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今日でここでの仕事は最後。「お世話になりました」と挨拶をすると、「体に気をつけてね」という優しい言葉に、じんときて続きが素っ気なくなる。明日から、全部、とは行かないけれども、ほとんど全部のしがらみを脱ぎ捨てて、全く一からのスタートだ。そう思うと、寂しさと心もとなさが、ときどき心の隙に寄ってくる。本当は、たくさんの人に、支えてもらって、教えてもらって、迷惑を掛け合って、助け合って、やってきたのだ。そういう意味で、4年間は長かった。一人ひとりの顔を見ると、どうしても名残が尽きない。私がここで作ってきたある種のアイデンティティが、向こうでは通用しないのだ。けれど自分で選んだ道だから、前に進むだけ。
March 31, 2004
昔好きだった人が別の人と結婚していたことを知ったような、ちょっとちくっと胸を刺すような痛みを感じてしまった。今日のヤンキース対巨人のゲームに、小久保が途中から出場していた。小久保が巨人へ行ったことを、私は忘れようとしていた。忘れようとしていたのに、思い出してしまった。ダイエーの小久保が大好きだった。大して大きくもない身体で4番をはって、パ・リーグの雄として煌いていたこの人が好きだった。きっとこのユニフォームを着ていても、私はきっと小久保の活躍を祈ってしまう。やっぱり好きだったんだなあ、嫌いになれないよ。素直に「がんばって」とは言えないんだけど。
March 28, 2004
MSのTさんが、私が異動してここからはいなくなると言ったら「私もここからはいなくなるなんです」と言う。え、それってもしかして引き抜き? いいえ転勤です。名古屋なんです。 え?名古屋!? 寂しいってこういうこと。会えなくなるんだなあ。 Tさんにはここ2年くらいほとんど会っていなかったけれど、あの会社にはいるのかなってぼんやり思ってた。どうしているかなって、たま~に、思い出していた。現場に来なくなったということは、偉くなったってことかしら?なんて思ったりもしていた。今日話していなかったらそのままそう思っていたかもしれない。他の人と話題にすることもないし。 でも名古屋なんていう遠くに行ってしまったら、たまたまちょっと会えるってこともない。いるのかな…なんて思っても絶対いないわけで。 近々そちらへ行くので、ご挨拶に伺います。 「しばらくお会いできなくなりますね。寂しくなります。私は、3年くらいで戻ってくると思いますけど」 私の異動のことを聞いて「え~(;o;)」っていう人とか、寂しくなるね、って言ってくれる人って、こういう気持ちだったんだな。私は別にいなくならないし、数年で戻ってくる…、でもそれは私にとってということで、Tさんが名古屋にいくというだけで何となく寂しいのは、つまりそういうこと。
March 22, 2004
N係長がうちの部長のところへ来た帰りに、ちょっと寄ってくれたので今回の異動でお世話になったお礼を言った。どの部署になるかまだ聞いていないと思うけど、やりがいがあると思うから、がんばって、と言ってくれた。嬉しいなあ。それから、四谷にはたまに行くよ、と言い、Mっていう焼き肉屋があって…ご馳走するよ、と言ってくれたので、「本当ですか? じゃあ毎日来てください」と思わず言ってしまった。だって肉、大好きなんだもん。
March 18, 2004
Hちゃんにお世話になったお礼と昇任のお祝いに、アロマのお風呂グッズとか、癒しグッズをプレゼントしようかなと思っているんだけど、気付いたら最後に二人で会うのって、今度の金曜日なんだった。気付いたのが昨日の夜中なんて遅すぎるー。今週中に買い物に行かなきゃ…
March 15, 2004
しまった、積立年金をいくら積んでも、今は住宅取得控除で所得税全額戻ってきているんだった。アホかしら私。しばらく放っておいて、解約しよう。そんなことより、4月26日になったら郵貯の定額を下ろせるから、そいつを下ろしてローンの繰り上げに回さねば。(非)
March 11, 2004
支店の番頭Yが、元本店番頭の一人の私に、何故か支店の仕切り方をいちいち説明するので、「うざいやつ」とずっと思っていた。Yの言うことなど、説明されるまでもなく、4年前は毎日のようにやっていたし、今もそのノウハウは使いこなしているのだ。Yの前任者は私の元同僚で、私が何者であるかよーく知っているはずなのに、Yに話していないのだろうかと、それもずっと疑問に思っていた。それともYは、わかっていてもいちいち1から10まで言わないと気が済まないやつ(これまでの社会人人生で他に2人ほど知っているが)なのかなと最近納得しかけた。Yにはいいところもある。過去の資料など、丹念に丁寧に調べるなど、労を厭わない。そこから自分の考えをまとめようとする点などは前向きでよろしい。「地域に密着した支店の視点」はなるほどと思った。その視点は私にはあまりなかったから。Yは若くはないが年でもない。私より3~5歳くらい若いくらいだろうか。ところで今日、Yが来た。今回の経営会議の資料を持ってきていた。ここでもYは、経営会議のやり方などを私に説明する。しかも、「こういう仕事の仕方って、他の支店の人はしないらしいんですよね」などと言う。支店では経営会議が5ヶ月に1回ほどある。が、本店には月に2回もある。「私のこれまでの2回の経験では…」とYが言ったとき、思わず「え?2回しかやってないんですか?」と口走ってしまった。私は4年前とはいえ、出席は20回以上、仕切ったのは4回やりました。言わなかったけれど、後で数えたらそうだったのだ。とにかく、2回というのに、無防備に驚いてしまった。いかんいかん。しかしこれは支店と本店の差を如実に表す事柄のひとつである。しかも本店は、支店を事実上指導する立場である。Yは、自分より、スケールの大きい事業を、数も多くこなしている先輩の私に、そういう態度をとっていると気付いているのだろうか(なんて危ないヤツなんだ)、それとも、私を全くの素人と思っていて、自分が教えなければと思っているのだろうか、というのがこれまでの疑問。そして今日謎がひとつ解けた。彼は、これまでの、彼なりの経験に、自信とプライドを持っているのだ。私に教えることができると勘違いするほどに。自信を持つことは素晴らしい。健康なプライドも大切だ。前向きなのも大変結構。嫌がらずに、喜んで仕事をこなしていることは評価するべきかもしれない。だからYを許しましょう。寛容にならなければ自分がつらいのです。Yはゴミのように転がっている仕事をしない連中に比べれば、だいぶだいぶ、ましである。とろくてうざいんだけどね。
March 9, 2004
肩は相変わらず痛いけど、腰は治ったぞ!肩は何故か全然ダメだ。却って悪くなるときもあるくらい…。腰をマッサージしてもらっていたときは痛かったけどなァ。
March 8, 2004
BSで「みんな野球が好きだった」をちょっと楽しみにして9時まで見た(「砂の器」に負けたってことだよ~NHKよろしいか!?)。導入のしゃべりで、岩崎ひろみと松平定知は間が合っていなかった。ちょっと違和感を感じながら一応見ていたが…、答えは後で出た。私が見たかったのは昔の名場面だったのに。ゲストのしゃべりもくだらないクイズも、全然おもしろくないので、途中でNHK総合に戻して伊達正宗の鉛筆などをみて「へえ」を少し言ったりしていた。そろそろつまらんトークも終わっているかと、またBSへ戻した。人気投票(ドリームチームなどと言っていたが)のノミネート選手ということで、往年の名選手の紹介をしていた。その時は70年から80年ごろの内野手の紹介だった。辻発彦の華麗な守備に魅せられたものでした。松永浩美なんていうマニアな選手も紹介していた。これは結構おもしろかった。素人さんの思い出話も、ほとんどはイマイチだったけど、88年10月19日のことを書いた女の人の話は、その時代の思いが甦るようでよかった。ところで松平。言葉ははっきりしないし、しょっちゅう間違えるし、…アナウンサー生命大丈夫なの?「私はジャーナリストですから」などと言っていたけれど、プライドばっかり高くて基本的なことができていないじゃないか。偉そうなことを言うのはやることをきちんとやってからにしろと、最近そういう人が許せなくなっている、心のせまい私。
March 7, 2004
4年間この職場にお世話になって、いろんな仕事をやらせていただきました。やったことがないのは、YKと、KM、G改築ナントカ指針?くらいでしょうか、あとは一応、密度は薄くても、触ったことくらいはあると思います。14年の2月に、HPの立ち上げをしました。これは他課の人とPTを組んで、助けてもらいながらやりました。これをやっていて一番やりがいを感じたことは、所管課の人が、HPで広報するっていうことをきちんと前向きに考えて、いいものを作ろうといっしょに取り組むことができたことです。TAGづくり。私は3代目で、まだまだ迷走していたころでした。増額予算の使い方を考えろというのが、次に言うG懇談会を担当するはずだった人が倒れちゃったので代わりにやっていたのと同じ時期にやることになりまして、命令が覆ったりとか、こっちの中も超迷走していたころですね。G懇談会。3年ごとで、私のときは5回目でした。中身はともかく、やっつけでやったのが却ってよくて、お金を払って会場を取りました。これはY係長のお陰でD連携として受け継がれていて、…広報紙は、8号出しました。通算50号も、60号も、手がけさせていただきました。最初にもらったときに、あまりにも効率が悪かく、イライラしながらやっていまして、次年度に向けて事務改善をやろうとしまして、業者を呼んでヒアリングをしたりしました。結局予算は100万円くらい、作業工程は1号につき1か月削減したんですが、システムを変えた後は混乱が付き物なので、それも含めて自分がやるつもりだったのですが、担当が替わってしまいまして、Mさんには苦労をかけてしまいました。SB導入は、5校…でも3校はNさんがやったようなものなので、私が立ち上げたのは2校と、あとF56を少しやったから、2.5校ですかね。あとK調整会議なんていうのも、私のころは毎月やっていました。休んだのが8月と3月だったかな、だから開催10回ですね。数字で見るHさんの歴史…というとだいたいそんなところでしょうか。あと、AKの予算削減も、苦情を受けながら、…万円くらい、やったかな。広報は13年度は大変な思いをさせてしまいましたけれども、結果としては事務改善はひとつの成果だと思います。私は広報には、HPも含めて、プライドをかけて、絶対に恥ずかしいものは出せないと思ってやっていましたから、所管といっしょにいいものが作れたときは、本当に嬉しかったです。仕事ですから嫌なことでもやるんですが、こういう嬉しいこともあって、好きな分野の仕事を任せていただいて、幸せなことだと思います。形が残るといえばSBもそうです。去年は54は丁寧に丁寧にやったつもり…それでも穴はある…それに形に残らない「思い」としての成果…あとちょっとおもしろかったのは、青年招聘事業の受け入れと合宿です。受け入れの方は学校の素晴らしい取り組みを見ることができたし、頼まれもしないのにマスコミなどに売り込んだりして、好きなようにやらせていただいて楽しかったです。合宿も個人的には残ったものが多くて、皆さんは物好きと思うかもしれませんけど、この年になって新しい友だちができて嬉しいなんて言うことがあるとは意外なお土産でした。言い切れないくらい、この職場では、まさしく多様な分野の仕事を勉強させていただきました。最初はひどい職場だと思いましたけれども、皆さんも同じように思われたと思うんですが、私から見ると、だんだんと目に見えていい職場になっていきました。私がこうして笑顔で卒業できるのは、いっしょにやってくださった皆さんのお陰です。KST課は、二つに分かれて新しい歴史を作っていくことになります。私がうっかり「昔は苦労した」などと言ってしまったときには、古い人の自慢話は聞いても意味がないので、どうぞ遠慮なくそう仰ってください。
March 6, 2004
超怖い人に楯突いてしまった。みんなびっくりしていただろうなあ、誰も逆らえない人だから。大体さあ、まず約束守んなかったのそっちだよ?約束の日すっぽかして、黙って泊まりの出張行くわ、戻ってきたらまだできていないわ、結局1ヶ月も遅れたんじゃん。コミュニケーションをとるために、期間を取ってるのを、反故にしたのそっちでしょ?約束も守らないどいてよく言うよ。大体、約束守ったことないよね、ほとんど。それで人の上にたっているつもりらしいけど、やることやってから物言えば?もー、怒りました、そんなら好きにすればいい、そっちが責任とるってことなんでしょ? もう、私は知りません。
March 5, 2004
西武ドームでロッテ戦おさえていいか?と昨日の夜にメールが来ていて、日付けがないので調べたら3月最終土曜日は既に開幕していた。公式戦じゃん。できたら3塁側にしてね、と返事を出した。Y君どっちがいい、と聞いたらどっちでもいいそうで。でも仕事で出るかもなんていう…。え~じゃあ代わり探すようかなあ…でも…大丈夫なようにがんばろうぜ!と言って去った、そういう私も結構ヤバイが…明日もまたI先生の学校へ行く、純粋仕事で行くんだけど(って前もそうなんだけど)、憂鬱な仕事の現場に少しでも楽しみがあるのはI先生の顔が見られるからでしかない、嗚呼、もう3月なんだってば!
March 1, 2004
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