サカナ男爵の本とゲームにおぼれて

サカナ男爵の本とゲームにおぼれて

PR

プロフィール

サカナ男爵

サカナ男爵

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

源氏物語〔7帖紅葉賀… New! Photo USMさん

環境テロを防ぐ元エ… New! hoshiochiさん

9月22日(日)秋分の… New! unity0094808さん

ソコにあったまりぃ… New! ナイト1960さん

そりゃ、転ぶやん! び〜あらいぶさん

★ 真夜中の独り言 ★ LAME39さん
株式会社SEES.ii 株式会社SEES.iiさん
ボーカロイドの歌姫… レジミクさん
おでかけたびろぐ アユイチコーポレーションさん
SPACE TRAVEL 優樹4840さん

コメント新着

aki@ Re:MEGザ・モンスターズ2(01/21) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
サカナ男爵 @ Re[1]:銃器職人デイブ(01/01) Photo USMさんへ お世話になります。 今…
Photo USM @ Re:銃器職人デイブ(01/01) 謹賀新年 令和5年 あけましておめでとう…
サカナ男爵 @ Re[1]:狩猟日記 ~狩猟解禁~(03/28) Photo USMさんへ こんばんは。 我が家の…
Photo USM @ Re:狩猟日記 ~狩猟解禁~(03/28) こんにちは(USM) 「もも」は枯葉の絨毯…

サイド自由欄






PVアクセスランキング にほんブログ村




面白いなと思ったら、読者登録お願いします。
登録はこちら↓
サカナ男爵の本とゲームにおぼれて - にほんブログ村




2021.06.20
XML
カテゴリ: 本・書籍
禅僧が教える 心がラクになる生き方のご紹介です。
題名のとおり、禅僧が生きづらさを感じやすい世の中を生きるヒントを示した一冊です。



禅僧が教える心がラクになる生き方

【あなたが大切にしている「自分」とは何か】
のっけから小難しいテーマでした。

「自分」とは何でしょうか?
自分を形作るのは自分自身の「記憶」と「他人からの承認」だけです。
朝起きて今までの記憶が無くなっていたら、今自分が思っている「私」はそこに存在しません。
また、周りの人全員が「あなたはAさんじゃなくてBさんだよ」と言い出したら、「私」はBさんだということになります。
それほど自分というものは不確かな存在だと言えるでしょう。

不確かな自分だからこそ、世間でもてはやしているような「自己実現」や「意味のある人生を生きる」といったことにこだわる必要はないと述べています。
仏教では「一切皆苦」という言葉があります。
この世にあるもの全てが苦しみであるから、むやみに欲しがったり執着する必要はないという考え方です。

「自分」というものを必要以上に大事にしすぎない、力まないで見つめることが、かえって自身の幸せにつながるのではないでしょうか。




【「夢」や「希望」という重荷を下ろす】
世間一般は夢や希望を持つことを奨励し、これを叶えた人は素晴らしい人だと称賛します。
しかし人生をある程度生きていると気づくかと思いますが、夢や希望は叶わないことの方が圧倒的に多いのです。

では夢や希望が叶わないと不幸なのでしょうか?
身の回りの人や道行く人を見てみると、皆が理想の人生を生きているわけではないでしょう。
それはそれで、みんなそれなりに元気に生きているのです。

ですから、人生に夢や希望がなくても人間は十分生きていけると述べています。




【感情に振りまわされないために】
まず最初に『こじれた人間関係は「愛情」や「努力」では変わらない』とあります。
うまくいかない人間関係は「愛情を持って接すれば相手は変わる」とか「相手を変えたければ、まず自分が変わりなさい」言われることが多いかと思います。

本書ではそうしたことで人間関係は変わらないと喝破します。
その関係は自分の力で変えられるのか、枠組みを変える余地があるのか、それとも関係を切るのか、情はいったん脇に置いて冷静に考えていくことが必要だと述べています。



もう一つ「感情が揺れてもかまわない」と述べています。
何があっても動かない岩のような心でもなければ、波立たない水面のような心でもなく、ヤジロベエのように揺れても倒れない心を持つことが大切とのことです。



本章は人間関係や感情について、一般的な本とは一味違ったアプローチで述べられていました。
また、怒りが込み上げてきたらルーチンな作業を淡々と行うことでやがて平常心が戻ってくるとか、家族にも日々のいたわりや心遣いを示すといった、実用的なお話も書いてあるのも良いですね。




【死に向かって今日を生きる】
家族や親しい友人が亡くなった時「もっとこうすればよかった」と後悔することもあるかもしれません。
ですがどれほど気を配ったとしても、全く後悔が無いということはないでしょう。
その後悔を打ち消そうとするのではなく、抱えたまま生きることが一番ましな対応ではないだろうかと述べています。

いずれ周囲の人が家族を看取る時や近親者を亡くして後悔している時に、役に立つアドアイスができるかもしれません。
それであるならば、後悔を抱えて生きることの意味もあるのではとのことです。
それでいて「そんな日が来るかもしれない」程度の話だとあっさり書いてる所がクールでした。



また『「自分が、自分が」と考えない』とありました。
人はいつか死ぬということは当然だれでも知っています。
その主語が「自分」になった時、死への恐怖が込み上げて来ます。
人生の最期を迎えるにあたって、死を乗り越えるのではなく受け入れることが必要だと言っています。

そして死を受け入れるには「自分を開く」ことが重要だと述べています。
自分を開くとは「もう自分を大切にしない」、『「自分のため」ではなく「人のため」に動いていく』ことなのだそうです。

冷たい言い方をすれば、人は歳を取れば「もういなくてもいい人」になっていきます。
子どもは自立して親の手はいらなくなりますし、定年になれば仕事場からも振り向かれなくなります。
「そろそろ、自分も店じまいだな」と身を引いていく準備と心構えが必要になって来ます。


「人のため」と言っても大仰なことではなく「ふと目についたゴミを拾って歩く」「ちょっと人助けをする」といったことをできる範囲でする程度でよいと述べています。
自分自身を大切にし過ぎることや損得勘定から離れ「少しは役に立っているかな」と感じることをすることが良い縁を作り、店じまいの準備になっていくようです。





タイトルを見ると、禅僧がありがたい教えでほんわかと包んでくれるような内容かと思っていました。
ですが予想をはるかに超える塩対応にひっくり返りました。
とはいえ一般的な自己啓発本とは違った切り口が面白い本でした。

本の中でも語られていましたが、宗教の存在意義とは、一般とは違う考え方を提示することだと述べていました。
自己実現を果たす、努力は報われる、そうした言葉に希望を持って生きていける人はそれでいいのです。
一方でそうした言葉に酔えず、違和感に首をかしげる人もいます。

そうした人たちが本書にあるような一般と一味違う考え方に触れることで、この世を少しでも生きやすくなれば良いなと思いました。





禅僧が教える心がラクになる生き方
新品はこちら。






【中古】禅僧が教える心がラクになる生き方/南 直哉
中古はこちら。





よかったらクリックお願いします。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記
にほんブログ村











お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.06.20 20:00:05
コメント(0) | コメントを書く
[本・書籍] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: