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年度内に出る2冊の新著の校正が重なってしまって、もうてんやわんやよ。 ま、それはいいのだけど、校正作業をしているうちに、一つ、非常に納得のいかないことがありまして。 私が書いた文章の中に、「断トツのNo.1」という表現があったのよ。そうしたら、出版社の校正さんからご指摘をいただいた。この表現は、日本語として正しくないと。 ん? 「断トツのNo.1」って、言わないか? これ、おかしい? 校正さん曰く、「断トツ」とは「断然トップ」の略語であると。そうなると、「トップ」と「No.1」が意味的に重なるから、日本語としておかしいと。 ん? 「断トツ」って、「断然トップ」の略なの? 「トップ」を「トツ」と略したっていうの?? そんなことねーだろ! 「断トツ」は「断然突出した」の略だろ? 「断突」だろ? 「断然突出したNo.1」というのは、「2位を大きく引き離した上でのNo.1」という意味なんだから、問題なかろうが。 と思って辞書を引いたら、「断トツは断然トップの略」と書いてありました(『広辞苑』『新明解』)。 そうなのか? っていうか、誰がそれを決めたのさ。そう決めた辞書の編纂者の感覚がおかしいだろ? じゃあ何かい? 「ランチセット」は「ランセツ」と略すのか? 「トップバッター」は「トツバツ」と略すのか? 「バックアップ」は「バツアツ」か? 納得できん。本当に「断トツ」は「断然トップ」の略なのか。それを誰が言い出したのか。最初の用例は何か。 誰か、真相をご存じの方、ご教示ください。
November 24, 2024
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半分仕事、半分趣味で常盤新平さんの著作を次々読破しているのですが、今週は『おとなの流儀』と『小さなアメリカ』という本を読了しました。ので、心覚えをつけておきます。 まずは『おとなの流儀』。これこれ! ↓【中古】 おとなの流儀 / 常盤 新平 / マガジンハウス [単行本]【宅配便出荷】 この本は、先週読んだ『威張ってはいかんよ』の前編で、常盤さんの日常をもとにしたエッセイ集でございます。ただ、漠然と日常のよしなしごとを切り取ったものではなく、タイトルが『おとなの流儀』であることからも窺えるように、「『おとな』たるもの、このぐらいのエチケットというか、気構えで日々過ごして欲しい」という、常盤さんなりのダンディズムを披露した本ですな。 たとえば大人の服装について語ったエッセイでは、「服を買う時は、その前に自分の裸体をつくづくと眺めてみろ」とか、「集金能力のある服を着ろ」とかね。あるいは「結婚式などでスピーチを頼まれたら、30秒以内にまとめろ」とか。公共の乗り物に乗る時は、足を広げて二人分の座席を占有するような馬鹿な真似はせず、身体を小さくして座れとか。大人のホテルの活用の仕方とか。香典はいくらくらい包むべきか、とか。 また常盤さんがお好きな作家、たとえば山口瞳とか、藤沢周平の作品世界を讃えた後、そこから常盤さんが学んだことを披歴したりもする。藤沢周平の作品の登場人物が「市塵に生きる」ということを実践し、ある意味藤沢周平自身もそうなんだけど、自分も市塵に生きるという心構えで生きていきたいなあ、なんてことが書いてあったりもする。「市塵」というのは、要するに目立たない隅っこ、という意味ね。人の中にあって、しかし、その表舞台ではなく隅っこの方でつつましく生きる、そういうのが望ましいと。 このあたりは、いかにも常盤さんの趣味というか、常盤さんの世界観っていう感じがしますね。常盤さんの本のタイトルにも「片隅」という言葉がよく使われているし。『東京の片隅』とか、『片隅の人たち』とかね。 ところで、『大人の流儀』みたいな感じのエッセイって、昔からあるような気がするけれど、どの辺から発生したもんなんでしょうね。 常盤さんは、山口瞳の弟子という自覚があるから、山口瞳の『男性自身』シリーズを手本にしているのかもしれないし、あるいは常盤さんは池波正太郎も好きで、池波さんもこの種のエッセイを書いているから、源流はその辺かもしれない。 でまた、この系譜をたどると、開高健とか、伊集院静とか、その辺の名前も浮かんでくる。 しかし、山口瞳、開高健、伊集院静と並べると、ひとりでに「サントリー」という言葉も浮かんでくるよね! あ、わかった。常盤新平は「サントリー系エッセイスト」だったんだ。常盤さん自身がサントリーの広告と関わったかどうかは知らないけど。でも、とにかく常盤さんは、サントリー系エッセイストと同じ匂いがすると言ったら、結構当たっているんじゃないでしょうか。要するに、「男の美学」を前提にして軟弱な世相を切る、いかにも男臭いエッセイを書く人、というね。 そういう意味で、常盤さんのエッセイは、男性には受けると思う。だけど、どうかな。女性には受けないのかもね。 さて、一方の『小さなアメリカ』にも寸評を入れておきましょう。これこれ! ↓【中古】 小さなアメリカ / 常盤 新平 / PHP研究所 [単行本]【メール便送料無料】 これは、常盤新平エッセイの一つの柱でもある、「アメリカもの」の一冊で、アメリカの街(主にニューヨーク)に行ってみて、あるいはアメリカの雑誌を読んでみて、常盤さんの心にひっかかった小さな話題を取り上げて紹介する、という趣旨のエッセイ集。 ニューヨークの有名な葬儀社の話とか、ニューヨークでホームレスがどんな暮らしをしているかとか、一流モデルの生活ぶりとか、「死亡記事」専門の記者というのがアメリカにいた、とか、ニューヨークで旨いビールが飲みたかったらどの店に行けとか、まだ不動産王に過ぎなかったトランプ氏の動向とか、アメリカの有名な評論家であるメンケンの長大な日記が出版されることになった、とか、最近ニューヨークのモデルの間では、足首に小さな入れ墨を入れるのが流行っているらしい、とか。 要するに、アメリカの雑誌のゴシップ面に載っているような話題を取り上げて紹介するような感じのもの。悪く言えば「受け売りエッセイ」ですな。 だから、そういうことに興味がある向きには面白いけれども、興味がなかったら全然響かない。 常盤さんは、この種の「受け売りアメリカエッセイ」をたーくさん出しておられるのですけれども、こういうのって、同時代性が重要なので、時間が経ってしまうと、どうなのかなと。この本は1991年の出版だけど、30年以上前のニューヨークの街を言葉でスケッチしてあるとはいえ、そのスケッチもすでにセピア色になっているわけだからなあ・・・。 でも逆に言うと、この本が出版された1990年代初頭には、まだアメリカの街のゴシップに興味がある日本人がそれなりに居た、ということでもありましょう。隔世の感がありますな。 常盤さんのアメリカ受け売りエッセイを、じゃあ、今、どう評価すればいいのか? ちょっと悩みますね・・・。 というわけで、評価のことはさておき、「サントリー系エッセイスト」と「アメリカ受け売りエッセイスト」という二つの側面を見た、今週の常盤新平読書だったのでした。
November 23, 2024
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今日は勤務先大学で避難訓練がありまして。毎年この時期、この曜日、この時限にやるんですよね。 だから、この日のこの時間は、授業を途中でカットしなくちゃいけないの。予定時間になったら地震が発生した体で、学生をつれてあらかじめ設定された避難場所まで避難しなくちゃいけない。 馬鹿馬鹿しいよね! ちなみに、慶應義塾大学には「ウェーランド講義記念日」と称するものがあります。たしか5月15日だったと思いますが。 その昔、福沢諭吉先生が慶應義塾を作った頃、戊辰戦争がありましてね。官軍と彰義隊との間で戦闘が行われた。要するに内戦ですわ。シビル・ウォー。 で、その戦火が慶應義塾にも迫るのですが、大砲の鳴り響く中、福沢諭吉先生は少しもたじろがず、ウェーランドという人の書いた経済書を元に、いつも通りに授業を続けられた。 そのことをもって、福沢先生は、塾生たちに範を示されたわけですよ。学問をする者は、世相がどうあれ、たゆむことなく学問を続けよと。だから、慶應義塾では今でもこの日を記念して学術講演会的なものを開催している。 老生思うに、大学のあるべき姿ってのは、こういうものなんじゃないの? 国立大学で避難訓練をやるのは、おそらく、文科省から言われてやるのでしょう。だから、大学当局に「そんなものやるな」と言っても仕方がない。 でもさ、大学ってところは、戦争だろうと地震だろうと火事だろうと、火急の際に少しも慌てず騒がず学問をし続けるというところに意味があるんじゃないの? それは結局、胆力の問題ですよ。肝がすわっているかどうか。肝がすわっていれば、本当にいざという時に落ち着いて行動ができる。 だからね、世間一般の避難訓練と同じように「わー、サイレンだ~! 地震だ~」などとキャーキャー言いながら、お遊び気分で避難場所に避難するなんてのではなくて、むしろ激しくサイレンが鳴動する中、教授は淡々と授業を続け、学生は淡々とノートを取り続けるというのが、大学における避難訓練なんじゃないのかしらねえ。 まあ、こんなこと書いたって、誰の共感も得られないんだろうな。 老教授の独り言と思って、スルーしてください。
November 21, 2024
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北の富士さん、亡くなりましたね。享年82。このところ、ずっとNHKの相撲解説をお休みだったので、体調が悪いのかしらと心配していましたが、やっぱりこういうことになってしまいました。 北の富士さんの現役時代、覚えていますよ。私の子供の頃、「大相撲というのは、最終的に大鵬が優勝するのがルールなんだ」と誤解するほどの大鵬全盛時代でしたけれど、北の富士さんはその大横綱・大鵬の次を担う横綱でしたからねえ。相撲人形のようなキリリとしたお顔立ちでね。北の富士の必殺技をあまり覚えていないところからすると、オールラウンダーの「受けて立つ」横綱タイプだったのでありましょう。 しかし、私にとって印象深いのは、現役時代の北の富士というよりは、九重親方として横綱・千代の富士を育てたということ。なにせ私は、千代の富士の大ファンでしたから。 北の富士さんってのは、傍目で見てもプレイボーイ・タイプで、いかにも遊んでそうだなあ、という感じがしましたが、あの遊び人のイナセな感じがあったからこそ、千代の富士を育てられたのだろうと思っております。小兵の身体で横綱に昇進し、長くその座を保てるのか、千代の富士本人ですら心配していた中、北の富士さんは「やってみて、ダメだったらさっさと引退すりゃあいい」と千代の富士にアドバイスしたそうですけど、そういう、ちょっといいかげんな、真面目一辺倒ではない師匠像というのが、千代の富士には良かったのだろうと。 また理事選に敗れるとあっさり相撲協会から飛び出し、NHKの解説者に転身してしまったところも、いかにも北の富士さんらしいところ。二人の横綱を育てて相撲協会に貢献したのに、理事に選ばれない。そういう相撲協会のドロドロした力関係に見切りをつけ、「オレは知らんよ」とばかり自由の身になってしまうなんて、カッコいいですよね。 でまた、北の富士さんには遊び人ならではの、仁義に堅いところがあって、ライバルで親友の玉の海さんが虫垂炎で巡業を続けられなくなった時、急遽、玉の海さんの代役を務め、北の富士本来の雲竜型ではなく、玉の海さんの不知火型の土俵入りを披露した、とか。あるいはまた玉の海さんが亡くなった時、人目も構わず号泣して周囲を驚かせたとか、人間味あふれるエピソードにも事欠かない。特に「北の富士、不知火型土俵入り」なんてのは、講談の一席になってもおかしくない。 優勝回数も二けた10回を記録し、親方としても千代の富士・北勝海を育て、まあ、申し分のない実績。昭和の一時代を築いた大横綱の一人と言っていい。そんな北の富士さんのご冥福をお祈りしたいと思います。今頃は向こうで、先に行った千代の富士に迎えられて、駆け付け一杯のお酒でもたしなんでいらっしゃることでありましょう。ティアドロップ型のサングラスをかけて、ね。
November 22, 2024
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週末、豊田スタジアムで開催された「ラリージャパン」を観戦してきました。 F1ファンではあるものの、WRCにはあまり詳しくないワタクシ。それでも昔はWRCのレースのダイジェストをテレビで放送していたこともありましたから、有名選手の名前くらいは知っていた。コリン・マクレーとか、トミ・マキネンとか、カルロス・サインツとか、セバスチャン・ローブとか。オリオールとかね。 だから、八光流の道場で兄弟弟子のOさんから、「釈迦楽さん、WRCのチケットあるんだけど、いる?」と言われた時にはビックリ。そんなラッキーなことってあるの? で、ご厚意に甘えてチケットをもらってしまったワタクシ。週末に家内と見に行きましたよ! 場所は豊田にある豊田スタジアムの特設会場。会場内に作られたコースを、2台のWRCマシンが、とんでもない音量の咆哮をたてながら、驚異的なテクニックで狭いコースを疾走するというね。 昔はラリーといえば、トヨタだけでなく、スバルも三菱もフォードも強かったけれど、今は韓国のヒョンデが強いのね。 で、3日間で行われた日本でのレースでは、そのヒョンデとトヨタの一騎打ちみたいな感じになっていて、いい勝負でした。 ラリーのいいところは、F1と違い、レースに用いる車両が、基本的に市販されているクルマであること。もちろん、クルマの中身であるエンジンやら何やらは全然別物ですが、形としては、たとえばトヨタの場合だと、ヤリスがベースになっている。だから、町で見かけるヤリスが、トンデモないスピードでコースを疾走するわけで、それはそれで面白い。 普段、ヤリスなんて興味のないクルマですが、こうしてWRCで活躍しているのを見ると、結構、カッコイイなと思えてくるんですよね。「GRヤリス」とか、ひょっとして乗ったら面白いのかも。 でまた、会場のあちこちにあるフードトラックもレースの楽しみのひとつ。我々は、トルコ料理のフードトラックでケバブサンドとフライドポテトをゲットして食べたのですけど、これが結構美味しかった。特にフライドポテトは独特の食感で、他では食べたことがないような感じ。これをつまみながらレースを観戦するのですから、楽しい、楽しい! ということで、兄弟弟子のOさんのお陰で、思わず楽しい週末となったのでした。ラリー、最高!
November 25, 2024
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飛行機の中というのは案外、読書が捗るところでありまして、まあ、狭い場所に長時間閉じ込められるという状況が読書には持ってこいなんでしょうけれども、私は海外出張の時は大概、空港内の書店でペーパーバック本を買って機内で読む、ということを習慣づけております。 で、今回、ハワイからの帰国便の中で読んでいたのがスティーブン・キングの『If It Bleeds』という中編集。これこれ! ↓If It Bleeds: Mr. Harrigan's Phone, the Life of Chuck, If It Bleeds, Rat IF IT BLEEDS [ Stephen King ] スティーブン・キングのことにさほど詳しいわけではないのですが、読んでみると手練れの書いたものというのか、やっぱり読ませるのよね。ホントに上手に読者を作品世界の中に引き入れてしまう、っていう感じ。私も引き入れられてしまった・・・。 で、それはいいのですが、この小説集を読んでいると、使われている英語の構文が、私が『裏ワザ流英語術』という本の中で主張している構文ばっかりなのよ。まるでスティーブン・キング御大が、「そうそう、釈迦楽先生の言う通りだよ。英語っていうのは、こうやって書いたり話したりするんだよ」と、私の主張を裏書きしてくれているよう。 『裏ワザ流』の本、英語教則本の傑作だと自負しているんですけど、その割には売れていない。英語教育系の人たちから完全に無視されているからね。 だけど、実際にスティーブン・キングを読んでごらんなさいよ。キング自身が「裏ワザ流」で小説を書いているとしか思えないよ。ウソだと思ったら、キングの本と『裏ワザ流』の本、両方買って比べてご覧なさいな。私の本がいかに英語の本質を突いているか、分かるから。これこれ! ↓基本12動詞で何でも言える裏ワザ流英語術 [ 尾崎俊介 ] 英語を勉強したいと思っている人は、世にゴマンとある英語教則本なんか全部投げ捨てて、とりあえずこの本を読んでごらんなさいな。目からウロコ状態になること、間違いなしよ。
November 20, 2024
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そうか、谷川俊太郎さん、亡くなったのか。享年92。10月に亡くなった私の母と同い年だったわけだ。 谷川さんというと、何ですかね。『二十億光年の孤独』? いやいや、私にとっては『ピーナツ』の翻訳、かな。 自慢ですが、私は谷川さんの『ピーナツ』ものの翻訳の、いわば最初期の読者なのよ。 というのは、谷川さんの息子さんが、私の父の教え子だったから。その息子さんが、父のところに、谷川さんの訳されたスヌーピーの漫画を持ってきて、「今度、親父がこういうものを翻訳したんです」と紹介したわけ。で、それを家に持ち帰った父は、今度こういうのが出たらしいけど、お前、読むか?と、私にくれた。だから、出版されたばかりのスヌーピー漫画を、私はその本が市場に出回るよりも早く手にしたと。 だけど、それは日本の漫画とは全然違う。オチもあるんだかないんだかわからないようなところから、チャーリー・ブラウンがため息をついて終わるという。日本の『サザエさん』のような分かりやすい笑いではない。あー、これは理解するのは難しいだろうなと、子供心に思いました。 だけど、スヌーピーの可愛さは、理解しやすいだろうなと。初期のスヌーピーは、もっと犬っぽかったしね。 だから、私はスヌーピーの絵を真似して描いて、同級生たちにみせびらかしたわけよ。美術の時間には、スヌーピーの塑像を作ったりして。とにかく、スヌーピーの宣伝部長みたいな感じで、同級生たちにこの犬を売り込んだわけ。 当時、私は自分でも動物を主人公にした自作の漫画を描き、雑誌のようにしてクラスに回覧したりしていましたから、同級生たちは「スヌーピー」もまた、私が考えた新キャラなんだろうと誤解し、大人気になってしまった。私も、敢えて「これは僕じゃなくて、チャールズ・M・シュルツという人が作ったキャラだよ」なんて、訂正しませんでしたからね。 だからね、スヌーピーが日本で人気になったのは、私のおかげなの。(ホントに?!) さて、そんな戯言はともかく、谷川俊太郎ですよ。 彼は「日本で唯一、詩で食っていける詩人」と考えられてきたわけですけれども、私の感覚はちょっと違う。私はね、あの人は詩人というよりは、非常に優秀なコピーライターだったと思っているの。 その意味で言うと、谷川俊太郎の直接の後継者は、糸井重里だと。言葉のセンスにしても、企画力にしても、すごく似ている。『ピーナツ』の日本への紹介だって、あれは企画力だからね。 ま、私の谷川俊太郎観に、どれだけの人が賛同してくれるかは分からないし、私にとっても誰にとってもどうでもいいことだけれども、まあ、とにかく、スヌーピーを介して、私と谷川さんが一瞬、交差したということだけが、楽しい思い出として残っております。 そういうものとして、谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
November 19, 2024
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ハワイは物価が高かったので、日本に帰ってきてから、「モノが安いな~」という感慨にふけっております。 朝マックでソーセージ・エッグ・マフィンとか頼んで、「320円です」なんて言われると、「2ドルか・・・」なんてね。ハワイのフードコートでハンバーガー食べて、18ドルくらいしたもんなあ。18ドルって、2700円じゃん。 日本の物価は安いわ~。とってもいいわ~。 まあ、安い安いって、なんでもかんでも買っていたら、無駄遣いになっちゃうんですけど、それにしても今の日本の物価が安いというのは確かですな。インバウンドで日本に来る外国人たちが驚くわけだ。納得。 それはともかく。 今、清水達夫さんの書かれた『二人で一人の物語』(出版ニュース社)という本を読んでいるのですけど、これがすごく面白い。 常盤新平さんの書いた本の中で、この本に言及している箇所があって、常盤さんがすごく褒めていたのよ。で、「ン? その本なら積読でどこかにあるはずだよな」と思って、大学の研究室を探したら出てきた。で、読み始めたら面白くて止まらなくなっちゃった。 これ、平凡出版(後のマガジンハウス)を設立した岩堀喜之助のことを、設立メンバーだった清水さんが回顧した本で、いわば岩堀さんの伝記でもあり、平凡出版/マガジンハウスの社史でもあるんですけど、何が面白いって、岩堀喜之助という人物の魅力に尽きる。まあ、エネルギッシュであり、かつ、人情家で、魅力的な人なのよ。そういう稀有な人物についての本だもので、面白くて仕方がない。 まあ、これも、常盤さんの本を読まなかったら積読のままだったかもしれないので、常盤さまさまですな。 でも、この調子で行くと、常盤さんと縁のあった人たちの本を片端から読まなきゃいけなくなってくるので、ますますドツボにはまっていくなあ。大変な宿題を背負ってしまったのかもね。
November 18, 2024
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兼高かおるさんが亡くなりました。享年90。またしても、昭和が一つ終わってしまう。 子供の時、日曜日の午前中の楽しみと言えば、『兼高かおる 世界の旅』を見ることでした。当時はまだまだ海外旅行なんて庶民には夢。そんな中、パンナムの飛行機を使って世界中を訪れる兼高さんの姿は、神々しく見えたものでございます。 実際、あの人はお美しい方だったからねえ・・・。 でまた、ただ美しいというのではなく、教養がね。言葉遣い、物腰。文句のつけようがない。これが日本女性ですと言って、どこへ出しても恥ずかしくない。だから、ヨーロッパの王侯貴族のもとを訪れてもまったく堂々としたもので。しかも、そういう文明国だけでなく、アフリカの未開の土地の奥の奥だって平気の平左で入っていってしまう。その度胸がまた素晴らしい。 で、番組ではフィルムを見ながら、兼高さんが芥川隆行さんとトークをするのですが、この芥川さんがまたいい味を出すのよ。この二人の掛け合いがなんともユーモラスというか、上品でいながらクスっと笑ってしまうようなところもあって、絶妙なんだなあ。 ほんと、子供の頃の私にしてみれば、文字通り憧れの人でしたねえ・・・。ほんとにステキな人だった。 そのステキなステキな兼高さんがお亡くなりになって、ほんと寂しい限り。御冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
January 9, 2019
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昨日買い物に出たついでに買ってきた白洲次郎の『プリンシプルのない日本』(新潮文庫)を、今日、仕事の合間にパラパラと読み始めました。 白洲次郎・・・。最近、というか、ここ数年といった方がいいのか、彼についてマスコミがさかんに取り上げるようになってから、急に人気が出てきた観があります。まあ何と言っても、まずその日本人離れした容姿がカッコいいですからね。また戦前の、まだ日本が貧しかった時代にイギリスのケンブリッジ大学に留学したというのもカッコいいですし、さらに神戸の実業家であった父親の巨万の富を背景に、あちらの貴族の子弟たちと肩を並べて洒脱に遊び回っていたというのも凄い。 しかし凄いといえば、その後の活躍がまた凄いですよね。第2次世界大戦前には日米開戦の避け難きを予言し、戦争が始まるや今度はいち早く日本の敗戦を予知。まだ若い盛りなのにあっさり都会暮らしを放棄して、東京郊外にある鶴川村に隠遁すると、その地で農作業に没頭。かくして戦争中の食料難を軽やかに乗り切って見せたというのですから、その明敏たるや只者じゃ、ありません。 そして戦後は吉田茂首相を助けて戦後処理にあたり、GHQと対等に渡り合ったばかりか、時にはマッカーサー元帥の無礼を叱り飛ばすという快男児ぶりを発揮。後には吉田首相に随行してサンフランシスコ講和会議の準備に奔走し、一時は通産省のトップとなって日本の経済復興を指揮するも、復興が軌道に乗ったと見るやさっさと官職を辞して、東北電力など民間企業各社の経営に大所高所から携わりつつ、ポルシェを乗り回し、ゴルフなどして遊び暮らしたというのですから、まさに男としてこういう生涯を送ってみたいと思わせるようなことをすべてやっているところがある。 そんな白洲さんですが、たまたま私の実家が、彼が隠遁していた鶴川のすぐそばにあり、彼の家であった「武相荘」にも何度か足を運んだこともあるもので、私も白洲次郎の何たるかは、一応前から知ってはいたんです。武相荘の白洲さんの書斎というのが、これが実にいい書斎でね。書棚を背に、緑豊かな庭を眼前にしながら、掘炬燵式になった机に陣取ると、ほんと、落ち着く感じがするんですよ。 しかしその一方で、私が白洲次郎という人にすごく共感してきたかというと・・・実はそうでもないんだなー。どうも、様々な本を通して見えてくる彼の人物像からすると、直情的で裏表のないやんちゃ坊主ではあるのでしょうが、そういう行動の人だけに、人間的な深さというのがどのくらいあった人なのか、よく分からんのですよ。強く、優しく、いい人ではあるが、人間のことを深く考えようとした人ではないのではないか、という気がするんです。そういうのは面倒くさいと思っていた人なんじゃないか、と。 そういう「ドライ」なところこそが日本人離れしていていいんだ、と言われれば、その通りだと思います。が、それにしても、ね・・・。白洲さんのそういう割り切ったところに私が若干の反発を覚えるのは、単に私が「ウェット」過ぎるのかも知れませんが。 もっとも、私が白洲さんを絶賛するのを幾分留保していることには、これまで白洲さんについて書かれた本ばかり読んできて、白洲さんご自身が書いた文章を読んだことがないということもあると思うんです。ですから、つい最近、新潮文庫から『プリンシプルのない日本』という彼の著書が出たのを知って、とりあえずこいつを読んでみるかと思い立ったのも、私の中ではごく当たり前の成り行きなんですな。 さて、前置きが長くなりましたが、実はこの本、まだ読み始めたばかりで、結論的なことを言うだけの準備がまだないんです。しかし、それはそれとして、最初の数十ページを読んだだけでも、興味深いところの多い本だと感じます。 たとえば、最近でこそ「風の男」などと呼ばれて人気の高い白洲さんではありますが、吉田首相の右腕として活躍していた頃は、必ずしも人々からよく思われていなかったらしい、ということも、この本を読んで初めて知りました。どうやら「白足袋宰相の茶坊主」というのが、当時の白洲さんに対する一般の評価だったらしいんですな。また直情径行の人で、相手構わず直言するものですから、世のエライ人たちからも相当睨まれていたらしい。ろくに肩書もないのに、首相の腰巾着というだけででかい面してる、と思われていたのでしょう。 一見すると、何だかお金持ちのボンボンが好きなことをやっただけのように見えて、やはり彼の生涯にはそういう意味での逆境時代が色々あったんですな。それでも、きっとそんなことを意にも介さず、じゃんじゃんやるべきことをやったのでしょう。うーん、やっぱり、カッコいい人ではありますね。それは認めざるを得ない。 しかし、そういうことよりもむしろ今回私が感心したのは、彼の回想録の書きぶりですね。これがまた、いかにも彼らしく、自分が何をやったか、ということはほとんど書かずに、その時、人が何をやったか、ということばかり書いてある。で、その書き方がまたあっさりしていていいんだ。 たとえばサンフランシスコ講和の時の回想では、吉田首相の演説のことに触れ、「総理はなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らないが、英語でやるか、日本語でやるかを、前からはっきりきめていたわけではない。演説の草稿は英語で書き、それを日本語に直して演説したのだ。だから、議場で演説と同時にイヤホーンで放送したのは、その草稿の英文だった」などと書いてある。占領時代の終結を迎えた独立国日本が、その記念すべき演説を自国の言葉で行わないなんてことがあるか! と激怒し、ことの直前になって吉田首相に日本語での演説を半ば強要、夜を徹して英語の草稿を日本語に直したのが白洲次郎その人であることは、歴史的事実として今ではよく知られているわけですが、そういう自分の関わりについては彼は一言も言わないわけ。その辺が、なかなかいいじゃないですか。 それでいて吉田首相についてはこんなふうに書いている・・・: 「調印の時も、演説の時も、総理の態度は本当に立派だった。その姿を見ながら、総理はやっぱり昔の人だなという感じが強かった。昔の人はわれわれと違って、出るべきところに出ると、堂々とした風格を出したものだ。総理が、自分のポケットからペンを出してサインしたのも、いかにも一徹な総理らしかった」(41ページ) ね、この一文だけでも、我々読者の、吉田首相に対する見方がいい方に変わってくるような気がするじゃないですか。「昔の人」か・・・。いい表現ですなあ。 それから、さすがに歴史上の大舞台を直接見てきた人だけに、「そうだったのか!」と思わされることもしばしばです。たとえば同じサンフランシスコ講和会議の回想録で、各国全権の品定めをしているところも面白い・・・: 「会議を通じて、印象に残ったのは、まず第一にアチソン長官の名議長振りだった。じつにスムーズに議事を進めていく手際はたいしたものだ。第二は、ダレス全権の演説だった。ソ連のグロムイコ全権に対する反駁などは、いかにもアメリカ人気質丸だしの率直さで、好感が持てた。議場での演説のうちで、言葉といい、調子といい、態度といい、非常に感心したのはフランスのシューマン全権だった。また演説の内容が終始日本に好意的だったのはルクセンブルグだった」(41-42ページ) ルクセンブルグが終始日本に対して好意的な演説を・・・。そうだったのかぁ・・・って気がしますでしょ? その他、あの講和会議がどのような雰囲気の中で行われたかということは、実際にその場にいた人物の口から語られて初めて分かるわけですから、白洲さんの書かれていることには、いちいち説得力があります。 とまあ、そんな感じで、まだ全部読み終わったわけではありませんが、何だか色々勉強になるし、読んでいて不思議と気分が良くなってくる本ですよ。また、本書のところどころに挟まれる「注」が面白くて、時々「へぇ~!」っと思わされることがあります。たとえば岩手県に「小岩井牧場」という有名な牧場がありますが、あの「小岩井」というネーミングは、彼の牧場を作った小野義真(日本鉄道会社副社長)・岩崎弥之助(三菱社長)・井上勝(鉄道庁長官)の三人の名前の頭文字から取った、なんて、この本を読んで初めて知りました。 ってなわけで、この白洲次郎著『プリンシプルのない日本』という本、私もしばらく楽しみながら読むことができそうです。その意味で、本書を、白洲ファンの方にも、またそうでない方にも、おすすめしておきましょう。週末の読書に、ぜひ!これこれ! ↓プリンシプルのない日本
June 3, 2006
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昨日、美容院から帰って来た家内から面白い恋愛テストのことを聞きました。家内担当の美容師さんから聞いたらしいのですが、このテストで「あなたが恋愛対象に求めるもの」が分かるというのです。 さあ、皆さんもご一緒にどうぞ。 いいですか、あなたが恋人に求めるもの(条件)を3つ挙げて下さい。即答でお願いします。考え込んじゃダメですよ。ちなみに、家内からそう聞かれた時、ワタクシの答えはと言いますと・・・1 聡明であること2 優しく善良であること3 私の主観から見て好ましい容姿・物腰・声質であること でした。皆さんはいかがです? 3つ条件を挙げられましたか? さて、それでは次。この3つの条件をすべて同程度に満たした2人の恋人候補者がいるとします。その際、この2人のうち、どちらを選ぶかの基準として、4番目の条件を挙げて下さい。 挙げましたか? よろしい。ではこの恋愛テストの結論を申し上げましょう。 あなたが挙げた「4番目の条件」、それこそが、あなたが恋人に求める一番重要な条件でーす! ガーン! ちなみに、ワタクシはその4番目の条件として、「ユーモアがある人」と即答してしまいました。ということは、ワタクシが恋人に求める一番大きなものは「ユーモア」ということになるのでしょうか・・・。 私がこの「恋愛テスト」に一目置いたのは、この点です。よーく考えてみたら、たしかに私は「ユーモアのある人」が好きなのかも知れない・・・。いや、まさにそうだ! という気がしてきたんです。最初に挙げた3つの条件は、いわばベーシックなもので、それプラス「ユーモア」のセンスが効いていてはじめて、私はノック・アウトされるような気がします。 じゃ、どうして恋人選びの第一条件に「ユーモア」を挙げなかったんだろう? 「4つ目の条件」を問われてはじめて、最も「決め手」となる条件がポロッと出てきたとは、これ如何に?? 不思議だなあ! 私はこの種の「恋愛テスト」的なものなど、まるで興味がないのですけど、今回のコレに関しては、ちょっと一本とられてしまった、という感じですね。 さて、皆さんはどうでしたか? 「4つ目の条件」に思い当たるところはありましたか? 皆さんが恋人に求める一番重要な条件って、一体何ですか? 私と同じように、ご自身について何か発見があった方、レスポンスをお願いします。
October 8, 2006
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サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』には今でも白水社から2つの異なる日本語訳が出版されていて、一方は野崎孝訳で、これは1964年のもの(ただし1984年に廉価版の「Uブックス」が出た時に若干手を入れている)。で、もう一方は2003年に出た村上春樹訳。こちらにも廉価版が出たので、読者としては野崎訳を選ぶか、村上訳を選ぶかの二択が許されているわけ。 まあ、稀有な状況ですな。一つの小説について同じ出版社から2つの訳が出ていて、しかも同じ値段(950円)で買えるなんて、そんなこと普通ではありえない。 で、一つ言っておくと、私はもちろん、野崎孝訳世代なわけですよ。最初に『ライ麦畑』を読んだのは野崎訳だった。原書を読んだのはその後だから、とにかくこの作品への入り口が野崎訳だったわけ。で、2003年に鳴り物入りで村上春樹訳が出た時、一応、私もその訳書を買いましたが、読みはしなかった。野崎訳で読み、原書で読んでいるんだから、その必要が無かったんですな。 だけど、今回、サリンジャーについての連載をするにあたって、一応、両者の違いをチェックしておこうかなと。まあ、そんな風に思って村上訳を初めて読んでみたわけ。 で? どうだったかって? うーむ。言っちゃっていい? 言っちゃうよ。 野崎訳の圧勝だね。 ま、多分、これは世間の見方の逆を行っているんだと思います。私はいつもそうだからね。私の意見ってのは、大抵、世間の逆だから。世間は、多分、「野崎訳は古いしダサい。村上訳になってようやくこの小説もアップデートされた」と思っているのだろうと思います。 だけど、私から見ると、もうその差は歴然と言っていいくらい、野崎訳の方が『ライ麦畑』を日本語で再現していると思います。村上訳はね、あれはサリンジャーの小説じゃなくて、サリンジャーの小説の真似をした村上さんの小説みたいにしか見えない。村上節炸裂って感じだもの。それが気になって、気になって、もう読んでられない。 まずね、目に見えて嫌なのは、村上訳が妙にアメリカかぶれ(英語かぶれ?)なところ。 例えば小説冒頭のホールデンとスペンサー先生の会話のところで、村上訳はスペンサー先生のセリフに「あーむ」って入れるんだよね: 「そこに座りなさい、あーむ」とスペンサー先生は言った。ベッドに座れということだった。僕はそこに腰を下ろした。「流感の具合はいかがですか、先生?」 「あーむ、もっと良くなったら医者を呼ばんとな」とスペンサー先生は言った。 なに、この「あーむ」って。これ、普通訳すかね。むしろ野崎訳のように無視するか(最初の奴)、あるいは「いやどうも」(2番目の奴)などと訳した方がよほど自然だと思う。 この手のアメリカかぶれ・英語かぶれってのは村上訳には他にも沢山あって、「ジーザス・クライスト」とか、その手の間投詞をそのまま訳してあったりする。あと普通に「アントリーニ先生」と訳せばいいのに、「ミスタ・アントリーニ」と訳すとか。こういうのもすごく嫌。 あと、村上訳独自の言い回しってのがあって、例えば人の名前にスポットライトを当てる時に「くん」を付けるのよ。「フィービーくん」とか「ギャッツビーくん」とか。そういうのも気になるし、あるいは形容詞でいうと「うらぶれた」なんて言い方を何度も使われるとすごく違和感がある。 あと、最後の方でフィービーとホールデンが会話するシーンで、妹で10歳のフィービーが、高校生の兄ホールデンに「あなた」って呼びかけるんだよね。これもすごく不自然だと思う。私には妹は居ないけど、10歳の妹に「あなた」なんて呼びかけられたら、本当に嫌。ちなみに、野崎訳では普通に「兄さん」と訳されているんですけどね。 つまり、野崎訳がどこまでも「普通」に訳しているのに対し、村上訳はどこか色がついているというか、突出しちゃっているわけね。それが気になり出すと、すごく気になる。 あ、それから村上訳には日本語の言葉遣いにもおかしいところがある。167ページにキリストが12弟子を選んだことについて「でも彼(イエス)はきっとわりに見ずてんで選んだんだよ」と書いてあって、「見ずてん」のところにわざわざ傍点まで振ってあるんですわ。多分、「見ずてんで」ということばを「選り好みしないで」の意味で使ったのだろうと思うけれど、「みずてん」という言葉は漢字で書けば「不見転」と書いて、芸者が金次第でどんな相手とでも寝ることを言う言葉ですよ。元来、すごく下品な言葉。それをイエスに当てはめるなんて、日本語を知らないにもほどがあるんじゃないかい? だけど、上に述べたような細かいことだけじゃないのよ。実際には上に述べたようなことは瑣末なことで、問題はむしろそうじゃない部分の訳なのね。 訳として間違ってないんだけれども、野崎訳に比べ、村上訳は「切れ」が悪い。それは全体を通してそう。 例えばホールデンが母親から送られたスケート靴についてコメントするシーンを比べると・・・〈野崎訳〉 おふくろは見当違いのスケート靴を買ってよこしたんだけどさーー僕は競走用のスケートがほしかったのに、おふくろはホッケー用のを買ってよこしたんだーーしかし、それにしてもやっぱり悲しくなっちまった。僕はひとから贈物をもらうと、しまいには、そのためにたいてい悲しい思いをさせられることになる。〈村上訳〉 もっとも母が送ってくれたのは間違ったスケート靴だった。ほしかったのはレース用のシューズなのに、送ってきたのはホッケー用のやつだった。でもどっちにしても、けっこう哀しい気持ちになった。誰かに何かをプレゼントされると、ほぼ間違いなく最後には哀しい気持ちになっちゃうんだよね。 問題はね、最後の文の終わりね。野崎訳が「させられることになる」でピシッと切れるのに対し、村上訳は「なっちゃうんだよね」となっていて、なんだかずっこけちゃって、悲しみが伝わってこないわけ。野崎訳だと、この話をした時のホールデンの,一瞬、暗くうつむいた姿、目の奥の暗がりが見えるのに、村上訳だと「なっちゃうんだよね〜! ちゃんちゃん!」というイメージが出て来てしまって、どうにも締まらない。 要するにね、そういうことですよ。村上訳だと、あるセリフの言葉遣いと、それを言っている時のホールデンの姿とが、合っていないと(私には)思えるところが多過ぎる。本当に細かいところなんだけど、こういうのが積み重なって行って、私にとってのホールデンのイメージが、村上訳によって崩されてしまうんですな。だから、いちいち「ちげーよ」って言いたくなる。 野崎訳にはそういうところはないんだなあ。それから、もう一つ言わせてもらえれば、野崎訳より前の橋本福夫訳にもそういう不自然なところはない。この二人は学者だからね、訳すとなったら黒子に徹するところがある。 だけど村上さんは小説家だからねえ。やっぱり自分も書く人だから、筆が滑るんじゃないかなあ。 というわけで、異論・反論がたーくさんありそうですけれども、少なくとも私にとって『ライ麦畑』の訳は、やっぱり野崎訳にトドメを刺すと。そういうことですな。ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー/野崎孝【1000円以上送料無料】キャッチャー・イン・ザ・ライ ペーパーバック・エディション/J.D.サリンジャー/村上春樹【1000円以上送料無料】
December 30, 2018
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筑波大教授の利沢行夫さんが1月12日に亡くなっていたことを今日知りまして。まあ、私は直接的にはまったく存じ上げない先生ではあるのですが、この人、『サリンジャー 成熟への憧憬』というサリンジャー関連の研究書を1978年に上梓されていて、そのことをちょっと拙文の中で触れる予定だったものですから、ちょっとビックリ。私も学生時代、サリンジャーに夢中になっていた時には、この本も読みました。袖触れ合うも他生の縁ですからね。御冥福をお祈りいたします。 さて、10日ほど前に「そうだ、論文を書こう」とか言って、書き始めたんですけど・・・もう書いちゃった! 原稿用紙で40枚くらい。実質、4日くらいで書いたという。なんかもう、筆力充実しちゃって、何でも書けるよ。 もっとも、書いたというのは第1稿を書いたという意味で、ここから地獄の推敲が始まるんですけどね。私の場合、30回くらい書き直すので、結局、最終仕上げまであと1カ月くらいは掛かるかな。でも、ベースが既に完成しているというのはすごく心強くて、セーフティー・ゾーンには入っているという感じ。これも私の次の本の一章になる予定なのですが、段々、章が増えていくのが楽しい! 1冊分の原稿が溜まるまで、あと・・・2年? 多分、そのくらい。頑張ろうっと。
January 28, 2019
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もうかれこれ1カ月くらい前に読み始めた『大江健三郎 作家自身を語る』という本、ようやく読み終わりました~。 これ、読売新聞の尾崎真理子記者が、長年、大江健三郎さんを様々な企画の中で取材してきた、それを一冊の本にまとめたもので、尾崎記者の質問に対し、大江さんが答えていく、という形式を基本にしながら、時に大江さんが記者の質問以上に詳しい回答をしたりして、その脱線部がまた面白く、なかなか良質なインタビュー本になっております。 私自身は決して大江さんの良き読者・良き理解者ではないのですが、これを読むと、大江さんという人がいかに真摯に、小説を書くという作業にまい進してきたか、というのはよく分かる。だから、結果としてできた小説が好きか嫌いかは別として、その仕事ぶりは立派なものだと思う。丹精込めて作られた広大な田畑を見れば、その耕作者に対しておのずと敬意がわいてくるようなもので。 で、記者の質問に対する回答は、いずれも大真面目なものなのですが、その大真面目な中に何となくユーモラスなところもあって、大江さんという人は、直接会って話せば、話の面白いおじさんだったんじゃないかなと。私も一度くらい、会いたかったですわ。何せファンですらないから、会う契機がまったくないですが。でも、仮に会うことができたとすれば、そこは年長者キラーの私ですから、私は大江さんを魅了することができたのではないかと。私のようなマフィア系のメンタリティーの持ち主は、一般論として、年長者にもてるのよ。 それはともかく、本書には最後に、106個の箇条書き的な質問項目があって、その一つ一つに大江さんが短く解答するコーナーがあるんですけど、これがまた面白かった。 たとえばこの質問コーナーによって、大江さんが結構な酒豪(2013年までの話)で、毎晩深夜、ウイスキーのシングルモルトを一杯、しかもエビスビール350ミリ4本をチェイサーにして飲んでいた、なんていうことも初めて知りましたし、酒の席での失敗もそれなりにあったことも知りました。エッセイはモンブラン、小説はペリカンの万年筆で書く、とかね。一番好きな本屋は神保町の北沢書店だったけれども、今はもう見る影もない、とか。 あと、村上春樹の芥川賞候補作だった『風の歌を聴け』を評価しなかったのはなぜか?という問いに対し、「私はあのしばらく前、カート・ヴォネガットをよく読んでいたので、その口語的な言葉のくせが直接日本語に移されているのを評価できませんでした。私は、そうした表層的なものの奥の村上さんの実力を見ぬく力を持った批評家ではありませんでした」という回答も素晴らしい。 それから、一番傑作だったのは、「今、一番の願いごとは?」という問いに対し、「東アジアの非核化」と並べて「あいつ(複数)の消滅」と答えているところ。大江さんにして、消えてほしいと思うような嫌な人物があちこちにいるのか、と思うと、楽しくなってきます。 とまあ、私ですら面白かったのですから、大江さんのファンならなおさら楽しめることは請け合い。この本、教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓大江健三郎 作家自身を語る (新潮文庫 新潮文庫) [ 大江 健三郎 ]
June 21, 2023
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江原啓之さんの書かれた『幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック』なる本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 テレビでよく見かける江原さんですが、その著書は今まで読んだことがなかったので、どんな感じなのか、お手並み拝見~、みたいな感じで読み始めたのですけれども、まあね、まともよ、まとも。ごく真っ当なことが書いてあります。江原さん本人は、例えば人のオーラが見えるとか、その種の特殊能力をお持ちのようですが、だからと言ってこの本がそっちの方向にぶっ飛んでいるわけではなく、至極まともなことを仰っております。 で、この本で江原さんが言っている一番肝心なことは何かと言えば、「この世には偶然ってものは一つもない」っていうことですな。すべては必然であると。 だから、自分の人生にいい事があったとしても、逆に悪いことがあったとしても、それらにはすべて、明確な理由がある。 何はともあれ、江原さんの主張の中では、ここが重要よ。理由があるってことは、それに対して反応のしようがあるってことだからね。 まあ、いい事があるっていうのは、誰だって嬉しいし、何も問題がないわけだけど、問題があるとしたら、自分の身に何か悪いことが起こった時ですよね。そうなった時に、さて、どう考えるかと。 江原さん曰く、悪いことが起こったとしたら、それは理由がある。つまり、それを乗り越えることこそが、あなたがこの世に生まれてきた意味であり、使命なのだと。 江原さんの宇宙観からすると、グレートスピリットっていう完璧なスピリットがあって、これはもう「アガリ」なわけなんだけど、まだグレートになりきってないスピリットは、修業しないといけないんですな。だから、この世に生れてきて、その修業をする。 だから、何か嫌なことがあったら、「あ、これが私の修業の機会だったんだ!」って思えばいいわけよ。で、それをいい方向にクリアすれば、それは良い「カルマ」を積んだことになり、一歩、グレートスピリットに近づけたことになると。 しかも非常に頼もしいことに、この世に生れている「私」は、一人じゃないんですと。自分と同じ船に乗って修業をしている「グループ・ソウル」ってのがあってですね、その連中が自分のガイド・スピリットすなわち守護神軍団として、守ってくれているので、このガイド・スピリットの助けを借りたり、励ましてもらったりしながら、人生の宿題を一つずつこなしていけばいい。 だから、困ったことが起きたり、辛いことに対処しなくてはならない時には、心に念じて、自分を守ってくれているガイド・スピリットに御加護を願って祈るわけですよ。すると、ガイド・スピリットの方で、何かヒントをくれる。それは、直観だったり、何か別な形に変ってのメッセージだったりするわけですけど、とにかくそういうメッセージに気付きながら、ことに対処する。そうすると、悪いことにはならないよと。 こういう話、バカバカしいと思う? 私は思わないんだなあ。 もちろん、私とて自分の回りに相棒のガイド・スピリットが本当にいるかどうか、そういうことに確信を抱いているわけじゃないんだけど、そうだったら面白いな、という程度には思うわけ。 で、その上でね、すべてのことには理由があるんだ、だから今直面している問題は、自分に与えられた人生の宿題であって、それをするために生きているんだ、という風に考えたら、それはすごく生き易くなる方法だと思う。 例えば、これは本書に挙がっている例なんだけど、ある人が自分の悪口を言っているということを耳にしたとする。 普通なら、嫌な気持になるだろうし、自分に対して悪口を言っている人のことを憎むでしょう。だけど、江原さんに言わせれば、これは全然ダメな対処法なわけね。 悪口を言われるということは、言われるだけの要素が自分の中にあるからだからね。その要素を取り除くよう努力することが、自分の人生の宿題であって、自分の悪口を言ってくれた人は、「他人の悪口を言う」というカルマを背負ってまで(だって、悪口を言えば、それが自分に返ってきて、自分も悪口を言われてしまうわけだから)、そういう危険を背負ってまで、私の人生の宿題に気付かせてくれたわけでしょう? だったら、その悪口を言った人にむしろ感謝しようという気にもなる(もちろん、難しいだろうけれども)。 すべて物事には理由がある、と考えることによって、同じ悪口に対する対処でも、これだけ代わってくるわけよ。だったら、そう考えるだけの価値はあると思わない? 私はあると思うわけ。だから、江原さんが「スピリチュアル」という概念を通じて言っていることは、基本的に素晴らしいことであろうと思うのよ。 あとね、これもちょっと感心したんだけど、江原さんは「宿命」と「運命」は全く違う、と言っているんです。これもちょっと面白い考え方でね。 例えば、容姿端麗・スタイル抜群に生まれる人もいれば、不細工に生れついちゃう人もいる。これは、それぞれ宿命ですな。だから、自分の努力では変えられない。だけど、その生まれ持っての宿命の中で努力をし、いい方に変えられるものがある。これが「運命」だと。 で、江原さんは学校の比喩を出してくるのだけど、ある学校に入学してそこの生徒になるのを宿命だとすると、同じ制服を着て、同じカリキュラムで教育を受けることになりますよね。それはみんな同じ。 だけど、その学校生活を120%利用して、自分を高めたり、楽しく過ごすのに使うこともできれば、ふてくされて、退屈したまま過ごすことも出来る。それは、一人一人の生徒の心がけ次第なわけで、それが「運命」だと。だから運命は自分の心がけと努力でいくらでも変えられるわけ。 そう考えたら、どうせ自分なんてダメだ、生まれつき才能もないし、不細工だし・・・なんて「ネガティヴな不満」って抱くだけ損だよね。ポジティヴに、限られた宿命の中で最善の人生を歩もうって思った方がよっぽど得だ。 その他、この本に書いてあることの多くは、他の自己啓発に書いてあることと通底することも多いです。 例えば、人間は肉体と幽体(アストラル体)が一つにくっついているものなのだそうで、それが丹田の辺りで接続しているんだけど、この両者がずれると体調が悪くなる。逆に、両者の関係を整えるためには呼吸が重要で、ゆっくり息を吸い、その空気が全身に行き渡るようにイメージして、つぎにゆーーーっくりと吐き出す時には、全身の悪いものが息と一緒に外に出るようなイメージをする。そういう呼吸をすると、健康にもいいよ、って江原さんは仰るわけですが、こういう呼吸のノウハウって、それこそ今流行のマインドフルネスとか禅に共通するわけで。 あと、「笑う門には福来たる」っていうのは本当である、として、「微笑」の重要性を説く点なども、先日読んだティク・ナット・ハンの本と共通します。 あと、10年後の自分のありようを強くイメージすると、その通りになるよ、などと言うところ、あるいは、自分が出す波長によって、同じ波長のものを引きよせるよ、というところは、「引き寄せ系」自己啓発本と一緒。 結局、自己啓発本のいいとこどりみたいな本ですな、この本は。 ということで、この本読んで、悪いことなんかひとつもないです。良いことは沢山ある。そういう意味で、やはり江原さんがスピリチュアリストとして世間に知られる存在になったということも、決して偶然ではないですな。いいこと書いてありますよ。 ってなわけで、この本読んで学んだことは、自分の生活にも取り入れて、私もせいぜい良いカルマを積む修業に励みましょうかね。幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック [ 江原啓之 ]価格:534円(税込、送料無料) (2017/2/1時点)
February 1, 2017
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東京に居るうちに東京でしか出来ないことをやっておこうと、今日は五反田にある Good Day Books という洋書の古書店に行ってきました。実はアメリカン・ペーパーバックについての原稿を頼まれておりまして、それの資料探しのつもりだったのですが。 が! わざわざ五反田くんだりまで行ったのに、なんと、Good Day Books はとっくの昔に閉店していたのでした・・・。 マジかよ,ネット上ではまだ存在しているような雰囲気アリアリだぞ。閉店したなら、閉店したと、ちゃんと書いといてくれよ! というわけで、出だしからこのザマだよ。こういう時には、じたばたしてもろくなことがないんだよな・・・。 だけど、せっかく都心まで出ちゃったんだもの、じたばたするしかないでしょ。 ということで、都営浅草線・都営三田線と乗り継いで神保町へ。 久々の神保町ですけど、この街も変わったねえ。岩波ホールの隣、昔、信山社があったところも、なんだかブック・カフェみたいになっとるぞ。 で、これまた久々に北沢書店に赴き、スタインベックの『Tortilla Flat』のシグネット版を500円でゲット。だけど、安い古本だったせいか、店員が「このままでいいですか」とか言ってむき出しで渡してきやんの。北沢のサービスも落ちたもんだねえ・・・。 気を取り直してお隣の小川図書も見たけど収穫なし。で、お次はすずらん通りにあると聞いた「羊頭書房」を探すも見つけられず、仕方なく我が愛する「ボヘミアン・ギルド」の2階でリトグラフなどを見ながら目の肥やし。池田満寿夫の小さなリトグラフが3万円くらいで売っていて、なかなかいいものだったのですが、とりあえず今回はパス。 で、お次は三省堂。ここはね、洋古書を見に来たのではなくて別な用事。小学校英語教授法の授業を来年から担当しなくてはならないので、その参考になるような本を偵察に行ったの。 が、ちょこちょこ立ち読みしたけど、大した本がないねえ・・・。全然参考にならんじゃん。小学校英語、始まったはいいけど、誰もが迷走していて、何を教えるべきか、どう教えるべきかの定見がない。こんな見切り発車な状況で始めちゃっていいのかよ・・・。 ということで結局,何も買わずに売り場を離れたのですが、今、三省堂では8階で古書市をやっているということだったので、ちらっと覗いてみることに。しかし、実際には店のほんの一角にわずかばかりの本が並べてあるばかりで、まったく気が乗らず。さらに4階には「三省堂古書部」なるコーナーがあると知ったので、そこもチラ見したのですが、まあ、今が今欲しい本も見当たらず。 それにしても三省堂も迷走しているなあ。昔は新刊書の本屋としてビシッとしていたけど、今はあっちで古書部、こっちで絵を売り、そっちには本と関係ない食料品みたいなのを売ってたりして統一感まるでなし。何コレ? その後、「ブックブラザー源喜堂」まで行ったのですが、あいにく夏期休業中だってさ。ついてないねえ。 というわけで、5時間かけて書店巡りをして、結局ゲットしたのは1冊だけ。まったく情けない。 もう、アレだ。日本でアメリカン・ペーパーバックの古い奴なんて手に入らないんだ。もう諦めよう。今度ポートランド行った時に、パウエルズでしこたま買えばいいじゃん。 というわけで、今日は一日、くたびれ儲けの銭失い(足代はそれなりにかかるからね)に終わったのでありました、とさ。ガッカリ。
August 17, 2018
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ひゃー、押坂忍さんも亡くなられたか・・・。また一つ、昭和の灯が消えた・・・。 いや、それも悲報ですけど、今日はもう一つ、悲報が・・・。 愛知県で何店舗が経営されている「らくだ書店」の東郷店が6月30日をもって閉店しておりました。 いやあ、結構大きい書店で、自宅と大学の丁度中間点にあるもので、時々寄って本や雑誌を買ったりしていたんですわ。それが、ついに・・・。 リアル書店が次々と姿を消していくとは聞いておりましたが、身近な本屋さんにそれが起こると、さすがに堪えます。 昔は本屋なんて、そうそうつぶれるもんでもなかったですけどねえ。売れない本は、出版社に返してしまえばいいんだから。でも今はそうも言っていられないくらい、本が売れないんですかねえ・・・。 愛知県で言えば、「ちくさ正文館」という名店も昨年くらいにつぶれたし、もうだめだな。本はもう、ビジネスにはならんのだな。 本を読むことを商売にしている私なんぞからすれば、なんだか自分の職業も風前の灯なのかな、なんて思ったりして。 それにしても、馴染みの本屋がつぶれるというのは、悲しいもんですなあ。
July 8, 2024
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親友のTからメールがあり、近々、カルチャーセンターの英会話講座に通うことにしたと。ついては、おすすめの英和辞書を教えてくれないかとのこと。 え? Tが英会話? 薬剤師なのに? 絶対、何かあるな。Tのことだ、何か悪巧みがあるに違いない。そうじゃなきゃ、50過ぎのおっさんが急に英会話とか習わないでしょ。野郎、何しでかすつもりなんだろう? ま、いいか。どんな理由であれ、新しいことにチャレンジするなんて、殊勝な心がけだ。 学習用の辞書なんだから、そんなに難しい奴じゃなくていいんだろうな。学習用に特化した奴をおすすめしておこう。 というわけで、ベネッセが出している『Eゲイト英和辞典』を買えば? とアドバイスしたワタクシ。 ま、学習用辞書としては、大昔は研究社の『英和中辞典』というのが定番でしたけど、その後、学研の『アンカー』というのが出て、これが良く出来た学習用辞書だったもので、一世を風靡。しかしアンカー独裁の時代は長くは続かず、大修館の『ジーニアス』が追随。これまた良く出来た辞書だったのよ。 一方、老舗の研究社も『リーダース』を出し、これはこれでいい辞書だった。これは語数が多いのが特長で、英文読解のためには頼もしい相棒でした。 それから小学館の『プログレッシブ』とか、色々出てきて、中型英和の世界も群雄割拠の時代に入るわけですが、そこへ割って入ってきたのがベネッセの『Eゲイト』だったと。2003年のことでございます。 『Eゲイト』の特長は、「コアセンス」という概念を明確に打ち出してきた点。コアセンスというのは、その語が持つ根源的な意味のこと。例えば「make」という動詞を引くと、この動詞のコアセンスは「Aまず材料があり Bそれに手を加え C形を変える」ということだ、と書いてある。ただ単に「作る」というような訳語が書いてあるのではなく、こういう風にこの動詞の持つ根源的なイメージから説明してあるわけ。これは、画期的な説明だったわけね。 ところが・・・。 調べてみたら、なんと、『Eゲイト英和辞典』は既に絶版だったのであります。 ええ゛ーーーー。マジですか。まだ初版が出てから14年しか経ってないじゃん。それでもう絶版なのかい? えー、だってさ、辞書作るのって、大変よ。企画から完成まで何年掛かるの。このスケールの辞書を作るのだって、ゼロから始めたらそれこそ10年くらいは平気で掛かるんじゃないの? なのに、もう絶版? はあ~。厳しいね、それ・・・。辞書なんて、細々と、だけど長く売れることで、ようやく元を取るような商品じゃないのかね。 やっぱり、あれかな。電子辞書。あれにやられたんだろうね。ま、電子辞書の中に活かされるのならいいけど、そうじゃないなら、丸損ですな。 ひゃー。残念。『Eゲイト』はいい英和辞書だったのに。 というわけで、Tにはとりあえず『スーパーアンカー』を薦めつつ、我が机上にある『Eゲイト』をなでなでして慰めてあげたワタクシなのでありました。興味のある方は古本でどうぞ。Eゲイト英和辞典 /ベネッセコ-ポレ-ション/田中茂範 / 田中茂範、武田修一 / 【中古】afb
June 6, 2017
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フィリップ・チェスターフィールド著『わが息子よ、君はどう生きるか』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみに、本書の著者は「フィリップ・チェスターフィールド」となっていますが、正式にはそうじゃない。「フィリップ・スタンホープ、第4代チェスターフィールド伯」ですね。チェスターフィールドは地名ですから。 で、フィリップ・スタンホープという人は、1694年生れの1773年歿ですから、よほど古い人。貴族の生れにして、後には政界で活躍し、また文人としても知られた人ですね。で、生前はウィットに富んだ著作の数々で誉れ高かったようですが、死後は本書(原題は『Letters to His Son』)のみが残ったと。この本はもともと、息子に宛てた手紙であって、もちろん公開するつもりなんかなかったわけですが、結局、その非公開の手紙で後世に名を残すことになるとは、スタンホープ本人にとっては意外なことだったでございましょう。 ちなみに「息子」に宛てた手紙と言っても、その息子ってのは、庶子だからね。スタンホープと本妻との間には子供は生まれなかったの。で、この息子は、スタンホープが仕事でハーグに滞在していた時に、現地の女に生ませちゃったもので、それでもスタンホープは彼を教育面で相当バックアップしたらしい。それなりに才能のあった息子だったようですが、やはり庶子であることのハンディキャップは大きく、また病気も災いして早死にしております。 ま、とにかく本書は、スタンホープが庶子の息子に対し、処世術を伝授した一連の手紙でありまして、イギリス紳士たるもの、心して耳を傾けるべきマナー集として18世紀から今日に至るまで広く読まれ続けている名著ということになっているわけですな。先日ご紹介したように、明治時代に来日したバジル・ホール・チェンバレンの蔵書にもしっかり入っていましたから、この本が如何に広く読まれていたかはもって知るべし、というところでございましょう。 ちなみに、以前このブログでも取り上げましたG・キングスレイ・ウォードの『ビジネスマンの父親より息子への30通の手紙』なんかもそうですが、自己啓発本の一つのジャンルとして「父親が息子に伝授する処世術」というのがありまして、本書『わが息子よ、君はどう生きるか』はまさにこの伝統の劈頭に立つものと言っていい。 で、『ビジネスマンの父親より息子への30通の手紙』をご紹介した時にも書きましたが、私が思うに、このジャンルの自己啓発本は、基本的に「うざい」です。 と言いますのは、一般論から言ってですよ、息子にとって一番、処世訓を受けたくない相手が父親だから。 私にも経験がありますが、親父からの説教ほどうざいものはない。その意味で、父親は息子にああしろ、こうしろと言っても無駄なのよ。聞き入れないんだから。もし聞き入れるとしたら、親父が死んだ後ですよね。「ああ、昔親父がよく言っていたけれども、確かにそうだなあ」と。生きているうちなんか、親父の言うことの反対のことしかやらない。それが息子ってもんでしょう。 だから、「父親が息子に伝授する処世術」という自己啓発本ジャンルは、その成り立ちからしてある意味、崩壊しているわけね。 で、もしこのジャンルがそれでも成立するとすれば、読者が息子の立場ではなく、赤の他人として著者の意見を承って、その上で著者の言っていることを受け入れられるかどうか、に掛かってくると思います。 もっと端的に言うと、当該の本における父親と息子の距離が遠ければ遠いほど、成功する確率が高いということになる。その方が、より一般論になりますからね。 で、『ビジネスマンの父親より息子への30通の手紙』の場合ですと、これは父親の会社を継ぐ二代目に向って、父親があれこれ口を出す想定ですから、親父と息子の関係は血のつながりだけでなく、社長と次期社長という仕事上のつながりもある。両者の距離はすごく近いわけ。だから、ものすごくうざい本になっております。 一方、『わが息子よ、君はどう生きるか』における両者の関係は、社会的身分もある貴族の親父と、その庶子との関係だからね。色々な意味で遠くならざるを得ない。 だからいいのよ! 私が思うに、『ビジネスマン』読むくらいなら、こっち読んだ方がよっぽどいいよ。さすが、200年以上に亘って読み継がれているだけのことはあります。 さて、ではその内容は? ということなのですが、すごくしたたかです。イギリス的な意味で。 それはつまり、「道徳的」というよりは、「戦略的」という意味ね。この本は、別にモラルを教えているわけじゃないの。そうじゃなくて、モラルの観点から言えばこうすべきだろうけど、実際にはこうした方が自分の得になるよ、と。そういう教えを垂れているのがこの本。 でも、処世訓って、そういうことだから。 例えばチェスターフィールド伯が息子に与えた処世訓の一つに「お世辞を言えること」というのがある。 人間は誰しも人から褒められたいと思っている。だから、その褒められたいと思っているところを褒めてやると、その人を自分の味方にできる。しかし、相手がどこを褒められたがっているかを見抜くことが重要で、例えば一流の政治家の政治手腕を褒めるより、その人の二流詩人としての側面を褒めてやった方が遥かに効果的だ。なぜなら、その人は政治に関しては自信があるが、詩人としては自信がないから。その自信のないところを褒めてやれば、相手はイチコロだ。そのためには、相手の言動をよーく観察すること。観察していれば、どこが褒めどころか、分かるはずだ・・・ ・・・的なことが書いてある。無論、「おべっかを使う」というのは、モラル的にはあまり褒められたものではないわけですが、「賢くおべっかを使う術を身に付けている」ことは、良好な人間関係を築き、自分の身を守るためにも非常に有効な手段だから、覚えておけと。 要するにこれがチェスターフィールド伯スタンホープの処世訓なわけ。単なるモラル集とは格が違う。人間学ですよ、人間学。人間通になれと、彼は息子に教えているわけ。 その他、私が「ほう」と思ったこの種の処世訓を羅列していきますと・・・○自分の長所に気を付けろ。短所というのは、それ自体醜いものだから、誰しも避けようとするが、長所は一見素晴らしいものに見えるので、誰もそれを抑制しようとしない。しかし、長所をそのまま増長させると、ひどいことになる。例えば学識は素晴らしい長所だが、ほうっておくと鼻持ちならない衒学になってしまう。長所が長所であり続けるために、よくよく意識して見張っておかなければならない。○他人の些細な欠点には、目をつぶった方がいい。そんなところまで注意して、相手に嫌われるより、その相手の無邪気な欠点に目をつぶって友だちで居た方がよほどいい。○人望ほど合理的で着実なよりどころはない。一人の人間を押し上げるのは、人々の好意であり、愛情であり、善意だ。ではそう言ったものをどうやって手に入れるかというと、まずは手に入れる努力をすべきだ。人々の好意・愛情を努力しないで手に入れた人はいない。○人間は普段よく話をしている人間の雰囲気、態度、長所・短所、ものの考え方まで無意識のうちに取り入れてしまう。だから、付き合う人間を選べ。しかし、もしそういう優れた人が廻りに居なかったのなら、やはり周囲の人間をよく観察して、この人のこういうところがいい、ということがあれば、それを真似よ。○服装や髪形、清潔感など、外見は非常に重要であるので、よくよく気を付けて自分の外見を整えよ。ただし、一旦整えたら、その日一日、自分の外見には一切気を取られるな。○どんな話題にせよ、「その話、知っている」ということを言ったり態度に示したりするな。とにかく、何も知らないという風を通して、相手にとことん語らせよ。そうすれば、案外、自分の知らなかったことまで語ってくれるかもしれないから。○人生最大の教訓は、「物腰はやわらかく、意志は強固に」ということ。仮に譲歩しなければならないことがあったとしても、全面譲歩ではなく、一歩一歩、少しずつ譲歩せよ。柔軟であることは、必ずしも良い結果をもたらさない。譲らない一線を保て。ただし、あくまでも物腰柔らかく。 ・・・ってな感じ。どうよ、なかなかタメになるでしょうが。少なくとも私には大いにタメになりましたね。特に最後の奴とか。私の場合、意志は強固だけど、態度も強固になりがち。そこが私のダメなところで、敵を作っちゃうところなのよね。反省。 ちなみにこういう処世訓を快く思わない人というのは居るのであって、例えばかの有名な文人、ドクター・ジョンソンなんか、チェスターフィールド伯のことはクソミソで、「この本は売春婦のモラルを教える本、ダンスの先生向けのマナー集であって、そういう輩を、うわべだけは紳士として通用させるためのものだ」なんて憎まれ口を叩いております。もっとも、ドクター・ジョンソンは例の英語辞書を編纂する際、チェスターフィールド伯に経済的援助を懇請したものの、体よく断られたことを根に持っていたので、彼の罵詈雑言は、若干割り引いて考えないといけないのかも知れません。 あとね、歴代チェスターフィールド伯はファッションとかインテリアの分野にも名を残していて、例えば「チェスター(フィールド)コート」とか、重厚な皮と沢山の鋲で出来たイギリスっぽい「チェスターフィールドソファ」とか、そういうのみんなここ発信だから。そういう意味でも、チェスターフィールド伯って、面白い存在なのよ。 というわけで、この本、教授のおすすめ!です。わが息子よ、君はどう生きるか (単行本) [ フィリップ・チェスターフィールド ] それにしても、この本、物理学者で『ニュートン』の創刊者としても知られる竹内均訳なんですけど、竹内均って、一体、何なんだろうね? この人、日本の自己啓発本出版史にやたらと登場する人なんですけど。『ニュートン』誌の創刊自体もそうだけど、無知な日本人を啓蒙したい、っていうアレが強い人だったんですかね。
November 4, 2017
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期末試験のシーズンとなり、ようやく夏休み目前となって参りました。 で、今年はどこへ行こうかなと思案したのですが、毎年ロスというのも何とかの一つ覚えかなと、今回はショバを変えることにいたしました。 で、考えた末、今年はポートランドに行くことに決定! カリフォルニア州の北、オレゴン州ですな。 まあ、今全米で一番注目の街。アメリカの都市にしては珍しく、公共交通機関が発達。自転車道の整備もされていて、治安も良いというのですから、今、全米各地から引っ越して来る人が多いのもある意味当然。 しかも、消費税がないという。ここで買い物しないで、どこでするの? もちろん、シアトル同様、サードウェーブ・コーヒーでも有名。街のあちこちからコーヒーのかぐわしい香りが漂ってくる・・・らしいです。 一方、私の研究方面では、街中にポートランド州立大学がドンとある。そして、むしろこちらの方が私の関心を惹くのですけれども、有名な「パウエルズ」という書店の本拠地。新刊本と古本を両方扱う巨大書店で、私はここから随分沢山の本を買いましたが、それはネット上で買うのであって、本店に行くのは初めて。 しかし! 大昔は、名古屋―ポートランドの直行便(デルタ)があったもので、私が最初にロスに行った時は、ポートランド経由で当時の名古屋空港から旅立ったものですが、今はそんな便はなし。下手すると3度乗り換えとか、そんなのばっかりになってしまったのですが、それでもなんとか、往復とも成田乗り換えだけで済む便を探し出して予約したところ。 それにしても、旅慣れない私にとって海外旅行というのは、決して楽しいばかりではありません。飛行機の予約、アパートの予約、そういうのがもう面倒で面倒で。大きいスーツケースを引っぱってえっちらおっちら空港を右往左往するのも相当なストレス。 もう、アメリカ西海岸ですら私には遠い! せいぜい、ハワイがいいところ。 これからはハワイに滞在しなければならない研究課題を探すしかないな・・・。
July 30, 2018
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ビックリしました。愛知県は知立駅の駅そばにある日本を代表するジャズ喫茶の名店「グッドベイト」の名物店主にして、日本のジャズの普及に多大なる貢献をしてこられた神谷年幸さんが亡くなられたとのこと。しかも、ちょうど1年ほど前に。 ビックリしたのは、昨年の1月27日に、私は久しぶりにグッドベイトを訪れ、神谷さんとお話しさせていただいていたから。亡くなられたのは2月12日くらいだそうですから、亡くなられる約2週間前にお会いしていたことになる。 私がお会いした時は、以前と変わらず、お元気だったので、私はてっきり今もご健在なのだとばかり思っておりました・・・。 私は大学でアメリカ文化の一端としてジャズについての授業をしておりまして、毎年この時期に、受講生(50人くらい)に「実習」と称してグッドベイトに行かせることにしていたんです。日本を代表するジャズ喫茶というものがどういうものか、実際に若い連中に見せたかったので。 で、うちの学生が三々五々、グッドベイトを訪れると、神谷さんはいつも「釈迦楽先生のところの学生さん?」と声をかけてくれて、ジャズのことを教えてくださったり、店の奥にある膨大なレコード保管室などを覗かせてくださったりしたものでした。だもので、グッドベイトから戻って来た学生たちに感想を聞くと、皆、顔を輝かせて「面白かった!」「人生で初の経験ばかりでした!」と報告したものでございます。 で、今年も年末から年明けにかけて、学生たちがグッドベイトにお邪魔しに行ったのですが、その学生たちから神谷さんの訃報を聞いて、私の方が仰天した次第。 いやあ・・・。あの穏やかで、親切で、ジャズの神様みたいだった神谷さんが、今はもう亡いのか・・・。ほんとかよ・・・。信じられんなあ・・・。 一つ、ホッとしたのは、神谷さん亡き後、奥様やご子息の方が店の経営を継続されていること。神谷さんが愛したジャズとレコードとお店が、まだ存続しているというと思うと嬉しい限り。 今は論文書きで動けないけれども、これが一段落したら、私もグッドベイトを訪れて、奥様にご挨拶しに行かなければ。 しかし、神谷さん、亡くなられたのか・・・。寂しいですのぉ。天国で、お好きだったエリック・ドルフィーやらその他多くのジャズメンたちに、歓呼の声をもって迎えられているところを想像しつつ、我が国を代表するジャズ・ラヴァ―、神谷年幸さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
February 10, 2022
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先日亡くなった福田和也氏の本を一冊も読んだことないなー、と思い、試しに一つ、読んで見るかと思ってテキトーに買ってみた『悪の読書術』という本、ざっと読んでしまいました。これこれ! ↓【中古】 悪の読書術 / 福田 和也 / 講談社 [新書]【宅配便出荷】 で、読んで見たのですが、これがまあ、つまらない本でありまして(獏!) この本のコンセプトは、一言で言えば「社交としての読書」。読書なんて、読者が好きなものを好き勝手に読めばいいわけですが、しかし、いい大人が子供騙しの本の愛読者であることを公表したりすると、それはそれでお里が知れるところがある。つまり、そういうのは「社交としての読書」としては失敗例になるわけですな。 だから、こういう本を読んでいる、または小脇に抱えていたりすると、一目置かれるぞ、的な本を、ケース・バイ・ケースで紹介していく――これが本書の趣旨であるわけ。 えーーー?! それって、本の読み方として、どうなの? って、思いますよね? 実際、本書のレビューを見ると、この点を批判したものがわんさか出てきて、「何を読もうがこっちの勝手だ!」とか、「昭和のおじさんに、こういう本を読んだら知的にみられる、などと言われたくない」的なコメントがずらずら並ぶ。 まあ、そりゃ、そうなりますよね・・・。私もそう思うもん。 というわけで、この本を読んで、何一つ学ぶところがなかったのでした。なーんだ、福田和也なんて、この程度のものか。だったら、恐れるに足らずだなあ・・・。 ところが。 今朝の読売新聞に、島田雅彦氏が福田さんを追悼した文章が掲載されていまして。 それによると、島田さんが福田氏に初めて会ったのは、某文壇バーであったと。その時、島田さんはイタリア人の女性を連れていて、その女性と会話を楽しんでいたのですが、そこに横やりを入れてきたのが福田氏だったんですって。 最初は、冷やかしのような茶々を入れてきたのですが、そのうちヒートアップしてきて、ピーナツを頻りに投げつけてくる。まあ、酔っ払いが絡んできたようなもんですわ。 でも、そんなきっかけで島田氏は福田氏と懇意になり、その後、対談やらなにやらで一緒の仕事を何度もするようになった。 で、島田氏曰く、福田氏は、そうやって自分の興味のある人に対し、半ば喧嘩を仕掛けているかのようなちょっかいを出しては、関係を結び、その後、その関係を育てていくような感じで人とつながる術に長けていたと。 そうした福田氏のつきあい術を称して、島田氏曰く、「福田氏の場合、社交と批評は表裏一体をなしていた」と。 ふうむ、「社交と批評が一緒」か・・・。 そんな島田氏の福田氏評を読んで、福田氏のいわゆる「社交としての読書」というものを再考してみると、読書とは社交の土台を成すもの、という考え方が福田氏にはあったのかもね。そういう風に考えると、この本は、福田氏自身の読書観を示したものであって、他人にこういう読書の仕方を勧める、という体のものではなかったのでありましょう。 というわけで、島田氏の追悼文をタイムリーに読んだことで、私の福田和也観も少しだけ修正されたところがあります。 でも・・・、まあ・・・、どっちにしてもあんまり私にとっては参考にならない本ではあったかな。
October 1, 2024
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今日一日、台風関連のニュースを見ていて思ったのですが、NHKのアナウンサー&レポーターがこぞって「暴風雨が吹いています」と言うんですよね・・・。この言い方は正しいのかしら? ワタクシの感覚だと、「暴風雨」というのは「暴風を伴う雨」という意味なので、「吹く」のではなく「降る」のではないかと思うのですが。だから「暴風雨が降っています」か、あるいは「暴風雨となっています」ならいいんですけど、「暴風雨が吹いています」って言われると、どうもなんだかしっくりこないような。ま、大した問題ではありませんが、どうなのかな、と。 それはさておき、台風の影響で勤務先大学は今日は臨時休講となってしまいまして、風邪気味の私としてはいい骨休めになりました。というのも、明日は学会に参加するため秋田大学まで行かなければならないからです。名古屋から秋田というと、移動だけでまあざっと7時間はかかるわけでして、なかなか大変なんです。 しかし、学会が今日じゃなくて良かった! 今日だったら、とてもたどり着けなかったでしょうな。 もっとも、大きな学会の全国大会が開かれる時には、その前後に子学会が開かれることも多く、今日中に秋田入りしていないといけない学会員も多いはず。そういう人たちにとっては、大変な一日になったことでございましょう。 とにかく、私も明日は朝から新幹線に飛び乗って秋田を目指します。あまり自由な時間はありませんが、一回くらい「しょっつる鍋」とか、何か秋田っぽいものでも食べられるといいな! それでは、明日に備えて今日は早めに休むことにいたしましょう。それでは皆さま、一足先にお休みなさーい!
October 8, 2009
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「矢沢永吉激論集」なる副題を持つ1978年のベストセラー、『成りあがり』を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 永ちゃんについては、もちろんリスペクトしておりますが、矢沢タオルを首に巻くほどのファンではない私。その私がなぜにこの本を、しかも、今になって読んだかと申しますと、やっぱり自己啓発本研究の一端でありまして。 というのも、永ちゃんがかの有名な自己啓発本、デール・カーネギーの『人を動かす』に大きな影響を受けたって話をどこかで聞いて、話のタネになるかなと思ったから。実際、『成りあがり』(角川文庫版)を読むと、64ページにそのくだりが出てきます。 だ・け・ど・・・。 そんなこたぁ、どうでもいい! っていう位、驚いた。 この本は・・・すごいわ。もう、すごいの一言。日本人の自伝(聞き書きだけど)として、超一流のものと言っていいんじゃない? そう思うほど、ガツンと感銘を受けましたねえ。ほとんど、巻置く能わざる、っていう感じで、一気に読み切っちゃった。 後妻の子として生まれ、しかしその母親も3歳の時に永ちゃんを置いて出奔、父親も病気で亡くなり、小さい時から親戚をたらいまわしにされて過ごした幼少期。それでも、おばあちゃんという人とは気が合って、貧しいながらこのおばあちゃんの下で育ったという。あんまり素敵だから、そのくだりを引用しちゃうけどさ: 朝起きると、おばあちゃんが釜のとこで木くべて、ごはん炊いている音が、コトコトコトコト聞こえるわけよ。お母さんという感じじゃないけどさ。 「永吉、起きよ」 その声がうれしくてね、むくっと起きるの。そうすると、オレは、新聞を敷くわけ。新聞紙をパッと敷いて正座して待ってる。 「ほーれ、ごはん食え」と、ごはん、パッとくれる。 おかずは、必ず、一品料理というか。ごはんと何かひとつ。その何かというのは味噌汁かもわかんない。コロッケかもわかんない。ひと品。 オレが好きだったのは、卵料理。 卵、ポンと割って、醤油を混ぜて、水混ぜて、味の素混ぜてこねるわけ。それをふかすわけよ。 ふかすとポッコリ。茶碗蒸しのようなもんよ。それを、もっとオカズにしたい場合は、醤油をちょっと足すとかね。 それ、オレ大好きだった。おいしいおいしいと食べるから、おばあちゃんはそれをメインにするわけ。 いまでも思い出してよく作るんだ。最近、電子レンジをガチャンとやってね。 それがない時は、味噌汁かな。大根とか、いろいろ切って入れて・・・これでオレ十分なわけ。 オレ、いまでも食欲のない時なんか、お茶とか、ぶっかけてメシ食う。あれ、ちっちゃい時の癖なんだ。味噌汁の中身混ぜて、べちゃべちゃにして食う。うわあっと流し込むのが好きなの。 こうなると、ちょっと楽しい話になっちゃうけどさ、誕生日の時・・・。 「おばあちゃん、オレ誕生日なんだ」 「それがどうした」 わかるだろ、関係ないわけよ。そんな誕生日なんて。 でも、さすがよ。おばあちゃんがオレにしてくれたことは。卵をふたつにしてくれた、その日だけ。 卵の買い方。オレよく憶えてる。「おまえ、永吉、好きな卵買ってこい」と言われることがある。十三円とか、十二円とか、一円違うだけでちょっと大きいのよ。それ一個選ぶの。 で、誕生日は、ふたつ。 「あ、おばあちゃん、今日は卵がふたつ入ってる」 「そうだよ、誕生日だからね 永吉、よく聞け。卵と思って食うな。ニワトリ二羽殺してくれたと思え」と言うんだよ。 そう思って食えって。 とてもうれしかったよ。 ニワトリの元って、卵だもんね。 そういう朝メシだったな、オレたち。 (20-22頁) あーー。もうダメだ。涙なしに読めない。これは何? 文学だよ、文学。トルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」じゃないか! で、中学校、高校までは広島で、それなりに不良として過ごすのだけど、永ちゃんには野心があった。いや、野心というよりヴィジョンかな。オレは音楽でスーパースターになる、というね。だから、そのスーパースターにふさわしい門出として、高校卒業と同時に上京する。自分が故郷を捨てる時はこうやるんだという、その思い描いた通りの形で、深夜発の最終電車に乗って。 そして横浜に降り立った矢沢青年は、とりあえず生活をするために飲食店などで働き、その一方でバンド活動を始める。バンドのメンバーを集め、実力なんて全然ないのに、はったりかまして地元のキャバレーやディスコに出演させてもらい、そうこうしているうちにさらに優秀なメンバーを集め・・・ってな感じで、無一文からわらしべ長者的に少しずつグレードアップしていく。 と言っても、永ちゃんの目標はスーパースターだから。ちょっと稼げるようになった、とか、そういう素人の小遣い稼ぎでは満足できない。そこで、そのレベルで満足してしまうメンバーたちとは、どこかで衝突してしまう。で、そういう衝突や別れを繰り返しながら、「ヤマト」の結成にたどり着き、さらにはあの伝説のバンド「キャロル」の結成に至ると。 そういう一連の出来事は、しかし、その辺の通り一遍のサクセス・ストーリーとはわけが違って、苦闘に満ちていると同時に、喜びと感動にも満ち溢れているのよ。なにせ永ちゃんは広島から出てきた田舎者。首都・東京で目にするあらゆるものが驚異であり、光輝いているわけ。そういうものに、素直に感動する田舎者の自分を、永ちゃんは全然隠さないんですな。そこがまた実に爽快。 と、同時に成功へ向かう一歩一歩の中には、思い返すのも腹立たしいこともある。例えば、ミッキー・カーチスに騙されて、不当な契約をレコード会社と結ばされたりね。そういう、汚い大人社会のやり方にもさんざん翻弄されるわけ。 だけど、やっぱりそこが永ちゃんなんだなあ。騙された自分の非を認めて我慢するところは我慢し、だけれど、自分がさらにビッグになることで自分を利用した連中を見返し、それできっちりオトシマエをつける。騙した相手を黙らせちゃうわけよ。そこんとこヨロシク!ってな感じで。 だからこの本は、一言で言えば、人生で出くわした色々な出来事に対して永ちゃんがどんなオトシマエをつけてきたか、そいつを語った本なんです。 例えばキャロル解散の件とかね。 人気絶頂のころでさえ、永ちゃんと他のメンバーの間には溝があった。理想を追い求めさらに上を目指す永ちゃんと、人気に溺れ、享楽的に過ごすメンバーたちと。で、解散やむなし、となった時点でも、永ちゃんはキャロルを支えてくれたファンのために、既に決まっていた十数回の全国コンサートをやりきることを主張するのだけれど、メンバーは即刻解散を主張してゆずらない。 結局、そこは永ちゃんがメンバーの前に頭を下げる形で(本当に頭を下げたらしい)、なんとかコンサート実施を果たすのだけれど、頭を下げながら永ちゃんが思ったことは、「こいつら、決して許さない」ということだったと。 つまり、ファンに対してオトシマエをつけるために永ちゃんは下げたくもない頭を下げたわけだけれども、同時に、キャロルのメンバーに対しては、「許さない」という決意をすることで、オトシマエをつけたわけね。 先ごろ、ジョニー大倉が亡くなった時、永ちゃんがほとんどコメントらしいコメントを出さなかったのは、そういうことだったんですな。喧嘩別れしたにしても、ずいぶん時が経ったのだし、お愛想にしても「残念だ」的なコメントでも出せばいいのに、と思った私は浅はかでした。そういう周囲のプレッシャーがあっても、永ちゃんはあの時の決意を揺るがさなかったんですな。男だねえ。 だけど、許さなかった話ばかりじゃないよ、この本。むしろ、永ちゃんは、自分に対してひどいことをした人たちに対して、ものすごく寛容に許していると思う。 でまた、その許し方がかっこいいんだ! 例えば小さい時に、永ちゃんのことをたらしまわしにした親戚に対する永ちゃんの態度なんて、ほんと、ほれぼれします。あんたら、オレにひどいことをした。でも、時間が経てば、そういうことも別に気にならなくなるかもしれない。だから、もっと後になって、40歳、50歳になったら、ふらっと遊びに行くかも知れない。だけど、そういう気持ちになるかどうかは、オレの心一つに任せてくれ。・・・ちゃんと面と向かって、そういうことを言ったというんですからね。 あと、3歳の時に自分を捨てた母親、いつか会うことがあったら殺してやろうと思っていた母親に再会したときなんて、一瞬で許して、一緒に泣いたっていうんですから。 そのほか、奥さんとなるすみ子さんとの出会いなんて、すごくいいよ。大体、私は愛妻家が好きなので、永ちゃんが奥さんを大事にする感じ、いいと思うなあ。 で、この本の最後は、「元キャロルの矢沢永吉」ではなく、「矢沢永吉」としてさらにスーパーな存在になるため、彼が今どういう戦いをしているか、というところで終わるんですけど、この終わり方もとてもいい。 ま、とにかく、そんな感じで、私はものすごい感動と共にこの本を読み終えたのですけれども、この本ができた時、永ちゃんが28歳だった、というところに、私はさらに驚きます。 28歳で、これほどのものを・・・。 私が28歳の時なんて、まだ大学院を出たばかりで、単なる親のスネカジリ、自分がこの先どうなるか、どうしたいのかなんてヴィジョンもろくにないような、マシュマロみたいなもんでしたよ。それが、永ちゃんは、この時点でもうこれだけの老成ぶり・・・。老成という言葉が適当かどうか分かりませんが、とにかく、苦労に苦労を重ね、苦闘に苦闘を重ねて、押しも押されぬ地位に駆け上り、さらに上を目指して更なる苦闘をしていた、というのですからね。 いやはや。もう何をかいわんや。永ちゃんは、すごい。 私、読もうと思えば、この本が出た当時に読めたのですけど、その当時は『成りあがり』というタイトルに反発して、敢えて読まなかったんです。もっとガツガツした本かと思い、また、有名人に対する反発もあったのかな。 思えば、それはそれで、私の側の、永ちゃんに対する挑戦状のつもりだったのかも知れません。敢えて読まないことを選ぶっていうね。私も若かったわけだ。愚かだけど、やっぱ若さってのはいいもので。 その私が、当時の永ちゃんの倍ほどの年齢になってから、この本を読んだと。それはね、遅きに失したとも言えるし、ひょっとしたら、ちょうどいい時に読んだ、ということなのかも知れません。今だから、この本に書いてあることが分かる、というところもあるからね。 ま、とにかく、色々なことを考えながら、私はこの本を堪能したのでございます。今年一番の収穫。教授の熱烈、熱烈、熱烈、おすすめでございます。成りあがり新装版 [ 矢沢永吉 ]価格:734円(税込、送料無料) (2016/11/14時点)
November 14, 2016
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竹内康浩さんという方の書かれた『ライ麦畑のミステリー』(2005年)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 竹内さんは、もちろん面識はないのですけれども、私より2つ年下ですがほぼ同年代、しかもこの本の前にもう一冊、『『ライ麦畑でつかまえて』についてもう何も言いたくない』(1998年)という長いタイトルのサリンジャー本を出されていて、もう何も言いたくないって言っていたのに、もう一冊書いちゃうくらい、私なんぞよりよっぽどサリンジャー研究者って感じの人。 ちなみに、前著『もう何も言いたくない』は、「Suzuki Yoriko」さんに捧げられていて、誰? って思うのだけど、本書の序章を読むと、どうもこの女人は竹内さんの高校時代のガールフレンドだったらしいのね。だけど、残念なことに、ご病気で急逝されて。それで竹内さんは前著をこの方の命日に出版されたと。まあ、そういうことが書いてある。 ふうむ。そういう感じか。いきなり読者の方が照れるようなことを書くんだねえ・・・。そういうのはむしろ秘して書かない方が・・・ まあ、いいか。 ところで、本書のタイトルは『ライ麦畑のミステリー』なんですけど、注目は「ミステリー」という部分。そう言えば、田中啓史先生という、今は75歳くらいになられているはずのサリンジャー研究家もかつて『ミステリアス・サリンジャー 隠されたものがたり』という研究書を書かれているのですけど、サリンジャーというと、ミステリアスな作家というイメージがものすごく強くて、その作品を読み解く=ミステリーの解読という趣になることが多い。 竹内さんも本書のあとがきの中で「(この本に書いてきたことの是非は)サリンジャー本人に聞けば、正確な答えが得られる問題だ」と言っているように、本人に聞けばいいんですよ。だけどそのサリンジャーが雲隠れするもんだから、好き者同志があーだこーだと詮索しなくてはならなくなる。逃げるサリンジャー、追うファンってね。 で、本書は、そういう意味で、「ミステリーの解読」に気合い入れちゃった一例と言えるのではないかと。 で、ミステリーの解読となると、作品の精読をするしかない。そしてその上で、作者が意図的に作品の中に置いて行ったと思しき様々な手がかりやシンボルを拾いまくり、それが意味するところを推測しまくるしかない。 これは、まさに古典的な「ニュークリティシズム」の手法そのものじゃないかっ! 今から40年から60年くらい前に流行っていた分析手法! 懐かしい~! で、何を隠そう、私もこの手法が大好きで、その後に流行る「脱構築批評」とか、そういうのが全然分からない人なんですけど、実はこの手法には一つ、大きな欠陥がある。 それは、「ちょっと~、それって、穿った見方過ぎるんじゃないの~」っていう奴。「考え過ぎよ~」っていう。 で、竹内氏の『ライ麦畑のミステリー』も、かなりこの批判が当てはまるのではないかと。 例えば、『ライ麦畑』の中で、主人公ホールデンが妹のフィービーにレコードをプレゼントしようとするのだけど、それを酔っ払っていた時に落として割ってしまう、という件がある。で、そのレコードというのが「リトル・シャーリー・ビーンズ」という曲だとされているのですが、実はそういうタイトルの曲は存在しないと。ただ、内容からして多分、「All I Want for Christmas Is My Two Front Teeth」というコミックソングなのではないかと。 まあ、ここまではいいよね。実証的で。だけど、ここからの考察が穿っちゃうんだなあ。 サリンジャーがこの曲のタイトルを「シャーリー・ビーンズ」に変えたのには理由があるはずだと。それは多分、「shellin' beans」の意味、つまり、豆を鞘から剥け、というサリンジャーのメッセージに違いないと。そしてそれはユダヤ教のカバラ思想、即ち外側の殻を突き破って核へと侵入せよ、ということをサリンジャーが言わんとしているに違いないと。 しかも、サリンジャーはこの歌を歌っているのが「エステル・フレッチャー」であると言っているけれど、そんな歌手は存在しない。おそらくこれはフランス語の「Est elle Fletcher?」、すなわち、「フレッチャーさんてだーれだ?」という謎かけに違いない。そしてその場合、フレッチャーとは、おそらく、1913年に「よく咀嚼してモノを食べましょう」ということを提唱したホーレス・フレッチャーを指すに違いない。つまり、豆(サリンジャーが言わんとしていること)をよく噛んで食べなさい(拳拳服膺せよ)、というサリンジャーのメッセージがここには込められておるのじゃ。 はい、皆さん、御唱和くださーい:「うっそ~!!」 まあ、これは一例ですけれども、竹内さんがこの本の中でやろうとしていることは、こういう類の分析なのであります。ミステリ~!! もちろん、中には面白いだけでなく、鋭い指摘もあって、例えばホールデンが「好きな本」として挙げている小説は、雨の中で誰かが死ぬ、といった筋書きの本ばかりなのだけど、そこに何らかの再生も描かれていて、その意味で救いがあるものばかりである。その一方、ホールデンが「嫌いな本」として挙げているのは、やっぱり雨の中で誰かが死ぬんだけれども、死にっぱなしというか、死の要素ばかりで再生の要素がないものばかりである。故に、サリンジャーは「雨の中の死と再生」ということを考えていたのであって、それが『ライ麦畑』の最終場面に活きてくるのだ、なんていう分析は、はあはあ、なるほど、と素直に納得できる。 とまあ、本書で竹内さんがやられている分析のうち、私にとって納得できるのが4割、「うっそ~!」って思うのが6割くらいの比率だったかな。 しかし、私が思うに、その納得できる4割すらも、普通に一般の読者が『ライ麦畑』を読む上で、見過ごしていることばかりだと思う。 例えば(これは竹内さんのみならず、他の研究者もこぞって指摘することだけど)、ホールデンが赤いハンティング帽を前後逆さまにかぶるのは、野球のキャッチャーのかぶり方で、ホールデンは最初から自分の「キャッチャーになりたい」という願望を表に出しているのだ、とか。あるいは、ホールデンが死んだ弟アリーの遺品の中で、特にミットを持っていることもそうだ、とか。 もちろん、最初からそういうことに気付いて読んでいる人もいるだろうけれども、大抵の人は、そんなこと考えもしないで『ライ麦畑』を読んでいると(私は)思うんですよね。 そんなこと気付きもしないで読んでいる。そして、それにも拘らず、この小説に大きな感動を呼び起こされている。 だとしたら、竹内さんがこの本の中で行っている分析は、ある意味、すべて無駄なんじゃないだろうか。だって、人は普通、竹内さんが「この小説の真意はこれだ!」と指摘していることなどまったく意に介せずにこの本を読み、この本を楽しみ、この本に感動しているのだから。 そこよ、私が指摘したいのは。 つまり、私だったらむしろ、竹内さんのような精緻な読み方をしない一般の人達は、この本のどこに感動するのか、ということを問題にしたい、と思う。 しかし、そういうと私がこの本を全否定しているみたいに聞こえちゃうけど、必ずしもそうではなくて、サリンジャー好きというのは、どうしてもこの方向に行ってしまう、というのは私にも分かるんです。ただ、それはマニア向けの話であって、大多数はそうじゃない、ということを忘れてはいけないと思うわけね。 でも、とにかく、マニア向けの本としたら、なかなか面白い本ではありました。豆が剥きたいなあ、と思う人には、一読の価値ありなんじゃないでしょうか。ライ麦畑のミステリー / 竹内康浩 【本】
December 9, 2018
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連載だ、書評だって、忙しくしておりまして、それでもそれらが割と順調に書けているものですから、余裕のよっちゃんだなあ、なんてぶちかましていたんですけど、よく考えたら私、1月末までもう1本、論文を書かなくてはならないんだった! そうだ、論文を書こう。 なんて、京都行くみたいに思いついたのですけど、1月末ってあと2週間じゃん! ま、これは私自身が編集長を務めている奴だからね。私のやりたいように、私だけちょっとぐらい〆切を伸ばしたっていいんだ。編集長は無敵だからね。 しかし、それにしたって、とにかく書かなくちゃ。 で、センター入試の監督をやりながら、胸算用していたんですけど、今回は「カーネギー」についての論文にしようかなと。カーネギーって、ほれ、鉄鋼王の。アンドリューよ。 『カーネギー自伝』というのがありまして、これはアメリカでも日本でもよく読まれているものなんですけど、鉄鋼王がいかに無一物から莫大な資産を得たかという、痛快な自伝でございます。だけど、これ、自己啓発本でもあるのね。 自伝であり、かつ、自己啓発本でもあり、という意味で、『フランクリン自伝』と双璧。 『フランクリン自伝』の主眼は出世よ。一方、『カーネギー自伝』の主眼は金儲け。だけど、アメリカって、やっぱりキリスト教国家だから、金儲けの話って、あんまり好きじゃないのね。キリストも言っているじゃない、金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るくらい難しいって。 じゃあ、なんで『カーネギー自伝』は、金儲けの話なのに、自己啓発本になれたのか。 それはね、カーネギーは、前半生こそ金を儲けまくったけど、後半生でそれを全部、寄付しちゃったから。寄付っていうか、要するに、カーネギー・ホール作ったり、カーネギー・メロン大学作ったり、図書館作ったり、そういう一般大衆のためのものに金を使いまくった。富の再配分って奴。 だから、金儲けの話でもいいのよ。最終的に、儲けた金をいいことに使えば。 そうやって、カーネギーは、金儲けのための免罪符を作ったわけね。 そういう意味では、ビル・ゲイツとか、ウォーレン・バフェットとか、21世紀の金持ちたちだって、カーネギーの子供達、っていうことが出来るんじゃね? ま、そんな話をね。書いてみようかなと。 だけど、それだけじゃ面白くないから、もうちょい秘策を出すよ。 というわけで、アイディアは完成。あとは書くばかり。だけど、まだあと一日、明日もセンター入試の監督業務さね。やれやれ・・・。
January 19, 2019
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先日、ヘレン・ケラーの『私の宗教』を読んだこともあり、その勢いに乗ってスウェーデンボルグ研究者の高橋和夫さんが書かれた『スウェーデンボルグの思想』という本を読了しました。ので、ちょいと心覚えをつけておきます。 この本、実は初読ではなく、再読。前にも一度読んだのですが、今回あらためてじっくり読んだら、前に読んだ時よりよほど面白かった。やっぱり本というものは、二度読み以上しないと、本当のところは分からないもんですな。で、今回再読してみて、難解なスウェーデンボルグの思想とその遍歴をざっと理解するための本として、本書は相当に上手に書かれているなという印象を受けましたね。 自分のための心覚えなので、本書の内容を順序立てて解説するというより、自分の仕事に役立つようにポイントを絞って記すので、これだけ読んでもチンプンカンプンかもしれませんが、そこはそういうものとしてご海容下さい。 まずスウェーデンボルグの思想は19世紀には欧米では知られていたものの、日本での伝播は20世紀に入ってから。まず内村鑑三が『余は如何にして』の1885年4月19日の日記の中で、自分がスウェーデンボルグの思想にいかに大きな影響を受けたかを述べております。また賀川豊彦も実践的宗教としてのキリスト教という点で、スウェーデンボルグへの共鳴していたらしい。 しかし、やはり一番影響が大きかったのは鈴木大拙による紹介ですな。大拙は1910年にロンドンで開催された国際スウェーデンボルグ学会に日本からただ一人参加しているんですけど、スウェーデンボルグの宗教観は、仏教にも通ずるところがある、というのが、鈴木大拙を引き寄せた大きな要因だったと。(7-11) さて、そのスウェーデンボルグですが、前半生は科学者・発明家として過ごすわけね。特に、彼の前半生の仕事であった鉱山業に関連する冶金学とか、そういう方面での業績が顕著。ただニュートンに対抗して『原理論』なんてものも書いていて、その中でも「原子論」が興味深い。彼はモノの最小単位を微粒子と考えており、さらにこの微粒子の本質は運動と力であると考え、「力は事物に先立ち、事物は力の示現である」としている(45)。つまりエネルギーとは、外部から付与されるものではなく、物質に内在するものであるということであって、この辺り、現代科学の知見と近いところがあり、また自己啓発思想が採用するエーテル説などとも共通する部分かもしれません。 ちなみに、こういう考え方をスウェーデンボルグは実験や観察から引き出したのではなく、科学的想像力・形而上学的思索の結果として導き出しているのであって、こういうところにスウェーデンボルグの思想の方法論が見えてくるわけ。でも、大胆だよね。思索するだけで、物質の本質を見抜いた!とか言い切っちゃうんだから。昔はそれでよかったんですかね? その後、スウェーデンボルグは1736年から5年間、「第4次外国旅行」に出ますが、この旅の目的は解剖学を学ぶため。といって人体組織の機能を勉強するのが目的ではなく、「霊魂(アニマ)」の所在と働きを突き止めることが目的だった。その意図するところは、デカルト的な心身二元論の克服。つまり、愛とか知性といった精神的・霊的な事柄は、機械論的な概念では説明できないと考えていたため、それをどう哲学的に解決するかを解明しようとしていたんですな。(57)要するにスウェーデンボルグは、「人体は霊魂が治める王国」(62)であるという信念を最初から持っていたと。 で、10年に亘る人体研究の末、彼は脳こそが霊の活動の中心であることを突き止めるわけ。彼は意識的な精神作用の中心が大脳皮質の灰白質にあることを突き止めており、例えば「大脳の最も高い葉が足の筋肉を支配し、その最も低い葉が顔の筋肉を支配する」(63-64)と記している。で、これはカナダのペンフィールドが1955年に発表した大脳の機能的分布図の見解と一致しているというからすごい。また現代で「ニューロン」として認識されているものを「ケレベルラ」と呼んで把握するなど、その脳解剖学は現代のレベルでみても相当のものであったと言っていいでしょう。 とはいえ、スウェーデンボルグの解剖学は、医学的なものというよりは、霊魂の所在と仕組みを明らかにしようとしていたのであって、この点について彼は死後出版された『合理的心理学』の中にまとめております。 それによると、人間の心には4つの階層(69頁図を参照)から成り、中心部に霊魂(アニマ)があり、それを取り巻くように「霊的な心」があって、これが純粋知性を司る。霊的な心を取り巻くのは「合理的な心」であって、これが意思決定・判断・思考・想像を司る。さらにそれを取り巻くように「自然的な心(アニムス)」があり、これは記憶や感覚、情動や本能を司り、これら四階層の心が肉体の中に封じられているのが人間の人体であると考えたんですな。 で、人間が生まれる時には、霊魂が、自然の最も内的で精妙な原質である「霊的流動体」を使って、懐胎によって肉体を形成すると。そしてその霊魂は肉体の内部で脳や神経を形成し、外界の自然からの働きかけを受容できるようにして、それによって自分自身を「意識的な心」へと変容させる。この意識的な心こそ、先に述べた合理的な心であり、それは霊的な心と自然的な心の中間に位置し、双方の情報を受容しながら、自由に考え、判断し、意志し、行為すると。 で、ここが重要なところなんだけど、スウェーデンボルグに言わせると、この中間点、すなわち「合理的な心」こそが、人間の「真正な自己」であると言うわけね。で、道徳的な性格も、この合理的な心に由来すると。つまりより下位の心であるアニムス(自然的な心)に属する本能とか情動を、霊魂から発する高次な心によって抑制しなければ、それは悪徳となるし、逆に欲望や情動を正しく秩序づけることができればそれは美徳になるというわけ。 つまり人間は善人にも悪人にもなれるっちゅーことですな。いや、むしろ悪人になる傾向の方が強いかもしれない。しかし、理性によってそれを糺し、善人になることができる。それはひとえに「自由意志」にかかっていると。だから、スウェーデンボルグは、自由意志と理性こそが人間を人間たらしめる能力であると考えるわけ。 いいねえ、この考え方。好きだわ~。 ちなみに、このスウェーデンボルグの理性観は、特殊です。というのは、後世の哲学は「純粋理性」とか言っちゃって「理性」なるものを絶対視し出すわけだけど、スウェーデンボルグは理性をそこまで高く買ってない。彼は理性を「混成された知性」とも呼び、理性のさらに内奥に、理性を超越しつつ、理性を原理付けるようなもう一つの知性、すなわち「純粋知性」なるものを措定し、これを霊魂の直接的な所産と考えたんですな。 で、この純粋知性は、「合理的な心が経時的に把握するものを同時的に把握する」というのですから、要するに「直観」ですよ。「どんなことでも、それをただちに真または偽と認め、確からしいという曖昧な認め方はしない」っつーんだから。初めから完全であるので、経験によって完全にされる必要すらないと。(71)かくして、霊魂は純粋知性を通して、思考や推理の能力を意識的な心に付与するばかりでなく、想像や感覚の作用を究極的に統制していると。 この辺りの「直観」という考え方も、自己啓発思想っぽいよね! っていうか、アレじゃない、エマソン的と言うべきなんじゃないかと。 ま、とにかく、こうした一連の思弁を通して、スウェーデンボルグは、「霊魂」なるものを、「純粋な英知であり、霊的な本質にして霊的な形態」であるとし、「自然の原初の存在と形態とである純粋知性を超越しつつ、かつその純粋知性に隣接するもの」と考えたと。とにかく、いっちゃん偉いもの、というわけですな。 さて、上に述べてきたようなことを記した『霊魂の王国』なる本を完成させるため、スウェーデンボルグは1743年7月から翌年10月まで、第5次外国旅行をするのですが、この間、彼は日記を書いていて、その日記は彼の死後86年も経ってから発見される。これが後の『夢日記』と言われる奴ですが、これを読むと、彼の科学者から神学者への転身のプロセスが見て取れる。 結局、彼は霊魂の謎を解くべく解剖学などに勤しんだわけですけれども、そういう科学的な探求では限界があると知ったわけね。まあ、それは21世紀の死生学だってそうなわけで、人間死んだらどうなるか、というのは科学的研究では解明できない。そういう意味での限界に到達してしまったことが、彼にとっては宗教的危機となって、それが「他の誰にもまさって無価値であり、最大の罪びとである」「頭のてっぺんから足のつまさきまで不潔」「みじめな被造物」といった自己認識に結び付き、中世の修道僧のような生活をし始めちゃう。 で、またそんな精神状況と肉体状況の中で、彼は1744年4月頃からイエス・キリストをたびたび幻視し始めるわけ。 決定的だったのは、1745年4月の経験だった。なんと、彼がロンドンの某ホテルで昼食をとっていたら、そこにイエス・キリストが現れて、只の一言、「食べすぎるな」と言ったんですと。(83) ひゃーーー! 飯食っている時にいきなりイエス様に「食べすぎるな!」って言われるの??!! 食事をしようと思ったら、急に田中邦衛が出てきて、「食べる前に飲む!」って言われるよりビックリするじゃん。それは確かに、かなりな経験だわ・・・。 ま、この「食べすぎるな」というのは、科学的知識を積み重ねたところで、俺のことは分からんぞ、という風に解釈すべきらしいですけどね。実際、その時イエスは、スウェーデンボルグに「私は主なる神、世界の創造主にして贖罪主である。人々に聖書の霊的内容を啓示するために汝を選んだ。この主題に関して何を書くべきかを汝に示そう」とも約束されたと。 とにかく、イエス様にそう言われちゃったんで、素直なスウェーデンボルグは以後、科学研究から足を洗いまして、神学研究の方に邁進していくことになると。 ちなみにその時、スウェーデンボルグ、59歳よ。今の私とあんまり変わらない。普通の人なら、そろそろ定年後のこと考えようみたいなタイミングで、まったく新しい世界に飛び込んでいくわけだから。すごいよね・・・。 さて、スウェーデンボルグの最初の神学業績はと言いますと、1749年から1756年にかけ、ロンドンで八巻本として(匿名)出版された『天界の秘義』というやつ。これは『創世記』と『出エジプト記』の逐語的解釈書でございます。 そう、ここも重要なポイントなんだけど、スウェーデンボルグってのは、神学者とは言い上、基本的に聖書の研究者なのね。結局、彼はどこからどこまで「研究」しちゃう人なのであって。だから、教祖的な人ではぜんぜんない。それどころか、聖書研究するに当たって、その前段階としてまずヘブライ語をマスターするところから始めるわけだから根性が違う。しかも、『天界の秘義』を書くに当たって、準備本として2000頁の聖書索引と、同じく2000頁の習作(下書き)を書いたってんだから、もう、常人の域を超えております。 とはいえ、そこもまた常人の域を超えたところなんだけど、スウェーデンボルグはこの本を書くに当たって、文献学的な意味での聖書研究だけをしたわけではない。それと同時に、実際に(実際に??!!)霊界に出入りしてですね、それで向こうの人にインタビューなんかしたりした経験からも学んで、これを書いているわけですよ。 ま、仮にそのことを信じるならば、もはやこの本は否定できないし(だって、実際にあの世の人達に聞いたんだもん!)、信じなければ、この本は基地外が書いた本ということになる。 ま、信じないとすると、もう、スウェーデンボルグのことを考える意味自体が無くなるので、ここは一つ、大船に乗った気になって、信じるとしましょうか。 で、じゃあ、そのスウェーデンボルグの聖書解釈ってどういうものか、ということなんですけど、その前に、その前提としての、彼の霊界概念を紹介しておきましょう。 神学者に転じたスウェーデンボルグは、かつて科学者として取り組んだ霊魂の問題に新たな観点から取り組むわけですが、『合理的心理学』を書いていた時は、思索によって書いていたわけですよ。しかし、今や、実地にあの世に出入りできるようになってますから、思索というより実際の観察によって書いているわけね。 で、それによりますと、死後の世界ってのは相当面白いところのようでありまして。 人間が死ぬと、肉体を脱ぎ捨て、三日後に霊界に蘇るらしいのよ。しかも、生前の記憶やら性格やら、みんなそっくり携えて移行する。だからね、あの世でも、感覚としては、この世と全く同じ感じで生活するみたいよ。生前学者だった奴は、やっぱりあの世でも学者になるらしい。しかも、霊界には自然界と同じように太陽も月も、森も川も、家も町も、獣も鳥も魚も、みーんなある。そんな調子だから、中には自分が死んだことに気づかない奴もいるくらい。 だけど、霊界と自然界では当然、異なるところもあると。 霊界にあるものは、すべて霊的なものなので、自然界にあるもののように固定してはいない。霊界の人間、すなわち「霊」は、各人が自分の周りにスフィアを持っているんだけど、それが今そこにあるものを現出させているんですな。だから、霊界のある町に住んでいる人たちが一斉に移動すると、そこにあった町自体が消滅してしまうと。もちろん、霊界にあるものだって、「実在的外観」を持っているので、触れば固いんですよ。確固とした存在感がある。だけど、それは霊の内面から発出したものなので、霊がそこに居なくなれば、そのモノも無くなってしまう。 また自然界は時間や空間の制約を受けるので、願ったものが瞬時に現出するなんてことはないわけだけど、霊界ではその制限がなく、状態しかないので、状態が変化すれば・・・つまり霊の内部の状態が変われば、その状態に即した(=照応した)事物が瞬時に産出したり、消失したりすると。 面白いねえ。自己啓発思想における「引き寄せの法則」に近いねえ。自己啓発思想でも、身の回りのものは、その人が念じたものに過ぎない、と言う考え方をするわけだけど、そのルーツはここにあるわけね。 で、もう一つ面白いのは、霊界においては、場所の接近は内的状態の接近に照応していると。つまり、似た者同士は引き寄せ合うわけ。逆に似ていないものは、霊界の空間的にも離れたところに位置することになる。これも、引き寄せの法則に近い。 だから、霊界においては、善と悪は離れたところにあると。 霊界において、天界と地獄は対極に存在するわけね(106-7)。で、その中間地帯というのもあって、それが「霊たちの世界」と呼ばれる場所。つまり霊界は三つの階層からできていると。 そう、スウェーデンボルグの霊界概念には、ちゃんと地獄もあるんですな。 ちなみに、自然界というのは、霊界と不連続に照応している。つまり、自然界は霊界の不活発で固定的なレプリカ(108)なんですと。 だから、霊界の方が先に存在していて、自然界の方がその後で出来たわけ。で、今なお、霊界からのエネルギー流入により、自然界は維持されている。この流入が無ければ、自然界なんて、「無限の死体」だと。 ひゃーーー。霊界と自然界の仕組みって、そうだったのね~!! ・・・と驚いたところで、もう大分長くなりましたから、この続きはまた明日、ということにいたしましょう。
May 29, 2021
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今年もうちの科の紀要(=毎年出す論文集)を編纂する時期がやって参りました。 もう何度もこのブログに書いていますが、毎年うちの科が出す紀要は、編集フェチの私がすべて編集し、版下まで作成して、印刷所と交渉し、完成した紀要を全国の大学に送り届けるまで一手に引き受けておりましてね。これはもう、好きじゃなくちゃできない仕事なのよ。で、私はこの作業がめっぽう好きなの。 で、このところその編集作業に没頭しているのですけれども、今年は一つ難関にぶち当たりまして。 言語学関係の教授の論文の中に図があるのですが、この図の中に波線が使われているんですな。ところが、その波線をワードで出そうと思うと、なかなか難しいわけ。 しかし、論文の図とかに波線を使うことって、割とあるのではないか? ワードともあろうものが、波線ひとつ出ないなんてことはあるのか? で、ネットで「ワード、波線」などとキーワードを入れて検索するのですけど、なかなかコレという回答がない。 よくある回答としては、「アンダーラインの線種の中に波線があるから、それを使えばいいんじゃないの?」というもの。 だけど、私が引きたいのは、アンダーラインではなくて、行の真ん中に引く波線なのよ。 それに、百歩譲って波線のアンダーラインで代用しようと思うじゃないですか。だけどね、あれ、拡大するとよく分かるのだけど、実は波線じゃないんですよね。 あの、一見波線に見えるアンダーライン、じつはギザギザ線なの。尖っているの。緩やかなカーブを描く波線じゃないの。 だもので、どうやったら波線が出せるのか分らずじまい。結局、ネット上にある「波線」の図を選んで、それをコピペして貼りつけると言う、なんとも面倒臭いやり方で対処しましたが。 しかし、本当にワードで波線を簡単に引く方法ってないのかなあ? アンダーラインじゃない波線をね。 ま、マニアックな話で誠にスミマセン。でも、もし「こうやれば簡単よ」というのを御存知の方がいらっしゃいましたら、釈迦楽までご一報ください。
February 24, 2015
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大谷能生著『植草甚一の勉強 1967‐1979全著作解題』(本の雑誌社・1600円)を読んでいたら、ステキな文章に出会いました。 1970年代、ジャズ評論家として、あるいは映画・ミステリ評論家として、いや、街を徘徊してポップでキッチュな品々を探し出しては買い求める、そんな消費の楽しみを語って若者たちの間でカリスマ的な人気を誇った面白いオジサン、植草甚一氏については、既に色々な人が語り尽くしている感がありますが、しかしそんな植草氏も、もちろん最初からカリスマであったわけではなく、むしろ彼の書くもの、彼が面白いと思うものが理解されず、鬱々としていた時期もあった。そんな、植草氏が「グレて」いた頃のエピソードを、映画評論家の淀川長治氏が語っている文章があって、これがたまらなくいいんですわ。以下にその部分を引用します。 戦争前に、映画の宣伝関係の人達が集まる会があったの。30人くらいお座敷に集まるのね。甚ちゃんおとなしくしていらっしゃるんだけど、一所懸命膝の下で何かしているから「甚ちゃん、あんた何してるの」といったら、「長さん、ぼくちぎってるの」いうんですよ。座布団を爪でどんどん破ってるの。料理屋のきれいな座布団をですよ。黙って黙ってやってる。 つまり人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの。気に入らない人にはものもいいたくないの。気に入らない人がいっぱいいたのね。相手がバカだからしゃべったら腹が立つのね。で、しゃべらないでいっぱい飲んでるから酒が強くなるのね。 僕が止めなさいっていったら、黙ってスーっと床の間に行って、きれいな掛け軸の仙人の顔に髭つけたのね。料理屋大変でしょう。ぼく怖くなって黙っちゃった(笑)。 いつも帰り「長さん一緒に帰ろう」っていうの。ぼく酒飲まないから「長さんコーヒー飲みましょう」っていうのね。で、喫茶店に入るわけね。コーヒー注文するでしょ。コーヒー出てきますでしょ。それで、ぼくの顔見て黙ったまま、そのテーブルをガチャンとひっくり返すんです。他のお客さんもいるんですよ。ぼくがビックリして「アンタ」いうと「これでいいんです」って済ましてるの。ぼくが「あれ弁償しますから」と店の人にいうと「いいんです。あの人いつもあれだから知ってますよ」っていう。甚ちゃんはケロッとして「それでは長さん出ましょう」という。とにかく自分はしょっちゅう遠慮しいだから、そういうところでハケるのね。それがぼくにはよく分かるのよ。だから私は好きでしたね。(・・・・) 甚ちゃんは本を読んで読んで読みまくっている学者だから、そういう学問の相手が映画界にいないのよね。だから学がハケないの。ぼくは尊敬すると同時に、子守りの役もやったよね(笑)。(106‐107頁) 淀川さんに「甚ちゃん、あんた何してるの」と問われた植草さんが、「長さん、ぼくちぎってるの」と答えるくだりとか、もう、耐えられないほど可愛いというか。そして、そんな困ったちゃんの植草さんのことを本当によく理解して(「つまり、人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの」・・・)、「だから私は好きでしたね」と言う淀川さんの優しいこと。この淀川さんの植草さんについての思い出一つ、これ一つ知っただけで、この本は私にとって買うに値しましたね。 とはいえ、もちろんこの他にも、植草さんの本質的な部分について著者の大谷さんが言及・指摘していることで、深く納得できる部分も沢山ある。 中でも一番納得したのは、植草さんのニヒリズムについて云々しているところ。大谷さんによれば(というか、大谷さん自身、他の方たちが指摘していることを引用しながら述べているのではありますが)、植草甚一という人は、何か根源的なものを追求したり、それに惑溺することがない、と言うんです。例えば、植草さんの映画評は、淀川長治さんの映画評とは異なって、映画を見た興奮や感激に浸り切り、そこで得たものを書き尽くそうというところがないと。 同じことは彼の自伝的文章にも言えるので、植草さんは自分の過去を語りながら、自分のルーツであるはずの親のこと(とりわけ肉親の死)にはほとんど触れていないし、例えば二・二六事件などの大きな出来事を直接見聞きしていながら、そうした社会的・政治的ビッグイベントから何の感慨も受けていないかに見えるんですな。彼の筆は、自分という人間を形成したはずの事々の記憶に触れながらも、そこを深く追求していくことはせずに、あてどもない連想をたどって、すぐに別な最近の記憶や、別な対象に飛躍してしまう。 で、そんなところから伺うに、要するに植草甚一という人は、真理や道徳や倫理や信仰といったものには頼らず、「その場その場の個人的な歓びを、世界の果てにあるだろう至高の価値よりもはるかに高く見積もる」(157頁)ような、徹底したニヒリストだったのだろう、というのですな。で、そういう意味では、植草さんは、例えば永井荷風や成島柳北などに代表される江戸っ子文化人の系譜に連なるのだけれど、しかし、植草さんが彼らと決定的に異なるのは、植草さんには永井荷風や成島柳北にはある強烈な「自我」が、まったくないことだと。 だからこそ、と言うべきか、植草甚一にとって興味があることというのは、「「生」や「死」や「歴史」といった一回性のものではなく、映画や小説やレコード、おもちゃや切手やファッションといった、入れ替えのきく人工的な文物ばかり」(55頁)だ、と、大谷さんは指摘しています。 うーん、このあたりの指摘は、植草甚一という人を理解するに当たって、なかなか鋭い観点になりそうじゃないですか。 しかし、そんなニヒリストは、その人自身はいいとして、たとえばその奥さんから見たらとんでもない、そして掴みどころのない自己中心的な人間ということになるわけで、実際、本書に掲載された植草甚一夫人の梅子さんの植草評(257‐261頁)なんて、ほとんど夫に対する呪詛というに近い。これまた、背筋の凍るような、それでいて最初に挙げた淀川長治氏の植草評と同じくらい植草甚一という人を表した述懐だと思います。 ということで、この本、植草甚一氏のファンであるならば、手に取って損はないと思います。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓【送料無料】植草甚一の勉強価格:1,680円(税込、送料別)
February 6, 2012
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全然関係ないんだけど、先週土曜日に京都に出張して「ん?」と思ったことが一つ。 地下鉄の「烏丸御池」駅の地名の発音、っていうか、イントネーションなんだけど、私は当然「からすまおいけ」と言うのかと思ったら、「からすまおいけ」って言うんだね、地元の人は。 あ、これでは分らないか・・・。 つまり、私は「野沢菜茶漬け」と同じイントネーションで「からすまおいけ」って言うのかと思ってたんだけど、実際には「ひまわり咲いた」と同じイントネーションなのね。 変なの、京都人。 さて、昨日読み始めた堀多恵子著『来し方の記 辰雄の思い出』、結局、読んじゃった。 私は恥ずかしながら堀辰雄の小説って一つも読んだことが無いんですけど、堀辰雄っていう人は、この本を読む限り、なかなかいい人だったみたいですな。人間として、好きになれそうな感じの人。大体、奥さんの多恵子さんに対して、なかなか思いやりのある人だったみたい。私は、基本的に愛妻家の男が好きなのよ。奥さんをないがしろにする男って、友達になれない。 で、どうして堀辰雄が愛妻家だったことが分かるかと言いますと、この本の後半は、堀辰雄が奥さんに宛てて書いた書簡集になっておりまして、その奥さんへの手紙が、とてもいいから。 で、それはそれでいいのですけど、この辰雄から奥さん宛ての大量の手紙を読んでおりますとね、昔の人(昔って言ったって、たかが戦前、戦中の時代を生きた人のこと)が、いかにこまめに手紙を書いたかが分かります。 もうね、奥さんに対してだけだってこれだけ書くのだから、おそらく、他の人にも書いていたわけで、一日のうちに少なくとも数通は書いたんじゃないかな。 もちろん、当時は電話だってそうそう使えないわけで、遠くにいる人と連絡を取り合うとなると手紙が一番手軽なわけですけれども、それにしても同じ人に対して午前と午後に手紙を書いていたりすると、すごいもんだなと。 そう言えば、今日の新聞に、夏目漱石に宛てて友人や弟子たちが出した絵葉書が三百通ほど、岩波書店の倉庫から発掘された、ってなニュースが出ていましたけれども、とにかく昔の日本は、それだけ大量の葉書や手紙がじゃんじゃん飛び交っていたっていうことになるわけですよ。 それは一つには、日本の郵便制度がそれだけ優秀だった、ということの証左でもあると思うのですけれども、それと同時に、今でこそ「スネイル・メール(かたつむりメール)」などと揶揄されるようになってしまったトラディショナルな郵便物ですけど、当時の日本人は、そんなことお構いなしに、今の人が電子メールを出すのと同じような感覚で、手紙とか葉書を頻繁に送ったり受け取ったりしていたということなんでしょう。 今の時代、電子メールを一日に何度もやり取りしながら、こういうものがなかった昔の人は一体どうしていたんだろう? なんて、つい思ってしまうけれども、なんのなんの、昔の人だって、今とまったく同じように、「メール」をやたらにやり取りしていたわけですな。 要するに、今も昔も、ある意味ではあんまり変わらないってことですかね。 そう考えると、今の人は昔の人のことをあんまり舐めてかからない方がいいし、逆に、昔の人をあんまり美化しすぎてもいけないんじゃないか、なんて思えてきますな。
May 30, 2016
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前にもこのブログに書きましたが、今年、私は初めて「英語科」の学生を教える機会を得まして、アメリカ文学を専門の学生に教えられるのだから、さぞ面白かろうと期待していたのですが、実際には学生さんたちの出来が良くなく、大分、期待外れになってしまったんですな。もう、授業中は怒ってばっかりだよ。「お前ら、この大学で一番、英語が読めると思われている学生じゃないか。それが、この程度なのか?! 恥を知れ、恥を!!」ってな感じで。 でも、やっぱり英語科の学生を教えているのだから、一般教養の英語の授業みたいに、テキストを読むだけでおしまい、というわけにも行かないだろうなと。 ということで、期末考査には、筆記試験に加えてレポートも課すことにし、授業中に読んだヘミングウェイの作品について、論文みたいなものを書いてきやがれと命じたわけ。 しかし、学生の出来からすると、そのように命じただけでは、おそらく、お粗末なものしか書いてこないだろうなと。 そこで、ここ数回、授業の終りの20分位を使って「文学論文の書き方」的なことを講じたわけよ。 で、学生の出来が悪いことはよーく分かっていたので、この出来の悪い学生にも分かる言葉で、文学作品を論じるってことは、具体的には何をすることなのか、説明したと。 で、まず初日は、「文学作品を論じるに当たって必要なもの」を、選択肢つきで説明したんです。 つまり、まず文学作品を論じるとなれば、論じる作品が必要であると。しかもその場合、一つの作品を単体で論じるか、複数の作品を論じるかの選択肢があり、さらに複数の作品を論じるのであれば、同じ作者による作品を複数論じるか、別な作家による複数の作品を論じるかの選択肢がある。だから、これらの選択肢の中から、どれかを選択しろと。 分かり易! 次に必要なものは、「先行研究」。先行研究なしで作品を論じたら、それは感想文である。感想文に意味がないとは言えないが、それを論文にするつもりなら、先行研究への言及が不可欠。そしてその場合の選択肢は二つあって、先行研究を自分の見解をサポートするために「援用」するか、先行研究を「否定」した上で、それより優れた説として自分の見解を披露するか、その二つしかないので、その選択肢のどちらで行くか決めろと。 分かり易! 次に必要なものは、作品の「筋書き説明」。論文の読者は、必ずしも自分が論じようと思っている作品を読んでいるとは限らないので、当該作品がどういう筋書きなのかを説明する必要がある。それなしで論じるのは、独りよがりの論文にしかならないので、これをするかしないかの選択肢はない。しろ。 分かり易! 次に必要なものは、「視点」。文学研究は当該作品が「面白かった」か「面白くなかった」かを判定するものではない。それを決めるのは文学評論。文学研究たるものは、論者がある特定の「視点」を設定し、その視点から当該作品を眺めた時に何が言えるかを考えるもの。「視点」があるかないかの選択肢はないので、決めろ。 分かり易! ここまでが初日ね。で、次の回では、作品の論じ方の選択肢を提示しました。 文学作品を「論じる」というのは、具体的には何をすることかと言えば、簡潔に言えば、当該作品の「下部構造」を明らかにすること。前回に述べたある「視点」から見れば、ある作品について、表面的には見えないけれども、ある構造があることが明らかになる。この構造を掘り起こして提示すること、これが文学作品を「論じる」ことに他ならない。 ただし、その場合、二つの選択肢があって、当該作品をそれ自体、単体として分析すること。これがいわゆる「新批評的アプローチ」。この場合、精読に基づいた「シンボルハンティング」が重要な役割を果す。例えば「自然」という視点を用いてヘミングウェイの作品を分析した場合、作品の登場人物の中で誰が一番自然に近しいか、誰が一番自然と遠いか、といったことを判断し、「自然に最も近しい登場人物が、最も影響力のある登場人物である」というような下部構造を明らかにすることができるかも知れない。そして、例えば「木」を「自然」全体のシンボルと見做した場合、誰が森に居るのか、誰が木に寄りかかっているのか、といったことが、「自然に近しいか、遠いか」を判断する上での判断材料になりえる。 もう一つの選択肢は「新歴史主義批評的アプローチ」。当該作品をそれが書かれた時代に戻した上で考察すると、当時の状況を知らない現代の読者が見落としてしまうような下部構造が見えてくることがある。その下部構造を明らかにするのが、このアプローチの目標。 だから、作品を論じるとなれば、上記2種類のアプローチのどちらを選ぶかという選択肢の中から選ばなければならない。ただし、現代では論文の手法として前者はやや古く、後者の方が歓迎される傾向にあることを承知しておかなければならない。 分かり易! そしてその次の回では、「注」の付け方を伝授。 「先行研究」のない論文がないように、「注」のついてない論文もない。ではどういう時に注を付けるのか。 この場合の選択肢は二つ。先行研究を提示した場合などにつける「出典」の明記と、本文中で十分に論じられなかったことについての「補足説明」。だから、「出典」と「補足説明」を注の中で行え。 分かり易! どう? 気合抜け抜けで説明している割に、超分かりやすくない? 気合抜け抜けで説明したのが逆に良かったのか・・・。相手の出来がよろしくないので、まさに「サルにも分かる論文講座」みたいになったのが奏功したのかもね。 で、次回、最終回では、論文を書くコツとして二つのこと、すなわち「フローチャートを作る」ということと、「自分が論じたいと思っていることを他人に口頭で説明すると、論旨が整う」ということについて説明しようかなと。 結局、いい先生なのよ、私って。
July 16, 2018
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今、うちの科では、来年度のゼミ生の振り分けをやっておりまして。で、今回振り分けられたこのゼミ生たちが、「国際文化コース」としては最後の世代となる。何しろ、コース自体がお取り潰しになっちゃったもので。 で、そのゼミ生の数が、なんと7名! ま、そのうちの一人は留学する予定なので、実質6名ということになりますか。 それにしても、このところ3名とか4名でずっとやって来たので、ほぼ2年分のゼミ生がやってくるような感じ。大分多いなという感じがします。 といっても、これは私のゼミが特に人気があるから、ということではなくて、学生の数は変らないのに、定年などで先生方の数が減るものですから、自然、負担増ということになるんですな。 まあ、文科省が怖ろしいほど大学に金を出さないので、定年などでガンガン教授が辞めていくのに、補充が一切できないのね。だから、必然的に負担増になるじゃない? すると、若い先生方、準教授や講師クラスの人たちが、「こんなところにいられねーよ!」って感じで辞めちゃうわけ。だから、残った先生方はさらに仕事がきつくなる。 そういう悪循環を、文科省は高みの見物よ。あの連中は、そうやって我々を飼い殺しにして、崩壊するのを待っているわけね。一つの大学ではどうにも立ち行かなくなって、仕方がないから、幾つかの大学で連結せざるを得ない状態になるのを待っているのよ。そうして2つの大学を1つにまとめれば、それが文科省の「手柄」になるんだから。「無駄を省きました」というね。 というわけで、来年度は普段の倍の忙しさになるということがほぼ決定・・・。はあ・・・。 だけど、これが最後のゼミ生かと思うとね、せめてそういう不満は隠して、楽しくやりたいなと。 最後のゼミ生7人(6人)、歓迎しましょう。来年4月からヨロシク!
December 17, 2018
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フランシス・ムア・ラッペが書いた『小さな惑星の緑の食卓』(原題:Diet for a Small Planet: High Protein Meatless Cooking, 1971)という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。ちなみにこの邦訳は、原著ではなくその改訂版(1975年刊)の訳ですね。 さて、本書の内容を云々する前に、まずはこの本の初版の出版年を確認しましょう。1971年ですな。そして、この本の原題を確認しましょう。「Diet for a Small Planet」。著者ラッペは地球のことを「a small planet」と呼んでおります。 そ! つまりね、この本はスチュアート・ブランドが『ホール・アース・カタログ』を1968年に出して、宇宙から見た地球の写真を始めて人々に公開した(つまり、アメリカ人が地球のことを広大な宇宙にポツリと浮かぶ「惑星」として捉えるようになった)後でなければ、絶対に生まれなかった本だ、ということですな。 資源に限りがある、閉じられた(つまり他所から資源を借りてくることができない)システムである地球の中で、人々が食べ物を食べるとなった時に、今みたいな食べ方してていいのか? っていう。これが本書が読者に問いかける命題であります。 ではなぜそういう問いかけが必要になったかっつーと、身も蓋もない言い方をするならば、「アメリカ人が牛肉を食いすぎる」っていう問題が浮上してきたから。 たしかに日本人の感覚からしても、アメリカ人は牛肉が好き、というイメージがある。 そう、忘れもしないけど、私が子供の頃、座間にあった米軍キャンプにステーキを食べに行ったことがありまして。なんでそういうことになったのか忘れましたけど、米軍キャンプって、たまに地元住民と交流するために、キャンプ内のレストランを開放してたんじゃなかったかな。 で、そこでビフテキが出たんだけど、まあでかい。普段、家で出るステーキの大きさを「四国」に例えるならば、米軍キャンプで出たステーキの大きさはまさに「ソビエト連邦」。子供の頃小食だった私には半分も食べきれなかった覚えがあります。 ま、それはともかく、アメリカ人は牛肉好きであると。 だけど、実はそういう状況ってのは、昔からのものではないんですってね。実は、比較的最近のことなんですと。具体的に言うと1950年代以降ですな。 じゃ、どうして牛肉好きになっちゃったかというと、1950年代の農業改革(いわゆる緑の革命)の結果、穀物の生産性が50%上昇、トウモロコシとなると3倍の収穫量になってしまったから。トウモロコシがあまりにも沢山収穫できるようになったのはいいのだけど、そうなると当然、単価はがくんと下がってしまって農家としてはたまったものではない。そこで減反したりするんだけど、それでも余る。そこで余剰のトウモロコシを飼料にしたわけ、牛の。 で、牛ってのはもともと草を食べるようにできている動物なので、トウモロコシみたいな栄養価の高いもの食べさせたらあっという間に太る。で、アメリカ国内で大量に余ったトウモロコシを牛に食わせて、あっという間に太らせて市場に出したら牛肉の値段もガンガン下がる。そこから、アメリカ人の口に大量の牛肉が放り込まれるようになったわけですな。風が吹いたら桶屋が儲かる式に。 だけど、実は牛というのは、肉をとるための家畜としては非常に効率が悪い。 肉用の家畜というのは、こう言うと倫理的にどうかと思うけど、人間に食べられない「牧草」とか、そういうのを、人間に食べられる「肉」に変える工場みたいなものなのね。で、そういう工場には「牛さん」と「豚さん」と「鶏さん」の3種類があるわけだけど、この3種の工場の中では断トツに牛さん工場の効率が悪い。具体的に言うと、1ポンドの肉をとるのに必要な穀類は、鶏で3ポンド、豚で6ポンドなのに対し、牛は16ポンドだというのだから、豚とか鶏に比べ効率は圧倒的に低いわけね。 でも、アメリカ的にはそれでも都合がいいの。だって牛さんがそれだけ非効率にトウモロコシ食べてくれるから、余剰がはけるわけでありまして。要するに、本来なら人の口にはいるべきトウモロコシを、大量に牛に食わせて消費することで、アメリカのトウモロコシ大量余り問題は解決され、かつ、安くて旨い牛肉がアメリカ人の口に入るようになったわけね。 そうなると、例えばものすごい数に膨れ上がった肉牛が出す膨大な量の排泄物による公害なんてことも出てくるわけですけれども、それはとりあえず脇に置いたとしても、とにかくアメリカ人が牛肉を好んで食べるようになった1950年代以降、アメリカが産出する穀物の9割を牛が食っているという状況が生まれたと(15頁)。 で、この状況にプラスして、地球が実はちっぽけなちっぽけな惑星であって、この限られた土地の中で、増え続ける人口を食わせ続けなければならないということが、事実としてというよりは認識の上で明らかになってきたときに、この現状は看過できるのか? っていう問題が生まれるわけね(「地球は有限であるということーーこの新しく正しい考え方を反映する世界農業のシステムを打ちたてるためには、しかし、少なくとも世界の経済機構をすっかり作り変えるくらいのことは覚悟しなければならないでしょう」37頁)。 というのも、このころ、世界の貧富の差がものすごいことになってきて、アメリカ人が大量の穀物とトウモロコシを非効率な牛肉に変えて堪能している頃、アフリカだの南米だのバングラデシュといった貧困地域では人が飢餓のためにバンバン死んでいたから。 簡単に言えば、牛に食わせるトウモロコシがあるなら、それを飢えている国に送るべきなんじゃないの、と。あるいは、少なくとも、地球で生産できる食料の総量が決まっているなら、そのフェアな分配を考えるべきではないのかと。実際、ラッペさんがこの本を書いたのも、世界で不足しているタンパク質の総量が、アメリカ一国で家畜が食っている穀物の総量に匹敵するという、1968年のデータを目にした時の衝撃によるものだとのこと(4頁)。 つまり、アメリカで浪費している穀物を、それを必要としている国に送るべきではないのか、という論点なんですけど、この点についてラッペさんが困ったこととして挙げているのは、アメリカ人には「浪費」という概念がない、ということ。浪費という概念は、「必要か、必要でないか」という概念があって初めて生まれる概念なわけですが、アメリカ人には「必要か、必要でないか」という概念そのものがないと。あるのは、「手に入れられるか、入れられないか」という概念だけなので、手に入れられるなら手に入れればいいじゃないか、ということになってしまう。アメリカ人の合理性というのはそこにあるのであって、そこからすると、浪費という罪意識が出てこない(53-4頁)。 だからこそ、「貧しい国に渡すべき穀物を浪費して牛肉ばっかり食って・・・」というような批判を受けると、アメリカ人の大半は「いやいや、貧しい国の人々だって、アメリカ人のように一生懸命働けば、いずれアメリカ人と同じようにリッチになって、穀物だろうが牛肉だろうが、好きなものを買えるようになるんじゃないの?」ってなことを言う人が必ずいる。彼らが貧しいのは、彼ら自身の責任だろ?と。 しかし、ラッペ曰く、事態はそれよりももう少し複雑なんですって。 つまり、貧しい国々ってのは、結局、植民地だったところが多く、植民地はたいていタバコとか綿花とかコーヒーとか、そういう「食べられない」ものばっかり生産させられてきた。で、耕作地の大半がそういうものなので、食料を作るための畑がない。かと言って、コーヒー農園をつぶして食料生産しようにも、コーヒー園つぶした時点で外貨獲得の道が途絶えるので、それもかなわない。そういう悪循環が出来上がっちゃっているので、「食料がないなら、自分たちで作れば?」というような簡単なことではないと(33頁)。 で、仕方がないから、そういう国にアメリカが援助金を渡すでしょ? そうするとその援助金でその国はアメリカから農産物を買う。つまり、援助金は、アメリカに戻ってくるわけよ。アメリカからすれば、最貧国ってのはいいお客さんなのね。援助する国から金を巻き上げているんだから。つまり、援助しているようで、実は援助してないわけ。 だから、ラッぺさんも言うんだけど、「(アメリカ人の多くが途上国援助は失敗ばかりで無駄だという意見を持っていることに対して)開発援助は失敗していません、ただ一度もトライされたことがなかっただけです!」(64頁)と。 で、そういう倫理的な問題に加えて、ラッペさんが指摘するのは、残留農薬のこと。 この辺は、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)の影響なんでしょうけど、食物連鎖の頂点に君臨する人間は、どうしても一番濃縮した形の残留農薬を口にすることになるのであって、肉食ってのは、まさにその害を一番被る行為であると。だから、肉ばっかり食ってるとロクなことないよというわけ。 ラッペが肉食(とりわけ牛肉食)を批判するのは、上に挙げてきた2点の理由であって、不思議なことに「肥満」ということはほとんど述べていない。つまり、1970年代初頭という時代には、まだアメリカには、そこまで肥満問題はなかったんでしょうな。 で、この「アメリカ人牛肉食べすぎ問題」をどう解決するかとなった時に、ラッペさんが注目するのは、「タンパク質」でございます。 すっかり牛肉好きになってしまったアメリカ人の常識として、あるいは神話として、「タンパク質信仰」というものがあるとラッペさんは指摘します。つまり、人間にはタンパク質が必要だ、そして肉こそはタンパク質の最良の供給源だと。 ラッペさんが本書の中でチャレンジしているのは、この神話をいかに崩すかということね。そしてそれを崩すために、ラッペさんは栄養学を、すなわち科学的な根拠をしっかり持ちだしてくる。 確かに肉はタンパク源であることは間違いない。ただし、決して最良のものではないと。タンパク質の含有比率から言ったら、例えば魚で言えばタラ、植物で言えば大豆の方がよほど上だったりする。タラなんて、それこそ良質のタンパク質がヒレつけて泳いでいるようなもんだし、日本の豆腐なんてのは、もう理想のタンパク源だとのこと。 ちなみに、アメリカ人が「大豆」というものの存在に気付いたのは、ようやく1960年代半ばに入ってからなんですって。『ニューヨーク・タイムズ』誌が、「中西部のある大学の食物研究室で、ダイズが食べられることが発見された」という記事を載せたのは、この本が書かれたわずか数年前(ということは1960年代後半)だそうで。 しかし、ここで注意しなければならないのは、タンパク質の摂取に関しては、単に「沢山摂ればいい」という量的な問題ではない、ということ。 そもそもなんで人間にタンパク質の摂取が必要かといえば、8種の必須アミノ酸を摂ることが人間には必要だから。 しかもこの8種のアミノ酸の摂取に関しては、一度の食事に同時に摂る必要があるんですと。と言うのも、8種のアミノ酸はそれぞれ必要量があるんだけど、そのどれかが欠けた場合、他のアミノ酸も無駄になって排出されてしまうんですな。となると、単一のタンパク源をいくら大量に摂ったとしても、その単一のタンパク源のアミノ酸のバランスが良くなくて、8種のうちのどれかのアミノ酸が不足していた場合、その不足したアミノ酸に合わせて他のアミノ酸も大部分、無駄になってしまうわけ。だから、一回の食事で、様々なタンパク源を摂取し、単一のタンパク源では足りない必須アミノ酸を互いに補い合うことが絶対に必要であると。 つまり、朝食に穀物だけめいっぱい取って、昼食でサラダだけ腹いっぱい食って、夜は肉だけをたらふく食べる。これで一日トータルで見たら、穀物も野菜も肉も大量に摂ったからOK・・・ということにはならないんですって。なぜならこういう食べ方では、その都度、必須アミノ酸のどれかが欠けるので、その他のアミノ酸も活用されないまま大量に排泄されてしまうから。 だから重要なのは、必須アミノ酸のバランスを見ながら、互いに栄養素を補うような食材を組み合わせて食べること。そして、この組み合わせで食べていくとすると、今日のアメリカ人全般の傾向である「牛肉中心」の食事形態を徐々に改善できるのではないかと。 ということで、本書の後半の多くを割いて、ラッペさんは比較的簡単に作れる「脱牛肉」料理のレシピを掲載しております。脱牛肉というか、要は動物性タンパク質に代わる植物性タンパク質中心のレシピね。大豆だのレンズ豆だのヒヨコ豆などの豆類や、ヨーグルトやバターミルク、チーズなどの乳製品、それに野菜を多用した料理の作り方集ですわ。 ま、今日で言うオーガニック料理のオンパレード。私の目から見ると、まあ、クソ不味そうな料理が並んでおります。 とにかくラッペさん曰く、千里の道も一歩からと。地球全体の食料事情を一気に糺そうとしたってそれは無理かも知れないけれど、アメリカ中の家庭の台所からまず一歩踏み出そうではないか、と。本書の中で紹介した植物性タンパク質中心のメニューを、自分にも作れそうなものから試しに作って見て、それで評判が良かったらまたもう一つ作って見て、そんな具合にちょっとずつアメリカの食事の方向性を変えていきましょう、そうしたら「食卓には牛肉のステーキがあればそれでいい」的な風潮も少しずつ変わり、それに伴って、地球上に飢えている人間が沢山いるのに、その人たちの口に入るべきトウモロコシを無理やり牛に食わせて太らせる、みたいな現状も少しは変わっていくんじゃないの?と。 ラッペさんが本書を通じて提唱しているのは、「各家庭の台所の改善を通じた地球の改善」という、非常に慎ましくも稀有壮大な試みなのであります。 ま、そんな感じの本。これこれ! ↓小さな惑星の緑の食卓 結局、この本はアレだね、狂信的なヴェジタリアンの本ではなく、一つには倫理的見地から、もう一つはタンパク質摂取のベストの形を探るという科学的根拠から、アメリカの家庭料理の中に植物性タンパク質摂取の方法を導入し、そのことによって1950年代から牛肉中心になってしまったアメリカ人の食事改善をしようと、そういう趣旨の本ですな。 そういう意味で、とても良識的な本だと思います。ただ、ラッペが提唱しているレシピがまずそうなのばっかりなのが玉に瑕ですが・・・。 とにかく、ラッペも本書中に指摘している(53頁)ように、1970年前後に自然食に対する関心が高まってきた中でのこの本であるわけで、この時代、「食事に対する自己啓発思想」としてオーガニックということが出てきた、っちゅーことですな。そしてその背後には、やっぱり、「地球ってのは、ちっぽけな惑星なんだ」という発想がある。ワタクシにとって興味があるのは、そこよ。 食料が足りない? じゃあ、畑を広げればいいじゃん? 土地なんて無尽蔵にあるんだし・・・という発想は、「地球はとてつもなく広い」という旧来の概念から生まれる発想ですけど、それが1968年以降、「いやいや、地球なんて実はこんなにちっぽけなもんだよ、この小さな丸い玉の中で増え続ける人口を養うものを作らなくちゃいけないんだよ」という事実を突きつけられて初めて、「なんとかしなくちゃ!」という発想が出てくるんじゃないかなと。 だから、『WEC』が宇宙に浮かぶ小さな地球の写真を公開したということが、いかに大きな影響を多方面に及ぼしたか、ということだよね。 ま、そんなことを考えながら、私はこの本を読んだのでした。
May 29, 2020
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YouTube 見ていたら、なんだか面白そうなのを見つけました。白髪を根本的になくす技、というのですが。これこれ! ↓白髪をなくす簡単な技 なんかね、スパイスの「クローブ」と「ベイリーフ」の抽出物、それにインスタントコーヒーを混ぜて作った液体を髪と地肌にかけ、2時間ほどおいて洗い流すだけ、というのですが、本当にこれで白髪が無くなるんですかね?? まあ、クローブにしてもベイリーフにしても、それほど値段の張るものではないし、ましてやインスタントコーヒーなんて安いものですから、実際に作って試してみようかな、なんて。 染めるのではなく、根本的に白髪が無くなるというのは本当なのか? もし時間があったら、ゴールデンウィーク後半にでも、試してみようかな!
May 5, 2022
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なんか最近、仕事で疲れているせいか、妙に酸っぱいモノが食べたいんですよね。 夕食の時など、副食品が十分に揃っているにも係わらず、敢えて「梅干し食べよっかな」とか、「もずく、ある?」なんて家内に注文を出してしまったり。もちろん、蜜柑はあればあるだけ食べてしまいます。 まさか・・・妊娠? アホなことはさておき、そんな酸っぱいモノブームの只中にある私が、最近気に入っているものは何かと申しますと、実は、私自ら考案したカクテルなんです。で、そのカクテルとは・・・ ズバリ、「黒酢&ウイスキー」でーす! ちょっと沈静化した感のある「黒酢ブーム」ですが、我が家も御多分にもれず、DHCに注文して一瓶買ってあったんです。しかし、あれも実際飲もうとすると結構強烈に酸っぱいわけで、一時の興味が引いてしまった後、なかなか減らないまま冷蔵庫の中に鎮座ましましていたわけ。 で、最近の酸っぱいモノブームで、「よし、あの黒酢を一つ飲んでやろう」と思いついたわけですが、やはり直接飲むとなると少し勇気が要る。そこで何かで割ったらいいのではないかと思いつつ、辺りを見渡した時にふと目に入ってきたのがウイスキーの瓶。実はこれもまた少し前に「シングルモルト・ウイスキー」なるものに憧れた時期があって、試しに一瓶買ってみたはいいけれど、結局蒸留酒は私向きではないということが判明して、なかなか減らないまま置いてあったんですね。 つまり、黒酢もウイスキーも、一時の興味で買ったまま、放っておかれたもの同士だったわけ。そしてその「除け者」二つが、まさに私の視線の中で幸福な出会いをしてしまったわけですよ。 で、インスピレーションに導かれるまま、何となく黒酢とウイスキーを3対1くらいの割合でブレンドしたものをショットグラスに注ぎ、ぐっと一息に飲んでみたと思ってみなせえ。すると・・・ う、まーーい!! 何とこれが旨かったんです。黒酢のつんとくる部分はウイスキーの甘みで中和され、一方、ウイスキーのむっとくるアルコール感は黒酢のシャープな酸味で中和され、両者がうまいこと互いの短所を消し合ってしまったとでも言いましょうか。いやー、偶然とは言え、釈迦楽教授特製カクテルの完成です。これ、名前を決めなきゃいかんなぁ。 というわけで、今日も朝から3コマ講義して疲労困憊ですから、家に帰ったら特製カクテルで景気をつけようと思っているんです。 黒酢&ウイスキー、おいしいですよ。皆さんも是非一度、お試しあれ!
December 15, 2005
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今日のお昼はパンケーキでした。ホットケーキみたいなものですけど、若干甘味が抑えられているので、ハム・ソーセージ系のサイド・ディッシュともよく合うんですよね~。 ところでパンケーキ/ホットケーキを食べる度に、その切り分け方に一瞬悩みます。 と言いますのも、私、子供の頃からずっと、ホットケーキってのは縦横・碁盤の目状にナイフを入れ、正方形に切り分けるもんだと思っておったわけですよ。釈迦楽家ではずっとそう。 しかし、家内はそうじゃないんですね。ホールのケーキやピザを切り分ける時みたいに、扇形に切り分けるわけ。家内は家内で、子供の頃からずっとそうやって切ってきたそうで。 で、切り方の合理性では扇形の方が上かなとは思うんですよね。何となれば、すべて同じ大きさに切り分けることが簡単だから。私のように賽の目に切ると、真ん中辺は正方形になりますけど、円の周辺部分は変な形になってしまいますからね。 ま、そんなこともあって、今では私も家内と同様、扇形に切り分けることが多いのですが、しかし、子供の頃の記憶もあって、ホットケーキはやっぱり正方形の方が旨くないか? という気がちょっとだけしなくもないんですよね。それに、賽の目に切ったホットケーキって、子供が描くヒマワリ(の中心部)みたいで、何となくユーモラスじゃありませんか? で、思うのですけど、ホットケーキって普通はどうやって切るものなんでしょうか?? 映画『レインマン』の中でダスティン・ホフマン演じるレイモンドは、私と同じようにホットケーキを碁盤の目状に切ります。だから、この切り方も決しておかしくはないと思うのですけど、この映画の中でレイモンドはちょっと変な人を演じていますので、やっぱりこの切り方は世間の失笑を買う切り方なのかしら? という恐れがなくもない。 ということで、もし「私も正方形に切るよ!」という方、いらっしゃいましたら、ぜひ名乗り出て下さい。それに力を得て、次のチャンスでは懐かしい「碁盤の目切り」しちゃいますので!
May 18, 2010
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数日前から読んでいたフォークナーの『パイロン』、つまらない、つまらないと言いながら読み終えました。結局、最後の方は少し面白かったので救われましたが。 で、読んでいて思ったのですが、『パイロン』という小説は、フォークナーが書いた『ギャッツビー』じゃないのかと。 フィッツジェラルドの『ギャッツビー』は、デイジーという女を間にはさんで、ギャッツビーとトムの三角関係があり、それをデイジーの従兄弟のニックが見ている、という構図なわけですけれども、『パイロン』もほぼこれと同じ。ラヴァーンという女に、ロジャーとジャックという二人の男がいて、それを無名の「記者」が見ていると。 で、『ギャッツビー』では、ギャッツビーが悲惨な死を遂げるのですけれども、それを準備するのに加担してしまったのがニック。『パイロン』では、ロジャーが悲惨な死を遂げるのですが、それを準備するのに加担してしまったのが「記者」。 で、ギャッツビーの葬式にはデイジーもトムも参列しないのですが、ロジャーの場合はそもそも死体が上らないこともあって、ラヴァーンとジャックはそそくさとその地を去ってしまう。そして、その無情な去り方を、それぞれニックと「記者」が見つめるというね。 そして、ことが起ってから、死んだ男の若き日の様子が語られるのも同じ。読者はそこで、「ああ、そうだったんだ」と知る。 それからもう一つ、『ギャッツビー』にも『パイロン』にも、「メカニック」が一人係わってくる、という共通点もありますなあ。どちらの小説でも、このメカニックさんは、ひどい目に遭うのですが。 また作者と作品との関係にしても、『ギャッツビー』の作者フィッツジェラルドには「金持の女と才能ある(しかし金はない)男の恋愛」という、生涯をかけて固執したテーマがあって、『ギャッツビー』はその集大成なわけですが、フォークナーはフォークナーで、飛行機操縦への執着があって、『パイロン』はまさにそれをストレートに打ち出した小説であったと。 ね。二つの小説は色々な点で構図がぴたりと符合する。 ただ、フォークナーの作品の場合、悲劇的側面と喜劇的側面があざなえる縄のようになっているのが特徴で、例えば『八月の光』では、ジョー・クリスマスの悲劇的な話と、リーナ・グローブの喜劇的な話が同時進行していたり、『野生の棕櫚』では、「野生の棕櫚」の悲劇的な話と「オールド・マン」の喜劇的な話が交互に語られる。『パイロン』の場合も、ラヴァーンに横恋慕した「記者」が狂言回しのような形で喜劇的な役割を果たすことで、ロジャーの悲劇をやんわりと和らげているのであって、そこがまあ、強いて言えば、『ギャッツビー』にはないフォークナー流のスパイスかなと。もっとも『ギャッツビー』にだって喜劇的な側面はあって、ニックとジョーダン・ベイカーの中途半端な恋愛関係など、ちょっと笑えるところもある。だから、そういうところも共通だ、ということも出来るでしょう。 とにかく、『ギャッツビー』を補助線にして『パイロン』を読むと、結構、ははーんと思えてくる・・・というのが、私の見立てですな。そういうことを言っている人が他に居るのかどうか、私は全然知りませんが。 だ・け・ど。 それにしては、『ギャッツビー』が断然面白いのに対し、『パイロン』は退屈じゃありませんこと? フォークナーは無駄な言い回しが多すぎるよ。フォークナー好きに言わせれば、「そこがいいんじゃなーい!」ということになるのかも知れませんが。 ってなわけで、私は私で、『パイロン』は読み解いた、もう思い残すことはない、という気分であります。
September 29, 2015
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結局、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』、読んじゃった。 これ、ハクスリーが実験的にメスカリンを飲んだ時の体験談なんですけど、そもそもメスカリンというのは、メキシコとかテキサスあたりに生えているペヨーテというサボテンに含まれる成分で、この地に住む原住民がこのサボテンを神聖な食べ物として食べていたらしいんですな。 で、1886年にこのサボテンの成分の分離と合成に成功し、毒性の少ない、しかし人間の意識の質を変えてしまう物質として知られるようになり、また、これはアドレナリンなど、人間の体内で生産される化学物質とも酷似していることも判明したと。 で、1953年のこと、ハクスリーは、この医者立ち会いのもと、メスカリンの人体実験に参加するんですな。 で、10分の4グラムほどのメスカリンを飲んでみた。すると・・・ ま、メスカリンの影響は人によるので、一般化は出来ないようですけれども、ハクスリーの場合は、何かを幻視するような体験は起らず、ただ目にするものの意味がハッキリ分かるようになったというんです。 たとえば、ボッティチェリの「ユデテの帰還」なんて絵を見ると、描かれている人物たちの着ている服の皺に目が行ってしまう。それまでは人物の方に気を取られて分らなかった、その服の皺の意味が突然分かるようになる、というわけ。その辺、面白いのでハクスリー自身の描写を引用しましょう。(引用) これらの人物の非常なる憂鬱とこれらの人物の創造主たる画家の生ま生ましい息苦しくなるような感受性は、人物の描き記された行動にではなく、描き出されたその身振りや顔にでもなく、彼らが纏っているタフタのスカートとかサテンの肩掛けや胴着の浮彫を思わせる鮮明な輪郭とその肌理に表現されている。ここには滑らかな表面など一インチもなく、平和や確信の時など一瞬もなく、微細な襞や皺の絹の荒野があるばかりで、一つの色調から他の色調へ、一つの定かならぬ色合いから別の定かならぬ色合いへ絶えず転調していく――これは巨匠の手の完璧な確かさで描き出された内面の不安にほかならない。人生においてはことを起こすのは人間で決着をつけるのは神である。造形美術においてはことを起こすのは主題であり、決着をつけるのは究極的には芸術家の気質であり、近似的には彫り刻まれ、描かれた着衣である。(40) 万事こういう調子ですから、メスカリンを飲むことによって、あるものに目を向ける度、そのものに関する今まで気付かなかったことが見えてしまうという、そういう体験をハクスリーはしていくわけ。で、ハクスリーは「こう見えなくちゃいけないんだ。これこそものの真の姿なのだ」と譫言のように言い続ける。 だけど、ハクスリー曰く、メスカリンを飲んでいる間は、ただただモノがその真の姿を開帳するのに見とれるばかりで、能動的に自分から何かをしようという意志がまったく生じなくなる、ということも発見するんですな。 ハクスリーは、「Mind at Large」(=遍在精神)というものを措定していて、人間ってのは誰でもこの遍在精神の一部なんだけど、人間は動物である以上、生存し続けるという使命がある。ところが脳が100%の仕事をしてしまうと、メスカリンを飲んだ時のように、生存のための努力をしなくなってしまうので、そこで「減量バルブ」を作り出し、生存のために必要なほんの少しの意識だけが使用されるようにしている、というのですな。 でまた、人間はそのほんの少しの意識で掴み取った現実に意味を賦与するために「言語」を作り出したと。で、その結果、言語のフィルターを通して現実を見るので、もともと全体のほんの一部しか示されていない現実に対してすら、リアリティを感じられなくなってしまったと。 ただしある種の人々は、その減量バルブを迂回するバイパスを持っていて、それで普通の人間には見えないようなものを見る能力を持っている。天才とか、厳しい修行を積んだ人ですな。もちろん、それとて「宇宙の至るところで起っているすべて」の知覚ではないのですが。 だけど、メスカリンがアドレナリンの効果に酷似しているとなると、例えば人間が飢餓の果てに、あるいは厳しい修行の果てに、何か神聖なものを幻視したとすれば、それは脳内に生成されたアドレナリンのような化学物質によって減量バルブにバイパスが出来たためにそうなったのだとも考えられる。 もっと言えば、もともと人間は遍在精神の一部なので、その現状を化学の力で取り戻せば、遍在精神に戻れると。つまり、ここにおいて従来「奇跡」とか「特権」と考えられてきたものは、すべて化学的なものに還元されてしまうわけ。 そういったことを、ハクスリーは自らのメスカリン体験の中で確信していくわけですな。 だから、メスカリンとかLSDとか、そういうものは、人間が本来の人間の能力を再獲得するための道具なわけですよ。そういう位置づけなわけ。だから、「麻薬は駄目」的な先入観では、どうして1960年代にLSDがもてはやされるかってことは理解できない。 ま、そんなことが分かる本でございます。 でさあ、そのハクスリーに影響を受けてカリフォルニア州ビッグサーに作られたのが「エスリン研究所」。これ、日本では「エサレン研究所」と書かれることが多いのですが、「Esalen」の発音は「レスリング」と同じだそうですから、「エスリン」と記した方がいいんですって。 で、その「エスリン研究所」が実際にはどんなところだったのかを記した本が、『The Upstart Spring』という本で、『エスリンとアメリカの覚醒』として邦訳もされております。エスリンとアメリカの覚醒 [ ウォルタ-・トル-エット・アンダ-ソン ]価格:4104円(税込、送料無料) これも読んじゃった。原稿書けないから。 で、これ読むと、エスリン研究所がどんなところかってのが大体分かってくる。 結局ね、エスリン研究所っていうのは、何か一貫した方向性があるわけではなくて、ハクスリーが措定したような、「人間本来の能力(=ヒューマン・ポテンシャル)」を研究する、ということであれば何でもござれ的な感じで、誰にでも開放されたオープンな学園なんですな。 だから、そういう方向性のことをやっている連中がゲストとしてやってきては、セミナーとかプログラムを展開する。そして、それを体験したい奴がそこに参加すると。 だけどそのゲストが凄くて、アブラハム・マズローが来る、ティモシー・リアリーも来る、アラン・ワッツが来る、ロロ・メイが来る、フリッツ・パールズが来る、ウィル・シュッツが来る、ってな感じで、エスリン研究所を舞台にヒューマニスティック心理学、ゲシュタルト心理学、禅、ヨガ、太極拳、ロルフィングなんかの実験が繰り広げられ、それに加えて、もともとここは温泉ですから、男も女もみんなフルヌードで温泉に浸かると。 そういうところなんですな、ここは。それで、1960年代にはアメリカの知の最前線であり、また1970年代には、めちゃくちゃ胡散臭いところと批判もされ、そうした毀誉褒貶をくぐり抜けて今日に至る的な。 ま、とにかく、ハクスリー以来、主としてカリフォルニアを舞台に、人間本来のポテンシャルを再獲得しよう!っていうムーヴメントがあった、っていうことはよく分かります。そして、それが「自己啓発ムーヴメント」の一環であったということも。 原稿書けないと、色々なこと勉強できるね!
May 21, 2016
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ヘミングウェイはホントにスゴイと思う。 今時の英語力ゼロの大学生と一緒にアメリカ小説を読む、という授業って、テキストを選ぶのよ。選ぶどころか、ほとんどの小説は大学生の英語力を越えてしまうので、内容を味読する以前にそもそも何が書いてあるのかすら読み取れないと。 ただ、ヘミングウェイだけは、どうにかこうにか読めるわけ。英語が簡単だから。それに、分量も短いし。 しかも、その簡単な英語で書かれた短い小説の内容がすごくて、行間を深く深く読まないと、本当の意味が分からないところがある。 だから、とりあえずストーリーを読み取った後、「実はね・・・」とか言いながら、その小説の行間に隠された真の意味みたいなものを取り出してみせると、学生には大受けなの。彼らもビックリするわけ。そして、文学の面白さ、底深さを理解することができるようになる。 中でも「インディアン・キャンプ」という短編が特にすごくて、これを学生に読ませると、彼らですらアメリカ小説の面白さを実感できるわけ。 その意味で、ヘミングウェイの「インディアン・キャンプ」は、最強の文学ツールだと思う。 とまあ、昨今、そんなことを思っていたところ、私より10歳位年上の学会の先輩が、ヘミングウェイの「インディアン・キャンプ」について、ある思い出を語っておられることを知って、なるほどやっぱりその先生も授業でこの作品を読まれていたんだ、と思った次第。これこれ! ↓「インディアン・キャンプ」についての思い出 でもね、「インディアン・キャンプ」の他に、同様に「英語が簡単で、分量が短くて、しかも内容が深く、行間を読ませる」アメリカ短編小説って、なかなかないのよ。同じヘミングウェイの「医師とその妻」は、そこそこいいけれど、それ以外となると、なかなかない。 内容が深くていいと思っても、英語が難しいとかね。分量が長いとか。内容が衝撃的でも、人間味という点で浅い、とかね。なかなか全部の条件が揃うのって、ない。 やっぱり、「インディアン・キャンプ」って、すごいんだよね。あれは別格だよ。
May 30, 2023
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はーい、学会(初日)に参加して参りました〜。久々に大きな学会に参加したなあ、って感じ。このところ義母が亡くなったり(一昨年秋)、父の具合が悪かったり(昨年春)、会期中にアメリカに出張していたりして(昨年秋)、全国規模の学会に参加できなかったもので。 ところで、今回、会場校となったのは東京女子大だったのですが、つまり普段は入れない女の園に潜入することになったわけね。で、普段は男性があまり居ないキャンパスなので、当然、男子トイレの数も少ないと。しかし全国規模の学会となると、そうも言っていられないので、女性用トイレのいくつかを男性用に割り当てる、というようなことをするんですな。だから会場でトイレを利用すると、男性用小便器がなくて、全部個室になる。 というわけで、女性用トイレで用を足すという稀有な経験をしてきたわけですけれども、一つ感銘を受けたのは、今時の女子大ってどこもそうなのかも知れないけれども、トイレ、「音姫」付きなのね。 ちょっと感動。 ま、それはさておき、今日は「文学における贋作」のシンポジウムと、エマソン関係の研究発表を聴講してきたのですが、なかなか面白かったです。ただ、エマソンの研究発表は、ちょっと生硬な感じはしたかな。発表するなら、もっと面白くやらなきゃ。 さて、ここでガラッっと話題を変えていい? 久しぶりに学会での研究発表を聞いたせいで、頭の中がちょいアカデミックになっているもので、その方面のことでちょっと疑問に思っていることを一つ。 今、勤務先大学の英語専攻の授業でヘミングウェイの短編を読んでおりまして、「インディアン・キャンプ」と「医師とその妻」を読み終わったところなんです。両方とも超有名な短編なんですが。 で、専門の授業なので、作品を読むだけでなく、その作品についての研究論文なんかも読ませて、文学を研究するってこんな感じ〜、というのを示そう、なんて思っていたわけですよ。 で、作品を二つ読み終わったものだから、そろそろ研究論文でも読ませたろうと思って、この二つの作品に関する日本人研究者の論文を探したのですが、これがね、意外にない。 いや、ヘミングウェイの研究者ってのは日本には数多い(日本ヘミングウェイ協会という組織まである)はずなんですが、やはり最近の文学研究の趨勢というのか、個々の作品一つを選んで、それだけを論じるというような論じ方をする人がほとんどいないわけ。ある視点から複数の作品を論じる、みたいなのが多いので。 一方、中には個々の作品を個別に論じて紀要なんかに書く研究者もいるのですが、そういうのを見ると、これがまた笑っちゃうくらいレベルが低い。もう、粗筋書いて、それにちょっと感想めいたものをくっつけて、それでおしまいというのばっかり。こんなの学生に読ませて、「なるほど、これが文学研究ですか」なんて思われたら困る、というようなシロモノばっかりなんですわ。 で、これは困ったなと思いながら、「インディアン・キャンプ」についてのある論文(これは他のと比べるとまだマシな方)を読んでいて、ちょっとビックリしたことがありまして。 その前に、そもそも「インディアン・キャンプ」ってどういう小説かと言いますと、インディアンの村で、ある女性が逆子による難産に苦しんでいて、これはどうしても帝王切開が必要ということになり、医師(白人)とその息子ニック、そして医師の弟(ニックからみるとおじさん)の3人がこの村にやってきて、手術をする。手術は無事成功するのですが、その手術の最中、妊婦の夫が自殺するんですな。だから、ニック少年は出産(生)と自殺(死)の両方を目の前で見ることになる。まあ、そういうドラマチックな小説なわけ。 で、私が読んだその論文は、この小説の中では脇役に過ぎない「おじさん」に焦点を当てた論文だったのですが、その中にこう書いてあったんです。すなわち、「この小説で、生まれて来るインディアンの赤ん坊の本当の父親は医師の弟なのではないか、という説が Gerry Brenner という研究者によって唱えられ、何人かの研究者がそれを支持したが、後に Jeffrey Meyers という研究者が,この説には根拠がない、と主張し、筆者もその意見を支持する。しかし、それにしても何人かの研究者が「ニックのおじさん=インディアン女の愛人」説を支持した、ということは注目に値する、云々・・・」。 ええ”ーーーーーーーーーーーーー!!! マジかよ・・・。ヘミングウェイ研究者たちの世界って、そんな風になっているの?? ビックリするわ。 だってさ、ジェリー・ブレナーという研究者の言っていることが正しいに決まっているじゃん? それに対して「根拠がない」とケチをつけたジェフリー・マイヤーズが馬鹿なんじゃないの? っていうか、私、ヘミングウェイ研究の動向にはまったく無知ですけれども、作品を読めばそうとしか読めないので、学生に対してもそういう説明しちゃったよ。ニックのおじさんがインディアン女の愛人なんだよ、って。 根拠がないっていうけど、じゃあ、貧しいインディアンたちが白人であるニックの親父さんに手術を依頼できた理由はなんだよ。ニックの親父さんは、インディアンに頼まれたのではなく、弟に頼まれたに決まっているじゃん。ニックのおじさんはダメな奴で、インディアンの女に子ども産ませちゃったりするもんだから、アニキがその始末をしたに決まっているじゃんか。作中の兄と弟の会話だって、すべてそれを裏付けているし。それに、そうじゃなきゃ、そもそもインディアン女の夫が自殺する理由がない。 その他、作中のありとあらゆる描写がそれをほのめかしているのに、「根拠がない」ってどういうことだよ! こんな明々白々なことを、ヘミングウェイ研究者は二手に分かれて議論しているの? しかも、正しい方の解釈が否定されているの?? だったら、ヘミングウェイ研究者ってほとんど馬鹿なの? それとも、私が突出して天才なのか? わけわからん。 じゃあさ、じゃあさ。「医師とその妻」はどうなの? 「医師とその妻」ってのはどういう話かと申しますと、湖畔にコテージを持っている医師(先の「インディアン・キャンプ」に出て来た医師と同一人物)が、湖岸に流れ着いた流木(実はある製材所の所有物なんだけど、どうせ誰も引き取らないだろうから、薪にして使っていいと医師は勝手に解釈している)を薪にするのに3人のインディアン、ディックとその息子のエディ、それにビリーを雇うわけ。 だけど、ディックが医師に向かって「こりゃまた随分いい丸太を製材所から盗んだもんだね」などと嫌なことを言うもんだから、医師が怒って「この丸太が盗んだものだって言うのなら,お前ら、帰れ!」とか言い出してしまい、結局、インディアン3人は丸太を薪にする作業をしないまま、自分たちの村に帰ってしまう。 で、怒りの収まらない医師がコテージに戻ると、奥さんから色々聞かれるんですな、「何かあったの?」って。そこで医師は「ディックの奴、俺が奴の奥さんの肺炎を治してやって、その治療費は丸太を薪にする労働で払うことになっていたのに、それをするのが嫌なもんだから、俺に喧嘩をふっかけて来た」と説明する。 すると、医師の奥さんはその答えに納得せずに、そんな理由で喧嘩を吹っかける人なんているはずないでしょ、と夫の説明を論破するんですな。それでもう奥さんと話すのが嫌になった医師は、散歩に出かけてしまう。まあ、そんな話。 で、私が問題にしたいのは、この医師の説明は事実なのか否か、ということ。 端的に言いますとね、私の解釈は「半分正しくて、半分ウソ」というもの。 具体的に言うと、医師の説明にあった「妻の治療費を労働で払うことになっていた、云々」という部分は正しい。ただ、それはディックの話ではなく、ビリーの話であって,その点は医師が意図的に話を変えた、というのが私の解釈。だから医師の奥さんが夫の説明にウソを嗅ぎ付けるのは鋭いわけよ。 医師と関わった3人のインディアンのうち、ディックとエディは医師に対してなんの引け目もないけれども、ビリーだけはある。その証拠に、ディックと医師が喧嘩を始めた時、ビリーだけが汗をかくんですわ。また医師のコテージを辞する際、ディックとエディはコテージの庭と森を仕切る柵を開けっ放しにして帰るのに、ビリーだけが後で戻って来てその柵を閉めるシーンがある。つまり、明らかにビリーには医師の機嫌を損ねたくない、何らかの理由があるんです。 それは何か? もちろん、奥さんが肺炎になって、医師に助けてもらったばかりだからですよ! そんなの当たり前じゃん。 だから、医師はビリーの話を、とっさにディックに置き換えて自分の奥さんに説明をし、そのウソを見抜かれたと。そういうことでしょ。 で、私はそんなの当たり前と思っているのですが、ひょっとしてヘミングウェイ研究者の間ではそうなってなかったりするのかしら? 「奥さんが肺炎になって医師に治してもらった、というのは、ディックの話ではなくビリーの話だ」という説を唱えた奴が居るが,根拠がないとして今は否定されている」とか、そんな風だったりして。 まさか、そんなことはないだろうと思うのですが、「ニックのおじさん=愛人説」が否定されるようだと、こちらも怪しいな・・・。 どうなの,その辺? もしヘミングウェイ研究者がこれを読んでいたら、返事して! ま、とにかく、研究者と言っても、色々なレベルがあるなと。久々の学会に参加しながら、そんなことを考えていた私なのであります。
May 19, 2018
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ジェラルディン・ブルックスという人の書いた『ケイレブ』という小説を読了したので、ちょいと心覚えをつけておきましょう。 これ、簡単に言うとですね、アメリカの最古の伝統を誇る名門大学たるハーバード大学(1636年創立)がまだごく小さい学寮だった頃の1665年、その卒業生の中に「ケイレブ」という名の一人のネイティブ・アメリカンが居た、という史実を元にした小説でございます。史実を元にしているけれど、何しろ300年以上前のことですから、そこはそれ、相当部分、想像力をたくましくして物語に仕立てられている。 で、物語の舞台となるのは、今でいうマサチューセッツ州の沖合に浮かぶ「マーサズ・ヴィニヤード島」。時代は1600年代前半ですから、まだアメリカはイギリスの植民地でありまして、マサチューセッツ植民地ではジョン・ウィンスロップが知事を務めていた頃。なにせウィンスロップはゴリゴリのピューリタンだから、結構、厳しいのよ。 で、そんな厳し過ぎる統治に嫌気がさしたメイフィールドという男が、本土からちょいと離れた小島に移住し、一応、そこに住んでいる先住民のワンパノアグ族にキリスト教を宣教するって名目で特許状を獲得、で、その男の息子がこれまた熱心な宣教師だったものだから、なかなかキリスト教に帰依してくれない先住民たちに手を焼きながらも、一生懸命、頑張っていると。 で、その男の娘がベサイアといって、本作の語り手でございます。 ベサイアは兄貴のメイクピースと違って聡明な娘なんですな。しかし、父親は息子であるメイクピースのことを後継者にしようと思っているから、彼に聖書のことやラテン語などを仕込むんだけど、それを傍で聴いているベサイアの方がよっぽど早く吸収しちゃう。でも、当時のアメリカですから、女は学問なんか要らない、ってことで、正式には教えてもらえない。あくまで、兄貴が勉強を教わっているのを、家事をしながら立ち聞きする体でこっそり学んでいるわけ。 さて、そんなことをしているうちに、ベサイアの一家には色々不幸が襲います。まずベサイアの弟が事故で死に、ベサイアの母親が産褥で死に、その時に生まれた妹のソレスも事故で死んでしまう。 それでガックリ来た父親は、もう仕事に専念して悲しみを忘れるしかないってんで、今まで以上に先住民教化に努めちゃう。でまた、折も折、先住民たちの間に天然痘か何かが流行して、みんなバタバタ死んでしまい、その病気を先住民の呪術師が治せなかったことから、先住民の信仰がぐらつくわけ。で、今がチャンスじゃってわけでベサイアの父親は攻勢をかける。 で、その一環として、先住民の族長の次男にして、有力な呪術師の弟子でもあったケイレブを自宅に留め置いて教育し、ゆくゆくは本土のハーバード大学に送り込み、そこでケイレブをキリスト教の宣教師に育て上げて、この知の先住民の教化を完成させようとするわけ。 で、ケイレブはベサイアの家に来ることになるんですけど、実はケイレブとベサイアは、既に3年前からお互いに知り合っていたんですな。 ベサイアが12歳の頃、家から少し離れたところで貝でも拾おうとしていた時、彼女はケイレブに出会い、仲良くなるんですな。で、互いに互いの言葉を教え合ったりする。で、二人はすっかり意気投合していたんですけど、ケイレブが呪術師の弟子として、ある危険な儀式を受けるってんで、しばし離ればなれになってしまうわけ。でも、先に述べた天然痘騒ぎのごたごたで、ケイレブも考えるところがあり、自分たちの部族の神より強いキリスト教の神の何たるかを知ろうと思い始める。それで、ベサイアの家に来ることに同意するわけ。 で、ベサイアの家で勉強し始めたケイレブは、ベサイアの兄貴をはるかにしのいで、どんどん進歩していくと。 で、こりゃいいってんで、ベサイアの父も喜んで、この分なら先住民教化が進みそうだ、ついてはイギリス本国からさらなる寄付を集めよう、とか言ってイギリスに向おうとするんですけど、船が沈んで死んでしまう。 でも、せっかくここまで頑張ってきたのだから、ベサイアの兄貴のメイクピースとケイレブの教育は続けなくちゃならん、でもお金がない、ということで、ベサイアの祖父メイフィールドが一計を案じ、とりあえず本土にあるハーバード大学の受験予備門とでもいうべきコールレット先生の学寮に二人を送り込むことにし、その教育費の代わりに、ベサイアがこの学寮の召使いに出されることになるわけ。 まあ、要するにベサイアが自分の労働で、兄貴とケイレブの学費を賄うわけですわなあ。 で、ここでもあれこれあるんですけど、結局、ベサイアの兄貴のメイクピースは、ここでの勉強について行けず、脱落して島に帰り、ケイレブ(とその同郷の友人ジョエル)が残って学問を続けるんですな。で、ケイレブとジョエルは優秀な成績でハーバード大学に入学を許可される。そして二人は大学でも色々人種差別を受けるのですけれども、そこは頭の良さに物を言わせて、二人とも最終的には同級生たちの称賛を勝ち得ながら、卒業の資格を取る(ただし、その段階でジョエルはある事件に巻き込まれ、死んでしまう)。 で、ケイレブはついにハーバード大学を卒業した先住民第一号になると。 一方、ベサイアは女の身であるために、そういう学問的な道には踏み込めず、ただハーバード大学の寮の住み込み家政婦としてケイレブを支えることになるのですが、そこでハーバードのフェローだったサミュエル(コールレット先生の息子)と知り合い、彼と結婚することになります。 ところがケイレブは、予備門や大学での学業に身を入れ過ぎたのが元で結核を患い、卒業して1年も経たないうちに死んじゃうの。 で、この小説の最後の章は、70歳代になってひ孫に囲まれるまでになったベサイアが、そういう過去を振り返ったところで終ります。 何コレ? ううむ。これ、どういう種類の小説と言えばいいのだろうか? なにせ最初のうち、ボーイ・ミーツ・ガールで始まるからね。こりゃ、先住民のケイレブと、白人の娘ベサイアの恋の物語(あるいは悲恋?)、アメリカ植民地版の『嵐が丘』になるのかと思ったら、全然そうならないというね。ま、ケイレブの方はどうか分からないけれども(物語はベサイアの視点で語られるので、ケイレブの本心は判らない)、ベサイアの方にはまったくその気がない。彼のことは親友、あるいは双子の兄妹みたいな感じでしかとらえてない。 じゃあ、ケイレブがハーバードを出て、そこから活躍するのかと思ったら、すぐ死んでしまう。 じゃあ、ベサイアが、ケイレブの意を継いで何かことを起こすのかと思ったら、一生、平凡ないい奥さんで終っちゃう。 じゃ、何なの? っていう・・・。インディアンの若者が、一生懸命、白人向けの勉強をして大学にまで行きました、けど、すぐ死にました、で終っちゃう話じゃないの。 そういう意味で、カタストロフィーのない話なんだよね・・・。 となると、この小説のどこに意味を見い出せばいいかっていうと、「crossing」というところに目を向ける以外ない。 この小説、原題は『Caleb's Crossing』というのですが、この「crossing」というのは、境界を突っ切る、という意味ですよね。で、300年以上前のアメリカ植民地のみならず、誰の身にも、人生の中で何度かはこの境界に出くわすだろうと。 ある人はその境界を突破するかも知れない。ある人は突破できず、その前で引き返す以外ないかも知れない。 でまた、突破したから良かった、ということになるかも知れないし、ならないかもしれない。突破できなかったから幸せになれませんでした、ということになるかも知れないし、むしろその方が良かった、ということになるかも知れない。 ま、境界ってそういうもんだよね、と。 ちなみに、この小説が書かれた2011年って、オバマさんが大統領の時ですよね。それを考えると、この「境界」という概念は少し面白い。 オバマさんは、人種の境界を越えて大統領になりました。 その後、ヒラリー・クリントンさんは、性別の境界を越えられず、大統領になれませんでした。 そのヒラリーに勝ったトランプさんは、今、メキシコとの国境に、物理的な境界をぶっ建てようとしております。 っていうね。 ・・・あんまり面白い見立てでもないか・・・。 ま、とにかく、一体この小説の何に感動すればいいのか、イマイチ分からないまま、終わってしまったのでありましたとさ。 あ、それはあくまで私の意見であって、世間は大絶賛よ。多分。 あと一つ、翻訳の問題点について、指摘しておきましょう。 この小説は、語り手であるベサイアの15歳の時(第1章)、17歳の時(第2章)、70歳の時(第3章)の手記、という体裁で書かれております。だから、当然、女の子(女の人)の一人称の語りで構成されるのね。 問題は、女の子、ないし女の人が一人称で語る時、どういう言葉遣いをするか、です。 本作の訳者の方は、この点に関して、「女言葉で語る」というのを選択したんですな。つまり、「○○だわ」とか、「○○なのよね」とか、「○○なんじゃないかしら」とか、そんな感じ。 私は、これがすごく気になる。すっごい違和感。 で、ついに私は家内に尋ねました。「自分が日記とか、手記を書くとして、こういう言葉遣い、する?」と。 家内は言下に答えましたね。「否」と。 そうでしょう、そうでしょう。 女の子/女の人は、日記/手記を書く際、女言葉は使わないだろうと私は思うし、家内もそう言っております。 となると、この小説の奇妙な文体は何なの? っていう話になるわけよ。何なの? というわけで、すっごく気になるのよね。その辺り、変えた方がいいんじゃないかしら。その方がいいと思うわ。 ケイレブ ハーバードのネイティブ・アメリカン [ ジェラルディン・ブルックス ]
January 14, 2019
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前にスウェーデンの神秘家、エマニュエル・スウェーデンボルグの思想がどうやってアメリカに渡ったかということを調べていて、ジョニー・アップルシードがそれに関わっていた、ということを知りまして。ジョニー・アップルシードってのは、アメリカ中を旅しながら、リンゴの苗木を売って歩いた伝説の果樹園業者なんですけど。 「as American as apple-pie」(アップルパイみたいにアメリカ的)っていう言葉があるくらいで、リンゴってのはアメリカを代表する果物であるわけですけど、それをアメリカ中に広めたという点で、ジョニー・アップルシードは、まあ話半分としても、なかなか興味深い伝説的人物なわけ。 で、そのアップルシードがスウェーデンボルグ主義者だったというところが、私にとってはさらに興味深いところで、そうなると彼はリンゴと共にスウェーデンボルグの思想をアメリカ各地に植え付けて回ったということになる。話としては相当に面白いわけですよ。 で、そんなジョニー・アップルシードについて詳しい研究者といえば、それはもう亀井俊介先生を置いて他にない。先生の有名な『アメリカン・ヒーローの系譜』という本の中で「ジョニー・アップルシード」の名前を初めて聞いたという人(かくいう私もその一人)も多いはず・・・。 で、では亀井先生はジョニー・アップルシードとスウェーデンボルグの関係について、どのように書いていらっしゃるか。そこが知りたいところなのですが・・・私の書架に『アメリカン・ヒーローの系譜』がないと。 いや、元はあったんですよ。もちろん。だけど、学生か誰かに貸したりしているうちにどこかに行っちゃったのよ。で、そのことが確認できずにいたのですが、結局、再度この本を手に入れまして、ようやく確認することができました。そしたらね、やっぱりさすが亀井先生なんだなあ。ちゃんとアップルシードとスウェーデンボルグの関係について、『アメリカン・ヒーローの系譜』の中に言及してありました。 で、それによると、アップルシードはスウェーデンボルグの教えを奉ずる「ニュー・チャーチ」(正確にはニュー・ジェルザレム・チャーチ)に帰依し、その思想をアメリカ中の人々に伝えようとしたんですな。で、アップルシードが生きていた時代には、まだニュー・チャーチは発足間もない頃だったので、チャップマン自身、最初期の信者の一人だったらしい。そして彼はこの教えを広めるために、ニューチャーチのパンフレットを教会からもらうために、全米各地にあった自分の土地(すなわちリンゴの苗木の栽培地)を提供する交渉をしていたらしいんですな。ま、パンフレットをもらうためという現実的な目的もあったようですが、アップルシード的には、そうやって自分の土地を得たスウェーデンボルグ協会が、その敷地に新しい教会とかカレッジでもぶっ建ててくれたらいいな、という希望というか野望も持っていたようで。 もっとも、アメリカ西部の開拓最前線で苦労している入植者たちにはスウェーデンボルグの教えはちょっと難しすぎたようで、アップルシードの布教活動はさほど実を結ばなかったという説もある。しかし、その一方、チャップマンの努力により、1820年から40年にかけて、オハイオ地方に相当な数のスウェーデンボルグ協会が出来たという説もある。(その辺のことについては、Robert Price という人の Johnny Appleseed: Man and Myth や、Henry A. Pershing の Johnny Appleseed and His Times という本に詳しいらしい。) 亀井先生の『アメリカン・ヒーローの系譜』に書いてあるのは、ざっと上のような簡単な説明だけでしたけど、元ネタとなった本の存在も知れたし、今後はロバート・プライスやパーシングの本に当たってみようかなと。
June 22, 2020
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今年度後期、私は「アメリカ・ジャズ史入門」「アメリカ・ロック史入門」「アメリカ映画史入門」という3つの一般教養系の授業を担当したのですが、前の二つに関しては、授業外の課題として何冊かの関連する新書本を提示し、授業期間中にこれらの新書本の中から1冊を読んで感想を書け、的な課題を出したわけ。 ところが。 ジャズの入門書とか、ビートルズの解説書なんかは沢山あるのに、最後の「アメリカ映画史入門」だけは、学生に課題として出すにふさわしい新書本(あるいは文庫本)が見当たらなかったんですわ。 いや、アメリカ映画に関する本は沢山あるのよ。だけど、どれも専門的過ぎるというのか、研究者的な分析の仕方が提示されていたり、そもそも分析する映画のセレクトがマニアック過ぎたりして、「アメリカ映画はおろか、洋画自体、一本も観たことありませーん」という近頃の学生たちに読ませるには難しすぎるんですな。 そういうのじゃなくて、20世紀後半以降のアメリカ映画の有名どころをさらっと紹介しているような新書本・文庫本がいいのよ。だけど、そういうのって意外に存在しない。 ひと昔前だと、田山力哉氏の『アメリカンニューシネマ名作全史(1~3)』(教養文庫)とか、長坂寿久氏の『映画で読むアメリカ』(朝日文庫)などがあったのだけど、これらは今は絶版でね。これこれ! ↓【中古】 アメリカン・ニューシネマ名作全史 2 / 田山 力哉 / 社会思想社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】【中古】 映画で読むアメリカ / 長坂 寿久 / 朝日新聞社 [文庫]【メール便送料無料】【あす楽対応】 いやあ、不思議だなあ。なんでないんだろう、簡単なアメリカ映画の入門書。 っていうか、書けばいいのにね。誰か。 今、アメリカ文学研究って、全般的に行き詰っていて、多くの研究者がもうやることが思いつかないから、文学の代わりにアメリカ映画の研究なんか始めちゃっているケースが結構あるんだけど、そういう人たちこそ、新書版/文庫版の『アメリカ映画入門』みたいな本を書けばいいのに。 ひょっとして、アメリカ映画自体に、既に需要がないのかな・・・。
February 14, 2023
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『VIVANT』が終わってしまって、日曜日がとっても寂しいのですが、でも大丈夫! 『VIVANT』のすぐれた代用品をめっけました~! それはアイン・ランドという作家が書いた『水源』という小説。長いよ~。上下二段組で、1000頁以上あるからね。これこれ! ↓【中古】 水源/アイン・ランド(著者),藤森かよこ(訳者) 【中古】afb でもね、これが、まぁ~面白いの。そうそう、小説というのは、かように面白いものだったのね、と思い出させてくれる。 これ、基本的には二人の若き建築家の話でね。一人は守旧派のキーティング、一人はモダン派のローク。キーティングは建築の才能というより人当たりの才能でのしていくし、ロークは人当たりの才能ゼロだけど天才肌。建築というのは、色々な文化領域の中でも世間の人が最も保守的になるものだから、私が今読んでいるあたりではキーティングは飛ぶ鳥を落とす勢いて、ロークはどん底にある。しかし、いずれこれが逆転する時が来るのでございましょう(来なかったら悲しい)。1920年代を背景とするアメリカ小説ですけど、19世紀のイギリスの長編小説、たとえばディケンズとか、そういうのを彷彿とさせるところもある。 通俗小説だから、最終的には勧善懲悪になるのだろうけれども、しかし、だからといってキーティングの造形が月並みというわけではなく、ロークが常にいい子ちゃんというわけでもない。その辺の複雑さも十分に味わえます。 まあ、でも、二人の建築家の争いっていうと、アレだよね、幸田露伴の『五重塔』を思わせるところもあったりして、その辺りを念頭に読むとさらに面白かったりして。 しかし、とにかくね、肝心なことは、この小説が非常に面白いということ。文芸時評なんかやってて、日本の最近の小説のつまらなさにへきえきしている身としては、久々に面白い小説を読んでいるなという実感があります。 ということで、本作は既に絶版のようですが、古本なら入手可だし、図書館という手もある。 私と同様、『VIVANT』ロスに悩む御同輩には、絶賛おススメ、と言っておきましょう。
September 24, 2023
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思い返してみると、昨日は色々な人と話をしたなと。 まずお昼。非常勤で来られている先輩同僚のアニキことK先生と一緒に昼飯を食べながら雑談していたのですが、たまたま話題がイースター島のことに向かいまして。アニキによれば、イースター島のモアイ像の謎は、もうほとんど解明されてしまったのだそうで、たとえば「どうやってあの像を作ったのか」という謎にしても、イースター島は火山島なので、そこにある岩は火山灰の固まったものだから、柔らかくて原始的な道具でも容易に加工ができたと。 で、昔は丸太がとれない島で、どうやってこの像を運んだのか分からなかったけれど、最近の研究で、あのモアイ像の形自体の特色により、紐をかけてエッチラオッチラ引っ張れば動くようにできていることが分かり、実際に引っ張ってみたところ、少人数でも引っ張れたとのこと。 また昔は、モアイ像が皆同じ方向を見ているのが、ひょっとして宇宙人との交信なのではないかと言われていたけれども、あれは村の守り神的なもので、村のある方向を見ているだけなのだとか。 そうやって、謎がみんな解かれてしまうと、案外ツマラナイものですな! その後、午後には、10月一杯で産休に入る別の科の同僚(専門はアメリカ文学)が、産休前の挨拶に来てくれまして。義理堅いよね! で、その同僚から耳打ちされたんですけど、先だって、同じ学会の若手らが書いた論文の査読を私がした際、私が書いたコメントがあまりにも厳しいというので、執行部の方で少し話題になったとのこと。えー、そうなの? そんなに辛辣なこと書いたっけなあ? あと、私の自宅近くにある某女子大の一学部が、今度その地から撤退することが決まった、なんていう噂話も聞きました。実は私、若い頃に一度、その学部で非常勤講師を務めたことがあるので、なんかちょっと寂しい。でも、学部が消滅するのではなく、大学本部の近くにあった名門ボウリング場が閉鎖されたことをうけ、その跡地に校舎を建てて、そこに移るんですと。なるほど。 その後、夕方頃になると、別の同僚と立ち話をする機会があり、話題が先日行われた選挙の際の「国民審査」の話題になりまして。 その同僚は、法学がご専門なんですが、私が「I」という最高裁判事にダメ出しを出したと言ったら、えらく褒められました。法曹界でも、このI氏は非常に評価が低いそうで、その同僚ももちろん、この人に✕をつけたのだとか。 そして夜、道場でひと汗流していたところ、親しい兄弟弟子のO先生から、「釈迦楽先生はラリーに興味がありますか?」と尋ねられまして。なんでも、今度愛知県内で開催される世界ラリー選手権の観戦チケットがあるのだけれど、欲しいですか? と。 え? そんな美味しい話に乗っていいんですか?! とはいえ、仕事上の都合もあって、当日、本当に行けるかどうか分からないところも。うーん、ちょっと悩むなあ。まあ、もう少し考えて、何とかなりそうならお言葉に甘えちゃおうかしら。 とまあ、昨日は一日の内に色々な人に会って、色々な情報や好意をいただいたのですけど、やっぱりアレですね、犬も歩けばと言うけれど、外に出て、色々な人に会うと、面白いことが次々と起こるものですな。 だからこそ、人には会って話をしないといけないのかもしれませんね。
November 1, 2024
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ジュリア・キャメロンが書いた自己啓発本のロングセラー、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読了しましたので、心覚えをつけておきます。これこれ! ↓新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 [ ジュリア・キャメロン ] これ、読み始めてすぐに「ん?」となったのですが、一般向けの自己啓発本じゃないですね。 じゃあ誰向けの自己啓発本かと言いますと、「クリエイター向け」。 いや、そうじゃなくて、「本当は小説家とか、映画監督みたいなクリエイターになりたかったんだけど、そうならないまま、批評家とか、大学教授とかになっちゃった人向け」だな。 クリエイターになるって、大変だからね。作品を生み出せば、当然、批評の対象となって、クソミソに貶されたりする。特に最初のうちはね。 で、その最初の試練が怖くて、自らクリエイターになれなかった連中の中に、そのルサンチマンから、逆にクリエイターを批判する側に回る人がいる。つまり批評家とか大学教授とかね。そういう連中は、「もしオレが小説を書いたら/映画を制作したら、もっといい作品が作れる」とどこかで思っているもんだから、当然、他人の作品をやっつけがちになる。特に才能ある若手が最初に作った作品に対しては厳しくて、酷評し、才能の芽をつぶしにかかると。 で、ジュリア・キャメロンは、こういう「クリエイターになれなかった人」向けにこの本を書いたんですな。そんな、しょーもない若手イジメなんてしていないで、本当は自分自身が「ずっとやりたかったこと」をやりなさいよと。 そういう本。だから、一般人向けの自己啓発本ではなく、クリエイターになりそこなった人に、「今からでも遅くない、クリエイターになりなさい」とすすめる本だったのでした。 まあ、ジュリア・キャメロン自身、批評家とかにイジメられ、芽をつぶされそうになった挙句、どうにかこうにか脚本家・映画監督になりあがった人なので、その経験からこういう本を書いたのでありましょう。 で、じゃあ、どうすればクリエイターになれるのか。この点について、本書全巻を通じてキャメロンが提唱しているのは、たった2つの方法のみ。気になるでしょ? 一つは「モーニング・ページ」。もう一つは「アーティスト・デート」。この2つだけ。 じゃあ「モーニング・ページ」とは何ぞや?と言いますと、朝、起きぬけに、手書きで(パソコンじゃダメよ)真っ白なノート3ページ分に、何でもいいから文章を書く。まとまった文章でなくても、その時、心によぎった考えをそのまま、思考の流れを自動筆記するみたいにして書く。3ページ分、ノートが埋まるまで書く。 一方「アーティスト・デート」というのは、1週間に一度でいいから、2時間とか3時間程度の時間を費やして、ふらりと散歩に出たり、美術館に寄ったり、行ったことのない街を訪れて気になった店に入ったりすること。つまり、何か自分のアーティスト魂を刺戟するような体験をする時間を設ける、ということですな。 はい、この2つだけ。この2つ(特に「モーニング・ページ」)を自分に強制し、1年とか2年とか続けていくと、あーら不思議、いつの間にやらあなたはずっとなりたかったクリエイターになっていますよ、と。 え¨ーーーー、そうなの~~?! ではなぜそうなるかと言いますと、キャメロン曰く、クリエイターというのは、特殊な才能をもった一群の人たちの謂いではなく、人類全体のことだから。この世に生まれた人間は、本来、全員が全員、クリエイターだ、というのですな。もちろん、すごいクリエイターと、そうでもないクリエイターはいるけれども、クリエイターであるという意味では等価。それに、総じていえばすごいクリエイターが高い評価を得るとはいえ、そうでもないクリエイターが好き、という人だっている。 そういえば永野が言っていたなあ、「ゴッホより、普通に、ラッセンが好き!」と。あれは、ひょっとすると、非常に深い真理を言い当てていたのかもしれません・・・。 で、さらにキャメロン曰く、人間はみなクリエイターで、クリエイトすることを欲しているのだけれど、その一方で、自分のやりたいことをやることを恐れていると。この恐れが、自分を「ずっとやりたかったこと」から引き離す原因になっているわけね。 なぜなら人間というものは、「失敗するのではないか」と恐れる以上に、「こんなことをしていたら、成功してしまうのではないか」ということを恐れているから。だから、せっかく神様が、その人の創造力を発揮させようとチャンスを恵んでくれている(こうした天与のチャンスのことをキャメロンは「シンクロニシティ」と呼ぶ)のに、それを無視したりする。キャメロンは言います、「人は、神がいないことよりも、いることの方をはるかに恐れている、というのが私の感想だ」と。 うーん、この考察は深いな。 で、この恐れを克服するためにどうしても必要なのが、「モーニング・ページ」であると。 つまり、「モーニング・ページ」ってのは、天から降ってくるシンクロニシティと同調する恰好の方法だから。人は誰しも無心になって、恐れなく、真っ白なページに文字を埋めていく過程で、天与のクリエイティビティに気づくことになるから。遅かれ早かれ、必ずそうなる。何となれば、才能というのは、生れつくものではなく、こうやって降ってくるものであるから。 ま、これが本書のアルファであり、オメガね。かくして、才能というものが、特権的なものではなく、民主的なものになったのであります。 どう? 賛同した? 私は・・・賛同するね。最初、大したことない本かと思っていたけど、ところどころ、唸るようなことが書いてある。それに、クリエイティブな才能というのは、誰にも降ってくるものだ、だからそれを受け取る気になれば、誰でも受け取れるものだ、という考え方は、ポジティヴでいいじゃない。 というわけで、私はキャメロン教の信者となり、明日、朝起きた時からモーニング・ページ書くことにしました。私の主義は、「一応、何でも試してみる」だからね。 どうせなら、それ専用のノートでも買って、それ専用の万年筆とか買っちゃおうかな。買えばやらざるを得なくなるじゃない? 前から欲しかった万年筆を買う、いいチャンスだし。これこれ! ↓【PILOT】パイロット キャップレス 万年筆 FCN-1MR (細字・中字) とまあ、本書はこういう感じの本だったのであります。だから、一般向けの自己啓発本ではないけれども、クリエイターになり損ねた大学教授(俺のことか?)には響く本ではあります。そういうものとして、教授のおすすめ! と言っておきましょう。これこれ! ↓【中古】【全品10倍!11/1限定】ずっとやりたかったことを、やりなさい。 / ジュリア・キャメロン
November 2, 2024
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学会の資料室なるものを引き受けている関係で、大学の私の研究室宛てで沢山の郵便物が届くのですが、その宛名の書き方について私には前から一つ疑問がありまして。 もちろん、学会のHPでは、会員の皆様に対し、本などを出版された場合は、その一部を資料室宛て、すなわち「○○大学 釈迦楽研究室宛て」でご恵送下さい、みたいなことを促しているわけですよ。それはそれでいい。 だけど、それをそのまま真に受けて、と言いますか、本当に「釈迦楽研究室」と郵便物の上に書いて送ってこられると、あれ? それでいいんだっけ? と思ってしまうわけ。受け取る側とすると、何だか呼び捨てにされたような気がしてね。 私だったらこういう場合、「○○研究室」とは書かず、「○○先生研究室」と書くんだなあ。 実際ね、私のところに届く郵便物の中にも、「釈迦楽先生研究室」と書かれているものもたまにあるんです。そういうのがあると、ちょっとホッとする。 だけど、ネットとかで調べても、こういう場合の正しい宛名の書き方って書いてないんですな。例えば「物理学研究室」とか、そういう例はあるんですけど、「研究室」の前に人名が来る場合の書き方が、ネット上でもなかなかない。 ひょっとすると、「人名呼び捨て+研究室」でいいのかも知れませんが、なんかね、ちょっとね、気になるんですわ。 「研究室」がついてなくて、ただ「田中宛て、ご送付ください」と書いてあった場合、「田中へ」とは書かないでしょ。「田中様」とか書くでしょ。だったら、やっぱり「○○先生研究室」と書いた方がいいんじゃないかなと。 ま、よく分かりません。どなたか、こういう時の礼儀について詳しい方、ご教示いただければ幸いです。
October 19, 2016
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家内はピラティスというのを習っているのですが、ピラティスというと、知らない人もいますが、「ヨガみたいな奴?」という程度の認識を持っている人は、それなりに居るのではないかと。 ま、「ヨガみたい」というのは、「遠からずと言えども当たらず」らしいですけどね。 まあね、ヨガってのは、突き詰めていくと精神論になっちゃうらしいわけよ。初心者の内は、それ無理でしょ、というようなポーズを取ったりするわけですが、上級者になるにつれて動きが小さくなり、最終的には「気の流れを宇宙の波動と合わせる」みたいな、わけのわからんことになっていく。 その点、ピラティスというのは、同じ体幹系の運動体系とはいえ、科学的ですからね。宇宙との合一とか、そういうのは目指さないと。 ところで、それと同じ・・・ではないけれど、ちょっと似たような感覚なのが、八光流柔術と合気道ね。 八光流のトレーニング本というのは市販されてないですけど、合気道のはいくらでもある。 ということで、参考になるかと思って、合気道の本を最近よく読むのですけど、やはり同じ柔術系でも、八光流とはちょっとずつ違うんですなあ。敵と和す、という思想においては、まあ、共通するところが多いですけど、体の動きが随分違う。 合気道だと、足の捌きが結構重要みたいですな。踏み込んだり、逆に足を引いたり。八光流だと、あまり動きませんけどね。その場で抑える、みたいな。後、合気道は大体、半身が基本姿勢のようですが、八光流では半身の構えってないですから。 でも、読んでいると、あ、これは八光流で言うアレだな、というようなのは色々あって、面白い事は面白い。勉強にはなります。 あと、合気道にも色々あるようで、合気会系では「一教、二教、三教、四教」という言い方をし、養神館系では「一ヶ条、二ヶ条、三ヶ条、四ヶ条」という言い方をするようですな。ほぼ同じ技なのに、言い方が異なるというのもちょっと面白い。あと、合気道の人がよく「表」とか「裏」という言い方をしますが、その意味も大体分かりました。正面に踏み込んで相手を抑えに行くのが「表」で、相手の背後に回ってからかける技を裏と呼ぶわけですな。「表」が一般に習う技で、「裏」というのは、上達した人だけが教わる秘密の技なのかと思ってたら、大違いでした。 というわけで、道場では八光流、家では合気道を勉強し、ますます柔術マスターへの道を邁進しているワタクシなのでありましたとさ。私は一体、何になるつもりなのでしょう?
September 15, 2011
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昭和40年代、すなわち私が小学生の時代に何を食べていたかを思い出しております。 まず自宅での朝・昼・晩の食事のことを考えてみると、もちろんそれほど洒落たものは食べておりませんでしたが、かといって、現代の食生活といかほど違ったかと考えてみると、それほどの違いはないかなと。 ただ、小学校3年生まではそれこそ畳の部屋で、一家4人ちゃぶ台を囲んで、という、典型的な昭和の風景が我が家でも見られて、そこが一番の違いかなと。 で、今もよく思い出すのは、この平屋の借家に住んでいた頃、母ご愛用の料理本がありまして。時々、この料理本のレシピでなにかご馳走を作ってくれたこと。 例えばプリンとかね。 だけど、その料理本のレシピによるプリンは、今我々が食べているようなカスタード・プリンではなくて、なんか、食パンをベースにしたもので、蒸かしたフレンチトーストのようなものだった。多分、当時の日本では各家庭にオーブンなんかなかっただろうし、フライパンと蒸し器と、そんなものだけで西洋のお菓子を作るにはどうしたらいいか、知恵を絞って方法を案出していたんでしょうな。 そういう、ちょっとこう涙ぐましい文化があったのよ、昭和には。 でも、今になってみると、そういう時代のことが懐かしくて、古本屋さんとかでこの母愛用の料理本が売りに出てないかな、なんて探してみたりするんですけど、そういうものって案外残ってないんだよね。古本好きには男が多いから、料理本というジャンルまで目が届かず、消失するに任せてしまったのではないかと。 ま、それはともかく、1973年、私が小学校4年生の時にマンションに引っ越してからは、わが家も大分、文明化し、ダイニング・ルームでテーブルに椅子という生活になり、オーブンもあったし、オーブントースターもあったので、食生活も大分モダンになって、それこそ今とあまり変わらない感じになってきた。 それに付けて言えば、マンション時代に入ってからは、冷蔵庫が二段式というか、冷蔵室と冷凍室が別になりましたから、それに伴ってこの頃から「冷凍食品」がわが家に導入され始めたのではなかったかと。わが家に限らず、昭和40年代後半から末頃にかけて、日本中でそんな感じになっていたのではないかと思いますねえ。 いや、冷凍食品のみならず、インスタント食品も普通のものになったかなあ。日曜日の昼とか、袋もののインスタントラーメンとか、インスタント焼きそばとかで済ませてしまうことも多かったし。ちなみに明星ラーメンが1962年発売でしょ。日清のインスタント焼きそばが1963年。私と同い年。1968年には「ゴマラー油入り」が売りの「出前一丁」発売。これ、よく食べたなあ。そしてカップヌードルが1971年発売となると、まさに私の世代はインスタント・ラーメンと一緒に育ったと言ってもいい。 あと、食に関するもう一つの側面として「外食」ということがあるわけですけれども、私が住んでいた当時の東林間には、そんなに洒落たレストランなんてものはなくて、外で食べると言えば、例えば蕎麦屋とか、中華そば屋とか、そんな感じ。具体的には、今も東林間に残る蕎麦屋の巴屋さんとか、ラーメンの三福とか、あるいは今は無き東珍軒とか、そんなところに行きましたね。あと、これらのお店から店屋物を取る、ということもよくありました。店屋物といえば、たまにお寿司も取ったかなあ。吾妻寿司。あと駅前に鰻屋さんもあって、たまに行ったけれど、ここは数年前に潰れたようですね。 で、それよりももう少し洒落た・・・というか、洋食が食べたい時などによく行ったのは、町田ね。 で、町田で食べるという時、我が家がよく行ったのは、昔の「さいか屋」(今の「ジョルナ」ですな)の地下にあった「お好み食堂」。食券を買って空いているテーブルにつくと、係の人が券をもぎりに来るの。半券をもぎって行って、料理を出す時に残りの半券を持って行くシステム。ここではよく「スパゲティ・ミートソース」を食べたものですよ。そう、さいか屋には3階にも洋食レストランがあって、そこではスパゲティ・ポロネーズをよく食べました。後、グラタンも食べたか。 あと、これはもう少し後になってからですけど、やはりさいか屋の中にステーキの店の「ズム・ズム」というのが出来た時代があって、ここで「ランプ・ステーキ・セット」というのを食べるのは、地下のお好み食堂でミートソースを食べるよりぜいたくな気がして嬉しかったことを覚えております。 町田での外食でもう一軒思い出すのは、もっと駅に近いところ、たしか久美堂書店の近くの地下にあったのですが、「山のグリル」というお店ね。ここのハンバーグがめちゃくちゃ美味しかった。ソースに独特の風味がありましてね。で、店が地下にあるし、照明もわざと落としていて全体的に暗いのですけど、一つの壁に大きな、多分スイスあたりの山の写真のパネルがあって、そのパネルを内側から蛍光灯でバックライト的に照らしていて、これが暗めの店内ですごく目立つわけ。そうした店内のしつらえが、なんだかすごく高級感があったんですわ。ここで食べるのは、ちょっと奮発したご馳走、という感じがしたものです。 外食と言えば、ファースト・フードが登場したのも昭和40年代後半、すなわち1970年代初頭でしたねえ。マクドナルドが銀座1号店を出したのが1971年。 ちなみに私が最初に食べたハンバーガーは、マクドナルドではなくて、ロッテリアだった気がする。ロッテリアも創業は1972年で、マクドナルドにそれほど遅れを取ってないですからね。やはり町田のロッテリアで食べた。その時の印象では、ハンバーガーもさることながら、「シェーキ」ってのはとんでもなく旨いなと思ったことをよく覚えております。 それからね、ファースト・フードで言えば、ピザのこともよく覚えていて、私が最初にピザという食べ物を食べたのは小学校6年生の時、つまり1975年ですよ。これは神戸で食べた。この頃、神戸でピザを食べさせる店が出来たってのが評判になって、京都の親戚の家に行った時に、従姉のお姉さんが大騒ぎして、彼女に引っ張られるようにみんなで食べに行ったので、多分、日本でのピザ普及のごく初期のことだったと思います。そう、それでその時に初めて「タバスコ」の存在を知ったのよ。で、最初のピザ体験の時にタバスコをかけてしまったので、私のDNAの中でピザとタバスコはペアになっているわけ。その意味で、私のピザ概念はどうあがいたってアメリカ風なんですよね。ピザの本場イタリアにタバスコなんかないって言うじゃない? とにかく食文化全般を通じて一つ言えるのは、日本の食卓の西洋化とインスタント化、冷凍化、ファーストフード化は、すべて私の世代から始まったってことですよ。それが良いことか悪いことかは別として、その変化の波を目撃し、それに最初乗ったのは我々昭和後期の世代なわけ。 すごくない? すごいかどうかはアレですけど、変化に立ち会ったっていう意識、それはありますね。こんなに沢山、変化に立ち会った世代って、我々の世代以外にないと思うしね。 さて、食文化の話の中で、「町田」という都市に言及しているうちに、この面白い町のことについても書き残して置きたくなってきました。ので、次回は町田について語りましょうか。
March 12, 2016
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昨日、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』について触れましたが、この本の翻訳者は鈴木晶さんという方でありまして。 鈴木晶さんという方、もちろん私は存じ上げないのですけれども、しばしば面白い本を訳される方ですよね。以前から、「あ、面白そうな本だな」と思うような本で、ふと訳者を見ると「鈴木晶」となっていることが多かったものですから、結構、信頼を寄せている人なんです、翻訳者として。 で、今回もそうだったので、つい興味が湧き、ウィキペディアで調べちゃったの。鈴木晶さんって一体どんな人なんだろうと。 ウィキペディアの記述を引用しますと・・・ 鈴木晶(1952-)は、日本の舞踏評論家、舞踏史家、翻訳家である。 ん? ちょっと待って?! 翻訳家の肩書の前に「舞踏評論家」っていうのが来るの? 鈴木さんは舞踏評論家なの? 気を取り直してその続きを読んでみましょう: 法政大学教授で、文学批評、精神分析、その思想史、特にスラヴォイ・ジジェクを専門とし、エーリヒ・フロム著「愛するということ」の翻訳者として知られる。ロマンティック・バレエ、バレエ・リュスを始めとした、19世紀から20世紀にかけての西洋バレエ史なども詳しい。 はあ~。そうだったんだ。バレエ史の人なんだ。そりゃビックリだわ。わたしゃてっきり英米文学畑の人かと思ってた。その先を読み進めますと・・・ 東京都生まれ。東京教育大学附属駒場高等学校の同学年に四方田犬彦や金子勝がいた。1977年に東京大学文学部露文科を卒業し、大学院人文科学研究科博士課程を満期退学した。駿河台大学専任講師、法政大学第一教養部教授を歴任して、現在は法政大学国際文化学部教授。早稲田大学大学院文学研究科の客員教授、東京芸術大学(音楽学部)の講師も務める。 なるほど、四方田犬彦さんと高校が同期ですか。じゃあ、アレだ。東大の黄金時代だ。でも英文科じゃなくて露文科だったのね。それでスラブ語に強いからスラヴォイ・ジジェクなのか。 その先を読んでみましょう。ナニナニ・・・: 学生時代に小説を書いて高橋たか子に見せに行ったが、小説になっていないとして翻訳を勧められ、高橋と共訳をしたりするうちに秘書的存在になり、高橋和巳・高橋たか子の著作権を管理。 ん? ちょっと待って?! 高橋和巳・たか子の著作権を管理? どういうこと? で、思わず今度は「高橋たか子」のウィキペディア記述を見に行ったら、こんなことが書いてありました: 2013年7月12日、茅ケ崎市の老人ホームで心不全のため死去した。喪主を務めた鈴木喜久雄氏(翻訳家の鈴木晶)はたか子の40年来の弟子で、たか子の生前から高橋家の鎌倉の自邸に妻子と暮らし、和巳・たか子両名の著作権代理人を務めていた。 ん? ちょっと待って?! 「たか子の生前から高橋家の鎌倉の自邸に妻子と暮らし」って・・・。いくら恩師とはいえ、他人の家に奥さん連れて居候していたの?? じゃあ、鈴木晶さんの奥さんって誰よ、と思って再度鈴木さんのウィキペディア記述を見ますと・・・ 妻は翻訳家の灰島かりで、娘は作家の鈴木涼美である。 ほう、奥さんも翻訳家なのか。灰島かりさんのウィキペディア記述を確認すると・・・あらま、一昨年に亡くなられている。お気の毒に・・・ で・・・娘さんがいて作家なのか。どれどれ鈴木涼美ってどんな作家なんですかね。ウィキペディアで見てみよう。どれどれ・・・ 鈴木涼美(1983-)は、日本の社会学者、タレント、作家、元○○女優である。 ん? ちょっと待って?! 社会学者でタレントで作家で・・・元○○女優? というわけで、ちょっとした興味から鈴木晶さんの御経歴をぐぐっているうちに、「ん? ちょっと待って?!」ってことばっかりが出てきて、いささかビックリのワタクシなのであります。まあ、なかなか面白そうな人生ですな・・・。
January 8, 2018
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