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今、実家にいるのですが、姉が父や母の服の処分をしておりまして。まあ、私の姉というのは思い出とかそういうものに対する概念に欠けていて、なんでも捨てちゃうんですよね・・・。 で、父のコートとかもバンバン捨てるというので、何を捨てるつもりなのか見せてもらったわけ。 このブログでも何度も書いていますが、私の父というのは、案外、服道楽の人でね。結構なお値段のする服を買っていた人なのよ。まあ、自分でよく分かっていて買うというよりは、デパートの高級紳士服売り場に買いに行って、薦められるままに買っていたという節がありますが。その辺、見栄坊なところがあるので、薦められたら、値段が高いからという理由で買わないという選択肢は父にはないのね。 で、そんな父の服を捨てるというので、捨てようとしている服を私も一応、見てみたと。 すると、チャコールのコートがあった。 触ってみると、それがカシミアであることはすぐわかった。え、カシミアのコートを捨てちゃうの? で、私が一応、羽織ってみると、うん、サイズ的にはピッタリ! あ、俺、これもらうわ。 で、さらに仔細に調べてみると、裏地になにやらラベルがある。何々、メイド・イン・イタリア?! ロロピアーナ???!!! なにこれ、イタリアのロロピアーナ社製のカシミア100%のコートじゃん!!! なーんて通ぶったことを言っておりますが、最近、古着に興味が出てきたもので、そういうYouTube を見ていると、ロロピアーナ社のカシミアの話が時々出てくる。それで私もそれが高級品であることを知っていたわけ。 で、そのことを姉に告げると、「そうなの?」などと気のない返事をしていたのですが、ちょっとググってみて、ロロピアーナ社製のカシミアのロングコートを調べたら、大体、100万円を超えるくらいすることが判明。さすがに驚いていましたね、そんな高級品をゴミ袋に入れて捨てようとしていたのかと。 というわけで、古着屋で買ったとしても相当の値段になりそうな父のコートは、無事、ゴミ袋から救出され、私の所有物となったのでした。めでたし、めでたし。こんな感じ ↓【送料無料】 ロロピアーナ メンズ ジャケット・ブルゾン アウター Cashmere Button-Front Sweater Coat desert whisper
May 4, 2024
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いやはや。「最近の若い連中は…」ということは言いたくないんだけれども、つい言いたくなるようなことがありましてね。 4年のゼミ生はもう卒論を提出するのみで、この先は個別の論文添削指導になるため、全員集合の対面形式としては今年度最後のゼミ。しかもクリスマスも近いということで、今日はお菓子をつまみながら、リラックスしてやろうということになり、私が人数分、クリスピー・クリーム・ドーナツを買っていくことに。 で、テーブルに人数分のドーナツと取り分けるための紙皿などを用意し、私みずから紅茶を淹れていたわけよ。 ところが、テーブルを囲んで椅子に座った6人のゼミ生たちは一向に動こうとしないの。普通、指導教授がここまで用意したんだから、後はゼミ生の方で準備を始めればいいじゃん? で、私が「さあ、ドーナツ食べようよ」と促すのだけど、誰も何も動かないので、「さあ、みんなで取り分けてよ」とさらに促したところ、ようやく紙皿を回したり、ドーナツが入ったボックスを開け始めた。で、私は紅茶を淹れていたわけ。 で、紅茶が入ったので、私が紅茶の入ったコップを運び始めたのだけど、やっぱり誰も動かない。 で、私が仕方なく「おい、ちょっと手伝ってよ」と言って、それでようやく二人くらいが重い腰を上げて紅茶を運ぶのを手伝ってくれて。 で、ヤレヤレと思って私がテーブルのお誕生日席につこうとしてビックリよ。 なんと、私の席に、私の分の紙皿がない。ドーナツも配られてない。 ええ・・・・。嘘だろ? ショックを受けつつ、「なあ、僕の分はないの?」と言って、ようやく。 そして、ドーナツを食べながらの談笑の後、ゼミ生の誰一人として、私にドーナツのお礼を言った者はいなかったのでした。 私に言えるのは、昔のゼミ生は可愛かったなと。今のゼミ生は全然可愛くないなと。親の顔が見たいなと。 まあね、私は「怒らずの誓い」を立てているから、彼ら/彼女らに対して怒りはしませんよ。しませんけれども、心の中では泣いています。さめざめと。
December 19, 2023
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今朝方、5時頃だったか、気味の悪い声で起こされまして。なんだか、地獄の底から聞こえてくるようなグルグルいう低音が。 そしたらね、鳩のご夫婦だったの。鳩のご夫婦が我が家のベランダにマイホームを築こうとしていたらしく。 で、その気味の悪い声に反応した我が家内が、何事かと思って窓を開けたら、その鳩ご夫婦がパッと飛び立ち、しかし遠くまでは行かずに二羽揃ってこちらをジロジロ見ていたと。まるで、家内の方が鳩ご夫婦のマイホームに侵入したかのように、悪意あるまなざしでじっと見ていたらしいんですな。 で、その非難がましい目つきにカチンときた家内と鳩ご夫婦の戦いの火ぶたが切って落とされたと。 あの調子では、また戻ってくるなと勘付いた家内は、その1時間後くらいにまたぞろ鳩のグルグル音を耳にするや、再度、窓をシャアっと開けておりゃーと威嚇。今度は向こうも諦めて飛び立っていったようですが。 というわけで、今朝は朝も早くから鳩ご夫婦と家内のバトルが勃発した次第。 私はそれを傍観していたのですが、普段穏やかな家内が、なんで平和の象徴とバトルしているのか、私にはそれが可笑しくて可笑しくて。 でも、家内によると、奴らにベランダに巣をつくられたら、糞とか大変だよ、ということらしいので、とりあえずこのバトル、私は家内を領土侵入されたウ側と見て、ロに見立てた侵略鳩ご夫婦に対抗すべく、ウ側に加担することにしたのでした。
May 2, 2023
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「文科省のやることはすべて間違い」というのが持論のワタクシですが、またもやらかしましたよ。教育学部の教員の2割を、実務経験者(要するに元校長先生)にすることを義務付けるという決定をしたらしい。 いや~。愚かだねえ・・・。現実を見なさいよ、現実を。 元実務教員を大学教員に、という動きは、もう既に始まっていて、うちの大学にも既に何人もの元校長先生がいらっしゃるんですけれども、学生からの評判はすこぶる悪い。 そりゃそうだよね。大学で教えた経験も、研究歴も、アカデミックな訓練もまるでない人がいきなり教授採用で教え始めるんだから。 で、彼らは大学で教えるということがどういうことか分かっていないので、授業の最初の5回分は自分の過去の自慢話をするのね。「わしが校長だった頃、こんなことがあって、わしの評判はすごく良かった」と。 だけど、どんな自慢も5回もやるとネタが尽きる。でもあと10回授業をやらなくちゃならない。そこで、そこから先はどーでもいいことを指導するわけ。黒板の消し方は横に消すのがいいか、縦に消すのがいいか、とか。 そんなことをのらりくらり10回も聴かされる学生の立場を考えてよ。文科省の役人どもは、そういう教員の授業アンケートの結果を読んでみろって。 で、何しろ教授だから、ゼミ生を持って卒論指導するんだけど、ご本人が大学卒業以来、30年ちかく論文を書いたことがないのだから、自分だってどう書けばいいか分からないわけ。論文書いたことない人が、論文書いたことない学生を指導するって、もう、まともなことができるわけがないでしょ。 学生も馬鹿ではないから、元校長・実務経験者の「学のなさ」を、あっという間に見抜くよ。で、「あの先生の授業なんて取るだけ無駄」というのがすぐに広まる。学生からも馬鹿にされるわけ。 で、元校長先生は60歳くらいで赴任するので、大学に居られるのは3年とか5年。その間、その先生が大学教員としてのスキルを身につけるのは至難の業で、身につけた頃には退職と。 しかし、この件の最大の問題は、60歳の元校長が大学教員になるおかげで、大学院を出たての若手が大学に就職できない、ってこと。これからの日本の教育学を担う若手のポストが、元校長先生たちによって奪われてしまうんですわ。 こんな損失ってある? 大学でのポストが保証されないから、優秀な研究者はもう、育たないよね・・・。 じゃあ、この制度のメリットって何かというと、元校長先生の天下り(天上がり?)先が確保されるということ。そりゃ、元校長先生にとっては、いい話だよね! 校長職までやって、もうこれでオレの人生も詰みか、と思ったら、なんと、大学の教授にしてくれるの?! やったー! 教授なんて、ご近所さんたちにも大いに自慢できるー! っていう。 元校長先生に最後のご褒美を差し上げるという、ただそれだけのために、日本の教育の進歩を阻害するようなこと、本当にやるの? 文科省って、まさに日本の学問の世界にとって、病巣でしかないな。毒を撒き散らしている。 何とかしてよ!!
March 26, 2023
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昨日、人間ドックを受けてきたのですけど、今回ちょっと意外だったのは、血圧が高めに出たこと。 私は血圧だけは優良児で、上が115、下が80とか、そういう感じがずーーっと続いていたのよ。ところが今回は上が133とか、その位に行っちゃった。 えー、そんなはずないよ~、とかゴネて、3度も4度も計ってもらったんですけど、数値は変わらず。 あらま、唯一の自慢だった血圧優良児のプライドが・・・ でも、大丈夫! 欝の人が見たら目がくらむほどポジティヴなワタクシ。むしろチャレンジする課題をもらった、くらいの感じで、モチベーション・アップよ! おーし。ならば今後、血圧を下げるという目標で、人生を生きて行こう。 ということで、早速、ネットサーチして、「血圧を下げるツボ」とか、「血圧を下げる運動」とか、そういうのを見まくり、参考にさせていただきました。来年の人間ドックでは、今年のリベンジをしてやろうじゃないの。 で、そんな中で、「呼吸法」によって血圧を下げる、と言っている動画を見つけたんですけど、これ、「8秒吐いて、5秒吸って、2秒止める」という呼吸法を一日何回か続けることで、血圧が下がるというもの。単に血圧を下げるのみならず、脳の活性化にもいいようなことを言っておられたので、ちょっと試してみようかな。これこれ! ↓呼吸法で血圧を下げる?! ま、こういうのをあれこれ試してみて、果たして本当に血圧が下がるのか、チャレンジしていきたいと思います。興味のある御同輩も是非!
November 23, 2022
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同僚でコロナに罹患した人が居るんですけど、その人が自宅から遠隔で授業をやってたら、大学当局からクレームが入ったとのこと。 コロナに罹ったら、遠隔で授業も出来ないんですってさ。 何で? いいじゃんねぇ、本人が軽症だからやれるって言っているんだから。何でダメなんだろう? あれかな、インターネットを通じて、コロナがうつると思っているのかな、大学当局は。 それともあれか、コンピュータがウイルスに罹ると思っているのかな? オミクロン株のことをコンピュータ・ウイルスだと思っているとか? まあ、お役所ってのは、バカバカしいことばっかり考えるもんですな。 その割に、抜けているところは抜けていて、コロナに罹って自宅療養している場合、復帰の目安って、すごく曖昧なんですってね。具合が良くなって10日くらい経ったら、自己判断で出社するかどうか決めろっていうんだから。何その自己判断って。そういうもんなの? もう2年もこんなことが続いていて、そんなこともまともに決められないんだと思うと、専門家ってのも大分怪しいもんですなあ。
January 26, 2022
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入ゼミ希望者の予備調査の結果が届いたのですが、ワタクシのゼミに入りたいっていう学生がかなりの人数になってしまったという・・・。ちょっとビックリ。 まあね。昔はさ、科の所属学生の半数が私のゼミに入りたがって、最難関のゼミだったこともあるのですが、私も段々歳をとって、あまり学生と遊ばなくなってしまったし、むしろ自分の仕事に対する比率が上がって、ゼミ生指導は少ない方がいいな、的な感じになってしまった。 すると、やっぱりゼミ生もその辺の変化を感じ取るのか、入ゼミ希望者も落ち着いてきて、4,5人がいいところで推移していたのよ。 ところが来年度は、第一希望だけでその倍。第二、第三希望とかも入れると、ものすごい数になっちゃった。 何なんだろうね? 別に最近になってゼミ活動に力を入れ始めたってわけでもないのにね。 だけど、第一希望だけでそんなに多いとなると、全員は入れられないし、どこかで切らなくてはならない。それはそれで気の毒っていうか、せっかく希望してくれたのに、申し訳ないという気になる。 まあ、人対人のことだから、なかなかこちらが勝手に望むようには、行かないもんですな・・・。
January 23, 2022
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今年も卒論の提出が終わり、来年度のゼミ生を決める時期となりまして。 で、私も2度の説明会を実施し、入ゼミ希望者に、「うちのゼミに入ると、こんな感じよ~」というのを説明してきた次第。 そしたら、なんか今年は説明会に顔を出す学生が例年以上に多くて、どした?って感じ。まあ、説明会に出たからと言って、入ゼミ希望を出して来るかどうかはわかりませんが。 ま、それはいいのですが、そしたら後で、この2度の説明会に来れなかった奴からメールをもらいまして。都合が悪くて、2度の説明会のどちらにも行けなかったので、個別に話を聞きに行ってもいいか?ということなんですな。 ま、それもいいですよ。そういうことはありますから。 でも、納得できなかったのは、そこから先。 当該の学生のメールに曰く、「・・・ということで、〇〇日の××時、あるいは●●日の△△時のどちらかで、先生のご都合のいい日・いい時間に〇をしてください」と。 え? ワシが学生の都合のいい時間を選ぶの? 逆じゃね? ワシが都合のいい日・いい時間を幾つか示して、それを学生が選ぶんじゃないの? もう、そんなことを言ってくる学生が居るのでビックリしちゃうわ。もちろん、逆だろ、と言っておきましたが。 それから全然メールの返事が来ないところを見ると、早くも「こいつ、五月蝿そうだな」と思われたのかも。でもいいわ、そんな学生が来ない方が。確かにワタクシとは合わなさそうだもんね。
January 18, 2022
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この数か月、腰痛に悩まされてきまして、それに対してポジティヴにありとあらゆる療法を試してきたわけですけれども、昨日、手の指をどうにかすることで腰痛を治す、という動画にたどり着きまして。 で、実際にその動画を見て見ると、まあ、難しいことではないのですが、ちょっと変な風に手の指を押す、というような内容で、それで腰痛に効くとのこと。 で、普通の常識人なら「嘘だ~」の一言で笑い飛ばしてしまうのでしょうが、私は普通の常識人ではないので、「ひょっとしたらそんなこともあるかも」と思い、とりあえずやってみた。 で、一夜明けたわけですよ。 どうなったと思います? 腰痛が治ったの。100%とは言わないけど、8割方。とにかく、全然楽になったのは確か。 え¨ーーー、マジか。一回の自己施術でこれだけ治ったなら、毎日やれば、ねえ・・・。完治するんじゃね? というわけで、信じる者は救われる体のものですけど、私と同様、腰痛に悩んでいる人は、一度、お試しあれ!これこれ! ↓指押しで腰痛治療
September 23, 2021
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世に瞬間接着剤ってあるじゃん? あれ・・・どう? いやあ、大昔、アロンアルファなる商品が出て、CMとかでも盛んにその効能をうたっていて、凄いものが出てきたなあと思ったものですが、その後の長い人生の中で、瞬間接着剤が役に立ったと思ったことがないという・・・。 逆に、私の机の中は、一回使ったものの、その後、中身が固まってしまったり、蓋が取れなくなってしまったりして、二度目に使うことができなかった瞬間接着剤の死骸の山だよ・・・。 でまた、買って一度だけ使った時ですら、指について取るのに往生したものの、肝心の役には立たなかったという記憶しかない。 こういうことを書くのも、今日、久しぶりに瞬間接着剤を使ったから。 しかも、全然くっつかなかったっていう。 瞬間とか言いながら、接着後、数時間経っても全然ヌルヌルのままで、まったく固まるつもりがない。これじゃ、ヤマトノリの方がまだマシだよ~! 何なんだろう、わしの使い方が悪いのかな? とにかく、瞬間接着剤なるものに、大いなる疑惑を抱いているワタクシ。こんなに役に立たないものって、21世紀の今日、それほど多くはないのではないかと。 そう思っているのはワタクシだけなのか? 他の人は、あれを大いに活用しているのか? そこが知りたいです。あれは、役に立つものなんですか? 誰か教えて~!
June 27, 2021
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今日はまた、恩師の未見の文章を見つけちゃった。 恩師の別な文章を読んでいたら、「このことは年鑑にも書いたことだが・・・」みたいなことが書いてありまして。 年鑑? 先生は年鑑に執筆していたのか? そんなの見たことないぞ?! で、年鑑にも色々あるけれども、どうせ『朝日年鑑』に違いないと見当をつけ、1970年代後半の『朝日年鑑』を見たら、「アメリカ文学」についての年間動向を記してある項目があり、読むといかにも恩師の文章。しかも巻末の執筆者一覧を見ると、先生の名前が載っている。 なるほどね。先生はこの時期『朝日年鑑』にその年のアメリカ文学の動向を執筆していたんだ・・・。 っつーことで、またしても恩師の業績を一つ、付け加えることができたのでした。ここまで来ると、もう執念だよね。 さて、話は変わりまして、アホな学生のお話し。 今期、翻訳の授業が一つあって、文学作品を実際に自分で翻訳してみるという課題を出し、出てきたものを全員で検討して最良の訳をつける、というのをやっているんですけど、第一回の授業でこういうことがありました。 まあ、かなりダメダメな訳が一つ出たわけですよ。訳もいい加減だし、原文にあることを端折って訳したりしている。 で、それに加えて「です・ます調」で訳してあったので、「大人向けの小説を翻訳するのに、です・ます調はないんじゃない?」と指摘すると、「それがどうしていけないんですか?」と。 で、「でも翻訳ものの小説で、です・ます調のものなんか読んだことないでしょ? それにあなたの訳だと、まるで子供向けの童話みたいだと思わない?」と言うと、「翻訳ものの小説を読んだことがないから分からないけど、そういう訳があってもいいのではないですか? 文学に答えは一つじゃないんでしょ?」と。 答えは一つじゃないから、傍から見て変な訳に見えても、私がこれでいいんだからそれでいいでしょと。それの何がいけないんですか? っていう。 嫌なこという女だねえ・・・。 そりゃね、もちろん「正しい訳が一つだけある」というものじゃないですよ。色々な可能性があり得る。だけど、その中で、原文の意味合い・ニュアンスを上手に日本語に移し変えるにはどうすればいいか、あーじゃないこーじゃないってさんざん悩みながら、それでも今の時点の自分の考えではこれが最善、という暫定的な答えを出しあって、それを他の人の訳と比べたりしながら、更に改善点はないかどうか検討する、そういう努力の積み重ねを、今、しようとしているわけじゃん? つまり、答えが一つに定まらないからこそ、考えに考え抜いて、最善を目指して暫定的な解を出す努力をしているわけよ。 それをだよ、いい加減でヘンテコリンな訳を作っておいて、「答えは一つじゃないから、どうして私の訳が間違っていると言えるんですか?」なんて、よく言えるよなあ・・・。こいつは、「答えは一つじゃない」ということを「免罪符」に使って、努力をしないで済む口実にしているだけじゃん。 若い人が、こういう知った風な口のきき方をするのって、ホント嫌よ。
April 20, 2021
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昨夜見た夢はなかなか面白かった。 友人と話をしていたら、その友人が「ドミノの論文ピザ、もう食べた?」というので、「論文ピザ? なにソレ?」と尋ねると、「え? まだ知らないの? 自分が書いた論文って、今、ピザになっているから注文できるんだよ」と。 論文がピザになる?? どういうことだろうと思いながら、とりあえず自分が大昔に書いた論文をドミノに注文してみたところ、しばらくしてそれが届けられた。配達員曰く、「はーい、1989年に書いたオコナー論のピザでーす」。 で、開けてみると、やけにシンプルで具のない、チーズばっかりのピザだった。クワトロ・フォルマッジォ的な。食べてみると、ピザ生地の耳のところがやけに硬くて、大昔、スーパーとかで売っている冷凍ピザってこんな感じだったなあと。 ともかく、自分の論文をピザとして注文できることはこれで分かった。とすると、もっと最近に書いた論文はもう少し具の豊富な、美味しいピザになっているのかな? 今度はそれを注文してみよう! と思ったところで目が覚めた。 どう? 斬新な夢じゃない? でも、やけに鮮明な夢だったので、起きてからそのピザになった論文を改めて取り出して、読み直しちゃったよ。 そしたら、まだ院生だった頃の論文なもので、まあ、生硬なこと! 当時は、とある作家の一つの小説だけを取り上げてあーでもない、こーでもないと論じていた・・・つまり、古いタイプの小説論を書いていたんですけど、今、改めて読み直すと、あんまり面白い論文でもないなと。院生の頃(あるいは、大学に就職してからしばらくの間)は、こんな感じで書いていたんだ~。 それから比べると、やっぱり多少なりとも私も成長したというのか、少なくとも面白いものを書こうという意識と腕は上がったのかな。 ということで、変な夢を見たおかげで、つい自分自身の古きを尋ねてしまった今朝の私だったのであります。
April 3, 2021
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今朝、妙な夢を見ました。 なぜか私はニューヨークに居て、綾部に会いに行くことになっているんですな。 で、実際に綾部に会うんですけど、他にも彼の友人と思しき人が7,8人居る。私は全員知らない人ばかりですが、その中で一人、武術の達人の老人がいたので、とりあえずその人と武術談義をして一応知り合いとなり、もう一人、メキシコ系の若者と一言二言言葉を交わして、知り合いになっておいた。 で、綾部が、面白いところがあるから電車に乗って行こう、というので、全員で電車に乗るのですが、結構、混んでいて、武術の老人だけが座れ、後はバラバラに立っていたわけ。私はもちろん、その老人の真ん前に立ち、私の斜め後ろくらいにメキシコ人の若者が立っていた。 で、ますます電車は混み始め、つり革につかまって立っているのも大変になってくるのですが、なぜか急に眠気に襲われ、私は立ったまましばらく寝てしまいます。 ふと目を醒ますと、目の前に座っていたはずの老人がおらず、別な人が座っている。あわてて後ろを振り向くと、メキシコ人の若者もいない。そして、当然綾部もいない。 どうやら、みんな、私一人を残して、途中で下車したらしいんです。 で、電車の車窓から見ると、もう、ニューヨークの喧騒はどこへやら、荒野を走っている。一体、ここはどこなんだ?! 仕方ない、次の駅で降りて、とりあえず逆向きの電車を待ち、それに乗ってニューヨークの都心部に戻らなければ・・・。それにしても、綾部の奴、なんという薄情な奴なんだ! ・・・と、途方に暮れつつ、頭にきつつ、次の駅は一体いつになったら到着するのだろうと、そわそわしているところで目が覚めた。 なんでニューヨークなのか、なんで綾部なのか、全然分かりませんが、私はたまにそういう「置いてきぼり」系の夢を見ます。何なんだろうね。そういう根源的な不安が、私にはあるんですかね?
March 9, 2021
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大学から通達があり、今後、紙媒体の給与明細がなくなり、ウェブ配信になるとのこと。 え¨ーーーーーーー! マジか!? いやあ、そうですか。ペーパーレス化、ここに極まれり。 ちょっと悲しいものがあるねえ。毎月いただく給与明細、私は必ずもらうと家内に見せて、「はい、お疲れ様」と言ってもらうのを楽しみにしていたんですけど、今後はそういうこともなくなるわけか・・・。 私の父親の世代ですと、給料を銀行振り込みではなく、封筒に入れた現金でもらっていた、なんて話を聞きますが、そういう時代は良かったねえ。ありがたみがあって。父の同僚には、わざわざ千円札で給料をもらって、札束が立つ、なんてことを楽しんだ人もいたとか。 さすがに今、札束で給料をもらうなんて人は少ないだろうけれども、ついに給与明細までもらえないとなると、働いてお金を稼いだという手応えがまったくなくなっちまうよね・・・。 っていうか、最近はカード会社も毎月いくら使ったかの明細を紙では出さなくなってきたじゃん? 加えて、銀行でも預金通帳を廃止するところも出てきたとか。 そうなると、いくらもらったかも分からないし、いくら使ったかもわからないし、いくら持っているのかすら分からなくなるわけじゃん。もちろん、ネットで見ればいいんだけど、わざわざそんなことしないし。 なーんかさーーー、生きている手応えが無いよね~・・・。
March 4, 2021
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さてさて、年度末ってのは、秋口と同じで、論文提出シーズンでありましてね。ワタクシ、2種類の紀要の編集長をやっているもので、私のところに同僚の先生方からじゃんじゃん論文が投稿されてくる。 で、そういうのを整理したり、体裁を整えたりするものだから、見るともなく他の先生方の論文をチラ読みすることになるんですけど、まあ、同じ人文社会科学系であっても分野によっていろいろ違うんだよね! 例えば、社会科学系の先生方の論文の中に、「共著」ってのがある。 これがね、わたしら、文学畑の人間からすると、信じられないモノなわけよ。文学の論文で共著なんてないから。二人の人間が、一つの作品に対して完全に同じ見方をすることなんか、基本、ないからね。 私もこのジャンルで相当のベテランになってはきましたが、共著で文学の論文なんて書いたことない。だから、論文を二人で書くとか、想像もつかないわけ。 実際、どうやってんのかね? 前半はA先生、後半はB先生が書くとか、そういうことなの? でも、そうしたら文体が変わるからヘンテコなことになるよねえ? 基本A先生が書いて、B先生は相談役に徹するとか? でもしれはA先生の論文だよね、共著ではなく。わかんないわ~。今度聞いてみよう。 あとわかんないのは、アンケートやった結果をまとめました、的な論文ね。 例えば4年生の学生にアンケートとって、「あなたは就活、どんな風にしましたか?」「その際、大学にどんなサポートをしてほしかったですか?」みたいなこと聞いて、その結果をまとめて、「今後、大学はこういう風に就活生をサポートしたらいいのではないか」みたいに結論付ける、みたいな奴。 これさあ・・・アカデミックな論文なの? こんなの三日もあれば書けるじゃん? 一つの調査ではあるかも知れないけど、大学の先生がやることかね? でも、多いんだよね、社会科学系の論文にこういうの。 しかし、アレだよね、逆に社会科学系の人達からすると、文学論文、意味分からないわ~ってなるんだろうね。 そういや、先日、法学の先生と話をしていたら、「この前、加藤典洋の『敗戦後論』読んだけど、まったく根拠のない感想文で、実証的なところが一つもない。こんなの法学の学会で発表したら物笑いだよ。評論家って、こんなアホなことやってんの?」って言われたし。 うーむ、そう言われちゃうと、こちらも弱い・・・。 ま、目くそ鼻くその類なのかな。こんなことやってるから、「だから文系なんていらない」って言われちゃうんだろうな。 まあね、理科系の研究なら、コロナのワクチンも作れるわけだから。そっちに金かけろ、という意見も分からぬでもない・・・。 でもね、私は文学・文化の研究者として、自分では面白いと思っていることをやっているわけだから。それを、他人も面白いと思ってもらえるような論文を書くしかない。 さて、今年書いた2本の論文、どういう評価を受けるのか。「こんなアホなことやってんの?」だったら、かなわんなあ・・・。
February 25, 2021
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またまた文科省が愚かなことをし始めましたよ・・・。コロナにかかった大学生に、その報告をさせろ、というお達しが大学に届いたんですと。 そんな報告、いちいち学生にさせて、それ本当に読むの? 形式的に報告させるだけでしょ? しかも、一方では「対面授業やれやれ」って。対面授業をやるプレッシャーかけておきながら、コロナにかかった学生が出たら報告させろって・・・。どういうことなんだろうね・・・。 結局、ワクチンが出回るのがコロナ対策の決め手なんだから、国としてはまずワクチン接種を滞りなく実施して、大学の対面授業復活はそれからでしょ。それが終わらないうち、つまり渦中の只中でいちいち報告なんかさせてどうすんだよ・・・。 本当に頓珍漢なお役所だよね、文科省って。
January 30, 2021
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最近、学生から送られてくるメールの冒頭に「お疲れ様です」と書いてあることが多くなりまして。 それ、私としてはかーなーりー違和感があるんだよね! なんでワタクシが学生から「お疲れ様」って言われなきゃいかんの? ワシ、そんなに疲れているように見えるのかな? いやいや、そういう話ではなくて。 とにかく、同じ大学に勤める同僚に言われるのなら分かるけど、学生に「お疲れ様です」って言われたくないよね。 で、なんで「お疲れ様」なのか、考えたんだけど、ひょっとしてアレじゃない? 大学教授のことを、バイト先の店長かなんかだと思っているんじゃないかしら? 学生からしたら、敬語を使わなくてはならない唯一の身近な大人って、バイト先の店長なんじゃね? それで店長さんに「お疲れ様です」というのが口癖みたいになっていて、私に対してもそう言うんじゃないかと。 ま、バイトの立場からすれば、店長は同僚だから、「お疲れ様」もいいよ。だけど、仮にも教えを乞う相手に対して「お疲れ様」はないよね。 そういう言葉遣いって、教わらないのかね。っていうか、親は教えないのかね。親も教えるチャンスないのか。 かつて「聖職」と呼ばれた教師稼業も、教え子から「お疲れ様」って言われるようになっちゃ、もうおしまいだね。
January 21, 2021
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しかし加藤官房長官の「虚偽答弁の固定した定義は国会の中にはない」っていう発言は、すごいね! しかもそれに続けて、「広辞苑で虚偽を引くと『真実でないこと、また真実のように見せかけること、嘘、偽り、空言』とあって、一様には決められない」という趣旨のことを言ったというのですが、その定義のすべてが安倍前総理の答弁に当てはまるじゃないの。だから、それは虚偽答弁なんだよ! それにしても、「国会の中ではウソを言ってもウソと判定しない」という趣旨のことを、官房長官が公に言うって・・・。この国も落ちるところまで落ちたという感じがしますなあ。こういうことを言う人を、選挙で選んでいいの? いやあ、クリスマスの日にビックリさせられるわ~。
December 25, 2020
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昨日から英語教則本の校正作業を続けているんですけど、いつも思うことではありますが、日本語ってのは難しいね! 例えば「ご兄弟はおありですか?」という言い方。私は間違っていないと思うのですが、校正の方からは「ご兄弟はいますか?」ではないか? というご指摘がありまして。 うーん、「ご兄弟はおありですか?」と「ご兄弟はいますか?」、どっちが正しいのだろう? 「兄弟はいる?」というのなら、私も納得するのですが、「ご兄弟」だもんね。「ご兄弟」という丁寧な言葉遣いと、「いますか?」という日常的な言葉遣いが並置されると、私の耳には不自然に響くんだよなあ。「ご兄弟はいらっしゃいますか?」ならあり得ると思うのだけど、それだと文字数が増えちゃうのでね。 例えば「ご興味はおありですか?」って言うでしょ? この場合の「おありか?」は、「存在するか?」という意味ではなく、「持っているか?」という意味じゃないですか。だから「ご兄弟はおありですか?」というのは、「あなたは兄弟を持っていますか?」という意味なんだよね。だからこれで全然間違いではないと私は思うのだけど、それでも「ご兄弟はいますか?」の方がいい? うーん、分からない・・・。 あとね、これはどう? 「独り占めにしないで」っていうの。校正の方からは「独り占めしないで」ではないか? という指摘があったのだけれど。 「独り占めにする」vs「独り占めする」。どっちが普通なんだろう? 「独り占めしないで」って言われると、私の耳には何かが足りないように響くんだよなあ・・・。 私の感覚からすると、「独り占め」という言葉は、「独り占めだ」という活用をするものなんだよね。「全財産を独り占めだ」とかね。「この素晴らしい景観を独り占めだ」とか。で、もし「○○する」という使い方をするなら、「独り占めにする」であって、「独り占めする」ではないのね。 例えば「首」っていう言葉もそう。「お前ら全員首だ!」か、「お前ら全員、首にしてやる!」か、そのどちらかであって、「お前ら全員、首してやる!」っていうと、なんか足りないなって思わない? 同じように「大根を千切りする」って言ったら変でしょ? どうしたって「千切りにする」と言いたくならない? でも、『新明解』を見ると「独り占め」の活用は「独り占めする」なんだよな・・・。じゃ、やっぱりそっちの方がいいのか・・・。 うーーーーん。わからん。 ということで、校正作業をする度に、細かいところで「うーん・・・」と悩んでしまうワタクシなのであります。
November 23, 2020
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私はCMが割と好きで、どんな商品のCMでも割と楽しんで見る方なんですが、そのせいか時折、CMのナレーションが気になって仕方がなくなる時がありまして。 最近、気になるのは、「メモリアルそうび」という葬儀会社のCMなんですけどね。これこれ! ↓メモリアルそうびCM このCMの最後に「送る人の心を送られる人のやすらぎとして伝えたい」というナレーションが入るのですが・・・これって・・・どういう意味? 「送る人の心」は遺族の気持ちだよね? 一方、「送られる人のやすらぎ」というのは仏さんの安らぎだよね? それはいいと。で、遺族の(追悼の)気持ちを、仏さんの安らぎとして伝える・・・誰に? 遺族の気持ちを仏さんに伝えるのではないんだよね? ん? じゃ誰に伝えるの? 遺族以外の参列者? ん? え? よくわからん。 メモリアルそうびに直で電話して尋ねてみようかなあ・・・。 あともう一つ分からないのは、ティファールのCMね。これこれ! ↓ティファールCM この中で冒頭「ソフィーと双子の姉妹」と言うんだよね。おそらく、CMに出てくる年配の女性がソフィーで、その手伝いをしている中学生くらいの姉妹が双子なんでしょう。 だとすると、日本語的にどうなんだっていう。 「ソフィーと双子の姉妹」と言ったら、「ソフィーという女性と、ソフィーの双子の姉妹」という意味にならないか? つまり登場人物はソフィーとその双子の姉(あるいは妹)の二人になると思うのですが。 一方、「ソフィーの双子の姉妹」と言ったら、登場人物はソフィーの姉妹だけだから、一人ということになる。 でもCMでは3人登場するのだから、この状況を示す日本語は、「ソフィーと双子の娘」だと思うんだよね。だったらなんでそう言わないんだろう? あるいは、ソフィーと双子の姉妹に親子関係がないのか? それだったら、「ソフィーと双子の姉妹」でいいわけか。 そういうことが気になるのよ、私は。どうでもいいことだけど。 ま、ゴキブリ理論から言うと、私がそう思うということは、同じように思う人間が1000人くらいは居ると思うので、各企業の皆さん、CM作る時は日本語に気を付けてね!
October 6, 2020
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例の学術会議の件、私も一応は学会なんてところに所属しているもので、何となくそっち系の人たちの憤慨が耳に入ってくるわけですよ。曰く、学問の世界に対する政治の介入であり極悪非道の所業であると。 で、ノンポリの私も、何となーく、そうだよね、菅さんも露骨なことをするよね、と思うともなく思っていたわけですわ。 で、世間一般もそう思っているのだろうなあと思いながら、ちらっとこの件についてのネット上のコメントを見てビックリ。世間一般は、学会系の人たちとは真逆のご意見が圧倒的だったのでした。 曰く、そもそも学術会議って、何をやっているところなのか。これまでにどんな業績を挙げたというのか。税金を使って運営されている以上、その報告が先ではないのか。委員の推薦を断られ、その説明もないと憤慨しているが、ならば学術会議はどのような経緯でその人たちを推薦したのかを国民に説明しているのか。学術会議は日本人研究者が軍事的な研究を遂行するのを禁じているのに、中国の軍事研究に加担しているのはなぜなのか。海外からの研究者招聘に何千万も支出しているようだが、それは適当と言えるのか。そもそも「推薦」しているだけなのだから、それが断られることがあっても構わないのではないか。6年以上会議のメンバーになると終身年金が貰えると言うが、それは本当なのか。その年金欲しさに分野内部で適当に任命し合っているのではないのか。そんないい加減な組織の実情を今回明らかにした菅総理は、とても素晴らしいことをしたのではないか。エトセトラ、エトセトラ。 なるほど。こうしてこれらの批判を読むと、これはこれで納得。今回のような件がなければ、世間一般の人間にはその存在すら知られていないこの組織の内情が、上に述べた批判の通りであるのならば、一回、表に出して、洗い出してみるべきかもしれないよね。世間の人たちの「学術会議なんて必要ない」という批判に、正々堂々、成果をもって反論できるのかどうか。 まあ、実情が分からないのだから、学会の人たちが言っていることが正しいのか、それとも世間の批判が正しいのか、私には何とも言えません。でもまあ、確かに世間の人が言っていることにも一理あるので、学術会議は予算とか、組織の在り様とか、年金とか、推薦の仕組みとか、達成した成果とか、その辺を一応、世間の目に晒した方がいいんじゃない? その上でなお菅総理の所業に問題ありならば、改めてそこから任命拒否の理由を追求するなりすればいいのであって、ね。
October 3, 2020
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ちょっと母の通院の手伝いをする必要があって、実家に帰省しております。 ところで、名古屋から新東名で東京に向かっていて思うことが一つありまして。 それは速度規制のことなんですが、今、新東名には120キロまで出していい区間がありまして、それはそれでいいと思うのですが、たまたま今、新東名では片側3車線化の工事がところどころで行われていましてね、特にトンネル内で工事をやっているところなど、急に速度規制が50キロになる。 よござんすか、50キロですよ。120キロで流れている道路で、トンネル入った途端、50キロまで速度を落とせという電光掲示板の表示が出るわけ。 で、もしそれを真に受けて、一気に70キロ分も減速したら、後続するクルマに追突される危険性が非常に高い。 だから、誰も減速しないのね。まあ、120キロだったものを、100キロくらいには減速しますが、50キロで走っているクルマは一台もない。そしてまた、100キロで走っていて、危険だなと思うこともない。実際、そこを全車が100キロ以上で走っていて、何の問題もないんだから。 で、ここでもし速度取り締まりをやったとしたら、ここを通過するほぼすべてのクルマが速度50キロオーバーで即免停です。 だけど、そんな全車を免停にする取り締まりなんかやるわけないので、結局、50キロの速度規制は何の意味もなく、通過するすべてのクルマに無視されると。 で、私が言いたいのはですね、そもそも規制する必要がなく、しかも通過する全車に無視される速度規制をする意味はあるのか、ってことですね。 もちろん、意味なんかあるわけないだろっ! そうなのよ。日本の道路行政でいつも思うんだけど、新東名に限らず、日本の道路の速度規制って、恣意的過ぎてまるで実情と合っていないことが多すぎる。 そこへ行くと、アメリカの道路の速度規制ってホントに実情に合っているよ! ある道路を例えば時速35マイルくらいで走っているとするじゃん? この速度がちょうどいいな、これ以上出すとちょっと怖いな、と思っていると、速度規制の看板があって、そこに「35マイル」って書いてある。もうね、人間の感覚と、速度規制がほんとに一致しているのよ。だからこそ、その速度規制を守る気にもなる。確かにそうだよな、と思うもん。 ところが、日本の道路の速度規制はどうよ。田んぼの真ん中の広いまっすぐな道で、両側も見晴らしがよくて、人が全然歩いてなくて、「この辺りだと、時速60キロで走っているといい感じだな」と思っていると、速度規制は「時速40キロ」だったりするんだよね! で、コソコソ隠れている卑劣なネズミ捕りに引っかかって2万くらい払わされると。 新東名のトンネル内の50キロ規制もこれと全く同じ。実情と規制の値が乖離しちゃってるの。 だからさ、警察だか何だか知らないけど、新東名の速度を取り締まっている人が実際に走ってみりゃーいいじゃん。で、120キロで走っていて、トンネルに入った途端、電光表示に従って50キロまで減速してみなよ。実際に自分でやってみて、真後ろの大型トラックがエアブレーキをバッスンバッスンならしながらグーッと近づいてきて「あーーーー追突されるーーーー!」っていう危険を自分で身をもって体験してみりゃあいいんだよ。そしたら、ここで50キロ規制することがいかに愚かなことか、わかるからさ。 菅さん! このブログ読んでる? 読んでたら、支持率高いうちに縦割り行政抜きで、さっさともっと合理的な速度規制をするためのリーダーシップをとってよ! ケータイ料金下げるだけじゃなくてさ!
September 26, 2020
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今日、会議があったので大学に行ったのですが、その会議の場でかなり面白い噂を耳にしまして。 なんと、うちの大学、「西暦2040年の本学の在り方を考える」ための戦略的委員会を組織し、この秋から稼働することになったのですと。 2040年・・・今から20年後ですよ?! まあ、薄々感じてはいたんだけど・・・うちの大学の執行部って○○なの?? よござんすか、よござんすか。今から10年前、私は当時所属していた科が文科省のご意向でお取り潰しになるなんて想像もしておりませんでした。 ついでに言うと、去年の今頃は、まさか半年後にコロナ騒ぎが起こって大学がえらいことになるなんてこと、想像もしておりませんでした。 つまり、半年後、10年後に大学がどういう状態になるかなんて、全然分からないわけですよ。文字通り一寸先は闇なのであって。10年後に、そもそもうちの大学が存在しているかどうかすら分からないのに。 それをですよ! 今から20年後にうちの大学がどうあるべきか、戦略的に考えるって、アホじゃない??!! 委員会は、若手の(つまり20年後にもうちの大学に在籍しているであろう)研究者を中心に組織されているそうですが、彼らも可哀想だ・・・。こんなバカげたことに時間を使わされて・・・。 そういう若手の先生方は、20年後にうちの大学をどうするかを考えるより、仮にうちの大学が消滅しても、どこかほかの大学で教職についていられるよう、自分自身の業績を必死で上げた方がいいんじゃない? ワタクシなんぞは、私が定年を迎えるまで、うちの大学がどんな形であれ存続していてくれればと、それだけを望むばかり。20年後のことなんて、知らんわ!
September 16, 2020
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菅さんが首相になって、2Fが幹事長続行? その他の重要ポストもすべて報償人事となると、もう、どうしようもないな・・・。 菅さん自身も、別に政治家としてどうしてもやりたいことがある、というのでもないのでしょう? とりあえず今はコロナが大変だから、それをやる。それからコロナがらみで経済が大変だから、それをやる。それ以外のことは、今は考えられないし、今まで考えたこともないってところでしょうな。結局、調整役であって、リーダーという柄じゃない。 それにしても、これほどパッとしない政権交代って、今までにもなかったんじゃない? まあ、だから、やっぱり今回は病に斃れた安倍さんのピンチヒッター、次の総裁選までの単なる中継ぎってことで、我々国民としては、菅さんの次の首相は誰? というところに期待をするしかない。 で、誰なんだろうね? まあ、今回のパッとしない交代劇を見せつけられたら、次も菅、ということはないでしょう。さすがに、それはないよ。 次は石破か、河野か。その辺じゃない? 岸田、ではないな。 まあ、せめてそのあたりに期待しないと、やってられませんよ。 ま、今回惨敗の石破さんには、倍返しをおねしゃすって感じかな。
September 15, 2020
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我が家から歩いて3分のところにピアゴというスーパーがあるのですが、最近、ここがドンキとコラボして、実質ドンキになったんですな。 で、最初は多少不安なところがあって、どうなるんだろうと思っていたんですが、実際にドンキが稼働し始めると、確かにモノによっては相当安いし、品ぞろえもピアゴ時代と比べてはるかに多くなった。そういう意味では、ピアゴがドンキになったのは、よかった、ということなのかな? しかし、ドンキというのは、やはりどこかおかしいなと。 特にそう思うのは精肉コーナーなんですが、例えば町のスーパーの精肉コーナーにですよ、豚の頭がどーんと置いてあったりする。 うーん、これ、売り物だとしても、一体だれが買うの?と。 ま、多分、こういうのがドンキ的ユーモアというものなのかしら? ま、まだドンキ慣れしてないので、よく分からないのですけれども。 で、しばらくしてこの豚の頭は消えた(誰かが買った?)んですけど、ああ、消えたなと思いながら精肉コーナーを眺めていると、今度はウサギの肉が置いてあったりする。 ふうむ! 今度はウサギか! まあ、聞くところによると、食べれば鶏肉みたいな味だとか言いますけどねえ。だからウサギは一羽二羽と数えるのだとか。 しかし、まあ、ドンキ的ユーモアにまだ慣れないので、さすがに買って食べてみようとまでは思わずスルーしていたのですけれど、そうしたら今度は、ウサギ肉の代わりに何が置いてあったと思います? なんと、ニシキヘビですよ。皮をはがれてグルグル巻きになったニシキヘビの肉がドーンと。 なるほど、今度はそう来るわけね。 しかし、ニシキヘビの肉って、どうやって食べるのかね? 巻いてあるのを少しずつほどくようにしながら適当な大きさに切って焼くのかな? 豚の頭、ウサギ、ニシキヘビと来て、さて、次はどういう手で来るか。ワニとか、ダチョウとか、亀とか、そのあたりですかね・・・。 ということで、ドンキ精肉コーナーを行くたびに眺めつつ、ドンキ的ユーモアに慣れるまでには、もうちょい時間がかかるなと思っているワタクシなのであります。
September 12, 2020
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今日は久々に大学に行って、作業をしていたのですが、何人かの同僚と会って立ち話していたら、コロナがらみでへぇ~っと思うことがありまして。 この間、三重大学の医学部でクラスターが発生したじゃないですか。で、アレのおかげで、三重大学の学生が教育実習に行けなくなったというんですわ。要するに、実習先の学校から拒否された、というのですが。 ま、拒否というのは、来校を拒否したということで、教育実習自体を拒否したわけではないんですな。だから、実習生はズームか何かで授業をすることはできるらしい。 だけど、ズームで遠隔授業したところで、教育実習したことにはならないですよね・・・。あれは2週間なり3週間なり学校現場に行って、生徒たちと直に接して、先生方が働いていらっしゃる様子にも直に接して、そういう経験を積んだ上での話ですからね。 でもさ、うっかり大学でクラスター出すと、こういう目に逢うんだっていうね。一部の不始末による代償が大きすぎるっていうか。 だったら、うちみたいにほとんどの学生が教育実習に出るような大学だったら、もう、クラスター出した時点で終わるじゃん。 もう、執行部なんて戦々恐々だろうね。万が一、「クラスター出ました!」となったら、県内の学校という学校から実習受け入れ拒否されるんだから。 しかし、こういう風潮って、どうなのかな。文科省は、こういう事態に対して何か介入するつもりはないのかね? 放置かね? こういう時こそ、本来は、文科省の出番っていう感じが、私にはするんだけどな。
September 3, 2020
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愛知県では連日100人を優に超える数のコロナ患者を出しておりまして、つい先日は近隣の三重大学でクラスター発生! この分だと、後期の授業も遠隔やむなし、ということになるのではないかなと。実際、どうなるかは現在、執行部が検討していると聞いておりますが。 が、そんな中、8月4日に文科相・荻生田某が記者会見で、大学の後期授業について云々したと。 で、またその言いぶりが腹立つんだよね、現場から言わせてもらうと! 「各大学の授業の在り方について、文部科学省がこうするべきだと、あるいはこうしてはいけないということはやや馴染まないと思うのですが、感染状況がどうなるか分からないのにあらかじめですね、来年3月までオンライン授業を続けますと決めてしまうのも私はちょっと乱暴だと思っておりまして。」 この野郎・・・。こいつ現場のこと、何にも考えてないな。対面授業と遠隔授業が完全にイコールで、いつでも切り替えられるとでも思ってんじゃない? 実際には対面でできることと遠隔でできることはかなり違うので、対面で授業をスタートして、途中から遠隔に切り替えるなんてできないのよ。だから、どちらにするのか、早く執行部に決めてもらいたいわけじゃん? 「私はオンラインと対面とハイブリッドな授業をですね、後期はやってみようと思うのが普通の学校の判断ではないかなというふうに期待をしているところでございまして。この辺はしっかり大学関係者にも我々の思いというものも伝えていきたいなと思っています。」 対面とオンラインと、両方ミックスしてやるのが「普通の判断」だと。要するに、「まともに考えれば、ミックスでやるのが普通だろ?」と言わんばかりですけど、これもね、全然現場のことが分かってない奴の発言だね。 対面とオンラインのミックスってどういう風になるか、分かる? 例えば1限は自宅でオンライン、2限は対面、3限は自宅でオンラインとなったら、学生たちは大学と家を何往復もしなくちゃならないんだよ! (学生が全員、大学の教室でオンライン授業を受けたら、それは対面と同じになってしまうので) だから、この場合のオンラインというのは、オンデマンドの意味じゃなくちゃいかんわけ。 ところが、オンラインの授業とオンデマンドの授業ではまったくやり方が異なるわけ。今は全部の授業が遠隔になっているので、オンラインとオンデマンドが混在してもOKだけど、対面とミックスとなったら、今までオンラインで遠隔授業していた先生方も、後期からはオンデマンド方式に変えなくちゃならなくなる。つまり、今までのノウハウが全部使えなくなるわけですわ。だから、「対面とオンラインのミックスにすればいい」なんていう安易な発言は、現場のことが全く分かってない奴にしか言えないことなのよ。 だけど私が一番ムカつくのは、以下の発言。 「全てのオンラインがだめだと言うつもりは全くありませんが、易きに流れてですね、言うならば授業の中身も非常に薄っぺらくなってしまうようなオンライン授業ではいけないと思います。オンラインを有効に活用して、きちんと学生の皆さんの習熟度が上がるような授業をやっていただいている学校は、それはそれで評価したいと思いますけど、そうじゃない学校も世の中にはあるのだということは学生の不満の声を聞けばご理解いただけるとこじゃないかなと思います。ここは大事なポイントだと思いますので、各大学に良識ある判断をお願いしていきたいと思っています。」 この野郎・・・「易きに流れて」だとぉ! 誰が易きに流れてんだよ。誰が好き好んで遠隔授業やってると思ってんだよ! 遠隔授業のやり方すら知らないところから、苦労して、苦労して、ようやく、どうにかこうにか授業を作ってきた我々の労力も知らず、易きに流れて遠隔やってるって、どういうつもりなんだ、この野郎。 大体、今我々が遠隔授業やっているのは、コロナという、大学とは関係のない災害によって仕方なくやっているんじゃないの。急ごしらえの避難所みたいなもんだ。それで多少、学生から不満が出たからって、しょうがないだろう。急ごしらえの避難所に対して、「ホテルなみのサービスがない」って不満言われたって、言う方がどうかしているわけで。 それに、対面をやれというのは、飲食店に「今まで通り接客しろ、深夜まで営業しろ」と言っているようなもんだよ! 各都府県の知事たちが、「申し訳ないけど、営業自粛してくれ」と伏して頼んでいる最中に、それと逆方向のことを自分は言っているんだということに、こいつは気づいているのか?? それに、もし後期、対面授業を混ぜて行って、もしキャンパス内で大規模なクラスターが発生したら、誰が責任取るんだよ。対面と遠隔のミックスでやるのが常識だろうと言った文科相は、その責任取る覚悟はあるのかよ。 この荻生田何某ってのは、前にも「身の丈」発言で顰蹙を買っていたけれども、まったく教育の現場のことを分かってないな。いや、それだけじゃなく、そもそも普通の人間に備わっている想像力というものがないんじゃないだろうか。こんな奴が文科相だと思うと、もう、情けなさに泣きたくなるよ。 しかし、この文科相の定例記者会見、聴いている記者も記者だよね・・・。誰も、この文科相の発言に対して何も言わなかったのか? ただお話を伺うだけなのか? そうだとしたら、マスコミも腑抜けぞろいだ。一人でも気骨のある記者がいて、「文科相、それはおかしいんじゃないですか?」って言わなかったのだとしたら、もう、こんな会見を開くこと自体、意味ないな。
August 7, 2020
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今朝は猛烈な風の音で6時ごろ起こされてしまった・・・。台風かと思うほど。実際、豊橋の辺りでは住宅の屋根が吹き飛ばされる被害も出たようで。 それにしても、この二、三年、台風でもないのに水害が起こるということ、よくありますよね。私が子供の頃、梅雨の雨なんてのはしとしと降るばかりで、こんな害をもたらすようなものではなかったんだけどなあ。むしろ田圃に水を満たす、恵みの雨というイメージがあったのに。 子供の頃、割と雨が好きだった私は、休みの日に雨が降ったりすると、父や母や姉や私自身の傘を全部持って庭に出て、それを開いた状態で重ね合わせてちょっとしたテントみたいなものを作り、その中に籠って遊んだものですわ。雨の中なのに濡れないという、ただそれだけでとても楽しかった記憶がある。重ね合わせた傘の隙間から、満開になった庭のアジサイの花を見て、子供ごころにきれいなもんだなと感心したり。 梅雨の雨なんて、そんなもんでしたよね? あんな猛り狂った濁流や土石流をもたらすようなものではなかった。やはり、地球温暖化のせいなんですかねえ・・・。 今回、大きな被害に見舞われた九州には、明日も雨が降り続くとか。どうかこれ以上の被害が出ませんことを。
July 8, 2020
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今日は久しぶりに吉牛食べちゃった! 個人的な感想ですが、同業他社と比べて、やっぱり吉牛は美味しさの点で頭一つ抜けてないかい? ま、それはいいんですけど、その吉牛、前に来た時は普通に注文制だったのですが、今日、行ってみたらセルフに変わっていました。だから店に入ったらまずいきなり注文して、それで勝手に席について、ブザーがなったら受け取り口に取りに行って、食べ終わったら自分で下げて帰ると、まあそういうシステムに変わっていたわけ。 うーん。吉牛よ、お前もか・・・。 まあね、人件費削減の観点から、そうなるのもやむなしというのは分かる。そっちの事情はね。だけど、私のように古い人間としては、最初にいきなり注文というのが、なかなか難しいのよ。 たとえばマックみたいにね、メニューの数も知れていて、今日何を食べるというのをあらかじめ決めてから店に入る的なものなら、セルフでもいいと思うわけ。 だけどさ、吉牛って、最近、色々なメニューがあるじゃん? 牛丼だけじゃなく、豚丼もあるし、牛タンもあれば、からあげもあり、さらにとろろをかけたりするのもある。単品もあれば、セットメニューもあったりする。 しょっちゅう行っているなら、それでも即決できるかもしれないけど、私のように一年に一遍くらいしか行かない人間にとっては、分からないわけよ。だから、入り口でメニュー見せられたって、どれを選ぶべきかなんて即決できないわけ。 でも、後ろに並んで待っている人のことを考えると、いつまでも悩んでいるわけにもいかないから、ごく普通の牛丼を頼んでしまったりする。実際、今日もそうだったんですが。 でも、頼んだ後で回りの客の注文した品をみたりすると、「うーむ、あっちを頼めば良かったかな?」なんていう思いに悩まされたりするんだ、これが。 せめて注文する時ぐらい、ゆっくり考えさせてよと。 そうそう、それで思い出したけど、最近のスーパーとかで、会計を済ます時、レジ打ちしている人にお金を渡すのではなく、隣にある機械に自分でお金を入れるタイプの所、増えているじゃん? 私はあれも嫌いなんだよな〜。最初から全部セルフっていうのならまだいいけど、レジ打ちだけ人間がして、お金のやりとりは機械に任せるって、なんかねえ・・・。 そのうち、あれかね、赤い羽根共同募金とかもセルフになるのかね? ボーイスカウトの少年たちが「赤い羽根共同募金にご協力くださーい!」とか言っているのを街で見かけ、どれ100円でも寄付したるかと思って近づいて行ったら、少年に「ボクらはお金には手を触れないことになってますので、お金は隣の機械に入れてくださーい!」とか言われるのかしら。 気分ダダ下がり〜。 世の中、段々効率第一になりすぎて、古い人間には生きにくい世の中になっていきますな。 ま、おっさんの戯言とお笑い下さい。
June 19, 2020
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今日は週一のテレビ会議の日だったのですが、野暮用もあったため、自分の研究室のパソコンでテレビ会議に参加しました。 で、約1時間の会議が終わり、「ふわ~、疲れた」とか思いながら廊下に出たら、同時に隣近所の先生がたも一斉に廊下に出てきた。隣近所ってのは、要するに先ほどまでテレビ会議で顔を合せていた人たちですが。 っていうか、ほぼ全員がここにいるなら、わざわざテレビ会議やる必要ある?? さて、そんなこんなで皆いるので、結局何人かの先生方で雑談をしていたのですが、そこでテレビの話題が出まして。 つまり、最近、テレビがつまらないねと。テレビ業界も必死なんだろうけど、テレビ会議方式のトーク番組って、超つまらなくない? その一方、昔の人気ドラマの再放送には、結構、はまっている先生方もいらしたりして。 中には、「最近、『逃げ恥』を見始めたんだけど、あれは結構面白いね」などとおっしゃるご高齢の先生も。えーーー、先生、今、それですか?! ちなみに私はね、『逃げ恥』は見ないの。個人的見解としてあんまり評価してない。私が好きなのは、最近では何といっても『これは経費で落ちません!』ですから。あれはいいドラマだった・・・。 でも、かくいう私も、このところ『99.9』を見たりするという。松潤の怪演にちょっと惹かれて。あと、『コロンボ』の再放送も結構楽しんで見てます。 あと、『JIN-仁』はいいドラマだったようですが、毎週末の土日に数時間にわたってこれを見たら、研究者ではなくなると思って見ませんでした。ちょっと残念。 とまあ、私を含め、同僚の先生方も、普段とは異なる生活をされているようでした。
June 10, 2020
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どちら様も同じでしょうけれども、うちも毎週一回、「テレビ会議」ってのをやるわけですよ。 で、最初のうちは皆やり方が分からず、手探り状態でしたけど、最近はだいぶ慣れてきた・・・ が! そこに一つ落とし穴が・・・ うちだけの話かも知れませんが、最初のうち、テレビ会議とはいえ、テレビ画面に顔が出るのはマイクがオンになって発言している人だけだったんですわ。 ところが最近、9人まで常時テレビ画面に映るようになったようで・・・。 「・・・ようで」と頼りない言い方をしたのは、私の古いパソコンでは相変わらず発言者のみが画面に映し出されるから。 で、私は「どうせ自分は発言もしないし、顔も映っていないから」と思って、会議中もぽっかーんとしていたり、のんびりコーヒー飲んだり、時には雑誌とか読んでいたわけ。 そしたら、今日、アニキことK教授から、「この前の会議、釈迦楽さん、ずっと画面に映ってたよ」と。 で、私が「えーーーー、ウソ! じゃ、雑誌とか読んでたのバレてました?」と尋ねると、「雑誌までは分からなかったけど、興味なさそうな顔してた」と。 ひゃー! 悪いことはできないもんですなあ。やばい、やばい。そうだったのか。 よく、テレビ会議だからといって「上だけキチンとして下はパジャマ」なんて話を聞きますけど、それに近いことやってたわ・・・。 テレビ会議って、だから嫌いよ!!
June 8, 2020
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ここのところ愛車ルノー・キャプチャーの運転手席側の窓の具合がおかしくて、エンジンをスタートさせると勝手に開いたり、窓を開こうとボタンを押すと逆に閉まったり、変な動きをするようになっておったのですわ。 で、そのうちディーラーに持って行こうかなと思っていた矢先、今日、完全に壊れました。 通勤途中に銀行によって、ちょっとお金を降ろそうと、銀行の駐車場のチケットを取ろうと窓を開けたら、それを最後に窓が全開のまま閉まらなくなってしまったっていうね。 ひゃー、どうしよ。今日はこれから雨だというのに。窓全開じゃびしょ濡れだ。 で、コンビニの駐車場に止めてディーラーに電話したら、生憎今日はお休み。ひゃー、悪い時には悪いことが続くね! で、ふと思い出したのは、「名古屋オートプラネット」という外車専門の中古車ディーラーが近くにあるということ。この際、そこに持って行くしかない! ってことで、とりあえずそこへ持って行って、根本的に直すことが出来ないまでも、少なくとも全開しちゃった窓を上げてもらおうと。 で、実際そこに持って行ったら、迅速に対応していただき、小一時間で応急処置完了。ありがたーい! そして修理中、私は100台以上ある様々なメーカーの外車を見まくって、至福の時を過ごしていたのであります。 ま、しかし、アレだね。やっぱり今でも外車ってのは、電装系弱いよね・・・。そこが弱いって分かっているんだから、気合入れてしっかりした電装品つければいいのにね。 それにしても、これから本格修理をすれば、そこでも修理代取られるし、面倒だなあ。思わぬ出費ばっかりで、思わぬ収入って、どこかに転がってないものかねえ。お年寄りに親切にしたら、遺産譲ってくれたとか、そういうの・・・。
June 1, 2020
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最近、クロームブックのテレビCM、よく見るじゃないですか。昔から新しもの好きのワタクシとしてはちょっと興味がありまして。 で、調べてみたら、要するにあれはグーグルが開発したOSを搭載し、ネット作業に特化したモバイルなのね。データは基本的にクラウドに蓄積し、機器本体には蓄積しないのでSSDなども小さくていい。OS自体も軽いのでメモリも4GB程度で済むし、起動時間も超短くてサクサク動く。そして何よりも機器本体の値段が格安と。 なるほど。いいじゃん。 ・・・と思ったのだけれども、基本、家でモノを書くことの多い私としては、別にモバイルである必要はないし、今のパソコン環境に特に不満がない以上、敢えてクロームブックを入手する必要も・・・ないか。 まあね、憧れはあるのよ。「モバイル」という言葉の響きに。 なんか「できるヒト」みたいな感じがあるじゃん、モバイルで仕事している人って。 それこそスタバとかの片隅でモバイルをカタカタ言わせながら、時折思い出したようにコーヒーをひとすすり、的な。あれ、やってみたいのよ! 憧れるわあ・・・。 だけど、私の書くようなものって、常に傍らに大量の資料がないと書けないので、実際にはモバイル環境で仕事なんかできないのよね・・・。残念・・・。 あとさ、いつも気になるのが、エヴァーノートとか、ワンノートとか、ああいう奴ね。 あれもクラウド上にデータを置いておいて、家でも出先でもモバイル環境があればどこでも呼び出して執筆・修正ができるし、他の人と共同で一つの文章を作り上げることもできる。 そういうの、なんか「できるヒト」みたいじゃん?! だけど、私の書くようなものって、他人と共同で作り上げるものでもないし、そもそも自宅以外で書くことないんだから、意味ないよね・・・。残念・・・。 ・・・っていうか、ワンノートとかを活用している人って、どういうなのかしら人? 世の人は「会議録」とか、そんなにやたらに共有しているの? 紙で配られた資料をわざわざ写真にとってデータとして蓄積し、さらにそれをコピペして新たな資料を作る人とか、そんなに大勢居るの?? ビジネスマンとか、あるいは学者でも学問領域の違う人だと、「ワンノートがなかったらお手上げ」とかいう感じなんですかねえ?? というわけで、クロームブックにしろ、ワンノートにしろ、私の場合、いつも「憧れ」で終わってしまうのでした。
March 14, 2020
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今日は今年度最後の教授会があったのですが、ちょっといつもと様子が違いましたね。 例年ですと年度最後の教授会では、その年に定年退職される先生方を送るセレモニーが教授会の後に行われることになっているのですが、今年はなんと、その案内がなかった。 ここで時間を遡ろう。 私がこの大学に赴任した頃は、この退職者(当時は退官者でしたが)を送る会というのは結構盛大なものでありましてね。教授会のあと、少し時間をかけて雛段を作りまして、そこにお辞めになられる先生方に並んで座っていただき、まず一人一人の先生を学長が紹介される。 で、その学長による紹介も手の込んだ、そして心のこもったものでありまして、事前に時間をかけて取材をするんですわ。定年を迎えられた先生の所属する学科の同僚や教え子たちに話を聞いて、その先生にまつわる楽しいエピソードを取材し、そういう面白エピソードを含めた楽しい紹介になるわけ。 で、そうやってそれぞれの先生方が紹介された後、今度はその先生方一人一人にお別れのスピーチをしていただく。 何しろ三十年以上この大学にお勤めになられた先生方の思い出話ですから、このスピーチも楽しくて、私が赴任した頃ですと、たとえば伊勢湾台風があった時に、いかに大学が大変だったか、なんて思い出を話してくださる先生もいらしたりしたもので。それぞれの先生のスピーチにはそれぞれの先生のご性格が反映するもので、ああ、この先生はこうだったな、というのを最後にもう一度確認するチャンスでもあった。 で、スピーチが終わると、その先生方は学長主催のパーティーに向かわれるのですが、会議室を一列縦隊で退室される先生方を、教授会員全員の拍手で送りだすわけ。この時の盛大な拍手が、またいいんだ。長年の同僚に対する最後のはなむけという感じでね。 ま、そういう素敵な「送る会」というのが、わが大学のよき伝統だったわけですわ。 ところが。 この良き伝統が、前学長、現学長の時代になって段々簡素化されまして。 たとえば辞められる先生方の紹介にしても、ただその人の経歴と勤務年数だけをスクリーンに映し出すだけになっちゃった。そんなの紹介でも何でもないですよ。事務的な紹介で、まったく心がこもってない。そんな風ですから、先生方のスピーチも段々簡略化されて、「長い間ありがとうございました」の一言みたいな感じになってしまった。 で、「送る会」自体がそういうつまらないものになってしまったので、参加者も減るようになり、ここ数年は、教授会が終わると同時に、「送る会」に参加することなく帰ってしまう人も多くなってきた。とりわけ新しく入ってきた若手がそうで、よく知らない年寄り先生が辞めたってオレたちには関係ないよ、といわんばかりに帰ってしまう。で、観客が少なくなるにつれ、辞められる先生方の方もつまらなくなったらしく、そもそも「送る会」に出ない先生方も増えてきたりして。 そして、今日ですよ。 今日はついに送る会自体が無くなり、ただ「この先生とこの先生が定年で辞められます」という報告だけになっちゃった! 先生方を壇上に上げるでもなし、スピーチさせるでもなし。拍手を送るでもなし。 中には勤続38年の先生もおられたのに! 38年のご恩に対し、こういう扱いをするのか・・・。 もうね、執行部の恩知らずぶりにもほどがある。恥を知れと言いたい。 この大学に長く勤めても、こういう仕打ちを受けるのかと思うと、ほんと、すでにだいぶ残り少なになってきた愛校心もほぼ尽き果てた感がありますな。 はあ・・・。かわいそうな定年退職教員の先生方。せめて私だけでも、心の中で感謝の拍手を送りたいと思うのであります。
March 13, 2020
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今日は自宅マンションの防火設備点検の日。となると、点検の人が家の各部屋の火災センサーみたいなのを点検していくわけで。 で、赤の他人が私の書斎に足を踏みいれるわけですけれども。 そう思って、改めて赤の他人の目で我が部屋をひとわたり眺めてみた。 きゃーーーーーーっ! 足の踏み場もないほど本の山が乱雑に積み重ねられた部屋を見て、これ、防火点検の人が見たら、警察に通報するだろうなと。 ということで、さすがの私も少し片づけようと思って、片づけを始めたわけよ。 で、床の上に置いてある本を片づける前に、まず書棚に三重に刺さっている本を取り除けて、ある程度、テーマ毎に本をまとめようとおもったわけ。となると、書棚の本を一旦、床に置かなければならないわけですよ。 ということは、既に足の踏み場もないほど本が床に積み上がっているところに、書棚の本をさらに置くことになったのでありまして。本の山を通り越して、本の海だよ。 もう駄目だ・・・。この部屋はもう終わっている。 そうなんだよなあ・・・。絶対的に容量が足りないんだよなあ。もう一部屋。本専用の部屋を用意せねば、収納できる場所がない。 これで、7年後くらいに定年になって、研究室に置いてある本を引き取るとなったら、どうなるんだろう? 考えるだけでも怖ろしい。 消防設備点検どころではない本の海を前にして、途方に暮れてしまったワタクシなのでありました、とさ。どうすんの、コレ?
February 7, 2020
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今日、私より若い同僚から哲学関係の著書の恵投を受けまして。 その同僚、Iさんのご専門はジョン・ロック。今回いただいた本は、Iさんの師匠の還暦記念論文集みたいな感じで、そのお師匠さんの教え子たちが、それぞれ1章ずつ寄稿しているわけですな。 で、Iさんが書いた章というのは、ジョン・ロックの刑罰論を基準にしながら、お師匠さんの刑罰論の至らぬところというか、矛盾点を批判する、という内容。またそのIさんの批判に対して、お師匠さんが最後に再び反論コメントする、という体裁になっていて、要するにお師匠さん対弟子たちによる議論の応酬によって本が成り立っていると。 で、私も義理堅いものだから、自分の専門外である哲学的な議論であるとはいえ、せっかくいただいたものだから、読んだのよ。Iさんの書いた章と、お師匠さんによる反論の部分だけですが。 そしたら、どうなったと思います? 理解できました。そこで何が議論されているか、ちゃんと分かりました。 ほう、こういうむずかしい哲学的/法学的議論であっても、読めば内容が分かるんだ・・・。ふーん。そうなんだ・・・。 で、思ったんだけど、こうなってくると、この世で一番理解が難しい本って、ひょっとしてアメリカ文学の本じゃね? いや、実は今月18日までに、とあるアメリカ文学関係の本の書評を書かなくてはならないのだけど、もう、私にはその本に一体何が書いてあるのか、さっぱり分からないのよ。もう、ほとんど一文字も分からない個所が随所にある。アメリカ文学の人って、やたらにベンヤミンとかレヴィナスとかを引用したがるんだけど、両方とも何言っているんだか全然分からない。 一応、アメリカ文学を専門とする私に何が書いてあるのか分からないんだから、普通の人にはもっと分からないだろうね・・・。 で、さ。最近、そんな分からない本ばっかりなので、要するに学問的な本ってのは、皆難しいのかと思っていたのよ、私は。 だけど、今回、哲学・法学の専門書読んで、普通に読めば分かることが分かりました。 よって、この世で一番難しいのは、日本人が書いたアメリカ文学の専門書であると分かりました。 何だか変だよね! 文学なんて、もともと娯楽のためにあるものなのに、その研究書が一般の法哲学書より難しいっていうんだから。 変なの! ま、アメリカ文学関係の本で、一般の人が読んで理解できるのは、私が書いた本だけだな。
January 8, 2020
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ひゃー、名古屋に戻ってきました~! 今回は1週間ほどの帰省でしたが、あっという間でしたな。前半、あまり体調は良くなかったですけれども、それでもなんとかやるべきことは全部やったし、まあまあでしたかね。 で、夕方から東名をブッ飛ばして名古屋まで戻ったのですが、毎回、東名を走る度に思うことがありまして。 渋滞表示が見にくい! 東名を西に走っていくと、足柄のところで東名と新東名に分岐するんですが、その分岐の手前の渋滞表示が超見にくいわけ。 よござんすか。東名から新東名に入るには、一番左側の車線を走って、左へ分岐していくわけよ。だから、ドライバーとしては、新東名=左側、東名=右側、という選択肢なわけね。 ところが、そこに掲げられている渋滞表示は、左側が東名、右側が新東名なんですわ。 まあね、結果として西に向かって海側を走るのが東名、山側を走るのが新東名ですから、地理的には渋滞表示は正しいのかも知れません。だけど、新東名に乗るので左に行こうか、それとも東名に乗り続けるので右側に行こうか、その選択をしようという時に、渋滞表示が左=東名、右=新東名だったら、感覚とずれるじゃん! だから、地理的な正確さなんかどうでもいいので、その場のドライバーの感覚通り、「左=新東名、右=東名」で表示してほしいわけよ。 その辺、分かってないなと思う訳ね。あの表示作った奴、はっきり言って馬鹿だわ。 新東名のSAの駐車場作った奴も相当な馬鹿だけど、一体、高速道路のデザインって、どこの馬鹿が担当しているの? とにかく、馬鹿な奴がデザインしたものってのは使いにくいんだから、さっさと変えて欲しい。 そういう「ご意見箱」的なものって、ないのかしら。あったら絶対提案してやろうっと。
January 5, 2020
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いやはや・・・。大変でした。 24日の夜、あれ、ちょっと風邪気味かなと思い、25日に起きた時、ちょっと体がだるいなと思ったのもつかのま、そこからあれよあれよと体調悪化し、まさに棍棒で殴られたかのような勢いで激しい風邪の症状に見舞われ、まる2日ほとんどモノも食えずといった具合。 よく働いた一年を締めくくる、「しばらく寝ろ」の合図だったのでしょうか。 というわけで、本当なら昨日、実家に戻る予定が、まだ名古屋に留まっているていたらく。明日はなんとか帰ろうと思います。 ま、その前に、卒論指導を片づけられるだけ片づけなきゃ。まだ風邪の余韻が残る感じですが、今日は少し頑張りましょう。
December 28, 2019
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昨日まで何でも無かったのに、急に風邪に襲われ、今日はダウン。冬休み直前で、これまでの疲れが出たか・・・。 せっかくのクリスマスだというのに、もう・・・。
December 25, 2019
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『タイム』誌の「今年の人」に例の北欧の環境ジャンヌ・ダルクさんが選ばれたそうで。で、またコップ会議の様子を見ていても、環境問題待ったなし、的なことを言う人ばっかりですけど、実際のところ、どうなんですかね? 環境問題・温暖化対策に懐疑的な人の話によれば、もうすぐ氷河期が来ると。すると北極に近いところは分厚い氷で覆われ、日本でも北海道あたりは永久凍土になって人間が住めないところになると。で、食料不足で世界の人口は大分減ると。その意味で、温暖化より寒冷化の方がよほど怖いと。何しろ人間が飢え死にするんだから、温暖化で「氷が溶けてホッキョクグマが可哀想」どころの話じゃないと。 一方、二酸化炭素が増えると、それが雨に溶けて海に落ち、植物性プランクトンが増え、それを食べる魚が増え、いいことだらけだと。だから地球温暖化に対処する必要なんかなんにもないんだと。 まったく相反することを言う人たちが居る中で、どっちを信用したらいいの?っていうね。 まずさ、そこのところを確定しません? そこが確定しないと、温暖化対策した方がいいのか、しない方がいいのか、わからんじゃん。 南京大虐殺の話とか、慰安婦の話にしてもそうだけど、そういうことがあったという人もおれば、そんなのはでっち上げだという人もおり。まずそこを確定して、っていう案件、多いよね。 少なくとも、ジャンヌ・ダルクさんみたいな人に引っ張られる前に、まず、ホントのところを教えて欲しいもんですわ。
December 13, 2019
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最近、「カレーパンせんべい」っていうのを食べたんだけど、これがめちゃくちゃ旨い。これこれ! ↓カレーパンせんべい(2枚*10袋入*3個セット) 「カレーせんべい」っていうのは、比較的、どこにもあるけれど、「カレーパンせんべい」となると、ちょっと斬新じゃない? 実際、食べてみると、本当に「あ、これカレーパンだ」ってなるのよ。教授の熱烈おすすめ!です。 さてさて、話は変りまして、大学入試における英語民間試験導入が延期されたとのこと。 この制度、文科省がゴリゴリ押して、もう少しで実現というところまで来て、萩生田某の「身の丈発言」でぽしゃるという。いかにも日本的なオチが付いた感じですが。 まあ、延期されて良かったとは思うけれど、本当なら延期じゃなくて、廃案にした方がいいですわなあ。 大体、国立大学の入試を、英語という教科に限って民間に託すっていうこと自体、変な話でありまして。普通の人が普通に考えたら、「ん? それおかしくない?」って思うよね? それに、英語の入試だけ何種類もあって、異なる試験のどれを受けてもいいなんて、公平性の観点から言っておかしくない? しかも裕福な受験生、都会に住む受験生の方が圧倒的に有利っていうのも、とても公平とは思えない。 託された民間団体としては、50万人の受験生が何度も受けることになるから儲かって儲かって仕方がないので万々歳でしょうけど、その儲かる団体の代表が、この制度導入を論ずる検討委員会に入っているのもおかしいよね・・・。そういうの、「癒着」っていうのじゃないの? もう、何から何までおかしなことばっかりだよ! そんなおかしな制度が、平然と、着々と、実行に移されようとしていたってんだからね。どうかしている。 ついでに言うと、英語以外の他の教科でも、記述式の設問を導入するというけれど、それ、誰が採点するんだよ。人間が採点することになるだろうけれど、それでどうやって公平性を担保できるの? できるわけないじゃん。だからマークシート方式でこれまでやってきたというのに。 普通に考えて、できるわけないってことが、どうして識者の会議でゴーサインが出るんだろう? 文科も、そのお抱え識者連も、どうかしているんじゃない? どうかしている人達の決めた、どうかしている制度が、どうかしている大臣のどうかしている発言でぽしゃるという。 こういうのを、「目出度い」って言うんだろうな・・・。
November 1, 2019
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台風から一夜明けて、その爪痕の様が明らかになってきましたが、こうしてみると日本って、まだまだ水害に弱いねえ・・・。 日本の川は、ヨーロッパの川、例えばライン河とかドナウ河とかテムズ河とかと違って水量の変化が甚だしく、渇水の時にはちょろちょろなのに、一旦大雨になるととんでもない水量の濁流になる。まあ、決壊し易い性質をもった川ばっかりなので、水害に対する備えは絶対必要なんですが、その割に、こういうことが繰り返されるってのは、どうなのかなと。 江戸時代には、土手には必ず柳を植えたものですよ。柳の根は太く大きく大地をしっかり掴むので、柳を一定間隔で植えた土手は決壊しない。また同じく江戸時代には土手を二重に作って、第一の土手が決壊しても、二番目の土手が住民の生活領域に水が浸入することを防いでいた。そういう昔の人の智慧が明治維新でどこかにすっ飛んでしまったので、こういうことになるわけでね。 護岸工事といえば、コンクリで法面を固めることしか頭にない現代のやり方をあらため、こういう機会に、もっと根本的な水害対策をしたらどうなんですかねえ・・・。 ちなみに私は『岸辺のアルバム』世代でありまして、子供の頃、多摩川が決壊して大きな災害となったことをよく覚えております。同学年の子の家も流されちゃって、私も小遣いを寄付したもんですよ。 そういうのを実際に見ているから、「多摩川は決壊する」って思っているわけ。だから、私には多摩川の土手沿いに家を買うという発想がない。ああいうところに家買ったら、いつか後悔する日が絶対に来るって思っているもん。実際、今回そうなったし。「数十年に一度の災害」って言ったって、今は人生百年時代だからね。人生の中で二回か三回、この種の大災害に遭うことになる。 それ考えたら、多摩川の土手沿いの家とか、危なくて買えないよね・・・。私はそう思うけど、人はそう思わないのかなあ? もちろん、先に述べたような水害対策がちゃんとなされればいいですけど、今の状況じゃ、そんなこと行政に期待できないし。 それ言ったら、名古屋にも「ここに家建てたらいけない」って場所、いっぱいあるよ。でもそこに家を建てる業者はいるし、その家を買う人は沢山いる。そこが分からないんだよなあ。なんでそこに家買うの? まあ、行政に期待できない以上、家をどこに建てるか、買うか、については、自衛的に考えないといけないんじゃないかなあ。
October 13, 2019
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まあ、相変らず、執筆、執筆、執筆ですよ。毎日10時間くらい書いているんじゃないか? 食事時間以外はほぼ、って感じ。もう、私としたことが、どうしちゃったんでしょう? こんなに勤勉で、いいんでしょうか? いいんです。 さて、ところで今日、書いたり、書いたものに手を入れたりってなことを繰り返している中で、一つ、変更したのはですね、同業者の名前を文中に積極的に出す、という方向性? を出そうかなと。 まあね、論文だとさ、注があるから。本文には注番号つけておいて、注の中で、「このことは、この人のこの本を読んで学びました」的な風にしておけばいいんだけど、今書いているのは新書だからね。そういう意味での注はない。 そこでだよ。もう本文の中に、参考にした本の著者の名前を入れながら言及すると。そういう風にしようかなと。 それに、そうした方が、言及された方は嬉しいんじゃない? 自分の業績がそこで顕彰されるわけだし。 日本人の悪いクセっていうか、日本人の研究者の書いた研究書って、外国人の研究者の業績ばっかり言及して、同じ日本人研究者の名前を出さないっていうところがある。いまだに外国の方がエライっていうアレがあるのかなと。特に、外国文学の研究者にその傾向があるかなあ。 そこへ行くと、巽孝之先生なんてのは、いいよね。ちゃんとご著書の中で日本人研究者の研究にも触れるからね。そこはいつもすごいと思う。目配りがすごい。 というわけで、私も巽先生に倣って、自著の中で他の研究者の業績に触れようかなと。名前をちゃんと出そうかなと。 ま、そんなことを考えているところでございます。
September 10, 2019
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9月末締切の原稿、苦しみながら必死で書いております。 思えば昨年の夏も8月末と9月24日に締切がある2本の論文を書いていて、その時もかなり疲弊したんですけど、今年も厳しい! 論文書いてて、何がキツイかって、進捗具合が計算できないことね。 畑とか耕しているんだったら、1時間に何畝耕せるかが分かれば、畑一枚耕すのに何時間かかるかなんてすぐ分かるし、実際、その通りに行くんだろうと思いますが、論文の場合、そういうわけにはいかんものね。 ある日はあれよあれよという間に原稿用紙20枚くらい書いちゃう時もある。だけど、また別な日は一枚も書けない日もある。それがどういう周期で来るか、書いている本人にも分からないんだもん。 特に、書けない日が続くとキツイよね。ゼロに何を掛けたってゼロでしょ。このままじゃ絶対書き終わらないと思うじゃん。そうなると精神的にキツイ。 でも、まったく書けない日が4日くらい続いた後、一気に進むこともあるんだよなあ・・・。 実は今週は4日くらい全然筆が進まず、苦しかったんですわ。 ところが昨日・今日は爆発的に書けてしまって、二日で1章分書いちゃった。ちょっとホッとした・・・。 でも書けたからいいけど、今日書けたから、この調子が明日も続くかっていう保証はどこにもない。明日はまた躓くかもしれない。その潜在的な恐怖がキツイんだなあ。 まあ、こういう商売をして四半世紀以上経つわけだから、そういう時の対処法もある程度は身に着けているけれど、キツイものが軽くなるわけじゃないからね。 ということで、今日はよし、さて明日は? という賭けの毎日。せいぜい、頑張ります。
September 1, 2019
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今日は勤務先大学で受験希望者向けの「オープン・キャンパス」なるイベントが開かれ、その担当係だった関係上、私もチラッと様子を見に行ってきました。 そしたらエライ盛況でね。予備の椅子を大量に出さないとお客さんが坐れないほど。ふうむ、そんなに関心があるのか・・・。 ま、お客さんがあるってことは、うちの大学にとってはいいこと、なんでしょうなあ・・・。 で、この件に関して入試課の人に話を聞いたんだけど、今年の入試戦線は例年と大分異なることになりそうな様相なんだとか。 それは何故かと言いますとね、再来年から新しい大学共通テストが実施されるでしょ。だから、今年、入試に失敗して浪人になっちゃうと、その次の年にまったく対策の立たない新テストを受ける羽目になると。 それはますます不利だってんで、受験生としては何が何でも今年度の入試で合格しておかなくてはならないというマインドになるらしいんですな。 となると、大半の受験生はリスクを冒すのを止め、確実に入れそうな大学を狙うことになると。 それを大学側から解釈すると、通常であればうちの大学よりレベルの高い大学を目指す受験生が、今年度に限ってはうちを受けてくれるかもしれない、っつーことですな。 だから、オープン・キャンパスにもおのずと力が入ると。 は、はーん。そういうことね。 ま、それはいいんだけど、そもそもオープン・キャンパスに来る人って、何考えているんだろうね(爆!) だって、私自身が大学を受ける時、そんなもの無かったし。 受験時のワタクシにとって、キャンパスが広いか狭いか、設備が新しいか古いか、そこでの学生生活が楽しそうかそうでもないか、なんてこと、まったく眼中になかったしね。ただいい先生がいるかどうかだけだった。で、アメリカ文学研究の場合、『英語青年』とか『ユリイカ』みたいな雑誌を読んでいれば、どの大学にどういう優秀な教授がいるかは分かることだから、別にわざわざ大学まで足を運ぶ必要もなかったわけでありまして。 その観点から言うと、うちの大学の場合、要はこの不肖・釈迦楽教授の授業を取りたいがために受験するかどうか、って話なんじゃないの?などと言ってみたりして。 その割に、今日、会場の後ろに私が立っていたにも関わらず、私に熱い視線を送ってくるお客さんはいなかったぜ。・・・じゃ、オープン・キャンパスに来る意味ないじゃん。 っていうね。 ま、とにかく、そんな感じで、私の週末の時間は無駄に浪費されたのでありました、とさ。
July 28, 2019
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今日、自分のところの学科の3年生の授業で英語の期末試験をやったんですけど、まあ、びっくりしましたわ。 えー、こんなに出来ないんだ~って。 もう、想像を絶するほど出来ない。 この授業では英文をちゃんと構文をとって読む、ということに特化して進めてきて、英語の5文型の理屈を半年かけて教えてきたつもりだったのですが、試験をやってみたら、大半の学生がまったく英文法というものを理解していないということが分かったのでした。 否、理解してないんだろうなと思ったので、理解できるような説明を半年もかけてしてきたつもりだったのですが、その説明がまったく届いてなかったと。 一応は国立大の学生なんだからと思って、英文法のイロハのハくらいから教えたのですが、イロハのイから教えないといけなかったのかな・・・。 でも、そんなの中高でやっておいてくれよ~。せっかく頑張って大学の先生になったのに、名詞とは何か、動詞とは何か、形容詞とは何か、なんてところから教えなくちゃいかんのかよ~。 また、理解できないのは英文法だけじゃなくて、それ以外も何も分からないのね。常識も想像力も何もない。 例えば今日出した問題文の冒頭に「In Japan, we are what we bleed.」という一文がある。で、この一文の後に、日本では血液型というものへの興味・関心が高い、という内容の話が続くのですが。 もちろん「We are what we bleed.」というのは「We are what we eat.」のもじり。「人間ってのは、食べたもので出来ている=だから食べ物には気をつかわなくちゃ」という定番の言い方ですよね。 だからそれをもじった「In Japan, we are what we bleed.」という文は、後続する内容からしても「日本では、人は血液型で判断される」とか、そんなような感じで訳せばいいわけよ。 それをさ、「日本では、人は血を流す」なんて訳す奴ばっかりなんだもん・・・。どういう意味だよ、それ。「『日本では、人は血を流す』などという文があるはずがない」という、人間誰でも持っているであろう常識を働かせる気はないのかね。 これが国立大のくそまじめな学生たちの実力なんだから、後は推して知るべし、だよね。 先週、展覧会を見に行った中村槐多、百年前に生きた画家の中村槐多、中卒の槐多の方が今の大学生よりよほど英語力があるじゃないの。最近の日本の英語教育は惨憺たる成果しか出してないんだから、小学生から英語をやらせるなんて馬鹿なことを言ってないで、いっそ明治時代の英語教育のやりかたを復活させるなりしてほしい。 こんなに基礎的な英語力がないんじゃ、英文学なんて大学で教えられないよ~。
July 24, 2019
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衝撃のニュース! 辞めるなんて言わないでくれ! いやいや、吉本関連の話ではなくて。 東急東横店の話ですよ。2020年3月末で閉店って・・・。マジかっ!! 毎年夏や冬になると開催されたデパート催事場での大古本市。ワタクシ、冬は京王百貨店新宿店の古本市、夏は東急東横店の古本市を楽しみにしておったのですが、京王の方はもう数年前に古本市を開催しなくなり、もう楽しみは夏の東急東横店での古本市だけになっていたわけ。 それなのに、ああ、それなのに、それなのに。 東横店まで閉店になったら、もう夏の古本市が無くなってしまうじゃないの~。 ということは、今年の夏の古本市が最後の開催か・・・。寂しい~。 デパートの古本市って、まあ古本のみならず、切手・古銭市とかもそうだけど、昭和っぽい老舗のデパートじゃないと雰囲気が出ないわけよ。その点、東急東横店はばっちりその雰囲気を保っていたんだけどなあ。もう、都内で古本市ができそうな昭和なデパートってどこに残っているんだよ~。 これが時代の流れっちゅーもんですかね。 ま、とにかく今年の夏は、東急東横店名物の最後の古本市に是非、参戦して来ようと思います。
July 22, 2019
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ネットのニュースで滋賀県草津市の路線バスが、車椅子に乗った乗客の乗車に対し、「次のバスに乗ってくれ」と乗車拒否をしたという話。これはちょっと同胞として情けないなと。 昨年秋、オレゴン州ポートランドに短期滞在していた時、移動はもっぱら路線バスを利用していたのですが、このバスによく車椅子の乗客が乗って来たのよ。しかも向こうの人って、車椅子だろうが何だろうが、付き添いなしだからね。 で、そんなときのために、どのバスも車椅子用のスロープが電動で出てくる仕組みになっている。だからバスの運転手さんは、バス停に車椅子の人が待っていると、止まった途端にそのスロープを出す。そして車椅子の人を一番最初に乗せる。 で、そういう時、多少時間が掛かろうとも、誰一人、文句を言わないよ。車椅子の人がバスに乗る権利は当然あるのだから、その権利を誰もが認めているわけ。それに、車椅子に乗っている人も、堂々としたもんよ。「すみません、時間がかかっちゃって・・・」みたいな、遠慮しいしいの態度ではなく、当たり前のように乗り込んでくる。 で、降りる時だって、当然のように最優先で、たまにバス停で待っていた人が知らずに乗り込もうとすると、運転手さんが「車椅子の人が降りるからちょっと待って」と告げて、その人がちゃんと降りるまで見守っている。 そういう風景を毎日のように見かけ、車椅子の人がバスに乗る権利ってものを、行使する側も堂々と行使し、受け入れる側も当然のように受け入れるところを目の当たりにして、こうでなくてはならないなと思ったことでありました。 あとね、バスに乗る時に、ほとんどの乗客が運転手さんに挨拶するし、降りる時もやっぱり運転手さんに「サンキュー」って言って降りるんだよね。あれもいいよね。 そういう彼の地のバス事情を見た後で、草津のバスの乗車拒否の話を読むと、おいおい日本人、アメリカさんに負けているじゃないのと思います(思わない?)。 日本は、礼の国じゃないの。その点で、世界に冠たるというところがある。世界中のサッカーファンの中で、たとえ悔しい負け試合であっても、観客席の掃除をしてから家路に就くファンなんて、日本のサッカーファンだけでしょ。 そういうところが日本人のいい所なんだから、車椅子の件だって、礼というものを発揮しようじゃないの。その点でアメリカに負けるなんて、悔し過ぎる。 車椅子の人が、臆することなくバスに乗れるような国である方が、GDPが世界で何位だ、なんてことよりよっぽど意義があるんじゃないの?
July 15, 2019
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野暮用がありまして、実家に戻っております。 で、姉も同時に帰っているので、母と姉と三人で夜遅くまで話し込んでいたのですが、その話題の中で、一つ衝撃的なことがありまして。 子供の頃、父方の祖父母の家に帰省した時の思い出について話をしていて、ふと、父の父は何をやっていた人なんだろうということに話が及んだのですが、誰も知らないというね。 そう言えば、何をやっていた人なんだろう? サラリーマンではなかったようだし、だとすると商売人? でも、何を売っていたのか? 母に聞いても知らないというし、父は死んでしまったので、確認する術もない。 何かを発明した人のようでもあって、家に「釈迦楽式として名声を上ぐ」という表彰状のようなものが飾ってあった、というのが父の自慢でしたけど、あまりにもよく聞かされたので、「はい、はい、またその話ね」ってな感じで話半分に聞いていたので、一体その発明とやらが何の発明だったのか、聞きそびれたという。 いや、あれは祖父の話ではなく、祖父の父だか伯父だかの話だったのかな? それすらよく知らないという。 まあ、アレですな。うちは親戚付き合いが希薄だったというのもあるのですが、それにしても祖父が何をやっていたのかすら知らないというのも、世間知らずも度が過ぎておりますな。 ま、そういう家風なのよ、釈迦楽家は。 でも、そういうのもあまり良くないから、母が元気なうちに母方の親戚の話とか、確認しておこうっと。
July 12, 2019
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ニュースによると、窃盗罪で実刑を受け、収監される予定の男が刃物を持ったまま、黒のフィットで東名高速を名古屋方面に逃走中とのこと。 まあ、よく分からん話だよね。やたらに犯罪歴のある男がさらに実刑受けそうだってのに、なんでその前に保釈されているの? あとさ、乗っているクルマも判明していて、東名高速で逃げているってのに、なんで捕まえられないの?? 高速道路を走っている時点で、袋のネズミなんじゃないの? ところで。 仮に私がこの男だとしたら、このシチュエーションでどうやって逃げ切るかしら。 インターで降りようとしたら、絶対捕まるじゃん? だから、それは論外と。かと言って、走り続けてガス欠で捕まるのも馬鹿っぽい。 バス停でクルマを乗り捨て、徒歩で逃げるか。それも、既に配備されてそうだな・・・。 サービスエリアでクルマを乗り捨てて、幌式のトラックの積み荷に紛れて乗り込むとか。案外、いけるか? とりあえずどうにか東名から脱したら、どこかのワークマンに入って、雅典型の服装に変え、てぬぐいかなんかを頭に巻く。 あとはトヨタの工場にいってラインにいれてもらう。どう? どうって言われても・・・。 ま、とにかく刃物持った危ない奴が名古屋方面に向かっているってんだから、早くとっ捕まえてほしいものでございますよ。
June 19, 2019
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