或る日の“ことのは”2

或る日の“ことのは”2

2015.06.15
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


この間チラッと見たテレビ番組が、半ば「仏女」特集だった。
仏スキが高じて、学芸員にまでなったと言う仏女は、
東北の、とある有名な仏様を紹介しつつ、
「私の推しメンはこちらです!」
「おムコさんに如何ですか?」
などとノリノリでタレントに話しており、少し呆気に取られた。
私も綺麗な御尊顔の仏様を、イケメンと評する事はあるが、
・・・いやでもしかし。

古来より日本人は、仏の高みへと上がろうと足掻いて来た。
今や、仏を俗世のポジションに引き下げ、価値観に嵌めようとする。
お心の広い仏様は、苦笑の上赦してくださるだろうが・・・。



*******



齢この年まで知らなかったんですが。

神戸にはいくつもお城がありました。

勿論その全てが今は形無く、城址として名残を留めるか、伝承のみですが。

中でも山城ファンに有名なのが、JR新神戸駅の裏山、瀧山城なのだそうです。


***

瀧山城は大阪湾を見通して、往来する船を監視する事が出来、
西の再度山城、東の摩耶山城を両翼に、戦略上二つと無い拠点にあります。
(案内板より)

瀧山城築城についてはよく判っていないようですが、
南北朝時代に赤松円心則村によって築かれ、幕府討伐の拠点となり
南朝に攻め込まれ、たびたび戦場となったようです。
則村の死後の城に付いても、よく判っていません。

戦国時代に松永久秀によって修築され、その後城主が時々代わります。
同じく神戸にあった花隈城の支城として使われていたようです。 
天正6年、荒木村重が織田信長に謀叛を起こし、攻められ、放棄されたようです。
(落城?放棄?よく判りません) 
その後、織田方が拠点として使っていたりしたようですが、
花隈城が落城してからは、再び記録に瀧山城が現れる事はなかったようです。
石垣などは、兵庫城築城のために運び去られたのだそうです。
(その兵庫城も、今や当該場所に石碑と案内板を残すのみですが)

標高の高い場所から、築城に用いる石を運び出すのは相当骨が折れたと思いますが、
折も折、先月兵庫津遺跡(城跡)の発掘調査で、
兵庫城の石垣に、墓石やお地蔵様が、割られ、多数埋め込まれていた事が判明しました。
敵城の築材など、当然余さず使うでしょう。 
石材は、相当貴重品だったようです。



20150615180250.jpg


入り口には標識があり、迷う事は無いし、ハイキングコースにもなっていますから、

それなりに土が踏み固められ、階段が整備されており、道は比較的歩き易いです、・・・が、

山城は元来戦うための城、訪れるものを歓迎しよう筈がありません。

よそ様のブログでも拝見しましたが、真夏に登るのは厳しいと思います。

20150615165140.jpg

所々に見える郭(曲輪)。

人為的に山肌を削り、土をならし、平らな敷地を作って敵襲に備えた跡です。
本当に至る所に、と言う感じでありました。

20150615165221.jpg

土橋。 左右は堀、になるのだそうです。
でも、今は土が流れ雑草が生い茂り、堀というイメージが湧きません。
(土橋ではないとする説も)

20150615171328.jpg


本丸近くの堀切。
峰や尾根を、堀を作って流れを切り、尾根沿いに侵入を図る敵を防ぐ目的で作られました。


20150615165024.jpg


至る所に土塁、削平が見られますが、
石垣の残りも城の名残を伝えてくれます。(階段は近年造られたもの)



主郭 ・・・所謂本丸のあった場所です。

20150615171457.jpg

東屋が造ってありました。 これは郭の一番奥から見た様子。

雑木が多く、残念ながら下界や景色は殆ど見えません。

20150615171408.jpg

櫓台には城碑が建てられていました。

なにか、碑の前に器が見えるけど・・・何のつもりだろうか。




ここから再度山(ふたたびさんと読む)へ行けるようですが、この日はこれで引き返します。

20150615171826.jpg

下りる時は早いものです。

大して息も切らせず、直ぐ中腹まで来ると、ぽっかり視界の拓ける場所がありました。

おお、海までまっすぐ見通せる。

上を見上げると、ロープウェーが。

このロープウェーは、新神戸から布引ハーブ園へと連れて行ってくれます。


20150615171841.jpg

20150615171543.jpg


沢の音が強くなり、地上?に近づきました。
川の近くの土壌だからか、コアジサイ(柴紫陽花)の群生が元気。


20150615171710.jpg


さて、地上に到着です。 『猿の架け橋』。

20150615171728.jpg

徳島の、祖谷のかずら橋を模したものだそうです。

森林保護を目的として、木の生育を阻害するつる類を取り除き、集めたさるなしのつるで
既存の橋に装飾を施したのだそうです。
(六甲山の瀬戸内海国立公園編入50周年記念)

さてここからも色々なところへ行けますが、この日の目的は城でしたので、

布引の滝だけを見て帰ります。

この滝については又今度・・・。

20150615182504.jpg


お付き合いくださり、ありがとうございました。^^







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015.06.15 19:21:02
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

ぺぺる9712

ぺぺる9712

カレンダー

お気に入りブログ

Ctsm.ピレアタム'オ… New! ガストルキスさん

リカステ アロマチカ New! amigo0025さん

飲み比べ eru#さん

きららのつぶやき kilala3190さん
紺碧の海と空 緋月煌さん

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: