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わが家のネコの額の畑には毎年勝手に種を落とし、翌年また無数の芽が出て育つ青じそが有ります。季節になると実に重宝するのですが、時々虫の喰ってない奇麗な葉を摘んで子供の家に配達することがあります。これが今年も勝手に育って来た青じそなのですが・・・・そうだ、今年は苗でやれば・・・と思い立ちました。この畑はトマトかゴーヤかキュウリなど野菜を植えるスペースなのです。依って間もなく中央部はそんな野菜の苗を植える為にこの青じそを抜かないといけません。真ん中辺りに余り生えていないのは・・・・下の2枚の写真の様に既に狭い空きスペースに移植の為抜いたあとなのです。そして仕切り板の外側もこんなに生えているのです。・・・・で、更に出来るだけ真ん中辺りの苗を抜いてプランターに植えました。これを子供の家に配達すれば、今年からは葉を摘んで持って行く必要も無いなぁ・・・と我ながら良いことを思いついた・・・と思ったのですが・・・。来年からは種でやれば更に手間が省けるのだと思うに至り、なぜ今までそんなことに気付かなかったのか「気付くのが遅い ! !」だったのですが後の祭りでした。そんなことで今年初めての、しかも最後のプランターでの配達することになりました。・・・で、更に考えると、このプランター苗から種が取れる可能性があるので、種の配達も不要になるかも知れません。
2024.04.26
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4/17に載せました智積院のニューフェース・この霧島ツツジですが・・・今日は既に盛りを過ぎて、見苦しい程の景色になっていました。ツツジが終わると・・・次の「さつき」にバトンタッチされていました。そして、金堂の前・・・赤丸の中なのですが・・・去年の秋に風に飛ばされたモミジのプロペラが新しい息吹を・・・しかし、間もなく雑草の様に抜かれる運命の儚い命です。功徳と思って今度数本貰って我が家で育てます。既に数本植わっているのですが・・。
2024.04.25
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昨日の続きみたいなものですが・・・植木や花を地植えする場合何処に植えるか迷う事が常です。ところが今回貰った皇帝ダリアの挿し木は貰う前から植える場所をキッチリと決めていました。・・・と言いますのは挿し木を貰った稲荷山の仙人さんの家では2階の窓から見たら丁度かと思うくらい花の背が高いのを知っていたからです。書いてもらっていた植え方通り植えたのはここです。取説通り土に埋めて、たっぷり水をやりました。苗がまだ小さいので間違って踏まない様に目印に鉄のパイプを立てました。さて、植えた場所はと言いますと・・・この生垣の裏側なのです。生垣の上に咲いている花が道路から見える・・・という演出? です。あとは成長を待つばかりです。
2024.04.24
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土曜日の事なのですが、いつも当ブログにコメントを貰う稲荷山の仙人さんの自宅に毎年咲く立派な皇帝ダリアがあるのですが、その接ぎ木を留守中に貰いに行って来ました。奥さんから受け取ったのがこれなのですが・・・挿し木だけでなく、手書きの「取説?」まで入っていました。さすが、元は技術屋さんです、さっさと要点だけ纏めて貰っていましたので大助かりでした。そのあと東福寺を通り抜けて帰りましたので青もみじを撮って来ました。土曜日だと言うのに臥雲橋もこの程度の人でした。通天橋は・・・・あの外国の様な稲荷山とは1km余りしか離れていないのですが、外人さんは殆どいなくて、ここには「静寂」が有りました。
2024.04.23
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わが家のホンの少しだけ生えている蕗がそこそこ育って来たので、そろそろか!!と・・・山の蕗畑(?) に様子を見に行きました。夏場草やツタが茂って近づけない場所も草が枯れている今なら近付けるのです。それでも長靴を履き長袖シャツに軍手に収穫用にレジ袋持っての完全武装? でした。傾斜の畑に入ると予想以上に育っていたので、ついついこんなに沢山収穫した上に・・・もう遅かったのですが、それてもこれだけのイタドリも収穫したのでした。野草の下処理はいつも私の仕事です。茎と葉を分けて・・・葉っぱの葉脈(左端)を取り除いたのまでは良かったのですが・・・大変な手間をかけて茎の筋を取り除いたのですが、これは余分な仕事だったのです。茎の筋を取って水に浸けておくと丸まってしまうので短く切るのに一本ずつ切らねばならずこれが大変な手間だったのです。筋が付いたままでも圧力鍋で炊くと問題無く、しかも腰が出るとと言うのです。これからは筋取りはしなくても良いと言われました(笑)ここからはバトンタッチすると葉と茎が鍋一杯の量でした。水に浸けている時かなりアクか出たのですが、炊くとこんなにアクが出たと見せられました。そんなことで採りに行くところから下処理まで私がして、バトンタッチしましたが・・・こんな仕上がりでした。左から蕗の茎、イタドリ7、茎の葉です。これは小出ししたもので、まだまだありますので当分自然の味を楽しめます。弁当に最高なのです。
2024.04.22
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昨日の続きです。勝浦温泉で泊まった翌日は八郎山(250m) を目指しました。位置関係は右端の那智勝浦。ブルー丸にS(スタート)のマークが八郎山です。因みに前日登った重畳山(かさねやま)の位地は赤丸です。登山口に行くと、注意しないと見落とすような民家の真横に登山口とは書かれておらず「八郎峠」と書かれていました。初めのうちは厳しい道でしたが間もなくこんな、まるで熊野古道を歩く様な道に・・・暫く進むと・・・なんと「大辺路(おおへじ)」の案内板が・・・私は知らなかったのですが、熊野本宮大社への参詣道のひとつのルートの「大辺路」を歩いていたのでした。平安時代の熊野詣でに天皇、お公家さんなど老若男女が歩いた道だったのです。そして八郎峠に到達。熊野本宮へはここから下るのですが、八郎山へはここから分岐して急登です。急登と言っても、標高250mの山ですから頂上へはそう時間を要せず到達しました。頂上からは海が見え・・・右の方には大島が見え・・・アップしますと・・・これが大島です。反対側の山並みは・・・「山笑う」景色でした。この後下山して、海南までマイカーに乗せて貰い、海南から和歌山へ、そして阪和線に乗り換えて大阪まで往路と同じJRで帰る予定でしたが、何と阪和線が事故でストップしていたのです。仕方なく南海電車の和歌山市駅へ行き、南海電車で帰ると言うハプニングに遭いましたが、まあ帰りが少し遅くなりはしましたが無事今回の登山旅行を終えました。熊野古道については中辺路、伊勢路、雲取越えなどかなり歩いたのですが、大辺路は初めてでした。登山に行って例え極一部であっても「大辺路」を歩けたのはラッキーなことでした。
2024.04.21
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本州最南端潮岬のある串本、勝浦温泉へ行って来ました。JR紀勢線・海南駅で2人が仲間のマイカーにピックアップしてもらって一路串本へ・・・途中奇岩の橋杭(はしくい)岩を観光。奇岩は・・・🎵ここは串本 向かいは大島 中を取り持つ巡航船🎵 の歌の大島へ向かって並んでいるとか。奇岩の後ろに見えているのが、その大島。 遠く右の方に見える橋は・・・アップしますと・・・昔は巡航船でしか往来出来なかった大島も今は橋で結ばれているのでした。気になったので大島の人口を調べると400人余でした。そのあと向かったのは串本町のこの山 重畳(かさね)山 標高302m でした。低い山では有りますが、信仰の山で真言宗の神王寺があり・・・向こうは散り椿、手前は散り八重桜の中を進むと・・・今度は赤い鳥居が・・・そして更に進むと四国88ヶ所のご本尊が登山道に沿って次々と現れるのです。最初はこの仏さんで・・・第一番霊山寺その後次々と・・・81番白峰寺のご本尊・千手観音も・・・そして、最後88番の大窪寺の薬師如来で終わりました。そして、頂上近くは実に奇麗に整備されていました。生憎の曇天と黄砂で眺めはもう一つでした。・・・・が、真下に来る時見た橋杭岩が見えたのは感動ものでした。そして肝心の頂上は・・・眺望はほゞありませんでした。下山後は勝浦温泉・湯快リゾートのここで一泊でした.元は名門旅館・立地も建物も、そしてバイキングの食事も満足出来た上に・・・なんと温泉が源泉かけ流しで有りました。明日に続きます。
2024.04.20
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季節季節に次から次へ花が咲く智積院ですが、桜の次は花ではなく青もみじで繋がざるを得ないと思いましたが・・・・有りました、有りました霧島ツツジ・・・このツツジは去年の1/25のブログに載せましたこの写真の通り植えられてまだ1年なのです。1年余でなかなか絵になっています。長岡天神のツツジには及びませんが・・・。
2024.04.17
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いつも通る道横にある「私のイタドリ畑」なのですが、2~3日ぶりに通ると成長したイタドリが目に入りました。後日と言うと成長し過ぎるので入れるものも無いのに採り、偶々ほぼ空っぽだったリュックに詰めて隠れ家へ・・・嵩が高いので持ち帰る為に皮を剥いていて、ふと思い出したのです。葉を天ぷらにすることを・・・・・・とするとヨモギもと思い、ヨモギ畑?? へ行くと、何と無粋 ! !防草シートでこんなになっていて収穫は出来ず(シートに関係なくヨモギには時期がまだ早いかも知れませんが)ヨモギを諦めて集めた食材はこれだけ。イタドリとこの前収穫してから又芽を出したタラの芽と庭のユキノシタです。種類が少ないので目を付けたのが先日の収穫後、新たに咲いた八重桜の花です。確か前に新しい葉を天ぷらにしたことがありますが・・・・花もひょっとすると美味しいかも??? と半信半疑で加えました。更に・・・自宅へ帰って山椒の葉もどうかな?? と加えました。・・・でこれだけが天ぷらの材料ですが、揚げる前の何とカラフルなこと!!見た目では食欲をそそられますが、桜の花と山椒の葉は天ぷらとしては未知の味です・・・で、揚がった天ぷらの種類も多く豪華になりました。分かり易い様に取り出しましたが、これが初めての料理八重桜と山椒の葉の天ぷらです。・・・・で、結果は・・・八重桜はもちもちした食感で余り味は無いのですが、噛んで行って最後の方に桜の香りがしました。なのでゆっくり味わって食べるとなかなかのモノ。 これからはこのシーズンの天ぷらの食材に加えることにしました。山椒の葉は・・・パリパリと口当たりは良いのですが、山椒のあの独特のクセのある味や刺激は何処へ行ったのか?? 味も何もないパリパリとした食感だけ。まああれば彩に加えても・・・という食材でした。そして、またまたのタケノコ寿司ですが、暖かい玉子焼きを加えると、これがまたなかなかのもの。これからはタケノコ寿司には温かい卵焼きが定番になりました。
2024.04.16
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昨日は、誘ってもらった友達の(ギーター教室もしている) 姪ごさんのプロのギター演奏を聴いて来ました。ギターは弾く人が多いので今までに聴く機会もありましだが・・・初めて聴くプロの生演奏は・・・さすがプロと思いました。場所は大和郡山の県立民俗博物館 (正しくは奈良県立大和民俗公園) 中の古民家でした。広大な敷地の中に博物館以外に奈良県の各地から移設された古民家がかなりの数あるのです。その中の赤矢印で示した一番奥の方の「旧松井家」が会場でした。入口から進んで行くと、敷地外もこんなハイキングいる人が歩いている長閑な風景が広がり・・・敷地内は次から次へと茅葺(藁葺?) の家が出現ここは敷地内も、周辺も沢山の桜の木があり桜の名所のようで、少し前はそれはそれは花見の人も多かっただろうと思いました。因みに入場無料でした。そのソメイヨシノは既に葉桜になっていましたが八重桜や枝垂れ桜はまだまだ盛りでした。そして奥の方のこの大きな古民家が会場でした。屋根が凄く奇麗なのは・・・葺き直されてつい最近お披露目が有ったばかりらしいです。会場は椅子が並べられた広い土間にでした。見上げると太い梁が・・・畳の部屋は・・・何しろ1枚の写真には納まりません。アンコールで弾かれた「禁じられた遊び」以外の曲も題名は知らなくても聴くと知ってる曲や奈良に因んだ柿本人麻呂と山部赤人の句を題材に奏者作曲の作品も弾かれました。滅多に聴けないギーターの生演奏でした。
2024.04.15
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1. 桜蕊降る 桜もそろそろ終盤を迎えます。桜の表現は・・・「蕾固し」で始まって 蕾ふくらむ 開花宣言 チラホラ咲き 何分咲き 満開 散り初め(そめ) 花吹雪 と続いて多分最後は 季語の桜蕊降る で終わると思います。その「桜蕊降る」がそろそろ近い状態であることを撮って来ました。花びらが散った姿は綺麗で花筵 花筏 と歓迎されますが、蕊が降った状態は余り奇麗でありませんのに「桜蕊降る」は季語なのですね。花筵と言えば・・・そして、花筏と言えば、何と言っても哲学の道 です。画像が無いのでnetでお借りしましたがこんな感じです。netにはそれはそれは沢山哲学の道の花筏の写真が載っていますので覗いて下さい。2. 山笑う山はまだ笑っていませんが、笑った時のbefore&after の為に笑う前を撮っておきました撮影したのは4/4日 東山36峰・阿弥陀ヶ峰です。それが10日後の今日4/13にはここまで笑っていましたが、これからまだまだ大笑いします。同じく4/4 の新日吉(いまひえ) 神宮 の神木の椎の木は・・・今日はここまで笑っていました。もっと笑うと言う事は白みを帯びるのです。後日またその大笑いした状態を載せます。
2024.04.13
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桜の季節が終わろうとすると、青もみじの季節です。わが家のモミジはこの様に「青」と言うより「黄緑」と言ったところです。このモミジの横に花の塩漬けをする目的で植えた八重桜があるのですが、八重なのでまだ満開まで至っていません。それでも脚立に乗ってこれだけ収穫をしました。折角そのために植えたので、今年もレシピを見ながら塩漬けをしました。これはその塩漬けの上に重し代わりに竹筒貯金箱を置いた状態です。・・・・で、暫く忘れていた去年作った塩漬けを冷蔵庫から出して来て・・・写真にして良く分かるようにガラスコップで飲みました。ちょっと塩が効き過ぎたのでお湯を加えました。塩漬けにすると何故香りが強くなるのか分かりませんが凄く桜の香りを楽しめました。話は変わりますが、4/5に椿寺の散り椿の事を書いた記事の中で、わが家の白角倉 (と思われる) 椿はまだ小さいけれど散り椿である様に書きましたが・・・八重桜の横に落ちている椿は散り椿ではなくて落ち椿であることが分かりました。頼りないことですが、何分にもまだ花が沢山咲かないこともあって思い違いをしていましたので訂正します、
2024.04.12
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3/31に書きましたこの記事なのですが・・・無人駅が増えることは、ある程度仕方ないとする一方、券売機が無い駅が出来て来たことについてどうかと思うと言う論調で書いたのですが・・・4/8の京都新聞にこんな記事が載りました。我が意を得たりと読み進むとがっかりでしました。記事の中では駅の無人化による利用客の不便さにだけを取り上げて、利用客がもっと不便になる券売機が無い駅が出現していることについては、一切触れていないのです。もう少し掘り下げた取材をして欲しいと思ってついこんなところでぼやかせて貰いました。それから・・私鉄では阪急電車は無人化の予定がないとか。「さすが阪急・・・」と京阪電車沿線の住民は思いました(笑)
2024.04.11
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隠れ家でタラの芽を収穫しました。・・・・が、たったこれだけしか採れなかったのです。タラの木は山椒の木と同類なのか、枝や幹が良く途中から枯れるので、今年生きている枝は収穫した後の写真ですがこの1本の枝だけなので・・・・貴重な収穫でした。このシーズンでまた枝の途中から芽を出してくれるとは思うのですが・・・宝物のタラの芽ですが余りに少ないので・・・マイタケと一緒に天ぷらになりました。タラの芽は天ぷらが最高 ! ! ! (マイタケも??) 最高の春の味でした。余りに少ないので余計に美味しく思ったことも有ると思いますが。
2024.04.10
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大工さんにもらった燃料がたっぷりあるので7日の日曜日、久しぶりに焼き芋をしました。このところ 紅あずまが続いたのですが、今回はシルクスイートでした。ダッジオーブンの威力 8本くらい余裕です。焼き上がりも上々・・・紅あずまも美味しいけれど、やはりシルクスイートが甘くて美味しいとか。私も少し食べてみたのですが、サツマイモってこんなに甘いの!!?? って感じ。シルクスイートって 口直しが要るほどの甘さなのですね。
2024.04.09
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昨日の続きです。昨日載せましたこの行き止まりの様な細い道を進むと・・・・北野天満宮の梅林の裏の紙屋川に出ました。ここはもう天満宮の境内の様なものですが地元の人の生活道路のようでした。住宅環境の良さに加えて、観光客ばかりではなく よそ者には無のこんな遊歩道があるなんて何と素晴らしい ! !梅ではなく、素晴らしいモミジの新緑を見ながら土手を上がると・・・なんと2月に1200円払って入った梅園の裏でここからでも十分に梅林が見えたのです。なるほど今度梅を見に来る時はここから梅林を見て、あと本殿方面へ進むと無料で梅が堪能できるのか・・・と私にとっては初めて知るルートでした。そして歩を進めると天満宮の表参道の横に出ました。すると、梅の次は「青もみじ」と言わんばかりの幟が・・・・ここにも・・・そしてちゃんと素晴らしいポスターまでもあるのです。北野天満宮は合格祈願と梅だけでなく、青もみじの頃も、紅葉の頃も良いと言う事を知りました。そしても鳥居の横にこんな石碑が・・・今行って来たばかりの二条天皇陵以外に花山天皇陵と三条天皇陵も近くにあるのです。調べて見ると私の作った天皇在位表が72代白河天皇からなのですが・・・二条天皇は78代に対し三条天皇は67代 花山天皇は65代でした。成り行きでこの二人の天皇の事を研究??? してから、また二人で行くことになりました(笑) (今「保元の乱・平時の乱」と言う本を読んでいるのですが、早速netで図書館の花山天皇本を探して、内一冊を申し込みました)このあと場所を変え近くの白梅町の昼からやっている居酒屋で花見酒を飲んでいるところへ・・・稲荷山の仙人さんから「京都の家に行っているなら今から掘りたてタケノコを持って行く」と電話があり。「京都に来ているけど今白梅町で花見酒を飲んでいる」と言い帰りに途中下車して貰いに行くことに。そして貰ったのがこの立派なタケノコと糠・・・地面からまだ2cm程しか頭を出していなかったと言う最高のタケノコでした。わが家には竹はありませんが山椒の木は「用意??」していて、新しい芽が出たばかり早速翌日の夕飯に筍寿司と若竹煮、そして姫皮のお吸い物で美味しく頂き・・・子供の家にお裾分けして・・・・尚且つ翌日もまた贅沢な朝食となりました。木の芽はまだまだあるのですが・・・・(笑)
2024.04.08
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昨日の続きです。次に目指したのは桜の名所・平野神社でした。西大路からの入口は少し貧弱です。境内に入ると紅白幕が張られて、入場券売り場があるのです。前はこの中の辺りで花見の席は有料だったけれど無料で通る通路みたいなものだったのですが・・・どうするかと思うとジモティの友は迷わず紅白幕に沿って左へ進むのです。そして紅白幕に沿って進み・・・幕の隙間から中を覗くと、ソメイヨシノと菜の花が咲く遊歩道があるだけ。前はここは通路であり、有料の酒席があった場所なのです。更に進むと本殿に・・・要は本殿周辺の一番良い場所は無料なのです。知らずに行ったら余り意味のない有料ゾーンに入るところ、ジモティの案内が多いに有効でした(笑)この平野神社は色々の種類の桜がある事でも有名です。これはただの枝垂れ桜です。この拝殿がキンピカなので訊いてみると、台風で倒れたので再建されたとか。拝殿の向こう、本殿の向かって右には左近の桜が・・・左には・・・右近の橘が・・・お参りするのにこんなに人が並んでいるのですから凄いです。そして御衣黄は・・・まだまだ・・・白雲桜も・・・まだまだで八重系は遅いです。この後、北野天満宮へと・・・反対側のこの紅白幕に沿ってズンズン進むのです。幕の隙間から中を覗くと・・・最初に載せた同じソメイヨシノと菜の花が広がっていました。そして、高級住宅の中の広い道を進み、左へ折れてこんな誰も通らない行き止まりのような細い道を進むのです。・・・・この道が北野天満宮に繋がることを知っているのは、多分ジモティだけでは・・・と思いながら後を付いて行きました。この後は明日に続きます。
2024.04.07
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今日は昨日書きました通り、高校同窓の友と二条天皇陵の参拝に行き、散り椿、平野神社の桜を愛で、最後の締めくくりに初物の筍をゲットした盛沢山の一日となりました。スタートはJRのこの駅でした。駅を降りてまず、予め約束をしていた二条天皇陵の直ぐ近くに住む高校同窓の友達に今から向かうと電話をして歩きで出発。二条天皇陵は合流してから案内して貰いました。正式には「にじょうてんのうこうりゅうじのみささぎ」と言います。二条天皇と言えば下表の様に78代天皇ですが在位7年で21才でお亡くなりになった天皇です。そうそう、この表は前に載せたものに平清盛の生存期間と保元の乱、平治の乱を書き加えました。御陵は街中にあるのでこじんまりしたものと思って行ったのですが、敷地も広くなかなか立派な御陵でした。左向こうに見えるのが衣笠山の筈です。お参りのあと帰ろうとするとこんな景色です。この周りの住宅地はこの御陵が有るので随分雰囲気も、日当たりも良く素晴らしい環境でした。次に向かったのが・・・2/17に載せたこの椿寺です。2/17にはこんな状態だった散り椿が・・・・こんなに見頃になっていました。咲き方の見頃でなくて、散り方の見頃です(笑)奈良の白毫寺の散り椿も立派ですが、「散りざま」はここが一番と思います。椿の向こうの枝垂れ桜は・・・まだこんな状態でた。そして生垣まで散り椿でした。このあとジモティ友達の案内で平野神社、そしてジモティしか知らないような抜け道を通って北野天満宮へ抜け、そのあと花見酒、タケノコまでゲットしたのですが・・・・明日に続きます。
2024.04.06
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中学同窓の女性から椿寺の散り椿の写真を送って貰いました。因みに私が2/17に北野天満宮観梅ウオークで訪れた時はこんな状態であったのですが・・・咲いている椿より散った椿を楽しむのですから、まだ間に合うはずと明日訪れることにしました。と言いますのは、散り椿を見に行くならば・・この近くに住む高校同窓の友と旧交を温めよう、そして今研究している天皇系図の内の二条天皇陵が近くにあるので参拝して・・・平野神社の桜を愛でようとずっと思っていたのです。ところでタイトルに書きました「落椿」は「散椿」で無く普通のポトリと落ちる椿の事を思って書いたのですが、調べるとそんな言葉は有って季語でも有るらしいのです。・・・で、我が家の「落椿」を撮りました。この花が落ちたのですが・・・(笑)そして、この白椿は・・・この木からポトリです。この白椿はと言いますと・・・生垣の中に咲いているので落ちても・・・ゴミです(笑)そして先年、稲荷山の仙人さんに貰ったこの椿は間違いなく「散椿」なのですが・・・左が上の写真の咲いた椿なのですが、恥ずかしがりで花は持ち上げないと見られません。そしてまだ木が若いので今年は花が特に少なく右の蕾と、もう一つ蕾が有って計3輪しか咲きそうにないのです。白い散椿の絨毯を楽しめるのはいつの事やら???それからこの椿の名前ですが、先年 白角倉、羽衣など教えてもらい最終的に白角倉に落ち着ていた気がするのですが??? 頼りないことです。
2024.04.05
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文殊山でカタクリの花を堪能して、鯖江のホテルに泊まり、翌日は東尋坊観光と頂上までドライブで登る登山 ?でした。年齢・体力を考慮したゆったり行程です。東尋坊と言えば余りに有名な観光地ですので、今更とは思うのですが数枚の写真だけお付き合いください。 私も40年以上前に家族の旅行と会社の慰安会で行って以来の事でした。左下が遊覧船乗り場です。この後、頂上まで車で行けると言う国見岳 (656m) なので2日目の登山???? として大歓迎でした。・・・が、だだっ広い山頂で標識などのある場所が分からず、大した山でも無かったので探すのを断念しました。・・・・と言う事で、1泊2日の登山としては楽な行程で今回の登山を終わりました。
2024.04.04
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昨日の続きです。この山はカタクリの花を見に行くと言うより、カタクリの花を見ながら歩くと言うほど広く咲いていました。登山道に沿ってずっとカタクリの花が見られるのです。突然、他の登山者に「あそこに白いカタクリの花がある」と教えて貰いました。たった一輪咲いていた貴重な? 花です。あとで調べると、この山の白いカタクリは有名なようで、SNSにあそこに咲いていると教えて貰ったと言う書き込みが沢山有りました私らは何も知らずに行ったのにちゃんと教えて貰えたのです。ホントかウソか・・・一万分の一の確率で咲くとも書いてありました。それからこんな組み合わせの咲き方も・・・タンポポと一緒に咲いているカタクリも初めて見ました。途中こんな看板も有ったので紅葉も素晴らしい山なのでしょう。景色やカタクリの花を見ながらの山歩きでなので、直ぐ頂上に着いた感じがしました。独立峰の様になかなかの眺めでした。こんな石仏が沢山並んでいるのです。案内板をアップしますと・・・この山に登れば西国三十三所をお参り出来るようです(笑)そしてこんな案内板も・・・そして、山並みの説明も・・・どうもこれが白山の様です(間違っているかも知りません)因みに白山には2度登っています。登山はこの頂上までで無く、ここから下って又登り返すという奥の院まで進みます。途中に胎内くぐりも・・・勿論ご利益をもらう為にくぐりました。そして15分程で奥の院の到達。ここからは来た道を引き返しでした。コースタイムは・・・今回は昼食を済ませてからの登山で、コーヒータイムも無しでしたのでほゞ正味の所要時間です。真ん中の高い部分が奥の院、左右が頂上です。下山後ホテルで一泊。翌日は観光!!! それくらいが今の体力にピッタリの行程です。残り少しだけですが明日に続きます。体力減退と腰痛もあるので今回2本ストック登りました。
2024.04.03
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この季節花と言えば勿論「さくら」で有りますが、もう一つ・・・カタクリの花のシーズンでもあります。昨年は近場の京都・西山の小塩山に見に行きブログに書きましたが(ここ)今年もいつものメンバーでちょっと遠く、福井県は眼鏡の鯖江市のこの山まで行って来ました。案内板にも絵が書いてあるようにカタクリの花で有名な山なので・・・・標高は365mと低いのですが花もあり眺めも良しなので沢山の人が登っていました。この様に登山口で下山して来た言葉を交わしたこの女性のグループのように女性が多い山でした。登山開始して程なくの展望台から遠く見える山並みを・・・・アップしますと・・・どれかが名峰・白山の筈なのですが特定出来ませんでした。次の展望台からは福井市街が見え・・・そして北陸新幹線も・・・京都の小塩山は限られた場所に人工的に守られたようなカタクリでしたが、ここ文殊山は山中カタクリだらけ・・・と言っても良い程登山道に沿ってずっと奇麗なカタクリの花が見られました。一泊二日の登山行で疲れて帰って来ましたので、今日はこの辺で終わりまして続きは明日書かせて貰います。頂いているコメントへの返事も明日させて頂きます。
2024.04.02
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わが家の最寄り駅は京阪電車本線の各停しか停まらない駅です。それでも乗降客数はかなり多いと思うのですが・・・今日ふと気付きますと、京都方面行き改札口に2台あった券売機の左側が無くなり何か書いてあるのです。良く見ると券売機が2台から1台に減ったのではなく、残っている右側の機械には乗車駅証明書とICカードの二つしか表示がなく、券売機そのものが2台とも無くなっているのです。ここでは乗車券は買えず・・・右側の機械で乗車証明を受け取り下車駅で清算せよと言うのです。(客の多い大阪行きの改札には今まで通り券売機があり、客の少ない京都方面行きの改札の券売機が無くなっていたのです)私は磁気カードを使っているので券売機が無くても何も不便では無いのですが、乗車券を買って乗る人はここで乗車証明を受け取り、下車駅で清算をしなければなりません。私には不要ですが試しに発券してみました(白枠の中は駅名です)このシステムですと券売機の釣銭の補充やお金の回収などの手間が一切かからないと言う、電車側の合理化に適うシステムです。それでなくてもコロナ以来本数が減って不便になったのに、こんなことで又客に負担を掛けるとは・・・他の私鉄でもこんなことが行われているのでしょうか? 話はコロッと変わりますが、先日智積院の修行僧の卒業式の事を書きましたが・・・今日通りますと・・・明日入学式とか。また初々しいお坊さんの卵が見られそうです。
2024.03.31
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昨日、長患いだったいつもの後輩さんの遅まきながらの快気祝いに神戸まで行って来ました。待ち合わせのJR住吉駅には私が先に着いたので、うろうろしているとこんなものが目に入りました。出身地も学校も全く違う人間が偶々同じ会社に入ることによって現役の時からリタイヤして今に至るまでの長い付き合い・・・ここに書かれている言葉正に今日の快気祝いの為に書いていてくれのかと言う思いで暫し見続けてていました。・・・・で、今回の快気祝いは先日書きましたコロナ罹患した者同士で行った「お互いの快気祝い」に続いて2度目なのですが・・・近々3度目の快気祝をすることになりました。お互いが同時期にコロナ罹患して一度目の快気祝いをした友達とは高校から社会人までずっと同じ道を歩んだことを書きましたが、今度3度目の快気祝いをする友はまるで・・・キセルの様な付き合いの友達なのです。・・・と言いますのは・・・・この友達とは中学が同窓で同じ野球部に在籍したのですが、別の高校に進んで以降社会人になって、彼は20数年間外国暮らしをしていたので爾後付き合いは無かったのですが リタイヤする頃から密な付き合い再開して現在に至っているのです。その彼がなんとコロナを罹患したのでした。私が前に同時罹患した友達とはお互い情報交換しながらほゞ同時に回復したのですが、今度罹患した友達にはコロナ罹患の先輩? としての助言?? する立場だったのです。その彼も無事回復して謹慎期間? を過ぎたので、同じ病に臥せったもの同士での傷をなめ合う快気祝いをすることになりました。二度ある事は三度・・・の快気祝いです。それにしても私の周りのことでコロナが深く静か蔓延していることを証明しています。ご留意を! ! !
2024.03.30
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最近はご近所さんの後白河天皇づいていますので今日はお墓参り? に行って来ました。当ブログに何回も登場しています三十三間堂の向かいのこの御陵、何回も行ってますが、今日は今までと違う墓参でした。・・・と言うのは・・・今回は後白河天皇(上皇・法王) の人となりを知ってのことなので、何か親近感が湧き、語り掛ける様にお参りして来ました(笑)この御陵大きな桜とモミジの木があるのですが・・・(左がモミジ、右奥が桜)桜は・・・一番蕾が膨らんでいる枝でもまだこんな感じでした。帰りの・・・向かいは三十三間堂なのですが・・・この部分の生垣はカラタチだったのに、全て他の木に替わっているのです。トゲか危ないから植え替えたのでしょうかね??白い花と金の玉を楽しんでいたのに残念!!これからは遠い枳殻邸(渉成園) まで行かないと見られません。
2024.03.29
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3/15のブログで「ご近所さん?」なので前々から関心あった後白河法皇のこの本を読み進むにつけて・・・当時は院政を敷かれていた為天皇が次々と代わるので訳が分からなくなるのでこんな天皇系図を持ち歩きながら読んでいると書きました。その後、「後白河院」を読了したのですが、当時の院政の事が読めば読むほど面白いので、今度は図書館でこの本を借りて来て読み出しました。読めば読むほど歴代天皇の在位期間、そして上皇・法王になっての在位期間を時系列に知らないと理解できないのでこんな表を作りました。 ちょっと見難いので部分拡大しますと・・・縦軸に当時の歴代天皇。そして横軸に生誕から死亡年、そしてその内の天皇在位期間を赤色に、上皇・法王として院政を敷いた期間を黄色で表示しました。上の表はA4紙2枚を繋いでいる大きなものなので携帯用に2段に分けたこんなものも作りました。この表と天皇系図を見比べながら本を読んでいる訳ですが、その中で特に分かったことは・・・赤線で囲んだ部分が後白河天皇が、天皇を退位して上皇と法皇の在位期間なのですが、その間に天皇が5人も代わっているいると言う事でした。院政を敷く為若い天皇を次々誕生させているのです。(六条天皇は2才で天皇になり在位3年足らずで退位しています)みんな短命でもあったようです。文章ではなかなか理解できなかったことがこの様な表にすると本の理解度が抜群に上がることになりました。
2024.03.28
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昨日の続きです。久しぶりにこの講座に参加しましたが、会場はいつもの通りのこの場所で50座席でした。前列に陣取るため20分程前に行ったのですが既にこの状態でした(後で満席) 幸いにも一最前列に座ることが出来ました。講義の内容は・・・・・・で1時間30分たっぷりでした。色々教えて貰った中でのポイントは1. 阿修羅は千手観音の信仰する人を守る人の神様(28部衆)の内の一人であること。2. 従って興福寺の阿修羅像は有名ですが何処にでもある像であること。3. 興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいること。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、色々モノを持っている像 が有りインドなどではモノを持っている像で主ある。まず1. ですが、28部衆は三十三間堂の配置図によると次の仏様です。 赤枠が阿修羅です。また、八部衆の一人でもあります。2. の阿修羅像は他にもあると言う例は・・・ これは興福寺の阿修羅像 三十三間堂の阿修羅はこんな姿であり・・・ 法隆寺の阿修羅はこんな姿です。 合掌はしていません。3. の興福寺の阿修羅像は明治時代に修理されいるとのことですが・・・ 当時はこんなに雑に置かれていて(真ん中)その他大勢のひとつでした。 で・・・修理前はこんなに破損していたのです。右手が欠損しているのはさることながら、左手は角度が付いていて合掌している手の形ではないのです。これも修理されたときこの様になったのかそのあと変形したのか?? らしいです。4. 興福寺の阿修羅像が一番目の手は合掌した姿であるが、インドなどでは色々モノ を持っている像が有ります。 青枠で囲みました部分の第一手は興福寺などでは下の合掌ですが、インドなどで は天秤や法輪、法螺貝などを持っているものが多く・・・こんな例が示されました。 その他三十三間堂の年代の年表などの説明などたっぷり1時間半の講義でした。会場で貰った次回の案内は・・・・( 私は不参加のつもりです)コロナで途絶えていたこの講座も順次行われるようです。
2024.03.25
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今日は3/10のブログに書きましたこの講座を聴きに行って来ました。内容に入る前に・・・何回も書いて来ました妙法院の真向いに建設中だった「シックスセンシズ京都ホテル」の前を通りますと・・・もう完全に外の囲いはなく・・・中の照明もこんな状態で、開業したのか、それにしてはひっそりしているなあと思いましたので・・・ネットで調べると・・・まだ開業まで一ヶ月ありました。ところで、工事関係の機材は何も無いのでもう外装工事は完了と思うのですが・・・・・・とするとホテル名が何処にも書いていないのです。どうするのでしょうね?? 小さい表札程度のものをぶら下げるのか ? 超高級ホテルなので名前を書かないのか気になるところです。さて講座の会場はこのホテルの真向いです。案内に従って2階へ上がりますと、前述のホテルが真正面です。前に建っていたホテル東山閣の建物はもっと高くて、コンクリートのビルだったのですが、新しいホテルの建物は既に完全に風景の中に溶け込んで違和感が全くありません。まるで借景の建物の様でこれは凄いと感心して暫し見とれていました。・・・と、ここまでで書きましだ、本論の講座の事は明日に書かせて頂きます。その代わりのこんな光景も・・・あの礼儀正しい、いつも庭の掃除や草むしりをしていた修行僧がいよいよ明日卒業されるとか。
2024.03.24
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2/26のブログで長年の友達と、遠く離れて住んでいながら一日違いでコロナに感染したことを書きました。その時『同病相憐れみ』病状などをラインでやり取りし経緯があったので、「頃は良し」と今日お互いの快気祝いをして来ました。ついては、ついでに私の庭の石のベンチ作りの成果を見たいと言うので、まず遠路はるばる我が隠れ家に来てもらい久しぶりに情報をもらいました。情報のひとつは・・・老人ホームのことでした。入居を検討中の身内とアチコチの老人ホームへ見学に同行していて実に詳しいのです。お互い今は人ごとだけど近い将来は我がごとになる話題でした(笑)そのあと、四条へ出ての快気祝いは・・・先日(2/26) のブログで学生時代の付き合いから長々と書いた経緯があるので、ならばと学生時代に良く行った餃子の珉珉へ行くこと。、学生時代は麻雀、ビリヤード、そして珉珉の餃子が「三種の神器」だったのです。そこで何気なく見たメニューに書いてあったことに感動!!現在広く食べられている焼き餃子を初めて作ったのが珉珉とは!!しかも、私らが良く食べに行っていたの昭和37~38年頃だったので、国内で餃子を食べる草分けだったのか!!! と言う事でした。当時はそれはそれは汚い店だったのです。と言うより落書きなどで汚い店と言うのが売りだったのです。そのあと木屋町四条を通ると北東角のこのユニークな建物今はマツモトキヨシの店舗になっていますが、当時はここはペコちゃんの不二家がランドマークだったのに・・・なんて昔話をして二人の快気祝いを終わりました。余談ながら・・・もう一つの快気祝いのため、近々神戸まで行くことになっています。快気祝いとか老人ホームとかそんなことが話題を占める「年頃???」です。
2024.03.23
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今日は久しぶりに京都市役所へ行って来ました。京都府庁の庁舎同様趣きのある建物であり、長年かかって改修工事が終わってまだ間がないため奇麗なものです。訪問部署は別館なのですが、誰も出入りしていない正面玄関から「乗り込み」ました。入口を入るとステンドグラスの装飾のある古式豊かな佇まいです。何故この建物から入ったかと言いますと・・・このエレベーターを見たかったのです。俊工時に財政難に陥っていた京都市にこんな高価なものが必要かと、マスコミで大々的に報道された漆塗り500万円のドアです。賛否両論ありましたが現物を見て「目先の財政事情はあるけど、これはこれで良かったのでは・・・何しろ国際観光都市? 京都市の玄関なのだから・・・」と私は思ったのですが!!!??? 果たして・・・因みに今年度の財政は黒字に転じている筈です。・・・・で、私が行ったのは本庁舎ではない別館の案内板一番下の『8 まち再生創造推進室』でした。用件はこのパンフレットの通り『町家の保全』についての相談でした。このことはこれから何回か書くことになると思います。
2024.03.22
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天皇系図に関心を持ち始めて、今まで何代の天皇かと言う事だけで来ましたが、その年齢を知ると「何??」なのです。今日は読了した「後白河院」関連の史跡の歌の中山から79代六条天皇陵と80代高倉天皇陵に行って来ました。(因みに後白河天皇は77代天皇です)この辺りはほゞ私の「庭」なので何回も当ブログに取り上げていますが・・・。そもそも歌の中山とはこんなところです。清水寺からこの道を進みます。左に少しだけ写っているものは・・・地元の方がお世話されているお地蔵さんです。街中に沢山あるお地蔵さんですが、こんな山の中までもちゃんとお世話する方がおられるのです。直ぐ見えて来るこれが清閑寺です。前にも書きましたが、訪れるのは殆どが外国人です。この二組のカップルも・・・やって来たこのカップルも・・・要は外国人の観光地なのです。何か外国人のガイドブックに載っているのか、SNSによるものなのでしょう。前置きが長くなりましたが、ここからが本論です。清閑寺の前が今回訪れた六条天皇陵と高倉天皇陵です。後白河天皇が上皇、法皇になって34年の長きに亘って院政を敷いた時期のこの2人の天皇は・・・六条天皇の即位が1才で、退位が4才なのです。お亡くなりになったのが12才と言うのですから、今まで「天皇」をイメージしていたものが脆くも崩れ去りました。まだ、高倉天皇の即位が20才の時であり、その後亡くなるまでの在位が12年間あったのでまだ天皇としてのイメージ出来ます。とは言え、高倉天皇の子供の81代安徳天皇は壇ノ浦で平家と共に海の藻屑と亡くなったのが子供の時で有ったことは知っていたのですが(調べると亡くなったのは7才でした)今まで天皇を何代としてだけしか見て来なかったことを反省して、これからは即位、退位、崩御の年齢も見て行こうと言う気になりました。長きに亘り院政を敷いた後白河法皇り御陵は三十三間堂前に有るのですが、この六条、高倉天皇陵より遥かに小さく貧弱な訳けも気になるところです。
2024.03.21
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15週間かかって貴重な??? コカ・コーラのザ・ラテをゲットしました。前に書きましたがコカ・コーラのアプリ「coke on」で1週間に35,000歩以上歩いて、このスタンプを貰い・・・15スタンプたまると・・・このチケットが表示され・・・このチケットが表示されると・・・コカ・コーラの自販機の前でスマホと繋ぐと無料で指定した飲料が取り出し口にボトンと落ちて来るのです。今回はコロナ罹患で35,000歩達成出来なかった週が2週有ったのですが、ボーナススタンプ2枚(上の色の違う2枚のスタンプ) をゲットたので差し引き15週で達成出来たのでした。「たかが1本 されど1本」こんな貴重な1本 直ぐ飲み干すのが勿体無くて・・・・。・・・と言う事で、又貴重な1本をゲットする為に15週のチャレンジが始まります。
2024.03.20
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3/14のブログで『最後の最後の味』『今年の淀川の畑の「春の味」最後は漬物で味わって終わりました』・・・と、セイヨウカラシナの収穫が終わったと書きましたが、茎の漬物の味と歯応えに魅かれてダメモト覚悟でもう一度探しに行きました。結果は・・・執念? が功を奏して3/14に収穫したものより遥かに良い茎を収穫出来ました。さっそく包丁で皮を剥き・・・(左下が剥く前、 左上が剥いた皮、 右が食べる茎です)沢山採れたのに剥いた皮の嵩は高いけれど、茎の部分はこんなに少なくなりました。このカラシナの良いところは一日で漬かる事です。漬かったらこうなりました(極一部です)モノが良かったので、今まで漬けた中で見た目が一番きれいで 歯応えも最高に漬けあがりました、因みに3/14のブログに漬けあがったモノを載せたのがこれなのですが・・・今回漬けあがったものと見た目も違います。・・・と言うことで3/14に「最後の最後の味」と書きましたが更に『最後の最後の最後の味』を食べられるようになりました。これは「もっと食べたいと言う執念??」の結果でありました。(古くなると歯応えが無くなるので早く食べないといけませんが・・・)
2024.03.19
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前にも書いたことありますが、わが家の骨とう品 ? の中にこれが有ります。「計算尺」です。社会人になった時はまだ電卓なんか無い時代でした。営業に必要な達成率、進捗率、粗利率等の割り算、掛け算は専らこの機械式計算機を使う時代でした。幸いにも大学時代に部活でこの計算機を使っていたので会社に入っても、スーと使えたのですが、何分にも計算に時間がかかりました。そんな時、会社から商工会議所が主催の「計算尺の使い方」の講習への参加を勧められて参加しました。当時は技術系学生、実社会に於いては技術者の必須の道具ででしたが、文科系の私には縁が無かったので使ったことが無かったのです。受講のお陰で小数点1位くらいの計算なら即座に出来る、当時としては頼もしい「武器」となったのでした。この写真の計算尺は大きくて長さが30cm程ありますが、当時私が使っていたのは20cm足らずのコンパクトでいつもカッターシャツの胸のポケットに入れていたものでした。さて、ここからが本論なのですが、かれこれ60年近く前に使ったまま、使ったことが無かったのですが、目に入ったので使ってみました。真ん中の部分をスライドして掛け算、割り算をするのですが・・・結果は・・・・60年近くの空白期間が有ったのですが無事計算することが出来ました。正に「昔取った杵柄」でした。こんな計算尺を使ってると間もなく大きな卓上電子計算機が入って来ました。忘れもしない、キャノン製で数字の表示は一桁ずつ並んだ真空管の様なものでした。netで画像を探しましたらこんなのしか見つけられませんでしたが・・・もっともっと大きいものでした。使う為にはわざわざこの様な電卓が置いてある場所に行かねばならず、人が使っていたら待たねばならないので、こんな計算機が入っても、ソロバン代わりの足し算引き算には使いましたが、割り算、掛け算は専ら計算尺を使っていました。その後、手のひらに乗る電卓が出て機械式計算機も 大きな卓上計算機も 計算尺も世の中から消えてしまって・・・計算尺のみ、わが家では骨とう品として存在するに至っているというお話でした。
2024.03.18
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2/18のブログでこの千本釈迦堂に行ったことを事を書きました。その記事の中でこんなことを書いていました。しかるに、この度その釈迦堂の仏像が国宝に指定されたことの報道 (3/15~3/16)では・・・NHKはこの様に報じて・・・赤下線の様な表現であり・・・・毎日新聞は次のような表現をしています。2社共、赤下線の様に大報恩寺と千本釈迦堂の二つの名前を挙げていますがあくまで「大報恩寺」に重きを置いた表現です。勿論それが当たり前のことなのですが・・・・また毎日新聞の記事では下の様に「千本釈迦堂」とはは全く書かれていないことも・・・冒頭に書きました、『大報恩寺では通じないのではと思う程「千本釈迦堂」なのです』と言う事と真逆になっていました。ところが地元の京都新聞ではやはりあくまで「千本釈迦堂」でした。正式名の大報恩寺の名は ( ) の中に辛うじて書かれてい程度の存在なのです。京都市民の読む京都新聞は正式な名前より市民に一番分かり易い俗称で表現しているのもまた至極当然と溜飲が下がる思いをしました。・・・とここまで書いてふと思いついたのですが・・・・次のお寺などは通称の方が知れ渡っていますが、その通称はお分かり頂けますでしょうか?? 鹿苑寺、慈照寺、蓮華王院、西芳寺、頂法寺、地蔵院
2024.03.17
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京都のホテルは元々高いと言われていますが、更に高くなってきているらしいです。その訳は・・・・京都新聞の記事に依りますと・・・慢性的な人出不足により「稼働率アップより客単価のアップ!!」を目指しているとか。そして、円安により好調な外国人、前年を下回る日本人と言う構図も・・・字が小さくて読み難いですが一読ください。
2024.03.16
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私の地元・東山区の三十三間堂周辺には後白河法皇ゆかりの後白河天皇陵、院御所だった法住殿(ほうじゅじどの)跡の法住寺、そして新日吉神宮(いまひえじんぐう) 等々の史跡が散在しています。また、平家物語の時代には天皇、上皇、法皇として君臨した天皇でした。そんなに縁があり良く知ってる天皇なのに、平家物語でも主役は平家一門であって、後白河法皇の側に立ったモノではなく、結果として後白河法皇の事を詳しく知らず、前々から一度後白河法皇ことを後白河法皇の側に立って知りたいと思っていました。そんな思いでいたのですが過日友人宅を訪ねた時、この本が目に入り借りて早速読みだしたのですが・・・昭和47年刊行の口述形式の小説で中々読み進み難い文章の上に、天皇継承争いが書かれい入るので当時の3~4代の天皇だけでなく天皇になれなかって皇子も沢山登場するので、天皇の系図を幾ら頭の中に描いても、読み進むと直ぐ系図を見直さなければならいのです。そこへ、十二帝陵へ行って十二人もの天皇の名前を見たものですから、これは良い機会だと天皇系図を印刷しました。くずはへカワセミを見に行った時、こんな所に宮跡が・・・と思った継体天皇は26代天皇、日本書紀の時代の天皇か!!東大寺の大仏さんの鼻の孔が6ヶある事を確認に行った時寄った聖武天皇は45代か!! 小塩山にカタクリの花を見に行ったとき山頂に有った淳和天皇は52代で桓武天皇の子供か!!と単に眺めて来ただけの天皇陵に、何か意味を感じる気がして来たのです。京都や最近良く行く奈良には当然沢山の御陵が有るのでリュックに天皇系図を入れておけば面白い! と言う思いで天皇系図をコピーしました。早速ビニールファイルに入れて。常時リュックで携帯することにしました。
2024.03.15
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過日、どちらか言うとウオーキング目的で、願わくばセイヨウカラシナが収穫出来ればとレジ袋と今回はカッターナイフを持って淀川の畑(?) へ行きました。それは今回はどちらか言うといつものこの蕾や若葉の部分を狙ってのことでなく・・・(この部分の食べ方は鍋などで何回も書いていますので割愛)この茎の部分を狙って行ったのでした。茎を収穫する為にカッターナイフを持って行ったのでしたが予想より沢山収穫出来ました。蕾や若葉は採って来るだけで良いのですが、茎はイタドリと同じように皮を剥かねばなりません。しかもイタドリより少し剥き難いのです。これが皮を剥いた状態で、これを漬けて・・・漬けあがるとこうなりまして・・・(これは小出しにした一部です)カラシナの風味と、歯応えのある最高の漬物の出来上がりです。食べるのは醤油など調味料など一切かけずカラシナの味だけで十分なのです。そんなことで、今年の淀川の畑の「春の味」最後は漬物で味わって終わりました。
2024.03.14
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偶々、昨日のブログで深草のタケノコ畑? の事を書きましたが・・・今日稲荷山の仙人さんが同じ様なタケノコ畑産のタケノコではなくこれを持って来てくれました。私が門松の残りの竹で作った貯金箱が、細いと言ってたので、こんど太い竹で作ってあげると言われていたのです。確かに太くって、こんな太い竹見たこと無い程の竹製でした。持ち帰って、私が作ったのと並べて見ますと・・・・・・・・とこんなに違います。細い方には既にお金が入っているのですが、それはそのままにして、明日からはこの太い方に入れるつもりです。入れ物が大きくなったので頑張って入れないと・・・・・・と言う竹筒貯金箱を持って行くと聞いていたのですが、おまけがありました。私のブログを見ての「おまけ」・・・・苔です。畑の周りに生えていたのを採って来てくれたのです。まだ仮置きして水をやっただけで後日定植するつもりです。
2024.03.13
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登山シーズンが近付きました。コロナ罹患以来の脚力減退を少しでも回復しようとつけ刃の様にウオーキングに努めていますが、その一環で昨3/11日 私のトレーニングコースの稲荷山~泉涌寺へ縦走? して来ました。そんなことを考えている折、深草に十二帝陵(深草北陵) なるモノがある事を知ったのです。そこでかなり距離が増えますが十二帝陵を経由して稲荷山の頂上へ裏から登ることにしました。裏から登ると急登が有るのでトレーニングにもなると言う思惑もありまして・・・ルートは京阪電車・藤森駅から京都トレイルの剣神社分岐までのこのルートで結果は・・・次の通りでした。京阪電車・藤森駅で下車して向かうと、直ぐ聖母女学院のこのレンガの名物建物の前を通ります。このレンガの建物、明治41年に建てられた元旧陸軍第16師団司令部の庁舎でした。程なく到達した十二帝陵は・・・・天皇家が二派に分かれたり、貧乏していたと言う鎌倉時代から室町時代にかけての300年・歴代12人の天皇を祀る「共同墓地」のようなモノらしいです。天皇陵は大小ピンからキリまで有りますが、同じ陵にこれだけ多くの天皇が祀られているとは珍しいです。そして、何と真横をJR奈良線が走っているのです。鉄道の真横の共同墓地なんて! ! !京都のこの辺りまで来ますと、メイン道路の裏は直ぐ田園風景が広がります。この分岐を左へ進みますと・・・鬱蒼とした竹藪が始まります。竹藪にも2種類ありまして、これらは放置林? の「竹藪」ですが・・・片や整備された竹藪は地面にまで太陽光が届く「藪」と言うより「タケノコ畑」です。実に清々しい美的な景色です。高く伸びた竹もありますが、殆どか先端が切り落とされているので余計に太陽光が入り易いのです。竹藪整備のボランティアをしている稲荷山の仙人さんの話では・・・竹として残すタケノコが所定の高さまで成長すると根元の辺りを大きく揺すると上の方で竹の皮を被ったタケノコが折れるらしいのです。竹になってから切るのではないのです。竹藪を過ぎると民家がありフライパン製の顔が二つに・・・案山子がひとつ、場所柄野鳥対策とひょっとするとイノシシ対策かも知れません。このあとは稲荷山の急登が始まります。滝が幾つも続くのですが・・・・たかが標高233mの稲荷山ですから、みんなこんな細い滝?? ばかりです。一気の急登を登ると山頂です。私が登って行った急登まで沢山の外国人が登っていましたが、表側から登って来る国人の多い事・・・ざっと見て90%以上が外国人でした。何しろ無料ですから・・・・。そして、いつもの通り泉涌寺へ抜けて行ったのですが・・・折りから「京の冬の旅」の看板が立っていましたが、人も疎ら、外国人は見かけませんでした。・・・・と言う事で、冒頭に載せました距離と所要時間のトレーニングを終わりました。上述の聖母女学院の建物については過去に当ブログで詳しく書いていますので見て頂ければ幸甚です。 ここです。
2024.03.12
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まだ暫くは使う屋外ストーブ用の燃料が残り少なくなり、心細くなっていつもの通り親しい大工さんにSOSを入れると・・・・数日も待たずして、留守中に「配達」してくれました。今回は古材は無く、全て新材の端材でした。願わくば・・・いつものように再使用出来る程の長さのものが有れば良いのですが・・・今回は正に燃料にしか使えない細かいものばかりでした。まあ贅沢は言えません。この端材から推測するに、大きな工事にかかっていて、まだ工事途中の筈。工事が終わる頃に、私が再利用出来る様な余った長い端材が貰えると読んだのですが・・・・。
2024.03.11
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今日三十三間堂を通りますと掲示板にこの講座のポスターが掲示されていました。この講座、今までに数回聴講したことがあり当ブログに書いたことがありましたが、コロナ以来長らく実施されず、再開後も事前申し込み制など気楽に行ける雰囲気でもなかったし、聴きたいテーマも無かったので暫く聴講してていなかったのですが・・・今回の演題にピピーと反応しました。と言いますのは、最近東大寺の大仏さん、三十三間堂の千手観音、室生寺の十一面観音、聖林寺の十一面観音等など拝観することが続いたし阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来など仏像に接することも続いて各仏像の謂れも理解しつつあるのですが・・・・有名なこの阿修羅像については像の事だけは知っていても、詳しいことは何も知らないのです。・・・・で、これは良い機会、聴きに行ってみようと思いながらポスターの写真を撮って来たのでした。
2024.03.10
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七條通りで東大路を渡ろうとして信号待ちをしていると総門のこんな光景が目に入りました。沢山の子供がいるので、交差点を渡ってわざわざ見に行きました。なるほど常々通れない様にするための柵があるので外へ出られないので先生も安心です。(出ようとしたら出られるかも?)近所の保育園の園児にとっては素晴らしい遊び場です。僧が見ながら歩いている光景を見て、有名寺院で有りながらこの様に解放していることに感心しました。この光景を見て・・・正面入り口に回ると・・・こちらへ向かって歩いて来るのです。ここでも僧とすれ違い。何かこれぞ宗教の原点!! と、ほのぼのとした気分になれました。そのあとはいつもの光景ですが・・・まだまだ梅も十分見られます。
2024.03.09
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庭の石を並べ替えてベンチを作る工事を続けて来ました。過日は大きな石の移動をプロの庭師さんに頼んだことを書きましたが、その後はリュウノヒゲや苔を植えて修景しています。昨日やったのは・・・苔を植えることでした。これで3回目だったと思いますが、近所を歩き回ってこれだけの苔を集めました。今回は真ん中の石の向こう側の・・・地肌が露出しているこの箇所に苔を植えることにしました。結果は・・・・まだまだ苔が足りません。どこかでもっと苔が有れば良いのですが、もう近所の苔を採り尽くしたのであとはリュウノヒゲやユキノシタを植えないといけません。この写真の上の方の苔は上の写真の苔なのですが、下の方は過日植えたもので・・・これも過日植えたもので全て近所で集めた苔です必要量までは集められませんでしたが、良くもまあバカみたいに集めたものです。これが松葉苔のような良い苔なら良いのですが、贅沢は言えません。
2024.03.08
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久しぶりに五花街のひとつ、宮川町を歩きました。過日、北野天満宮の観梅に行った時、花街の上七軒が先斗町と同じように無電柱化されて、実にすっきりした街並みになっているのを見たので、ひょっとして宮川町も無電柱化が行われてかなと関心を持ってのことでした。。歩いてみると・・・何故か殆どすべての電柱に大きなトランスが載っており、一時の先斗町までは行きませんが電線が縦横無尽に張り巡らされたままでした。五花街の内、祇園甲部と先斗町そして上七軒は無電柱化がなされているのにここ宮川町はまだ電柱がニョキニョキ立ち、電線が蜘蛛の巣状態のままでした。確か、祇園東は巽橋の辺りは無電柱かされていたと思いますので宮川町の遅れが気になるところです。ところで、折から京おどりが近づき、各お茶屋さんの軒先にはポスターが貼ってあるのですが・・・五花街の内、ここ宮川町だけは「をどり」で無く「おどり」なのです。因みに祇園甲部は「都をどり」 祇園東は「祇園をどり」 先斗町は「鴨川をどり」 上七軒は「北野をどり」とみんな「を」なのにここ宮川町だけが「京おどり」なのです。何故なのでしようね?? ご存知の方おられましたら教えて貰いたいです。そんな思いをしながら歩いていますと、なんとその違いを示す様に何故か祇園甲部の「都をどり」のポスターが宮川町に並べて貼ってありました。
2024.03.07
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過日、春の味として土筆の事を書きましたが、今日はこれセイヨウカラシナです。昨年12/27に淀川堤防で今シーズン初めて収穫したことを書きましたが、今回は今年初めての収穫です。鍋にするには予め湯がくらしいのですが、何しろ新芽の部分ばかり採るのですから野草とは思えない柔らかさです。いつもはサバ缶や豚肉が多いのですが、今日は牛肉でした。アッ! 収穫したのは淀川堤防の畑 ? でなく、智積院の裏山の第二の畑で丁度これから始まるイタドリ畑? のすぐ傍です。因みにイタドリはまだ影も形も姿を見せていません。
2024.03.06
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今、「疎水端」と聞くと何処を思い出すでしょうか??山科を流れる疎水端、暗渠から地上に出て来る塩小路通り以南伏見までの疎水端、そしてふた昔も三昔も前、鴨川に沿って走っていた京阪電車が地下化されるのに並行して暗渠になる前の冷泉通りから塩小路までの疎水端・・・等など思い浮かびますが・・・前置きが長くなりましたが、過日載せましたこの古い本の真ん中の古都再見に・・・こんな記事が有りました。「疎水端」・・・あれ ! 「これ哲学の道ではないの??」字が小さいので拡大しますと・・・・確かに哲学の道ではあるけれど哲学の「哲の字」も出て来ません。そう言えば「哲学の道」とは後年に言われるようになったはず。この頃(昭和37年頃) はまだ「哲学の道」と言われなかったのに違いないと思い, netで調べますと、ウィキペディアにそのことを証明する記事が有りました。 (赤下線、青下線は私が記したものです)そう言えば、東山七條から太閤坦 (たいこうだいら) へ登る坂道は今「女坂」として、つとに有名ですが、昔はそんな言い方をしなかったのにいつの間にか完全に定着しています。その分、太閤坦と言う名前が殆ど通じなくなった気がします。
2024.03.05
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石のベンチ作りについて今まで何回も書いて来ましたが、いよいよ最終章・完成に近づきました。その後、ボチボチやて来たことが3つありまして・・・庭師さんに石を立てて貰った時ブログに載せた写真がこれなのですが・・・正面に脚のない灯篭があり、その手前が、元は穴太衆積みをしていた箇所なのですが、殺風景なので、新たに石を15m程転がして来てもう一つのベンチを作りました。元あった灯篭は部品毎に分けて右後方移設しました。庭師さんに頼んだ角形の石でなく丸みある石だったので素人でも転がして設置出来たのでした。・・・で、ここまで完成すると生垣の根元が何か雑然としてピシッと決まった感がしませんので・・・年末に門松用に貰った竹の残りを割って・・・簡単な垣根を作りました。そうそう、石垣の後ろは地の山土だったのですが、余り目立たない場所に自生していた「リュウノヒゲ」や苔をスコップでこそげるように採って来て移植しました。見て頂いた通り茶色の土が見えなくなって昔からこうだったように見える様になりました。あとは砂利を買って撒けば完成です。
2024.03.04
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今年は春の訪れの時期にコロナに感染して足止め。教えて貰ったセツブンソウを見に行くことも、淀の河津桜見に行くことも、土筆を採りに行くことも今年は諦めたつもりでいました。コロナから回復、寝込んだ期間が長かった反動で、体力、中でも脚力の衰えの自覚症状があるので、少しでも多く歩いて回復したい・・・の一念から、今日は天気も良いので淀川の堤防へ・・・。勿論ウオーキングが目的では有りますが、もう一つの狙いは、土筆が少しでも採れないか!! でした。レジ袋をボケットに・・・・ダメもとで・・・我が畑 (淀川の堤防) へ・・・もう遅いと思っていた土筆ですが、予想に反してまだまだ残っていたのです。頭の開いてしまったものが多かったのですが・・・まだ頭の開いていない食べ頃のモノもそこそこあって、予想に反してこの様に大収穫でした。これだけの土筆のハカマを取る作業! いつもは援軍の手も借りるのですが、今回は何分かかるか知りたくて自分一人で作業することにしました。・・・・で、予想は1時間!! で始めました。この様に全てハカマを取るのに・・・予想より遥かに長い1時間20分かかりました。途中一息も入れず一所懸命に頑張ったのですが・・・・・・採りに行っていた時間が約2時間、ハカマを取るのに1時間20分 計3時間20分を要したのです。正に高級食材??? です。このあと、調理はバトンタッチでこの様にて出来上がりました。(左右同じものです)・・・・と言う事で、ウオーキングと諦めていた土筆!!!思いがけなく一石二鳥の春の味を堪能することが出ました。
2024.03.03
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断捨離の一環で本の処分を始めたのですが、踏ん切りがつかず残そうとする本が多くて、なかなか捗りません。今日はそんな残そうと思った本の極々一部を書かしてもらいます。昭和36年~37年にかけて、新聞の写真の特集記事をまとめて発刊されたもの3冊、左2冊は京都新聞、右は朝日新聞の記事を本にしたものです。今となっては、こんな時代が有ったのか? と懐かしい景色ばかりなのですが・・・その1. 観光寺院になる前の清水寺の音羽の滝です。今は3本の滝、飲めばそれぞれに違った利益があると言う事になっていますが、昭和36年当時は修行の場だったのですね。もう1枚・・・東福寺の通天橋が豪雨で流失した時の写真です。今は鉄筋コンクリートの橋脚なので流れることも無い筈ですが・・・ちょっと読み難いですが・・・当時観光寺院になれない嘆きが書かれていますので一読下さい。今となっては、正に ♫そんな時代が有ったのね ♫通天橋が流れたため拝観料を10円値下げしたが来る人は数える程・・・とは、観光寺院になる前の苦しい台所事情が記されています。調べますと流れた通天橋は昭和36年に再建されたらしいです。
2024.03.02
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