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一昨日(9/24)の京都新聞の一面の下の凡語欄 (朝日新聞の天声人語、毎日新聞の編集手帳欄のようなもの) にこんな文章が載っていました。特にビビッと来た箇所に赤線を引きました。嵐山と言えば沢山の観光地が有り、私も好きな直指庵(現在拝観停止中とか) や化野念仏寺の奥の愛宕(おたぎ)念仏寺 など度々足を運ぶことがあり、嵐山のことはかなり知っているつもりだったのですが、こんな歌碑群? がある事は全く知りませんでした。偶々歩いてひとつふたつに遭遇するのでなく、意図して巡るのも面白いなぁと百人一首歌碑で検索しますと沢山の記事、ガイドが載っていました。例えば・・・・昔覚えた百人一首を辿りながらウオーキングが出来るなんて最高!!! オーバーツーリズムで外国人の混雑の中に身を投ずる覚悟が必要ですが、ウオーキング意欲が湧いて来ました。
2024.09.25
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過日3回に渡り取り上げましたNHKのテレビドラマ「昔はおれとおない年だった田中さんとの友情」のクライマックスシーンはこの岸部一徳演じる田中喜市さんが戦争の語り部として講演をするシーンだったと思います。このシーンを観ていて、これは岸部一徳ではなく、正味戦争を経験した田中喜市さんそのモノだと深く感激したのですが・・・・岸部一徳でなくもう一人の偉大な人に思えてなりませんでした。この顔、この表情、首を少し前へ出すようにしてしゃべる仕草・・・このシーンを観て途中から岸部一徳でなく、あの京セラ、KDDI(au) の創業者で日本航空の再建に尽力したこの稲盛和夫氏にしか見えなくなったのでした。鬼籍に入られて2年。あのいい意味での強い個性は忘れることはありません。似ていると思いませんか???
2024.09.05
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今日、三十三間堂の前を通りますと、この案内が目に入りました。目に入りましたと言うより。いつも注視している掲示板なのですが・・・最近、これは聴きたいという演題がなかつたのでパスが続いたのですが、知っているつもりで実は詳しい事は余り知らない大文字 ! ! これは聴きたい!! 万難を排して (排するような万難も無いですが) 聴きに行こうと思いました。これは!! と言う事が聴けましたら報告させて頂きます。ところで前にも書いたと思いますが・・・「大文字送り火」と言う言い方ですが・・・昔は子供だけでなく大人でも誰もが「大文字焼き」と言っていたのです。今そんなこと言えば、クレームがつく様な言葉になって、私も殆ど言わなくなってしまいました。大文字の送り火、五山の送り火が正しいのと同様に、京都御苑は北は今出川通り、南は丸太町通り、東は寺町、西は烏丸通りの囲まれた全体であり、その中の一部が御所なのですが・・・こちらの方はそのすべてを「御所」と言い京都御苑とはいいません。京都御苑でしょと言われてもこちらの方は絶対に「御所」なのです(笑)
2024.08.30
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8/26のブログで8/31に再放送があると2度目の紹介をした岸部一徳出演のこのテレビドラマ「昔はおれとおない年だった田中さんとの友情」ですが・・・昨日図書館へ行ってこの撮影場所に寄って来ました。寄って来たと言うよりこの神社の前が図書館なのです。毎年1月2日の初詣に行ってこのアングルで写真を撮ることになっているのです。日頃はまず人っ子ひとりいない岡の上で眺めの良い静寂な神社なのです。ドラマの中で岸部一徳が住んでいた管理人の建物とされたのがこれだった思います。境内の掲示板に・・・・再々放送のことも書いた「枚方物語」が貼ってありました。これで三度目の紹介になりますが、是非どうぞ ! !
2024.08.29
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5/1に三条大橋の欄干がこの様に新調されたことを書きました。その三条大橋の欄干自体ではなく照明が改善されたとか。before & afterてす。そりゃあ after の方が良いですよね。エネルギーの無駄云々の議論が面白いです。それから8/16に我が自宅近所の氏神さんで撮影されたこのテレビ番組のことを書きました。その内容と岸辺一徳の重厚な演技に感心してブログに書かせてもらったのですが・・・・・今日の毎日新聞にこんな記事が載っていました。・・・・やはり! ! !8/15と8/17の放送を見ておられなかったら 是非!!!因みに私はこの本の原作が有ると教えて貰った時直ぐ図書館に申し込んでいるのですが、何しろテレビでは地元が舞台として登場したものですから市のアチコチの図書館全体で5冊の蔵書が有るのですが、今日現在でもまだ9人待ちなのです。本の分類が「児童文学」となっているのも面白いです。
2024.08.26
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一昨日いつもの通り智積院の前を通った時、門の前の東山七條と言う標識が目に入りました。いつも眺めている光景なのですが、その時この「東山」と言うところに引っかかを感じたのです。京都の碁盤の目の内側は「〇〇町」と言う町名で言うことは無く、南北の通りと東西の通りで言います。〇〇町と言うのは多分その地の住民しか知らないのではないかと思います。そしてその南北、東西の通り名を言うのも例えば烏丸丸太町、河原町五条、千本丸太町と言う風に南北の通りを先に言うのが一般的です。(例外もあるはずですが)この東山七條の直ぐの近くでもこの様にやはり南北の通りの大和大路が先です。そんな中、四条通りだけは東西の通りなのに四条河原町、四条烏丸、四条大宮という風に常に先に言われるので「四条通りは強い」なんて笑い話のような話もあり新聞でもnetでも良く話題になるところです。・・・で本論に戻しますと冒頭の写真はこの通りの交差点なので・・・理屈から言えば東大路七條と表示されるべきなのに・・・・東山七條と書かれています。今まで気にしなかったことなので他はどうかと思って、念の為他の場所をグーグルマップのストリートビューで見ますとやはり(スクリーンショットですが)この様に東山・・でした。東大路七条ではなくこの東山七條という表示には古くからの住民は(私も勿論その口なのでなので) に違和感を持たないのです。しかし、ふとこれで良いのか観光・京都としては不適切ではないかなぁと思ったのでした。何故違和感を持たないかと言いますと・・・・それは昔は東大路なんて言わずみんなず東山線と言っていからだと思います。何故東山線と言っていたかと言うと.これははっきりしているのですが東大路は市電の「東山線」だったのです。 (他にも烏丸線などとも言っていました)更に加えますと、東山七條の発音は・・・「ひがしやまひっちょう」だったのです。七條は「しちじょう」ではなく「ひっちょう」だったのてした。今では「ひっちょう」と言う言い方はほゞ言われなくなりましたが・・・。・・・・とここまで書いて昔、「七」の読み方につい書いたことが有ったなぁと思い探しますとで出て来ました。もし関心を持って頂いたら覗いて下さい。ここです。それからこれは最近にも書いたことですが・・・・気が遠くなるほど昔に無くなり、今は影も形もない大仏なのに、こんな名前の交番こそ、「三十三間堂前交番」若しくは「博物館前交番」とするのが観光京都の責務だと思うのですが・・・・
2024.08.23
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昨夜ブログを書こうとすると・・・カメラが無い!!! 探しても探しても・・・・そこで昨日の行動を振り返ると智積院の前と三十三間堂の前で写真を撮り、京阪電車に乗って電車の中で撮った画像を見た事まで思い出しました。・・・すると、無くしたのは電車の中か、駅から自宅まで帰る道しかないととう言う結論に達しました。・・・で、今日京阪電車の忘れ物センターに電話して見ると・・・・届いていたのです。早速京橋駅の忘れ物センターまで受け取りに行って来ました。さすが日本と感謝しかありません。そのカメラで昨日撮っていたのはこれらの写真です。この3枚の写真でストーリイを書くつもりだったのですが・・・カメラ紛失騒動で疲れましたので明日に・・・。
2024.08.22
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・・・・と言いましても山のことではなくて・・・・シーズンオフに観光客を呼び込ぶ為?に始まった「京の夏の旅」(冬の旅も) ですが、今年でもう49回目です。先日我が庭・智積院が今年この夏の旅に取り上げられていることを書きましたが、今年の売りはこちらの様です。京阪電車の駅等に貼ってあるポスターはこればかりなのです。これはと言いますと・・・この大雲院は元々高島屋の裏に有ったのですが、この別邸を買収??して移転したのです。 今の高島屋の西南の増床部分です。この大雲院ですが墓参りの時、横を通るのですが、私は入っことが無いのです。今回夏の旅に組み入れられることによって、赤矢印を記した様にこの祇園閣に登れるので、これは行ってみないと・・・お墓参りのついでに・・・です。もう一つ赤矢印を書きましたが・・・6年ぶりらしいので余計にその意を強くしました。お盆の頃に報告させて頂きます。
2024.07.30
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スマホのグーグルフォトでは保存した画像を勝手に定期的に画面に出して来ます。何年前の今日とか、よく似た写真を並べた出したり・・・このことを何と言うのか知りませんが過去を振り返れるので私には嬉しい機能です。その機能で今日こんな画像が表示されました。みんな違う日でいつ行ったか日にちも覚えていないのですが・・・その日のことを思い出しました。ところで、この3枚の写真場所お分かりでしょうか??1枚目、2枚目は有名寺院なので分かり易いと思いますが、3枚目はちょっと難しいかも知れません。答えは・・・1枚目は・・・・東大寺・大仏殿2枚目は・・・・南禅寺三門3枚目は・・・・黒谷さん、金戒光明寺三門でした。
2024.07.27
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酷暑が続く京都、七條通りの鴨川から三十三間堂辺りまで歩いていますと、外国人が視界に入らないと言う事はまずありません。目に入るのば日本人より外国人方が多い気がします。面白いもので日傘をさしているのは日本人、(特に京都女子大の生徒は100%) 外国人(白色系) は女性でも日傘さしているのは見た事がありません。それと日本人ではまずしない、どぎついサングラス(例えばミラーの様なものなど) をしているのは中国系の外国人と相場が決まっています。前置きが長くなりましたが今や外国人観光客の落とすお金で持っているような観光京都象徴する記事が京都新聞に載りました。これです。(新聞が赤みを帯びた写真になっているのは赤いパラソルの下で撮っている為です)7/23に書きました優れもの「生ジョッキ缶」ですが、その時載せた写真が拙かったので今日もう一度撮って(飲んで) 来ました。缶を開けると・・・・こうなりまして・・・・本当に美味しそうなんです。
2024.07.25
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またまた京都新聞ネタですが・・・その気になれば勉強の機会は幾らでもある京都の街ですが・・・これらはちょっと早過ぎて、本当に地元の人しか行けません。
2024.07.19
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今日は梅雨の晴れ間を狙って又々稲荷山の新ロート探索ウオークに行って来たのですが、そのことは明日書くことにして・・・・今日の京都新聞の祇園祭りの山と鉾の順番を決める「くじ取り式」の記事の紹介です。何しろ市議会会議場で行われるのですから・・・。17日の前祭り(さきまつり)は、くじ取らずの長刀鉾の次が油天神山に決まったとか。あとは宵山から17日の巡行を待つばかりです。巡行と言えば当日の見ものとして・・・注連縄切り、辻回しが主に報道されますが1. まず最初のくじ改め(京都市長が奉行を務める) のパフォーマンス2. 御旅所前で八坂神社遥拝3. 新町通り姉小路付近の細い辻を鉾が進む時の緊迫した雰囲気・・・も見て欲しいものです。
2024.07.03
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毎年この時期になると記事にていることで恐縮ですが・・・・今年もまたシオカラトンボに身を変えて、56年前に鬼籍に入った父が帰って来ました。まず、私の作った竹の目隠しに止まって・・・ミストのチューブに止まり・・・長時間ベンチに止まり化粧がかなり進んだ半夏生を眺めていました。その半夏生は化粧して、花も咲かせていよいよ見頃なのです。この父親トンボは長時間滞在して、アチコチの様子を窺っていたのですが、29年前に鬼籍に入った母親は帰って来ないなぁ!!! と思っていたら、かなり遅れてやって来て八重桜の枝にちょっとの時間止まったのちどこかへ飛んで行きました。父も母もこの夏暫くの間帰って来てくれるはずなので、今度は網戸を開けて家の中へも入れてやるつもりです。こんな記事毎年書いているのですが、近くに棲息する様な池もないので、少し離れた智積院の池からやって来ると決め込んでいるのですが・・・。
2024.06.15
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今日は書くことがあるのですが、ロッテの野球観戦で忙しかったので簡単に新聞記事の紹介です。前に疎水から分流した白川のホタル乱舞を書いたことありますが、街の真ん中でホタルを見られることは本当に素晴らしいと思います。市内では無いですが・・・この景色も毎年新聞に載る光景です。話は変わりますが、余りに奇麗なので撮って来ました。智積院の青もみじです。
2024.05.24
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前に予告していました、今回はこのテーマでした。大江親通(ちかみち) なる名前は初めて知る名前でした。それもその筈平安時代の学者でした。いつもの通り最初に講師の紹介が有りました。前回は早く行ったので最前列の次の席辺りを確保出来たのですが、今回15分ほど前に行ったのに中ほどより後ろの席にしか座れず、これから載せます写真も障害物?? が有って上手く撮れませんでした。今回は高尚な内容でもあったのか余り理解出来なかったのですが・・・日本の仏像はギリシャ彫刻を原点に~インドガンダーラ、中国等を経由して入ってきたのですが、法隆寺の時代にはまだ日本的な顔でなく、それが奈良時代を経て平安時代に今の仏像の顔が完成した。・・・と言うストーリイだったと思います。我が家に飾っているこの室生寺の十一面観音は正に日本の仏像の顔です。当然平安時代の作です。途中で・・・阿修羅像の顔が夏目雅子に似ていると言われこの写真を見せられたのですが、確かに似ている気がします。前々から阿修羅像を見に行くつもりながら、まだ実現していなかったのですが、このことを含んで見てこようと思いました。1時間30分の講義でしたが、今回は余り頭の中に入りませんでした。そして、次回の案内を貰ったのですが・・・この内容では・・・・門外漢の身としてパスです(笑)それからこの妙法院の真向いにオープンしたこの超高級ホテルのシックスセンシスですが・・・・前にどこにもホテル名が書かれていないと書きましたが・・・・書いていました!!!下の写真の左側の入口の右に小さく・・・こんな表札??? がかかっていました。
2024.05.20
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5/1のブログに 京都三大祭り (祇園祭 時代祭 葵祭) のひとつこの葵祭りのポスターを載せました。私は何十年も観に行ったこと無いのですが・・・・今日の京都新聞に大きく取り上げられていました。巡行のコースは御所をスタートして下図の様に下鴨神社から上賀茂神社まで進みます。次は・・・七月の祇園祭・・・そして8月の大文字と続きます。
2024.05.16
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3/25のブログにこの妙法院の仏教文化講座に行ったことを書きました。これが566回だったのですが・・・4月の567回の演題は「ギリシアから日本へ風神像の東漸 三十三間堂の風神・雷神によせて」だったのですがこれはパスしたのですが・・・今日三十三間堂の掲示板にこの案内が掲示されいるのに気付きました。(三十三間堂は妙法院の一部です)これは聴きに行かないと・・・。3/1に書きましたが、大変気に入って友達から貰って我が家に来たこのパネル「室生寺の十一面観音像」は・・・あるのは奈良の室生寺ですが、平安時代の作であるし、今読んでいる「炎帝花山」そして数冊読んだ後白河法皇もみんな平安時代が舞台だし、熊野詣が盛んだったのも平安時代・・・・今、平安時代に関心が強いのです。・・・で、万障(と言う程のものはありませんが) 繰り合わせて聴きに行こうと思った次第です。話は変わりますが、5/1に鴨川の床開きのことを書きましたが、今日の京都新聞にこんな記事が載っていました。
2024.05.03
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3/31に書きましたこの記事なのですが・・・無人駅が増えることは、ある程度仕方ないとする一方、券売機が無い駅が出来て来たことについてどうかと思うと言う論調で書いたのですが・・・4/8の京都新聞にこんな記事が載りました。我が意を得たりと読み進むとがっかりでしました。記事の中では駅の無人化による利用客の不便さにだけを取り上げて、利用客がもっと不便になる券売機が無い駅が出現していることについては、一切触れていないのです。もう少し掘り下げた取材をして欲しいと思ってついこんなところでぼやかせて貰いました。それから・・私鉄では阪急電車は無人化の予定がないとか。「さすが阪急・・・」と京阪電車沿線の住民は思いました(笑)
2024.04.11
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わが家の最寄り駅は京阪電車本線の各停しか停まらない駅です。それでも乗降客数はかなり多いと思うのですが・・・今日ふと気付きますと、京都方面行き改札口に2台あった券売機の左側が無くなり何か書いてあるのです。良く見ると券売機が2台から1台に減ったのではなく、残っている右側の機械には乗車駅証明書とICカードの二つしか表示がなく、券売機そのものが2台とも無くなっているのです。ここでは乗車券は買えず・・・右側の機械で乗車証明を受け取り下車駅で清算せよと言うのです。(客の多い大阪行きの改札には今まで通り券売機があり、客の少ない京都方面行きの改札の券売機が無くなっていたのです)私は磁気カードを使っているので券売機が無くても何も不便では無いのですが、乗車券を買って乗る人はここで乗車証明を受け取り、下車駅で清算をしなければなりません。私には不要ですが試しに発券してみました(白枠の中は駅名です)このシステムですと券売機の釣銭の補充やお金の回収などの手間が一切かからないと言う、電車側の合理化に適うシステムです。それでなくてもコロナ以来本数が減って不便になったのに、こんなことで又客に負担を掛けるとは・・・他の私鉄でもこんなことが行われているのでしょうか? 話はコロッと変わりますが、先日智積院の修行僧の卒業式の事を書きましたが・・・今日通りますと・・・明日入学式とか。また初々しいお坊さんの卵が見られそうです。
2024.03.31
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昨日、長患いだったいつもの後輩さんの遅まきながらの快気祝いに神戸まで行って来ました。待ち合わせのJR住吉駅には私が先に着いたので、うろうろしているとこんなものが目に入りました。出身地も学校も全く違う人間が偶々同じ会社に入ることによって現役の時からリタイヤして今に至るまでの長い付き合い・・・ここに書かれている言葉正に今日の快気祝いの為に書いていてくれのかと言う思いで暫し見続けてていました。・・・・で、今回の快気祝いは先日書きましたコロナ罹患した者同士で行った「お互いの快気祝い」に続いて2度目なのですが・・・近々3度目の快気祝をすることになりました。お互いが同時期にコロナ罹患して一度目の快気祝いをした友達とは高校から社会人までずっと同じ道を歩んだことを書きましたが、今度3度目の快気祝いをする友はまるで・・・キセルの様な付き合いの友達なのです。・・・と言いますのは・・・・この友達とは中学が同窓で同じ野球部に在籍したのですが、別の高校に進んで以降社会人になって、彼は20数年間外国暮らしをしていたので爾後付き合いは無かったのですが リタイヤする頃から密な付き合い再開して現在に至っているのです。その彼がなんとコロナを罹患したのでした。私が前に同時罹患した友達とはお互い情報交換しながらほゞ同時に回復したのですが、今度罹患した友達にはコロナ罹患の先輩? としての助言?? する立場だったのです。その彼も無事回復して謹慎期間? を過ぎたので、同じ病に臥せったもの同士での傷をなめ合う快気祝いをすることになりました。二度ある事は三度・・・の快気祝いです。それにしても私の周りのことでコロナが深く静か蔓延していることを証明しています。ご留意を! ! !
2024.03.30
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昨日の続きです。久しぶりにこの講座に参加しましたが、会場はいつもの通りのこの場所で50座席でした。前列に陣取るため20分程前に行ったのですが既にこの状態でした(後で満席) 幸いにも一最前列に座ることが出来ました。講義の内容は・・・・・・で1時間30分たっぷりでした。色々教えて貰った中でのポイントは1. 阿修羅は千手観音の信仰する人を守る人の神様(28部衆)の内の一人であること。2. 従って興福寺の阿修羅像は有名ですが何処にでもある像であること。3. 興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいること。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、色々モノを持っている像 が有りインドなどではモノを持っている像で主ある。まず1. ですが、28部衆は三十三間堂の配置図によると次の仏様です。 赤枠が阿修羅です。また、八部衆の一人でもあります。2. の阿修羅像は他にもあると言う例は・・・ これは興福寺の阿修羅像 三十三間堂の阿修羅はこんな姿であり・・・ 法隆寺の阿修羅はこんな姿です。 合掌はしていません。3. の興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいるとのことですが・・・ 当時はこんなに雑に置かれていて(真ん中)その他大勢のひとつでした。 で・・・修理前はこんなに破損していたのです。右手が欠損しているのはさることながら、左手は角度が付いていて合掌している手の形ではないのです。これも修理されたときこの様になったのかそのあと変形したのか?? らしいです。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、インドなどでは色々モノ を持っている像が有ります。 青枠で囲みました部分の第一手は興福寺などでは下の合掌ですが、インドなどで は天秤や法輪、法螺貝などを持っているものが多く・・・こんな例が示されました。 その他三十三間堂の年代の年表などの説明などたっぷり1時間半の講義でした。会場で貰った次回の案内は・・・・( 私は不参加のつもりです)コロナで途絶えていたこの講座も順次行われるようです。
2024.03.25
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天皇系図に関心を持ち始めて、今まで何代の天皇かと言う事だけで来ましたが、その年齢を知ると「何??」なのです。今日は読了した「後白河院」関連の史跡の歌の中山から79代六条天皇陵と80代高倉天皇陵に行って来ました。(因みに後白河天皇は77代天皇です)この辺りはほゞ私の「庭」なので何回も当ブログに取り上げていますが・・・。そもそも歌の中山とはこんなところです。清水寺からこの道を進みます。左に少しだけ写っているものは・・・地元の方がお世話されているお地蔵さんです。街中に沢山あるお地蔵さんですが、こんな山の中までもちゃんとお世話する方がおられるのです。直ぐ見えて来るこれが清閑寺です。前にも書きましたが、訪れるのは殆どが外国人です。この二組のカップルも・・・やって来たこのカップルも・・・要は外国人の観光地なのです。何か外国人のガイドブックに載っているのか、SNSによるものなのでしょう。前置きが長くなりましたが、ここからが本論です。清閑寺の前が今回訪れた六条天皇陵と高倉天皇陵です。後白河天皇が上皇、法皇になって34年の長きに亘って院政を敷いた時期のこの2人の天皇は・・・六条天皇の即位が1才で、退位が4才なのです。お亡くなりになったのが12才と言うのですから、今まで「天皇」をイメージしていたものが脆くも崩れ去りました。まだ、高倉天皇の即位が20才の時であり、その後亡くなるまでの在位が12年間あったのでまだ天皇としてのイメージ出来ます。とは言え、高倉天皇の子供の81代安徳天皇は壇ノ浦で平家と共に海の藻屑と亡くなったのが子供の時で有ったことは知っていたのですが(調べると亡くなったのは7才でした)今まで天皇を何代としてだけしか見て来なかったことを反省して、これからは即位、退位、崩御の年齢も見て行こうと言う気になりました。長きに亘り院政を敷いた後白河法皇り御陵は三十三間堂前に有るのですが、この六条、高倉天皇陵より遥かに小さく貧弱な訳けも気になるところです。
2024.03.21
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前にも書いたことありますが、わが家の骨とう品 ? の中にこれが有ります。「計算尺」です。社会人になった時はまだ電卓なんか無い時代でした。営業に必要な達成率、進捗率、粗利率等の割り算、掛け算は専らこの機械式計算機を使う時代でした。幸いにも大学時代に部活でこの計算機を使っていたので会社に入っても、スーと使えたのですが、何分にも計算に時間がかかりました。そんな時、会社から商工会議所が主催の「計算尺の使い方」の講習への参加を勧められて参加しました。当時は技術系学生、実社会に於いては技術者の必須の道具ででしたが、文科系の私には縁が無かったので使ったことが無かったのです。受講のお陰で小数点1位くらいの計算なら即座に出来る、当時としては頼もしい「武器」となったのでした。この写真の計算尺は大きくて長さが30cm程ありますが、当時私が使っていたのは20cm足らずのコンパクトでいつもカッターシャツの胸のポケットに入れていたものでした。さて、ここからが本論なのですが、かれこれ60年近く前に使ったまま、使ったことが無かったのですが、目に入ったので使ってみました。真ん中の部分をスライドして掛け算、割り算をするのですが・・・結果は・・・・60年近くの空白期間が有ったのですが無事計算することが出来ました。正に「昔取った杵柄」でした。こんな計算尺を使ってると間もなく大きな卓上電子計算機が入って来ました。忘れもしない、キャノン製で数字の表示は一桁ずつ並んだ真空管の様なものでした。netで画像を探しましたらこんなのしか見つけられませんでしたが・・・もっともっと大きいものでした。使う為にはわざわざこの様な電卓が置いてある場所に行かねばならず、人が使っていたら待たねばならないので、こんな計算機が入っても、ソロバン代わりの足し算引き算には使いましたが、割り算、掛け算は専ら計算尺を使っていました。その後、手のひらに乗る電卓が出て機械式計算機も 大きな卓上計算機も 計算尺も世の中から消えてしまって・・・計算尺のみ、わが家では骨とう品として存在するに至っているというお話でした。
2024.03.18
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2/18のブログでこの千本釈迦堂に行ったことを事を書きました。その記事の中でこんなことを書いていました。しかるに、この度その釈迦堂の仏像が国宝に指定されたことの報道 (3/15~3/16)では・・・NHKはこの様に報じて・・・赤下線の様な表現であり・・・・毎日新聞は次のような表現をしています。2社共、赤下線の様に大報恩寺と千本釈迦堂の二つの名前を挙げていますがあくまで「大報恩寺」に重きを置いた表現です。勿論それが当たり前のことなのですが・・・・また毎日新聞の記事では下の様に「千本釈迦堂」とはは全く書かれていないことも・・・冒頭に書きました、『大報恩寺では通じないのではと思う程「千本釈迦堂」なのです』と言う事と真逆になっていました。ところが地元の京都新聞ではやはりあくまで「千本釈迦堂」でした。正式名の大報恩寺の名は ( ) の中に辛うじて書かれてい程度の存在なのです。京都市民の読む京都新聞は正式な名前より市民に一番分かり易い俗称で表現しているのもまた至極当然と溜飲が下がる思いをしました。・・・とここまで書いてふと思いついたのですが・・・・次のお寺などは通称の方が知れ渡っていますが、その通称はお分かり頂けますでしょうか?? 鹿苑寺、慈照寺、蓮華王院、西芳寺、頂法寺、地蔵院
2024.03.17
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京都のホテルは元々高いと言われていますが、更に高くなってきているらしいです。その訳は・・・・京都新聞の記事に依りますと・・・慢性的な人出不足により「稼働率アップより客単価のアップ!!」を目指しているとか。そして、円安により好調な外国人、前年を下回る日本人と言う構図も・・・字が小さくて読み難いですが一読ください。
2024.03.16
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私の地元・東山区の三十三間堂周辺には後白河法皇ゆかりの後白河天皇陵、院御所だった法住殿(ほうじゅじどの)跡の法住寺、そして新日吉神宮(いまひえじんぐう) 等々の史跡が散在しています。また、平家物語の時代には天皇、上皇、法皇として君臨した天皇でした。そんなに縁があり良く知ってる天皇なのに、平家物語でも主役は平家一門であって、後白河法皇の側に立ったモノではなく、結果として後白河法皇の事を詳しく知らず、前々から一度後白河法皇ことを後白河法皇の側に立って知りたいと思っていました。そんな思いでいたのですが過日友人宅を訪ねた時、この本が目に入り借りて早速読みだしたのですが・・・昭和47年刊行の口述形式の小説で中々読み進み難い文章の上に、天皇継承争いが書かれい入るので当時の3~4代の天皇だけでなく天皇になれなかって皇子も沢山登場するので、天皇の系図を幾ら頭の中に描いても、読み進むと直ぐ系図を見直さなければならいのです。そこへ、十二帝陵へ行って十二人もの天皇の名前を見たものですから、これは良い機会だと天皇系図を印刷しました。くずはへカワセミを見に行った時、こんな所に宮跡が・・・と思った継体天皇は26代天皇、日本書紀の時代の天皇か!!東大寺の大仏さんの鼻の孔が6ヶある事を確認に行った時寄った聖武天皇は45代か!! 小塩山にカタクリの花を見に行ったとき山頂に有った淳和天皇は52代で桓武天皇の子供か!!と単に眺めて来ただけの天皇陵に、何か意味を感じる気がして来たのです。京都や最近良く行く奈良には当然沢山の御陵が有るのでリュックに天皇系図を入れておけば面白い! と言う思いで天皇系図をコピーしました。早速ビニールファイルに入れて。常時リュックで携帯することにしました。
2024.03.15
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偶々、昨日のブログで深草のタケノコ畑? の事を書きましたが・・・今日稲荷山の仙人さんが同じ様なタケノコ畑産のタケノコではなくこれを持って来てくれました。私が門松の残りの竹で作った貯金箱が、細いと言ってたので、こんど太い竹で作ってあげると言われていたのです。確かに太くって、こんな太い竹見たこと無い程の竹製でした。持ち帰って、私が作ったのと並べて見ますと・・・・・・・・とこんなに違います。細い方には既にお金が入っているのですが、それはそのままにして、明日からはこの太い方に入れるつもりです。入れ物が大きくなったので頑張って入れないと・・・・・・と言う竹筒貯金箱を持って行くと聞いていたのですが、おまけがありました。私のブログを見ての「おまけ」・・・・苔です。畑の周りに生えていたのを採って来てくれたのです。まだ仮置きして水をやっただけで後日定植するつもりです。
2024.03.13
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今日三十三間堂を通りますと掲示板にこの講座のポスターが掲示されていました。この講座、今までに数回聴講したことがあり当ブログに書いたことがありましたが、コロナ以来長らく実施されず、再開後も事前申し込み制など気楽に行ける雰囲気でもなかったし、聴きたいテーマも無かったので暫く聴講してていなかったのですが・・・今回の演題にピピーと反応しました。と言いますのは、最近東大寺の大仏さん、三十三間堂の千手観音、室生寺の十一面観音、聖林寺の十一面観音等など拝観することが続いたし阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来など仏像に接することも続いて各仏像の謂れも理解しつつあるのですが・・・・有名なこの阿修羅像については像の事だけは知っていても、詳しいことは何も知らないのです。・・・・で、これは良い機会、聴きに行ってみようと思いながらポスターの写真を撮って来たのでした。
2024.03.10
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今、「疎水端」と聞くと何処を思い出すでしょうか??山科を流れる疎水端、暗渠から地上に出て来る塩小路通り以南伏見までの疎水端、そしてふた昔も三昔も前、鴨川に沿って走っていた京阪電車が地下化されるのに並行して暗渠になる前の冷泉通りから塩小路までの疎水端・・・等など思い浮かびますが・・・前置きが長くなりましたが、過日載せましたこの古い本の真ん中の古都再見に・・・こんな記事が有りました。「疎水端」・・・あれ ! 「これ哲学の道ではないの??」字が小さいので拡大しますと・・・・確かに哲学の道ではあるけれど哲学の「哲の字」も出て来ません。そう言えば「哲学の道」とは後年に言われるようになったはず。この頃(昭和37年頃) はまだ「哲学の道」と言われなかったのに違いないと思い, netで調べますと、ウィキペディアにそのことを証明する記事が有りました。 (赤下線、青下線は私が記したものです)そう言えば、東山七條から太閤坦 (たいこうだいら) へ登る坂道は今「女坂」として、つとに有名ですが、昔はそんな言い方をしなかったのにいつの間にか完全に定着しています。その分、太閤坦と言う名前が殆ど通じなくなった気がします。
2024.03.05
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断捨離の一環で本の処分を始めたのですが、踏ん切りがつかず残そうとする本が多くて、なかなか捗りません。今日はそんな残そうと思った本の極々一部を書かしてもらいます。昭和36年~37年にかけて、新聞の写真の特集記事をまとめて発刊されたもの3冊、左2冊は京都新聞、右は朝日新聞の記事を本にしたものです。今となっては、こんな時代が有ったのか? と懐かしい景色ばかりなのですが・・・その1. 観光寺院になる前の清水寺の音羽の滝です。今は3本の滝、飲めばそれぞれに違った利益があると言う事になっていますが、昭和36年当時は修行の場だったのですね。もう1枚・・・東福寺の通天橋が豪雨で流失した時の写真です。今は鉄筋コンクリートの橋脚なので流れることも無い筈ですが・・・ちょっと読み難いですが・・・当時観光寺院になれない嘆きが書かれていますので一読下さい。今となっては、正に ♫そんな時代が有ったのね ♫通天橋が流れたため拝観料を10円値下げしたが来る人は数える程・・・とは、観光寺院になる前の苦しい台所事情が記されています。調べますと流れた通天橋は昭和36年に再建されたらしいです。
2024.03.02
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京都新聞の記事の紹介です。疎水で結ぶ京都と滋賀の遊覧船が滋賀県側で浜大津まで延伸されるとか。これで滋賀県側の足の便が随分良くなる筈です。京都(伏見港) と大阪を結ぶ淀川の船旅の計画と併せ、船の観光が更に脚光を浴びることでしょう。 京都~大阪の船旅の計画はここを。
2024.02.12
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京阪電車の駅にこんなポスターが貼ってありました。右側の五大力さんの方なのですが・・・京都では新聞やテレビでも必ず報道されるこの時期の大きな催しなのですが、京都以外での知名度は??? と思い取り上げました。netの画像はこれなのですがこう言うことが行われます。お参りの事は当然ですが、五大力さん=大きなお餅を持ち上げることが代名詞みたいなものです。上にも書かれている様に男性150kg 女性90kgの大きなお餅を持ち上げるのです。腰痛持ちの方は絶対に参加できない催しです。・・・と、ここまでの記事のつもりでしたが、何と、早速今日(2/11)の京都新聞にこんな記事が載っていました。遠く、醍醐まで行かなくても、京都駅でそのお餅が見られます。
2024.02.11
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昨日、法住寺の節分会の事を書きましたが・・・今日の京都新聞に2つの節分祭の記事が載っていました。まずは先日このポスターを載せた八坂神社ですが・・・こんな記事でした。それから、紫式部の邸宅跡とされている蘆山寺ではこんな記事でした。今年は大河ドラマで取り上げられているので、これからも賑わうことでしょう。
2024.02.04
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街の至る所で龍の画が目につきます。過日ブロともさんから龍の爪の数が中国は5本、韓国は4本、日本は3本と国によって違う事を教えて貰いました。それ以来、街で龍に出会うと直ぐ近づいて足(手?) を見るクセが付いたのですが・・昨日もまた・・・年末から道を挟んで見ていた京都博物館の看板ですが良く見ると龍の絵が書いてあることに気付き・・・七條通りを渡って前に立ちますと・・・目についた上の絵は顔だけで爪が無かったのですが・・・左下のお皿の絵に描かれている龍は・・・爪は5本! これは中国製のお皿か!!!?そして、右の衣服に描かれている龍も・・・やはり爪は5本でした。こんな観察?? をしていて・・・ふと我が家にも子供の時に怖かった一筆書きの龍の掛け軸が有ったはず、と家に着くなり押入れをゴソゴソして見つけたのですが・・・足(手?) がありませんでした(笑)足が無いですが、箱書きにはちゃんと龍と書かれていますので「龍」なのです。龍の一筆書きはひとつなぎで途切れないことから人との縁が切れない、お金が途切れないと言う縁起物だったらしいです。そして、帰りの七條駅に有った、このポスターにも足は描かれていませんでした。横には「京の冬の旅」のポスターが貼ってありましたが・・・何処のお寺の画か分かりませんがこの画にも手足がありませんでしたが・・・今年のテーマは「紫式部と源氏物語」と「京の龍めぐり」とちゃんと今年の大河ドラマと干支が組み込まれていました。因みに今年の対象寺院はこの通りです。
2024.01.26
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「石を動かすのに3日」と言うお話です(笑)1/20のブログに載せましたこの石、位置を生垣側にずらして・・・底の平らな面を上にしてベンチに使えるようにすると言う目論見ですが・・・1/23日に更に掘り進み・・・今日1/25、更に深く、且つ、掘る面積を広げ・・・目論見通り、地表に出る部分の高さを低くして、平らな面を上にすることが出来ました。後で石が傾かない様に、違う目的で集めていた石を底に突っ込みました。これだけの面積、深さを掘るために蔓延っていた生垣や椿等庭木の根っこを大量に退治? しながらでしたので余計に時間と労力がかかり「石を動かすのに3日」も要しました。次は・・・1.埋め戻しをして・・・2.下の写真の赤線の部分を削って、縁石を今回動かした石と並ぶ位置までずらして平らな部分を広げる・・・と言う計画ですが、後日の仕事になりました。
2024.01.25
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無目的に街歩きをしていても新しい発見があるものです。過日、こんな仁丹の住所表示板を見つけました。軒下に見える白い板ですが・・・アップしますと・・・・・鴨川より東が下京区から分離して、東山区になったのは昭和4年の事ですので、この表示板は昭和4年以前のものなのです。・・・が、この表示板が有った三条通りより北側は左京区のはずなので、左京区の一部も昔は下京区と言ったのかと思ったのですが、それはどうもおかしいとグーグルマップで調べますと・・・写真を撮ったのは赤矢印の場所なのですが・・・赤線が東山区と左京区の境界なので、地下鉄の走っている三条通りより北でも、一部が左京区ではなくて東山区であることを初めて知ったのでした。話は変わりますが・・・三十三間堂の西隣にもこれと同じように昭和4年から東山区なのに下京区と書かれた仁丹の表示板があることを書いたことありましたが、京都市民の昔のものを大切に残す精神ここにありです。ついでながら、仁丹表示板のあったのは・・・京都のど真ん中でホタルが飛び交うこの白川のすぐ傍でした。そしてこの下流、三条通の向こう側が有名な行者橋、又の名を阿闍梨橋という一本橋のあるこの光景が見られるところです。
2024.01.04
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1. 外人さん頼みの京都のホテル12/29の京都新聞の記事ですが・・・ホテル宿泊者では日本人が大幅に減って、外国人が増え、外国人の比率が51.5%とか。京都のホテルも完全に外国人頼みの様相の様です。2. ホテル新設計画動きだす。三十三間堂の真向いの日本赤十字の建物のあとにホテルの建設計画の看板が立ったことを以前に書きましたが・・・今日通りますと、その日本赤十字の建物が壊す工事が始まると見えて、高い塀で取り囲まれていました。博物館側から見て・・・右が三十三間堂です。三十三間堂前から見て、正面が博物館です。最高の立地に4階建て、53室のホテルですから多分高級ホテルなのでしょう。
2023.12.30
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12/21は(東寺の) 終い弘法。12/25は(北野天満宮の) 終い天神 でした。・・・・ならば12/28の近くの豊国神社のおもしろ市に行ってみるかと足を運びました。勿論前述の2つの市とは桁違いに小さい市では有りますが・・・。毎月8の付く日に行われているこの市、日頃28日は確か骨董市ではなく手作り市かなんかだったと思うのですが、正月も近いためか私の好きな骨董品の出店がそこそこありました。そして唐門の左には龍が・・・・。直ぐ近くの京都美術工芸大学の生徒の作品でした。12/16のブログで同じくここ豊国神社に奉納されていた、京都女子大生のこの作品を載せた時・・・・ 近所の京都美術工芸大学の生徒の作品ではないのが不思議である様に書いたのですが、やはり美術工芸大学の生徒からも立派な「龍」が奉納されていて左右一対のオブジェが正月気分を盛り上げていました。両大学の作品とも秀吉ゆかりの瓢箪と龍を組み合わせた作品であることが凄いです。ところで・・・・あても無く行った「市」でしたが・・・正月用にピッタリかとこんなモノを買ってしまいました。忘れもしない10年程前に富士山が世界文化遺産に登録された時、同じくこの市で買ったこの「赤富士に鶴の図」が正月用だったのですが・・・・予期せぬ買い物で急遽新しい買い物に交換・・・・花も生けて床の間だけは正月になりました。
2023.12.28
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今日、三十三間堂の掲示板に来年の「楊枝のお加持」のポスターが掲示されていました。いつもの通り前面のガラスに向かいの景色が写って上手く撮れないので、入場券売り場まで行きますとチラシが置いてあったので貰って来ました。今年も当日は通し矢の出場者の沢山の着物、袴姿が見られることでしょう。何と言っても無料で参拝出来て、お加持まで受けられる日です。私はいつも通し矢の風景だけを見て長らくお加持を受けていませんので、来年はお加持も受けに行こうかと思いました。このお加持の日に瀬戸内寂聴さんの講演を聴いたのは・・・もう4~5年前(もっと前かな??) の事、その寂聴さんも今はもう鬼籍に入られました。寂聴さんも三十三間堂(妙法) も天台宗なのでそんな関係で講演会が開かれたのでしょう。また違う年には女性落語家の落語が行われたことがありました。さて、来年の催しは何が???偶々ですが、来年早々に友達とのウオーキングで嵯峨野へ行く予定をしていて、寂庵にも行くつもりです。話は変わりますが・・・京都新聞にこんな航空写真が載りました。(ドローンでの撮影かも知れませんが・・・)回りが余りに開けているので、下鴨神社かと思いながら、良く見ると上賀茂神社でした。京都の北の端にある神社なのに周りがこんなに都市化が進んでいるとは・・・滅多に見ることの無い航空写真で改めてその現実を知りました。因みに左上に五山の送り火の船形が、右上に上賀茂の京都ゴルフクラブが見えています。左に斜めに走っている緑の線は賀茂川の堤防です。
2023.12.26
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12月も半ばになったので来年と言っても直ぐそこですが、一応は鬼が笑うと言う来年の話です。12/15の京新聞にこんな記事が載りました。直ぐ近くにある「京都美術工芸大学」や、来年度に京都駅に直ぐ近くに移転してくる「京都市立芸術大学」や、京都市立芸術大学と校名で争った「京都芸術大学」でもなく、その道の大学ではない「京都女子大学」の学生さんの作品というので何か親しみを感じて、近くでもあるので早速足を延ばして来ました。秀吉像の後ろ、唐門の前にそれは有りました。新聞記事に書かれている様に、確かに「怖すぎず、かわいらしすぎない」丁度バランスの取れた「龍」でなかなかの出来栄えでした。同じく12/15の新聞にこんな記事も・・・・南丹市にあると言う生身天満宮の事は知りませんが、余りメジャーではないと思われる藤森神社が9位にランクアップされているのは意外な気がしました。
2023.12.16
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11/26のブログに金戒光明寺のこの仏像を「アフロ地蔵」と書きました。この地蔵さんは百万遍の知恩寺にも有って、わざわざ見に行ったことも有るのですが・・・その名前を「アフロ地蔵」としか知らなかったのですが・・・ひょんなことからその名前と、アフロヘアーの由来をし知りました。それは・・・・過日図書館に本を借りに行き、ふと、平置きしてあったこの本が目に入ったのです。何気なく興味をもってこの本も借りたのですが、奈良の事について知らなかったことを沢山教えられた面白い本だったので、直ちにその続編のこれを借りたのですが・・こんな記述があって・・・正式な名前は「五劫思惟阿弥陀如来」(ごこうしゆいあみだにょらい) であることを教えられました。菩薩ではなく、もっと悟りを開いた如来だったのです。そして、髪がアフロで有る訳は、永遠のような長い時間考えすぎて散髪に行くのを忘れていた為とは笑わせます。その永遠に近い時間を表す「五劫」はこの様に書かれていました。・・・で、アフロ地蔵の正式な名前と、寿限無寿限無五劫のすりきれの「五劫」の意味を知ることになった本でした。
2023.12.06
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前にも書いたと思いますが、ウオーキングの励みにコカ・コーラ社のアプリ「Coke on」をスマホにインストールしています。1日5000歩、1週間で35000歩歩くと1スタンプ貰えて、15スタンプ溜まると、コカ・コーラの飲料のどれでも好きなモノ1本が貰えるというアプリです。インストールしてからかなりの本数の飲料を貰って来たのですが・・・今週新たにこの様に15コイン溜まりました。そこでスマホを操作してこのチケット画面を出して・・・自販機の前に行きスマホで交換の操作をして・・・ボトンと出て来たこれをゲットしました。そして操作の過程で、こんな表示が出たのです。ジョージアとカフェラテの両方とも抽選に挑戦してみると・・・カフェラテは「はずれ」だったのですが、ジョージアは「あたり」でこの1本無料の画面が表示されのです。こちらの方は自販機ではなく、ファミリーマートで交換と言うので上の画面からバーコード画面に替えてファミマの店舗でこのジョージアを貰いました。今まで15コイン溜めて貰ったこと、抽選に当たって「いろはす」を貰ったことは有りましたが、一日に無料の飲料を2本も貰うなんて初めての事でした。コカ・コーラの会社は太っ腹です(笑)自販機で飲料を買うときは、赤い色のコカ・コーラの自販機で買わないと・・・・(笑)
2023.12.03
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今日は我が家でビール同好会の集まりを行いました。6/15の智積院の青葉まつりの日以来の事でした。青葉まつりの日の記事はここを。その青葉まつりの時の集まりで、次は智積院の紅葉の時に・・・・と言う計画だったのですが、日程調整の結果、紅葉には少し早い今日になったのでした。今回の参加は欠席の方も有りましたが、新しく加わって貰った方お二人があり9人でした(女性6人男性3人)・・・・で、ビールのアテはいつもの通り各人一品持ち寄りでビールを楽しむ会なのですが、皆さん手の込んだ逸品ばかりで豪華な宴になりました。真ん中にストーブを置いて暖をとり、燻製をし、仕込みに一週間かかった言われる手作りベーコン温めたり、生ハム、炊き込みご飯等など食べるモノが多くって・・・最後はコーヒーで締めてお開きに、そして次回は場所を変えて1月とか??
2023.11.18
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完成間近で外構など最終工程に入っている建設現場の前を通りました。木目調の外観は覆いを取られてから今までに見て来ましたし、当ブログにも写真で紹介したことがあって、別に今更驚くことは無いのですが・・・東大路に面した部分に、形を表したエントランスの二つの門の仕様にはいささかびっくりしまし。これが右側で・・・これが左側なのですが、単に和風と言うだけで無く、多分屋根は銅板葺き。しかも純木材風で、更に手の込んでいるのは角材の端部も銅板で端末処理がしてあるのです。残念ながら基礎部分は見えなかったのですが、多分地面に接する柱も銅で巻かれるのでしょう。京都ですので和風に作り上げる建物は多いですが、こんな手の込んだ門まで建てるのは、普通まずお寺くらいしかないと思います。それから塀の瓦を作業中だったのですが・・・・何?? 横線入りの土塀????土塀に横線を入れられるのは、門跡寺院など皇室に関係のあるお寺だけのはず。こんな線入れて良いの??? と近づきますと・・・・何と、土塀ではなく、コンクリート製の塀で、描いた線に見えたのはコンクリートを凹ましたもので描いたものでは無かったのです。あたかも描いたように見え、由緒ある様に見せるテクニックなのでしょう。門と塀にこれだけ拘った建物ですが・・・・これは建設が始まって前にも数回書いて来ました、妙法院の西向いに建設中の・・・・・このホテルの事でした。ホテル名は・・・「シックスセンシスズ京都」広い敷地に4階建ての81室だけです。宿泊料が幾らになりますやら・・・いよいよ12/15にオープンとか。因みにこの敷地にはホテル東山閣と言うこんなホテルが建っていました。このホテル5階建てに対し、新しく建つホテルは4階建てです。
2023.11.09
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10/31の京都新聞の一面にこんな記事が載りました。清水寺などの観光地が多い路線で観光客と(足として乗る)市民を出来るだけ分離しようと言う試みです。効果の度合いは分かりませんが、効果がある事は間違いありません。JR山陰線の京都駅~嵯峨嵐山間の混雑緩和のため、過日、京都府知事がJR西日本支社を訪れ、列車の増発の要望したとの報道もありました。
2023.11.01
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・・・・こう言うことになっています。何しろ外人さんいっぱいなのです。交通機関も観光地もキャパの限度越えているのにホテルだけ稼働率低調・・・当然だと思います。京都駅八条口の前だけでも何軒のホテルありますやら??
2023.10.21
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最近は小さい秋とか、秋の気配なんて言葉を多用する記事を書いて来ましたが・・・今回は早や「冬支度?」の話です。一昨日懇意にしている大工さんから「そろそろ燃料要るのでは??」とのラインを受信。秋から冬に向かって、備蓄燃料は少しはあるのですが、心もとない気がしていたので勿論頼んでおきました。今日京都へ行きますと・・・その「燃料?」をちゃんと届けてくれていたのです。これなのですが・・・太い柱材の切れ端が多くて、再利用できるものは写っている長いものが1本だけですが、逆に言うと燃料には最適な端材ばかり。これで、在庫と併せて暫くは心置きなく燃やせることになりました。燃やすと煙が出る合板は一切入っていないのも大工さんの心遣いです。
2023.09.27
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スマホに残っている写真を見ていますと、8月に撮ったこの写真が出てきました。京阪電車の吊り下げ広告なのですが、何とJRの時刻表の宣伝です。スマホ全盛の今の時代に時刻表の宣伝なんて???? 今頃まだ時刻表を買う人がいるのかな?と言う素朴な疑問を持ちました。しかも時刻表の広告なんて私鉄の吊り下げ広告で見た事無かったはずなので、ついスマホで撮ったものでした。時刻表と言えば・・・実は・・・もう無くなるモノと思った私はいつもの様に「古いモノ」「昔のモノ」としてのこんなものを残しているのです。2006年の中判の時刻表です。昔は会社には大判の時刻表が常備されていたものですが、出張に持ち歩く為個人でも買う事も多かったものでした。発行年からして既にリタイヤした後のモノなので、旅行や登山に使っていたものと思われます。中を見ますと・・・群馬県の土合駅にマーキングしてあるページや・・・新潟の直江津や糸魚川、富山にマーキングしてあるページや・・・新潟県長岡駅にマーキングしたページなど、やたらマーキングがしてあるのです。群馬県土合駅は谷川岳登山計画で。新潟関係は子供が新潟にいた時に訪ねる時のものでした。時刻表は宣伝しているくらいですから、これからもどんどん発行されるようなので、骨董的価値は期待出来ませんが、自分の行動記録と北陸新幹線なんて無かった時の鉄道網の記録として、やはり残しておこうと思います(笑)こんなもの残しているから、断捨離が進まない事、分かっているのですが・・・。
2023.09.24
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8/12のブログに「京都のビルに邪魔されない空」 と言うタイトルでこの写真を載せました。国立博物館の裏にホテルを建設中現場のクレーンです。高さが制限されている為にホテルが建っても「博物館の建物と空」の景観を邪魔することが無い事を書いたのですが・・・。昨日同じく博物館の前を通り東の方に目をやりますと・・・緑の中にクレーンが見えました。アップしますと・・・方向からして、京都女子大の校舎建て替え現場のクレーンです。普通、ビルの建て替えの場合、既存の建物より高層化されるのが世の常ですが・・・こと、京都では逆行の施策のため、この場所に新しい校舎が建っても後ろの山の景観を邪魔することは有りません。 因みにこ見えている高い山は。東山36峰の29番目・清水山ですビルの高さ規制について書いていましたら、偶々9/6の京都新聞に当時の桝本市長へのインタビュー主体の特集記事か載っていました。抜粋ですか・・・・。それから先日(9/7) 東福寺の日曜座禅会の事を書きましたが・・・・昨日は智積院の阿字観会の日でした。毎月12日に行われているようです。京都観光の折りにこんなののも体験されたら・・・かく言う私は未体験ですが・・・。こちらは有料ですがこんな様子です。(智積院のホームページより)
2023.09.13
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昨日の続きです。ロッテマリーンズのホームグラウンドでの応援は何しろ初めての事。何から何まで目新しい事ばかりで、キョロキョロの連続でした。詳しいことは昨日リンクさせてもらった、お二方が上手く纏めて頂いているので、私は写真の羅列になりますが・・・ランチと宿泊にとって貰ったホテルからの眺めです。球場と東京方面ら眺められる高層の部屋をと指定でとって頂いたお陰で44階の部屋からの眺めは最高・・・スカイツリーもバッチリでした。アップしますと・・・ランチと休憩のあと球場へ・・・歩いて5分もかかりませんでした。折りから夏祭りと言う事で色々の催しが行われていました。試合が始まる前に買ったのがこれ、タオルとマグネットシールです。球場に入ると試合が始まる前から・・・・これです。 実に美味しかったです。席はこの様に選手の間近、選手と同じ目線の特等席・・・試合が始まる前から凄く沢山のセレモニーが・・・試合の相手は日本ハムファイターズ試合が始まっても美味しいビールは続きます(合計4杯飲みました)マリーンスタジアム名物の応援は・・・テレビで観るより、遥かに迫力がありました。ほんと凄かったです。試合は6対0 の完勝で実に気持ち良かった上に、ホームランが見たいなぁと言ったとたんの8回にツーランホームランが飛び出して実に満足した観戦、否、応援が出来ました。そして、試合終了後が凄いのです。照明が落とされて暗くなると・・・この景色です。スマホのライトの人、ペンシルライトを持った人・・・、ライトが揺れる景色は圧巻でした。満足した応援を終わり、球場を出ると・・・真正面がこれから泊まるアパホテルです。前はプリンスホテルだったらしいです。この44階に泊まりました。部屋からの夜のスカイツリーです。そして、このあとのことは昨日のブログでリンクさせてもらったお二方が詳しく書いてもらっているので割愛して・・・・私は早めに (と言っても10時はかなり回っていたと思いますが) 就寝して、翌日の登山に備えました。明日に続きます。
2023.09.01
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