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先に農学部のことを書いたが、日本の教育システムで複数の大学の同じ学部を知るようなことはまずない。だから学科のことも自分の大学の、自分の学科しか知識はないわけだ。
私が農学部を選んだ理由を振り返ってみると、(まあ理由ぐらいあとからでもくっつくものだが)高校生の頃は日本は超高度成長の入り口、今の中国のように空気も水も食品も汚染だらけの時だった。「複合汚染」が流行語になった時である。それまでは工学部を希望していたのだが、いかんせん、数学と物理の成績が悪すぎた。化学と生物と、古典が好きと言う変わった高校生だったのだ。で、口に入るものなら食いはぐれもあるまいと農芸化学を志したと言うか、そこくらいしか合格しそうにないと言うか、で進学したわけだ。
農学部と言うと、私立大学は圧倒的に少ない。国立大学がほとんどだ。戦後の食料難の時期に、おそらく食糧増産を目指して農学部や農大を作ったのだろう。その後統合が進み、農学部を持たない国立大学がある県はいくらもないはずだ。神奈川、滋賀、奈良、徳島、大分くらいではなかっただろうか。
で、私が足を運んだことがあるのは、受験だけの東京農工大学、コーラスの交流があった鳥取大学、そして母校である高知大学。これだけだ。これで「農学部とは・・」などとよくほざいたものだが。
付属農場が近くに有る大学も、実は多くないらしい。東京農工大に行った時は、キャンパスに入ると田舎特有の堆肥の匂いがしてくる。「東京にもまだこんなとこがあったんや・・・」と妙な感心をした。確か府中市だった。(と思うが、このあたり日野市とも接していたように思うのでさだかでない)鳥取大学農学部は、建物だけしか知らないが、どうも近くに農場があるような感じではなかった。緑の芝生にチョコレート色の回廊型のビルだ。
高知大学は本館の目の前が農場。校門をくぐり、右に校舎、左に農場と言う配置だ。高知空港に隣接し、とんでもない広さに思えたが、農学科の付属であり、化学の学生にはあまり縁がない。もともと高知航空隊の敷地を農学部と空港で分けたと聞いている。私の在学した頃は、小型の格納庫とおぼしきコンクリートの塊がまだ田圃の中のあちこちに点在していた。 二期作で有名な香長平野のどまんなかである。
ただ、栽培学原論の教授は、「高知の米は雀がまたいで通る」程まずいと言っていた。別に農家の責任ではない。稲は、日較差の大きなところほどいい味になる。日中十分に日を浴び、夜冷え込むと、一生懸命合成したデンプンをため込む、いわば危機対応型なのであるが、高知は夜になってもなかなか気温が下がらないので、危機意識が低いのだと言う。金を持たせれば飲んでしまうと言う県民性と関連があるかどうかは知らない。
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