このような歴史的な悲惨な姿、天が正視できないような悲惨な姿を天が救うために、旧約摂理・新約摂理・成約摂理による神様の真の愛を解放するための、本然の父母をこの地上に立てるにあたって、どれほど苦労してこられたかという事実をこの息子は知っております。 天におられる縦的な真の父母が、天地を創造した私たちの父であり、地上の真の父母であられる神の体を代身した横的な父母が、私たちの初代の先祖だったということを知っております。 この方たちが家庭を中心として一体圏を成し、一体となることによって、縦的な心と横的な体が一体となり、一体となれる愛の種を地上にはじめて着地させることによって、永遠なる神様の血統と真の父母の血統が連結され、心と体の一つになった万民、子女たちが、この地上に繁殖すべき喜びの出発の一日を迎えるはずでございましたが……、その悔しくて心痛い歴史的な恨の足跡をかき消すために、これまでずっと歩んでこられたということを知っております。 想像を絶する恨を抱かれたお父様の前に孝行できる息子や娘を、この地上に一人としてもてなかったお父様……、寂しくてかわいそうなお父様でございました。億万代の一人息子、一人娘を愛することができず、追放せざるを得なかったお父様のその胸を慰労することができず、この地上に先祖をもつこともできなかった人類の悲惨さ……、そんな人類を見つめるお父様が、どれほど悲痛であったかという事実を、この息子は誰よりもよく知っております。 分別のない時代を過ぎて、神様を知るようになったその日から……、神様が行くべき道の上に平坦な道を整える数千年のキリスト教の歴史…、その労苦の土台を中心とした真の父母の祝福の一日…、それをもってエデンで失ったアダム家庭の勝利的な一つの血族を引き継ぐ、天の真の愛と結合することができず、それを再び取り戻すための受難の歴史であったということをよく知っております。 この受難の歴史を克服してゆかれる神様の愛が、先駆けて歴史の前にあり、過程にもあり、後ろにもありました。それをサタンがあらゆる手段と方法をもって、破綻させる歴史を繰り返してきました。 悔しくも恨めしいそのすべての因縁の数々、心的な因縁、内的な因縁……、地上に地獄ができ、天上世界に地獄ができ、天国は空っぽで、あなたが願われる血統はこの地上から消え、一人残った王座の足場を見つめられるお父様の恨めしく悔しい事実を、体恤できる私たちとならしめてくださいませ。 千辛万苦の受難の道を克服されたお父様の労苦によって、韓国の地のこの息子を立てられ、今までの天のもつれを解くのであり…、心情の因縁を結ぶための日々の生活において為に生き、涙と血の汗によって愛の道を開拓しなければならない、そのような道が残っております。 キリスト教文化圏で勝利し、かの山河に光明なる朝陽を迎え、永遠に陽の沈まない天国理念の地上天国が地上に顕現すべきでありましたが、ある日、キリスト教がみ旨に従えなかったことによって、こんなにも悲惨になってしまった事実を神様もよくご存じであられます。 それでも韓国の地をお父様は見捨てたまわず…、受難の道たる四十年の苦難の路程を経ながら、想像を絶する内面の悲しみを抱かれたお父様を慰労できなかったこの息子は、地を見ても、天を見ても、万物を見ても、責任を果たせなかった息子として恥ずかしさを覚え…、ある地点において、この道を回避できるかということを求め、求め、求めてみた結果、その地点から神の道を、私が行く道を開拓し、橋をかけ、山を越え、縦的な八段階、横的な八段階を経まして、八定式を宣布するとともに天父主義を宣布いたしました。 この地上に「七・八節」を宣布すると同時に、ジャルジンを中心として神様の創造理想の本然的基準、お父様が出発されたその本然の基準、絶対信仰・絶対愛・絶対服従と神様の属性の基準を無事に超越し、愛にとどまることのできる足場が築かれるようにしてください。 絶対・唯一・不変・永遠なる家庭的基盤を求めてこられた、お父様の願いを成就するため…、真の父母となれる絶対父母・唯一父母・不変父母・永遠父母、絶対子女・唯一子女・不変子女・永遠子女、絶対夫婦・唯一夫婦・不変夫婦・永遠夫婦、絶対家庭・唯一家庭・不変家庭・永遠家庭を世の中は知りませんが、天が待ち望む日が、この歴史の最高の転換点になるということを知るこの息子は…、千年を変わることなく待ち望んでこられたその日が訪れたということを、世上万世の前に称えたく思い、また、称えられるべき宣布の日であるにもかかわらず、誰も知らないこのジャルジンの基盤でそれを宣布することになりました。 「第三宣言」におきまして…、神様は、第一代創造主・第二代創造主・第三代創造主を縦的基盤として連結し、横的な土台の上で、地上天国と天上天国の王権の基準を中心とした三大創造主の権限を、地上に宣布することができました。 恨めしき宿命的な課題として残された、神様もサタンもどうすることもできないこのような課題を提案し、永遠不変なる宿命的な親子関係・夫婦関係・父母関係・子女関係を解怨成就することによって神様の恨の峠を越えることを願い、祈り求め、宣布するには足りなさを感じます。 これを条件に「四・四節」を宣布することによって南北が連結し、父母の心情を海から連結して…、万物の授受の原則を中心として、ノアの時に審判されなかった海の基盤を中心として、すべての被造物を解放的な審判の場に召集し得る意味合いから、国家メシヤをパンタナールに集合させ、祝福家庭をジャルジンに集合させ、世界的メシヤ・国家的メシヤ・氏族的メシヤ・家庭的メシヤという枠をもって、父母に続いて帰っていくべきことを明らかにしました。 左側で勝利したすべてを右側に展開していくにあたって、滞りなく直行できる道に沿って、真の父母が行くことのできる道を整備することによって、祝福家庭が絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって四大属性を中心とした絶対・唯一・不変・永遠なる、父母・子供・夫婦・兄弟の家庭を基盤とした本郷の道をたずねていける、自由な環境を許諾してくださいまして、お父様の前に感謝申し上げます。 霊界と肉界が分かれたのを統一して、東西の文化の壁を超え、南北の貧富の格差を超え、今や統一された国の父母に侍る子女の心情を抱いて、平和の天地と平和の人類を見極めていくべき、統一家の祝福された群れたちでございます。 もっている財産やもっている土地、すべてを売ったとしても、この平和の天国の理念をうち立てるために、率先しなければならないのが祝福された息子、娘であり、祝福家庭であることを知っております。 そうすることによって、その家庭を祭物として国を治め、国を供え物として世界を治め、世界を供え物として天地を治め、天地を供え物として神様に侍ることのできる、万民万年解放圏の愛の実体主権を誇ることのできる、永遠解放地上天国を開門することのできる、歴史的な出発をいたしました。 既に六月十三日を通じて、聖人と殺人鬼を兄弟の立場で、ご父母様が痛哭の心、悲しい心を抑えながら、彼らを同じ立場で祝福することによって、天上世界では解放の喚声が今でも鳴り響いているということを、この息子は知っております。地の人間たちは知りませんが、天上にいる我々の先祖と天上世界と千千万の聖徒がそれを知っております。 地上のご父母様の環境を開拓するために……、堕落した天使長圏の家庭を残して地上で主権を振るってきた堕落した天使・サタン、神様の愛の家庭を破綻させた怨讐を……、霊界と肉界が一つになって兄弟の因縁を中心とした父母の愛を抱き、神様の愛を抱き、この地上で真の父母が解放圏の宣布をするとともに進軍命令を受けて、長子権を転換させました。 次子が長子となり、天の国におけるすべての長子権・父母権・王権回復の基盤の上に立って、次子圏となっていた天が長子圏になることにより、サタン的な世界において長子だったのが、天の祝福家庭の次子的な立場に立ちました。 それによってこの長子圏を中心として、サタンが残忍な行動をして死の道に追い込み地獄に行って嘆息していた全体、地上・天上地獄のすべてを崩し、彼らを解放して、共に天の父母と真の父母に侍ることのできる本然の国、愛の主権国家、地上・天上天国を準備するための最後の目的と整備をなすための、このような最終的な場に立ちました。 今日、この手続きと共に、これまで先祖をまつることのできなかった統一教会が、先祖に仕える条件を立て、また、この地上で子孫たちが先祖に侍ってきた体面を加えて、神様をこの地に迎え、真の父母の祝福を受けた家庭を中心として、この地上において個人・家庭・氏族・民族・国家・世界の版図を乗り越えられるようになりました。 と同時にサタンの血統を断切するとともに、今や新しき二世を中心とした解放世界を前に前進するこの現状にありまして、霊界に行ったすべての先祖たちも、地上においてこのような出戦舞台の上に共に同伴して、恨の歴史を振り返りながら、天の前に不足で申しわけなかったことを解怨できる時となりました。 今回、六月十三日に祝福した五大聖人を中心とした、その基盤と関連のある宗教団体と因縁を結んで霊界に行った、すべての弟子たちと共に祝福を受けた群れが、今や最後に転換の時を迎えるべき地上において、再び兄弟のように真の父母に侍り、神様と共に天上を立て、地上と共に忠孝の道理、伝統の足跡をたどっていかなければなりません。 この地上における天使長家庭の立場に立って、完成したアダム家庭にあたる地上の祝福家庭の解放圏の前に参戦、同参し、神様の前に家庭においては孝子の道理、国においては忠臣の道理、世界においては聖人の道理、天地においては聖子の道理の愛的な因縁を共に引き継げるように、天上・地上、神様と真のご父母様が一つになって、このみ業が永遠に可能となるように、彼らを中心とした彼らに従う弟子と、そのような先祖をもった、アダムとエバに連結した後代の先祖たちさえも解放してくださいませ。 そうして真の父母を地上に迎えた、本然の完成的な天と一体の愛圏の血族を中心として侍られなかったすべてが、地上・天上の先祖たちが、兄弟の因縁、父子の因縁の本然的な創造理想、縦横の決定に、愛の一家庭を中心とした定着点に、地球星の全体、霊界全体が一つの真の父母を中心とした宇宙史的な家庭的基盤を永遠に定着させることのできる宣布の日を迎えました。 霊界解放、地上解放をなして、すべての家庭が縦横無尽に自由に往来でき…、共に活動すべき時代を、真の父母のみ名によって今やこのすべてを一つに束ね、真の父母のみ名によって全被造万物と共に地上着地活動することを宣言し、真の愛を中心とした神様と真の父母の真の血統的な心情圏を中心とした、神様の愛の地上・天上天国、永遠なる神様の主権の勝利のために出動することを、真の父母のみ名によって宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(二九六-九、九八年十月五日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.05
コメント(0)
第11回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言1998年10月3日ブラジル・サンパウロ 心の「人」と体の「人」 人間にとって最も重要なことは五官であるということを、皆さんは知っています。ここでいう人間とは、どのような存在でしょうか?。それは、五官を統一させようとする最高の者のことです。 皆さんは、五官が統一されていますか?。(「いいえ」)。五官が統一されていない人が、五官を持っているということは恥ずかしいことですか、うれしいことですか?。(「統一されていなければ恥ずかしいことです」)。そのような人たちは、神様と一緒に暮らすことのできる場所にいることができるでしょうか、できないでしょうか?。(「一緒に暮らすことはできません」) そのようにして、地獄に行く人と天国に行く人がいるという観点があるということを、皆さんは知らなければなりません。 一般の人間が知るところは、「五官がある」ということですが、その五官は、人の体を中心とした目に見える五官のことです。体を中心として現れた五官、見ることができる五官、体に備わった五官が、わたしたちの五官であるということを知るべきです。 それでは、「人」と言ったとき、それは、いわゆる身体としての「人」だけが存在しているのでしょうか?。それとも、身体に対する心の「人」も存在しているのでしょうか?。「人」は、体の「人」だけが存在していると思う人は、手を挙げてみてください。一人もいないですね。それでは、「人」は体の「人」と心の「人」というように、二人いると思う人は手を挙げてみてください。(皆、手を挙げる)それは合っていますね。(笑い) 通訳を通して言っても分かるのですね。(笑い)半分も分からないと思ったのですが、皆、手を挙げるのでありがたいです。通訳を本当に上手にしているようですね?。(笑い) 体の「人」は、夜も見えるし昼も見え、一生の間見ることができますが、心の「人」を見ることができますか、できませんか?。(「できません」)。ですから、それがどれだけもどかしいことでしょうか? 皆さん、心を見ることができますか?。もし、「心がない」と言ったら狂人扱いされます。皆、心を持っています。だれであろうと皆、それぞれ心の「人」を持っているのですが、永遠の昔から今に至るまで、その心の「人」を見た人がいないというのです。 心の「人」がどれくらい美しいか、心の「人」を見たならば、心を奪われてしまうというのです。その男性の心の「人」、女性の心の「人」を、心の「人」同士で見たならば、これはぴたっとくっついて、神様も引き離すことができないというのです。そうなれば問題でしょう? 体の「人」を見たくない人もくっついて、男女問題が世界問題になり、世界が滅びるか栄えるかという問題が生じて、ありとあらゆる複雑な問題が生じるという事実を知らなければなりません。 世界には、多事多端な千万の問題がありますが、その問題は二人の問題であり、二人といえば男性、女性の問題に連結されているのです。アーメン。(「アーメン」)間違いなく、そのようになっています。それは合っていますか、合っていませんか?。(「合っています」) 二人の問題なのですが、どのような二人の問題なのかといえば、体の「人」と心の「人」の二人が、一つにならないことから問題が生じるということを知らなければなりません。 それでは、一つにならないことを願う人がいますか?。男性は女性が必要で、女性は男性が必要ですか?。それは、どのくらい必要ですか?。絶対に必要です。神様のもともとの性質は絶対的であり、唯一的であり、永遠的であり、不変的なのです。それゆえに絶対的に必要であり、唯一的に必要であり、不変的に必要であり、永遠的に必要なのです。男性の前に最高の真理が女性であり、女性の前に最高の真理中の真理の本体が男性なのです。アーメン。(「アーメン」) それでは皆さん、男性が女性に対して絶対的であり、妻も夫にとって一人しかいない唯一・絶対的な妻、不変的な妻、永遠的な妻であり、自分の夫もそうであり、自分の息子・娘もそうであり、自分の兄弟もそうであるというように、自分の家がもし、そのような家であるとしたならば、その家は神様が所有したいと思われる家なのです。 夫婦の間でいえば、それが何人になるのかというと、合わせて四人です。今日、世の中に生きている人たちは、夫婦のことを、お互いの目に見える体二つしかないと思って、夫婦は二人であると考えているというのです。 皆さん、このような話を聞いたことがありますか?。初めて聞いたでしょう?。夫婦は、この四人が一つになり、四人が一つに集まって永遠に一つの存在になるというのが、理想的夫婦なのです。 「神様は、人類と私のお父様」 それでは、それはだれに似て、そうなのでしょうか?。お父さん、お母さんに似て、そうなったのです。そのお父さん、お母さんはだれに似たのですか?。そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さん、そのまたお父さん、お母さんに似てそうなったのです。それでは、人類の先祖が一番の根になっているのならば、人類の先祖の根は何でしょうか?。それが神様であられるのならば、人類は神様に似たのでこうである、というのです。 神様に似たのですか?。「神様に似た」と言う人は、手を挙げてください。(聴衆を見回されながら驚嘆の口笛を吹かれる)神様に似たのならば、それをどれくらい誇りたいでしょうか?。 神様に似たというのですが、神様とは一体だれなのですか?。息子・娘をだれがつくったのかといえば、それはお父さん、お母さんがつくったのです。創造と同じです。私を生んでくれたのは、お父さん、お母さんということです。それでは、神様はだれだというのですか?。 神様は、わたしたち人類のお父様なのです。それを大きな声で一度言ってみましょう。「神様は人類のお父様です。私のお父様です」わたしよりも、もっと大きく言ってみてください。(「神様は人類のお父様です。私のお父様です」) 千人近い人が集まったのに、わたしより声が小さいのですから、皆死んだ人たちです。死体のように麻痺した人たちです。気分が良いですか、悪いですか、どうですか?。「神様は私のお父様です」。(「神様は私のお父様です」)。そのことを、それぞれが忘れないでください。 それでは、神様はだれに似たのかというのです。私が神様に似たのですか、神様が私に似たのですか?。人間の欲望のふろしきは、どれくらい大きいでしょうか?。「神様もわたしに似ていれば良い、わたしが神様に似ているのは嫌だ」。人間の欲望は、このように大きいのです。 そのように考えてみたことがありますか?。「神様はわたしに似た。わたしに似た。間違いなくわたしに似た」。このように考えられる人がいたら、神様は喜ばれるでしょうか、頭をたたかれるでしょうか?。(笑い)愛する息子・娘が、「お父さんが私に似たのであって、私がお父さんに似るとでもいうのですか?」と言っても、気持ちが良くて抱き抱えて口づけするのです。 時間が随分たったので、これぐらいにしてやめましょう。(「いいえ」)。やめましょう。もっとやろうというのですか?。(「もっとやってください」)。わたしは、きょう朝から一時間半遅れたので、それをどれほどすまなく思っていることでしょうか? 皆さんは、「文総裁は時間をきちんと守るといううわさであったのに、きょうはなぜ、このように遅れたのか?。約束した時間を一時間半過ぎてから来るのか?」と思うかもしれませんが、皆さんを集めてこのように話をすることよりも、ブラジルや南米全体、あるいは世界が生きるか死ぬかという問題の会議があるのです。それを解決しようとして時間が遅れたのですが、それは、「皆さんであれば許しても余りあるであろう」と考えたので、このように遅れたのだという事実を提示いたします。アーメン。(「アーメン」) 世の中に神様よりも優れた人がいた場合、神様が「人類はわたしに似た」と言われるとき、その言葉を喜んで歓迎する人はいません。神様が「わたしが人類に似た」と言われれば、「ふふふ」と笑うのです。そう言いたいでしょう?。そう言いたい人は、一度手を挙げてみてください。 人の欲望は神様よりも、もっと高いではないですか。ダイヤモンドの包みを、お父さんの財布に入れるのが良いですか、自分の財布に入れるのが良いですか?。(「自分の財布に入れるのが良いです」)。皆さん、わたしに似ましたね。 神様よりも、もっと大きい人はだれですか?。神様よりも十倍大きいかたがいらっしゃったならば、その十倍大きいかたを占領しますか、十分の一の神様を占領しますか?。皆さんの欲望は、どれくらい大きいでしょうか?。十分の一の神様を占領するという人は、手を挙げてみてください。十倍のかたを占領するという人、手を挙げてください。どちらですか?。(「十倍のかたです」) 神様が優れていて、さらにその神様よりも十倍優れた神様がいても、「そのすべてはわたしに似た。気分が良い」と、このように考えなさいというのです。その話は何かというと、神様が自分よりも劣っているということになるのですが、ここで、神様がどのようなかたであられるのか分析してみましょう。 心と体の闘い 神様の心と体が闘うでしょうか?。神様も心と体があるでしょう?。神様の心と体は闘いません。そのように闘わない神様に向かって、「闘え」と言って闘うでしょうか、闘わないでしょうか?。神様は、サタンが「神様、闘え、闘え」と言うのを聞かれるでしょうか、聞かれないでしょうか?。 もし、神様よりも十倍優れた最高の神様が現れて、「おい、おまえ、闘え、闘え」と言うからといって、闘うでしょうか?。劣っている人と優れた人が、いくら一緒に合同作戦をして「闘え」と言っても闘わないのが、神様なのです。分かりますか?。 それでは、「神様はわたしに似た」と言うとき、神様の心と体が一つになるそのレベルが、私よりも劣っているということですか、優れているということですか?。 それゆえに人が、心と体が絶対に一つになっている神様に対して、「神様もわたしに似た」と言うのならば、その人は、自分の心と体が神様よりも何百倍、何千倍一つになることができる位置を愛し、崇拝し、そのようになろうと努力する人でなければならないという結論が出てくるのです。 問題は何かというと、神様が息子と一つになれないということが災いなのです。問題が何かというと、父親と息子が一つになっていないことが災いなのです。それは悪いことであり、破壊されるべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。 個人主義的な世の中になったので、自己中心の考え方をする世の中は、神様に反する世の中になり、堕落した世の中となりました。ですから、今日、堕落した人間は、自分がいくら劣っていても自分に似ることを望み、自己中心に動いているという事実が問題なのです。父親と息子の関係において、息子たちのほうは、このようにめちゃくちゃになっているのです。五官を持ったすべてのものが自分の思いどおりにし、心も体も一つになっていないというのです。これが問題であるというのです。 皆さん、心と体が一つになっていますか?。世の中の大問題は、心と体がいつ、一つになることができるのかという問題なのです。これが、皆さんの心においても問題であり、体においても問題なのです。息子・娘になる人たちの立場が、心と体が一つになることができずに闘っているという事実が、息子の問題であり、娘の問題であり、父親の問題であり、母親の問題になるというのです。 先祖から始まった心と体の闘いこそが、世の中の災い中の災いであり、世界大戦よりも恐ろしい戦争なのです。それが、いまだに一度も休戦も停戦もしないままに引き続いてきたのであり、人類は今まで、心の世界が人類を地獄に引いていく戦争の場になってきたということを知らなかったのです。 わたしは、東側の国に行っても、心と体の闘いが停戦し、休戦していることを見ることはできず、西側の国に行っても見ることはできず、北側の国に行っても同様であり、南側の国、どこを巡っても同様でした。そのように、自らの内に戦場を持っている彼らが行く所に、平和の世界、誇ることのできる世界があり得るでしょうか?。それは、ないというのです。 神様は、わたしたち人間となぜ一緒に暮らされることができないのでしょうか?。神様は、心と体が絶対的に一つになっておられて、永遠に変わられないのに、毎日のように、それも永遠に変わる心と体の戦場である人間と、どうして一緒におられることができるでしょうか?。それは、できないというのです。 神様と人間が、だれに似なければならないのかというとき、神様は「おまえたちがわたしに似なさい」と言われるでしょうか、「わたしがおまえに似る」と言われるでしょうか?。それが問題です。 今日の個人主義というものは、自己中心主義という観点を中心としたものなのです。神様を代身した心の命令は、「わたしに似なさい。わたしに似なさい」と、体に対してそう言うのですが、体は「おまえには似ない。反対にわたしの後についてこい」と言うのです。この闘いが続いているということを知らなければなりません。 このように、自分の立場が正に、戦争の場に出征して、第一線で闘っている兵士であるということを分からずにいるのです。自分自身が戦場と化している、ということが分からずに生きている人間なのです。今日、皆さんがこの心と体の闘いの戦場であるということを知らなければなりません。 心と体が一つになる道 きょうは何の日ですか?。「世界統一国開天日」です。それで何をするのですか?。皆さんの心と体が一つになることができる道を個人的に開き、世界的に開き、平和の世界を出発することができる世界に行きましょう。天の門が開かれ、この強い体を無理にでも抑えて心を強くし、強制してでも引いていくようにさせましょう。 皆さんは、いつ神様に似たことがありますか?。わたしたちの先祖が神様に似たことがありますか?。心と体が一つになって気持ちを整え、「私は心と体が一つになりました。お父様。一つになりましたか、なりませんでしたか?」と言って、神様から判子をもらったことがあるのかというのです。そのようにして、心にも判子をもらい、体にも判子をもらうべきものなのであり、本来はこのようにはなっていないというのです。 そのように、目に見えないお父様の判子をもらわなければならず、さらに目に見えるお父様の判子をもらって、心と体が一つになったという自分を復帰してこそ、堕落していない人間の先祖の位置へ帰ることができるのです。 神様が、喜ばれ、「自分に似た」と思われるような人に出会われることができることによって初めて、神様は孝子・孝婦に出会うことができ、孝子・孝女が暮らす、天が誇ることのできる自分の家、千年万年暮らすことができる自分の本宮の基台を手に入れられるのです。アーメン。 見えない神様の印と、見える神様の印を一緒に押してぴたっと合って、内外が一つになることができる、そのような印をもらわなければなりません。そうすれば、心と体が闘う戦場は永遠に存在しないので、神様の友達になることができ、神様の直系の息子になることができ、天国に直行するというのです。 それでは、統一教会では、真のご父母様とは何ですか?。「神様」であるとか、「真のご父母様」であるとか、それはどういうことですか?。神様は絶対必要ですか?。(「はい」)。なぜですか?。神様は、私の心のお父様なのです。見えない心の世界のお父様であられ、見える世界のお父様が……(テープ中断) どうやって一つにするのですか?。真の愛によって、真なる男性と女性の生命が結合し、その中において真なる私が生まれたのです。これは、どこのだれも分けることはできないのです。自動的に心と体が一つになり、息子・娘が生まれるのですが、堕落することによって、逆さまになったのです。 逆さまにサタンが神様の位置に入っていき、体がサタンの体になり、天理に積極的に反対する立場に立ったので、心と体が闘うのです。体がプラスなのですが、サタンの愛を中心として、また別のプラスになったので反発するのです。それゆえにこの体を、心を中心として完全に屈服させなければなりません。そのような役事をするのが、宗教世界の任務であり、責任なのです。 それで、「断食をしろ」、「温柔謙遜であれ」、「傲慢になったらへりくだれ」、「許せ」、「犠牲になれ」と、宗教は、このような道を行くようにというのです。それは、体に対して言う言葉なのです。 この地において、体が心を引きずり回しているのを、心が永遠に体を引っ張っていくようにすることができる自分を、どのように発見するのかということが、人間にとって何が何でも解決しなければならない一番の宿題中の宿題であるということを知らなければなりません。これが、一番大きい問題なのです。 皆さんの心は、皆さんが悪いことをしようとすれば、「おい、おまえ、やめろ」と言いますか、言いませんか?。それを肯定して「はい、そのとおりです」と従っていくことをせずに、「いや、これは何だ。わたしがやりたいようにしなければならない」などと言ってはいけません。 体は、悪魔の活躍する舞踏場になっているので、サタンの本拠地と通じます。滅びる地獄の底に行きかねない、このような基台になっているのです。これをなくすためのものが宗教であり、どのようなことがあっても、これを整理しなければならないというのが、神様の救援摂理の目的であるということを知らなければなりません。 なぜ、そのようになったのでしょうか?。堕落するときに、堕落的愛が、良心を中心として神様を愛する欽慕の愛、追慕の愛よりも大きかったからです。実際に、不倫の愛の関係を結ぶとき、良心基準がその長成期完成級からもっと上がっていき、一つにならなければならないはずでしたが、そこに到達することができずにサタン的愛が入ってきて、それが強かったので堕落したのです。 そのサタンの根拠地がこの体なので、体に良心が引かれるということが行われているのです。これを本然に立ち戻って、火をつけて焦がしてしまわなければならないというのです。そうしなければ、私の心の世界と体の世界に、平和と統一の世界はあり得ないというのです。どのような犠牲を覚悟してでも、これを清算しなければ、平和や幸福などはないのです。 堕落せずに、完全に神様に侍り、神様の愛でアダム・エバが結婚して一つの体になっていたならば、神様の息子・娘になっていたのです。神様の血筋が連結され、真の父母の血筋が連結されるので、永遠に心と体が一つになることができる、そのような人になるはずでした。 ところが、堕落することによって、これが壊れてしまい、この壊れてしまったものを、いまだに修理できていないのです。このような廃品になってしまったということを知るべきです。 それで聖書では、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」というような、逆説的な教訓の論理を教えてくれているのです。そのような、サタンの舞踏場になっている体が願うことを抹殺してしまうように、というのです。心の命令を絶対視して、心の命令に服従させるように、というのです。 心を中心として、完全に体が一つになることができる位置に行ってこそ、人類歴史に混乱を引き起こしていた戦争を防ぐことができるのです。サタンと闘っていた舞踏場が平和の基地になることによって、わたしたちが平和の家を自分の心と体の中から始めることにより、家庭的平和、国家的平和、そしてすべての平和が成就するのです。 心と体が闘っているのに外的な平和が成就しても、自分とは関係がないというのです。これをなしてから、そこに接ぎ木しなければ、すべてのことは不可能であるということを知らなければなりません。 この二つの目が戦争をしますか?。(「いいえ」)。もし戦争して、一つが自分の思いどおりにしたならば、どれほど苦痛でしょうか?。この体全体が苦痛を受けるのです。同じことです。そのように、すべては相対的なのです。鼻の穴も、大きく穴を一つぽんと開けておいたらいいというのに、なぜ二つなのでしょうか?。 男性、女性。主体、対象。オス、メス。すべてがペアになっているのです。風邪をひいて鼻がグジュグジュするとき、気分が良いですか、悪いですか?。気分が悪いでしょう?。目の視力も、例えば片方が一・二で、もう一方が〇・二になってみてください。その苦痛は、どれほど大きいでしょうか?。耳も、片方の耳がよく聞こえて片方の耳がよく聞こえなければ、どれほど苦痛を受けるでしょうか?。このように、耳を傾けて聞くべきことをこのように聞くので天地が引っ繰り返されるのです。 五官は、絶対的に一つになるようになっているのですが、すべて似ているというのです。一つになっています。この口の位置が一ミリ、二ミリほど違っても、言葉はきちんと出ません。口も絶対的に一つにならなければなりません。鼻も絶対的に一つにならなければなりません。目も絶対的に一つにならなければなりません。耳も絶対的に一つにならなければなりません。手も絶対的に一つにならなければなりません。心と体も絶対的に一つにならなければなりません。すべて同じなのです。 このように、主体と対象がなければ感じることができません。存在が形成されず、理想を感じることができないのです。天に垂直に通じることができる心は、まっすぐなのです。 心はまっすぐで体は横的になり、正しくならなければなりません。九十度の角度になり、ぴたっと合わせておいたならば、そのまま平安に眠りにつけばよいのですが、この角度が少し違っても平安に眠ることはできません。この角度が違えば苦痛が起こり、良心に紛争が起こるのです。 アダムが堕落していなかったならば、神様が垂直に入ってこられる門があったのです。水平に入ってきて垂直に出ていくことができるというのが、子女の行く道です。左側、右側、垂直に行くということは、妻と夫がこの世界を抱くことであり、その次に兄弟が、垂直を中心として行ったり来たりするということは兄弟愛として連結されるのです。真の愛の門を通さずしては、垂直と水平が九十度にならないというのです。 垂直、水平、前後、これが九十度の角度にならなければなりません。角度がみな同じであるものが、堕落することによって角度がすべて違っているのです。テロ団、マフィアのような人は、この九十度がすべて逆さまになっています。それを正して平和な「私自身」になり、天地に対する親子関係、左右の夫婦関係、兄弟関係が一つになることができるためには、堕落した世界の、自己を中心として考える愛を中心としては一つにならないのです。他人のために、全体のために愛するという愛が展開してこそ、そのすべてを九十度に合わせることができるのです。どこにでもきちっと合わせることができるというのです。 堕落することにより、偽りの父母の愛を中心として偽りの父母の生命、偽りの父母の血統を受け継いだためにすべてが間違ってしまったというのです。丸い球形にならなければならないのですが、ありとあらゆる形態の球形になってしまったのです。それを正さなければなりません。 完全な球形を成そうと、本然の真なる目に見えない無形の真の父母、有形の真の父母を中心として、九十度の角度を合わせて心と体が統一された人をつくろうという所が統一教会であり、そして、神様が暮らすことができる家をつくろうというのが統一教会の祝福家庭なのです。悪いですか、良いですか?(「良いです」) 永遠に投入して忘れる 神様は絶対、唯一、不変、永遠であられるので、神様の息子も絶対、唯一、不変、永遠です。神様を中心とした息子・娘の結婚も絶対、唯一、不変、永遠、その次に兄弟も家庭も絶対、唯一、不変、永遠な家庭になるのです。 そのような天国の基盤になる、神様が暮らすことのできる家を完成しようとしていたのですが、それを失ってしまったので、どのような苦労をしてでも再びそれをつくりだすために、救世主や再臨主が来られたのです。そうして、それを是正するための役事を代表して世界の統一教会、また世界平和統一家庭連合が生まれたのです。アーメン。(「アーメン」) 真の愛は、自分の生命を投入して忘れ、投入して忘れ、永遠に投入して忘れるための愛の道であるので、家庭形態、国家形態、世界形態は自動的に統一圏が展開されるのです。アーメン。(「アーメン」) 神様が、一番好まれるものは何ですか?。お金です。(「いいえ、違います」)。力。知識 全知全能であられる神様なので、それらはいつでもつくることができ、いつでも持つことができます。神様は、何でも造ることができるのです。ダイヤモンドの山もつくり、ダイヤモンドの星もつくることができる神様であられるので、それらは必要ありません。神様が必要とされるのは、愛です。 神様は絶対的な神様であられるので、与えても永遠に与えられるのです。一度与えてやめてしまわれるのではなく、与えて忘れ、また与えようとされ、もっと良いものを与えようとされます。それが真の愛の道なのです。 夫になったとするならば、他人のために生きるとしても限界線なく、ために生きて、ために生きては忘れ、ために生きて忘れて、永遠にために生きていく中で、世界がすべて入ってくるのです。ために生きて、ひっきりなしにために生きてあげるので、ために生きる懐に世界が入ってくるのです。 サタン世界では、親は与えたら「与えた」と思って、受けることを考えますが、神様と真の父母は、与えて永遠に忘れ、永遠に投入しながら忘れて生きるかたであるので、真の愛の主人なのです。アーメン。(「アーメン」) 神様も同じなのです、自分が愛する人は、自分よりもりっぱであることを願われるのです。このことを知らなければなりません。皆さんはだれに似ましたか?。神様に似たので、神様のように、自分が愛する相手は自分よりも優れていることを願うのですが、それは、人間の欲望が神様に似たためにそうなのです。「アーメン」と言わなければなりません。(「アーメン」) 自分が愛する相手が、自分よりも何倍もりっぱであることを願いますか、千倍もりっぱであることを願いますか?。永遠に、無限に、そうでしょう?。自分が愛する相手には、そうであることを願うのです。 それは何かというと、男性であれ女性であれ、自分が愛する相手は、夫人と夫は自分の何百万倍、何億万倍りっぱであることを願うというのです。神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?。どちらですか?。(「自分より相手が無限に優れていることを願います」)。自分の夫が神様よりも醜いことを願いますか?。自分の妻が神様よりも劣っていることを願いますか?。それは、優れていることを願うのです。それは事実ですか、違いますか?。皆さんはそれを肯定しますか、しませんか?。(「肯定します」) それならば、神様ご自身がその前に投入しなければなりません。投入して忘れ、無限に投入して忘れ、忘れてこそ自分がもっと大きくなるのであって、自分が百くらい投入するのが嫌であるのならば、百以下のものとして存在するというのです。 皆さんも、妻がそうであることを願い、夫がそうであることを願いますが、愛する夫婦は息子・娘を生んだならば、息子・娘がそうあることを願いますか、願いませんか?(「願います」)。お父さんとお母さんも、お兄さんとお姉さんも、兄弟も夫婦もそうですか、そうではないですか?。(「そうです」) ですから、問題は家庭の平和のためには神様のように投入して忘れながら、奉仕して犠牲になりながら永遠に犠牲になることによって、すべてが平和の根源になるというのです。より犠牲になり、より投入する人が中心存在になるのです。アーメン。 この宇宙の中で、愛を中心として投入して忘れ、投入して忘れて、今まで投入しながら、忘れることにもっと努力しようとするかたがいたとするならば、そのかたは宇宙の中心存在にならざるを得ないのです。アーメン。これが天理なのです。 天と地の永遠な歴史的真理というものを知らなければなりません。この国の大統領になるという人は、少なくとも労働者、農民の世界から高位層までのだれよりも、ために生きて忘れ、忘れて投入することを願う人でなければなりません。 そのような人が、その国の中心である大統領になることと同じように、今日の若い人たちは今後、後代において世界的な指導者になろうとするならば、世界のために自分を投入して忘れることのできる思想的行動をすればいいのです。ブラジルが、世界国家の若者たちを代表してそれを行うようになれば、未来の世界は、ブラジルの青年たちを中心として統一天下の世界が相続され、そこから指導者が生まれてくるでしょう。アーメン。 ここには、ブラジルの父母兄弟姉妹たちが集まっていますが、皆さんの家庭において、若者たちがその家庭の全体に投入して氏族を越え、国を越えて自分のすべてを投入して忘れ、忘れて、一生そのように生きれば、その家門から尊敬を受け、「私たちの家庭では、だれそれが中心である」と家庭で認められます。そして、社会で認められ、国家を越えて、南米全体のために生きれば南米の中心になり、世界全体のために投入して忘れることができるならば世界の中心になり、神様のように宇宙に向かって投入して忘れるならば神様の代身者になり、神様から相続を受けることができる者になるのです。アーメン。これは鉄則なのです。 きょう、ここに集まった皆さんに、忘れずに記憶して帰るように願うことが一つあります。それが何かといえば、「より、ために生きる者は、神様までも屈服させることができる」ということです。アーメン。(「アーメン」)。それを信じますか?。そのようにすれば、偉大なブラジルはここから誕生する、ということを知らなければなりません。 若い人たちがこのような思想を持って、南米の三十三か国のために投入して忘れて南米の中心になり、世界のために投入して忘れて世界の中心になり、その次に神様にまでも投入して忘れようと思うようになれば、神様の兄の立場に立って神様を抱いて、この世界の相続者になることができるという話が成立するというのです。 この中で中心存在になりたい人、「中心存在に一度なりたい」と思う人は手を挙げてください。 より、ために生きるのです。十人の食口が暮らす中で「自分が中心存在になる」と思うならば、十人の食口のために投入して忘れ、忘れて投入すれば、必ず中心存在になるのです。家庭の中心になり、父母から、そしてすべての兄弟からの相続者になるのです。アーメン。 そして、おじいさんやおばあさんもこの人が好きで、お母さんとお父さんも好きで、夫も好きで、息子・娘も好きならば、親戚に連結させて投入し忘れるのです。そして、このようなことを続ければ親戚の中心となり、国に向かってこれを続ければ、国の愛国者中の愛国者になるのであり、世界に向かってこれを続ければ聖人中の聖人になり、天地に対してこのようにすれば聖子中の聖子になります。 そうして、神様よりももっと続けることができ、もっと高く大きくすることができれば、神様よりも高くなることができる中心存在になるのです。永遠にアーメン。(「アーメン」) ブラジルに来たレバレンド・ムーンは、この地にお金を集めるために来たのではありません。詐欺をするために来たのではありません。自分の最も貴いものを、永遠に途絶えることのないわき水のように真の愛を与え、永遠に与えて与えて、神様以上に忘れるというみ業をしようと思い、看板を掲げて統一教会の教主として臨んだという事実を知らなければなりません。(拍手) 政治家や権力者、官僚たちが詐欺をして飢えるようになった、かわいそうな世界の人々の兄になり、父親になり、母親になり、国の主権者と神様の代身のみ業をしようというのが、統一教会のレバレンド・ムーンなのです。 ですから、ジャルジンに来た当初は皆、ごたごたと反対したのですが、今では皆、「良かった、良かった」と言っているのです。 地下室よりももっと暗い、一番の地獄へ行っても、精誠を尽くして彼らの前に見本となり、国を生かすことができる泉を開こうという運動が、統一教会の運動なのです。それゆえに、その運動にブラジルの国が侍り、侍って中心になるように尊敬しなければならないのであり、それを忘却していけば、この国は滅ぶのです。 レバレンド・ムーンが行く所には、どのようなことが展開されるのでしょうか?。個人主義思想を撃破し、自己を中心とする思想を撃破するのです。全体のために生きなさい、というのです。そのために息子・娘を教育して、自分の父親・母親と一家を生かそうというのです。 しかし、そのことによってレバレンド・ムーンは、このような人々を「精神洗脳」して、死ぬまで永遠に天地、宇宙のために生きるような人をつくり上げるので、彼らはレバレンド・ムーンに対して、「自分の息子・娘をどろぼうして奴隷をつくる。破壊分子をつくる」と悪い宣伝をしたのです。ところが、そう思っていたのですが、最近になって、このように逆さまになっていたものが、反対に元どおりになってきているのです。 レバレンド・ムーンの息子・娘や、レバレンド・ムーンを尊敬している祝福を受けた人たち、そのような人たちすべてを、たちの悪い人々であると思っていたのですが、その人たちは、どこに行っても一番良い、中心的な使命を担って見本になる使命を果たすので、どのような部落でも「アーメン、アーメン、アーメン」と言って歓迎されるということが、今、たくさん起こっているのです。 結婚をもう一度するということは簡単なことでしょうか?。自分の息子・娘を伝道するという意味で、結婚しなければならないということは簡単なことですか?。 しかし今、多くの人たちが、そのために互いに競い合って、自分の息子・娘たちに祝福を受けさせようとしているのです。このような環境が展開されたということは、天下統一の役事の日が遠くない、という証拠なので、そのことを知って、皆さんの個人から家庭、氏族を越えて国家全体が歓迎しなければなりません。 そのようになれば、ブラジルは地上・天上天国の王権を受け継ぐことができる主体的な国になるのです。アーメン。アーメン。アーメン。踊りを踊って歌い、喜ぶのです。 通訳が、なぜ韓国語の三倍も長く話しをするのですか?。韓国語は良いことは良いですね。この不便な言葉よりも韓国語を学びなさい。 中心存在は責任を持たなければならない 中心存在には、すべてがなるのではありません。条件がついているのです。永遠に中心存在になることができる資格、必要条件とは、どのようなものですか?。皆が中心存在になることを望みますが、資格になり得る内容が三つあるのです。ブラジルが世界の中心国家になるならば、世界に責任を持たなければなりません。 すべての人が、このようになることを望むのですが、その内容で必要なことについては「嫌だ」と言って、うそをよくつくのが南米であり、ブラジルなのです。ノーメン、ノーメン。ブラジル人は良い人ですか、悪い人ですか?。(「良い人々です」) それならば、責任を持たなければなりません。塗炭の苦しみの中にいる世界のかわいそうな人々のために、ブラジルは国家予算の三十パーセント以上を投入しなければならないということを知らなければなりません。それで、自分の責任を果たすのですが、統一教会式では「七十パーセント以上を世界のために投入するように」と言っているのです。 南米に来たら、レバレンド・ムーンに皆が手を差し出して「助けてくれ」と言うのです。ですから、借金をしながら助けてあげるのです。しかし、借金をどうやって支払いますか?。他人が八時間働くのならば三倍の二十四時間働いて、夜も寝ずに一所懸命に早くやって、一日を二倍、三倍以上努力しようというのです。そのような人は滅びる人ですか、栄える人ですか? (「栄える人です」) 皆さんは、「人生は一度しかないのに、そのように生きて何がありますか?。死んだらそれで終わりでしょう?」と言いますか?。いいえ、統一教会は「死んだらそれで終わり」ではありません。このようなことが永遠の世界に連結されるのです。神様まで解放してさしあげようというのですから、神様以上にしなければならないという哲学を持っているのです。 今、わたしは何分間、話をしましたか?。(「一時間を越えました」)。朝は、何時間話しましたか? (「三時間話されました」)。毎日のように話をして、八十歳の老人が立ちながら足も伸ばさず、体力も良いです。「じっと立って話せば良いのに、座りもせず、なぜあのように行ったり来たりするのか?」と思うかもしれません。力も強いですね。それは、死ぬ覚悟でこのようにするのです。 健康においては、レバレンド・ムーンに似ましょう。アーメンですか、ノーメンですか?。(「アーメン」)。ありがとう。 運動を学ばなければなりません。レバレンド・ムーンがする運動を学ばなければなりません。七分間あれば、他の人の三時間分を行う運動法があるのです。しかし、これを売ってしまえば良いのですが、これを教えてあげたら金もうけをするどろぼうのような人が多いので、教えてあげないのです。この運動を学びたいでしょう?。八十歳になれば、つえをついて、このように歩き回らなければならないはずなのですが……。(笑い) 今も、さっさっさっと八十歳の老人が行くので、皆「あの若い人は、なぜ真っ直ぐに歩くのか」と言うのです。靴の底もすり減りません。ぴたっと同じなのです。これがぺちゃんこになったらいけないのです。それを見習わなければなりません。 女性として生まれれば、レバレンド・ムーンのように歩く人を得たいし、レバレンド・ムーンのように、年を取っても若い人のように気迫が堂々とした男性を得たいし、レバレンド・ムーンのように世界から悪口を言われても女性たちが好む、そのような夫を持ちたいのです。皆さん、そうだというのです。 女性として、レバレンド・ムーンのように若い人がいたら、プロポーズしますか、しませんか?。(「します」)。だめです。レバレンド・ムーンのような人は一人しかいません、二人いますか?。(笑い) とにかく女性たちは、レバレンド・ムーンが好きなので、わたしは大変なのです。どこかに行って、心おきなく暮らすということができません。どこかに行って隠れていても探してきて、「アイゴー、先生、夕食の時間になったので、夕食を買ってさしあげます」と言って大騒ぎなのです。 昼食のときにどこかにいれば、「昼食を買ってさしあげます」と言い、朝食も食べずに隠れていれば、探してきて「朝食をなぜ食べないのですか?。準備するので出てきてください」と言うのです。それは幸福な男性ですか、不幸な男性ですか?。(「幸福な男性です」) 女性が二人従い、三人従えば、それは世の中から見れば一番悪いことなのです。ブラジルへ来ればブラジルの女性がついていき、パラグアイに行けばパラグアイの女性、どこでもついてくるのです。「アイゴー、面倒で死にそうだ」と言ったら、「大変なことになった」と大騒ぎなのです。 それで優秀な美男子を紹介してあげようとしたならば、その美男子には皆、お尻を向けて、先生のような年老いたおじいさんが良いというのですから、大変なことになりました。それは本当ですか?。それが事実なら手を挙げてください。この者たち。(笑い) 自分の父親・母親をわたしよりももっと愛して、夫をわたしよりももっと愛するべきなのに、わたしをもっと愛するので、よこしまに見える問題になり、悪い男性として埋葬されるようになるのです。そのようにしたのが、この女性たちなのです。 わたしは、ここから落ちるところだったのですが、しかし、若い気迫があるので落ちませんでした。男性たちは女性が好きなので、一番恨むのです。「レバレンド・ムーンよ死ね、死ね。殺そう、殺そう」と言うのです。(笑い) 女性たちは、真なる兄に出会うことができず、真なる婚約者に出会うことができず、真なる夫に出会うことができず、真なる父親に出会うことができず、真なる祖父に出会うことができず、真なる王に出会うことができなかった女性たちなのです。それが恨だったので、この門を開いてあげ、教えてあげることができる責任者がレバレンド・ムーンであるために、女性という生き物の中でわたしを嫌いな者は、一番低い地獄に行くのです。 わたしが一緒にいる限り、それを恨む者たちを生かすために、私自身を投入しなければならないのです。自分を恨む者たちを愛そうというのです。弟のように愛し、父親のように愛し、祖父のように愛し、王のように愛そうというのです。 そういう心を持っているのですが、だれが先に堕落したのですか?。エバが堕落したので、いくらりっぱな兄、りっぱな夫、りっぱな父親、りっぱな祖父、りっぱな王になろうとしても、この女性たちが復帰されていないために、それができないのです。ですから、これを先に復帰しようとするのですが、それを待てずに反対派は、レバレンド・ムーンを世界的に埋葬しようと大騒ぎしたというのです。 女性がたくさんついてきても、先生に必要なのは一人ですか、二人ですか、十人ですか、百人ですか?。女性が妹、姉になり、婚約者になり、理想的な母親になり、妻になり、女王になることができる、りっぱな神様の娘になるのです。神様の一人娘を造ってあげるのです。 この世の男たちは、天使長です。アダムとは関係ありません。神様とは関係がありません。血筋が変わってしまったのを切ってしまい、十六歳以後に堕落して人類を輩出したサタンの体を切ってしまい、完成した真の父母の体に接ぎ木するのです。そうして、完成した真の父母は兄になり、接ぎ木されたものは第二のアダムになるのです。 第一の完成したアダムは真の父母がなり、接ぎ木されたものは第二のアダムである弟になって、この聖別されたものを一つの所に集める公式路程が、模範的な祝福をしてあげる合同結婚式なのです。超人類、超歴史、超天宙的な幸福の旗を掲げていく、天の国に直行する一組の王子・王女となるのです。アーメン。 神様は、愛する一人娘を新婦として迎えたいですか、天の家庭において真なる妻になることができる資格者を妻として迎えたいですか、天の家庭において母親になることができる資格者を迎えたいですか?。そのような祖母を迎えたいですか、そのような女王を迎えたいですか? どうですか?。 人の欲望は、先生が言う家庭から氏族、民族、国家、女王まで代表することができる、真なる神様の娘を迎えたいのであり、それが男性の欲望なのです。アーメンですか?。 ですから、男性は焦ってはいけません。そのりっぱな妻、そのようなりっぱな女王から祖母、母、妻、娘、長女まで、神様が一番愛することができる娘を育ててあげられる責任を持ったのがレバレンド・ムーンなので、三年間は女王から祖母、母、妻、上の娘、下の娘まで文先生に送って教育させ、理想の妻を迎えなければなりません。アーメン。三年間どのようにするかという問題なのです。しかし、このどろぼうたちは、それが嫌だというのです。男性はどろぼうです。分かりますか?。 中心存在の三つの条件 中心存在は、責任を持つということです。中心存在は、第一に責任を持たなければなりません。 二番目は何かというと、保護しなければなりません。今日、このブラジルの大統領が責任者で中心存在になっていたならば、お金をもうけて国民に追い出されて逃亡するでしょうか?。しないのです。保護しなければなりません。国民の難しいことを保護しなければならないのが、中心存在としての責任なのです。 レバレンド・ムーンは、あのアメリカにおいてどうでしたか?。起訴事件が起きたとき、ドイツに行ってから、韓国に立ち寄らずにすぐにアメリカに飛んで帰ってきたので、かえってアメリカの法務省が困ったというのです。「レバレンド・ムーンは絶対に帰ってこない」と思ったのに、すぐ帰ってきたというのです。このような闘いをするのです。責任を持つのです。そうして責任を持ったので、保護しなければなりません。保護しなければならないのです。 三番目は何ですか?。育成しなければなりません。育ててあげなければなりません。自分よりもりっぱに育ててあげなければならないのです。世の中には、「自分が責任者になる」と言う人はたくさんいますが、その責任者としての三大条件である、「自分が責任を持ち」、「保護し」、「犠牲になりながら養育する」という考えをしないのは詐欺です。詐欺師です。悪魔の群れであるということを知らなければなりません。あなたたちも同じです。 しかし、統一教会は違います。ですから、そのようなところが偉大なのです。いったん仕事に責任を持ったならば、その環境的与件で崇拝を受け、中心の位置を占めて中心者になるのです。 責任を持つには、第一に環境に責任を持ち、保護し、育成できる責任を負うために、それは父の代身であり、神様の代身であり、兄の代身であり、先生の代身であり、王の代身であると永遠に理解できるのですから、天国を占領するのに問題がありますか、ありませんか?。問題がありません。 皆さんが予備祝福を受けるときは、統一教会が忙しく夜昼訪ねていきましたが、今はもう部屋に訪ねていって寝ながら教育するのです。育成しようとするのですが、教育するときにきちんと聞きますか、聞きませんか?。神様が喜ぶ家庭、神様が訪ねてきて暮らすことができる家庭をつくるために、最後まで責任を持って育成するのです。それが嫌だという家庭は、地獄行きなのです。それを歓迎しますか、しませんか?。歓迎するなら拍手をしないのですか?。(拍手)ありがとう。 そうすることによって、だれに似たのかといえば、神様に似たのです。内外に神様に似て、生活で神様に似て、行動で神様に似なければなりません。そうして父母として、秋の収穫を刈り入れの主人として受け取り、そして真の父母に似て真の家庭の代表的存在として永遠に残らなければなりません。アーメン。 そのような人になりたいという人は、手を挙げて宣誓しなければなりません。アーメン。これは何ですか?。下ろしてください。死んだ犬のようです。もう一度大きな声で。寝ていた神様が、「これはどうしたことだ?」と言われるほどにりりしく挙げなさい。ワー(「ワー」)。そのように生きるのです。そうすれば家庭が祝福を受け、ブラジルが千勝万勝するのです。 わたしもお腹がすいて、力がなくなりました。皆さんもそうでしょう?。時間が随分過ぎました。一時を過ぎました。昼食時間を守ってあげなければ、悪口を言われます。時を過ぎて仕事をさせると、どろぼう扱いされるのですが、きょうは記念日なので、しかたありません。良い話をしていたらこのような時間になったので、それを許して、食事をもっと美味しく食べることができる自分になったことを感謝して、グッバイしましょう。 男性たちはわたしを好きですか?。(「はい」)。わたしがあなたの国に行って、一日ずつ食事をごちそうになると言ったならば、準備して待ちますか?。(「はい」)。隣りの家の食事をもらって接待しますか、市場の一番おいしい物を買ってきて、きちんと料理して接待しますか?。(「一番おいしい物を差し上げます」)。一年に何回しますか?。(「毎日のようにします」) それでは、近所にかわいそうな人がいたならば、わたしの代身として接待をたくさんしてください。一月に一回ずつしても、あなたの家庭には福が訪ねてくるということを伝達してあげるのです。感謝します。お客さんを接待する、そのような心を持ってしてください。(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.05
コメント(0)
真の愛によって克服するところに怨讐はない1998年9月21日イースト・ガーデンイースト・ガーデンで、祝福家庭に語られた御言 原因の中心は神様 みんな祝福家庭ですね? 祝福家庭たちが行かなければならない責任がどのくらい重要なのか、皆さんは分かりますか? 祝福家庭というのはどんな意味ですか? 予言書(『彼は誰なのか?』)については以前、話をしてあげたでしょう。韓国の予言書について、知っている人は手を挙げてみてください。みんな知らないのですか? (「この本が出てあまりたっていません」)。 その次に、文鮮明先生御言特別選集の第十巻と第十一巻『地上生活と霊界』を全部読むか、聞いた人、手を挙げてみてください。 (「約三分の一くらいになります」)。これでは、統一教会の人なのか、どこの教会の人なのか分かりませんね。統一教会の人ですか? その次に、李相軒氏の『霊界の実相と地上生活』の本を読むか、聞いた人は、手を挙げてみてください。 (「その本は全員読みました」)。それは結果なのです。霊界について説明したものです。すべてのことは原因がなければ結果は現れないのです。 さあ、そのような本がなぜ必要なのかというのです。教会の責任者たちが答えてみてください。霊界が先ですか、人が先ですか? (「霊界が先です」)。霊界が原因なのです。人は結果です。神様の救援歴史を通して、人間が行かなければならない最後の目的地がどこかといえば、原因世界で堕落したので、再び原因世界に帰って、結果世界に連結させなければならないのです。原因世界という根本をはっきりと分からなければ、結果世界において確実な完成ということはあり得ないのです。それは理論的なことです。 霊界が原因世界です。原因の世界なのです。原因の核、原因の中心が何ですか? (「神様です」)。 神様。 「神様」という一言にすべて含まれますが、神様の内容とは何でしょうか? 神様自体は人格的な神です。私たち人間自体は、結果の存在として原因に似ているのです。では、原因であるその神様は、どのような存在でしょうか? 結果を見ると、二性性相になっているのです。二重になっているということを皆さんは知っているでしょう。人間は男性と女性になっていることもありますが、心と体からなっているのです。この心と体との関係で、心が何かといえば、神様と連結されているのです。皆さん、そのようなことを感じますか? (「はい」)。皆さんの心はどうですか? 心の方向が、一日、二日、毎日のように変わりますか、変わりませんか? (「変わります」)。なぜ、そのように変わり得るのですか? 神様が変わり得るように造られたので、そうなのでしょうか? 神様が変わらないように造られたのに、そうなのでしょうか? どちらなのですか? (「変わらないように造られました」)。それはあなたたちの話でしょう。それをどうして分かるのですか? (「お父様が言われたので信じます」)。信じることと実体は違います。信仰と生活が違うのと同じです。 それでは、神様が、心の変わることのない人間として造られたのに、変わるようになったということは、事故が起こったとか、何か問題が生じたためでしょうか、それとも、そのままそうなってしまったのでしょうか? ただ、そのままそうなったのなら、神様の創造が間違いであり、神様がいない、ということになるのです。 みだらで、邪悪で、いいかげんな人間 では、神様はどのようなお方でしょうか? (「神様は変わらないお方です」)。そのお方がだれですか? 創造主ですか、私たちの先生ですか? 私たちとどんな関係ですか? (「私たちの父母です」)。父母なのです。 「父母」というその言葉は、何も分からないこのような立場で立ててはいけません。このように、尋ね尋ねて、入って行って、最後に、神様と私たちが関係を結ぶようになる時に、「父母」という言葉が出てくるのです。 それでは、神様が皆さんの父母であるなら、だれに似たでしょうか? 父母と子女は似ているのです。子女を三、四人だけ見たら、お母さん、お父さんがどのような人か分かるのです。人間が神様の子女であるならば、世の中に子女がこのように多いのですが、神様はこの人たちに似ているでしょうか、どうでしょうか? (「似ています」)。人に似ているならば、人自体には人格というものがあります。標準的な人格があります。 それが何かといえば、私たちの良心の世界、心において見れば知情意があります。私たち人間の価値を認めるためには、心の世界が、どのようになっているのかを知らなければなりません。知情意になっているのです。知情意を備えた人が願うことは何でしょうか? 知情意を備えた人格的な人が好むことは、真善美なのです。真善美を追求するのです。知情意を中心として真善美の人格を備えなければならないのです。それでは、その真善美の中心概念は何でしょうか? 真とは何でしょうか? それは変わりますか、変わりませんか? (「変わりません」)。何が真ですか? (「『原理講論』です」)。『原理講論』は文字で書いた御言です。何が真理ですか? さあ、(右手を挙げられて)この手が右手ならば、右手トゥルースでなければなりません。これは、万人がみな同じでなければならず、永遠に変わってはならないのです。ここ(小指の三番目の関節を指されて)、この一つの関節だけでもなかったら、どうなりますか? これだけ、この一つの関節だけなくても、これがトゥルース・ハンドですか? 真というのは、標準でありモデルであって、その標準は、変わらないすべての統一的な内容を備えていなければならないのです。この(小指の)一つの関節も、「右手の最後の指のこれだ」と分からなければなりません。どこのものだという確実な証拠にならなければならないというのです。 では、ある人は、右手は真でその右手一つだけあるというとき、その人は、真なる人になりますか? これが問題になるのです。本当の真なる人にはなることはできないのです。家の場合、完全なものを持ってきてつけて完成した後に、完全な家だということができるのです。同様の理論です。完成した後に、私たちは完全な家だというのです。 では、あなたたちは、完全な人格者になりましたか? (「なっていません」)。それでは、点数をあげるなら何点あげなければなりませんか? もし、神様が点数をくださるなら、何点くらいになりますか? 百点の人がいますか? このように見るとき、人間たちがどのくらいみだらで、邪悪で、いいかげんで、混沌としているか、ということが分かるのです。 変わり得る人を必要とする人が、この宇宙にいるでしょうか、いないでしょうか? 変わる人を願うでしょうか、変わらない人を願うでしょうか? 皆さんのように変わり得る人たちが、この変わらないすべての宇宙をもとうとする時、宇宙が喜んで抱かれようとするでしょうか? つばを吐いて嫌がるでしょうか? (「つばを吐いて嫌がります」)。つばを吐くだけでなく、頭を振って「嫌だ」と言うでしょう。(笑) それでは、あなたたちが食べる食物は、どのくらい真理体ですか、変わるものですか? (「変わらない真理体です」)。では、それらが皆さんの口に入る時、それらが喜ぶ皆さんになっていますか、それらが嫌がる皆さんになっていますか? (「嫌がる私たちです」)。それが分かって、真なる人になろうとするならば、それらを食べなければなりませんか、食べてはいけませんか? (「……」)答えてください。(「食べなければなりません」)。それなら、真でない皆さんが、そのような真なるものをすべて殺してしまったということになります。悪い言葉で言えば、殺人者になりました。 このように見るとき、世の中に優れた人、正しい人はいますか? 皆さんは毎日、「あの人は優秀だ。この人は悪い。どうだこうだ」と言いながら生活しています。その人が正しい人ですか、間違った人ですか? 絶対愛の器官 ところで、皆さんは、なぜレバレンド・ムーンについて回るのですか? 真理が真だからですか、レバレンド・ムーンの手が真だからですか? 何を見て、ついて来たのですか? 何を見て、ついて回るのですか? この者たち。 レバレンド・ムーンが東洋人として一番愚かな人なのでついて来たのですか? そうではないでしょう。東洋人の中で一番美男子なのでついて来たのですか? それは可能性があるのです。どうしてついて来たのですか? (「一番の美男子だからです」)。 では、西洋の食口は、東洋の美男子を願いますか、西洋の美男子を願いますか? (「東洋の美男子を願います」)。(笑) 真理というのは、変わらないものです。すべてのことがそうです。手も真理であり、すべての体の部分が、体を代表する真理です。では、この体の代表になり得る部分はどこですか? 顔です。その次に代理部分、顔から上中下、四肢があるのです。その三つの部分の中で、一番重要な部分がどこですか? 顔ですか、目ですか、へそですか? 足ですか? (「目です」)。 目なのですか? ここに男性と女性がいますが、男性が男性であり、女性が女性であるということを区別できるのは目ですか? (「違います」)。それでは何ですか? 尋ねたのですから、答えてみてください。(「生殖器です」)。あなたたちはその愛の器官をもっていますか? (「はい」)。愛の器官は、一番恐ろしいものですか、一番良いものですか? (「一番良いものです」)。 では、アメリカ人を中心として見るときに、アメリカ人の愛の器官は変わらない生殖器ですか、毎日変わる生殖器ですか? (「変わる生殖器です」)。その変わるものは、真ですか、偽りですか? ごみ箱へ行くものですか、王宮へ迎え入れられるものですか? (「地獄へ行くものです」)。 道徳とは何をいうのですか? ご飯を少し食べることですか? 断食するのが道徳の価値ですか? 道徳の中心がどこから立てられたのか、というのです。女性が守らなければならない道徳、男性が守らなければならない絶対的道徳とは何でしょうか? 変わる愛の器官の上に立つのですか、変わらない愛の器官の上に立つのですか? (「変わらない愛の器官です」)。変わらない愛の器官とはどんなものですか? 絶対愛の器官だというのです。 神様は第一の神様、私は第二の神様 今日、私たちの心の世界は変わり得るのですが、変わらない本然の場所がどこにありますか? 神様がアダム・エバを中心として創造する時、「変わる」という概念が介在していないのが、本然の世界であるということは間違いありません。それは何を中心とした世界でしょうか? あらゆる無限の調和と変化が愛によって動ずるというのが、妥当な結論なのです。このように言うことができます。 なぜ、永遠に変わらないのでしょうか? 核心が連結されているからです。それが発電機です。神様と連結されている発電機です。発電機は神様の立場を代身するのです。真の愛の本然の発電所は神様です。そのような本来の発電所は、神様の真の愛の発電所と連結されているのです。この発電所から出てくるプラスとマイナスが連結される時、バチッとスパークするのです。 皆さんの家庭でもプラスとマイナスが出会う時、スパークが起きるのです。そして、このスパークが起きる中で、二人が一つになり定着するのです。どんな力もこれを離すことはできません。それをいくら離そうとしても、離すことはできないのです。そうでしょう。男性・女性の愛は、プラス・マイナスの電気がスパークを起こすのと同じなのです。世の中ではどうですか? フリーセックスはどうですか? 離すことができないですか、いつでも離すことができますか? (「離すことができます」)。 愛が好きですか? (「はい」)。目も愛するようになれば喜び、鼻も愛するようになれば喜ぶのです。口も愛するようになれば、「ワワワワ」と言って喜ぶのです。耳も動き、体も動き、全部動くのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 女性は、愛をそのように起こすことのできる力の動機をつくるのです。プラスがあれば、マイナスが動いて環境を占領します。そのような運動をするために、女性・マイナスには、プラス電気を代表する愛の力が相対として絶対に必要であり、男性にはマイナスの愛の力が絶対的に必要なのです。永遠に、絶対変わらずに必要なのです。 ここに集まったのは人ですが、人といえば何をいうのですか? 男性と女性をいうのです。男性と女性が何ですか? 男性の人格があり、女性の人格があります。それでは、人格というときには、必ず心に知情意があって、真善美の完全な価値の内容を備えた者をいうのです。それは、女性ならば完全な女性であり、男性ならば完全な男性の価値なのです。完全な人格です。 神様も同様です。「神様は人格的神だ」という結論を下すことができるのです。人格的神です。それゆえ、宗教を中心として人間の完成は、人格的神を発見しなければ完成できないのです。父親のことが分からなくては、子女のことは分からないのです。 神様を見ましたか? 神様は第一の神様であり、私は第二の神様であることを知らなければなりません。息子だということは、どういうことでしょうか? 息子といえば、神様の愛と一体となっており、生命と一体となっており、血統と一体となっているということで、第二の神だというのです。アメリカでいうなら、姓がマクドナルドなら、マクドナルドお父さんは第一のマクドナルド、息子は第二のマクドナルドです。神様は第一の神様、私たち人間は第二の神様、同じことです。 私は神様の息子・娘なので、第二の神様なのです。そうですか? (「はい」)。なぜ、第二の神様ですか? 神様に似たというのです。神様が上で、私が下であるというだけです。この二つが一つの体にならなければなりません。何で連結するのですか? お金の関係ですか? ここには三種類あります。愛の因縁、父母の生命の因縁、父母の血統の因縁を中心として連結されているので、似ているというのです。分かりますか? (「はい」)。 原因と結果が、同じ線で連結されているのです。愛の線、生命の線、血統の線で、神様につながっているのです。神様もこれがなければ、気が狂ってしまうのです。それで、私たち人間は、お父さん・お母さんの愛を受けざるを得ず、愛さざるを得ない立場だというのです。愛は二つの生命体を一つにさせる力があり、それが回り、回って、宇宙の力と交じり合う中で、生命の種が蒔かれ、育てられたのが私だというのです。 お父さんの性格というのは、お母さんの性格を愛するのです。愛らしい顔、体、笑い声など、すべてのものから愛を感じるのです。女性の体の動き、まなざし、笑顔、受け応えするすべての雰囲気。体で感じるその中で、男性であるお父さんと女性であるお母さんは一つになって、あらゆる方向に回転するのです。分かりますか? その回転の力は、分離させようとしても分離させることができないくらい、強い力をもっているのです。その中で二人が完全に一つになる作用を通して、絶対的な一つの体になるのです。それで? (「喜び」)。何をもって喜ぶのですか? 愛の関係を通してです。(息が止まる表情をされながら)停止、完全停止。どんな強い力だとしても、その喜びほど大きくなることはできません。 完全極致に到達した後に離れるのです。その時、本然の出発点であるゼロの状態になります。再び極致に到達したら、その状態でより大きい宇宙くらいの大きさになり、また、原点から始めたら、よりもっと大きくなるのです。その大きさは、もっとたくさんの人類を愛することができる内容を内包しているのです。その中でもっと大きな力と出合い、一緒に楽しむことができるのです。 そのような愛の行為は、宇宙を神様よりもっと美しく大きい存在につくるのです。神様よりもっと大きくなろうとするのです。(「何が神様よりもっと大きくなろうとするのですか?」通訳者)人間自身の愛の欲望が、神様よりももっと大きくなろうとするのです。 あなたたち、神様より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「神様より高くなりたいです」)。みんな、そうですか? あなたたち、先生より高くなりたいですか、低くなりたいですか? (「高くなりたいです」)。 四十年間悪口を言われながらじっとしていた 愛国者と逆賊の違いは何でしょうか? 愛国者とは国の未来にプラスになることができ、国が何倍も復興できる道を立てる人です。彼を忠臣というのです。自分の利益のために国を売るならば、逆賊だというのです。善悪の分岐点がここで生じる、ということを知らなければなりません。個人の目的のために国を売る者は滅びるようになっているのです。同じ立場です。 「私は以前、統一教会の重要な食口だった。しかし、今は違う立場にいる。私は統一教会が悪いところだと宣伝している」。なぜ、そのような行動をするのですか? それは、彼自身の利益のためにそうするのです。分かりますか? 彼自身がサタン側にいるためです。怨讐の立場にいるためです。言い換えれば、サタンが喜ぶ立場にいるからなのです。間違いありませんか? (「はい」)。 統一教会のレバレンド・ムーンは、じっとしています。四十年間悪口を言われましたが、じっとしています。私がだれかを悪いと宣伝しましたか? アメリカが反対し、アメリカ政府が裁判をしたのです。原告がアメリカ政府であり、被告が文鮮明個人です。文鮮明、ただ一人なのです。だれが悪い宣伝をしたのですか? アメリカ政府がしました。レバレンド・ムーンをコーナーに追い込んだのです。 今まで、共産党がありとあらゆる反対をし尽くしました。しかし、調査をしてみると、レバレンド・ムーンには罪がないということがかえって明らかになったのです。 (一九五五年に)韓国政府が世界の世論のゆえに、レバレンド・ムーンを監獄に入れて調査をしてみましたが、何もないのです。それで、兵役忌避の罪をきせようとしましたが、それでも引っかからないので、無罪の判決が下りました。そのことを世の中は知らないのです。それも(韓国政府が)「宣伝するな」と言ったのです。韓国ではレバレンド・ムーンは、息子・娘泥棒であり、妻泥棒、母親泥棒、娘泥棒、おばあさん泥棒、それから女性泥棒だというのです。 なぜ、統一教会にこのような迫害が、起きたのかというのです。既成教会が反対したからです。先生の言うことさえ聞いていたならば、先生のもっている真理は、旧教、新教の統一だけでなく、すべての宗教を統一し、すべての思想を統一できたのです。このように驚くべき真理をもっていたので、これを阻むために、ありとあらゆることをし尽くしたのです。 それゆえ、重要な問題として「社会破綻の根本、息子・娘を拉致していった泥棒、妻を奪った泥棒、家庭破壊泥棒。韓国伝統思想を無視する合同結婚式は、韓国の歴史にない。韓国の伝統を根本的に破壊させた怪物だ。殴って捕まえろ 追放しろ」、このように言ったのです。 男性という男性、個人の男性、家庭の男性、氏族の男性、国家の男性、世界の男性、霊界にいるサタン世界の天宙の男性、すべて動員して、「レバレンド・ムーンを排斥しよう」と言いました。男性たちの見解がそうなのです。 女性たちの見解はどうですか? お母さんがじっと見ると、男性たちというのは、自分の欲望を中心として考えているのです。息子・娘たちは、昔(教会に行く前)よりもよくなっているのですが、お父さんが「このようにしろ」と言うので問題が起こるのです。 「私は統一教会に行ってみたいです」。このように言って一度行くと、ころっと熱中してしまうのです。うわさだと思っていたら、自分の家庭にこの火がついて爆発したのです。それゆえ、どのくらいあきれるでしょうか。考えてみてください。 息子・娘だけ奪われたと思っていたら、お母さんが行ってみると、お母さんまで熱中するのです。それゆえ、お父さんが気が狂いますか、狂いませんか? 夫が狂うのです。それで、銃を持って来ないですか? こん棒を持って来ないですか? ありとあらゆることをするのです。 では、東洋の女性と西洋の女性を見れば、どちらがきれいだと思いますか? (「東洋の女性です」)。 東洋の女性の顔が平べったくてもですか? この平地にちょっとした山があっても、観光地になるのです。西洋の女性を見れば、どのくらいそびえたつように突き出ているか見てみなさい。鼻がこうで、目がこうで、青い目です。足も長く、背がすらっとしています。 笑うのも千態万象なのです。東洋の女性たちは、笑うのもこのようにして笑うのですが、西洋の女性たちはこのようにも笑い、あのようにも笑い、体で大騒ぎしながら、行動しながら笑うのです。アメリカ女性の笑い声は、どうしてこのようにうるさいのでしょうか? ソプラノのような声で笑うので、その声が、壁を越えて何百メートル先までもいくのです。(笑) 西洋の女性が、先生は有名な遊び人で浮気するのかと思えば、しないというのです。CIAやFBIでも、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と、美人を送り込んで来たのですが、その女性が良心の呵責を感じて、手紙を書いて送ってきたのです。手紙を破ってしまわずに、そのまま保管していたら、どのくらい貴重だったでしょうか? カイン圏の子女たちを愛してこられた真のご父母様 東洋の女性たちは、先生が東洋の人たちによくしてあげずに、西洋の人たちによくしてあげるので、アメリカで反対者になりやすいのです。東洋の女性が西洋世界に来て迫害を受け、孤独な立場にいるので、同情しなければならないはずですが、かえって、自分たちを押しのけて西洋の女性たちを愛するので、反対し得る可能性があるというのです。 「何、愛の宗教だ、真の愛だと言いながら、顔について行き、環境について行く、そういう先生だ。あー、気分が悪い」と言いながら落ちて行った人たちが、本当に多いというのです。 先生の家にいる娘たちもそうです。娘たちも、お父様を好きではありません。西洋に来て仕事をしてみたら、出会うのは西洋の女性たちであり、また、西洋の女性たちがひっきりなしについて回って喜ぶのです。娘たちよりもこの女性たちを愛していたら、娘たちがわあわあと言うのです。 「日本の女性たちを愛して、黒人までも愛するのに、その黒人よりも自分たちを愛さないなんて、それがなんで私たちのお父様なのか」。そのように言っているのです。エデンの園においても、天使長が愛の減少感を感じて堕落したように、ぴたっと、そのようになったのです。あなたたちもそうでしょう? では、私が自分の息子・娘たちをもっと愛しましたか、カイン圏にいるあなたたちをもっと愛してきましたか? (「カイン圏の子女たちをもっと愛されました」)。それは、うそです (「うそではありません」)。自分の娘をもっと愛しましたか、あなたたちをもっと愛しましたか? 今、南米にいるスパニッシュ系をもっと愛しています。そのような時、ここにいる息子・娘たちは「行かないでください」と言ってしがみつきました。大きい子も、小さい子も、「もう一晩過ごしてから行かれればいいのに、なぜ、きょう行こうとされるのですか?」と言うのです。いつもそのように言うのです。 「あー、お父様、久しぶりに来られたのですから、時間を少し取ってください。三十分だけ時間を取ってください」と言いながら、何時間も待つのです。それでも、一晩だけ寝て行くのです。彼らに会ったら何もできないのです。十分、三十分も、許可できないお父様です。それよりも、公的な会合が列をなしているのです。 今、孝進の家庭問題のために問題になっているのですが、その問題は何も心配する必要がありません。 私はその嫁とひざを突き合わせて、一時間も話をしたことがありません。若くして、十七歳で嫁に来て、どれくらい孤独な環境にいたのか、私はよく知っています。(お父様から愛されたいという)心がありながら、それを感じることができない立場が、どれくらい孤独だったことでしょうか……。 その事実を考えるようになる時、「義理のお父さんは、愛だ、何だと、真の愛の話をするのに、自分の息子・娘に歓迎されず、私の心をこのようにさせておいて、それで、何が真のお父様であり、何がメシヤであり、何が救世主なのか。 ぺっ、ぺっ、ぺっ」と、このように考えるというのです。 さあ、今はもう時が来ました。今は、「四・四節」を宣言したので、今からは故郷に帰り、だれよりも愛して、幸福にしてあげることのできる時が来たのですが……。もし、何時間、何日、何週間、私が話をしてあげたら、そのようにはなりません。 世界にアメリカが長子の国であり、日本が母の国であり、韓国が父の国であることを宣布して、全世界が一つになり、先生を歓迎できる時になってみたら、「自分たちを抜かして、私たちをすべて犠牲にしておいて、あのように行くのが、何でメシヤなのか」と、反対するようになったのです。 今、南米に行くのですが、南米にいる人たちは、あなたたちよりも、立派な国家指導者たちよりも、優れた人たちではありません。かわいそうな人たちであり、悲惨な人たちです。彼らはみなかわいそうなのです。そのように「かわいそう」と考えるのが、神様の心なのです。真の愛の心をもっているので、そのようなことをせざるを得ないのです。そのことを知らなければなりません。 服などは、国家メシヤたちには高級な服を買ってあげながら、自分の子女たちを連れて行って、服を買ってあげたことは一度もありません。娘たちを、一度でもそこに連れて行って、そのような服を買ってあげたことはありません。息子たちにも同様です。 一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられた 外的な世界の人たちに愛を与えていたら、自分の家族が悲惨になってしまいました。 先生はどのように考えるかというと、「愛の祭壇を世界化させる仕事を私がする」と考えるのです。そのように考えるのです。分かりますか? それゆえ、家庭を犠牲にしなければなりません。祭物を捧げる時には、家庭祭物を捧げなければなりません。父母様が祭物にならなければなりません。父母様自体が、食口自体が、祭物にならなければならないのです。一番近いところから、神様は復帰摂理の祭物としてこられたではないですか。 統一教会員たちはそれを知っているので、自分(お父様)の背に乗って越えていかなければなりませんでしたし、踏んで越えていかなければならないと考えるのです。統一教会の人たちはそれを知っているので、私たちの家庭の背と私たち夫婦の背を、このように踏んで越えていったのです。そうですか? (「はい」)。なぜですか? 祭物なのです。祭壇の祭物になったので、みんな頭を下げなければならないのです。全世界の祭物なので、全世界の人類が、その祭壇の前で敬礼を捧げなければならないのです。 御旨がすべてなされた後、三億六千万双祝福とサタンの血統断切がすべてなされた後に、私たちの家庭を、世界の家庭がどれくらい尊敬するか、考えてみてください。償わなければなりません。全人類が、全世界が、私たちの家庭に感謝する日が来るということを知りません。それを知らないのです。 五十年の歴史を過ごしながら、すべて悲しみで埋められているので、それを越えて来ることのできない環境にあるのが、先生の家庭であることを知らなければなりません。家庭的祭壇を積んで摂理してきたことを知らなければなりません。 先生の家庭を中心として、神様の純潔の祭壇に祭物を捧げるようになる時、全世界的に祝福を受けることができる環境を迎えるようになる時、「すべての代価を支払わなければならない責任がある」と、天が勧告するのです。このように考えるのです。 (私たちの家庭が)アメリカに来ているので、このようになったのです。韓国にいたら、このようにはなっていませんでした。アメリカにあるプライバシー・コンセプト、自己中心的個人主義概念、このような概念はすべて、サタン世界に所属して起こる現象です。それが事実ですか、事実ではないですか? (「事実です」)。そうではないという人、手を挙げてください 私が一つ質問をします。一生の間に、私がだれかに反対しましたか? 私には怨讐が多いのです。私を殺そうと、ありとあらゆることをした人たちが多くいます。できれば、忘れてしまおうと思います。忘れて、忘れて、迫害を受けたすべてのことを忘れてしまおうと思います。きれいに忘れてしまおうと思うのです。サタンは、レバレンド・ムーンがすべてに対峙して闘うことを望んでいるのです。 個人、個人として、世界がすべて反対したのですが、私が一人の個人に勝ったとしても、その闘いは何十年も続き、一生闘ってもその闘いは終わりません。次には、全世界の家庭が、レバレンド・ムーンに反対するようになるのです。分かりますか? 私が彼らと闘えば、その闘いは終わらないのです。それゆえ、忘れてしまうのです。忘れてしまうというのです。私の行く道は忙しいのです。行く道が忙しいというのです。 さあ、見てください。四十年の間に、四千年間の人類歴史の複雑な天の国と霊界を整理して、国家と世界が行くことのできる道を、すべての伝統をつくっておかなければならないのです。このような責任があることを知っている先生には、闘う時間はありません。闘う時間がないのです。 先生について来た世界の有名な人たちが、数十年過ぎてみたら、レバレンド・ムーンがすべて正しいので、彼らはみな統一教会の祝福を受けて、統一教会のかわいそうな人たちの垣根となり、国家の垣根となってきている、という現実を私は知っています。 レバレンド・ムーンが行く道はすべて、くねくねと曲がっていますが、行く道は一つの所です。世界平和、統一天下を考えるのです。分かりますか? 今日、アメリカで起こっている環境はレバレンド・ムーンと関係のない環境ですが、法廷闘争において、アメリカが歴史的に、先生にノック・ダウンされたという汚点を残した事実を知らなければなりません。そのような環境で闘いました。そこに刺激され、歩調を合わせたならば、サタン側に、サタンのかまどに入って行く、ということを知らなければなりません。 女性たちのために迫害されたお父様 先生を(第二次世界大戦直後に)キリスト教が歓迎していたならば、離婚はありませんでした。先生は離婚しなかったのです。キリスト教さえ先生を歓迎していたならば、先生を中心として南北統一、アジア統一、東洋と西洋の統一をなし、地上天国を建設することができたのです。そのように展開されていたならば、どうして離婚するのですか? 離婚しないというのです。 家庭にいる女性たちがたくさんついて回り、お母さんと娘がすべて統一教会を信じるようになるので、男性の群れはすべて反対するのです。こうして反対することにより、そのような環境的与件において監獄にも行きました。しかし、すべて(調査して)みたのですが、何もないのです。社会秩序破壊、家庭破綻、すべてうそなのです。 彼らに聞いてみると、それに同調する人は一人もなく、過去よりよくなり、立派な息子・娘になり、愛国者になったというのです。放蕩な人、ギャング・スターのような人たちがみんな愛国者になったということが、すべてあからさまになったのに、どうして法廷で刑罰を与えることができるでしょうか。 夫人たちは、霊界から聖別生活をさせるのです。堕落した偽りのサタンの愛を遠ざけるのです。それゆえ、「レバレンド・ムーンのとりこになり、狂ったので、そうなのだ」と誤解するのです。 当時、韓国は夜十二時から明け方四時まで通行禁止だったので、明け方まで待って、通行禁止が解除されるサイレンの音がなれば、女性たちは家庭において監禁されていた門を蹴って出て、裸でパンツだけはいて走って来るのです。走って来て教会の壁を越えようとして、滑り落ちて、「どかん」という音に近所の犬がほえて……。ありとあらゆる事件が伝わっているのです。 先生がお父さんのようであり、お兄さんのようであり、婚約した人のようであり、夫のようであり、おじいさんのようだと、そのように言うのです。エデンの園で、子女の時代、少年の時代、夫婦の時代、父母の時代の四大心情圈を失ってしまったことを蕩減復帰するための現象が起こるのです。先生に会いたくて夜眠れず、ご飯が食べられない、そのようになるのです。霊界がすべて開かれ、先生が何をしているかすべて分かるのです。どこかの市場とか百貨店に行くと、そこにみんな来るのです。霊界が役事するのです。 家庭環境では、男性がみな反対します。おじいさん、お父さん、夫、兄、息子など、男性たちがみな反対するのです。お母さん、お姉さんは家庭では家事が主な仕事ですが、みんな教会ばかり通うのです。 そのような環境で、だれのために迫害を受けましたか? この女性たちのゆえです。「銃で殺す」という脅迫もたくさん受けましたし、袋だたきにも遭い、追い出されもして、ありとあらゆることをされました。 なぜですか? 女性を救うためです。サタン側にいる女性を復帰しなければなりません。サタンの国の女王から、おばあさん、お母さん、夫人、長女、次女を復帰してこなければならないのです。彼女たちは、エバを代表した女性たちなのです。男性は王から、おじいさん、お父さん、すべて天使長の立場です。エデンの園における再臨主は、女性を復帰するために来たのです。新婦圏に対して、新郎は一人なのです。 それゆえ、先生に出会えば、先生を憎むことができないのです。このような現象は世界的です。あなたたちもそうですか、西洋の女性たち? (「はい」)。その「はい」という答えは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。自分たちの心がそうなのです。本性がそうなのです。 「敵」という概念を除去し断絶する 春が来れば氷山も溶けます。レバレンド・ムーンは、神様の愛の春の始まりと同じです。寒帯地方の共産主義が過ぎて行きます。民主世界は秋の季節の文明です。共産主義文明が過ぎ、春の季節の文明が東洋から訪ねて来るようになるのです。それが、統一教会の文明圏の出発なのです。これが春の季節に該当します。それで、家庭が破綻するのです。家庭破綻が展開されるのです。 春というのは、神様の真の愛を意味します。分かりますか? (「はい」)。女性の花のような心が、咲いてくるのです。そこに蝶のような先生がいるので、みんな歓迎するのです。八十歳になるおばあさんも先生の後をついて回ろうとし、十二歳になったばかりでも先生の後をついて回ろうとするのです。おばあさん、おじいさん、夫、息子、娘がみんな見ていても、ついて来るのです。 その愛の春の園で花が咲き、実を結び始めたのが合同結婚式だということを知らなければなりません。国際合同結婚式です。それで、四十年が過ぎていきました。春夏秋冬。実を結ぶためには、春を迎え、夏を迎えて発展し、秋の季節に入り、あなたたちの家庭が植える種にならなければならないのです。真の父母の家庭のようにならなければなりません。真の父母のような価値をもつことができなければならないのです。そうしてこそ、神様が願われる地上・天上天国定着の出発がなされるのです。確実にそうですか? (「はい」)。 あなたの家庭がそのようになりましたか? 世界のための家庭であり、天と地を代表した家庭であり、人類を代表した家庭であり、万物を代表した家庭であり、真の愛の歴史をすべて包括することのできる家庭なのです。そこには敵がいません。神様が「敵」という概念をもったならば、片隅に敵の国が残るので、いつまでも平和の世界は来ないのです。神様はそれを知っていたので、「敵を愛せ」という標準を立てたのです。それは驚くべきことです。 「敵」という概念を除去して断絶しなければなりません。「敵」という概念が行動の基準になっているかぎり、世の中に信頼というものは永遠に存在しないのです。どうやって平和な世界をつくることができますか? すべてのことを消化しなければなりません。悪いことも、善いことも、すべてのことをのみ込んで消化しなければならないのです。それで、体のエネルギーにしてしまうのです。 先生の観点は、共産主義ものみ込んで、民主主義ものみ込んで、怨讐の国ものみ込みました。何をもって消化したのですか? 真の愛の力でです。真の愛の力は、このようなものを消化させるのに十分なのです。何の問題もありません。 先生のこのような視点で見れば、怨讐というものはありません。今までたくさんの怨讐と遭いました。しかし、先生は、彼らに対するすべてのことを忘れてしまいました。短い時間に、彼らの顔やその時の状況を永遠に忘れてしまいました。すべての状況を神様の立場で、今まで忘れてきましたし、今後も永遠に忘れるのです。そのかわりに、いつもそのような人たちのために生きてきました。他人を愛し、為に生きる側が、自動的に中心になるのです。為に生き、より愛する人が主人になるのです。中心存在になり、主人になるのです。 神様と天運が私を保護している 指導者は、第一に、中心に連結された責任感をもたなければならず、第二に、自分に任された分野を保護して、第三に、その分野を育成、および発展させるのです。これが責任者の使命です。これは、先生にもそのまま適用されるのです。すべての統一教会の指導者は、全世界に対してこのような責任感をもたなければなりません。また、すべての統一教会員たちも、このような責任意識をもたなければなりません。先生は今まで、世界を救い、保護し、育成する活動を続けてきました。 今日、アメリカには理想世界はありません。南米にもありません。アジアにもありません。アフリカにもありません。六大州には理想世界はないのです。 このような時に、世界の人たちはレバレンド・ムーンを尊敬し、誉めたたえています。それはレバレンド・ムーンがすべての階層の人たちにとって、最後の日の唯一の希望の中心であるからです。このような環境が、私たちの祝福活動のブームを全世界に巻き起こしたのです。 だれがこのようにしたのですか? だれがこのような結果をもたらしたのですか? レバレンド・ムーンではありません。レバレンド・ムーンは仲保者であるだけです。レバレンド・ムーンが、このような結果の原因者ではありません。レバレンド・ムーンが世界的にいくら有名で、いくら真の愛の中心存在だとしても、レバレンド・ムーンは原因者ではありません。分かりますか? 神様の愛を中心として、他のために活動をしていたら、そのような結果が現れるようになったのです。レバレンド・ムーンの背後には、神様の力があるという事実を知らなければなりません。 そのような人に反対して、何か利益になることがありますか? 今、私たちの家庭を破壊させようとしているのですが、それはできないのです。してもできません。ユダヤ教とキリスト教が一緒になって、そのようにしようとしているのですが、駄目です。ユダヤ教の『旧約聖書』とキリスト教の『新約聖書』をもって、統一教会の『原理講論』に勝ることはできないのです。それはできません。 統一教会は何時代ですか? (「成約時代です」)。成約時代というのは完成時代です。蘇生時代である旧約時代、長成時代である新約時代に未完成な内容を含めて、すべてのことを完成させる時代なのです。 真の愛の力は、すべての時代を消化する力をもっています。それで、ユダヤ教の若者たちが彼らのシナゴーグ(ユダヤ教の教会)の門をぱっと開けて、原理講義を一週間だけ聞けば、彼らは完全に溶けて、一八〇度引っ繰り返るのです。このような現象は、キリスト教の若い青年たちにも同じように現れます。また、他の宗教でも同じなのです。 それでは、問題は何ですか? 問題は、原理講義を聞かない人たちにあるのです。全世界の人たちが原理講義を一度だけ聞けば、彼らの思想は崩れてしまうのです。そのくらい強力な力を、『原理講論』はもっているのです。 それで、反対するのです。彼らはかわいそうです。今まで、その敵がみな罰を受けました。反対した人たちの中で、成功した人は一人もいません。皆、滅んでいくのです。二十年間反対したすべての統計を出してみなさい。八〇パーセント以上が滅びました。統計が出ているのです。レバレンド・ムーンを四十年、五十年以上、「殺せ。 破壊しろ」と迫害して、監獄にたたきこみ、ありとあらゆることをしましたが、滅びませんでした。(拍手) 世の中では皆、「歴史を通してそのようにたくさんの迫害を受けながらも、勝利できる力は何であるのか? 何が、そのように統一教会を繁栄させてきたのか?」と、とても不思議に思っているのです。それは、レバレンド・ムーンの力ではありません。それは、神様と天運が私を保護しているからなのです。柱を通して上から下に降りてくる強い力、永遠なるその力が、私を保護するのです。 理想世界のこの柱は、何であっても砕いてしまうのです。その力は、絶対に壊れることはありません。一度受けると、そのまま粉々になるのです。それで、問題が生じるたびごとにいつも、神様が主体の立場、先生は対象の立場で、完全に九十度の角度で影をつくらないゼロポイントをなして一つになるのです。そのようになれば、いくら強い者が私を攻撃したとしても、かえって、彼が落ちていってしまうのです。分かりますか? このような公式路程を、神様ははっきりと知っておられるのです。共産主義もいち早く崩れました。民主世界であるアメリカも救いを受けるために、私の前にひざをつきました。宗教世界も同様です。 そこに歩調を合わせる者は先に天が審判してしまう 世の中にあるすべての家庭は、私に属しているのです。そうではないですか? 家庭がなくては国があり得ません。国がなければ、世界もなく、地上天国もなく、天上天国もありません。理想家庭が立つことができて初めて、理想的な国、世界、天宙を立てることができるのです。このような世界の核が、まさに真の家庭なのです。 その所に初めて、神様が永遠にいることができ、一緒に生活することができるのです。神様は、愛を中心としてその家庭を主管するようになるのです。そうなれば、その家庭は永遠に壊れないのです。 このような家庭が大きくなれば、氏族、民族、国家、世界、天宙をなすようになるのです。これがまさに、地上・天上天国なのです。このような天国が、個人的概念から家庭的概念に越えていけば、ここにはそれ以上の迫害と反対はないのです。順調に、氏族、民族、国家、世界を越え、霊界まで越えて行くのです。 このようにして霊界に行けば再び、自動的に真の家庭が中心となった円がつくられるのです。真の家庭が中心になり繁栄するのです。世界の環境をつくるうえで、核は家庭なのです。家庭から親族、氏族に拡散し、氏族から国家、世界に拡散するのですが、中心は同じなのです。中心と同じ価値をもって、民族、国家、世界、天宙へと拡散されるのです。モデルの公式は、中心と同じです。 それで、完成したアダムの家庭では、アダムが家庭の王です。アダム家庭が大きくなれば、アダムは氏族の王、世界の王、天宙の王になるのです。ここから家庭の天国が出発し、これが拡散して、親族の天国、氏族の天国、国家、世界、天宙の天国として大きくなっていくのです。霊界と地上は、陽性と陰性でつくられた一つの体のような構成体なのです。陽性は内面の世界であり、陰性は外形の世界をいうのです。 宇宙のすべては、カップル制度になっています。鉱物世界、植物世界、動物世界、人間までも、すべてカップルになっているのです。なぜ、このようにカップルになっているのでしょうか? 永遠に存続するために、このように創造されたのです。 人間を見れば、個人は、心と体、そして、陽性と陰性の二性性相になっています。心は神様と連結され、体は地と連結されているのです。それで、体と心が一つになるということは、すなわち、天と地が一つになることと同じなのです。それゆえ、平和の世界をつくるうえで、個人の体と心の統一が中心核になるのです。 その道は簡単ではありません。アメリカの人たちは毎日、マクドナルド・ハンバーガーを食べるのが好きでしょう。今から一生の間、そのハンバーガーを食べないでください。韓国式に変えてください。いいですか? (「はい」)。 あなたたちは簡単に答えますが、難しいことです。長い間に形成された習慣を変えるということは、どれくらい難しいですか? 数十年の間、形成された習慣と伝統的な概念を変えるということは、簡単ですか、難しいですか? アメリカ人がどこかに行って三年ぶりに帰って来たら、一番先にマクドナルドに行って、ハンバーガーを買って食べるというのです。ちょっとした習慣を変えるのも、このように大変なのです。 宇宙の伝統は、最悪の愛が中心になって出発し形成されました。ハンバーガーを食べる習慣を変えることと比べたら、間違って形成された宇宙の伝統を変えるということは、何百倍、何千倍以上もっと難しいというのです。 歴史を通してたくさんの義人たちは、過った基盤を復帰するために、数千回も試み、反復してきたにもかかわらず、九〇パーセント以上、地獄に落ちました。それは、自らをゼロのポイントに定着させることが、あまりにも難しいからなのです。こんなにもサタンは、たくさんの義人を地獄に落としてしまいました。 このようなことを神様が見る時、人間堕落以来今まで、神様はどれくらい悲惨で、悲しい状況におられたのかというのです。このような神様が、まさに私たちのお父様であり、真のお父様であられるのです。あなたたちは、このような苦痛を感じることができますか? (「いいえ」)。それなら、あなたは自動的に地獄に落ちるのです。地獄というのは影のような所です。そこは、光が存在しない所です。ただ、影だけがあるのです。 統一教会の世俗的な環境にいるアメリカの食口たち。 レバレンド・ムーンと統一教会の家庭を分離させようとする、このような行動を中心として見る時……。このように生きたレバレンド・ムーンは、自分の家庭、自分にある財産、世界の統一教会にある財物まで投入して、世界のためにアメリカを救おうとしました。 アメリカにおいて自分の利益のために反対する群れに対して、アメリカ自体が糾弾しなければ、このアメリカの地が讒訴し、アメリカの空気が讒訴し、アメリカの天運が怨讐視するというのです。そのことを知って、そこに目を合わせて、五官を合わせて、行動と歩調を合わせる者は、先に天が審判してしまうのです。 憤怒するのです。 これを知らなければなりません。分かりましたか。 (「はい」)。 どれくらい大変な十字架の道か…… 神様と真の父母は一つの体です。真の父母は神様の横的な体です。同じ価値をもっているのです。真の父母はどこにいても、神様に九〇度の角度を合わせることができるのです。 神様と真の父母の間には消耗がありません。これはちょうど、ある物体が無重力状態に行けば、力が消耗されないということと同じ理屈です。それゆえ、消耗がないので、一度押したら永遠に行くのです。人工衛星が慣性の力で運動するではないですか。負荷がないので、一度押したら永遠に行くのです。負荷がかからず、どこでも百パーセント通じるのです。 横で言う人(食口)がいたら(レバレンド・ムーンとその家庭に対して言えば)、口を裂いてしまい、目を取ってしまうと考えてみなさい。「この者たち、何ですか。 統一教会を中心として」と言いながら、目が取られ、口が引き裂かれてしまうだろうというのです。そのように考えたら、そのようになるのです。 神様に祈祷してみてください。そのような人はみんな滅びます。私が祈祷をそのようにしたら、七か月以内に雷が落ちます。しかし、父母はそのような祈祷はできないのです。息子が刑場に行き死ぬということを知っている父母は、「この国の憲法がよくできていて、あの子はよく死んだ」とは言わないのです。この国の法をすべてなくしても、その息子が解放されることを願うのです。 さあ、真の愛の運動をしている統一教会の文先生の歴史には、なぜ、家庭的にそのように問題があるのか、ということが問題なのです。なぜそうなのでしょうか? 「絶対性」を主張する神様が、絶対ホモ・セックスの世界に来て、愛の関係を結ぶことはできません。永遠に不可能なのです。これを救おうとすれば、神様が手を出すことはできません。手を出せないというのです。エデンの園でアダムとエバが堕落した時、手を出せなかった神様が、これに手を出すことはできません。これは、だれが引き起こしたのですか? 偽りのアダムです。偽りのアダムがこれを引き起こしたので、これをはがして直すことができるのは真のアダムしかいないのです。 それで、悪なる世界で「絶対性」を主張していたそのような神様を代身して、サタン世界の滅びゆく女性たちをより愛することができる心の基点をつくるために、絶対悪の中で愛を復帰してくる時、救われるというのです。 それが、どのくらい十字架の道であるかということを考えなければなりません。どれくらい骨が折れ、どれくらい大変な十字架の道か……。分かりますか? (「はい」)。 先生自身はきちんと神様の神聖な訓練を受けました。そのような人が、離婚が何ですか? このようなことまで試験を受けました。世界の一番の美人、世界の男性たちが愛することができる美人が現れ、最高の愛で包容し、キスをして、性関係ができるその場に入っていき、完全に百パーセントセックスをすることができる状態に行ったとしても、ゼロに帰ることができる訓練を受けた人なのです。そのような人が離婚して、他の女性を考えることはできません。 (歴史を通して)三段階で落ちていきました。女性が、アダム家庭、イエス家庭、再臨主家庭を破綻させました。それゆえ、女性たちの生きる道がないのです。生きることができる梯子をかけなければならないのです。そのような時は、どのようにしなければならないでしょうか? その道は、愛の十字架を背負って行く道なのです。歴史以来、天地にこのような愛の十字架の道を、伝統の道を悟らせて、それを立てた方が真の父母なのです。今も聖進のお母さんが、私をどれくらい愛しているでしょうか? 今も思慕しているのです。 学生時代には、たくさんの女性から誘惑を受けました。誘惑を受けるということにおいて、世界の記録をもっている男です。それゆえ、春の季節のさかりには、鍵を四つもかけて寝ました。部屋に鍵を四つもかけて寝たのです。それは、統一教会の人たちはみな知っています。そうしなければ、門をこじ開けて入ってくるのです。先生が寝ている布団をどけて裸で入って来て、しがみつき、「助けてください」と言うのです。「五分あれば解決することなのに、男がそのようにできるのですか?」と言うのです。 このような女性に対して、「私には性機能がありません」と言いながら送り帰しました。(笑)どうしても帰ろうとしないので、そのようにして解決するのです。その女性は普通の女性ではありません。美人であり、財閥の娘であり、有名な学校の在学生なのです。肥桶に神様の生殖器を差し込んではいけないのです。嫌でも、嫌な道がその道だということを皆さんは知らなければなりません。 神様の御旨を成し遂げるためには、地上世界で神様の代身者として、離婚してでも真の愛の関係をつくり、離婚を三回してでも真の愛の関係をつくらなければならないのです。 それゆえ、地上の摂理の中で、ヤコブのような人は女性をたくさん迎えました。宗教界にも女性をたくさん迎える人がいるし、あのイスラムのような所もみなそのような意義を中心として、そのようになったのです。 ヤコブにおいては、十二人の息子を生むために女性が四人いましたが、結局はレアとラケルの問題であったということを知らなければなりません。このラケル一人だけだったならば、復帰ができないのです。支流で反対の妾であるとか、傍系的な道で復帰がなされるのです。 これを、だれが解決してくれますか? そこにピュア・ラブを主張して、それをどのように解決しますか? それゆえ、先生が地獄よりももっと恐ろしい道、苦痛を受けながら、その道を開拓したのです。愛の十字架の王者の道を歩いて来たということを知らなければなりません。それは、女性を救うためなのです。 女性たちは、三人の男性を殺しました。アダムを殺し、イエスを殺し、再臨主を殺しました。先生を荒野に追い出すことによって、お父様の家庭に破綻が起こり、お父様はもう一度結婚しなければならなくなったのです。そして、韓国が南北に分かれ、兄弟としているべき東西洋が多くの地域に分かれ怨讐になり、天と地が再び分かれたのです。 すべては朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまう 終末になればメシヤが雲に乗って来るというのですが、再臨主が飛行機を使えば問題ありません。稲妻のように、世界中、南極や北極、東洋や西洋、すべての国を訪ねるのも問題ではありません。ですから、先生は飛行機を買ったのです。グローバル・エクスプレスです。一度飛べば、どこへでも行くことができるのです。一日で世界中を稲妻のように飛んで、南極や北極、東洋、西洋へも行くことができます。現代科学技術が発達して、神様の目的を助けているのです。このように、真の父母の生活様式に貢献しているのです。 真の父母は、世界のどういう場所でも行かなければなりません。インター・ネットや電子メールのような現代の科学技術を通して一度に全世界の人たちが、ここで話すことを聞くことができます。五十億人類が一度にみな聞くことができるのです。だれのためにですか? (「神様です」)。真の父母のためにです。私が五十年前にこのような科学技術の話をした時、人々はみな私を「狂った」と言いました。「本当に狂った人だ」と言ったのです。その時に特に反対してお父様を笑ったある一人の牧師が、今はすべて悔い改めているということを聞いています。(拍手) ピュア・ラブの主人であり、王であられる神様が、この地に真の愛と真の家庭を植えようとすれば、真の父母、真のアダムが必要なのです。そのことを知らなければなりません。 今回のマディソン・スクェア・ガーデンの祝福の時、先生が昔責任をもった聖進のお母さんとそのお母さん、つまり聖進のおばあさんまでもすべて祝福をしてあげたのです。そうして、理想的夫婦の理想を実現するのです。 今でもレバレンド・ムーンに反対する人たちがいますが、彼らは何も知らずにそうするのです。レバレンド・ムーンがどれくらい立派な人間であり、どれくらいこの地上で貴重な人であるのかという事実を知るようになれば、尊敬するようになるのです。 聖婚式の時、真のお母様の候補者になると言っていた人、数十名が今でも待っているのですが、「一回でも先生の手を握りたい。キスもしてくれたらいい。死ぬ前にしてほしい」と言っても通じないのです。そのような人には、全く見向きもしません。私は冷淡な人です。「世の中の男性の中で、最も冷酷な男性、石のように冷淡な人だ」と、うわさが立っているのです。 そのような人たちに「そのようにする先生は悪い先生ですか、善い先生ですか? そのようにしていかなければならないでしょうか、あなたが願う通りしていかなければならないでしょうか?」と尋ねれば、「先生がする通りしていかなければなりません」と言うのです。 多くの人が今でも統一教会とお父様に反対していますが、私たちは世界に出かけて彼らを許し、愛でしっかり抱きかかえて、真の父母と共に真の家庭、真の天国を築く立場なのです。天上天下、地上天国が、真の父母の「真」を何個も合わせて、真の父母を尊敬することができる時代が待っているというのです。 そこに歩調を合わせることを願います。今晩このような時間をもったことを栄光に思い、先生の言葉を大切にしっかりと保管して、その世界に行って称賛され、賞を受ける皆さんになるために、大切な内容を発表するのです。分かりますか? (「はい」)。 その言葉が正しいと思い、自分自身の心が先立たなければなりません。何を話しても、何をしても、私の愛の心は変わらないのです。真の愛なのです。それゆえ、神様も、世の中が何と言っても、「世界のすべて、神様が創造した貴重なものは文先生に預ける」と考えているのです。 そのような神様であることを知り、そのような神様がいるということを知らなければなりません。そして、その神様の娘・息子になるためには、文先生のように、このようなすべてのことを克服し、耐えていかなければならないのです。そのようなことを理解して、あなたたちも耐えることができなければなりません。 アメリカがいくら騒いだとしても、先生は心配しません。これはすべて朝の草葉の露のごとく、陽が昇りさえすれば落ちてしまうのです。 それゆえ、南米に行ってもそのような心配はしないのですが、私が南米に行けば、この人たち(アメリカ食口たち)が糞の穴に落ちてもがくと思ったので、このようなことも話して洗ってあげたのです。皆さんの喜ぶ姿と喜ぶ態度と喜ぶ決心を見て、喜ばれる旅行に出発するのです。アーメン(拍手)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
ジャルジン第五宣言(「四・四節」宣布)一九九八年九月八日、アラスカのコディアックで朝の訓読会のとき、真のご父母様は、その日の数字をすべて足すと四十四になるということをご存じであられ、二階に上がって特別祈祷をなさり、再び一階に下りてこられてみ言を語られた。「み言に同意する者は手を挙げなさい」という問いかけに対し、参席者全員が手を挙げ、祝祷を通して「四・四節」が宣布された。この日、コディアックのノースガーデンでは、顕進様を中心とした二世の代表と大陸会長、及びカイン圏の国家メシヤの四十数名が、四十日修練会に参加しており、ブラジルのジャルジンでは、世界平和理想家庭のための第二次四十日修練会、パンタナールでは韓国の国家メシヤたちの四十日修練会が進行中であり、南北のアメリカで四十日修練が二チームに分かれて行われていた。同年九月二十日、ベルベディアで「摂理的総整理」というみ言が語られた際、九月八日の宣布はジャルジン第四宣言に続く「第五宣言」であると命名された。 み言 主題 - 全体・全般・全権・全能の時代 この日が宣布されれば、天は全体・全般・全権・全能の時代にさしかかります。天が計画するすべてが地上で実現されるという、直接的な結果が現れる時が来るのです。 サタン世界においてもすべて体制が整っているのです。いろいろ複雑ですが、一体化です。一方の方向に、全体が全般的な基準で一つにならなければならないのです。サタン世界にも権限がありますね? その次には全能です。天は意のままになすことができるのです。サタン世界には全能はありません。今まで立てられた国家的基準における全権となっていますが、それを超えて全能の時代となるのです。何もかもが国家と世界に影響を及ぼす自由奔放な世界に移行していくという、概念を知らなければなりません。 今までは、アメリカならばアメリカを中心として、各国に体制を整えてきましたが、これからは体制が一つになるのです。一つの世界になるのです。サタン世界の権限は国を中心として一つになっていましたが、世界にまで拡張させることはできませんでした。しかし、これからは天がそれに取って代わり、サタン世界や霊界に影響を及ぼせる時代に入っていくのです。 今までサタン圏は、国家基盤に限定されていました。今はそれを超えていくのです。それはサタン圏を超えていくということです。宇宙基盤と天国基盤を主管するのは、神様にとって問題ありません。この地上からサタン圏は消え去り、新しい天の主権が現れるのです。神様が個人から宇宙に至るまですべてを主管することができるのです。神様が初めて主権をもつようになるのです。 全体・全般・全権・全能の神様が、意のままになせる時が来るのです。全般とは、サタン世界のすべてが一つの世界になるということです。サタン世界の全権を神様が掌握し、意のままにできるようになるのです。サタンの全権は、国家基盤を超えることができません。世界基盤は神様が握っているのです。 十九も悪い数字であり、九も悪い数字ですが、八数は良いのです。四十四数をいつ迎えるのでしょうか? 今日はその日に合致しているので、歴史的な転換点に入ったのです。どこの国の人かと尋ねたら、皆さんは何と答えますか? 天国人であると答えなければなりません。そのように考えなければならないのです。 神様が創造したとおりになっていれば、アメリカやイギリスやソ連、共産世界や民主世界といったものは、すべてありませんでした。まず愛の秩序が定まらなければならないのです。愛、生命、それが完全に一つとなった後で、血統が定まるのです。そのためには、先祖を一〇〇パーセント占領しなければなりません。自由はありません。自由があり得ますか? 皆さん、生まれるときに自由があるでしょうか? 自由はありません。お父さんとお母さんの精子と卵子を勝手に取っていく権限、自由に供給を受ける何かが皆さんにはないのです。ですから、誰々の息子、誰々の夫、誰々の父親となるのであって、「誰々の」と言わなければ呼ぶことができないのです。それを知らなければなりません。そのことを知らずにいます。自分を主張できるものは何もありません。父母の愛、父母の生命、父母の伝統!神様の宇宙史的なアイデア!それしかないのです。サタンによって植えつけられたので、今このようになっているのです。 腹がこのように出ている人は、食事を抜いた生活をしなさい。三度の食事のうち、二度だけ食べて、残りの一度の食事を飢えている人たちに与えて、助けてあげなさい。先生もそのようにしてきました。そのようなことを四十年前から準備しているのです。命令したら皆家を売り払って、アフリカに行って家を交換して生活するのです。そのようになれば、そこが天国になります。「アフリカ人はアメリカに行き、アメリカ人はアフリカに行って家を交換して暮らそう!」といって、それを実現するようになれば、たちまち天国になるのです。そのようにしながら幸福になるのです。天国に行く境界線を越える、というように考えなければなりません。天国は地獄を切り抜けて越えていかなければなりません。ですから大移動が始まります。大移動が始まるのです。 呼吸をするには、膨脹と収縮をしなければなりません。それと同じく、みんなが貧しい暮らしをしているのに、一人で豊かな生活をしている人は地獄に行くのです。地獄に行かないようにするためには、その反対のことをすればよいのです。そうすれば天国に行けるのです。息を吸い込んでばかりいれば滅びてしまいます。死んでしまうのです。 先生はアメリカでお金を稼いでアメリカに投入し、世界に投入しているので、先生の手には何一つありません。世界のために投入したので、それが世界のものとなり、世界を超えて天地、神様のものとなるのです。それは誰も奪うことができません。先生自身は何ももっていません。先生は世界と宇宙の所有権を神様に連結するのです。 そのような意味で、これからは人数を中心として世界のすべてが、神様の栄光を受けられる時代に入っていきます。ですから、真の愛の大将にならなければなりません。 真の愛は、家庭・氏族・民族・国家・世界・宇宙の中心だけでなく、神様の中心です。皆さんもそのように連結すれば、神様はどのようになさるでしょうか? 神様が皆さんに返してくれるのです。皆さんはそのように相続することによって、聖子になれるのです。 家庭盟誓の三番目に「四大心情圏」が出てきますね。自分が生まれたのは、神様の家庭のために生まれたのです。ですから、兄弟というのは、神様が実現しようとされる兄弟を代身するものなのです。また、夫婦というのは、神様が実現しようとされる夫婦を代身するものです。そうして、息子と娘を生むというのは、神様が創造した実体創造に続く第二創造なのです。 そうなればアダムとエバは、霊界と肉界、お父さんとお母さん、おじいさんとおばあさんの世界をすべて未来に伝授することができるのです。アダムとエバが息子を生むことによって、天国を創造しようとしていた神様の理想の出発が初めてなされるのです。ですから、神様は第一創造主、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの息子と娘は第三創造主なのです。 統一教会において、第四次アダム圏時代に入って定着し、本然の祝福と、万代の子孫が父母を尊敬し、子女が一つになって、天国に入れる世界に転換される時が目前に迫っているのです。 ですから、皆さんの家庭は歴史と天地を代表した家庭です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に、絶対・唯一・不変・永遠なる家庭、神様を迎える永遠の家庭となって、それが永遠の氏族、永遠の民族、永遠の天国となるとき、地上天国時代から天上天国に直結して、一つの世界になるのです。 アダムは二代目で、孫は三代目です。孫が息子や娘をたくさん生めば、その兄弟を中心として伝統を引き継ぐようになり、すべて同じ価値をもつようになります。ですから、孫も神様に向かって「お父様」と言い、父親も神様に向かって「お父様」と言い、すべてが「お父様」と言うのです。同位価値的に天のお父様に仕える立場、アダムのような立場にすべての万民が立つようになるのです。誰もが対等な価値をもつのです。それゆえに皆さんも先祖になるのです。 神様と真の父母が、その喜ばしいことを中心として、世界へ拡張するための式を行います。その段階に至りました。では、皆さんはそれに対して両手を挙げて歓迎しましょう!(二九五-二五三、九八年九月八日) 祝祷 愛するお父様…、人類の先祖が犯した瞬間的な堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造されたお父様が、これほどの受難と迫害の道や祭物の路程をものともせずに切り抜け、勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全世界の解放時代まで歩んでこられるのに、どれほど苦労されたかを、私たちが骨肉に徹して感じながら、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を悟り、厳粛に宿命的過程を通して歩んでいけるようにしてくださいませ。 宿命とは、死んでも行かねばならない立場に立っているという言葉でございます。堕落の怨恨、身に染みる苦難の道において、死んでも解決しなければならないという宿命的な課題をめぐって考えてみるとき、真の父母を中心としてこれを蕩減するための救援摂理において青少年問題と家庭問題が、世界の先端において誰にも手のつけようのない時代に入りました。 アダムとエバが堕落するときに神様が手をつけられなかったように、今やサタンだけが行動していた結果の世界においてサタンも一つの家庭ではなく世界を抱きながらも、天側の人々を殺すことができなくなり、サタンも手をつけられず、神様も手をつけれらない青少年問題と家庭問題を、真の父母のみ名を中心として、根本的に霊界と肉界、地上と天上世界の因縁をはっきりと悟らせて解き明かすことができ、それを霊界が知り、地上世界、未来世界がはっきりと知り、個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界・天宙の行くべき道、そのすべてを知ることによりまして、誰が反対し、誰が阻もうとも、この道を行かなければならないという、確固たる信念をもたせてくださった恵みに感謝申し上げます。 そのような意味において、サタン世界のすべての氏族、民族全体の編成を代表することのできる、天国の三六家庭から今まで十二の峠を越えることのできる立場に至り、今やすべての地上世界の清算と天上世界を清算するために、サタンの血統を断切することによって、サタンの讒訴条件を否定し得る天地の権限を真の父母が立てまして、真の父母の行く手には、国家的基準と世界的基準でサタンによる地獄の権限の行使が除去され、国家的次元のものを整備して世界的次元で天国の門の解放の世界に真の父母のみ名が通じ、本然的な真の先祖と因縁をもち得る地上・天上天国が開門することのできる時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 お父様…、今や来年二月三日(実際は七日となる)を中心として二億四千万双を祝福することによって……、サタン世界の血統を断絶するために、韓国では青少年の純潔教育が既に終わり、日本とアメリカを通じて全世界に拡張できる教育をしておりますから、その教育があなたのみ旨の前にあって日進月歩し、勝利の権限とあなたの解放的な全体・全能・全権の行使が可能となる時代が、実を結べるようにしてくださいませ。 今日、四数を中心として、アダム家庭の四位基台、アダムの息子と娘の四位基台を中心として歴史的な伝統を世界化できなかったことを、世界化四位基台……、真の父母と共にすべての家庭がそのような立場に立ち、サタンを除去し、汚れた血筋のすべてを消して乗り越えることのできる、全体解放時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年を中心として、九数はサタン数であり、十九数もサタン数ですが、八数を連結させることによって、この日九月八日が新たな解放の出発を宣言することのできる、四十四数の基盤を踏まえて地上の四数、天上の四数を中心として、解放的天宙に向かって全家庭が入籍することのできる、天国時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 今日、このような日を記念し、サタンが数においても讒訴できる条件がなくなるようにするため、これをあなたの名と共に、真の父母の名と共に、全天宙全体の前に宣布いたしますから…、この日が、あなたの権限によって、全体・全般・全権・全能の能力を中心として行使することのできる、解放の解放時代を迎えられる日となるように、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日このひととき、真の父母の名と共に神様の名と共に結ばれた、喜びの解放を宣言すると同時に、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますから、受け取ってくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、「四・四節」解放の日を宣布したことを地上と天上に、神様と真のご父母様が再度宣言してくださいますことを願いながら、真の父母のみ名によって「四・四節」を宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二九五-二五七、九八年九月八日) み言 成約時代には、祝福家庭と霊界に関する事実を知らなければ完成できません。成約時代の家庭祝福は、堕落していないアダムとエバが、家庭を中心として神様と共に生き、家庭が定着して生きるので、霊界と肉界が一つになった立場に立ちます。そのような一つとなった立場になるためには、霊界の事実をよく知らなければなりません。霊界をはっきりと知らなければなりません。今、霊界には楽園や中間霊界、地獄といった絶対にあってはならないものがあります。地上にも、堕落した関係によってなされたものが、本来あってはならないのです。 統一教会の信徒は、二つの世界に拍子を合わせて生きていかなければなりません。この世で生活するには肉の糧が必要であり、霊的な面においては霊の糧が必要となります。霊的な世界は永生することのできる世界です。肉的な世界での人生は、つかの間です。霊的世界において肉的世界の数百倍もの味を感じなければなりません。その味を知れば、眠ることも食べることも忘れ、すべてを忘れてしまうのです。 霊的な糧は真の愛の味がして、永遠の生命と結束しますから、今日の肉的な生活、肉的な命を維持する味とは比較になりません。 この世の未婚の若い男女は愛し合うようになると、眠ることも忘れて恋しがりますが、それ以上に恋しく思わなければならないのです。それはつかの間の世俗的な愛ですが、これは永遠の愛です。その立体的な愛は、世俗的な愛とは比較にもなりません。そのように心を集中させ、生活的な面で高次元的な愛を味わいながら生きなければならないのです。 皆さんが先生のみ言を聞けば、真の愛の味を知るようになり、このみ言を中心として先生が慕わしくなり、会いたくなるのです。 男性は女性が恋しくて、夜も眠らずに泣き明かします。堕落した世の中の愛もそれほどであるのに、本然の愛となったらどうなるでしょうか? 男性たちも先生に会いたくて泣き明かし、涙を流すのです。先生の相対的基準、共鳴圏に入ったならば、先生が何をしているかすべてが見え、先生と常に共にあって、何かを食べたくなれば霊的に本当に食べることができるのです。そのようになれば、すべてが通じるのです。先生が何をしているのか、すべてを知って生きることができるのです。そのような境地に達しなければなりません。 慕い求める愛の力が、堕落したアダムの愛よりも高まれば、無限の世界と通じるのです。 断食をしているときに恋しくなれば、食べたいものを共に食べるという、そのような境地に入っていくのです。そのような体験があってこそ、皆さんは真の愛の味が分かるようになるのです。 訓読会をすれば霊界に対する事実を……。李相軒氏が霊界について紹介してくれましたが、それよりもこの『地上生活と霊界』という本は、原理的な内容をすべて教えてくれるのです。そこには現象的なことが語られていますが、原因的な内容を教えてあげたので、相軒氏もそのみ言を中心として霊界を見てみたところ、内外において一致しているので驚いたのです。先生の責任がどれほど重要であるかということが初めて分かったのです。 み言と霊界の現象が一致して、その時になってやっと実感が湧いたのです。膨大な世界が、自分と離れることなく、永遠に共に生きられる世界であるということを実感したのです。自分の国や自分の家というものがありますが、神様は父親ですから、自分の国や自分の家で共に過ごすことができるのです。その世界のすべてが自分のものであるという信念をもつようになったのです。 霊界も世の中も、堕落した結果になっているので、やがてそれらはすべてなくなります。すべて整理しなければなりません。堕落した世界をすべて整理して、一つの世界にしなければなりません。アメリカ、イギリス、ドイツが一つになるのです。すべて同じです。真の愛は一つです。絶対的に一つです。真の愛を中心として編成された国は、全体がIつなのです。霊界と肉界は裏と表のようなものです。 家庭盟誓の五番目にあるように、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的な天上世界と対象的な実体的世界が一つになって、整理しなければなりません。霊界は主体的世界です。この地は対象的世界です。これからは、この二つの世界が一つになるように拍車をかけるのです。強制的にでも急がせるのです。打ってでも駆り立てるのです。 死ねばあの世にすっぽりと入るのです。霊界を解決しなければなりません。あの世も地で解決しなければなりません。霊界に入ったときに引っかかってはなりません。この地ですべてを解決しなければならないのです。それは観念ではなく、実在です。 先生もそのような世界が事実であるということを感じたので、多くの迫害があっても何の問題にもならなかったのです。反対や迫害をされることが観念であるとするならば、これは実在なのです。それでこそ生き残るのです。霊界が実在するということを、いかに実感するかが最も重要なのです。 ですから、迫害は問題ではありません。目的を知っているからです。朝、起きて自然の現実を感じるように、霊界の事実をさらにはっきりと知らなければなりません。膨大な世界が霊界の世界ですが、そこにはイギリス人、アメリカ人だけがいるのではありません。世界各国の中で心霊状態が同じ人たちが集まっているのです。五色人種のすべてが同じところに集まっているのです。 ドイツ人だとか、何人だとか、昔のこの世的な姿形はありますが、心の世界を見るので、心の世界がどれほど美しいかによって、親密になる度合いが決定されるのです。心の世界がより美しい人と一つになろうとするのです。一つになるなと言っても一つになるのです。何千年、何万年前の人でも、会えばすぐに分かります。先生の言っていることが観念や夢のような話だと思って、事実として感じていないでしょう? 単なる話と思うのではなく、事実として感じて生きなければならないのです。それが問題です。それを悟れば、この世は影です。影のようなものです。 その世界には境界線がないので、その世界で愛の心をもつようになれば、誰とでもすぐに通じるのです。心は老いません。心は長生きすればするほど美しくなるのです。神様を中心とした息子や娘が、とても見られないような姿だったらどうしますか? 深い愛の中で和して生きる人は皆、美女や美男子になるのです。 女性だけでなく、男性もそうです。あらゆる問題について、すべて祈祷をしながら、先生の教えや導きを受けなければなりません。エデンで堕落しなければ、神様に仕えて生きるはずでした。神様がご自身の実体の体を必要として創造したのがアダムの体ですから、先生を中心とすれば霊界にも通じるようになるのです。それを知らなければなりません。神様の愛を完成させるのは、神様ご自身ではありません。人間を通じて完成するのです。今までそれを知らなかったのです。 このようなすべての内容を教えてあげましたから、知っているとは思いますが、皆さんは死ぬ時に先生の卒業証書を受けて、パスできる学位をもって行かなければならないのです。どうするつもりですか? 大学の博士コースが問題ではありません。神様の息子、娘となって、天国の皇族になるのです。このようなことを知って、自分が留まる所……、自分を中心として「私はこの世界を中心として、このように思うのだけど……」というのではなく、あの世に行ってからは何をするかという下準備をしなければならないのです。 これからは、霊界に行って住む家を自分で建てなければなりません。「家」というと、父母がいて、子女がいて、兄弟がいて、夫婦がいて、息子、娘がいなければならないのです。どんな家庭かというと、神様の愛と和した、永遠に一つとなった家庭を築かなければならないのです。意味もなくここに招集したのではありません。この世の世俗的な動きではありません。根本的に違うのです。動く根本の内容が違うのです。ですから、集まっても、今まで教会で集まっていたような思いで集まってはならないのです。立体的な世界です。深く高いこと、広く大きいことを考えなければならないのです。 これから世界が変わります。サタンは国家的基準ですから、世界的基準に干渉することができません。今までは神様も先生も、サタン世界が滅びよという祈祷はできませんでした。怨讐を愛せと言っていたのに、怨讐に滅びよと言うことができますか? 蕩減復帰によって必ず蕩減を受けるようになっていますから、怨讐を愛さなければならないのです。 しかし、今私たちはサタン世界の国家的基準を超えたので、神様が国家と世界を超え、全世界の家庭がそれを超えたので、サタンは離れざるを得ないのです。そして、神様がエデンの園でアダム家庭から始めて天国全体を管理していた、そのような時代が開門することによって、神様の全権時代が到来するのです。神様が意のままに行える時なのです。 それはどういうことでしょうか? 祝福というものが世界化時代に入ったということです。国家的時代ではなく世界化時代です。この世界は真の父母を中心として家庭的に接ぎ木をしたので、サタンとは関係がないのです。それによって、神様がみ意のままにできる時代に入るのです。それが世界時代です。ですから、モデルとなるアダム家庭を中心として、一代目と二代目が四位基台を完成し、「四・四節」を成せなかったことを今日……、全世界人類の家庭が、アダム家庭を中心としてアダムの息子と娘の立場に立っているのです。それが四・四です。すべてその二つが合わさって、息子と娘を中心として、父母の国と長子圏のアメリカを中心とした統一環境をつくったのです。それが回転するのです。 三億六千万双を祝福するにあたって、三億家庭を超えました。三億を超えて、半分以上を超えたので、神様がすべてを意のままに管理できる時代が来たのです。家庭全権時代です。蘇生、長成を越えたのです。 アダム家庭において、アダムの子女までの三代を連結しなければなりません。祝福家庭を連結して世界化させるのです。一つの国を立てて平和の世界に向かうことのできる大転換時代なのです。三分の二を超えるのです。ですから、神様が意のままになすことができるのです。長成圏を超えて完成圏内に連結されることによって、神様が意のままに行えるのです。 地上世界と霊界が分かれ、個人や家庭、氏族や民族が分かれていたのが一つとなり、本然の基準で全世界人類の家庭が、完成したアダム家庭のようになり、アダムの息子や娘の家庭のようになって、大転換するのです。ひっくり返るのです。天側の家庭完成した基準をもって、神様・アダム・アダムの子女という三大圏で、二つの家庭が完成するのです。それが四位基台の完成です。三対象目的を完成するのです。それによって、神様がその中で直接主管することができるのです。共に暮らすことができ、中心の権限をもって支配することができるのです。 真の父母が現れて天と連結させる宣布式が「四・四式」です。霊界と肉界を連結するのです。神様の創造理想的なその国と分裂していたものを一つにして、天国の宮に入るのです。偽りの父母が破壊したものを、真の父母が代わって天の前にお返しするのです。それが「四・四節」宣布です。 今後皆さんは、蕩減というものが必要ありません。歴史をかけて蕩減してきたものが即決処分される時代が来るのです。今まではアダムとエバが堕落したことを、何千万年もかけて蕩減してきましたが、これからは自分が過ちを犯せば自分が処分を受けるのです。天国の法に規制されて監獄にも行き、ありとあらゆることが代々起きるのです。ですから、過ちを犯せば即刻処分されるのです。 ですから、事故も起きます。過ちを犯せば事故も起きるのです。過ちを犯せば直ちに事故が起きるのです。先生もこの道を行かざるを得ないのですが、もしも行かなければ問題が生じるのです。周りが問題となり、後になって自分自身が問題になるのです。行かなければ体が固まり、ケイレンが起きるのです。すべてそうなのです。ですから、行かないわけにはいかないのです。天地に影響が及び、国に影響が及び、自分の家庭に影響が及ぶのです。 旧約時代は物質に対する蕩減、新約時代は子女に対する蕩減、成約時代は自分に対して直接的に刺激が来るのです。それでも、足りないときには根っこまですべて……。なさなければ、根こそぎ引き抜かれてしまうのです。そのようなことが起こるのです。そのようになれば、どんなに祈祷しても祈祷の門が開きません。一言誤っただけで六か月、一年もかかるのです。一言だけでそのようになります。言葉や一つの行動がそれほどに重要なのです。そのようなことを皆さんは知らないでしょう? それは経験してこそはっきりと分かるのです。そのようなことをすべて経験してこそ、霊界と自分の人生が連結しているということが分かるのです。ですから、霊界を知らなければなりません。 今、統一教会で「訓読会」を最も熱心にやっている人は誰ですか? 神様です。その次がお父様で、その次がお母様です。先生はすべてのみ言を記録し、語り、すべてを知っているのに、そうしているのです。どうして一生懸命に訓読するのかというのです。皆さんと和するためにです。先生と和合するためにです。完全な主体の前に対象をつくってあげ、真の父母がしたことを、皆さんもできるようにしてあげるためなのです。いつも神様と共に「訓読会」をします。皆さんが両親と一緒に訓読し、兄弟たちと一緒に「訓読会」をすることは、どんなに恵み深いことでしょう。それが神様に仕えて生きるということなのです。 神様と皆さんが主体と対象となって、同じことを聞き、感じ、経験することによって、一つになるのです。それでこそ、幸福や完成というものがあり得るのです。そのような基盤がなければ、理想というものはあり得ません。皆さんも霊界を知らなければなりません。それが最も重要なことです。主体の目的観と同じレベルにならなければなりません。神様の目的観と一体になれてこそ、神様が喜ぶときに共に喜ぶことができるのです。 皆さんは主体にはなれません。先生も主体ではないのです。神様に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、神様の前に一つとなり、それが一つの主体となって、家庭や世界に対して徐々に対象圏を展開していくのです。 この本の中には先生のイマジネーション(構想理想)、先生の写真が写っていると考えるのです。それと同様に、これを中心として、先生の写真に息子と娘の姿が写るようにしなければなりません。直系の息子と娘のような相対的な写真にならなければなりません。それから、夫婦関係や親子関係、兄弟関係においても同様です。主体と完全に一つにならなければならないのです。 神様から「ああ、この者はあの基準にいるのだな!」と言われるようにならなければなりません。先生の目から見ても、「息子や娘の顔が焼き付いているな」と思われるようにならなければならないのです。皆さんが、幻想ではなく実際のように感じることによって、根を下ろしたような気分になり、そこから神様の愛を感じて早く発展するのです。そのような体験をしなければなりません。あの世に行く目的は、神様の愛を中心として家庭と共に一体圏を成すことですが、ここにおいてそれを願ったならば、あの世にはそのような世界があるので、直ちにその位置に行けるのです。そのような観念をもたなければ、それが刺激剤となって連結される道がないのです。それをこの地でしなければならないのです。 地で未完成となったので、地で完成しなければなりません。堕落することによって、神様が願っていた家庭の理想を完全に失ってしまいました。皆さんの地上での短い人生の間に、それを再び完成しなければなりません。それほどまでに地上の人生が重要なのです。その期間に、堕落して失ってしまったものを完成させなければならないのです。堕落したのちにすべてを失ってしまいました。個人観、家庭観、神観も完全に地上で失ってしまったのです。どこにおいて再びそれを捜し出すことができるでしょうか? 地上において、皆さんの短い生涯路程において、捜し出さなければならないのです。それほどまでに皆さんの生涯が重要なのです。こんなにも短い時間に、この地で失ったものを取り戻さなければなりません。堕落によってすべてを失ってしまいました。それを皆さんが再び復帰しなければなりません。それでこそ、神様の宝座の前に進むことができるのです。それで、訓読会が必要なのです。 摂理のセンターは祝福家庭です。祝福家庭は真の父母の家庭を中心として、そこに接ぎ木するのです。ですから、絶対的に一つになるのです。そこに神様が臨在するのです。そのように主体と対象が一つになれば、中心が定着するようになり、その中心が柱になります。その個人的な柱が世界的な柱として拡大するのです。その柱に沿って上るためのはしごが、家庭という基盤なのです。 そこに真の父母、真の子女、真の夫婦、真の兄弟たちがいます。彼らは絶対的で、唯一・不変・永遠なる父母・子女・夫婦・兄弟たちです。誰も彼らを引き離すことはできません。永遠に一つです。神様も彼らを引き離すことはできません。それは、一、二、三、四、五、六、七の七段階です。それを別々にすることはできません。私たちはそれを堕落したのちにすべて失ってしまったのです。 韓国の家庭制度は、完全に原理的です。血統もそうなっていますし、歴史がそのようになっています。三対象、そして四位基台! 祖父、父母、自分という三代が、一つの家庭に住むのです。おじいさんは天国の大使と同じであり、父母はこの世界の王と同じです。自分自身は、天国とこの世界と未来世界を引き継ぐ王なのです。神様はご自身の孫を愛してみることができませんでしたし、アダムは息子や娘を愛してみることができませんでした。それが堕落なのです。 おじいさんは天国の大使と同じであり、神様の代身者と同じです。神様の代身者なのです。おじいさんは神様の代身者であり、お父さんとお母さんは、この世界の王の代表者です。私は未来の天の国と、この世界の王です。これが統一教会で語る三大王権なのです。それゆえ、今日のアダムの四位基台、アダムの息子と娘の四位基台で、「四・四」なのです。 ですから、祖父、祖母、父、母、息子、娘が家庭で一つになるのです。息子と娘が種になるのです。種のように植えられたものがアダムの息子と娘です。四位基台と四位基台が合わさって全体が完成し、サタンが所有できない世界版図を祝福することによって、これらすべてを求めて、本然の神様の愛を中心として子女と父母の家が、天上天国と地上天国が連結し得る一つの家庭として定着するのです。それが理想的家庭です。神様が創造理想を完成し、地上・天上天国が続くのです。(二九五-二六〇、九八年九月八日)【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
【レビュー書いて500円offクーポン】一和 メッコール 250ml×30本セット 韓流コーラ 健康飲料 韓国 清涼飲料水 飲み物 ドリンク 輸入飲料 韓国食品 コーラ ペプシ ドクぺ ドクターペッパー 大麦飲料 麦コーラ 大麦炭酸飲料 炭酸飲料四・四節宣布の祝祷一九九八年九月八日、コディアック 〈祈祷〉 愛するお父様…、人類の先祖が一瞬にして失った堕落の行為によって、億千万世の宇宙を創造された主人である私たちのお父様が、これほどまでに受難の迫害の道と祭物の路程をものともせずに歩まれた勝利の個人時代を経て、氏族、民族、国家、全解放時代まで来られるのにどれほど苦労されたかを、私たちは骨身にしみて感じては、それを私たちの生活圏内で蕩減しなければならないという事実を知り、厳粛に宿命的過程を通っていくことができますようお願い申し上げます。 宿命という言葉は、死んでも行かねばならない立場に立っているということです。堕落の怨恨のすべての淵を、死んでも解決すべきこの宿命的課題をめぐって、これを蕩減するための救援摂理という立場において真の父母を中心として、青少年問題と家庭問題が、世界の終末において誰にも手のつけようのない時代となりました。 アダムとエバが堕落するときに、神様が手を出せなかったように、サタンだけが行動してきた結果の世界において、サタンも今は一家庭ではなく、世界をつかみ、天側にいた人の誰も、これを殺すことができずして、サタンも、神様も手を出すことのできないのが全体の青少年問題と家庭問題でございます。これを真の父母の名を中心として、根本的霊界と肉界と地上と天上世界の因縁を確実に悟らせ、解いてやることによって、これを霊界が知り、地上世界が知り、未来世界が個人の行くべき道、氏族・民族・国家・世界、天宙が行くべき道のすべてを確実に知り、誰が反対し、誰が阻んだとしても、この道を行かねばならないという確固たる信念を持たせてくださった恵みに感謝を申し上げます。 このような原則に立って、サタン世界のすべての氏族、民族、全体の編成を代表しうる、天国の三十六家庭から今までの十二の峠を越える最後の場に至り、今後、地上世界のすべてを清掃し、天上世界を清掃するには、サタン世界の血統を断絶しなければなりません。 そうすることによって、真の父母の前途では、国家的基準と世界的基準において、サタンが地獄の権限を行使したのを除去しうる国家的次元のものを整備し、世界的次元で天国の門解放の世界、真の父母の因縁に通じ、本然的真の子孫と因縁を持ちうる、地上、天上天国が開門される時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝いたします。 お父様…、来年二月七日を中心として、サタン世界の血統断絶のための二億四千万双を祝福いたしますが、そのために韓国では青少年の純潔教育をすでに終え、日本を通し、アメリカを通して全世界に広める計画をしております。 その計画があなたのみ旨の前に、日進月歩の勝利の日と、あなたが解放的全体、全般、全権、全能の行事を行うことのできる時代を連結させるためには、今日の四・四数、アダム家庭の四位基台、アダムの息子、娘の四位基台を中心として歴史的伝統を世界化することができなかったのを、真の父母とともにすべての家庭が世界化四位基台をつくった立場に立ち、サタンを除去し、あの汚された血筋をすべて消して越えることのできる全体解放時代を迎えさせて下さった恵みに感謝申し上げます。 一九九八年、これは九数を中心としてもサタン数であり、全体の十九数もサタン数でありますが、八数を連結させることによって、この日が九月八日となることで、新たな解放の出発を宣言することのできる四四数のこの基盤を踏んで、地上の四数、天上の四数を中心として解放的天宙に向かって全家庭と国が入城することのできる天国時代を迎えさせて下さった恩賜に感謝いたします。 今日、このような日を記念して、サタンの讒訴条件数においても条件をなくすために、これをあなたの名とともに、真の父母の名とともに全天宙全体の前に宣布いたしますので、この日、あなたの権限をもって全体、全般、全権、全能の能力を中心として行使しうる解放時代を迎えることができますよう祝福して下さいますことを切にお願い申し上げます。 今日この時間、真の父母の名と神様の名に結ばれた喜びの解放の宣言とともに、万民解放圏へとつなぐことのできる勝利の宣布をいたしますがゆえ、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、四・四解放の日を宣布したことを、地上、天上天国に神様の名と真の御父母様の名により再度宣言して下さいますことをお願いしながら、真の父母のみ名により四・四節を宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.07.03
コメント(0)
第2回「七・八節」敬礼式後の御言宿命的提案解怨1998年年8月28日(陰暦7月7日)ブラジル・ジャルジン 第二回「七・八節」の敬礼式後に語られたもの。日本語で語られた部分は録音状態が悪く、聞き取り不能なため、韓国語で語られた部分を翻訳。 旧約時代の完成、新約時代の完成、成約時代の完成ということを考えるとき、旧約時代は万物を祭物として所有権を決定するための闘いをしました。供え物を半分に切って祭祀を執り行ったのです。これは神側とサタン側に分けることでした。 エデンの園において、右側は天側であり、左側はサタン側なので、そこで分かれた世の中を統一するためには、分かれたそれ自体においては統一することはできません。分かれるそれ自体を眺める神様が統一的立場を持ったとしても手をつけることができなかったので、終末に分かれた世の中を清算しなくては、手をつけることのできない時が来るのです。それゆえ、二つに分けて、天側、サタン側の所有物を決定しておかれたのです。 そして、宗教という儀式を通して、またシャーマニズムであるとか、ムーダン、占い師などを通して役事をします。一時は、神様とサタンが人を中心として役事してきました。天使長を失ったので、男性の側は天側の天使長を立てるためのみ業をなし、女性はサタン世界の側を代身してきたのです。 ムーダンと呼ばれる人たちは、道義的な面で中心がありません。大概、淫らな女性たちです。自分の家庭を失敗した人たちに悪霊やサタンが接してする業によって、自分の運命的な道について分かるようになるのです。 悪霊がさまざまなことを教えるのです。ですからここには、サタン側と接する人たちを天の側に連結し得る道はありません。 今日の世の中において、占い師たちの言葉を中心としてムーダンによって祭祀を行うことによって、一時はそのすべての環境的与件に喜びを感じることができるかもしれませんが、それによって神様と関係を結ぶことはできないということを皆さんは知らなければなりません。 ムーダンの中に男性もいます。このような人たちの起源も大概良くありません。性関係に対しての紊乱によって二つに分かれます。 道義的な道を行く人たちは、宗教圏と連結されます。宗教圏を中心として、道義的な出発を中心にして、人間は道義的に生きなければなりません。人間は天を中心として正しい道を行くという家庭生活の伝統を正さなければなりません。 「自分の思いどおりに生きて、愛の関係を自分勝手に持つ人たちは悪い」と言い、人間世界でこの愛の道理を立てていくためのものが宗教です。 儒教がそのようなものです。礼式において人類を代表することのできる内容を教えてくれたのが孔子です。 李相軒氏の霊界からのメッセージによれば、孔子様は何をかぶっていますか? 笠をかぶっていますか? 韓国の道袍(韓国の男子が上着の上に羽織る袖が広くて長い礼服)を着て、テエニム(韓国の男性のズボンの裾を締めるひも)を結んでいます。いつでもそのような人たちが近くに集まっています。 李相軒氏が行って出会った事実について見るとき、孔子は韓国人です。それゆえ、東方の国を相当追慕したのです。そのようなかたを通して、人間の外的な道義的な面のすべてのことを教えてくれました。 孔子の伝統的思想とは何かといえば、「元亨利貞は天道之上」と言いました。天が行くその道は天道之上です。天地が行く道です。「仁義礼智は人性之綱」と言いました。 孔子は、理知的な神は分かりましたが、人格的神が分かりませんでした。これは、天使長型です。道義的な面で世界人類に影響を及ぼしました。アジアが根源なのです。アジアに影響を及ぼしたという事実は驚くべきことです。 今まで私たちが生きている周辺にも、シャーマニズムやムーダン、占術などがありました。宗教はそれ以上の立場にありますが、宗教がそれ以上の立場にあるということが分かりませんでした。 宗教の中でも四大宗教を中心として、心情的宗教を教えてくれたのはキリスト教しかありません。それ以外の宗教は、アダムの前に反対していた男性・天使長型ではなくて、天を中心として順応することのできる天使長の代表宗教型として現れたのです。 神様はアダム・エバをつくられる前に天使長をつくられたように、儒教や仏教のように古い宗教が過去にはたくさんありました。 イスラム教は、イエス様が亡くなってから七百年以内に現れました。これは別動隊なのです。イスラエル民族が祝福を喪失することによって、サタン圏が所有した宗教代表の内容を中心として権限を立ててきました。コーランと剣による力の制裁を通して宗教圏を拡大したことは、神様の心情世界における、ために生きて自然屈伏させる復帰路程と対立するのです。 そのイスラム教が、キリスト教と相入れませんでした。キリスト教文化圏が失敗し、後退する可能性のある立場に立つようになったのも、キリスト教が責任を果たすことができなかったからです。 それでは、中世キリスト教がすべきことは何であったのでしょうか? 絶対的な神様、絶対的な人間、絶対的な万物、このような基準のすべてが展開されたならば、絶対唯一の神様は絶対神を代表し、人間は絶対人を代表した神人一体理想を中心として、この世の中の万物、絶対神、絶対人、絶対万物一体圏を成さなければならなかったのです。 そこにおいて唯一神と絶対に一体となることのできる唯一先祖を絶対中心として、唯一万物、絶対的相対圏と一つになることによって、統一の世界ができるのです。それゆえ、中世キリスト教は、神様は人格的神であり、自分の父であるということを絶対的に知らなければなりませんでした。このことが分からなかったのです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を中心とした一体理想を描いてきたということを中世キリスト教は知りませんでした。根源がはっきりとしていません。出発が誤っているのです。ですから、過程はどんなに徹底していたとしても目的が変わってしまいました。 そして、数多くの教派が一つの道を行かなければならないはずなのに、一つの道を行くことができずに、数多くの道ができました。後には世界の方向を決定しなければならない終末を迎えて、地上のサタン世界を整備しなければならないという観はありません。なぜでしょうか? 出発が間違ったからです。 角度が一度だけ違っても、終わりに行けば数多くの分派が生じます。この地上には、三六〇度を中心とした何倍以上の分裂と方向が生じたということを知らなければなりません。 中世キリスト教が宗教を統合して、一つの宗教理想圏、神様のみ旨の世界に行っていたならば、すべてのものは整備・整理されるはずであったのですが、キリスト教が教条主義的な思想を持って自分の教派、自分が置かれているカトリック絶対主義を中心として、神様の絶対主義、摂理の絶対主義、目的の絶対主義を忘却してしまいました。 ですから、サタン世界で攻撃を受けるのです。攻撃するのはだれかといえば、サタン側を代表した宗教形態をもって現れたイスラム教です。 先生がいちばん心配するのは、共産党を消化し、イスラム教を消化することです。民主世界が戦うときに、イスラム教が共産党と一つになりました。イランやイラクが、そのような圏内に基盤を築いてきたのです。これを消化しなければなりません。 体的な基準を中心として代表したサタン的基準は共産世界であり、体的な共産世界と一つになり得る心的な宗教の形態を備えたのがイスラム教です。それは唯一神を否定するからです。 ハガルを中心としたアブラハムとイシマエルの一族の出発を中心として歴史をひっくり返して、自分たちがアブラハムの直系であるという民族の伝統を主張するのです。そのことによって神様を断ち切ってしまい、神様が人間との関係を結ぶことができないようにするための歴史的過程の闘争歴史を繰り返してきたのです。 今日の人間、歴史家、あるいは人間の伝統を誇る世界的な主導国家も、そのような内容を知らずにいるので、その国家の末路も落ちて悲惨になっていくのです。 今現世になって、世界を指導するアメリカがどこに行くのでしょうか? 行くべき所が分かりません。み旨の道を知りません。 そして、真理を知りません。自分・人間が行くべき道、正義の道を知りません。知情意の人格的神の創造理想の目的点と過程と根源とを結託させることのできる私たち人間自体を見つけることができないので、人類はどこまでもサタンの後孫であり、サタンの血統が連結された後継者であるということを考えなければなりません。 このような分裂した実情が今日の私たちの個体に連結され、この闘いの根源が残っているのが心と体の闘争であったのです。 心と体の闘争が解決されない限り、歴史的闘争過程、神様とサタンの対立歴史を整備することはできないのです。整備することのできることは神様がされるはずですが、哲学や、知識を通してはできません。知識と情は違います。 情を中心とした意志と知識がないことによって、外的な基準に立った体を中心とした基盤にサタンが触れて、人間の情的世界まで血統を占領して人間の家庭的理想を破綻させ、人間の意志である世界統一理想天国を破綻させ得る自分自身の出発起源が、今日、自分自身に残っているという事実を知らずにいるということが分からなければなりません。意志が確定しなければなりません。 意志の「志」という字は、「士」に「心」です。知識に通じることのできる統一された心を備えることのできるのが志の道です。 「知」という字は、矢を中心として入り口の「口」を書きます。み言を口で射なければならないのです。「情」という字は、心の中に「青」です。いつも変わらない不変の愛は、統一的内容を備えています。 この知情意理想が神様を中心として結託できないことによって根源がはっきりとしていないので、歴史も目的もはっきりとしない世の中、混沌、暗黒の世界で、覆いかぶさる暗闇と光が混沌となって、暗闇の権限が光よりも強くなり得るのが夜の世界です。 夜のような混乱した世界で黎明を過ぎて光り輝く朝の陽光が昇るのが、私たちの神様の心情を中心とした知的王宮であり、情的王宮であり、意的王宮です。このような時代を眺めるのが統一家を中心とした神様の理想・天上天国、地上天国であったのです。(「アーメン」)。歴史をこのように見なければなりません。 「私」という存在は、歴史を起源としているので、歴史的過程と自分を引き離すことはできません。「私」において歴史を全部清算しなければならないのが蕩減歴史です。 それゆえ、偽りの父母によって蒔かれたものを、真の父母を立てることによって、その個人と家庭で清算することのできる世界大転換運動として提示したのが今日の統一家における新しい青少年運動です。 アダムとエバが自由奔放な立場で堕落して、神様の天理の大道を破壊したことを正すみ業をしなければなりません。それが人類歴史を通したカイン・アベルの闘争歴史です。そこに、父母という言葉はありません。人類の歴史は、兄弟の因縁を正すための闘争歴史をつづってきたのです。 儒教には、三綱五倫というものがあります。五倫とは、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信です。この五大条件は全部、忠孝烈を指すのです。その人間が行くべきすべての内容を見れば、神様のみ旨の前に外的内容を中心として、サタンを防御することのできる環境的与件を成しておいたのが、天使長的み旨の宣布であったということを知らなければなりません。 ですから霊界を見ても、神様は、孔子を釈迦やマホメットよりも愛され、いつも重要な行事の時には参席させています。外的相対基準に立っているので、イエス様と同位的な立場に立てられたのです。縦横は異なりますが、横的な代表の立場に立ったのが体を代表した儒教思想であったのです。宗教形態ではなく、教育形態になっています。 アダムとエバは青少年のときに堕落しました。神様を否定し、理想的男性も否定し、理想的女性も否定し、理想的子女も否定し、理想的兄弟を否定したという事実を知らなければなりません。 結局は、神様のみ旨を広めていく創造理想圏内でサタンが否定的全権を広めていくことができたのは、血統を中心として結託したためです。不可避な結果です。 ですから、このように否定的基準に分かれた左側、サタン側にいるこの人間は神様と関係がありません。 神様がエデンの園で、アダムとエバの堕落に干渉できなかったのはなぜでしょうか? エバは、いわば神様ご自身が婚約された女性です。婚約した女性と結婚する日を決めておいて、結婚をするために成長するのを願っているのに、十六歳で堕落しました。 十七歳、十八歳さえ越えていけば、結婚することができるのです。十六数は四位基台の理想数です。それゆえ、十六歳で堕落したという話も理にかなった話です。それを通り越すと、十七、十八、十九、二十歳までが四数です。 二十歳までを中心として天の子女、天の兄弟、天の父母、天の夫婦、天の父母形態を立てられず、堕落することによってサタン的子女、サタン的兄弟、サタン的夫婦、サタン的父母になりました。天側の子女としてアダムを創造し、天側の兄弟としてアダムをつくり、天側の夫婦、家庭としてアダムとエバを願われた基台の上で自分の血代を打ち立てようとしたすべてのものが崩れたのです。 これを蕩減するために、十六歳を中心とした基盤の上に四年を通じて二十歳まで……。二十歳を乗り越えさえすれば、そのような基盤を築くことができるのです。 その基盤が崩れたので、これを再編成するために、四年ならば四×四=十六となり、四千年の歴史を子女を中心として蕩減復帰する役事をするのです。いつも四百年、四十年が問題になります。この四数は四位基台から来ています。それは原理が教えてくれるものです。 二十歳さえ越えたならば、二十一歳を迎えるときに神様と人間が一つになることができました。 私たちの先祖が復帰過程を経てくるために個人的整備時代から家庭的整備時代、氏族、民族、国家……と、八段階の整備過程を経てくるときに、カインとアベルを中心として血を流す歴史をつくったのです。このような悲しい歴史としてつづられたことを皆さんは知りませんでした。 アベルが殺されました。アベル側は、死の道を乗り越えなくては行く道がありません。善なる人が踏まれ、宗教人、義人が血を流す役事がなされてきました。血を流す中で復活し、死んだとしても「死ななかった」ということのできる実力を持ち、そこから永遠な生、絶対的信仰、絶対的愛、絶対的服従が成されなければならないのです。 神様が創造されるとき、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の上に理想的な絶対愛の統一世界を願われました。神様ご自身がそうであられたので、私たちもその神様ご自身の相対圏を捜し求めていくためには、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」をしなければならないのです。それは不可避です。 自分が死の場に行ったとしても、「この生命が断たれるのは、歴史時代に、すべての祭物を半分に割いたのと同じである」と思わなければなりません。半分に割く祭物の代表的な立場に立っているので、割かれても復活しなければならないのです。 イエス様が死後、復活することによって、キリスト教の霊界統一圏が始まったように、死んだ立場に行ったとしても……。死なんとする者は何といいましたか? (「生きる」)。死んだとしても自分は復活するのです。そのような決心をすることによって、第二次的な復活の実体を所有するのは神様なので、神側は今まで血を流しながらも耐えてこられました。 神様の怨讐がだれなのかといえば自分の父母なのですが、これが自分の怨讐であり、あなたの怨讐です。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。投入し、投入して忘れてしまい、個人的な死亡圏、家庭的な死亡圏、氏族、民族、国家、世界的な死亡圏があったとしても、乗り越えることのできる「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の基準に立たなければなりません。 それによって、神様が絶対信仰の上に絶対愛を捜し求められるために、絶対投入をされながら、投入して忘れてしまう歴史を経てこられたお父様の息子の姿に似ることができるのです。 キリスト教はイエス様から家庭、氏族、民族、国家的な犠牲の祭物の道を行くのです。共産党、スターリンを中心として一億七千万人を虐殺しました。ヒトラーは、イスラエル選民六百万を虐殺しました。六数です。それらのすべてのことを許されたのです。神様が「だめだ」と言われることのできる条件があったならばできなかったのですが、そのような条件を提示することはできませんでした。 なぜでしょうか? エデンにおいて「だめだ」と言えないことを、世の中に対して「このようにしなさい」と干渉することはできません。ですから、サタン側の堕落した怨讐の前に、天側の天使長である宗教を立てて整備するのです。このことをはっきりと知らなければなりません。 自分の出発において、祭物の前で天とともに右側に第一歩を踏み出すのが、人生の犠牲の道であり、希望の出発の道であるということをはっきりと知らなければなりません。 それゆえ、絶対的な信仰を持たなければなりません。絶対的な神様であられるので、絶対的な信仰の主人であられ、絶対的な愛の主人であられ、絶対的な服従の王であられます。 神様の息子・娘になり、神様の愛と一致し、一体となるためには、嫌でも、個人否定、家庭否定、氏族否定、民族否定、国家否定を標語として越えなければならない峠があるのです。ですから、サタン世界において宗教は、「あなたの家を捨てて、出家しなさい」という命令を下したのです。 それは、サタン世界を否定することです。サタン世界の国、サタン世界の民族、サタン世界の氏族を否定することであり、サタン世界の家庭において、おじいさん、お父さん、お母さんを否定し、夫を否定し、妻を否定し、子女を否定することです。歴史は、そのようなサタン世界を否定することのできる時代を捜し求めてきたのです。 世界の先進国、優れているという知識人は天上世界のすべてのものを全部推し量ることができ、知識という万物の公式現象を中心として私たち人間の理想と一つになることによって、想像することのできない文化世界を創造しましたが、その世界が自分と関係がないので否定されなければならないのです。否定を受けた後でアベルの肯定が始まるということを知らなければなりません。 否定できない人は、天の前に公的な内的条件を立てることができません。夫婦もサタン側であり、子女もサタン側であり、万物もサタン側に属するので、これらを否定できない人は天の国に帰っていくことはできないのです。 祭物的歴史過程において、左側に回っていったサタン側になることはできるとしても、天側に帰っていくことのできる道は永遠にないのです。祭物過程には日本という国はありません。日本の何々であるという自分の姓はありません。一族も、自分の名前もないのです。 ただ、神側なのか、サタン側なのかということだけが問題になります。万物も天の側になることができずにいます。これを分立して、サタンを否定するのです。 本来の主人は神様なので、サタンは、「あなたは右側を行ってください。私は愛を中心として体を占領しました。体を占領した愛の種を蒔いたので、秋になるときまではあなたはこれに干渉できません。これを根元から引き抜いて、切って燃やしてしまい、穀物を収穫しなければなりません」と言うのです。終末までにそのような歴史過程を経てくるので、闘争歴史があるのです。その代表的な戦争が唯心論と無神論です。 サタンは今まで、「神様はいない」ということを中心として自分が主人のようにふるまってきました。世界を見れば、サタン的頭が出世しました。その次には肩時代です。肉体を中心として力で世界を占領しました。「神様はいない。だから力のある人間が神様の代身である」と言ったのです。 その次に、腹(度胸)によって世界を制覇しました。政治家が腹でくだらない者になって、王になろうとしたのです。そのような人が、皆出世しました。 頭、肩、腹の次は手足です。労働者、農民のことです。労働者と農民の出世、労働者と農民の全権時代を中心として、頭だとか王などの天が捜し求めてきたものを否定します。無神論なのです。 今まで優待されていたサタンは、自分勝手に神様を代身していたのですが、もはや足まで追い出されたので行く所がありません。自分の足までしか占領することができないのですから、共産党が世界制覇するようになってはいません。 真の父母と一つになったならば、共産党はこの地上に現れることもできず、わたしの手できれいに整備されるのです。神様の摂理観を知っているのできれいに整備できるのです。 皆さんが今聞いている話は、先生が八十年の生涯を通して学んだものではありません。すでに二十代の青年のとき、二十七歳以前にすべてのことを完了しました。イエス様は二十七歳のときからマリヤと談判した三大勧告の闘争過程で、天の国を分家して出家することのできる準備を完全にしたのだそうです。 そのような内容を、皆さんはすべて分からないでしょう。霊界の秘密、神様の秘密、サタンの秘密、人間の秘密を見るとき、歴史がどのようになったかという事実がすべて分かるのです。シャーマニズムから文化世界の高次的な宗教までが編成されるためには、三時代を中心とした祭物過程を経てきたのです。それが物質的祭物時代です。 堕落することによって物質よりも低い立場に落ちたので、物質をつかんでぶら下がっていれば、神様はその物質を餌としてしっかりとつかまえてくださるようになっています。そのようにして神様と絶対に一つになっていれば、歴史の発展とともに引っ張り上げられて、個人的勝利時代、家庭的勝利時代へと上がっていくのです。そのようになれば、歴史過程を中心として永遠に不変なのです。 永遠、不変、唯一、絶対! 神様の属性に該当する信仰基準を中心として、千万世代の恨みを解かれていく神様の恨を知ったので、そのかたを呼び入れるのです。そのかたは私たちの父親です。父親の歴史の怨讐を整理するために、血を流すような悪なる場に行かなければなりません。その場に神様が立たれることはできないのです。 血を流す立場に立てば自然屈伏させることができます。そのようなみ業をしたので、数多くの歴史で……。人類歴史は数千万年です、数千万年。六千年ではありません。動物のようなものも二億五千万年の歴史があると考えられています。シャーク(サメ)のようなものは二億五千万年前に人間のためにつくられました。そのようなものを愛することのできる主体として人間をつくられたのです。 その愛することのできる象やワニやシャークのようなものを二億五千年前につくられたならば、何千万年待ってからそれらをつくったのでしょうか? シャークのようなものは一般の魚とは違います。これは子を産むのです。鯨のようなものもみなそうですね? パンタナルに行けば海があります。魚が三千六百種類くらいいるのですが、小さな魚を餌食にする大きい魚は、口を広げて入ってくるものは鯨の赤ちゃんでもすべて食べてしまいます。循環運動と同じことです。「鯨は私のお父さん・お母さんを餌食にするが、私は鯨の赤ちゃんをみな餌食にする」というのです。循環運動するのです。 パンタナールに行けば、そのようなものをたくさん見るでしょう。パクがワニの赤ちゃんを餌食にします。餌食にするときに、「おい、おまえのおなかに糞がたまっているだろう」といいますか? 虫を捕って食べるとき、虫の羽に糞のような汚いものがいろいろとくっついているのですが、それをすべて洗って食べますか、それとも丸ごとのみ込みますか? 丸ごとのみ込まない人は、天下統一できません。(笑い)丸ごと食べることができなければなりません。良いものも食べ、悪いものも食べなければならないのです。堕落した人間たちは悪いものは取って投げ捨てて、良いものだけを食べようとしますね? 愛はそのようではありません。愛は地獄まで消化しなければならないのです。 皆さんの生殖器から何が出てきますか? 生命が出てきます。そのほかに何が出てきますか? 小便が出てきます。糞の従兄弟です。 教主がこのような話をするので統一教会は淫乱な教会だといううわさが立ちますが、仕方がありません。真理がここにあるのです。ここに対する知識が矢を通して口で射るのです。それが「知」という字です。口とは真理であり、言葉です。 男性も、女性も口づけをしますね? 何のためにですか? 愛の矢を射るためです。それが知識です。 何を知るのでしょうか? 男性と女性の愛の根本を知るのです。それが万世の真理の中の真理です。そこに愛と生命と歴史的伝統があり、良心の平和基盤があるのです。 そこに男性・女性が矢で射て、愛に定着して目的の理想世界に向かっていくのです。愛と生命と血統と理想世界が結ばれ、平和の世界が連結されます。それがなければ平和世界もすべてなくなります。自分もなくなるのです。女性も、男性も、家も、国も、何もありません。 その生殖器を通して私たちの家庭が生まれるのです。このことが分かりませんでした。簡単なことです。これは永遠の真理です。 知情意というものを考えるとき、愛を成さずに知がどうして分かりますか? 矢を口でどのように射ますか? 口というものは真理を語るものです。真理を感じることができるのです。 情をどのように関係を結びますか? 情のない意志に何の意味がありますか? 男性は、女性がいなければ何の意味がありますか? 女性も、男性がいなければ何の意味がありますか? 愛がなければ意志も何もありません。愛のために意志も生まれるのであり、愛を立てるために知が必要なのです。 その知識と意志が完全ではないものなので、世の中の愛は不完全なものとして流れていって当然です。流れていくごみ箱の主人がサタンなので、地獄に行くしかないということを理論的にしっかりと結論づけることができるのです。 皆さんの特権は、「真の父母」という名前です。私(自分)の骨の中の骨であり、肉の中の肉であり、血の中の血であり、心の中の心であり、私たちのすべての基本中の基本です。それが愛と一体化しなければならないのです。このような話をしようとすれば、原理講義をすべてして、数千年の歴史を解かなければならないのです。 問題は何でしょうか? 神様が問題ではなく、サタンが問題であり、自分が問題です。怨讐の中の怨讐が「私」です。 きょうのような日を中心として、天地の大道の出発がこのようになって、宗教圏から理想世界へと向かう道においては祭物にならなければなりません。祭物とは何でしょうか? 所有権を決定するための条件です。 さて、文総裁は何でしょうか? サタン世界のすべてのムーダン、占い師に天の側から対抗できる代表者です。彼らを教育できる代表者であり、その次に神様の愛の世界を中心として神様が願われた内容を代表して教えてあげることのできる人なのです。 そのような人が祭物を否定して、祭物が必要ないという代表者として登場しているのです。祭物をささげずに、生きた祭物としてすべてをささげることのできる人を教育するのが統一教会です。左側のサタンがいなくなるのです。 先生がだれなのかといえば、先生も占い師です。さっと見れば分かります。天使長のことも分かります。先生は独りで暮らしていた時代を経て、お母様に出会うことによって地上に定着して、家庭的基準、氏族的基準へと上がっていき、世界基準に上がってきたのです。サタンが世界に数多くの国家をつくっておいて、国家を使って、どれほど文総裁を殺そうとしたのか分かりません。蘇生、長成、完成的国家権限を中心として……。 百六十国家以上です。百二十家庭の祝福(一九六三年)をするときに、国連に加入していたのが百二十国家でした。それらの数がすべて合わなければなりません。千八百家庭を中心として世界宣教を出発するときに、国連の加入国は百八十国家でした。今は百九十近くの国が加入していますね? 日本女性を中心として世界国家の母、代表として先頭に立てたのが一か国百二十人の女性たちです。南米には四千二百人を派遣しました。先生まで含めて、摂理的にみれば四千三百人と同じことです。四、三数です。先生の家庭を代表に立てるのです。そのような歴史において蕩減があってはなりません。 ですから、百八十五か国に派遣しなければなりません。二万二千二百は六数です。蘇生、長成です。数理的にぴったりと合います。神様は本当に科学者です。ですから、二万二千二百人を百八十五か国に、宣教師を百二十人ずつ派遣しなければなりませんか、しなくてもいいですか? 母国家の責任を果たすためには、女性たちが夫の願いを受けて子供たちを善なる方向に導いていかなければならないのです。世界で赤ちゃんたちを生んで、その国を神様を中心とした国にするのです。 その国を生むときまで、血を流して骨を削って地に埋もれたとしても、その国を神様を中心とした国にしなければならないのです。それは母の国の責任です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.29
コメント(0)
文顯進氏、「世界平和統一家庭連合・副会長就任式」の関連記事は以下リンクです。◆「Re:ヨンギ氏の「(コピー)文顕進様世界副会長就任式映像」で省略されたものは?」(副会長就任式映像:https://vimeo.com/180416334)「世界平和統一家庭連合」世界副会長就任式1998年7月19日、米国・ニユーヨーク市 マンハツタンセンターで) きょう、このような集まりを持ったことは、統一教会のれきしにおいて、あるいは、先生の人生においてはじめての記念日となると思います。のみならず、神様の願いがあるとしたならば、このような日のあることをどれくらい待ちわびておられただろうかということを考えるとき、私は心からの深い感謝を天の前にささげるものです。 成約時代の宣布 アダム家庭においては、神様が一代ならばアダムは二代であり、アダムの息子、娘は三代目になりますが、その三代を見ることができなかったということが堕落です。そうして、三代の歴史を再び起こすためのものが救援摂理であり、復帰摂理の完成である、ということを考えるとき、この三代を中心として天の公的な責任を任命するということは、天国史的な一大事であると考えます。 三代までは救援摂理の蕩減が終わっていないので、いずれにせよ、顕進君も「世界平和統一家庭連合」の世界副会長という責任を負って、いまだに行くべき蕩減の道が残されているのです。ですから、私たちの願いは、この蕩減の三代を過ぎて第四次アダム圏解放の時代である地上・天上天国の到来を結論づけることです。私たちはそれに向かって前進しているということを、皆さんはよく知っていることと思います。 この時代において私たちは、「成約時代が到来した」ということを宣布しました。「旧約」とは何かといえば、人間が神様との約束を成し遂げることができなくて失敗したので、その昔の約束を取り戻すための始まりを意味するのが旧約ということです。 また「成約」とは、その約束を成し遂げようとするだめにメシヤが来られて、それを成就するということです。その基本の単位は家庭を指します。そのような家庭単位が成し遂げられなかったので、「再臨」という言葉を中心として、世界的舞台に立って世界平和というスローガンを掲げて、世界地上天国を受け継ぐことのできる世界統一圏に向かっていくのです。そのように、家庭的完成を世界的に編成して、終えるべき「再臨時代」があるということを私たちは知っています。その時代を、私たちは「成約時代」と呼ぶのです。 「成約」ということは、"約束を成就する"ということです。それはどのようなことかといえば、私たちが何か国を建てて独立の国を祝賀するというのではなく、また天上天国を建てて、天国創建を祝賀するというのでもありません。 それは、神様がいちばん祝賀され、迎えられたかった日が起源となっています。神様と神様の息子、娘を中心として、神様が創造理想を願われていた家庭完成を祝賀する日が起源なのです。神様ご自身が、その日を迎えることを待っておられたのであり、それが始まりであったという事実を、皆さんは知らなければなりません。 私たちは成約時代を宣布しながら、ジャルディン宣言を成しました。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を経なくては、家庭の完成を成し遂げることはできないということを宣言したのです。神様が理想として願われることは、「絶対信仰」の上に家庭、「絶対愛」の上に家庭、「絶対服従」する理想の上で成立する完成家庭を願われたのです。 そのような日を願っておられた神様は、アダムとエバの堕落によってどれほど悲しまれたでしょうか? アダムとエバは万代、億万代のひとり子であったということを皆さんは知らなければなりません。七代のひとり子ではありません。千代、万代のひとり子でもありません。永遠のひとり子、ひとり娘でした。そのひとり子、ひとり娘を失って、生きている者を死の場に追い出さなければならない神様の悲痛な心情がどれほど大きいものであったのかということを、皆さんは考えなければなりません。死んでもいない・生きている者を死の場に追い出すというその悲しみ。 そのために、神様の立場は苦痛の王の立場であり、悲しみの王の立場であられたのです。人間が想像すらできなかった、そのような立場におられたということを、私たちは知らなければなりません。 統一教会が現れることによって、このような神様の心を越えて完成の成約時代を成し遂げることができるのです。そのためには、このようなすべての悲しみの道全体に責任を負って解放してさしあげなければなりません。 神様が願われる、家庭における真正な孝子、孝女、また神様の国はありませんでしたが、ひとたび神様の国が現れるときには真正な忠臣、神様の世界が現れるときには真正な聖人、地上天上天国では真正な聖子の道理を立てることのできる、そのような伝統の責任を負ってこられるおかたが、正にメシヤ、真の父母です。そうして、そのようにして完成した成約時代を成し遂げていくことが、真の父母の使命であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対信仰」 皆さん、聖書にも「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」、「地で解けば天でも解かれ、地で結べば天でも結ばれる」というようなことが記されていますが、なぜそうなのでしょうか? 神様の悲しみのその峠を、自分が同時に越えていって、神様が悲しい立場にあられながら何億千万代のひとり子を追求するその心自体までも解いてさしあげるべき責任が、私たち人間にはあるからです。ですから、一度死ぬだけではなく、数十回、数百日死んだとしても、その峠を越えることは難しいという事実について私たちは考えてみるべきです。 そのような心を感じておられる神様を解放しようとするのですから、私たちが神様を信じるというときには、絶対、絶対、絶対、正に永遠に絶対な立場において信じなければならないという概念が出てきます。 愛についても同じことです。神様を愛するときには、神様は息子、娘を追い出されたのですから、その心情以上に愛さなければなりません。ですから、絶対、絶対、永遠な立場で絶対に愛さなくては、神様のその心を感動させることはできないのです。 真なる信仰が成立するときには、真なる愛がついてきます。真の愛が植えられて芽を出すようになれば、これを育てなければなりません。大きくするためには、絶対的に投入しなければなりません。それは、自分の意識まで忘れて投入しなければなりません。そこで、「絶対服従」という言葉が必要になってくるのです。 ところで、「信仰」というものは概念であって、事実ではありません。ですから、(新約聖書の)『ヘブル人への手紙』十一章を見れば、「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」とあります。望んでいる「願い」は実体なのですが、それは見ることもできず、触ることもできません。 神様が正にそうです。天は、私たち人間を絶f的に信じ、「絶対信仰」によって訪ね求めてこられました。ですから、私たちも絶対的に神様のことを信じなければ、実体的愛という根源を連結させることはできません。 上下関係、左右関係、前後関係において、そのような内容があるということを皆さんは知らなければなりません。愛を中心として上には信仰、下には服従。愛を中心として右側が「絶対信仰」であるならば、左側は「絶対服従」であり、前を信仰というならば、後ろは服従です。一つの体(たい)を成しています。 このような苦痛に真剣に取り組まれる、その神様に対して、信じることができないなどという心は、夢にも持つことはできません。 その場には、自分の意識であるとか自分の概念はありません。ですから、それ自体を絶対視し、それ自体をすべて概念とし、それ自体を実際としなければなりません。「絶対信仰」の前に、その神様が信じられることと同じように、自分も相対的立場で、神様が願われる実体の心を持たなければならないという話です。信仰も、神様と同じ信仰を持たなければならないということです。 このように見るとき、皆さん自身を中心として、自分という存在それ自体に立ち戻って考えてみたときに、自分においてどこから信仰を求めるのか、ということが問題です。 皆さんは、神様の前から追い出された人類始祖の後孫です。そのような自分自身の持っている五官、例えば自分の目自体は、「絶対信仰」を持っていますか? 持っていません。ですから、目を信じることはできません。自分の鼻を信じることもできません。そのように、においをかぐこと、自分が聞く音、自分の言葉、自分が感じる触感、それらを信じることはできないということです。 それでは、自分の体はどうですか? 自分の心はどうですか? 自分の心は行ったり来たりします。 ですから「絶対信仰」というものは、人間の堕落した後孫からは捜し求めることはできそうにないので、神様を発見するところからのみ可能なのです。「絶対信仰」をもって、「絶対愛」と「絶対服従」の実体としてつくっておいたものを失われた神様が、信仰、愛、服従というものを捜し求めるときに、それ自体は堕落した人間にはないので、どれほどの苦労、どれほどの努力をされなければならないでしょうか? これは堕落した人間にとって、天を訪ね求めていく一つの宿命的な課題となっているのですが、そのことを人間たちは考えることもできませんでしたし、知ることもできませんでした。 天は、私たちを喜びの立場で対することができないように追い出されたので、私たちが天に従って行き、対そうとすれば、反対にまた、それを再び追い出さなければなりません。神様が、いつも人間を追い出す立場であられても、私たちはそれを越え、また越え、乗り越えていかなければなりません。たとえ神様が、私たちを個人的に追い出し、家庭的に追い出し、世界、天、地、全世界の何かを条件として追い出したとしても、それに耐えて越えていくことができて初めて、私たちは神様に対する信仰を持つことができるのだと、考えることができます。 今日、この地上に生きる人類が、信仰の道を歩んだり、宗教の道をたどったり、あるいは、神様を発見するために道を切り開くというときに、天を絶対に信じる立場で切り開いた人は一人もいないのです。全部疑って、自分勝手にあれこれとやりながら、「信じる」とだけ言って信仰の基盤を築いてきたというのが、人類歴史に残された宗教の形態なのです。 人間は堕落することによって、万物よりも低い立場に落ちてしまいました。そのことによって天は、信仰の道を行こうとする人に対しても、取るに足らない虫けらに対する扱いにも及ばない扱いをされたのです。しかし、そのような扱いを受けたとしても、そのような環境を越えて、この字宙の創造主であられ、主人たる神様を信じようという心を、自分の生涯路程、あるいは信仰路程で求めてみなければなりません。 そのような環境でも信じようという心を持って、神様が創造主であられ、私たちすべての存在全体の生命の源泉であられると、絶対的に信じていくことができる立場を発見しなくては、人間は動物よりも下に落ち、万物よりも低い位置に落ちた立場からは、上がっていく道がないのです。 そのようにして、万物世界で理想の価値を捜し求め、人間世界の段階になってからは、個人的な価値、家庭的な価値、氏族、民族、国家的価値までも、「絶対信仰」によって捜し求めていくのです。そうして、いちばん底から上がっていきながら、神様に会っても決して疑わず、自分に対して千万回、「おまえは堕落して、もっともである」と言われてもそれを信じてしまうことなく、むしろそれを悔い改めることのできる立場にまで行かなくては、神様の愛、神様の信仰圏内に入ることはできない、という概念を立てることができます。 しかし、この地上に生きる人の中で、そのような概念を持って信仰の道であるとか、何かの社会に奉仕する仕事であるとか、そのような道を行った人はいません。 「絶対信仰」の上で創造したものを失われた神様が、このような「絶対信仰」に接することのできる基準を中心として、私たちは万物のいちばん後から人類の世界に越えていって、神様と人間との間にふさがれていた、「絶対信仰」を失ったその基準をすべて解怨成就しなければなりません。そのためには、苦痛の神様、受難の神様を解放してさしあげなくては関係を打ち立てることができないのです。ところが、そのようなことについて考えた人はいません。 ですから、苦痛に満ちた神様の心を慰労してさしあげ、悲しみの神様を慰労してさしあげるためには、神様が流された涙の何千万倍もの涙をさらに流さなければならないということを知らなければなりません。 それは、言葉では簡単です。「私はやる」と、皆言うことができます。本当に神様を解放しようというのですか? 統一教会は神様を解放しようとしているのですか? それは事実ですか? (「はい」) それならば、「絶対信仰」という基準について考えてみなければなりません。今までの私たち、サタン世界の堕落した概念を持った立場で「絶対信仰」という基準と、純粋な堕落していない本然の神様の心情にかなった、恨の峠を越えてくれることを願う「絶対信仰」の基準とでは、どれくらいの差異があるのでしょうか? それは、堕落した基準では標準化され得る立場に立つことはできません。 このように見るとき、神様ご自身を見れば、堕落した世界に対して、今まで悲しみの歴史の中で苦痛に呻吟(しんぎん)してこられながらも、その間、心の中で消えないことがあるのです。それは、このような心の慰めに相対し得る孝子、孝女を失う前の本然の世界のことであり、また、そのような本然の神様の愛を中心としてつくったアダムとエバ、完成的孝子、孝女に、いつまた再び会うことができるのか、ということでした。 しかし、それは簡単でたやすいことでしょうか? 言葉は簡単ですが、それがどれくらい難しいことであったかということを、皆さんは考えてみなければなりません。 メシヤの使命 神様はメシマを送られたのですが、メシヤとは何でしょうか? 真の父母とは何でしょうか? それは、完成したアダムの立場です。神様が、追い出したアダムとエバに会われて、神様の中に残された苦痛と悲しみをなくすことができるように、その本然の立場までこれを乗り越えていって神様のみHOに孝行することができなければなりません。その代表者として送られたのがメシヤであり、その代表者の相対が、失われたエバの立場、女性であったのです。 メシヤになることができるのは、「愛の息子」なのですが、本然的「愛の息子」になるためには、その愛の息子が涙を流したのならば、その父母も涙を流すようでなければならず、その兄弟や同居者、あるいは天使世界に天使がともにいれば、その天使までも涙を流すことができなければならないのです。 天使が涙を流し、息子が涙を流し、神様も涙を流されるのですが、だれが涙を流すのをやめて、「もう、泣くのをやめなさい」「泣くのをやめましょう」と言うのでしょうか? 神様は「さあさあ、涙を流すのをやめよう」と言われることはできません。あまりにも受難の道を歩んでこられたからです。 ですから、メシヤとなり得るおかたが神様と出会って、涙のにじむ出会いをするようになれば、十回会ったならば十回、涙を続けて流さなければならず、千回会ったならば千回、涙を続けて流さなければならない立場であったということを、皆さんは知らなければなりません。 神様は、人間のために微生物から動物、草木、昆虫に至るまでつくられたのですが、そのとき、私たちを愛されるために、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の美しい相対的価値を、喜びを感じるためにつくられたのです。ですから、人間の堕落によって、これらの小さなものから大きなものまですべてが引っかかっているのです。 鉱物世界から植物世界、動物世界まで、すべてを主体である人間が犠牲にし、これらをすべて殺してしまったので、これらのものを生き返らせるためには、人間が創造主の苦痛を感じて、再びこれに橋を架けなければならないのです。解放してあげなければなりません。 神様が嘆息圏内におられて、人類が嘆息圏内におり、万物が嘆息圏内にいるということを、皆さんは知るべきです。聖書にも、万物が嘆息しているということが記されています。それはだれのせいでしょうか? アダムとエバのせいです。アダム以後に、エバが完成した後に来られたメシヤは、このすべての雲と霧を取り払わなければなりません。 それでは、メシヤはどれくらい涙を流したのでしょうか? 朝になれば朝日を見て、その現れた万物の状態が、例えば曇り空であったり、春夏秋冬の四季のようすが異なる、そのすべての環境における涙なくしては、天に対することができなかったのです。その涙の代表者、苦痛の代表者がメシヤになるのです。 苦痛の王、悲しみの王であられる神様がごらんになるときに、"あなたもわたしと同じ悲しい立場にあるのは、あなたのためではなく、これはすべて被道世界全体、万物のため、人間のため、わたしのためにそうなのだ"という同情で因縁を起こさなくては帰る道がないということを、皆さんは知らなければなりません。 それは、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という言葉は、涙の峠、悲しみを越えたその後に必要なものであるということです。ところが皆さんが、それを感じることも考えることもできなければ、「絶対信仰」、「絶f愛」、「絶対服従」という言葉は、神様と関係を結ぶことのできる何らの内容もないということになってしまいます。そのような「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」というその概念の実とは、私たち人間においては何なのでしょうか? それは、アダムとエバそれ自体であったということを、皆さんは知らなければなりません。 「絶対男性」と「絶対女性」 皆さんは堕落しなかったならば、絶対男性としてのアダムであり、神様の「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」、「絶対服従」の対象であったはずです。同様に、アダムがそのような立場にいれば、エバも「絶対信仰」に関してはアダムの「絶対信仰」の対象であり、「絶対愛」と「絶対服従」の対象となります。エバを中心としてアダムもそのような立場で・絶対圏内に立っているものすべてに、神様とアダムとエバの一体的愛が定着すべきであったのです。それが、アダム家庭の理想であったということを考えなければなりません。 神様はアダムをつくられてから、「人がひとりでいるのは良くない」と言われてエバをつくられました。それは、「はなはだ良かった」とされています。「良い」ということは、「絶対的に信じることができ、絶対的に愛することができ、絶対的に投人してもよく、犠牲になってもよい」という言葉です。 これは極端な結論の話になりますが、変に考えないでください。アダムとエバは何が異なるのでしょうか? 人は皆、同じです。アダムにおける相対はエバという女性ですが、女性とは何でしょうか? 男性と女性が異なるのは何ですか? 生殖器が違うのです。ですから、神様は女性の生殖器をつくられてから、「良し」とされたということを知らなければなりません。 それはどのようなことかといえば、絶対男性にとっての絶対女性というのは、絶対女性器官、「絶対愛」器官のことを指すのであり、「絶対服従」器官を指していた、ということです。それは、信仰の結晶体であり、愛の結晶体であり、服従の結晶体であったのです。 皆さんのあらゆる五官が集中して、一つの方向へと直行しようとするのは、真の愛の道です。皆さんが夫婦生活をすることも、その器官を中心として、「永遠に直行である。放った矢のように、砲弾のように直行する」というようになっています。「私」という存在は、このことのために生まれたというのです。アダムもエバのそれのために、エバも男性のそれのために生まれたのであり、ほかにはありません。 それは、その国の王よりも素晴らしく、自分のおじいさんよりも素晴らしく、お父さんよりも素晴らしく、自分の息子、娘よりも素晴らしいものであるというのです。それを中心として動員されているのが五官です。 そのような絶対的な信仰の上に、また絶対的な愛と絶対的な服従、そしてお互いに一体化し、一つになったその場において、すべての男性、女性の五官が、お互いがお互いのために生きるという立場に立たなくてはなりません。そうでなければ、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」という地上の基盤は見いだすことができません。 自分の体のなかでいちばん貴いものは、自分のためのものではありません。相手のために生まれたということを考えなければなりません。自分のためにあるという存在は、なくならなければなりません。滅びるべきです。 その愛の器官を中心として初愛が芽吹き、愛の家庭の生活が始まるのです。そして、生涯において光り輝く勝利的実績も、その愛と関係なくしては、いかなるものも神様と関係なく、歴史とも関係ないということを、皆さんは知らなければなりません。 皆さんは、三六O度を上下を中心として回したとしても、すっと立たなければなりません。倒してもさっと起き上がる”起き上がり小法師"があるではないですか? そのように、東西南北をすっと合わせる立場に立たなければなりません。 南極と北極を結ぶ磁力線や、磁石に物が引き寄せられてくっつくときにも、同じ方向にそろうように、どんなにぐるぐると磁石が回ったとしても、くっついた物体がさっと磁力線に従ってくるようになるのです。何をどうしようが、その方向は間違うことはあり得ません。 愛する人に会うときに、皆さんは会えば、キスしてから何を触らせますか? (「アーメン」)。何ですか、それがアーメンですか? (笑い)それは、永遠につかんで永遠にタッチして初めて幸福であるというのです。これに異常があれば問題です。おじいさん、おばあさんに異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、お父さん、お母さん夫婦に異常があれば、家庭がめちゃくちゃになり、息子や娘、嫁に異常があれば孫がめちゃくちゃになり、破壊が起こり動揺が起こります。そうですか? (「はい」) きょう、このような日に、このような深刻な話をするのは、今後、理想的家庭を築いていくということが、それほど簡単なことではないからです。 神様は、どのように考えておられるのでしょうか? それは、アダムとエバに対しては、"おまえたちが絶対に信じるということも、いつのことから信じようというのか?"というのです。それは、結婚するときのことから信じるのではありません。 神様はアダムとエバに、神様が創造されたときのその心から信じてくれることを願われるのです。アダムとエバには、神様がアダムとエバをつくられてからのことを信じるよりも、神様がアダムとエバをつくるために考えを巡らされたそのことについても、その理由を知ってくれて、信じてくれることを願われるのです。そのようにできますか? 結婚するときというのは、もうすでにすっかり大きくなっているということでしょう? 結婚してからは、それらのことを見ることはできません。ですから、お父さん、お母さんの役事を通して生まれるときから、全部を絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に服従する心で対することのできる因縁を結ばなければならないということです。 自分が理想的夫、理想的妻になるということは、胎中に身ごもって、おなかが大きいときに、お母さんはお父さんを愛しているのですが、転ぶときに一緒に転ぶことのできる、そのような心を皆、持たなければならないのです。(笑い) アダムとエバが結婚するときは、自分が胎中で育っていたそのことも見たがらなければならないのです。ですから、神様がアダムとエバを生むときには、「おい、アダム、エバ。あなたたちの体がそのようにできているのは、それはお互いのためである。アダムのそれはエバのものであり、エバのものはアダムのものである」と言われるのです。 そのようなことをすべてご存じの神様が、大きくなったアダムとエバをごらんになるときに、どれほど喜ばれることでしょうか? その喜びが現れるとき、神様は喜ばれるのです。動機に喜びを連結させて、現実に動機が連結されるということです。 このように見るならば、皆さんは結婚する前、生まれてから少女として育つときに、"私が今、このように成長しているのは、自分のたった一人しかいない夫のために成長しているのだ"という概念を持ちましたか? 娘ならば娘、エバ自体の体のすべてが成長するのは、たった一人しかいないアダムのためなのです。他の道はありません。永遠に一つです。 第四次アダム圏蕩減解放時代へ このょうに見るとき、「理想的家庭」という言葉・「世界平和統一家庭連合」における「家庭」というものは、そのように簡単なものではないということを、皆さんは知らなければなりません。今日のアメリカにおけるような家庭が家庭ですか? 「ノー」、絶対に「ノー」です。溶鉱炉にほうり込んで溶かして、再びこれをつくり直さなければなりません。 ただそのまま家庭を願いますか? 溶鉱炉に入れて再度つくった理想fな家庭を願いますか? (拍手)フリーセックスを考えてみてください。フリーセックスは、カラスやハゲ鷲や野良犬のえさになるようなものです。何の話か、分かりましたか? (「はい」)。どれくらい変わらなければならないのかということを知らなければなりません。 このような原則があるので、皆さんは霊界に行けば、天の国に入っていったとしても、このような過程を全部経て、きれいに清算しなくては入っていくことはできません。アダムとエバは、結婚してから離婚しようなどと考えたでしょうか? 女性がほかにいますか? そこにはステップ・マザー(継母)が存在し得ますか? このアメリカは何ですか? ステップ・マザー、ステップ・ファーザーが五人、六人は普通なのです。そのようなものは、滅びなければなりません。滅びるべきです。滅びなければ、滅びるようにしなければなりません。(「アーメン」) アーメンと言ったのは黒人ですか、白人ですか? (笑い)黒人ですね。(笑い)黒人がアーメンと言ってはなりません。白人がアーメンと言わなければなりません。(笑い)それが事実です。 レバレンド・ムーンは、何か皆さんの耳を楽しませ、心を喜ぼせようとしてこのようにのでのではありません。事実を教えるために話しているのです。注射をする医者ならば、本当にそこに適した、対抗する薬を打たなければなりません。そうでないものは薬ではありません。ですから、深刻なのです。 一度愛した者は、永遠に忘れてはなりません。その人に出会って、悲しい一言でも残して逝げば、霊界に行って引っかかるのです。分かりましたか? 「世界平和統一家庭連台」の世界副会長を任命するのですが、その副会長という立場は、容易な立場ではありません。祭物です。生きた祭物の立場です。 しかし、ありがたいことは、お父様がいて、今、世界を浄化して、成約時代を発表する時が来たということです。もはや、統一教会において家庭的迫害がない時代が来たのです。 イエス様は、三十歳で初めて家庭を築こうと出発されたのですが、それにもかかわらず、その目的を成し遂げることができませんでした。感謝すべきことは、今、世界全体の家庭が祝福を受けて、国を超えて世界に進むことができる祝福の環境を開拓した後に、三十歳にならない顕進をこのように家庭連合の副会長として立てることができたということです。そのことを、私としてはうれしく思います。これは喜ばしいことです。(拍手) 堕落した後孫たちの中において、堕落した人間を中心として、これが蕩減復帰という最後のぺージです。サタンの血統を断切して、きれいに清算した後に天の直系の子女が家庭を中心として第四次アダム勝利圏を引き継ぐことのできる、そのバトンを受け継ぐことのできる出発がなされたという事実は、驚くべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。この顕進の息子、娘たちの話です。それは、四代ではありませんか? その家庭を通して、第四次時代に人っていくことができるというのです。 堕落圏を越えて最後に、すべて清算するようにしてから、その家庭が一つになって神様が一代、アダムが二代、そして三代と、全部が堕落の限界線を越えて、第四次アダム圏蕩減解放時代へと、地上天国時代へと越えていくことのできる境界線へ入ってきたということは驚くべきことです。 「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」 私は顕進君に話します。「あなたは今から、妻や、父母の前や、息子、娘の前、教会の前で、絶対信仰圏を維持することのできる者になりなさい」。そのようにして任命するのです。「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」です。 「あなたの家庭とあなたの息子・娘を中心として越えていくときに、第四次アダム圏時代に向かったあなたたちは、上下関係が父子の関係であり、左右関係は父母関係であり、前後関係は子女関係となりますが、それを中心として、家庭を中心として民族、国家と越えていかなければなりません。ゆえに、結局は『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』の環境を父子の関係、夫婦関係、子女関係、兄弟関係において、それらの完成を定看させなければなりません」 結論的な話は、「死んでも『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」、「生きても『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服徒』」、「永遠に『絶対信仰』、『絶対愛』、『絶対服従』」。そのようなことです。死んで霊界に行っても永遠に同じです。分かりましたか? (拍手) きょう、私たちは今から、「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」を心から決意しなければなりません。なぜならば、私たちの「生」は、天国の「生」の根源であるからです。私の心情は、この三つのためです。この三つのことが成されれば、すべてのことを占有します。占有したすべてのものは、完全なのです。このようなものは、どれほど素晴らしいことでしょうか? アーメン。 顕進様、そのような信仰を持って、お父様よりも、お父様の一期よりもどれくらい優れることを願うのか、というのです。百倍ではありません。千倍、万倍、優れることを願います。 神様がアダムとエバに対して持っていた希望とともに、その希望はとどまることなく、永遠なる希望として残ることによって、父母たる私も子供にこのような希望を託さざるを得ないということを、快く受け入れなければなりません。(拍手) 顕進は、私よりも美男であり、力もあり、りりしく、覇気もあります。ハーバードのMBA (経営管理学修士)課程まで卒業しました。顕進はMBAまで卒業したので、今後、事業に対する専門家として監査の大王になるはずです。また、これからUTS (紘一神学校)を卒業して、世界に二人といない神学者となって、博士の学位を持って、どのような神学者でも教育することのできるチヤンピオンになるであろうということを考えるとき、希望の一日として、この責任を顕進に任せてあげるのです。祝賀します。アーメン。(拍手 ですから、今から顕進は、お父様が「これをしなさい」と言えば、「それだけではなく、千倍やらせてください」と、このようでなければなりません。(拍手) 今後、統一教会は万歳、万歳、万々歳。アーメン。アーメン。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.27
コメント(0)
愛によるおもしろみのある天国的生活1998年7月16日アラスカ・チグニック・レイク 一九九八年七月九日から十七日にかけて、アラスカ半島の中ほど、チグニック・レイクで「アラスカ・チグニック特別修練会」が行われた。修練会の中、七月十六日にお父様が語られた御言。 趣味として仕事をしておもしろみを感じる 父の国が韓国であり、母の国が日本であり、アメリカが天使長です。日本に従っていくことはできず、韓国の今までの伝統に従っていくことはできず、アメリカに従っていくことはできません。従っていくことができるのは、天が願う地上・天上天国の理念です。そのような目的をしっかりと定めたので、それとどのように一つになるかということです。 このように見るとき、今の自分たちのもっている「観」をすべて否定しなければなりません。それを踏み越えることができなければなりません。このようなことを考えるとき、先生が定めた方法と皆さんが結束しなくては、この峠を乗り越えていく道はないというのです。それが何かといえば、私の標語です。「三億六千万双祝福完成とサタン世界血統断切」です。ここに、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。 それから、先生がなしている趣味産業です。一般の人をこれに導くためには、私たちが先頭に立って趣味生活をしなければなりません。趣味生活です。趣味生活を根拠とした趣味産業です。生産は社会的な仕事場として連結されているのです。反対のことをしているのです。今、世界的な農場を中心として見ても、国営企業体を見ても、主人の立場で見ても、それはおもしろくてするのではありません。趣味(喜び)という内容はありません。趣味は協同的なものです。人生として行くべき道の前に、これが連関関係となっていません。 どのようにこれに関係を結ぶのかという問題を考えるとき、「趣味」というタイトルを中心として、国家を越え、職場、経済分野、政治分野の峠を越えていくのです。政治も趣味、経済も趣味、学校も趣味と、すべてが関係するのです。関係というものは、主体・対象関係です。師弟関係、夫婦関係、父母関係、何々関係、全部関係ではありませんか。大統領を中心とした閣僚関係、国会の上下院関係、すべて関係です。 この関係は、闘争概念として登場するのではありません。では、関係において、だれが一番関心をもって趣味(喜び)をもつのかということによって、その人格基準が決定されるのです。これは重要なことです。何のことか分かりましたか? (「はい」)。 郭錠煥は世界平和家庭連合に関係した興味をもたなければなりません。おもしろみを感じなければならないのです。ご飯を食べることよりもおもしろみを感じ、生きることよりもおもしろみを感じれば、その人は行く道において成功するのです。食べて、寝て、遊ぶことよりも、もっと趣味(喜び)を感じるようになれば、その事業の責任者は成功するのです。 趣味とおもしろみとは何でしょうか? 趣味として仕事をして、おもしろみを感じなければなりません。趣味は環境であり、おもしろみというのは私(自分)です。私を中心としておもしろみを感じるためには、主体と対象のすべての心情的一致圏がなくてはなりません。これが原理観です。分かりましたか? (「はい」)。 趣味という環境の与件、神様が創造された環境には、必ず主体と対象があります。主体と対象が授受関係を結んで合性一体となり、喜びを感じるのです。喜びはだれが感じるのかといえば、自分だけがうれしいのではなく、二人で大きくなっていくのです。それゆえ、一つの軸を中心として大きくなり、それがすべて球形をなしていくのです。 おもしろみを感じなければならないのです。おもしろみを感じて連結したものは分かれません。核と副体は決して分かれません。そのようにして一つの体をなすのです。 この社会の全般的な職場や関係している世界には、趣味(喜び)というものがありません。闘争概念で連結されるのです。これをどのようにカバーするかが問題です。 趣味という言葉は皆好きなのです。「趣」の字は、走る「走」の字の中に取る「取」の字です。「味」は、口で味を感じるのです。走っていきます。走るということは、苦しいことを指すのです。走っていくこと(行動)を取って、味を感じよう。到達していないことに(走っていき)味わわなければならないのです。それが味と通ずるのです。おもしろいという味です。 労働の神聖性 私たちは今、趣味産業について話をしていますが、そこにはすべてが入るのです。政治、経済、文化、産業的な面、世界のすべての問題、宗教のすべてが入るのです。趣味生活の中でおもしろみを感じなければなりません。趣味だけもっていても豊かになることはできません。趣味だけでは自分の立場がないのです。趣味を感じて、何をするのでしょうか? おもしろみを感じなければなりません。 このように見れば、労働の神聖性というものが出てくるのです。血と汗を流しながら働くことは、その人たちだけがもったおもしろみなのです。趣味です。無限なおもしろみを感じるその場に立てば、自分も想像できないところでおもしろみを感じるのです。それを表現することはできません。それゆえ、おもしろみを感じなければならないのです。働く人は、だれでもみな平等です。平等に尊敬することができる社会形態になっていかなければなりません。分かりましたか? このような立場から見るとき、闘争概念や競争概念があるこの関係的世界を、どのようにして趣味としてなすことができるように変えるか、というのです。そうすることによって、すべての人たち、個々人の生に価値が付与されるのです。だれも奪うことのできない、自分だけがもつことのできる個性真理体の価値というものが成立するのです。 それが必要なのです。そのように、この地上で生きた人があの国(霊界)に行くようになれば、だれでも、高い、低い、ということがないのです。神様が創造したおもしろみを感じて、趣味(喜び)を感じれば、そのすべての創造の圈内で同化・同参できる人格者になるのです。このように見るのです。分かりましたか? 皆さんの背後を中心として、韓国ならば韓国の今までの歴史を中心として、国家摂理史的な立場と現在の立場を中心として、ここに趣味的内容として前に立てることはできませんでした。しかし、今からはある一つの家庭を中心として、世界に標準的基準として立てることができる時なのです。家庭環境に対して趣味(喜び)を感じ、ここでおもしろみを感じなければなりません。そのような結論となります。 今百八十五か国ならば、自分の国にある家庭を中心として、環境的な国家が趣味(喜び)の舞台になっていないのです。すべてのものが衝突しているのです。それゆえ、一般的に趣味化され得る環境を、どのように補完させるかというのが問題なのです。 今から私たちが世界の家庭問題を、趣味と環境を中心として、楽しい家庭として定着させなければならないのです。これが天国をなすうえで、絶対に必要なのです。一つの伝道になるだろうと見るのです。 この関係の世界は、父と母の関係です。夫婦関係です。父親が優れているか、母親が優れているかではなく、父母ならば父母自体に対して趣味(喜び)を感じなければならないのです。父母を分けてはならないのです。 目を見れば、目二つが一対になっています。右の目が優れているのでしょうか、左の目が優れているのでしょうか? そのように尋ねること自体が矛盾です。右の鼻の穴がよいのか、左の鼻の穴がよいのか? 右の耳が一番か、左の耳がよいのか? そうではなく、一つとして扱いなさいということです。 父母に対して趣味(喜び)を感じ、父母に対して興味をもたなければなりません。父親の性格と母親の性格が違うので、そこに対して、趣味(喜び)をもって生きるようになれば、二人の人格の素養がその子女に植えられるのです。 ですから、社会の先生を見ても、大統領を見ても、何かの職場であれ、差別せずに趣味(喜び)をもっておもしろみを感じるようになれば、おもしろみの価値が愛によって連結され、すべてのものに同居、同参、相続権があるというのです。そこから、統一的な心情だけが連結され得るのです。このようになります。 生活の一つ一つにおもしろみを感じなければならない さあ、そのような世界に向かって行かなければなりません。現在の韓国の実情を中心としてそのようにしようとすれば、政治的風土であれ何であれ、まだ反対が終わっていないのです。そこで私たちが問題を提示するのが何かといえば、それが祝福家庭です。祝福家庭をつくっておいたのです。 これら家庭がどのようになるのでしょうか? 趣味(喜び)です。いつも趣味(喜び)をもつと同時に、大韓民国が(祝福家庭に対して)趣味(関心)をもたなければなりません。大韓民国が趣味(関心)をもつと同時に、韓国の家庭に対してアジアが趣味(関心)をもたなければならないのです。そのような環境へと自然に連結されるのです。本然の理念を中心として祝福をし、中共とソ連が連結され、このような天の摂理を中心として、趣味生活を通して、おもしろみのある定着基盤をもつのです。 家庭を離れてはおもしろみがありません。ご飯を食べるおもしろみもなく、遊ぶおもしろみもないのです。寝るおもしろみもありません。寝ることもそうではありませんか? お母さん・お父さんと兄弟が一緒に寝てこそおもしろく、ご飯を食べることも、両親と一緒に食べてこそおもしろいのです。自分の生活の中で皮膚と直接的関係を結び、第二の明日の希望を常にもち続けることのできる刺激的な期待があってこそ、その人が発展するのです。それが家庭です。 息子・娘を生んだのならば、興味をもって、「大きな娘はどうだ、大きな息子はどうだ」と楽しみなのです。話すのが楽しく、連れて回るのも楽しみなのです。おもしろみであって趣味ではありません。家庭は環境的な与件であって、生活的なすべての生命と連結されていないのです。生命の復活のおもしろみを感じなければならないのです。 祈祷するのもおもしろいのです。祈祷すれば何ですか? (「敬礼です」)。それもおもしろいのです。訓読会もおもしろいのです。ご飯を食べることよりもおもしろいのです。ご飯を食べることを忘れ、寝ることを忘れてしてみなさい。そうすれば、すくすくと自分の基盤が家庭で芽生え始め、それと同時に、家庭がそびえ立ち、その影響と作用が始まるのです。趣味圏内は、自動的に影響を受けるのです。そのような高い所、広い所、深い所に行き、すべて一つになるのです。 人もおもしろい人がいるではありませんか? 「私は何の趣味をもっている」と言いますが、趣味と自分とは関係が遠いのです。相対的与件にはなりますが、関係が始まりません。関係を結ぼうとすれば、喜びのある場で広がっていくのです。 この世界は、関係の世界に連結された社会構成体にならなければならないのですが、今まではすべて競争相手であり、闘争でした。どのように調和して連結させるのか、というのは趣味です。すべての人たちが趣味圏内で生活するのです。 政治ならば政治に対する趣味、産業ならば産業に対する趣味、経済ならば経済に対する趣味、釣りだとか狩り、それはすべて趣味ではありませんか? それが趣味として終わってはいけません。おもしろみを感じなければなりません。おもしろみを感じるというのは、産業分野ならば、産業分野全般にだけ対するものではありません。一つの趣味を感じ、全体の環境的与件を収拾できるおもしろみを感じて、関係を拡大させ、発展が繰り広げられるのです。 ですから、おもしろみがなく、趣味を生かすことができなければ駄目なのです。自分が一生を生きるうえで、趣味がなく生きては駄目なのです。趣味がなく生きてはならず、趣味をもったならばおもしろみを感じなさいというのです。 自分で自分の顔を見るときもそうです。自分の顔を鏡で見るとき、自分の顔が整っていれば、自分の顔を見るのを好むではありませんか。顔を見るのも趣味(喜び)であり、化粧台で上手に眉毛を描くのも趣味であり、何であれ趣味であり、それはすべておもしろいのです。 そのようなことに対しても、自分の生活において、一つのおもしろみを感じることができるようになりなさいというのです。鼻ならば鼻、顔ならば顔、そのようにおもしろみを感じなければならないのです。 おもしろみを感じ、趣味を感じるのは自分だけではありません。環境圏は必ず主体・対象関係になっているのです。妻は自分(夫)が感じることのできるものを感じるので、影響を与えなければなりません。影響を与えて、相対的な基準で夫婦同士、同じ趣味を感じ、おもしろみを感じなければなりません。また、父母を中心として親子の関係においても、同じおもしろみを感じ、それを育てていく生活となり、関係にならなければなりません。そうすれば自然に、平和な家庭となり、幸福な家庭になるのです。 多方面に趣味をもつ 趣味をもった家門になったのかというのです。先生は趣味をもち、おもしろみを感じます。子供は父母の趣味が分からなければなりません。自然にそのようになるのです。父母を中心としてすべてのものが関係しているのです。父母を中心として趣味(喜び)を感じ、その趣味の環境においては、お互いが好む結果になるので楽しいのです。このようになります。 趣味(喜び)を感じなければなりません。先生がこのようにするのは、自分が好きだからするのですか? 大陸を越えて人類を救うためのものです。趣味の環境を多様に開発するのです。先生がすることは多様でしょう。運動もし、釣りもし、狩りもし、教育もし、政治家たちと会い、多方面に趣味をもっているのです。 多方面に趣味をもたなければなりません。自分が一つの趣味をもっていれば、一つの分野に関係を結ぶことはできますが、大部分のものとは関係をもてません。多方面に趣味をもって関係を結んだので、統一教会がこれくらい世界を管掌することができるのです。分かりましたか? 世界を自分の一つの活動舞台として考えるのです。それが自分が活動することのできる一生の舞台です。そのような関心をもたなければなりません。関心がないことに対しては、趣味とすることはできないのです。 男性は、女性がいなければ家庭に対する関心をもつことはできません。家庭に対する趣味をもつことはできないのです。必ず、相対がいるのです。相対の世界は、父子関係もおもしろみ、夫婦関係もおもしろみ、師弟関係もおもしろみ、すべて関係の世界です。関係の世界のすべてのものが、主体・対象関係です。そのすべてにおもしろみを感じれば、天国化され得るというのです。 そうしようとすれば、何がなければならないのでしょうか? 愛です。結婚にも愛がなければならず、事業にも愛がなければなりません。真の愛です。政治にも真の愛がなければならず、狩りにも真の愛がなければならず、全部そうです。 真の愛とは何かといえば、主体の前に対象として一つになるためのものです。神様は永遠の主体です。永遠の主体、創造主がつくったすべてのものを自分が楽しく返す、それが美をお返しするということなのです。 今皆さんは、十二時を過ぎたので仕方なく働くと考えるのですか? おもしろくて働いているのですか? 答えは何ですか? 義務と楽しみは違います。義務というものは、全体と関係を結ぶ環境的与件なのです。周辺と分かつことはできません。主体が違います。おもしろみというのは、家庭でのみ享受することのできる特権です。 夫婦関係、子女関係という相対関係、これは三位一体です。自分の家庭に家族がたくさんいれば、丸い顔、長い顔、広い顔、笑顔と、ありとあらゆる顔があります。そのようなものを全部知れば、人は十二とおりに現れるのです。自分を中心として十一の型(11の対象)があるのです。 人を見ればこの四つなのですが、形が少し違うだけですべて似ているのです。口が三つあるのを見ましたか? 鼻が横についているのを見ましたか? 眉毛、目、すべて似ています。しかし、個性があります。目もすべて同じではありません。それがおもしろいのです。特性が一つになって調和をなしているのです。自分が何だと批判できません。すべてのものが相対的与件で和合されており、調和しているので、批判せずに公認するのです。 今世の中では政治家たちが陰謀を企てて、自分が大統領になろうするのです。大統領をしたならば、楽しくすることができると思いますか? それが問題なのです。中心の責任者は趣味的環境として、閣僚に対するのも趣味で対し、だれがいつ来たとしても、春夏秋冬いつも同じように対してあげなければならないのです。おもしろみがなければなりません。個々人の人格を分析し、それを理解し、そこにおもしろみを感じなさいというのです。そうでなければ環境にいる人たちが落ちていくのです。 心で祈祷をもう一度してあげ、より考えてあげる人、そのようにしてくれる人に対して、おもしろみを感じます。会いたがるというのです。徹夜をしても会いたく、環境的な難しさがあったとしても会いたくなるのです。 きみたちは、先生に会いたいとき、ジャルジンが問題ではありません。行くその道が楽しいのです。外国に行って一年間苦労して、先生を見るとき……。そのような人は、堕落することができないのです。横道に行くことができません。天国は、おもしろみのある生活と連結されています。趣味生活とは違います。おもしろみを感じるときに、生命が復活するのです。生命が育つことができるのです。 それゆえ、労働者たちは汗を流して朝から夕方まで一日中仕事をしても、嫌ではありません。汗を流してそのようにして、「ああ、新陳代謝がどれくらいよくできるだろうか」と言うのです。 汚い都市で汚い水を飲んで汚い空気を吸い、汚い太陽の光を受けていたものが、神聖なる自然にやって来て、シャベルを持って、あるいはつるはしを持って、土を掘り汗を流し、よい水を飲み、よい空気を吸いながら太陽の光を受けることが、どれくらいおもしろみがありますか? 労働を一生懸命にした人は長く生きます。体力があるのです。 大概、長く生きる人は学者ではありません。頭を使い、テーブルに座って仕事をする人ではありません。苦しい仕事をすると、筋肉と骨が一つになります。骨に力を受けて和合するので、骨が弱くならない限り生きることができるのです。 責任を負った人は、おもしろみを感じてしなければならない 先生も監獄でそのような生活をしながら、一等の労働者でした。喜んでするのです。 朝五時に起きてご飯を食べて、昼食を食べる十二時まで、何時間ですか? 七時間です。昼食の時を待とうとすれば、それこそ立ち上がるのが難しいのです。朝集合して出ていく時間が七時なのですが、警護問題で体の検査をするのですが、八百名、千名近い人たちをしようとすれば、二時間以上かかります。 興南の寒い冬に、一枚重ねの服を着て震えるのを見れば、かわいそうです。そのようなことを知らないでしょう。風で砂利石が飛んでくるのです。一枚重ねの服を着て、ぺしゃんこになって座って……。どんな下着を着ているというのでしょうか……。一枚重ねの服なので、風に震えるのです。そのような話をすれば悲惨ですから、話さないでおこうと思います。それをおもしろみをもってしました。世の中のだれよりも楽しいと思わなければなりません。 そのように消化しようとするので、すべてが私を占領することができないというのです。監獄生活では、余暇の時間に詩をつくりました。 おもしろみを感じなければなりません。働くことに、おもしろみを感じなければならないのです。それゆえ、先生も朝に出かけ、ぱっと手をつければ、昼食の時まで他のことは考えません。おもしろみをもってするのです。普通の人は嫌がるので、六か月ももちません。おもしろみをもってしなければならないのです。それが成功の秘訣です。 全精力をすべて投入すれば、すぐにその環境で認めてくれます。嫌でやる人と、おもしろみをもってやる人では、違うではありませんか? かますのようなものを結ぶ場合も、先生はそこで一等の労働者になりました。競争して負けません。 夢のような話ですが、すべてのことを、おもしろみをもってするのです。趣味の内容として、おもしろみを感じなければなりません。どうですか? そのような観ができていなければなりません。自分が仕事をする場でも、趣味(喜び)をもたなければなりません。主体的な影響を及ぼすことができるように、おもしろみを感じなければなりません。そのように、模範的な生活をしなければならないのです。 仕事をするとき、一時間、わずかな時間でも、他人よりももっと仕事をしようとするのです。朝、一分でも早く出勤するのです。遅刻があり得るでしょうか? 五分、十分、三十分、より早く行って、昼にすべき仕事を整理してしまうのです。 その次にそこで研究して、自分の責任、職種、組織体などに関するすべての内容を理解するのです。新しい課題に対して責任を果たせなかったことに関心をもって、自分が見る観点で主体の責任を感じ、指示し、一時間一緒に仕事をするのです。そのようにして、息子・娘が全部仕事をすることにおもしろみを感じるならば、そのようにしなければならないのではないでしょうか? そのように生活をするようにすれば、心は分かるのです。人は霊物です。どこに行って何をするにせよ、おもしろみを感じなければなりません。 普通、釣りのようなものをすれば、さっと垂らせば楽しいのです。釣り竿を垂らすときも、関心をもって垂らせば、きちっとやって来て食いつくのです。心が魚のいる所を探すのです。分かりましたか? 天がそのように役事するのです。 天の道を築くのに、嫌々するところには天は共におりません。 監獄も楽しく、自分の人格修養の第二の訓練場と考えれば、朝から夕方まで全部自分のためになるのです。自分の発展のためにするのです。深い谷に出たり入ったりしながら、体験するのです。六か月過ごせば、刑務所であっても、そこのことがすべて分かります。それゆえ、趣味が楽しみになれば恐ろしいのです。 先生に対して、趣味をもっていますか? (「はい」)。では、先生に対して、おもしろみはもっていますか? (「はい」)。一番おもしろいのは何ですか? 一番は何、二番は何、三番は何ですか? 楽しみが多い人であればあるほど、その人は中心人物になるのです。 私はいったん手をつけようものなら、「このために生まれた! と思うのです。天職です。天職基盤を築くのです。そうすれば必ず、天がそのことに協助してくれるのです。おもしろみを感じてこそ、責任者として立つことができるのです。責任を負った人は、おもしろみを感じながらしなければならないのです。そうでしょう。それは絶体絶命の要件です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.26
コメント(0)
世界平和理想家庭教育本部の竣工・奉献式一九九八年七月一日、第八回「七・一節」を迎え、真のご父母様はブラジル、ジャルジンのニューホープファームにて、内外の著名人ら約三千名が参加する中、世界平和理想家庭教育本部の竣工と奉献式を挙行された。 開会の祈祷 天のお父様……、このジャルジンの地を中心として、第一回四十日修練会を新たに出発するとともに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の土台を備えた一つの基準を立てます。この教育センターの地に集わせてくださったことに感謝いたします。修練会の参加者たちの歩みを祝福してくださいませ。気をもみながら責任を担ってきたすべての者たちが、彼らの願いが成就する一日をもって、歴史的な喜びの一日として残る今日の竣工式となるよう、切にお願い申し上げます。 ここに、お父様の前に奉献するにあたり、聖なるものとする聖別式を挙行いたしますので、これ以降、この地はお父様が所有権をもたれ、この地に来てこの地と共に関係を結ぶすべての人々、これを公にして祝賀するすべての人々、悪なるあらゆるサタン的な条件も、すべて神様の愛を中心として天運と関係を結ぶことのできる、幸福の基地となるようにしてくださり、希望の基地となるようにしてくださいよすよう切にお願い申し上げます。 今日、七・一節を中心とした竣工式と奉献式を執り行なうこの日を中心として、この聖別式をすることで、神様の所有の決定を宣布しようと思いますので、お受けくださるよう切にお願い申し上げます。この環境が連結して拡大し、すべての統一家の所有権と統一家の人々の上に天運が保護し育成してくださいますよう、今一度、お願い申し上げます。このすべての聖別式を挙行するにあたり、お受けくださることに感謝申し上げます。神様の愛と神様の恵みが、この式と共に永遠に全人類の幸福の基地を整え、家庭解放圏を築き、天国に直行できる教育の殿堂となるように祝福してくださいませ。神様が快くお受けくださることを願いながら、真のご父母様のみ名によって聖別、献納いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 奉献祈祷 愛するお父様……、本日一九九八年七月一日、「七・一節」を記念して、このジャルジンの地において「世界平和理想家庭教育本部」を立て、竣工式と奉献式の式典を執り行ないます。これまで多くの人々の関心のもとに新しい建物がこの地に建築されてきました。その過程において多くの人たちが関心をもち、また噂を耳にして、世界中に知れわたったこの場所が、天の祝福の場所となり、南米全体の理想家庭の指導的人物を養成することのできる教育機関として、また、この基盤を中心として、南米で新しい教育と新しい家庭の行くべき道を開拓できる教育の殿堂として、既に竣工を終え、今日、奉献式を挙行いたします。 ここに所属し、関係するすべての人たち、彼らが精誠を尽くした土台、今後居住し活動できるすべての舞台が、あなたの愛と恵みの中で連結され、一つの世界、一つの地上天国・天上天国を中心とした、あなたの愛の主権と権限を養成し育て上げることのできる、すべての教育的、かつ実践的な基盤となるよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。今日、この日のために集まったすべての人たちを祝福してくださり、ここを行き来する道を守ってくださり、ここに来て感じたすべてが彼らの生涯に変化をもたらし、環境的な家庭や国と国の上に影響を及ぼせるようにしてくださいませ。お父様……、霊界にいるすべての先祖たちを動員してくださり、直接管理して因縁を結び、勝利の一つの平和世界へと進むことのできる、そのような道へとせき立ててくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、このすべてを竣工を終えて奉献いたしますから、このひととき、お父様が快くお受けくださいませ。今日祝賀するすべての順序が、あなたの栄光と家庭の上に、祝福の道を開門する恵みの時間となり、基盤となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。天の全面的な支援と、万民の全面的な支持と、食□たちの全面的な奉仕を通して一つの心情的な結実となり、理想的な男性と女性を中心として家庭形成の標準を立てるというこのみ旨が、今日から出発できるように祝福してくださることを切に願いながら、全体の万物万象が見つめるこの場において、真の父母のみ名によって奉献、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 奉献式のみ言 主題 一心・一身・一体 「七・一節」を記念するこの日に、世界平和理想家庭教育本部の竣工式と奉献式に参加されたことを心より歓迎いたします。私たちは今までの道徳的な混乱、世界紛争、環境問題、犯罪に染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しております。 しかし希望よりは、逆に激しくなる物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が好ましい影響を及ぼせない中、青少年たちの退廃、家庭の破綻、麻薬とエイズなどの問題は、人類の前途をいっそう暗いものとしています。高度の科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的な努力も、人類の幸福と真の家庭を通した平和な世界をもたらすことができずにいます。 人類は長き歴史路程を通して、一度たりとも完全な幸福の真なる主人公にはなれませんでした。個人的にも、全体的にも、家庭はさらに多くの不幸を経験してきました。それでも人間は、放棄することなく、常に粘り強く幸福を追求してきました。なぜならば、神様は人間を真の家庭で幸福に暮らすようにつくられたからです。人間は、堕落によって罪と苦痛の生活を送ってきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を追い続けてきたのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって、最も貴いものは真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様の前に、人間はいかにしてその相対的な立場に立つことができるでしょうか? 努力や外的な条件によってではありません。唯一、真の愛の因縁によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結んだならば、一度で互いが同位権や同参権、相続権をもつようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象としてつくられた人間にとって最も貴いのは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことでした。真の愛は人間の幸福の根本です。真の愛の中には無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。ですから、人間は真の愛の対象であり、真の生命と理想の対象になります。神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって、創造主たる神様ご自身の子女としてつくられました。本来、真の人は、心と体が常に神様の真の愛と一つになり、喜びの中に陶酔して生きるようになっていました。神様は、真の愛によって幸福に暮らす真の家庭をご覧になり、ご自身も喜びを感じるとともに、その人間と同居しようとして、人間を創造なさいました。神様は真の愛で人間と調和一体を成そうとされたのです。ところが、人間始祖が堕落してしまったのです。 人間の個体の中では、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ別の欲望を前面に押し立てており、私たちは熾烈な闘いをしていることを感じながら生きています。私の体、私の心ではあるけれども、実は心と体に分裂している自らであるということが分かるのです。このように人間の心と体が葛藤する矛盾性があるのは、正に人間始祖の堕落によるものなのです。こうした心と体の分裂や相克は、家庭や社会、民族、国家、世界、天宙の分裂や紛争へと続いていきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって、天道に背いたことであり、その結果として神様と真の愛を知らない無知に陥ってしまいました。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値も失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築くことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である心身一体を成す真の人間になれなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も知識や権力、または財力によるのではなく、真の愛によってなされるのです。真の人は真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっています。個性完成というのは、心と体が一体の調和をなすことを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身の一体を成すようになっています。心と体が分かれない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら、完全に神様も真の愛の人格として成就するようになります。心身の統一した基地をつくってこそ、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛のみが、心身の理想的な関係を永遠に築くことができるのです。神様の真の愛が、心身統一の基地の上に臨めば、真の人は真の愛の門が大きく開いて、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じることが真の愛でないものがなく、自動的に無限の自由と喜悦の主人公となるのです。このとき、真の人は真の愛に酔いしれて、最高の芸術的な感情の中で生きるようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と共に同化して、共に酔いながら、生活の中に美しさを体験しながら、前進的な創造目的を完成するのです。 このようになれば、神様の前に完全な対象体となり、神様の似姿となり、その真の愛を相続するようになります。神様が感じることをそのまま感じ、神様が好きなものをそのまま好むようになります。 人間にとって最も神聖で尊いものが真の愛です。真の愛は自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じません。真の愛は相対のため与え、また与えて、与えたことをすべて忘れ、また与えて、施しながら一つになろうとするものです。ですから、真の愛は、すべてを抱くようになります。真の愛は私個人の所有だけにはなりません。真の愛を相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙公認のものとなるのです。 神様の願いは、真の愛を人間と共に実現することです。神様はご自身の息子であり、最高の尊い被造物である人間と共に、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を、永遠に分かち合いたいのです。 人間世界で真の愛を完成すれば、政治的、経済的、文化的、環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題などありません。真の愛の世界は、まさしく歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界なのです。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている数々の難問は、真の愛によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら相続するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次体得しながら完成するのです。個体を見ると、心と体が一つになるところから、真の愛が出てきます。その次には心身一体となった完成した男女が、真の夫婦の真なる愛をなし、その次には彼らが真の神様の真なる愛と連結して、子女を真に愛せる真の父母にならねばならないのです。夫婦の心と体のうちに神様の愛が臨んで、その真の夫婦が一つになり、息子、娘を生むようになっています。そのようにしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が、真の家庭なのです。ですから、真の愛は人間の真の愛と真の幸福の土台です。真の生命と真の血統が芽生える所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育む修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛による真の家庭は、人類の願いであると共に、神様の創造目的の根本になります。こうした真の家庭から輩出される真の愛の真なる人格によってのみ、真なる社会・国家・世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現し得るのです。私が、常に地上での真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が築かれれば、自動的に地上天国が築かれるのです。真の家庭天国で完成した真の愛の人格は、社会、国家、世界に拡大し、不義と妥協せずに、常に為に生きる真の家庭として調和一体を成す真の人になるのです。 男性は陽性性稟、女性は陰性性稟として、神様の性稟を代表した主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としておられる神様の二性性相を分立し、再び神様の本性相に似た姿として合成一体化するのです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しており、天と地を代表した立場で、互いに調和一体を成すために生まれました。つまり男性も女性も本来、自分のために自分を中心として生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するよう創造されたというわけです。真の夫婦はそれぞれ相対のために生まれたということを明確に知らなければなりません。 真の愛は、一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。真の夫婦は神様の真の愛を抱いて、合一した願いにより、未来世界に向かって歩んでいかなければなりません。子をはらむのも、家門が繁栄するのもこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が、生活環境圏を超えて神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが、究極的な目標になるのです。堕落がアダム家庭で起きたので、本然の姿に戻るべき復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求めるために、民族と教会を求める前にご自身の対象を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、ご自身の理想的な対象となり得る真の家庭を探し求めてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な家庭を得られなければ、理想的な国や世界を得ることができません。本然の真なる家庭をまず立てるべき原則がここにあります。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によってアダム家庭はどのように繁栄していたでしょうか? アダム、エバは真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となり、その後孫と全人類の真なる先祖になったでしょう。アダム、エバを真の父母として侍り、繁殖した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いていたことでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の源となり、人類の平和と幸福の基点になります。 「蒔いたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖はサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母となり、悪と偽りの歴史をはらみました。今日に至って、これまで人類社会の道徳的な礎となってきた父子の因縁や、基本的な倫理道徳までが、すべて崩れてしまいました。動物よりも劣る背徳行為が相次いでいます。次第にその程度が激しくなっています。エデンの園で堕落によってまかれたために、そのような現象が歴史的、世界的に実を結ぶようになったのです。 本然の真の愛は、時代によって発展するのではなく、原型そのものが真であり、不変、永遠、絶対的なものです。ところが、人間始祖は成長期間内で未完成のまま堕落し、偽りの愛の始源となったのです。利己的で、悪なる偽りの愛をもとに積み上げた人類の文明は、このまま続くことはありません。このままではいけません。このままいったら、人類は滅びてしまいます。家庭の土台が崩れて子孫が根本的にだめになるというのに、外的な発展と物質的な豊さに何の意味がありますか? 歴史的な過ちと不条理を根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊要なことは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なくして、人類の幸福や平和な世界は期待できません。今日のさまざまな問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されねばなりません。 尊敬する指導者の皆様、私がこれまで世界的に繰り広げてきた平和運動と共に、真の愛主義の理念を真剣に研究、評価してくださるようお願い申し上げます。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動を、教団の行事に過ぎないと考えてはなりません。 世界平和には、平和な国家がまず必要です。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが一般的に願ってきた権力や富貴、知識などは、平和と幸福にとって必要な十分条件にはなりません。真なる幸福は、愛の所有に比例するものではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。それらが真の愛と共にあってこそ、真なる平和と真なる幸福を得ることができるのです。真実の平和も、限りなき幸福も、真の愛をもって人のために施すとき、そしてその施したものが全体をめぐって、再び返ってくるとき、確実なものとなるのです。 尊敬する指導者の皆様、これまで皆様は各分野で秀でた功績によって、人類の福祉と社会発展のため、大きな実績をあげられたことと存じます。もちろん、今後もその分野で、より大きく寄与されなければならないでしょう。しかし今、人類は、総体的な危機を迎えています。特定分野だけの備えや手立てでは足りません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位、前提条件である、真の家庭を創造して指導していかなければなりません。 去る六月十三日、私が執り行った三億六千万双の祝福結婚式、一億二千万双の第一次結婚儀式は、私が生涯を捧げて、理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人たちは皆、神様によって神様の真の愛を中心として、真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動による歴史的な真の愛の革命は、着実に進められているのです。 親愛なる指導者の皆様、人類を家庭破滅の道から救うことよりも、深刻な問題が他にあるでしょうか? 世界の救いを目指す真の家庭運動に、積極的に同参されますよう重ねてお願いいたします。神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。 祝祷 南米全体の州が一つになり、教育を受けて、家庭的な理想の一つの殿堂としてまつられるように祝福してくださることを切にお願い申し上げます。さらにカトリック圏と新教圏が一つになって、この南北のアメリカのために統一的な役事を成すことのできる、大いなるあなたの願いであるみ旨を成就してさしあげる、なくてはならないカイン・アベル基盤の上に真の父母を立てて南北アメリカを統一し、南北アメリカを統一することによってすべての宗教を統一し、宗教を統一することで、外的な世界全体を統一し、天の前に、真の父母のみ名と共に、全世界の万民が一つになって全体を奉献するにあたり、解放の世界、勝利の世界、すべてが天と地に成就するように今一度、切にお願い申し上げます。すべてを神様と真のご父母様のみ名によって宣布いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
コメント(0)
「世界平和理想家庭教育本部」落成時の御言1998年7月1日ブラジル・マットグロッソドスル州ジャルディン 第八回「七・一節」を迎えジャルディンに建設中の「世界平和理想家庭教育本部」が落成し、内外の著名人が参席、竣工式・奉献式が行われた。集まった二千人以上の聴衆を前に、真のお父様が韓国語で語られたもの。 「世界平和理想家庭教育本部」の竣工式と奉献式に参席されたことを心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染まった二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和な世界を渇望しています。 しかし、どんどんと強くなっていく物質万能主義の傾向とともに、国家権力と宗教が正しい影響を与えられない中で、青少年たちの退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどは、希望というよりはむしろ、人類の将来を一層暗いものにさせています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発や政治的努力も、「人類の幸福」や「平和な真の家庭を通しての世界」をもたらすことができずにいます。 人類は、その長い歴史路程を通して、ある一時さえも完全な幸福の真なる主人公になることができませんでした。個人的、あるいは全体的に、家庭は多くの不幸を経験しながら歴史を経てきました。それでも人間は、いつでも放棄することなく、ねばり強く幸福を追求してきました。それは本来、神様が人間を幸福に、真の家庭で幸せに暮らすように造ってくださったからです。人間が、たとえ堕落によって罪と苦痛の生活をしてきたとしても、本性においては、本然の幸福な自我をずっと希求してきたのです。 神様の創造の根本目的は、「真の愛」とその対象である「真の人」です。絶対者神様のみ前に、人間はどのようにすれば、その相対的な立場に立つことができるのでしょうか? それは、労力や外的な条件でなされるものではありません。ただ真の愛の因縁でのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の因縁を結べば、一度に互いに同位権、同参権、相続権を持つようになるのです。 神様の真の愛の動機によって、その対象として造られた人間において、いちばん貴いことは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で永遠の調和が実現されるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体であられます。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。 神様は創造主、父であられ、人間は真の愛によって創造主であられる神様の子女として造られました。本来、「真の人」とは、心と体がいつも神様の真の愛と一つになり、酔いしれながら喜びの中で暮らすようになっていました。神様は、真の愛で幸福を喜ぶ真なる家庭をごらんになり、ご自身も無限な喜びを感じられると同時に、そこに同居するために人間を創造されました。神様は、真の愛によって人間と「調和一体」を成そうとされたのです。ところが、その人間始祖が堕落してしまいました。 人間は、その個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と、善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なった欲望を前面に立てて、熾烈な戦いを繰り広げるのを感じながら生きていきます。自分の体、自分の心ではあるのですが、気がつけば、心と体とに分裂している自らであるということを知ることができます。 このように、人間の心と体が葛藤する矛盾性は、まさしく人間始祖の堕落によるものです。このような心と体の分裂、相克は、家庭と社会、国家、世界、天宙の分裂と不幸につながってきました。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に背いたことであり、結果的には神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間は、サタンに従って神様を失い、本来の価値をも失ってしまいました。幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を成すことができませんでした。そうして、創造本然の理想完成である、心身一体を成す「真の人」となることができなかったのです。 すべての被造物は、愛の法度に従って創造され、また存在しているのです。人間の完成も知識や権力、あるいは財力によって成されるのではなく、真の愛によって成されるのです。「真の人」は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体調和を成すことをいいます。人間は、神様の真の愛の核と一致する立場にあるとき、心身が一体を成すようになります。 心と体が分かれることのない真の愛の土台の上で、生活的な授受作用を永続しながら完全に一つになり、真の愛の人格として成就するようになっています。心身が統一された基地をつくって初めて、その上に神様の真の愛の完成である真の家庭が安着します。 真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成立させることができます。神様の真の愛が心身統一基地の上に臨めば、「真の人」は真の愛の門がいっぱいに開き、神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった「真の人」にとっては、見るもの、聞くもの、感じるものの中で真の愛でないものがなくなり、自動的に無限に自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔いしれ、最高の芸術的な情感の中に暮らすようになっています。真の愛の人格は、自然に相対世界と同化し、ともに酔いしれながら生活の中に美しさを体験しつつ、前進的な創造目的を完成します。このようになれば、神様の前に完全に対象体となって、神様に似るようになり、その真の愛を相続するようになるのです。神様が感じるものをそのまま感じ、神様が好まれるものをそのまま好むようになります。 人間において最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけで生じるのではありません。自己中心的なところからは生じません。相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与え、施しながら一つになろうというのが真の愛です。 そのようなことから、真の愛はすべてのものを皆、かき抱くようになります。真の愛は、自分個人の所有ばかりではあり得ません。真の愛は、相続すれば、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙の公認のものになるのです。 神様の願いは、真の愛を人間とともに成就することです。神様は、ご自分の息子、娘であり、最高かつ最も貴い被造物である人間と、心情世界において永遠に、真の愛の喜悦と幸福をともにしたいと思われます。 人間世界において真の愛を完成することに、政治的に、経済的に、文化的に、そして環境的に何の問題があり得るでしょうか? 真の愛の世界では、解決できない問題はありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が充満した、自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になります。今日、世界人類が抱えている難問題は、真の愛の完成によってのみ根本的な解決が可能なのです。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛を順次、体得しながら完成するのです。 個体についてみれば、心と体が一つになるところから真なる愛が現れるようになります。次に、心身一体を成した完成した男女が、真なる夫婦の真の愛で愛し合い、次に、彼らが真なる神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛することのできる真なる父母にならなければならないのです。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真なる夫婦が一つになって息子、娘を生むようになっています。そうしてこそ、完全な理想的家庭が築かれるのです。 父母の真の愛、兄弟の真の愛、夫婦の真の愛、子女の真の愛、このように四大愛を完成し、四大心情を体恤することのできる最小単位が「真なる家庭」です。ゆえに真の家庭は、人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える場所となります。したがって真の家庭は、人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校です。 このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真なる社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現され得るのです。 私が常に、地上における真なる家庭天国を強調する理由もここにあります。真なる家庭天国が築かれれば、地上天国が築かれるのです。真なる家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他の幸福を阻害したり環境と不調和を成しません。いつもために生きる真の愛で調和一体を成す真の人になるのです。 男性は神様の陽性性禀を、女性は神様の陰性性禀を代表した主体と対象です。神様の創造理念は両性の中和体としておられる神様の性相を二性に分立して、再び神様の本性相に似た姿へと合性一体化するのです。 真の夫婦とは、神様の二性をそれぞれ代表したのであり、天と地を代表する立場で互いに調和一体を成すために生まれました。すなわち、男性も女性も本来、自己のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在すべく創造されたという話です。このように真の夫婦は、それぞれ相対のために生まれたということをはっきりと知らなければなりません。男性は女性のために、女性は男性のために生まれたのです。 真の愛は、一人では成されないと言いました。真の愛は、必ず相対的基盤を通して成されるのです。夫婦間の真なる愛は、自分の夫婦だけのためのものなのではなく、神様の創造理想を中心とした真の愛になります。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって自己の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した願いによって未来の世界に向かっていかなければなりません。子女の懐胎も家門の繁栄もこの基台の上でなされます。夫婦の真の愛が生活環境圏を超えて、神様の真の愛の理想と一致する家庭を築くことが究極的な願いとなるのです。 堕落がアダム家庭から始まったので、本然の姿に戻る復帰の目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国、民族と教会を尋ね求める前に、ご自身の相対を尋ね求められ、一つの中心家庭を取り戻されます。神様は、歴史を通してご自身の理想的な対象になり得る真の家庭を捜し求めてこられました。 この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に内容が違います。神様を中心とした理想的な真の家庭を取り戻すことができなければ、理想的な国も世界も復帰することはできません。本然の真なる家庭を先に立てるべき原則が、ここにあります。したがって、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの根本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どんなに繁栄していたことでしょうか? アダムとエバは真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらに真の父母になって、その後孫と全人類の真の先祖になっていたことでしょう。 アダムとエバを真の父母として繁栄した人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を築いたことでしょう。したがって復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を捜し立てて、これを中心として編成されることでしょう。このとき、中心の真の家庭は、人類の希望であると同時に神様の希望です。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始まりとなり、人類の平和と幸福の基点となります。 「まいたとおりに刈り取る」という言葉があります。人類始祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪なる人格、悪なる夫婦、悪なる父母から、悪と偽りの歴史としてまかれました。今の時は、これまで人類社会をかりそめにも支えてきた「父子の因縁」であるとか基本倫理道徳律までも、みな壊れてしまいました。動物にも劣る悖倫行為が相次いで起こっています。そしてだんだん、その程度がひどくなっていきます。それは、エデンの園において堕落によってそのようにまかれたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代に伴って発展することもないし、そのままで完全なものです。原型そのままで真であり、不変、永遠、絶対的なものです。 ところが、人間始祖が成長期間の中で、未完成のままで堕落して、偽りの愛の始まりとなったのです。利己的であり、悪なる偽りの愛を土台にして積み上げられた人類の文明は、このまま続くことはあり得ません。このままではいけません。人類は滅びてしまいます。 家庭の土台が崩れ、後孫が根本的に誤っているというのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味があるというのでしょうか? 歴史的な過誤と不条理は、根本的に清算しなければなりません。人類に最も緊急に必要とされることは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な革命なしに人類の幸福や平和な世界は望むことができません。今日の諸問題は、真の父母が中心となった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理、収拾されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に研究、評価してくださるようにお願いします。青少年に対する真の愛と純潔の運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動等を、教団的行事としてのみ、とらえてはならないはずです。 世界平和のためには、平和な国家が先になければなりません。国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人たちが、一般的に願ってきた権力や富貴や知識は、平和と幸福の必要十分な条件にはなり得ません。真なる幸福は、愛の所有に比例するのでもなく、外的な生活の便利度に従って左右されるものでもありません。このようなものは、真の愛とともにあるときに、真なる平和と真なる幸福をもたらすようになるのです。真正な平和も、無限の幸福も、真の愛で人のために生きて施すときに、そしてその施したものが全体を回って再び戻ってくるときにのみ、確実にもたらされるようになるのです。 尊敬する指導者の皆様。これまで皆様は、各分野において並々ならぬ確信によって、人類福祉と社会発展のために大きな実績を上げておられることを知っています。もちろん、その分野で一層大きな寄与をなさらなければなりません。しかし今、人類は総体的危機を迎えています。特定分野だけの備えや処方では十分ではありません。指導者たちが時代の良心となって、積極的に模範を示しながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、指導することに立ち上がらなければなりません。 去る六月十三日、私が執典した三億六千万双の祝福結婚式の第一次一億二千万双結婚儀式は、私が生涯をささげて理想家庭について教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参した人は、すでに神様に誓約し、神様の真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を築く人たちです。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通じての歴史的な真の愛の革命を滔々と進めているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うこと以上に急を要することがどこにあるでしょうか? 平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参されるように重ねてお願いします。 神様の真の愛が、皆様と皆様の家庭、そして国にともにあるように祈願いたします。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.24
コメント(0)
3億6000万双第1次世界祝福式祝祷1998年6月13日マディソンスクエアガーデン 愛する天のお父様。きょう、一九九八年六月十三日、天地が直視するこの聖なる場、マディソン・スクェア・ガーデン。この場を聖なる祝福の場として策定し、一億二千万以上が祝福の恩賜を受けることのできるこの聖なる時間を賦与してくださったことに心から感謝を申し上げます。 きょうのこの祝福は、今まで連ねてこられた祝福とは異なり、天地を解放するために、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる人と悪なる人たちを集めて行われるものでございます。 エデンにおいてアダムとエバが堕落した種を蒔くことによって、神様の恨の歴史を生じさせ、偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、サタンの血統を受け継いでしまいました。そればかりでなく、第一代の家庭であるアダム家庭で、長子カインがアベルを殺害して血肉戦を起こすという、悲惨な歴史から出発し編成された人類のすべての家庭でございました。 そして、家庭を越え、氏族において、カイン側が、アベル側、天の側を今まで犠牲にしてきましたし、蹴ってまいりました。家庭を越え、氏族を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越えて、このようなカイン的権限をもち、サタンと共に神側の父、アベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実がございましたし、宗教歴史を通して、良心的な世界の人々が暮らす歴史の路程において血を流してまいりました。 アダム家庭で殺戮戦の兄弟関係と家庭破綻が始まり、神様にあってはならない悲痛な歴史の出発となりましたが、これを救援完成しなければならない長い期間を、本来の復帰すべき未来を見つめながら、個人的受難の道で打たれ、耐えてきて、家庭的受難圏、氏族、民族、国家、世界的受難圏でも打たれて勝利し、耐えてきながら、蕩減してきたのです。打たれて奪ってくる戦略で、サタンの前に今まで耐えてこられた神様に、全人類は感謝を捧げるものでございます。 このようなことを敬い、勝利の道を開拓するすべての宗教指導者を中心として、歴史時代にその足がかりを拡大するための犠牲の祭物として、すべての聖人たちも耐え、歴史的な世代を受け継ぎ、世界史的な統一の歴史をおつくりになるまで連なってきた先祖たちの前に感謝を捧げるものでございます。今や神様の勝利の圏を備えることのできるこの時代を迎えました。 今の時代を迎え、偽りの父母が蒔いた霊界から肉界のすべての実情の結果を清算するために、天は真のご父母様をこの地に送り、真の愛を中心として、汚された代々の血統を清算し、汚された国、汚された地上のすべてのものを清算し、神様の創造理想、神様と直系で通じることのできる、真の愛の血統を受け継ぎ、地上から天国に直行することのできる道をつくられました。 そして再び真の父母によって、個人的な塀、家庭、氏族、民族、国家、世界、天地の塀を完全に崩して、地上地獄を解放し、天国を開門したのでございます。真の父母が全人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨み多かったことを蕩減復帰し、天の眷属(一族)を率いて天国に入っていくうえで、霊界が歓迎することによって、解怨成就するために、サタン世界の頭目となるすべての人も、エデンで兄が弟を殺したそのことを世界史的版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもち、長子の立場で今までサタンと共に生きてきたことを解放させるために、きょう、このような祝福の日を共に許諾してくださった恩賜を、天の前に感謝申し上げます。 お父様、今、霊界にいるすべての霊人、全世界の人々が、きょう、この場を追慕しておりますので、ここのイエス様を中心として四大聖人と数多くの善なる霊たちを、それだけでなくアダム家庭でなすことができなかった解怨成就のために、サタン圏内で代身したこのすべての人々を共に祝福してください。それによって彼らが天に仕え、サタンに反旗を翻すことによって、サタンを屈服させると同時に、天の祝福圏に同参するという、億千万代の受難の土台の上でもなすことができないことがなされるようになりました。 偽りの父母によって蒔かれた血統を取り去ることによって、真の父母の勝利の結果をもたらし、長子圏と次子圏、霊界と肉界が分かれたものをあなたの統一的愛の心情でもって、エデンの園で願われた所願成就を、世界的家庭圏に立って、天国に全人類と共に直行することのできる、解放の日として祝福することのできるこの時間を許諾してくださったことに心から感謝いたします。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的人士、霊界の先祖たちが祝福されることによって、地上に連結されたその後孫はもちろん、そこに属した後継者まで解放圏を備えて、真のご父母様の解放的天宙開門の歴史に同参することのできる祝福をしてくださったことを、万民と共に、神様と真のご父母様の前に感謝を申し上げます。 きょう、この一億二千万双、三億六千万双を準備していくすべての道が人類と共に、地上天上開門において、神様が直接天国に直行できる高速道路をつくることができるよう、許諾してくださったことに、感謝、感謝、感謝申し上げます。 この日のすべての聖なる式典を直接主管なさり、無限の祝福、解放、永遠の自由を賦与され、勝利の天国に前進、前進、前進することをきょう、この祝福の席で万宇宙と人類全体、先祖、後孫全体の前に宣布いたしますので、その道に従って、天国の国民となり、天国の子女となるよう許諾してくださった恩賜に、本当に感謝しながら、この万事勝利の結果をなすことのできる時点となったことを、神様の名と真の父母の名で天と地全体万象の前に宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.23
コメント(0)
「地上・天上世界の解放圏」宣布一九九八年六月十三日、ニューヨークにあるマジソンスクエアーガーデンで三億六千万双の第一次祝福式が挙行された。この祝福行事では、喜進様の霊界祝福と、五大聖人の霊・肉界祝福式、天の側とサタン側を代表した三十四人の祝福を含め、九十二億人の霊界祝福がなされた。真のご父母様は祝祷を通じて、この祝福行事が万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する「地上・天上解放祝福式」であると宣布され、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされた。 告文及び統一祝福式 万有の根本なる真の愛の本体であられる天のお父様、この日、真のご父母様を迎え、ここニューヨークのマジソンスクエアーガーデンと全世界、百九十五か国を連結し、一億二千万双が真の愛の夫婦として真の家庭を築こうと思いますから、神様が直々に執政して永遠なる真の愛の祝福を許諾してくださいませ! またこの式典で真のご父母様は、霊的には興進様の家庭とイエス様の家庭、肉的には私たち家庭を代表に立てて、地獄を含めた天上世界のすべての壁を取り壊す特別な恩赦を下します。この場において真のご父母様のみ名のもと、私たち代表家庭が霊人たちに予備祝福を行います。既に予備祝福した百六十億双の霊人たちまで含めて、引き続き行われる真のご父母様の祝福に備えるのでごさいます。漠然として不確実だった霊界の法度と内容を真のご父母様は完全に知っておられます。また霊界に大使を送られて、最高位の聖人たちから地獄にいる霊人にいたるまで会って事情を調べたり、教育するように指示されたりします。信じられないかもしれませんが、これは事実です。既にその内容が本として出版されました。 数多くの霊人たちの祝福のうちで、天側とサタン側を代表して三四双が特別に祝福を受けることになります。イエス、孔子、釈迦、マホメット、マリア、アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、カレブ、洗礼ヨハネ、ソクラテス、スウェーデンボルグ、サンダーシンク、李承晩、金活蘭、朴マリア、朴正煕、アイゼンハワー、ニクソン、岸信介、福田赳夫、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ヒトラー、東条秀樹、ムッソリーニなどでございます。天の側の代表には、地上人を相対に迎えて祝福を受けるという特別な方々もおります。真の愛の祝福は、行き渡らないところがなく、善霊はもちろんのこと、地獄の門さえも開き、天国に向かって出発できる道を開いてくれる驚くべき恵みでございます。 地獄の門と天国の門が開かれ、上下の全霊界に連携されている善なる霊と悪なる霊が共に祝福を受け、既に祝福された善側の長子に従う、復帰された次子の立場に立たせるのです。神様は、長子のカインが弟のアベルを殺害するという罪悪の現場を、ただ見つめているしかなかったという悲しい恨を抱いてこられました。今や神様はその反対に地獄にいる怨讐たちまでも許し、祝福して、愛する長子に従うようにする真の愛の摂理をされるのです。 今回真の父母によって成される霊界と地上に対するこの歴史的な統一祝福儀式によって全宗教圏が和合し、霊肉共に一つの祝福圏を成し、霊界と肉界が解放圏を成して一つになるのです。ここに神様と真のご父母様を中心とした地上・天上天国時代を開門する、大転換的な祝福式を宣布いたします。 祝祷 愛する天のお父様……、今日、一九九八年六月十三日、天地が見つめるこの聖なる場所、マジソンスクエアーガーデンのこの場を聖なる祝福の場と策定して、一億二千万双以上が祝福の恵みを受けられるこの聖なる時間を与えられたことを心から感謝申し上げます。 今日のこの祝福は、これまで時代を下ってきた祝福とは異なり、天地を解放するため、天地の統一的平和の道を開拓するために、霊界と肉界のすべての善なる者、悪なる者を集めました。 神様の恨の歴史を招いた偽りの父母の血統を中心とした、偽りの愛・偽りの生命・偽りの血筋と偽りの良心の愛によって、サタンの血族を引き継ぐことによって、エデンの青少年たちがアダムとエバの堕落した種をまき、さらには初代の家庭であるアダム家庭で、長子のカインがアベルを殺害するという血肉戦を招いた、寒風の歴史の上に出発した先祖の家庭によって継続してきた全人類の家庭を超え、氏族におけるカイン側が、アベル側、神側を犠牲にし、打ってきながら、家庭を超え、氏族を超え、民族を超え、国家を超え、世界を超え、このようなカイン的な権限をもって、サタンと共に、神側のアベル的なすべての家庭と世界まで打って、血を流させた歴史的な怨恨の事実……、宗教歴史を通し、良心的な世界の人々が暮らす歴史を通して血を流してまいりました。 アダム家庭で殺される兄弟姉妹と家庭破綻のありさまを見つめる神様は、あってはならない悲痛なる歴史の出発と共に、それを救援し、完成し得る遥かな期間を、本来復帰すべき未来を見つめてこられました。個人的な受難の道で打たれて忍び、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道でも、打たれて克服しながら忍んで蕩減し、打たれて奪ってきたのでございます。そのようなサタンに対する戦略の前にこれまで耐えてこられた神様の前に、全人類は感謝申し上げます。 このようなことを掲げて、勝利者の道を開拓すべきあらゆる宗教の指導者を中心として、歴史時代のその足場を拡大するための、犠牲的な祭物として消え去ったすべての聖人たち……、創造歴史の代を継いで、世界史的な統一の歴史をもてるまで続いてきた先祖たちの前に感謝を捧げつつ、神様の勝利の足場を備えることのできるこの時代を迎えました。 この時代を迎えて、偽りの父母によってまかれた霊界から肉界にいたる、あらゆる失敗についての結果をすべて清算するために、天は真のご父母様をこの地上に送られ、真の愛を中心として汚れた血代を清算し、汚れた国と汚れた世の中のすべてを清算し、神様の創造理想が神様と直接に通じることのできる真の愛の血族を引き継いで、地上から天国に直行できるようになりました。 真の父母によって個人的な壁、家庭・氏族・民族・国家・世界・天地の人類の家庭を祝福して、アダム家庭で恨めしかったことを蕩減復帰し、天の眷属を率いて天国に入るにあたり霊界がそれを歓迎することによって……、彼らを解怨成就するためには、サタン世界の主犯である者たちも皆、エデンにおいて兄が弟を殺した因縁を世界的な版図に立て、復帰された兄を中心として、真なる神様と真なる父母の愛の心情をもって、これまで長子の立場でサタンと共に守ってきたものを解放しなければなりません。 今日、そのような祝福の日を共に許諾してくださった恵みを、天の前に感謝申し上げます。お父様……、今やすべての霊界にいる霊人、全世界の万民は、今日この場を見つめておりますから、ここにイエス様を中心として四大聖人と数多くの善霊、さらにはアダム家庭で成せなかったことを解怨成就するために、サタン圏内でこのすべての啓示を受けた者たちを、共に祝福してあげることによって彼らが天に抱かれ……、サタン世界に対して、サタンに対して反旗を翻すことで、サタンを屈服させるとともに、天の祝福圏に同参することとなりました。 億千万世の時間を通じてできない道を、偽りの父母によってまかれた偽りの血統を刈り取ることによって、真の父母の勝利的な権限をもって長子権と次子権、霊界と肉界が分かれたのを、統一的な精神の愛の心情、エデンの家庭で望んだ所願の心億……、世界的な家庭圏を超えて天国を全人類と共に直行できる開放の日、解放の日として祝福することのできる、この時間を許諾してくださったことを心から感謝申し上げます。 イエス様を中心とした四大聖人、数多くの良心的な人物、霊界の先祖たちが祝福を受けることによって、地上に連結したその子孫はもとより、その教団的な子孫までが解放圏を備え、真の父母の解放的な天宙開門の役事に同参することのできる祝福を許諾してくださいましたことを、万民を合わせて、神様と真のご父母様の前に感謝いたします。 今日、この一億二千万双、三億六千万双を準備する、このすべての者たちが、人類と共に地上・天上の開門にあって、神様が、天国に直行できる高速道路を築かせてくださったことを感謝、感謝、感謝いたします。この日のすべての聖なる式典を直接、主管なさって、無限なる祝福と永遠なる解放と永遠なる自由と勝利の天国に前進、前進、前進することを、今日、この祝福の場所において、全宇宙と全体の人類先祖、子孫全体の前に宣布いたします。 この道に従って天国の国民となり、天国の子女とならせてくださった恵みに心から感謝しながら、すべてを勝利の結果となり得る式典となったことを、神様と真の父母のみ名によって、天と地、全体の万象の前に宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン! み言 これまで全部で何双やりましたか? 三十六億双です。以前に九十八億と言いませんでしたか? ですから、五十億になるので……、百五十億です。百五十億になったそこにおいて、一〇パーセントを霊界で祝福すると、心の中で考えなさい。そこに付け加えて百六十億、サタンを解放するために霊界祝福をしてあげたという基準を立てておいて、それを今回、発表しなさい。 興進君とイエス様を呼んで、ずらっとその代表を、郭錠煥が聖人たちを中心として予備祝福してあげて、本祝福に加担させるのです。予備祝福をその式場でやらなければならないのです。ですから、全体を代表して郭錠煥が、自分の妻と二人で代表し、全体の解放圏の聖酒を飲むと考えなければなりません。そこに相対できる者、四人聖女ならば四人聖女を中心として、残りの者は郭錠煥が全体の前に天上・地上の解放圏を与えるようにしなさい。夫婦の因縁を結べる自由の解放圏のために、郭錠煥が真の父母を代身し、興進君とイエス様を代身して、第三の真の父母の前に、全世界の家庭連合の会長として予備祝福するようにしなさい。祝福されたすべての者たち、すべての聖人たち、霊界で百六十億を祝福したすべての者たちが、今回、正式にここに共に参席し、解放の宣布をされるのです。このような重要な時期であるということを、宣布しなければなりません。 そこに「サタン血統の断切」という二回を入れなければなりません。その基準を据えたので、サタンの根がなくなるのです。それがすべて兄弟です。神様を中心として、真の父母を中心として、兄弟の立場に立つのです。父母と兄弟の立場に立つので、そこにおいて真の父母は、霊界と肉界を総蕩減するために清算した、このような権威を中心として、神様の代わり、サタンの代わりに、すべての全権をもって決定できるので、こうした内容を決めるのです。 興進君の家庭とイエス様の家庭を代表して、郭錠煥の家庭が祝福することによって、全世界の新しい家庭が霊界と肉界の出発を始めるのです。それによって地上地獄・天上地獄の門が聞かれて、天国まで門が開かれて、誰でも祝福された者は、天上世界に入っていけるようになるのです。しかし、祝福を受けたからといって、カインが直接的にすぐに入っていけるというわけではありません。段階的に教育を受けて、発展過程を経るのです。いずれにせよ、地獄から天上世界に入れる過程のシステムは、霊界で教育を受けることで解放されるのです。 そして予備祝福は、その前にやるのです。式場で本祝福を始める前に予備祝福式をやるのです。ですから、第一式、第二式となります。第一式は霊界統一解放式です。霊界と肉界の統一、地上と天上天国の間に地獄があって、両世界をふさいでいます。天国に行くには数多くの怨讐たちの闘いの場があるのです。これが何かというと、神様とサタン、再臨主と実体の怨讐たち、この二つの群れが分かれて、決戦をやるのです。供え物を裂くのと同じです。 これを合わせるのが真の父母の仕事です。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、神様と一つになり、真の父母と神様が一つになって、分かれたすべての息子と娘が祝福され、連合するのです。カインの群れとアベルの群れを一つにするのです。ですから、ここは(板書をされながら)悪党でしょう。この世で最高の悪党の群れを中心として祝福してあげ、一か所に集めるのです。カインはこれまでサタン世界で長子権を行使してきましたが、これからは真の父母を中心として、祝福を受けた三六家庭から全世界の三億六千万双を中心として、霊界を中心として連結させていくのです。 ここは数が合わなければなりません。地上の代表氏族を中心として、その背後に霊界がどんなに多くあっても問題ではありません。代表として祝福を受ければ、彼らは霊界で代表を通して祝福していくのです。そうして一つにして、祝福圏を地上・天上世界に立てることによって、天国に入れる門に向かい、解放者として教育を受けて、入るようになるのです。 (「お父様、具体的にその日、ご父母様が臨まれた後で、その式をやるのですか、臨まれる前にやるのですか?」)。私が祝福をしに出て来ます。出てくる前にその式をやり、それから祝福式をやるのです。(「それならば待機室におられる時にやるのですか?」)。違います。式場に真の父母がいなければなりません。(「ご父母様は『付き添い入場』の後で出て来られますが……」)。式場に出てきてから真の父母の前でやるのです。(「ご父母様が来られて、私が告文を読む時間があります」)。告文のその時間にやるのです。(「それでは、それは公式的に私が条件を立てて、心の中で祈祷しながらやらなければならないのですか、発表をするのですか?」)。宣布するのです。プログラムに入れなければなりません。プログラムの中間に入れて、「地上・天上解放祝福式」があると言って、宣布するのです。 どうして、それが必要なのでしょうか? 発表しなければなりません。四大聖人の相対が誰であるか発表するのです。郭錠煥が、地上で結婚して暮らした最初の妻、初愛の相手だった妻と相対できるようにしてあげるのです。全宇宙の人たちが、このような原則に従って、無限に霊界で祝福を受けられる特権を許諾してあげたのです。それで、興進君とイエス様に与えた特権よりも……、郭錠煥が霊界を祝福することのできる代身者となるのです。 興進君が全権を与えるのです。そしてイエス様も全権を与えるのです。この二人が祝福をして、郭錠煥を中心として三人が一つになって、地上で門を開いてあげるのです。そのようにすることによって、二人が天上世界においても門を開いて収拾し、真の父母に侍りながら入っていくようになっているのです。そのような基準を合わせるために、このような式が必要なのです。 ですから、まず四大聖人をはじめとして、三十三名を宣布したでしょう? ウルグアイに行って、イエス様を中心として三十三名です。イエス様まで含めて三十四名です。王として仕えられなかった三十三名の王、王として仕えるべきであったのに、仕えられなかったのです。それで三十四か国が一つになって、統一天下にできなかったことを、私がウルグアイに行って蕩減してあげるのです。全世界的にそのような組織をつくるように言いました。それで七百八十人の女性たち、六大機関に百三十名を中心として、これをすべて束ねておいたのです。それを今、韓国も他の国もできずにいます。。 ですから、今から国に戻って、三十三人をこのような原則で集めて、祝福してあげるのです。その次に、七百八十人の女性たちをその代表として祝福してあげれば、男性たちが自動的に回るのです。なぜ女性たちをそのようにするのでしょうか? 地上で先生の側近で侍っていた女性たちは、郭錠煥が霊界の誰かに関われば、そのとおりにしなければならないのです。霊界の人が中心ではないのです。 ですから、先生の側近で侍っていた玉氏のお母さんや承道女史、基完女史をはじめとして……元福女史の三位基台お母様の三位基台などはすべて連結しています。ところが、霊界に行っても一緒に暮らすことができないのです。そこで新たに相対を結んであげなければなりません。一対一なので、皆解いて新たに配置しなければなりません。整理しなければならないのです。 ですから、その者たちをここに集めておき、統一教会の霊界に行った人たちを皆集めておくのです。これまで、統一家において側近で過ごしてきた者たちは、どれほど迫害を受けてきたことでしょうか。夫や息子や娘から迫害されたのです。その夫が嫌いならば、やってあげないのです。あらゆる聖人たちと受けずに、自分の昔の夫が一番いいと言えば、そのようにしてあげるのです。先生の言うことに絶対服従して、先生の言ったとおりに従うならば、聖別し決定して、祝福するのです。 それで、服を三十三着準備したのです。イエス様は以前にやりましたから、三十三着を準備しました。三十三名の名前を呼んでもかまいません。名前を呼んで、それに合わせて祝福してあげればよいのです。そして、全世界の百八十五か国に三十三名を決定するように宣布したのです。各国で三十三名、国家代表に連結させることのできる総体的な人物をまとめるように言いました。そして七百八十名の女性連合の代表者をまとめて、その夫たちが三十三名を祝福するようにするのです。七百八十名さえこのようにすれば、国が一気に動くようになるのです。今回の祝福家庭を盾としながら宣伝し、各国家でこのような祝福をすれば、その国が完全に動くのです。 世界的に公文を送って何度も実践するように言いましたが、ヨーロッパはみなやりましたか? 女性たちを七百八十名選んで教育するのです。南米はみな終わりました。それはむやみにやったわけではありません。イエス様の恨を解かなければなりません。イエス様は三十三歳ですが、その三十三歳は何を意味するのでしょうか? 毎年、三十三か国がその国の王として侍らなければなりません。王の王なので、すべての国家が訪問して侍らなければならないのです。 幼い頃から、生まれながらにして、周辺国家の王たちが礼物を携えて訪ねてくるのです。イスラエルの国だけではありません。周辺にある三十三か国がすべて来なければなりません。イエス様が三十三歳ならば、本来三十四歳になるのです。三十四歳のために出発したのです。そのようにして三十四数が、三数と四数で七数になるのです。さらに三かける四は十二数、すべての数理の数となるのです。イエス様を中心として三十四名、三十四の王です。これを指すのです。そこで一つになっていたら、天下が統一されていたのです。イスラエルがそのような準備をして、各国の王をすべて招侍し、イエス様を中心に立てて侍っていったならば、どうしてイエス様が亡くなることがありましょうか? それができなかったのです。王として来られたのに、王として侍られなかったのです。 それで、先生の時代はどうですか? それまでは王として来たのですが、何ですか? 王として来たのではありません。統一天下の、地上・天上天国の権限をもって来たのです。百八十五か国が、国連に加入したすべての国家が……。私たちが百二十家庭を祝福するということは、百二十国を祝福するということです。……あの時に、そのようにすべてが侍るべきだったのです。それでこそ、イエス様の峠を越えて、世界が統一天下になるのです。それがすべて蕩減なのです。言ったとおりにやらずに皆勝手にやったのです。 それで今後、霊界祝福を宣布したら、問題が起きるのです。宗教界に問題が起きます。「文総裁が何の権限をもって私たちの教主を祝福するのか!」と言うのです。それは違います。その教主たちが実際に願っているのです。霊界で連結して呼んで、自分たちが願う相対、文総裁の前に相対と一つになって、解放されることを切に祈ったからです。自分たちが「今後、私は宗教団体の責任者として、私の団体すべてが祝福の恵みを受けられるように祈ります」と言ったのです。宗教団体の代表が祝福を受けることによって、天上世界の先祖たちも一つになって祝福を受けるので、地上にある宗教団体も祝福を受け、宗教が一つになるのです。真の父母によってです。経典は捨てられないので、今後はそこに統一原理、成約聖書を付加するのです。ですから数年間やって、皆祝福さえ済ませればすべてが終わるのです。経典やら何やら、すべてを中断して、成約聖書、キリスト教の伝統的な歴史によって、単一宗教圏として結実しなければなりません。宗教界は世界的な事件が多いのです。 李相軒氏も知らないのです。相軒氏も霊界に行って原理を中心として、合っているか否かを、踏査しながら照らし合わせて、間違いないので、これを真の父母の前に通告し、さらには、真の父母の手が及ばなかったことを連結しているのです。金日成がどうであるとか、共産世界がどうであるとか、第二次大戦の元凶たちは怨讐で、どのようになるかといったことが、すべて問題になるのです。それをまとめて、先生が全般的な原理の観点から治めてあげなければならないのです。それが結論です。 郭錠煥、宣布式をする前に祈祷するようになっていますね?(「はい、告文です」)。告文。地上に告げるのです。三十三人の代表として、十二人が連結されます。イエス様まで含めれば三十四人です。イエス様が同参するので、三十四人でもかまいません。 ですから、生まれながらにして王として対されず、恨の歴史を残しませんでしたか? それを解いてあげ、そのようにできる立場で、そのような話をする必要はないのです。イエス様まで合わせて三十四人です。もしその数が満たなければ、十二名の代表をしてもかまいません。その相対となるので二十四種類です。十二支派を中心として、天上路程に二十四路程となったので、その数を合わせるために十二数だけ合わせてもかまいません。三十三人、イエス様を中心として十二弟子さえ一つになったならば、天上天下・地上天下が統一される基台となるのです。(二九四-四七、九八年六月五日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.21
コメント(0)
真の家庭と世界平和日付:一九九八年六月十一日場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ・アストリア・ホテル行事:一九九八世界文化体育大典 著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。 私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。 真の愛の創造理想 人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。 それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。 堕落によって失われた真の愛 神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。 神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。 神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。 本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。 人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。 堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。 心身の統一基地 すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。 心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。 このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。 人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。 真の愛の完成 人間世界において真の愛を完成すれば、政治的や文化的、環境的に何か問題があり得るでしょうか。真の愛の世界では、解決できない問題がありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が満ちあふれた自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になるのです。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、根本的な解決が可能です。 人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の子女の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の父母の愛を順番に体恤しながら、完成するのです。 個体について見れば、心と体が一つになるところから真の愛が現れます。その次に、心身一体となった完成した男性と女性が真の夫婦の真の愛を交わし、その次に、彼らが真の神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛する真の父母にならなければなりません。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真の夫婦が一つになって、息子、娘を生むようになっているのです。そうしてこそ、完全で理想的な家庭ができるのです。 父母の真の愛、夫婦の真の愛、兄弟の真の愛、子女の真の愛など、四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が真の家庭です。したがって、真の家庭は人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える所となります。ですから、真の家庭は人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校なのです。このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真の社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現されるのです。 私が常々、地上における真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が形成されれば、地上天国が形成されるのです。真の家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他人の幸福を阻害したり、環境と不調和を起こしたりはしません。いつでもために生きる真の愛によって調和一体を成し遂げる、真の人になるのです。 男性は神様の陽性の性稟を、女性は神様の陰性の性稟を代表する主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化することです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しているのであり、天と地を代表した立場で互いに調和一体を成し遂げるために生まれたのです。すなわち、男性も女性も、本来自分のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するように創造されたということです。真の夫婦はそれぞれ、相対のために生まれたことをはっきりと知らなければなりません。 真の愛は、一人では実現されないと言いました。真の愛は必ず相対的基盤を通して実現されるのです。夫婦間の真の愛は、自分たち夫婦のためだけのものではありません。神様の創造理想を中心とした真の愛です。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって、自分の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。 真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も、家門の繁栄も、この基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え、神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが、究極的な願いになるのです。 家庭の重要性 堕落はアダム家庭から起きたので、本然の姿に戻っていく目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、御自身の理想的な対象となる真の家庭を訪ねてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出せなければ、理想的な国と世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てる原則がここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位になるのです。 堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えたでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。 アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始原となり、人類の平和と幸福の起点になるのです。 真の愛の革命 「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という言葉があります。人類の先祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪の人格、悪の夫婦、悪の父母から、悪と偽りの種が蒔かれたのです。今の時代は、それでもこれまで人間社会を支えてきた父子の関係や基本倫理、道徳律までもがすべて崩れてしまいました。動物よりも劣る破倫行為が起こり続けています。その程度がひどくなっていくのです。エデンの園における堕落によってそのように植えられたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。 本然の真の愛は、時代による発展もなく、そのままで完全なものです。原形そのものが真であり、永遠、不変、絶対的なものです。ところが、人間の先祖が成長期間において未完成のまま堕落し、偽りの愛の始原を形成したのです。利己的で悪の偽りの愛を土台として積み上げた人類文明は、このまま続くことはできません。このままではいけません。人類が滅んでしまうのです。 家庭の基盤が崩れ、子孫が根本的に誤っていくのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味がありますか。歴史的な過ちと不条理は、根本的に清算されなければなりません。人類にとって最も至急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくしては、人類の幸福や平和な世界は望めません。今日の問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。 尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価してくださることをお願いします。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動などを、統一教会の教団的行事としてのみ考えてはいけません。 世界平和は、平和な国家がまずあってこそ、実現されます。国家の平和は家庭の平安が前提でなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富貴や知識が、平和と幸福の必要十分条件にはなり得ません。真の幸福は、所有に比例するのでもなく、外的な生活の利便さによって左右されるのでもありません。このようなものが真の愛と共にあるとき、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。本当の平和も無限の幸福も、真の愛で他のために生きて施すとき、そしてその施したものが全体を巡って再び訪ねてくるときにのみ、確実に得られるのです。 尊敬する指導者の皆様。今に至るまで皆様は、各分野において並外れた信念をもって、人類の福祉と社会発展のために大きな実績をもって寄与してこられたことを知っています。もちろん、その分野においてさらに大きく寄与されるでしょう。しかし今、人類は総体的に危機の時代を迎えています。特定分野だけの備えや努力だけでは足りません。指導者たちが時代の良心となり、積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり前提条件である真の家庭を創造し、指導するために進み出なければなりません。 十三日に私が執り行う三億六千万双祝福結婚式の第一次儀式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、既に神様のみ前に婚約し、神様の真の愛を中心として真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人々です。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通した歴史的な真の愛の革命を勢いよく進行しているのです。 親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うことよりも、さらに急がれることがどこにあるでしょうか。平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参してくださることを重ねてお願いします。 神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。誠にありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.20
コメント(0)
「奉献転換式」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、米国のベルベディア国際修練所で、約五百名の食口が参加する中、第三十六回「真の万物の日」の記念礼拝が行われました。この礼拝で、真のお父様は「すべての存在と歴史的事件の主人は神様であられる」という主題でみ言を語られ、午後二時を期して「奉献転換式」を宣布なさった。 式前の準備 この日の宣布式には、真のお父様の指示によって、父の国の韓国代表十二名が最前列に立ち、母の国の日本代表四十名、三人の娘にあたる台湾・フィリピン・カナダの代表がそれぞれ十二名ずつその後ろに並んで立ち、長子国のアメリカ代表四十名は、彼らを取り囲むようにして立った。それ以外の人たちは皆外に出され、真のお父様は「奉献転換式」の祝祷をされた。 み言 「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり」。この題目は大きいのです。そこには欠けているものがありません。では、世の中に関してはどうなるでしょうか? また、悪に関してはどうなるでしょうか? 悪に関しても神様が主人でしょうか? 歴史的な事件といえば、そこには悪も含まれ、善も含まれているのです。 神様のみ旨が完成した世界になれば、地獄の主人は誰になるでしょうか?(「地獄はありません」)。地獄がないとはどういうことですか? 刑務所は地獄と似たような所ですが、アメリカには刑務所がありませんか? その地獄はアメリカの所有ですか、他の国の所有ですか? アメリカの所有なのです。 それと同じように、神様がつくられた万物は、すべて神様のものにならなければなりません。良きにつけ悪しきにつけ、神様の所有圏内になければならないという結論になるのです。ですから、地獄も神様のものにならなければならないのです。 では、地獄の主人は今誰でしょうか? サタンです。そのサタンは、もともとサタンになる前は誰のものでしたか? 神様のものでしたか、サタンのものでしたか? 神様のものでした。神様が完全にすべての主人であれば、すべては神様のものとして返らなければならないのです。 今日は「真の万物の日」です。今までは自分のものと思っていました。私に属するすべての土地や家は、私のものであると考えてきたのです。皆さんの夫、皆さんの妻、皆さんの息子や娘を、我が息子、我が娘、我が妻、我が夫と考えて、自分勝手にやってきました。それらが堕落後に継承された存在であるということを、はっきりと知らなければなりません。 それを整備するために、私たちが知らない中で、神様が数千年間も役事されてきたということを知らなければなりません。ですから、私たちは所有権を否定しなければなりません。万物をすべて否定しなければなりません。万物をサタン世界で否定しなければならないのです。神様はそのまま取り戻すことができないので、万物を半分に裂いて所有権を決定するという祭物の時代があったのです。神様は強制的に奪ってくることができないのです。 旧約時代は所有権を否定するための時代です。所有権を否定して、神様の所有とサタンの所有を決定するための条件物が祭物なのです。条件物は所有権を決定するためのものであるということを知らなければなりません。半分以上を占領して、その占領した世界に神様の息子と娘を送り、その世界を相続するというのが神様のみ旨なのです。 ですから、旧約時代は万物を犠牲にした時代です。万物を供え物として、神様の所有を取り戻そうとしてきたのです。供え物とは何ですか? 原理ではどのように教えていますか? サタンのものを半分に分けて、所有権を決定するためのものです。それを祭壇を通して神様の前に捧げるのです。民を二手に分けて、祭司長が一つとなって、神様の前に二つとも捧げなければならないのです。分かれた祭司長と民が一つになることによって、分けられた供え物と民が一つになるのです。この二つが一つになることによって、神様の所有権が決定されるのです。こうした概念があるということを知らなかったのです。 供え物を誰が殺しますか? 誰が殺すのですか? 祭司長が殺すのです。祭司長は屠殺者です。この世から見たら、唾を吐かれるような存在なのです。供え物はプラスとマイナスです。民の代わりに殺して捧げた供え物と祭司長とが一つになれなかったので、一つにならなければならないのです。供え物のプラスとマイナス、そして民と祭司長が一つにならなければならないのです。縦横に一つになってこそ、神様が所有することができるのです。ですから、神様の息子が来て所有することのできる地、つまり王権を立てていくのです。王権をつくっていくのです。 旧約時代には、供え物を捧げる法をどれほど厳格に守ったことでしょうか! 供え物を捧げるということは、神様の息子、つまり天国の王者を迎えるということだったのです。神様の息子を迎えるのです。サタンの息子ではありません。サタン世界には神様の息子はいないのです。サタンの息子に来いと言うのではありません。神様の息子を迎えられるイスラエル選民の王権基盤をつくらなければならないのです。 その王として遣わされたのがメシヤです。ですから、そのメシヤの前に民が一つにならなければなりません。ユダヤ教はアベルであり、ユダヤの国はカインです。そのカインとアベルが一つにならなければなりません。一つになって、イエス様を国の王として、仕えなければならないのです。ユダヤ民教は蘇生、ユダヤ教は長成、イスラエルの国王は完成です。ですから、民と祭司長と王が一つにならなければなりません。 民は家庭をもつようになり、父母となって、王の位置に上がらなければなりません。天の位置、真の父母となって王権を回復するのです。ですから、イスラエルの民は、家庭をもって教会と一つになった後で国と一つになり、イエス様を王として、仕えなければならなかったのです。家庭の王、教会の王、それから国の王を復帰しなければならなかったのです。それをしっかりと理解しなければなりません。 これから統一教会は、長子権時代と父母権時代を過ぎて、王権時代に入るのです。ですから、その手続きを踏むべき時が来ました。さきほども話しましたが、先生のお尻に何がぶら下がっていると言いましたか? 旧約時代、新約時代、成約時代、王権時代がぶら下がっているのです。王権時代に神の国を立てたならば、すべてはまず王の所有にならなければなりません。 真の父母が現れてどうなるのでしょうか? 未来の王権を代身した所有物は、私たち家庭のものではなく、貴重に扱って国のものとしなければなりません。国の家庭を代表できなければなりませんし、その国は、世界の王権の物を代身し、世界の民を代身し、世界の家庭を代身しなければなりません。このように連結していかなければならないのです。そうして、全天宙の万物を神様に捧げなければならないのです。そのようにしてこそ、その万物が完全に復帰されるのです。 このように、万物を供え物として犠牲にし、神様の息子を迎える準備をしましたが、イスラエル民族の不信によってイエス様を殺してしまったのです。それで、息子が犠牲になったのです。息子の祭物時代です。ですから、キリスト教が血を流すのです。このように万物の祭物時代が過ぎて、息子が供え物となって血を流す時代直系の子女が血を流す時代に入るのです。 キリスト教はどの国に行っても二つの群れ、、すなわちサタンの群れと教会の群れに分かれて、教会の群れが犠牲になってきました。教会の群れとは、教会の牧師や宣教師たちのことです。地図を抱え異国に行っては血を流してきたのが、宣教師たちの歩みであったということを知らなければなりません。その時、イエス様を代身した教会の牧師と、国を代表した国の群れが、完全に一つになるべきでした。 息子と娘に血を流させ、犠牲にしてきたのは、真の父母をこの地に迎えるためであったということを知らなければなりません。ですから、イエス様が亡くなったのちに再臨時代を預言するのです。イエス様が家庭を築いて、氏族、民族、世界において、イスラエル民族を編成できなかったので、来るべき主がそれを成さなければならないのです。ですから、イエス様が血を流したその場に、父母として訪ねて来られた方が再臨主であるということを、皆さんは知らなければなりません。真の父母です、真の父母なのです。 旧約時代の過ちは、新約時代に蕩減しなければなりません。旧約時代のエリヤが新約時代の洗礼ヨハネとしてやってきたように、旧約時代を蕩減するために「雲に乗ってくる」と言いはしたものの、雲に乗ってこられるのではなく、人として来られるのです。人として来られて、この地上で完成するのです。旧約時代を蕩減し、新約時代も蕩減し、成約時代をも越えていくのです。当時は、エリヤが天から雲に乗って、何か不思議な姿でやってくると思っていたのですが、実際は洗礼ヨハネとしてやってきたのです。 再臨主が来られる前には、世界は全宗派が連合する運動を中心として、洗礼ヨハネのような存在が現れ、統合運動をしなければなりません。世界的統合運動をして、一つの世界にするのです。それで、すべて連合運動をするのです。家庭連合運動、宗教連合運動をして、世界連合体制に入っていかなければならないのです。 自分の財産や息子、娘、自分たち夫婦を投入してでも、天の王権を求めるべし! 歴史はこのように宣言しているのです。自分の国までも投入しなければなりません。神の国と神の家庭、神の父母、神の子女、神の財産へと転換しなければならないのです。皆さんの所有ではありません。アメリカの所有でもなく、キリスト教世界の所有でもありません。すべてを天国に返還してこそ、本然の神様の愛を中心とした本郷が、この世界に定着するのです。 所有権の概念をもってはなりません。私のものだと考えてはならないのです。完全に今日から、この第三十六回は十二の三倍数ですから、三十六家庭に立ち返るべき時となりました。それが家庭的な十二支派です。モーセの時の民族的な十二支派、イエス・キリストの時の国家的な十二支派、世界再臨時代の十二家庭、すべて必要なのです。 周辺のすべてに対する所有権がありません。創造当時には、神様の所有でした。すべてが神様に返されなければなりません。皆さんの息子や娘も、皆さんの息子や娘ではありません。真の息子、真の娘の名を接ぎ木してあげなければなりません。今まで神様の息子や娘がいませんでした。レバレンド・ムーンによって、真の父母によって、真の息子と娘が生まれるのです。神様はすべてを失ってしまったのです。ですから、再創造しなければなりません。誰がそれをするかといえば、神様ではありません。真の父母だけができるのです。真の父母が完全に所有権を神様にお返しするのです。 今や真の父母が家庭をすべて元に戻すのです。三億六千万双の祝福を捧げたのちには、サタンの血統を切るのです。神様が「ついに地上・天上天国で私の家庭をもつようになったなあ! これからは私が主人だ!」と宣布されるのです。本然の理想的観念が出発するのです。堕落によって失ったものをすべて取り戻すのです。再創造過程で経てきたすべての受難の道は終わり、家庭から天宙にいたるまで解放されるのです。既に六月十三日にすべて終わったのです。 完全な種を再創造しなければなりません。完全な種が何かと言えば、真の父母の家庭です。そこに連結して、地上天国と天上天国が生まれるのです。種は同じです。変わりません。完成された真の父母がこの地に現れるようになれば、その一つの種が地に植えられることによって、育ち、花が咲き、実を結び、再び種を生産するのです。一つの種を植えて、収穫するときには、十倍、百倍に拡大するのです。その種の価値はすべて同じです。真の父母の価値と皆さんの家庭の価値が同じだというのです。 ですから、皆さんの家庭の種を地に植えれば、真の父母の家庭の種と同様に、収穫するときは、再びその価値と同じ種が出てくるのです。代々に伝わっていくのです。永遠にその種は同じです。 それはどういう概念ですか? それは何ですか? すべての所有は神様の所有です。すべての万物が私たちのものではなく、神様のものなのです。息子と娘も神様の息子、娘なのです。堕落した世界において、神様の息子と娘をもてなかったことが神様の苦痛でした。いかにすれば、真の息子と娘を取り戻すことができるのでしょうか? 神様が留まることのできる永遠の家庭基盤が、正にアダム家庭でしたが、そのアダム家庭の価値と祝福家庭の価値が同じだというのです。そこには中国や日本といった国の概念があってはならないのです。国の伝統とか何とかいうのは、あってはならないのです。それをみななくして、ゼロにならなければなりません。財産も神様にお返しし、息子と娘も神様にお返しするという心情圏が大切なのです。 ですから、相続しなければなりません。相続して私のものにしなければなりません。国・氏族・家庭の主人になるのです。そこから愛が泉のようにわいて出発するのです。その愛の水が流れ流れて、大きな河となり、大洋となるのです。小さな支流のような家庭や氏族が集まって、大きな河のような国を築くのです。その国が集まって地上天国の大洋へと流れていくのです。 大洋は潮流によって動きます。太平洋には四千五百マイルを流れる黒潮というのがあります。大洋とは別にそのような潮流が流れているのです。それと同じです。天の王権を中心とした中心の潮流、主流が天国の皇族なのです。それが移動、循環することによって、周りもそれについていくのです。すべての被造物、家庭がつられて動くのです。ですから「ワン・ワールド・アンダー・ゴッド(One world under God :神様のもとに一つの世界)」、「ワン・コスモス・アンダー・ゴッド(One cosmos under God:神様のもとに一つの天宙)」を形成するのです。 レバレンド・ムーンが絶対に必要ですか? 私個人にも必要であり、家庭にも、国にも、世界にも、天宙にも必要なのです。他から学ぶものは一つもありません。レバレンド・ムーンが教える内容にすべてが含まれています。真の愛はすべてと連結しているのです。 ですから、今日から皆さんは所有観念、息子や娘という観念、妻という観念、自分という観念を消してしまいなさい。神様の所有という観念をもたなければなりません。今日、このような内容を宣布したのです。何によってですか? 真の愛によってです。それでこそ、真の愛が私のものとなるのです。家庭的な真の愛、国家的な真の愛、世界的な真の愛、天宙的な真の愛が、私のものとなるのです。 家庭的な真の愛とは何かと言えば孝心です。国家的な真の愛は愛国心です。世界的な真の愛を代表するのは聖人、天宙的な真の愛を代表するのは聖子です。家庭から天宙までの愛が私のものになることによって、霊界に行って「堕落する前にアダムが願っていた以上の天宙世界を再創造してください!」とお願いすれば、神様が「よしよし、分かった!」と言われるのです。ダイヤモンドの服も問題なく、数万名を集めて晩餐会を開くことも問題ないのです。信じられますか? 考えたならば、そのとおりに現れる理想世界なのです。晩餐会が終わり、残ったごみも一瞬にして消えてしまい、きれいに片付くのです。元の場所に戻っていくのです。どんなに便利か分かりません。 先生はそのような世界をよく知っているのです。ですから、サタン世界がどんなに反対しても、関係ないのです。怨讐だとは考えません。真の愛の力は、彼らよりも数次元も高いので、それを超えることは問題ありません。真の愛を知れば、怨讐をも超えて愛せるのです。イエス様も十字架上で自らを槍で突き刺した怨讐、ローマ兵のために、神様に許しを求めたのです。怨讐であるローマまでも愛したのです。 旧約時代が私の後ろにぶら下がっています。これを切ってしまわなければなりません。その次に何ですか? 新約時代が私の後ろにぶら下がっています。息子の権威、家庭の権威を失ってしまいました。イエス様が来ましたが、家庭を失ってしまいました。この新約時代を切り捨ててしまわなければなりません。 では今、くっ付いているのは何ですか? 成約時代です。成約時代とは何ですか? 万物も神様のものであり、子女も神様のものであり、夫婦も皆神様のものだということです。私たちの人間世界において、自分のものは何一つありません。真の父母の真の愛を中心として接ぎ木をし、万物も本然に戻り、息子も本然に戻り、夫婦も本然に戻ったのです。 では、それらをすべてもった神様は、何をするのでしょうか? それらを処理することは大変です。処理に困るのです。ですから神様は「私は王であるが、あなたがたは王宮をつくって、ロイヤル・ファミリーをつくって、あなたがたがすべてもちなさい。すべては私の所有であり、私の息子と娘であり、私の家庭であるが、すべてをあなたがたの家庭に相続してあげよう!」と言われるのです。王に代わる家庭の夫婦となり、王に代わる息子、娘となり、王に代わる所有権をもって、神様に代わる主人の役割を間違いなく果たすのです! アーメン 「私は王であるが、あなたがたはロイヤル・ファミリーをつくって、代々にわたって発展し、家庭が氏族に、氏族が民族に、それから千代、万代の王となることができる。そのような家庭の王となるならば、祝福した私よりも立派ではないか!」と言って、神様は「ハッハッハ!」と笑われるのです。それで皆さんが「ありがとうございます。アーメン!」と言えば、神様は「万歳!」を叫ばれるのです。 ですから、すべては教会の所有にしなければなりません。郭錠煥! 家庭連合の所有権を個人から教会に移転する公文をつくりなさい。それは自分のものではありません。教会のものでもありません。国のものですが、日本や韓国のものではありません。国を超え、世界を超え、宇宙を超えて、神様のものです。神様のものになってから私のものになるという、但し書きをつけなければなりません。そのような公文をつくって世界に送り、所有権の移転時代に入るのです。 祝福を受ける前に、所有権の移転時代に入らなければなりません。これが逆になっています。日本は責任を果たせませんでした。この者たちが、その責任を果たせなかったのです。自分の所有権をもって、皆その上であぐらをかいて、自分の息子や娘を中心として自分の妻が暮らせる生活費を残し、今まで真の父母の命令に背いてきたのです。責任を果たせなかったのです。 今回、李相軒氏が送ってきた手紙を見ても、イエス様を含めたすべての人が、真の父母が来て霊界を統一することを願っている、という内容がありましたね? どれほど待っていることでしょうか? その日が待ち遠しいのです。「真の父母という方が来てくださったら、ああ、地獄の門が解放されるのに……」と言っているのです。それで今朝それを宣布したのです。 祝福家庭の息子や娘をすべて神様の所有とし、先生が祭司長となって、裂かずにそのまま祭壇の前に、神様の前に、真の父母と共に奉献するとしたならば、皆さんはそれを願うでしょうか、願わないでしょうか? 願うのです。それが皆さんの正直な思いなのです。世界の祝福家庭を、解放的な天国に直行できる家庭として連結するには、真の父母がいなければならないのです。それを願いますか? 目、鼻、口、細胞まで、数百兆の細胞まで、両手、両腕まですべて天の前に……。皆さん、間違いなく約束するのです。皆さんが教会に任せた所有は国のために使いますが、任せた所有を先生が容認して、売って使っても構わないのです。歴史上はじめて天の国が出発するのですから、そこに皆さんの財産となるすべてを捧げるのです。それは皆さんの財産ではなく、神様の財産になるのです。どれほど光栄でしょうか。 では、皆さんは今日帰って、皆さんの財産、皆さんの息子や娘、皆さんの夫や妻を、すべて天のものとすると、夫妻でサインをするのです。今後、決められた用紙が出るのです。そのように教会の所有として移さなければなりません。しかし、その所有は教会で勝手に使うことができません。教会の所有までもプラスして、国を復帰する運動をしなければならないのです。すべてを国の所有として捧げなければなりません。さらには、その国の所有を世界の所有にしなければならないのです。三回です。 教会の所有になれば、国の所有にします。国の所有になれば、世界の所有にします。世界の所有になれば、さらには天宙の所有にするのです。天宙の所有になれば、神様の所有にします。それから神様の所有が、私の所有となるのです。アーメン! これっぽっちの小さなもので世界を接ぎ木して、世界をもつことができるのです。それをはっきりと知らなければなりません。 それで家庭の所有を教会に任せるのですが、それは教会のものになると同時に、教会を超えて国のもの、国を超えて世界のもの、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のものとなるのです。所有権を移転させて、主人のもとに行かせるのです。 その所有を、真の父母の家庭のために使いたいですか、真の父母の国のために使いたいですか、天上天国の神様のものとして使いたいですか? どうですか? 皆さんの所有を任せるならば、世界を超えて宇宙のもの、宇宙を超えて神様のもの、神様を超えて私のもの、このようになるのです。自分自身は小さなものを捧げますが、そこには国が付加され、天宙が付加され、神様までが付加されて、私に相続されるのです。どれほど次元の高い相続者になることでしょうか! 神様以上の主人になるのです。 皆さんは地上にいるときは有限なのですが、無限の神様や見えない永遠の世界と関係を結んだときには、時代を超越して相対となるので、神様からすべてを相続することができるのです。なぜならば、神様は真の愛のセンターであり、真の父母だからです。神様の望みはそれ以外にありません。神様は既にすべてを創造しておかれました。皆さんは地上で生きながら楽しんで創造生活したすべてを、天国にそのままもって入っていくことができるのです。それは皆さんのものになるのです。アーメン! 「万歳! 万歳! We will do it! (私たちはやります)、I will do it !(私はやります)」と言わなければなりません。神様の恩寵が共にありますように! これから「奉献転換式」のプログラムを始めます。ここに日本から来た四十名が立ちますが、長女十二名、次女十二名、三女十二名、三十六名です。その次に、アメリカ四十名、韓国の十二名です。そうして整列します。日本人が二十名ずつ二列に並び、その前に三か国(台湾、フィリピン、カナダ)の十二名ずつが立ち、その周りにアメリカ人四十名を立てて、一番前に十二名の韓国人を立てなさい。 このドアはすべて閉めて、他の者は皆出るように。こちら側のドアもみな閉めるように。早く出なさい。のぞき見してはいけません。あちらの後ろのドアは閉めなくても結構です。至誠所の門と同じですから、開けておいても構いません。完全に開けておいても構いません。関係のない者は入ってはいけないと伝えなさい。 「奉献転換式」、一九九八年五月二十六日「すべての存在と歴史的事件の主人は神様なり!」これは歴史的な事件です。私たちがこのように何人か集まって、真の父母がこのような役事をするというのは歴史的なことです。真の父母は公的な人間です。横的な面でも公的であり、縦的な面でも公的です。ですから、横的な世界において祝福家庭が終わるときに……。 今年の年頭標語は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。これは歴史的な宣言です。これは世界史的な宣言なのです。神様がどれほど心の中で、この日を待ちわびてこられたかを考えなければなりません。慟哭すべき時間なのです。 神様は父母として、父母の国がなければならず、長子の国がなければなりません。そこで出てきたのがイギリスです。カインとアベルの立場の国が、母の国であるイギリスと一つになって、父母の国をつくり、子女の日を制定していたならば、統一天下になっていたのです。しかし、キリスト教文化圏が反対しました。キリスト教が反対したのです。 旧約時代にイエス様が来て、新約時代の出発をしようとして反対されたように、来られる主の家庭的な理想が完全に破綻させられたのです。荒野に立ってこれまで……、家庭的な荒野路程の四十年において、すべてが分かれてしまったのです。地球星に成約時代が来たので、地球星をすべて天の国として立てて、王権と王宮を回復してこそ、創造理想を願っていたアダムの失敗を復帰することができるのです。そのために、イエス様を立てて国の成就、世界の成就まで延長してきたすべてが終結することによって、神様の解放、真の父母の解放を中心とした地上・天上天国の王権を中心として、このみ業が終結するのです。その終結のための最後の準備式が「奉献転換宣布式」なのです。奉献転換宣布式です。今、ちょうど二時です。 今、真の父母を中心としてこの式をするならば、真の父母が共に立たなければなりません。それを復帰の過程に連結するためには、長子と母が一つとなり、真の父母を復帰しなければならないのです。それでこそ奉献式が終わるのです。そのような過程を経なければなりません。 まず天の前にあいさつして「奉献式を宣布いたします」と言います。奉献式は、先生が神様の代わりに立って、お母様がこのすべてを代身した母の立場に立って「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。その次に共に立って、韓国が「国、南北全体を奉献いたします」と言い、日本もまた「全体を奉献いたします」と言わなければなりません。このように奉献したことを中心として父母の国……、父母から始まって、父母の国を中心として、父母の前に「長子圏が一つになって奉献いたします」と言うのです。このようにして百八十五か国を代表した全体が、父母圏と長子圏と一つになれば、世界がすべて統一されるのです。 (「長子圏の次に、娘の国も奉献いたしますと言うのでしょうか?」)。娘の国もすべて入ります。(「長子圏がするときに、奉献いたしますという言葉を一緒に言うのでしょうか?」。日本がやるときに、三つの娘の国が共にやり、アメリカが長子権を中心としてやるのです。日本が責任を果たせなかったので、三人の娘が必要なのです。それでは二時なので、式を始めましょう。お母様、神様の前に祈祷しましょう。 祈祷 愛するお父様、今日一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」の午後二時を期し、真の父母を中心として、父母としてこの地上でなすべき蕩減的な峠をすべて越えることとなりました。一九九九年二月十三日の三億六千万双の祝福を中心とした一年七か月後には、三億六千万双全体が……、この父母の国と長子権の国が一つになって、全世界が方向を整えて一つの国、宗主国を訪ね、天国に向かって直行する高速道路に乗るべき時代となりました。 ここにおいては地獄が解消され、嘆いていた全人類、天上と地上世界の人々が解放される時代をもたせてくださいました。天が真の父母を愛することによって、今や父母の国を立てて長子権の国を決定したので、韓国の十二名、日本の三十六名を中心としたエバ国家、母の国家が責任を果たせなかったことを、三人の娘の国と一つになることによって四位基台的な基準を復帰し、天使長世界となったアメリカをついに祝福できる時代となりました。 今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダとイギリス、そして第二次世界大戦に属していたすべての国々が合わさり、そこに加担して勝利の統一を願ってきたことを、第二次大戦直後に真の父母を中心として築くべきであった統一王国時代を失ったことを……、家庭的な王国を編成するために、祝福の道を開拓してきた真の父母の苦労に、手をかしてくださったお父様の前に心から感謝申し上げます。 夢のような事実を開拓する路程を、お父様が苦労して開拓されたその日々を私は知っております。誰も知らないこの道を、お父様……、峠を越え、山を越え、大洋を渡り、大陸を渡り、このみ旨を成すために統一家の人たちが、どれほど冷遇され、涙を流してきたことでしょうか。この涙の功をお見捨てにならないお父様の愛に基づいて、真の父母の国を条件的に代わりに捧げ、子女の国をも代わりに捧げ、キリスト教を中心とした統一王国圏を立てることのできる、解放的な世界に前進するようになりました。 これによって南北統一はもとより、日本と韓国が一つの国になり、台湾とフィリピンとカナダが人種を超越して一つになったその基準の上に、アメリカを中心として一つの家庭的な子女の因縁をアダム家庭で立て、神様の愛をすっかり受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的な理想の愛の基準を中心として定着できなかったすべてを、天下の国々を中心として再び安着させることのできる、そのような基盤を真の父母が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますから、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今やお母様が、韓国の十二名と母の国である日本を中心とした台湾、フィリピン、カナダの三十六名と天使長国までを連合させて、ついにお母様と一つになった場を築きました。この二つが一つになった基盤の上に真の父母と一つとなり、神様の前に父母と子女が一つになった、全体の条件的勝利の限界線を越えられる約束の時を迎えながら、このような式を執り行いますので、快くお受けくださいますよう切にお願い申し上げます。過ぎゆくすべての条件が、歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾となり、愛の主権完成の世界へと家庭を超え、国家を超え、天宙全体に神様が自由に往来することができ……、サタン世界の痕跡を取り除いて、解放的な全体圏の中で愛の覇権をもった主権によって治めることのできる、愛の大王とならせてくださいますよう切にお願い申し上げます。このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様……、お受けくださいませ。真の父母のみ名によって重ね、重ね、重ねて、宣言、宣言、宣言、いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 さあ、お母様、こちらに来なさい。では、お母様が前に立ちなさい。韓国と日本が、このお母様と一つにならなければなりません。母の国と父の国が一つにならなければなりません。天使長復帰型の立場において、今やアダム中心線を越えたのです。日本の国と韓国の国が父母の国です。今や祝福したので、これを再び奉献しなければなりません。言葉でなく、実際に奉献をするには、日本と韓国の兄弟たちが一つにならなければなりません。 ここに(板書されながら)何がぶら下がっているかと言えば、三人の娘がぶら下がっています。台湾、フィリピン、カナダがぶら下がっています。それは何でしょうか? 日本は今回、責任を果たせませんでした。韓国に対する責任を果たせませんでした。韓国は祖国光復の道です。韓国という国があってこそ、日本という国があるのです。韓国と日本が天の前に安着してこそ、アメリカがあるのです。これは祝福家庭の国を指すのです。それができなかったので、これを家庭を中心とした祝福基盤として、日本と韓国が父母の国になるのです。そこに天使長だったアメリカが、長子の国になるのです。これはキリスト教文化圏なのです。 真の父母を中心として興進君と、その次には統一教会の祝福家庭、霊界の祝福、地上の祝福が、世界の限界線を越えることによって、キリスト教の次子の立場に立って、キリスト教祝福の世界化時代へと移行していくのです。そのようになることによって、霊界には真の父母のアベル的な祝福家庭である興進君がいて、地上には祝福家庭であるアベル圏があるのですが、霊界にはそれがありません。それで、イエス様を祝福してあげたのです。ですから、カイン圏である地上のキリスト教を統合する運動をして、キリスト教が今回の祝福を主導しなければならないのです。びりになってはならないのです。 ですから、アメリカにおいては六月までに三つの教団の十二万家庭が祝福を受けるのです。これが十二数です。祝福教育を受けるようになっています。ですから、経費は自分たちが払って、真の父母も助けてあげるのです。アメリカも助けてあげるのです。その三つの条件を合わせて、六月までに何としてでも完成しなければなりません。そうなれば、キリスト教文化圏の体質が完全に改善されます。祝福家庭へと向かっていかなければならないのです。 最もきびしい立場にあるのがアメリカです。兄弟の破綻、青少年の破綻、家庭の破綻が起こっているのです。全く系列がありません。父母もなく、おじいさんもなく、すべてがないのです。三大完成圏が完全に破壊されたのです。アメリカのキリスト教がこのようになってはならないのです。既に四十年前に祝福を受けなければならなかったのに、それを失ってしまったので、先生が荒野に行って、その位置を取り戻し、家庭を連結して接ぎ木するという、このような解放圏をつくったのです。それで父母の国、長子権の国が立てられたのです。 これらの国が一つになれば、アメリカの経済圏であれ、何であれすべてが……。クリントン大統領、彼は偽者ですが、外的な面を再び祝福してあげるのです。日本が主導的な役割を果たせなかったので、人れ替わるのです。そのようにして、日本がアメリカに従わなければならない立場に立つのです。 ですから、アメリカが模範にならなければなりません。キリスト教が動くようになるとき、キリスト教に伝統を植えることのできる……。今、統一教会の人々は、今日の奉献式のように、万物の所有、子女の所有、夫婦の所有の全体を天の前に捧げるにあたり、アメリカ式の考え方を脱して、真の父母が伝える天の心情と一体となり、奉献できる模範的な伝統を立てて、キリスト教を新たな第二次革命の基地とし、天の王国と地上天国を復帰する功臣になるべき、長子としての役目があるのです。 すべてをお母様が収拾して一つになり、真の父母と一つになり、再び天の前に連結するようにしなければなりません。その式を挙行しなければなりません。お母様、後ろ向きになりなさい。 よく聞きなさい。真の父母と中心です。さあ、先生について言いなさい。真の父母を中心として、皆さん韓国人は絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。地上の国と天国を完成することを宣言いたします!(「地上の国と天国を完成することを宣言いたします!」)。 日本の食口も同じです。絶対信仰!(「絶対信仰!」)。絶対愛!(「絶対愛!」)。絶対服従によって!(「絶対服従によって!」)。エバの国、母の国を!(「母の国を!」)、真のお母様と一つになって!(「真のお母様と一つになって!」)、天に奉献しようと思います!(「天に奉献しようと思います!」)。アーメン!(「アーメン!」)。この台湾の十二名は長女の立場であり、フィリピンの十二名は次女の立場であり、カナダの十二名は三女の立場にあるのです。この三人の娘は、「日本と完全に一つとなり、父母の国のあらゆる未完成な内容を蕩減復帰し、お母様の行く道の前に遜色なく、完成いたします!」と言わなければなりません。完全に一体となることを宣言いたします!「アーメン」と言いなさい。(「アーメン!」) その次に、周りにいるアメリカ人たちは、国家のあらゆる権限をもって、今、父母の国や、世界の国を保護しなければならないのです。台湾やこのような国々は、力がありません。国の主権がないのです。しかし、この世のカイン的な国家は長子権を代身した力をもっているのです。ですから、弱小国家を保護して、この理念を数多くの国の前に、父母の伝統と長子権の伝統を植え付けることに責任をもちなさい。これからは、そのような責任を果たさなければなりません。 ですから、アメリカの統一教会の人たちは、自分の所有やら何やらすべてを母の国を通して、アダムの国を通して、真の父母を中心として返還するのです。そうすることによって、共有財産、つより天の公的な機関、学校機関、国のあらゆる公共機関の準備を始めなければならないのです。このように各家庭が税金を納めるべき時が来るのです。 それで、そのような条件の出発として……。しっかり聞きなさい。この道は、ただ単に行ける道ではありません。蕩減の道を行かなければならないのです。蕩減です。ですから、いかなる家庭も、皆行かなければなりません。そこで、女性が再び登場するのです。これまでは女性が軸に入れませんでした。そのような意味で、三人の娘もなかったのです。女性を中心として見ると、家庭において父母を中心として息子と娘がいれば、娘にも蕩減条件の数を付加しなければならないのです。四位基台を中心として見れば、娘がいて、息子がいて、母親がいて、父親がいるのです。これを統一的な基準で束ねなければならないのです。このような祭物的な条件によってです。 娘はアメリカの長子権のもとにありよす。娘を中心として十二数の蕩減基金を払わなければなりません。それは皆さん自身の意志によります。十二数というのが条件です。娘をもった統一教会の食口は誰であれ、十二数を条件として娘を蕩減させるのです。娘の解放を中心として十二数を越えていくのです。息子は十二数を中心としてその圏外にあるので百二十数です……。祭物基金として、息子や娘、父親や母親に代わって、蕩減基金を真の父母に献納しなければならないのです。 そうすることによって、真の父母が今までに立てたはしごをみな上っていけるのです。解放圏に立つことができるのです。そのような過程を通して祝福家庭は皆そのようにしてから、国を中心としてはどうするのでしょうか? 祝福家庭は家庭全体を代身して、献納しなければならないのです。家庭が上っていかなければなりませんね? 息子と娘が上っていきましたが、その上に家庭が上らなければならないのです。家庭が連結しなければなりません。家庭全体が奉献しなければなりません。蘇生的な家庭を中心として、長成の位置に上っていかなければならないのです。 その次には氏族編成です。氏族が入籍するときにも奉献しなければならないのです。血の汗を流してでもです。ですから、これから七年間、奉仕生活をしなければなりません。国を中心として新しい七年の過程を経なければなりません。 皆さんは祝福を受ければ、長成期の完成級ですが、真の父母のような七年路程を行かなかったのです。それを越えるために、七年間を中心として、祝福家庭は一族が共になって、越えていかなければなりません。その次は国です。国が天の国に編入するときにも奉献しなければならないのです。六大大陸が編入するときにもそうです。さらに、全世界の統一時代が来れば、天の前に奉献しなければなりません。そのようにしてこそ、すべての祝福家庭、国や六大大陸が、解放される時代へと移行していくのです。それが税金です。蕩減条件税金なのです。 地上に天国が築かれれば、税金をもらいに回る必要もなく、税金を払う必要もありません。自ら天の民として、自分の収人の三〇パーセントさえ払えば、すべての税金は免除されるのです。払わなくてもいいのです。そのような時代になるのです。三・七制です。地上での七千年の七数を完成するのです。その上に三数を連結させて十数をつくるのです。十数は帰一数です。神様の理想的な世界の出発から、完成的な天に帰って、帰一数に再び戻っていくのです。 ですから、祝福も世界化の時代を迎えて、三万双の蘇生を中心に、三十六万双の長成、三百六十万双の完成を中心として、下っていくのです。三千六百万双も霊界の協助ですべてを越えました。四千万という条件をもって乗り越え、すべて三億六千万双時代に着地しました。着地したので、整理しなければならないのです。 三億六千万双という、この世の家庭を完全に統一教会の主流思想にしなければなりません。このようにして、サタン圏の血統を断切できる時代へと移行するようになったのです。このような内容をはっきりと知って、帰ってから実際にそのように行動を始めなければなりません。これを催促されるようではだめなのです。 ですから、これから百八十五か国には、このような準備をするために、天を代表し得る伝道機動隊をつくらなければなりません。教会の伝統をうち立てる伝道機動隊です。霊肉を統一させる伝道機動隊の活動を中心として、統一家の二世たちは皆、どこに行っても借りをつくらず、世話にならず、逆に世話してあげられる伝統を立てていかなければならないのです。そのような為に生きる勝利の基盤に応じて、神様は地上で解放的な行動を開始することができるのです。「アーメン!」となるのです。 その次に問題になるのは何でしょうか? 先生がこれまで苦労して築いたものを、売り飛ばしてしまわなければなりませんか、保護しなければなりませんか? 保護しなければなりません。先生がもし霊界に行ったならば、どうするのですか? 保護しなければなりません。どんな困難があっても保護しなければなりません。これまで先生が韓国で血と汗を流して築いてきた、すべての所有権が侵害されれば、全体が問題になるのです。 先生を中心として、これまで準備した所有権、その所有権の全体が侵害されてはなりません。いかなる困難があっても、侵害されてはならないのです。日本の国を売ってでも、皆さんの家庭を犠牲にしてでも、それを守らなければならないのです。どんなことがあっても、天的なものとして神様に奉献したものを再び売り払うことはできません。 今や国家的メシヤを代表として、今それをなしていくのです。このような原則を中心として、生きるか死ぬかが問題ではありません。独裁者以上の厳格な指令を下して、行動を開始し、このみ旨を完成するのが神様の願いなのです。銃や剣の前に死んでいく以上、脅迫の前に死んでいく以上の環境圏において、真の父母に指示された以上に決意する立場に立って実践し、行使してこそ、天国の民として入籍するのにふさわしいのです。そうでなければ問題になるのです。そのような伝統をはっきりと残さなければなりません。 お母様が前に立ちなさい。気をつけ! 韓国と日本、そして三人の娘と長子圏全体は、お母様と完全に一つになって、真の父母の前に奉献することを願います。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。アーメン。(「アーメン」)。先生が快く受けて、これを天の前に奉献しなければならないのです。 祈祷 二 愛するお父様、今日一九九八年五月、万物が生い茂るこの五月を中心として二十六日、この時間に真の父母の国を代表した父母の実体を中心に、父母の国と父母の国のいたらなかったすべてを連結する三か国の娘の国と、その家庭を取り囲んで保護すべき天使長の立場にあった国が長子圏の立場に立ち、霊界と肉界が分裂したままであった今までの歴史時代は、長子圏が次子を打ってばかりいましたが、今や次子がなくなり、長子だけが残りましたから、絶対的な真の父母の権限を代行できる長子の責任を果たせるようにしてください。 真の父母は心情を中心として彼らを教育して伝統を立てることを行い、アメリカの長子圏は、国の環境的な与件を解決する責任を天の前に果たす決意と忠誠を誓いましたから、快く受け入れてくださいませ。父母の国を代表した代表者、三か国の娘の代表者アメリカ全体が今やお母様を中心として、真の父母の前に組み合わされた全体を真の父母のみ名によって成そうと思います。 エデンで堕落することによって偽りの父母が生まれたときに、万物と子女、すべてを失いました。真の父母を中心とした旧約時代・新約時代・成約時代の完結を中心として、天が天地父母を安着させられる時代を発表することで、天の家庭と天の父母たちが定着できる時代を迎えました。父母の名前で父母の国を策定し、三人の娘と共に足らないところを補い、完成させることを決意し、娘たちを犠牲にすることがあっても、このみ旨を完結すべき世界史的な運動が残っていることを、お父様……、知ってくださり、み意のままに命令してくださいますようお願い申し上げます。 いかなる命令であれ、女性たちが統一された世界に奉献できる道を再度歩み、先頭に立てたとしても不平を言わずに行くことができるように祝福してくださいませ。これらすべてが長子圏と一つになり、今やお母様を通して一つになり、お父様と一つになり、神様の前に横的父母の統一圏を縦的父母の統一圏として完結することによって、地上が解放され、祝福の基盤と天上解放のための祝福の世界を、興進君を中心として、イエス様を中心として、キリスト教文化圏、宗教文化圏、良心文化圏、それから世界の至るところにいるすべての悪党の群れまで、マフィアの群れまで、テロ集団の群れまでも拡大して祝福しましたから、霊界の地獄の底に行っている者たちまでが、祝福の恩恵を受けられるように門を開いてくださいませ。 系列的な自分のレベルを中心として教育を受け、真の父母の伝統的な思想、愛を中心としたこの新しい勝利的な伝統を、地獄から天上まで立てていけるように真の父母の前に許しましたから、祝福の恩恵圏を天が直接に賜り、お受けくださいませ。 公義のこの時間、真の父母は神様の代身、地上世界全体を代身した代表者の立場、勝利的な真の父母の立場で、偽りの父母が失敗したすべてに対して公的に責任を担い、解放することを祝福によって提示しますから、神様……、この場でそれをお許しになり、万民と万国、地上天国から天上天国にこれを宣布して、今日から解怨成就の喜びをもって天上・地上の解放の行動を開始し、あなたの国の権威とあなたの家庭の権威とあなたの民族の権威を立てさせてくださいませ。サタンを完全に屈服させる勝利の覇権をもった、地上天国へと連結されますようお願い申し上げます。 このすべての内容を、父母の国と娘の国と息子の国を揃えて父母の前に新たに集い、「奉献転換式」を致します。受け入れてくださったことに感謝しながら、真の父母のみ名によって、すべてが勝利的な結果となったことを新たに宣布いたします。 アーメン、アーメン、アーメン! (二九三-一三二、九八年五月二六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
コメント(0)
「転換的な万物解放の日」宣布一九九八年五月二十六日(陰暦五月一日)、イーストガーデン(米国)にて、約二千名の食口たちが参加する中、第三十六回「真の万物の日」を記念する敬礼式の祝祷があり、それを通して「転換的な万物解放の日」が宣布された。 祈祷 愛するお父様…、今日は一九九八年五月二十六日、この日は第三十六回「真の万物の日」であり、統一教会における貴重な祝賀の日でございます。全世界の国家メシヤと幹部が集まったこの式典を、お父様の前に奉献したく思うものでございます。 旧約時代・新約時代・成約時代、、万物の祭物時代・子女の祭物時代・父母の祭物時代を待ち望むすべては、天国の王権と地上の王権を完成するための摂理路程を………、今や「真の万物の日」から全体・全般・全能の権限をもって万物を生畜の祭物として奉献することのできる、祝賀の日をもつようになりました。この日を起点として、家庭的・氏族的・国家的・世界的・天宙的メシヤ……、神様のみ名を中心としてすべての万物は、あなたの所有へと返還される歴史的な大転換の基準を、三十六回日を迎えるこの日から展開し……、今年の標語である「真の神様を絶対に誇り愛することは二億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という最後の終幕を前に、残すところ十九日となった六月十三日まで、私たちが内的、外的に万物と子女と父母を中心として完全に一つとなって、あなたのみ名の前に再び全体を奉献しなければならない地上最大の希望の時がやってまいりますから…、その日に先だって、第三十六回目を迎えるこの「真の万物の日」を、今や全体を返還させることのできる天の所願の時を迎える起源といたします。 今回の集まりに日本から十二名、台湾から十二名、フィリピンから十二名、カナダから十二名、そしてアメリカから四十名、このように集まってすべてを清算する生畜の祭物として立ちました。祭物は今まで二つに裂きましたが……、完全に真の父母の勝利圏、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的な真の父母の権限によって、地上・天上天国を築く、天国の王権再臨を宣布し得る時代が訪れることによってそのすべてを整備し……、地上世界の偽りの父母から展開されたすべて、天上世界の偽りのすべてを、真の父母を通してきれいに清算すべき厳粛かつ歴史的な「真の万物の日」の式典を執り行います。「真の万物の日」を制定すると同時に「真の子女の日」・「真の父母の日」・「真の神の日」の基台を築いたごとく、蕩減の歴史を清算できる今日の式典となるようにしてくださいませ。 今や真の父母は家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとして……、王権を具備し得るキリスト教文化圏から統一天下を成そうとしていたすべてが延長して以来、今やこの時を迎え、三億六千万双を祝福すると同時に、人類の解放を宣言できる時を再び迎えました。父母の国と父母を中心とした統一教会の祝福を受けた地上の家庭と、天上の興進君と相対的に連結した直系外の養子圏・庶子圏に立つキリスト教を中心として、霊界と霊人たちを代表する彼らが祝福を受けられなかったので、真の父母の家庭を中心としたアベル的な父母の権限を中心として、カイン的世界のアメリカを立てて長子権を祝福いたしました。これによって、霊界がそれを統一天下の一つの起源とみなしてくださいますように。そしてアメリカ全体のキリスト教、全宗教、人類が統合できる道を経て、天国の王権樹立を宣布することのできる、その日のために私たちは忙しく動いておりますから、その過程において天の前にすべてが滞りなく運ぶようにしてください。 このような厳粛な式典をこれから奉献しようと思いますから、ことごとく深き心をもってこの「万物の日」を迎えることによって、エデンでアダム家庭が堕落することによって万物と子女と父母が……、王権を中心として天国復帰の世界的な宣布をすることによって、全体・全般・全権・全能の起源を中心として、自由解放圏で主導的な役割を果たすことのできる、主人の位置に立たれましたことを、喜びのうちに受け入れてくださいますようお願い申し上げます。真のご父母様のみ名によって申し上げ、天地の前に、神様の前に、真の父母の前に要求しながら、万民の前に宣布いたします! アーメン! (敬礼式へと続く) 祝祷 愛するお父様……、今日は一九九八年五月二十六日、第三十六回「真の万物の日」でごさいます。復帰摂理の路程における三十六数は、最も重要な数であり、統一家における三六家庭を中心とした十二数と七二家庭、一二〇家庭・四三〇家庭・七七七家庭・一八〇〇家庭・六〇〇〇家庭・六五〇〇家庭を祝福して、帰一数である十番目の三万双の祝福と三万双を蘇生として長成である三十六万双、三百六十万双の祝福完成の峠を越え、四千万双の祝福を宣布することによって三千六百万双という下るべき段階を超越し、三億六千万双という歴史にない大転換を宣布し得る時代を迎えました。 この事実は「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という、創造主たるお父様の宿命的な願いを終結するための、宿命的な因縁をもった、父子関係を提示した真の父母の名前をもつ息子として、偽りの父母の因縁を残した数多くの事情と蕩減の恨を解かなければ、神様の前に恥ずべき過去の歴史を清算しようとしても、清算することができないという事実がごさいましたが、真の父母が現れることによって、天の秘密と地の秘密、サタンのすべての秘密を暴露し、長子権と父母権と王権を取り戻して、あなたの摂理歴史を、縦的な過程と横的な過程を連結させ、万民解放を中心として成約時代を迎え、祝福完成という宇宙史的な天宙の恵みを万民の前に付与することのできる、この時をもたらしてくださったことに感謝申し上げます。父母なる神様の願い、地の父母なる真の父母の願い、真の父母の道理を果たす、数多くの統一家の子女の名分を備えるためにしたがってきたすべての子女たちが苦労した事実……、彼らを礎にして短い間に、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代まで心情的に団結した事実を連結して、私の心と体から統一して、夫婦統一、氏族統一、民族・国家・世界・天宙統一、天の父母と真の父母の実体と一体となり、あなたの創造理想、解放的な愛の主権世界を、個人から家庭・氏族・民族・国家の、全体・全般・全能・全権時代として対応しようというすべてを再び回復し、定着できる時代を目前に控えております。 今回、第三十六回「真の万物の日」を中心として、今やっと神様がアダムとエバの真なる愛の因縁を中心として、真の家庭によって……、万物の喪失、天の子女の喪失、天の夫婦の喪失、天の主権、王権の喪失、この全体の数多くの恨の歴史による蕩減をお一人で担い、無知なる人類の歴史的な背後で徘徊された、お父様の苦労がいかばかりであったかを、統一教会の食口たちは薄々知っております。主体の前に対象的な実体圏を備えるために、恨多き歴史的な神様の心情を代身して、地において真の父母というみ名をもって、個人的な受難の道、家庭的な受難の道、氏族・民族・国家・世界的な受難の道を再び蕩減し……、霊的世界と実体世界、願ってもいない霊界に行っている天上の彼らと地上の全人類を統一するために、真の父母は霊界に興進君を送った後で祝福をいたしました。 地上世界のキリスト教が責任を果たせずに世界的な祝福の限界線を残したのを、今まで統一教会が先頭に立って……、今やそれを越えることのできる時がやってまいりました。そのように越えることによって、天の懐に帰れない皇族圏を解決するという問題をめぐって、世界史的なキリスト教を再び立て、怨讐のような立場、サタンよりも悪い立場に立っていたものを愛して抱き、今や父母の国とその代身となる統一教会と、霊界を代身する興進君夫婦の祝福家庭を中心として、養子のような立場、庶子のような立場にあるこのキリスト教を、イエス様を中心として既に祝福は二十五年前にいたしましたが、ようやく今年の四月十七日、勝利的な時を迎える三億六千万双の祝福を前にし、世界史的な整備をいたしました。 そうして「家庭盟誓文」の第五にあるように、毎日、私たちが主体的な天上世界をはっきりと知って、地上世界、対象世界をはっきりと知って、統一のために促すとともに、促進化させるための前進的な誓いを唱えるために、霊界の事実を地上に引っ張ってきて、真の父母のみ名によって霊界全体の状況を知り、地上においてこれを代置できるものを連結させ……、真の父母が清算しなければ、恨の峠を個人から数多くの障壁と数多くの城壁を崩すことができませんから……、天上世界のすべての内容と地上世界の誤ったものは、堕落した父母によるものであり、サタンと因縁を結んだものですから……、今や三億六千万双を出発する前に、それを清算するために、李相軒氏を通して霊界の事実を地上に知らしめました。 今や私たちは、霊界の諸事実を事実として信じ、地上の真の父母のみ言と一つになって……、霊界と肉界が私の家庭から、私自身から分裂しましたが、統一的な基盤を備えた忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たして、全宇宙の解放圏を形成すべき摂理史的な最終段階に立って、万物から帰るべき時が来たので万物統一圏を宣布し、これをお父様の前に奉献し、子女圏を中心とし、夫婦圏を中心として、真の子女の長子権・真の父母の長子権・真の王圏の長子権を総合して、全宇宙の解放を宣布すべき日が目前に迫っております。この全体を代身した第三十六回「真の万物の日」から、今や一心同体となって、霊界と肉界の全体を統合した立場の個人となり、家庭・氏族・民族・国家・世界・全人類の家庭とならせてくださいませ。 天に直行すると同時に、霊界が弟の立場で共に天国に入ることのできる、特別の恩恵を与える開幕式のごとき、本日、第三十六回目の「真の万物の日」を迎えました。日本が責任を果たせなかったすべての蕩減条件を連結させるために、台湾をアジアを代表した長女の立場に立て、五色人種の中間にある立場にフィリピンを立て、アメリカのエバの立場にあったカナダを全世界のエバ国家を連結した立場に立てました。カナダはアメリカが長子というとき、エバ圏の立場にあるからでございます。この三か国を娘の立場に立てて、真の父母に完全に侍って完全に一つになる立場で、今や万物世界の清算、旧約時代の完結、子女時代の清算、成約時代の完結、父母時代の清算、この地上・天上天国の王権降臨を宣布し得る時代を迎える、厳粛な宿命的課題を前に、第三十六回「真の万物の日」を奉献いたしますから、お父様……、喜びの心でお受けくださいませ。 恨多き復帰の道で万物を失い、子女を失い、父母を失ったその歴史的な事実を、今や、天の真の父母である縦的な真の父母と、地上の横的な真の父母と真の直系の子女が、霊界・肉界において一体となり得る内容を中心として……、養子圏のキリスト教、その代表的な国のアメリカを長子の立場に立てて、天の長子を、長子の国を愛せなかったことを、この次子の立場にあるものを復帰することによって、絶対アベル基準である兄が絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、その二人が一つになって真の父母の前に絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理の道理を果たし、六月十三日を中心として、万国、地上・天上世界の解放圏を宣布する時が来ましたから、急いでこの場を準備いたしました。 お父様…、この神聖なる式典、万物復帰の式典を中心として、裂かれる供え物ではなく、全体をお父様の前に奉献できる生きた供え物、勝利的な供え物として、サタンと関係ないこの万物世界を奉献することのできる、復帰の大転換的世界の奉献を代表して、この式典を奉献いたしますから、お父様……、お受けくださいませ。この万物を愛する息子と娘はサタンが干渉することができず、サタンの干渉できない子女を愛する父母はサタンの国が干渉することができず、父母に代わって愛する真の父母は、サタンの天宙が参席できない勝利的な大解放圏に向かって、この日を記念しようと思いますから、お父様……、喜びの中で霊界に行っている統一家の三六家庭のすべてと、因縁のあるキリスト教宗教圏すべての……、地上で罪を犯した全体を、地上で解消できる時代を迎えることによって、霊界解放の開門、地獄から天国まで高速道路の愛の道を連結させたいのが、あなたの願いであるということを知っておりますから……、誰も知らない中でこの場に来てこの日を宣布することのできる、勝利の日をもたせてくださったことに感謝申し上げます。 アダム家庭一つの祝福を成就することによって、今では万物をあなたの前に寄与することができ、子女もあなたの子女であり、父母もあなたの子女であり……、万物の転換的な復帰の基盤として地上・天上世界まで宣布することによって、自由の解放万物世界から、愛する子女の世界から、子女を愛する父母から、父母を愛する子女から、一体的な解放の歴史が地上万民から、定着することのできるこのみ業を、真の父母、真の神様、真の子女と共に認定しながら、この日を期して宣布いたしますから、お父様……、縦的な真の父母、地上の横的な真の父母、祝福家庭が一心同体となり、失った全体をお父様の前に、万物自体、子女自体、夫婦自体、王権自体をそのまま奉献することのできる、喜びの春に逢うことのできる、転換的な万物の解放の日を宣布いたしますから……、喜びの中でお受けくださいませ。 全天下にこの日を記念し、天上解放・地上解放の万物の主人となられまして、恵みを受ける子女の所有、夫婦の所有、天国の所有になることを、真の父母のみ名で宣布いたしますから、天の父母が共に宣布なさり、天上世界の一つの勝利の日として記念することによって、地上世界・天上世界の解放の基盤とならせてくださいまして……、その上に子女の名分、父母の名分、王の名分を再び回復できる三億六千万双解放、サタン血統の断絶と共に、第四次アダム圏のその時を迎え、全天地の統一、地上・天上天国の解放的な出発の起源とされますことを、真の父母のみ名によって奉献いたしますから、お父様……、受け取ってくださいませ。 この事実を宣布なさいまして、天の天理を立てる記念の日として立ててくださるよう神様の前に神様を代身して宣布いたしますので、霊界の神様もこの真の父母を代身して受けられ、天上世界から地上世界に宣布してくださいませ。真の父母のみ名によって生畜の生きた供え物として奉献しながら、解放的な天上・地上の圏を築いてくださいませ。真のご父母様のみ名によってこの日を期して宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! (祝賀ケーキに点火) 敬礼式のみ言 一八○○家庭と日本家庭、国家的メシヤの代表たちは皆、ここで十二種類のもの、花でも何でもいいのですが、十二種類のものを取って包みに包んで、写真に撮っていきなさい。歴史的なこの大会、万物の転換式を行うことによって、子女たちも引き続いて主管し、父母も引き続いて主管し、神様も引き続いて主管できるのです。 万物を祭物としたのは、子女圏を復帰するためです。旧約時代は子女を探すためのものであり、(新約時代に)子女を祭物としたのは父母を探すためです。そうして今、成約時代まで来たのです。 成約時代は何かと言えば、すべてをもらい受ける祝福です。アダム家庭で誤った愛が出発したので、万物を祭物とし、子女を祭物とし、父母を祭物としてきたのです。そればかりか、神様とすべての宇宙が祭物的な立場に立って、サタン圏と天圏が闘ってきたのです。血を見たのです。 全世界の人類がアダムー家庭ゆえに、そのようにしなければならないのです。すべての女性はエバとして来たのです。これまで祝福を受けた皆さんは、まだサタン圏内にいます。三億六千万双の峠を越えられませんでした。解放的な世界に至れませんでした。それで地上に着陸して、今日このような宣布を行ったのは、すべての所有はまずアダムとエバのものにならなければならないからです。まず、神様のものにならなければなりません。その後に子女のもの、その後にアダムと祝福を受けた家庭………。その後、アダム家庭で王権時代を築いて、氏族の王、民族の王、国家の王、世界の王権時代に発展し得るすべてを総合した蕩減的なこのみ業を成すために、旧約時代、新約時代を経て成約時代を迎えたのです。 成約時代とは何でしょうか? 真の父母はこれまで苦労してこられました。息子が苦労するのは、真の父母がこの地上に来られるようにするためのものなのですが、キリスト教が血を流して子女の立場で真の父母が来られるようにするみ業を成就できなかったのです。キリスト教が真の父母に反対したので、それが延長して真の父母が家庭を失ったのです。 ですから、個人の救いではありません。家庭を救って、天の国をこの地上に君臨させるのが目的です。しかし、それがなされていないのです。そこで、三億六千万双を完結して、サタン世界の血統を断絶すれば、世界は完全に真の父母の世界に帰っていくのです。 ですから、真の父母はどんな王になるべきでしょうか? 万物の王になるべきでしたが、万物の王になれませんでした。万物の主人になれず、子女の王になれませんでした。そして、その次には夫婦です。皆さんはまだ真の愛を完成していません。皆さんの家族を見ると、物も天のものになっていませんし、息子や娘も自分勝手ですし、皆さん夫婦もいい加減です。この三億六千万双が成就することによって、全世界が真の父母を中心として、父母として迎えることのできる父母の王が出発するのです。父母の王権が出発するというのは、アダム家庭を完成して家庭の王が出発する、というのと同じ意味です。 ですから、アメリカが一つの体のようになって、真の父母の前でこれが長子、父母の国……。本来は、韓国とイギリスが父母の国になるべきでした。そして、アメリカが長子となり、フランスがアベルとなるべきでしたが、彼らがむしろ反対をしたのです。キリスト教文化が反対し、旧教と新教が反対し、人類が反対したので、完全にサタン側に落ちました。これを再び、家庭を中心として十字架の路程を歩んだのです。ですから先生が、心情の十字架を背負ってきたということを知らなければなりません。心情の十字架です。 家庭が問題です。聖進君の母親から何もかも……。聖進君の母親が絶対信仰・絶対愛・絶対服従したならば、統一教会に今日のような悲惨な事はなく、先生には一生苦労がないのです。そうなれば、韓国も南北に分かれることはありませんでした。先生の家庭と一族がすべて分かれることで、韓国が二つに分かれ、すべてを統一できるキリスト教が、旧教と新教が統合できず、そのままサタンの祭物となって、天の家庭の破壊の旗手として登場したのです。キリスト教が共産党と結託して統一教会を売り飛ばす、そのような受難過程を経て、今や、この家庭全体が世界的に歓迎される時が来たのです。 また、青少年問題と家庭破綻の問題は、アダムが結婚を誤ってこのようになったのですが、これが世界的な事件になっているのです。神様も堕落したアダムに手をつけられず、サタンも手をつけられないのです。ですから、神様もお手上げで、サタンもお手上げでした。ですから、どこにも行くあてがありません。自分たちとしては、この道だけは行ったことがないのです。 世界を所有するためには、神様の理想世界、一つの世界を所有するためには、原理原則に立脚した内容を備えなければなりません。これからはそれを備えて、世界に行ける一つの個人的な完成、家庭的な完成、氏族的な完成、民族的な完成、国家的な完成をしなければなりません。これを連結するために、祝福家庭は「家庭的メシヤ」というのです。 その次に氏族的メシヤです。イエス様は氏族をすべて束ねることができませんでした。家庭を束ねて、氏族を束ねることができなかったのです。それで、氏族的メシヤを宣布したのです。ところが、氏族的メシヤが責任を果たせませんでした。世界的なメシヤ基盤を築いていくにあたって、韓国では氏族的メシヤ……。南北を統一するには、共産党以上、金日成以上に、一生懸命に神のみ旨に従っていかなければならないのに……、天の主人たる真の父母が、この世界をすべて救うために歩んでいかれるのに、家庭において皆泥棒をしたのです。完全に破綻させたのです。それによって国と共に滅亡段階に入ったのです。これが韓国の通貨危機です。このような時代になったのです。 ですから、政治はもとより、経済もすべて破綻するのです。宗教、キリスト教もみな終わりました。すべておしまいです。文化をはじめ何も自慢するものがありません。唯一、真の父母を中心として自慢できるだけです。その内容は何かというと、真の父母が経てこられた歴史です。真の父母がどれほど天の国の文化を愛し、どれほど教育し、どれほど宗教を愛し、どれほど国を愛し、どれほど世界を愛してきたかというのです。神様は創造理想の全分野にわたって迫害され、その段階からこのような世界的な条件をすべて立ててこられたのです。 六月十三日の一次祝福式が終われば、百八十五か国の国家メシヤを中心として、その国から三人を選び、まず海上から先生の生活の伝統を受け継がなければならないのです。 一六○が何かというと、私たちの一六○家庭です。韓国動乱に参戦した国連軍も十六数です。十六数なのです。それを代表できる魚を取って、天の前に、神様の代わりに、真の父母の代わりに、神様の息子の代わりに魚全体を生きた供え物として捧げる、そのような式を行わなければならないのです。それで、十月十日にパンタナールに行って式を行い、それから、ウルグアイに行って訓読会の伝統を立てるように指示したのです。 今後、残されたことは何でしょうか? 先生は霊界に行くのです。今後、真の父母はいなくなるのです。真の父母の息子や娘たちも皆逝くのです。逝けば、この地に残る生は、真の父母から残されるのです。真の父母の子女から残すのです。真の父母の血統による一族が残すべきものは何でしょうか? 主体の前にサタン世界は対象なのです。皆さんの子孫が、み言を絶対信仰しなければなりません。 原理のみ言というのは、神様が絶対に信じてこられたのです。そのようにしなければならないのです。この峠を越えることによって、絶対愛の相対を求めるのです。無限に投入して、投入して、忘れてしまい、為に生きて、為に生きて、忘れてしまえる愛を抱いた者だけが、天の直接の愛と生命と血統を受け継ぐ、直系の子女としての資格をもつのです。 それが個人から世界に平準化、代表的家庭が接した世界になるとき…、神様と真の父母の前に相対的な家庭となるとき…、それは家庭的メシヤの完成、氏族的メシヤの完成、国家的メシヤの完成、世界的メシヤの完成をしたという資格を……真の父母を認定すると同時に、真の父母の子女の名分をもった祝福家庭が、その前に立つとき…、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤの上に立って、神様が「すべて完成した。みな成就した」と言えるのです。そのように神様を中心として、真の父母の実体の前に対象的な家庭をもった民族、国家、世界の代表者になってこそ、相続がなされるのです。 今、家庭では相続できないのです。皆さん、個人が祝福を受けることでは、相続は成されません。サタン圏をすべて超えて、第四次アダム圏、第四次アダム圏の代表になれる人類の代表、人類の個人的代表家庭・氏族・民族・国家のすべての結実が、真の父母なのですが、神様自体の実のような種が移されることで、そこから皆さんが自分の子女を祝福する時代へと展開していくのです。その時から地上・天上天国が連結されていくのです。そのような時代に移行していくのです。 なぜ、このようなものを写真に撮っていけと言うのでしょうか? 皆さんが百八十五か国に行って……、今日ここに十二種類を広げて、それを写真に撮って、石の箱に入れて、写真の品物が何だったか、はっきりと見えるようにするのです。十二種類を写真に撮って、どの時代においても、その国の代表的な祭物の足場となるような記念物として残しておけというのです。 万物を愛する、そのような家庭になったときには……。万物は自分の所有ではありません。地上において堕落した人間たちには、自分の所有というものがありません。サタンが盗んでいったのです。自分の体は自分のものではありません。サタンのものだったのです。夫婦は自分のものではありません。サタンのものなのです。これを断切するのです。 アダムとエバが堕落する前は、その所有は神様の所有であると同時にアダムとエバの所有でしたが、これをすべて失ってしまいました。ですから、世界祝福を受ける前に、万物の統合解放圏を成すために……。今日が三十六回です。十二数の三倍。アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭まで三十六数です。それは蘇生十二数、長成十二数、完成十二数の三十六数を代身したものです。これをすべて統合した数です。それで今年はとても意味ある年なのです。そのような式典が今、先生が祈祷することによって終わりました。 この万物を十二種類ずつ取って……。何でもいいのです、何でも! 一つも欠けないようにしなさい。全体のうち一つも欠けてはなりません。そのようにすることで、全世界百八十五か国が今日の解放的祭物をまつり、統一的な所有時代を迎えて……。 これまでは自分の所有時代でしたが、これからはみな教会の所有に移転しなければなりません。所有権を転換しろというのです。自分たち個人が、そのまま所有してはいけません。真の父母の所有権でもありません。教会の所有、国の所有、世界の所有、その次には天宙の所有として、真の父母がこれを神様の前に捧げてこそ、神様の所有となるのです。そこから新たに祝福を受けた血統を通して相続できる立場に立ってこそ、天の国の所有権を引き継いで、自由に振る舞うことができるのです。天の国に直通するのです。妨げるものはありません。祝福を受ければ地上世界・天上世界のどこにでも通じるのです。 このような時代が来て人間が解放圏に立つので、地獄の門も開けておくのです。地上解放が実現したのです。三億六千万双には泥棒はいないでしょうか、マフィアはいないでしょうか、テロ集団はいないでしょうか、ありとあらゆる者が皆いるのです。彼らを祝福してあげるのです。これをなしたゆえに、天上世界の門を条件的にでも開け放ったのです。 だからといって、誰もが皆、天上世界に入っていくわけではありません。そのためには、自分が個人完成して、氏族完成のために投人しなければなりません。個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をしながら上がっていくのです。僕の僕の立場から僕の立場、それから僕の立場で忠誠を尽くして一つになり……、そのように生きた人たちに、祝福を受けられる秩序が生まれるのです。 僕の僕から、僕から、そして養子から庶子の立場に上がっていくのです。庶子は養子の代表者にならなければなりません。それから、庶子の立場から直系の子女の立場に上がっていくのです。直系の子女たちも、自ら生きた供え物にならなければなりません。このようにして、やがて父や母となって、自分たちの息子と娘も生きた供え物として捧げていかなければならないのです。これは裂くことはできません。絶対に一つになるのです。真のお父様の教えに絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。異存はありません。異存はないのです。これまでは勝手にやってきました。これからは完全に一つにならなければなりません。 このようにして、この一つになったものを……。神様が出発当時に絶対信仰したように、真の父母はこのみ言と共に絶対信仰しました。再創造のみ言なのです。復帰のみ言なのです。絶対信仰です。疑いがありません。それが嘘でも絶対信仰するのです。嘘でもサタンの言葉を神様の言葉として信じれば、長成期完成級に行ってそれを神様の言葉として信じれば、サタンが所有権を引き渡さなければなりません。 ですから、今はどんな時かといえば、サタンの役事、反対の役事が起きても、恐れるなというのです。真の父母を愛する心を抱けば……絶対信仰が先立ち、愛の心が先立ち、真の父母を誰よりも思う人は、嘘をついても許されます。そのような解放的な標語を知らなければなりません。 神様は創造当時に絶対信仰を抱かれたのです。絶対的に愛したのです。絶対的に自分を投人して愛の対象をつくりました。それで、父母という形状をもたせたのです。愛の対象、実体が必要なのでつくったのです。天上世界・地上世界において実体がなければ、実体の子女を指示できないので、形状として体をもたなければなりません。これが完成した真の父母の形態です。その次に何ですか? 愛の対象です。神様が地を中心として愛することのできる愛の対象が必要だったのです。その次には何ですか? 繁殖しなければなりません。これが三大要素です。 創造目的の一番目は形状が必要であり、二番目は愛の対象、三番目は繁殖です。垂直で縦的な世界である霊界には繁殖がありません。縦的な世界には面積がありません。ですから、横的な人間の実体世界を中心として、この空間世界の無数の面積の中に、無数の万民を繁殖して、天国をつくるのです。その国を数多くつくっても、それはすべて天国の花と同じです。香りが同じだというのです。それがみな天の栄光となり、天の誇りとなり、愛を中心として永遠に和合する家庭的な理想天国、天上の無限なる世界、理想天国、神様の自由解放圏として、億千万世に、共に生きるのです! アーメンです。(二九三-一一〇、九八年五月二十六日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.17
コメント(0)
すべての存在と歴史的事件の主人は神様であられる第36回「真の万物の日」記念礼拝の御言「転換的万物解放の日」宣布1998年5月26日ベルベディア 統一教会の使命 神様がつくられたすべての万物は、神様のものにならなければなりません。良くも悪くも、それが神様の主管圏内になければならないという結論が出るのです。 では、地獄も神様のものならば、地獄の主人はだれですか?、(「サタンです」)。サタンは本来、サタンになる前に、だれのものでしたか? 神様のものでしたか、サタンのものでしたか?(「神様のものでした」)。すべての存在を神様がつくられたならば、すべてのものが神様のものとして帰っていかなければならないのです。 それでは、この宇宙が生まれる前に、何があったのですか。(「神様です」)。神様です。神様だけがおられましたか?(「愛です」)。愛は見えますか? 愛の実体がないのに、愛はどこにありますか? 愛は概念です。神様にとっても、愛は概念であるということを知らなければならないのです。 ですから、一人で愛の実体に出会うことはできません。二人いて初めて出会うことができるのです。パートナーがなくては、愛は成立しないのです。愛というものは、神様の中の概念としてはあったかもしれませんが、愛という実体はなかったのです。 それゆえ、愛というすべては、主体と対象のペアシステムにならざるを得ないということを知らなければなりません。 鉱物世界は、分子を中心として見るとき、プラスイオン・マイナスイオンがあります。植物界は雄しべ・雌しべ、動物世界は雄・雌、人間は男性と女性です。神様と人間を中心として見れば、神様は夫であり、人間は妻です。夫は主体でなければなりません。 ですから、家庭で夫は神様の代身なので、主体はだれかと言えば、男性であって女性ではない、ということを知らなければなりません。 男性は神様の立場を代身するのです。夫は主体です。家庭の中ですべての主体を代身するのです。アメリカにはそのような概念がないのです。 さあ、ここにいる女性たちは、「私の夫は、神様の代わりに私たちの家で王である」とならなければなりません。男性はすべての主体です。そのことを神様に感謝しましょう。 愛の相対は、頭を下げるところから成されるのです。神様に感謝するとき、頭を下げるのです。すべては、低くなるところから関係が結ばれるのです。下から上がっていって抱擁するようになるのです。そして、踊り歌うようになるのです。 神様が素晴らしいのは、サタンをも愛の相対として対してこられたことです。それゆえ、神様は力で打って屈伏させるのでしょうか、ために生きて打たれて屈伏させるのでしょうか?(「打たれて屈伏させます」) ために生きるため、自己を犠牲にするところに愛が生じるのです。ですから、低く低くならなければなりません。頭を下げるのです。そのように、下から次第に上がってきて、真の愛で連結するのです。下から上がって、神様に侍るようになるのです。これが真の愛の道です。 愛が必要な人、手を挙げてみてください。私的、個人主義を主張するアメリカ人は、どうですか? アメリカ人は、胸を張って威張るのです。それはいけません。 そのような国において、愛はすべて流れていくのです。すべてのものを失ってしまうのです。個人主義的な概念は、サタンから出発します。個人主義の先祖が、最初の存在であったサタンであり、エバです。そこに個人主義の種が植えられたのです。 それが収穫の時を迎えているのです。すべての国を指導するアメリカが、個人主義の国家になっています。プライベート(私的)であることを誇りとするような国となっています。 そのような場所は、サタンの王座となっているのです。アメリカは、個人主義の王様です。これは大きな問題です。頭を下げなければなりません。頭を下げずに上げていれば、相対がいなくなるのです。これがアメリカの現状です。 私はアメリカ人ではありません。外国人です。このようなアメリカの将来は、どのようになるのでしょう? 頭を下げて下に下にいかなければ、アメリカは神様の天国と連結される道がないのです。 どれほど難しくても、頭を下げて、下に下にといかなければいけません。神様の真のパートナーになろうと思えば、僕の僕の立場からいかなければならないのです。そうでないと、神様は切り捨ててしまいます。そのような路程を通過しない限り、神様の本然の理想に連結することができないのです。そのような理想の世界を天国と呼びます。 今、アメリカの人々は、天国ではなく地獄に住んでいます。王様の名前は素晴らしく偉大ですが、それは地獄と連結しています。いかにアメリカを覚醒させるかが、統一教会の使命です。 レバレンド・ムーンは、アメリカを救うために来ました。アメリカは今や、家庭も青年も正しく導くことができません。いかに青年の力を活用できるでしょうか? 理想の家庭も力もないのです。 これは最も惨めな立場です。これがアメリカが直面している状況です。私的な概念を捨てて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。 アメリカは、そのような概念を備えた人と連結して初めて、はっきりと理解できるのです。このような使命と召命をもって、アメリカに来なければならなかったかたがいるのです。その人が、レバレンド・ムーンです。 そうでしょうか、そうではありませんか?(「そうです」)。統一教会員は「そうです」と言いますが、他の人は「そうです」とは言いません。いかに統一教会員が、外の人を消化していくかが問題です。そうしなければ、この国に地上天国をつくることはできません。 真の愛の法則 第二次世界大戦後、四十年間、アメリカは下へ下へと落ちて、サタンの懐に入っていきました。キリスト教の背景を持ったアメリカは、第二次世界大戦後、最高の栄光ある立場にあったのです。 特に、メイフラワー号に乗ってきたピルグリム・ファーザーズたちはアベル型のクリスチャンでした。ヨーロッパのローマカトリックは、プロテスタントに敵対していたのです。 当時のプロテスタントは、世界を救おうという思いがありませんでした。しかし、ピルグリム・ファーザーズたちは、神の国を求めて新天地へと出発したのです。その精神に神様が働きました。神様は、霊界を含むすべての世界を救おうと働かれるのです。 人間の堕落により、霊界と地上界が完全に分かれてしまいました。これをいかに一つにするかが、神様の心の痛みです。 今日まで、神様はどれほど悲惨な立場におられるかをだれも知りませんでした。神様はひとり孤独な王座におられて、サタンが神様を取り囲んでいるのです。 神様がどれほど自由だと言っても、神様ご自身のパートナーがだれ一人としていないのです。神様は平和な場所、統一の場所を求めますが、そこには一人もパートナーがいないのです。パートナーがいなければ、天国をつくることはできません。 パートナーがいないところには、愛も、子供も、家庭の理想もありません。壁ができ、分裂している所には理想もないのです。神様はどれほど惨めなおかたでしょうか。だれもそのことを知らなかったのです。 レバレンド・ムーンが来て、それを明確にしたのです。すべての概念をはっきりとさせたのです。サタンの概念、家庭の概念、国や世界がどこに行くべきかという概念など、すべて明らかにしたのです。 すべての存在は、真の愛の法則に従っていくべきであることも明らかにしました。このような真の愛の法則を捜し出すことは、決して容易なことではありません。とても難しいのです。どれほど蕩減を支払わなければならなかったでしょうか。 神様が天地を創造されるときから、神様の創造目的が始まり、真の法則が出発したのです。神様にとって、愛のパートナーの中心は人間です。本然の人間の先祖であるアダムとエバであったのです。そこには、相対の概念があり、真の愛の理想があったのです。 アメリカの概念は「私」からです。それが間違っているのです。男性の誇りは、その相対の女性です。女性がいなければ、男性は誇るものは何もありません。私的という概念はないのです。 男性と女性は、真の愛を中心とするパートナーです。なぜ、男性と女性が存在するのでしょうか? 真の愛によって生まれ、真の愛によって生き、真の愛によって死に、そうして永遠に真の愛の中で生きるためです。 真の愛がなければ、誕生も、人生も、死も意味のないものとなってしまいます。真の愛の目的に連結できないのです。 神様は心の親であり、アダムは体の親です。心は上を意味し、体は下を意味します。したがって、目に見えない存在は、目に見える存在よりも価値があるのです。 堕落人間は、肉体のほうが心よりも、もっと価値があり、重要だと考えます。一般の人々は、心の重要性を無視して、よく目が見え、よく鼻が利き、味覚も優れ、肉体的に優れていることを求めます。 そのような五官に左右されるのは、サタンにすべて連結しているからです。肉体中心の五官はサタンそのものです。心を中心とした五官は、神側です。堕落世界の人間は、そのことを理解できないでいるのです。レバレンド・ムーンは、このことをはっきりと教えたのです。 心は五感を持ちます。心がいかに体を主管して、五官の主人になるかが問題です。今は堕落によって、心と体が逆転しているのです。体が上になり、心が下になっています。 肉体を中心とする人々が、心を中心としている人々を支配しています。肉体の力が、心の力を下に押しやっているのです。これをいかに逆転させるかが大きな問題です。 そのような逆転をさせるのが、宗教の使命です。宗教世界は、心を中心とした強固な概念があります。しかし、肉体を中心とした世界は、これに対して、武具で身を固めたような強い力を持ってきました。 個人の力、家庭の力、国家の力、世界の力をもって、心と霊界に対抗してきたのです。心はいつも、その肉との闘いに負け続けてきました。地上に何の基盤もないからです。 神様はいかにしたら、これを引っ繰り返すことができるか悩んでこられました。心と体の関係を逆転することのできる中心人物、地上の主人を求めてこられたのです。それが、メシヤ思想です。 「神様の下の一つの世界」 メシヤは、心が常に主体であり、体が対象であることをよく知っているのです。心が上にいき、体が下にいかなければならないことを理解しているのです。 アメリカの女性は男性を主管していますが、これを逆転させることは、メシヤには簡単なことです。アメリカの人々は、私的で個人主義的であることを誇りますが、これを引っ繰り返すことは、メシヤには何の問題もありません。 「アメリカはナンバーワンの国である。神様の下の一つの国である」と誇っていますが、メシヤにはそのようなことは何でもないのです。メシヤは、「神様の下の一つの世界」を築くことができるのです。すべてを逆転させなければなりません。 皆さんは、そのような逆転させる力を備えなければならないのです。その力は、どのようにすれば得ることができるでしょうか? 一人ではできません。神様を中心とした絶対信仰、絶対愛、絶対服従を備えなければならないのです。それがメシヤ思想です。 メシヤは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従でそれらをのみ込んでいくのです。そして、絶対愛をもって、投入して投入して、永遠に与え尽くして、この世界の中心を獲得するようになるのです。真の愛で宇宙全体をつかむようになるのです。それは釣りと同じです。ですから、先生は釣りが好きなのです。 すべての万物の中心は、真の愛です。幼児のとき、子供のとき、青年のとき、大人のとき、そして永遠に必要なのが真の愛です。皆さんは、真の愛が欲しいでしょうか?(「はい」) それを願いますか? 願わない人、手を挙げてください。一人もいませんね。すべてそれを願うのです。 ですから、すべての存在と歴史的事件の主人は真の愛であるというのです。神様でもありません。すべての歴史の存在と歴史的事件の主人は、神様というよりも真の愛であるというのです。 すべてのものは、愛を捜し求めてくるのです。捜し求めてさまようのです。個人は個人なりに、どのように善い家庭を、家庭は家庭なりにどのように善い王を、王はどのように神様の代身となるのかを捜し求めてきたのです。それは真の愛でなければならないのです。 真の愛があれば、絶対的な僕にならなければなりません。オーケー(「アーメン」)。「オーケー」と言えば、全員が神様の子女になり、神様と一つの体になり得るというのです。 ですから、神様のものは私のものであり、神様の席が私の席であり、神様が行く所に私が行き、神様が主人となるのです。女性は夫が神様であるということを考えてみましたか?(「はい」) アメリカは、フリーセックス、ホモ、レスビアン、それから、近親〇姦が行われています。それが神様の国でしょうか? 罰を受けて当然です。アメリカは、全人類に対して強制的にでも、フリーセックス、ホモ、レスビアンを全部滅ぼさなければなりません。神様の力を借りなくても、人間の力だけでそのような国は打って滅ぼすのです。アメリカの現状は惨めな状況です。 どれほどアメリカが素晴らしいと誇っても、このような国は下に下に落ちていき、滅んでしまうのです。いかにそのような状況を克服するのでしょうか? レバレンド・ムーンの助けを借りなければ、何もすることができません。レバレンド・ムーンは神様の絶対的真実を持ち、絶対的愛を持っています。そのかたは統一教会の主人です。 どれほど外の人が反対しても、統一教会のメンバーは決して倒れてはいけないのです。皆さんは、確信を持たなければなりません。どれほど否定され、迫害されても屈してはならないのです。 それを乗り越え、頂上に立って「万歳」と叫ぶのです。サタンもそれを祝して「万歳」と叫ぶのです。その日、私たちは勝利者となり、私たちは天国の主人となり、地獄の主人となるのです。 そのような状態をつくり出すならば、サタンは自然に屈伏して従ってくるようになります。そのときサタンは、「本来のおまえの位置に戻るように そうすればおまえも天のお父様の家族の一員になれるのである」と言うのです。 そうなれば、召命を受けた私たちが完成期を超え、復帰摂理を完成させて、天上・地上天国を完成させて、すべてを終えるのです。「万歳」となるのです。 万歳 「万歳」と一度言ってみてください。万歳(「万歳」) 万歳(「万歳」) 万歳(「万歳」) 話はすべて終わりました。(拍手) 怨讐の国々を一つにする王 すべての存在と歴史的事件の主人は神様です。殺すべき怨讐同士の息子・娘が愛して夫婦になれば、その怨讐同士は友達にならなければなりませんか、怨讐にならなければなりませんか、一つの家族にならなければなりませんか?(「一つの家族にならなければなりません」)。一つの家族にならなければならないのです。 なぜ、そうなのでしょうか? 主人たちも、子女は自分よりももっと良くなることを願うのが天地の原則なので、その王子たちが自分たちよりも幸せに暮らせば、父親・母親も祝福してあげるのです。 自分の息子・娘が自分たちよりも幸せに暮らすのを願うために、自然と一つになる原則がここにあるのです。 アメリカと日本とは、怨讐でした。日本と韓国、アメリカとドイツが怨讐でした。ドイツと英国、英国とフランスも怨讐です。全部怨讐でした。 息子・娘や後孫たちが、自分よりも優れていることを願う真の愛を持てば、自分の息子や娘を怨讐の子供と祝福したとしても、その怨讐同士が愛し合う家庭が家庭の伝統を立てて、自分の家庭よりも素晴らしくなったときには、その子供の家庭に従って天の国へと入っていくことができるのです。 ですから、統一教会員は、アメリカの男性と日本の女性、アメリカの女性と日本の男性と結婚するのです。また、韓国の男性と女性は、日本の男性と女性と交差結婚をするのです。英国とフランスとドイツと交差結婚するのです。 このように結婚させてあげて、悪口を一番たくさん言われる人は、文先生しかいません。しかし最近になって、世界が一つになる道はこの道しかないと言っているのです。 今から怨讐をなくして、平和の家庭、平和の国をつくる人はだれでしょうか? それがレバレンド・ムーンです。家庭的平和の王であり、世界的平和の王です。このような結論が出るのです。ですから、怨讐の国々を一つにする王です。世界を一つにする王です。サタン世界と天の世界を一つにする王なのです。 地上天国、天上天国の王と言われるでしょう。(「アーメン」)(拍手)西洋文明と東洋文明とを、一つにするのがレバレンド・ムーンです。 アメリカには五色人種(すべての人種)、黒白人種がたくさんいて、「神様の下の一つの国」と言いますが、「神様の下の一つの世界」を望むここにいる五色人種が、お互いに好き合って一つの家庭になるのです。神様はどちらを願われますか?(「神様の下の一つの世界です」) 兄弟の中で足の悪い人がいれば、足の悪い人のことをよりかわいそうに思わなければなりません。目がつぶれたならば、同情してあげ、かわいそうに思ってあげるのです。 ですから、アメリカにいる人たち、先進国で豊かに暮らす人たちは財産を売って、飢え死にする二千万人を救う運動を起こさなければならないというのが、レバレンド・ムーンの考えです。それは「万歳」ですか、「不万歳」ですか?(「万歳です」) さて、白人百パーセント、黒人百パーセント、交差結婚を歓迎するアメリカとなれば、「神様の下の一つの世界であることに間違いありません。アーメン。永遠に」となるのです。 ここに来た白人の夫婦の皆さん。日本人の婿をもらい、日本人の嫁をもらおうと考えてこそ、アメリカが「神様の下の一つの国」から「神様の下の一つの世界」へと移行し、この国が世界の祝福を受ける天の国の主流国家として継承されるのです。そうでなければ反対に落ちるのです。 その次には、日本人と結婚して生んだ孫たちは、黒人と結婚するのです。(「アーメン」)。そうなれば、最高の男性です。 それでは、平和の世界の家庭を持とうとすれば、アメリカの男性は、怨讐の国、日本の女性をもらわなければなりません。 日本の女性はアメリカの男性の怨讐ですが、その息子・娘はまた怨讐である白人家庭、黒人家庭、黒人の孫嫁をもらうことによって、世界の平和的な伝統は、完全に成立するのです。その伝統に従っていく世界は、自動的に平和の王国となるのです。 それは、白人同士で生んだ子女や孫よりも、もっと怨讐との関係から生まれた子女や孫を愛するならば、堕落した世界を超えた地上天国になるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 天国に行けば、黒人の顔は黒人の顔ですか、白人の顔ですか? どちらですか? わたしは分かりません。どちらですか?(「愛の顔です」) 愛の顔とは何ですか? 愛の顔は白黒が違いますか? 愛の顔とは何ですか? 愛のパワーの顔です。愛のパワーは何かと言えば、光の中の光です。照らさない所がありません。 この世界は、偽りの個人であり、家庭も国家も同じです。アダム家庭に干渉できなかった神様は、偽りの国家に来られて干渉することができません。家庭にも介入できず、氏族にも、世界にも干渉できないのです。 世界祝福時代の到来 天地が、サタン全権時代として残っているということを知らなければなりません。そのため、地獄が生まれたのです。なぜ、すべてが偽りの世界になったのでしょうか? 過った愛のゆえです。 ですから、すべては神様と関係がないのです。神様は独り残っておられ、全体はサタンに属しています。神様は玉座に座って囚れの身となっておられるという事実を知りませんでした。全部サタンの領域に包囲されているのです。 ですから、神様はこのサタン世界をどのように整理しなければならないでしょうか? サタンがアダム・エバを愛することができませんでした。アダム・エバを愛して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従できなかったので、偽りの父母が生まれたのです。 神様を中心として全世界が一つになれば、真の愛を中心として個人も生き返り、家庭も生き返るのです。氏族も生き返り、民族も生き返って、国家も生き返り、世界も生き返るのです。 世界祝福時代になれば、すべてが祝福圏に入ります。それで、地上がアダムの立場であり、霊界は天使長の立場です。私たちの先祖たちを祝福してあげるのは、天使を救ってあげることです。 ですから、天上世界の先祖たる第一次アダムの代身、第二次アダムが失敗したものを連結させて、興進君が家庭的祝福を受けたのです。霊界にいるのですが、地上で祝福して地上と連結して、世界版図と連結させるのです。 長子権、天使長圏は養子と同じです。血統がつながりませんでした。そのようなものは伝統ではありません。これを全部つなげて、蕩減して、霊界を一つにすることによって、キリスト教さえ韓国と一つになれば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たというのです。 アメリカという長子権、キリスト教文化圏が、真のご父母様に侍っていたならば、第二次世界大戦直後にすべてのことを代行できるのは、キリスト教であったのです。キリスト教ができなかったことを再び取り戻すことによって、父母の国があり、長子権の国があるのです。次子は自然と屈伏すればいいのです。 興進君がなぜ長子かと言えば、真の父母の血統を通して直接生んだからです。次子はイエス様です。興進君と霊的イエス様が、キリスト教に接ぎ木してあげることによってキリスト教が次子になるのです。霊肉が一つにならなければなりません。 今ここに、長子権の発表とともに霊界の祝福が始まるのです。それで、すでに一億六千万双の霊界のキリスト教徒を祝福して、ここに派遣しました。今どれくらい祝福をしたのかと言えば、九十八億双です。(「アーメン」)。(拍手) イエス様も地上で結婚することができず、霊界で独身生活をしていました。その結果、人類は地獄へと行き、父母が分かれたのです。しかし、その霊人たちを祝福し、父母にすることによって、すべてを一か所に集めて家族統一、家庭連合を成して氏族の統一、民族の統一、国家の統一、世界の統一を成し、そして神様を中心として統一天下をつくるのです。 一九七一年一月三日、イエス様の相対が決まりました。そのときは、韓国のキリスト教が、統一教会を信じなければならない時です。金キム日イル成が南下しようとしていたときです。イエス様を祝福したので、キリスト教が先生の言うことを聞いて祝福を始めていたならば、そのときは必ず政府と先生とが一つになって、キリスト教を押し返す時なのです。 そのときに一つになっていたならば、世界のキリスト教が全部巻き込まれていって、韓国を中心として統一的形態が築かれ、北韓を統一し、全世界のキリスト教が合わさって完全に消化され、今日の世界はこのようにまでならなかったのです。 それで七十二か国から、教授、科学者たちを集めて「世界教授協議会世界大会」と「全国勝共決起大会」をしたのが一九八三年です。そのとき、興進君が祭物となっていくのです。 霊界から編成して祝福を一つにまとめるために、キリスト教を取り戻して再び立てたのです。そうして、長子権を立てたので、今になって祝福を受けたイエス様が家庭生活に入るのです。 興進君を兄として、イエス様が弟になって一つになり、真の父母を中心として一つになることによって、国家基準を乗り越えるのです。 ですから、イエス様の立場を定めてあげなければなりません。キリスト教は位置を定めてあげて一つになるのです。キリスト教が今、どんなに統一教会に反対してもアメリカの家庭はすべて、統一教会の食口となっていきます。 三人の娘の立場の国 日本が責任を果たせなかったので、台湾を娘として立てるのです。台湾は、アジアを代表した島国の人たちです。アメリカを代表した島国がフィリピン、英国を代表した島国の立場がカナダです。 三人の娘の立場の国をつくったのです。この三つの国がどこか一つの国でも日本と一つになれば、「母娘協助」した条件が残るのです。そうして、サタンが讒訴する条件をなくしてしまうのです。 日本と台湾は、怨讐の関係です。台湾も昔、中国から島国として分かれたもので、日本とは怨讐です。怨讐が一つにならなければなりません。また、アメリカの統治国がどこであったかと言えば、フィリピンです。 これは全部、日本の怨讐です。日本の怨讐が、日本と一つになるのです。カナダは英国を代表した国です。英国と言えば、先生の怨讐でした。キリスト教が反対したからです。ですから、アメリカのキリスト教は長子権復帰をしたので、英国が生き返ることができ、フランス、ドイツ、全部が生き返ることができる時が来たのです。 日本全体を投入してでも台湾を救わなければならず、台湾全体を投入したとしても、日本を救わなければなりません。フィリピンも同じです。投入して、日本を救わなければなりません。母親の前に、三か国は三人の娘の立場なのです。 サタンが母親を捕らえていこうとすれば、この三人の娘が承知しません。その三人の娘は、先生が絶対に愛する娘です。父と娘の関係です。それが一つにならなければなりません。 復帰路程では、母子協助はありましたが、これは「父娘協助」です。母親がいなかったとしても、代わりに命じることができるのです。「日本が母親として稼いで世界の人たちを食べさせられなかったのを、あなたたち娘がしなさい」と言えば、しなければならないのです。 どこが早く復帰されなければならないのかと言えば、日本よりも娘の国です。日本が責任を果たさなければ、この三つの国が日本に入っていくのです。 ですから、私たちは「島嶼国家連合」をつくり、「半島国家連合」、「大陸国家連合」をつくって、新しい国連を構成できる基盤をすべてつくったのです。そうして、「宗教連合」を国連に加入させ、「女性連合」を加入させ、長子である「青年連合」、次子である「学生連合」を加入させるのです。これが「四大連合」です。 アダム家庭において心と体が分かれたのです。それゆえ、「心的男性」・「体的男性」に分かれました。女性も分かれて、すべて分かれました。これを統一し、心が一つになって、長子権、次子権が一つになって、来られた主を国連にお迎えすればいいのです。 それゆえ、四大連合を国連につくって、国連で「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」を設定して祝賀すれば、統一天下が繰り広げられるのです。(拍手) 国連は国(家庭)の形態を持てませんでした。家庭には父母がいなければならず、息子・娘がいなければならないのです。国連には主人がいません。 平和の世界へと進むレバレンド・ムーンを中心として、失ってしまったすべてを、ここに初めて持っていって接ぎ木することによって、一つの世界の王圏中心国家となるのです。アーメン。 ですから、ブリッジポートには国連大学をつくり、東洋・西洋の統一医学をつくり、それから通信大学をつくるのです。すべての教育問題、医術問題、それから世界の問題を解決できる、すべてのものを準備しているのです。 問題は三か所です。国連機構を動かさなければならず、世界大学連盟をつくらなければなりません。世界の言論を統一すれば、すべてできるのです。ですから、世界の新聞社をつくったのです。今後、世界の大学をつくります。真の家庭、真の理想を中心として真なる家庭を完成するのです。 生涯、絶対信仰 真の家庭は、真の父母が行く道のすべての道を相続したので、皆さんも神様と友達となり、兄弟になり、父母になり得る立場に行くことができる道が、門が開いているのです。 ハイウェイがあるので、車に乗って走りさえすれば、どこにでも行ける道が生まれたということを知らなければなりません。どれくらいうらやましいのか、ということを知らなければなりません。 レバレンド・ムーンを、個人的にどんなに讒訴しようとしたところで、引っかかるところがありません。サタンは世界の個人、全体を動員して、どこでも「引っかけろ、引っかけろ」とわいわい騒ぎ立て、世界を動員して、全部反対しました。「あなたは間違っているので、私の言うことを聞きなさい」と、みな足で蹴飛ばしたのです。 しかし、引っかける人は一人もいないのです。ですから、サタンの前に解放、人類の前に解放です。男性・女性にとって解放なのです。 ですから、レバレンド・ムーンを男性も女性も捕まえて一つになるなら、サタンが払い落とされるでしょうか、払い落とされないでしょうか?(「払い落とされます」) 一つになったことを何で証ししますか? それは、絶対信仰です。生涯、絶対信仰です。生涯、絶対信仰ならば、信じないものはありません。「神様が願われる絶対信仰で動くレバレンド・ムーンのために、返さざるを得ない。私は失敗だ」とサタンは手を挙げるのです。 その次に、絶対愛です。絶対愛は、怨讐まで愛するのです。先生は家庭の夫人たちを全部復帰してくるのです。サタンが奪い取ったからです。王妃から、祖母、母、妻、娘、全部をサタン世界から取り戻してこなければなりません。ところが、サタン世界は奪い取っていこうとするのです。 けれども、取り戻してきた女性たちに、「帰りなさい 皆さんのお父さんが捜すので帰りなさい 皆さんの夫が捜すので、皆さんの王が捜すので帰りなさい」と言いながら足で蹴飛ばしても、帰りません。歓迎しますか、嫌いますか?(「歓迎します」) その国全部、母親、祖父の三代、四代がしがみついて、「レバレンド・ムーンの泥棒」と言いながら、ありとあらゆることをしても気持ちがいいのです。どんなにそのようにしても、心がレバレンド・ムーンに傾くのです。 統一教会で気の狂った女性たちは、「レバレンド・ムーンのような兄がいてほしい。そのような弟がいてほしい。夫がそのようであってほしい。父親がそのようであってほしい。祖父がそのようであってほしい。ああ、王がそのようであってほしい」と言うのです。(拍手) お母様は、それを喜ばなければなりません。そうしてこそ、お母様になるのです。それをすべて抱き、消化し、先生よりももっと愛そうとするのがお母様の心だというのです。お母様は、それを越えていかなければなりません。 王妃の立場で自分の民のように愛さなければならず、祖母の立場で自分の嫁、娘のように考え、兄や夫のように考えてあげる心がなければなりません。 それでは、お母様が横にいるのに、アメリカの最高の美人が来て、「お父様」と言って、背負われるときには、お母様がお尻を持ち上げて背負わせてあげなければならないのです。 そうすれば先生は、その美人を背負ってお母様に「ありがとうございます」と、このように復帰されるのです。さて、お母様は美人ですが、先生は美男子ですか、醜男ですか?(「美男子です」) それゆえ、レバレンド・ムーンは、女王泥棒、祖母泥棒、妻泥棒、娘泥棒と言われるのです。ですから、男性たちはすべて、「レバレンド・ムーンを殺せ」と言うのです。それが天使長です。アダムをすべて憎むのです。サタンは、「エデンで私が奪ってきたので奪っていくのだ」と言うのです。 ですからサタンは、「私はその愛がないから、どうすることもできない。奪われるので殺してしまえ」と言って反対するのです。 それで、その女性たちを取り戻してから何をするのかと言えば、妹の中の妹にしなければならず、娘の中の娘に、妻の中の妻に、それから母親の中の母親に、女王の中の女王にしなければならないのです。そうして、天の国の勝利した女性として登録させなければなりません。心情的に勝利させるのです。 女性たちは、自分でどのようにしても登録できないのです。私が登録してあげなければならないのです。ですから女性たちは、祝福を受けた後にも絶対に、そのような登録をするためには、エバが復帰の過程を経て、家庭全体が絶対服従をすることができるみ業をしなければならない責任があるのです。ノーメン。(「アーメン」) ですから、絶対何が必要ですか?(「服従です」)。信仰 愛 服従 兄弟間に、親子間に、夫婦間に今必要なのです。それは神様自身がそうです。創造された人間を絶対信仰しました。絶対愛をもってつくられました。絶対服従を通して創造されたということを、皆さんは知らなければなりません。 「レバレンド・ムーンの教えは独裁的な教えだ。あれを見ろ」と、サタンは悪宣伝をするのです。「『絶対に夫のように愛し、絶対に父親のように考え、王のように考え、兄のように考えなさい』。この言葉によって、すべてを奪われていく」と言うのです。 レバレンド・ムーンに反対して、「惑わされて、息子が母親に従っていくように、女王に従っていくように従っていく」と言って、反対してはならないのです。 そのようにして、女王から祖母、母、妻、娘を全部奪っていって、一つの家の人をわたしが奪ってくるならば、どのようにしますか? 取って食べてますか、売ってしまいますか、すべてを妻にしますか? 娘にしますか? どのようにしますか? 女王は、女王の立場に立てるのです。女王はサタン世界の女王ではなく、天の国の女王になります。天の国の祖母、天の国の母、天の国の妻、天の国の子女に教育しようというのです。 この天の国、理想的家庭の価値は同じです。「父母、子女、孫まで祝福を受けなさい」と言えば、祝福を受けますか、受けませんか? 祝福は何をつくりますか、理想的なカップル制度をつくり、理想的な天の国の家庭をつくろうとするのは、間違っていますか、合っていますか?(「合っています」) ですから、自分勝手に反対していた怨讐を集めて、従う人と怨讐まで一緒に祝福してあげようとするのです。 カイン・アベル、怨讐を愛することのできる父の立場、夫の立場、兄の立場でこれを代行してあげる人に反対する人が、どこにいるでしょうか? ですから、天下はすべてレバレンド・ムーンに従ってくるのです。 神様の所有を取り戻すみ業 きょうは、「真の万物の日」です。皆さん、物を持っている人、手を挙げてみてください。 今まで、自分に属したすべての土地、家を自分のものだと考えてきました。皆さんの夫、妻、子女を自分の妻、夫、子女だと思って、自分勝手に扱ってきました。それらは、堕落の後に継承された存在だということを知らなければなりません。 これを整備するための神様の歴史は、数千年間、私たちが知らないところでこの役事をしてこられたということを知らなければなりません。 ですから、所有観念を否定しなければなりません。サタン世界で、万物を否定しなければならないのです。神様がそのまま奪ってくることのできる、すべての万物を半分に割いて、神様の所有権決定をする祭物の時代があったということを知らなければなりません。強制的に奪ってくることはできません。これが旧約時代です。 所有観念を否定して、神様の所有とサタンの所有を決定するための条件物が祭物であるということを、私たちは知っています。ですから、条件が所有権決定であるということを知らなければならないのです。 そうして、半分以上を領有するようになれば、領有したその世界に神様の子女を送って、世界の相続を成そうとするのが神様のみ旨です。ですから、旧約時代は万物を犠牲にさせる時代です。万物を祭物にして、神様の所有を取り戻すためのみ業をしてきたのです。 祭物は何ですか? 神様の所有権を決定するものです。サタンのものを半分分け与え、祭壇を天の前にささげ、その民を二つにしておき、ここで祭司長が祭物と一つになって、これを神様の前にささげるために、神様と祭司長と二人が一つになれば、祭司長と分かれた民が一つになることによって、分かれた祭物が一つになり、二つが一つになることによって、神様の所有権が決定するのです。神様の所有権はこのような概念があることを知りませんでした。 祭物をだれがほふりますか? 祭司長です。ですから、祭司長は、民の代わりにほふってささげたので、祭司長と民が一つになって、神様が所有するのです。 ですから、神様の息子が来て、所有することのできる王圏を立てていくのです。旧約時代にその祭物法がどれほど厳格であったでしょうか。 ですから、その祭物をささげるのは神様の息子、天の国の王子に侍るためなのです。サタンの世界に神様の息子がいないので、サタンの息子に来いというのではありません。神様の息子に侍ることのできる王を連れてきて、イスラエル選民の王圏の基盤をつくって、王として送るのがメシヤです。 真の父母を迎えるための歴史 ユダヤ教はアベルであり、ユダヤの国はカインです。カイン・アベルが、一つにならなければなりません。一つになって、イエス様をその国の王としてお迎えしなければならないのです。 ユダヤの国民は蘇生、ユダヤ教は長成、イスラエルの王は完成です。ですから、国民と祭司長と王が一つにならなければなりません。 国民はすべて家庭を持ち父母になって、王の立場に上がらなければならないのです。これは神様の立場に通じます。真の父母となって、王圏を回復するのです。 それゆえ、イスラエルの国民が家庭をもって、すべて教会と一つになった後に国と一つになって、イエス様を王として迎えなければならないのです。 家庭的王の次に、教会の王、その次に国の王です。それをよく知らなければなりません。皆さん、今から統一教会は、すべて長子権時代、父母権時代、王圏時代に入るので、この手続きを踏まなければならない時が来ました。 旧約時代、新約時代、成約時代、王圏時代です。それでは、王圏時代に神様が国を建てられるそのとき、すべては王圏の所有圏が先にできなければならず、家庭の真なる父母が現れて、未来の王圏を代身した所有にならなければならないのです。 これは私たちの家庭のものではなく、大切に侍って国の物にならなければならず、国で家庭の代表をできなければならず、その国は世界王圏の物を代身して、国民を代身して、家庭を代身するのです。これが連結されていかなければなりません。 息子時代は、息子に侍るための準備でしたが、イスラエル民族が不信してイエス様を殺したので、息子が犠牲になりました。息子の祭物時代です。ですから、キリスト教が血を流すのです。 そうして、祭物時代が過ぎて、息子祭物、血を流した直系の子女が血を流す時代に入るのです。キリスト教徒たちは、どこの国に行っても犠牲になってきました。牧師、宣教師がすべて犠牲になったのです。 祭祀をささげるときに、イエス様を代身した教会の牧師と、国を代表した民が完全に一つにならなければなりません。ですから、息子・娘を犠牲にして血を流してきたのは、真の父母をお迎えするためのものだということを知らなければなりません。 ですから、イエス様が亡くなった後に、再臨時代を預言するのです。イエス様が家庭を築いて、氏族、民族、国家、世界に、イスラエル民族を編成できなかったので、来られる主がそれをなさなければならないのです。 イエス様が血を流したその立場に立って、父母の立場を取り戻してこられるおかたが再臨主、真の父母であるということを皆さんは知らなければなりません。 二千年前、エリヤが雲に乗って天から降りてくると思っていましたが、人として洗礼ヨハネが来ました。旧約時代を蕩減するために、「雲に乗って来る」と言ったのです。しかし雲に乗って来たのではなく、人として来たのです。 人として来て、この地上で完成する旧約時代も蕩減し、新約時代も蕩減して、成約時代へと移っていくのです。 エリヤが天から雲に乗って来ると思いましたが、洗礼ヨハネとして来ました。 主が来られるときに、世界の宗派がたくさんあるものを連合する運動を中心として、エリヤのような代身として、再臨主が来られる前に洗礼ヨハネのような存在がやってきます。そして全部統合運動をして、一つの世界をつくるのです。 それで、すべて連合運動、家庭連合、宗教連合、世界連合体制になります。そうして、以前の統一教会の名前は何ですか?「世界基督教統一神霊協会」です。これらを一つにしなければなりません。 神様の目的が一つになることであって、二つでしょうか? その次に何でしょうか? 男性の世界、女性の世界、二つの世界をつくるのです。 第一次世界大戦後に女性の平等権を中心として、「女性の権利を取り戻そう」と反対する運動が繰り広げられたのは、第一次世界大戦以後からです。七十年前、八十年前からです。 アメリカは、キリスト教王国を代表して現れたので、アメリカの女性たちは、来られる主の前に帰るべき女王であり、祖母、母、妻、姉の立場に帰るべき立場にいるのです。それでアメリカの女性たちは、自分の夫と息子・娘を全部コントロールして、女王の立場に立ったのです。 アメリカは、キリスト教代表国なので、女王の立場でアメリカの女性を立てたということを知らなければなりません。主を迎えるためです。そのようにしながら、気が合わなければ離婚を自由化させたのです。天の国に帰るのです。 堕落は二人の恋人をだましたので、終末に女性たちも主を迎えるために二人の恋人をだまします。自分の本当の夫以外に、来られる主は二人の恋人を迎えて夫を立てるので、離婚というものを自由化させたのです。自分の夫以外に他の男性を好きになるのです。それゆえ、女性で男性に多く対する訓練をした人たちが妾です。 マタイによる福音書を見れば、バテシバが現れ、ルツが現れ、タマル、そしてマリヤが現れます。すべて淫行の女性です。彼女たちは、二人の男と対しました。本妻は天の相続ができません。レアとラケルもそうです。ラケルの祝福をレアが奪い取りました。その闘いです。これを取り戻してこなければなりません。 それゆえ、アメリカであれば、アメリカの伝統的に現れたその家庭の伝統が、すべて反対になるのです。 今から先生の言うことを聞いて、過去を悔い改め、このアメリカとキリスト教と国を合わせて、神様の前にささげるべき時が来たということを知らなければならないのです。 しかし、世界はまだ先生のいうことを聞きません。滅びるようになれば、すがりついて頭を下げるべきなのに、下げません。 全世界の王や大統領がどんなに多くても、レバレンド・ムーンが三億六千万双、三十億人類以上を祝福すれば、野党、与党、すべて消えるということを知らなければなりません。そうして、神様を中心とした統一党が生まれるのです。 神様を中心とした所有観念 父子の関係は宿命的です。父母を選挙で選ぶことができますか? 父母が大きくなって、王になるのです。ですから、王を選挙で抽選できますか、できませんか? アメリカの民主主義は、みな滅びつつあるのです。民主主義は兄弟主義です。兄弟はたくさんいます。ヤコブの兄弟は十二兄弟です。その十二兄弟のうち、だれが王になるかというときは、選挙で決めます。 それから、兄弟主義が過ぎ去れば、父母主義が来ます。父母主義は、選挙で決めるのではありません。 さあ、先生が教えてあげる創造理想に外れないモデルが出てくるようになれば、そのモデルのとおりに行かなければなりません。それゆえ、アメリカの国がアメリカのものではなく、神様のものであるということを知らなければなりません。世界のものでなければなりません。それから、神様に帰らなければならないのです。 ですから、「神様の下の一つの世界」です。ですから、神様に侍ろうという話です。それは間違っていますか?(「いいえ」)。それは民主主義の反対ですか? 第二次世界大戦後に、一九六〇年代、先進国が敗戦国を独立させるのは兄弟主義による平等が広がらなければ、ご父母様の前に審判を受けるので、そのようなことが起こるということを知らなければなりません。 歴史はそのようになるのです。ですから、所有観念を消していかなければなりません。所有も自分のものではありません。ですから、イスラエルの人たちがその所有を教会所有に任せなければならないし、自分の息子も自分も、教会所有として任さなければならないのです。 きょうからもう、皆さんの所有観念、すなわち、息子・娘の観念、妻の観念、自分という観念から離れなければなりません。神様の所有だというのです。きょう、このようなことを真の愛をもって宣布しました。それでこそ、真の愛が自分のものになるのです。 先生の後について、皆さんも声を出してください。「物も神様のもの」(「物も神様のもの」)。「子女も神様のもの」、(「子女も神様のもの」)。「夫婦も神様のものです」。(「夫婦も神様のものです」) 私たちの人間世界には、自分のものは一つもありません。こうしてすべてが真の父母の愛を中心として接ぎ木して、物も息子も父母も本然に帰るのです。これらを皆、持っておられる神様は何をされるのでしょうか? それは処理が大変です。 ですから神様が、「わたしは王であり、王国をつくってわたしが王になり、王宮にロイヤルファミリー(皇族)をつくってあなたたち皆がわたしの所有であり、わたしの息子・娘であり、わたしの家庭ですが、あなたたちの家庭に相続してあげる」と言われます。皆さんは王の代わりの夫婦となり、王の代わりの子女となり、王の代わりに所有をもって、神様の主人の代身を間違いなくすることでしょう。アーメン。 神様はまた、次のように言われるでしょう。 「わたしが王をしましたが、皆さんの代にはロイヤルファミリーになって、代々千代の王国へとだんだん発展し、家庭が氏族、氏族が民族、層が重なって王になることができるように、家庭の王となり、祝福したわたしよりも素晴らしくなれる皆さんではないでしょうか」。皆さんはそれを感謝します。アーメン わたしは家庭の王となって祝福したのですが、皆さんは氏族の王、国家の王、世界の王…。神様万歳 そうなれば、統一教会全体に、今こそ所有は教会所有に帰らなければならないのです。所有は自分のものではありません。教会のものでもありません。国のものですが、国だけのものではありません。国から世界を越え宇宙を越えて神様のものとなり、神様のものになってから自分のものになるのです。 それでは結論に入ります。万物と、祝福を受けた皆さんの子女すべてを神様の所有として、先生が祭司長となって、祭壇の前に割かないでそのまま、神様の前に真の父母とともに奉献することを願いますか、願いませんか? すべての祝福を受けた世界の家庭が、アダム祝福を受けた完成した家庭、解放的天国に直行することのできる家庭として、それを連結させなければならない責任があるのです。真のご父母様がいなければそれはできません。 教会の所有に移らなければなりません。そうして、その所有は教会自体で思いどおりにしてはいけません。 教会の所有までプラスして、国を取り戻す運動をしなければならないのです。そして、国の所有にして、ささげるのです。「教会所有を国の所有にします。国の所有を天宙の所有にします。天宙の所有を神様の所有にします。神様の所有が自分の所有になります。アーメン」。(「アーメン」) 家庭の所有を教会に預けますが、教会に預ける日には教会のものにもなりますが、教会を越えて国のもの、国を越えて世界のもの、世界を越えて宇宙のもの、宇宙を越えて神様のもの、神様のものを越えて自分のものになるのです。その所有権の移動をして、主人を捜していくのです。 皆さんは、その所有を真の家庭のために使うことを願いますか、真の国のために使うことを願いますか? 真の地上・天上天国のため、神様のために使うことを願いますか? どちらですか?(英語)万歳、万歳、万歳。 その後、日本人四十人、カナダ人、フィリピン人、台湾人各十二人、アメリカ人四十人、韓国人十二人が真のお父様の指示で整列した後、「奉献転換式宣布」が行われました。 奉献転換式宣布 歴史的な時間です。何人かがこのように集まり、真のご父母様がこのような式をするというのは、ある面で公的なものです。横的な面でも、縦的な面でも公的なのです。 それで横的な世界の祝福が終わるときに行うのです。 今年の年頭標語は、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。これは歴史的な宣言であり、世界史的なものです。神様がどれほど慎重にこの日を待ち望まれたかを考えなければなりません。痛哭すべき時間です。 神様を父母として父母の国がなければならないし、長子の国がなければなりません。それが、イギリスを中心としたカイン・アベルの子女の国でした。 お母様と一つになって、イギリスと父母の国をつくり、子女の国をつくったならば、統一天下ができていたはずなのに、それをキリスト教文化圏が反対したのです。 旧約時代にイエス様が来られたのに、新約時代の出発に反対してイエス様を殺してしまいました。それと同じように、再臨の主が来られたとき、家庭的理想を完全に破綻させたのです。今まで家庭四十年荒野路程において荒野に追い出され、地球星においてこれが全部分かれたので、地球星に侵略時代が来たのです。 それゆえに、地球星を全部天の国にして、王圏王国を回復しなければなりません。そうしてこそ、創造理想として願われたアダムの失敗と、イエス様を立てて国の成就、世界の成就まで延長させたすべてが終結します。それによって神様の解放、ご父母様の解放を中心とする地上天上天国の王圏がなされ、このことが終結するのです。アーメン。 その終結に向かう最後の準備の式が「奉献転換式宣布」です。 〈祈祷〉 愛するお父様、きょう一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」午後二時を期し、ご父母様を中心として、ご父母様としてこの地上で越えるべき蕩減の峠をすべて越えるようになりました。 六月十三日を期し、三億六千万双の祝福を中心として、一年七か月後には三億六千万双全体が、この父母の国と長子権国家が一つとなって全世界が方向を整え、一つの宗主国を復帰し、天国に向かっていくことのできる高速道路を開通させる時代が参りました。 ここにおいては地獄が解消されるでしょうし、嘆息していたすべての人類、天上世界と地上世界の人たちが解放され得る時代を迎えるようにしてくださったご父母様の恩徳を天が愛されることによって、今、父母の国を立て、長子権の国を決定しました。 韓国の十二人、日本を中心として四十人と三十六人を中心とした者たちが、母の国として責任を果たせなかったものを連結させて、彼らが決心して、三人の娘と一つとなることによって四位基台的基準を復帰し、天使長世界になっていたアメリカを、初めて祝福することのできる時代になりました。 今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダと英国、そして第二次世界大戦に所属していたすべての国が一つとなり、そこに加担され勝利の統一を願われていた第二次世界大戦直後に、真の父母を中心とした統一王国世界を失ったものを、家庭的王国編成をするために、祝福の道を開拓なさったご父母様の苦労をお助けになられたお父様の前に、真に感謝を申し上げます。 夢のようなことを開拓するための路程において、お父様がご苦労なさって開拓されたその日々をわたしが知り、だれも知ることのできないこの道を……。お父様 峠を越え、山を越えて海を渡り、大洋を渡り、大陸を渡り、これらを展開するためにどれほど統一教会の人たちが冷遇されたでしょうか。 その涙した涙の功を捨てられることのないお父様の愛によって、ご父母様の国を条件的にささげ、子女の国までささげ、今、キリスト教を中心とした統一的王国圏を立てることのできる解放的世界に前進することによって、南北統一はもちろん、日本と韓国が一つの国になり、台湾あるいはフィリピン、カナダが人種を超越し、一つになったその基準の上に、アメリカを中心として、一つの家庭的子女の因縁をアダム家庭で立て、神様の愛をいっぱいに受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的理想愛の基準を中心として、定着できなかったすべてを、天下の国を中心として再度定着できる期間をご父母様が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますので、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。 今、お母様が韓国の十二人と日本を中心として台湾、フィリピン、カナダの三十六人と合わせた母の国、そして天使長の国まで連合させ、一つになる立場に立って、ご父母様の前にお母様と一つになった立場で、初めてこの二つが一つになった基盤の上に、ご父母様と一つとなり、神様の前に父母と子女が一つになった全体の条件的勝利の限界線を越えることのできる約束の時を迎えて、このような式を挙行いたしますので、喜んで受け入れてくださるよう、切にお願い申し上げます。 進行するすべての条件が歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾の圏としてくださり、愛主権完成の世界に家庭を越え、国家を越え、サタン世界の痕跡を除去させ、天宙全体に神様が自由往来されることができ、解放的な全体圏内で愛の覇権を持った主権を持ち、治めることのできる愛の大王となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。 このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様、お受けください。真のご父母様のみ名によって、再度再度、宣言、宣言、宣言いたします。アーメン アーメン アーメン一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.11
コメント(0)
「地獄解放と天国開門」宣布真のご父母様は、一九九八年五月十五日、ブラジルのパンタナールにあるアメリカーナホテルにて、聖人と殺人鬼を同じ位置で祝福する「地獄解放と天国開門」を宣布された。しかし、この内容は録音されなかったため、下記の内容は、宣布以降にこれと関連した真のご父母様の祈祷とみ言をまとめたものである。 祈祷 愛のお父様……、一九九八年六月十三日を中心とした、三億六千万双の第一次祝福式を挙行することを全世界に宣布するとともに、新しい歴史を育む転換を前にし、このパンタナールに来て、歴史的なすべてを清算することのできるこのみ業を、最も立ち遅れているこの地域で始めました。 また、このアメリカーナホテル……、北米と環境において連結している地獄の底のようなこの地域に参り、あなたの息子、相軒氏が送ってくれたメッセージを通して、霊界と肉界が分かれた統一的な内容、天上世界の実相と全体をはっきりと知るようになりました。成約時代の霊界と肉界を完全に知って、その霊界と肉界にひっかからない、解放された生活を送るべき成約時代の人間であるということを知らなければなりません。ここに依存する全霊界を通じて、そのことを知らせてくれることにより、初めてすべてが分かりましたから……、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければならない、この世界史的な新時代を迎えるようになりましたことに感謝申し上げます。 これから六月十三日のその時まで、霊界と肉界の未知なるすべての事実に、真の父母が責任をもつことを知り……、朴マリアの家庭、イスカリオテのユダ、そしてアダムとエバ自体にさえも、祝福の恩恵圏を万世に開くことを決心して帰っていくこの場を、祝福してくださいますよう切にお願い申し上げます。あらかじめ早朝に天に報告すべき内容が何であるか、すべての事実を既に報告しましたので、 その道をこの地上に事実として展開し、実践実行することのできる、中心的な真の父母の行路となることを覚悟しましたから、その道へと導き、協助してくださいますようお願い申し上げます。 今日以降のすべてを担い、来たる十三日の栄光に、お父様が喜びをもって浴してくださいますよう、切にお願い申し上げます。「霊界と肉界の解放宣布の日」となるよう希望しながら、すべてを計画するこの過程を快く受け入れてくださいませ。許されし恵みに感謝しつつ、真の父母のみ名によって宣言祝福いたします。アーメン! アーメン! アーメン!(二九三-二七九、九八年六月二日) み言 地上で祝福を受けた人の中には、殺人の罪を犯した者もおり、ありとあらゆる者がいるのです。そのような人たちが祝福を受け、解放の恵沢を受けたので、その人たちを中心として、霊界のそのような人たちの親戚を通して、兄だとか天使長の立場にある父母がいれば、代わりに祝福をしてあげ、すべてを解放することができるのです。(二九三-一〇四、九八年五月二十六日) 地上において三億六千万双の祝福が、すべて終わる前、地上に現れる前に、この事実が霊界に先に現われなければならないのです。霊界が先にならなければならないのであって、地上世界が先になってはならないのです。ですから、第一次アダム、第二次アダムが失敗したことを連結させるために、天上世界の先祖となるアダムの代わりとして興進君に家庭的祝福を与え、霊界にいる興進君を地上で祝福することによって、地上と霊界を連結し、世界版図のアベルを中心とした父母を中心として、天使長圏を……。 天使長圏は養子のようなものです。血筋がないのです。これは伝統ではありません。しかし、それをつないで蕩減するのです。分かれた霊界を一つにすることによって、そこにおいて真の父母の国を創建することができるのです。これを中心として、キリスト教が一国家として統一されたならば、世界は一つになるのです。そのような時代が来たのです。(二九三-一五八、九八年五月二十六日) 李相軒氏を神様が特別に使者として送ってくださり、小柄な女性を通して……。監獄のようなところに行って出会ったのが誰かというと、朴マリアと李起鵬、李康石の三人です。息子が父母を殺したのです。また、朴マリア夫婦は、父母を殺したようなものです。この地上に来られた真の父母を殺す悪事を働いたのです。 梨花女子大事件の時、最初は世宗路の家に集まっていたのですが、その時、金永雲教授、梁允永教授やって来たのです。彼女たちはみ言を聞いて、比較していたのですが、その彼女たちを根本から覆してしまったのです。それで、その教授たちを首にし、「悪魔だ!」と宣伝するような立場に立ったのです。完全に統一教会が反対されるようになる過ちを犯した元凶が、朴マリアなのです。 それで李起鵬(朴マリアの夫)が、李承晩博士(大統領)を中心に、妻の言いいなりになって、完全に李承晩大統領と示し合わせ、五大長官に命令し、統一教会をなくそうとしたのです。ですから、父母をとり殺した立場に立つのです。このようなことは、誰に説明してもよく分かりません。 ですから、これを解放しなければ、地獄とすべての霊界が開かれません。イエス様を殺したイスラエル民族、キリスト教は、先生を裏切りませんでしたか? 売り飛ばすようなことをしたのです。そうではありませんか? 朴マリアは、先生に十字架を背負わせ、釘づけにしたのです。二十世紀において十字架を背負ったのです。 ここに来て、私はすべての秘密を暴露するのです。先月の五月十五日の夕方、大転換式を宣言しました。霊界を中心として転換式を行ったのです。そして今回、李相軒氏の第二次の霊界メッセージを、ここに来て連結させるのです。(二九三-二四〇、九八年六月一日) 李相軒氏が霊界から送ってきたメッセージで、朴マリアに関する部分を読んでみなさい。そこでは、何を語っていますか? 神様が朴マリアの罪までも許して、解放してあげることを望まれ、天の使者を李相軒氏に送り、朴マリアに会わせ、李起鵬に会わせ、李康石にも会わせたのです。 その人たちに会ってから祈祷をしたところ、神様が「どんな気持ちか?」と語りかけてこられ、李相軒氏が悲しんでいるのを察すると、「神の愛する子女たちがこのまではいけない。解放してあげなければならない。それはおまえの責任である!」と語られたというのです。それはどういうことかと言うと、「統一教会の先生に報告しなさい」ということなのです。彼らは怨讐の中の最悪の怨讐なのに、神様が彼らまでも許してあげる心をもたれて、特別に使者を遣わして案内をしたということを、ひしひしと感じたというのです。そのような内容をもってどのようにすべきか、霊界と天使たちが妥協してきたのです。 神様が李相軒氏に「それはおまえの責任である」と語られたその言葉の意味は、統一教会の先生を通じて、許しの道が開かれるということなのです。真の父母の前に犯した罪は、家庭的に犯したものです。朴マリアの家庭が罪を犯したのです。朴マリア家庭の父母が、真の父母を追い出し、真の兄を追い出したのです。それで、サタン世界の実の息子が父親と母親を撃ち殺したのです。反対の役事をしたのです。 ですから、李康石がかわいそうだというのです。李康石がサタン側の自分の家庭を壊してしまいました。真の父母の家庭をだめにした元凶の父母を撃ち殺したのです。ですから、もつれています。それゆえに真の父母が、その死ぬしかない道を避けられるように条件を立てたのです。 地上で大逆罪を犯して地獄に行った者をも許してあげるのですから、統一教会の人々が罪を犯したことなどは何でもないのです。罪を犯した人をまず許してあげて、同参することのできる権限を与えるのです。そのようにして復帰するのです。祝福を受けて神の子女として復帰できるように許してあげ、同じ祝福を受ける列に入籍するのです。 ですから、パンタナールで八日間に決済報告をするのです。すべて報告するのです。それは先生の特権なのです。今は六月ですね? 六はサタン数です。十三数は一番悪い数ですね? それで昨日、四日に出発しようとしたのですが、四日には来ることができませんでした。それできのうは何をしましたか? きのうはサタン数の日です。サタンが邪魔をしたので……。六月四日です。六もサタン数ですが、この四もサタン数です。 それで、先生がその日にパクー(PACU)を釣りに行って、何としてでも六匹釣らなければならないと言ったのです。そうすれば数が合います。六数、四数、ゼロ数です。内外の六数、四数を中心として……。 十六数もまたサタン数です。韓国動乱の国連参戦国もすべて十六数なのです。六月四日に魚を六匹釣らなければならないのです。六数もサタン数で、四数もサタン数なので、魚を釣るにもサタン数で釣らねばならないのです。六匹釣らないとだめなのです。五匹だけ釣って、後五分というところで最後の一匹を釣りました。十六数なので、六匹釣らなければならないのですが、五匹釣ったところで最後の一匹が残すところ五分になるまで捕まらず、やっと釣り上げることができたのです。そうです、成功したのです。 六月四日、六数もサタン数であり、四数もサタン数なので、サタン数を代表してパクーを六匹捕まえなければならなかったのです。このパクーというのは「ゴー・バック(go back:戻れ)」という意味にもとらえることができるのです。それを六数に合わせることで、サタン数を全滅させるのです。十六数までです。ですから、十六数もサタン数であり、四数もサタン数であり、六数もサタン数なのです。また、この十六数と十三日(三億六千万双の第一次祝福の日)の十三数を合わせた二十九数もサタン数です。すべてのサタン数を一掃してしまったのです。 それで、夜明けにお手洗いに行って、すっきりと掃除してから来なければならないのです。ですから、飛行機で南米大陸を発つ五分前に大便をしたのです。それも役事です。それを終えられずに来たのですが、南米大陸を立つ前に大便を終えてから来たのです。ですから、どれほど気分が良いかわかりません。 出発するとき、それができなかったので、条件を立てて、イーストガーデンでできれば良いし、途中でできればもっと良いと、祈る思いで来たのです。サロブラから離れるとき、それができなかったので、ここでだめならイーストガーデンに行って解決しよう、途中ですっきりとできれば、それに越したことはないという条件を立てて、祈祷をしてきたのです。皆さんはこのようなことを知りません。時間がないので、そのような条件を立てて、途中でそのようにしたのです。ですから、万事うまくいったのです。 それで今、四大聖人を祝福してあげるのです。祝福をしてあげるには、統一教会の先生が愛した人々と祝福させなければならないのです。孔子・釈迦・マホメット・イエス、皆祝福してあげたのです。イエス様も祝福してあげました。ですから、彼らを通じて祝福を継承してあげるのです。彼らを祝福してあげれば、宗教の使命がすべて終わるのです。 たとえば仏教圏は、釈迦牟尼を中心として中間霊界にいたわけですが、真の父母に従って皆天国に入っていくのです。ですから、宗教の使命が終わり、国の使命がすべて終わるのです。国の立場もなくなるのです。ですから、真の父母を迎えれば、真の家庭、真の国家、真の世界、真の神様にばったりと出会うのです。平和の世界、一つの真の愛で統一された世界が、いわゆる地上天国なのです!アーメン!(二九四-一三、九八年八月五日) 私にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐中の怨讐です。ですから、五月十四日から三日間祈祷して、彼らを解放してあげたのです。李相軒氏に向かって神様が、「おまえが責任を負わなければならない!」と語られたのです。その後では、「よろしく頼む」と語られたというのです。その言葉に私がショックを受けたのです。祝福をすべて終えてから、最後にしてあげようと思っていたからです。個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代に入り、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してあげようと思っていたのです。 ヒットラーとかスターリンのような人たちは、国家主義の時代です。国家主義時代は過ぎ去るのです。今は、超国家主義時代です。それから、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法では無理なのです。今や連合国時代です、世界時代なのです。 その次は、超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったようなことはできないのです。金日成は、地獄に行ったのですが、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンのような人は、逃げながら生活しているのです。それは、時が来ていないからです。それは、私が処理します。国家主義、世界主義的な勝利の覇権をもった者だけができるのです。 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的です、超宗教主義なのです。ですから、そのような権限をもって、彼らを治めることができるのです。誰もが同じ運命です。神様も哀れで、真の父母も哀れで、人類も哀れで、サタンも哀れなのです。ですから、その哀れな人たち同士で、殺し合わなければなりませんか?「怨讐を愛せ」という一言によって、それが神のみ意であるならば、問題なくすべてが解決するのです。そうではありませんか?「それが神様の願いではありませんか?」と言われたら、どうしますか? それが神様の願いであるわけですが、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救いを受ける人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? 誰もが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのは、何のせいですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を引き抜かなければならないのです。 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家です。それを断行するのは、神様にもできず、誰も考えつかないことなのです。しっかりと原則を中心として取り払ってしまうのです。私が負けるか、誰が負けるかなのです。このままで済むかどうか、後になれば分かるのです。そのようにしたので、うまくいくのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院) 楽圏と地獄をどのように解放するのでしょうか? 人間の理知をもってしては解放することができません。宗教圏を解放し、地獄の門までも開くのです。真の父母には地獄の門がありません。真の父母には楽園がありません。真の父母は、天国だけに行くことができるのです。反対していた基準が限界線の圏内、サタンの権限にあるときには、反対をすることができますが、その権限を越えれば、サタンは何もすることができないのです。それが国連です。国連は世界国家の頂上なのです。 それで、超宗教、超国家、超国連主義を主張するのです。それが何かというと、「真の父母主義」であり、「神主義」なのです。真の父母は、サタンの宗教圏の下にあってもいいのでしょうか? 国家圏の下にあってもいいのでしょうか? 国連圏の下にあってもいいのでしょうか? ですから、超宗教、超国家、超国連なのです。 ですから、一番頂上に上ってきたのです。真の父母と神主義を合わせた主義が何かというと、絶対に為に生きる愛主義です。そうなれば、すべてが終わるのです。絶対に為に生きる真の父母主義なのです。それによって、世界がみなその懐に溶けてしまうのです。すべて消化されてしまうのです。 それは単なる話ではありません。事実であるがゆえに、すべてをそのようにしたのです。ですから、すべて宣布しましたね? 宣布すれば、サタンは入ってくることができません。先生はそれを知っているので、首を切る絞首台をつくっておいて、門さえ開ければいいのです。自分で踏み台さえ踏めばおしまいなのです。ちょうど、そのようになっているのです。 神様はそれをご存じなので、サタンに対して「おい、文総裁がしていることをどう思う? おまえは今まで文総裁を除去しようと思ってきたが、これほどまでに上がってきたのだ。今や壁もすべて崩れ、絞首台さえつくっておけばいいのだが、首を切るときには、間違いなくおまえを処断するはずだ……」と言われるのです。 一九九九年三月二十一目、堕落した天使長ルーシェルが神様の前に、真の父母の前に降伏し服従した、という宣言は嘘ですか、事実ですか? 事実なのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院) 先生は、殺人鬼と聖人を一緒に祝福してあげました。殺人鬼と聖人を一緒に祝福したという事実だけを見ても、すべて終わりなのです。この世に、そのようなことがあるでしょうか? 水平時代に突入したのです。 どんなにサタン世界で力の強い国であったとしても、水が浸水してきたらどうなるでしょうか? 敵と味方に分かれて、目を真っ赤にして殺し合っているどころではありません。水の中に放っておいたらどうなりますか? 互いに殺し合うべきでしょうか、互いに助け合うべきでしょうか? 互いに助け合わなければならないのです。 最近、三八度線に関する『JSA(共同警備地帯)』という映画がありましたが、『JSA』の話を考えてみなさい。「地雷を踏んだ!」と言ったときに、人民軍たちは逃げ出したでしょうか、助け合ったでしょうか? ちょうど、そのようなものです。水は水平になったのに、殺したらすべてなくなってしまうのです。互いに助け合わなければならないのです。 助けるときは、父親を救う思いで助けるでしょうか、罪人を救う思いで助けるでしょうか? 助けるときには、自分の父親を救うという思いで助ければ、どれほど力が湧くことでしょうか? 兄を救うという思いで助け、王を救うという思いで助けよというのです。そこで、神様のような方を私が助けるのだと考えれば、そのようになるのです。その場においては、そのように考えよというのです。 ですから、殺人鬼が互いに助け合える立場に立って、相手のために命を捧げるようになれば、思いどおりにできる権限をもつようになります。地獄を出たり入ったりできるのです。殺人鬼が聖人を助け、聖人のために解怨してあげたならば、聖人の寝室にも入っていくことができるのです。絶対に接近できないようにしておいても、秘密裏に暗行御史となって(かつて王命によって秘密裏に調査した官職)、通過できる道があるのです。道が大きく開くのです。ですから、そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです、水が一杯になってきたからです。 谷間にいるときには争っていたとしても、そこに水が次第に入り込んできて、二人とも死にそうな状況になればどのようになりますか? 二人とも死んでしまえば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになりますね? 誰もが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦を行うのです。 先生も大変なことになるので、仕方なく共同作戦を取るのです。「お互いに生き伸びるためには、仕方がありません」と言うとき、サタンはどうしますか? すべて死んでしまえば、サタンはどうしますか? サタンにとっても一大事なのです。 ですから、このようなことをすることによって、「おい、このサタン野郎! おまえも解放される時が来たことに気づいて、協助しろ!」と言うと、「どうか、どうか助けてくれ! どうか祝福を与えてくれ……」。このようになったのです。 いやあ、このような事ってあるでしょうか? どう解釈すべきでしょうか? 今、私が話してあげた解釈が合っているのです。それで、金活蘭や朴マリアは怨讐の中の怨讐ではありませんか? 私が彼らのために、一九九八年五月十三日から十五日まで、ブラジルのパンタナールで三日間祈祷をして、祝福してあげるよう決めたのです。(二○○○年十二月二十九日、漢南国際研修院)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.11
コメント(0)
地獄解放と天国開門のための真の御父母様の宣布一九九八年五月十五日、ブラジル、パンタナール、アメリカーナ・ホテル 興進様が真の御父母様の直系の子女であるという事実と比べて、キリスト教は血統の違う養子の立場にあります。この二つが一つとなって初めて父母様が完全に立つことができるのです。したがって、既に祝福を受けた興進様とキリスト教が祝福を受けて一つとなってこそ、真の御父母様のみ旨がなされるのです。したがって、統一教会はキリスト教に対して本格的に教団的な祝福を実施しなければなりません。 真の御父母様を中心として父と母、そして長子権が一つとならなければならず、さらには父と養子圏(キリスト教)とその他の宗教、そして非宗教圏が一つにならなければなりません。 六月十三日に一億二千万双が祝福を受ければ、三億六千万双の三分の一が祝福を受けることになるので、旧約時代を抜け出すのです。はやくキリスト教を中心として新生式と復活式、そして永生式である祝福式を挙行しなければなりません。 このような観点でアメリカの使命は重要です。皆アメリカのために祈祷しなければなりません。既に四人の聖人をすべて祝福してあげ、清平でもキリスト教解放のために精誠を尽くしています。第四次アダム圏解放の鍵は、真の御父母様がすべて持っておられたのです。事実、地上よりも霊界を早く処理してあげなければなりません。したがって、先祖を整理することに努力を傾けるのです。 万物の日(一九九八・五・二六)に霊肉を取り戻したという宣布式を挙行する予定であり、このパンタナールでの期間は、その内的な準備期間です。皆さんはこの重要な期間に、昼も夜も精誠を尽くすべきです。 まず霊界を正してから肉界を正さなければならないというのが摂理の順序です。霊界は肉界に対して垂直であり、肉界は水平関係の世界だからです。このように垂直と水平の世界が会うことによって地球に真の平和がもたらされるのです。 皆さんは李相憲先生の報告を百パーセント事実として信じなければなりません。この証しは真のお父様が知っている霊界の事実と一致しています。この内容を信じなければ真のお父様の仕事をすることはできません。 真の御父母様が現れなかったとすれば、霊界というものはないのと同然です。すなわち、真の御父母様が来られて初めて霊界と肉界を処理することができるからです。 本来アダムとエバは、心身一体の男性、心身一体の女性として完成しなければなりませんでした。愛の体を身につけるのが夫婦です。心だけではなりません。体がなければならないのが原則です。したがって心的基準が体的基準と一体となって現れる存在こそが完成存在なのです。このような観点からすると、神様の体としての人間は神様の前に最高の存在であることに違いありません。 弱肉強食ではなく、より高い愛の器官を求めていくのが天理です。すなわち、食物連鎖の関係ではなく、愛の秩序によって動くのが創造の原則なのです。 神様は、世界、国、民族、氏族、家庭、父母、夫婦、子女の順に尋ねてこられ、それから再び上がらなければなりません。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従は神様の立場からそう見えるものであるべきです。私たちは常に神様との垂直関係を維持しなければなりません。この絶対の基準を夫婦の間で、夫婦中心として実現しなければならないのです。神様が自分の息子、娘ゆえに僕に打たれ、辱めを受けてきたというのが堕落した人類の歴史です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.09
コメント(0)
「キリスト教文化圏と統一教文化圏の一体化」宣布 一九九八年五月二日夜十二時、ベルベディア修練所(米国)のメインハウスにある興進様の居間にて、真のご子女様とイエス様家庭、教会指導者など四十余名が参加する中、真のご父母様が特別祈祷を通して、「キリスト教文化圏と統一教文化圏の一体化」を宣布なさった。その宣布は、今まで霊人祝福を受けた霊人たちのうち、一億六千万双に及ぶキリスト教の霊人たちが、清平にて修練を終え、六月十三日にマジソンスクエアガーデンで行われる三億六千万双の第一次祝福を協肋するために、ベルベディア修練所に到着する、その時間に合わせて行われた。 祈祷 一九九八年五月二日、夜十二時を期し、新しいこのベルベディアにおいて、イエス様が祝福を受けてから二十七年目となる今、キリスト教が勝利した基準を備えることのできる、父母の国と長子の国を定めることによって、今やイエス様がこの地で王権を得て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰のために、国家を超えて世界を連結することのできる念願の一日を迎えました。 キリスト教文化圏を創建した、この結実の国家であるアメリカを中心として、アベル的な地上・天上天国の理念を実践するすべてを再臨時代に連結し、世界的な勝利の地上・天上天国を完結すべき召命的なみ旨を完成できませんでしたが、四十年の荒野家庭路程を通して再び元に戻ることによって、この地球星のすべてがカナンの福地と同じ基準になり、ここにおいて善と悪を分別し、天国と地獄を分別しなければなりません。 今や統一教会は地上において、地上世界の地獄を開門するとともに天上世界の地獄を開門し、地上統一世界の地上天国と共に、天上世界の統一的な天国を形成しなければなりません。お父様は原理観的な統一の一体世界を願われ、創造理想を全天宙史の上に定着すべき標準を歩んでこられました。それがお父様の復帰摂理でございました。 数多くの宗教によって蕩減の歴史を経ていく摂理を通じて、イエス様から再臨時代まで二千年の間、数多くのキリスト教の犠牲と迫害の中で、血を流す祭壇を連結して、キリスト教を中心とした文化圏の統一的世界を備えた、第二次世界大戦以後のすべてを収拾し、真のご父母様を中心として再臨の家庭と国家全体の世界の中心を定め、地上天国を完成すべきでありました。 しかし、それを完成できなかったことによって四十年延長し、今この時を再び迎えて、父母様が受難過程の中で統一教会を立て、長子権復帰、父母権復帰を中心として、王権復帰の世界途上を越えていくことのできる、この時代を備えることによって、 父母の国と長子の国をもつことによって、蕩減的な解怨成就を越え、直接的主管と関係を結ぶことのできる地上勝利で、家庭を中心として社会、国家、世界、天宙まで連結することのできる、恨の歴史を今定着させなければなりません。このような時に、このベルベディアにおいて、イエス様と張貞順を二十七年前に祝福したことを、実体として地上でキリスト教文化圏上においてキリスト教徒が連合する家庭的な真の家庭運動を、超教派的、超民族的な基準で形成し、サタン世界の血統を断絶することのできる、限界の一年を残したこの期間の上に、世界史的な統一の世界を願ったイエス様の理念が定着し得る基盤を備えるようになりました。 この基盤の上に、興進君を中心とするアベル的基準が、キリスト教のカイン的基準で何もかも反対してきたすべてを逆にし、長子圏を中心にキリスト教を弟として父母様の名で連結することができ、この十四日前である今、この地上における成約時代の安着と共に、長子圏国家の定着を宣布してから十五日目を迎える明日を中心として、新しい出発をここで定め、清平と共に興進君が築いてきたことが、この地上のキリスト教文化圏と直接的に動きますように。 キリスト教国の統合、キリスト教を中心としたすべての宗教が統合され、世界を代表した国家を中心として、キリスト教と共に統一されることによって、世界が一つの統一国家として進むことのできる時代として、お父様……、担ってくださり直接主管してください。 創造理想の完成の上に立ち、より良い家庭の上に立ち、神様の前に創造したアダムを中心として協助した天使世界と、今のこの天使世界を動かし、堕落後に復帰路程を中心としてきたあらゆる善なる霊たちが、天使世界の兄の立場のようなそのような因縁を、キリスト教文化圏と統一文化圏が一つになることによって、真のご父母様の実体圏を、サタンに奪われたすべての実体的権限を再び取り戻し、長子圏と次子圏が一つとなって父母権を迎え、王権時代へと越えていくことができる、サタン世界の血統断切と三億六千万双祝福を中心として、世界を結ぶことのできる時代を前にして、このような設定を宣布するに至ったことを感謝いたします。今日のすべてを喜びの中で受けてくださいませ。 興進君とイエス様が一つとなり、今後興進君とキリスト教文化圏において……。祝福を受けた一億六千万双のすべての祝福家庭が、今、天使と共にここアメリカを中心に集結し、アメリカ消化運動と世界キリスト教の摂理史的内容に連結し得る祝福の因縁を、統一教会を中心として三億六千万双圏内の模範的な代表的国家としての、先取権をもつキリスト教文化圏になることができるように、アメリカを動かすことができるように役事してくださいますよう切にお願い申し上げます。 神様が願ってこられたすべてのみ旨を興進君とイエス様に連結し、興進君をお兄さんとして侍り、イエス様は弟の立場で一つになり、カインとアベルがIつとなれずに歪んでいたすべてを、世界の歴史を超えて兄弟としての心情圏をご父母様を中心として連結させてください。 万民が、この二人の兄弟が再び入れ替わった立場を元に戻すことによって、世界が戻っていくことができる一つの条件を中心として、地に返すことによって、天が中心となって意のままに往来し主管することのできる、地上実権時代をもたせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 憔悴したこのような立場を経て、すべての夫婦が新しい家庭的理念を中心として、新郎新婦を中心とした国家的イスラエル圏と、世界史的な第二イスラエル圏と第三イスラエル圏を家庭的な安着世界として、自由に前進することのできる解放圏となるよう切にお願い申し上げます。 そのために、興進君とイエス様は、家庭的定着のために世界を祝福すると同時に、全霊界のキリスト教徒と統一教会が心を合わせて、これを実践実行するにあたり、全面的に協助するよう、父母様は今日この日からこの二人の兄弟の家庭に祝福しますゆえ、そのみ旨に従って一つになり、天使と交流しながら、清平とこの場が一つの兄弟の情をもって父母様を中心として元に戻すことのできる、東洋と西洋が一つになることのできる、一つの教訓としてくださいますことをお願いいたします。 誠を尽くして父母様に侍り、父母様と一つになって神様に侍り、この宇宙を、神様のみ意である創造理想の地上・天上天国として完結することを、父母様のみ名によって許諾いたしますから、神様も許諾してくださいますようお願い申し上げながら、この時間のすべてを申し上げたとおりに成してくださいますようお願い申し上げます。興進君とイエス様も協助してこれを成就することを望みます。真のご父母様のみ名によって宣布し、すべてを設定いたします。アーメン、アーメン、アーメン。 ※真のご父母様が神様に敬礼を捧げられ、次に真のお母様が真のお父様に敬礼を捧げられる。 ここにいる兄弟たちは興進君になったつもりで敬礼し、ここにいる人たちは、イエス様とキリスト教を代表して敬礼するのです。家庭です、家庭。家庭が敬礼するのです。今までは個人で敬礼を捧げてきましたが、家庭定着時代なのです。 ※真のご子女様たちが興進様のご家庭を代表して、真のご父母様に敬礼を捧げる。 ここは、統一教会と、霊界にいるキリスト教を代表した数多くの霊界を代表して、これから定着時代に連結されるのです。今まではそれができませんでした。去る四月十七日の宣布で父母の国、長子圏の国が設定されることによって。先生が復活節の完成、復活節の定着を宣布したのです。先生がやってきたのは、そのようにすることによって、長子圏に向けてキリスト教を連合し、宗教を連合することなのです。ジェリー・ファウエル(米国バプテスト教会牧師)が百人いたとしても、できることではありません。ジェリー・ファウエルは信じられません。私たちが代わりにすべてをしなければなりません。さあ、そのような意味で、全体を代表した全体霊界と人類全体の宗教圏を代表して、代わりに皆敬礼しなさい。 ※参加した祝福家庭が、イエス様の家庭に代わって真のご父母様に敬礼を捧げ、その後に家庭盟誓を斉唱する。 祝祷 愛するお父様……、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを通して、真の父母のみ旨を立てんとするすべての歴史的路程のために、どれほど神様は苦労されたことでしょうか。哀れな神様、哀れな霊界になったという事実のみならず、地上の真の父母はもちろん、真の父母のみ旨に従うために、イエス様以降キリスト教の道を切り開くために歴史上に来ては去っていった先祖たちも、皆哀れな立場において、今まで安着することができませんでした。ところが、第二イスラエル圏を中心とした三次イスラエル、第三アダム時代を迎え、再臨時代を迎えることによって成約時代を迎えました。成約時代には、エデンで祝福を成就し得る勝利的なその時、世界史的な数多くの人類全体を代表して祝福の定着時代を、世界的な基準、天宙史的な基準で迎えさせてくださり、アダムの解怨成就はもちろんのこと、イエス様の解怨成就まで再臨主が解怨成就なさいまして、家庭定着の世界化時代を迎えられるようになった事実に感謝申し上げます。盟誓文の全家庭を中心とした内容は、私たち地上の人間だけが重要視するのではなく、天上世界の祝福を受けたすべての霊人たちまでが重要視するものでございます。それを中心とし、天上世界と地上世界に兄弟の情を中心として、真の父母に侍るにあたり、心と体を統一することによって、縦的な基準に霊界と肉界を統一させることのできる家庭的な安着点を、私の心と体において、私の一族において、この世界において、定着できるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 今、安息圏を宣布することによって、神様がこの地上の私たちの家庭に臨在し、天使世界と天使世界以降の私たちの先祖たちが、天使長の兄の立場に立って今後は直接主管し創造の環境を守れる管理的主人として、この地上に再臨しまして、天上世界が求めてきた所願を成就する全体主導時代を迎えさせてくださった恵みに感謝申し上げます。 このようにイエス様を中心として、キリスト教が新しくイスラエル圏の王権を代表したように、ローマを越えて歴史時代に第二イスラエル圏を中心として、アメリカを中心として韓国と同じ立場において、イスラエル国やローマのようなアメリカと韓国が一つになって、世界的な家庭完成時代を迎えられるようにしてくださった恵みに心から感謝申し上げます。 今まで放浪してきた統一教会が、韓国から出発して受難の道を歩んできましたが、今アメリカに安着することによって、世界安着路程として、一つの平和世界、一つの統一世界が、一体的権限の世界が、私たちの目前に迫っておりますから、この基盤を宣布することを許諾してくださいませ。 キリスト教文化圏を長子の立場で、イエス様と使徒たちと一億六千万双の祝福を受けたすべての人たちを、すべての祝福家庭を全世界のキリスト教に派遣なさり、統一的な一念のもとにすべてを結成してください。勝利の覇権的な結果を備えて、神様の前に奉献できる解放的時代を迎えさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 真の父母の苦労を中心として、接ぎ木されたすべての家庭と、接ぎ木されたイエス様の家庭と霊界全体が、統一の勝利圏に向かって直行することができますよう、サタン世界を踏み越えて蕩減のない解放の時代へといち早く勝利の世界を創建できますよう、すべての霊界と肉界を動員なさり、勝利の定着地を、家庭を中心として万国解放圏を、迎えることができますようお願い申し上げます。 天が探し求めた長子圏王権時代、父母圏王権時代、王圏王権時代を備えて、神様が自主的な統治世界において愛の理想で全部を主管し、全部の因縁をもつことができ、影響をもつことのできる天宙史的な勝利の故郷の国として、前進させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、今日この日を喜びをもってアメリカが受け入れ、アメリカの国民、キリスト教徒が協力して、新しいキリスト教文化圏を再び結束させる、第二次世界大戦以降の本然の価値理想をもって前進できますように、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 通貨危機問題を中心として、韓国と関係を結んだアメリカと日本が完全に一つになるようにしてください。本郷の地である本国を再び復帰するにあたって忠孝の道理を果たせる道へと協助し、解放の祖国を、祖国光復をもたせてくださいませ。リトルエンジェルスが北韓に行って公演するというすべての計画も、このような一連の一つの摂理の中で直接的な因縁の仲立ちをするという、摂理のみ旨であるということを知っておりますから、今年行われる歴史的なすべての因縁を、お父様……、直接管轄してくださり、日進月歩、勝利へと前進に前進を重ねる誓いを立てさせてくださいますようお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって感謝し、この日を宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! み言 皆さんが家庭盟誓を斉唱するときには、一人で斉唱していると考えてはなりません。霊界と数億千万の家庭と共に斉唱しているということを知って、その隊列において、隊列を乱すような皆さんになってはなりません。そのような時が来るのです。そのような生活をしなければなりません。そのようにしてこそ、天上世界と地上世界を自由に往来できるのです。 あのバプテスト教会が、祝福を受ける問題で大騒ぎになっていますが……。恵みが分かれました。地上で先生が行っていることを誰も知らないので、余計なことばかり考えているのです。霊界についてよく分かっていないのです。このようにしてあげてこそ、このベルベディアがよみがえるのです。 一九七二年度にこのベルベディアを買ったとき、私たちは非常に喜びました。私たちが来た頃は、遙かに遠い話のようでしたが、世の中はずいぶん変わりました。 李相軒氏が霊界を紹介しましたが、必要なことはすべて紹介しています。誰もそれを嘘だとは言えないのです。それでこそ、神様の愛をすべて知って、他のために生きられるのです。簡単なのです。地では父母様に侍って生きればいいのです。世の中には縦的父母と横的父母という概念はありません。み言を既成教会がすべて知れば、相当に衝撃を受けることでしょう。 ここに来たすべての人たちの顔写真を撮っておいた方がいいですね。その人たちに任せて、今後私は干渉しないつもりです。アメリカ自体がすべてをしなければならないのです。もう私が干渉する時は過ぎ去ったのです。霊界を動員して祈祷して行えばいいのです。そこの朴重眩は、バプテスト教会の黒人のライアン博士を中心として、十万名の牧師のうち三万名を祝福しなさい。その次に、他の教団、カトリックやファラカン(米国のイスラム教の指導者)などを中心として、約三万名以上を祝福しなさい。十二万名の聖職者の家庭を祝福しなければなりません。私たちの教育を受ければ自然に祝福を受けるのです。 そうして、十二万名の聖職者夫婦が動員されてデモをするようになれば、どのようになりますか? 別途に修練会を行いますが、地方の五十州でも修練会を行うのです。六月までに十二万名の教育をすべて終える計画を立てなければなりません。そして、残りの六月には祝福……。アメリカだけでも、南北アメリカだけでも、百二十万から一億二千万は問題ないのです。 今日一時までここにいて、行かなければなりません。朴重眩はニューヨークにいる黒人牧師二万名に責任をもちなさい。その次に、シカゴにいる金起勲とマイケル・ジェンキンスも、同じように三万名に責任をもちなさい。何としてでも十二万名の聖職者を祝福しなければなりません。ジェリー・ファウエルを通じてでも、何としてでも十二万名を満たさなければならないのです。そのことに責任をもって打ち合わせをしなさい。そして、ジェリー・ファウエルには公文を出すように言いなさい。ここでも公文を出すようにして、連合運動を中心として白黒の争いを調停できなければ、アメリカはすべて分かれてしまいます。 これからは、統一教会に既成教会の責任者さえ入って来れば、皆訓読会をすればよいのです。訓読会を何回か行い……。先生のみ言「主題別精選」の十二巻の本があるのですが、それをどれほど読むかというのです。教育を行うのに、ほかのものを主力とする必要はありません。訓読会を強調しなければなりません。そのことに深刻にならなければなりません。訓読会を数多く行いながら、心情的に多くのことを感じながら、霊的な世界の家庭的なあらゆる基準が上がっていくのです。父母がそのみ言を読みながら、皆が感激する、そのようでなければなりません。 さきほど、金亨泰が「気」を測定する機械を持って来ました。先生の『み言集』ですが、訓読会を行うその『み言集』の気を測定してみると、ぱっと上がるのです。一般の英文の百科事典では、何の動きもないのにです。ですから、先生のみ言の中には、そのような何かがあるのです。力があるのです。霊力が介在しているからです。あの当時、そのようなみ言を語る時が一番大変な時でした。先生が生きるか死ぬかという、一生のうちで先の見えない歳月でした。生き残るかどうかという……。四十年の間に、悪なる群れがどれほど多かったことでしょうか。そのように深刻な立場で語ったのです。その時は相手もいなかったので、そのような話でもしておけば、このみ言が残るのです。み言が残ってこそ世界が変わるのです。み言がなければ大変なことになるのです。 お母様もそうでしょう。お母様も私がいなくて一人でいるにしても、み言がなければどうしますか? ですから、私がどれほど忙しかったか知れません。根本問題を細かくすべて語りました。それで、その時、キリスト教が統一教会を信じさえしていたならば、先生が四十歳で、四十年前に世界を完全に統一し、地上天上天国が完全に築かれていたのです。一九五二年までにすべてを終えようとしたのですが、四十年が過ぎ去ってしまいました。四十年といえば、既に二世代が過ぎ去っていったのです。若い青少年たちが国を支配することのできる基盤を完全に築くことができていたのです。 張貞順、少し話して見なさい、貞順! 話してみなさい。イエス様と結婚してから、今までどのように過ごしてきたか話してみなさい。イエス様とたまには霊的に会いますか? 霊的な経験が必要です。祈祷すれば霊的に会えるでしょう? 私たち統一教会は本質的に違います。根本的に既に、創造原理を中心として、原理を中心として出発しているので違います。それが霊界の原則なのです。李相軒氏が伝達してくれることによって、統一教会はいい加減に生活できなくなりました。いい加減に生きていけないのです。あのように霊界全体について、すべてを細かく伝えたのは初めてです。これは歴史的な事件です。スウェーデンボルグも霊界を紹介しましたが、それは自分の圏内から見たものであって、全体の内容ではありません。それで系列的に、誰もが神様の愛について感じられないと言っているのです。それを今後はすべて開け放たなければなりません。 (お母様「二日前にお父様が私に、清平の大母様に連絡して、アメリカのキリスト教を変えるにあたって、電撃的に役事できるよう、興進君とイエス様を呼んで会議し、祈祷してくれるように伝えなさいと言われました。それで、三日前に電話をしたのですが、時間がお互いに合わなくて、昨日の朝電話をしました。電話でお父様の語られたことを伝えて、時間を決めて祈祷するように言いました。そして、会議が終わったら私に連絡するように言いました。すると、さきほど夕方に清平から電話がかかってきたのですが、興進君とイエス様と大母様が会議をしたそうです。これまで霊界で一生懸命にキリスト教徒を祝福してきて、それが一億六千万双になったそうです。それで、その霊たちを天使と一緒にすべてこちらに移動させるとのことでした。そして、興進君は行ったり来たりするそうです。昨日十二時までにその霊たちが、すべてこのベルベディアに到着すると言っていました。いったん私がベルベディアの構造を説明してあげ、イエス様と興進君とで精誠を尽くして祈祷するように言っておきました。すると、そのとおりに行なうことになり、これまで霊界で、今もずっと祝福をしているのですが、一段階として一億六千万双を天使と共にこちらに送るそうです」)。そうなれば、各家に一双ずつ配置することができるのです。(お母様「ですから、素晴らしいことなのです。夕方、気分がとても良かったのです。十二時までに全部到着すると言っていました。それで、十二時に時間を定めて、お父様が来て祈祷をしてくださると言われたのです。それで、霊たちにちょっと甘いものでも食べさせたいと思って、お膳を準備しておくように言ったのです」)。 今日は、四月十七日の復活節の完成宣布をしてから、十四日目になります。十四日目を迎えるこの日にこのような祈祷会をすることになったのです。それで、その間にあのような会議をしようと思ったのです。(お母様「近々何か起こりそうな気がします」)。では、これから十二万双の祝福を行わなければなりません。牧師たちにするのです。五十州をすべてみな編成しなさい。編成しなければなりません。神学生も皆講義することができるように、ジェリー・ファウエルに四年前にすべて約束すると書いてあげたのです。それを準備しろというのです。五十州はあっという間にやってしまうことができます。 アトランタのビデオセンターで、ビデオをつくって配ってあげるのです。それで、一般の人々も講義することができ、放送局でも講義できるようにしてやるのです。(お母様「それで、アメリカが立ち上がって全世界を救わなければならないのです」)。アメリカが立ち上がるのではなく、私たちがアメリカを立ち上がらせて、世界を救わなければならないのです。今はこういう話をしても、キリスト教を信仰する人たちは信じないのです。教育を受けた牧師たちも皆信じないのです。しかし、今はそれが嘘だと言えないような段階にまで来ているのです。これは非常にすごいことなのです。(お母様「今や善なる霊界がたくさん動員されたので、それは時間の問題です」)。そのとおりです。(お母様「本当に善なる霊界が協助するという実感がわいてくるでしょう?」)。霊界祝福をするというのですから、それは頭の狂った人が言うことなのです。そうではなくて、霊界を解放してその霊界を地上に引っ張ってくるというのは、本当に天地開聞なのです。私たち統一教会員は、それが事実であるということを知り、また霊界がそのようになっているということを知っているのですから、それは大変なことなのです。 今日も、李相軒氏が霊界において問答したすべての内容や、行われたことを見ると、細かくすべてを教えてくれました。そのような内容が必要であると、李相軒氏自身が気にかけていたことを解決できるように、すべてを教えてくれたのです。宣布まであと十分残りました。ィエス様が喜ぶことでしょう。イエス様も真の父母が来なければならないと言っているのです。李相軒氏がそのように証言しました。今年それを開門してあげるのです。興進君が霊界に行っているので、イエス様が連結されるのです。 統一教会の群れは、今霊界に行ったとしても、最高のところに行くのですが、世の中で自分勝手に生きてきた者はどうするのでしょうか? それは自分たちでは免れることができません。本来、原則的な基準で、その人たちは別々に皆移動するのです。すべて移動しなければなりません。私たち食口が今祈祷してあげるときには、神様が「天地父母天宙安息圏」を発表されたので、心と体は神様の家です。神様が心と体の中に臨在し、夫婦の中に臨在し、家庭の中に臨在し、再創造の役事を行えるように、天使世界と先祖までが祈祷しなければなりません。先祖も祈祷しなければならないと、李相軒氏の手紙にもあったでしょう。先祖が再臨するように地上で精誠を尽くしてあげることは、どれほど大きな恵みであるか分かりません。それゆえ、神様が臨在し、その次に天使が来て、その次に自分の善なる先祖たちが来るのです。 善なる先祖たちは、すべてこの地上の家庭を通じることができませんでした。天使世界も神様の祝福を完成する立場で祝福に協助できなかったので、地上に協助することができませんでした。神様を中心として協助できるそのような条件がありません。そのような家庭がすべてアダム家庭の立場に立つのですが、それは神様に仕えるためなのです。それがすべて安息圏です。家だというのです。「安息」の「安」という字は「ウ冠に女」です。母親が安らかでなければなりません。「息」という字は「自由の自に心」です。休むことを意味する字なのです。休むという言葉は、これが実に面白いのです。安らかに休むのです。安らかだということは、自由な心です。それが正に安息です。 統一教会は反対を受けながらも、急速に上がってきました。その原理を知っていたので、上がってきたのです。どこに行こうと公式になっているので、冒険をして無理をしてでもぴったりと合わせてきたのです。知らなければ不可能なのです。先生が青坡洞にいるとき、そのようなことを知らない先生だったでしょうか? 青坡洞にいるときは、先生がじっとしたまま暮らすだろうと思っていたでしょう? 統一教会を信じている人たちも、あの頃に先生が語れば、それぐらいの先生と思っていたのであって、今日のように世界を料理できる内容をもった先生になるとは、思ってもいなかったのです。 祝福家庭を中心として始めるのです。祝福家庭から教えてあげるのです。統一教会というのは三次アダムの時代であり、再臨時代ですから、家庭が行く道、家庭が安着できる道をもって世界を整理してきたのです。ですから、いつもそれを考えなければなりません。男性と女性、それは奇跡的な言葉です。男性の前に女性、女性の前に男性が、いかに生まれたかというのです。進化論では、それがどのように生まれてきたかを知るのは容易ではありません。人間の構造はどれほど複雑なことでしょうか。 一時まで、残り一分です。天との約束は一分でも早くなければならず、一分でも多くなければなりません。約束した時間の峠を越えなければなりません。時間というものを中心として、時間を定めたことを保護して越えなければなりません。始める前の五分と開始後の五分を越えてこそ、その時間が保護されるのです。一分違っただけでも、既に間があいてしまうのです。ですから、このように考えるのです。時間は絶対に遅れてはなりません。 先生はそのような法をすべて守って今まで来たのです。そうでなければサタン世界の罠に陥って、前進することができないのです。神様は身動きできなかったではないですか。蕩減復帰路程から抜け出すまでは、神様も身動きできないのです。ですから、誰もがみ言を尊重しなければならないのです。さて、もう行きましょうか。これからは、イエス様がここで担当してやっていけるように、このまま残していきましょう。張貞順も隠れて生活するのではなく、表に出なければなりません。教えてあげ、すべてそのようにしなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.07
コメント(0)
特別祈祷会一九九八年五月二日、夜十二時、ベルベディア修練所、興進様の居間 〈祈祷〉 一九九八年五月二日の夜十二時を期し、新しいこのベルベディアにおいて、イエス様が祝福を受けてから二十五年目となる今、キリスト教が勝利した基準を備えることのできる父母の国と、長子の国を定めるに至りました。 お父様…、イエス様はこの地で王権を立て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰のために国家を越えて世界を連結させる一日を願われました。しかしながら、この地においてキリスト教文化圏を創建した結実の国家としてのアメリカを中心として、アベル的地上天上天国の理念を実践するというすべてを再臨時代に連結させ、世界的勝利の地上天上天国を完結すべきであるという召命的なみ旨を完成することはできませんでした。 それゆえ四十年荒野家庭路程を歩み、再び戻って、この地球がカナンの祝福の地と同じ基準となり、ここで善悪を分別し、地獄と天国を分別することのできる立場を、今や統一教会が地上において形成するようになりました。地上世界の地獄開門と、天上世界の地獄開門、地上世界、統一世界の地上天国と、天上世界の統一的な天国が形成されるという原理観的な統一の一体世界を願う創造理想の定着が、全世界的、天宙史的に定着すべきであるという基準を歩んでこられたお父様の復帰摂理であることを、私たちは知っております。数多くの宗教を通した蕩減の歴史を経る摂理を通じて、イエス様と再臨時代まで、キリスト教が犠牲となり迫害を受ける中で血を流してきたその祭壇を連結させ、キリスト教を中心として、文化圏の統一的世界を備えていた第二次世界大戦以後のすべてを収拾し、真の御父母様を中心として家庭と国家全体の世界の中心を定めることによって、地上天国を完成しなければなりませんでした。 これを完成できなかったことにより、四十年延長したこの時に、父母様が受難過程の中で統一教会を立て、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰を中心として世界を越えていくことのできるこの時代を迎えました。父母の国を持ち、長子の国を持つことにより、蕩減的解怨成就が必要なまま、直接的主管と関係を結ぶことのできる地上勝利として、家庭を中心として社会、国家、世界、天宙まで連結することのできる一つの歴史を今、定着させようというお父様のみ旨を知っております。 このようなみ旨を中心として、このベルベディアにおいてイエス様と二十五年前に祝福したことを実体的に、地上でキリスト教文化圏上においてキリスト教徒が連合する家庭的真の家庭運動を、超宗派的、超民族的な基準で形成し、サタン世界の血統を断絶することのできる限界の一年を残しております。 この期間に世界史的な統一の世界を願ったイエス様の理念が定着しうる基盤を備え、興進君を中心とするアベル的基準と、キリスト教がカイン的基準で反対してきたのが逆になり、長子権を中心にキリスト教を弟として父母様の名の中に連結することができ、この地上における成約時代の定着とともに、長子権国家の定着を宣布してから十五日目を迎える今、明日を中心として新しい出発をここで定め、清平とともに興進君が築いてきた事が、ここで、この地上のキリスト教文化圏と直接的に動きますように。 キリスト教国の統合、キリスト教を中心としたすべての宗教が統合され、世界を代表した国家を中心としたこれらすべての民族がキリスト教とともに統一されることによって、世界が一つの統一国家として進むことのできる時代として、お父様、引き受けてくださり直接主管してください。創造理想の完成の上に立ち、より良い家庭の上に立ち、神様の前に創造した一人のアダムを中心として協助した天使世界と、今のこの天使世界を動かし、堕落後に復帰路程を中心としてきた天使世界の理想、善なる霊たちが、キリスト教文化圏と統一教文化圏が一つになることによって、真の御父母様の実体権を、サタンに奪われたすべての実体的権限を再び取り戻し、長子権、次子権が一つとなって父母権を迎え、王権時代へと越えていけるようになりました。 今、サタン世界の血統断絶と、三億六千万双祝福を中心として世界を結ぶことのできる時代を前にして、このような設定を宣布するに至ったことを感謝いたします。今日のすべてを喜びの中で受けてくださり、興進君とイエス様が一つとなり、キリスト教文化圏で祝福を受けた一億六千万双のすべての家庭が、今、天使とともにここアメリカを中心として集結し、世界基督教の摂理史的な内容に連結しうる祝福の因縁を、統一教会を中心として三億六千万双圏内に模範的な代表的国家としての先取権を持つキリスト教文化圏となることができますよう、アメリカを動かすことができるよう役事してくださいますことを切にお願い申し上げます。 神様が願ってこられたすべてのみ旨を、興進君とイエス様に連結し、興進君をお兄さんとして侍り、イエス様は弟の立場で一つとなり、カインとアベルが一つとなれずに堕落したすべてを、世界の歴史を越えて兄弟の情の心情圏を父母様を中心として連結させることにより、この二人の兄弟が再び入れ替わった立場を元に戻すことによって、世界が回るための一つの条件を中心として、父母様を中心として、天が中心となって心のままに往来し、心のままに主管することのできる地上実権時代を迎えさせてくださいますことを切にお願い申し上げます。 このような立場を経て、これらすべての夫婦が新しい家庭的理念を示し、新郎新婦を中心とした国家的イスラエル圏と、世界史的第二イスラエル圏と第三イスラエル圏の家庭的安着世界として、自由に前進することのできる解放圏ができますよう、切にお願い申し上げます。 このために、興進君とイエス様は家庭的定着のために世界祝福をし、また、全霊界のキリスト教徒と統一教が心を合わせてこれを実践実行することにおいて全面的に協助するよう、父母様は今日この日からこの二人の兄弟家庭を祝福しますゆえ、そのみ旨に従い、一つとなり、天使と交流しながら清平とここが、一つの兄弟の情をもって父母様を中心として元に戻り、東洋と西洋が一つとなることのできる一つの教訓としてくださることをお願いいたします。 誠を尽くし、父母様に侍り、父母様と一つとなって天に侍り、神様に侍って、この宇宙を神様がみ意とされたところの創造理想の地上天上天国として完結されることを、父母様のみ名により許諾いたしますゆえ、神様も許諾してくださるようお願い申し上げながら、この時間のすべてを申し上げたとおりに成して下さいますようお願いいたします。興進君とイエスも協助してこれを成就することを望みます。真の御父母様のみ名により宣布し、すべてを設定いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 〈み言〉 ここにいる兄弟たちは興進君のように考え、ここにいる人たちはイエス様とキリスト教を代表して敬拝するのです。家庭が敬拝するのです。分かりますか。今までは個人で敬拝を捧げてきましたが、今は家庭の定着時代です。 ここは統一教と霊界に行ったキリスト教を代表し、数多くの霊界を代表して、今後これが定着時代に霊界と連結されます。今まではこれができませんでした。 去る四月十七日の宣布によって、父母の国、長子権の国が設定されることにより復活節の完成、復活節の定着を宣布したのです。そうすることによって長子権に向けてキリスト教を連合し、宗教を連合できたのです。 〈祈祷〉 愛するお父様…、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを通して、真の父母のみ旨を立てんとするすべての歴史的路程のためにどれほど苦労なさったことでしょうか。哀れな神様、哀れな霊界になったという事実のみならず、地上の真の父母はもちろん、真の父母のみ旨に従い、イエス以後のキリスト教の道を切り開くために、歴史上に来ては去っていった先祖たちも皆哀れな立場にあり、今まで基盤を築くことができずにきました。それにより第二イスラエル圏を中心とした三次イスラエル、第三次アダム時代である再臨時代、すなわち成約時代を迎えました。 成約時代は一つのエデンで祝福を完成しうる勝利的時を、世界史的な人類全体を代表して祝福の定着時代を、世界的基準、天宙史的基準で迎えることができるようになさり、イエス様の解怨成就、アダム解怨成就はもちろんであり、来られる再臨主の解怨成就をなさり、家庭定着を世界化時代に迎えることができるようになった事実に感謝いたします。 私たちの誓いの文において家庭を中心としているのは、私たち地上の人間だけがこれを重要視するのではなく、天上世界の祝福を受けたすべての霊人までをも、天上世界と地上世界に兄弟の情を中心として父母様に侍るにあたり、体と心を統一することによって、縦的な基準に霊界と肉界を統一させることのできる家庭的安着点を私の体と心に、私の家庭に、私の一族、この世界人類の前で定着させることができるようになりました。 今、安息圏を宣布することによって、神様がこの地上の私たちの家庭に臨在し、天使世界と私たちの先祖たちが兄の立場に立って今後直接主管し、創造の環境を守ることのできる管理的主人としてこの地上に再臨し、天上世界が願ってきた望みを成就させる、全体動員、全体管理、全体主導のこの時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝いたします。 このようにイエス様を中心として、キリスト教が新しくイスラエル圏の王権を代表したように、歴史時代にイエス様を中心とした第二イスラエル圏を中心としてのイスラエルとローマと同じ立場にあるアメリカと韓国が一つとなって、世界的、家庭的完成時代を迎えることのできる家庭定着時代、家庭安息圏時代を迎えられるようにしてくださった恩賜に心より感謝いたします。 放浪してきた統一教会が韓国から出発して受難の道を歩んできましたが、今アメリカに安着することによって、天とともに協助することで世界定着路程として、一つの平和世界、一つの統一世界が、一体的権限の世界が私たちの目前に至り、この基盤を宣布いたしますので天がお許しくださいますようお願い申し上げます。 イエス様と使徒たちと一億六千万双の祝福したすべての祝福家庭を全世界のキリスト教に派遣なさり、統一的な一念のもとにすべてを結成してください。勝利の覇権的結果を備えて、神様の前に奉献できる解放的時代を迎えさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。 真の父母の労苦を中心に接ぎ木されたすべての家庭と、接ぎ木されたイエス様の家庭と霊界全体が、統一の勝利圏に向かって直行することができますよう、サタン世界を踏み越えて、蕩減のない解放の時代へと、いち早く勝利の世界を創建できますよう。霊界と肉界を動員し、勝利の定着地を、家庭を中心に万国解放圏を迎えることができますようにお願い申し上げます。 天が探し求めた長子権王権時代、父母権王権時代、王権王権時代を整えて、神様が自主的な統治世界に愛の理想によってすべてを主管し、すべての因縁を持つことができ、影響を与えることのできる天宙史的な勝利の本郷の国としての前進させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、今日この日を喜びをもってアメリカが従い、アメリカのキリスト教徒が協力して、新しいキリスト教文化圏を再び結束させる第二次世界大戦以後の本然の価値理想をもって前進できますように祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 真の御父母様のみ名により感謝してこの日を宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.05
コメント(0)
今日は陽暦6月5日ですが、天暦では4月17日です。アージュ!!「長子権・父母権・王圏の開門」宣布(「復活節の完成」宣布)一九九八年四月十七日、真のご父母様は米国のベルベディア修練所にて、午前十一時を期し、韓国代表十二名、日本代表十二名、米国代表十二名、それから、日本の代表である神山会長を筆頭に、台湾の代表一名、フィリピンの代表一名、カナダの代表一名、合計四十名を立てて祝祷し、「長子権・父母権・王圏の開門」の宣布式をなさり、この日を「復活節の完成」であると説明された。 再臨主はアダムとして完成した方なので、堕落の根源をすべて明かして、それを体系化しなければなりません。アダムから代々続いて罪を犯してきたので、その蕩減復帰をするには、反対に解いていかなければなりません。そのすべてが分からなければ、天と地のあらゆる複雑な問題、サタンと神様の間に絡んでいるものを解けないのです。 それを知っただけでなく、すべてを地上で実際に解いたのです。平地から山ができたのです。堕落した人類は、それをすべてなくしてしまわなければなりません。皆さんが罪を犯し、国が罪を犯し、家庭が罪を犯し、時代時代に天によって立てられた責任者が過ちを犯したすべては、山のように残るのです。 神様が創造するときには、そのような山はありませんでしたが、堕落することによって残ったのです。平地から山になったのです。この山を誰が切り崩すかというのです。それは数千年間、築かれてきたものなのです。 それを切り崩す方法を知ってからは、蕩減しなければなりません。そうすれば、その山をすべて清算できるので、天は時代ごとに使者を送り、役事をさせてこられたのです。洪水審判のときには、ノア一人を通じて役事をしました。アブラハムやヤコブ、モーセもそのような山を切り崩すために送られ、洗礼ヨハネもイエス様を中心として、その山を完全に切り崩すために送られたのです。平地、平地をつくらなければならないのです。 個人的に行ける平地、家庭的に行ける平地……、氏族・民族・国家・世界・天地が行く道が、平地になっていないのです。それゆえに、イエス様をメシヤとして送って、平準化に向けて平地をつくろうとしたのです。そのために準備されたのが選民イスラエルだったのです。 メシヤが来れば、個人・家庭・氏族・民族・国家が罪を犯したこの山を、切り崩さなければなりませんが、そのような内容を清算できる基盤を築き、蕩減するために送られたすべてが、時代ごとに失敗してしまったのです。それゆえに選民圏、選ばれた人たちを通じて、平地にしようとしたのです。それがイスラエル選民、キリスト教の責任者たちだったのです。 それゆえに旧約時代は、アダムが失敗したことを蕩減するために、四千年の歴史を中心としてメシヤを送り、それを成そうとしたのです。家庭的基準から、国家を中心として山を切り崩し始めたわけですが、イスラエル選民がそのとき完全に責任を果たしていたならば、すべてが清算されたのです。 選民が解決すべき問題は何かと言うと、サタンから受け継いだ血統、環境を解決し、国家を求めることです。この三つです。ですから、血統を転換しなければならないのです。イエス時代において、イエス様は結婚して、イスラエル選民を通して一瞬にしてそれを成し、アジア圏にある宗教圏、仏教や儒教に連結して、ローマをも平準化できる環境与件を築こうとしたのです。 しかし、それが失敗したので、今まで二千年間待ってきたのです。その頃を見てみると、イスラエル民族が選民圏と非選民圏に分かれていました。ユダヤ教とキリスト教が一つになったならば……。選民は天側に属したオリーブの木と同じです。サタン側のオリーブの木と闘うのです。日・独・伊と英・米・仏が敵対するのです。心と体が分かれたので、統一しなければならないのです。統一したのちに東洋と西洋を統一しなければならないのです。内容が全く同じなのです。世界的時代において、世界的に展開されるのです。 そうして第二次大戦において民主世界、天側のオリーブの木が勝ったので、サタン側のオリーブの木がすべてなくなるのです。主人である真のオリーブの木が来て切ってしまい、接ぎ木すれば、すべて終わるのです。サタン側のオリーブの木をすべて切って、天側の真なるオリーブの木を中心として接ぎ木するのです。 接ぎ木とは何ですか? 祝福です。血統転換です、環境転換なのです、歴史的な環境転換です。その次に国を得なければなりません。歴史を通じて蕩減の道を除去し、神様が願われた神様の家庭と氏族と民族、天の国を中心として、地上・天上天国に統一するのです。それが神様の創造理想の復帰なのです。 第二次大戦以降、四十年にわたって、先生はどうやってこのみ旨を開拓してきたのでしょうか? 原理をすべて知っているから、原理を知っているからなのです。このような条件を中心として、サタンと対決し、突き進んで行くのです。それはサタンも否定できません。 サタンは歴史を通して闘争してきましたが、それと同様に、この世はすべてサタン側に回ったのです。先生一人しか残らなかったのです。向こうでは世界について何も知りません。サタンの秘密を知っている者は、私以外にいないのです。 サタンだけでなく神様も知っており、先生も知っているのです。先生がやることは、神様と間違いなく一体となれる内容です。それゆえに、サタンは神様の前で先生を否定できません。肯定しなければなりません。「そうです」と屈服しなければならないのです。全人類の胸中にある壁をすべて取り壊すのです。創造理想を中心として異質な何かが苦痛を与えるのを、すべて取り壊すのです。 真の父母は一人しかいません。それからすべての祝福家庭は、家庭的な兄弟です。「兄弟」と言うと個人を指しますが、祝福家庭は「家庭的な兄弟」なのです。氏族家庭、国家家庭、世界家庭、このように発展していくのです。ですから、分裂ということはあり得ません。争うことができません。なぜ、争えないのでしょうか? 為に生きるからです。真の愛は投人しては忘れ、投人しては忘れるのです。そのようになればなるほど、霊界の神様の心の中に記憶されるのです。 皆さん、神様がこれまで受難された悲痛な事実を考えてみるとき、先生一人で何もかも……。個人として、世界的な悲しみを抱いた神様の心の中にあるすべてを、どこにおいて解くかというのです。堕落したアダムがこのようにしてしまったので、完成のときには、これを解いてさしあげなければなりません。神様の苦痛を中心として、それを解放することのできる立場、神様ができなかったことを成してさしあげられる代表が再臨主なのです。 神様もできないことを、来られる再臨主が成すのです。ですから、親不孝がもたらしたその痛み、王なる神様に逆賊がもたらしたその痛みをすべて解くには、孝子となり、愛国者となり、忠臣となり、聖人となり、聖子とならなければなりません。それでこそ解けるのです。そうなれば、ご自身の恨をすべて解いてくれる孝子の前に、神様も自然と頭が下がるのです。 神様は閉じ込められています。囚われの身となって、閉じ込められているのです。これをすべてなくしてしまわなければなりません。神様がとどまることのできる家庭がありません。すべて壁で囲われています。それゆえに、国と家庭と世界、天と地の地獄まで、すべてを清算しなければならないのです。 霊界にどれほど多くの階級があるか分かりません。地獄から天上世界には行けないのです。ですから、これを解くには、地上ですべてを清算してあげるのです。神様を解放できる道は、地上の地獄……、サタン圏内で因緑づけられたすべてを除去してこそ、霊界も解放されるのです。 霊界に行くと、続一教会の食口たちは、再創造として、天使長の世界が失敗したのを復帰するために、先生が教えてあげた原理のみ言を教育しなければならないのです。神的な世界の原理とサタン世界の反対的な事実を、すべて整備できるのが統一思想なのです。統一思想を専攻した李相軒氏が行って、原理を専攻した立場で劉孝元氏が行って……。彼らは今も教育しているのです。 今年、三億六千万双さえ解決すれば、サタンの血統は断切します。そうすれば霊界の地獄の門、天上地獄の門が開いて、ハイウェイができるのです。これがまさしく原理なのです。それを知らなければなりません。 このハイウェイを運転していくにあたって、皆さんがすべきことは何ですか? ガソリンを満たすことと運転する方法は、皆さん自身が学ばなければなりません。それから、故障したものを修理できなければいけないのです。 霊界では無限に供給されます。食べるもの、着るものは、願えばいくらでも供給されます。最高なる神様の愛の圏内に入っていけば、神様がなさることを、私もできるのです。直感によって、天下にできないことが何もないのです。 この世界では愛が一番速いのです。愛の速度以上に速いものがないのです。光とか電気の速度は、一秒間に三億メートル、地球を七周半しますが、その速度が問題ではありません。その数千倍も速いのが真の愛のスピードなのです。霊界は無限膨大なる世界です。そのような世界を往来するのが愛の光なのです。 愛は叩いても屈服させることができず、愛に勝つものはないのです。ですから、血統転換が可能なのです。環境を除去することができるのです。そのようになれば、反対する者がいません。これを人間かやったと思いますか? 全霊界が動員されたのです。これはすべて空想ではありません。理論的なのです。 先生と皆さんを比べてみてください、先生はすべてを闘い抜いて、神様の創世以降のすべてを完全にゼロにしておき、そこに移してあげられる役事を、何も知らない雑種の子犬たちに施してあげるのです。ですから、皆さんは先生に個人的に千年万年、敬拝しなければなりませんし、家庭的にも千年万年、敬拝しなければなりませんし、氏族・民族・国家的にも、創世から今日まで、天と霊界の先祖が苦労してきた以上に、皆さんがやらなければならないのです。 この世の常識では、とても先生と向きあうことができないのです。それでは、どうしたらよいのでしょうか? ですから、今、成約時代の安着と共にみ言を与えたのです。先生が語ったすべてのみ言を与えたので、先生のみ言を中心として完全に一つになれば、解放されるのです。個人のはしご、家庭のはしご、氏族のはしご、民族のはしご、国家のはしごを通して、皆上がっていくのです。 今や先生が指導できる時が過ぎ去るのです。アメリカに対して責任を果たし、日本に対しても責任を果たしました。すべて終わったのです。韓国人たちが来て、日本人たちが来て、アメリカ人たちが来ていますが、今年の一月一日を中心として、「真の父母の日」を過ごしてから、アダム国家、エバ国家をなくし、父の国、母の国を主張するのです。父の国と母の国があれば、長子の国もなければなりません。ドイツのような国をカイン・アベルに立てましたが、それはなくなるのです。長子なので、「おい、私の言葉を聞け!」とすべてを引っ張っていくのです。 天側の長子権が復帰されたので、その次は父母権を復帰するために、皆さんが定着しなければなりません。そのために訓読大会が必要なのです。 アメリカが方向さえ定まれば、従ってこられる時代に入ってきました。今や二年さえ過ぎれば、それが本軌道に乗ると思うので、長子圏の国家形態が形成されれば、父母権復帰が……。日本と一つにならなければなりません。怨讐なのです、怨讐。五十年前に怨讐だった国と一つにならなければならないのです。そうして、日本人が母国で忠臣の役割を果たした以上、アメリカ人が母国のために忠臣の役割を果たした以上の立場に立たなければならないのです。 日本とアメリカが、韓国を天国に築きあげなければならないのです。ですから、韓国は経済間題において中心も何もありません。ゼロです。今の韓国がそうです。経済的にどん底に落ちてしまったのです。ですから、韓国と日本とアメリカは一つになっていませんが、アベル的な統一教会が一つになって投入しなければなりません。 アメリカに住む統一教会の食□たちはもとより、世界の統一教会の食口たちが家を売って、韓国の土地を買い、移り住まなければなりません。大移動が起こります。イスラエル民族が捕虜になってから、戻ってくるのと同じなのです。私たちは捕虜となって暮らしているようなものです。すべての天の民は、母と子が引き裂かれていましたが、やっとそれがすべて片づけられ、還故郷が始まるのです。 今後、三億六千万双の人たちが「韓国に向かおう!」と言い出せばどうしますか? 旧約時代には供え物と物質と子女を、自分の父母に捧げました。万物が前に立ち、その次に子女が続き、その次に夫婦が立って、共に神の国に入っていくのです。 エデンで物質を失い、息子と娘を失い、父母を失ってしまいました。それゆえに先生は、父母とイエス様と万物が犠牲になったのを、すべて蕩減復帰しなければなりません。誰がこの橋を築くのかというのが問題です。誰が、どの家庭が、このようなことを成すか、というのが問題になるのです。 一八○家庭、一六〇家庭を完成した人たちは入籍できます。それゆえに、完成したアダムの一代から、二代、三代……、数千代の先祖まで、つくり直さなければなりません。全人類が連結されて……。そこでは肌の色が問題ではありません。この世での先進国とか後進国が問題ではありません。 これまで大国が、私たちの家庭と理想的な生活をすべて破壊する先発隊になってきたのです。サタンの領土になったのです。アメリカの国民……先進国家において生活したこと自体が怨讐です。豊かだからといって自慢するなというのです。サタン側に立っているのです。人類の真の父母として来られたその方を、これまで苦労させたのは先進国家です。二十世紀の十字架に打ちつけたようなものです。しかしながら「怨讐を愛する」という原則があるので、共に行けるのです。本来は、とても望めないことなのです。 日本と韓国は怨讐です。韓国人と日本人は結婚できず、日本人と韓国人は結婚できません。それゆえに今回、日本人と交差結婚した韓国人を、日本の責任者にしたのです。今回、すべてを交代したのです。そうして、これまで統一教会を中心として日本人が手がけてきたことを、完全に交代するのです。日本政府がどんなに反対しても、レバレンド・ムーンが築いた基盤に反対することはできません。抜くことができないのです。 統一教会の名称は、世界基督教統一神霊協会ではなく、「世界平和統一家庭連合」になったのです。完全に次元が違います。家庭教会です。家庭が天国に行くのです。原理観的なすべての内容を中心として、先生がなし得るすべての条件的な組織を、完全に完結したのです。 さあ、これからは先生が三億六千万双を挙行すれば、霊界に橋がかかるのです。そうすれば同じ日に、一日で数億の人が祝福を受けられるのです。この地にいる自分の子孫が祝福を受けられるのです。父親がまず祝福を受けて、それから、この地上の息子を祝福していかなければならないのです。亡くなった先祖の中で、息子や娘が地上にいたとしても、その先祖さえも解放され、その息子や娘は、生きて祝福を受けていかなければならないのです。 自分の先祖がこの地で祝福をしてあげなければなりません。天使長と自分の父が一つになってです。皆さんの先祖は、天使長の立場です。天使長的な先祖が降りてきて、皆さんの父母と一つになって、その子女を祝福するのです。子女をそのように祝福してあげれば、先祖が解放されるのです。ですがら、早く霊界を解放してあげなければなりません。今や統一教会に行かなければ、先祖が「災いを転じて福となす」という役事をするのです。悪いことをすれば、すぐに原理が発動するのです。夢のような話です。 今日は何の日ですか? 復活節です。一九九八年四月十七日です。復活節の日です。それで、このような話をするのです。み言が終われば、霊界解放という李相軒氏が語った手紙の内容をもって、今日は皆、訓読しようとしたのです。その手紙の内容は、原理のみ言が入っており、霊界の根本からすべてを紹介しています。 霊界と肉界を一つにして統一させる真理が原理なのです。本然のプラスとは天であり、地上はマイナスの立場です。これらが一つになるその場において、全体的な発展が可能です。これまで、「摂理的な観点での世界歴史」という概念を知らなかったのです。 真の父母がこの地に来られて初めて、堕落したアダム世界を完成し、きれいに掃除して、天国に連結されるようにしてくれたのです。本然の基盤はアダムと神様が連結する所です。これが選民イスラエルを決定するのです。 イスラエルが拡張して、全人類まで広がらなければなりません。そこから家庭が出てきます。アダム家庭が拡張すれば、堕落家庭は滅びるようになります。全人類が列をなして、個人を越えて天宙まで横的な隊列を整えること、それが家庭です。そのように転換できるのは三億六千万双の祝福しかありません。 同じように祝福家庭がこの地上に定着すれば、その先祖と父母が祝福に同参するのです。そのようになれば、地上に理想家庭が定着し、その理想家庭が全世界に広がるのです。それが地上天国なのです。そのような地上天国が完成すれば、自動的に天上天国がつくられるのです。 これは理論的です、理論的なのです。ですから、統一教会には誰も勝てません。このような内容を五十年前に世界的に発表していたならば、どのようになっていたでしょうか? この五十年間、地獄に行った者がどれくらいいるでしょうか? 第二次大戦の参戦勇士たちの中で、七、八十の年齢になって死んでいった人が、どれほど多いかというのです。当時、神の国の代表であるアメリカの最高の愛国者たちが、皆流されてしまったのです。彼らの霊的な伝統を引き継げないまま、すべてが奪われてしまったのです。五十年間、レバレンド・ムーンに反対して地獄に落ちたのです。 今日は復活節ですから、霊界がどのようになっているかを知らなければなりません。皆さんが知りたければ、李相軒氏に手紙を書いて連絡すれば、解読してもらえるのです。どれほど膨大な内容でしょうか。霊界を解読しようとすれば、この地球に山ほど本があっても足りません。 先生は霊界についてよく知っているのです。先生がいったん霊界を意識しはじめれば、この地上にはいません。ですから、忘れようと努めるのです。できるだけ霊界について話さないようにしています。ですから、李相軒氏のような人も霊界に行って、もどかしいので、あのようにしているのです。霊界に現れる現象は、説明のしようがありません。神様に尋ねると「レバレンド・ムーンに会って聞いてみなさい」と言われるのです。 ですから、先生は霊的な門をすべて閉じて暮らします。罪人のように暮らします。開いたらどのようになると思いますか? 統一教会をスタートするときは、そのような役事を起こしました。先生は恐ろしい人です。今はそれをすべて閉じています。それでも、誰が何をどうしたかということまで、すべて分かるのです。 アダムとエバが今、近くに来ていると言ったでしょう? 蕩減が終わったので、そのようなことが言われるのです。それが何を意味するか分かりますか? 真の父母がこの地に現れたからです。蕩減せずにそのまま歩んだだけでは、サタンが手放さないのです。サタンが除去されなければ、そうならざるを得ないのです。 今日は復活節です。先生はイエス様が失敗したことをすべて完成し、イエス様以降に神様が地上天国と天上天国を料理できなかったことまでも、今先生がすべてやっているのです。 興進君を結婚させたでしょう? 霊界の家庭総司令官という立場ですから、結婚しなければならないのです。その下にすべてぶら下がっているのです。そして、霊界に大母様と忠母様を中心として………。霊界に行けば大母様から祝福を受けなければなりません。多くの教派、回教とかキリスト教、カトリックなどの宗教が一つになって……。大移動が起こるのです。この地で真の父母を通じてこそ、それを中心として連結されるのです。そうするには、孝子となり、忠臣となり、聖人とならなければなりません。それが伝統なのです。 今の時がそうなのです。世界的なのです。家庭的にアダムとエバが堕落したその境界線を越えていかなければならないのです。これが六日間です。一、二、三、四、五、六、七、七数は中心数です。中心数になるのです。 ですから、その時になる前にすべてを宣布しなければならないのです。宣布してこそ、サタンの前にこれが設定されて、私たちの定着基地となるのです。 この中で日本人は手を挙げてみなさい。皆さんは本当に日本を母の国に定めたらよいと思いますか?(「はい!」)。「はい」と言った者は手を挙げてみなさい。それなら皆さん、日本の国が勝利できなかったならば、どうしますか? 設定をして宣布をすれば、皆さんが犠牲とならなければなりません。そのことに責任をもてますか? 大移動をして、日本を放棄してもかまいませんか? ロトがソドムを後にしたような決意が必要です。深刻なのです。今回、三億六千万双の祝福問題を中心として考えてみるとき、日本に今、国家メシヤを投入してやっているのは……、日本を救うために先生は、できる限りのことをすべて果たしたのです。責任を果たしたのです。 それ以上、協助できる道がないのです。日本という国を超えて、日本の教会が果たすべき責任を、今果たせないでいるのです。それで私が今回、「真の父母の日」にフィリピンと台湾とカナダを三人の娘のような立場に立てたのです。三人の息子の代わりに三人の娘のような国を連結させてあげるのです。 それは何かというと、中国を代表したエバのような国が台湾であり、アメリカを代表したエバのような国がフィリピンです。フィリピンはアメリカの植民地でした。妾と同じです。英語を使う国なのです。その次にはイギリスを代表したエバのような国がカナダです。イギリスが責任を果たせなかったのです。二代を合わせるのです。母と子なのです。三つ子のようなものです。アダムを中心として三人の息子を束ねなければならないでしょう? 同じなのです。 そのようになれば、台湾は中国に責任をもち、アメリカはアメリカ人が責任を果たせなかったので、フィリピンが責任をもち、イギリスが責任を果たせなかったのを、カナダが責任をもたなければならないのです。 そして今回、祝福された人たちを、この四つの国を中心として宣教師として派遣し、犠牲の供え物にならなければならないのです。犠牲になるのです。日本にいる食口たちも同じです。そのようになったので、父の国と母の国、三人の娘の国、この四つの国は滅びてはならないのです。 こうした勝利的な条件を束ねておけば、先生は今後解放されます。これからは、立派な飛行機にでも乗って見物に回り、どこにでも行くのです。飛行機を韓国で一機買い、日本で一機買い、アメリカで一機買わなければならないのです。 それで飛行機会社もつくっているのです。「ワシントン・タイムス・ファウンデーション・エイビエーション」という飛行機会社をつくったのです。統一教会の食口たちが忙しく活動するときは、真の父母の特別飛行機に乗って、ぶーんと飛んでいくのです。再臨主が雲に乗ってこられると言ったでしよう? 飛行機に乗ってくるというのは、雲に乗ってくるのと同じではないですか? 雲の上に乗ってくるのです。「レバレンド・ムーンがどこどこに行く」と言えば、その州、その国全体が「おい、レバレンド・ムーンが来るぞ!」と言って、空中を眺めるようになります。三億六千万双が終わったのちにそうなりますか、なりませんか? そのようになるのです。 一つになってこそ、国を建てることができるのです。韓国統一のためには、皆さんすべてを犠牲にしても、一つの統一した国を築かなければならないのです。それは今日、世界の救いの道理を行く信仰世界の目的にもなりますが、全人類の目的にもなるということを、はっきり知らなければなりません。 先生は韓国でも監獄生活、日本でも監獄生活、アメリカでも監獄生活をしてきました。ですから、それらはみな怨讐の国です。しかしながら、先生はそれらの国を、真の愛を中心とした最高の愛で抱いたのです。すべてを一つにしたのです。 ですから、先生がアメリカのために統一教会の財産をすべて投入して、このように帰ってきたように、各国の国民が先生に代わって、心から世界解放のために投入しなければならないという、立体的的な国家を築くことによって、父母の国と長子の国が一つになる立場に上がっていけるのです。そこにドイツも加わるのです。この国が数多くの国に影響を及ぼしたのです。これは天の前に許されないことです。皆さんがこの国に行って、助ければよいのです。引っ張っていくことができるのです。 IMF(国際通貨基金)の根本を考えると、日本とドイツとヨーロッパが思い浮かびますが、主に日本とアメリカです。一つの国で発表したならば……、一つの統一された国、復帰された世界代表の国として宣布したならば、このような道には行かないのです。この道に行くようになれば、世界経済や世界のすべてが混乱をきたすのです。 韓国やアジアの経済問題、世界の経済問題にも影響を及ぼすのです。まかり間違えば、政治問題にもなるのです。目前に迫っている危険性を避けるには、先生が一つに束ねて、条件を立てて越えていける道を築かなければならないと、先生は考えているのです。 ですから、三億六千万双の祝福結婚を後に控えて、重要な時なのです。それで、これを宣布しなければならないのです。ですから、日本の食口たちは、今後、世界が復帰されるとき、どんな苦痛にも耐えていくという決意をしなければならないのです。皆さんは国に引っ張られていきますか、国を引っ張っていきますか? 引っ張っていかなければなりません。そうでなければ、風呂敷をかついで韓国に大移動しなければなりません。 次にアメリカはどうですか? アメリカがキリスト教文化圏をりードする国として責任を果たせませんでした。イエス様が求めていた国は、長子圏の国です。世界を代表した国を得た立場に立ててくれるのが長子圏です。アメリカが真の父母の前に長子となるのです。 今や霊界が連結される時代に入ったのです。ですから、アメリカのプロテスタントとカトリックが一つにならなければなりません。統一教会を中心として、祝福を中心として、完全に一つになるようになっているのです。 青少年問題が家庭を破綻させていますが、キリスト教はそれを正すことができません。これを蕩減復帰しなければなりません。蕩減して正さなければならないのです。世界に聖地を百二十か所立てたうち、六十二か所はアメリカに定めました。半分です。半分以上なのです。 本来は神様がアメリカを救わんとされるみ旨がありましたが、反対してこのようになってしまったのです。四十年前にやっていたならば、世界がどうなっていたか考えてみなさい。滅びるようになり、死ぬようになったので、今、このようにすがりついてくるのです。どうですか? 先生が皆さんに「明日から、家を売って韓国に出動! 復帰! 帰還!」と言えば、どうしますか? そのようにすれば、未来はどのようになると思いますか? 争わないで、アジアと西欧社会が一つになるのです。そのようにしなければ、アメリカは争って滅びるようになるのです。 韓国で東西が一つになるのです。そのような基盤を整えなければ、未来に争いが起こります。西洋人は数が少ないのです。三億五千万です。しかし、アジアは三十二億なのです。そうでしょう? これをいかに一つにしますか? 横的な世界には代案がありません。 中国が強大です。中国がお父様の教育を願っています。背後でそのような基盤をすべて整えておいたのです。中国の高位層を私はすべて知っています。ソ連もそうです。日本においても背後に強大な基盤を築いておきました。 今やソ連、中国、日本は、すべて宗教世界と関係を結んでいます。ソ連が変化しています。ロシア正教が変化するのです。儒教も回っています。彼らは統一教会の原理が孔子の儒教と全く同じであると思っていよす。 今や全世界に母国語を伝播しなければなりません。これこそ世界を完成させることのできる方案なのです。今、日本もそうです。どんなに日本国家が私に反対しても、統一教会の根を抜くことはできないのです。日本の情報部が調査すると言いましたが、背後の根があまりに深くて、つながっていない所がないと言うのです。 メディア界、政界、外交界……、各国の高位層の背後と既に関係が深いのです。いかにして、そのような基盤を築くことができたのでしょう? 誰がそのような基盤を築いたのですか? お父様一人でやったのではありません。神様と共にやったのです。 いかなる勢力も統一教会が定着した、その強大な基盤には敵対できません。全世界のどこにおいてもすべて自由なのです。神様の前に自由解放が成されるのです。今やすべて成されました。三億六千万双の祝福が終われば、境界線がなくなります。ビザも必要なくなるのです。 ですから、韓国の民族は今、国境を越えてソ連に行き、中国に行き、アメリカに行き、すべてかき分けていこうとするのです。統一教会に反対した者たちは、風呂敷をかついで外国に出ていくのです。私が韓国に行って暮らせる時が来るのです。 故国に帰るのです。年を取ると、いつも故郷に行きたいのです。神様が故郷、故国に行きたいと思われるように、お父様も故郷や故国に行きたいのです。神様が私の後について来られるはずです。アメリカに住みますか、韓国に行って住みますか?「コーリア」とは何か分かりますか?「コリンネ(鼻をつく匂い)」がコーリアです。サタン世界ではそうですが、神様がご覧になるときには、よい匂いなのです。大移動時代です! どうせ今後、反対した韓国人たちを皆追い出して、進入する時が来るのです。 そうして韓国がいっぱいになれば、日本に行くのです。日本がいっぱいになれば中国、ソ連に入っていくのです。ツンドラ地方へ……。イエス様がアジアを支配しようとしたのを蕩減復帰して、アジアの支配を完成するのです。 この復活節に望むイエス様の願い……、イエス様はこのような時を望んで、どんなにため息をついてこられたことでしょう。先生が来られて、このようになることによって、思う存分に踊ることができ、解放されるのです。 私たちの興進君も十七歳のとき、少年時代に霊界に行って、家庭を築いておいたので……。イエス様は壮年時代に、結婚もできずに独身生活を送りました。ですから、今やここからアメリカがみ旨を完成することによって、興進君やイエス様と兄弟の因縁をもって、キリスト教を霊的に動員し、地上のキリスト教を動かす時代に連結しなければならないのです。これが先生の考えなのです。それゆえに、キリスト教の代表となる文化圏のこの国を、長子圏として選択するのです。アーメン! 霊界においてイエス様の家庭が一つになります。統一教会の家庭が霊界に行くと、天の高い位置に行くようになるのです。これまでは楽園以上の位置が許されませんでした。今は家庭組織が、どこにおいても連結されたのです。家庭を形成してこそ、天国に入っていけるのです。問題ないのです。 父を救いに来た立場で、すぐに霊界が連結されるのです。興進君を中心として、真の父母がはじめて祝福を世界に拡大すれば、霊的イエス様が興進君と一つになって、追従するようになるのです。霊界が拡張し、統一された地上天国と一つになる天上天国が展開し、霊界が総統一されるのです。問題ありません。時がそれほどに近づいたのです。 それでアメリカをキリスト教国家として、長子と同じように立てるのです。先生に会おうとしても会えません。キリスト教はおしまいです。そのようにして、霊界の興進君と一つに束ねてあげるのです。興進君を祝福してあげ、イエス様も祝福してあげて、キリスト教の祝福の門を開き得る起源とするのです。ですから、長子圏の国として、キリスト教の代表国であるアメリカを選択しないわけにいかないのです。 興進君の家庭は誰と誰ですか? 薫淑、そして誰ですか? 信哲です。イエス様の家庭は? 一九七三年一月三日に、イエス様を結婚させてあげました。新婦は張貞順ですか? 霊的にです、霊的。これからは養子を選んであげることもできるのです。それを今まで知らなかったのです。時が来たので発表するのです。 それでは、どうしてまた宣布するのでしょうか? 韓国は父の国の責任を果たさなければならないのです。カナダはイギリスを代身し、カナダはエバの位置です。天使長たるアメリカの相対の立場がカナダです。その次に天使長のエバ国家、アジア天使長(中国)のエバ国家が台湾であり、アメリカの天使長のエバ国家がフィリピンです。妾と同じなのです。第二次大戦以降にそのようになったのです。アメリカが垣根の役割をしています。 それでアメリカを中心として見ると、カナダが天使長国家です。またエバ国家のイギリスを中心として見ると妹です。その妹の立場を連結させることによって、姉が復帰されるのです。 第二次大戦のとき連合国は英・米・仏です。そして枢軸国は日・独・伊です。それで韓国を中心としてアメリカ、ドイツがカインですが、ドイツはフランスのような立場なので、すべて反対しました。今もドイツが反対しているでしょう? フランスも反対しています。 長子は弟や妹をどうにでもコントロールできるのです。早くここで旧教と新教を一つにしなければなりません。新教の国家を中心として、ヨーロッパが離れていったのです。ですから、その前にアメリカで早く一つにならなければならないのです。ドイツの代わりに、カイン・アベル問題を合わせて成さなければならないのです。そうすることで、カトリックを生かすことができるのです。 今、ローマ教皇庁が私と正面からぶつかっています。四か国連合体制は欧州に属しており、ナフタ(NAFTA:北米自由貿易協定)は北米にあって、私はその中間にいます。北米を右手、欧州を左手にしながら、中心に立って私が料理しているのです。南米においては一般のキリスト教が、「旧教も新教も統一教会と一つになる」と、既にそのように方向を定めたのです。 このようにして、イエス様も今や解放される時代が来たのです。このような機会に組織を編成して、キリスト教が協助することができ、霊界に前進することのできる門が開かれるのです。そのような環境が形成されることで、イエス様の願いをこの地で成就したので、解放圏を立てるために、このような役事をしなければならないのです。キリスト教文化圏を中心としてです。 (家庭的に失敗のない韓国人十二名、日本六十二名、アメリカ人十二名八台湾代表一名、フィリピン代表一名、カナダ代表一名の三名と日本代表の神山先生など、合わせて四十名を立てて祝祷される) 祝祷 愛するお父様……、本日、一九九八年四月十七日、午前十一時を期し、ここに集ったあなたの子女を中心として、日本を中心として、責任完遂に不足なるすべての条件を補充するために、三人の娘のような立場に立った台湾とフィリピンとカナダを立て、それらが一つになって統一的な基盤に立つことによって、父の国、エバの国、天使長の国のすべてを束ねようと思いますので、お父様……、祝福してくださいませ。 天上世界において、興進君とイエス様が家庭を中心として連結できませんでしたが、三億六千万双の完成を中心として、世界的なサタンの血統の断切を標準として動くこの前夜にあって、今や新しい宣布をしなければならない時となりました。 父の国、母の国、長子圏の国を代表して、この三つの国を父の前に立て、宇宙の中心である天上世界と地上世界を代表できる国として、真の父母を中心とした、絶対に一つになった統一的な基盤の上に立ち、第二次大戦以降に失ったイギリス・アメリカ・フランスのすべての起源を、再び実体圏を中心とした、日本・ドイツ・イタリアを合わせた霊肉の実体完成圏の勝利的覇権を、再び全世界の舞台の上で、再びキリスト教文化圏を祝福することのできる、解放的な恵みを賜ってくださいましたことを心から感謝申し上げます。 今やイエス様も真の父母の前に霊的な長子の立場にあり、興進君は霊肉を中心とした長子の立場に立ちました。これらの夫婦が整うことによって、キリスト教文化圏において独身生活をして一人で暮らしてきた彼らの前に霊界を中心として祝福できる門を連結すると同時に、地上にこの祝福の因縁を知らずに暮らしている、今日のキリスト教文化圏世界に祝福の門を連結するための大祝福の恵沢を、この時間、与えようと思いますので、天よ……、この場を記憶してくださいませ。 エバ国家である日本が責任を果たせなかったことを未完成とみなさず、彼らが責任をもって国を再び導き、国をあなたの前に奉献する責任を宣誓いたしますので、彼らが行く道を、真の父母と一つになった心情的一致圏を経て、父の国と母の国、息子の国とを束ねて、お父様の前に奉献いたします。 この三国を奉献するのは…、この全宇宙の歴史時代にあって、旧約時代・新約時代・成約時代を代表した三時代の三人の息子の完成と共に、三か国を中心とした第二次大戦以降のエバ国家・天使長国家・アベル国家を連結した勝利の覇権を、真の父母と一体圏なる統一的祝福の基盤を備えて、万世界を代表し、地上の真のご父母様に代わって、家庭的、定着的な恵みを許諾しようと思いますから……、霊界と肉界が一つになり、霊界における統一圏と地上における統一圏が一つに合わさって、今や解放的な祝福圏を地上と天上世界に開門してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 今やイエス様の相対となる人も宣布しましたので、アメリカのすべての食口たちは、この二つの家庭を、祝福を受けたこの母と娘を、お父様……、自分の国の中心的な家庭の女王として侍ることができるよう、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。 今やこの時間、十一時を期して、日本で完成できなかったことを蕩減する条件となり得るこの三国を通して、お父様の前に奉献いたしますので、快く受け取ってくださいませ。父母の国と長子圏の国を備えたことを、地上と天上世界に立てまして……、新たに霊肉を中心とした統一的な世界に前進できるように、解放の門を開いてくださり、祝福してくださり、命じてくださいますよう切に願いながら、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン! アーメン! アーメン! 祈祷後のみ言 皆さんが一つになって熱心に活動しなければなりません。いかにこの責任を完遂するかという問題が、この三国の責任であるということを皆さんは知らなければなりません。 これからアメリカは長子圏の国となります! 日本は母の国となります! 韓国は父の国となります! 韓国と日本とアメリカ、この三国は一つの国です。今日から私たちは一つの国と考えればよいのです。この三国が一つになりさえすれば、全世界をコントロールするのは問題ありません。この三国が一つになれば、残りの国々はすべて従ってくるようになっているのです。統一教会、統一した平和世界が、この地上に現れるのです。それが正に地上天国です。 (全体が敬礼を捧げた後、出ていかれながら)今日が復活節の完成です!(二九二一-一九八、九八年四月十七日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.05
コメント(0)
第39回「真の父母の日」記念礼拝の御言1998年3月28日(陰暦3月1日)中央修練院 成約時代は家庭安着時代 統一教会は、一般の宗教とは違うということを知らなければなりません。今までの一般の宗教は、天使長圏復帰の使命を持ち、個人の救いを標準としてきました。 今までの宗教は、氏族を捨て出家することを命令してきました。サタン世界のすべてのもの、国から氏族、家庭全体までも捨てるようにというのです。出家して独身生活をするのは、天使長圏です。天使世界には相対理想がありません。 また、堕落した世界において、人類の真の父母が結婚式をすることができませんでした。人類の真の父母からこの地上に生命が生まれて、神様が喜ばれる氏族、民族、国家が形成されたならば、世界、地上・天上天国は自動的に成されるのです。堕落によってそれが成されなかったので、それらを復帰するためには天使世界を先に復帰しなければなりません。 今までは、堕落した全世界の人々は天使長の息子・娘でした。そこには家庭があり得ません。それゆえメシヤが来て、天使世界を越えて、天使を救ってあげなければならないのです。天使が堕落したので、完成したアダムでなくては天使を救うことができません。神様も救ってあげることができず、サタン自身も救うことができないのです。 天使長も堕落のない立場には居ることができず、神様も解放を願うことのできる立場にはおられません。完成したアダム家庭が立てられることによって、個人を越えて、この天宙まで解放され、すべてのものが解決され得る解放的基盤が成されるはずでした。ところが、堕落することによって、すべてふさがってしまったのです。 これを再び解放するためには、真の父が来て、神様と一致した愛の門を開き、天使世界の愛の因縁、横的基準である体を解放するのです。天使長の体を連結させたものが、この体なのです。 堕落によって連結された、横的愛の足場である体を否定し、アダム家庭からイエス時代、再臨時代、世界の頂上まで越えることのできる縦的な愛の因縁の伝統を立てて初めて、家庭解放圏が成されるのです。 旧約、新約、成約とは何でしょうか?。神様を中心として愛の家庭を定着させることができなかったので、旧約が生まれたのです。堕落したアダム家庭は、神様が安息されることのできる基盤になることができませんでした。それは過った結婚をしたからです。 真なる男性と女性の結婚を目標として、民族的な解放圏を準備しておき、その中に家庭を定着させ、イスラエルの国の王圏を中心として、ローマに対処することのできる基盤が形成されるはずでした。 ところが、イエス様が家庭を成すことができなかったために、家庭を連結させて天に立てることのできる氏族、民族、国家を形成することができなかったので、すべてが失敗したのです。それゆえ今まで、旧約時代から新約時代、成約時代と延長されてきたのです。 成約時代とは何でしょうか?。家庭安着時代です。第一イスラエルは旧約聖書を信じた人々で、第二イスラエルは新約聖書を信じる人々です。第三イスラエルは成約聖書を信じる人々です。 アダム家庭で堕落したものを、第二アダムのイエス時代において、家庭から宇宙まで越えていくことができませんでした。 それらすべてが解放された圏内に立って、アダム家庭の代身、イエス家庭の代身、再臨主家庭の代身が家庭理想を成して安着するようになれば、サタンは全天宙のどこにも存在することができません。 サタン自身も歓迎して、侍ることのできる時代になるべきであるのが成約時代であり、そのようにすることが、第三イスラエル民族の使命です。 第三イスラエル民族がその使命を完遂するためには、サタン圏がなくならなければなりません。すべての家庭が神様の祝福を受けた家庭にならなければならないのです。神様を中心とした祝福家庭が、堕落した世界の人々を完全に超越、克服できる環境を成せなければ、地上の家庭的天国は始まることができません。解放圏を成さなくては、天国の出発をすることができないのです。 ですから、皆さんの家庭、氏族を中心として、民族、国家、世界が、平面基準においてすべて祝福を受け、個人から世界の果てまで行ってから、戻ってこなければなりません。アルパとオメガです。 今、世の中を見れば、韓国、日本やアメリカなどいろいろな国があります。それらすべての国々に、杭が打ち込まれていて、その国に行こうとすれば杭にぶつかります。 この世界には、ビザがあります。神様を中心とした愛の理想的血族を通して、民族編成、国家編成を成した地上・天上天国に、ビザがあるでしょうか?(「ありません」) 民族があるでしょうか?。単一民族です。韓国、日本や何々国というものは、サタンが汚した氏族、民族であり、その国を残すためにサタンはありとあらゆることをしているのです。 そのサタンが滅びたり、逃げたりしないようにするための住まいを準備する作戦を展開しています。それを知らなければなりません。わたしの手で撃破します。アダムが堕落した十六歳以後、十七歳からは自らの手でサタンを清算してしまうことのできる実力を持ち、どこにでもついていって、サタンの何十倍、何百倍犠牲になろうとも、サタンを整理してしまうために、狂人のように活動をしなければならないのです。伝道とはそのようなものです。 自分の家庭が、世界の果てに行ったとしても、どこにもサタンの痕跡がないというのが成約時代です。 一度結婚した女性が、再婚するときに、新しく結婚する夫を信ずることができず、昔、愛した夫の写真を持っていたとすれば、新しい夫はどうするでしょうか?。夫がその写真を見れば、がたがたと音を立てて夫婦関係が壊れていきます。 小さな痕跡一つであっても、見たがりません。いくら嫁入り道具やお金をたくさん持ってきて、国を買っても余りあるほどの財産があっても、その痕跡を見たいとは思わないのです。 思い出の写真や靴、服の切れ端などを見たいとは思いません。絶対的な愛を願われる神様も、そのようなものを見たいとは思われないのです。皆さんが暮らしている場所は、神様が喜ぶことのできる環境でしょうか? 愛する息子を犠牲にされた神様 皆さんは「父母の日」を知りませんでした。「神の日」、「子女の日」、「万物の日」も知らず、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭、三万家庭、三十六万家庭など、すべて知りませんでした。 父母がだれかも知りませんでした。「父母の日」を知らなければ、ご父母様は分かりません。「父母の日」を知っていたとしても、さらに先生の心の奥に隠されたものまでも知りたい、という心情を持たなければならないのです。 七年路程において、お父様とお母様が通過した蕩減の道は、永遠にだれにも分からないことでしょう。皆さんは、それを知りたいとは思いませんか?。それを知るためには、皆さんの祖父母、父母と子女の三代を一度に死んだ立場に立て、自分たち夫婦を中心として祭物としてささげることのできる心情圏を越えなければなりません。 アダムとイエス様、再臨主を中心として、神様がそのような心情を通過されているのです。アダムの腹を割かれ、イエス様の腹を割かれ、再臨主の腹を割かれたことを知らなければなりません。 それゆえ、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」という言葉があるのです。イエス様も十字架に向かいながら、死の道において、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言われたのです。 これはどういうことでしょうか?。サタンを切り取るために、人情や事情を考えず、わたしから先に切ってくださいという話です。そうしなければ、サタンを取り除くことができません。神様が、自分の愛する息子を犠牲にされたので、サタンを処断することができるのです。 ここから、統一教会の祝福家庭がどうあるべきかが分かるはずです。ご父母様は、この道を捜し出すために、想像を絶する道を歩んできました。皆さんには想像もできません。皆さんは、その父母に隔たりもなく親しく近づいて、自分の責任も果たさず、孝子にもならずにいます。 国を代表した先生であり、世界を代表した先生であるのならば、皆さんは孝子の中の孝子になり、忠臣の中の忠臣になり、聖人の中の聖人になり、聖子の中の聖子にならなければなりません。聖子といわれるイエス様でさえも、み旨を成し遂げられませんでした。それ以上にならなければならないのです。 自分というものを一生の間考えていると、引っかかります。一国の大統領であっても、一つの条件でも法に引っかかれば問題が生じるのです。自分の利益を求めたものがほんの少しでもあれば、引っかかるのです。公的な立場の人は、いつでも天に向かって九〇度にならなければなりません。九一度、八九度でもいけません。皆さんの心と体が、そのようにならなければならないのです。 日本に台湾とフィリピンを連結 「訓読会」を通して、統一教会の祝福家庭がどうあらねばならないか、皆分かりましたか? 『御旨と世界』は、先生とダンベリー刑務所に入った神山を通して、日本のメンバーたちを教育するために特別、先生がみ言を選んで作ったものです。 「訓読会」をして、これを丸暗記しなければなりません。そうすれば、日本は失敗しないのです。峠を越えてしまえば、このような教育は再び必要ではなくなります。きちんと教えてあります。統一教会の祝福家庭は荒野路程に立っています。荒野路程に立った者には所有権がありません。 日本は韓国に移動し、韓国は日本と一つになり、太平洋を越えて、心情の境がなくならなければなりません。ヨルダンの境目のようになってはいけないのです。これは怨讐圏です。韓日が一つになっていますか? ですから、今度、責任者となるのは、韓日家庭です。韓日家庭は、男と女、父と母の関係です。一つにならないので、韓日家庭を立たせるのです。これを批判したり、文句を言う人は、みんな荒野において、ハゲタカのえじきになってしまいます。年が幼くて、自分の孫みたいな年齢であったり、自分の弟、妹の年齢であっても、彼らと一体化して全日本が動かないと、荒野路程を越えていくことはできません。 祝福家庭が、それを越えなかった場合には、家庭天国の建国がなされず、イスラエルの六十万の一世が荒野で死んだのと同じように、日本民族は滅んでしまいます。 また日本という国の中には、双子がいます。朝総連と民団です。それを統一しなければ大変なことになります。そのことを先生は、はっきりと教えているのです。 皆さんは、韓民族の僑胞を自分の子供より以上に愛さなければなりません。そうする人が生き残るのです。僑胞の名前を自分の石碑に記して、財産もすべて自分のものではなく、その人のものとして入籍までさせてあげるような心を持たなければ、日本は母の国になることはできません。 リベカは、はらんだエサウとヤコブに自ら骨と血、肉を、みんな平等に分け与えました。それが母というものです。日本国民から見た場合には、僑胞は厄介な存在です。しかし、その僑胞を愛さなければ、大陸に帰る道がありません。 荒野路程を越えた場合には、全世界、地球星が祝福家庭の所有権となります。日本に住みたいですか、それとも世界に行って住みたいですか?(「世界に行って住みたいです」)。世界に行って、母の使命を果たさなければなりません。これからは大移動です。そこで、血と汗と涙、骨まで投入するのです。 お嫁に行けば、自分を愛してくれた父母であるとか家族全体の所有権を相続するのです。お嫁に行く女性はみんな、いくらその家庭や母が苦労しても、旦那さんの家庭の基準に見合う土産を準備して持っていきたいのです。それが妻の願いです。もらうために行くのではありません。行った先にすべてをささげてから、内的な中心である旦那さんの所有圏と一体化するのです。 投入された場合には、返さなければなりません。投入するところが主体になります。ですから、十年、二十年くらい奉仕して、その一家を引きつけ、長男、長女たちをみんな結婚させれば、異なった血統を持っている女性であってもその一家の女王様となり、先祖の立場に立つのです。女性の使命はそのようになっています。 日本語では、韓国は、牢屋の監獄と発音が似ています。日本人が韓国に来るときには、その牢屋を通過するような決意をしないと、韓国文化を完全に相続することはできません。不平を言わずに、無の立場、ゼロの立場で消化していかなければなりません。これは先生の言葉ではなく、神様の天来の歴史を通した摂理の伝統的精神です。 日本に対して先生ができることは、すべてやりました。エバ国家として相対的な立場に立たせた日本に対して、先生が投入したものは、先生が成すべき基準以上になっています。 きょう、日本の中心的なメンバーを呼んだのは、このままでは日本が没落してしまうからです。日本が沈まないように、台湾とフィリピンをカイン・アベルとして連結しなければ、日本が困るのです。今度後退したら、同情する者は一人もいなくなります。 世界宣教師や世界の国家メシヤが、日本救済のために投入したにもかかわらず、その使命を果たせず後退する場合には、日本を助ける国が一つもなくなります。先生としては、これ以上のことを日本に対してやれる道はありません。 ですから、台湾とフィリピンを日本と連結させて、今まで日本がやった以上のことをやらなければなりません。三つの島嶼国家を中心として、島嶼国家連合をつくりました。防御策はそれしかありません。先生は真剣です。 全世界の三億六千万の祝福を放っておいて、いつまでも日本のために先生が苦労する立場に立つことはできません。日本を放棄しても、三億六千万の祝福をなすために、六月十三日には一億二千万の祝福をしなければならないのです。それを果たせなければ、日本が引っかかってしまいます。 今まで日本のメンバーは皆、自分なりに三十六家庭や七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭を批判し、自分たちのほうがすべていいと、さばきの王様になっています。裁判官のような立場に立っているのです。新しく来た先輩家庭の先生を批判しています。何の助けにもならないことをやっているのです。 新しく決心をしなければなりません。今まで先生が教えたすべての内容を、「訓読会」を通して理解したと思います。それらを通して、祝福家庭は二重三重の責任を抱えているということを知った場合には、勝手に生きることはできません。 心と体の一体化がいちばん重要 韓国の人たちも同じです。自分たちが責任を果たせなければ、ほかの国に何も言うことはできません。きょう実際に、韓国と日本を放棄するかどうかを決定する日です。ですから、すべての責任者を呼びました。深刻な話です。 今まで先生が教えたすべてのみ言が全部、審判の基準となります。皆さんの家庭が、先生が話したみ言と一致していなければなりません。 み言の審判が正道となって、先生が皆さんを見るときに、先生の息子・娘と皆さんが、同じ基準で一体であるように一列になっていなければなりません。一人にしか見えないようにならなければならないのです。そのような時が来ます。今は、ばらばらです。自分勝手にしています。 祝福を受けた家庭、手を挙げてみてください。皆さんの目的は一つしかありません。日本よりも世界を愛さなければならず、人類を愛さなければなりません。人類よりも神様を愛さなければなりません。それが正しい目的であり、伝統的な目的です。伝統をはっきりと知らなければなりません。 そのような観点から、家庭的荒野路程において生き残るためには、どのようにすればいいのでしょうか?。個人的カナン復帰路程のときと全く同じです。カナンの地に入って、何をしなければならないのでしょうか?。建国をしなければなりません。神様を中心とした国を復帰しなければならないのです。 そうすれば、こじきになったり、カナン七族の前で、皆、犠牲になったとしても、残った何人かにその伝統を訓示しておけば、イスラエルの国は滅びなかったのです。このことを知らなければなりません。 家庭が向かって行くのは世界復帰です。国家復帰ではありません。個人は国家復帰のためでしたが、家庭は世界復帰のために向かっていくのです。神様を中心とした世界を復帰するのです。 そのためには、神様の愛を中心として、一つにならなければなりません。一番の問題が、皆さん自身の心と体が一つになっていないことです。心と体をいかに一つにするかということは、家庭的にカナン福地に安着する前に解決すべき問題です。心と体が一つになっていますか? なっていませんか?(「なっていません」) 一つになったときには、「日本人」という概念はありません。日本語や日本文化、日本の伝統というものはありません。アダムやエバには、そのような概念はありませんでした。神様の愛を中心として、完全に一つにならなければならないのです。ところが、一つになれませんでした。 ですから、完全否定しなければなりません。否定する立場に立ちましたか?。お金、土地を否定しなければならないのです。民族や息子・娘、自分自身を否定しなければなりません。 堕落の恨みの峠を歩む、とてつもなく難しい曲折の道をどのように進んでいくのでしょうか?。神様と真の父母がいなければ行くことができず滅んでしまいます。真の父母は、明確に教えました。先生が言う「天宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」とはどのようなことでしょうか? 体が世界的サタンの基地です。個人を除去すれば、氏族がくっついてきます。氏族を除去すれば民族、国家がくっついてくるのです。 日本の国も、孝子の道、忠臣の道も否定しなければなりません。これらを否定し、世界の聖人たちが行くことのできる道に連結しなければならないのです。 孝子の道、国の道を否定し、忠臣が行くことのできる道と自分の一家、自分の国を祭物として犠牲にしたとしても、世界を取り戻そうという徹底した主流思想がなければなりません。それが神様の思想です。 神様は、国ではなく、世界を収拾されるのです。サタン世界、地獄が残っているそのような世界ではなく、地獄がない天地、神様が完全に統治できる世界です。神様は、地獄の影さえ見たがらないのです。今、世界がそのようになっているでしょうか?。なっていません。法に背いて霊界に行けば地獄に行くのです。 昼があれば、その反対に夜があります。その間には、朝と夕方があります。朝から正午を過ぎて夕方になり、夜に向かって進んでいかなければなりません。朝、昼、夕、夜と回っていくのです。 復帰というものは、堕落により歴史的な昼と夜が引っ繰り返ったものが、反対にならなければなりません。夜が昼に、昼が夜にならなければならないのです。ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」のです。 皆さんは、「訓読会」を通して祝福家庭が行くべき道をすべて知りました。三家庭の意味、三十六家庭の意味を皆知ったのです。 郭クアク錠チョン煥ファン、立ちなさい。郭錠煥(「はい」)。この人が三十六家庭の三家庭の代表です。三万双から三十六万双、三百六十万双まで祝福は全部、郭錠煥が責任を負ったのです。 少し欠点があるということは知っています。神様の伝統思想においては、三家庭の権威を備えさせるべき責任があるのです。批判しようとすれば、郭錠煥以上苦労し、天に認定されてから批判をしなければなりません。 いちばん初めに重要なことは、心と体を一つにすることです。妻を迎えるためには、心と体が一つにならなければなりません。ですから、先生が、今まで生活するうえで考えてきたことは簡単なことです。いかに自分の一生をコントロールできる内的な要件を見いだすか、ということです。 人の一生における生活がどのようなものであるかといえば、食べて、寝て、行って、来ることです。食べ、寝て、行って、来て、この四つです。そこにすべてがかかっています。 どこかに行くときには、何のために行くのかが問題です。自分のために行くのではありません。来るのも、自分のために来るのではありません。寝たり、食べたりするのは、だれのためですか?。神様の代わりに、人類のためにするのです。寝るのも自分のために寝るのではありません。そのようになればいいのです。 祝福家庭の皆さんも、夫婦で一緒に寝るでしょう?。だれのために夫婦が愛し合うのですか?。自分のために愛する人たちは、堕落の二世、汚れた子供を生むようになるのです。深刻な問題です。 食べて、寝て、行って、来て、そのように一生の間、過ごすのです。その一生はだれのためですか?。自分のためではいけません。神様のためです。簡単なことです。 どこかに行くというのは、目的がはっきりしています。何のために行くのですか?。人類と神様のために行かなければなりません。ヨハネの福音書三章16節には次のように書かれています。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」 神様が、ひとり子をお与えになったのは、キリスト教のためでも、宗教のためでも、統一教会の祝福家庭のためでもありません。この世の人類、すべてを救うためだったのです。このことをはっきりと知らなければなりません。 良心は父母と神様の代わり 第一には、心と体が一つにならなければならないのです。心と体が一つになっていなければ、口を開いてだれかを批判したり、振り返ったりしてはいけません。五官を通して見ることもいけないのです。 人々は目をきょろきょろして、鼻は猟犬のようににおいをかぎ回り、耳はあらゆる雑音を聞きながら、ぶらぶらと歩き回ります。口はあらゆることをしゃべりまくっているのです。手足もありとあらゆることをやっているではないですか。心と体が一つにならなければ、愛することもできません。それは、サタン側です。 第二は夫婦統一、第三は子女統一、そして第四が家庭統一です。これだけ成せばいいのです。このような家庭を成してこそ、神様の前に出ていくことができます。家庭定着時代なのです。 成約時代は家庭完成時代です。家庭完成というのは、定着してから、東西南北、四方のどこにも障害となるものがない状態でなければなりません。 日本人であってはだめなのです。アジア人であってもいけません。 「家庭盟誓」の二番も、そのようなことを言っているのです。「真の愛を中心として、神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子…」となっていますね。代表的家庭です。 六番では、「真のご父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり…」と言います。創造理想が、すべてついてくるようになっているのです。そして「天の祝福を周辺に連結させる家庭」になることによって、心情文化世界の血統を絶対に汚すことのない歴史を、自らが何代、何千年と連結させていくのです。 そこに、神様の祝福世界、天上世界において天の国の功臣になれるか、なれないかという問題がかかっています。 第一に、心身統一ができましたか?。皆さんは心身統一ができていないということを、はっきりと知らなければなりません。 良心は両親より優っています。良心は先生より優っています。そして、良心は神様より優っています。神様も自分の息子・娘、相対が自分よりりっぱであることを願われます。ですから、そのような神様からごらんになるとき、いちばん貴いものをわたしたちに下さったのです。 良心は一瞬も離れることなく、自分と永遠にともにいます。父母の中の父母です。良心は父母の代わりにあり、根本であられる神様の代わりにあります。それゆえ、皆さんの先祖よりも良心は優っているのです。 最高の先生が神様なのです。神様が先生の中の先生ではありませんか?。全知全能であられる先生の中の先生です。その先生の中の先生であられる神様自体が、人間の中におられるのです。神様は王の中の王ではありませんか?。王の中の王がおられるのです。これが三大主体思想です。これらは人間として、絶対に一つも欠くことはできません。 このような存在(良心)が、自分の心と完全に一つになっていて、一瞬も離れないのです。一生の間、ずっと正しい道を行くように教えてくれます。父母の代わりに、先生の代わりに、王の代わりに教えてくれるのです。 堕落することによって、この体がどれほど良心を蹂躙したでしょうか?。良心は、この世の中のだれよりも貴いお客様です。貴い先生です。かけがえのない貴い父母です。 その良心と一致し得る相対圏となった体が、霊的、内的な神様と一致した基準において横的な真の父母と一つとなります。そして、内的世界、外的世界を神様の代わりに主管することのできる第二人者の祝福を受け、地上天国・天上天国を出発するようになるのです。それが家庭です。 イエス様や洗礼ヨハネが来て、「悔い改めよ。天国は近づいた」と言いました。これはどういう意味でしょうか?。それまで、最高の父母、先生、主人であられる神様の代わりの良心を、どれほど蹂躙してきたかということです。どれほど良心を傷つけたことでしょうか? 今日、すべての堕落した後孫たちは悔い改めなければなりません。父母が本来の父母の位置、先生が本来の先生の位置、主人が本来の主人の位置にいる良心の世界を実現するために、天国がやってくるのです。メシヤが来るのです。 理論的なことです。これが三大主体思想です。その中のどれか一つでも欠けてはなりません。父母がいなければ孤児、先生がいなければ無学な者です。主人がいなければ国のない民です。どこに行っても冷遇され、追われるようになります。 これらをすべて備えてこそ、家庭においても、社会に出ていっても、国においても、万事に通じることのできる環境的な条件を持つようになるのです。良心に背く立場に立てば、どこに行っても行き詰まり、地獄に行くしかありません。 王より貴く、億千万のお金でも買うことのできない素晴らしい良心を下さった神様は、ありがたいおかたです。良心は父母、先生、神様の代わりなのです。第二の見える神様として、この地上に送ってくださったのが自分の良心である、と考えなければなりません。 自分の良心に絶対服従すれば、地獄に行くことはありません。先生の話に絶対服従すれば、地獄に行くことはありません。脱線することもありません。王の言葉のとおりに生きて、その国の法に引っかかることはないのです。 自らの体に向かって、「無知な体よ。それは父母が願うことではない。この体め。わたしが知っている先生である良心に照らしてみれば、おまえは間違っている。この体よ。国の憲法の基準と法を中心として、その国を統治できる主人の資格を備えたのが良心だ。良心に尋ねてみれば良心が喜ばない。だから、だめだ」と言うのです。 お母さんに尋ねる必要も、先生に尋ねる必要もありません。憲法や法律を知らなくても大丈夫です。良心に尋ねれば皆、知っています。ある国の文部大臣が良心を教育するという話を聞いたことがありますか?。そのようなことはありません。 目や口などの五官が、もともとすべてを知っているのです。見てはいけないものは、目自体が見たがらないのです。良心も「だめだ」と主張することを行えば、罪人の中の罪人になり、地獄に行かなければなりません。 これで、はっきりと分かりましたから、今からはそれを収拾できますね。聖書に、「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書八章32節)とあります。真理を知ることによって解放が始まるのです。 良心は父母に優り、先生に優り、王(神様)にも優ります。それゆえ、皆さんの心は父母よりも、先生よりも、王よりも、優れていることを望むのです。 神様の本然の立場から出発して完成し、本然の基地に帰ってくれば、さらに大きな所に行くようになるのです。神様は、何も知らないアダムとエバを中心として宇宙をつくられました。 そのアダムとエバが愛の理想を中心として完成し、神様の元に帰り神様の喜びの相対になったとすれば、愛を中心として喜び、完成し、すべてを知ったアダムとエバに対しては、この宇宙のさらに何十倍も大きなものを神様はつくってあげることができるのです。 だれかが、今の何百倍も大きな天国をつくったとしたら、その何百倍も大きな所に行って暮らしたいですか、それとも今の天国に行って暮らしたいですか? 神様は、堕落の世界を抱かれて恨の心情が積もっておられるおかたです。真の父母が、その恨みの歴史を解いてさしあげるためには、何十倍、何千倍の大きな宇宙をつくり、何百倍も強い愛を中心として孝子となり、神様に侍るのです。 そして、「このサタン世界の蕩減歴史を根本的に清算し、もう二度と夢にも思い出すことのない、そのような世界を望みます。そのような天地を一度創造してください」と言えば、神様が何と言われるでしょうか?「できない」と言われるでしょうか、「やろう」と言われるでしょうか? わたしが神様なら、「おまえは、本当にりっぱだ。わたしもそれを願っていた。どうしてそれが分かったのか?」と尋ねられることでしょう。そのような無限なる大宇宙の勝利の覇権を求めていく者たちが、良心の命令に応じることができなくていいのでしょうか?。 良心の絶対命令に応じることのできる自分自身となり、心と体を統一することは問題ですか、問題ではないですか?(「問題ありません」)。はっきり言ってください。問題ありますか?(「問題ありません」)。問題ないという人、手を挙げてください。 日本人は、通訳を通して先生の話を聞くので反応が遅れますね。(笑い) 祝福家庭が行く家庭的カナン復帰路程 今からは「訓読会」をすれば、皆さんの家庭が行くべき道がすべて分かるようになっています。所有権転換という話も必要ないのです。エジプトを離れて荒野に出れば、そこに所有権があるでしょうか?。エジプトに戻ろうとすれば、皆、死んでしまいます。ハゲタカのえじきになるのです。 エジプトでの何十倍、何百倍の祝福を受けた王宮において、十二支派が受けたすべての祝福を、わたしたちが成就して暮らそうという考えを持ち、早くエジプトを出たいと思うようにならなければなりません。そうしなければ、皆、滅んでしまいます。 イスラエル民族の一世は皆、ハゲタカのえじきになりました。二世を中心とした群れだけが、カナンの地に入ったのです。百二十歳のモーセもヨルダン川を見つめながら、カナンの地に入ることを哀願しましたが、入ることはできませんでした。このことが旧約聖書に書かれています。蕩減条件が引っかかっていたのです。 今現在も同じです。家庭的カナン復帰路程においては、この地球星がエジプトです。出エジプトをして、カナンの福地、地上天国を訪ねていかなければなりません。 個人的イスラエルの国を訪ねていったモーセのような立場で、家庭的イスラエルの国を訪ねていかれるかたが、再臨主である真の父母です。真の父母に従っていかなければなりません。 自分の考えというものがあってはならないのです。ご父母様が飢えていれば、自分はそれ以上の悲しみを持って、ご父母様の代わりに神様を慰労しようとしなければなりません。苦労するモーセに対して、イスラエル民族が四十日断食以上の精誠を尽くそうとしたならば、神様は罰を与えられたでしょうか?。イスラエル民族は、食べること、生活することで不平を漏らし、皆、泥棒のようになったのです。 カナンに向かうときに家族がいれば、どうなるでしょうか?。しかたなくモーセも、番号札を分けたのです。父、母や子供を連れていかなければなりません。子供たちは行きたがらず、両親におぶってくれと言ったりして、さまざまな難しいことが生じます。それで、しかたなくチケットを分けるのです。立って順番を待っているのです。 自分たちの思いどおりにはいきません。家の中に入れず、行列をつくって、待っていなければならないのです。モーセと一つとなって、カナンに入らなければならないのです。 それと同様に、家庭的カナン復帰路程においては、先生についてこなければなりません。ここに来た日本の祝福家庭の皆さんは、「ふろしきを包んで、すべてのものを売って南米に行きましょう」と言えば、行きますか、行きませんか? 何の話か分からないという人、手を挙げてみてください。(笑い)では、何の話か聞き取れた人、手を挙げてください。言葉が通じないことがどれほど不便でしょうか?。通訳を通して話を聞くので、日本人は一番になれないのではないですか?。ですから皆、韓国語を学ぶ努力をしなければならないのです。 祝福家庭が行くカナン復帰路程の荒野時代において、モーセの話を聞かなかった六十万の群れが全員、ハゲタカのえじきになって滅びたように、先生の話を聞かなければ、統一教会の祝福家庭七千万人が滅亡するかもしれません。 自分の妻や息子・娘が死ぬような困難があったとしても、その腹を踏み越え、首を踏み越えて行かなければならないのです。 夫婦統一の方法 その次は夫婦統一です。夫婦統一した人、手を挙げてみてください。郭クアク錠煥。(「はい」)。夫婦統一しましたか?(「まだできていません」)。いつするのですか?(笑い)それではヨルダン川を越えられません。 千八百双からは、信仰の子女について強調しませんでした。祝福世界時代に入るので、家庭で解決しなければならないのです。横的なものを縦的に、縦的なものを横的に展開しなければなりません。 自分のおじいさん、お父さん、お兄さんを中心として考えるとき、おじいさんが孫の立場になるのです。では、おじいさんが孫になれば、お父さんは何になりますか? (「息子です」)。息子になり、兄さんが何になりますか?(「弟」)。弟になるのです。 兄さんを弟にし、お父さんを息子にすれば、父母が復帰されます。おじいさんを孫にすれば、霊界が復帰されるのです。蕩減法ですから、どうしようもありません。絶対服従しなければならないのです。 それを成すのが、氏族的メシヤです。氏族を収拾するというのは、反対になるということです。七代前からの後孫の自分が、七代の先祖になるのです。そうして入籍しなければなりません。ですから、文氏、韓氏の氏族を編成したのです。 どんなことがあっても、夫婦統一しなければなりません。 十年、二十年、四十年間暮らす中においても、お互いに気分の悪くなるようなことが一度もない夫婦になっていますか?。先生も結婚して四十年になろうとしていますが、けんかをしたことがあるでしょうか?。あったでしょうか、なかったでしょうか?(「あります」)。ありますが、わたしは引っかかりません。 家庭を収拾することのできる訓練もしなければなりません。今、お母様が向こうの部屋で聞いているでしょう。けれども、お母様が先生に関して理解できないことがたくさんあります。 妻に「わたしの切実な思いに対して、何ら反応もなく一か月、一年が過ぎ、さらに何年にもなる」と思わせるのです。そのようなことが一つ、二つと重なり、十くらいになれば、期待しなくなるのです。「こういうことは、あの人に期待してもしょうがない」と、悟るようになります。実利を追求する計算の早い女性たちですから、意味のないことはやらないのです。 開拓をしなければなりません。作戦を立てなければならないのです。分かりましたか?。荒々しく、こぶしでなぐり、けんかをして、ぐだぐだと言ってはいけません。妻をなぐって利益になることは一つもありません。十回けんかをしたら、十回とも損害を被ります。息子・娘が全部だめになり、病人になるだけです。(笑い) 子供がいるところで、絶対にお父さんとお母さんが涙を見せてはいけません。子供たちが朝、両親にあいさつをしようと走ってくる足音が聞こえたら、深呼吸をして、いつもと同じように対するのです。腹が立ち、死ぬほど気分が悪かったとしても、そのようなそぶりを見せないで本然の立場に戻らなければなりません。そのようなことを研究しなければならないのです。 変な雰囲気があれば、子供はすぐに気づきます。絶対に親の立場を守って息子・娘の前で涙を見せてはいけません。そのような恥ずかしいことがどこにありますか。ここで涙を見せたことのある人、手を挙げてみてください。大多数そうでしょう? 夫婦統一です。夫婦というのは何でしょうか?。「夫」も「天」という字も「二」と「人」を書きます。しかし、「天」という字は、「二」の上に「人」が出ていませんが、「夫」という字は上に突き出ています。神様より高いということです。二人の人ですが、神様より上に上がっています。神様もそれは知っているのです。 愛の相対が自分よりも優れていることを願うのです。夫婦が一つになったら、天下のどこに行っても、王宮に入っていっても歓迎されます。遮るものがありません。絶対愛で一つになった夫婦は、絶対に天下で歓迎されます。それを願いますか、願いませんか?(「願います」)。そのようになってみてください。 皆さんは、夫婦同士、秘密がありますか、ありませんか?。秘密がないようにすることができます。愛は、悪なるものも主管し、汚いものも美しくすることができるのです。 そのような考えを持っている先生は、お母様と楽しく暮らしているでしょうか、楽しく暮らしていないでしょうか?(「楽しく暮らしています」)。お母様に尋ねてみなければなりません。楽しく暮らさなければいけません。 いくら鈍い女性でも、愛する男性に会えば楽しいでしょう?。それが鬼のような風貌の男性であったとしても、その人が笑えば、自然に視線が引きつけられて、口を開けて女性も一緒に笑うのです。そうしてその男性が笑い、大声を上げれば、女性も声を上げるのです。すべてが和動するようになるのです。 ですから、愛というものは素晴らしいのです。あまりにも楽しく、素晴らしいものなので、愛なしには暮らせないのです。アーメン。(「アーメン」) 夫婦統一は、夫がしなければなりません。「統」という字は、「主体になって指導する、率いる」ということです。 天宙の代表的家庭、中心的家庭となる 次に、子女統一です。子女たちを統一するためには、友達になるのです。 子供たちは友達と一緒に、よく外に遊びに行きます。そのような友達にならなければならないのです。何の友達になるのですか?。話し友達、漫画本友達、コンピューターを一緒にする電子友達です。 大きなお父さんと小さな息子が競い合ったとき、子供はお父さんに勝てば気分がいいでしょう。 友達になって、子供の話し相手にならなければならないのです。宿題を与えて答えを尋ねてみたり、答えを出したら、それについて話し合うのです。そうして、楽しくしなければなりません。 次に、家庭統一です。三代が一緒に暮らすのです。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分の夫婦、息子・娘、系列は四つですが、三段階です。これを皆、束ねなければなりません。そうすれば、家庭に神様が入ってこられて、ともに暮らされるようになるのです。どれほど楽しいことでしょうか? 今まで、数千年間の復帰歴史の中で固まってしまった神様の心を解き、神様が入ってこられて、「この家から出たくない」と言われるような家庭にならなければなりません。おじいさんが自分の孫、孫娘にキスをするときに、おじいさん、おばあさん同士が愛する何百倍以上の情熱でキスをするのです。 愛するお父さんとお母さんより、さらに素晴らしい神様に侍って暮らしながら、その神様がなされることに影のようにぴったりと合わせていこうとしなければならないのです。 理想というものは、毎日暮らしながら低くなっていくのではなく、高くなっていくのです。結婚をして十年間暮らしたなら、それだけ理想が高くならなければなりません。皆さん、そのようになっていますか?。これは重要な問題です。 家庭が完全でなければならないのです。カナン福地完成時代、家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、み言の「訓読大会」をして、皆さんの家庭が完成、定着すべき時代が来たということを知らなければなりません。 このみ言は通りすぎていくものではありません。先生が生死の境、死ぬか生きるかという状況の中で、死ぬ前にこのみ言だけでも残さなければならないと思って、はっきりと教えてあげる内容です。そのことを知らなければなりません。 霊界が深刻な立場で先生のみ言を聞き、同調した霊的基準があります。み言の対象的な立場に立てば、数十年前に語られた霊的な世界、皆さんを協助できる因縁が連結されるということを知らなければなりません。 いつも、ともにおられながら先生を保護し同情してくださった神様が、このみ言とともに相対的な実体を要求されるときには、先生が補助して、早い時期に相対目的を完成し、主体と一つになり得る道を開拓してあげるのです。ですから、詳細に話しました。 わたしが死ぬときには、み言だけでも残さないといけないでしょう。わたしがいなくても、それを教本として、それに合わせて成していくことのできる内容を説明してあげなければならないのです。 祝福家庭が、今の日本人のように、世界中の道端や公園などで祝福をしてあげるというのは、本来のかたちではありません。歴史的な恨みの峠を中心として、根を浄化させ、幹を浄化させ、最後に虫の食った葉までにも愛の恩恵を与えるためなのです。そのようないちばん端にまで来たのです。 再び戻らなければなりません。完全な葉を愛し、完全な枝を愛し、完全な幹を愛し、完全な根を愛さなければなりません。本然の根に戻って、堕落しなかった枝を中心として、自分の一身と家庭において第二の「生」の出発基準を完成することができたとき、天の国に転属される家庭になるのです。アーメン。(「アーメン」) その目的を達成するためには、お金や知識が問題となるのではありません。権力が問題となるのでもありません。 お母さんが博士であれば、博士の子供を生むというのではないのです。お父さんが大統領や首相になったといって、その首相としての血統が連結されるでしょうか?。知識や権力、お金によって血統が連結されるのではありません。 純粋な愛の血統を中心として連結されるのです。天理と神様のみ旨と一致しようという心を持って、血統が連結されることにより、そのような心の伝統を受け継ぐことのできる息子・娘が生まれるということは理論的な結論です。 自分の一代において、そのような息子・娘を生めないのであれば、何十代、何千代かかったとしても、そのような息子・娘を生むことのできる伝統を守っていかなければなりません。 千代万代が同じ一つの心を持った一人になって、個人を代表し、家庭を代表し、八段階を代表したその人がその伝統を守り、どこに行っても歓迎を受け得る環境的条件を備えることのできる主体的格を備えた血族を通して、息子・娘を生むのです。 そして、世界を指導できる後孫を残さなければならない、と考えなければなりません。それが家庭のためであり、国のためなのです。 ですから、神様を愛し、人類を愛し、自分の国を愛し、自分の一族を愛し、父母を愛さなければなりません。 両親を愛するときに、自分の家庭だけのことを考えるのではありません。神様に侍る立場において、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を凌駕できる孝子になり、忠臣になろうとしなければなりません。 運動するものは間違いなく循環します。循環しながら小さくなってはいけません。より大きくなっていかなければなりません。 個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙と七段階があります。これを押して圧縮すれば、一点になります。「わたし」がその代表です。 神様と真のご父母様に侍り、天宙の代表的家庭になり、中心的家庭になるのです。代表とは頂上であり、中心とは中央のことです。九〇度です。それを中心として回れば、宇宙が回るのです。 家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を完成するのです。それらを成せば、神様が解放圏を備えることができます。神様が願われた個人と家庭、世界を代表できる忠孝の道理の実を備えれば、神様も「幸福である」と言われるのです。 神様が下さる祝福が残っているので、その祝福を自らが受け取るために、世界から迫害を受けるのです。それは、どれほど素晴らしいことでしょうか? 自分が迫害を受けるのは、神様が下さる贈り物、礼物が残っているからです。それを乗り越えれば、神様は、一つも残さず、堕落する前に祝福しようとされた何十倍、何百倍も祝福してくださるのです。そのときは称賛してくださいます。 蕩減復帰路程においては、死のうとする者は生き、生きようとする者は死にます。蕩減条件なしに、堕落圏を飛び越そうとしてはいけません。神様の願いに絶対服従しなくては、行くべき道を行くことができません。 成約時代の祝福家庭安着 きょうの結論は、成約時代の祝福家庭安着です。深刻な問題です。先生の代わりに、皆さんの家庭が世界をすべて背負って立ったのと同じであるということを知らなければなりません。 それゆえ、これからすべきことは、皆さんを中心として「神の日」を制定することです。七年路程が残っています。祝福家庭が、ご父母様の代身となる相続権を持ち、皆さんの一族に「神の日」を立てなければなりません。 皆さんの一族に「父母の日」もつくらなければならないのです。また、「子女の日」、「万物の日」もつくらなければなりません。 「万物の日」も「子女の日」も、自分の故郷ではつくれません。三つの州であるとか、三つの峠を越えなければならないのです。ただそのまま故郷にいて復帰はできません。それを知ってください。 先生は、一九六五年までに、「万物の日」まですべてつくっておいて、「神の日」を制定しなければならなかったのです。そうするために、四十か国に百二十の聖地を選びました。 先生は、公式路程を間違いなく歩んできたのです。多くの宣布の内容を調べてみてください。教えてきたことも、峠を越えて蕩減してきたことも間違いないのです。このような内容が分からないサタン、偽物たちは、先生の前に現れることはできません。 「父母の日」の制定の意味が分かりますか?。この内容を知らずに、「先生は洗礼ヨハネで、自分がメシヤである」と主張している者がいます。このような者は、偽者です。メシヤは、天の国に行って命を受けて来なければなりません。霊界を統一して来なければならないのです。 そのようなすべてのことを知っているので、先生はここまで進んできたのです。そうでなければ、サタンが退くと思いますか?。今、三億六千万双という最後の峠を迎えています。 今年の標語が何でしょうか?。「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。先生は、ホモ、レズビアンのような邪悪な性解放をそのまま放っておきません。先生が死ぬ前に処理します。 日本がこの網に引っかかりました。日本とアメリカが引っかかっています。サタンがすべての基盤を滅ぼそうとしています。アジアは日本についていき、西洋はアメリカについていっています。国を滅ぼす種となってしまいました。これをきれいに清算しなければなりません。 それゆえ、アメリカにおいてキリスト教の新教、旧教は、先生についていくことのできる方向性を皆、決定しました。日本も今後、そうしなければなりません。 地上天国とは、家庭理想を完成した成約時代の家庭が完全定着して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を編成して、サタンの血統の痕跡がないようにすべてを清算した基盤から連結されるものです。家庭についてはっきりと知らなければなりません。 それから、「訓読会」です。今まで歴史を知りませんでした。今は戦争の時代です。ゲリラ戦争の時代です。あちこちで争っています。 しかし、もう定着するときですから、先生の伝統を受け継がなければなりません。先生の代身者にならなければならないのです。そうしなければ、天国に行けません。 アダムとエバの一日の失敗が、このような歴史的なとてつもない苦しみを招いたのです。皆さんが過ちを犯せば、それ以上の罰を受けます。サタンよりも悪いのです。 人間始祖は長成期完成級で堕落しました。しかし、皆さんが堕落すれば、完成期完成級から出発することのできる真のご父母様の血統を受け継いだご父母様の体を犯す立場に立つのです。皆さんは、天使長の体ではありません。天使長の体は救うことができますが、真のご父母様の血統を受け継いだ人が堕落すれば、救援の道がありません。 堕落した人間は、天使長の体を受け継ぎました。それからアダムの体までは差があるので、神様が再創造の力を加えることができるのです。天使長を感動させ、再創造することができるのです。しかし、完成的基準で失敗したものは救う道がありません。おしまいです。それほど深刻なことなのです。 先生もどうしようもありません。祝福を受けた人は、神様と先生の前に父子の関係を持つ公的な立場にいるので、法を中心としてどうすることもできないのです。絶対従順しかありません。 今は緊急な時です。三億六千万双祝福をして、サタン世界の血統を断切すれば、おしまいです。時間がありません。先生とともに行くか行かないかを、はっきりと決断しなければならないのです。 先生が教えたすべての内容を皆さんの家庭に適用させれば、相対的価値を持つようになり、真の愛を中心として「同位権」が許されるのです。さらに、「同参権」が許され、それを得た場合には、相続が許されるのです。その基準は、生きています。 ですから、相対圏に立つことができるような実体を成し得たかどうかが問題です。旧約時代は万物、新約時代は子女、成約時代は夫婦です。一つとなった夫婦を中心として、すべてを生きた祭物として献納することによって、神様に地上で侍ることができるのです。これが摂理の総結論です。 それを成した後に、自分の要求というものがあるのです。堕落圏に立つ者の自分の要求というものは、何も通じません。はっきりしています。この問題を中心として聖別しなければいけません。 それできょうの第三十九回「真の父母の日」は、四十数の前段階です。三十九という数はいちばん恐ろしいのです。総決算をしなければなりません。 ですから、日本の責任者と新しく日本に行ったすべての人を呼びました。韓国の責任者も世界の指導者も皆参席して、五千人以上集まっています。きょう教えた内容をはっきり心に留めて、そこから脱線しないような自分自身をいかに完成させるかということです。先生はすべて教えてあげました。 すべて宣布しているのです。この話は、皆さんが合格完成圏に立つか立たないかを決定する法的条件になります。先生も神様もどうしようもありません。 条件に引っかかる物があるならば、物をのろうようになります。自分の子供が引っかかった場合には子供をのろい、夫や父母が引っかかったら、夫や父母をのろうようになるのです。先生は、行くべき道をはっきりと教えました。 日本のメンバーは、三十六双の先輩家庭をご父母様のように尊敬したことがありますか?。日本のメンバーの中には、先輩家庭の人格を批判して、審判している人がいます。とんでもないことです。皆さんの先祖(先輩家庭)はりっぱです。現世と後孫をつなぐ摂理路程の結実体を、自分なりに批判したりする権限はだれにもありません。 それは皆さんの首を絞める条件になります。そのように批判した条件が、みんな自分の体をくくりつける縄になるのです。そのような人は、責任者になる資格がありません。 自らの主体をはっきりさせる 四十年間迫害の先頭に立って、生き残った先生の心情圏を知る者は一人もいません。知っているのは、神様だけです。サタンも知りません。先生は、いつ、何を決めるか分からない人です。 共産党より恐ろしい先生です。血を見た場合には、恐ろしい男です。どんな犠牲があったとしても、真の父母というのは、血を見たくないのです。もう、今年の六月十三日まで一つの段階しか残っていません。その日以降は、先生は自由です。いくら呼ばれても、日本に行きません。 そのような無慈悲な先生であることを知って、日本に帰ってください。後から文句を言わないようにしてください。霊界に行ってから、「先生がそのようなことをはっきり教えてくれなかったので、このようになりました」と、皆さんが弁明しないように、はっきりと教えました。過去にも教え、現在この場においても、はっきりと教えています。 心身統一、夫婦統一、子女統一、家庭統一です。そして万宇宙すべてが歓迎し、主体として仰がれるような家庭を成さなければ、神の実子になることはできません。エデンの園において、失った本家の家庭圏に入ることができないのです。それは神様の教えです。先生の知っている、中心的な教えです。 荒野路程でぶつぶつと不平を言うならば問題です。モーセが沈黙して口を閉じていれば、モーセが語るまでは自分の口を開けることができないのです。モーセが行動しないときに行動してはいけません。モーセに従っていけばいいのです。 先生が一言話せば、日本を中心として世界的に噂が流れます。先生は、秘密の宮殿の真ん中に立っているのです。一言を誤った場合には、一族、一国が吹っ飛んでしまうような内容がいくらでもあります。先生がいつも自由な環境で、平々凡々、だれとでも付き合いながら習慣的な態度、行動を執った場合には、国を滅ぼすことになります。 重大な責任を持つには、見ても見ないふりをし、嗅いでも、聞いても、知らないふりをするのです。口は語らず、体は行動しないのです。自分の行くべき方向をはっきりとわきまえて行かなければなりません。横にいる人は皆、じゃまものです。自分の一身の完成の道は、神様と自分しかいないのです。だれも助けてくれません。 み旨の道に立った場合には、環境の中の主体・客体関係が絶対的真理です。自分の主体がだれであるかがはっきりした場合には、主体以外には相談してはいけません。それ以外は皆、じゃまになるのです。 統一教会に新しく入った者を追い出すのは皆、古いメンバーです。新しいメンバーを、新しい根として希望を持たせ、育てることをしないで、自分たちだけで騒いでいるのです。多くの人が祝福を受けられず、寂しく消えていきました。霊的に殺してしまったのです。 三双から三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭に、それぞれの内容があります。その内容を尊重してきた先生以上の心情で、韓国の先輩家庭を歓迎した日本のメンバーがいますか?。 でたらめなことをしてはいけません。韓国とともにやろうとせず、日本だけでやろうとしています。それは、怨讐です。それは宗教戦争、人類戦争を招き、歴史を破壊するものです。今回、日本に帰ってから、そのような雰囲気がないようにしてください。 そのようなことが再びあった場合には大変です。ソドム、ゴモラでさばかれる場を免れさせるために、「うしろをふりかえって見てはならない」と言ったのに、ロトの妻は振り向いて、塩の柱になりました。厳格な神様の審判の日が待っているということを忘れてはなりません。 先生も神様と同じ決心をしなければならないのです。日本に対してだけ、相対圏をつくることはできません。ですから、日本に対して「訓読会」で教育するのです。次にアメリカでやります。日本とアメリカは、母と長男です。 今は成約時代、安着時代まで来ました。長子権、父母権、王圏復帰時代と展開していくので、アメリカはずっと天使長の立場であったのですが、日本がエバ国から母の国になった場合には、天使長であるアメリカは長男の立場に立つのです。 世界を知らなくてはいけない そのような時代が来るので、IMF(国際通貨基金)などを通して、アメリカと日本が韓国に責任を持つのです。このような韓国の緊急期に自己中心に金儲けをしようとすれば、みんな滅びます。滅びる時が来ます。 ですから、「訓読会」で伝統精神を立たせ、神様がこの世の中を捨てられても、わたしたちは行くべき道を行かなければなりません。すべてをささげて行くのです。避難民のような身軽な荷造りをして、出発できる準備をしなければなりません。 日本民族大移動です。日本の状況から見た場合には、国策として移民が願われますが、日本自体では何もできません。統一教会が日本の移民政策を助けるようになります。移民したら、まず何をするでしょうか?。教育をするのです。 今、先生は海洋時代を過ぎて、陸上時代に帰ります。エバの上陸時代になりました。今度は済州島修練です。新しく入った人と新しく祝福を受けた人は、済州島に来て、父の国で教育を受けなければなりません。自分は、父の国のメンバーであると確認しなければならないのです。そして世界です。 父母の行かれる救援の道は世界です。古い祝福家庭は南米に来て、四十日修練を再び受けなければなりません。世界各国を知らなければならないのです。島国ではどうしようもありません。 既成祝福も含めて古いメンバーは皆、南米で四十日修練を受けるのです。少なくとも四か国以上の国を回りながら、いろいろな訓練をします。 日本の民族感情では、何もできません。世界感情を持ち、世界に通じた体質を早く備えなければ、日本は世界の母になれません。済州島と南米の両方の教育をしなければ、日本民族の将来に希望はありません。 第一に心身統一、第二に夫婦統一、第三に子女統一、第四に家庭統一です。これを成せば、成約時代が安着します。 世界的家庭を代表し、天地を代表した家庭を成すのです。そうすれば、天地が逆さまになっても、自分はつぶれることなく、天地を引っ張っていくことのできる機関車になることができます。そうなれば、すべての問題が解決します。結論は簡単なのです。 いちばんの怨讐が自分自身です。心身統一をしなければなりません。それがいちばん問題です。「寝て、食べて、行って、来て」。それが人生における生活です。 生活をそのように簡単に考え、すべてを神様と人類のためにするのです。それを明確にしなければなりません。そうすれば、眠たいときでも、それを考えるだけで眠気がさめます。疲れも吹っ飛ぶのです。天がそれを好まれるからです。 皆さんの環境を整理し、国を越え、世界を越え、天地を越えて、神様の解放のために残された復帰の峠に向かって力強く出陣するため、このように「真の父母の日」に、日本と韓国の代表者たちが集まったのです。アーメン。(「アーメン」)(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.06.04
コメント(0)
第三十九回「真の父母の日」敬礼式後の御言1998年3月28日漢南国際研修院敬礼式の後、お父様は韓国語で御言を語られました。 サタンの目的は神様の御旨を破壊すること 今年の標語は何ですか? (「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」)。 それを毎日のように暗唱し、祈祷する心をもっていますか? 深刻な問題です。習慣的な標語だとか宣言ではありません。これは決定的で、宿命的な宣布なのです。宿命的なことは、だれも変更することができません。 これは三年路程を越えていくのです。三千六百万双を越えて三億六千万双を越えていくのに、家庭を中心としてすべての家庭がこれを目標としなければなりません。これをなさなければ霊界にいる家庭がすべて怨讐になり、氏族怨讐、民族怨讐、国家怨讐、教派の怨讐、思想の怨讐、地上で願うすべてが怨讐で終わるのです。怨讐として分裂するのです。完全に破壊と分裂の世界化時代になるのです。 縦的、横的、霊界と肉界、サタン世界を中心とした地上地獄が、すべて一つになって、神様を完全に追放することができる破壊的な現象が起きるのです。その中心が家庭です。家庭をおいて見たとき、霊界に祖父母がいて、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、すべてのものが完全に破壊されるのです。 家庭自体でおじいさんを認めることができず、父母を認めることができず、夫婦がお互いを認めることができず、子女を認めることができず、完全に分裂してしまいました。それだけでなく、それに先んじて、一族、親戚とか民族とか、国家という観念がないのです。 アメリカのような民主世界が、世界的なキリスト教文化圏を中心にして代表的な位置にあります。そのキリスト教文化圏、内的な思想の前に、世界の国が連結されているのですが、すべてイエスと相反する紛争の歴史になっているのです。 それから、アメリカにいるすべての若者たちは、天地を知りません。天があるのか、地があるのか知りません。天地が分かりません。世界を失ってしまいました。世界を失い、自分の国を失い、国家の中心にならなくてはならない民族を失って、民族の中心になるべき家庭を失い、家庭の中心になるべき個人もすべて失ってしまいました。 神様の創造理想をめちゃくちゃにしてしまいました。だれが? サタンが。サタンの目的は何かと言うと、完全に神様の御旨を破壊することです。人間が神様の懐に帰ることのできないように、環境的与件を、サタンが思うままにすべてつくってしまったのです。最後には性解放までです。その次には、男性が男性と結婚するのです。ホモ、レズビアン。嘆かわしい。それは動物の中にもありません。 神様が環境を創造されましたが、その環境には必ず主体と対象があります。それがどんな種類であっても、雄と雌になっています。そのようになっているのは愛のためです。細菌までも、すべて雄と雌になっているというのです。三百倍にしなければ見ることのできない細菌まで、すべて雄と雌になっているのです。その雄と雌という観念が、この地上に定着するその目的はどこにあるのでしょうか? 一つになるのは何を中心にしてでしょうか? 愛だというのです。それゆえ、神様が創造をされた環境には、必ず主体と対象があるのです。主体と対象が生じたのは、その時だけあってなくなるものではありません。神様の創造理想的存在が存続する限り、その主体・対象の概念は解消されてはいけないのです。 絶対的な中心と合わさらなければならないのです。しかし、雄と雌が一つになるための絶対的愛を中心として連結されたその位置で、神様の愛の橋を通して、小さなものから万物の霊長に至るまで、天の国まで連結しようとする愛のすべてが、みんな切れてしまったのです。そうすることができる男性・女性、男性・女性の体と心がすべて分けられたというのです。 宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい 二世の者たちを考えてみなさい。統一教会で一世は完全に失敗です。失敗したのです。二世を通して、これをすべて復帰しようというのです。「お父さん、お母さんは御旨を中心にして責任完遂をしたのですか」という責任追及をしなければならない時代が来たというのです。 先生の行く道が、こんな統一家の現在の生活ですか。こんな生活が、望ましい生活であり、真の父母が望む生活であり、その後代、後孫が望む生活ですか? 違うというのです。本質的に間違ったというのです。 そんな関係を中心にして、ご父母様と真の息子・娘の家庭の位置の関係の上に、その家庭と国家と世界が土台を築いて上がることができるのかというのです。 皆さんの個体の上に、この宇宙全体の相対理想的真の愛を中心として、主体・対象が一つになった家庭から、氏族、民族、国家の系列全体が連結されて、自分もその愛の基盤の上に立つことができますか? それをもちこたえて平均基準を立てて、その上に立つことができますか? 話にもならないというのです。まず、心と体が問題です。体と心が一つにならなくては天国に行けません。家庭でけんかをし、自分勝手に遊んではいけません。 皆さんに先生が教えました。家庭で神様の創造理想の本質的なすべての愛の理想を中心に為に生きなさいというのです。為に生きる、という心情を中心にして一つになっていますか? 体と心を中心にして、体が心のために生きなくてはなりません。ところが、そのように生きられないでいます。幾重にもなっています。男性、女性も同じことです。このようなことが原則的原理観にあって一致しない、不一致環境を、いつ自分自身が解消するのですか。 先生が最も苦悩したのが、そのことです。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」というのはどういうことですか? 体と心をどうやって一つにするのかということです。ご飯を食べたら変わってしまいます。ご飯を食べることを否定しなくてはなりません。その次に、男性、女性は情的問題において寝れば変わってしまいます。変わる可能性があるものを肯定してはいけません。否定しなければならないのです。 それから皆さん、体と心が一つになれない存在は天が同行することができません。直行することができません。コンパスを見れば、南北を通して行く道が永遠不変な方向をぴったりと備わるのです。そこで少しでも傾けば、イエスかノーが決定するのです。このような厳格な生涯全体を整備して、自分の体と心を中心にして行く方向、行こうと願う方向が、神様の創造本性と一致しなくてはなりません。それが神様が願うすべてです。男性と女性が分けられて、ここに来て一つになるその愛の基準は、神様の心情的な出発基地と一体線上になければならないのです。歴史的方向は変わってはいけません。その方向性を中心として、皆さんの人格、家庭、すべてのことを批判するようになっているのです。これは遊びではありません。 そのような訓練をして、邪悪な環境世界で、自分が左に何度、右に何度、西に何度、南に何度、これを知らなければなりません。知って調整しなければならないのです。 何がこのようにつくってしまったのでしょうか? 神様がつくられたのではありません。サタンの愛を中心にしてまかれた血統的機能を通して、体と心に、血肉すべてが絡み合うようになったのです。 それゆえ、いつも自分を中心とした、外的なことを中心とした欲望の前に、全部引きずられる良心の不祥事。この良心が何かといえば、良心は父母よりも先を行きます。良心の起源は、自分の父母が生まれる前からあるのです。良心は公平なものです。過去の人であれ、現在の人であれ、体が間違った方向に行こうとしたら、必ず忠告するようになっています。これは鉄則です。それはだれが教えたものでもありません。神様が永存する限り、永存する力が自動的にそのような方向を提示しているという事実。 その力をどれくらい否定する自分になっているのか? 四十年信じたといって、どうなのですか? 「御旨のために行こう」と出発したのですが、回ってどこに行くのかというと、自己に行き、結末をつけるのです。回って来て、神様の前に結末をつけ、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰と、だんだんだんだん、もっと大きな循環の道を経て、八段階の十字架の峠を越えなければならないのです。ところが、自己を中心にして主張し、自分たちが口を開き、自分たちの目で見ているのです。五官に通じるこの目を引き抜いてしまい、口を裂いてしまい、五官を全部滅亡させなければならないのです。 毎日鏡を見るでしょう。鏡を見ない人、手を挙げてみなさい。鏡を見る人、手を挙げてみなさい。その目は二つになっています。耳も二つになっています。二つだけではありません。一千万種です。言い換えれば、三六〇度というのは、中心を中心にして連結した角度を言うのであって、中心のない三六〇度に何の意味がありますか? 三六〇度がなければ、新しく編成するために、一度、二度でも正常に合わせることができなければならないのですが、中心をなくした三六〇度を何に使うというのですか? 何の役にも立たないのです。 絶対信仰をもって絶対愛の相対を探す 御旨の道を発展させるのに、もっと大きな十字架の道を行くようになっているのです。個人蕩減復帰、それは言葉だけではありません。個人蕩減復帰は、体と心が一つにならなければならないのです。家庭蕩減復帰は、妻と夫が一つにならなくてはなりません。氏族蕩減復帰は、氏族が一つにならなくてはなりません。民族が一つになっていないのに、民族蕩減復帰がありますか? ですから、すべてを引き裂くようになっています。二つに引き裂くようになっているのです。 今日、堕落した愛を中心にして生まれ、悪の血になっているので、自己がなくなるまで、その出発の起源を否定することができないのです。出発から永遠の世界まで、そのような途方もない怨讐の因縁を結んでいるという事実を知らなかったのです。 復帰というのは、堕落をはっきりと知らなければなりません。堕落したその環境においての心情圏が、どれほど深刻でしょうか? それに比例した基準を中心にして、サタン世界を越えなければならないのです。 天の国に行き、天宙を創造された全知全能の神様の前に立つことができる自身にならなければなりません。そのような自信をもった息子だと考え、娘だと考えることができますか? 家庭だと考えることができますか? 話にもならないというのです。否定しなさい! 否定しなさい! 否定しなさい。 先生の個人的蕩減路程、家庭的な蕩減路程、国家的蕩減路程、世界的蕩減路程についてきた者たち、どれぐらいいますか! 結局、先生が祝福家庭を呪わなければならない時が来ました。 個人的十字架、家庭的十字架、国家的十字架、すべてを先生に任せて……。先生が世界的使命を果たせば、統一教会の祝福を受けた家庭は、国家的責任を果たさなければならないのです。それが御旨です。原理がそのように教えているでしょう。不孝者は孝者が分かりません。孝者の道がどれほど大変な道かが分からないのです。 世界は目の前に近づいて来ているのです。その世界を私が抱いて、その上に神様をお迎えしなくてはなりません。世界を捨てて神様を迎えるのではありません。世界を抱くためには、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり……。それで氏族編成ではありませんか? 氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう? そうするためには家庭的メシヤにならなければなりません。一族を越えなければなりません。七代を抱き込まなければならないのです。そうでなければ、入籍は駄目です。 完全に一つにならなければなりません。割っても、割っても、水晶体のようにならなければなりません。水晶体を知っていますか? 千万個に割っても、その形態は同じなのです。神様は水晶体と同じです。深刻です。そのような面で自我を批判することを知らなければなりません。 神様が願われる本当の息子・娘になりましたか? 神様が願われる家庭になりましたか? 膝に穴が開くぐらい、悔い改めなければなりません。 盟誓文の第八節は何ですか? (「私たちの家庭は真の愛を中心にして」)。真の愛を中心にして何? (「成約時代を迎え」)。成約時代を迎えましたか? 思いで迎えましたか? 実体で迎えましたか? (「……」)。絶対信仰、次には何ですか? (「絶対愛」)。絶対愛、次は何ですか? (「絶対服従」)。神様がそのような位置で天地創造をしたのです。神様自身が創造する時、絶対信仰です。私が言えば、私が言った通りになるというのです。その絶対信仰をもって、することは何かといえば、絶対愛の相対を探すのです。皆さんそうではないですか? 初めに聞くことは、「あなたは私を絶対に信じますか」ということでしょう? どんなことをするにしても、相対的関係は、必ずそのような内容を提示するのです。関係とはそうです。関係を結ぶためには、因縁がなくしては駄目です。思いが行かないところに、因縁を結ぶことはできません。考えなければなりません。思いがとどまることができることが蘇生です。因縁なくして主体・対象はありません。因縁が結ばれれば男性・女性、雄・雌となるのです。関係を結ぶためには、必ず因縁の上に立たなければならないのです。 男性の因縁を否定することはできません。男性が女性になることはできません。女性が男性になることはできません。女性は永遠に女性であり、男性は永遠に男性です。その因縁が永遠であればこそ、関係が結ばれるのです。最近の世の中はそうではありませんか? すべてが関係です。父子の関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、経済関係、政治関係、文化関係、すべて関係哲学です。関係ということ自体、原理原則があってこそ因縁を結ぶことができるのです。因縁というのはそうです。因縁というのは出発です。出発的、動機的相対圏をいうのです。動機だけでは駄目です。方向を直して、結果まで至らなければなりません。愛の関係、それが曲がればみんな壊れてしまうのです。経済関係も歪めば、国も歪み、政治関係すべてが歪むのです。 私たちは関係の世界を抜け出すことはできません。何によって関係が結ばれるかというと、経済も、知識もその条件とはなりません。権力もその条件ではありません。心情的な条件です。これを知らなければなりません。心情的条件です。 父子関係は心情と愛が連結され、夫婦関係も愛を中心にして連結されています。兄弟関係も愛を中心にして連結されているのです。関係というのはすべて主体・対象関係ですが、それが中心を通して一つになれば、中心に立つようになるのです。その中心が愛なのです。愛の出発です。右側が信仰で、左側が絶対服従です。絶対服従は自己を否定するのです。神様の愛を中心にして投入して忘れてこそ、大きなものが現れるのです。大宇宙の編成もすべて、投入して忘れることからなのです。自己を考えると、全部小さくなるのです。皆さんは自己を中心にしてすべて考えるでしょう。 先生の息子・娘が全部蕩減を受ける あなたたち二世は一世以上にならなければなりません! 父母以上にしなければならないのです。蕩減路程を父母たちが歩んできたのです。あなたたちは解放された位置で聖別もしないで、結婚して一緒に生活しているでしょう。蕩減圏を越えた位置にいるのです。父母がしてきた以上の位置に立ててあげているのです。父母がそれをできなかったというのです。全部、その影響です。 それらを主体・対象として結んだために、先生の息子・娘が全部蕩減を受けるのです。自分の息子に対して蕩減を受けることと同じように、先生の息子・娘が蕩減を受けるのです。祝福家庭が全部めちゃくちゃになってしまったのです。サタンが思い通りに侵入して、引っ張っていったのです。 自分たちの行動することが、先生の家庭と先生まで十字架にかけ、先生の家庭が行く道までも台なしにしてしまったのです。どうですか? 考えだけで、先生と因縁を結ぼうと考えるなというのです。先生が教えてあげたその内容のように先生が生きたので、天が私をつかんで前進するのです。私には父母もいません。兄弟もいません。何の親戚がいますか? アダムに親戚がいましたか? 父母の代わりが神様です。兄弟の代わりが神様です。親戚の代わりが神様です。全部が神様と関係を結んでいくのです。 最近は復帰的条件を立てなければ、サタンが付いて入ってくるので、条件を立てるのです。親戚連合会をつくったのも、みんなこのようなためです。彼らが好きでそうしたのでしょうか? 生かすためにそうしたのです。 復帰はそうです。アダムとエバを復帰すればいいのです。しっかりしなくてはなりません。分かりましたか? (「はい」)。 先生の教えた原理がしっかりと立っています。これを中心にして全部再び分別する時があるのです。先生が決めた標語が「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」です。そこで一番の問題が何でしょうか? おなかがすくでしょう? その次は何ですか? 寝なければならないでしょう? 食べることが怨讐で、眠りが怨讐です。その次に愛が怨讐です。それゆえ、先生自身も妻子を捨てて北韓に行きました。神様がそのように役事します。食べるものがなく、着るものがない、その場で道に出るしかない、そのような環境にあっても、捨てていくのです。人間は行くことができません。 それゆえ、宗教ではすべて出家を命令したのです。その出家命令の御旨を解くためには、その責任者も出家しなくてはなりません。それゆえ、イスラエル民族でその生まれた地で住んだ人はいません。アブラハムから呼び出したのです。イスラエル民族も呼び出したのです。統一教会も全部呼び出したのです。故郷で御旨をなすことはできません。 先生が語った御言通りに、皆さん祝福家庭がすべてなっているのか、なっていないのか、それを合わせる時が来ました。一つになっていないのです。分かりますか? (「はい! )。再び家庭的な基準の前に、無慈悲な先生になります。自分のお父さん、お母さんの前に、刀を当てることができる、おじいさんから、父母から、自分まで、祭物にすることができる心をもって聖別しなくてはなりません。聖別しなくてはならないのです。深刻なのです。そのような時が来たというのです。分かりましたか、何のことか? (「はい! )。 三億六千万双をしたら、すべての壁を崩してしまいます。サタン世界の個人的壁、家庭的壁、氏族的壁、民族的壁、国家的壁、世界的壁、天宙的壁、神様の心情圏の壁をみんな崩してしまうのです。崩したその場所をすべて通過していけば、天使たちが分別するのです。百二十名の天使たちが分別するのです。「この間を通りなさい」と言うのです。そのように通る自信がありますか? 祝福家庭とは何ですか? 祝福を受ける時には、二十一双を中心にして、男性・女性が、その間を通過していくのです。それは条件ではありません。これから先生を訪ねてくるには、多くの霊通者たち、百二十名の峠を越えなければなりません。イエス様を殺した罪です。駄犬一匹も、そのまま通り抜けることができないのです。サタンの痕跡もあってはいけないのです。 ですから、宗教は出家をしなさいというのです。独身生活をしなさいといったのです。独身生活を最後までして、祝福を受けなければならないのです。二世たちが祝福を受けたのは教会祝福です。国家祝福、世界祝福を受けていません。三分の二が汚くなる条件が残っているのです。この者たち、全部です。 ここの二世たちで、違う学校に通う者はすべて整備しなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。違う学校へ通う者たちは、どんな学校を出たとしても用いてはいけません。先生と関係がありません。ソウル大学、私と何の関係がありますか? この者たち、統一教会をなくすことに先頭に立ちました。梨大、延大、ソウル大、みんな同じではありませんか! 先生は独りです。独り。独ドク島の歌を歌うように独りです。 独りで統一教会を整備し、基盤を築かなければなりません。駄目なものは頭を打ってしまいます。荒野で倒れるのと同じように、家庭的な鷲のえさにしなければならない、このような時代だというのに。驚くばかりです。 イスラエル民族は、世界に行くことができる国家を探すために、家庭を捨てました。道の世界は、家庭生活をしなさいと言いません。子供であれ、妻であれ、自分の形をもっていては、けんかのみが生じます。六十万が行く時、モーセの家庭を中心にして行きましたか? 家庭も何もすべて無視して、編成したとおりに、行路を進めて行かなければならなかったのです。 家庭をつくっておいたら問題が起きるのです。「お父さん、お母さん」と言ってです。そうでしょうか、そうではないでしょうか? 家庭を主としたら滅びるのです。子供を抱いていて、おなかがすき、「お父さん、お母さん、ご飯をください」と言ったらどうしますか? 母親は泥棒でもしようとします。いろいろなことが起きたのです。ですから、イスラエル民族をすべて鷲のえさにしたのです。 すべてを否定しなければならない すべてのことを否定しなければなりません。氏族圏を否定して、お父さんを否定して、妻を否定して、息子・娘を否定しなければ、荒野を越えることができません。荒野はサタンが支配する天地です。 ですから、建国思想を中心にして、イスラエルの国を中心にしてカナンの七族が豊かに生活するところへ、乞食の一団が入っていって、物ごいしながら食べなければなりません。そうして、子供たちに食べさせながら、涙を流して、「おまえたちは、この国で暮らす民族の姿と同じになってはいけない」と言いながら、神様に従って行かなければならないのです。「私たちは違うのだ」と言うのです。 受難の路程を通過し、還故郷したのですが、まだ億千万の恨みを抱いて、解放されない怨恨があるということを知らなければなりません。国を探して解放されなければならないのです。神様が望まれる国、二支派を中心として全部分けられたアラブ圏まで一つの国にすることができなければ、自己の城(国)をつくることができなければ、世界に行くことができないのです。はっきりと知りなさい。国がないのに、そこで暮らすことができますか? 死んだほうがいいのです。 今日、私たち統一教会は、個人的四十年路程で、国を探す路程ではありません。国を中心としてイエスが失ってしまった世界を探すのです。 イエスは祝福を与えるために来たのではありません。家庭を率いて荒野四十年を立てるのです。では、カナンの地はどこでしょうか? この地球星です。自分の一族を率いることができなければ、生き残ることができないのです。何のことか分かりますか? 自分自体が引っかかってもいけないし、自分の父母が引っかかってもいけないし、一族が一つにならなければなりません。 それで、祝福家庭が何ですか? 百六十家庭、百八十家庭でしょう。一族が一つにならなくてはなりません。針に糸を通すときは、糸がバラバラになっていては駄目なのです。 すべての一族を裂いて、祭物として捧げなければなりません。祭物として裂くと、サタン世界に条件を残すことはないのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえ、ここでは物質も神様のものであり、息子も神様のものであり、夫婦も神様のものであり、愛も神様のものなのです。天の前に捧げて入っていかなければならないのです。自己の所有権はあり得ないのです。 そのように生き、そのように行動する人、だれかいますか? 大韓民国に住んでいる祝福家庭は、自分の身内を中心に、私は私のままに、先生が苦労しようと、これでいいと……。見ていなさい。その者の子供たちがどのようになるか。先祖がそのままではいません。逆さまにしてつり上げるのです。 先生に自己の所有観念がありますか? お金を私が着服しますか? 娘・息子を自分のものにしません。お母さん、お父さん、子供、自分のものにしません。ここに、私のもの、私の息子・娘、私の夫婦、私の一族、あり得ません。神様の一族をつくってこそあり得るのです。中心がないのに、枝がどうしてあるのですか? はっきりと知らなければなりません。 先生は先生自身に無慈悲です。自身に無慈悲な代表です。楽な位置に立とうとしません。最も苦労の道を通過し、難しい道を通過しなければ、サタンから逃げられないようになっているのです。逃げるためには、難しい道を行くしかありません。 神様は絶対信仰をもってつくったのです。神様が「する」と言ったらできないことがありません。絶対信仰の上に絶対愛を探そうとされたのです。友達同士が会えば、こう言うでしょう。「信じていますか? 愛するのか?」。夫婦でもそうではないですか。「どれくらい私を信じていますか?」。永遠なる神様の信仰的理想があれば、その理想の峠を越え帰ってきて、私を信じますかと言うのです。 全体を包括して、第二の出発、新しい結婚の門を開いて入らなければならないのです。ここでは一人ではありません。個人は反対に入らなければなりません。体が自分勝手にしたので、反対の立場で行かなければなりません。妻、夫、主体はどちらですか? 為に生きる者が主体になるのです。 これは宿題ではありません。宿命的なことです。ここで落第するようになれば、学校に行けないのです。体が幼稚園で落第すれば、学校に行けません。家庭としても行けず、国民の役割もできないというのです。家庭を中心にして一つになれなくては、家庭を代表したどんな国民だと言うこともできないのです。 私たちの国がありますか、ありませんか? (「ありません」)。国もなく暮らしますか? 自分たちの国を探すことができますか? 国が自分の国ではなくて、神の国にならなければなりません。そうではありませんか? それが原理です。ですから、千辛万苦、ご父母様は、この地上で孝者、忠臣の、だれよりも先頭に立とうとするのです。寝ても覚めても、寝ながら夢の中でも、そのような話をして生きているのです。 祝福家庭から再教育 世話をかける人は主体になれません。中心存在は責任をもって世話をしなければなりません。私は統一教会で世話になりませんでした。 先生の前で不平を言う人は、先生がそのままにしておきません。なぜ、こんなにうるさく言うのでしょうか? うるさく言わなければならないのです。ここで話すことは、霊界での審判基準です。それで、天国と地獄が分けられるのです。統一教会の先生が行く道と、皆さんが行く道が分かれるのです。それを嫌だとは言えないのです。原理がそのようになっています。そこで分かれて二つの組になったので、サタンの組が残るのです。霊界に天国に入る待合室があるのと同じように、統一教会の祝福待合室が生まれるようになっています。それを知らなければなりません。 あなたたち! すべて、思いのままに食べ、思い通りに寝て、思い通りに遊んでいるというのです。目が黒々として元気な生きているご父母様がいます。それで、天と通じると思いますか? 通じません。 だから、祝福家庭から再度教育するのです。新しく入ってくる者は何も知らないので、ご父母様の国を中心にして、韓国で教育するのです。お父さんがだれなのかを知らなければなりません。十四日間、四十日の代わりに教育しなさいというのです。時間を全く同じに組んで教育するのです。 それを済州島でするのです。陸地には来れません。島国、地帰島です。地帰島とは日本をいう言葉です。漢拏山はエバの山です。雨が降ればみんな浸透してしまいます。白頭山は男です。水があふれます。反対です。それで、先生は時間があれば済州島に行くのです。済州島に行って精誠を尽くしました。統一教会、国を代表するようにつくり上げたら、済州島を最も良くつくります。土地も買っています。すべての統一教会の陸地にいる人たちは、島国へ投入しなければなりません。復帰です。大韓民国で、忠臣を流刑にしていた島ではありませんか? 歴史を否定することはできません。済州島を回って帰って来なければなりません。 済州島といえば祭事を捧げる祭事場です。渡っていった世界です。復帰された世界という意味です。州は町という意味です。渡って何を探すかといえば、エバです。 神様が陸地を捨てて島国を探しにいって、再び帰ってくるのです。だから、島を中心にして一生の間私が苦しんだのです。今や終わる時が来ました。 魚を捕まえることがかわいそうでしたが、今や、捕まえる時ではないのです。ぴんぴん跳ねて血を流すようにすれば、昔はとても楽しく、サタン世界を打ちとらなければならない、と思っていたのですが、今は標準化時代が来ました。それで、アラスカのような所に行くと、ハリバットのように何百ポンドにもなるものを捕まえます。どれほど楽しいでしょうか。跳ねる音が十里以上聞こえるのです。山が鳴ります。サタンの滅亡を探究すると言いながら、興味深かったのです。しかし、今は標準化時代になりました。 先生はどうすることもできません。見ればだれを考えるのかといえば、自分の息子・娘です。今まで統一教会の後孫たちを苦労させてきましたが、今や苦労させなくてもいい時代が来ました。同情する時が来ました。同情しなければならない時が来たのですが、同情することができる人を同情するのであって、同情をすることができない人を同情すれば、神様の位置を汚すことになるのです。 それこそ、エリヤが「私だけが残った」という立場です。北朝が分離された位置で、統一された世界において「私だけが残りました」という、まさにそんな立場です。独り残った神様自身が、創世前から理想としていたものを中心に歩んでこられました。その神様を慰労してさしあげるのです。 自分が悔しくて無念なすべてのことを蕩減する時、神様を慰労しなければならず、神様の位置を支えてあげなければならないのです。 それで天地父母、何ですか? (「天宙安息圏宣布」)。何の宣布? (「安息圏」)。安息圏とは何ですか? 家です。平安の「安」の字は何ですか? 女です。お母さんの代わりです。吸う「息」は、自由の心が吸う、という息の字です。思いのままに平安に生きることができる妻を抱いて、平安に生きることができる家を探すのが、神様の復帰歴史なのです。 先生がどれほど考えれば、そのようなことを考えることができるのでしょうか? 「天」という字は二人の人です。「義」の字は、羊を中心にした我です。義人もそうです。すべて羊のような私、犠牲になる自分、ということです。 自分を考えてみなさい。これからどこへ行くのですか? 三十八度線を中心にして分かれているのです。捕虜収容所があった巨済島を知っているでしょう。巨済島の捕虜収容所と同じような門が開いたならば、どこに行くのですか? サタン世界は黄金万能時代です。太鼓をたたき、歌を歌い、金を使います。神様の復帰摂理において、すべて取られ、すべてなくなってしまいました。荒廃した所から建国しなければなりません。聖殿建設を自分の手でしなくてはなりません。 父母様が愛した基準、祖先が慕ってきた解放された神様、イスラエルのように選択された選民になって、神様に侍ることができるその位置を探さなければなりません。荒廃した所から涙と共に、死なずに探しに来たことがありがたいのです。その内的心情をもち、探しに来て、帰らせるようにしてくれた天の前に負債を返さなければならないのです。倒れた聖殿を建築し、国を建国する時が来たというのです。 ですから、私が七十日の間ここにいたのです。本来、三十日で行こうとしたのですが、六十九日になりました。七十日をきちんと満たし、お母様は四月の一日、講演があります。日にちが一日あります。そうして、だれよりも私が苦労してきたのです。 あなたたち! すべて天の息子・娘だといって、エバ国家を守護するために送ったのに、自分勝手にしてしまいました。 今や先生の責任は全部果たしました。韓国で「訓読大会」をしてあげました。日本で「訓読大会」をしてあげました。アメリカで「訓読大会」をしたら、先生は解放ではないですか。何日までしますか? 四月の何日まで? (「十六日までです」)。四月十七日は何の日ですか? (「復活祭です」)。復活祭です。深刻です。今からはすべて歴史を教えなければなりません。建国理念を求める統一の群れとしては、建国理念がどうなっているのか再び知って、おじいさん、お父さんお母さん、自分たち夫婦三代が合わさって、建国の伝統を立てなければなりません。建国の伝統をなくしてしまいました。 アメリカもそうでしょう。新教、旧教が今からは先生についてくることができません。その限界線まですべてなし、先生は退きました。私の責任を果たせなかったということはできません。南北米の新教、旧教を連合するためにすべてなしました。これから韓国はウルグアイを中心にして南米と連結しなければなりません。 歴史的なすべての摂理というのは、神様の対象圏をいつも主体の前に合わせるようにしました。三十三人を中心にして七百八十名をすべてもちました。三十三人はイエスまで入れて三十四人です。韓国も三十三人が神様を中心にしてみると三十四数なのです。 このようなすべてのことを知らなければ摂理を成し遂げられません。復帰摂理は蕩減復帰です。その模様が同じでなければ駄目なのです。手の平もこのように見れば手は手です。堕落したのでこのようになりました。引っ繰り返して打ち込まなければなりません。それゆえ、南北は同じでなければなりません。 神様の代わりに、食べて、寝て、行って、来る ご飯を食べる前にスプーンが言います。膳が言うのです。「体と心が一つになったのですか?」。一つになったことを何で証明しますか? 蕩減の道を行くのです。この国、この地上で、最も難しい道を行くのです。ご飯を食べるべき人間が、ご飯を否定するのです。最も難しい道でしょう。眠るべきなのに、睡眠を否定するのです。愛することができる愛を否定するのです。自分の生活全部を「無」にするのです。 人は、食べて、寝て、行って、来て、です。何のことか分かりますか? 食べて、寝て、行って、来て、これが人生です。何のために行くのか? 国のために行くのか、自分のために行くのか? 来るのも何のためか? 自分のためにしたのか、神様のためにしたのか? 簡単だというのです。寝ることもそうです。食べることもそうです。食べて、寝て、何ですか? (「行って、来て」)。人生がすべて入るのです。 あなたたちはそのような約束、そのような条件を立てて、今まで自己を整備してきましたか? 何のために寝るのですか? 何のために食べるのですか? 神様の代わりに寝て、神様の代わりに食べ、神様の代わりに行ったり、来たり、するのです。人生はすべてここに集約されるのです。自分を中心にしてはいけないのです。 自分が眠くなったといって、眠ることはできません。おなかがすいたといって、ご飯があるからと食べることができません。神様は人類を考えているのです。父母が息子よりもいいものを着てはいけません。よく食べてはいけないのです。そのような父母に侍る娘・息子は、自分もその伝統を受け継いで、十人いれば十人が「食べません。お父さん、お母さんが先に食べなければなりません」と、このように言わなければならないのです。子供とはそういうものです。そのような伝統を立てることができなかったのです。 先生の息子・娘を先生が教育しましたか? できませんでしたか? 一つもできませんでした。あなたたちはカインです。弟たちを愛さなければなりません。長子権復帰としては、カインが弟を、自分のお父さんよりも、お母さんよりも、サタン側の何よりも、愛さなくてはならないのです。そのようにしましたか? 統一家の世界的な三十六家庭は、自分の息子・娘を愛し、先生の息子・娘は死ぬなら死ね、そのようになっていますか? そのように処断して、そのように行動したすべての責任は、だれが取るのですか? 先生がすべてその責任を取り、先生の息子・娘がその責任を取らなければなりません。 先生は一生の間、十字架を背負っていくのですが、家庭のために祝福を与えて、受難の道を、国の荷物をもって責任を取るのです。息子・娘まで、すべてこのために乞食にしなければならず、再び息子を引っ張って入って、再びこのカインを送って、再び救ってあげなければならない環境に落ちていくのは、だれのためなのですか? あなたたちのように生きては駄目です。それで、私が話をできません。しかることができません。あなたたちの責任です! すべてめちゃくちゃです! 原理の通りに、すべてぴったりと合います。三億六千万双が問題ではありません。三十六億をしたとしても、しなければならない責任があることを知らなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。 あなたたちが二世ならば全部、家庭的十字架を負わなければなりません。イエスは個人的十字架を負いましたが、あなたたちの一族のお母さん、お父さん三代が全部、十字架を背負わなければならないのです。 「私の思いではなく、お父様の御旨の通りにしてください」と言うことができる家庭を抱いて、越えていかなければならないのです。そのことを知らなくてはなりません。先生もそうです。「私の思い」はありません。そのような道を行こうとしたならば、空気を吸うことが恥ずかしく、水を飲むのが恥ずかしく、物を食べるのが恥ずかしく、草木を見るのが恥ずかしいのです。心がそのようになるのです。恥ずかしい位置に立つことができないので、この道を来たのです。 私のお父さん、お母さんが抱きしめて、「行くな! と慟哭していたのを、足で振り切ってきた人です。一族に対してもそうです。先生が聖進のお母さんと聖進を餓死するほどにして、天に従ってきたのです。米一粒もなく、他郷の地で同情してくれる親戚もないのに、独り、独り……。天の国の王圏を探し求める人は、寂しい位置から出発するのです。七年の歳月を涙と共に過ごしたのです。そんな道、蕩減の道を経てきたのです。 先生がそのようなことをしたならば、あなたたちはその何十倍、何百倍、しなくてはならないのです。そのことを知っていますか? 毎日のようにあなたたちの目は、何を見ようとするのですか? 目は二つになっています。サタン的な目、鼻、口、五官すべてがみんなそうなっています。体と心が一つにならなければ駄目です。絶対的に一つにならなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。霊界に行ってみなさい。先生がどうして教えないでいられるでしょうか? その目は、ために見なければなりません。自分のために見るのではありません。相対のために見るのです。生まれたこと自体が相対のためなのです。鼻もにおいをかぐのは、自分の鼻のにおいをかぐためではありません。愛の相対のにおいをかぐためのものです。その目は愛の相対のために、千年、万年、見ることが嫌ではないのです。その鼻が千年、万年、かいでも嫌ではありません。耳で聞いても嫌ではありません。話すのにどんなに話しても嫌ではありません。どんなに触っても嫌ではないのです。 今、そうではありません。あなたたちはそうでなければなりません。批判を受けなければなりません。開拓時代において、中高等学生が帽子をかぶって開拓に出て、十里、二十里行っても食口がいないので、食口に会うために四十里の道を二十里、二十里行き、中間で会って、涙を流し、祈祷し、自分の兄弟よりも食口たちと、そのように結んできたのが統一教会の歴史です。それ以上行かなければならないのです。 成約時代の安着 出家をしなければなりません。そうでなければ独身生活をしなければなりません。それゆえ、体と心を一つにしなければなりません。真の父母が結婚できなかったのに、自分がどうして結婚することができますか? そうでしょう? 堕落した、よくもない者たちがです。はっきりと知りなさい。(「はい」)。 成約時代を一九九二年に発表しましたが、それは蕩減です。先生が蕩減するのではありません。世界国家をかけて世界の十字架を負う時なのです。お母様を立てて祝福しなければならないでしょう。解放圏をもたなければならないでしょう。そうではありませんか? 九二年に入って、お母様が先生の横に立ったのです。ここからお母様を立てるのです。お母様が同じ立場に立つのです。ここには蕩減の公式があるのです。家庭を越え、氏族を越え、世界を越えなければなりません。今はそんな時です。「訓読会」が最後です。 皆さん、何千万双の教育をどうしますか? 教育できませんか? 「訓読会」をするのです。本を分けてあげるのです。『真の父母』と『祝福と理想家庭』、その次に『南北統一』、『南北統一』に全体の内容がすべて入っています。この「南北統一」という言葉を見て、「この国の主権者たちが、この『南北統一』を読んですれば、すでに統一されているのに、文総裁を理解できずにいるこの国は、どうなるのだろうか?」と嘆きながら私に話す人が多いのです。 深刻なのです。そのような時になり大転換時期に入ったのです。否定することができないでしょう。成約時代、九二、九三、九四、九五、九六、九七、九八年です。七年路程です。それゆえ、先生がそのような家庭的蕩減の道を開拓してきたのです。今からは家庭的定着時代です。成約時代の完成がなるのです。分かりましたか? 成約時代を発表したのが九二年でしょう。(「九三年です」)。六数、七数を掲げて越えるのです。 そして、成約時代の安着です。これをするようになれば、伝統を譲り渡さなければならないでしょう。ご父母様の伝統。分かりますか? 伝統の歴史が残らなければなりません。ご父母様の歴史です。それで、息子・娘は父母の歴史と伝統に従って行ってこそ、初めて天国に行き、理想世界へと越えていくのです。脇道に行けば、地獄に行くのです。一つしかありません。今、全世界の祝福家庭を収拾できる人は、先生一人しかいないではないですか? そうですか、そうではありませんか? (「その通りです」)。 それで、このすべての家庭の塀を完全に壊してしまいました。万国解放です。平準化。サタンが定着できる地上の基盤がなくなるのです。それで、十二の峠を越えなければならないのです。世界的三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、三六〇万家庭です。十二峠です。天がどれくらい忙しいですか? 五月まで全部しようとした三六〇〇万双をやってしまいました。頂上から、川ではなく滝の水のように落ちて下ってきたのです。そのように忙しいのです。 神様が全権行使して、七千万の祝福基準を越えるのです。エリヤを中心としてバアルに屈しなかった七千余の群れです。これを復帰するために、洗礼ヨハネを中心とした七千の群れがイエスに侍ったならば、イエスは滅びませんでした。 アメリカにおいて先生が監獄に入って、七千の牧師たちを韓国に連れていき、接ぎ木しておいたのです。アメリカが韓国を捨てたならば、アメリカは身ぐるみはがされるのです。祝福家庭がサタン世界で七千万祝福を越えたのです。今、私たちの時代が来ました。 エリヤが「私だけ残りました」と言うようなものではありません。分かりましたか? 孤独で嘆息していた祈祷ではありません。「時が来ました。お父様、お出ましになってください。従っていきます。どんなに困難だとしても私は行きます。歩いて大洋を行きます。飛行機ででも飛んでいきます」と言って飛んでいくのです。そのみ業を今しているのです。はっきりと、気をしっかりともちなさいというのです。今までの姿勢では駄目です! 皮を何枚も脱がなければなりません。個人の皮、家庭の皮です。自分は国を愛しましたか? 国を思いましたか? どうですか? 祭物には最もよいものを喜んで捧げる アブラハムが失敗したのを失敗を清算するために、イサクを祭物として捧げたでしょう。同じです。公式は間違いありません。その公式の通りにすれば、サタンは讒訴できません。 祭司長も祭壇を置いて自分の欲心のままにすれば、その祭物は汚れるのです。自分の欲心なく、最もよいものを捧げて喜ばなければなりません。そうしてこそ、初めて全部落が生き、国が生きるのです。喜びながら捧げなければならないのです。もったいないとけちけちし、出し渋れば、その者の手が吹っ飛び、体は飛んでいってしまうのです。 祭物は三代です。信仰の子女、三子女を強調しなかったのは、一八〇〇家庭以後です。なぜでしょうか? これは世界時代へと越えていくのです。それがどこで必要なのかといえば、一つの家庭で繰り広げられるのです。今、あなたたちの祖父、父、あなたたちは、天使長の後身です。信仰の息子・娘を自分の一族から立てるのです。そのような時が来ます。それゆえ、信仰の子女を強調しませんでした。 家庭祝福時代において、祖父が祭物となり、母親、父親が祭物になっても完成できなかったのです。その完成は孫がしたので、孫の前に犠牲になるのです。それで、祖父が孫になり、父親が息子になり、兄が弟になるのです。三代が全部息子に敬礼しなさいというのです。 ですから、家庭的メシヤ、氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう。その蕩減路程を中心として、信仰の三子女も、天使長圈の世界を家庭で踏み越えるのです。先生がそのようにしたのか、しなかったのか見なさい。信仰の三子女が絶対に必要なのが、今は家庭的定着時代に入ったので、逆さまです。外的なものではありません。外的な三子女を縦的に立てるのです。そうして初めて、堕落圈全体、旧約時代、新約時代、成約時代へと越えることができるのです。これを乗り越えてこそ、息子が初めて復活して、天の国に連結されて入ります。 家庭的三兄弟、信仰の息子・娘を立てなければなりません。祖父が孫になり、父親が何にならなければならないと言いましたか? (「息子です」)。兄が何になりますか? (「弟です」)。それゆえ、長子権復帰、父母権復帰、主権復帰です。祖父は神様の代身でしょう。父親は世の中の代身でしょう。兄はサタン世界のカインの代身でしょう。 今、自分を中心としてこの三つを立てて、否定してしまわなければなりません。そうして初めて、本然の心情的基準の前に、蕩減が必要ない定着地へと定着するのです。それが御旨の道です。それゆえ、信仰の三子女を強調しませんでした。信仰の三子女を強調すれば、今、祝福してあげられるでしょうか? どうですか? あげられないでしょう? (「はい」)。 御言はただ通り過ぎていくものではない、御言は憲法と同じ きみたちは分かったでしょうか、夢にでも考えましたか? 三十六家庭を祝福してあげる時、その祝福式は蕩減摂理だったのです。三十年が過ぎて、最近になって目を開けています。あぜんとするでしょう。先生がそれをせずに死んだりすれば、どのようになりますか? 御言をこのようにすべて語っていなかったなら、どのようになりますか? あなたたち! 御言はただ通り過ぎていくものではありません。公判廷の証言です。憲法の条件と同じです。ここに一致したか、しなかったか、絶対的、相対的自分自身を確定したのか、できなかったのか、という審判過程を通過するのです。ためらうことなく、全部「訓読会」に行って聞きたがらなければなりません。自分の解放圈が繰り広げられるのです。そこに引っかかるものがあれば、どれくらい恐ろしいですか? 「訓読会」がご飯を食べることよりもおいしく、遊ぶことよりもおもしろいのです。 ですから、今回祝福の後、九巻まで読みました。そうでしょう。(「はい」)。私は飛行機で来ながら十二巻をすべて読みました。一時間前まで読んで、出てきました。復帰路程です。そのように考えるのです。時間さえあれば読みました。 自分の故郷を訪ねていき、故郷の道を訪ねていくのです。故郷を訪ねる地図です。ここで宝島を訪ねていく地図を持っていれば、ありとあらゆる生死を懸けて闘争する、そのような問題ではありません。それが地図です。故郷に落ちつくことのできる版図です。あなたたち、このように考えてみましたか? あなたたち! 勉強がどうして必要ですか! 梨花女子大学も、ソウル大学も全部、統一教会をなくそうと反対しました。それを訪ねていった母さん、父さんたち、子供がよくなりましたか? 母さん、父さんがその子供の腹を蹴飛ばす立場に立つようになるのです。分かりましたか、郭錠煥! (「はい! )。全員転校するのです。今、救ってあげる方法です。どこへ転校させますか? (「鮮文大学です」)。 それで理事長を命じました。女性の総長を命じました。お母様の代身として侍りなさいというのです。男性も、女性も、お父様の代身、お母様の代身として侍りなさいというのです。「統一教会の鮮文大学の理事長は、どうやってするのか? 女性の総長がどうやってやるのか?」。それが関心事です。先生のみ意の通りにするのです。そのようにしていますか、していませんか? (「しています」)。 自分勝手にするのではありません。それで、理事長を任命してあらかじめ、「このようにしなさい」と言ったのに、その間何をしましたか? ただ切ってしまえば、全部霊界に行って引っかかるのです。先生が南米に連れていくと言いましたが、準備していますか? (「はい」)。「どの飛行場に何時に出てきなさい」と、三十分前に私が連絡するかもしれません。そのような準備をしましたか? (「しました」)。 先生が学校を任せる時、「どのような指示にも従います。三十分以内に実践します」と、そのような決心をしなかったではないですか! (「はい」)。先生はかかしではありません。大学で何をしていますか? 滅んでいくこの国に、南北統一することのできる勇士を育てるのです。大学はいくらでも、たくさんあります。分かりましたか? ここで大学に通う人、手を挙げてみなさい。転校です。分かりましたか? (「卒業しました」)。何ですか? (「ここにいる者はみな卒業した」)。大学生はいませんか? (「数名います」)。統一教会から今後、鮮文大学に入るのは簡単ではありません。先生があらかじめ看板を付けています。すべての若者が夢で願う、鮮文大学とブリッジポート大学になっています。 ブリッジポートというのは、ぴったりと摂理的な言葉です。ブリッジポートとは何ですか? 橋を架けた港です。また、鮮文大学とは何ですか? 「鮮」の字は海と陸地です。それゆえ、今まで先生が海で二十五年船に乗りました。五時に起きて、十二時、一時、二時まで船に乗りました。あなたたち、「五十年船に乗りなさい」と言えば乗りますか? 博士の学位をもらった者たちを連れていって、船に乗せようと思います。 今は時が来たのです。私が海から陸地に上がる時ではないですか? エバが、島国が陸地に上がる時、地帰島に上がってくるのです。それで、地帰島を買いました。日本を連結させようとするのが地帰島です。それゆえ、日本に対する摂理的願いは、常に重要なことは済州島に行って話をしてきたのです。そのようなことを知っていますか? 修練会も済州島に行ってしたのです。 純潔の伝統を立てる 純潔大学です。単科大学をつくるのです。家庭科から全部つくって、それから、男女純潔大学にならなければならないのです。女性を立てて復帰するのです。堕落は何ですか? 天使長がエバをそそのかしたでしょう。純潔大学の出発とともに各学科をつくって、男性も編入させるのです。では、あなたたち男性は純潔の女性と結婚しますか、堕落した女性と結婚しますか? 世界の名門学校になるのです。長官、その国の学者、その国のあらゆる有名な人が、純潔大学の女性を嫁にしようとし、男性を婿にしようとするのです。分かりますか? 純潔大学は三年以内にするのです。これを女性大学総長を中心として動かします。十の大学ですか? その大学を中心として、いっぺんに四学年をつくるのです。何のことか分かりますか? 一年生は初め鮮文大学にしておき、それから女性大学の名前を付けて、二年生、三年生、四年生と、まだ純潔な人がいれば、一つの総合大学をつくって、ソウル大学から編入させるとか、延世大学から編入させるとか、梨花女子大学から編入させるとか、そこから純潔大学二年生、三年生、四年生を編入させて、まとめておくことができるのです。卒業するときは、鮮文大学の卒業証書をあげるのです。何のことか分かりますか? 忙しいというのです。女性たちはそのようにしなければなりません。 最近高校生たちが、ことさら実業高校の学生たちが、なぜリュックサックを背負って通っているか分かりますか? 自分の生活の道具を入れているのです。実業女子高校に通う子たちは、靴も服も入れて通います。学校をさっと出て、靴を履き替え、服を着替えて、どこに行くか分かりますか? 歓楽街に行くのです。家で母親、父親に、お金をくれというのは簡単ではないのです。 だれかから、そのようなブームが起こるのです。梨花女子大学、女子大学のお姉さんについて回るのです。ついて回って紹介され、その遊びをして、全部そのようなありさまになったのです。それが今問題になっています。梨花女子大学は見るべきものもありません。ですから、純潔の女性を探すことは、金脈を見つけることよりも難しいのです。サタンが、このようにして滅ぼしてしまったのです。 では、先生はそれを見て、じっとしていなければなりませんか、すべて手術しなければなりませんか? (「手術しなければなりません」)。手術するのに、どこを手術しなければなりませんか? 下部手術です。だれがこれに責任をもちますか? 文教部も今大騒ぎです。京畿高等学校も大騒ぎです。そこで、純潔の看板を公式化させようというのです。大学、中・高等学校、私たちの仙和学校に、そのような看板をつけようというのです。 この子供たちが煙草を吸うことがあれば、きっちりとその学校の生徒たちが処理しなければなりません。この運動をしなければなりません。酒を飲むことがあれば、道端に行って、二人の友達が呼んで責めるのです。二人が一人、三人が一人を処理するのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。この大学で煙草の箱をもって回る学生は、さっさと退学です。それをしなければなりませんか、すべきではありませんか? (「しなければなりません」)。 祝福を受けた者たちが、その先発の旗手にならなければなりません。純潔の伝統を立てて、純潔の兵士として、天地の前に英雄として出動しなければなりません。純潔を守る男性・女性にならなければならないのです。そのようになればこの道を行かざるを得ません。世界はそのように行くことが分かるのです。純潔単科大学を三年内に、お金があればきちんと建てられます。 私は、天安に純潔大学を建てようと考えています。博物館をつくった所に、今後、純潔大学を建てようと思います。女性大学をつくって、三年になったなら、純潔の女性で大学に入学させたい人は、入ってきなさいと言うのです。女性は、純潔かどうか、医者が鑑定すれば即刻分かりますが、男性は分かりません。ですから、女性から純潔大学に入学しなければなりませんか、男性から入学しなければなりませんか? 「女性から入学しなければなりません」)。女性から入学しなければならないのです。 すべてを捨てて先生に従う このようにして原理の御言を知るようになれば、事実をありのままに話すようになっています。終末になれば事実をありのままに話すのです。 「父母」も主体の文字が先に来ています。「夫婦」も、「兄弟」もそうなっています。ところが、「左右」は右左にならなければならないのに、間違っています。逆になっているのです。 左右が分かれたので、前後も分かれるのです。ですから、闘いが起こるのです。次には、「赤白」です。白的にならなければならないのに、赤的になりました。「白黒」にならなければならないのに、「黒白」になりました。これはサタン世界の主流です。良心が告白するのです。「私は右側です」と言って、初めて神様の前に立つのです。アベルがいなくてはカインが立つ場がなく、カインがなくてはアベルが立つ場がありません。それゆえ、左側を右側にしようとするのが復帰です。投入して忘れ、自然屈服させ、長子権復帰して、「左右」が「右左」になるのです。赤的が白的になるのです。 事実をありのままに話さなければなりません。事実をありのままに話さなければ神様の前に立てません。あなたたちも事実をありのままに話さなければなりません。自分が統一教会のどのような者なのか、すべて自分が分かるでしょう? 二世、自分がすべて分かりますか、分かりませんか? 良心はだませません。すべて知っているというのです。自分が自分のことをすべて分かるでしょう? 悪いことをするとき良心が默っていますか、忠告しますか? 忠告するでしょう? (「はい」)。体が良心に忠告しなければなりません。「この良心! 自分はいいことをしなければならないのに、なぜ、善いことをしなさいと、しきりに忠告できないのか」と反対に考えなければなりません。善いこととは何ですか? 体を打つことでしょう? そうではありませんか? 善いことが何かと言えば、サタン側を打つことです。体を打つことです。 食べて、寝て、その次には、来て、行って。来て、行くのは、学校に通うのは、だれのためですか? 自分の相対を見つけるためのものであり、国を求めるためのものです。相対がいなければ国がありません。相対を求め、家庭を求め、国を求めるために、行くのです。相対に先立って家庭が必要であり、家庭に先立って国が必要なのです。家庭を犠牲にして国を求めるという、そのような心をもっていますか? もっていないではないですか。 私はお母様の教育をそのようにしました。女性は最後まで教育しなければなりません。教育するのですが、条件に引っかからないように常に注意しなければなりません。一つ、二つ、三つは、常に(自分が妻よりも)優れているという立場に立たなければなりません。それゆえ、いいかげんに生きることはできません。 夫も他人です。一歩間違えば、サタン側の夫になるのです。父親も一歩間違えば、他人の父親になります。他人の父親が自分の父親、他人の妻が自分の妻、他人の家庭が自分の家庭になるのが簡単ですか? 全部、他人の家庭でしょう。すべて失ってしまったでしょう。自分自身も他人であり、自分の家庭も他人のものであり、一族も全部、サタンのゆえにすべて失ってしまいました。これを取り戻そうとすれば自然屈服しなければなりません。 「すべてを捨てて、真の父母にだけ従っていきます」とならなければならないのです。統一教会はそうなのです。先生が言えば、どこに行ったとしても動こうと考えるでしょう。あなたたちのお母さん、お父さんも、そうですか? そうではありませんか? 原理をあなたたちが賢く覚えて、千回、万回読んだならば、お母さん、お父さんをさっと鑑定して「自分の母親は何点だ」と、点数をあなたたちがつけなければなりません。自分たちの神様はこうでなければならず、自分たちの父母はこうでなければならないということを、子供たちが決定するのです。 あなたたち、「訓読会」を嫌うでしょう。先生は原理を未知から見つけるために身悶えしたのです。あなたたちは原理をすべて体得するために、先生の何倍も苦労しなければならないのです。分かりましたか? (「はい」)。 教育するのです。きょうの朝に、祝福を受けたその伝統を中心として、もう一度分析するのです。世界復帰して天国に入る門を開き、愛の門を開いて、地上天国の解放圏を築くための、そのような祝福家庭であったか、その基準を中心として、どれくらい不足だったのかを知らなければなりません。先生自身も今祈祷しているところなのですが……。 警告するのです。食べて、寝て? (「行って、来て」)。そうなのです。どこに行ったとしても、何のために行くのですか? 世界を取り戻すために、人類を取り戻すために、神様を解放させるために、です。ぴったりと公式がそのようになっています。行って駄目ならば、二倍の努力をしなければなりません。寝るのを削らなければならず、食べることを忘れてしまわなければなりません。世の中をそのように簡単に考えるのです。すべて入るでしょう? 食べて、寝て、行って、来て。ここで解放されなければなりません。六数を踏んで飛翔しなければなりません。 その目もそうです。見るのは、何のために見るのですか? 五官、すべてそうでしょう。行こうとすれば、見なければならず、聞かなければならず、すべてそうではないですか? すべてここにかかっています。ぴったりと公式化されています。 サタンの血統断切 ますます深刻だというのです。それゆえ、サタンの血統断切ということを考えただけでも、「解放の日が来る」と叫び、のどに染み得るその瞬間を見て、倒れても恨みがない、そういう心をもたなければなりません。天がどれくらい願ったことですか? 堕落した人類始祖から、歴代の血を流した救援摂理の道理では、祭物の道を逃れることのできない人類の解放が、そこにあるのです。そのことを考えるとき、万民が、世界人類が、私たちの後孫が、万々歳を叫ぶことのできるその瞬間に向かって、自分が誓いをして、最後の決定的な勝利の旗を揚げることができるよう前進しなければなりません。そのことを考える時、深刻なのです。分かりましたか? あなたたち! 「三六〇万双を祝福したその気迫を緩めてはいけない」と言ったではないですか? 何度頼みしましたか? 緩めてしまえば問題になるのです。復帰の道は延ばすことはできません。頂上へ、頂上へと越えていくのです。峠がありません。峠がないということは、何かといえば谷がないということです。息詰まる復帰の道を延ばしていては、千年延ばしていては、万年延長されるのです。決勝戦に臨む選手においては、息がふさがりそうになれば、息をせずに、十歩、百歩でも走らなければならないのです。そのことを知らなければなりません。そのような時だというのです。 ところが、自分の羽を広げて眠り、関係なくいるならば、その者の家庭がどのようになりますか? 私は無慈悲な人です。 それで、六三年度から狩りに高い山に行って、鹿一組を捕らえて、刃物で心臓を裂きました。なぜこのようなことをしなければなりませんか? 復帰です。それで、狩りが必要なのです。山でしたので、海でもしなければなりません。それゆえ、魚も養殖し、動物も育て、その比準差が変わらないように保護するべき責任があります。ですから、パンタナルとアマゾン川で、魚と動物と一緒に生きるのです。そこに関するものを探査し、今年の「父母の日」を迎えたのです。 一番幸せなのが郭錠煥です。体が半分にしかならない女性を連れて暮らそうというのですから。たまには愚痴をこぼしましたか? (「こぼしました」)。愚痴をこぼしても、郭錠煥は自分の妻を愛していました。統一教会の幹部すべてがにぎにぎしく座っているときに、郭錠煥が、幹部が座っているその次に座ろうとするとき、妻が「退きなさい」と言って夫の前に来て座るのですが、じっと見ると、郭錠煥は喜んでいるのです。 統一教会の郭錠煥にそのような面で賞を与えようと考えています。郭錠煥が妻ゆえに烈男になり賞金をあげるのですが、妻がよくしてくれて賞金をもらうのではありません。それをすべて理解して越えることができ、条件に引っかからず、解放された立場に立っているので賞を与えるのです。 「愚痴をこぼそうとすれば、便所に行きなさい」という話をみな知っているでしょう。夫が忙しくて帰ってくるとき、間違いなく女性たちは、「愚痴をこぼすだろう」と思っているのです。夫が帰ってきて「ああ、忙しい。服を脱がせなさい」と言えば、妻が服を脱がしてあげませんか? そうして、夫が便所に行って約三十分そこにいて帰れば、すべて終わるのです。そのように研究しなければならないのです。戦争が起これば、銃弾を浴びないで済む秘法を学んでおかなければならないではないですか? けんかして利益になるものはありません。 お母様も先生に対して理解できない分野がたくさんあります。「あの人があのようにするときは、間違いなく火のような性格だから……。どうすればあのようになるのか?」と思うのです。一八〇度、他のことをするのです。そのような時は、男性たちがコントロールしなければならないのです。 そして、親は息子・娘に涙を見せてはいけません。涙を見せてはならないのです。涙を見せてその伝統を受ければ、どのようになりますか? どんなに夫婦同士で腹を立てたとしても、朝、息子・娘があいさつをしにくる音さえ聞けば、「だれか来る」と思えば、二人が昔の姿に戻らなければなりません。このような訓練が必要なのです。 ですから、家庭解放をしなければなりません。分かりましたか? 二つの心をもって妻を愛するなというのです。 真のご家庭の囲いとならなければならない祝福家庭 今から何だと言いましたか? 体と心を統一し、それから何ですか? (「夫婦統一です」)。夫婦が一つになり、それから何ですか? (「子女統一です」)。先生は子女教育を一つもできませんでした。 国進が十数歳になって、「お父さんは統一教会の父親ですか、三十六家庭の父親ですか、私たちの父親ですか? このように優れた、賢い息子・娘の父親ではないのですか?」と言ったのです。その通りなのです。「お兄さんが愚かなのですか、だれが愚かなのですか? 顔を見ても、どのような面においても、すべてのことに人に先立つことのできる兄弟たちを、あなたはなぜ愛さないのですか?」と……。とても賢い息子たちです。 彼らをいつ愛したことがありますか? 「統一教会の人たちが、十分の一でも愛していたら、私たちは理解するはずなのに、なぜ、兄弟が涙を流すようにしていたのですか?」と言うのです。それが親がすることなのか、ということです。私は忠告を受けても、言葉なく過ごしていたのが忘れられません。賢い息子たちです。だれよりも冷静に批判します。「自分が父親になればこのようにはしない」と。それで、言った言葉が、「分別をつけなさい。おまえは二十歳に早くなりなさい。お父さんが悪いか、善いか、分かるだろう」。原理が分からないのです。 しかし、この三十六家庭を中心として、先生の家庭の囲いになり、保護しなければならないのに、先生の息子・娘を中心としてどうだこうだと言っているのです。自分たちが堕落して、引きずっていこうとするのです。ありとあらゆることをすべてしているのです。 皆さん自身もそうです。体と心が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つにならなければなりません。先生の息子・娘が引っかかっています。それを一つにして、越えていくことのできる統一家であり、先生から祝福を受けた父子の関係の家庭形態を、新しく氏族を中心として民族を編成することのできる、伝統を引き継ぐことのできる家庭であるということを知らなければなりません。 最近、祈祷するのを見れば、一番最後に仕方なく、イースト・ガーデンにいる先生の子女たちのことを祈祷しています。そのようなものはすべて通じません。本当に愛しているのかというのです。自分の息子・娘よりも、自分の両親よりも、愛したのかというのです。それが公式なのです。 私はあなたたちをだれよりも愛しました。愛しましたか、愛しませんでしたか? 率直に話しなさい。(「愛されました」)。飢えた者の群れが飢え死にしてしまうので、会社をつくり、このように苦労をするのです。来られる主は、会社をつくって、飢えた者の群れを食べさせるために来たのですか? 問題は簡単です。体と心が一つになったのか、ということです。毎日のように鏡を見て、これはだれの目ですか? あなたの目が本当に神様の目に似ましたか、両親の目に似ましたか? 「神様の目に似ました。両親の目に似ました。それゆえ、私の目ができました」と、そのように考えなければならないのです。鼻もそうであり、五官もそうなのです。愛ゆえに生まれたのです。 真の愛で、すべての霊と肉が一つになるのです。真の愛を通して見る目は、地上で霊界をすべて見ることができるのです。自分が行くべき所がすべて分かります。きょう何をしなくてはならないのか、祈祷すれば分かるのです。すでに体が分かるのです。それが習慣になって、(瞬時に反応するアレルギーのように)信仰のアレルギーができます。体が分かるというのです。そうでなければ保護することができません。動物はすべて何の動物であれ、臭いをかいですべて分かるでしょう。大きな獣がいるときは隠れ、小さな獣がいるときは餌食にしようと、寝ていても起きあがるのです。分かって生活するのです。同様に、皆さんもそのことを知らなければなりません。信じるのではありません。分かって、行動するのです。 良心はすべて分かるでしょう。(「はい」)。良心は全部分かるのです。 妻、夫、よく考えなさい。女性が父母を捨て、一族を捨て、自分のところに来て、どれくらいかわいそうですか? おじいさんの代わりに、父親の代わりに、夫の代わりに、兄の代わりに、男性を訪ねてきたのではないですか? ですから、おじいさんの代わりに保護しなければならず、母親、父親の代わりに保護しなければならず、夫の代わりに愛してあげなければならず、兄の代わりに保護してあげなければならないのです。そうではありませんか? 天宙の法、憲法を中心として治める それで、新しい自分の王圈を成立させなければならないのです。エバがなくては王圈は生まれません。絶対必要なのです。最初は体と心。二番目は? (「夫婦です」)。三番目は? (「子女です」)。私ももう家庭に帰って、子供たちをつかんで悔い改めさせなければなりません。それで、法が必要なのです。今まで正式にこのことをできなかったのです。法的にすべてしなければならないのです。 ですから、国を早く建てなければなりません。何のことか分かりますか? 家庭は国が治めなければならないのです。国の法に従っていかなければなりません。そうでしょう。(「はい」)。国の法と国がないので、今まではそうでしたが、国があれば、国の法を中心として治めることができるのです。国の法が生まれれば、国を治めることができるのです。世界も、天上世界の天宙の法、憲法ができれば治めることができるのです。それが原則的だというのです。それゆえ、すべてそれを考えなければなりません。 自分の息子・娘を治めることができなければなりません。祝福家庭の子女で、世の中の結婚をしたすべての人は今後、責任を追及するのです。だれがするのでしょうか? その子供たちがするのです。「お母さん、お父さん! 原理をこのように見たのですか」と言うのです。その孫をどのように愛するつもりですか? 何をもって孫を愛する条件を立てるのですか? そのようなあらゆる問題が生まれます。分かりましたか? 今後、統一教会の神学大学院もそうです。今まで祝福を受けた家庭が、どうしたこうしたと言って「教授になる」と言うのですが、その条件に引っかかった人は教授になってはなりません。今からそのような整備をしていかなければなりません。後で問題になります。デモするのです。 そして、あなたたちもそうです。今後、鮮文大学を経なければ、難しくなるのです。見ていなさいというのです。「大学を出た」という話をするでしょうが、すべて何の学科であれ、否定してしまうのです。私たちの事業分野に入っていれば、引き抜いてしまいます。先生の息子・娘が大学院に行くというのを、行くなというのです。それが間違っていますか? どうですか? 伝統を知らず、上下を知らず、反対に回れば、罪になるのです。 尹博士にも「今、父親を伝道しなさい」と言ったでしょう。祝福を受けさせなさい。何回言いましたか。そのご老人が、私と何の関係があるというのですか? そうしてこそ、尹博士が学校を辞めたとしても、全部抱くことのできる解消の方法があるのです。自分の父親が鮮文大学の総長であっても、自分の兄、自分の一家は、鮮文大学に行ったり来たりしなかったですか? 氏族メシヤにならなければならない さあ、分かりましたか? (「はい」)。すべて体と心が一つになり、次に夫婦が一つになり、次に子女が一つになるのです。そうでなければ、どこに出ることもできないのです。そのような面で、二世の立場がどれほど恐ろしい立場ですか? 新しい時代へと入っていくのです。きょうは特別な日です。何の日かといえば、三十九回です。きょうが過ぎれば、年数で四十数に移っていくのです。この二年間に勝敗を競わなければなりません。どのようなことでもしなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。そして今回、訓読会をすればすべて分かるのです。 私は息子として北韓に行って、母親の墓に行きました。その時、姉が慟哭し、妹が慟哭したのです。「お母さんが恋しがっていた、お兄さん、弟が帰ってきました……」。断腸の思いです。そこで涙を流してはなりません。「私はここに来たのではありません。お父さん、お母さんのお墓参りに来たのではありません。私が国王の姿を備え帰ってきて、墓参りする時は、国が侍り得るその道を築いて来ます」と言ったのです。その約束のゆえに、北韓を捨てません。 郭錠煥も今後、氏族的メシヤにならなければなりません。(「はい」)。郭氏を全部一か所に追い込まなければなりません。宗親連合をつくらなかったのですか? 入籍する場合は、七代です。これが氏族です。これは絶対的です。入籍をしなければなりません。入籍する国がありません。大韓民国を南北統一させることのできる、周辺、後続処置を強化しなければなりません。 家庭を中心として恥じない家庭をつくりなさいというのです。 今年の標語を完成しなければなりません! 分かりましたか? (「はい」)。昔のそれの十倍です。簡単です。環境的世界のどこであれ、祝福する伝統ができているので、どのようなことをしたとしても反対しません。 そして、今後、聖酒式を中心として、重生式、復活式、それから何ですか? (「永生式です」)。今後、道をふさぎ、高速道路をふさぎ、車のある所で全部やるのです。国で新聞に広告を載せて、道をふさぎ、「キャンディーを食べて行きなさい」と言って分けてあげるのです。そうして、一人も漏らさないように、町内までもそのようなキャンディーを持っていって与えて、赤ちゃんに食べさせなさい。そのようになれば、健康になりありとあらゆる奇跡が起こるのです。奇跡が起こるのです。今、そのようなことを始めるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.29
コメント(0)
真の父母1998年3月10日リトルエンジェルス芸術会館 ソウルで「世界化時代に向かう指導者大会」が開かれ、その席上、真のお母様が「文鮮明先生み言主題別精選」第10巻の『真の父母』から抜粋したみ言「真の父母」を訓読されました。その「真の父母」を翻訳、整理したものです。 私たち統一教会員が日ごろ使う言葉のなかで、「真の父母」という言葉があります。この言葉は、世界のどこの図書館を探しても見当たりません。「真の父母」という言葉は、簡単で易しい言葉のようですが、驚くべき内容が秘められています。 人類の先祖が堕落したとすれば、その堕落した父母は悪の父母、偽りの父母であり、堕落していない父母は善なる父母、真の父母であるということを、キリスト教二千年間の歴史を経るなかで、知ることができたはずです。しかし、それを今まで悟ることができなかったのです。それを究明し、発表できるこの時を待ってきたのです。 過去の歴史時代において、「真の父母」ということを考えた人はいたかもしれませんが、その背後がどのようなものであったかということまでは、解くすべがなかったのです。統一教会の膨大な原理が明かされる前には、それを明確に解くことができなかったので、だれも「真の父母」という言葉を使うことができませんでした。 私たちが知っている統一教会の歴史観、また、人類の本然的な根源に関することを明らかにしたということは、驚くべき事実です。 「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、人類始祖の堕落が不倫な愛によるものであったことが明らかになりました。このような堕落によって、神様が創造理想として打ち立てようとされた真の父母と、関係ない血統的な因縁を残したのです。すなわち、誤った血筋を受け継ぐようになったのです。 それゆえ、人類始祖から歴史上、すべての人間が誤った血統の中で生きてきたことを清算して、神様を中心として、新しい本然の根となる、愛と生命と血統がつながることを意味する言葉が「真の父母」です。これは本当に驚くべき言葉です。 「真」とは この天地間に、真なるかたがいるとするならば、そのかたはどなたでしょうか? 絶対者です。この絶対者を、今日、韓国語で言えば「お一人しかいないご主人様」ということです。これをもっと縮めて言えば、神様(ハナニム)になります。 それでは、神様はどのようなかたでしょうか? 神様は、地上の良い人も、悪い人も愛されるおかたです。罪を犯して死刑場に行く死刑囚も、「神様! 私をかわいそうに思ってください」と言って死にます。 それでは、どうして悪いことを多くして死んでいく立場にある人も、神様の前では、良い心で再出発を誓うのでしょうか? また、神様の前に最高に寄与し、頼り、そのかたとともにいたく思い、内心では父母と兄弟よりも切に事情が通じる関係でいたく思うのです。これは、神様が「真」であられるからです。 「真」なるかたは、好きな者だけを愛するのではなく、自分に死ぬようにと言う怨讐までも愛さなければなりません。彼の前には、すべてを任せることができ、すべてを相談したく、すべてを願うこともできる立場にある人であってこそ、「真」なる人と言えるのです。 自分を憎む人に、三回以上、良く接してあげれば、その人は頭を下げるようになるのです。本当かどうか、一度やってみてください。人には良心があって、自分が誤ったのか、そうでなかったのかが分かるのです。 「真」の起源 「真」の起源は、神様であられます。神様がおられることによって、「真」が成り立つのです。神様が離れるようになるとき、「真」も離れるようになります。そこは「真」ではなく、悪の起源となり悪が生じるのです。 「真」があってこそ、「真」なる結果をもたらすことができます。言い換えれば、神様がおられることによって、神様の願いが成し遂げられるのです。それゆえ、「真」や「善」という名詞は、人間を中心として成立したのではなく、神様を中心として成立したのです。 このような観点から見ても、「真」は、人間が勝手に考えることができるものではありません。すなわち、堕落した人間が勝手に管理することのできる位置に従属しているのではなく、「真」が私たちを主管しているということを知るべきです。それゆえ、私たちはいつも「真」の前に屈伏しなければなりません。「真」を立てて、そこに順応すべきなのです。 皆さんの現実的な生活、あるいは良心生活を注意して調べてみても、「真」は完全に天に属しているということは否定できないでしょう。 人間自体からは、「真」の起源をつくり出すことはできません。「真」には、必ず絶対的基準が必要です。それゆえ、絶対者、あるいは神様という問題が、ここに登場せざるを得ません。それは、今まで地上に真の人がいなかったからです。 それゆえ、「真」を指向しながら生きる人間自体は、「真」の動機になり得ません。その動機は、神様でなければなりません。宗教や人類歴史において、最後の重要な分岐点に至れば、必ず神様が登場します。絶対者が必ず必要になるのです。 哲学が追求する目標、すなわち、最後の目標について真理を通じて追求したり、あるいは、存在の起源を究明していっても、必ずそこには神様、超越者、絶対者という名詞が介在するのです。 絶対者と関係を結ばなければ、すべての学問や、存在価値の起源は解決できないからです。それで人間は深刻な場では必ず、「真」を通じて解決しようとしたのです。 このような事実を、私たちは否定することができません。それゆえ、「真」の起源は、人間だけではなく、必ず絶対者、神様が介在しなければならないのです。「真」を主張する宗教は、神様を離れては考えることができません。「真」を主張する人倫道徳も、神様を否定することはできません。 では、「真」がとどまることのできる場所とは、どのような所でしょうか? もちろん、天を起源として「真」の位置を地上に立てようとされるでしょう。これは、神様の願いです。それで、どこにとどまるのかということが問題になります。私たちの生活の周辺にとどまるのです。イエス様も「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」と言われました。真なる国である天国は、心の中にあります。何らの邪心もない、限りなく深い谷のような所にあるのです。 私たちの心を分析してみると、知・情・意になっています。知・情・意のなかで、何が根本であるかといえば、「意」でもなく、「知」でもなく、「情」なのです。 皆さんは、自分にいちばん貴いものがあれば、それをどこに置きたく思うでしょうか? 自分だけが知っている所に置きたく思うでしょう。そこはだれも触れることができず、関与できない、すなわち自分だけが絶対的に管理し得る所です。そこがどこでしょうか? 心の深い所に埋めておくのです。「ここであれば安心だ」と言える所に置くのです。 真の原器 愛には革命もなく、変化もありません。変わるものには、貴いものがありません。ダイヤモンドは、硬さが変わらないために宝物の扱いを受けるのです。黄金は、黄色い色が変わらないということが貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色が変わらないために貴いのです。貴い宝物を、なぜ変わらない特性を中心として定めたのでしょうか? それが、宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。 それでは、この宇宙のすべての測定で、全体を測定し得る価値基準において、いちばん最初の基準が何になるでしょうか? それが問題です。金でしょうか、ダイヤモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。愛は勝手にしているようですが、思い通りにはできないのです。自分もそのような存在なのです。 この宇宙において、そのような原因の中の原因になり得る度量衡や原器が何か、という問いに対して考えるとき、それはある測定器の原器でもなく、何か変わらない物でもありません。 神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変でありながら、宝物の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこにおいても昼夜を克服し、地域、距離、時空を克服して、絶対的な測定の基準、比較の基準になり得るものとは何でしょうか? 地球にも緯度、経度において零度の基準があります。それは、英国のグリニッジ天文台が、経度の基準になっています。いくら変えようとしても、変わらないのです。そのような基準があるべきではありませんか? それがなければ、世界の秩序が形成されないのです。 神様は、もちろん愛も創ることができると思いますが、その愛を所有するということは、独りではできません。ふたりで所有しなければならないのです。愛は、神様も独りでは見いだせないのです。 それゆえ、その基準、測定原器は何でしょうか? 宇宙万象の存在世界だけではなく、永遠の世界においてすべてのものを測定し得る基準、絶対的に一つしかないその原器とは何でしょうか? それが根本問題です。それが「真の愛」というものです。それで、愛は、春夏秋冬という季節の変化に影響を受けないのです。 皆さん、真理とは何でしょうか? 「真」です。「真」とは何でしょうか? それ以上の基準でうち立てることができないという位置に立ったものを真理といいます。ここには物理学博士もおられますが、物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものは、漠然と動くのではありません。 真理の中には、何があるのでしょうか? 真理の中には、必ず東西南北の四方があるのです。真理があるときは、そこには必ず環境があるのです。それでは、環境が先ですか、真理自体が先でしょうか? これが問題となるのです。環境が先なのです。 私たち人間を見るときは、どうでしょうか? 人間を中心として見るとき、真なる人間は、縦横の標準にならなければなりません。「縦に見ても合う。横に見ても合う」と言える基準にならなければならないのです。 縦横が一致してこそ、公式的法度において、前後・左右・上下の差異がなくなるのです。同じです。これを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うのです。東にも合い、西にも合い、北にも合い、南にも合い、地上世界にも合い、霊界にも合うというとき、「真である! というのです。 ところで、ミリメートル単位で測定して、違いが一ミリメートルの半分にも満たなかったとしても、それらは全部、否定されるのです。不完全なのです。何か測定する基準がなければならないのです。 「真」と真の愛 皆さん! 今、世界には五十億の人類が暮らしていますが、この地球村に暮らす人たちの先祖がどれほど多く、地上で生活して死んでいったでしょうか? 少なくとも現在に暮らしている人の何百倍、何千倍の人々が死んでいったのです。それでは、その人たちの中で、人類が願う真なる人は何人いたでしょうか? 「真」なるということは、千年前も、今も、いつでも「真」であるということです。 それと同じで、私たち人間において、千年、万年、億万年変わらない色を持った、そのような真なる男性がいるでしょうか? これが問題です。このような真なる女性がいるでしょうか? どう思いますか? 宗教世界では、人間は堕落したと見ています。もちろん、背景が異なる宗教もありますが、すべて救いを受けるために、価値のある新しい人間を捜し求めています。その言葉は、どのような意味を持つのでしょうか? 真なる本然の人間像に及ばなかったために、それをいつも追求するのです。それは、千年前も、何億万年前も、今も同じです。今後も、いかなる環境や時代にかかわらず、人類が存続する限りそれを追求するようになっています。 皆さんも、その真なる人を捜しているのです。真なる男性、真なる女性を捜しているのです。歴史上、生命を持って生まれた男女は自他を問わず、そこに命をかけるようになっています。それゆえ、部落で暮らすようになれば、その部落でいちばん真なる人になろうとするのです。 二つの石板と「真の父母」 神様はイスラエル民族を荒野で導かれるとき、火の柱と雲の柱を与えられました。昼に導くのが雲の柱で、夜に導くのが火の柱でした。それは何を意味するのでしょうか? 男女を代表して終わりの日に父母が来て、イスラエル民族から侍られる姿を象徴的に見せてくれたのです。この火の柱と雲の柱の導きに従わない人は、みな滅亡するのです。 また、イスラエル民族が荒野に出て四十年間さすらい、方向が分からないので、その民族が滅亡するのを心配されて、神様がモーセをシナイ山に呼ばれ、四十日間モーセに断食をさせて二つの石板を与えられました。それが何であったのかといえば、アダムとエバ、「真の父母」を象徴していたということを知らなければなりません。契約の箱の中に、どうして二つの石板を入れたのかということが問題です。二つの石板は、神様のみ旨を終結させることができる中心としてのアダム・エバを象徴したのです。それで、契約の箱の中に入れたのです。 私たちの願いは、何でしょうか? 神様は縦的な父母であり、アダム・エバは横的な父母です。その縦横の父母が一つになって、喜びの中で、愛を受けることのできる子女になることが願いです。ところが、そのようになれなかったことが恨なのです。そのような愛を一度、受けてみたいという熱望を皆、持っているのです。すべての宗教もそれを願っているのです。 縦的な神様と横的な面で一つになって、愛することのできる父母がこの地上にいたでしょうか? いませんでした。人類の始祖が堕落したために、彼らは偽りの父母になりました。アダム・エバが偽りの父母になったために、「真の父母」は存在しなかったのです。それで、「真の父母」が、歴史上に現れなければならないのです。 そのような歴史的使命を代行する存在に一つの名詞をつけて、何と呼ぶでしょうか? そのかたが正に救世主であり、メシヤです。救うためには、何を救ってあげるのでしょうか? 体を救うのではありません。救いとは、理想的な愛の願いを叶えてくれるということです。 そうすれば、メシヤはどのような存在として来られなければならないでしょうか? 間違いなく、メシヤは「真の父母」として来られなければなりません。キリスト教では、イエス様をメシヤ、救世主として信じています。 「真の父母」は、どのように来られなければならないのでしょうか? 一人ではだめなのです。真なる父に代わる一人の男性として、現れてこなければならないのです。今まで数多くの宗教は、一人の男性を捜してきたのです。男性の中でも、礼儀正しい生活をする男性を捜してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を中心にした男性を捜してきたのが、仏教の教えと見ることができます。 では、キリスト教は何でしょうか? 神様の息子となって、愛する家庭を作ろうとするものです。より具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私は独り子だ」とイエス様は言われたのです。 独り子が現れたのに、独り子が一人で暮らしたとすれば大変なことです。独り娘がいなければなりません。それで、独り娘を捜して、神様を中心として、独り子と独り娘が愛し合う位置において結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母として喜ばれ、その独り子と独り娘が横的な父母として喜ぶことのできる新郎新婦になり、地上で子女を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。 それゆえイエス様にとって、イスラエルの国を失ったとしても、ユダヤ教を失ったとしてもいちばん必要としたものは何であったのでしょうか? それが女性なのです。男性の前に女性が、いなくてはならないのです。 イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいかれながら、「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言われたのです。それで、キリスト教では二千年間、新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちは新婦になろうと、苦しんできたのです。 その標準とは何でしょうか? それがメシヤなのですが、真なる父母の位置につくようになるのです。それが小羊の婚宴です。 「真の父母」という言葉は福音中の福音 皆さんがユートピア世界を捜そうとすれば、どこへ行かなければならないでしょうか? 本然の家庭の愛を経ずしては、行く道がないということを知らなければなりません。先生が直接主管圏内と間接主管圏内を神様の愛と「真の父母」の愛でつないだ基準があるので、今日、霊界と肉界が、その愛の橋を通じて往来できる道が生じたのです。 私たちの原理で言っているように、神様が創られた被造万物は、神様の直接主管圏か間接主管圏内にいます。それでは、それをどのように一つにするのでしょうか? それは、真の愛によってのみ可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。そのようなときは、自動的に水平的な真の愛が現れるのです。 その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です! と抱き締めるようになるとき、真の愛がそのふたりの中心に現れるのです。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっています。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば、終わるのです。 真の愛が現れれば、すべてのものがみな自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてのものに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。 歴史過程において、悲しみがあれば最高の悲しみ、困難があれば最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払ったその結果として見いだされたのが、この「真なる家庭」なのです。 この真なる家庭が見いだされることによって、歴史的な悲しみが解怨成就され、歴史的な死の代価が解怨成就されるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたのです。したがって、この真なる家庭がこの地に顕現したという事実は、人類において、それ以上の喜びはなく、それ以上の価値もないのです。 そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がいなければならないと同時に、真なる夫婦が成立しなければならないのです。真なる夫婦が成立して、そこに真なる子女が誕生しなければならないのです。 今日、皆さんは、「真の父母」という名詞を知っています。この「真の父母」という言葉は、歴史時代において、だれも呼んでみることができず、だれも考えられませんでした。しかし、今日、私たちは呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代のだれよりも幸福な位置に立っているのです。歴史時代のだれよりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知らなければならないのです。 「真の父母」という名前とともに、歴史は今まで苦労してきたし、「真の父母」の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるとき、「真の父母」という名詞こそ、今日、私たち人類には福音のなかの福音であるということを知らなければなりません。 「真の父母」というその名前を考えるとき、「真の父母」によって歴史が治められ、「真の父母」によって新しい世界の起源が生まれ、「真の父母」によってサタンを屈伏させることができる内的な因縁が決定されるのです。「真の父母」によって、外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、「真の父母」とともに暮らし、「真の父母」の願いに従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんはまず感謝しなければなりません。 自分の人生をみな犠牲にする恨があっても、「真の父母」の行く道に同調できる道があるならば、私たち人類の前に、これ以上の幸福なことはないということを知らなければなりません。「真の父母」の願いに従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるならば、彼は人類が願う最高の希望の頂上において、天と地が直視し、歴史が注目する聖なる勇士であるということを、私たちはよく知らなければならないのです。 真の父母の価値 神様の摂理の目的は何でしょうか? それは、一つの焦点とも言えるものです。神様の理想が実現される場も、正にその場所です。私たちが失ってしまった父母、失ってしまった真の父母に会うことができる所も、正にそこです。それゆえ、その基台がすべての中心となるのです。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場なのです。 それが、どれほど重要なものであるのか考えてみてください。すべての聖人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要であると認識しなければなりません。 皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、広大な土地を与えても替えられません。国土ほどのダイヤモンドを与えたとしても替えることができません。アメリカ全体を神様に祭物としてささげるとしても、皆さんはそれを得ることができないのです。 このような観点で歴史を見るようになれば、今までの歴史は「真の父母」と何の関連もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後には堕落したいかなる歴史もあり得ないのです。 そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるのでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真のご父母様によって認められるということを考えてみるべきです。では、共産主義はどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。 真の父母、ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そして、すべての結果がここから出発するのです。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから神様の愛を中心として家庭を形成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この場が、全世界の中心点です。 この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるでしょうし、現在の歴史の完成が保全されるでしょうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるならば、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができるのです。 その価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほどたたえ、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょうか? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければなりません。すべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だといっても、これには比較できません。 父母になろうと思えば、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って、神様を降参させなければなりません。アダムは、神様が「違う」と言われることを「はい」と言って、事実を事実でないことにしたために、事実でないことを事実として肯定させることのできる方法を執らなくては、本然的基準に入ることはできないのです。 天地の間において、「真の父母」になるための過程からすべての問題を実体的に解決し得るその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くことができるのです。神様が願われる愛の解放は、このような息子・娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのです。 神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈伏させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、救いの主人であり、全兄弟の長男(子)権を備え得る人がアダムなのです。 サタン世界が反対することにより、四十日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であられるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁が勝利の判決を受けて、地上に来るのです。 感謝すべき私たち 神様に対する感謝を、どのようにささげることができ、真の父母に対する感謝を、どのようにささげることができるでしょうか? 私たちの教会に対する感謝をどのようにささげることができ、私たちを再創造してくれたことに、どのように感謝をささげることができるでしょうか? 私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。さらに一段階進めば、真の氏族が現れ、さらに一段階進めば、真の国家が現れるのです。さらに一段階進めば真の世界が現れ、さらに一段階進めば真の宇宙が現れ、さらに一段階進めば真の天宙が現れ、さらに一段階進めば真の神様が現れるのです。これが私たちの最終目標なのです。 人間は、堕落した後にサタンの血統を受け継ぎました。数千万代にわたって、神様の血統ではないサタンの血統を受け継いだのです。どのようにこのサタンの血統を清算するのでしょうか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚れた血統を、どのように清算するのでしょうか? そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられたかたが、「真の父母」です。サタンの血統を肥料として、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には、体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして大きくなっていくのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。ここから神様がともにおられ、サタンとは永遠に離別するのです。 神様の心の中に苦痛があるとは、だれも知らないのです。歴史上に、今ここに真の父母を通じて神様の心情が現れ、真の父母の深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。イエス様もそれを知りませんでした。分かったとしても、心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、だれもそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に真の父母が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。 今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。一国家の指導者も、過去を悔い改めて改心すれば、神様が許されるのです。 それは、神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなければ、サタンを分立することができないのです。また、それは統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。 人間始祖が堕落して、その真の愛、真の生命、真の血統が堕落世界の汚れたものと連結してしまいました。しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的に連結されているのです。これは百八十度転換されたのです。サタン側と連結された韓国や、この世界には、希望を託してはいけません。全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母に従っていったのです。 百八十度生まれ変わるのです。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です。国ではなく、その次は、兄弟です。では三番目は何でしょうか? 夫婦です。四番目は子女です。 神様は、三世代を願われているのに、この三世代を持つことができませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は今まで持てなかったのです。今まで人類は、神様を中心として繁栄できず、サタンに属するようになったのです。そのサタンは、愛の怨讐です。 この血統をどのように清算することができるのでしょうか? 「自分」は韓国人でも、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。神様の愛、神様の生命、神様の血統、この三つの根源が標準なのです。 戦争で負けた敗残兵が血を流し、倒れていれば、それをだれが葬りますか? だれが敗残兵を教育して、再び正規軍にするでしょうか? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょうか? ただ殺してしまうのですか? 勝てばすべてがよいと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。感謝するとき、何を感謝しなければならないのでしょうか? 豊かに暮らすようになることは、感謝すべきことではありません。十字架を背負ったことを感謝しなければなりません。それを皆解決してから、それを再び建設した後にこそ、自分の「時」というものが来るということを知るべきなのです。 自分が新しい家庭を立て、新しい国家を建て、新しい世界を立てた後にこそ、自ら幸福に暮らすことができるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.27
コメント(0)
成約のみ言伝授式一九九八年二月二日(陰暦一月六日)午前十時、九里市水沢里にある中央修練院にて、韓国、日本、米国など、世界各国の教会指導者と社会指導者たちが四千人余り参加する中、「真のご父母様の御生誕日」の記念礼拝が挙行され、その中で「成約のみ言伝授式」が行われた。そのとき、真のご父母様は、「主題別み言精選」(十二巻)を韓国の社会指導者たちに与えられ、それまでご自身に反対してきたすべての人々に対する容赦宣言も行われた。 今日、ここに初めて参加された方々は、衝撃的で、なおかつ、イサン(ハングルの発音)なみ言を聞かれたことと思います。それは悪い意味での異常ではなく、何よりも高いところにある理想という意味です。そのように考えられたらいいと思います。 このみ言は、レバレンド・ムーンが構想して語った言葉ではありません。個人の完成から家庭完成、氏族・民族・国家・世界完成、地上天国と天上天国、神様の解放圏に至るまで、膨大な内容から成り立っています。 このようなみ言は、今までいかなる教材としても、この世に現れたことがありません。今後もこのような理想的な内容の教材は、歴史時代には現れないと思います。ですから、このみ言だけが、すべての歴史を動かすことのできる教材になるのです。これは断言ではなく、実際にそのようになるのです。 堕落したがゆえに、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。誰のせいで? 女性のせいです! 女性たちはそれを知らなければなりません。第一の夫、宇宙の主人、国の主人、家庭の主人、自分の夫となることができる、そのような男性を堕落させたのです。堕落とは「死」を表し、神様と関係がなくなったことを意味します。 血統的な面から見るとき、神様の愛と生命を中心とした血統が結束すべきでしたが、悪魔の愛と生命を中心として血統が結束したのです。悪魔とは何かというとサタンです。そのサタンは何かというと、神様の愛の姦夫なのです。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛に連結されたので、神様が手をつけることができないのです。干渉することができません。皆さんはそれを知らなければなりません。 多くの能力をもっておられる神様が、どうしてエバが堕落するときに干渉できなかったのかという問題があります。しかし、姦夫に侵犯されたことについて、ああだこうだと言えるような立場ではありません。殴り殺すか、消してしまうまでは、対することができないのです。皆さんも理解できるはずです。愛という概念、真の愛をもった男性が、妻となる女性と結婚するその前日、その女性が怨讐に奪われて、貞操を蹂躙されてしまったとき、その男性はその女性を自分の妻として保護することができるでしょうか、できないでしょうか? ですから、皆さんはこのことを知らなければなりません。エバ、すなわち女性がアダムを殺したのです。家庭で殺してしまったので、神様はその威信上、家庭において復帰することができません。国をつくって、国で勝利することなくしては、神様は威信を保つことができないのです。ですから、この国の位置を守れる立場を築こうとしたのが旧約時代なのです。驚くような話なのです。 その約束というのは何ですか? 結婚式ができなかったということを知らなければなりません。約束には旧約・新約・成約の約束があります。神様の真の愛を中心として、人類始祖となるアダムとエバが、真の愛を中心として一つになり、真の家庭理想を描くというのが創造理想でした。それにもかかわらず、血統が変わり、すべてが怨讐の懐に入ってしまったのです。 皆さんが知らなければならないことがあります。アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? もしも皆さんの一人息子が死に、一人娘が死んだとするならば、恨の心情に燃えて、一生、子供たちの死んだその日を忘れることができないはずです。七代目の一人息子であれば、なおさらのことなのです。 アダムとエバは何代目の一人息子、一人娘だったのでしょうか? 彼らは億万代目の一人息子、一人娘だったのです。たった一度しかないのです。アダムとエバを失って、神様の心はどれほどふさがってしまったことでしょう。神様の悲痛なる事情を知る者は、誰もいませんでした。 女性たちによって、エバによってアダムは死にました。第一のアダムが死んだのです。死ぬことによって、神様はその威信を家庭において失ったので、取り戻すときには神様の威信上、国家において取り戻さなければなりません。それを国家において取り戻すには、ただ単に取り戻すのではなく、国家基準をつくらなければなりません。それで選民思想が出てくるのです、選民思想が。 神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、神様が必要とする氏族・民族・国家という形態を中心として、ヤコブ以来、受難という複雑な道を歩んできたのです。 皆さんがそれに気づいたとき、神様の苦労に気づいたときには、跪いてひれ伏しながら……。慟哭が問題ではありません。滝のように流れる涙、鼻水、よだれの三つの水が合わさり、肝臓がちぎれるような痛みを感じながら悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければなりません。あっけにとられた神様であるということを知らなければならないのです。 女性がアダムとエバを殺しました。真の父母が勝利するには、選民圏において、個人・家庭・氏族の踏み台がなければなりません。そのような国の踏み台を収拾しなければなりません。収拾とは何ですか? アダムとエバの堕落が何かというと、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落! 春のような時期にです! 人類歴史が始まるやいなや、まかれたのです。 それによって、家庭を逆さまにしていました! 家庭が破綻したのです。ひっくり返してしまったのです! ひっくり返ってしまったものを、神様はどのようにするのでしょうか? これを正すには、どこから正さなければならないかというと、頂上はサタンが完全に握っているので、アダムとエバからではだめなのです。カインとアベルのうち、弟と通じてひっくり返すのです。 今まで聖書の歴史において、長子と次子のうち、どうして神様は次子ばかりを愛したのか、なぜ血を流す祭祀を執り行ったのか、等々、何も知らずにいるのです。 本来、神様が人間の主人であるということを、サタンもよく知っています。 愛すれば必ず、血筋を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができるのです。それゆえに愛が問題となるのです。サタンの愛に、サタンの生命とサタンの血筋が連結しているので、完全にひっくり返ってしまったのです。 では、神様が復帰するにはどうしなければならないでしょうか?。 救いの摂理は再創造の歴史です。工場で再生産するときには、ブループリント(青写真)によって生産していたすべてが故障したのならば、新しいブループリントを通じて再び生産しなければなりません。再創造の歴史ですから、創造の時のように、全存在には、水や空気や土の観念がありません。観念がないのです。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として選民圏が立てられたということは、神様がいるという証拠です。また、宗教において出家せよという命令をするのも、神様がいるという証拠です。その次に何ですか? 夫婦生活をせよと言いましたか、独身生活をせよと言いましたか? 独身生活をせよと言ったのです。どうしてでしょうか? 人類の父母となり得る方が、まだ結婚式を挙げていないからです。 アダム以降、堕落していない生殖器が、真の愛を中心として神様と共に一つとなって、血統と生命を連結する本拠地となり、本宮とならなければなりません。これが本然の愛の王宮です。愛の王宮なのです。生殖器がそのようなものであるということが分かりましたか? 生殖器が本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮であり、本然の血統の本宮なのです。ここを通じなければ、個人も国も生まれることができませんから、否定しようのない事実です。ところが、愛の本宮において、愛の種・生命の種・血統の種……、神様と直系の関係を結べる因縁がなく、これが妖しく邪悪なものとなって、天地をひっくり返したのです。最も悪いものとなってしまったのです。ところが、偉い人たちは浮気をし、ありとあらゆることをしでかしていますね? 天国には行くことができません。 私がこのような道を究め、霊界に入ってのぞいてみた結果、事実というものを知るようになりました。「うわあ! 知らなければ良かった」と思う時がどれほどあるか分かりますか? 行ってみると幾重にも連なる高い山々です。個人的な壁がこれほどであれば、家庭的な壁はもっと高く、氏族の壁はもっと高く、民族の壁はもっと高く、国家の壁はもっと高く、世界の壁はもっと高く、天地の壁はもっと高かったのです。ところが、神様はその頂上に行かれて、指揮を取ることができません。遠くにある山の麓で、囹圄の身となっているのです。愛をサタンによって奪われたがゆえに、囹圄の暮らし、包囲された獄中の暮らしをしているのです。 ですから、そのようなところに行って文総裁が喜んだと思いますか? その神様にすがる私を見たとき、神様がどれほど喜ばれたことか皆さんは知りません。そのようなことを話しても、狂人のように思われるので話しません。すべてをかき回して探し求めてみたところ、真の父母の歴史がこのようになったということを、すべて理論的に体系づけなければなりません。 真の父母は、旧約時代に求めてきたメシヤ、新約時代に求めてきたメシヤ、成約時代に求めてきたメシヤです。成約時代は侍ることのできるメシヤです! 侍るだけですか? 会いたいメシヤであると同時に、知っているメシヤです。では、会いたいメシヤに会いましたか? その次はどうですか? 別れるためのメシヤですか、一緒に暮らしたいメシヤですか? 一緒に暮らしたいメシヤなのです。 ご覧なさい。真の父母という言葉は、真の王という言葉にもなります。真の王にもなり、真のおじいさんにもなり、その次は何ですか? 真の父にもなり、真の夫にもなり、真の兄にもなるのです。ところが、エデンでエバがある日、愛の失敗によって……。それを知らなければなりません!男女関係がどれほど怖ろしいかという事実! あっという間に関係を結んで、天地がひっくり返ってしまったのです。 宇宙を創造した神様、全能の大宇宙の主人が、億千万世にわたって、嘆きながら今まで閉じ込められてきたのです。旧約時代、新約時代にどれほど血を流してきたことでしょうか? 万物の血を流させ、息子と娘の血を流させ、父母にまで血を流させ、すべてを血だらけにしてきた歴史なのです。 では、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛、偽りの愛のせいです! 女性たちは雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性たちは再臨主の妹なのです! 妹が裂かれながら受難の歴史を歩んできたのです。ですから、エバに代わって真の妹にならなければなりません。成長してからは真の妻にならなければなりません。妻になれませんでした! 真の母になれず、真の祖母になれませんでした! そのような立場に立とうとすれば……、最も幼い赤ん坊のように妹の立場に立とうとすれば、すべての女性たちは先生に従い、勝手に男性を導いてきた立場を離れて、絶対服従し得る女性の道を行かなければなりません。そうでなくしては、生きる道がないのです。ですから、女性という動物は、文先生を欽慕しなければなりません。分かりましたか? それで、何をするのですか? 誤った妹を、神の愛を受けられる妹にしなければなりません。神の愛と一体となれる妻を養成しなければなりません。その次に、真の母となれる伝統をつくらなければならないのです。 今日、訓読したみ言は何ですか? このみ言は、統一教会が出発してから十七年目に語ったものであり、人類の人口が三十億のとき、六十年代に語ったものです。ずいぶん詳しく語ってあるのです。夢にも思わないような話を、そのときに先生は語ったのです。その時の先生は生死の境、生きるか死ぬかの瀬戸際で、私がたとえ死んだとしても、み言だけでも残さなければ、という死ぬか生きるかの境地で語ったものなのです。そのような事実をこの民族は知らなければなりません。 このみ言が現れることによって、先生が死んだとしても、このみ言は世界を征服しても余りあるのです。そのような方に仕えている民族は……。イスラエル民族ではありません。 再び来られるメシヤは、完成した世界、平和の天国を準備するために来られる父です。そのような父母を殺し、追い出した立場に立って、その罪を何をもって蕩減することができるでしょうか? ですから先生は、韓国において責任を取るまでは、公式席上に現れませんでした。羅長老、朴長老と、大騒ぎをしていましたが、羅長老や朴長老が問題ではありません。私が現れなかったのです。怨讐たちが多いので現れませんでした。それでアメリカに行って……。今や先生がみ言を語ったとおりに、全世界が包囲され、韓国も包囲されました。 エバが第一アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。それによって、イスラエルが全世界に流浪する孤客となりながら、血肉を、血をどれほど流したことでしょう。民族の恨をすべて背負いこんで、全世界の人類は馬の蹄に踏まれて死に、銃で撃たれて死に、すべてが政治の風、経済の風に追い込まれていったのです……。六百万人まで虐殺されて、罪の量を償わなければならなかったのです。悲惨な民族です。その民族を私が解放しようとしたのですが、その民族が私に反対しているのです。 その後継者である、第二イスラエル圏を中心として、神様が世界の舞台を必要として勝利圏をつくろうとされ、二千年間あんなにも殉教の血を流し……世界的な版図を築いた第二次大戦の直後に、先生と一つにならなければならなかったのに……。日・独・伊が枢軸国で、米・英・仏が連合国です。天使長国家です、天使長国家。 枢軸とは中心です、中心。サタン世界が中心をもっているのです。このように、第二次大戦を中心として見るとき、連合国が枢軸国に勝つことによって、天のキリスト教文化圏が勝利基盤を……。 イギリスはエバ国家です。島国です。そして、イギリスが生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスはイギリスとも戦い、アメリカとも戦い、怨讐国家になっています。この三つが一つになって天下を統一したのです。歴史以来、キリスト教文化圏を中心として世界統一がなされたのは、一度しかありません。そののちに文先生が登場すれば、四十歳のときに天下統一ができたのです。そうなれば韓国は世界の中心国家になっていました。ところが、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成というサタン的な再臨主が現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は皆追い込まれて追放されたのです。そのように、世界の荒野に追い払われながらも、再び訪ねてくるのです。 再び訪ねてくるのに四十年が過ぎました。今や、金日成も死に、共産主義も崩壊し、アメリカも崩壊するようになっています。こういう話をしようとしたら、きりがありません。 したがって、女性たちがこれから決心しなければならないことは何でしょうか? 女性たちが最初の夫を殺し、二番目の夫を殺し、三番目に訪ねてきた夫の立場にある再臨主を殺してしまったのです。追放してしまいました。荒野に追放してしまったのです。先生は解放後に、韓民族が解放されても、一度も万歳と叫ぶことができませんでした。それゆえに統一教会では、式典において勝利的結果として万歳を唱えはじめたのです。 万歳を唱えることもできなかった男がここにいるのです。どうしてですか? 今後どうなるか知っているからです。共産主義が乱舞する時が始まるということを知っていたからなのです。これらは、原理が分かれば、今ではすべて分かる話なのです。 ですから、三番目もエバが、女性が先生を蹴っ飛ばしてしまいました。キリスト教であるエバ国家、新婦国家、世界版図が先生を追放しました。それで四十年荒野路程を経て、再度上陸し、四十年間……。実際は、その時、一九四五年から一九五二年までの七年間で、世界の祝福家庭の完結を標準としていたのです。 今やその時が来ました、その時が。三億六千万双の祝福完結……。今年の標語が何かというと「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。 神様の新婦の座を汚したのを掃除して、新婦を迎え得る恨の歴史を、解くことができなかったという事実を知らなければなりません。それにもかかわらず、アメリカは世界を支配しようとして、「差し出せ!」と言っているのです。自慢するなというのです。「滅ぶ! 自慢するな! ワン・ネーション・アンダー・ゴッド(神のもとに一つの国家)を主張したらアメリカは滅びる! 神のもとに一つの世界を主張せよ!超越的な立場、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びゆく弟たちを援助し、助けてあげよ! 自分の血肉を削ってまでも与えてあげよ! そうすれば、アメリカは天下において永遠に滅びることはないのだ!」。私がこのような話をするといっては反対され、監獄にまでも行ってきましたが……。最近では私の世話にならなければならないということを知っているのです。 皆さんはよくご存じかと思いますが、ワシントンは世界の首都です。そこにおいて、CIA(米国中央情報局)やFBI(米国連邦捜査局)の機関長たちが全神経をとがらせて、望遠鏡で焦点を合わせているその場に立って、太鼓を打って大騒ぎをしながら、祝福結婚式を挙行したのです。皆さんは知りませんが、アメリカ国内には今、政府でない政府がもう一つあります。 そのような内外のカイン・アベル的なものがすべて、レバレンド・ムーンを消し去ろうとしたのです。裁判にかけて調査をしてみたところ、後から分かったのです。アメリカがレバレンド・ムーンを、CIAとFBIを通じて何もかも調査してみたら、ただの一つも間違ったことがないのです。窮地に追い詰めてみると、すべての罪は何もかも共産党がでっちあげたものだったのです。本が数十巻になります。韓国のあらゆる邪悪な連中が、その材料として使っていたものを、すべて返却してもらったのです。そこには韓国で誰が反対したかすべて名前が出ています。 私が今ワシントン・タイムズを動かす背後とか、世界の影響力を中心としてガンガンとみな……。何と言いましょうか、陶磁器やレンガを砕く、力のある男なのです。祖国という名が怨讐です! 私には韓国人が怨讐なのです。同じ韓国人でなかったら撲殺していたはずです。誰が同情しましたか? 今後は力で対決してくれば、私は対決します。理論戦であれば、理論で対決するつもりです。 理論では負けません。昔、世界で判定が下ったことなのです。数多くの学者や宗教人が文総裁を殺そうとして、ありとあらゆる人たちが訪ねてきました。ところが、先生につかみかかっては、すべて落ちていったのです。 「第二次大戦の参戦勇士」という言葉がありますが、召集令状を受けて戦場に向かう汽車に乗ろうとしたところ、ちょうど戦争が終わって汽車から降りた人がいたとしましょう。それでもその人のことを「出戦勇士」と言いませんか、違いますか? そのようなこともあり得るということを知らなければなりません。意味もなくここに招集したのではありません。ここに呼んであげたのに来なかった人に対しては、私は責任をもちません。しかし、来た人に対しては私が責任をもつのです。その代わり、訓読会をしなさい。一族を中心としてその下にある人たちが、み言を私のように一生懸命に訓読会をしたならば、国が生きても余りあるのです。 では皆さん、今、文総裁は世界のあらゆる基盤をもっていると思いますか? 皆さんの息子と娘を大世界化の時代の世界的な人物にしたいですか、国家的な人物にしたいですか? 国会議員だとか、長官だとか、知事に育てる自信がありますか? ないではありませんか! 私に任せなさい。訓読会をしなさい、訓読会! 三か月だけ息子や娘とやってみろというのです。そうすれば、お互いに先を争ってやろうとして喧嘩になるのです。 ですから、この民族には希望があると思うのです。私が千辛万苦、生涯にわたって積みあげてきた宝石箱をみな、この民族の前に分けてあげるのです。誰も翻訳してはならないと言いました。我が民族の前に慟哭するまでは、誰もそれを翻訳することはできません! それを知らなければなりません。 七月八日は何ですか? 昨年の陰暦の七月七日に、神様がこの地上に安息される安息圏、「天地父母安息日」を宣布したのです。七十八数にはすべて意味があるのです。そのような世界の三百六十万双ならば、サタンの血統さえもおしまいなのです。 女性たちは三時代のすべての精誠を合わせなければなりません。それは何かというと、三時代はないので、祖母・母・自分の三代が一つとなって、本然の夫を殺したという罪を謝罪しなければならないのです。 そのような時を、私がすべて解放してあげました。女性解放運動をしたのです。ですから、先生を知ることによって、真の兄を知り、真の夫を知り、真の父母を知り、真の先祖を知り、根本的な本然の人類の祖を知るようになりました。それにより、千年万年過ぎても愛する心が変わらなければ、その伝統が文化世界を創造し、アダム文化の単一文化圏、単一統一の平和世界の架け橋となるのです。アーメン! 今日、この誕生日に、本部において「成約時代」を宣布しました。時代が変わるのです。一八○度変わったのです。 旧約時代には結婚を完成することができませんでした。新約時代にも約束はしましたが失敗しました。ですから、成約時代においては結婚の理想を完結するのです。 それは、なぜでしょうか? アダムにおいて家庭がひっくり返ったので、今日、三億六千万双は、アダム家庭でひっくり返ってしまったすべてを解放する最後の祝福なのです。これを越えたのちには、アダム時代に堕落しなかった本然の父母たちが、文総裁がすべて本然の愛と、本然の生命と、本然の血統を中心として……。直系の子女たちを自ら父母として祝福することができるときが来ます。第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代を経て、第四次アダム圏時代へと越えていくのです。 これは(板書を指しながら)蕩減が必要な時です。今後は三億六千万双が終われば、蕩減の必要がない第四次アダム圏時代に入っていきます。それによって、エデンで父母が神に代わって祝福することのできる、そのような時代に入っていくので、万民すべてが、自分が祝福した一族を中心として天国へ直行する道ができるのです。 ですから、第一次アダム、第二次アダム時代には蕩減が必要であったのです。蕩減が必要ということは何かというと、サタンが残っているということです。サタンの血筋が汚した痕跡が残っているということです。サタン世界の血統を断絶することによって痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福することができる、そのような解放的な立場において、万民、人類全体の家庭が、平面図上で一挙に祝福を受けるのです。 アダムの一家庭が祝福を受けられる時代を迎え、越えていくことによって、アダム家庭が完成したそこにおいて、自らの代々の血族を中心として天国に入れる解放時代……、真の愛と真の生命と真の血統を直系的に植え付けることのできる解放時代へと入っていくのです! この時代を第四次アダム圏解放時代というのです! アーメン。 その膨大な内容が、今、二百三十三巻ですか? 三百巻を超えるのです。既に五十年前にこのような話をしたのですが、すべてが一致しているのです。どこかに行って盗んできたものではありません。原稿がなくても、話せばすべてが一致するのです、専門家なのです! そうでありながら、その都度その都度、私個人が峠を越えるときには宣布をするのです。個人が勝利したことにサタンは入れません。 家庭勝利圏宣布! サタンを断切するのです。氏族勝利圏宣布! 民族勝利圏宣布! 今後は、世界勝利圏の宣布をする天地父母安息圏を……。天宙安息、神様をお迎えしなければなりません! 旧約時代には祭物を犠牲にし、息子の来る道を準備してきたのです。イエス様が来られて息子の責任を果たし、真の父母が来られる道を準備したのです。真の父母が来られて苦労するのは、神様をお迎えするためです。ですから、「天地父母天宙安息圏」のその日を、七・八節というのです。先生の七十八回目の誕生日と関連があるのです。それを説明しようとしたら、ずいぶん長くなるのです。 そのすべてが計画的で、統計的なこの道において、相反することのない結論となっているのです。神様を囹圄の身に追いやって闘争してきたサタンに勝利するということが、どれほど大変なことか…………。サタンがどれほど知恵の王であることか……。そいつが、その野郎が、私に降参したのです。 ここに来て説教をする先生に対して、反対してきたすべての人たちを、本日、容赦する宣言をします。さて、このような良い時代が到来したのですが、最も問題となるのは何でしょうか? いかに天国に行けるその覇権を得るか、これが問題です。忘れようとしても忘れられない一つのモットーがあれば、そのモットーを中心として、つかまっていかなければならないのです。そのような内容において、今語っているのが「祝福と永生」、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 真の父母が生まれたところは、人類の祖国となり、地上天国と天上天国の出発地となり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることはなく、全盛の時代へと発展していくのです。大韓民国の民は訓読会を通して、真の父母と超国家的に一体となり、万国の勝利圏を誇る国を築けますように! アーメン! 韓国は滅びません、心配しないでください。ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで一生涯、多くの迫害過程を経てきたのは、神様が導いてこられたからです。ですから、今では世界中の政治・経済・文化人たちが、レバレンド・ムーンに焦点を合わせて注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国となり、統一世界の母国になるためには、この焦点を合わせたその場を奪われてはなりません! 奪われますか、占有しますか? 占有するという人は両手を挙げて歓迎しましょう! 神様の祝福が共にあることをお祈りします、アーメン! 祈祷 流れゆく歳月の中で、一つの存在というものは、微小な塵にも及ばないものであるということを知っております。この大宇宙の中で霊長の権利を備えたアダムとエバのその威信が、どれほど高貴なものであったかという事実を知るとき、恐れ多い限りでございます。 神様の前に、本然の父母の前に、威信と体面を立てることができず……、理想的な家庭で願われる孝子の道理、理想的な国で願われる忠臣の道理、理想的な世界で願われる聖人の道理、理想的な地上・天上天国の完結を願われる神様の前に聖子の道理を望み……、聖子の権威を備えたその場において全宇宙を引き継がせたいという、神様の尊く大いなるみ旨があるということを、統一教会の群れはよく知っております。「私」と言うとき、大韓民国の私ではなく、全宇宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者であると自覚することのできる意識的な存在の権限が付与されたこと……、神様の愛で召されて立てられ、真の父母によって訓練を受けることによって、天の座まで考え得る存在性を備えられたことだけでも、感謝してやまないのでございます。私たちが判別していくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実……、絶対愛の個人基準と、絶対愛の家庭基準と、絶対愛の氏族基準と、絶対愛の民族・国家・世界・天宙・神様まで連結された基準が、一つの家庭圏内で結束し、これが発生、成長、完成していくということを誰も知りませんでした。今や統一教会の群れが、原理のみ言を通して、真のご父母様の教訓の訓読された内容を通して、そのような立場を備えられるようになりましたことを、心から感謝申し上げます。 お父様……、私は今、祖国という韓国の地を忘れることができず、再び訪ねてまいりました。来てみたところ、形容しがたい状況をあなたはご存じで、仕方なく訓読を通して心情的な基台を一つにまとめ……、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国にでも行って暮らさなければならない、永遠な因縁のある祖国であるがゆえに、訪ねてきて訓読大会を始めました。 今日、ご父母様の聖誕を、全世界各国の国家的メシヤたちが祝賀するために集まりました。この場に共に参与することのできる、民族的な指導者や有志の団体の代表者たちを集めて、天が教え、天が苦労して得られた実績的な基盤、栄光なる勝利的な覇権の立場を継承させるために訓読会を開きながら……、このすべての成約のみ言、成約時代の大転換時代を迎え、天の解放的な選民権をもっていなくても、誰でも選民権をもった立場に立ち、選民たちの先祖を通して地上と天上世界の大歴史時代を克服し、すべての先祖が真の父母と一つになることによって、イスラエル圏に代わって一族で上下に連結し得る解放圏を備え、万民祝福時代を迎えられるようにしてくださった恵みに感謝申し上げます。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受けられる子女となることを願いながら……、三億六千万双という神聖なるみ旨に対して挙国的な心情を一つにし、七千万民族の解放が万世に輝くことができ、祖国の伝統的精神を万国に植えることができ、各自が自省して責任を負って世界に広がっていくことのできる祝福のみ旨を、各自が受けもつことを許諾してくださいますよう切にお願い申し上げます。 今日、七十八回、五十五回を迎えるこのご父母様の祝福聖誕の行事を通して、万国の祝福、天の祝福が、今日の訓読会を通して賜る恵みが、ここに集まった百八十五か国の指導者と共に、その国と人類全体に及ぶことを切に願い、全体・全般・全権・全能の歴史を備えて万国解放の世界へと前進できることを願いながら、真の父母のみ名によって宣布しながらお祈り致します。アーメン。 祈祷後のみ言 訓読会をするとき、質問したいことが多いと思います。ですから今後、統一教会の道の責任者、郡の責任者、面の責任者たちが、すべての質問に答え、難しい問題を解決する連帯関係を結ぶために、ここにいる統一教会の責任者たちが、前に立って進行していくのです。今、皆さんが訓読会をすることは、今後、歴史的な宝物になることでしょう。 先生が真の父母であるという事実、この宇宙と歴史的な全人類が、それを願うようになるときには、この一冊がどれほどの価値があるか分かるようになって、これが宝物になるのです。億千万のお金を積んでも引き替えることのできない、貴いものであるということを知って、皆さんはすべての人たちに、このみ言を伝えなければなりません。訓読することによって、自分の一族、自分の親戚、金氏ならば金氏一族の前に、朴氏ならば朴氏一族の前に伝えるのです。そうすれば天の恵みを受けるのです。 先生が苦労してきた数十年の歴史の核心的な内容を、すべてを選んで語ったので、小学校を出た人であれば、誰でも理解することができるのです。挙国的な訓読会は、挙国的な解放、挙国的な栄光、挙国的な繁栄の世界へと進展するのです。 訓読会を無心にしなさい。これから先生は世界的な訓読会をするために出発しなければなりません。信仰の祖国である韓民族が訓読大会をしたということは、歴史的な事として残さなければならないのです。ここに集まった聴衆たちにも恩恵を与えるために、一冊ずつ分け与えてあげるのです。(二九〇-九、九八年二月二日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.24
コメント(0)
「真のご父母様ご聖誕祝賀と成約の御言伝授式」における御言1998年2月2日(陰暦1月6日)中央修練院 神様の悲痛な事情(このみ言は、『真の父母』が拝読されたのちに語られたものです) このみ言は、レバレンド・ムーンの構想から出た話ではありません。個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、世界完成、地上の天国と天上の天国、神様の解放圈までの膨大な内容になっています。このような話は、今までのどのような教材にもありません。 今後も、これ以上の内容の教材はないと思います。ですから、これがすべての歴史を動かすことができる教材になると思います。 堕落により、神様はアダム家庭を失ってしまいました。アダム家庭が死んでしまったのです。これはだれのせいでしょうか? 女性のせいです。女性たちは、このことを知らなければなりません。 最初の夫になり、宇宙の主人になることができ、国の主人、家庭の主人、自分の夫になることのできる男性を、女性は堕落させたのです。堕落させたというのは、殺したということです。 悪魔とは何かと言えば、サタンを指します。そのサタンとは何かと言えば、神様の愛の姦夫です。姦夫に蹂躙されることによって、姦夫の愛によって連結されたので、神様が手をつけることができません。干渉できないのです。皆さんは、このことを知らなければなりません。 全能な神様が、なぜアダム・エバが堕落するときに干渉することができなかったのかといえば、姦夫に侵犯されたことを、神様はどうこう言える立場ではなかったからです。たたき殺すとか、自分の視界に入らないようにするとかする前に、相対することができなかったのです。 愛の概念を持ち、真の愛を持った夫が、結婚する前日に真なる妻が怨讐に奪われて貞操を蹂躙されたとき、その夫は自分の妻だからといって、保護することができるでしょうか、できないでしょうか? それゆえ皆さんは、女性のエバが、アダムを殺したということを知らなければならないのです。家庭で殺してしまったので、神様の威信上、家庭で復帰することはできません。国をつくり、国で勝たなければ、神様が威信を立てることができないのです。そうして、国で勝つことのできる場を築いたのが、旧約時代です。 この約束という言葉は、どのような言葉でしょうか? 人類の最初の先祖となるアダムとエバは、神様の真の愛を中心として一つになることができませんでした。 真なる家庭理想を描いていたのが、創造理想であるにもかかわらず、血統が変わることによって、すべてが怨讐の懐に入っていってしまったのです。そのため、結婚式ができなかったということを知らなければなりません。 ここに来た人の中で、一人息子と一人娘が殺された人がいたならば、その人は恨の心情に燃えて、一生涯その日を忘れることができないでしょう。 アダムとエバは、何代の一人子ですか? 億万代の一人息子・一人娘です。そのアダムとエバを失ってしまった神様の心が、どれほどのものであったかしれません。それを訪ねてこられる神様の悲痛な事情を、だれも分かりませんでした。 アジアにおいて、五千年歴史の呻吟と苦痛と迫害と侵略の限りを受けたかわいそうな韓民族を、神様が同情されたのです。このように、多くの血涙を流すような歴史の嘆きの訴えが、韓民族の歴史の中には残っています。 三千里半島(韓半島)には、九百三十二回の侵略を受けた歴史的な恨があります。民族が裂かれ、どれほど踏みにじられてきたことでしょうか? 恨の神様が、恨めしい国を捜してみると、韓国を考えざるを得なかったのです。かわいそうな人が、かわいそうなものに同情するのと同じです。そのような立場に立ったのが、韓民族なのです。 神様の絶対的な愛の道 エバによって、アダムが死にました。最初の息子が死んだのです。神様が家庭で失ってしまったので、神様が取り戻す際には、威信上、国家で取り戻さなければなりません。 国家で捜すためには、ただ捜すのではありません。国家基準をつくろうとするので、選民思想が現れるのです。神様が必要とする個人、神様が必要とする家庭、氏族、民族、国家という形態を中心として、ヤコブ以後、二千年の受難の道を行きました。複雑な道を歩んできたのです。 皆さんが、神様の苦労を知るようになるときは、ひざまずいて、腹ばいになりながら慟哭するのが問題ではありません。どれほどの痛みをもって悔い改めたとしても、許されない罪人であるということを発見しなければならないのです。 悲嘆に暮れられた神様を知らなければなりません。そのようになったのは、神様が過ったからではありません。子女が過ったのです。 神様は、子女をなぜ、必要とするのでしょうか? 愛の理想を成し遂げるために必要なのです。愛は独りで築くことはできません。皆さんは皆、愛を持っていますか? 生命を持っていますか? 良心を持っていますか? ここでは、一平方センチメートルに一気圧が均衡的に押しています。ここでバランスが取れているので、感じられないのです。 皆さん、目がまばたきする回数を数えてみたことがありますか? 数えてみれば、三時間もしないうちに忘れてしまいます。息をする回数を、数えてみたことがありますか? なぜ、感じることができないのでしょうか? 右手を左側の胸につければ鼓動を感じます。鼓動の音を聞いてみたことがありますか? 鼓動の音を聴診器で聞けば、爆弾が落ちるよりも、もっと大きい音が聞こえます。 小さな蠅が現れて、わずかに動いただけでも分かるのに、その何百倍の爆弾が落ちるような音を感じて、暮らしているでしょうか? 数か月、半年、忙しいときには、何十年たっても感じることができないのです。なぜ、感じることができないのでしょうか? 一つになっているからです。 それでは、神様がどこにおられるのでしょうか? 神様は愛の根、生命の根、血統の根、良心の根です。神様は根なので、深い所におられるのです。 皆さんは、男性、女性として愛を持っています。男性が女性を必要とし、愛の対象を慕うので、美男子の前に醜女が現れても、愛の心が芽生えるのです。 愛が激動し、生命が激動し、血が沸騰するのです。そのようなものを皆、感じたことはありませんか? 未婚のときに、恋愛して男性と女性が会うときに、何が熱くなるのでしょうか? 胸がドキドキします。しませんか? (「します」) 地方から来た人は、両班(=高麗、李朝時代の特権的な身分階層)の家から来たという人がいるかもしれませんが、その両班とは何でしょうか? 愛を感じることのできない人が、どうして両班になることができるでしょうか? 愛を知らない人が、どのようにして主人になり、夫になるのでしょうか? 率直な話です。 美男子の前に美女が現れれば、雷、稲妻よりももっと恐ろしい衝撃が起きます。それゆえ、男性と女性は注意しなければなりません。 愛は、神様の絶対愛の道を訪ねていきます。絶対的というのは、二つについて言う言葉でしょうか、一つについて言う言葉でしょうか? (「一つについて言う言葉です」)。絶対的という言葉は、一つについて言う言葉なのです。 それでは、男性の愛と女性の愛が願う、すべての理想的な女性、理想的な男性がいるとき、絶対的な愛を願う際に、その愛は二つでしょうか、一つでしょうか? (「一つです」)。それは瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。もう一度言ってみてください。瞬間でしょうか、永遠でしょうか? (「永遠です」)。永遠です。 心と体の闘争歴史 ところで、アダムとエバの堕落は、青少年の時に節操を失ってしまったことです。青少年の淪落です。人類歴史の最初に堕落の種が蒔かれたので、家庭が引っ繰り返り、家庭破綻が起こったのです。 引っ繰り返したものを、神様はどのようにされるでしょうか? これを正すためには、どこから正さなければならないのでしょうか? 頂上は、サタンがすべて握っています。 ですから、アダムとエバからはできません。下の弟を通してひっくり返すのです。聖書に長子と次子の話がありますが、神様が次子を愛された理由を、クリスチャンは何も知らないでいるのです。 本来、神様が人間の主人であられるということは、サタンも知っています。愛するようになれば、必ず血統を占領することができ、生命を占領することができ、愛を占領することができます。 それゆえ、サタンの愛によって、サタンの生命とサタンの血統が連結されているので、完全に引っ繰り返るのです。では、神様が復帰しようとすれば、どのようになさるのでしょうか? サタンは、本来の主人が自分でないことは分かります。本来の主人の立場は中心であり、自分は無理やり強制的に、相対的な立場に立っているのです。良心が絶対的プラスなのにもかかわらず、反対的立場の肉身を中心としたプラス・ダッシュ(′+)が生じたのです。これが反発するのです。 このようにして、心と体が闘うのです。皆さんは、心と体の闘争歴史から逃れることはできない人間であるということを知らなければなりません。ですから皆、大きなことを言ってはいけません。 人類始祖から今まで、恨み多い歴史をつづって、曲折の事由(事情)をつくり、混乱した家庭、社会、歴史をつづってきたのは、心と体の闘争歴史によるものであったという事実を知らなければなりません。この闘いを、だれが停止させることができるのでしょうか? 本来、堕落しなかったならば、心が絶対的プラスであり、体が絶対的マイナスとして、自動的に愛の中で一つになることができるのです。この肉身の愛に根を下ろして、愛のプラス・ダッシュとなったので、闘争歴史が始まったのです。 これを完全に解消しなければ、統一はありません。それゆえ、宗教は肉身打倒運動をしたのです。「柔和、謙遜でいなさい」「降りていきなさい」と言うのです。サタンは驕慢で上がっていくので、降りるように言うのです。百八十度、反対です。「犠牲になり、奉仕しなさい」と言うのです。 ここに、地方にいる官吏が来ているかもしれません。自分の権威を打ち立てて、「私の言うことを聞きなさい」と言うのです。堂々としているのです。堕落した世界であるということを知らずにいるのです。 そのように、今まで皆さんは、日常生活をする際に、体が心を引っ張り回しながら暮らしましたか、心が体を引っ張り回しながら暮らしましたか? これが問題です。 体が心を引っ張り回すのは、なぜでしょうか? 堕落のために、このことが分かりませんでした。堕落が分からない人は、救いが分かりません。どこで病気にかかったのか分からない人は、何の治療も受けようとはしません。 最近、癌のようなものも、三、四年過ぎるまで分からずに平然としていたのち、死んでしまうのです。今日、人間が堕落することによって、人間は自然刑務所にいるというのです。 サタンが絞首台を持って、人間を目の前で架けようと待っているのに、それが分からずに生きているのです。堕落の深刻さを知ってはじめて、悔い改めと解放の深刻さを知ることができます。 人間の堕落以後の神様の痛い心情を知れば知るほど、人間は神様に同情せざるを得ないのです。そのかたを知ってみれば、私たちの父母です。 そのような父母の前に、今日の宗教人が祈祷しているのは、「神様、私の困難を引き受けてください。あなただけがすべて責任を負って、許してください」と言いながら、全部、福を受けようとする者が多いのです。 牢獄の身の神様 私たち統一教会員は、そのような祈祷はしません。神様を解放し、父母を解放し、国を解放し、世界を解放しようと祈るのです。自分を中心として祈る者になることはできないのです。 ですから、世の中が反対するのです。宗教の世界は、出家を命令します。なぜ、出家をしなければならないのでしょうか? 天地を否定し、世界を否定し、自分の国を否定し、自分の民族、自分の氏族、家庭を否定し、それから、おじいさん・おばあさんを否定し、父母を否定し、夫婦同士、否定しなければなりません。そして、子女を否定しなければならないのです。 すべて、なくしてしまわなければなりません。ですから、出家を命令するのです。零の立場に返らなければなりません。 青写真によって、工場で生産していたすべてのものが故障したので、新しい青写真から生産しなければならないのです。救援摂理は、再創造摂理です。 ですから、エバ国家が必要です。エバが再び生んであげなければなりません。イスラエル民族を中心として、選民圈を立てました。選民圈を立てたということは、神様がおられるという証拠です。 また、宗教において、「出家しなさい」という命令を下すのも、神様がおられる証拠です。それから、宗教では夫婦生活をするようにと言いますか、独身生活をするようにと言いますか? (「独身生活です」)。独身生活です! なぜでしょうか? 人類の父母になるおかたが、結婚式ができなかったので、堕落人間が結婚式をすることはできなかったのです。 アダムとエバの生殖器が、真なる愛を中心として神様とともに一つになって、血統と生命によって連結させるべき本拠地となり、本宮にならなければならないのです。 これは、本然の愛の王宮です。分かりますか? 愛の王宮は、どこのことですか? (「生殖器です」)。生殖器をそのように考えたでしょうか? 生殖器は、本然の愛の本宮です。本然の生命の本宮です。本然の血統の本宮です。ここを通さなければ、個人も生まれることができず、国も生まれることができないのです。このことは、否定することができません。 愛の本宮で、神様と直系の関係を結ぶことができる因縁がないので、めちゃくちゃとなり、この天地を引っ繰り返したのです。 いちばん悪いものになりました。そして、優れているという人が浮気をし、ありとあらゆる酒杯のやりとりをしたのです。皆、天国に行けません。 私がこのような道を求めるために、霊界に入って捜して、このような事実を知ってみると、「ああ、知らなければよかった」と思うときが、どれくらいあったかしれません。 幾重にも重なった山のようです。個人的塀よりも、家庭の塀はもっと高く、氏族の塀はさらに高く、民族、国家、世界の塀はさらに高く、また、天地の塀はさらに高く、神様を解放しようとすれば、さらに高い塀を越えなければなりません。 その神様が、頂上におられながら指揮することはできません。はるか遠くの山の麓で、牢獄の身となっています。愛ゆえにサタンに包囲されて、牢獄の身となって監獄暮らしをしておられるのです。 では、そのような所に行って文総裁が喜ぶでしょうか? 私が神様にお会いしたとき、神様がどれほど喜ばれたのか皆さんは分かりません。そのような話をしたところで、気が変になったように思われるので話しません。 ぐったりとして歩き回りながら、全部、捜し求めてみたので、真の父母の歴史がこのようになっているということを、理論的に体系化しなければなりません。 理論的に体系を定めて、どのような賢い人でも否定できないようにして、これに触れれば感動して従わざるを得ないように内容を備えて、初めて地から出発するのです。 百八十度、反対の道です。個人をすべて否定しなければなりません。家庭、国家と世界をすべて否定しなければならないのです。 否定的な歴史を個人から歴史世界、天地を創造した神様の理想まで、乗り越えなければならないのです。ですから、文総裁は反対されるようになっています。 女性時代の到来 韓国が四十年間、反対しました。文総裁がいなくなったといって喜びましたが、世界がすべて明るくなりました。いちばん暗い所が、韓国です。西欧社会では次のように言います。 キリスト教であれ、宗教を信じる人は、「イエス様が人として来るならば、レバレンド・ムーンが間違いなくメシヤだ」と言っているのです。(「アーメン! )拍手してください。(拍手) さて、旧約時代も願ったメシヤ、新約時代も願ったメシヤ、成約時代も願ったメシヤです。成約時代は、メシヤに侍ることができるのです。 侍ることだけでしょうか? 会いたいメシヤであると同時に、知ることのできるメシヤです。 その次は、どのようになるのでしょうか? 別れるためのメシヤですか、共に生きたいメシヤでしょうか? (「共に生きたいメシヤです」)。メシヤの相対になることのできる資格者になりましたか? 共に生きようと言うのなら、大変なことです。 女性は、文総裁のことを夢に見るほど、慕ってきたのです。なぜでしょうか? 真の父母という言葉は、真なる王という言葉にもなります。 真なる王にもなり、真なるおじいさんにもなり、真なるお父さんにもなり、真なる夫にもなり、真なるお兄さんにもなるのです。そうですか、そうではありませんか? (「そのとおりです」) エデンの園で、エバが一日の愛の失敗によって堕落しました。男女関係が、どれくらい恐ろしいかということを知らなければなりません。 一瞬の関係を結んだことが、天地を引っ繰り返しました。宇宙を創造された全能の主人であられる神様が、億千万歳を経て嘆息し、今まで囚われているのです。 旧約時代、新約時代に、どれほど血を流してきたことでしょうか? 万物に血を流させ、子女に血を流させ、父母にまで血を流させて役事をしましたが、それは何のせいでしょうか? 偽りの愛のためです。 女性たちは、雷に打たれなければなりません。来られる再臨主は、アダムとして来られるので、女性は妹なのです。再臨主の前に妹の立場に立つ女性たちが犠牲になることによって、歴史を蕩減しているのです。それを取り戻して、何をしようと言うのでしょうか? エバが真なる妹になれなかったので、真なる妹にならなければなりません。いちばん幼い赤ん坊のように、妹の立場に返ろうとするので、すべての女性は先生に従ってくるのです。 自分勝手に、男性を主導していた立場ではありません。絶対的に従順になることのできる女性の道に従っていかなければ、生きるべき道がないので、女性は文先生を崇めたてまつり、従ってこなければならないということが理解できたでしょうか? そのようにして、何をするのでしょうか? 過った妹を、神様の愛を受けることのできる妹にするのです。神様の愛と、一体化することのできる妻にしなければなりません。そのような妻を養成しなければならないのです。それから、真の母になることのできる伝統をつくってあげなければなりません。 私が女性のために、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? また、合同結婚式ゆえに、どれほど悪口をたくさん言われたでしょうか? いちばん愛する人たちを、父母に相談もせずに結婚させてあげたので、悪口を言われたのです。 サタン世界は、悪口を言うようになっています。その悪口が悪いものではありません。天的に見るとき、私を条件に引っかけることのできる何の条件もありません。サタン自体も、私を条件にかけることはできません。 正義の立場で仕事を遂行してきたのですから、反対する人たちはどのようになるでしょうか? サタンも讒訴することができず、神様も讒訴することはできません。讒訴されない世の中で、反対する人は全部、讒訴条件に引っかかるのです。後になって全部、屈伏しなければなりません。 五十億人類だとすれば、二十五億の女性たちを全員、先生が教育して、二十五億の男性たちを再び救ってあげなければならないのです。 堕落は、エバが引っ張って地獄に行きましたが、真の父母の愛を中心として、反対にエバを引っ張ってこなければなりません。それゆえ、女性時代が来るのです。 女性は、自分の夫の秘密をすべて知っています。韓国で祝福家庭が、六百五十万双を超えたのです。もはや、祝福を受ける人がいません。今後、女性が全部一つになれば、野党、与党がなくなります。 三億六千万双の祝福完成の時 きょう訓読したこのみ言は、六〇年代に語った内容があります。そのとき人類は、三十億ほどでした。夢のような話を、そのとき話したのです。 そのとき、私がもし死ぬとすれば、み言を残して逝かなければならないと思って、生死の境で語った事実をこの民族が知らなければなりません。 このみ言があることによって、私が死んでもこのみ言によって、世界を収拾することができるのです。そのようなおかたを迎えることができなかった民族の怨恨と民族の恨は、どれほどのものでしょうか? イスラエル民族の比ではありません。そのかたは、完成した世界平和の天国を準備するために来られる親です。 そのような真の父母を、殺そうと追い出した立場にあったならば、その罪を何によって蕩減するのでしょうか? それゆえ、先生は韓国において責任を果たすまでは、公の席に現れなかったのです。 ですから、アメリカに行って、先生がみ言を中心として成し遂げたのです。もはや、全世界が韓国を包囲しています。 第一次アダムを殺し、第二次アダムを殺しました。そうすることによって、イスラエルが全世界で流浪しながら、血をどれくらい流したでしょうか? 民族の恨を全部しょい込んだので、馬蹄に踏まれて死に、銃口によって死に、政治、経済の勢いに追われながら、六百万人まで虐殺されながら罪を埋めてきたのです。悲惨な民族です。 その民族を私が解放してあげようとするのですが、その民族が私に反対しています。第二イスラエル圈を中心として二千年間、殉教の血を流して世界的版図を築いた第二次世界大戦直後に、先生と一つにならなければならないのにもかかわらず、そのようになれなかったのです。 英・米・仏が連合国です。それは天使長国家です。日本がなぜ枢軸国なのでしょうか? 枢軸とは、中心という意味です。サタン世界が、中心を持っているということです。第二次世界大戦では、キリスト教文化圏が勝利しました。 そのとき、英国がエバ国家でした。英国は島国です。英国が生んだのがアメリカです。これがアベル国家です。フランスは英国とも戦い、アメリカとも戦いました。怨讐国家です。この三つが一つになって、天下を統一したのです。 歴史以来、世界を統一したのは、キリスト教文化圏を中心として一度しかありません。その上に、文先生が登場したならば、四十歳で神様を中心として天下を統一したのです。韓国は、心情的に世界の主体国になったのです。 しかし、韓国のキリスト教徒が反対することによって、金日成がサタン的再臨主として現れ、北側の先生の故郷を占領し、南側は全部追われていくのです。 先生は追放されて、世界の荒野に追い出されて再び訪ねてくるのです。再び訪ねてくるのに、四十年かかったのです。金日成も亡くなり、共産主義も倒れ、アメリカも倒れるようになっています。このような話をしようとすれば、切りがありません。 女性は、一番目の夫を殺してしまい、その次に、二番目の夫を殺してしまいました。三番目に訪ねてくる夫は、再臨主です。その再臨主も殺してしまいました。荒野に追放してしまったのです。 第二次世界大戦による解放後、私たち韓民族は万歳を叫んだのですが、私は万歳を一度も叫びませんでした。ですから、統一教会は祝典の勝利的結果を中心として万歳を叫んでいます。 なぜ、万歳を叫ばなかったのでしょうか? 将来、どのようになるかということを知っていたからです。共産主義が乱舞するかもしれないということを知っていたのです。 このようなすべてのことは、原理が分かればすべて分かるのです。ですから、エバの立場の女性が、三番目の夫の立場である先生を殺したのです。キリスト教新婦国家が、先生を追放したのです。 このようにして、四十年間の荒野路程を復帰してきたのです。一九四五年から一九五二年までの七年間は、世界祝福家庭完結を標準としたのです。今、その時がやってきました。三億六千万双の祝福完成です。 今年の標語が何かと言えば、「真の神様を絶対に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。(「アーメン」)。(拍手) 国を生かす「訓読会」 神様の新婦として、迎えて侍ることのできる恨の歴史が解けなかったという事実を知らなければなりません。「アメリカは世界を支配する」と言って、自分の国を誇ってはいけないのです。 誇っていては滅びます。「神様の下の一つの国」を主唱するアメリカは滅びます。「神様の下の一つの世界」を主張しなければなりません。 アメリカは、平和世界を忘却しています。民族を超えた立場で、父母の心情を代身した兄の立場に立って、滅びていく弟たちを援助し、救ってあげなければならないのです。自分の血肉まで削って、与えなければならないのです。そのようにしなければ、アメリカは滅びるのです。 私がこのような話をするので、アメリカで反対されて監獄まで行ってきたのです。最近になってからは、私のお世話にならなければならないということを知っています。 今回のワシントンの大会(四千万組世界祝福式)について、皆さんは考えなければなりません。ワシントンが何かと言えば、世界の首都の立場です。そこでCIA(米中央情報局)、FBI(米連邦捜査局)が調査するその場で、祝福結婚をしたのです。皆さんは知りませんが、アメリカ内で今現在、政府ならぬ政府がほかにもあるのです。 レバレンド・ムーンを消してしまおうとしたのに、CIA、FBIを通して全部調査してみると、一つも間違ったことがありません。コーナーに追い込んでみると、追い込んだすべての材料は、共産党がつくったものです。本にして数十冊になるでしょう。ありとあらゆる韓国の妖しげな連中を、全部動員してつくったのです。 その材料として使ったものを、私がすべて持っているのです。韓国のだれが反対したのか、名前がすべて出ました。 かわいそうな韓国、祖国という名前が怨讐です。ですから、韓国人は怨讐です。先生が同情しなければ、めちゃくちゃになったはずです。 力で対決しようと言うなら、私が対決します。理論で対決しようと言うなら、私が理論で対決するのです。理論で対決しても、私にかないません。世界ですべて判定が出たのです。数多くの学者、数多くの宗教人が、文総裁をたたきのめそうとして、多くの人が訪ねてこなかったと思いますか? 韓国人は、文総裁を誇るに値しますか、誇るに値しませんか? (拍手)(「誇るに値します」)。誇るに値しますか、値しませんか? (「誇るに値します」)。もう一度、言ってみてください。誇るに値します! (「誇るに値します! )。ありがとうございます。 皆さんが故郷に帰った後に、私がここに参加した人の家を訪ねていけば、昼食や夕食でも、ごちそうしてくれなければなりません。あちらのいすに、聖なるかたたちが座っています。ごちそうしてくれますか、してくれませんか? 鶏を買ってくるとか、孫の婿が来るとか、婿が来るとか、嫁が来るとか、息子・娘の義理の親がやってきた以上に、もてなさなければならないということを知らなければなりません。それだけは知って帰ってほしいのです。そうすれば、一族が滅びません。福を受けます。 第二次世界大戦に、令状をもらって汽車に乗ろうとして乗らずに降りた人も、出戦の勇士ですか、勇士ではありませんか?(「勇士です」)。(笑い) そのようになる可能性があるということを知らなければなりません。むやみに呼んだのではないのです。今回、呼びましたが、来なかった人は私が責任を持ちません。自分が責任を持つのです。 その代わりに「訓読会」をしてください。一族を中心として旗下にいる人は、私とともにこのように「訓読会」をするときに、国が生きて余りあるのです。 今、文総裁は世界的基盤をすべて持っています。皆さんの子女を、世界化時代に世界的人物にしたいですか、国家的人物にしたいですか? 国会議員であれ、長官であれ、道知事であれ、そのような人物にする自信がありますか? 私に任せてほしいのです。 「訓読会」を三か月間だけでもしてみてください。息子・娘が、お互いに「訓読会」をすると言って、けんかをするのです。そのようになれば、民族に希望があります。私が辛苦に耐えながら、生涯、獲得してきたすべての宝箱を提供してあげようとしているのです。これは翻訳をしないように、と言いました。 きょうの誕生日を中心として、このようなことを話すのです。きょうは、七十八回目の誕生日です。「七・八節」は何かと言えば、神様がこの地上に安息される「天地父母天宙安息圏」を宣布した日です。ですから、七十八数は因縁があります。 参席した人は、み言を持ってみ言と一つになれば、天が協助できる圏内に入るのです。 女性は三時代に、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。この話は何かと言えば、おばあさんから、お母さん、自分までの三代が一つになって、本然の夫を殺した罪を謝罪しなければならないということです。そうして、女性の解放が成されるのです。 それゆえ、先生を知ることによって、真なる兄、真なる夫を知るようになり、真なる人類の先祖を知ることができるのです。 千年万年過ぎても、愛する心が変わらないで、初めてその伝統が文化世界を創造し、アダム単一文化圏、単一・統一の平和世界の橋となるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 「成約時代宣布」 「成約時代宣布」。(板書される)きょう、誕生日に本部で成約時代を宣布しました。時代が変わるのです。百八十度、反対になったのです。旧約時代は、結婚を完成できませんでした。新約時代は、約束したことを失敗しました。 今、成約時代において結婚理想を完結するのです。三億六千万双は、アダム家庭が引っ繰り返ったのを解放する最後の祝福です。 文総裁が、本然の愛と本然の生命と本然の血統を中心として、直系の子女を自分が父母として祝福することのできる時代が来ます。 ですから、第一次アダム時代、第二次アダム時代、第三次アダム時代から、第四次アダム時代へと移っていくのです。第三次アダム時代までは、蕩減が必要な時です。三億六千万双が終われば、蕩減が必要ない第四次アダム圏時代に入ります。 そうすることによって、自分の父母が神様の代わりに祝福できる時代に入るので、万民すべてが自分が祝福した一族を中心として、天国直行の道が生まれるのです。 第一次、第二次アダム圏時代は、蕩減が必要です。蕩減が必要な理由は何かと言えば、サタンが残っているからです。サタンの血統、汚された痕跡が残っているということです。 サタン世界の血統を断切することによって、痕跡が完全になくなったので、エデンの園で祝福できる解放的場で、万民、人類全体の家庭が平面図上でいっぺんに祝福されるのです。 アダム一家庭が成し遂げられなかったものを、世界全体の家庭が祝福される時代を迎えることによって、アダムの家庭完成した自分の血統を中心として、天国に入ることのできる真の愛と真の生命と真の血統を、直系的に繁殖することのできる解放時代へと行くのです。この時代を第四次アダム圏解放時代と言うのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手) 膨大なみ言の内容が、三百巻を超えるのです。このような内容は、五十年前に話をしたものも、全部が一致するのです。どこからか泥棒したものではありません。原稿なしで話したことが、すべてきっちりと一致します。 そのようにしながら、峠を越えるときに宣布するのです。個人が勝利した所にサタンは入ってこられません。家庭勝利圏宣布をして、サタンを断ってしまうのです。 氏族勝利圏宣布、民族勝利圏宣布です。もはや、世界勝利圏宣布をしようとするので、天地父母天宙安息圏を宣布して、神様を迎え入れなければなりません。 旧約時代は、祭物を犠牲にして息子が来る道を準備したのです。イエス様がやってきて息子が責任を果たして、真のご父母様が来られる道を準備したのです。 ご父母様が来られて苦労したのは、神様をお迎えするためのものなので、「天地父母天宙安息圏」を宣布したのです。その日が「七・八節」です。 それは、先生の七十八周年の誕生日と連関があります。すべてのものが計画的であり、統計的です。神様を牢獄の身へと追い込んで、闘争してきたサタンに勝つことが、どれくらい難しいでしょうか? サタンは、どれくらい知恵のある王でしょうか? ここに来られた尊敬される人たち、先生に対して反対したすべての人たち、参席した人たちに対して許しを宣言します。(「アーメン」)。(拍手) このように、よくなる時代になりましたが、いちばんの問題は何でしょうか? どのように、天国に行くことのできる主導権を握るのかが問題です。 忘れようとしても、忘れることのできない一つのモットーがあって、そのモットーを抱いていかなければならないのです。そのような内容から今、お話しするのが祝福です。その「祝福と永生」は、「祝福家庭と永生」であるということを知らなければなりません。 このようなことを解説をすれば、本当に面白いのです。歴史がすべて解けます。この一冊で、歴史をすべて解くことができるのです。 ここに来られた人々は、先生が郡、面(地方行政単位の一つ)のような所に行けば皆、歓迎してくれますか?(「はい」)。そのようにすれば、皆さんにとって良いのです。民族が生きるのです。 それでは、「祝福と永生」です。祝福と言えば、統一教会では国際合同結婚式を指します。 永生することを知る 世界人類は、末世(終末)に生きています。アダムとエバが青少年時代に、エデンの園で罪の種を蒔いたため、家庭が引っ繰り返ったので、終末はそれを収穫する時なのです。全世界の青少年問題は、神様が干渉できなかったように、どこのだれも、政治、経済、文化、どのような教育団体、宗教団体も手を出すことができません。皆、降参しています。これを収拾できるのは、真の父母しかいないのです。 世界人類は、末世に生きています。なぜ今、世界の家庭が壊れているのでしょうか? 父親、母親、子女たちが怨讐になったりするのは、なぜでしょうか? 真の愛がないからです。 いちばん重要なのは、永生問題を知らないからです。永生すると考える人は、だれでしょうか? キリスト教も永生については、よく分からないのです。霊界があるのか、ないのか、ということを知らずにいます。これは事実です。このような立場から、最後に皆さんに警告する内容のみ言として、このようなお話をするのです。 永生するということを知れば、ほかの人たちが、「罪を犯せ」と言っても犯さないのです。「自分のために生きなさい」と言っても、そのように生きません。このことを知らなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。 真の父母が生まれた所は、人類の祖国です。地上天国と天上天国の出発地であり、神様が全権時代を迎える所です。ですから、滅びることはあり得ず、全盛の時代へと発展するのです。 大韓民国の国民は、「訓読会」を通して、真の父母と超国家的に一体を成して、万国に勝利圏を誇る国を築いてください。アーメン。(「アーメン」) ここに立っているレバレンド・ムーンが、今まで生涯、多くの迫害を越えてきたのは、神様が導いてくださったからです。ですから、世界では今、政治、経済、文化人たちが、レバレンド・ムーンに注目しているのです。 大韓民国が信仰の祖国になり、統一世界の母国になるためには、この場所を奪われてはならないのです。神様の祝福が共にあることを祈ります。アーメン。(「アーメン」) [祈祷] 流れゆく歳月の中で、一存在というものは微々たるちりにも及ばないことを知るものです。この大宇宙の中で、霊長の権威を備えたアダムとエバのその威信が、いかに高貴であったかという事実を知るとき、この上なく恐れ多いものです。 神様の前に、本然の父母の前に威信と体面を立てられず、願っていた理想的な完結を願う神様が、孝子の道理、聖子の道理を願う聖子の権威を備えたその立場で、すべての宇宙を相続なさろうとする神様の気高く、大きく、広いみ意があることを、統一教会の人々は知っています。 「私」というとき、大韓民国の「私」ではなく、全天宙を代表し、世界を代表し、すべての国家、すべての民族、すべての家庭を代表し、すべての個人の代表者として自覚できる意識的な存在の権限を付与されました。 神様が、愛で私たちを呼び立てて、真の父母によって訓練されることによって、その立場まで考えることのできる存在を備えるようになったことを感謝申し上げます。 私たちがわきまえていくべき祝福の恵沢が、この宇宙史的な内容の伝統的な愛と因縁づけられているという事実。絶対愛の個人基準、絶対愛の家庭基準、絶対愛の氏族基準、絶対愛の民族、国家、世界、天宙、神様まで連結された基準が、一家庭圏内で結束されて、発生―成長―完成していくとは、だれも知りませんでした。 今、統一教会の人たちが原理のみ言を通して、真の父母の教訓である訓読した内容を通して、そのような立場を備えられるようになったことを本当に感謝申し上げます。 私は、今、祖国となる韓国の地を忘れられずに、再び訪ねてまいりました。来てみますと、言うに言えない事実をあなたがご存じであり、「訓読会」を通して心情の基台を束ねて、地上天国で暮らせなければ、永遠の天国に行ってでも暮らすべき永遠の因縁のある祖国であるので、訪ねてきて「訓読大会」を始めたのです。 きょう、ご父母様の聖誕日に、全世界の各国の国家的メシヤたちがお祝いをするために集まったこの場に、共に同参できる民族的指導者、志のある団体の代表たちが集まりました。 天が教えてあげ、天が苦労して、収めた実績基盤、光栄なる勝利的権威の立つ立場を継承させるために、成約のみ言の「訓読会」を開きながら、成約時代、大転換時代を迎えたのです。 天の解放的選民圏を持たなくとも、だれでも選民圏の立場に立って、選民の先祖たちを通して、地上と天上世界に役事していた歴史時代を克服し、すべての自分の先祖たちが、真の父母と一つになることによって、イスラエル圏の代わりに一族で上下に連結できる解放圏を備えて、万民祝福時代を迎えるようにしてくださった恩賜を感謝いたします。 ここに集まった人たちが、あなたの祝福を受け得る子女たちとなることを願いつつ、三億六千万双の聖なるみ旨に国民全体の心情を集め、七千万民族が解放の声、万世にとこしえに輝くことのできる祖国の伝統的精神を、万国に植えられるよう各自が自省し、そのことに責任を負い、世界に伸びていくことのできる祝福の道を、各自が迎えることができるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 きょう、七十八回、五十五回を迎えるご父母様のご聖誕行事を通して、万国に天の祝福がありますように。 きょう、「訓読会」を通して下される恩賜が、ここに集まった百八十五か国の指導者たちとともに、その国のすべての民族人類全体に及ぶことを切にお願い申し上げながら、全体、全般、全権、全能の役事を備えて、万国解放の世界に前進するように願いながら、真の父母のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.23
コメント(0)
「新しい成約時代」宣布一九九八年二月二日、真のご父母様の御生誕日(陰暦一月六日)を記念し、ソウル市・漢南洞・国際研修院にて、敬礼式、祝祷とみ言を通して、「新しい成約時代の到来」が宣布された。また、二月三日、韓国・九里市の中央修練院(水沢里)で指導者会議が行われ、新しい成約時代の信条として、家庭盟誓に第八条が加えられた。 敬礼式の祝祷 愛するお父様……、本日、一九九八年二月二日、陰暦の一月六日、この日は、この地上に「真の父母」の名を中心として生まれて以来、七十八周年目と五十五周年目を迎える祝賀の日となりました。 天と地が見つめるこの場、万民が欽慕するこの場となり、神様の愛の器官、福の器官となりまして、 万国万象の上に生命的な因縁を連結しようという、お父様の再創造的な摂理の完結を標準とした真の父母が立つこの場でございますから、お父様……、これまで歴史時代に恨を抱いてこられたあなたの心と、あなたの子女となるべき人類の心を一つにするために苦労してこられた天の功労の前に、心から、心から、心から全人類に代わって謝罪申し上げます。地上における最後の戦線を前にし……、「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という標語を中心に、あなたの最後の戦争を整理しようという、大いなる歴史的使命を前にしまして、今、前進するこの過程にありますから、お父様……、今まで私たちを保護し、導いてくださった恵みに感謝申し上げます。 今や、残されたこの三億六千万双の完成、二千年代までに私たちの責任を中心として前進するこの過程におきまして、あなたの協肋と共に、霊界の協助と共に、この地上に成し遂げることができるように導いてくださいませ。 それによって、先祖と子女たちが天上世界と地上世界の一体圏を成し、あなたの愛の主権、勝利の覇権が、あなたを中心として被造世界全体に臨むことを許諾してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 この地の真の父母を中心として、「天地父母天宙安息圏」を宣布することによって、神様が私たちの心の世界、家庭の世界から、氏族・民族・国家・天宙世界に臨在なさいまして、あなたの意のままに再創造の権限を中心行使なさり、より高く全天宙のすべての手続きを整備し得る時を宣布いたしますから、お父様……、今まで私たちの心と体の中に臨まれ、家庭の中心、世界の中心となられまして、サタン世界の汚れた痕跡をきれいに清算しても余りあるようにしてくださいませ。 私たち各自が、心からお父様を知って神様に侍り、家庭において神様に侍り、氏族、民族、国家、全体で神様に侍り、天宙の大解怨成就の解放圏を備えることによって、万民解放のあなたの愛の懐を渇望していた父と母と子女たちが相まみえることのできる喜びの勝利圏をこの天宙において……、あなたが願われるすべての神聖な版図の上において、相まみえることができますよう、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダム家庭で失ったすべてを、人類全体の家庭を代表して平面的な面で蕩減復帰することのできる、最後の闘いの場を迎えた私たちでございますから、今や私たち各自が誓うべきことは、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり、民族が一つになり、世界と地上天上天国が一つになることでございます。神様と地上の真の父母の一体圏が、万国万象を越えて顕現できるように祝福してくださいますことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 アダムが堕落して願いがかなわなかったことによって、摂理的な方向を転換するために旧約時代を立てられ、二千年にわたってそれを完成し、民族的基盤の上に立って天国を代身できる基盤を築きあげたのちに、第二次アダムが来られまして、家庭基準ではなく、国家基準で王権を立てようとしたのでございます。しかし、すべてを立てることができなかったがゆえに、恨の歴史を残した悲しみの歴史が延長してきました。 そうなることによって、二千年の歴史を中心として第三次アダムが来られましたが、地上で「真の父母」の権限の行使を完備・完成し、天宙の大勝利圏として、神の真の愛を中心とした主権的な覇権を成功させてくださいませ。そうして、万国万象を自由自在に治め得る最後の国を望むものでございます。イエス様から二千年間……、数多くの代価によって、真の父母のみ名をもって、二千年のすべてを七年間に成就しなければなりませんでした。 しかしながら、キリスト教が従うことができずに、四十年を中心として今まで延長し、キリスト教が反対した環境を取り戻しまして、世界的な版図を越えた七年以降の一九五二年……、完成した万民祝福の限界線を越えんとする立場に再び立ち返りましたから、お父様……、あなたの子女として万国を治め、あなたの子女として万民を派遣しまして、サタンを整備・断絶し得る「成約時代の到来」を宣布できる時となりました。「成約」という、万民が神様の前に祝福を受けることができる、神聖な時をもったこと自体を、万世・万象・万民が、賛美、賛美、賛美できる時を迎えました。 今日、このご父母様の御生誕日を期し、新しい成約時代の転換された勝利の版図を迎えられるようになったこと、万民が受けられるようになったことを、天の父母と地の父母と共に同苦同楽できる時代を実現してくださった天の前に、感謝申し上げます。これから成約時代の新しい転換、新しい時代を迎えることによりまして、我々父母は皆、成約時代の、アダムが完成できるその立場に代わって神様に直接に侍り、神様直接の指導下で原理圏内に立つことのできる真の父母に代わる資格者にならなければなりません。生まれた子供たちは成約時代の新しい子女、成約時代の新しい兄弟、成約時代の新しい夫婦、成約時代の新しい両親として、天の前に孝行の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を立てまして、責任的時代に責任を果たせるように祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。全霊界がここに一体となり、地上万民が真の父母を中心に縦的・横的に愛の定着地をつくって自由に四方に拡大できる自由な家庭的版図になじませてくださったことを、心から感謝申し上げます。 この日を期して成約時代の到来を宣布し、万民が祝福家庭の完成を通して天の栄光の恵みを家庭に抱き、神様が直接に経綸される中で侍ることのできる、直接的な体恤の生活をさせてくださいますよう切にお願い申し上げます。これらを見つめる霊界のすべての霊人たちが、自分の子孫たちに従って一体化し、アダム的完成の世界に協助し得る天使長圏内に立って、一心一体となるようにしてください。 そうして、忠孝の道理を誓うことのできるすべての道を、四方に大きく開放させてくださいませ。万民の心情統一圏を整えて、天の大家族を真の父母を中心として成就させてくださいますよう、切にお願い申し上げます。そうして、国境を撤廃し、歴史的な環境のすべての伝統を超越し人命を超越し、一つの血族として血が沸き血が結ばれる一つの大家族を形成しまして、地上天国を形成して天を解放することによって天上天国の門を開放し、地上から直接天国に行ける完成した成約の民とならせてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 このすべてを天が公認してくださいませ!今日この日の朝、真の父母の御生誕日に代わって、三億六千万双に責任をもって越えていかなければならないこの殿におきまして、祝福の恵沢を万民の前に宣誓いたしますので許諾してくださいませ。成約の一族、成約の民族、成約の国として備え得る責任の所行を、十分に全うできるように導き、叱咤し、覚醒させまして、あなたのみ意のままに完成なさってくださいませ。 真の父母の行いを通して新しい時代をつくった、祝福家庭の一体圏を中心として成約時代を宣布いたしますから、天と地が、直々にこの印を受けて、受けた責任を完成しますことを、真の父母様のみ名によって宣布いたします!。 アーメン! アーメン! アーメン! 敬礼式のみ言(二月二日) ここに二世たちは来ていますか? 今後、二世たちは清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結させなければなりません。アダムとエバの堕落によって分かれてしまったものを、連結させなければならないのです。統一教会は今まで、肉的な基盤においてこの世の堕落を清算してきました。この、霊的な基準に連結できる運動は、清平を中心とした世界的な運動であるということを知らなければなりません。偶然のようにやっているのではないのです。 清平に行って、今まで堕落によって、サタンの血統を通じて汚したすべてを清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結させなければなりません。 イエス様は地上に来られて、家庭的基準を立てることができませんでした。ですから、今まで先生がやってきたことは、アダムとイエス様が失敗したことを世界的な途上で完結することです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任なのです。 これが(板書されながら)今の祝福家庭を中心として三家庭、三六家庭から今に至るまで、これが全部で十二の峠です。十二の峠を越えて、これが頂上において、蘇生・長成・完成として着地しなければならないのですが、長成基準において三千六百万双を超えたのです。天があまりに急迫していて、そのように役事されたということを知らなければなりません。 今では三億六千万双を行えば、堕落によって祝福基準に代入されたサタンの血統がすべて絶たれ、これからは地上に着地できるのです。三億六千万双時代に突入したのです。それによって、今や雨が降っても分水嶺において、向こう側に流れていかないのです。これからは、こちら側に連結されるのです。 神様は今まで、堕落した以降にも堕落した人類をすべて愛してこられました。母親のもとに一緒に送ったのです。カインとアベル……、アベル側よりも、むしろカイン側を追求したのです。ですから、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史が、ここから転換されるのです。これからはすべてが変わっていくのです。 転換されるというのは、アダム時代に分立していた天使世界のカイン圏が、ようやくびっくり返ることによって、アベルが直接天使と連結される時代に入ったということです。これが二世なのです。ですから、二世はサタン世界の祝福圏を超えて、天の血族とならなければならないので、自分の名前も、昔の名前も忘れ、姓も忘れ、考えてもならず、国をも考えてはならないのです。韓国人だとか何だとか、そういうことも考えてはならないのです。 自分たちの両親は血統的な関係を結んで聖別されてきましたが、分別された立場で生まれてきた二世たちは、血統的な面でサタンと連結する何の因縁もあってはなりません。しかし、実際はそうではないのです。祝福家庭の二世の中には、ありとあらゆる子女がいるのです。 ですから、二世たちは一人の例外もなく清平に行って、四十日修練会を受ける間に霊的体験をし、自らを分別しなければなりません。それでも霊的体験ができず、自らを分別することができなければ、百二十日、六か月かかってもやり遂げなければなりません。学校が何ですか、就職が何ですか!認めません。一世たちは、例外なく行って、すべて溶鉱炉に入り、過去にあったすべてを燃やしてしまわなければなりません。そこには、どこそこの社長とか学者とかいったものはありません! 統一教会に属するすべての祝福された団体、これまで先生と因縁をもって連結された団体の中には、多くの祝福を受けた人々がいますが、彼らも例外なく清平の修練会を経なければなりません。ですから、二世たちと共に……。それで今日、何を宣布するのかというと、「成約時代」を宣布するのです。 「成約時代」とは何ですか? 成約というのは結婚することを意味するのです。旧約は何かというと、結婚に失敗したのです。二番目の新約は何かというと、結婚を新たにするために来たのです。新約がみ旨を果たせなかったので、成約時代へと延長されたのです。 「成約」とは何かというと、祝福を受けることを意味するのです。サタンの血統を全廃し、サタンとのいかなる因縁をもなくすのです。そこには民族という概念や、国家という概念はありません。完全にゼロの立場に立たなければなりません。創造するときには、あらゆる自然の万物が用いられたように、そこには何の概念もありません。ないのです。ゼロなのです。神様の創造のみ手、愛の因縁を通してつくられるその存在形態を通じてこそ、存在自体が、意識構造やすべての観念を受けるようになっているのです。 これが二世時代……、全世界の人々は、今後清平に来なければなりません。誰であろうと今後ここを経ない人たちは、祝福もしてあげられません。また、今まで祝福家庭のうちで、本然的基準に沿った行動がとれず、性的問題で絶対性を守れなかった人たちは、今後除去してしまわなければなりません。妻が除去し、夫が除去する時が来るのです。この世の何よりも恐れるべき器官であることを知らなければなりません。 この者たち! ありとあらゆる悪いことをして……、第三者とキスをすることは許しません。ありとあらゆることをしていると聞きました。一線を越えなければ罪ではないと言うのですか! この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれほど受難の道を歩んできたか知っているのですか!絶対性というものを、退屈しのぎに発表したとでも思っているのですか! ですから、「成約時代」を発表するのです。これまでは、そのような傷のある者たちは、祝福に加わることができませんでしたが、祝福をしてあげたのです。そのような者たちは、逆さ吊りにして皮を剥がなければなりません。昔は貞操を守れなかった寡婦は、すべて殴り殺されました。それ以上なのです。堕落は女性の方に問題があります。女性に、その道を守る一番の責任があるがゆえに、女性の節操ということが、よく言われるのです。 一世の時代はサタン時代なので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。女性という色、女性という姿には、本然の愛の心情をもてる絆など何一つありません。ぼろの糸にしてしまったのです。吹き飛んでしまうようになっているのです。愛を考えるのも嫌になっているのです。男性も女性もフリーセックスによって、愛がなくなってしまったのです。 神様が理想的愛を中心として、地上・天上の理念を完成しようとしていたことを、サタンが全権を通じて完全に破壊してしまったので、今や愛はなくなってしまったのです。愛がなくなってぽっかり浮いた中、再び地上に愛の種を授かり、接ぎ木というみ業によって愛の種を植え直すのです。 自分の全体を切り払い、真の父母の体と思想をそっくりそのまま授かって、接ぎ木した身で生きていかなければならないのです。接ぎ木した芽が完成するまでは、「自分」という概念はありません。接ぎ木して芽が出て、実が実ってこそ、ようやく「自分」という考えが始まるのです。自分の新しい概念、思想的な概念や良心的な概念をもつようになるのです。接ぎ木をして、自分が花咲き、実を結ぶまでは、「自分」ということを考えることができないのです。 これからは皆さんも同様です。国を越え、世界を越えていくときには、皆さんがあの世の天使世界を経なければなりません。百二十万の天使が待っているのです。それはイエス様の時代です。門を開けて入るのです。ですから、マルコの屋根裏部屋で祈り合った時に集まった百二十門徒が、この地に来て、イエス様が探すべき百二十国家の門を開けなければならない時なのです。その次に百六十、百六十ではなく百八十です。アダム時代に入っていくのです。アダム時代は神様が直接主管するので、すべてが分かります。みな通じるのです。その門を通過すべき準備を、今からしなければなりません。 「三億六千万双の祝福完成」と「サタン世界の血統断切」です。夢のような話です。それらが私たちの時代に可能となる版図、生涯を歩み、それらの前に忠孝の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たし、天国地上・天上天国を完結するというみ旨の生涯を歩んだというのは、貴い因縁であり、今この時は皆、その標準の前に脱落することのない、各自が立てるべき立場、各自が越えるべき家庭の標準を、築かなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園に帰ったならば、神様に直接主管される立場が許可されるのです。その立場は千差万別となることでしょう。そのためには、真の父母の伝統を受け継がなければなりません。それで訓読会を始めるのです。今まで真の父母が何をしてきたのか、全く知らずにいるのです! み言は聞いたけれども、汚れたことをしてきたのです。……六十年代の前から、ご父母様の聖婚式の前からみ言を語ってきたのですが、皆さんはすっかり忘れてしまいました。 その時を振りかえると、先生は生きるか死ぬかという生死の境をさまよっていくような時でした。行き場がありません。横にも行けず、前や後ろにも行けず、左右にも行けず……、ひたすら前進するしかありませんでした。前途にあるのは、銃と刀でした。銃と刀を越えてきたのです。「自分の家族が怨讐である」という言葉があるように、カトリックやキリスト教が、先生を打って捕まえようとしてきたのです。そればかりか、それに同調して全宗教と全人類、すべての万物までもが……。どれほど深刻であったことでしょうか! ですから、生きるか死ぬかという境地で語ったみ言なのです。 どうして、それほどまでに詳しく話してあげたのでしょうか? 死んでもみ言を残さなければならないという責任があったからです。そのみ言を聞くとき、気楽な立場で、今日のような場で、意味のある場で聞く、というものではありませんでした。それを知らなければなりません。死ぬか生きるかという判決において、天的な召命を受けた真の父母としての責任を完遂できずに行くとき、恨を残すのです。 イエス様が雲に乗ってくるのではなく、人として来るということを知らないのに、どうなりますか? すべてを明らかにしていかなければならないのです。後代の人々が、私がいなくてもこの道に従って来られるように、すべてを事細かに話してあげたのです。あの時には狂人の言葉と言われました。狂人の言葉を誰が信じますか? そのような立場でみ言を語つたのです。 ですから、そのようにみ言を語りながら宣布してきたのです。宣布式です。今日もこの「成約時代」を宣布するのです。ですから、サタンは穴を開けて入ってくることができません。このみ言に照らし合わせてみたとき、サタンが向こう側に立つていると、いうことを、あなたがたは知っているかというのです。サタンは宣布したその峠を越えることができません。最近になって「七・八節」、「天地父母天宙安息圏」を宣布しましたが、それがどんな宣布であるか知っていますか? 通りすがりの人が酒場で一杯やるような、そのようなものではありません! 生死の境をさまよいながら越えてきたのです。神様をこの地に迎えなければならないのです。 ですから、先生はそのように歩んできて、今や三億六千万双を前にし、「サタン世界の血統断切」という今までになかった峠を完全に越えていく、前夜祭のような立場で七十八歳の誕生を祝うという厳粛な場なのです。ですから、この日を期して、統一教会の父母を考えるとき、真の父母の生まれた日と生活、生涯を記憶する限り、成約時代の宣布をしたその内容を忘れてはならないのです。 成約時代の父母、成約時代の子女……。その父と母にとって、願いは他でもありません。神様のみ旨を受け継いで神様の息子になること、愛の天上天国の相続者になること以外にはないのです。 時代は今、成約時代です。これからは、皆さんは負債をつくってはなりません。負債があってはならないのです。そうではありませんか? 負債、負債、負債をつくって、越えていくことができますか? アダムとエバが祝福を受けて負債をつくったのですか? どうですか? これを清算するために、日本と韓国に指令を出したのです。遊びではありません。 今日は何の宣布式をしましたか? 成約時代を宣布しました。皆さんは成約時代の人々ですか? 成約時代の人々は、国を憂い、世界を憂う必要のない立場ではありません。先生は成約時代を越えましたが、皆さんは越えていません。死ぬか生きるかは先生にかかっています。好き勝手に行けないようになっているのです。そうではありませんか? では、誰を祭物として捧げなければならないのでしょうか? アベルという言葉を知っていますか? カインの世界の過ちに対しては、アベルが打たれなければなりません。今日から全祝福家庭は、蘇生圏、長成圏、完成圏、すべての結果主管圏内から直接主管圏内に連結されますが、皆さんは直接主管圏を越えていません。今、先生を中心として、ナイロンの糸でつながっているようなものです。 自分の重みがかかっているため、先生の速度が速ければすべて切れてしまいます。ついていけずに切れてしまいます。先生の前に出て、走っていけば切れることはありませんし、体に巻き付けて自分で調整できる能力があれば切れませんが、先生が走っていくその基準にどうしても合わせることができなければ切れてしまうのです。 すべての食口は今後、家庭全体の七年路程が残っているということを知らなければなりません。先生も七年路程を歩みました。世界舞台でですか? そうではありませんか? これからは学校であれ何であれ関係ありません。この者たち! 日本と韓国の統一教会の全食口は大移動です! 変化なのです。優劣を問わず皆……。それで、南米に土地を買おうとしたのですが、一年に二百万ヘクタール以上を買う計画が皆さんのせいでできませんでした! 何の話か分かりますか? 大移動です! これからは、先生はここに来ないかもしれません。エバ国家、アダム国家は必要ありません。アダム国家とエバ国家をかたづけてしまえと宣布しました。 ですから、日本を指してエバ国家と言ってはなりません。三週間前に宣布したのです。母の国家、父の国家は責任を果たせませんでした。先生がこれを宣布することで、先生が越えて立つのです。真の父母として立てられるのです。真の父母が世界の先頭に立っていかなければならないのです。ウルグアイを中心として今までやってきたことは、韓国を生かすための教育です。既に二十年前から準備してきました。南米の国家と北極は循環運動を共にするのです。 循環とは、上が下になり、下が上になることです。上がっていたものが下がり、下がっていたものが上がるのです。上が下に変わることができるので、そのような基盤を既に二十年前から築いてきたのです。(二八九-二九八、九八年二月二日) 世界指導者会議でのみ言 一九九八年二月三日(真のご父母様の御聖誕日の後日) 成約時代の宣布 「成約時代」を宣布したので、今後は自分の勝手にはできません。旧約時代・新約時代は過ぎ去りました。聖書が要求する基準に関係なく、私はそれ以上の立場に立ったのです。今まで聖書の旧約時代・新約時代にできなかったことは何かというと、心と体を一つにすることです。これからは、心と体を一つにしなければなりません。(1)真の父母と絶対一体圏の形成(2)三時代の中心形成 真の父母が、三時代の中心になられたので、皆さんも三時代の中心になったと考えなさい。三時代の代表であるという観念をもった立場に立てというのです。 先生が三時代の父ですから、皆さんもお父様と共に生きている限り、三時代の中心の立場にあるのです。ですから、そのような環境をつくりなさい。三時代の国家を代表し、三国を中心として生きなければなりません。上下の中心は三点です。左右の中心も三点です。前後の中心も三点です。それゆえに中心点なのです。三時代の中心圏に立ちなさい。上下の中心、左右の中心、前後の中心、三点の中心に立てというのです。それを話しているのです。 先生が過去・現在・未来の中心として、蕩減の道を歩んできたように、皆さんもそのような立場に立って、自らの蕩減の道を歩んで行かなければなりません。そのような真の父母を中心として一体にならなければならないがゆえに、そのような観念をもって、対処していかなければならないのです。(3)家庭を中心とした天宙代表家庭の形成 「家庭を中心とした天宙代表家庭の形成」です。皆さんの家庭は、一個人の家庭ではなく、天宙を代表した家庭です。なぜでしょうか? 真の父母がそのような立場にあり、皆さんが真の父母の真の子女の立場にあるので、そのような伝統を立てなければ中心に連結しません。家庭を中心とした天宙代表家庭の形成なのです。(4)総蕩減のための三時代祝福の基金完了 さきほど話したことですね? 家庭時代、国家時代なのです。教会祝福の基金も完了しなければなりませんが、国家が一つになる時が来れば、国家基準においては十倍以上、十二倍以上しなければなりません。それからのちには財産のすべて、息子と娘、すべてを捧げる思いをもって神様に仕えなければなりません。神様を追放しましたね? すべては原理的にしなければならないのです。先生が考え出してやっているのではありません。(5)家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真のご父母様に侍る生活を完成すること 真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従を成し、本然の神人愛一体理想圏を完成しなければなりません。神人愛は神様と真の父母と真の愛の一体圏をいいます。一体圏は理想的です。すべてが一つになっています。小さなものから大きなものまで、すべてが一体となっているので、地上天国に自動的に入って永存することができるのです。 今後、神様と真の父母に侍って生活することによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をし、本然の神人愛一体圏を完成しなければなりません。一体圏です。その枠を言うのです、枠です。 私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、神様と真の父母に侍る生活をすることによって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従し、本然の神人愛一体理想圏を完成すること。一体理想圏です。一体圏は一体理想に入っていかなければなりません。これが重要なのです。 ①成約時代、成約家庭の権威を誇ること。 ②個人・家庭・夫婦・子女・一族を誇ろう。 ③サタンの血統を清算し、統一天宙を完成すること。 ④私の家庭が、地上天国と天上天国を完成すること。 誰がやるのかというと、私たちがやるのではなく、私がやるのです。自分の地上天国と天上天国をつくらなければならないのです。本来、アダムとエバがそうではないですか?「家庭」とはアダムの代身なのです。 ⑤ 一体生活は、成約時代を中心として完成しなければならない。 一体生活とは永生を意味します。一体生活は成約時代に完成させなければならないのです。 ⑥神様と真の父母の真の愛で、万物愛、人類愛、神愛の一体関係を完成すること。 ⑦全宇宙を私たち家庭が解放し、平和と統一の世界を復帰して、地上天国と天上天国を完成すること。 さあ、これで終わりです。神様の祝福が、皆さんの家庭に永遠に共にありますように! アーメン! (二九〇-一二二、九八年二月三日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.22
コメント(0)
「ご聖誕日」敬礼式後の御言1998年2月2日漢南国際研修院陰暦一月六日、ご聖誕日(お父様満七十八歳、お母様満五十五歳)の敬礼式後、世界の指導者に語られた御言。 二世は天の血族 二世たちは、清平に行って霊的な天使世界、霊的な世界を連結しなければなりません。アダムとエバが分けたものを連結させなければなりません。統一教会は今まで、肉的な基盤で、世の中で堕落したものを清算してきたのです。今後においては、この霊的な基準を連結させることのできる運動が、清平を中心として世界的運動になったことを知らなければならないのです。偶然に、このことをするのではありません。 清平に入って、自分たちが今までサタンの血統を通して汚したすべての事実を清算し、天使世界が協助できる基準を二世から連結しなければなりません。イエス様がこの地上に来ましたが、家庭的基準を築けなかったのです。 先生は今まで、アダムとイエス様が失敗したことを世界的立場で完結するみ業をしてきたのです。これが再臨主の責任であり、第三次アダムの責任だというのです。 そのようなことが、祝福家庭を中心として三家庭、三十六家庭から、今まで十二の峠を越えて、蘇生、長成、完成を越えて着地するのですが、頂上の基準の三千六百万双を越えたというのです。天がどれくらい忙しくそのような役事をしたか、その事実を知らなければならないのです。 もはや三億六千万双です。堕落することによってサタンを中心に立てたすべての血統を切ってしまい、今や、地上に着地することのできる三億六千万双の祝福をできる時代に入ってきたのです。もはや、雨が降ったとしても分水嶺のあちら側(登ってきた側)に倒れることはないのです。このようにこちら側に連結されるのです。 堕落して以後、今までは、神様は、堕落したすべての人類を愛したとしても、恩恵を与えたとしても、(カイン・アベルに)一緒に与えてきたのです。むしろ、アベル側よりもカイン側を祝福したのです。それゆえ、アベルを犠牲にしてきたすべての歴史がここから転換されるのです。すべてのことが変えられるのです。 今まで、天使世界はアベル的基盤がなかったので、地上の人類をすべて利用してきたのです。これはサタンが主管する世界だったのです。堕落したアダム圈が、サタン圈内で支配される堕落圈に生きているのです。国家基準を越えられなかったので、霊界がサタン側、カイン側で、アベルを利用してきたのです。今からそれが転換されます。転換されるというのです。 そうすることによって、転換され得るものが何かと言えば、霊的世界で失ってしまった、アダム時代に分立された、天使世界のカイン圏が、初めて逆さまになる(復帰される)ことによって、アベルが直接天使と連結され得る時代に入ったというのです。これが二世だというのです。 二世はサタン世界の祝福圈を越えているのです。二世は天の血族なのです。ところが今まで、サタン世界の伝統的、習慣的すべての内容に、全部が汚されているのです。 二世は、昔の自分の名前も忘れてしまわなければならず、姓も忘れてしまわなければなりません。姓も考えてはならず、国も考えてはならないのです。韓国人だとか、何だとか、考えてはならないのです。彼ら(二世)の父母は、血統的に関係をもって姓をもってきました。二世自体は何かと言えば、分別された立場で生まれました。ですから、彼らは、血統的な面で、サタンと何ら因縁があってはならないはずなのに、そのようになっていないというのです。 今、二世の祝福家庭に、ありとあらゆる男・女がたくさんいます! これは五体バラバラに裂いてしまい、みな鷲の餌にしてしまわなければなりません。遊び事ではありません。分かりましたか、二世! (「はい! )。 二世は一人の例外もなく清平に入って、四十日で霊的体験ができず、自己分別できなければ、百二十日、六か月でも、みなこのみ業を行わなければなりません! 学校が何ですか! 就職が何ですか。 その他の一世たるすべての者たちは例外なく行って、みな溶鉱炉に入って、過去にあったすべてのものを焼いてしまわなければなりません。そこに社長も学者もありません。そうではないですか? 統一教会に属しているすべての祝福を受けた団体。今まで先生と因縁をもって連結された団体には多くの人がいますが、彼らも例外なく清平修練会を経なければなりません。 完全にゼロの立場に帰る それで、きょう、何を宣布するのかと言えば、成約時代を宣布するのです。成約時代です。 成約時代とは何でしょうか? 成約時代というのは結婚することを指すのです。約束です。旧約が何かと言えば、私たち人類の歴史上において、結婚に失敗したということです。二番目の、新約は何かと言えば、その結婚を新たにするために来たのです。新約時代に御旨が成し遂げられなかったので、この成約時代に延長されたのです。 成約時代とは何を指すのかと言えば、祝福を受けることを指すのです。サタンの血統を完全に撤廃してしまい、サタンと因縁をもった何らの内容もないというのです。そこには、民族感情だとか、国家というものはないのです。 完全にゼロの立場に帰らなければなりません。 創造するとき、自然の万物を使い創造したのと同じです。そこには何らのコンセプトも入っていません。ありません。ゼロです。神様の創造の手、愛の因縁を通してつくり出される存在の形態を通して、存在自体が、人を中心として意識構造すべてが、コンセプトをもつようになっているのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。 世界の人々は、今後、清平に入って、だれかれと言うことなく通過しなければならないのです。ここを経ない人は、今後、祝福もしてあげることができません。 また、今まで本然的基準の行動ができず、性的問題において「絶対性」を守れなかった人は、今後、すべてそれを抜き取ってしまうのです。自分の妻が抜いてしまい、夫が掘り出してしまう時が来るのです。そのような世の中で、何よりも恐ろしく思わなければならない器官であることを知らなければなりません。この者ども! ありとあらゆることをすべてして、どうのこうのと言っています。 第三者とキスするのを許すことはできません。そのような人はエデンにいません。ありとあらゆる行動をし尽くしているというではないですか? 線(一線)を越えなければ、罪ではないというのですか? この者たち! この伝統を立てるために、先生がどれくらい受難の道を歩んできたか分かりますか? 「絶対性」を遊びで発表したと思いますか? そうして今、成約時代を発表するのです。分かりましたか? (「はい」)。 今までにそのような責めを受ける可能性のある人たちは全員、祝福に加わることはできず、そういう祝福家庭は徹底的に悔い改めなければなりません。昔、未亡人が赤ん坊を身ごもれば、たたき殺されたのです。それ以上だというのです。 堕落は女性が動機になりました。女性がです。女性がその道を守っていくことのできる第一の責任があるので、(韓国では)「女性は節操」(「女性は絶対に貞操を守らなければならない」という意味)と言うのです。 今まではサタンの世界であったので、サタンがエバを誘惑して世界版図を完全に破壊しました。本然の愛の心情をもつ女性は一人もいないのです。 「愛」と言えば、全部、パッーンと飛んでいってしまうようになっています。フリーセックスによって、男性も、女性も、愛を考えるのも嫌になっているのです。愛がなくなってしまったというのです。 神様の理想愛を中心として地上・天上天国の理念を完成しようとしたものを、サタンの全権を通して、完全に破壊してしまったので、今は愛がなくなってしまったのです。愛がなくなったので、地上に愛の種を再び植えて、これを接ぎ木するみ業をするのです。(堕落人間に)愛の種を再び植えて、再び生まれるようにすることはできないのです。 自分全体を切ってしまって、真のご父母様の全体、(すなわち)体と思想をそのまま伝授されて、接ぎ木された木として生きなければならない時なのです。接ぎ木した芽が完成する時までは、自分の概念がないのです。自分の観念がありません。 接ぎ木して、芽が出て、ああだこうだと言う、自分の考えが生まれるのです。自分の新しい観念、思想的観念だとか、良心的観念をもつようになるのです。接ぎ木して、自分が花を咲かせ、実を結ぶまでは、自分で考えることはできないのです。分かりましたか、何の話か? (「はい」)。 ご父母様の伝統を相続させるための「訓読会」 今後、皆さんもそうです。国を越えて、世界へと越えていく時は、皆さん全員があの世(霊界)の天使世界を経なければなりません。百二十名の天使が待っています。その次に、イエス時代です。あの世の門を開けて入るのです。百二十門徒です。 それゆえ、マルコの屋根裏部屋に百二十門徒がいたように、イエスが占有する百二十個の国家の門を開かなければならない時だというのです。その次に百六十ではありません。百八十国家です。アダム時代に入るのです。アダム時代は神様が直接主管する時代なので、すべて分かります。すべて通じるのです。その門を経るべき準備を、今からしなければならないというのです。分かりましたか? (「はい」)。 南北統一が目の前に近づいてきています。南北統一さえでき、三億六千万双だけ完結して、彼らが一つになる日には、野党、与党、すべてがなくなります。国もすべてなくなるのです。理解できますか? 野党の党首の妻たちがすべて、神様の側の婦人になります。祝福家庭になるのです。それで、夫のすべての秘密を女性が話さなければなりません。女性は自分の夫を、天使を審判しなければならないのです。そのような時代が来るのです。何の話をしたのか、分かりましたか? 「三億六千万双の祝福完成とサタン世界の」、何ですか? (「血統断切です」)。切断です。夢のような話です。 このことが私たちの時代に可能になり得るということを基準として、彼ら(世の中の人々)の前に忠孝の道理を果たし、聖人の道理、聖子の道理を果たして、初めて、天上・地上天国を完結させようという、意義ある生涯をもったということを貴く思わなければなりません。その時にすべて、標準の前に脱落することのない、各自が立てるべきその場所、各自が留まるべきその家庭、基台をつくらなければならないということを知らなければなりません。 エデンの園で神様から直接祝福される場を許諾するのです。これをするために、ご父母様の伝統を相続させるために「訓読会」を始めたのです。分かりましたか? 今まで、父母の伝統を一つも分かりませんでした。御言は御言として、自分は糞のうじ虫のようなことをしていました。 六〇年代以前のその時の御言を読んでみれば、すべてきちんと話していました。 その時は、先生においては死ぬか、生きるか、という生死の境を歩んでいた時でした。行く所がありません。横にも行けず、後ろにも行けず、ただ前の道を行くしかありませんでした。前では、怨讐の銃や剣がねらっているのです。 「あなたの家の家族が怨讐」と言ったように、カトリック、プロテスタントがすべて、先生をたたきのめそうとしたのです。それだけでなく、それに同調して、すべての宗教、すべての人類、すべての万物まで、全部そのようなことをしたのです。ですから、生き残るか、死ぬか、というその境地で語った言葉なのです。 なぜ、そのように詳しく話したのでしょうか? 死んだとしても、御言を残していかなければならない責任があるのです。その御言を聞くには、平安な場において、きょうのような場で聞くのではありません。死ぬか、生きるか、天的召命を受けた父母としての責任を完成できずに逝く時、恨みを残すことになるのです。 イエス様が雲に乗って来ず、人として来ることが分からなければ、どのようになりますか? きれいにすべて教えてあげたのです。後代の人たちが、私がいなかったとしてもその道に従っていけるようにするために、詳しくすべて話してあげたのです。その時代においては、気が変になった人の話です。だれが信じますか? そのような立場で御言を語ってあげたのです。そのように御言を語りながら宣布してきたのです。きょうも、成約時代の宣布をするのです。 それゆえ、サタンは穴を開けて入ってくることはできません。「この御言に照らしてみるときに、あなたはこのような反対の立場のサタンであることを知っているのか?」と言う時、入ってこれないのです。宣布した峠を越えてくることはできないのです。 終末になり、「七・八節」、「天地父母」、何ですか? (「天宙安息日です」)。これが何かの遊びだと思いますか? 通り過ぎる旅人が居酒屋に行って、酔った勢いで言った言葉ではありません。生死の境を前にして闘ってきました。神様をこの地上にお迎えしなければなりません。それゆえ、そのようなことをするのです。 神様の御旨を継承する 先生は今、三億六千万双を前にして、それから、サタン世界の血統断切という、以前にはなかった峠を越えていく前夜祭のような立場で、七十八歳の誕生を祝う厳粛な日です。それゆえ、この日を期して、統一教会の父母を考える時に、父母の誕生日を覚えている限り、成約時代の宣布の内容を忘れるなというのです。分かりましたか? (「はい」)。 成約時代の父母、成約時代の子女です。赤ん坊を生んだそのお母さん・お父さんは、ただただ、神様の御旨を継承して、神様の息子になり、天国の愛の相続者、天上天国の相続者になることを願う心、それ以外には他の何もないのです。 出世だとか、何の大学だとか、何がどうしたとか、そういうものはないのです。そのような心をもって赤ん坊を育てなければならず、その息子・娘はそのような心で、サタン世界に侵犯されない立場に立たなければならないのです。それにもかかわらず、サタンの血族と因縁をもって、歴史的に汚された習慣性と血統がいまだに残っているというのです。 それゆえ、男性、女性を、すべて区別して育てなければなりません。男性と女性が同じ場所で勉強することはできません。 以前はサタン世界でも、そうではありませんでした。「男女七歳にして」何ですか? (「席を同じくせず」)。私たちの時代では何と言わなければなりませんか? 堕落の歴史が、どれほど途方もないものだったでしょうか。女、男というものが、一日にも一時間にもならない、瞬間の行動、それが億千万代の歴史を汚したという事実です。男、女がそれほど恐ろしいのです。 神様自身が牢屋の身となって、サタンの前に閉じ込められて微動だにできないのです。天の宝座まで、サタンの権限が侵犯したというのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.21
コメント(0)
祝福と永生日付:一九九八年一月二十三日場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場行事:四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会 世界人類は、終末期に生きています。今、世の中の家庭が壊れつつあり、父親と母親、そして子女たちが怨讐の関係になっています。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。真の愛がないからです。一番重要なことは、永生の問題が分からないからです。霊界があるか、ないかということを知らずにいるのです。 永生問題を知らなければならない理由 人間は間違いなく永生するということを知れば、他の人が「罪を犯せ」と言っても、犯さないでしょう。「自分のために生きよ」と言っても、そのようには生きないのです。これが分からなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければならないのです。 この永生問題と連結されなければ、社会の革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥るとすれば、誰もが「その場には行かない」と言うでしょう。しかし、永生問題、永遠の生命の問題というときは、環境的条件をすべて克服できるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっています。永生問題の概念さえ確立しておけば、そしてそれが事実であるという主観が立つようになれば、自分の息子、娘と家族を引っ張っていくのです。 今までの宗教は、そのような思想界を包括し、習慣性によって環境に編み込まれた現在の文化背景の根拠を、すべて消化させることができないのです。それはなぜでしょうか。永生という概念を確立できていないからです。キリスト教もそうです。 キリスト教も、今まで信仰してきたとしても、終わりの日になって環境が変われば変わるほど、すべてかき回されてしまうのです。なぜでしょうか。それは、永生という概念がないからです。 永生問題においては、自信がないというのです。神様がいるのかいないのか、分かりません。生命を懸けて、環境を越えていけるかという問題について見るとき、すべてそこに所属して四方を見回しながら、現在の生活の方便に従ってその道に陥りつつあるのです。 信仰の道というものが、今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるという信念さえもつようになれば、その人は放っておいてもいいのです。人は時間が立てば立つほど、四十歳を超えて五十歳を超えるほど、死ぬ日が近づいてくるために、永生の概念について深刻になります。 愛というものは、年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分からせれば、年を取るほど、だんだんと深刻になるのです。そのため、真の宗教理念だけが、今後、世界を料理できるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっているでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変わる環境を貫いて越えていくことができ、どのような所から悲喜劇が起こってこようとも、すべて問題にならないのです。 神様は、アダムとエバを真の愛の相対として造ったのではないでしょうか。それは間違いありません。そのように造ったのですから、真の愛の対象となって生きなければなりませんでした。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということさえ感じるようになれば、「この道を行ってはいけない」と言っても、行くようになっているのです。 そのため、生活するときにいつも力を注がなければならないことは、どのようにして永生の概念を確立するかということです。それさえ確立されれば、すべて終わるのです。これを確立するときにも、理論的にそれが的中し、ぴったりと当てはまるときに心に響きます。肉身と一番近い位置で一つになるのは青少年のときです。 十六歳以前は、堕落前の本性基準を一〇〇パーセント活用できるときです。十六歳以前はアダムとエバが堕落する前なので、本性基準が生きています。ですから、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。「その関係が、なぜ不可避なのだろうか」ということを分からせるために、永生概念を確立しなければならないのです。いつもこれを考えなければなりません。 一生と永生 皆様は、どれくらい生きると思いますか。「七、八十年は生きるだろう」と思うでしょう。その前には死ぬと思わないのです。皆様は欲張りです。自分は「八十歳で死ぬ」とか、「百歳になって死ぬだろう」と絶対に信じたとしても、あす死ぬか、きょう死ぬか、分からないのです。御飯を食べながら死ぬか、または今晩、靴を脱いで部屋に入り、寝ている途中で死ぬか、分かるでしょうか。皆様は、「ああ、私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という欲心をもっているでしょう。神様に保障されていますか。皆様はできるだけ短く、一年以内に死ぬものと考えてください。この短い期間に準備をすべてしなければなりません。そのような観念をもって、できるだけ短く見積もるほど良いのです。短く見積もるほど、損をしないのです。短い期間に正しく準備すれば、その内容が自分の永遠の生命の家を建てるのです。 それでは、その短い期間に神様を愛してみたでしょうか。神様と一つになって、神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい!」と言われます。人間の世界で暮らす間、すべての人の中で一人でも神様に紹介するために、二十四時間、精誠を尽くしてみなさいというのです。そのように生きて死ねば、永遠の生命の主体になるのです。 皆様は何歳まで生きてから逝きますか。神様の命令によって、すぐに死ぬ場に出ていくとすれば、どうしますか。だとすれば、何かを残さなければなりません。天が自分を褒めることのできる何かを残すべきなのですが、自信はありますか。寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しいというのです。心配しようにも、心配する暇がありません。 一生と永遠の問題ですが、その一生を短く見積もるほど、価値があるのです。他の人をどれほど愛するのか、人をどれほど愛する人になるのか、その次に、家庭をどれほど愛したのか、氏族をどれほど愛したのか、このように個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するのは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛するのは、全体を愛するための教材を愛することです。これをすれば、私たちの一生において絶対に損をしないので、この上なく知恵深い考えなのです。 永遠の生命を追求する人間 永遠の生命の世界を追求するのが信仰生活です。永遠の神様の愛を追求するのが信仰です。永遠の生命とともに永遠の愛と一致するために、神様の喜びと私の喜びが出会い、二つの喜びではなく一つの喜びとして感じられる結着点を求めていくのが信仰の道です。 ですから、信仰生活をする私たちの個体が、どれほど主体的愛と生命力をもって生きるかということが、何よりも重要な問題にならざるを得ません。私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、または真の愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれほどの価値をもっているかという問題が左右されるのです。そのため、私たち自身が、生命力と湧き出る真の愛の心をもって対人関係を結び、社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、それは停止、もしくは後退することなのです。 人は一生だけでなく、永生します。宗教は今まで、地球星からなくなることなく、文化背景と風習が異なるすべての環境を経てきながら、世界的な版図を拡大させてきました。人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。 人は、この時代においてのみ生きるのではなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い生涯ですが、生涯を限界として、そのままなくなるのではありません。その限界線を克服すれば、限界としていたこのすべての地球村の生活を越え、超然とした立場で生存し続けられるのです。そのような世界は厳然と実在しますが、ないとしても、今に至るまで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情して助けるためには、理論的にでも永生論を主張しなければならず、理論的にでも神様を中心とした理想国家の形態を推理しなければならないのです。そのような面からも宗教が必要です。 しかし、理論的に考えられた宗教理想という事実を知れば、誰が満足を感じるでしょうか。「ある!」と断定できなければなりません。「ある!」というのは、自分が定めるのではありません。「ある!」というのは、創造の初めから定められているのです。根本から「そうだ!」と言えるところまで明らかにしなければならないのです。ですから、皆様の永生問題とともに、宗教問題を中心として、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されているのです。 永生しなければならない理由 神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。 人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。 今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。 人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。 それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。水生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。 それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。 私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性稟をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。 ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。 創造主の永遠な真の愛の相対 永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。 その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。 大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永世論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。 神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ=万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。 永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。 真の愛によってのみ救いが可能 今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。 では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。 皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱(いかりつな)をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎなぱ物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。 永生に必要な観念 私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。 永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。 「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。 真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。 絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。 真の愛と直結した永生 そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。 皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。 真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。 自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。 神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。 皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。 神様、永生、真の愛を知らなければならない 第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。 これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。 その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド・ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。 なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七~三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。 第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。 なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。 真の愛と関係を結んだ死後の世界 神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。 それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。 私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。 神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。 真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ! 私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。 天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない 霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。 それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。 今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。 それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。 今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。 夫婦の霊人体 私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。 このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。 それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殻は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殻はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。 ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。 なぜ結婚しなければならないのか 皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。 第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。 ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。 祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう! ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.20
コメント(0)
復帰の完成のための心情を尋ね求めて1998年1月1日、第31回「真の神の日」午前零時の御言祝祷 愛するお父様 今、この時間は、一九九八年の元旦を迎える最初の時間であり、正にたった今、一九九七年を送り、新しい元旦を迎えました。これからなされる新年のすべての計画が、あなたの心情の世界にあって中心となっている万国の家庭解放に連結され、この年が、そのために私たちが前進すべき、天に侍っていくことのできる年となりますように。そのような新年の元旦を迎えるようになったことを感謝申し上げます。 昨年は、四千万双の祝福の主管を成就することによって、三百六十万双の上に三千六百万双の長成的勝利の基準を連結させましたので、もはや、きょうから残された三億六千万双に向かって、全世界の人類の家庭を神様の創造理想である絶対「性」を中心として、絶対愛を中心とした夫婦の因縁を中心として進んでいくことができますように。 定着すべき家庭理想を失ったまま、数多くの歴史過程を経て、宗教時代を束ねるために旧約時代、新約時代、成約時代を経てきながら、最後の本然の家庭基準を再び復帰する蕩減の道を経て、再創造の過程を収拾してこられた歴史的お父様のご苦労の前に、万民は恐れ多く、申し訳のない過ぎし日の足りなさの許しを請わざるを得ません。 真の父母をこの地上に顕現させるための数千万年の受難の闘争の上に、この混乱した世界に真の父母を送られました。 キリスト教文化圏の勝利を中心とした一九四五年、第二次世界大戦以後にエバ国家型、アベル国家型、カイン国家型の霊的な国家を代表すると同時に、外的なエバ国家型、カイン・アベル国家型を対峙させて勝利の基盤を築くことによって、イエス・キリストの霊肉分立した土台の上に、第三アダムが来られました。 そしてこれを総蕩減して、家庭的世界の出発をなそうとしましたが、旧教と新教が一つになることができず、キリスト教が反対することによって、統一教会という教団を立てて、これを収拾するための四十余年の歴史を費やしました。 それは、天のつらい歴史であり、この地上に、何も知らない人類の前に送られた真の父母としては、あなたのみ旨の前に想像もしなかった、この行くべき受難の道が生まれるようになったその悲しみの日を迎え、神様の悲しみと、この地上で責任遂行を成すべきご父母様の悲しみが、四十二年前にこの地上に展開されました。 韓国を中心として、日本を中心として、アメリカを中心として、ドイツを中心として百八十五か国に勝利の版図を開拓してくる時まで、どれほど大変であったかという事実を、この息子はあまりにもよく知っております。 今日のこのような勝利の足掛かりをもって、三百六十万双の世界的な家庭分水嶺である三千六百万双を越え、三億六千万双を中心とした人類解放圏の同一的アダム家庭完成の祝福の時代を、共に受けることのできる天の父母と地の父母の苦労の功績を通して、これを人類の前に連結させることができるように許してくださった恩賜に感謝いたします。 今、この九八年を中心として、人類を中心とした途方もない救道の終着点を打つためには、今や三億六千万双の祝福とともに、サタン世界の血統断切というあなたの救援摂理史の最終的な願いを解決してさしあげられる恨の峠を越えていくべき、宿命的課題を成就させ得る道に向かって前進しようと願うものです。 今まで協助してくださった霊界、神様を中心として天使世界の代身となり得る兄の立場にある先祖たちが完全に一つとなって、地上再臨することのできる安息圏宣布によって、地上にあなたが顕現なさって、歴史以来の堕落の恨みを完全に解消、蕩減することのできる全体、全般、全権、全能の時代を迎えさせてくださった恩賜を感謝申し上げます。 今日、統一教会の真の父母を中心として、心情的因縁を連結させて祝福を受けたすべての家庭は、一心同体となって、天が願われる絶対的信仰と絶対的愛と絶対的服従の心を持ち、主体の前に完全に対象となり、天が願われるとおり、勝利の天国を地上世界、天上世界に形成できるよう祝福してください。 きょう、このような日を迎え、この海辺に、この南米すべてを中心とした地域の中心であるここを訪ねて、きょう、三十周年を迎えた「真の神の日」というこの日に、このような自然の中で、天と地が連結され得る水(雨)にぬれながら、このような祝いを成すようにしてくださった恩賜も、天の祝福が地と一体化し得る恩賜の条件として下さったものです。 それを万民の前に連結できるように、祝福の雨の降るこの時間に、このすべての地とこの世界に、水によって連結される五大洋六大州を越えて、同一的な恩賜を共に降り注いでくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 このような「真の神の日」を祝う新しい九八年を迎えることのできる時となりました。そしてもはや、三十三回の「真の神の日」を迎えるその時には、三億六千万双の完成とともにサタンの血統を断切できる解放の地上―天上天国を迎え、第四アダム圏勝利と栄光を讃揚することのできる天国出現が顕現され得るよう、祝福してくださいますことを切にお願い申し上げます。 その祝福の恩賜を願いながら前進する統一の勇将たちの行く道の前に、無限であられる全体、全般、全権、全能の恩賜でもって勝利の一方通行の体を成すよう許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 今、光明の九八年が私たちの前に訪れましたので、持てる心をすべて投入して、全身と手足をいっぱいに伸ばし、天宙を抱いて前進する勝利の勇兵たちとなって、天下を神様の前に収めて、万物とともに、子女とともに、父母とともに、愛の本宮世界に接ぎ木されるよう、許してくださいますことをお父様、切にお願い申し上げます。 栄光なる新しい元旦を迎え、新しい日を出発すると同時に、新年を出発いたしますので、三百六十日が、お父様の栄光の日に連結させることのできる記念の日々となるよう、許してくださいますことを切にお願い申し上げます。 お父様、訪れしこの年の祝福が、約束とともに天宙の勝利圏を天地の前に満ちあふれんばかりに降り注いでくださいますことを切にお願い申し上げながら、新年の元旦に、ご父母様の名とともに神様のみ名によって勝利の祝賀を宣布すると同時に、恩恵の連結を継続するこの時間となるよう、許してくださいますことをお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によって宣布し、お祈り申し上げます。アーメン。アーメン。アーメン。 皆さんが、新年に福をたくさん受けますように(明けましておめでとうございます)。(「ありがとうございます」)(年頭標語を揮毫される)真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」堕落したという概念を忘れずに きょう、満三十周年の「真の神の日」を迎えました。年数では、三十一回です。このような日に、皆さんが南米ウルグアイの海辺に来て、このような雨に打たれるのは、摂理上で見るとき、大きな意義があります。 今後、統一教会の教会員は、水を中心とした地域にいかに早く基盤を築くかということが問題です。将来、数世紀過ぎれば、すべての人が「統一教会の人は、相当に先見の明があって、このような基盤を築いた」と言う時が来ます。 雨は、天と地に橋を架けるものです。それゆえ、天地が分かれていたのが一つになり、陸と海が一つになり、天下が一つの地球星となって動くように、これを連結させる水は、この陸地を連結させる代表です。水は、すべてと和合する一体的な統一の自然界を迎えることができるということを、深く感謝するようにお願いします。 一九九八年の元旦において、このような自然の環境を感謝します。一度、言ってみてください。(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」)。感謝します、(「感謝します」) きょうお話しするのは、「復帰の完成のための心情を尋ね求めて」という内容です。復帰摂理の完成は、心情、愛の世界を尋ね求めて行かなければなりません。堕落したので、復帰という言葉が生まれました。復帰の目的は、心情の世界を尋ね求めていくことです。その心情の世界は、堕落前の世界です。 それゆえに、堕落した結果がどれくらい途方もないものであり、人類歴史とこの宇宙に大きな損傷を負わせたのかという事実を、皆さんは知らなければなりません。「堕落」は、過ぎ去った言葉ではありません。これは歴史的な言葉です。今日、この地上で堕落した後孫は、無知の真ん中にいるのです。人間は堕落した後孫なので、このことを知らなかったのです。 けれども、神様を第一とする霊界に行っているすべての人々は、堕落の結果によって自分たちがとどまっている所が天国ではなく、中間霊界と地獄にいるという事実をすべて知っているのです。 それゆえ、この結果をもたらした人類の始祖が過ったものを、根本的に解決するためのものが救援摂理の始まりなので、救援摂理は復帰摂理なのです。復帰は、ただ帰っていくことはできません。蕩減復帰です。 一度、言ってみてください。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰。(「蕩減復帰」)。蕩減復帰を強調する際に、「堕落した」という概念を忘れてしまってはなりません。堕落したので、蕩減復帰が強調されるのです。 しかし、今日の一般の人たちは、堕落したという概念が分かりません。今日の統一教会の教会員や宗教を信じる人も、ひたすら自分が信じている信仰の道に従っていけば、救われて天国の神様の前に行くことができると考えますが、それは間違いです。 蕩減復帰ということを知らずにいるのです。落ちた所から上がっていくためには、落ちた距離と同じくらいの橋を架けるとか、縄を結ぶとかしなくては、上がっていく道がないのです。そのまま飛び上がっていくことはできないのです。それゆえ、救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は蕩減を通して行くということを、皆さんは知らなければなりません。 人間が生きるに当たって、罪を犯すというのは堕落した道を行くことです。堕落したのと同じです。罪を犯し、刑務所に行くようになれば、ただそのままでは許されないのです。刑務所で服役という過程を経て、犯した罪を取り消すのです。それをすべて埋めてしまったという条件を立てずしては、釈放されないのです。これが蕩減法です。 私たち人類の生活、歴史路程において、蕩減というものを中心として善悪が分かれ、不幸と幸福が分かれ、福を受ける道と罰を受ける道が分かれます。世の中も同じです。 それと同じく神様の復帰摂理も、堕落したので蕩減しなければならないということを知らなければなりません。悲しみの神様、苦痛の神様 皆さんは、堕落の道を行きます。毎日のように堕落の道を経ていくのです。人間が堕落したので、復帰摂理的路程を歩まれる神様が、「悲しみの神様」になられました。のみならず、「苦痛の神様」になられたのです。 悲しみと苦痛の神様だけではないのです。神様が苦痛を受けられて、悲しみはそこで終わるのではありません。神様が願われる貴いものをすべて失ってしまったのです。すべてを失ってしまったものを再び取り戻そうとするので、苦痛を受けなければならず、悲しい道を行かざるを得ません。神様が、いちばん貴いものを失ってしまったのです。 神様と人間が父子の関係で、愛を中心として一体理想を築こうとしたその関係があったのですが、人類の先祖が堕落することによって、神様の一体理想、愛の理想を求めることができなくなったのです。これを再び取り戻すみ業をするためには、ただそのまま蕩減復帰していくことはできないのです。 堕落することによって、故障したのと同じようになっているので、復帰摂理は蕩減の路程を行ったとしても、神様が訪ねてくることのできる愛の理想を取り戻すことはできないということを知らなければなりません。 完成品を願ったものが、中間で堕落することによって故障したので、再び部品図を通して再創造過程、新しくつくる過程を経て、完全な心情の世界、愛の理想の世界を再び取り戻そうとする立場に立つのです。神様は、愛の対象を失ってしまったものを取り戻すために、受難と苦痛の道を歩んでこられたということを知らなければなりません。 その神様がどのようなかたなのかといえば、父であり愛の主体です。そして、自分の家庭においての父であり、氏族においての父であり、国においての父にならなければならず、世界において父にならなければならず、さらに天地の父になることのできるおかたなのです。 そのようなおかたが、主体であられる神様であり、神様の愛の対象としてつくられたのが人間始祖でした。この始祖が堕落することによって、神様は当然、愛の対象を失われたので悲しまれ、これを取り戻すためには、苦痛の道を行かざるを得ないということを皆さんは知らなければなりません。 さて、このような観点から見るとき、その苦痛の道がどのように現れたのでしょうか? 再創造の過程を中心とした再創造の公式、再創造のあらゆる形態がどのようになったのかというのです。神様は、環境をまず創造されました。太陽をつくり、その次には水をつくり、空気をつくり、土をつくられたのです。この四つがなければ、生物が存続できる土台がありません。 それゆえに、太陽が絶対必要であり、水が絶対必要であり、空気が絶対必要であり、その次には何が必要でしょうか? 土がなければなりません。この土は、私たち人間が持っている体と同じです。この体には、土にあるすべての要素があるのです。すべての要素が全部細分化されて、元素的なものが結合して、私たちの体をつくりあげたという事実を知らなければなりません。 体はそれ自体において、神様の内的な性相形態と相対的関係を備えているのです。その相対的関係の主体的立場に立たれた神様が縦的に臨まれ、アダム・エバが完成して横的に臨むことにより、神様と人間は、縦横の九〇度を中心とした中央線で出会うようになるのです。このとき、中央で出会うのですが、神様がアダム・エバをつくられて、すぐに心情の因縁を結ぶことはできません。子女として愛することのできる過程を経る原則があります。 そして、子女時代を経て成長して祝福を受けるのです。結婚することのできる立場まで行って初めて、神様の性相と形状が、アダムとエバの心に入って個体の完成が成されるのです。個体が完成するようになれば、男性も女性も別れて行くことはできないのです。赤ちゃんの時から男性と女性は、違う方向に育っていきます。徐々に個体の完成が始まるのです。後には、女性は女性の行くべき道、男性は男性の道をただそのまま成長していくことはできません。男性と女性は、必然的に出会うようになっています。 それゆえ、成熟期になれば、男性の目も女性の目もお互いが向かい合って見るようになっており、目を合わせ、鼻を合わせ、心を合わせ、耳を合わせ、手を合わせ、その次口を合わせて愛が築かれていくのです。それはすべて皆さんが知っていることです。それゆえ、この愛の基準を中心として接触するためには、男性と女性が大きくなってどこに行って一つになればよいのかということです。出発したその基準から左側に、自分勝手に行くのではありません。 垂直の立場、父母が生むとき出発したその基準の垂直の立場で連結されるのです。二十歳になったならば、二十歳まで父母の愛を代わりに引き継ぐことのできる、第二次的な段階の基準が、垂直を通して連結されなければならないのです。そうすれば、このアダム・エバの息子・娘も同じです。また、その父母を中心として垂直に向かって連結され、これは千年万年たったとしても、垂直は直線、垂直にならなければならないのです。 私たちを見れば、私たちの心と体もアベル・カインと同じです。プラス・マイナスから成っているのです。神様は被造世界のあらゆる環境を創造する太陽と水と空気と土をつくられたのですが、そこには何があるでしょうか? 必ず主体と対象があります。これは公式です。 鉱物世界にもプラス・マイナスがあり、植物世界にもプラス・マイナスがあり、動物世界にもプラス・マイナスがあり、人間世界にもプラス・マイナスがあるのです。この環境圏内は、全部が主体と対象によって存続する、というのが公式です。 この公式がなぜ、このように生まれたのでしょうか? 何を中心として一つになるための公式でしょうか? これが分からなければなりません。鉱物世界も愛を中心として一つになるために、プラス・マイナスになっているのです。 今、この現象(雨が降る現象)が起こるのも、そうではないでしょうか。陽電気、陰電気がキスをする音が雷の音であり、世の中で起こるすべてのものを酔わせるのが稲光です。愛し合って、「ああ、うれしい」と言いながら、あらゆることが起こるのです。それが自然の結婚式であるということを考えてください。自然の結婚式をした愛の水をもらって飲むのが、きょうの祝賀の場なので、雨が降っても悪くはありません。接ぎ木の標本がメシヤ さて、今から話をよく聞かなければなりません。では、救援摂理を神様が始めた目的は何でしょうか? 神様がアダム・エバに結婚式をしてあげられなかったのは、人間始祖が堕落したからです。アダム・エバに結婚式をしてから、神様はアダム・エバを追い出したのでしょうか、結婚式ができずに追い出したのでしょうか?、(「できずに追い出しました」)。神様がアダム・エバを追い出されたとき、息子・娘がいましたか、いませんでしたか?、(「いませんでした」) アダム・エバは、どのようにして子女を生むようになったのでしょうか? 神様が結婚式をしてあげて生んだのでしょうか? 自分勝手にサタンの地獄圏内で結婚式をしたのでしょうか? サタンを中心として結婚したので、サタンの血統を受けるようになったのです。 アダム・エバの結婚式は、神様の結婚式です。このことを知りませんでした。これが宇宙の秘密です。宇宙の根本を探してみると、宇宙の根本の出発基地が何かといえば、神様の愛を中心として人間と一つになった愛で、内的・外的に結婚式をするその立場なのです。 ところが、アダム・エバは追い出されて、そのような結婚をしたのでしょうか、できなかったのでしょうか?、(「できませんでした」)。これは重要な話です。結婚したのですか、できなかったのですか?、(「できませんでした」)。間違いなくできませんでした。 ですから、神様の愛の理想は成し遂げられなかったのです。神様を中心に結婚したならば、神様がアダムの心の中に入られてアダムと一つになったのです。そうして、アダムの心が神様の心になるのです。そのようにして、心と体が一つになることによって、アダムの体が神様の体になるのです。 愛は一体を成します。それゆえ、父子一身です。愛を中心として一体です。夫婦一身、兄弟一身です。東洋思想も、兄弟一身ということは分からないのです。上下関係は父子関係、左右関係は夫婦関係、前後関係は兄弟関係です。 なぜ一身なのかといえば、アダム家庭を中心としては、アダム・エバのふたりしかいません。アダム・エバを裂くことができますか? 蹂躙することはできません。永遠に裂くことはできません。このことを知らなければならないのです。 堕落せずに赤ん坊として生まれて、兄弟として暮らしながら育つ目的は何でしょうか? 一つになることです。何を中心としてでしょうか? 愛を中心としてです。兄弟として育ったアダム・エバは何をするのでしょうか? 結婚しなければならないのです。 そのとき、アダムはどのような立場でしょうか? アダムは兄であり、エバは妹です。一つの血統で結ばれているのです。木の枝は裂くことはできません。裂く日には、死んだ枝にならなければならないのです。神様に追い出されたというのは、裂かれたからです。死んだ枝になってしまったのです。死んだ木と同じようになったのです。 愛は生命まで支配する力があります。そうですか、そうではありませんか?、(「そうです」)。愛の道を妨げれば、ふたりが綱を結んで漢江の橋から投身自殺することは問題ないのです。死までも恐れない、生命を左右し得る力を愛は持っているのです。 堕落した愛でさえもそのような力があるのに、堕落せずに神様と一つになった愛の力を持っていれば、今日の人類世界は、このようにはならないのです。これは、だれと一つになったのかといえば、天使長と一つになったのです。天使長は僕です。神様は主人です。天使長は永遠に僕ですが、神様は家系の主人であると同時に、国の主人であり、天地の主人になられるのです。 それゆえ、心と体が一つになって、アダム・エバが結婚式をしたならば、アダム・エバの血統が神様の血統になるのです。それゆえ、そのような本然的基準で考えるとき、神様に対して「父」と呼ぶことができるということを、既成教会の信徒はもちろん、宗教者たちも分からないのです。父子の関係は、血統が連結されなければならないのです。アーメンです。(「アーメン」) さて、「アーメン」と言ったのですが、神様と血統が連結されましたか? されていませんか?、(「されていません」)。血統が連結されていないので、血統が連結されているという条件を持とうとすれば、接ぎ木しなければなりません。 野生のオリブを切って真のオリブに接ぎ木すれば、野生のオリブになりますか、真のオリブになりますか? 真のオリブを求めていこうとするので、接ぎ木せずしては帰る道がありません。 この地上に接ぎ木として送られるそのおかたがだれかといえば、聖書に記されている旧約時代に約束したメシヤです。真のオリブ・接ぎ木の標本として送られるのがメシヤです。キリスト教徒は、新婦になると言います。新郎新婦になって、何をしようというのでしょうか? 血統を連結させるみ業をするのが、新郎新婦です。何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心としてです。 ここにいる女性たちは、そのような真の愛を中心として、血統を連結させた自分になったでしょうか?、そのようになっていなければ、地獄に行かなければならないのです。 堕落してだれの血統を持ったのでしょうか? サタンの血統です。善悪を知る木の果を取って食べて、そのようになったのでしょうか?このような根拠を知らず、結果を知らないので、地獄に行くのか天国に行くのか分からないのです。終末に混沌となって、「家庭がどこにあり、父母がどこにおり、兄弟がどこにおり、国がどこにあり、神様がどこにいるのか」と言いながら、すべてを無視しているのです。 それでは、神様の恨みが何でしょうか? 苦痛が何でしょうか? 愛するふたりが婚約をして、結婚の日を待っている二、三日前に、怨讐に愛する恋人を奪われてしまったのです。男性であれ、女性であれ、奪われてしまったことが、気持ちがいいでしょうか、悪いでしょうか? 苦痛が大きいでしょうか、どうでしょうか? 痛哭が始まるのです。 それは、父親が死んだことよりも、母親が死んだことよりも、兄や姉、弟や妹が死んだことよりも、もっと悲痛なのです。そのようなことが分かりますか? 分かりませんか?、(「分かります」) 神様の愛の道を再び取り戻すための受難の道、苦痛の道が、救援摂理の道であるということを知らなければなりません。そのような神様が、栄光の中で裁判長になって、悪なる人を地獄に送り、善なる人を天国に送る考えなどする暇があるでしょうか? 息子・娘を求めて立ち上がるのです。将来、自分の理想の夫婦を築くことのできる道を訪ねていくのです。その路程で、ほかのことを考えられるでしょうか? ほかのことは考えられないのです。 キリスト教を中心とした終着的な結論は、新郎新婦の理念です。来られる主は新郎であり、地上の人間は全部、新婦にならなければなりません。新婦というものは、新郎によって真の愛と一つになった血統を連結させなければならないのです。 血統を連結するために、新郎新婦になるのではありませんか? 正しいですか、正しくないですか?、(「正しいです」)。血統を連結させるための新郎新婦として訪ねてくる、終末の中心的な存在が再臨主です。 再臨主は、何をするために来られるのでしょうか? 「小羊の婚宴」をするために来られるのです。「小羊の婚宴」とは、何でしょうか? 神様とともに、エデンの園で家庭を築き、神様の血統を引き継いで真の神様と真の父母を中心として、真なる神様の血族という子女の名前を持つことです。 そのようにしなければならないはずなのに、これを失ってしまったのです。父母がいないので、真なる子女がいないのです。そして、この地上に真なる家庭がなく、真なる氏族、真なる国家、真なる世界がなく、悪魔が主管する世界になってしまいました。これが堕落した世界です。愛の相対は優れていることを願う ここはウルグアイですが、男性と女性について見るとき、どちらが主体ですか? 今日のアメリカの女性たちは、「女性が主体」と言うのです。どちらが主体ですか? 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。男性です。なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性がどのような姿ですか? 男性は全部、凹を持っていますか、凸を持っていますか? 凹凸を話せば、変な考えをするかもしれませんが、これが根本問題です。このことが分からなくては、天地の調和が分かりません。理想であれ、何であれ、すべて分かりません。 男性は天を象徴し、女性は地を象徴するのです。それでは、凸というものは何をするものですか? 女性は凹なので、凸と凹は一つになるためのものです。男性と女性が一つになるのは、天地が合わさることです。 男性、女性が結婚するのは、天地が一致することです。一つの体になることです。 男性が主体ですか、女性が主体ですか?、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。女性が主体です、(「男性です」)。本当ですか?、(「はい」)。これは不可避なことです。 なぜ、男性が主体なのでしょうか? 男性は、神様に似ています。それゆえ、神様が軸ならば、男性と神様とは上下関係です。男性は、なぜ主体なのかといえば、愛を持ってくるからです。愛の種を植えるために来るのです。 女性がお嫁に行くとき、「なぜ、お嫁に行くのか?」と尋ねれば、「愛を受けに行きます」と言うのです。何の愛でしょうか? 神様を代身した愛です。神様の愛です。神様の愛を受けに行くのです。それゆえ、女性はいつも愛する対象が、自分よりも何百倍、何千倍、何億万倍、素晴らしくてもいいと考えるのです。 それはなぜ、そうなのでしょうか? 愛の相手は神様です。人間の何千倍、宇宙を動かす大主人である、そのおかたに相対するために人間が生まれたので、愛の相対は自分よりも優れていることを願うのです。 では、神様はどのように考えられるのでしょうか? 神様も、自分の愛の相対は神様よりも劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか?、(「優れていることを願います」)。動機がそうなので、結果がそうなのです。 それゆえ、私たち人間と同じく神様も、神様の愛の対象が自分よりも素晴らしいことを願われるのですが、その素晴らしい愛の対象はだれでしょうか? それは、人間です。アダム・エバです。愛は独りで成り立ちません。 神様は、縦的な主人です。縦的なものは、横に行くことはできません。垂直というものは、上下に動くのであって、絶対、横的には動きません。必ず、上下に動くのです。神様を地で横的に展開したものが、アダムの創造です。 アダムは何かといえば、天の本性をそのごとくに展開したものです。展開したものを一つにすれば、神様になるのです。分かりましたか? 神様のプラス・マイナスが展開するのです。一つになろうとするとき、マイナスだけではやってこないのです。プラス、マイナスが中心で合わさって一つにならなければなりません。 一つになれば、それが核になるのです。核というのは縦横が結集するのです。生命の種になるのです。愛を中心として父親、母親の血と肉が結集された中で核としてとどまる生命の種が、赤ん坊として生まれるのです。 このような話を、なぜするのでしょうか? 創造本然の話をするのではないですか? 皆さん全部が、自分の相対は自分よりも優れた人を探すのです。成長して、世界の各国で男性、女性を探して、「ああ、好きだ」と言うのです。好きだと言うのは、何をもって好きなのですか? 目で見るのです。目を合わせます。 この目は、神様を象徴するものです。あらゆる動物は、生まれる際に目が先にできます。目を合わすことのできる愛の主人は、神様であるということを知らずにいるのです。「目を合わせる」という言葉がありますが、見かけが良くなければならないのです。目を合わせれば、その次に言葉を交わし、その次には、手を合わせるのです。手が好きになるのです。 女性は、愛する人が触ってくれることを願いますか、触ってくれないことを願いますか? 触ってくれることを願うのです。目、鼻、口、耳、手は、それぞれ自体のために生まれたのではないのです。全部が相対的関係です。 それゆえ、互いにこのような相対的関係を考えることのできる立場に立つので、女性は男性の相対として生まれたのです。男性は女性の相対として生まれたのです。それゆえ、根本を求めていけば、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。自分のために生まれたのではありません。エデンの園は愛の博物館 それゆえ、人生哲学での根本問題が男性と女性の問題です。女性が女性として生まれたことを、なぜ嘆くのでしょうか? 堕落した元凶となっているので嘆くのです。女性が堕落したということです。ですから、蕩減の受難の道を逃れることはできません。人類が解放されるときまで、女性は苦労しなければならないのです。 このようなことをすべて知らなければなりません。世の中の世情をよく知っていて初めて、どこに行くにせよ、偏らずに自分が行くべき道を堂々と行くことができるのです。上下関係、左右関係、前後関係をすべて備えていれば、問題ないのです。これが、数でいえば七数です。七数は完成数です。 皆さん、夫がハンサムであることを願い、妻が美人であることを願いますか、願いませんか?、(「願います」)。顔かたちが整っているというのは、何を通して見る「観」なのかといえば、愛を通して見る「観」なのです。それはどのようなことかといえば、優れた人と愚かな人が夫婦になって、幸せに暮らす人たちがいるということです。 ある見方をすれば、「あんな美男子があのような醜女とどうして一緒に暮らすのか? ああ、あのようなふたりなのに、夫婦同士、幸せに暮らしている」ということを知ってみれば、「あなたは顔かたちの整った美男子なのに、そのような劣った女性を連れて暮らしますか」と尋ねれば……。(聞き取り不能) 「その男性は、父親に似ている」というのです。また、「私を愛していた叔父さんに似ている」、また、「私を愛するお兄さんに似ている。弟に似ている」というのです。それゆえ、初めて会っても嫌ではありません。 人間が出会って好きになるためには、どれくらい長い時間がかかるでしょうか? 恋愛する人たちも、十年かかって結婚する人がいるのです。父親、母親は高い所にいるのですが、父親についていきたく、昼食でも一緒に一度食べたいというのです。 それゆえ、自分が愛され、愛していたいちばん親しい親戚の人と似ている人が、だれよりもよく、その人をだれよりも愛するのです。ですから、そこで似合わない男性・女性が結婚することができますか、できませんか?、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」)。できません、(「できます」) 神様は、結婚式ができなかったのです。神様は、人間を結婚させようとつくられたのです。アダム・エバをつくられて、縦的な道が大きくなれば、それと同じ距離を横的にして、四位基台になるのです。思春期ごろになれば、「ああ、男性だけではだめだ。女性だけではだめだ」と言いながら、女性は男性を、男性は女性を求めていくのです。 そのようなことは、動物や昆虫を見て、知ることができるのです。昆虫も雄と雌がいます。うさぎの赤ちゃんも雄・雌があり、鹿の赤ちゃんも雄と雌があり、牛の赤ちゃん、馬の赤ちゃん、全部が雄と雌があって、それらが一つになって赤ちゃんを産むのを見て知ることができるのです。 エデンの園に展開されているすべてのものが、カップル制度になっています。それを見て、自然とアダムは、「ああ、雄がいるから雌がいるのだなあ。自分も雄のような姿形だが、雌はどこにいるのか」と探してみると、「あ、エバだ」となるのです。また、「雄、雌があのようにすれば、赤ちゃんが生まれるのだなあ」と考えるのです。 自分がお嫁に行くのは嫌だけれど、赤ちゃんが好きな女性たちはたくさんいるのです。エデンの園で、動くすべての昆虫も動物も、全部、カップルになって動きます。それを見ると、すべて愛の博物館です。 愛を展示した博物館なのですが、いちばん後の人間が博物館の王です。愛の王子を立てて、全世界で、動物や植物全部がその王を中心として喜ぶ際に、拍子を合わせて歌い、踊りを踊ることのできる環境をつくられたのです。その中で神様は見物人にならずに、愛する人を中心として歌い踊る手本となって踊り、歌いたいのです。そのように考えることができます。 ちょうやはちたちが飛んできて喜ぶように、神様もアダム・エバを中心として踊りを踊るようになるときには、それは、肩を振りながら踊りを踊る、そのような踊りではありません。はちのようなものを見れば、高い所で踊りを踊ろうとするのです。 バレエダンサーが踊り手を高く持ち上げるときは、男性を持ち上げますか、女性を持ち上げますか?、(「女性です」)。男性を持ち上げずに、なぜ、女性を持ち上げるのでしょうか? 女性たちの願いは、神様に出会うことです。神様という高い愛の主体に出会うためのものなので、女性が喜んで、そのようにするのです。 ところで、怪物の中の怪物が女性です。どんなに容姿は悪く小さな女性でも、男性を怖がる女性を私は見たことがありません。「男性が怖い」と考える女性は、いないのです。小さな女性でもみんな、世の中でいちばん優れている親分の男性を相手にしようとするというのです。ですから、女性の目は、男性を怖がらないではないですか。 男性の目は、女性を怖がりますか? 最近、堕落した世の中で女性が狐のようにルージュを塗って、目をぱちぱちしながら、どれくらい男性を誘惑しようとしますか? そのような女性たちを怖がるでしょう? しかし、女性という動物は、男性を怖がりません。その国の王がいれば、王の横に行きたがるのが女性です。そうですか、そうではありませんか?、(「そのとおりです」) 反対に女王がいれば、男性も行きたいでしょう? 行ってから何をするでしょうか? 握手して、目を合わせ、口を合わせたがるというのです。女性が男性を好きになれば、口を合わせようとするでしょう? 男性も同じです。 とにかく、いやが応でも男性と女性は、完全に一つにならなければなりません。完全に一つにならなければ、調和が壊れるのです。幸福とか、自由とか、夢とか、理想などという調和です。独りで幸福でしょうか? 人間は、幸福な場にいれば、自分の妻、自分の夫をそこに連れてこようとするのです。その次には、息子・娘を連れてこようとするのです。神様を救う統一教会 愛の理想とともに暮らしたく思われた神様が、愛の相対を失ってしまいました。その神様は、喜びの神様でしょうか、悲しみの神様でしょうか?、(「悲しみの神様です」)。どれくらい悲しいでしょうか? 七代続いた一人息子が、育てている途中で死んでしまうとき、その父親、母親がどれほど悲しいでしょうか? どれほど悲しいかを考えてください。どんなに優れた王、どんなに優れた女王でも、涙を流しながら泣くでしょうか、泣かないでしょうか?、(「泣きます」)。だれでも皆、そのようになっているのです。 それでは、アダム・エバは神様の何代の一人子ですか? 千万代の一人子です。数千代、数万代の一人息子・一人娘なのです。それを失ってしまわれた神様は、何を考えられるでしょうか? 精神病者になられることもあり、狂人にもなられるおかたでしょうか、それとも、遊んで食べ、踊りを踊り、喜んで楽しむことのできる神様でしょうか? どうですか?、(「悲しいです」)。その悲しさも、どこのだれとも比較できません。胸が詰まるにしても、これ以上に、胸が詰まり得ない神様であられるのです。そのことを知らなかったのです。 そのような神様であられるということを知らずに、キリスト教やその他の宗教を信じる人が、「神様、福を下さい。福を下さい。福を下さい」と言うのですが、それは泥棒の子供たちです。人間の世の中で、ただ一代の苦労にもかかわらず、息子・娘が死んだとか、何がどうした、こうしたと言って、神様の前に「福を下さい。福を下さい」と言っているのです。 あまりのことにどうしようもなくなって、おなかまで痛くなるような境地におられる神様から、福までもらおうと祈祷している者を、神様が助けることができるでしょうか、できないでしょうか? むしろ、人間が神様を助けてさしあげなければならないのです。福を受ける前に、「このように悲しく、苦痛な神様 私たち人間が分からなくてこのような状況なので、私が悲しい涙を神様の前に流してあげます」と言えば、神様が感動されるでしょうか、されないでしょうか? 神様が訪ねてこられるでしょうか、訪ねてこられないでしょうか? そのようなことまで成すことができる人間を、この地上で見たことがないのです。 では、今日の統一教会は、一般の宗教と何が違うのでしょうか? 統一教会では、「泣かれる神様、苦痛を受け、どうしようもない絶望の中におられる神様を救ってあげよう、孝子になろう、孝女になろう、国を代表した王になることのできる神様の前に忠臣になろう、烈女になろう、聖人君子になろう」というのです。 「聖子になろう」、ではありません。聖子の息子・娘となって、結婚させて、神様を解放してさしあげようという志を持って生きる宗教団体が、何の宗教だと言いましたか?、(「統一教会です」) 統一教会は優れた宗教ですか、愚かな宗教ですか?、(「優れた宗教です」)。世界が皆、文先生を愚かな人だと考えているではないですか。いちばん悪い人だと言うではないですか。 神様は、文先生をいちばん嫌がるでしょうか、好まれるでしょうか?、(「好まれます」)。それを知っていますか? 見ましたか? 見ていないのかどうか分かりませんが、することを見れば滅びるようなのに、いつも滅びずに成功してきました。人間が協助するのではなく、人間世界の外にいる別のおかたが協助なさるのです。 人間世界は、サタン世界です。サタンが嫌がる人は、神様が愛されるのです。それゆえ、全世界が嫌がるレバレンド・ムーンを、神様はいちばん好まれるのです。それは、道理が合うのです。そのようなときは、「アーメン」と言わなくてはなりません。(「アーメン」) さて、今から問題が大きくなるのです。根こそぎ復帰ですか、順次的な復帰ですか?、(「根こそぎ復帰です」)。それを願う人、手を挙げてみてください。根こそぎ復帰です。個人主義はすべてを失う 神様が蕩減役事をして蕩減復帰してこられる、自然な再創造歴史過程を経てくるのですが、再創造の歴史過程は、必ず主体と対象関係なのです。小さな主体と対象が一つになるようになれば、そこにとどまるのではありません。 鉱物世界の主体と対象が一つになった後には、植物世界に吸収されなければなりません。植物世界でプラス、マイナスが一つになれば、全部、動物世界に吸収されなければならないのです。この原則を知らなければなりません。 一つになったプラス、マイナスの次元が低いものは、より次元が高い、より大きな愛の価値を形成するために、吸収されていくのです。吸収されなければ、もっと大きな愛が現れることができません。 それゆえ、植物が動物に吸収されるのです。元素が吸収されるのです。植物は動物が吸収するのです。動物の中に、昆虫がいるでしょう? 昆虫も植物を食べます。また、動物の中では、牛も植物を食べるのです。小さな次元にあるプラス・マイナスの植物は、動物たちが取って食べます。動物も小さなものは、大きなものが取って食べます。分かりましたか? これが原則です。 ハエのような昆虫も、トンボがよく食べるでしょう? ツバメはトンボを捕って食べます。このようになっています。「順応の道理」を知らなければなりません。循環運動する天地の道理を知らなければなりません。小さな次元のプラス、マイナスになったならば、大きな次元のプラスと一つになり得るものに吸収されていくのです。ですから、微々たる動物から鉱物、植物、動物、小さな昆虫までも全部、大きなものに吸収されて入っていかなければならないのです。 ですから、万物の中で人間が最も貴いので、人間はすべて捕って食べるのです。人間が食べられないものがありますか? 虎も捕って食べ、、狼、も捕って食べ、ワニも捕って食べ、蛇も捕って食べ、食べないものはないのです。人はすべて食べることができますか、できませんか?、(「できます」) 世界の中で、カップルになったすべてのものを、大きなものであれ、小さなものであれ、すべて捕って食べれば、どのようになりますか? そのようにして、人間たちだけ幸せに暮らすのではありません。捕って食べるその男性、女性は、さらに高いおかたに吸収されなければならないのです。そのおかたが神様です。 神様に吸収されて、入っていかなければなりません。そのように吸収されるのは、何をするためのものでしょうか? もっと大きな愛を求めていくための橋です。分かりましたか? 何の橋ですか? 上がっていくはしごです。鉱物が、どこを訪ねていきたいのかといえば、自らの発生地です。「神様から出発したので、神様の所に訪ねていこう」となるのです。 人もどこを訪ねていくのでしょうか?、「愛から出発したので、神様の愛の場所を訪ねていこう」というのです。それゆえ、神様の愛を訪ねていこうとすれば、自分を犠牲にしなければなりません。もっと大きな目的と大きな人格を築くためには、その環境の難しさを克服し、犠牲の道を行かなければならないのです。自分を投入しない所には、そのようなものが現れません。 今日の南米の人たちを見れば、みんな遊んで食べようというのです。遊んで食べていれば、だんだんと後退します。自分を中心とした個人主義を主張する者は、だんだんとすべてを失ってしまいます。 今日のアメリカのような国や先進国家を見れば、個人主義を主張するので、世界と天地に関心がありません。アメリカ国民にしても、アメリカに関心がありません。アメリカ社会に対しても関心がありません。会社で稼いで食べて暮らしながらも、会社に対して関心がないのです。 家庭に入っても、おじいさん、おばあさんに対して関心がありません。父親、母親に対しても関心がありません。男性にしても、女性に関心がありません。女性にしても、男性に関心がありません。全部、必要ないと否定するのです。 そのような混乱した結果をもたらして、最後には一人だけ残ります。相対理想を持って生きる人間が、その世界を否定するので、孤独を嘆いて、行く所がなくて死ぬしかないので、自殺してしまうのです。 プラス・マイナスが一つになれば、より大きな存在に因縁づけられるのです。そのようになるためには、愛を中心として投入しなければなりません。神様がより大きな世界に物を残されるためには、投入してその物をつくられたので、これを再び見いだすためには投入しなければならないのです。 魚も見れば、すけそうだらのようなものは全部、その子たちを食べます。大きくなる前に、ごくりと丸のみにして食べるのです。小さな魚たちは、子供たちの数がとても多いので鮫のようなものは四匹、五匹しか子供を生みません。 虎は、子供を何匹生みますか? 一匹です。そのようなものが多ければほかの種が絶滅するので、多くありません。ライオンも多くありません。虎のようなものも、子供を三匹以上は生みません。子供を生んでからは母親に任せて、雄は逃げだすのです。 二年ほどして、子供たちがすっかり大きくなって、独立するようになった後、妻を訪ねてきて、また子供を生むのです。ですから、子供をたくさん生まないのです。私たち統一教会の人たちは、子供をたくさん生まなければならないでしょうか? 生んではならないでしょうか?、(「たくさん生まなければなりません」)一つになる所に理想がある ところで、愛の道を求めて旅する男性、女性たちは苦しいでしょうか、幸福でしょうか?、(「幸福です」)。失った自分の相対を捜す道が幸福でしょうか? それは、神様と同じです。 神様は愛の相対を失われてしまいましたが、その暮らしが苦しいでしょうか、それを取り戻してくる道が簡単でしょうか、困難でしょうか? どうでしょうか? 困難なのです。 安楽によく食べ、幸せに暮らしながら、この世にまたとない一つの愛を見いだそうというのは、狂った者です。一つの愛を見いだすためには、この世の万民のだれよりも困難な道を行かなければならないのです。 そのようにして、一つの愛を占有するようになるとき、反対されずに許しを受けて、その愛とともにあることができるのです。それが道理にかなった話です。神様の復帰摂理から見るとき、旧約時代は何を意味するのでしょうか? 神様が結婚式をされたかったのに結婚式ができなかったのです。 また、アダムとエバの結婚式をしてあげて、人類の真の父母にし、神様がその中に入って、見えない霊的な父と、実体の父が一つになるようにしようとしたのにできなかったという話です。アダムとエバという人類の先祖を、真の愛を中心として結婚させてあげられず、真の愛の主人たる神様が、アダムの心と体と一体となり、愛することができなかったのです。 では、皆さん自身を見ると、心と体が闘いますか、闘いませんか?、(「闘います」)。それを神様が、そのようにしておかれたのでしょうか、自分が自然とそのようになったのでしょうか? これが問題です。 神様は原因的存在であられ、人間は結果的存在ですが、結果的存在である人間の心と体が闘い、怨讐になっています。心と体が一つになっていますか? 体がしようということを心はするなといい、心がしようということを体はするなという、この争いです。心と体は、相反しています。 心と体が一つになれない人は、天国に行くことはできません。神様の前に行くことができません。心と体が分かれたのは、堕落のためなのです。堕落してそのようになったので、心と体が一つになるためには、蕩減の道を行かなければなりません。心と体が分かれたために、世界が分かれ、人類が全部、分かれてしまいました。 終末には、心と体が分かれ、男性と女性が分かれ、父と母が分かれ、祖父と祖母が分かれ、全部、分かれてしまうのです。そこには神様の理想がありません。争うところには理想がないのです。和合して、一つになるところに理想があるのです。 理想は、一つになるところにあります。調和的で、小躍りして一つになるところに、理想があり、幸福があり、自由があり、夢があるのであって、争うところにはすべてがなくなるのです。 自分が愛する夫と争ったときは、息子・娘が憎いですか、憎くないですか?、「あの人の子供を生んだ」と考えるのです。、姑、の難くせに腹を立てて、犬の腹を蹴るのです。では、皆さんの心の中に、神様が入ってこられて暮らせるでしょうか、暮らせないでしょうか? 現実的問題です。信仰生活や宗教を信じる目的は、神様に侍って暮らすためです。 心と体が闘うような人が、神様を迎えて暮らせると考えること自体が、堕落しています。心と体が闘うところに、神様が入ってきて暮らせるなら、その神様も心と体が闘う神様であるということになります。 神様はどうでしょうか? 神様は心と体が闘うでしょうか、一つになっているでしょうか?、(「一つになっています」)。それでは、心と体が闘わない人が求める愛が、行ったり来たりするでしょうか、統一的な愛でしょうか?、(「統一的な愛です」)。永遠に一つになっておられる主体の神様が願われる愛は、永遠に一つです。二つではありません。この地上に生きている男性、女性を見れば、愛はそのようになっていません。堕落して、うじ虫のように暮らしているのです。体がサタンの根拠地 それゆえ、旧約時代には、神様がアダムとエバとともに結婚式をすることができなかった恨みがあるのです。ですから、メシヤを送られたのは、アダムとエバとともに結婚式をする日を復帰するためなのです。 再創造の法度を通して見れば、神様が環境を創造された所には、主体と対象があります。イスラエル民族にも、どのような民族にも主体と対象があります。イスラエルの民を見れば、宗教と国家、これが怨讐です。主体と対象が争います。宗教者を迫害し、殺すのは国家がするのですか、個人がするのですか?、(「国家です」)。国家がします。このような国は、サタンの国家です。 全部、闘いの連続的な歴史の因縁を通して、主権とその基盤を築いたすべての群れは、闘って基盤を搾取したのです。相続した所はないのです。ですから、よこしまな世の中であり、滅びた世の中です。滅びた世の中で暮らしているということを、はっきり知らなければならないのです。 旧約時代には、神様が結婚式をしてあげたかったアダムとエバを、結婚させられませんでした。アダムとエバとともに心と体が一つになり得る一体的立場で、愛を中心として一身となって愛することができなかったのです。それで、神様とアダムとエバは分かれました。 神様の愛の中心から離れて、彼らは分かれるようになったのです。分かれるようになった原因を見れば、それはエバがアダムを堕落させました。ですから、堕落したアダムはエバが恨めしいのです。「エバのやつが堕落させた」といって、怨讐になっているのです。 エバがサタンとぐるになって、アダムまで堕落させたのです。そうして、サタンの血統を受け継ぐようになったことを知らなければなりません。私たちの血統が生まれたのは、神様の祝福の中で生まれたのではありません。怨讐、サタンの結婚式の下で生まれ、サタンの血統を受けた者の後孫が人類なのです。それにもかかわらず、このことを知らなかったのです。 ですから、これを片づけなければならない宗教世界は、反対の道を行くのです。「穏やかで謙そんであれ」というのです。「無の境地にまで、自分自身を否定せよ」というのです。「犠牲、奉仕せよ」、それから「犠牲、奉仕だけでなく、断食せよ」。断食すれば、体が弱くなります。体がサタン、悪魔の運動場であり、根拠地です。体が一番悪なるサタンの根拠地になったのです。 世界が怨讐ではありません。皆さん自身の体が、いちばんの悪魔の怨讐であるということを知りませんでした。体を弱めなければ、神様や理想世界は永遠に遠ざかっていくのです。今日、統一教会の原理を聞けば、人々は嘆くのです。「まったく、このようになったということを知らなかった」というのです。 ですから、サタン世界がレバレンド・ムーンの教えを聞けば、全員、考え方が変わるので、「レバレンド・ムーンに会えば洗脳される。目を合わせるな」と言うのです。「レバレンド・ムーンは、洗脳のチャンピオンだ」という話をしているのです。 サタンの世界が先生をいちばん嫌うのです。個人的に嫌い、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に、共産世界、民主世界、宗教世界までが嫌う代表者が、レバレンド・ムーンです。ノーメンですか、アーメンですか?、(「アーメン」) なぜ、アーメンですか? サタン世界の多くの人たちがいちばん嫌うので、レバレンド・ムーンは神様にいちばん近いというのです。レバレンド・ムーンは、天に行く道を教えるので、悪口を言われるのです。しかし、悪口を言われながら成功した人が、歴史にまたとないレバレンド・ムーンなのです。(「アーメン」) そうでしょうか? 私は成功した人ですか、失敗した人ですか?、(「成功しました」)。(「勝利しました」)。どのような勝利ですか? 相撲を取る土俵の上で勝利したのですか? どのような勝利であり、どのような成功ですか? 個人的な真の愛、家庭的な真の愛、氏族、民族、国家、世界、天地の真の愛、神様の真の愛を失ってしまったものを、収拾して取り戻すことのできる神様の代身者としての権勢を振るうのです。ですから、神様は、文総裁を愛さざるを得ないという結論が出てくるのです。 皆さん、文総裁を愛しますか?、(「はい」)。愛すると言いながら、全部、奪っていこうとするのです。郭錠煥、私を愛しますか?、(「はい」)。私を利用しようとするではありませんか。 自分が難しければ文総裁のところに来て、「先生、私を助けてください」と言うのです。全員、目をむいて、商売をしようという連中です。全員、真の愛を泥棒した堕落したアダムとエバの後孫なので、真の愛の主体者がいれば、愛を中心としてむしり取っていこうとするのです。 皆、「先生を愛する」と言います。先生を本当に愛する人、手を挙げてみてください。もらうためですか、与えるためですか?、(「与えるためです」)。違います 今までもらうためだったのです。日本のメンバーは、先生を愛するというその誠意の上に、何かをもらいたいという根性があります。(笑い)それは泥棒の根性です。祭物を犠牲にした旧約時代 旧約時代は、何が必要ですか? メシヤです。四千年間待って、神様はイエス様を送られたのです。メシヤを送るための道案内が、どれほど大変でしょうか? だれでも送れるわけではなく、いつでも送れるわけではありません。 家庭で失ったので、神様の体面において、サタンに国家基準で勝たなければならないのです。それゆえ、家庭で失敗した神様が家庭で取り戻されれば、サタンの前に威信が立たないので、サタンが国をつくった所に来られて、家庭以上の国を捜されるのです。国を復帰し、その国を中心として、より大きなものを見いだすために投入しなければなりません。 小さい国を、世界の前に投入すべきなのが創造の原則であり、再創造の原則です。イスラエルの国は、メシヤと一つになって投入しなければなりません。ユダヤ教はアベル、主体の立場であり、イスラエルの国はカイン、対象の立場です。 ユダヤ教を訪ねてこられたイエス様を中心としてユダヤ教は一つとなり、愛で投入してイスラエルの国を復帰しなければならないのです。イスラエルの国が独立して、イエス様と一つになったならば、ローマに投入して、ローマを復帰しなければなりません。 ローマが怨讐の立場にあるので、「怨讐を愛せよ」という話をしたのです。サタンは、怨讐を愛せば逃げていくのです。自分を愛する個人主義は、自分第一主義であり、「サタンの大王」主義です。 それで、旧約時代は何を犠牲にしたのかというと、万物です。万物を犠牲にして息子が来ることのできる道を築いてきたのが、旧約時代です。息子がそのままでは行けないので、蕩減法によって吸収させ、犠牲にさせる業をしてきたのです。 ですから、祭物は全部、二つに割くのです。一方はサタン側、一方は天の側です。これは、人間の心と体が分かれたのと同じことです。一つの心になって、天の前にささげなければなりません。そうしてこそ、祭物が自分の代わりに贖罪の条件になるのです。 それゆえ、旧約時代には万物を通して祭物を犠牲にし、メシヤを再創造してくるみ業をしたという話です。メシヤが来ることのできる、その基盤を築いてきたのです。そのためには、犠牲にならなければなりません。血を流さなければなりません。投入しなければなりません。 自分を中心として「もったいない」などと言えば、だめなのです。根こそぎ尊いものをささげなければなりません。血を流すようなことになっても、哀れに思ってはいけません。それを皆、祭司長がほふるのです。 祭司官がそれを無慈悲にほふり、ささげなければならないのです。そのように血を流して投入することによって、その一つになった心を中心として、祭物をささげ、祭物の役事を通して、息子を捜し出す道を復帰してきたのです。旧約時代は、国家の王になる時まで、万物を犠牲にして息子を指導してきた時代です。 それから、新約時代は何でしょうか? イエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエルの国が一つになっていたならば、イエス様は死にませんでした。イエス様を中心としてユダヤ教とイスラエルの国が一つとなり、イエス様が王になったならば、イエス様は死ななかったのです。主体と対象の関係がないので、ローマの前にイエス様は犠牲になったのです。 カイン的ローマの前に、王として来られたイエス様が亡くなられるようになったのです。ユダヤ教とイスラエルの国が反対することによって、イエス様はローマの前に亡くなられたのです。ですから、キリスト教は血を流してきたのです。 万物が祭物となって、子女が生きることのできる国家編成をしていたすべてのものが、イエス様と一つになることができなかったのです。祭物と一つになり得るイエス様を中心として、ユダヤ教とイスラエル国家、アベルとカインが一つになれませんでした。 主体と対象が一つになって、イエス様の前に吸収されなかったことによって、イエス様が亡くなられたのです。イエス様は、大きな存在です。大きなものの前に投入しなければなりません。投入することのできる環境がないので、イエス様は、ローマの前に犠牲になられたのです。本来、東洋から出発しなければならなかったのですが、イエス様が血を流されたので、血を流されたその道に従って、ローマに入っていって、反対に行ったのです。過ぎ去った出家と独身生活時代 歴史以来、宗教の中で殉教の血を流してきたのは、キリスト教しかないと言ってよいのです。ほかの宗教にはありません。ほかの宗教は天使長圏の宗教です。キリスト教は、「息子の宗教」です。キリスト教だけは、来られるメシヤ、救世主のために血を流し、人間の祭物を通して進んできたのです。救世主は何かというと、父母として来られるのです。それを知らなければなりません。 キリスト教徒が子女の立場で血を流したのは、父母が来ることのできる道を築くためです。キリスト教は、再臨主が来られて、「小羊の婚宴」をして父母となり、天下を分けて兄弟同士争うものを、統一するみ業をしなければなりません。ですから、キリスト教が子女の血を流し、父母が来ることのできる時代を準備してきたのです。それが新約時代です。 では、再臨主はどのようにして来られるのでしょうか? 雲に乗っては来られません。教条的な連中が、「雲に乗ってくる」と言うのです。そのような話をしようとすると、きりがありません。 地で失ったものは、地で取り戻さなければならないのです。皆さん、金銀財宝を地で失ってしまったとき、それを空中に行って見つけ出せるでしょうか? 失った所に行って、見つけなければならないのです。アダムとエバによって地で失ったものは、地で捜さなければならないのです。 ですから、再臨主が来られる時まで、キリスト教は血を流します。そうしながら、旧教と新教が分かれたのです。これを統一しなければなりません。これを統一できなければ、世界が統一できません。 アダム家庭で、エバを中心としてアベルとカインが分かれたのです。兄をサタンがつかんでいるので、復帰は反対に上がっていくために弟を立てて、兄が弟の立場、弟が兄の立場に立つようにしなければなりません。反対の道を行かなければならないのです。 それゆえ、宗教は出家をしなければなりません。その国を否定し、その血族を否定し、その父母を否定し、自分のあらゆる兄弟を否定し、自分の妻を否定し、息子・娘を否定し、自分の体まで否定しなければならないのです。 そうしなければ、元へ戻すことができません。否定を強要できる宗教でこそ、これが成されるのです。それゆえ、宗教は出家を命令しなければならないし、「必ず独身生活せよ」というのです。神様が一番嫌われることは、神様を中心とせずに男女が愛する行為です。 人類の真の父母と神様が、結婚できなかったのだから結婚できないというのです。みんな、このようなことを知らずに暮らしています。統一教会はどうですか? 統一教会は何をせよと言いますか?、「還故郷せよ」と言うでしょう?、「出家をしたので、故郷を訪ねるように」と言ったのです。 「家庭盟誓」第一条を朗読してください。(全員、「家庭盟誓」一節を朗読)どこの地ですか?、(「本郷の地」)。本郷の地。失った本郷を求めて進んでいかなければなりません。本郷を求めて、何をするのですか? 地上天国と天上天国を成さなければなりません。自分が創建しなければなりません。 罪を犯したので、罪を犯した者が全部、つくらなければなりません。千年万年、億万年かかっても、しなければならないのです。ですから、統一教会は「還故郷」ということを言うのです。これは、宗教界にないことです。それから、「結婚せよ 祝福せよ」と言うのです。 神様が一番嫌われたのが、そのことです。ですから、「出家だ 独身生活せよ」と言ったのです。しかし今は、そのような時代が過ぎ去りました。統一教会は「還故郷して、結婚せよ」というのです。故郷に帰らなければなりません。出家時代は過ぎ去りました。故郷を訪ねていかなければならないし、結婚しなければ皆、滅びます。仏教やカトリックが皆、滅びつつあるではありませんか。再臨主は雲に乗って来ない 旧約時代は万物を犠牲にして、息子を復帰するためのものです。息子を犠牲にするみ業をしたキリスト教は、父母を迎えるためのものです。父母が第二次世界大戦後に、英・米・仏を中心として……(聞き取り不能) 英国は島国、エバ国家です。母の国です。アメリカはアベル国家。フランスはカイン国家ですが、これらが一つにならなければなりません。アダム家庭において、母と長子と次子、この三人が怨讐になりました。この三人が怨讐になったのを統一するのです。アダム家庭で失ったものは、神様のみ旨の中で復帰という受難の過程、蕩減路程を経なければならないのです。 そうして、神様を中心として失ってしまった家庭を代表した女性となる国家が、この地上に初めて現れたのが、エバ国家の英国です。そして、エバである英国が生んだのがアメリカです。フランスは英国と争い、アメリカと争った怨讐です。しかし、この怨讐が一つになりました。 一つになったので、第二次世界大戦では、このキリスト教を中心として、枢軸国と連合国が争ったのです。八百万の神を信奉する日本は、雑教国家です。西洋文明圏は、唯一神を信奉しています。 これは、原理で否定できない事実です。第二次世界大戦以後に、キリスト教文化圏を中心とした統一世界が、歴史以来初めて、出現しました。エバ国家、アベル国家、天使長国家が英・米・仏で一つになったのです。 日本は枢軸国といわれました。中心の軸になる国です。枢軸国です。連合国というのは、合わさった国です。これは三天使長と同じです。サタン側は枢軸国です。東洋で失ったものを東洋で取り戻すのですが、日本はエバ国家として一番近くにある韓国を占領したのです。四十年歴史で、四千年を蕩減したのです。 旧約時代に万物の血を流させたのは、だれを迎えるためですか? イエス・キリスト、神様の息子を迎えるためです。イエス様を完成した息子となるようにして、結婚式をするために送ったにもかかわらず、死んでしまいました。ですから、再び来なければならないのです。 国家基準で失敗したので、神様の威信がつぶれ、その国家を訪ねていくことができません。ですから、世界的舞台に送り、世界時代を迎えて、世界の上で復帰しようというのです。家庭で失敗し、国で得られなかったので、世界を統一するために再臨主が来なければならないのです。そうしてこそ、神様の威信が立つのです。 英・米・仏が一つになって、キリスト教文化圏が統一天下圏をつくるのは、来られる再臨主を迎え、万王の王圏を立て、天の国の皇族と天の国の民をつくるためです。しかし、来られる主が雲に乗って来ると思っているのです。来られる主が、文総裁だとは知らなかったのです。文総裁が、来られる再臨のイエス様になれる資格があると思いますか、思いませんか?、(「思います」)。狂った人たちですね。イエス様が雲に乗って来られるのに、文総裁がどうして再臨主になりますか? 再臨主とは何かを、私は知りませんが、理論的な面で真の父母の説明ができれば、それで天下統一できるのです。ですから、文総裁が今、東側で話せば、西側までインターネットで伝わります。雲に乗って来られるというのですが、私は飛行機に乗って来るではないですか。 二千年前に、イエス様は雲に乗って再び来る、と言いましたが、その当時の人たちが、飛行機を知っていたでしょうか?、「鉄の塊が五百人を乗せて、空中を飛んでいく」と、そのような話をするでしょうか? そのときの言葉では、雲に乗って来る、というようにしか言えません。 先生は最近、飛行機に乗り、地の果てから果てまで飛びます。今、ここから飛べば、香港まで行くのに、以前より一時間半速くなっています。また現在、飛行機会社をつくっているのです。再臨主の特権 旧約時代には万物を犠牲にして、メシヤが来て生きることのできる基盤を築きました。しかし、責任を果たせなかったために、息子が十字架を負い、血を流し、祭物になることによって、ご父母様の来られる道を築いたのです。 英・米・仏国家が一つとなった統一天下を中心として、そこに王として来られたのです。しかし、雲に乗っては来ませんでした。それでは、雲に乗って来られたなら分かるでしょうか? イエス様が若者として来られたといえば、自分たちが霊的に見て、日の光のように輝いて見えるでしょうか? また、イエス様は黄金の塊のようにして来られるでしょうか? イエス様が来られても分からないことでしょう。だれが信じるでしょうか? 教条主義者たちが、文字どおりのことを言っているのです。夢のようなことは信じてはいけません。私は今まで、そのために反対されました。 イエス様は、「人として来る」と言われればいいのに、なぜ「雲に乗って来る」というような話をされて、文総裁を苦労させるのでしょうか。(笑い)イエス様も私を見れば、私にあいさつをするようになっているのであって、レバレンド・ムーンがイエス様にあいさつをするようになっていません。 イエス様が私を見ても、「お父様」と言うのです。イエス様がお父さんになりましたか? 結婚しましたか? 結婚できず、お父さんになれるでしょうか?この文総裁は結婚し、美人のお母様が後ろについて回るのです。それから、息子・娘がたくさんいます。カインの子女たちがたくさんいて、百八十五か国の人々が文総裁の後ろについて、「来るな」と言っても会おうと大騒ぎです。 再臨主が来られて今まで苦労しましたが、再臨主が祭物になったでしょうか、ならなかったでしょうか? 先生の家庭、子女を皆、引き裂き、韓国を引き裂き、東西統一世界を引き裂きました。父母である私がこのように苦労しています。ご父母様が十字架を負うのです。 ご父母様が苦労をして、何をしようというのでしょうか? 真の愛を中心とした家庭をこの地上に安定させようというのです。そのことを知らなければなりません。ご父母様が苦労し、本然の心情の地を求めなければならないのです。 父母が問題となって堕落したので、父母も苦労をしなければならないのです。蕩減の道を行っても、越えなければなりません。既成教会が受け入れていたならば、その苦労はなかったのです。既成教会が先生を受け入れなかったので、共産党が現れたのです。 民主世界と共産世界がアベルとカインです。争うものを統一させなければなりません。それゆえ、自分の手で共産主義をつぶさなければなりませんでした。自分の手で民主主義、アメリカの行くべき道を開いてあげなければなりません。 アメリカがレバレンド・ムーンの怨讐であり、日本が怨讐であり、ドイツが怨讐です。今、怨讐国家を生かすために、このようにしているのです。韓国と日本が怨讐であり、日本とドイツが怨讐であり、日本とアメリカが怨讐であり、ドイツとアメリカが怨讐です。怨讐の人たちを中心として、アメリカを救うのです。アメリカを解放して、キリスト教を一つにするためです。 白人たちを一つにして、南米作戦をするのです。キリスト教のアベルとカインを一つにして、南米作戦をするのです。これは歴史的なことなのです。それゆえ、旧教も文総裁が恐ろしくて反対したし、新教も恐ろしくて反対しました。反対しますが、家庭問題を旧教も、新教も消化できません。青少年問題、家庭淪落を解決できるのは、先生だけの特権です。ご父母様が苦労したのは、絶対愛を中心として理想的天国をつくるためです。 先生が祭物になってきました。先生が祭物になって、家庭理想をすべて見いだした後には、何をするのでしょうか? これを皆、相続させるのです。これを皆、相続させるためのものが三万双までの祝福だったのです。三万双の祝福は蘇生、三十六万双は長成、三百六十万双は完成です。今年五月に三千六百万双をやろうと思ったのに、神様がどれほど忙しいのでしょうか、天が全部、督促したのです。 三億六千万双が着地する日には、この地上に情緒的心情圏の地上・天上天国の統一の世界が来るのです。心情圏に生きては亡くなっていった家庭を中心としたアダム家庭完成と同じになるので、地上天国に生きてから天上天国に入るようになるのです。天国は家庭が入るようになり、国家が入るようになり、アダム一族が入るのです。 それゆえに、第三アダムとして収拾し、第四アダム圏解放を中心として、万国全体が一つの兄弟圏大家族の編成をし、家庭で王になるのです。文総裁は、全世界家庭の愛の王の出発を始めるのです。 自分が家庭的王となり、今、統一教会の王でしょう? 権力をもって羽振りを利かす大統領ではありません。学生を教える先生でもありません。何の王ですか? 愛の王です。真の愛を中心とした家庭の王です。それを認めますか?、(「はい」) ですから、男性も女性も先生を憎むことはできません。憎めば、自分の家庭が皆、分散してしまいます。統一教会に来て、祝福を受け、分かれてしまえば、永遠に皆、分かれてしまいます。落ち葉になって、腐ってしまうのです。 出ていくときは、思いのままに出ていっても、入ってはこれません。そうしながら、泣いている人がたくさんいます。出ていって、先生に反対した後に先生に出会えば、「あなた、反対していたね」と言うと、涙をさっとこぼすのです。統一教会は恐ろしいのです。サタンは、真の愛圏内にいることはできないのです。 ご父母様が苦労した目的は何ですか? 第二次世界大戦以後、真の愛の園を築こうとしていたものが、新教と旧教が一つとなって反対することで、全世界から反対を受けたのです。先生は二千年間、四百年間生きることはできません。四十年間でこれを再び引っ繰り返し、一代で完成しなければならないのです。 アダム家庭一代で、完成すべき世界舞台を失ったので、先生が血の涙を流しながら、一代で引っ繰り返し、完成できるものが現れたのです。三万双から三十六万双、三百六十万双、三千六百万双を完成するのです。蘇生、長成、完成の峠を越えるのです。三百六十万双の目的を果たしましたが、神様がどれほど忙しいのか、三千六百万双を越え、七千万双をやってしまいました。どれほど忙しいのか、霊界で総動員して、激しく駆り立てているのです。皆さんがやったとは、夢にも思ってはなりません。万物祭物、子女祭物、父母祭物 復帰歴史は、蕩減復帰であるということを知りました。蕩減復帰は、血を流す受難の道、蕩減の道であるということを知らなければなりません。そうして旧約時代、新約時代、成約時代という、この歴史時代全体と同じことを、皆さんが蕩減条件を立てて越えなければならないのです。そうしなければ、解放的愛の心情文化世界に同参できないというのが、蕩減復帰原理で見た歴史観の総結論です。 その話はどういうことかといえば、エデンの園でアダムとエバが祝福を受ける前の宇宙の万物は、神様が主人であり、祝福を受けるや否や、一つになることによって、神様のものが自分のものになることができたというのです。 私を超えて地球星、この宇宙全体までもが、神様を主人としたアダムとエバが、その根本主人だったのです。ところが、堕落することによって、神様は愛の相対を失われ、愛のためにつくられたこの宇宙はサタンのものになってしまったのです。 そこから分立するために、しかたなく万物を割き、息子を割き、父母も割いて祭物にし、順応できる絶対的信仰圏を中心として進んできたのです。神様の祭壇を見れば、万物と息子と父母が祭物になってきたということを知らなければなりません。この事実が、歴史を経て行われただけなのです。 アダム家庭で失ったものを蕩減復帰するためには、どうしたらよいのでしょうか? 万物を失い、息子・娘を失い、真のご父母様を失い、愛を失ったものを、総蕩減するために、長い歴史の祭壇を整えてきたのです。 皆さん自身の祝福家庭を見るときに、皆さんは父母の立場であるとともに子女がいます。また、サタン世界には万物があります。そこに所属している万物と子女と体が、まだ総蕩減されていなかったのです。 来られる真のご父母様が、このように万物を犠牲、子女を犠牲、父母を犠牲にし、解放的愛の世界に入っていかれるのと同様に、皆さんもその道を行かなければならないのです。ご父母様が、歴史時代にそのような三段階の祭物的過程を経て、真の父母の解放圏に入ったのと同様に、皆さんも解放圏に入らなければならないのです。 今日、皆さんはサタン世界の様式に染まっています。皆さんも所有権を持っています。物の所有権です。また、自分たちの偽りの父母がおり、偽りの息子がおり、偽りの万物を持っています。 これは、一家庭を平面的に見れば、万物は旧約時代、子女は新約時代、父母になり得る自分は成約時代です。真の愛を受け継ぐためには、旧約時代に万物が犠牲、新約時代に子女が犠牲、成約時代に父母が犠牲になったのと同様に、犠牲にすることのできる立場でささげなくては、真の父母の心情的解放圏に接ぎ木されないのです。(「アーメン」)。重要な問題です。 もはや、三億六千万双が終わる日には、すべての人類の所有権が、返還されなければなりません。万物と子女と皆さんの体が、歴史時代に神様の実体を中心として求めてきた万物犠牲の旧約時代、子女犠牲の新約時代、父母犠牲の成約時代と同様に、血を流し得る条件を中心として、皆さん一代一家で犠牲になり、否定されることのできる過程を経なくては、真の父母の善の天地の勝利圏に接ぎ木され得ません。切らなければなりません。分かりましたか? どうしなければならないのですか?、(「切らなければなりません」) 切るとはどういうことでしょうか? 否定しなければなりません。物を否定し、子供を否定し、自分自体を否定しなければなりません。きょう、第三十一回「真の神の日」を迎えましたが、今後、三年を中心として二〇〇〇年代まで、天地が転換し得る大転換式に皆さんが備えるべきものは、万物の祭物、実体の子女の祭物、自分自身を祭物にすることのできる、完全否定できる道を行くことです。避難民にならなければなりません。 物と子供と自分の夫婦、父母自体を投入するのに、喜んで蕩減復帰しなければ、心情圏、王圏の国民、あるいは孝子、天の皇族にはなれません。それが原則になっています。完全に否定して凌駕していくのです。日本のメンバー、分かりましたか?、(「はい」)。母としての使命は恐ろしいものです。自分の骨肉すべてを子供に投入して、犠牲になっていかなければならないのが、母の国の使命です。 韓国は、経済的に困難ですべてを失ってしまいます。韓国は、旧教も新教も仏教も、全宗教も、また北韓も南韓も、家庭もすべて「無」の状態です。日本が、母の国として責任を持たなければなりません。そして、天使長の立場にあるアメリカが責任を持たなければならないのです。 韓国を解放し、すべてを解決する方法を、文先生以外に分かっている人はいません。先生は日夜、苦労しながら準備しているのです。分かりましたか?、(「はい」)。この解決法は、UN(国際連合)を動かすことです。 物は自分のものではありません。子供も自分の子供ではありません。神様と真のご父母様の犠牲の祭壇の前に、それを越えていくのは、個人の所有権全部、すなわち物も子供も自分の夫婦も、勝利した真の父母に接ぎ木することによって、心情圏の世界圏に突入できるのです。それ以外の道はありません。 今から、世界的なすべての祝福家庭を集めるようにするのです。万物祭物、子女祭物、父母祭物、このようにして心情圏世界へと移るためには、世界的な勝利をした真の父母の前に、切って接ぎ木しなければなりません。 先生には所有権がありません。先生の息子・娘もすべて捨てました。今まで、息子・娘を捨てて歩んできたではないでしょうか。先生は自分まで捨てました。そうではありませんか?ここに、先生の子女たちが座っていますが、父母を自分の父母とは考えていません。統一教会の父母と考えるのです。物心がついたので、今からはそれが分かる時が来ました。「自分の父母が、このように素晴らしいとは知らなかった」と言うのです。 神様の愛と心情圏を尋ね求めて、すべてを捨ててきました。それゆえ、神様が祝福して心情圏統治世界を私に伝授されるための瞬間が、今です。皆さんがこのような立場で、解放的家庭の民族圏を成すためには、皆さんも同じ立場で清算することのできる条件として、自分の物と自分の体とすべてをささげなければならないのです。小さな立場にいる家庭は、大きな家庭に吸収されなければならないのです。 そのようにして、神様の愛の世界、天の生命の根源地に入っていくのです。万物は男性・女性の生殖器に行くために吸収されて入っていくのです。人間は、神様の愛の生殖器に入っていくために犠牲にならなければなりません。 それは間違いないでしょう? 原理観でしょう? 先生が天理の大道の原則を話すのです。分かりましたか、分かりませんか?、(「分かりました」)一度、言ってみましょう。旧約時代、(「旧約時代」)。新約時代、(「新約時代」)。成約時代、(「成約時代」)。全部、祭壇にして、天の前に置いて、解放された体で、真のご父母様が勝利したものに接ぎ木するための道を行かなければならないということは、避けることのできないことであることを知らなければなりません。分かりましたか?、(「はい」) このような原理があるので、自動的に世界が統一されるのです。レバレンド・ムーンが世界を救えばよいというのです。韓国は放っておいてもよいというのです。国連が神様の願いにかなえば、すべて終わるのです。 きょう、「真の神の日」には、今後の韓国の解決方法、世界の解決方法を教えてあげようと思います。このようにすることによって、天国に直行して解放圏に行くのです。アーメン。(「アーメン」) 新年の祝福の日が明けてくるとともに、解放の日が明けてくることを願いながら、神様の怨恨が解怨成就されることを願いながら、万歳三唱をします。神様、万歳、(「万歳」)。ご父母様、万歳、(「万歳」)。三億六千万双、万歳、(「万歳」)。神様の祝福があるように。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)。アーメン、(「アーメン」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.19
コメント(0)
「霊界祝福開門」宣布一九九七年十二月一日(午後十一時十分)、イーストガーデンにて、二十余名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は金孝南執事の両手に手を重ねて祝祷し、霊界祝福開門宣布をされた。祈祷 愛するお父様……、一九九七年十一月二十九日、三百六十万双、三千六百万双、合わせて三千九百六十万双の祝福が完結することによって、地上と天上世界の道を築き得る天の恵みが許され、万民が共に天国に入れる開門の恵沢を賜り、自分から進んで努力する祝福家庭を中心として、氏族的メシヤの使命を完遂することによって入籍し、天国の民として公認を受ける時代圏に移行するようになりました。 地上でサタンの血族を断絶すべきこの時期を代身して、地上から天国に直行し得る家庭的祝福を解怨させていただく反面、霊界にいる大母様と忠母様と大兄様、それから大母様と興進君を中心として……それからアダム家庭・イエス家庭・完成した再臨主家庭の三家庭を代身したすべての民が、霊界と肉界にいる人類全体を代表した子孫でございますから……、今や、すべての先祖と因縁を結んだ地上の家庭をすべて祝福することによって、家庭から世界まで開門できる時代を迎えました。 また、十六歳以後、サタンの血縁的問題をすべて備えた天使長圏の世界を、再臨主がこの地に来られて肉体を中心として完成することによって、十六歳以後の世界的版図まで、真の父母の血族的因縁を中心としてサタンの血統を断絶し、切り捨て、接ぎ木することのできる時代が要求されることによりまして……、霊界に新しい祝福の恵みを連結することのできる、そのような祝福を付与してくださいましたことを感謝申し上げます。 今後、清平にいる大母様と金孝南執事が一つとなって、一切を天と連結し、興進君と大母様と連結させ、忠母様や大兄様、霊界にいるすべての子孫、聖人賢哲や天軍天使の全体に、解放の祝福を受けさせることにより……、そしてまた、お父様の恵みの中で保護を受け、あなたの愛の中で血族の因縁を代身し、霊界と肉界が一つの完成した愛の家庭を築き、すべてを結実の基準として祝福を受けさせることによりまして……、霊界も開門し、地上もそれに伴って恵沢を受けることのできる特権を付与してくださいますよう切にお願い申し上げます。 世界的摂理の発展と共に、清平が仲保的な役事で、霊界と地上の統一食口を連結することによって、統一的な恵沢圏を確定することができますよう祝福してくださいませ。あなたが直接顕現なさり、導いてくださいますよう切にお願い申し上げます。 霊界に行っているすべての先祖たちと万民が一つになり、天使長圏とアダム圏が一つになって地上を完成することにより……、そしてまた、霊界を開門して、第二アダム圏を中心として長子権復帰や父母権復帰、王権復帰の全体的恵沢を受け得る地上により……、霊界までが祝福を受けられるようにしてくださらんことを切にお願い申し上げます。 そうして、天使長世界の体となった全霊界の子孫たちが、アダム的な第二の体として接ぎ木されることによって、弟的で、第二アダム的な祝福家庭として霊界に入り、カイン的立場の長子権に代わってアベルが長子となることによって、第一アダム圏を逆に引き継いで接ぎ木し、天の解放圏に祝福家庭を成立させることを許諾いたしますので、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 万民の地上解放と共に天上解放を完成し、あなたがどこにおいても、はばかりなく本然の愛の心情を広めることができますよう祝福してくださらんことを、お父様……、切にお願い申し上げます。 今、真の父母の名によって地上を完結するとともに、天上の開門となる祝福を許諾いたしますから、お父様……、受け入れてくださいますようお願い申し上げます。 このすべてのみ意が、すべてにおいて成就するようにお許しくださいませ。この日、この夕べ、このすべての霊界の開門の祝福を許諾し、すべてを宣布いたしますので、真の父母の名によって受け入れてくださり、霊界においても統一的な宣布がなされますようお願い申し上げます。 このすべてを真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン、アーメン、アーメン!(金孝南執事に)韓国に行って、先生の家庭のおじいさんをはじめ、七代先祖すべてを連結して祝福してあげ、それに続いて、霊界にいる聖人や聖哲たちを祝福してあげなさい。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.17
コメント(0)
青年文化として定着すべき純潔運動日付:一九九七年十一月三十日場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンションセンター行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会 尊敬するマリオンベリーワシントン市長御夫妻、著名な国内外の貴賓、スポーツ祝祭に参加された「世界大学原理研究会」の会員、そして紳士淑女の皆様。きょう、この朝に世界的な都市、ワシントンDCの中心に位置するコンベンションセンターにおいて、勇ましくはつらつとした世界各国の若者の皆様とお会いでき、とてもうれしく思います。 特にこの場をお借りして、今回「世界文化体育大典」の行事を誘致してくださっただけではなく、この期間に多くの便宜を提供してくださったべリー市長とワシントン市民の皆様に、改めて深く感謝を申しあげます。 世界文化体育大典は真の愛の祝典 全世界が、きょうこの場に雲霞のように集まられた若者である皆様を注視していますので、皆様もまた、皆様を見つめるこの世界に対して責任をもつと誓う場となることを願います。 私は「世界文化体育大典」のビジョンを、一九八八年、ソウルオリンピックが終わった直後に、私の祖国である韓国で公表しました。様々な面から見て、当時のソウルオリンピックは、近代史において一つの大きな転換点でした。東西の冷戦によって一九八〇年のモスクワオリンピックと一九八四年のロサンゼルスオリンピックが、部分的なボィコットの中で開催されて以降、初めてソウルオリンピックを通じて、全世界の国々が一家族として再び集まったのです。 東の共産圏と西の民主世界の若者たちが、ソウルで共に走って一つになるのを目撃しながら、民主世界と共産世界を塞いでいる障壁がすぐに崩れることを、私は予見していました。そして、これから人類がもつべき未来の祝典は、人間の肉体的な技量だけを競うオリンピック競技から、一歩進んで、文化と道徳、精神の高揚を共に目指す全人格の形成に焦点を置かなければならないと思いました。さらに、このような全人類的祝典の核心は、人間の心と体の中心となる真の愛を実現する真の家庭を築く祝福結婚の行事でなければならないと強調してきました。 ですから、「世界文化体育大典」は、全人類の心が共に調和する真の愛の祝典であり、全世界の学術、政治、宗教、言論、芸術など各分野の最高指導者たちが一堂に会して開かれる知性の文化大祭典であり、また健全な肉体を競い合い、世界の人々の団結を図る若さのスポーツの饗宴でもあるのです。 一言で言えば、真の愛を主軸として、人間の精神と肉体の調和と発展を期し、世界の各分野の指導者が知恵を集め、平和世界を設計しながら二十一世紀の新文化創造を模索する場、それが正に「世界文化体育大典」なのです。 絶対「性」による純潔運動 「世界文化体育大典」は、韓国で一九九二年と一九九五年に、各々第一回、第二回の大会が挙行されました。そしてきょう、私たちは、世界的な首都であるワシントンDCで、第三回大会の最後の行事を迎えているのです。 人類の未来を担うべき若者の皆様に、きょう私がお願いしたいことは、絶対「性」を強調する純潔運動です。この大会の期間に皆様は、絶対愛と絶対純潔を叫びながらワシントンDCの中心街を行進しました。私は、この行進こそは、今日地球上のどこを探しても見つけられない価値ある一場面であると思います。 既に昨今の世界では、「純潔」という言葉の価値やその重要性に関する論議さえも、陳腐なものとして扱われる環境になっています。純潔な愛の不在は、家庭の破綻を促し、人類の未来を暗くする根本要因になっているのです。 人類が歴史を通して純潔を強調し、これを大切にしてきた理由は、純潔それ自体が生命の尊厳と直結するものだからです。したがって、純潔を尊重する心は、命を貴く思う心と通じるのであり、それは取りも直さず、自らの氏族と全人類を大切に思う心につながるのです。さらには、この純潔の立場は、神様と出会うことのできる心と最も近く通じるのです。 いくらアメリカが強大国といっても、この純潔の問題に関して決して強いとは言えないことは、否定できない現実です。ワシントンDCが世界の首都としての体面を守ろうとするなら、何よりもこの純潔の問題において一番にならなければならないでしょう。ワシントンDCが純潔と真の愛の聖都となる日には、アメリカ全体が、全世界の尊敬と愛を受けるようになるでしょう。 青年運動として定着すべき純潔運動 人類始祖アダムとエバをはじめとして、人類の歴史上、大勢の英雄や修行者たちが越えることのできなかった峠が、正に純潔の峠でした。純潔に対しては、家庭はもちろん、学校と教会、そして政府さえも責任をもてないというのが今日の問題点です。 純潔を守る最善の方案として私が教えてきたものが絶対「性」です。これは、神様のもとで結ばれた愛の相対は永遠であり、いかなる条件下においても変わることのない絶対的な愛の関係だという意味です。なぜかというと、二人の配偶者の出会いは、永遠で絶対的な神様の愛を中心として実現されるものだからです。これは男性にのみ強調されるものでもなく、女性にのみ該当するものでもありません。男女共に絶対的に守るべき天倫なのです。 フリーセックスこそは、この地球星から完全に根絶すべき邪悪な風潮です。このフリーセックスと関連した要素は、麻薬、暴力、同性愛、エイズなどのように人類を破滅へと追い込んでいく要因なのです。 このように「世界文化体育大典」の目標が、完全な人格体を育て、真の愛の土台である真の家庭を築くことなので、この大典に参加された皆様にとって、純潔の意味はさらに格別であり重要です。皆様が展開するこの純潔運動が地上に定着するとき、真の家庭運動は最も大きな力を得るのです。 ですから、皆様は、この純潔運動を新しい青年文化として、一日も早く世界中に定着するようにしなければなりません。既に三百六十万家庭、そして三千六百万家庭が、今回の祝福結婚の行事を通して、純潔と絶対「性」を誓いました。皆様はこれから、踊りと歌とスポーツを楽しむ祝祭を終えて、純潔と真の愛のメッセージを、大学街、そして世界の津々浦々に伝えなければなりません。 真の家庭運動は新しい平和運動 韓国の諺に「民心はすなわち天心である」という言葉があります。既に三千六百万組に至る家庭が、神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことを誓って立ち上がったとすれば、それは正に神様が共におられるという意味にほかならないのです。 ですから、三億六千万家庭を新たな目標として引き続き推進されるこの真の家庭運動は、正に神様をこの地球星にお迎えする新しい平和運動なのです。したがって、人類が新しい二〇〇〇年代へと進入するための最上の準備は、三億六千万組の祝福結婚行事を成功裏に成し遂げることであると言わざるを得ません。 今回の祝典に参加された皆様は、これから御自身の国にお帰りになり、一層自信をもって純潔運動を活発に展開してくださり、真の家庭の理想がこの地に定着するよう積極的に後援してくださることを願います。 きょう行われる皆様のスポーツ大会が、若さを燃やし、友誼(ゆうぎ)をさらに固める機会となり、本大典の有終の美を飾る行事となることを期待します。皆様と皆様の御家庭と将来に神様の祝福が共にあることを祈ります。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
4000万双世界祝福式祝祷:主礼・真のご父母様1997年11月29日 愛する天のお父様 きょう一九九七年十一月二十九日、このワシントンDC、R・F・K・スタジアムで、三六〇万双と三六〇〇万双を合わせて、三九六〇万双の結婚式を挙行するようになったことを心から感謝いたします。 ここに集ったあなたの善男善女が、真の父母によって因縁づけられ、真の愛の血統を受け継ぎ、真の夫婦として家庭を成立することのできる、歴史的な新しい起源をなすことのできる、祝福の行事を許諾してくださったことを心から感謝いたします。 全人類が注目し、国家的に選抜された多くの善男善女たちが、国々が注視する中にあって、それだけでなく、全霊界と神様が注視する場で、天地が和動する場で、真の父母と共に、真の子女が神様の伝統的家庭を相続することのできる、祝福の結婚式を許諾してくださったことを、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 歴史を回顧するとき、人類始祖の一瞬の失敗によって、億千万年、恨みの心情を天の父母の前に残し、数多くの先知先烈たちはこのことを蕩減復帰するために、受難の道、犠牲と祭物の道を歩んできたことを知っております。 アダム・エバ、人類始祖の一家族の失敗によって、恨みの歴史を残した神様の御旨でしたが、この背いた家庭によって世界を築いてしまったのです。それを再び取り戻すために救援摂理を広げてくださり、この地上に新しいメシヤを送ることを旧約時代に約束されました。 本然のエデンの園で成就すべき第一アダム家庭が完成できなかったことを蕩減復帰するために、第二アダム的立場でメシヤとしてこの地上に来られ、真の父母となり、天と地を代表し得る天の父母と地の父母が真の愛を中心として一つになり、神様の血統をアダム家庭を通して後孫まで連結させ、真の愛、真の家庭、真の国家理想を広げなければならなかったのでございます。 そのためにメシヤであるイエス・キリストは、この地上に第二アダム格の存在として来られ、これを成就しようとしましたが、イスラエル民族とユダヤ教徒たちが一つになり従うことができず、成就することができませんでした。メシヤ的使命、地上に真の父母の天的伝統を伝授するという責任を果たすことができなかったのです。家庭をなして、このことを国家、世界に伝授することができなかったことによって、十字架を負い、再臨という言葉を残して逝ってしまいました。 その後、二千年の歴史が過ぎたこの世界的な版図の上で、家庭基盤と国家基盤で失敗したものを蕩減復帰するために、再臨主を送ると約束されたのでございます。再臨主は第三次アダム完成の立場として、真の父母の立場に立ち、天の血統的伝統を再び相続させるために来られるのです。今、神様を中心として、真の父母を中心として、祝福家庭を編成し、三九六〇万双祝福の立場にまでまいりました。これは天の栄光であり、地の誇りであり、万民解放の祝福の時でございます。感謝申し上げます。 天地の祝福が地上に臨むことができず、神様が地上に臨在し、直接役事できませんでしたが、この祝福とともに今、直接この地上に安息圏を立ててくださり、神様と天上世界と聖人たちの世界をこの地上に再臨できるようにしてくださいました。そして、直接、祝福家庭と民族全体の家庭を結びつけ、お父様の血族の因縁を完全に結びつけることによって、サタンの血統断絶を願う、世界的な天の勝利を宣布することのできる、天に栄光と喜びを帰し奉ることのできる、栄光のひとときを許諾してくださったことを感謝いたします。 今、この時間以後、三億六千万双、人類全体解放の祝福の恩賜を、アダム家庭で完成できなかったことを、全人類の家庭、家庭が完成した立場で祝福の因縁を許諾なさることを願い、最後の前線に向かい前進いたしますので、今から以後、天が直接主導なさり、その目的達成のために全天地が動員され、神様の勝利圏をもち、天の善の主権を中心として、自由な立場で神様が主管することのできる勝利的覇権の王圏を立ててくださるようお願い申し上げます。 このような御旨に従い、きょう、ここに三九六〇万双の祝福を成就するようになったことを感謝いたします。これは蘇生、長成、完成の三六〇万双を越えて、その分水嶺を越え、三六〇〇万双と三億六千万双を着地するための、今後進みゆく路程の足場となるよう祝福してください。 きょう、集った新郎新婦が、無限なる愛、真の父母の愛、天の伝統的血統を受け継ぎ、万世に誇ることのできる血族の先祖たちとなるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 この神聖な結婚式を、お父様、喜びをもって奉献いたしますので、お受けください。ありがとうございます。真のご父母様の御名によってこの者たちを祝福いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 この祝福結婚式に参加された、ご父兄、友人、すべてのゲストの皆様、ここワシントンDCにいらっしゃる新郎・新婦の皆様、世界百八十五か国でサテライトやビデオを通して祝福を受けておられる新郎・新婦の皆様にご挨拶申し上げます。 祝福は、世界文化体育大典の中心イベントでございます。文鮮明師ご夫妻は世界文化体育大典を、一九八八年のソウル・オリンピックの期間中に初めて発表されました。その時以来、文化体育大典は、全人類のための総合的なフェスティバルとして、一九九二年、一九九五年に開催されました。今回は第三回目の記念すべき大会であり、この大会はワシントンDC市によって招請され、歓迎を受けました。この大会の組織委員長として、私は心からの感謝を、名誉あるワシントンDC市長ならびに市民の皆様に申し上げたいと思います。 私たちは新しい千年期に突入しつつあり、人類は深刻な岐路に直面しています。外的には、科学技術は人間生活をかつてなかったほどに、便利で、心地よいものにすることができました。しかし、内的には、人類史上、今日ほど深刻な問題に直面したことはありません。 人類の罪と不運は、人類始祖がサタンの偽りの愛を中心とした不倫の愛の行為で堕落した時に始まりました。彼らは神の祝福を受けずに結婚したので、神の愛を中心とした、真の個人、真の夫婦、そして真の父母になることができませんでした。それどころか、彼らは偽りの夫婦となり、罪ある子女を生む偽りの父母になってしまったのです。人類始祖は堕落のゆえに、善なる人類を形成することができませんでした。 私たちはすべて、この偽りの父母の子孫です。これをすべて本然の理想へと復帰するのが、神の救援摂理です。それゆえ、人類は最終的に真の父母を迎えることになるのです。なぜなら、真の父母は、真の愛の起源と基準を代表するからです。真の父母は祝福の基であり、それが理想家庭の源なのです。 祝福は一九六〇年の三双から始まり、成長に成長を重ねて、一九九二年には三万双が、一九九五年には三六万双が祝福されました。一九九五年のイベントの直後、文鮮明師は「一九九七年に三六〇万双の祝福をする」と宣言されました。しかし、だれも信じることができず、自分の耳を疑いました。しかし、実際に、その目標は今年の七月十五日までに実現され、そのうえ、その十倍の三六〇〇万双のカップルが、まさにこの祝福式に私たちと共に参加しているのです。これは、八千万人近くの人々が、このフェスティバルの主役であるということです。 彼らは、人種的、宗教的、文化的な壁を超えているのです。そして、民族的、人種的、宗教的な壁のゆえに起こった数え切れない対立と戦争で傷ついた、人類歴史の前に立つ、中心的役割を果たす方々です。これはまさに奇跡以上のものです。これが可能となったのは、何よりも、神様が存在されるゆえであります。 多くの国々の国家指導者の皆様同様、主要宗教ならびに宗派の指導者の皆様が、真の愛を中心とした、この貴重な「真の家庭運動」を力強く支援してくださっていることに対して、私は心からの感謝を申し上げます。 祝福式は、偽りの愛の遺物を解決し、結婚に絶対的な真の愛を注ぎ、結婚の聖なる内容を復帰することを追求しています。それは、真の夫婦の愛と真の父母の愛を復帰するための儀式です。したがって、すべての祝福参加者は、純潔と貞節を大切にし、守り抜くことを誓うのです。そして、それぞれが変わらない夫婦の愛を誓い、真の家庭を築き、自分たちの子女を全身全霊を込めて、平和世界実現のために貢献する真の子女として育てることを誓うのです。 平和国家と平和世界は、理想家庭を守ることなしには現実のものとなりません。このことは、結婚とは単に、肉体的に男性と女性が一つになることではなく、人類の平和のための基本的な土台をつくる以外の何ものでもない、ということを意味しているのです。 きょうは本当に希望の日です。それは、人類がすべての壁を真の愛で超え、真の平和世界を築くことができるという可能性を証明しているからです。全人類に対する偉大な祝福であり、世界一家族、全人類兄弟姉妹の実現を、自分の目で体験することができるのです。 親愛なる三九六〇万双、祝福カップルの皆様、真の愛の理想はこの地上生活を超えて、霊界までも永遠に続くことでしょう。祝福の理想を中心とした皆さんの模範的な愛の生活は、世界の新しい希望となり、標石となることでしょう。 皆様が今受けようとしておられるこの祝福の貴い内容を大切にし、真の家庭を築いて、この最も高く、最も貴い祝福を、来るべき子孫に相続してくださることをお願いいたします。 皆様のご家庭に神様の祝福がありますように。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
青年は真の愛実践の主役日付:一九九七年十一月二十八日場所:アメリカ、ワシントンDC、ハイアッ卜リージェンシーホテル行事:第三回「世界平和青年連合」世界大会 親愛なる「世界平和青年連合」の会長、尊敬するリチャードルービンシュタイン共同議長、世界各地よりお集まりになった内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょう、世界百三十ヵ国を超える各国の代表の皆様と共に、「世界平和青年連合」の第三回世界大会を、ここアメリカのワシントンDCで開催できたことを心からうれしく思います。 特に、きょうのこの大会が、歴史的な三百六十万組の祝福結婚式の行事を中心とする第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれたことは大変意義深いことと思います。なぜならば、地球星の各地から人種と宗教と国籍を超越して、世界的に開催されるこの祝福結婚式の行事の主軸が、正に善男善女として選ばれた青年の皆様であるということだけではなく、二十一世紀を眺望して開かれるこの期間のすべての会場で、青年の皆様がその実践の主体となるからです。 これまで世界各国、そして社会の各分野と階層において、世界平和の実現のためにあらゆる心血を注いで努力し、貢献してこられた青年連合会員の皆様に、深い称賛と感謝を捧げたいと思います。 特に、皆様の活動が「世界大学原理研究会」、「世界平和女性連合」、そして「世界平和統一家庭連合」とともに、真の家庭理想の世界的な実践として、今年の祝祭の祝福対象とする家庭数の目標を三百六十万組から、その十倍を超える三千六百万組に、その上にまた数百万組超過して達成した成果に対し、天と皆様に感謝を捧げます。今後、三億六千万組に拡大して展開されるこの祝福結婚式の行事に、青年連合の会員の皆様が、より一層積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。 青年は歴史的転換期の主役 今日、私たちは二十一世紀の入り口に立っています。既に世界各地では、二十一世紀を迎える行事の準備のカウントダウンが始まっています。新世紀を迎える人類の心には、みな等しく、私たち人間が経験した過去のどの時よりも良い、神様の新しい絶対的真の愛で一つになった家庭の価値を探し立てる、そのような新しい世界になることを願う熱望に満ちています。 新しい真の愛の理想を指向する人間の情熱が、世界歴史の変化の原動力になったことを考えるとき、誰よりも高い真の家庭理想を追求し、強い実践の意志をもつ青年の皆様こそ、この歴史的大転換期の主体であり、主役とならざるを得ません。ですから、新世紀の扉を開き、新しい理想的家庭の変化を渇望する人類の前に、皆様は希望の象徴として現れるのです。 歴史上には、文学作品に、青年たちの役割と特性、またはそれに対する礼賛の言葉が数多くありました。しかし、今日ほど、家庭や国家、また世界において、青年の役割と責任だけではなく、真の家庭に対する革命が強調される時というのは、まれなことだと思います。ですから、今回の大会で「真の家庭と国家と世界のための青年」という大きな主題を中心に議論することは、非常に時宜にかなったことであると言わざるを得ません。 現在は、家庭や国家、世界のすべてが深いジレンマに陥っています。世界的に産業が発展し、機械文明が発達し、人間の生活が便利になるほど、かえって私たちの生活の基礎となる家庭は破錠に向かっているのです。アメリカ統計局の資料によると、急増する離婚率は、一九七〇年から一九九〇年までで三倍も跳ね上がり、六家庭に一家庭は離婚するという結論が出てきています。そして、全国的に三〇パーセントの子女が片親のもとで育っているという実情です。さらにその上、同性愛の夫婦という世紀末的な奇現象までますます広がっているのです。 実に四〇パーセントに達するアメリカの十四歳から十九歳までの少女たちが、妊娠を経験するという報告があります。三十年前に比べ、青少年の自殺率が三〇〇パーセントになるという爆発的数値を示しているのは、衝撃的なことであると言わざるを得ません。家庭の崩壊現象は、現代社会が抱える最も深刻な危機要素となっているのです。国家的な次元においても、慢性的経済不均衡と麻薬、暴力、エイズなど、街の隅々に硬直した社会問題の前に、政治の力はその限界をさらけ出しています。 さらには、今日の世界は依然として戦争とテロの脅威、人種間の葛藤、宗教間の反目、そして環境破壊のような全人類的な課題を抱き、苦悩しています。数多くの地域の人々が飢餓と疾病の苦痛の中でむごたらしく苦しんでいる様子は、いまだに私たちが無視できない現実として残っているのです。このような現実こそ、今まで人類が経験してきたすベての理念や活動に対する総体的な成績表となります。そしてその内容は、不幸にも落第点なのです。 ですから、すべての家庭と国家と世界は、新しい変化を切実に追求しています。新たな二十一世紀を迎えながら、私たちは自ら、すべての家庭と国家と世界を新しく変化させなければならないという、主体的自覚が先立っていかなければなりません。 私たちに与えられた課題は、変化の主体として新しい青年像を確立し、新しい真の家庭と真の国家、そして真の世界のための新時代を開かなければならないのです。すべてが新しくならなければならないときに、新しくなれなければ破壊されてしまいます。 一粒の種は、芽を出すことができなければ腐ってしまいます。新しい朝が来れば、新たに身支度をしなければなりませんし、新しい季節が来れば、新しい生活環境を整えなければならないのです。重要なことは、新しい変化の風によって真の世界をつくるために、私たち自身が、真の家庭と真の国家によって新しくならなければならないということです。 青年連合の会員の皆様。自分自身を新しくし、家庭と国家と世界、そして歴史を新しくする方案とは何でしょうか。二十一世紀の入り口に立った私たちにとって、本連合の創始者であられる文鮮明先生が教えてくださり、手本を示してくださった真の愛の家庭と国家と世界の理念は、平和世界の基本理念として、新しい歴史を開いてくれています。 真の愛の初舞台は真の家庭 本来、神様の創造理想は、投入しては忘れ、また投入しては忘れるという犠牲的な真の愛から出発します。神様のすべての創造の労力は、御自身の力を投入する犠牲ですが、それは愛の力を動機としているので、数千万倍大きな喜びとして再び神様に返ってくるのです。父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を満たすのです。このように犠牲的な真の愛の力は、与え合う作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。 しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真の家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟して実践される場は、真の家庭なのです。 真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟愛を通して、真の国と世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練する場は真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していく、歴史的な鎖の基本単位も真の家庭です。 やせた土壌からは充実した実が期待できないように、破壊された家庭から、正しい社会人や世界人は形成されません。ですから、この時代に青年の皆様に与えられた召命の第一は、皆様が真の愛の主体となり、真の家庭文化と真の家庭伝統の基礎を築く主役になることです。 青年の理想と情熱が現実的に展開されるところは、真の家庭の上に立った国です。そのため、国家の評価は、政治、経済、軍事力、または文化力に基づいて行われるのではありません。正に家庭では孝子、国家では忠臣となるような青年の精神と愛国の衷情によって行われるのです。青年は芽であり、芽が枯れた木は未来がないのです。 しかし、すべての国々に見られる青年の実情はどのようなものでしょうか。すべての国々が抱えている最も究極的な問題は、青少年の問題となっているのです。政治、経済、社会、そして環境的な問題は、制度的な改善や財政的投資によって、その解決点を見いだすことができますが、青少年の問題は、法律や軍事力、または経済力によって正すことができるものではありません。また誰一人として強制的な力によって改善することはできないのです。それには、もっぱら青少年が自ら、自分に対して責任をもつことができるようにしなければなりません。そのためには、青少年たちをして、真の愛に同化させ、その主人として定着させなければなりません。 すべての理想の原点であり、未来に向かって永遠に作動する真の愛は、青年たちにとって生命以上の力になります。青年たちが真の愛を中心とした新しい国家観をもつとき、国家は新しい発展の可能性を見いだすのです。真の愛の姿勢を備えることによって、すべての諸団体は、衝突する利害関係の枠を跳び越え、協力と調和と発展の社会を成し遂げるのです。 真の愛を中心とした国家観をもたなければならない 国を動かし引っ張っていく原動力は、犠牲的な愛国の衷情の真の愛から生まれてくるのです。私たちが尊敬する多くの愛国的英雄、烈士たちのうちで、真の愛を中心として犠牲の生涯を通過しなかった人はいません。世界的次元でもまた、地域、人種、宗教、文化、慣習、言語、国籍など、一つの平和世界のために跳び越えなければならない挑戦の課題が山積しています。しかし、宇宙万象を創造なさった神様の真の愛の目を通して世界を見るとき、世界は、人種、言語、宗教、理念的な違いを越えて一つに見えるのです。青年たちが、神様の真の愛を中心に犠牲と奉仕の努力をするならば、世界の貧困と飢餓問題、貧富の格差と歴史上の葛藤と憎悪は、解決の糸口を見いだすことができるのです。 愛せないものまでも愛するという真の愛の定義から、私たちは、葛藤する関係が克服される明確な方向性を発見するようになります。自由と平等の理念的矛盾も、真の愛の場で初めて一つの出会いの場を見いだすのです。 歴史的に対立してきた神様と人間、そして人間と人間の和解も、真の愛の理念の中でこそ可能なのです。与えてはまた与え、そして与えたことを忘れて、もっと与えることを願う神様の真の愛を実践することによって、利己主義を克服し、和合と繁栄の世界に進んでいくことができるのです。特に、「家庭は国のために、国は世界のために、そして世界は神様のために犠牲になる位置に進まなければならない」という真の愛の倫理展開においてこそ、民族的利己主義や国家的利己主義を越え、永遠の平和世界を望むことができるのです。 真の青年文化を確立しなければならない 過去のどの時よりも今日の問題は、人類全体を総体的な運命圏として考えなければならない特徴をもっています。ですから、ある地域や国家で起きた問題は、世界の勢力の均衡と、経済に即座に影響を及ぼすばかりでなく、言論の発展によって、世界は既に、分、秒の生活圏へと差しかかっています。 今この瞬間にも、インターネットのシステムにコードさえ入力すれば、全世界とリアルタイムで意思疎通できる扉が開かれます。空中に浮かぶ二百個以上の通信衛星によって、地球は既に一つの囲いのようになり、人類はその中で一緒に生きていく地球家族となりました。すべての個人をはじめとして、世界の家庭、国家、そして人類の問題を一つの統一された課題として解決し、どこでも同時に一貫した次元の平和を実現できる万能の鍵は、正に真の愛の力、真の愛の理念です。そして、その真の愛の実践の主役は、正に真の愛の青年の皆様なのです。 純粋さ、新鮮さ、情熱、力、勇気、挑戦、前進、犠牲、忍耐、理想、希望などは、真の青年たちに特権として与えられる祝福の単語です。このすベての単語は、真の青年たちが、家庭と国家、そして世界において真の愛を実践するとき、初めてその真価を発揮するのであり、ひいては真の青年たちは、真の希望の実体として登場するのです。新しい方向とビジョンを提示し、実践に移すことのできる人だけが、新しい時代の主人公になるというのは、歴史的に実証された真理です。 祝福結婚運動は人類的文化革命 皆様は、いかなる環境においても歪曲されない絶対愛、絶対純潔の運動を通して、真の愛を中心とした真の青年文化を確立しなければなりません。真の愛を中心とした真の家庭を守護すべき真の青年たちにとって最大の敵は、退廃や享楽のような非道徳的風潮であることを肝に銘じなければなりません。真の愛の基盤となる真の家庭を築くことこそ、今世紀の生死を分かつ至上課題なのです。 このような観点から、今後繰り広げられる三億六千万家庭の祝福結婚運動は、全世界が歴史的に死活をかけて成就しなければならない人類的文化革命なのです。人類歴史において見ることのできなかった精神的で道徳的な新紀元を成し遂げるのです。 皆様のような真の青年たちが真の愛の主体となり、真の家庭、真の国家、真の世界の建設の主役となるとき、私たちに近づいてくる二十一世紀は、希望と展望ある未来へと広がっていくことを私は確信します。今後成就される三億六千万組の国際合同結婚式の完成に向かって、皆様がお帰りになりましたら、国家的次元で後援会を結成し、積極的な御支援をお願いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.13
コメント(0)
真の家庭理想による平和世界の実現日付:一九九七年十一月二十七日場所:アメリカ、ワシントンDC、キャピタルヒルトン・ホテル行事:第四回「世界平和会議」 尊敬するシドキー議長、基調演説者の皆様、著名な元、現職国家元首と紳士淑女の皆様。「二十一世紀に向かう世界ビジョン」という主題で開かれた「世界平和連合」の第四回「世界平和会議」に参席してくださった皆様に、深く感謝申し上げます。 私は来たる土曜日、RFKスタジアムで行われる特別な行事に、皆様を直接招待したいと思います。世界宗教の代表的指導者の祝福の中で、私と妻は、百八十五カ国から参加した三千九百六十万双に対する祝福結婚式を挙行いたします。当初の目標だった三百六十万双を超え、再び三千六百万双を超過して達成いたしました。皆様の国からも多くの夫婦が同参するでしょう。百八十五カ国の代表を含めた三万双の夫婦がスタジアムに参席し、同時に人工衛星とビデオを通じて、世界的に祝福結婚式が連結され、進行するでしょう。 この祝福を受ける夫婦は、自分の家庭と夫婦の結合を神様のみ前に誓約し、配偶者には永遠の信頼と純潔を誓い、そして子女には高こ徳と純潔を教えながら養育することを約束します。この夫婦たちは、言語と人種と国家と宗教の背景が様々です。しかし、彼らは神様の愛、そして世界平和は神様を中心とした完全な家庭から始まるという信念ゆえに、この祝福式に同参するのです。 私は、皆様がこの歴史的な式典を見物するだけではなく、皆様もまた、関係ある周囲の人々と共に神様のみ前に出て、自らの結婚の誓約を新たにすることを願って、その場に招待いたします。 人類共通のビジョンのために きょう私は、人類共通のビジョンを見つけ、実現するために歩んできた過去の五十年を回顧しようと思います。人類は第二次世界大戦の痛手を踏み越え、すべての国が平和になる道を探そうとしました。 神様は私に、二千年のキリスト教の基盤の上に神様の天国を建設する世界的な運動を指示されました。啓示の中心は、真の父母と真の家庭を探し出す公式路程でした。しかし、当時の韓国のキリスト教指導者は、この真理を受け入れることができず、神様に大きな失望を与えました。私は迫害と反対を受け、罪なく投獄される苦難の路程を歩まざるを得ませんでした。 キリスト教のこの歴史的な過ちが讒訴条件となり、韓国で悪が勢力を得て、韓半島が完全に分断され、半世紀にわたる受難の歴史を生み出す摂理の内的原因となったのです。 神様が下さるメッセージを拒絶したことが、なぜこれほど不幸な結果を生んだのかということを知るためには、神様が五十年前に私を通してキリスト教指導者に下さったメッセージの意味を知る必要があります。そのメッセージは、本質的にきょうのメッセージと同じです。ただし、キリスト教のためだけのものではなく、ユダヤ教、イスラーム、仏教、ヒンドゥー教、そしてすべての宗教と宗派のためのメッセージです。それは、神様を中心とした真の家庭の理想だけが、個人相互間や家庭と社会、そして国家相互間の真の関係と平和を達成する土台になるということです。 私は青少年のときから、人間の罪と苦痛の根源を探そうと必死に努力してきました。私はこれまで多くの涙を流し、誰も理解できない長い歳月の祈祷生活と孤独な霊的闘いをしてきました。長年、聖書に対する研究と広大な霊界を遍歴したのちに、ようやく神様が真で理想的な人生を啓示してくださったのであり、また人間の苦痛の根本原因が、エデンにおいて人間の先祖によって始まったことを教えてくださいました。 真の愛と真の家庭の理想 尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様が真の愛と真の人のために、万物を創造なさったことを知らなければなりません。被造物はすべてペアになっています。動物界、植物界、鉱物界、すべて主体と対象の関係でできており、互いによく与え合うことによって形成される調和は、それらが存在して繁殖するすべての力、そして愛と善の基盤になるのです。 人間もまたこの原則に従って創造され、個人は心と体でできており、そして男性と女性になっています。神様の理想は、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった個人と、そのように完成した男性と女性が一つになる家庭です。このようになれば、人間は神様の神性を正しく反映できるのです。また、神様の真の愛の対象体となり、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を伝えられるようになるのです。 アダム家庭は、神様の理想と一致した真の愛の家庭を築かなければなりませんでした。人間始祖アダムとエバは、神様の無形の性稟を実体的に完成し、神様のみ旨と愛を宇宙に伝えるという期待の中で創造されました。アダムとエバとその子女たちは、全人類が従うことのできる根本原理を生活の中で確立するはずだったのです。 アダムとエバの子孫は、心と体を一つに完成し、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭、また子女と共に一つになった家庭を成し、自由と平和と幸福と希望が地上全体に満ちた、安定した基盤を築いたでしょう。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がるのが神様の理想でした。真の家庭において形成された天国モデルが国家全体に拡大され、国家圏の天国が全世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。 人間の最も基本的な心の姿勢と人格は、家庭で形成されます。家庭は愛と人格、そして生活の出発であり、その根本基台となります。人生は家庭基盤の上で、父母の愛によって生まれ、息子、娘の段階から夫婦の位置、父母の位置、祖父母の位置へとその位相を異にする愛の人格体として完成し、結局、子孫の愛情の中で天の国に行くようになっているのが創造原理です。家庭を通して歴史と国が生じ、理想世界が始まります。これがなければ、個人の存在する意味もなく、血統の伝承もありません。ですから、家庭はすべての価値と理念、そして制度と体制より優先される、最も貴い人間の愛と生命の本拠地になるのです。 人間の罪の根本と真の家庭理想の回復しかし、悲惨なことに、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えたのです。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果から始まりました。堕落によって人類の始祖は善の先祖になれず、悪の先祖となり、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。 このように誤った愛から出発した最初の家庭は、真の愛の完成人格である真の人、真の夫婦、真の父母の始原をつくることができなかったのです。偽りの愛の結実である堕落人間の利己主義は、真の愛の秩序を破壊し、自身の心と体の葛藤から、家庭、国家、世界的な葛藤によって、分裂と闘争を拡大してきているのです。 人間の不幸を治癒する解決方案は、神様に帰る蕩減復帰しかありません。ために生きる真の愛によって心と体の闘いを中断させ、本然の真の愛の人格に復帰しなければならないのです。人類が真の愛の人格の始原と標本となる真の父母を迎えて祝福を受けることによって、理想家庭を築くべき理由がここにあります。 個人を復帰し、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただこの真理だけが、争っている教派を一つに統一でき、また地上天国を成し遂げることができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教の人々に明らかにしました。私は、もう一つの教派をつくる意向は全くありませんでした。しかし、神様のメッセージは既存の教団から拒否され、迫害を受けました。私はやむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、そのために過去四十三年間、苦労してきました。一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」を創立し、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に、私たち夫婦は多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野などで扱われ、この世界を蕩減復帰できる標本と典型をつくろうと努力したのです。 神様の三つの悩みの種 罪の根源であるサタンの戦略は、真の家庭理想が実体化され、根を下ろすことができないように、常に破壊することです。これが過去五十年の間に、神様の三つの悩みの種にもなりました。第一は神様の存在自体を否定する共産主義であり、第二は不道徳と堕落であり、第三は教派と宗派間の分裂と葛藤です。 考えてみてください。どれほど多くの罪なき人々が、共産主義によって命を奪われたでしょうか。一億以上の人々が犠牲になり、また数億の人々が追放されて強制的に奴隷生活を強いられ、虐待と飢えに遭い、戦争で傷を負って、生涯を苦難の中で送らなければなりませんでした。それだけではなく、神様を否定する非真理を伝播することにより、人間が究極的な価値を見いだせないようにした罪科は、本当に大きいものがあります。 神様の二つ目の悩みの種である不道徳と堕落は、まるで押し寄せる荒波のように、家庭と国を破壊し、命を奪っていっています。道徳の崩壊は離婚と家庭破壊、青少年の淪落と未婚の母の問題、そして麻薬中毒などの悪の実を結びます。 これは特定の国の問題ではなく、世界共通の問題になりました。世界的に広がっていくエイズは、淫乱と乱雑な性生活の直接的結果です。日ごとに増えていくエイズをこのまま放置すれば、何百万、もしくは何千万の人命が失われていき、人類の存立を脅かすでしょう。 神様の三つ目の悩みの種であるキリスト教の教派間、または世界の宗派問の葛藤と分裂はどうでしょうか。神様にとって、宗教者は世界の良心でなければなりません。彼らは悪に打ち勝てる伝統と価値と実践力をもっていなければなりません。ところが、互いに反目し、分裂しながら争っているので、無能になって感化力を失い、悪に打ち勝って世の中を正しく指導する力を喪失したのです。以上の三つの根本問題は、五十年前に宗教指導者たちが神様の摂理に対して無知で、神様のメッセージを受け取れなかったことにより生じた結果です。 人間の責任分担の重要性 世界の高名な指導者の皆様。神様の見解では、過去五十年間、世界のすべての不幸と絶望と破壊が必然だったとは捉えません。避けることができたのです。もし一九四〇年代の後半に、キリスト教を中心とした宗教界が神様の啓示に従い、真の家庭の理想と一つになっていたならば、共産主義はいち早く衰退していたでしょう。また、各教団の影響力ある指導と模範を見せる実践生活により、青少年の退廃、家庭破壊、エイズなども世界的な問題にならなかったでしょう。 共産主義者は、私を中傷して謀略を巡らし、評判の悪い問題の人物に仕立て上げました。私にファシスト、または似非宗教者というレッテルを貼り、世界的に誹謗を浴びせました。アメリカでは脱税という捏造の罪をかぶせ、監獄にまで送りました。しかし私は、過去二十五年間、アメリカが摂理的な使命を悟れるよう、私のすべての精誠と魂を注いできました。西洋を中心に、世界に寄与した私の思想的な指導と立体的な活動を通して、アメリカが共産主義に打ち勝てるように助けることができたのです。今や共産主義は、ほぼ消えつつあります。 不道徳と淫乱、そして退廃の風潮は、享楽主義と共に家庭を組織的に破綻させています。一部の現代人は、「伝統的な家庭以外に、同性愛の人々もまた別の類型の家庭を築くことができ、彼らは養子や人工授精によって子女をもつことができる」と考えるまでに至っていると言います。 これは、長い歴史を通して人類が存続してきた人類の存立の霊的根本土台を破壊する、恐ろしい結果を生み出しています。皮肉なことに、科学者は絶滅する植物や動物の種類に対して嘆いていますが、根本が破綻する家庭については悟れずにいるようです。 今日、神様は私たちに質問されています。「人類は救いを得るまで、人類の三分の一ほどをエイズや戦争によって失わなければならないのだろうか」、「神様が本来計画したとおりに、人間が万物と調和して暮らすことを悟る前に、地球の自然資源と環境がすべて破壊されるのではないだろうか」と。 神様は、決して諦めたりはされません。どのようなことがあっても、神様は真の家庭理想を通して人類と世界を救い、回復されるでしょう。疑問なのは、どれほどの代価を払うかということです。人間の生命だけではなく、経済的な損失や環境の破壊まで含めた代価のことです。堕落と不道徳のゆえにもたらされた社会問題は、経済的な崩壊とともに、さらに悪い環境をもたらします。世界の指導者はこの点を深く反省してみる必要があります。 神様の希望は、人間の苦痛が終わり、真で平和な世界一家庭を形成することです。神様は、私たちが自ら責任分担を完遂することを願われます。もし、人類が神様のメッセージを受け入れ、また確信をもって行動すれば、神様の国はそれに比例して早く、喜びの中で成就できるでしょう。そのようにしなければ、神様と人類の苦痛は延長され、不必要な死亡と不幸が続くでしょう。 真の愛による祝福結婚 それでは、神様の悩みは、どのようにして解決されるのでしょうか。どのようにすれば、家庭が根本的に健全になれるのでしょうか。どのようにすれば、分裂した諸宗教が神様のもとで和解、協力できるのでしょうか。その答えは、国際祝福結婚式の中にあります。私と妻は、一九六〇年に三家庭を前にして主礼を行い、祝福結婚式を始めました。そのとき人々に、全世界の何千万双が神様の祝福を受けるようになると話せば、誰が信じたでしょうか。しかし、超国家、超人種、超宗教的に神様の祝福のもと、夫婦が純潔と貞節を守ることを誓約する三千九百六十万双の祝福式が、皆様の前で現実として進行されることになったのです。 尊敬する指導者の皆様。私はこの場で、過去五十年間の祝福歴史の中における困難だった事情を語ることはしません。ただ、祝福結婚式によってのみ、崩壊していく世界の家庭が根本的に安定し、その本然の役割を果たせることを重ねて強調します。各自が神様に侍る真の愛の人格を形成し、真の夫婦、真の父母になろうとする厳粛な誓約なくしては、真の家庭が回復されません。祝福結婚式によって創出された楽しく和合する家庭であってこそ、平和な社会と国家、そして世界をつくることができます。特に、国家と人種と宗教を超えて行われる祝福結婚それ自体が、世界平和の礎石になるのです。これが神様の願われることではないでしょうか。 今回の祝福結婚に、奇跡のように多くの家庭が同参するようになったのは、世界の志ある各教団の指導者の積極的な支援によるものです。そして、多くの国家指導者が、青少年の淪落と家庭破綻の問題は、この真の家庭運動によってのみ根本的に解決できるということに共感し、積極的に協力したので可能となったのです。私はこの場を通し、これらすべての支援者に、もう一度感謝申し上げます。 祝福結婚式は、人々、特に若者たちに真の愛の価値を自覚させ、絶対純潔の必要性を共感させる動機と媒介になるでしょう。この運動によって自覚した世界の善男善女が集まり、神様の祝福のもとで永遠の夫婦となる、真の愛の革命が起きなければなりません。このようにして築かれた新しい家庭が、神様のみ前に新たに誓約した既成祝福家庭の支援を受けながら、正しい倫理を実践し、世界に道徳の模範を見せることによって、真の愛が結実した理想的な家庭、社会、国家、世界を創建していかなければなりません。 祝福結婚式は、偽りの愛の因縁を清算して、絶対「性」を中心とした結婚の神聖な内容と価値の回復を目指します。真の夫婦の愛、真の父母の愛、真の子女の愛を回復するための儀式です。ですから、祝福結婚式に参席する当事者は、純潔と信頼を生命視し、不変の夫婦の愛を誓約します。その真の愛の基盤の上で、真の家庭をつくり、真の子女を養育し、生活の中で真の国家と平和世界の実現に献身することを誓うのです。 到来する未来の世界は、神様と人間と万物が調和する新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いのために生きながら、和合、協力し、共に暮らす共生共栄共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する若者たちが、人種を超越した真の愛によって、真の家庭と真の父母中心の真の家族理想で、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。 尊敬する世界の指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願っています。 これから「世界平和統一家庭連合」は、一層拍車を掛けて真の家庭運動を展開し、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。価値観の崩壊と倫理的な堕落によって、青少年が不倫に陥り、家庭が根こそぎ破綻しつつあります。 滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させ、普遍化させようとする私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動をしなければなりません。人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が主役となってくださるように、切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。 皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に、神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.05
コメント(0)
世界化と世論、二十世紀を展望しながら 日付:一九九七年十一月二十六日場所:アメリカ、ワシントンDC、JW・マリオット・ホテル行事:第十四回「世界言論人会議」 尊敬する議長、そして著名な発表者、会議の参席者および紳士淑女の皆様。私は、アメリカのワシントンDCで開催される第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれる、第十四回「世界言論人会議」に御参加くださった皆様に、深い謝意を表する次第です。 急変する言論を取り巻く環境 私は、今回の会議において参席者の皆様が、数年後に到来する二十一世紀の世界化時代に対応すべき言論の諸般問題を主題として討論することは、非常に意義深いことだと思います。なぜなら、地球の環境の変化があまりにも急速に進んでいるこの時代において、言論が他のどの分野よりも迅速、かつ正しく対応しなければ、人類の未来は、より一層混乱と不安に満ちるようになるからです。 今、地球を変化させている最も重要な要因は、通信手段の光速化にあるというのです。一言で言うと時間と空間を超越して、全世界の隅々をたった数秒間でつなぐ科学技術が日増しに開発されているということです。 今まで新聞の編集者は、取材記者に地域の便りをどこの誰よりも早く入手し、速やかに報道することを求めてきました。しかし、二十一世紀をわずか三年後に控えた一九九七年の世界の現実はどうでしょうか。 取材記者が地域共同体を考えるとき、自分が住んでいる物理的、地理的地域だけを考えるのではなく、電子メールをはじめとして、つながっている全世界の同僚、隣人たちのことも一緒に考えるようになりました。彼が様々な問題について取材をするとき、インターネットを通して、全世界を相手に情報を探さざるを得ません。情報を取材する人たちにとって地域共同体とは、自分の住む地域を意味するのではなく、全世界を意味するようになったのです。 二十世紀が始まった百年前でも、ニュースは、汽車、汽船、時には鳩を通して伝達しました。ですから、第一次世界大戦の戦場の状況といった重要なニュースも、数日または数週間待たなければ知ることができなかったのです。 しかし、二十一世紀を目前に控えた一九九〇年代後半である今は、インターネットと電気通信技術が、ニュースを瞬間的なものにし、主要なニュースは全世界がほとんど同時に知ることができるようになったのです。ですから、地球全体が正に私たちの地域共同体となり、地域のニュースとは、すなわち世界のニュースを意味するようになったのです。 このように電気通信技術が全地球を一つに結んだことによって、経済交流と文化交流は既に国境のない時代に入りました。地球市民全体が、共に影響を与えたり、受けたりする時代が来たのです。ですから、いかなる地域、またはいかなる国の経済といえども、世界的な影響を受けざるを得ません。したがって、私たちは、全世界を一つの共同体として認識しなければならないのです。ここにおいて、私たちは、「世界化時代の言論」とは、どのような形式と内容でなければならないのか、という問いを提起せざるを得ないのです。 世界化時代における言論の責任 このような問いに対して、皆様が今回の会議で、多様な話題による多くの討論と発表を通し、有益な結実を収めることを願います。私もきょうこの席で、「二十一世紀における世界化と言論」について、いくつかの見解を表明しようと思います。 まず世界化時代の言論は、正に「機能言論」から「価値言論」へとその方向を定めなければなりません。言論とは、ニュースを事実のとおりに読者たちに報道することだけで、その使命を果たしたことになるのではありません。なぜなら、論評と批判を通して、彼らに真実を呼び覚まし、社会の精神的で道徳的な価値を高揚し、先導することもしなければならないからです。 二十一世紀の世界化、情報化時代は、国境を越え、民族相互間で深い影響を及ぼし合うようになるので、ある主導国家の非道徳的な文物は、容易に他の国に否定的影響を及ぼすようになるのです。情報通信産業と先端技術の発達によって情報化された世界こそが、すべての人類に情報の共有化を催促する根本的な要因です。 このように情報化された世界では、ニュースを事実のとおりに報道することは、あまりにも初歩的な機能にならざるを得ません。その事実をいかに解釈して評価し、いかなる方向に教え導くかが言論の重要な使命になるのです。ここで私たちは、言論機関と言論人のもつ世界観、人生観、歴史観という価値認識に注目するようになるのです。 言い換えれば、言論人は、人類と世界全体の繁栄と平和に対する、肯定的で理想的な価値観を共有しなければなりません。それはつまり、世界的な視角をもとうということです。読者の低級な欲望と趣向に、単なる商業的動機だけで迎合する言論が大勢を占めることを放って置けば、二十一世紀は一層憂鬱で不幸な世界になってしまうでしょう。 私たちは、二十世紀の最も深刻だった理念戦争を体験しました。冷戦時代の理念戦争では、いわゆる共産主義と弁証法的唯物論という無神論的物本主義が、社会の各分野に攻勢をかけてきました。自由世界の数多くの知識人や言論人までも、その影響下で混乱をきたしたのが、わずか数年前のことです。 私は、その時代を誰よりも深刻に対処してきました。数多くの誤解と非難を甘受しながら、一方で自由世界の理念的、道徳的混乱を収拾するために「統一思想」運動および理想家庭実現運動を主導し、他方では、共産陣営を解放し、共産圏の知識人と青年学生に、共産主義のあとの世界に備える価値体系を教えました。 私は冷戦の渦中で、自由陣営が最も大きな困難に直面した一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。当時世界の首都ともいえるワシントンDCには、新聞が「ワシントン・ポスト」しかなかったときです。 私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。一九八五年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。 学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案どおり採択されました。 第十一回「世界言論人会議」が一九九〇年四月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン・タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。 その後、二年もたたないうちに、共産主義帝国は崩壊に至りました。一九八五年にソ連帝国の終焉を主張した私の予見は的中したのです。そして、この事実を知った数多くの学者たちは、私に対して改めて驚嘆しました。 世界人類を苦しめる最も大きな問題は不倫と退廃 皆様。レバレンド・ムーンのこのような歴史と世界の変化に対する予知能力はどこから来るものでしょうか。それは言うまでもなく、私は宗教指導者として、神様との深い交流と、人類の未来に対する神様の計画とみ旨を具現しようとする私の絶対的な献身に起因したものであることを、きょう皆様に率直に公開する次第です。 私はいつも、神様の御計画にある未来世界の建設に対する準備を委託された現在の各界各層の指導者たちに、その責任を全うすることを訴えています。今や、冷戦時代は、終止符を打ちつつあります。人類は今、地球星で一人の神様のもとで全人類が兄弟姉妹として共生、共栄、共義の新千年のために準備しなければならない重要な時を迎えているのです。今はもう、共産主義か民主主義かと言って、いたずらに争い、競っていた時代は終わったのです。 二十一世紀以降の世界は、人類が、戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌しながら、愛と幸福を共有するようにしなければならないのです。東西間の理念対決の問題が終わったので、南北間の貧富の格差問題も、このような観点からアプローチしなければならないでしょう。 私がかつて科学技術の平準化を唱えて国際平和高速道路の建設を主唱したのも、世界が一つの家に統合され、相互依存せざるを得ない、そのような未来に対する洞察に起因したものです。 このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発展して、全世界が一つの共同体になるならば、二十一世紀において人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌できるようになるのでしょうか。それはあり得ないことです。 冷戦時代よりも根本的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところによれば、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそは、人類を苦痛と絶望のどん底に陥れる原罪なのです。 未来の世界は、家庭の純潔を保存し、家庭の価値を守護する道徳律が定着するかしないかによって、天国と地獄の岐路に置かれるようになるでしょう。世界各国が共に悩む青少年の退廃と絶えず起こる麻薬犯罪、増加する家庭破壊と離婚、エイズの猛威、性犯罪などを政治権力で解決できるのでしょうか。現在の学校教育や宗教的教えでも解決できずにいるのです。 すべての家庭の悩みが解決されずにいる社会が、経済的に豊かになって何をし、政治的に自由になって何をするというのでしょうか。人類は今、家庭の価値を守護し高揚できる教えとその方法を探し出さなければならないときに来ています。冷戦以後の時代は、正にこの家庭の価値を守護し高揚しなければならない時代です。これはきょう、この場に世界の言論人を代表して参加した皆様に、レバレンド・ムーンが伝えたい最も重要なメッセージです。 二十一世紀の人類のための革命は祝福世界化運動 今、ワシントン市内一円で開催されている第三回「世界文化体育大典」のすべての行事と二十九日のRFKスタジアムと全世界で挙行される国際合同祝福結婚式の行事は、当初三百六十万組が参加する予定でした。 ところが、驚くべきことに、当初の目標の十倍を超え、三千六百万組となり、それ以外にも数百万組が参加することになりました。このような汎人類的祝祭こそ、未来世界のために家庭価値を守護し高揚する、人類の決断を促す荘厳な出発となるでしょう。 今後この行事は、三億六千万組に達する全世界的祝福行事へと発展していくので、言論人の皆様と今回の大会に参加された指導者の皆様が、国家的次元で積極的に協力してくださることをお願い申し上げます。この真の家庭運動を世界的な運動に拡大、定着させることが、二十一世紀の人類のための最も貴重な精神革命、文化革命運動となるでしょう。 私は去る六月に、「ワシントン・タイムズ」創刊十五周年記念講演で、世界百八十五カ国に新聞を創刊し、全世界を地域共同体に連結させる新聞の発行と通信サービスを始める予定であることを発表しました。このような巨大なプロジェクトは、先ほどお話ししました未来世界に対する私の信念に基づいており、未来世界で生きていく人類のための私の献身的な贈り物です。この場に参加された各国の著名な言論人の皆様の参与と御協力をお願い申し上げます。 今回の大会で皆様が討論し、議論する多くの内容に、より一層価値ある結実を期待します。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌/FuturePublishing/ダコスタ吉村花子【1000円以上送料無料】
2023.05.04
コメント(0)
「家庭盟誓」について1997年11月26日第三回世界文化体育大典が開催されている期間も、お父様は毎朝六時から国家メシヤを中心として「訓読会」をされました。一九九七年十一月二十六日の「訓読会」において、お父様が語られた御言。 完全否定 「家庭盟誓」を暗唱しなさい。(「家庭盟誓」を暗唱する)座りなさい。統一教会にはこの「家庭盟誓」があります。「家庭盟誓」という言葉は、世界で初めて現れたのです。そこには、私たち統一教会の原理の中心的な骨子がすべて入っているのです。 今まで宗教というものはすべて、出家を命令しました。「家を離れなさい」と言ったのです。家を離れて、いちばん下、難しい立場で修練を受けて上がっていかなければならないのです。それで、「家を離れなさい」と言ったのです。 家を離れるということは、その国、民族、氏族、家庭、祖父、祖母、母親、父親、夫婦と別れ、その次に自分自身の体までもすべて、処断してしまわなければならないということなのです。サタンの血統を受けてきたので、それは不可避なことなのです。そのようにしながら独身生活をするのです。 なぜ、独身生活をするのでしょうか。神様がいちばん嫌うことが、堕落した行動のように男女が一つになることなのです。ですから、道(宗教)の世界でも、これを最も醜悪なこととして取り扱ってきたのです。そのようにして天に背き本然の根から分かれたので、これを再び復帰しようとするために、仕方なくサタン世界を否定するのです。完全否定です。否定しなければなりません サタン世界の痕跡、堕落した痕跡があってはなりません。 言い換えれば、結婚していた人が再びお嫁にいく場合、前の夫のもとで使っていたもの、その衣服一つまでも、痕跡のあるものを嫌うのです。堕落した世界でもそうなのに、本然の神様はどれくらいあきれるだろうかというのです。その姿も見たくないのです。それゆえ、独身生活をするのです。それゆえ、故郷を離れなければならず、独身生活をしなければならないというのです。 天使的世界において、結婚はあり得ません。絶対否定しなければならないのです。そこに、意識的な構造だとか、概念的なものがあってはならないのです。土と同じでなければなりません。原資材として使い、創造した本然の状態と同じく、帰らなければなりません。絶対否定しなければなりません。絶対 堕落した人間が偽りの子孫として、偽りの国家、偽りの世界までつくってしまったのを完全に否定しなければなりません。 それゆえ、統一教会の人たちは無原理圏内に落ちなさいというのです。原理のない、すべての存在物がない、創造する前の世界に落ちなさいというのです。ですから、完全否定です 皆さんがそこに徹底化されていなければなりません。 では、今日、東洋人ならば東洋人自体が何かと言えば、東洋人は黄色人種です。これまで否定しなさいというのです。白人もそれを否定しなさいというのです。黒人もそれを否定しなさいというのです。自分が暮らしてきた根本を、完全に解体、無視してしまうことのできる完全否定過程を経させるためのものが、出家なのです。故郷を離れなさいというのです。 その次に何ですか。(「独身生活です」)。独身生活をしなさい。これが今まで宗教が目指してきた主流思想です。それが今まではっきりと分かりませんでした。向こう見ずに、道を極め、精誠を捧げているのです。精誠を捧げるのは、彼らが願う教理の目的を達成するためなのです。違いますか。そうではないですか。それはすべて、中間世界で行ったり来たりするのです。方向もつかむことができません。中間なのです。雲のように行ったり来たりします。すべての価値的内容を地上世界に残すことはできません。すべて流れていってしまうのです。 完全否定 では、自分がどの立場まで行かなければならないのかと言えば、自分の姓を忘れてしまわなければなりません。韓国人ならば韓国人だということを忘れてしまわなければならないのです。東洋人ということを忘れてしまい、自分が黄色人種として生まれたことを忘れてしまい、「私は本然の神様の本郷の息子・娘である」という、その光を求めていかなければなりません。 それゆえ、神様がアダム・エバを黒人としてつくったならば、黒人として行くのは問題ではないのです。白人としてつくったならば、白人の世界に行くのは問題ではありません。白、黒の闘争概念はあり得ないというのです。 これをすべてだれがつくったのかと言えば、サタンがつくったのです。帰ることができないように、道を複雑にしたのがサタンなのです。それで、数多くの民族、数多くの血族を配置したのです。言語だけでも千六百以上になるのです。そのように分けてしまいました。統一的世界、心情一致圏を知るためには、表現方法が一致しなければなりません。さまざまな形でできていてはいけないのです。行く道は一つの方向でなければなりません。今、各国の言語を見ても、文章の構造が逆になっているではないですか。東洋、西洋が完全に逆だというのです。根本的なすべてのことを是正しなければなりません。再創造です。分かりましたか 再創造の土台は家庭完成 では、再創造するための、その土台の基盤が何かと言えば、家庭完成なのです。旧約時代の目的も家庭であり、新約時代の目的も家庭であり、成約時代の目的も家庭です。完成した家庭の上に、完成した氏族、完成した民族、国家、世界、そうして、地上・天上天国まで連結され、神様の解放圏が形成されるのです。このことを知らなければなりません。そのようなことをすべて知って、この「家庭盟誓」というものを制定しなければならないのです。 その一番目が何ですか。今まで故郷を離れて独身生活をしたので、反対に行かなければならないのです。サタンを中心として偽りの父母によって血統的に汚されたものを完全に踏んで片付け、絶対神様を中心として、絶対真の父母を中心として、絶対的血統を中心として、還故郷をするのです。離れた故郷を訪ねていかなければならないのです。還故郷です。 その次に何ですか。故郷に行って何をするのですか。(「地上天国と天上天国を創建……」)。地上天国は一人で入るのではありません。一人では入れません。地上天国と天上天国を創建するには、一人ではできません。アダム・エバ、二人が過ったので、再創造も二人がしなければならないのです。絶対的要因です。 それゆえ、今まで歴史路程で女性たちが先頭に立って、犠牲の道を築いてきたのです。朝早く起きて、天上天国、地上天国を復帰するうえで、女性たちが先頭に立たなければならないのです。そのような意味で、エバ国家格である日本の女性たちが世界に配置され、再び出産の苦労をするのです。復帰です。 どれだけ懸け離れたところで生きているか その次、二番目は何ですか。そこには、神様と真の父母が出てきます。真の父母を中心として天宙の代表的家庭……。代表的家庭は一つしかありません。二つはあり得ません。一つです。代表的家庭になり、その次は何ですか。(「中心的家庭です」)。中心です。代表的高い所、アダムの立場は高い代表です。その代表は中心になるのです。世界人類がこのように広がっていき、五十億人類を代表したその頂上で、それが、そのまま垂直に下りてくるので中心的家庭になるのです。ですから、代表の頂上と中心的な家庭である私に、全部関係しているのです。 それゆえ、堕落した世界の今までの歴史的なすべての失敗は、私の失敗であり、復帰は私の復帰である、という概念がなければなりません。分かりましたか(「はい」)。そのように考えていますか。 世界的代表的家庭とは何ですか。毎日の生活において、きのうと同じように習慣性を中心として、その言葉を使い、その国の行動をしているのは、代表的家庭ではありません。神様の御旨を中心として、絶対的な基準を中心として、神様と一つになるのが代表的家庭です。そのようであれば、私の家庭は、復活した神様の愛の祭壇に上がった、復活した家庭だというのです。神様の祭壇とその家庭が一つになっているのです。これはだれも裂くことはできません。絶対神様であられる主体の前に捧げる、愛のお膳と同じです。 神様はそのような愛の対象を願うのであって、今の駄犬のように自分勝手に生きることを願わないというのです。考えてみなさい どれくらい懸け離れたところで生きているのかというのです 自分勝手に、自分の習慣のままに……。夫婦生活もそうです。限界を定めなければなりません。言葉だけでは駄目です。分かりましたか。代表的家庭になり、中心的家庭になって、家庭では何になると言いましたか。(「孝子です」)。孝子は世界史的です。 今まで孝子という人たちは家庭で孝行したのですが、何か分からずに孝行しました。地を中心とした平面的な基準でしたのであって、天理とは関係ありません。私たちは天理を中心とした孝子を言うのです。いちばんの孝子というのは、いちばんの父母に侍る人です。それゆえ、真の父母にいちばん侍る人が、いちばんの孝子なのです。歴史的孝子の実だということを知らなければなりません。すべてが真の父母と連結されています。 その次は何ですか。国では?(「忠臣です」)。忠臣にならなければなりません。その忠臣がいちばんの忠臣であり、その忠臣が忠誠を尽くす国がいちばんの国だというのです。その国が今ありません。孝子になることはできますが、国がありません。国は必ず家庭の上に立たなければならないのです。家庭の上にです。個人の上に国は成立することができません。夫婦の上に家庭が現れるのです。父母がいなくては、家庭が現れることができません。必ず、国は家庭の上に現れるのです。それゆえ、我々は今、国がない民族です。 イエスが死ぬことによって、イスラエル民族を中心として四千年間、国家的に築いたものすべてを失ってしまいました。再び編成しなければならないのです。このとてつもない事実は漠然としたものではありません。具体的に連結された内容が主流思想として、その(家庭盟誓)中にあるにもかかわらず、言葉だけ、「ワワワワワ」と言っているのです。馬の耳に念仏という言葉があるではないですか。それと同じだというのです。何の話か分かりますか。(「はい」)。 千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放する 家庭では何ですか。(「孝子です」)。孝子もいちばんの孝子です。私しかいません。その父母が生死にかかわる指示をしたとしても、異議がないのです。絶対信仰です。その次は何ですか。(「絶対愛です」)。絶対愛、絶対服従です。 神様が創造するときに、このような絶対信仰の上でつくりました。絶対愛の上で、絶対服従の上でです。絶対服従という言葉は、神様自身が完全になくなるということです。投入して忘れてしまうので、なくなるのです。無限な無の立場になるのです。絶対無の立場になれば、絶対力が介在するのです。 高気圧が押し込まれると、それが回って上に上がります。ひっきりなしに投入すれば循環運動が起こります。何の話か分かりますか。パイプの中に、ひっきりなしに(投入)してみなさい、すべて循環して回っていくのです。無限に投入して低気圧になることによって、四方へと投入されたその力は、自然に追われて上に行き、垂直になって下りてくるのです。そうではないですか。 それゆえ、地球もそうです。地球も磁力線があって、中央を中心としてこのように動くのです。運動の原則とはそのように始まるのです。一人では運動は始まりません。 絶対孝子です。私しかいないのです。それが原因です。孝子、孝女が何かと言えば、原因になった父母の愛を、結果的立場で完全に相続しようということです。父母が死なずに生きた代身として、実として拡大しようというのが繁殖です。動物世界の繁殖とすべて同じです。 その次には、絶対忠臣です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従圏で絶対忠臣を要求するのです。絶対忠臣です。永遠に変わらない忠臣です。それが神様のモデル、型にならなければなりません。そのような標準を考えなければなりません。分かりましたか。(「はい」)。 その次は何ですか。(「聖人です」)。聖人です。聖人は自分の民族だけを考えるのではありません。世界、人類を考えるのです。寝ても覚めても彼らは、自分の家庭や自分の国を考えるのではありません。自分の国が混乱の中にあるので、聖人の欲望が出てくるのです。腐敗したその社会で、環境と国家を越えて世界人類が塗炭の苦しみにあえいでいる姿を見て、世界人類を愛したいという心をもち世界を考えるのです。自分の家が飢え死にしていく恨みがあったとしても、周辺で飢え死にするのをさらに痛く感じることのできる心情的な紐帯から関係ができ、神様の代身となることのできる相対的立場に立つことによって、初めて聖人の立場に立ちます。 聖子とは何ですか。(「天宙を考える……」)。それ(天宙)は天地を指すのです。天宙という言葉は統一教会の名詞です。他のところにはありません。霊界と肉界を指すのです。霊界と肉界の出発は、私たちの心の世界と体の世界に焦点が合っているのです。霊界全体は、私の心と焦点が合い連結されているのです。それは完全な絶対愛の定着地です。愛の絶対定着点は一つしかありません。 個人の愛の定着地、家庭の愛の定着地、民族、国家、すべての愛の定着地は一つしかありません。それが何かと言えば、家庭を中心として繁殖していくのです。家庭、氏族、民族、国家、世界、ずっと行くのです。そのすべてが連結されるのが何かと言えば、家庭です。男性・女性を中心とした家庭なのです。 この二人が一つになることのできるのは真の愛です。その真の愛は、男性・女性、二つの世界を分けることのできない力をもっているのです。そうではありませんか。これはだれも裂くことはできません。裂こうとすればするほど、根までめくれ上がってくるのです。 そのように見るとき、絶対的な忠臣、絶対的な聖人……。聖人たちが教えてくれたすべての宗教の中で、どの宗教が中心ですか。お金を集め、人がたくさん集まっていた所ではありません。どんなに人が多いからといって、どうするのですか。真の愛がなければなりません。それゆえ、他の宗教とは違って、キリスト教だけがそのようなことを言うのです。神様の息子、絶対ひとり子という言葉、新郎、新婦という言葉、天のお父様という言葉を使うのです。 ヨハネによる福音書一四章にある、イエス様が十字架で亡くなる前に宣布したこととは何でしょうか。兄弟であるということです。私があなたの中にあり、あなたが私の中にあり、父があなたたちの中にいる。一つの体であり、一つの兄弟であるということです。それは裂くことのできない一体性を言い表しているのです。 そのような教理を教えてくれた宗教はキリスト教しかないのです。それゆえ、神様がこのような原則的な愛の中心者であられるならば、キリスト教を中心として世界化運動をせざるを得ないのです。 それでは、神様が主にキリスト教を中心として今まで役事してきたことが何かと言えば、血統の転覆です。血統の転覆。分かりましたか。それは否定できません。 エデンにおいて、青少年が堕落しました。今、十代の青少年、ティーンエイジャーが世界で問題になっているではないですか。ティーンエイジャーが堕落して、家庭破綻したのです。アダムの家庭を完全にサタン世界に委譲する事件が起こったのです。それにより、すべての万物がサタンの前に回っていったのです。 所有権を神様がもっていて、アダム・エバに伝授して、所有の主人がアダム・エバにならなければならないはずなのに、逆になってしまいました。これを今、転換するのです。 それゆえ、財閥だとか、全部が国家の法によって相続を無視することのできる時代になるのです。世界的大転換時代として、外的世界がそのようになっていくのです。共産主義は力をもって強制的に、そのことを成し遂げようとしました。これは、自然となさなければなりません。原理を知って、自然にそのように回っていかなければならないのです。 家庭を中心として神様の前に孝子にならなければなりません。神様の前に孝行した人がいませんでした。家庭がないのですから。忠臣たる人がいませんでした。国がないのですから。聖人たる人がいませんでした。神様を代身し得る、世界を相続できる人がいなかったのです。それを希望として願ってきただけです。 孝子になり、忠臣、聖人、聖子になるためには、神様の愛と関係を結んだ立場で、家庭の中心になり、国家の中心になり、世界の中心になり、天地の中心にならなければならないはずなのに、神様と絶対的真の愛を中心として一致することのできる(家庭の)基盤がないのです。分かりましたか。ないのです。 今まで、忠臣というのは、サタン世界の忠臣であったのです。神様の前には忠臣がいません。そのような驚くべき神様を知り、心情から侍って、自分一身、全体をここに同化させ、孝子の姿で、千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放しなければならない、ご父母様を慰めなければならない、息子になろうと身悶えしなければならないというのです。分かりましたか(「はい」)。それは話だけでは駄目です。 四大心情圏 その次は何ですか。三番目は何ですか。創造本然の世界です。四大心情圏、三大王権です。エバが堕落することによって、子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情、四大心情圏のすべてを蹂躙してしまいました。 女性たち、これをはっきりと知らなければなりません。それを知って、この地の万物の前に恥ずかしく思い、頭を垂れて行き来しなければなりません。 四大心情圏を蹂躙したので、どのようにこれを復帰するのかというのです。蕩減復帰というのは、失ってしまったときの現象を中心として復帰されなければならないのです。それゆえ、終わりの日に来られる再臨主は真の夫として来られるので、すべての女性たちは自分の夫が問題ではないのです。自分の先祖、祖父を否定し、父親を否定し、夫を否定し、兄を否定しなければなりません。四代を否定しなければなりません。 エバは子女を否定し、兄弟を否定し、夫を否定し、父親を否定しなければなりません。そのようなすべてのものを否定しなければなりません。だれがしなければならないのかというと、エバがしなければなりません。エバは今まで歴史の中で、それを一度もしませんでした。 サタンの前に、エバがこのように引っ繰り返して無責任にしてきたので、永久にサタン世界の版図、天使長の堕落した世界で地獄に行く群れだけが残ってしまったのです。女性たちは、これを転覆させなければならないという考えを、夢にももたなかったというのです。それをすべて知らなかったから仕方がありません。これは先生の話ではありません。 ですから、統一教会において、赤ちゃんから少年時代まで、十代の子女の時代、兄弟の時代、このように経てきたのです。兄弟というのは、兄弟同士で一つになるのではありません。夫婦になって、子供を中心として一つにならなければならないのです。兄弟圏というのはそういうことです。子女が行くべき、兄弟が行くべき、夫婦が行くべき道を行かなければならないのです。夫婦というものは愛を中心として結ばれるのです。これは東西南北、前後左右が逆になっても離すことはできません。愛とはそのようなものです。 統一教会では、先生を中心としてすべての女性たちは先生に出会えば、自分の赤ちゃんの時の心情から生まれるのです。根の心情からあふれ出るのです。赤ちゃんの心情です。 二人は双子として生まれたのと同じなのですが、いなければ自分の兄を捜しにいかなければならず、妹を捜しにいくのです。その二人だけが行く道です。たった二人です。 その兄というのは、おじいさんの代身であり、父親の代身であり、夫の代身です。それが一つの感情であって、別々に離れていないのです。 そのように慕い、一つになることによって、ここから未来の父親が生まれ、未来のおじいさんが生まれ、未来の夫が生まれ、未来の兄が生まれるのです。それが兄です。それが一つになるのです。一つの血統から出てくるのです。一つのふろしきから出てくるのと同じです。兄妹、双子と同じく創造されたアダム・エバを裂くことはできないのです。永遠に裂くことができません。 双子は一緒に生まれるでしょう。女性・男性の双子はどうですか。顔がそっくりですか。双子はそっくりなのが原則ですが、男性・女性の双子は違っています。 その女性はどうですか。下を眺め、男性は上を眺め、また、女性は左側に責任をもたなければならず、男性は右側に責任をもたなければなりません。また、兄妹の立場で、前後関係にそれぞれ責任をもつのです。違うのです。そして、だれが主体なのかと言えば、エバが主体ではないのです。男性が主体なので、男性に従っていかなければならないのです。私が男性なのでそう言うのではありません。天理の原則がそうなのです。 そのようにして、何をしようというのでしょうか。この三つが一つになって家庭を形成するのですから、これを連結させることのできる愛の出発をなそうとするのです。そのため夫婦が愛し合うのです。夫婦の愛とはそのようなものです。 夫婦の愛というのは、子女の愛の理想完成の定着地に立つのです。愛の理想完成の根を打ち込まなければなりません。その次には、子女から兄弟の愛の理想の定着です。一人ではできないのです。その次は、夫婦の愛の定着地であり、父母の愛の定着地です。それを裂くことはできません。これが四位基台です。東西南北、前後左右を通して、それは球形形態の絶対要素です。おじいさんも、家庭を統一させることのできる一員です。おじいさんも、自分の夫婦の愛よりも家庭統一を願うのです。分かりましたか。統一的基盤です。 母親・父親も愛を中心として家庭統一を願うのです。家庭の統一的な基準とは何でしょうか。おじいさん・おばあさんも、その中心の前に標準をつくらなければならず、父親、母親もつくらなければならず、夫婦もつくらなければならず、兄弟もつくらなければなりません。その定着地が神様が定着する相関点です。この(ジェスチャーをされながら)基点です。この場で真の愛が生まれます。真の愛は、これ以外の所からは生まれません。上下、前後が一つになり、左右が一つになれば、球形的定着地の一点が生まれます。その一点を占領するのが、神様の愛の定着です。分かりましたか。そこから広がっていくのです。地上天国・天上天国は地上家庭・天上家庭、これが相対的に拡大していくのです。 夫婦が愛するというのは、妻が乳児時代に愛したかった、触りたかった、ついていきたかったことを思い通りになすことであり、それができる対象が夫だというのです。兄弟の時、一緒に眠りたい、一緒にいたい、それを実際に永遠にできる決着点をなすのが愛だというのです。夫婦の永遠な決着点、父母の永遠な決着点が愛なのです。神様が臨在して定着することのできる場なのです。その場で相対的に、神様が上になり、下になって一つになるのです。これが大きくなっていくのです。 横的なものをこのように圧縮して縮小させれば、縦的に上がっていくのです。これを拡大すれば下りてくるのです。 今まではすべて、肉的に拡大すると神様がいなくなりました。外的なものを強化すると神様がいなくなったのです。それは、九十度、百八十度を中心として縮小する限界の警戒線を乗り越えたものだからです。警戒線を乗り越えれば、必ず破綻が起こります。無用のものになるのです。 神様がつくった本然の赤ん坊の心情的愛の結実基盤が夫婦の立場であり、子女の結実基盤、兄弟の結実基盤、夫婦の結実基盤、父母の結実基盤が家庭だというのです。夫婦だというのです。その愛の中で、子女たちの愛が歌を歌い、兄弟たちの愛が歌を歌い、夫婦の愛が歌を歌い、父母の愛をほめたたえることができるのです。全体が喜ぶことのできる一つの基準になるのです。そうではありませんか。一つの家庭をなしたならば、父親を中心としておじいさんも喜び、おばあさんも喜び、夫婦も喜び、兄弟もみな喜ぶのです。 それで、愛の基本形が崩れる日には、ガラガラと三百六十度に完全に分散してしまうのです。それゆえ、四大心情圏を考えなければならないのです。言葉だけではありません。 三大王権 その次は何ですか。(「三大王権です」)。三大王権とは何ですか。霊界と肉界、未来がありません。一代が神様であり、二代がアダム・エバですが、三代をもてませんでした。四位基台を築けなかったのです。それゆえ、中心がありません。軸がなくなりました。中心がなく、四方へと回っていくのです。未来(子孫)が自分勝手に、ばらばらになるのです。垂直線がないのです。それが堕落です。三代を継続させられなかったことが堕落です。あなたたちはそれを知らなければなりません。三代の継続です。 それゆえ、父親の愛よりもおじいさんの愛が先にありました。アダムを愛する神様は二代を愛しましたが、三代を愛せませんでした。四位基台というのはそうではありませんか。二代が大きくなるのです。アダム・エバが大きくなって、一つになるのです。このように大きくなって一つになるのです。ここまで来たとき、アダム・エバはどこに行くべきなのかというと、愛を求めていくのです。これが垂直です。九十度です。垂直線に来て、一つにならなければなりません。公平です。男性、女性がここに行き、出会うのです。 そこで出会うということが、幼い赤ん坊の愛の結実であり、兄弟の愛の結実であり、夫婦の愛の結実であり、男性・女性の愛の結実であり、すべての未来の愛の結実なのです。過去の愛の基地、現在の愛の基地、未来の愛の基地だというのです。分かりましたか。 ですから、その愛の基地に立つことのできる孫というのは、神様の愛も受けなければならず、その次には父母の愛も受けなければならず、その次には子女たちの愛も受けなければならないのです。ここに三対象理想を中心とした十二数が現れるのです。天地の度数がそのように解かれていくのです。分かりましたか。(「はい」)。 三大王権とは何ですか。おじいさんに天の国の大使として侍らなければなりません。天の国の王です。父親はこの世界の王です。天上・地上世界の王です。その二つの世界の王圏を引き継がなければならないのが、孫なのです。孫は愛をもって引き継ぐのですが、父親の愛も受けると同時に、おじいさんの愛も受けるのです。そうして、父親とおじいさん、地上と天上世界の愛を受けることによって、未来の王圏が出発するのです。 ですから、これは自分勝手にできません。おじいさんの度数に合わせなければならず、父親の度数に合わせなければならないのです。垂直的な段階になるのです。絶対的な伝統を引き継ぐことによって、三代が結束することを知らなければなりません。分かりましたか(「はい」)。それは原則です。 神様と真の父母を中心として三代圏に侍ったことを知らなければなりません。ところが、この者たち、すべてが自分勝手です 神様の愛を受けなければならず、父母の愛を受けなければなりません。二つの愛を受けてこそ、初めて三大王権時代が来るのです。平面的にそれが結実されているので、種としてどこにもって行って植えたとしても、このような三大王権が国民的国家形態のすべてのものに、同一な価値圏が形成されるのです。はっきりと分かりましたか。(「はい」)。そのようなことをすべて理解して話さなければなりません。 皇族圏 その次は何ですか。(「皇族圏です」)。皇族圏とは何ですか。今、問題は何でしょうか。先に生まれた兄がいます。先に受けた間違った愛の種が残っているのです。これを否定するようになれば、人類自体を否定しなければなりません。そこにだれが引っかかるのかといえば、天使長も引っかかり、アダムが引っかかるのです。二人とも引っかかっています。二人とも否定するので、天地を破壊しなければならないのです。創造を完全に無の状態へと、呪いとともに破壊してしまわなければならないのです。とてつもない事実です。 ですから、先に生まれたお兄さんを収拾せずしては、弟として生まれた人は、生きる道がなく、行く道がありません。神様は避けることができないのです。では、どのようにこれを収拾するのでしょうか。サタン世界以上の愛をもって収拾してこそ、サタンが自然屈服するのです。分かりましたか。サタンが自然屈服します。相対的立場で決闘して屈服させてはいけないのです。自然屈服するようになれば、サタンの愛以上の愛をもった主人が現れて、それを消化できる道があるのです。サタン世界で対峙的愛の力で屈服させては、天国だ、復帰だ、という言葉が成立しないのです。それゆえ、弟を犠牲にするのです。 アベルの天の側が犠牲になって、三時代の迫害を受けるのです。殺され、強奪し、ありとあらゆることをするのです。後には、愛までも強奪してしまうのです。それがフリーセックス時代まで来ました。父親が娘の愛を強カンし、母親の愛を娘が奪い、ありとあらゆることが起こります。近シン相姦関係が問題になるのです。混乱状態になるのです。全面的な蕩減復帰をするためには、そのようなところに行かなければ復帰できないのです。分かりましたか。 「皇族圏」と言うならば、このすべてのカイン世界を解消しなければ、自分が生きる道がないのです。ですから、神様も仕方なく、数千万年の長い歳月、創造以後、アダム家庭一つを取り戻すために、今まで苦労してきました。 完成したアダムになれるように、先生が今解説していますが、その場に行ける自分自身を発見する時まで、形成する時までが、どれくらい大変でしょうか。神様が苦労した以上に苦労しなければならないのです。この者たち、分かりましたか(「はい」)。皇族圏です。このカイン圏を消化せずしては帰る道がありません。 生まれてみると一人でしたが、アベルとして立ってみると、尻尾にカイン世界すべてがぶら下がっています。これを乗り越えることのできる立場にアダムを立てようとするので、今日、第二次世界大戦以後、英・米・仏を中心として、英国はエバ国家であり、アメリカはアベル国家であり、フランスは天使長国家です。それらを中心としてメシヤを迎えるようにしたのですが、メシヤが来てみると、こぶがぶら下がっていたのです。 堕落していない本然の順理的愛に触れるはずであったのに、逆理的な愛において、複雑な基準になったのです。逆理的な環境で、和平的な順理的な家庭を求めていかなければならなかったのです。そのような逆説的な道理の世界を歩んできた神様であることを知らなければなりません。先生を知らなければなりません。自然屈服させなければなりません。 先生が復讐をしようとすれば、すべて復讐したというのです。すべて、一人残らず復讐してしまいました。このことを知ったので、悔しくても耐えていかなければならないのです。私がどんなに悔しくても、神様の悔しさよりも劣るというのです。 サタン世界、僕の世界が、王として侍るべきその方を前に、讒訴し、「あなたの娘は私のものです。あなたの息子・娘は私の息子・娘です」と言っているのです。あぜんとするでしょう。考えてみなさい。あなたたちがそのような立場に立っていると考えてみなさい。 それは、何かの例え話でしょうか。事実がそうだというのです。その目を見ると、サタンの目です。全部、自分のことだけ考えています。公的な神様の目と反対の立場で神様を否定し、逆説的な結果の立場で神様に対してきたというのです。後には、「神様は死んだ」とまで言うのです。そのような観点で見るその目が、「神様が死んだ」と言う時が終わりの日です。分かりましたか 皇族圏です。 死なんとする者は生きる あなたたちは何の責任をもちましたか。国を越えて、日本が怨讐なのに、日本を愛しなさいというのですか。北米と南米を愛せというのですか。南米と北米は怨讐関係です。一つは天主教(カトリック)国家であり、一つは新教国家です。お互いに怨讐です。殺し合ってきたのです。これを自然に一つにしようというのですか。そうするためには犠牲になるしかありません。一から十、百までです。三代にわたり犠牲の道理を歩まなければなりません。これが神様のアルパとオメガです。 だんだんと大きくなっていけば、さらに大きな犠牲が必要です。個人的犠牲よりも、家庭、氏族、民族、国家へと行けば行くほど、さらに大きな犠牲が必要なのです。それで、自分自体を中心として四大心情圏を築かなければならず、三大王権を中心として自然屈服させた土台の上に、アルパとオメガが(一つの)圏として設定されなければ、自分が解放的本然の世界へと帰る道はないというのです。確かですか。(「はい」)。理論的にそうです。そのことを知らなければなりません。 自分が世界の前に何をしたのかというのです。泥棒しようと何をしたのかというのです。国で泥棒し、おなかが空けば自分のことを考えたのです。飢えながらも、国の国民と世界を考えなければならないのです。困難な家では、母親が飢えたとしても徹夜しながらその子供たちを食べさせてやるのです。そのような心をもたなければならないというのです。そのように生きましたか 原理はあなたたちの原理ではありません。神様の原理であり、先生の原理です。その原理を伝授するためには、原理に該当する相対的実体を形成しなければならないのです。相対的、環境的、心的態度、生活的な態度、行動的な結実を求めていかなければならないのであって、自分勝手に生きますか 地上天国、天上天国を成し遂げようと考えずに、自分のことを考えるのですか。先生を忘れるなというのです。種を植えたなら自分が育てなければなりません。それが統一教会の鉄則です。 かつて大統領の選挙の時、国からお金をもってきて、使いなさいと言ってももらいませんでした。自分が行く道に、サタンの血族と共にしたという痕跡を残したくないのです。 あなたたちに相談もしません。今日、統一教会のだれにも一言も相談しません。いつでも先頭に立ってきました。その通りですか、その通りではありませんか。(「その通りです」)。それを考えなければなりません。 先生は徹底しているのです。飛ぶ矢です。放たれた矢です。愛の矢です。天の心情に向かっていくのです。鉄であれ、困難であれ、どんなに混乱の中にいたとしても、私の行くべき道は、標的に向かって直行です。一瞬でも失うことはできません。深刻だというのです。どれくらい深刻でしたか。 あなたたちは八段階蕩減復帰というものと、どのような関係をもちましたか。皆さんは先生の服と同じでなければなりません。先生のベルトになるとか、靴下になるとか、どこか一つにくっ付いて、従っていく立場に立たなければならないのです。死んでも、生きても、そうでなければなりません。死ぬといって放っておいては、自分が永久に死んでしまいます。ですから、死なんとする者は、何ですか?(「生き」)。生き。生きんとする者は?(「死なん」)。死になさい 否定しなければなりません 否定できなければ死んでしまうのです。 さあ、四大心情圏、三大王権です。その次は何ですか。(「皇族圏です」)。自分が振り向こうとしても、振り向けないのです。ご父母様がすべて教えてあげるのです。家庭が帰ることのできる環境を残しているのです。それがやさしいことですか。そのことゆえにサタン世界で悪口を言われました。他人の子供たちを自分の娘以上に愛したのです。世の中の母親、父親ができないことを私がするのです。それで、一つになったのです。何のためにですか。愛のためにです。自分の永遠な生命のためにです。愛によって、永遠なる生命が芽生えてくるのです。生命が成長していることが分かれば、どんなに難しかったとしても、それを克服できるのです。 統一教会の受難の道、迫害の道に疲れたこの者たちすべてを、今後、炭の穴の火で焼いて、鷲の餌にしなければならないというのです。私が復讐しようとすれば、一人も残すことはできません。先生は恐ろしい人です。つまらない人ではありません。徹底した人です。分かりましたか、何の話か 三大王権と、その次に何ですか。(「皇族圏です」)。あなたたちがすべて取り戻さなければなりません。できないので、ご父母様が取り戻して正すのです。偽りの父母がしたので、真のご父母様が取り戻さなければならないのです。それを相続して、この群れを全部集めて、全部ここで、一人も八段階を越えられない立場から、越えていけるようにしてあげたのです。それもできなければすべて死ななければなりません。 それが自分の包みになっては駄目なのです。個性を否定し、純粋な本然の原資材となり、再創造される立場にならなければならないのです。土の塊にならなければなりません。 「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価 そして、四番目が何ですか。(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して……」)。神様の創造理想である天宙大家族です。そのようになったので、家庭をもつことができるのです。世界的家庭が形成されなければなりません。それを整理して暗記しなければなりません。一つも外すことはできません。七つをすべて関与させて考えなければならないのです。 「家庭盟誓」を暗記しながら、妻を考え、息子・娘を考え、子女の血統を考えざるを得ません。それゆえ、考えるときも必ず「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価すれば、自分が何点だということがすべて分かるのです。創造理想です。ようやく、世界大家族です。すべて兄弟です。 ここは、遠いほど価値があるのです。遠いほど歴史的なあらゆる神様の苦労と先祖たちの血統がもつれています。遠いほど先祖たちの血統が合わさった数が多いです。遠いほど先祖が多くなるのです。ですから、先祖たちの血統を加えたものが自分たちよりも多いというのです。ですから、世界を考えなければならないのです。 このようなことを考えることによって、先祖たちと共に生き、先祖たちを愛したという立場に立つので、地上に生きていた人が天上天国に行き、その先祖たちと共に生きることができるというのです。また、彼らも会いたく思い、私たちも彼らと共に生きることを願うのです。ですから、大家族理想圏で訓練を受けなければなりませんか、受けるべきではありませんか。(「受けなければなりません」)。受けなければならないでしょう。(「はい」)。 四番目が何ですか。真の愛を中心として?(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して」)。天宙大家族です。あの国(霊界)は大家族です。あの国で必要ないのが衣食住です。あの国に行けば食品工場がありません。自動車工場がありません。花畑です。すべて自然の美しさそのものです。動物、植物、昆虫たちが愛の曲に合わせて踊りを踊り、歌い、楽しく話し、花は香りを漂わせ、鳥たちは歌を香りのように、人々は愛を香りのように放つのです。人がいなくては和動できないのです。 愛によって解放され、町全体が祝宴を開けば、喜んで訪ねてきます。そうでしょう。町のどこかの祝宴をする家に行って祝賀したとしても、喜んで祝賀するのです。愛の場所に落ち着くことができなければ、すべての長い間の苦労が一瞬にして水泡に帰してしまうのです。分かりましたか。 追いやられることを願う 五番は何ですか。(「毎日、主体的天上世界」)。天地を考えなければなりません。地上だけではありません。毎日、毎時間です。毎日、考えますか。毎時間、考えますか。毎分、考えますか。毎秒、考えますか。(「毎秒、考えます」)。今、世界は秒時間時代に入りつつあるのです。広いこの世界が一時間圏ではありません。一日圏ではありません。分・秒圏内に入ってきました。このように一秒、「カチッ」という時、世界すべてが通じ得る時に来たのです。 外的世界はそれに合わせるのです。毎日、主体的天上世界……。天上世界が主体です。その世界に合わせなければなりません。そこは神様の心情世界です。神様を中心とした心情の世界に合わせなければならないのです。個人ではありません。家族、氏族すべて、自分の環境的与件を合わせなければならないのです。 その次は、対象的?(「地上世界です」)。地上世界の何ですか?(「統一に向かって」)。統一といっても、統一自体で終わるのではありません。統一に向かって?(「前進的発展」)。前進的に行くのです。その次は何ですか。(「促進化することを」)。叩きなさいということです。そうしなければ、その度数を合わせることができません。その言葉がいたずらに出てきたのではありません。「家庭盟誓」は、永遠の天国まで通じ得る内容をすべて備えなければならないのです。 毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって……。統一して、前進的発展です。前進するのですが、前進的発展を促進化するのです。休まずに叩いて追いやるのです。そのような意味です。 祝福も、統一に向かって前進的後退を促進化するつもりですか。(「発展を促進化します」)。叩いて追いやりなさいというのです。なぜでしょうか。行くべき道が遠いです。叩いて追いやるべきですか、放っておくべきですか。(「叩いて追いやらなければなりません」)。 そのように追わなければならないという人、手を挙げてみなさい。頭では分かりましたね。そのように追われることを願う人、手を挙げてみなさい。一人もいないでしょう。仕方なく手を挙げたでしょう。追われることを願わなければなりません。 更けていく夜が私を追いやり、遊び場が私を追いやり、職場が私を追いやることを願うのです。万物全体が自分を追いやってくれることを願わなければならないというのです。そうしてこそ、解放されるのです。深刻です。分かりましたか(「はい」)。 「家庭盟誓」は雲のように浮かぶものではありません。皆さんの心の世界で、これを黄金の柱のように考えなければなりません。 あなたたち、先生の写真だけ見ても頭を下げますか。(「はい」)。なぜですか。先生は世の中で知らない話をして、あなたたちに「そのペースに合わせなさい」と言うのです。愚鈍なので分からずに行ってみると、事実であると分かったでしょう。すべてうその話ですか。そうではありません。 そうして従ってきて、損をしましたか、得をしましたか。どんな得をしましたか。(「さまざまな側面でたくさんあります」)。得をしたならば恩返しをしなさいというのです。私に恩返ししないで、民族と世界のために返しなさいというのです。それで、得をさせたのです。自分のために得をさせたのではありません。私はそれを必要としません。あなたたちの協助は必要ありません。先生から得たものを世界に報いなさいというのです。先生のような立場で、自分の息子・娘に恵みを与えなさいというのです。 天運が動かす その次、六番は何ですか。真の愛を中心として?(「神様と真のご父母様の代身家庭として」)。神様と真のご父母様の代身家庭です。代身家庭になりなさいと、そう言っているではないですか。促進して、何をしようというのですか。代身家庭です。神様の復帰摂理全体に責任をもってこられたご父母様の代身家庭なのです。町に行けば、町の先祖の先祖です。ですから、先祖になり、おじいさんになり、全部、面倒を見てあげなければなりません。 代身家庭として何ですか。(「天運を動かす家庭になり」)。先生が今、天運を動かしていますか、動かしていませんか。天運が先生についてくるのです。私が「嫌だ」と言っても、ついてくるようになっています。創造原則、創造理想的な内容の核がそうなので、そのように行くようになるのです。それを否定して、神様が行く道がどこにありますか。 代身家庭として?(「天運を動かす家庭になり」)。天運がついてきますか、ついてきませんか。(「ついてきます」)。考えてみなさい。三百六十万双をできないと言ったのに……。見上げても見えなかったでしょう。先生が霊界と共に非常対策を取ってきたのです。先生と対等な祝福の権限を付与して、霊界から先祖たちがすべて協助できる因縁を開いておいたのです。祝福平準化です。 ですから、先生が言ったことを、やってできませんでしたか、できましたか。(「できました」)。夢のような話です。夢のような話ですが、だれが動かしましたか。先生が動かしましたか、天運が動かしましたか。(「天運が動かしました」)。 振り返ってみると、天下がすべてなくなり、前をふさぐものがないのです。天運とはそのようなものです。四方に三百六十度回るのですが、障害物がなくなるのです。頂上がそれです。頂上に登れば障害物がないでしょう。その立場に登り、立つのです。 そのような神様の創造の心情を中心として、神様以外の第一人者の立場で全部見回るのです。かわいそうな人がいれば、お金があればすべて与えたい心が生まれなければなりません。自分の手を切って与え、自分の足を切って与えたい心が生まれなければならないのです。「自分一人が犠牲になり、十人のために橋を架けなければならない」と思える心が先立たなければならないのです。 神様が創造した本然のエデンの園に残したすべての植物、傑作品、そこに保管されたものを無料でもらったので、私が主人たる真の父母として、エデンの園ですべて失ってしまったものを再び収拾して、種の絶滅を防止しなければならないという責任を背負ったのです。ですから、天地がすべてくっ付いて回るのです。そのように考えて行き来するのです。 ですから、船に乗っても速い船に乗るのです。魚を捕まえても大きいものを捕まえるのです。そうしてこそ、すべての中心が決定されるのです。大きいものの前についていき、大きいものを立てて中心にしようとするのが、人間の欲望ではないですか。万物の欲望も同じです。大きな中心存在と一つになろうとするのは、愛の世界の本質です。そのような立場で万物を愛し、抱こうという、父母の心情をもって愛するのです。 それで、そのことを今、ジャルデンでしているのです。水上を中心として餌を与えるにも、鐘をカンカンと打つとか、ボタンさえ押せばカンカンと音が出るようにして、餌を与えるのです。そうして、喜んで食べるようになれば、その出す音を聞いて入ってきて、もらって食べるのです。信号を出しておいて、魚たちを全部一所に集めて、開放的エデンの園をつくろうというのです。今、そのようにしているというのです。 最近、イノシシも入ってきて、犬と友達になっています。犬と猿が一つの場所で寝るのです。犬猿の仲と言いますが、一つの場所で寝ます。いなければ探しに行ったりするというのです。そのようなことが起きています。 私が一昨日も話したでしょう。カナダのカウ(乳牛)がいます。そのカウは草を食べます。本当に統率がよくとれています。その隊長が「立ち上がれ」と言えば、瞬時に立ち上がります。統一教会の教会員よりも優れています。(笑い)叫べば、サッと間違いなく後ろについてきます。「ああ、人間が主人に侍ることを、あのような動物を通して、自然的環境を通して、すべて教えてくださるのだ。教材でいっぱいに満ちているなあ」と考えたのです。 餌を与える時、口笛を吹くのです。全く同じように私が十回しても、一頭も動かないのに、育てる人がヒュヒュヒューと吹くと、全部動いたのです。人よりも優れています。ああ、絶対服従が感じられました。統一教会の教会員で、そのような人が一人でもいますか。統一教会員、千人、万人いても、そのような人はいません。 そのような牛を捕まえて食べるというのですか。捕まえて食べようとするなら、お願いして食べなくてはなりません。熱心にお願いして、「そうですか。食べてもいいです」と承諾をもらって食べれば、天地の和動が起こるのです。そのような生活を地上でしてこそ、神様の息子・娘の資格があるのです。どうですか そのようにしますか、しませんか。(「します」)。やってみなさい。 八十になり、七十になり、五十を越えた者たちがこのような話を聞いて、恥ずかしいと思わないのですから、人がすべきことをいつ果たすのですか。恥を知らなければなりません。 真のご父母様の代身家庭として天運を動かす家庭になり、その次は?(「天の祝福を周辺に連結させる」)。あなたたちが天運を動かし、あなたたちも幸せに暮らし、周囲の環境も幸せに暮らし、世界も幸せに暮らせるようにしなさいというのです。 その次(七番目)は何ですか。(「本然の血統と連結された心情文化世界を」)。 堕落しなかった本然の愛によって、絶対神様を中心として、千年、万年、誇る環境をなして、その血統と伝統を遵守して、永遠、不変、万世の解放圏をなしてさしあげますということです。 統一教会の骨髄全体を注入 さあ、そのようにすれば天国に行けるでしょうか、行けないでしょうか。(「行けます」)。神様がガツンと打つでしょうか、打たないでしょうか。(「打ちません」)。皆、そのように考えてみましたか。言葉だけ、ワワワワと叫んでいます。そのような意味を理解しなさいというのです。 先生が盟誓文をつくるときに祈祷したでしょうか、しなかったでしょうか。統一教会の骨髄全体を注入して書かなければならないのです。一言誤れば、天下がゆがんでしまうのです。天地に傷ができます。 じっくりと考えれば、原理を知っている人は感服するのです。このように計画的であり、秩序的であり、科学的です。論理的基準にもすべて合うのです。妄想からできていますか。よくできていますか、よくできていませんか。(「よくできています」)。どれくらいよくできていますか。神様くらいよくできています。神様もその盟誓文を聞いて、気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか。(「良かったと思います」)。 歴史の根は何ですか。世界家庭定着ではないですか。平和世界ではないですか。万民解放定着、神様の血族をなして、千年、万年、天国に直行できる後孫たちをもち、アダム世界で失敗したものを復帰して、自分によって天国を再び立てるのです。 いちばん最後の七節は何かと言えば、本然の血統と連結された心情文化世界を……。愛の世界、天国が築かれていくのです。それが私たちの願いではないですか。きれいな血統をもって、神様に直行できる後孫を残すのです。千年後にも汚れのない、傷のない完全な収穫がなされ、万年後にも完全な収穫がなされるようにです。天の祝宴に自分の血族を立て、祝宴の材料、称賛の材料、歌の材料、すべての喜怒哀楽の材料にします。それが息子・娘たる、愛の対象たる者の資格ではないですか。アーメン(「アーメン」)。 きょう初めて、私が「家庭盟誓」の解説をしました。はっきりと話してあげなさいというのです。その場に同参するには、ご父母様がこの盟誓を考えるその環境圏内で、私がつかんで生きるのです。飛行機の翼でもつかんで放さなければ、その目的地に行きますか、行きませんか。(「行きます」)。すべて同じだというのです。 私がアメリカに来て五十州を巡回講演しながら、四日間ずつ集会をしました。「アメリカに対する神の希望」というものです。これは皆さんが世界活動で行うべき内容です。キリスト教をすべて教化しなければならない内容です。読みなさい。 (「アメリカに対する神の希望」を拝読する)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.02
コメント(0)
人類を救う真の家庭運動日付:一九九七年十一月二十五日場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル行事:「世界平和宗教会議」創設大会 世界のあらゆる偉大な宗教の伝統を代表する宗教指導者、そして著名な学者の皆様。皆様が世界文化体育大典とこの重要な宗教議会に参加してくださったことに、感謝申し上げます。私はきょう、多くの指導者の方々の前で、私が展開してきた真の家庭運動の根本を明かそうと思います。来たる十一月二十九日に、皆様は真の愛と真の家庭運動の驚異的な現場となる三千九百六十万双の祝福結婚行事を目にするでしょう。 私は、世の中が分かってくれようとくれまいと、どのような評価をしようとも意に介さず、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために、一つの道を貫いて歩んできました。真の家庭の理想のために、私は一九六〇年、最初の三双の祝福家庭を輩出して以来、回を重ねながらその数を拡大してきました。一九九二年には三万双、一九九五年には三十六万双の祝福家庭を世界的に輩出しました。彼らはみな、神様のみ前に永遠な愛と信頼によって夫婦になることを誓約し、また子女を高こ徳と純潔の中で育てることを約束して生きています。 今回、短い準備期間であるにもかかわらず、全世界百八十五カ国において三百六十万双を目標とした当初の計画を、三千六百万双も超過した三千九百六十万双が、肌の色と宗教を超越し、真の家庭のための祝福結婚儀式に同参することになりました。これはその趣旨から見ても、規模から見ても、人間が動機となった行事であるとは言えません。神様のみ旨が中心となって達成された、摂理的な成就なのです。 皆様を含め、各教団の多くの指導者が、この真の家庭運動こそ、青少年の脱線と家庭の破綻を防ぐ根本的な方案であると共感し、多方面にわたって支援してくださり、また多くの国の指導者が、救国運動の次元で積極的に協力してくださったことを、感謝申し上げます。 アダムは体をまとった神様御自身 真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てられました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象です。無形の神様のみ前に、見える体として生まれたのです。 人間は完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入ってきて住むことのできる有形の実体になるというのです。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通し、父母と子女の縦的関係として実現、完成します。神様は御自身の体として、アダムをまず造られました。 アダムは神様の息子であると同時に、体をまとった神様御自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをお造りになり、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成して、神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様の実体の新婦を迎える場になるのです。 アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することにより、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点において結実、完成するようになるのです。 神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守り、真の愛の人として完成することです。さらに、神様の真の愛によって一つになった真の夫婦になることです。 ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追い出されるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が追い出したアダムとエバを、エデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した子孫、追い出された先祖の子孫なのです。 アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が人間の中で始原を形成しながら定着する、幸福な儀式でなければならなかったのです。 ところが、彼らは下部を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくる不倫の関係を結んだからです。そのように堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれるときから原罪をもつようになるのです。人類が個体の中で心と体の衝突を矛盾として感じるようになるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱な社会の中で本心が願わない人生を生きているのも、すべてここに原因があるのです。 本来、アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦になっていれば、神様は理想とされたとおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになっていたはずです。さらに、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母になり、善の愛、善の生命、善の血統の始原となるはずでした。 ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。結局、彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類は、この根に根源を置いているので、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫となり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。 絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援の役事をせざるを得ませんでした。神様の救援摂理は、失われた真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を探し出すかにあるのです。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。 それでは、神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのように誕生させるのかというのです。人間の先祖が自己の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て、原状回復させることはできません。神様はサタンの側に回った人類を、条件なく善の立場において取ることも、打つこともできないのです。 神様は、善の側にいる中心人物を立てて、先に打たれながら蕩減条件を立てさせ、復帰してくる作戦を取ってこられました。その反面、サタンは先に打ち、奪われる立場になったのです。 長子を屈服させることによる善の血統復帰 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のとき、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバに代わって責任をもつ母を立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立しようとする摂理が行われてきたからです。 神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は善の側を代表する次子を相対として条件を立てさせ、悪の側を代表する長子を屈服させることによって、善の血統を復帰してこられたのです。 人類の堕落は、アダム、エバ、天使長の三存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘惑して霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘惑して肉的堕落をすることにより、神様に背いたのです。堕落した天使長はサタンになりました。したがって、救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は一八〇度、反対の道を通して行われるのです。 真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。創造のとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落とは無関係の息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために、まず母がいなければなりません。母が息子を生むとしても、ただそのまま生むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して生まなければなりません。 復帰摂理の中に現れた母子協助はすべて、天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子が共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上に、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してきたのです。 神様の摂理歴史を記録した聖書の中に、理解できない記録が多くあります。リベカは夫イサクと長子エサウをだまし、次子ヤコブを助けて、彼が祝福を受けるようにしました。 神様は、一見不当に見える方法を動員したその母子の側に立たれ、彼らに祝福を与え続けました。アダム家庭では、カインとアベルの兄弟が母の胎の外で争って、次子アベルが命を失いました。ヤコブはアベル以後、善の側に立った多くの人々の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンにさらに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。 結果的に、ヤコブはヤボク川のほとりで天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることにより、歴史始まって以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、そのときは既に、年が四十代でした。 サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。 結果的にこの責任を引き受けた偉大な母が、タマルでした。タマルはユダの長男エルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなく、死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子オナンをタマルに与え、子を生ませようとしましたが、オナンは生まれる赤ん坊が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいました. タマルはユダの三番目の息子シラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした.タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで、家系が途絶えることを心配したからです。 タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦に偽装し、義父であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。そして、その赤ん坊が生まれるとき、先に手を突き出して出てこようとした長子の赤ん坊が再び腹中に入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄となって先に生まれたのですが、彼がペレヅでした。 そうして、タマルの胎中で長子と次子が争い、分立される胎中復帰が成し遂げられたのです。このような条件の上に、選民の血族を集め、二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを懐胎することができたのです。神様の息子の種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴なく定着できるようになった、国家的勝利の土台が造成されたというのです。 このような基盤の上で、聖母マリヤが摂理の主流に登場しました。ヨセフと婚約したマリヤは、自分の体を通してメシヤが生まれるというガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一・三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めたのです。 マリヤは、親族であり、尊敬を受ける祭司ザカリヤの家に相談に行きました。神様はマリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。 ザカリヤ夫婦は、マリヤを自分たちの家にとどまらせました。マリヤはザカリヤ家庭において、イエス様を懐胎しました。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それにより、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになったのです。 ザカリヤ、エリサベツ、洗礼ヨハネはイエス様に侍るべきだった 神様の息子がたとえ着地したとしても、サタンの世界において無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護を受ける垣根が必要でした。神様はザカリヤ家庭の三人が、その基盤となってくれることを期待されました。しかし、このようにイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、またヨセフとの難しい条件において、心情的に途方もなく寂しい境遇で育ったのです。メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害要因であることを、独りもどかしく思ったのです。 本来、メシヤは第二のアダムであり、真の父です。その使命のためには、実体の新婦、真の母を迎えなければなりません。もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもと、最初にもった絶対的な信仰をもち続けていたならば、イエス様を神様の息子、メシヤとして、これ以上ない精誠を尽くして侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったでしょう。 そして、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネでしたから、彼が悔い改めさせた民がイエス様を信じ、救われるように導く責任を果たさなければなりませんでした。しかし不幸にも、ザカリヤはもちろん、エリサベツや洗礼ヨハネも、神様の息子としてイエス様を証しただけで、侍ることはなかったのです。 尊敬を受ける祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の行く道をさらに難しくしてしまい、民が従えないようにしてしまったのです。ましてや、彼らが信仰を失って人間的な考えに流れたとき、イエス様が願われた新婦を迎えることを助けるはずは絶対になかったのです。 イエス様は母マリヤからも、ザカリヤとエリサベツからも反対を受け、最後には洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念せざるを得ませんでした。イエス様は、新たに摂理的基盤を探して、再び復帰摂理をするために家を出ました。家を出たイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されたのです。 家庭や氏族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を探しに出掛けたのです。これがイエス様の三年路程でした。しかし民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなってサタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かざるを得なかったのです。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。それで、再臨することを約束されたのです。 第三アダム、真の父として来られる再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母理想を完成するために来られるのです。 再臨主は、既にイエス様のときまでに神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられるときまでの勝利的な基盤の上にそのまま立たれて、イエス様が果たせなかった新婦を探し、真の父母となられ、祝福によって万民を復帰してくださるのです。 真の父母は、血統を伝授する新しい祝福結婚の行事を通して、全人類を神様の真の愛と真の生命、そして真の血統に接ぎ木し、真の人として救って、さらには真の家庭を築いて地上天国を建設されるのです。 祝福結婚は最も貴い贈り物 尊敬する宗教指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願います。そして、これから「世界平和統一家庭連合」は真の家庭運動により一層拍車を掛け、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。 価値観の崩壊と倫理的な堕落によって青少年が淪落し、家庭が根こそぎ破壊されています。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という聖句があります。エデンの園においてアダムとエバが、未完成期に不倫を植えました。終わりの日にそのような現象が世界的に再現され、青少年の極めて深刻な堕落現象が、罪悪歴史の結実として現れるのです。 滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させようという私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動を広げていかなければなりません。 人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が中心となり、率先してくださることを切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入って、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.05.01
コメント(0)
第38回「真の子女の日」記念礼拝の御言真の子女の勝利圏を完成しよう1997年10月31日ベルベディア父子の関係は血統的関係 「真の子女の勝利圏を完成しよう」とは、どのような意味でしょうか? 今、世の中に生きている人たちは、だれの息子ですか?(「サタンです」)。それは正しい話です。 皆さんは、サタンを見ましたか? 人間は、見ることもできないサタンの息子だと言うのですが、息子は見えるのに、なぜ、父親は見えないのでしょうか? おかしいでしょう? 宗教を信じる人たちのなかで、特にキリスト教徒は神様の息子だと言います。では、その神様の息子だと言う人たちが、神様を見たでしょうか? 同じことです。サタンの息子も、サタンの息子であってもサタンを見ることができず、神様の息子も、神様の息子であっても神様を見ることができないのです。 父子の関係は、血統的関係があります。このことを知らなければなりません。皆さんは、お父さん・お母さんがいるでしょう? その見えるお父さん・お母さんを通して生まれたので、お父さん・お母さんの血統と連結されているのです。血統と連結されなければ、お父さん・お母さんとは親子の関係にならないのです。 皆さん、父母がいたならば父母を愛したいですか、愛されたいですか? 愛されたく、愛したいのが子供と父母の関係です。神様が見えず、サタンが見えないのに、その父母からどのように愛され、愛するのかということが問題になるのです。 このように見るとき、二つの父母が生まれました。神様側の息子・娘は天国に行くのであり、サタン側の息子・娘は地獄に行くのです。地獄と天国があることを知っていますか? それならば、それがどこから始まり、どこから分かれたのかというのです。見えない霊的父母である神様とサタンの間で、分かれたのでしょうか? そうでなければ、見える私たち人間、子女の立場から分かれたのでしょうか? 今日、この地上に愛というものが始まるとき、人が一人だけで関係を結んで始まったのでしょうか? 見えない神様と二人の間で関係を結んだのでしょうか? 見える人同士で愛の関係を結んで始まったのでしょうか? そうではありません。 見えない父が二人いて始まったので、どちらか一人の父親が先に、この愛の関係を結んだというのは間違いないと考えるのです。愛の関係は、同時に二人と結ぶことはできないからです。 見えない霊的サタンと神様のうちで、どちらの父と関係を結んだのでしょうか?(「サタンです」)。皆さんは、サタンを見ましたか?(笑い)キリスト教が、根本問題であるこのようなことを考えなければならないのです。 元来は、神様が父母にならなければならないはずなのに、サタンが父母になったという事実は、善悪を知る木の果を取って食べたことによってなったのでしょうか? 何の関係によってなったのでしょうか? これは深刻なことです。 愛の問題を離れて、善悪を知る木の果を取って食べることによってサタンが父親になり得るのか、愛の関係を結ぶことによって、父親になり得るのだろうか、という問題です。(「愛の関係によってです」)。見ましたか? 神様がこのように愛の関係を結んでいたならば、そこで、サタンの父母が生まれ得るでしょうか?(「生まれ得ません」) では、堕落が何かというのです。神様と愛の関係を結んだ因縁を、失ってしまったのが堕落なのです。分かりましたか?(「はい」) さて、エデンの園で堕落する前に、アダムとエバが息子・娘を産んで追い出されましたか、堕落して息子・娘を産みましたか?(「追い出されて産みました」)。追い出されて息子・娘を産んだということは、神様が介在していますか、サタンが介在していますか? これが問題です。(「サタンです」) 何によって堕落したのでしょうか? このような観点から見るとき、結論は簡単なのです。不倫な愛の関係によって堕落したという結論が出るのです。 ですから、サタンの血を受けたのが人類の堕落であるということを、皆さんは知らなければなりません。既成教会の信徒たちは、善悪を知る木の果を取って食べて堕落したと言うのですが、そのような話がどこにありますか? 人参のようなものを、どんなにたくさん生でひっきりなしに食べたとしても、それで血統が連結されるでしょうか?(「されません」) 今日の堕落した人間には、原罪があるのです。血統に従って、今日、人類全部が原罪を持つようになったのです。善悪を知る木の果を取って食べて、原罪を持ったということはあり得ません。これは、血統が連結されているから問題なのです。血統が連結されているということを知らなければなりません。真の愛で正さなければならない アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、サタンの血統ですか、神様の血統ですか?(「サタンの血統です」)。サタンの血統を受けたジョージ・ワシントン大統領を尊敬すれば、サタンが喜ぶでしょうか、神様が喜ぶでしょうか? それでは、アメリカはどのような国でしょうか? 神様の血統と連結された神様の息子・娘として繁殖された二億四千万の神様の息子・娘によって連結された国ですか? サタンの血統と連結された国ですか?(「サタンと連結された国です」) そのサタンの国で、「世界の万国は私の前に屈伏しなさい」と言いながら、銃の先端を当てて脅迫しているのです。神様がそのようにして、統一の国をつくられるでしょうか、サタンがそのようにつくるでしょうか?(「サタンです」) サタンが侵犯することによって、アダムとエバは青少年の時に家庭を破綻させました。 ですから、エデンの園で青少年問題、家庭破綻が起きたのです。誤って結婚したので、引っ繰り返して天の側で結婚式をしなければならず、血統を引っ繰り返しておかなければならないという論理を、理論的に肯定しなければならないのです。 絶対セックス、純潔を主張するのです。絶対セックス 何のためにですか? 絶対愛のためにです。唯一、不変、永遠な愛のためです。偽りの愛によってこのようになったので、真の愛で正さなければならないのです。 ここにキリスト教徒がいるとすれば、その人たちは、「善悪を知る木の果を取って食べて原罪が生じた」と言ってはなりません。善悪を知る木の果を取って食べて、どうして原罪が生じるでしょうか? それゆえ、原罪を持つ人間は、接ぎ木されなければなりません。切ってしまって、真の生命の血、イエス・キリスト、真の父母の血を引き継がなければならないのです。 イエス様の小羊の婚宴とは、何でしょうか? 真の父母の立場をもって、愛の血が汚されたものを正して、真なる血統を連結させようというものです。誤った血統を切ってしまって、接ぎ木して救おうというのです。はっきりと分かりましたか?(「はい」) 体が喜んで、飛び跳ねてこのようにするのは何ですか? ダンスを踊って大騒ぎするのは、何の血が沸き立ってそのようにするのでしょうか? サタンの血です。サタンは体を中心として、「キスしよう。体を愛そう」と言って、フリーセックスが起こるのです。それが神様が好む愛ですか?(「違います」) ですから、宗教は出家させたのです。「家を出なさい。サタン世界の国と世界を否定して、自分の血族まで否定して家を出なさい」と言うのです。出てからは、「独身生活をしなさい。堕落した行動を神様は見たくない」と言うのです。 エデンの園には何人いましたか?(「二人です」)。見たのですか?(笑い)何人いるだろうかと、考えてみてください。(「二人です」)。二人ですが、男性と女性ですか、女性と女性ですか、男性と男性ですか?(「男性と女性です」)。男性と女性が問題です。男女ふたりが永遠に一つになれなかったので、事故が起こったのです。 その動物は、恐ろしい動物です。神様も恐れ、サタンも恐れます。その恐ろしい動物を神様が好む理想的な動物にどうしてするのかというのです。 それは、アダム・エバを創造するときよりも簡単でしょうか、数百倍、数千倍難しいでしょうか? 人類歴史の長い期間を通じて、一組のアダム・エバすらもつくれませんでした。完成したアダムに出会えなかったのです。神様が、「愛する自分の息子だ」、と言える、血統が連結された息子・娘を一組もつくれなかったのです。 それで、神様が永遠に愛する息子・娘を取り戻す道がないという結論が出るのです。もう一度創造するからには、アダムの標本を取り戻して、それから見本を取ってこそ初めて、エバを取り戻すことができるのです。 それでは、神様の摂理の目的は何でしょうか? そのような神様がいちばん好きな息子と娘を、変わらない不変の永遠な立場で絶対的な愛に一致させることのできる息子・娘を立てて、結婚式をするのが小羊の婚宴です。 キリスト教は、はっきりと知らなければなりません。神様が完全な息子と、完全な娘を結婚させてあげられず、この世の中をすべて燃やしてしまえば、サタンのゆえにそのようになった、ということになり、「サタンのゆえに失敗した神様」になってしまうのです。絶対に、そのようにすることはできません。 そのような男性がおり、そのような女性がいれば、そのような人に嫁入り、婿入りしたいですか? どうですか?(「アーメン」) そうすれば、そのようにできる男性と、そのようにできる女性が出会ったなら、その喜ぶ声が稲妻の音、雷の音よりも大きいのです。アーメン(「アーメン」)。大きいですか、大きくありませんか? 私は分かりません。(笑い)稲光するのは何かと言えば、自然が結婚するのです。真の愛の真理で統一 ですから、この男性と、この女性が事件を起こしてこのようになったのです。このプラスというのは男性を指し、このマイナスは何を指すのですか? 女性を指すのです。皆さんが家庭を持てなくてはならないのです。 サタンが悪なる種を植えたものを抜き取る場所も、家庭に行って抜き取らなければならないのです。それを植えたので、根を抜き取るために家庭に行かなければならないのです。それは、否定しないでしょう?(「はい」) 人の中にもプラスがあり、マイナスがあります。プラスが何ですか?(「心です」)。それからマイナスは何ですか?(「体です」)。体です。 では神様は、心と体、プラス、マイナスが自動的に一つになるようにつくられたでしょうか、そのようにつくられなかったでしょうか? これが問題です。(「一つになるようにつくられました」)。なぜ、そうですか? 神様が原因なので、結果も同じです。神様に似なければならないからです。 では、神様も心と体があるでしょうか、ないでしょうか?(「あります」)。見ましたか?(笑い)神様の息子・娘がそうですから、神様もそうあられざるを得ないというのです。 それでは、自分がプラスとマイナスが一つになった神様の愛を中心として、血統的に関係ができたならば、自分の心と体が一つになったでしょうか、分かれたでしょうか?(「一つになりました」) しかし、皆さんが神様の血統を受けられなかったという証拠が何かと言えば、心と体が闘っているということです。心と体が闘わない人、手を挙げてください。一人もいませんね それが神様の息子ですか、神様と関係のない人です。深刻な問題です。 この戦争は、アダム・エバから始まって今日まで続き、今から皆さんの息子・娘に引き継いで、数千万年、この闘いが続き得る可能圏に立っているということを知らなければなりません この戦争 休戦をしたことがあるでしょうか。この戦争を休戦して、停戦してみましたか? 皆さんの心と体が停戦しましたか?(「停戦しませんでした」)。停戦したと言う人、手を挙げてください。 そのような者たちがつくる世界の平和や幸福というものはあり得ません。絶望です。世界が絶望であり、破壊です。 自分の心と体の戦争、この戦争をやめさせ、戦争を停戦させることのできる主人がいたならば、自分が千年万年、僕になったとしても、その道を求めて行こうと叫ぶ人がいなければなりません。 それゆえ神様が、メシヤ、救世主というかたを送るのです。このような闘いを停止させるために来られるかたが、メシヤであるということを知らなければなりません。何をもってですか? 銃や剣をもってですか?(「違います」)。真理をもってです。 何の真理ですか? 真の愛の真理です。偽りの愛で分けておいたものを一つにするためには、体を押さえつけて、それを越えていける力を持った、真の愛の真理でなければなりません。 それを願わない人、手を挙げてください。では、それを願う人、手を挙げてください。欲が深いですね。統一教会の文先生が死ぬようにと祈祷していた者もいますが、今は知ったので、「ハハハハハ……」と言っているのです。 では、皆さんは、レバレンド・ムーンの側になるつもりですか、神様の側になるつもりですか?(笑い)このことを知らなければなりません。これは重要なことです。 エデンの園で、堕落したアダム・エバを神様が保護しましたか、追い出しましたか?(「追い出しました」)。では、エデンの園から追い出してしまったその神様が、今になって、神様の威信上、じっとしておられるでしょうか、手助けされるでしょうか? 考えてみてください。 皆さんは、上から下まで全部サタンの血統ですが、アダムはそれでも神様の血統が残っているのです。良心というものが、神様の側に立っているのです。ところが、皆さんは良心であれ何であれ、すべてありません。 皆さんが地獄に行っているのを、どのようにして神様が保護されるでしょうか? アダムは、善なる立場でも追い出されたのに、神様は皆さんのことを考えられるでしょうか? このようにして、世の中の終わりの日になってみると、神様も手をつけられず、サタンも来てみると絶壁にぶつかったのです。だからといって、サタンが振り返ろうとすると、レバレンド・ムーンが家庭をすべて神側に奪ってくるのです。 今、正に三百六十万双、三億六千万双へと家庭を全部復帰します。サタンの行く所はありません。 ですから、サタンが逃げていく道は、飛び上がる道と地獄に行く道の二つの道しかありません。地獄は底なし地獄です。真っ暗な地球の中に行って、永遠に太陽の光のない地獄に落ちるのです。神様はその話も聞きたくないのです。見たくもないのです。 サタンが行く所がないので、サタンも大変なことになったのです。人類をこのように滅亡させるのが、本来の天使長の立場ではないのです。人間を祝福して、結婚するように後援できる立場を願ったはずなのです。しかし、今日、サタンは進もうとしても進めず、逃げようとしても逃げられない立場なので、どうするのでしょうか? ですから、神様が「おい、おまえもかわいそうになったなあ。おまえはどうするつもりか?」と言うのです。そうするとサタンは、「あなたもそうではないですか」と言います。(笑い)だれが救いますか? 病気になったのですが、何のために病気になったのですか? 偽りの父母が生まれ出たのは、第一に血統であり、第二に青少年の淪落です。第三は家庭破壊です。サタンとの血統関係を断つ 神様も考えるときに、「統一教会とレバレンド・ムーンが何をするのであろうかといえば、血統関係を断って青少年の淪落を清算し、家庭破綻したものを、百八十度、逆さまにするためにやってきたのが統一教会の文先生なので、文先生にお願いすれば、このすべてのものが清算される」と言うのです。 何をもってですか? 偽りの父母がこのようにさせたので、真の父母の名前をもってするのです。百八十度後ろ向きになるのです。サタンと正反対です。そうですか?(「はい」)。私は分かりません。そうですか?(「はい」)。皆さんがもっとよく分かるはずです。私は分かりません。 ですから皆さんも、百八十度背を向ければ、天国に行くのです。その次に、家庭を中心として背を向けるのです。青少年の淪落も同じ論理です。その次に、夫婦関係において結婚をうまくできなかったのを、もう一度結婚して背を向ければ、世の中の万事、サタン世界を整備することができます。アーアーアー(「メン」)。私は知りません。(笑い) さあ、血統関係を断たなければならないのです。何歳の時に断たなければならないでしょうか? ティーンエージャーの時に断たなければなりませんか、四十代、八十代、死ぬ時に断たなければならないでしょうか?(「ティーンエージャーの時です」) ティーンエージャーです。ティーンエージャーの時にフリーセックスをして壊れていったのです。これが問題です。それゆえ、アダム家庭が壊れていったのです。今、正に、今日の真の息子・娘が何かといえば、血統を断ってしまわなければならず、青少年の淪落を引っ繰り返さなければならず、家庭を新しくつくらなければなりません。 このことをできるのは、真の息子の代身たる真の父母でなければならないというのです。真の父母は、百パーセントできるのです。真の父母の血統を受け継がなければなりません。 ですから、統一教会の合同結婚式は血統切断であり、青少年復帰であり、破壊家庭を神様を中心とした愛を中心として建立するためのものです。それゆえ、統一教会のこのような伝統的内容を備えた個人、家庭が真なる子女であり、真なる子女の家庭なので、エデンで願った、神様のアダム・エバに対する目的を完成するのです。アーメン 復帰されたその立場で祝福を受けたならば、皆さんの息子・娘は、宗教だとか何だとか必要なく天国に直行するのです。そのような息子・娘を産みましたか? ここで祝福を受けた人、手を挙げてみてください。天国に直行できる息子・娘を皆持っていますか? どうですか?(「はい」) ちりほどのものでも堕落のものがあっては、本然の家庭、神様の血族と血統を引き継げない、ということを知らなければなりません。絶対否定しなければなりません。 皆さんが使う英語が、本然の堕落しなかったアダム・エバが使おうとした言葉ですか、堕落した以後に作り上げられた言葉ですか? 汚いものが混ぜられてつくられた言葉です。英語は上下がなく、相手を「You」と言います。母親も「You」、王も「You」、全部平準です。上下がありません。それのどこが言葉ですか。 今のアメリカの人たちをじっと見れば、西洋の花嫁をもらおうとする人はいないのです。全部、東洋の女性たちをもらおうとするのです。また、西洋の女性たちは花婿候補がいないので、東洋の男性をもらわざるを得ません。 僕のようにこき使うために、僕のような夫に出会うのです。王のような夫を追い出してしまって、僕のようにこき使っていたものが皆、いなくなるので、僕のような、ごみ箱のような男性と暮らさなければならないというのです。 さあ、分かりましたか? 心と体が分かれてこのようになったのです。皆さんの心と体は、この闘いも制することができません。レバレンド・ムーンを通してその原因をはっきりと知っているので、「自分の心と体の闘いを制することはできない」という考えを変えることができるのです。 この原理を知って、レバレンド・ムーンの教えを現実に合わせて実験してみると、そのようになるから信じざるを得ないので、この道を行くのです。(「そのとおりです」)。何ですか?(「そのとおりです」)。嘘だというのです。(「真の話です」)。(笑い)体はサタンの基地 心と体が、プラスとマイナスです。男性も心と体が分かれ、女性も心と体が分かれたのです。一人でならなければならないはずなのに、二人が暮らしています。これが問題です。 神様を中心として、一人にならなければならないはずなのに、二人になったというのです。その一人がだれですか?(「サタンです」)。もう一人はだれですか? 心です。心は本来、神様が宿ることのできる家です。その心は、神様を中心とするので、あらゆる不義を許しません。体がしようとするものを全部、制裁します。その闘いをしているのです。 そのように見るとき、自分の心と体が闘う際に、心が勝ちますか、体が勝ちますか?(「体です」)。なぜでしょうか? 心が育って上っていくとき、もう少し上っていけば完成するはずなのに、完成する前にサタンが唆したその愛の力が、このときの心の場所よりも大きかったのです。では、サタンはどこに定着するのかといえば、大きな位置に定着して、体がサタンの基地になったのです。 それゆえ、世の中でもそうではないでしょうか? 愛の道を妨げれば、死の道もためらわずに死ぬのです。心が行くなと言っても行くのです。堕落するときに、そのように堕落したのです。心と必ず相反するのです。このことを知らなければなりません。 これをどのようにしてブレーキをかけるのかといえば、宗教を通してかけるのです。宗教は反対です。「体を制裁しなさい。温柔謙遜になりなさい。犠牲・奉仕しなさい。祭物になりなさい。血を流しなさい。殉教しなさい」と言うのです。絶対的な神様への信仰を持って、生命をささげなければならないのです。 ですから、イエス様も来て、死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん、という逆説的な論理を教えたのです。終わりの日には、皆さんの家族が怨讐だと言ったのです。 新しい道、新しい天国の道を飛んでいこうとするとき、地獄と連結されたすべてが反対するので、家族が怨讐だというのです。全部が反対するのです。イエス様は、「だれよりも私をもっと愛さなければ天国に行けない」と言われたのです。 サタンの基地が何かと言えば、体です。体がサタンの軍事基地です。分かりましたか?(「はい」)心がプラスになったのに、サタンが心に反対するのです。ですから、マイナスである体を打ちなさいというのです。 神様の愛と接するときまで体を打って、心と体が一つになれるようにして、大きくなっていくのです。プラスとマイナスが一つになって、大きなプラスになり、大きなプラスとマイナスが一つになるのです。 ですから、地獄と天国が自分から分かれて、自分から始まるのです。心は公的なものであり、体は私的なものです。サタンは個人主義の王なのです。 アメリカ人は、個人主義ですか、公的ですか?(「個人主義です」)。分かるには分かるようですね。地獄ですか、天国ですか?(「地獄です」)。個人主義は、天地をすべて失い、世界を失い、国を失い、自分の父親、母親、先祖をすべて失ってしまい、自分の相対を失い、サタン・天使長のように一人で残り、地獄しか行く所がないのです。 サタンは公的なものがありません。夫は妻を愛し、妻は子供を愛し、子供は隣人を愛し、隣人は国を愛し、国は世界を愛し、世界は神様を愛することのできる公的なものを完全に切ってしまったので、堕落人間は完全にサタンの直系の息子・娘になったのです。 世界人類を滅ぼすためにサタンが世界を回りながら工作して、若者たちがエイズを全部伝染させてしまっています。ですから、「ヤンキー・ゴー・ホーム(Yankee go home)」です。「ヤンキー・ゴー・ホーム」と言うので、「レバレンド・ムーン・ゴー・ホーム(Rev. Moon, go home)」と言っているのです。 最近は、「ああ、レバレンド・ムーン・ドント・ゴー・ホーム(Ah, Ah! Rev. Moon, don't go home)」と言っています。エイズの人々が、「レバレンド・ムーン・ゴー・ホーム(Rev. Moon, go home)」から「ドント・ゴー・ホーム(Don't go home)」になったので、私にしか希望がないというのです。事実、そうです。この体が何だと言いましたか? 地獄の基地です。地獄の側です。 さて、レバレンド・ムーンが皆さんの家に行けば、宴をしてくれますか、してくれませんか?(「してさしあげます」)。先祖から億千万代、皇族の息子・娘、どこかのある素晴らしい大統領の息子・娘を中心としてバンケットをした、十倍以上のバンケットをしようという心を持ってしなければならないのです。 お金がなかったなら、餅一つを置いても十倍以上の涙を流して、天に侍る慨嘆の心情で侍ればよいというのです。皆さんが精誠の涙を流す際に、神様が一緒に涙を流されることのできる、精誠のにじむものであればよいというのです。 それでは、自分の家に真の父母をお迎えしてバンケットを一度やりたい人、手を挙げてみてください。皆、しますか?(「はい」)。それでは、やりたければ両手を挙げてください。 きょう、「真の子女の日」は、特別な「真の子女の日」です。先生にこのように思うがままに会うことはできません。(「寂しいです」)。アメリカ人たちは、先生がいなければ、どれくらい喜ぶでしょうか?(「違います」) この体が地獄の基地です。心は神様の天国の基地です。ですから、神様の基地を中心として、サタンの地獄の基地を餌食にしなければなりません。なくさなければならないのです。ですから、この全部を神様の天国の基地にしなければなりません。 きょうのみ言の題目が何でしたか?(「『真の子女の勝利圏を完成しよう』です」) レバレンド・ムーンのようにならなければならないのです。ですから、「天地父母天宙安息圏」を宣布したので、神様がこの地上に訪ねてくることのできる時になったので、家庭的基盤、氏族的基盤を連結させる世界大祝福時代です。三百六十万双、三千六百万双、三億六千万双、全人類からサタンの血統を切断してしまわなければなりません。(「アーメン」)。(拍手)サタンの基地を一人でも残してはならないのです。完全に切ってしまわなければなりません。 三千六百万双、三億六千万双と祝福して、先生の祝福の権限をすべての人類の家庭がもらうのです。これはもらわざるを得ないのです。自動的にそのようになるというのです。 台風が吹いてきます。皆、もらって、全世界の人類の家庭が完成して、神様が祝福してあげることのできる結婚式をして、神様の血統を引き継いだアダム家庭型の世界人類版図圏になるのです。 一日に三億六千万双、人類を祝福することができるのです。二年間でそのようにするのです。それが残るようになれば、自分の父母だとか、自分の息子・娘がサタンの血統を絶つことができないときには、神様が追い出すのです。 サタンの血族だと言って、島国のような所に男性と女性を分けて、大移動する時代が来るかもしれません。男性と女性を分けるのです。 そうして、皆さんの身内、一族、親戚を何があったとしても眠らずに清算しなければなりません。 今、式典まで何日ありますか?(「一か月程度です」)。一日に五十万双を祝福しなければなりません。それ以上しなくてはなりません。今から二年ならば七百二十日です。この期間に三億六千万をしなければなりません。できるというのです。 五十万双以上しなくては、三億六千万双できないのです。その日を短縮させるためには、一日に百万双以上突破しようという心を持って、駆り立てなければならないのです。このことを実験して、自信を持ちなさいというのです。 今、どれくらい完成したのかといえば、二千五百万双です。(拍手)三千六百万双までにはあと、千百万双が残りました。「三百六十万双結婚完成、三千六百万双結婚完成」と世界に発表されるときは、世界に台風が吹いてくるのです。(拍手) 小学校を卒業する年齢になれば、将来、自分が結婚することが分かります。そこで、生徒たちが、「先生、私たちが結婚するときに、個人的に結婚するのがいいですか、合同結婚式でレバレンド・ムーンによって結婚するのがいいですか?」と言えば、先生が何と答えるでしょうか? その時になれば、皆さんはどのように言いますか? 大学の学生たちを集めておいて、中高生を集めておいて、数千人の前でいっぺんに聖酒式をするのです。 サタンの血統のために、神様が苦労したことを知らなければなりません。善悪を知る木の果を食べて堕落したという既成教会の牧師たちは、誤った者たちです。「純潔を守ろう」というのです。純潔を守る運動をしなければなりません。愛を通して神様を完成させる人間 真の子女の家庭の勝利圏を相続しましょう。世界のどこに行くにせよ、国が家庭のモデルのようになり、世界も、天の国もこのようなモデルの形態を備えることによって、全天下は神様を代身した所有権を相続することができるのです。 完成した家庭では、おじいさん・おばあさん、お父さん・お母さん、自分たち夫婦、このようになっているのです。世界の人々が、おばあさんのようであり、母親のようであり、夫婦のようであり、子女のようなのです。 そのような世界になっているので、おばあさんのような人は、自分の家のおばあさんのように考え、母親のような人を自分の母親のように愛し、全世界の人たちを自分の愛する妻のように考え、息子・娘のように愛することができ、天国のモデルとして入ることのできる訓練場が家庭だというのです。それを自分の家庭よりももっと愛そうというのが、天国のような生活なのです。 そうしてこそ初めて、完成するのです。その境地に入らなければなりません。それが簡単ですか?(「簡単ではありません」)。三回死んで、生き返らなければなりません。 なぜ、そうなのかといえば、エデンの園においてエバがアダムを殺してしまったからです。父親を殺してしまい、さらに、イエス時代に父親を殺してしまい、再臨時代に父親を殺してしまったことを蕩減しなければなりません。父母を三回殺したので、息子・娘もそのことを乗り越えなければならないというのです。 先生がそのような苦労をしてきたのです。今からは、迫害を受けようとしても迫害を受ける時はないでしょう。どうしますか? 先生は神様を愛し、人類を愛さなければなりません。この原理が見る堕落した世界を全部、愛しました。 残ったものは何かと言えば、自然です。今回、南米において見たパラグアイ川だとか、アマゾン川流域にいるすべての動物と植物は、神様が創造されたそのままが残っているのです。それらを愛してあげなければならないのです。 そこには、昆虫が三千六百万種もいます。それから、鳥の種類が千五百種類、それから、魚で見れば、三千六百種類です。それらをつくられるときに、神様は泣きながらつくられたのではありません。楽しみながらつくられたのです。趣味です。楽しみながらつくられた、ということを知らなければなりません。 さて、それでは、それをつくられるために徹夜をされたでしょうか、「ああ、嫌だ」と言われながらつくられたでしょうか? 喜びながらつくるときは、徹夜してつくり、食べもせず、遊びもせずにつくられたということを知らなければなりません。そのように愛されていた昆虫が、その主人がいなくなったので、すべて嘆息圏内で泣いていたのです。 小さな虫も、雄と雌が愛して子を産んで繁殖するのです。動物も雄、雌、人も男子、女子、神様も陽性、陰性です。なぜ、雄、雌で生まれたでしょうか? 愛のためです。鉱物世界もプラスイオン、マイナスイオンがあるのです。その日のために愛を中心として全部運動し、子を産んで繁殖しているというのです。 さらに、顕微鏡で三百万倍に拡大させた菌にまでもプラス、マイナス、雄、雌があるというのです。それらは、すべて生殖器官があるでしょうか、ないでしょうか? 宇宙には太陽系のような単位が一億個入っています。どれくらい膨大でしょうか? 膨大な全部が、相対を中心として運動しているのです。愛のためです。すべてプラス、マイナスです。愛のためなのです。そこは、中心が人間です。神様も独りでは愛を成せないのです。愛を通して神様を完成させるのは、人間しかいません。 女性たちも愛を持っており、生命を持っており、血統を持っており、すべて持っていますが、それを独りで感じることができますか? 男性も同じです。独りでいながら、「ああ、私の愛の相対」と感じることができますか? それでは、気のふれた者になってしまうのです。 人格を完成した女性の前に男性が現れ、男性の前に女性が現れるとき、このすべての愛と生命と血統が、いっぺんに爆発するのです。言わなくても自動的に爆発するのです。そうですか?(「はい」)。そうして、どうなりますか? 一つになるでしょう? 一つにさせる器官が何ですか?(「生殖器です」)。何ですか?(「生殖器です」) 生殖器がどんなものですか? 凹凸です。凹凸をぱっと合わせてくっつけておけば、剥がすことはできません。神様も剥がせないのです。神様も「そんなにいいのか? 私も入ってくっつけてみよう」と言うのです。(笑い)一つになろうというのです。そうすれば、世の中のすべてのものが必要ありません。これをつかんで永遠に生きようと思うのです。自然を通し神の心情を学ぶ 真の父母は、神様を愛し、人類を愛したのです。すべて終えました。安息圏を発表したので、嘆息していた動物世界を解怨成就してあげなければならないのです。 その次に、愛によって種が絶滅しないように保護すべき責任を感じるので、自然に関心を持つのです。神様が愛していたようにするのです。安息圏の時代が来たので、すべてすることができるのです。 皆さんは、労働しながらも創造の仕事をするのです。二十四時間、一生働いたとしても、疲れず、神様の愛の世界に接触でき、神様を慰労できる道を求めていくのが、一生涯の愛の道です。 神様が創造されたように、私も喜びながら天の記念品を残していこう、と考えなければなりません。ですから、主人の役割を果たさなければならないのです。 そうしようとすれば、自然の愛と万物の愛と和動しながら中心になり、天地を賛美しながら生きるべきですが、都会でそのようにできますか? それとも、先生のように南米の緑地帯がある所を訪ねていかなければなりませんか?(「緑地帯を訪ねていかなければなりません」) ですから、この「都市」をどのように解散させるのかというのが問題です。都市は公害問題、環境破壊の犯罪を犯す所です。自然は、息子・娘を愛し、自分の相対を愛することのできるすべての材料を帯びているので、自然を愛することによって、家庭と宇宙、自分の一族を愛する豊かな愛の教育を自動的に受けられる所であるということを知らなければなりません。 皆さんが髪の毛に、「あなたは、万物を愛し、天地を愛する主人に愛される髪の毛になればいいか、自分だけ考える人の髪の毛になればいいか?」と尋ねれば、全部、「自然と和合する人の髪の毛になりたい」、と言うのです。尋ねてみなさい。細胞一つも同じです。自然を愛し、自然と暮らしていた本然的な人の細胞になりたがるのです。 さて、真のご父母様がそのように自然を訪ねていって、海という海、川という川、山という山、あらゆる景色をすべて探査しながら、神様の愛で嘆息圏を解放させながら生きていくのですが、そのような真の父母の生活の後ろについていきますか、都市で自分個人を中心として環境を破壊し、公害を起こし、子女の情緒的側面を発展させることのできる道をふさぐ父母になって生きますか? このようなものを比較してみるとき、統一教会の教会員たちは、先生がこのように自然を愛していった道に自然に従っていくので、都市分散し、自然と和合する理想的天国建設が可能であろうと考えるのです。 これを保護するために、今から博物館をつくってあらゆる種類を全部展示し、標本物をつくるのです。花博物館をつくったならば、花の自然世界、動物博物館をつくったならば、動物自然世界をつくって、博物館で見たものは自然と接することのできる、そのような所をつくるのです。 このようにして、どのような部落であれ、この動物を愛するしるしとして、部落に博物館をつくる運動をするのです。そのような種別をいちばんたくさん集めておけば、その場所は世界的な観光部落になるのです。 郭錠煥には、十二種類育てなさいと言いました。「三つ以上、十二種類育てなさい。動物も育てなさい。魚も育てなさい」と言ったのです。 そのようにすれば、神様の心情を学ぶのにどれほどいいでしょうか? どこかで大きな会議を約束していたのを破ったとしても、餌を与える時間に間に合うようにと走って帰ってこれるくらいに、動物を愛し、真なる主人の行動をできる人にならなければならないのです。 そうすれば、神様がごらんになるとき、「あなたたちは、私が愛でつくったものを守れる主人になることができるなあ」といって喜ばれるのです。 そうすることによって、自分の子女が父親を通して自然を愛し、どれほど情緒が豊かになりますか?「都市に行って暮らしなさい」、と言ってお金を与えても、それを全部使ってしまえば、自分の父親の故郷をまた訪ねてくるというのです。都市は砂漠と同じです。 子供たちのおもちゃは何ですか? 昆虫や蛇、蛙のようなもので遊ぶでしょう? 生きた動物もどれくらい情緒的ですか? 食べるものを与えたりすれば、どれくらい情緒が豊かになりますか? 統一教会の祝福を受けた息子・娘は、神様がエデンの園で創造されたすべてのものを愛しながら生きる、というのが、統一教会の理想的な家庭が訪ねていく道なのです。アーメン。(「アーメン」)地上天国の環境をつくる ですから、南米がこのようになっていますが、(板書される)縦に流れる川があり、横に流れる川があります。縦に流れる川がパラグアイ川であり、横に流れる川がアマゾン川です。 この二つの川岸には、五十キロメートル地点ごとにくいを打ったのですが、これが六十個、これが約八十個になるのです。約百五十か所に五十キロメートルずつ、私たち統一教会の人たちがそこに家を建てて、真の主人にならなければならないのです。 神様の代わりに、その場所を愛することのできる主人たちを配置しようと思うのですが、そこに加担したくない人は話になりません。そこに訪ねてくる人を教育し、自然とともに生きるのがどれくらいすてきであるのかというのです。それは、現在の文明都市の生活と連結されることのできる村をつくるためのものです。 ですから、三千万種類の昆虫博物館をつくるだろうというのです。(笑い)昆虫を研究する学者たちは、全部ここに来なければなりません。三千六百種に対する魚の養殖場をつくるのです。それから、鳥動物園をつくるのです。植物園をつくるのです。 それから、人間動物園をつくるのです。(爆笑)人間動物園です。そうして、豊かに暮らすようになれば、そこに来てみて、「ああ、私も学ばなければならない」と言うのです。 ブリッジポート大学は、UN大学から東西洋の留学大学、通信大学、世界の大学は、このブリッジポートが全部、管掌するのです。南米の数々のプロジェクトのために鮮文大学校を設立し、世界各国で新聞も発行し、あらゆる学者たちと大学連盟も創設したのです。すべては、これを完成するためにつくったのです。 この全体を教育するため、ジャルディンに今、一万人を収容できる修練所を建設するのです。 私たち統一教会の教会員が全員、み言の教育を十分に受けることができなかったので、私が直接的に指導するのですが、もう一度、祝福家庭を教育できるすべてのものを準備しているのです。 ここ(=パラグアイ川、アマゾン川)にいる魚の中で、特別な魚がいます。それは、一番目に何かと言えば、ドラドであり、二番目にパクであり、三番目は何かと言えば、ポグァであり、四番目は何かと言えば、ピンタドです。この四つが代表的です。 私たち、四位基台理想を持ったすべての統一教会の教会員は、この三千六百種類の魚をすべて釣ることはできないので、代表的なものを釣って愛し、いちばん最初に釣ったものは放してあげるのです。愛しながら育て、愛しながら釣ったという条件において、すべての統一教会の指導者たちはここに来て、百六十匹ずつ捕まえなければなりません。アーメン。(「アーメン」) これは釣り針で釣りにくい魚なので、魚を釣る技術が必要であり、餌も高次的なものなのです。先生はそこのチャンピオンです。教えてあげたうえで「釣りなさい」と言うでしょうか、教えてあげないで「釣りなさい」と言うでしょうか?(「教えてください」)。どこで教えてあげますか? 現場に来なければならないのです。実際に見て、釣りをこのようにすれば、何かが咬んで、間違いなく釣ることが分かるようになるのです。百六十匹釣れなければ、先生の弟子にはなれないのです。世界のどこに行くにせよ、飛行機に乗っていっても、釣りを指導しなければならず、観光、趣味を指導しなければなりません。 そうして、ハンティングをしなければならず、農園を守らなければならず、養殖をしなければなりません。木を育てるあらゆる諸般的な技術を学ぶことによって、どのような国に行くにしても、このようなものを全部四方にいっぱいに満たすことができるように環境をつくれば、それが神様の創造理想、地上天国の環境になるのです。アーメン。(「アーメン」) ですから、人々が全部、捕って食べてばかりいれば、このすべての種がなくなるでしょうから、これを保護しなければならないのです。養殖をして、捕って食べるものの十倍以上、子を殖やしながら、これを保護しなければならないのです。それは先生しかする人がいません。 ですから、この環境で船が往来するのを禁止しなければなりません。それでは何で行くのでしょうか? 電気モーターをつくらなければならないというのです。電気モーターをつくるのです。(通訳「船が往来するようにですか?」)油を使うモーターは公害が出るではないですか? ウクライナで電気自動車を計画しているではないですか? それを皆、そこで使ってしまおうと思います。 それから、何をするのでしょうか? 公害をなくそうとすると、数多くのものを往来させなければならないし、水を離れた交通をつくらなければならないので、モノレール・システムを造るのです。 そのようにして、観光客を誘致するのです。どこかに行けば、釣り場の環境をうまくつくって、そこで何か、たばこの吸い殻や空き缶を一切捨てられないように、きれいにして、自然を保護できる地域をつくるのです。そうして、趣味は趣味なりに、観光は観光なりにするのです。そのようにして、一度回ってみれば、だれでも皆、もう一度行かざるを得ないようになるのです。 エネルギーは、どこで補給するのでしょうか? 二つの川にそれぞれ二百個余りと千百個余りの支流があるのです。そこでは、堤防もなく水が流れていくので、その水をせき止めてダムをつくり、堤防をつくって、高速道路と高速鉄道を敷くことを考えるのです。 主流に水が入らないように、堤防をふさいで高速道路を築くのです。そして、電気車をつくるのです。ここで一周する電気車をつくっておくのです。 この川の水を利用して、モデルを通して、パージ(=エンジンのない船)のようなものをつくったとしても、船が揮発油を使うために川が汚染されるので、モーターを使わないようにさせて、いかだをつくるのです。 そうして組立式にして、汽車のように何百個も連結して下っていくのです。そのようにして、回転するときはここにプロペラを打ち込んで、運転台で回転速度を調節しながら、三千キロメートルをお金がかからないようにしなければならないのです。 下っていったいかだを、どのようにして再び元の位置に返すのでしょうか? 分解して鉄道で運搬するのです。いかだを鉄道で運搬するのです。今のレールよりも三倍にしなければならないのです。大きな電車をつくって、いっぺんに飛び回らなければならないのです。 そこで生産されたものは鉄道で運び、いかだでも運ぶのです。そのようにして、パラグアイを中心として、大きなボートをつくらなければならず、そのすべてのものを処理できる計画を今、しているのです。 ここに配置する人は、ブラジル人を一人ずつ配置し、それから、三十三か国の人たちを一人ずつ配置するのです。日本の女性の夫たちを連れて行って配置するのです。その人たちを連れて行って開発すれば、趣味を持ってだれが残るでしょうか?(笑い)だれが残りますか?(「ブラジル人です」) 分かるには分かるようですね。貧しい国の人たちが残るのです。しかし、日本の女性の夫たちは、間違いなく残るだろうと見るのです。主人にだれがなりますか? そのエリアの主人は、将来は日本人がなります。アジア人がなります。このような話が成立するというのです。(笑い) 私は、日本人と中国人を祝福したいと思います。南米諸国が「ああ、レバレンド・ムーンは泥棒だ」とこのように言うでしょうが、違います。ですから、豊かに暮らすのを、再度教育して、南米を天国にしてあげようというのです。 天国は、一緒に暮らして、同族、親族、民族よりももっとよい所です。家庭のなかの家族のようにしようというのです。それを嫌がる人が、だれかいますか? 南米の四大国(=ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ)は、全部、レバレンド・ムーンが自分の国を助けてくれることを願っているのです。私が願うとおりにできる環境に追い込んで、地上に天国をつくろうというのです。そこは、世の中から放棄された所です。 膨大な牧場があるのです。そこに、八十億人類が暮らせる土地が遊んでいます。それを解放しなければなりません。食糧問題だとか、難しい問題を解決するのです。 ですから、「大学連盟」をつくりました。新聞社をつくりました。そこに学者たちを投入して、世界の百八十五か国のすべての国に発表するのです。 これが簡単でしょうか、難しいでしょうか?(「難しいです」)。難しいのですが、八十歳近くになった先生が、どれくらいたって霊界に行くでしょうか? 十年だと見ますか? それでは、九十歳の時まで働きなさいということですか? 若い者たちが先生を代身できる務めを果たさなければなりませんか、先生がずっとしなければなりませんか?(「若い人たちがしなければなりません」) 本当ですか?(「はい」)。「はい」と言う人は、東洋人しかいないのですか? 西洋人は一人もいませんね。(笑い)それゆえ、白人たちは全部、東洋人に奪われるということを知らなければなりません。 統一教会の教会員は蟻になりますか、きりぎりすになりますか。(「蟻になります」)。皆さんは、「私たちはもっと面白い。このように苦労して仕事するのが、どれくらい面白いか?」と、このように言っているのです。 さあ、これを開拓しようというのですか、しないでおこうというのですか?(「開拓しましょう」)。仕事はだれがするのですか?(「私たちがします」) 世界中どこに行っても、一人でその国に責任を持つのです。今やどこに行っても自由であり、だれもが歓迎してくれます。村に行っても、街に行っても、どこでも迎えられ、自由です。皆さんを歓迎してくれるのです。なんと素晴らしいことでしょうか。 先生は、そのような基盤をつくったのです。迫害は一切ありません。皆さん、分かりますか? 先生は、世界中に高次元の基盤をつくったのです。日本のメンバー、分かりましたか?(「はい」) 先生は、いかに偉大な大きなことを成しているでしょうか。先生は、神様を誇りたたえるために、主流を行くのです。皆さん、何の話か分かりますか?(「はい」)。理解した人は、手を挙げてください。両手を挙げ、ジャンプしてください。ありがとうございます。(全体拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.04.25
コメント(0)
地上天国生活を始めよう1997年9月14日ベルベディア 九月十四日、ベルベディア聖日礼拝の説教を整理したものです。 一、真のご父母様を信じること 歴史は、時代とともに後退するのではなく、発展します。歴史の目的とは、何でしょうか? 神様の創造理想と救援摂理、また、あらゆる宗教摂理や人類歴史も歴史の目的に含まれるのですが、その歴史の目的とは、一体何なのでしょうか? これが問題です。 「神様のみ旨」というとき、それは歴史の目的、創造目的が完成することです。 それでは、創造目的完成とは何でしょうか? 創造目的完成とは、み旨の完成であり、それは四位基台の完成のことです。そして、その四位基台の完成は、真の家庭を完成することです。 真の家庭には、真の父母がいなければならないし、真の男性と真の女性がいなければならないし、真の夫婦がいなければならないし、真の子女がいなければなりません。これは理論的なことです。 一番中心的なことが何であるのかといえば、個人の目的も真の父母であり、男性と女性の目的も真の父母であり、赤ん坊たちの目的や兄弟の目的も真の父母なのです。その真の父母は親になって、子供を持つようになります。 それでは、統一教会とは何でしょうか? そこでは、「真の父母を信じよう」というのです。信じるものをはっきりさせるのです。はっきりすれば、信じる立場を越えることができるのです。今まで、はっきり知らなかったので「信じる」ということをしてきましたが、はっきり知ってしまえば、「信じる」のではありません。そのはっきりと「知っている」ことと自分自身とを一体化させることのできる生活をしなければなりません。そのような生活を経由していかなければならないのです。このような論理が成立します。 最初に、信仰とは何かというと、人間が、信じることのできない自分自身を発見し、それから相対を見いだし、それから子供を見いだし、家庭を見いだすことです。結論は同じなのです。 今までは、「自分がなぜ生まれたのか」、「自分たち夫婦がどのような存在なのか」、「子女とは何なのか」、「家庭とは何なのか」ということを知らなかったのです。 二、真のご父母様を知ること 二番目は、真の父母を知る、ということですが、皆さんは、真の父母の家庭については、信じるのではなく、真のご父母様を知り、真のご父母様の家庭を知っているのです。信じているのではありません。 ですから、「真のご父母様を信じている」と考えてはいけない、というのです。「知っている」と考えなければなりません。 三、真のご父母様と生活 その次、三番目には、真の父母と生活しなければなりません。「知った」のですから、共に暮らさなければなりません。そうして、真の父母のように生きなければならないのです。 それは天地が完成し、神様の理想が完成し、神様の愛が完成することであり、それらのものすべてが、その中に入っているというのです。ですから、真の父母とともに暮らさなければならないのです。 さあ、真の父母が必要ですか? (「はい」)。なぜですか? 堕落したからです。神様に追い出されて、偽りの父母が生まれ出て今までの歴史になったために、これが帰っていかなければならないのです。救援摂理は帰っていくのです。復帰してどこに行くのかといえば、本来の真の父母の位置に帰っていかなければなりません。 真の父母を知ることによって、神様を知り、この宇宙を知り、愛の世界を知り、それらすべてのものを知るというのです。サタン世界では、堕落することによって、そのことを知りませんでした。 ですから、再臨主が来ることによって、真の父母が来ることによって、このようなすべてのことを知るようになったということは、驚くべき事実です。 皆さんは、神様の愛がどのようなものであり、宇宙がどのようなものであるのか知っているのです。統一教会は、すべて知っているというのです。それ以上、教えてあげることがありません。 それでは、真の父母と生活すれば、どのようになるのでしょうか? 個人的な生活、家庭的な生活、氏族的な生活、民族的な生活、国家的な生活、世界的な生活、天地での生活、神様に侍っての生活、それらが全部、通じるのです。 皆さんは、真の父母の家庭を中心として、氏族も皆さんの家庭であり、民族も皆さんの家庭になるのです。それらは皆、自分の家庭なのです。 そうして、「民族も自分の民族であり、国家も自分の国家であり、世界も自分の世界であり、天地も自分の天地であり、神様も自分の神様である」という、そのような観念を持たなければなりません。 真の父母と一つになれば、氏族、民族、国家、世界、神様と一つになるのです。真の父母が神様とともに一つになっていれば、神様は世界人類とともに暮らそうとされるのであって、一つの宗派とともに暮らそうとはされないのです。 「宇宙とともに、理想世界の全体とともに、真の愛を中心として暮らしたい」というのが、神様の創造理想であり、それが、神様の家庭を中心として始まる生活方法であるというのです。 「真の父母」といえば、それは国境を超越した「自分の父母」のことをいうのです。真の父母を中心として、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が真の父母の世界であり、神様の世界なので、これを切り離すことはできません。 真の父母の家庭は、この地上にある数多くの家庭の根に当たります。人類は六千年間、真の父母と関係を持つことができませんでした。真の父母になっていたならば、人類は一つの体のようになっていたはずなのですが、それが断たれてしまったのです。それを真の父母が現れて、世界と連結させるのです。 ですから、世界のどのような家庭であれ、真の父母を自分の父母として侍ることのできる時代を迎えることができなかったので、来られる真の父母に侍ることによって歴史を克服するのです。堕落することによって八段階を経てくるということは、これらのものが、すべて切れたということなのです。 今、統一教会では祝福家庭を中心として、世界的に因縁を結ぶみ業をしています。横的にアダム家庭型の世界人類家庭拡大を成して、それらを平面的基準に入れて、いっぺんに帰っていこうというのです。ですから、水平的基準になるのです。家庭を全部、個別に見れば、それはアダム家庭です。ですから、同じ価値を持つのです。 アダム家庭は、神様と真の父母が一つになって宇宙を抱く、家庭の代表です。アダムが堕落しなかったならば、アダムに与えられる祝福は宇宙史的な祝福だったのです。しかし、堕落することによって分かれてしまったので、家庭が宇宙史的な祝福の恵沢圏内に入れなくなってしまったのです。 そのように、アダム家庭で失敗して失ってしまったものを、世界家庭圏において、共に対等な立場の価値を持つようにしなければなりません。そのための仕事が、世界の三億六千万双祝福なのです。 個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、これらが全部、アダム家庭という一家庭で祝福されることによって、すべて成されるのです。このようなことが、世界的に行われるのです。何の話か分かりましたか? (「はい」) (板書されながら)これはアダム一家庭ですが、「アダム祝福完成」の世界です。数多くの家庭が全部、同じ価値を持つのです。ここでは、天上世界と地上世界が連結されます。全部、同じです。ここで祝福家庭は、すべてのものを相続するのです。 個人完成もあり、夫婦完成もあり、子女完成もあり、家庭完成もあり、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成もあり、地上・天上天国、神様の解放までも、すべて入っているのです。しかし、ここにいる数多くの家庭は、このような価値がイコールになっていないというのです。分かりましたか? 皆さんは、神様から相続を受けなければなりません。ここで失ってしまったものを、世界版図の家庭を中心として、一つの家庭のような価値を持った、統一的な祝福の時代を迎えることによって、ここに行って相続されるようになっているのであって、ここでは相続を受けることができません。八段階完成だというのです。 ですから、サタンの家庭が一家庭だけ残っていても、サタンは残っているのです。血統が違うのです。 完全に復帰されるまで、全部、引っ繰り返しておかなければなりません。それが、神様が地上を復帰して安息される土台になるのです。 このような価値を持った先生が来て、この八段階の峠を越える務めを果たしたのです。そうして、アダムが過ったことによってカイン世界があるのですが、サタン世界を消化するためにこれを乗り越えて、どこに行かなければならないのかといえば、帰ってこなければならないのです。 私たち祝福家庭は、九段階までです。六千五百双を越えて、十段階に入ってからは三万双です。ここは蘇生であり、長成が三十六万双、完成が三百六十万双なのです。ここに行くまで数多くの宗教が生まれ、イエス様が降臨されました。そのとき、国家的基準で祝福の基準を合わせていくためのものが、イスラエル民族であったのです。 ところが、それを果たすことができなかったので、再び成さなければならないのです。ですから、蘇生、長成、完成圏を中心として、これを越えていかなければなりません。それを越えれば、ここからは下りていくのです。下りていくのは、楽なのです。 三千六百万双はここであり、その次に、三億六千万双です。そうすれば、地に下りるのです。地に下りてきたので、昔のアダム家庭に帰っていくのです。そうしてアダム家庭からは、父母が息子・娘を祝福する時代へと入っていくのです。 ですから、ここから皆さんが予備祝福をすることができるようになるのです。洗礼ヨハネ的家庭として行事をすることができるのです。ですから、予備祝福を真の父母の名前をもってするのです。それが予備祝福です。 この頂上には、これに勝ち、これに勝ち、このように上がってきたというのです。縦的に反対し、横的に反対を受けたのが、このようになったのです。縦的に上がっていくのです。このように上がってきて、横的基準ですべて勝ったので、頂上に到達したここからは、分水嶺になるのです。 このように、もはや世界的に越えたので、三千六百万双は難しいものではありません。簡単です。祝福の台風が吹いてくるのです。何の話か分かりましたか? (「はい」) ところで、イエス様が来られて亡くなられ、なぜ、先生の時代に苦労したのでしょうか? この頂上に上がれなかったのです。ですから、苦労するのです。国家基準を超えることができなかったのです。アダムは家庭レベルですが、国には家庭がたくさん入っているので、国家基準で勝利することができれば、サタンを家庭から追い出すことができるのです。 しかし、国家基準を果たすことができなかったので、再臨主は世界的レベルで勝利しなければなりません。「世界」は、「すべての国」を意味するというのです。家庭も入っており、国も入っています。これをいっぺんに乗り越えていくのです。 キリスト教は、「新婦宗教」です。一九四五年以後に、世界のキリスト教徒は八億でした。そのキリスト教が新婦宗教として、来られる再臨主に侍っていれば、そのときに当時の世界人類の約四分の一を中心として、いっぺんに祝福してアダム家庭型の世界祝福を終え、サタンの血統を完全に清算して復帰することができたのです。 サタンの血統が残っていれば、地上天国になりません。そうして、サタンの血統を乗り越えた祝福を済ませるのです。分かりましたか? (「はい」) サタンの血統の者が一人もなく、完全に変わるのが地上天国です。皆さんが持った汚れた血統を切ってしまい、接ぎ木するのです。皆さんの体は、髪の毛に至るまで「生命の木」にならなければなりません。 統一教会員は、「生命の木」である祝福家庭になったということです。ですから、先生とともに迫害を受けるのです。しかしそれは、人類を救うためです。先生に従ってきながら、皆さんは迫害されたではないですか? 八段階を上っていくことが、どれほど大変でしょうか? 総攻撃を受けたというのです。 八段階は縦的、横的です。「八定式」はそのことです。そこで「天父主義」を発表したのです。「天父主義」は、「家庭主義」です。「ゴッディズム(神主義)」は何かといえば、「ファミリー主義」です。そのことを知らなければなりません。 そのように、真の父母を中心として真の国家を築いて、世界的迫害を受けるのです。サタン世界はすべて反対するのです。(板書されながら)これは縦的な国家です。これは民です。全部一つになって反対するのです。二つが合わさって機関銃を発射するのです。「レバレンド・ムーン打倒」と言うのです。 しかし、ここまですべて上がっていったのです。神様と地、神様と真の父母、男性と女性、ここでは、子女がこのようにすべて上がっていったのです。全部一つになって、反対するものを倒したというのです。 そうして、キリスト教とサタン世界が分立したものを収拾するために、「世界基督教統一神霊協会」を捨てて世界人類を引き寄せるのです。これが先回、四月八日を中心として成した、「世界平和統一家庭連合」の創設です。 ですから、もはや神様が世界を支配されることができるのです。そして、三千六百万双を勝利する日には、エデンにおいて、神様が完成された立場ですべての家庭が祝福される時代になるので、皆さんの一族が、堕落しなかった先祖の起源となり、「世界万家庭」が出発できる解放時代になるというのです。 ですから、各自が責任を持って、自分の伝統的歴史の一族と国を中心として、一つ残らず、サタンの血統がないように、全部、引っ繰り返さなければならないというのです。 したがって、聖日だけが安息日なのではありません。月曜日、火曜日、全部が安息日であり、すべてのものが安息所です。そうすることによって、そこから出発して歴史過程もすべて安息日なので、永遠に神様が主管される世界になるのです。 神様の怨恨が解かれるので、解放されるのです。それが今、私たちの目の前にあります。 イスラエル民族がエリコ城の周りを七回、回ったように、信じて押すのです。信じて押しなさい。 皆さんは、絶対真空圏ということを考えなさい、というのです。絶対真空を考え、絶対愛、絶対奉仕、絶対犠牲さえすれば、宇宙の力が垂直に押してくれるのです。そうすれば、祝福の風がピュッと吹くというのです。地から、天から合わせるのです。天地が「万歳」と言うのです。私たちは、そのことに向かって行かなければなりません。 エジプトにいたときのイスラエル民族のように、自分の親戚であるとか、知人に連絡しない人は犯罪者になり、イスラエルの反逆者になるということを知らなければなりません。皆さんも同じです。祝福というものを知っていながら分け与えなければ、それは反逆者になるのです。 皆さんは、堕落したアダム家庭と同じ所にいるつもりですか、真のご父母様に属するつもりですか? (板書されたものを指されながら)真の父母圏が拡張される際に、「ああ、真の父母が家庭を持っているから、自分も真の父母のように家庭だけ持って生きよう」と思ってはならないのです。一つの体になって、一緒について回らなければなりません。 そうして、第一次アダムの失敗、第二次アダムの失敗を蕩減復帰して、第三次アダムが世界的に勝利して帰っていく際に、皆さんもくっついて一つの体のように帰っていかなければなりません。ここに帰ってきたのです。すべてを成し遂げて、「第四次アダム家庭」です。これは一次、二次、三次とは違い、堕落とは関係のないアダムです。 皆さんも、第四次アダムのような価値を持たずしては、真の父母とともに同じ価値を持って天国に行くことはできないというのです。いまだに皆さんたちは、迫害される立場にいるのです。このようにまで反対されるのは、サタン世界が「死にそうだ」と言って、大騒ぎしているからです。 皆さん自身は、過去において迫害されたのであり、将来の理想とする分野である地上天国においては、そうではありません。地上天国がいまだにできていないので、それを成し遂げなければならないというのです。(録音がしばらく途切れる) 例えばここ、昔の自分の国であるアメリカ、またアメリカ国民という習慣性と関係を持ち、背後のあらゆる歴史的な伝統にぶら下がったまま越えていってはいけません。完全に真の父母を中心として、天のアダム家庭としての本然の型の基準を越えなければならないのです。 そうせずに、過去のぼろ包みを持ったまま越えていっては、あなたたちの子供も浸食されて問題になるのです。それが残ったとしたならば、皆さんの後孫が蕩減しなければなりません。蕩減ということです。「復帰蕩減」ではありません。「自体蕩減」です。 ですから、皆さんは世界的代表であり、天宙的代表です。このようにくっついているので、全部代表の立場を経て帰ってきて、種の立場になるのです。これが種です。種を失ってしまったので、帰ってきて種を取り戻すのです。この種のようなものが連結されたものが、三百六十万双において同一な価値になるので、祝福するのです。 あなたたちの家庭の子供が、第四次アダムになってエデンの園に植えようと願ったその新しい種を、家庭に生んでおかなければならないのです。 そうしてこそ、神様解放、真の父母解放、万民解放、歴史解放を成して、すべてのサタンを完全に元返せるのです。サタンは元返されるな、といっても元返されるのです。 そして、「このアメリカが世界を主管しようとすれば、宗教的な理論と哲学的な思想観においては、レバレンド・ムーン以上の者はいない」というようになっていきます。 さらに、「全世界の宗教もこの家庭を求めていき、宗教の門を閉めなければならない。看板を下ろさなければならない」「国も看板を下ろし、宗教も看板を下ろし、個人も看板を下ろし、全部、無に帰らなければならない」という話になるのです。 これは宿命的なことです。行かなければなりません。死んでも行かなければならないのです。運命的ではありません。「運命」は、東側にも西側にも行くことができますが、「宿命」は、一か所にしか行けません。そのような自分なのです。分かりましたか? (「はい」) ですから、自分は天地を代表しており、国を代表し、氏族を代表し、家庭を代表し、父母を代表しているのです。このようなみ言を聞くとき、先生を信じますか、信じませんか? (「信じます」) 四、真のご父母様の家庭と「愛一体」になること その次に「生活」ですが、生きて何をしようというのでしょうか? それが四番目の「真のご父母様の家庭と「愛一体」になろう」ということです。一つの家庭になるのです。愛で一つにならなければなりません。 子女も成長して親になれば、父母と同等の価値を持つようになるのです。このように一体です。そうして、英語には体恤という言葉がありませんが、心情的な体恤をしなければなりません。分かりましたか? これが目的です。 五、地上天国生活を始めること その次に五番目は何ですか? 「地上天国生活を始めよう」ということです。 これは妄想ではありません。理論的なのです。これを越えて、ここに来ていなければ、地上天国にならないというのです。そうして、「第四次アダム家庭」であるというのです。このことを知らなければなりません。 もう分かりましたね。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書八章32節)とあるように、真理を知ることによって解放が始まるのです。 それでは、この道を十年間歩いて行くつもりですか、百年間歩いて行くつもりですか、千年、万年、億万年歩いて行くつもりですか? それとも数か月で行きますか、数日で行きますか? (「数日で行きます」) それでは、数日ですか、数時間で行きますか、数秒で行きますか? (「数秒で行きます」)。数秒なのですが、「そこに神様の能力を加えてやる」と思って、やってみなさいというのです。 「信ずる者には、どんな事でもできる」(マルコによる福音書九章23節)というのは、このことです。信じなさいということです。 ですから、もはや、このような道を離れるのです。開拓しなければなりません。世の中のだれも知らないことを探査しなければならず、神様が創造された本然の価値を探査し、川へ、海へ、山へ、谷へと訪ねて、本然の神様の心情に連結され得る務めを果たさなければなりません。 皆さんも、先生のように、「この仕事を完成する」という覚悟で、「先生に負けまい」と一所懸命に成せば、また、今まで八十歳近くまで苦労するご父母様のことを知るならば、若い者たちは楽に座って休むことも、寝ることも、遊ぶこともできません。飛行機のようになって峠を越え、山を飛び越えていかなければならないというのです。 走って、「アメリカの五十州の中で行かない所がない」というように、そして自らの心で「行く。行く。私たちの先祖を総動員して行く。行く。連結する」と決意して、このような役割を果たさなければなりません。 アメリカはあまりにも小さいです。先生一人で仕事を果たしたではないですか? さあ、ですから、「地上天国生活を始めましょう」。「しよう」ですか、「やめておこう」ですか? (「『しよう』です」) ここで、「天地父母天宙安息圏」を発表した後には、先生が家庭に入ってきて「家庭盟誓」文を読み、その次には三大演説文である「救援摂理史の原理観」、「宇宙の根本を探して」、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」、さらにその次には、『御旨の道』と『祝福と理想家庭』を読んでいるのです。 今まで、先生の家庭は捨てておきました。もはや皆さんとともに、第四次アダム家庭とともに、先生の家庭と子供たちを皆さん以上に、世界を愛する以上に愛して、問題になったすべてのものを収拾していくべき時が来たというのです。 教育するのです。頭がどんなに固くなったとしても、先生の教育を受けるようになるならば、変わらざるを得ないのです。これらのみ言は、起立して読むのです。 今後、イーストガーデンに来て、「『家庭盟誓』ナンバー3」と言うとき、唱えることのできない人は、大変なことになるのです。機械のようにすらすらと「家庭盟誓」が出てこなければなりません。考える必要はありません。通じるようになれば、宇宙と通じるのです。 イーストガーデンに入ってくれば、自分の行動はありません。そこのしきたりのとおりに、すべてなすすべを知っていてこそ、入ることができるのであって、息子や娘であったとしても、過ちを犯すことによってそのとおりになすことができない者は、全部、外に出て訓練を受けて、再び入ってこなければならないのです。 そうすることによって、皆さんが、その伝統を皆さんの家庭まで運んで、世界化しなければならないのです。それは一瞬でできます。 そのために、百八十五か国の新聞社やテレビ放送配給会社の「ノスタルジア」もつくったのです。私たちのテレビ放送局があるでしょう? それを、全世界の十六の財閥が奪おうとしたのです。ですから、『ウォール・ストリート・ジャーナル』のジャーナリストが、「どうやってあの『ノスタルジア』が、統一教会のものになったのか?」と書いたのです。皆さん、そのような記録を見ましたか? それは歴史的な事件です。 「ノスタルジア」の視聴者層は、四千万を超えるキリスト教の中流以上の家庭です。キリスト教指導者層、そのうえさらには、その夫人たちです。主題が決められて、そのみ言だけ聞けば、自分の夫から去って、このみ言に皆、従ってくるようになっています。 ですから、「見てはならず、会ってもならず、においをかいでもならない」と言うのです。先生は、「「洗脳」するチャンピオンである」との評判が立ったのではないでしょうか? しかし、それは悪いことではありません。良いことであるというのです。それは、「天の国へと、さっと入っていくことのできる「洗脳」の王である」ということです。 皆さんも、皆、否定していた者たちがそろいもそろって座っているではないですか? この気難しい神経質なアメリカの女性、欲の深い女性たちのことです。 それで、アメリカの人たちは全部、「ああ、大変なことになった。大変なことになった」と言っているのです。「大変なことになる」とは何でしょうか? サタン世界こそが大変なことになる、ということであって、神様は、「よし。しっかりやれ、しっかりやれ」と言われながら、太鼓をたたいて応援されるということを知らなければなりません。 さあ、それでは分かったでしょう?(「はい」)。家庭が重要であるというのです。家庭が絶対的なのです。「私たちの家庭でサタンの子が生まれることはあり得ず、私たちの孫の中にもサタンの子が生まれることはあり得ない。私が王になって教えなければならない」と思わなければならないのです。 「家庭盟誓」も、「私たちの家庭が代表だ」と千回、万回唱えるのです。他人が万回唱えたならば、自分はそれよりも億万回たくさん唱えて、吟味し、説明し、「家庭盟誓」や「救援摂理史の原理観」や「宇宙の根本を探して」や「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」などを読むのです。さらに、先生がサタン世界において闘ってきた歴史である『御旨の道』や『祝福と理想家庭』を読むのです。 どのようにすれば、「絶対「性」」、「絶対家庭」、あるいは理想家庭と理想世界が成せるのかというと、これらのみ言によって成すことができるのです。 Sweet ideal home is mine. That is mine. (「楽しい理想家庭は、私のものである。それは私のものである」)(全員で唱和) きょうから皆さんの家庭では、このことが始まるのです。世界史的なことです。天の安息圏をつくるためには、不可避なことなのです。 皆さんは、「家庭盟誓」文は知っています。そして、先生の『説教集』を知っており、『御旨の道』も読んだと見なして、今から、祝福家庭に対する内容を読むのが上手な人を選んで、全体に向かって読んであげさせましょう。読む箇所は何ページか、知っているでしょう? また、なぜ朝の六時から始めるのかといえば、五日の後に六日目に人間を創造しました。ですから、六数から始めて七数の七時までするのです。そうして安息圏を越えていくのです。そのような意味から、そうするのです。 さあ、それではここのアメリカ人……。次回からは、できれば皆さんは、原文で読みなさいというのです。韓国語で書かれた原文で読まなければなりません。本来はホームタウン・ランゲージ(本郷の言葉)で話さなければならないのに、あなたたちが今まで覚えることができなかったからなのです。 他の国の言葉を話すのは、孤児になるとか、庶子になって、他の家に行き、他の国で育てられたので、そのような言葉を使うようになったのです。これが恨です。 異なった言葉を使う場所は、サタン側であるというのです。分かりましたか? 一生涯かけて読んでいくのです。本然のホームタウン・ランゲージを使わなければなりません。 韓国語を学ぶことは、全く問題はありません。十代の人であれば、なおさらです。二年か三年もあれば、完全に習得することができると思います。 さあ、力強く読みなさい。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.04.21
コメント(0)
「第四次アダム圏時代」宣布一九九七年九月十一目、早朝七時、米国・イーストガーデンにて、真の子女様と教会の指導者三十余名が参加する中、「第四次アダム圏時代」の出発が宣布された。 今日は何日ですか? 九月十一日です。今日から「第四次アダム圏時代」が出発します。第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムには蕩減が必要でした。しかし、第四次アダム圏時代には蕩減が必要ではありません。そのため、第四次アダム圏時代に入っていくには、安息圏と解放圏が必要です。迫害のない時代に入っていきます。悲しみのない時代に入っていくのです。 第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムは、神様の恨を抱いてこの地に来ました。そのような恨を第四次アダムにまで抱かせてはなりません。第四次アダム圏時代には、定着時代に入らなければなりません。第四次アダムを中心とした本然的家庭から、天国が始まるのです。「第四次アダム圏時代」とは、アダムとエバが堕落しないで完成し、理想家庭を築いたという、そのような時代圏を言います。ここには堕落や蕩減や復帰といった概念は存在しません。神様の理想が実現する本然の時代を意味するのです。 第四次アダムは、第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムを代表したアダムです。第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムには迫害がありましたが、第四次アダム圏時代からは、迫害ではなく栄光が、悲しみではなく喜びが、蕩減ではなく理想と歓喜があるのです。この第四次アダム圏時代において、国を探し、世界を探し、天宙を探し、天宙の中に解放圏と安息圏を備えて、神様をお迎えしなければならないのです。第四次アダムから、はじめて安着が始まります。ですから、この家庭から栄光のうちに祝福が天宙まで連結するのです。その時から、はじめて地上天国が出発するようになるのです。 そのような意味において、今回(九月六日)、栄進君と亨進君の二家庭の祝福が、重要な意味をもつのです。真の父母の家庭の中で、一番最後に生まれた二人の息子が祝福を受けるとき、絶対的に真の父母と一つになったのです。自分という概念がありませんでした。すべてを真の父母に委ねたのです。解放された第四次アダム圏時代の理想家庭が出発してこそ、地上天国が始まるのです。そのためには、すべての祝福家庭が、神様の理想と栄光を顕現する、本然的な家庭の出発をしなければなりません。 地上では祝福を受けた家庭が、真の父母と縦的な関係における第四次アダムの資格をもちます。真の父母を中心とした第四次アダム圏時代は今日から始まるのです。どのようにしてこれを氏族、民族・国家を超えて、世界と天宙にまで連結させるのかということが私たちの課題です。第四次アダム圏時代にふさわしい家庭を築くようになれば、それ以上先生は必要ありません。第四次アダム圏時代に入るとき、はじめて神様と真の父母の安息圏が訪れ、安着できるのです。 第四次アダム圏時代には何よりも血筋が重要です。いかに純潔な血筋を守って保護するかということが最も重要なのです。安着する家庭とは何でしょうか? 嘆きの峠を越えて第四次アダム圏時代に入っていくことを意味します。それゆえ、自分の家庭から世界の天国家庭を奉献するということが、第四次アダムの使命であるということを知らなければなりません。ですから、真の父母は安息圏が必要なのです。第四次アダムが、勝利した第一次アダム、勝利した第二次アダム、勝利した第三次アダムとなれば、霊界から神様がこの地上に臨在せずにはいられなくなるのです。そのような家庭をつくるために、「家庭盟誓」を暗唱し、成約時代の核心となる「三つのみ言」を読み、「み旨の道」を読み、「祝福と理想家庭」を読みながら、自分と自分の家庭の生活を点検しながら生きなければなりません。 第三次アダムとして来られて第四次アダム圏時代を開いた先生が、お母様一人を探すためにどれほど苦労してきたかを知らなければなりません。お母様を探そうとして家庭がびっくり返り、想像もできないほどの迫害を受けました。息子を奪っていった泥棒、夫人を奪っていった泥棒、夫を奪っていった泥棒、家庭を奪っていった泥棒、国を奪っていった泥棒、世界を奪っていった泥棒と言われ、多くの迫害を受けてきたのです。ありとあらゆる噂を立てられたのです。先生は公義を中心とした迫害世界の大王でした。家庭という家庭が文総裁を消し去ろうとする、恐怖と迫害の歴史があったのです。 先生は誰なのかというと、迫害時代の王です。理想家庭を中心とした地上天国を築かなければならなかったので、善を中心としてそのような迫害に耐えなければならなかったのです。そうして、先生はついに地上天国と天上天国をつくれる段階にまで至ったのです。サタン世界を超える地獄の王であり、天国の王となったのです。そうなればすべては終わるのです。 それで、今朝、「第四次アダム圏時代」の出発を発表するのです。皆さんが第四次アダムとして真の父母のように、イエス様のように、天を愛し家庭を愛さなければならないのです。そのような思想が、皆さんの頭に事実としてぎっしりと詰め込まれなければならないのです。今日、第四次アダム圏時代を発表するまで、先生がどれほど苦労したかを皆さんは知らなければなりません。先生に対する迫害の歴史が四十年間続いたという事実を知らなければなりません。その中で勝利し安息圏を発表したということは、驚くべきことなのです。縦的な八段階と横的な八段階の六十四段階を完全に越え、天地父母天宙安息圏を宣布したということは途方もない事件なのです。 復帰の公式がそうではないですか? まずは環境を創造しなければなりません。環境には必ず主体と対象があります。その主体と対象は、投入して忘れてしまうことを反復することによって、対応的な相対関係を結んで発展していくのです。復帰するためには、世界からカイン圏がなくならなければならず、全人類が祝福を受けなければなりません。そうして、世界中に祝福を受けない家庭がないようにしなければなりません。皆さんは行く先々で祝福してあげなければなりません。その祝福がどれほど素晴らしく、どれほど尊いものであるかを知らなければなりません。祝福を受けずしては、新しい世界に入っていくことはできません。そこで功績を立てる家庭は、メシヤになることができます。個人的メシヤ、家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、それから国家的メシヤになれるのです。勝利的な第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムの基盤の上に、勝利的な第四次アダムが安着するようになっています。それで、第四次アダム家庭が定着するようになるのです。 皆さんは祝福を受けるとき、サタンやサタン世界から迫害を受けてきたことと思います。復帰の過程にあるのですから、避けるのではなく、前に乗り越えていかなければならないのです。迫害を飛び越えていかなければならないのです。何としてでも越えていかなければならないのです。そのようにして、第四次アダム家庭が出てくるようになるのです。私たちが行く道は、第四次アダム家庭の完成です。私たち祝福家庭の出発点と行く道は、あまりにもはっきりとしています。第四次アダム家庭の完成なのです。「第三次アダムならば第三次アダムでいいのに、また第四次アダム家庭とは一体何なのか?」と思うかも知れません。しかし、第四次アダム家庭から解放が始まるのです。迫害がないのです。 ここイーストガーデンでも、粛清ではなく、すべてを皆追い出すのです。真実に家庭的に奉仕できるイーストガーデンとして出発しなければなりません。家庭時代に入っていくのです。息子や娘も、自分の家庭で育てなければなりません。そうでなければ、自分の赤ん坊をおばあさんとか、おじさんとか、一人暮らしの人のところに連れていって、食べさせてもらい、面倒をみてもらうようにするのです。 赤ん坊の面倒も、自分の母親だとか、親戚とか、一人暮らしのおばさんに頼みなさい。今後は、子供の面倒を見させるのに、若者や若夫婦を使ってはなりません。若い人たちは国に奉仕しなければなりません。自分の家庭に奉仕してはならないのです。ですから、家庭から脱落した人、家庭において孤独な人、親戚の中で独身生活をしているおばさんや、おばあさんのような人たちを、自分の家庭のために使わなければならないのです。 それゆえ、そのような人たちを連れて生活しながら、皆親戚のように生活しなければなりません。「召使い」という概念はありません。「お手伝いさん」という概念はないのです。家族の一員として、一緒に生活しなければなりません。息子や娘、孫たちもそうです。自分のおばあさんだとか、おばさんだとか、一人暮らしの人のところに連れていって面倒をみてもらうようにするのです。原則がそのようになっているのです。家庭的に一つになっていかなければなりません。そのような意味から、祝福を受けたばかりの若者を使ってはならないのです。彼らは国と世界のために働かなければなりません。 アメリカにはこのような制度がないので、おじいさんやおばあさんが皆デパートに行って働いています。彼らはどれほど自分の家族と一緒に暮らしたがっているでしょうか? おじいさんとおばあさんがいれば、赤ちゃんの面倒を見てくれ、孫を育て、庭の手人れをし、すべてを手伝ってくれるのです。そうあるべきではないでしょうか? 祖父と父と息子の三人が一つになれば、三段階が定着します。息子の時代に定着するので、ヤコブの時代にイスラエルを中心として、十二支派が横的に発展していったのです。先生を中心として国が一つになれば、このような家庭的困難はありませんでした。本来は先生が家庭をつくったならば、国の忠臣たちが皆保護しなければならないのです。そうなれば、子女たちが勝手にこの世を出歩くでしょうか? 柵の中で、功臣たちに守られて暮らしていれば、何も問題は起きないのです。 これからは家庭第一主義が来るのです。愛の発展というものは家庭から始まりますね? 氏族もそこから枝が伸びていくようなものです。大きな木となり、さらにまた大きくなって、世界となっていくのです。すべてのモデルが家庭なのです。 愛の表現として、帰ったら妻にキスをしてあげ、胸を触ってあげ、至聖所を触ってあげなければならないのです。蘇生・長成・完成です。夫にはキスをして胸を触るようなことは必要ありません。お尻を触ってあげなさい。お尻を触ってあげると刺激を受けるのです。男性たちも女性のお尻を触りますね? そこにしがみついて生きなければならないのです。しっかりと枝のように接ぎ木しなければならないのです。女性は刺激を受ける部位が多いだけに、たくさん愛してあげなければなりません。愛すれば愛するほど貴く感じなさい。 このような伝統が立ってこそ、浮気はできないのです。一日も欠かさず、初めて会った時から一生の間………。それは伝統です。それが誇りです。そのようにしてこそ、あの世に行ってもパスするのです。ピアノの弦もピーンとしており、パイプオルガンの弦もピーンとしているでしょう? 世の中の音はみな同じなのです。そのように生きなければなりません。 毎日のようにそのように生きてきた人間が離婚することができますか? 結婚して恋しがるものは何ですか? それは一緒に暮らすことですか? 希望に溢れて灯ったろうそくの火に、つぼみのように、電気が入ったように輝くものは何ですか? 結婚して一番最初に何を求めていきますか? 初夜の晩に祝宴でもしますか? 栗を食べるのですか? 布団の中に入って、何を求めていくのですか? ですから、み旨で海外に行く時には、お互いにしっかりとつかんで祈祷してから行かなければなりません。愛の終着点がそこから始まるのです。理想的な本郷の地に飛んでいくために、夫婦の愛よりももっと大きな愛と世界を探しに行くのです。不幸な女性としてではなく、不幸な夫としてではなく、幸福な夫として送ってあげるのです。至聖所を中心として出会ったので、それをしっかりとつかんで送ってあげなければならないのです。至聖所を中心として愛が交差したので、それをしっかりとつかんで愛し合い、終始変わることがなければ真になるのです。 嫁に行く女性はほかのことをしに行くのではありません。男性をしっかりとつかむために行くのであり、男性は女性をしっかりとつかむために行くのです。出発ですから、一生の間しっかりとつかんで、仲たがいすることがないように、喜びとして生きたその時間と、その時間に表出化した生活態度、私の一生がそのような環境で生き、そのような始めと終わり、出発と終着点で、天国に移行していかなければならないのです。ですから、その女性が天国に行くときには、霊界に行くときには、その胸中で夫に侍りながら行くのです。霊界に行って、妻を愛し夫を愛した人を見ると、その下に小さく、写真のように男性が入っているのです。それは誰でしょうか? 自分の夫なのです。それゆえに誰もが化身体なのです。男性の中に女性の性稟が入っており、女性の中に男性の性稟が入っているのです。それは原理そのものです。そのようにこれから生活しなければなりません。これが第四次アダム家庭に先生が与える最高のプレゼントです。 また、三代が同じ場で愛し合わなければなりません。おじいさん、息子、孫、これが神様の一つの体です、三代。三代を経て、今はアダム三代を経ますね? ですから、おじいさん、お父さん、自分の三代が愛し合わなければなりません。おじいさんが教えてあげ、父が教えてあげ、夫が教えてあげなければなりません。そして、嫁に来る女性には母親が教えてあげなければなりません。三代の母親が教えてあげ、理想的な家庭としてつくりあげていくのです。それが創造理想です。ですから、祖父や祖母よりも、父や母よりも、私たちはもっと幸せに生きていこうというのです。 絶対純潔です。フリーセックスではありません。絶対貞操です……。それが原則です。三代が共に愛し合うのです。神様はアダムの体を使おうとされ、イエス様の体を使おうとされ、再臨主の体を使われるのではないですか? それが三代です。 これで、第四次アダムの定着する世界が地上天国であるという話が、耳にしっかりと入りましたか? 世界で一番の家庭になろうという欲望を、皆もっています。主人は自分が育てた木になる栗の実よりも、ほかの木になる栗の実の方が実っていれば、その実を種子とするのです。先生に直接侍っている栗の木の実がみなしっかりと実っていない反面、み言をもって遠くで暮らしている人たちの実がよく実っていれば、その実を種子とするのです。先生の近くで侍っているからといって、その責任を果しているとは言えません。先生の近くで侍っているからといって、決して良いことではありません。真実に侍るならば、今後先生の子孫と皆さんの子孫が結婚するのです。 動物と違って人間が尊いのは、伝統に従うからです。先祖に仕える法を知っているのです。現実よりも未来を重視するのです。したがって、自分がいくら立派であっても、自分の息子や娘がより立派になることを願うのであって、出来が悪くなることを願う人はいないのです。そうでしょう? 未来を考えるのです。立派な先祖に仕え、その立派な先祖よりも、さらに立派になろうとするのです。先祖が願っていた未来世界を代表する指導者の立場に立って、先祖の恨を解いてあげるのです。連帯関係でつながっているのです。 真の父母の思想を中心として、千年も万年も行くようになれば……、他の思想ではなく真の父母思想を中心として代表家庭となるならば、歴史的なすべての先祖が、その代表家庭の座を起点として、善なる子孫を保護し、善なる子孫を導くことができるのです。 共同責任が連結しているということを、皆さんは今まで考えたことがないでしょう? 次の未来に対しては、皆さんの家庭が恵みを残してあげることができるのです。その家門全体が国の中心となって、何か残ることをするのです。そのようになった人は、天国に行ってもその主流国家基準に立っているのです。 今日から「第四次アダム圏時代」が出発します。言い換えるならば、第四次アダム圏時代は真の父母がつくり、その宣布の日が正に今日であるということです。三百六十万双の予備祝福の勝利的基盤の上に、「天地父母天宙安息圏」を宣布しました。この安息圏宣布が非常に重要なのです。この宣布によって、アダム家庭圏の世界復帰が可能になったのです。神様が解放され、真の父母の解放が可能になったのです。これからは、強腰で突き進んでいかなければなりません。私たちが行うことに対して何か言うようであれば、これからは受けて立たなければなりません。 この宣布が可能となったのは、三双から出発した祝福が十二番目の峠を越える、予備祝福の基盤が形成されたからです。三百六十万双の祝福が分水嶺でした。三百六十万双の祝福は、蕩減復帰時代における完成祝福として理解することもできます。これからは下り坂です。三千六百万双の祝福に続いて、三億六千万双の祝福が行われたのちには、人類の平準化時代が訪れるのです。その時代には、直系の父母が直系の子女を祝福できるようになります。アダムとエバが堕落しなければ、神様が彼らを祝福し、彼らの子女はアダムとエバが直接祝福するはずでした。 三億六千万双の祝福が終われば、地上と対応的関係にある霊界が地上に降りてきて、協助する時代に入ります。真の父母は第四次アダム圏時代をつくられましたから、祝福家庭としでこの時代に生きる人は皆、第四アダムになります。この時代に生きる祝福家庭は孝子・忠臣・聖人・聖子の道を行かなければなりません。そのためには絶対信仰・絶対愛・絶対服従の生活をしなければならず、神様の属性に似た絶対・唯一・不変・永遠なる個人・夫婦・家庭をつくらなければなりません。この時代の祝福家庭において何よりも重要なことは、第一に血筋を守って保存することです。第二は、この血筋を守るために絶対性(abusolute sex)を守ることです。 祝福家庭は皆、世界の完成のために生きなければなりません。そのためには、個人完成から夫婦完成、子女完成、兄弟完成の過程を経て、究極的には家庭完成の道を行かなければなりません。そのようにしてこそ、第四次アダム圏の家庭が定着し、地上天国と天上天国が築かれるのです。先生はもう祝福してあげることが嫌になりました。これはもう先生が祝福をしなくてもよいということではないでしょうか? 今行っている予備祝福は、今後、親が自分の直系の息子や娘を祝福してあげる練習です。 これからは、統一思想に出てくる教育論の中で、心情教育が七〇パーセント以上を占めなければなりません。霊界では心情の基準に従って位置が決定します。本来、信仰の道は仕方なく行くのではなく、喜んで行かなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.04.18
コメント(0)
祝祷主礼:真のご父母様1997年9月6日 愛する天のお父様 きょうは一九九七年九月六日十時、ここに聖なる真の男と女、二人の息子・娘が、聖なる礼式をなす場となりました。栄進君と和廷さん、亨進君と妍雅さんの二人の子女を、今、統一家の真の父母の真の子女として、息子の中の最後の二人の息子を、この場で天の父母と地の父母の名によって、真なる愛と真なる伝統の因縁を遵守する歴史的な聖婚式の時間でございます。 すべての天のみ座を中心とした天界と、地上の真の父母の本宮を中心とした統一家の全体が一丸となり、目標に向かって集約されたこの二双でございます。この二双を永遠の夫婦の因縁と人類の標本的な理想家庭のモデルになり得る二人、息子・娘として、祝福を成就させ得るこの時間を賦与してくださいましたことを、天の前に感謝し、いっそう真の父母の前に感謝を申し上げます。 統一家の全世界を中心として施されるこの祝福の理想は、堕落によって神様と人間の間に聖なる礼式をなすことができず、真の父母の血肉をこの地上で継ぐことができませんでした。真の父母を失い、偽りの父母の愛と偽りの父母の生命を因縁として、偽りの父母の血統を受け継ぎ、歴史始まって以来この地上にいる人類全体は、神様と関係のない立場に立って、怨讐サタン圏に支配されてまいりました。 そのようなこの人類に、天がメシヤである真の父母を送り、旧約時代に失敗したものをイエス様がこの地上に来て、新約とともに成約を完成しようとしたのでございます。 家庭的基準で失敗したものを国家的基準で、祝福家庭を復帰して、天の家庭から天の民族、天の国家を中心として、ローマを屈服させることによって、ご自身が指導できる天意による真なる父母を中心とした真なる子女の因縁をこの地上に、国を編成すると同時に、世界的編成を中心とした統一的平和世界と統一世界をメシヤであるイエスを中心として成就しようとしたのでございます。 しかし、すべてのものが失敗することによって、地上で聖なる礼式をなし、真の父母を設定させられなかったことによって、霊界に行き、再び来るべき小羊の婚宴の日を約束し、歴史的な世界舞台を訪ねてこられた受難の歴史であったことを、私たちはよく知っております。 イエスがこの地上に来てからの二千年、その後のすべての迫害路程を克服するためのキリスト教は、涙と汗と血を流しながら祭物を積みあげ、今日、この統一家まで連結してくださった恩賜に感謝いたします。 再臨主はこの地上に来られて、第一アダムが失敗したものを、第二アダムであるイエス・キリストが国家的勝利をなせなかったことによって、第三アダムである再臨主、真の父母がこの地に来て、家庭で祝福を果たせず国家で祝福をなせなかったことを、世界舞台で祝福をなすために統一家の世界的合同結婚式を出発しました。 万民が共義の一つの立場の平面的基準で、アダム家庭とイエスを中心とした国家的基準で軸をなして、天民を成就しようとして失敗なさったものを復帰するために、真の父母をこの地上にお立てになりました。 真の父母により成約時代を迎えることによって、神様の約束である聖なる礼式をこの地上に神様と共に真の父母の名と共に広げるために、三双を中心として三十六双、七十二双、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭を中心として、地上で堕落したすべてのサタン世界の反対を顧みず、家庭を復帰するために、主流の勝利の覇権の基盤を、地上に築くための九段階の峠を越えました。十段階で帰一的な立場から天に再び侍り、真の父母の名で三万双を中心とした蘇生的平面的世界祝福時代と長成的平面的世界祝福時代と完成的平面的世界祝福時代を迎えたのでございます。 アダム家庭でなせなかったことを、世界型家庭圏において、一つの真の父母の名で、共に統一された家庭の名によって、全人類の家庭が、解放的真の愛を中心とした天の民族として入籍できる因縁を選ばせてくださったことに感謝申し上げます。 きょう、この真の父母の家庭において、七人の息子のうち、六番目、七番目の息子が祝福を受けることによって、七人の息子全体が祝福を終える祝福式になるのでございます。 ここに先立って、一九九七年十一月二十九日を中心とした三百六十万双祝福、世界の頂上を越えていくこの祝福期間を中心として、開門的な祝福式として立ててくださったのでございます。統一家の祝福を世界的に発展させるために、真の父母の血族の息子を中心としたこの最後の二双を、この全体の男性たちが祝福の統一的歩調を合わせることのできる一つの表題として、きょう、この聖なる礼式をもたせてくださったことに、本当に感謝を申し上げます。 これによって、サタン世界、反対していたすべての男性たちと、天の宗教を信じてきながら独身生活をしていたすべての男性たちが、天の側の天使長の権限をもち、今、この息子・娘が祝福を受けることによって、天の側の天使長圏世界の祝福の因縁を伝授できる時代につながるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。 そうして、三百六十万双を中心とした三千六百万双、三億六千万双を祝福することによって、世界の大家庭理想を天を中心として、真の父母の血肉的統一的世界、一つの平和圏と一つの統一の世界を完成するのでございます。 アダム家庭で真の父母と真の兄弟を失ったものを、天の前に真の父母の名をもち、人類全体が一家庭をなして、真の父母と共に一家族を中心とした一つの兄弟の因縁をもち、世界万民が代表し、世界家庭圏、人類全体が兄弟の立場で、全世界的に復帰し、奉献し得る解放的地上天国と、天上天国を開門しようとするこの聖なる平和の礼式と統一的礼式をもつよう、許諾してくださったことを本当に感謝を申し上げます。 きょうのこの祝福が、世界万民の前に祝福の門を開くことのできる大きな祝福の恩賜となるようにしてくださり、天国の門を開き得る鍵をこの地上で真の父母の家庭がもち、万民を天民として入籍させることのできる祝福の恵沢を許諾してくださる、聖なる式典となるよう許してくださいまして、一つの象徴的であり、実体的な証拠的この祝福式となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この場のすべての聴衆と共に、その先祖と共に、霊界にいる神様を中心とした天軍天使、聖なる先祖たちと共に全体が注視し、この場に同席なさるみ意の中で、すべてが兄弟の因縁を連結し祝福の恵沢を伝授されることのできる、聖なる時間になるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。 この二双がお父様の前に祝福を受けることによって、天の国の真の子女の家庭として相続させましたので、お父様、お受け入れください。天の国の祝福の気運がこの者たちと共に、ここに参席したすべての人たちと、彼らを中心として連結されるすべての世界万民まで、共に平面的基準の恵沢が全世界の果てまで及ぶよう、祝福することのできる聖なる礼式の代表となれる二家庭とならせてください。 天の祝福の因縁を、二双を、お父様の前に奉献いたしますので、お受けくださるようにお願い申し上げながら、真の父母の御名によって奉献申し上げます。アーメン。アーメン。アーメン。 きょうは、私たちの天のお父様であられる神様にとって、大変に喜ばしい日であります。神様は私たちと共に、個人から天宙的レベルの救いに至る神様の摂理の進展を促す、このご聖婚式の祝賀に際して大変喜んでおられます。 本来、神様は最初の子供たちの結婚式に、最も親密なかたちで参与されるはずでした。神様はまさに最初の天のカップルに、ご自身の血統と生命を与え、永遠に分かち合うよう計画されました。しかし、堕落が起きた時、この素晴らしい祝福が失われたのです。そして、神様とその偉大で優しい愛は追い出され、忘れ去られてしまいました。このゆえに、言葉で言い尽くせないほどの悲しみと絶望の歴史が幸福の道を襲い、神様と人類が絶望の内にお互いを抱き合い、嘆き悲しむようになりました。 しかし、真のご父母様によって、世界に真の愛と生命と血統が与えられる道が開かれました。全人類は今や、祝福を受けることによって神に帰ることができるのです。神様の懐に帰ることのできるこの希望的な道を通過することは、何にも増して最高に素晴らしいことです。あなたの祝福は真のご父母様に栄光を与え、神様がアダムとエバに与えたかった本来の祝福の模範となられることでしょう。人類は、真のご子女様としてのあなたのご聖婚式を通して、真のご父母様の愛と生命と血統の恩恵を受けるのです。 この家庭祝福の偉大な運動は、罪と性的堕落と血塗られた世界の悲しい歴史から世界を清めるための神様の道です。すでに世界中で一千百万以上の家庭がこの素晴らしい清めの儀式に加わり、真の家庭運動のメンバーになっています。これはすぐに全人類の世界的な祝福となることでしょう。 私は、真のご父母様がご聖婚される時、多くの障害を乗り越えなければならなかったことを覚えています。私たちは、それぞれの拡大された祝福の輪の中でサタンが退かざるを得なくなるように労力を費やしてこられた、ご父母様の前進的な勝利を目撃してきました。 今日、祝福家庭は世界に広がりつつあり、私たちは、真のご父母様の最年少のご子息としてのあなたの祝福されたご聖婚式が、今、天宙的成就のこの時代に行われることができますことを心からお慶び申し上げます。 あなたの輝かしい祝福を通して、今年十一月二十九日には三百六十万組のカップルを、そして次のイベントでは三千六百万組のカップルを、神様と真のご父母様のいっそう大きな愛と祝福が抱擁し、将来的には全人類が祝福されることを私たちは知っております。 この喜びの時に、私は再び私たちのお祝いの心を表したく思います。神様の永遠の愛と真のご父母様の愛が、あなたの生涯とあなたの血統にあふれんことを心からお祈り申し上げます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.04.05
コメント(0)
み言を中心とした新しい出発1997年9月1日 ,ベルベディア このみ言は、九月一日、「天父主義宣布八周年」の記念礼拝終了後語られたものです。収録したみ言が聞き取り不能であったため、通訳された英語を翻訳、整理しました。 きょうは九月一日です。これからは、今までとは全く違った新しい態度で出発しなければなりません。家庭を中心として、絶対的な環境をつくっていかなければならないのです。 そのための第一の条件として、「家庭盟誓」を絶対に韓国語で暗記しなければなりません。毎朝、心の中で復唱するのです。 毎日、「家庭盟誓」の七つの中から一つを選び、それをその日、一日の生活目標として、そのごとく生きるように努力すべきです。そして夜、寝るときに、そのように生活したかどうかを反省するのです。 自分が選んだ「家庭盟誓」のとおりに生活できなかったら反省し、悔い改めなければなりません。 もし、その日に生活目標として立てた「家庭盟誓」のとおりに実践することができなかったならば、次の日は、その日以上に努力をするのです。そのようにして、一日も早く「家庭盟誓」の七つの事項のごとく生きるような人間にならなければならないのです。 皆さんの中で、韓国語で「家庭盟誓」を唱えることのできる人は手を挙げてください。 皆さんは、家族がいますね? 「家庭盟誓」は、皆さんの家庭の教育規範です。皆さんは家庭における主人の立場ですから、「家庭盟誓」を暗記し、理解し、皆さんの家族に教えなければなりません。「家庭盟誓」を毎朝、唱和し、暗記する努力を怠ったならば、皆さんはすべて偽者です。 そして、家族のみならず近所の人たちにも、この教えを広め、教育していかなければならないのが皆さんの責任分担です。 二番目の条件は、「救援摂理史の原理観」、「宇宙の根本を探して」、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」を学ぶということです。 この三つのみ言は、皆さんの年の数ほど読まなければなりません。もし皆さんが五人家族だとしたら、五人の年齢をすべて足した数ほど家庭で読むのです。 三番目の条件は、『御旨の道』、四番目の条件は、『祝福と理想家庭』です。『祝福と理想家庭』は、御言選集の一巻から四十巻の抜粋です。 『御旨の道』は、お父様の神様への献身の記録です。サタンとの戦いの記録でもあり、復帰歴史の記録でもあります。 私たちは、常にこれを読んで、真のご父母様の心情をより深く体恤しなければなりません。毎日、生活するうえにおいて、利用し、活用すべきです。さらに、自らが体恤してから、皆さんの周りの人たちに、これらを教えるのです。 『祝福と理想家庭』も、最大限に活用すべきものです。 これらのすべての教材を完全に理解すれば、他の哲学書とか、宗教書を読む必要はありません。他の分野の一流の人たちと対等に話ができるようになります。それだけでなく、彼らに教えることもできるようになります。 また、「統一原理」、「勝共理論」、「統一思想」は当然、習得しておくべきものです。 これからは定期的に試験を行います。祝福家庭は、今、説明したみ言を勉強し、マスターして、これらの試験に合格しなければなりません。春、夏、秋、冬と一年に四回やる予定です。 三百六十万双、三千六百万双、三億六千万双の祝福を行った後に、祝福を受けた人たちをどのように教育しようかというようなことを心配する必要はありません。 皆さんが、今、説明した教材をマスターして、それを彼らに教えればいいのです。アフタケアをする必要はありません。これらの教材を自らがマスターして、彼らに教えれば、アフタケアは必要ないのです。 全世界の統一教会の食口を再教育する時が来ました。アメリカのメンバーは、心地よいアメリカの環境に慣れてしまっていますから、これからは南米のウルグアイに連れて行って、自然の中で教育するかもしれません。 アメリカのメンバーのみならず、島国の日本のメンバーたちも、南米のアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイのどこかに連れて行って教育するつもりです。 南北アメリカは、一つの国にならなければなりません。北アメリカの人たちは、ポルトガル語、スペイン語を勉強しなければならず、南アメリカの人たちは、英語を勉強しなければなりません。そうすることによって、南北アメリカが近づいていくのです。 さらに、南北が近くなり、一つになったら、最終的には韓国語を勉強しなければなりません。 南アメリカは、百二十万双を全うしました。やがて、北アメリカが三十六万双を全うすれば、南北アメリカの祝福の二世が将来、国際結婚をするようになるでしょう。 交差祝福です。そうすることによって南北の二つのアメリカを一つにすることが可能なのです。かつてお父様は、交差祝福によって韓日を一つにしていきました。その韓日交差祝福の二世たちは、天宙的な心情を持っています。 韓国人でも、日本人でもありません。国を超えた天宙的な心情を持っているのです。それらの韓日の祝福の子供たちは、韓国的な心情を持っているわけでも、日本的な心情を持っているわけでもありません。 調和的心情を、言い換えれば、天宙的心情を持っています。これは世界的なレベルの内容であり、これによって平和が到来するのです。 そういう祝福の子女たちと比べて、国粋的な心情を持っている人たちは、その祝福の子供たちの後ろから従っていかなければならない立場に立ってしまいます。人種的に偏った心情を持っている人も同じことです。 祝福家庭が、三代、四代と続いていくとき、何が祝福家庭の誇りとなるでしょうか? それは、どれだけ違った国籍を持った人が、自分の血統圏に入っているかということです。 ドイツ、アメリカ、日本、その他の血統が入っているというように、より多くの国の血統が入っていれば入っているほど、大きなプライドを持つことができるようになります。 そのようになったら、言語はどうなるでしょうか? もし、十二人の違う国籍を持っている人が、皆さんの家族にいるとしたら、十二の言語を使わなくてはなりません。 十二の言葉があるけれども、真の父母の使う韓国語によって一つにあるべきである、と皆さんは言うでしょう。 本郷の地の言葉であるからです。皆さんも、皆さんの子供も、韓国語を話すことができなかったら、将来、世界のトップリーダーとの血統的因縁を持つことができません。 「七・八節」のとき、宣言文を発表しました。今後、リーダー会議において、韓国語以外の言語は使わないと宣言したのです。 リーダー会議において、リーダーが韓国語を理解できなかったら、韓国人の国家メシヤを通して、お父様が何を語られたかという二回目の会議を持たなければならなくなります。 二〇〇一年までに、全世界の国家メシヤを通して、全世界のメンバーが韓国語をマスターしなければなりません。 統一教会のメンバーで、韓国語が話せず、読むことができない人は、韓国の地に足を一歩も踏み入れることができなくなります。 神様は、世界の言語の統一を願っておられます。今、全世界で千六百くらいの違った言葉が話されています。この千六百くらいに分かれた言葉を、だれが一つにすることができるでしょうか? それは真のご父母様です。世界に一つの言葉しかなかったならば、ラジオやテレビなどは一つの放送局を通して全世界に放送することができます。 出版物においても、一つの言語で出版物をつくることができます。千六百もの言語があると、千六百の違う言語で出版しなければなりません。放送も同じことが言えます。 多くの言語に分かれていることによって、時間もお金も無駄に使われています。今現在、地球村の時代がやってきています。地球村というものが実現されると同時に、言語が一つになっていく世界の趨勢は、人類が避けることのできないものです。 また、主義思想においても、真のご父母様がつくられた神主義を超えるものはありません。将来、世界中の学者たちが、頭翼思想とか、神主義を勉強し始めるとき、英語などの言葉で勉強するのではなくて、原語である韓国語で勉強しなくてはならなくなります。 翻訳されたものと韓国語のものでは、内容的に大きな差があります。学者が、頭翼思想とか神主義を勉強したと言ってきたら、どういう言葉で勉強したか、英語か、韓国語かと問わなければなりません。英語で勉強したと言ったならば、その学者は二流です。 もし、皆さんの子供が韓国の祝福の子女と祝福を受けたいと思うならば、皆さんの子供は韓国語を学ばなければなりません。 お父様の血統との祝福もその範疇に入ります。堕落人間の最高の願望というのは、真のご父母様の血統圏につながっていくことです。 ですから、韓国語をマスターするということは、絶対的に果たさなければならない責任であり、義務です。 韓国語をマスターするためには、三年から四年かかります。本当に熱心に勉強すれば、一年から一年半でマスターできます。 私たちは、言語の統一も果たしていかなければならないのです。この目標を全うしたならば、世界中どこへ行っても、壁はありません。世界中どこにでも、自由に行くことができます。心情は自由に交流することができます。 新しく出発するために、お父様が、きょう挙げた事項を全うしなければなりません。 真のご父母様やリーダーが、皆さんに、「家庭盟誓の三番を唱えてみなさい」と言ったら、サッと言えなければなりません。 もしそのとき、うまく唱えられたら、握手して抱き合い、「昼食にでも行きましょう」とリーダーが言うかもしれません。リーダーは、皆さんを家に招待して、夕食をごちそうするかもしれません。そのようになると、二人を一つにする力が生じてきます。 私たちに、そういう力が必要だとは思いませんか? まず握手をして、「『家庭盟誓』の四番目を唱えてみなさい」と言うのです。 そして、それができたら、「ありがとうございます」と、リーダーが頭を下げるのです。もし皆さんがリーダーの立場であるならば、自分の下の人がそのように唱えることができたときには、握手をして頭を下げ、あいさつしなければなりません。 復唱を命じられたときには、起立して、直立不動の形でやるのです。そのようにすれば、とても気持ちが良くなると思いませんか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.03.31
コメント(0)
全591件 (591件中 101-150件目)