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・チャレンジにはリスクマネジメントが重要
チャレンジとは難しいことに挑戦することなので、失敗する可能性が高い。それゆえに入念に計画を立てる必要がある。そこで重要なのがリスクマネジメントで、どんなリスクがあるのか洗い出して、費やした時間や金の損失がどの水準を超えたら失敗とみなして損切りするのか、どうやってリスクを回避して損失をリカバリーするのかという視点でリスクを管理する必要がある。例えば投資家は全戦全勝ということはありえないのであらかじめある程度の損失を織り込んでポートフォリオを組んでリスクマネジメントして、投資したうちの数社の業績が悪くても総合的に利益がでるようにする。大学受験だとたいていの人は本命の大学以外にもワンランク下の滑り止めの大学を受験して、本命が不合格だったときを想定してリスクマネジメントをしている。
部外者なら成功と失敗のリスクを客観的に評価できるけれど、チャレンジしている本人は夢に挑戦することを美化して鼻息が荒くなっていて、批判する人を敵視して忠告を聞かない傾向がある。そうして自分は成功するに違いないという認知バイアスができあがって、計画通りにいかなくても失敗を認めずにずるずる時間と金を費やして、リスクマネジメントをしないまま失敗すると再起不能な大失敗になりかねない。
リスクマネジメントができていない例として、薩摩藩が明治維新の頃に採用していた人事評価がある。
一番:挑戦して成功した人
二番:挑戦して失敗した人
三番:自分では挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした人
四番:何もしなかった人
五番:何もせずに批判している人
この評価はチャレンジを推進していてやる気がある人を評価していて一見してよさげに見えるけれど、批判する人をまったく評価しないことが問題である。兵站を無視したインパール作戦のような無謀な作戦で失敗しても挑戦したことを評価されるのでは損害が膨れ上がってリカバリーできなくなるし、それを批判した人が評価されないのでは上司の無謀な計画を批判する部下がいなくなって、サンクコストとして割り切って途中で諦めることもできなくて、失敗すると分っていても全力で玉砕してさらに損失を拡大させる暴挙に出るようになる。
登山家の栗城史多の実力に見合わない無謀なエベレスト登山計画もスポンサーがついて大々的に宣伝されて応援されていたけれど、結果的に失敗して死ぬことになった。彼を応援した人たちは成功のおこぼれが欲しいのだろうけれど、応援する人数が増えればエベレストに登頂する可能性が高まるというものでもないし、無責任に応援だけして失敗したときのことを考えていない。彼を救える可能性があったのは批判してきた他のまともな登山家たちで、その批判を素直に聞いていれば過大評価されて死ぬこともなかっただろう。
リスクマネジメントの視点を持たずにやたらとチャレンジしたがる人たちは勇気があるのでなく、リスクを感知できないほど鈍感で無謀なのだ。鈍感だから批判されてもリスクを理解できずに嫉妬ととらえるのである。そういう無謀な人でも1000人いたらそのうち数人は偶然成功することもあるかもしれないけれど、それは計画的なチャレンジでなく運頼みのギャンブルである。慎重に地雷をよけて何も起きない人よりも、積極的に地雷を踏みに行く人のほうが見る側ははらはらして面白いだろうけれど、それをチャレンジとして応援するのは無責任である。
・批判の重要性
何かの物事に対して賛否両論があるから議論が深まって問題の解決策が出てくるけれど、賛成して褒めるだけだと議論にならないので問題提起もできない。それゆえに何に対しても批判は必要で、特に権力は腐敗しないように常に批判されるべきである。議会は議論する場所なので、批判がなくて与党に賛成する人しかいないなら議会制民主主義は成立しない。1989年に石原慎太郎と稲森昭夫が『「NO」と言える日本』という本でアメリカを批判したのがベストセラーになったように、昭和の日本人は長い物に巻かれるイエスマンが多くて自分より偉い相手の批判ができないことが問題だった。今は日本人もNOを言うようになって、企業で会議をするときに批判的な見方でダメ出しを担当する人を決めたりして、忖度して付和雷同のナアナアな会議にならないようにして問題点を見つけようとしている。
当然批判にも良し悪しがある。あいつ嫌いだから失敗すればいいのにとかの主観的で非論理的な批判は悪い批判なので考慮するに値しないけれど、その計画はXXを見落としていて詰めが甘いとかの客観的で論理的な批判は良い批判である。しかし巷では批判する人は批判内容の良し悪しに関わらず嫌われがちである。「 私が大好きなアニメを見れなくなった理由
」という友達と一緒にアニメを見に行ったら批判されて楽しめなくなったという内容の漫画が前にバズったのなんかが典型的で、誰かが好きなものを批判する人は無神経なひどい奴として扱われている。純文学の新人月評も褒める批評ばかりで、批判的な批評は採用されないらしい。
批判を怖がって遠ざけようとするのではなくて、批判に対して論理的に反論するべきである。反論次第で批判が正しいのか間違っているのかがはっきりするし、論理的に反論できないのなら批判のほうが正しいのだから、それを踏まえて計画を修正すればプロジェクトの成功率が高まったり、もっとよい作品作りができたりする。
西野のオンラインサロンの信者とかの夢追い人たちは「頑張ってチャレンジしている人を批判するな」と言うけれど、批判に答えずに論点をそらしてかわそうとする人は追及されたら困るようなやましいことがあるうさんくさい奴だと思われても仕方がない。西野はクラウドファンディングで集めた金では美術館建設の金が足りないとわかったならいったん返金して計画を立て直すのが筋である。材料価格や人件費の高騰で計画段階よりも建設費が1割足りなくなったとかならまだわかるけれど、6千万円では足りなくて実は15億円必要だといって寄付をおかわりしようとするのは最初から見積もりがおかしくて計画が杜撰なのだ。批判に対して論理的に反論ができないような杜撰な計画なら失敗が見えていて時間と金の無駄なので、やらないほうがましである。
失敗やミスをしない人間はいないけれど、失敗したときに批判から逃げる人は信用に価しない。自己愛性人格障害の人はパワハラ気質で目下の人を批判するのに、自分が批判されると失敗を認めずに責任転嫁したり嘘をついたりしてプライドが傷つかないようにする。物事がうまくいっているときは誰でも魅力的に見えるものだけれど、失敗して批判にさらされたときに人間の真価がわかるものである。多目的トイレ不倫が発覚したアンジャッシュ渡部はすぐに記者会見せずにほとぼりが冷めた頃にこっそり復帰しようとしたけれど、かえって印象が悪くなって復帰予定だった出演シーンがカットされることになった。「批判された人が自殺したらどうするんだ」というのは批判封じによく言われる言葉だけれど、そもそも批判されることをやらなければよいだけで、問題を起こしておいて批判されたくないというのはわがままである。
・日本人はチャレンジする人を潰すのか
「出る杭は打たれる」ということわざがあるけれど、字義通りにとらえたら建材としての杭は他の杭と高さがばらばらだと見栄えが悪いし強度も不安定なのではみ出ていたら打たれて当然で、優秀な人が憎まれることのたとえとしてはおかしい。建材として規格通りに打たれるのが嫌なら建材であることをやめればいいのだけれど、杭は他の用途で使えるものでもないし、建材でなくなった杭は結局は役に立たないのである。
オリラジ中田が「日本はめちゃめちゃはみ出すのを潰しますからね」と言ったけれど、イスラム原理主義が教義からはみ出した人を殺害したり、中国共産党が政権批判する人を逮捕して思想教育したり、アメリカで対立する意見の人が銃撃されるのに比べたら、日本は言論にも行動にも自由がある平和な国である。相手が実際に潰す気があるなら「潰そうとする」と文句をいうこともできない状態になってとっくに潰されているはずである。元ジャニーズの手越が仕事がキャンセルされるとあたかもジャニーズの圧力かのように言っているけれど、フリーランスだと競合相手に仕事が流れることはしょっちゅうあるもので、ジャニーズからはみ出たから潰されているというわけではないだろう。ジャニーズが手越を潰すのに労力をかけても儲かるわけでもないし、手越個人にジャニーズ事務所ほどの信用や営業力がないから仕事が流れているのだろうけれど、今まで事務所に守られてきた手越にはそれがわからないのだろう。
ネットは噂話と違って意見が直接相手に届いてインフルエンサーに対しては賞賛も批判も極端になりやすいので、インフルエンサーは攻撃されて潰されるという感想を持つのだろう。しかし上場企業が社外取締役や監査法人に監査されていてIRを公開しているのと違って、個人は帳簿を表に出さないので金に関する信用がない。うさんくさいインフルエンサーへの批判は詐欺やステルスマーケティングやマルチ商法に対する批判であって、夢にチャレンジすることへの批判ではない。起業して銀行から融資を受けられないような個人がクラウドファンディングで夢にチャレンジするのはよいけれど、事業計画がずさんならそれを批判されて当然である。社会の役に立つチャレンジはどんどんやればよい。しかし心地よく夢を見たいから批判をするなというのは見当違いの主張で、法律やモラルに関する批判に耐えられないような自分勝手なチャレンジは他の誰かの不幸につながる可能性があるので、そんなチャレンジならやらないほうが社会のためになる。東芝の無茶なチャレンジ強要が不正会計につながったように、なんでもかんでもチャレンジすればよいというものではない。
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