全457件 (457件中 451-457件目)
この時期、ゼミの学生たちは就職活動で大変です。ゼミの時間にもいわゆる「リクルート・スーツ」のまま駆けつけてきます。それにしても、あのリクルート・スーツって奴、ほんとに画一的で、ほとんど制服ですね。まあ、無難なんでしょうけど、就職活動するためには絶対ネイビーのスーツを着なくちゃいけないのですかね。きちんとして見えれば、別にもう少し明るい色のスーツだっていいように思うのですが。 ま、それはともかく、そんな就職活動中の学生たちが互いに話をしているのを横で聞いていると、「就職試験、駄目だった~」というものばかり。そんなに難しいのかと思って、「何が出来なかったの?」と聞くと、漢字テストがぼろぼろだと。 そこでどんな問題が出たのか聞いてみたら、たとえば「弁える」「頗る」に読みがなをふれ、というようなものだったとか。なーんだ「わきまえる」に「すこぶる」じゃん、と言うと、「ひゃー、先生、すっごーい!」と感心されました。いや、この程度で感心されても・・・。大丈夫ですかね、若い人たちの日本語・・・。 というわけで、学生たちの漢字力の低下を嘆いていたワタクシですが、今朝の新聞の大見出しを見てびっくり。例の拳銃強奪事件についての報道ですが、「二人組、周辺に土地鑑」とあるではありませんか・・・。ん? 「土地鑑」?? 「土地勘」の間違いじゃないの??? あーあ、天下の大新聞までこのざまか!? と愚かにも思ったワタクシは、確認のために辞書を引いてみてもう一度びっくり。「土地鑑」というのは正しい書き方だったのであります(無論、「土地勘」と言ってもいいらしいですが)。もともと警察用語だったようですけどね。 駄目じゃん、ワタクシ。漢字力の低下は、ぜんぜん他人事ではなかったのでした。漢字って、難しいなぁーーー!! さて、週末のアフィリエイト特集、今日は昨日に引き続き「教授の鞄」を特集しましょう。今日は男性向け鞄のご紹介です。私、好きなんです、鞄。通勤用のかちっとした鞄は、「できる男の象徴」って感じでかっこいいし、また旅行用の鞄は鞄で、鞄自体が旅行に誘ってくれるような気がしてくる。私の好みは、一見コンパクトなのに、案外沢山入るなーと思わせてくれる機能的な鞄。そんな私好みの鞄を沢山見繕いましたので、以下に示す入り口から入って、フリーページを覗いて行って下さい。ここをクリック! ↓教授の鞄鞄・パート2
May 15, 2005
コメント(1)
唐突ですが、皆さんは、もし外国人に生まれ変わるとしたら、なに人になりたいですか? シンガポールの人にこの質問をぶつけてみると、一番多い答えが「日本人」なんだそうです。 で、何の話のついでだったか忘れましたが、そのことを私のゼミの学生にしたところ、その反応が面白かった。その場にいた全員が「えーーーー!」「何で??」「日本人のどこがいいの?」ということを異口同音に叫んだのです。 うーん・・・・。一体、この学生たちの反応をどう考えればいいのでしょうか? 私自身はといいますと、彼らの反応が理解できなくもない。というのは、私自身もこのことを知った時、「えーー? 何でーー?」とちょっと思ったからです。しかし、学生たちにここまで声高に否定的な反応をされると、そのことに逆に違和感を持ったことも確か。そんなに日本人って、「いけてない」のでしょうか。 まず日本人というものに対する学生たちの自己卑下の反応には、明確に「欧米人に比べて日本人はかっこ悪い」という思いがあるようです。ま、欧米コンプレックスというのは昔からあるわけで、それがたとえば明治時代における日本の近代化の原動力になったという側面はある。しかし、21世紀の今、文明の進度の点で「欧米に追いつけ、追い越せ」というようなことを意識している人は多分少ないでしょう。つまり今の若い人が「日本人はかっこ悪い」という場合、それは「容姿の点で」ということなのですね。もうこうなってくると、剥き出しのコンプレックスです。 しかし、先程のシンガポールの例を挙げても分かるように、(容姿のことはともかく)日本人っていけてる、と思っている人たちが世界中にいることも確かです。私のとぼしい経験からいいますと、たとえばパキスタンあたりからイラン、トルコあたりにかけての中近東の人々というのは、総じて日本人および日本の文化にかなり強い関心がある。しかし、悲しいかな、そういうことについて日本人はあまり意識的ではありません。日本人の対外的な意識というのは、先程述べた欧米コンプレックスに加え、「中国や韓国など東アジアの隣国には(温度差こそあれ)嫌われている」という否定的なものでしかないのではないでしょうか。 無論、日本の悪いところは悪いところとして意識するのは良いことだと思います。それはそれでいい。けれど、それとは別に、こんなにも自国のことを否定的に見る国民って、世界でも珍しいのではないかと思います。繰り返しますが、そんなに日本人って「いけてない」でしょうか。うーん、どうなのかなぁ。 国を愛する、というと、すぐに戦前の軍国イデオロギーと一緒にされてがちですが、そういうことでなく、ごく普通に日本人であることに自信と自負を持つことがなされるべきではないかと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
May 10, 2005
コメント(4)
今日5月8日は「母の日」なんですねぇ・・・。 私の家族は、昔から家族のイベントを重視してきましたので、家族のメンバーの誕生日とか、クリスマスとか元日とか、そういう特別な日は今でも家族揃ってお祝いするようにしています。しかし、その我が家にして、「母の日」というのは軽視されてきた行事の一つなんですね。私も子供の頃から、どうもこの「母の日」というのが好きではありませんでした。同じく「父の日」もピンと来ません。 理由は簡単で、母に感謝するのは1年365日にすべきだと思っているからです。 たとえば、電車の中に「優先席」というのがありますね。あれ、皆さんはどう思われますか? 本来、すべての座席が暗黙のうちに優先席なのであって、あんなものを特に決めなくても、お年寄りや身体の不自由な方、妊婦さんなどに席を譲るべきだと思いませんか? しかし、そういう当たり前の美風がこの国から失われてしまったので、仕方なくわざわざ端っこの方に「優先席」なんていうものを作らなくてはならなくなったのでしょう。私は本当に恥ずかしい。こういう特別席を作らなくてはならないほど、日本人は他人を思いやることができないのだ、ということをわざわざ公表しているようなものではありませんか。 私には「母の日」も同じに思えるのです。母に感謝する日をわざわざ決めなくてはならなくなってしまったと。母に対して甘えっ子だった私は、そのことが気に食わないので、子供の頃から「母の日」は敢えて無視してきました。今でも、この日にわざわざ実家に電話をしたりはしません。意地でもしません。そのことは母にも伝えてあります。 ま、もちろんそれは自分に関してのことであって、他の方がこの日をいい機会として捉え、それぞれの母親に感謝の気持ちを伝えることに異議を唱えるつもりはありません。しかし、何であれ、世間でそういうことをやっているから自分もやる、ということばかりで、物事の本質について思いを馳せないという習慣に浸ってしまうことには、やや問題があるのではないかと思っています。 世間がどうであろうと、自分には熟慮した上で別な考えがあるので、その自分の考えに基づいた行動を断固としてとる、ということ。これを私は「ダンディズム」と呼んでいますが、私は、そういうダンディズムをもった男でありたいと思うのです。逆にまるでダンディズムのない男は、頼りないし、信用できない。ある状況下でそいつがどういう行動をとるか、まるで分からないからです。私は、そういうクラゲみたいな骨のない男にはなりたくない。 いやはや、せっかくの日曜日、つまらぬ説教めいた話をしてしまいました。御免なすって、御免なすって。
May 8, 2005
コメント(2)
昨日、東名を愛車のプジョーでかっ飛ばして東京の実家に戻ってきました。連休の谷間だった昨日は、東名も空いていて、まったく渋滞知らず。それにしても、名古屋から実家まで戻ると、高速代だけで7000円もする。私思うに、そもそも道路っちゅーものは、受益者負担だのなんだのというケチなことを言わないで、すべて税金で作り、その代わり有料道路をなくすべきものなんじゃないでしょうか。ETC導入で料金徴収の効率を上げるより、そもそも料金をとらないようにすれば、出口の混雑はなくなるのに。 ほんと、日本の道路行政は遅れていますよ。第2東名なんて、時速120キロで走れるようにするとか言っていますが、現在の東名ですらみんな120キロで飛ばしていますって。新しく作るのならどうして150キロで走れる全区間片側4車線道路を作らないんだろうか。 ま、それはともかく、実家に戻るとのんびりできていいです。職場から物理的に遠ざかると精神衛生上、ほんとに快適。快適だから、勉強も読書もよくできます。 ところで、そんな快適な実家にも一つ問題点があります。実家の私の部屋で使っているCDプレーヤー、これがどういうわけか、CDのより好みをするんです。 たとえば、名古屋の自宅から何枚かCDを持ってきているのですが、そのうちの何枚かはCDプレーヤーの方で気に入らないらしく、再生ボタンを押しても音を鳴らしてくれない。で、壊れたかと思って別なCDを入れると、今度はちゃーんと再生するんですな、これが。 これはひょっとして音楽レーベルとCDプレーヤーの相性が悪いのかと思いきや、必ずしもそうではなくて、同じ音楽レーベルのCDでも、再生するのもあるし、再生しないのもある。 あれこれ実験して気付いたのは、私のCDプレーヤーには純然たる「好み」があるらしいということ。たとえば私が好きなハービー・ハンコックのことは、「彼」は「嫌い」らしく、絶対再生しようとしない。バド・パウエルのジャズ・ピアノは合格らしく再生してくれます。しかし、同じピアノでもミシェル・ペトルチアーニのことは「彼」はお嫌いなようで、こちらは頑として再生してくれない。 ということで、CD一枚かけるのにも、プレーヤーさんにお伺いを立てるようなもんです。「あのー、こんなつまらんものですが、どうでしょう、ひとつ再生していただけないでしょうか・・・あ、やっぱお嫌い。あ、そう・・・。では、こちらはいかがでしょう・・・」ってな感じ。 個性とか自我をもった機械を相手にするのって、骨が折れますよ。でも、こいつを捨てて新しいの買うとなると、なんか恨まれそうで、コワイ。なんせ、「彼」には自我があるのですから。『2001年宇宙の旅』の「HAL9000」型コンピュータみたい。 で、こういう場合、わたしゃ一体、どうすりゃいいでしょうかね。これからもずっと、いちいちお伺いを立てなきゃいかんのですかね。わけ分からんなー。 さて、今日はこれも先日作ったばかりの「教授の時計ショップ・パート5」をまるごとご紹介しましょう。パート5では、女性向け時計を8点ご紹介しています。といって、私が選ぶわけですから、月並みな定番商品はありません。へー、こんなメーカーがこんなの出してたの、と思うようなものばかりなので、ぜひ下の文字列をクリックしてみて下さい。安いのは3500円くらいからありますよ。ここをクリック! ↓教授の時計ショップ・パート5 それでは、明日もお楽しみに!
May 3, 2005
コメント(0)
今日、お昼のニュースで「孫による祖母殺害」の事件を報道していました。借金を申し込んだところ断られたので腹を立て、消火器でおばあさんを殴打した上、消火器のホースをその口に突っ込み、消火剤を噴射して窒息死させたのだそうです。そんな残忍なことができるなんてどんな鬼畜かと思いましたが、テレビの画面に映し出された容疑者の顔は童顔で幼く、中学生のように見えました。実際には22歳だったそうです。 ところでこのニュース、皆さんはご存じでしたか? 知らなかったと言う方も多いのではないでしょうか? それも無理はないかも知れません。何しろ今のニッポンでは「親族殺人」など日常茶飯事で、どの事件がどうだったかなんて、気にしたり覚えていたりすることができない程なのですから。 しかし、昔はそうではありませんでした。親族殺人というのは、非常に大きな衝撃を人々にもたらしたものです。 過去に起こった親族殺人の中で、とりわけ私がよく覚えているのは、今から四半世紀ほど前に起こった「金属バット殺人事件」です。これは孫が祖父を金属バットで殴り殺した事件ですが、容疑者の少年が私とほとんど同世代だったこと、また殺された祖父というのが、現在私も身を置く英米文学研究の世界で「泰斗」と呼ばれるような学者だったことで、私自身、この事件から非常に強い衝撃を受けたものです。そして私ばかりでなく、この事件が社会にもたらした衝撃というのは相当大きかった。「孫が祖父を殺すなんて、信じられない」というのが、当時の一般的な受け止め方だったと思います。 つまり一昔前まで、自分の存在の根拠であるはずの親(またはその親)を殺すということは、まさに社会秩序を根底から覆すような「考えられない事態」だったのです。それだけに、報道機関はこの事件を、社会の秩序が崩れ始める「兆候」として、大々的に取り上げたものでした。 しかし、今のニッポンを見ると、まさにこの「兆候」が現実となったと言わざるを得ません。親が子供を殺す、子供が親を殺す、そんなことは「よくあること」の範疇に入っています。そういえばつい先日も、男親が自分の娘にわいせつな行為に及び、その行為を撮影したものを「人に自慢するために」公開したかどで、どこかの男が逮捕されたニュースを目にしました。しかし、こんな常識を越えたニュースですら、新聞の片隅に小さく載っていたに過ぎません。もう、この程度では大したニュースバリューがないというのが、今のニッポンなのです。 一体どうなってるんでしょうか、この国は。「この世には人間としてやってはならないこと」がある、という最低限の共通理解すら、消えて無くなったというのでしょうか。 初夏を思わせる美しい日差しの下、新緑の美しい木々に覆われた平和な町並みを通って勤務先の大学に向かう車の中で、この国にはもはや社会規範なんて何もないんだ、という恐るべき現実に、私は戦慄したのでした。
April 28, 2005
コメント(2)
自動車運転免許の更新に行ってきました。 免許の更新というのは、何年かに一遍のこととは言え、面倒臭いものです。それでも幸いなことに、我が家から更新手続きができる場所までは車で10分くらいなので、助かっています。 で、免許の更新をするにあたって毎回感心するのは、手続きが割合効率よく、かつスムーズに行えるようになっていることで、私の場合も小一時間でぴかぴかのゴールド免許をもらうことができました。まあ、毎日大勢の人が更新に来るので、作業を効率よくしておかないと、捌ききれないのでしょう。 ところで新しいゴールド免許を見ながら、「なんで前回はゴールドじゃなかったのだろう?」と考え、その結果嫌なことを思い出しました。そうそう、6年ほど前に私はスピード違反で「ネズミ取り」に引っかかったのでした。 皆さんは「ネズミ取り」に引っかかったことはありますか? あれはどうかと思いますよね。道幅も広く、歩行者も少なく、快適かつ安全にスピードが出せる区間が案外「速度制限40キロ」だったりして、そこを60キロくらいで鼻歌混じりに走っていると、ゆるいカーブの先に警察が待っている。ガーン! やられた! って感じ。 それにスピードガンで速度を測れるのは先頭車両だけですから、後続する車は難を逃れてしまう。トラックに煽られて焦ってスピードを出したら、その人がつかまって、トラックは無罪放免ということもよくあります。これなんて、「法の下の平等」に違反するんじゃないですかい? しかも、つかまると書類にハンコを押さなければなりませんが、普通、車にハンコなんて置いてませんから、結局指紋を採られることになる。そうやって警察は指紋を集めているとも聞きますが、それもどうなの? って思います。 私がつかまった時は、私自身の結婚披露宴の前日で、花嫁衣装を会場に運んでいる途中でした。後部座席にある花嫁衣装が目に入らぬか! ご祝儀のつもりで見逃せいっ! と言ってはみましたが、相手にされなかった。日本の警官はユーモアのかけらもないんだな、これが。 あー、思い出せば思い出すほど、腹が立ってきた。もうやめよう。 皆様も、ネズミ取りなんかに引っかからないよう、ご用心、ご用心。
April 27, 2005
コメント(3)
新学年が始まってまだ間もないこともあり、学生さんも履修上の不安があるらしく、教務委員なんてものをやっている私のところにやたらに質問にやってきます。 で、特によく聞かれるのは、「英語の先生になるには、どうすればいいのですか?」です。質問の大半がこれ、と言ってもいいくらい。こう毎日、多くの学生さんから同じ質問をされると、ちょっと気味が悪くなってきます。君たち、なんか洗脳・・されてない?? 第一、英語の先生って、そんなにいいですかね? 私は大学院生の時に、アルバイトで某有名校で2年間、英語を教えたことがありますし、英語の先生になるということがどういうことか、だいたい分かっているつもりです。キツイですよ、ちゃんとした英語の先生になるとなると。外国語ってそう簡単にマスターできるはずもないんですから。「英語がしゃべれてかっこいい」くらいの夢を描いて英語の先生になろうとしているのであれば、考え直した方がいいと思うのですが。(もちろん、希望に満ちた学生さんに面と向かってそんなことなかなか言えませんけど・・・) 世の中には色々な職業があって、その中には英語の先生なんかより、もっとその人にピッタリ合った職業があるんじゃないかと思います。サラリーマン(OL)か、教職か、というような二者択一ではなく、もっと広く世の中を見渡した方がいい。そのための大学4年間、じゃないですか。 ま、あんまり考え過ぎて何になるか決められず、とりあえずフリーター、でも困りますけどね。
April 12, 2005
コメント(2)
全457件 (457件中 451-457件目)