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過日、約20年ぶりに神戸の三ノ宮に行って来ました。神戸は通過したり、六甲山系登山で行くことはあるのですが、JRや地下鉄の乗り継ぎするだけで三ノ宮の街や地下街を歩く事はなかったのです。とは言え三ノ宮は震災を挟んで9年間勤務した場所なので『地元』という意識でその変化や如何にと言う軽い気持ちで行ったのですが、その余りの変わり様を前して、正に浦島太郎でした。三ノ宮周辺は高層マンションがニョキニョキ、街の雰囲気が一変しており、首が痛くなるほど上ばかり見てもこんなビル無かった、こんなマンション無かったというセリフの連続でした。元勤務していたビルはは当時としては少しは目だったビルだったのですが、今は高層ビルに囲まれて貧弱なビルに格下げ?ビルになっていました。(元勤務した会社は現在は移転して元のビルにはないのですが)そこで街や海岸線を俯瞰する為に神戸市役所の最上階の展望室へ行っても・・・・ポートアイランドは見えましたが右方向は写真の様に高層マンションで遮られて見えず、六甲アイランドの端の方が少し見える程度で神戸の景観の値打ちもかなり下がった気がしました。在職中しょっちゅう行っていた出石の皿蕎麦の店へ行こうとしたのですが、名前が思い出させないのです。名前が分からなくても行けば・・・と歩き出したのですが、場所が分からないのです。そんな馬鹿な!!! と思いつつウロウロしても分からず、地元意識もすっ飛んで、スマホで出石皿蕎麦、三ノ宮を検索すると・・・出て来ました。店の名前は『千人代官』と分かったのですが地下街で分かり難く、またウロウロのあげく、訊ねて教えて貰った場所に行くと、確かに千人代官はあるのですが、記憶の店と店構えが全く違い、蕎麦より一杯飲み屋風の店なのです。仕方なく暖簾をくぐり、昔出石の皿蕎麦をやっている店に来てたのだけど・・・と言うと、それなら本店ですと言われて教えて貰いやっとの思いで辿り着いたのがここでした。帰りは別の階段で店を出て地上に上がると、そうだそうだここから入っていたとやっとイメージが戻ってはっきりしたのだした。方向感覚も土地勘もそこそこあるはずなのですが、20年の歳月と街の変化について行けず、地元意識も吹っ飛びえらい恥をかいた一日になりました。
2019.01.31
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ふとん着て寝たる姿の東山、その三十六峰の清水山と阿弥陀ケ峰の間に平家物語ゆかりの清閑寺が有ります。当ブログの主役の智積院を本山とする真言宗智山派のお寺です。清水山の麓は清水寺であり、阿弥陀ケ峰の頂上には豊臣秀吉のお墓がありメジャーですが、清閑寺は隠れ名所のような位置づけで訪れる人もそう多くは有りませんが、その庭に『要石(かなめいし』が有ります。この事については前にも書いたはずなので探したのですが出て来ないのでグーグル画像をお借りしますと・・・この庭から京都市内の眺めがこの様に扇型に見えて、その扇の要に当たる所にある石なので『要石』と言われるらしいのです。前置きが長くなりましたが・・・・七条通りを東に向かって前方を見上げる様に歩きますと・・・正面に扇型の山並みが見えます。左が清水山、右が阿弥陀ケ峰、そして一番凹んだところに清閑寺が有り要石が有りますので逆要石の風景と言う所です。因みに、この谷間 ? を国道1号線が走って今は京都と山科を結ぶ幹線ですが、昔は渋谷街道と言って鄙びた街道でした。その当時の昼なお暗くて通るのが恐かった細いトンネルが国道トンネルの横に現存しています。
2019.01.30
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京都女子大は現在校舎の大規模な建て替え工事中で昨年来旧校舎を潰す工事が続ています。 この部分も高い校舎が有ったのですが、もうかなり潰す工事が進んでいるのですが・・・ まだまだ覆われた低層の部分や向こうに見える様に毎日振動と騒音を伴う工事中なのですが・・・ 今日は朝から静かと言うより、騒音は全くなく工事をしていないようなのです。 今日の工程は何をする工事なのかなと作業予定表を見に行くと・・・ 何? なに? 3日間も作業なしとは??? 一瞬何故???? と思ったのですが、ああそうかとその答え分かりました。 ヒマ人としましては、その答えを確かめないといけません。 その答えは正門にあるはずと、この現場横を通りわざわざ確認に行きました。 我ながらバカみたい! ! ! と思いながら・・・ 正門まで行くと・・・ 私の推測した答えが正しい事が証明されたのでした。
2019.01.29
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ここ暫く、ニュースでも雪の話題が続きました。京都も久しぶりの積雪で・・・1/26に置いて帰ったマイカーが、翌日行くと・・・白と赤のツートンに・・・元は頭が黒のツートンなのですけどねえ・・・・
2019.01.28
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物置部屋の改装工事は私のやる事は終わりあとは大工さんが来てくれるのを待つだけなのですが(2/6頃から入ってくれることになりました) ふと、気付いたのです。物置部屋だったので網戸が無いのです。しかもサッシの窓でなく木製の窓なので 自分で作れるはずと・・・またまた燃料に貰った廃材で使えそうと思って備蓄している木材で作る事にしました。 前に載せましたこの窓なのですが・・・ まず高さ方向の枠の材料2本に・・・片方を凸型に、片方を凹型に窪みを入れました。 拡大すると・・・ 何故かと言いますと・・・ご存知の様に昔の木製の窓は写真の様に下は鉄のレール、上は横柱ら窪みが切ってあるのでそれに合わせて縦枠に凹凸を入れたのです。 あとは窓の巾に合わせて横枠と桟を作って縦枠と組み合わせ仮止めした枠をはめ込むとこの様になりまして・・・ 見苦しいですが赤線を引いたところに網を張ると完成なのですが、多分今頃網は売っていないので今のところは一応完成で・・・・夏前に網を買って張れば完成と言う所です。 完成までは勿論、完成しても網戸のシーズン以外は外しておけばいいのです。 網戸をはめると右側の窓は動きませんが左側の窓は内側なので網戸を取り付けた状態で開閉出来ます) 網戸が脱着出来るだけ上下に動き、且つ、隙間が無いようにするのに苦労しましたが、まあこれなら蚊はは入らないだろうと思える隙間に抑えて、脱着可能な網の無い網戸まで完成することが出来たお粗末でした。 そうそう一番外側にもう一つ枠の様なものが付いていますが・・・これは台風時用のベニヤの網戸を落とし込む枠です。 そのベニヤの網戸はかなり前に作ったのですが、最近は桁違いの強い台風が来るので心配になって昨年薄いベニヤを買って元のベニヤにボンドで張り合わせ厚みをアップし、且つ裏側に桟で補強までした苦心の作の雨戸なのです。
2019.01.27
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三十三間堂の通し矢当日は全て無料公開と案内しながら行かずに終わりましたが、早いもので今年もまたこの無料公開の案内が張り出されました。ご近所の方は是非どうぞ ! ! ! 昨日は鴨川の野鳥の写真を載せましたが、今日は智積院の池にも・・・・まだまだ捨てます。過日畑で放置された丸大根の写真を載せましたが・・・・まだまだ、否、もっとたくさん捨て続けられていました。一番手前のは大き過ぎて規格外れなのか、割れたからダメなのか???その隣のなんて良い形して手頃な大きさなのに、どこがいけないのでしょうね?? 何回見てももったいない景色でしかありません。それにしても歩留まりの悪い野菜の様です。
2019.01.26
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昨日の続き鴨川の風景です。ちょっと前までは鴨川の何処にでも沢山の群れで乱舞する姿が見られたユリカモメですが、いつの頃からか姿が減り出し、最近は本当に見かけなくなったのですが・・・一昨日に久しぶりに見る事が出来ました。ちょっと前まででしたらこんな群れは小さい小さい群れという事だたのですが、今では「貴重な群れ?」です。以下の写真は代り映えしないですが・・・ずっと数は変わらないで見ることが出来ます。 最後、二条まで下りますと・・・・いつもの風景、みそそぎ川が二つに分かれ・・・左側がそのまま、みそそぎ川として流れ、右側は直角に右へ曲がり高瀬川となります。下(しも)では両方とも再び鴨川に合流するので一時の別れ?なのですが、好きな光景です。
2019.01.25
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雨が降らないことを報道するテレビでここ暫くは代名詞の様に報道されたのが干上がった(静岡の)安倍川でした。多分砂利の下には地下水の様に水は流れているのでしようが、あれだけの大河に水が無いのは衝撃の光景ではありました。片や・・・またまた出町柳へ行くことになり鴨川や如何に???と覗きますと・・・確かに水量は少なく、いつも水の中を泳いでいる亀が完全に姿を現していました。まあ余り見かけない光景かと思います。ついでながら比叡山と鴨川とサイクリング車と、赤いシャツ・・・絵になるのでパチリ。そして出町柳の枡形商店街に『大根炊き』の貼り紙が・・・『大根焚き』ではなく『大根炊き』と書かれているのは何か意図があるのか、何も考えずに書かかれたのか??? 普通は『焚き』なのですけどねぇ。ただ一杯百円にはびっくり。相場は千円くらいだと思うのですが・・・神社が主催でなくて、商店街が主催かな?? それで『炊き』なのかな?? それで安いのかな?? 分かりません。という事で日頃前を通りながら全く関心のなかつたその神社へ・・・小さな祠にお参りもして来ました。2月9日には賑わうのでしょうが・・・・無人でした。
2019.01.24
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地元の京都新聞に興味ある記事が載っていました。京都に本社を置く売り上げ一兆円を誇る企業4社の平成年間の成長の軌跡のグラフです。任天堂は主力商品のゲーム機であるので年度の売上に大きな波が有りますが、他の3社は概ね右肩上がりの成長であり、日本電産に至っては平成元年には他の3社と比べ規模がダントツに小さかったのに企業買収で今やトップグループの一角を占めています。面白かったのは各社を育てた名経営者を一言で表している言葉でした。京セラ 稲盛和夫 心重視の経営任天堂 山内 溥 独創性の追求村田製作所 村田泰隆 技術開発に力日本電産 永守重信 M&Aで成長4人の社長の中で創業者は 京セラの稲盛和夫氏と日本電産の永守重信氏の二人です。
2019.01.22
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一昨日(1/19)のブログで仮止めしたこの写真の工程まで載せました、物置部屋の壁の補修工事の残った1ヶ所ですが・・・土壁とベニヤの接着が心配だったのですが、今日行って見るとバッチリ接着していましたので、ホッとして次の工程に移りました。仮止めの押さえの木材を外し・・・・ マスキングテープを貼り、隙間をコーキング剤で埋め・・・2度塗りの塗装をして上手く完了出来ました。(まだマスキングテープが付いたままです)ここまでで第一次の素人仕事は完了して、次は大工さんの出番を待つのですが、今日大工さんが見積を持って来てくれて、近々かかってくれることになりました。大工さんの仕事はフローリング工事と押入れだったところに小窓の取り付け、押入れの縮小に伴う間仕切り変更、電気配線工事、既存建具の加工などなど2~3日の仕事です。
2019.01.21
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NHKのラジオ深夜便をお聴きなっている方は聴かれたと思いますが・・・・正月の3ヶ日が終わり暫くして、風邪をひき1週間近く寝込んでしまった時、昼夜が逆転生活を強いられました。その折り、日頃まず聴くことのないNHKのラジオ深夜便を偶々聞くと・・・・美川憲一の素晴らしい朗読が耳に入ったのです。浪曲のような歌もある朗読劇の楢山節考をやっていたのです。何気なく聴き始めたのに忽ち熱心に聴くことになりました。素晴らしかったのです。その放送は2017年放送したものの再放送で1/8~1/11に4回に各約30分で計2時間の番組だったのですが、偶々私が聴いたのは最終回だったのです。余り良かったので聴いていない1~3回を聴きたいと思い検索すると2017年の分と合わさってややこしいですが全4回を全てyou tubeで聴くことが出来ました。楢山節考と云えば木下恵介監督、田中絹代、高橋貞二主演の映画を観た事を2014.5.16のブログに書いているのですが、映画で見るよりも美川憲一の朗読と歌の方がずっと胸に来るものが有りました。NHKの放送お聴きになった方もおられると思いますが、騙されたと思って一度お聴きくだされたらと思います。 全部が長かったら第4回がお薦めです。ここです。その時の美川憲一の語りの中で彼の歌「生きる」を歌ったいきさつと歌そのものも有ったのですが、その歌、私は全く知らずに初めて聴いたのですがそれも素晴らしかったです。歌詞は・・・・身にほだされました。歌はここです。
2019.01.20
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先日来ハイアットホテルの土塀の修理工事について書いて来ました。1度目と2度目の工期の大幅な長短が有りましたが、プロの仕事は着実に前に完成に向けて進んで行きます。翻って、素人の仕事はと言うと、一歩前進、二歩後退、常に折角やった仕事をやり直すこと頻発します。今日の仕事は正にやり直しそのもの、やり直しに半日かけて元の姿まで回復出来ませんでした。それは・・・1/15のブログに載せた物置部屋改造計画のこの部分なのですが・・・・凹んだ箇所を手直しして(したつもりで) ここまで塗料を塗って、塗料がなくなり中断したのが1/15.その後、また塗料を買って全体を塗ってこの部分は完成と思っていたのですが・・・凹んだ部分の手直しが下手でアチコチの手直し部分の凹凸が目立つのです。上の写真では大したことなく目立たない凹凸ですが、実際は目だってしまうのです。そこでこのままで諦めるかどうか思案の後、偶々買い置きのベニヤ板がもう一枚残っているのでやり直すことしました。折角塗料を買って塗った土壁の表面層を、前の窓下の壁でやったように、またまた全体をめくりました。そしてベニヤ板を裁断して、木工ボンドをたっぷりつけて壁に貼り・・・・ボンドが固まるまではどうしてもベニヤ反って浮いて来るので、写真の様に縁を細い木材を打ち付け、固定してボンドが固まるのを待つことになりました。折角塗料を塗って完成と思ったのに2歩後退で,またまたベニヤに塗料を塗る仕事を残し、今日の仕事を終わりました。素人とはこんな非効率に仕事しか出来ないという標本でした。
2019.01.19
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出町柳の鴨川のデルタ地帯では上空高くトンビがくるりと輪を書いている姿が良く見られます。余りに高くて、動きが早いため写真に撮るのは至難の技なのでいつも見上げているだけなのですが、過日偶々電線にとまっているトンビがいたのでパチリと撮れたのですが・・・・ただそれだけの事で、日の目を見ず、カメラの中に残っいたのですが・・・今日こんな姿を見て慌てて追いかけ撮った写真がこれです。最近はまず見なくなったトンビ(コート) 姿。この姿だと何故か悠然と歩いている様に見えますし、ズボンでもなかなかサマになっていました。我が家にも父親のトンビが有って当ブログに書いた事があるのですが、記事も写真も見当たらず再掲出来ません。捨てもせずどこか押し入れにあるのですが、私にはどうしても着て歩けません。
2019.01.18
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街中でこんなポスターを見かけました。今回書きたいのは記念事業の清水寺貫主の講演の事ではなくて・・・下京区から切り離され東山区が誕生して90年の事です。東山区と云えば鴨川の東、東山の西、三条通りの南(三条通りより北も少しだけ東山区の場所がありますが) 伏見稲荷の少し北で囲われた地域です。(昔は東山の東の山科地区も東山区でしたが、切り離され山科区が誕生しました)写真の土塀は三十三間堂のものです。三十三間堂は上に書いた枠の中にあり、どっぷり東山区に所在するのですが・・・この仁丹の住所表示板は下京区となっています。という事で、この表示板をもってしてこの辺りは90年前までは下京区で有った事、 この表示板が90年以上昔に作られたことを示す「生き証人」です。因みにこれら仁丹の住所表示板は市内アチコチに存在しますが100年余前の制作分が多いらしいです。(数年前に仁丹の確か百周年記念の一環で、新たに作られたものもあります)
2019.01.17
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ハイアットホテルの土塀の補修工事につきましては、1昨年11月から昨年3月までの長い工事を定点観測風に書きました。そして、昨年12/18のブログでまた違う箇所の補修工事が12/13この様に始まったことまで書きましたが・・・その後、12/24の時点ではこのような状態だったし・・・・ (またまた清掃するホテルマンが写っていました)その後12/28にはまだ乾くのを待ってだと思うのですが、こんなに状態だったのに・・・翌12/29夕方には工事をする人が仕事を終える状態で、白くは塗られたがまだ5本線が無かったのですが・・・今年になって1/13に気付くと・・・・なんとなんと完成していたのでした。5本線が年末に描かれたのか、新年に描かれたのかは分かりませんが、今回の補修工事の工期はほゞ1ヶ月、前回は足掛け4ケ月の工事だったことを思いますと、訳が分からなくなります。前回の工事はここなどに書いています。
2019.01.16
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1/4に書きました「物置部屋改造計画」の続きなのですが・・・その後風邪をひいて長期工事がストップしていましたが、またまた再開しています。と云ってもまだ根気がないためやっている事は古畳を燃やす事だけです。燃えやすい畳を燃やすなんて簡単なことと安直に考えて始めたのですが、それが大変手こずるのです。畳は3畳燃やすのですが、2階から持って下りるのが大変なので半畳にカットすることにしたのですが、初めカッターでカットしようとして、効率が悪いので、ノコギリで切ると、これが意外と簡単に切れることを発見。何でもやってみるものです。庭に下ろした畳を今度はカッターで糸を切って行くとこれも意外と簡単にバラバラになる事を発見し順調かつ簡単に済むと思ったのですが・・・・これからが大変なのです。それはバラした藁状のもの燃やすことだったのです。勿論藁ですから簡単に燃えるのですが、燃えた後に沢山の灰が残るのです。そう言えばと・・・子供の頃 俵を燃やして火鉢の灰を作っていた時、沢山出来たことが思い出されました。木を燃やすとカラゲシから灰になって、それも燃え尽きほゞ何も残らないまでになるのですが、藁を燃やすと大量の灰が出て、ストーブが直ぐいっぱいになって灰を取り出さないと次から次へ燃やせないのです。そんなことで今までに2.5畳を燃やしたのですが足掛け3日程かかってしまいました。出た灰は狭い畑に捨てるしか方法はありません。そんなことで体調と畳の処理で時間を費やしましたが、やっと明日以降次のステップに進めることになりました。以下は風邪ひく前の仕事ですが・・・窓の下の壁紙をめくると・・・こんなになったので全体をめくる事として・・・セメントこてを表面と中の層の間を滑らせ・・・これは簡単にめくれました。あとは壁紙を貼るのですが、直接貼ろうとすると土壁に糊が上手くつかないので・・・途中写真を撮り忘れましたが壁にベニヤを貼って,そのベニヤに壁紙を貼る事にしました。あとはこの部分なのですが、塗料とマスキングテープが無くなって中断したままだったのですが、両方とも追加で買って準備しているのでいよいよ工事再開です。ところで元の写真にはあった古畳がなくなり板が露出している箇所が有りますが、畳を取り出し、燃やした跡で、今では畳の部屋が全て板の間?になっています。
2019.01.15
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数ある観光地をいくつか一括りにして宣伝する手法が良くあります。例えば何の関係も無い東福寺と泉涌寺と智積院の3ヶ寺を「福」と「美(楊貴妃像がある)」と「智」を求めての3ヶ寺巡りとか・・・・○○七福神巡りなどは常套手段です。京阪電車沿線の社寺を『赤』で絞ったこんなのも有りますが・・・今日・・・こんなポスターが目に留まりました。初めてみるポスターです。明治150年記念の一環なのでしょう。京都市が明治の建物庭園で括った企画のようです。岩倉具視旧宅は他の2ヶ所とと違い歴史的な意義は有りますが、景観的にはどうかと思うのですが、、それも又良し、ちょっと遠いので折角なら近所の実相院がお薦めですが紅葉の無い今時分の実相院は想像もつきません。そうそう、歴史のある『京の冬の旅』と言う括りも有りました。今回は智積院も入っています。堂本印象のこの襖絵、特別公開とか・・・・お寺の襖絵??? とは思えません。
2019.01.14
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先日、風邪でベッドに臥せっている時、昼夜が逆転して日頃余り聞かないラジオの深夜放送を聴いたりしていたのですが、色々の事を知る機会となりました。何気なく、確か民放の番組で若い人男女の話を聴いていると、男の方が『生き字引云々・・・』と言ったのですが、女の方が、その『生き字引』の意味が分からないのです。男の方が説明する為に『字引』から始めるのですが・・・女の方がなんとなんと『字引』って何 ? と云うのです。確かに今は辞書なるもの確かに余り使わなくなりました。若い人はもっと使わないのでしょう、辞書と云えば通じたのだと思うのですが、字引では通じない時代になりつつあるようです。ましてや『生き字引』、昔はある面尊敬の念で見られたのに、スマホの時代には存在価値がなく、死語へまっしぐらでは ? ? ?ところで・・・先日物置部屋のリフォームの事書きましたが断捨離過程でこんなのが出て来ました。生き字引の事で偉そうに書きましたが、この用途は分かるのですが、何と言うのかが分かりません。アイロン台等で検索して見たのですが分からず仕舞いなのです。この名前何というのかご存知の方教示方お願い致します。こんなのも出て来ました。我が家は大家族だったのでこんな大きなの(一升枡)が有りましたが、普通は一合枡とかもっと小さいのが有ったでしようね。子供の頃の記憶では、ブリキの米びつの中にこんな枡と・・・この上を転がしてピッタリ計量する丸い棒とセットで入っていたと思うのですが、その棒は出て来ませんでした。 その転がす棒にも名前があるのだと思いますが・・・・私には分かりません。ついでながら撮って来た写真がこれです。これは前に書きましたが『〇能』 〇に漢字一次を入れて下さい。これは我が隠れ家のストーブ周りで今も現役です。
2019.01.13
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長らく更新を休んでしまいましたが、今日から復帰させて頂きます。 実は、酷い風邪でほゞ1週間潰してしまいました。 1/5頃から喉が痛く鼻もおかしいので風邪だとは思ったのですが、1/7に予定していたゴルフが私がアッシー君だったので休むわけに行かず、ティッシュいっぱい持って無理して行ったのですが、当日から痰と水ばなが酷くなり、翌1/8からは完全にダウン、1/10までは完全にダウンで一日中ベッドで酷い痰と水ばな、喉が痛いので食べるものも食べられず完全にダウンしていました。(高熱で無いのでインフルエンザではありませんでした)完全におかゆ食でしたが、それも少しだけしか食べられなかったので体重3kg強減ってしまいました。ティッシュは2ケース使い、昼夜逆転した様なベッド生活をしておりましたが、昨日の11日からましになり、今日でやっとほゞ元通りに回復しました。齢をとると本当に風邪は怖い事を思い知らされました。 そんなことで、更新は勿論の事パソコンは一切開く気になれず、時間があるのに読書も出来ず、ひたすらベッドの中で悶々とした生活でした。長らく家を一歩も出なかったので少しは歩かないとと、久しぶりに今日試運転電車で京都へ行って来ましたがまだ本調子ではない事を痛感して帰って来ましたが、その時のレポートです。 今日の午後は七条通りがいつもと雰囲気が違うのです。こんな光景を見て、あっ、今日はもう12日、明日は通し矢なんだ ! ! ! と気づくありさまだした。明日の華やかな景色はお伝えできれば良いのですが、どうも無理の様なので、当ブログの去年若しくはそれ以前の1月の記事を見て頂ければ書いている筈です近くの甘春堂の「通し矢」の貼り紙も・・・明日の振る舞い酒の為に準備しているこの酒屋経営のコンビニの当日の様子も・・・書いている筈です。という事で、今年は通し矢の記事は予告編?? となりました。
2019.01.12
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稲荷山の仙人さんから今年も新年恒例の3点セットを貰いました。しかもわざわざマイカーで届けて貰ったのです。分かり易いように昨年貰って1年間使い、お役御免になったものと並べますと・・・つくばいの柄杓と・・・正月恒例の竹筒割りする貯金箱と・・・ホウキ草の手づくりホウキです。柄杓は使う事はほゞ有りませんが、景観をピシッと引き締めて繰ります。竹筒貯金箱は、今年もまた頑張らねばと意を新たに?? にしました。ホウキ草のホウキは砂利の上の落葉等の掃除にピッタリの必需品です。毎年毎年貰う手作りの品、有難いことです。
2019.01.05
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我が隠れ家の2階に畳3畳と1間半(いっけんはん)の押入れがある物置部屋が有ります。押入れを入れると4.5畳なのですが、部屋としては3畳と狭いのでガラクタを突っ込む部屋としてしか機能して来ませんでした。そのガラクタを断捨離しないといけないし・・・と考える過程でガラクタの断捨離だけでなく、この部屋をもっと有効利用利用するようにしようと思い立ちました。それは1間半の押入れを半間にして部屋を4畳と半畳の押入れとして居住スペースとしても使える様にすることでした。まずやらなければいけないのが間仕切りの変更でこれは大工仕事。年末に台風被害の修理代金を集金に来た大工さんに、間仕切り変更と窓の増設(押入れを取っ払った部分に)とフローリング工事を頼むと・・・、まだ台風の修理を待ってもらっている所が有るので、暫く待ってと言われてしまいました。そこで、人の住まない(?)物置部屋は壁も汚いので、これを何とかとしようと、大工仕事の前に壁(土壁)を自分で塗装することにしました。まず押入れの中身を別の部屋に移動して・・・こんな土壁を・・・木部にマスキングテープを貼って・・・塗装開始です。側面の壁も・・・・問題は窓の下のこの部分なのですが、古い壁紙をめくると・・・壁紙に土壁がくっ付いてめくれて凹凸が出来てしまい、塗装だけでは上手く行かないので・・・この部分は壁紙を貼る事にしました(まだ未着手ですが、家をリホームした時の貰って置いた壁紙の手持ちがあるのです)あと残っているのはここに壁紙を貼るのと、置いてあるタンスを移動しないと塗れない箇所の塗装、それから・・・物置部屋だったのでコンセント類が無いので電気屋さんに配線工事も頼まないと・・・なんやかや考えると頭の体操になるし、当分ヒマ潰しが続きそうです。そうそう押入れの中にこのタンスがあるのですが、明治のものか、大正のものか、昭和のものか???ガタガタなのと・・・何故か下から2段目だけ磨いたのか色が違うしろもの・・・これをどうするかも考えないと・・・・
2019.01.04
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28日のブログに載せました、智積院のお正月の準備のぶら下げられた提灯ですが、昨2日には早や仕舞われていました。準備の時は人海戦術でたくさんの僧が作業していましたが、しまう時は、偶々かも知れませんが見たところ二人での作業でした。この金堂の半地下に倉庫があるようです。そして30日に準備の様子を載せました31日のお火焚きさんの場所も既に綺麗に元の姿になっていました。何事もてきぱきと早いものでした。
2019.01.03
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新年明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりましたが、今年もよろしくお願い致します。我が家でも今年も平々凡々、例年通りの正月を迎えることが出来ました。特に変化もなく例年通りのお正月と申しますと・・・・白みそ、丸餅のお雑煮とおせちで新年を祝い・・・恒例の竹筒貯金の3家族への分配も出来ました。竹筒を割るのは私の仕事ですが・・・・金種毎に分けて・・・3家族に均等に分割して・・・袋詰めまでは全て孫たちが行います。去年は過去最高の金額でしたが・・・今年は去年の3分の2しか入っていませんでした。(過去の記録は竹筒の中に入れてあります)去年が予想外に沢山入っていただけ、今年の分でもじーちやん、ばーちゃんが頑張ったと思っているのですが!!!!昨年末にまたまた稲荷山の仙人さんが竹筒貯金箱作ってくれる旨メールがあったので、またまた今年も頑張らないといけません。
2019.01.01
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