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前回は何だか愚痴になってしまった。あれから更に忙しい日常を送っている。修士論文は今までに書いたものの4倍の量書かねばならんし、読みたい本はあるし、映画はある。おまけに、いつもお世話になっている先生は入院。今は、手術も無事成功し、元気になられているらしい…… そんな中、昨日はY・Cに会った。授業はないので、大学近辺を探索。友達が働く喫茶店にも行き、終始和やかな雰囲気。私が先生の入院する日に病院に行った翌日、Y・Cもはるばるお見舞いにいったらしい。Y・Cが千羽鶴を織っているという噂はあったものの、なおると願かけて700羽の鶴。いやあ、もう、驚いた。その根気に感動すら覚えてしまった。 入院のため、しばらく授業は出来なくなるよ、と……、先生が言ったその時、Y・Cはぼろぼろとマスカラまで溶けてしまう涙を流してしまったのだ。そういえば……。何かある度に流れる彼女の黒い涙。何だか見慣れてしまって黒い涙という固有名詞が本当にありそうな気にすらなってしまう。うれしいと誰よりもはしゃぎ、悲しいと泣いてしまう。パニックにも陥り、早口になったり、走り出したり…… 千羽鶴と言えば、広島の原爆を連想させるため私が織るのはどうかと思えたものだが、親切の出し方も人それぞれで、じれったいながらも、その人らしさが出てれば、まあ、いっかという気分になる。 先生はY・Cの訪問を受け、血圧があがった、と……付き添う他の生徒は苦笑。ああ、やっぱり織ってたんだ。何となく、鶴など広島で見慣れてしまったが、しかし、やはり、一人の人間が700も数日で織り上げたとなれば、その場で実物を見てみたかったという気になる。ともかくも、手術は成功。先生は、元気すぎるほど元気になった、と。よかったと胸をなでおろせば、他の心配事なども沸いてくる。そんなこんなで、Y・Cと語りつくした午後だった。
Nov 15, 2007
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また、金曜日、大学にての一週間が終わりました。毎週、この瞬間を心待ちにするのと同時に修士論文へのカウントダウンは止まらない。 今日もまた、私は携帯電話の件で泣きました。明らかに、恐怖の対象になっているのです。テディが我が家に来たものの、携帯がうるさいのです。5回も……。彼の家に住んでいるのっぽさんも携帯をいじるのが盛んで、私以上にテディにべったりです。何とかしろ。貴方の携帯がうるさすぎる・・・私は依存関係なんてもう、たくさんなんだ。と、若干ネチネチ。そこまでに、私は携帯が嫌いなのです。携帯そのものが嫌いというよりも、携帯電話を使うことによって変わってくる人の心が嫌いといった方がいいのでしょうが。散々、今までに携帯を通じた嫌なことがあったので、連続して携帯が鳴ると、瞬時に青ざめてしまいます。だから、駄目なんだ。駄目なんだってば。こんな脆い心に、のっぽさんの携帯騒動を毎日のように見るのは、無理だったのは、何となく距離をおいた今だからこそ納得できる気がするのです。全く、一体、彼らの日常生活なんて何なんでしょうか?修士論文のイライラと電話からくるイライラ。天気は寒くなる一方だし、いつも同じことの繰り返しの人間関係、彼らの思っていることを抜いてしまえば、そこには依存関係しかない。恋愛関係が純粋に存在することなんてあるのかしら? 「私はストーカー的な日常になれることなんかできないから。依存したくないし、されたくもない。」と、私。 それを受けて、テディ「でも、一人ひとりの考えは違うのだし一人一人の……」 うるさいわね。電話をかけすぎる人間に考えなどあってたまるものですか。そこまで落ち着かないなら、少しは待つことを覚えたら?イライライライライライラ テディと別れ……覚えたセリフを繰り返す。「もしもしのっぽだよ。うん、元気、心配?いらないよ。」それから電話を切り、それから、また電話がかかってくる。「うるさいんだよ!ガキなんだよ!」と、鳴り続ける電話に文句を言う。そして、電話に出るならば、やっぱり、「もしもし、のっぽだよ。うんうん、元気」何で本音を言わないのだろう。傍目に迷惑。そう、余計にイライラ。あんたの日常生活が腐ってるのよ。とまあ・・・どうしてここまでイライラするのか、やはり、修士論文のせいなのか。それもあるが、私はそうした生き方はしたくないから。もう、嫌だ!と思う依存の痕跡があちこちに……そういうのなんかなくなっちゃえばいいのに。だから、他人事でも目障りだからぶっこわすのよ。それでも、立ち直れるなら上出来。その人は少なくとも人格を持っていて、ある程度の強さを持っているんだわ。他人の弱さに泣きたくなる。馬鹿馬鹿しくて泣きたくなる。頑張らなきゃ。もう少し。そうした面倒くさい一切を叩きつけて……私だってと、また、泣きそうになる。テディに面と向かってほしいのだから。私の人生に関わって、貴方の人生に関わらせて。目を見開いて、お願いだから。そうしたことは痛々しいまでに届かないのだから、叩きつける。全てが壊れてしまう。どうでもいい。結局はどうでもいい。 学校まで着くと安心する。ここには、少なくとも人間がいる。真剣に話ができる。人間同士のコミュニケーションがある。
Nov 9, 2007
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電車に乗り込むと、すぐに携帯電話をいじりだす女性が目に付いてしまう。そう、私は携帯電話が大嫌いなのだ……。初めはさりげなく生活に参加する携帯電話がいつしか主要な部分となり行く。たぶん、その向こうに誰かがいるだろうと小さなキーを無造作に叩き続ける。相手が向こうにいることだから……そんなことんなんて忘れてしまう。だって。だって。これってそういう機械じゃないの? いつものこと。無言の人々を無言で観察しながら、頭の中でばかり独り言。私だって寂しいと思うことはあるわよって、思いを寄せてみたりもするけど、何をしているのかしら?果たして?こういう社会で生きられるのかしら? テディは週に何度か私の家にやってくるが、それでいいのだろうか?と思う。というのも、彼は誰かが彼に電話やメールをしつこくしようが、普通のことだと思っている。きっと、そうしたことに慣れてしまったんだ。どうして、人々は簡単に乾いてしまうのだろう?本当はもしかしたら、自分が自分の心に栄養をあげてないだけなのかもしれないのに、誰かが満たしてくれると思っている。だから、無責任に電話はなり続ける。そうして、本当は依存関係なのに、愛情だなんていったり、友情だなんていったりして、群れる。私はそうしたことには、一切関わりたくないからね。そう一言言うだけでわかってもらえるなら、これほど、簡単なことはない。 電話で何度も思い出す。電話で。鳴り続ければ鳴りつづけるほど・・・・・・私は思い出す。焦燥にかられてかつて、電話を狂うほどにかけたこと、メールを打ったこと、相手が黙っていることに耐えられない。私には貴方が私のことをどのように考えてくれているのかわからない。責めて何かを言ってほしい。適当に何か言うのではなくて、向き合ってほしい。そんな思いだろうか?けれど、はっきりとは見えない、携帯を狂うほどに扱うときの気持ち・・・そうして知らないうちに、わからないうちに、人は日常の中で少しづつ狂ってきて、なかなか、取り返しのつかないところにいってしまう。 そうした自分の気持ちを見つめていると、ちくちくと……どうにかしてあげなきゃ、と、涙が出てくる。私は私で、自分の為に酒をくんだりお茶を入れたり、自分をお風呂に入れてあげたりできるからまだいいんだ。振り返れるから。そうしたことの繰り返しに疲れてしまうから。 テディの友達(のっぽさん)の元彼女からの電話の件は解決しなかったようである。どうして彼女に知っていることをぶちまけたのか今でもわからないけれど、そうしたことの繰り返しが私は嫌だったのだと思う。ある日、電話をして、電話をして、相手の反応に乾いてしまって、更に電話をして・・・・・・そんなことがあったら、それはカウントダウンに近いのだと・・・別れが近い。崩壊が近い。貴方は確かに狂っている。幾ら日常的に見えようと狂っている。乾いてしまうものを満たしてくれるものは、もしかしたら自身が持っているかもしれないのに・・・・・
Nov 5, 2007
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