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火曜日は、月一回の通院でした。 久しぶりに外出しました。寒かった・・・。すっかり温室栽培のもやしのようになってしまった私には、かなり堪えます。 しかし、やっぱり外に出るのは気持ちのよいものです。 診察は、前回同様のお言葉を頂戴しました。自分自身でも、よく自覚しております。 手の指は、全く動かなくなりました。 足が少し、辛うじて動いてくれるので、呼び出しセンサーを押すことが出来ますが、可動域も日々小さくなっています。次の対策をそろそろ試さねば・・・。 それにしても、車椅子に乗っている時の尻の激痛は何とかならんかいな。既にロホクッションに しておりこれ以上柔らかくすると、座位が保てなくなるので、考えものです。それが無ければ外出が楽しくなると思います。 帰って来た後のグダグダっぷりは別にして。 次の通院は、胃瘻の交換で、4月末です。
February 20, 2013
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朝の起床から夕方まで、常に何かしら音楽かラジオが流れている私のいる部屋。 ジャンルは問わず、クラシックからJAZZ、演歌まで。 元々、変わっている少年だった私。 初めて買ったLPレコードは、上田正樹。この時点でかなりマニアック。その後、多分に漏れずアイドル歌手にハマりつつ洋楽 を少々かじりながら中学時代を過ごしました。 風邪をこじらせて入院した時は、病室で、ずーとケイコ・リーのCDを聴いて・・・飽きた。 呼吸苦で、緊急搬送された時は秦基博のCDをを聴きまくり・・・飽きた。そして、たま~に両方の歌を聴くとトラウマとなって、苦しさが蘇るようになってしまった。 少し前は、竹原ピストルにハマり、聴きまくり案の定・・・飽きた。 現在は、YouTubeで、熊木杏里と柴田淳を聴いている・・・。ジキに飽きるでしょう。 変など~でもいいお話でした。
February 14, 2013
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最近、いつもにも増して凄まじく体がぐらつく。 必死に直してくれているヘルパーの皆さん、苦労をおかけしてスミマセン。 ありがとう。 そして、糞詰まりの日々が・・・。 訪看に浣腸&腹圧をかけてもらうこと1時間以上。これが苦痛の生き地獄。 alsという病気は、二次的障害が次から次へと襲ってくる厄介な病気です。 ヘルパーさん、訪看さん、嫁さん・・・。 ご迷惑をおかけしてスミマセン。 感謝しています。
February 13, 2013
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今日は娘の誕生日です。 今年もお祝いする事が出来ました。 どうか大病を患う事無く、元気に前向きに生きて欲しい・・・。 ただただそう願います。 おめでとう!我が娘よ。
February 11, 2013
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世の中、何処で認められたり、復活したりするかわかりません。上記掲載のパラパラ漫画の鉄拳然り、毒舌で復活した有吉然り。 人生投げたり、諦めてしまったらいけないですね。 むずかしいけどね・・・。
February 5, 2013
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最近、何かと話題になっています体罰について 皆さんどう思われますか? まぁ色々な考えがあろうかと思います。 間違いないのは、どついても、蹴られても、技術は向上しないということでしょう。 しかし、私はスクールウォーズを見て毎週感動していた輩なのと、実際、あの時どつかれて良かったと思い返す時があるのも事実です。 桜宮高校のケースは、あってはならない事です。 そのことを十分認識して思うことを綴りたいと思います。 私のような凡人は、時にやる気のない時や、言われた事に対してふてくされる態度をとってしまうことがありました。そんな時に、口頭でネチネチと注意されても逆効果で、「なにゆーとんねん」と馬耳東風の時がありました。そんな時に、ビンタを一発いただき、「しっかりせい!」と一喝されたほうがあとに残らずスッキリしたのもでした。 怒られるという事は期待してくれている、と自分自身は思っていたのであまりストレスにはなりませんでした。 それよりも、無視されることと、言葉の暴力の方が辛いと思いました。 チーム競技の場合、全員を同じ方向に向けるという事は本当にむずかしい事です。 色々な考えがありますが、安易に体罰で解決する事が間違いなのは言うまでもないと思います。
January 31, 2013
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実は高校受験の時、真剣に桜宮高校の体育科に進学を検討していました。 今回の事件は本当に残念でなりません。 校長の発言もお粗末で、教育者としての資質を疑わざるを得ません。 しかし、今回の橋下市長がとった一連の措置は疑問が残るものです。 桜宮高校の体育科は、今はどうかわかりませんが、当時はスポーツで進学を考える者にとって、公立の雄でした。 言うのは簡単ですが、今まで築き上げたものを簡単に壊すのは寂しいと個人的に思います。 何より、在校生とそこを目指していた受験生の夢や目標を摘み取るのが仕事ではなく、現状を立て直すことが仕事だと思います。 勿論、体罰はいけない事です。生徒さんが自殺したのも事実です。 しかし、トップダウン型の今回の措置は? 教育委員会は機能していない事だけは、はっきりわかりましたわ。 体罰についての持論は、また改めて。
January 29, 2013
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約2ヶ月振りに通院してきました。 久しぶりに外にいきました。 寒さも、幾分和らいでくれ、比較的楽に行くことが出来ましたー 最近の状態を先生に報告して、緊急時の対応と対処の仕方を聞いてきました。 その後の触診が終わり、今までは主に脳の神経細胞が破壊されていたが、脊髄の神経が影響を受けている症状が顕著になってきました。との事でした。 要するに、上位ニューロンと下位ニューロンのどちらもなのねー。と思いながら聞いていました。 最近、ブログの内容が重くなりがちですが、意外と明るく日々を送っておりますので、ご心配なく。 成るように成ると思いながら無事に帰りました。 帰ってから、BiPAPを着けたままでベッドに移乗しろとの相変わらずの暴君ばりの要求に、大汗をかきながら対応していただいたエンジェルさん。あまりハードルを上げないよう注意します。 有り難うございます。
January 23, 2013
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以前に記述した訪問入浴介護の際の呼吸苦の問題は、シートを側湾症の方のハンモック形式のそれに変更してもらい、入浴中の十数分間は何とか呼吸苦を耐えれるように。 しかし、BiPAPを外せる時間は、確実に短くなってきました。 私の場合、嚥下機能が顕著に衰えているので、経口からの摂取は全くしていません。なので、口腔ケアは、かなり重要になります。 舌の萎縮に加えて、口が殆ど開かない状態で、ヘルパーさんも手探り状態でケアしてくれています。 これを疎かにすると、誤嚥性肺炎に繋がっていくよ。と歯科衛生の注意があったので、疎かには出来ません。 しかしこの時間が苦しさとの戦い・・・。 最近は、頭をドライシャンプーしてもらっている時に、いきなり全く呼吸が出来ない状態になり、慌ててBiPAPを装着し、それでも収まらず、側臥位の体勢にしてもらい背中を開放すると、暫くしてようやく平常に。 これからはこの様な事象が増える事でしょう。 毎年冬は病気の進行を感じます。 一つの目標として、桜が咲くまでは踏ん張っていくぞ~。 そのあとは?また考えますわ。
January 20, 2013
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昨年、大阪遠征のとき、半ば強引に娘を連れていきました。とはいえ、野球には興味が無く、あの手この手を使っても同行する気配なし。 最終的に「キッザニアに行きたくない?」と殺し文句を嫁さんが使って、目がキラリ。 弟夫婦の家にお世話になり、朝の5時からの起きて十分満喫したようで、帰りの車中はグッスリ爆睡。将来どんな職業に就くのかわからないけれど、もうじき具体化するであろう夢を捕まえて、幸多い人生を送って欲しいと、ありきたりですが思う親ばかです。 人生、努力した者が必ず報われるとは限りません。だけど、報われた人の多くが努力をした者です。 どうか健康に、健やかに・・・。体が健康でないと、どうしても心も病んでしまいがちです。また逆もありきです。 この日は6つも周ったらしいです。 良い経験になったかいな?
January 16, 2013
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中学時代の少年野球で指導していただき、私の野球人生の基礎を作っていただいた監督さんが、天国へ旅立たれた。 本当に厳しい監督さんでした。 特に挨拶、礼儀、そして道具を大切にするということを教えていただきました。 ボールが1球でも足りないと、見つかるまで探し続けた事、バットをむやみに投げたり跨いだりすると、「バットに謝れー!!」と、叱られた事を懐かしく思い出します。 「球道一筋悔いなき青春」が、座右の銘だった監督さん。文字通りご自分で実践され、監督のままで他界されました。 排出した甲子園球児は数知れず・・・。アマチュア野球界の球史に残る名監督さんでした。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
January 15, 2013
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今年も、クロネコヤマトのシンタロウが奥さまとお嬢チャンを連れて、わざわざ大阪から会いに来てくれました。 大阪遠征のときは、どーしても仕事で、会えなかったのを痛く気にしており、すまんかったなーと詫びていました。そんな事気にしないでいいぞー。 お土産に、高級な芋焼酎をいただきました。 遠慮無く胃瘻からぶち込ませていただきます。 あれこれ話をしてくれてありがとう。 楽しく過ごせました。 気がつけば、会社で板挟みになっているフシもあり、大変だろうけど、頑張ってな。
January 13, 2013
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松井秀喜選手が引退した。 初めて見たのは、彼が星陵高等学校の時のセンバツに出場した時だった。 「コイツは、すげーな」と、思った最後のバッターだった。センスいいね~とか、上手なーと思わせる選手は何人もいたが、凄いなと思った選手は、彼が最後だった。 しかし何故だろう?ホームランバッターは、その多くの選手が年数を重ねる毎に体が巨大化して、結果、膝が故障する選手が後を絶たない。 イチロー選手は、タイプは違いすぎるが、ある時期を境に体重、体脂肪率共に全く変わらないという。彼の一番凄い所は、怪我をしない所だと個人的に思う。 松井秀喜選手は、怪我との戦いが彼の選手生命を縮めたかもしれない。 とはいえ、彼が一流のバッターであったことに間違いはない。 野球は、人生の縮図である。高校卒業時に恩師から頂いた「球道即人道」の言葉・ ボロボロまでしがみつくのも美徳。見切りをつけてスパっと身を引くのも、これまた美談。 人生もこれまた同じ。いずれにせよ、言える事は無事是名馬。 健康が一番ですね。 松井秀喜選手、お疲れ様でした。
January 9, 2013
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小学校3年生の我が娘。 たま~に私の部屋に入って来た時の指定席は、エアマットの左側の足元。 テレビを見ながら、あ~だこ~だと突っ込み、同意を求めてくる。さながら小さい評論家。 最近、喋り口調がちびまるこに・・・。 そんな我が娘だが、私の病気は必ず治ると信じて疑わない。 先日も、「パパの病気が治ったら、ディズニーランドに行って、この前乗れなかった乗り物に乗ろうね!。」と笑顔で言ってくる。 胸がいっぱいになる・・・。 まだ、車椅子にお世話になり間もなく、電動レバーを操作出来ていた頃、家族で行った時の事を鮮明に覚えているのだろう。 私はこの子の為に何をして あげられるのだろうか?何を残せるのだろう? 一般的に普通と言われている父親としてのやるべきこと、やらねばならん事を何もしてやれないことが、歯がゆく感じる。 それでも成長していってくれくれている。嫁さん、両家の両親、家族に本当に感謝しています。 私ができること・・・。微々たるものだが、精一杯愛情を注いでやりたいと思う。
January 5, 2013
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明けましておめでとうございます。 穏やかに年が明けました。 今年もよろしくお願いします。 去年のベストショット
January 1, 2013
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駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人 江口洋介の缶コーヒーの宣伝ではないけれど、この世にオギャーと生まれた限り、何か生きる意味、役割があるさと思っています。とんでもない病気になるという役割を頂戴して、日々格闘しながら、今年も終わります。 お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。
December 30, 2012
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気がつけば、腕時計が重たくて 気がつけば、全力で走れない 気がつけば、やけに疲れ易い 気がつけば、歩くのがぎこちなくなり 気がつけば、キーボードを打つのがやけに遅くなり 気がつけば、カラオケで歌う歌が下手くそになり サウナに5分も入れない 酒を飲むとすぐに酔っぱらい、深酒すると歩けなくなる こりゃさすがに変だと思い、病院へ行き、ALSかもとボソッと告げられる。 なんじゃそりゃ~と思い、調べてア然。 ハンマーで頭をボコボコに殴られたような衝撃 俺まだやりたいこと、やらねばならんことが一杯あるんですけど・・・。 気がつけば、ベッドの上で動かなくなり久しくなる身体に話をしています。 ごめんね。と
December 26, 2012
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50日にわたる悪夢の入院から、一気に病状が進行するも、何とか家族でクリスマスと正月を迎えたいとの思いから、退院後丁度2年が経ちました。 春までもてば・・・。と言われてから、なんのなんのまだ生きてます。 よく頑張っているねと皆さんに言ってもらいますが、頑張ってくれているのは家族やヘルパーさん達で、私はただ、助けて頂いて今日までこられました。 強いて言うならば、色々な欲を我慢というより諦めてきたということが妥当かもしれません。 陰日向で支えてくれた全ての皆さんに感謝します。 1年なんてあっという間ですね。
December 22, 2012
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先日、区役所の福祉課の方が、重度訪問の更新に伴う面談に来ました。 時間数は、ヘルパーさん一人で入浴介助ができないとか、 着替えができないとかだと増やせるが、それ以外では無理かと思いますと、事前に言われていましたので、全く期待していませんでした。 そもそも家の風呂になんて入れるわけがない。 そんな事より、介護保険しか受けない事業所を何とかして欲しい。特に大手の事業所。 報酬単価が違いすぎる。逆転してしかりと思います。 役所の方は、デイサービスはどうですか?などと訳のわからないご提案を頂戴して、私の現状の状態を見て、受け入れてくれる所なんぞある訳ねーじゃんと思いつつ、話を聞いていました。 丁度ケアに入ってくれていたエンジェルさんが、現状を代弁してくれ、ヘルパーさんにも過度の負担がのしかかっている今の状態を説明してもらいました。 抜本的な法改正が必要だと改めて思いました。 この冬に入って、一段と病気の進行を実感しており、頭の痛い問題です。
December 20, 2012
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大学時代の友人から、今年も素敵なプレゼントをいただきました。 ビオラの寄せ植えです。去年も頂き、半年近く楽しむことが出来ましたー。 また、義理の兄夫婦から綺麗な薔薇の花を。 会社の同僚のAさんからは、娘に可愛いいプレゼントを。 そして、野球部の監督と、ヘッドコーチが来てくれて、東海地区のライバルチームの王子製紙の方から頂いた「鼻セレブ」を大量に持ってきてもらいました。 本当にありがたいことです。 プレゼントをいただくということは、少なくともその品物を選んでいる時は、相手の事を考えている訳でその気持ちが何より嬉しいことです。 闘病生活も長くなると、喉元過ぎれば熱さを忘れるじゃないですが、段々忘れられたり、マンネリ化するのは、致し方ない事だと常々感じていることなので、尚更です。 こんな私を支えてくれてありがとう。 (決して催促してるワケじゃないですよ(笑))
December 17, 2012
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今年も色々なことがありました。 世の中も自分自身も・・・。それでもクリスマスはやって来ます。 来て欲しい人も、そうでない人も・・・。 佐野元春の歌じゃないけど。 完全に購買喚起の道具になっているフシもありますが・・・。 それでもまぁいいじゃないか。と思うようになりました。 いつも季節の写真を送ってくれるAさんが、今年もツリーの写真を送ってくれました。 会社を休職して、3回目のクリスマス。 今年も家族で迎えられる。それだけで幸せです。本当に色々ありました。 心が折れることも多々ありました。それでも踏ん張ってきました。 結構頑張って生きてます。 今年もあと僅か・・・。皆さん寒いので、ご自愛下さいませ。
December 13, 2012
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ジャック・バウアーは「24」 私は「26」 何のことかいな? 何のことはない。ヘルパーさん達が主に記録してくれた闘病記録が26冊になった。 そこには日々のケアの内容をはじめ、引継ぎから体調の変化等々の病気と向き合ったか、逃げまくっていたかよくわからないけど、ヘルパーさん、家族とともに歩んできた記録である。 時に傷つけて、時に傷つけられて、衝突して、泣いてわらって・・・。 alsという病気に罹った中年オヤジの、世に出る事のない記録だ。 いつの日か娘が見たらどう思うだろう・・・。 病気であろうがなかろうが、この世は人との関わりを勉強するところだと、つくづく思う。 何時まで経っても進歩していません。(泣)
December 9, 2012
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最近、訪問入浴時に、呼吸苦になることが頻回に・・・。 今まで無理矢理座位を浴槽内で、あの手この手を使って保持してもらって、どうにか入浴することが出来ていたが、ある時を境に入浴中、やたらとお尻がずれ、その影響で、背中にかましてもらっているクッションで、胸郭が圧迫されどうにもこうにも息苦しくて5分ともたずにギブアップして慌ててBiPAP装着という状態が続いていました。 原因は、どうやら年1回シートを新調するらしく、その時期にちょうど重なることが判明。シートが新しく、遊びの部分がなく、結果お尻がずり下がるとわかりました。 まぁそれだけが問題ではなく、病気の進行も関係していると思います。 でも、折角気持ちよくなることが目的なので、その間位は何事も無く無事に済ませたいというのが、本音です。 その気持ちは、訪問入浴介護をしてくださる業者さんも同じで、この前上手くいかず呼吸苦になった時も、「満足に入らせることが出来なかったので、ハンコはもらえません」と泣かせるセリフ。 当然ハンコは押してもらいました。 何とか打開策を模索中です。 もう一つ、いよいよBiPAPなしで、仰臥位になることが不可能になってしまいました。1秒も持ちません・・・。胸に錘を乗せられたように締め付けられ、呼吸が全く出来ない状態になってしまいました。 どうしても浴槽から出る時にシートを巻き上げる行程があり、その僅かな時間が途轍もなく長く苦痛に感じてしまいます。 通院時の車椅子からの移乗時も同様の苦痛ですが、エンジェルさんのマッハのギャッジアップで、事なきを得ています。 BiPAP装着時も仰臥位や、体位変更の際に苦しくなるまでの時間が、短くなってきました。姐さんヘルパーさんや、長く入ってもらっているヘルパーさんは手馴れた手つきで、事を済ませてくれるので、大丈夫ですが、新しい同行研修の場合はどうしてもお互いに慣れていないので苦しくなってしまうことがよくあります。 これからどれだけ踏ん張っていけるか? いよいよ頻繁にやってきやがった呼吸苦と勝負です。
December 3, 2012
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いつもお世話になっているヘルパーさんの同僚のヘルパーさんの娘さんは、高校生になるが、サンタクロースは存在すると信じて疑わないらしい・・・。 なんでも幼少時代に妖精を見たことがあるという。 信じる理由がなかなか素敵で 私は信じる。信じない人には決して見えないでしょうから。 そういう気持ちは個人的に結構好きです。 超現実的な嫁さんは、「えーっ妖精じゃなくて、ちっちゃいおじさんじゃなくて・・・。」 そっちも見てみたいわ。と心の中で呟いていた私です。 うちの娘も小学校3年生。まだサンタクロースは信じていると思います。 物心ついたら、ドイツのクリスマスマーケットに一緒に行きたかったなぁ。
December 1, 2012
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いつも笑かしてくれる歯科衛生士さんの話によると、名古屋か愛知県かは定かでないが、この辺りには介護事業所と名乗る所は約400もあるらしい。 だが、alsや筋ジスなどのいわゆる手のかかる病気の利用者を受けてくれる事業所は約40しかないらしい。したがってその事業所は利用者の所でかぶりまくる。 事業所が少ないから探すのも大変。 いつも思っているのが、介護保険と重度訪問介護の報酬単価が違いすぎる。おまけに重度訪問介護でも、身体と居宅ではこれまた違う。事業所の中には、介護保険しか受けない所もある。 ヘルパーさんの入れかわりも激しく、おまけに施設にいくヘルパーさんが多く、訪問介護になかなか人が集まりにくい。そして、管理者やサ責になると現場にも出にくくなっていく。このような環境が現状。 したがって超売り手市場。 私の場合も、まだ恵まれた方かも しれないが、それでも諸々の事情で辞められるヘルパーさんが多く、その都度何とか新しい事業所をあの手この手で探してもらい、研修の上入ってもらっている。 良心的な事業所は、後任を探してくれ、同行も対応をしてくださり、しっかり仕上げてから交代してくれるが、電話1本のみで、ハイさようなら・・・。の事業所もある。 野球に例えるならなら、散々グラウンドを使ってそのまま帰る。という ところ。当然、法的拘束力は何もなく、契約書にもしっかりそのような場合はごめんね。といった類の文言が明記されている。 だがしかしである。得てして後者の場合、そのような事業所の良い評判はあまり聞かない。 そんなこんなでず~っと研修が続いている・・・。 さすがに、自分自身のためとはいえ、病気の進行とともに苦しくなることが多く、どーしたものかいなと思うこともしばしば。 テトリスのような状態のケアプランは当分続くだろう・・・。 行政も報酬単価をどうにかして、ヘルパーさんの待遇改善をしないと抜本的な改善にはならないのだがと思う。
November 26, 2012
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火曜日は月一回の通院でした。 3ヶ月に一度の治験の評価日も重ねてありました。 今回は介護タクシーにて往復。 いつもの通り採血を・・・。今回は、順調に採血を終え、結果待ちで暫し待機。 いつもの如く、エンジェルさんの付き添いで、病院の前にある公園の景色の見える窓際に連れて行ってもらい、色づいた木々をぼんやり眺めながら病気になった頃、木々は桜が満開だったなーなんて思いながら待っていました。 嫁さんがどーしても用事があり、来れないとのことだったので、義理のお兄さんに付き添ってもらいました。 治験の評価は、先生が長時間はシンドイだろうと気遣ってくださり、あっという間に終了し、主治医の診察となりました。 大分手足が痩せてきました。それに付随して呼吸をつかさどる筋肉も弱ってきています。とのことでした。 まぁ進行性の病気なので仕方がないな。と然程凹むことなく診察を終え、帰路につきました。自分自身でも、かなり体が動かなくなり、センサーも押せなくなりつつあるなぁと自覚してい るので、次の打開策を考えなければなりません。 去年より手足の冷えも激しく、最近、胸までやたらと冷えるのもその影響と思っています。 さぁこの先どうなっていくのか?考えるだけ疲れるので、一日を大切に過ごせれば、それでいいか・・・。
November 23, 2012
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もう帰ることはないだろうなーっと思っていた大阪に、また帰る事が出来本当によかった。 道中、運転をしてくれた兄さんと弟、付き添って頂いてお世話してくださったヘルパーさんのお陰で何とか無事に帰る事が出来ました。 何より、行く機会を作ってくれた野球部の皆さんの活躍に感謝しています。 球場で声をかけてくださった、以前の勤務先の社長さんをはじめ、野球部の先輩、同級生たち、後輩や会社の皆さんありがとうございました。また、帰り際に私を見つけて、慌てて隠れた某後輩、ありがとう。改めて、伸びる選手は、挨拶がきちっと出来るのが、基本だと教えてもらいました。好き嫌いは別にしてね。 我が家の娘にも教えておかないと・・・。 試合は残念でしたが、また野球が見れて良かった。 帰りの道中立ち寄ったサービスエリアから、季節はずれの打ち上げ花火を見ることが出来るおまけ付き。 アミティ舞洲の部屋から見た大阪の海の景色も妙に眩しく感じた。 相変わらず身体が受けたダメージを回復させるのに、かなりの時間を要したが、今回もいい経験が出来ましたー。 相変わらず不精な私の背中を押してくれた兄さんとエンジェルさん、監督に感謝します。 次の目標はどうしよう・・・。 終わり。
November 21, 2012
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私の病気が発覚以来、個々にはわざわざ名古屋まで足を運んでくれた友達に私が出来る事、それは顔を見せてまだまだ気合い入れて頑張ってるぞ!という姿を見せる事だと思い、強行スケジュールで、北新地まで連れて行ってもらった。 元々、夜の街が嫌いじゃない方だったので、久しぶりに繁華街の雰囲気は、悪いものではなかった。 勿論、来れない仲間たちもいたが、それでも5人が集まってくれた。タケシは、忙しい中幹事を引き受けてくれ、皆に連絡をしてくれ店も押さえてくれた。 オザキシャンは、相変わらず口数は少ないが、ただただ何度も頷きながら目で頑張ってなといっていた。以前に贈ってくれた立派な桃。有難うね。 ナリちゃんは、変わらないニヒルな笑みで少年野球のことを話してくれた。 ニシジーは、奈良で仕事があったのに途中でぶっちぎり駆けつけてくれた。変わらぬ笑顔が見れて良かった。 そしてあっちゃんは、相変わらず熱いトークをしてくれ、2人でスコアボードの得点を入れる雑用係をしながら、何時か俺達も・・・。と誓っていた事を懐かしく語ってくれた。 そしてこっそりと、全員の勘定を払ってくれた。阪神タイガースのコーチを自ら辞して、若干肩の荷が下りが下りたかな?お疲れ様。 みんな忙しい中、本当に有難う。 ライターYさんもお忙しい中参加してくれました。重ねて有難うございました。 やっぱり外出は楽しいです。 ただ、その後のダメージは大きいですが・・・。 久しぶりに集まってくれたお店は、「福の根」北新地店 0663451016 大阪市北区堂島 1−5−38 宝寿北新地ビル一階 です。同級生がやっている店です。どうぞよろしく。
November 18, 2012
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昨年同様にウェルキャブ車で、自宅から出発した。 車内では、BiPAPと持続吸引器を装着して乗っている。というかベッドの上でもそうなんですが・・・。携帯用の持続吸引器は乾電池式でコンパクト。それはいいんだが難点もあり。ひとつは、音がうるさい事。外に出た時は然程気にならないが、日帰り入院等々で病棟などの静かな空間にいくとブォーとなんともいえないモーター音が響き渡る。実際、日帰り入院の際遠回しにうるさいと言われたことがありました。 もうひとつは、吸引力が調整できないこと。設定されているものだと、吸引力が強すぎてカテーテルが舌に吸い付き、痛いし肝心の唾液を吸ってくれないというデメリットがあるが、付けていないとそれこそ外出出来ないので、道中、カテーテルをぐるぐる回してもらいながらしのぎました。 私の場合、リクライニングを下げると誤嚥してしまうので、上げ目にして乗車しています。必然的に頭がグラグラで、それを必死に支えてもらいながらの乗車となります。私の首ももげそうですが、支えてくれる方はもっと大変。上下左右に縦横無尽に動きまわる頭を、支えて約3時間半。腕を棒にして頑張ってくださいました。 昨年、長距離移動を経験していたので、比較的順調に移動する事が出来、アミティ舞洲に到着しました。 環境整備をして、高校時代の友人達に会うべく、夜の北新地へと向かいました。 続く・・・。
November 14, 2012
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試合は、予想通り投手戦で無得点のまま中盤へ・・・。 そして7回に無死から3塁打を打たれ、一気にピンチになりここまで要所を抑えてきたが投手交代に。こりゃー1点は仕方がないわな。と思っていた矢先に外野フライをポカンと上げられ、ホームでのクロスプレーに。タイミングは、完全にアウトでした。しかし判定はセーフ。野球で自分達でどうしよもないことの一つに、審判の判定があります。こういう場合は、すぐに気持ちを切り替えて、次の打者を抑えれば一方的に流れが相手側にいく事を食い止める事が出来、1点のビハインドなら膠着状態だった試合が動き出すし、どんな形であれ、加点しやすくメンタルの部分のダメージも少なくて済む。しかも試合は終盤、ここは何とか追加点は勘弁してくれよ・・・。との願いも届かず、簡単にもう1点取られてしまい一気に劣勢に。私は毎日毎日選手を見ている訳なく、ましてやチームのビジョンや戦い方を知りませんので、選手起用に関しては、何ら疑問はありません。ただ、2点目だけは何とか食い止める方法があったのでは?と思いました。 野球とは面白いもので、ピンチのあとにチャンスありで、8回に1死1,2塁のチャンスが巡ってきました。しかしそのチャンスを生かしきれず敗戦となりました。 ただ、着順に着々とレベルアップしていると思います。 来年は、更なる飛躍を! 続く・・・。
November 10, 2012
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京セラドーム大阪に行って来ます。 もう行くコトはないだろうなーっと思っていた。 それ程ハードルが高いことなんです。 まず、チームが代表権を獲得する事。 次にヘルパーさんの日程の都合で、試合が土日にあること。 野球部OBや、友人の助けをお借りして、運転してくれる人をお願いする事。 よくよく考えてみると、思い切り他力本願。 元気な頃は他人に頼むのが嫌で、何をするにも己自身でやらないと気が済まない性分でしたが、立場が変わると自分が嫌な人の助けを借りまくり・・・。 しょーがないと思い切り割り切って今やお願いしまくりです。 今まで本当に見事にそれらがクリア出来、大阪、東京と野球観戦が出来たのも、野球の神様が導いてくれたんだと勝手に思っている次第です。 本当に義理堅い監督が、いつものように顔を見に来てくれ、色々現状を教えてくれました。 加えて、寒い時期なのでとフリースまでプレゼントしてくれました。 週末、頑張って行ってきます。
November 1, 2012
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半年毎の胃瘻の交換に行ってきました。 早いもので、今回の物で5つ目になります。 久しぶりの外出なのにあいにくの天気で、肌寒い・・・。 いつもより早い時間に起床しダッシュで用意をしてもらい、病院へ。おかげ様で十分余裕をもって心電図、採血、レントゲンと順調に消化して、病棟に行く事が出来、「こりゃ午前中で終え、帰れるかもなー。」なぞ考えていたが甘かった・・・。 とりあえず、血ガス測定の採血を行い暫しの間小休止。 それから待てど暮らせど音沙汰なし。おかしいな~と思っていると、「ごめんね。検査項目のオーダーを間違っていたので、もう一度採血させてね。」とのセリフ。 仕方がないと、金髪ピアスのにーちゃん看護士にブスリと針を刺されるものの、肝心の血液が出てこない。すっかり血流が悪くなってしまった私の身体。 しょうがなくほかの血管を探してブスリと刺されるが、失敗の連続。失敗だけならまだいいが、針を刺したままで血管を探してウニウニと針を動かすのが堪らなくヤナ感じ。 結局、両腕の肘に2箇所づつ、両手の甲に3箇所刺したが失敗で、とうとう足首でとるハメに。 決してにーちゃんのせいじゃないが、「わたしゃ針山か?」と思うくらい、刺される事になりました。 そんなこんなで昼も完全に過ぎてから、ようやく胃瘻の交換。 少々グロいですが、写真を掲載します。 30センチはあろうかというワイヤーを胃の中に入れるときが気持ち悪いが、それよりも、引き抜く時が何度やっても痛い。 それでも、胃瘻のおかげ様で、生きていけているので、無事に終わったことに感謝。 胃瘻とBiPAPがなければ、疾うの昔にあの世行きだろう・・・。 しっかり入っているか確認するためのレントゲン撮影で、いつものことながら骨皮筋衛門の私の背中で、撮影用の板を強引にゴリゴリ動かして位置調整するもんだから、痛いのなんの・・・。 言葉が出ない私は、思い切り顔に出して「痛いんじゃ!」とキレてました。 そんな感じで無事に終わったので、まぁよしとしてまた来月ね。と主治医と別れて病院をあとにしました。
October 24, 2012
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ips細胞が俄然注目されているが、再生医療の分野にはES細胞などの研究も行われており、倫理的問題はあるものの、その進捗状況は気になるところです。 まだ何とか経口摂取ができ、言葉も失う以前にとある筋から、幹細胞の移植による治療を受けないか?と強く勧められたことがあった。 金額はバーゲンセールで350万円也・・・。 場所は、アルメニア。 その頃、しゃにむに代替治療を試みる日々が続いていたが、さすがに躊躇し断った。 後日、アルメニアに行って実際に幹細胞移植を試みた人がいたらしいと、とあるブログに記載されているのを見たが、結果は芳しくなかったようだ。 いずれにせよ、再生治療と並行して原因となる物質の活動抑止を行わなければ、治癒しないのではないか?と個人的に思っている。 因果なもんで、代替治療をやめてからの方が、病気の進行が緩やかになっている。 ips細胞の臨床に間に合うのか? 運命は天にまかせて、心豊かに生きたいものである。 アルメニアかー・・・。どんな国なんだろう?
October 19, 2012
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誰かがこういったら嬉しいだろう・・・。ということ自分で言ってるだけで、こういうことも含めて人の人生ですからね。 と、糸井重里さんが言っていた。 そうだよなーと思った。 今まで何気なく発した言葉で、人を不快な思いにさせたり、逆にさせられたり、 言葉には「言霊」という魂が入っているから、使い方には気をつけてと、よく言われたのに ちーとも進歩していません。 思っていることを、そのまま言うのもいいけれど、その発した言葉で不快な思いにさせていないかてなことを思っている時もあれば、そうでない時もあります。 どうせなら、糸井重里さんのようにありたいものです。
October 15, 2012
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一連のips細胞の騒動を見て、折角の山中教授のノーベル賞で、一気に注目を浴びてアメリカには及ばないものの、長期的な開発研究費が助成されて研究が一気に加速する勢いなのに、 訳の分からない事を言ってる輩がいる。 水を差す一連の言動は、見苦しい。 何の目的なのかサッパリ分からない・・・。
October 14, 2012
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ノーベル賞 川端康成 茨木育ち これは私の故郷の郷土カルタ「の」くだり。 そんなことはさておき、京都大学の山中教授がノーベル賞を受賞される事になりました。 これは我々als患者はもとより、殆ど全ての病気と患者にとって朗報だと思います。しかしそれ以上に重要なのは、ips細胞の特許を取得したことと個人的に思います。 日本はもとより世界の研究者が開発、研究をリーズナブルな特許料で出来るという事は非常に評価出来る事です。 まだまだ時間が必要ですし、倫理的問題や、ベラボウにかかるコストの問題等々の壁を乗り越えることを期待してやみません。 私がもし間に合ったら闘病中お世話になった皆さんに、心からお礼を言いたいのと心を痛く傷つけてくれた皆さんに、パンチをおみまいしたいと思います。(冗談です。) やっぱり1番は子供と話をする事かな・・・。
October 9, 2012
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過日、ライターYさんが顔を見に来てくださった時に、高校時代の写真をB1ポスターにしてプレゼントしてくれました。 いつも写真を送ってくれているAさんにお願いして、パネルにしてもらい、飾ってもらいました。 これまでは、過去なんぞ振り返ることなんぞ何なの足しになるの?と思っていたのですが、その写真は、特に思い入れたっぷりの1枚だったので、暫しの間飾っておく事にしました。 本当に辛い事、苦しい事が報われた瞬間の1枚。 一緒に写っているのは音信不通の親友。 あの頃頑張ってこれたのだから、今も頑張っていれば、きっと報われるはず・・・。と勝手に思っているのと、 親友に会えないかな?と思う気持ちで、写真を眺めながら、仰臥位の苦しさを紛らわす私です。
October 8, 2012
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季節の変わり目だからかどうだかよくわかりませんが、 体調の方はイマイチな日々が続いている今日この頃・・・。 熱発する事が頻回、こもり熱かな?と思っているのですが、スッキリしません。 特に背中がアツい。 はよ回復したいものです。
October 5, 2012
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名古屋は池下駅から歩いてすぐの小さい飲み屋GURU×GURU。 簡易のパイプ椅子と立ち見を合わせて30人でいっぱいになる位の小さいハコでライブがあり、行って来ました。 オーナーさんも気を使ってくださいまして、若干の余裕をもってソールドアウトにしてくれました。 今回で3回目の竹原ピストルのライブですが、ワンマンライブは初でした。やっぱりじっくり聴けるのはいいねー。 御年35歳の頭の中から生み出された歌詞の数々は、ユーミンやミスチル等々の爽やかなそれとは全く異なる地べたを這いずり回るような人間臭い歌詞が、胸に迫るものを毎回感じ、俺も頑張っていかねばなーと思わせてくれている訳であります。 店内までに2段の段差があったのですが、前回のライブで声をかけてくださった看護師さん2人が手伝ってくれて、無事にクリア。 北から南まで、殺人的スケジュールでライブをこなすピストルさん。 中でも、大阪の釜ヶ崎、あいりん地区と呼ばれる恐らく日本全国の中で、最も治安が悪いであろうドヤ街の真ん中の公園でも歌ったみたい・・・。 どんなカンジだったか聞いてみたかったが、如何せん喋れない私。もっと売れっ子になってメディアに露出して欲しいと思う反面、言い方は悪いがドサ回りの今のままで、小さいハコの中で手に届く充実した時間を提供して欲しいと、勝手に思っているのでした。 病気になる前は、迷ったら自重する事が多かったが、病気と判ってからは、無理矢理でも出来るだけいきたい思ったところには行くようにしている。 相変わらず体へのダメージは大きいが、行けてよかった。 同行してくれた、姐さんヘルパーさんと、Sさん、ありがとうございました。
September 29, 2012
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高校卒業から25年が経ちました。 ライターYさんときよっちゃんが中心となって制作したムック本が好評発売中です。 私の記事もちょっと載ってます。 よかったら読んでみてください。 PL学園-最強軍団の真実 (NIKKAN SPORTS GRAPH 高校野球LEGEND・MAGA) 橋本清 (著)
September 27, 2012
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久しぶりに兄さんとM田さんが、顔を見に来てくれました。 現状の諸々のことを話してくれました。Facebookにいつも兄さんのSPECIALなランチの数々がアップされているのを見てて、変わらないなーと思っていたことを伝えると、いつも同行しているM田さんも太ったとボヤいていました。 相変わらずの他愛のない会話ですがそういう何気ない会話を久しぶりにしたような気がします。 いつも気にかけてくれてありがとう。
September 22, 2012
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いつもお世話になっている歯科衛生士さん。 手もよく動くが、口もよく動く。 バリバリの名古屋弁で、散々笑わせておいて、誤嚥するから笑うなと仰る。無理です。 最近、唾液が粘性の強いものが出ることが多く、あの手この手を提案してくれる。 誤嚥性肺炎が死亡原因の上位であるals患者にとって、口内を清潔に保つのは非常に重要なことだと思う。病気の進行にともなう舌の萎縮で、すぐに誤嚥する私には、週1回とはいえ大切なケアだと思っている。 かなり息苦しいけど・・・。 そんな歯科衛生士さんが、働けるという事は本当に幸せなことだと思う。そやねーページさん・・・。と言っていた。 働けない体になって、つくづくそう思っていた私の腹にその言葉はストンと落ちた。 豪快だが、心優しき歯科衛生士さんのお話でした。
September 18, 2012
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体が動かなくなっていくのと反比例して、どんどん心が、繊細になって、色々なことを日々考える。 時折、他人の何気なく発した言葉にも酷く傷つく。 時にはナイフでエグられるように・・・。時にはマシンガンで撃ちぬかれるように・・・。はたまた、時には真綿で首を絞められるように・・・。 自分自身こんなに弱い心になってしまったのか?病気になる前から、心の根っこはこんな感じだったのか? よくよく自己分析してみると、嫁さんは勿論、家族に対する罪悪感から、結構気を使っている。次に、挫折感。同僚や友人が頑張っているのに、俺は何やってんだ・・・。という解決しようにも、どうしようもない思いを未だに引きずっている・・・。また、気がつけば、この前は出来ていた事が出来なくなってしまい、代替えの方法を模索する毎日に、嫌気がさすことが多くなってきている事。 逆に、ごく当たり前 と思っていたことが実はとんでもなく幸せだと思えるようになったし、汗をかきながらケアしてくれる皆さんにも感謝している。 物質至上主義のこの世で、本当にに大切なものは人付き合いを通じて己自身を高めていくことかなぁーと勝手に思うようになった。 猿の世界は100年前も現在も変わらないが、人間社会のこの世でのそれは著しく進歩している。 100年先には、難病と言われる病気がなくなってしまい、この手の悩みがなくなっているといいなー。 てなことを勝手に考えている。
September 15, 2012
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どうにかこうにか 気持ちも立て直すことが出来? 再開致します。 リコメ出来ず、スミマセン。 追々感じた気持ちを書き綴っていきたいと思います。 多数のコメントやメールありがとうございます。
September 13, 2012
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何かとコメントありがとうございます。 何だか更新する元気がありません。理由は色々。 気持ちが前向きになるまで、暫し充電。 スミマセン。
September 2, 2012
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人の幸、不幸は他人が関与していない 他人に対して~してほしいという事は相手を変えようとしている事 自分を変えるのも大変なのに他人を変えるのは無理 という言葉を頂きました。 自分がalsになって、他人にお世話になることばかり・・・。何回言っても、同じミスを繰り返していると、ついイライラ・・・。 気持ちの持ち方を変える努力をしてみます。 出来るかなぁ・・・。 根本的に短気だしなぁー。 体育会的思考で、つべこべ言わずにまずやれよ。というタイプだしなー。
August 28, 2012
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毎週土曜日の夜9時から、「小さな村の物語 イタリア」という番組がBS日テレで放送されている。 カンブリア宮殿等の、成功者のサクセスストーリーではなく、どこにでもあるような片田舎のごく平凡な人達の、平凡だが、幸せそうな暮らしを紹介している番組である。 何時からか、好んで観るようになった。 物心ついた頃から、小高い丘の上や山の上、車窓から眺める見知らぬ土地の集落をみるのが好きで、「一つ一つの家にそれぞれ色々な物語があって、それぞれの人生があるんだなー。当然、私の人生なんて知る由もなく、同じくして私もその人達の人生なんて知る由もない。肩肘張らずに楽に行こうや・・・。」 なーんて思っていた。そんな私に、この番組は平凡でも一生懸命生きている人達の人生を紹介してくれる。 この前は珍しく、娘と一緒に観ていた。丁度、美味しそうなモッツァレラチーズが出てきた時に「パパも食べれるといーのにね・・・。」と泣かせるセリフ。 いつもはゴーヤの水やりすら拒否するが、たまにはいいこと言うじゃねーか。 パパの病気がいつ治るのか?と心待ちにする娘。久しぶりに親子の時間が持てました。 平凡だが、幸せな人生。それもいい・・・。 今回の人世はある意味非凡でドラマティックだわな。 貴重なひとときでした。 番組の概要は、下記のとおり。 海を臨む小さな漁村、山肌にはりつくように佇む村、雪に覆われた山間の 気候や風土に逆らわず、共存しながら暮らす。 先人たちが築き守ってきた伝統や文化を誇りに思いながら生きる。 人間本来の暮らしが息づく「小さな村」が今、注目されています。 古き良き歴史と豊穣の大地を持つイタリアで、心豊かに生きる人たち。 美しく暮らす 美しく生きるとはどういうことなのか。 私たちが忘れてしまった素敵な物語が、小さな村で静かに息づいていました。 番組ではありのままの時間の流れを追い、村人たちの普段着の日常を描いていきます。
August 20, 2012
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火曜日は、月イチ通院&治験の評価日で、名大病院まで。 お盆期間なので空いてると思いきや駐車場は激コミで、仕方がないですが隣の鶴舞公園の駐車場に車を止め、病院へ向かいました。 久しぶりに外出し、久しぶりに空を見上げると雨雲がいっぱいなのにもかかわらず、やけに眩しく感じられ、元気な頃は、「うるせーな・・・。」位にしか思っていなかった蝉時雨も、妙に耳に馴染み、心地良く感じられました。 今回の採血は、非常に丁寧に対応してくださったお陰で、スンナリと終わり、診察となりました。 今回の診察では、お決まりの「徐々に進行してますね。」のフレーズもなく、淡々と過ぎていきました。 治験の評価では、「よく頑張っておられますね。」とのお言葉を頂戴し、ついでに治験 の注射も太ももと呼ぶには、あまりにも細くなったそこに、ぶち込んで来ました。 最近、ほぼ一日中BiPAPを装着していますが、それでも息苦しいことが多くなってきていることを、主治医に伝えたところ、次回の胃瘻交換の際、設定を見直す事にしました。 って2ヶ月先なんですが・・・。とは思いつつも、まぁいいか。と思い、スルーする事にしました。 たまには、前向きな治療法や各種研究の進捗状況等々の話でもしてくれりゃーいいのに・・・。といつも思いますが、そこは大病院だけに下手なことは言いませんね・・・。 いつも汗をかいて介護してくださるエンジェルさんは大汗をかいて連れて行ってもらいました。ありがとうございました。
August 15, 2012
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映画を久しぶりに観た。 モリー先生との火曜日。 「ミッチ、私は死にかけているんだよ」 16年ぶりに再会した恩師、モリー・シュワルツ教授はALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されてい た。忍び寄る死の影。「あと4か月か5か月かな」。だが、その顔には昔と変わらぬ笑顔があった。「この病気のおかげでいちばん教えられていることとは何 か、教えてやろうか?」そして、老教授の生涯最後の授業が始まった――。 スポーツコラムニストとして活躍する著者ミッチ・アルボム とモリー教授が死の床で行った「ふたりだけの授業」の記録である。テーマは「人生の意味」について。愛、仕事、社会、家族、老いの恐怖、許し、そして死。 毎週火曜日、飛行機に乗って700マイルも離れた恩師を自宅に見舞い、静かに対話を紡ぐ。売れっ子コラムニストとして多忙な日々を送る著者は、最初から 「いい生徒」だったわけではない。彼の生きがいは仕事。時間に追われながら、何よりも立ち止まることを恐れるミッチ。そんなミッチも、死と対峙しながら最 後の日々を心豊かに生きるモリーとの会話の中で、仕事よりも大事なことに気づいていく。 授業を重ねるたび、ミッチの心は揺らぎ、モ リーの体は蝕まれていく。その様子が手にとるように伝わってくる。「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」と、モリー。「人生に意味を与えられ る道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと」 (Amazonでの解説文) 自分が同じ病のため、もっと感情的になるか?なんて思っていたが、冷静に見る事が出来た。 現状、在宅で生活していくということは大変苦労することを、身をもって体験していることもあるものだと思います。 それでも共感出来る思いもあった。 機会があれば、見てください。
August 8, 2012
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最後のワガママは泉岳寺。 言わずと知れた曹洞宗の寺院で、赤穂浪士のお墓があることで有名・・・。 訪れるのは20年以上振り。 何故か、都市対抗を見に行かせてもらえる事になってから、呼んでいるのか呼ばれてるのか?頭の中に赤穂浪士のお墓の絶えることのない線香の煙が、幾度となく浮かんできたので、これはひとつ、大石内蔵助さんに聞かねばならぬ。と、思っていたのであります。 ミッドタウンで暑さにやられたので、断念する事も考えたのですが無理を承知で連れて行ってもらいました。大石内蔵助のお墓までスロープが設置されているお陰で辿り着く事が出来ました。「大石内蔵助さん、来ましたよ。」と、ご挨拶もそこそこに、暑さに体が悲鳴を上げる事態になってしまい、車中に戻りました。 赤穂浪士のお墓は、変わることなく線香が供えられており、その香りは、BiPAPをした状態でも匂いがしました。 彼らは君主に忠義を尽くした英雄であったことは間違いなく、なので今もなお訪れる人が絶えることがないのでしょう。大石内蔵助は今の世をどう思っているのか?答えは分からないが問い掛けてみました。 そんな感じで、泉岳寺をあとにして、品川駅から帰路につきました。 同行してくださった皆さん、本当にありがとうございました。わざわざ会いに来てくれた皆さん、会えて嬉しかったです。 (終わり)
August 4, 2012
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