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ぼくは「朝まで生テレビ」という番組が好きで、これが放送される日は徹夜しつつ見ることにしてる。今日も見ている。今日のテーマは「反日騒動と靖国問題」で、これについて言いたいことはたくさんあるけど、それは長くなるので、また別の機会で。急にブログを書きたくなったのは、むしろ「論争する姿勢」について思うところがあったからだ。今まで、朝生はいつも「こんなんだったらおれが出た方がいいよなあ」って見ながら思っていた。出るべき論点がなかなか出てこないし、切り込み方も足りない。多分同じ事思ってる人って多いし、大体においてそのとおりなんだけど、いざ出てみたらなかなか話せないもんだよなあと、今は分かる。というのは、ぼくはこの一年で論争に何度も負けてるから。もうね、連戦連敗。思い出せるだけで3つ大きな敗北がある。まず一つ目、これは某テレビ局の面接会場においてだった。履歴書を一瞥して、やり手っぽい面接官はこう言った「なんで素直に弁護士にならないの?」→「法学部で法律の勉強をしてきたが、リーガルマインドは法曹以外の職業にも生かせると思っている」のようなことを言った。面接官は「リーガルマインドねえ」とつぶやいた。帰り道、何か胸に引っかかった。なんであんなつまらないことを言ったんだろ。「リーガルマインドってなんだよ?」「なにを、どうやって生かせるの?」全く具体性を欠いた空虚な答え。そしてその面接は落ちた。その問答が全てだとは思わないが、少なくとも受かる方の助けにはなっていないはずだ。その質問には、どう答えればよかったのか?帰りの電車で実は思いついた。「弁護士もぼくにとってとても魅力を持った仕事だが、僕一人が弁護士になるよりも、見た人の中から100人の弁護士が生まれるような、そういう番組を作ることに魅力を感じる」。プロの面接官から見てこの答えはどうか分からない。でも、少なくともこれを言っていれば、僕の中であのもやもやした引っかかりはなかった。次に二つ目、これは飲みの席での話である。やや酔っ払った年上の女性に、なりたい職業はと聞かれ、「弁護士になりたい」といったところ、かなりしつこく「なぜなりたいのか?」「そこであなたの実現したいことは?」(「正義」と言ったら)「じゃあ正義って何?」という類のことを長い時間にわたって追及された。酔っ払ってたとはいえ、明らかに悪意のある問い方だった。要はおまえはトップ指向で特に主義主張もなく東大法学部に進んで、その上弁護士というお決まりのコースをたどってるだけなんだろ?ということを言いたげで、それは良く分かっていた。しかしその場でぼくは結局あれこれ口ごもって、話はうやむやに終わってしまった気がする。だって「正義って何」を語りだしたら、きりなくなるし・・・。実はぼくは未だにこのことを思い出すと、激しい怒りにとらわれる。その矛先はというと、その女性に対しても、無いとはいえない。ぼくは「言いたいやつに言わせておけばいい」的な余裕を持つ立場にないただの一学生だからこそ、そういうことに対してしっかり怒るべきだと思っている。でも一番の怒りの対象はやはり当時の自分である。なぜもっと堂々とその場で答えてやることができなかったのか?自分が入学してからどうやって勉学と立ち向かい、何度も逃げ出しそうになって(というより実際逃げてた時期もかなりあった)、やっと対峙する覚悟を決めて、机の前に向かったのか?その決意は決して生やましいものではない。それをあからさまにうがった態度で接してくる人に対しては、堂々と怒るべきだったし、「正義」でもなんでも何時間でも語ってやれば良かったのだ。あの場でうやむやに話を終わらせた自分、というより、ぶつけるべき鋭い言葉を持てなかった自分。うーん、やっぱり何度思い出しても悔しい。そして3つ目、これはジュンク堂における思想家・浅羽通明のトークショーの場だった。浅羽といえば、呉智英・大月隆寛とともに戦後民主主義理論の破綻と矛盾を80年代において喝破した人物で、その日もだいたいそのような話をしていた。質疑応答の時間になったとき、僕は手を挙げた。僕が言いたかったことはおおまかにいえば、「戦後民主主義を否定しすぎて現代日本は露悪趣味に入っている気配があって、そろそろこの辺で戦後民主主義を再評価してもいいのでは?」というものであったが、もう完膚なきなまでに論破された。少なくともその場においては。まず「あなたにとっての戦後民主主義はなんなの?」→答えられず。「ぼくは戦後を全く否定していない、ただしぼくが否定しないのは『プロジェクトX』の中に出てくる日本人で、いわゆる進歩的知識人や日本国憲法について否定している」→「はい、そうですか・・・」。言ってみれば赤子の手をひねられた。完璧にかっこ悪かった。何人かの人には同情とも軽蔑ともとれるまなざしで見られた。でも帰り道、よくよく考えてみるとぼくは本当に間違っていたのだろうか?いやいやいや、大体戦後において「黙々と働く職人大衆」と「日本国憲法」を完全に分けるという発想自体十分疑問があるぞ。憲法のもとで思想信条の自由が認められたからこそプロジェクトXが可能という考え方は、むしろ自然なのではないか。しかしもう遅かった。以上三つの大敗を振り返って、思うこと。ぼくは、刺激的な会話が好きだ。そしておそらく、(多少場を見るようになってはきたが)人と話す時もそのように話すだろう。春風のような暖かい会話は、ぼくにとって退屈だ。だからなおさら、自分が主張したいこと、人からつっこまれやすいことについては、後ではなく普段から準備を怠ってはならない。相手を打ち負かすとか、そのためだけではない。結局その二つのことは、僕の自己実現やアイデンティティーに深くかかわる大事なことである場合が多いからだ。論争は、その場においての即興技術だけではなく、何よりも普段からどんな刀を磨いてきたかが大事だ。そしてこのことは、単純なようで難しい。
April 29, 2005
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春って本当にいいね。ふつうにしているだけで何か素敵なことが起きそうな予感。自分から起こしに行ってもいいかも!?なんてね。夜に妄想とかしてるととても楽しいね。例えば小説を書くとしたらどんな書き出しから始めよう、とか。なんでもいいんだ。例えば「そう言って彼女は二度と振り返らなかった」の一言から唐突に始まってみるとか。えっそれまで何があったの??作者のおれにも分からないんだから現時点で地球上誰にも分からないじゃん。そういうのってすごく面白いと思いませんか?自分以外誰にも知る事の無い秘密。それを作り出せる喜び。簡単に思いつくのは、別れた恋愛の後に去っていく彼女だけど、それだとつまらないから、何か他の。核の秘密を持ってるとか??いやそれとも「振り返れなかった」にしようか?彼女は振り返ろうとしたけど、その瞬間に車に轢かれるとか、別に脱線した列車でもいいんだけど、そうすると、そこにはまた事件との秘密が・・・??こんなこと考えてると夜眠れないよ。そして寝不足。まったくおれってやつは。普段ほとんどの時間音楽聴いてるんだ。そうすると、この曲は、この時期にやたら集中して聴いてたなって思い出してくるわけ。場合によっては甘酸っぱいかったり、時にはとても恥ずかしい。厳粛にもなれば、ひどく落ち込む。こうしてみるとおれって結構恥ずかしい人生送ってきたかもしれない。少なくとも威張れるような人生じゃない。成功よりは失敗の方が多いし、いたわった人より傷つけた人の方が多い、と思う。これから先生きていくのは、それらを全部背負っていくことになるけど、それでも大丈夫かい?うまくやれそうかい?と我ながら不安になることもあるけど、負けちゃだめだ。負けちゃだめだ。負けちゃだめだ。All things pass.
April 29, 2005
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今朝、なぜか一限に出ずに、サークルの先輩と上野公園で散歩。この人がすっごくおもしろい人なんだ。一言で言うと、「孤高の天才」。恐るべきモチベーションの低さで次々と業績を積み上げ、多分東大で指折り頭いい。それなのに自己評価超低くて、毎日将来どうやって食っていこうかを真剣に悩んでたりする。でも、あなた、司法試験合格してますから!2限普通に行政法出て今日の授業はこれで終了。おいしいと評判の農学部食堂に潜入してみるけど、別に味は普通。ただし隣が植物園になってて晴れた日は気持ちいいね。でも生活というのはおかしなもので、何も起こらない普通の一日なのに、何かふと自分の性格の弱点というか、良くないところに気づいた。それをこれからはもうやめようと、深く心に誓う。今まではいいとして、せめて未来だけはね、どんどん良くして行きたいから。もっともじゃあ今まで自分の弱点に全く気づいてなかったのかよというと、そういうわけではなく、なんというのかな、例えば野球のバッターだったら、誰でももっと打率を上げたい、ホームランを増やしたいと思うのは当たり前で、当たり前なんだけど、だからどうしましょというのが悩みどころだったりする。そのときに、グリップをもう5センチ上にしてみるとか、それに気づけば実践することができる。でもただ単に自分が打率低い事を気にしてるだけだと何もできない。それと似ていると思うんだよね。延長線上にある遠い目標よりも、まず目の前にある小さな突破口を開きたい。そうやってあくせくしてる若いうちが華、華。
April 28, 2005
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ドラゴンアッシュの「hot cake」って、いい曲だと思いませんか?と聞かれても困るかもしれないけど、本当にいい曲です。何せ隠しトラックなので(「Viva La Revolution」の最後の曲を流しっぱなしにしてると17分30秒を過ぎたあたりに流れ始める)、結構知名度は低くて、カラオケにも入ってないことが多い。ファンの間では名曲の誉れが高いらしいけど。「明日はまた晴れるのに、僕の心曇り空のように暗い」から始まるちょっとネガティブな曲なのに、聴くと不思議に元気というか、やる気が出るんです。もし聴いたことないとしたら、ぜひ。最近、すごく朝早起きが多い。朝といっても3時ぐらいで、その後6時ぐらいまで本を読んで、部屋に戻って、疲れを癒す意味で音楽聴いている。ちょっと頭が疲れた後の曲って、頭にしみじみ入ってくるんだ。その後朝食を食べてから学校。学校の授業は結構のんびり受けるようにしてる。とりあえず飲み物は欠かせない。最近のオススメは「酪農家のコーヒー」(秩父乳業)、ローソンでしか売ってないみたいだけど、ダントツの飲みやすさ、砂糖使ってないのに、牛乳が50%以上入ってるから乳糖でほんのり甘くて、それを引き立てるために食塩も入っているという優れもの。5月に入ったら、英語を勉強したい。英語で読みたい本が多くなってきたので、この際しっかりやろうかなと。あと、ウィトゲンシュタインも読みたい。行政法も。
April 28, 2005
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日曜日、あまりにもいい天気だったので渋谷へと買い物ついでの散歩、駅への帰り道でなんと同じサークルの友達に次々と邂逅して、そのまま原宿へと向かう。日本で一番セントラルパーク的な空間代々木公園を抜け、裏原宿のカフェでお茶をして、新メンバーを追加してカラオケ行ってみんなで夕飯食べて帰る。あ~楽しかった。素敵な日曜日の午後。こういう一日を過ごすと、忙しすぎるのもなんだかなあと思うな。将来どういう仕事に就くか、まだ分からないけど。晴れた日曜日の午後には公園を散歩していたい。月曜日学校行くが、空き時間に友達とご飯食べていたら、なんとその人が俳句の会に入っていることを知って、作った句を見せてもらったりした。俳句や短歌って、おもしろいな。リズム、字数制限と伝えようとすることとのぎりぎりの攻防戦。なかなかおかし。季語ルールのある俳句よりも短歌のほうが好きみたい。今日の一歌。明けぬればいずれ止みるるこの思い 遠ざかり行く恋人の影
April 26, 2005
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まず、親しくしていただいているお方二人の結婚が決まった。おめでとうございます。何分まだ若造なもので、知り合いが結婚するということ自体がかなり新鮮で、趣味もとても近い二人だったので感激もひとしおといった感じ。お似合いのセンスのいいカップルです。どうぞ末永くお幸せに。次に、同じく親しくしていただいている方の転勤が決まり、その送別会をした。年上で、普段からとても暖かい目で見てくださっていた方だった。どうもバリバリ働いてる人々は輝いて見えて、自分はいつまで親のすねかじって学生やってればいいのだと落ち込んでしまう事もある。来年も結局就職しなさそうだし。そういった落ち込みは結局自分の中身を充実させて行く事でしか解消されないと思う。そして、ぼくの昔の彼女に新しい彼氏ができたことを知った。実はそれを知ってから少なからずショックを受けた。彼女とは長い付き合いだったし、ぼくにとって申し分のない素敵な女の子だった。にもかかわらず、一方的に深く傷つけて別れてしまった。それでもその後もたまに一緒にごはんを食べてくれて、相談があれば乗ってくれた。その優しさに、いつも甘えていたと思う。結局子供が親離れできないと同じような感じでぼくはなかなか彼女から完璧にはなれることができなかった。でも、もう既に彼女はぼくと一緒にいるよりも、去ってさらに遠くに行かなければならない。もう連絡することはできない。そのことを自分の中で決め、受け入れるのはとてもつらかったが、ぼくも子供と言われ、それに甘んじながらも、結局は少しずつ大人にならないといけない。くだらない心残りかもしれないけど、一度ぐらいは文句のつけようが無いぐらいカッコイイ彼氏としての姿を見せたかったな、と思う。サッカーの試合でゴールを決めるとか、満員のライブハウスで熱唱とか、そういう才能に恵まれないで、なかなか誇ってもらえるような姿を見せることもできず、むしろ多くの場合にカッコ悪いことして恥ずかしい思いをさせたかと思うと、とても心苦しい。どうか、新しい彼氏とお幸せに。今まで本当にありがとう。学校では日々授業が続いて行く、それ以外の時間でも本を読み、音楽を聞き、映画を見る。でも4月になって、同じような暮らしに対しても、自分の姿勢は変わってきている。知り合いにも言ったけど、違う色の眼鏡をかけることで、変わらない景色も全く違ったように見えるのと似ている。そして、それは漠然とだけど、自分にとって「正しい方向」であるように思う。周りでは毎日いっぱい何かの出来事が起きて、いい事が起こればうれしく、悪い事が起きれば悲しむ。それはそれで当然のことなんだけど、自分で左右できない事柄に感情を左右されるより、どんな状況にも負けない強い何かを自分の中に構築する必要性をひしひしと感じている。以上、断片的な話。
April 20, 2005
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浜辺には クローバーの花 白い雪のように散らばり鼻を啜り くしゃみをして 犬が空を見上げてる北風を 帆に受けて走る 青や黄色が波に消えてくさあ、次に来る歌詞、分かりますか?すぐに分かるという人はそのまま。ちょっと思い出せない人は無理せず、この文章を読み続けましょう。言うまでもなくこれは「ローラースケートパーク」の中の一節だ。ぼくはボーとしながら、この曲を聴いていた。見事な歌詞だ。情景がすぐに頭の中に浮かぶ。海辺、クローバー、犬、サーフィンや船、それらを追う小沢健二の視線がとても丁寧で、こういう歌詞は書けそうでなかなか書けない。いつものように感心しながら聴いていた。何回も聴きなれた曲は、次にこの歌詞が来るなと大体分かる。「オッケーよ」だったら「と強がりばかり言いながら」という風に、自然に出てくる。とは言っても小沢健二の歌詞は長くて内容も濃いから出てこないことも多い。この時も、ぼくは3行目の歌詞を聞きながらも「次はなんだっけ」とちょっとひっかかっていた。もちろん、謎はすぐに解ける。そう、次の歌詞は、遠く遠く つながれてる きみやぼくの生活その瞬間、ぼくは深い深い感動に包まれた。思わず涙が出るぐらい。おおげさなと思うかもしれないが本当のことだ。なぜならぼくはこの時とても寂しかったから。特になにかがあったわけではないが、自分の居場所の無さをひしひしと感じ、その孤独感にとても耐えられそうになかった。周りの人から隔絶され、誰からも必要とされていない、そう思えて仕方なかったときに耳に入ってきたのがこの歌だった。もちろん、今となっては、もっとクールにいろいろ語ることもできる。でも僕がここでどうしても言いたいのは、その一瞬、その歌、その歌詞は確実にぼくの目の前の世界を変えた。救ってくれたといってもいい。それだけで、十分何かに値するようなものがそこにはある、と思う。
April 10, 2005
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僕は今、とても疲れている。でも、これを乗り越えたら一皮むけるだろう。がんばれ、おれ!
April 5, 2005
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小沢健二の存在によって、ぼくは自由になったと思う。後はもう、好き勝手にしていい。弁護士になる勉強をしたり、小説を読んだり、誰かの悪口を言ってみたり、成功したり、失敗したり。何をしてもいい。世界はもう満たされているから。
March 21, 2005
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昨日と女の子と表参道で一緒に夕飯食べる予定を立ててたのに、入った店がバッドチョイスだった。簡単に言うと、寒くて、高くて、あんまりおいしくないという、この三拍子。女の子はややご機嫌斜めになった。あわてて原宿のお店に移動して、ここでやっと満足してもらえた。みんなも気をつけよう。そして今日は、子犬を散歩に連れて行こうと、護国寺に、、、えっと、いや、ウソです。今日はファミレスにですね、11時間いました。まあ、もちろん勉強してたんだけど、でもさびしかった。。。誰かからメール来ないかな・・・って思ってたけど、変な出会い系の架空請求のメールしか来なかった。いつもなら即着信拒否するところだけど、あまりにも寂しかったから拒否らずに何通か着信して、その卑怯な文面を少し楽しんでみた。そんなありふれた生活。
March 14, 2005
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近頃、また「天使たちのシーン」を聞きとおすことが、僕の中でちょっとしたブームになっている。カラオケで誰かが歌うのを聞きながら、その歌詞を見て、改めて(何回目なんだろう)そのすごさに感嘆しきったことがきっかけだ。「天使たちのシーン」は、マジですごい。完璧にレビューしようと思うと、多分かなり長くなってしまうだろう。なので今日は少しだけ話そうと思う。「天使たちのシーン」の中で、次のような印象的な歌詞がある。太陽が 次第に近づいて来てる 横向いて しゃべりまくるぼくたちとか僕はこの歌詞がとても好きだ。というより共感を覚える。そして自分にはこの表現は書けないだろうなと、素直に作詞した小沢健二を尊敬する。「太陽が近づいて来てる」って、書けそうで絶対書けない。また、この部分を聞くと、必ず連想してしまう歌がある。森田童子「ぼくたちの失敗」の一部だ。きみと 話し疲れて いつか黙り込んだストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていたうーん、思わずうなってしまう。分かりますか?この2つの歌詞の近さ。自分で引用しといて、今かなりびっくりしている。そういえば「天使たちのシーン」と「ぼくたちの失敗」というタイトルも、なんとなく対になってるしね。「ぼくたちの失敗」という曲は、最初どこかで聞いた時すごくメロディがきれいだなと思いつつ、レンタルしてさあ録るか!とCDをかけた時に、スピーカーの中から「暗さ」というものが具現化して出てきてるような気がするぐらいぞっとして、録音しないまま返した覚えがある。でも少し大人になって聞いてみると、やっぱり名曲だ。上の部分の歌詞なんか、何気なく書いてるようで出色の出来である。ぼくは前から言っているけど、小沢健二の歌詞のすばらしさは、誰もが経験しながらうまく表現はできない機微な部分をたくみに表現しているところだ。だから人々はそれを聞いたときに、言いようの無い不思議な共感を覚える。ぼくは高校時代から「天使たちのシーン」と「ぼくたちの失敗」を聞きながら、ずっと同じ部分にひかかっていた。そして今やっと分かるのは、それはぼく自身がそうだったから、ということだ。友達や、恋人と一緒にいる時、なぜか内側から湧き上がってくるさまざまな感情と思い、それを伝えたいという欲望。誰かの悪口かもしれないし、社会への不満、感動した作品の話、或いは相手のことについて、いっぱい話したいことがあって、しゃべりまくって、しゃべり疲れてだまる。その時に感じる虚しさや、焦燥感のようなもの。まるで何かに追われているような、ジリジリとした感覚。これらのことは、感じていても人に話せない。他人に話すと「えっ、そんなのおれにはないよ」と言われそうだから。恋人にさえ分かってもらえないかもしれない。自分だけの意識過剰?それとも何かの衝動?精神分析家じゃないから分からない。でもぼくは「天使たちのシーン」と「ぼくたちの失敗」を聞くことですこし安堵していた。そんな気持ちになるのはぼくだけじゃないんだという事を知って。そういえば村上春樹の「風の歌を聴け」の中にも、思春期に堰を切ったように話が止まらない子供の話が出てくるね。なんで「しゃべりまくる」んだろう、一番の原因は、いろいろ考えて結局「ヒマだから」ということに尽きると思う。学生で、ヒマで、金も無ければ責任も負わない。しゃべる時間はいくらでもあるし、しゃべることぐらいしかできない。で、あのしゃべり疲れた後の感覚はいったい何なんだろう?それは、上に書いたことをひっくり返せば分かる。つまり、「 そ ん な に し ゃ べ っ た と こ ろ で 、何 が ど う な る の ? 」ということだ。結局何にもできやしない。金もないし、権力も無い。魅力もないし、行動力もない。何一つ動かせやしない。一番困ったことは、しゃべり終わった後で、その意味を見出せないこと。自分の限界だけが見えてくる。なんとかしなきゃ、でも何ができるんだろう?何から始めるべきなんだろう?この若き時代に特有の焦燥感と虚しさが、結局「太陽」であり「電熱器」なのかもしれない。もちろん、あらゆる物事は背反する側面を持っている。歌詞から分かるように少なくとも小沢健二は、そのことを肯定的にとらえているように見える。そう、何にもできやしない、何一つ動かせやしないという現実だって、何にでもなれてなんでもできるようになるという希望を孕んでいるのだ。若さということは、希望の象徴として語られる、その一方で挫折のイメージもつきまとう。それらがコインの裏表であること、つまり若く希望を持ち雄弁であるということが、常に何もできないかもしれないという不安と焦り・空虚を背負っていて、逆もまたしかりということ。それを2行の歌詞で示唆する小沢健二や、森田童子は、やはり不世出の天才だという気がする。
March 10, 2005
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ぼくが野球で好きな球団は西武ライオンズだ。オーナーが逮捕されて、今年無くなるかもしれないというチームである。人に西武ファンという言うと、大抵納得される。僕世代(正確には、ちょっと上の世代まで)に西武ファンは結構多くて、ここ数年のドラフト入団選手にアンケートをとっても、好きな球団は西武と書く人が目立っていたと思う。いわゆる黄金期時代、西武は本当に強かった。10年中9度のリーグ優勝、6度の日本シリーズ制覇、残りの一年だって3位とはいえ、優勝した近鉄とは0.5ゲーム差だった。でもぼくが西武ファンになったのは、西武が日本シリーズに負けて、「転落」し始めた93年だった。この年は、「森神話」が崩壊した年でもあった。知ってる人も多いかもしれないが、森監督は、選手時代(V9ナイン)、コーチ時代(ヤクルト、西武)、監督時代(西武)通じて、19回(だったかな)日本シリーズに出て一度も負けたことがないという神話である。それが93年、初めて野村ヤクルトに阻止される。翌年もリーグ優勝するが、シリーズでは長嶋巨人に敗れ、今度はなんと12年間で6回優勝しながら日本一になれないというジンクスが続いた。ちなみに森監督は94年西武退団後、後に横浜監督に就任するが、一年目はかろうじて3位に入り「Aクラス神話」を保つが、2年目で記録的負け数の多さで最下位に沈み、「晩節を汚した」のは最近の話でしたね。ファンの目から見て、もちろん西武というのは問題の多い球団だった。オーナーはまあ言うに及ばず、球場がやたら遠くて田舎にあって行き辛かったし、バブル後は経営が傾いて金がなく、主力選手が流出しつづけるわ、毎年狙っていた選手にフラれるわ。所沢移転の際、過去のライオンズ時代と縁を切り、稲尾の背番号「24」をあっさり新外国人にあげたりしたのも最悪。にもかかわらず、それでも西武はファンにとって誇りえる球団だと思う。ファンにとって誇りえない球団があるのかという話になるかもしれないけど。なんといっても、結果を出し続けてきたのはすばらしいと思う。80年代は裏技で選手とるとかいろいろ言われたりしてたけど、少なくとも逆指名制度の93年以降、西武は決してドラフトで強い球団ではなかった。それに加え、FA制度で主力流出が相次ぎ、黄金時代の終焉と言われながら、一度もBクラスに落ちることなく、12年で6回優勝したのだ。そういえば、野球がつまらないとかも言われていた。しかしそれはウソである。森時代は鉄壁の守備陣、小技、走力、長打力を兼ねそろえた打線が攻撃時も守備時も十分に楽しませてくれた。そして東尾西武となった95年からは、びっくりするほどの貧打線時代が続く。球団全体のホームランが100本未満、チーム本塁打王が15本ぐらいとか、そんな感じ。既に衰えた伊東がDHや代打で出てくることもあった。その7年間でAクラスを保ち続け、2回優勝したのはなんと言ってもエース西口のおかげだ。この西口という投手は、興味のつきない存在である。成績の割りに、びっくりするほど知名度がない。防御率は良くて3点台前半、悪くて3点台後半、それで毎年必ず15勝前後はした。防御率より勝ちへのこだわりが強いらしく、味方が10点とっていたら9点は取られてもいいという考え方をしていたかららしい。その分、天王山の試合や、特に90年代後半強大化したダイエーにはめっぽう強かった。普段は態度がひょうひょうとしていて、欲が無い。16勝挙げた年、年俸が800万しか上がらず、次の年15勝してもまた800万しか上がらなかったという伝説の持ち主。そしてほとんど唯一不振だった2003年(それでも6勝3敗)には、あっさりと3400万の減俸を受け入れた。もちろん、FA宣言やメジャー挑戦も全く気にするそぶりがない。ちなみに、あの松坂入団後も、毎年「衰えた」と言われながらまったく同等の成績を残している。日本シリーズにはなぜか弱く、通算未勝利。それでも2002年、巨人に4タテされた時に唯一好投するなど、内容は悪くない。一般的知名度も人気もほぼ無いに等しいが、西武ファンの間では絶大な支持を誇る。それは恐らく西口が、西武という球団の<不人気と、それにもかかわらず安定した好成績を残す>という姿を一身に体現しているからだろう。東尾西武時代から、西武が日本シリーズで勝てないことがだんだんファンの中でトラウマとなっていった。92年以来、5回連続敗退。一方逆指名やFAで有力選手の人気球団へ集中するようになり、パリーグがレベル低いなどと言われ始めた。この時ぼくが悲しかったのは、西武は優勝しながらもシリーズで負け続けることでその言葉を証明しているかのように見えていたことだ。特に2002年の巨人4タテはあらゆる西武ファンにとって悪夢だった。忘れもしない4戦後の新聞の見出し「問われるパの存在意義」。恐らく多くのファンはいっそリーグ優勝しない方がよかったと思っただろう。伊原監督は一夜にして「名将」から「愚将」と呼ばれるようになった。確かにこのシリーズを始めとして、彼には策士策に溺れる側面があった。しかしそれでも新人監督として2年間でリーグ167勝挙げたのは見事としか言いようが無い。そして、何よりもこの人は西武に対して誇りを持っていた。人気球団阪神への移籍を「都落ち」と言い切り、退任会見でも次の球団への就職活動が控えているにもかかわらず「私の体にはライオンズブルーの血が流れている」と話していた。それは世の中がお金や人気やメジャーに向かう中、ライオンズナインから失われつつある誇りで、同時にファンにとってとてもとても心強い誇りだった。だからぼくは未だに伊原監督が好きだ。2003年のシーズンが終わった頃、今回こそ本格的にヤバイという気がした。それまでのシーズンは、なんだかんだで優勝争いに絡んでくれるだろうと気持ちの余裕を持って構え、事実そうなっていた。しかし2004年開幕前の状況は明らかにやばすぎた。チームの核弾頭・松井稼頭央がメジャー移籍、守りの要・伊東が引退した。その二人の存在の大きさは計り知れなかった。松井はチャンスに弱い側面はあったが、日本のアレックス・ロドリゲスだった。毎年3割30本30盗塁が計算できる選手だった。強肩のカットプレーでランナーを度々ホームで殺してきた。そして伊東は日本プロ野球史上5指に入る名捕手で、リードと守りに関して言えばトップかもしれなかった。パスボールは絶対しなかったし、投手の良さを引き出すリードと言われた。その二人が後継者も育っていない中でいっぺんにいなくなった。しかも監督に経験のない伊東がそのまま就任した。加えて、オープン戦で主砲カブレラが骨折に前半戦絶望。相手はダイエー、近鉄に加え、北海道移転で活気付く日ハム、バレンタイン就任で整備されたロッテ、去年まで監督で知り尽くされている伊原オリックス。どうみても西武が一番やばかった。ぼくを含めほとんどのファンはBクラス、最悪最下位を覚悟していた。それは評論家たちの意見とも一致していた。オープン戦最下位のままシーズンスタート、やっぱり弱くて、ダイエーに3連敗したりして、ああやっぱダメだと思った頃に、西武は突然強くなる。きっかけは多分日本ハム戦での細川のサイクルヒットだと思う。この辺を境にして西武は若い戦力の勢いにのって首位に躍り出る。そして若さの勢いが衰え始めた後半戦にカブレラが帰ってきてなんとか持ち直して、ダイエーに次ぐシーズン2位。ぎりぎりプレーオフで一勝差がつかない4.5ゲーム差だった。ここから、西武はポストシーズンをフルで15試合を戦うことになる。はっきりいって全試合が名勝負だった。緊張感のみなぎった毎試合、西武はまず地元で新庄旋風で勢いがあった日ハムを辛くも破り、敵地福岡に乗り込む。忘れもしない第五戦、守護神豊田が打たれ、同点においつかれて9回裏1アウト2、3塁、バッターは三冠王・松中。はっきり言って絶対終わったと思った。ファンとしても納得していた。やっぱりシーズン一位が勝ち抜けるがふさわしいし、それに西武はもう十分にやったじゃないか。でもここで、松中はなんとゲッツーに倒れた。延長で西武が勝ち、シーンと静まり返った福岡ドームで行われる胴上げ。本当に静かだった。そして疲労した西武にはまだ次の敵が待っていた。50年ぶりの日本一を狙う中日。監督が落合だったから「オレ竜VSレオ流」と呼ばれていた。このシリーズはなんといっても石井貴がカッコよすぎた。シーズン1勝で誰からももう終わってる扱いされて、何年も前からトレード候補だった。そのピッチャーが川上を相手に回し一戦目で7回無失点、ピンチすらなかった。その試合を落とすのは、中日からすれば絶対誤算だったに違いない。しかし、なんだかんだで5戦終わった時点で西武は2勝3敗、名古屋で5,6戦を戦わないといけないことを考えると苦しかった。中日の優位は動かないように見えた。それでも6戦目を松坂が踏ん張って勝つと、7戦目はまたもや石井貴が中日を6回無失点。13イニング連続無失点はシリーズ記録。シーズン1勝の投手がシリーズ2勝というのも、まあないだろう。胴上げ、またもや敵地、またもや完全なる沈黙の支配。現場の誰からも祝福されない日本一。でもあえて言わせてもらえばこの空気を読まない強さがライオンズの真骨頂だと思った。プロ野球を「興行」として考えれば一番重要なのは「おもしろさ」かもしれない。だから新庄や長嶋のような「記録よりも記憶に残る選手」が賛美されるのは分かるし、阪神のようにある意味弱さがネタ化された球団が人気なのも理解できる。しかし同時にプロ野球は勝敗の世界でもある。勝つこと、負けること、これが一番客観的で分かりやすく、相手を黙らせる事のできるパロメーターだ。資本主義社会においては富む者がますます富む構造となっている。お金と人気があれば選手がそろい、強くなり、ますます人気が上がり、客が来るようになって、テレビ中継が入って、ますますお金が入る、というサイクル、もしくはその逆。その中で西武が強くあり続けたのは、少なくとも93年以降においてはたいしたものだと思う。人気に惑わされないスカウトの目、現場のしっかりした育成システム、「常勝ライオンズ」の精神力・・・、さまざまなものによって懸命に維持されてきたのだ。だからぼくはなんとしてもこの西武ライオンズという球団が残ってほしい。別に弱くなったら嫌いになるというわけでは決して無いが、この球団には日本プロ野球にとって大切なものがあると思っているから。
March 9, 2005
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面接は続く。今回からやや長めになってきた。はっきり言って今日もあまり会心の出来ではない。いい意味でも悪い意味でも面接慣れし始めている気がする。今から思えば最初の面接はひどかった・・・。面接シートは相手に逆の方向で渡すし、名乗らなかったし、「座ってください」と言われないうちから勝手に座るし、入室30秒以内にしてこれだけのミス。その会社はそこで落ちてしまったけど、こんなんで受かる方がおかしい。それから回を追うように面接はうまくなってきたと思う。今日なんか目も泳がずに面接官をしっかり見てたし、はっきり声を出して質問につまることもなかった。でもうまく言えないが、鋭さや切れ味や情熱の欠けた面接だった。こんなのが望まれているかは知らないけど、少なくともぼくは望んでいない。ここだけの話、ぼくは世渡り上手で中身が貧しいタイプの人間があまり好きじゃないんです。だから自分は絶対そういう人になりたくないし、そういう人に絶対負けたくない。次回の面接はしっかり自分の色を出していきたい。それで敗れるなら本望としよう。
March 5, 2005
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ピチカートファイブの「陽のあたる大通り」って、なんであんなにいいんだろ?ぼくは就活中、会社に向かう道で必ず聴く事にしてるのだけど、自分の人生を豊かにしてくれる曲だと思う。これはかなり最大級の賛辞。よく思うのだけど、例えば90年代ベスト10の名曲を選ぶという企画をやるとして、「陽のあたる大通り」、「サマーヌード」、「すばらしい日々」の3曲はぜひ入ってほしい。小沢健二はまあ、言うに及ばずというところだけど。陽のあたる大通り死ぬ前にたった一度だけでいい思いきり笑ってみたい陽の当たる大通りを口笛吹いて歩いて行く一張羅のポケットの中いつだってお金はないけど陽の当たる大通りをアステアみたいにステップ踏んで表通りの真ん中で偶然あなたに出逢って大きな声で名前を呼んで抱き合ってキスして死ぬ前にたった一度だけでいい思いきり愛されたい陽の当たる大通りを口笛吹いて肩をならべてそしてあなたと朝までバラ色のベッドのその中でたわいのないこと話しつづけて抱き合ってキスして死ぬ前にたった一度だけでいい思いきり笑ってみたい陽の当たる大通りで涙が出るほど笑ったなら口笛吹いて歩き出すのアステアみたいにステップ踏んでバイバイうーん、やっぱりすごいよね。すばらしすぎる。今聞きながら書いているのだけど、「そしてあなたと朝まで バラ色のベッドのその中で たわいの無い事話しつづけて 抱き合ってキスして」の部分が特にいい。明るくて切なくて、ピチカートファイブにはすっかりoverdoseしてしまいそうです。ところでさっき書きかけた、90年代ベスト10、実際に自分の中で決めてみた。順不同、小沢健二は一曲限定で。・いちょう並木のセレナーデ 小沢健二小沢健二の代表曲という認識はないが、胸を揺さぶる切なさが美しい一曲。「やがて僕らが過ごした時間や 呼び交わしあった名前など いつか遠くへ飛び去る 星屑のランデブー」、この歌詞を聴くたびに思わず涙が出そうになる。・サマーヌード 真心ブラザーズ夏嫌いだったのに、この曲を聴いて夏が好きになってしまったという、価値観の転換をもたらした一曲。真心ブラザーズも、すごく「味方」という気がするバンドだ。・KYOTO ジュディ&マリー90年代の中高生として、ジュディマリはやっぱり一曲ほしい。名曲多いけど、ここはあえてKYOTO。歌詞とメロディの美しさで。この曲を聴いて京大に行こうとしていた日々を思い出す。・JAM ザ・イエローモンキーイエモンはすごい。いつかの歌番組で誰かが「イエモンはいつの時代でも売れたと思う」としみじみ語っていたが、そのとおり。重厚にして、抜群の疾走感。JAMは、あのイントロからしてやばい。・すばらしい日々 ユニコーンR25でもレビューされていたが、憂鬱にしてポップという大傑作。歌詞の意味を理解できたのはつい最近かもしれない。「きみはぼくを 忘れるから その頃にはすぐにきみに会いに行ける」・陽の当たる大通り ピチカートファイブ人間の持つ願望から、一番美しい部分を抽出して作ったような曲。・little cloud SOPHIAこれもまた心の琴線を揺らす一曲。このラインナップの中ではややなじみないかもしれないし、SOPHIAというバンドは流行りなのか知る人ぞ知るなのか、ビジュアル系なのか違うのかとわりと中途半端な位置にいるんだけど、紛れも無い名曲。「あの日ぼくらは すれ違いだらけのこの星で 出会って そして恋をした」ここだけでも、十分すばらしいじゃないか。「君と揺れていたい」も名曲。・パワーソング シャ乱Qつんくが作った歌の中で一番いいのはこれだと思うのは、ぼくだけだろうか?・青空 ブルーハーツ最初に聞いたとき、なんてメロディがきれいなんだろうと思った。歌詞もすばらしい。そういういいものはいい、悪いものは悪いと照れずに表現する歌詞がとても好きだ。「生まれた所や 皮膚や 目の色で いったいこの僕の 何が分かるというのだろう」 国際人権委員会とか、イメージソングにしてみたらいいのに。・車の中でかくれてキスをしよう ミスターチルドレンそうだ、ミスチルにはこの曲があったじゃないか。わざわざ名も無き詩にしなくてもいいや。名曲という名にふさわしい。・ここでキスして 椎名林檎「幸福論」も十分にいいけど、あえてこれにしよう。キーワードは上の「車の中で~」もそうなんだけど、「切なさ」です。やっぱり胸がキューンとなるような切ない曲が好きなのかもしれない。「切なさ」って、「刹那さ」でもあるんだよね。一瞬の中に、永遠を見出し、詞曲の中に宿そうとする、そんな志を持った歌が好きです。<次点>・名も無き詩 ミスターチルドレンミスチルは、あまり味方感のないバンドなんだけど、90年代を語る上で外すわけにはさすがにいかない。これか「イノセント・ワールド」かな。でも名も無き詩ってタイトルがカッコイイからこれにした。・幸福論 椎名林檎この頃の椎名林檎の詞曲から溢れてくる何も恐れていない堂々とした姿勢は、めちゃくちゃカッコよかった。無罪モラトリアムを聴いた時は、高校生ながらに衝撃を受けた。正しい街とか、あんな歌歌う人いなかったもん。宣伝とか、事務所の力とか、そういうのと関係無しに、誰も彼女が出てくるのを止める事はできなかったような気がする。その中で一曲を選ぶとすれば、「幸福論」。「時の流れと 空の色に 何も望みはしないように 素顔で泣いて 笑う君の そのままを愛してる故に あたしは君の メロディやその哲学や言葉全てを 守り通します 君がそこに生きているという 真実だけで 幸福なんです 」この歌詞にはもう素直にKO。ぱっと思いついただけだから、よく考えてみるとまた変更はあるかもしれない。やっぱりベスト10企画は面白い。
March 2, 2005
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数日間、面接と筆記試験が続いた。どんなに短い試験でも、終わった後はぐったりする。その日一日他の事をしたくなくなる。やはりこれは戦いなのだ。疲れるけど、とても楽しい。僕は昔から自分の将来の職業は、アジテーター的なものになるのではないかと予測していた。ここ数日間、エントリーシートや、面接、筆記で常にアジテーションしている。それがどのように相手に伝わったかを考えるのがとても楽しい。某局の面接官は、熱弁を振るう姿に明らかに引いていた。でもいいや。あととりあえず、「所属サークル・団体」の欄には、かならず「小沢健二ファンクラブ「グリ犬」」と書くことにしている。ちょっとしたこだわり。外せないなこれは。先日夜中PSの「街」を暇つぶしにまたやってみた(このゲームは、やらないと人生を損するぐらいの名作。)その中で胸にジーンと来る表現があった。「青春」という言葉の定義が「常に心から血が滴り落ちている状態、年齢は関係ない」だというのだ。すごく良く分かる。そして自分はまだ当分青春が続くのだろうなと思った。村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読了。良かった。正義は悪に勝つ、例えそのために尊い犠牲が必要とされても。という基本コンセプトが単純ながら感動を誘う。村上春樹は本質において激情家で、ポリティカルな人で、多様な価値観を尊重している。そのことが分かったから、少し好きになった。作品中の「黒い服の男」は、明らかに「ねじまき鳥クロニクル」の「綿谷昇」につらなる系譜の登場人物なのだが、二人とも非常に「強い」。悪役は強い。現実社会においてもそうだ。手段を選ばないし、モラルもない。それでいて頭がいい上に自己管理もしっかりしている。しかし考えていることは貧しい(村上春樹はそういったところの描写がとてもうまい。)小説の中では正義は勝った。現実の中でもそういう人々を乗り越えるためにぼくはがんばっていく。バカに思われようがかまわない。
March 1, 2005
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さびしい、って最近良く思う。どうもいろいろ見たくないものばかりが見えてきて、人にいい顔ができない。自分の能力の無さとか、自分の魅力の無さとか、とにかくいろいろだ。尾崎豊は、あまり好きではない。うまくいえないけど、今の日本でぼくの嫌いな部分のもとを作った一人が尾崎豊だという気がする。だから彼の歌は(例えば真心ブラザーズがそうしたように)乗り越えなければならない存在でもある。でも好き嫌いは別として、彼は天才だと思うし、歌が胸を打つ時もある。「太陽の破片」はその一つである。昨晩 眠れずに 失望と戦った君が悲しく見える 街が悲しいから昨晩 一晩中 欲望と戦った君を包むもの全てが 僕を壊すからすり変ってゆく現実との はざまに描いた夢が 愛を傷つける暮しはただ 街明りに照らされ何を信じるの どこへ向かうの僕の手も握らずに 消えるのは何故誰も手をさしのべず 何かにおびえるなら自由 平和 そして 愛を何で示すのかだから 一晩中 欲望と戦った僕はただ 清らかな 愛を信じている目をつぶってみる 涙がほら渇くまでの間に忘れられるさ 破れた約束の前で人はいつも 偽りつづける だけど君を もう欲望の果てに ただ奪われたくはない君を守りたい 悲しみ こぼれぬようあわれみが 今希望の内に生まれるようもし君が 暗闇に光を求めるならごらん 僕を 太陽の破片が頬をつたう昨晩 眠れずに昨晩 眠れずに 昨日引用した小沢健二の「ローラースケートパーク」と比べれば浅はかとしか言いようの無い歌詞だが、それでもやはり抜群の「強さ」がある。伝えようとしてることは単純でありふれたものだけど、尾崎豊は端的な言葉を選ぶセンスがあるように思う。「夕べ 眠れずに 失望と戦った」をあのメロディで歌い出されれば、なんだかんだで思わず聴いてしまう。あと、なんと言っても「僕が僕であるために」。「僕が僕であるために、勝ち続けなければならない」これは悔しいがもはや座右の銘かもしれない。そう、本当にそのとおり。世の中の人は調子のいいように好き勝手な事ばっかり言ってくる。キャラを設定しては人間をその中に閉じ込めようとする。流されてしまう自分がいる。失敗すれば嘲笑され、否定されていく。結局勝ち続けることでしか自分を維持できない。そう思うぼくはきっと孤独なんだろう。結果を望み、それを周囲に示す事で認められたがっている。でも本当は結果が無くとも「それでいいよ」と言ってくれる人がいたらなとどこかで思っている。しかしそうやって身勝手に理解者を得ようとするのも、甘えかもしれない。・・・・・・。そうやって反芻と沈黙を繰り返しているうちに、時間は過ぎていくんだ。
February 27, 2005
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今朝某局の面接に行って来た。予想された形と違って、1対1で10分弱、はっきりいって会心の出来とはいえない。ひょっとすると大分教条主義的に聞こえたかもしれない。でも言いたいことを熱く言い切ったので、ここは教訓を汲み取りつつ良しとしよう。局から出てきた時、まだ午前中だった。日比谷まで地下鉄で行ったが、ここでそのまま乗り換えて帰るか迷った。確かにやるべきことも多かったけど、せっかくということで日比谷公園に行った。日比谷公園といえば、小沢健二がフリッパーズギター時代からの沈黙を経て、復活コンサートを開催したところである。そのライブで演奏された曲は、少し後に「犬は吠えるがキャラバンは進む」に収録されている。もはや今から11年も前になるけど、そのことでぼくは日比谷公園に対しては親近感を感じている。その隣にある銀座はあまりにも高級感がありすぎるし、有楽町や新橋を恋しく思うにはまだ若すぎる。日比谷公園はその中で、ぼくにとって「味方」な場所なのだ。中はとても広く、昼下がりということで年寄りの方が多かった。でもそこはやはり小沢健二的空間だった。長い手を 不器用に伸ばし 赤いTシャツの女の子恥ずかしげに 歌を歌い ぼくの耳にも届くよ汗をかき オレンジをかじり 耳の後ろにかき上げた髪ローラースケートで 滑って回ろう 土曜日の公園の中こういう歌詞が違和感なく似合う。野外音楽堂は閉鎖されていた。外から中を眺めてみた。11年前小沢健二はここでコンサートをしていたのだ。ぼくはまだ5年生だ。それが今じゃ大学を出ようとしている。世の中はずいぶん変わってしまったし、小沢健二はもう回りにいない。でも小沢健二の歌詞や曲は今のぼくにとてもリアルに響く。彼はぼくにとって懐古する過去とかじゃないんだ。ああいう時代があったんだねって友達と懐かしむとか、そういうのじゃなくて、「今」そのものなんだ。そういうことを主張したい衝動に駆られた。誰に??という感じだけど。誰かが髪を切っていつか別れを知って 太陽の光は降りそそぐありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ浜辺にはクローバーの花 白い雪のように散らばり鼻をすすりくしゃみをして 犬が空を見上げてる来た風を帆に受けて走る 青や黄色が波に消えてく遠く遠くつながれてる 君や僕の生活美しい歌詞だ。美しくて、意味があって、志がある。すばらしい。この歌はいつまでもぼくの力でありつつけるだろう。唐突に話は変わるが、佐野元春に「マンハッタン橋にたたずんで」という名曲がある。タイトルが凄くカッコイイ。中身も負けず劣らずカッコイイので、もし聞いたことない方は一度聞いてみてください。
February 26, 2005
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つい先日終わった試験期間の中で、もっとも苦しんだのがエントリーシートを書く事とテスト勉強との同時進行だった。志望企業のエントリーと、法律のテストが全く使う頭違う上に、締め切りがどれも迫っていたので、終盤はかなり参って、受けるつもりの科目を切ったりして行った。3社出したのだが、いずれも今日までに通過の知らせが来たのでホッとした。はっきりいってエントリーシート通過程度で喜ぶなんてバカだと思われるかもしれないけど、今回の場合は大事な試験時間を削って書いたものなのでここで落とされたくはなかった。一クセある問題が多かったけど、いずれも誠実に自分の色を出して答えたつもりだ。ところで今日は就活の話。ぼくは時に一生懸命就職活動してる友人に冗談半分にしろ「おまえはシュウカツをなめてる」と言われる。それは部分的に正しいと自分でも思う。在京テレビ局しか受けないし、セミナー、説明会、OB訪問、面接や試験の練習は一切しない。ぼくはそこから発生するミーハー、怠惰、計画性が無い、などなどの批判は甘んじて受けるつもりだ。でも、ぼくがいわゆる標準の就職活動像に対して疑問を感じる事も多々ある。たとえば、今までろくに新聞も本も読まなかったような人に、教養問題集を筆記試験前にやらないことを批判されたくないし、自分の大学時代の経歴をデッチあげるような人(例えば、~のボランティアをやっていた、とか、~のイベントを作った・・・etc)に「それも一種の能力」と開き直られたくない。コネ入社を「それも一種のコミュニケーション能力」と正当化される事も嫌いだ。たしかにコネ入社は無くならないだろうし、就職をして行く上で覚悟すべきなのも分かる。しかし、社長の息子がその会社に入る、その本人に「社長の息子として生まれた」以外のどういうコミュニケーション能力があるというのか、良く分からない。質問を変えれば、「そのコミュニケーション能力を持つ」「社長の息子以外の他人」がその会社に入れるのか?現実を直視した上で、悪いものはそれでもあくまで悪いだろう。現実に許容されるということで、正当性は獲得されない。あと、例えば『~の会社は選考の仕方は悪い」と言うと、「それは言い訳だ」と必ず言う人がいる。確かに、どんなに悪いシステムだとしても、それが機能する限り、学生はそれに合わせたやり方で突破して行くべきで、突破できなかった者はそれまでだろう。しかしそのことはその選考システムの悪さを免罪できない。たとえば、「会社に使えない東大卒がいる」というのは、その本人よりも、そんな使えない人を「東大」というだけで採用した人事の問題でもあるのではないか。おなじみの「東大生は実は使えない」論。これも正直うんざりだ。もちろんすべての東大生が優秀な人材だなんて思ってないし、よくあるように「東大なんてなんぼのもんでもないっすよ」的なニヒリズムもあえて言いたくない。ぼくにとって東大に入ったということは、だいたい高校球児が甲子園行ったようなものだと思っている。それはある段階でのある程度のある種の努力と能力の証明であり、それ以上でもそれ以下でもない。おそらく多くの球児が甲子園を目指した時と同じようにぼくは大学受験の時に努力したし、彼らが甲子園の土を踏めたことと同じように大学に対し誇りを感じている。甲子園に出れなかった球児が後に大成することも、甲子園で大活躍の選手がプロで全く使い物にならないこともある。また野球で甲子園に出れたからといって、サッカーやバスケが得意とも限らないだろう。しかしそれで挫折した選手が「甲子園に出なければ良かった」と思うだろうか?思うかもしれない。無理してケガをしたとか、ムダにプライドが高くなったとか・・・。でもそれは本人の問題であって、甲子園自体に責任があるわけではない。同じように、ぼくは東大に入れてよかったと思っている。これから先何があってもそのことで後悔はしないつもりだ。まあ恐らく、みんな「東大出てるからって、就職万事うまく行くと思うなよ」という叱咤激励のつもりで言ってくれているのだろう。しかし、もともとそこまで肥大した自意識は持っていないから、言われすぎると疲れるのです。
February 23, 2005
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昨日「世界の終りとハートボイルドワンダーランド」を読んだ。試験が終わったらのんびりと小説を読もうと思っていたので、いい体験だった。小説自体も結構面白かった。ちょっと目に付いた点として、1、村上春樹って実はすごく理屈っぽい人間だと思った。でもそれをスマートに生かせるから嫌味がそれほど無いのだろう。2、「世界の終り」に出てくる「図書館の女の子」が「心を持たず、愛を知らない人」にどうしても見えない。3、「影」と別れて、「心」を失わないというのが理解できなかった。はあるが、ぼくは漫然と小説を楽しめる人だからそれほど気にならない。小説の中であいかわらず「ぼく」はいとも簡単に素敵な女の子たちと恋をして、セックスをしていた。そういえば小谷野敦は「反=文藝評論」の中でそのことをすごく批判していた。「何もしないで向こうから女が寄ってくるような男が主人公の小説に、なんで多くの人が感情移入できるのかが分からない」と言っていた。まあみんなその辺は「小説だし」だと思って、幻想に浸っていたいのが本当のところだろう。ぼくは普段、素敵な人に出会ったら、なるべくその人について考えないことにしている。考えると好きになってしまいそうだから。そうなればたくさんのものと戦わなくてはならなくなる。自分のエゴとか、焦りとか、プライドとか、眠れない夜とか、相手の彼氏とか・・・、へとへとにくたびれた挙句、あっけなく敗れ去るだろう。人を好きなること、特に男なら誰もが好きになるような素敵な女の子を好きになるのは有限な人生の中できっとすごく効率が悪いと思う。本当は。でもそうは言っても否応無しに考えてしまう事がある。もう寝てもさめても。気持ち悪くなって吐きそうなぐらい。その時はもう「落ちた」とあきらめて戦うことにする。少し悲観的過ぎる恋愛観かもしれない。
February 20, 2005
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テストが終わった。というより、終わらせた。まだまだいくつも受ける事ができるし、単位数からすれば受けた方がいいのだが、今回はここで打ち切る事にした。正直この時期のテストはきつかった。受けようとした会社数社のエントリー締め切りは来るし、司法試験の願書を出さないといけないし、先週にはとうとう試験中盤に来てインフルエンザにかかる始末。おかげで民事訴訟法を受けれなかった。試験前から試験中にかけていろいろな方に対し愛想が悪かったと思う。この場を借りてお詫びいたします。もっとも、試験が終わるといっても、早くも今日から新たな試験勉強は始まっている。5月に司法試験の択一試験があるから、今はもう直前期といっていい。スタートが遅いぼくはもちろんあくせくしている。6月には今度ロースクール入試の一次試験がある。7月には択一に合格すれば司法の論文試験がある。9月には学部試験がある。11月、12月にはロースクールの2次試験がある。そして来年の二月には卒業試験がある。もちろんこの間には企業の試験や面接も随所に入るだろう。そして一つ一つが人生を決める試験なのだ。正直かなりつらい。でも、試験がいやなら受けなければいい話だ。確かに受けなければならないと思うと思いやられるが、試験のいいところは平等にできているところだ。平等というと、批判される人もいると思う。親の年収や教育レベルで不平等はある、とか、大学によって企業は差別するだろうとか。まあ、確かにそうかもしれないけど、それでも「コネ」がまかり通っている世界に比べれば、かなり平等と言えると思う。「コネ入社」とかは、もう本当にやる気を無くす。そういうのを見ると、大変でもしっかり試験がんばろうという気になる。ところで、テストが終わって、今すごくすごくすごく寂しいです。誰かぼくと飲み会してください。なぜタイトルが「すばらしい日々」かというと、本当にいい曲だから。最近毎日聞いている。
February 16, 2005
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かなり長く、しんどく続いた論争の残りの部分は、こちらで読めます。http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=491839論争を経て一番強く感じたのは、喫煙者、嫌煙者は、いづれも自身を被害者の立場におきつつ、相手側の気持ちが分かりにくいなということだった。ぼくはタバコを吸う=大人っぽくてカッコイイだろ?的な浅薄な人たちを多く見てきて、一方小谷野さんは、文章の中からも今のつらさが見えてくる。恐らく本当に苦しいのだろう。しかし残る課題はやはり「分煙をどの程度にするか」という議論であり、その意味で喫煙派と嫌煙派は「反ファシズム&分煙促進」で共同戦線に立つべきだとも思うが、小谷野さんはどうやら今嫌煙派と仲良くしようと気にはなれないらしい。多分それは感情的なものだろう。
February 10, 2005
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>反論するにしても、実名を明らかにすべきだと考えている。その点はどうだろうか?ぼくは、ミクシィの方で本名・所属を公開しており、小谷野さんに対する明示は果たせていると考えました。しかし、この際自分の意見が匿名性という蓑に包まれることで正当性を疑われるのも本意ではないと考え、ブログのほうにも本名を公開します。>まさに私は憲法14条違反だと言っている。憲法14条、13条といったものは、一般的法規として、基準がそもそも不明確です。何が平等で何が幸せでどうやってそれを追求できるかは一元的な基準が定まっているわけではないですよね。プログラム規定と称し単なる国家の努力目標に過ぎないとする学説も有力です。つまり、「~は憲法14条違反だ」「~は13条違反だ」と言う意見は、あまりにも簡単に主張できてしまうので、その分かえって説得力は薄まると私は考えます。>「クルマ社会を問い直す会」では、クルマの私的所有を禁じるという案が検討されています。 ぼくは車を持ってないし、これからも持つ予定がなさそうなので、その案に反対いたしません。賛成してもいいと思います。しかしその案が国会を通るまで、それと同等、以下の害を放置するというわけには行かないと思います。>実際に都市部の大気を汚染しているのは排気ガスである。しかし、ぼくを含め多くの人の現実的な迷惑は、タバコの煙である。>君ががんばって会社に入らずにやろうとも、多くの人は会社へ入らずには生きていけないだろう。 小谷野さんの論旨は、「タバコが迷惑だと言うなら、酒はいいのか」というかというものだったとおもいます(「すばらしき愚民社会」を見た限りでは)。それに対しぼくは、とくに強要と言った類は、「良くない」という姿勢を示し、及びぼくは迷惑タバコと共にそれに対して戦うことを宣言したつもりです。一方を責めて一方を良しとするなら片手落ちですので、それをもって自身の立場を明確にしたまでです。確かに多くの人は会社に入り、アルハラに苦しまざるをえないでしょう。しかしその人たちに対し「ならタバコもがまんしろよ」というのは間違っていると思います。>再び「超」だが、これまた事実誤認である。 確かに超という言葉は基準が不明確なので、「欧米に比べて」と直しました。しかし世界的にみて、日本の貧富格差が小さいと言うのは事実誤認ではないだろうと思います。>私自身は大学に入るまで喫煙はしなかったから、分からない。>残念ながら知らない。ぼくは両方知っている。>本当に諸外国と比較したのか? これは米国マッチョ文化の影響である。 もちろん米国発祥のマッチョ文化はあるでしょう。しかし欧米や、中・韓といった国々は学歴によるそのごの待遇の差が大きいので、勉強できることも幼い頃からの誇りとなりうるのです。小・中・高の半ばまで勉強できることが一種のコンプレクスともなりうるぐらい、「ガリベン」とされ冷遇されるのは日本独特の現象ではないでしょうか。1>それはあなたの主観である。かつ、ここでの議論は、私の姿勢とは関係ない。 2>前半は同意するが、後半は、「文化系」の意味がよく分からない。多くの文人は喫煙者であったし、現在もそうだ。 3>君は「分煙でいいのだ」の項目を読んだか? 全面禁煙といった措置がおかしいと言っているのであり、再びクルマの話に戻る。 4私はつけていない。5私がいつそんなことを言ったか。 ここは並べて論じるべきだと思いました。まず、ミクシィ内より、次の小谷野さんの文章が載っていました。喫煙者が低学歴・低所得層に多いのは歴然たる事実だ。だからこそ高学歴・高所得層の多い東京中央で、歩きタバコへの課金などという条例ができたのだ。競馬場の場内へ君は行ったことがないのか? 下層の者の味方をするようなふりをしつつ実は下層の者を抑圧しているのが現代日本の愚民たるインテリどもなのだよ。 (by「戦いの記録」)この発言をもってぼくが1のように書いたのは、決して主観的な作業ではないと思います。実はぼくが今回わざわざ文章を書こうと思ったのは、ここに危険な匂いを感じたからです。まさに小谷野さん自身が述べているように「多くの文人は喫煙者であったし、現在もそうだ。 」その通りです。それを分かっているなら、なぜ安易に高慢なインテリVS抑圧される下層の者という構図を取るのですか?こういう煽動的な大衆感情に訴える構図というのは、よほど慎重に提示されるべきでしょう。例えばアメリカでは名門大学の生徒はほとんどタバコを吸わないし、ホワイトカラーでもそうだと聞きます。またその人たちとワーキングクラスでは所得の差は大きく、出身を逆転するのはなかなか難しい。そういう社会で「階級格差による喫煙への圧迫」を論じるのは意味があるでしょう。日本はどうでしょう、六大学クラスでタバコ吸ってる人ごろごろいますし、その大学に通う学生とそうでない人の貧富、社会に出てからの実質賃金の差を考えても、そこに欧米、中韓といった大国ほどの階級を認めることはできません。小谷野さん自身、それほど裕福な家でもなく、東大に行き、大学に入ってからタバコを吸い始められるということは、インテリの巣窟の東大にもそれぐらいの環境的な許容性があるということでしょう。確かに日本でも統計的に低所得層の方がいくらか喫煙者は多いでしょう。しかしそれは本当に「階級」をからめて論じられるべきに値する問題かというと、そこには慎重さが欠けていたように思います。そもそも勉強が出来る、がしかし想像力が欠けて面白みのない存在、もしくはいやみで悪知恵だけが働く存在VS勉強は出来ないが、正義感が強く仲間との協調性に富む存在というのは、インテリと大衆の格差(大学に行ける階級と行けない階級)がはっきりしていて、前者が見なかった頃のマンガの初期的な構造でしょう(呉智英もそれを書いてます。確か「現代マンガの全体像」だったかな)。その時のイメージが延々と残存し、100パーセント近くが高校進学し、50パーセント以上の人が大学に入る時代になっても、勉強ができ、スポーツが苦手の者(←ちなみに、これがぼくの定義する文化系人間像)が、少なくとも中高生期までは冷遇され、下手すると悪者扱い、モテることはまずないという迫害的な状況が今日まで続いてるのに、小谷野さんがこりもせず安易にその二対立構造を持ち出して、あたかもタバコを吸う庶民の味方然とする必要はないように思うわけです。***ちなみに小谷野さんは、中高生まで勉強ができスポーツが出来ない文化系人間は冷遇されると言うのはぼくの個人的な体験であると言っていましたが、それは違います。文化系人間がヒーローになる土壌がなく、「ガリベン」扱いされるのは義務教育期における事実であり、それが実は学力低下の一因(勉強できること、するこよへの動機づけが足りない)なのではないかとぼくは考えているぐらいです。4 について考えたことはそれです。「おれはタバコがうまいから吸いたい」「迷惑になるというなら分煙すればいい」これで十分ではないですか。もっともその3に関してまずぼくが謝るべきです。確かにその項目を見ず、その全ページにある「戦いの記録」を見てむむむと文章を書き始めてしまったわけです。その項目を見るに、小谷野さんの主張が、「嫌煙者の近くでタバコをすわない」だとするならば、ぼくとの見解の相違はほとんどありません。ただ指摘しておくべきなのは、少なくとも「素晴らしき愚民社会」、及び「俺も女を泣かせてみたい」において、小谷野さんは禁煙ファシズムを糾弾する一方で、具体的にこうすればいいという案は出さなかったと思います。前者では「電車の中の電磁波や茶髪なども私は不愉快」とし、後者では電車通勤しない千代田区長の例を挙げ「長時間通勤電車の中でタバコを吸えない苦痛をわかっていない」といっていたので、何かぼくには「電車の中でタバコを吸われるぐらい我慢しろよ」という趣旨に読めていたのも事実です。それはちょっと困るぞというのが同じ電車通学者としての本音です。喫煙車両を設けるならともかく、通学中隣でえんえんとタバコを吸われるのは間違いなく不愉快であり、それは我慢すべき理由はちょっと見当たりません。小谷野さんの主張する分煙の形とは具体的にどのようなものかを知りたいです。5については、「素晴らしき愚民社会」の終章「『禁煙ファシズム』を斬る」の中にタバコをやめようとはしたが、神経症どうこうで結局うんぬんといった話があったと思います。もし嫌煙の人の前でそのようないいわけでタバコを吸おうとすればそれは自身の都合で他人に苦痛を与えることになり、「甘え」でしょう。小谷野さんにそのつもりがまったくなければ結構です。>健康に悪い」という論理はとらないそうだが、それなら「嫌ブス嫌」や「嫌馬鹿権」も成立して「話している時に喫煙しないでくれ」といわれれば、「あんたのような馬鹿と話すのは迷惑だ」ということに、なるではないか。最後に、これについても反論しておきます。ブスは生まれつき、馬鹿は主観的なものであり一元的な判断基準はありません(よね?)。従ってそれと喫煙(自由意志に任せられる行動であり、客観的な行為である)と一緒に論ずるのは無理があるように思います。もっとも個人的には、小谷野さんのこういった時には感情に任せた文章がかなり好きです(皮肉ではなく)。
February 3, 2005
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順序は前後するが、楽天日記はなんと一日に一回しか日記を書き込めないので、小谷野氏より2月6日の「なにはなくとも、タバコは嫌い」の返事、というか反論が届いたので、全文掲載します。追ってぼくの返事、というか再反論も掲載します。ブログ上の君の意見なるものは、読んだ。ところで私は、反論するにしても、実名を明らかにすべきだと考えている。その点はどうだろうか? 君が掲示している名は、実名とは思えない。 さて、 「まず、何かが咎められたときに、他にもっと悪い、或いは同等に悪いことがまかり通っているのに、なんでおれだけ怒られなければならないのかという理屈は、子供っぽいなと感じる一方で、法の平等性という立場なら理解できなくもない。」 まさに私は憲法14条違反だと言っている。 「しかし「不必要なドライブ」をいざ規制しようとしたときに、その判断基準をどこにおいて、どのように取り締まるかという方法がまず不明確なものにならざるをえないし、それは規制措置として有効なものとなると思えない。基準が明確なものから取り締まるというのは仕方ないことではないか。」 「クルマ社会を問い直す会」では、クルマの私的所有を禁じるという案が検討されています。 「それに車の場合、人身事故を起こせば犯罪を構成し、刑法、民法上いずれも訴訟を起こされるし、その意味で規制はなされているし、排気ガスに関して言うと、仮にとなりでえんえんと2時間吸わされた場合ならたまらないだろうが(ちなみに、それがタバコの場合)、一過性のものだからあくまでそこまで迷惑だと思わないというのが本当のところで、タバコとの「差別」というには無理があるように思う。」 実際に都市部の大気を汚染しているのは排気ガスである。 「酒のことに関してぼくの立場は単純だ。ぼくは嫌煙であると共に嫌酒でもあるからだ。近くでタバコを吸われると同じぐらいに酔っ払いも嫌いだ。酒臭いのもいやだし、飲み会で酒を強要するのは昨今最も恥ずべきものだと思っている。だからぼくはどんなに強要されても飲まない。酔っ払えば何をしてもいい的な考えも嫌いだし、本音を語るために酒を飲もうというのも、別に自分は酒を飲まなくても語れるから、そういったノミニケーションは不要だと思っている。会社に入るとそんなんじゃやってけないよ・・・といった類の説教も嫌いで、なら会社に入らず資格を取ろうと今せっせとがんばっているところだ。」 君ががんばって会社に入らずにやろうとも、多くの人は会社へ入らずには生きていけないだろう。 「大学が禁煙を推進するのに、禁酒を推進しないのはおかしいか?おかしい。一刻も早くしていただきたい。ただ少なくともぼくの周りで現在お酒の強要は行われておらず、飲みたい人が勝手に飲んでいるのでそれほど迷惑には思わない(飲み代の分担が自分のところにも来るのが少々痛いには痛いが、それは参加しなければ済むことだ)」 「タバコの話に戻ろう。小谷野は、あたかも禁煙によってお金持ちやインテリといった類が、低所得層を圧迫しているがごとく論ずる(ついでに言えば、最近小谷野は「愚民」を批判しつつ大衆に媚びようとする傾向がある。良くないと思う。)」 それはあなたの主観である。かつ、ここでの議論は、私の姿勢とは関係ない。 「そもそも小谷野自身が30代半ばで旧帝大の助教授となるようなエリート学者であり、現在も超売れっ子評論家であることは別にしても」 「超」は決してつかない。事実誤認である。私の年収はせいぜい900万である。 「少なくとも超平均化社会の日本で」、 再び「超」だが、これまた事実誤認である。 「喫煙の問題を階級的な概念に還元しえるかが疑問だ。僕自身の経験から言えば、むしろ中・高・大、と今に至るまで一貫として、禁煙派が喫煙派をバカにし圧迫するのと全く逆のイメージ、タバコを吸って不良ぶっていた人たちが、「おまえらには先公や親に逆らってタバコを吸う勇気も、タバコを吸わないとやってらんないような悩みもないよな」といった視線でタバコを吸おうとしない「まじめ君」たちをバカにしていたように思う。」 私自身は大学に入るまで喫煙はしなかったから、分からない。 「そして小谷野がよく言う「『私をドライブに連れてって』とか言うバカ女」に則した話をすれば、確かに「私はタバコ吸ってる男はいやだ」という女の子がいる一方で、「タバコを吸ってる~くんの姿がカッコイイ」という女の子も確実に多く存在するではないか。」 残念ながら知らない。 「日本には、不良・体育会系がカッコイイ、真面目・文化系カッコ悪いという概念が、マンガ文化(及びそれ煽られた暴走族文化といったもの)の影響で諸外国に比べて揺るがしがたいほど強く存在している。」 本当に諸外国と比較したのか? これは米国マッチョ文化の影響である。 「いずれ詳しく論じようと思うが、感情だけを今ここでハッキリさせていただければぼくはその類の考えが大嫌いだ。中高生の時にタバコを吸う事やバイクで騒ぐことが「青春」で「反抗」で、まじめに勉強する事がダサいという風潮も、実際にそれをやってカッコつけていた人たちも、大学生となった今、目の前でタバコをぷかぷかと吸って「あんたなんて悩み少なそうだし子供ね、大人になるといろいろストレスたまるのよ」的な面して、そういった形式面でしか大人ぶれない大人も大嫌いだ。(ちなみ、タバコを吸う人全員がそういうわけではありません) 小谷野自身、今までの文章を見るに明らかに文化系人間であるにもかかわらず、こと喫煙問題に関しては、イヤミで高慢なインテリ層とそれに「圧迫」される低所得層という古典的マンガの構造を持ち出すのは残念だ。」 前半は同意するが、後半は、「文化系」の意味がよく分からない。多くの文人は喫煙者であったし、現在もそうだ。 「タバコ吸いたいなら、人の迷惑にならないところで吸えばいい。」 君は「分煙でいいのだ」の項目を読んだか? 全面禁煙といった措置がおかしいと言っているのであり、再びクルマの話に戻る。 「ただタバコを吸う事にたいそうな意味をつけたり」 私はつけていない。 「吸う自分に同情めいたり、吸うことに変な美学を感じてそれを人に押し付けることこそ、やめていただきたい。」 私がいつそんなことを言ったか。 「それがぼくの意見だ。一方でお金が無く、タバコくさくなるのがいやで、それを乗り越えるほどの誘惑をタバコに感じないからぼくは吸わないだけだ。」 「ただ、小谷野の言うように、愛煙派の意見が黙殺される空間というのはまちがっている。意見を戦わせることをなぜ恐れるのか、ぼくには良く分からない。差別問題、天皇問題、部落問題、なんでもそうだが、反対意見をタブーにしてしまうことで、主張の正義性がかえって揺らぎ、世の中の言説の表と裏が形成されてしまうのは良くない。新聞でも雑誌でも、選別投書せずに堂々とした論争を見たい。もちろん僕自身もそれに加わる。従ってこの文章についても小谷野氏本人にメールでお知らせした。反応あるかはわからないが。 もちろん、あらゆる人からの反論を待つ。」 その通りだと思う。だが正々堂々たる議論のためには、実名を明らかにするべきだろう。 小谷野敦
February 2, 2005
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分かりやすいように、こう並べる事にします。小谷野敦は、ぼくの好きな評論家だ。もちろん好きというのは、その人の意見に全面的に賛同するわけではない。「誰かを心の底から崇拝する時には、本当の自由を得る事ができない。」これは確かスナフキンの言葉だったと思う。既に出た著書はほとんど読んでいるし、新著が出れば必ず読む。これをもって好きと言っていいと思う。「恋愛至上主義」を「もてない男」の立場から喝破した一連の文章はとても気持ちが良かったし、憲法に軍隊を明記することと天皇制廃止を両立する左右にとらわれない立場は新鮮だった(とはいえ、このような合理的な立場が「新鮮」と感じられることは、日本の論壇の貧しさをも意味している)さて、その小谷野敦の持論の中でぼくが全面賛成できないものの一つ、それが「禁煙ファシズム論」である。その中身については、いちいちここで説明すると長くなるので、下記リンクを参照していただきたい。以下ではそれを見ていただいた前提で意見を述べることとする。http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=182320まず、小谷野敦の意見の中で同意するのは、タバコを安易に健康の害と結びつけることの風潮が良くない、ということだ。まがい物やインチキな学説が多いし、健康に悪い事は他にいくらでもある。自身の立場から言わせてもらえば、ぼくは生まれてから22年間タバコを吸った事が無いし、これから吸うつもりもないが、それは健康のためではない。あの煙がの(健康への害を別にしても)においがいやで、それが服にもしみるからたまらない(近くで吸われるのは例え友達だとしても不愉快)。だから純粋に「他人への迷惑」という一点でぼくはタバコを嫌悪している。小谷野は、それにたいして、「なら車の害はどうか?」と問う。「車の場合は必要性があるから」と答えると、今度は「なら不必要なドライブを規制する措置がないのはなぜか」、「酒の場合はどうか」と詰め寄る。リンク先では、それに対する答えは載っていないが、ぼくはそれに対する反論は可能であるように思う。まず、何かが咎められたときに、他にもっと悪い、或いは同等に悪いことがまかり通っているのに、なんでおれだけ怒られなければならないのかという理屈は、子供っぽいなと感じる一方で、法の平等性という立場なら理解できなくもない。しかし「不必要なドライブ」をいざ規制しようとしたときに、その判断基準をどこにおいて、どのように取り締まるかという方法がまず不明確なものにならざるをえないし、それは規制措置として有効なものとなると思えない。基準が明確なものから取り締まるというのは仕方ない、というより当然ではないか。それに車の場合、人身事故を起こせば犯罪を構成し、刑法、民法上いずれも訴訟を起こされるし、その意味で規制はなされている。排気ガスに関して言うと、仮にとなりでえんえんと2時間吸わされた場合ならたまらないだろうが(ちなみに、それがタバコの場合)、一過性のものだからあくまでそこまで迷惑だと思わないというのが本当のところで、タバコとの「差別」というには無理があるように思う。酒のことに関してぼくの立場は単純だ。ぼくは嫌煙であると共に嫌酒でもあるからだ。近くでタバコを吸われると同じぐらいに酔っ払いも嫌いだ。酒臭いのもいやだし、飲み会で酒を強要するのは昨今最も恥ずべきものだと思っている。だからぼくはどんなに強要されても飲まない。酔っ払えば何をしてもいい的な考えも嫌いだし、本音を語るために酒を飲もうというのも、別に自分は酒を飲まなくても語れるから、そういったノミニケーションは不要だと思っている。会社に入るとそんなんじゃやってけないよ・・・といった類の説教も嫌いで、なら会社に入らず資格を取ろうと今せっせとがんばっているところだ。大学が禁煙を推進するのに、禁酒を推進しないのはおかしいか?おかしい。一刻も早くしていただきたい。ただ少なくともぼくの周りで現在お酒の強要は行われておらず、飲みたい人が勝手に飲んでいるのでそれほど迷惑には思わない(飲み代の分担が自分のところにも来るのが少々痛いには痛いが、それは参加しなければ済むことだ)タバコの話に戻ろう。小谷野は、あたかも禁煙によってお金持ちやインテリといった類が、低所得層を圧迫しているがごとく論ずる(ついでに言えば、最近小谷野は「愚民」を批判しつつ大衆に媚びようとする傾向がある。良くないと思う。)そもそも小谷野自身が30代半ばで旧帝大の助教授となるようなエリート学者であり、現在も超売れっ子評論家であることは別にしても、少なくとも欧米に比べ平均化社会の日本で、喫煙の問題を階級的な概念に還元しえるかが疑問だ。僕自身の経験から言えば、むしろ中・高・大、と今に至るまで一貫として、禁煙派が喫煙派をバカにし圧迫するのと全く逆のイメージ、タバコを吸って不良ぶっていた人たちが、「おまえらには先公や親に逆らってタバコを吸う勇気も、タバコを吸わないとやってらんないような悩みもないよな」といった視線でタバコを吸おうとしない「まじめ君」たちをバカにしていたように思う。そして小谷野がよく言う「『私をドライブに連れてって』とか言うバカ女」に則した話をすれば、確かに「私はタバコ吸ってる男はいやだ」という女の子がいる一方で、「タバコを吸ってる~くんの姿がカッコイイ」という女の子も確実に多く存在するではないか。日本には、不良・体育会系がカッコイイ、真面目・文化系カッコ悪いという概念が、マンガ文化(及びそれ煽られた暴走族文化といったもの)の影響で諸外国に比べて揺るがしがたいほど強く存在している。いずれ詳しく論じようと思うが、感情だけを今ここでハッキリさせていただければぼくはその類の考えが大嫌いだ。中高生の時にタバコを吸う事やバイクで騒ぐことが「青春」で「反抗」で、まじめに勉強する事がダサいという風潮も、実際にそれをやってカッコつけていた人たちも、大学生となった今、目の前でタバコをぷかぷかと吸って「あんたなんて悩み少なそうだし子供ね、大人になるといろいろストレスたまるのよ」的な面して、そういった形式面でしか大人ぶれない大人も大嫌いだ。(ちなみ、タバコを吸う人全員がそういうわけではありません)小谷野自身、今までの文章を見るに明らかに文化系人間であるにもかかわらず、こと喫煙問題に関しては、イヤミで高慢なインテリ層とそれに「圧迫」される低所得層という古典的マンガの構造を持ち出すのは残念だ。タバコ吸いたいなら、人の迷惑にならないところで吸えばいい。ただタバコを吸う事にたいそうな意味をつけたり、吸う自分に同情めいたり、吸うことに変な美学を感じてそれを人に押し付けることこそ、やめていただきたい。それがぼくの意見だ。一方でお金が無く、タバコくさくなるのがいやで、それを乗り越えるほどの誘惑をタバコに感じないからぼくは吸わないだけだ。ただ、小谷野の言うとおり、愛煙派の意見が黙殺される空間というのはまちがっている。意見を戦わせることをなぜ恐れるのか、ぼくには良く分からない。差別問題、天皇問題、部落問題、なんでもそうだが、反対意見をタブーにしてしまうことで、主張の正義性がかえって揺らぎ、世の中の言説の表と裏が形成されてしまうのは良くない。新聞でも雑誌でも、選別投書せずに堂々とした論争を見たい。もちろん僕自身もそれに加わる。従ってこの文章についても小谷野氏本人にメールでお知らせした。反応あるかはわからないが。もちろん、あらゆる人からの反論を待つ。
February 1, 2005
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今日朝8時起きて試験勉強していた。お昼になりファミレスに行ってそこでも勉強していた。4時ぐらいになって、頭が働かないなあと思ってから帰宅して、寝た。2時間ぐらい。起きたからごはんを食べた。ふとすごく寂しくなった。怖くなった。あさってになればテストが始まる。すごく難しいテストだ。ぼくはそれと対峙するのが怖い。何をどう書いたらいいのか良く分からないという焦りを回避するために勉強してるわけだけど、どう勉強してもまだまだ間に合わないような気がする。そして試験用紙を前にぼくは途方にくれるのだろう。あと今すごくお金が無い。朝から夜まで忙しいのに、忙しいのだからこそお金が無いのかもしれない。寸借程度の借金がいっぱいある。就職もできそうにない。いつになったら労働の対価としてお金を得る事ができるのだろう。いつぼくはプロッフェショナルになれるのだろう。
January 30, 2005
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自分のことを弱者だと思うことはないか?ぼくはしょっちゅうだ。何かに取り組むとき、例えば難しいテスト問題を目の前にした時、就職時に面接官を目の前にした時、あと例えば好きな子の前にいる時でもいい。相手がとてつも無く強大で、隙が無いのはもちろん、かつそれを軽々と乗り越える存在が、この世のどこかにはいるんだという現実を考えた時、僕は自分の弱さに気づく。弱すぎる。どんなにがんばって、脳を使って、考えて考えて、勇気振り絞って行動力をフル稼働させたところで、ちっとも現状を打破できなかったりする。問題を前にして筆は進まないし、面接官は冷たい顔のまま。好きな子は恐らく自分を何とも思ったりしない。本当に何ともね。その弱さは凡庸さでもある。ぼく(ぼくたち)が「悪い」わけではない。難しい問題は一般人には解けない事を前提として作られる。面接で選ばれるのは5人中1人である。彼女に振り向いてもらうのにも、特別な魅力がいる。誰もが必要とされる訳じゃない。多くの人は村上春樹の「タクシーの男」で書かれたように、凡庸さという名のタクシーに閉じ込められたまま一生降りられない。窓を開けてみるとか、そういうことができたとしても。もっともそれは所詮相対的なものだ。弱さも凡庸さも、絶対的な形で存在するなんてありえない。自分の境遇を思いっきりなげいてみたところで、時によっては他の誰かに非情なジャッジを下したりもする。また絶対的に弱さや凡庸さから抜け出す事だって不可能だ。天才にだって階級はある。何段階も何段階も、数えきれないぐらいある。かつて18歳でノーベル賞を受賞したオーストリア人の科学者(名前は忘れた)がフォン・ノイマン(コンピューター、量子論、ゲーム理論の原型を作った人)を評してこう言った。「彼は我々と同じ人間なんかじゃない。」ん?「我々」? その中におれは入っているのか??だからといって決して絶望なんてしたりしない。例えば何かを成し遂げようとした時に、それはそこに可能性があるから、トライしようとするのか?そういう人もいるかもしれないし、その価値観を否定しないが、ぼくはあくまでそうしたいから、そうしようと思う。不自由の中の自由で結構。弱者でもかまわない。それを受け入れた前提からすべては始まる。だから目の前にいるものたちに対して僕が言いたいのは、「待ってろよ」の一言だ。
January 28, 2005
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小沢健二の事を書くのは久しぶりだ。といっても、今日書くのは、小沢ファンの人にとってみたら「当たり前じゃん、そんな事今までしらなかったのかよ」と言われるようなことなので、ちょっと恥ずかしかったりする。でもぼくにとっては重要なことなので、この際恐れずに書こうと思う。「ぼくらが旅に出る理由」は、言わずと知れた名曲である。さっき恥ずかしいといったのは、ぼくは何年かの間この曲を、一人称の主人公(つまり「ぼく」)が旅に出て、恋人と別れる内容だと思っていたからだ。なんだって「ぼくら」が旅に出る理由だから。真実はもちろん違う。一応歌詞をコピペする。心がわりは何かのせい? あまり乗り気じゃなかったのに東京タワーから続いてく道 君は完全にはしゃいでるのさ人気のない秋の渚 ぼくらだけにひらける空“元気でいて”とギュッと抱きしめて 空港へ先を急ぐのさ遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよぼくらの住むこの世界では太陽がいつものぼり喜びと悲しみが時に訪ねる遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らしぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり誰もみな手をふってはしばし別れるそして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いたこんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの とそれで僕は腕をふるって 君にあて返事を書いたとても素敵な長い手紙さ 何を書いたかはナイショなのさ遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよぼくらの住むこの世界では 太陽がいつものぼり喜びと悲しみが時に訪ねる遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らしぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり誰もみな手をふってはしばし別れるそして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間せつなくてせつなくて胸が痛むほど遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ!ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり誰もみな手をふってはしばし別れる以上を見て分かるように、明らかに旅をするのは彼女の方だ。「遠くまで旅する恋人に」と書いてあるし、「そしてきみは摩天楼で」もその意味ととれる。小沢健二の才能は、にもかかわらず、タイトルを「ぼくら」とするところだろう。ぼくらにはみんな旅に出る理由があるのだから、今君が旅に出るとしても、それは悲しむべき事態だとかそういうのじゃなくって、そうあるべきことなんだよ、という姿勢が、すごく好きだ。
January 27, 2005
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この時期はとにかく忙しい。テストが近く毎日が格闘の日々。そしてゼミの課題が発表されて行く。「戦争はなぜおこるのか」、むむむ、書きづらいこの上なし。しかも2000字の制限つき。テーマの割に短すぎる。発表から3日後に提出。かくしてぼくの携帯スケジュール表1月23日には「終日戦争」と書かれることなった。なんとか書き上げたので、その日のブログとして載せる。ブログというものを最近よくかんがえる。最初の頃、生活の様子を延々とブログで書くことが理解できなかったりしていた。知人ならともかく、赤の他人の生活を見ても「ふーん」じゃないかと。でもそのうちそういったブログを楽しく見ている自分もいたりして、同じ曲を聴いたとか、同じ本を読んだ、そういうのを見つけるととてもうれしかったりする。そういう意味で、純粋な赤の他人なんていないんだ、みんなどこかでつながっていることを実感できたのはブログのおかげかもしれない。その一方で、生活と全く関わりのない話も好きだ。音楽の話、政治の話、恋愛の話、いろんな要素が多くあることで、人間の可能性というものを感じてわくわくしたりするわけで。今はこの自由に何でも書ける空間を持てたことがとてもうれしい。
January 24, 2005
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「戦争はなぜ起こるのか」という命題考える際に、まず思い出されるのが、かの有名アインシュタインとフロイトの書簡による問答である。「ヒトはなぜ戦争をするのか?」と問うたアインシュタインに対して、フロイトは戦争は人間の本能であり、破壊の衝動を人間から取り除く事は難しいと答えたとされる。しかし本当にそう言い切れるだろうか?おそらく私たちの99%以上は一生人を殺さないだろう。この意味で破壊的衝動はコントロールされているのではないか?それならば国家としてのコントロールは考えられないのか?この文章では国家による戦争と個人による殺人と対比したい。従って本文においての戦争とは素直に「集団的な殺人」での意味の戦争である(経済戦争といったものは、考えない)。また「戦争はなぜ起こるのか」は「国家はなぜ戦争を発動するのか」へと読み替えたい。後者の方がより「戦争実現の意思」が強調されている点で意味がある。もちろん戦争は突如自発的に発生するわけではない。そのような宿命論的な見方は、いったんここで否定する。戦争が国家の意思で発動されるとすれば、それは個人の意思で殺人が起きることどのような違いがあるのだろうか?一つ考えられるのは、国家は多くの個人の集合体であることで、より行動に国民の多数を納得させうるような合理性が必要とされるのではないかということだ。民主主義国家なら当然の事だが、いわゆる独裁国家ですら、全く国民の意思を無視した政権というのはありえない。情報操作や教育による洗脳通じてではあるが、国民を説得する作業は不可欠となる。従って国家が、全く個人でいう責任無能力者のごとく無目的・無差別な戦争を発動することは考えにくい。この点において、ヒットラー時代のドイツや軍国主義日本のような、国家全体が狂っている状態で戦争に突入したとされている戦争も例外ではない。次に、個人の意思による殺人の場合を考えた際に、人を殺す事は、行動としてはたやすいと気づく。しかし私たちが日ごろ殺人を対人の手段として考慮しないのは、非難に直面するからである。一つは道徳的(主観的)な非難であり、もう一つは社会的・法的(客観的)非難としてのサンクションである。この二つの非難を考える際に、前者については克服しうるとも考えられる。すなわち道徳的非難に直面しない殺人がありえる、ということだ。例えば目の前で親類を次々と殺していき、今に自身にも襲ってこようとする殺人者に対して、道徳的非難にさいなまれる期待可能性は目覚しく下がるだろう。次に社会的非難としてのサンクションを考えた場合に、これ自身も乗り越えられ得ないものとはいえない。例えば刑罰を全く受けなくて済む特権的地位、あるいはサンクションを厭わない目的意識がある場合が考えうる。しかし生活していく上で個人が二つの非難をそろって乗り越えることはやはりむずかしく、かくして私たちは一般的に殺人そのもの=「悪」という認識を持ちえているのである。これに対して戦争はどうだろうか?例えば日本や欧州といった第二次世界大戦の戦禍を余すところ無く受けた国々は戦争そのものを悪と結びつきやすいが、それが全世界の常識というわけではない(日本ですら最近その認識は疑われつつある)。多くの国家で戦争は必要な外交手段として、また他の苦しんでいる社会を救うための解放手段としてすら認識されている(中国の人民解放軍は、まさに名称でその理念を現している。またアメリカのイラクへの侵攻もそのように解する見方も多い)。さきほどの個人が人を殺そうとする際に直面する非難と結び付けて考えれば分かりやすいが、道徳的な非難に関して言えば、無差別戦争論を否定する正戦論が普及し、それを我々が正面から否定する言葉を持たない今となっては(ヒットラーに対して宥和せよといえるのか)、道徳的非難に直面しない戦争は容易に想像しうる。私たちにできるのは、せいぜいその道徳性のうさんくささを検証することである。法的非難に関して言えば、問題はさらに単純となる。未だに国際社会において、法化は国内法に完成していないし、完成し得ないという見方も根強い。従って国家単位においては、この世界は道徳的な基準、法的基準ともにあいまいであり、その分問題解決に対して戦争という行為を発動することが誘惑的である。もっとも、だからといっていつまでも戦争は必然的に起こり続けるものだという悲観的な結論は出したくない。歴史的に見れば、現代の方が昔に比べて、一般的に戦争は起こしにくくなったのはやはり間違いないであって、個人という角度で見ても、殺人そのものを悪として忌避するようになるのには、原始から長い年月を経て形成されてきたのである。人間そのものがヒト同士で争い、イエ同士で争い、ムラ同士で争い、クニ同士で争い、国家同士で争うようになってきた流れを見れば、今は世界的に法化の形成途中であるという認識は可能であろう。また戦争がいくら「誘惑的」であるといっても、その誘惑は賭博的なものであり、おいしいケーキやかわいい女の子といった一般的な誘惑性を備えているとは言いにくい。過ちを繰り返す危険性と、賭博に負けた痛みから教訓を得る学習性の双方を人間と、その集合体である国家も備えているのであり(その意味で、日本国憲法における9条は、合理的自己拘束としてみるべきである)、第二段落冒頭に記した合理性のもとで、「起こるべからざる」戦争を減少させていく可能性は十分に期待できるものと考える。
January 23, 2005
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携帯電話と言えば、大抵の人はドコモ、ボーダフォン、auのうちのどれかを使っていると思う。ぼくは6年間ボーダフォンを使って、去年auに変えたばかりだけど、イケてる人はドコモを使うというイメージがなぜかある。なんていうか、なんとなくカッコイイなと思う男の子、きれいと思う女の子はのメアドは、~~~@docomo.ne.jpが多かった気がする。気がするだけなんだけど。その話を友達としたら、そいつも同じようなイメージがあると言って、二人で「なんでだろう」と考えてみた。といっても、元からそんなイメージがないという人からしてみたら全くの妄想なんだけど。でもそういう妄想が楽しい。一つ説得力のある仮説ができた。ぼくが昔ボーダフォンを使っていたのは、Jフォン時代から家族割り引きがあって、携帯が普及して、もうさすがに持ってないとダメだろっていう時期に家族と一緒入ったからだ。去年会社を変えたのは、携帯を落としたので、いっそ学割の効いてるauに乗り換えようと思ったからだ。つまり、ボーダフォンユーザーやauユーザーは、家族と一緒に初めて携帯を買うとか、大学に入って初めて携帯を買うような、やや世の流行から遅れた「ダサい」人が多くて、その一方でドコモしかなかった時代から携帯を持ってる人というのは、やっぱりどちらかというと流行に敏感で時代に乗って「イケてる」人たちで、その流れが続いてきてるのではないでしょうか(←超乱暴、あとあくまで「イケてる」、「ダサい」と「」つきであることに留意していただきたい)なかなか納得しかけてたところ、もう一人友達が来て、話を聞いたあとに言った一言。「でも、田舎の人はみんなドコモを使うよ。だってドコモしか電波届かないもん」うーん、でもやっぱり妄想は楽しい。
January 22, 2005
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ぼくが大学で一番苦手なものは大人数授業だ。特に三年からは、ほとんど全ての授業が、700人以上収容できる大教室で行われ、もちろん出席を取る事なく、先生が前でひたすら100分間しゃべり(黒板をとることはまず無い)、それを生徒がせっせとノートにとって終わる。コミュニケーションとか、発言とか、そういうのゼロ。例えば週に何コマかそういう授業があるならいい。しかし、ほとんどの授業(性格にいえば、たった一コマのゼミの時間を除いて)がそれだと、ちょっと耐えられない。かくしてぼくは授業をさぼりがちになる。先日その一コマのゼミコンパが開かれて、雰囲気が砕けてきたので、思い切って先生に聞いてみた(先生も同学部出身)。「マスプロ授業は良くないと思うのですが」と。先生はこう答えた「もちろんあんなのぼくがいた時代からずっと変わらないし、ずっと良くないと思ってきた。でもそれが今も続くのは、きみたちが良く授業を聞いてくれるからだ」一瞬のうちにすごく納得してしまった。確かに法学部の授業で、あれだけの人数がいるにもかかわらず私語が聞こえる事が全く無い。隣の人と小声で話そうとしただけで、回りの人に目で注意されてしまう。他大の友達が遊びに来る時に一番驚かれるのがまずそのことだ。仮にもし私語がうるさくなってしまったらどうなるだろう?まず間違いなく「しゃべりっぱなし授業」は成立しないと思われる。対して面白みのない授業を、全く私語もせず100分間、一日4コマ受け続ける忍耐力。とりあえずこの一点がすごい。しかしもちろん、全ての学生がそのように忍耐強いわけではない。やはり耐えられないと感じる人がぼくを含めて大勢いる。出席を全くとらない以上、必然的にサボることとなる。そこで今度は「シケプリ」が登場する。その説明については、コピペする。ー東大生のテスト対策として特徴的なのは「シケプリ」の存在です。シケプリとは、試験対策プリントの略、すなわち、試験に出そうな範囲を要約したプリン トです。これを丸暗記すれば試験はOKという代物です。 こんな物がその辺に転がっているなんて話はあるわけはありません。これを作るのが、「シケ対」、試験対策委員です。これは、学期始めに履修者が多い科 目を優先して、シケ長(試験対策委員長)から指名されます。シケ長は、他クラスのシケ長とパイプを持ち、シケプリを融通する必要性から有名高校(K成、 T駒、G芸大付属etc.)の出身者が多いです。うちのクラス文一文二17組のシケ長は、K成の出身です。 こうして決まったシケ対は、授業にきちんと出席してシケプリを作れるくらいの理解はするという責任を負います。あくまで責任です。義務ではありませ ん。責任感の強い人は、小テストや宿題の解答まで丁寧に作ってくれますが、ノートのコピーだけとか、「すいません。あんまり聞いてませんでした。」とい う謝罪文も時々見受けられます。 テスト前のコピー機は修羅場と化すようです。シケ長が予約を取ろうとしていました。ー 以上引用これはつまり、マスプロ授業への組織的対策だ。そっちが個性を重視した授業をしないなら、こっちも役割分担で力併せて取り組むぞ。という意志がある。現に、シケプリはかなりしっかりしている事が多い。優秀なものは、それだけで本として出版できるのではないかと思うほどだ。忍耐力が無い人は、機転と団結で乗り越える。この点もやっぱりすごい。しかし、そこで考えてしまうのは、どうしてマスプロ授業自体を無くそうという試みは今まで生まれなかったんだろう、ということだ。よく日本の大学は教育レベルが低いと言われるが、その元凶はマスプロ授業なのではないか。あんな無機質な教授方法で、やる気を出せという方が本来は無理がある。それを学生たちは涙ぐましく乗り越えようとしている。忍耐力で、機転で、団結力で。しかしこの三つがあれば、学校側にもっといい授業プランを提案して受諾してもらうことだってできるじゃないか。そこに、いわゆる「官僚的な頭の良さ」の限界があるのだと思う。つまりあくまで現状の中で最善を尽くすことを考え、現状の打破や改変までは行き着かない、ということだ。そこにはメタへの視点が、いい意味にしても悪い意味にしても欠けている。同じ事は第二次世界大戦の日本にも言えると思う。誤解を恐れずに言えば当時日本の軍隊は優秀だった。アジアの一後進小国が米英を敵に回してあそこまで戦えるのは相当にすごいことであって、このことはその戦争の正当性とは一応、関係なく認められることだ。しかし、メタな問題としてそもそも米英と戦う必要があるのか?戦うべきなのか?この問題について考えた人は、いないわけではないとしても、その時に意見として提出するのは大きな勇気が必要とされたし、徒労に終わることとなる。とはいえ、さっき「いい意味にしても悪い意味にしても」と書いたのにはわけがある。大きな前提を受け入れた上ではなく、その前提そのものを疑い、覆すこと。これは一歩踏み出せば革命になる。もちろん覆った後に何が待ち受けているかなんてわからない。ひょっとして今までに蓄積されたいいものがごっそりなくなった上に、より悪いものが多く積み重なってるかもしれない。いわゆる革命を体験した国、人たちの運命を見れば一概にそれを肯定するわけにはいかない。例えば大学でマスプロ授業が廃止されて少人数制授業になったら、その分教授と教室の数が多く必要となるだろう。その分のお金はどこから出るかといえば、もちろん学費であり、国立大学の場合は税金となる。その覚悟がぼくたちにあるのだろうか。また、生徒を減らすというのも選択肢としてあるかもしれない。しかしその場合にぼくは果たして残れるのだろうか・・・?かつて習っている法律学のあまりの細かさにいやけがさして、友人にグチったことがある。「法律はなんでこんなに複雑なんだ!」もちろんウサ晴らしの意味のないグチだ。こんなのをこぼされても困る。しかし友人の返答は素晴らしかった。「法律が複雑なんじゃない。現実が複雑なんだ」結局そういうことなんだと思う。
January 20, 2005
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言論の自由が建前として存在する日本で最大のタブーは何か。天皇だ。朝日新聞にしろ産経新聞にしろ、天皇についての記事には、ほとんど相違を見出せない。かの共産党すら、ほとんど天皇制を認めてしまった。日本に一つぐらい天皇制反対の党があっても良いのではないかと思うが、そもそも一般マスコミで天皇を真剣に論ずる事はほぼない。それは天皇をまじめに批評するのは本格的な危険を伴うからとされている。嶋中事件、というのがかつて起こった。ことの詳細は以下のURLを見ていただいて、http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/simanaka.htm結論から言えば、天皇と表現の「闘い」に於いて、表現側の敗北を決定付けた事件とされている。しかし本当にそれだけで表現側は「連戦連敗」を経て、本日の沈黙に近い状況にまで陥ったのか。嶋中事件のような(本人のみならず、周辺に蔓延する)テロルの恐怖や、村上春樹に代表されるような黙説法(中心について具体的に触れることなく、周辺のディテールを凝ることで、読者に中心への興味を駆り立てる手法)全盛など、これらは全て立派な理由となりうるが、脳裏でなかなか拭いきれない考えのひとつに「そもそも天皇は表現者にとってそれほど書くに値しない存在なのではないか!?」がある。何故なら私には、表現者が純粋な外的な原因に束縛されて書かなくなるような器用なことができる類の人たちだと思えない。それはむしろ本質として自己中心的・破壊的な性格を持っていて、内からの著作の欲望が確かに存在すれば、それは自身を滅ぼそうが、また周囲を滅ぼそうがお構いなしに作品を産み、それを世に問うのではないだろうか。そのようにして作品が作られるのではなく、むしろ自ら生まれるものだとすれば、文学が一貫として、天皇側の巧みな接近=遮断・中心を遮る黙説法の戦術に敗れ続けてきたという構図は少し変化するのではないだろうか。つまり、本来ならこの敗れ続ける体験こそが新たな文学を育むのである。しかし現状として今日では小説でまるで存在を忘れ去られているような天皇は、ひょっとするただ、それほどリスクを犯してまで作品に登場させたいと思わせる「強度」が欠けているに過ぎないのではないのか。 たとえば小説の人物としての、中国での毛沢東の書かれ方と日本での天皇の書かれ方の違いを見ると興味深い。すなわち、現実にアジアで最も民主的であり、法治のシステムが完成されている日本で天皇を扱う文学が今日ほとんど皆無であるのに対し、人治の国であり、具体的かつ力強い禁令のもとで中国には毛沢東を扱う文学は溢れているという現実だ。もちろん、一定の限度を超えた批判的な内容をもつものには、実名で登場するとは限らない。しかし誰が見ても明らかにそうであろうと分かるような書き方を通じて(島田雅彦「惑星の住人」のフジコのように)、作者が批判・風刺をすることは文学でありふれたことであり、その一例は中国の代表的作家である張賢亮の「無法蘇醒」(目覚めることができない)に見て取れる。これは、題名から見て分かるように「風流夢譚」と同じく作中の出来事を作者の夢ということにしている。主人公の「ぼく」は文化大革命時に迫害された知識人で、改革開放後に科学者としての地位を回復した者であるが、ある日突然逮捕されてしまう。しかし何故逮捕されたかといえば、それはただ文革中に犯した「偉大なる毛主席を侮辱した罪」で科せられた懲役18年のうち、文革終了時にまだ8年残っていて、当時の釈放文面に「無罪」の2文字が欠けていたために、それを今からつぐなうためという理由であった。既に世界的知名度の高い主人公を何とか釈放しようと市長・書記長および副市長たちは夜を徹して会議を開き、「ぼく」の過去の言動の資料を吟味しなおしてみる。「ぼく」の言動の多くは既に名誉が回復された政治家たちを擁護するものだったので問題なかったが、毛沢東を批判したものについては、無罪という判定を下せないのだという。役人たちはそこで苦悩するのだ。それは次の対話をとって現れる。「現に私の娘などは、未だに幼稚園で「毛主席は心の赤い太陽」と歌わされているんだから、こんな批判的な言論がまかり通ったらどうやって子供たちに説明しろと」「冷静に考えてみたまえ、文革が終わった時、あのじいさん(=毛沢東)について少しばかり過ちを総括したことは確かだが、それが十分なものだったのか、もし違うとすれば何でできないのか、そんなことは、言わずとも天下皆知っていることだ。こいつ(=ぼく)は理系のくせに政治に口出しするから始末が悪い」・・・「ぼく」はとうとう釈放されない。それどころかある日監獄の外が大騒ぎとなる。何事かと見てみれば、再び文革は始まり、自分の助手や息子までもが造反派となって捕らえられている「反革命分子」の自分を批判しに来ているのだ。「ぼく」は目の前が真っ暗となり倒れてしまう。「風流夢譚」と違うところは、ここで夢が終わるが、「ぼく」が目覚めることはない。「ぼく」は夢の中の恐怖による心筋梗塞で死んでしまうのだ。 この小説は80年代中期に発表された時、猛烈な批判をこうむることになる。この作家の経歴を調べてみると、57年の反右派闘争時に右派とされてから、なんと文革終了時まで逮捕5回、18年間監禁生活を強いられるという経歴を持っている。言論の自由が確立されていない中国で、上記のように毛沢東を名指しで揶揄するような小説を出すことは、作者にとっても出版社にとっても、そのリスクを考えれば遥かに60年代初頭の深沢七郎と中央公論社より大きい。しかしこの中国の作家には、そのリスクを冒してまでも筆をとらせる、毛沢東及びそれによって作られた共産党専制社会の「強さ」があるということだろう。この場合文学は、まさにそれに「要請」されて生まれたと見るべきである。作者は、作品の中で文革という政治運動の恐ろしさと、それを引き起こした毛沢東、意図的に総括も反省も十分にしないまま支配を受けついた共産党支配層を痛烈に批判し、同時に時代の逆流に対する強い危機意識を露にしている(作中の主人公の名前は中国語でZHAO JIU、「昔のまま」という言葉と同音である)。そのおそらく自らの痛切な体験を基にした記述には、作者の確固たる信念・思想性を見て取れる。そしてそれは同時代を過ごした多くの人々に共有された体験であり、実際上記は同類の作品の一例に過ぎず、これ以降も(自主規制ではなく)厳格な検閲制度ある下で、様々な創作のジャンルで作家と出版社の慎重かつ執拗なタブーへの挑戦は続けられていく。もう一つの端的な例として、天安門事件の一年後に、人民日報海外版の文化面に載せられていた詩が、斜めで読むと「李鵬失墜すれば万民之を歓ぶ」になったことも挙げておこう。これに対して、日本文学の天皇に対する姿勢を、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言第2巻」末章の「かばやきの日」に即して考えると面白い。本作品で、まず作者は明々白々に自分は天皇に対して一切恨みがないどころか、皇族が日本で恐らく一番世間に気を遣う大変な家族であり、皇太子にしても雅子さんにしても良い青年であるから、成婚に対する悪い感情も全く無いと断りを入れる。しかし、天皇の存在を勝手に持ち上げて定義し、それによって己を権威付ける右翼に対する反感があるとした上で、自分はギャグ漫画家であり、ギャグは厳粛な場面を下らなく茶化すことによって生まれるものだと主張する(この部分の挿絵として、葬式でお経を唱える坊主の後頭部に落書きする子供、それを見て笑いをこらえる大人を描いている)。だから相手側が厳粛と振舞おうとすればするほど、漫画家としての性がうずくのだとして、「本当に何の思想性もないから」と強調してから、留学中に過激派にそそのかされた雅子様がパレード時に爆弾を周囲に投げる「ロイヤル爆弾」という超弩級のギャグが展開され、末尾に「これが普通に雑誌に載っていられるような寛容さが社会にほしい」と結ばれる。この時期のゴーマニズム宣言は内容的にもリベラルであったが、この章は皇太子・雅子成婚に関する内容であったため、当時掲載されていた「SPA」の自主規制にあい、作者はこれを「ガロ」に持ち込んでノーギャラで掲載したことでも良く知られている。この作品で読み取れるのは、タブーである天皇を描こうとする動機が何か?実は、単にそれがタブーであるからだということに他ならないことである。日本の天皇は、すごく乱暴な言い方をすれば、近代以降は時代の権力者に都合よく利用される、ほとんど主体性を持てなかった存在である(そういう意味で、本当に天皇に「意味」ではなく「強度」を感じていた真性右翼はどれほどいただろうか)。従って私たちが天皇を考えるというのは、往々にして天皇を「神聖不可侵」と意味づける体系や、「国民の象徴」と意味付ける体系を考えることであり、実際に天皇本人、例えばその人間性などを考えることは少ない。天皇本人は、何もしていない(できない)し、そして天皇の存在そのものでさえも、民主主義思想が全盛の今日では自明的とはいえないが故に、天皇に対して良かれ悪かれ一定以上の感情を持つというのは現代の一般人にとってもはや不自然なことである。例えば成婚パレードに大勢の人が詰め掛けたとか、皇室の特番が高視聴率を取るといった事象の中から、安易に「国民に愛される天皇像」を抽出しようとするのはたやすいが、それは既にワイドショーのアイドルとして消費されている存在でしかない。時々テレビで皇室を見るとき、私はこの日本の天皇という存在が国民にとって、大衆の不可侵的なアイドルたち、例えば長嶋茂雄や山口百恵と本質的にどう違うのだろうと考えてしまうことがある。アイドルは空洞であるために偶像としての意味がある。しかし空洞である以上強度は無い(その意味で、例えばスキャンダルだらけで、コメディーなどでも風刺の対象となる英国王室が日本のそれとくらべ、どれほど国民に対して強度を持っているかを考えると面白い)。だからそれをさもものものしく、過剰に持ち上げて定義しようとする環境に対し、我々がうさんくささに似た不信感を覚えるのは当然のことで、ギャグ漫画家ならずとも、「茶化そう」とする欲求が生まれてくる。そこには確固たる信念や思想といったものは、天皇の存在自体がそれを要請するほどの強度を持たない以上、必要ともされてないのである。しかし確固たる信念や思想性の不在は、当然圧力というリスクに屈しやすい文学の構図を作り出してしまう。小林よしのりのマンガ表現を借りれば、子供である深沢七郎らがインチキ坊主(?)の天皇のつるつるとした後頭部に落書きするのを、あとで親ともどもこっぴどく怒られて懲りてしまうように。もちろん、全ては天皇側が、意図的に高等な政治技術によって、ただ自らを「書くに値しない存在」に身を隠しているともいえるし、必ずしも強圧な外見を伴わずに大衆を飼いならしてしまうのが権力の恐ろしいところであろう。映画「マトリックス」は、我々はいかにも自由に生きているように見えて、実はただ脳に管を繋がれていて、そこからエネルギーを吸い取られる代わりに幻像を提供されているに過ぎないという悪夢のような構図を示したが、民主主義政権の下での大衆と権力を考えた時にそうでないと誰が言い切れるのか。無力か、狡猾か、私たちにとっての現実とは何かを考えた時に、それは興味の尽きないテーマである。
January 15, 2005
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ぼくは知的な人が好きだ。と言うと多分感じ悪いと思う。と自覚して防御する姿勢を取るのも、またいやらしい。とにかく、こういう発言はなるべくしないようにしている。でもやっぱり恐れずに言いたいと思う。頭の悪い人はあまり好きじゃないと。でもぼくの今言っている「知的さ」、や「頭の良さ」は、実際にどれだけの知識があるかとか、学歴があるかとか、そういうものとイコールではない。今日友達と喫茶店でも話していたけど、ぼくの中で「知的」というのは生きていく上で、無知である自分に甘んじないという態度であり、姿勢である。難しいことはつまらない、めんどくさい、考えたくない。そんなもの知ったって社会に出て何かに役立つの?知識は重要じゃない、発想なんだ。机に向かうのは重要じゃない、コミュニケーション能力だ・・・エトセトラ、エトセトラ。こういうことを軽々しく言う人は大抵苦手なタイプが多い。自分の言葉で話しているつもりで、実はすごくつまらなかったりするから。やっぱり話していて、深みも広がりも感じなかったりするとうんざりするし、一緒にいて刺激を感じなかったりするのは勘弁だ。そこらへんをいかがわしい「社交力」とやらでごまかそうとするのもやめてほしい。分かるから。ついでにいえば、最近ぼくは、今日話した友達を含め、なかなか一緒にいて張り合いのある方々に恵まれている。だから、毎日わくわくしている。
January 14, 2005
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ブログでややこしい政治問題に触れることはあまりいいことではないだろうけど、昨日今日とこのニュースを知って自分の中では何かいたたまれない感情があった。事件のあらましは簡単にヤフーからコピペするNHK番組制作局の長井暁チーフ・プロデューサー(42)が13日、東京都内で会見し、昨年末にNHKの内部告発窓口「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に、2001年1月に放送した番組で「政治介入を許した」として、調査を求めたことを明らかにした。 この番組は「戦争をどう裁くか」。民間団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が開催した「女性国際戦犯法廷」を取材したが、同法廷が昭和天皇と日本国家の責任を認める判決を出した点などに触れなかった。 バウネット側は同年7月に「事前説明と異なる内容に変更された」として東京地裁に提訴。昨年3月、制作会社に「事前説明通りの番組になるとの期待を抱かせた過失がある」と賠償命令を下す判決が出ている。 番組を手掛けた長井プロデューサーによると、中川昭一衆院議員、安倍晋三官房副長官(当時)らが、放送直前に同局の国会対策担当だった総合企画室の野島直樹担当局長(現・理事)らを呼び出し、番組の放送中止を要請。NHKでは、当時の松尾武放送総局長の指示で一部をカットし、通常44分の番組を40分に短縮して放送した。 長井プロデューサーは「不利益を被るかもしれないと、この4年間悩んできた」とした上で、「NHKは独自の判断で編集したと説明しているが、現場の声を無視し、政治的圧力を背景に番組を変更した。幹部の責任は重大」と語った。 この問題について、中川氏は「公正中立の立場で放送すべきと指摘したもので、政治的圧力をかけて中止を強制したのではない」、安倍氏は「明確に偏った(放送)内容と分かり、公正中立の立場で報道すべきと指摘した」とする談話を、それぞれ発表している。 ------引用まずこの問題について、NHKが放送を予定していた内容、つまり慰安婦が本当に存在したかどうかとか、昭和天皇と日本に責任があるかどうかといった議論をここではしたくない。重要なことは安倍氏と中川氏のしたことが政治介入として憲法21条及び放送法3条に触れるかどうかである。私見ではあるが、仮に放送前の出来事だとすれば、二人の行動は明々白々な政治介入で、許されないことだ。憲法第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】 1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 放送法(放送番組編成の自由)第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。この場合、憲法はあくまで一般規定だからそれほど意味は無い。一方で放送法3条は明確に法に触れない限り番組作りを干渉されないとしている以上、二人の行動が客観的に干渉となるかどうかが問題である。安倍氏・中川氏の言い分としては「番組自体どうこうせよではなく、あくまで放送は中立となるように助言した」ということになっているが、二人は以前から慰安婦問題や戦争責任問題についていずれもタカ派的な立場をとっていることが明確である以上は、要は番組内容が気に入らないという意図が制作者に伝わったら、政治家としての立場を考えればそれだけで圧力をかけたことになるのは当然のことだろう(NHKが実際にその圧力に屈したかどうか、はこの際問題とならない)。ちなみに両氏を支持するたちの言い分としては、番組の内容が偏向していて、中立じゃなかったのがそもそも悪いじゃないのかというものがある。国内放送の放送番組の編集等)第3条の2 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。1.公安及び善良な風俗を害しないこと。2.政治的に公平であること。3.報道は事実をまげないですること。4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。これを見る限り、確かに放送の内容は中立的でなければならないと言う風に書いてある。しかし問題なのは、なにが「中立」であるかを誰がどのように判断するかということだ。政治的に偏った番組は、左寄りにしろ右寄りにしろ公共の電波で流すのは好ましくない。もし全ての人から公認された「中立の人」がいて、その人が事前に全てのテレビ番組を審査して放送してくれれば何も文句は無い。しかしもちろんそういうわけにはいかない。というより、多様な価値観こそがもっとも全体としての中立へと近づくことを考えれば、自由な番組を作り、自由な批評を許すことこそが3条の2の趣旨というのにふさわしい。こういうことを書くと「じゃあテレビが何を流してもいいのか?」「真昼に全裸を流してもいいのか?」と言う人が絶対いる。でもそれはマクロとミクロを取り違えている。世の中には99%以上の人が悪いと感じることがある一方で(例えば「黒人差別は正しい」という番組を流すとかね)、評価基準が定まっていないものごとが多々ある。そういったものごとを発表して積極的に人々の賛否批評を問うこと自体に意味はある。逆に「世の中の99%以上の人が悪いと感じていることが、果たして本当に悪いのか」という趣旨に立った番組だって考えられる。制作者がそれを世に出すことで受ける批判を覚悟しているのならぼくはそれでもいいと思う。次に、その番組で放送しようとしていた「人民法廷」が、被告側弁護人のいない一方的なものだという指摘がある。しかしそれ自体が不当なものであることと、それを流してはいけないというのは全くの別の問題である。NHK自身がそのような法廷の存在をでっちあげて作ったならともかく、実際にあったものを取材して「こういったことが行われます」と放送することに大きな問題があるとは思えない。仮にNHKが好意的に放送したとしたら(そうだったのかと言う事実すら、肝心の判決場面が削除された以上は分からない。このように削除と言う行為は、削除されたものごとへの是非の評価を不可能にすること自体に問題があるのだ)、あくまで視聴者によって事後的に批判されるべきだろう。現に社会的に大きな視聴者の批判は、今までの例でも分かるように放送局にとって十分な制裁となる以上、この場合に事前抑制の必要性を認めることが出来ない。「良い、悪い」「公平」「中立」と言った概念は、抽象的で人によって解釈が違うのだから、政治態度が明確な政治家が事前に「中立に」と助言するのは、立場を利用した政治介入と取られて当たり前である。二人の間違っている点は、自身の判断によって、視聴者の判断の機会を奪った事だ。政治をチェックするのがマスコミの役割であって、マスコミのチェックを政治が行ってはいけない。放送法3条が「良い干渉はいいけど、悪い干渉はダメ」といった書き方をしていないのは、善悪自体が基準として不明確だからに他ならない(戦前日本や現在の北朝鮮で行われている検閲も、当局にしてみれば「良い干渉」に違いないのだから)。いちいち何が良くて何が悪いかを指摘するよりも、当人の価値観にかかわらず一切の干渉・規律を禁止する事で放送の自由を守ろうとしている趣旨がわかるはずだ。何がいたたまれないかって、毎度おなじみ2chの反応だ。2chにいる人なんかほっとけと言われるかもしれないが、2ch程度の見識で物事を見る人が意外と多い上に、そうでない人の多くは2ch程度にも物事を考えない(「政治の話は難しい、理屈っぽい・・・」、でもぼく的には昨日のドラマの感想と恋愛ぐらいしか語れない人の方がよっぽど退屈だ)。さてその2chでは予想された事だが安倍・中川両氏の「良い干渉」についての賛同意見が多かった。口すっぱく言うように「良い」「悪い」じゃなくて干渉自体が問題なんだと言った所でどの程度通じるだろうか。このブログを読んだどのぐらいの人が共感、と言うよりこの問題について考えてくれるのだろうか。PS.これを書いてる最中にNHKから「一切政治介入を受けていない」という発表がなされた。金銭不祥事についてのNHKの釈明については一切信用せず、この発表についての真実性は疑わない人がいるということが信じられない。というより、そのような人は信用が出来ない。
January 13, 2005
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居心地のいい場所三つ挙げろと言われたら即座に答えられる。・図書館・喫茶店・ファミレス図書館で勉強はしたくない。本がたくさんあるっていうだけでわくわくする。全部手にとって見たくなる。ほどよく神聖で、ほどよくミステリアスなところがたまらない。喫茶店はとにかく好き。女の子と会うとしたらまず喫茶店で話したいなって思う。おいしい紅茶を入れてくれるとこなら言う事なし。ファミレスは勉強とだらだら友達と話すのに一番向いてる場所かもしれない。ドリンクバーさえあれば何時間でもいれる。そしていずれの場所も小沢健二の曲がすごく似合う。
January 12, 2005
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オザワジュテームという番組を初めてみた。本当の意味で初見の小沢の姿は久しぶりで、真剣に食い入るように見た。画面の中の小沢健二(「犬キャラ」発売前夜)は当時26歳とはとても思えない幼い顔立ちで、非常に限られた範囲とはいえ(92年当時のCS制作番組)電波に乗せていいのか、と見てるほうが心配しちゃうぐらい冷たい目でキレた言葉を発していた。(フリッパーズについて)「フリッパーズは髪を短くしてから昔髪長かった頃の写真を見ておかしいねと思うような感じ。それ以上のこともあるかもしれないが、そんな事を考えながら音楽を作る事はできないし、音楽作る以外の時間でもそんな事を考えるよりかは週末をどう楽しく過ごすとかそういうことを考える。そこから抜け出せない人は勝手にしてくれ」(要約)(作詞について)「テレビで言うとハイヴィジョンな歌詞を書きたい。白黒とか、そういうのじゃなくて。『みんな友達だ』とかそういう歌詞は書きたくない。友達に話す時にそういうことをしゃべるのはいいけど、わざわざ曲を作る時にそういう頭の悪いことはしたくない。頭が悪いってぼくが言うといろいろ言われるかもしれないけど、それぐらいの鼻っ柱の強さが無いとやってられませんよ」(要約)そしてかつて小沢ファンの間で話題沸騰したQUICK JAPAN40号、「NYでレコーディング中の小沢健二を追って。」を久しぶりにこちらは再読した。読んだ方も多いかもしれないが、突撃取材をした女性ライターに小沢健二が取った態度は「まず無視し方向を変えながら歩いて、立ち止まってからは虫けらを見るような目で睨み付けながら、手紙だけでも受け取って欲しいと懇願するライターに『レコード会社に送ってくれる?』と三回繰り返し、『迷惑だよ!』と吐き捨て、最後に嘲笑する」(大意)というものだった。この号のQJが出た時に小沢ファンの多くの反応は(周囲やネットで見るに)突撃取材を行った当女性ライターを「無神経」と批判的なものだった。しかし当時も、今改めて再読してみてもぼくはそのライターの取った行動を良い悪いではなく、理解できる。結局なんだかんだいっても「好き」ということはその相手との距離(心理的距離、物理的距離)を縮めたいという願望と結びつかざるを得ないと思うし、そしてそのような態度をとられるというのは、同じ小沢ファンとしてショックさが想像できるだけに辛い。そしてその日の夜ぼくフリッパーズと小沢健二の曲が一晩中かかりまくるイベントに出かけた。そこには、小沢健二が大好きな人たちがいっぱいいて、一晩中小沢健二の曲を聴き、歌い、踊って、この人たちは本当に小沢健二のことが大好きなんだと実感するような、そんな夜だった。しかし誰にも負けないぐらい小沢健二が好きだと自負していたはずなのに、なぜか騒げなかった。ほとんど座って沈黙したまま時間を過ごしていた。盛り上がるみんなを見ながら、小沢健二の言葉を思い浮かべては漠然と「好きってなんなんだろう」とずっと考えていた。ぼくにとって小沢健二の音楽とは、ということを考えると、それはBGMだということにたどり着く。何年も前から何をする時も、通学中も、食事中も、図書館にいる時も、授業中も、寝れない時も、目覚めた後も、恋愛をしている時も、失恋した時も、こうして今文章を書いてるこの時も、ずっと後ろで小沢健二の音楽が流れている。同じ歌を何百回も聴いているだろう。でもやっぱり常に何かをしながら聴いている。小沢健二の音楽は、ぼくの生活と共にある。それがぼくの生活をさえぎる事は決してないんじゃないかと思う。だから場合によっては、会話ができないほどの大音量で小沢健二がかかっていてもただ「うるさい」としか思わないだろう。つまり、やはりそこには何かしらの「距離」があるし、必要なのだ。なぜならぼくたちにはそれぞれ自分だけの生活があるし、その主役であり続けるべきだから・・・。それでもぼくは小沢健二が好きだと言えるのだろうか。もしかしたらこれもすごく冷たい言葉だと受け取られやしないだろうか。と心配はしてみるが、そんなことは決してない。たくさんのことに関して、分かってくれる人が分かってくれればいいかなと思うし、分からない人とは結局分かりあえやしないってことだけを分かりあう。ここでこれ以上詳しく書くのはとても疲れるので、書かない。小沢健二本人が見たら多分納得してくれると思う。 Ozawa, je t'aime?Qui.
January 11, 2005
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・180度変わろうとはしない。・目先の視野に囚われず世界を広い目で俯瞰する姿勢を持つ。・本質的に自由である事を自覚し続ける。・自分が左右できないものごとに左右されない。・だらだらと時間を過ごさず、self madeする。・自分自身に同情しない。
January 10, 2005
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先日のブログを読んで心配してくださったみなさん、ありがとうございます。ならびにご心配かけてごめんなさい。なぜ変わろうとしたかといえば、今現在の自分にはっきりとした限界を感じたからだ。もちろんそれは前々から存在していたが、なんとなく見て見ぬふりをしていた。しかし今それはあまりにもはっきりとした「壁」となってぼくの前に現れている。それに幾度となく無謀に頭から突っ込んでは跳ね返されるうちにやっと気づいたことは、今の位置に立って同じ進み方をしている限り、また何度でもその壁に跳ね返されるだろう、ということだ。立ち位置を変えるか、飛び越えるか、力を増して助走つけて突き抜けるか、やり方はいろいろあるし、それは自分を否定することではない。「今までと同じ自分」を否定するだけだ。ぼくの古い知り合いは、何を忠告しても「それは分かるし、おれだって変わろうとしないわけではないが、人間そうそうに変われないから無理だ」と繰り返していた。そのうちにぼくは愛想を尽かした。決してそうはなるまいと決心した。大変かもしれないし、根本的な部分で本質は同じかもしれないが、それでも人は変われる。ぼくたちは本来もっと自由ではないのか。昨日までずっと朝起きて東に向かって歩いていたとしても、明日から西へ向かったっていい。なぜ変わろうとすることを恐れるのか。ぼくは恐れずに変わる。変わるきっかけを与えてくれた年上や年下の友人たちに感謝したい。
January 5, 2005
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変わろうと思った。人生で初めて、本当に心のそこから変わろうと思った。「人間そうそう変われるもんじゃない」そう分かっていても、変わろうと思った。今まで何があっても、わりと頑固に自分を貫いてきた。理解されなくても動じなかった。自信もあったかもしれないし、うぬぼれもあったかもしれない。でももうそんなものはない。今は純粋に自分を変えたい。自分らしさなんて関係ない。さようなら、今までの自分。二度と戻ってくるな。
January 4, 2005
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「冬のショパン」は、初めから終わりまで、一人の少年の目を通して描写される。少年が難しいことを考えたり、難しい比喩表現や描写を用いたりするのは不自然であるので、この小説も平易な文体で貫かれており、読者はそれにつられて知らず知らずのうちに少年と同じ目線で物語を見る(その過程でいくつか作者の罠にまんまとはまることとなる)。物語自体としては、主人公と、その家族と、隣人たちとの交流を描いたもので、ストーリーが進むうちに二人(ジャ・ジャとマーシー)が消えてしまう。読者はその描写を通じて、この小説を読了した後に淡々とした切なさを覚えるが、もう一度読むと、スチュアート・ダイベックは一つとしておおっぴらにそれらを語ろうとしないが、この小説の中で何気なく語られる一つ一つの小さな事件が、実はしっかりと歴史を踏まえ、意義を持っている事に気づく。まず、舞台となった「シカゴ」という街は、作者の実際に生まれ育った都市であると共に、またの名を「風の街」と言って、この物語に登場する人たちも、風のように都市を通り抜ける移民たちである(ジャ・ジャは、最もその性質を色濃く反映する事となる)。また、地縁的つながりのない人たちが同一住居に集い共同生活を営むというのは、都市そのものの性質とも言える。「冬のショパン」は自伝的少年小説とともに、この時点で都市小説でもある。 また、人物別の分析をすると、主人公の母は戦争で夫を無くし、その傷跡を気丈で隠しながらもしっかりと残している。ジャ・ジャは典型的な19世紀末の東欧移民で、色んな職を転々としながら、そのショパンへの知識の深さには、本人がいうようにきちんとした家の出だということの裏づけが見られる。また、そうとすれば、ジャ・ジャの流浪の背景には19世紀末から20世紀前半にかけての東欧の運命が垣間見られるだろう。また主人公の母は、やたら子供たちの丁寧な言葉遣いにこだわっており、シャーリーの家でバブーシュの最後の「黒んぼ」発言は、シャーリー家と主人公家に大きなショックを残している。時代的背景を考えれば、まだアメリカの人種差別が激しかった時期であり、一応白人に属する彼らが過敏とも思えるこだわりを見せるのは、最初にこの小説を読んだ時のぼくに違和感を与えた。しかし少しアメリカの歴史を勉強すれば、白人だからといって、アメリカで同一の扱いが受けられるわけでは決してないことを知ることが出来る。「シカゴ育ち」でこの小説の前に配置されている「ファーウェル」という短編の中では、ロシア移民の「先生」が悪ガキのイタズラに真剣に過剰に怯えたり、ロシア語書店を開くと爆弾が届いたりするエピソードがあるが、その背景には明らかに冷戦期の東西対立が存在してるのであり、社会主義諸国では国家による迫害が堂々とまかり通っていたのは周知の事実であるが、「自由主義陣営」に属する国、その代表格のアメリカでも「敵対陣営」側からの移民は偏見の中で暮らし、その視線の元で彼らが黒人差別に対しても敏感に反応するということが読み取れる。 一方で、マーシーというのは、主人公と、その親の間に位置する世代であり、その客観的情報はこの小説の中でほとんど提供されることがないが、少ない記述の中からぼくは映画「フォレストガンプ」のヒロイン・ジェニーの姿が彼女と重なると考える。「フォレストガンプ」の中では知的障害を持ちながらも純粋な心で次々と成功を収め、戦後アメリカの表舞台を歩んで行くガンプと対照的に、美人で聡明なジェニーはプレイボーイ掲載で女子大を中退,場末のステージでヌード,マリファナ,ヒッピー,ラブ&ピース,自殺未遂と常に裏の世界を歩み続ける。貧しい移民世帯の一身の期待を背負って奨学金をもらいながら大学で音楽を学びながらも、「反抗の世代」に位置する彼女はまるでそうするしかなかったかのようにその期待を最後まで裏切り続ける。小説の末尾で、黒人街に住み、自分の子供にジャズピアニストの名前をつけるマーシーと、それを一度見に行って二度と行かなくなったミセス・キュービックには興味深い差異が見られる。豊かでない移民階級に属し人種差別に敏感でありながら、それでも期待された自らの娘がこのような境遇にいることを面白く思わない母親の保守的な一面と、その母親の勧告や制止を一切振り切り、自分らしさを貫くという外観ながら、実際そこには何か深い思慮というよりも、否応なく時代の渦に飲み込まれている娘の姿である。特に自らの身分に誇りを持ちながらも、どこか自分の娘には上流階級への道を歩んで欲しかったと創造されるミセス・キュービックの造形は、この小説に深みを与えている。 ショパンで結び付けられたジャ・ジャとマーシーは、共に「消えるべきして」消えてしまう。周囲の人々はそれによって少なからず影響を受けながらも、「それにもかかわらず」生活を続けていく。その中で少年の「僕」がだんだんと成長してゆく。「冬のショパン」、たくさんの些細な出来事と、その背後に存在する歴史的事実を丁寧に織り込み、物語自体が単一の流れの方向を維持しながら、多重的な理解が可能となる作品である。
November 23, 2004
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お昼に、テレビをつけておきながら何気なく本を読んでいる時に、ついにあのメロディは流れてきた。もうその存在は知っていたが、耳に入った時にはやはりハッとしてテレビに目を奪われた。「愛しあいされて生きるのさ」がCMに使われていて、その音色はとても懐かしかった。ぼくにいろんなことを思い出させてくれた。 「ふてくされてばかりの10代」この歌詞を初めて聴いた時に、ぼくはとても救われた気がした。当時ぼくは中学生から高校生になろうとしていた10代のど真ん中だったけど、本当に毎日ふてくされてばかりいたと思う。何気ないことで悩んだり、こんなんでいいのかとふがいない気持ちになったり、周りに対していらだっていた。この国には「規範」というべきか「モデル」というべきか、決まりきったライフスタイルがあって、テレビや雑誌は一生懸命「今こういうのがイケてますよ~」って宣伝する。そしてその基準から外れたものや、はみ出そうとするものに対しては存在を無視したりする。大人になるに連れて、それをだんだん許せるようになったり、目をつぶって生きようと諦観したり、またはこうして乗り越えてやろうといろいろ策を練ることができる。でも10代の頃はというと、そういう暗部を見つける視線だけはやたら鋭いくせに、方策なんて全く考えようともしない。社会性が備わってない分だけ、安易に腹が立ち、安易にふてくされる。そしてそれを受け止めるものは何もない。世間で10代はこの上なく楽しくて、明るい時代として理解されているようで、枠からはみ出すことは、尾崎豊の歌詞、またはマンガで言えば「ろくでなしブルース」のようなこととイコールして認識されていた。でも言わせてもらえば、盗んだバイクで走り出したり、校舎のガラスを壊して回ったり、暴走族やってケンカすることで癒される事のない青春期の痛みや苦しみだってある。「ライフ」という底抜けに明るいといわれるアルバムの中で、「愛し愛されて生きるのさ」というこれまたノーテンキなタイトルの曲中に「ふてくされてばかりの10代」というフレーズを見つけたとき、ぼくはうれしかった。そしてほっとした。振り返えってみれば、それほど不幸な中高時代だったわけじゃない。もちろんそんなに華やかでもなかったけど、良き友人と恋人に恵まれ、そこそこマジメに勉強し、たまにはめを外して遊んだりもして、客観的にはなかなか幸せな10代を過ごしたと思う。それぐらい青春期の怒りや痛みは本来「客観的」という言葉とは無縁の、理不尽なものでしかないのかもしれない。映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」の中にもこんなセリフがあった。「高校生活なんて、くそったれそのものだ」そんな10代が過ぎ、改めて聞く「愛し愛しされて生きるのさ」は、とても優しい響きをしていた。「ふてくされてばかりの10代」には感じ取れなかった部分すら、生き生きと伝わってきていた。そういうことを通じて、人は自分が少し昔より大人になったことを知るのかもしれない。ぼくはCDトラックから「ライフ」を取り出し、最初から再生してみることにした。
September 29, 2004
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二週間、かなりハードに学部試験に取り組んだ。入学してから、初めて本格的に勉強したと思う。毎日骨のある論文問題をひねり出すのは、とても苦しく、身を削る作業だった。生まれてこの方、文章を書くことを苦痛だと思ったことはなかったけど、この二週間は本当につらかった。いいかげんじゃない、中身がある文章、つまりちゃんと論旨が一貫して、根拠があって(条文がちゃんと引けて、それに基づいた解釈ができる)、具体的事実に対して現実的な処方を出すような答案を書くことがいかに大変な事かが身にしみてわかった。分かったようになったつもりで、実は全然理解してないことがたくさんあった。やっぱり授業に出なきゃだめだと痛感した。とはいえ、間隙を縫っていろんなイベントにも出かけていった。その一つがGREE NIGHT 2.0である。要はネットビジネス関係者を中心とした集いだったけど、このイベント自体の楽しさは別として(はっきりいって退屈だった)、とても大きな刺激を受けた。一人一人話したわけではないし、ぼくはイベントそのものを傍観していた文系の学生でしかないわけだけど、それでもIT関連者のスピリッツは十分に感じとれた。何をも恐れないというか、自分たちこそが今の時代を担わんとする自負といったものが、ギラギラオーラとして漂っているのだ。それは間違いなく自信の一種だが、権威をかさとする傲慢ではなく、自分が主人公となり新たな権威を作ろうとする意欲だ。野心とみるか、大志と見るかは人それぞれだろうけど、普段どちらかというと伝統的かつ静態的な権威が息苦しく漂う空間で生活している身としては、一気に新鮮な空気をたくさん吸って、今まで見えなかった風景が目の前に広がった気分だった。もたもたのんびりと学生気分にひたってる場合じゃないぞという危機感を持たせてくれた。以上の体験を経た後に、改めてプロ野球のごたごたを見ると「そりゃあもめるわな」という気になる。オーナーや球団代表たちは、恐らく合理的な思考以前に、そもそもライブドアや楽天の社長を生理的に嫌悪しているのだ。先ほど書いたIT起業者たちの「主人公精神」は、裏返せば常に他者に対して「脇役」的ポジションを押し付けることに他ならないわけだから、自分たちの球団なんかどうなったって、お前らの言うことを聞いてたまるかという気持ちになっているのではないかと想像する。スト1日目の土曜、ぼくは午前サッカーの試合があったので神宮外苑に出かけ、その帰りに新宿駅で山手線から出てくるバレンタイン監督を見かけた。テレビで見たまんまのカッコイイおっさんでした。
September 19, 2004
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水曜日に学部試験のふたが切って落とされ、一日目は「神々の論争」こと、刑法。とてもシンプルかつ巧妙な問題が一問出題された。法学部の人はぜひ考えてみよう。Aは友人Bが海外行ってる間に預金通帳と登録印鑑を預けられたが、自身の借金を返すため、C銀行に行ってBの預金を50万引き出した。Aの罪責を論ぜよ。なめてかかってしまった・・・。ほとんど躊躇せずBに対する横領とCに対する詐欺の併合罪を肯定したが、実は(刑法的に)成立するのは銀行に対する詐欺罪のみ!預金の占有者はあくまで銀行で、預金通帳と印鑑が表すのはただ銀行から預金を返してもらえる債権のみなので、それを引き出したところでBに対しては利益横領となり不可罰というのが正解だそうだ(もちろん民法上AはBに対して不法行為責任を追及できるが)。こういう風に後から聞くと「な~んだ」っていう感じだけど、法学は1+1=2のごとき単純なものではないので、実は自説にもある程度の根拠はある。答案にも書いたが、実際通帳と印鑑がある以上は絶対銀行で引き出せるわけだから、これはもう物の占有と同視しうるんじゃないのかと。確かに民法上責任追及はできるが、Aが無資力だった時にはこのような背信的行為があったのにもかかわらずAB間の関係で不可罰が成立し、ただ銀行との関係で詐欺のみが成立するというのはどうだろう。さらにいえば仮にAがその通帳と印鑑を持って逃げれば今度は「通帳と印鑑そのもの」に対する占有侵害で間違いなく横領は成立するが、Bからしてみたら通帳と印鑑を失うより、明らかに預金そのものが失う方が痛いわけで、そう考えると処理が不均衡にも思える。さらに、横領が成立しない時の背任や、銀行で書類を作る時の虚偽私文書作成&行使・・・などと、単純な事例なのに、本当に深く考えさせる良問だった。できは決して良くなかったが、かえって試験を通じて刑法への興味は深まった。やっぱり授業出ておけばよかったらと痛感!!今日は会社法。こっちも相当しんどい戦いが予想される、ううう。
September 10, 2004
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テスト期間の真っ最中で、最近は珍しくとても忙しい。起きてる時間はとにかく法律書見て、判例チェックして、六法読んで・・・のサイクルだ。教養時代は適当なことを書いていれば単位は来たけど、専門に進んでからはそうもいかない。今年始めの学年末試験では全く何を書いて良いか分からず答案用紙を前にして凍りついた記憶がある。普段怠け者の身でこういうこと言うのはとてもおこがましいのだけど、いざ本に向かってみて実感するのは勉強する事の有益さだ。からっぽの自分がだんだんと中身が詰まっていく過程というべきか、全く知らなかったこと、勘違いしていたこと、理解が不足していたことが補填されていく中で、自分という人間が豊かになっていくことを確認するのがとても楽しい。ところで先日新聞を見ていたら、「近年若者の間ではニヒリズムが蔓延し物事のとりくみに対する無気力化が進んで・・・」と書いてあって、なにやらいろんなことを感じてしまった。ぼくは昔からニヒリストといわれるフリッパーズギターやウディアレンのファンなので、ある意味ニヒリズムに対する共感もあるし、世の中を斜めに構えた視線で眺めつつ肩をすくめて語りかけるような、そんなクールなキャラクターがかなり好きだ。でもはっきり言ってそんなカッコイイものは今の若者の中で蔓延していないと思う。むしろ無知であること、バカであることをみんなと共有して安心しちゃう一方で、ヴィトンのバッグ一式をとりあえずそろえてみて「外れていない」ことをアピールするような、とても「世間」的で、端的に退屈と言ってさしつかえない空気が流れている。そう思うのは、ぼくだけかな。試験中につき、とりあえず思いつくまま書いてみた。
September 7, 2004
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彼女は、小さな、とても小さな町に生まれ、そこで12歳まで育ち、お父さんの転勤でちょっと大きな町に移ってから、中学校で初めて一人の男の子を好きになる。 サッカーが好きな、快活な男の子で、他の女の子と全く同じように、彼女は彼のことを好きになるのだ。でも、その恋はほのかな片思いで終わり、彼女が誰かと両思いになるためには、高校まで待たなくてはならない。 今度は一人教室で本を読んでいるような、静かな男の子で、みんなにそれほど注目される事もないが、偶然同じ本を読み、その感想を語り合ったことで惹かれあうようになり、少しの時間が経ってから恋愛が始まるのだった。 その恋愛は初々しくて、その分未熟で、二人はまるでほんの少し傷つけあうためだけにいつも会っていた。もちろんささいなことでケンカをし、仲直りをし、それでもいつしか心は静かに離れ、二人は別れてしまう。 やがて彼女は受験を経て大学生となったが、そこでは徹底的な三年間の空白が訪れる。来る日も来る日も、同じような、全く同じような生活が続き、ひたすら退屈な日常が絶え間なく流れていくのだ。 彼女は、その中で、何がしたいのか良く分からないが、それでも毎日何かしたくてうずうずしていた。周りの人と異なっていながらそれを乗り越えるような何かを。テレビや雑誌では彼女と同じ年か、若い人たちがどんどん世の中に出て行こうとしていたが、彼女はそれを見てあせってばかりで、実際は何も出来ずにいた。小説を読まなきゃ、映画を見なきゃ、勉強しなきゃ、恋をしなきゃ・・・、しなきゃいけないことはたくさんあったけど、結局何にもできなかった。 「何かをするというのは、本当に難しい」と、 いつも頭の片隅で思いながら。 そして今日も、彼女は静かに眠りにつく。いつかそっと夜が明けていくのを待つように。 これが言ってみれば「彼女」に関する極めて簡単な資料だ。しばらく考えたのち、ぼくは少し迷ったけど、目の前の画面に示された「彼女」の周辺データに一つの変数を打ち込んだ。 「彼女」は惑星「地球」の住人で、私たちが生命の自己発生と進化の過程を観測するために、十分な陽光・大気と水分を含む環境を整え設計したその惑星では、彼らの時間でいう数十億年の歳月を経てから、やっと生物の一部が微かなレベルで意識と感情を持ち、日常の生活に喜怒哀楽を感じつつ、何かを思考するようになっている。その環境に様々な変数を与えては、その変化の元で現れた影響に応じて、「彼ら」がそれをどう乗り越え、或いは堕落していくのかを観測しデータ化することが、ぼくと仲間の仕事だ。 彼女はぼくの管轄に属するヒト科動物の一人として、何も特別な存在ではない。しかし今日は、特別に彼女にだけ、とびっきりの素敵な恋をさせてあげる事にした。今寝ている彼女はまだ何も知らないが、さっきぼくが入力した変数によって、「明日」になり目を覚ました時から、彼女の人生を変える位の素敵な恋が始まるのだ。出会いから別れまで、それはそれは、彼らのもつ貧弱な思考と、さらに貧弱な言葉では表現できないぐらいの、燃え上がるような素敵な恋が。もしかして彼女はそれを「運命」と捉えて、少しは喜んでくれるだろうか・・・、と思いながら、ぼくは目の前に広がる、彼らが宇宙と呼ぶ巨大な電脳空間を眺めながら、ちょっと微笑んだ。 おわり
August 15, 2004
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文章を書くのは難しい。いつも思う事だ。ぼくたちが用いる言葉は、所詮不完全な、借りものの集合でしかない。このブログの文章を見て、フリッパーズ的な文体だと褒めてくれた方がいて、それは本当にうれしかったのだが、考えてみればぼくはこの何年か、村上春樹の作品と柴田元幸の訳した英米小説と、小沢健二の詞曲をずっと聴いてきたわけで、その影響下にあってこういう文体になったのは間違いないだろう。もっと言えばせっかちな性格をしているが故にリズムは飛ばし気味になることが多々あり、法律書を日頃読まされているせいで、やたらと論証的な文体になってしまう。つまり、オリジナルなものはどこにも無いと言っていい。内容も同じことだ。課題としてだされるレポートの類とかならともかく、自分の内側から湧き上がる何かを伝えるために文章を書くのは、本当にむずかしい。往々にして、伝える途中で、本当に伝えたいことは何も無いことに気づいてしまうのだ。ただあからさまな自己顕示欲を、使い古された言葉に乗せて世の中に無断発信してるに過ぎないのではないか。そう気づいた時に、いつも筆を置いてしまう。これに限らず、何かについて、本気で伝えようとする時でも、自分の力不足を思い知らされることがしばしばある。例えば、「すべての言葉はさよなら」。この含蓄の深いタイトルから始まる美しすぎるフリッパーズギターの名曲を語ろうとするときに、いつも無力感に襲われる。さしたる関心のないことについては知ったような口をバンバン叩けるのに、本当に愛着のあるものや、思い入れの深いものについて語るのは難しい。沈黙は金、という言葉がある。これには「雄弁は銀」という前語があるが、真実は語らずともそこに存在し、多くを述べることはかえって物事の本質おごそかにする行為に他ならない、ということを意味しているのだろう。また、僕が心の中で尊敬している天才の一人・ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の最後は、「語りえぬものについては、沈黙するべきである」という一文で閉じられる。真理の前には、我々が持つ言語のもの足りなさ・乱暴さという欠陥が浮き彫りになるのだ。小沢健二は「ありとあらゆる種類の言葉を知って」という、たいそれたことを言う自負に値する表現者だったと思う。 彼の歌詞からは深い教養と鋭い洞察、急激な視点の転換を伴う豊かな想像力、そして澄み切った誠実さが感じられる。しかし、それでも「ありとあらゆる言葉を知って、何も言えなくなるなんて、そんなバカな過ちはしないのさ」と、高らかに宣言した小沢健二は、長い沈黙を続けている。これはその宣言の放棄を意味するのだろうか?ぼくはそう思わない。それだけ「何かを言う」ことは、とても難しいということだと思う。恐らくあらゆる事象は本質的に複雑であり、それに対して思い入れが深く、知識が多いほど、そのものを言葉で乱暴に単純化して語る作業に戸惑いを感じてしまうのだろう。しかし語らなければ始まらないこともある。語らなければ、そのもの自体がが存在しないことになってしまうからだ。模倣しなければそのものが忘却され、無いことにされてしまうのなら、ぼくは愛するものを守るために己のプライドを捨てても、模倣を厭わない。また、存在しないだけならまだ良い。あらぬ方向に本質を曲げて伝えようとする連中だって出てくる。それに対して沈黙を続ければやがて世の中の常識というものが変わって、世界は暗転していくのではないか。たかが音楽から始まった話だけど、物事の本質が根本的に欺瞞され、それによって大きな悲劇が産出されたことは、この社会の何千年もの歴史でそれこそ枚挙にいとまない。少し話をそらそう。「ファン」とはどういう存在なのだろう?と日ごろ考えることがある。例えばぼくはフリッパーズギターのファンであり、小沢健二のファンであり、このサイトの文章はそれらに関するものがとても多い。初見の人には、かなり偏執的に映るかもしれない。でも誤解を恐れずに言ってしまえば、ぼくは「小沢健二」という符号で示された血と骨と肉の塊にはそれほど興味がない。なんといえばいいのだろう?例えば彼の生まれた場所とか、肉親とか、身長何センチで体重何キロでどんな女の子が好みとか、そういうのはどうでもいい。ぼくが興味あるのは、ただ彼の作品であり、もっと言えば自身の感情の琴線に触れるような詞と曲と文章だ。「当然のことじゃん」と思うかもしれないけど、何かを言いたいかというと、何かの「ファン」になるというのはそのアーティストに盲従することではなく、あくまでその作品を鍵として自身と、自身の存在するこの世界について考え、解釈する行為だということである。これと盲従の違いは、前者の場合、崇拝する表現者がいなくなった場合、いつか信じる者が再び現れる事を願って「信者たち」は路頭を彷徨うしかない。しかし、後者の場合、表現者から渡された鍵は、当表現者がいなくなったとしても、依然とぼくの手中にあるわけで、それを使って扉を開けたり、車を発進することで、何か新しい風景が見えると考えるのは、不自然のことじゃない。また、それは鍵だけでなく、「バトン」とも考えられないだろうか。表現者がぼくたちに与えてくれたメッセージとレッスンをヒントに、自分自身で答えを見出し、それをさらに人に伝えていく作業と考えるのは、おこがましいことだろうか。話を元に戻そう。時としてぼくたちはニヒリズムを捨てて、雄弁になるべきだ。それは自分の愛する世界を守るためでもあるし、永遠に語りえない空間を不完全ながらにも、少しずつ埋めていく作業だ。ありとあらゆる種類の言葉を知って、何も言えなくなるバカな過ちは、やっぱりするべきじゃない。「語りえぬものについては、語り続けるべきである」これは、ぼくが尊敬しているもう一人の哲学者、野矢茂樹の「『論理哲学論考』を読む」の最後の一文である。
August 13, 2004
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青山さん、というのは、ぼくが発起した小沢健二ファンクラブの第一及び第二回会合の総合幹事を務めてくれた方だが、この人に初めて会ったのは7月30日で、以来まだ10日ほどしか経っていないのにかかわらず、その間に4回会い、これからも週一以上のペースで会うだろう(と勝手に想定している)、お互い一人っ子同士だが、ぼくにとってもはや兄のような存在だ。思えば最初に青山さんに会ったのは、第一回会合の0次会と称した下見だった。下見と言っても、それほど大変なものではなく、本当は夏休みひまだったぼくがとりあえず飲みたかったというのと、人見知りでいきなり初対面大勢だと不安なので、とりあえず前日に知り合い作っとこうと思ったのだ。快く承諾してくれて、待ち合わせのための写メール交換をしたが、写真家でもある青山さんの写メールは芸術的過ぎて本人確認が難しく、見つけてもらう事にした。当日ドキドキしながらハチ公に赴くといとも簡単に見つけてくださって、見事に初対面からすらすらと、むしろ話しすぎというべきぐらい、語らってしまった。というより、一方的に話を聞いていただいたというか・・・、とにかく、こんなに話しやすいお方は、なかなかいないですよ、みなさん。第一回、第二回のファンクラブ会合は、いずれも主催者側の予想を超える大盛り上がりであったが、それには青山さんの影における努力が不可欠のファクターだった。予想以上に、ネットのオフ会は最初参加するのに心理的障壁があって、参加者名簿が青山さんとぼくの2名という期間が結構続き、「このまま二人で飲み会でもいいんじゃないですか?」と冗談で言いながら、実は結構あせっていた。その間も青山さんは、みんなの目に少しでもオフ会開催の知らせが届くように、あれこれ手を変え品を変え関連スレッドの順位を挙げ、参加希望者には逐一丁寧に応対した。当日でも、みんなが盛り上がっている時に複雑な費用の計算を一人で黙々とやり、また集合写真などの際には、自ら「本業」のカメラマンの役を必ず買って出て、会話の際にも、盛り上がりにムラができないように、あちこち席を変えては、気を配っていたのが忘れられない。「おれが楽しむのは、三回目以降でいいよ」と言っていたそのお姿が、ぼくからとてつもなくかっこよく映っていたと、ここにて記しておこう。また個人的に、一緒に会合を主催した人としては、青山さんとは一緒に仕事をしていて非常に楽しかった(もしオフ会の企画が「仕事」と言えるのなら)。とにかく、何かアイデアを出せば、それを最短経路で実現に結びつくよう具体化してくれたし、店選びの際にも、立地条件・味・値段・ムード等を考えて、常に最適の選択を瞬時にしていた。会員の年齢が22歳以下と30歳前後と二極化している中、26歳という「中間地帯」を利用して、あらゆる層にムラ無く会話が出来、またその性格は積極的でありながら鷹揚でなく、適度に控えめでかつ面白く、完璧な幹事像を作り上げていたように思う。「MIXYで小沢健二コミュニティがあんなに大きいのに、未だにオフ会がまとまらないのは、青山さん的人材が欠けているからですよ」と話した時に、青山さんは謙虚に否定していたが、間違いなくそう思う。ついでに言うと、若造で言動でしばし暴走しがちな僕に対しても、ほとんど「良き保護者」であった。「青山裕企ファンクラブも作っていいですか?」と結構マジで打診したが、断られたため、この文をもって感謝の意を表すことにした。ありがとう!青山さん!お疲れ様!青山さん!これからもよろしく!青山さん!
August 11, 2004
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説明の次の回から、ゼミが正式に開講された。形式としては、その週の英米短編小説について事前に決まった2~3名の人による5分程度の発表、テーマは自由だった。そしてそれについておのおのが討論して、最後にレポート提出をして授業が終了する。レポートは次週返却され、A~Dまでの評価及び細かい評語が付けられた。柴田先生のこのゼミでの役割は教授というより司会者であったが、それは決して中立な立場での司会者でもなかったし、ましてや穏やかな司会者でもなかった。発表でも討論でも、気に入らないところがあると露骨につまらなさそうな顔をして、首をかしげた。「そろそろ時間だよね」と言わんばかりに時計を見たりもしていた。一方興味を引くような発言があればすごくうれしそうにうんうんとうなづき、時間を全く気にせず、「それは~ということとはどうちがうの?」といつまでも食らいついてきた。それゆえに、僕らの間では、得意げに話していても、先生の首が縦に振らなくなった瞬間ドキッとして、思わず発言が小声となることがしばしばあった。しかし慣れてくると、その司会の絶妙なバランス加減がだんだん見えてくる。生徒の発言に膨らみそうなポイントがあればすかさずヒントを与え、さらなる発見を引き出して議論を盛り上げ、一方で議論が行き詰りそうになると、「こう見てみるのはどうだろう?」と違う出口へと誘導してみせた。そして生徒の発言一つ一つに対して、決して淀むことなく自らの意見を述べた。それは時に本当にそばから見ていてもかわいそうなぐらい痛烈な批判だったし、時には惜しみなく賛辞を与えることもあった。しかし、どれもが議論をそこで閉ざすような「結論」ではなく、むしろ新たな問いを誘い出す「答え」だった。そして、これを忘れていけないのは、柴田先生が毎回の「ネタ」として用意した短編小説は、本当にみんなハズレ無しに面白かった。何しろ英語で10数ページ分を毎週読まされるので、他に課題を抱える身としてはかなり大変だったけど(その時ぼくは留年と格闘していたので)、辞書を引きながらも最後まで読ませようという力、そして読んだ後に「これは何かを書かんといかんな」という思いを噴出させる力を持つ作品ばかりだった。何人かの作家は、日本語訳も少ないし、宿題として課せられなければ恐らく読む機会がほとんど無かったと思われるが、このゼミを通じてフェイバリットとなった。そしてそれまで小説は、あくまで「ヒマつぶし」ぐらいの意味でしか自分の中でなかったが、いろんな作品を読み、考察する段階で、さまざまな人生についての示唆と答えを与えてくれるものだと気づいた。例えばレイモンド・かーヴァーの「ささやかだけど、役に立つ事」といった作品には、本当に感銘させられた。その時に感じた思いは掛け値なしに今のぼくの生活を支えている。ゼミの発言は活発だった。名火付け役かつ盛り上げ役の先生の巧みな討論奉行下で、みんな自分から手を挙げ、互いに臆することなく意見を述べ合い、時にはかなり激しい論争となることもあった。ぼくは前述したように、「無駄な会話」が一切無い法学部から来たということもあって、まるで蓄積されたものがせきを切ったように、ゼミの中でもかなり積極的な発言をした方だと思う。もちろん中には首を横に振られた発言もいくつかあったけど、それでも毎回授業が終わるとすごく満足感と充実感があった。事前のレポートの中で混沌としていた部分、もしくは全く気づかなかった部分が、議論によって脳内で整理され、見出され、さらには発展していく様子がとても気持ちよかった。そして様々な学部学科から集まってきたメンバーゆえに、同じ小説に対しても、理系的観点、あるいは経済学的観点などからと、いろんな視点から考察がなされていくのがすごく面白かった。恐らく文学部ではなく、教養学部にてゼミを開講するのは、こういった様々な分野からのアプローチを期待してのことだっただろう。ぼくは一回「ギルティ」という小説の発表で、刑法の不真正不作為犯の立場から意見を述べたことがあるけど、その時の柴田先生の「してやったり」的な食らいつきぶりは未だに忘れられない。考えてみればこれこそが大学のあるべき姿ではないか、といつも思っていた。それぞれ専門分野も違う、怖いもの知らずで好奇心旺盛で遠慮知らずで伸び盛りで未熟な若者同士が、意欲過剰気味に議論を通じて少しずつ自分の思慮を深くし、発想や意見を完成し発展させ、成熟していき、やがて大人となり社会へと旅立っていく場としての大学の。もちろん、毎回結構な量の英文を読まされ、全レポート及び全出席が必須で、かつ出席すれば半強制的に発言を求められるという、合わない人にとってみれば絶対的に耐えられないゼミでもあった。最初40人ほどいたが、最後の講義まで残ったのは14名だった。1月のある日に半年間の柴田ゼミは終了する事となり、授業後に最初で最後の飲み会が企画された。中華レストランでかなりの分を先生におごっていただきながら、初めて14名同士が会話を交わした。今まで何度も講義中に議論した相手なのに、授業以外では学部も学年もばらばらだったため、全く交流が無かったのだ。でも、この時に知り合った人とは、未だに仲がいい。たった半年間の週一のゼミだったけど、なんとなく同じ釜の飯を食ったもの同士という気がするのだ。本当に個人的なわがままを聞いていただき、柴田先生に小沢健二についての話を一時間ほど喫茶店で話していただいたこともあった。紅茶をおごっていただきながら、極度の緊張で全く大した話ができなかったのが恥ずかしい思い出として残っている。ゼミの終了と共に冬学期も終わり、ぼくは2年生から3年生になって、教養学部時代の駒場を離れ、本郷へと向かった。どんなに楽な授業も3分の1も出席しなかった駒場時代での、唯一の全出席がこのゼミだった。このHPのフリページの欄にある「ある恋愛についての小説~DOC'S STORY 」は、実際にゼミで提出したレポートの一つだ。将来大学時代を振り返った時に、間違いなく一つのハイライトとして残るゼミだった。
August 7, 2004
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「若者よ、書物を捨てて、街へ出よ」とは、詩人・寺山修司の有名な言葉だが、21世紀のある日にぼくが初めてこの言葉を聴いた時には、世の中の若者は、若い僕を含めも既に誰も書物を持っていなかった。本を読むという地味で、個人主義的かつ孤独な行為の効率の悪さに、やっと若者たちが気づいたと言うべきかも知れない。もっとも、村上春樹の時代までは、若者が文学書をせっせと読めばそこに女の子が近づいてきて、「難しそうな本を読んでるわね」と声をかけてくれたらしい(そうと彼は書いている)。さすが前世紀の話だ。この間、このブログに「最近ヒマすぎて勉強してる」と書いたら、何人かの人に心配された。「ヒマだから勉強しようなんて、すごいね」とも言われた。でもそれは全く違う。「やっぱり勉強しよう」となるまでには、本当に長い長い「ヒマ」な時間があったのだ。一年ぐらい前から司法試験の予備校に通っていたが、口を開けば「択一が・・・、論文が・・・」で、そのくせ弁護士になってからの展望を全く持たない人々の雰囲気に耐えられなくなってほぼ「中退」した。学校にもあまり行かなかった。全ての授業が600人で行われ、誰一人として「不必要な」会話を交わさない、ゼミの討論のような対話すらない(そもそもゼミが無いのだ)、すれ違う人々が皆疲れた目をしている暗い教室に行く気がしなかった。あらゆる本を読むのを止めた。毎日ネットとテレビを見て寝ていた。喫茶店で一人ぼーとしていた。ファミレスで友達と朝までグチっていた。街を夜通しあてもなくふらついた。おかげで起きるのが午後三時ぐらいになった。ヒキコモリだったかといえば、少し違う。モチベーションはみなぎっていた。毎日毎日何か楽しい事が起こらないか、全てを開く鍵が落ちてないかを、それこそバカみたいに期待してた。夜になると、明日こそは何かあるかもと、あれこれ考えて眠れなかったぐらいだ。でももちろん、何も起こらなかった。現実はマンガや小説と違って、何もしなくてもある日突然ふらっと何かが起きたりはしない。大抵目が覚めるともう午後で、ごはんを食べ、二度寝して、しばらくボーとしてるともう空は暗くなって、また一日が終わろうとしていた。ひたすら退屈な時間を過ごした後に、やっと一つのことをあきらめたかのように悟った。宿命なんてものは信じないけど、人には自分の道があり、そこからはみ出して、ましてや苦労する覚悟もないくせにただはみ出そうとしても、本当にただの虚無しかそこにはない。ということを。昔から勉強は好きじゃなかった。浪人していた頃から一人暮らしをしていたけど、あまりにも予備校をさぼるから塾から親に何度も連絡が行ってそのたびに悲しまれたぐらいだ。バンドが組めたらきっと組んでいただろう。しかし音楽が好きでも、楽器はできない。いきなり「ボーカルにしてくれ」と言うほど歌唱力も無い。スポーツだって見るのは大好きだったけど、何かに活躍できるほど運動神経は良くなかった。「ウキウキキャンパスライフ」を夢見て大学に入っても、待っているのは「法学部砂漠」と形容されるような、最後に女の子と話したのは3ヶ月前とか、そんなのが平気の生活。サークルに入ろうと思うと、おかしなことに(ある意味とても合理的なことかもしれないけど)途中からだと男は絶対に入れてくれなかった。全てが味気なく継続反復する生活、友達とファミレスで朝までグチッていたのは、そういうことだ。しかし、その中である日に学校行くと、もはや周り全員の話についていけない事が分かった。みんなすっかり法律への理解を深めていて、口々に僕の分からない用語を話していた。三年生にもかかわらず既に択一を合格している人までいた。そういうことを知った瞬間にぼくはなぜかすごく悔しかったのだ。何故だろう?自分はそういう、試験で高い点数を取ることを至上命題とするマシーンたちを、鼻で嘲笑しながらそのたまり場から去ったのではないのか。でも、認めなくてはならないことは、少なくともぼくは「ヒマ」な時間を通じてそれを乗り越える何かを構築する事はできなかった。みんなが教室に本に机に向かっている時に、ぼくはそれを揚棄したつもりで、ただの虚無をすごしていたのだ。確かに、彼らの、時にしてあまりにも功利主義的で、ひたすら効率重視のやり方に対しては未だに反感を持つし、それが間違っているとは思わない。でもそれを今の無知で怠惰な僕が言ったところで、何の説得力があるだろう?言葉が全ての人に対して平等だというは、嘘だ。例えば1+1=2のような、世の中のあらゆる体系に通用する言葉もあるが、ある種の人にしか口にできない、逆にある種の人には決して口にしてはならない言葉が確実に存在する。殺人罪犯人の父親が「罪を憎んで人を憎まずですよ」とは決して言えない。サッカーの出来ない人が、サッカー選手に「サッカーってくだらないよな」と言ったところで、ただの僻みではないのか。それと同様に、ぼくの言葉が説得力を持つには、その対象を乗り越えていなければならない。そうでなければ、ただの昔の社会党のような弱者根性だ。そんなんじゃ納得が出来ない。と思った時机に向かった。その体系を否定するためにだ。盗んだ銃は、いつか鮮血に染めてから返そう。それは毎日少しずつではあるが、今まで続いている。あいかわらず、劇的なことは何もおこらない。毎日昼過ぎに眠い目をこすって起きては、テレビや雑誌では若者たちが楽しそうに街へ、花火へ、海へ、遊園地、外国へ出かけてゆくのを横目で見ながら、全くやる気の無い勉強をいやいやしている。それでもつらい数時間を過ごした後には、頭の中に何かが残っているのは確かだ。そして充実感がある、不思議な事に、当たり前なことに。何か新しい生きがいが見つかればすぐにそちらへ向かうが、見つからないうちは結局少しずつ、身の回りからできることを少しずつやっていくしかない。きっとやっていくうちに何かが蓄積されていき、そしていつかそれが意味を持つことを信じて。かつて、スマップに「俺たちに明日はある」という曲があって、その中で「薔薇の花束が似合う人もいるのさ、だけど似合わない、転がるように生きて・・・」という歌詞がある。歌っているのがスマップという点でムカつくが、その部分は間違っていない。バンドマンやイケメンテニサー・サーファーは、華やかだしモテモテだしうらやましいけど、恐らくそういうカッコ良さを自分は持つことができないだろう。でも、こういってはなんだけど、ぼくは自分にもささやかな才能があると信じたい。信じてないとやっていられないという面もあるし、時々「今いい感じで頭が切れてるぞ」と心地よい刺激があるのも事実だ。だとすれば、それを最大限に伸ばす事が、今のぼくが出来るせめてものカッコイイ生き方ではないのか。かのフリッパーズギターは、青春を「Young,Alive,in Love」と定義したが、22歳の僕は、やがて迫り来るだろう、青春の終わりを告げる鐘の音をひしひし身に感じている。もはや無駄なヒマを過ごしてる場合じゃない。この夏が終わる頃には、もう少し中身のある人間になれていたらいいな。
August 4, 2004
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オフ会というのを今までしたことがなかった。ネットでの集会はオタクっぽいイメージがあって、敬遠していたのだ。でもふとしたことで参加どころか、主催者の一人となった。あの小沢健二のファンクラブの集会なのだからしないわけにはいかない。ファンクラブ会員の青山さんが幹事業務を引き受けてくださることとなり、ぼくは各会員への連絡と勧誘活動に勤しんだ。2週間弱の準備期間を経て、とうとう本日、渋谷で第一次小沢健二ファンクラブ「グリ犬」が開かれることとなった。会場の下見はあらかじめ昨日済んでいる。外国人も多く集うおしゃれな店で、モダンで若さあふれる渋谷系にぴったりのところだった。しかし、何しろ小沢健二ファンが10人集まるという経験が、自分の中で前代未問なので、全くどう展開するのかが読めなかったのだ。今度一緒にイベントやライブ行こうという話は、もちろんできない。世代もばらばら。共通点を見出せないまま盛り上がらず終わってしまうのではないかと危惧した。しかし7時集合で、主催者にもかかわらず結構ギリギリにハチ公に着くと、もうそこには小沢健二ファンたちは勢ぞろいしていた。時間のルーズは集会の大敵だから、第一段階は完璧である。店に着くと、この学生から社会人まで年齢さがばらばらの集団に店員も驚いたようで、「仕事の集まりかなんかですか?」と聞いてきた。とんでもない、「あるアーティストのファンたちです!」飲み物が来て、まず簡単な自己紹介。さすがに社会人のみなさんはみなクリエイティブな仕事をしているカッコいい大人たちばかり、学生もそれぞれユニークなキャラクターが集まっていた。簡単な祝辞(昨日の晩に考えた)のあと、乾杯。思い思いの話が始まる。ここに来て、ぼくは自分の心配が杞憂だということを知った。みなさん、本当に話が弾むのだ。好きだったきっかけ、あの曲の思い出、はたまた全く関係の話題まで、今日の今日まで全く知り合いではなかった、職種も年齢もばらばらの人々が、何のわだかまりもなく、本当に楽しそうに話している。僕は今まで自分の感じて来たことが間違いではないと分かった。ぼくはもちろんバンドとしてのフリッパーズ、作曲者、作詞者、歌手としての小沢健二が好きだ。でもさらに言えば、その作品に広がっている彼の人生観や世界観に共感しているのだ。そして、今この場で、その音楽への情熱は多くの人々に共有されていると分かった。一つ一つの音符と文字が一人のアーティストによって作品としてつむぎ出され、それを耳にした人々が同じ思いを抱き、その人々が本のちょっとした偶然だけを頼りに集って、楽しそうに何かを話し続けている。もう何年も新譜を出さない、隠遁生活を送り、世間からはとっくに終わってる扱いをされているアーティストだ。移ろいやすいこの世界では忘れ去られ、友達に話しても通じない事がもはや多い思いたちをみんなが打ち明け、共感しあった夜の半ばには、神様にありがとうと言いたい気分になった。あっという間の三時間が過ぎ、自発的に生まれた二次会では社会人のみなさまは朝までカラオケで盛り上がる予定だ。お金とスタミナが不足気味な学生たちは退散する事となった。来週には早くも第二弾が控えている。そのための準備をそろそろ始めなくては・・・。小沢健二にはいろいろなことを教えてもらった。時間は流れて、形あるものはいつかすべて無くなっていく。しかし一瞬一瞬の美しさそのものは永久に変わらない。それらを大事に抱えて、ぼくたちは生きていく。今日のような夜は、その瞬間の一つだったと思う。
July 31, 2004
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