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明日からたまこの保育園が始まる。ほいくえん、ほいくえんと私がずっと言っているせいか、たまこもなんだか興奮気味だ。まあ明日は慣らしで2時間から始めるので、いつもの水曜日と同じような感じなのですが。そして、なんとなく準備に追われて台所もリビングも騒然としている中で、やっぱり事件は起きたのだった。たまこが、どさくさにまぎれて気がついたら私の化粧品、粒状になっているシャドウを食べていたのだ。あっ!というシャチョーの驚いた声に気がついて台所から振り向いたら、たまこの口のまわりが、渋い銀色にきらきら、輝いている。ひゃあああ!ほとんど使ったことがなくて、でも透明なケースに入っていてきれいなので捨てずに持っていたらたまこが気に入って、時々光にかざしてはしゃかしゃか、しゃかしゃか振っていた。振っているだけだし、フタもきつくしまっているし、と安心していたら、なんとそのフタをあけて中身のキャビアのようなつぶつぶをむしゃむしゃと。。。。あああ。。。。。まあ、むしゃ、ぐらいで発見したとは思うんだけど。誤飲って、本当にふっとした気のゆるみで起きるんですね。さっそくティッシュと濡らしたガーゼで口の中をぬぐい、たまこ絶叫。そのまま、私はまあ、化粧品は食べても大丈夫だろうと済んだつもりでいたら、シャチョーは「このきらきらは金属ではないのか?何か毒ではないのか?」とものすごく心配して、吐かせようという。吐かせる方がかえって精神的ダメージが大きいと思い、インターネットで調べたら化粧品はマニキュア関係以外はあまり心配しなくてもよさそうだったので、そう説明してことなきをえた。こういうときのホメオパシーが何がいいのかよく分からなかったので、結局何もあげられなかった。まだまだだなあぁ。。。それにしても、誤飲って、なんだかシャチョーのたばこばかりを気にしていて、自分の化粧品のことは考えてもみなかった。本当に、これからが大変なんだなあと気持ちが引き締まったことでした。そして、料理しながら反省会。「punaちゃん。」(シャチョーが私に何かをいう時には、必ず名前で改まって呼んでくるので、私も緊張する。)「はい。なんでしょうか」「あのさ、お互い、シマツには気をつけようね。」「はい。その通りだと思います。」「昔、京都の料亭の女将が言ってたんだけど、『京料理は始末が命』なんだって。それを聞いて妙に納得したんだよね。うん。始末って、大事なんだよ。オレたちさ、始末が悪いから、一度崩れると果てなく崩れるじゃん。まずそこから気をつけよう。」「はい。その通りだと思います。」始末、という言葉は、確かに本来気持ちがいい言葉かもしれない。やっぱり、12月はいろんなことに始末をつける月間であります。化粧品が転がっていたりするのは始末が悪いし、ましてやそれをおもちゃとして与えたりしてはいけないのであった。反省。この事件のおかげでシャチョーは仕込んでいたダッチオーブン(ってキャンプ用品なのだが、何でもおいしくできるのでつい使ってしまう。家で使うなって話もあるんですが)で焼く鶏肉の時間調整が狂ってしまったらしく、ちょっとイメージ以上に焦げた上に、自分用に焼こうと思っていた羊肉のタイミングまで逸したらしく、すべてが納得がいかない状況になってしまい、そのまま何だかドミノ倒しのように不本意な気持ちに陥っていったらしい。あんまり食も進まないままそのへんで寝てしまった。そして私はよろよろと手拭いタオルにたまこの名前を書き込んでいる。ペンが太いので真っ黒で美しくない。記念すべきたまこ保育園デビュー前夜はこうして感傷に浸るスキなど許さぬまま、ばたばたとたいへんシマツ悪く過ぎていく。
2003年11月30日
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週末になると新しい中古車を動かしたくて仕方ないシャチョーにつられ、ついついまた温泉に行ってしまいました。先週は日光、今週は箱根。なんかぼーそーぞくみたいですね。その前に今日は御殿場アウトレットで買い物をしようということになった。だが、先週末についにメインの預金口座が破たん寸前であることが発覚、国有化もしてもらえないのでまずは消費活動を自粛傾向にせざるを得ず、ほんとうにウインドウショッピング&たまこの保育園に必要なものだけを買って終わった。。。。お安いはずのアウトレットでウインドウショッピング、するなよって感じですが、それも、また、たのし。実際、そんなに安くないし。。。って負け惜しみ。今日はシャチョーの行きつけ、箱根の日帰り湯「天山」。湯本の方にあるんですが、気持ちよいのでおすすめです。たまこもお風呂が大好き、なのだが、熱いお湯は嫌いだ。当たり前か。今日も露天風呂で、私が抱っこして少しずつ入ったら、熱いお湯を嫌がって私の腹をぴょんぴょんっ、もぞもぞもぞっと上に這いあがってくる。2、3回繰り返すうちに注目の的になってしまい、這い上がるたびにまわりの女の人たちにどっと大ウケしてしまい、最後にやっとお湯に入れてみんなにほめられたたまこは、すっかりニコニコご機嫌だった。当たり前なんだが、1人で入るより、こうして子どもと2人で入るお風呂は面白い。もちろん、シャチョーも一緒に3人で入れるともっと面白いけど。そのまま上がって、施設内の食堂で軍鶏鍋&雑炊を食べて帰る。大雨なのだが、3人でこうしてやみくもに車で走り回っているのは何だか楽しい。もともとそういう無計画な傾向はあったのですが、この突発ドライブ、しばらく続きそうです。
2003年11月29日
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朝日新聞朝刊で、トップ記事がはしかの予防接種の効き目がなくなっている、という話だったので、おおこれは接種見直しの議論が進むか?と興奮しながら読んだ。だが、中身の結論としては「なので2回接種をすれば大丈夫。いまはもうアメリカでは2回が主流だし、接種率の低い日本ははしか輸出国として悪名高い」みたいな話になっていたので、ちょっとびっくりした。効き目がないというなら、まずはそこから考えたほうがいいのではないか。予防接種は何のためにあるのか、というところまで考えないまま、議論もないまま、ただ2回受けようという結論だけがあって、しかも受けない日本は後進国、みたいな論調に、ちょっと恐ろしくなった。新聞がこれじゃあ、予防接種についての議論はいつまでたっても深まらないだろうなあ。受けないという方向でいる私なんて、非国民って感じだ。もちろん、Tak=Arielさんが日記で書いている通り、予防接種を受けないということは、友だちやその家族に迷惑をかけるというリスクがある。それはすごくよくわかる。だからもちろん私もまだ迷っているし、勉強を続けようと思っている。もしもたまこが高熱を出したとき、一緒にいて、冷静でいられるかなあとか、いろいろわいてくる思いはつきないです。とはいえ、新聞記事みたいにアメリカがこうだから日本も、とか、輸出国として悪名高いみたいな考えって、イラク派兵の論理と似たにおいがして、何だかうんざりしてしまった。ううむ。でもはしかって、私の小さい頃はもっとカジュアルな病気だったような気がする。友だちどうしで、「はしかやった?」「私は予防接種。」「へええ、私はお兄さんがもらってきて一緒にやったよ。」みたいな、わりと普通にかかっている人も多かったような。それが、新聞記事ではとってもおそろしげに書いてある。昔はこんなに恐れられていなかったのではないかしら。でも、こうしてホメオパシーとか、毛利先生とか、いろんなことを知る機会がなかったら、新聞やお医者のいうことをそのままその通りだ、と思って受けているだろうわけで、こうやって迷うことができるのもありがたいことなのだ、と思う。ありがたく迷い続けようと思います。
2003年11月28日
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ほんとうは昨日はらっぱさんが教えてくれたこぶたカフェにとてもとても行きたかったのだが、来週月曜日からのたまこの保育園の準備があって断念。明日からアカチャンホンポの入っているビルが大セールをやるので、今日中に行かないと大変な目に遭うことがわかっていたので、買い物に行く。敷き布団とか、替えシーツとか、名前のシールとか、そういうもの。でも今日もすでにすごーく混んでました。また店内のお客さんが自分のお客に見えてくる。きりきり、いらいら上の子を怒ってる赤ちゃん連れのお母さんがいたなあ。つらいのかなぁ。それからその足で、保育園と提携している病院に入園前の検診へ。受付のところに「インフルエンザの予防接種始めました。なくなり次第終了します。大人3500円、子ども3000円」という手書きのポスターが誇らしげに張ってあった。おお~、こ、これは!と思っていたら案の定、初めて会った先生の「まぁあああ、きれいな母子手帳ですねえ~~。予防接種のページ、まっしろっ!」という高い声と笑顔が矢のように刺さってきた。ここは「どんどん受けていって下さいね」という接種のすすめに「はーい」と素直にお返事をして、そそくさと退場。ま、半年に1回しか会わない先生だし、笑顔笑顔。4期生のみんなが、「いまからたまこちゃんにお話しておくといいよ」と教えてくれたので、たまこに「来週から、ほいくえんにいくんだよー」と何度もお話ししてみる。「ほいくえん」という言葉を聞くたびに、乳を飲むのをやめて、向こうにはいはいするのをやめて、こっちを見る。なんだろうという顔。立て続けに「いいなぁ!楽しそうだなあ!楽しいんだよ~!」と言うと、にこにこしている。そうだよたまこ、その調子だ!でも本当に、すごーくさびしいけれど、実はちょっぴり楽しみなのだ。ああ早くあずけて髪を切りに行きたい。部屋を片づけたい。って、そういう話じゃないか。むしろ私よりシャチョーの方がさびしそう。「ああもう来週から朝の10時とか11時にたまこは家にいないんだ」とか言っています。そんなこといってないで、シャチョーも出かけようよ(笑)。まわりの人が保育園について「しつけもしてくれるし、楽しそうだし、本当に預けて良かった!」という話を沢山してくれているので、わりといいイメージしかないというのもある。そう考えると、やっぱりお産も、子育ても、まわりの人に「楽しいよ~」ということをどんどん伝えていくのって大事なんだなあ。あんまり楽しそうなのも申し訳ないとか、思うとみんなが不幸になる。会社に戻っても、開き直って楽しそうなままでいこうと思います。いやいや、楽しくないふりはもともとできないたちであった。帰り道、近所のスーパーでいい天然ブリを発見し、久しぶりに丁寧にブリ大根を作る。おいしかったーー。toto le cafeさんの冬はカモと一緒にやってくるようですが(あれは名文句だ!)、うちは天然ブリと共にやってきます。いや、白菜とともにという説もあるが、それだといつも鍋ばかりだということがばればれなので、ブリにしておきます。そういえば白菜と豚肉と鶏肉と椎茸のピエンロー鍋ってご存じでしょうか。我が家の冬の定番。むちゃくちゃ簡単でおいしいので今度書きます。
2003年11月27日
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気がついたらもう、3分の2が過ぎてしまったマドレ研修の日々。ちょっとだけ動き始めたような気がする骨盤も、背筋も、でもやっぱり新しい動きになるとぎすぎす音を立てています。今日もしんどかった。自分の筋肉と気持ちがぴったりひとつになってどこまでも動けたあのころが懐かしい。っていうか、それがもうとっくに過去のものになっているということを、毎週再認識させられる。考えてみれば当たり前なんだけど。最初の1時間は、そんなわけでまたアイソレーション。マコ先生が、「ここの筋肉を動かして下さい」といって背中やお腹を触らせてくれるのだが、それがほんとにかたくて、ぎゅっと瞬発力!という言葉の通りに力強く素早く動くので、もう触るだけで感動してしまう。。。。感動するだけで、自分のが動かないのがさみしい。。。でも同時に、そうかここがまだ動かないのね、と、自分の体を再発見する。全体的に、昔からの課題なんだが、かたいのです、体が。だから、柔らかさが目立つ動きになると、とたんにぎすぎすする。自分の大ざっぱな性格は、この体の動きの大ざっぱさから来ているのかもしれない。とすると、体から変えていけば、もう少し細やかな事柄が苦にならない人になれるかもしれない。そんなことまで考える。それぐらい、動かないってことなんだが。でも同じ動きをするのに10の筋肉を使うか、3でやっちまうか、という違いは大きいと思う。とくに美しさを追求するのであれば! よし。10の人をめざすぞ。そう思って家でも鏡に向かう。ああ、すごい意識改革だ。。。うっとり。。。そのあとは、骨格調整法を教わる。ここでまた感動したのが、マコ先生のスタンス。「いろいろあるけれど、要はみんなおんなじなんです(笑)。」といいながら教えてくれる。これって、できそうでできないと思う。いや、確かに古来人間の体自体は変わっていないわけで、その体のためにいろんなやり方がある方がおかしいと私も思うんだが、○○先生のやり方が、あるいは自分のやり方が一番いい、一番オリジナル!っていわなくてはならないのがこの業界だと思っていた。だから「いろんなところのを勉強して、共通するものを自分のものにしていけばいいんですよ。」というマコ先生の教え方は、すばらしいと思った。昔から「媒体」になりたいと思っていた。媒介者というのか、自分が中心になるというより、自分を介して何かが伝わっていくような人に、存在になりたいなあと。で、マコ先生自身もそうだし、教えてくれることも、まさにそのための方法や考え方にあふれている。今日の骨格調整法のときにも、それが改めてわかって嬉しかった。もちろん、伝えたいことがなければ媒介者にはなれないし、伝えたいことが強くはっきりしていくほど、媒介者になればなるほど、その人の独自性も輝いていく。そういうことも、そしてその方法も、教わっているんだけど。最後はウォーキングで締めくくる。前よりはいいんだけど、まだまだほんとにみぐるしい。。。。これが身についたら素敵だろうなあ。でも、骨格調整法でも言われましたが、「まずそうやって自分でうっとりすることがポイント」、だそうです。そうすると、その時だけでなく、日々その美しさをキープしようと努力するから。うんうん。うっとりするのは得意なので、あとはそれをキープすればもれなく美しくなるんだなっ、と。午後は、アムリタで久しぶりにお昼兼打ち上げ兼反省会をしてから、いつものカラオケボックスへ。みんなでこれからのことをいろいろ話して、すごくいい時間だった。コンサートが始まる前の、オーケストラの音合わせみたいな感じなのだ。みんなわくわくしていて、それぞれの音がすごく明るくて前向き。その音が、教室を持つ計画とか、定期的に集まって練習しようねとか、カフェも作りたいねとか、要は産後の女子とかファミリーの力になりたいという1つのトーンになっていく。ああ、そう書くとかっこよすぎるが、それぐらい、すてきだ。。。。と、またうっとりしながら帰った。そうそう、まずはうっとりからです。
2003年11月26日
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すごい雨の中、ホメオパシー勉強会へ。ありがたいことに会場が近所だったので、出かけるシャチョーの車に便乗して送ってもらえたのだが、遠くからいらした皆さま、お疲れさまでした。4期生もたくさん来ていたし、ほかにも会いたい人ばかりが集まっていて、何だかすごく嬉しい会だった。主催してくれた亜莉さん、どうもありがとう!ほんと、行きたい場所に行ってみると知っている顔がいっぱい、といういまのこの循環する幸せ。単に狭い世界でうろうろしてるだけか? いや、そうではなくて、みんなで広がっていっているんだと思う。うずは外向き。しかも、今日はこの楽天日記でいつもやりとりしてもらっているspica♪さんが思いがけず声をかけてくれて、これがまたとても嬉しかった。日記の通りのまっすぐでやわらかい雰囲気にあふれた方でした。ありがとうspica♪さん!これまであまりパソコン通信のフォーラムとかもやったことがなくて、こうしてハンドルネームだけ知っていて何度もやりとりをしていて、あとから顔を知ったという出会いはこれが初めてだったので、すごーく感動してしまった。あと、先週から日記を始めたという麻さんも、声をかけてくれて、いやー、改めて、日記の持つすばらしい力に心打ち震えているところです。沢木さんも日記で書いているけれど、この、人とただただつながっている感じって、本当に面白く、知らなかった感覚だ。思いきって始めてよかったようー、と思うことばかりです。ホメオパシー勉強会もとても勉強になった。来週からの保育園を控えてずっと気になっていた麻疹のことも質問した。そうしたら、ホメオパシージャパンの岡本先生は、講演の間もずっと繰り返してくれていた言葉なのだが、「とにかく楽しく、ごはんもおいしく、元気よく暮らしていれば、免疫力は高まるから大丈夫。子どもの生命力を信じて下さい。」というお話をここでもして下さって、何だかすごーくいろんなことがしっくりきた。そうだ!要するに、こうしてホメオパシーやバッチを勉強しているのも、楽しく暮らしたいからなのだった!そしてそれは免疫力を高めるのだった。それに気がついて、考えがちゃんと輪っか状につながった。いろいろ勉強していてもどこか不安で、いちいち迷っていたのだけれど、確かにその病気で何か起きるのって、交通事故に遭うようなものだし、子どもへの「恩恵」であるはずの病気を、先回りして予防して注射をして、かえって余計な病気の根っこを与えてしまうのは、要するに自分の不安を「注射すること」で解消しようとしているからなのだな。それよりは、楽しく元気に免疫力を高めていくこと。そのために勉強を続けていくこと。元気に生まれてきて、ここまでほとんど病気もせずに大きくなってくれた、たまこの生命力を信じること。そういう自分のことも信じること。いやー、やっとこの分野についても、気持ちが循環を始めたような感じです。そうなると、いろいろなんでもオッケーになってきて、オッケーが「やめられない止まらないカッパエビせん状態」(by岡本先生)になるんだそうです。おお。楽しそうだ。幸い、先週面接してきた保育園では、予防接種歴を聞かれもしなければ書き込むところもなかった。ほっ。でもspica♪さんと帰り道に話したら、彼女が住む地域では、保育園への申し込みが何人か並んでしまったら、予防接種を受けている人から優先で入れる、ということが当たり前のように行われているらしい。噂には聞いていたが本当だったのか。「集団生活」だからとはいえ、それってものすごく危険なことなのではないかしら。怖いなあ。この強制感覚。いじめやひきこもりがこの国からなくなる日は遠いことよ、と、思う。でも、保育園に入れるかどうかは切実なので、それに対して自分だったらどういう態度を取るだろうかと考え込んだ。のらりくらりと先延ばしにし続ける、のかなあ、やっぱり。悩ましいなあ。でも大丈夫、こうして悩み続けるアヤシイ母ちゃんたちが増えていけば、きっとだんだん変わっていくよね。と、さっそくなんでもオッケーオッケーを実践するのである。
2003年11月25日
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ひゃーー。またすごく間が空いてしまいました。あまりにドラマな毎日で、ついていけなかったか心身の回路がパンクしておりました。破裂のパンクか、パンクロックのパンクかは不明です。そう、20日のイベントが終わったら、頭痛だの下痢だのいろんなことが日替わりで起こり、やっと復活していまは体中の悪いものが出た感じ。すっきりしています。本当にいい数日間だったので、ちゃんと日記も遅れますが書こうと思います。先月壊れた車の代わりにシャチョーが選んだ新しい中古車がついに届いて、シャチョーは連休だっていうのに出かける気満々。どこかに泊まりにいこう!とはりきっている。秋の3連休初日にそういうことを思いつかないで!と思うのだが、うちっていつもそうなのだ。きっとどこも満員だろうなあ。そういうわけで、明日はついてたらどこかの温泉にいるかもしれず、パソコンには向かえない模様です。。。幸せ力のあるお金持ちへの道は依然として険しい模様です。。。。
2003年11月22日
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午後、仕事がなかったシャチョーとたまこと3人で有楽町へ。ビックカメラで用事を済ませたあと、唐突にシャチョーが「皇居に行こう。」と言い出して、なぜか皇居を見に行った。実は私、皇居って行ったことがなかったような気がする。途中、ミクニカフェを通りがかったら引きずり込まれるように例によってパンを買ってしまい、ピクニック気分も倍増。だがしかし、行ってみた皇居前は広くて気持ちはよかったけれど、ベビーカーに優しくなかった。知ってはいたけれど、あの一面の砂利。なぜかみんな、歩いている人も道はじのコンクリート部分を歩いているので、やっぱりあれは人間も歩きにくいんですよね、きっと。ともかく、車いすの人は、あの深い砂利を一生懸命進んでいくのだろうか。考えてしまいました。向こうから割烹着姿の女性の集団がやってくる。何だろうと思ったら、奉仕活動で皇居の中をお掃除する人なんだそうだ。それが、揃いのかっぽうぎなのかー。すごいなあ。「ごほうびにたばこだったかまんじゅうだったか、もらえるんだよ。菊の御紋入りの」。シャチョーはときどき妙なことに詳しいので感心する。観光客っぽく写真を撮って、お堀の白鳥を見てさっさと戻った。帰りはお猿のかごやのように、2人でたまこが乗ったままのベビーカーを前後でえっさえっさと担ぎながら。そのまま、出光美術館の前を通ったら芭蕉の書画展をやっていて、何となく入ってしまった。でもとってもよかった。芭蕉って、字もうまかったんですねー。感心しました。書のうまい下手ってもちろんわからないんだが、何だか味わいがあって魅力的。うちにも一本欲しいような軸がいっぱい並んでました。床の間、ないけど。活字でしか見たことがなかった「古池や…」の句の書も、それこそわびさびにあふれていて、やっぱり原典に触れるのって大事だなあと思った。シャチョーと交代で見ている間、たまこは、広々とした美術館のロビーがたいそう気に入り、元気よくハイハイで走り回っている。嬉しそうな動きと歓声。静かなフロアで、かなり浮いていた。こんなところに連れてきて、静かにさせるのはかわいそうなので、できるだけほうっておくが、やっぱりケイトクチンの染付皿がある部屋にぱたぱた駆け込んでいくのはまずいだろう。。。駆け込んでは、連れ戻す。駆け込んでは、連れ戻す。やっぱり子連れで行ってはいけないところだなあと反省。若い女性の館員さんたちが喜んであやしてくれたのが救いでした。ありがとうございました。反省といえばもう一つ、今日マコ先生の日記にあったのですが、最近「シェアする」というローカルなわかりにくい言葉をがんがん日記上で使っていたのは私です。確かに、最初はそういえば書くことにためらいがあったのに、いまじゃあ30秒に一度出てくるもんな。それはうそですが、どっぷりしてしまうと、あるいは怠慢になると、すぐに言葉から鈍感になっていくことを再認識した。気をつけなくては。とにかくたくさんいまのうちに失敗すること。失敗したらそれをよく見極めて、そういう自分を笑いつつ、反省も少しはすること。そんなかんじが大事な今日このごろです。
2003年11月18日
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ちょっと、ざわざわしているところ。今週の木曜日、20日に、マドレボニータの美しいファミリープロジェクト第1弾、沢木遥さんトークショーがあるのだが、それに向けていま、スタッフとしてお手伝いする4期生は準備に最後の追い込みをかけている。といっても、私はそのスタートのときにシャチョーの実家に帰っていて、予約受付から入金確認、託児の手配やクローク準備などなど、重責部分はほかの人たちにオマカセっきりです。ごめんなさい。何かその申し訳なさ感もあったりして、ああ何をしようと思っていたら、今日、マコ先生から4期生のMLにメールが何回か入っていた。「みんなで、あと○人集客しましょう!」っていう呼びかけだった。「これまでご縁があった方に告知して下さい。私もやってみたら、集客効果はともかく、思わぬ収穫がありました。近況報告がてらやってみませんか?」って。それが、わずか数時間で5人も減っている。。。しかもこういう風に呼びかけるといいよ、というアドバイスつきで、マコ先生自身が書いた文面までシェアしてくれているのだ。読んでいて本当に感動した。文章はもちろんなんだけど、思い。自分が開く会への思いがものすごく伝わってくる。言葉が発するものってすごいと改めて思う。しかも、集客も、久しぶりの知人との交流も、すべてが自分の栄養になるような発想と動き方。そしてそれをすべて伝えてくれ、シェアしてくれていること。本当に心がざわざわした。私はスタッフとして何もしていないばかりか、当日、託児担当で会場で話を聞けないスタッフも出るかもしれない、ということを知って何だかちょっとがっかりしていた。それが自分でも、自分でなくても、何だか落ち着かないな。そう思ってMLにもそう書いたのだが、特に異論も反論も出なかった。そうか、みんな偉いなあと思ったのだけれど、そりゃそうだ。。。。それどころではないのだ。。。。まずそっちを考えてしまう自分のことを情けなくおもった。皆さんごめんなさい。そしてそういうざわざわは、オープンハーツさんの日記を見てさらに強まった。彼女も4期生の一人なのだが、日記を始めてどんどん、どんどん、以前にも増してキラキラ輝いてしまって止まらない、という感じで、それが日記にもそのまま出ている。まだ行ったことのない方はぜひ、行ってみて下さい。ほんとにすっと気持ちが前向きになれる、気持ちのいいパワーにあふれた日記です。日記からは、20日に向けて全身全霊を集中させている様子がすごく伝わってくる。本当に光にあふれた言葉一つ一つに感動しながら、もう、ほんとに、読んでいてどんどん自分が恥ずかしく情けなくなった。傍観者グセ、まだまだ抜けてませんね。でも情けながっているヒマがあったらコツコツとボールを打っていきましょう。ってことで、これからメールをたくさん書こうと思う。本当に、言葉ももちろん大事なんだけど、まずはどう動くかなのだ、人間は。というわけで、20日の午後6時以降、吉祥寺駅から歩いて5分ぐらいのタイ料理屋さん「アムリタ食堂」に来られる人は、ぜひぜひおいでください。ベストセラー「幸せ力をつけるお金持ち練習帳」著者・沢木遥さんのトークショーが開かれます。「夫婦のパートナーシップ、ファミリーとの幸せといった視点を置き忘れずに、ビジネス、やりたいことを実現する」というテーマでお話をいただきます。ただのビジネス成功話でもなければ、子育てママの内輪バナシでもない、たぶんいままでにあんまりないトークショーになると思います。なぜかというと、主催の吉岡マコさんも、沢木さんも、そしてスタッフも、みんながそれぞれにいままでにないことをやろうとしている人たちばかりで、その人たちの知恵と英知が総結集される、そのいちばんおいしいところが、当日はほんとうに惜し気もなくシェアされるだろうからです。お申し込みは、吉岡マコさんのページでお待ちしています!
2003年11月17日
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あったかい1日。のんびりとテレビで高橋尚子さんを応援していたら、友だちから電話。フリンの悩みを聞いているうちに最後の30分を見逃がしてしまったらなんとその間に逆転負けしていた。おお。こんなこともあるのだなあ。ゴール後の笑顔が痛かった。。。友だちは子どもが欲しくない夫に疲れてしまって家を出ていて、別の男子と恋に落ちていたのだけれど、このたびその男子が年若い彼女と別れていなかったことが判明、すっかり疲れてしまって、夫との子どもをもう1度考えたい、という気持ちになっているのだそうだ。でも、仕事も面白くて、子どもにしようか仕事に賭けることにしようか2つの道を選びあぐねている、と。ついつい私はどっちも選んだらいいと言ってしまった。無責任。だけど本当にそう思う。どっちも選べばそれはどっちもやってくるし、選ばなければどちらかしか、あるいはどちらもやってこないのだ、と思う。でも世の中では「どちらか」を選ばなくてはならないことになっていて、少子化問題というと必ず識者はそのバランスでしか見解を述べないので、ついつい私もそういう選択の問題で考えなければならないような気がしていた。もちろん、物理的には確かに保育園とかいろいろ壁はあるんだけど、問題はそれ以前に、どちらかを選ばなくてはならないと思っている気持ちのありようなんだなあ、と改めて今日も思った。ただ、やっぱりそこには自分の仕事観の変化は確かにあるかもしれない。ここのところについてはまだ仕事に戻っていないので何も言えないのだけれど、いわれているような会社中心の働き方が変わりました!とかいう変化だけでなく、質も、視点も、時間の使い方も、ぜんぶが変わるのですよね、きっと。なんか、選ぶとかいう発想がなくなって、なんでもありでしょう、という感じになってしまったのだが、それって実は単にゆるゆるになっているだけなのかもしれないので要注意です。。。たまこが昼寝から起きるのを待って散歩に行き、そのまま餃子の材料を買い込んで、たまこが生まれてから初めて、久しぶりの餃子大会をした。前はよくテーブルに具を広げて、ビールを飲みながらいろんな具を入れこんだ水餃子や焼き餃子を作って食べまくっていたのだが、今日はギャングが近くにいるのでのんびり作ることができず、キッチンのカウンターで立ったまま手早く作って食べる。慌ただしかったがおいしかった。やっぱりたっぷりの香菜がポイントですな。たまこに初ギョーザをあげようと思っていたのに、できあがる前に珍しくぐずって乳から離れないままさっさと寝てしまった。「たまこが早く寝ちゃうと、楽だね。でも寝ちゃうと寂しいね」。うんうん。シャチョーの言葉にうなずきつつ、いつまでも水餃子を黒酢でたらたら食べる、秋の夜長であります。
2003年11月16日
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昨日出張から戻ったシャチョーにつられて、昼まで川の字で爆睡。遊びたがるたまこもふとんの中でいちゃいちゃしてるとまた寝てしまうので、一緒に際限なく寝てしまう。遅く起きて、サンマを焼いて、大根と白菜の味噌汁を作って食べる。のどかな土曜日。そのまま部屋の片づけに突入し、あれこれ整理しているうちパラサイトシングルの弟が夕食を食べに来てついスキヤキをごちそうしてしまい、寝ようと思ったらクレイジーケンバンドのライブをテレビでやっていて、改めてそのかっこよさうまさに興奮して眠れなくなってしまいました。ああ、ライブに行きたい。。。そう、11月は整理整頓をするといいそうです。今月こそ、山と積まれた本をブックオフに売り、いらない服もどうにかして売るぞ。と決めています。整理整頓については本当に課題が多く、いったいどうしたらきれいに暮らせるんだろうと思うのだが、まずは捨てることからなんですよね。あしたもがんばって捨てよう。
2003年11月15日
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アーユルヴェーダの食事の勉強会。今日はよく知っている人ばかり少人数で、友達のおうちでランチをいただいているような雰囲気でした。メニューは銀杏入りサフランライス、高野豆腐と椎茸と京人参のくず煮、そして大根のごま入り味噌汁。詳しくはお料理のプロ、亜莉さんのページをご覧いただいた方がわかりやすくていいかと思います。とにかくこの季節は肺など呼吸器をやられやすく、鼻水とか咳とかもいろいろ出てくるので、冷やさない、あたためる、そういうお手当満載のメニューでした。この食事の会では助産婦T先生を始め、一緒に通っている人も毎月、定期的に会っている人たちばかりなので、その時その時の調子がすごく伝わってしまう。久しぶりに会ったらみんなに「すごく元気そうになったわね」「前は疲れてたよねー。」「うん。しんどそうだったし乾いてたし。」と言われてびっくり。そうかー。言われてみたらそうかもしれない。やっぱりマドレの厳しいレッスンの効果は大きいようです。骨盤を動かすのって、大事なんですね。「あら、そんなに骨盤動かしてるの?」といわれてちょっと動かしてみたら、「あら、ずいぶん動くようになったじゃない!」とT先生にも言われてヨロコビ!でも、T先生はさらにくねくねとひざ立ちのまま8の字に腰を動かし、「骨盤動かすならベリーダンスもいいわよ。」と言うのだった。あの自由自在な腰の動き。。。。やっぱり魔女だ。ともかくベリーダンスは人によって、男子が不要になるほど気持ちよくなったり、逆にたいへん必要になってしまうほどむらむらしてしまったり、効能が両極端だそうです。で、ベリーダンスの教室のことまでみんなで教えてもらって帰った。充実のクラスだ。1人1人、たんねんにガルシャナという絹の手袋によるマッサージまでしてもらい、うっとりして帰る。床に寝てマッサージをしてもらっている時に、たまこが私の顔のところに来て最初は甘えるようにつきまとっていたのが、私の意識が飛び始めるに従ってぶーぶーと怒り出し、髪を引っぱったり鼻に指をつっこんできたりしたのがおかしかった。母がひとりできもちよーく遠い世界にいかんとしていたのがわかるのだろうか。ごめんねたまこ。でも先生の魔の手だけにはどうにもあらがえないのだ。。。。帰り道、亜莉さんが誘ってくれて、出たきり女の私はまたもやふらふらとおうちにまでお邪魔してしまった。だんなさまお手製のおいしいヴィスコッティをいただきつつ、それぞれ好き勝手に遊んで楽しそうな小桃ちゃんとたまこを見ながらまったりおしゃべり。たくさんの共通の友だちがいて、それぞれがみんな少しずつ重なりつつ、少しずつ違うことを勉強していて、それをみんなでシェアし合えるのってすごいね!という話で盛り上がった。ほんとにそうなのだ。マドレ界隈の人たちをはじめとして、あちこちに、才能と愛にあふれた女子がいっぱい。自分の場所、自分にできることを探し、探すだけじゃなくて作り出そうとしている。すごいですよほんと。同時に、私って1年前まではけっきょく会社という軸でしかものを、そして自分のことも、みていなかったということを痛感する。外はよく晴れたきれいな空の下、やわらかい秋の午後らしい金色の光にあふれていて、そんなときに家の中で友達とあったかいものを飲みながらおしゃべり、というこれまた幸せな午後でした。亜莉さんどうもありがとう!
2003年11月14日
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本当にうそみたいなのだが、水晶はやっぱり効きます。石って生きていると思う。なんていきなり今日もアヤシイ始まりですね。3年前、かなりしんどいことがあれこれ続いたころ、尊敬するダイナマイト女子Yさんが飲み話の流れで石屋さんを教えてくれた。その人のいろんな状況に合わせて石を売ってくれるのだそうで、男っぽいYさんは女性性を補完したくてピンクの水晶を買ったら、一晩でヒビが入ったらしい(笑)。それぐらい、持つ人のエネルギーと同調したり、それを補ったりしてくれる。でも、どんな石がいいかわかるかなあ。そう言ったら「本当に必要な石は向こうから呼んでくれるから大丈夫よ」。と言われ、すぐ翌日にわくわく出かけた。そうしたら、確かに店に入ったとたんに、ほとんど飛んできたんじゃないかと思うぐらいに目に飛び込んできたのが、美しい小さくて上がちょっととんがった形に磨いてあった水晶だった。いま見てもほれぼれするほど美しい。どんな石をお探しですか? 「なんかあれこれしんどいことがたくさんあったので、すっきりして前に進みたいんです」。じゃあ、水晶がいいかもしれませんね。そんなやりとりのあと、たくさんある中から、その美しい水晶を買って帰った。その日から、けっこうどん底だった私の気分や毎日はどんどんきれいに整理されていき、そしてシャチョーとの結婚までがいきなり決まってしまったのだった。石にはすごい存在感があって、つらいときは枕元に置いたり、握って寝たりするといいと言われて、そのころときどき布団に入れて一緒に寝ていたのだけれど、なんかほんとに誰かがいるみたいな感じで、やたら夢を見たり、影響が強そうだったので、その後はずっと神棚に飾ってある。そのお店に久しぶりにたまこをつれてでかけた。お店のKさんは喜んでくれて、で、今日はどんな石を?ということになり、キヨワな私は復帰に向けてちょっと安心できるものがほしい気分だったのでそう言った。グラウンディングにいい、という黒緑っぽい石にも惹かれたんだが、Kさんに「子どもと一緒にいると、グラウンディングはできてると思うから心配しなくていいですよ」といわれて、まあ確かになあ、と思い直し、いろんな色の石を見つめていたんだがどうも今日は飛び込んでこなかった。でも、持つなら黒っぽい色よりもピンクとか黄色だなあ。そう思っていたらちょうどKさんが薦めてくれたのが、黄色とゴールドのルチルクオーツとイエローカルサイト。ルチル~のほうは「集中力、インスピレーションや直感力を高め、勘をとぎすます」。イエロー~のほうは「精神的な活動を活性化させ、自信と勇気を与えてくれる」。おお。これはマドレ研修中の身にもとってもいい感じ。さっそくそれを買うことにした。2つでも1500円ぐらいだから、気軽に(これがくせもの?)手が出るし、ペンダントにも加工してくれる。私はそのまま持っているのが好きなので、そのまま持って帰った。あとは、石を浄化するためのセージ。これから水晶を浄めさせていただこうと思います。ああ、ほんとに書いててアヤシイが仕方ない。だって本当に気持ちがいいんだもの。皆さんも、自由が丘に行くことがあったら行ってみて下さい。駅のそばの魚菜ビル6階「ワイレア」。月曜日と第三日曜日は休みです。お願いすると、石を買うときにOリングテストもやってくれるので、変な石はもって帰らずに済みます。もちろん、買うときにもセージでちゃんときれいにしてくれるけれど。あと、ハワイアンジュエリーとか、エンジェル系のあれこれ、バッチなども置いてあります。今日はその前に児童館主催で「1歳児と遊ぼう会」というのがあって、1歳になりたてのたまこを連れて出かけてみたのだが、なりたてもんにはちょっと早い世界だった。。。。みんなで輪になって汽車ぽっぽをして走ったりするのだ。まだ歩けないたまこは、場の流れとはまったく関係なく広い板張りのフロアをはいはいで走り回り、部屋から外に出たり入ったりを繰り返し、それなりに楽しんだようだった。それにしても1歳児って、こんなにみんな大きくて人間ぽいのか。1年以内にたまこはここまで大きくなるのか。そのことに驚いた。同じ1歳児のはずなのに、ほかの子たちに「あかちゃん。」とたまこが呼ばれていたのが面白かった。とにかくそれぐらい違う。びっくりしたなあ。というわけで、つい出かけるとどこまでも出かけたくなって、そのあと石屋さんにまで行っちゃったのだった。。。。やっぱりもっと地に足つけて暮らせる石にすればよかったかな。
2003年11月13日
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水曜日。吉祥寺の日。今日は進行役をつとめるので遅刻ができない! いつも駅までバスを使うのだが、朝は専用レーンにバスが象のようにずらりと一列に並び、それをまた20メートルぐらいにわたって通勤の人が列になって少しずつ乗っていく、というアジアの朝丸出しの光景なので、まったく時間が読めない。ので、今日はタクシーに乗ってしまった!ワンメーターだから許して。って誰に言ってるのかわかりませんが。そうしたら私にしては思いっきり早くついてしまって、2番めだった。それでも必ず一番最初に来ている、一番遠いJさん。さすがだなあ。吠えるようにごうごうと泣くたまこを置いて、スタジオに着いたら、もう子どもを預けている以外のみんながすっかり着替えてストレッチしながらしゃべっているのが、ダンサーみたいでとってもかっこいい!いや、いちおう、ダンサーなんだな。そして私の進行役の司会によってレッスンは始まった。ああ、ほんとに、ヒトマエってニガテ。「こういう司会は不慣れでどうなるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします!」と言った(とおもう)のだが、さっそくあとで教わった。こういう時は、「不慣れでどうなるかわかりませんが、一生懸命やりますので、どうぞよろしくお願いします」という、この一生懸命やりますので、という一言を付け加えることが肝心なのだそうだ。そうじゃないと、ただのいいわけに聞こえるから。なるほどーー。一生懸命やりますので、っていうのって何だか照れくさくて言えなかったんだけど、確かにこの一言が入ると、聞くほうにとっては信頼感と応援感が増すかもしれない。必要な、というか意味ある照れと、不必要で無意味な照れがある、ということを最近、学びつつある。レッスンは、またアップダウンのリズム取りをずっと繰り返して1時間。マコ先生の真似をしても、どうもどこか違うなあ。どこが違うんだろう、とついつい、鏡の中の自分ばかり見て考えてしまう。でも、なかなかうまくいかない。かんがえこむ。先生から声が飛ぶ。「うまくできない自分を見ててもうまくならないですよ~。ちゃんとまわりを見てね」。そのとーりでした。考えないこと。右脳右脳右脳。目で入れて筋で出す!鏡の中の、あるいはすぐそばに来て踊ってくれるマコ先生の動きについていくのは本当に大変だ。足腰がよろよろしてくるし、息は切れてくるし。でも、ある瞬間にふっ、と、わかるときがあって、それが体に少しずつしみ込んで、1、2回でもぴったりくるように動けたりすると本当に気持ちがいい。ダンスって楽しいなあ。頭を真っ白にしてひたすら、ここの筋肉を動かしてみようとか、このリズムに乗ってみよう、と集中するのって初めてなんだが、こんなに面白いとは思わなかった。なんていうか、自分の指示でもちろん自分の体は動くのだが、その動いていく範囲が少しずつ、少しずつ、広くなっていく。なんだ、まだまだ私の体ったらこんなに動くんだ、と思ったらもっと使わないともったいない気がしてきた。右と左の動き方が違うのがわかってくるのも面白いし。弱い方が当然よろよろしたり流れたりする。そういうのもおもしろい。そして、そうやって自分の筋肉コンシャスになっていくと、本当に日頃の動作で、ちょっとした座り方とか、立ち方とか、この怠惰な私でもふと意識してみちゃったり、し始めているところが驚きです。ああこのスジコンな幸せをほんとにいつか世の中の不調な産後女子に伝えたい!と思うのでした。今日、雑誌やビデオ等を見てポージングを研究するように、といわれて、そんなのずっと無縁だと思っていたけれども、やってみようと思った。ここでも無意味な照れは無用、ですね。そのあと、つま先タッチのデモをして、そのあとのお話で、上がりが大敵!という話を聞く。上がってるときは「上がってます」って言っちゃう方がいい。「未熟者ですがご指導下さい」とか。ここで最初の「一生懸命やりますので」が出てきたんですが、とにかく、そうやっていい意味で開き直っちゃうのが大事だということ。なるほどねー。上がってますって言っちゃうとよけいに上がっちゃうような気がしていたのだが、これもまた無意味な照れと意地によるものだったかもしれない。最後は、ちょっと楽しみだったミトコンドリアの話は時間切れでお預け、集客の方法についての話へ移る。でもこっちもすごく面白かった。ひとことでいうと、集客も人間関係、ということだ。昨日から自分のベビマのクラスを始めているwooden farmことHさんが、集客の難しさについて話をしてくれて、でも必要としている人たちは確かにいる、だから、「もっと必要とされるところに自分から出ていかないとダメだな、と思いました。」と言っている姿がとてもかっこよかった。何がいいって、4期生のみんな、こういう自分から必要とされているところにこれから出ていこうとしている人たちばかりなので、ほんとにつられて私も出ていってしまいそうになるんだな。この人たちのかっこよさったら、と毎週思います。いや、人ごとみたいに書いてちゃいけません。Hさんの話を受けてマコ先生が、ビジネスの極意をこれまた栄養たっぷりの言葉でたくさん伝えてくれる。つまり「いろんなところに出ていって、応援してくれる人を増やす」こと。この、応援してくれる人、というとらえ方がすてきだ。私はこれまで人脈という言葉がとても苦手だった。名刺交換会とか、パーティーとかもいまいち避けてたし。とくに自分の仕事の種類として、どうしても人脈イコールネタ探し、お互いに利用できるものは何でも利用する、みたいなガツガツ感が透けて見えて、いやになるのだ。そしてそんなこと言ってる限りは、自分自身も変わっていけないということもわかっていた。でも、応援してくれる人を増やす、という考え方だと、抵抗なく遠慮なく人と知り合えるし、それが楽しくなる。それはたぶん、利用するとかもらうばかりの関係というイメージではなく、自分が伝えたいこと、シェアしたいことがまずあって、それに対して応援してもらう、というところがよいのだな。で、しかも、その時に自分の商品を、売りを「意識しないで何となく人脈が広がっていくのと、意識して広がっていくのとでは違う。」というお話を聞いて、さらにわくわくした。これからは、そういうことを意識して人に出会っていけるんだなあ。たぶん、たまこがやってきてからずっと続いているこのうずまきのようなぐるぐるした、人との出会いや世界の広がりは、そう書いちゃうと当たり前なんだけど自分が当事者だからなのだなあと思う。それまでの私は、ずっと、公私ともに傍観者だった。でもいまはバリバリ楽しい当事者。そしてそれって、誰にでもなれるんだけど、なる気がしないような心身および公私の状況におかれている人が多いということだと思う。いや、ほんとは誰でも何でも当事者なのか? それを自覚するかどうかの違いなのか? うーむ。水曜日の夜はただただハイなので難しいことは、よくわかりません。
2003年11月12日
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たまこのお誕生検診へ。といっても、先月駆け込みで11カ月検診をやったので、あまり変わらないのだけれど、来週の保育園面談の前に済ませておこう、と、雨の中を出かけた。結果、身長7ミリ、体重500グラム増えていた。えらいえらい。ゆっくりでも成長していてくれれば。成長といえばいま、たまこの中では一瞬立ち上がるのが大ブームなのだが、見ているだけで大きくなったものよとじーんとしてしまう。おやパカです。といいつつ、何度も何度も嬉しそうににこにこしながら立とうとするのを見ていると、頼む!まだもうしばらく立たないでくれ!と思ってしまうのは私だけじゃない、ですよね。ああ。やっぱり私にもたくさんのバッチが必要だ。。。来月から保育園に行くならよけいに!と、また予防接種を強く勧められる。悲惨なケースをいっぱい見てるから言うんです、って。三種混合と麻疹を強く勧められた。麻疹だけは受けさせようかどうしようか、迷っているところです。不活化ワクチンの水銀について聞いてみたら、「みんながそういう風に聞いてくれれば増えていくんだろうけれど、水銀が入っていないとうたっているものはないですよ。でもうちで扱ってるものの成分表には水銀は書いてないです」という。ほんとにごくごく微量、作る過程で入っているかもしれないけれど、とのこと。これって、水銀入りなの?そうでないの? うーーーむ。この先生は、とにかく薬でも病気でも、とことん説明してくれるところが気に入って通っているのだが、結局よくわからなかった。もはやこれは医師がどこにこだわるか、という問題になってくるのだろうか。もう1回、知らないふりして電話で聞いてみようっと。この前の勉強会で、怖いのは不活化ワクチンだということを学んだのだが、それを先生に言ったら、生ワクチンのほうが怖いと言われてしまった。それは、ウイルスが生きているという意味ではそうなんだけど、注射としてはどうなんだったか。もう1回復習しなくては。でも、うるさいお母さん扱いはされなかったので、それだけでもツイテルと思う。先生ありがとう。昨日、卒乳について迷っていることを書いたら、先輩友人たちがたくさんメッセージをくれた。本当に嬉しく、助かった。皆さん、本当にどうもありがとうございます! 私の迷いは、もともとは整体で「7カ月でやめるのが理想」、と聞いたところから始まっているのです。長くなるほど、母子の相互依存が深まってしまう、1歳過ぎるとやめるときに心に余計な傷と負担をおわせるというのがその理由だった。それ以外の整体のアドバイスはすべて本当に自分にとっていいものばかりだったので、これだけを結局受け入れられないでいる自分に何だかすごく罪悪感があったし、ずっとまだ続けているという後ろめたさみたいなのもあって、でもやめられないしなあ、と、迷い続けてきた。でも、みんなの言葉をもらって、なんだかすとんとここにきて腑に落ちました。たまこがほしいと言ってるんだし、私もまだやめる決心がつかないってことは、いまはまだその時じゃない、と思うことにします。それは私の都合なのかもしれないのだが、やっぱり幸せそうなたまこを見ていると、ここまできちゃったらもう、もう少し満足させてあげてからでもいいのかなとも思う。それに、先のことを心配して早目にやめるのは、たまこのことを信頼してないってことでもあるよね。以前相談したgingertreeさんも、その時が来たらわかるよ、とアドバイスしてくれていた。やっぱりおもいっきりどっぷり、することにします。。。。ああ、ほんとに成長って、なやましい。
2003年11月11日
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シャチョーが出張へ。何が嬉しいって、自分が食べたいものだけを作ることができることだ!って、実はほとんどいつも自分が食べたいものしか作ってないんだが、さすがに遠慮していることがある。それは味つけ。私は助産院で教わっている影響で、ギーを使ってターメリックやクミン、アジョワンシードにジンジャーにブラウンマスタード、と、がんがんスパイスを入れたおかずを作るのが大~好きなのだが、シャチョーはこういうの、あんまりうれしくないんですね。自分がそっち方面に仕事で行くことが多いというのもあるし、日本酒や焼酎を飲んでいることが多い、というのもある。なので、今日は白菜と豚肉とゆでブロッコリーをギーで炒めて、思いっきり好きなスパイスをたっぷりかけたまっ黄色な一品を山盛り作って食べた。ああ、幸せだった。。。。。赤ちゃんのものにはあんまり入れないで下さいね、と言われているので、別皿に前もってちょっと分けてみたのだが、たまこはそれには興味を示さず、黄色い私の皿から手づかみでもりもり、ブロッコリーやら白菜をつかんで食べている。筋をぺっ、と出せるようになったのが人間くさくて笑えます。今日は雨の1日、久しぶりにどこにもでかけずにたまこ三昧で過ごした。ここぞとばかりにたまこは1時間~2時間おきに胸にちゅぱっ!と、くっついてくる。ううーむ。これって、歩き始める前の赤ちゃん返りなのか? 前はもっと一人で遊んだりしていたのになあ。でも、本当にあと3週間で保育園が始まるので、後追いされて困る時間もぐっと減っていく。愛しい時間ということで、何も考えないことにしよう。たまこはきっと私のそういう気分を察知しているに違いなく、堂々とおっぱいを飲みにくるのであった。きらきらひかる、とか、まいごのまいごの…とか、童謡のメロディが電子音で鳴る絵本のボタンを最近押せるようになり、一曲押しては飲みに来て、曲が終わるとざぱっ!と飲むのをやめて急いでボタンを押しにいき、また無事に音楽が始まると飲みに来て、終わるとまたボタンを押しに……。知恵がついたなあ。笑かしてもらいました。
2003年11月10日
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朝、起きたら遅く戻ったシャチョーがぐったり寝ていて、これはこのすきに出かけられるぞ!(って別に元気でも出かけられるんだが)と、マドレ4期生仲間のYさんが主宰する講演会を聞きに行く。乳幼児ファミリーのための性教育講座。性教育については、渋谷が遊びに行ける範囲にある我が家の課題である。シャチョーはたまこが生まれたときから、いつか夜遅くになっても戻ってこないこの子をハチ公前の交差点でうろうろ名前を呼びながら探す日が来るんじゃないか、と恐れているのだ。事前に打てる手は打っておかなくてはならない。幸い、講演会はうちから歩いて15分ぐらいのところで開かれたので、思い立って電話をして、またぎりぎりタクシーで(苦笑)かけつけた。タクシーの運転手さんが間違えたりして、結局またここでも遅れてしまうのか。。。。と思ったら、ちょうど会場の前にYさんが立っていてすべりこみセーフ。ツイテました。お話はとてもわかりやすく、勉強になった。性の問題って思春期ではなく、その根が幼児期にあるということがよくわかった。このころからちゃんと親が子どもに向き合っていくことで、思春期に子ども自身が悩まなくてはならないことがぐっと減るのだそうだ。イヤなことはイヤといえる子どもになること、困ったら親に話せること。そういう関係作りの土台はもう始まっている、という話を聞いて納得した。大事なのは、自分の存在感を感じられるようにしてあげること。愛されていると感じさせてあげること。抱っこは気持ちいいな、ぐらいで十分なんだそうですが、そうすると、自分を大事にできるようになる。そして、お父さんとお母さんが仲がいいこと。これはそうだろうなあ。悪かったら、異性のイメージが悪くなるもんな。そして、子どもに質問された時には、うそをつかないことが大事だそうだ。答えは一度にパーフェクトを目指さなくていい。わからないこと、いいたくないことはそう答え、どんどん軌道修正をして何度でも答えてあげること。懸案の渋谷問題については、行かないで済むところには行かせないというルールを作るのも一つの手だということだった。そういうチャンスを作らないことが、まず1つの方法。「他の家ではOKかもしれないけれど、うちにはこういうルールがある」という態度が大事らしい。すぐに押し切られそうな母ちゃんとしては、どこまでそれでいけるかな、と思いながらもすごーく勉強になった。たまこは、話を聞いている間じゅう、私のそばででれでれしている。同じ4期生のYさんが話を聞きに来ていたのだが、息子Hくんはベランダまで出ていってのびのび、がんがん、遊んでいる。2カ月ぐらい違いなんだけど、大きな違いだなあ、と感心した。そう言ったらYさんに「たまこちゃんがお母さんのそばを離れないのは、お母さんが離さないっていうのもあるかもよ~」とにっこり言われて、ぎくり! す、するどいぞ!それって確かにすごーくそうだぞ!私もチコリーとウォルナットを飲まなくては、と思いました。ま、いずれ離れていくんだから多少どっぷりでもいいんだけど。でも、そう思っているからよけいにそうなるんだなあ。たまこのせいにしてはいけない、と反省しました。いま、来月からの保育園前に卒乳するか、復帰してからにするか、迷っていて、たまこはそれを察知しているに違いない。Yさんも、卒乳を迷っていたときはHくんはべったりそばを離れなかった、といっていた。でもできなかったので、もういつでもいいや、と思ったら彼は自由に遊ぶようになったとか。なるほどー。そういう気持ちの解放は大事だなあ。いつでもいいやと思える肝のすわり方。愛されていると感じさせつつ、いつでもいいや的な広い空間を作ってあげること。両方が大事なんだなあといろいろ勉強になった朝だった。ありがとう2人のYさん!
2003年11月09日
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近くの神社の酉の市へ。昨年はたまこ産みたてでぜんぜんそれどころではなく、数年分の熊手がたまっていたのをやっと返すことができた。いつもがらんとしている神社は今日はとってもにぎわっていて、熊手を買った人に恒例の拍手を打ったり、あちこちで盛り上がっている。ついつい私たちも境内でたこやきとかおでんを食べてのんびり。あちこちに犬がいて、たまこもおでんの大根をヒナのように口に入れてもらいながらずっと大喜びだ。この、日本のお祭り独特のゆるーーい盛り上がりって、いいですよね。屋台でずらりと売っている、おかめとか俵のついたきらびやかな熊手は、いちばん小さいものでも3000円もする。ひいい、高い。。。。商売繁盛を願うその熊手になかなか手が出ない経済事情。シャチョーに、思いきって買っていく?と聞いたらぷるぷる首を横に振っていた。結局、神社のお守りの熊手は、いちばん大きいものでも1200円なので、それを今年も買う。たまこは熊手売りのお兄さんたちにたくさん声をかけてもらうのだが、どんなにあやしてもらっても相手の顔をじっっ、と真顔で凝視するだけ。「ク、、、クールだねえ。。。」とびびられてしまう。そんな中で1人、めげずにあやし続けてくれたハッピ姿のかっこいいお兄さんがたまこに「かわいいねえ。おおきくなったらかわいくなるねえ。大きくなってかわいくなったらお嫁においで~。」なーんてのぞきこんでいうその顔がちょうどその母ちゃんの耳もとにあるもんだから、母ちゃんのほうがうっかりどきどきしてしまいました。それからまた境内をうろうろしていたら、シャチョーの恩師にばったり会い、たくさんの熊手を背景に家族写真を撮ってもらった。でも、数年ぶりに会ってしまったおかげで、シャチョーはそのまま飲み会へとラチされてしまいました。日付け変わったのに、まだかえってきませーん。神様のお引き合わせだから仕方ないか。
2003年11月08日
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朝、言霊の先生に電話した。ずっと気になっていた、がんの人に対してまわりは何ができるのか、ということについて、前に先生に聞いてみたら、できることがあるという。電話を下さい、と言って下さったので電話をしたのだ。最近がんがみつかった、私の大事な友達Sさんのお父さんのことと、先日も書いた心理学を一緒に勉強していて、いま緩和ケアに入ろうとしているSさんのことを聞いてみたかった。先生はすぐに電話に出てくれて、話が始まった。まず、大前提として、神様に、「病気を治してください」と願ってはいけないのだそうだ。びっくりした。病気を治してくれ、というのはつまり、病気を認めていることだから、認めてしまうと現象としてあらわれてしまって、しかもそれがどんどん強くなっていく。言霊では、目に見えない世界で起きることが、目に見える世界に現象としてあらわれるという考え方なので、つまりは意識の中で、病気を認めてしまうと、それが現象としてあらわれる、ということ。五戒もこれと同じ考え方ですね。代わりに、お導きに感謝します。生かして下さっていることに感謝します。という方向で生きていくこと。お祈りの形としては、見守って下さい、というのがいいそうだ。どんな病気になっていても、その状況に感謝すること。導かれていまの状況にいること、そして生かされていることに感謝すること。本当に厳しいんだけれど、でも本当に感謝できたときに初めて、不思議なことが起きる、神様があらわれる、のだそうです。Sさんのお父さんのように、早い段階だったら、もしもチャンスがあったらご本人にそう伝えてみてもいいのでは、ということだった。でも、緩和ケアに入ろうとしているSさんのような段階の人については、「とにかく話を聞いてあげること。その人は、あなたへのメッセージを持っているから。」だそうです。あなたに気がついてほしい世界を、あなたに代わって体験してくれているのだから、と。まわりの人が、病気を治して下さいと願ってはいけない、というところがすごくびっくりしたし、でも聞いてみたら納得した。レイキも、たとえば遠隔のときなどにも治そうと思ってはいけないと言われたけれど、きっとこれも同じだと思う。その電話を切ってから、ちょっとこのところ気後れしていたんだけど、緩和ケアを始めるというSさんに電話をしてみた。先週の勉強会に来られなかったそのままになっていて、電話をしたものかどうかずっとためらっていたのだが、そうか。メッセージか。と思って、勇気が出たので。そうしたら、とても具合が悪そうだったけれど、話しているうちにだんだん声に力が戻って来て、たまこが1歳になったことを告げたら大きな声で「おめでとーーう!」と、すごく嬉しそうに喜んでくれた。ちょっとびっくりしたのは、彼女が「いまは奇蹟の治療法を探し続けるか、すべてを投げうって笑って暮らすか、どっちの方向に行こうか迷っているところ。」と言ったことだった。まさに、言霊の先生が言っていたのは後者の道なのではないだろうか、って。笑って暮らせたら、きっと感謝のほうに行けるような気がした。「闘い続けるのは、しんどいですよね」。そう言ったら、彼女は、「うん。なんだかいままで、ずっと闘い続けて来たような気がするの。そういうのは、もう、いいかなっていう気がしていて。」と言った。闘うのではなくて受け入れる。闘病記にときどき出てくる言葉だけれど、それって本当に簡単なことではない。まして感謝をするなんて。でも神様のお導きを信じつつ、感謝の念を送り続けようと思った。もう1つ、大事なメッセージをやっぱり受け取った。彼女がしんどくてしんどくて、でも薬を取りにいかなくてはならない日に、たまたま友達から電話がかかって来て、代わりに行って来てくれたんだそうだ。その時に、Sさんに会ったその友達は、いつものように愚痴ったり、Sさんを頼ったりして、「それがとっても嬉しかったの。こういう体になっちゃうと、何でもしてもらうばっかりで、どんどん自己イメージが低くなっていってしまうけれど、でもその友達は私もまだ人に何かできるんだって思わせてくれたから。」こういうサポートの仕方って、すごいなあと思った。その人に何かしてあげたいとか、何ができるだろうか、じゃないのだ。もっとその先。その人にその人の持っている力を出してもらうためのサポート。そうなのだ、サポートって本来、そういうものかもしれない。おみちびき、おみちびき。そうつぶやきながら1日を過ごした。午後、明日から中国三峡ダムの川下りに行く両親にちらっと会いにいき、よい旅行になることを願いつつ。糖尿病の父は、体調がすっきりしなくて今年はずっと旅行をためらっていたのだが、「リハビリのつもりで行ってくるよ。」と笑っている。おみちびきに感謝します。笑顔を見ながらそう思った。
2003年11月07日
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先週、妊娠がわかったばかりの友達が会いに来てくれた。思いがけない妊娠で最初はちょっと動揺していたのだけれど、今日会ったらすっかり落ち着いていて、幸せそう、嬉しそうだった。よかったー。歩かなくちゃ!というので、たまこを連れていつもの近所の公園にお散歩。雨上がりの公園は、人や犬や子どもがわらわらとわいて出ていて、妙な活気にあふれている。ざわざわした空気の中、ベンチにすわって恒例の缶入りホットウーロン茶を飲みながら、サッカーの練習をする子どもを前にあれこれ話していた。ら、唐突な質問。「でさー、せっくすって、していいの? 先生に恥ずかしくって聞けなくって~」。いや、安定してからはいいんじゃなかったかな。と答えつつ、ほぉおおう、ラブラブなんだねえ、と何だか感心してしまいました。感心するところがわれながらあがっているかんじでいやです。夜、ニュースを聞いていたら、ボイジャー1号の話をやっていた。なんとまだ飛んでいて、しかもなんとこのたび太陽系を出てしまい、ほかの銀河系への旅が始まるのだという。ああ驚いた。で、出てからもまだこれから17年は、地球にデータを送ってくるんだって。すてきー。すてきー。でも17年じゃ、ほかの星にはつかないだろうなあ。なんだかあまりに果てしない話で、でもボイジャー1号が太陽系から去ってしまうのかと思うと、いままでそんなことしらなかったのにさびしくなったり、1号のこれからのことを思って気が遠くなり、その場で15分ほど寝てしまいました。すぐにうちのボイジャーに起こされました。
2003年11月06日
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水曜日。吉祥寺でマドレ養成レッスンの日。何だか朝からたまこはぐずっていて、預けたあとも絶叫して泣くので、「おっぱいをあげていってください」といわれて、あげて、すっかり遅刻。常にぎりぎりの時間で動くと、こういうときにダメなんだよなあ。早起きしたんだけどなあ。なさけない。クラスはすでに始まっている。ストレッチに途中から加わって、そのあと、腰だけ動かしたり、アップしたり、ダウンしたりという単純そうに見えて実はちゃんとやろうとすると難しい動きをまた長いこと繰り返す。そして、レッスンのデモ。ここでまたやってしまいましたねー。人前に出るとどうも自分で何を言ってるのかよく分からなくなってしまう。「手を垂直にしてくださーい!」って言ってしまって、「床に垂直に」っていうところが抜けていて、しかもそれに自分では気がついていなかった。実は人に動きを教えるのって、教えるべきことを左脳で言おうとするのではなく、まず言うべきことを右脳で体に覚えさせて、それを言葉にしていく、という作業なのだということがよくわかった。つまりいまとは方向というか、体と言葉の順番が逆なのだ。面白いなあ。自分の苦手なことが何なのか、こういうところでよくわかる。すごーく言葉の使い方が丁寧で分かりやすい人とか、伝え方が上手な人は、ちゃんと何を言うべきかを紙に書いていたり、見えない努力をしている。私は仕事でもそうなんだけど、左脳的なこと、つまりことがらの仕組みとか理論とか、経緯とか背景とか、そういうものを人にわかりやすく説明するのが苦手なのだ。ついついめんどくさくて省略しがちというか、正確さに欠けがち。そういうのがちゃんとここでも出てしまうんだなあと思って感心した。感心している場合ではありませんが。いやー、いい勉強になります。そういう傾向を克服するのは、やっぱり地道な努力なのかもと思う。人前に出るのが苦手、って思っていたのだけれど、そういうところから変えていくと、実は問題は人前とかそういうことではなく、別のところにあるのかも、とも。そのあと、筋肉のはたらきに関する、ちょっと興奮する言葉があれこれ出てくる資料をいただく。ミトコンドリアとか、あら~ごぶさた!こんなところで会っちゃうとはねえ!中学校以来だっけ?みたいな用語がいっぱい。これを読むのも来週までの宿題です。wooden farmさんも書いているけれど、本当に、マコ先生のアンダーラインがついた教科書がそのままコピーして配られるのも、ありがたみ倍増だ。永平寺の若い修行僧が、師匠の書き込みのしてあるお経を胸ときめかせて読んだりするのと一緒だよね。そんなことしてるかどうか知らないけど。面白かったのが、お互いのいいところを紙に書いて回すという練習。みんなのところを一周して帰ってきた紙には、わたしへの褒め言葉がいっぱい書かれていた。うれしいものだなあと思った。みんなも嬉しそうに自分の紙を見ている。ほめられたかったら、自分からほめろ。そういう教え。これも簡単なようで難しい。そして、「反感のリスクを減らすこと」についてのお話。これも面白かった。反感のリスクかー。そういう言葉にすると面白い。反感のリスクを減らす、って、みんな無意識にはやっていることだと思うんだけど、それを意識的に行うという考え方が、すごく勉強になる。自分で発信する文章よりも、インタビュー記事のほうが好感を持たれやすいのだそうだ。だから、自分で一方的に発信する以外にも横顔が見えてくるような場を作るというか、たとえばこういう日記でも、掲示板でのやり取りなどで練習するといいそうです。マコ先生のクラスって、一般のクラスにしろ養成コースにしろ、こういう、ほかでは出会いにくい細やかな、かつ具体的な考え方やヒントにあふれているのが、ハマる理由の一つだと思う。なぜここまで細やかな発想になるんだろう。マス目の大きな私は毎週毎週感心しています。で、レッスンのあとも場所を変えて引き続き、ご飯を食べながら打ち合わせ&シェアリング。みんながお互いいろんなことをシェアしたいと思って参加している、でもまだ自分も含めて何から言葉にしたらいいのやら、みたいな雰囲気の中、最後にちょっとだけ余った時間でやったシェアリングがまたとってもよかった。話の糸口を作ってくれたYさん、ありがとう。みんなと別れたあと、私は隣の駅に住んでいる先月無事に出産した友達Mの家に押しかけた。水曜日に会いにいく、といいながらなかなか実現していなかったので。新生児ちゃんは本当にかわいく美しく、一緒にいたたまこが巨大に見えた。まだ訳のわからない生物だったころのたまこを思い出す。こんなに小さかったんだなあ。赤ちゃんを嬉しそうに覗き込み、家にいた猫に最初は緊張、しばらくしたら後をつきまとって、でも、お互いに距離を保ちながら、様子を見ているたまこの背中が、まぶしい!Mは本当に元気そうで、産後の女性特有なんだと思うんだけど、本当に美しい光に満ちあふれていて、すてきだった。お祝いにスリングをあげて、母乳に悪い食べ物のこととか、ベビーマッサージのこととか、湿疹にはオイルよ!とか、自分が教わってきたあれこれのことを、何となく話すたびにすごく感激して聞いてくれて、何だか布教活動みたいでしたが(何のだ)、最初のころって本当に不安だったしいろんなことが知りたかったことを改めて思い出した。だから、何を耳にしてもスポンジの水みたいにしみこんでいくのだ。改めて、自分のこの幸せな1年で学んだことをこういうところでもシェアしていきたいと思いました。押しつけばーさんにならないようにしないといけないけど。休業も残り2カ月。ほんとうに、味わい尽くしているのだが、なんだか後回しにしてきたことがごっそり残ってもいて、あれもこれもしなくちゃ!状態。なのに相変わらずこうやって、やりたいことばかりをやっています。
2003年11月05日
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たまこがこのごろ風呂を嫌がる。先週、温泉では大喜びだったのになあ。今日もめでたい日だというのに風呂場で絶叫して泣き疲れたのか、さっさと寝てしまった。おかげでいろいろできてありがたいけれど。そう、今日たまこはついに1歳になった。この日のおかげでこのところ、オット改めシャチョー(と、私の友達の間ではそう呼ばれているのです。自由業って自営業だから:笑)と私の実家めぐりが続いていたのですが、今日でそれも一段落。一段落したらしみじみとなんだか嬉しくありがたい気持ちがこみ上げてきた。ほんとうはずーっとかわいいゼロ歳児でいてほしいのだが、そうすると私も寝られないのでまあ、ゆっくり成長していただきましょう。今日はシャチョーと一緒に近所の公園に行き、黄金色に輝く枯れ葉の上にたまこを転がして記念写真を撮ってきた。気持ちのよい薄日のさすあたたかい午後、着いたとたんにベビーカーで爆睡してしまったたまこ待ちで、親2人は思いがけず公園のベンチでお茶を飲むことになった。シャチョーがホットウーロン茶を買ってきてくれて、自分にはコーヒーを買ってきて、「1年間、ありがとう。」と、乾杯した。なんだか、たまこにプレゼントをもらったようなひととき。今日は珍しく、公園では子どもが野球もサッカーもしていなくて、がらんとしたグラウンドのすみっこでおじさんおばさんたちが、喜多郎のシルクロードのテーマ曲をかけながら太極拳をやっていただけだった。それと、すぐに墜落してしまうリモコンのグライダーを操縦している親子連れ。あとは、犬と老人と自転車がぽつぽつ。時折差し込む太陽の光が本当にあたたかくてきれいで、ああ、1年前にたまこが生まれてきた朝も、こんなオレンジ色だったなあ、としみじみした。本当に、すごく濃い1年だったとわれながら思う。産後がこんなに人を変えるものだとは。というか、こんなに自分に帰ることができるとは、という感じでしょうか。そういう貴重な機会にできるのだということを、がんがん人に伝えていきたいものだと思うのでした。マコ先生もよく書いているけれど、子育てが大変とか、オットに不満がとか、そういう世界よりも、こうやってみんなで楽しくいいことに目を向けながら一緒に子育てして、自分も育っていく、っていう世界を作っていっちゃったほうが、断然おとくだし体にも心にも、人にもやさしい。そうしたらがんも減るに違いないぞ。たまこがなかなか起きないので、しかたない、最後の手段で抱っこしてみたらすぐに目を開けた。まぶしそうに目を開けて、しばらくして焦点が合ったら、両親と、遠くの犬を見つけて、よろこんだ。子どもが何かを見つけて嬉しそうな顔を見るのが、こんなに何か贈り物を届けられているような気持ちになることだとは、たまこがくるまでとんと思わなかった。本当は私もいつでも何かを見つけられるんだろうけれど。「あ。」とたまこが指をさすその先を見るたびに、胸がきゅんとする今日このごろです。で、めでたく3人でセルフシャッターまできって、そこからシャチョーは仕事に行き、私は行きつけの神社(笑)でお礼参りをして帰った。神社は酉の市の準備で慌ただしく、そうだ昨年は寝たきりで行けなかったよなあ、とか、何を見ても1年前を思い出してしまいます。今朝、友達が1周年おめでとうの電報を送ってくれた。ありがたかった。あとからあとから、あの人にもこの人にも、ありがとう。そういう気持ちがわいてくる1日でした。本当に、どうもありがとうございます。
2003年11月04日
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昨日はなんだかSさんの病気のことにひきずられるように、日記にも力が入ってしまいました。spica♪さんが書き込みをしてくれたのですが(ありがとうございました!)、人と距離を置くことについて、実際に私も置いてる人はいるし、でもその人と縁があるときにどう関わるかって、難しいなあと思ったのでした。愛を送って見守る、というのもやっぱり最近学んだ大きな一つの方法だと思うし、距離を置くことで自分を守らなくてはいけないときもあるし。Sさんとの場合は、距離を置きたいような出来事はなかったので、余計にどう関わればよかったのかを考えてしまった。でもほんとうはきっと距離を置くも何も、縁って、自然に生まれたり自然に消えていったりするのだろう。自分が決めていると思っていることも、実はそうではないような。そんなおまかせ気分な今日このごろです。むかし私には自分の境界というものがあんまりなくて、いろんな人の言うことやすることがそのまんま中に入り込んできて大混乱したり落ち込んだりすることがよくあった。で、あるとき自分を守るようアドバイスをされて壁をちゃんと作るようにしたら、混乱はしなくなったんだけれどあらゆることから遠くなった。いまは、逆に開いていたいなあ、境界なんかいらないよなあという感じが強いのだが、昔と違ってそれが怖くなくなったのは、何が入ってきてもちゃんといいものだけをいただくことができるというか、ネガティブなものはよけられるようになったからでありましょう。ツイテルなあ。今日はなんだか散歩以外は1日たまこと家で過ごし、くたびれ果てていたら、お気に入りの店でちょっと飲んで帰ってきたオットが見兼ねて蒸しカリフラワーのにんにくいわしソースがけと、野菜がいっぱい入った海鮮スープを作ってくれた。ありがとうオット!エリンギが薄く切られて入っていたのが貝みたいで、ちょっと感動した。あれは使えますわー。
2003年11月01日
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