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浄土真宗本願寺派の当家は毎日お経を詠んでいる。と言うといかにも熱心な仏教徒みたいだけど、私が思うには交際用の宗教だ。本気で浄土に行けるなんて思ってないし、自分が死ぬと言うことは生まれる前の状態に自分がリセットされると言うことだと思っている。
真宗の在家であげるお経は正信偈であるが、檀家回りの忙しい坊さんはそれよりも短い重誓偈をあげている。これは特別な節回しもなく、ただ棒読みでよい。確かにお経の本にも節回しは書いてない。更に短くて済むのが讚仏偈。節回しもなく、字の数は重誓偈より少し多いかと思うが、高速で読める。
信心がない証拠に、一呼吸で何行読めるかに力を割いている。ところが、お経と歌は違う。お経は喉で息をコントロールする 地声の出し方になってしまう。歌う時にはたっぷりと息をためるが、「腹筋で持たせる」という基本の行為がお経では難しい。ベルカントとはどうも相いれないようである。口蓋にあたる息や声を感じない。
投稿できない!が2日間 2024年06月19日 コメント(2)
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