全4166件 (4166件中 101-150件目)
コロナの後遺症か 加齢による体力減退か 或いはその両方か、なかなか元の生活パターンに戻すことが出来ず、行動も少なくなり、ブログの更新も飛び飛びになり、訪問もほゞ出来ない状態が続いています。そんなことで、ちょっと前のネタですが・・・友人宅を訪れた時、床の間に置いてある沢山の仏像写真の中のひとつ、十一面観音菩薩のパネルに惹きつけられました。今まで沢山の仏像を見て来ましたが、こんなに素晴らしい顔の仏さんは見た事無かった気がしました。パネルの裏には説明も・・・何??!! 室生寺の仏さんか!!!! 室生寺と言えば一昨年にも行ったし3回程行ってはいるのですが、目当ては五重塔であり、石楠花であり、紅葉であって、仏像も一度は見ている筈なのに全く記憶が無かったのです。俄然、今度は仏さん目当てに行かなくては・・・と思いながら、余りにも素晴らしいと言ったので、仏像のパネルは沢山有るからと貰えることになったのです。片や我が家には愛宕(おたぎ) 念仏寺の1200体の羅漢の中で一番と思えるこの写真を飾っていることを前に書きましたが・・・お地蔵さんと言ったり羅漢さんと言って来たのですが・・・阿弥陀如来の脇侍(きょうじ) と言えば観音菩薩と勢至(せいし) 菩薩です。今回観音菩薩を貰ったので、この石のお地蔵さんを勢至菩薩と名付けることにしました。・・・・で、二つのパネルを並べたのですが・・・肝心の阿弥陀如来が居られません(笑)阿弥陀如来数々あれど・・・今度は良い顔をした阿弥陀如来探しをしないと・・・・。あっ ! 置き方が逆だ! ! ! 阿弥陀如来の左側に観音菩薩、右に勢至菩薩だ ! !真ん中の阿弥陀如来はまだないけど逆に置かないと・・・・。・・・で、置き換えました。
2024.03.01
コメント(5)
コロナを罹患して長期にわたり休んだので間延びがしてしまいましたが北野天満宮観梅ウオークの続きです。千本釈迦堂を出て今注目の紫式部のお墓を目指したのですが、途中少し道を換え「釘抜き地蔵」に寄りました。当寺院は当ブログに数回取り上げて来ましたが、ここも「絵」になるお寺さんなので案内したかったのです。この寺院も千本釈迦堂と同様に正式な名前は憶えていません。要は「釘抜き地蔵」なのです。調べて分かりました正式には「石像寺(しゃくぞうじ) でした(笑)何しろ病や心の苦しみの象徴である「釘」を抜いて救済して下さるご利益が有るものですかから境内至る所に釘と釘抜きの絵馬? が並んでいるのが壮観です。この後、少し歩いて通ったのが「赤穂46士」の遺髪塔跡です。この寺院、今は山科に移ったらしいのですが遺髪塔の跡だけがこのように整備されています。47士の髪でなく、46士の髪と言うのは・・・うち一人寺坂吉右衛門が討ち入り後切腹していないからです。調べて見ると、元々足軽の身の吉右衛門は頼み込んで無理やり仇討ちに参加させてもらったが、身分が低いため切腹させてもらえなかったとか、内蔵助がこのことを赤穂へ伝える為に彼を走らせたとか、または切腹が嫌で逃げたとか諸説ある様です。討ち入りしたのは47士、切腹したのは46士・・・切腹しないと遺髪はありません。なのでここではこの様に46士になっているのも至極当然で有ります。そしてほんのすぐ近くにあるのが紫式部の細やかなお墓です。しかも何故か、東山区の六道さんの井戸から地獄の閻魔さんの所へ行ったり来たりしていたと言う小野篁(おののたかむら) のお墓と並んでいるのです。右が小野篁のお墓で、左が紫式部のお墓です。今まで行った時に人と遇う事も無かったのですが、さすが、大河ドラマ効果!! この日には先客? のグループが有りました。と、ここまで書いていたのですが・・・2/27の京都新聞にこんな記事が載っていました。とても読める写真ではありませんので・・・・・一部拡大します・・・・・なるほど雲林院と言うお寺の跡地だったのか!!・・・・と言う事で街中のこんなところに、何故ポツンと紫式部と小野篁のお墓が並んであるのか?? と言う長年の疑問を解明? することが出来ました。飛び飛びになって長くかかりましたが、北野天満宮ウオークの記事終わります。
2024.02.28
コメント(4)
長らくパソコンに向かう事も出来ず、ブログ活動も休眠状態でしたが、やっとほぼ平熱に戻りベッド生活から離れることが出来ました。生活のリズムが全く狂ってしまっていること、身体を動かしていなかったので身体が鈍っているのを元に戻すことに努めないといけません。まだ咳が出ますので公の場にはまだ出られませんところで、私には高校2年の時からの友人 がいます。私の卒業した高校は3年になると取得科目により、クラスがバラバラになって別々の部屋で受講することが多く3年の時のクラス意識が極めて希薄になり、修学旅行も2年の3学期に行くこともあって、高校の同窓会は各クラスとも2年の時のクラスが基準で行われます。そんなことでその友達とは3年は別のクラスになったのですが高校の同窓会は同じなのです。そして、高校卒業後、同じ大学の同じ学部に入学して、更に同じクラブに入ったので大学の同窓会も同じなのです。更に、就職した会社が又同じでした。ただ、折からの高度成長期で間もなく会社が分割され別会社になって、二人は別々の会社で定年を迎え卒業しました。・・・・が、退職後数年で元の2つの会社がグループの再編でまた同じ会社に統合されたのです。依って会社OB会は退職して数年は別々だったのに、又同じOB会に所属することになり現在に至っているです。ここからが本論なのですが・・・その友達が私のコロナ感染を書いたブログを見て「同病相憐れむで、私も19日に発症して自宅に閉じ篭もっています」とのラインが入りました。私の発症は20日なので一日早く感染していたのです。(彼とは昨秋から会っていません)その後のラインのやりとりで、一日のズレは有るものの、まるで判をを押したように同じ経過を辿り、お互い一日のズレで回復に向かいました。初めてのコロナ罹患で何かにつけて不安になるところ、一日の先駆者との情報交換が出来たことで随分気楽に療養出来た事は実に幸いでした。「持つべきは友」「同病相憐れむ」のお話でした(笑)因みに体温は発症時の数時間38.5~38.6度でしたがその後直ぐ、37度台から36度台の時もあって高熱にはそう悩まされなかったのですが、喉の強い痛さと痰が一番の苦痛でした。お陰でティッシュを既に二箱使いました(笑) まだ暫くは必需品です。・・・・とここまで書いて、気だるいので体温を測りますと36.7度。なかなか完治まで行かないようです。頂いているお見舞い、コメントへのご返事は後日改めてさせて頂きます。
2024.02.26
コメント(8)
20日に38.5度の発熱があり、かかりつけ医でコロナの罹患が確定? しました。外出時にはマスク、電車の中でも勿論マスクしているし、身近な人間に感染者がいないので何処で感染したのかさっぱり分かりません。熱はすぐ37度台に下がったのですが、今度はツバを飲み込むのにひと苦労、全部ティッシュに吐き出しています。何よりもおかゆも食べ難いのが困りものです。外出制限は最低5日、場合によっては7日なのでそれまでに快復することを期待しているのですが、何しろ老体の身、どうなりますやら。そんなことでプログを更新する気力が湧きませんので、暫く更新及び訪問を控えさせて頂きます。
2024.02.22
コメント(7)
北野天満宮周辺ウオークの記事はあと1回あるのですが、先に延ばしまして、今日完了した工事の事を先に書きます。2/8 2/9 2/16に亘って書いて来ましたこの石を立ててベンチにしようとする目論見ですが・・・手に負えなくなって、プロの庭師さんに頼むと言う事まで書きました。今日小雨が降ったり止んだりの中、プロが作業をしてくれました。3本の丸太を組んで、チェンブロックでつり上げて移動すると言う方法でした。希望の位置に移動させて、希望の高さに仮り下ろしして石の下にかなりの数の石をかましてレベルを出して・・・最終的に水準器でチェックしながら固定して完了。あとは掘った穴を・・・・埋め戻して完了しました。まだ未完成ですが、全体はこんな感じです。机の向こうは前に写真を載せましたが、こんな感じになっています。これで難題の石の工事は終わり、あとは植栽と砂利を買って撒けば完成と言うところまで進みやれやれです。
2024.02.19
コメント(4)
昨日の続きです。さすが梅の天神さん、何処もかしこも梅だらけ、何枚の写真を撮りましたやら・・・梅も多いが、願いも多いです。こんな山が幾つ有りましたやら・・・・庭内には秀吉の遺構「お土居」跡も現存しています。梅の花を堪能して、五花街のひとつ、上七軒への出口を出ますと、目の前にあるのが目指す、焼きもちの天神堂です。1ヶ140円ば絶対に値打ちもの・・・みやげにゲットしました。そして電柱も撤去され風情満点の上七軒を通り、千本釈迦堂へ向かいました。そう言えば、先斗町も電柱が撤去されています。電線の地中化は観光地の中でも花街が優先されるみたいです(笑)そして、ほんの数分で釈迦堂へ・・・ここは大根焚きの元祖ではないかと思います。京都には正式な名前でなく通称で呼ばれるお寺が沢山有りますが、ここもその最たるもので大報恩寺と言っても通じないのではないかと思う程「千本釈迦堂」なのです。そして、何と、智積院の真言宗智山派のお寺です。このお寺は国宝の京都で最古の木造建物、大根焚き、そしてこのおかめの像、おかめ桜で有名なお寺です。このお寺を出て次の目的地に向かったのですが、有ったのがこの看板。さすが、西陣の街です。この後もう一回、明日に続きます。
2024.02.18
コメント(6)
友達との市内ウオークは1/27の嵯峨野歩きに続き、今日は北野天満宮の観梅と周辺を歩いて来ました。歩いたのは・・・JR嵯峨野線・円町駅から地下鉄・北大路駅まで下記の通りでした。円町駅から北野天満宮へ向かい、ちょっと道を逸れて行ったのが・・・椿寺でした。椿には早いのを承知でしたが・・・やはり・・・見頃、否、散り頃には真っ赤な絨毯を広げる「散り椿」もまだまだ蕾が固く・・・探し探して別の木にこの白い椿がたった一輪だけ咲いていました。次に向かったのが椿寺から直ぐ近くの方除・厄除で有名な大将軍八(だいしょうぐん はち)神社です。ここへ来るといつも思うのですが、何か他の神社と違うムードがあるのです。そして主目的の北野天満宮へ・・・撫で牛を撫でて・・・楼門をくぐりますと・・・・梅なら北野天満宮と言われるだけあって大変な人でした。ただ、大体が日本人で外人が目立たないのが印象的でした。梅には早いかと危惧して行ったのですが、案内表示板にも「見頃」と書いてあるだけ有って満開に近い気がしました。無料の境内にも沢山の梅の木があるのですが・・・・有料ゾーンに入ろうとすると30人くらいの行列でした。茶菓券がついて1200円でした。中に入り、まずこの床几に座って・・・梅の香りのお茶とお菓子を頂き・・・庭内の観梅に歩いたのですが・・・・長くなりますので・・・続きは明日に。
2024.02.17
コメント(4)
2/8と2/9のブログに・・・石のベンチ作りの続きで、この石も立ててベンチにすることを思い立ち・・・掘った穴に落とし込み苦労してここまで垂直に立ったことまで書きました。あとは微調整して周りを埋めたら目論見通り「完成」と思ったのですが・・・・もう少し向かって左の方へ移動しないと通路が狭くなるとの声が出てしまいました。私はこれで良いと思ったのですが・・・「老いては子に従え」左方向へずらすことにして、ツルハシで動かし始めたのですがこれがなかなかの難問で揺れはすれど動かないのです。若い者の力は強いことを証明するようになんとツルハシの柄か根元からこの様にポッキリと折れてしまったのです。何しろ60年以上昔のものなので幾ら樫の木と言っても劣化していたようです。一瞬、これは新しいのを買わないと・・・・と思ったのですが、極々偶にしか使わないモノなので修理出来るならば・・・・と、修理することにしました。まず、鉄の部分に残った折れた柄の残骸を取り除かないといけません。大きなハンマーと鉄のクサビみたいなもので叩いても、びくともしないのです。そこでストーブを燃やして焼くことにしました。裏と表から燃やすように火の中に突っ込み・・・。かなり焼いたあと、叩くとこの様に抜けました。残った柄の折れた部分を綺麗に切り落とし差し込みますと・・・柄が手元へ向かって細くなっているのでゴソゴソなのです。そこで体裁は悪いですがこの様に太いネジ釘を打ち込み・・・反対側は更に沢山打ち込むと一応がっちりと固定しました。道具は修理出来たのですが・・・重い石の水平移動はなかなか難しいので無理するのは止めて・・・・・・・・・・・・・・・・・この作業(移動) だけプロ(庭師さん) に頼むことにしました(笑)近々来てくれることに!!!!
2024.02.16
コメント(6)
わが家の鉢植えの盆栽から地植えした梅を「一方梅」と名付けていることは今までに書いて来ました。熊野古道の中辺路にある名木・枝を南の方向へだけ伸ばしている野中の一方杉にあやかった名前なのですが・・・。その一方梅が一この様に一方梅でなくなったのです。それは横に張り出した枝が邪魔になると息子がこの様に枝を切り落としたのです。元は赤い線の様に枝を伸ばしていたのですが・・・しかし、枝を切られても今年もちゃんと開花して来ました。枝によって紅白の混ざった花も・・・ふと・・・例年より花が多い様な気がして来たのです。ひょっとすると枝を切られたので。残った枝に栄養がより行き届くようになったのかも??? (笑)いずれにしろ、昨日書いた水仙同様、みんな暫くは梅の花を楽しめそうです。
2024.02.15
コメント(4)
わが隠れ家の水仙は今まではほんの少ししか咲かなかったので、土を動かす度に球根をまるで邪魔ものの様にアチコチに適当に埋めて来たのですが、それが良かったのか、今冬はアチコチでかって無かった程次から次へ咲くようになったのです。年末には正月用の生け花に随分生けたのですが、次々と咲くもので、今でも庭だけでなく、家の中まで水仙の花盛りが続くことになりました。まず床の間に・・・雛飾りにも・・・自宅の下駄箱の上にも・・・そしてトイレの壁にも・・・今まで虐待して来た水仙の球根ですが、思わぬ恩返し??をしてくれることになりました。水仙は切り花にしても長く持つ上に無料なので来年も沢山咲いて貰わないと・・・。俄然,期待の花となりました。我ながら勝手なものです。
2024.02.14
コメント(6)
今日、智積院を通りますと、見るからに修行僧と思われる3人の作務衣を着た若い僧が移動足場と言うのでしょうか高い台車に乗って作業をされていました。何をしているかと言うと金堂の周りの五色幕を設置しているのです。上の二人は幕の取り付け、下の一人は足場台車を押して移動する役目です。この五色の幕は、張ってある時もあれば張って無い時もあります。その折々にこんな作業が行われていると言う事は至極当然なことなのですが思いもよりませんでした。日頃修行僧が、落ち葉掃除、雑草抜き、行事の開始を知らしめるこの小さな鐘を鳴らす姿等は良く聞き、見るのですが・・・この幕を張る作業は初めて見るものでした。当然外作業も行われているのですね。
2024.02.13
コメント(8)
京都新聞の記事の紹介です。疎水で結ぶ京都と滋賀の遊覧船が滋賀県側で浜大津まで延伸されるとか。これで滋賀県側の足の便が随分良くなる筈です。京都(伏見港) と大阪を結ぶ淀川の船旅の計画と併せ、船の観光が更に脚光を浴びることでしょう。 京都~大阪の船旅の計画はここを。
2024.02.12
コメント(4)
京阪電車の駅にこんなポスターが貼ってありました。右側の五大力さんの方なのですが・・・京都では新聞やテレビでも必ず報道されるこの時期の大きな催しなのですが、京都以外での知名度は??? と思い取り上げました。netの画像はこれなのですがこう言うことが行われます。お参りの事は当然ですが、五大力さん=大きなお餅を持ち上げることが代名詞みたいなものです。上にも書かれている様に男性150kg 女性90kgの大きなお餅を持ち上げるのです。腰痛持ちの方は絶対に参加できない催しです。・・・と、ここまでの記事のつもりでしたが、何と、早速今日(2/11)の京都新聞にこんな記事が載っていました。遠く、醍醐まで行かなくても、京都駅でそのお餅が見られます。
2024.02.11
コメント(6)
先日(2/5)、はやばやとひな人形のこの掛け軸を掛けてくれたことを書きましたが・・・今日はひな人形も飾られていました。正面が平成生まれの孫娘のものなのですが、右側に大正生まれの私の母のものまでも・・・。片や平成のひな人形 こちらは大正のひな人形です。人形の顔に時代の流行があると聞いていましたが、確かに・・・平成の男雛と女雛で・・・凄く現代風の顔ですが・・・こちらは大正の男雛と・・・女雛はこんな感じで・・・現代風の顔とはかなり違う様に思いますが如何でしょうか??わが家では雛祭りは元々旧暦の4月3日にやっていたので、この雛人形は4月3日まで飾ります。そのあと直ぐ片付けないと嫁に行けないと言う謂れが有りますので片付けるのは早いです(笑)
2024.02.10
コメント(6)
この石を立ててベンチすることを狙って・・・昨日ここまで進んだことを書きましたが・・・今日も続きの作業をしました。落とし込む穴を大きくして、滑り易い様に割った竹を挟み・・・ツルハシでテコの応用で立てようとするのですが、重たくってどうしても動きません。そこで建具が動かなくなった時に使う為の文明の利器・ジャッキを使う事に。前にも書きましたがこの骨董的ジャッキき少なくとも55年以上前の代物です。(55年前に鬼籍に入った父の代のものなのです)そのジャッキと大工さんの貰った燃料用の角材を駆使して、ジャッキアップです。何しろこのジャッキのストロークが小さいので少し立てては石や角材で固定して、ジャッキを外し、また角材をかましてジャッキアップすること数回・・・段々立って来て・・・ついに、ついに垂直に立てることが出来ました。・・・が、何故か巾方向にはこんな傾きが出来てしまいました。穴は平らに掘ったのですが・・・・・・・と言う事で、この巾方向の傾きの修正が明日以降の仕事ととなりました。重たいものを動かすのは難しいものです。
2024.02.09
コメント(8)
2/1のブログにほゞ完成したと、ここまでの写真を載せましたが・・・このベンチ前の土を除けていて、もう少しベンチ?の数を増やそうと欲が出て来まして・・・この陶器製の背の高い腰掛けを・・・少し埋め込んで既に作った石のベンチと同じ高さになる様にしました。これでもう一席作れました。更に、ちょっと奥にあるこの石を・・・息子の力を借りて、1m近く前に出して、もう一席を確保しました。更に・・・まだ未完ですが・・・この平たい石・・・新聞を横に置くと大きさが分かって頂けると思いますが・・・少し前に移動して、今は低く平たく置いているものを、他のベンチと同じ高さになる様立る作業中です。これが立つともう一席、合計3席出来て、先に作った4席と併せ石だけで7席が確保できると言う目論見です。整形外科に通いながらの作業は腰を使わない様に地面に、べたっと座り込んだりしてツルハシとスコップ使って、しかも援軍を頼んでの作業です。
2024.02.08
コメント(6)
何回も取り上げてきた京都女子大の校舎建て替え工事ですが、いよいよ輪郭が現れて来ました。元の潰された旧校舎は四角で高い箱型だったのですが、形を現した校舎は屋根がある低いものです。(確か3階建てで半地下で地下があります)この新しい校舎を離れて見ると・・・屋根の向こうに清水山が姿を現しました。この方向からは見えなかった清水山が見える様になったのです。・・・で、昔は見えていた山!! 正に「山還る」です。それからこれも何回も取り上げてきた妙法院の向かいのホテル建設ですが・・・南の方から見ますと・・・ここも昔は東山閣と言うかなり高い角型のビルが道路に面して建っていたのですが・・・このホテルの建物も低層化され、且つ写真の様に屋根式になったので空の見え方が随分広くなりました。・・・で、「広がった空」と言う事に・・・。それから高級ホテルであることも何回も書いて来ましたが、新聞にこの様に載っていました。1室2人で15万円から・・・と言うのは超高級とまでは行かないのかも??
2024.02.06
コメント(8)
早いもので昨日は立春でした。先日通し矢の日に無料拝観が出来た三十三間堂ですが、春のこの催しの日もまた無料です。三十三間堂前でこのポスターを見て、隠れ家に行きますと…床の間の掛け軸が「鶴」から・・・・雛人形にに代わっていました。人形より先行して、床の間だけはもう春到来でした。
2024.02.05
コメント(10)
昨日、法住寺の節分会の事を書きましたが・・・今日の京都新聞に2つの節分祭の記事が載っていました。まずは先日このポスターを載せた八坂神社ですが・・・こんな記事でした。それから、紫式部の邸宅跡とされている蘆山寺ではこんな記事でした。今年は大河ドラマで取り上げられているので、これからも賑わうことでしょう。
2024.02.04
コメント(4)
今日の節分会は1/31のブログに書きました近場のこの法住寺に行って来ました。着いたのが、2時過ぎだったと思いますが、既に白い煙が見えました。境内に入ると大変な人の数、護摩焚きの近くへ行くのも一苦労でした。奥には豆まきの鬼が待機? していました。奥に進むと護摩焚きの真っ最中・・・柄杓で水を掛けて白い煙を出します。並べてある凄い数の護摩木を火の中へ投げ込みます・・・こちらの机の分を投げ込むのが済むと・・・次は反対側の机のモノも・・・沢山の山伏の般若心経の声と、ほら貝で音響的にも凄く盛り上がります。このあと舞妓さんの豆まきも有ったはずなのですが、この場を後にしました。その様子は2014年のブログに少し触れていますので見て下さい。ここです。法住寺の豆まきを見ずして帰ったのは・・・我が家ですることになっていたからです(笑)いわしを食べて、豆まきををして・・・いわしの頭を玄関に刺して鬼祓いをして・・・我が家の節分は簡単に終わりました。
2024.02.03
コメント(8)
1/21に庭の一本の木に生った3種類?? の みかんの味がどうか食べ比べると書きました。早くにべ比べしたのですがアップが遅くなりました。左から・・・・1. 肌の凸凹がきついデコポン風のもの2. 木本来の伊予柑風のもの3. はっさく風のもの(右端は別のミカンの木で採れたミカンですので今回の食べ比べには関係ありません)結果は・・・1と2はほゞ同じ伊予柑の味でした。そして、3は色から見ても分かる通りはっさくの味、即ち酸っぱさが有りました。今年からは1か2だけが生れば良いのですが、そう願い通り行かず、多分枝毎に3種類のものが出来るのではないかと思うのですが・・・・。
2024.02.02
コメント(4)
1/30に石のベンチ作りがここまで進んだと書きましたが・・・・昨日、今日の二日間で元々有った石や拾って来た石を全て使ってここまで完成しました。後はこの手前の削った土を除去すると出来上がりです。今日、ここまで完成したこの石のベンチに座ってみると、なかなかの座り心地でした(笑)前に拾って来た石で積んだ、この穴太衆積みの石も・・・・全てベンチに使って今は土が露出しています(笑)
2024.02.01
コメント(8)
早いもので1月も今日で終わり、明日から2月です。2月と言えば・・・・節分です。京阪電車七條駅には沿線の神社広告だけでも・・・・この広告を見て、いつもユニークな手作り看板を立てる法住寺(三十三間堂の向かい) はどうかなと少しだけ遠回りをして見に行きますと・・・ちょっと鬼らしく無いですが、ちゃんと看板が立っていました。隣の養源院のこの石畳、紅葉の時は凄い人ですが、今は・・・・。所蔵の俵屋宗達の杉戸絵の白象図の、こんなキャッチコピーが貼られてしました。話は変わりますが京都新聞にこんなランキング載っていました。
2024.01.31
コメント(6)
1/20と1/25に書いて来ました邪魔なこの石を移動して・・・しかも裏返してベンチにする計画ですが・・・裏返してレベルを下げ・・・赤枠の部分を削って平たい場所を広げることも狙って工事して来ましたが・・・昨日、ここまで進み・・・右端の石をずらして横の石のレベルまで近くすることが残ったのですが・・・今日、右端の石を隣の横までずらして、同じレベルまで上げ、前の輪郭の石を取り除きここまで進みました。今回動かした右端の大きな石は下の写真の様に灯篭の前に有った石です。後は並べた石の前の土を削ると・・・この並べた石は余裕をもって4人は座れるようになります。そして、平らな土地が随分増えます。その為に、明日からは石の前の土を削る事と右端の方の仮置きしてる部分の仕上げです。
2024.01.30
コメント(4)
圧力鍋で色々のご飯を炊く話を書きましたが、おこわの様に美味しく炊ける反面、ご飯が鍋にこびりついて炊いたあと洗うのが大変だと書きましたところ・・・1. ブロともさんから・・・・鍋にサラダ油かオリーブオイルを少し垂らしてから炊いたら良いと言う助言を頂きました。早速、サラダ油を数滴たらして炊くと効果あり、こびりつくのが少なくなり、鍋を洗うのが随分楽になったと言うのです。勿論ご飯の味は全く変わらずにです。そこで垂らす量を増やすと更にこびり付きが無くなり、鍋を洗う苦労は無くなったらしてです。そんなことで圧力鍋で炊いた美味しいご飯を食べられることが増えると喜んでいたのです。そこへ・・・2. テレビの番組で北海道の郷土料理では・・・赤飯は甘納豆を入れた炊くと言うのをやっていたらしいのです。早速、炊いてくれたのがこの赤飯です。色は悪いけど、少し甘めの赤飯そのものでした。ただ、テレビ番組の様に、もち米を使い普通に炊く赤飯と違い、こちらは(既に調理されている甘納豆を更に) 圧力鍋で炊く事になるので、あずきの原型が残っていないのです。この、見た目、あずきの原型が無い事と、色が悪いけれど簡単に赤飯が炊けることが分かりました。テレビで知ったknow-how は「目を瞑って食べる赤飯」の炊き方のでした(笑)
2024.01.29
コメント(8)
昨日の続きです。愛宕(おたぎ) 念仏寺は昨日載せましたこの門をくぐり・・・・拝観料(400円) を払い、すぐのこの階段を上がります。振り返るとこんな感じです。境内は平らな土地は勿論の事、山肌など至る所に羅漢さんが居られます。このお地蔵さんと言った方が良い様な羅漢さんは1200体あるとか。荒れたお寺を復興する為に、全て一般の人が彫ったもの。依って顔がみんなユニークです。6~7年に訪れたとき、この顔は良いと写真に撮って帰り、パネルにして我が家の玄関に飾っているお地蔵さんがこれなのですが・・・記憶力が衰えた身ながら・・・ちょっと探しただけで、久しぶりの対面出来ました。前から2列目の・・・このお地蔵??さんです。6~7年の間に随分髪の毛、否、苔がむしていました。今回発見したno1の良い顔のお地蔵さんはこれでした。本堂でお参りして、嵐山に向かって引き返しますと、やはり道は閑散としていました。二尊院はパスして・・・落柿舎は門前だけの案内をして・・・嵐山に近づきますと・・・凄い人の数、殆どが外国人、しかもここは若い人が多いような気がしました。渡月橋へ向かう道もこんな感じでした。今年の干支に縁のある天龍寺もパスして・・・渡月橋まで来ますと・・・愛宕(あたご)山は薄っすら雪化粧をしていました。渡月橋を渡って阪急電車の嵐山駅に向かいも振り返りますと・・・そして、ホンの2、3分で駅に到着。本日の歩きは、昨日も載せましたが・・・これだけでした。
2024.01.28
コメント(4)
今日は嵯峨野を歩きたいと言う友達を案内して嵯峨野を歩いて来ました。歩いたのは下図の様に、JR嵯峨嵐山駅をスタートして赤△印の直指庵、そして黄色△印の寂庵、そして青枠で囲った愛宕(おたぎ)念仏寺でした。距離と所要時間は次の通りでした。まず最初の直指庵は前にも書きましたが、女性に人気で紅葉の頃は凄く人が多いところです。ここに置いてある想い出草と言うノートに参拝者がそれぞれの思いを綴っているのを読むのが面白いので、紅葉が無い今なら人も少ないのでゆっくり読めると思って案内したのですが・・・なんと、門が閉ざされて白い貼り紙が・・・いやはや、参りました。まさかこんなことになっていようとは!!!仕方なく引き返し・・・・次の目的地の寂聴さんの寂庵へ・・・寂聴さんが亡くなって出版された寂聴さんを取り上げた「J」(ジェイ) と言う本を読んだのですが、その本は今回一緒に行った友達から借りて読んだものだったのです。なのでその本の舞台の寂庵へ案内したのでした。勿論閉ざされて中に入れないのは承知の上の事でした。そして、次は喧騒を覚悟して愛宕(おたぎ) 念仏寺へ向かったのですが・・・・歩いている人が本当に疎らで、時々すれ違う人も全員と言って良いくらい外国人なのです。人気の化野念仏寺への入口付近でも・・・更に先へ進んでも・・・シーズンオフとは言え土曜日なのに・・・人の代わりにこんなお地蔵さんが居ましたが・・・(笑)車は通るけど人がほとんどいない道を歩いて、愛宕念仏寺に到着しました。長くなるので今日はここまでとして続きは明日にとさせてもらいます。嵯峨野の奥では極端に人が少なかったのですが、この後嵐山方面へ向かうと俄然人が増えだし、竹藪の道から渡月橋辺りは・・・外国人観光客でごった返していた事だけ先に報告しておきます。
2024.01.27
コメント(6)
街の至る所で龍の画が目につきます。過日ブロともさんから龍の爪の数が中国は5本、韓国は4本、日本は3本と国によって違う事を教えて貰いました。それ以来、街で龍に出会うと直ぐ近づいて足(手?) を見るクセが付いたのですが・・昨日もまた・・・年末から道を挟んで見ていた京都博物館の看板ですが良く見ると龍の絵が書いてあることに気付き・・・七條通りを渡って前に立ちますと・・・目についた上の絵は顔だけで爪が無かったのですが・・・左下のお皿の絵に描かれている龍は・・・爪は5本! これは中国製のお皿か!!!?そして、右の衣服に描かれている龍も・・・やはり爪は5本でした。こんな観察?? をしていて・・・ふと我が家にも子供の時に怖かった一筆書きの龍の掛け軸が有ったはず、と家に着くなり押入れをゴソゴソして見つけたのですが・・・足(手?) がありませんでした(笑)足が無いですが、箱書きにはちゃんと龍と書かれていますので「龍」なのです。龍の一筆書きはひとつなぎで途切れないことから人との縁が切れない、お金が途切れないと言う縁起物だったらしいです。そして、帰りの七條駅に有った、このポスターにも足は描かれていませんでした。横には「京の冬の旅」のポスターが貼ってありましたが・・・何処のお寺の画か分かりませんがこの画にも手足がありませんでしたが・・・今年のテーマは「紫式部と源氏物語」と「京の龍めぐり」とちゃんと今年の大河ドラマと干支が組み込まれていました。因みに今年の対象寺院はこの通りです。
2024.01.26
コメント(8)
「石を動かすのに3日」と言うお話です(笑)1/20のブログに載せましたこの石、位置を生垣側にずらして・・・底の平らな面を上にしてベンチに使えるようにすると言う目論見ですが・・・1/23日に更に掘り進み・・・今日1/25、更に深く、且つ、掘る面積を広げ・・・目論見通り、地表に出る部分の高さを低くして、平らな面を上にすることが出来ました。後で石が傾かない様に、違う目的で集めていた石を底に突っ込みました。これだけの面積、深さを掘るために蔓延っていた生垣や椿等庭木の根っこを大量に退治? しながらでしたので余計に時間と労力がかかり「石を動かすのに3日」も要しました。次は・・・1.埋め戻しをして・・・2.下の写真の赤線の部分を削って、縁石を今回動かした石と並ぶ位置までずらして平らな部分を広げる・・・と言う計画ですが、後日の仕事になりました。
2024.01.25
コメント(8)
今日は超々久しぶりに難波へ出かけました。長年勤務した心斎橋まではリタイヤ後も行くことがありますが、難波や道頓堀には絶えて久しく足入れたことが無かったのです。(和歌山方面へ行く時難波は通るのですが、地下鉄から南海電車に乗り継ぐだけで地上の繁華街へ出ることはないのです)そんなことで完全にお上りさんであり、探検に行くようなものでした、まず高島屋前はタクシー乗り場があり車がジャンジャン走っていた場所が広い歩行者天国になり・・・実にスッキリ!!! 左(向かい) の建物は・・・かなり前から丸井のビルになっていますが、私のイメージはここには南街劇場が無いと・・・・。新歌舞伎座も下は昔のデザインを踏襲していますが高層ビルに・・・その歌舞伎座も今は上六へ移転したのでこの建物の下部の部分は何になっているのか???ご存知の方おられたら教えて下さい。御堂筋を道頓堀の方へ向かいますと・・・この金龍ラーメンの看板は昔からありましたが、タコの看板は初めてみました。道頓堀のグリコの看板は時空を超えたランドマークなので何も言うこと無いですが・・・東を見ますと・・・まるで北(梅田) の観覧車を真似たように街中に観覧車が・・・その向かいのビルの屋上にはこんな人形が・・・何をもっているのでしょうね。そして、このカニは昔からありましたが、近くにあったエビが目に入らなかったので、私の見落としか、無くなったのか分かりません。そ向かいにはカールおじさんも・・・更にその向かいには・・・通天閣のビリケンさんがこんなところにまで・・・ビリケンさんの横にあるものは何かと思いましたら・・・何と串カツでした。そして、これも何かと思いましたら、多分タコ焼きなのでしょう(笑)一時は無くなりかけた「食い倒れ太郎」も健在でなにかホッと・・・。そんなことで新旧色々の大阪ならではの看板に度肝を抜かれて来ました。それと・・・大阪も外国人で満ち溢れていることを再認識した超々久しぶりの「ミナミ」歩きでした。
2024.01.24
コメント(8)
今日は確定申告の為の医療費の領収書等のカルタ取り(整理) など、前準備に明け暮れました。今年は医療費がかなりかかったことは自覚していましたが、こんなにかかっていたのかとその金額に愕然!!その分、医療費の所得控除金額が増えるのは嬉しいのですが・・・。そんなことで今日は自宅籠りの一日でしたので一昨日20日の画像です。毎年取り上げるネタで恐縮ですが、智積院のフラワーリレーのバトンが、紅葉から、早や梅にバトンタッチされました。まだ咲いてはいませんが・・・「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」の句のムードたっぷりのバトンを受け取った梅の蕾・・・その下にはバトンを渡した紅葉の残骸です。蕾には水滴が本当に良くあいます。智積院の梅の木の中で開花が早いのは白梅なのですが・・・この一本だけは毎年一番開花が早いの紅梅です。ひとそれぞれだとは思うのですが、梅は八重咲より一重咲きがムードある様に思えるのですが・・・。・・・で、わが家の一方梅は・・・毎年乍らこの時期まだ「蕾固し」です。実は、この梅の木は伊予柑の木の邪魔にならない様に、伊予柑の木の反対側、即ち北側へ伸びる枝だけを残していたので熊野古道にある南へだけ枝を伸ばしている「一方杉」の向こうほ張って「一方梅」と名付けたことを前に書きましたが・・・北へ伸びた枝も剪定されて、今は「一方梅」ではなくなっているのです。それからコカ・コーラのアプリコークオンウオークで先週に週間目標の35,000歩の達成が微妙になって来たので19日に京阪電車の2駅先の鳥羽街道駅まで歩いたのですが、その時の見向きもされない東福寺・通天橋のもみじです。
2024.01.22
コメント(8)
1/17のブログで一本の木から三種類の出来たことを書いた時、「収穫したら見た目だけでなく、同時に食べて味比べしてみます」と書きましたが、いよいよ収穫しました。左の3つが1本の木になった・・・デコポン系、伊予柑系、はっさく系です。右端は全く別の木に生った関係ない普通のミカンです。左の3ヶは形の違い、大きさの違い、色の違いでとても同じ木に生ったものとは思えません。採って少し日を置いた方が美味しいので、今日のところは「にらみ鯛」ならぬ「にらみミカンです。3種類の生り方は、下の方で別れた枝毎に違う系統のミカンが生っていました。
2024.01.21
コメント(6)
今回、庭の石 (と言うより岩に近い大きな石) を動かすことにしました。そもそも、1/10のブログに載せました奈良公園でこの石のベンチを見たのがきっかけでした。この石を見て、わが家の庭の(邪魔になると言えばバチが当たりますが) 石を動かしてベンチにしようかと思ったのでした。・・・・が余りにも大きいので私の手に負えるかどうか、甚だ疑問なのですが、「やってみるか ! ! !」とダメモトの精神で着手しました。beforeを撮り忘れたのですがこの石です。まず表面の苔を剥いで、別の場所に移し・・・重いものを上にあげるのは出来なくても、低い所へ落とすのは比較的容易です。(この方法で今まで幾つの石を土の中埋めて来ましたやら・・・)・・・・と言う事で石の横に穴を掘り出しました。何しろ庭木の根っこが、やたら多いので掘るのも大変です。根っこはスコップやのこぎりでカットしました。掘った穴に石を倒して落とし込むとこうなりました。右側の穴は元は石があった箇所で。今度はそこを掘り下げた状態です。元々、場所を少し移して、埋める深さを深くすることによって石の高さを低くして人が座れるようするつもりだけだったのですが・・・上の写真見て頂けば分かりますが倒すことによって現れた石の底辺が実に平であることが分かったのでこの部分を上にしたくなったのです。果たしてこの大きな石を裏返すことが出来るかどうか???そんなこと思いながら今日はここまで、続きは後日にとして作業を終わりました。
2024.01.20
コメント(6)
昨日書いた「圧力鍋で炊いたご飯」の続きのようなことですが・・・圧力鍋でご飯を炊くと、電気釜で炊くより、遥かに嵩が低くなると言うのです。私は美味しいと言う事は良く炊けて嵩が高くなるモノと思っていたのですが。今朝、そんな話になり検証をしてみました。圧力鍋と電気釜では容量も形も違うので炊き上がった状態では比較できないのすが、炊きあがったお米の大きさが違うと言うので比べることにしました。右が昨日載せた圧力鍋で炊いた豆ごはんの残りを弁当用におにぎりにしたもので・・・左が今朝、電気釜で炊いたご飯にシラスを載せた朝ご飯なのですが・・・各々の米粒を取り出して並べて見ますと・・・左の大きい方が電気釜で炊いた米粒で、右が昨日圧力鍋で炊いた豆ごはんの米粒で、大きさの違いは歴然でした。美味しく炊けると言う事は米粒が大きくならず、味が凝縮するのかも知れません。今日は朝からこんな検証をしながらの食事でした(笑)ついでながら・・・夜は又圧力鍋で炊いたご飯でした。テレビでやっていたとか、梅干しご飯です。3合の米に梅干し3ヶを入れて炊いただけとか。初めての事だったのですが美味しかったです。圧力鍋で炊くとご飯が鍋にこびりついて、洗い落とすのが大変らしいので毎日圧力鍋で・・・とは行かないのです。
2024.01.19
コメント(10)
20年以上使って来た圧力鍋が、ひずんでしまったらしく加圧時に漏れると言って新しく買い換えました。パッキンは何回も換えて来たのですが、もうパッキンを換えてもだめらしいのです。左が古い鍋、右が新しい鍋で、長年経過しているのに基本の形は変わりありません。この新しい鍋の取説に普通の米を炊けば、少し黄色っぽい炊きあがりになるが、おこわの様に炊けると書いてあったらしいのです。昔、玄米を炊いていたことは有りますが、普通のお米を炊いたこと無かったらしいのです。そこで赤飯を炊いたところ・・・もち米ゼロなのにまるで、もち米の赤飯が炊き上がりました。そして次に子芋ご飯も・・・まるでもち米を混ぜて炊いたような食感でした。そして、今日は豆ごはんでしたが・・・こんな炊き上がりで「おこわの豆ごはん」でした。高い米で炊いたと言うより、遥かに美味しいまるで「おこわ」でした。圧力鍋を買い替えてこんなことを発見。白いご飯でもおかずなしでお米を味わうと言う食べ方が出来るほどです。ところで、新しい鍋を買ったのに、一向に古い鍋を捨てないので訊いてみると・・・漏れるけど2つ同時に使う為に置いているとか。
2024.01.18
コメント(8)
わが家の1本の伊予柑の木に今年も3種類の実が生りました。確かこの現象が始まったのは去年からです。今年は10ヶ余りしか生っていないのですがこれが本来の伊予柑。そして、これがデコポンに似たものそしてこれが八朔風の計3種です。収穫したら見た目だけでなく、同時に食べて味比べしてみます。この現象については去年詳しく書いています。ここです。
2024.01.17
コメント(9)
わが家恒例の竹筒貯金の竹筒は毎年稲荷山の仙人さんに貰って来ました。さて、何年貰って来ましたやら?? ひょっとすると20年以上の長きに亘っているかも知れません。その、竹筒貯金箱を今年は、門松用の竹の中で一番太い部分使って自分で作ることにしたのです。出来たのはこれなのですが・・・まあ、上手く出来たのですが毎年貰うの対して凄く細いのです。それでもお金が沢山入っていっぱいになったら、もう一つ新しい竹で作れば良いか ! と持ち帰lりました。さて、試しにお金を入れようとすると、硬貨は問題無く入るのですが、お札が入らないのです。竹の直径よりお札の方が大きいので突っ込んでも向こうに当たって入らないのです。右の様にもう一回おれば入るのですが・・・・お金を入れる時、もうひと折りの手間がかかるのは良いとしても、竹筒を割って出した札がこんなに小さく畳んであると、その折りクセでお札としては恰好が悪くなります。こんな感じなのですが・・・これはまた今年も仙人さんに頼まないと・・・太い竹を切って倒すのが大変なこと、真っすぐ立つように切る事がなかなか難しい事を聞いているのですが・・・。
2024.01.16
コメント(4)
昨1/14は友達を案内して、この楊枝のお加持と通し矢に行って来ました。無料で1001体の千手観音像を拝観出来て、無料で楊枝のお加持を受けられて、通し矢の出場者の綺麗な着物姿を見られるのですから・・・。三十三間堂に到着しますと・・・いつもは出場者の晴れ姿で溢れる境内の北西辺りが余り人がいないのです。朝早い(10時少し前) からかな?? と思って先に1001体の仏さまの拝観と楊枝のお加持を受けるためにここから堂内へ・・・堂内は撮影禁止ですので下の写真はポスターですが、この様に高僧から頭に楊の枝で無病息災にご利益のある「法水」をかけて貰いました。掛けて貰ったのは偶々かも知れませんが、この写真の高僧でした。1001体の仏様に圧倒されて堂外へ出て・・・こんな景色を見ながら・・・正面へ行きますと・・・参加者の着物姿が増えて来ました。そうそう、通し矢なるモノが若い女性だけのモノと誤解しているいる人が居られることが分かったので・・・男性もいることの報告の為こんな写真も撮って来ました。思えば、テレビでも、新聞でも、(そして今までの私のブログででも) 晴れ着姿が絵になる若い女性ばかり取り上げて来ましたのでそんな誤解も仕方なかったかも知れません。これは帰りに七條大橋で撮った写真ですが・・・晴れ着の女性ほど目立たない装束であり、確かに数も少ないのですが、男性も参加していることを報告しておきます。お堂の正面を通り、南の方を見ると、凄い数の出場者が居るのです。受付もあって・・・・・・・ここで分かったのです。今年から受付と出場者が待機する場所が変わって・・・境内の南東隅の南門を入った辺りになっていたのでした。前には弓を撃つことが少し覗き見出来たのですが、今年のこの場所の変更でどうなったのか、出場者でも無いので、人垣をかき分け奥へ進むことが憚られたのでした。楊枝のお加持と通し矢について詳しくはここを。ついでながら前にも書きましたが・・・・次の無料公開は3月3日も春桃会 (もものほうえ) です。
2024.01.15
コメント(6)
12/14のブログで竹帚を作ったことを書きましたが・・・その時余った竹と新たに手に入れた竹でもう一本竹帚を作りました。まあ、誰かに貰って貰えれば・・・。そもそも先端の枝は有ったのですが、柄の竹が無かったのですが、少し太いけどこんな竹が手に入ったのと・・・・少し足らないかと思っていた枝も手に入ったので作る気になったのです。柄にする竹の枝の残っている部分を切り落とし、孔を開けて回り止めの竹を打ち込み・・・銅線で巻いて、形だけ完成はしたのですが(上の箒)・・・(下は前に作った箒)この様に葉っぱが付いたままなのです。手でかなり取ったのですが、なかなか取れないのです。そこで、まあそのうち取れてしまう筈と葉を取るのは諦めて製作優先! !したのです。そして、更に余った竹で・・・こんな手箒も・・・作ったと言うより、切り落とした柄に使った竹の残りに、同じく余った枝をぎっしり差し込んだだけなのですが・・・庭の木の間の落ち葉掃除用です。
2024.01.13
コメント(8)
昨日の続きです。興福寺や大仏さん周辺の喧騒も二月堂あたりからはグンと観光客も減り、二月堂から正倉院、大仏池ほ向かう道は「静寂」そのものでした。丁度大仏殿の裏なのですが、外国人観光客も余り入りこまない様に思えました。この正倉院では外から見るだけですが、私ひとりでした。正倉院から大仏池へ向かうと広い芝生の広場には、まるで日立製作所のCMの゛♪この木何の木 気になる木・・・♪のような木もありましたが人影はなく、鹿の姿(右下) があるのみ。そして大仏池へ行きますと、勿論人影も無く鹿ばかり・・・。池を半周しますと・・・逆さ大仏殿と鹿!!あれだけいた観光客が何処へ行ったのか? 同じ奈良の街? と言う静かさと、素晴らしい景色の場所でした。少し歩を進めると、こんな創立150年の小学校が・・・確か「つさか」と読むようでした。小学校を過ぎると「転害門」。これは門から外へ出て撮った写真です。この門から中が境内とすると、鼓坂小学校は東大寺境内にあったことになります。偶々門の隣に観光案内所が有ったので・・・(大仏さんの鼻の穴のことは家に帰ってパソコンの画面で見て知ったので)その時は鼻の穴が6ヶ有ることを知らなかったので、中に入り訊ねてみたのです。すると、ここでもご存知なかったのですが、その場でスマホを駆使して・・・「そうですね。鼻の穴は6ヶある様ですね・・・」なんて教えて貰いました。このあと聖武天皇陵に向かう途中にこんな店が・・・奈良ならではの商売です。京都にも色々の古い職種が売りますが・・・こんな店は無い筈です(笑)程なく聖武天皇陵に着いたのですが、予想に反して、凄く住宅地が迫っていました。参道途中に案内板が・・・まず天皇陵にお参りして・・・次に皇后陵にお参りして・・・この日の究明ウーキングを終わり近鉄奈良駅へ向かいました。途中の民家にこんなユニークな暖簾か門幕か分からないモノが下ってました。ひょっとすると、法被屋さんかも??? (笑)この日の全歩数は18,666歩・・・さすがに歩き過ぎで翌日にまで支障が残りました。「完」
2024.01.12
コメント(6)
大仏さんの鼻の穴の探求(この時点では穴が有ることを確認出来ていなかった) のあとはお水取りの行われる二月堂へ向かいました。階段を上がって二月堂の前に行きますと、まず左手にあったのが・・・四月堂でした。そしてその向かいには・・・三月堂が有りました。恥ずかしながらこれから登るこの二月堂以外に三月堂、四月堂がある事を私は知らなかったのです。3月にここで行われるお水取りについて詳しくはここを。お水取りの松明が通る舞台からはこんなに良い眺めでした。擬宝珠の左に大仏さんの屋根が見えています。階段の回廊を下り・・・二月堂を振り返り・・・次の目的地正倉院、大仏池へ向かったのですが、長くなりますので続きは明日に。もう一回だけお付き合いください。ひとつだけ・・・今年の干支の龍の爪について・・・ブロともさんから爪の数が、国によって数が違う。日本の龍の爪の数は3本と教えて貰いました。しからば他は・・・と調べて見ますと、中国では5本、韓国では4本とも書かれていました。所説がある様で階位に依って数が違うとも書かれていました。このことを教えて貰ってから龍の爪の数に関心を持ったのですが・・・・偶々二月堂に宝珠を持った「龍」が居りましたので、近づいて良く見ると・・・確か3本の爪で宝珠を掴んでいました。
2024.01.11
コメント(4)
昨1/9 暖かく天気の良さに誘われて、予てからの奈良での課題究明?? の為に奈良へウオーキングに行って来ました。課題と言うのは下記の5件だした。1. 大仏さんに鼻の穴が6つあると言う事の究明2. 大仏さんの頭と胴の色が違うと言う事の確認3. 大仏さん前の八角灯篭には大仏さんに音楽を聞かせる菩薩が彫られている4. 大仏さんを建立した聖武天皇陵への参拝5. 知らなかった景色の良い大仏池の畔に立つこと別にどうでも良い様な事なのですが、まあヒマ潰しのネタです。1~4のネタは・・・12/9にアフロヘアー地蔵の正式な名前が「五劫思惟阿弥陀如来」(ごこうしゆいあみだにょらい) であると教えて貰ったことを書きましたこの本で仕入れたネタで・・・・5はブロ友さんにこんな良いところがあると教えて貰ったのです。さて、当日近鉄奈良駅をスタート。折角なのでちょっとだけ回り道をして興福寺の中金堂と・・・五重塔の前を通り・・・暫し行くと、レストランの前にある石のベンチが目に入りました。話が逸れますが、わが家に今となっては邪魔な石が2つあるので、こんな使い方をすれば・・・と思って写真に納めました。(重たいので動かない可能性大)閑話休題東大寺の南大門の前に立ちますと・・・「大華厳寺」の名が・・・金閣寺の事を正式には鹿苑寺、銀閣寺のことを慈照寺と言うなんて京都のことについては知ったかぶりをする身ながら、奈良の事については・・・・・東大寺のことを華厳寺とも言う事を初めて知りました。何しろ東大寺に行くのは、40年以上ぶり。行った頃はこんなことに無関心だったことの証明みたいなものです。そて歴史で習った運慶・快慶の金剛力士像の前を通り・・・正面に小さく見えている灯篭? が目的のひとつです。これなのですが・・・確かに・・・・別の面にも・・・・この笛を吹く菩薩様? 確かな記憶が無いのですが、何円かのお札の裏? のデザインに使われていたような気がするのですが?? 定かではありません。さた、大仏さんですが・・・大仏さんは写真撮影が良いようで、きっちり撮ろうと横柱に座って撮ろうとすると法被を着た寺の人から座らないで撮って下さいと注意されただけでした。まず頭と胴の色の違いですが、写真では分かり難いですが確かに違いました。色の違いは作られた時代が違うのです。さて、鼻の穴をいくら見ても片方3つの鼻の穴が見えません。どうしても見えないので、先ほど注意をされたお寺の人に6ヶの鼻の穴のことを訊ねてもご存知無かったのです。鼻の穴は・・・見ても分からないので仕方なくカメラの望遠で、分からないままに闇雲にかなりの枚数を撮ったのですが、家に帰ってパソコンの大きな画面で見て見ると・・・・確かに数枚の写真に写っていたのです。現地では分からず家に帰って分かるとは・・・・これなのですが・・・・良く見ると小さな穴が見えるでしょ(笑)後ろを回って・・・・ 反対側から・・・この穴がお腹まで通じているらしいのです。現地では分からなかったことが家に帰って分かると言うお粗末なことでしたが、一応課題が究明? 出来てメデタシメデタシでした。後は行列が出来ていた鼻の穴くぐりを見て・・・次の目的地に向かったのですが。明日に続きます。
2024.01.10
コメント(6)
1/3のブログに庭の松の木を途中まで伐採してこの様に切り刻んだことを書きました。これで全体の半分くらいなのですが、薪にするため割ろうとして斧でも、くさびを打ち込んでも、水分と脂分があるので歯が立たず、乾燥するまで待つことにしたのですが・・・燃料がかなり底をついて来たので補給のため割ることにしました。長いと割り難いのでノ電動コギリで更に短く切って割るという作戦です。電動ノコで短くしたあと、割るのに使うのはこれらの道具なのですが・・・一番使うこの斧の柄が抜けるので直すことから始めないといけません。何か他の道具の柄を転用したので要は太くって斧の孔に最後まで入っていなかったのです。今まではカッターナイフでチマチマと削っていたので先まで入らなかったので、今回は電動カンナで大胆に削ることにしました。そして先端のクサビを打ち込んていた箇所は破損しているので切り落としました。削り過ぎるほど削ってすっぽり挿入して、またクサビを打ち込むとびくともしない様にがっちり固定しました。削ったカンナくずの量でどれだけ削ったか分かると思います。柄が太すぎて握り難かったので、ついでに握る部分も削って細くしました。そして、これらの道具を駆使して? これだけの「薪」が出来ました。これでまだ半分くらいで、まだ丸太のままの木が倍程残っているのですがそれを割るのはこれらの「薪」を消費してからです。松は、陶器の登り窯の燃料で有ったように脂分が多いので良く燃えるのです。これで暫く燃料の心配は要らなくなりました。その内また大工さんからも届くはずですし・・・・・「今年の燃料不足?」は回避できる見込みがたちました。(笑)
2024.01.08
コメント(4)
1. 三十三間堂の楊枝のお加持・通し矢の看板が立っていました。ちょっと分かり難いですが、日付の「十四」だけが取り外せる札になっています。成人の日が15日のと決まっていた時はこんな細工をしなくても良かったのですが、成人の日がスライド式になってから、この楊枝のお加持・通し矢は15日近い日曜日に行われるようになったので、こんな日付の札を替えて対応するようになったのです。中に入りますと・・・私に代わって(笑) もう一つの無料公開日の案内もちゃんと書かれていました。2. その向かいの。後白河法皇ゆかりの法住寺はいつものパターンの手書きの看板が立ってました。今日で終わりの様です。3. 七條通りから東を見ると2本のクレーンが立ってます。左の黄色い方が京都女子中・高等学校の校舎建て替え工事で、右が先に始まっている女子大の校舎建て替え工事のものです。左後ろに見えるのが清水山 右端にほんの少し山裾が見えているのが阿弥陀ヶ峰いずれも東山三十六峰に数えられる山です。4. 歩を進めて智積院まで行くとこんな言葉が・・・恥ずかしながら私は「くちなわ」なんて初めて知る言葉でした。勿論意訳で意味は分かりまたが・・・ただ、ヘビを「口のある縄」と言ったのだ思いましたが、それは間違いでした。正しくは下の通りでした。
2024.01.07
コメント(4)
庭の鋳造アルミの椅子2脚がかなりの箇所で黒い塗料が剥げて灰色の地金が出て醜い状態になっていました。塗装をしなければ・・・と思いながら、ついつい放置していたのですが・・・100均に塗料も売っていることを教えられ、どうせ大した量は使わないからと買いに行ったのですが、水性塗料は売っているのですが、買いたい油性のものが無いのです。諦めて帰ろうとして、ふと目に入ったのがスプレー式の油性塗料でした。油性塗料だと使った後の刷毛は処理も大変なので使い捨てにするので刷毛も買わないとと思っていたのですが、これなら刷毛も要らないと・・・・試しに一つ買って帰りました。これなのですが・・・これが100円とは ! ! !・・・・持ち帰って早速塗る、否、吹き付けると・・・実に簡単に塗れるのです。剥げたところだけのスポット的な塗装ですので、1缶で1脚をほゞ濡れたので、これならば・・・と又買いに行き安全を見て新たに2缶買いました。持ち帰り、ルンルンで吹き付けて、実に上手く補修塗装が出来ました。これなのですが・・・本当は元の塗装がめくれ易そうな箇所はサンダー等で塗料を落としてんから塗った方が良いのですが、塗料が100均にあるなら、剥がれたら又買ったら良いと安直にそのままの塗装でした。2脚塗って、まだ少し塗料が残っていたので、塗装は剥げていないけど少し変色している机にも吹き付けたのですが・・・・途中でなくなり塗装の新旧で、少し斑になってしまったのです。・・・で、もう1缶買うか!!?? と言う事になりました。いずれにしても安くって、塗るのでなく吹き付けるだけで実に簡単!!! 多分今度百均へ行ったらもう1缶買う事になりそうです。
2024.01.06
コメント(8)
久しぶりにコイン精米所で精米して来ました。昔はほゞ一年分のコメを買い、玄米で備蓄して都度コイン精米機で精米していたのですが・・・。今はそんな買い方をしなくなったので無人精米所とは全く縁が無くなっていたのです。ところが、義兄から玄米をもらったものですから。早速無人精米所へ。10kg当たり100円のコインを入れ、待つこと暫し。糠漬けをしていた時は糠は必需品だったのですが、今は肥料にするためだけに「糠を持ち帰る」と言うボタンを押してレジ袋で受けて持ち帰りました。そして帰って早速、畑に撒きました(このあと土を被せました)捨てるものゼロの精米でした。
2024.01.05
コメント(10)
無目的に街歩きをしていても新しい発見があるものです。過日、こんな仁丹の住所表示板を見つけました。軒下に見える白い板ですが・・・アップしますと・・・・・鴨川より東が下京区から分離して、東山区になったのは昭和4年の事ですので、この表示板は昭和4年以前のものなのです。・・・が、この表示板が有った三条通りより北側は左京区のはずなので、左京区の一部も昔は下京区と言ったのかと思ったのですが、それはどうもおかしいとグーグルマップで調べますと・・・写真を撮ったのは赤矢印の場所なのですが・・・赤線が東山区と左京区の境界なので、地下鉄の走っている三条通りより北でも、一部が左京区ではなくて東山区であることを初めて知ったのでした。話は変わりますが・・・三十三間堂の西隣にもこれと同じように昭和4年から東山区なのに下京区と書かれた仁丹の表示板があることを書いたことありましたが、京都市民の昔のものを大切に残す精神ここにありです。ついでながら、仁丹表示板のあったのは・・・京都のど真ん中でホタルが飛び交うこの白川のすぐ傍でした。そしてこの下流、三条通の向こう側が有名な行者橋、又の名を阿闍梨橋という一本橋のあるこの光景が見られるところです。
2024.01.04
コメント(4)
わが家の庭に3本の松の木があります。その内の一番大きい木が私の手に負えなくなって来たので、将来伐採するつもりで枝を切って小さくする一方、代わりになるためのモミジの木を植えて十数年。そのモミジが大きくなったのでいよいよ昨年末に松の木を伐採しました。この松の木なのですが・・・。右に茂っているのが当ブログに紅葉した姿で何度も登場しているモミジの木の若葉の季節の写真です。季節は違いますが後ろに見えるのが伐採する松の木と、手前がその代わりにと植えたモミジのきです。親しい大工さんからこの電動ノコギリを借りて・・・まず残ってる枝を払い・・・いよいよ幹の切り倒しです。と言っても・・・実は・・・梯子に登って実際の作業をしているのは息子で・・・・私はと言いますと、松の木に結わえたローブのの先(地上) で引っ張っているだけの役目でした。何とか、この高さまで切り落としました。あとはこのままにして置くのは計画(?) 通り。残した高さは・・・この様に幹だけになった松の木が生垣の外から見えない高さになっています。何故根元から切らないかとと言いますと・・・夏に日除けのシートを張ったり、ミストを架けるのにはこの松があった方が便利なのです。枝も葉も沢山出ましたが、裁断し葉はごみとして出して細かい枝は燃料にするために備蓄です。(もうその切った枝の大半は燃料で燃やしてしまいました)問題はこれら幹の部分なのですが・・・細断するしかありません。電動ノコギリを借りている間にと、時間をかけてカットしました。これだけ短くカットすると斧で割れると思ったのですが・・・ヤニの多い生木なので弾力性があって、斧では割れないのです。そこで・・・当分の間と言ってもどれだけ掛かるか分かりませんが乾燥するまでこのままにしておくことにしました。
2024.01.03
コメント(6)
正月で生活のリズムが狂っている関係で、新年の挨拶が一日遅れになりました。・・・・とここまで書いて、去年の1月2日のブログを見て見ると、書こうとしていること、載せようとしている写真がまるで去年のブログと同じものだと気づきました。・・・・と言う事は毎年正月は 変りもなくワンパターンで迎えていること、継続していることに意義がありと思う事にして、以下の記事を書かせてもらいます。昨年も大過なく一年を過ごせたお陰で、思いの通り例年通りの正月準備をすることが出来ました。まず、門は・・・・12/21のブログに載せました貰って来た竹で作った門松と国旗と門幕を張りました。息子嫁作の門松、今年も立派に出来ました。玄関の置物は・・・・卯から辰変わっただけ。床の間の掛け軸は正月の為に先日豊国神社の骨董市で買ったことを書きました鶴の掛け軸に替わりました。一族がおせちでや手巻き寿司で祝っていたのですが、恒例の竹筒割りになるとこんな状態に・・・今年もそこそこ入っているのか、入れて来たジジババとしては結果を心配しながら待ったのはいつもの通り・・・・結果は・・・去年よりは少なかったけれど、一軒当たりまあこれだけ有ればという金額が入っていたので胸をなでおろして、新年恒例のセレモニー終わることが出来ました。入れる側としては、財布の中でいちばん邪魔??になる1円玉を入れたいのですが、一昨年から、1円玉要らないなんて言われて入れなくなったのですが・・・何故か? 今年も4枚入っていました。
2024.01.02
コメント(6)
昨日ですが、いつもの智積院を通りますと、すっかり大晦日から新年の用意が整っていました。いつもながら立派な門松が立ち・・・大晦日から元旦の行事が張り出されていました。朝昼はしょっちゅう通る智積院ですが、夜に通ることはありません。物騒ですし、裏口のゲートが施錠されるからです。勿論今夜も行かないので架空中継を・・・まず、お火焚きさんですが・・・金堂前の道場は四方縄が張られ、真ん中にブルーシートが被せて有りました。「ひたき」と言っても何の事??? でまず通じません。「おひたきさん」なのです(笑)netで借りた説明は下記のとおりです。これは智積院のホームページから借りたものですので、今夜このように行われます。それから除夜の鐘は・・・この鐘楼です。この鐘が撞かれるのですが・・・これも智積院のホームページから借りた写真で、このように行われます。さて、今年も余すところ2時間余りとなりました。今年も拙いブログにお付き合い頂きありがとうございました。来年もまたよろしくお願い致します。
2023.12.31
コメント(6)
全4166件 (4166件中 101-150件目)