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【熱帯雨林を訪ねる】5千年後、オーストラリア大陸が北上し太平洋が狭まり、1万年後、熱帯雨林の消滅。5千万年後、アフリカの大地溝帯は完全に分裂。1億年後、海水の上昇で地球は大きく変化。と、気の遠くなるような話を文化人類学者から聞きました。どう、あがいても私はそこに存在するわけでもなし、人間とて全く様相の違った風情になっているのでしょう。ザイールから東アフリカ海岸に帯状に続いていた熱帯雨林は、人間の定住化に伴い寸断されてきました。ケニアでは、カカメガフォーレスト、キブエジフォーレスト、タナガワ下流域にその面影を残すのみとなっております。熱帯雨林とはよく言ったもので、なぜか、カカメガフォーレストに行くと必ず雨に降られます。ウェブエ方面から押し寄せる雷雲から逃げるようにカカメガに向かいました。同行した日本人学校の先生は、社会科の副読本にカカメガフォーレストを掲載したいとの意向があったのですが、カカメガに到着した時は、すっぽりと雷雲に包まれ、薄暗い森林での写真撮影となってしまいました。最後のビューポイントへの登りがきつい事を知っていた私は、今回森林の中には入らず、林道で待機していました。緑濃きうっそうとした森林は、静寂そのものですが、ときおり、サルの集団がその静けさを打ち破ります。雨足も激しくなった状態で待っていると時間がとても長く感じられます。森林の中から足早に歩いてくる音が近づき、続々と林道で待っていた車に飛び込こんできました。あたふたと帰ってきた他の人と違い、悠然と最後に帰ってきたのは、傘をさした娘(緑)です。こういう点だけは、周到で何事にも動じないのだと今更ながら感心してしまいます。近代的でないホテルという娘の希望で、ロンドリトレットセンターに今夜の宿はとってありました。激しいスコールのあと、洗濯板の上に石鹸をびっしりと塗ったような18kmの泥道を進むときは、とんだ所を一夜の宿に選んでしまったとため息の連続。宿に着いたときは、闇にどっぷりと包まれていました。夜10時半、ジェネレータが止められ、全ての明かりが消されて一日の終わりを迎える暗闇が重くのしかかってきます。朝日が上がっているのに、7時を過ぎても薄暗く、鳥を見るのは無理かなと思いきやホテル前の庭はホーンビルの楽園状態で、満足していると、鳥に目ざとい娘が「ウへッ、トラコーがいるけどわかる?」と聞いてきました。勿論、私は見落としていたのですが、指差す方向をみると2羽いるではないか。薄明かりの森林の中、伸びやかに羽を広げて飛ぶ鳥の姿は、シロクロ映像をみているようなシルエットで幻想的でした。時をわすれて、ついつい空を見上げてしまいます。こんな、時の流れがあってもいいのではないかと、自分で自分を納得させてた空間でした。ナイロビへの帰途は、幾度となく訪れたナンディヒルを通り、強行軍であった西ケニアの旅の終了です。終り
2005年09月24日
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【ブロデリアル滝】ケニアにも沢山の滝があります。サバンナがおりなす風景と共に滝が存在するのであれば、観光客も訪れるのでしょうが、自然の摂理は、人間の都合には合わせてくれないようです。15世紀にヨーロッパからの探検家が大きな野望をもち、未知の世界に踏み込み、そこに自分の名前を刻んだ場所が多々あります。今回、訪れたブロデリアル滝も人里はなれた奥地にひっそりとではあるが、堂々と荒々しく存在していました。ナイロビから北西にWebuye(ウェブエ)という町があります。町の産業はパルプ工場のみです。パルプ工場の社宅の私道を通りぬけ、小高い山の頂上に上りつめても一向に変わらぬ景色に、どこまで私たちは獣道をちょっとだけ広くしたような道を進まなくてはならないのだろうか。本当に滝があるのだろうか。行ってみたら実はとても小さな滝なのではないだろうか、と様々な不安がよぎります。さずがに、地元の人は滝の存在を知っていましたが、彼らの興味の対象ではなさそうです。それよりも、私たちのような外国人が町をさ迷っている方がずっと関心の的です。山の頂上をすぎ、尾根づたいに反対側に下りて行く道は更に狭くなり、、ガリガリと枝を力で押しのける音が強くなりましたが、車が走ったわだちの後が確実に続いています。水が流れ落ちる音がしてきました。「うぉ~。すげ~。チョ~、でけ~い」と子供たちが今風に表現。遠目からみても、激しく水が流れ落ちるさまが充分伝わってきます。これが泥川でなければ、もっと良い景観を見せてくれるのだろうと、茶色の流れがうとましく感じられます。行き止まりの所で車をおり、さらに下っていくと、滝をしたから見上げる事が出来ます。なんと横幅の広い滝なのでしょう。下からでは、全景がカメラに収められません。流れ落ちた水は、とうとうと蛇行して流れていきます。乾期といわれる季節でもこれだけの水量の流れがあれば、ビクトリア湖畔地方に洪水をおこす暴れ川となっても不思議ではない感じです。これも、大地溝帯が作り上げた芸術の一つと思うと遠い地球誕生の世界にまで思いが広がっていきます。ようやくピクニック気分で昼食を取れる場所を確保したのですが、30分もしないうちに雷雲が立ち込め大粒の雨が降り出したために、帰りの山道を考えて、そそくさと滝をあとせざるを得なかったのが残念でした。
2005年09月23日
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岩絵の背後にある古代人が住居にしていた洞窟
2005年09月14日
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今日は岩絵のあるカカペル村への旅行です。【数千年前の岩絵を求めて】物資輸送の幹線道路が真っ直ぐ地平線まで届くのではないかと思うほど遠くケニアとウガンダ国境まで続きます。蜃気楼がたち、わが目を疑いながら最初のチェックポイント煙草工場の大きな看板に辿りつきました。ここまでは、迷うことなく到着。さあ、これからが手探り状態で紀元前の世界に進む道路の始まりです。私達が持っている情報は、手書きの簡単な地図と『とにかく左へ左へとハンドルをきれ』だけです。五万分の1の地図では、マラキシタウンまでは舗装道路で示してあるが、現実はとんでもないガタガタ道。しかも、2番目のチェックポイント、マラキシタウンは、地図で見るより町がはるかに小さすぎる。他に地図上のマラキシタウンがあるのだろうか。不安がよぎる。しかし、行くしかない。ここから先は、地図にも記されていない、口コミ情報だけが頼りです。左に道を折れると、道幅はさらに狭くなる。とにかく左、左…・・。確信をもっていたが、さすがに分岐路で車をとめて、住民に再確認。「カカペル小学校に行きたい」「左にずっといけ」 『左折はとても頼もしい道しるべなのだ!』大きな岩山が見えてきた。めざすはあの岩山。あの岩影に長い眠りについていたロマンがあるのか?必ずすばらしい感動が待っているはずである。何度、左にハンドルをきったであろうか、カカペル小学校に到着した。ここの小学校生を案内人として連れていくのが暗黙の約束事なのです。絵が描かれているこの岩山は、国の所有物ではなく、個人の持ち物です。また、その価値も4、5年前までわかっていなかったため風雨にさらされ野放し状態で風化が進んでいましたが、はっきりと象、牛、鹿、幾何学模様などが描いてあります。人が弓と矢をもって獣を追いかけているような絵もあります。紀元前の人々の生活を想像するに値する描写です。何千年も色あせない茶色や白い色はどうやって作ったのだろうか。動物性たんぱく質と木の染料からという説もあります。動物性たんぱく質は、きっとダチョウの卵(しろみ)でしょう。木の染料はわからない。茶色は何となく土の中の黄銅鉱としろみを混ぜて作ったと思えるのですが、では、白は?私にはまだ思いつきません。絵が描かれている反対側はなんと洞窟になっていました。遠くから見えた岩山は、大きな一つの岩の塊ではなく、空洞状態だったのです。今は、こうもりのすみかになっていましたが、中に入っていくと、そこで火がともされ、原始の人が「まあ、お茶でもいっぱい」と声をかけてきそうな雰囲気です。洞窟の眼下にはサバンナが広がっています。きっと、男達はここで狩りをし、女、子供は、見とおしがよく、安全が確保される高台で生活していたのでしょう。ひょっとして岩絵は『ここは誰かさんの家ですよ、という表札がわりだったのだろうか。それとも、ささやかな家の装飾?』 何故、何故の世界に追い込まれそうです。岩絵は、リビアのタッシリ地方が有名ですが、ここ東アフリカにも多数残っていると言われています。まだ、その長い眠りから覚めていない岩絵もたくさんあるのでしょう。人類発祥の地とされるリフトバレーで野生動物の躍動感だけでなく、古代文化を追いかけ当時の人々の息吹が生々しく伝わってくる世界観を味合うのもおつなものです。続く
2005年09月13日
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もっちゃんの西部旅行図書館を訪問した翌日、ケニアの西部へ旅を続け数千年前のサバンナの民が描いた岩絵を見に行きました。その時の旅行記です。【働くケニア人】ナイロビを北上しナクルをすぎると小麦畑が続きます。収穫時期を迎えた畑では大型機械も導入された麦刈りが行なわれていました。ナイロビからナクルをすぎるとお茶畑が見え始めます。ケリチョ-です。ブルックボンド社のお茶はインドではなくここケリチョ-のお茶が主流を占めるようになりました。お茶畑の中に黄色い服を来た人が茶摘みをしています。朝露を含んだ新芽に群がる蝶々の如く華麗な手の動きが続きます。絵になる風景でした。ビクトリア湖が近づいてきました。アヘロの田植え風景です。田んぼに水がはられ、横一列に並んだ人たちが苗を植えていきます。日本の昔の田植え風景が嫌がおうでも思い出されます。田植えの終った水田はきれいな緑の穂が風になびいてのどかな田園風景です。キスムを北上するとムミアスです。2m以上の背丈のあるさとうきび畑の始まりです。成熟したさとうきびをパンガと呼ばれる斧で刈っています。力の要る仕事ですが、ケニアでは砂糖といえばムミアスといわれる程の独占市場です。ケニア人は木陰でひたすら時が経つのを待っているばかりではありません。換金作物を栽培している農家にとってこの時期は農繁期であり、働くケニア人の姿を再認識した旅でもありました。西ケニア、ここは中国かと思わせるほどの自転車が車道を埋めていました。20年前、ケニアは米国、ウガンダは北朝鮮、タンザニアは中国と国交がありました。そして、タンザニアとケニアの国境は閉鎖されており、ケニアは自動車が走っていても自転車は全く存在しなかったのです。ウガンダとタンザはその逆で、車の数より自転車の数の方多く、庶民の足として自転車が利用されていました。その頃からウガンダでは自転車タクシーが商売として成り立っていたのです。その影響でしょうか、西ケニアの自転車タクシーは、ナイロビの自家用車普及と同じ位の勢いで増えている感じがしました。自転車タクシーのお客さんは女性が多く、どっしりとしたお客を背に立ち漕ぎでがんばる男達。さ~漕がんか~という罵声が聞こえてくるようです。次はサバンナの民が描いた岩絵がある写真の岩山探検です。続く
2005年09月03日
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