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日経新聞によれば、ネットと金融の融合が加速しているという。これは、ネットを介した取引のスピードアップに貢献するであろう。しかし、現在のネットを介した取引のスピードに左右しているのは、代金の支払いだけではない。ネットを介した商売にかかわっているのが、アフィリエイトと同類といえるくらいに、お店が店舗や倉庫や在庫を十分に直接に用意していないことが一つの理由であろう。もう一つの理由は、ネット取引のお店の場所が、ネット上でははっきりしていない場合が多く、ちょっとしたものを頼むにも、日本中を宅配便が走り回って届けることになるからであろう。これは、単に時間の問題だけではなく、商品の品質の輸送中の劣化作用にも関係しているだろう。やはり、ネット上の取引だからといっても、お店の場所は近いほうがよく、そのお店への流通ルートも極力短いほうがいい。これからは、ICタグなどを利用して、どういうルートで納品されるかについてもネット上の商店が競う必要があるであろう。それも、日本国内だけの問題だけではない。地球全体で、最も効率的なルートを選択できることが、物流コストの低減と、物流エネルギーの低減につながり、環境にもやさしいことであろう。
Mar 31, 2006
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ITからICTへの変化の兆しは、本日の「日立」の日経新聞の全面広告にも現れている。曰く、 ユニー(「良品廉価」をキーワードに、衣・食・住が幅広く揃うお店「アピタ」「ユニー」を関東・中部地方を中心に展開しているユニー。) × 実業(医療機器・映像機器・エネルギー・介護機器・環境・金融・計測装置・建設機械・交通システム・材料・産業用機械・住宅設備・自動車機器・生活家電・セキュリティ・素材・情報家電・電子部品・電子行政・電線・都市開発・ナノテク・バイオ・半導体・半導体製造装置・ビルシステム・福祉機器・物流・プラント・分析装置・モバイル・リフォーム・燃料電池etc.) × IT「店舗主体」の運営をかなえるシステム構築は出来合いのパッケージ導入では対応できず、現場の実情に根ざした自主開発が求められた。システムの完成によって、商談から発注、仕入れ、販売、実績管理にわたる一連のデータ管理を実現。またオープンな業界標準を積極採用したことで、各店舗がweb上で取引先とダイレクトに商談したり調達コストを低減できたり、といったB to B取引の活性化を図れたとのこと。さらに物流を自らの事業としている日立は、物流とITのトータルなコーディネートを行うことができたとのこと。ユニーと日立が生み出した「価値」。それは、お互いの強み、専門性を融合させることで生み出される新たな価値、uVALUE であるとのこと。
Mar 30, 2006
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近頃、IT(Information Technology)からICT(Information & Communication Technology)へという変革を唱える広告を目にするようになっているが、何が一体違うのであろうか。英和辞典によれば、Information とは、情報、通報、通知、案内などであるが、Communication とは、情報、伝達、交通・輸送機関、交際などであり、Technology とは、科学技術、工業技術である。こうしてみると、ITもICTも情報社会(Information Society)の中では本来似たようなものであるが、異なることは、交通・輸送機関、交際という点が加わってくることであろうか。その前提として、ITという情報に関する技術に関心がおかれていた状態から、人や物の流れが加わることで、情報機器と人間の活動とのかかわりに関心が移行してきていることを示しているのだろう。NTTコミュニケーションズの広告によれば、企業内はもちろん、企業と企業、企業と消費者をもっと有機的に、もっと深く、ITで結ぶ為のコミュニケーションがこれからのビジネスモデルの中心課題となることになろうか。すなわち、人間のライフスタイルをITにあわせるのではなくて、人間のライフスタイルにあわせて、ICTを構築するように、変革することが、求められて来ているのであろう。(図1 遠隔操作コンピュータ・オペレーティング・サービスができる総合窓口機能
Mar 29, 2006
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今日、また、東京直下型大地震の被害予測が出た。一体、何度、変更するのであろう。阪神大震災のあとに、被害予測の発表が、何度もなされているような気がする。その中で、高速道路等の大被害箇所の予測が相変わらず出ている。そもそも、阪神大震災の直後から、首都高などの耐震補強工事と称して、コンクリートの柱に、厚い鉄板を巻いたり、道路桁の落下防止装置を付けたりしてきたはずだが、それが一段落したあとでも、相変わらず、高速道路等の大被害の予測が未だに残っているというのはどういうことか?そもそも、耐震補強工事が本当の意味で、十分な耐震補強になっているのかどうかは、土木構造の専門家でないとわからないが、当事者の東京都が、自分で、耐震補強したはずなのに壊れると言っているというのはどういうことなのか。それこそ耐震偽装ではないのか。
Mar 28, 2006
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首都を中心に、有効利用されていない国有不動産の売却による、財政再建が主張されている今日この頃である。しかし、空き地等の有効利用とは、売却して財政に補填するだけが有効利用ではない。都市のヒートアイランド現象を防ぐ緑化、公園化や、災害時の緊急避難場所、子供の遊び場、広場や駐車場や道路を含む交通システムのノード、等々、空き地の状況でないと都市計画・都市デザインができない貴重な土地がいっぱいあるはずである。政府は、都市計画・都市デザインをまず第一にやる必要があり、そうした計画から外れるところであると確証を得た土地を、財政再建のために売却すべきである。やみくもに、何も計画しないで、数字のつじつまあわせをするようなことは、絶対にしてはならない。都市計画・都市デザインに必要な土地を、高層マンションの用地として売却をしてしまってからでは遅い。早急に、関係者を集めて、都市のデザインをすべきである。そして、必要があれば、東京の環境再生のために、近隣の土地も買収すべきである。バランスある改革を実施されることをお願いしたい。
Mar 27, 2006
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山内一豊さん、正妻のちよ(仲間由紀江)より間者のこりん(長澤まさみ)の方がいい女ではないでしょうか?ちよの魔法がかけられて、他の女を寄せ付けないようにされている一豊様。ドラマの一年の四分の一が過ぎただけの今の段階で、こりんの熱意に耐えることに苦しんでいては、ドラマが終わるまでに落城するのでは。史実ではちよの唯一の子は娘で早々と亡くなり、ちよは、拾った子おひろいを自身の子供のように育てるということですが、家督は一豊の弟の子に譲り、おひろいは仏門に入れるということです。はてさて、こりんの子は、おひろいなのでしょうか?あるいは、山内家の当主にでもなるのでしょうか?それとも、こりんは、ただの行きずりの女なのでしょうか?織田家の一大事より、山内家の一大事の方が面白い功名が辻でした。。。
Mar 26, 2006
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ローマのあるラティオ州の名酒フラスカティを飲みながら、食材をつまんだ。初めてローマに行ったとき、レストランのハウスワインであった、澄んだ色のフラスカティが忘れられず、フランスのパリにへ帰るのに、お土産に、半ダースくらい、その店のフラスカティを買って帰ったほどであった。それ以来、日本でフラスカティを飲んでも、辛口の味が、何か違うような気がする。ローマで最初に飲んだときには、魚介類とパスタばかり食べていたような気がする。日本で飲んでみると、乾き物ばかりと、食材が違うので、味が違って感ぜられるのか、辛口の澄んだ味がしないのである。赤のイタリアワインにあうアンチョビ・オリーブとあわせてみると、多少ましのようだが、赤ワインとアンチョビ・オリーブとの取り合わせほどの感激がない。グリッシーニにあわせてみても、やっぱりバローロのような赤ワインのほうがいいような気がする。日本の食材をいろいろ試してみると、辛口のはずのフラスカティが甘口になると言う人もいる。そもそも、もともと白ワインはあんまり好きではないのであるが、最初にローマに行ったときに、出合ったレストランのフラスカティの味が忘れられない。それこそ水のように、がぶがぶ飲んだのがよかったのかもしれない。しかし、日本で飲むフラスカティにはなにか、葡萄特有の癖がある。この安ワインを工作するにはどうしたらよいのだろうか。。。
Mar 25, 2006
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ライブドアショックで下がったライフドア株だが、2月12日くらいに、株を買えた人からすると、3月24日現在50%以上値上がりしていることになる。USENのフジテレビからのライブドア株買収が成功しつつあるように見える。だけど、フジテレビはどうして、ライブドア株を手放したのであろうか。フジテレビが全面バックアップすれば、ライブドア株も、もっと上がっているかもしれなかったのに。フジテレビは、ライブドアに買収されることに大分アレルギーを持っていたようだが、逆に、フジテレビがライブドアを買収するのなら、いいイメージだったのではないだろうか。フジテレビの古い体質の経営者には、そういうことはできないのだろうが、かつて日枝会長が、鹿内家をフジテレビから追い出したときのことを思えば、そのくらいのことがなぜできなかったのかふしぎでさえあろう。
Mar 24, 2006
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日経新聞によれば、郵政民営化の準備会社、日本郵政は2007年10月の民営化で発足する郵便貯金銀行の基幹システムを、大手銀行から買い取る方向で検討に入ったという。みずほ銀行・日本IBMと、三菱東京UFJ銀行・日立製作所に打診したという。システム経費を圧縮して経営効率を高める他、独自開発ならシステムエンジニア不足で民営化に間に合わないと判断した結果であるという。利用者が他の金融機関の口座に資金を振り込めるようシステム整備を急ぐという。昨日、マイクロソフトのWindows XP の後継機種であるWindowsの次期戦略OSの発売が、セキュリティ対策を理由に今年のクリスマス前から来年に変更されたが、このタイミングは、何らかの因果関係が感ぜられるような気がする。郵政民営化の影響で、コンピューター・システム・エンジニアリングに引き起こされた波紋が、都市や建築や環境に大きな影響を与えるという図式が、今、現実のものとなりつつあるのではないだろうか。
Mar 23, 2006
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Windows XP の後継機種であるWindowsの次期戦略OSの発売が、今年のクリスマス前から来年に変更された。それも、企業用バージョンでなく、個人用バージョンのものが遅れることになり、日本のコンピュータ・メーカーの歳末商戦に影響が出ると民放のニュースでやっていた。OSの変更内容は、セキュリティーに関することだという。すなわち、企業用バージョンは、単体で運用することは期待されていないのと、日立製作所等でやっているように共用ファイルのハードディスクをとりはずした機種であるから、セキュリティーは比較的簡単であろう。これに対し、個人用バージョンは、ハードディスクをはずしにくいので、個人情報の漏洩への対処が必要になるということであろう。このことは、Windowsの次期戦略OSは、個人情報がかなり頻繁に行き来するようなシステムの一角ないし、末端にすえられた端末として企画されていることになりそうである。システムの末端では、ハイビジョン対応のテレビ番組はもちろんのこと、テレビ電話が装着され、指紋や血管認証システムが常備され、SECOMの情報管理などができるようになり、証明書等の書類が発券されるようになり、個人情報が暗号化されて、行き来するようになり、銀行、病院、通信、宅配、郵便、介護、コンビニ、保険・・・等の情報が行き来するようなもので、若者のようなコンピュータ・強者だけでなく、高齢者などの弱者についてもテレビ電話を介した操作でITやICTの利便性を享受できるようなものとなることが予想されよう。いわゆるユニバーサル・デザインであるこれにより、役所や、旧郵便局等の総合窓口機能が可能になるのではないかと予想される。これはいわゆるコンパクト・シティーへの足ががりであろう。
Mar 22, 2006
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いま、NHKで通信(インターネット)と放送の融合について議論している。放送にはいろいろな規制や自主規制があって、公平・中立な情報が流されているという。確かにそうかもしれない。それに比べ、インターネットや、特にブログなどのプライベート・メディアは、言いたい放題の、時にでたらめの情報が流れる可能性は大であることは確かである。しかしながら、人と人の直接の会話によるコミュニケーションやサロンでの交流や、友達との会話は時に貴重で重大な情報のコミュニケーションになりうる可能性を持っている。それはどうしてかと言えば、情報の出所の人を目の前にして、目の前にいる人の信頼性の上に情報やコミュニケーションの信頼性を構築しているからであろう。それと比較すれば、ブログの情報もサイトの信頼性が構築されていれば情報の信頼性を構築されやすいが、サイトの信頼性が明らかでなければ、情報の信頼性については明らかでないことになる。ブログの傾向として、HNを使用する人がほとんどで、実名を出していない人がほとんどであることがある。情報によっては、例えば、秘密情報の公開などでは、実名で公開すると、公開者に危険が生じる可能性もある。だから、一概にHNがいけないとは言い切れない。しかし、そうでない一般の情報の時には、情報提供者あるいはコミュニケーションの相手があいまいな情報は、今ひとつ信頼性がおけないということもある。そうなってくるとブログ情報の信頼性はサイト全体の雰囲気や、情報の質がつちかうものであると考えられる。言い換えれば、読者が読者の責任において、情報の質を判断すべきメディアであると考えられよう。情報の信頼性が確立できるときには、ブログの情報などは、きめの細かい情報となりうるポテンシャルを持っているときもあるだろう。こうしたメディアの性格を有効に生かして育て上げてゆくことが必要であろう。
Mar 21, 2006
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先日述べた、ある研究会でのこと、十人ちょっとの委員でも、日本中に分散しているので、日常の情報交換は、インターネットのメールで行われています。一番若い委員のA君が、自分のところは、ブロードバンドでないので、インターネット環境が貧困で電話回線用モデムを使用しているのに、1M近い情報を送られると、1時間近く受信にかかってしまうので、何とかして欲しいというのでありました。そこで、A君からこちらに情報を送るのに、CD-Rに焼いて郵送でもいいとお願いしたところ、早速CD-Rが送られてきました。ところが、A君やっぱり、やってくれました。CD-Rをコンピュターにセットしてみたところファイルの中に何も入っていないようでした。ファイルシステムを見ると通常見られるCDFS(多分Compact Disk File System)ではなく、UDF(多分Un-Defined File)と表示されていました。こちらはWindowsXPなのですが、先方はMacintosh OSXなのかもしれません。いずれにせよ、WindowsXPでは読めません。コンピュータはMacintoshでなくてWindowsにせよとはいいません。でも、もしMacintoshだったら、今までもどこかにファイルをCD-Rで転送したことがなかったのでしょうか?やっぱり、最も確実なファイル転送方法は、インターネットに乗せて、送ることです。インターネットはWindowsでもMacintoshでも同じように使えます。はやく、A君はインターネットをブロードバンドにして、ファイルの中身でなくて、ファイルの外面づくりに時間がかからないようにしましょう。だけど、もし、WindowsとMacintoshの違いでなく、単に、A君が、間違えて空のCD-Rを送ってきただけであったなら、もう許せません。よもや、そんなことはないでしょうねぇ。
Mar 20, 2006
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二十世紀を代表する世界的建築家丹下健三先生の一周忌をかねたミサとコンサートが東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。式とコンサートがおわったあと、弟子達が、一堂に会するのは最後かもしれないと言う中、近くのホテルの喫茶室でコーヒーでも飲んでお話したあとで、食事でもしようということになりました。どこかのイタリアレストランででもと思っていたら、イタリアと東京で華々しく仕事を始めている後輩の事務所のパーティーへとタクシーで連れてゆかれました。行ってみると、思いもかけない人達が集まっていて、今後の仕事のやりかたについて打ち合わせをしていました。時代は動いているようです。よくもわるくも、古い組織は時代に取り残され、新しい組織が生れつつあるかのようにも見えました。まだ、産声を上げているところで、実際のところ、何が実現するのかはわかりませんが、確かに、そのようになる可能性もあるような気もしました。一方で、改革なのか反乱なのかわからないようなところもありました。唯一つはっきりしているのは、二十世紀の巨匠がなくなって、もはや、巨匠の名前をあげてみても生きていける人は誰もいないということでしょう。それが、身内であろうと、外に出た人であろうとも。
Mar 19, 2006
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ある研究会でのこと、十人ちょっとの委員でも、日本中に分散しているので、日常の情報交換は、インターネットのメールで行われている。最年長の代表だけは、インターネットが使えないので、郵便とファックスと電話で連絡担当が連絡する。当然、手間も費用もよけいにかかるわけだが、代表だけは、しょうがないと思っておりました。研究報告書をまとめる段階になり、研究報告書の部分がそれぞれ完成にちかづいたところで、ある委員から、一部分ずつ電子情報を送られても、全貌が見えないというような指摘がありました。そこで、全体の案をPDFファイルにしてWORDの原稿より圧縮して、添付送付したところ、思わぬことが起こりました。一番若い委員が、自分のところは、インターネット環境が貧困で電話回線用モデムを使用しているのに、1M近い情報を送られると、1時間近く受信にかかってしまうので、何とかして欲しいというのでありました。代表を除く他の委員は、ブロードバンド(ADSLや光ファイバー)環境が整っているようで、何も文句は言ってこないのですが、よりもよって、情報社会に慣れ親しんでいると思った一番若い委員がブロードバンドのメリットを否定する情報環境にいるということでした。インターネット使用時に電話料金がかからないので、ADSLなどを使用し、少々基本料金が高くとも、合計した経費は、電話回線モデムより安くなるはずなのですが、それを知らないようでした。快適な情報社会をおくるためには、情報弱者が律速段階になるということがよくわかりました。しかも、一番若い人でも、年長者の足をひっぱるようになることも情報社会にはあるのだということがわかりました。行政も、企業も、早くブロードバンドを、情報弱者に対して整備しないと、いざ情報サービスを始めようと言うときに足を引っ張られることがあることを考えに入れるべき時期がきていることがわかりました。
Mar 18, 2006
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最近、マスコミを賑わしている事件等を並べてみる。・空(飛行機)の安全・ウィニーと情報漏えい問題・耐震偽装・ライブドアの粉飾決算・BSD(狂牛病)の牛肉の取り扱い・アスベストの放置の問題・子供が安全な社会・大人も安全な社会・道州制による地方の自律した社会の必要性・ワールド・ベースボール・クラシックの米国の審判等々どれもこれも、みんな倫理の欠如の問題ばかりである。その主体はといえば、・技術者・官僚・大人・専門家・一般市民等々といろいろであるが、共通であるのは「一生懸命やったんだけれど、事件・事故・ニュースになりました」という報道はほとんどなく、「わかってはいたんだけれど、手抜きになりました」というような事件・事故が多いというのは、人類全体が、ある種危険な状況にいることを示しているのではないだろうか。
Mar 17, 2006
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ウィニーの作者は、果たしてインターネットの信頼性と利便性を失わせると言う、倫理的犯罪者なのだろうか?それとも、ウィニーの作者は、ウィンドウズ帝国からインターネットを開放する、救世主なのだろうか?いずれにしても、ウィニーの作者は、その実行のために、一般市民をはじめとする、犠牲者を生み出すという罪をおかしていることは事実のようである。しかしながら、インターネットの進歩のためには越えなければならない、一つのハードルを立ち上げた功労者であることも事実のようである。このハードルができるのが遅ければ遅いほど、被害者の数は増大したことであろう。
Mar 16, 2006
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ライブドアのホリエモンのブログはホリエモンが逮捕された1月22日から約50日間ほったらかしになって、保存されている。いつになったら、次の記事が見られるのかわからないが、トラックバックとコメントをあわせると、約10000件になっている。ホリエモンは、独房の中で、科学系の百科事典と司馬遷の史記を読んでいるという。最近では、独房の中も春めいてきて、セーターですごしていると言う。娑婆にでることを考えて、保釈手続きを繰り返しているという。しかし、罪状はあいかわらず、事実上否定したままで、供述調書にはほとんど記名していないという。マスコミも、逮捕された推定無罪の容疑者を一方的に攻めるのはちゅうちょうしているようである。果たして、ホリエモンが本当に有罪か無罪かなにか、いまいちはっきりとした感じがないのはどうしてであろうか。ホリエモンなどという愛称がついているくらいで、なんとなく、皆興味深々でみているが、検察の方も、大勢して大騒ぎしている割には、逮捕された頃と比べて、大した情報を握っていると言う感じもしない。司馬遷の史記を読みながら、次の一手をよんでいるのであろうか。今までのお金持ちだった逮捕者の人達と違って、その後凋落をするのではなく、また、夢を見せてくれるのではないかと期待しているひとも、結構多いのではないだろうか。
Mar 15, 2006
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人間・環境学会の「人間環境系倫理研究会」の今年度活動報告書の一部をなす、研究報告書をまとめるにあたり、従来の「科学」の用件とされた、「価値中立」value free から離れた研究が「科学」と言えるか、ということで、「人間環境系倫理は科学で語れるか」というサブタイトルをつけて、まとめようとしていた。ところが、何人かの委員から「科学」と関連付けることに対し、抵抗があり、難産が予想された。そうした中で、最長老の代表が考え出したサブタイトルは「人間環境系倫理の諸相」であった。人間環境倫理はまとまるはずがないものであるという見込み、あるいは、先入観念が表明された形である。なるほどと思わせるところがある一方で、この先、二年度、三年度と進めて言っても、いつまでも「諸相」のままであるのではないかという予感がするのも事実である。本日、電子データで、改訂版を全委員に流したが、まだ、何もリアクションがないのでわからないが、とりあえず、年の功で、提出期限までにまとまってくれることを祈っている。
Mar 13, 2006
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同期会の二次会になったら、やはり耐震偽装問題に話題がうつりました。その中で、建築家として以外だと思ったのは、エンジニアや弁護士や銀行家の友人達が、以外と冷静だということです。例えば、戦後の建築の寿命が事務所で平均38年程度、住宅で平均33年程度しかないが、その主たる理由が、建築の機能が古くなってしまって、使いにくくなったり、施主がいやになってしまうことであるという現実があり、そうしたことから、新耐震基準以前(~1980年)でも、50年に一度クラスの地震で倒壊はしないが、避難には支障がない程度に設計してあったのであり、新耐震基準(1981年~)になってからの建物は、200年に1度クラス以上の阪神大震災でも、ほとんど壊れていないと言う事実がある。寿命200年の(200年に一度クラスの地震に耐える)建築を日本で作ると、東京都庁舎クラスの鉄骨量と、石の外壁クラスの建物になってしまうと言う事実がある。と言う事実を踏まえた上で、友人のエンジニア諸君は、30年代しか使わないものに、50年以上の寿命を全ての建物に与えることは、工学技術としては過剰設計かもしれないとの感想をもったようです。もちろん、都庁舎のような特殊な建物が、長寿命であることは致し方ないということです。ココで話しているのは、都市計画的に、街並みを長期間にわたって維持すると言う話とは別の話です。ただし、建築の総工費に占める構造コストというものは、全体の1割程度のものなので、寿命が2倍になったからといって、構造そのものは、全体のコストで言えば1割り増しになる程度で、外装コストで、さらに1割増しになる程度の話なので、地球環境問題まで考慮したときには、長寿命建築の方が割安であることはいうまでもありません。また、安全率の問題にしても、地震時の建築の安全率が1であり、平常時が1.5であり、多少の施工時の調整に対しては問題は少ないということに関しては、飛行機やロケットが、平常時の安全率が1~0.8であり、墜落するくらいなら、その前に壊れるように設計してあるのに比べると、安全側であり、そんなものだろうということでした。耐震構造の方式が何種類もあることについては、構造設計者としては、構造設計者の採用している構造モデルと同じモデルで、耐震診断をして欲しいと青森・九州等の構造設計者が主張しているのではないだろうかということについても、エンジニアとしては理解できるようでした。確認申請は建築設計、施工事に、火災保険等による自由主義経済のコントロールを法規の他に援用し、とりあえず、欠陥建物の被害者救済ができるようにする制度を取り入れる事に関しては、銀行家などは、そのほうがいいとのことでした。総じて、今回の議論で、専門職の方々は、話を十分にすれば、感情的にならず、理解できたことが、意外におもわれました。
Mar 12, 2006
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先日のトリノ・オリンピック回転競技で50年ぶりに皆川選手が入賞を果たした、日本アルペン・スキー陣であったが、今日から明日にかけて、ワールド・カップ志賀高原大会が行われる。今日の第1日目の回転競技では、佐々木選手が、オリンピックの強豪を抑えて、見事2位に入賞した。思うに、日本で行われたワールドカップやオリンピックで初めての3位以上入賞でないかと思われる。日本大会で、完走すらできなかった選手が多かったように記憶している。日本で始めてワールド・カップが行われたのは、札幌オリンピックの後で、苗場大会であった。当時は、日本のアルペン・スキー人口は1000万人とも言われ、雪無し県東京の高校のアルペン・スキー部員としては、見逃すことができずに、湯沢の宿から苗場まで、毎日通って、世界の超一流の技を見に通ったものであった。当時は、コースを規定する旗ざおが竹であって、可倒式ポールでなかったり、スキーがカービング・スキーでなかったりして、今とは隔絶のある世界であったが、大学のスキー部を卒業するころまでは、同種の道具と技術でスキーを楽しむことができた。大学の学部を卒業した頃から、建築の専門家としての研究や教育や訓練に忙しくなり、ずいぶんと長い間、スキーとはご無沙汰している。今でも、できるものならスキーをしたいと思うが、現役であった頃に比べて、体重が17kg程度重くなり、筋肉がなくなり脂肪が増えて、さらに、ひざの力がなくなってしまい、フィギアスケートの安藤選手や浅田選手ではないが、前にできたはずのことができなくなってしまった。とりあえず、体重だけでも元に戻ったならば、何とか遣ってみたいものではあるが、年もとったことだし、まず無理であろう。新幹線や高速道路が整備された結果、当時と違い、日帰りでスキーに行くこともできるようになったはずなのに、もったいないことである。更にまた、スノー・ボードやモーグルといったアメリカ文化に圧されたためもあってか、アルペン・スキー人口には、陰りが見えているのはこれもまた、もったいないことである。
Mar 10, 2006
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日本で言う、工学部の土木学科(dept.of civil engineering)は、欧米では、建築の構造(architectural structure)を扱っています。フランスの現場で聞いた話によれば、欧米では、土木技師(civil engineer)の優秀な人材は日本で言う土木(社会基盤工学:civil engineering)の構造に進み、優秀でない人材は日本でいう建築の一般構造に進むということです。日本で言う工学部の建築学科(dept. of architecture)は、明治の初めに建築学部(school of architectue)でなく、工部大学校に入れられてしまいました。欧米と違い工学部(faculty of engineering)に入ったた為に構造(civil engineering)・電気設備・機械設備などと、都市計画・建築計画・意匠・歴史が同所帯になってしまったという歴史があります。最近では、東大の2006年卒業名簿の記述でも、土木・建築・都市工学の再編を唱えるアメリカで教育を受けた先生の声が聞こえています。日本の一級建築士は、現在の工学部建築学科(dept.of architecture, faculty of engineering)に属する建築家・構造家・電気設備技師・機械設備技師の教育を受けた者の共通の資格となっていますが、欧米のように建築学部(school of architecture)と社会基盤工学(dept.of civil engineering)等々が別々であるとするならば、本来別の資格と責任を有すべきこれらの分野が渾然一体となっています。真の耐震構造偽装問題の解決には、教育システム自体が異なるわけですから、建築家・構造家・電気設備技師・機械設備技師・造園家などと欧米諸国のように厳密に資格を区分し、夫々の専門分野についての責任を負うとともに、確認申請書に夫々の責任者としてサインすることが必要です。私が関わったフランスの建築では、確認申請書に二十数名の専門家のサインがありました。建築家のサインはそのうちの一つにすぎません。現在のままの一級建築士制度では、設計元請の建築家が、専門分野で無い部分にまで全て責任を負わされることになってしまいます。私の理解するところでは、そもそも、建築家の資格というのは明治・大正・昭和初期の日本になく、田中角栄氏が建築士制度を作るまでは、ありませんでした。それでも、明治・大正・昭和初期の建築が今でも残っているのは、それぞれの専門分野の教育をうけた専門建築家が、十分に協力しあっていたからでした。建築家の資格制度が不十分であった国土交通省の責任は重いものがありますが、責任を担わされた各専門建築家が自立した責任を負っていない点については性善論を壊してしまった意味で、各専門建築家も応分の責任をおわなければならないでしょう。
Mar 8, 2006
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いつもまにやら、高校卒業×○年同期会の案内が来るようになった。幹事の皆さんはやる気満々で、1月の中旬から準備していた。いや、賢明なる幹事の皆さんはこうなることを早々に理解していたからこそ、3月の中旬の集まりの連絡を1月の中旬からたびたび、あの手この手で繰り返してきたのだろう。ついに、今週の木曜日の午前中が、参加通告の最後の提出期限だという最後通牒がメールで送られてきた。幸いなことに、私は既に、葉書で送信してあったのであるが、予想したとおり、ぎりぎりまで返事を出さない人だらけであったようである。10人前後の集まりのときは、幹事になったものは、一週間から十日くらい前に連絡すると、忙しい世代でも、予定がはっきり決まっているのでわりとよく集まると経験している。それが、高校の卒業生ともなると、連絡する人の数は百八十人程度にはなるわけであるから、幹事は大変である。中高一貫校の卒業生であるから、ほとんどが六年間の共同生活をしたものたちであるにもかかわらず、卒業後、×○年もたつと、皆夫々に仕事や家族があって、予定もぎりぎりまで決まらないということであろう。それに×○年もたつと、腹には脂肪がついて、顔には年期が入って表情がぼけてきて、誰が誰だかはっきりしなくなることは、先日あった、大学卒業の同期会でもはっきりしている。それに、昔と違い、談合や接待の許されない時代となっていることもあり、同期の桜との付き合いというのも、純粋に酒を飲む会という以上の意味はほとんどなく仕事の話も出ないというのは、高校の同期会でも、大学卒業の同期会でも、大学スキー部のOB会でも、同じような傾向となっている。さびしい話である。それにもかかわらず、比較的お付き合いがあるのは、比較的最近までお世話になっていた、大学院の研究室の関係や、丹下健三・都市・建築設計事務所の同志との集まり、中高のスキー部や、高校運動部有志の集まり、学会の集まりなどである。いずれにしても、仕事の談合や接待の話のでるような集まりではない。仕事の談合や接待と言えば、昔から、東大の同窓会の多くは、利益誘導などを行う集まりとしては、あまりに露骨すぎるので、あまり機能していなかったという。そういうことに関しては、私立大学の同窓会のほうが、お盛んであったと聞いている。最後通牒が来るちょっと前のメールで、その時点の参加予定者リストが送られてきたが、逆効果のような気がする。あってみたいと思う人とは、別の集まりで集まってしまっているので、逆に、忘れかかった人々の多いリストの様に見えてしまう。それに、皆景気がいい人が多いのか会費が高い。それでも、毎年の様に同期会をやっているのならば、みな顔を覚えているのだろうけれど、×○年などと、十年おきとか、五年おきとかで集まっても、お互いに誰が誰だか、何をする人だかよく分からないのだろうが、とりあえず、出かけてみることにしよう。
Mar 7, 2006
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委員会を設立しても、先生方は、東京以外は、全国各地にお住まいで、インターネットのメールが普及すると、委員会活動は、どこかに集まってやるだけではなく、大半が、メールによる発信で行われることになる。連絡係をやっていると、メールの使えない偉い先生のところに、ファックスで転送する作業がまわってくる。メールのファックス転送はまだいいとして、そのうち、報告書の締め切りということになったら、議論がまとまりそうもないから、お前まとめろというお達しがくるようになった。もともと委員会の言いだしっぺだからしょうがないと言えばしょうがないのだが、偉い先生がまとめるのが難しいとおっしゃれば、こっちでまとめることになる。中間報告をするのに、メールの一括送信が使えればいいのだが、やれ、メールが使えないだの、インターネット環境がお粗末なので、重いファイルは受信困難だとか言ってくる。ワードでは重過ぎるから、PDFにしろなどと...こっちも、弱小学会の研究委員会だけをやっていればいいわけでないので、めんどくさいが、しょうがない。それに、委員会の今年の予算は、委員会を認めすぎたので、1個あたり、3万円と来ている。大阪あたりから独り先生が会合に出てくれば、交通費一回でほとんど使い込んでしまい、報告書の作成費やコピー代や、連絡代はすべてこちらもちということになる。もっとも年会費が安いから、元からその分が見込まれていたとも考えられぬこともない。そこまでしてやるのだから、立派な成果が出る研究会になってくれればいいのだが、初めて1年目で、結果に対しては、まだ、目鼻がついていない。他の用事と予定が重ならなければいいのだが弥生も末になると、年度末の集まりが多くなりそうで、どういうことになるのでしょうか。
Mar 6, 2006
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コンビにでカラーコピーを数十枚した。コピーが終わったところで、抜けたコピーがないかどうかチェックしていたところ、コピーをしに来たおばさんがいた。「大量にコピーしているのですか」とおっしゃるから「コピーした枚数を数えているところだからちょっと待って欲しい」と答えたところ、いそいそと他のコンビにを探しにいったのかご機嫌斜めの様子で出て行ってしまった。あと1分まてば、チェックが終わると言うのに日本人はせっかちだ。フランスでは、レジやカウンターで前の人が用を足しているときには、前の人が終わるまで静かにまっているのが礼儀だ。日本人の場合には、小さな用件の急いでいる人がいるときには急いでいる人が割り込んで小さな用件をするのに多量の用件をしているひとが譲るのが美学とか倫理とかであるようである。こちらも、フランスで生活していたことがあるからフランス流になりかけていて、文化が違っていることも事実だが、数十枚の紙の枚数をチェックする猶予くらい与えて欲しい。日本人は、どうしてこんなにせっかちになってしまったのだろう。それにしても、小さな要件の人に先を譲るかどうかの良し悪しは、何ともいえない。パーソナル・コンピュータが普及する以前の、昔のタイム・シェアリング・システムの中型~大型コンピュータの様に、厳密なルールで、小さな作業を大きな作業に優先して実行するようになっているのならまだしも、コンビニのちょっとしたコミュニケーションで、自分は大した作業でないので、作業を中途にして自分に譲れというのはいかなものか。数十枚のコピーくらいで、いちいち譲っていたら、中途で何をコピーしていたのかも分からなくなってしまう。それも、もうちょっと(1分程度)で終わるのでちょっと待ってくれと言っているのと同じようなことを言っているのに勝手にご機嫌斜めな様子で出て行ってしまうのもずいぶんと失敬な話だ。
Mar 5, 2006
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インターネット・ショッピングでは場所や空間の概念が消滅しつつあると言うが、昨日届いたワインの店の住所をみてみたら岐阜と書いてあった。と言うからには岐阜から送られてきたのだろうととりあえず考えてみたが、それは、岐阜から来たと言う証拠にならないことに気がついた。岐阜にあるお店の店員とインターネットで売買をしたことは間違いないが、岐阜にあるお店から送られてきたという証拠はない。そもそも、インターネットで売買した相手の店員が、岐阜に住んだり、勤めていると言う証拠もない。岐阜に住所登録しているメール・アドレスかURLと交信したにすぎないのであり、相手が全然関係ないところでパソコンを操作した可能性も否定できない。また、岐阜にお店が実在していると言う証拠もない。どこかの港の傍の倉庫などに、ワインを配送している場所があればよく、岐阜のお店は、日本のどこかで分散して税金をはらってさえいれば、実態はどこにあってもかまわないことになる。また、倉庫がどこかの港の傍にある必然性もない。どこかのマンションの一室で配送していることもあり得る。そもそも、配送所が何処でもいいのだから、最も近い港から輸入したり、最も近い空港から輸入したりする必然性もない。東京港でも、名古屋港でも、新潟港でもあり得るし、羽田港でも、関西空港でも、中部空港でもあり得る。そもそも、飛行機で冷凍コンテナにのせられて来たのか、船便の一般船倉で赤道を何回も渡って来たのかもわからない。その辺の話になると、何もインターネットに限った話ではない。輸送中のワインの保管方法が分からないくらいだから、倉庫に保管し、配送中に何が起こっていてもわからない。生産者の名前がラベルに張ってあったとしても、生産者もインターネット時代の人間のやっていることだから、生産者だって何をやっているかわからないし、輸出業者だって輸入業者だって何をやっているのかわからない。一度間違いを犯すと商売にならなくなるということで、大勢いる顔の見えない関係者が、ワインが劣化することのないように努力しているとただひたすら信じるのみである。生産者をはじめとする関係者の倫理を信じるのみである。これから、本格的にインターネット・ショッピングが普及し、ユビキタス社会になってゆくためには、地球全体レベルでの生産者、流通業者、流通経路の食の安全性を保障するICタグのようなものが普及しないと、消費者としては安心できない時代となっているようである。それが保障されなければ、ヴィンテージなどは意味の無いことになりかねない現実である。
Mar 4, 2006
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新村出編、広辞苑 第四版 CD―ROM マルチメディア版、岩波書店、1996、によれば、科学に関するキーワードは次のように記されています。か-がく【科学】(science フランス・イギリス・Wissenschaft ドイツ)1)世界と現象の一部を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的認識。研究の対象あるいは方法によって種々に分類される(自然科学と社会科学、自然科学と精神科学、自然科学と文化科学など)。通常は哲学とは区別されるが、哲学も科学も同様な確実性をもつべきだという考えから、科学的哲学とか、哲学的科学とかいう用法もある。2)狭義では自然科学と同義。しぜん-かがく【自然科学】(natural sciences)自然に属する諸対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。ふつう天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分ける。最近は生化学・生命科学・人間工学など古典的境界を越える新しい分野も生じている。じんぶん-かがく【人文科学】(human sciences)政治・経済・社会・歴史・文芸など、広く人類文化に関する学問の総称。狭義には、自然科学・社会科学に対して、哲学・言語・文芸・歴史などに関する学問の称。文化科学。人文科学から哲学を区別しこれを独立に立てる考えもある。しゃかい-かがく【社会科学】(social sciences)文化を対象とする人文科学、自然を対象とする自然科学に対し、社会現象を対象としこれを実証的研究方法によって取り扱う科学の総称。社会学・経済学・政治学・歴史学・民俗学およびその他の関係諸科学を含む。これに対し、倫理、環境、環境倫理等のキーワードは次のように記されています。りん-り【倫理】[礼記楽記]1)人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳。2)倫理学の略。りんり-がく【倫理学】(ethicsに井上哲次郎が当てた訳語)道徳の起源・発達・本質・規範について研究する学問。エートスの学。論理学(または認識論)・美学と並ぶ哲学の三大部門の一とされる。かん-きょう【環境】1)めぐり囲む区域。2)四囲の外界。周囲の事物。特に、人間または生物をとりまき、それと相互作用を及ぼし合うものとして見た外界。自然的環境と社会的環境とがある。「生活─」かんきょう-りんりがく【環境倫理学】「新倫理学」参照。しん-りんりがく【新倫理学】環境倫理学・生命倫理学(バイオ-エシックス)・職業倫理学・エコ-エティカなど、一九七〇年頃から企てられた新しい倫理学の総称。環境倫理学は公害・大気汚染の防止から企業倫理に影響を与え、生命倫理学は臓器移植や死の定義をめぐって医学や法律に関わり、職業倫理学は守秘事項や技術革新の方向などについて専門職の注目を浴びている。エコ-エティカは人間の生活圏に根ざす倫理学として前述の研究領域すべてを含み、技術社会の徳目の創設、国家権力や旧倫理の吟味、実践的判断の倫理学などの基礎理論をなす。このように、環境倫理は、1)旧倫理学の内容を、環境を巡る分野に展開するだけではなく、2)技術革新の方向や技術社会の徳目、実践的判断の倫理として、世界と現象の一部もしくは全体である環境を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的認識として、社会科学、人文科学、自然科学の様相をもつ科学と表裏一体をなすものとして展開されるものであると考えられます。
Mar 3, 2006
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マスコミの皆さんには誠に申し訳ないが、ニュースがつまらない日について考えてみると、その方が、この国に不幸がないことが多いような気がする。ニュースには、幸福なニュースも不幸なニュースもあるが、現実には、幸福なニュースよりも不幸なニュースの方が圧倒的に多いのではないだろうか。幸福なニュースと言えば、最近では、荒川静香選手の金メダルだが、よく考えてみると、その何倍も、メダルとりそこなった選手たちの不幸なニュースが報道されている。また、紀子様御懐妊のニュースの場合には、女性天皇問題とか女系天皇問題といった、天皇家が消滅しかねない問題の背景についての報道があってのことであり、また、そのほうが多いだけではなく、仮に紀子様が男子を出産されたとしても、根本的な天皇家がいずれ消滅しかねない問題は何も解決しておらず、時間稼ぎに過ぎないようである。ホリエモン逮捕関連情報について考えてみても、ホリエモンが幸せ(多分?)であった時期の報道も記録としてかなり残されていることは事実ではあるが、ホリエモンが不幸になってからの報道の方が圧倒的に多いのは事実である。こうして考えてみると、少なくとも日本人は、人の不幸を聞かされている時間の方が圧倒的に多いのではないかと考えたくなる。一方で、北朝鮮のような国では、金正日のお誕生日を始め、国の政策や体制がうまく行っているという、幸せな報道が多いのではないかと考えたくなる。北朝鮮の不幸な報道は、日本が拉致問題でうそをついているというような、外国に対する抗議の報道でないかと考えられ、仮想敵国を作り出すことで、国内に幸せを現出しているように見える。典型的な不幸な報道はと言えば、国内における災害や外国における戦争や災害の報道である。災害の場合には、大きな不幸は報道しやすいが、災害が片付いたとしても、幸福だと言う報道は被害者の心理を考えると、かなりやりにくいであろう。戦争も、大きな不幸である戦争中の報道は毎日のように行われたが、戦争が終了した喜びの報道というのは、イラク戦争のような戦争ではありえないようである。第二次世界大戦で、ドイツが降伏したときのように、決定的な悪者が醸成できない戦争では、戦争が終わっても、戦争がもたらした不幸の報道ばかりとなる。不幸の報道ばかり聞かされていると、聞かなければ良かったかもしれない気分まで、悪くなることはないのだろうか。いつも、不幸にみちあふれた報道を聞いていると、他の人に不幸が生じたときに、自分と比べることにより、小さな幸せを感じさえする。そのうち、報道は、不幸を報じることだと思い込んでいるマスコミもあるのではないかとさえ疑いたくなる。だからと言って、北朝鮮のように、あからさまに幸福の報道をされると、騙されているのではないか、と言う疑問さえ生じてくる。このような状態になっているのは、報道倫理の問題が背景にあるのではないだろうか。総理をはじめとして、与党の政治家に質問するときには、攻撃的でないと、与党に迎合しているように見えるかもしれないなどと考えているのではないだろうか。とくに、評論家と言う人たちにはそのような感じの人が多いような気がする。そういう報道の中で暮らしている人々にとっては、自分より不幸な人が報道されないと、自分が幸福でないことに気づかされるのであろうか、ニュースがつまらない日となるのではないだろうか。こうした中で報道が、視聴率ばかり気にしていると、他人の不幸ばかりを喜ぶ社会的雰囲気にならないだろうか。だからと言って、全てのマスコミを公共放送にするわけにはいけないだろう。真実の評価の尺度は相対的に認知されるものであろうから、民間のマスコミは、自分達の拠って建つところをはっきりしなければ、何が事実かわからなくなるのではないだろうか。何処のマスコミもオリジナリティをもたずに、同じような批評ばかりしていて、挙句の果て、公共放送まで、視聴率かせぎで同じような批評ばかりする世の中になってしまったならば、何が真実なのかわからなくなってしまうのではないだろうか。フランスの報道なども、日本と同じ様な感じなのだろうか。
Mar 2, 2006
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TBSのNEWS23で、日本の子供達の勉学における向上心がなくなりつつあると言う統計を発表した。そして、今の日本が子供達の心に「努力をしても報われない国」と映っていると評していた。一方、テレビ朝日の報道ステーションでは、ホリエモン・ショックを取り上げ、若い企業家たちに、努力をしても報われない印象を与えていることが論じられていた。マスコミも、ホリエモン・ショックで、今まで、マスコミで祭り上げてきたホリエモンを今回の逮捕で、手のひらを返したように報道しすぎたことに、異論が生じはじめていることを伺わせた。一部の専門家によれば、ホリエモンの一連の投資行為は、資本取引にあたり、それまで、タブーとされてきたことにあたるという。しかし、そんなに簡単に言い切ることができるのであろうか。人類の歴史は、常に、新しい概念を生み出してきており、もしかすると、ホリエモンらにより開発された虚業による資本取引は、資本取引されたとたんに、市場価値を認められ、ある種の実業になるのではないかという議論もあるようである。これにより、開発された投資行為がリファインされれば、日本がかかえている770兆円とも言われる、債務を減少させることができるテクニックが開発される可能性をも潜めているのではないかと、期待することはいけないことなのであろうか。そもそも、ITや、特にソフトウェア産業は、ホリエモンの虚業ほどでないにしろ、ものづくり等のいわゆる実業に比べて、自分で負荷価値を作り出してしまう、虚業的体質をもっているものであり、そういうものの積み重ねのなかで、新しい価値や思想が生み出されているのではないだろうかという疑問に誰か答えてほしい。第二次産業から第三次産業が生れたとき、第二次産業は実業としても、新しい第三次産業は、虚業的性格にみられていたことはなかったのだろうか。一方で、地球環境問題を背景として、20世紀の科学やものづくりやハードウェア産業は、物的福祉の方法として、地球環境に負の影響をあたえるものとして、変換をもとめられているか、消滅することが求められているようなものではないのだろうか。それに対して、これから、生み出されてくる当初は虚業と思われるような、ソフトウェア産業こそが、物的福祉の方法を減少させて、地球環境に与える人間一人あたりの負のエントロピー等の影響をあたえるものとして、評価されるべきなのではないか。教えてほしい。その究極の形として、物的福祉から心的福祉への移行こそが、これからの時代に求められているものなのではないのだろうか。文字通り心的福祉を追求すれば物的福祉のような物的実業によるCO2やエントロピーの増大を最小限に食い止めることができるようなものではないのだろうか。物事に、物的情報の取引を超えて、価値や意味を見出すことが、今後の情報社会であり、また、シャロンの情報理論に欠けているところであり、多くの人々のコンセンサスを得て、価値や意味を創造したのであれば、ホリエモンのやったことは、物を動かさず、価値や意味を、他の企業の債権や株式との関係により生み出していた、新しい遣りかたの兆しであったのではなかったのか。そのままの方法で、日本国民の770兆円の負債を解消できるような方法になるとはおもわれないが、より、エラボレートすることで、その手助けになるような理論的裏づけをえることにならないのか。そして、既得権者の国日本で、若者達に、既得権を乗り越えて、環境にやさしく、経済を持続させ、場合によっては、物的福祉の社会を最小限にし、心的福祉とのバランスのとれた社会を実現するきっかけとなる手法をうみだすことはできないのであろうか。世の中は、新しい価値や意味を生み出す情報にもっと寛容になるべきではないだろうか。地球環境問題を持続的に解決するやりかたを本当に生み出しうるのは、そうした、元虚業で、新しい実業に移行してゆく産業なのではないだろうか。
Mar 1, 2006
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