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今日の朝日は盛りだくさん。原発に消防隊がいないこと、トランスが燃えてるのに消火か避難かで避難を選んだこと、なお南の島に残る旧日本兵の遺骨、そして政党アピールの全面広告。自民党、改革改革のオンパレードだが、中身が書いてなく、標題だけで悪あがきに見える。沖縄では養護学校に装甲車が突っ込む。水俣病の判定基準の記述で「症状に合わせて認定したらどこまで広がるかわからない、企業も国も膨大な賠償をしなけりゃならん」ここから厳しい認定が始まった。
順に思うところを書いてみようか。遺骨収集は75年にだいたい終わったとされ、以後は情報があれば動く、と言う風になっている。そういえば、小さい頃に読んだ「学習年鑑」だったと思うが、漫画の挿し絵つきで「何万柱の遺骨を持ち帰る」と言うような記事があったのを思い出す。名誉の戦死などではなく国家に殺されたのだ。全身の遺骨が残っているとか。どこで何があったか、もうわからないほうのことが増えているだろうが、この姿を見て再び戦争をするということがどういうことなのか、改憲派にはよく認識してもらいたい。
昔の自民党はまだそれでも「断腸の思いで」アメリカの要求に従った跡がある。今はただの盲従、国益とはアメリカにとってのことをさしている。小池防衛大臣も、「地元の説得交渉よりもアメリカとの約束優先」だ。たくさんの政党を渡り歩いてきたしたたかさはひたすらアメリカの顔色を窺うことか。「基地の中に沖縄がある」と言う現実。そしてその現実に合わせて核を含む再軍備など愚の骨頂である。戦争の悲惨さを学んでいないのか。理解の足りぬ久間氏を広島、長崎両市が「勉強においで」と招待したのは議員のレベルがいかに低いかを如実に示すものではないか。「選んだのは国民だ」と言う答えがすぐに出てくる。選ぶにたる情報は公開していまい。
公職選挙法で戸別訪問を禁止していることからして、おかしい。インターネットも禁じられている。今の生活や政治のどこに問題があるのか、分かりにくくするほうが為政者はいいだろうが、国民には監査の権利があるだろう。これこそ改革では?
そのアメリカの戦略の一つが「原子力エネルギー」で世界を配下に置くことだ。石油の自国での枯渇を視野に入れたものだっただろう。日本にも次々に造ったが、「銭儲けしてこそ」の体質は、普通の会社並の防災体制しか敷かれておらず、「自警消防団」の域を出ず、地震後の水は1mほどしか飛ばなかったというお粗末。トランスが焼けていて、電気火災用の粉末消火器くらい、どこにでもあるではないか。人の動きが機能しなくては何があっても用をなさない。「想定外の揺れ」が来た時の危機管理はどうなっていたのだろう。普段からの姿勢が如実に表れた事件で、柏崎市長が停止命令を出したのは至極当然のことだ。国が直接やっていたら、こんな厳しい措置はとれなかっただろう。
自分のことは自分で決める。これが独立国家というものだと思う。
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