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●金澤泰子様エッセイ、『ダウン症って、本当は何?』
金澤泰子(やすこ)様
のエッセイをご紹介致します。
掲載についての詳細はこちらをご覧下さい。
http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200705240000/
※このエッセイは、翔子さんが成人されたのを機に、
泰子様が翔子さんへの思いを綴られた内容になっています。
昨年12月の 「神奈川県医師会報」
に掲載されたエッセイです。
(医師会様には転載許可済みです)
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『ダウン症って、本当は何?』 金澤泰子
雪の中でいっしょに遊んだよね、駅まで二人で行ったよね、
いっしょにお勉強したよね、風の中歩いたでしょ、
電車の中でお話したでしょ、二人で雨にぬれちゃったでしょ‥‥
原稿用紙一枚分位に、延々と二人の出来事が綴られている。
ダウン症の二十歳になる私の娘・翔子の文章である。
好きとか愛しているとか一言もなく、修飾する言葉もなく、
只ひたすら一緒にした事を書いているだけ。
ダウン症の大きな障害の一つは言語障害と知的障害。
未だに片言で語彙は極めて少ない。
語彙が少ない分、発する言葉には思いが凝縮されて
詰まっている。
いつも翔子の文章は拙いけれど“これで充分だ”と思う。
事象の羅列だけなのに、この恋は終わったな、
今はもう会えないのだな、客観的に見れば失恋だったな、
という事が私にはよく伝わる。
この様に語彙は少ないけれど、翔子の日常生活は
支障なく進んでいる。
巧みに嘘を言ったりする事も無く、僅かな語彙で身振りや
顔の表情で充分に表現したい事は伝わる。
意思を正しく伝えるのに多くの言葉はいらないのかもしれない、
と考えさせられる。
翔子を見ていると伝えたい事は体全体と周りの空気と僅かな
(5%~10%位)言葉で伝わるものだと判る。
高校生のころ、翔子は一人の青年を好きになった。
イケメンのT君である。
「T君がね、私のこと好きだって言ったよ」と翔子が私に言う。
しかし、怪しい、たしかT君には好きな子がいた筈。
私は密かに学校まで、何度も偵察に行った。
明らかにT君は翔子に興味のかけらさえない。
こんな時、親心は実に切ない。
わが身の事より辛い。けれど翔子は怯まない。
「T君が翔子と結婚したいと言った」と言う。言う訳がない。
自分が好きになれば、相手も同じ度合いで好きになるのだ、
自分が結婚したければ、勿論相手も、翔子の心の中では
結婚したいのだ。
好きとか恋しいとか云う心の動きは実に危うく、不確定で、
実態は正確には掴めないのだから、自分が好きになれば、
それだけで充分なのだ、と翔子の心の有り方が教えてくれる。
恋心のように想いの度合いも時間も何もかも揺らいで不確実
なものは、こちらの心が決めた事が確定になるのでしょう。
心がすべてを造り出す、と云う唯心論ではないけれど、翔子と
暮らしていると、如何様にも心は現実を変え得るのだと知る。
翔子の心も又、移ろい易く、お目が高く、いつも飛び切り素敵な
青年を好きになる。
今回も又、翔子のお相手にはなり得ないハンサムなK君を
好きになった。
偵察して見ると、やはり翔子の片思い。しかし、翔子はめげない。
「以前に好きだったT君とは、小指と小指が赤い糸で結ばれているって
言ってたじゃない」と私が聞くと、翔子は
「K君とは、この指で赤い糸が繋がってるのよ!」
と両手の薬指を高々と差し出す。
又、「K君が翔子と結婚したいと言っているのよ」と申しております。
もう一つの大きな障害は数の概念が理解できない事です。
五つ以上の数量は ”沢山”と云う数です。
人間が自然界の中で都合上創りあげた十進法等は
生涯理解出来ないと思う。
故に、お金の事も独特で実に単純であり、本来お金の有りようは
この様なものではないかと考えさせられる明解な世界を持っています。
機会がありましたらこの世界も詳しく説明してみたいと思います。
時間も数で表されているので翔子には難しくて理解出来ない世界です。
一日が二十四時間に分けられ、一時間が六十分に、一秒が‥‥
等は終生理解できないでしょう。
そんな風ですから、翔子には数字に縛られない不思議な時間が
流れています。
お金や名誉を欲する能力は欠落していますから、
社会的に目指すべき目標を持たなくてすむもので、
何かに追われる事もなく、目指すべく予定する時間もなく、
前進する為に、あくせくすることもない。
時間が一方向に流れているのではなく、只、
その時間が完結されている絶対時間に生きています。
非常にゆったりと豊かにその刻一刻を生きています。
だからと言って時間が混乱していたり、ルーズだったりする
のではありません。
翔子の好きな漫画、ドラエモンやチビまる子などがある時は、
その放映時間に遅れることもなく、早すぎることもなく、
きちっとテレビの前に座っています。
翔子の時のメカニズムがどの様に作動しているのかは解りませんが、
急がなければならない時、時間通り約束を果たします。
大好きなプールの時はきちっとその時間にはプールに着いています。
翔子の時間の悠然とした豊かさには目を瞠るものがあります。
本部へ行く道は遠くて暗い、本部へ行く道はせまくて歩けない。
お家へ行く道は明るい。本部へ行く道はない。お家へ行く道は広い‥‥
これは最近、翔子の綴った文章です。
今年から書家としてきちっと育てなければと思い、
親の私の手から離して家元にお預けする為に、
日本橋にある本部へ通わせることにしました。
ベテランの先生方の集まる大人だけの世界へ入るのは初めてで
翔子には厳しい所だと思います。きっと大変だったのでしょう。
翔子は身の回りの人が傷ついたり、心配させる事が耐えられないので、
ロが裂けても辛いとか苦しいとかは言えません。
本部を休むこともならず、母親にも言えず板ばさみの中で
翔子の知る限りの明るい・暗い・広い等の少ない言葉の中で
精一杯心情を吐露しています。
困り果ててメタファーしてしまっている文章です。
人を悲しませる事が決して出来ない過度の優しさも又、
翔子の障害の一つだと思います。
目を凝らして、耳を澄ませて翔子の世界を覗いてみると、
現代に汚染されてしまっている私には到底、到達出来ない、
美しく豊饒な世界があり、その中で自在に生きている
翔子の姿が見えます。
翔子の本の出版を機に改めて
”ダウン症って本当は何なのだろう” と考えてみました。
数、時間、言葉、優しすぎる心‥‥等、
ダウン症者の障害と言われているこれらの事は、
社会通念を取り払ってみると、実は素晴らしい個性であり、
比類なく幸運な特性の持ち主と言えるのではないかと思います。
資本主義や学校教育制度にも侵されず、近代科学にも洗脳されず、
人々の思惑や利害からも離れ、無垢な幸せの裡に生きる為に、
神が余分なものを極力削除して下さった、現代に於いては
稀有な存在だと思える。
翔子は混濁の世に在りながら、美しい形而上的な世界を
ありありと見ているのです。
最後となりますが、真に翔子を愛してくれる人々は、
悲しんだり、苦しんだり大変な思いをしますが、
当の翔子自身は天使の様に自在に楽しく充実した日々を
生きて来たと思います。
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上記エッセイは、金澤泰子様が、翔子さんと同じ障がいを持つ
子どもを育児されている方々に、少しでも参考になれば
とのお気持ちから、僭越ではありますが私に託されたものです。
翔子さんのご活躍については周知の通りですので、
私からは何も申し上げることはございません。
翔子さんのHP
をご参考いただければ
そのご活躍ぶりにはとても驚かれると思います。
障がいを持ちながらでも、努力次第で道は極めることが出来る
という可能性を見せてくれている点でも、私たち夫婦は
翔子さんにとても感謝しています。
今後もますます頑張っていただきたいと切に願ってやみません。
※7月4日追記
上記、金澤泰子さまのエッセイをご覧になって、
ある方が泰子さまへお手紙を書かれました。
http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/200706270000/
金澤泰子(文)・金澤翔子(書)『萌芽』… 2008年04月06日
金澤泰子(文)・金澤翔子(書)『飛翔』… 2008年01月25日
金澤泰子様(文)・翔子さん(書)『孤 雁… 2007年11月30日