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今日も、比較的のんびり。原稿も九割方完成。ちょっと寝かせて、最終チェックをすればできあがり。自分は、8割の人間なので、最後の詰めがいつも甘い。(でも、人生って、8割できていれば、たいてい何とかなるからねぇ。)そこで、原稿の場合、書き上げてすぐ送信(最近は郵送でなくなって、楽ちん)するのではなく、ちょっと時間をおいて、最終確認をすることにしています。さて、今日の本題。午前中、ツタヤにCDを返しに行くと中に思いついたのが、表題の言葉。ある先生のブログを出る直前に見ていたのが、頭に残っていたみたいです。幸せ観について、ぼーっと考えながら運転をしていました。自分の幸せは自分が決める。自分が幸せだと思えば、誰が何と言っても、幸せなんだ。だから、自分の幸せを感じ取れる人間になってほしい。子どもたちにうまく伝えていきたいなぁと考えています。
2010年11月07日
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昨日のクラブ見学では、茶道部で出されたお茶を飲んでいる子に対して、「それ、どんな味?」「抹茶風味?」と聞いていたゆかいなたわせん学級のお子たちです(抹茶風味じゃなくて、抹茶そのもの!)が、今日は土曜日の講座にむけてちょっとまじめな話をします。~生きる力について~学習指導要領代1章総則第1の1の後段に次のような記述があります。学校の教育活動を進めるにあたっては、各学校において、児童に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識および技能を確実に習得させ。これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養い、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。その際、児童の発達段階を考慮して、児童の言語活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、児童の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない。なんだ?これは?~ならないって、確かに理想だけど、クラスの子全員にこれできたら凄いで。と、思わず思ってしまったのでした。ま、ここで氣を取り直して、「生きる力」をさらに見てみました。平成8年7月の中央教育審議会答申において次のように指摘されています。生きる力とは、基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力などである。ひゃぁ~、こりゃ、自分自身も生きる力があるかどうか疑わしいぞ(笑)。ちなみに、たわせん自身が考える「生きる力の定義」はもちろんあります。こんなに長くはありません。もっと、しゅっとしています。短くまとめると次のようになります。□○○□○○力□は漢字、○はひらがな。土曜日の講座で話すつもりですので、この話の答えは日曜以降に。ではでは。
2008年10月22日
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昨日の続き「俺は、だいたいお笑いしそうなやつはわかるねん。」と言った後、「おまえやろ~~ぉ。」と指さしたのは、何と目の前にいたA君。まじめでおとなしそうに見える、いかにも、お笑いをしそうにないA君を指名したのでした。教室中大笑い。そう、さきのせりふはネタふりだったんです。ここでさんざんA君をいじって笑いをとり、「いや、俺はわかる。」と、八木さんがお笑い係の子を指名。この辺のコンビネーションはさすが。相方の意図を読み取っていました。この後、もう1回同じパターンを繰り返します。2回目の高橋さんのセリフの後は、明らかにお笑い係ではない子の方が緊張。この日の日記には、「A君がいじられているのがおもしろかったです」など「さすがプロは違う!」という言葉が多くの子から出ていました。(「どうして高橋さんはわからないのに、八木さんはわかるんだろう?」と言うほほえましい日記もありました。)お笑い係の子も、そうでない子も大満足の一日でした。子どもたちにとって(もちろん私にとっても)一生ものの思い出ができたようです。
2008年09月08日
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あたりまえと言えば、当たり前なのですが、「サバンナ」さん(一度、お会いしてお話とかしてしまうと呼び捨てってしにくいですね。)はやはりプロでした。特に高橋さん。彼のアドリブ力は抜群!収録の流れはこうでした。まず、サバンナ(・・と言ったしりから呼び捨て。なんかリズムが悪くなるので以下敬称略ということで)がお笑い係があると聞いて学校に来る。偶然(!?)私と会う。6-3に行く。お笑い係のネタを見る。サバンナがお笑い係から質問を受ける。サバンナとお笑い係のコラボを6年生みんなに見せる。朝日新聞の取材の時は完璧に子ども主体。取材当日は私は完全に脇役でしたので、今回も似たようなものだろうと思っていたのに、当日来られていきなりピンマイクをつけられた時は困惑しました。「お~っ、芸能人みたいや!」って(笑)。で、話を戻します。私が感動したのは、サバンナが6-3の教室に入ったときのこと。「このクラスにお笑い係がいると聞いたんだけどぉ・・。」ここまでは予想通り。「でてきてくれますか?」と続くのかと思ったのですが、違いました。「俺は、だいたいお笑いしそうなやつはわかるねん。」ときました。これで、クラスの空気に一瞬にして緊張感が。だって、誰があてられるかわからないんですから。一気に、クラス全員が同じ舞台に立つことになったわけです。あっ、おひるだ!とりあえず、今回はここまで。
2008年09月07日
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昨日は、勤務する市の教育フェスティバル。なにやら楽しそうな名称ですが、はっきり言って研修会です。オープニングで民舞を踊り、その後、分科会の司会。もちろん、晩は打ち上げ(^_^;)。さて、昨日の分科会の発言でちょっと面白かったのが、これ。子どもを性善説で見るか性悪説でみるか?と、聞かれたら、私は性悪説で見るんですよ。いろいろと心の中にかかえているものがあるのに、がんばっている。そう考えてみると、普通の状態でもがんばっていると言えるじゃないですか。?????という参加者の顔もありましたが、私自身そういう見方もあったのか!と感じました。もともと人間というものは、マイナスなんだ。だから、0の状態というのは、それだけ努力していると言うこと。だから、0の状態をほめることができる。私が普段思っている0からの加点法の理論武装に使えそう!
2008年08月31日
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笑育ということですが、だからといって、叱ってはダメ!と言うわけではありません。まず、自分の目の前の子どもありきです。叱った方がいい場合、叱らなければいけない場合は、当然叱ります。ただし、どんな場合でも、感情にまかせて叱るのは考え物です。先日、教育の仙人さんから伺ったお話があります。右脳の叱り方と左脳の叱り方についてです。見たことをすぐに言語化、正しいか間違っているか価値判断をして、すぐに言葉で返す・・・これが左脳の叱り方。見たことをいったん右脳に入れて、そして、言語脳である左脳に移動させてから、言葉を返す。・・・これが右脳の叱り方。わかりづらい・・・。ちょっと、補足します。仙人さんは、この後、電話での対応を例に出されていましたが、メールでの対応を例にした方がわかりやすいと思います。来たメールを見る。考える。メールを打つ。メールを送る。このような手順ですよね。ここで、来たメールを見て、考えるという段階が必要なわけです。このメールの文面の本当の意味は何か?どういう気持ちで書いているのか?メールだと、いったん落ち着いて考えることができます。これが、対面の会話だと、一瞬、一瞬で対応しなければいけません。上のようなことを考える暇もない。ということで、時にとんでもないことを返してしまう・・・。ま、叱る時もメールのようにワンクッションおくと言うことが大切と言うことです。これが、いったん「右脳に入れて」ということなんです。こういう意識を持つと、叱る時もマイナスのオーラは出ません。意識して損はありませんよ。
2008年03月10日
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フィンランドメソッドの本を、今、読んでます。 フィンランドと言えば、ご存じの通り、PISAの調査で一躍注目を浴びた国です。 そのフィンランドでおこなわれている学習方法が書かれている本を読んだのですが、非常に有田社会とよく似ている部分が多い。 例えば、1枚の絵を見て、発想力を鍛えるなんて、まんま、有田式ワーク。 最近、有田先生がよく言われていることに、「読解力は社会科でつけるんですよ。」という言葉がありますが、まさにそれ。 今までやっていたことをしっかりやり続ければいいということです。 ただ、私自身ふりかえってみても、読解力という意識はしていなかった部分が多いのも確か。 がんばらねば。
2008年02月11日
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道徳教育改革集団の深澤先生の文章を最近よく読んでいます。 深澤学級の核は、 正義と勇気。 そこで、ちょっと自分でも考えてきました。 もちろん、 笑であることは間違いありませんが、なんか「正義と勇気」に対応していません。 たわせん学級には、そのような基準はないのか、よくよく考えてみると次の言葉にたどりつきました。 かっこいいか悪いか ルパン3世風に言うと、 男の美学です。「例えるなら、空をかけるひとすじの流れ星~~~。」です。 もちろん、何が「かっこいい」のか・・・と言うことは、育てていかないといけません。 笑育流で言うと、基準の一つは、こうなります。 人に笑われるのは、かっこわるい。 人を笑わすのは、かっこいい。 かっこわるい行動はしない。 これが私のクラスにおける「正義と勇気」に対応しているものになります。 う~ん、今日のは、ちょっとまじめ。
2008年01月31日
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集団と個人との割合について、仙人さんからお話を聞きました。 ちょっとわかりづらいかもしれませんが、私はすとーんと落ちました。 次のような話です。 普通の先生は、集団と個人の割合を9:1ぐらいで見ている。 つまり、まず集団の論理を優先させるということじゃ。 まず目指すべき集団像という決めれらたゴールがある。 ・・ということで、そのゴールを目指すことになる。 だから、それについて行っている子はいいが、そこに届かない子は次第に責められるようになってくるわけじゃ。 教師も、子どももな。 だから、この割合を6:4ぐらいにするといい。 あんたなら、3:7ぐらいやな。 集団については、ボヤーッとしたイメージだけを持っておく。 まず、一人ひとりの子、この子に対してどうすればいいかということを考えるんじゃ。 これは、一人ひとりを立ち上がらせるということじゃ。 一人ひとりが立ち上がるようになると、集団に寄与するようになる。 そうすると、集団が生きてくるんだよ。 目指すべき集団像というのは、あらかじめゴールがあるものだから、それが達成できれば終わり。 ところが、個人からスタートすると、ゴールがない。 つまり、教師の予想を超えた集団になることがあるわけじゃ。 ちなみに、本物の仙人さんは、このように語尾に「~じゃ」などはつけて話しません。 なんか、メモを再現していくうちにこうなっちゃいました。 文責は、私にあります。
2008年01月22日
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外から眺める。 ・・というのは、何かといいますと、これ、子どもとの接し方のことなんです。 子どもの中に入っちゃいけない。と言われていました。 つまり、客観的に眺めて、どのような子かつかみ、接すると言うことです。 とらえ方によっては、なんか冷たいような感じもします。 でも、私もどちらかと言えば、このようなスタンスでしたので、納得しながら聞いていました。 いっしょに行っていた新任の女の子は怪訝そうな顔で聞いています。 仙人さんが一言。 だって、入っちゃうと出られなくなるでしょ。 そうなんです。 いっしょに袋小路に入ってしまうと大変です。 いい方向には行けません。 カウンセラーもそうですよね。 いっしょには、入りきらないです。 でも・・・と、その女の子は言いました。 子どもの中に入った方が(親身になって)いいんじゃないですか? そこでの答えがこれ。 入ってもいいんだよ。でも、それは子どもが入ってきてほしい時にはいるの。 いつも、いつも入ってこられるのは、子どもにも迷惑。 あんただって、ず~っと自分の親が干渉してきたらいやでしょ。 納得! 私も一言、アドバイス。 ヘキサゴンの紳介になった感じで子どもとと接するんですよ。
2008年01月15日
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どうも風邪がすっきりしません。 特に、休みの日は気がゆるんでか何もする気せず。 今回は、5日に伺った仙人さんからの学びを一部紹介します。 外から眺める。 入っちゃいけない。 入っちゃうと出られなくなる。 入ってほしいときに入る。 う~ん、これだけではわかりづらいですね。 これでわかった人は、「りゅうせきだね~、ながれいしだね~、流石だね~。」(BY ドロンジョ)です。・・というわけで、ハテナで終わります。 続きは、今度。
2008年01月14日
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先週の金曜日は、社会科の研究発表会。 師匠である有田先生をお呼びして、私も授業公開。 すべてのプログラムが終了後、芦屋の社会科の幹事をさせていただいているという特権から、講演会後、校長室で有田先生とお話を少ししたのですが、そこでの学び。「あのような問題(有田先生が、講演会でおこなった自動車工場の模擬授業での問題と言うこと)は、7割は教科書を見て答えれる簡単なもの。そして、3割が教科書には載っていない発展的なものにするといいんですよ。わからない問題ばかりだとやる気もなくなるからね。」私は、これを勝手に「7、3の原則」と名付けました。そういえば、調子に乗って、ハテナばっかりの授業をすることって、よくありました。今から考えると、やはり子どものテンションはそんなにあがっていなかったような。または、簡単なものばかりという逆パターンも。みなさんも、7,3の原則を意識してみて下さい。以上、校長室での裏話でした。
2007年12月02日
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☆宿題は何のためにするのか? 自動車学校へ行くのは何のためでしょうか? それは、自動車が運転できるようになるためです。 このことは、次のように表現することができます。「自動車学校に行くのは何のためかというと、自動車学校へ行かなくても自動車が運転できるようになるためです。」 では、「宿題は何のためにあるのか?」 少し前(いや、かなり前)に子どもたちに話したことがあります。「勉強ができるようになるため」(もちろん、他にも正解はたくさんあります。) これを、先の自動車学校のように直してみます。「宿題は何のためにあるのかというと、宿題を出されなくても、勉強ができようになるためです。」 実は、最近の私の宿題に対する考えはこれなんです。 誰かに言われなくても自分で考えて今自分がやらなければいけない学習をする。 このような状態を理想型と考えています。 ただ、そうはいっても、現実はなかなか難しい。・・・というわけで、泣く泣く宿題を出している次第です(笑)。 平日は、漢字系の宿題と算数プリント。そして、週末は自学。これが基本形です。 で、週末の自学は、実は、先の理想に迫る第1歩的な宿題と考えています。 2学期になって、じょじょに、その兆しが見えだしてきました。
2007年11月08日
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ファイルを整理していたら、だいぶ昔の雑誌の原稿が出てきました。 ここに添付しておくのが、自分の検索のためにも便利なので、再録します。 ちょっと長いですが、お許しあれ。 黙って次のように板書。 手紙「読める人?」「手紙です。」 口々に答える子ども達。「当然、意味も分かってますね。」 当たり前と言う顔をしてうなずく子ども達。どんな意味かと言うことは聞かない。テンポよく進める。「でも、中国では意味が違うのです。予想でいいです。思いついた人?」 反応はピカ一のクラス。 発表が始まる。 ここまではあくまでも前ふりなのである。だから、思いつきの考えをだらだら発表させることなくテンポよく進める。正答が出なくても5人ほど答えた時点で正答を告げるつもりであったが、正答が出た。「トイレットペーパーです。」 ここでリズムを変える。「正解。よく知っていたね。」「だからね。中国の人と友だちになって、別れ際に『今度手紙送るから、あなたも送ってね。』って言うと、相手はどう思う?」 くすくすと笑い声。 かまわず教師は話を続ける。「中国の友だちはこう思います。」 そして教師のパフォーマンス。「なんで、トイレットペーパーなんか送ってくるんじゃーー。」 オーバーアクションで言う。 教室大爆笑!ここでまたリズムを変えて話す。「と、まぁ、同じ漢字でも意味が違うんですね。(間をあける)さて、ここで問題です。」 この後、中国語の問題をいくつか紹介した。 鉄牛(トラクター) 西紅 柿汁(トマトジュース) 机器 人(ロボット) 幽 浮(UFO) 方便商店(コンビニ) 淋浴 (シャワー) 珍宝噴射机(ジ ャンボジェット機) 授業で、または、生活指導の中で教師が語る場面がある。 楽しい雰囲気をつくりたい場合、教師が意識することは次の3点だと考える。 テンポ リズム パフォーマンス 一気に本筋まで行ってしまうテンポのよさ。緩急を使い分けたリズムの変化。そして、とどめはパフォーマンス。この3つである。(一般的にリズム・テンポとよく言われているが、あえて今回は順番を逆に書いた。) 先に述べた問題に話を戻す。 正解が分かったら、ノートに書いて教師に持ってこさせる。口頭で答えさせると他の子にも答えが分かるからである。当然、その日だけで解決しない。問題は色画用紙に書いて教室に掲示しておく。中国語問題の他にも特殊な読み方問題・反対語問題など何種類か問題をそろえている。 課題が早く終わった子や隙間の時間などに多くの子が挑戦している。(ハテナ探しとして、中国語の辞書で調べてきた子が出てきたのには驚いた。) 楽しみながらクラスが知的な雰囲気になるのである。
2007年03月26日
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昨日は、教職5年目の先生の研修会に、指導助言として参加しました。 そこでのレポートに次のような文章が。 間違いを笑う雰囲気はないか。安心して話せる雰囲気づくり。 なるほど、なるほど。 その通り。 大切なことです。 ただ、たわせん学級は、もう一ランク上をねらっています。 間違いを笑い飛ばせるクラス つまり、失敗を笑えるクラスです。 失敗しても、友だちにうけたからオッケー。 あいつは、あほな間違いもするけど、でも、好きやなぁ。 こんなクラスづくりを目指しています。 ただし、一歩間違うと危険な状態になります。よい子(教師)はまねしないでください。
2006年11月16日
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大学での講義をして感じたことがあります。 小学生も大学生も同じということです。 10マス計算では、必死になって計算をしていました。 それも、1の段や2の段を・・・です。 自分の前の記録や友だちの記録と比べて、1回するごとに歓声が上がったり、ガッツポーズをとったり。 音読も同じ。 二人ペアのタッグ読みでは、笑いの連続。 いい雰囲気ですすみました。 また、ウェブワークを使った授業では、「へぇ」という声もあがり、大いに知的好奇心がゆさぶられたようです。 やはり、 小学生も大学生も同じで、 面白い授業には、のってくると言うことです。 夏休みの最後の一日、私にとっても非常にいい学び&いい体験をすることができました。 感謝、感謝です。
2005年09月07日
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前回の続き。 一生懸命さが、子どもたち、先生方に伝わるように、がんばらなければいけません。 7ヶ条として、次のようなものをあげました。1・元気のいいあいさつ。2・いつも笑顔。3・常に子どもと一緒にいる。4・クラスの子どもの名前を覚える。5・大きな声ではっきりと話す。6・ていねいな言葉づかい。ていねいな文字。7・わからないことは自分から聞く。 最初、授業がへたなのは当たり前。 そして、最後もへたっぴぃのままなら、それは指導教官の指導が悪い。 だから、とにかく「一生懸命」なわけです。 特に、1と2なんか教師に限らず、どこの世界でも当たり前のことです。 客商売のアルバイトをした人ならわかるはずです。 3については、休み時間に休憩するなと言うことです。 教師にとって、休み時間は、休憩の時間ではないのです。この時間も、立派な教育の場です。(だから、授業が休み時間に食い込むというのは、絶好の教育の場を奪っていることにもなるわけです。) だから、控え室に行って、休むな!・・・ということです。 子どもの名前を早く覚える。・・・については、できれば次の日。遅くとも3回以内。それぐらいのやる気を見せないといけません。 そのためには、 クラスの子どもの名簿をもらうこと。 そして、班ごとに写真を撮っておくこと。という話をしました。(指導教官によっては、準備してくれていますが、念のため) 名前と顔を一致させるのには、座席の位置で覚えるのが一番いいからです。だから、写真を撮る場合は、出席番号順より、座席順でとっていくことがいいというわけです。 残りの5から7については、省略します。 この後、新卒教師の5ヶ条も同じような感じで話して、前半の45分が終了しました。
2005年09月06日
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教師という職業は( )に似ている。 私は、( )にこう入れました。 教師という職業は、ラーメン屋に似ている。予想外の答えが返ってきたのか、「えっ?」というような反応があちこちでありました。 しめしめ。 こちらの思惑通り。 意識が、こちらに向いてきました。 しかし、この答え、なにも奇をてらったものではないのです。 ここからが、本番です。
2005年09月04日
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夏休み、最終日、ある大学で学生相手に講義をする機会がありました。 私が話をする前日には、同じようなパターンで幼稚園の先生が話をしたそうですが、私語あり、寝る者あり、教室から出ていく者あり・・で、あまりいい授業態度ではなかったようです。 講義の前に、担当の先生から言われました。「だから、まぁ、聞いていないのがいても、気にせずに話してください。」 気になるっちゅねん!「よし、誰ひとりねかさへんで!」と、密かに控え室で一人燃えていたのでした。 そして、講義の時間開始。 教室にはいると、ドラゴン桜特進クラスのような子が30数名。 夏休みの最後の日に講義ですから、全体の意識としては少しだれ気味なのは仕方ない。(自分が生徒だったら、絶対嫌やし)「おはようございます。」 気合いを入れて、あいさつをしました。「さて、私は常々、教師という職業は、あるものに似ていると思っているんです。何に似ていると思いますか?」 用意してきたレジメに書いてもらうことにしました。 もちろん、正答を求めているのではありません。(というか、正答は一つではありませんけどね。) 全く、書けなくてもいいのです。 まず、作業をさせることによって、講義に主体的に参加してもらうのが一番のねらいです。 次のように書いている子もいましたが、実際、ほとんど白紙でした。 芸人 恋愛 医者 続く
2005年09月04日
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全員が100点を取るためには、どの地方から始めたらいいのか? 自分たちが住んでいる地方から始める・・と言うのが思いつきます。 例えば、私のクラスだったら、兵庫県のある近畿地方から始めるということです。 なるほど。 これなら、少なくとも1つは書けるでしょう。(笑) しかし、全員が100点というのは難しいですね。 アッ、言い忘れていました。 小テストの場合、同じテストを2回やります。 1回目は、プレテスト。試しのテストのようなもので、2回目が本番ということです。2回目のテストで、合格点に届かなかった場合は、再テスト。1回目はどんなに悪くても、2回目に合格すればよし・・・と言うスタンスです。こうすることによって1回目のテストでできなかった子・・・つまり、テスト練習をしなかった子にとっては危機感、できた子・・・つまり、まじめにテスト練習をしてきた子には安心感をもたせて2回目のテストに臨ませることができるわけです。 話を戻します。 全員が100点を取ることのできる小テストのスタートの地方は、ズバリ、 北海道地方です。 ここなら1つしかありません。 全員100点。 勢いづくこと間違いなし(笑)。
2005年07月28日
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昨日(7月12日)の「おはよう朝日です」の一つのコーナーで次のようなものがありました。 今、子どもたちの間でだじゃれがブーム えっ? ホント? そんな感じはしないんだけどなぁ。・・・という軽い感じで見ていると、「アルミ缶の上に、あるミカン」というお約束のだじゃれをいう小学生の姿が映りました。 そう言えば、このだじゃれよく言ってます。 これは、どうも図書室のベストセラー「ゾロリ」の影響なんだそうです。(今は、テレビでもやってますしね。) なるほど。 そういわれれば、一昔前に比べるとだじゃれを言っている子が多いかも。 テレビでは、この後、・だじゃれは語彙を増やす→かしこくなる。・だじゃれは韻を踏んでいる→ラップにつながる。という風に展開。 ちょっと強引な気もしましたが、時計代わりに見ていた朝の情報番組から笑育的には何気に面白い話題が拾えて、ちょっと得した気分でした。
2005年07月13日
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4年生の理科の話しです。 直列つなぎと並列つなぎの勉強をします。 最終的には、自分で直列つなぎ、並列つなぎの回路が作れるようになればいいのですが、大人が考えている以上に子どもたちにはできないものです。 まずは、教科書の図を見せます。 どう違うのか発表です。 そして、教科書の図を写させます。 普通は・・・というか今まではここで終わっていました。 だけど、理科の苦手な子(または、勉強全般が嫌いな子)にとっては、視覚的なものだけではよく分かっていないことが多いんです。目から入って耳から出ていくというか・・・眺めているのは、眺めているんだけどもすーっと流れていくという感じです。 そこで、今回は体感させてみることにしました。 まずは、見本です。 元気者を2人指名。 前に出させました。「さぁ、君たちは電池です。」 そうです。 自分たちが電池になって、直列つなぎ、並列つなぎで並ぶのです。「はい、直列つなぎ。」 これは簡単。1列に並ぶだけ。 だけど、ここで確認。 お互い向かい合わせにさせました。「これはダメなの?」「電池の向きが同じ方向を向いていないからダメ。」 正解。 こういう詰めをしていかないといけません。・・・と言う感じで次は並列です。 みんなができるようになったら、号令で動きます。「ハイ、直列」「ハイ、並列」 子どもたちは楽しそうに動いていました。
2005年07月02日
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半ば冗談から始まった「つんく♂から学ぶ」ですが、当時、発表の当てもないまま、それなりに文献は集めました。 一番参考になったのは、「LOVE論 あなたのいいトコさがします 新潮社」です。 結局、タイトルにも書いてあるとおり、クラスの子それぞれのいいところを探すと言うことが一番のポイントになります。 そして、 そのいいところが生かせるような場を設定する。のです。(モー娘。の場合、曲によってセンターに来る子が変わるように) 場を設定することによって、「あなたのいいところは、こういうところですよ。」と、うまく伝えることもできます。 先生は、私のいいところがわかってくれる。(または、自分でも気づかなかったいいところを教えてくれた。)ということになれば、もう大丈夫です。 なお、「LOVE論 あなたのいいトコさがします 新潮社」は、現在でもブックオフなどで比較的容易に手に入れることができます。レジに持っていくときに少し恥ずかしいかもしれませんが、「こういう風にいいところを見つけてほめるのか」という参考にはなります。
2005年07月01日
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4日間にわたって、再録した「学級経営に大切なことのほとんどは四角いリングから学んだ」も、前回でとりあえず終了。 この「プロレスから学ぶ学級経営」というテーマはけっこう自分ではお気に入りでした。 そして、その続編として考えたのが、 つんく♂から学ぶ高学年女子とのつきあい方 難しいお年頃の女子とどう接していったらいいのか? これに失敗すると1年間やな雰囲気のクラスになったりします。 上手なつきあい方・指導の仕方を、モー娘をうまくプロデュースしていたつんく♂から学ぼうというものです。 なんとなくコピーがいい感じでしょ。 さらに、考えたのが、これ。 吉本新喜劇に学ぶボケとつっこみの授業術 まぁ、これも当時ノリで考えただけなのですが、実は、これが現在の笑育の元になっています。「笑いを育てる」「笑顔に育てる」といった「笑育」の概念につながっているのです。 つまり、「プロレスから学ぶ学級経営」があったからこそ、「笑育」があるというわけです。・・・と、うまくまとまったところでこのシリーズは終わります。 長い間おつきあい下さり、ありがとうございました。
2005年06月29日
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ここまでは、対戦相手を「子ども」に置き換えて、教師から見た視点で考えてみましたが、今度は、これを「子ども→子ども」に置き換えてみます。 つまり、 相手の技をうけても平気なだけの基礎体力 対戦相手に対する信頼感 相手のいいところも引き出そうという気構え そしてもちろん自分自身を主張できるだけの技術の「対戦相手」のところを「(クラスの)友だち」というように置き換えてみるんです。 こうなります。 友だちの技をうけても平気なだけの基礎体力 友だちに対する信頼感 友だちのいいところも引き出そうという気構え そしてもちろん自分自身を主張できるだけの技術 このような学級を創っていきたいなぁと思っています。 みなさんは、どのような工夫をされていますか? お教え下さい。・・・という感じで終わっています。 この発表の後、研究会で参加者の方々から意見をいただいているはずなんですが、ほとんど記憶に残っていません。(笑) 友だちの技をうけても平気なだけの基礎体力 のところで、「自分自身に対する自信をつけさせなければならないと思っています。」と話したことと、仲間内から「これは面白い!本になったら(誰が買うねん!)絶対買うよ。」といわれたことだけは覚えています。 おしまい。
2005年06月29日
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(前の続きです) 子どものいいところをも引き出そうという気構え この場合は、「いいところをも」ではなく「いいところを」の方がいいですね。 何と言っても、主役は子どもなんですから。 では、「いいところを引き出す」のには、どうすればいいか。 私の場合は、まず子どもを見ることを心がけています。 ただ、漠然と「見」ようとしても、なかなかできるものではありませんので、ちょっとした工夫はしています。 例えば、学級通信です。 例えば、座席表です。 がんばりファイルというのをした年もありました。(現在の俵原学級では、各月ごとの自己評価と、すげぇーチャンプというもの中心にしています。すげぇーチャンプについては、またいずれお話しできると思います。) そして、もちろん自分自身が主張できるだけの技術 これは教師はあまり必要ないかと思います。(といいながら、音楽会では金ぴかの衣装を着て、マツケンサンバなどを歌ったりしているのですが・・・) つまり、勝敗にこだわってはいけないと言うことです。 勝敗にこだわって、相手の技をよけるボクサー型になってはいけないのです。 勝敗にこだわらず、相手の技をドーンと受けるプロレス型の教師にならなければいけないのです。(つづく。・・・次でたぶん終わります。)
2005年06月28日
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「相手の技をうける」と言うことは、次のことができていないといけないのです。 相手の技をうけても平気なだけの基礎体力 対戦相手に対する信頼感 相手のいいところも引き出そうという気構え そしてもちろん自分自身を主張できるだけの技術 ざっとこれだけのことができていないといけないのです。「相手の技をうける」ということ、一つとっても、このことが如何にプロでないとできないことかがわかると思います。 そして、これだけのことが教師にできているか? 対戦相手を子どもに置き換えてみるとわかりやすくなります。 やってみましょう。 子どもの技をうけても平気なだけの基礎体力 例えば、授業で言えば、子どもがどんな発言をしようとも、受け止めるだけの教材研究ができているのか・・ということです。 もちろん、生活の場面でも同じことが言えます。 平気なだけの基礎体力がないと、子どもの言動に思わず「カッ」と感情的になってしまいます。 こういうときは、思わず反則技が飛び出してしまい、大変なことになってしまいます。 子どもに対する信頼感 プロレスの技にボディプレスというものがあります。 前座の若手も使うほんの基本的な技です。 相手を抱え上げて、背中からリングにたたきつけます。頭からではありません。そんなことされたら死んでしまいます。いくら鍛えても、頭や首はきたえようがないからです。 しかし、レスラーは相手を信頼して体をあずけていきます。 こういうことです。 無条件に相手を信頼するということです。・・・・この後もつづく
2005年06月28日
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・・と、研究紀要には書いたのですが、実際の発表の際には次のように続いていました。 紀要では、ごちゃごちゃと書いたのですが、結局、プロレスから学んだことは、次の7点にまとめることができます。 1・受けの美学 2・自分のキャラクターを確立する。 3・常に観客を意識する。 4・自分の大技を持つ。 5・技と技をつなぐ基本も大事。 6・時にはヒール。時にはベビーフェイス 7・想像力で楽しむプロレスファン。 では、上の事柄から、1の「受けの美学」について、補足してみます。 プロレスとはつまるところ、「受けの格闘技」です。(注・格闘技という言葉につっこみたい人もいると思いますが、あくまでも日本では格闘技・・ということで。) これは、「相手の技をうける」という意味の他に「観客に受ける」という意味も含んでいます。「相手の技をうける」ということも、実をいうと観客のことを意識しているからこそ、出てくる発想なのです。) つまり、プロレスとは(1)相手の技をうける格闘技(2)観客に受ける格闘技といえることができるのです。 この後もまだまだ続きます。
2005年06月27日
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発表紀要の原稿前回の続きです。(学級経営での必要な知恵は、大学の教育学部という山のてっぺんにあるのではなく、大阪府立体育館の四角いリングにあったのである。私は、そこで何を学んだろうか。) 盛り上がる試合には、ある法則性があるということ。 対戦相手が、コーナーポストに上ったら、相手の技をよけずに受け止めてあげること。 リングを広く使うこと。 2階席のお客まで、意識して試合をすること。 ロープに振られたら、素直に走ること。 そして、戻ってくること。 対戦相手を尊重しなければ、いい試合はできないこと。 レフェリーは、必要以上に目立たないこと。しかし、試合のできを左右するのはレフェリーだということ。 同じ技を出しても、使う人によって、その説得性が違うこと。 その日の興業の出来不出来は、メインイベントで決まること。 対戦相手のよさを引き出すこと。 いっしょになって、盛り上がること。 ベストコンディションで試合にのぞむこと。 決して、最後まであきらめないこと。 悪役ほど、実はいい人であること。 何年か先を想像しながら、前座の試合も真剣に見ること。 基本が大切だということ。 いいレスラーは、自分の決め技を持っていること。 地道な技も大切だということ。 いい試合は、リズムがいいこと。 覆面レスラーの正体は、知っていても、だまされてあげること。 明日もがんばろうという気にさせてくれること。 決して、相手が、次の日、試合ができなくなるような危ない反則はおこなわないこと。 プロレスラーという職業にプライドを持つこと。 常に、観客に向けて、何かを訴え続けること。 24時間、プロレスラーであること。 教師として知っていなくてはならないことは、ほとんど、この中に何らかの形で触れてある。ここには、人にしてほしいと思うことは自分もまた人にたいして、そのようにしなさいというマタイ伝の教え、いわゆる「黄金律」の精神や、多くの学級経営での心構え、はたまた授業の基本は述べられている。 この中から、どれとなりと項目を一つ取り出して、教師向けの言葉に置き換えてみれば、きっと、そのまま通用する。 明快で揺るぎない。・・・・という感じで、以下、具体的に実践につながっていくのでした。 パチパチパチ。
2005年06月27日
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発表紀要の原稿をまず、きりのいいところまで再録します。 ある時、次のような言葉を耳にした。「教室というのは、子どもたちの学習の場であり、そして、生活の場である。」 そうだ。 その通りである。「学級経営が大切なんだ。」 そして、私はプロレス会場に行った。 あるSF作家の言った言葉が、頭の中に浮かんだ。「プロレスは人生の縮図である。」 と、そこで私は、充実した楽しい学級経営をするために必要なことは、すでにあらかた知っているのだと言うことに思い至った。しかも、それはそんなに難しいことではない。わたしには、わかっている。もうずっと前からわかっていた。なら、わたしはそのわかっているところに従っておこなっていたか、となるとこれは、また話しが別だけども・・・・・。目から鱗が落ちて、私はこう考えた。 教室で教師は、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、私は、ほとんど、四角いリングから学んだ。学級経営での必要な知恵は、大学の教育学部という山のてっぺんにあるのではなく、大阪府立体育館の四角いリングにあったのである。私は、そこで何を学んだろうか。 (つづく)
2005年06月26日
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昨日、部屋の整理をしていたら、10年ほど昔、ある全国的な規模の研究会で発表した原稿が出てきました。 教師誌や研究会などでちょこちょこと論文を書くことも多いのですが、その中でもお気に入りの論文です。 ファイルを無くし、原稿自体を探していたのですが、探しているときにはみつからず、他のものを探しているときにふっと出てきたのです。 久しぶりに読み返してみたのですが、これが結構面白い。 発表タイトルは、「学級経営に大切なことのほとんどは四角いリングから学んだ」です。 あのベストセラー「人生に必要な知識は全て幼稚園の砂場で学んだ」(ロバート・ブラハム)のパロディです。「四角いリング」というのは、当然プロレスのことです。 つまり、プロレスから学んだ学級経営・・・と言う内容の論文です。 今から思えば、よくこんなふざけた内容のものを発表させてもらえたものです。 主催者の梶田叡一さんに感謝。 また無くさない前に、研究紀要の原稿をこのブログに再録しようと思います。 ほとんど、自分のための自己満足ですが、おつきあい下さい。 再録は、次回と言うことで・・・
2005年06月26日
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一石二鳥作戦は、水泳だけではありません。 算数でも、音読をおこないます。 姿勢を正し、声を大きく出します。 まずは、算数の教科書音読。 私が音読した後、続いて子どもたちにも読ませていきます。 声がそろわなかったら、もう1回。 何回かおこないます。 特にしつこくするのが、教科書の太字、つまり、定義の部分。 ここは、声がそろっていても何回もおこないます。 算数が苦手な子は、どうしても算数の時間は受け身がちになります。 ところが、音読をするとなると、どの子も主体的に取り組まないといけません。この意識の違いだけでも、算数から遠慮したいなという子には大きな効果があります。音読をすることによって、ぼーっとしている時間が少なくなっていくのです。脳の働きも活性化していきます。 とにかくいいことずくめです。 どの教科でも、音読。 お薦めです。
2005年06月23日
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いつものように、朝の会終了直後、暗唱文集の1~5を全員立って姿勢を正した上で声をそろえて暗唱していました。 譲二の言葉の所はいつも、全員で声をそろえた後、上の句(しまったしまったの所、本当は上の句ではないのですが、子どもたちはそう言ってます。)と下の句(島倉千代子のところです。)を、「最初は上の句男子、下の句女子。」「次は、逆。」という感じでバリエーションをつけて楽しんでいます。 ところが、この日は、うちのクラスが上の句を言った後、隣の教室からなんとなく下の句が聞こえてくるのです。 これは、面白い。「よし、全員で上の句を言おう。1組が下の句をかえしてくれるかも・・・」 クラスの気持ちが一つになりました。 全力で上の句を叫びます。「あいきゃん のっと」 一瞬の間が空いた後「能登半島」 壁を隔てて聞こえてきました。 もう、子どもたちは大喜び。 最後まで一気に譲二の言葉の上の句を叫びまくりました。 そして、一通り終わった後は、もちろん、1組が上の句を・・・ 学年そろって、アホなことをする・・・というのもいいものです。(笑)
2005年06月15日
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「紫式び」のように、間違うことで印象が強くなり記憶が定着。 結果的に、かしこくなるということがあります。 実は、教師というものは、わざとまちがえて、子どもたちの意欲を引き出すと言うことをよくするものです。「わざとまちがえる」「わざと知らないふりをする」事によって、子どもを熱狂の渦に引き込むわけです。 わが師匠の有田和正氏は、この分野も名人芸。 有名なポストの授業は、まさにボケの波状攻撃です。「この紙でポストをつくりたいんだけど、できるよね。」「紙で、できるはず無いやん。」「なんで、紙の方がつくりやすいでしょ。」「紙だと、雨が降るとぬれて壊れるでしょ。本物は鉄みたいにぬれても大丈夫なもの。」「そうか。じゃぁ、今日はこれを鉄だと思って考えてね。(まるめて)はい、できた。」「だめ~。上があいている。」「アッ、本当だ。」・・・という感じで、ポストのことについて学習を進めていくわけです。 中学年までは本気で先生が知らないと信じている子が多く、「全く、うちの先生は何も知らないから、私たちがしっかりしないとね。」としたり顔で話しているほほえましい風景をよく見ることになります。
2005年06月11日
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たわせん学級では、よく「空気を読め」という表現を使いますが、最近、大人の顔色をうかがえない子供が増えてきたと思いませんか? 目の前で先生が今にも怒り爆発直前という感じでも、素知らぬ顔。 スーパーなんかでも、お母さんの顔が明らかに怒っているのに気づかず騒いでいる子。 最近よく見かけるような気がします。 一昔前なら(う~ん、こういう表現をするというところが年をとった実感)、「大人の顔色をうかがって行動する」というのは決してほめ言葉ではなかったのですが、なんか最近なら、これすらほめ言葉に聞こえてきます。 それぐらいまわりが見えてないんでしょうね。 ヒデのように広い視界が持てるといいんですが・・・(ワールドカップ出場記念的表現でした。)
2005年06月10日
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関西人の基礎基本とでたところで、思い出したのが、吉本興業の社長の言葉です。「関西人の基礎基本は、読み書きそろばん、ボケつっこみや。」 う~ん、納得! 10年ほど前の話しです。 私の友人の一人が、めっちゃきれいな娘とつき合っていて、結婚間際だったのですが、なぜか急に破局。 その理由の一つが、「自分がボケても、つっこんでくれへん。」というものでした。 一生共にすごす相手がつっこんでくれない。 これは、確かにつらいかも・・・(ちなみに、東京の友人にこの話をしたところ、全員信じられないという反応。関西の友人は、一同納得という反応でした。当時の西と東でのお笑いに対する執着心がよくあらわれている反応でした。今では、少し傾向も変わっているかもしれませんけどね。)
2005年06月09日
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次は、脳科学的に見てみましょう。 新進気鋭の脳科学者池谷裕二氏の言葉です。「楽しい」という感情は大脳の覚醒レベルを高め、意欲を強くし、物事に対して集中する力を与えます。 つまり、楽しく学習すると、頭に入りやすいと言うことです。 では、楽しく学習するためには、どうしたらいいのか? 教師の立場から言えば、授業を充実させるということです。 楽しい授業をするのです。(具体例は追々公開していきます。) ちなみに、私の教室には、次の言葉がデカデカとはっています。「学びとは人間の最高の贅沢な遊びである」(小倉圭) このような意識になった子は間違いなく伸びます。
2005年05月30日
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私の師匠でもある有田和正氏は、「笑える子を育てる・・と言うことは、「学力のある子を育てる」ということとイコールである。」とおっしゃっています。 と言うのも、知識がないと笑えないからです。(下品な笑いは別ですが、そのような笑いだけをめざしているのではありませんので。) アインシュタイン、フロイトなどの天才を生んだユダヤ人はジョーク好きでしられています。ユダヤ人の父親はジョークを覚えて息子に話すそうです。 また、よく笑う子は知的好奇心が高い・・・という傾向があります。 何をするのにも、やる気があるのです。 やはり、笑いは、プラスのエネルギーを生むものなので、知的好奇心などプラスの方向に全てが向かうのでしょう。 まずは、笑える子を育てる。 これで決まりです。
2005年05月30日
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笑うことによって、顔にある20種類以上の筋肉が使われることになります。これらの筋肉も普通の筋肉と同様、普段使わないと、どんどん衰えてきます。その結果、肌の張りやつやに悪影響を与えるそうです。つまり、笑う門には「美」きたる・・・ということです。笑いじわなんか気にするな!(笑)写真に意味はありません。少しブログにも慣れてきつつあるので、いろいろとやってみたくなっただけです。
2005年05月29日
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笑いは、かなり筋肉を使うようです。みなさんも、笑いすぎておなかが痛くなった経験ってありませんか?あれは、腹筋を使っているからだそうです。専門的に言えば、腹直筋。純粋な腹筋運動には負けますが、それなりの運動を筋肉がしていることは確かです。もちろん、カロリー消化の面でもがんばっています。3分半で、約11Kcalの消費。これは、早足で歩く(約17Kcal)には及ばないものの、軽い筋肉トレーニング(約8Kcal)には、圧勝?笑いすぎて、疲れたっていう経験もよくありますよね。
2005年05月29日
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「優」~優しさの次は、「健」~健康。 笑う門には、「健」きたる・・・ということです。「笑い」について書かれている著書に、必ず引用されているのが、「笑いと治癒力」という本です。これは、ノーマン・カズンズと言うジャーナリストが書かれた本で、笑いによって、当時不治の病であった膠原病を治してしまうという内容のものです。 他にも、有名なものには、「笑いは、体の中のNK細胞(ナチュラルキラー細胞。リンパ球の一種。腫瘍細胞を融解する働きを持っている)を活性化させる。」というものもありますね。 何と、この効果を生かすため、大阪府は、本年度から患者とのコミュニケーションに「笑い」を採り入れた看護の実習プランを始めたそうです。 さすが、笑いの本場。 お見事です。
2005年05月29日
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「笑う門には福きたる」 よく聞く言葉です。 では、どんな「福」が来るのでしょうか? 実は、いろいろな福がやってくるのです。 まずは、「優」・・・つまり、優しさ。 前回、「笑顔になると他人から優しくされる。笑顔でアイコンタクトの実験(MLナップ)」を紹介しましたが、一番の効能は、何と言っても、自分自身が他の人に対して優しくなれるということです。「笑顔になると優しくなれる」のです。 竹中直人ではないのですから、人は、笑いながら怒れないものです。「微笑みは、脳を冷却する。(ザイアンス アメリカミシガン大の研究より)」という研究成果も発表されています。 そして、何より、しかめっ面では、人の短所しか見えなくなるものです。 みなさんも経験があると思います。体調が悪かったり、イライラしていたりして、しかめっ面の時には、他人の短所ばかりが気になることを・・・ そんなことでは、人には優しくなれませんよね。 逆に、笑顔になると長所が見えてくるものです。これ、ホント。
2005年05月28日
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笑顔のイメージをキープするのに、いい方法があります。それは、笑顔でうつっている写真です。これを目につくところに飾るのです。家庭の場合、リビングもいいですが、一番いいのは玄関先でしょう。誰もがそこを通るからです。これまでにも書きましたが、「笑顔は伝染する」ものです。気分がすぐれないときなどは、笑顔の写真から、笑顔をうつしてもらいましょう。
2005年05月27日
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笑顔は伝染するようです。いつも、ニコニコとしている人のまわりには、ニコニコした人が集まってきます。逆に、しかめっ面していると、周りの人の表情も曇ってくるものです。そりゃ、そうですよね。自分の顔を長時間見ているのは、自分自身ではなく、職場や家庭にいるまわりの人間です。しかめっ面をずーーっと見せられ、気分が良くなる人間なんていないですからね。
2005年05月26日
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M・Lナップという実験心理学者が次のような実験をしたそうです。電話ボックスでわざと10セント硬貨を置き忘れて、いったんその場を離れます。そして、過ぎに戻ってきて、電話をかけている人に尋ねます。「10セント硬貨忘れていませんでしたか?」この時、硬貨を返してくれる人の割合は、63%。次に、電話ボックスから出るときに、次の人の目をちらっと見てから、その場を離れます。この時、返してくれる割合は72%。さらに、ニコッとほほえみかけ、「お待たせしました。」と声を掛けると、86%に・・・。とどめは、目を見てニッコリ、すれ違うときにさりげなく腕に触れるとなんと96%。笑顔とあいさつの大切さを示す実験ですが、人を試しているようで、なんかやらしいですねぇ。(^^;)
2005年05月26日
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「鏡に向かって笑顔の練習」は、一人でおこなう基本練習のようなものです。基本練習に飽き足りなくなったら、スパーリングもおこなってみましょう。対人練習です。難しいことではありません。外食をした時、店の人に「ごちそうさま。」買い物をして、レジでお釣りをもらい「ありがとう。」近所の人に、「おはようございます。」笑顔で言うだけです。こちらがニッコリほほえむだけで、相手の反応も違ってくるはずです。お互い、とっても気持ちがいい時間が過ごせます。
2005年05月25日
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さて、笑顔の練習ですが、一番簡単かつ効果があるのが、鏡に向かってのトレーニングです。ヨン様ばりに、ニッコリほほえむ練習をするのですが、笑顔の他にも「片方の眉毛をあげる」「くしゃくしゃの顔をする」「あきれた表情をする」というようにいろいろな顔になる練習もしておくことをお薦めします。表情が豊かになります。「豊かな表情」は、教師にとって大きな武器になります。
2005年05月25日
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「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのである。」ということで、まずは自分が笑うことから始まるのですが、笑うというのはけっこう難しいものなんです。と言うのも、笑顔を作るのは、表情筋という筋肉の動きです。筋肉を自由に動かすということですから、これは他のスポーツ同様、練習が必要になってくるわけです。しかし、逆は真なり。練習すれば、誰でも笑顔ができるようになるのです。さぁ、笑顔の練習、始めましょう!
2005年05月25日
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「ある調査では、問題行動を起こす子どもの親の80パーセントは日常的に笑わないという結果が出ました。」と言うわけで、自分のためではなく、お子さんのためにも笑わないといけないんです。だから、とりあえず、何はともあれ、難しいことを考えずに、今から笑うといいのです。 HA、HA、HA、HA、HA~ えっ、楽しいこともないのに笑えない?「 楽しいから笑うのではなく笑うから楽しいのである。」 これは、 アメリカの心理学者ウイリアム・ジェームズの言葉です。(これがあの有名なジェームズ・ランゲ説です。) まずは、笑ってみましょう。 それが、「笑育」の初めの第一歩です。
2005年05月24日
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「ある調査では、問題行動を起こす子どもの親の80%は、日常的に笑わないという結果が出ました。」「笑顔セラピー(野坂礼子著 KKベストセラーズ)」からの引用です。 保護者会でこの話をすると、「笑い」の大切さがよく伝わります。 家庭でもそうなんですから、もちろん学級でも同じことが言えるでしょうね。 先生方は、上の文章の「親」のところを「担任」に変えてみて読んで下さい。
2005年05月24日
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